Mahler hatte die Gewohnheit, einen Einfall, der ihm besonders gefiel, Tage, Wochen, ja oft Monate lang ständig zu wiederholen, darüber nachzudenken und mit vielen Varianten darüber zu sprechen. So sagte er jetzt immer wieder : » Alle Geschöpfe in der Natur schmükken sich unausgesetzt für Gott. Jeder Mensch hat also nur eine Pflicht, vor Gott und den Menschen so schön als möglich zu sein in jeder Weise. Häßlichkeit ist eine Beleidigung Gottes ! «
マーラーには、ふと思いついた考えがとくに気に入ったりすると、何日でも何週間でも、ときには何か月でもしつこくそれをくり返し、頭のなかでこねまわしては、いろいろなかたちに作り変えて言ってみるという癖があった。それでこのころの彼は、ことあるごとにこう言った。「自然界のすべての生きものは神のためにたえず装いをこらす。だからあらゆる人間は、神と人間のまえで各人各様にできるかぎり美しくあらねばならぬという、ただ一つの(原文傍点)義務を負うている。醜いことは神にたいする冒瀆だ!」最初に読んだときに特に印象に残ったわけではないし、現時点でもこの言葉そのものが特にマーラーの言葉として意義深いものであるようには 感じていないにも関わらず、あえてこの言葉を取り上げたのは、この言葉を紹介するにあたりアルマが触れているマーラーの「癖」を考えた時、 本稿の(上)で紹介したジルーのアルマについての小説に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉が、もしかしたらそうしたヴァリアンテの一つではなかったか、という気が したからに過ぎない。意味合いもニュアンスもかなり違うから全く見当外れかも知れないが。(寧ろ、言葉遣いの上からは、かの有名なプロテスタントのコラールの 題名が呼びさまされるように感じられる。)
ちなみにこの言葉をマーラーが弄くりまわした時期というのは、アルマの回想の叙述上、 1910年9月にミュンヘンでの第8交響曲の初演で成功を収めた後、冬にアメリカ渡ってから、次章で扱われる同じ年のクリスマスまでの間のことのようである。 「有名人」マーラーがアメリカでインタビューを受けて、その時の答を色々と自分で変形させ、そのあるバージョンをアルマが書き留めた、というのは如何にも ありそうなことだと私には思えるのだが、残念ながら、現時点でも単なる憶測の域を出ないままである。(2008.2.10, 2.11補筆)
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上の文章は、本稿の(上)で紹介した、ジルーのアルマについての小説に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉を取り上げた記事を書いた後、しばらくしてから書き留めたものである。「自然界のすべての生きものは神のためにたえず装いをこらす。」という言葉から、その「生きもの」の一部である人間は、作品を創作することによって「神の衣を織る」というように敷衍できるのではないかと思ったことと、アルマの回想が「ふと思いついた考えがとくに気に入ったりすると、何日でも何週間でも、ときには何か月でもしつこくそれをくり返し、頭のなかでこねまわしては、いろいろなかたちに作り変えて言ってみるという癖」について語っていて、もしそうであるならば、ここにアルマによって書き留められたマーラーの言葉のそうした変形の一つが「神の衣を織る」であっても良いのでは、と思ったことがきっかけとなった。事実関係から行けば、この推測は誤りであり、「神の衣を織る」という言葉は、マーラーがアルマと出会う遥か手前に遡って、ハンブルク時代のマーラーがゲーテを引用して述べた言葉であったのだが、それとは別に、「各人各様にできるかぎり美しくあらねばならぬという、ただ一つの義務」の遂行として創作を考えるということは、これはこれで可能だろうし、「できるかぎり美しくある」ことが「神の衣を織る」ことに通じるというのもそれほど無理はないように思える。時代は隔たってはいるけれど、ゲーテ的な自然観に基づくマーラーの考え方は基本的には一貫していて、大きくは変わっていないことからも、寧ろアルマが回想に書き留めたこちらのバージョンの方が、ゲーテの言葉の「変形」であると見ることもできるのではなかろうか。
一方「言葉遣いの上からは、かの有名なプロテスタントのコラールの題名が呼びさまされる」というのは、バッハをはじめとする様々な作曲家のコラール作品の定旋律として有名な讃美歌「愛する魂よ、美しく装え」を思い浮かべてのことだが、歌詞の上では死に際しての心構えを説くこの讃美歌の内容は、「たえず装いをこらす」のは人間のみならず「自然界のすべての生きもの」であるとする、どちらかと言えばゲーテ的な自然観を背後に感じさせるマーラーの言葉とはやはり稍々異質のものであろう。なおマーラーのこの言葉自体が(ゲーテも含む)別の誰かの著作の一節の引用ないしその変形である可能性もあるが、この仮定に立った調査は今に至るまできちんとしたことがなく、アルマが記録した言葉そのものずばりに限って言えば、これまで調べた限りでは見つけられていない。
(2008.2.10公開, 2.11補筆, 2025.8.12 改訂)
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