2009年4月12日日曜日

第7交響曲の内的プログラムは破綻しているか?

本当に久しぶりに出来た「使い途の決まっていない時間」に、ふとしたきっかけでバルビローリが指揮したマーラーの第7交響曲の録音を聴き始める。 1960年10月20日だから私が生まれる前に、マンチェスターで行われた演奏会のライブ録音である。客席のざわめき、咳の音も生々しいし、 このコンサートのために編成されたのであろう、BBCノーザン交響楽団とハレ管弦楽団の混成オーケストラの一期一会の演奏の緊張感も きっちりと伝わってくる。1960年といえばマーラー生誕100年のアニヴァーサリーの年だ。今日ではすっかり古典となっているアドルノの音楽観相学を 名乗るマーラーに関するモノグラフの出版もこの年だ。オーケストラにとってこの曲は今日のように馴染みのある作品ではなかったろう。今日の 演奏でなら起こりえないような事故もあって、演奏には傷は多いが、解釈は隅々まで行き届いているし、管弦楽のための協奏曲のようなこの作品に あって欠かすことのできない各声部の「歌」がこの演奏にはぎっしりと詰まっている。実は第7交響曲にはそれぞれ個性的な名演が数多あって、 その数は他の交響曲に決してひけを取らない。そのことのみをもってさえ、この曲を失敗作と見なすことの不当さは明らかだと若い頃の私は 憤慨交じりに思っていたものだが、私見ではその中に数えいれることに些かの躊躇も感じない。バルビローリは10年後の1970年に没しているが、 もう1年彼に時間があれば、後世の我々の手元にはベルリン・フィルとの演奏の記録が残った筈であったらしい。だが、気心の知れたマンチェスターの オーケストラを率いてのこの演奏には、第3交響曲のデリック・クックの場合と同様、マイケル・ケネディにあれほどまでに確信に満ちた文章を書かせる だけの、あるいはこの曲に対して懐疑的であったデリック・クックをすら納得させるだけの圧倒的な説得力が備わっているのだから、 この演奏が2000年にBBCからCDとしてリリースされたことに感謝すべきなのだろう。

「問題作」であるらしい第7交響曲に関しては、上で触れたアドルノのモノグラフを筆頭に多くのことが語られてきたし、恐らくは今後もそうだろう。 そうした発言に触れてみて私が感じるのは、自分は恐らくその最も外縁にいるに違いない、いわゆる「伝統」というものの影だ。嵐のような天候の ある日の夜、電波状態の悪い中、しかも放送が始まって少ししてからFM放送でこの曲を聴き始めたのがこの曲との最初の出会いであった 中学生の子供にとって、その「伝統」は、極めて皮相なかたちでしか自分の中に根付いていなかったのだろう。勿論、第1楽章の4度の堆積が もたらす独特の沸騰するような緊張は、彼にとってはそれまでに聴いた音楽にはない新鮮で魅惑的なものであり、そうした印象は彼が少ないなりに それまで持っていた音楽経験の文脈あってのことだったろうが、彼は愚かにも、識者の言うような「パロディ的」「メタ音楽的」な側面に全く気づくことは なかった。同じ人間が30年後、バルビローリが半世紀前に遺した演奏を聴いて感じるのは、自分がこの曲に対して抱いてきた印象が、 強められることこそあれ、決して弱まったり、疑いが生じることはないということだ。内的プログラムの破綻を証する惨澹たる失敗作であるらしい、 茶番の内部告発であり、不可能性の証明であることによってこそ価値があるのだとされる第5楽章のフィナーレを聴いて、ちっともそのようには響かないことを 再び確認するだけである。

この演奏の終演後の拍手はほとんど熱狂的といっていいものだが、それはこの曲の、言われるところの「前衛性」、脱構築的な あり方を聴衆が理解できた故のものなのか。多分そうではないだろう。では彼らは「勘違い」していたのか。もしそうだとしたら、私もまた、そうした 「勘違い」組の一員なのだろう。否、私は積極的にその一員たろうとするだろう。デリック・クックがこの演奏に見出したものは、彼の作品への懐疑を 覆すものだったようだが、それは今日の識者のような理解に達したからだということではない筈だ。何よりも彼は、コヒーレンスという言葉を使っているのである。 そう、この曲は伝統が命じる「内的プログラム」とやらとは別の水準でコヒーレンスを備えているし、第5楽章はそのまま受け止めていいのだと私には 感じられてならない。確かにそれは「伝統」の中でこの作品を聴いた人達の顰蹙を買いはしただろうが、(20世紀の前衛によくあった本末転倒よろしく) 顰蹙を買うことが「目的」でも「意図」でもなかったのではないか。「目的」や「意図」とは無関係に、作品が持つ社会的な機能がそうなのだ、と 言われれば、それはそうなのかも知れないが、その社会とは、いつの時代のどの社会のことを指すのか、はっきりさせて欲しいものだと思うし、実の ところ、そんな社会的な機能など、私にとってはどうでもいいことなのだと白状せざるを得ない。識者にすれば、控え目に言っても憐みを買う、嘲笑される ような言い草なのだろうが、私にはそういう「伝統」がないのだから仕方がない。

それを言えば、後に第1交響曲となる2部5楽章の交響詩を身銭を切って演奏したマーラーは、その作品が顰蹙を買ったことに戸惑い、傷ついたようだ。 私見では、マーラーには他意はなく、彼はごく素直に自分の中に響いている音楽を書きとっただけなのだと思う。それは第4交響曲のときもそうだったし、 この第7交響曲の場合もそうだったのだと思う。アドルノはシェーンベルクがこの第7交響曲に対してとった態度を、些かの驚きをもって記しているが、そういうアドルノの 評言よりも、アルマの回想に続く書簡集に含まれるシェーンベルクの第7交響曲に対するコメントの方が私にとっては自分の感じたままに遙かに近い。 当時の子供だった私にもそうだったし、現在の私にもそのように感じられるのだ。勿論、ありのままの聴取というのは虚構であって、あるのは異なった文脈の中での 様々な聴取だけなのだろう。だが、もしそうだとしたら、その「文脈」は音楽の伝統やら、啓蒙のプログラムやらといった範囲を超えて広がっているのだと思う。 私に言わせれば、第7交響曲が破綻しているとすれば、それは作品の内部とか、作品の文脈の側にあるのではない。破綻は聴いている私の側にある。 恐らくそれと同じように、マーラーその人にもその破綻はあったのだろうと思う。だが、彼はそれを作品の中に持ち込んだわけでもないし、窓のないモナドよろしく、 その作品がマーラーの破綻を映しているとも思わない。第7交響曲のフィナーレを文字通りに受け取れないのは、受け取れない側の責任で、音楽の責任ではない、失敗の原因を音楽に押し付けるのは責任転嫁ではないかと私は思っているのだ。それは第8交響曲を滅多に聴けないのと本質的には同じだと思っている。

破綻は私の側にある、とはこういうことだ。私はいつでも第7交響曲のフィナーレの肯定性をそのまま受け取れるわけでは決してない。だがその原因は、専ら 私の側にあるのだ。破綻しているのは私の生の方であり、だからこそ私にとってマーラーの音楽は必要なものなのだ。マーラーの作品群が、あるいは個別の 作品がその中に持つ大きな振幅こそ、自分にとっては自然に感じられる。もう一度シェーンベルクの言葉を引けば、彼がマーラーの第3交響曲に見て取った 「幻影を追い求める戦い」「幻想を打ち砕かれた人間の苦悩」「内面の調和を求めて努力する姿」を、私もまたマーラーの音楽に感じることができる。 勿論、それは音楽の「内容」そのものではない。シェーンベルクにとっては第3交響曲の標題などどうでもいいことだったようだが、それも含めて私はシェーンベルクの 感じ方に共感を覚える。マーラーの音楽に「肯定」の要素があること、少なくとも「肯定」への探求があることは、私がマーラーを聴く理由の根底にあるのだと思う。 かつての子供もそうであったし、(ちっとも成長も成熟もしないという批判は甘受することとして)今の私もまたそうなのだ。そうした私にとって、 「第7交響曲の内的プログラムは破綻している」といったような言い方は、単なる詭弁にしか感じられない。

確かに第7交響曲には、苦悩から歓喜へというような内的プログラムなどない。だが、それはそうであろうとして破綻したわけではなく、 きっとそんなものは始めからなかったのだ。第2、第4楽章から先に着想され、 1年後の休暇も終わりになった頃、ボートの一漕ぎで第1楽章の着想を得てようやく全曲の構想が定まったという経緯を持つこの音楽には、もっと遠心的で 万華鏡のような構造が存在する。フィナーレは何かのリニアな過程の結論なのだろうか。そうではあるまい。外部から恣意的に尺度を押し付けて、その尺度からの 背馳をもって測られたものが語るのは、測られる作品ではなく、測る人間のありようではないと言い切れるだろうか。一体それは何の観相学なのだ。 第3交響曲に「円環的」構造を見出しうるという、あきれるほど粗雑な議論同様、第7交響曲に単純な図式を当てがうことは、その作品の持つ豊かさ、 非常に入り組んで、見えにくくはなっていても、このバルビローリの演奏のような説得力のある解釈においては的確に把握されている巨視的な秩序を 損なうだけのように思えてならない。「基本法則は単純だが、世界は退屈ではない」とは物性論における超伝導とのアナロジーによって、質量の起源たる 対称性の破れが自発的に生じる動力学を提示した南部陽一郎博士の言だが、顰蹙を買うことはあっても決して退屈することはないと揶揄交じりに 言われたこともあるマーラーの音楽の持つ多様性、豊かさは、粗雑な文学的な修辞で飾り立てることではなく、マーラーの音楽そのものの構造を 記述し、説明しようとする試みによってより良く理解できるに違いない。優れた演奏解釈は、言語化することなくそうした勘所を押さえているのだろうが、 だとしたらある解釈の卓越を証することについてもまた、同様のことが言いうるのだろう。実はアドルノは、一方ではそのための手がかりをもまた 遺しているのだ。例えば「音調」の章における調的配置についての言及や、「ヴァリアンテ」の章に見られる超-長調についての言及や、マーラーにおける 「唯名論」についてなどによって、同じアドルノがフィナーレに下した判断に疑念を挟むことが可能ではないだろうか。

否、私のような単なる享受者、音楽学者でも哲学者でもない一介の非専門家に過ぎない聴衆にしてみれば、自分が音楽から受け取ったものを反故にしたくないだけなのだ。教養ある知的な聴き手にとっては嘲笑の対象となるのかも知れないが、それでもなお、例えばこのバルビローリの演奏から 受け取ることのできる或る種の質について、擁護したいだけなのだ。それなくしては音楽を聴くことそのものが意義を喪ってしまい、その音楽について書くことの動機そのものが喪失するようなものが、バルビローリの演奏には間違いなく備わっている。私にとって第7交響曲が持っている或る種の質を 擁護することは、実のところ30年前からのテーマだった。

だがそれを職業とすることなく、音楽を聴くことを単なる消費としないでおくことは、時折非常に困難となる。まずもって物理的に時間がないのだ。 遺された時間で何を聴き、何について書くのか。自分に許された容量を考えれば選択と集中は避け難いが、時期によってはその限定された範囲すら 自分にとっては手が届かない領域にさえ思えてくる。膨大なCDのコレクションや文献を所有することは私にとっては意味がない。手持ちの貧弱な 蒐集ですら、最早己の容量を超えているように感じられることも一再ならずある。そうやってまた文献を処分し、CDを処分し、計画を縮小し、 という退却のプロセスを辿っていくのだ。

逆説的なことだが、私にとってマーラーの音楽は、それ自身がそうした縮小均衡への歯止めになっているようだ。マーラーが神の衣を織るという自覚を もって、歌劇場の監督の激務の合間を縫って遺した作品たちは、かつて初めて遭った時にすでにそう感じたように、それ自体が価値の源泉であり、 私のような貧しい人間にすら、何事かをすべきなのだといざなう力を持っていたし、その力は30年の歳月を経て、まだ辛うじて残っているらしい。 傍から見れば強迫観念に取り憑かれているだけの無意味な営みであったとしても、それは私に沈黙することを許さない。それは「応答」を要求するのだ。 お前に時間ができたなら、お前は受け取ったものに応じて、何かを返さなくてはならない。それが無益なものであっても「応答」せよ、、、

シェーンベルクにとってマーラーは同時代の人間だった。だから書簡に記された言葉は、自分が会って話ができる、その人に向けてのものだった。 幸運なことに、私にも同時代にそうした「応答」ができる貴重な対象が存在するけれど、マーラーはその中には勿論、含まれようがない。 1世紀後の異郷に居る私の場合、シェーンベルクとは状況が全く異なるのだ。なのに私は愚かにも、シェーンベルクが聴いたようにしか その音楽を聴けないと感じ、それに加えてあろうことか、そうした態度を正当化したいのだ。マーラーその人が音楽を介して、今そこに居るかのように、、、

だが、私は頬かむりをしてこう言いたい。それは仕方ないのだ。マーラーの音楽がそれを命じているのだから、と。その音楽を聴く時、私はマーラーその人を 身近に感じずには居られない。私は彼の見た同じ風景を見ることはできないけれど、彼の音楽を通して、風景の見方を自分のものとすることができる。 私なりに卑小化されたものであっても、彼の問題意識や或る種の「姿勢」を自分のものとすることができる。できる以前に、それは最早私の一部と なっていて、今更無かったことにするわけにはいかない。彼の音楽とは関係のない、生活の脈絡の中で、だけれども私は、そうとは自覚せずに彼から 受け取ったものに従って価値判断をし、行動しているのだ。極端だろうか?そうかも知れないが、だが私には(シェーンベルクがまたしてもそのように 語っているように)そのようにしかマーラーの音楽を聴くことはできなかったし、今でもできない。そういう聴き方をしないのであれば、この音楽を 聴くべきではないのだ。そのかわり、「ただで」それを受け取ってはならない。己の貧困を自覚しつつも、何かを返さなくてはならない。そうでなければ この音楽を聴くのを私は止めなくてはならないだろう。かつて一度はそうしようと思ったように。だが、こうして聴き続けている間は、何かを返すべく努めなくてはならないのだ。

私のような人間さえ、時折はそのフィナーレを聴き、その肯定性を自ら引き受けることができるような瞬間が、その生の成り行きに含まれることは、 私にとってかけがえのないことなのだ。生の成り行きのある断片の中であれ、肯定することなしにやっていくことなどできないだろう。音楽にとってそれが終わった 後の時間が、外部が存在するのと同様、そうした断片は断片でしかなく、新たな世の成り行きの中でそれは色褪せていくことになろうとも、 時折はこうして第7交響曲を聴くことができることは、翻ってそもそもこの音楽に出会えたことは、こうした音楽を書いた人間がかつていたということと同様に、 私にとってかけがえなく、貴重なことなのである。(2009.4.12)

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