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2026年3月23日月曜日

マーラー交響曲の「調性の軌跡」——数値分析が示すもの(データ分析の概要紹介・速報版)

マーラーの音楽について語るとき、「晩年に向かうにつれて調性が崩れていく」「初期と後期では音の世界がまるで違う」といった印象はよく共有される。こうした聴感上の直観を、楽譜の数値データから検証することはできるだろうか。ここで紹介するのは、そのような問いに取り組んだ分析の結果である。

音楽を「座標」として記録する

分析に用いたのはMIDIデータである。MIDIとは楽譜の情報をデジタル化したもので、「どの音が、いつ、どれだけの長さで鳴っているか」を数値として記録している。ここから各瞬間にどの音が鳴っているかを取り出し、「五度圏」という座標系の上に投影する。

五度圏とは、12の音(ドレミファソラシと、その間の半音を含む全12音)を円周上に配置したものだ。ハ長調のド、ト長調のソ、ニ長調のレ……と、五度(鍵盤で数えて7鍵分)の関係にある音が隣り合うよう並んでいる。調性音楽においては同じ調に属する音が集まって鳴ることが多いため、ある瞬間に鳴っている音の「重心」がこの円のどこにあるかを計算することで、その音楽が調性的にどこに「根を張っているか」を追跡できる。

この重心の動き方を記述するために9種類の指標を算出した。重心の平均的な移動幅はどれくらいか、単位時間あたりどれだけ速く動くか、どのくらいの揺らぎがあるか、五度圏上のどれだけ広い範囲を使うか——といった数値である。対象はマーラーの交響曲12作品(第1番から第10番、大地の歌)の第一楽章ないし相当する楽章とした(第5番は第2楽章、第6番のみ第1楽章と第4楽章の2つで合計12楽章)。

9次元を2次元の地図に圧縮する

9つの指標を同時に見渡しても全体像はつかみにくい。そこで「主成分分析(PCA)」という統計手法を用い、9次元の情報をできる限り損なわないまま2次元の地図として描き直した。今回の分析では、横軸(PC1)と縦軸(PC2)の2軸で全体の情報量の約73%が保存されている。

添付の図(バイプロット)において、各点は1つの楽章を表す。点が近いほど指標上の特徴が似ており、遠いほど異なる。図中の灰色の矢印は各指標を表しており、矢印の向きがその指標の高い方向を示している。


横軸——「調性の求心力」の軸

まず横軸(左右方向)に注目してほしい。

左側にある作品ほど、五度圏上の重心の移動が緩やかで、特定の調性の「場」に引き留められている。一方、右に行くほど重心の移動幅が大きく、動きが速く、調性の求心力が薄れる。特定の調的な「根」を持たず、高速・高密度で変動し続ける状態に対応している。

この左右の位置が作曲年代とほぼ対応していることは、図を見ればひとめでわかる。最も左寄りにある第1番(1888年)から、中央付近に集まる第5番・第6番・第7番(1902〜08年頃)を経て、右端の第9番・第10番(1910年頃)へと、作品が概ね時代順に並んでいる。マーラーの音楽が年を追うにつれて調性の「重力」を手放してゆく過程が、数値の上にも明確に現れている。

縦軸——「音の空間の使い方」の軸

次に縦軸(上下方向)を見てほしい。こちらは横軸のような一方向の時系列的傾向を示さない。

上方向は、五度圏の広い範囲に音が分散しながら動く状態に対応する。下方向は逆に、音高の種類を広く・高密度に使いながらも、局所的な揺れにとどまる状態を意味する。

縦軸に沿ったマーラー作品の推移をたどると、山型を描く。初期作品群(第1〜4番あたり)は図の下寄りに位置し、純器楽の中期交響曲(第5〜7番)が上方へ移動し、後期(第8番・大地の歌・第9番・第10番)で再び下へ戻る。

ℓ字型の軌道——全体像

この2つの動きを重ね合わせると、マーラー12作品のPCA空間上の軌跡は、全体として「ℓ字型」を描くことがわかる。

初期から中期にかけては、横軸の右方向への移動と縦軸の上方向への移動が同時に進み、図の左下から右上へと向かう。ところが後期に差しかかると、縦方向の上昇は止まりむしろ反転して下降し、横方向だけが引き続き右へと伸びる。これがℓ字の「折れ曲がり」に相当する部分である。

この軌跡のなかで、第8番と大地の歌は特徴的な位置に現れる。純器楽の中期作品群が右上に集まるのに対し、この2作品は左下方向へと引き戻され、初期の作品群に近い領域に位置している。第8番は大規模な合唱交響曲、大地の歌はテノールとアルトの独唱を擁する連作歌曲的な交響曲であり、声楽という様式の存在が和声の動き方の統計的な特徴にまで影響を与えているのは注目に値する。その後、第9番・第10番では横軸方向への推進が再開する。ただし今度は縦軸が下寄りのままであり、中期のような「音空間への広がり」を伴わない。運動強度が増大しながら、展開様式は高密度・高被覆率という性格を帯びている。図の右端に孤立するように突き出た第10番は、マーラーが未完のまま残したこの作品の、既存の交響曲的語法からの急進的な逸脱を端的に示している。

こうした数値分析の結果は、私たちがマーラーの音楽について聴感的に抱いてきた印象——初期の民謡的・歌謡的な親しみやすさ、中期の純器楽的な緊張、晩年の解体感——と大きく乖離するものではない。むしろその直観を、五度圏上の重心の運動という具体的な指標に接続することで、より精密な言語で語る足がかりを提供するものといえる。


(2026.3.23 公開)

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