2008年1月14日月曜日

「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―

はじめに

梅丘歌曲会館の 甲斐貴也さんによる「大地の歌」の訳詩が、フェリアー/パツァーク/ワルター/ウィーンフィルによる1952年のあの伝説的な録音の CDによる復刻(オーパス蔵 OPK 7036/7)のリーフレットに収められるという知らせは、昨年、まさに甲斐さんによる 「大地の歌」の訳詩改稿にちなんで覚書を認めた者として、ひときわ嬉しいものに感じられた。

のみならず、それをきっかけに甲斐さんが上記のリーフレットのために用意された訳稿における、第1楽章の第3連についての 興味深い解釈についてコメントさせていただく機会をいただき、私にとって非常に意義ある経験をすることができた。 以下では、そこで述べさせていただいたコメントに基づき、甲斐さんの解釈に対して、拙いながらも私なりに些かの敷衍を試みたい。 なお、コメントそのものは2007年10月にメールのやりとりの中で数回に分けてなされたものである。

実は上記CDのリーフレット中に、甲斐さんご自身による「訳者メモ:第一楽章の「悲歌」について」が収められている。ご自身の 翻訳の意図については非常に的確に記述されているから、それをお読みいただければ充分であって、私の以下の小文などは 蛇足に過ぎない。ご興味をお持ちの方は是非、甲斐さんご自身の解説を参照していただきたい。

ちなみに上記のCDには、同時に録音されたフェリアー歌唱の3つのリュッケルト歌曲が併録されている。「私は俗世から消え失せた」 「優しい香りを吸った」「真夜中に」の3曲であるが、これらが「大地の歌」とそれぞれ密接な関連を持つことについては、最初の 覚書で私も言及していて、その選曲の妙にも感嘆した。それがワルターの解釈の反映なのか、録音を企画した側の発案なのかは詳らかに しないが、いずれにしてもこのCDで復刻された録音が如何に深い楽曲への理解に裏打ちされたものであるかが窺えるように思われる。
これら3曲についても勿論、甲斐さんの訳詩が収められているので、こちらも併せてご覧いただくことをお奨めする。

本稿の執筆を甲斐さんにお約束したのはコメントをお送りした後直ぐにであるから、随分と前のことになる。 一つには「ネタばらし」になるのを懸念してCDのリリースを待ったというのもあるのだが、それと同時に折角の機会なので関連する文献を調べようか、 更に少し内容を膨らませようか、などと考えているうちにのびのびになってしまっていた。

結局、初稿の段階では以前のコメントを整理するだけとなってしまい、全曲を通じての語りの層構造の整理など、その後考察しようとしていた点に ついてはまだ手付かずの状況にある。従って現時点では以下の内容はコメントの時点と本質的に変わらない「思いつき」のレベルに過ぎず、 前回の覚書よりも更に手前の構想メモのようなレベルのものであることを認めざるをえない。 全く面目もないが、今後、折にふれ肉付けしていき、何とか全体の構想の輪郭を辿るところまではいきたいと考えている。

遅ればせながらCDリリースの快挙に対するお祝いとともに、このような考察の機会を与えてくださった甲斐さんに御礼を申し上げたい。 その一方でお約束を果たすのがこのように遅れてしまい、なおかつ内容的に全く不十分であることについてはお詫び申し上げたいと思う。

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今回の甲斐さんの解釈の眼目は、訳者メモにもあるとおり、「第一楽章の第三連全体が、第一連で「一曲(ein Lied=歌または詩)吟じよう)」 と予告されている「悲歌(Das Lied vom Kummer)」にあたるという仮説」にあり、訳稿の最終形態ではその部分は文語訳になっている。 そして「第三連全体を「悲歌」とするなら、第一楽章の題名「現世(エルデ:原文ルビ)の苦を詠う酒宴歌(Das Trinklied vom Jammer der Erde)」 とは、酒宴の様を描く楽章全体ではなく、酒宴で詠われる歌、すなわち「悲歌」の部分を指すと考えることが出来ます。」と述べられ、 「"Erde"(エルデ:原文ルビ)を大地と現世の両義に用いてその悠久と儚さを詠う、あたかも作品全体のミニチュアのような「悲歌」こそ、全曲の 曲名「大地(エルデ:原文ルビ)の歌」の由来であると考えることもできると思います。」と書かれている。

要するに、第3連を或る種の埋め込みと見做し、第1楽章の歌詞が入れ子構造になっているという指摘なのだが、これはマーラーがベトゥゲの原詩に 施した改変や、改変した歌詞につけられた音楽の構造など、幾つかの点で非常に自然な解釈であるように私には思われたのである。 以下に私が傍証として考えた項目を示すことにする。

まず何といっても、「大地の歌」の成立過程で、マーラーが全曲のタイトルを第一楽章に基づき、Das Lied vom Jammer der Erdeとしていた時期が ある点が挙げられる。その根拠の一つであるアルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」の題名に関する証言を以下に掲げる。

Den ganzen Sommer arbeitete er fieberhaft an den Orchesterliedern, mit den von Hans Bethge übersetzen chinesischen Gedichten als Texten. Die Arbeit vergrößerte sich unter seinen Händen. Er verband die einzelnen Texte, machte Zwischenspiele, und die erweiterten Formen zogen ihn immer mehr zu seiner Urform - zur Symphonie. Als er sich darüber klar war, daß dies wieder eine Art Symphonie sei, gewann das Werk schnell an Form und war fertig, ehe er es dachte.
Es Symphonie zu nennen, getraute er sich aber nicht aus dem Aberglauben, den ich schon angedeutet habe; und so glaubte er, unsern Herrgott überlistet zu haben.
All sien Leid, seine Angst hat er in dieses Werk hineingelegt: » Das Lied von der Erde « ! Es hieß im Anfang: Das Lied vom Jammer der Erde.
(アルマの「回想と手紙」原書1971年版pp.168--169, 白水社版邦訳pp.162--163)

この文章はアルマの「回想」の1908年夏の章の始まってすぐに出てくるものであるが、ここでは最後の文章で「大地の歌」の題名についての言及がなされている 点が特に注目される。1971年版では脚注がついていて、このタイトルと第1楽章の最終的な曲名との関連に触れているが、この点は全曲の構想を考える上で、 示唆的であるように思われる。

一方、近年研究が進んでいる実証的な草稿の調査結果を含めて題名のプランの変遷を辿ると、"Die Flöte der Jade"「翡翠の笛」(de La Grangeの伝記第3巻p.1123参照)、"Das Trinklied von der Erde"(これはSusanne Villの"Vermittelungsformen verbalisierter und musikalischer Inhalte in der Musik Gustav Mahlers"のp.155が詳しい)などの形態もあったようだ(Danuserのモノグラフのp.26参照)。

最初のものはde La Grangeも言及しているように、Bethgeの詩集の源泉の一つであるユディト・ゴーティエの詩集の題名(「翡翠の書」)を思わせるが、それをマーラーが知っていたかはともかく、かつてDer Pavillon aus Porzellanが「誤訳」に基づくものであるという考証が為され、それなりに話題になったことが思い出される。誤訳は紛れもない事実なのだろうし、陶器の亭というイメージの非現実性もその通りには違いないが、それを言い出せば「翡翠の笛」だって劣らず不自然には違いなく、要するにマーラーの想像力の領域におけるイメージの体系を受け止めるにあたっては、そうした実証的な事情は大きな意味を持たないということを告げているように思われてならない。

一方"Das Trinklied von der Erde"の方は、"Das Lied vom Jammer der Erde"と丁度対をなすように、これもまた最終形態における第1楽章の題名と関連している 点が興味深い。草稿ではTrinkという語が後で書き足されたような形跡があるようだが、開始調の同主調を取る第5楽章がこれまた酒にちなんだ題名を持っていることや、第5楽章のみ成立過程がわからないことなどを考えると、色々と想像力をかき立てられる。いずれにせよ最終的には重心の移動が起こり、JammerもTrink-も冒頭楽章の題名に収まり、全曲はそれらなしの» Das Lied von der Erde «になったわけである。

結局最終的にはDas Lied von der Erdeになったものの、これによってマーラーが第一楽章をどのように位置づけていたかが 窺えるように思える。そして以前にも覚書に書いたことの繰り返しになるが、Erdeの両義性がここに端的に顕れているということも言える。 すなわち初期の段階では悲惨な地上としての側面に重点があったのに対し、彼が経験した試練に対する受容が進むにつれ、捉え方の 変化が生じたのではなかろうか。そしてそれは恐らくは「大地の歌」にとって外的なものではなく、まさにこの「大地の歌」の創作の過程自体が そうした受容の過程に他ならないのではないか。

そうした重点の移動に関連して興味深いのは、これまた覚書でも言及したことであるが、第3連冒頭の

「天空永遠(とわ)に蒼く大地(エルデ)は
悠久にして春到れば花咲く」
(甲斐訳:括弧内は原文ルビ。斜体も原文による)

の特に後半部分が、ベトゥゲの原詩そのものではなく、マーラーが書き換えたものであることである。更にこの箇所が、 第6楽章末尾のこれまたマーラー自身によって追加された詩句との明白な繋がるのは明らかだが、第6楽章の末尾の追加が 若き日のマーラーが当時の友人であったシュタイナーに宛てた書簡(1914年版の書簡集1番, pp.5--9,。マルトナー編英語版では 2a番, pp.54--56)に含まれる言葉に類似することは、デリック・クックなどによって指摘されている通りである。(Deryck Coock, Gustav Mahler, 1980年のfaber & faber版ではp.105。もっとも私見ではクックの見解の優れたところは、その類似ともに、 両者の間に存在する認識の差異を的確に指摘していることで、その違いこそが「大地の歌」の構想の根底にあるのだと 思うのだが。)
それだけではなく、例えばDie müden Menschen gehn heimwärts, / Um im Schlaf vergeßnes Glück / Und Jugend neu zu lernen! の箇所についても、マーラーの改変について、ケネディはそれが1884年12月に後に「さすらう若者の歌」が 成立するきっかけを作ったあのヨハンナ・リヒターに書いたマーラー自作の詩に含まれる詩句の挿入であると述べていて、 晩年のマーラーの改変が若き日の言葉に由来すること、そして「大地の歌」が先行する「さすらう若者の歌」「子供の死の歌」という 2つの連作歌曲集と密接な関係を持つことが、このような点からも窺えるのである。

またこの第3連については、マーラーがベトゥゲの原詩を一部削除してしまっている点にも注目すべきだろう。原詩では整然とした 4連構成になっているのを敢えて崩して、その上であえて上記のような詩句の挿入を行うような改変になっており、マーラーの明確な意図が あることははっきりしているのである。

ベトゥゲの原詩(イタリックはマーラーが削除した部分):
Das Firmament blaut ewig und die Erde
Wird lange fest stehn auf den alten Füßen,
Du aber, Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde,
Nur ein Besitztum ist dir ganz gewiss:
Das ist das Grab, das grinsende, am Erde.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.

マーラーの改変(イタリックが挿入部分):
Das Firmament blaut ewig und die Erde
Wird lange fest stehen und aufblühn im Lenz.
Du aber, Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde


第3連でマーラーが省略した部分に注目してみると、まず気づくのは、本来はDunkel ist das Leben, ist der Tod.のルフランが ここにも存在していたことで、ここでマーラーがこの詩を有節歌曲として処理するつもりがなかったことは明らかである。 例えば長木さんは「グスタフ・マーラー全作品解説事典」において、この省略についてソナタ形式に対応させるための措置という 説明をされているが、これはそうした方向性での解釈だと思われる。だが長木さんの説明はルフランの省略に関してのみの理由付けになっていて、 その前の2行の省略については触れられていないし、上述の1行の入れ換えについても「細かい違い」に含められてしまっているようである。

私見では、マーラーの詩の処理には楽曲の図式への合致という狙い以上のものがあったのであり、そして甲斐さんの解釈は 想定されるその狙いと合致しているように思われるのである。参考までに省略された2行について、本Webページのマーラー作品の歌詞紹介のページで参照させていただいている最上先生の訳を 示すと、以下の通りである。

「一つだけお前に確実な財産がある,
それは墓,最後にニヤニヤ笑っているもの。」
(最上訳:出典は「マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─(第1~3楽章)」、香川大学経済論叢、第76巻第3号、2003年12月発行)


削除された部分のことなので、最終的な形態のみを問題にするのであればこれはルール違反だし、控えめに考えても過大視することは控えるべきかも知れないが、 マーラーの意図を想像する上で、また意図とは離れたレベルでも、テキストの水準で第3連が結果としてどうなったかを考える上では、 自作の詩句との入れ替えと併せて、やはりこの削除の影響を考える必要はあるだろうと思われる。

私が気になるのは、

(1)ここで"Grab"「墓」が出てくること。 これは勿論、第4連に繋がっていくイメージ。
(2)"das grinsende"について。「笑い」が出てきている。ニュアンスは違うが、いやでも第1連の"auflachend" と響きあうように感じられる。

という点である。いわば、原詩にある「死すべき人」と「墓」の「笑い」の応酬というファクターを落とした上で、 auf den alten Füßenを自作のund aufblühn im Lenzに置き換えてしまったわけだ。

内容上、本来は第3連も他の連と同じレベルにあったものを、マーラーはあえて、上記のような処理によってレベルを1つずらしたのだと考えることが できるのではなかろうか。その上で、第6楽章に向けての補助線を引き、埋め込まれた歌を第1楽章の題名とダブらせることと併せて、 今度は全曲を指し示すものであることを示唆する、という構造になっていると考えるのである。

しかも、実はマーラーが省略した2行は、ベトゥゲがNachdichtungの素材として用いたハイルマンのバージョンにも、ゴーティエのそれにも存在しなければ、 遡って「原詩」とされる李白の詩にも対応する部分がない、いわばベトゥゲの純粋な「創作」部分だというのも興味深い点かも知れない。 マーラーが「調査」の上でそうしたのではないのは伝記的な調査の結果を見る限り、ほぼ確実だから、取捨選択の動機が全く別であることは明らかだが、 マーラーは、ベトゥゲの創作のオリジナリティが発揮されている部分をいわば無意識に排除した上で、もしかたらこちらも無意識に、自分の若き日の 言葉に置き換えることで、この第3連を全曲の「核」として扱いたかったのだと思う。

こうして考えると、甲斐さんの解釈は非常に説得力があるものに感じられるが、私としては、最初の覚書で 「大地の歌」の理解においてポイントであると述べた「自己の有限性の認識」がまさにこの第3連で端的に述べられていること、しかもそれが 「永遠の大地」との対比で述べられていることが非常に印象的であり、まさに我が意を得たりと感じられたのである。

ところで、図と地の関係を考えた上で、第1楽章の第3連と、内容上それに呼応する第6楽章の末尾を同時に考えることは実に面白い。 第1楽章ではここが埋め込みになっている、つまり語りの内容になっているのだが、全曲を見た場合には、実はここで埋め込まれている方が レベルがいわば到達点になっていると考えられるからである。そこで、以下では少し寄り道になるが、「大地の歌」全体における「入れ子」「埋め込み」の構造、 語りの層の重層性について気づいた点を簡単に書き留めておこうと思う。

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図と地ということで言えば、「大地の歌」でそれが端的に顕れているのは、これまたやはり終楽章の、一般には2つの詩を 間奏曲を介して連結したことに基づく人称の扱いであろう。前半では友との最後の別れを待つ「私」が語っているのに 対して、間奏曲の後では一旦、「友は馬を降り別れの杯を彼に差し出した」というように、語り手が第3者として登場するのだ。 そして、いわゆる自由間接話法におけるそれのように、「彼は(...)話した:」以降、彼の語りの内容として「私」が語るのである。 ちなみにここの部分の話法の処理もまた、ベトゥゲの詩に由来するのではなく、マーラーによる改変によるものであることに 留意すべきだろう。そしてその処理が単純にErとIchを入れ換えるといったもので無い点に特に注意が必要であろう。

管見によればこれを強引に「私」に統一して訳した例もあるようだが、私見によれば、誤りとまで言うつもりはなくとも、 それにより喪われるものの多さを考えた時に、そうした措置には強い抵抗感を感じる。これまでに見てきたとおり、ベトゥゲの 原詩に対してあえて各種の改変を行なうことで、マーラーは意図的に語りのレベルを重層化したと考えられるのであれば、 そうした措置は、控えめに言ってもマーラー自身の意図に添ったものであるとは言えないだろう。 第1楽章第3連からは些か離れるが、最終的には深い関係を有する点なので、そうした「意訳」に恣意的で主観的な 態度を感じることに対する裏付けとなる論拠を更に別に探すとなれば、例えばマーラーが管弦楽版の各楽章に与えた 題名の問題が考えられるかも知れない。

「大地の歌」には死後間もなくワルターにより初演された管弦楽版の他に、決定稿には至らなかったものの「ピアノ伴奏版」が 存在していて、作品の生成過程においては寧ろ連作歌曲のそれに近い点があることは、今日では良く知られるようになっている。 ピアノ伴奏版がサヴァリッシュのピアノにより日本で初演されたこと、初演や出版(国際マーラー協会版の補巻2)に国立音楽大学が 大きく寄与していることをご存知の方も多いだろうし、現時点では日本人演奏者によるものも含め、複数の録音によってピアノ 伴奏版を知ることもできるようになっている。

一方「大地の歌」の歌詞の成立に関しては、ここで問題にするベトゥゲの原詩に対するマーラーによる改変のみならず、 オリジナルの漢詩とベトゥゲの詩を繋ぐ一連の翻訳・翻案の系譜も詳しく調べられているのはこれまた周知の事実だろう。 そしてそれと併せて、上述のピアノ伴奏版と管弦楽版の歌詞の間にも差異が存在していることも、ピアノ伴奏版を調べれば 直ぐにわかることであり、このサイトでも歌詞のページで紹介をしている。

詳細は上記のページをご覧いただくとして、その差異のうちここで特に注目したいのは、題名に関して、ピアノ伴奏版ではベトゥゲの原題に 依っているのに対して、管弦楽版は特に第3楽章、第4楽章が「~について(von ...)」という形式になっていることである。 このvonは第一楽章の題名にも出現するし、全曲のタイトルの最終形でも残された。
これを例えば、第3交響曲の成立過程に存在した「~が私に語ること」という各楽章の「標題」と対比するのも興味深い。 これらは同じ6楽章で、楽章構成は丁度逆行するような構造になっていることなど、この2曲の比較は色々と興味深い点が多いが、 ここで扱うには大きすぎるテーマであるので、これについては稿を改めたいと思うが、ここでは語りの主体が誰であるのかという点が 問題で、vonが全曲のタイトルにも、第1楽章にも、そして第3,4楽章にも出現すること、そしてそれが原詩にあるものではなく、 マーラー自身が与えたものであることは、その観点からも留意されて良いことだと思われる。

こうした改変の方向について渡辺裕さんは「ブルックナー・マーラー事典」において「個別的・具体的なタイトルをより一般的・ 抽象的なものに変えようとする方向性」と特徴づけ、それを大地の歌における歌曲と交響曲というジャンル間の緊張関係の 問題に結びつけて、「最終的には交響曲の方に傾いていったマーラーの歩みを象徴的に示していると言ってよいだろう」と されている。あえて更にそれに付け加えるとすれば、ここで問題なのは「具体的な歌曲/抽象的な交響曲」という皮相な 対立なのではなく、タイトルをより一般的・抽象的なものに変えることが、上述の層の多重化、視点の多様化といった側面に 関わるからこそ、そうした改変がマーラーにおける交響曲の理念に沿ったものであると言いうるのだと思う。であればこそ、 マーラーにおいては歌曲でも管弦楽の伴奏が要求されるのだろうし、交響曲と歌曲という一見したところ対立するジャンルが かくも自然に融合しうるのだ。要するに重要なのは「大地の歌」が歌曲か交響曲かといった二者択一の問題でないのは 勿論だが、その2つのジャンルを対立し相容れないものとして創作の歩みを辿ることではなく、その両者がその都度どのような 緊張関係のうちに均衡点を見出しているかの具体的な様相を突き止めることのはずである。そうでなければ「大地の歌」の ようなケースは例外的なものとして否定に扱うしかなく、その個別性を扱うことはできないだろう。

図の中に地を更に埋め込むという騙し絵的なやり方は、ジャンルを問わないマーラーの特質であると考えられる。勿論それが すべての作品に観察できるというわけではないが、それが歌曲なり交響曲なりの一方のジャンルに固有の特徴であるということは ないように思われる。ここで論じている「大地の歌」では、それはまずもって歌詞のレベルでの操作だが、実際には歌詞のない 器楽曲の構造のレベルでも、そのような入れ子構造はあちらこちらに見られる。 その最も著しい例は第4交響曲だろう。またこの入れ子が、例えば「子供の魔法の角笛」歌曲集におけるあのイロニーと密接な関連を 持つことも留意されてよいだろう。

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いずれにせよ、再び「大地の歌」に戻れば、丁度エンブレムのように最初は第1楽章においては作中の歌として提示された第3連の内容が、 第6楽章に至って反転して語り手のレベルであることが判明し、最後はその語り手のレベルに漂ったまま終わるというのは、 実に鮮やかでマーラーらしい着想であると思う。

要するに「現世の苦についての酒宴歌」は、第1楽章の題名であり、第3連の歌のことでもあり、そして、全曲のタイトルでもあるのだ。 第3連はマーラーのバージョンにあっては、意味の核を為していて、それだけに、ここを浮かび上がらせる甲斐さんの試みには 説得力を感じたのである。

ちなみに、この「入れ子」の最も整合的な解釈は、実は第1楽章が一番外側にあるのだ、というものであろう。(もしかしたら誰かが言っているかも 知れないが、サーベイができていない。ご存知の方がいらしたらご教示いただければ幸いである。)

つまり、第6楽章で図と地の反転があるのではなく、素直に第6楽章の終結部は、第1楽章第3連と同じレベルであると考えるのだ。
すると「大地の歌」の全体構想は、最低でも3つ程度の層構造になっていることになるだろう。その層を特定するためにはより詳細な検討が 必要だろうが、例えば考えられる1つの仮説として、以下の様な想定を出発点に吟味していくことが考えられると思う。

レベル1:第1楽章の第1,2,4連、第6楽章の後半の「語り」のレベルや間奏曲(前奏やそれに続くレシタティーヴォも含む)
レベル2:第1楽章の第3連、第6楽章の「私」の語る内容部分、終結部分、中間楽章の「話者」、総じて「について」の想定される語り手のレベル。
レベル3:中間楽章の内容。時間的には「過ぎ去ってしまったもの」

実はこれは当初甲斐さんに送った私信における仮説とは、第6楽章に関して多少の違いがある。既に述べた間奏曲によって隔てられた前半と 後半の人称の分裂をどのように考えるかが問題になる。ここでは調的配置などを考慮に入れて、冒頭のゴングの響きやそれに続くレシタティーヴォ、 それらに対応する後半の間奏曲とレシタティーヴォといった調的にハ短調をとる部分は、レベル1に属し、その後「私」の進入とともにレベル2に 降りた音楽が、間奏曲によって一旦外側のレベルの介入を受け、そのまま後半部分ではレベル1の水準で進んでいき、Er sprach以降、 レベル2に再び移行して終結部分に至るまで、第1楽章の第3連と同じ水準で最後にいたると考えた。

また、上では中間楽章を一括りにしてしまっているが、厳密には第5楽章のレベルが第3,4楽章と本当に一致しているのかは検討の余地がある だろうし、第2楽章についてもそうだろう。あるいはもっと単純に、中間楽章を1レベル深く埋め込まれたと考えずに、全体を2層構造で考えることも 可能かも知れない。要するに上述のレベルはあくまでも検討の出発点に過ぎず、これを結論として主張するつもりはない。後述する調的な 配置の問題も併せて考えることで、今後、中間楽章、とりわけ第2,5楽章の位置づけについては更に考えていきたい。

もっとも、それでも第2,5楽章のレベルについての検討の余地はあっても、中間楽章が1レベル深く埋め込まれているという感覚は否定し難い。 そしてそれは、マーラーが第1楽章のタイトルを全曲のタイトルに考えていた―厳密にはTrinkliedそのものではなく単にLiedとした上で、ではあるが― という事実とも全く矛盾しない。まさに第1楽章が「枠」を構成していて、マーラーの天才的なところは、その「枠」に戻らずに、レベル2で曲を 解き放ってしまった点にある、という言い方ができるだろうか。

勿論、大地の歌の巨視的な構造に関しては様々な議論があり、上記の仮説とは一見して相容れないものもある。 例えば柴田南雄さんは「大地の歌」全曲の中心を第4楽章、さらにはあの騎乗を模したとされるその間奏部に置き、 そこを軸としたシンメトリーになっているとお考えのようである。この見方をとる場合には、第6楽章を二つに分け、前半を第2楽章と、 後半を第1楽章と対称と捉えるのである。柴田説は「大地の歌」のみならず、マーラーの交響曲全体、ひいてはより巨視的な音楽史的な パースペクティブからこのシンメトリーを捉えておられ、曲への接近の姿勢が異なることもあって、歌詞の叙述レベルのようなミクロな視点は そもそも考慮されていない。だがそれだけでなく、第6楽章においてまさにそれを間奏曲を介して1つの楽章に形成したという観点からも、 その結果生じた、前半5楽章とその合計に匹敵する長さをもった第6楽章というバランスを考えても、あるいは後述する全曲の調的配置の観点からも、 そこに隠れたシンメトリーがあることを否定することはなくても、そこから漏れてしまうものの大きさを考えるにつけ、シンメトリー構造は「大地の歌」という 複合的でかつ総体としてはユニークな構造を持った作品の一面に過ぎないのではという感じを拭えない。

否、マーラーの交響曲一般に議論の対象を広げた場合でも、シンメトリーの存在が際立った特徴になっているとはいうのは確かであっても個別の様相は 一様ではないし、内容や長さが異なるものを並べたり、Teil(部)という上部構造を導入したりというように、マーラー個人の様式を特徴づけるのは、 複合的な構造の重ね合わせや、楽章間の関係の非因習的な関連づけにあるように私には思われる。そもそもマーラーの単純な反復を忌避する 嗜好や、その音楽の極端に時間的に展開してゆく動的な性格は単純なシンメトリーに対立し、緊張を齎す契機であって、 それは調的配置によっても裏付けることができるだろう。結局冒頭に戻るような円環的な時間からマーラーほど隔たったものはない。 東洋的と言われ、内容上、春の訪れの反復を齎す循環のうちに永遠性を見出すかに見える「大地の歌」もまた、地上の悲惨さの認識からそこへと至る 心的過程こそが楽曲の実質であり、永遠性に与れない有限で儚い自己の限界の認識がそこには厳として存在することを思えば、 寧ろ私はその過程が形作る層の構造の方に注目したいのである。

そしてここで議論している層構造はそうしたマーラーの作品の中でも、とりわけ多楽章よりなる交響的作品の際立った特質の1つだと思われる。 マーラーが愛読した「カラマーゾフの兄弟」などを思い浮かべても良いが、アドルノも指摘しているように、こうした発想は長編小説のそれに近いように思われる。 そしてこの特質は、ヘルシンキでシベリウスに語った言葉や、あるいは遡って、はっきりと自分の作品のあり方を自ら認識することになった 第3交響曲作曲時に語られたという、あの"Symphonie heißt mir eben : mit allen Mitteln der vorhandenen Technik eine Welt aufbauen."という 有名な言葉と密接に関係するのだろう。 マーラーは多楽章構成に最後まで拘ったし、更にそれらを平面的に布置するのに飽き足らず、それにかぶせるようにTeilというまとまりを上位に 与えることもしている。それは当初は交響詩と呼んでいた第1交響曲の初期稿の段階から、未完成に終わった第10交響曲に至るまで 一貫していると言って良いと思う。第8交響曲のように上部のTeilのみが残って楽章が無くなるケースも、そうした多楽章構成に対するマーラーの 試みだし、一方で楽章の内部で複数の層を重ねたり、楽章の開始と終了の層をあえて変えたりという試みも、多楽章形式への拘りと 表裏一体なのだ。多楽章形式は結果として視点の複数性、自己認識や反省のための空間の確保を可能とし、マーラーの音楽を、 自己意識の音楽として捉えることを可能にしていると考えられる。

そうした多楽章形式による「世界の構築」への拘りは、微視的にはこれまたアドルノが提示したVarianteの技法によって支えられているのだろうし、 あるいはまたマーラーが対位法について語ったアイヴズを彷彿とさせるような発言と関係するだろうが、恐らくそれと最も明確に関係しているのは、 これまたしばしば取り上げられる調性配置ではないだろうか。調性配置では、Dika Newlin以来の発展的調性(第5交響曲に典型的に見られる)に 関する議論が有名だが、上記のような層の問題として捉えた場合には、第3交響曲第1楽章の伝統的なソナタ形式からすれば破格の調性配置 (そこでは「再現」の持つ意味が従来のものとは実質的に異なったものにされている)や、第6交響曲の中間楽章の順序にまつわる議論、歌曲を 末尾に持つ第4交響曲や一見したところシンメトリカルでありながら内容上はバランスを欠いている様に見える第7交響曲のそれのような因習的でない 構想をどう評価するかといった問題に密接に関係するように思われる。

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だがここでは「大地の歌」を扱っているわけなので、歌詞内容の側面との比較を念頭においた上で、調性配置の観点から、大地の歌の作品全体の 層構成について、ひいては甲斐さんの解釈について簡単に考えてみたい。そのとき直ちに思い当たるのは以下の点ではなかろうか。

(A)これはよく指摘されることであるが第1楽章の第1,2,4連の末尾のあのDunkel ist das Lebern, ist der Todというルフランは調的な主音が半音ずつ上昇する (ト短調―変イ(短)調―イ(短)調)。出発点はマーラーの「悲劇の調」であるイ短調。第3連はそのなかで「括弧に入った」 部分である(調性はヘ短調)。
ちなみに、第3連の扱いをソナタの展開部に対応づける議論があるが、私はこれは留保をつけたいように感じる。確かに第1楽章の調性配置の 巨視的なシェマはそうかも知れないが、それだけで割り切るのは、この歌曲=交響曲の複合的な構想を単純化したものに感じられるからである。 それを端的に示すのが、上記のルフランの扱いではなかろうか。なお、上記のルフランで(第6交響曲のモットーを連想せずにはいられないが)第3音が ぼかされて、長調・短調の感覚が曖昧にされている点にも注目すべきだろう。

(B)全曲終結は、ハ長調で全曲の開始調の平行調だが付加6の効果で、長調・短調の対立が宙吊りになり、かつ、トニカでの解決が放棄される。 これは、詩の内容の層構造上、レベル1に戻らずに中間のレベル2で終わってしまうことと釣り合っているように思われる。
そもそもフィナーレである第6楽章はハ短調で開始される。これもまた嫌でも第6交響曲を思い浮かべざるを得ないが、前半では小川の描写になる部分で ヘ長調に転じる。異なるのはその後イ短調を経て、これまたマーラーによって差し替えられたO Schönheit! O ewigen Liebens - Lebenstrunkne Welt!という 歌詞で頂点に達する部分が変ロ長調をとるのに対し、後半の対応する部分、即ちコーダではハ長調をとることである。(なお、第6楽章の調的構造に関しては 長木さんの「グスタフ・マーラー全作品解説事典」の記述には個人的には疑問がある。ここではより妥当と思われたHeflingに従った。)第6楽章だけに関して言えば 終結部分は同主調であるということができる。結果的に第1楽章第3連がフラット4つのホ短調/変イ長調、第6楽章前半の頂点がフラット2つの変ロ長調、そして最後が ハ長調・イ短調を宙に吊った付加6の和音という配置になっているのだが、これにどのような意味づけが可能かについては残念ながら現時点では 何ともいえない。今後の課題としたいと思う。

(C)コーダにおける付加6も含め、イ短調ともハ長調ともつかない曖昧な感じは、実は全曲を支配する基本動機に由来している。これがいわゆる5音音階に 一致することもまた良く指摘されることだが、だとするといわれるところの「東洋趣味」の調的な設計上の寄与を測ることは、中国への依拠を「仮晶」と とらえたアドルノの観方とともに検討してみる必要があるだろう。

更に「大地の歌」全曲の調的配置と層構造の関係については興味深い点が数多くあるが、ここではそれらを指摘することしかできない。 例えば、イ短調の開始に対して同主調を探すと第5楽章がイ長調であることに気づく(もっとも既に第1楽章の末尾のルフランの部分で、一旦 音楽はイ長調に到達しかかるのだが)。これは第6楽章の位置づけを考える上で重要な点だと 思われる。また第6楽章前半の「私」の語りの内容部分で採用される変ロ長調は第3楽章の調性でもあるのだが、それだけではなく、第1楽章の 揺れ動く調性の中で、アトラクター的な極をなしていることも注目されてよいかも知れない。そしてこの文章の主題であった第1楽章第3連が 含まれる展開部のヘ短調という調性は、直前のルフランの変イ調と密接な関係にある(変イ長調となら平行調)。さらに第2楽章のニ短調という調性は、 一見したところ第1楽章で提示された調的組織から離れているように見えるが、第3楽章がフラット2つの変ロ長調であることを考えると、 イ短調―フラット1つのニ短調―フラット2つの変ロ長調という流れが見出せる。実際第2楽章の内部でも対比セクションに変ロ長調が出現する。 第2楽章のクライマックスは変ホ長調だが、ニ短調―変ホ長調という関係は、第6楽章の変ロ長調が出現する直前のレシタティーヴォがイ短調(!)を とることを考えると、実は並行した関係にあることがわかる。(基音が半音上がって長調に転じている。)etc...

検証は今後の課題であるし、仮にできたとしてもあくまでも傍証に過ぎないだろうが、上記のような調的な配置についてもまた、 第1楽章第3連についての甲斐さんの解釈や層構成の仮説と、少なくとも矛盾しない説明が可能であるように感じられる。調的配置については 単純にあるパートがどの調で書かれているかだけでなく、転調の問題、即ち各パートの繋がり具合も考えなくてはいけないことを思えば、 層構成についても、それを静的なものとして、単純に第1楽章第3連と第6楽章コーダの歌詞の共通性や、詩の上での叙述のレベルから 考えるだけでは不十分で、どこから何を眺めているか、といった把握の仕方が必要かも知れない。

そもそも調性配置については、特に音楽の聴取のレベルでの心理的な効果については実証的には疑問が呈されることもあるだろう。対象となっているのが局所的な 転調による対比の効果といったミクロなものではなく、マクロな布置の問題であることもあって、とりわけマーラーの音楽のような物理的に長大な持続を持つ 音楽の場合は尚更かも知れない。だが、実証的な証明は困難であっても、そして楽譜を調べ、知識としてそれを知っていることによるバイアスに起因する 部分が多くあったにしても、歌詞の扱いと楽曲の構造のこのような対応は、聴取によって受ける印象と少なくとも矛盾するところはないように思われる。 例えば上述の層構造についてはそもそも明確で唯一の正解というのはないのかも知れないが、だからといってそうした層の存在を聴取の際に感じるという 事実の方は残る。

そしてまた、翻訳において、これを意識するかどうかは別の問題だろうが、甲斐さんご指摘のとおり、こうした語りの層は、それがあること、つまり語り手の 存在に言及されることは(例えば第6楽章に関しては)あっても、きちんとした議論は、管見では見たことがない。ましてや第1楽章第3連に 関しては、指摘されれば全く自然に思われるにも関わらず、そのような指摘は寡聞にして知らない。 従って、そうした層を第1楽章において的確に探り当てられ、それを翻訳の上でも示すのは、大変に意義あることと思われたのである。 少なくとも私個人にとっては、甲斐さんの翻訳の改訂のプロセスにお付き合いさせていただいたのは、その過程で浮かび上がり、背景に後退する 意味の層の運動を眺めることに他ならず、実に貴重な経験だと感じたし、自分が大地の歌に対する理解を深める上で得難い経験をさせていただいたと 感じている。

(2008.1.14,19初稿作成, 20補筆・修正, 2.23補筆・修正)

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