お知らせ

「アマチュアオーケストラ演奏頻度」ページに2024年分を追加し、更新・公開しました。(2024.12.30)

2025年3月7日金曜日

未来に開かれた末尾:マーラーの音楽の「未来完了性」について(2025.3.7 再公開)

文字通りの反復を嫌うマーラーの音楽の時間性においては、再現の意味合いが変わり、再現こそが 予告されたものの実現となる。マーラーの音楽の経過には、そうした実現の瞬間が含まれるのだが、 にも関わらず決してそれが音楽が目指していた目的地という訳ではない。寧ろ、それは事後的に、 回顧的にそれとわかるものなのだ。目的論的な図式が事前にあるわけではなくて、寧ろ外部から 何かが到来することを契機に、システムが新たな準安定状態に遷移するのだ。それは新しさの経験であると 同時に、システムの自己同一性が維持される不可欠の契機でもある。マーラーの音楽の時間性は、 意識を有する高度な有機体のそれであり、マーラーの音楽は意識の背後にあって、意識に先行し、 地平を形成していわば水路づけをする無意識的な部分の活動、更には、システムにとっての外部の痕跡すら 留めている。重層的・多声的な構造を持つそれは、マーラー自身がそのように定義した通り、一つの「世界」なのだ。

マーラーの音楽はアドルノが夙に指摘しているように、常に「未来完了的」であり、開かれている。morendoないしersterbendという総譜への書き込みが マーラーにおいてはしばしば取り沙汰されるが、アレゴリーやメタファー、標題性の次元ではなく、その書き込みが 書かれた箇所で音楽的に何が生じているのかこそが問題であり、それを突き止めることによって、マーラーの音楽の 時間論的な特殊性が闡明される。マーラーの音楽という時間対象の消え去っていく有様は、その時間性の 「未来完了性」を告げている。その音楽は「外部」を指し示し、浮かび上がらせる。 究極の可能性としての「死」、それは他人事ではないが、主体にとって経験不可能な閾の彼方として追い越すことが 原理的に不可能な可能性として、だが寧ろ主体にとっては端的に一つの不可能性として、主体がその中に 予め投げ込まれている(被投性)。主体は自分の終りを自分で画定することはできないが、原理的に到達不可能な 外部として、いわば理念として想像することは可能であり、引き受け不能なその可能性を引き受けることを余儀なくされる。

複製技術が発達し、テレコミュニケーションが可能になり、コンサートホール以外の場所で、それぞれが異なる場所、 異なる時間に、マーラー自身は経験出来なかった仕方での同一のリアリゼーションの反復的聴取が可能になることによって、 同一の経験の文字通りの反復の不可能性をもたらす変様が浮き彫りにされ、自分の経験できなかった過去を 時間対象として享受しつつ、自己と対象たるマーラーの音楽との差異を、遅れを見出しつつ、自己が生成する、 それ自体は唯一の、反復不可能な出来事の過程の個別性が析出する。そのように私は形成され、私は予め 自分に先立つものとして、自分が直接出遭ったことのない他者に取り憑かれていて、自分の経験したことのない 記憶を想起し、他者の導きに従って未来を構想する。

個体としてのマーラーが同じ日付に終焉を迎えてから、既に100年以上の時間が経過した。100年後、地球の反対側に 生きる私は、マーラーその人に会うことなく、その創作の現場に立ち会うことなく、マーラーが遺した楽譜によって、 自分が経験していない生を自己の裡に再構することができる。それ以降、自分の寿命を越える期間に渉り、 地球上の様々な場所で行われたマーラーの作品の数多くの演奏に、その演奏に立ち会うことなく、録音アーカイブを 通じて接することができる。様々な文献により、その作品の受容の目も眩むばかりの多様性に接し、自分自身もまた、 マーラーに関する様々な知識や経験を記録することによって、都度、マーラー受容の文脈を更新し、地平を広げ、 深めることができる。しかもそれは孤立したモナド的主体の営みではなく、いわばシモンドンの言う横断的個体化なのだ。 或いはまた、マーラーを自ら演奏するオーケストラの活動にコミットすることで、より直接的な仕方で共時的な次元を 拡大することもできる。

マーラーが唯物論を支持し、いわゆる「霊魂の不滅」に対して否定的な意見を述べた知己に向かって述べたといわれる 「不滅性」は、マーラー自身がそのように了解していた通り、個体性の限界を超えて、いわば「客体的不滅性」として、 だが超越論的な領野においてではなく、自然主義的に経験化され、事実性の水準において、ただし或る種の極限として、 常に未来にあるものとして、その限りでもう一度理念的なものとして、このようにして実現し、絶えず実現しつつあり、 実現し続けるであろう。

時空を隔て、直接経験できない絶対的な過去、時間を超えてではなく、時間を通って、忘却なしの 直接的経験ではなく、忘却を経て想起される記憶として、否、寧ろ、絶対的な隔たりの彼方に対する追憶として、 何度目かの今日、5月18日という日付の反復により、マーラーという固有名の署名が記入された営み、活動が 未来に向けて継承されていくためには、それ自体はどんなに取るに足らない、些細なことであっても、その効果の持続に ついてどんなに頼りなく、儚げで疑わしいものと感じられたとしても、それが自分が受け取ったものの価値に対する精一杯の、 可能な応答なのであってみれば、「歓待」し、「証言」しなくてはならないのだと思う。

それは常に「未来完了」的であり、未来に向けて開かれたものであり、かつまた、未知の相手に宛てた 投壜通信でもある。投壜通信には、固有の日付が、固有の署名が為されている。自分が生きる土地に漂着した それを受け取った人は、記録された出来事の事実性を、恰も確実で疑い得ないことであるかのように思いなす。 「それはかつてあった」こととして、私の直接経験できない過去を、外部を指し示す「記号」となるのだ。

マーラーの総譜のersterbendという書き込みが告げているのは、美学的な水準での作品の内容であったり 意味であったりするのではない。 それは個体がいわば墓場に持って行ってしまい、忘却されて系統発生的には継承されない記憶、 その個体が蒙った癒しがたい傷を証言する痕跡なのだ。かくしてマーラーの音楽は目覚めて再来するもの =幽霊であり、私はその声に応答し、歓待しなくてはならない。時空を隔てて、共に行進する幽霊たちの連帯として。 それは「私の傷を見てください」と私の代わりに言ってくれる同伴者であり、私自身が蒙った傷の証人でもあるのだから。 

(2013.5.18, 2025.3.7 改題の上、再公開)

2025年3月6日木曜日

マーラーの音楽における時間性の反時代性について(2025.3.6 再公開)

もはやマーラーの音楽におけるような時間性は不可能なのだろうか。 それ以前の音楽は最早、絶滅した時間を今に伝える化石の如きものとしか感じられない。 それ以降の音楽は、作品として際立ったものであれば一層、時間性を放棄して別の次元を探求しているかのように見える。 調性を放棄することは垂直方向の和声における響きの放棄である以上に、カデンツがもたらす緊張と解決の原理の放棄であり、 主調領域の確保、属調領域への推移、主調から遠く離れて転調を繰り返し緊張感を高める展開、その末に主調に回帰する再現と いったソナタ形式やエピソードを挟んだ主要主題への繰り返しの回帰が主調への回帰でもあるロンド形式とそれらの複合としての ロンド=ソナタに示されるような調的遷移の遍歴の過程の放棄であった。12音が一度づつ鳴ったら終りになるという ヴェーベルンの耳が感じとった直観はその極限として正しかったが、それは音楽にとって本質的な次元の縮退をしかもたらさない。 圧縮が限界に達したとき、複雑さを目指そうとしても、音の継起する順序という規則のみからは巨視的な構造は産まれてこない。 結果として得られる筈の複雑さは豊かさからは隔たって、単なる混沌と区別がつかなくなってしまう。 その代わりに巨視的な音群の分布を確率的に決定したところで、設計は音の具体的な細部には及ばない。選択される分布や 作曲者の直観的な恣意に任せられる細部に対する嗜好(それこそが創造性・独創性だというわけだ)の結果として得られる音響は、 多くの場合、音楽というよりは自然音のシミュレーションに似ている。
 
その後の音楽のあるものは、幾つかのパラメータを捨て、自分の自由になる次元を限定し、自ら課した制限の下での可能性を探求する禁欲的な 姿勢を貫いて、結果として豊かな成果に辿り着いたが、それらは皆、どちらかといえば抽象美術に似ている。 音楽である限り時間の次元はなくせないが、そこでの時間の流れは作品の中に閉じていてそれは時間を封じ込めたオブジェのようだ。 例えばリゲティの言う「凍った時間」、「空間化された時間」というのは自己規定としては際立って正確で、リゲティのそれを含めた圧倒的な説得力を 持つ作品は、鋭利な批判的な知性に裏付けられた創られたことを証言する。 そしてその中で共感覚に裏打ちされた色彩や肌理の連続的な変化が追求され、内側に向かっては大変に豊かな次元を獲得することにも成功する。
 
その結果として、まるで自由は作品の裡にしか残されていないかのように、時間は作品という閉じた空間の中に封じ込められる。 作品の内部は有機的で豊饒だが、たとえそこに動的な軌道が存在し、周到にもゆらぎさえ与えられ、カオティックな挙動が生じるように 構築されていたとしても、それはあくまでも作品の内部でのことでしかない。 その音楽は寧ろ聴き手を細部の微細な変化に集中するようにいざなう。 非常に長い周期で一致するようなリズムの重ね合わせ、単純な比で表せない複数のテンポ、複数の音律の重ね合わせ、 フラクタル的な自己相同性の導入は複雑で有機的な細部をもたらすが、巨視的にみた時間構造は静的なままだ。 そこには生成があり発展があり、階層分化さえあるかも知れないし、人間が演奏することによるゆらぎの発生は許容されても、 隅々まで決定され、作品として紛うことなく設計され、構築されたものなのだ。 そこでは時間は様々な出来事を内包しつつ、強い志向性を持つことなく、まるで自然を映し出したように緩慢で多元的だ。 複数の中心を持ち、更にそれが時間の経過に連れて変化していき、ある領域が広がったかと思えば別の領域が圧縮され、 ある道は延び、ある道は消滅して2つの領域が接合する、といったように可動的で時々刻々と姿を変えるネットワーク構造。 だがそれは巨視的な推移の構造を、目的論的な到達点を持たない。
 
(例外と呼べるようなケースが皆無というわけではないことも忘れずに記しておくことにしよう。音楽の経験を「旅」と見做し、 聴く前とは別の場所に連れて行かれるような音楽、それを自覚的に企図し、しかも常にではなく、稀にではあってもそれに成功する ケースがないわけではない。そして恐らくそこでの「旅」とは人生の行路そのものでもあるに違いないことも想像できる。 だがそうして稀有な例外であるラッヘンマンの場合でも、それが騒音的な音素材による音響作法に基づく異化効果という、 いわば「表の顔」とどう結びつくのかの方は、私には良くわからない。あるいは「旅」としての側面は単純に音の時間方向の 組織において彼が反動的であるに過ぎないとして切り捨てる立場もあるであろうこともまた、予想できなくもない。異なる 素材の下、昔ながらに構築的であろうとする姿勢。特殊奏法による挑発は目晦ましに過ぎないのか。だが彼が調的組織 抜きでそうした構築に勤しんでいることもまた間違いないことだ。それ自体が稀有なことではないのか。 それが反動だろうが何だろうが、彼が、もしかしたら例外的に、少なくとも私の知る限り彼のみがそれを達成しているのは確かなことなのだから。 だから私はここで結論を出すことを控えざるを得ない。 だが何故ラッヘンマンの音楽に自分が惹かれ続けてきたのかは、こうして考えれば明らかなように感じられる。)
 
勿論、伝統を拒絶し、素材を縮減し、単純なパターンの反復、それとすぐにわかる複数のパターンの重ね合わせなどに よって推移を設計することはある意味で容易い。だがそれは作品ですらなく、単なる音の知覚の実験に近づく。 複雑さに飽きた耳にとって、聴き取りやすく理解しやすい単純な音のパターンの変化は一時は新鮮で快いものであっただろう。 だが単純さはここでは可能性の貧しさに直結し、複雑さを求めても硬直した方法論は同一の次元をうろうろするばかりで、 どれも似たような変化になるという結果の貧困をどうすることもできない。
 
管理された時間を嫌ったところで、偶然の出来事の到来に身をゆだねるのは音楽的時間の放棄だ。 何も時間性を探求するのに音楽が唯一の手段なわけではないから、作品として時間を構築することを拒絶するのは自由だ。 そこでは新たな作品概念が生まれ、新たな実践が生じることだろう。だがそれならばコンサートホールなどに留まるのは場違いだし、 一旦そうした音楽的時間の変容(その結果は最早音楽的という形容すら妥当でないほどに徹底したものであった筈だが)を語りながら、 旧態依然の如く過去の音楽にしがみつく人たちの姿はできれば見たくないものだ。 最早20世紀も過去となったが、更に退行して19世紀末の、しかもマージナルで少なくとも意識の水準では、実験的な姿勢とは縁遠い音楽への郷愁を何故か隠せないように見えるその様は不可解で、 それでいて流行の最先端を標榜し、一方では今やモダンの、前衛の時代は終わった、人間性の地平は乗り越えられるべきだと言いながら、 今こそ癒しを、ノスタルジーを、スローライフを、といった宣伝文句が語られるのはマーケティングの必要性ゆえのことであろうと考えるほかない。
 
かくして協和音が復活し、旋律が復活する。だが反動を恐れてか時間的構造は打ち捨てられたままだから、単調な反復繰り返しは相変わらずだし、 機能和声の支えを持たない旋律は、微分音的なゆらぎを導入し、ヘテロフォニーによって強度や色彩の変化を求めるが、 こちらもまたどこにも辿り着かずに宙を漂うばかりだ。いずれにしても音楽は、聴き手を どこかに連れ去る力を喪ってしまったように感じられる。そう言うと決まって繰り返されるのは、目的論的な時間の流れの放棄と引き換えに、 永遠の瞬間を手にするといった言い回しだが、所詮は日常的な生活の時間の流れの中に点在して消費される存在でしかない多くの場合、 一時のヒーリング、気分転換に利用されるのが関の山に過ぎない。そうした態度を「頽落」として蔑むのは簡単だが、生活自体を 修行の場よろしく音に没入する(あるいは没入できるとの思いなし、ないし勘違いの)特権は、一部の音楽家にのみ許されているに過ぎない。いわゆる「現代音楽」のスノビズムを指弾するその姿勢は、 こちらはこちらで狂信的な環境保護運動などと共通した特権意識が見え隠れする独善性を感じさせられて辟易させられる。(彼らから見れば疑いなく) 「頽落」した聴き手である私には、それもまた自閉の一つの形でしかないようにしか思えない。
 
一方で多くの場合には、学問の装いの下、1世紀の歳月とその間に獲得された認識などないかのように、今更100年前の出来事の周囲をうろうろし、既に自明のことで あるはずの観点を恰も独自の新発見であるかの如くに述べ立てる姿勢もまた、そうした行為がそれを巡って為された対象が抱いていた筈の 志向に対する裏切りにしか見えない。100年が経過し、しかも異郷のこの地であれば、いまや舶来の骨董品としての価値も出てきたとばかりに アニヴァーサリーなどにかこつけて、こちらはもう一桁上の1000年の一度のスケールの未曾有の災害に逢ったにも関わらず、そんなことはまるで なかったかのようにおかまいもなしに、私のような門外漢からすれば、身内意識丸出しに、同業者間の棲み分けと共存共栄への配慮ばかりが目立つ状況に吐き気を催すことも一再ならずであった。
 
だが掟の門前でうろつくばかりしか能のない門外漢にしてみれば、マーラーの音楽にはあれ程豊富に存在した筈の時間方向の構造、 聴き手をもどこか別の場所に連れて行かんばかりの、それが作者の意図するところであるならばその限りにおいて「目的論的」という 形容すら誤りとは言い難い、巨大な時間的持続を支える時間方向の方法論的図式に代替するものが、20世紀の音楽の中では 結局発見されることはなかったのではという感覚は否み難い。否、一例をとればマーラーの作品の長大な時間的経過を支える 音楽的構造と、それを利用する具体的な適用の卓越は非専門家の耳にも明らかで、そうであれば尚更、その後の音楽において かくも生産的な原理が放棄されたのは何故なのか改めて不思議な思いに囚われても不思議はない。 確かに、今この音楽をもう一度創ることの不可能性もまた疑いを容れない事実のように思われる。しかし、過去の遺物を骨董品よろしく品定めして愛でることにあれほど熱心な音楽学や音楽史の研究者も、今ここにスコアとして残されたマーラー作品の構造の分析については、旧態依然の道具立てを用いて、それによっては測りえない逸脱を指摘するのが関の山で、マーラーの音楽の持つ構造の特異性を言い当てる道具を作り上げる努力は、少なくともこの極東の島国からの展望においては一向に行われているようには見えない。 せいぜいが前世紀後半に発達した記号論やナラトロジーのような各種の文学理論の枠組みを借りてきて、音楽にも適用しようという試みが海の向こうで行われていることが窺い知れるくらいなもので、寧ろ音楽を出発点とした新たな構造記述の方法が出てきてもよさそうなものだが、具体的な音楽を前にしたら、あまりに素朴で表層的であると哲学者自らが撤回しかねない哲学的な時間論の分析を持ってきて、目の前の具体的で個別的な音楽作品の豊かさをプロクルステスのベッドのようにそぎ落としてしまうような分析しかできていないように見える。それにしても何故なのだ、という疑問が頭に取り憑いて離れない。それは時代の要請なのか。
 
逆に言えば100年前の音楽に確実にあって、更には今尚力を喪っていないと感じられる側面が未だにあるというのは、 その音楽の指し示す未来を告げてはいないか。時代の制約の中、所与であった語法を換骨奪胎して提示する、今なお異様な力を 喪わないその音楽の動性、超越への衝動に支配された外への運動、未知の地点に聴き手を運んでいってしまう、暴力的なまでの力。 アドルノは全般としては己が批判的に考えていたマーラーの第8交響曲に対して「救い主の危険」という表現を用いた。 私にはこの言い回しはアドルノの逡巡を、聴経験に忠実なアドルノの論理でもって断定し去ることへの躊躇いを感じずにはいられない。 「救い主の危険」。それは今やマーラーの音楽全体について言いうるように私には感じられる。マーラーの音楽の持つ時間性の アナクロニスムは、だが閉塞した現在の凍りついた時間(その認識の何と正しいことか)にあって、単なる夢想に過ぎないとさえ感じられるし、 そのように断罪されるケースも、しばしば見受けられる。だが、そこには文字通り、未だ来たらざるものとしての未来への途があるのではないか。 それは仮想されたものを恰も現実に実現するかのように見せかける詐術ではない。ポテンシャルとしての未来が、音楽の彼方にあるものとして ヴァーチャリティとして指し示されているのではないか。
 
だが、今ここにおける私は、これ以上遠くに行くことはもうできない。私にとって確実なのはマーラーの音楽を手放してはならない、ということだ。 異様な力に満ちたその音楽を聴くことが時折困難になるにせよ、自分に向かって手を差し伸べ、自分を幽霊の隊列に加わるよう 誘う音楽に耳を閉ざしてはいけない。生き延びてどこか別の場所に辿り着くことを希求し続けるならば。(2012.5.5, 2015.8.10補筆改訂, 2025.3.6 改題・改稿の上、再公開)

マーラーの音楽に何を聴き取るか?:主観性の擁護について(2025.3.6 再公開)

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」という音楽祭が丁度毎年ゴールデン・ウィークの時期に開催されるようになったのは何時頃のことからだったか。 コンサートが課する時間的・体力的・精神的な制約に耐えるだけのキャパシティを欠いていることから、私はごく一部の例外を除けばコンサートに 足を運ぶことがない。ゴールデン・ウィークとて同様だから「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」もまた例外ではなく、そういう催しの存在は 知っていても、それに参加することはそもそも選択肢にすらならないのではあるが、そういう私でも昨年2011年のそれが、東日本大震災とそれによって 発生した原子力発電所の災害のため、当初のプログラムを維持できないような会場設備への損害と来日演奏者の大量のキャンセルを蒙った ことは風の噂に聞いていた。もっとも、2011年が丁度マーラーの没後100年にあたる年であることは意識していても、その年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が 特集した19世紀末のクラシック音楽の創作における「巨人たち」の中にマーラーが含まれていることすら知らず、一年後になってふとした偶然で 2012年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」に因んだ公式ガイドとしての機能を持つらしい新書版のロシア音楽に関する書籍(亀山郁夫, 『チャイコフスキーがなぜか好き 熱狂とノスタルジーのロシア音楽』(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2012オフィシャルBOOK), PHP新書, 2012)を読み、 その中におけるマーラーの音楽に関連した記述に非常に強い違和感を覚え、やはり震災を契機に中断していたマーラーについての文章を 認めることを再びせずにはいられなくなってから、ようやくそうした事実関係を知ったような次第なのだ。


勿論、2012年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」はロシア音楽の特集なので、マーラーがいわゆるテーマ作曲家として言及されているわけではなく、 公式ガイドブックの著者の個人的な音楽聴取の履歴やら、テーマ作曲家を論じるときの或る種の背景として言及されているに過ぎない。 プロローグにあたる部分で著者の30歳代の10年間全体におよぶマーラーに対する熱中の時期があったことがまず語られ、ついであるコンサートで接した ショスタコーヴィチの室内楽を言及する際のいわゆる聴取の背景の経験として言及され、そしてそこからはかなり離れて、「現代のロシア音楽」と 著者が見做す(あるいは企画上、そう括ることを強いられた)作曲家の音楽を論じる部分で、ここで取り上げようと考えている一対の言及、 カンチェリとシルヴェストロフに関する記述に出現するマーラーへの参照が為されているに過ぎない。


ちなみに同じくプロローグにある2011年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」への言及は、些か奇妙な(と私には感じられる)仕方で為されている。 まずプロローグの冒頭、2012年5月という日付が記された一節の途中で「昨年の5月」に開かれたコンサートについて言及がなされる。 そこでの記述は、19世紀末のヨーロッパの音楽は「今」(いつ?)の著者にとって「遠い記憶のなかにこだましている 懐かしい響きばかりだったが、あの、恐ろしい災厄に打ちのめされた心には、なぜかむしょうに心地よく響きわたった。コンサート会場に足を運んで、 はじめて自分が慰めに飢えていたことに気づいた」といったものだが、それ自体には特段奇妙な点はない。


奇妙な、というのは次にもう一度、上述のマーラーへの言及が行われた1994年6月のショスタコーヴィチ作品のコンサートについての一節の後、 今度は2004年9月という日付が冒頭に書付けられた一節で再び言及される時の言及の仕方と内容だ。今度は個別のコンサートに対象が限定されていて、 それは東京国際フォーラムCで行われたらしいブルックナーの第4交響曲のコンサートである。だがそこでは今度は(深読みをすれば、暴力とノスタルジーというコピーを意識したものか) 巨大地震と津波の「現前化」の経験が語られるのだ。奇妙に感じられるのはその経験の内容自体では勿論ない。「現前化」の経験は恐らく事実なのだろうし、 私自身、少し後になるが、被災地から出てきた知人と一緒に東京文化会館でラヴェルの「ダフニスとクロエ」のバレエの公演を観ていた折、ラヴェルの音楽に対してではなく、 波が押し寄せてくる演出を見て津波の映像のフラッシュバック(だからそれはここで語られる「現前化」とは似て非なるものではあるが)を経験した結果、 ラヴェルの音楽の方も聴けなくなってしまい、未だにその状況が続いているのだ。同様に、同じ第4交響曲でも私の場合はショスタコーヴィチの第4交響曲なのだが、 あのフィナーレのコーダを頭の中で思い浮かべるだけで津波の映像のフラッシュバックに襲われるため、ショスタコーヴィチの音楽もまた聴けない状況が未だに続いている。


ブルックナーの第4交響曲の方はと言えば、自分にとってブルックナーの交響曲の中で最も疎遠な作品の一つであるし、その作品の雰囲気から言っても 「現前化」なるものが起きるのは意外なことではあるけれど、そのことを奇妙に感じたわけでもない。私がフラッシュバックの経験をした際に不幸にも聞いていた ラヴェルの音楽もまた19世紀末のヨーロッパの音楽といって良いだろうが、きっかけとなった演出はおいて、ラヴェル音楽そのものからはその時には大きな慰藉を 受け取った気がする。またこれは心理的には或る種の退行ではないかと思うが、その後色々な音楽が聴けなくなって後、しばらくはブラームスの音楽ばかりを 聴いていた時期があったくらいだが、ブラームスもまた19世紀後半の「巨人達」の一人に含まれていた。そういう意味では2011年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」への 2つの言及のうち、寧ろ一度目に近いものを当時の私は感じていたのだと思う。


結局のところ私が奇妙に感じるのは、その一度目の(恐らくはブルックナーの第4交響曲もまた含まれるであろう19世紀末のヨーロッパ音楽に対する)言及と、二度目の言及で語られる 「現前化」の体験がどう結びついているのかがわからないという点に尽きる。私自身の経験からすればコンサートの途中でそうした「現前化」を体験するのは 寧ろ悲惨なことである。その経験にも関わらず「恐ろしい災厄に打ちのめされた心には、なぜかむしょうに心地よく響きわたった」「遠い記憶のなかにこだましている 懐かしい響き」でもあるというのが、私には腑に落ちないのである。


同様にして、ブルックナーの第4交響曲についてのこの経験が、「堅牢な」ドイツ音楽とロシア音楽との対比へと連想を広げていくこと自体も、それに異議を挟む謂れはないし、 出発点となっている「執拗かつ強靭な反復のなかで、その反復のもつ意味が日常の理解を超えたリアリティを増」すというのは、ブルックナーの音楽の聴取の 経験に基づく発言なのだろうが、それが直ちに「堅牢」さと言い換えられれば当惑せざるを得ず、これもまた違和感の原因となっていそうである。 執拗な同一音型の反復、長大なゼクエンツは確かにブルックナーの音楽の特徴だろうが、シューマンの同一リズムの反復の執拗さやシューベルトのゼクエンツの 長大さと同様、それらは寧ろ、所謂「ドイツ音楽」の構築的な契機とむしろ対立するものではなかったか。 シューマンのそれはしばしば病的なものとさえ見做され、シューベルトのそれは「天国的な長さ」という決まり文句に通じる非構築的な側面であり、 ブルックナーの場合であれば、20世紀の音楽の諸潮流を経た今日であれば、寧ろミニマリストのそれに比することができるかも知れないものであって、 時間方向の構造を決定する契機としてはドイツ的な「堅牢さ」とはまず異質なものではなかったのか。


もっとも、この後取り上げるマーラーについての言及が為される近傍には、「カンチェリはミニマリスト・ブルックナー」という言葉に続いて直ちに「形容矛盾ではない。」 というメモを記す著者のことだから、それはそれで了解は首尾一貫してはいるのだろう。だが、一貫しているからといって理解できるかと言えば勿論そんなことはなく、 私にとってはそのいずれも当惑の対象にしかならないのだが。序に言えば、発展・展開のない執拗な反復は寧ろ対比される筈の「ロシア音楽」の特徴の一つではないかとさえ 私は考えているし、その限りで例えば件のカンチェリに対するコメントも(対立を持ち込もうとする著者の意図には反するので、「形容矛盾」は当らないとはいえ) わからなくもないのだが、いずれにしてもそれはこの「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」公式ガイドブックの是とする「ロシア音楽」の理解ではないのだろう。 パウル・ベッカーによればオーストリア的な交響曲のカテゴリに属し、ブラームスからは(これはより構築的であるはずの第8交響曲についてだったが)「うわばみ」と 評されたブルックナーの音楽の、よりによって執拗な反復をとりたててドイツ音楽の「堅牢さ」を連想するというのは、私にとっては奇妙な把握としか思えない。


その「ミニマリスト・ブルックナー」であるらしいカンチェリの「風は泣いている」に因んで、この「ガイドブック」は「世界は、人間中心的な意味づけから 解放されなくてはならない。今こそそれを知る必要がある。」という主張を行い、更に「この一行は、マーラーの交響曲を念頭に置いて書いている。」と 自己の主張について注釈するのである。そして「人間による意味づけからの解放、その表象世界がカンチェリにあるのだ。」と続け、更に、「彼の世界観は、 次に述べるシルヴェストロフとは対極にあるものだろう。世界が暴力とノスタルジーの二つからなっているということを、そして音楽は無限の可能性を 秘めているということをカンチェリほど切実に訴えかけてくる音楽はなかなか出合えない。」と述べる。更に節を変えて、そのシルヴェストロフについての 記述の中で、彼の第5交響曲に因んで再びマーラーの名前が出現する。「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされている。 それは、もはやロシアとかウクライナへの郷愁ではなく、廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚と いってもよい。」という言葉に続けて、「グスタフ・マーラーから強い影響を受けていることがはっきりと聴きとれるが、ロマン主義が終わり、アヴァンギャルドも 遠い過去となったいまだからこそ、この音楽が甦るのだ。」というようにマーラーが参照されるのである。


上記のようなマーラーへの言及は、私自身が、そして想像するに多くの人が想定するであろうショスタコーヴィチやシュニトケの項においてはマーラーへの言及が 為されていない(厳密にはショスタコーヴィチの項では「バッハからマーラーへと連なる壮大な西洋音楽の歴史」という言い回しの中でマーラーという固有名が出現するが、 これはマーラーとショスタコーヴィチとの関係の記述ではないから除外できるだろう)という面と併せて、少なくともこの「ガイドブック」の著者がマーラーの音楽を どのようなものとして受容しているかを端的に物語っているだろう。


ある音楽をどのように受容するかは、結局のところ各人の自由だから、私もまたそうした受容を「誤り」であると主張しようというわけではない。 ましてやこれは第一義的には「ロシア音楽」についての「ガイドブック」であって、マーラーについてのそれではないのだから、こんなところでマーラーの受容に ついて云々するのは、本末転倒・些事拘泥の謗りを免れないだろう。更に言えば、意図的かも知れないレティサンスの背後に、「ポスト・マーラー」といったコピーの下、 ショスタコーヴィチやシュニトケを取り立てる傾向に対する暗黙の異議申し立てが含まれているとしたら、それについては首肯できる側面だってあるのだ。 またその一方で、クレーメルか誰かが「キエフに死す」だと評したらしいシルヴェストロフの交響曲との関連付けのさせ方について言えば、当然のこととして マーラーの交響曲の方は「ヴェニスに死す」のBGMとしての文脈で捉えられているに違いないのだが、そうした把握の仕方こそが「ロシア音楽」からの展望なのだと 言われてしまえば、それが私にとって如何に意外で許容しがたい把握であったとしても、それはそれで受け入れるしかないのだろう。 カンチェリの音楽に対する程にはシルヴェストロフの音楽に私が惹きつけられることはないのだが、さりとてカンチェリの音楽に対してさえ、特段の強い拘りを持っているわけでもないから、 彼らの音楽との関係でマーラーの音楽がどのように位置づけられるにせよ、それによって決定されるシルヴェストロフの音楽、カンチェリの音楽の位置づけの方について言えば、あえてそれに関する文章を書いて自分の思いを整理しておこうと思っているわけでもないのである。


否、そもそもそれは「ロシア音楽」からの展望に限定された了解というわけではなく、21世紀にマーラーを聴くことの意義の一般的な了解はそうしたものなのであって、 別段特殊な見解が述べられているのではないのかも知れない。そしてとりわけ東日本大震災の後の日本ではそうであることの兆候が偶々「ロシア音楽」を 媒介にして発現したということなのかも知れない。


だがしかし、それがどのようなマジョリティを占めるものであったとしても、東日本大震災の影響と、それとは直接的に別の要因による多忙の結果の 感情的な麻痺状態の後、ようやく再びマーラーの音楽に接することが出来るようになりつつある状況下にあって感じるのは、少なくとも私にとってマーラーの音楽は、 この「ガイドブック」でのそれとは異なった相貌と志向を帯びた音楽であると感じられるし、そのように私はマーラーの音楽を聴いているということだ。 しかもそれは震災の前後で変化したわけでもなく、出会ってから35年間、基本的には変わっていないように感じられるのである。 そしてその了解のもとにこの「ガイドブック」の記述を読み返したとき、私にとっては飛躍が多くて論理の筋道がひどく辿りにくく、ここで扱うマーラーへの 言及に関連した部分に限定しても、例えばカンチェリについての記述は私にとってはその論旨が正確には把握できないことを白状せざるを得ないほど であるのだが、そうした困惑もひっくるめてこの文章で少なくとも仄めかされていると感じられる幾つかの点について自分なりの整理を行う必要を感じたということなのである。


正直に言えば、私は最早ほとんど、今、この地でマーラーの演奏を、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの活動への関与といった例外を除けば、 コンサートに赴いて聴取する必然性を感じなくなっている。その理由の一部は、この「ガイドブック」でマーラーという固有名の周辺で論じられている 事柄と確かに関連しているには違いなく、その限りでは問題の設定自体に違和感を感じているわけではない。しかしその一方で、そういう状況に陥った 私が未だにマーラーの音楽に聴き取りうると感じ、それゆえマーラーを聴き続けようと思うその理由となる音調は、ここでマーラーに帰せられているらしい それではないのも確かなことに思われる。要するに事態は錯綜としていて、この「ガイドブック」の記述から受ける困惑の一部もそうした錯綜に原因があるようなのだ。 そこで以下ではそうした錯綜を自分なりに整理してみたい。


マーラーの音楽が帰属する時代、ロマン主義の時代は最早決定的に過去のもので、その限りで「ロマン主義が終わり、アヴァンギャルドも 遠い過去となったいま」という認識は正しいと思う。しかし、そうした時だからこそ甦る「この音楽」とは一体どういう音楽なのか。甦ると言われるからには それは一旦は滅したということなのだとしたら、「この」の指示対象はシルヴェストロフの個別の音楽作品では少なくともないだろう。「この」はより 正確には「このような」であって、「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽、「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の 普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」に満たされた音楽一般が甦る、ということと受け取るほかない。だとしたら、そうした特性を持つシルヴェストロフの 音楽に「影響」を与えた(という主張をこの著作の著者は支持しているように見える)グスタフ・マーラーのそれもまた、同じ性質を備えた音楽だということになりそうである。


まず思いつくのは、人が過去の音楽にノスタルジーを感じるのは、対象となっている音楽自体が哀愁とノスタルジーに満たされているということを 必ずしも意味しないということだ。それは聴取の態度の性質の問題であって、聴取の対象の持つ性質ではない。勿論、対象もまた、そうした性質を 帯びていて、ホワイトヘッド的な意味での「感受の感受」のような事態が生じることもあるだろうし、ここでもそうしたことが想定されているということは 考えられるが。実際、ここで取り上げられているシルヴェストロフの第5交響曲は、マーラーの第5交響曲のアダージェットと結び付けられて論じられることが多いようだ。 既に言及したクレーメルの発言らしい「ヴェニスに死す」ならぬ「キエフに死す」であるといった評言は、そうした結びつきを前提としたものだろう。


しかし、ある音楽が過去の時代の音楽を引用する、あるいは直接的な引用ではなくても、音調を借用するという挙措は、引用や借用を行う側の音楽 固有の文脈と展望における価値を帯びていて、それは引用や借用の対象となった音楽が持っていたものとはとりあえず別である。 借用が元の音楽の持つ音調の効果を利用するために為される場合もあるだろうが、それでも借用であることがわかってしまえば、 借用された内容の次元ではなく、それを借用した行為の次元について何某かを問わず語りに語ってしまうことは避けられない。 シルヴェストロフの意図が奈辺にあるか私は詳らかにしないが、いずれにしても聴き手に届くのは、借用の意図であって借用されたものの内容そのものである筈がない。 そうした時に、マーラーの「影響」とは一体どの水準での影響を指し示しているのかが曖昧に思われるのである。クレーメルの発言に乗っかって それを利用した言い方をするならば、シルヴェストロフの立ち位置は、せいぜいヴィスコンティの立ち位置と対応しているに過ぎず、 それならばマーラーの音楽の捉え方に関するヴィスコンティの影響を云々すべきだということになろう筈であって、マーラーの音楽そのものの影響を 云々するのはレベルの混同であるということになるのではないか。


勿論、そうした事情を踏まえてなお、マーラーの音楽自体もまた、「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽、 「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」に満たされた音楽である、という主張は可能だし、 そうした音調こそ、シルヴェストロフとの共通点であり、そうした音調に関してシルヴェストロフへのマーラーの影響が窺えるという主張もまた 成立するだろう。だがしかし、例えばマーラーの第5交響曲という作品の脈絡におけるアダージェットの置かれた位置とそれに相応して担っている機能、 更にはそれを含めたマーラーの第5交響曲の総体の持つ志向は、構造的に全く異なったシルヴェストロフの作品の志向と本当に同じだろうか。


伝記的事実や本人の意図を特権視する姿勢は今日では手放しで是認されることはないだろうからそうした面は捨象することにしても、 葬送行進曲で始まり、ニ長調のロンド・フィナーレで終わるマーラーの作品の全体は、私見によればシルヴェストロフの音楽の 「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジー」とはかなり異質のものである。アダージェットの主題が後続のロンド・フィナーレで受ける 変形についてはマーラーを知る人の間では良く知られているし、何よりも一度聴けばすぐに気づくほど明らかなことだが、 その変形の意味をどうとるにせよ(ちなみに私は、それが言語的な記述の水準で確定できるという考え方に対して懐疑的であるが)、 未完成の第10交響曲を含めてさえ、ということは調性が曖昧になる「部分」(だがそれはあくまでも部分に過ぎない)を含んでさえ、 全体としては明確に全音階的な調的システムの中で軌道を描き、バロック時代以来の調性格論の適用すら可能な程であるマーラーの交響的作品 にあって、ニ長調で終わる第5交響曲ははっきりと「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジー」とは別の着地点を音楽の裡に持っていると 私は了解している。


一方で、第5交響曲がマーラーの交響曲作品の中で占める位置づけについては、この曲に決まって適用される発展的調性論が嵌め込もうとする 闘争から勝利へといった図式を逃れるものがあること、この曲をベートーヴェン的な肯定の音楽と見做すことに対する疑問を私は持っていて、 別のところで記述したことがあるのでここでは詳細は繰り返さないが、それでも第5交響曲がマーラーの創作において(事後的な展望での 後付の理屈かも知れなくても)或る種の停泊点、折り返し点であり、その音楽の持つ時間性は、例えば第1交響曲の初期形態、つまり 交響詩「巨人」のそれを逆行させたものに近接するように捉えられるのではないかということはここで改めて述べておいてもいいだろう。


しかしそうした捉え方の下でも、「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジー」に終始しない異なる明確な動性を備えているということは 明らかだし、仮に乱暴な単純化をして第5交響曲を退嬰的な後ろ向きの音楽であると総括したところで、そうした位置を占める第5交響曲が マーラーの創作の全てではないから、マーラーの音楽が総じて「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽、 「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」に満たされた音楽であるという主張は、 第5交響曲のアダージェットについての主張を第5交響曲全体に、そしてマーラーの作品全体に不当に広げたものであるという疑念は拭い難く、 実際の私の聴経験とも一致しないのである。


それならば更に一歩下がって、マーラーの音楽がロマン派の棹尾を飾るものであり、その音楽は滅びてゆく世界の過去の輝きに対するノスタルジーなのだ、 といった見方はどうだろうか。だが、この主張もまた、マーラーの音楽を後世の人間が眺めるときの展望の一つに過ぎない。勿論、そう捉えたければどうぞお好きに、 という他ないし、そういう展望でマーラーを捉えることこそマーラーを今日聴くことの意義を保証するのだと言われれば、そうした他人の展望にケチをつける つもりもないのだが、一つにはそのような音楽史的・文化史的な展望への還元は個別の作曲を、結果としての作品を少しも救い出さないし、 ある時代においてある人間が選択した姿勢なり態度なりをあまりに軽視しているとしか思えない。歌劇場の監督であり、 コンサート指揮者でもあったマーラーは、過去の音楽にも同時代の自分以外の音楽にも現場で接していたし、音楽史的な展望を持っていたのは、 マーラーが行ったコンサート・シリーズの企画などからも窺えることだが、シェーンベルクの音楽に未来を託した彼が自分の音楽を行き止まりであると 考えていたとは思えないし、幸か不幸か第1次世界大戦すら知らずに没したマーラーは、自分が属した(とはいっても、3重の異邦人としてという マージナルなあり方でに過ぎなかったのだが)秩序が崩壊していく過程とその帰結を(例えば第2次世界大戦の惨禍に直面して「メタモルフォーゼン」を作曲することになったシュトラウスのようには)目の当たりにすることもなかった。


だからマーラー自身と、マーラーの音楽の同時代における意義はおくとして、今日の我々にとってはそれは「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の 普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」を惹き起こす音楽であるという主張に対しては、そういう聴き方も可能かもしれないし、そうしたければどうぞ という他ないのだが、そのようにマーラーの音楽の聴取の仕方を規定しておいて、他方で「マーラーの交響曲を念頭に置いて」「世界は、人間中心的な 意味づけから解放されなくてはならない。今こそそれを知る必要がある。」という主張を行うことは、マーラーの音楽に対して正当な態度とは思えない。 それは自分である見方を対象に押し付けておいて、自分が押し付けたに過ぎない見方によって対象を断罪しているに過ぎないではないか。


断っておくが、私は「今こそそれを知る必要がある。」とまで言うつもりはないが、「世界は、人間中心的な意味づけから解放されなくてはならない。」という 主張自体に異議があるわけではない。否、東日本大震災とそれによって生じた原子力発電所の災害の渦中に未だにいるのであれば、 「今こそそれを知る必要がある」と言いたい気持ちもわからなくはない。もっとも今更、手のひらを返したように「今こそそれを知る必要がある」といった 言い方をするのは随分御目出度い発言のように感じられるというのが正直な気持ちではある。しかもそう言っておいて、震災後に聴取の仕方が 変わったと言われるのが、そうした「人間による意味づけからの解放」の音楽であるカンチェリに対してではなく、彼の世界観と「対極にある」とされる シルヴェストロフの「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽に対してなのだというのだから戸惑ってしまう。主張とは裏腹に、 それまでは懐疑的であった「人間中心的な意味づけから解放され」ない側の音楽に対する評価が高くなったと言っているに他ならないのだから。


そしてまた、一方ではカンチェリの音楽を「対話的宇宙」と性格づけ、それを説明するために、2つの人格である「我‐汝」の間の対話の思想を 展開したブーバーの名前を引用しておきながら、「世界は、人間中心的な意味づけから解放されなくてはならない。」というのは、端的に矛盾しているか、 さもなくば大幅な説明不足であって、そんな論理的な飛躍を自明のこととして、その間隙を埋める作業を読者に強制するのもまた不当なことにように 感じられてならない。もし対話の一方の主体を非人格的なもの(「世界」でも「宇宙」でも好きに名付ければよい)とするのなら、ブーバーを参照するのは ミス・リーディングにしか感じられないし、対話が(そのように取れる記述も見られるから)作曲者と聴き手の間のそれであるとするなら、そうした対話と 「人間中心的な意味づけから解放されなくてはならない」とされる「世界」との関係の如何、更には総じて「対話的宇宙」で名指されているものが 一体何であるか、全く明らかではない。しかもここでは「暴力」のみならず「ノスタルジー」もまた「世界」に帰せられているらしいのだ。


文学の世界ではこうした修辞や表現は許容され、寧ろ顕揚されさえするのかも知れないが、残念ながら私にはその意味を正確に捉えることが著しく困難であり、 これを「ガイドブック」として向かい合うことが求められている音楽祭に参加する資格など自分にあるとは思えない。そればかりか、少なくともカンチェリの音楽を 理解することなど全くの不可能事にさえ思えてくる。個人的な経験を言えば、カンチェリの音楽は30代に差し掛かる直前のある時期、全ての交響曲、 ヴィオラ協奏曲「風は泣いている」や、「亡命」「詩篇」といった幾つかの作品を聴いたので、ここで参照されている作品についての聴経験は持っているはずなのだが、 その経験も、この「ガイドブック」の発言内容を理解する助けにはあまりならないようだ。


あるいはこういうことなのだろうか。カンチェリの作品は確かに暴力的とも形容できるような大音量の音塊が響くブロックと、哀歌的な旋律がきれぎれに 継起する静かな部分が、西欧の音楽からすれば全く非有機的な仕方で交替するような構造を概ね備えているという言い方は可能だろう。 そしてその交替に脈絡のなさを見出し、ある種の単調さを感じる人も少なくないだろう。その音楽の時間方向の脈絡は、主体の外部から到来する イヴェントに支配されているかのようで、主体は受動的である他ない。そういう意味ではこの音楽の世界は「人間中心的な意味づけから解放されている」という観方もできよう。 一方で、だがそうした音楽はそれでもなお作品であり、カンチェリという人間が組み立て-作曲したものである。単調さや脈絡のなさは、カンチェリによって 選び取られたものなのだ。だがその一方でカンチェリは作品の中に「ノスタルジー」をも埋め込むことで、聴き手に対して対話の余地を残していると言うことは できないだろうか。もっと言えば、暴力とノスタルジーが交替する作品を提示することによって、人間中心的な意味づけを拒む世界とともに、それに対面する 人間の反応としてのラメントをも差し出すことで、聴き手との対話を試みているのだ、と。


(もっとも、著者の提唱する二分法によれば、カンチェリもシルヴェストロフもどちらも有機的であって、ここでは対立はないことになるらしい。一方で、 ベートーヴェン的=求道的・構築的、モーツァルト的=道草的・非構築的という軸では、カンチェリは前者、シルヴェストロフは後者で対立することになっている。 ただし有機的であることの定義は一切なされないから、そもそも異論を唱えることすらできない。求道的、構築的にしても同じで、例えばペルトが シュニトケと並んで求道的・構築的に分類されているのを見ると、それぞれの意味もさることながら、求道的と構築的を一緒に押し込んだ分類に 一体どういう意義があるのか疑問に感じられる。もっと謎めいているのはキリスト教・非キリスト教の軸である。例えば、第14交響曲を書いたショスタコーヴィチがキリスト教タイプに分類されるかと思えば、ユダヤ人ではあるがロザリオの祈りを構造的な支点に持つ第4交響曲を書き、それ以外にも 典礼文に音楽を繰り返しつけていて、例えば翻訳もあるイヴァシキンとの対談においても自分からカトリックや正教への信仰を巡って語っているにも関わらず、 シュニトケは非キリスト教タイプとされる。同様に、タタール人ではあるが正教徒であり、やはり受難曲や復活に因んだ作品を作曲していても、 グバイドゥーリナもまた非キリスト教的と分類される。ちなみにカンチェリはキリスト教タイプ、シルヴェストロフは非キリスト教タイプに分類されている。 この2人に対しては以下にも述べるようにその音楽が(非音楽的な礼拝行為のような性格を帯びているかという観点から)宗教的・非宗教的を分類すると 読みかえれば概ね妥当だと思うが、それは「キリスト教的」かどうかとは別の水準の議論だし、他の作曲家の配分を見る限りでは分類基準は私には 全く不明であって恣意的で勝手気儘なものにしか思えない。一体、基準が明確でない二分法の組み合わせが「ガイド」として何の役に立つのか 私には理解できない。読者の反応を気にして釈明をする以前に、定義を示すべきなのではないか。)


一方で、もっと単純に、カンチェリの作品が儀礼的な側面を備えていること、そういう意味でそれは人間的ではない何かに対する語りかけであるというふうに 言うことはできるだろう。それはだが、端的に「祈り」と呼ぶべき行為なのだ。つまりカンチェリの音楽は常に音楽外の行為的な価値を帯びている点に その音楽の決定的な特徴の一つが存しているように私には見える。そしてそうした側面は、カンチェリの作品の内容をも浸食しているのだ。 祈りは常に人間のものであり、祈りの行為には必ず祈らずにはいられない人間の感情や情動が影のように付き纏う。そうした側面こそが カンチェリの作品に或る種の暖かみを与えているのではないかと考えることはできるだろう。


だとしたらそれは「対話的」なのではないだろう。それは人間的な祈りの所作であり、聴き手は聴くことによってその祈りに参与することが可能であるに過ぎない。 勿論、「我-汝」の関係を祈りの対象との対話、神との対話として考えることもできるだろうし、実際ブーバーの思想が由来するハシディズムの伝統では そうなのかも知れない。だが、カンチェリの音楽の相貌からは、寧ろ私なら我と汝の対話を主張するブーバーよりも絶対的他者としての神との分離を説く レヴィナスを思い起こすところだ。実際にはグルジア人であるカンチェリはいずれとも直接の関わりはないのかも知れないが、例えば彼の別の作品、 アルバム「亡命」に含まれる幾つかの作品で選択されたパウル・ツェランの詩はブーバーのハシディズム的な対話の世界からは遠く隔たっている。誰でもないものへの祈りであるそれは、 寧ろ対話が拒まれた世界との(非)関係における祈りの(不可視の)共同体への絶望的な希求なのではないか。それは「ぼくとあなた」の対話などでは 決してないし、そこに世界が割り込むのでもない。ここで「亡命」を、ツェランの詩を参照することの妥当性については議論があるかも知れないが、 いずれにせよ最初にも述べたように、カンチェリを巡る「ガイド」の記述は、私にはそれこそ「支離滅裂」にしか感じられない。


ともあれそう考えれば、世界観が対極にあるかどうかはおくとして、少なくともシルヴェストロフの音楽がカンチェリの音楽と異なった位相にあることは間違いないだろう。 シルヴェストロフの音楽には祈るべき超越的な他者が欠如しているのだ。レクイエムと題された作品ですら、それは祈りではない。寧ろそれは主体の世界に 対する反応(例えば親しい人間の死という出来事に接したときの感情や情動)を音楽的に定着したものであり、私的で独我論的といっても良い ような記録なのであるが故に、自律的で、音楽外的な機能を持たない純粋な音楽でしかない。だがこのとき、カンチェリにもシルヴェストロフにも適用される ノスタルジーという語の用いられ方は、ほとんど無意味に近づくほどにまで拡張されてしまっているように思える。「ロシア音楽」(だが、カンチェリは西欧に 亡命したグルジア人であり、シルヴェストロフはウクライナ人、更に言えばシュニトケはヴォルガ・ドイツ系ユダヤ人、グバイドゥーリナはタタール人、ペルトはエストニア人で、ここで対象となっている二名のみならず他のいずれの作曲家もロシア人ではないのだが、、、)の特徴を一言で要約することが要求される音楽祭のキャッチコピーによって、 暴力的に一くくりにするという目的以外にそれを敢えて同じ語で呼ぶのは必要性があるのだろうか。勿論、両者に共通性を見出す立場も可能だろうが、 実際に対極にあると主張するのであれば、その主張に応じて、いっそのこと別の語を用いるべきだったのではという疑念は避け難い。 もっとも実際の適否を判断するのは私の手に余る作業である。私はその両者の作品の全体を、個別の作品のではなく、作品に共通する作者の 世界観の違いを判別することが可能な程度に知っているのは到底言えないからである。だが、この点においてすら、この「ガイド」のこの部分について、 数えるばかりの実演と、「乏しい」と著者自らが述べるCDのコレクションと(音源の著作権に照らした投稿の合法性について疑念がある場合が 少なくない)YouTubeの音源に基づき、代表作かどうかも自分では判断できない、ごく限られた作品しか案内できないと断り書きがついているので あれば、著者とは見解が一致することはないのだろう。結局のところ私自身はシルヴェストロフは関心はないし、カンチェリにしても関心はそんなに強固なものではないので、 この点についてはもうこれくらいで十分だろう。


だがしかし、そうであるならばマーラーについてはどうなのか。既に述べたようにマーラーの音楽そのものは典礼的な目的で書かれたわけではないが、 にも関わらず、テキストにキリスト教的なものが含まれる作品以外でも、総じてその音楽には奉納といった側面が確実に存在しているように私には 感じられる。コンサートホールでの交響管弦楽の演奏を想定されてはいるが、委嘱を受けて書かれたわけではないそれは、名人芸の披露のため、 あるいは聴き手の娯楽のため、消費されることを目的として書かれたのではない。内容においても、際立って主観的と見做されるにも関わらず、 それは作曲者の個人的感情の吐露といったレベルでは捉えることができず、寧ろ或る種の世界観の提示(ただしそれを主題とているのではなく、寧ろ、世界を構築するシミュレーションと捉えるべきだろう)、認識の様態を開示するようなものだ。 そういう意味では疑いなく哲学的であり、広い意味での宗教性を帯びていると言ってよいと思われるし、少なくとも音楽が手段として用いられる 音楽外の契機が音楽を基礎づけるといった音楽のあり方において、カンチェリに近接するようにすら感じられる。


その作品は歌謡的な旋律に富んでいて、一見形式的に弛緩しているように受け止める向きもあるだろうし、複数の音響層の併置や 空間的な音響構成など、伝統的な作曲法からすれば構築的とは言いがたいが、全般的には全音階法的な和声と線的な書法に支えられ、 意識の流れを思わせるような散文的な時間的構造を備えており、有機的な音楽と言ってよいだろう。


またマーラーの音楽はヘーゲル的な「世の成り行き」(Weltlauf)とそれに対する主体の(必ずしも意識的な部分に限定されない)反応といった図式に従っていて、 現実的な外部が契機として明確に存在するし、そうであるが故に、他面において超越的なものへの眼差しにも欠けていない。 意識の音楽としてのマーラーの音楽には、時間論的に回想に相当する機能を果たす箇所が認められるが、それはあくまでも一つの契機に過ぎず、 その作品の構造をそれのみで規定するようなものではない。従って、マーラーの音楽をノスタルジーの側面のみから捉えるのは、 マーラーの音楽自体にとっては著しく一面的でバランスを欠いた見方であると考えられる。


その一方で、マーラーの音楽には様々な性質の非人間的な契機の侵入が明らかに認められ、従ってマーラーの音楽を専ら「世界の人間的な意味づけ」として捉えるのは、 これもまた不当な単純化であると思われる。だが同時にマーラーの音楽は、「世の成り行き」に対する主体の反応であると見做せるし、 人間が儚く有限の存在であることを認めた上で、そうした人間の主観性の無限への憧れを擁護し、卑小な人間の反応の過程を音楽として定着させる志向を 備えているという点で、人間的な地平に縛られた音楽であるともいえるだろう。それは人間中心主義的ではないが、にも関わらず人間的な音楽なのだ。 総じて主観の極が廃棄されることはなく、全面的に非人間的な秩序ないし法則、あるいは暴力の反映になりきることはない。 そして3.11以降の今であるからこそ、(それには心理的には大きな困難が伴うことを私は経験しているし、今でもそれはしばしば困難であり、 もしかしたら私が存続する限り、もうその困難から解放されることはないのかも知れないが、そうであれば寧ろ、尚更)マーラーの音楽を聴き続ける必要が あると感じているのは、それが「世の成り行き」の前で無力な人間の立場に立った音楽だからなのだ。 アドルノも言っている通り、マーラーの音楽は敗残者のためのバラードであり、自由を奪われた状況においては幽霊の行進でしかなくとも、弱り果て、 もの言わぬ自我たちに表現の道を用意し、救おうと手を差し伸べるものであり、「レヴェルゲ」(目を覚まさせるもの=幽霊)なのだ。


従って、あえて「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」公式ガイドブックに抗して言えば、今こそ必要なのは、人間的な意味づけからの解放などではない。 確かにマーラーは過去の異郷の音楽であるけれど、そうした時代と空間の隔たりを越えて、常に人間が直面せざるを得ない、人間的な意味づけがいとも 容易に崩れてしまうという現実のさなかにあって、繰り返し人間的な意味づけを恢復することに誘うような音楽なのだ。恢復は懐古でないのは勿論、復旧でもない。 意味はその都度、改めて獲得されなおされなければならないものであって、決して自明で不変なものではない。そして恢復のためにはノスタルジーが契機として 必要であったとしても、ノスタルジーに自閉するのではなく、現実に立ち戻る必要がある。疲労困憊していたとしても、更にはそれが運命に対する或る種の「反逆」であり、 勝ち目のない戦いであったとしても尚、移り行くものに留まるほかない者は外部に向かって働きかけ続けなくてはならないのだろう。「私が人生の終焉まで 休むことなく活動すれば、現在の生存形態が私の精神をもはやもちこたえられなくなっても、自然はかならず私に別の生存形態を与えてくれる筈だ」という マーラー自身の発言を、その音楽は裏切らない。ここに引用したマーラーの言葉は、マーラーの時代にあっては「霊魂の不滅」という議論の枠組みでしか 語られることはなかった。だが、マーラー自身はそうした時代の制約の中で、ゲーテに依拠しつつ、彼の時代の自然科学の動向にも留意しつつ、 音楽という手段(そう、ここで音楽は手段であり、音楽外の契機が侵入していることをもう一度確認しよう。音楽は自律しているかわりに他の人間の活動から 孤立した営みではないし、そうした人間の活動もまた、世界の中で孤立して、自足しているわけではないのだ。)を用いて定着させた。100年後の異郷に 住む人間は、そうしたマーラーの志向を継承し、今、ここでの展望から、更には未来のポスト・ヒューマンの展望から、かつて「魂」と呼ばれたものや「精神」と 呼ばれたものを改めて定義しなおし、「霊魂の不滅」を別の仕方で扱うことができるし、そうすべきなのだ。マーラーの音楽はそうした不断の、終りなき 活動への誘いなのである。


その一方でマーラーの音楽は暴力的な世界に対する徹底的な覚醒を強いることはない。「お休み」と言うことはここでならまだ許されているのだ。 ここでは回想だけではなく、眠りにより意識の中断すら許容される。主観性の擁護は、無意識的なものの排除を意味しない。 そしてそういうマーラーの音楽は意識的な主体の限界を超えた奥の部屋からの声を 聴き取るように誘う(「おお、人よ、注意せよ!」)のであり、三輪眞弘さんの言う「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた 内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」なのであって、それゆえ100年の隔たりを経た後、今なお、それに感動することができるし、 GWの余暇のための単なる「イケテナイ娯楽」ではない何かであり続けるのだし、それゆえ、どんなに拙いものであったとしても、その音楽に自分なりに 応答するための時間を贈与すべき対象なのだ。その音楽を擁護するという行為そのものによってさえ、かつまた卑小で無価値な私のような聴き手さえもが、 自分に勝りたるもの、自分の有限の生命と取るに足らない能力が能くしうる限界を遥かに超えた価値、最早人間の概念が止揚されるような場、もはや 私のままでは関与できないようなものにコミットし、寄与することを確信できるような何かをマーラーの音楽は備えている。人間的な意味づけの擁護、 主観性の擁護を介して、それを徹底することによって人間的な意味づけからの解放を希求する動きこそ、マーラーの音楽の備えるもっとも基本的な 志向なのだ。そして私はそのことを、自分のマーラーの聴経験に照らしてここに証言し、かつそうしたマーラーの音楽とともにあることをここに証言する。


(2012.4.30/5.1初稿, 2021.6.24,29加筆修正, 2025.3.6 改題の上、再公開)

マーラーの音楽が語る「世の成り行き」との関わりについての断想 (2025.3.6 再公開)

 行進曲、カッコウの鳴き声、ファンファーレ、聖歌は記号として、そしてそれ以上に文脈を引き込むものとしてアトラクタの様なものとして、存在する。単なる記号ではないのは、それが実際に行進、野原、祈りという「内容」を形作るからで、単に~をあらわす記号、~というものをピンで留めている訳ではないからだ。

それは多分、音楽の「意味」といってしまって良い。意味の領野が成立しうる様な音楽、自我の音楽。 意味は目的であったり、方向であったりしなくても良い。意味と前意味のあわい、記号の持つ意味とは異なった。 だが、単純な感覚質に比べたらはるかに構造化されたものの構造。

それは創作の極における形式への批判的取り組みや、調性についての批判的な見直しでは直接にはない。それらもまた、実現された音楽のうちに刻印されていなければ、単なる作者の意図と言う名の素材に過ぎない。

音楽的な経過を言語による物語に「翻訳」してしまうこと。近似的変換として、あっても良いが、しかし、それでは恣意性が高すぎる(もっとも、劇音楽における描写のように、そのような翻訳がなされるべきであることも、正解が存在することもあるだろうが。) また、或る種の分析のように、結局のところ「~的」という特徴のリスト(しかもしばしば驚くほど短いものでありうる。)に還元することにしかならない分析もまた、不毛であろう。そうしたリストは―それが数十から数百にもなれば、そして測度が適切に入るならば、有効なものになりうる可能性だってあるのだが―一般には、印象批評と結果だけ見れば変わるところはない。

それでは音楽的時間の擬人化についてはどうか。音楽はオブジェだから、根源的時間そのものではありえない。擬人化の由来は、音楽に対するTriebの結果だという主張は?音楽的時間の「理想化」、人間に―日常的時間に―喪われた時間の意味を返してくれる擬似根源的な時間?

多分、擬人化は正しい。だが理由は安直に一般化できない。それは享受の極で(そして恐らく自我の音楽なら、創作の極でも)行われうる、或る種の代償行動(現実には実現可能でないことをfictionの中で実現することで満足を得るといった類の説明)に還元してしまうことになる。 それが全く無とは言わないまでも、それは起こりうる事態のほんの一部でしかないだろう。そもそも人は、そのように音楽に出会うとは限らないし、仮にそれに現実を代替する機能を認めたとして、その代替は必ずしも代償として機能する訳ではない。そもそもその光景は初めて聴き入る子供にとって未聴のものであるかも知れないではないか、、、(アドルノがマーラー論で語っているあの経験を参照せよ。)

また近代音楽の批判、現代音楽の近代音楽に対する批判的機能についても留保が必要だ。確かに現代音楽は、自明性の前提を崩すから、批判的な機能は持ちうる。だが、それが近代音楽の持ちえた豊かさと同等のものを保証するわけでも、それ替わる、それに釣り合う別の何かを自動的に保証するわけではない。 (だいたい、ここでいう批判の機能は、近代音楽であるマーラーの音楽が、その時代に持ちえた機能と何ら変わることはないではないか?本当に、近代と現代の対比は意味を持つのか?ここでいう批判の機能は、或る種の音楽が時代を問わずに持ちえる、などということは考えられないのか?近代批判を近代に無批判にのっかってやっていることにはならないだろうか?)そもそも、その批判は人を「音楽ではないもの」に向かわせる可能性だってある。それはそれでも構わない。だが、これはまた、一つのイデオロギーに過ぎない。

不思議なのは、もし「世の成り行き」との葛藤がなかったとして、あるいはそこから逃避したとして、そこで表現するものがまだ残っているという事だ。―勿論、理想的な、あるいは理念的な秩序、法則性を、世の成り行きから抽象して表現する、ということがあるのかも知れない。例えばそれが「自然」であったりする、、、逃避の対象が実現される当のものである、という循環は、どこにでもあるようだ。一方で、作曲家はやはり音という素材に向き合うという側面がやはりあるようだ。構築するにせよ、構築することを拒んで、寧ろ「見つける」という姿勢をとる(cf.Feldmanの場合がわかりやすい)にせよ、音に対峙するという位相、表現云々の問題以前に、素材として目の前に音がある、という側面が在る様だ。特に「世の成り行き」から身をひいた音楽の場合には、そういう契機があらわになるようだ。―例えばオペラのために脚本に音楽をつけるという場合と異なって―「何のために」が与件として存在するわけではない。音を手段として、表現する何かがあるわけでもない。そういった意味合いでは、それが「世の成り行き」から強いられた―注文による―のではないとはいえ、マーラーの場合には「何のために」は、多くの場合、暗黙の与件だったように思われる。―つまり、世界を包含することがそれだ。音楽は「手段」である、という意識があった。ところが「現代音楽」の場合、音楽は手段ではなく、それ自体、目的のようだ。だが、それはやはり危ういものではないか?

そもそも語りの衝動はどこから来るのか?そして聴取の衝動は?―これは「まずは」心理学的な問題だろう。現代音楽こそ、「世の成り行き」からの逃避ではないか?と疑ってみることは不当なことだろうか。あるいは、さまざまな逃避のかたちだけではないのか?、と。音の聴取そのものを問うラディカリズムもまた、「世の成り行き」との関わりからすれば、ある種の逃避、疎外の果ての姿ではないのか?

だとしたら、単純に、近代音楽を批判することはできないし、マーラーのようなあり方(「世の成り行き」との関わりに満ちている)を、時代遅れといって批判するのは見当はずれだ。

別に「現代音楽」が聴き手から遊離していることを問題にしているのではない。音に対する姿勢へのこだわりという位相に自明の事として―あるいは積極的にラディカルな立場と自分で思い込んで―住まうこと、それが寧ろ逃避の極限として、だから対立するものというよりは寧ろ、同じもののより徹底された姿として映るということだ。そこには、セリエリズムか、それの否定かという区別は大して意味をもたらさない。音に対するつきつめが、どのような社会的条件のもとで可能になるのか、あるいはどういった心理的機制のもとで生じるのか。(セリエリズムに疲れ、音を聴くことを選んだシェルシを思い浮かべても良いだろう。あるいは―全く別の事例として、ティンティナブリに至ったペルトを考えても良いだろう。一方の極として、フェルドマンやケージのようなアメリカの、アメリカならではの実験的なスタンスを考えても良い。)

一方、例えばマーラーにおける世界の暴力的な相貌は、自我の、主体の側の態度のエコーではないのか? マーラーの場合は、世界は、彼が世界に対して暴力的な分だけ暴力的なのではないか?と疑ってみることもまた、可能だろう。 (だが多分、これは言いすぎだ。常に世界の方が主体より強く、主体は敗北するのだから。)

では、現代音楽が拒絶したかに見える、そしてマーラーにおいては満ち溢れているかに見える「うた」、人間的な主体の表現であると普通には見なされるであろう「うた」についてはどうなのか?

「うた」の問題はマーラーの歌曲において躓きの石となる。本来「うた」は主体の側にあるはずなのに、マーラーの場合にはそれはズレを孕んでいるかに感じられる。マーラーの「うた」は寧ろ客観の側にあって、作曲主体はそれを書き留めて作品として証言しているかにさえ見える。それでもなお、結局、 マーラーの場合は「うた」の優位は一貫しているといって良く、「うた」を介した「世の成り行き」との関わりは、それがどんなに緊張を孕んで、破綻に近づいたとしても、どこかに受容と共感の余地を残している。マーラーの場合、主観が没落するのさえ「うた」の圏内でなのだ。それは和解とか宥和を導くものでは最早ないが、「世界」を眺める主体の眼差しが消え去ることなく残っていることを告げているように見える。(バルビローリの第9交響曲の演奏におけるフィナーレの末尾を思い浮かべよ。それに図像学をあてがって「主体の死」の描写と決めつけることを、その演奏は拒絶しているかに見える。)

実際に世界との関係は破綻しない。破綻は楽曲においても表現の対象だ。破綻は形成自体には起こらない。そこでは破綻が形式化される。カオスや相転移が記述されるように。そして暴力に満ちた客観ということでいけば、マーラーとクセナキスの距離を考える必要がある。クセナキスの場合でも、勿論そこには法則がある。だがそこには「うた」の共感的次元はなく、あるのは人間の尺度を超えた、人間を玩具のように弄ぶ気まぐれな世界の相貌に過ぎず、そこでは主体は安全ではない。 まるでその都度賭けが行われているかのようだ。「世の成り行き」に対する「別の仕方で」の関わりとしてクセナキスを考えることができるだろう。

いずれにしても、音楽を聴くとき、何が起こっているのか、音楽の個性とは何かを、具体的な事象に対する具体的なモデルによって記述することは、全く手付かずで残っている。でもだからといって形而上学的な時間論に耽っていて良いということにはならない。 様々な時間論を渉猟して博学をひけらかしたり、レトリックを連ねて気の利いたことを言ったところで、実質的には何も進まない。 (そもそも「音楽的時間」という切り出し方そのものがすでに抽象的だ。重要なのは個別の時間の分析なのに。) 単純化も不可能だ。それはマーラーのような極めて多くの文脈の上で成り立ち、それ自体が複雑な脈略を持つような音楽の説明になりうる保証がない。 勿論認知的なモデルを作ること自体は必要だが、一般的なモデルで十分だというわけではないだろう。

例えばマーラーの場合なら、「世の成り行き」との関係の転送とか感受の伝達というのを想定することができるだろう。だがそれは、どこで起きたのか、本当に創作の極で起きたのか?(何も起きなかったということはあるまい。)いずれにせよ、「作品」には刻印されている。(ところで、作品についてはLevinasのoeuvreの概念を参照せよ。)世の成り行きから身を離すこともできる。しかも色々な仕方で。勿論、身を浸すこともできる。(オペラの作曲を考えてみれば良い。ドニゼッティのように良心的に注文に応じて音楽を量産しつづけた人もいるのだ。)マーラーが興味深いのはその「世の成り行き」との関係の作品上の表われだろう。そして件の不変項、取り出されるべき構造には勿論、この「世の成り行きとの関係」が捉えられているべきである。世界と自我の関係といい、意識の音楽といい、そのような言語で記述しようとしてきた側面こそ、取り出さなくてはならない当のものだ。

脳の可塑性、文化の相対性からいっても「自我」というのは普遍的なものではありえない。それは、ある文明の、ある歴史的エポックに固有の、ある組織化の様態なのだ(ジュリアン・ジェインズの二分心と、レイ・カーツワイルのシンギュラリティを思い浮かべよ。「自意識」を備えた「自我」は、二分心崩壊以降・シンギュラリティ以前のエポック限定の心の様態に過ぎないのだ)。だが、それを認めたところで、ここでの問題は変わらない。何も一般的な図式、普遍的な構造が手に入れたい訳ではないので。

ここでの目標は、物理学のそれに近いといって良い。雲や水流のような現象の記述と同じような姿勢で、音楽、しかも個別の、外延が定義された音楽についての記述を探求するのが課題なのだ。文化的な対象について、一般的な学を構想すると、途端に対象の範囲の曖昧さが出現して、それに足をとられてページ数を費やすことが多いが、ここでは、まずは対象は比較的良く定義されている。(それでも版の問題や未完成の第10交響曲の問題等もあるが。)だがそれは音響の継起の客観的な記述にとどまってはならない。そこには音楽はなく、そうした音響の継起によって(作曲者・演奏者も含めた)聴き手にどのような影響を与えるのかが問われなくてはならない。

だがその場合でも、クオリアというのは狭義の感覚質を指してしまう様で、些か問題がある。音楽が惹き起こすのはより身体的、情態的な反応だ。そうした反応パターンを含めて質を考えてやる必要がある。クオリアを、音響を聴覚で知覚することに限定するのは、多分抽象なのだ。そもそも喜び悲しみetc.というのは、狭義のクオリアとは別の、身体的、生理的な反応だ。

問題は、音楽を聴く、特にマーラーのような音楽を聴くということが、あるレベルで何であるかを示すことだ。音楽が「思想」を表すことは可能か?何か法則性を表すことができるだろうか?(法則に従うこととは別だ。)音楽が、何かを伝達するという言い方がされる。けれどもここでは、送り手、受け手は必ずしも明らかではない。 恐らく音楽は、言葉を使ってのように思想を表すことはない。(あくまでマーラーの場合は) だが直接に、何か感受の様式を、ある情態性を、転送する。あるいは聴き手の裡に構成することを可能にする。 感受の伝達の媒体なのだ。 例えば、音楽外のある出来事の経験をしたとき、その経験の構造、感受の様式のあるパターンがある音楽によって構成されたものに近い、ということはあるだろう。 自我の形成期に音楽を聴くことによって、脳内にあるパターンが形成されると、それが音楽外の経験をしたときにアトラクタとして働く、ということは大いにありえそうだ。 勿論、新たなパターンが作られることの方が多いだろうし、音楽の作るパターン自体も、安定したものであり続けるわけではないだろう。 だが、そうした経験の空間の形成の初期条件、canalizationとして、ある他者(=マーラー)の感受の伝達の結果が用いられるというのはあるだろう。 逆にショスタコーヴィチのように、後から、自己の経験の対応パターンを音楽の聴取に見出すこともある。

さまざまな音楽。ある個体の受容についていうのであれば、いつその音楽に出会ったのか? 音楽には言語における母語と第2言語の習得のような差異はないのだろうか? 新しい音楽、異なるタイプの音楽に出会い、その仕組みを理解し、そこから何かを学ぶことはできる。 だが、それを表現の媒体とすることについてはどうだろうか?あるいは表現されたものを受容するという過程については?

一方で、可塑性を信頼する立場もある。何歳になったら言語の習得が困難になるのか、 母語・第2言語の差異というのは結局、一般には程度の問題ではないか(私の場合はそうではないが) 母語以外を表現の媒体とすることだって可能ではないか、と考えることもできる。

その一方で、あるシステムが他のシステムよりも合理的で強力だ、ということはないだろうか。 そうだとしたら、これはどちらを先に受容して、内部のネットワークを形成したか、という問題ではない。 今度は可塑性が力を発揮する。そして、あるシステムはその可塑性をより発揮させやすいシステムを持っている、etc. あるいは、作品を作る仕組みとして強力であるがゆえに、より力を持つ作品が作られやすい。 ある文脈、ある目的のためでない音楽、というのが可能なこと自体、そのシステムの強力さを表していないか?

勿論、ある個体がそうした強力なシステムを受け容れるか、拒絶するかは別の問題だ。

(2006.9, 2025.3.6 改題、大幅に加筆の上、再公開)

2025年3月5日水曜日

マーラー作品のMIDI化状況について(2025.3.5更新)

既に別のところでも何度か記していることであるが、専門の研究者ならぬマーラー愛好家にとって、近年のインターネット環境におけるコンテンツの充実は目覚しいものがある。権利が切れた出版譜が`PDF化されて自由に閲覧可能になったり、歴史的録音がmp3のフォーマットで無償で入手できるようになったかと思えば、いよいよ自筆譜についても、その一部については既にスキャンされた画像が公開されるようになってきており、同様にpdf等のフォーマットで入手できるようになってきている歴史的研究文献ともども、これまではアクセスが困難であった情報に容易にアクセスできるようになってきている。

ところで、そうしたトレンドと並行して、マーラーの作品をMIDIのフォーマットで入力して、MIDI音源で再生できるようにしようという試みが為されてきている。アコースティックなオーケストラがコンサートホールで演奏することを想定したマーラーの音楽を電子的に再生するという姿勢の是非について議論はあるかも知れないが、広く別の媒体での演奏というようにとってみても、それまではせいぜいが、ピアノ・リダクション(2手、4手連弾、2台ピアノなど、これまた色々な形態の編曲がされてきているが)や室内楽編曲が行われたくらい、しかもレコード、CDといった録音・再生技術やテレビ・ラジオといった放送技術の発達前で実演以外だとピアノや室内楽で自ら弾くしか作品に接する手段がなかった時代でこそ需要があったが、その後は寧ろそうした編曲版は半ば忘れられた存在となり、逆に近年になって、受容の多様化の現われとして、通常のオーケストラ版では飽き足らなくなった層向けに室内楽版やピアノ・リダクション版のCDの録音・販売がされるようになったり、あるいはピアノ編曲版がいわゆる「オリジナル」に比べて価値的に一段下に置かれるといった価値基準からは自由な立場から、ピアノ・リダクション版のツィクルスが行われるようになってきた(一つだけ実例を挙げれば、残念ながら私は聴く機会を得ないままだが、大井浩明さんが近年継続的に取り組まれている)ような状況だが、受容の多様化の一貫として、しかもマーラーの時代には全く存在しなかった新たな受容のあり方として、MIDIファイルへの入力の試みというのは大変に興味深いものがある。

私見では、MIDIデータというのは、楽譜の情報を変換したデータ、しかもそれを自由に分析、編集、加工することが可能な汎用のフォーマットとして非常に大きな価値があると思われる。マーラー自身もその伝統のうちにある西欧の音楽の伝統が築き上げてきた記譜法のシステムは、人間が読み取るためにはそれなりに合理的なものだが、その情報を加工したり、編集したり分析しようとしても簡単にはできないからだ。

寧ろ今後、コンピュータによる大量のデータの処理がますます一般的になるとともに、MIDIのデータの価値はますます増大していくのではないかと思われる。もしかしたら狭義のDTMの範囲を超えて、今後はMIDIデータが、様々な音楽情報処理の基盤としての意味を持ってくるようなこともあるのではなかろうか。(実は、私自身、今回MIDIファイルを調べてみようと思い立った理由というのが、マーラーの作品のある側面をコンピュータにより分析してみたかったからに他ならない。それならMIDIファイルを使うと良いというアドバイスを頂いて調べてみると、ことマーラーに限って言えば、正直に言ってここまで充実しているとは想像していなかった程に状況が進んでいることを確認して、大いに不明を恥じることになったような次第である。)

現実には電子的なメディアの常で、MIDI規格においても機種依存性の問題があるようで、仕方ない側面もあるとはいえやはり色々と弊害があって悩ましいことのようだし、実際に分析に使おうとしてみると、例えば、「音を鳴らす」観点からいけば不要な、付帯情報に過ぎない拍子や調号の情報は、必ずしも「楽譜通り」に入力されているわけではないようで、小節数にしても、必ずしも楽譜と一致するとは限らないようだ。多くの場合には恐らくは入力の便宜上、音価を倍にしたり半分にしたりということは行われているものと思われるし、稀にはシーケンサソフトの制限で、1ファイル1000小節という制限を回避するために小節数を調整する必要が生じたりということも実際に起きていると聞く。マーラーの交響曲楽章で1000小節を超えるのは、第8交響曲第2部だけなので、最後のケースが問題なのは1つだけのはずだが、別の作成者が第3番1楽章、第5番3楽章、第6番4楽章のような大規模な楽章についてはファイルを分けているケースもあり、類似した別の制限が理由なのかも知れない。(媒体もパラメータも異なるが、LPレコードにおいて、こちらは演奏時間に制約されるのだが、例えば第3番1楽章、第8番2楽章あたりは必ず片面には収まらないことから、途中で分割されていたのをふと思い出してしまった。)

小節数の制限についてのみ言えば、分析目的からすれば、寧ろ、分割して、楽譜通りに入れることが望ましいということになるが、本来DTMで「鳴らす」為に入力しているわけで、そうであれば、楽章の途中で切れるのは如何にも興醒めであり、そうした目的の違いを考えれば分析にとっては多少の制限がつくのは仕方ない側面もある。

音高や持続のような情報だけが分析の目的であれば問題にならないが、音色の次元を考えれば、今度はチャンネル数の制限がネックとなり、第8番のような作品を「正しい」音色で入れるのには困難が伴うのは容易に想像がつく。人間の奏者の持ち替えよろしく、同一チャンネルで音色を切り替える工夫等はごく普通に行われているだろうが、特殊楽器の利用、クラリネットなどの移調楽器の場合における、管による音色の違い、更には(弦のみならず管でも)ソロ・ユニゾンの差異が音色の効果狙いである場合(アドルノの言う、第4交響曲第1楽章の「夢のオカリナ」を思い浮かべよ)、弦楽器における線(弦)の指定、ミュートに留まらない特殊奏法の指定(フラジオレット、コル・レーニョ、バルトーク・ピチカート、、、)等々に忠実に従おうとすれば、音色のパラメータの方は切りがなさそうだ。更に加えてマーラーの場合、空間的な指定、ベルアップやら起立せよといった奏者への指示もある。これらは音響の変化としてよりも、膨大な発想表示、指揮者への注などと同様、コメントのような形で入れることになるのだろうか。

しかしながら、ことマーラーに関してMDI化にあたっての最大のネックは、「声」ではなかろうか。今日であらば初音ミクのようなヴォーカロイドに歌わせることは当然、技術的には可能なのであろうが、調べた範囲では、歌詞を歌わせたMIDIファイルは一つもなく、いずれも歌詞パートをある音色をあてて鳴らしているだけに留まっている。この状況は日本だけではなく 外国語の歌詞に対する距離感が違う筈の海外においても同じなのだが、主として技術的制約故であることを思えば、当然のことかも知れない。もっとも、網羅的に調べたわけではないので、どこかでヴォーカロイドに歌わせた例がある可能性は十分にある。しかし総じて言えば、「鳴らして聴く」目的のMIDI化にしても、マーラーが優れて人間の声の、歌の作曲家であるが故に、まだ途上にあると言うべきなのかも知れない。

[追記]ヴォーカロイドによるマーラーの歌曲の歌唱の例としてニコニコ動画のものについて本ブログコメント(以下のコメント欄を参照)にてご教示頂きました。情報の提供につき御礼申し上げます。取り上げられている作品は、「大地の歌」、「子供の魔法の角笛」の中の幾つか(「原光」「天国の生活」を含む)、リュッケルト歌曲集が中心で、最初期の「思い出」はある一方で、「さすらう若者の歌」からは「朝の野辺を歩けば」のみ、「子供の死の歌」はないようです。他方で第2交響曲の「復活」の合唱や第8交響曲第1部が取り上げられています。

以上のように少し考えただけでも、いろいろと制限はありそうだが、作品情報の「機械可読」な形式として、MIDIファイルのメリットはそうした制限を上回るものがあるのは確かなことであろう。

というわけで、マーラーの作品のMIDIファイルの状況がどうなっているのかを調べてみると、それはそれで非常に興味深い状況が見て取れたので、簡単に気づいた点を記しておきたい。

まず、マーラーの音楽はDTMの対象として、比較的ポピュラーなものと言って良さそうであるということ。作品の長大さ、編成の大きさを考えると入力の手間は大きいものと思われるが、にも関わらず、専らマーラーの作品のMIDI音源を紹介したページというのが幾つか存在する。

更に加えて、ことマーラーに関しては、寧ろ日本国内の方が入力が盛んにすら見えること。それを最も端的に物語っていると思われるのが、世界でも唯一のMIDIによるマーラー交響曲全集(「柳太朗」こと加藤隆太郎さんによる)の存在で、これを達成したのが日本人であることはおおいに喧伝されて良いことのように思われる。

以下、私が気づいた範囲でマーラーの作品のMIDIファイルがある程度まとまって公開されているサイトを紹介しておくことにする。ご覧いただけるとわかる通り、マーラーの作品の主要な部分のほとんどが既にMIDI化されており、大規模作品では「嘆きの歌」、歌曲では子供の魔法の角笛の数曲を除けば初期のピアノ伴奏歌曲を欠くくらいであって、その充実ぶりには驚かされる。他の作曲家の作品の日本における状況との比較などから、日本におけるマーラー受容のユニークな特質が浮かび上がってくるのではとさえ感じられる。

なお、より網羅的なMIDIデータの所在の情報については、別途、以下のページで画像ファイルとして参照・ダウンロードできるようにしているので、必要に応じてそちらも参照されたい。

https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/p/midi.html

[2024.6.16付記] その後、思い立った時に以下に紹介したサイトが利用可能かについて確認を行っていますが、閲覧できない、或いは実質的に利用できなくなってしまったサイトが増えてきています(最新の状態で閲覧・利用不能なサイトには†を付けるようにしました)。マーラーの作品自体の著作権は失効していますし、マーラーの作品の楽譜のうち最近出版されたものではないものには著作権が失効したものが存在しますが、それらに基づいて作成された場合であっても、MIDIファイルそのものについては作成者の著作権は有効です。ここで対象としているMIDIファイルは無償でのダウンロードができるものに限られているので、ダウンロードしたファイルをダウンロードした個人が自分で利用する分には問題ありませんが、それを再配布(二次配布)ができるかどうかは作成者の判断次第であり、厳密には別途許諾が必要と考えられます。とは言え、許諾を得るために連絡を取れるものはそもそもご本人のサイトからダウンロード可能であるわけで再配布の必要性はなく、閲覧・利用不可能になったケースは、作成者と連絡の取りようがないため、実質的に再配布は断念せざるを得ません。以下でも確認できる通り、海外で作成されたMIDIファイルでは同一ファイルが複数のリポジトリサイトで公開されている場合がありますが、それも再配布を許諾した結果と見做すことは厳密にはできません。公共的な価値を考えれば、手元にあるMIDIファイルをダウンロードできるようにすることの意義は小さくないと思いますが、そうした事情から本サイトではMIDIファイルから本ブログの作成者独自のプログラムによって抽出した情報については公開しても、元となったMIIDファイル自体の公開は控えていますので、ご了承の程、よろしくお願いします。


(A)日本国内のサイト

†(1)Deracinated Flower
マーラー 交響曲全集
(旧サイト)http://www.geocities.jp/masuokun_2004/
(現サイト)http://kakuritsu.sitemix.jp/asobi/midi2/index.html

交響曲第1番~第9番と大地の歌の総てがMIDI化されている世界でも唯一のサイト。
※2020年1月現在では、ホームページ閉鎖のため閲覧不能。Wayback machineのアーカイブは残っていることを確認。第8交響曲第2部では、使用していたシーケンサの制限(最大1000小節)を回避するために、小節数の情報が楽譜に忠実ではない。その他のケースでは、一部例外はあるものの、小節の情報についてはほぼ楽譜通りのようである。一方で残念ながら曲によっては入力が不正確な部分が散見され、分析に利用するには注意が必要であることも確認している。

[2022.8.8の追記]作者よりコメントにてご連絡頂き、移転先のURLをご教示頂いたので、情報を更新しました。

[2023.7.12の追記] 移転先のURLも閲覧できなくなっているようです。
[2024.6.16の追記] 移転先URLで閲覧できない状態が続いています。エラーコードはDNS_PROBE_FINISHED_NXDOMAINですが、DNSキャッシュをクリアしても状態が改善されないため、サイトが移動ないし削除されたものと思われます。


†(2)The World of Tachan Orchestra
マーラーの部屋
http://midi-orchestra.xii.jp/

交響曲第5,6,7,9番全曲と第3番第1楽章、大地の歌第6楽章をMIDI化。第3交響曲第1楽章、第5交響曲第3楽章は2つのファイルに、第6交響曲第4楽章は3つのファイルに分割されている。

※2020年1月現在、第1交響曲が追加されていることを確認。なお曲によっては拍や小節の情報が楽譜と一致しないため、或る種の分析での利用にあたっては制限があることも確認している。

※2023年11月20日時点では閲覧不能でしたが、2024年6月時点では再び閲覧できるようになっていることを確認済。

※2025年3月4日時点で閲覧不能であることを確認。

†(3)PSPのおっちゃんなブログ・・・。
ピアノ演奏MIDI集
http://www.geocities.jp/uncle_of_psp/music.html

ピアノ演奏版ということで、交響曲第1,2,5,8番を公開。
※2020年1月現在、ホームページ閉鎖のため閲覧不能。

†(4)お抹茶いつかし
デジタル音楽館~パソコンが奏でるシンフォニー~
http://www004.upp.so-net.ne.jp/itsukashi/digital_symphony/index.html

交響曲第5番全曲と第2番第4楽章(原光)を公開。

※2023年7月現在、閲覧不能。新しい作品はyoutubeで公開されているようです。

(5)Andante comodo - 音の住む館 -
幻想曲(ファンタジー)
その他のMIDI
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mabushis/fantasy_etc.html

リュッケルト歌曲集(5曲)と子供の魔法の角笛より3曲の歌曲をMIDI化している貴重なサイト。

※2020年1月現在、『大地の歌』第3楽章が追加されていることを確認。

※2025.3.5 閲覧可能であることを確認。本記事で紹介している国内サイトでは存続している唯一のものとなってしまいました。


(B)海外のサイト

(1)GustavMahler.com
http://gustavmahler.com/

交響曲第1番(2種)、第2,3,4,5,9番および第10番(クック版)のMIDIファイルが公開されている。色々な作者のファイルをまとめて公開しているサイトであり、日本のサイトが個人のものであるのと対照的である。

(2)ClassicalArchives
http://www.classicalarchives.com/

マーラーだけでないクラシック音楽全般のMIDIファイルを公開しているサイト。
マーラーは、交響曲第1番、第9番の全曲(これらは(1)と同一音源)、第1番第3楽章、第3番第5楽章、第4番第1楽章(2種)、第4番第2楽章、第5番第4楽章(3種)、第5番第5楽章、第6番第1楽章、第7番第1楽章、第9番第4楽章、第10番第3,4,5楽章が公開されている。

(3)Kunst der Fuge
http://www.kunstderfuge.com/

(2)同様に、マーラーだけでないクラシック音楽全般のMIDIファイルを公開しているサイト。
マーラーは、(1)と同一の音源であり、交響曲第1番(2種)、第3,4,5,9番および第10番(クック版)が公開されている。


†(4)KARAOKE
 Lieder, Arien, Ensembles, Chöre  aus dem klassischen Repertoire
http://www.impresario.ch/karaoke/

マーラーだけでないクラシック音楽の歌曲・アリア・アンサンブルや合唱曲などのMIDIファイルを公開しているサイト。

マーラーは、子供の死の歌(5曲)、さすらう若者の歌(4曲)、リュッケルト歌曲集(5曲)、子供の魔法の角笛のうち11曲の計25曲に達する。

いずれもピアノ伴奏のみ(「カラオケ」)と歌唱パート旋律つきの2種類が公開されている。

恐らくMIDIキーボードでの演奏をMIDIファイル化したものと想定され、音が拍節とずれているために、(プログラムの工夫によりある程度の回避は可能だが)分析には適さないことを確認している。更にピアノ伴奏版固有の問題として、声域に応じた移調がされている場合があることで、詳細は割愛するが、原調と異なる調で作成されたMIDIデータが多数存在することを確認しており、仮に小節線や拍節とのずれが問題にならないような分析を行う場合でも、この点についての考慮が別途必要となる。

※2024年6月現在、メイン画面で検索した結果がブラウザに表示されなくなってしまい、実質的に利用できない状態になっていることを確認。(phpを使って書かれているサイトのようです。検索結果が単にない場合にはその旨メッセージが出ますし、検索結果があると思われる場合には、単に検索結果が表示されないで検索画面が再表示されるだけで、エラーが返ってくるわけではないので、サーバーサイドで実行されたqueryの結果が何かの理由でブラウザで表示できなくなってしまっていると思われますが、原因の調査はしていません。なお、確認したブラウザは2024年6月時点で最新のchromeとEdgeだけです。)


(2016.1.3:公開)
(2020.1.18:最新の情報を追記)
(2022.8.8:Deracinated Flowerサイトの「マーラー 交響曲全集」の移動後のURLを追記)
(2023.7.12:リンク切れにつき更新。ヴォーカロイドによる歌唱の試みについて本文中に追記。)
(2023.11.20):リンク切れにつき更新。
(2024.6.16):KARAOKEサイトで検索結果が表示されず、利用できない状態になったため更新。また当該サイトのデータが移調されたものを数多く含むことを付記。The World of Tachan Orchestraサイトが再び閲覧・利用可能になっていることを追記。
(2025.3.4):The World of Tachan Orchestraサイトが閲覧不能になっていることを確認・追記。
(2025.3.5:編集・更新)

2025年2月17日月曜日

カフカの「審判」について:アドルノを介して、マーラーからの視点(2025.2.17更新)

カフカの「審判」について、アドルノのマーラー論における第9交響曲ロンド・ブルレスケのくだりでの参照を 起点に、ここでの議論のいわば対旋律として発展させるための準備として。

注意しなくてはならない。ある日突然理由も無く逮捕され、処刑される。これはだが、現存在の被投性そのものかも知れない。

その一方で、彼は有罪なのか?という問いに対して、ローマ人の手紙のパウロの言葉によって答えてみるとどういうことになるか? あるいはここで「カラマーゾフの兄弟」のマルケル=ゾシマ=アリョーシャ(=ミーチャ)のテーゼを思い起こすと、どういうことになるか? デリダの「掟の門前」論における「白い小石」と重ね合わせてみたら?

»Ich bin aber nicht schuldig«, sagte K., »es ist ein Irrtum. Wie kann denn ein Mensch überhaupt schuldig sein. Wir sind hier doch alle Menschen, einer wie der andere.« »Das ist richtig«, sagte der Geistliche, »aber so pflegen die Schuldigen zu reden.«

K.の誤りは、自分が無罪だと思っているということに存するのか?この問いは幾つもの水準で発しうるし、その水準によって答えは異なるように 思えるが、それでいいのか?全体主義国家の秘密警察による突然の連行と秘密処刑。デリダ自身、チェコでそういう目にあって、それを 想起しつつこれを書いているのだ。それに対して神学的な解釈は一体どのように応じるのか?イヴァンの論文に対するミウーソフの反応に対して。 或いは、ある仕方で国家が教会に包摂されたのかも知れない、或る種のイスラム国家におけるイスラム法学者による支配はどうなのか? オウム真理教をはじめとする新興宗教の論理は?キェルケゴール的な倫理的なものの目的論的停止は全体主義への屈服でないとどうして言えるのか?

だが、パウロはローマ人への書簡で何と言っているのか?この書簡を(デリダが言うように、そして、ジッドの自由主義的聖書解釈に逆らって)、 旧約と新約の間のずれや揺れの中で読んでみたら、どういうことになるのか?そして、カフカの「審判」はそれに対してどのように位置づけられるのか?

もう一方で、世俗的な法による調停と、内面化された法の間のずれや揺れの方はどうなのか?これは「カラマーゾフの兄弟」の「誤審」の問題そのものである。 では「審判」ではその点はどうなのか?K.はマルケル=ゾシマ=アリョーシャ(=ミーチャ)の水準では思考も行動もしていないように見える。 寧ろ、彼にとって法は端的に自分の外部にあって、自分に暴力的に襲いかかるものであって、それに対しては自己弁護しかないかのようだ。 この物語が、全体主義国家の秘密警察による突然の連行と秘密処刑と似るのは、そうしたK.の態度にあるのだろうか?

だとしたら、「審判」において、「掟の門前」の寓話が語られるのが、大聖堂の中でであり、しかもここでは裁判官でも廷吏でも弁護士でもなく、 僧侶との対話が行われることはどういう意味を持つのか。カール・バルトが「ローマ書講解」において「宗教の意味は、罪がこの世のこの人間を支配する力を示すことにある。」と 言っていることを思い起こして見たら、どうなるのか?

*   *   *

ドゥルーズ=ガタリは「審判」の「終り」の章がKのみた夢との推測をしている。 だが、これは一見したところでは馬鹿げている。それを許容したとたん、そもそもの発端から 全て夢では何故いけないのかということになるだろう。否、実際にはタイトルすらない草稿の各分冊は、 そもそももう一人のKが見た夢そのものではないのかと問うてみてはいけないのか? またドゥルーズ=ガタリは基本的には無限の系列(セリー)であると見做しており、終りに重きを置いていないが、これは城と審判の差異を蔑ろにするものだろう。 カフカは始めと終りを最初に鏡像のように、互いが互いの分身であるかのように書いた。勿論、始点と終点があるからといって、無限がそこに含まれていないわけではない。 寧ろ、有限な長さの線分に含まれている無理数に対するデデキントの切断のような操作の無限性の方が、終りのない空間的な無限性よりも興味深いし、 一層ユダヤ=ヘブライ的とさえ言えるのではないか?ドゥルーズが別のところ(例えば『差異と反復』)で示す無限概念に関する数学的センスの欠如、更には超越を単純に否定し、 内在に優位を置くナイーブさと共通のものを感じずにはいられない。

*   *   *

最後が夢であるということは、実際のカフカの創作活動という、物語の外側のレベルにおいて起きたことであるという見方も可能だろう。ザムザも次の小説で甦り、ここでのKもまた、 今度は「城」を舞台に甦る。カフカは結核に冒されて早逝したが、ナイフが結核に置き換わる例というのは、例えばドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン ないしナスターシャとイッポリートを思い浮かべることができるだろう。もしカフカが生き永らえたら、Kの復活が繰り返されるのだろう。その作業には恐らくは終りがない。

*   *   *

デリダの「掟の門前」、ドゥルーズ=ガタリのカフカ論、ジッドがカフカの「審判」を戯曲にしていること。アドルノのマーラー論における「審判」の参照。 ユダヤ思想、ヘブライ的時間意識・存在論の反映(坂内正の指摘による)。

*   *   *

三瓶の「審判」論。自己認識の投影であるという見方は説得力があるかに見えるが、「他者」の力を、主体に対する「暴力」を消去してしまうように見える。 逮捕の衝撃、審判の過程、その終結は、決して自己認識の投影ではない。三瓶の見方は全体を主体のみる「夢」に還元する議論と結局は変わることがない。 そうした主観的観念論は既に使い古されている。自己認識がないというのではないし、自己認識という契機の重要性は疑うべくもない。 だが、触発が「外部」から到来すること、それに対して主体は基礎存在論的な水準において「受動的」(つまりレヴィナスの「受動的よりも受動的な受動性」) でしかないという存在論的構造を看過してはならない。

三瓶がKaufmann Block - Kündigung des Advokatenの章における「美しさ」に注目するのは卓見である。

 »Wenn man den richtigen Blick dafür hat, findet man die Angeklagten wirklich oft schön.« / »Die Angeklagten sind eben die Schönsten. Es kann nicht die Schuld sein, die sie schön macht, denn - so muß wenigstens ich als Advokat sprechen - es sind doch nicht alle schuldig, es kann auch nicht die richtige Strafe sein, die sie jetzt schon schön macht, denn es werden doch nicht alle bestraft, es kann also nur an dem gegen sie erhobenen Verfahren liegen, das ihnen irgendwie anhaftet. Allerdings gibt es unter den Schönen auch besonders schöne. Schön sind aber alle, selbst Block, dieser elende Wurm.« 

またカフカが「作品空間内で<美>の文学的形象化をほとんど行わなかった、もしくはできなかった」 (p.248)という指摘も全く妥当である。だが、だとしたら「審判」では「宣言」されただけの「美」が「城」において形象力を獲得したというのは本当か? 前段の文章の「作品空間」のスコープはどうなっているのか?概して三瓶の主張は、その個別の指摘において妥当だし、ゾーケル他の先行研究に対する批判も概ね 当たっていると思われるが、肝心の自己の主張の一貫性の見通しは決して良くない。それはある種の弁証法的構造を持っている(カフカの側がそうであるのに 恐らくは対応しているのだろう)が故のわかりにくさというのもあるだろうが。

三瓶はカフカに(恐らく世俗化し、形骸化した)キリスト教への批判を読み取ろうとする。だが、そうするたびに直ちにそれが目的ではないとも述べる。 これは奇妙に見える。カフカにとってキリスト教批判がそんなに問題であったとは思えないし、表面的であれ、それがキリスト教の現状に対する批判で あると考える必要すらなく、直ちに、より原理的な水準に移って都合が悪いことはなさそうだ。そうした迂回は寧ろ三瓶自身の何らかの心理的な 障壁の存在すら感じさせる。

「美」(Schön)の問題は、直ちにドストエフスキーの「白痴」のテーマ系との対比を呼び覚ますだろう。一方で「審判」の作品の内部の世界を、 「狭き門」のヴァリアントとして読むことが可能かも知れない。その時、寧ろ問われるべきは、アリサのいう「聖らかさ」とそこで対比される「幸福」 という、「審判」の世界では、否定的なかたちですら出現しない契機であることがわかる。

– Que peut préférer l’âme au bonheur ? m’écriai-je impétueusement. Elle murmura : – La sainteté… si bas que, ce mot, je le devinai plutôt que je ne pus l’entendre.

有責性に関する自己認識の契機が必要であることは言うまでもないことだが、それでもなお、そうした認識は決して自己認識の閉じた回路の 中からは出てこないし、ここでいう心の構造、つまり意識のみならず前意識・無意識といったものも含めてフロイト的な心のモデルを 前提としたところで、そうした構造の生成を問うならば、そこには他者との遭遇、外部への被曝、外傷的経験といった契機がある。 「審判」における「逮捕」は、三瓶の主張では寧ろ肯定的な契機、頽落した「人」(Das Mann)としての存在様態からの覚醒のための 必須の契機であるのようだ。それは非日常的な地平への経路ともなると見做されている。だが三瓶の主張における非日常は、人間がそれに対して 無力でしかないような天変地異がもたらすそれ、あるいはある種の事故のように、道具的な連関の破綻に似ていて、いわば超越的な契機を欠いている。超越的な契機の不在、ないし拒否というのが、カフカの特質の一つであるのは確かであり、三瓶の主張も結局そのようなことになるのだろうが。

*   *   *

アガンベンのカフカ論における古代ローマ法からの「審判」読解。Kはkalumniator(誣告者)の頭文字であり、中傷しているのはヨーゼフ・K自身である という解釈も類似の構造を持つ。そこに「カフカという作家の強烈無比な「喜劇性」が存在する」かどうかなどどうでも良いことだ。 それを「喜劇性」と呼んだから、一体どうしたというのだ?そもそも、悲劇は義人の罪深さとして現われ、喜劇は罪深い者の義認として現われることになる (イタリア的カテゴリー)として、本当にカフカは後者を主題としているのか?罪は存在していない、あるいはむしろ、唯一の罪とは自己誣告であり、 存在しない罪をみずから告白することによって、この罪は成立しているのであるとして、「存在しない罪を自白するとはすなわち、 みずからの無実を告白することであ」るのは本当か?これは誤謬推理に導かれた論理的同値に過ぎないだろう(これがわからないのは、自然言語処理 研究と並行して発展してきた20世紀の論理学・形式意味論の成果をそっくり否定することに他ならない)。だから 「それゆえこれはまぎれもなく喜劇的な身振りである」などとはいえない。なぜなら、義人の罪深さと罪深い者の義認の差異は、まさにその推理が乗り越える差異そのものだからだ。だからこの議論にとらわれることなく、自己誣告の構造から何が導き出されるかの帰趨は別途見極める必要があるだろう。

「カフカの名状し難い罪責感は彼の作品を一貫しているテマティスムであるが、もしかすると彼は何かに責められ、罪人であるという自覚を持つことによって、 「生の息吹の奪還」を図っていたのかもしれない。」というのは、三瓶の「有責性」の自己認識と変わるところがない。 法への懐疑、罪なくして刑罰はないという原理を疑うというのはその通りであるとして、一体、それを促す力はどこに由来するのか? 自己誣告の「審判」という作品の文脈における帰結が、「訴訟を(自ら)開始することに罪が存する」のであるとしたならば、「審判」とは一体如何なる物語であるのか?一見したところ、冒頭のJemandが誰なのかは問われることがなく、それは修辞的な ものであるかに見えるが、実際にはJemandが誰であるのかを探す物語なのではないか?それがK自身であることは如何にしてわかるのか? 読者にとって?作者にとって?作中の人物達にとって?誰よりKにとって?そしてそのとき「掟の門前」の物語の持つ意味は?

「原罪」とは「自己誣告」であるというのがアガンベンの主張の核心に存在する。そしてこれはカフカ自身の発言とされる 「原罪、すなわち人類が犯した太古の過ちは、人類が引き起こした告訴、取り下げることをしなかった告訴によって成り立っている。 というのも、迷惑をこうむったのは人類であり、原罪とは人類にたいしてなされた過ちなのだから」によって支持されると解釈されている。 上で問いを立てた小説の構造はおくとして、ここで扱われている基本的な事態(出来事)はどうなっているのか? Kの自己誣告で逮捕が生じる。逮捕を引き起こしたのがK.自身なのだ。K.は罰を受けなくてはならないが、それはなぜか? 誣告自体が罪なのか?誣告の帰結として、罪が生じたのか?(この両者は同じではない。)アガンベンの立場は明白に前者であろう。 ところで、K.の自己誣告が問題であるとしたら、(これはまさにカフカが言っていることなのだが)なぜ彼は告訴を 取り下げることをしなかったのかが問われなくてはならない。

そしてこの「自己誣告」は、やはりフロイト的な心的システムにおける超自我、イドとの葛藤の物語に回収される可能性を 含み持つ。「自己誣告」は「有責性の自己認識」とどれだけ異なるのかの距離の見極めが必要なのだ。罪が外在的なものではなく、 内的なメカニズムによって生じるとしたら、後は「有責性」が、いわば後付けの理屈的な合理化、「誣告があったからには 罪があったのだろう」という、これまた誤謬推理によるものではないかという問いが成り立つわけだ。

であるとしたら結局、「自己誣告」という主張は、何らここで問おうとしている構造を変えるものではない。 問いは、「誰」が「自己誣告」をしたかには存していない(実際「審判」という物語自体もそれは問わない)。 なぜ「自己誣告」が行われたか、「自己誣告」を可能にするような構造はどのようにして生成したのかが問われなくてはならない。 するともう一度、「外部」を問わなくてはならなくなる。排除したはずの超越性は、単にそれを語ることを拒絶しただけであり、 超越性の認識を否定することは、それ自体、問題の理解を拒む振舞いでしかない。もう一度「誣告」のメカニズムを作動させる「外部」が問題になるのだ。であるとしたら、本当にアガンベンの言うように、この審級において、 法それ自体の攪乱が起きているのだろうか? カフカはその点において、「これまでの文学の中でも最もラディカルな抵抗者である」とか「カフカの今日、 未来において最も先鋭的で独創的な点がある」などと言えるのだろうか?

そしてそれとは差し当たり独立になお、「なぜ彼は告訴を取り下げることをしなかったのか」を問うこともまた可能であることに注意しよう。そしてこれもまた、法それ自体の攪乱という観点を経由して、カフカのラディカルな 抵抗者であるという評価の是非にも繋がるだろう。

勿論、(同じことなのだが)カフカが自白を支持するユダヤ=キリスト教的な文化に反するもので、 むしろ自白を「不愉快で危険に満ちている」と定義したキケロに通じるという発想は検討には値しよう。 これは一体「自己誣告」とはどう関わるのか?自己認識と自己欺瞞の、いわゆる「意識=良心」の構造とはどう関わるのか? これはドゥルーズの「カントは、法についてのギリシア的な考え方からユダヤ=キリスト教的な考え方 への転倒に関する合理的な理論を作った。つまり、法はそれに対してひとつの材料を与えるような、 あらかじめ存在する善にはもはや依存せず、善が善として依存する純粋なフォルムである。 法がそれ自体を言表する形式上の諸条件の中で、法が言表するものが善である。 カフカは、このような転倒のなかにあると言えよう。」という見方とどう関係づけられるのか?カフカはまさにそうした転倒の 「最もラディカルな抵抗者」だと言うのだろうか?

K.という固有名の付与、それがダヴィデ・スティミッリの解釈であるKalumnia(中傷、誣告)を意味するものであるとして、 本当に最初にあったのは自己誣告なのか?そもそもカフカのいう「原罪」にあたる告訴は、本当はどういうものだったのか? 告訴自体が罪であることは認めたとして、一体その告訴が、自分自身のものであると決め付けることができるのは如何なる理由によってなのか?古代ローマの裁判において、中傷=誣告[虚偽の事実を言い立てて、他人を罪に陥れる犯罪]が司法機関にとってきわめて重大な脅威であり、偽証をした告発者は額にKの文字の焼印を捺され罰せられたという背景を素直に受け取れば、K.は自分ではない「他者」を誣告したと考えるのが自然なのではないか?そしてその誣告を取り下げなかったことが罪となったのではないか?引用のカフカの文章のアガンベンの読みは妥当なのだろうか?

恐らくはマーラーの音楽に即して「審判」を読む限り、自己誣告が正当化されることはないだろう。ドゥルーズ=ガタリの 「夢」解釈も成り立たないだろう。そうしたことが言えるあなた方は、幸いにして全体主義国家の恐ろしさを知らないのだ。更に幸いなことに、全体主義でない国家においてさえ、誣告されることの恐ろしさを知らないのだ。まさに「審判」という作品自体が告げていることだが、 自己弁護は無償ではないし、アドルノが引用した結末の叫びは、法治国家においてさえ、他者による誣告が生じれば避け難いものになる。中立的な状態があって、裁きの結果として二値の価値付けが行われるのではない。 誣告が生じれば、まず彼は被告であり、暫定的であれ有罪なのだ。そして彼はそれを自ら否定しなくてはならない。 誣告の暴力は、それ自体によってまず相手をマイナスの状態に陥れることにある。この点では反訴は虚しい。 誣告者をもマイナスの状態に陥れることはできても、自分のマイナスの状態は些かも変わらない。そしてマイナスを 解消するために、彼は、そうでなければする必要のない自己弁護をし、証言をし、それらが彼を、そうでなかった 場合の彼から遠ざけていく。「カラマーゾフの兄弟」におけるミーチャの尋問に対する反応を思い浮かべるが良い。 だれが誣告者であるか、誰が共犯者であるかが、文学研究者の自説の奇抜さを競うための具になってしまっているという事情は、「カラマーゾフの兄弟」でも「白痴」でも起きているが、あろうことか「審判」では自己誣告というかたちで起きているというわけだ。そもそもそうした新規な説自体が、作品に対する誣告であるいうような 状況が起きている。法もまた暴力であることは確かだ。だけれども、誣告は法の存在を前提としつつ、それでもなお、 それに先立つ暴力ではないか?その暴力は法を利用するが、法自体に由来するわけではない。法自体に由来する暴力は 別に被告を苛むことになるだろう。法が言表するものが善であるとして、だが無実の被告を有罪とするのは法自体ではない。 法を利用した暴力は、法の暴力ではない。(2014.9.14 公開, 2025.2.17更新)

2025年2月7日金曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (11) (2025.2.7.更新)

 ところでマーラーの晩年はいつから始まったのかという問いについては、作品における「後期様式」と対応付ける答え方が一般的だろう。(それは結局、アルマの「3つの運命の打撃」の前と後という見解を受け入れることになる。)だが、「老い」の始まりは?彼が「老グストル」になったのはアルマと結婚して以降だ。すると第5交響曲を分水嶺として、第6交響曲以降は「老い」の意識の裡で書かれたという見方が成り立つことになる。そこにはまだ「後期」の死の影はないけれど、「老い」の意識は確実に存在するとは言えないだろうか?だがそれはアドルノ=ジンメルの言う「現象から身を退く」こととイコールではないだろう。その意味合いでは作品における「後期様式」を第8交響曲を分水嶺にして、『大地の歌』以降におくことは間違いではない。寧ろそれらを「死」とあまりにも性急に結びつけることが問題なのだ。そこにあるのは第一義的には「老い」であり、一人称的な「死」についての認識は、寧ろ前提・背景、せいぜいが素材に過ぎず、実質ではない。ましてや「死」一般ということならば、マーラーにおいてそれは作品1たる『嘆きの歌』以来、ずっと扱われてきたのではなかったか?それを考えるならば、「老い」を主題化して取り上げることでマーラーの後期に関する誤解や矛盾の幾つかは解消するのではないか?

 もう一つの伝記的・実証的な資料。1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡。アルマの言うところの「三つの運命の打撃」の一つであるウィーン王室=宮廷歌劇場監督辞任に関わる書簡で、後者は、後任者ヴァインガルトナーの前任地であるプロイセン劇場総監督によるヴァインガルトナー解任により、ヴァインガルトナーが1908年1月1日よりマーラーの後任となることが確定したことを告げるとともに、前者の中でマーラーが当初契約上の任期満了前の辞職に伴い希望していた幾つかの案件につき、皇帝から許しが出たことを告げる手紙であり、アルマが回想録に付した書簡集の中で過半を占めるマーラーからアルマ宛の手紙とともに幾つか収められているマーラーとアルマ以外の人間との間で交わされた書簡の遣り取りの一つである。

 マーラーからモンテヌオーヴォ侯への書簡は以下の3点についての希望を伝えるものであった。
  1. 任期満了前の辞職につき、退職時の年金額についての交渉
  2. 任期満了前の辞職につき、俸給の未払い分の請求
  3. 自分が死んだ時の、妻および子供への手当の支給
 そしてモンテヌオーヴォ侯からの返信は、上記のいずれの点についても。マーラーの希望通りに解決されたことを告げている。

 この書簡の往復によって、マーラーがウィーン王室=宮廷歌劇場監督を辞して後、老後の備えとともに、自分の死後の準備についても怠りなかったことを窺い知ることができる。特に前者のマーラーの書簡は、マーラーが冷静で現実的な交渉者であったことを如実に窺わせるに足る。尤もマーラーが劇場とのやりとりにおいて、人によっては「策士」「策略家」という形容をする程に、職を辞するにあたっても衝動的に辞めてから次を探すなどもっての外(とはいえ、そうしようと思えばそうできる程の稼ぎはあった筈なのだが)、常に事前に次の契約を獲得していたのは若き日からの常であって、だからその点について特殊な訳ではない。特にこの遣り取りの中での2点目の補償について等であれば、例えばハンガリー国立歌劇場を辞する際にも、残された契約期間に受け取れたであろう額が支給されることを求めて認められたりした経緯もあるわけだが、ここでは第3点目として自身の死後についての項目が挙がっている点でマーラーが「老後」「死後」を見据えていたこと、ということは即ち、マーラーの「老い」についての意識に基づく行動を、はっきりと、かつ客観的な事実として告げている。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2025.2.7 補筆)

2025年2月2日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(7)(2025.2.2 更新)

 以前、通常ならそこにマーラーの名前を見出すことを人が期待することがなさそうな2つの重要な著作、即ちジャンケレヴィッチ『死』とドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』の中に、マーラーの名前が見出され、更にそのいずれもが『大地の歌』への参照を持つことに気づき、備忘として書き留めたことがある。ここで取り上げるジャンケレヴィッチの『死』の方は、高校生の時から知っていたこともあって以前より手元にはあって通読したこともあり、実は『大地の歌』への言及があることも当然認識はしていたのだが、これも別の雑記めいた文章に書き留めたことがあるけれど、その終わり近くに結論めいた形で語られる事実性に依拠するような発想に対して、最初こそ期待できる拠点として検討をしたものの、検討を経るに従って次第に反撥を覚えるようになったという経緯を持つ。更に言えばまずその文体に耐え難さを感じてしまうこともあって、それ自体を主題として論じうるような読解ができず、上述の備忘を記すのが精一杯なのが正直なところであるし、辛うじて読み取れた範囲でも、その見解については直ちに幾つもの疑問が浮かんでしまうような対象ではあるとはいえ、マーラーについて流布する言説の多くが前提としている或る点に対する留保を感じているような場合には、その論点について考える上で貴重な参照点となりうるため、上記指摘に留まらず、もう少し詳細な検討をしたいと考えてきた。 

 マーラーの後期作品を「老い」という観点から理解するというここでの企図の着眼点は、マーラーの長くはないけれどそれでももう1世紀を超える受容史の中にあって、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいて論じられてきたのに対し、「死」ではなく「老い」との関りにおいて論じるのがより適切であるという仮説に集約される。従って従来のマーラーに関する言説においては周縁的な位置づけを持ち、だが『大地の歌』への言及を含み、かつ「死」について扱った著作であるジャンケレヴィッチの『死』は恰好の出発点といえるのではなかろうか。実際、ジャンケレヴィッチの『死』は死そのものと同様、その手前と向こう側についても延々と語っており、その中で勿論「老い」についても「死の手前」の中の一つとして論じている(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)。

 だが結論から言えば、あくまでもそこでは「死」が主題であることを思えば無い物ねだりとは言い乍ら、やはり「老い」そのものについて論じているとは言い難く、勿論こうした次元での「老い」は直接には「現象から身を退く」ことをその定義とする「後期様式」とは無関係であるということになろうし、こうした次元の「老い」と切り離してそれらを論じることは、こちらはこちらでもともとのゲーテの言葉を軽んじていることになりかねない。従ってそれは自ずと、ジャンケレヴィッチの「死」についての思索に基づき、それを踏まえ、継承・展開するかたちでマーラーと「老い」について考えるということにはなり得ず、ジャンケレヴィッチの言明に対する異議申し立てを含まざるを得ないから、寧ろそれを反面教師として、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としたものにならざるを得ない。ここで企図しうるおとは、あくまでもジャンケレヴィッチに対する批判ではなく、ジャンケレヴィッチの『死』における「老化」に関する叙述を細かく検討することを通じて、マーラーの後期作品、アドルノがジンメルを参照しつつ、ゲーテの箴言にある「現象から身を退く」という言葉によって定義づける作品(その中には、『死』で言及される『大地の歌』も含まれるわけだが)について適切な視座を得る手がかりとすることであろう。

 実際後述の通り、ジャンケレヴィッチの『死』の中には「老い」についての章さえ存在するのだが、「別れ」というテーマに関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見え、その限りでは寧ろこれまでの「死」と結び付けて捉える発想の一例として扱うことさえできるかも知れない。「別れ」というテーマに関する部分でのみ『大地の歌』が参照されていることは決して偶然などではなく、「老い」ではなく「死」に関連づけて捉えるという発想との必然的な連関の中で捉えられうるに違いのであれば、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいてのみ論じられ、「別れ」のモチーフも専ら「死」に関連づけられてきたことに対する批判を、ジャンケレヴィッチの著作の批判的読解を通して試みることが可能であろう。

 そこでここでのアプロ―チとして、一旦『大地の歌』への言及がある箇所から離れ、まず「老い」についてのジャンケレヴィッチの扱い方、特に「老化」をこの著作全体の主題である「死」にどう関係づけるかの具体的様相について、些か些事拘泥的と受け止められるかも知れないような祖述的な(だが同時に批判的な)読解を試みる。多分に主観的に私の場合にはそうせざるを得ないという面を否定する気はないが、彼のトレードマークであり、人によってはそれに魅了されることもあるらしく、「交響曲」に喩えられることすらあるらしい、その華麗なレトリックと重厚な論述のスタイルについては、敢えてそれに逆らった読解を行って、その修辞に埋もれがちな「老い」の扱い方を最大限批判的に整理し、その確認結果を踏まえて、『大地の歌』への言及の部分の理解を試みるというやり方を取ることにする。

*  *  *

「老化の中に死すべき運命の徴候と死そのものの前駆症を読み取ろうという誘惑に人は駆られる。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 仲澤紀夫訳, みすず書房, 1978, p.202)

 とジャンケレヴィッチは「老化」の章を始める。この「老化」の章は彼の「死」についての浩瀚な著作の中で、第1部 死のこちら側の死 の末尾に当たる第4章に位置している。そして直ちに「老化は、一種の稀薄にされた死、引き延され、間隙の次元にまで拡大された瞬間ではなかろうか。」(同)と言い替えて見せる。例によってジャンケレヴィッチのこの問いは多分に修辞的なものであり、従って直ちに矛盾なるものが指摘され、結局は否定されることになるのだが、そこで指摘される矛盾とは、半分はレトリカルで「ためにする」もの、つまり逆説を提示してみせようとする身振りそのものが生み出したものに過ぎないように見える。従って当然、ジャンケレヴィッチ自身はそれを逆説と言い、矛盾と言うのを止めようとはしないのだが、実際にはそれは矛盾などではなく、生の時間の把握におけるミクロとマクロのレベル、より正確には論理のオーダーの差に拠るものと考える方が事象に即した捉え方なのではなかろうかという疑問が直ちに湧いてくる。

「(…)各瞬間ごとにわれわれを実現するものは、各瞬間ごとにわれわれをすこし死に近づける。それは衰頽が人生の第一の段階に続く第二段階として生長に続くからではない。可能性が現存と化することが、すでにそれ自体において、一つの衰頽というべき到来なのだ。」(同)

 従ってそのレトリックは措いて結論だけとれば、そして更にここでは「老化」でなく「死」こそが主題なのであって、その限りで「老化」の側について過大な要求することが無い物ねだりであるという点を一旦措いてしまえば、「老化」と「死」とが区別され、異なったものとして捉えられるという点自体に問題があるわけではない。

 とはいえオーダーの問題は取るに足らないというわけではなく、既に述べたとおり、「老化」が(「死」がどうであるかについての吟味は一先ず措いて)セカンドオーダーの、複合的・雑種的な側面をもった事象である点を踏まえるのは重要で、ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、

「衰えの眼には見えない前駆症、ごく遠い先の老衰に前駆する予兆は、原則として、ごく初期の幼年時代においてさえ読み取れるものであろう。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.203)

というコメントは、一旦は区別した筈のオーダーの違いを自ら無視してしまっていることになっていて読み手の困惑を誘う。ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、例えばホワイトヘッド的なプロセス時間論の文脈での以下の指摘に対応するような水準での検討が必要となる筈ではないか?レトリックのレベルとは別に、ジャンケレヴィッチの議論はしばしば形而上学的な水準の議論と、具体的な生物学的・生理学的水準の議論との間を余りに融通無碍に行き来する感じを否めない。

「(…)われわれは実体・対・属性という永遠的客体に関わる論理を事象の論理と混同し、ここにおいて対象の生成を考えてはならない。常識が陥りやすいかかる考想は、確定的な部分事象の連なりの中で生成を考えることになるから、一事象の生成の時間をとらえることはできない。事象連鎖を通じての生成は、いわば事象の生成にもとづく生成であり、これについての問は論理学的に第二次(セカンドオーダー)の問いなのである。」(遠藤弘, 「時の逆流について(『フィロソフィア』72 所収)」,早稲田大学哲学会, 1984 )

それは「老化」に関する以下の説明からも読み取れる。

「老化した組織が損失を償うのがしだいしだいに難しくなり、損傷を補うのがますます遅くなるように、同様に、(…)」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.204)

そもそもここでは転倒が起きていて、にも関わらずその転倒した状態で論理を組み立てようとするからこのようになるのであって、本来ない問題を作って、そこにアポリアがあり、パラドクスがあるかの如き議論をしようとしているように感じられてしまうのではないか。

実際には「老化」は、例えばシステム論な立場からは、以下に見るように「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と定義されるのである。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

 後に見るように、ラプソディックなジャンケレヴィッチの言明を辿っていくと、実際には彼もこれに近い考え方をしているのではと思わせる箇所にも行き当たるのだが、それを踏まえればここで「…のように」の部分で持ち出された事柄の方が定義の本体なのであって、その点の履き違えを元にレトリックを弄しているだけという感覚を否み難く持つことになる。(勿論、ジャンケレヴィッチに与する人は、それは立場の違いに基づくもので、言いがかりの類であるとして退けるのであろうが。)

 だが恐らくはシステム論的な理解とは別の了解に基づいているらしいジャンケレヴィッチはこのようにコメントする。

「生物学上の疲労と生命の躍動の衰頽だけでは、これを説明するのにかならずしも十分ではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.206)

「かならずしも十分ではない」のは文字通りにはその通りであり、別に間違っているわけではない。しかしことこの文脈に即した限りでは、それはそもそも倦怠の経験と「老い」をジャンケレヴィッチが不適切な仕方で結びつけたからに過ぎない。更に

「生物学上の若返りの秘密が発見されたとしても、わたしはなお老化することだろう。諸器官の老化が抑制されあるいは遅らされても、年月と記憶の重さはわれわれをいっそう老化することだろう。」(同)

というのはいただけない。ここでは永遠的客体と事象のオーダーの差ではなくても、「疲労」とか「倦怠」の分析が適用可能な時間性のレベルと、「老い」を論じることが適切な時間性のレベルの不当な混同がまずある。確かに、個々の器官の水準と、全体としての個体の水準のレベルの違うというのはあって、疲労が主として前者の水準で論じるのが適切なのはその通りだろう。だがだからといって個体の老化が諸器官の老化と独立のものであろうはずがない。一体ジャンケレヴィッチは「われわれ」がどんな基盤の上に立っていると思っているのかを問いたくなってしまう。レベルが違えばそこには断絶があって無関係であるという論理の独り歩きが自ら問題を正しく捉える途を閉ざしてしまうのだ。(もう一つ言えば、この言及は、主観的で一人称的な体験を含むはずの「疲労」の経験を、客観的、科学的な水準の話にすり替えているのでなければ、いつの間にか横滑りしている点でもいただけない。これがジャンケレヴィッチのオリジナリティであるレトリックに由来するものだと言い募るであれば、そのオリジナリティは議論をまともに行えなくする原因であるとして、その価値に留保を付けざるを得なくなるのではなかろうか?)

 結局のところジャンケレヴィッチは「死」のみならず「老化」についても形而上学的に取り扱おうとする。それは以下のテーゼにおいて明瞭となる。

「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」(同)

 私は「時」は常に具体的な相を持つものであり、純粋状態というのは抽象だという立場なので、そもそもこのテーゼとは相容れないが、ジャンケレヴィッチがそのような手つきで「老化」に見ようとしているものを可能な限り救い出すように努めてみよう。では「純粋な時」の内実は何か?

「純粋の時、つまり漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化、純潔さの消耗だ。」(同)

ということで、一般的ではあるけれど、寧ろ極めて具体的な意識の状態が列挙されている。そしてそれを是認するように

「なるほど、意識の経験は、一つの恒常的な経験だ。」(同)

だがその続きは「たそがれ」と「秋」とが「憂愁にたえず素材を供給更新する。」となって「恒常性」というのは(意識の存続の期間をその中に含んでしまうような長期に亙る)絶えざる反復であるとされる。そしてその果てには(さっきはそれで尽くされることはないと言ったばかりなのに)再び「疲労」が参照される。

「疲労の曲線には上昇下降の間に最高潮があるが、器官の老衰の図式あるいは縮図もそのようなものではないだろうか。」(同)

 だが(またしても、だが結論だけ見れば正当に思われることに)結局、この繰り返し・反復への依拠もまた放棄される。結局「老年」は一回切りの経験とされるのである。これが「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」というテーゼとどういうふうに接続されるのかが気になるところではあるが、それは一旦措いて更に彼の論理を追ってみよう。

「自然における衰頽は、悲しいかな、まことに真剣で、まったく詩情に欠けている。この衰頽は、ただ単に逆行不可能なだけではなく、その上決定的なものであり、とくに一回限りのものだ。」(同書, p.207)

要するに「疲労からは回復するが、老いからの回復はない」と一言言ってしまえば済む話なのだ。だがここにもスケールの、レベルの混同がある。「漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化」という意識の経験の水準では、一時的にそれが中断し、或いは恢復することすらあり得るだろう。老いが一回性で、不可逆であるとするならば、そうした認識は別のスケールで行われているというべきなのだ。従ってジャンケレヴィッチの議論は、その指摘のある部分の妥当性にも関わらず、論理的には破綻していると言わざるを得ないだろう。

 繰り返しになるが、ジャンケレヴィッチの「老年」に関する主張そのものは、実際にはシステム論的な定義に対立するものではないし、それは器官レベルとは異なるレベルで把握されるものであるというのも間違いではないし、一回切りというのも間違っているわけではない。だがそれは器官レベルと無関係ではなく、寧ろそれに基づくものでなくてはならないし、また「意識の経験」なるものをそれと独立のものとして特別扱いするのはおかしい。「意識の経験」は実際には、それがダマシオの言う中核意識ー中核自己、現象学的な第i一次把持に関わるレベルであれば、器官レベルと同じ水準で捉えられるようなものであり、寧ろ「老化」はそれを超えたダマシオの延長意識ー自伝的自己、現象学的には想起と予期の水準である第二次把持、更にはスティグレール(およびユク・ホイ)の言う第三次把持が関わるような、技術的・文化的・社会的に規定される水準に関わるのである。そして「一回性」というのは、このレベルで言いうるものであって、そのレベルが、生物学的システム論的には、器官のレベルとは異なるレベルでの「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」に対応する筈なのである。私の立場からは、実際には「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」という捉え方の方が、一回性という意識の経験、意識にとっての見えを生じさせる根拠であって、「純粋な時」など不要だし「意識の経験」を根拠におくのは、(勿論、それを「意識」することができるのは、少なくとも延長意識を備えた生物に限られるという点はあるにせよ、あくまでも「意識の経験」は結果であって)遠近法的倒錯の産物に過ぎない。

 一方で「老化」の不可逆性について(実は厳密に言えば、その不可逆性は確率的なものであって、一時的な回復だって一定の確率で起こりうる筈なのだが)の具体的な例示については問題はない。だが「疲労」と「老化」の違いを述べながら「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回すのに何の益があるのかは判然としない。「老化は時間性の病」という定義も直ちに「正常であると同時に病的なものだ」というほとんど空虚な言明に引き継がれ、「死が健康な人びとの病気であるのと同じ意味で」という比較もそうした比較に何の意味があるのか杳として知れないまま第1節は閉じられる。

*  *  *

 そして第2節が始まると「老化はわれわれにすこしずつ死をあかすというのだろうか。」と述べられているのを見て、多くの人は絶句するのではなかろうか。一体第1節のゆきつもどりつの議論は何だったのだろう?ただしこの著作は、老化についてではなく、「死」についてのものであることを思えば、老化はそれ自体が議論の対象というよりも、それを「死」に引き寄せて見たり、対比させてみたりといった気儘な操作の対象に過ぎないのかも知れないが。かくしてこの冒頭から窺えるように、第2節はほとんど「老化」に関して言えば無意味な節ということになってしまう。唯一末尾近くの

「時の展開は、存在と事物に毀損作用を働くのだから。時は分解の次元とも言えよう。」(同書, p.212)

という箇所のみが意味ある発言であるように見える。但しこれはエントロピーの増大が時間の向きであるという言明に過ぎないのだが。だがジャンケレヴィッチはこれを彼が「おおざっぱな隠喩」と呼ぶ「骸骨が老人の痩せた肉の下にしだいに見えるようになる」という表象に結びつけてしまう。そんな隠喩に勝手に結びつけるのがいけないのであって、そんな隠喩よりも「時は分解の次元」の方がよほど「老い」に関しては実質的な言明であるのだから、ここでも論理の向きが本来とは逆になっているのだ。

 だがそんなことはお構いなく、ジャンケレヴィッチはくだんの隠喩に拘って、それを延々引き摺り回した挙句、末尾の

「老化がしだいしだいに老衰する組織の中に死をますます明白なものとはしないだろう。」(同)

と、その隠喩の不適切さを論じて節を結ぶ。自分から隠喩を持ち出しておいてそれを不適切だと断じるのであれば、初めからそんな隠喩を引き摺り回す必要などないのだ。老化は、生物という物理システムの定常状態の変移と崩壊を指すのだから、死はその変移の帰着点に過ぎず、単に彼が引き摺り回す言明の言い回しが事象に即した時に不正確なだけであろう。

*  *  *

 ところが、第3節の冒頭でもまた、その不正確な言い回しを引っ張り出して批判をして見せる。そこから彼の言葉によれば「弁証法的」で「非一義的」ということになるらしい、正しい定義にようやく取り掛かる。まずは「老化は死にわれわれを近づける。」これは定常状態の変移の向きが最後に崩壊に至るものであることの言い換えに過ぎない。

「組織と血管の硬化、骨の漸進的脆弱化、心臓の疲労、そして老眼は(…)無気力の侵入の前駆兆候だ。」(同書, p.213)

 違う。それらは前駆兆候ではなくて、無気力をもたらす原因だろう。

「生命の機能が徐行し始める。」(同)

 これは定常状態の変化の向きを述べているのだとすれば彼のお好みであるらしい「隠喩」としては妥当だろう。

「細胞が老化し、動脈が老化して、毒素や毒性が長い間に毎日すこしずつ体液の科学的構成をそこねる。」(同)

一体、ここでいう毒素・毒性というのは具体的には何なのか?実は「老化」の機序は現時点でも明らかになったとは言い難く、解明が困難な問題であり続けている。それを前提にすれば、一見おおまかな把握としては妥当そうに見えるが、この「毒素」の説明が妥当だとするならばフロギストンによる燃焼の説明だって妥当だということになる。否、実際にはそんな毒素などなく、毒素が増えて行った結果死に至るという事実は確認されていないようだし(勿論、間接的に死に至る症状を引き起こす原因となりうる変化はあるし、その変化を引き起こす化学物質は幾つも知られているが、それは死の直接的な原因ではない、一義的に老化を引き起こす遺伝子というのは存在せず、個別には関与する遺伝子が突き止められているものもある様々な促進作用と阻害作用の合力の結果なのだ)、今後そのような毒素が発見される可能性も限りなく低そうだから、寧ろこの説明は端的に出鱈目だと言うべきか、百歩譲っても現時点では不要な程にまで不正確だと言うべきなのだろう。

この辺りのジャンケレヴィッチの言い回しのことごとくが、そうした歪みを持った文学的修辞に過ぎず、要するに、ジャンケレヴィッチの関心事は、老化自体ではなく、老化に纏わるレトリックの方に専ら存するのではないかという疑いが生じてくるのは避け難い。

「あたかも死の向地性とでもいうものがすでに墓へと引き寄せるかのように、あたかも自分自身の重みでもう冥界へ、大地の奥深くへと傾いてゆくように、身体自身が曲がってくる。」(同)

老化で腰が曲がり、背骨が曲がるのは、死の向地性のような文学的表現とは関係がない。それなら直立歩行に至る前のホモ属は、より死に近かったとでも言うのか?このような、読んでいて当惑を感じる他ないような記述を延々読まされると、思わずソーカルとブリクモンによる『知の欺瞞』において、判読可能な文章は一握りで、あるものは陳腐で、あるものは間違いと断定されてしまっているドゥルーズの無限小解析についての長大な記述(ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞』, 田崎晴明, 大野克嗣, 堀茂樹訳, 岩波書店, 2000, 岩波現代文庫版, 2012, p.239~247参照)を思い起こし、それに付き合わされるのと同様に時間の無駄でしかないように感じられてしまう。勿論こちらは科学の濫用ではないけれども、その華麗な修辞に埋もれた論理を追うことがしばしば困難である点では共通性があるように感じられる。文学的な比喩表現を不要視する訳でも、否定する訳でもなく、それが適切な場面もあるだろうが、「死」との関りにおいて「老化」を把握するのに文学的な表現を幾ら尽くしても、「老化」が主観的な経験のみで尽くせる訳ではなく、客観的な事実を無視することができないことは勿論、主観的な経験にしても現象学的な水準での記述や分析の対象であって、純粋に論理的な操作や形而上学的な直観のみで扱う対象ではない以上、それによって何かが明らかになることはあるまい。言葉の上でだけ、見せかけの対立を作り出して逆説を弄び、概念を厳密に操作する替わりに横滑りさせることを繰り返したところで、それは「老い」そのものとも、「老いの経験」とも無関係な戯れに過ぎず、そこから何かが得られることはない。「死」が彼のお気に入りのテーマであり、更には彼の修辞にとって恰好の題材であるのとは対照的に、「老い」は散文的で現実的に過ぎて、「何だかわからないもの」や「ほとんど無」の、或いは「筆舌に尽くしがたいもの」についての哲学者であるジャンケレヴィッチ好みの高尚な形而上学的な直観の対象にはふさわしくないのかも知れない。

*  *  *

 そして「老化」についてのジャンケレヴィッチの議論の行き着く先は、章題にも関わらず(だが、案の定と言うべきか)「老化」についての分析ではないようだ。最終節である第4節が、「死刑囚」についての議論で開始されることがそれを端的に物語っている。「死刑囚」は勿論「老い」とは何の関係もない。そして「死刑囚」について論じることは、「老い」固有の問題ではなく、寧ろ端的に「死」について論じることにならざるを得ない。であってみれば、それを「老い」の章の最中で、しかもその末尾の節の冒頭に据えるのであれば、そもそもジャンケレヴィッチは「老い」についてなど議論する気がないのだろうと考えざるを得ない。但しここで、死刑囚が獲得する「二重の視点」「共観的」「回顧的」「第三人称的」な視点が問題であって、それを可能にする意識の構造が「老い」の認識に関わるということに限れば、これは主張として問題ないが、もしそうであるとしても「老化」とは無関係な「死刑囚」をわざわざ持ち出す必要などない筈である。だがその点は一先ずおいて先に進もう。

「老化は、限られた可能性の貯えが徐々に消耗していくことに還元されよう。」(同書, p.220)

この観点を取ることを可能にするものをジャンケレヴィッチは「超意識」(同)と呼ぶが、その定義の「生成の全体を俯瞰する」(同)というのも曖昧さに満ちた言い方で、「生成の全体」なるものが何であるかを考えれば不正確でさえあるだろう。ここでも問題はマクロとミクロのレベルの違いなのだが、「継続する出来事の後を追って地上をはい回る」(同)だけであれば、意識の中断を挟んだ過去の想起と未来の予期を可能とする第二次把持のメカニズムすらいらない。そしてここでいう「生成の全体」の生成は、例えばプロセス哲学的にファーストオーダーである無時間的「生成」でなく、事象の論理のレベルであることは、「生涯」といった言葉が論述に紛れ込んでいることからも明らかだろう。そればかりか(システム論的に定義可能な「老いそのもの」ではなく)「老い」の意識は、自伝的自己の持つ延長意識を俟って初めて可能なのだ。だがジャンケレヴィッチは結局、老年というのは生命の「色調」とやらの「質」の違いということにしてしまう。

「老年は生命力の衰頽の一つの形だが、この衰頽した生命力はそれでも一つの生きている生命力だ。そこで、老人の生命力はその量的な濃厚さ、つまり、存在の質と重さでは成人の生命力と変わらない。ただ、質が、生命の色調の特徴が異なるのだ。」(同書, p.224)

これを隠喩であると言わず、かつ「色調」がどのように定義され、計測されるかが示されることなく、「青春と老年とは、生命の色調の変形であり、質を異にする実存の様態」(p.225)と繰り返されても読み手は困惑させられるばかりである。ここで「質」を持ち出すについてはジャンケレヴィッチの独創というわけではなく、彼が依拠するベルクソンのそれに従ったものであるらしいが、結局のところ言われるのは、実際には「老化そのもの」と「老いの意識」の区別に過ぎず、ボーヴォワールなら、外から見た老いと内側から見た老いと区別するところを以下のような言い回しで述べているに過ぎない。

「老年について語るとき、客観的な系列と生きた系列を混同することは避けねばならない。前者は、たとえば癒着の時間あるいは反応の時間の延長、条件反射の緩慢化のように、数あるいは量で表されるいくつかの原因の尺度上の進展によって特徴づけられ、後者は、生きた経験の質の変化に存する。」(同書, p.225)

確かにある尺度によって測定される生体の生理的な状態と、意識によって経験されるものは異なるが、だからといって両者は無関係ではないだろう。後者は前者の影響を逃れることができない一方で、確かに後者が(つまり或る種の思い込みが)前者に影響する(体調を悪くする)ということも起きうるであろうが、老化というのは、その両方に亘る事象、複合的な出来事と寧ろ言うべきであって、ジャンケレヴィッチの区別への拘りは単なる不毛にしか通じないように感じられる。

「≪変質≫は、意識が”他者”—であって少なくではないーとなる過程だ。」(同)

というのは、他性についての定義を欠いている以上、それ固有の歪みを持った比喩に過ぎない。更に言えば、まさか老いることが文字通りに「他者になる」ことであろう筈はなく、寧ろ意識の中断を挟んだ自己同一性があること、自伝的自己を備えていることが老いの経験にとっては不可欠なのだから、ジャンケレヴィッチの比喩は寧ろ不適切な歪みを持ち込む弊害の方が大きいのではないか?

 だがそうしたことに目を瞑って、ジャンケレヴィッチの言わんとすることを捉えようとするならば、結局、彼にとって「老いとは老いの経験のことだ」ということに尽きていて、それを言うために延々と繰り言を述べているに過ぎないように見える。

 例えばシェーラーが、「年齢と戸籍とは無関係な一種の≪形而上学的≫老化」(同書, p.226)を信じていたというようなことを傍証として持ち出すが、これは老いの体験というのが、個体により、或いは同一の個体であってもその折々の心的な状態に応じてさまざまであって、前者であれば、これは老年学という社会学の分野においては「老い」の進行は確率的な事象であって、年齢に正確に対応した事象ではなく、その発現と進展には統計的な揺らぎがあるということを酷く曖昧な仕方で述べているに過ぎないと一方では思われるし、更に別の話として、生理的な老いとそれについての意識の経験とは別に、自伝的自己が持つ老いについての認識(だからそれは老いに纏わる様々な身体的・心理的事象の経験とも別のものである)というものがあって、それは年齢を問わないということであるとするならば、こちらはこちらで、これまでジャンケレヴィッチがさんざんそうしてきたように、本来区別されるべき事柄について不当に混同をすることによって可能になったレトリックに過ぎず、言葉の上のことに過ぎない。

 そしてそうした自己のレトリックに起因する混乱を脇に置いて

「老年はいつも死の逼迫接近によって測られるわけではない。近接と距離とは空間上の映像であり、社会の概念ではないだろうか。」(同)

といって、それを社会に押し付けるのは不当に思われるし、そのことを

「老年は暦の上の一つの日付にも道路の距離にも還元されないのだ。」(同)

と結論づけるのも筋違いにしか感じられない。勿論、複合的な事象である「老い」には社会的な側面が存在するのは確かなことであり、だからジャンケレヴィッチがそれを「社会的」測定から引き離そうとするのはそもそも無理筋というものだ。確かに「老い」が暦という人間の生理的なリズムとは異なった、天文学的な基準によって定義された尺度と無関係なのもそれ自体は正しいし、更に言えば、そうした暦が社会的なものであるということもまた正しく、その限りでは妥当であるが、だからといって、そのことから「老年」が社会的なものでないということは導かれない。ここの言明の間を結びつける論理については、ジャンケレヴィッチのそれは曖昧なレトリックに凭れ掛かった言葉の上だけの遊びであって、事象に即して言えば出鱈目であり、ナンセンスであり、全く間違っているという他ない。恐らくここで言いたいのは、要するに「老いの経験」は主観的な経験なんだから、外からは測定できないのだという、如何にも亜流ベルクソン的な発想に基づく主張なのだろうが、これだけ贅言を尽くしてなお、それで結局「老い」とは何に基づく経験であって、結局のところこの浩瀚な著作の主題である「死」とどのような関係にあるのかについての議論は、さっぱり深まっていないように思われるのは錯覚なのだろうか?

 実際には彼の、およそ適切とは思えない用語法では「超意識」と呼ばれるもの、現象学的には第一次把持に相当するダマシオの言う「中核自己」のレベルを超え、「自伝的自己」による俯瞰を可能にするのは、一方で彼が「共観的」「第三者的」という言い方をしていることから窺えるように、まさにそちらの方が社会的であり、現象学的には第二次把持のみならず、スティグレールやユク・ホイが言う、第三次把持がテクノロジーに基礎づけられているという事実、或いはアンディ・クラークが言うように、今日の人間は生まれながらのサイボーグであって、言語も含めた技術的補綴によって成り立っているという事実に基づいているのだし、そうしたテクノロジーの侵入を措いたとしても、「超意識」はそれ自体の発生において、そもそも社会的に基礎づけられたものなのだから、ジャンケレヴィッチの主張は支離滅裂にしか映らない。それは自分の背中を見ることができず、自己が成立する以前の、自己が如何にして成立したかの機序について「知りえない」とする(スティグレールやユク・ホイ、クラークの名誉のために付け加えれば「かつての」)哲学者の野郎自大が齎した歪みが露呈しているに過ぎないのだ。

 だがなおも「老いの意識的経験」に拘るジャンケレヴィッチは「動物は衰頽するが、自分自身の衰頽には立ち会わない。」(同書, p.229)といった主張をしてみたりもするが、これは事実の問題として、動物学の領域では今や人間の側の傲慢さに基づく先入観に侵された不当な断定として問いに付される主張だろう。動物の方はあくまでも話の枕で、人間が「超意識」を持っていて、その「超意識」が老いにとって重要だというのなら、それは別に構わないのだが、だからと言って、今度はその意識について

「老いるという意識は、したがって、厳密に言えば、直接の経験にも推論にも由来するものではない。」(同書, p.230)

などと主張されると、一見当たり前の事を言っているように見えるこの主張の真意を測りかねるということになる。実際にここで言われているのは、老いの徴候とされる、様々な観察・観測の結果は、それが老いの徴候であるという解釈が先行的にあって、観察結果について判断し解釈する主体(老人自身であれ、医師であれ、或いは介護レベルの認定をおこなう行政の担当者であれ)があってのものであるという、ごく常識的なこと以上のものではなさそうにしか見えない。そして一般的にはそうした水準で、推論に基づいて要介護度の認定が行われ、認知症の診断が行われているのである。私はその場に立ち会った当事者の一人だから、その経験に基づいて言えば、勿論、主体に対するインタビューも欠かさず行われていて、主体の証言も記録はされるが、それを文字通りに受け取ることが、主体の内側で起きていることを正しく判断することに繋がらないこともまた、現場では常識レベルのことであって、結局のところ解釈や推論抜きで「主体」についての真実を見出しうるというのは、本質的に関主観的で対話的な存在である筈の主体自身にとっても幻想に過ぎないのだ。にもかかわらずジャンケレヴィッチが以下のように言うとき

「(…)居眠りが繰り返されることや、固有名詞の忘却、視力の減退、階段を昇るさいの困難の増加などを老化の徴候と解釈する主体を無視した推論については、象徴にもとづいて意味を結論するそのような抽象的推論は、それだけではわれわれを説得にするのには十分ではない。」(同)

彼は「われわれ」の中に自分自身以外の誰を含めて想定しているのだろうか?権利上、それが自分が理性的存在者の代表であり、理性的存在者は皆自分のように考えるという哲学者のお目出たい傲慢さでないとしたら、彼の恣意で決定できるような誰かが彼以外に他にいるのだろうか?この言明は、「いや、私にとっては十分に説得的ですよ。」という反論にどう答えようとしているのか?いや、これは哲学であって実証的な科学ではないから、事実水準の話ではなく、権利水準の話をしているというなら、それならそれでつまるところ、この言明によってジャンケレヴィッチは何を表明したいのか?

 だがここでは「老い」を取り上げるのが最終目的であって、ジャンケレヴィッチの著作を吟味すること自体が最終目的であるわけではないから、その点について目くじらを立てるのは程々にしよう。

「衰頽は誠実な直接の経験というよりは、むしろ一つの解釈であり、一つの判断なのだ。」(同)

と、この言明自体は全く問題ない。そう、繰り返し述べているように、「老い」というのは複合的で雑種的な事象なので、それを直接測定できる指標が存在するようなものではないから、その限りで解釈や判断の結果であるという主張自体には特に問題はない。そして恐らくその点において「老い」は「死」とはやや性格を異にするのであろう。勿論、生死の判定に纏わる様々な困難は、それらもまた「老い」のように解釈や判断に委ねられる側面を持つことを示唆しているけれども、だからといって「老い」がそうであるのと同様にそうであるとは言い難い。「老い」の厄介さは、そのシステム論的定義を改めて確認し直せばわかることだが、それが非常に複雑なシステムの「定常状態」の変移という非常に巨視的な仕方でしか定義できないという点にあり、なおかつ、その変移について、系自体が崩壊する方向に向けての変化という仕方で定義されるのであって、崩壊そのものの程度(こちらは「老い」でなく「死」への接近の度合いという意味合いを持つだろうが)で測られるものではないことに存する。なおかつその過程は現実の個々の事例について言えば確率的な揺らぎの中にあって、必ずしも単調な変化ではなく、複雑な軌道を持ちつつも、最終的には系自体が崩壊するに至るように方向づけられた過程なのである。

 ジャンケレヴィッチも勿論そうした複合を無視しているわけではないから、「老い」を複合的な原因を持つものとして捉える言明と解釈できそうな言明が登場しはする。

「正常な状態では分離されているこのような経験とこのような観点とが互いに干渉し合う時、老いるという意識が生ずる。」(同)

ここで「このような」とは、「客観的観点は生きるべき期間の有限性を認めることができるが、その有限性をただ他人にとってのみ有効な真実とみなしたがる。生きた経験は、自分にとって有効だが、死を受け入れない。」(同)という観点と経験の謂いである。

 だがこれもまたごく平凡に、既述の老いの定義に纏わる厄介さについての言明の言い換えの類に過ぎない。生とは散逸系である生物学的なシステムが存続する「定常状態」のことであり、動的不均衡の中で、準安定的な状態というのが維持されているわけだが、ここでいう客観的観点の側は、その安定状態が、軌道を描いて変化しつつ、最後は崩壊する過程の外部からの観測であり、ここでいう生きた経験の方は、そうした系自体の内部からの観測のことを言っているのだから、結局この言明も構造的には何ら新しいことを言っている訳ではなく、「生理的な老いの過程」と「老いの経験」の複合が「老いの意識」を生み出すと言っているのであって、その限りでは構図は問題ないが、だがジャンケレヴィッチの文脈におけるその実質は、またしても疑わしい。外部からの観測と内部からの観測における差異が問題であるとしてなぜそれが「生の有限性」についてでなくてはならないのか?確かに老いの認識は生の有限性の認識でもあろうが、それだけではないし、寧ろ生の有限性という「死」に関わる側面以外の部分こそが「老い」固有のものなのではないのか?だとしたら、そこにはここででっち上げられたような観点と経験の干渉などありはしない。寧ろ単純に両者が相俟って「老いの意識」が生じるというだけで十分ではないか。

 実際にはその後しばらくのジャンケレヴィッチの叙述はようやく「まともな」ものになるかに見える。まずはベルクソンを参照し、

「感覚の質の変化が刺激の増大の尺度に度合いも進展度もすこしも反映しない」(同書, p.231)

点を述べる。これは特に問題ないし、

「記憶は大脳におおまかに依存するが、回想は大脳皮質のそれぞれの場所に文字どおり位置づけられているということはなく」(同)

というのも、或るタイプの記憶の想起を支える機構の説明として問題ない。(なぜそれが併置されるのかの論理、或る種の記憶と想起のメカニズムの非局在性が、この際どういう関係があって言及されているのかについては目を瞑ってしまえば。それはベルクソンの元々の言明とも関係なければ、老いとも関係ないから、これは奇妙にしか映らないのだが…)そして、

「人の質的老化が毎日詳細にわたって人生途上の進展をそのま訳出しているというのも真実ではない。詳細にわたってというのは真実ではないが、おおまかに、間接的にというのは真実だ。」(同)

というのも問題ないだろう。老いという定常状態の軌道は(数学的な意味で)単調に崩壊に向かうわけではなく、揺らぎをもって、確率的に動いていて、その軌道というのは粗視的に見た時に浮かび上がってくるものなのだから。

 一方で、「老い」の自覚は、そうした連続的な過程の非連続的な感受に基づくものであるというのもまた、それ自体は正しいだろう。それゆえ、ボーヴォワールの『老い』においても印象的な仕方で繰り返し語られるように、「老い」とは或る日突然に自覚されるものでありうるわけだ。

「身体の連続的変貌は時を隔てて、つまり、間歇的、不規則に意識に現われる。老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(同)

その通り。但し、老化自体が確率的な過程であることと、老いの自覚が突然に生じることは、厳密には区別されるべきだろう。前者によれば、若返りの自覚というのも時として可能ということが帰結し、実際にしばしばそのような経験は生じるであろう。寧ろ逆に、揺らぎを孕みつつ、エントロピーの増大という熱力学的過程に従うかのように巨視的には崩壊に向いた過程であるということが、間歇的・不規則な内部観測における老いの自覚に繋がっているのだから、ここにも避けるべきレベルの混同の嫌疑が生じるような書き方に眉を顰めざるを得ない。とはいえ、言明自体はここについては適切である。

 だがもう良いだろう。ジャンケレヴィッチの「老化」の章の結論部分においては、「感得」がキーワードであり、その点について確認することでジャンケレヴィッチの議論の要点を確認することができるだろう。そしてまた、この「感得」こそが、ジャンケレヴィッチにおいて死と老化を関連付けて論じることを可能にするポイントでもあるだろう。

「”真に受けること”にほかならないこの自意識、男も女もはじめて時の消滅に気づく老化の意識をわれわれは≪感得≫と呼んだ。感得は生きた時と鳥瞰した時の最初の出会いだ。」(同書, p.233)

ということは、基本的には内部観測の結果と、外部観測の結果の突合こそが老化だということで、これは数ページ前に述べられていたことの繰り返しに≪感得≫というラベルを付けたということになる。そして≪感得≫についての3つの相というのが再び確認される。ところがここでの言い回しからわかるように≪感得≫はもともと「老化」について導入されたのではなく、まさに本題である「死」について導入されたのだ。それを事も無げに、断りもなく「老化」に適用してしまって構わないのだろうか?

 その是非を措けば、そうした挙措はジャンケレヴィッチが「死」と「老化」の関係をどのように捉えているかを問わず語りに告げているということになるのだろう。そして実際、そこでは「老いてゆく人間」が主語の場合でも、「老い」ではなく「死」との関係が論じられてしまう。曰く、

「老いてゆく人間は、感得することによって、予告と自分自身の死の結びつきを把えないならば…」(同書, p.234)

或いは、 

「年老いてゆくものが、自分自身の死の日(時計上の時・分、暦上の何日)を文字どおり知るのではなく、死の近いことを強烈に経験するのだ。」(同)

従って

「≪感得≫のこれらの三つの相は、老化の経験においては、もちろん互いに切り離すことができない。」(同)

という言明の当否に依らず、ここでは「老い」そのものではなく、「老い」における「死」が問題になっていて、最早「老化」そのものについての議論は終わっているということに読者は気付かされることになるのだ。この言明以降、この節の末尾まで、ということは「老化」と題された章の末尾まで、ということでもあるのだが、とうとう「老い」という言葉は全く出て来なくなり、ひたすら「死」の≪感得≫について語られるばかりである。だが、その末尾までの言明を見て、一体それが「老化」とどう関わるのか、訝しく思う人がいても不思議はない。そこに書かれているのは、この節の冒頭の「死刑囚」の話がそうであったのと同様に、「老いてゆく人間」にのみ専ら関わることでもなく、「老い」と独立に論じることができることなのである。振り返ってみれば、「老い」についての議論の末尾で客観的な知識なり認識なりと、生きられた経験の相互干渉が「老いの意識」を生み出すとされたのであったが、結局のところそうした知識を一人称的に”真に受けること”が「死」についてと同様「老い」についても重要なのだということがジャンケレヴィッチの謂わんとすることなのかも知れない。

 だがもし仮にそうであったとして、「死」とは異なった「老い」の経験自体、「死」に対する「老いてゆく人間」ではなく「老いてゆく人間」が「老い」そのものにどう対するのか、「老い」固有の悲劇性がそこにあるのではないかという疑問についてジャンケレヴィッチが答えてくれることは期待すべきでないだろう。それは自ら引き受けて、自ら答えていくべき問題なのだろう。ボーヴォワールの『老い』は例外的に老いそのものに正面から立ち向かった試みであるが、その中でアンガージュマンの人らしくボーヴォワールが告発するように西洋の文化や社会は「老い」について正面から取り組むことを避けてきたのではないか?「死」についてはあれほど饒舌で、「死」についての著作なら古今を問わず汗牛充棟の状態であるのに対して、「死」そのものでもなく、「死」の前駆でもなく、直面することを強いられる「老い」そのものについて語られることが何と少なく、「老い」の議論がいとも容易に「死」についての議論にすり替えられてしまうことか…そしてそのすり替えの、まさに典型的な例をジャンケレヴィッチのこの著作に見出したような気がする。

*  *  *

 ここからは急ぎ足で、これまでの「老化」についてのジャンケレヴィッチの記述の追跡の結果を踏まえて、改めて『大地の歌』への参照箇所についての検討を行ってみたい。『大地の歌』への参照は、第2部 死の瞬間における死 の第3章 逆行できないもの の掉尾を飾る第9節 訣別。そして短い出会いについて で行われる。ここで直ちに気になる点は、第2部がその看板が示す通り、死の瞬間のみについて語るのだとすれば、逆行できないものというのはそもそもナンセンスということになることである。実際、それは先行する第2章で、ほとんど無 について語る時、既に、厳密な意味合いで瞬間に属さないものが密輸されているところから破綻していて、第3章は更に大胆に、実質的には再び「老い」について語り直しているようなものだ。

 そもそも「老い」について語った時、老いこそが一回性で、不可逆であると言っていたのではなかったか?だとすれば、その構成上の位置づけにも関わらず、『大地の歌』への参照は、実際には「死」そのものよりも寧ろ「老い」について語る文脈において行われているとさえ言い得るのではなかろうか?そして実際、第9節 訣別。そして短い出会いについて は冒頭でいきなり

「だが、この償われない喪失が人を慰められないままに残すとしても、老いてゆく人間がまったく補償に欠けているというのではない。」(同書, p.351)

と、老いにおける「補償」について語りだすのを見ると、それは確信に近いものになる。

「別離という数多くのちいさな死が、死という大きな別離の楕円を形作っているからだ。」(同書, p.352)

というレトリックも既視感のあるものだ。果たして老化について語っていた時には「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回していたのである。しかもここでの「告別」は、火星探査を引き合いに出して語られるのである。この点は決して取るに足らないことではない。アドルノが宇宙飛行士の見る「地球」についてまさに『大地の歌』に関連して述べていたことを思い起こし、火星への植民をビジネスにしようというイーロン・マスクが使い捨てのロケットではなく、帰還して再利用ができるロケットの開発をしていることを思い起こしてみるがいい。ここでのジャンケレヴィッチの主張のポイントは、「死」は一回性のもの、不可逆なもので、死の瞬間の近傍のトポロジーは、彼自身の著作の構成を裏切っていて、死のこちら側と死の向こう側は対称ではなく、(そういう言い方をするならば)「死出の旅」は片道であることが「告別」の持つ意味合いを、一時的な別れとは全く異なるものにするという点に存する筈である。寧ろ、死のこちら側というのは、死の「手前」というのが適切であって、かつそのトポロジーを決めているのが「老化」である筈なのだ。当然だが、「告別」は死の手前で為される。であるからには、一回性の、一度限りのそれは寧ろ「老い」に固有のもの、寧ろ「老い」に帰属させるのが妥当なものではなかろうか。

 そして悲劇性についても、ここでは「不在に先行した別離は悲劇性そのもの」(同書, p.353)と言われているが、「老化」に関しては、

「≪悲劇的なもの≫とは、人を突然≪老化した≫状態に置く一連の状況の名だ。」(同書, p.217)

と言われていたことを思い起こすべきだろうか。ジャンケレヴィッチお得意のレトリックを剥がしてしまえば、これはボーヴォワールが『老い』の第2部 世界内存在 で扱う、老いの認識に関わるのであり、老化を突然自覚することに関わる筈である。勿論、老いの自覚は「告別」によってもたらされるとは限らない。というより寧ろ、「老い」の自覚に導かれて人は「告別」をするのではなかろうか。「告別」が人を「老化」させるのではないが、「告別」は老化の自覚なしにはありえない。老いの自覚は、「自己」というある種の「定常状態」の行き着く先が「自己」の崩壊であるということの自覚、自分が下り坂、梯子の降りる側にいるということの自覚なのであって、その不可逆な過程の先にあるものこそ「死」なのであり、それゆえに「告別」は悲劇的なものになるのだという常識的な見方の方が、告別の悲劇性の拠って来るところを正しく捉えているのではなかろうか?

*  *  *

 おまけとして、当該の節のタイトルの末尾に付加された「短い出会い」についてはどうか?『大地の歌』の「告別」について言えば、確かにそこでの告別は、短い出会いにおいて為されているように見える。一緒にいるわけではない友人に別れを告げるために、わざわざ出会いが設定されるという構図は、だから『大地の歌』でも成立していることになる。だが、その内実はここでジャンケレヴィッチの言う通りだろうか?「告別」のテキストが、マーラー自身が2つの詩を継ぎ合わせたものであることにまず注意しよう。ベトゲの元の詩のみならず、さらにベトゲのNachdichtungの典拠である王維と孟浩然の詩もまた、「告別」の設定そのものでなくて、なおかつそちらであればそれぞれにジャンケレヴィッチ風の「短い出会い」が適用できたかも知れない。だが、マーラーの作品のテキスト自体はどうか?ここで思い浮かぶのは、友人に関するドゥルーズ=ガタリの奇妙なコメントだろう。寧ろドゥルーズ=ガタリの方が、マーラーが「告別」の楽章に施した錯綜とした操作の帰結を捉えている可能性すらあるだろう。更に言えば、元々の孟浩然の詩、王維の詩の「別れ」は「死別」なのだろうか?「別れ」のための「短い出会い」については認めたとして、それはジャンケレヴィッチがこの節で述べているような「死」を前にしたものだったのだろうか?そしてそれとは別に、ベトゥゲのNachdichtungを素材に更に編集を施したマーラーの歌詞においてはどうなのか?

 勿論、そこに死の影を見ず、それをマーラーの受けた診断は誤診だったし、マーラー自身も健康そのものであったということを論拠に通説を批難する近年の論調は、ジャンケレヴィッチ風には、マーラー自身の第一人称的な≪感得≫を蔑ろにしていて、それが「客観的」に「事実」に基づいていることを認めたとして、マーラーその人とその作品について語る時にそのことがどこまで意味を持つかについては甚だ疑問だろう。何しろマーラーは『大地の歌』を聴いた人間が自殺をするのでは、とさえ言ったらしいではないか?それともこのアネクドットにしても、弟子が「神話」を創作するために脚色したフィクションであるという証拠でもあるのだろうか?そもそも第一人称的な死を仮に措いたとして、幼少期から兄弟の早逝に繰り返し直面し、その後も兄弟や友人の自殺にも遭遇しているし、余りに有名な長女の死についてのアルマの証言に偽りが含まれているとして、それがマーラー本人にとって耐え難い経験であったことは想像に難くない。所謂「誤診」以前にも、まさにそのキャリアのピークにおいて痔による大量出血が原因で瀕死の状態を経験していて、別にそれを題材とした標題音楽を作曲しなかったからといって、そのことがその後の彼の人と作品に影響していないとか、大した影響はなかったという論拠にはなり得まい。それゆえ私が通説に疑問を感じるのは、異論のための異論の如きものが依拠するものとは全く無関係な理由によるのであって、このような異論ならば、通説との「あれかこれか」で私が迷うことはなく、通説の方が余程「真実」の近くを射貫ていると考える。だがそれもまた程度の問題で、比較をした結果に過ぎず、だからといって通説が的を射ているとは考えていないのである。 

*  *  *

 ここでこの読解の当初の目的を再確認しよう。この読解は、ジャンケレヴィッチの『死』の「老化」の章と「別れ」の節の読解を通して、必ずしもジャンケレヴィッチの思索を継承・展開するかたちではなく、寧ろ反面教師としてであれ、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としていた。そして実際に、大著の別々の箇所(「老化」は「死のこちら側」、「別れ」は「死の瞬間」に位置づけられていた)に存在する両者の読解を通して確認できたこととして、以下の点が挙げられるように思う。

 一見したところ「老化」についての考察は、「別れ」に関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見えるし、「老化」と「死」との区別を指摘していることから、『大地の歌』の参照に関して言えば。従来の「死」と結び付けて捉える通説と共通した発想(アドルノが批判した、第9交響曲の解説における「死が私を語ること」という後付けの標題の類のそれ)の一例として扱うことさえできるかも知れない。一方で、「老化」についての叙述は、一方では「死」についてのものとされる叙述と入り混じってしばしば区別ができず、寧ろそれは端的に「老化」についてのものとして区別するのが妥当に思われる箇所を含み、他方では「老化」が主題である筈の箇所で≪感得≫について語る時、実際には「老化」固有のそれではなく、「死」について語ったことを繰り返すことしかしていないといった箇所もあり、総じて「老化」を「死」から引き離そうとしつつも、その試みは不十分にしか達成されていない一方で、「死」についての叙述の中には、本来「老化」についてのものでしかないものが密輸されているように見える。「死」について斯くも饒舌たろうとし、実際に饒舌である一方で、この著作が『死』についてのものであるという前提を踏まえてなお、西洋の思考は「老化」について、それを正面から取り上げることを避けるというボーヴォワールの批判は当たっていると言わざるを得ないように感じられたというのは偽らざる感想である。

 翻って『大地の歌』の「別れ」について言えば、それが「死」の観点からのみ論じられるのは適切でないとしても、それでは「老い」の観点から論じるのは妥当なのかは独立の問題であろう。「死」でも「老い」でもなく、端的に「別れ」そのものであって何故いけないのか?歌詞は素材に過ぎず、作者の心理の投影を安直に作品に対してするべきでないとしたら、「老い」を持ち込むこともまた、人と作品に関する既成の発想に捉われたものではないのかという問いには、別に答える必要があるだろう。だが、ここでは一旦論証抜きで見通しだけ述べれば、「老い」を持ち込むのは心理学的な作者ー作品観に基づく密輸などではない。歌詞は素材だろうが、作品の一部であるには違いなく、あたかも歌詞など存在しないかの如く『大地の歌』を受容するのは(そうした姿勢を全面的に拒否しないまでも)妥当とは言えないとするならば、そして標題的・描写的な形態ではないにせよ、歌詞内容に触発されて作品が生成したのであれば、そこには「生の有限性」の認識があり、「疲労」の感受があり、「老い」の認識があることは明らかなことではなかろうか。「疲労」は「眠り」を誘うのだが、ここでの「疲労」は、ではそれによって「疲労」からの恢復が達成されるような類のものなのか?若き日の回想を呼び起こすようなその「疲労」は寧ろ、生体のロバストネスの変移としてのホメオスタシスの定常位置の変化としての「老い」の感受そのものなのではないか?ジャンケレヴィッチの「老い」の捉え方も、ダマシオの言う中核意識ー中核自己のレベルではなく、従って現象学的には単なる意識の中断を乗り越えた想起や予期が可能な第二次把持のレベルを前提とはしても、それに留まるレベルではなく、スティグレールやユク・ホイの第三次把持のレベルに対応する延長意識ー自伝的自己のレベルに関わるとする把握に通じており、システム論的な「ロバストネスの変移と崩壊」に通じている側面を見出すことができたし、「老い」を外側から観察できる事象としてのみ捉えるのではなく、主観的な認識を必須とする立場は正当なものであるが、そうした点を踏まえた時、『大地の歌』の「別れ」は「老い」の認識に立ったそれであるという把握には一定の妥当性があると主張しうるという見通しは、ここでの読解・検討を通じて確保できたのではないかと考える。

(2023.1.30初稿公開, 2.3更新, 2024.12.18 備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業の一部として再編集。改題の上再公開。2025.1.31, 2.2 誤記修正・表現の調整を行い更新。)


2025年1月29日水曜日

「投壜通信」としてのマーラーの音楽(2025.1.29 再公開)

アドルノ的な弁証法の枠組みのうちでは、おそらくは特異な楽器法や異化はちょうどラッヘンマンについて語るときそうであるように、マーラーを語るときに欠かせない「キャッチコピー」なのだろう。ところで、異化というのは文脈を必要とする。文脈を共有できるかどうかは実際のところ程度問題であるのだが、例えば一時期「モード」になったとまで言われた、かの「黄昏の地」における「形而上学の歴史の脱構築」とやらにしてもそうであるように、全く無関係であると言い切ることもまた困難であるにしても、ではそれが自分の喫緊の問題であるかといえば、自分が持つ文脈の頼りなさを思うにつけ、決してそうとはいえない、と言わざるを得ないのが正直なところだろう。ましてや対象領域は自分が専門的・職業的に関わっているわけではない音楽である。

特殊奏法というのも、「普通の奏法」というのがあって特殊が定義されるような捉え方をされる場合には、同じことが言えるだろう。例えば自分が演奏者であるならば、自分が習得してきた楽器の演奏法というのもあるし、それを抜きにしたとしても、指定されたやり方と物理的に格闘せざるを得ないわけで、そこに生じる抵抗というのが実現される音楽と不即不離なものであるというのは確かなことであろうが、現実にはここでは私は単なる享受者に過ぎず、せいぜいが実現された音響の新奇さを追っかけるくらいが関の山である。マーラーの音楽だって、ヴェーベルンの音楽だって、かつては随分と新奇な音響に満ちていたに違いないし、自分もまた、その新奇さに一度は魅了されたに違いないが、そうした新奇さは、異化がそうであるように摩滅してしまう賞味期限つきのものなのだ。

無論、賞味期限つきと割り切った聴き方があっても良いし、とりわけ同時代の音楽であればそれもまた大切なことではあるのだろうが、同時代であれば問題意識が共有できるとは限らない。賞味期限という意味ではとうに切れて、当時の文脈を再現することが覚束ない作品が「古典」として享受されるのは音楽だけに限った話ではない。そして実際のところ、同時代性が担保するかも知れない文脈の共有の頼りなさと比べたとき、そうした「古典」が持つ力の大きさは歴然としているように感じられる。私が同時代のものを積極的に渉猟する気になれないのは、それよりも、たとえ勝手読みでも誤読でも、そこから多くのものを得られる古典が幾らでもあるからだ。個人的な事情になってしまうが、その古典にしても、歴史的なパースペクティブを己のものとするように幅広くとか、あるいは演奏史や享受史を俯瞰できるほど深く、というわけには残念ながらいかない。時間にも能力にも限界がある身であれば、自ずと選択と集中が必要となるのであって、熱心なコンサートゴーアーの方々や膨大なコレクションを作り上げる方々を羨んでみても仕方ないと思うほかない。私にはそれだけのキャパシティがないのである。

もっともマーラーの場合には、特異な楽器法も、異化効果も、それとして意図されたものではない。マーラーは自分が表現したいものを表現する手段を探していて、そうした奏法や発想に辿り着いたのだ。予め弁証法的なシェマがあり、コンセプトがあってそれ自体を目的として異化が、特殊な奏法による伝統の相対化が、騒音と楽音の境界の再設定や、ひいては美と醜の弁証法的な運動が目指されているのではない。そうしたこと自体が目的として意味を持つようになるのは、もっと後のこと、まさにマーラーを歴史的に振り返って、自分達の先行者として位置づけることのできる文脈でのことだ。

だが、それは「私の」文脈ではない。私は音楽家ではないし、そこに微妙ではあっても決して瑣末ではない転倒を感じずにはいられない。誠実さを疑うわけではなくても、そうした転倒は或る種の袋小路に行き着くのでは、それは例えばヴェーベルンの後期の音楽に対してなされた転倒と良く似た構造を持っていないか、という疑念は拭い難い。音楽家であればこの疑念自体を己の課題としてしばらくそこで立ち止まることも意義のあることであったかもしれないが、私には結局、それに時間をかけるだけの意義は見出し難いということなのだと思う。私にとっての問題は、そうした表現媒体における弁証法的な運動そのものにはない。専ら、マーラーが見出した世の成り行きと「私」との関係、世界と私との関係の方なのだ。それとて文脈からは自由ではありえない、というのが冷静な見方なのかもしれないが、寧ろ、音楽を聴くことでそのような関係の様態を同化し、我が物とすることが可能である以上、文脈の相対性を声高に主張する賢しらさは、音楽が時代を超えて持つ力に対してあまりに無頓着に思われる。それですむならマーラーの音楽など聴かなければよい。マーラー自身もきっとそう思ったであろうと、マーラーに関しては少なからぬ「文脈」についての知識を持った上で、ある程度の確信を持って言うことができる。所詮はまだ、100年程度しか経っていないのだし、決してマーラーの生きた環境と、自分の生きる環境が共役不可能なほどに隔たってしまっているとは思えない。

だからマーラーとの関係は、幾重にも屈折したものとなる。文脈を共有できていないという面と、同時代性がとっくに喪われているという点で、マーラーの音楽の弁証法的な機能は私にとって疎遠なものだ。寧ろマーラーは私にとってははじめから或る意味での「古典」なのだ。私にとっては、それはその音楽の側が持っていた様々な文脈を知らずとも、反省的に演奏史や享受史に己を位置づけることをしなくても、そして後になって、最初に抱いていた思い込みや誤解に気づくことがあったとしても、それゆえに自分の奥底まで届くような聴取の質が損なわれることはないような音楽なのだ。そういう意味でマーラーの音楽は、1世紀の時間の隔たりと、地球半周分の空間の隔たりを通り抜けて、或る日、子供であった私の住む岸辺に辿り着いた「投壜通信」であり、偶々それを拾い上げて開封して読んだ私こそが名宛人であるところの「手紙」、異なる時代と場所で、別の仕方で、だが同じように「世の成り行き」に翻弄され、よろめきながら行進を続けている自分の思いや気持ちをぶつけ、自分の問題意識を突き合わせることができる、自分にとって欠かすことのできない存在なのだ。

(2006.10/2007.7, 2025.1.29 改題、加筆の上、再公開)

2025年1月24日金曜日

マーラーの音楽におけるポリフォニーと「対話」について(2025.1.24 再公開)

マーラーの音楽の基本的な発想の一つの側面として、対位法的な発想があることについては概ね異論はなかろう。 いわゆる概説書の類でも、一例を挙げればマイケル・ケネディがそのような指摘をしているし、アドルノもまた、マーラーに 関するモノグラフの中で、かなりの重点を置いて取り上げている。

マーラー自身の証言における「対位法」についての言及についていえば、バウアー・レヒナーの「回想」にある有名な 件をまず挙げるべきなのだろう。ただしこの言及は、マーラーの音楽における(マーラーの生きた時代を考えた場合に) 前衛的な側面、一般にはシュルレアリスムと結び付けられることの多い、コラージュやモンタージュといった技法、 あるいは「サウンドスケープ」のようなコンセプトとの関連で言及されることが多い。この場合の音楽の領域での 参照先は、例えばチャールズ・アイヴズであり、ドナルド・ミッチェルがその浩瀚なマーラーの作品についての著作のうち 「角笛交響曲の時代」を扱った巻において、トピック的にマーラーとアイヴズにフォーカスした節を設けていたり、 日本においても渡辺裕さんのマーラー論をまとめた著作の中に、マーラーが生きた時代のウィーンの「サウンドスケープ」 との関連を論じた論文が含まれているのを読むことができる。

一方で保守的と言われるマーラーの読書傾向の嗜好を辿ると、バフチンが「小説の言葉」のとりわけ第5章「ヨーロッパの 小説における二つの文体の流れ」等で取り立てているポリフォニー性の強い作品の系譜との共通性が見られることに気づかざるを得ない。 叙事詩から小説への決定的な第一歩を踏み出したとされるヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」からはじまって、 スターンの「トリストラム・シャンディ」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、更にはスターンの流れのドイツにおける継承としてのジャン・パウルの作品(「巨人」 「生意気盛り」「ジーベンケース」など)、メタ小説的な趣向に事欠かないホフマン(「牡猫ムルの人生観」を思い浮かべて いただきたい)、マーラーの読書の中核であったらしいゲーテの作品、そして掉尾を飾るのは何といってもバフチンがポリフォニックな 小説の典型と見做し、「ドストエフスキーの詩学の諸問題」で主題的に扱っているドストエフスキー(特に「カラマーゾフの兄弟」)と いった具合に、ポリフォニー性の高い作品が一貫して好まれていることがわかる。

バフチンといえば芸術創造を本質的に対話的なものと考える初期の見解から出発して、様々な様式や言語、文化の 間の対話を実現するものとしての小説のポリフォニー的構造の指摘を行うに至るが、更に小説にカーニバル性を 見出す主張を行っている。そしてポリフォニー性のみならずカーニバル性も含め総じてバフチンが小説というジャンルに見出す 「対話」的な構造は、一見すると様々な文化に属するジャンルが無秩序に混淆しているようにさえ見え、それが批難や嫌悪の 原因ともなるマーラーの音楽との親和性が高いように思われる。もっと直接的に、一時は作曲者自身によって交響詩「牧神」と さえ呼ばれた巨大な第1楽章を持つ第3交響曲や、まさにカーニバル的と呼ぶに相応しい様相を呈するフィナーレを含み、 バロック的なフランス風序曲を下敷きにしながら、四度音程の積み重ねによって新ウィーン楽派にも通じる第1楽章、 谷間を隔てて呼び交わすホルンやカウベルが鳴り響く中、古風な夜の音楽の断片が交錯する第1夜曲、 バルトーク・ピチカートの先駆けさえ厭わないグロテスクで「影のような」中間のスケルツォ、ギターやマンドリンを コンサートホールに持ち込んでの第2夜曲でのセレナーデの追憶からなる遠心的な構成を備えた第7交響曲を 思い浮かべてみることも出来よう。

交響曲と歌曲、カンタータといったジャンルの並列と交差(連作歌曲から交響曲「大地の歌」にいたる流れと、「嘆きの歌」を 起点にし、ファウスト第2部の終幕を取り上げた第8交響曲第2部にいたる流れを見出すことができるだろう)、 民謡(借り物としてのドイツ民謡、基層としてのボヘミヤ的な旋律とユダヤ的な旋律)とコラール、調律されていない 音響と楽音、自然の音(鳥の声、小川のせせらぎ)と人間の音(カウベル、郵便馬車のポストホルン、ホルンの 呼び交わしからファンファーレへ)、更には都市の喧騒の並存は、まさに多言語の混在であり、パロディやイロニーの導入は それが意識の音楽であり、多層的なものであることを告げる。交響曲というジャンル自体の歴史を交響曲自体が振り返り、 その結果として最早即時的にそれ自身ではあり得ず、自身のイメージを演ずることしかできないかのようだ。 マーラーにおいては主観的形式であった筈の歌曲ですら、とりわけ「子供の魔法の角笛」に取材したそれはどこか客観的であり、 民謡そのものではなく、民謡を利用した別の何かになってしまっている。

マーラーが交響曲というジャンルを選択したことは、そうした嗜好と全く無関係であると考える必要もなかろう。 一見して雑種的で複合的な、今日で言えばマルチ・メディア的なジャンルであるオペラの上演に一方では携わりながら、 当時の概念では「総合芸術」であるそれが、本当の意味での多声性を保証するものではないことに気づいてか、 自己の作品創造においては、そうした経験を惜しみなく交響曲というジャンルに注ぎ込み、それをバフチン的な意味で 小説的であり、ポリフォニックなものとしたと見做すことができるのではなかろうか。

だが小説という文学におけるジャンルとマーラーの交響曲との類似の指摘、更には類似のいわば要石たるポリフォニー性の 指摘といえば、まずはアドルノの所論に言及すべきだろう。彼の「マーラー論」の1章はまさに「小説」と題されており、 マーラーの音楽に最も近いジャンルは小説であるという主張をしている。更には第9交響曲について絶対的な小説-交響曲と 規定しているくだりでは、対位法的な声部の間の対話構造に言及していて、ポリフォニーを「対話」の実現であり、 小説というジャンルがそれを可能にすると主張するバフチンの立場との突合せが可能な程度には並行性が見られるように思われる。

ところで、まさにその部分こそ、ツェランの「山中の対話」の贈呈の返礼としてツェランに宛てて書かれた書簡において、 アドルノが自作を引用した箇所に他ならない。話は単に文学作品の音楽性といったレヴェルに留まらないのだ。 勿論のこと、小説と詩というジャンル間の隔たりは小さくない。まさにバフチンが、小説の対話的構造の対立項として 詩のモノローグ的な性格を強調しているのであるから、このアドルノの引用に比較に超えがたい懸隔に架橋を試みる 牽強付会を見出す人がいても不思議はない。だが詩を芸術と対立させつつ、詩を対話的なものとして捉えていたのが 他ならぬツェラン自身であったとすれば、詩における対話の可能性について、寧ろここを出発点として考えていく姿勢こそが ツェランを読むために必要とさせることなのではなかろうか。ツェランの詩はバフチンが多分に戦略的な意図をもって 設定した詩の類型からの例外、逸脱と考えることはできないだろうか。

そうした展望の中で再びマーラーの本棚に目をやると、ツェラン自身も大きな共感を寄せていたらしい、ポリフォニックな 詩作の実践者の姿が目に留まる。ギリシアの讃歌に範をとり、キリストとギリシアの神々が共存する後期の自由律の 巨大な詩篇群に加え、ソフォクレスのドイツ語翻訳を試みた人、最晩年には病の中でスカルダネリという別の名で署名した 短い詩を他者に宛てて送り続けた人。その人の名はフリードリヒ・ヘルダーリン。マーラーが好んだとされる 巨大なライン讃歌とマーラーの巨大な交響曲楽章の間に「近さ」を見出すことがそんなに困難なこととは 私には思われないが、のみならず、荒唐無稽と断定されてしまうこともあるフラバヌス・マウルスの讃歌 (しかもここでは伝統的なグレゴリア聖歌のカントゥス・フィルムスが顧みられることもない)とゲーテのファウストの 第2部(これ自体はそれまでも何度となく作曲家達によって取り上げられてきた題材である)の間の架橋もまた、 ヘルダーリンが別の基盤に立って別の文脈で企図したそれと構造的に同型の、相異なる他者間の「対話」の試みとして 捉えることができるのではないだろうか。

否、翻ってツェランの詩を顧みても、ツェランの詩作がどんな「対話」の文脈を水源として織られて行ったか、 その作品の中に、作者の個人的経験の層、読書その他による「対話」の反響の層がどんなにぎっしりと埋め込まれているかを 思えば、そこに(例えばツェランが自身の対極として想定していたらしいマラルメの「書物」のような)モノローグ的なあり方とは 異なった様相を確認するのは別段困難なことには思えない。その詩は、ある時にはカバラを参照するかと思えば、 植物学、鉱物学、地質学、気象学や解剖学といった莫大な領域を参照し、晩年になるにつれますます顕著になる 改行による単語の綴りの分離、それと相関するかのようにこちらもまた増大し、解釈の困難すらもたらすことがしばしばである ネオロジスムもまた、ツェランの詩が決してモノローグなどではなく、それ自体が自律したポリフォニックな構造を備えていることを 示していはしないだろうか。その詩の言われるところの秘教性なるものは、実はその詩が私的で自閉的で他者を拒んでいるが故ではなく、 寧ろ全く逆にその詩が読み手の視界に収まりきらない程の複雑さと多重度をもって他者に対して開かれた、多声的な構造を 備えていることに由来する解釈の困難さを履き違えたゆえの誤解ではないのか。一体そこでは誰が語っているのか。 作者はもはや語りの主体ではないかのようだ。シェーンベルクがプラハ講演にてマーラーの第9交響曲を評して述べた 言葉、まるで他者が作曲主体をメガホン代わりに使っているかのようだとの言葉は、晩年のツェランの詩篇についても 言えるのではなかろうか。

そうしたことを思い合わせてみるに、一見すると対極にすら見えるかも知れない寡黙で訥弁なツェランの晩年の詩と、 まさに小説-交響曲の体現である巨大で饒舌なマーラーの後期交響曲との間にも、私はそうした表面的な違いを超えた、 ある「近さ」を感じずにはいられない。それはマーラーもツェランも、物言わぬものの代弁をすること、 「幽霊」たちに声を与えることを己の創作の使命とした点と恐らくは関係があり、つまるところ、もう一度、 その作品がその中で生み出され、そして生み出された作品そのものが再帰的に構築していく場の構造としての 「対話」が問題なのではないかという気がしてならない。

(2012.10.30/31, 11.5, 2025.1.24 改題の上、再公開)

2025年1月22日水曜日

マーラーをコンサートホールで聴くことの難しさ(2025.1.22 再公開)

マーラーの音楽がコンサートホールでの演奏・聴取を前提として書かれているのは言うまでもないことのように見える。けれどもその自明さは、 その音楽が作曲されてから100年が経過した極東の地においてもコンサートホールが存在し、オーケストラが存在し、演奏会が催され続けている という社会的、制度的な連続性に拠っているはずである。マーラーよりも100年前の音楽が受容された社会的・制度的な前提が最早存在せず、 だからこそ時代考証を経た「復元」が意味を持つことを考えれば、もう100年経過した未来でも自明であり続けるかどうかは予断を許さないと 考えるべきなのだろう。

一方で、マーラーが生きた時代を知る人は最早おらず、マーラーの音楽がそこから生まれ、そこで鳴り響いた環境からは遠く隔たってしまっている こともまた否定し難いように思える。勿論、地理的な隔絶というのもある。マーラーに関して言えば、アメリカやロシアのようにマーラー自身が訪れて 自作を演奏することはなかったけれど、マーラーその人を知っており、1923年にはベルリンでマーラー・ツィクルスを企画した指揮者クラウス・ プリングスハイムが戦前にマーラーの交響曲の幾つかを日本初演していったという経緯は確かにあるものの、文化的な隔たりを無視することは できないだろう。マーラーのマージナリティ、あるいは些か皮相になるが例えば「大地の歌」が唐詩の翻案に基づいていたりといった側面は確かに マーラーの音楽を日本人が受容することを容易にしているかも知れないが、その代わりにマーラーの音楽が当時、彼の地において持った インパクトを測るのには際立って意識的な作業が必要になる。唐詩の場合は厄介で、日本人にとってそれは伝統的に身近なものであったとはいえ、 結局それは外国の風景だし、やはり翻訳して受容してきたには違いなく、結局は別の位置に立って眺めているに過ぎないのである。ボヘミア生まれの ユダヤ人マーラーと「子供の魔法の角笛」の距離感を実感するのも難しいけれど、彼と「中国の笛」との距離感を測るのはある意味では更に 厄介かも知れないのだ。

勿論そんなことはわかりきったことだし、それを言い出せば同時代の人間だってマーラーの位置に立つことは原理的には不可能だということになる。 今日の日本でゲーテやニーチェを引いてマーラーの世界観なるものを説明しようとするのは、マーラーの立ち位置と今日の間にある隔絶に対して あまりにナイーヴに思えてならないし、一方でマーラー時代のウィーンについての知識があるに越したことはないだろうけれど、その知識が今日、 日本でマーラーを受容することに対しては何の担保ともなりえないことに無頓着な解説は、そうした脈絡もなく、ある日突然、マーラーの音楽を聴いて 魅せられた子供が聴き取った筈のもの、時代の違い、地理的・文化的隔絶を乗り越えて届いた「声」を言い当てることに対しては無力である。 だが個別的なもの、具体的なもの、単に主観的で一回性の経験そのものを問題にしたいわけではない。もしそうなら、ある時空の座標の1点で 起きたイヴェント、例えば頼りない音質のラジカセから響いた音響が、ヒト科の個体の脳内の神経回路網をどう刺激し、変形したかが記述できれば 少なくとも原理的には事足りることになる筈である。

こう書けば極端に響くが、もう一方の普遍性の側の危うさは音楽の場合には明らかで、 幾ら背伸びをしたところでそれは「人間」を超えることはない。シュトックハウゼンはド・ラ・グランジュのマーラー伝の書評で、「もしある別の星に 住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはいかないだろう。」(酒田健一訳、 以下同じ)と述べているが、この発言は幾つかの点で示唆的である。一つには生物の「高等」さの尺度が「地球人」におかれていていること。無いものねだりとは 言いながら、例えばスタニスワフ・レムが描き出したようにそもそも地球上の生物とは全く異なる物理化学的・生物学的基盤の上に「知性」(正確には 「知的」に見えるもの)が備わっていることだって大いにありうるわけだ。そうであってみれば、そもそも「音楽」というのが件の高等生物にとっては全く理解しがたい もの、何のために存在するものであるかすら分からない音響だということも考えられるし、人間と同じ周波数帯の聴覚を備えていることを期待すべきでは ないかも知れない。彼が考えていることがあまりに「人間」的なものを自明なものと前提した、随分とムシの良い人間中心主義なのは明らかなのだが、 彼の「音楽」が暗黙の裡に前提としているものはそれだけではない。シュトックハウゼンの発言の意図が別にあることは承知で言えば、もちろん「地球人」を ヨーロッパのある時期の、しかもかなり特殊な音楽、たった一人の人間が書いた音楽で代表させることの無謀さは明らかで、そこに西欧の文化帝国主義の 無邪気は顕れを見出して呆れる人がいても不思議はない。勿論シュトックハウゼンは、一方では「人間」が時代とともに変容するものであることに対する 認識はあって、「その音楽は、人類が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめようとするまえの、 古い、全的な、《一個体》としての人間による最後の音楽である。」と述べてはいるが、寧ろジュリアン・ジェインズが構想したような時間軸での 意識の歴史のようなパースペクティブこそ相応しい文脈にも関わらず、こちらは今度はあまりに狭い文脈の議論に飛躍してしまっている。恐らくこの発言で 想定されているのは、彼の周辺の「現代音楽」から眺めた展望に過ぎない。結局、マーラーの音楽は、歴史的・文化的に極めて限定された「人間」 (その中には勿論、シュトックハウゼンも含まれるわけだ)のためのものに過ぎないということが露呈されているようだ。

かくして異文化理解のようなレベルで議論している分には成立するかに見える普遍性も、一歩外に踏み出せば色褪せてしまう。 別の星に住む高等生物を持ち出すまでもなく、人工知能研究以後におけるロボットを考えてもいいし、その認知能力が明らかになりつつある別の生物、 例えばオウムやインコ、あるいはイルカやクジラを考えても構わない。マーラーの音楽からは随分遠くに来てしまったように見えるかも知れないが、 それは一般にマーラーの音楽を語る文脈の側が自分の都合の良い視界狭窄に陥っているからであって、シュトックハウゼンの発言は勿論、詩的な比喩か修辞のように、 あるいは芸術家の誇大妄想として受け流すのではなく、逆にその不十分さを補って、もっと先に推し進めていくことによって限界を認識することに よってこそマーラーの音楽の今日的な射程は見えてくるのではないか。個別の経験を超えるものとは言っても、天空のどこかにあるイデアを想定する 必要はない(論理的な極限概念としてホワイトヘッド的な「永遠的客体」を考えるのは構わないが)。そもそも一体、マーラーの「音楽」なるものはどこにあるのか。 それはコンサートホールの中に響き渡る音響のうちにしかないのか。CD等の媒体に収めされた音響が「音楽」の痕跡に過ぎないのだとしたら、 あるコンサートホールにある日響いた音響もまた、「音楽」の不完全な写し絵に過ぎないのではないか。あるいはまた、聴く「私」抜きには「音楽」が 成立しえないのであれば、コンサートホールでの演奏は「音楽」そのものではなく、寧ろ、それが聴く私の中に起こす反応の過程を含めた全体を 「音楽」と呼ぶべきなのではないか。だがそうだとしたら、更にホールで聴く「私」の人数だけ起きる異なった反応の過程のすべてを音楽と呼ぶのが より適切なのだろうか。一方で、楽譜を手にして頭の中で鳴らすそれは音楽とはいえないのだろうか。マーラーは「大地の歌」や第9交響曲の 初演を聴かずに没したが、それではマーラーは自分の「音楽」を知っておらず、今日の日本でコンサートホールで演奏されるそれらを聴く人間の 方がマーラーよりも「音楽」により近いというべきなのだろうか。個別の経験のどのような断面に現れる構造を「マーラーの音楽」と呼ぶべきなのだろう。

何を大袈裟な、所詮は趣味や娯楽の話、音楽がある文化の中のものであることはわかりきったことだし、CDを聴いたり、コンサートに通ったり、あるいは 自分で演奏したりするのに、そんな話は関係がない、というのが一般的なマーラー受容における「良識ある」反応ということになるのだろう。 些か異なる文脈だが、フランツ・ヨーゼフ皇帝がマーラーのウィーン宮廷歌劇場での改革について「所詮は娯楽ではないか」といった発言をしている。 この発言で問題になったコンサートホールやオペラハウスでのマナーも流動的なもので、今日ではどちらかと言えば上記の発言にも関わらず 皇帝が支持したマーラーのやり方に近いものがスタンダードとなっているわけだが、いずれにしてもそうした諸々の決まり事の中でマーラーの音楽は、 だが基本的には趣味・娯楽として聴かれているのだろう。もともとがミュンヘンの博覧会の会場で初演された第8交響曲は、だからコンサートホールのこけら 落としや何かを記念したイヴェントにうってつけの曲目で、もともとコンサート・ピースでしかない第2交響曲は宗教音楽ではありえず、 だからそれがユーゲントシュティル的な装飾に過ぎないというハンス・マイヤーの嫌疑は、受け止め方によっては寧ろ相手を過大評価したないものねだりである という廉で不当な批判と見做されても不思議はないのかも知れない。では一体、コンサートホールで演奏される第2交響曲や第8交響曲に対して、 どのように向き合えばいいのだろう。第2交響曲や第8交響曲の扱いに困って、なかったことにする態度というのも、現実にそれをコンサートホールで聴く という状況を考えれば理解できなくはない。だが私見では、それはコンサートホールでの演奏会というフォーマット、今日の日本におけるそれが 第2交響曲や第8交響曲が備えている或る種の志向を容れる媒体としては不適切だということであって、第2交響曲や第8交響曲そのものが 賞味期限切れなのだとは考えたくないのである。それでは他の曲ならコンサートホールに相応しいかといえば、私には到底そうは思えない。私にとっては マーラーの音楽はどの作品も、それが紛れもなくコンサートホールで演奏されるように作曲されているにも関わらず、コンサートホールで聴くことが 非常に困難なものになってしまっているのだ。

一体どこにその困難さがあるのだろうと色々と条件を列挙したり、代替案を考えてみたりしてみれば、おおよそ以下のようになる。今日、マーラーの 音楽を聴くための代替手段としてもっともありふれているのは、(1)CDなどの媒体に録音されたものを聴くことだろう。それ以外にも(2)楽譜を読むこと、 (3)ピアノ連弾などに編曲された形態を演奏することも考えられるし、(4)記憶にたよって頭の中で鳴らすことや、(5)自分が奏者としてあるバートを担当する、 あるいは(6)指揮をするというやり方で、演奏者として聴くというのも可能性としてはあるだろうが。コンサートホールで聴くのも、例えば(7)聴き手が自分一人の 場合も可能性としてなら考えられるだろう。もう一つ、純粋な可能性としてなら考えられるのが、(8)マーラーが今日の日本に生きていて彼と一緒に聞く場合もある。 マーラーは指揮者だったから、(9)自作自演を聴くというのもありえるだろう。ここで重要なのは、自分が100年前のウィーンに住んでいるという可能性の 方は考えないことである。ただし、ヴァリアントとして(10)今日、かつてマーラーが生きていた、例えばウィーンでコンサートを聴くのはどうかというのは含めても 良いかも知れない。100年前に自分を置くのは原理的に不可能だが、空間の移動は可能性としてはありえる。マーラーが今日の日本に生きている というのは原理的に不可能に見えるが、これはマーラーが日本人で同時代の作曲家であるとすればいいのだ。要するに、そのような音楽が今日の日本で 書かれて、同時代の音楽として聴く可能性で、人間の方もマーラーみたいな誰かが、マーラーのような音楽を書いたと思えばよい。

(1)(2)(3)(4)は実際にそうしているか、それに近い受容を実際にしているから問題ないのははっきりしている。(5)(6)は経験がないので何ともいえないが、 恐らくこの場合には全く違った展望になるだろうと思われる。(7)(10)はいずれも恐らくだめだろうと思う。(10)は日本で聴くのとは全く異なる経験であろうとは 思うけれど、所詮は自分の檻からは逃れられない。最後の他者として自分が残ってしまって持て余すことになると思う。(7)の方は、指揮者・演奏者の 他者性・複数性が気になってしまってだめだろうと思う。(8)(9)はもともと突飛な想定なので想像に限度があるが、恐らくは困難だと思う。言い換えれば、 今日の日本でマーラーのような気質と問題意識を持った人間が作品を書けば、全く異なった素材を用いた、全く異なった音楽にならざるを得ないのではないかと 思えるということだ。マーラーの音楽は、結局のところ過去の異郷の音楽でしかない。今、ここでの作品としては最早不可能なものなのだと思う。

どうしてこういうことになるのか。一つ考えられるが、私がマーラーを受容してきたのがそもそもコンサートでの実演の聴取を通してではなく、レコードやCD、 あるいは放送といった媒体を介してであったということがあるだろう。ただしクルト・ブラウコップフのような音楽社会学者の主張とは些か異なって、 そうすることによって、マーラーの音楽が自分の「内側」で響くようになってしまった、というのが大きく寄与していると思う。楽譜を読んだり、キーボードで 弾いたりという享受の仕方は、クルト・ブラウコップフの議論では寧ろ、LPレコード以前のかつての受容の方法として対立するのだが、ここではそうではなくて、 寧ろレコードやCDでの聴取の側に属してコンサートホールでの聴取と対立し、公共性に対して私性を強化する機能をしているのである。私がレコードや CDの蒐集に熱心でなく、聴き比べのようなものに関心がないのも、それが第一義的には「内側」で響く音楽を確認する機能を担っているからなのだろう。 従って、どんな演奏でもいいわけではなく、嗜好のようなものは存在する一方で、音質や臨場感にはあまり頓着しないのだろう。一方でいわゆる決定盤主義に ならないのは、個別の演奏にある様々な制約が、「内側」の響きと一致しないためだろう。もしそうだとすると(5)や(6)、特に(6)については、その能力と機会が あったと仮定すれば恐らく取り組んだであろうが、それでも或る種の究極の演奏といった考え方には馴染めない。結局のところ「内側」の響き自体が動いていく ものだということと、実演では様々な現実的な条件への対応が必要で、だから演奏は毎回異なって当然だし、そうであるべきだと考えているからだ。

「内側」の響きといい、私性といい、取りようによっては非常に傲慢で独善的な聴き方をしているのではないかという批判は当然あるべきで、自分の聴き方の 価値について擁護しようとは思わない。あくまでも事実として、私はマーラーをそのように聴いてきたし、今でもそうだということに過ぎない。マーラーはこのように 聴かなくてはならないなどということはなくて、言いうるのは、マーラーはこのように聴かれる場合があり得るという例示に限られる。寧ろ、様々な制約で、 かくも不幸な聴き方しかできなくなった症例として掲げるべきなのかも知れない。何しろ、マーラーの音楽は、結局のところコンサートホールのための音楽なのだから、 非本来的といえば、非本来的な聴取であることは否定しようがないのだから。

あえて言えば、マーラーの音楽に内在するメタ音楽的な契機、既存の枠組みを 相対化し、いわば「括弧」入れして「上演する」やり方、更にはパロディーやイロニーを可能にする自分自身に対する距離の存在、自己参照性、複数の声の 共存、複数のレベルの併置、要するにマーラーの音楽を「意識の音楽」たらしめている特性を考えれば、今やそれをコンサートで単純に聴くのではなく、 コンサートホールでの演奏の記録を聴くこと、コンサートホールでの演奏という状況の「括弧入れ」を行うための媒体として「録楽」を考えること、いわば メタシアターとして「録楽」による聴取を考えることはマーラーの場合には、その音楽の実質に適っているという主張は可能ではなかろうか。マーラーにあっては 既存の様式は「幽霊」としてしか存在しえない。そこには意図されたアナクロニスムが存在するのだ。であってみれば、マーラーの音楽そのものを今度は 「幽霊」として受容すること、もはや不可能なものとして、過ぎ去ったものとして聴くことはあながち不当なこととは言えまい。

アドルノがカフカの「審判」の末尾を引用して述べるように、マーラーの音楽が誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだとしたら? ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような人間にとってまさに己を代弁するような音楽、「極めて反抗的に」と指示された音楽は真理が 幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。マンデリシュタムが、あるいはマンデリシュタムを引用したツェランが詩について 述べたのと同じように、マーラーの音楽もまた、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信ではなかろうか。 航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉は、 だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に拾い上げられて読まれることはないのだろうか。 マンデリシュタムはやはり「対話者について」において、そうした手紙を読むことが自分の権利であると言っている。壜を見つけたものこそが手紙の名宛人なのだと。 だとしたら、楽譜がそうであるように、演奏を記録した銀色の円盤もまた、そうした投壜通信たるマーラーの音楽にこそ相応しい媒体ではなかろうか。

結局のところ、100年も前の異国の音楽を、それに相応しく聴くことが私にはとうとうできそうにない。それならいっそのこと聴くのをやめてしまえばよさそうなもので、 実際、一時期そのようにしようと試み、数年間マーラーを聴かないで過したこともあった。だが、今、ここで、限られた能力しかない自分に残された時間で何を するかを考えたとき、今、ここで創造される音楽を除いてしまえば、自分の「内側」で響いているマーラーの音楽以外に聴き続けるものはない。そう、自分の「内側」で 響いているそれは、寧ろ端的に自分の一部というべきで、外から聴こえてくる音楽、外で他者が鳴らす音楽とは異なるものなのである。もっとも、その境界は連続的で あって、もともとは外で響いていた筈だし、今でもそれは、いわば自分の中の他者、異物としての他性を喪ってはいないし、寧ろ、その他性ゆえに、「私」という システムの中で機能しているのだと考えているのだが。それは丁度、今、ここで創造される音楽が、私自身が作曲するのではない以上、問題意識の共有と、 世界の捉え方、感じ方、認識の様態に対する共感はあっても、はっきりとした他性を備えた、他者からの呼び掛けであるのと呼応しているのだろう。

もしそうだとしたら、もう一度私がコンサートホールでマーラーの音楽を聴く契機は、マーラー自身が最早「幽霊」でしかない以上、演奏者に対するコミットメントに しかないのかも知れない。娯楽として、趣味として、お客さんとして音楽を聴くのではなく、仮に自分は演奏しなくても、演奏者の隣で音楽に接することによって、 私の隣に、今、ここにいる他者である演奏者の奏でる響きと私の「内側」の響きとの間に相互作用が生じる以外に「内側」の響きを公共性の場にもたらすことは困難であるように 思われる。そしてそれもまた、今、ここで創造される音楽が、私の隣に、今、ここにいる他者である作曲者と私との間の相互作用(ただし、一般には能力の多寡に 応じて収支はバランスを大きく欠いている。常に与えられるものの方が、返すことができるものよりも遥かに大きいのだが)によって、場を形づくることができるのに 対応しているのだろう。そうでなければ「幽霊」たるマーラーには、解読を強いる謎が鏤められた暗号文字で綴られた投壜通信である「楽譜」や、その場にいない他者の 痕跡である「録楽」こそが相応しいように私には感じられてならない。そしてそこに読み出すのは痕跡そのものではなく、痕跡が指し示す何か、歴史的・地理的・文化的 隔たりを超えて、解読すべき何かなのだ。そしてそれこそがマーラーが作品を書かずにはいられなかった(伝達したかった、ではない)何かであるに違いない。 いつもこうした状況が成立するわけではないけれど、ことマーラーの場合にはそうなのだと思う。それがマーラーの音楽の持つ力の源泉なのだ。

(2010.1.11初稿, 1.14加筆, 2025.1.22 改題の上、再公開)

2025年1月20日月曜日

マーラーの音楽が喚起する「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)(2025.1.20 再公開)

音楽を聴くとき、「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)が頭の中に思い浮かぶことがある。それはその音楽が風景を描写した標題音楽であるか否かとは関係がないし、「想像上の」(イマジナリー)と書いたように、自分の知っている具体的な場所の記憶との連想でもない。もっと言えば、それは具体的な細部を欠いていて、実質を突き詰めていけば、音楽が惹き起こす幾つかのモーダルな質の複合に過ぎないのかも知れない場合もあるし、もう少し具体的な地形、季節、天候、時間帯といったものを備えていることもある。とりわけマーラーの交響曲のように叙事的な広がりを備えた音楽の場合、音楽の経過に応じて風景の上でも時間が流れ、変化が生じることになる。それは静的な絵画ではなく、風景の中を逍遥する経験の記録の如きものなのだ。

歌詞を備えた音楽であれば、その歌詞の内容がそうした風景の中に映り込むことはほとんど避け難く、だけれども歌詞自体が喚起する風景もまた、ほとんどの場合そうであるように、具体的な地名を欠いていれば、「想像上の」(イマジナリー)風景であるには違いない。

一方で音楽外的な知識によって、作品が特定の地名と結びつくようなこともある。私が現実には訪れたことのないザルツカンマーグートの山塊(もっとも今日なら写真や映像で仮想的に見ることは幾らでもできるのだが)は、マーラーが見たことのない極東の風景と鏡像的な関係にあって、だから私はマーラーがワルターに語った言葉を文字通りに受け止め、現実のザルツカンマーグートではなく、第3交響曲の作品が内包している世界のヴァーチャルな山をこそ見るべきだし、「大地の歌」に極東の風景(それが中国なら、訪れたことがないという点では私にとってはマーラーが作曲をした場所と変わるところはないのだが)を見るのではなく、まさに音楽が描き出す、現実の何処でもない仮想の風景を見るべきなのだろう。

とはいうものの、風景が具体的なものである場合、例えば川が流れている場合、自分が現実に見た川そのものではなくても、それが抽象され、変形されたものによって「想像上の」(イマジナリー)風景が形成されることもまた、避け難い。川面に映る月、空を仰ぐと銀色の小舟のように漂う月もまた、所詮は同じ月を見ているのではあっても、ある日ある刻にある場所で見た月の印象の重畳が、音楽と歌詞とか呼び起こす風景の素材となっているはずである。そしてその風景は、変形されてはいても、或る日現実に出会う可能性がないともいえない現実性を帯びたものである場合もあるだろうし、或る種の幻視に近い、現実との接点が希薄な、生々しくはあっても抽象的な心的空間における像であることもあるだろう。

では同じ音楽を繰り返し聴くことによって、いつも同じ風景に辿り着くものだろうか?同じ演奏の録音であれば、恐らくそれはYesだろう。最初は共感覚的な基盤によって生じたそれは、少しずつ連想に近いものになっていき、細部が明確になったり、別の視野がひらけたりはしても、その風景は矛盾なく一貫したものであるだろう。だが同じ作品の異なる演奏の場合はどうだろうか。この場合には、同じ風景の少し異なる時間、異なる年の、異なる日の表情の違いに似た場合もあるだろうし、異なる風景が浮かぶこともあるだろう。

音楽が呼び起こすこうした「想像上の」(イマジナリー)風景が明確であればあるほど、同じ音楽が或る具体的な映像との組合せで提示されるような場合に当惑を惹き起こすことになる。拒絶反応とまではいかなくても、何か居心地の悪い感覚に囚われることは避け難い。

こうした風景は、実演を通して作品に接する頻度が低く、録音媒体による反復聴取が聴体験のほとんどを形成しているが故のものかも知れない。音が産み出される現場に居合わせることなく、まるで異なる時空から届くかのように音を受け止める聴き方が、その音が響いている異なる時空の風景を浮かび上がらせているという側面は否定し難いだろう。コンサートホールで、奏者が音を産み出す現場を目の当たりにしつつ、それとは異なる時空を目前にあるかの如くに思い浮かべるのは決して容易ではない。勿論コンサートホールであっても、眼を閉じてしまえばそれは可能かも知れないし、録音を聴く場合でも(幾つかの記念碑的な実況録音ではしばしば起きることだが)、演奏が行われている場の雰囲気の濃密さに風景の方が後景に退くこともあるだろう。だが、ではそれが録音再生テクノロジーの産物であり、作品自体とは無縁のものであるかと言えば、決してそんなことはない。少なくとも或る種の音楽は、それ自体が確実に、そうした風景を呼び起こす力を、私に対しては備えているということができる。

久しぶりにある作品を聴く行為は、私的で内面的な「想像上の」(イマジナリー)風景の空間における「帰郷」に近いものになる。見慣れた風景、あるべきところあるべきものが存在する或る種の確からしさの感覚。それはだが、懐旧の故郷などではない。その風景は、もともと私がその中に埋め込まれていた風景ではなく、それはもともと私の風景ではなかったところのもの、自らが迎え入れ、そこに自らを埋め込むことを選択した風景、そこに己の希望を托した未来としての風景、北村透谷の意味での「幻境」なのだ。

その風景は儚いものであり、それ自体遺しておかなければ喪われてしまう性格を帯びたもの、しかもそれは音楽が鳴り響く瞬間の、しかも音響が響く空間にではなく、それを聴取する私の裡にしかないものではあるけれど、人が生きるための糧を得る場所、そこに希望を見出しうる場所というのは、常にそういう性質のもの、「想像的」(イマジナリー)でしかありえないものではなかっただろうか?「私」の住処という点において、リアリティとヴァーチャリティの位相は逆転する。もっとも「私」というのがそもそもヴァーチャルな存在であり、それは構造的にはごく当たり前のことなのだろうが。

その風景は向こう岸を垣間見たものであったろうか。確実なことはその風景が、ある署名を備えた音楽作品によって喚び起こされるものであって、決して孤立した主観の中での幻想などではないということだ。勿論、現実の風景であってもそうであるように、各人の展望に応じて、そこに見出すものには差異があるだろう。けれどもそれは一旦作品としていわばデジタル化、量子化され、アーカイブされることによって、一つの世界を閉じ込めたものになる。どこか別の時と場所においても、私のような子供が或る日、流れ着いた壜を拾い、それを開けて、同じ風景に眺め入ることだろう。その時、風景は同時的ではなく、通常の意味合いでのコミュニケーションは成立せず、幽霊的なものでしかなくとも、なお共同主観的なものであり、受け取り手はそのことを(私がそうであるように)知っている。

表面的には絶望と厭世に彩られ、この世からの告別である音楽は、だが、トラウマを抱えているが故に、それ自体を語ることができず、己の苦しみを他の界面に投影することでようやく自己を維持しえている人間、そのようなかたちで語る以外の言葉を奪われ、それでもなお己の住まう岸から、誰かに届くことを願って壜に言葉を詰めて投じる他に、生き延びる術もなき人間にとっては、それ自体が「希望」に他ならない。「私はこの世で幸運に恵まれなかった」という呟きを我がものとする人間は、どこにもない、音楽が鳴り響く瞬間にしか存続しないかも知れない「永遠の大地」(何たる矛盾か!)を己れの「希望」の故郷とするのだ。

それは現実には最早ない「希望」ではあるけれど、丁度、作品の提示する風景の中に自らを置く瞬間だけ、想像の上でであれ、己を其処に託すことができる「希望」なのであり、それは貧しい心の持ち主が、己の一生を全うすべく、己にとっては何らの「希望」なき現実を歩むための糧なのである。聴き始めてから35年以上の歳月を経て、再び聴く「大地の歌」という作品は、少なくとも私にとっては、かつての子供であった私にとってそうであったように、だが、その後の世の成り行きに抗いようもなく翻弄され、今なおしばらくの間はその中で生き続けなくてはならない私にとってはより一層切実に、そうした「希望」に他ならないのだ。その風景の中に立つことが、ささやかなものであっても 或る価値へのコミットメントであり、そうすることを通じて私もまた、世の成り行きの勝者達にとっては存在しない風景の住人、幽霊(レヴェルゲ)達の行進に加わるのである。そして私は小声で証言する。「確かに私はその音楽を聴き、その風景を見た」、と。仮令客観的にはデブリの如きものであったとしても、証言することによって私は辛うじて、私自身をも超えて生き延びる。現実の私は沈黙を保ったとしても、「想像上の」(イマジナリー)風景に住む私が語り、私を離れた言葉が、私をではなく、私が見たもの、体験した出来事を、「想像上の」(イマジナリー)風景の中を通って漂流を続ける。私にはそれを見届けることができないことが、ここでは最大の慰めとなる。

(2014.11.02,  2025.1.20 改題の上、再公開)