2020年9月5日土曜日

「私はこの世に忘れられ」:新型コロナ禍におけるマーラー演奏について(youtubeを対象とした2020年9月2,3,5日の調査報告:2021年4月29日更新)

 新型コロナウィルス感染症の流行が始まり、日常生活が影響を被るようになってから早くも半年が経とうとしている。これまでここでも、まず3月末に、マーラー祝祭オーケストラの演奏会の延期の決定に因んだ「1892年、ハンブルクで…:マーラー祝祭オーケストラの公演延期に接して(4月1日公開)」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/04/1892.html)においてマーラーがハンブルク歌劇場時代に遭遇したコレラ禍について紹介し、その後もコンサートホールでの公演が中止を余儀なくされている状況をうけて「「リハーサルのとき私がいったすべてのことをどうぞお忘れなく!」 ーオスカー・フリートの第2交響曲の録音についての覚書(7月17日公開)」(https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2020/07/2.html)において、マーラー作品の受容の歴史を振り返り、その中に現下の状況を位置づける作業を行った。

そこでも書いたことだが、新型コロナウィルス感染症の影響が長期化した中で、無観客での演奏のオンデマンド配信の試みはあるものの、その本来の規模からすれば小編成の作品を、これまた何分の一かに絞られた聴き手の前で演奏するのがせいぜいであり、コンサートホールの性能を目一杯活用する必要のあるマーラーの交響曲のような作品の実演の再開の見通しは立っていないという状況は半年を経過してなお、変わっていないように思われる。実際、3月末に5月の公演を9月に延期することが決定されたマーラー祝祭オーケストラの演奏会は、その後更に来年の5月に再延期する決定が既に為されている。コンサートの公演というのは一度きりの実演だけの問題ではなく、プローベのスケジュール他、コンサートを成り立たせるために必要な、準備作業・後作業の全てが影響を受けることになる。この状況が続く限り、事実上マーラーの作品の実演は不可能となり、マーラーの演奏の伝統は断絶することになりかねない。

その一方で、そこではまた、フリートの録音を嚆矢とする録音による聴取が一般的になる以前にマーラーの作品へアクセスする手段であったピアノ連弾や2台ピアノ、あるいは独奏への編曲や、室内楽編成への編曲に触れ、現下の状況でマーラーの作品のオリジナルの編成での上演が事実上不可能なのであれば、せめて編曲版での演奏を、という希望を記すとともに、リュッケルト歌曲集を筆頭に、「子供の死の歌」など、管弦楽伴奏歌曲の管弦楽編成はもともと小さいから、それらと室内楽版の交響曲を組み合わせたプログラム・ビルディングの可能性についても言及したのであった。

更に伝聞したこととして、緊急事態宣言の最中において、ネットワーク上でビデオチャットのようなツールにより接続した奏者達が、その場で「合奏」が試みられたことにも触れた。以下、本稿ではこれをヴァーチャルアンサンブルによる「リモート演奏」と呼ぶことにする。ただし、ここではその定義を拡張し、その場でリアルタイムで行ったものだけではなく、編集作業によって「演奏」として完成されたものも含むことにする。この両者の間には大きな径庭が存在し、最終的な見た目だけで単純に同一視することはできないが、その一方で、いわゆるプローベに相当する準備なしの一度きりでない限り、演奏を仕上げていくプロセスや同期をとる工夫、そこだけとればマルチマイクでの録音の編集作業と似ているであろう編集のプロセスについては様々なやり方、段階が存在するものと思われる。一部は試行錯誤も含まれるであろうそうした方法論について、だがここで微細な差異を論じるだけの知識も経験も今の私にはない。したがってそうした技術的な細部は非常に重要であり、細かく論じるべきであるとは思えど、断念せざるをえず、ここでは一旦、結果から、画面がギャラリー・ビューの形態をとっていることをもってヴァーチャルアンサンブルによる「リモート演奏」と見做さざるを得ないことをお断りしておくべきだろう。

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ここでは、半年が経過しようとするこのタイミングで、実際にマーラーの作品の演奏がどのように行われたかを、youtubeにアップロードされた記録に基づき調べてみた結果を報告したい。演奏の出来は玉石混交だが、見つけることができたものは、貴重な試みを記録するという意味合いも込め、できるだけ取り上げることにした。

とはいえ断るまでもなく、あくまでの以下に報告する内容は、私が独自に自力でyoutubeのファイルを検索し、一つ一つ聴くという極めてアナログな方法で調査をした結果に過ぎず、網羅性を保証するものでは何らない。更に付け加えれば、それはあくまでもある時点―9月2日、3日、5日にそれぞれ数時間ずつ調査をした時点―での確認結果に過ぎず、特にポストコロナにおける観客を入れた演奏の再開の状況については、今後、時々刻々と新たな情報が付け加わっていくであろう。その一方で、完全に旧に復する前の過渡的な状況でどのようなアプローチが取られるかを、幾つかの先駆的な試みの映像記録を通じて確認することはできると考える。これらの点に予めご了承頂いた上で、以下の情報は自由に利用頂いて構わないし、また、新たな興味深い情報があれば、是非ともご教示頂ければ幸いである。

上記により以下のように分類して、それぞれについて調べた限りで特筆すべきと思われたものを紹介することにしたい。

A.中止を余儀なくされた重要な公演

B-1.ロックダウン期間中の無観客での演奏の記録

B-2.ロックダウン期間中のヴァーチャル・アンサンブルによる「リモート演奏」。ここでは編集作業によって「演奏」として完成されたものも含む。

B-3.「ポストコロナの演奏会」:現時点ではソーシャルディスタンスを確保するために観客数を制限するなどの制約の下ではあるが、とにかく観客を入れた形での演奏会の記録

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A.中止を余儀なくされた重要な公演

これについては、何といっても、1920年にメンゲルベルクが主催したアムステルダムのマーラー祭から数えて今年が丁度100年目のアニヴァーサリーであることから開催が予定されていた、アムステルダムでのマーラー・フェスティバルが中止となったことを取り上げるべきかと思われる。

・コンセルトヘボウのマーラー・フェスティバルの中止について

https://mahlerfoundation.org/mahler/plaatsen/netherlands/amsterdam/mahler-festival-amsterdam-2020

アムステルダムでのマーラー・フェスティバルのマーラー受容史上での重要性やメンゲルベルクの存在に述べた上で、今回が3回目であったことにも触れている。なお中止の理由を述べる際に1892年のハンブルクのコレラ禍に言及している。

・代替のオンラインコンサート(ただし過去の録音による)

https://www.concertgebouworkest.nl/en/mahler-festival-2020-online

更にこのマーラー祭に関する幾つかの動画が確認できるが、その一環として、中止になった全交響曲の演奏会の替わりに無観客のコンセルトヘボウ大ホールで演奏された室内楽や歌曲の演奏のうち、記録を私が確認できたのは以下の2つである。

・Alma Quartet & Nino Gvetadze - Empty Concertgebouw Sessions - Mahler Festival Online

https://www.youtube.com/watch?v=P1Qid2KHs14

弦楽四重奏版のアダージェット(第5交響曲第4楽章)から始まって、歌曲のピアノ独奏編曲、マーラーが学生時代に作曲したピアノ四重奏曲などが演奏されている。

・Thomas Oliemans & Hans Eijsackers - Empty Concertgebouw Sessions - Mahler Festival Online)

https://www.youtube.com/watch?v=-UVYEpFUAKY

こちらは初期の歌曲集と「子供の魔法の角笛」の中の幾つかの歌曲と「さすらう若者の歌」がピアノ伴奏で歌われている。

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B-1.ロックダウン期間中の無観客の演奏会の記録

この分類に属するものとしては、エディンバラでの音楽祭でのマーラー作品の演奏を取り上げたい。ソーシャルディスタンスに配慮したステージ配置であることが映像で確認できるだけではなく、交響曲の室内楽版と管弦楽伴奏歌曲という私が提案した組み合わせがまさに実際に実現されており、我が意を得たりというように感じた。

・My Light Shines On: Mahler Symphony No. 7 with RSNO conducted by Thomas Søndergård

https://www.youtube.com/watch?v=0jJtS-P5kFM

エディンバラでの音楽祭におけるマーラー第7交響曲の室内楽版全曲の無観客演奏。

・My Light Shines On: Mahler & Lieder with Royal Scottish National Orchestra & Karen Cargill

https://www.youtube.com/watch?v=VgWEJcCdN9c

リュッケルト歌曲集(「私は柔らかな香りをかいだ」「私の歌を覗き見しないで」「私のはこの世に忘れられ」)の無観客演奏。

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B‐2.ロックダウン期間中のヴァーチャル・アンサンブルによる「リモート演奏」の試み

集まることができない音楽家が、リモートで演奏をしたものを編集することによって作り上げた「作品」はyoutubeで夥しい数を確認することができるが、その中には、マーラーの作品を取り上げたものも含まれる。但し交響曲についてはいずれも長さにして数分の一部分にすぎず、全曲演奏は勿論、一楽章を通したものもないようだ。

しかし幸いにも、この試みにとってまさに相応しい作品であろうと思われる「私はこの世に忘れられ」(Ich bin der Welt abhanden gekommen)のリモート演奏(2020/05/15)がある。これはまた、上で触れたマーラー・フェスティバル・オンラインの一部でもあり、そのためにコンセルトヘボウとマーラー・ファウンデーションにより委嘱された演奏のようだ。そういうこともあり、まずは何をおいてもこれを最初に掲げるべきだろう。

・Mahler: I am lost to the world

https://www.youtube.com/watch?v=N0ZNQg_dzmM

そこまで深読みをした選曲とも思われないが、この歌曲は、マーラーその人とマーラーの作品が、今日置かれている「動員と熱狂」から背を向けた志向を持っていることを、この上もなく明確に告げているのであり、その意味で自明のことに思われた「動員と熱狂」がコロナ禍によって断ち切られた現時点に、これ程相応しい作品はないと言っても良い程の内容を備えた作品であることに、聴き手は改めて気づかされることになる。

上記以外の交響曲の一部の演奏の試みで、私が現時点で見つけることができたものを以下に順不同で掲げる。ニューヨーク・フィル、サンフランシスコ交響楽団、ボルティモア交響楽団のようなアメリカの団体が多く、ヨーロッパでもスペイン、アイルランド、スイス、イギリスの団体のもので、いわゆるドイツ・オーストリアのものがないのは偶然だろうか。

演奏される作品では、その作品の内容(死と復活)故か第2交響曲が圧倒的に多いようだ。第5交響曲第4楽章のアダージェットあたりは省略なしで取り上げることも可能ではいう気もするのだが、案に相違してリモート演奏の記録には巡り合えていない。中期交響曲はその複雑さ故に演奏が困難なのかも知れないが、その一方で、目下の状況が続く限り実演に接することが不可能な度合いが最も甚だしいと思われる第8交響曲が、第2部の大詰めの部分だけとはいえ百人以上の演奏者が参加したリモート演奏で取り上げられていることは特筆されるべきだろう。一方で、抜粋で更にコントラバス合奏の編曲とは言え、ロンドン・フィルのコントラバス奏者が第9交響曲の終曲のアダージョの一部を弾いているものは目下の状況を思えば、個人的に共感できる。

・NYYS Orchestra | Michael Repper, Music Director | Mahler: Symphony No. 1, Mvmnt 2

https://www.youtube.com/watch?v=ezZosUYlvMo

・MTT25 Performance Excerpt: Third Movement from Mahler 1

https://www.youtube.com/watch?v=yeuDPfqagks

・MTT25: Mahler 1 Finale

https://www.youtube.com/watch?v=mrGJSP2inSg

・Musicians of San Antonio Symphony Play On: Mahler 2

https://www.youtube.com/watch?v=Tsxl7PJSd64

・Mahler - Symphony No. 2, Finale - Virtual Performance

https://www.youtube.com/watch?v=JwNqqbXfztI

・Gustav Mahler Symphony No.2 Finale

https://www.youtube.com/watch?v=9CMRpVArFw4

・Mahler’s Second Symphony with Garanca, Chichon and the Gran Canaria Philharmonic on Easter Sunday

https://www.youtube.com/watch?v=8UyvnRG787Y

・Mahler 2 - Low Brass chorale - Finale (Ft. Jay Friedman)

https://www.youtube.com/watch?v=pXeCPSaEFko

・Gustav Mahler - Sinfonia n.2, Auferstehung "Resurrezione" - Estratto dal quinto movimento.

https://www.youtube.com/watch?v=gEol6A-33xY

・Mahler Symphony No. 2, Fifth Movement: Brass Chorale

https://www.youtube.com/watch?v=h8uzgmAs47w

・Folsom Lake Symphony at Home Series - Brass Chorale from Mahler Symphony No. 2, Fifth Movement

https://www.youtube.com/watch?v=avT_-rWIj8Q

・Mahler 2 Brass Chorale

https://www.youtube.com/watch?v=C5N5ky9vB7s

・BSO Virtually Performs Powerful Ending of Mahler's Third Symphony

https://www.youtube.com/watch?v=YOy_JkmGX6s

・Audentia Virtual Ensemble - Mahler 8 "Symphony of a Thousand"

https://www.youtube.com/watch?v=iv7-XeYYZbY

・London City Orchestra - Mahler 4 lockdown

https://www.youtube.com/watch?v=i3LtoVIBJcE

・LGSO@Home, Lake Geneva Symphony Orchestra, Mahler 4 Virtual Orchestra

https://www.youtube.com/watch?v=3o89qJVY-S0

・Mahler 9 – Adagio – Double Basses of the London Philharmonic Orchestra

https://www.youtube.com/watch?v=GUjaV1GSNWk

[追記]

・Exploring the Themes of Mahler's Symphony No. 9(Colorado Symphony)

https://www.youtube.com/watch?v=Hgz3SdQzbQg

これはマーラーの作品の演奏の記録自体が目的であるというより、或る種のプレゼンテーションの中に第9交響曲の一部の演奏が含まれるといった体裁のもの。厳密には映像の作成日時は不明だが、演奏がヴァーチャル・アンサンブルであることは恐らくは新型コロナ禍の影響と思われることと、所詮は「摘まみ食い」であるにしても、比較的演奏時間が長いという理由によって、ここに含めることにする。

最後にイギリスのマーラー協会がロックダウンの最中の4月に行った「デジタル・リサイタル」の模様を5月2日に公開しているのを紹介して追記を終えたい。曲目はピアノ伴奏での『さすらう若者の歌』『リュッケルト歌曲集』。2曲の間に『花の章』、そして最後に『アダージェット(第5交響曲第4楽章)』というプログラム。ロンドンを南北に挟む位置関係(車で2時間程の距離)にあるヒッチンとクロイドンで別々に収録されたものとのこと。

・Full Digital Recital for the Mahler Society UK

https://www.youtube.com/watch?v=XXoVW_CFgbA

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B-3.「ポストコロナの演奏会」の記録 

この文章の執筆を開始した時には確認できなかったが、まさに執筆中の2020年9月5日に公開された、スペインのバレンシア州アリカンテ県のマリオーラ山地の麓の街ボカイレントで8月22日に行われた観客を入れてのコンサートでの第1交響曲の室内楽版の演奏記録に接することができた。

演奏会場は教会であり、客席はマスク着用でソーシャルディスタンスにも配慮されている一方で、演奏者の方は、最初に指揮者が登場する時にはマスクをしているものの演奏前には外してしまうし、楽器奏者はノーマスクである。なお目下のところスペインに出かけることはできないだろうが、今日であればGoogle Street Viewでヴァーチャルに街を訪れることは不可能ではなく、私も訪れたことのないこの街に、郊外の道路から橋を渡ってアプローチし、旧市街の中心の広場を訪れ、そこから街の外周を巡ってみたりして、街の雰囲気を多少なりとも感じ取ってみたりしてみた。ただしGoogle Street Viewによる演奏会場の教会(Parroquia De La Asunción De Nuestra Señora:聖母被昇天教会)の近くの街の中心部の画像は2016年7月に収録されたもののようであるが。

なお、この演奏で用いられている室外楽版は、他で一般に用いられているKlaus Simonのものではなく、演奏の指揮をしているJaume Santonjaによるものとのことである。教会の豊かな残響は、ソーシャルディスタンスに配慮して舞台一杯に広がった室内管弦楽の配置や、こちらもまた、まばらとまでは言えないが、一列に2名程度の着席に制限された客席にも関わらず、響きを充実したものとしているように感じられる。

・Gustav Mahler: Symphony No.1 [ensemble version J.Santonja] - AbbatiaViva music collective

https://www.youtube.com/watch?v=RDm0O2UFUbg

Bocairent (Spain) August 22nd, 2020. 


[追記]

その後調べてみると、上記に先立って7月9日にLa Cité de Nantes(La Cité des Congrès de Nantes:フランスのロワール川河畔の都市ナントの中心にある展示貿易センター)で行われたペイ・ド・ラ・ロワール国立管弦楽団による第4交響曲のコンサートの録音が、2020月7月17日に公開されていることに気付いたので、追記しておくことにする。こちらは最近しばしば採用されるKlaus Simonによる室内管弦楽版による演奏である。客席ではマスクが着用されていることがうかがえる。

・La 4e Symphonie de Mahler (version Klaus Simon) par l'Orchestre National des Pays de la Loire

https://www.youtube.com/watch?v=nNyOGYhTrlQ

Le jeudi 9 juillet 2020 à La Cité de Nantes, l'orchestre National des Pays de la Loire enregistrait la 4e Symphonie de Mahler en version pour orchestre de chambre. Dirigé par Pascal Rophé, ce concert a été retransmis en direct sur notre page Facebook. La soprano Carolyn Sampson accompagne l'orchestre dans cette oeuvre intime et émouvante.

更に室内管弦楽編曲ではない、フル編成でのコンサートの記録を2つ確認した。客席の方は人数制限があり、マスク着用が義務付けられているように見えるが、舞台の上は通常と何ら変わらない。一方は合唱を伴う第2交響曲であることにも驚かされる。

・Siam Sinfonietta plays Mahler 7(2020年8月19日の演奏会)

(https://www.youtube.com/watch?v=a4U5Z7XrV4w)

・MAHLER Symphony No. 2 by Shanghai Philharmonic Orchestra & ZHANG Yi(2020年8月30日の演奏会)

(https://www.youtube.com/watch?v=yZtoJTzfYwY)

前者はマーラー作品のタイ初演を数年にわたり次々と行ってきたサヤーム・フィルハーモニック管弦楽団の創設者であるソムトウ・スチャリトクルが率いるユース・オーケストラの演奏であり、後者はシーズンのオープニング・コンサートとのこと。欧米では最も規制が緩いと言われるスウェーデンにおいてすら、ノルシェーピング交響楽団のオープニング・コンサートが無観客であることを知ると、彼我の差には些かの驚きを禁じ得ない。

・Säsongspremiär: Mahler och Beethoven med Steffens och Mattei(2020年9月4日のの演奏会。マーラーの『子供の死の歌』が最初に演奏された。)

(https://www.youtube.com/watch?v=HdYEqkxwWSg)

だが、いずれにしても、公開の演奏会における通常編成での交響曲演奏が確認できたことから、最早これ以上の調査は蛇足であろう。

なおyoutubeでは公開されていないが、実は日本国内でも、沼尻竜典さん指揮する京都市交響楽団が、去る2020年8月23日にびわ湖ホールで第4交響曲の公開の演奏会を実施しているはずである。これは両者によるマーラー・ツィクルスの初回で、もともとは第10交響曲のアダージョと第1交響曲というプログラムであったものを、曲目変更したとの由。

(https://www.biwako-hall.or.jp/performance/2020/03/13/post-919.html)

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ここまでマーラーについての調査結果を報告してきたが、実は思いつくところがあって、この作業に先立ち、マーラー以外の作曲者のある作品についての調査をまず行ったのが、本稿の調査を行うきっかけとなったというのが事実であるので、最後にマーラーからは離れるが、その点について触れて報告を終えたい。

実は私見では、コロナ禍における演奏において、いわゆる「アイコン」のような存在となっている作品としては、マーラーのどんな作品にも優って、シュトラウスが1945年に作曲した23の独奏弦楽器のための習作「メタモルフォーゼン」にこそまず最初に指を屈するべきであろうと思う。そして実際、マーラーの作品に先立って、「メタモルフォーゼン」がどのように取り上げられているかを調べる作業を行い、その結果をうけて、「そういえばマーラーはどうだろう」と思ってここで報告した調査に着手したのであった。

戦争と疫病という違いはあるが、第二次世界大戦の末期、ドイツやオーストリアの劇場が爆撃により徹底的に破壊されて閉鎖され、音楽活動が不可能になるという事態に接し、自分がその伝統の中で生き、その中で人生を歩んできた音楽の伝統の破壊と断絶に、観念の裡にであったり、比喩としてであったりではなく、現実として直面せざるを得なかった80歳を過ぎた最晩年のシュトラウスが、まさに音楽活動の死を追悼するという思いを込めて、1945年3月13日に疎開先であったガルミッシュ・パルテンキルヒェンで着手し、4月12日に完成した作品こそ「メタモルフォーゼン」であった。自作の回想だけではなく、ベートーヴェンの英雄交響曲の葬送行進曲が参照されていることでも有名なこの作品程、目下、音楽が置かれた状況に相応しいものはないのではなかろうか。

果せるかな「メタモルフォーゼン」には、B-1.ロックダウン期間中の無観客演奏の記録は勿論、B-2.ヴァーチャルアンサンブルによる「リモート演奏」の記録のいずれについても全曲版が存在する。

・B-1.ロックダウン期間中の無観客演奏:Metamorphosen - 2020 Found Season

https://www.youtube.com/watch?v=QlWO3FfaRmo

2020年6月7日、イギリスでのロックダウン後初のオーケストラコンサートと銘打って「メタモルフォーゼン」が取り上げられている。ここでは奏者が舞台上一杯に広がって、間隔をとっていることのみならず、客席に背を向けて演奏しているのが印象的で、カメラワークも通常の演奏会の中継とは異なったものとなっている。なお、これ以外にも、例えば6月6日のケント・ナガノとフランス放送フィルの演奏の記録も確認できるが、こちらは通常の演奏会の中継に近い雰囲気の映像である。演奏はこちらも同様に素晴らしく感動的なもので、わずか1日違いというのは偶然であろうが、いずれについても背後にある状況に思いを致さずにはいられない。

Richard Strauss : Métamorphoses

https://www.youtube.com/watch?v=giB-5PzFbnU

・B-2.「リモート演奏」の記録:R.Strauss : Metamorphosen / by remote ensemble

https://www.youtube.com/watch?v=RkqznP-45Nw

30分近い長さを思えば「リモート演奏」で全曲を作り上げたこと自体、驚嘆に値するが、そればかりではなく、単にやってみましたというに留まらない素晴らしい「演奏」を、指揮者の熊倉優さんをはじめとする24人の日本人の演奏家達が成し遂げたことは大いに注目されて良いことのように思われる。またこの作品が、通常の管弦楽のように弦楽五部の合奏ではなく、23人の独奏弦楽器奏者(10本のヴァイオリン、5本のヴィオラ、5本のチェロ、3本のコントラバス)のために書かれた作品であることは、一人一人がリモートで演奏したものを編み合わせるという方法に相応しいものであることも指摘しておきたい。

そしてB-3.「ポストコロナの演奏会」での演奏の記録もまた当然に存在する。ベルリンのすぐ隣、ブランデンブルク州ポツダムの救世主教会で6月11日、12日に行われたロックダウン後初めての再開コンサートの記録は圧倒的で言葉を喪う。そしてここで取り上げられているのもまた「メタモルフォーゼン」である。実は私が偶々最初に見つけたのはこの演奏会の記録であった。

ポツダムの教会でのコンサートの様子を伝える録画は2種類あって、1つ目はオーケストラでコントラバスを担当し、当日の演奏にも参加されているToru Takahashiさんによる録画である。

・B-3.「ポストコロナの演奏会」の記録:Metamorphosen NKOP(Toru Takahashi)

NKOP Erster Live-Konzert in Berlin-Brandenburg nach Corona-Pandemie in der Erlöserkirche in Potsdam Mitschnitt am 12.6.2020 mit Zoom Q4 

https://www.youtube.com/watch?v=bX0GQyIFeFs

ご覧になってわかる通り、客席の観客は疎ら、チェロ奏者の一人はマスクをしているし、他の奏者の譜面台にもマスクがかけられているのを確認することができる。だが、私があれこれ贅言を尽くすよりも、端的に、映像につけられたToru Takahashiさんの文章をそのまま引用させて頂くことの方が適切に思われる。

「ベルリンも緩和は進んでおりますが、コンサート禁止はまだ続きそうです。

が、お隣のポツダムはブランデンブルク州、600席ある教会に75人で満員の条件ではありますが、木曜日と金曜日、ベルリン・ブランデンブルクで初めての再開コンサートが許可され、行いました。

3か月振りのオーケストラリハーサル、本番は、やはり特別でありました。

初日はプロが収録し近々に公開される予定ですが、私が録画しました2日目、昨夜のコンサートをお届けいたします。

編集・調整無しでライブコンサートの雰囲気、演奏を禁止されてました音楽家の様々な想いをどうぞ!」(Toru Takahashi)

2つ目がいわばオフィシャルな録画のようである。こちらは1日目6月11日の演奏の記録とのこと。(同じ内容のファイルが、オーケストラからと教会からとそれぞれ公開されているようだ。一つ目がオーケストラが投稿したもの、二つ目が教会が投稿したものである。)

・1. Nach-Corona-Konzert in Potsdam (Richard Strauss: »Metamorphosen«)(Neues Kammerorchester Potsdam)

Die »Metamorphosen für 23 Solostreicher« sind eine Komposition von Richard Strauss, die er am 13. März 1945 begann und am 12. April in Garmisch-Partenkirchen beendete. Das etwa halbstündige Solostück für Streichinstrumente ist sein letztes großes Orchesterwerk und wurde am 25. Januar 1946 in Zürich unter der Leitung des Widmungsträgers Paul Sacher uraufgeführt.

https://www.youtube.com/watch?v=D1Y-xnRS0r0

・Richard Strauss »Metamorphosen« NKOP(Erlöserkirche Potsdam) 

11. Juni 2020 Erlöserkirche Potsdam

Neues Kammerorchester Potsdam - 4. Sinfoniekonzert(e) der Saison 2019/2020 «ALTE NEUE≫

https://www.youtube.com/watch?v=1FtsFly8dMU

マーラーの場合と同様に、ここでも教会が会場として選ばれていることの意味を改めて確認すべきだろう。これは京都大学人文科学研究所の岡田暁生先生にご教示頂いたことだが、教会こそは近代的なコンサートホールのいわば原型なのだ。響きは豊かで深く、教会の内部の空間を充たしている。IN MEMORIAMとシュトラウス自身が自筆譜に書き込んだ作品末尾のあの「英雄」の葬送行進曲の引用の旋律が、これほど鮮明に心に迫り、胸を衝く演奏を私は知らない。

またオーケストラのファイルのサムネイルには、「メタモルフォーゼン」の着想の由来と思われるゲーテの動植物の変態(Metamoophosen)を示唆する蝶が蛹から脱皮する過程を示す画像が含まれていて、これもまた示唆に富んでいる。シュトラウスがなぜ「音楽の死」を追悼する音楽を、独奏楽器群による「変容」形式の作品としたのか、その意味合いを、75年後のコロナ禍の中で改めて考えてみるべきなのではなかろうか。

更に上記以外にも、チロル交響楽団の奏者が、コロナ禍での長い中断の後に室内楽コンサートを再開するに当たり、「メタモルフォーゼン」の弦楽七重奏版を演奏した映像も確認できている。

・Wir spielen wieder: R. Strauss Metamorphosen(Tiroler Landestheater)

Mit viel Freude, frischem Wind und dem nötigen Abstand starten die Mitglieder des Tiroler Symphonieorchesters in unterschiedlichsten Formationen in die ersten Kammerkonzerte nach der langen Corona-Zwangspause. 

Richard Strauss: Metamorphosen – Fassung für Streichseptett von Rudi Leopold

https://www.youtube.com/watch?v=YhogyYKv9V0) 

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「メタモルフォーゼン」を巡る上記のような状況を思えばマーラーの「復活」は、今、部分的にリモート演奏で取り上げられるのもわからなくはないものの、やはりそれよりは寧ろ、「里帰り」したワルターが指揮した1948年のウィーンでのあの歴史的演奏会のように、将来、コロナ禍が克服された時に、フル編成で、全曲を演奏することにこそ相応しい作品ではないかと思えてならない。だがそれにも増して―これもまた岡田先生に教えて頂いたことだが―シュトラウスの「メタモルフォーゼン」の「変容」の原理は、マーラーの特に晩年の作品―上記の調査報告の中で私が共感を覚えた第9交響曲の終曲のアダージョがまさに該当する―の構成原理でもあることに留意すべきであろう。それはまたアドルノばモノグラフ等で指摘する「変形の技法」の到達点でもある。このことは決して偶然とは思われない。私は別のところで、経験不可能な超越論的な時間というものはなく、常に主体の構造や体験の内容に相関的なものと捉える立場から、音楽を、そうした主体の構造や体験の内容に相関した時間の「感じ」(feeling)についてのシミュレータであると捉え、音楽の構造に「感じ」を引き起こすシステムの構造のある部分がマップされていると考えるアプローチについてメモを記したことがあるが(山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘の2019年9月1日の記事「「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ」(https://masahiromiwa-yojibee.blogspot.com/2019/09/blog-post.html))、その立場を踏まえれば、死に瀕した主体が、比喩としてではななく、文字通り「死を通過して生き延びていく」ための深い知恵のようなものがそこには秘められているのであり、我々は今こそ、マーラーやシュトラウスが晩年に到達した地点で語ろうとしたことに耳を傾けなければならないのではなかろうかという思いを強くするのである。この点について貴重な示唆をはじめ、特に「メタモルフォーゼン」の演奏記録について鋭く的確なご指摘を数多く頂き、その見方をご教示頂いた岡田先生への御礼をもって、この文章の結びとしたい。実際「メタモルフォーゼン」に関しては、例外的にこの作品には親しんできたとはいえ、シュトラウスについて常にはマーラーを介してしか接して来なかった私の理解には限界があり、その演奏の映像記録に関する上記のコメントの多くが岡田先生の示唆に基づくものであることを、感謝の気持ちとともにここに特記させて頂く次第である。(2020.9.5初稿、9.6加筆, 9.9追記,9.11追記, 2021年4月29日、ソムトウ・スチャリトクル、サヤーム・フィルハーモニック管弦楽団、サヤーム・ユースオーケストラについての記述を訂正。)

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