2003年9月20日土曜日

ヘルベルト・ケーゲルのこと

ケーゲルとの出会いは鮮烈なものだった。ウェーベルンの作品集のLPである。ブーレーズを中心とした全集があるとも知らず(もっとも知っていても高くて買えなかっただろうが)、とにかくウェーベルンを聴きたくて買ったレコードが ケーゲルの演奏だった。そして多分、CDが出たときに最初に買いなおしたのは、このウェーベルンの作品集だったと記憶している。3,200円もする高価なCDで、今や5000円程度の15枚組のセット物の1枚に、しかもベルクの作品と一緒に収録されていることを知るにつけ隔世の感を禁じえない。しかし実際、それだけの価値のある演奏なのだ。
ケーゲルがここで録音している作品については、ブーレーズの2度の全集を含め、他のどの演奏を聴いてもその印象が凌駕されることは決してなかった。ロンドン交響楽団やベルリン・フィルが技術的に劣るということはないだろうから、これはオーケストラの技術の問題ではありえない。もっぱらこの演奏の持っている純度と透明感、そしてウェーベルン演奏になくてはならない繊細で親密な叙情性に拠っているに違いない。実際、作品1のパッサカリアがどんなに荒々しい部分までも徹底して、こんなに瑞々しく歌われているのは奇跡のようだし、作品10の響きの純粋さはヨーロッパの音楽が辿り着いた極限に相応しいものに感じられる。

ケーゲルの演奏様式は、基本的にロマンティックなものだと思う。ただしその感覚は、まさに、言われるところの「新音楽」後のもの、20世紀のものなのだと思う。あくまでも譬えに過ぎないが、ヨッフムにとってのブルックナー、バルビローリにとってのエルガーに相当するものは、ケーゲルの場合には無調にさしかかった辺りから12音音楽に到達するまでの、新ウィーン楽派の音楽なのではなかろうか。勿論、これには伝記上の事実に基づく異論があるだろう。まずもって作曲の師であったブラッハーの音楽はどうなのか、あるいは人によってはヒンデミットやオルフの水際立った演奏を引き合いに出して、新即物主義やその後の様々な傾向との親和性の方を強調するかも知れない。私は文化史の研究者ではなく、ケーゲルの演奏を歴史的な文脈で聴くだけの知識もない。調べれば調べられるだろうが、そうした事実関係の検証をしてみようと思うほど熱心な聴き手でもないし、そもそもそういう聴取の仕方にはあまり関心が無い。従ってこの点については、あくまでも自分の聴取の印象に過ぎず、それ以上の正当性を主張するつもりはない。そもそも、ある演奏家の解釈の方向性は一般に幾つかのベクトルの合成であることを考えれば、そのうちの一つだけを強調するのはバランスを欠いているかも知れないのである。だが私には、最初に聴いたのがウェーベルンだから、というのを差し引いて考えても、もしかしたらケーゲル自身にとって最早過去のものとなりつつあったかもしれない新ウィーン楽派的な感性のようなものが、最も親和していると感じられるのである。
ただし少なくとも、アドルノに見られる、結果としては否定しがたく恣意的な「新音楽」の特権化からは、演奏家ケーゲルは幸運にも、そして賢明にも自由である。その最上の成果はアドルノがあれほど嫌ったシベリウスの第4交響曲の演奏だろう。勿論、既述のヒンデミット、あるいはバルトークやストラヴィンスキーの演奏をあげても良いだろうが。また、新ウィーン楽派の持つある意味では偏狭な地域性、世紀末ウィーン的な側面はケーゲルにおいては感じ取れない。要するに、ここで親和的だというのは、文脈として無意識的に埋め込まれていたというよりは、もう少し意識的に探り当てられたものであっても構わないのである。
ケーゲルの演奏は、それ以前の世代(その中には、例えば指揮者ウェーベルンも含まれる)に比べて「モダン」である。いわゆる表現主義的な演奏様式は、それ以前の世代が担っていたもので、ケーゲルの時代にはそれは過去のものになりつつあった筈である。けれども一方で、分析的で怜悧なブーレーズやウェーベルンを媒介にしてシューベルトを読み直すツェンダー、あるいは逆にシューベルトのようにウェーベルンで歌うことのできるアバドでも良いが、新ウィーン楽派の音楽をごく「自然に」演奏する後続する世代とも、あるいはあからさまに歴史的な文脈に入れてしまって、むしろ退嬰的に、退廃的に演奏してしまうような解釈とも違って、そこにはそのモダンさの背後にある、ロマンティックな衝動のようなものが息づいているように感じられるのである。その視点自体の当否はおくとして、どこまで到達したのか、という視点で考えれば、現時点ではすでに新ウィーン楽派の音楽も決定的に過去の音楽に違いない。しかしケーゲルの場合には、新ウィーン楽派の音楽に対する態度はある意味では過渡期のもつ二律背反性のようなものを感じさせる。もしかしたらそれを「過渡期」に帰するのは誤りで、単純にケーゲルの個人的な資質に因るものだとしてしまえばいいのかも知れないが。 ウェーベルンもそうだが、例えばケーゲル晩年の成果である、シェーンベルクの調性期の決算であるグレの歌や、ベルク晩年の十二音技法によるヴァイオリン協奏曲については、実を言えばケーゲルの演奏を聴いて初めて、その音楽が「わかった」ような気がしたのだった。とりわけ後者の音楽が胸を締め付けるような、ほとんど甘美な感傷に近い情調を持つことが感覚的に感じ取れたのは、ケーゲルの死の前年の演奏によってである。要するに音楽に対する共感の深さと解釈上の踏み込みの徹底ぶり、そしてもしかしたら作曲者の意に反して音楽が持ってしまったかも知れない、どこか冷たく醒めてしまっている肌触りも含めて、これ以上ぴったりくる感じのする演奏はない。身もふたもない言い方をしてしまえば、要するに、私が新ウィーン楽派の音楽をそのように聴きたいと思っているタイプの演奏だ、ということに過ぎないのかも知れないのだが。
そしてそれゆえか、マーラー以前の音楽に対するケーゲルの解釈は、あからさまに回顧的で、ある種のマニエリズムが介在するように感じられる。その完成度の高さは疑問の余地はないが、親密さには欠けている。(正確には、ごく稀にしか「共感」に達することができない、というべきかも知れないが。)一見して素朴な肌触りでありながら、その曲作りにはどこか人工臭があって、まるで自分のもしかしたら地であるはずの素朴さを、自分で信じられないといった風情の音楽なのだ。人によっては、そこに素朴さへの憧れの純度の高さを見出し、高く評価するであろうし、こうした屈折はマーラーのイロニーの表出にはもってこいなのかも知れないが、ケーゲルの場合には最後に残るのが、寧ろマーラーの時代すらすでに過去のものであり、それを我が物とすることは最早できないのだ、という認識―マーラーその人は、そうした認識を、例えばシューベルトに対して持っていたように感じられる―であるような気がして、その音楽を素直に聴くことができないのである。
一方で同時代の音楽に及ぶレパートリーの側については、その演奏のもつ説得力は疑うべくもないが(何しろ、面白いかどうかと言われれば、 面白く聴けるのである)、こちらは私の個人的な資質の限界で、どのような音楽でも無条件に聴くには至らない。
ショスタコービッチの音楽に対する姿勢もまた個性的だと思う。その特徴は、何よりも「美しさ」にある。ケーゲルの演奏を聴くことを通して逆説的に気付かされることなのだが、ショスタコービッチの音楽に、人はしばしば「真実」や、「正義」すら求めるのに、美しさがそこにあることを求めていないかもしれないのだ。一方で、単に美しい演奏であれば、より高精度な演奏技術に支えられた、機能的な演奏だってあるではないかという意見もあるだろう。けれども、ここにある美しさは、そうした音響としてのそれに留まらない。それには聴く人をどこか畏怖させ、目覚めさせるものがある。それは自律的な音響の運動でも、標題内容の「表現」でもない。こうした音楽の境位は、またもや、マーラーから新ウィーン楽派にかけてのそれに通じるものがあると思われる。ザンデルリンクの(後期)マーラーが、彼の言う「詩的な」ショスタコービッチから折り返されたものなら、ケーゲルのショスタコービッチには逆にマーラーから、それもどちらかといえば初期のマーラーの世界から延びた影が射しているかのようなのだ。もしかしたら音楽自体が望み始めているかもしれない、そして同様に聴き手も望んでいるかもしれない、攻撃者との同一化による客観の暴力はここでは予感されているに留まっている。そうした予感に怯えつつも、ユートピアを夢見ることはまだ、禁じられていないのだ。だから例えば、ライヴゆえの傷の多い第2交響曲の演奏の記録は、そうした傷を軽々と超えてかけがえのないものになりえている。社会主義政権下で「復活」の讃歌が一体どのように受容されたかについて考えれば不思議な感じもするのだが、常の感動を表に出さない抑制をここではさすがに感動が上回って、会場の高揚した雰囲気すらありありと伝わってくる。そして、遥かな異郷で粗末な再生装置でその記録を聴く日本人の一人は、実演では一度ならず「とりのこされて」白けた経験すらもっている自分にとって問題のある音楽であるにも関わらず(何しろ、一層問題のありそうな第8交響曲の方は実演の方が説得力があったのだから始末におえない)、この演奏記録に限っては、それを聴くと決まって感極まって涙を流さんばかりになるのである。(一度、夢でこの曲のフィナーレが最後まで鳴り響いたことがあったが、その演奏―もしかしたら夢の裡では自分が指揮をしていたのかも知れないのだが―はケーゲルのこの演奏に大変に似たものであったように記憶している。要するに私にとってこの演奏は、内的な緊張や間合いが、自分の奥底のどこかで共鳴するようなタイプのものなのだろう。)ここまで歌われている言葉がはっきりと聴き手に飛び込んでくる演奏も珍しい(もっとも、それはこの演奏に限らず、ケーゲルの演奏の一般的な特徴の一つだと思う)が、その言葉と音楽との結びつきが、このような説得力を持つ瞬間が優れた演奏でさえあれば常に保証されているわけではないのだ。総体としてみればあからさまにマニエリスティックで人工的でありつつ、ある瞬間にふと素朴さが文字通りの「突破」を実現してしまうといった事態がここでは起きている。そうしてみれば、新ウィーン楽派がマーラーに聴き取ったかけがえのないものは、確かにここでもしっかりと捉えられているのではないかと思う。

個別の作品に対する解釈を、ということではなく、ケーゲルその人の様式を跡付けようと試みる人は、その変遷に驚かされることになるだろう。私は偶々、丁度過渡期にあたる 1977年のウェーベルンから聴き始め、その後、1980年代後半の回顧的とでも言うべき透明な哀切さを湛えたロマンティックな演奏を聴き、最後に1960年代から70年代前半の、ぞっとするような冷たい鋭さを備えた、ほとんど身体的といっていい衝迫に突き動かされた演奏を聴くことになった。一般に流布している些かエキセントリックなイメージは、恐らく寧ろ初期の演奏から受ける異様な印象に由来すると思われ、それはそれで正鵠を射ている部分もあるだろうし、例えばマーラーであれば第2交響曲の、ショスタコービッチであれば第4交響曲や第11交響曲のような演奏が余人では成し得ない成果であることを認めるに吝かではないものの、個人的には、行き場を喪ってしまったかのように佇む感のある晩年の演奏もまた、かけがえのないものに思われる。
レパートリーという点では、合唱指揮者としての経験からか、声楽入りの大規模な作品の演奏(その中にはオペラの演奏会形式での演奏も含まれるが)への拘りを感じる。ハイドンの四季からはじまって、モーツァルトやシューベルトも声楽による宗教曲が取り上げられているし、ブラームスではドイツレクイエムが特別視されているのは明らかだろう。 また、そうした声楽入りの作品への嗜好は、叙事的なもの、具体的なものへの嗜好と通底しているかもしれない。例えばシェーンベルクなら、ワルシャワの生き残り、モーセとアロン、グレの歌。あるいはデーメルの詩を背景として持つ浄夜であって、 5つの管弦楽曲や変奏曲、室内交響曲ではないのだ。
マーラーもまた、声楽付の作品が多い作曲家であるが、嘆きの歌や第8交響曲、大地の歌も含め、声楽を伴う作品が多く取り上げられている印象は否定できない。これは単に、現にリリースされているのが初期作品と「大地の歌」に限定されているという事実によるのではなく、むしろ既述した初期のマーラーのケーゲルにとっての位置づけの特殊性と、それらにおける声楽の重要性との関係が寧ろ問題にされるべきなのだろうと思う。
ショスタコービッチにおける曲の選択も興味深い。例えばザンデルリンクの「詩的」「叙事的」という分類であれば、ザンデルリンクとは相補的に叙事的な曲が選択されているようだ。一方で、第14番が取り上げられるのは声への拘りという点からも違和感はないだろう。(ただし現在録音で聴くことができるレパートリーは、そのまま実演のそれではないようだ。例えば第8交響曲は取り上げられているらしい。従って曲目の選択に関してどこまで意識的であったかについての判断は慎重であるべきだろうが。)
テキスト、声楽への傾斜というのは、言い古されたことではあるが、無調期から十二音技法へ移行する新ウィーン楽派が、楽曲を構成する際の支えとして必要としたという「解説」を思い起こさせる。勿論、安直にそれと結び付けようというのではないが、しかし、ケーゲルの演奏様式を支えているものが何であるのか、 60年代から70年代前半にかけて感じ取れる、あの生理的な怒りともとれるような強烈な緊迫感から、80年代後半のその場に立ち尽くしてしまったような脆く儚げな行き場を喪った叙情までを貫く基調をなす在り方を探る上で、こうしたレパートリーに現れた嗜好が手がかりを与えてくれるのではないかと思う。自律的で自己完結的な音楽美学とは相容れない志向が、確かにそこには流れているように思えるのだ。ケーゲルの演奏にはしばしば、音楽がもともともっているもの以上のものが結晶しているような過剰が孕まれているように感じられるのと、それが関係しているのではと思わずにはいられない。(勿論、こうした事情は、マーラーの交響曲における声楽の導入に関しても言えることと思われる。)

あえて言うまでもないことだが、ケーゲルは今は消滅した旧東ドイツの音楽家であった。これは単に書類上帰属する国籍の問題ではなく、恐らくその音楽の特徴を構成する諸契機のうち重要なものの一つだろう。この話題になると決まって言及される、その音楽との関連自体必ずしも自明でない(ただし勿論、無関係ということはないだろうが)、その生涯の最期についてはひとまず措いても、それは確かなことに違いない。この点について主題的に論じることは私には到底しかねるが、それでも、ケーゲルについて書く以上、この点に関連して印象的に感じられる点を幾つか取り上げないのは、それはそれで不当なことのように思われる。

多くの海外公演をこなしたにも関わらず、そしてとりわけ晩年における日本のオーケストラへの度重なる客演にも関わらず、ケーゲルは一部のスター指揮者(ケーゲルが自己紹介の時に引き合いに出したと伝えられる、もう一人のヘルベルト、カラヤンがその典型であろう)が意識的にであれ、無意識的にであれ体現した「国際性」とは無縁であり続けたように思われる。結局、彼の表現媒体はライプチヒの中部ドイツ放送交響楽団とドレスデンのフィルハーモニーの2つであった。そこでのオーケストラの違いは、確かに部分的にはあるだろうが、部分的に留まる。普遍的であるが故の均質性ではなく、寧ろ、ほぼ無媒介に局所的であるがゆえに、そのようにしかありえなかったようなのだ。従って、ドレスデンのオーケストラの方が音色がやわらかく、特に弦楽器の響きに中欧的な温もりのようなものがよりはっきりと感じ取れるかもしれないとはいえ、そして演奏様式の変遷上、その2つのオーケストラの違いは契機の一つとしてはあったかもしれないが、寧ろケーゲル自身の内的な変遷の論理の方が優越しているように感じられる。
ただし、ここでいう局所性というのは、土着のもの、風土的なものへの還元を意味することでは全くない。少し前の世代であればまだ可能であったそうした沈殿物からの備給からも、無国籍性と民族性の不思議な同居(3人目のヘルベルト、ブロムシュテットを想像しても良い)といった、その後の世代にしばしば生じる事態とも異なって、ここでは一旦そうしたものが遮断されているかのようなのだ。それを社会的な環境(1933年を、あるいは1945年を少年期から青年期に迎えた世代にとって、それらを何歳で迎えたかというのは、その近傍以外では可能な粗雑な世代論での括りが捉えそこなう細かい差異を孕んでいる、というのはありそうなことではある)に単純に還元しようというわけではないが、兵役を挟んでその音楽的なキャリアを戦後に東ドイツで開始したという事実は、そうした遮断に与っていると思われる。
一方で、その遮断は遮断の前の記憶を消してしまうことにはならない。ワイマール期に生まれ、戦前に育ち、音楽教育を受けて形成を行った記憶は、無からの出発に抵抗する。だから戦後むしろ中心的であったより軽めの響き、臨機応変で柔軟な適応性、中性化される分豊かになる色彩のパレットとは、本質的に異質のものであり続けたのではなかろうか。すべてを伝記主義的に説明することはできないだろうが、少なくとも、そうした記憶の揺曳が、戦後のアヴァンギャルドの些か挑発的ですらあった擁護者の基層に感じられるのである。仮にそうした歴史的な説明を否定してもなお、ここで「記憶」と呼んだものが基調として存在するという感じは残る。

原的信憑に近い、後から振り返って考えれば根拠があるとも思えない、けれども振り払って全く否定し去ることもできない信頼のようなものがあって、その根強さに応じた分だけ、絶望感なり幻滅なりもまた深いのだ、ということを感じさせる。最後の局面では、あたかも次の瞬間には懐疑に根こそぎさらわれてしまうことがわかっていて、尚も無理に信じずにはいられないといった状況での諦念の影が差した眼差しがあるように思われる。

だからこそその音楽は、決して退廃的になることはないし、自分の無力さを棚にあげて、客観の暴力に荷担することもない。襲いかかるものの理不尽さに応じて、反応もまた、場合によっては嘲笑を買うかもしれないほどエキセントリックな過激さを帯びることもあるだろう。勿論、そうした様相を軽視することは不当であるけれど、だからといって、その様相のみを切り出してレッテルを貼ることに対する抗議にも同様に分があるのだ。何よりもその音楽が見せるすがすがしい透明感、よく練られた解釈の背後に見え隠れする寧ろ素朴といってもいい率直さが抵抗する。
勿論、そうした素朴さは、それに対する深刻な懐疑、素朴さ自体を毀損しかねない絶望と同居している。
聴き取りうるのはそのベクトル性の深さ、陰影の濃さであって、どこか局所的に取り出しうる特徴的な効果は、そうした連関抜きには喧伝されるその壮絶な効果を持ちえないに違いないのである。

ケーゲルについて思うことはかなりあるのだが、その多くは今のところ疑問文のかたちをしたものばかりだし、それを考えるにはケーゲルの未聴の音源を聴く必要とともに、やはり歴史的な文脈についての考慮も欠かせないように思える。従ってそれらについては、もう少し時間がたってから、ある程度見通しがたってから書いてみたいと思っている。 (2003年9月20日初稿,29日追加,2005年1月16日改稿,18,19,22日追加,9月9日改稿, 2007.7.9, 19, 8.16改稿)

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