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Mahler konnte die erste Wochen seines Maiernigger Aufenthaltes nicht gleich zur Arbeit kommen wie sonst (etwa im Steinbacher Häuschen, wo ihn oft schon in den ersten vierundzwantig Stunden seine Produktivität erfaßte). Er war darüber ganz verstimmt, ja verzweifelt, meinte, er werde nie mehr etwas machen, und sah schon seine abergläubische Frucht, daß er nun zwar das Haus zum Komponieren habe, aber nichts mehr werde schreiben können, grausam verwirklicht.
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(…)これは第4交響曲を作曲している途上でマーラーが遭遇した苦しみを当時のマーラーの同伴者であったナターリエ・バウアー=レヒナーが回想した 文章の一部である。良く知られているように第4交響曲は前年の1899年の夏、アウスゼーでの休暇の終わり間近になって書き始められたが、間もなく始まった シーズンにより中断を余儀なくされた。そしてその翌年の夏、今度はヴェルター湖畔のマイエルニクで作曲を再開することになったおりにマーラーが味わった 困難が回想されているのである。
マイエルニク滞在の最初の一週間、マーラーはいつものように(たとえば、最初の二十四時間のうちにすでに曲を書きはじめたシュタインバッハの小屋でのように)すぐに仕事に取りかかれなかった。彼はそのことで非常に不機嫌に、その上絶望的にさえなって、自分はもう何もできないのではないかと考えた。そして、作曲のための小屋は手に入っても、もう何も書けないのではないか、という彼の迷信じみた心配が、忌まわしくもすでに現実となったように感じた。
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マーラーはそれを望んでか否かはおくとして「夏の作曲家」であった。彼の職業は歌劇場の監督・指揮者であって、作曲はいわば余技に過ぎなかったのである。 勿論マーラー自身にとって作曲活動の持つ価値は疑問の余地のないもので、それゆえ彼の余暇は作曲のために費やされねばならなかったし、実際、 未来から眺める我々には他のすべてに優先して作曲に専念したように見える。マーラーは職業人としてもそうであったように、いわば趣味人としても 際立って勤勉であり、しかもその勤勉さはしばしば常軌を逸して、冷静な観察者や事情を知らぬ人から見れば理解しかねるような事態や滑稽な状況を惹き起こしもした。 今日、大作曲家としての評価が定まった地点から見れば、それは天才にありがちなエピソードとして片付けられてしまうのだろうが、それはいわば結果を先取りしたが 故の錯覚であり、仮に同じことをやったのが後世に価値を認められることのない才能のない人間であると仮定すれば、その行動は周囲の迷惑を顧みない 奇矯な行動にしか見えないだろう。更に加えて作曲だけならともかくオーケストラや歌手を借り切って自作を演奏するのだから、その音楽に価値を認めない人間にとっては はた迷惑な楽長の道楽としか映らなかったに違いない。歌劇場監督の執務室で自作の浄書にいそしむマーラーを撮ったというキャプションのついた写真が残されている(だが実はこれは事実に反するようだ。キャプラン財団の出版したMahler Albumによれば、これは客演先のローマで撮られたもので、かつ演奏する作品のスコアに書き込みをしているところらしい)が、 見る人が見たら、職場で趣味に耽っているなどけしからぬということになるのだろうし、確かにそうした見方は間違いとは言えない、否、寧ろそうした見方の方が 正しいのであって、後世における作品の価値が監督殿の内職を免罪することはないのだろうし、監督としての有能さの方もまた、そうした行動を大目に見る 理由にはなりえないのかも知れない。
だがマーラー自身にとっても作曲は常に疑いなく価値あるものではなかったに違いない。自作の演奏が失敗に終わったときにマーラーが漏らした言葉もまた ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想に残っており、これはまた別に紹介しようと思うが、それとともに、大きな犠牲を払って折角余暇を作曲にあてているのに 思うように作曲が捗らない時の不安と焦燥もまた大きなものであったに違いないのである。単純に時間をかければそれに応じた結果が得られる類の営みと 違って、それは作曲者自身にもコントロールできない厄介な作業なのだ。もう一度、それはマーラーにとって作曲が職業でないから、生活がかかっていないから なのだというコメントは可能だろうし、多分それは一面の真理を捉えているのだろう。だが、仮にそれが「仕事」だとしても、恐らくマーラーの不安や焦燥は 変わらなかったのではないだろうか。これもまたナターリエ・バウアー=レヒナーの回想の別の箇所に記録されている通り、マーラーは霊感が技術の欠如を 救うとは些かも考えていなかったが、その一方で一旦堰き止めることを余儀なくされた創作の泉を、再びその余裕ができたからといって意のままに再び 溢れさせられるとは考えなかったし、実際にそうできたわけではなかったようだ。そしてそうしたマーラーの気持ちは、平凡な私のような人間にも決して わからないわけではない。寧ろ、マーラー程の天才ですら、マーラー程の勤勉さをもってしてもそうした不安と焦りから自由ではなかったことに些か身勝手な 共感を覚えずにはいられないのだ。何も結果を出せないまま時間ばかりが過ぎていくときの焦燥感は私のような凡人にとっても決して無縁なものではない。 そうした強迫感に囚われることなく成果を得ることが出来る人もまたいるに違いなく、どちらかといえばそれは能力の多寡よりはより多く 気質や性格に由来するのだろう。ともあれ私のマーラーに対する態度には、多分にそうしたマーラーの苦しみや怖れに対する共感のようなものが少なからず 与っているのは確かなことのようだ。傍から見ればマーラーは内部に巨大な熱量を抱えた手に負えない猛獣に映っただろうが、マーラー自身も自らの裡に 住む獣を常にうまく馴らすことが出来たわけではないし、そのことでマーラー自身も随分と苦しみもし、さらにまた周囲にかけた迷惑、周囲の人びとが 払った犠牲についてマーラーが無頓着であったとは私には思えない。そしてそうしたマーラーの姿は、比較にならないほどつまらないことにかまけ、 それでいながら何も結果を出せないまま時間ばかりが過ぎていくときの焦燥感だけは人並み以上で、そのことで恐らくは少なからず周囲に迷惑をかけている 自分にしてみれば、決して他人事とは思えないのである。(2009.1.31 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)
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