2024年6月24日月曜日

アルマの「回想と手紙」に出てくる人間の「義務」についてのマーラーの言葉

アルマの「回想と手紙」に出てくる人間の「義務」についてのマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1971年版原書pp.212--213, 白水社版邦訳(酒田健一訳)p.213)
Mahler hatte die Gewohnheit, einen Einfall, der ihm besonders gefiel, Tage, Wochen, ja oft Monate lang ständig zu wiederholen, darüber nachzudenken und mit vielen Varianten darüber zu sprechen. So sagte er jetzt immer wieder : » Alle Geschöpfe in der Natur schmükken sich unausgesetzt für Gott. Jeder Mensch hat also nur eine Pflicht, vor Gott und den Menschen so schön als möglich zu sein in jeder Weise. Häßlichkeit ist eine Beleidigung Gottes ! «

マーラーには、ふと思いついた考えがとくに気に入ったりすると、何日でも何週間でも、ときには何か月でもしつこくそれをくり返し、頭のなかでこねまわしては、いろいろなかたちに作り変えて言ってみるという癖があった。それでこのころの彼は、ことあるごとにこう言った。「自然界のすべての生きものは神のためにたえず装いをこらす。だからあらゆる人間は、神と人間のまえで各人各様にできるかぎり美しくあらねばならぬという、ただ一つの(原文傍点)義務を負うている。醜いことは神にたいする冒瀆だ!」 

最初に読んだときに特に印象に残ったわけではないし、現時点でもこの言葉そのものが特にマーラーの言葉として意義深いものであるようには 感じていないにも関わらず、あえてこの言葉を取り上げたのは、この言葉を紹介するにあたりアルマが触れているマーラーの「癖」を考えた時、 別のところで紹介したジルーのアルマについての小説に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉が、もしかしたらそうしたヴァリアンテの一つではなかったか、という気が したからに過ぎない。意味合いもニュアンスもかなり違うから全く見当外れかも知れないが。(寧ろ、言葉遣いの上からは、かの有名なプロテスタントのコラールの 題名が呼びさまされるように感じられる。)
ちなみにこの言葉をマーラーが弄くりまわした時期というのは、アルマの回想の叙述上、 1910年9月にミュンヘンでの第8交響曲の初演で成功を収めた後、冬にアメリカ渡ってから、次章で扱われる同じ年のクリスマスまでの間のことのようである。 「有名人」マーラーがアメリカでインタビューを受けて、その時の答を色々と自分で変形させ、そのあるバージョンをアルマが書き留めた、というのは如何にも ありそうなことだと私には思えるのだが、残念ながら、現時点でも単なる憶測の域を出ないままである。(2008.2.10, 2.11補筆)

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