2008年5月24日土曜日

私のマーラー受容:第2交響曲/交響詩「葬礼」(2021.9.19更新)

実演は2回。一度は1986年7月16日、東京文化会館での朝比奈・新星日本交響楽団第93回定期公演(*1)、二度目は「葬礼」のみ若杉・都響で。1990年3月30日のサントリーホール のこと(*2)で、これは「葬礼」の日本初演であったはずである。ただし第2交響曲の第1楽章として演奏された筈だ。 もっとも私は「葬礼」のみ聴いて会場を後にしたので、第2楽章までに5分間の休憩を置くマーラーの指示が 遵守されたかどうかすら知らない。このあと、友人が譲ってくれたチケットで図らずも聴くことになった メータ/イスラエル・フィルの第6交響曲を除けば、自分からマーラーのコンサートに赴いたのはこれが最後になった。 この曲は、第1交響曲同様、実演の印象が頗る悪い。第2交響曲についても、上記の どちらも曲に入り込めずがっかり。特に一度目は全曲聴いたのに、置いてきぼりを食らってショックだった。 思うにこの曲の内容はあまりに個人の内面に関わるもので、皮肉にもコンサートホールでの演奏の 持つ公共性との間に齟齬を来たしているように感じられてならない。あるいは管弦楽法上明らかにナイーブな 初期稿を聴いたというのもあるかも知れないが、これだと朝比奈の演奏に白けた理由については説明になっていない。

(*1)新星日本交響楽団第93回定期公演、マーラー第2交響曲、指揮:朝比奈隆、ソプラノ:大倉由紀枝、アルト:辻宥子、合唱:三多摩市民コーラス、1986年7月16日、東京文化会館

(*2)若杉弘指揮:東京都交響楽団特別演奏会5:ツェムリンスキー「詩篇23番」、マーラー交響曲第2番(第1楽章は「葬礼」:日本初演)、指揮:若杉弘、ソプラノ:佐藤しのぶ、アルト:伊原直子、晋友会合唱団、1990年3月30日、サントリーホール

LPは最初に聴いたバーンスタインの1度目の全集に含まれるものと、アバド・シカゴ交響楽団のものを持っていた。 後者は良い演奏だと思う。例によって最初に買ったバーンスタインのLPには主体的な選択は働いていない。 レコード屋にそれしかなかったのを買ったのだから。

ちなみにラトルの名前を知ったのはFMで第2交響曲の演奏を聴いたのが最初で、今思えばいかにもラトルらしい、 才気走った解釈に驚きと若干の疑問を感じたのを良く覚えている。 この曲については何故かスコア(全音版)を非常に早い時期に買って持っていて、舐めるようにして 読んでいたのを思い出す。第1楽章はほとんど覚えてしまったくらいである。

近年になってバルビローリの2種類のライブの記録をCDで聴けるようになったが、特にシュトゥットガルト 放送局の管弦楽団との演奏は傷が多すぎて、さすがの私も気になる。一方、ベルリン・フィルとの 演奏の方は、モノラルで音質には限界はあるけれど、こちらは圧倒的な演奏だと思う。 また1948年のワルターのウィーンへの里帰り公演の記録は、記録としての価値もさることながら、 その音楽に込められた感情の深さに圧倒される。更にシューリヒトが残した演奏記録もまた忘れることができないだろう。

この曲はある意味ではアドルノの預言どおり、最近ではかつて程の人気がないように思える。少なくとも 熱心なマーラー・ファンにとっては、寧ろ作風が確立する前の、こなれていない作品という見方すらあるようだ。 だが、私の場合には、他のほとんどの作曲家の場合と異なって、若書きの作品を一段下に置くことができない。 この曲は実演でも印象が良くないし、色々な演奏を聴いているわけでもないが、それでも私の身体のどこかに、 この曲に強く共鳴する部分があるのだと思う。例えば一度だけ自分がマーラーの交響曲を指揮している夢を見たのを 今でもはっきりと覚えているが、その時の曲は何故か第2交響曲だった。終楽章のあの行進曲の部分あたりから 以降最後までは確実に含まれていた。私は時折音楽が鳴り響く夢を見ることがあって、 一度など、あまりの美しさに起きてから書き留めようと思ったのに、書き留めようと思うと夢の中での恍惚には 程遠いものしか書き留められず、ひどくがっかりしたことすらあるのだが、他人の作品がここまで明確に 長い部分、夢の中で再現されたのは一度きりである。

0 件のコメント:

コメントを投稿