様々な著作が出て、新しい情報が得られるのはありがたく、特に当時は現在のようにネットで海外から簡単に原著を取り寄せられるような環境になかったこともあり、邦訳が次々にでるのは、まずもってはありがたかった。
いや、その事情は今でも特段変わりはないのだが、様々な情報が様々なソースから得られるようになると、その中には明らかに矛盾した情報が出てくるようになるもののようである。勿論、あえて矛盾しているという書き方をするまでもなく、多くは古い情報である一方が、単純に間違っていることが確実に言える場合も少なくなく、例えば、少し前に取り上げた青土社の「音楽の手帖」のマーラー篇にも、今見ればまさかというような間違いが指摘できる。気付いた点については、気の向いた折々にこれまでも指摘・公開してきたのであるが、それほど確実に裏付けが取れない場合も少なくない。その結果として、こちらもすっかり免疫ができて、新しい情報についてもそれを鵜呑みにしないようにする習慣がついてしまったし、訳書であれば翻訳の過程で発生した間違いについても注意深くなってしまった程である。実際、後者がより無害ということはなく、特にそれがアドルノの著作のようなものであると影響もばかにならないのだが、事実関係ということに限定することにした場合、マーラーに関して近年では共通理解となっているのは、一次資料の中でも筆頭に来るのは間違いないアルマの回想というのが、実は必ずしも事実に忠実であるわけではないということ、意図せぬ記憶違いと想像されるものもあり、後年の回想であるが故の無意識的な歪曲もあり、恐らくは意図的であると一般に見做される、自分に都合の悪い事実についての歪曲、隠蔽の類もままあるということだろうか。
まさにその点を指摘したアドルノの書簡を巻末に収め、だが、アドルノの忠告に従ってアルマへのインタビューを全篇に埋め込んだこのヴェスリングの著作そのもの自体は、そういう点ではどうなのかといえば、私が調べた限りでは、かなり疑わしいと言わざるを得ないようである。
今回、こうしたことを調べるようになったきっかけは、第5交響曲の実演に接した感想を書くにあたり、第5交響曲の第2楽章について、インバルとフランクフルト放送交響楽団(当時、今はHR交響楽団というらしい)のCDの解説にフルトヴェングラーの証言があったのを思い出したからだったのだが、何か裏付けがないかと思ってあれこれ調べても、例えばWeb上の情報では、これが第6交響曲に対するそれであるという情報にはぶつかっても、第5交響曲のそれであるというのは全く見当たらない。だが、どこかでもっと具体的な、発言のシチュエーションまで踏み込んだものがあった筈だ、、、と思って調べた挙句、このヴェスリングのマーラー伝がそうだったという次第である。邦訳では「18.反弁証法の泰斗」235ページ末から236ページにかけての部分であるが、ここでは折角なので原著(ただしHeyneの伝記叢書に収められた1982年版であるが)の該当部分を示すことにする。
Der zweite Satz in a-Moll(Mahlers tragischer Tonart) ist eingetlich ein zweiter erster Satz. Der »allgemeinen Klage« des einführender Satzgebildes ist eine »persönliche Klage« zugestellt. Stürmisch bewegt, wild, hemmungslos tobt sich dieser »Mensch« aus, der dem Schicksal unterliegen muß.
Furtwängler hat diesen Satz »die erste nihilistische Musik des Abendlandes« genannt. Er war nach einer Probe dieses Symphonieteils mit den Berliner Philharmonikern einmal so mitgenommen, daß er den Taktstock resignierend fallen ließ und sagte : »Diese merkwürdigen Wendungen Mahlers lassen in einem das Bewußtsein aufkommen, daß alles unsonst ist. Ich wüßte keine andere Musik, die mich so pessimistisch stimmen könnte. Sie entwertet, was einen in dieser öden Welt überhaupt noch wertvoll erscheinen könnte!« (Der Anti-Dialektiker p.176)
何と第5交響曲のプローベをベルリンフィルとやった折の発言ということになっており、見て来たような状況描写、直接話法での発言の記録と、これはうっかり本物と信じてしまいそうになるところなのだが、既にコンサートの感想にも付記した通り、フルトヴェングラーがマーラーの中でも第5交響曲を取り上げた記録は確認できないようで、断定はできないにせよ、上記も甚だ疑わしいと言わざるを得ないようなのである。しかもヴェスリングのこの著作には、注が全くない。翻訳には訳注がかなりたくさんついているが、往々にしてどうでもいいような情報で、この部分についてはフルトヴェングラーに訳注がつけられているので、何かと思ってみてみると「ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)二十世紀前半のドイツの最大の指揮者のひとり。」とだけあって、あっけにとられてしまう。かと思えば「泰斗」というずいぶん踏み込んだ訳をしている章の冒頭に出てくるアドルノにも注がついているのにも関わらず、恐らく間違いなく存在するに違いない章題との関連については言及はない。
だが、疑わしいと言えば、例えば同じ章において「マーラーは《第5交響曲》のスコアを書き終えてから、こう書いている。「わたしにとって交響曲とは、存在するあらゆる技法をつくして、わたし自身の世界を構築することだ」」と出てくるのを見れば、眉に唾をつけなくてはならないと身構えてしまうのは避けがたい。些か揚げ足取りめくが、他の曲ならともかく、こと第5交響曲のスコアの作成過程は非常に複雑なものであった筈で、しかもそれについては、彼がインタビューした当のアルマがまず一言ある筈ではなかろうか?と言いたくもなる。要するにここでいう「スコアを書き終えて」とは正確に何を終えたタイミングで、何時の事なのかを確認しようとすると途端に困ったことになるのだ。更に、「こう書いている」というのは、どういう媒体(例えば書簡)に書いているのか、ヴェスリングも注をつけていなければ、訳注もなく、調査のしようがない。実際には、これに類する(あえてそういう言い方をしよう)言葉は、一般には第3交響曲の作曲の折に、ナターリエ・バウアー=レヒナーに対してした発言とされているのである。勿論、同じような発言を、第5交響曲の創作のある段階でマーラーがしているという事実が別にある可能性を、しかもそれが未公刊の、ヴェスリングのみがアクセスできる資料に基いている可能性を完全に否定することは、私のような極東の単なる愛好家にできよう筈はない。だが、そもそもこの章においてこの発言を引用する意味合いを考えれば、その題名から測っても、別にわざわざ第3交響曲に関連して既に一般に知られた類似の表現があるのにも関わらず、その別バージョンを紹介する必要性のあるような文脈ではない筈であり、普通に考えたら、うろ覚えの記憶に基づく書き間違えではないか、と疑ってしまうのは避けがたいように思われる。
ついでだからもう一言二言付け加えさせて頂けば、Der Anti-Dialektikerとは一体何のことで、誰のことなのか?そんなのアドルノに決まっていると言われそうだが、アドルノは「否定弁証法」(Negative Dialektik)という著作は書いているが、それは「反弁証法」とは異なるというのが一般的な理解である。(もしかしたらアドルノの否定弁証法のことを反弁証法と称する文脈もあるのかも知れないが、寡聞にして知らない。)反弁証法の論客ということで思い浮かべられるのは、アドルノを含むフランクフルト学派との「実証主義論争」における論争相手であるカール・ポパーの方ではないのか?と言いたくなってしまう。訳者はわざわざ「泰斗」という表現を使っているが、まさかこの文脈でポパーのことを思い浮かべているとは思えないので、それがアドルノを指しているのはほぼ間違いないだろうが、こうしたこともそう思ってしまえば、ヴェスリングの著作の信頼性に疑いを持たせる材料に加えたくなってしまう。
そしてそれよりも問題があると思われるのは、マーラーの言葉の引用が(ナターリエ・バウアー=レヒナーが伝えるそれが正しいとして)不正確であるということ、しかもその不正確さが、マーラーの言葉の意味を理解するにあたって、誤解を生じさせかねないような恣意的な解釈の歪みに基づくものに見える点である。マーラーは決して「わたし自身の世界」とは言っていないし、それは周辺のマーラーの関連した言説とも整合していない。そもそもマーラーは、撤回されることになる各楽章の(些かナイーブな)タイトルにおいてすら、「~が私に語ること」という言い方をしていて、「わたし自身の世界」を「自分が」語るなどとは言っていないのである。これは些細な点などでは絶対になく、しばしば「過度に主観的」とか、「自己耽溺的」とか、「自伝的」とさえ形容されるような理解のあり方が、少なくともマーラー自身の認識からはかけ離れていること、そして実際の聴経験からしても、マーラーの作品における「世界」のあり方は、マーラーの認識に即したものであること、それが主観的な経験であるとして、それはまさにカント以来の相関主義的な認識に関する了解に根ざしており、カントの用法における意味合いで「批判的」、哲学的な姿勢でこそあれ、素朴実在論的な世界についての了解とも、独我論的な観念論におけるそれとも異なることを思えば、了解の鍵鑰を為すといっていい急所なのであって、ことによったら事実判定の問題とは別に、ヴェスリングのマーラーの音楽の理解の方を問題視することに繋がり兼ねない程だと私には思える。
果たしてそうした疑いは思い過ごしの類なのかと思って、これまたWebを調べてみると、Wikipedia(ドイツ語版しかないが)を見る限り、ヴェスリングの著作にはまさに上で記したような類の問題が指摘されているらしいことが窺える。詳細はわからないので断定は慎むべきだろうが、フルトヴェングラーの発言というのもそうした問題のある部分の一つではなかろうか。
最後に、上記とは逆に、ヴェスリングの著作に資料的価値を見出しうると私が感じた箇所を引用して終えることにしたい。それはまさにこの文章の冒頭で触れた書簡の一つなのだが。
最近、マーラーの聴取様式についての文章を書いた折、「音楽の手帖」の柴田南雄さんの文章に触れて、そこでの「マーラー・ルネッサンス」より前の時期の演奏についての評価に関して、その後の自分の聴取の経験に照らして、違和感を感じるようになったことを記したが、まさにそのことを、当事者として私が名前を挙げたうちの一人である、エーリヒ・ラインスドルフが書いているのを確認したのである。勿論彼が自分を「マーラー・ルネサンス」前を支えた功労者の一人に数えるようなことをするはずもないが、私としては、子供の頃以来、ラインスドルフの演奏には馴染んできていて、尚且つ(彼自身が特に好んでいたことが確認できて非常に嬉しく感じているのだが)、とりわけても第5交響曲の演奏についていえば、他の演奏に優る卓越したものであると思い、総じて(つまりそれ以外の第1,3,6番の演奏も含めて)それらが時代を超えた価値を備えた記録であることに疑いを持っていないので、(本当は彼が生きている間にそのように応答できれば良かったのだが)、遅ればせながらここで、ラインスドルフの名前もまた、まさに彼が名前を挙げた功労者のリストに追加することが正当であると私は考えるということを証言しておきたい。『ヴェニスに死す』に対する皮肉を効かしたコメントも彼の第5交響曲への愛を語って余りあるし、演奏の難しさについてのコメントも、厳格なオーケストラビルダーであった彼の言葉として重みを感じずにはいられない。何より録音記録で聴くことのできるラインスドルフの作り出す音楽の響きには、マーラーの演奏にとって決定的なものである「質」が確実に備わっていると私には思えるのである。
Professor Erich Leinsdorf New York 1972
[...] Man spricht heute von einer Mahler-Renaissance, als ob der Komponist vernachlässigt gewesen wäre. Solch eine Annahme ist vor allen eine ganze große Ungerrechtigkeit gegenüber jenen Musikern, die während ihres Lebens die Musik Mahlers pflegten und aufführen. Bruno Walter, Otto Klemperer, Zemlinsky, Oscar Fried, Hans Rosbaud, Jascha Horenstein ... diese Namen bilden eine unvollständige Liste jener, die seit 1911, den Todesjahr Mahlers, seine Musik dem Publikum brachten und sich mit voller Seele dafür einsetzten [...] Was die gegenwärtige Mahler-Popularitat auszeichnet, sind vor allem die Schallplatten und die damit verbundene weltweite Verbreitung der Werke. Es wird schließlich alle bedeutende Musik später einmal von den Menschen verstanden [...] und eigentlich ist doch das, was man bei Mahler so besonders modern findet, seine heimwehartige Sucht nach dem einfallen, naive Dasein. Züge, die besonders dem Großstandmenschen immer bekannter werden und die auch das Werk Kafkas auszeichnen. Er scheint mir höchste Zeit für eine volle biographiesche Arbeit über Mahler. Sein Leben und sein Werk sind bischer nur sehr unvollkommen behandelt worden. Die sehr tiefgründigen Ausführungen. Adornos sind leider in solch schwieriger Sprache, daß dies nun wieder den Kreis der Leser begrenzen muß [...] Den Preis gäbe ihc heute der Fünften, dir mir als das glücklichste Werk erscheint [...]. Ich liebe das Werk so, daß mir selbst die Fragmentierung und der Mißbrauch des Adagiettos in dem Film »Tod in Venedig« nichts machen [...].
Mahlers Sinfonien bereiten auch heute noch enorme Schwierigkeiten für alle Orchester. Die erstklassigen können sie mit Proben lösen, für die minder begabten bleiben dir Partituren unspielbar. Unter alles Umständen ist Mahlers Werk heute viel moderner und gegenwartsgültiger als so manches, was viel später komponiert wurde. Während Strauss ganz im Wilhelminischen steckenblieb, hat der drei Jahre Ältere mit genialer Propheten-Vorahnung die Weltkrige übersprungen und spricht als Zeitgenosse zur Generation der zweiten Hälfte des 20. Jahrhunderts [...].
(Arbeitsbericht pp.234-5)
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