お知らせ

アマチュア・オーケストラ演奏頻度を2025年の公演の集計を追加して更新しました。(2025.12.25)

2023年3月15日水曜日

MIDIファイルを用いたデータ分析について(2021.12.23報告メモ, 2023.3.15改訂・補記)

1.これまでに実施・公開してきた音楽関係のデータ分析の概観

  • 最初の動機は「五度圏上の和声的重心の遷移の把握・図示」

  • 「新調性主義作品」と密接に関連

  • 三輪さんからのアドバイスでMIDIファイルの活用へ


※「新調性主義」については、三輪眞弘「《虹機械》作曲ノート」(三輪眞弘, 『三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇』, アルテスパブリッシング, 2010所収)および拙稿「新調性主義」を巡っての断想を参照。


  • MIDIファイルからの情報抽出プログラムを自作(C言語)

  • 過去に統計分析言語の使用経験があるので片手間で取り組んできた(R言語)

  • MIDIファイル解析・集計・分析をマーラーの作品を対象として実施

(参考)MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 これまでの作業の時系列に沿った概観


2.データ分析の動機・理由づけについて


  • 自分を惹きつける音楽の性質を客観的で検証可能な仕方で把握したい。

  • 自分を惹きつける音楽の特徴を図示(darstellen)したい。

  • 音楽を語るための自然言語とは異なる手段が欲しい。(言語に優越した手段ではない。良くも悪くも認識様式を強く拘束している言語とは別の手段を自分で作りたい(nachkomponieren)。)

  • 音楽についての自然言語による言説 (beschwören) に対する客観的な検証手段が欲しい。


※ beschwören / nachkomponieren / darstellen については、岡田暁生「「話したい人」と「見せたい人」と「やってみたい人」と―人文工学としてのアートの可能性を考える」(京都大学人文科学研究所共同研究プロジェクト「「システム内存在としての世界」についてのアートを媒介とする文理融合的研究」, 第1回研究会,  2019年4月7日)に基づく。


3.データ分析結果の公開に拘る理由


  • 音楽作品についてのデータ分析にはそれなりの歴史と蓄積があるようだが、自分が知りたいと思ったことの分析が既に実施されていることの確認はできていない。

  • 音楽情報処理は、対象となる音楽そのものについての研究ではなく、音楽を対象とした情報処理の手法についての研究なので、そもそも関心がずれている。

  • 先行事例がなければ自分でやってみる(nachkomponieren)。自分ができる手段で(ブリコラージュ)、自分なりの貢献をすることで、自分に到来し、自分を形成した他者への応答としたい。


4.本日の報告対象:和声出現頻度と長短三和音の交替を位置づけ

  • 音楽の構造の中でも和音の種類や変化に注目。音楽の全体を対象としていないことは前提。

  • 最初の一歩。自分が既にやったことのある方法でできる範囲で。

  • 最終的には調的な遷移の特徴を捉えたい。(cf.三輪さんの「新調性主義」)

  • 最初の第一歩として、簡単にできるところから…

  • 和声出現頻度:状態遷移を捨象した量だけでわかることは?

  • 長短三和音の交替:一番簡単に扱える調的な変化として


5.関連する話題(分析のスコープは遥かに限定的なので部分的にしか一致しない)


  • アドルノ他の指摘をデータから裏付けることができるか?

  • 創作時期による変化をデータ上の変化で確認できるか?

  • 発展的調性をデータから特徴づけることができるか?

  • 古典的なパラダイムからの「逸脱」がデータから読み取れるか?

  • ドミナントシステムの代替パラダイムの手がかりが具体的に得られないか?


6.データ分析の限界


  • 本当は個別性に辿り着きたい(ロラン・バルト「個別的なものの学」mathesis singularis)。

  • アドルノのいう「唯名論的」な在り方にどうアプローチできる?

  • 統計的には例外になってしまうものに価値がある筈。

  • 一方で客観的で検証可能な手法でアプローチしたい。

  • 分析を実施する環境上の特性

  • MIDIファイルの質

  • 個人のDTMの蓄積であり、分析目的で作成されたわけではない。

  • MIDIキーボードの演奏の記録だと拍の単位や小節の区切りの情報の正確さ、音のずれなどが生じてしまい、分析上は精度に問題が生じる

  • MIDIファイルの量

  • 作品数は少ないがMIDIファイル化は進んでいる。(交響曲は第10交響曲クック版も含め全て。歌曲は管弦楽伴奏があるものはかなりMIDI化されているが、ピアノ伴奏版しかない初期作品はほとんど行われていない。嘆きの歌のMIDI化も行われていない。)

  • 一つの作品に対して、複数のMIDI化が行われているケースも。(第1交響曲、第5交響曲等が多い。)


7.分析内容の紹介(インフォーマルな説明)


  • 分析対象 

  • 作品間の比較:創作時期・マーラーの交響曲の区分(角笛交響曲…)

  • 他の作曲家との比較:時代区分

  • 析単位

  • MIDIファイル毎(概ね楽章単位だが稀に作品全体や楽章の一部の場合もあり)

  • 作品単位(特徴量の平均の計算が必要:平均の仕方に選択肢あり)

  • 作品群単位(特徴量の平均の計算が必要:平均の仕方に選択肢あり)

  • 分析対象の特徴量

  • 拍毎に和音をサンプリング(小節拍頭でのサンプリングも実施)

  • 対象となる和音:単音・重音含む・全ての和音を対象としていない

  • 20種類程度の主要な和音

1:単音(mon)、3 :五度(dy:5)、5 :長二度(dy:+2)、9 :短三度(dy:-3)、17 :長三度(dy:+3)、33 :短二度(dy:-2)、65 :増四度(dy:aug4)、25 :短三和音(min3)、19 :長三和音(maj3)、77 :属七和音(dom7)、93 :属九和音(dom9)、27 :付加六(add6)、69 :イタリアの増六(aug6it)、73 :減三和音(dim3) 、273:増三和音(aug3)、51 :長七和音(maj7)、153 :トリスタン和音(tristan)、325 :フランスの増六(aug6fr)、585 :減三+減七、89 :減三+短七、275 :増三+長七、281 :短三+長七

  • 出現頻度の上位を占める和音(対象に依存)

  • 分析手法:

    • 階層クラスタ分析

    • 非階層クラスタ分析

    • 主成分分析(因子分析)

  • 結果の表示方法:darstellenの方法

    • 箱ひげ図

    • デンドログラム

    • 主成分平面へのプロット

    • 主成分得点・負荷量のグラフ


8.分析で何がわかったか?


和音出現頻度や長短三和音の交替といった、音楽学的見地からすれば粗雑な特徴量で   も作品についての一定の特徴が抽出できていると考える。以下にその一部を示す。


  • 他の作曲家に対するマーラーの特徴づけが、2つの軸の組み合わせでできた。

  • (1)古典派との比較は最も優越した成分で行え、古典派的な機能和声によるドミナントシステムとはやや異なった調的システムの機能がより優位であり、それが付加六の優越ということに繋がっていそうである。(2)概ね世代を同じくする作曲家との区別については別の成分において行え、ここでは3和音・4和音が優位なマーラーに対して、そうではない近現代の他の作曲家との区別が可能に見える。




  • マーラーの作品内での区分については、これまでの分析結果や諸家の分類を本に区分を設定し直したが、和声の出現頻度との関わりがないとは言えないまでもきれいな対応は得られなかった。




  • その一方で、長調・短調の対比の原理とそれとは別の原理の2つが併存・拮抗するという傾向が確認できた。

  • マーラーの作品創作の展開のプロセスは、第1交響曲を出発点として、一旦、角笛交響曲(第2~第4交響曲で)長・短調のコントラストの原理に基づいた後、長・短調のコントラストとは別の原理が登場して拮抗するようになった後、前者が放棄されて後者が優位に立つというものになるだろう。




(参考)MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その7:交響曲分類の再分析 1.再分析の方針と結果の要約)

MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度から見たマーラー作品(その8:他の作曲家との比較の再分析 1.再分析の方針と結果の要約)



9.今後の課題:5.関連する話題の節に記載の論点へのアプローチを継続


  • 更なる統計分析:集計済データで未活用なものを用いた分析

  • 未分析の和音の解消

  • 転回形を区別した分析

  • クラムハンスルの調性推定を用いた調的中心の遷移データの利用

  • 長調・短調の主和音の交替に注目した分析

  • 機械学習の調査・活用:Google Magentaを用いた調査に既に着手済

  • 汎化・学習よりも記憶装置として捉えて、その能力を分析する方が違和感がない。

  • ーラーもどきの楽曲生成には興味がない(原理的な限界が見えている)。

  • 寧ろプロトタイプのようなものの抽出をしたい(cf. 『分離抽出物N次体』in スタニスワフ・レム「ビット文学の歴史」)

  • 未完成作品の補筆完成:AIによる補作の可能性と限界の検討:(参考)スタニスワフ・レム「ビット文学の歴史」(『虚数』所収, 長谷見一雄・沼野充義・西成彦訳, 国書刊行会, 1998)


参考文献


三輪眞弘,「《虹機械》作曲ノート」(三輪眞弘, 『三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇』, アルテスパブリッシング, 2010所収)

岡田暁生,「「話したい人」と「見せたい人」と「やってみたい人」と―人文工学としてのアートの可能性を考える」(京都大学人文科学研究所共同研究プロジェクト「「システム内存在としての世界」についてのアートを媒介とする文理融合的研究」, 第1回研究会,  2019年4月7日)


1.音楽情報処理関連


S. ケルシュ, 音楽と脳科学, 佐藤正之編訳, 2016, 北大路書房

ボブ・スナイダー, 音楽と記憶, 須藤貢明, 杵鞭広美訳, 2003, 音楽之友社

リタ・アイエロ編, 音楽の認知心理学, 大串健吾編訳, 1996, 誠信書房

柴田南雄, 音楽の骸骨のはなし, 1977, 音楽之友社

Walter B. Hewlett, Elenanor Seldridge-Field, Edmund Conrreia, Jr.(Eds.), Tonal Theory for the Digital Age, Computing in Musicology 15 (2007-08), 2007, Center for Computer Assisted  Research in the Humanities, Stanford University

Stephan M. Schwanauer, David A. Levitt, Machine Models of Music, 1993, MIT Press

Fred Lerdahl, Tonal Pitch Space, 2001, Oxford University Press

Dmitri Tymoczko, The Generalized Tonnetz, 2012, Journal of Music Theory, 56.1. Spring 2012

Carol L. Krumhansl, Cognitive Foundations of Musical Pitch, 1990, Oxford University Press

Dmitri Tymoczko, A Geometry of Music, 2011, Oxford University Press

Eliane Chew, Towards a Mathematical Model of Tonality, 2000, MIT 


2.マーラーの作品の分類関連


Graeme Alexander Downes, An Axial System of Tonality Applied to Progressive Tonality in the Works of Gustav Mahler and Nineteenth-Century Antecedents, 1994, University of Otago, Dunedin, New Zealand

Barford, Philip, Mahler Symphonies and Songs, (BBC Music Guides, 1970), University of Washington Press, 1971

Kennedy, Michael, Mahler (The Master Musicians), J.M.Dent, 1975

Redlich, Hans F., Bruckner and Mahler, J. M. Dent, 1955, rev. ed.,1963

Bekker, Paul, Gustav Mahlers Sinfonien, Schuster & Loeffler, 1-3 Tausend, 1921

Schreiber, Wolfgang, Gustav Mahler, Rowohlt Taschenbuch, 1971

Specht, Richard, Gustav Mahler, Schuster & Loeffler, 1-4 Auflage Mit 90 Bildern, 1913

石倉小三郎,『グスターフ・マーラー』, 音楽之友社, 1952

柴田南雄『 グスタフ・マーラー:現代音楽への道』, 岩波書店, 1984


3.音楽を対象とした機械学習関連


Nicolas Boulanger-Lewandowski, Yoshua Bengio, Pascal Vincent,  Modeling Temporal Dependencies in High-Dimensional Sequences Application to Polyphonic Music Generation and Transcription, 2012, Proceedings of the 19th International Conference on Machine Learning

Feymann Liang, et al. Automatic stylistic composition of Bach chorales with Deep LSTM, 2017, Proceedings of the 18th ISMIR Conference

Graham E. Poliner and Daniel R. W. Ellis, A Discriminative Model for Polyphonic Piano Transcription, 2007, EURASP Journal on Advances in Signal Processing

巣籠悠輔, 詳解ディープラーニング 第2版, 2019, マイナビ出版

斎藤 喜寛, Magentaで開発 AI作曲, 2021, オーム社

スタニスワフ・レム『虚数』, 長谷見一雄・沼野充義・西成彦訳, 1998, 国書刊行会,


4.関連記事


総論



分析結果報告

資料


[補記]上記は2021年12月23日に行った私的な発表「MIDIファイルを用いたデータ分析について」のために用意した報告メモに基づき、発表対象となったマーラーの作品分析の部分に限定の上、公開に必要な修正を施した上で公開するものです。発表の機会を与えて下さった三輪眞弘先生(情報科学芸術大学院大学教授)、御忙しい中、拙い発表を辛抱強く聴いて下さり、貴重なコメントを頂いた三輪先生、岡田暁生先生(京都大学人文科学研究所教授)、浅井佑太先生(お茶の水大学基幹研究院人文科学系助教)に遅ればせながら、この場を借りて御礼申し上げます。なお、当然のことながら、上記内容に関する文責は全て作成者である山崎与次兵衛にあります。(2023.3.15)










2023年2月9日木曜日

備忘:mathesis singularisとしての「マーラー学」?―アドルノのモノグラフを手掛かりにして―(2023.2.9更新)

 私がマーラーと出会って間もない子供の頃のとりとめのない、ぼんやりとした夢想の一つに、マーラーに纏わる情報を集約したアーカイブのようなものを作りたいというものがあった。マーラーがまだ今日のようにコンサートのプログラムの主要作品となる以前の、学校の音楽の教科書にも名前の載っていない、未だ評価の定まらない、否、寧ろどちらかといえば批判がついてまわる作曲家であった頃のこと、生誕百年が過ぎて相次いで出版されるようになった文献の邦訳が出始め、ポレミックな存在として取り上げられることも増えてきた折で、地方都市に住む平凡な子供がアクセスできる情報は、書籍にせよ、楽譜にせよ、演奏の記録にせよ限られたものであった一方で、数が限られているだけに徐々に増えていくこともまた感じ取れ、初めて自分が全面的に傾倒できる対象を見出した子供の性急さが、マーラーに関する全てを知りたいという衝動を引き起こしたといったところだろうか。だがそうした夢想というものは多くの場合恐らくそういうものなのだろうが、年を経て曖昧なものとなり、そのうちにそうした夢想を抱いたことがあったことを自分でも忘れてしまうことになる。一時期マーラーから離れた折には一旦手元にある資料を手放すといった紆余曲折を経て後、再び資料の類が手元に集積するようになると、今度はかつて手放した経験があるが故に、他はともかくマーラーだけは手元に残しておこうという意識が働いた結果として、単調にそれは増加を続けることになった。最初はその当時自分が親しんでいた演奏家の録音に限定していたCDについても、自分がマーラーから離れるきっかけとなったバブル期以降のものについてはともかく―それらは熱心なコレクターの方々が、今度は誰、次はまた別の誰というように追いかけていたから、自分のような一旦落伍した者の出る幕ではないように感じられた―、特に自分が(若干の遅れを伴ってであれ)概ね同時代的に接した録音より以前の、マーラーの同時代との繋がりを濃厚に湛えた時代から、所謂「マーラー・ルネサンス」が到来する生誕100年に至る迄の約半世紀の演奏記録については手元に集めておくこと自体に意義があるとの思いが増した結果、あるタイミングで方針変換を行って、とはいえ予算の制約もあって、気づいたものは可能な範囲で耳にしてアーカイブに加えるようになったりもした。それと並行してWeb上にマーラーに纏わる様々な情報を整理して公開できることを知ると、あてもなく折に触れ綴って引き出しの中に溜め込んでいた備忘も一緒に保管すべく、紙に手書きで記していたものをファイルに打ち込み直す作業を少しずつ続けて行くことになる。

 そうした営為がかつての夢想の或る種の実現と看做しうることに気付いたのは、三輪眞弘さんの作品がサントリーホールで演奏されたのに立ち会うべく訪れた折、三輪さんと同じ「方法」の同人でもあり、大学での同僚でもある詩人の松井茂さんが、何の話のついでだったか、上記のような経緯で当時私がWebで公開していた(但し、Googleのbloggerを利用している現在と違って当時は手書きのhtmlで、メールのサービスを利用していたプロバイダのドメインで公開していたと記憶するが)マーラーと三輪さんに関するアーカイブについて言及されたことがきっかけであったように記憶している。尤も記憶する限りでは、ことマーラーのアーカイブについて言えば、松井さんは半ばあきれたような感じでその量の膨大さを指摘されたに過ぎず、あっと言う間に別の話題に話は移ってしまったのであり、そのコメントを受けた後にふと曾ての夢想を思い出したのは、その後も量だけは膨らみ続けるアーカイブをどうしたものかと独り言ちていた時のことに過ぎない。松井さんは大学での研究としては美術・建築等の遺産のアーカイブ化をご専門の一つとされておられるから、アカデミックな研究者としての立場から何か思うところあってのコメントだったかも知れないが、迂闊にもその時にはそうしたことに思いが及ばなかった。その理由は偏に、アーカイブと自称こそしていても私のマーラーに関するそれは学問的な批判的手続きを経た方法論に基づくものではなく、単なる個人的な備忘の集積に過ぎないからであって、それを研究者としての松井先生が取り組まれているものと比較するということなど、そもそも考えもしなかったということに尽きる。そのことに対する開き直りという訳ではないのだが、音楽学者であればマーラーの同時代の音楽や文化的・社会的背景、影響史や受容史といった領域それぞれについて、客観的、体系的に調査を行い、論述を行うであろうところ、客観性が要求され、一般性があることが価値であるべき学問的研究が行われるような場所で、私はといえば、市井の愛好家に過ぎないことをいいことに、他ならぬその対象に自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」を把握したいという気持ちだけに導かれてここまで来たこと、そして「個別的なもの(singuralis)」への強い拘りについて言えば、40年前の子供の頃以来変わることがないようであることに、かくして思い当たったのである。そうした私にとって、この文章でこの後、導きの糸とするアドルノのマーラーに関するモノグラフ(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)の冒頭、「天幕とファンファーレ」と題された章での第一交響曲冒頭のあの一度聴いたら忘れることのできない序奏部分について述べた以下の文章は、私がマーラーの作品に初めて出会ったときの経験―40年前の或る日、当時中学生であった私は、他ならぬこの作品によってマーラーと出会ったのだが―そのものについても、その後今日に至る迄の拘りについても、ともども的確に示してくれているように思われるのである。(厳密を期するならば、私が聴いたのは朝の五時ではなく、暑い夏の日の午後だったし、降ってきたのはFM放送のラジオから聞えてきたマーラーの作品におけるファンファーレだったのであり、尚且つこれらの差異は決して些末なものではなく、一つ一つ掘り下げて検討することで明らかになるであろう重要な論点を含むが、その検討は別の機会に果たすべき宿題としたい。)

「(…)このように、十代半ばの子供は人を圧するように打ち降りてくる音を耳にして朝五時にただき起こされるのかもしれない。その音を夢うつつにほんの一瞬耳にした者は、それがもう一度やってくるのでは、と期待するのを決して忘れはしない。その音の感覚的実体性を前にしては、形而上学的思考も色あせ、無力である。この形象の中であの瞬間は果たして成功したのかそれとも単に意図されただけだったのか、と問いかけるだけの美学もまた同様である。あの瞬間にとって、それ固有の亀裂は本質的であり、それが成功した作品という見かけに反乱を企てるのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.6)

 但しここでいう「個別的なもの(singuralis)」は私の「自己」=「我」ではない。私は、こと個別の私の「我」について言えば、そんなものはどうでもいいと思っている。自己の一貫性とか統合性に拘りがないわけではなく、首尾よくいかないことを認識しつつも、寧ろそれには強い拘りをもっているのだが、それとは別に、それが一貫して統合したものであったとしても、寧ろ「自己」は、自分が遭遇してきた「他者」によって形成された場のようなものであり、私にとって重要なのは対象たる「他者」の側であり、対象が自分にだけでなく他にも開かれたものである限りにおいて、対象に対する了解に唯一の正解があるとは思っていないし、世界に関する眺望のうちの一つの視点に過ぎない「自己」からの「見え方」に特権的な何かがあるとも思っていない。勿論これはあくまで私の「我」についてであり、例外はある。というより、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」である「他者」には、自分が惹き付けられるだけの理由があるわけだから、対象たる「他者」の「我」の方は、こちらはどうでもいいということはありえないだろう。逆にこういう言い方をするわけだから、ここでいう「対象」というのは第一義的には、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」そのものである個別の一つ一つの「作品」というオブジェクトであるけれど、実際にはそうした作品を生み出し、遺した「特定の個人」=「他者」という「個別的なもの(singuralis)」のことを指していることになる。

 もう一点、この前提から導かれることとして述べるならば、ここでいう「個別的なもの(singuralis)」は、一般概念の内包的定義である「何性」(quidditas)では捉えられないウニカート(unicate)な存在を指向するが、さりとてしばしば「何性」(quidditas)と対比される「これ性」(haecceitas)に結びつけられる存在の事実性とは異なった点にその重点があるということである。例えばジャンケレヴィッチはその浩瀚な著書『死』の末尾の章で、「事実性は滅びることはない」と章題の一部で語り、著作全体の最後を「存在した、生きた、愛した」と題した節で閉じるが、存在するものは存在したという事実そのものに価値があるのであって、それぞれの価値の間に差異はないという立場は、個別の存在の特殊性をもって、個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元を縮減させてしまう。ここでの「個別的なもの(singuralis)」はまさにこの個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元に関して言われているのであって、それこそが、それのみに独自の仕方によって、他ならぬ自分を惹き付けるという点で特殊である点に懸かっているのだから、ジャンケレヴィッチのような立場とは相容れないということになる。

 ここでの「個別的なもの(singuralis)」は、ロラン・バルトの用語を借用したものであり、比較と差異化による理論的な「普遍学(mathesis universalis)」との対比という点も含めてバルトの考え方に親近感を覚えることから、リスペクトの意味合いも込めての借用である。なお、上記の叙述から自ずと明らかであると思われるが、従ってここでの「何性」(quidditas)、「これ性」(haecceitas)を中心とする諸概念の定義は、中世スコラ哲学、就中ドンス・スコトゥスの議論よりも寧ろ後世の理解の方に近いが、さりとて具体的に誰かの図式を借りているわけではない。この図式の規定は「個別的なもの(singuralis)」をどう了解するかそのものに他ならず、従って本来は精緻な議論が必要なところだが、ここでは備忘という性質上、その点の示唆に留めて後日を期することにしたい。

 とはいえバルトのmathesis singularisをどのように捉えるかについては、管見でもかなりの幅があるようにも窺える。ここはバルトのmathesis singularisそのものの検討を目的とする場ではないし、バルトのそれに厳密に依拠しているというより、その或る側面のみを切り出して借用しているに過ぎないが、それでも説明のための参照点としている限りで、バルトの概念とここでのmathesis singularisとの間でずれていると思われる点については目配せをしておくべきだろう。

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 バルトがmathesis singularisについて述べるのは、結果的に遺著となった『明るい部屋』においてである。まず第一義的に『明るい部屋』は写真論であること、そして母親との死別という彼の私的な経験を踏まえているが故に、mathesis singularisの探求は、その具体的な実践の相において「写真」というメディアの固有性に無頓着ではいられない(その端的な規定が「それは-かつて-あった」だろう)と同時に、或る種の「喪の作業」としての性格を帯びてしまうことが避け難い。つまりmathesis singularisの実践の唯一の例として示されているのが「喪の作業」における写真を対象としたものであるというのは紛れもない事実であり、その点を最初に押さえておくべきだろうが、その一方で、それが写真の固有性の上に立脚しつつ、かつ「喪の作業」を特権的なものとしてしか成立しえないかどうかはまた別の問題であることにも留意すべきだろう。

 更にmathesis singularisの実践に関連する概念としてstudium/punctumの対立が『明るい部屋』において導入されるが、これもまた写真を対象とした記号論的分析のための概念であり、社会的・文化的背景を持つ一般性・客観性(厳密には相互主観性と呼ぶべきかも知れないが)のある文化的なコードというべきものであるstudiumに対して、写真を眺めている時に写真の側から不意に到来して見る者に「痛み」をもたらすものがpunctumであって、前者がmathesis universalisとしての記号論に関わるのに対して、後者はmathesis singularisに関わりを持つとされる。文脈に忠実たろうとする限りでは、それは見る者の「喪」の経験という個別的なものに由来して、見る者に「痛み」を感じさせる写真に関わるものであって、それ以外の領域への拡張が可能な条件がどのようなものであるか、具体的には「写真」以外の対象に適用できるのか、punctumは「喪」の経験以外に由来しうるものなのかといった点は明らかではないというべきなのだろう。専門の研究者ではないためアクセスできる情報に限りがあるのだが、その範囲に限って言えば、そもそもmathesis singularisについて論じたものは数える程しか確認できておらず、そのほとんどは「写真論」であるか「喪」の経験に関わるものであるかのいずれかか、或いはその両方のようであり、『明るい部屋』における具体的な実践の文脈から離れてmathesis singularisを論じたものはソルボンヌ大学に提出された博士課程論文 Sachi Kobayashi, "Mathesis singularis" : lecture et subjectivité dans l'oeuvre de Roland Barthes, 2007が確認できたのみである。繰り返しになるが、ここではバルトのmathesis singularisそれ自体がどのような射程と広がりを備えたものであるかを検討することを目的としているわけではないから、そうした先行文献の見解を検討することはせず、私のマーラーに関する拘りをまたmathesis singularisと呼ぶとした場合、それがどういった点でバルトのそれと共通性を持ち、どういった点で差異があるのかについての検討を行うことに終始せざるを得ない。

 まず明らかなのは、それが「写真」を対象としている訳でもなく、特定の写真から見る者にpunctumが到来したとして、それを引き起こすものを「喪」の個人的な体験に限定している訳でもないことだろう。「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」は「喪」の個人的な体験によって偶然的にpunctumになるのだが、mathesis singularisはそうしたpunctumの発生過程に纏わる機序を問題にしているのであって、そのここでの中味(ここでは「それは-かつて-あった」と「喪の体験」)は他のものであっても良い筈であるということが前提となっている。ここで問題になっているのはひとまずはマーラーの一連の音楽作品だし、ある作品をある時に聴いた時に、当時の自分の個人的体験故にpunctumの到来を経験したということの有無については、そうした経験は一度ならずあったし、そのうちの一つは「喪」の体験でありさえしたし、それに因んだ文章を示すことさえ可能ではあるのだが(ある日、第8交響曲第2部を聴いて)、そうであるにしても、マーラーの人と作品に対する私の拘りは、『明るい部屋』で提示された具体的なバルトの実践例そのものとは一致しない。私はマーラーの作品が或る種のpunctumを私にとってもらたすと感じているが、それは私固有のものであるにしても、特定の個別の経験を背景にして生じるものではないし、マーラーの作品の中の特定の作品なり部分なりが対象であるわけではない。勿論、マーラーの作品全てが等しくそうであるとは言えず、濃淡は存在するし、マーラー以外の作品がpunctumを持たない訳でもない。

 寧ろ最後の点に関してはこう言うべきだろう。或る時、或る作品から、私個人の個別の体験を背景としてpunctumが到来するという出来事は、マーラーの作品に限らず起きることであるが、それは基本的には一回性の個別的、偶然的な事象であり、対象となった作品から繰り返し、常にpunctumを受け取るわけではない。だが私が、他ならぬマーラーの作品が或る種のpunctumを私にもらたすという事態がマーラーの作品と私との間に生じると言っているのは、それとは異なる水準でのことである。そしてこのことは一見そう見えたとしても、バルトがpunctumを「私を突き刺す偶然」(ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚え書』, 花輪光訳, みすず書房, 1985, p.39)と規定する経験と対立してもいないが、一致しているわけでもない。バルトがここで「偶然」というのは、「私」の体験する出来事の一回性、偶然性を言っているのではなく、対象の側について、何故他ならぬそれ(ここでは彼が探求の出発点とした数枚の写真)でなければならないかに関する偶然性を言っていると思われるからである。それにしてもその偶然性が「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」(こちらはそれ自体は「写真」一般が備えていると考えられる)に、或る種例外的なパトスを付与するについて、彼自身の固有の「喪の作業」に由来するのであってみれば、更にはバルトが「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(roman)を考えていたことを思えば、その限りにおいて個別的、偶然的な体験についての「学」を企図しているのだという言い方はできるだろう。だが『明るい部屋』での実践例に限っても、そこで対象となっている一枚の写真は、偶然の出来事のせいで彼に一時的な情緒的反応、パトスを伴った反応を、だが恐らくは繰り返し引き起こすと言うべきであって、そこで問題にされているのは特殊かつ固有ではあるが、純粋に一回性の経験、つまり世上「奇跡」と呼ばれるようなそれであるとは考えにくいように私には思えるのである。

 まず「喪」の体験というのがその構造上、一時的なものではありえず、しばしば長期に亘るプロセスであることを考えれば、そのプロセスの中において特定の(一枚の、ないし一連の)写真がpuctumをもたらすようになったと考えるべきではないか。(そもそも「奇跡」と呼ばれるような出来事は、それを孤立した点的なものとして捉えられる限りにおいて、自伝的自己を備えた人間の具体的な経験にあっては常に虚偽であり、「瞬間と永遠」の如き抽象を弄び、剰えそれを賞揚するが如き言説は詐術の如きものであって注意すべきであるという点もまたここでの議論と無関係ではないと考えるが、この点はここでは一先ず措くこととしよう。)そこの特定の「写真」という対象に対する或る種のフェティシズムの如きものを見るかどうかは措いて、また、そんなものがそもそも成立し得るのかという問題は措いて、mathesis singularisは、一度切りの個別の体験についての学ではなく、結局のところ、偶然の出来事によって選択「された」(その限りで「私」が選択したのではなく、私はそれに対して受動的であると言うべきである限りで、ここでの「された」は中動態的なニュアンスを持つと考えるべきだろうが)特定の対象についての学であるのではなかろうか。それは特定の対象、つまりそれに繰り返し対峙し、その都度少しずう異なった、だが一貫性を備え、一時的な情緒的反応に留まらない、より構造的でかつ持続的な影響、認識の仕方の変容のようなものにさえ至るようなラディカルな影響を与える存在を対象としているのではなかろうか。もしそうであるとした場合には、私にとってマーラーの作品というのは、まさにそのような対象であるというように言い得るように思えるのである。

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 だが私のマーラーの人と作品に対する拘りを規定するのにmathesis singularisを援用するについては、より根本的な問題があるのではなかろうか?バルトは世上「作者の死」を宣告したことで著名であり、伝記主義や作者の心理の投影をテキストに対して行うような姿勢を批判し、テキストを作者とは独立の存在として扱い、読者のテキストへの関わり方において作者の意図の正確な理解を追及する姿勢を否定したことは良く知られている。作者とは独立したテキストの他のテキストとの相互作用の水準を重視し、読解の創造性を主張した結果、「作者」という概念は問いに付されることになるというのに、ここで私は、よりによってマーラーという「作者」を持つ一連の作品群を一纏まりとして、それらを他の作品群と区別し、それらに対するmathesis singularisを主張しようしていることになるから、そもそもの対象の定義の地点でバルトの考えと背馳していることになるのではないかという問いは当然思い浮かぶであろう。

 それに対する私の主張は、些か迂回的な性質のものとならざるを得ないのだが、まず思い浮ぶのはmathesis universalisにおけるマーラーの作品の扱いと、私がmathesis singularisと呼ぼうとする態度におけるそれとの差異である。通常マーラーの音楽は「音楽学」というmathesis universalisの対象の一つであろう。そこではマーラーは後期ロマン派に属する作曲家であり、影響を受けた存在として、例えばワグナーやベルリオーズなどの名前が真っ先に挙げられ、逆に影響を与えた存在としては何より新ウィーン楽派が挙げられ、マーラーの音楽の特質を取り出すのには同時代の作曲家、例えばライバルと看做されたシュトラウスとの比較が為されることであろう。かつてマーラーが今日のように「大作曲家」の一人に列せられる前でも管弦楽法の大家という評価はあったし、その後、ハプスブルク帝国の宮廷=王室歌劇場監督として君臨し、妻アルマを介したものも含めた様々な領域の文化人と交流をもったことなどから、19世紀末のウィーンの文化を象徴するアイコンに迄なって、音楽学に留まらず、社会学的・歴史学的な研究の対象にもなったし、その結果としてマーラーを論じる時、決まってそうした文化的背景に関する教養・知識を披歴することが或る種の紋切型に迄なった。時として、人によっては興味をそそられるものであるらしい過去の時代の空気を描き出す作業の中で彼は欠かせぬ存在となり、マーラーの音楽そのものはそっちのけで、専ら文化的教養としてそれは消費されることになるから、当然のこととしてそうしたマーラーの人と音楽への関心は、studium/punctumの対立においては前者の側に分類されることは間違いなかろう。一方で私がマーラーの作品を対象としたい理由は、そうした文化的教養とは無関係の地点で成り立っていて、寧ろstudiumをかき乱す側にあることは間違いないのである。

 これはstudium/punctumの対立と直接対応する事柄ではないのだが、現在は汗牛充棟の感あって最早私のような市井の愛好家が追跡することが到底できない程マーラーに関する研究文献はその数を増しているとはいえ、私がマーラーに出会った40年前には、最初にも述べた通り、主だった書籍に範囲を限れば、その数は指折り数えることができる程度のものだった。その中で、アドルノのモノグラフを除けば質・量とも際立っていたのは、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記(但し第1巻が出たばかりだったが)、ドナルド・ミッチェルの作品研究(これも初期作品を中心とした最初の2冊だけ)、コンスタンティン・フローロスの3巻本の研究書(これも最初の2巻だけで第3巻は未刊だったが、現在、邦訳が英訳からの重訳で読めるものとは異なって、計画では「マーラーと文学」に関するものになる筈であったらしい)だった。この最後の研究は、公刊済の第1巻が Die geistige Welt Gustav Mahlers in Systematischer Darstellung(体系的叙述によるマーラーの精神的世界)、第2巻が Mahler und die Symphonik des 19 Jahrhunderts in neuer Deutung(新たな意味づけをしたマーラーと19世紀交響曲) というもので、その「標題性」に拘るアプローチも相俟ってまさに文化教養としてのstudiumの側面を徹底したような内容であるし、ドナルド・ミッチェルの作品研究もまた、特にその第1巻はド・ラ・グランジュの「伝記」の刊行前に企画されたこともあって実質的にマーラーが初期作品に至るまでの生涯についての言及も多いが、第2巻は影響を受けた作曲家との比較対象、スケッチ帳の調査に加え、アイヴズとの比較のような未来への視点も含んでおり、mathesis universalisと呼ぶに相応しい。そしてド・ラ・グランジュの伝記について言えば、「作者の死」を唱えたバルトにとって、作者の伝記的事実というのは、テキストを読むに際して排除されるべきであって、伝記主義はバルトの批判の対象であり続けたことを考慮に入れると、こちらも伝統的なmathesis universalisの側に属するものにひとまずは分類されそうである。 

 そうした中でstudium的なものが主導的なmathesis universalis的なアプローチに対して辛辣なまでに批判的で、かつマーラーの音楽が持っているpunctum的なものについての指摘に満ち溢れたものとしては、冒頭いきなり、絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判から始まるアドルノのモノグラフを何よりもまず挙げるべきだろう。それはいわば従来のmathesis universalisでのアプローチの限界の指摘であるとともに、ロラン・バルトのアプローチとは全く独立に、だが内実において多くの共通点を持った仕方で、マーラーという特定の対象の固有性に迫ろうとするアプローチとしてまさにmathesis singularisの実践例と言えるように私には思われるのである。アドルノのミクロロギー的思考とバルトのmathesis singularisの親和性については、管見でも例えば多賀健太郎『突き刺す喪 : 写真・アウシュヴィッツ・自然史』(年報人間科学 24-1 pp.17-32, 大阪大学, 2003)にて指摘されているが、そこでのバルトのpunctumからアドルノの「句読点」への架橋(これは寧ろ「チェズーア」や「パラタクシス」との布置=星座の中で独立に検討するべき重要な視点ではあるが、さしあたりはそれ)よりもアドルノのmateriale Formenlehreのような「唯名論的」なアプローチの方が個別的なものの固有の論理を浮かび上がらせる方法として、mathesis singularisの方向性に添ったものに私には感じられた。唯名論的な志向はマーラーの音楽自体の持つ特性でもあり、当然アドルノはそのことを

 「音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, p.83)

というように指摘しているが、それを踏まえるならば、アドルノのマーラーへの対峙の仕方の方もまた、対象がどのような音楽であっても採用し得るわけではなく、対象であるマーラーの音楽の特性に寄り添った対マーラー固有の戦略として選択されたものということになろう。更に言えば、そもそも「モノグラフ」という形態そのものが、アドルノのミクロロギ―においては戦略的な意味を担っていると考えることもできるだろう。師匠のベルクについてのものを措けば、アドルノの常で両義的ではあるものの、基本的には寧ろ「敵」であるワグナーの楽劇についての批判的「試論」はあるものの、ベートーヴェンについては遂にモノグラフを上梓することなく断片が遺されたに留まった中で、端的にミクロロギ―の実践形態である「音楽観相学」という副題を備え、対象の固有名を標題として掲げたたモノグラフが他ならぬマーラーについて書かれたことは、アドルノのmathesis singularis的な思考とマーラーの音楽との或る種特権的とも言える親和性を告げているのではなかろうか。(ちなみにロラン・バルトの側でも「ミシュレ」に関するモノグラフがある訳で、ミシュレのエクリチュールに注目して、ミシュレという歴史家が、過去の確定した事実や既に没した人物の心理を記述の対象とするよりは、その時代に戻って死者たちの生を生き直すというアプローチを採ったことが語られることを思えば、バルトにとってのモノグラフも構造的に並行した関係を持っているとは言えないだろうか?)

 一方、そうしたことからマーラーの音楽自体が広義でのmathesis singularisの実践例であると捉え得るならば、更にはマーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータとして捉え、その認識の様態や存在の様態が作品の形式的構造に刻印されているとするならば、私のpunctumへの拘りはそれ自体、そのようにしてマーラーの交響曲の全体から発せられる「事実を越えて燃え出すような火花」(これはpunctumの言い換えでなくて何であろう)を受け取った私が、そのマーラーの音楽の様態、ひいてはそこに刻印されたマーラーその人の在り方の様態を同調的に「感受」(ここでは、これはホワイトヘッドのプロセス哲学的な意味合いを込めて用いる)した結果であって、mathesis singularisへの拘りの方も同様に、実はマーラーの音楽に刻印された存在様態が私に伝播した結果であるという見方が成り立つかも知れない。ここで注意すべきは、マーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータであり、その認識の様態や存在の様態がそこに刻印されているとする立場は、こちらもまた、アドルノの絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判の対象となるものではなく、寧ろアドルノの批判に与するものであるということだ。

 マーラーの音楽については、その自伝的側面が強調されるあまり、彼の生涯の出来事を知ることがその音楽の内実を正確に理解するための条件であるかの如き主張が為されやすいが、マーラーの音楽は主観的な独白で満たされた日記ではないし、自己の経験した出来事についての描写音楽や標題音楽の類でもない。第3交響曲はマーラーのザルツカンマーグート滞在に取材した描写音楽などではなく、マーラー自身が言ったとされる通り、「手持ちのありとあらゆる手段を用いて構築」された一つの別の世界なのであり、そこに刻印されたものがあるとすれば、それはマーラーその人の世界との関り方とそれに応じた体験の内的な時間の流れ方の様態であって、しかもそれは寧ろ音楽の形式をボトムアップにその都度作り上げる働きをしているのである。その音楽は経験したこと「について」の描写などではなく、経験そのものの「音楽によるシミュレーション」なのだ。マーラー自身が後程撤回することになる稚拙ともとれる標題が、それでも「~が私に語ること」であって、語りの主体が「私」ではないことがその辺りの消息を告げている。これが第3交響曲においてのみ起きた偶発事などではないことの傍証は個別の作品に関してそれぞれ挙げることができようが、もう一つだけ、今度はマーラーその人のものではない証言を挙げるならば、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関してどのように述べていたかを思い起こせばいいだろう。そこでシェーンベルクはこのように語っているのではなかったか。

「この作品の中では、作者はもうほとんど個人として語ってはいない。まるで、この作品にはかくれた作者がいて、彼がマーラーを単なる自分の代弁人として使役しているかのように思われかねないのである。この交響曲はもはや個人的な表現の行われたものではないのである。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, 上田昭訳, 三一書房, 1973; ちくま学芸文庫, 2019ではp.160)

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 ところでマーラーの音楽自体の持つ唯名論的な志向によって導かれたのがマーラーの音楽の「小説」のような形式であるというアドルノの指摘は、バルトのmathesis singularisの側の極めて重要な側面に共鳴を引き起こす。バルトの側でも「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(Roman)を考えていたのであり、この点の共鳴もまた、偶然のものではないだろう。

 私のmathesis singularisとしての「マーラー学」は小説という形を取らないけれど(そう、マーラーについての「小説」を書くという可能性を具体的に思い描くことすらできない。マーラーに関する文献の中には、マーラーの生涯の一部を素材とした小説が幾つもあるのを知ってはいるが、寧ろそれ故に、それを私の方法としては採らないけれど)、例えば10年前に考えたことと現時点での認識や見解が同じなら同じで更に深めていくけれども、仮に違いがあったとして、それが事実に関する間違いを含んでいたり、明らかに論理的に誤謬を含んでいて意味をなさないと判断されるのでなければ前の認識や見解を撤回しようとは必ずしも思わない。それには私の見ている「対象」の姿は、そのほんの一面に過ぎなくて、私は、私にどう見えているしか所詮、書けないのだという感覚があるように思う。

 そうだからこそ、私は「小説」を書くことができる人が羨ましく感じられることも多々ある。私の採用するやり方は、せいぜいが「かつて私には対象がこのように見えていた、今はこう見える」という点を確認した上で、その違いの所以を問うことで、「対象」の側の相貌がより色々な角度で明らかに浮かび上がっていくことに寄与しうるに過ぎない。とても平易な言い方になるけれど「私にはこうも見えたし、今はこう見えています。こういう見方もできるのではと思います。」という証言をすることで「対象」についての展望を豊かにすることが出来たらそれでいい、そしてある意味これは果てしない作業なので、残された時間が限られてきたとするならば「対象」を絞り込む(これは老年学で言われるところのSOC(selective optimization with compensation : 補償を伴う選択的最適化)の方略の一つであるらしいが)べきと思っているということである。

 (だが、であるとするならば、「私」の方については虚構が成り立つ余地があるのではなかろうか?別の可能世界にいる「私」がマーラーにどのように対面し得るか、或いはマーラーと同郷人であり、或いはマーラーと同業者であり、或いは…という多岐性は、これもまた「対象」についての展望を豊かにすることに寄与することができはすまいか?それにしても、そもそも「私=自己」は、常に軌道を描いて移動していく重心のようなものであり、それ故「自己=我」についての「本物らしさ」に拘ることは愚かしいが、その都度その都度の対象との関りは全く恣意的なものではありえない。)

 なお、心理学的な意味での「作者」とアナロジーの形式による「本物らしさ」の効果に対する批判から、バルトがブルジョワ演劇の「写実主義」に対して、ブレヒト劇への関わりを根拠に、演者と作品上の役割・観客の同一化としてのカタルシスを重視したことについて言えば、そのアナロジー批判を擁護しつつ、発見や理論構築の過程でのアナロジー(その顕著な例を一つだけ挙げれば、南部陽一郎先生の自発的対称性の破れを提唱した論文、Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. I, II"におけるそれがまず思い浮かぶ)を擁護することを試みるべきであると考える。後者は「本物らしさ」とは関係ない。寧ろ異なった領域に共通する構造的同型性に着目することで新たな理論構築を可能にする広義のアブダクションの一種と捉えることができよう。他方私が「小説」に疑問を感じるのは、それがまさにバルトが批判した筈だった「写実主義」と「本物らしさ」に依拠する側面がないとは言えず、ことマーラーに関して言えば、寧ろその批判される側面ばかりが目立つ印象を覚えるからということもあるだろう。

 作者としてのマーラーに関する「伝記」は、そちらはそちらで「作者の死」の立場から拒絶の身振りを以て遇されそうだが、そうした拒絶を免れそうにないものもあるとは言え、少なくともド・ラ・グランジュの手になるそれ、生涯に亘って何度となく改訂され続け(最初の英語版は第1巻で中断し、替わってフランス語による全体で3000ページ近い分量の3巻本として一旦完結した後、今度は英語版で第1巻の続きにあたる部分の増補が行われてそれだけで仏語版の分量を超える3冊本となり、最後に第1巻の増補改訂作業を行って英語版が4巻本として完成する途上でド・ラ・グランジュが没したため、第1巻は遺著として他人の編集の下で公刊された)、マーラーの交響曲のように巨大なそれ(最後の英語版改訂版4巻本は合計で4600ページにも及ぶ)だけは確実に、その徹底ぶりに或る種のpunctumさえ感じさせるものになっているというのが私の率直な印象である。否、その点ではその分量において相対的には(あくまでも相対的に、であって、それ自体としては量的にも十分なのだが)簡潔にさえ感じられるクルト・ブラウコプフの伝記さえ30年近い歳月の蓄積の中で生み出されたもので、そのための蒐集された資料の膨大さもまた伝記の後に公刊された資料集からも窺えるものであり、やはり一生涯をかけてマーラーと関わった記録であることには間違いない。その最終章はまさに「マーラーの伝記を書くことの冒険」(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)と題されていて、その伝記が完成するまでの労苦と紆余曲折を偲ばせる内容になっていて、それを読んだときの印象をクルト・ブラウコプフのマーラー伝の最終章「マーラーの伝記を書くことの冒険(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)」よりという小文に記したことがあったが、私がそこで受け取ったものもまた、音楽社会学者としての彼のmathesis universalisの成果としてのstudiumとは異なったもの、punctumに他ないものであったと記憶する。恐らくはそうした伝記的な業績に(直接ではなくても、間接に)依拠して成立したであろうマーラーに纏わるフィクションの類は、その貧弱で劣化したコピーに過ぎず、寧ろ「本物らしさ」と見てきたかのような「写実」的な描写に対する安直な寄りかかりの弊を免れないし、アドルノがマーラーの交響曲を「小説」として捉える要件を満たしておらず、少なくとも私にとっては「特殊なものという期待を贈り物として呼び覚ます」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』邦訳, pp.82~83)ものではないのである。それよりは寧ろ「伝記」の方が、マーラーという個別で特殊なもののその特殊性を浮かび上がらせ、マーラーの人と作品に関するパトスを呼び覚ますものたりえているように感じられるのだ。

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 だが私がマーラーの人と作品の個別性、特殊性について考える時に真っ先に思い浮かべるのは、結局のところ、例えば先にも参照したシェーンベルクが「プラハ講演」での語りなのである。そこで彼は人と作品との関りについてどう述べているか?彼は講演をこのように始めているのである。

「多言を費やすことをやめ、マーラーこそはもっとも偉大な人間にしてかつもっとも優れた芸術家の一人であると信じて疑わない、と素直に言ってしまうのが最良の方法ではないかと考える。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

 シェーンベルクには、マーラーのネクタイの結び方に纏わる有名なアネクドットもあるけれど、些か極端に感じられ、今なら「個人崇拝」「聖化」の如きものとして冷静に拒絶されることもあろうその熱狂的な姿勢はだが、彼がマーラーその人と実際に会って少なくない時間を共有したこと、サウロがパウロになったと自ら語ったように、最初は反撥していたマーラーの作品を高く評価し、傾倒するようにさえなったことと無関係ではあるまい。マーラー自身の音楽が「自伝的」であると言われるかどうかとは一先ず関係なく、ここでは人とその作品は分かち難く結びついているが、それはバルトの批判した作者と作品との間にある心理学的な関係とは全く無縁であろう。その関係はそもそも、生産ー演奏ー消費という記号論的三分法が暗黙裡に前提として疑わない、「ものを生産する」こと、それを「使用」したり「交換」したりすることを範例とするパラダイムでは捉えられないものなのであって、mathesis singularisは一見そう見えたとしても、単に生産の側から消費の側に重点を移し、後者により多くの自由度を付与しただけのものではない。「喪の体験」もそうしたパラダイムから逃れでるものの一つであるだろうが、それは「喪の体験」だけで尽くされるものではないだろう。

 そもそも単に使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値ということであれば、商品の物神的性格に関して指摘される物象化に伴って現象するファンタズマゴリーもまたそうではなかったか。そうした状況に対して、バルトの方は記号論的分析によって「神話作用」を告発し、アドルノはまさにモノグラフの一つである「ワグナー試論」において、ワグナーの楽劇がファンタズマゴリーに他ならないことを指摘して見せたのではなかったか。更に技術的特異点(シンギュラリティ)が具体的なものとして議論されるようになった今日の状況を踏まえつつ、ディズニーランドこそがファンタズマゴリーの現代的形態の典型的事例であることを三輪眞弘さんが指摘している。

「確認しよう・・ディズニー映画からディズニーランドが生み出されたように、現代社会は「あの世」から多大な影響を受け、20世紀「この世」は「テーマパーク」のようになった。つまり、不道徳なものは除いた上で、このテーマパークの中では誰もが、もはや人間ではなく、平等で笑顔で楽しく清潔な「お客様」でなくてはならない。それはアニメ映画のような幼児的世界の模倣である。」(三輪眞弘「魔法の鏡 または、三浦基氏に宛てた「光のない」の私的パラフレーズ」より一部を引用, 初出はF/Tジャーナル創刊号)

だがだからといって、使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値が問題であることは確かなのであって、その価値がファンタズマゴリー的なものとは異なるための条件なり、それを見分けるための徴候なりを突き止めることが求められているのではなかったか。そしてpunctumこそがその徴候であり、「喪の体験」こそがそうした実例の一つなのであり、mathesis singularisは使用価値とか交換価値でもなく、さりとてファンタズマゴリー的なものとは異なる価値を擁護するための方法なのではなかろうか。(とはいえその擁護がますます困難になっていることにも留意する必要があるだろう。上に引用した三輪さんの文章での「あの世」という言葉の用法が物語っているように、全てを特徴量に還元し、徹底的に数量化し、特殊性を統計分布上の外れ値として除外する統計処理が支える緻密なマーケティングと、感性的なものを制御し、現実の拡張や仮想的なものとの融合さえ実現しつつあるテクノロジーの圧倒的な力に浸蝕され、パトス的なものすら制御され回収されかねず、punctumが拠り立つべき地盤がどこにあるかすら危うくなってきている中で、ファンタズマゴリーはしっかりと使用価値と交換価値の回路に回収され、管理と支配の道具となっている現実に、更にはシンギュラリティの向こう側では、「あの世」すらかつてのようではなくなり、「喪の体験」すら徹底的な変容を受けたり、ことによったら消滅したりする可能性があるのだ。そうした展望を踏まえるならば、具体的な相に関わる部分については再解釈が必要になってくるだろうが、それは単に自分のアーカイブ化への拘りを振り返るだけに過ぎなかった筈の本稿のもともとの目的を大きく逸脱する作業となるため、後日を期することにしたい。一言だけ付言するならば、使用価値でも交換価値でもない価値というのは、三輪さんの実践する「音楽藝術」と「人文学」とが関わる領域であると同時に芸術の姿を借りた「ファンタズマゴリー」の支配によって浸蝕されつつある領域であり、感情までが支配され、制御され、搾取される危険に対して、尚も「音楽藝術」と「人文学」は批判力を有するものであることを示すことが、mathesis singularisの役割であるというのがラフなスケッチになるだろう。)

 mathesis singularisは「喪の体験」を含めた「対象」なり「出来事」なりとの異なった関り方に依拠し、かつそうした異なった関わり方自体を対象としたものなのである。ここでは示唆に留めるしかないが、元々のバルトの文脈においてもまた、そこには特定の、個別の「他者」との関りが存在していたこと、否、そればかりがその関りにこそ全てが賭けられ、それ故に「写真のノエマ」たる「それは-かつて-あった」が特別なパトスを偶然に帯びることになったという消息が思い起こされる。寧ろここではmathesis singularisによって、(mathesis universalisにおいてのように「他者」を客観的な分析対象とするのではなく、「他者」として迎接し、歓待することが前提となっており、そうした「他者」ーpunctumをもたらす存在ーへの応答こそがmathesis singularisを成立させる必須の契機なのではないかと私には思われてならない。

 ところでシェーンベルクは、また同じ講演で以下のように述べている。

 「或る芸術家の偉大さを相手に理解させるには方法は二つしかない。その一つは―この方法がもちろん最良なのだがーその芸術家の作品を上演することであり、もう一つの方法は―私もこの方法によらざるを得ないのだが―書物を通じて読者にその芸術家の偉大さに関して自己の所信を述べる、という方法である。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

シェーンベルクはマーラーその人と異なって職業的な指揮者ではなかったし、当時の文化の中心に君臨するハプスブルク帝国の王室=宮廷歌劇場監督にして時代を代表する天才指揮者としてのマーラーを知っていただけに、寧ろ音楽の専門家であるが故に一層、その作品を自ら指揮する第一の方法を採ろうとは思わなかっただろうが(私の知る限り、シェーンベルクがマーラーの作品を指揮した記録は、1934年4月8日に放送された、ナチスを逃れて亡命したアメリカで、キャディラック交響楽団を指揮した第2交響曲第2楽章の演奏のみのようだ)、実際には一見したところでは誰にでも可能に見える二つ目の方法についても、実はシェーンベルクが自分も作曲家であり、音楽理論の専門家でもあったという前提を見落として、mathesis universalisの専門家でもない市井の愛好家に過ぎない人間が安易に、そちらなら自分でもできるなどと勘違いするのは夜郎自大というものだろう。私個人の身近ですら、一つ目についてはジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの音楽監督である井上喜惟先生のような方が間近に居るし、二つ目についても音楽学者の岡田暁生先生のような方が居られて、結果としてはどちらにしても私の出る幕などないということになるのかも知れない。そして勿論、冒頭にも述べたことだが、私の「アーカイブ」は松井先生(アーカイブ学の専門家としての松井茂さん)を前にして、そう名乗るのも烏滸がましい、取るに足らないものであるけれど、この文章の中で触れた以外にも数多いる巨人たちの、マーラーの人と作品に関わる業績のstuduim的な側面から自分が受けた測り知れない恩恵とともに、そこから蒙ったpunctumなしには成り立っていないことは事実で、せめてその一部でも(例えば、21世紀ならではのGoogle MapsやGoogle Street Viewによるヴァーチャル・ツアーや、日本国内のアマチュア・オーケストラの演奏記録の統計、自筆譜に比べると圧倒的に乏しいように見える出版された楽譜の異同に関して手元にあるものについて調べた結果の報告や、ジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの演奏に関する記録、そしてMIDIデータを用いた分析や作品の構造の可視化の試みなど)studuim的な側面においてもオリジナルな貢献たりえればと思う一方で、マーラーの人と作品という、個別、特殊に関するmathesis singularisとしてもまた、そこから受け取ったpunctumに「応答」できていることを願うばかりである。(2023.2.6公開, 2.8,9更新)

2022年12月30日金曜日

「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書(2022.12.30更新)

 一般にはマーラーは、第一義的には交響曲の作曲家として認知されているが、その創作の全体を俯瞰した時に直ちに気付くことは、交響曲以外の創作ジャンルが、ほぼ歌曲に限定されるという点であろう。だがそれ以上に特徴的なのは、平均的な了解としては相容れない筈の交響曲と歌曲という2つのジャンルが、マーラーにおいては相互に影響を与え合い、時として融合している点である。前者としては歌曲がそのまま交響曲の一楽章として埋め込まれた、第2交響曲第4楽章(「原光」Urlicht)や第4交響曲第4楽章(「天国の生活」Das himmlische Leben)もあれば、合唱が追加されるなどの歌唱パートの改変とともに管弦楽化された第3交響曲第5楽章(「三人の天使がやさしい歌を歌う」Es sungen drei Engel einen süßen Gesang)のような場合、逆に管弦楽化されて構造的にも拡張される第2交響曲第3楽章(歌曲としては「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)や第3交響曲第3楽章(歌曲としては「夏の交替」Ablösung im Sommer)のような場合、更には交響曲楽章の主題として用いられる場合(枚挙に暇がないが、例えば第1交響曲第1楽章における「朝の野を歩けば」Ging heut' morgens übers Feldや第3楽章のトリオにおける「彼女の青い目が」Die zwei blauen Augenなど)から、歌曲の一部が引用される場合(これまた枚挙に暇がないが、例えば第5交響曲のフィナーレにおける「高い知性への賛美」Lob Des Hohen Verständesの引用や第9交響曲第4楽章における「よく私は考える、子供たちはちょっと出かけただけなのだ」Oft denk' ich, sie sind nur ausgegangenの引用など)まで、関係の様態は幅広いスペクトルを持っている。後者について言えば、まず何と言っても『大地の歌』(Das Lied von der Erde)が挙げられるだろう。それは『さすらう若者の歌』(Lieder eines farhrenden Gesellen)、『子供の死の歌』(Kindertotenlieder)といった連作歌曲集の流れの集大成であると同時に、マーラー自身によって交響曲と規定されているという点で、それらの連作歌曲集とは一線を画している。結果として、交響曲の側から見た場合には本来は器楽であるべきジャンルへの様々な水準での声楽の導入があり、他方では内部構造を持たない複数の歌曲をただ集めただけの歌曲集から連作歌曲集としての組織化・構造化の方向性の極限として交響曲が位置するといった見取り図がマーラーの創作に関しては成り立つことになる。しかもそれは、膨大で多様なジャンルに取り組んだ他の作曲家であれば、その創作の持つ多面的なアスペクトのうちの一つとして、謂わば外側からアプローチすることも可能だったろうが、マーラーの場合には、それが創作全体のまさに要石の部分に位置し、アドルノの言葉を借りるならば、その作品群の成り立ちを「唯名論的」に規定する実質的な要素であることになる。つまり外的にそれぞれ独立に、事前に規定された2つのジャンルを偶々選択した時にその間に存在する関係といった把握でなく、歌曲と交響曲の両者が、そして両者のみが存在する空間において個別の作品同士の間に生じるその都度の関わり合いを通じて個別の作品の構造が具体的に規定される様相についての観相学が求められているということになるのではなかろうか。

 その結果として、ことマーラーに関しては、単なる音楽形式の問題を超えてより一般に言葉と音楽との関係が他のケースにも増して問題となる。マーラーの交響曲については標題に関する議論というのが或る種の紋切り型のようなものとして存在しており、尚且つそれは、マーラーの生きた時代に既にそのようなものとして存在していて、マーラー自身がそうした問題に関わらざるを得なかった事情を勘案すれば、それを問題として取り立てること自体には一定の正当性があるということになるだろうが、これもまたマーラー自身が既に気付いて或る種の拒絶の身振りを示したことから窺えるように、せいぜいのところ素材の一つに過ぎない標題性なるものを外部から作品へと押し付けて、それを以て作品について何かが解明されたとするような類の議論は、まさに上に記したような事情がある故にマーラーの作品について何かを明らかにすることはない。そしてこのこともまた、アドルノがマーラーに関するモノグラフの冒頭で既に半世紀以上も前に指摘していたことである。それ故にマーラーにおける言葉と音楽の関係を問おうとしたならば、標題などではなく、さりとて楽譜に書き込まれた膨大な言葉による指示に音楽への言語の侵入を見るのでもなく、たとえ自明に見えたとしてもまずはマーラーの創作が交響曲と歌曲より成り、かつ一部の例外を除いてそれらのみから成り、しかもその間には、冒頭でその一例を示したような複雑な関係性のネットワークが存在しているという事実を無視することはできないだろう。それ故また他方で、あたかも言語の侵入を受けない自律した音響態として、言語的な意味づけを排した上でマーラーの作品に向き合う態度は、仮に個別の作品については時としてその場で生まれる「サウンド」として手垢のついていない新鮮さを感じさせることはあっても、その場限りで消費されてお終いとなってしまい、あたかも投壜通信のように(ツェランが講演で述べたように、時間を超えてではなく)時間を通って作品が運ぶ価値に辿り着くことはないだろう。

 とはいってもそれは、作品が誕生した際の文脈を忠実に再現することなく作品に接することを非本来的であるとして断罪するような主張に繋がる訳でもない。そうではなくて、ごく単純に、例えばもし或る聴き手が歌曲「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)を知っていて第2交響曲に接する場合と、知らずにそうする場合には違いがあるし、そうした関係の存在を知った途端に、それを無視して音楽を受け止めることはできないだろうということに過ぎない。言い換えれば、マーラーの交響曲に接するに際して歌曲の存在を抜きにした場合と、それを前提とした場合とでは様々な水準で交響曲の受容自体が異なったものになるだろうという、ごく当たり前のことを言っているだけである。第2交響曲第3楽章は事実として歌曲そのものではないのだから、それが恰も「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)そのものであるような意味の押し付けが不当である一方で、それが「魚に説法するパドヴァの聖アントニウス」Des Antonius von Padua Fischpredigt)の変形であることを知ってしまえば、そのことがまるでなかったように第2交響曲第3楽章を聴くことはできないし、更に言えば、その事実を無視するとしないとに関わらず、マーラーその人は勿論そのことに自覚的であり、意図的にそのようにしたという事実は残る。同様に当たり前のことではあるが、第5交響曲第4楽章の、著名であるだけにそれだけ不幸でもある抜粋の場合とは異なって、歌曲のみを取り出すことには狭義における抜粋とは異なった性格がある。歌曲は一方でそれ自体単独で存在しているにも関わらず、恰もミトコンドリアのような細胞内小器官が元を質せば細胞内共生体であるのと同様に、独立の歌曲であると同時に交響曲の一部でもあるのだ。他方において、歌詞を剥ぎ取られて器楽化されれば元々の歌詞とは異なる文脈の中で異なる意味を獲得することになるのだが、それと同時に元々の歌詞の残響がその文脈にエコーすることを防ぐこともまたできない。単純な引用・被引用の関係はここでは成り立たず、どちらがオリジナルであるかは決定不可能なのだ。勿論、実証的な研究が創作のプロセスを事実問題の水準で解明し、どういう順序で作品が出来上がったのかについての事実が明らかになることはあるだろうが、それはそれとして、一般論ではなく、マーラーという個別のケースにおいてそれを事後的に受け取る状況に限定して言えば、交響曲と歌曲の間、或いは歌曲のピアノ伴奏版と管弦楽伴奏版の間の関係はお互いが相手のヴァリアントであると捉えるべきで、どちらが他方に対してオリジナルであるということは言えないだろう。そしてこのような歌曲のありようが「マーラーの場合」を特徴づけているように私には思われるのである。そのことの帰結として、連作歌曲集ではない、常ならば構造を持たない単なる寄せ集めである歌曲集が取り上げられる際にも、その中からどれを選んでどのような順序で並べるかについて、演奏者の側に選択の可能性が生じるようになる。かくして粗い類推ではあるけれど、交響曲が長編小説であれば、連作歌曲集は全体で一つのまとまりをもった連作短編集であるのに対して、そうでない歌曲集もまた、単なるアンソロジーではなく、嘗て或る種の実験小説において、断章群を提示しておいて読者が自ら読む順序を決定していくという試みが為されたことへの類比が寧ろ適切なものとなる。

 従って、ここでの歌曲と交響曲と関係を問おうとした場合、例えば、歌曲が交響曲に引用される具体的な様相を分析するというアプローチに帰着して事足れりというわけではないことになる。そのような研究としては既に半世紀も前にモニカ・ティッベの研究があり(Tibbe, Monika, Über die Verwendung von Liedern und Liedelementen in instrumentalen Symphoniesätzen Gustav Mahlers, Emil Katzbichler, 1971)、今更屋上に屋を架す必要もないだろうが、さのみならずアドルノが夙に指摘している通り、マーラーの場合において歌曲は、交響曲に対していわゆる「予備的研究」なのではなく、その役割は交響曲に素材を提供することに存するというように見做されるべきではないのであってみれば、歌曲を引用する交響曲といった図式自体が既に或る種の予断を含んでしまっているのだ。ここでの文脈からは稍々逸れることになるが、そのことはマーラー作品内における歌曲と交響曲の関係にのみ言えるのではなく、一般にマーラーの作品における各種の引用を指摘するような姿勢に共通していることで、勿論そうした実証的な研究の存在意義を否定するわけではないにしても、そうしたアプローチそのものが含み持つ予断が見えてくるものを先行的に規定してしまうことは避け難く、時として、或る種の文化的な文脈への還元によって事足れりとする立場に通じるものがある。歌曲が交響曲とともに、対等の立場で星座を形作ることがマーラーの創作の総体において不可欠の契機なのであって、一見したところ些事に思われるかも知れなくとも、上に例示したような交響曲と歌曲との関係の多様性そのものが、ここでの交響曲なり歌曲なりの在り方を決めているのだ。例えば第4交響曲第4楽章に見られる、独立の歌曲でもあり交響曲の一部でもあるという二重性は、本来的には別々のジャンルに帰属するべきものが偶然に借用されているという見方では捉えきれず、寧ろその二重性こそがマーラーの作品にとって本質的であって、実際にはそのような二重性を明示的には持っていない他の多くの歌曲においてさえ、仮想的な仕方で同様の二重性を謂わば予示的に備えていると考えるべきなのだ。

 マーラーの歌曲のうち、管弦楽伴奏版が作成されなかった(但し、「夏の交替」のように交響曲との関連を持つ作品は含まれている)初期の作品群は『リートと歌(Lieder und Gesänge)』という一見ありきたりの題名の下、3巻に編まれたのであったが、機械的な反復を忌避するという、交響曲形式に対する態度において顕著なマーラーの姿勢は歌曲においても変わることはなく、それ故典型的なのは、題名が示唆するような有節的なリート(Lied)と通作的な歌(Gesang)といった二元論的区分よりも、その間を架橋し、しばしば境界を曖昧にするように節を絶えず変形していく手法であり、それが技術的な構成原理となっている点については交響曲と変わるところはないように見える。交響曲にも語りの契機が侵入し、古典派的交響曲が範例として「演劇」を持っているのに対して、ここではアドルノが言うように「小説」が範例となってシェーンベルクが指摘する「音楽的散文」が支配的となるのだが、その結果は旋律線の白熱であり、予めルバートを作りこみ、人間の声ではなく、楽器が(二次的に、「表現」として)「うたう」ことになる。マーラーの交響曲は騒音的な非楽音の導入の廉でしばしば嘲笑の的になってきたが、常には音色的な効果を添えるだけの打楽器が(場合によってはセンツァ・テンポで、ということは恰も周囲の脈絡とは独立にそれ固有のリズムとテンポを持っているかのように)「うたう」ことが求められているということに他ならない。同様にして、マイケル・ケネディによればマーラーの作品の基本的原理は二声の対位法だが、それは単なる和声進行の声部への分配に終始することなく、寧ろ外部を、他なるものを作品の中にこだまさせる契機なのだ。それは或る時にはステージとは別のテンポで動く舞台裏からの響きであり(第3交響曲第1楽章の展開部末尾、冒頭のファンファーレが回帰する直前を参照)、或る時には音色の変化により、或る時には極端な音域の乖離により仮想的に仮構される空間の広がりでもあるだろう。そこでは「うたうこと」と騒音的な非楽音の対比によって、音楽が生まれてくる起源的な場所が遡及的に言い当てられようとしているかのようだ。

 主観的抒情と客観的叙事の対立についても同様なことが言えるだろう。マーラーの歌曲が所謂芸術的なリートの系譜に連なるものではないこともまたしばしば指摘されることで、最もその傾向が著しいのは『子供の魔法の角笛』歌曲集ということになるであろう。一見したところ民俗的な素材に見える『子供の魔法の角笛』は文学史の中でドイツロマン派を代表する作品と見做されてきたし、それ故そうした民族的遺産に対してユダヤ人マーラーが曲を付けたことに対する言いがかりめいた誹謗中傷が、とりわけてもナチズムが支配した時代には激しかったとは言え、1世紀後の極東の異邦人の子供がマーラーの音楽に取り込まれたそれを聴いた時の印象に照らした時には、フォン・アルニムとブレンターノは民謡を蒐集する民俗学者などではなく、結局のところ『子供の魔法の角笛』は彼らの創作であったという、マルク・ヴィニャルの「音楽素材と史的弁証法」(青土社『音楽の手帖 マーラー』、或いは酒田健一編『マーラー頌』(白水社)所収)における指摘の方が自然に感じられるのである。それが民謡を模倣したものであるとすれば或る種の追創作(nach-dichtung)と捉えるべきで、だとすればそれは寧ろ『大地の歌』の詩がハンス・ベートゲの追創作であるのに親和的とさえ言えるであろう。アドルノはモノグラフの中でシュペヒトが『子供の魔法の角笛』歌曲集の楽譜に寄せた文章を引用しつつ、その見解に疑念を呈しているのだが、その指摘については、それに対する賛同とともにそれを引用しているヴィニャルの見解に与することができるものの、続けてそのアドルノがムソルグスキーやヤナーチェクを参照しながらマーラーの作品の叙事的性格を指摘するのに接すると、ボヘミヤに生まれて、幼少期にはその地の伝統的な音楽にとり囲まれて育ったマーラーの作品にスラブ的な響きを見出そうとすることには一定の妥当性があるのだろうとは思えども、そこにもまた解消し難いギャップがあるという感覚を否定することは難しい。そういうヴィニャルがマーラーを形容した「真実の、または佯りの…」という言葉への共感を、それを象徴する例である「四度で鳴く郭公」をタイトルとした文章に記した川村二郎のマーラー論(青土社『音楽の手帖 マーラー』所収)を読んだ時、子供ながらに「真実の、または佯りの…」という両義性がマーラーの音楽の或る種屈折した特質に良く迫り得ているという点を認めるに吝かではなくても、自分が聴き取ったものが両義性という言葉で尽くされれているかどうかという点については留保の必要を感じずにはいられず、なお懸隔が存在することを感じずにはいられなかった。自ら三重の意味での異邦人であると規定したマーラーの音楽は、一部の評者が言うようなエキュメニカルなものでは決してなく、端的に根無し草の無国籍的なものであって、自分が生まれ育った環境に対してさえ距離感を持ち、或る種のよそよそしさを感じずにはいられないような側面を持っており、敢えて言うならば寧ろ端的に「佯りの」もので、無意識的に湧き上がるものそのものではなく、意識的にシミュレートされ直したものだと言うべきではなかろうか。マーラーの音楽が文化的にも歴史的にも懸け離れた土地に住む子供にとって逆説的にも身近に感じられ、自分に向かって手を差し伸べてくれる存在であり、パウル・ツェランが参照しているマンデリシュタムの投壜通信についての言葉のように、岸辺に辿り着いて打ち上げられた壜の中の手紙を自分宛のものであると感じ取ったのは、そこに両義性があるからであるというよりは、その音楽が初めから風景からの疎外を孕んだものであるが故であるとする方が、事態の正確な記述になり得ていると感じられるのである。そのことが特に明確なのは『大地の歌』の場合なのだが、それについては『大地の歌』のコンサートに寄せて以前書いた文章で触れたことなので、ここではその内容は繰り返さない。

 或いはまた、マーラーの音楽の歌詞を眺めた時、叙事に際してオリジナルには存在したかも知れない固有名をことごとく欠いている点はどうだろうか?廃棄された若き日の歌劇の創作の試みの果てに、辛うじて筋書きめいたものを持ち、テキストが物語としての体裁を備えている最後の作品であると同時にマーラー自身が作品1として、自らの創作の出発点と見做したカンタータ『嘆きの歌』の登場人物は、だが固有名を持たない。その後もう一度きり、ゲーテの戯曲『ファウスト』の終幕の場をその第2部の素材とした交響曲が書かれるが、ここでも(かつてグレートヒェンと呼ばれたといったように注記されることはあっても)固有名が予め剝ぎ取られているのは果たして偶然なのだろうか?「原光」で天使と格闘するのはヤコブその人ではないし、「3人の天使が優しい歌を歌う」で主を裏切ったことに悔恨の涙を流すのもペテロその人ではない。それらに加えて「おお人よ注意せよ」という呼びかけも併せて須らく女声に割り当てられているのに対応するように、歌詞からすれば男声で歌われるべき『さすらう若者の歌』も『子供の死の歌』もまた屡々女声で歌われ、しかもそれは些かも例外などではなく、寧ろ女声による名唱に事欠かない点について異論はないだろう。そしてそれら連作歌曲集の到達点でありながら「交響曲」と規定された『大地の歌』は、逆説的にも歌曲を含めたマーラーの全創作の裡で最も主観的な極に位置しながら、「私」は男声と女声とに分裂する。それでいて終楽章の「告別」はと言えば、別れであるからには当然複数の人間が登場する筈だというのに、私と友はしばしば交替し、果ては本当にそこに「友」がいるのだろうかと訝しむことにさえなりかねない。

 マーラーにとって『子供の魔法の角笛』は、自分がその中に否応なく巻き込まれる「世の成行き」との様々な関わり方を仮託する素材であったのではなかろうか。その中の一つであり、「この世」の成行きに対して、神から出たのだから神のもとに帰るのだ、とうたわれる「原光」は、今、現在のここ、日本での文脈でなら、三輪眞弘の「新しい時代」に出てくる「昇天少年」の歌に比せられるだろう。その一方でマーラーの中には、インド哲学の影響が著しいショーペンハウアーを皮切りに、ゲーテ(『西東詩集』West-östlicher Divan)、東洋学者でもあったリュッケルト、フェヒナー(『ツェント・アヴェスター』Zend-Avesta)、そしてハンス・ベトゲによる漢詩の追創作と、東方的なものに対する関わりが一貫して流れていて、その果てに中国の詩の模作の中で「故郷」という言葉が出てくる時に、一体それは何を指し示しているのだろうか。オリジナルの王維の詩「送別」には、「南山」とあって実はこれは普通名詞ではなく、固有名詞であって、具体的に長安の南にある山のことだそうだが、マーラーの作品の歌詞では例によって、固有名詞は剥ぎ取られている。そして、中国を反対側から眺めている極東の子供にとってもやはり同様に、南山という固有名詞は、中国人であれば感じ取れるのかも知れない具体的な場所への参照を欠いていて、却ってそうした文脈が剥ぎ取られらたベトゲ=マーラーの詩の方が身近に感じられる。まるで『大地の歌』の、聞きようによっては鼻もちならない露骨な異国趣味と受け取られかねない中間の第3楽章・第4楽章・第5楽章こそが「ありたかも知れない故郷の歌」であるかのように。マーラーを簒奪者として規定してみせるハンス・マイヤーのような西欧のインサイダーにとって「原光」と「告別」は全く別のことを歌っていることになるのだろうが、異邦の子供であった私には、それが異なったものとは思えなかったし、今でもそれは変わらない。そうした展望の下では「告別」の「故郷」が生地カリシュトなり、幼年期を過ごしたイーグラウのことを指しているのだという解釈はそもそも入り込む余地がない。「故郷」をめがけて歩んで、だが辿り着くことが夢想される山は、幼少期に「ここ」とは別にあるのだと夢想した「彼方」、アドルノがマーラー・モノグラフの最初の章で鮮やかに描写する、十代半ばの子供が朝五時にそれを耳にしてたたき起こされる、人を圧するようにうち降りてくる音の源ではないのか?それは「世の成行き」の中には場を持たないという意味での「非-場所」に他ならないのではないか、そしてそれは今一度そのように夢想されるけれども、実際に生きたまま辿り着くことはないのではなかろうか。そしてそうした風景が、後続する歌詞を持たない第9交響曲に、更には、それ自体この世に確固とした形で姿を現すことが許されなかった第10交響曲に映り込む…

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 何故このような、取りようによっては自明なこと、或いはまた逆の立場からすればどうでもいいような些末に拘って延々と文章を連ねているのかと言えば、まず第一には、最近行った所蔵録音の整理にあたって、特に歌曲の録音を、更にその中でも比較的古い時期の録音を改めて纏めて聞き返してみて思い至ったことが多々あったからで、就中、歌曲の側から、或いは歌曲を通して交響曲を改めて眺めてみるというパースペクティブが、最大限控え目に言っても、とりわけ今回については主観的には非常に印象的で新鮮であったことから、その感じの由来を突き止めてみたいと感じたからである。

 ここでマーラーの作品の演奏の録音記録について時系列に辿り直してみるならば、まず時代を代表する大指揮者でもあったマーラーが指揮した演奏の記録は、1911年に51歳を迎えることなく訪れた彼の早すぎる死によって一つとして遺されることがなく(但し、前世紀末に没したブラームスのピアノ演奏が、ちょうどエジソンの発明したばかりの録音機に録音された記録があり、マーラーより5歳年長のニキシュについても、マーラーの没後、第一次世界大戦まで存命だったが故に、彼が指揮した演奏の録音が残されているということは思い起こしておいてもいいだろう)、僅かに1905年11月9日にライプチヒで記録された自作のピアノ演奏のピアノロール(ウェルテ=ミニョン)が幾つか遺っているだけであるということは良く知られているだろう。そしてマーラーが(それが記録され、再生されることを恐らくは知った上で)指揮をするのではなく、ピアノで弾いた自作が何であったかといえば、第5交響曲第1楽章、第4交響曲第4楽章、「今朝、野辺を行くと」「私は緑の野を楽しく歩いた」の4曲であり、このうち第4交響曲第4楽章は歌曲「天国の生活」そのものなので3曲までもが歌曲のピアノ独奏編曲ということになる。なお、当時のマーラー自身の展望について言えば、同じ年の夏にはマイアーニヒで第7交響曲の第1,3,5楽章のパルティチェルを書き上げたものの、第6交響曲の初演は翌年の5月27日のことであり、前年にケルンで初演し、この年も5月にストラスブールで演奏し、その後12月にはウィーンでも演奏した第5交響曲が「最新作」であった筈である。

 それゆえマーラーの演奏史上初めての「録音」の可能性があるのは、マーラーの没後、疑義があるものの1915年の録音という説が存在する、ソプラノ歌手のシュトゥックゴルトが管弦楽の伴奏で歌った歌曲「この歌をひねりだしたのは誰」のようである。それに続くのが1921年に録音された「私は緑の野を楽しく歩いた」で、やはりシュトゥックゴルトが管弦楽の伴奏で歌ったもの。その後、交響曲の方は、1924年のフリートの第2交響曲、1926 年のメンゲルベルクの第5交響曲第4楽章(アダージェット)、1930年の近衛秀麿の第4交響曲と続くが、歌曲の方は、これもまたあまりに著名なレーケンパーがホーレンシュタイン指揮の管弦楽伴奏で歌った1928年の「子供の死の歌」に先立つものとしては、1926年にミズ=グマイナーがやはり「この歌をひねりだしたのは誰」を今度はピアノ伴奏で歌ったものの録音があるようだ。その周波数特性の音域の制約から、辛うじてそれらしく聴こえるのがまず人間の声だということで、アコースティック録音の時代のレパートリーの中心は声楽曲であったらしく、そのレパートリーの一端は、例えば1925年に出版されたトーマス・マンの『魔の山』に含まれる蓄音機に関する挿話からも窺えるが、マーラーの作品の場合においても、最初期から戦後まもなく辺りまでの時期について言えば、1曲がSP盤の片面に収まるという長さも寄与してか、控え目に言っても歌曲の録音が相対的に多いと言えそうで、1950年代までは録音に占める交響曲の割合は6割に満たない。その後LPレコードが普及していった1970年代までは概ね2/3を交響曲が占めるようになり、1980年代になると更に7割程度まで交響曲の割合が上がる。(それに対していわゆるマーラー・ブームを経た後の2010年代の直近の10年は再び歌曲の割合が上がっている。交響曲のリリースは前の10年に比べて減っているのに対して、歌曲は寧ろ増え続けているようなのだが、その原因についての推測はここでは控えることにしたい。交響曲の録音でセッションが組まれることがほとんどなくなってしまったのは、レコードの流通自体が加速化させたのは間違いない作品の普及により習熟が促されて演奏の精度が上がったこと、そのことの結果としての演奏技術の向上と均質化から、一握りのスター演奏者の録音をセッションを組んで収録するという時代が去った一方で、録音技術の進展によって収録・編集が容易になって流通経路が多様化したことで、大資本のレコード会社以外でもリリースが容易になったこともあろうし、交響曲の全曲録音が両手に余るほど蓄積され、レパートリーとして定着する替わりに新たな録音をそこに加えることのマーケットへのインパクトが喪われた結果、異稿や編曲に関心が寄せられるようになったことなども影響しているのかも知れないが、いずれにしてもここでの関心からは外れるので、この件はここではこれ以上扱わないこととする。)現時点でもなお、録音されたまま流通せずに眠っていた過去の演奏記録が発見され、リリースされつつあるので、直近10年のみならず、それ以前の録音記録の傾向についても若干の変動は見られるかも知れず、確定したものとして語ることには慎重になるべきかも知れないが、少なくとも現時点での展望としては、マーラーの演奏記録の年代記の中で、初期においては相対的に声楽曲が優位にあったことは認められるのではないかと思う。声楽曲ということで「大地の歌」を含め、更に第2交響曲や第4交響曲がその一部に歌曲を内包している点を考慮すれば、人間の声の存在感は一層増すことになるだろう。

 だが今回、ディスコグラフィーを整理する中で、古い時代の声楽曲の録音に数多く接してみて、そうした定量的な水準に留まらない、寧ろ少し違った位相での「声の優位」とでもいうべき感覚を強く抱くに至ったのである。より正確な言い方を期するならば、マーラーの音楽が本質的に備えている特徴である「声の優位」ということについて、今回改めて、古い時代の録音記録に接することによって再認したということになるだろうか。言う迄もなく、歌曲との関わりという点に関してさえ、単に声楽つきの交響曲についてのみ言えることではなく、声楽を伴わない交響曲においても歌曲との直接的な関りには枚挙に暇がないし、直接的な歌曲との連関が指摘できない場合においてすら、「声の優位」というのはマーラーの作品全体を貫く特徴と言えるだろうが、そうした消息について、今回、記録された「声」に数多く接することで、分析の結果というよりはより身体的な次元で感じ取ったというのが真相に近いだろうか。マーラーの歌曲を久し振りに聴いて、人間の声が心の奥底まで染み込むような感覚を久し振りに体験して、一方では、青土社の『音楽の手帖 マーラー』所収の幾つかの文章にあるような、戦前や戦後まもなくの演奏を聴いた時の印象の記述を思い起こし、他方では、マーラーとは一見したところ無縁な、現代のメディアアートの文脈での試み、就中、三輪眞弘と佐近田展康によるユニット、フォルマント兄弟のリアルタイム自動音声合成を中核にした「声」に関する試みに対する自分の関心や、アルゴリズミック・コンポジションを作曲の方法論の中心に据えている三輪眞弘の作品における「ありえかたも知れない伝統」の仮構、更にはそれと構造的に関連する、人の声で歌われる歌が担う、或る種特権的とさえ言える強度への自分の共感の来歴を再認するように感じられたのだった。

 今ならマーラーの歌曲のこれまで述べてきたような特質の端的な要約として、それを「ありえたかも知れない民謡」と位置づけることができるように感じられる。それは今日の極東であれば柴田南雄の『音楽の骸骨の話』を素材として三輪眞弘によって作曲された「極東の架空の島の唄」の最も先駆的な形態であったのではなかろうか。歌曲と交響曲の不思議な混淆。交響曲の一楽章がそっくり管弦楽伴奏の歌曲であること、それはマーラーの器楽がとことん「歌う」ものであるという特質に一方では通じ、それと同時に、言葉と反省的意識の侵入という、もう一つの特質に通じてもいる。更には歌曲が伝統的な主観的抒情詩でなく、寧ろ作者たるマーラーその人でない「語り手」による叙事であることが、アドルノの言うところのマーラーの交響曲の「小説」的な時間的構造を支えるものであることに思い当たる。おまけにスラブ語の文化圏の只中のドイツ語の言語島(当時のオーストリア=ハンガリー帝国領のイーグラウ、今日のチェコ共和国のイフラーヴァ)に育ったユダヤ人という、幾重もの疎外を孕んだ出自もあって、一見したところ民俗的、土着的に見える要素が、実際にはアドルノの言う「仮晶」としての「ありえたかもしれない」伝統芸能としての民謡の「素材」として用いられているということが、1世紀前の半ばは無意識的であったかも知れない「逆シミュレーション」(三輪眞弘)の先駆形態として捉えることができることに気付いたのである。同時代の、同郷の、だがマーラーとは異なって、自分が帰属する民族の集団的記憶に属する民俗学的な遺産であると見做すことができた多くの作曲家たちとは異なって、三重の意味での異邦人であり、「根無し草」であったマーラーは、自分が生まれ育った生活圏の中において土着であった筈のものから、もしかしたら意図せずして架空の民謡を産み出してしまったのではなかろうか。そして、その民俗的要素とは縁も所縁もない1世紀後の極東に住む子供にとって、だがその架空の民謡こそが唯一、自分の居場所だと感じられる場所を垣間見させてくれる存在であったというのは、自分自身が(幸いにして民族的な差別や迫害とは概ね無縁でありながらも)今度は文化的・精神的な意味合いにおいて根無し草であることをどこかで感じとったが故のことなのかも知れないと、今になって思うのである。

 一見すると荒唐無稽な牽強付会ととられるかも知れないし、勿論、長い径庭を経た末のことになるかも知れないが、それでもなお、上記のような位置づけから出発することによってのみ、マーラーの作品に関して指摘されてきた様々な特徴を、首尾一貫した展望のもとに再配置できるように私には思われる。同時にそれは交響曲を「手持ちのあらゆる手段を総動員して一つの世界を構築すること」とするマーラーの定義に通じていて、それを歌曲の側からの展望として裏返し、翻訳・変換したものでもあるだろう。肥大した自我の誇大妄想の産物であるという嫌疑にも関わらず、第3交響曲の廃棄されたマーラー自身による拙い標題が示唆するのは、そこでの語りの主体は「私」ではないということである。更に加えて、一般にはこうした消息とは無関係であると了解されるに違いないとはいえ、敢えてここにシェーンベルクが第9交響曲について述べた非人称性を突き合わせるのは不当な牽強付会だろうか?シベリウスとの会話でマーラーが述べたように、「世界」として交響曲は確かにありとあらゆるものを包含しなければならないが、その時に留意すべきは、その世界はもともと騒音のみが支配する混沌などではなく、最初から「うた」が存在していたという点なのではないだろうか?「言葉」にさえ先駆けて「はじめに「うた」があった」のであり、「うた」が世界への通路であり、そしてその「うた」は常に既に、外部からの他者の呼びかけと、それに対する反応として対位法的なものではなかったろうか。それは意識とか自己の根拠であり、それらに先行して、それらを基礎づけるが故に、意識が成立し、自己が確立した時には忘却されていて、人は改めて「自分のうた」を探すことになるのだろう。 

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 ここで一つ、現時点ではそれにどう応答するかは問いとして開かれたままではあるが、興味深い指摘に触れておくことにしよう。ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー 資本主義と分裂病』の「リトルネロについて」の章にはマーラーへの言及が含まれていることに以前注目したことがある(「大地の歌」への参照2件(ジャンケレヴィッチ『死』、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』))が、その言及は、実はここでの「ありえたかも知れない民謡」という視点と接続可能ではなかろうか。叙述の順序からすると上で参照した箇所よりも後の部分になるが、この章の最後のパラグラフはこのように始まるのだ。

 音楽が凡庸な、あるいは劣悪なリトルネロも、リトルネロの悪質な使用も排除することなく、逆にそれを誘導し、踏み台として使っているのはなかなか興味深い。「ああ、ママ、お話があるんだけど…」、「彼女は木の足をもち…」、「フレール・ジャック…」。子供の、あるいは鳥のリトルネロ、民謡、酒盛りの歌、ウインナ・ワルツ、牛飼いの鈴など、音楽がどんなものでも使用し、どんなものでもさらっていく。童謡、鳥の歌、あるいは民謡などは、つい今しがた問題にして連想的で閉鎖的な常套句に還元されるということではない。明らかにしなければならないのは、むしろ音楽化がリトルネロの「第一のタイプ」(原文強調点)、つまり領土の、あるいはアレンジメントのリトルネロを必要とするのはどうしてなのか、そして第一のタイプのリトルネロを内側から変形し、脱領土化して、音楽の最終目標である「第二のタイプ」のリトルネロ、つまり音楽機械に属する宇宙的リトルネロを作り出すのはどのようにしてなのかということだ。(ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂病』, 河出文庫, 中巻, p.399--400)

 後続のところで参照されるのは(ジゼル・ブルレを介した)バルトークなのだが、マーラーに親しみ、マーラーに関する言説に容喙した人であれば、上の文章は寧ろそっくりマーラーにこそ当て嵌まるものと考えるところだろう。「フレール・ジャック」は勿論第1交響曲第3楽章のカノンの素材だし、鳥の声(第1交響曲第1楽章、第2交響曲第5楽章、第3交響曲第4楽章、『大地の歌』の第5楽章、第6楽章など枚挙に暇がない)、ウインナ・ワルツ(一つだけ挙げるならば、何よりも第5交響曲第3楽章だろう)、牛飼いの鈴(第6交響曲と第7交響曲で用いられるカウベル)に加えて民謡が並んでいるのを見れば、これらすべてを素材として「内側から変形し」(アドルノのいう「ヴァリアンテ」の技法を思い浮かべよ)、「脱領土化して、(…)音楽機械に属する宇宙的リトルネロを作り出す」とは、まさにマーラーのことを言っているとしか思えない。「音楽機械に属する宇宙的リトルネロを作り出す」とは、マーラーの言葉に翻訳すれば「手持ちの手段を総動員して世界を構築すること」という、あの第3交響曲に関しての発言の言い換えでなくてなんだというのか?「凡庸な、あるいは劣悪なリトルネロ」で思い浮かべるのは、クヴァンダーとの対談でシノーポリが引き合いに出したウィーンのナッシュマルクト(カールス広場とケッテンブリュッケンガッセの間にある食品市場のこと、立風書房『マーラー事典』所収の同じインタビューの別の訳では何故か「菓子屋」と訳されていて、世にも珍妙な、およそ意味不明な訳文になっているので注意)で「何か食べられるものはないかと廃物の中を探すといったようなこと」(ジュゼッペ・シノーポリへのゲオルク・クヴァンダーのインタヴュー「マーラー・ルネッサンスと世紀転換期への回帰」、キューン、クヴァンダー編『グスタフ・マーラー』所収,泰流社, p.392)といった譬えではあるまいか?或いは、柴田南雄さんのような教養ある聴き手をうんざりさせる、マーラーの音楽における「通俗的」な要素の数々、ハンス・H・エッゲブレヒトがDie Musik Gustav MahlersにおいてVokabelという言葉で言い当てようとした、かの「日常語的語調(umgangssprachlicher Ton)」のことではないだろうか?

*     *     *

 ところでマーラーに関してこのような逸話がある。マーラーは幼少時にアコーディオンを与えられると、自分が接した様々な音楽を悉く記憶し、アコーディオンでそれを演奏することができたというのだ。このエピソードが広く流布した理由は、―語った本人の意図とは別に―マーラーの音楽的才能の発露の早さを示すことでその天才を証しすることであったのだろう(注:このエピソードの典拠はナターリエ・バウアー=レヒナーの『グスタフ・マーラーの思い出』中の「アッター湖畔のシュタインバッハ 1896年夏」の章の「子供時代の思い出」節であるから、このエピソードがマーラーによってナターリエに対して語られたものであることは事実と考えていいだろうし、本人が語ったことであるならば、仮にそのうちの一部が、本人の記憶の中で変形し、事実とのギャップを含むとして、マーラー本人の自己認識の一部であることは依然として成り立つが故に、ここでの議論における有効性は変わらない。ヘルベルト・キリアーン編、ナターリエ・バウアー=レヒナー『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社,  pp.144~148 参照)。

 だが私にとってその挿話は別の疑問を惹き起こすものであり、恐らくその疑問はマーラーにとって「うたう」ことが何であったかという問いに根本的な部分で通じているように思われるのである。このエピソードに関して私が抱く謎は至ってシンプルで素朴なもので、「何故マーラーは自分の声で歌わずに、専らアコーディオンで演奏したのか」という点に存する。いや、現実にはマーラーはアコーディオンで伴奏をつけながら歌ったのが、そのように若干変形されて伝わったという可能だってあるだろうから、その場合には上記の私の問は実証的な水準では意味を喪うことになるだろう。だが私にはこのエピソードは、別のことを告げているように思えるのだ。それはマーラーが、その音楽的才能の最初の発露の時点で既に「固有の声」というのを持てなかったということ、更にそれに加えて、最初から自分固有の声を補綴し代補するものとして楽器が必要だったのではないかということ、誰のものでもない楽音に、自らの声をではなく、自らに語りかけてきたものの声を託したのではないか、つまるところ自分の中に響き渡るのは、常に他者の声なのだということを告げているのではないかということである。(そしてそのことと、指揮者という役割の選択の間にももしかしたら関係があるのかも知れない。)そしてこのエピソードを念頭に置いて先に触れたピアノロールのことを考えた時、一見したところ単なる状況の制約に由来するものでしかなく、事実としてもそうであったのだろうが、マーラーが記録のために取り上げた作品のうち3つまでもが歌曲であって、それをピアノ独奏用に編曲したということが幼年期のアコーディオンの演奏の再現のように感じられはしまいか。更には、これはさすがに牽強付会に過ぎるだろうが、第5交響曲の第1楽章、即ち葬送行進曲を選択したことの方については、グスタフ少年が最初に作曲したのがポルカ付きの葬送行進曲であったという幼少期のエピソードの続きを思い起こさせはしまいか?

 それを踏まえて1世紀後の極東を見渡した時私が見出すのは「フォルマント兄弟」のリアルタイム音声合成を行うMIDIアコーディオンである。時あたかも新型コロナウィルス感染症の蔓延によって自分の声で歌うことが禁じられた状況に置かれた人間は、コンサートホールの舞台をぎっしりと満たす大規模な管弦楽や声楽を必要とするマーラーの音楽を満席の聴衆の一人として聴くことを禁じられてもいるのだが、ヴォーカロイドにマーラーの歌曲を歌わせることが普通に行われるようになった今日、そうした状況に置かれた人間にとってのMIDIアコーディオンと、年端も行かぬ子どもであったグスタフ少年にとってのアコーディオンとの比較は見た目程突飛なことではないのではなかろうか?

 ヴォーカロイドが「うたう」マーラーの歌曲を聴いて感じるのは、一方では、もしかしたら他の、より本来的な抒情詩としての歌曲とは異なって、マーラーの歌曲の寄る辺なさ、「誰のものでもない」という側面が、人工音声で歌われるに相応しいものなのかも知れないという認識を伴った、ずれを自然なものとして感じるパラドキシカルな印象であり、だけれども他方では、人間の声の歌う、そしてそれに曳き摺られるようにして、伴奏のピアノが、或いは管弦楽の全てのパートが(打楽器でさえも)歌い出してしまう過去の演奏の録音記録に結局のところそれは及ばないというようにも感じるのである。そしてその点こそが、ヴォーカロイドとリアルタイム音声合成MIDIアコーディオンとの間に存在する決定的な差異であり、かつグスタフ少年のアコーディオンと通じる点なのだ。ヴォーカロイドに通じるのは寧ろ「うたうこと」の一回性を持つことのない録音・再生技術に基づく複製芸術、再び三輪眞弘の言葉を借りれば「録楽」の方なのだ。技術的な制約の大きい嘗ての録音を再生した貧弱な音響においてさえ人間の声を聞き取ることができる同じ耳が、今日ではもしかしたら客観的には怪しい部分があるかも知れないヴォーカロイドの歌唱さえ、歌詞を見せられさえすれば、恰も人間が歌っているのと同じようなものとして聴き取ってしまう。アコースティック録音において「最もそれらしく聞こえる」というのには、単なる録音技術に加え、それよりも寧ろ、人間が「人間の声」を聴くことに最適化された聴覚システムを持っているという事情が与ってはいないだろうか。上でも触れたトーマス・マンの『魔の山』の中でアコースティック録音のSPレコードをハンス・カストルプが聴くシーンにおける「幽霊性」の由来もまた、単なる物理的音響に過ぎないものに人間の声を聴き出そうとする人間の知覚の基本的な構えに基づくものではなかろうか。その一方で、21世紀を迎えた以降の最近の神経科学の研究においては、知覚は一般的にそう了解されているように受動的なものではなく、能動的に外界の理解を行っており、ボトムアップの感覚信号における特徴検出としてではなく、外界の状態を予測し、その予測の誤差を検出して最小化するように動作しているというカール・フリストン等の「予測する心」のパラダイムが有力視されるようになってきているが、それは本来的なものが向こう側にあって真理の根拠となるという立場とは異なって、「ありえたかも知れない民謡」の仮構と親和的であるだけでなく、脳を予測する機械と見做し、心を世界についてのシミュレータとして捉えることを通じて、交響曲の創作を「手持ちのありとあらゆる手段を使って世界を構築すること」と定義したマーラーの了解とも親和的ではなかろうか。この立場に立つならば、世界を構築することとは、世界を知覚し、認識することと別の副次的・派生的な行為などではなく、無意識の裡に為される活動を意識化し、リニアな物語として編集したものに他ならないことになるだろう。

 「予測する心」のパラダイムが、マーラーの同時代人であるばかりか、直接面識があった可能性もあるとされるヘルムホルツが展開した自由エネルギーについての熱力学的理論にその基盤を持っている点は、偶然とは言え興味深い。マーラーへの影響についての言及を含むフェヒナーに関する研究書である岩渕輝『生命の哲学』によれば、マーラー自身の世界観は、ヘルムホルツの学派よりも寧ろフェヒナーのような広義での生気論的な発想との親和性が高かったとされているようだが、近年の意識や心に関する理論を踏まえた時に感じられるのは、今日の問題意識とマーラーの時代のそれの連続性であり、我々が同じエポックの反対側の端に居るということであり、当時は埋めることのできない対立と思われたものについて、今日であれば新たな発見と理論に基づいたより肌理の細かい議論が可能になっているということである。その最も顕著な例を一つだけ挙げるならば、こちらもマーラーの同時代人であり、同時期にウィーンに住み、マーラーと同じ精神的な圏内に居たと言ってよく、更にはライデンにて、本格的なものではなかったにせよ、分析者・被分析者という関係性の中で、被分析者の位置に立ったマーラーと言葉を交わしたことがわかっていて、直接的な交流があったことがわかっているフロイトの精神分析に関しても、近年、脳神経科学との架橋が試みられており、ソームズの『意識はどこから生まれてくるのか』のように、ダマシオとフリストンの理論を介してフロイトの理論を再評価するといった試みが今まさになされているのである。通常は当時の文脈に帰着させて了解されることが専らであり、そのような了解を前提とする限り、既に今日においては陳腐で賞味期限の切れたものであることになるであろうマーラーの「世界観」なるものも、今日の問題意識に照らして再解釈することが求められているように感じられる。「ありえたかも知れない民謡」という観点にしても、例えばマーラーが用いた旋律が、ボヘミヤの民謡やユダヤの旋律に起源を持つものであるかどうかについての実証的な議論や、マーラーのある旋律が先行する誰それの作曲家のしかじかという作品の引用であるかどうかといった議論が学術的には意味のある問であったとして、だが1世紀後の極東の子供の耳に響くものとの関わりは慎重に言っても希薄、実質的にはほとんど皆無である。その時、その子供に対して、伝統からの断絶と無知をもって聴取の資格なしと断定するのではなく、そうした子供にすら聞き取れるものが何であるかを確認したいというのがここでの立場であり、上に述べた様々な指摘の中でたとえ一つだけであっても、マーラーについて言われてきた様々なことを今日の問題意識の中に再配置するための視点の一つたりうるならば、この覚書の企図は達成されたことになる。(2021.5.23-24 マーラーの命日のために準備したものの未完成に終わった未定稿を補筆の上公開, 5.27-9/7.12更新。8.14自由エネルギー原理に関連してソームズによるダマシオを介したフロイトとの架橋の試みについて追記。2022.5.14 幼年時代のアコーディオンの逸話の典拠について追記。2022.12.30ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』について追記。) 

2022年12月7日水曜日

備忘:意識の音楽、自我の音楽:アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュ『グスタフ・マーラー:失われた無限を求めて』を参照しつつ(2022.12.7更新)


* * *

意識の問題を優先させるのだ。これこそが解くべき問題。
だが、意識の「何を」解けばよい。
音楽は無力。だが、信仰もまた。
それは「私」しか救えない。

音楽が他人を楽しませるのなら、他人を癒すなら、それは役に立っている。
作ること、演じることは、役に立つ。
だが、聴取は他人には働きかけない。
それはせいぜいアフォーダンス、可能態に過ぎない。

信仰は私の一人称の問題を主観的には解決するかもしれない。
だが、二人称の問題に対しては無力だ。
無力さを意識し、何かに委ねることは、制度としての信仰がなくても可能だ。
委ねる何かに何らかの超越性を認めるかどうか、人格性を認めるかどうかの 違いに過ぎない。勿論、だから行為へのいざないをもつ「教義」というのが あるのかもしれない。だが、それとて、ここで扱わなくてはならない意識の 問題の系の一部なのだ。行為へのいざないは、そうした外在的な制度が なくても、存在するし、意識することができる。

意識の問題とは、だから、一人称に限定されない。
二人称の、あるいは三人称の、相互主観性の問題を扱わなくてはならない。
ただし、認識のレベルではなく、役に立つかの、行為の、実践の、インタラクションのレベルで 扱わなくてはならない。

* * *

ベクトル場としての音楽。
運動(行為)が新たな場を引き起こす。

意識の音楽、自我の音楽を定式化すること。
マーラーの場合、多くの場合には常に自意識が働いている、目覚めている。だが、いつもではない。
単なる気分や情緒でなない、メタレベルの自己言及性が表現されている。
皮肉、韜晦、二重言語、パロディが成立するレベルがある。これは文化的な方向付けの上での 解釈とは別次元で保証されている。そういったレベルは実在する。
可能世界意味論。あるいは世界制作。

* * *

音と主体
主体とは、結局(自)意識のこと。自覚的システムのこと。
実験音楽が音を問題にするとき、そこでは(自)意識は問題になっていない。
ある抽象的な状態が問題。抽象的形式的な枠のみ与える。
そこから自意識への作用は聴き手にまかされている。表現の断念、拒否。

ある構えの呼び起こし―知覚
を考えたとき、その呼び起こしの中に、自己言及的なレベルを含むか
記憶の問題?
ある相互作用自体の呼び起こし?

津田一郎「複雑系脳理論」p.84のスマリヤンによる推論者の階層的定義に従って、意識の現われるレベルを位置づける。
0.命題なりパターンなりの呼び起こし
1.命題だけでなく、命題に対する志向的態度も呼び起こされること
/1a..志向的態度のみが呼び起こされること
2.命題に対する志向的態度に関する認識も呼び起こされること
2a.志向的態度に対する認知が呼び起こされること
シミュレーション能力:自覚的システム=自意識。
時間の感受のシミュレータとしての音楽。

* * *

意識と音楽、結局アドルノ風の観相学は有効。
ただしその社会批判的な側面は制限してよい。
観相学においても、作品にあらわれたものとしての(つまり結果としての)意識の現われについて語り得る音楽は 限定される。(ex. マーラー/ショスタコーヴィチ)
それは世界に対する反応の、しかも反省を含めた(高度な推論者を含めた)記述でなくてはならない。

単なる情動、反応でないような認識の構え
屈折か、外性の意識が必要。
外と主体との「調停」ができていない方が関係の様相ははっきりする。
破綻の瞬間―アフォーダンス、存在の開け
倫理的次元の彼方…。
死についての意識。老いについての意識。別れについての意識…。

外性の大きさ、主観の強さをモデル化できないか。
そのように思われるのは、何によるのか?
統一性、素材の節約の度合い。
コヒーレンスのようなもの
世界のあらわれの度合い?
主観の受動性?

* * *

可能世界。夢や空想、幻想、神秘的で非日常的な経験。
こうだった、こうでありえたかも知れない、という記憶や予期に彩られた現在。
そして、音自体ではなく、音を触媒に音以外の事象についての地平を、 フレームを浮かび上がらせる音楽は、やはりかけがえのない豊かさを持っている。
音楽が役に立つか、を問うならば、それもまた効果の一つであり、豊かな方が良い。
もちろん抽象的な音の運動を浮かび上がらせる姿勢も一つの態度ではある。
だが、役に立つかを問題にしたとき、それは、結局のところ認知実験ではないのだから、 文字通り「世界が限られている」。

Sartreの自我の超越―構成するものでなく、されるものとしてのEgo
物理学的描像―自我の構成についての説明というのは、まああり得るかもしれないのだが、 自我の構成する働きが消える訳ではない。
自我は構成されるものであり、かつ構成する機能を持っている。その間には二者択一はない。
そもそも矛盾などないからだ。
自我をinertなもの、クオリアの様なものとして還元するのは、自我を専ら機能的なものと考え、 自己感というクオリアを消去するのと同じにように間違っている。

幻想の否定もそれが主観の展望なり信念である限りは幻想に過ぎない。
救いもその否定も、主観の思いなしに過ぎない。志向的スタンスの問題に過ぎない。
ショスタコーヴィチが間違っているのではないが、より正しいという訳でもない。
だが、ミームの存続は?作品は?主体と異なる他者としての作品の存続は?

幻想ということは結局は物語、fictionであるということ
1.どういう物語なのか?他者との関係は?物語の共有?交換?作品としての物語の存続、ミームとしての伝承
2.経験の質、クオリアによる計測、迫「真」性という測度の導入?

* * *

意味や価値を見出せない、という状態も、主体の状態の一つに過ぎない
それは何か特定の価値を信じる盲目を嗤うかも知れないが、だが特権的な位置に居るわけではない。
自分の背中を見ることができない、という点では同じなのだ。
何事も相対化してしまい、肯定的な価値を置いていたものの裏面に否定的な契機を嗅ぎ付ける態度は 批判的といえば聞こえはいいが破壊的だ。
そうした傾向は、主体が覗き込めない主体を支える無意識の、下意識のメカニズムに由来するのだろう。

一方で、生物学的な、神経科学的な「事実」というのは、目を背ける訳にはいかない。
有限性、儚さは事実だ。
否、多分、それはもう問題ではない。価値の多様性と相対性、価値の領域におけるダーウィニズムが問題なのだろう。

多元性に何故傷つくのか?
「自分」の眺望の意味は担保するものの、根拠薄弱は仕方ない。
それがどうして己の行為の価値への疑いになるのか?
自然も、音楽も、思想も、己の価値の体系の中にあったものが、かつて程は自分をひきつけなくなっている。
それらの限界を、制限を無視できない。
「夢中に」なれなくなっている。
対象を信じられないのは、自分を信じられないのに対応している。
だが、それを知ったところでどうすればいいというのか?

* * *

表象(物語のイメージ「も」含む)―KleinのObject、表象についての論争にとって、どういう意味合いを持つのか?
世界認識のスキーマの有無?
「表象なしの知性」etc.の文脈―フロイトの動力学的な解釈は可能か?
記憶と表象の問題
客観的、現実的な対象、というときも実際にはあるスキーマを通しての認識だ。
経験によって獲得される後成的なネットワークがあるのは確かだが、―クラインならPositionと呼ぶのだろう。
生物学的に―遺伝的に、先天的に与えれる条件があるのも確か
タブラ・ラサは虚構だ。

* * *

どこまでさかのぼる事ができるのか、という問題なのだ。
Adornoの方向とHusserlの方向には大きな隔たりはない。
強いて言えば、遡及の途上を根源と見做して、基礎付けを宣言するのは誤りだ。
そして己の背中を見ることはできないから、内観主義的な方法は限界を持つ。
(それは説明されるべき経験の可能性自体であって、説明の道具にはならないのだ。)
だが、それに替わる方法に唯一正解があるわけではない。
Adornoの「その先」が、どんなに恣意的な物語であるかは、実際の適用―音楽に対する―を見れば明らかだ。
オリジナリティ、独創性と工学的な方法論(追試可能で、検証可能な)の緊張もあるだろう。
Husserlの還元もそう。
大言壮語は不要だが、すべてを否定することはない。

de La Grangeの「自分の魂の状態を表現する以上のことを求めた」(アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ『グスタフ・マーラー:失われた無限を求めて』, 船山隆・井上さつき訳, 草思社, 1993, p.13)というのは全く正しい。
マーラーの音楽は、意識の音楽だが、それは内部状態の記述に終始しない。「超越」についての報告たり得ている点で それはもはや主観的とはいえないのだ。
またマーラーは、自分を限定され、己の有限性の中に閉じ込められた存在とは考えない。まさに作曲を通じて 無限なるものへと通じていると感じていた(それが思い込みであったにしても―その疑いは、R. Straussが H. Pfiznerが皮肉交じりにすでに指摘していた)

「失われた無限を求めて」というde La Grangeの著作の題名は、だから両価的だ。一方でそれは無限を問題に する限りで正しく、他方でそれはそれを「失われた」―かつてあったものと捉える点で間違っている。
だが、無限なものとのつながりの予感は、唯物論的に、またミームの進化論の観点からも正しかった。
まさに彼は、作品を通じて「永遠」へと(ただし、非形而上学化された進化論的に限定つきでだが) 通じている。
(de La Grangeが後期様式について語った「永遠」観念的な、甘美なものとここでの永遠は何の関係もない。)

※では「大地の歌」のEwigはどうなのだ?de La Grangeではなく、マーラー自身とも無関係だというのか?

心理・音楽学(同書, p.110)は興味深い。が、これが精神分析を方法論とする必然性はない。勿論、言われるところの 無意識を否定することはないが、まずもって必要なのは創作の謎ではなく、創作されたものの謎だ。
だからそれはまずは認知的なレヴェルにとどまらなくては。
創作されたものから創作への性急な遡行は Adornoにも見られる(彼は精神分析にも否定的ではない)。
だが、まずもって謎があるとすれば作品だ。

精神分析の自然主義化が必要なのだ。無意識、エス、超自我、いずれにしても、それは脳内に後成的に 形成されたネットワークの構造に過ぎない。

* * *

マーラーの「反復」についての考えに留意すること(同書, p.129)
「反復や再現や後戻りは「偽り」(マーラーの言葉)であり、またまったく単純に作曲者の 脆弱さとその役割の放棄のしるしであった。」
「二人ともAdornoが「非可逆行性」と呼んだもの、つまり同一の足跡に戻ることは不可能だと いう考えをやはり確信を持って表明している」
勿論、これはAdornoの言うヴァリアンテの技法に関係している。(古典的な意味での変奏ではない。) 
「やはりアドルノの創案した用語を使って言えば、マーラーの「小説風交響曲」の起源は まさにこのような点にあるのであり、そこではいくつかのエピソードが物語りのなかでのようにあらかじめ定められたプランに従わずに自由に連続し、登場人物たち(諸主題)は discoursにそって動き回る。」
と同時にこのことはマーラーの音楽を「心理的に」意識の流れとして読むことを保証している筈だ。

一方で、本物の劇的展開―つまりオペラや劇音楽のうち、統合性の高いもの―との比較に 注意すべきだ。つまり―例えばマーラーの内部に例を求めれば、「嘆きの歌」や第8交響曲第2部の様な部分は、まさにプロットが 音楽の流れを直接支配するが、これと上の意味合いでの心理的展開、小説としての流れとは 一致しないのだ。ソナタやロンド、変奏曲形式、なかんずく二主題の変奏曲形式のあるタイプが むしろここではモデルになる。
その展開の力学は「物語」に由来するものではない。そうではなくてある意味では自律的な 法則を持っている。第3交響曲第6楽章や第4交響曲第1,3楽章、第6交響曲第4楽章、第9交響曲第1,4楽章、第10交響曲第1楽章といった器楽の音楽が、その法則の具体化なのである。
音楽の持つ「効果」による「例証」。連続性、断続、充足、終結、あるいはAdornoのDurchbruch/Suspensionも含めて 心理的(フロイト派でも何でも)ではなく、せめて認知心理のレベルで意識の様相の記述と対応付ける。

音楽自体を記述の媒体として捉えること。
表現と記述。クオリアの再現が可能なある記述の体系なのだ。 (少なくともマーラーの音楽は)意識現象は様々なレベルと手段で記述できる、そのうちの1つとして位置づける。 ―音楽は意識の流れ自体ではない。感情そのものではない。
それを「ひき起こす」側面のみが(表現の側面のみが)強調されるが、音楽もある仕方で、そうした流れや 感情の記述になっている。ロマンと対比される程のマーラーの音楽は特にそうだ。
それは外部事象の模倣(描写音楽)ではなく、内部事象の記述なのだ。

* * *

標題に、歌詞にひきずられずに音が記述するものを読み取る。
それを標題や歌詞とつき合わせてイロニーが判定できる。
アドルノ的な歴史のスキーマは一旦捨てるべき。勿論創作の極の「文化史」なり意識のありよう、 社会のありようがしかじかであったという事実はある。
だが、読み取るのは音楽が記述することなら、何が隠れているのかを事前に決めなくても良い。
西欧の社会の歴史を読み取らなくてもよい。
観相学は別の枠組みで機能させることも可能ではないか?
文化史は結構(フローロス)だが、アドルノはそれ自体を「素材」と見做しつつも結局、「文脈」に 戻ってゆく。創作の文脈の外にあるものは音楽からは聴き取れない。
だが音楽作品は別の文脈でも機能しうる。
相互作用も起きる。そうした文脈形成を、つまりはミームとしての存続を保証するのは作品そのものだ。
アドルノ的な文脈から離れて作品の認知的なスキームを記述すること。
所詮は文化依存のものとはいえ、「意識」レベルでの共時的な記述を試みること。

認知のレベルは一般的だが、「意識の音楽」という定式には限界がある。
マーラーならOKだが、他の作曲家がどうかは個別に検討すべき。
マーラーが中心、出発点の展望は自明でない。それに留意すれば、だが、その展望ならではのものがあるだろう。 しかもここではさしあたりマーラーの場合で十分なのだが。

* * *

自分の例えばバルビローリのマーラー演奏に関する評言を練り直すこと。
意識の音楽、主観の、世界に対する反応の音楽というのが、如何にして正当化されうるのか、の議論が必要だ。
形式的には、バルビローリについて演奏スタイルについてのコメント―聴くことをめぐる幾つかの視点を 書いたのが参考になるだろう。
あるいはショスタコーヴィチについて書いたときの論点をマーラーにapplyすることによって少なからず明らかになるだろう。

テンポの設定の問題も、意識の様態として考える際の重要なパラメタになりうる。遠近法(空間性)図と地、特に地の、 地平の存在はマーラーの場合これまた重要だろう。

過度に主観的に受け取ることについての異論が存在するだろう。それは歌曲の側から来る。
主観的な抒情詩の世界からはマーラーは遠い、ムソルグスキー、ヤナーチェクというAdornoの連想は多分正しいのだ。
一旦中期のRueckertの時期に主観性に辿り着いたという見方もあるだろう。
だが、多分中期においてすら、少なくとも交響曲では、いわゆる抒情詩的な主観性と異なるものがある。 要するに、意識の音楽は、主観の音楽は「主観的な」音楽ではないのだ。この点を強調する必要がある。

そもそも交響曲の構成原理は、主観的な叙情からはでてこない。よくマーラーの交響曲の形式は借り物だ、 と言われるが、だが、交響曲が「既存の」形式であった以上、同時代の誰にとってもそれは借り物なのだ。 要するに、交響曲の構成を支える要素は、世界の側に存する。マーラーにとっては既存の交響曲という形式そのものが「世の成行き」なのだ。

* * *

シェーンベルクの「メガホン」。書きとらされているというマーラーの証言。

Sibeliusの孤独、何と遠いことか。
あの主観と風景のあり様は、やはり例外的なものだろう。
単に人との交わりを絶って、ひとりになることはではない。
例えばマーラーの第3交響曲が書かれた環境や、Ich bin der Welt abhanden gekommenを考えればよい。
それは主体の享受の相で捉えることができる。

第3交響曲は一見、客観の力をほとんど制御せずに(第9交響曲でそうであったように)主体はほぼ媒体として機能しているように見えて、その主体の「形式」の 「形式化する」力はきわめて強い。要するに、ここでの立場の違いは、世界を表現することと音の自律的な運動に身を委ねることの違いなのだ。「メガホン」であることは、非人称性は、作品の無個性、汎個性を意味しない。(事実は全く逆だ。)

Selbstgefuehlという標題は興味深い
確かにこれを「うぬぼれ」と訳すのは妥当でなさそうだ。
しかも、この歌詞はマーラーの音楽の持つ「批判的態度」の典型的な例証となっている―ただし、自分の気持ちが 「わからない」というアイロニーの形をとってだが。

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(2022.12.7:2002~2008の間に書き留めた備忘を整形・校正・編集)

2022年10月10日月曜日

ポスト・コロナ禍における第2交響曲演奏の意義(2022.9.11 マーラー祝祭オーケストラ第20回定期演奏会によせて:2022.7.27 最終稿)

 「復活」というタイトルで親しまれ、マーラーの作品の中で最も人口に膾炙した作品であろう第2交響曲について、既に色褪せたものとする主張が半世紀以上前にアドルノによって為されている。国内でも柴田南雄がフィナーレの器楽部分への批判を述べているし、最近では村井翔の評伝の作品篇には第8交響曲同様、第2交響曲の解説もまた存在しない。こうした識者の評価に対し、第2交響曲の意義を擁護することは今日如何にして可能だろうか?

 この作品の構成が緊密とは言い難いことは様々な論者により繰り返し指摘されてきたが、7年にも及ぶ錯綜を極めた成立史もまた、最終形態に至るまでの構成上の紆余曲折を物語って余りある。この作品の最初の構想は第1交響曲の初期稿が完成した1888年迄遡るが、最初に完成したのは最終形態の第1楽章で、草稿のタイトルは番号なしの「交響曲ハ短調」であった。当時、後に第1交響曲となる作品はまだ2部からなる交響詩「巨人」であり、その状況は第2交響曲が完成した1894年においても同様であったから、この作品はマーラーが「交響曲」として構想した最初の作品であるのみならず、「交響曲」として最初に完成した作品でもあったことになる。

 その最初に完成した部分が一時期、交響詩「葬礼」として独立した作品として扱われていたことは良く知られているが、他方で交響曲としての構想において楽章順序の揺らぎが存在したこともまた、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想や遺品によって確認できる。最終形態で第2楽章となるアンダンテが書かれたのが第1楽章の完成に近い時期であるにも関わらず、当初マーラーはこの楽章を第1楽章に後続させることを考えておらず、アンダンテを第1楽章、スケルツォ、「原光」に続く第4楽章に置く I-III-IV-IIという順序を構想したスケッチが遺されている。更に1895年1月に行われた最初の3楽章の試演では最終形態と同じI-II-IIIの順序で演奏されたようであるが、その折に作成された写譜における楽章順はI-III-IIであり、スコアの練習番号がスケルツォのみ、第1楽章が27番で終わるのを受けて28から始まる点にその名残が見られる。最終稿における第1楽章と第2楽章との間の5分間の休憩の指定は、構成上の弱点が最後まで解消されなかったことについてのマーラー本人の自覚を告げていよう。

 交響詩「巨人」や第3交響曲と異なり、各楽章のタイトルこそ付されなかった替わりに、この曲にはプログラムが遺されており、作品紹介の定番アイテムの一つとなっているようだが、本人の手になるとはいえ、当時の環境下での或る種の方便として後付けで用意された、それこそとっくに賞味期限切れに違いないものを、時代と文化的環境の隔たりが恰も存在しないかの如くに文字通りに受け取り、内容を論じることに意義があるとは思えない。マーラーの「復活」「再生」についての考え方は書簡や回想によって確認することができるが、作品そのものの今日的意義を測る上でより重要なのは、寧ろフィナーレの歌詞に対するマーラーの介入であろう。クロップシュトックの「復活」の讃歌は歌詞の冒頭部分のみに過ぎず、その後の追補は「自作」のものであると、作品を仕上げている最中の1894年7月のベルリナー宛書簡でマーラー自身が述べている通りで、全体としては後年の「大地の歌」終楽章でも見られる「追創作」の先駆と見るのが妥当だろう。

 この点はハンス・マイヤーがマーラーを「簒奪者」と断じる理由に他ならないが、同時に彼は、それを同時代の芸術的代理宗教に属するもので、信仰の衰退の証言としてではなく、新しい宗教感情の芸術として受け止めてもいて、岡田暁生がマーラーの音楽を「神なき時代の宗教音楽」と規定し、フランス革命後の市民社会が産み出した制度であるコンサートのためのジャンルであるにも関わらず、その交響曲が聴衆から拍手喝采を浴びるための音楽ではなく、祈りの音楽であることを指摘する点に通じていよう。更にマイヤーは「大地の歌」が第2交響曲の撤回を意味するとも述べているが、この指摘は第2交響曲末尾の変ホ長調の主和音(それは第8交響曲にも共通する)と比べて「大地の歌」末尾の付加六の和音を「不協和」と見做すことに構造的に対応しており、かつまた第2交響曲におけるハ短調⇒変ホ長調という並行長調での解決の図式を共有する唯一の作品が「大地の歌」(イ短調⇒ハ長調)であり、だが前者での長調の主和音の解決に替えて後者では付加六の和音で解決が宙吊りされていることに対応している。柴田南雄は第8交響曲以降の後期作品を指して「背後の世界の音楽」と名付けたが、それはまた第2交響曲にも相応しく、第8交響曲第2部と同様、第2交響曲も死の影に覆われている点で「大地の歌」に通じることの方が重要ではなかろうか。

 マーラーがピアノで第1楽章を弾くのを聞いたハンス・フォン・ビューローの拒絶反応と並んで、そのビューローの葬儀で歌われたクロップシュトックの「復活」の讃歌に霊感を受けて終楽章を書き上げたという経緯もまた有名だが、そこに精神分析的な「父親殺し」を見出そうとするテオドール・ライクの主張よりも、クロップシュトックの讃歌という「他者からの呼び掛け」に触発されてようやくマーラーが自らの語りへの衝動を掴み取ったことに寧ろ注目すべきだろう。後者については1897年2月17日付のアルトゥール・ザイドル宛書簡で「聖書を含むあらゆる文学書を渉猟しつくした挙句」のことだと回顧しているが、例えばド・ラ・グランジュに拠れば、終楽章に取り組んでいる時期にマーラーがフリッツ・レーアへ作品集の送付を依頼したとされるヘルダーリンの「ヒュペーリオン」第2巻第2部に「わたしたちは生きるために死ぬのです」(Wir sterben, um zu leben.)というディオティーマの言葉が見出せるのは偶然だろうか。続けて神々の世界では「すべてが平等」で 「主人も奴隷もいない」と語られるのが第2交響曲のプログラムの内容と呼応するように感じられるのはどうか?実証的な裏付けは不可能にせよ、他者達とのやりとりが半ば無意識の裡に作品中に仮想的な風景として定着された結果、作品を介して他者達が語っていること、更に時空の隔たりを通じて我々もまたそれを「投壜通信」のように拾い上げ、更に継承していくことが重要なのではなかろうか?

 「簒奪」に見えたものは、実は「他者からの呼び掛け」に対する「応答」に他ならなかったのだ。またしても第8交響曲も含め、敬虔さや超越者との対話といった変ホ長調の調性格論的な規定を考えれば、それが「他なるものへの応答」であることが確認できよう。そしてそれに見合うように、この作品は構成上の困難を埋め合わせるに足る決定的な瞬間に事欠かず、彼を通して他者の声が響きわたる瞬間の持つ圧倒的な力が色褪せることはなさそうに見える。

 コンサートホールが祈りを追放し、チケットの代金と引き換えに動員された聴衆が演奏者と一体となる高揚感の挙句に拍手喝采を惹き起こす場所であるのに対して、しばしばこの作品のモデルとして引き合いに出されるベートーヴェンの第9交響曲とは明らかに異なって、この第2交響曲は一見そうした熱狂を惹き起こす企図を共有するかに見えて、それに反するベクトルをも含み持っているのだ。今日のコンサートにおいて確実に集客が見込める「主力商品」である一方で、しばしば第2交響曲が特定の出来事を「記念」するための音楽でもあるのも、そのことを物語るように思われる。コンサートホールの杮落しや演奏者のアニヴァーサリーを「記念」することも勿論だが、それにもましてこの曲が、その場にいない者への「追悼」や「追憶」のための音楽であることは、数多いこの曲の演奏記録の中でも圧倒的な第二次世界大戦後のワルターのウィーンへの里帰りコンサート―それはナチスにより禁じられたマーラーの音楽の「里帰り」という意味合いもあっただろう―やケネディ大統領追悼の放送のためのバーンスタイン指揮のニューヨークフィルハーモニックによる演奏のような例を思い起せば十分だろう。

 翻って今回の演奏が、新型コロナウィルス感染症の蔓延とそれに伴うコンサートの延期・中止といった出来事を追憶し、そこからの甦りの祈念という意味合いを持つことは、ステージにあふれんばかりの巨大な管弦楽と独唱・合唱を必要とし、それを聴くために集まる満場の聴衆を必要としているこの作品のような音楽を演奏し、継承していくことが一時的とはいえ不可能となったことに照らした時、決して偶然ではないだろう。それが故に今回のコンサートの意義を噛み締めることは、時代を通り抜けて継承されるべき価値をマーラーの音楽に見出す人間にとって一つの責務であるように思われるのである。(2022.5.18-9初稿, 5.22改稿)

 [後記]上掲の文章は 2022年9月11日のマーラー祝祭オーケストラ第20回定期演奏会のプログラムに寄稿させて頂いた文章の最終稿(プログラムノートに掲載される直前の稿態)です。直前迄、公演に立ち会う予定であったものの、事情により叶わず大変に残念でしたが、そのことのお詫びとともに公演へのコミットメントへの記録して公開させて頂きます。(2022.7.27脱稿, 2022.10.10公開)