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2016年3月6日日曜日

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会を聴いて(2016年2月28日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会
2016年2月28日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第8番
井上喜惟(指揮)
森朱美(第1ソプラノ)
三谷結子(第2ソプラノ)
日比野景(第3ソプラノ)
蔵野蘭子(第1アルト)
小林由佳(アルト)
又吉秀樹(テノール)
大井哲也(バリトン)
長谷川顕(バス)
マーラー祝祭オーケストラ
マーラー祝祭特別合唱団(合唱指揮:高橋勇太)
成城学園初等学校合唱部・中央区プリエールジュニアコーラス・カントルム井の頭(合唱指揮:古橋富士雄)


マーラー祝祭オーケストラが第8交響曲を演奏する特別演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れた。このコンサートは、 前身であるジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの演奏会も含めたマーラーの交響曲全曲演奏企画の掉尾を 飾るものであるが、オルガン、ハーモニウム、チェレスタ、ピアノ、そしてマンドリンを含む大管弦楽に加えて、 8人の独唱者と児童合唱、2群の混声合唱を必要とするこの作品の上演は、マーラーの他の交響曲に比しても 際立って困難なものであることは明らかであろう。まずはこの演奏会の企画、準備、そして当日の演奏に関わられた、 音楽監督・指揮者の井上喜惟さんをはじめとする演奏者の方々、準備や当日の会場の運営に携わられた方々全てに対して、 敬意を表したい。

奇しくももうすぐ、東日本大震災以降、5度目の3月11日を迎える。震災直後にはコンサート自粛も相次ぎ、 演奏会の意義、ひいては音楽そのものの意義が問われもした。そうした中、ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの全曲演奏の企画も、演奏会場となったミューザ川崎の被災による公演延期という形で その影響を受けたのだったが、その結果として一度きり、場所を替えて演奏された第9交響曲の演奏が、 千年に一度の大地震と津波に加えて原子力発電所の災害という未曾有の出来事の経験と切り離すことができない、 通常のコンサートという制度の枠組みを超えたものとなったのを、ついこの間の事のように思い出す。

今回のコンサートもまた、他の人であれば通常のプロのオーケストラの定期演奏会と同じように聴き、 演奏会評を記すことも可能だろうが、こと私個人に限ってはそのような姿勢で演奏に接することは そもそも不可能である。のみならず、いわば一から手づくりでマーラーの作品の演奏会を作り上げるという 企画のあり方の総体こそが、日常は音楽とは無縁の職業に携わっている自分が敢てコンサートホールに足を運んで 音楽を聴くにあたっての必要な契機となっているが故に、公演がこのように無事実現したこと自体に対しても 心を動かさずにはいられない。そして勿論のこと、当日の演奏もまた、そうした企画を可能にした思いが 篭められていることを感じずにはいられない、感動的なものであったことを最初に記しておきたい。

以下、当日の演奏を聴いての感想を記しておくが、作品そのものについて、そしてこの作品を今、極東の島で 上演すること、その演奏を聴取することの持つ意味についてはプログラムに寄稿させて頂いた文章に記したし、 幸いにして、その内容と実際の聴取の経験の間に齟齬が生じることはなかったので、ここで繰り返すことはしない。 このことを敢て記載するのは、一つには以下の感想が、客観的な演奏会評ではないことをお断りするためでもあるが、 それよりも、私のような単なる愛好家にも門戸を開き、このような企画に微力ながらお手伝いする機会を 頂けたことに対する感謝の気持ちを表明したいからである。

率直に言えば、予め書き留めておいた内容とは別に、実演に接して受け止めたものそのものを言語化しようとしても、 井上さんがプログラムに寄せた文章の中でお書きになられているように、ほとんど不可能に感じられる。 私自身、ことこの作品においては実演に接することが極めて重要であることはわかっていたつもりであり、実際そのような ことを書きもしたが、にも関わらず、実際に演奏に接してしまえば、事前に用意して連ねた言葉が色褪せたものにしか感じられず、 さりとてそれに何かを付け加えようとしても、それは最早言語化を拒むような類のものでしかないように思えるのである。 不可能事であることが予め明らかであるのに敢てそれを試みるのは愚かなことだろうが、にも関わらずそうするのは、 如何に不十分で拙いものであったとしても、演奏を聴いた経験を記録しておくことによってしか、かくも大きな「贈与」を してくれた方々(その中には、作曲者のマーラーも含まれることだろう)に対して、応答することができないからであり、 そうすることが自分の義務にさえ感じられるからなのだ。

それゆえ、客観的な演奏会の評を読みたい方にとっては以下の記述は全く無価値なものであろうが、それはきっと、 そうする資格と能力がある別の方がしてくださるであろうから、そちらをお読み頂きたく思う。私にできるのは、 自分が自分固有の文脈の中で受け止めたものを、その価値を考えた時に極めて不十分なものと評価されるような 仕方であれ、その場で自分に可能な仕方で記録しておくことでしかない。結果として以下の文章は、 このコンサートを聴いて、こんなことを感じた人間が居たという事実の記録以上のものではありえないだろうが、 それでもそうした事実を記録し、公開することが、全くの無意味ということはないと考え筆を執る次第である。

*   *   *

開演の15分程前に会場であるミューザ川崎に到着し、着席したのは約10分程前。 ミューザ川崎は、ステージを取り囲むようにして客席が配置されているが、後に2群の混声合唱が着席することになる 正面から見てオーケストラの背後から左よりにかけての席と、児童合唱が着席することになるステージの左側の席以外は 概ね埋まっている。離れたところに置くよう指示されたバンダはステージに向かって右側のオルガンのすぐ脇の 最上階の客席に陣取り、第1部で重要な役割を果す鐘もまた、バンダの隣で奏された。第2部で栄光の聖母のパートを 受け持つ第3ソプラノは慣習上オフステージの高い位置で歌われることが多いが、こちらも同様にバンダの隣で歌われた。 8人の独唱者は第1部第2部を通じて正面から見るとオーケストラの背後、ステージの最上段で混声合唱が占める客席の すぐ下に位置し、独唱、合唱とも、自分のパートが近付くと立ち上がり、パート以外のところは基本的には着席する かたちで演奏が行われた。管弦楽はこれまでの他の作品の演奏会と同様の両翼配置、マンドリン(4丁)は弦楽器の奥の 正面で演奏された。第1部と第2部の間でのチューニングもまた、これまでの他の作品におけるのと同様である。

私が過去に第8交響曲の実演に接したのは1回だけ、もう四半世紀以前のサントリーホールの杮落としのコンサートだったが、 その時はやはりオーケストラの背後の客席を占めた混声合唱の直ぐ隣という、音響的なバランスの面では 不利と思われそうな席で聴いたのだった。にも関わらず、記憶している限り、その時でさえ聴取にあたって 決定的な制約とは感じられなかった。私の聴き方がいい加減なだけなのかも知れないが、偶々どちらも客席がステージを 取り囲む形式の、音響的には申し分のないホールであったからか、第8交響曲のような大編成の作品の場合、 自分の直ぐ近くの客席で合唱が歌われることによる奏者との一体感こそ感じられても、音響バランス上、 不満に感じられることというのは今回もなく、寧ろ録音では取捨選択が行われて聴き取れない細部が、 視覚的に確認できることの効果の寄与もあって殆ど全て耳に届くという点では、今回の演奏は申し分なかったように思える。

だが、楽譜に記載されている音がどれだけ聴こえるか自体は、演奏から受ける印象の、しかも主要部分ではなく、 周辺の一部に過ぎないし、大きな事故でも起きない限りは技術的な巧拙や演奏の精度すら印象を決定づける主たる 要因にはなり得ないのだということは、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの時代以来の聴き手に とっては自明のことであろう。今回の演奏もまた、マーラーの音楽に対する共感と演奏への集中という点において これまでの演奏会と比して勝るとも劣らない、素晴らしい演奏であったことは既に述べた通りである。

それでもなお客観的な演奏の出来を問題にするならば、勿論のこと実演ならではの傷も散見されたし、 この演奏会のために公募により編成されたアマチュアの混成合唱は、管弦楽とのバランスの上でやや 非力に感じられる瞬間が無くは無かったとは言え、仮に全てプロであってもバランス上は至難であったであろう 約200人程という規模を考えれば止むを得ないし、この複雑極まりない長大な楽曲を大きな破綻なく演奏したこと自体、 驚嘆に値することであろう。8人の独唱陣もまた、既述の配置の制約はあれ、一部を除けばオーケストラとのバランスも 申し分なかったが、その中でも特に印象的だったのは第1部末尾のようなマッシブな箇所では管弦楽と合唱の響きの中で 存在感を発揮する一方で、叙情的な部分での表情もしなやかであった第1、第2ソプラノの歌唱 (とりわけても第2部後半でファウストの復活を第1部Impre supernaの旋律で歌う、かつてのグレートヒェンの 第2ソプラノの歌唱は鮮明に記憶に残っている)、そして勿論、第2部でDoctor Marianusという中心的な役回りの テノールの、特に第2部コーダにおける高揚である。

特筆すべきは児童合唱で、こちらもまた100人程度の編成でありながら、 この作品の決定的な幾つかの瞬間(2つだけ例を挙げれば、第1部末尾の"sit Gloria Patri..."、 第2部の"Er überwächst uns schon..."など)の全てについて十全な歌唱が実現されており、素晴らしいの一語に尽きる。 管弦楽については、「大地の歌」の時もそうだったが、その響きは有機的で充実しており、巨大な編成が可能にする 繊細な音色の変化も鮮明に感じ取れる演奏であったと思う。勿論それには何よりもまず指揮者の音響バランスの設計があり、 長期に渉るプローベと実演における指揮者とオーケストラの共同作業の蓄積があって実現可能となったものに違いなく、 特にオーケストラがのった時の響きの固有性は、寧ろ均質化したプロの楽団では聴けないものでさえあるだろう。 この作品のユニークな調的設計がもたらす、共感覚的な色彩や明るさの変化の鮮明さもまた印象的で、 金色に輝く変ホ長調の"Veni"と青白く眩い光に充ちたホ長調の"Accende"の目も眩むような対比(私は共感覚があるので、 実際に目を瞑ってしまったほどである)、更には変ホ短調の神秘的な山峡の闇から出発して、 ホ長調による栄光の聖母の顕現を経て、曲頭の変ホ長調の光の氾濫のうちに終結する第2部のプロセスは圧倒的な ものであった。

だが、指揮者の解釈という点では、この演奏でユニークであったのは、そのテンポであったのではなかろうか。 実演にせよ、録音記録によってにせよ、この作品を聴き慣れた聴き巧者の耳には、恐らくそれは何か異質なものに聞こえた のではないかとさえ思われる。勿論、常にない大編成(しかもそれは単純に人数で図ることができるものではなく、 それ自体巨大な管弦楽のみならず、8人の独唱者、2群の混声合唱、児童合唱、空間的に離れた場所にいるオルガニストや バンダといったパートの膨大さをも考慮すべきであろう)の演奏者を混乱無く纏め上げることを思えば、 テンポの変化は入念なリハーサルで準備されねばならず、恣意的なテンポの切替や即興的な緩急の急激な変化の ようなものが入り込む余地は狭められたものになるに違いないのだが、この演奏において際立っていたのは、 事前に設計され、準備されたものの実現の側面以上に、その場で生み出されていく、現象学的な意味合い での音楽的時間の有機性、即ち、音楽が進むにつれ、音が次々と現実化するその様相が、あたかもそれ自体で 固有の生命を持ち、固有のリズムを備えている有機体の活動を目の当たりにするかのような、自律的、自発的なものに 感じられたことであった。

たとえ演奏者ではない単なる受容者、聴き手に過ぎなくても、音楽の内側に入り込んだ人間は、細部の完成度を 云々することなどとは別の水準で、その音楽的時間の経験が、最初の一撃の後、末尾に至るまで、ある種の必然性に 従ったものであったと感じたのではないかと思えてならないのである。ちなみに言えば、こうした時間の流れ方は、 やはりマーラーの音楽の中では特異なものであって、推移する流れという通常の時間了解の下では 一瞬の出来事としてしか捉えようのない創造の瞬間を、いわば内側から眺めた時の「時の逆流」の相を捉えた この作品ならではのもののように思われる。

それは恐らくは、例えば寧ろブルックナーの音楽の或る種の解釈によって経験可能となる時間性のうちに類似のものが 見出せるかも知れないような類のもののように思えるのだ(但しこれは、この作品がブルックナー的であると いうことでは全くない)が、ことこの作品に限って言えば、そうした行き方を正当なものたらしめる側面が 備わっているのであれば、この演奏は、マーラーが「天体の運行」に喩えたこの作品の理念に相応しいものであったのでは なかろうか。 (更に付け加えて言えば、このようなリアリゼーションが可能になったことの根拠を事実の中に探ろうとする人は、 井上喜惟さんがチェリビダッケに師事したという経歴を思い浮かべるかも知れない。なお、ここでは表面的な演奏様式の 水準ではなく、音楽的時間の把握といった水準が問題になっているのだから、例えばチェリビダッケがマーラーを 演奏しなかったことなどは問題にはならない。)

勿論、他の優れた演奏で行われているように個々の部分のテンポの設定を恣意的に行うことは可能だろうし、 幾つもの実演に立ち会った経験を踏まえて演奏を評するような立場の人がそうしたことを表面的に論うことも可能だろうが、特にこの作品の場合、たとえそれが自分のこれまでの聴経験に基づいた対比に基づくものであったとしても、 そうしたことには意味がないように私には思えてならない。寧ろそうではなくて、内的な必然性のようなもの、 まさにマーラーが述べた天体の運行がそうであるような法則性の如きものに支えられたプロセスに従うことが 専ら問題なのだし、このコンサートでの演奏は、そうした意味合いにおいて比類ないものであったと私は考えている。

そしてそれは、恐らくは間違いなく、その場に居合わせた全員が、つまり演奏者と聴き手の両方が感じ取ったことに 違いない。「もしかしたら」ではなく、恐らくは疑いなく、その場で聴き取れたものは、 現象としての音響だけではないのだ。「現実」には聴き取ることのできない響きを、その場に居た人間は演奏者であると 聴き手であるとを問わず、更にそのことに対して意識的であるか否かを問わず聴き取ったに違いない。

終演後の拍手はどれくらい続いただろうか。私はと言えば、終演後直ぐに湧き起こった拍手の中で しばし茫然自失する外なかったことを、こうして文章を書いている一週間後でもありありと思い出すことができる。 音響的には音楽は既に鳴り止んでいるけれど、音楽が生み出した時空は、それが仮象に過ぎないものであるとしても、 しばらくは「現実」と呼ばれる時空を押しのけて存続する。いやそれは、しばらくたって指揮者がようやく客席を 向いたくらいのタイミングでようやく我に返り、拍手を始めた後も、否、演奏会場を離れた後も、一週間の日常を 隔てた今でさえ、私の中では存続しているように感じられる程なのである。

終演後の光景で私にとって一番印象的だったのは、上述のように際立った演奏をした児童合唱の子供達の反応で、 思わず私は、アルマが記録したミュンヘンでのマーラー自身の指揮による初演の時の児童合唱の反応を思い起こさずには いられなかった。恐らく、約1世紀前のミュンヘンにおいてもそうであったように、このような例外的な演奏の経験は、 とりわけても若い子供達のためのものに違いない。私のような人生の半ばをとうに過ぎてしまった人間は、自分が 受け取りきれない程のものを受け取って置きながら、最早なすすべもなく、恐らくはそれを自分の中で朽ちるがままにするしか能が ないのに対して、若い彼らこそは、多くは今のところは無意識的に、だが全身をもって、この演奏を通じて 受け止めたものを、未来に継承して行くに違いないのである。

*   *   *

そのような時間の流れをもたらした演奏は、二時間近い演奏時間を、あたかもそれが夢の中での経過であり、 更にその夢の中では二時間の間に永遠にも比すべき時間が経過したかのように感じさせる一方で、夢から目覚めてみると ほんの一瞬の時間が経過しただけであるかのような錯覚を、目眩のような感覚と共にもたらす。

その結果私は、現実に自宅からコンサートホールまで移動し、そこで二時間弱を過した筈の自分の聴体験が、 最後の音が消え去ったのち、日常的な時間の中に戻り、しばらくその中を潜り抜けてみると、今や何か 非現実的なものであるかのような感覚に苦しめられることになった。 勿論それは、演奏の印象が希薄なものであったということではなく、 寧ろ逆に、自分の身体にそれはスティグマのように刻み付けられているのだが、 それがいつ、どこでのものなのかを改めて考えてみると、日常の時間の どこにもそんなことが起きたような痕跡が認められず、寧ろそれが、自分が 経験できない過去に起きたことのように感じられたり、自分が現実に 経験することがないであろう別の時空の出来事のように感じられたりする、ということなのだ。

更に加えていえば、これも偽らざる自分の反応として、終演後しばらくの間、自分がこのコンサートのために 記した文章が、全く色褪せた、つまらないものに感じられたことを事実として書き記しておきたい。 そうした気持ちはかなり長いこと続いたが、その後、会場で受け取ったプログラムに載せられた自分の文章を改めて 読み返してみて、そうした感覚は尚、ぬぐい難いものであるにしても、それでも辛うじて、 自分が経験したことに排反するようなことは書いておらず、極めて不十分ながら、 それを何とか言い当てようとしたものとして受け止めてもらえるかもしれないということを確認できて、 わずかばかりの気休めを感じることはできた。しかしそれでも尚、井上喜惟さんをはじめとする演奏者の方々が 達成したことに比して、自分に為し得ることの如何に卑小なものであるかを、今尚感じずにはいられない。 最初にも述べたように、今、このようにして感想を記していても、無力感のようなものを感じることなくして 文章を書くことが出来ずにいるのである。

マーラーは「ファウスト」の中の、こちらは第1部の地霊の科白を引いて、自分の作曲の営みについて、 「神の衣を織る」ということを或る書簡で言っているが、私は、まさにそうした「神の衣」に他ならないと 思えるものに実際に接してみて、自分がそうしたことに与る資格なり権利をそもそも欠いているようにさえ 感じるのである。永遠に与れない、比喩でしかない、移り行くものの側に属しているという点では違いはなくとも、 移り行くものの彼方を仮象として定着させたマーラーの「贈物」は、自分が担うにはあまりに重いものではなかろうか、 その「謎」は自分に解くにはあまりに難しいものではなかろうかという懐疑から遁れることはできそうにない。

だが、それでもなお、そうした私の思いに関係なく、演奏を聴いたという経験は私の中に刻印されて残っている。 東日本大震災の経験の傷が無くならないように、演奏を聴く事を通じて触れた何かは、楽音が消えてもなくならない。 そして自分の経験したことが、自分を超えた価値を有するものであるという認識に立つならば、 その経験を自己の個体としての有限性の中に閉じ込め朽ちて行くにまかせることは耐え難いことだし、それを 放置しておきながら、自分の経験が商業的なコンサートにおける消費者としてのそれとは異なると主張したところで、 結局のところ情報を捨てているという点で変るところはないということになってしまう。 それに対してせめてもの抵抗を試みようとすれば、自らを自分に優った価値を有するミームの搬体と見做し、 自分が、ではなく、ミームが卑小な自分を媒体にして、自分を超えて、恐らくは無限に向けて存続しようと することに対して辛うじて関わりうることに価値を見出すしかない。寧ろ私はそうしたものの通路に過ぎないと 考えるべきなのかも知れない。 それゆえ一旦は自分の記したものの価値を問うことは止め、私が忘れ去られても、或はこの拙い文章がいずれ 喪われてしまうことになっても、どこか別のところで、別の仕方でこの演奏会の記憶が継承され、 存続することを願って筆を擱くことにしたい。(2016.3.6初稿暫定公開)

2016年2月28日日曜日

第8交響曲という「謎」 (2016.2.28 マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会によせて)

肯定的であれ、否定的であれ、第8交響曲がマーラーの交響曲作品における或る種の特異点であることに異論はないであろう。更には最大の「謎」であることもまた。

第1部では聖霊降臨祭の賛歌が、第2部では『ファウスト』第2部の終幕の場が、オルガンを伴う4管編成の大管弦楽と共に8人の独唱者、2群の混声合唱と児童合唱により全曲通して歌われ、作曲者自身により「惑星や太陽の運行」に喩えられたこの曲が、もう一方の極である『大地の歌』と共にマーラーの声楽作品の到達点の一つであることは疑いない。

マーラーの作品の受容に大きく貢献したとされる録音技術の発達の恩恵という点でも、この作品は特殊な地位を占めているかに見える。実演に接する機会の制限を補うのみならず、バランス調整は勿論、離れた場所で別々に収録されたパートの合成さえ可能にするマルチマイク技術は、実演では聞き取りにくい細部を明らかにすると喧伝されたし、同一の演奏録音の繰り返しの聴取のみならず、ヘッドフォンを用いて自宅で一人で、あるいは移動中に、更には何かをしながらBGM的に、または一部だけ選択してといった断片的な聴取さえ可能にしたことが、功罪はあれ作品を身近にするのに寄与したことは確実であろう。

だが一方で、例えばハンス・マイヤーが提起した、この作品を含めたマーラーのテキストの扱いに関する痛烈な批判のみならず、それに対しては擁護の論陣を張ったアドルノを初めとするマーラー音楽の擁護者の少なからぬ人々もまた、ことこの作品に対しては否定的な評価や留保の姿勢を示している事実がある。大成功を収めた1910年9月12,13日の作曲者自身の指揮による初演が、列席した著名人の顔ぶれなどもあって、しばしば文化史的なイヴェントと見做されさえするこの作品は、ダーウィンの進化論、ニーチェの「神の死」、フロイトの精神分析などに代表される、自然科学の急速な発展を背景とした、既存の宗教が備えていた力の喪失過程を背景としており、かつては典礼と不可分であった音楽が、特にフランス革命後、世俗化の傾向を強めた果てに、例えばワグナーの『パルジファル』やスクリャービンの『プロメテ』のように、今度はその上演がいわば疑似宗教として、かつての典礼の代理をすることが企図されるようになった時代の潮流の産物としてしばしば位置づけられるが、常には時代に批判的であったマーラーが、この作品においては無批判に「肯定的」であり、そうした時代の潮流に服従していると見做されるのである。

作品自体についても、第1部ではソナタ形式の図式に合わせて聖歌を裁断し尽くす一方で、ゲーテのテキストへの付曲である第2部は、仮にそこにアダージョ、スケルツォ、フィナーレという区分を認め得たとしても、交響曲と呼ぶには構成的にあまりに弛緩しているし、同時期の他の作品に比して全音階的な和声法における主和音への固執が、この巨大な作品を、わかりやすくはあっても単調なものにしているという批判が存在する。

そして21世紀の日本において改めて振り返ってみた時、この作品がどこまで理解され、どのような意義を持ちうるかを問えば、直ちに幾つもの疑念に取り囲まれることになる。西欧においてすら保護の対象である文化財と見做されかねない今日、日本において多大な困難に立ち向い、この作品を上演する意義に対して疑念を抱く人が居ても不思議ではない。

しかしながら強い留保を示すアドルノの判断が最後のところで奇妙な躊躇いを示すのは、ヴェーベルンが指揮した第8交響曲の実演での経験に彼が忠実であり続けたからに違いない。その躊躇いが自分の理論に合せて対象を扱う愚から彼を救い、その発言を信ずるにたるものとしているように思われるのだが、他方でそこから、論理の力に屈することなきこの曲の並外れた力を読み取ることも可能ではなかろうか。この作品に対する批判が注意深いスコアの分析や、録音技術の発達が可能にした、繰り返しての聴取に基づくものであることを思えば、実演という契機は、ここでは他の作品にも増して極めて本質的なのであろう。勿論それはアドルノが批判する集団性の魔力、疑似宗教的なまやかしと紙一重であり、アドルノがこの曲の際どさを「救い主の危険」と述べたのは正当なことではあるが、それでも尚、性急な「失敗作」という判断は留保さるべきではなかったのかという疑問は残る。

この作品の持つ謎は、それが孕む危険ともども、創作後1世紀を経た、「技術的特異点」の直前の時代にありながら、相変わらず個体としての有限性に束縛されたままの今日の人間にも無縁なものではありえない。作品を過去の異国の文化的コンテクストに埋め戻して事足れりとせず、危険を引き受けつつもその「謎」に向き合うことは、マーラーと同じエポックの末裔たる我々にとっても喫緊の課題であり続けているし、なおかつそうした探究にあたっては、実演に接することが必須の契機を為すように思われるのである。

総じてこの作品を、アドルノの「突破」(Durchbruch)の時間性を音楽化したものと捉えることが「謎」を解く鍵ではなかろうか。プラハ講演でシェーンベルクが述べた、第1部での変ホ長調の主和音第二転回形への頻繁な回帰(規則違反であっても「正しい」のだから寧ろ規則を変えるべきだと彼は言うのだが)を初めとする規範からの逸脱も、作品の特異な時間性故のものなのだ。ソナタ形式として、提示部が主調の変ホ長調で閉じられるのも異例なら、展開部の中央(練習番号38)でのAccende lumen sensibusの「侵入」(ヴェーベルンの指摘の通り第2部との橋渡しを担っており、そのホ長調は第4交響曲同様「天国」の調性であり、ここでは栄光の聖母の調性でもある)も、そのAccendeに挟まれる主要主題の複数の動機を重ね合せた二重フーガ(同46)が展開部の只中であるにも関わらず変ホ長調であることも異例であろう。本来は提示部で調的緊張をもたらし、再現部で解消する機能を果たすべき副主題(Imple superna gratia)はここでは寧ろ充足的な性質の変ニ長調で提示され(同7)、再現部では省略されてしまう代わりに遥か後になって、第2部においてファウストの復活をかつてのグレートヒェンが歌う箇所(同165)において、ようやく「本来の」ドミナント(変ロ長調)で「再現」し、第1部冒頭の「来たれ」(Veni)に対応する栄光の聖母の「来たれ」(Komm)の主調による提示(同172)を用意するのである。

全曲の終結が「天国」の調性であるホ長調ではなく変ホ長調であるのは、この作品が「神秘の合唱」が告げるかに見える成就の音楽化ではなく、作品を支える意識は寧ろ「過ぎゆくもの」の側に留まること、「成就」は意識ある主体にとっては仮象に過ぎず、そこに向かって漸近はできても決して到達はできないことを示唆しているのではないか。

この作品においても「離れて配置される」金管群による「空間性」は重要だが、第1部末尾でAccendeが遠くから響くのに呼応して、全曲の末尾では曲頭のVeniが遠くで響くのは、そこが人間の超越の運動としての「突破」の起源であることを告げているかのようだ。「突破」を時間論的に解釈すれば、あたかも未来が現在に目的を示して導くかのような「創発」の瞬間であり、通常の時間性から見れば「時の逆流」に他ならないのである。

更には『ファウスト』第2部終幕が、意識ある主体が到達できない「死後の世界」である点を忘れてはなるまい。第1部にも出現する「子供の死の歌」の引用の意味は、第2部において誤解しようのない迄に明確になる。第9交響曲の暗示もあり、一見して正反対で異質と捉えられがちであるにも関わらず、この曲の他の後期作品への隣接は明らかなのだが、それもまた「突破」の超越が意識ある主体の「消滅」と表裏の関係にあるが故なのだ。

Veni Creator, Spritusに対する「ところでそれが来なければ」という、一見したところ冷静で、一分の理があるかに見える混ぜ返しもまた、曲頭のVeniで露わなのがインスピレーションを受けた主体の受動性であり、それが「既に到来している」のであれば、妥当ではあるまい。作品自体が到来に対する応答なのであり、ここで音楽は、実際には実現していないことを恰も実現したかのように見せかける詐術では決してないのではないか。

個人的経験を超えて「客観的」たろうとしたマーラーからのこの「贈物」を、その価値に相応しく受け止め、「応答」する義務が我々にはあり、その義務を果たすためには、アドルノが留保として述べた言葉を寧ろ逆転させた上で、それに伴う様々な危険を引き受けつつ、この曲の実演によって一体何が達成できるのかを自ら問うべきなのではなかろうか。

時代と場所の隔たりを超え、現実的な数多くの困難を乗り越えてこの作品を上演することは、まさしく「応答」の、優れて具体的な実践であろう。音楽監督の井上喜惟さんを初めとするマーラー祝祭オーケストラ・合唱団の方々、上演を支えて下さる方々の「壮挙」に対し敬意を表するとともに、私は聴き手の一人として、単に演奏を消費(それは情報論的には情報を単に捨てることに他ならない)することなく、マーラーの遺した「謎」に向き合い、自らも何かを生み出すことによって自分なりに「応答」するよう努めたい。

2015年8月29日土曜日

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(7):オルミュッツ劇場時代にマーラーが住んだ家(チェコ共和国オロモウツ)

マーラーは1882年にオルミュッツ(現・チェコ共和国オロモウツ)の歌劇場の指揮者を勤めていた時期に、劇場近くのホルニー広場にある黄金のカワカマスの家(現在はカフェー・デスティニー) に住んでいた。 現在でもカフェ・デスィニーの入り口の右斜め上方の建物の壁に、黄金のカワカマスが嵌め込まれているの確認できる。

2015年8月23日日曜日

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会を聴いて(2015年8月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会
2015年8月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール

ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲変ニ長調
井上喜惟(指揮)
カレン・ハコビヤン(ピアノ)
マーラー祝祭オーケストラ

(アンコール)ハコビヤン バッソ・オスティナート
カレン・ハコビヤン(ピアノ)

マーラー 交響曲「大地の歌」
井上喜惟(指揮)
今尾滋(テノール)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ


マーラー祝祭オーケストラ(旧・ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ)の特別演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れた。曲目はハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調と「大地の歌」であったが、 ピアノ協奏曲の演奏後、休憩を挟んでプログラム後半の「大地の歌」が演奏される前には、 ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調でソロを弾いたカレン・ハコビヤンさんがアンコール曲として、 自作のバッソ・オスティナートを披露した。 プログラムの構成の意図に関しては、音楽監督の井上喜惟さんがプログラムノートに書かれているが、 とりわけ「20世紀に入り、オスマン帝国領内におけるジェノサイド、ナチスドイツのホロコーストによる民族離散」 という共通性に関しては、ハコビヤンさんが自ら、アルメニア人ジェノサイドの追憶のために書いたと日本語で 紹介して演奏した「バッソ・オスティナート」が加わることで、その意図が一層明確になり、「大地の歌」を 受容する際の文脈が与えられたことを明記しておく必要があると考え、そのことを最初に記載しておきたい。

アルメニアの歴史についての私の知識はささやかなものではあるけれど、 ノアの方舟の辿り着いた土地に住む人々が、とりわけてもオスマン・トルコとの 関係で恐るべき苦難を味わったこと、しかもジェノサイドの計画性・組織性については未だに トルコは認めようとしていないことは以前に調べたことがあり、それらを思い起こさずにはいられない。 マーラーに関連した文脈に限っても、例えば妻アルマの後の伴侶であるフランツ・ヴェルフェル(ちなみに 彼もまたユダヤ人であり、そのせいもあってアルマはナチスに追われ、ヴェルフェルとともにアメリカに 脱出することを強いられる)の代表作が1915年のアルメニア人ジェノサイドに取材した、 「モーセ山の四十日」(Die vierzig Tage des Musa Dagh)という1933年に書かれた小説であることが想起されよう。 ヴェルフェルの作品の主題は、まさにハコビヤンさんの追憶の対象のそれであり、今年がまさにその出来事から 100年の節目の年であることを、私はここで記録しておかずにはいられない。

そうしてまた更に不可避的に、マーラーの没後にユダヤ人が経験することになり、一例を挙げれば、 パウル・ツェランの詩作によって、その言語を絶する傷が証言されているホロコーストについては勿論のこと、 日本人もまた、太平洋戦争末期の無差別都市爆撃、広島と長崎の原爆を経験する一方で、 南京事件(規模はともかく、それが事実であることを否定することはできないだろう)をはじめとする 侵略行為については加害者の立場にあることを意識せざるを得ない。中国の詩を素材とした 「大地の歌」を、日本において受容するにあたり、仮にそうしたことを抜きにしたいと考える人がいたとして、 寧ろ目をそむけるべきではないのではないかと思われるし、更には今日の中国と日本の関係をも加えた文脈の中で、1世紀前に異郷のユダヤ人が書いた音楽を、今、此処で演奏し、聴取するのだという ことに対しては意識的であるべきだと考える。

勿論そうしたことは、音楽を享受することについて必ずしも直接的な理由や動機となるべきでは ないかも知れないし、かつまた、そうした文脈に限定して音楽を聴くというのは極論でもあり、実際には抽象に過ぎないが、 逆に、無菌室よろしく、あらゆる文脈を剥ぎ取った防音設備の中で純粋に音響として音楽作品を享受する というのもまた、抽象に過ぎない。実際には演奏者も聴き手も、それぞれの多層的な文脈の中で音楽を 経験するわけだし、(拒絶も含めて)聴き手は与えられた文脈を、自分の展望の中で受けとめた上で 音楽に接すれば良いのだと思うが、私個人について言えば、 自分にとって初めての「大地の歌」の実演に接するにあたり、 このような文脈の下で「大地の歌」を聴くことは、非常に貴重な経験であったと思う。

私自身もまた、戦前及び戦後すぐの「大地の歌」の受容に纏わるエピソードについて、 自分の知る若干の事柄をまとめた文章を公開しているが、それらを踏まえた上で、折りしも戦後70年、 アルメニア人ジェノサイドから100年の節目に、かくの如き文脈を与えられた今回のコンサートは、 「大地の歌」の受容において、重要な意義を持つものであると考える。 今回のコンサートを、とりわけても「大地の歌」を、現在の日本で演奏し、それを聴くことに対して、 このような文脈づけをした音楽監督の井上喜惟さんの企画に対して、まずは敬意を表したい。

以下、コンサートの感想としては、いつもの通り、マーラーの作品のみに限り、かつ、 「大地の歌」の実演に接するに際しての考えについては、今回はプログラムノートに記載させていただく 機会を得たので、実演に接して受けとめたものに限って記録しておくことにする。「大地の歌」の 実演に何度も接している方にしてみれば、何とも拙いものと映るであろうが、それは仕方があるまいし、 いわゆる(客観性を旨とする)演奏会批評が目的ではなく、自分がコミットメントしている対象についての ドキュメントに過ぎないことは、これまでの感想と同様である。

それでも敢て、マーラー以外に関して感じたことを一言 書き加えておくならば、これまでの他の交響曲の演奏でも感じていた井上さんの、特にスケルツォ楽章や 変拍子の箇所におけるテンポやフレージングの把握の的確さには、地理的に重なり合い、影響しあう 部分があったであろう、東欧系の音楽に関する経験があるのではということに、ハチャトゥリアンの演奏を 聴いていて思い当たった。そしてこのことは、井上さんの企画が、単なる理念のレベルのみならず、 音楽的な経験の水準での蓄積に裏打ちされたものであることを雄弁に物語っているように思われた。

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既述の通り、聴き始めて35年近くを経ているにも関わらず、私が「大地の歌」に接するのは今回が 初めてであったのだが、その上でまず何よりも強く感じたのは、 実演に接しなければ決してわからないことがたくさんあることは事前に想像していたものの、 ここまでとは思わなかったということである。この作品の演奏頻度は、マーラーの交響曲が頻繁に 演奏されるようになった今日においては、今や相対的には低いものになっているように思われるが、 ビジネスとしての収支計算はおくとしても、この曲の実演にあたっての 歌手も含めた各奏者の技術的な困難は推し量れるし、そうした困難の中で演奏解釈を一つのビジョンにまとめあげる 指揮者の困難も大変なものと思われ、この作品をルーチンのコンサートで、2,3度のプローベで 取り上げるのでは、仮に技術的に破綻のないレベルの演奏は可能としても、作品の実質に釣り合った 十分な演奏をすることは至難の業であるろうことが、はっきりと認識できたように思える。

勿論、演奏における細部の精度については、今回の演奏においても 演奏者の理想とするところからの乖離が無かった訳ではなかろうし、 特に、特別な編成で、一部についてはマーラー自身が意図したよりも更に規模が大きい (しかもオペラの場合と異なって、ピットに入っているわけではなく、 背後から覆いかぶさるように鳴る)オーケストラを バックに歌う歌手の負担の大きさ、それを配慮して演奏を設計する指揮者のコントロールの 困難の大きさを感じる瞬間もあった。同じメンバーで再演する機会があれば、更に精度の高い、 完成された演奏になることは間違いないことであろう。

だが私が強く感じたのは、「大地の歌」には、本当にこの作品にしか存在せず、この作品を 通してしか垣間見ることができないかけがえのない瞬間がいたるところにあり、 そうした瞬間の備えているある種の経験の質とても言うべきものを実現することは、単なる 演奏精度の尺度で測ることができないものだということである。そしてそうした質の把握において、 この演奏は卓越したものがあって、圧倒されることが何度となくあったのである。そうした質の把握が あればこそ、人によっては、より緻密なアンサンブルの精度を期待したくなるような箇所でも、 音楽の質が損なわれることはない。特にこの作品は、西欧音楽の枠組みの範囲内ではあるけれど、 単純な比例関係にない拍節の交替や重ね合わせによって、西欧音楽の均等なリズム感から 逸脱する傾向や、ヘテロフォニー的な側面をはっきりと備えていることもあって、寧ろ音響的な滲みや 暈のようなものを感じられることさえあり、気にならないどころか、寧ろ「あるべき響き」をそこに聴き取る ことができて感動する瞬間に事欠かなかったのである。

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オーケストラの演奏に関して感じたのと同じことは歌唱のアプローチにも感じられ、とりわけアルトの歌唱は、 きれいに破綻無く歌うことよりも、寧ろ、歌詞に寄り添って、語りであれば文字通り囁きから叫びに至る、 表現のパレットを歌唱としてのぎりぎりの限界まで使い切ろうとするかのような歌い方で、 聴いていて肺腑がえぐられるように感じる瞬間が、これまた何度となくあった。 その感触は私の個人的な経験の範囲では、西欧音楽よりも、 寧ろ能楽における謡が高潮したときに受ける印象に近く、これもまた「大地の歌」という作品に 相応しく感じられた。(勿論これは、実際の歌唱の方法が非西欧的であったのでは全くない。 西欧の伝統的に依拠する申し分ない歌唱から、「大地の歌」という作品を介して、私が受け取ったものが、 単に表現豊かであったり、あるいはジャンルが違えば「ソウルフル」とでも形容されたかも知れない ものあるに留まらず、そうしたものにまで及んだいうことに過ぎず、こうした聴き方が私の全く個人的な ものであることを否定するつもりもないし、その当否を議論するつもりもない。他方で仮に私のような聴き方が 間違っていたとしても、私が歌唱から受け取った感動は些かも変わることはない。)

備忘のために、歌唱において特に印象的だった箇所を列挙しておけば、テノールでは、 第1楽章の第3部分の埋め込まれた「酒宴の歌」の部分、第5楽章の中間の色合いがくすんでテンポが緩み、 響きに温かみが差す部分などが印象に残った。アルトの歌唱は既述のように素晴らしく、枚挙に暇がないが、 第2楽章では、第3節、Ohne Ausdruckという指示のある"Mein Herz ist müde"という呟きから始まる部分 (突飛な連想だが、パルジファル第1幕のクンドリの歌唱パートが思い浮んだ)、第4楽章の音響上の ピークが過ぎて音楽が静まった後の部分、特に最後の詩節において 語り手の心情が映りこむことによって差し込む影と悲しみを語る部分。 第6楽章は、どこか一つというのは困難だが、強いて挙げれば、歌ではなく、語りが求められ、 またしてもOhne Ausdruck / Ohne Expressivoの指示があるレシタティーヴォ、特に中間の 器楽の葬送行進曲の後のレシタティーヴォの原調での再現以降、 とりわけてもEr sprach以降の歌詞上、「くぐもった(umflort)声」で語られたとされる部分。 ここもまた、マーラーの再現の常で、 特異点を通り過ぎ、不可逆な相転移が生じ、最早元には戻れないという徴を帯びている決定な箇所だが、 そうした時間性がもたらす音調を過たず捉えていたように感じられた。 繰り返しになるが、ここではいわゆる正確で美しい、高精度な歌唱とは些か異なる質が、音楽と歌詞によって 求められているのだと思うが、それに十全に応える素晴らしい歌唱であったと思う。

また、アルトの語りに伴うフルートもまた、西欧音楽のフルートであるよりは、葦笛や能管を思わせるような 音色と間合いを感じさせ、「大地の歌」の風景を、マーラーの音楽を生み出した側からではなく、 まさに日本の側から浮かび上がらせていて、それゆえこの作品を西欧の演奏家の演奏で聴くときに感じる 違和感のようなものを感じることなく、作品の生み出す風景の中に入り込むことができたように感じられた。 勿論、それは西欧の演奏が間違っているということではなく、とりわけ「大地の歌」のような作品にあっては、 それが生み出された伝統とは異なったパースペクティブから作品を捉える余地があり、この日を演奏は その可能性を汲みつくしているように思われたということである。

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再び歌唱から管弦楽に戻って、「あるべき響き」をそこに聴き取れたと感じた瞬間を備忘のために書き留めておくならば、 第1楽章ではまず冒頭の響きが素晴らしく、あっという間に「大地の歌」の舞台である仮想的な空間に聴き手を引き込んでいく。 恥ずかしながら、開曲から1分と経たないというのに、もう感極まってしまって、不覚にも涙が出てしまった程、 その響きは壷に嵌ったものだった。 そして第3節のへ短調による紋中紋(mise en abyme)のように埋め込まれた「酒宴歌」の部分の空気感。 これまでの他の交響曲の演奏でも 感じたことだが、手にとれば重みを感じ取れそうな響きの充実があり、そのせいで、 調性が切り替わることに遷移していく色彩(私個人について言えば、共感覚により具体的に色彩が 感じられるのだが)の鮮やかさが一層鮮明なものになる。

第2楽章も冒頭の鈍く冷えた金色がかった風景が、途中で暗い寒色の空間に移り(そこにランプが灯るのである)、 それが再び暖色の風景に戻って、太陽を歌う部分では陽光の温もりさえ感じられるが、それが冒頭の 霧の中に再び沈んでいく過程の鮮明さ。そうした色彩の変化、温度や光の加減の変化は、中間の 第3,4,5楽章では一層鮮明になるが、特に圧倒されたのは第4楽章で、ト長調の青みがかった透明な風景が、 転調を繰り返す毎に光の調子と色合いを変えていく過程は、音楽を聴くことを通してその風景を見る 人間の心を掻き毟るような効果を持っている。 その過程の頂点でハ長調のまばゆい白色の光に到達するのだが、印象的なのはその後、 音楽が静まったところで、一旦、変ロ長調の暖色系の光の中で最初の雰囲気の再現が始まる(この変ロ長調が、 第6楽章ではまさに「美」に酔いしれた世界を歌うブロックに対応していることにも留意すべきだろうか)のが、 冒頭の調性に戻っていき、再びまた光の調子と色合いを変えかかって、だが今度は主調に落ち着くプロセスがまた、 あまりに鮮烈で、思わず涙なくして聴けないものであった。

第6楽章については、アルトの歌唱とフルートについては既に記したが、それ以外のところについて 書き留めておこうと思ったところで、個別にどこをどうと言っても仕方ないように感じられる。 自分が受けとめた印象の深さに比べて、感想を書きつける言葉が、 あまりに色褪せたものでしかないことを確認することにしかならないのは明らかだからだ。 恐らくは疑いなく、奏者も同じ思いであったと確信しているが、聴き手たる私もまた、 このような音楽を遺してくれたマーラーの天才に脱帽し、感謝する以外にないように思えるのである。

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もう一点、特筆しておきたいのが、マーラーの作品の先駆性、その後の音楽がそこから影響を受けた 側面は、やはり実演によってしか十全に把握することができないということである。 この作品が要求する室内楽的な繊細なバランスは、工芸品のような完成度を追求すれば、 録音技術が可能にする調整を介した方がよりよく実現できるという側面もあろうが、 その一方で、特にこの作品で追求されている、単純な比例関係にない異なる音価の重ね合わせがもたらすゆらぎや、 ミュートの使用やベルアップ、あるいは複数のパートへの振り分けや重ね合わせによって もたらされる空間的な厚みや距離感の効果、より「絵画的」な効果としては、例えば第二楽章において両翼配置の ヴァイオリンが描き出す霧の渦が重なり合っては消えてゆく様、更には第6楽章において、非常に 低い音域を用いることによって、日本の伝統音楽で言うところの音の「さわり」が引き出される点などは、 その場で奏者が楽器を鳴らし、音響がホールの空間を介して直接聴き手に届く環境でないと、 十分に感じ取ることができないように思われるし、実際に実演に接してみれば、例えばリゲティやラッヘンマンが マーラーに見出したものが何であるかがごく感覚的に直接に把握できるように思われるのである。 勿論この演奏において、作曲者の意図に忠実な徹底したリアリゼーションが為されたことが、そうした 印象を可能にしているのは言うまでもないことであろう。

そこで音が鳴っているのを直接経験しつつ、だが、それとは異なる仮想的な空間で音が響いている、 その仮想的な空間こそが、「大地の歌」においては歌詞によって語られる場であり、その場もまた 単一ではなく、重層的・複合的なものであるということを、再生装置を介した聴取でそれを予感しつつ 聴くのとは全く異なって、直接的に「体験」するのは、この上なく魅惑的な経験であり、 恐らく聴き手自身が作曲家であれば、この作品は、そこから自分が取り込むことのできる アイデアが溢れんばかりの存在なのではないかだろうかというようなことを思わずにはいられなかった程だったのである。

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勿論、これまで30年以上にわたって録音媒体を介して、或は楽譜を読む事を通して、 この作品の凄さは十二分に知っているつもりでいたけれど、実演に接してみれば、 そうした理解が、この音楽のもつ力の本当の凄みを全く捉えられていなかったことを 感じずにはいられない。マーラー自身はこの作品をあまりに絶望的で、聴いた人が 自殺するのではないかと語ったとワルターが伝えているが、 その音楽が聴き手に働きかける力の大きさについては、掛け値なしに、比喩でなく、 そうしたものであったと感じる一方で、その方向性については、マーラーの言葉には反して、 この音楽は、(後に録音媒体でそのような聴取が可能になったように)それを一人で、 しかもどこでもない場所、どこでもない時から響いてくる、幽霊的なものとして聴くのではなく、 実演によって接してみれば、或る意味では逆説的に、この音楽の持つ徹底的に個人的な性格と、 そこに篭められた悲しみと絶望の深さ故に、有限の生命に限界付けられ、容赦ない環境の猛威の中で立ち尽くし、 あるいは蹲って耐える他ない、寄る辺なき弱者が生きていくための希望を与えてくれるものであることを はっきりと感じることができたように思える。アドルノがマーラーの音楽を、虐げられた者に対して手を 差し伸べるのだと言っているが、そうした側面は実演を通してこそ、実感できるもののように思われる。

この音楽は、このように時間と場所の隔たりを超えて、 繰り返し実演されることによって、世代を超え、狭い意味での文化的伝統の差異さえ超えて、 継承されなくてはならないし、この作品が他ならぬ自分に対して手を差し伸べているのを感じ、 この音楽から力を受けとった者は、そうした継承に寄与すべきなのだというように感じられ、 それ故に、聴き手として実演に関わることで、自分もまた、ごく僅かであっても、 そうした継承に寄与できたことを嬉しく感じたのである。そして勿論、そうした機会を提供し、 そうした経験を聴き手に贈与してくれた、井上さんをはじめとする奏者の方々、のみならず、 この演奏会の企画、運営に携わった方々への感謝の思いを強くしたのであった。

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このような演奏を実現するには、本番の集中も勿論だが、徹底した研究の上に、 幾度もの徹底したプローベが必要であったこと、更には、そもそもこのような演奏会を 企画し実現するためには私などには及びもつかないような、大変なパワーが必要と されることを痛感し、音楽監督の井上喜惟さんをはじめとする 奏者の方々には只々敬服するばかりである。 このような貴重な経験をさせていただいたことに対して、 改めて感謝の意を表するとともに、いよいよ最後となる次回の第8交響曲の演奏の 成功を祈念しつつ、この感想を終えたい。(2015.8.23初稿公開, 24修正)

2015年8月22日土曜日

『大地の歌』の「今」と「此処」 (2015.8.22 マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会によせて)

『大地の歌』が喚起する、眼前に確かに広がると感じられる風景は、一体何処のものなのか? 1世紀以上の時間的な隔たりと地球を1/3周分の空間的な隔たりを介して21世紀の日本でこの作品に接する者にとって、マーラーの作品のみならず、西洋のクラシック音楽の中でも特異な相貌を示すこの作品は、良かれ悪しかれテクノロジーの影響下にある長い受容の歴史を経て尚、未だ謎めいた存在であることを止めないかに見える。

クルト・ブラウコップフ等が指摘するように、マーラーの作品の普及にはLPレコードを代表とする録音技術の発達が大きく寄与してきたが、『大地の歌』に関しては1936年のSPレコードへの収録以来、LPレコードからCDを経て今日に至る迄に膨大なディスコグラフィーが築かれ、過去の歴史的名演の数々を何度も繰り返し聴くことができる替りに、その特異な編成ゆえか、マーラーの演奏が当たり前になった今日となっては、演奏頻度が飛躍的に向上した他の作品に比べ、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているかのようだ。のみならず、ラジオやテレビによる実況放送に加え、Live Streamingのような技術によって「生演奏」自体がますます仮想化しつつあるかに見える。

他方、作曲の当時マーラーが見ていた風景はと言えば、既にマーラーの時代に存在していた写真に加え、現在では例えばGoogle Street Viewを用いれば、(これはマーラーの時代にようやく発明されたばかりで実用化前であった)飛行機に乗り、鉄道や車により現地を訪れることなく、自宅でドロミテの風景の中を仮想的に移動することができる。今や、トーブラッハを訪れたデチャイが書き留めた、マーラーが毎日午後に逍遥したとされる道を逍遥することすらできるのだ。だがだからといって、マーラーがドロミテの風景を通して、アドルノのいう「仮晶(Pseudomorphose)」として構築した風景が其処にあるということはできない。それは端的に、作品の裡に仮想的なかたちでしか存在しえないのだ。

『大地の歌』の歌詞の素材である、漢詩に基づくハンス・ベトゲの追創作(Nachdichtung)を巡っては、オリジナルの漢詩の推定は勿論、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作の過程が追跡され、誤訳の実証的な指摘さえされてきた。だが既に半世紀近く前に吉川幸次郎が指摘している通り、漢詩はあくまで素材に過ぎず、ベトゲのみならず、マーラー自身による自由な変形を受けている点を見落としてはならず、仮想のものでしかない中国の風景もまた、そうであることにより、吉川の指摘の通りに、中国的であると同時に普遍的なものたり得ているのである。

更に言えば、歌詞に対するハンス・マイヤーの辛辣な評に対しアドルノが述べた通り、素材に過ぎない詩のみを音楽と独立に論ずるのは、文化的な潮流、時代の嗜好としてのオリエンタリズムやら当時流行の世紀末的な「死のイメージ」やらに還元することと同様、マーラーの疎外の意識が「仮晶」としてこの作品に定着したものを損ない、この作品において達成されたものを却って見えなくさせてしまう危険があるだろう。

『大地の歌』が交響曲か否かという問題もまた、「第9の迷信」に関連づけ、単純な二者択一を論じるのは皮相である。コンサートやCD販売といった興行や流通の制度からは厄介者扱いされるであろう、大管弦楽と2名の歌手を必要とする交響曲にして連作歌曲というユニークな形態の作品が、創作の到達点の一つとして産み出されたことこそが、マーラーの創作の特異性を示しているのである。歌詞と音楽との関係は勿論、変形の技法とともに、独自の「調性格論」(Tonartencharakteristik)をベースにした発展的調性によるシンフォニックな作品の設計が実現する6つの楽章間の多層的な構造を、ある時にはその中を逍遥し、ある時には俯瞰しつつ具体的に眺めていくことこそ重要であり、そうしてこそこの作品の無尽蔵の豊饒さに触れ、この形態でのみ実現可能な実質を捉えうるのでないか?

『大地の歌』という作品の実質を把握するにあたり、例えば、題名にも含まれるErdeという単語の孕む、有限で悲惨な「地上」と永遠に輝く「大地」との両義性を、どう訳し分けるかといった翻訳の問題から辿るのは一見したところ本末転倒に見えるかも知れない。

だが上述のような、素材のレヴェルでの、狭義の翻訳には収まらない変形・変換の介在を思えば、ことこの作品に限っては翻訳の問題は決して副次的ではないし、もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、異国の音楽を受容するに際しては、無意識的であれ、何らかの「翻訳」が為されているに違いない。日本人にとっては外国語であるドイツ語の歌詞を十分に身体化できないことの逃げ口上ではなしに、歌詞の注釈として音楽を解釈するような姿勢はこの作品には相応しくないし、楽曲においてもそうであるように、歌詞の水準においても、単なるポプリ、アンソロジーではない、絶えざる変形と複数の層の重ね合わせにより構築される仮想的な世界に端的に向かい合うべきなのだ。

日本から見れば所詮は外国であるけれど、非常に長期に渉って徹底した影響を受け、独特の受容をしてきた経緯から、西洋のオリエンタリズムに対して、謂わば「対偶」の位置から中国に向き合うのであれば、日本において問題となるのは、単純な洋の東西の差異ではありえない。万延元年に生まれ、明治44年に没したマーラーの同時代の、未だ漢詩を自ら作る伝統を受け継いでいた日本人であればともかくも、1世紀後の日本に生きる人間にとって、『大地の歌』の「原風景」にしても、どこか既視感のあるものであり乍ら、最早過去のものであり、かつての日本人に比べてずっと意識的に向き合うものでしかないだろう。

だが逆にそれだけに一層、非本来的なものを擁護する戦略としてマーラーがとった、漢詩を素材とした擬態が孕む屈折により浮かび上がる風景の見え方の面において、不思議な近さ、もっといえば構造的な同型性の如きものを感じずにはいられない。この音楽が指し示す仮想的な場所を、マーラーがドロミテの風景に「仮晶」として見たのと構造的に似た仕方で、我々は日本の風景の中に、やはり「仮晶」として見出すことができる、のみならず寧ろ逆説的に、精神的なLandscapeとしては、本物の中国の風景よりもそちらの方が(非在としての)「真実」と名指すにふさわしいように感じられるのである。

そしてその由来を問うならば、マーラー個人の様式を特徴づける、複合的な楽曲構造の重ね合わせや楽章間の非因習的な関連づけこそが、有限で儚く、永遠性に与れない、過ぎ行くものとしての自己の限界の認識によってもたらされる、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する疎外の意識が生み出すErdeの両義性、単純な対立でもなく、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方を導き出すことに気付かされる。

単純な反復を忌避するマーラーの嗜好や、不連続的な相転移も含めて複雑に展開するマーラーの音楽の動的な性格は、単純なシンメトリーや冒頭に回帰する円環的な時間構造と対立し、緊張をもたらす契機であり、東洋的と言われ、内容上、春の訪れの反復による循環のうちに永遠性を見出すかに見える『大地の歌』もまた、地上の悲惨さの認識から自己の有限性への受容へと至る心的過程の音楽的実現こそがその実質であろう。

そのことは例えば、「悲劇」の調であるイ短調で始まる第1楽章において、マーラーがベトゲの詞章を改変し、詩の中で酒杯を干す前に、琴か箜篌か或は琵琶かを弾きつつ歌う歌詞として入れ子状に埋め込んだ、第6楽章末尾の予告であるところの第3連がmemento moriの調であるヘ短調で歌われるのが、一旦、第5楽章末尾で(第6交響曲第1楽章や第10交響曲第1部のように)同主調のイ長調に到達した後、第6交響曲同様ハ短調でフィナーレたる第6楽章が再開し、最後は冒頭の平行調にあたるハ長調に辿り着き、更にそれまでのマーラーのモットーであった長調から短調への推移を宙に吊ってしまうかのように、付加6の和音で作品全体が閉じられるという調的設計自体が物語っているものなのだ。

マーラーがワルターに第3交響曲作曲時に言った「もう作曲してしまったから、現実を見るには及ばない」という、自信過剰な芸術家の大言壮語と見做されかねない言葉を、「作曲とは世界の構築である」という、これまたそれ自体、文学的修辞の類として比喩的に受け止められがちな言葉を文字通りに受け止めることを通じて理解し、必要であれば既存の楽曲分析の枠組みを超え、複製技術を介さない実演という契機を含めた音楽的「出来事」の過程の全体を複雑系としてシステム論的に捉えることによってこそ、マーラーが遺したものを受け止め、未来へと向けて応答することが可能になるのではなかろうか。

今回の実演の企画が、演奏に参加する人のみならず、聴き手も含めて、まさにそうした「今」「此処」における『大地の歌』の生産的な受容にとってのまたとない「出来事」となることを願って止まない。

2015年5月10日日曜日

『大地の歌』の「風景」について―甲斐貴也さんへ―

 20世紀初頭に作曲されて1世紀後の時間的な隔たりと、地球を1/3周分の空間的な隔たりを介して、21世紀の日本で接する時、『大地の歌』の音楽が喚起する、眼前に確かに広がると感じられる風景は、一体何処のものなのか?

 マーラーの早すぎる晩年(あくまでも事後的にそう区分されるに過ぎないが)に、ドロミテ・アルプスの風景の中で作曲されたこの作品は、いつもの通り、初演を念頭においた出版の準備が進められていたものの、マーラーの突然の死によって、生前に楽譜が出版されることもなく、彼自身の指揮による初演も行われることがなかった。それゆえこの作品の後世による受容のプロセスは、マーラー没後半年を経た1911年11月20日にウィーンで行われたブルノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、シャルル=カイエのアルト、ミラーのテノールによる初演の時から始まったのである。レコードへの録音は、1936年5月24日に収録されたブルノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルト:トールボリ、テノール:クルマンの演奏を嚆矢とするが、そのSPレコードは戦前の日本にも輸入され、日本初演に先立って聴かれていたことが幾つかの文章で確認できる。その後LPレコードからCDを経て今日に至る迄の膨大なディスコグラフィーについては改めて言うまでもなかろう。ただしその特異な編成もあって、これだけマーラーが頻繁に演奏される今日となっては、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているように感じられる。

 大地の歌の演奏記録の中で、1939年10月5日のアムステルダム、コンセルトへボウの演奏会の記録であるシューリヒト指揮、コンセルトへボウ管弦楽団、トールボリとエーマンの歌唱の記録は、まずもって、録音状態の悪さを超えて今尚説得力を喪わないその演奏の卓越について触れるべきだろうが、そればかりではなく、今日我々が耳にするのとは異なった、まさにマーラーの同時代の演奏様式を垣間見ることができる点で際立った記録でもあり、なおかつ演奏中(第6楽章の間奏が終わったタイミング)に発生したハプニングの記録でも有名であろう。実はこの演奏会、本来はメンゲルベルクが指揮する筈であったが、(メンゲルベルクにはしばしば起きたことのようだが、)病気のために指揮ができなくなり、急遽代役を探すことになったのだが、歌手達の意向もあって、ユトレヒトのオーケストラに客演していたシューリヒトが代役を務めることになったという経緯があるらしい。既に前年にオーストリアはナチス・ドイツにより併合され、ドイツ国内ではユダヤ人の音楽を演奏することが禁じられ、オランダの独立ももう間もなく喪われようというこの時期に、ユダヤ人により作曲された「大地の歌」という題名の作品を、ドイツ人の指揮者の指揮によりオランダのオーケストラが演奏するという状況の異様さが、くだんのハプニングを引き起こす原因であったに違いないが、後にはメンデルスゾーン、マイアベーアと並んで”3M”としてナチスより忌避されることになるユダヤ人の、中国の詩に取材した作品の演奏で件のハプニングが起きたことは、この曲の風景とどのように関係していたものだろうか?

 日本での初演は1941年1月22日、日比谷公会堂におけるローゼンシュトック指揮新交響楽団(現在のNHK交響楽団)、 四家文子のアルト、木下保のテノールによる演奏であり、楽曲紹介を含む当時の新交響楽団の機関紙(音楽雑誌「フィルハーモニー」第15巻第1号 大地の歌)からは、同じ年の年末には太平洋戦争に突入することになる当時の日本の雰囲気が伝わってくる。ちなみに同年10月成立の東條英機内閣に外務大臣として入閣し、結果的に開戦時の外務大臣となり、そのために後に極東国際軍事裁判の被告となった東郷茂徳は、上記のワルターの演奏のレコード録音の数ヵ月後の1936年8月に、ナチスにより追われたローゼンシュトック(彼はユダヤ系であった)が新交響楽団の指揮者に就任するために来日した際に、当時のドイツの駐日臨時代理大使(大使館参事官)ネーベルが行った干渉に対し、当時の欧亜局長として断固として撥ね付けたという記録が残っている。なお、戦後最初に演奏されたマーラーの作品は恐らくは『大地の歌』ではなかったか。昭和21年(1946)5月1日というから、ポツダム宣言受諾からまだ1年と経過していない時期に、同じくNHK交響楽団の前身であった日響の定期で取り上げられているようなのである。(指揮は山田和男(のち一雄)で独唱者は日本初演時と同じ。)ちなみに奇しくも同じ日に、上述の東郷茂徳は戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されている。極東国際軍事裁判の開廷は2日後の5月3日である。東郷茂徳は薩摩・苗代川の陶工の家系の出、文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱で島津義弘により朝鮮から虜囚として連れてこられた人々の子孫の一人であり、外交官としては異例の、シラーの戯曲についての論考が残る独文学専攻出身であり、ユダヤ系ドイツ人を妻とした人である。そして同時に、前年の1945年9月11日の戦犯容疑者39名の逮捕命令の対象者に自分が含まれていることを知り、静養していた軽井沢を発って東京に赴く際に、陶淵明の「神釈詩」の末尾(「縱浪大化中/不喜亦不懼/應盡便須盡/無復獨多慮」)を墨書して家族に渡した人でもある。このような文脈を備えた彼がもし、自分が救ったローゼンシュトックの演奏する『大地の歌』を聴いたとしたら、そこにどのような風景を見出したであろうか?

 一方で、管弦楽伴奏連作歌曲とも交響曲ともつかないこの作品に、ピアノ伴奏版の自筆譜があることが判明し、しかもその世界初演が日本で行われたことを記憶している人も少なくなかろう(1989年5月15日、国立音楽大学講堂において、サヴァリッシュのピアノ、 アルト:リポフシェク、テノール:ヴァンベリ)。それまで知られてきた管弦楽版と比べたとき、各楽章のタイトルや歌詞のみならず、小節数の違いさえ含むこのピアノ伴奏版は、作曲の過程において少なくとも1908年頃の段階までは、管弦楽版とピアノ伴奏版が、いわば並存するような形で存在していたことを告げているが、それだけではなく、現在所在不明になっている同じ時期の日付を持つ管弦楽版草稿の第1,2楽章を補うものとして重要だし、実際に国際マーラー協会のマーラー全集において補巻IIとして出版されただけでなく、1990年出版の管弦楽版の校訂作業のきっかけとなった。ちなみに、ピアノ伴奏版においても依然として題名には「交響曲」と書かれており、この作品について単純に交響曲か否かを論じてみても、ここでマーラーが達成したことの意義を測ることができないは言うまでもないことであろう。

 だが何よりも『大地の歌』がハンス・ベトゲの「中国の笛」という漢詩のドイツ語による翻案(追創作:Nachdichtung)の中の幾つかの詩を歌詞として用いている点こそ、この曲が提示する風景を性格づけることにおいて決定的であることは衆目の一致するところだろう。こちらもまた、ドイツ文学の泰斗ハンス・マイヤーの挑発的な論文に対してアドルノが反論をするかと思えば、マーラーが(常に歌詞として用いた原作に対してそうであったように)ベトゲの詩を改変したプロセス(ここでもまた上記のピアノ伴奏版が大きな役割を果すのであるが)は勿論、エルヴェ・サン=ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作のプロセスまで追跡され、更には原作である漢詩の推定を音楽学者や中国文学者が試みるといったことが為されてきており、最早、論じつくされたかのような感すらある。

 だが問題は単純な洋の東西といったものではない。日本から見れば中国も外国であり、但し非常に長期に渉り、非常に徹底した影響を受け、独特の受容をしてきたという経緯から、幾つかの面で西洋におけるオリエンタリズムと対偶の位置から中国に向き合っているということを先ずは認識すべきであろう。管見では中国文学者は、少なくとも前了解としてそのような姿勢を持っており、従ってオリジナルの漢詩とその西欧の言語への翻訳を比較する際に、単なる正確さの基準のみを以て「誤訳」であるかどうかを云々するといった水準に留まらず、まさに日本人がそうしてきたように、異文化を受容にするにあたり、固有の文脈に埋め込むための変換の作業が存在することを前提とし、その上で何が起きているのかを見極めようとしているように感じられる。

 既に半世紀も前の1970年にNHK交響楽団が「大地の歌」をプログラムとしてとりあげた際、機関紙<フィルハーモニー>(同年10月号)に掲載すべく依頼したことによって書かれた、吉川幸次郎氏の『「大地の歌」の原詩について』において既に、オリジナルの盛唐の詩が「素材」に過ぎず、「いろいろと自由な変形をうけている」ことが指摘され、その上で、「西洋のことは耳学問の私には、はっきりとしたことはわからない」と留保つきながらも、「しかし、変形をうけながらも、その感情は依然として、中国的である。あるいは少なくとも唐詩的である。そうしてマーラーの作曲もそれを増幅する」と述べ、更に加えて「新しく接触し発見した異地域の異種の文明、その中にある特殊そうに見えて実は普遍なもの、それをより大きな普遍へと造型しようとするのが、マーラーの努力であったろう」と述べられているのである。

 更に近年の例として、やはり中国文学者の市川桃子氏は『中國古典詩における植物描寫の研究―蓮の文化史―』(2007)所収の第三部『「採蓮曲」の系譜』の第三章「樂府詩「採蓮曲」の飛躍」において、李白の「採蓮曲」のマーラーの『大地の歌』の歌詞に至るまでの19世紀半ば以降の西欧での受容の経過を詳細に分析している。(甲斐貴也氏のご教示による。甲斐氏には、貴重な文献のご教示に対して此の場を借りて御礼申し上げる。)ここでは、マーラーの音楽では第4楽章の歌詞である「採蓮曲」一篇に限定してではあるが、ヨーロッパでの受容の過程で起きた変容に対して、「このようにして、李白「採蓮曲」に描かれる情景は歐州で始めて翻譯されたときに、歐州にある情景として無理のない設定に大きく變わったのである。ただし、場所や状況設定は變わっても、若く美しい乙女たちが夏の日差しを浴び、澄んだ水に姿を映して、樂しそうにおしゃべりをしている、その至福の光景を描くという本質的な點は、全く變わっていない。」という指摘がされている。そればかりではなく市川氏は、先行する第二章にて、李白の「採蓮曲」の最後の句に出現する「断腸」という表現に注目し、まずそれを「地上に再現されたこの天上世界から疎外された李白自身の氣持ちを投影したもの」とする解釈を踏まえ、「地上に再現された最上の美の世界は共通であるが、そこから生れた意味は李白とマーラーでは異なってい」るけれど、「しかし、どちらにも、生への、美への、切なる憧憬の念があり、どちらにも、それを手に入れられない絶望的な悲哀がある。地上の人間は、完全なる美の世界を手に入れることは出来なかったのである」との指摘をしているのである。マーラーの『大地の歌』の第4楽章の全曲での位置づけに関し、柴田南雄の「シンメトリー説」を引きつつも、それに対して留保をつけて「この第四楽章もまた『大地の歌』全體を覆っている悲哀に浸されている」という指摘をしている点と並んで、作品の持つ重層的な構造(それは歌詞が単に並置されているのではなく、語りレベルに応じて幾つかに層化された配置されていることに対応している)に対する把握を示しており、そのことによってこの第4楽章においてすら、語り手の哀傷に満ちた視線が潜んでいる点を正確に剔出されている点は見事というほかない。

 それでは第1楽章の歌詞に登場する猿の啼声はどうだろうか。人口に膾炙した杜甫の『登高』(風急天高猿嘯哀/渚清沙白鳥飛廻)やら『碧巌録』(羸鶴寒木翹/狂猿古台嘯)をはじめとした漢詩における、特定の情緒の喚起するイメージというのがあって、そうしたものを背景に音楽を聴くことになるのだが、しかしマーラーの音楽によってそれは、所詮素材に過ぎないベトゲの詩の文学的価値とはとりあえず別に、こう言って良ければより「実存的」な、自己の存在なり生に対する人間の認識に深められているという点を見逃してはなるまい。

 例えばそれをニーチェの『ツァラトゥストラ』のEinst wart ihr Affen, und auch jetzt ist der Mensch mehr Affe, als irgend ein Affe.を思い起こしつつ聴く人が居たとすれば(実際、甲斐貴也氏が私信でそのような指摘をされている)、其の人の把握にも理があることを認めざるを得ないだろう。ニーチェは当然ここで当時流行の進化論を背景にして書いているわけだが、ニュアンスの無視できない違いはあるものの、洋の東西を問わず、猿と人間が似ているというのは、或る意味では自然な理解なわけであり、だからこそ人間の運命の寓意にもなるのだろう。ショスタコーヴィチもまた、この作品における「猿」の形象に注目したことが知られているが、第14交響曲などから窺えるように、無神論者である彼の認識は寧ろニーチェ直系であると言って良かろう。他方、進化論については受け入れつつ、唯物論的な立場には懐疑的であったらしい、だが、ということはそうした立場を否定できないものと捉えてはいたらしいマーラー自身は、この「猿」をどのように捉えていたものか?

 こうした点を考えたときに直ちに気付くことは、マーラーの側の文脈もまた、ベトゲの詩作のみを問題にするのはあまりに皮相であり、マーラーに少なからぬ影響を与えた『意志と表象としての世界』のショーペンハウアーや『ツァラトゥストラ』のニーチェ、更には『ゼンド・アヴェスタ』のフェヒナーにおける東洋を考えるべきだということだろう。(リュッケルトが東洋学者であったことや、ゲーテにおける東洋に思いを致してみても良いだろう。マーラーの思想圏なるものを想定したとき、それは単純なオリエンタリズムには収まらない拡がりを持っているのは間違いない。)

 もう一つだけ例を挙げれば、終楽章の歌詞で語られる、行き先の「山」というのは、帰郷を意味しているのではない。(ハイデガーのヘルダーリン読解の問題点が何処にあったかを思い浮かべよ。)かなりの高官顕職に上り詰めたらしい王維も実際にそうしたようだが、「山」というのは陶淵明のような遁世、ただし桃源郷のような神仙思想とも結びついた場所、非在の場所としてのユートピアでもあるような場所のはずで、それはマーラーの音楽が最後に到達する(仮想の、実在しない)場所でもあるのではないか。もちろんマーラーの音楽の「場所」は、東洋思想の桃源郷のイメージそのものではありえないだろうが、ではそれを中国を軸に反対向きから見ている我々日本人が見ているものは、一体、どれくらい近くてどれくらい遠いものなのか。当時の地球に対する認識を踏まえたアドルノの「大地」=「地球」説の後、人工衛星に乗って地球を宇宙から眺めることができるようになって久しく、火星の地表の風景を、あたかもその場を訪れたかのように観察することができる時代に生きる人間、系外惑星の探索が進み、地球とにた条件を持った惑星の探索が行われるようになった時代に生きる人間、マーラーの同時代の1903年に初めて提唱された、生命の起源が地球外にあったかも知れないという「パンスペルミア説」が科学的な検証に耐えうる学説として検討されている時代に生きる人間にとって、「大地」とは、『大地の歌』の終曲が描き出す風景とは、一体どのようなものだろうか?

 いずれにしても、以下のようなことは言えるのではなかろうか。『大地の歌』の音楽が指し示す場所、実在のどこかと結びつくわけではない精神的ランドスケープの中を逍遥することがまずは問題なのではないか。現在ではGoogle Street Viewを用いれば、現地を訪れることすらせずに、自宅でドロミテの風景を眺めることができるようになっているが、マーラーがドロミテの風景に、アドルノの言う「仮晶(Pseudomorphose)」として見たものが、そこにあると単純に言うことはできないだろう。

 マーラーがワルターに第3交響曲を作曲した時に言ったとされる「もう作曲してしまったから、現実を見るのは及ばない」という言葉、「交響曲とは世界の構築である」という、大言壮語として受け止められがちな言葉は、後年アメリカに渡ったマーラーが、演奏旅行の折、ナイアガラの滝を訪れた後にバッファローでベートーヴェンの田園交響曲を指揮して妻のアルマに語ったとされる「漠然と訴えるばかりの自然よりも明確に訴える芸術の方が偉大だ」という言葉(アルマ・マーラー「グスタフ・マーラー 回想と手紙」酒田健一訳, 1973, p.p.212~3)、一回性の出来事の構造を「作品」としてデジタル化し、再現可能にすることで世代を超え、個体の経験が遺伝することのないという生物学的基盤に対する反逆を可能にした人間の精神の営みの特異な在り方の把握を通して理解すべきであり、それはまた、マーラーが作品として遺してくれたものの質を正しく見極めるためにも必要なのではないか。

 ジュリアン・ジェインズの「二院制の心」(bicameral mind)の理論が示唆するように、現在の意識の在り方が、人類史上のあるエポックに固有のものであり、「隠れたる神」が、まさにそうした意識の構造に由来する宿命的なものであるとして(カントが指摘する「理性の宿命」は、この文脈において捉えなおされるべきものに思われる)、そして未来方向には、レイ・カーツワイルのような技術特異点論者が述べるように、技術的特異点の向こう側では、意識の形態自体が変容し、「人間」の概念自体が変わってしまうかも知れないとして、その手前で「隠れたる神」の状況下で生きる人間は、結局のところマーラーの世代の末裔なのだ。

 であるとするならば、マーラーの作品を賞味期限切れの過去の遺物としてではなく、「今」、「此処」で受容し、それに応答しようとするならば、彼と彼の作品を彼が生きた時代と環境に還元して、歴史的・考古学的な対象として扱うのではなく、各自が取り組むべき「世界の構築」に向けての「無意識のエクササイズ」(グレゴリー・ベイトソン)として向き合わなくてはならないのではないかと思われてならないのである。『大地の歌』の場所は、実在のどこかと結びつくわけではなく、その意味では場所を持たず、仮想的で非在ではあるけれど、決して無ではない。無ではないどころか、自己の個体としての有限性の認識に裏打ちされたこの作品にこそ、自己の個体としての有限性を超える可能性が存するのではなかろうか。(2015.5.10)