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アマチュア・オーケストラ演奏頻度を2025年の公演の集計を追加して更新しました。(2025.12.25)

2025年1月13日月曜日

第8交響曲と「大地の歌」との連続性’(2025.1.13再公開)

ふとしたきっかけで第8交響曲の第2部を聴く。

途中で止めるつもりが、一気に聴きとおしてしまう。否、途中で止めることができなくなってしまい、 あっという間にMater Gloriosaの登場に至ってしまう。この曲もまた、マーラーの他の作品同様、音楽の脈絡が 自分の中にそれなりの正確さで保たれていることに気付く。それゆえ聴取は受動的な経験になりえない。 自分の中で展開される出来事を、聞こえてくる音によって確認していく行為にそれは近くなる。 第2部は1時間近くもあるのに、何と短く感じられることか。

この作品が持つ力はやはり圧倒的だった。 この作品の決定的な瞬間の持つ威力は、例外的なものだと私には感じられる。 その力は多分、最初に聴いた30年前から、衰えていない。練習番号155番の少年合唱(Selige Knaben)の入り。アドルノとは異なって、私が一瞬何が起きたかと思い、ぞっとするのはここだ。 このあたりから音楽は少なくとも私にとって未知の、未聞の領域に入っていくのを感じる。 何度聴いてもそうなのだ。何か、人間が、この儚い、有限の生命しか持たない生物が、 そしてその生物に進化の悪戯によって備わった、さらに取る足らない意識が到達することのできない場所に、 自分がそのままでは見てはいけない何かに近づいている気がする。

そして練習番号165番の第1部の第2主題(Imple superna gratia)の再現。 主題が再現するということの持つ圧倒的な力をここまで徹底的に感じさせる瞬間というのは、 なかなかない。最早これは日常的な時間意識の裡にない、というのは確かなように思える。 (実際には私は、今日は第1部を聴いていないけれど、そして勿論、記憶と知識が それを補っているのだけれど、この部分は、マーラーの決定的な主題再現がいつもそうであるように、 それが「再現」であるという徴を帯びている。或る種の時間的な感覚を呼び起す何かがあるのだ。 「かつてあった」という感覚、そこから遙かに遠くに至ったという感覚。目も眩むような距離感が 再現には含まれている。マーラー自身、ここの箇所にetwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと 記しているのだ。歌詞もまた、Er ahnet kaum das frische Leben,...と、ファウストの再生を歌う。)

練習番号176のマリア博士の歌唱もまた、聴くたびに心を揺さぶられる。「到達した」という 非常に強い感覚。またしてもずっと遠くに来てしまった、そしてもう引き返すことなく、 決して戻れないのだという不可逆性の感覚。ちょっとした戦慄、軽い恐慌状態。

神秘の合唱が始まる瞬間、「時の逆流」という言葉がいつも思い浮かぶ。 もともとそれはホワイトヘッド的なプロセス哲学における時間論のある解釈の文脈で用いられた 術語なのだが、私にはそれが比喩には思えない。かつても思えなかった。勿論、文字通りの意味で もともとの「時の逆流」をこの音楽に対応付けることはできない。 だが、この音楽から受ける印象は、まさに「時の逆流」と呼ぶに相応しい。

別のところで、第8交響曲を全曲がアドルノのいう「突破」(Durchbruch)として形作られたかの ような、という言い方をしたが、「突破」をホワイトヘッドの時間論によって読めば、まさにそれは 「時の逆流」が起きる相だし、しかもマーラーはここで「創造性」を、新しさを問題にしているのだ。

それはお前の思い込みだ、お前という個体の経験、脳に築かれた回路網に固有のものだという 反論があり、その一方でこの作品は所詮は、ある時代のある文化の産物に過ぎないし、 その作品のイディオムもまた、その時代にあってはありふれたものだという反論がある。 人によっては、そもそもこのような詞章に音楽をつけることそのものを暴挙と見做すかも知れない。 それらは正しく、私はその正しさの前に無力だ。だが、それでもなお私にとってそうした反論は虚しい。 私はこの曲を客観的にみて低く評価する意見に反論するつもりはない一方で、 にも関わらずこの音楽が少なくとも自分にとって例外的な意味を持つのも確かなことだ。 作品の出来など私には結局のところわからないし、最後の部分で私にはどうでも良いことなのだ。 マーラーは多分何かを見た。それは彼の天才によってこの音楽にきちんと刻印されている。 そして私はそれを確かに感じることができる。充分に受け止められるとは言えないにせよ。

音楽は人間のものだ。それは人間の限界を超えることはできない。だが、このようなものを (それがマーラーという天才であったとしても)人間が創りだしたということは、 何か奇妙なことにさえ感じられる

私にはマーラーがこれを天体の運行に喩えた気持ちがよく分かる気がする。書きとらされたという 印象を文字通りの非常に正確な言い方として受け止めることができる。

この音楽には、「私」はもういない。創る私も、聴く私も。 だが、誰かが演奏しなければならない。しかも数百人の人間が演奏する必要があるのだ。 もう一度、音楽は人間のものなのだ。だが実演に接したことがあるにも関わらず、 それすらもまた、奇妙なことに思える。寧ろこれはピタゴラス派の天球の音楽にこそ相応しいのでは、 生物学的な制約からは自由であるべきではないのかという、冷静に考えればナンセンスな 考えを振り切ることができない。

突然、第2部をこの前聴いたのが何時なのかが思い出せないことに気づく。 少なくとも数年前、もしかしたら10年以上前?実演は1度きり、もう20年以上前のことだが、 録音ですらこの音楽から何と長く遠ざかっていたことか。

この曲を演奏会場で聴くことはもう無いだろう。恐らく、自分の感情を制御できないだろうから。

しばしばマーラーの音楽の決定的な瞬間に、私は死別した人や動物のことを思い出す。 否、思い出すというより、彼らが今いる場所の近くにいるような印象を覚える。 今日、よりによってこの第8交響曲の第2部を聴いていて、それが起こった。 20日ほど前に「こんな嵐の中で」喪われた生命。

そう、マーラー自身もまた、この音楽の裡に死別した兄弟や友人、親の姿を 見出したのではないか。この音楽には―少なくとも第2部には―実は死の影が覆っている ように感じられる。もう一度、あの練習番号155番の少年合唱(Selige Knaben)に 立ち戻ってみれば良い。彼らはファウストについて語りながら、自分たちについても Wir wurden früh entfernt / Von Lebechörenと述べているのだ。Imple superna gratiaの 主題の再現で、ファウストの再生を歌うのはかのグレートヒェンである。

ここではこの世では起きようのないこと、寧ろ起きては「ならない」と言うべきかも知れないことが 起きているのだ。(例えば、ゲーテのファウスト同様、これまたマーラーの愛読書の一つであった「カラマーゾフの兄弟」 第5編「プロとコントラ」の「4.反逆」の章におけるイヴァン・カラマーゾフの言葉を思い起こせば良い。 私にはゲーテのファウストのこの結末を噴飯物として受け付けない人の気持ちもわかるような気がする。)

30年前にこの曲のこれらの箇所を聴いてぞっとした私は、総譜ももっていなかったし、 歌詞がきちんと頭に入っていたわけではないけれど、マーラーの音楽は、 出来事の異常さをそれ自体ではっきりと告げていたのだろうし、今なお、そうした印象は 揺るがない。「かくあれかし」は、実際には起きてはいないことを起きたと称する詐術ではない。 私には、ここでは音楽による簒奪は起きていないように思える。

その見かけは逆説に、矛盾に見えるけれど、そして五音音階の使用や東方的なものへの眼差しといった様式的な連続性も指摘することはできるだろうが、その内容の面においてもまた、第8交響曲は「大地の歌」に、更には第9交響曲へと どこかで繋がっているのだろう。神秘の合唱は成就を歌うけれど、聴いている私はその劈頭の言葉、移り行くものに留まる。 私は成就した何かに与れない。私は模像に過ぎない。そしてまた、死んでいった彼等も また模像に過ぎないのだろうか?多分そうなのだろう。

私がこの曲を聴かないのは、嫌いだからでも、評価していないからでもない。 聴くのがこわいだけなのだ。聴いてはならないような気がしてならないだけなのだ。

今日の私にはこの曲の終結は「大地の歌」の終結と同様、涙無しで聴けないものであった。 もしかしたら、私が消え去ったのちにどこかで彼等と再び遭うことがあるのだろうか。 私の知らない未来、この曲がそこから到来し、そして同時に指し示す未来、永劫に、決して私には訪れない瞬間に、 (今さっきそうしたように)彼らを追憶し、想起するのではなく、再び彼等とともにあるのだろうか。

この音楽はそれ自体が、人間が人間のままでは起こりえないこと、経験することのない 瞬間から到来したものであるかのようだ。アドルノも似たようなことを述べているが、この曲において何が実際に成就したのかを 見極めることは不可能だ。否、音楽はそもそもそれ自体仮象に過ぎない。 現実には何も成就していないのだ。お前が自宅のPCで夜遅くに音楽を聴く一瞬だけ 起きる何かなど、何だと言うのか。けれども、それは全くの無ではない。突破の契機は 色褪せ、結局のところ無力だけれども、それでも突破が起きなかったとは言えないのだ。 それがある生物の個体のちっぽけな脳内で起きた事象に過ぎなくても。

今や私には、「大地の歌」がこの音楽と矛盾するものなどではなく、当然の帰結であるように感じられる。 更に時代を遡って振り返ってみるならば、第8交響曲の第2部は、「子供の死の歌」の終曲「こんな嵐に」の末尾とほとんど同じ(非)場所(=ユートピア)を指していないだろうか。 多くの人にとってこの音楽の持つ意味とどんなに懸け離れたものであったとしても、 私にはそのようにしか受け止められない。

(2008.4.26/27, 2025.1.13 改題・追記の上再公開)

儚い意識の擁護としてのマーラーの音楽―埋葬の後で―(2025.1.13再公開)

喪の文章。喪についてではなく、喪の行為として文章を書くこと。追悼の文章を書くこと。まずは自分のために。 けれどもあわよくば、喪われた命、恐らくは、このようにして書き留めなければ生成の絶えざる過程の流砂の中に埋没し、忘れ去られてしまう ハエッケイタスの擁護のために。そうした擁護もまた無力で、それ自体が流砂の中に埋没してしまうことはわかっている。客観的には愚行、 無意味な行為であることが明らかであるのに、それを止めることはできない。

死は他者である、ということは、かつてレヴィナスを研究していた時には明らかなことに思えた。ところが死の他者性は、他者性ゆえに 備えることができない剰余を必ず持っている。というよりその剰余こそが他者性なのだ。そうやって、嵐が来てみて、またしてもその嵐の最中で その都度不意に生命が喪われるのに直面する。常にその瞬間は不意打ちだ。そうやって今までそこに在った意識が不意に消滅する。 私を見つめていたまなざしは永遠に喪われる。永遠に、永遠に。残るのは活動を停止した生命維持のメカニズムの残骸。停止した自動機械だ。 意識はその自動機械のユーティリティの如きものに過ぎなかったのだ。

能にはいわゆる霊がごく自然に、当たり前のように出てくる。それは後には「怪談」という枠組みの中で恐怖の、排除の対象となるのだが、 能ではそうではない。彼らは大抵は己が成仏できない理由を述べ、僧形のワキに供養を請い、読経の功徳によって成仏する。彼らは肉体を 喪ってはいるが、別に不気味な存在というわけではない。これをチャーマーズのゾンビと比較するのはお笑い種だろう。ゾンビとは逆に、ここでは 意識のみがあり、身体は存在しない。ゾンビはまるで意識があるかのように身体のみが動くが、霊ではまるで身体があるかのように意識のみが動く。 そして更に考えてみれば、ここでの霊というのは意識の存在の制約条件を見事に裏返したものになっている。それは生物学的な制約を離れて存在したいという 無いものねだりの極限、意識自身の虚像なのだ。瞑想は言ってみれば感覚を遮断して意識のみを切り離す訓練だが、ソマティックな感覚まで 無くすことは困難だ。そこでは身体すら外部なのだ。ゾンビとゴーレムの西欧はいざ知らず、日本には意識なきロボットを擬人化する志向的スタンスがある一方で、 意識をその存在の物理的な制約から分離したものとして見做す志向もまた存在するということなのだろうが、それは多分ごく自然なことなのだろう。 能の多くが夢幻能で、それが繰り返し繰り返し、洗練を重ねつつ演じられ続けてきた理由の一端が実感できるように思える。だが、さしあたっては それは願望に過ぎない。意識は生命維持機構が発達させてきたユーティリティに過ぎず、それはある条件さえ整えば、生命の維持に必須なわけではない。 否、意識を持たない生物はいくらでもいるだろう。だが、私にとってはそのユーティリティがかけがえのないものなのだ。そして私自身もまた、 そうしたユーティリティに過ぎない。そして私は、他の意識の消滅を経験し、それが生じることを認識し、更にはそれがいつか自分に起きることを 色々な知識や経験によって知っている。けれども、知識としては持っているにも関わらず、自分自身の存在を脅かすのと同型の出来事が、自分がともに生きてきた 同型の存在に起きることによって自分の中におきる反応にいつまでたっても慣れることができない。それもまたそのように事前にプログラミングされている のかも知れないが。(もしそうだとしたら、「それは自分にもいつか起きる」という認識を持つことは、私にとってではなく、そのプログラミングを行った主にとって 一体どのような効用があるのであろう。)

そして今度もまた、マーラーがそう感じ、ワルターへの手紙に書いたように、私もまた「一からやり直さなければならない。」 マーラーは何故、そうした時に音楽を書いたのだろう?逃避のため、自己治療のため、などなどといった説明が色々あるのは 知っているし、それはそれぞれ正しいのだろう。それは喪の行為そのものだったに違いない。だが、それが作品として定着され、 ミームとして存続するのはどうだろうか。マーラーは自分の作品を精神的な「子供」と見做していたのだ。そして確かに、生命の連鎖とは 別の仕方で、その「子供」はマーラーの死後も命脈を保っているように見える。マーラーは、作品を創ることを、無意識の裡の反逆として 捉えていたのではないだろうか、と私には思えてならない。「原光」の歌詞が物語るあの葛藤は、素朴な装いではあるけれど、反逆の 一形態に感じられる。愚かなファウストの行いにもそうした「反逆」の影が見える。それは一方で、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』においてイヴァンが大審問官の物語を語る際に述べた「反逆」に通じ、と同時に、どこかでダマシオが『自己が心にやってくる』で語る、延長意識を備え、自伝的自己を持つようになった主体の「反逆」に通じているに違いない。

マーラーの知性は、ファウストの終幕自体が或る種の「比喩」、ある文化の拘束下での表現形態の一つに過ぎないという認識に到達していたようだ。 丁度、ある人が確かに見たという神や天使といった超越的な存在の幻視が、その人の想像力に拘束されて、ひいてはその人が埋め込まれた文化を 色濃く反映しているのと同様に、人間は自分の認識の檻の外には出られないというのを彼ははっきりと認識していた。自分がすべて移りゆくものの、 比喩の側にしかいないという認識が彼にはあった。だからこそ、例えば第2交響曲のフィナーレのプログラムを真に受け取って、質問をしてきた女性の態度に 彼は当惑したのだ。どんな得意の絶頂にあってさえも、彼は自分が創るものがまがいもの、フィクションに過ぎないこと、その仮象性、 虚構性をはっきりと自覚していたに違いない。にも関わらず彼が創作をしたのは、それが結局のところフィクションに過ぎなくても、 そうせずにはいられなかったからなのだろう。 それは不可能事への挑戦、マーラーが親しんでいたカントであれば純粋理性が突き当たるべく宿命付けられているとされるあのアンチノミーに他ならない。 マーラーがカントをどのように読んでいたかは詳らかにしないが、恐らく、そうした自分の能力を超えた問いを立ててしまう人間の性のようなものをカントが 自分なりの仕方で見出した点に共感していたのではないかと想像せずにはいられない。 彼の作曲は、彼なりのそうした不可能事への挑戦、私なりに言い換えれば、ある種の「反逆」の実践ではなかったろうか。

私=この意識は、それによって自分が偶然に生じたに過ぎない進化の盲目の巧緻を賞賛できない。寧ろショーペンハウアー的な盲目の意志にしか 感じられない。私はおまけに過ぎない。そのかわりレヴィナスのいう多産性が用意されていると言うかも知れない。だが、それは私=この意識のためのものではない。 多産性は遺伝子が自分の存続のために仕組んだメカニズムで、個体の生命維持機構の上にほとんど随伴的にしか存在しえない私には 関係がないことだ。勿論ハエッケイタスはクオリア同様虚構で、ついでにお前という意識も虚構だ、と消去主義者は言うだろう。 確かにある視点からはそれは正しい。けれども、私にとって私は存在する。お荷物だろうが、私は無くなるまでは自分に付き合っていかざるを えないし、つい数十時間前まで私を見つめていたまなざし、確かに存在していた他者の意識をなかったことになどしたくないのだ。 私は私なりの仕方で「反逆」を企てたいのだ。勿論、天才ならぬ私には、マーラーのようにはできないのはわかっているけれど、そして、 多くの意識たちが、聖書の鳥のように、播かず、刈らず、倉に納めず、それでいながら、私の記憶の外では喪われてしまう無償の優しさを 与えてくれながら、無から無へとひっそりと還っていくその慎ましさに、自分もまた同じように全てを消去して、姿を消すべきなのではという懐疑に捉われつつも、 一方でそれらの意識たちの存在の慎ましさ、寡黙さゆえに(彼らは黙っていれば自分からは主張したりはしないだろうから)、己の非力を顧みない愚挙であっても、 あるいは彼らにとってはとんだ「おせっかい」かも知れなくても、自分なりの「反逆」を企てたいのだ。

否、私にはできなくても、マーラーの遺した音楽は、そうした私の心のベクトル性を汲み取ってくれるように感じられる。それが勘違いであっても、 私はそれを(主観的な音楽ではなく、)意識の音楽、儚い意識の擁護の、主観性の擁護の音楽として聴き取る。その音楽はあまりに個人的であるという廉で批判され、 蔑まれてきたし、今後も毀誉褒貶が相半ばすることだろうが、それでもミームとしてのその力は明らかなように思われる。そしてその音楽が、喪の行為であること、逆説的にも 肯定的な瞬間においてすらそうであること(第8交響曲)は、私には明らかに感じられる。喪の行為が私=意識にとって必要であり続ける 限りは、マーラーの音楽は私のかけがえのない伴侶、しかも私よりも遙かに長寿の、「神の衣」の一部となることが許された同伴者なのだ。 マーラーの音楽がすっぽり含まれるであろうロマン主義的な音楽観は、音楽史においては、あるいは今日の作曲の現場では もう命脈が尽きたことになっているのかもしれない。だが、それは私にはどうでもいいことだ。私にとって大切なのはロマン主義的な音楽観自体ではなく、 それが産み出した(というのは認めたとして)マーラーの音楽という個別の場合の様相だ。肥大した自我?こんなに醒めて、己(と己の同類)の 有限性に意識的なのに?情緒過多で感傷的?確かにそうかも知れないが、ここに自己陶酔があるとは私には思えない。こんなに外部が、死が、 他者の影が露わな音楽はない。それは時折、自分を飲み込む「世の成り行き」のミメーシスに転化さえするではないか。

ある意識が「存在した、生きた、愛した」という事実性そのものを顕揚し、あたかも擁護しているようにみせかけ、 そこに慰めを見出すように諭す哲学者の姿勢には、好意的に言っても無意識の詐術が潜んでいる。事実性は、 (悪意ある言い方をすれば)最悪の場合でもそうした哲学者の行為によって、ようやくはじめて意味を持つのではないか。 「事実性が滅びることはない」のは、如何にしてなのかといえば、「事実性が滅びることはない」と幾つもの意識が連帯しつつ、反目しつつ、 あるいは互いに無関係に言い続けることによってでしかありえないのではないか。「生きた自然の超自然性」などといったお得意の、 しかし変わり映えのしないレトリックを最後に至っても手放さず、そうしたレトリックによって何かが達成できたかの如く振舞う饒舌なジャンケレヴィッチの姿は 私には欺瞞にさえ見える。もし、自分で気づいていないなら、それはそれで哲学者らしからぬ(でも、現実には哲学者におきがちな、自分だけは 安全なところにいて、超然とした視点を確保できているという勘違い、ないし、そのようなふりをする詐欺と同様の)、度し難いお目出度さだ。 それでもなお、彼(の=という意識)が「死」というタイトルを持つ数百ページにも及ぶ大著を残したことは事実だし、その内容が持つ効果は全くの無ではない。

そうした哲学者の賢しらさに比べれば、マーラーの音楽はずっと素朴に見える。(彼はまた、そのナイーブさによっても蔑まれて きたのだった。)あるいは音楽はそんな目的のためにあるのではなく、もっと高邁な目的のためにあるのだとして、彼の音楽を安っぽく、低俗なものと 見做す立場もあるだろう。一方で、マーラーの音楽を精神安定剤の如く利用するとは何事か、結局マーラーの音楽をムーディに消費している だけではないかという批判もあるかも知れない。そしてこうした聴き方は、本来あるべき姿に違いないコンサートホールでの実演ではなく、 専ら自宅で、生活の糧を得るのに追われる合間に、しばしば断片的に、貧弱な再生装置で録音を貪るような受容のあり方に固有の非本来的なもの、 コンサートホールのマナーには全く相応しからぬ、品のない姿勢として蔑まれるかも知れない。 結構、きっとそうした批判は皆、多分正しいのだろう、どこかに輝いている真理の星の輝きの下においては。 だが生憎、地面に這いつくばって生きているに等しい私には、そんな真理の星は無縁だし、 マーラーをそんな真理に照らして聴き、理解しないといけないのであれば、私には30年前のはじめからマーラーを聴く資格などなかったし、 今でも勿論ないのだろう。

それでも多分、私はマーラーを聴き続けるし、マーラーについて書き続けるだろう。無言のまま永久に閉ざされた瞳の向こうに、 ほんの少し前まで確かに存在した小さくて純真なあの意識をしのび、せめて自分が存続している間には、この出来の悪い 神経回路網に決して忘れないように記憶し続けるために、そしてそういう自分もいつの日か、跡形もなく消えうせるという事実を確認し、 銘記するために。こうした書いた文章とて、永遠とは程遠い。紙に書かれたものは風化し、電子化したものは環境の違いで そもそも無意味な数値の羅列になりうるし、そうでなくてもディスクが壊れて喪われてしまうかも知れない。けれども、私は、自分が 記憶している「良きもの」が、自分の死とともに永久に喪われるのに耐えられない。少しはましで充分。その少しの程度の違いのために、 私はもうしばらくは書き続けるのだと思っている。

(2008.6.4、埋葬の後で, 2025.1.13 改題・追記の上、再公開)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (1)(2025.1.13更新)

  かつて私は、その年齢相応の仕方ではあったが「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えたことがあった。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。

 それらの起点はと言えば、或る日自分に訪れた「折り返し点」の感覚ではなかったか?この折り返し点という感覚は、様々な「老い」についてのドキュメントのアンソロジーでもあるボーヴォワールの『老い』の中でしばしば現れるから、その時にそう思って以下にも書き付けた通り(そしてその時には、ダンテの『神曲』の冒頭が思い浮かんだのだったが)、それは普遍的な感覚なのだろう。そしてその時には気づかなかったけれど、つまるところこれは「老い」についての自己認識だったのだろう。ボーヴォワールの『老い』の第五章は「老いの発見の受容―身体の経験ー」と題されているが、そこには、ルウ・アンドレアス=サロメが病気のあとで髪の毛がたくさん脱けたのをきっかけに、「それまで自分に「年齢がない」と感じていたのだが、そのとき彼女は自分が「梯子の悪い側」(下り坂)に差しかかかったのを認めたと告白している。」(ボーヴォワール『老い』(上), 人文書院, 1972, 下巻, p.338)というくだりがある。ボーヴォワールはこのケースを急激な変化が老いの自覚を促すケースとして挙げているのだが、私の場合には、病などの急激な変化がきっかけという訳ではなく、寧ろ、同じ章の冒頭のボーヴォワール自身の回想である「早くも四〇歳のとき、鏡の前に立ちつくして、「私は四〇歳なのだ」と自分に向かってつぶやいたとき、私はとうてい信じられなかった。」(同書下巻, p.333)というのに寧ろ近いのだろう。だがしかし、そもそも私の老いの自覚は身体の経験に根差したものではなかったのだ。したがってそれよりも寧ろ、同じ『老い』の中にボーヴォワールが参照するダンテの『饗宴』における老いについての考察―「彼(ダンテ:引用者注)は人生の道を、大地から天に昇って頂点に達し、そこからふたたび加下降する弧に比較している。天頂の位置は三十五歳である。それから人間はゆっくりと衰えてゆく。四十五歳から七〇歳までが、老年の時期である。」(同書上巻, p.264)を確認した時(かつての「折り返し点」に事後的に気づいた私は『饗宴』の方は知らなかった訳だが)、それが自分のその時の認識の在り方に即したものであったことに驚き、更にその時の私が他ならぬダンテの『神曲』の冒頭を思い浮かべたことの方にもまた、今頃になって驚いたのであった。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
Mi ritrovai per una selva oscura,
Ché la diritta via era smarrita.

人生の半ば、私は暗い森のただなかにいた。
有徳の正道は、もはや見失われて。(ダンテ『神曲』)

 まさにそのような感覚を持つ。多分それは普遍的な感覚なのだ。生きる力と衰えの均衡点に居ることの齎す停滞感なのではないか。

 人生の半ばを過ぎたことは確かだ。書き留めておくべきであったかも知れないが、今から1,2年程前のある時期に、はっきりとそのような感覚を持った。 そして、自分には何も残すものはなさそうであること、未だ「神の衣」を織ることあたわず、夢のまま終わるのかもしれないという漠とした感覚。 実際には、そうあっさりと思い切れるものでもない。だってまだ半分残っているのだから。 けれども、それが「どこ」にあるのか、わからなくなっている。(「身辺雑記(1)」の冒頭部分)

* * *

 『狭き門』のアリサにおける「老い」。アリサとジェロームの関係における「老い」。相転移の向こう側。不可逆性(「もうページはめくられてしまった」)。不連続性。その移行のプロセスに注目すること。事後的に気づくのか?「老い」はアリサの側にあって、ジェロームにはない。だが、最後の場面における「年を経た=齢をとった」ジェロームにはないか?ジュリエットにはないか?

 アリサはもう、後には引き返さない。迷いはあるし、絶ち難い心の動きはあるけれど、 それらを寧ろ利用して反発力を得るかのように、パスカルを捨て、ピアノの練習を捨て、遂には家を出てしまうに至る。「私は年老いたのだ。」という 第8章のアリサの決定的なことばの重みは、一見するとそのように読めるにも関わらず、そしてその時のジェロームがまさにそう誤解してしまったように、 その場を取り繕ったことばであるわけではない。この言葉は、誰よりもアリサ自身にとって、ありのままの風景、展望であったろう。 彼女は相転移の向こう側の領域にいるのだ。だからジェロームの見ているのは、文字通り「幻」なのである。

 裏返せば、アリサは初めから相転移の「向こう側」に居たわけではない。「私は年老いたのだ。」という言葉を文字通りに受け止めるとどうなるか。 まず年老いる、とは以前のようではない、以前とは変わってしまった、相転移が生じて、 以前とは別の相に既にいるのだ、ということに他ならない。アリサの日記は、その異なる相から響いてくるのだ。アリサはある一線を越えてしまった。ヴァルザーの描く、 ブレンターノが入っていったというあの門が思い浮かぶ。(それはカトリックへの帰依に関するものだったから、寧ろ10年後の「田園交響楽」のジェルトリュードに こそ相応しかったのかも知れないが。)

 勿論、アリサもまた、正統的なキリスト教の教義からすれば、逸脱した恣意的な理解に陥っているのだろう。 ジッドはニーチェをプロテスタンティズムの極限点と見做していたらしいが、ニーチェの歩みをアリサの歩みと類比的に見る見方(山内義雄が紹介している)は 必ずしも的外れではないと感じられる。極限点は、向こう側なのだ。ただしそこでは何も許されない。「狭き門」はそれ自身閉ざされる。二人で通れないのではない。 門は常に、その人のものだ(ここからカフカの「掟の門前」に、そして「審判」に補助線を引くことができるだろう)。門をアリサは自ら閉ざした、という人がいても 不思議はない。

* * *

 ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる、相転移の地点のほんの手前についての思考、それは「掟の門前」(カフカ)や「狭き門」(アリサの「老い」)とどう関わるのか?門の通過。クリプトへの下降。ランプ。扉。待機。仮面をつけた一人の男。カトリック…

Ein Jahr oder auch zwei Jahre vergehen. Er mag nicht mehr leben, und so entschließt er sich denn, sich selber gleichsam das Leben, das ihm lästig ist, zu nehmen, und er begibt sich dorthin, wo er weiß, daß sich eine tiefe Höhle befindet. Freilich schaudert er davor zurück, hinunterzugehen, aber er besinnt sich mit einer Art von Entzücken, daß er nichts mehr zu hoffen hat, und daß es für ihn keinen Besitz und keine Sehnsucht, etwas zu besitzen, mehr gibt, und er tritt durch das finstere große Tor und steigt Stufe um Stufe hinunter, immer tiefer, ihm ist nach den ersten Schritten, als wandere er schon tagelang, und kommt endlich unten, ganz zu unterst, in der stillen kühlen tiefverborgenen Gruft an. Eine Lampe brennt hier, und Brentano klopft an eine Türe. Hier muß er lange, lange warten, bis endlich, nach so langer, langer Zeit des Harrens und Bangens, ihm der Bescheid und der grausige Befehl erteilt wird, einzutreten, und er tritt mit einer Schüchternheit, die ihn an seine Kindheit erinnert, ein, und da steht er vor einem Mann, und dieser Mann, dessen Gesicht mit einer Maske verhüllt ist, ersucht ihn schroff, ihm zu folgen. »Du willst ein Diener der katholischen Kirche werden? Hier durch geht es.« So spricht die düstere Gestalt. Und von da an weiß man nichts mehr von Brentano. (Robert Walser, Brentano)

一年また二年が過ぎ去った。彼はもはや生きつづけたいとは思わなくなった。それでこのわずらわしい生命をわれとわが手で断ちたいと思った。こうして彼は、深い洞窟があることを知っている場所にやって来た。もちろん洞窟を下に降りていくことはためらわれた。しかし彼は、一種の喜悦をもって、自分にはもはや望むべき何もないこと、自分にはもはや何の所有物も、何かを所有したいという願望もないことを思った。こうして彼は真暗な、大きな門を通り抜け、一段一段と下に降り始めた。最初の数段を降りるうちに、もう何日間も歩きつづけているような気がした。こうして最後に一番下に、静かでひんやりとした墓所が地下深くひろがる所に来た。ランプが一灯、燃えていた。彼は扉を叩いた。その前で彼は長いこと長いこと待たなければならなかった。ついに、おびえつつ待ちつづけた長い長い時間の後に、入っていいという決定と命令が下された。彼は子ども時代を思わせるおずおずとした態度で入っていった。一人の男が待っていた。マスクで顔を覆ったこの男はブレンターノにぶっきらぼうに、自分の後について来い、と言った。「カトリック教会の僕になると言うのだな?それはここを通って叶えられる」。暗鬱なその影はそう言った。そして、この時以来、ブレンターノの消息は断たれたままである。(飯吉光夫編訳, 『ヴァルザーの詩と小品』, みすず書房, 2003, pp.101-2)

* * *

 老いと断念・断筆。

 デュパルクの断筆。

 デュパルクのことを考えていて、ふとアルヴォ・ペルトが修道僧に会った時のエピソードを想い出した。ペルトは祈りのために音楽を書いていると言ったのに対し、修道僧は、祈りのことばはもう用意されているから新たに何も付け加えることはない、と言ったらしい。だがペルトは作品を書くことを止めなかった。私はその話を読んだときにペルトの態度の方を不可解に感じたのだった。そう、デュパルクの態度の方が遥かに一貫していないだろうか?もっとも、あえてそうしたエピソードを明かしたからにはペルトは多分答えを持っているのだろうが。だが、私思うに件の修道僧はそのペルトの答えを決して認めないだろう。もう一つ。ジッドの「狭き門」で、アリサがパスカルを批判する件がある。数学者をやめたことを惜しむどころか、「パンセ」を遺したことすら問いに付されうる、というわけだ。「私は年をとってしまった」というアリサのジェロームへの言葉の意味は、要するに相転移の臨界のこちら側に来てしまった、という意味なのではないか。「ルサルカ」を破棄したデュパルクと同じ側にいる、ということなのではないか。)

* * *

 後に何も残さないこと。シベリウスの沈黙。密かに為されたアウト・ダ・フェ。

 シベリウスは主観を(もっと言えばそれ自体啓蒙の産物たる「人間」を)超えたところにノモスのあることを確信していたに違いない(もう一度、ヘルシンキでのマーラーとの有名な対話を思い起こせばよい)が、しかしそのノモスを己の音楽の素材とは考えることができなかった。そのノモスに忠実であろうとするあまりに、曲を組み立てる恣意、手癖のように入り込む己の主観の働きに苛立つようになったのではないだろうか?

 シベリウスの沈黙は、ある種の完璧主義、強すぎる自己批判のなせる業だと考えられているようだし、第8交響曲に対するプレッシャーや戦乱、はたまた国家から終身年金が保証されたことによる経済的安定に至るまで、外面的な理由は様々に考えられているようで、それぞれその通りなのかもしれないが、晩年の音楽を聴くと外面的な理由以前に、音楽自体のうちに沈黙に至る方向性があるように感じられてならないのだ。

 それ故、第6交響曲、第7交響曲、そしてタピオラという3作品については、沈黙ではなく、撤回でもなく、作品が公表され、遺されたことを感謝すべきなのであろう。それらはある種の臨界の音楽、一歩間違えれば作品のかわりに沈黙が残されただけかも知れないような相転移の領域の音楽なのだと思う。シベリウスの歩みが止まるのが作品番号にして100を超える作品を産み出した後であって、その途上や、その出発点でなかったことは色々な意味で幸いなことだったのではなかろうか。それがペルトの言う、「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたという一例なのかどうかはわからない。そもそもシベリウスの音楽は、狭義では宗教的なものではない。典礼的な意味合いでの祈祷の音楽ではない。だが私には、その音楽の辿った沈黙への道筋、森の中へ消えていく足跡の方が、ペルトが選び取った貧しさ(ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうか?)よりも、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉に忠実ではなかったかと思えるのだ。

* * *

 これらはその時期の私なりの「老い」についての思考であった。それは実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということを自覚せざるを得なくなったのである。(老いの経験と老いの意識の区別については、シュッツ『社会的世界の意味構成』の第2章 自己自身の持続のおける有意味的な体験の構成 を参照のこと。邦訳:佐藤嘉一訳, 木鐸社, 1982, p.63参照。なおシュッツについては後程、更に触れることになるだろう。)

 かつては寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

 マーラーの音楽における「老い」について考えるということは、従って二重の課題を抱え込むことになる。一方では作品そのものの中に「後期様式」なるものの特徴を探り当てなくてはならないだろう。確かに「老い」を感じさせる音楽というのはあり得るだろうし、マーラーの作品の中にそれを見出すことは寧ろ容易なことにさえ感じられる。だが世上、それは「老い」そのものとしてではなく、寧ろ「死」とか「別れ」とかと関連づけられて語られてきたものではなかったか?そもそも一体「老い」を感じさせる「音楽」というのは、それが伝記的事実についての知識の後付けの投影でないとしたら、一体どのような構造を備えたものなのか?他方では、「自伝的」作曲家と言われることがあるマーラーにおいては一見したところ自明なこと、他の作曲家に比べれば遥かに見て取りやすいものと一般には了解されているであろう作品と作者との関わりの問い直しにつながるだろう。その作品における「発展」を認め(これもまた自明のことにさえ思われる)、「後期様式」の存在を認めたとして、それがマーラー自身の「老い」、あるいは「老いの意識」とどのように関わるというのだろうか?そもそも私がかつて拘っていた「相転移の向こう側」は、だが他ならぬマーラーの生涯という個別のケースについては当て嵌まらないのではないか?という問いにまず答える必要があるだろう。その上で、マーラーの「老いの意識」がマーラー固有の「晩年様式」にどのように反映されているか、マーラーの後期作品は「老いの意識の音楽」たりうるのか?それは「老いの時間の感じのシミュレータ」たりうるのかが問われていることになろう。今のところそれは予感めいたものに過ぎないが、こうした一連の問いは、例えば「第8交響曲」と「大地の歌」や第9交響曲の間に広がるかに見える深淵についての問い直しにつながっていくだろうし、更には第9交響曲と未完に終わった第10交響曲との間に指摘されることがある断絶、或いは第10交響曲の位置づけそのものについての問い直しにつながっていくだろう。一体、マーラーの作品においてそもそも「老い」は存在するのか?存在するとしたら「老い」は何時から始まっているのか?マーラーの作品系列における亀裂・断絶に見えるものは、「老い」に纏わるこの節で取り上げたような相転移と同じものなのか、異なるものなのか?具体的などの作品の何処の部分にマーラーの音楽における「老い」を見出すことができるのか?

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.15改稿, 2024.12.8 加筆, 2025.1.13 邦訳追加)

2025年1月1日水曜日

ヴェスリング「マーラー 新しい時代の予言者」に関する備忘2つ(フルトヴェングラーとラインスドルフ)(2025.1.1 更新)

 ヴェスリングの『マーラー 新しい時代の予言者』(Berndt W. Wessling, Gustav Mahler . Eine prophetisches Leben, Hoffmann & Campe, 1974, 後に、Gustav Mahler. Prophet der neuen Musik, Heyne Biographien, 1982と改題して再販。ここでは架蔵している後者を参照する)は、日本ではバブル景気の最中に起きたマーラー・ブームの中、1989年1月に国際文化出版社から翻訳が出版されている(訳者は喜多尾道冬・林捷・稲垣孝博)。マーラーに関する他の書籍の多くと同様、その後再版されることもなく、現在では古本で入手するしかないようだが、原著の刊行は1974年まで遡る。ヴェスリングは1935年生まれのジャーナリストとのことで、邦訳された著作に限ると、私は未見だが、この翻訳に先行してフルトヴェングラーに関する著作(こちらは原著が1985年刊だから、翻訳の順序は逆転していることになる)があることが訳者あとがきに記されているほか、別稿で備忘を記す予定でいる、アルマ・マーラーに関する著作があり、こちらは1983年刊行なのだが、翻訳は、マーラーについてのそれとほぼ時期を同じくして(だが、やや遅れて)、1989年11月に異なる出版社から刊行されている(石田一志・松尾直美訳、音楽之友社)。記憶によれば、まるで示し合わせたのように、同じ著者によるグスタフとアルマの伝記の翻訳が出たことにちょっと驚いたのを覚えている。しかも、ヴェスリングは、2冊を読めばわかる通り、アルマに対するかなりの分量のインタビューを行っていて、資料的な価値に関して言えば、まず疑いなく貴重なものであることは確かであり、更に様々な細部において、それまで読んだ文献には出てこなかったようなことが数多く鏤められており、驚きをもって読んだのを覚えている。また、マーラーの伝記の方には巻末の著者あとがきに続いて、この著作に向けて寄せられた、マーラーに関わり深い人たちからの書簡の抜粋が収められているのだが、この顔ぶれが、アドルノ、ブロート、ラインスドルフ、ヘーガー、スワロフスキーといった錚々たるもので、アルマの伝記の方ではアルマにひどく嫌われたと書かれているアドルノが、「大いに問題があるにも関わらず」アルマの証言を取り入れることを強く薦めているのが印象的で、勿論これはヴェスリングの自己宣伝の類であるとわかってはいても、効果はなかなかのものがある。ヴェスリングの著作本体とは別に、この書簡自体に価値があるといった評価だってあって不思議はないのではないか。
 
 様々な著作が出て、新しい情報が得られるのはありがたく、特に当時は現在のようにネットで海外から簡単に原著を取り寄せられるような環境になかったこともあり、邦訳が次々にでるのは、まずもってはありがたかった。
 いや、その事情は今でも特段変わりはないのだが、様々な情報が様々なソースから得られるようになると、その中には明らかに矛盾した情報が出てくるようになるもののようである。勿論、あえて矛盾しているという書き方をするまでもなく、多くは古い情報である一方が、単純に間違っていることが確実に言える場合も少なくなく、例えば、少し前に取り上げた青土社の「音楽の手帖」のマーラー篇にも、今見ればまさかというような間違いが指摘できる。気付いた点については、気の向いた折々にこれまでも指摘・公開してきたのであるが、それほど確実に裏付けが取れない場合も少なくない。その結果として、こちらもすっかり免疫ができて、新しい情報についてもそれを鵜呑みにしないようにする習慣がついてしまったし、訳書であれば翻訳の過程で発生した間違いについても注意深くなってしまった程である。実際、後者がより無害ということはなく、特にそれがアドルノの著作のようなものであると影響もばかにならないのだが、事実関係ということに限定することにした場合、マーラーに関して近年では共通理解となっているのは、一次資料の中でも筆頭に来るのは間違いないアルマの回想というのが、実は必ずしも事実に忠実であるわけではないということ、意図せぬ記憶違いと想像されるものもあり、後年の回想であるが故の無意識的な歪曲もあり、恐らくは意図的であると一般に見做される、自分に都合の悪い事実についての歪曲、隠蔽の類もままあるということだろうか。
 まさにその点を指摘したアドルノの書簡を巻末に収め、だが、アドルノの忠告に従ってアルマへのインタビューを全篇に埋め込んだこのヴェスリングの著作そのもの自体は、そういう点ではどうなのかといえば、私が調べた限りでは、かなり疑わしいと言わざるを得ないようである。

 今回、こうしたことを調べるようになったきっかけは、第5交響曲の実演に接した感想を書くにあたり、第5交響曲の第2楽章について、インバルとフランクフルト放送交響楽団(当時、今は現地での正式名称はhr交響楽団であり、フランクフルト放送交響楽団は海外向けの正式名称とのこと)のCDの解説にフルトヴェングラーの証言があったのを思い出したからだったのだが、何か裏付けがないかと思ってあれこれ調べても、例えばWeb上の情報では、これが第6交響曲に対するそれであるという情報にはぶつかっても、第5交響曲のそれであるというのは全く見当たらない。だが、どこかでもっと具体的な、発言のシチュエーションまで踏み込んだものがあった筈だ、、、と思って調べた挙句、このヴェスリングのマーラー伝がそうだったという次第である。邦訳では「18.反弁証法の泰斗」235ページ末から236ページにかけての部分であるが、ここでは折角なので原著(ただしHeyneの伝記叢書に収められた1982年版であるが)の該当部分を示すことにする。(なお、邦訳のあとがきではHeyneの伝記叢書販の出版を1985年としているが、手元にある原書の奥付は1982年となっているので、そちらを採用する。)

Der zweite Satz in a-Moll(Mahlers tragischer Tonart) ist eingetlich ein zweiter erster Satz. Der »allgemeinen Klage« des einführender Satzgebildes ist eine »persönliche Klage« zugestellt. Stürmisch bewegt, wild, hemmungslos tobt sich dieser »Mensch« aus, der dem Schicksal unterliegen muß.
Furtwängler hat diesen Satz »die erste nihilistische Musik des Abendlandes« genannt. Er war nach einer Probe dieses Symphonieteils mit den Berliner Philharmonikern einmal so mitgenommen, daß er den Taktstock resignierend fallen ließ und sagte : »Diese merkwürdigen Wendungen Mahlers lassen in einem das Bewußtsein aufkommen, daß alles unsonst ist. Ich wüßte keine andere Musik, die mich so pessimistisch stimmen könnte. Sie entwertet, was einen in dieser öden Welt überhaupt noch wertvoll erscheinen könnte!« (Der Anti-Dialektiker p.176)
 イ短調(マーラーの悲劇的調性)の第二楽章は、本来は第一楽章のたんなる繰り返しといえる。第一楽章の「普遍的な嘆き」というイメージに、「個人的な嘆き」がつけ加わる。この「人間」は、嵐のように激しく、無我夢中にたけり狂ったあげく、運命に敗北せざるをえない。
 フルトヴェングラーはこの楽章を、「西欧における最初の虚無的な音楽」と呼んだ。彼はベルリン・フィルとこの楽章を練習していたとき、へとへとに疲れて、あきらめたように指揮棒をおろしてこう言った。「マーラーのこの風変りな表現は、すべては徒労だ、と思わせずにはおかないね。わたしは、こんなにペシミスティックな気分にさせる音楽をほかに知らない。これは、この荒涼とした世界でもまだ価値があると思われているものでも、みな無価値にしてしまう!」(邦訳:18.反弁証法の泰斗, pp.235-6)

 何と第5交響曲のプローベをベルリンフィルとやった折の発言ということになっており、見て来たような状況描写、直接話法での発言の記録と、これはうっかり本物と信じてしまいそうになるところなのだが、既にコンサートの感想にも付記した通り、フルトヴェングラーがマーラーの中でも第5交響曲を取り上げた記録は確認できないようで、断定はできないにせよ、上記も甚だ疑わしいと言わざるを得ないようなのである。しかもヴェスリングのこの著作には、注が全くない。翻訳には訳注がかなりたくさんついているが、往々にしてどうでもいいような情報で、この部分についてはフルトヴェングラーに訳注がつけられているので、何かと思ってみてみると「ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)二十世紀前半のドイツの最大の指揮者のひとり。」とだけあって、あっけにとられてしまう。かと思えば「泰斗」というずいぶん踏み込んだ訳をしている章の冒頭に出てくるアドルノにも注がついているのにも関わらず、恐らく間違いなく存在するに違いない章題との関連については言及はない。
 だが、疑わしいと言えば、例えば同じ章において「マーラーは《第5交響曲》のスコアを書き終えてから、こう書いている。「わたしにとって交響曲とは、存在するあらゆる技法をつくして、わたし自身の世界を構築することだ」」と出てくるのを見れば、眉に唾をつけなくてはならないと身構えてしまうのは避けがたい。些か揚げ足取りめくが、他の曲ならともかく、こと第5交響曲のスコアの作成過程は非常に複雑なものであった筈で、しかもそれについては、彼がインタビューした当のアルマがまず一言ある筈ではなかろうか?と言いたくもなる。要するにここでいう「スコアを書き終えて」とは正確に何を終えたタイミングで、何時の事なのかを確認しようとすると途端に困ったことになるのだ。更に、「こう書いている」というのは、どういう媒体(例えば書簡)に書いているのか、ヴェスリングも注をつけていなければ、訳注もなく、調査のしようがない。実際には、これに類する(あえてそういう言い方をしよう)言葉は、一般には第3交響曲の作曲の折に、ナターリエ・バウアー=レヒナーに対してした発言とされているのである。勿論、同じような発言を、第5交響曲の創作のある段階でマーラーがしているという事実が別にある可能性を、しかもそれが未公刊の、ヴェスリングのみがアクセスできる資料に基いている可能性を完全に否定することは、私のような極東の単なる愛好家にできよう筈はない。だが、そもそもこの章においてこの発言を引用する意味合いを考えれば、その題名から測っても、別にわざわざ第3交響曲に関連して既に一般に知られた類似の表現があるのにも関わらず、その別バージョンを紹介する必要性のあるような文脈ではない筈であり、普通に考えたら、うろ覚えの記憶に基づく書き間違えではないか、と疑ってしまうのは避けがたいように思われる。
 ついでだからもう一言二言付け加えさせて頂けば、Der Anti-Dialektikerとは一体何のことで、誰のことなのか?そんなのアドルノに決まっていると言われそうだが、アドルノは「否定弁証法」(Negative Dialektik)という著作は書いているが、それは「反弁証法」とは異なるというのが一般的な理解である。(もしかしたらアドルノの否定弁証法のことを反弁証法と称する文脈もあるのかも知れないが、寡聞にして知らない。)反弁証法の論客ということで思い浮かべられるのは、アドルノを含むフランクフルト学派との「実証主義論争」における論争相手であるカール・ポパーの方ではないのか?と言いたくなってしまう。訳者はわざわざ「泰斗」という表現を使っているが、まさかこの文脈でポパーのことを思い浮かべているとは思えないので、それがアドルノを指しているのはほぼ間違いないだろうが、こうしたこともそう思ってしまえば、ヴェスリングの著作の信頼性に疑いを持たせる材料に加えたくなってしまう。
 そしてそれよりも問題があると思われるのは、マーラーの言葉の引用が(ナターリエ・バウアー=レヒナーが伝えるそれが正しいとして)不正確であるということ、しかもその不正確さが、マーラーの言葉の意味を理解するにあたって、誤解を生じさせかねないような恣意的な解釈の歪みに基づくものに見える点である。マーラーは決して「わたし自身の世界」とは言っていないし、それは周辺のマーラーの関連した言説とも整合していない。そもそもマーラーは、撤回されることになる各楽章の(些かナイーブな)タイトルにおいてすら、「~が私に語ること」という言い方をしていて、「わたし自身の世界」を「自分が」語るなどとは言っていないのである。これは些細な点などでは絶対になく、しばしば「過度に主観的」とか、「自己耽溺的」とか、「自伝的」とさえ形容されるような理解のあり方が、少なくともマーラー自身の認識からはかけ離れていること、そして実際の聴経験からしても、マーラーの作品における「世界」のあり方は、マーラーの認識に即したものであること、それが主観的な経験であるとして、それはまさにカント以来の相関主義的な認識に関する了解に根ざしており、カントの用法における意味合いで「批判的」、哲学的な姿勢でこそあれ、素朴実在論的な世界についての了解とも、独我論的な観念論におけるそれとも異なることを思えば、了解の鍵鑰を為すといっていい急所なのであって、ことによったら事実判定の問題とは別に、ヴェスリングのマーラーの音楽の理解の方を問題視することに繋がり兼ねない程だと私には思える。

 果たしてそうした疑いは思い過ごしの類なのかと思って、これまたWebを調べてみると、Wikipedia(ドイツ語版しかないが)を見る限り、ヴェスリングの著作にはまさに上で記したような類の問題が指摘されているらしいことが窺える。詳細はわからないので断定は慎むべきだろうが、フルトヴェングラーの発言というのもそうした問題のある部分の一つではなかろうか。

 最後に、上記とは逆に、ヴェスリングの著作に資料的価値を見出しうると私が感じた箇所を引用して終えることにしたい。それはまさにこの文章の冒頭で触れた書簡の一つなのだが。
 最近、マーラーの聴取様式についての文章を書いた折、「音楽の手帖」の柴田南雄さんの文章に触れて、そこでの「マーラー・ルネッサンス」より前の時期の演奏についての評価に関して、その後の自分の聴取の経験に照らして、違和感を感じるようになったことを記したが、まさにそのことを、当事者として私が名前を挙げたうちの一人である、エーリヒ・ラインスドルフが書いているのを確認したのである。勿論彼が自分を「マーラー・ルネサンス」前を支えた功労者の一人に数えるようなことをするはずもないが、私としては、子供の頃以来、ラインスドルフの演奏には馴染んできていて、尚且つ(彼自身が特に好んでいたことが確認できて非常に嬉しく感じているのだが)、とりわけても第5交響曲の演奏についていえば、他の演奏に優る卓越したものであると思い、総じて(つまりそれ以外の第1,3,6番の演奏も含めて)それらが時代を超えた価値を備えた記録であることに疑いを持っていないので、(本当は彼が生きている間にそのように応答できれば良かったのだが)、遅ればせながらここで、ラインスドルフの名前もまた、まさに彼が名前を挙げた功労者のリストに追加することが正当であると私は考えるということを証言しておきたい。『ヴェニスに死す』に対する皮肉を効かしたコメントも彼の第5交響曲への愛を語って余りあるし、演奏の難しさについてのコメントも、厳格なオーケストラビルダーであった彼の言葉として重みを感じずにはいられない。何より録音記録で聴くことのできるラインスドルフの作り出す音楽の響きには、マーラーの演奏にとって決定的なものである「質」が確実に備わっていると私には思えるのである。

Professor Erich Leinsdorf                                         New York 1972
[...] Man spricht heute von einer Mahler-Renaissance, als ob der Komponist  vernachlässigt gewesen wäre. Solch eine Annahme ist vor allen eine ganze große Ungerrechtigkeit gegenüber jenen Musikern, die während ihres Lebens die Musik Mahlers pflegten und aufführen. Bruno Walter, Otto Klemperer, Zemlinsky, Oscar Fried, Hans Rosbaud, Jascha Horenstein ... diese Namen bilden eine unvollständige Liste jener, die seit 1911, den Todesjahr Mahlers, seine Musik dem Publikum brachten und sich mit voller Seele dafür einsetzten [...] Was die gegenwärtige Mahler-Popularitat auszeichnet, sind vor allem die Schallplatten und die damit   verbundene weltweite Verbreitung der Werke. Es wird schließlich alle bedeutende Musik später einmal von den Menschen verstanden [...] und eigentlich ist doch das, was man bei Mahler so besonders modern findet, seine heimwehartige Sucht nach dem einfallen, naive Dasein. Züge, die besonders dem Großstandmenschen immer bekannter werden und die auch das Werk Kafkas auszeichnen. Er scheint mir höchste Zeit für eine volle biographiesche Arbeit über Mahler. Sein Leben und sein Werk sind bischer nur sehr unvollkommen behandelt worden. Die sehr tiefgründigen Ausführungen. Adornos sind leider  in  solch schwieriger Sprache, daß dies nun wieder den Kreis der Leser begrenzen muß [...] Den Preis gäbe ihc heute der Fünften, dir mir als das glücklichste Werk erscheint [...]. Ich liebe das Werk so, daß mir selbst die Fragmentierung und der Mißbrauch des Adagiettos in dem Film »Tod in Venedig« nichts machen [...].
Mahlers Sinfonien bereiten auch heute noch enorme Schwierigkeiten für alle Orchester. Die erstklassigen können sie mit Proben lösen, für die minder begabten bleiben dir Partituren unspielbar. Unter alles Umständen ist Mahlers Werk heute viel moderner und gegenwartsgültiger als so manches, was viel später komponiert wurde. Während Strauss ganz im Wilhelminischen steckenblieb, hat der drei Jahre Ältere mit genialer Propheten-Vorahnung die Weltkrige übersprungen und spricht als Zeitgenosse zur Generation der zweiten Hälfte des 20. Jahrhunderts [...].
(Arbeitsbericht pp.234-5)

エーリヒ・ラインスドルフ教授
                    ニューヨーク、1972年
 …今日マーラー・ルネッサンスがうんぬんされていますが、それはまるで作曲家がこれまでないがしろにされていたかのようです。そのような受けとめ方は、生前マーラーの音楽に取り組み、指揮してきた音楽家たちに対して、とりわけ礼を失することになりましょう。ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ツェムリンスキ―、オスカー・フリート、ハンス・ロスバウト、ヤッシャ・ホーレンシュタイン…。これらの指揮者は、1911年のマーラーの死のこのかた、彼の曲を指揮し、全身全霊でそれに身を捧げてきた音楽家たちの一部でしかありません…。現在のマーラー・ブームを成り立たせているものは、なによりもレコードであり、レコードによる彼の作品の世界的な普及です。つまるところすぐれた音楽は、どれも遅かれ早かれ理解されるときが来るのです…。そしてマーラーにあってとりわけ現代的に感じられるのは、単純な素朴さへの彼の郷愁のごとき熱望にあるのです。こうした傾向は、とくに大都会の住人にますます身近になりつつあり、またカフカの作品をも特徴づけているものです。わたしには、いまこそマーラーに関する完全な伝記が書かれるときのように思えます。彼の生涯と作品は、いままできわめて不完全にしか扱われてきませんでした。アドルノのとても深遠な論考は難解なため、残念ながら読者は限られざるをえません…。目下わたしは、≪第五交響曲≫をいちばん高く評価しています。彼の交響曲のなかでこれがいちばん成功しているように思われます…。わたしはこの作品をとても愛していますので、映画『ヴェニスに死す』のなかで、アダジェットがこまぎれに濫用されているのさえ気にならないほどです…。
 マーラーの交響曲は今日なお、どのオーケストラにとっても、途方もなくむずかしいしろものです。第一級のオーケストラは、リハーサルを重ねながらものにしていきますが、それほど力のないオーケストラにとって、スコアは演奏不可能なままなのです。
 どう見てもマーラーの作品は、彼よりずっとあとから作曲されたさまざまな作品よりも、はるかに現代的であり、現代に通用するものです。シュトラウスが、まったくヴィルヘルム時代にとどまってしまっているのに対して、シュトラウスより三歳年長のマーラーは、天才的な予言者の透視力をもって両大戦をとびこえ、二十世紀後半の世代に、同時代者として語りかけているのです。(邦訳:あとがき, pp.338-9)

(2018.7.28公開, 2025.1.1 若干の補足・編集と邦訳を追加。)

2024年12月30日月曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (4) (2024.12.30 更新)

 だが、そうした社会的構造に根差した生成と推移のリズムが刻む単純な生死の対立の平面とは更に別の軸が存在することが、主として細胞老化のメカニズムに関する研究により明らかにされてきた。そこから出発して、成長ではない、癌のような分裂の暴走というのを時間的なプロセスとして考えることができるだろうか?エントロピーの概念?ここでは成長との二項対立は問題にならない。寧ろ老化は癌化に対する防衛という一面を持つらしいのだ。

 あるいはまた、遺伝子においても、従来は意味をもたないとされた膨大な領域が単に冗長性を確保するといった観点にとどまらず、より積極的な「機能」を担っている可能性が示唆されるようになったし、細胞老化の研究により、老化というのが細胞の複製・増殖の暴走である癌化への防衛反応の一つであるという見方が出されたことを始めとして、生命を維持するメカニズムは当初考えられたような単純なものではなく、非常に複雑で込み入ったものであることが解明されつつある。

 だが、この視点の素朴なバージョンなら、既にボーヴォワールの『老い』にも登場している。ただしそれは「いかなる体感の印象も、老齢による老化現象をわれわれに明確に知らせはしない」(邦訳同書下巻, p.334)ことの理由としてではあるが。曰く

「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる。それは一つの生物学的均衡であり、適応が円滑に行われる場合は、老いゆく人間はそれに気づかない。無意識的調整操作によって、精神運動中枢の衰えが長いあいだ糊塗される可能性があるのだ。」(邦訳同書下巻, p.334)

だが、これは文脈上仕方ないことではあるけれど、事態の反面をしか捉えていない。つまり糊塗されている裏側で起きていることに対する観点が抜けていて、実はそちらこそ「老い」にとっては本質的な筈なのである。それを今日のシステム論的な議論に置き直せば、以下のようになるだろうか。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

  「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では、

「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

* * *

 であるとするならば、要するに求められているのは、藤原辰史が『分解の哲学』において遂行したように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 『分解の哲学』第5章でも指摘されていることだが、分解者という捉え方は、そういう捉え方をすることで色々なものが見えてくる点で極めて生産的ではあるが、厳密に定義しようとすると、どこかで輪郭がぼやけてしまって、必ずしも安定的な概念ではない。それでも敢えて私なりの立ち位置から定位しようとすると、第一義的にはそれは(ジャンケレヴィッチではないが)「死の向こう側」ということになるように思う。「死」自体も、近年、研究と医療等の現場との両方の水準で、その定義が問題になっているように決して自明なものではないのだろうが、その点は一先ず措いて、それでも「死」は誰にとっても明らかな障壁であり、それがゆえにその向こう側、「死」の後で起きることについてはなかなか思いが及ばないところを「分解」の視点は探り当てているのだと思う。

 同じく第5章には生態学に経済学的な概念が密輸されているという指摘があり、これは首肯できる。私が子供の頃に「オダム生態学」を読み、生態学の研究者になることを思い描きつつも、結局生態学ではなく哲学に向かった理由とも関わるのだが、「生産」と「消費」という切り口では見えないものに拘りたく、「分解」という視点がそれを開示していることを心強く感じる一方で、分解が生態系のシステムの中で新たな「生産」に繋がっていく循環の重要な側面であるという捉え方は(そこにある違いを無視すべきではないとはいえ)、ヨハネ伝の「一粒の麦」がそうであるような、「死」が新たな「生」に繋がるという考え方、或いは個体の死は種としての存続のいわば「応酬」であるという捉え方と同じく、それ自体は全く妥当でありながら、結局のところ、そこで「きえさる」もの、「死の手前」にあった「個」を別の水準に回収するということに通じているように感じるのである。

 勿論それは目を背けたくなったとてなくなるわけではない厳然たる事実であり、だからこそ「メメント・モリ」であり、『分解の哲学』でも「九相図」への言及が為されているのだろう。その一方で「分解」は「生」のプロセスの最中にも埋め込まれているという捉え方も可能で、例えば『分解の哲学』でも参照されている昆虫の変態はそのモデルの一つ(まさにスクラップ・アンド・ビルド)なのだと思うが、他方でこれは(そこの記述がそうなっているように)「死」もまた「生」の中に埋まっていう見方に通じ、プロセス時間論などでの「自己超越=死」と「生成」がリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握にも通じるように思うし、生物学的な水準では、個々の細胞は死んで新しいものに置き換わることで個体レベルの生が成り立っているという見方(岩崎秀雄先生の指摘される、種/個体のレベルでの生/死の対立の一つ下の階層で、個体/細胞のレベルで生/死が対立しているという、生と死を巡っての階層的・再帰的な構造を思い浮かべるべきだろう)に通じると思う。

 そうしたことを考えながら、ふと感じたことは、「分解」を「生」の最中ではなく、文字通り「死の手前」に置いてみることができないのか、ということであった。これは物凄く卑近なレベルに単純化してしまえば「老い」「老化」を「分解の哲学」の中で扱うことができないだろうかということである。

 『分解の哲学』でも取り上げられているチャペックは若くして逝去したからか、「老い」を扱っていないように思われる。例えば『マクロプーロスの処方箋』では、現在なら特異点論者のトピックである「不死」を扱っているが、そこでは「永遠の生」への懐疑はあっても「老い」は正面から扱われていないように感じる。寧ろ「不死」は「不老」でもあって、これは特異点論者の論点でもあるし、それが依拠している今日の「不死化」の研究のアプローチでもあって「老いを防ぐこと=死なないこと」となっているように見える。他方、上述の「個」というものにフォーカスするならば、「死」の手前には、事実上「生」の一部として、「自伝的自己」の崩壊・分解としての認知症があり、これは喫緊の社会問題でもあり、個人にとっても多くの場合、他人事ではなく最初は二人称的・三人称的に、最後には、もしかしたら一人称的にも直面せざるを得ない身近な問題でもあろう。それ故に「老い」には直結しない「分解」として、外傷的な損傷や精神疾患もあるが、それらよりも「死の手前」に存在する「分解」として「老い」を取り上げる方が一層興味深く思われるのであろうか。

 もう一つだけ付言するならば、「老い」としての「分解」には、再生とか復活に繋がる側面はなく、経済学的な循環からは零れ落ちてしまうもの、回収困難なものではないかというようにも思う。そしてだからこそ現実の社会の問題として解決し難い難問なのだろうか、というようにも思う。もう一度読み返してから言うべきだろうが、記憶する限り、『人新世の「資本論」』でも「老い」が主題的には扱われていた記憶はない。

 そもそも「持続可能性」にとって「老い」はどのように位置づけられるのか?アルタナティヴとして提示されているであろう『人新世の「資本論」』の「脱成長」において、「老い」という側面は(存在するであろう幾つかの水準のそれぞれにおいて)どのような意味を持つのだろうか?といったような疑問も湧いてきて、些か短絡的ながら、「老い」について論じない「脱成長」の議論は、何か本質的なところで底が抜けているということはないのか?というようなことさえ思う。

 一方、それを思えば、対立する資本主義の上に成り立っている特異点論者の「老い」に対する立場は明快であり、主張の是非を措けば、寧ろそれを正面から取り上げているとさえ言えるかも知れない。だからといって技術特異点論者の言うことに共感できるかどうかは、また別の問題であろう。例えばアンチエイジングを「ピンピンコロリ」の達成と言い換える如き風潮が見られるが、実際に介護に一人称的・二人称的に関わっている身にとって「ピンピンコロリ」そのものが本人にとっても周囲にとっても有難いということは認めたとて、それが一人の人間にとっての生きる意味などとは無縁の水準でしか発想されていないように感じられてしまうし、老化をコントロールすることが「ピンピンコロリ」を実現するために「も」有効であることを仮に認めたとしても、それがどうして健康寿命を限界まで引き延ばす話になるのか、若返りのテクノロジーの話になるのか、果ては(でもそれこそが本当の目標なのだろうが)寿命さえも乗り越えるという話に繋がるのがは杳として知れない。

 だが、アンチエイジングという言葉の濫用や、それに類する情況はボーヴォワールの時代にも既にあった、否、「二分心崩壊」以降、常にそういう志向を人間は持っているのかも知れなくとも、そして仮に医学的・工学的技術としての「アンチエイジング」が、現在既に巷間に流布し、まるで「老い」が「悪」であり、絶滅すべき対象であるというドクサとは独立のものであったとしても、そうしたドクサに乗っかろうとしているのであれば、それを許容することは私にはできない。

 結局のところ私は、マーラーの後期作品にはっきりと読み取ることができるとかつても思思ったし、今でもその点については同様に思っている、「現象から身を退く」ことで「老年」のみが達成できる認識、境地というものに子供の頃から憧れてきていて、たとえ自分にそうした境地が無縁のものであったとしても、その価値を信じ続けたいし、今更手放す気もないのだと思う。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿, 12.30更新)

2024年12月19日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(6)(2024.12.19 更新)

 『大地の歌』を起点とした時、「現象から身を退く」に基づくアドルノの晩年様式の規定をマーラーの音楽のどのような構造の具体的な特性に関連づけて指摘できるかだろうか?例えば「仮晶」Pseudmorphism 概念はどうだろうか?それを、引用とかパロディのようなメタレベルの操作としてではなく定義できるだろうか?中国、五音音階が果たす機能ということであれば、これは文化的文脈に依存のものとなる。日本で聴く『大地の歌』は「仮晶」として機能するのだろうか?そうではなく、そうした文化依存のものではなく、もっと別のレベルに「現象から身を退く」を見いだせないのか? 文字通りの物理現象としての「仮晶」の対応物を、時間プロセスのシミュレーションとしての音楽作品の中に具体的に指摘できないのだろうか?

 だがこれはこの場で判断を下せる類の問いではなく、この点に関して別途、膨大な分析・検討を要するだろう。私見では「仮晶」とは、必ずしも「後期様式」に固有の現象ではなく、「根無し草」であったマーラーにおいては寧ろ、若き日から一貫したあり様であったと思われる。そもそもが紛い物めいた「子供の魔法の角笛」に対するマーラーのアプローチは、更にもう一段屈折したものとなる。それはマーラーにおいては「真正な」意味合いで「ありえたかも知れない民謡」と化してしまう。リュッケルトの詩に関しても同じような側面を指摘することは可能だろう。中国の詩ではなくベトゥゲの追創作(nachdicitung)としてみれば『中国の笛』は、まさにその延長線上に位置づけられるものであろう。それゆえ「仮晶」は「後期様式」の相関物ではなく、寧ろマーラーの生涯を通じての基本的な存在様態の相関物であったと見るのが適当に感じられるのである。

 おしなべてマーラーの音楽は、極東から見れば西洋音楽の或る種の極限に見えたとしても、どこか「借り物」めいたところがあって、寧ろそうであるが故に一層、極東の子供にとって「開かれた」存在であったということができはすまいか?とはいうものの、(妻の知己から貰った)一部は偶然によるものとはいえ、他ならぬ『中国の笛』が「仮晶」の核となったという事実は残るし、インド哲学に影響されたショーペンハウアー、東洋学者であったリュッケルト、晩年に至って東方(オリエント)への傾倒を深め、『西東詩集』をものしたゲーテ(第8交響曲の『ファウスト』の音楽にも五音音階が登場することがマーラーの側からの「応答」を証立てているとは言ええないだろうか?)の先で、ベトゥゲの「紛い物」の向こう側にある極東に至ったのであるとすれば、「仮晶」の核としてではなく、改めて「現象から身を退く」ことに関連づけて「東洋的なもの」を考えることはできるのではなかろうか。

 だがこの時、その東洋にいる、否、中国の更に東から逆向きに眺めている筈の日本人たる私にとって、それはどのように受け止められるべきものか。「老い」との直接的な関わりにおいては、何よりもまず直ちに思い浮かるのは、トルンスタムの「老年的超越」であろう。既に触れたようにトルンスタムはそこに非西洋的な認識の様態、存在の様態を見出そうとしている。更には、これもまた既に目くばせをしておいたが、近年、ユク・ホイが『中国における技術の問い』から『芸術と宇宙技芸』への歩みの中で試みているアプローチを「老い」や「現象から身を退く」というアスペクトに関して解釈・変換することが考えられるだろう。それらを通して眺めた時、マーラーという個別の場合がどのような相貌をもって出現うするのか、その具体的な様相を描き出すことが必要になるであろう。

*   *   *

 それでは同じアドルノの「性格的要素」、カテゴリの中にそれを求めるとしたらどうなのか?そうしてみると「崩壊」というカテゴリが「老い」と共鳴関係にあるものとして直ちに思い浮かぶ。あるいは更にアドルノのカテゴリでの「崩壊」ではなく、Reversの言う「溶解」は?だがここで問題にしたいのは、「別離」「告別」というテーマではない。寧ろ端的に「老い」なのだ。死の予感ではなく、現実の過程としての老い。「死の手前」での分解としての老い。それはだが、よく引き合いに出される「逆行」「退化」という捉え方とも異なる。細胞老化、個体老化のそれぞれにおいて起きていることはその基準になる。老化は成長の逆ではない。成長の暴走としてのガンは、老化を考える際に重要な役割を果たす。

 「意識の音楽」「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という見方(これについては、記事「「意識の音楽」素描」および記事「MIDIファイルを入力としたマーラー作品の五度圏上での重心遷移計算について」の冒頭2節を参照のこと)に立ったとき、Peter Revers : Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaten Sinfonien, Salzburg, 1986, S.185ff における音楽構造の融解化Liquidation はどのように捉えることができるのか?(但し、これは恐らくLiquidationに限らず、アドルノの「性格」におけるカテゴリ全般、つまりDurchburch, Suspension, ErfuhlungやSponheuerが主題的に取り上げたVerfallにしても同じ問いが生じうるであろう。)Reversが、それがマーラーの後期作品において、特に第9交響曲においては、音楽形成にとって唯一有効なカテゴリーとなると述べ、それが第9交響曲では各楽章の末尾、大地の歌では楽章群の終わりの部分について言えるとする。そして形式構造の融解化の手法を、別れと回顧という表現内容と結びつけるのであるが、それでは表現内容が「別れ」「回顧」のいずれかでもなく、第3のカテゴリがあるのでもないとどうして言えるのか?時間性の観点からは、そもそも「別れ」と「回顧」とが同じ時間性を持つということは到底言えないだろうが、にも関わらずそれが音楽構造の融解化にいずれも帰着するということがどうして言えるのだろうか?『大地の歌』において「別れ」と「回顧」は寧ろ異なった層に位置づけられるとするのが自然に思われる(この点については、以前に調的な構造の観点から検討した結果を公開したことがある。「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―を参照。)のに対し、そこに形式的に同一の構造が見出せるとしたとき、その形式構造は、実は「別れ」「回顧」だけではなく、他の内容とも対応付けうるような一般的なものではないとどうして断言できるのだろうか?『大地の歌』の第6楽章の末尾の時間性は、そのタイトルにも関わらず、「別れ」の帰結とは異なるし、「回顧」の時間性とも相容れない時間性を持っているように思われる。この観点で興味深いのは寧ろ、「大地の歌」の曲の配列が絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程であることを主張する大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)の指摘だろう(こちらについても、以前に触れたことがある。「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて― を参照)。Reversの指摘は興味深い点を多々含んでいるけれど、『大地の歌』の歌詞に基づいて(というか引き摺られて)そこに「回顧」と「別れ」をしか見なかったり、かと思えば第9交響曲の方は、これを専ら「死」と結び付けてみせる類の紋切型から自由になり切れていないように私には思えてならない。

 だとしたら、例えばここに「老い」を措いてみることはできないのか?単純に言って「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」とするならば、「老い」はその中に「別れ」を含み持っているではないか。だがもしそうだとして、「意識の音楽」にそのことがどのように反映されるのか?「意識の」というからには、生物学的・生理学的な「老い」そのものではなく、文化的・社会的に規定された「老年期」でもなく、アルフレッド・シュッツが指摘するように「老いの意識」でなくてはなるまい。だが作曲の主体が「老い」を自覚することが一体「音楽」にどのように関わるというのか?伝記的事実を踏まえればほぼ自明のことに思われる作品と「老い」の関係は、だがそれを作品そのものから捉えようとした時には困難に直面するように思われる。それは音楽に伝記的事実を投影しているだけなのではないか?しかし、例えばアドルノの「後期様式」はそれが実質的なものであるという主張である筈だ。一方で「時間の感受のシミュレータ」として音楽作品を捉えようとした時、それが「老い」とどう関わるというのか?それは文字通り「老い」を生きる時間の感じをシミュレートするということなのだろうか?そのシミュレータ自体が「老い」を経験し、意識するようなタイプの機械、生物のような機械、「人間」のような機械であることなしにそれが可能なのかどうかは一先ず措くとしても、「死」の意識、「別れ」の意識ならぬ「老い」の意識は、音楽作品にどのように刻印されているものなのか?「現象からの退去」の音楽化とは?それはどのような時間的構造と関わるのだろうか?

 直ちに思い浮かぶのは、上でも触れたアドルノの「崩壊」、ReversのLiquidation(融解)といったカテゴリは、実は「死」や「回顧」ではなく、実は「老い」に関わる性格的カテゴリではないのかという問いだろう。それらが寧ろ「老い」に関わるということを主張しようとした時、一体どのような点をもってそれを支持する証拠とすることが可能だろうか?

 更にそれを解釈する言葉の水準ではなく、具体的な楽曲の構造的な特徴の水準で行おうとした時に、一体どのようなアプローチで楽曲を分析すれば良いかを問うた途端に、具体的な楽曲の構造そのものに「老い」を見出す作業は困難であり、直ちにそれに答えることはおろか、その作業を進めていく見通しすら現時点では立てていないことを認めざるを得ない。だが漠としたものではあるけれども、朧気に浮かんでいるアプローチの仕方について簡単に述べておくならば、ポイントはまず、意識が基本的に「感じ」についてのものであるというソームズやヤーク・パンクセップ、ダマシオの立場に依拠すること、更に「ホメオスタシス」という概念に注目し、ソームズ=フリストンの意識に関する自由エネルギー理論に依拠することに存する。これはマーラーの音楽を「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」として捉えようとしているからには、ごく自然な選択であろう。いきなり作品そのものにアプローチするのではなく、一旦まず意識についての定量化可能な理論を出発点にとり、音楽作品を意識を備えた有機体に対する入力でもあり出力でもあるものとして位置づけることによって、単なる音響の連なりではない音楽に意識の様態がどのように映り込み、また音楽を聴くことで意識がどのような振舞をするのかを定量的に捉えるアプローチをしてみようということである。

 現時点で思い描くことのできる見取り図としては、「老い」についてのシステム論的な定義においてはホメオスタシスやエントロピーの観点から「老い」が捉えられていることから、ソームズ=フリストンの「自由エネルギー原理」に基づく「意識」の説明(これもホメオスタシスやエントロピーに深く関わっていることに思い起こされたい)をベースにし、上記のアドルノやReversのカテゴリの記述を意識にとっての「感じ」という観点から捉え直し、更には自由エネルギー原理的に翻訳することによってデータ処理可能な記述に変換し、楽曲の動力学的なプロセスの中にそれらを探っていくという道筋が浮かんではいる。楽曲のプロセスに「老い」や「老いの意識」を見出す以前に、まず「老い」の自由エネルギー理論的説明が必要であり、その上で「老いの意識」についても同様の説明があってようやく、それが音楽作品の構造や過程にどのように例示(examplify)――ネルソン・グッドマンの言う意味合いで――されうるかの検討に取り掛かることができるようになるだろう。そしてその時ようやく「晩年様式」の実質について語ることが出来る語彙が獲得できたと言いうるだろう。そして「晩年様式」の実質を語れるのであれば、「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」としてマーラーの作品を分析する手段は既に手に入ったことになるだろう。ちなみに上記では単純化のためにホメオスタシスにのみ言及したが、フリストンの「自由エネルギー原理」の重要な帰結として、人間の脳はホメオスタシス的な動きだけではなく、アロスタシス的な振る舞いを行うことが示されている。またパンクセップによっていわゆるデフォルトモードの情動がSEEKING(探索)であることが指摘されている。ここから創造性や「憧れ」といったものについて語る可能性も開けているように思われる。だが、この道筋を具体的に展開して実際の分析にまで繋がるレベルに到達するのは前途悠遠の企てであり、その実現には程遠いというのが現状である。

 そこでこの最後の問いについては一旦、問いとして開いたままにしておかざるを得ないとして、その替りに、更に漠然としてトピックレベルでの指摘に過ぎないので、ここでの問題設定に対して直接寄与することははじめから期待できないものではあるとは言うものの、『大地の歌』について、あくまでも「死」と「別れ」が主題でありながら参照が為され、更に「死」との関わりにおいて「老い」についての分析が行われているという点では特筆できるジャンケレヴィッチ『死』の該当部分の批判的な読解を行うことをもって、その手がかりを得るための準備作業としたい。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12,19 改稿)


2024年12月18日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (5)(2024.12.18 更新)

  トルンスタムの「老年的超越」の概念は、西欧的な自我観と密接な関係のある所謂「活動理論」を前提とした「アンチ・エイジング」の議論に対して、それに対立する「離脱理論」寄りの考え方として、だが単なる「離脱理論」に留まらない射程を持ち、ジンメル=アドルノがゲーテに依拠して述べる「現象から身を退く」こととしての「老年」への接続可能性を持つもののように思われるので、ここでの検討に値すると考える。例えば既述の能楽における「老い」の形姿と重ね合わせることができるのではないか、

 その点で留意するに値するのは、世阿弥が『風姿花伝』において能役者の生涯における三回の「初心」について述べる中で「老年の初心」について述べていることだろう。そもそも能楽には「老体」の能と称される演目があり、「老女物」の能を演じるのは能役者にとっての生涯の目標であり、かつては奥伝として特に許された者以外は生涯演ずることが叶わなかった程である。そしてそうした最終目標の演目において能役者が演じるのは、小野小町の老残の姿と心持ちを扱った作品(『卒塔婆小町』を始めとする所謂「小町物」)であったり、棄老伝説を踏まえた、今日的には残酷ともとれる状況を扱った作品(『伯母捨』)なのであって、役者として「老年の初心」を経て初めて到達できる境地と、そうした「老い」を主題とした演目との間に深い関りが存在することは、そうした作品の最高の上演に幾度か接すれば自ずと得心されるものであろう。

 私はこのことを単なる一般論として述べているのではなく、香川靖嗣師が演じた『伯母捨』(2013年4月6日)、『檜垣』(2019年9月14日)の老女物二曲に加え、老人の物狂いの能である『木賊』(2015年4月4日)、或いは老体の修羅能『実盛』(2010年4月3日)、更には「卑賎物」と呼ばれる罪業により地獄に落ちた老人の苦患を扱った「阿漕」(2000年6月10日)、「綾鼓」(2008年11月23日)、そして、それらとは全く異質であり、能にして能にあらずと言われるように、実際には「舞台芸術」ではなく「祭祀」そのものである『翁』(2003年1月5日)といった圧倒的な名演の数々を幸運にも拝見できたという具体的な経験に基づいて記していることを特に強調しておきたい。そうした観能の経験もまた、私がそうとは気づかずに断続的に行ってきた「老い」についての思考の枢要な導き手であったことを今、改めて認識し、そうした上演に立ち会うことができた僥倖に感謝せずにはいられない。ここでは「死」とは異なる「老い」の固有性が、そのマイナス面も含めて決して否定的に扱われることなく、だがそこから目を背けることもなく、真っ向から取り上げられているのである。

 上記のような点を踏まえた時私は、特に『伯母捨』のシテの存在の在り様を「老年的超越」に重ね合わせてみてはどうか、ということを考えたりもするのである。勿論、第一義的には「老年的超越」は社会学的に定義された概念であり、多数の高齢者に対してインタビューシートに沿った質問をして得られた回答を統計的に処理して高齢者に有意に特徴的であるという結果が得られたものではあるけれども、それを説明するのに「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化のこと」(増井幸恵『話が長くなるお年寄りには理由がある』, p.96)とされたり、「自己概念の変容」「社会と個人との関係の変容」「宇宙的意識の獲得」が三つの柱であるとされる(同書, p.98)ことから明らかなように、それはボーヴォワール(/サルトル)風には「世界・内・存在」としての個人の存在様態に関わるものであるが故に、寧ろ個別の具体的な作品に提示された人物像であったり、特定の個人の作品に映り込む意識の在り方を検討する際の手がかりになりうるのではなかろうか。一方で「世界観の変化」と言われ、「変容」、或いは「獲得」と言われるのは、一つにはそれが西欧的な自己観を基準にとっているからでもあり、それ故そのことはまた、マーラーの場合について言えば「晩年様式」が「異国趣味」という「仮晶」を必要としたという点にも関わっているに違いない。そもそも「異国趣味」がマーラーその人にとってどこまで借り物であったものか?マーラーの中には、インド哲学の影響が著しく、意志の否定を説くショーペンハウアーを皮切りに、ゲーテ(『西東詩集』West-östlicher Divan)、東洋学者でもあったリュッケルト、フェヒナー(『ツェント・アヴェスター』Zend-Avesta)、そしてハンス・ベトゲによる漢詩の追創作と、東方的なものに対する関わりが一貫して流れているのである。トルンスタムの「老年的超越」自体、東洋思想の影響の下で編み出されたものであるようだが、マーラーの側にも東洋的な諦観を、俄か仕込みの借り物としてではなく受容する素地があったのであれば、マーラーについてもまた「老年的超越」とその「晩年様式」とを突き合わせることは、表面的にそう見えるほど突飛なことではないのではなかろうか。

 西洋と東洋、ということであるならば、ボーヴォワールが『老い』の一番最初、「序」の冒頭で仏陀のエピソードを提示していることをどう受け止めたらいいのだろうか?本来これは、いわゆる「四門出遊」のエピソードの一部であり、それは後に「初転法輪」において四諦の一つである「苦諦」としてまとめられる「四苦」、即ち「生老病死」に若きシッダールタが直面した機会の中の出来事の筈である。私は仏陀の様々なエピソードに子供の頃から親しんできたので何事もなく通り過ぎてしまったが、改めて考えると「死」についてはあれだけ饒舌な西洋における「老い」に対する或る種の無視、特にそのマイナス面から目を背け、「老い」に対峙しようとしない姿勢に対して告発調なところも感じられなくもないボーヴォワールの口調を思えば、東洋においては「老い」について、その否定的な側面も含めて、少なくともそれを正面から取り上げようとしているのだということが告げられているようにも受け取れる。にも拘わらず本論になるとボーヴォワールは非西洋的な「老い」についての認識については「外部からの視点」と題された第1部の中でも「未開社会」の章の中に押し込めてしまっている。第2部のボーヴォワールの「世界ー内ー存在」としての、内側からの視点についての分析には興味深い点も多々認められるが、それに「序」の出だしにあえて仏陀を持ち出したことがどう影響しているかという点になると必ずしも判然とはしない。実際にはサルトルの「自我」の捉え方(特に『自我の超越』のような初期におけるそれ)には非西洋的な見方に通じる面もあるのだが、それが西洋的な視点に対する批判の拠点となり得ているかどうかについては限界があるように感じられる。

 これも既に『大地の歌』に関して何度か指摘していることだが、謂われるところの「異国趣味」について、自分が西洋から眺めた時に中国の更に向こう側から、逆向きに中国を眺めていることについて意識的であれ無意識にであれ無頓着である議論は大きな欠落を抱えずにはいないだろう。日本人が聴いてさえ耳につく『大地の歌』中間楽章の中国趣味にしてからが、日本人が聴くそれと西洋人のそれが同じであると思い込みことはできまい。だがここでは更に「老い」に関する認識の洋の東西の違いというのが加わることになる。一方でそれは「現象から身を退く」という両者共通の事実に対する両者の認識態度の違い(図式化すれば「活動理論」の西洋と「離脱理論」の東洋)なのだが、「現象から身を退く」際に依拠する「仮晶」として「東洋」、その中の「中国」がどのように機能するか、そもそも同じように「仮晶」たりうるのかという問題を引き起こさずにはいないだろう。そしてアドルノがその認識を記した半世紀前(それはマーラーが没してから半世紀後でもあったのだが)ではなく、更に半世紀後(ということはマーラーが没して1世紀後)の今日の、シンギュラリティを現実的なものとして議論することを可能にするような技術的状況下にあっては、そうした状況における宇宙と技術の多元性への可能性を検討した『再帰性と偶然性』のユク・ホイが、その思索の出発点において「技術への問い」に関して行ったような逆向きからの展望(『中国における技術への問い』)を、この文脈においても適用する必要があるだろう。(但し、この文脈においては、「東洋思想」という括りではなく、更に中国を挟んで反対側の極東の島国からの展望を剔抉すべきかも知れない。位相は異なるが、こちら側からも「仮晶」の論理が存在しており、しかもその位相は中国との関係の変化に応じて変容していると考えるべきであろうからである。とりわけてもここで、まさに「老い」についての認識が問題になっているからには一層この点は強調されるべきことに思われる。そう、私個人の記憶を辿っても『大地の歌』に出遭った時期、私は、李白、杜甫、王維など盛唐期の詩人のそれを中心とした漢詩にのめり込んでいたのだが、とりわけそれらに詠み込まれた「老い」の形姿が(気づいてか、気づかずか)逆向きに映り込むことは当然のこととして避け難く、特にそれは第1,2,6楽章の聴取に影響したし、現在もその影響は続いている筈である。そして更に今日、同じ(ジェインズの言う)二分心崩壊以後のエポックの中にあって、だがいよいよシンギュラリティが近づいている現時点で、改めてそれらの総体を今日の展望の下に位置づけなおす必要があるのを、我が事として感じている。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 改稿)