お詫びとお断り

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2008年5月24日土曜日

私のマーラー受容:第5交響曲 (2021.9.19更新)

この曲も第4交響曲同様になかなか聴く機会がなく、おまけにLPレコードでも廉価版すら手に 入れる機会がなく、アバド・シカゴ交響楽団のものが最初だから、ほとんど最後にLPを 入手した曲であることになる。(アバドの演奏は、結局第7番以降は入手せずにCDの時代になり、 結局、あの「懐かしい」インバルがあっという間に完成させたCDによる全集が、私が入手した唯一の 交響曲全集なのである。)FMで聴く機会も少なく、強いて言えばベルティーニ・ウィーン交響楽団の演奏 (1983.4.12)が記憶に残っているくらいか。

実演も聴き損なってしまっている。とにかく私にとっては馴染みの薄い曲で、第4交響曲同様、 寧ろマーラーが残したピアノ・ロールの演奏で第1楽章だけは早くから親しんだほどである。 上述のアバドの演奏は、技術的な精度も高く、実に明快な演奏なのだが、正直なところピンと 来ずに、皮肉にもフィルアップのリュッケルト歌曲集ばかりを聴くLPレコードになってしまったほどで、 この曲が、マーラーブームの中でまるで代表曲であるかのように次々と取り上げられていくのを 怪訝な気持ちで眺めていた。

長いことこの曲は演奏よりも楽譜の方が印象が強く、そういう点でも交響曲としては例外的だったのだが、 この曲の場合には何といってもバルビローリ・フィルハーモニア管弦楽団を聴いたことが決定的であった。 特に第2楽章のコラール以降、後半の演奏の説得力では随一で、特に第3部を構成するアダージエットと ロンド・フィナーレは、この演奏でやっと音楽の実質に触れることができたように感じられた。 もっとも初めて聴いたときには、アンサンブルが危なっかしく感じられてはらはらしたのを覚えているのだが。

というわけで、あえて距離感を測れば、私にとっては最も疎遠なマーラーの交響曲だということになる。 バルビローリの解釈を除けば、第7交響曲以上にこの曲のフィナーレが説得的であるとは私にはどうしても思えないし、 第1部は非常に好きであるにも関わらず、3部構成のまとまりも第7交響曲以上に良いとは思えないのだ。 もっとも、疎遠な感じというのはあくまでもマーラーの交響曲の中での比較に過ぎず、この曲を、 例えば他の私が聴かない作曲家の作品同様に考えているということではない。実際、では聴かないかというと、 決してそんなことはなく、他の作曲家の音楽に比べれば、頻度が低いとは言えないのであるし。

バルビローリ以外の演奏では、コンドラーシンがソヴィエト国立交響楽団を指揮した録音が素晴らしい。 とりわけ第2楽章末のコラールの解釈は卓越していて、この作品の備えている質、ベクトル性を把握していると 感じられる。インバルの演奏もまた特に第2楽章の音楽を紡ぐ呼吸の深さにおいて比類ない。 個別の部分のみを取り出すのは演奏について述べるときに適切でない場合が多いが、この演奏に関しては、 特に再現部の練習番号22に至るまでの音楽の持つ呼吸に聴くたびに圧倒されることをどうしても書き留めて おきたくなる。

[追記]その後、以下の公演で実演に接することができた。このうち、初めての第5交響曲の実演となった前者の演奏会の記録はこちらを参照されたい。ジャパン・グスタフ・マーラー演奏会第14回定期演奏会については、プログラムに文章を寄せたにも関わらず、急な発熱のために演奏に立ち会うことができなかった。

川口市民オーケストラ創立40周年記念演奏会:第27回サマーコンサート、モーツァルト「魔笛」K.620より抜粋、マーラー第5交響曲、指揮:高橋勇太、ソプラノ:見角悠代、バリトン:佐藤望、川口市民オーケストラ、2018年7月15日、川口総合文化センター・リリア メインホール

横浜フィルハーモニー管弦楽団:第80回記念定期演奏会:モーツァルト交響曲第41番「寿ジュピター」、マーラー第5交響曲、指揮:田尻真高、 横浜フィルハーモニー管弦楽団、2018年11月4日、ミューザ川崎シンフォニーホール


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