2002年4月30日火曜日
バルビローリのマーラー:「ジャクリーヌ・デュプレの思い出」の中のバルビローリ
サー・ジョン・バルビローリの演奏に接したのは、まだ子供の頃、シベリウスの交響曲 (EMIの第5,6番のカップリングおよび第1,7番のカップリングの2枚)がはじめで、 この4曲については、今にいたるまでずっとこの演奏がスタンダードである。
最近故あって、バルビローリを映像で見る機会があった。
一つは、奥さんがソロのハイドンのオーボエ協奏曲のバンクーバー交響楽団との リハーサル風景を撮ったもの。もう一つは「ジャクリーヌ・デュプレの思い出」。 全体としては前者の方が面白かった(これはもともとバルビローリに関心がある 訳だから当然。)が、ここでは後者のことを書きたい。
とは言っても後者ではほんの2回、時間にして1分あるかないかしか登場しない。 別にデュプレとの共演があるわけでもなく、完全な脇役としてまさに思い出を 語っているだけなのだが、その表情と言葉が印象的で心に残る。
バルビローリ自身がもともとチェリストであったこともあり、デュプレの才能に 早くから気付いた(コンクールの審査員をやっていたようだ)。2回目に出てきた ときに、バルビローリは、デュプレの演奏を「やり過ぎ」とする立場に対して、 自分にはそのやり過ぎが好ましい、若いうちはやり過ぎてもいいのだ、 そうでなければ齢を重ねていく意味がない、といったことを言っている。
そう語るバルビローリはそうした齢の積み重ねの末の円熟の極みにあった。 しかし、そうして擁護されたデュプレはバルビローリが円熟の最中で没して わずか3年の後、病のためにチェロを弾けなってしまうのだ。勿論、語っている時の バルビローリはそれを知る由もないのだが、、、そうしたことがほんのわずかな 瞬間に駆け巡った。ほんのわずかな時間だがかけがえのない、貴重な記録だと思う。
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