Vor Jahren hatte ein lungenkranker alter Freund meines Vaters, der seine ganze Liebe jetzt auf Mahler übertragen hatte und an nichts anderes dachte als daran, für seinen Liebling Liedertexte und Anregungen jeder Art zu finden, ihm die neuübersetzte » Chinesische Flöte « gebracht (Hans Bethge). Diese Gedichte gefielen Mahler außerordentlich, und er hatte sie sich für später zurechtgelegt. Jetzt - nach dem Tod des Kindes, nach der furchtbaren Diagnose des Arztes, in der schrecklichen Stimmung der Einsamkeit, fern von unserem Hause, fern von seiner Arbeitsstätte ( die wir geflohen hatten ), jetzt überfielen ihn diese maßlos traurigen Gedichte, und er skizzierte schon in Schluderbach, auf weiten einsamen Wegen die Orchesterlieder, aus denen ein Jahr später » Das Lied von der Erde « werden sollte !
私の亡き父の友人に肺結核を病む老人がいて、故人への友情をいまではそっくりマーラーに傾けていた。そしてこの寵児のためにいろいろな詩をさがし出してきては、手をかえ品をかえ作曲への意欲をそそり立てるのが、唯一のたのしみになっていた。この老人が何年かまえに『中国の笛』という当時はじめて翻訳された(ハンス・ベートゲによる)詩集を届けてくれた。マーラーはこの詩がことのほか気に入り、将来にそなえてあたためていた。そしていま――子供に死なれ、医者には残酷な宣告を受け、恐ろしい孤独にさいなまれ、わが家からは遠く離れ、仕事小屋(そこを捨てて私たちは逃げてきたのだった)とも訣別したいま、このかぎりない憂愁をたたえた詩集が忽然として彼の心によみがえってきた。彼はシュルダーバッハに滞在中、はてしないさびしい散歩のあいだに想をねり、はやくもこのオーケストラ付き歌曲のスケッチを書きあげていた。そしてそれは一年後に『大地の歌』として完成するのだ!「大地の歌」の成立に関する混乱は、アルマの「回想と手紙」の上掲の記述に起因するようだ。これの真偽については諸説あるようだが、現時点では、ベトゥゲの詩集の最初の出版が1907年10月5日であるという記録から、マーラーが詩に出会ったのが1907年であったにしても、それはその年の夏の休暇の間のことではないし、1907年の夏にシュルダーバッハでスケッチが開始されたというのはありえないというのが一般的な見方のようだ(例えばHeflingのモノグラフのp.31を参照)。
アルマの回想の次章は「秋 1907年」と題されるが、そういうわけで1907年というのはアルマの(あるいは故意の?)記憶違いであったとしても、その一方で大地の歌の作曲がまさに「秋」の雰囲気の中で始められたということは間違いではないようだ。残された草稿の日付から推測するに、マーラーは恐らく第2楽章を最初に書いたらしいからである(1908年7月)。そしてその後の急速の作曲の進展の方については次に紹介するアルマの「回想」の1908年の章の記述の通りで、およそ6週間のうちに次々と6つの楽章の草稿が産み出されたようである。
ところで、その草稿の成立順序が完成した作品での楽章順と一致しないのは、一般には不思議でもなんでもないのだが、こと「大地の歌」については、その構成を死の受容のプロセスとして捉える考え方もあるのであれば、寧ろこの不一致にこそ人生と芸術の微妙な関係を見るべきなのではなかろうか。それをどの程度重視するかはおくとして、草稿の日付の順を書いておくと、日付のない第5楽章を除いて2-3-1-4-6とのことである(Heflingのモノグラフp.35の記述、またpp.47--48の表2も参照)。勿論、残された草稿の日付が何を物語るかについては慎重であるべきで、それとマーラーの心の中で起きたプロセスもまた、単純に同一視すべきではないかも知れないが、いずれにしても、(あるいはそうであればなお一層)、完成した作品の持っている内的な論理と創作のプロセス、そして「死の影の谷」を通過する心的なプロセスとの間の関係を解き明かす作業がそんなに単純ではないことを、この事実は物語っているように感じられる。(2008.2.11 執筆・公開, 2024.8.11 邦訳を追記。)
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