2023年3月16日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (10)

  だがそもそも上記のような考えを私が持つようになった原因の一つが、他ならぬマーラー自身の発言にあったことを、ふと思い出す。アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾に、子供の頃に強く印象づけられた箇所があった。ベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において、シュトラウスがその初期を評価しているのに対し、マーラーは後期に価値をおいているというくだりである。

「 マーラーとシュトラウスの話題は、ベートーヴェンに移った。シュトラウスは、後期のベートーヴェンより初期のベートーヴェンのほうが好きだと言った。マーラーは、ああした天才は年をとるほどますますりっぱになると言った。これにたいしてシュトラウスは、晩年のベートーヴェンにはしばしば独創力の欠如が認められるとし、青年時代の内発性にこそ高い価値があると言った。

「たとえばモーツァルトだ。」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.64)

ここの部分は実は、シュトラウスとマーラーという性格、気質、嗜好や人生観において全く対照的といって良い二人の天才の対話に、その対話の内容に全く関心を持たないシュトラウスの妻パウリーネの発言を差し挟むことによってパウリーネの「俗物性」を印象づけ、翻って、その内容に無関心でいられない自分を描くことによって自分を浮かび上がらせるという、どちらかというと見え透いてあけすけな意図をもって構成されていることは明白なのだが、子供の頃の私はそんなアルマの意図などまるでお構いなしに、自分のそれまでの乏しい聴取の経験から、それでも最後のピアノソナタOp.111のシュナーベルの演奏の録音を聴いて圧倒され、深く魅了されていたが故に、マーラーの意見に躊躇なく与したのであった。そればかりか、「青年時代の内発性」に関してシュトラウスがモーツァルトを持ち出した点についても、当時聴いていたのは、レクイエムK.626、ピアノ協奏曲第27番K.595、クラリネット協奏曲K.622くらいのものであったが、やはり子供ながらの性急さをもって傾倒していたモーツァルトの晩年の一連の作品を思い浮かべつつ、シュトラウスの言っていることは全く間違っていると、生意気にも断定さえしたのを良く覚えている。いずれにしても、当時の私にとってマーラーの言葉の重みは決定的であり、かつ読書の傾向とか、他の幾つかの面においてそうであるように、ここでも自分の嗜好や価値判断がマーラーのそれと一致したことによって、一層の傾倒を深める契機の一つになったことは間違いない。

 出会いこそ人並みに第1交響曲であったとはいえ、私が、マーラー自身の作品についても第6交響曲以降の作品をより高く評価し、未完成の第10交響曲に関しても、オーセンティシティを重んじるよりは寧ろ、5楽章形態の全体構想とありえたかも知れない完成形を垣間見せてくれるが故にクックの演奏会用バージョンの補作を評価することも含めて、後期作品と、特に晩年の作品を評価するだけではなく、好みもする(従って聴取の頻度も、第8交響曲を例外とすれば、明らかの後期作品に偏っている)というのさえ、マーラーその人の発言のみに起因するものであったとは言えないのだが(既述の晩年のモーツァルト、フランク晩年の傑作、シベリウスの後期交響曲という嗜好は、マーラーに先行するものであったのがその傍証となるだろう)、勿論、そうした自分の嗜好を正当化し、理由づけてくれるものとして受け止めたことは間違いない。マイケル・ケネディがネヴィル・カーダスの評言を参照しつつ、マーラーが発展的な作曲家であり、一曲毎に新しくより高い境地に到達し続けたことに言及したのは、諸家が「二番煎じ」、「失敗作」として批判した第7交響曲についてに関しての論述の冒頭においてであったが、クックの作業を身近に知る立場にあった彼の第10交響曲への評価と同様、第7交響曲についても、他のより人口に膾炙した作品に先行して接して早くから親しんだこともあって、私はそれを、己の嗜好の上で、初期作品より上位に位置づけていたから、ケネディの評価に与する立場を採ることに迷いはなかった。後にアドルノがマーラーにも「弱い楽章」があり、それを認めることが寧ろ正当なのだと述べたのは、第7交響曲のフィナーレについて述べた際であったが、それに接しても尚、アルマの『回想と手紙』に含まれている、あのシェーンベルクの評価(アドルノは、「よりによって」という言い方でこの評価にも言及しているが)の方が自分の受けた印象に近いものであるが故に、自分の評価を変えようとはしなかった程である。

 というわけでマーラーのベートーヴェンの後期作品への評価は、それによって自分の嗜好や認識が変更を強いられたという仕方ではないにせよ、私にとっては「天才は年をとるほどますますりっぱになる」という自分の経験に基づく直観に沿ったものであり、かつ、マーラーその人もまた、例外ではなくその「天才」の一人であるというように考えてきた訳であるが、今、ここでの問題にとってはそれは、確認しておくべき事柄であるにしても主たる問題ではない。寧ろこの文脈においては、アドルノがマーラー以外に後期様式、晩年様式について述べた一人がまさにベートーヴェンであるということで、私がマーラーの言葉に共感した根拠となった最後のピアノソナタから受ける印象は、確かにマーラーの後期作品から受ける印象と相通じる部分があるように思われるということである。私にとってベートーヴェンはワグナーと同様に周縁的な作曲家の一人であって、特にその中期作品、世上「傑作の森」という評価のある作品の、まさにアドルノが評価する側面こそが押し付けがましく、ついて行けないものを感じているし、初期作品についてはそもそもほとんど聴いたことさえないし、最早自分に残された時間が限られていて、「老年」なりの選択を強いられるようになってきた今になってそれに対峙しようとも思わないが、その後聞いた後期作品、ハンマークラヴィア以降のピアノソナタと、作品番号3桁の弦楽四重奏曲群(「大フーガ」を含む)については抵抗感なく聴くことができる。そしてそのことには作品における時間の流れ方の特性が関わっていて、なおかつそれがマーラーの後期作品と共通性があるように感じられるので、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という観点から、アドルノのいう「晩年様式」を眺めることができるのではないかという見立ての根拠となっているである。マーラーがベートーヴェンの晩年の作品にどれくらい影響を受けたという実証的な影響関係は私のような単なる市井の愛好家の手に余る事柄だが、「現象から身を退く」というのが単なる比喩の類ではなく、より構造的に了解できるもので、時間性の構造の観点と結び付けて論じることができるように思う。そしてそのことが、マーラーの音楽における「老い」を考える上での核心をなす部分だというのが見取り図ということになるだろうか。

 その一方でこの発言は、「晩年様式」に関するベートーヴェンの後期作品へのアドルノの了解が大筋において、マーラーその人のそれと、控え目に言っても親和的であることを証言する一方で、ジンメル経由でのアドルノのゲーテの箴言(「現象から身を退く」)への参照から、マーラー自身のゲーテに関する発言の中に、マーラーその人の「老い」に関する了解を探るというアプローチの可能性を示唆するように思われる。

 よく知られているように、マーラーにとってのゲーテは、単に第8交響曲第2部において『ファウスト第2部』の結びを素材として使用したというだけに留まらない。ゲーテは彼の愛読書であり、文学的作品のみならず科学的・思弁的な著作から対談集の類まで読んでいたことがアルマの回想や書簡などから確認できるし、ゲーテの生命観が彼の創作活動に直接間接に与えた影響は決定的であったと思われる。直接参照されているのが同時代の科学的著作である場合にも、それを受容する背景としてゲーテの生命観・有機体観の影響は極めて強いように感じられる。そうしたこととを踏まえるならば、直接に明示的に言及されることはないにしても、彼の芸術観・作品観・人生観にゲーテの影が映り込んでいて不思議はないし、たとえ典拠が明らかにゲーテでない場合や、誰のものであるか明らかでない場合でも、その発想にゲーテのそれとの親和性を感じ取ることはそれ程難しいことではないだろう。(個人的に印象的だったのは「神の衣を織る」という美しい言い回しが『ファウスト』第1部の地霊の科白に由来するものであることを突き止めた時のことだったが、同じようなケースは他にもあって不思議はない。)他の作曲家はともかく(更に言えばベートーヴェンとゲーテを巡るアネクドットの類は有名だが)、ことマーラーに関して言えば、ゲーテに典拠を持つ「老い」についての認識は、作品自体への適用は勿論だが、作曲者の考え方と親和的である可能性が高く、従ってマーラーの自己認識とも親和的である可能性があるということになる。同じアルマの『回想と手紙』では後年のマーラーが「床に唾を吐いたところでベートーヴェンになれるわけではない」と語ったというエピソードも含まれているが、彼にとってベートーヴェンが越えがたい規範であったのであれば、彼自身のベクトルが、彼がベートーヴェンに見出し、評価したものと重なるということが起きても不思議はない。(一方で、ワグナーの『パルジファル』についての否定的なコメントや、ブラームスの第4交響曲についての否定的なコメント、更にはブルックナーの第9交響曲についての否定的なコメントについての証言も残されているようだが、私にとってはそれぞれの「晩年様式」の作品であるそれらへの否定的評価もまた、彼が「老い」をどう捉えていたかを知る手がかりになりうる可能性があるだろう。他方で、そもそも偶然記録されたに過ぎないこのような「語録」自体を、それが語られた文脈も定かでない状況で過大評価することは却って誤った理解を導きかねないとする懐疑的な立場もまたあるだろうし、そうした懐疑にも一定の正当性があると私は考える。であるならばベートーヴェンの評価を巡っての、アルマが記録したアネクドットを取り上げて、ああでもない、こうでもないと突き回すのも同断だということになるのかも知れないが、そうした可能性を排除はしないまま、だがマーラーの音楽における「老い」について何某かのヒントが提供される可能性も否定し難く、ここで取り上げることにした次第である。)

  (2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿)

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