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2013年4月23日火曜日

音楽を一人きりで聴くこと:マーラーの場合

アンソニー・ストー「音楽する精神」(原題:"Music and the Mind", 1992)には、「音楽を一人きりで聴くこと」と 題された章がある。音楽を一人きりで聴くというのは、音楽の聴取の側面における様態を問題にしているのであって、 なかんずく対比されているのは、音楽を誰か「とともに」聴くことであろう。後者の様態の例としてすぐに思い浮かぶのは 例えばコンサートホールにおける聴取だろう。今日の一般的なコンサートのあり方においては、自分の住まいからは 離れた場所にある専用のコンサートホールで、決められた日時に、決められた演奏者が決められた曲目を演奏するのを、 複数の人間がその場を訪れて聴くことになっている。理由はさておき事実として演奏会場では、その演奏会を聴くという 目的を同じくすること以外にはほとんどの場合接点のない、見ず知らずの数多くの人間とともに演奏を聴くことになるわけだ。 予め定められた(プログラムされた)曲目・演奏家の演奏を同時に不特定多数が同じ場所で聴くという点で、複数の 意識の時間的・空間的な同期が生じているわけである。移動するための公共輸送機関の利用といった間接的な側面は 無視できないかも知れないし、演奏会場を支える電気や上下水道といったインフラの存在を閑却することもできないが、 聴取の現場では、アコースティックな楽器の発する音響を直接自分の耳で聴くという昔ながらの状況が辛うじて 保持されているとは言いうるだろう。

一方で、例えばラジオ放送を介して音楽を聴くときはどうだろうか。予め定められた(プログラムされた)曲目・演奏家 の演奏を同時に不特定多数が聴く点までは同じだが、「同じ場所で」という側面が脱落していることがわかる。更に演奏が録音された 記録媒体の再生装置による再生によって音楽を聴く場合は、「同時に」という側面すら脱落してしまう。と同時に、演奏が、 翻って演奏の聴取が備えていたはずの「1回性」という特性すら失われてしまう。勿論聴取そのものは都度異なったもので ありうるだろうが、「再生」される音楽は「同じもの」の「再生」であり、同一のプログラムを何度か演奏するのに立ち会うのとは 根本的に異なった事態が生じていることは否めない。

音楽を一人きりで聴くことの方を考えてみると、厳密には誰かの生演奏の聴き手が私一人であるといったケースを考えれば、 メディアの介在なしには絶対に成立しえない訳ではないように見える。だがしかし、ストーの言う音楽を一人きりで聴くことには、 演奏者が場所と時間を同じくしないという条件が含意されているのである。人は音楽を一人きりで聴くとき、そこには 再生装置こそあれ、他者は不在なのである。更に言えば再生装置というのは、演奏家のような存在とは異なって、いわば その存在の対象的性格が希薄な存在、ハイデガーの道具的存在であり、更には或る種の透明性を帯びているのは メディア(媒体)という規定が端的に示すとおりである。人は自分の目前に演奏者(達)を想像することができるだろうが、 それはメディアが生み出す虚像に過ぎない。そしてその行き着く果ては、演奏者(達)も消えてしまい、端的にそこに音が 鳴り響いている場に一人で立ち会っている、という構図であり、恐らくはストーが言い当てたかった事態もまた、この 最後のケースであろうと思われる。それは従って、メディアによって可能になった聴取であり、メディアなしでは成立しえない タイプの聴取のあり方なのだ。

このとき「音楽を一人きりで聴く」私は、端的に「音楽」に対面することになる、と言えるだろう。勿論人はそれを誰が演奏したかを知っている。同じ演奏を何度も繰り返し聞くことや、いろいろな演奏を何度でも聞き比べることが できることによって、一度きりの演奏に立ち会うことでは困難な演奏解釈についての反省的な把握というのも、 メディアの介在によって可能になった聴取のあり方の一つであろう。他方で人は、誰が演奏したかを知らずにある作品に 端的に接することも可能だし、演奏者を意識することなく作品そのものを聴くといった姿勢をとることが少なくとも 可能にはなっている。あたかも作曲家との「個人的な」対話が成り立っているかの如き感覚に捉われることも不可能では なかろう。音楽がある種の情動を伴いつつ、具体的な風景や光の調子、空気感や色彩感といったものを聴き手に伝達する ものであるとするならば、「音楽を一人きりで聴く」時、聴き手は寧ろ端的にそうした音楽が浮かび上がらせる想像上の 風景の中に居るのであって、決してコンサートホールに居るのではない。逆にコンサートホールでの聴取においても コンサートホールに居ることをしばし忘れて音楽に聴き入り、音楽が描き出す想像上の空間の中に身を置くような 聴き方だって可能であろう。だがその時、演奏者とのコミュニケーションはどうなるのであろうか。そもそも音楽に没入し、 演奏者をいわば「消去」してしまった聴き手は演奏が終わった後、拍手をするだろうか。

コンサートホールに おける際立って感動的な経験は、演奏者と聴き手との間の或る種の交感による一体感がもたらすものだ。 コンサートホールでの聴取は実際には単なる聴覚に限定された経験ではない。演奏を視るという視覚的な 側面も重要だし、演奏者が演奏する楽器から直接伝わる空気の振動を感じ取るといった側面も際立って 強い作用を聴き手にもたらすだろう。 他方において今日のコンサートホールでの演奏においてすら、演奏は超越的な何物かに対する奉納でありえるし、 聴き手も含めての礼拝たりうる。勿論、代替物は他にも幾らでもあるし、そうした集合的な熱狂、共同体的な 一体性の経験が危険と隣り合わせであることもまた確かなのだが。ましてやマーラーの場合には、 そうしたことが作曲者の企図でもあったらしい第8交響曲以外の作品においても、演奏の場は孤独ではありえない。 指揮者の存在はあるが、オーケストラは集団的なものであり、ピアノ・ソロのリサイタルのような個人の 声に満場の聴衆が聞き入るといった事態からも程遠い。

コンサートホールで指揮を「視る」とき、解釈している指揮者が現前していて、 解釈が提示されているのであって、作曲者が現前している のではない。あたかもマーラー自身が語っているかのように、あたかもマーラーの声を聴くかの ように、あたかもそこでマーラー(の幽霊)と対話するかのように音楽を聴こうとするとき、 人は、自ら奏者になるか、あるいは演奏という媒介を括弧入れする操作をしなくてはならない。 前者の場合には、楽譜が作曲者の代補となり、後者の場合には録音技術による演奏を記録 した物理的媒体、即ちレコードやCDといったもの、本来は演奏の代補であるはずのものが、 或る種のショートカットによってあたかも作曲者の代補であるかのような思いなしが可能となる。

いずれにせよ確実なことは、投壜通信の媒体としての楽譜・レコード・CD等を介して、一人で自宅で マーラーの作品を聴くような聴取の在り方は、恐らくはマーラーの同時代には想像もつかない、想定外の ものであっただろうということだ。好きなときに、好きなだけ、何度でも聴くことが可能で、実演の経験では 到底不可能な様々な解釈の比較も可能だ。じきに音楽を楽譜もなしに思い浮かべることも可能になるだろう。 そして不完全で薄れがちな記憶の頼りなさは、何度でも繰り返し再生可能な記録媒体によって都度修復し、 記憶の中に「作品そのもの」を構成することをさえ可能にするかに見える。マーラーの音楽はLPレコードの普及の 恩恵を最も受けた代表的な存在であるという言われ方が何度となくされてきたが、マーラーの音楽のような長大で 複雑な作品の場合、場所を選ばずに何度も聴けること、場合によっては自分が聴きたい部分のみの部分的な 聴取すら可能にすることだけでも、その作品の受容にとっての寄与は大きなものであっただろう。

あたかも 演奏の個別性・恣意性をフィルターして、「作品そのもの」に辿り着けるかの如き錯覚が生じ、ことマーラーの場合なら、 マーラー自身(の幽霊)と直接対話しているかの如き錯覚が生じるのだが、例えばそれはスコア・リーディングによって 音楽を構成していく作業でも生じうるという点で、同じくスティグレールの第三次過去把持の水準にあるもので ありながら、仮構の具体的な在り方は異なって、鳴り響くであろう音を自ら想像するのではなく、 既にその場に響く音を受容するという仕方でまず大きく異なる。そこでは端的に音楽が「彼方」から私を 目がけて到来する。コンサートの経験というイヴェントにおいて演奏という媒介の働きを共時的に体験するのと 異なった、無媒介な音楽自体との遭遇が可能であるかの如き錯覚が成立する。CD等の記憶媒体を介しつつ、 こうして記憶され内面化されるうちに媒体の外部性は忘却され、恰も音楽が自分の内側で鳴り響き、 自分の奥底から響いてくるようになっていく。勿論、マーラーの音楽が鳴り響く仮想の空間の広がりは確保 されるのだが、それは現実の空間ではない、内面に穿たれた想像上の可能世界の中に響きわたることで実際には 仮想的なものであれ、空間そのものを構成するのである。これはマーラー自身の言った「一つの世界を構築すること」の実現ではないのか? 一匹の生物のちっぽけな脳の中での出来事、それ自体は個体の死によって無に帰してしまう、世代を超えて継承されることないエフェメールな出来事に 過ぎず、世代を超えた連続性は、実はそれを事前に可能にしていたCDや楽譜といった媒体によって 保証されているのだが、マーラーの音楽が頭の中に鳴り響く瞬間、そこにはその生物の生涯の持続を超えた 時間的な広がりが可能となり、物理的な制約を超えた空間的な広がりの展望とその中での自由な時空間の (仮想的な想像上の)移動が可能になるのだ。

その一方で、そうした「私的」な聴取とまさに呼応するかのように、「私的」な交響曲という逆説が存在する。 古典派までの交響曲は明らかにそうではなかったし、時代を下って例えばソヴィエトで生きたショスタコーヴィチの 場合もまた、別の意味合いで交響曲には公的な性格がいわば強制されたのだが、マーラーのそれについて言えば、 交響曲という形態が、例えばコンチェルトのような「パフォーマンス性」を持たず、歌劇やバレエのための音楽のように 音楽外的なものと関連するわけでもなく、宗教音楽のような儀礼のための機会音楽でもないというその抽象性によって、 作曲家の最も私的な領域に通じ、いわば個人としての作曲者にとって自由に筆を揮うことのできるキャンバスの ようなものであることが、聴き手の側の聴取の「私性」と呼応しているかのようだ。協奏曲や室内楽が、歌曲や場合によっては 歌劇すらも、特定の奏者が演奏することを想定して作曲されることがしばしばあるのに対し、ロマン派の交響曲の作曲は 無益な営みといった趣があり、それがゆえに生前は第一義的には有名な指揮者、楽長であったマーラーの場合であれば、 歌劇場監督の余技の類、道楽だと揶揄されもすることに繋がる。その一方で、その作品はバロックや古典期の作品が そうであったように、或いは今日なおそうした目的で大量の作品が生産され、消費されているのだが、大量に生産し、 一度だけ消費されれば使い捨て、といった消費のされ方を自ら拒絶する志向を備えているに違いない。勿論、繰り返し 演奏されるか、とりわけても作曲者の没後に繰り返し演奏され、録音され、レパートリーとして、あるいはカタログの上に 定着して残っていくのは莫大な作品の中のほんの一部に過ぎないのだが、マーラーの音楽が、そうなることを期待して 作曲され、そして実際に未来に生き延びたことは確かなことだろう。

そもそもマーラーの交響曲は「私的」な心境の表白ではなく、マーラー自身が言ったように一つの世界を構築することであり、 発想的にもポリフォニックな傾向を本質的に備えているとはいえ、その作品の世界に聴き手があたかも一人で歩み入り、 その世界を自己のものとすること、言い換えればその世界に触発されて一つの主体として生成することを可能にするかのようだ。 「音楽を一人きりで聴く」のはだからマーラーのケースに限って言えば、その作品そのものがそうした聴取を要請するとまでは 言えなくても、少なくとも許容するような契機を孕んでいるからであるといえるかも知れない。それを誇大妄想的な巨大な独白と 見做さずとも、その音楽の持つ時間性は、マーラーの時代の、更にはマーラー以後、21世紀の現在に至るまでの主体の、 意識の在り方のあるタイプのそれそのものと言って良く、まさに楽譜の形で、あるいは録音媒体を通じて記録されたマーラーの 作品を受容することによって、文字通りに人は或る仕方で存在するように自己を形成するのである。従って音楽を聴くことは 主体の行為というよりは、それを通じて主体が形成される過程であり、どのように形成されるかについてプログラムされた回路の 作動であるというべきなのだ。

勿論、マーラーの音楽が聴かれなくなる未来というのを想定することはできるだろう。否、同じ時代に生きていながら、 マーラーの音楽とは無関係に生きている人間の方が圧倒的に多いことを考えれば、マーラーの音楽が聴かれる場というのは、 常に既に極めて限定されたものであったし、今でもそうだし、恐らく将来もそうであるに違いない。ジュリアン・ジェインズの二院制の心に おける意識の考古学が告げるように、マーラーの音楽は、過去のある時期より遡っては存在しえなかっただろうし、未来のある時点、 ポスト・ヒューマンの時代には、マーラーの音楽は既に絶えて久しい、かつて「人間」と自己規定した存在の在り方を証言する 考古学的な遺物となる可能性だってあるだろう。だがその時には、そもそも音楽自体が今のままではありえないのではなかろうか。 例えば三輪眞弘さんが「感情礼賛」で仮構したような事態を思い浮かべてみれば良い。そこでは「音楽を一人きりで聴く」という こと自体が最早不可能であるに違いないのだ。そしてその時は、同時にマーラーの音楽は最早如何なる意味においても 「未来」とは関わりのない、化石のような記録に過ぎないものとなるだろう。 (2013.4.23,27,28)

2013年3月3日日曜日

『狂気の西洋音楽史』におけるマーラーに関する言及について

椎名亮輔さんの『狂気の西洋音楽史』(岩波書店, 2010)の第4章「「シュレーバーの音楽」の 始まりと終り」の中ではマーラーはその「終わり」に位置づけられるものとして取り上げられている。 「ニ-1.伝達不全の狂気-マーラー」と題された節がそれにあたる。

椎名亮輔さんについてはフランスで書かれた博士論文の翻訳であるらしい 『音楽的時間の変容』(現代思潮新社, 2005)を過去に読んだことがあり、 音楽的時間に関する考え方のごく基本的な立場については共感できる ものの、具体的な内容については私にとっては疑問だらけで、特にそこにおけるマーラーのような 音楽の時間と、例えばケージに代表される音楽における時間の性格づけと対比について、 強い違和感を感じたことを思い出す。

『狂気の西洋音楽史』は中沢新一さんの慫慂で書かれたとのことであり、ナイマンの実験音楽に ついての著作の翻訳者でもあり、だとすれば私が持続的な関心を抱いていて、かつその関心の あり方を記録にとどめることにしているほぼ唯一の同時代の試みである三輪眞弘さんの 問題意識と決して無縁なわけでもない。

『狂気の西洋音楽史』という本は2010年11月に出ていたようだが、2012年の7月くらいまで それに気付かなかった。そしてその後未曾有の震災を経験し、それから1年余りが経過した、 すっかり風景が変わった世界の中でそれを紐解いたということが与っている可能性もあるが、 一通り読んで、前回同様の強い違和感を感じずにいられなかったのみならず、震災後の 風景の中でマーラーその人とその音楽が自分の周囲の風景の中に占める位置に照らしたときに、 その違和感の在り処をつきとめ、ささやかな異議申し立てをしたい気持ちを抑えることができなくなっている。 今度はマーラーが主題的に扱われていることもあり、その扱い方もさることながら、 その議論の組み立てについても、違和感の連続だったのである。

残念ながら専門の学者でもない人間が、学術的な研究に対してきちんとした 批判を企てるのは、能力的にも無理だし、また時間の余裕がないまま今日に至っている。 そもそも椎名さんの主張の妥当性や学術的な意義についての判断は私の如き市井の 音楽愛好家の能くするところではないので控えるべきなのであろうが、 それでもなお、ことマーラーに関する限り、私にとってはどうでもいいことではないのは確かなことで、 能力と時間の不足で、きちんとした反論が出来ないことを遺憾とする。そしてその上でなお、 それが異議申し立ての体をなさないとしても、違和感を感じたことをこのように証言せずには いられないのである。

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まず、『音楽的時間の変容』における違和感について触れておきたい。というのも、そこでの 時間論的分析は椎名さん自身も後書きで述べているように、今回の著作におけるマーラーに 対するアプローチと無縁ではなく、前著ではマーラーが名指しされることはないとはいえ、 マーラーを含む音楽、つまり今回の著作では「シュレーバーの音楽」として括られている音楽の 持つ時間性が問題となっているからである。

実はマーラーの音楽の時間性を扱った分析に関する違和感は椎名さんのそれに対してだけではない。 David Greeneというアメリカの音楽学者(彼は宗教哲学の素養があるようだが)が書いたマーラーについてのモノグラフ (こちらは管見では邦訳は存在しないが、そのかわりベートーヴェンについて、同様のアプローチをしたモノグラフの 翻訳があるようだ)についてもそうなのだが、私には、それらがいわば「哲学」の濫用に感じられる。

私は実験音楽のラディカルさに共感する部分も多いし、 そこで得られたものを否定するつもりはないけれど、椎名さんの実験音楽の時間性の把握と それを賞揚する論理は、私には理解できない部分が多々ある。文献の参照も豊富であり、 大筋の論理は寧ろ明快というべきなのだろうが、論理の一貫性の問題というよりは、 具体的な音楽の、ここでは「時間性」を扱う手つきのデリカシーの無さのようなものが気になるの かも知れない。

色々な時間論が参照されるけれど、(一応、哲学の専門教育を受け、特にエマニュエル・レヴィナスを中心とした 現象学、およびホワイトヘッドのプロセス哲学における時間論については自分の研究領域としていた こともある私の認識では)それらについての理解もひどく図式的だし、何より「音楽的時間」を分析することが、 寧ろそれらの時間論の肌理の粗さを示すことにすらなりえる筈なのに、逆にそうした肌理の粗い図式的な理解で 「音楽的時間」を整理するのは対象となる音楽を分析のベッドの長さに合わせて切断する暴力を伴っているように 感じられる。勿論それは理論的分析にはついてまわるものであるから、所詮は程度の問題であり、 私がないものねだりをしているのかも知れないが、私にとっては決定的な何かが、この分析には 欠けているという焦燥感にも似た感覚に囚われるのは避けがたい。

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Greeneの主張とは異なって、マーラーの音楽は、何も未聞の宗教的経験の音楽化などではない。確かに音楽の持つ時間の構造は独特だが、 それはマーラーの場合について言えば、寧ろ現象学的な時間に近い。ただし日常生きられる時間性という意味合いで。 (例えば死の受容といったイベントも、ここではあえて「日常」の側に含める。それだけを特権化する理由がないので。) 音楽の研究者が「日常の時間」というとき、物象化された時間表象にあまりにとらわれすぎていて、現象学が見出した 領域をまるまる無視してしまっている。日常の時間「表象」と日常生きられる時間性との区別は必要で、後者は自明でない。 少なくともGreeneが頻繁に参照するSein und Zeitが持つインパクトはそれを明らかにしたことにあるのだし、その不自明性はいわゆる存在論的な構造に起因するのだから。

椎名さんの分析も同様のものに私には見える。何も現象学的還元を持ち出す必要などなく、音楽的経験の時間は日常的なそれと 異なるには違いない。だが、まずはそれは経験の素材の特殊性によるので、それ以外については、Greeneの transfiguredという性格づけが疑わしく、 その妥当性に対して慎重であるべきであるのと同様に、慎重であるべきだ。

勿論音楽が非日常的な経験への通路たりうることを否定するのではないが、それがどう可能かを説明するのに(椎名さんは真木悠介、 木村敏、九鬼そして道元などを参照している)様々な説をその相互関係に留意せずに並べることが実質的に貢献するとは思えない。 Greeneにせよ、椎名さんにせよ、「日常性」という言葉を自分の立場のオリジナリティを強調するために利用しているのでは、 という疑いを否定することは困難だ。 日常という言葉で一体どういう時間性を含意しているのか、例えばHeideggerが分析した豊かな領域は一体どういった扱いを受けるのか、 日常性の豊かさこそが音楽的経験を可能にする前提のはずなのに、ただちに特異な、特殊な経験を持ち出し、それを可能にすることが あたかも「価値」であるかの様な主張はどこか転倒している。もっとも、こうした「日常的時間」の用法は、それなりに一般的ではある。 そして計測可能な、量化された時間というのがある事自体は否定しがたい。ポイントは、それらがいわゆる本当の意味での日常的な 時間意識とはまた異なった、それなりにelaborateされた表象であることだ。それは文化依存ですらありえて、ジュリアン・ジェインズの 二院制の心の説の背景をなす仮説によれば、意識そのものの構造の可塑性・文化依存性との相関物であるかも知れないのであって、 控えめにいっても、スティグレールのいう第3次過去把持の水準に結び付けられるものなのだ。 だから、日常性を批判するなら相手が違うし、そうした表象の批判は日常性の批判にならない。

もう一つは時間性に「限定」してしまうことで、体験の質を逃してしまう危険である。 これは「時間性」を扱うといったときに用意される道具立ての貧しさに由来する。例えばGreeneの分析をとりあげれば、 一次元しかなく、しかもメトリクスすら定義されない離散的な粗雑な対立、それも2つの極を持つのではなく、ある質の有無でしかないような 装置でマーラーのような複雑な時間性を持つ音楽を分析すれば、分析図式の貧困が対象を破壊するのは避け難い。

一方で椎名さんの方は、―彼が顕揚したい実験音楽の時間性についてはおくとして―これほど複雑な構造を持っているロマン主義の音楽、 例えばマーラーの音楽の複雑さを目的論的という言葉ひとつで片付けてしまうのは、些か不当で粗暴に感じられる。意地悪な見方をすれば、 実験音楽の時間性の方が、(時として、それ自体が作者の問題意識でもあるゆえ) より単純で分析しやすく、 それについて語ることが容易であるに過ぎないのでは、という疑いを払いのけるのは難しい。「実験」は現実の複雑さを捨象した モデルを作り、理論を構築したり、検証したりするために行うのである。一方で、実験室の外の現実の現象(例えば、スーパーコンピュータを 用いても一定の精度の解析・予測しかできない気象を例をして考えてみたらよい)の複雑さは、それを理論的に記述することが遥かに 困難なものなのだ。とりわけて、ベートーヴェンの後期も含め、マーラーのような後期ロマン派の音楽は、単純な目的論的図式に収まらないことこそ、 その音楽の特徴であろうというのに、ロマン主義=目的論的で片付けるのは、まるで天気の予測を下駄投げをもってするが如き、分析する側の 無力の顕れではないのか。

実際のところどうなのかはわからない。 なぜなら椎名さんの議論は両者を具体的に分析してみせた結論ではないから(これも、実験の精神に反する、酷くアンフェアな手続ではないだろうか)。 Greeneの分析の結果の貧しさもまた同様に、マーラーの音楽そのものの時間性の貧しさではない。それらは総じて分析の手段の貧しさに過ぎない。 椎名さんの近代音楽の時間性についての議論の方はそうでないといいのだが、私はあまり納得できていない。音楽記号学が(少なくとも、私が関心を 持っているタイプの音楽に限って言えば)どうやら不毛らしいことについてはあまり異論はないのだが、では音楽的時間論の方はどうなのかといえば、 こちらもまた、私が関心を持っているタイプの音楽についてどうなのだろうか、些か腑に落ちないものがある。

近代音楽の時間性を日常的時間と切り離された閉じたものとして捉え、一方でその裏返しとして日常的時間の 貧困と無意味を指摘し、それらの両方に対峙するものとして実験音楽的な時間性を置くという図式は、今ここでマーラーという 近代音楽の典型のことを思い浮かべている私には、全く現実離れしたものに感じられる。実験音楽が切り開く時間性が、 日常の豊かさを回復させるとは、日常生活の如何なる瞬間においてなのか? 一方で、マーラーの音楽の時間性が、 ある時には「世の成り行き」の時間性であるとしたら、それは控えめに言っても、「日常的時間と切り離された閉じたもの」 ではない。寧ろ、日常の「貧困と無意味」を逃れえるとされる実験音楽の方が日常的な時間性に対して閉じていると 言えないのはどうしてなのか、、、

否、ひとがみなCageのように生きることができるのであれば、話は違うだろう。だが、一瞬だけ実験音楽を聴いて、 その場限り体験できる日常の豊かさとは何なのか?所詮は、コンサートホールで演奏され、CDに収められて 流通している点で何ら変わるところはないというのに。椎名さんご自身はCageのような生き方を実践されているかも知れないが、 残念ながら、日常的時間の貧困と無意味から逃れられない私には椎名さんが実践し、実感されているのかも知れない 実験音楽のありがたみをわかることはなさそうだ。Sein und Zeit風には、頽落したDas Mannであるところの私には無縁の話なのだろうと でも考えるほかない。まあ、今頃マーラーみたいな音楽を聴いている人間のことなど、どうでもいいのかも知れないが、だったら、その音楽論を 述べるにあたり、「実験音楽における」という制限をつけて欲しい気もする。そうすればはじめから期待せずに済むわけなのだから。 少なくとも本当の意味での「変容」の過程自体(それがあることすら自明ではないはずだが)は、例えば何らかの数理的なモデルを 示唆するようなメタファーのレベルですら説明されているようには見えない。「変容」ではない、単なる対比、「実験音楽」を賞揚するための、 反面教師としてロマン派音楽が引き合いに出されているに過ぎないようにしか見えない。

そもそも日常性を本当に問題にして、それに対する音楽の機能を考えるなら、作品の内部構造のみを問題にするのは不十分だろう。 演奏の次元は、作品に最もよりかかった部分であり、それよりはせめて創作の次元や受容の次元の議論をしなければ 片手落ちだと思うし、音楽を聴いている瞬間だけを問題にするのは、この議論の枠組みを考えれば不十分なはずだ。 (風呂敷を広げたのは椎名さんの方であって、読み手の私ではないので、読み手の私はすっかり戸惑うことになる。) 否、そもそも、こうした話をしだしたら、最後までそれは音楽の時間論であり続けることができるだろうか。率直に言って、 こうしたレベルの議論が博士論文で扱われている音楽学という分野のあり方が私には、自分の実感から乖離したものに感じられるのを 禁じることができない。

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『狂気の西洋音楽史』についても基本的な歴史的展望は変わっていないようで、ただしここでは 「シュレーバーの音楽」というラベルを貼られ、意味の病を病んでいるというように言い換えが為されているようだ。 (そもそもそれ自体がかなり怪しい)フーコーの「狂気の歴史」の考古学の音楽版といったところが 狙いのようなのだが、ここで一番気になるのは「狂気」という「記号」のいわば「濫用」ではないかと思われる。 しかも、ここで論じられているのはほとんど専ら「音楽」の外側のエピソードばかりで、肝心な「音楽」そのものの 「意味」の分析がされているとは到底思えないことは、「音楽史」の実質を私が勘違いしていなければ致命的なことと思えてならない。

例えばマーラーの場合、椎名さんはマーラーの章のタイトルを「伝達不全の狂気」とし、特に第10交響曲を取り上げる。
「《第十交響曲》が表現しようとしていた「世界」とはどのようなものであったのか、 それに彼が失敗した(最終的にこの作品は未完で残されたのだから)はなぜなのか。 次にそれをマーラーとアルマ、そしてマーラーとフロイトの関係の中に探ってみよう。」(p.203)
という文章で問いがたてられるわけだが、それに対する答えは、好意的に読めば
「(…)もちろんマーラーの交響曲はすべてが彼の全世界を表現していて、 その中に「世界の本質」としての「狂気」も含まれているが、それ以前の作品では それが強固な意思と多大な労力によってようやく「合理化」されるに至っていた。それが 《第十》については、創作の起源にあるアルマとの悲劇があまりに衝撃的であったために、 「狂気」が合理化されずに生き延びてしまった、と。つまり「狂気」が作品創作の原動力でも あり、作品を未完に終わらせた原因でもある。」(p.233)
という部分なのだろうと推測される。しかし、まず末尾の一文は「つまり」で続けられるような論理なつながりが ないように感じられる。更に、作品が未完で終わったことは、単にマーラーが(当時不治の 病であった)連鎖球菌の感染によって死んでしまったからではないかといった別の原因は 予め問いを立てる時点で排除されているらしい。また、未完で終わることが何故「世界」の表現に 「失敗した」ことになるのかも私には理解できない。椎名さんの言う「狂気」(それは「世界の本質」 らしいのだが)が具体的に何なのかもわからないし、そもそも「世界」、「本質」ということで何を 指し示しているのかすら判然としない。でも椎名さんはお構いなしにこう続けるのだ。
「すでに見たように、マーラーはそれをはっきりと言葉で残していた。「狂気が私をつかむ。 呪われたる者!」と。(...)マーラーは、絶対音楽の精髄としての「交響曲」が、 その意味を伝えるぎりぎりのところまで来ており(《第七》の意味はアルマに伝わらなかった)、 これ以上どのような努力をしてもそれを完遂することはできない、あるいはそのような努力は 「狂気」となるしかない、ということに気づいていたのである。」(p.223)
マーラーが《第十交響曲》のスケッチに残されていた言葉が《第十交響曲》の音楽の実質と どう関わるかは自明なのだろうか?椎名さんのいう成功・失敗とそもそも関係があるのだろうか? 《第七》の意味がアルマに伝わらなかったというのもまた、リハーサルでのあるエピソードの 証言が根拠になっているらしいが、(アルマが《第七》を好きでなかったかも知れないという 事実はあるにせよ)それが一般的な議論の水準での彼の「音楽」の「伝達不全」とどう関係するのか? 一方で、そもそもマーラーのスケッチの文章は、椎名さんが敷衍したように解釈できるのだろうか?

勿論、ここでは椎名さんの途中の議論を割愛しているので、その部分の内容によって、 椎名さんの結論が自然に感じられるということもありえるだろうが、私には全くそのようには 感じられない。前著同様の、予め自分が用意した恣意的な図式に対象を押し込んで、 その妥当性は抜きにして、それをもって自分の図式の実証であるとしているようにしか思えないのである。 (もしかしたら、それは自明のことであって、論証するまでもないことなのに、私がそれを理解できていない だけなのかも知れないが。)

椎名さんご自身が立てた「《第十交響曲》が表現しようとしていた「世界」とはどのようなものであったのか」という 問いに対する答えは結局のところどうなるのか?「マーラーの交響曲はすべてが彼の全世界を表現して」いるからには、 《第十交響曲》もまた、「彼の全世界」を表現しているのだろうか?「世界の本質」であるらしい「狂気」をも 表現しているのだろうか?作品創作の原動力と作品が「表現」するものの関係はどうなっているのか? アルマに伝わらなかった《第七》の「意味」はそれでは何なのか?狂気は伝達不全の結果なのか? 原因なのか?作品創作の原動力なのか?作品の成功を妨げるものなのか?作品に表現されているもの、意味なのか?

仮にもし、マーラーの音楽そのものを、ではなく、マーラーが音楽の傍らに書き残した言葉の方を殊更に重視するという 選択をするのであったとしても、それならそれで例えば、
「すでに見たように、マーラーはそれをはっきりと言葉で残していた。「狂気が私をつかむ。 呪われたる者!」と。これは、ド・ラ・グランジュの翻訳によれば、「狂気よ、私をとらえよ、生きていることを 忘れさせるように」となっている。」(p.223)
という文章は一体何が言いたいのか?内容以前の問題として、まず、引用部分の明確な不一致がある。p.197で椎名さん自らその全体を 引用しているうち、少なくとも「私を滅ぼせ、生きていることを忘れさせてくれ!」までを含まなければ、ド・ラ・グランジュの翻訳の範囲と対応しないだろうに。 また、ここであえてド・ラ・グランジュの翻訳を参照する意味も全く不明であるし、この翻訳が忠実なものではなく、 断片的なものであることを考えれば、一体、ド・ラ・グランジュの文献を参照したというアリバイ以外に、この翻訳を 引用することの意味がどこにあるのか、私には全く理解できない。もし、この翻訳が椎名さんの立論にとって殊更に 意味があるなら、それがどこにあるのかを明記すべきだし、「翻訳」という行為自体が、椎名さんの立論にとって 意味があるのなら、それについての理論的な記述があってしかるべきではないか?そんなことも言外に読み取れない 私はもう一度、読者として失格なのだろうか?いや、そうなのかも知れないが、、、

上記のような指摘は些事拘泥であり、ここでは椎名さんの提示するマクロなスキームが問題にすべきで あって、一サンプルに過ぎない個別の例の取り上げ方に噛み付くのは近視眼的だという批判があるかも 知れない。だが、「狂気の西洋音楽史」の妥当性を判断しようとするならば、サンプルの扱いこそが問題だし、 論証の手続こそが問題なのではないか。実際には、椎名さんが言いたいことは漠然とは推量できるけれども、 そしてそれが全面的に間違いだということはないかも知れなくても、「狂気の西洋音楽史」の「論証」には違和感を 感じるばかりで全く納得も共感もできない。もし主張が正しいとしても、ことマーラーの部分に限っていえば、 その「論証」の手続にはミクロのレベルにおいても到底納得がいかないのである。

更に椎名さんは、アドルノのマーラー論を敷衍しつつ、更にそこに渡辺裕さんの「マーラーと世紀末ウィーン」の 文章を織り交ぜつつ(実際、それはそのように注記されることなく為されるので、それのどこが2つの著作の いずれから引用されているのか、読み手には一見したところはわからないようになっている)、以下のように アドルノのカテゴリーを換骨奪胎することを主張する。
「マーラーの音楽とは、古典的な形式言語によって支えられていた純粋に自律的な絶対音楽の理念が もはや機能しなくなった時代に現れた、いわば遅れてきた(本文は傍点)絶対音楽なのであって、 そのような存在が「合理化の精神に支えられた近代の危機と重ね合わせて考えられ」る中から、 その「批判的」なあり方も読み取れられるのであろう。しかし、むしろ我々は、そのようなマーラーの音楽を 合理主義「批判」ではなく、その「危機」的状況、すなわち「世の成り行き」を忠実に写し取っているものと 見たいのだ。つまり、アドルノにとって「批判」的な要素として解釈された「突破」、「一時止揚」、「充足」の ような、古典的形式概念では説明がつかない、いわば「不合理」な要素も実はこの「世の成り行き」の 中に含まれるものであり、言葉を換えて言えば、「この世」はまさにそのままで「不合理」で説明がつかない ものとして表現されているということだ。(p.221)
要するに、今度は「世の成り行き」にマーラーの音楽をそっくり回収し、例えばアドルノが救い出そうとした批判的な契機には 関心がない(いや、より強く、批判的な契機の存在を認めない)かのようだ。しかもその「世の成り行き」の音楽が、「シュレーバーの音楽」であり、意味の病を病んだ挙句に、 「伝達不全」を起こしているということのようなのである。だが、まずマーラーの音楽は、全面的に「世の成り行き」の音楽で あるわけではなく、寧ろ「突破」や「一時止揚」「充足」「崩壊」というのは、そうした「世の成り行き」に対する反応を 表す類概念であった筈ではなかったか。だとしたら、要するにここでは、「世の成り行き」というヘーゲルの精神現象学に由来する、だが アドルノ独自の概念の方こそ換骨奪胎されているのかも知れない。だがこの換骨奪胎は、マーラーに関して言えば、アドルノが このモノグラフのみならず、ウィーン講演においてもあれほど拘った、その音楽の持つ契機を決定的に毀損するものであると 私には思われる。しかもマーラーの音楽の具体的な様相に照らして、アドルノの主張を斯くの如く 換骨奪胎することが如何にして可能なのかの論証は見当たらず、作品そのものではない音楽の傍らに書き残した言葉やら ある作品に対する嗜好の回想などを根拠にして、ただそのように断定されるばかりである。ここには論証は存在していない。 要するに椎名さんのテーゼを述べるための材料として利用されているだけで、それはテーゼを裏づけ、傍証するものとして取り上げられている ようには見えないのである。

私見によれば、椎名さんの主張は、「世界」という言葉の意味、更には「世の成り行き」と「主観」の関係についての把握に関して アドルノに対して不当なまでに単純化している点に問題がある。それは音楽作品を(こちらは直接にはベンヤミンの用法に由来する らしいが)「モナド」として「社会」を無意識的に「表現する」非概念的な言語であるというアドルノの規定のニュアンスを捉え損なって いる点と関連しているように見える。それは「「世の成り行き」を忠実に写し取っている」という言い方が「そのままで「不合理」で 説明がつかないものとして表現されている」という言葉で言い換えられている点に如実に顕れている。音楽には模倣的な契機が あることはアドルノも認めているが、それは単なる「反映理論」ではない。また、アドルノのマーラーに関するモノグラフにおいても、 個別には例えば第8交響曲(そう、第8交響曲であって、第10ではないし、第7でもない。第7については、その第5楽章については確かに第8交響曲とともにあげられているが、そうだとしても、第7交響曲の全体ではないのだが)に関して「攻撃者との同一化」(アドルノ, 『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, VII 崩壊と肯定, p.181)を 示唆しているような場合もあるが、だからといって「世の成り行き」を世界の本質として物象化し、それを強化することにマーラーの音楽が終始しているとは言っていない。 マーラーの音楽は「世の成り行き」を模倣しつつ、それに対して異議申し立てをしているのだという点をアドルノは強調しており、 かつその異議申し立てが失敗に終わる点にこそ批判的な機能を見出しているのだ。マーラーの音楽は勿論、合理主義「批判」ではなく、 寧ろ「不合理」なものと化した「世の成り行き」に対する抵抗の叫びなのであって、椎名さんの批判も批判の前提となる主張も、 全く的外れなものにしか見えない。そしてそれは椎名さんが持ち込みたがっている「狂気」とは差し当たり関係はない水準での 議論の筈である。

ちなみにアルマの名誉のために言っておけば、アルマにとって第10交響曲は、自分自身が惹き起こし、 彼女自身それに対して罪の意識を恐らくは感じていたであろう出来事を思い起こさせるが故に、特別な感情を惹き起こす 作品であったろうが、デリック・クックの演奏会用バージョンの作成作業を最終的に認め、それを支援してさえいる。そのきっかけは クックが試演した演奏会用バージョンの初期の形態の録音を聴いてのことであったらしい。アルマは第10交響曲を「理解」しなかった のだろうか?否、そうは思わない。自身も作曲の心得があり、マーラーの音楽を最初は嫌っていた彼女は、マーラーの伴侶と なった後も、マーラーの音楽を全面的に受け容れることはできなかったかも知れないが、少なくともその作品の価値は、 彼女にとって疑問の余地のないものであったように私には思われる。しかもアルマは自分の音楽観によってマーラーの音楽を 断罪するのを留保し、その音楽そのものを聴くことによって、その音楽にも固有の価値を見出していたのである。そうしたアルマの 姿勢は言及されることなく、第7交響曲のエピソードだけで「伝達不全」を述べ立てるのは、アルマの場合という個別のケースに 関しても、言いがかりの類としか思えない。

ごく単純に、私生活上の出来事と音楽作品を短絡させる ことには慎重であるべきだし、特に初期の作品を中心に今なお懲りずに取り上げる人がいるかの「標題」についての問題が 示しているように、作品の脇に書かれた言葉は、無視されるべきものではなく、作品を理解する文脈を否応なく形成するもので あるにしても、それのみで作品について語りうると考えるのは本末転倒以外の何物でもない。それはマーラー研究の文脈では それこそさんざん議論され尽くしてきたことの筈であるのだが。

いずれにせよ、先に引用したものが現時点での、過去の西欧音楽に起きた現実の出来事についての椎名さんの 認識であるというならそれでもいい(私には、実のところ、そうした総括にはあまり関心がない)。そして、その認識が全く誤っていると いうようには私は考えていない。寧ろ、マーラーの音楽を取り囲む状況に関して、ある部分については認識を共有した上で、 だが、椎名さんのようにマーラーの音楽と捉えるということ自体、或る種の態度決定を、(それが無意識的なものであれ、)選択を含んでいて、 私のような立場で、過去の音楽であるということを意識した上で、それでもなお、今日それを必要不可欠なものとしてマーラーの音楽に接するものに とってはその選択の恣意性は到底無視しがたいことである。

要するに、マーラーの音楽は声なき者の代弁者などではなく、時代の病の症例に過ぎないし、 そうしたマーラーの聴取自体もまたそうなのだということなのだろう。かくして私もまた、21世紀にもなって、まだ「シュレーバーの音楽の終り」と 共にある存在という位置づけを得るのだろうか。ともあれ、私が東日本大震災を経て2012年の5月5日に記した文章に書きとめた、 マーラーに見出したと思った以下のような契機など、椎名さんにとっては(マーラーの音楽が「彼の世界」に過ぎないのだから、 当然といえば当然だが)私の「妄想」に過ぎないということなのだろう。
 だが掟の門前でうろつくばかりしか能のない門外漢にしてみれば、マーラーの音楽にはあれ程豊富に存在した筈の時間方向の構造、聴き手をもどこか別の場所に連れて行かんばかりの、それが作者の意図するところであるならばその限りにおいて「目的論的」という形容すら誤りとは言い難い、巨大な時間的持続を支える時間方向の方法論的図式に代替するものが、20世紀の音楽の中では結局発見されることはなかったのではという感覚は否み難い。否、一例をとればマーラーの作品の長大な時間的経過を支える音楽的構造と、それを利用する具体的な適用の卓越は非専門家の耳にも明らかで、そうであれば尚更、その後の音楽においてかくも生産的な原理が放棄されたのは何故なのか改めて不思議な思いに囚われても不思議はない。確かに、今この音楽をもう一度創ることの不可能性もまた疑いを容れない事実のように思われる。それにしても何故なのだ、という疑問が頭に取り憑いて離れない。それは時代の要請なのか。  逆に言えば100年前の音楽に確実にあって、更には今尚力を喪っていないと感じられる側面が未だにあるというのは、その音楽の指し示す未来を告げてはいないか。時代の制約の中、所与であった語法を換骨奪胎して提示する、今なお異様な力を喪わないその音楽の動性、超越への衝動に支配された外への運動、未知の地点に聴き手を運んでいってしまう、暴力的なまでの力。アドルノは全般としては己が批判的に考えていたマーラーの第8交響曲に対して「救い主の危険」という表現を用いた。私にはこの言い回しはアドルノの逡巡を、聴経験に忠実なアドルノの、論理でもって断定し去ることへの躊躇いを感じずにはいられない。「救い主の危険」。それは今やマーラーの音楽全体について言いうるように私には感じられる。マーラーの音楽の持つ時間性のアナクロニスムは、だが閉塞した現在の凍りついた時間(その認識の何と正しいことか)にあって、単なる夢想に過ぎないとさえ感じられるし、そのように断罪されるケースも、しばしば見受けられる。だが、そこには文字通り、未だ来たらざるものとしての未来への途があるのではないか。それは仮想されたものを恰も現実に実現するかのように見せかける詐術ではない。ポテンシャルとしての未来が、音楽の彼方にあるものとしてヴァーチャリティとして指し示されているのではないか。   だが、ここでこれ以上遠くに行くことはもうできない。私にとって確実なのはマーラーの音楽を手放してはならない、ということだ。異様な力に満ちたその音楽を聴くことが時折困難になるにせよ、自分に向かって手を差し伸べ、自分を幽霊の隊列に加わるよう誘う音楽に耳を閉ざしてはいけない。生き延びてどこか別の場所に辿り着くことを希求し続けるならば。  

あるいはまた、別のときに以下のように書き付けたとおり、マーラーの音楽世界はそれ自体、そうしたいわば「落伍者」の形象に満ちていて、私はそこでしか 安らぎを見出すことができないのだ。そう、私は恐らくは自ら進んで、その「世の成り行き」の「不合理」に、何なら「狂気」に留まることを選ぶほかないのだろう。 自分の同類であるあまたの名もなき「幽霊」たちと共に。

カフカの「審判」は、理由もわからず逮捕され、己の罪名もわからぬまま訴訟を起こされて裁判の被告となり、恥辱だけを残して犬のように「処刑」されていくヨーゼフ・Kの物語だが、アドルノはそれをマーラーの第9交響曲のロンド・ブルレスケのエピソードについて述べるところで引用している。それは丁度、更に後の、このマーラー論全体の末尾近くで、» Straßburg auf der Schanz' «に言及するのと呼応し、最後に「子供の魔法の角笛」に登場するヴァリアント達、見捨てられた歩哨、美しいトランペットの響くところに埋葬された男、哀れな少年鼓手といった面々に繋がっていく。  全てのものが、誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだ。ヨーゼフ・Kはその光景を目にして、友達が、自分を助けてくれる人間が居るのでは、自分を弁護する異議がまだあるのではと自問する。だが彼は、抵抗することが無価値なことを既に覚っているのだし、実際、その通りにしかならない。「極めて反抗的に」と指示された音楽もまた、真理が幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。この音楽は、ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような人間にとってまさに己を代弁するものとなる。
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勿論、違和感の根底には、根本的な 立場の違いがあるのだろうとは思うが、価値観の違いを問題にし、論争を挑もう というのではない。寧ろ違和感の由来するところは、それ以前の問題ではないか、マーラーのみならず、シューマンや シェーンベルクの、更にはシュレーバーに対し、作品を創る「現場」、各人の生の「現場」に 対する「想像力」が欠如している点にあるように感じられてならないのである。要するにマーラーに関する伝記資料や アドルノのモノグラフもそうだが、それ以前にマーラーの音楽を聴いても、スコアを、第10交響曲の スケッチを見ても、そこから椎名さんの主張するような内容がどのようにしたら抽出できるのか私には 率直に言ってわからないのだ。端的にこれは牽強付会のための曲解か、誤解に基づく 牽強付会にしか思えないのである。

自分がコミットしたいと思っている価値を持った対象がこのように(私から見れば)「権威」が 流布する共感なき評価によって惹き起こされる「誤解」に巻き込まれることに私はしばしば 耐えられなくなる。こうしたことを動機に書くことが果たして意味あることなのかは良く わからないが、考えてみれば、マーラーのページは、アドルノのマーラー論の(アドルノ研究者であり、 マーラーの音楽の実演に本場で接していることを後書きに記している人による)翻訳の不正確さ (としか私には思えないもの)から始まって、マーラーを研究し、紹介する「識者」と呼ばれている人達の言っていることに いい加減さ、不正確さに対する苛立ちを、あるいは(例えば椎名さんも言及している渡辺裕 さんの研究のような)よりきちんとした議論に対してなら、その内容に違和感を感じて、 それを最初は自分のために記録しはじめたのがきっかけの一つであったわけで、 今尚、こうして文章を書いている原動力であることは認めざるを得ない。

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だが、椎名さんの主張に関してのみ言えば、そもそもこうした時間を生きている私のような 人間のあり方こそ、椎名さんが問題としている様態そのものなのだろうから、 私のこうした反応は、椎名さんの議論のある水準での正当性を裏付けるものなのかも 知れないとも思う。椎名さんのような立場で音楽に接する人にとっては、 私のように音楽に接するのは、強迫的な消費の恰好のサンプルそのものであり、 そのように仕向けられていることの証拠だということになるのだろう。

恐らくは椎名さんのような方は、 「世の成り行き」の端的な外部に在ることができているに違いない。外から見れば、「世の成り行き」に 巻き込まれ、翻弄された挙句、流砂に呑まれるように跡形もなく消えてゆく声なき人間は 「世の成り行き」の一部にしか見えないに違いない。 結局のところ、構図は「音楽的時間の変容」の 時と変わることはない。そこでは実験音楽は日常の「貧困と無意味」を逃れえるとされていた。

だが、皆がケージのように、あるいはラモンテ・ヤングのように、テリー・ライリーのように生きられる わけではない。それが選択の問題だと言われても、そもそも選択の余地などない人間だって数多く いるのだし、アドルノはマーラーの音楽をそういう声を奪われた人間のために手を差し伸べるものと して規定したはずなのだ。だが、立ち位置が異なれば、展望も自ずと異なってくる。 「世の成り行き」の中にいる人間は、「世の成り行き」に対して客観的たりえないのであれば、 外部からの客観的な視点に対して抗弁することは権利上許されていないのだろう。

しかし、もしそれが客観的に見て妥当であったとしても、それを認めざると得ないとしてもなおかつ、 ここで私が言いたいのは、もしそうであったとしたら、そうした水準は私のような人間には 関係がないので、その正当性は私にとってはどうでもいいことだし、西洋音楽史を椎名さんのように 捉えることの意義もまた、私のように批判される側に居るのであろう人間には杳として 知れないということである。そして、私が聴くマーラーは、私が見出すマーラーは、椎名さんの 「西洋音楽史」に位置づけられるらしいそれとは「別人」の音楽なのだということである。 そしてそのような異議申し立てがあるという事実だけでもせめて記録しておきたいのである。

私は、私のような声なきものの代弁者としてマーラーを見出していたのだが、 実はそれは私の思い込みであったかも知れない。であるとしたも、それを認め、 「私のマーラー」が虚像であったとしても、私は自分でそれを書きとめるしか術はない。 私は私の代弁者であり、私の中の奥の部屋に住んでいて、私の声を通して語ろうとする 存在としてのマーラーを擁護しなくてはならないのだ。それが「彼の世界」といういわば「妄想」の体系を 生涯に渉って築き続けたマーラーその人のありように丁度対応するように、こちらは「私の世界」の 「妄想」であったとしても。

この文章は実質において異議申立のための準備書面のごときものの更に冒頭陳述の部分に 過ぎないだろうが、永遠に本論が書かれることのないであろう準備作業をこのように公開するのは、 こうした企てが行われた事実を証言するためである。 何なら、そのような「狂気」を抱いたマーラーの聴き手が21世紀の日本に一人居たということで あっても構わない。私のような聴き手は、21世紀におけるマーラー受容のパースペクティブを 捉え損なっており、無知と視界狭窄そっちのけに、主観的な根拠なき確信のみに基づく虚像を 押し付けているのであるとするならば、私は沈黙すべきなのだろう。 そもそも未定稿を公開することなど、マーラーの創作姿勢に関する言葉を思い浮かべれば、 それ自体許されることではないではないか、何という不実さよ、というわけだ。 だとしたら、この文章そのものをマーラーに関する「症例」の一つとして、後年の分析の対象に資すべく、 斯くの如く「投壜」し、後はマーラーに関しては沈黙することにしよう。 (2013.3.3, 5.1,9.14, 2023.6.15 アドルノのマーラー・モノグラフにおける「攻撃者への同一化」に関して参照箇所を追記。)

2013年1月27日日曜日

妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉

妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1940年版原書p.441, 白水社版酒田健一訳p.398)
(...) Der Mensch - und alle Wesen wahrscheinlich - sind unaufhörlich productive.
Auf allen Stufen geschieht dies unzertrennlich vom Wesen des Lebens : wenn die Productionskraft versiegt, so stirbt die "Entelechie" d. h., sie muß einen Leib erhalten. Auf jener Stufe, auf der sich höhere Menschen befinden, wird die Production ( die in Form von Reproduction den Meisten natürlich ist ) von einem Akt des Selbstbewußtseins begleitet: und dadurch einerseits gesteigert, andererseits als Forderung an das sittliche Wesen aufgestellt. Dies ist dann eben die Quelle aller Beunruhigung solcher Menschen. Abgesehen von den kurzen Momenten im Leben des Genies, wo diese Forderungen sich erfüllen, sind es die langen, unausgefüllten Strecken des Daseins, die dem Bewußtsein solche Prüfungen und unerfüllbare Sehnsuchten auferlegen. Und eben dieses unaufhörliche und wahrhaft schmerzvolle Streben verleiht dem Leben dieser Wenigen das Gepräge. (...)

(…)人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。(…)

マーラーがアリストテレスの「エンテレケイア」に由来する「エンテレキー」について言及していることはブルノ・ヴァルターもマーラーに関する回想録において証言している ところだが、マーラー自身の言葉としても、自分の思いを腹蔵なく述べていると想像されるアルマ宛の書簡の中においてそれを確認することができる。おそらく最も 有名なのは第8交響曲の第2部で用いられたゲーテの「ファウスト」第2部の終幕の場の最後の「神秘の合唱」の解釈を述べた書簡におけるそれだろう。 ただしそこではゲーテの「ファウスト」の解釈において用いられているのに対し、同じ時期に書かれた上掲の書簡においては、より一般的な仕方で自分の考えを 述べる際に用いられており、私見ではこちらの方が一層興味深い。

マーラーは恐らくは愛読していたゲーテの自然科学・自然哲学的な著作におけるそれを念頭に「エンテレキー」という言葉を用いていると思われるが、 それはまさに同時代の最新理論であったに違いない、ドリーシュの「新生気論」におけるそれでもあったのではなかろうか。当時における生気論と機械論の対立は、 フォン・ベルタランフィをはじめとするシステム論的な発想によってその後乗り越えられており、ドリーシュの「エンテレキー」は「フロギストン」や「エーテル」同様、 既に不要となった概念といえるだろうが、それはまさに「エンテレキー」によってしか説明できないと当時考えられていた「目標をめがけている」かのごとき生命現象を 「等結果性」(Äquifinalität)の概念を開放系の理論によって説明することによってであった。フォン・ベルタランフィが解析して示したように、閉鎖系は等結果的に 振舞うことはできない。逆に定常状態に向かう開放系においては等結果性は必然的な帰結なのである。

「エンテレキー」は別の説明原理によって置き換えられたとはいえ、ここでマーラーが述べている言葉が、その志向において、後年、フォン・ベルタランフィが語る 言葉との驚くべき一致を示しているのを確認するのは極めて印象的である。そもそもフォン・ベルタランフィは1901年にウィーンに生まれた人だから、彼の幼年時代には マーラーはまだ生きていたという事実を考えれば自然と納得がいくことではあるが、フォン・ベルタランフィの Das biologishce Weltbild I - Die Stellung des Lebens in Natur und Wissenschaft (1949)(邦訳:「生命-有機体論の考察」みすず書房)では、 各章の冒頭の銘としてゲーテが毎度参照され、全巻の棹尾を飾るのは「ファウスト」の引用であり、半世紀を経て今や半ば常識として受容されている発想が、 マーラーの作品の背景を為す世界観に淵源を共有していることを確認することができる。

Robots, Men and Minds - Psychology in the modern world (1967)(邦訳:「人間とロボット-現代社会での心理学」みすず書房)でも General System Theory - Foundation, Development, Applications (1968)(邦訳:「一般システム理論 - その基礎・発展・応用」みすず書房) でも繰り返しフォン・ベルタランフィが強調していることは、動的に定常状態を維持する開放システムである生物は、閉鎖系におけるような平衡状態へ向かう ホメオスタシス機構では十分に説明が行えないということである。外部条件が一定不変でも、外部刺激がないときでも、生物体は受動的ではなく、 基本的に能動的であることである。動的に定常状態を維持するためには、熱力学的な平衡状態からは離れた状態を維持し続けなくてはならない。 常に外部からエネルギーを獲て、(再)生産を続けなければならないのだ。そして非平衡状態を保持することにより、自発的活動や解発刺激に対する 反応の際に、蓄積したポテンシャルを消費することができるのであるし、更には分化と分節、階層秩序の増加による、無秩序とは異なった、しかし単純な パターンの反復による秩序ともまた異なった複雑性を備えた一層高次の秩序や組織化に向かうことも可能になるのである。 自律的な活動が行動のもっとも基本的な形態であり、まさにマーラーが書いているとおり、「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを 生み出してゆくもの」なのだ。

更に、これもまたフォン・ベルタランフィが強調することであるが、シンボルの世界を構築するようになった人間は生物的価値とは異なった価値を持っていて、 それはしばしば生物的価値と対立することもある。自己実現や創造行為は、緊張の緩和とか欲求の満足といった言い方が暗黙裡に前提としている 図式では説明できないのであって、それらを適応とか生存のための効用のみに還元してしまうことは行き過ぎの危険が伴う。既に知覚主体は単なる刺激の 受容者ではなく、その中を行動しつつ能動的に「世界を構築する」存在である。シンボルのレベルにおいても同型性が成り立つとしても不思議はあるまい。 ここでマーラーが第3交響曲の創作の折に述べたと伝えられる言葉を思い浮かべても良いだろう。

ここで私が感じることは、こうしたマーラーの言葉によって証言されるマーラーの考え方が、マーラーの遺した作品の実質に見事に見合っていることである。 一般には必ずしも作者の意図が作品の質を担保することはない。だがマーラーの言葉というのは、今日なお話題になる標題が端的に物語るように、いわば 事後的な反省、自分が生み出してしまったものについてのコメントのようなもので、創造行為に先立つわけでもないし、ましてやそれが創造のプロセスの 一部であるわけではない。意図とその実現としての作品といった単純な図式で捉えられるようなものではないのだ。しばしば或る種の理念なりコンセプトなりを ある素材によって定着するという意図的、意識的な行為をもって創作とする立場があり、多くの場合それは貧困に陥るようだが、意識される部分というのが 人間の営みの全体のほんの一部に過ぎないことを考えれば、そうした遠近法的な錯誤に基づく試みが失敗するのは当然であろう。 マーラーは自分の創作のプロセスに対して随分と自覚的であったようだし、自分が何をしているのかについてもわかっていたようだが、それだけに一層、 自分が産み出したものが簡単に分析したり説明したりできないものであることを、単に感覚的な違和感としてだけではなく把握していたのだと思われる。 マーラーが楽曲分析の類に概ね懐疑的であったとされるのも、そうした事情が与っているに違いない。

それでは今日、マーラーの音楽を語る言葉は用意されているといえるだろうか?フォン・ベルタランフィの一般システム理論の提唱はもう半世紀も前のことであり、 システム理論はその後、色々な分野で様々に分化しつつ進展を見たとはいいながら、それは未だ発展途上にあるというべきであろう。そうした中で、 シンボルの世界に属する音楽作品のような存在、しかもそれ自体が有機的で自己組織的な存在であるかに見えるマーラーの音楽のような作品を 的確に記述するための語彙(それは自然言語であるとは限らず、必要に応じて数式や図式を援用することになるのであろう)、カテゴリは未だ 整備されていないのではなかろうか。これまた半世紀前にほぼ唯一、アドルノがその課題に、それなりの自覚と自負をもって取り組み、 それはマーラーの音楽の理解にとってブレイクスルーをもたらした。だが、アドルノの用いたカテゴリは、マーラーの音楽の特性の一部を闡明するのに 大きな成果があったとはいえ、有機体としてのマーラーの音楽を説明するには不充分ではないだろうか。

そして問題はそこに留まらない。実は上記の引用箇所の直後では、「作品」についての見解が述べられ、それは「かりそめの姿、 滅ぶべき部分にすぎない」のであり、肉体同様、「抜け殻」に過ぎないものだとされる。今日マーラーが残した「作品」を受け取る人間は、この言葉を どう捉えたら良いだろうか。楽曲分析の類、標題解説の類が捉えることができるレベルでの「作品」とすれば不思議はないが、まず間違いなく、ここでは そうしたレベルのことが語られているのはなかろう。恐らくは、マーラーがいわゆる「霊魂」の不滅を信じていたということを背景にしてこの言葉を読むべきで あるということはまず押えておくべきだろうが、更にその上で、一世紀の後、「作品」を通じてマーラーを知る人間は、マーラーが当時の文化的・思想的な 文脈の制約の下で書きとめた言葉を、マーラーの「作品」を通じて自己が受け取ったものを裏切ることなく、今日までに手にしたカテゴリを用いて 語り直すべきなのではなかろうか。それは一見したところマーラーが遺した言葉と矛盾するような言い方になるかも知れないが、それでもなお「作品」において 「かりそめの姿、滅ぶべき部分にすぎない」ものは何であって、それを超えて永続するものは何であるかを突き止めることは、マーラーを聴く者が答えるべく 課された問いであり、応答するのは或る種の義務であるように感じられるのである。たとえその応答自体もまた「かりそめの姿、滅ぶべき部分にすぎない」 としても。(2013.1.27)

2012年6月30日土曜日

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会を聴いて

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会
2012年6月24日 文京シビックホール 大ホール

マーラー 交響曲第9番ニ長調

井上喜惟(指揮)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会が本来なら1年前にミューザ川崎で開催される予定であったこと、それが3.11によって、 1年延期になったこと、その結果として演目である第9交響曲の初演(1912年6月26日にヴァルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で行われた) からちょうど1世紀後の開催になったことは、このコンサートに関わった人間にとって忘れることができない記憶となるだろう。そして間接的とはいえ、私もまたその中に 含まれることになるだろう。少なくとも2012年6月24日の文京シビックホール大ホールでの演奏に立ち会ったものとして。 直接の原因は演奏会場であるコンサートホールが被災により物理的に利用不可能になったからだが、この1年の延期は3.11という出来事の持つ 重みに相応しいものと私には思われる。第9交響曲が演目として選択されたのは3.11の前であって、だから演目の選択は偶然なのだが、それでもなお、 3.11を想起し、再認し、それによって記憶するために行われたかのような演奏会に、これもまた相応しいものと私には思われる。
前回の2009年6月の第8回定期演奏会に立ち会うことによって20年ぶりにコンサートホールでマーラーを聴いた私にとって、第9回定期演奏会の中止は それだけで意気を喪失させるに足る出来事であり、1年後のコンサートに足を運ぶことについても様々な事情により当日まで迷ったのだった。そして これもまた専ら個人的な事情に過ぎないが、幾つかの関わりのある催し以外に足を運ぶことを断念している私にとって、コンサートホールを訪れること自体、 都度ぎりぎりの選択なのは第8回定期演奏会の記録に記した通りなのだが、或る意味では当初意図した通りと言うべきか、結局私を後押ししたのは、 マーラーの音楽を演奏するためにコミットメントしているオーケストラの方々、とりわけても平常時であったとしても非常に大きな困難を伴うオーケストラの 運営に携わっている方々に対する私自身のコミットメントを、演奏に立ち会うことによって今一度表明すべきであるという判断であった。 従ってまず最初に、非常時の混乱を経て演奏会を実現させたジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの方々、音楽監督・指揮者の井上喜惟さん、 事務局の方に対する敬意を表することで感想を始めたいと思う。
そして以下に私が記すのは演奏会評の類ではない。それは演奏会に聴き手として立ち会った感想ではあるけれど、私は単なる消費者としてコンサートの チケットを購入し、古典となった作品の再現、再生としての演奏という無形の財を消費したとは考えていないし、コンサートホールで演奏を聴いている際の 心の動きとしても、そうすることができなかった。従って以下の記述は演奏や解釈に対する客観性を装った批評ではありえない。寧ろ私も コミットメントを行うことで、マーラーの第9交響曲の3.11以後のこの地における新たな生成を見届けたというべきなのだと感じている。そもそも私は マーラーに100年後の日本で向き合うことの意義自体、そうした関わりの裡にしかないと考えてきたが、第9回定期演奏会に立ち会った経験は、そうした 確信を裏づけ、一層深めるものであったと感じている。
*   *   *
過去にマーラーの第9交響曲の実演に接した時の印象は簡単ながら別のところに記したので繰り返さないが、自分の知人が所属する学生オーケストラによるその折の 演奏の印象、決して低くはない筈の学生オーケストラの技量をもってしても演奏至難な難曲であるというもので、残念ながらそのコンサートの記憶は、 私の場合には少なくない惨めな気持ちになった演奏会の一つである。そうした事情もあって、今日ではプロのオーケストラでなくてもマーラーを演奏するのは決して 珍しいことではないとはいうものの、マーラーの中でもわけてもこの第9交響曲は難曲であるという印象が私には抜き難くあったのだが、ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの演奏は、精度の問題を超えて感動的なものであった。
前回同様楽章間のチューニングを挟んでの演奏だったが、第9交響曲の楽章配置は 基本的に遠心的なものであり、特に第1楽章の終りは通常の作品の全曲の終りに匹敵するほどの完結感を備えていることもあり、全く気にならない。 一方で指示こそないものの、一つには密接な動機連関により、更には調的な配置の効果により連続して演奏すべきである第3楽章と第4楽章は、 そのように連続して演奏され、結果として第4楽章はアドルノがそのマーラー論で語っている"künstlich roten Felsen"、「魔法にかかったように茜色に染まる岩」と 訳すのが適当と思われる、現地の言葉であるドロミテ・ラディン語で"Enrosadira"と呼ばれる現象、ドロミテ地方の日の出や夕暮れの陽の光に照らされて、 赤色、薔薇色、菫色などの色彩に変化する現象を強く想起させる、(私は音と色の共感覚を持っているので)明確な色彩を文字通り「見る」ことができる 演奏であったことは銘記されるべきかと思われる。(ちなみに"Enrosadira"については、 「ドロミテのマーラーの足跡を辿る―林邦之さんに―」という別の文章で 言及したことがあるので、詳細はそちらをご参照いただきたい。)
第4楽章の歌は感情に満ちた素晴らしいもので、特にMolto adagio subito以降の高潮は圧倒的で、オーケストラがいわば「入った」状態になっていることが感じられた。 ちなみに私にとって、ここの部分の途中Molto adagio subitoの指示から7小節目のヴィオラの下降音型は第8交響曲第2部の「引用」である。 練習番号170から171にかけて、かつてグレートヒェンと呼ばれた女が歌う部分の結びの音型と同じだからなのだが、ここはまさにファウストの復活を 歌う決定的な部分であり、この音型には"neue Tag"という言葉があてられていることを思い起こしていただきたい。これまた別の文章 (「ある日、第8交響曲第2部を聴いて」)に記したことだが、そもそも練習番号165番から始まるこのグレートヒェンの歌は、 楽章をまたがって、第8交響曲第1部の第2主題"Impre sperna gratia"の「再現」なのであって、それはマーラー自身が etwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと記していることからも明確なのである。その末尾が第9交響曲の第4楽章のこの部分でいわば「参照」 されていることは、一見したところ間に「大地の歌」を挟んで対極的な位置にあると見做されがちな第8交響曲と第9交響曲が共通した世界認識に 基づくものであることを示していると私は考えている。勿論違いがないわけではなく、ファウスト終幕の山峡は、ここではドロミテの風景なのであり、 この「参照」そのものが未来である第9交響曲からの「回顧」と見做しうるのだが、こちらは有名で必ず言及されるといっていい、もっと先での Kindertotenlieder第4曲の末尾"Der Tag ist schön auf jenen Höh'n"の引用が「子供たちのいる天国」を示唆するとしたら、 その子供達は第8交響曲の第2部でグレートヒェンとともにファウストの復活を歌う子供達(Selige Knaben)でもあるはずなのだ。 それはまた、まさに同じKindertotenliederの引用が実は既に第8交響曲にも現れていることからもいえるであろう (第1部練習番号22 "firmans"のところ、第2部練習番号79から4小節目のzurückhaltend "Die ew'ge Liebe"のところ)。 そしてこの日の演奏は、まさにそうした世界認識をオーケストラが己がものとした素晴らしいものであったと 私には感じられたのである。それは勿論、3.11で喪われた生命への思いとも重なるであろう「祈り」に由来するものに他ならないだろう。音楽の演奏は 或る種の「奉納」なのであり、演奏会は儀礼なのだ。3.11後のマーラーの第9交響曲の演奏は、そうした基本的な構造を再認させずにはおかない。
それに劣らず圧倒的だったのは、副次部分が「大地の歌」の「告別」の風景に変容した後の高潮を経て、Wieder zurückhaltendのviel Bogenによる あのシンコペーションの直後の主部再現(Tempo I. Molto adagio. (noch breiter als zu Anfang) )以降を聴いたときに私の意識の裡で生じた、 或る種の相転移的な変化である。普通に言えばこれは「再現」ということになるのだが、マーラーの「再現」が単なる反復ではなく、常に時間の厚みの 因果的効果のベクトル性を帯びて、それが同じものでありながら最早同一ではありえず、最早元に戻ることはできない非可逆的な過程の徴を帯びていること、 そして既述の第8交響曲第2部練習番号165の etwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilもそうであり、あるいは別の例を挙げれば、第3交響曲第6楽章の練習番号26の Sehr Langsam. a tempo. (Noch langsamer als im Anfang)がそうであり、ここでもnoch breiter als zu Anfangといったように必ずテンポの変化の指示を伴うが 故の決定的な「再現」の感覚が生じることにおいては同じでありながら、 ここでは何かが 決定的に抜け落ちてしまい、後は(実際に音楽はそのように経過していくのだが)文字通り「解体」していくしかないことがここまではっきりと感じ取れたのは、 稀有な経験であった。
そうした音楽の経過は、ここでは主体のそれではない。あたかもそれを外から眺める別の視線があるかのように、音楽は 主観性を喪う。聴き手もまた、ここでは音楽を情緒的に受け止めることができなくなる。これまた有名なシェーンベルクのプラハ講演での発言に含まれる 第9交響曲についてのコメントにおける「非人称性」が決定的に露わになるのだ。それは「祈り」の向こう側にある沈黙なのであって、これを図像学的な 「死」の描写と見做すのは、「死が私に語ること」という言葉(それは少なくとも、第3交響曲の撤回されたマーラー自身の稚拙なタイトルの陳腐さの 模倣であって、その中においてすら件の「非人称性」の痕跡が残っているいる点でまだましなのに比べ、それ)以上にこの作品の固有性を損なう把握であり、 このコンサートにおける演奏が私に突きつけたものと縁遠い。マーラーをメガホン代わりに使った「誰でもないもの」(Niemand)は、だが消え去ることはない。 それは寧ろこの作品の優れた演奏がその度に呼び起し、再現する「幽霊的なもの」の出現なのだ。比喩的に言えば、ここにおいて主体は我に返って 覚醒するのだが、自分がいる場所が最早どこなのかがわからない、といった有様なのである。
勿論、その他の楽章の演奏も素晴らしかった(例えば第1楽章の有名な、アドルノのカテゴリーでいえば音楽が「崩壊」していく部分、 Plötzlich bedeutend langsamer (Lento) und Leise.のソロの協奏の部分など、幾らでも例を挙げることができるだろう)が、 指揮者の解釈の卓越を明確に印象づけられたのは、(前回の第7交響曲も類似のことに感銘を受けたのだったが)第2楽章のレントラーに おけるブロック毎のテンポの交替が、マーラーにおいては一貫している独自の調性格論的な色彩の変化と相俟って、意識の層の切替として 把握されていた点であろう。また第9交響曲は作曲者自身による初演を経ずに、 それまでの作品と比較すれば「未完成」といって良い段階の、一部は判読に困難が伴うような状態で総譜が残されたこともあり、 マーラーの総譜としては指示が少ないことが知られており、とりわけ第4楽章の予告でもある第3楽章の中間部以降のテンポ設定は指揮者によって 異なる部分であるが、ここでの解釈は基本的には少ない指示に忠実なもので、それがその後の主部の再現以降の段階を踏んだテンポの加速と 整合しており、指揮者の巨視的な楽曲把握の確かさを感じた。
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上述の、特に第4楽章を私が聴いたときに感じたようなことが明確に感受されるのは、マーラーを演奏することを 目的に集まったオーケストラの実現に接すればこそのことであろうと私には思えてならない。それは優れた演奏をCDで再生すればいつでも手に入るような 性質のものとは全く異質なものなのだ。CDを聴くときに感じられる「幽霊性」は過去の異郷の音楽の受容に如何にも相応しいもののように思える。 楽譜を読んで頭の中で音楽を鳴らすことも勿論できるが、それとは異なって、CDを聴く場合には録音技術と記録媒体に支えられた見せかけのもので ありながら、そうしたメディアの透明性があたかも「作品」そのものに向き合うこと可能にするかのようだ。一方で、今、ここでのコンサートでの実演においては、 他者は不在ではない。その場で空気を伝わる音響もそうだし、どんなに悲劇的な作品であったにせよ、良い演奏であれば寧ろ必ず存在するに違いない 「演奏することそのもののよろこび」を伴った演奏者の身体性、その音楽を聴くために集まる他の聴き手の存在とあわせ、私自身の コミットメントの志向もまた純粋な経験を汚染するかのようで、「作品」の聴取には不透明な影が付き纏う。
だがメディアの透明性が、再生の時間を可能にするとしたら、(少なくとも私にとっての)ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの演奏会の方は、 そうした不透明性が、生成の時間を可能にするということができるように思う。ここでいう再生とは想起のことであり、同一のもの、常に同じ過去の 反復である。現実には、それとて不透明な部分があり汚染されている筈なのだが、メディアの透明性が高ければ高いほど、あたかも「過去そのもの」を 覗き込むことが可能であるかのような回想を可能にするような錯覚が生じるに違いない。一方の生成とは、別のもの、異なるもの、未聞のものの 到来であり、それは或る作品に定着された風景を未来の「別の時間」へと移植することである。
そしてそのことが作品の創作についての事情、とりわけてもシェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べたような消息と並行している点に 留意しておきたい。作品の創作は自分がまのあたりにした「風景」を記録することだが、その「風景」は「私」が選択したものではなく、私の背後にいる 「誰か」(あるいは「誰でもないもの」)が命じたものであって、作曲者はいわば「カメラ」に過ぎないのだ。そうした一連の過程自体、主体的な意識の 働きのみによるものではありえず、非人称的なものに過ぎない。意識主体としての「私」は手段に、メディアに過ぎないのだ。 だが「私」が「風景」を見る仕方の「如何に」、「私」が「風景」を記録する仕方の「如何に」は決してトリヴィアルなものではない。メディアたるマーラーの 個性がもたらす不透明性こそが「価値」の源泉であり、それによって新たな仮想的な「風景」の生成が可能になるのだし、そのようにして定着された 「風景」の記憶としての音楽作品が「投壜通信」のように投じられ、時代と場所を越え、それを拾い上げた人によって繰り返し演奏されることによって (ここでは進化論的なミーム概念を適用することが適当かも知れないが)受け継がれていくのだから。
*   *   *
私は今、コンサートがあった週末の1週間後の週末の時点でこの文章を記しているが、とりわけ上で述べた第4楽章を聴いたときに感じた 印象は永続的なもので全く薄れていない。その一方で、改めて文章にしつつ整理を試みてもコンサートで受けた印象に含まれている 謎めいたものが全て解消したとは到底感じられない。演奏が私に突きつけてきたもの、私の裡に刻印されたものは、容易にありきたりの マーラーの音楽に関する解説で示されているような解釈を受け付けるものではないのだ。自分が受け止めたものを私はこの後も反芻しつつ 考え続けていかなくてはならない。そうすることが演奏に対する応答であり、聴き手にとっての義務なのだという感覚を私は抱いている。 そして同時にそれはまた、こうした音楽を残したマーラーに対する応答でもあり、如何に稚拙な仕方であったにせよ、私はマーラーからの贈与に対して 応答をしなくてはならないのだと感じている。このようなことを再認させる貴重な経験をさせて下さった井上さんをはじめとするジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの演奏者の方々に改めて感謝の意を表しつつ、今回の演奏会の感想の結びとしたい。(2012.6.30公開、7.1加筆)

2011年7月3日日曜日

「私は故郷に、私の居場所に向かう」("Ich wandle nach der Heimat, meiner Stätte")

マーラー生誕150年の昨年に引き続き、没後100年のアニヴァーサリーである2011年は、だが1000年に一度とも見做される未曾有の震災と、 その後の原子力発電所の災害、それに伴う電力供給不足への懸念への対応に厚く覆われることになった。私自身、被災地に知人がいるし、 首都圏に居住するために自らも日常生活のレベルで震災と原発事故の後の影響を少なからず蒙っている。その一方では震災復旧に 携わった方々の作業に身近に接し、間接的ながらお手伝いをしたりしてきて、ともかくも目前の現実の問題に、将来に向けての対応に 明け暮れ、100年も前の異邦の音楽のことは、それに職業として、例えば指揮者やオーケストラ奏者として、あるいは音楽学者、音楽評論家として 向き合っているわけではない以上、どうしても背景に追いやられてしまう。結局のところ、マーラーの音楽が自分に占めるポジションというのが こうした事態になると顕わになるということなのかも知れない。「音楽」一般が、「芸術」一般と無縁になったわけではなく、香川靖嗣さんの能「朝長」を 拝見し、三輪眞弘さんの活動(震災前のシンポジウムへの遅ればせの反応から始まって、「中部電力芸術宣言」、 「舞楽 算命楽」に至るまで)に対する自分なりの「応答」をしたりして、でもそれらは紛れもなく目前の現実の問題、将来に向けての対応の 一部を為しているという手ごたえがあるのに対し、マーラーについてもこれまで3回、考えたことを文章にまとめているとはいえ、それに向き合うだけの エネルギーが自分に不足しているのが感じられる。

一つには、マーラーを取り巻く状況と、自分の近辺の風景との、同じ時間を生きているとは到底思えないようなギャップに辟易したということもある。 この4ヶ月弱の間の音楽に関連する人々の反応は様々であったが、私が直接聴く機会はなくても、近年日本においてマーラーを取り上げていた 指揮者が恐らくは原発事故による放射能汚染の影響によってか、公演をキャンセルしたり、あるいは音楽が娯楽だから自粛する、あるいは心を 癒すから自粛すべきでないといったレベルの議論が繰り広げられるのを目撃したりすれば、要するにマーラーは端的に商材、商品なのだということに 思い至らざるを得ない。自粛を免れて公開されたらしい、マーラーの生涯を扱った幾つ目かの映画にしても同じことのように思える。

そうした中、マーラーの没後100年の命日にあたる5月18日付けのあとがきを持つ新しいマーラーの「評伝」(これは書籍に付けられた帯による、いわば 「自己規定」である)が出版されたのに気付き、慌てて入手する。個人的にはフローロスのマーラーに関するモノグラフの第3巻のみを翻訳されたことで 印象に残っている前島良雄さんという「音楽評論家・翻訳家・予備校講師」(これも同じく「自己規定」である)の労作である。2年続きの アニヴァーサリーの日本におけるマーラー関連の書籍出版は、紙媒体の「書籍」の商品としての地位に顕著な変化が生じていることの影響もあるのだろうが、 いずれにせよ寒々しい状況で、雑誌やムックの類は除外すると、いわゆる新著としては田代櫂さんのモノグラフが丁度露払いをするように2009年に 出版されて以来であろうか。

前島さんのあとがきには、震災のことは一切触れられていない。勿論、そのこと自体は別段、批難も賞賛もされるべきことでは ないにせよ、この書籍を後の人が読んだとき、この書籍がどのような状況で出版されたかを知らずに読むこともありえるのだろうな、ということには思いを 致さざるを得ない。この平静さに衝撃を受けている自分に気付き、しばし呆然とする。実際、意外なところで呆然とすることは多い。被災地から 出てきた知人とともに日本初演となるラヴェルのバレエ「ダフニスとクロエ」を観ていたとき、舞台の上で海の水がこちらに寄せてくる演出を見たとき、 私は津波の映像(私はそのとき東京都心にいたから幸いにも映像でしかそれを知らない)を思い浮かべてしまい、思わず身が竦む思いをした。 私の受けた傷など取るに足らないものとはいえ、震災後の数日の経験は外傷的なかたちで自分の中に刻み込まれてしまっていることを認識せざるを 得なかったものだ。そしてその後の三輪眞弘さんの活動を目の当たりにし、それが自分のパースペクティブと強く共振しているのを感じていただけに、 前島さんを一読して、まるで別の国、別の時期に出版された書籍に出会ったような思いがした。

前島さんの「評伝」の問題意識は、これまた本の帯の「自己規定」によれば「作られた神話、あるいは俗説・通説を徹底的な資料の検討によって 覆す」点に存するらしい。そしてそれは確かに、例えば田代櫂さんのモノグラフと比較したときに、同じくマーラーの生涯の記述であるとはいえ、 取り上げている内容の違いに如実に現れている。私自身は前島さんの問題意識を全く共有していない。このことは前島さんの、やはり同じような 問題意識によって書かれたと思しき文章「マーラーについてあまり知られていないこと、いろいろ」を読んで感じたことを書いてときにも触れたので 繰り返さない。例えば評伝の「はじめに」で前島さんは「マーラーの時代が来た」という言い方が、ずっと為され続けてきた点を指摘しているが、 「なぜ」そうした事態が生じたかには関心が行くことはない。「マーラーについてあまり知られていないこと、いろいろ」は必ずしもそうではなかったが、 この文章で訝しく感じたのがまさに「なぜ」に纏わる部分であったことを思うにつけ、結局、神話・俗説・通説がなぜ成立するのか(これは「どのように」の 実証的な検証とは異なる水準の話である)という、恐らく今日マーラーを考える上で少なからず重要と思われる、あるいは前島さんが現在執筆されていることを 表明されている受容史の類の立脚点を決める上で決定的な(こちらには敢えて「思われる」はつけないことにする)点については等閑視されているらしいことがわかり、 一層、非現実感が増すのを感じずにはいられない。

例えば前島さんは自分が検証の対象とする「作られた神話、あるいは俗説・通説」が一体「どこで」、 「何時」、「誰によって」書かれたものであるかについては必ずしも実証的ではないようだが、これは一体どうしたことだろうか。何故、具体的な典拠を示さず、 「誰」が神話を作り、「誰」が俗説・通説を語ったかを示さないのか。ちなみにこれは、俗説・通説が依拠していると推測される(だが、誰が推測するのか、 中動相的な非人称文はどういう効果を狙っているのか)多少なりとも権威のあるとされる典拠を示すこととは勿論区別されなくてはならない。告発されている 「犯人」は一体誰なのか。こうした挙措は一見したところ「罪を憎んで人を憎まず」的なレトリックで正当化できそうだが、それをここに適用するのは端的に 論理上の過誤による飛躍に過ぎない。ここでは到底それをする時間もないし、私がそれをやる意義も感じないのでやらないが、それが「検証」なのであれば 「検証」内容のそれぞれについて、個別にその論理とレトリックを確認していく作業が必要だろう。

要するに何を目的に「作られた神話、あるいは俗説・通説を徹底的な資料の検討によって覆す」ことが 意図されているのかが私にはわからないのだ。神話の解体を自称する作業が自己目的化しているとするならば、、、否、止めておこう。ここは既に私の場所では ないようなので。ただ、それ自体が既視感に充ちた風景であること、それは別に「音楽」の世界だけで見られるのですらなく、同じ構造はあちらこちらに 蔓延していること、恐らくはそうした風景の方が分析の対象となる「べき」であろうことは書きとめておこう。実際、そうした分析はマーラーが生きた場所においても、 マーラーについてすら既に行われてきているわけだし、そうした分析の方が余程興味深い。今日の日本での展望であれば、まずは時間的・空間的な、 つまりは社会的・文化的な座標変換の作業をした上でなければマーラーを巡っての問題にアクセスできないのは明らかで、到底私のような通りがかりの、「専門家」 ならぬ「素人」、単なる市井の愛好家が能くするところではない。

そうしたわけで、私には前島さんの評伝の成否を判断する資格がそもそもないから、ここでは私個人にとって単に「有用」でありえたかも知れない幾つかの トピックを取り上げておくことにしたい。せいぜいが私個人にとって単に「有用」でありえたに過ぎないことなので、それを以って専門家の労作についての 評価を為すことは不可能だし、ここでの意図でもない。いつものことながらそうしたことは専門家にお任せする他ないし、そもそも私にはもう時間が残されて いないのだ。ここではそれがどんなものであれ他ならぬ「マーラー」に関することであることと、私と同じ立場の、音楽の専門化ならぬ市井の愛好家が条件反射的に どういう反応をするのかの症例を示すことには将来何某かの意義があるのではと考え、駆け足で以下に書き留めておくことにする。

前島さんの著作が私にとって興味深いのは、意図はともあれ、近年整理が進んでいる書簡集等の資料を用いた検討が為されている点で、特にそれが 作品の成立史のような点に関するものであれば、情報としての価値は大きい。何しろマーラーに関する資料は未だに紙媒体に頼らざるを得ず、 従ってデジタル・アーカイブ化が進展すれば不要な莫大な時間と手間をかけなければ必要な情報の入手も覚束無い状況にある。例えばかつての 哲学研究がそうであったような、専門家による知識へのアクセスの特権化や情報の囲い込みの構造が未だに存続している場なのである。

その中で最も興味深かったのは、私自身も関心のある初期交響曲(ここでは第1~第4交響曲のことをそのように呼ぶことにしよう)の「成立史」に 纏わる書簡等から得られる情報である。詳述は時間の都合で割愛するが、マーラーが書簡において、例えば後の第1交響曲のことをどの時点で 「交響曲」と呼んでいたかが実証的に確認できるわけで、そうした「検証」から導出された前島さんの結論は「第1交響曲は初めから交響曲であった」り するわけである。作品の演奏時に外向けに「交響詩」と呼ばれていたものが、それ以前の日付を持つ書簡においてマーラー自身によって「交響曲」と 呼ばれていたといったのは、書簡の日付の同定が妥当で(マーラーにはしばしば日付の記載がなく、日付の同定のない書簡が多いので、この点については 個別の書簡によって信頼性は異なるし、どこまでいっても推測でしかないケースもあることに留意しよう)、その結果、指示対象の同定が信頼できる ものであれば極めて興味深い情報である。

そういうわけで、今は時間が取れないにしても、いずれは手元の資料で確認できる範囲で確認した上で、私の認識に誤認があった部分はそれを 正す必要を感じていた。そしてそれ自体は現時点でも感じているのだが、こうして後日の作業の心覚えのために文章を書きながら改めて検討してみると、 幾つか懸念もなくはない。それらは決定的なものではなかろうと思うが、つまるところ「実証的」な「検証」の目的に行き着くために、さほど瑣末というわけでも なさそうである。ここではそうした懸念を気付いた限りで幾つか書き留めて、この文章を終わらせたい。否、後日の作業は恐らく発生しないだろう。 率直に言って、このような文章を書くことそのものが時間の浪費であるように感じられる。こんなところで、こんなことをするよりは、別の場所でやらなくては ならないこと、それぞれを一つ一つとってもしおおせるかどうかすら判らないような作業があるのだ、という感覚が強まるばかりだ。だから箇条書きに済ませてしまおう。

1.書簡を演奏に際してのアナウンスに優先させることについて。私的に「交響曲」と呼んでいたにせよ、そしてそれが仮に不本意な 外向けのポーズ、自己欺瞞であったにせよ、「交響詩」として発表され、演奏されたという事実が残ることの影響は測れないだろう。 どちらも他者に宛てられた言葉には違いなく、恐らくは私的/公的といった差異をそこに想定することができるだろうが、そのうち「書簡」を、 恐らくは私的な発話を尊重するのは、如何なる根拠において正当化されるのだろうか。否、まずもって、A.書簡が「本心」であるというのは どこまで「検証」可能なのだろう、という点について実証性の強度を「検証」することもできるだろう。だが取り急ぎ問題視すべきは、 B.作曲家の「本心」がここでの最終的な審級となるのは果たして自明なのだろうかという点だ。マーラーの同郷の同時代人であり、 直接会いもし、間接にもお互いを知り合っていたフロイトは局所論的な心のモデルを提示するが、そこには既に幾つかの審級が設けられている。 内心は最早単一なものではなく、それ自体の中に対立を、つまり外部と内部の対立を持っているという認識がそこでは提示されている。 別に構造主義的な同型性、平行性を主張するわけではないが、マーラーの音楽そのものもまた、そうした心のモデルに対応するような 際立って複雑で錯綜とした構造を備えているように私には思われる。そうした風景の中で「作者」の「本心」とは一体どういう位置づけを 持つのかは、それ自体検討を要する問題であり、恰も自明の前提であるかのように進むことはできないのではないのか。ここで繰り広げられる論理は 或るイデオロギーの圏内、マーラーの音楽自体がそれに異議申し立てをしているかも知れないようなイデオロギーの下でのみ無条件で 通用する論理に過ぎないのではないか。

2.すると直ちに「作品」についての判断にとって「作者」の「意図」がどこまで尊重されるべきかという問題に行き当たる。これまた既に論じつくされた 感のある論点であり、この100年で、多少なりとも「作品」は「作者」に対して自律した存在であるという視点からの検討が必要であること (或る種の作業仮説、操作上の仮定としてであれ)はほぼ自明のこととなったように思っていたのだが、ここでもまた、まるでマーラー以前の時代に 逆戻りしたかと錯覚するような風景が広がっているのに唖然とせざるを得ない。勿論、マーラーがある書簡でそれを「交響曲」と呼んだという事実は 尊重されるべきだろうが、「作品」の「成立」を論じるにあたり、「作者」の「意図」が最終審級となることを恰も自明であるかのように 見做すのは、それが敵視する「作られた神話、あるいは俗説・通説」の類と結局は同じ土俵の上にいることになるのではないかという気が してならない。要するに、今、ここで、書簡の検証によって得られたと見做される(だが、それも既述のように必ずしも自明ではない)「事実」を もって、一体何をしたいのかが私にはちっとも見えてこないのだ。仮にそれがマーラーの、自作についての認識を証言しているということを 認めたとして、それが作品にとってどう関係し、影響するのかこそがマーラーにおける大きな問題であり、だからこそ「唯名論的」なアプローチでの 分析が行われてきたのではなかったのか。

3.「作品」が成立するのは「何時」なのか、という問題。「はじめから」とは何時からなのか、例えばだが、「交響曲として構想されたが、 出来上がったのは交響詩だった、初演の反応から交響曲と見做すようになった」といったような(断っておくが、上記はあくまでも架空の例であり、 具体的なマーラーの交響曲を事例として持つかどうかには関心を持たない)「変遷」はないのか。「変遷」を認めたとして、それでは 「はじめ」はどこにあるのか。自分も作曲家であったアルマの物語をこともなげに虚構と切り捨てて、書簡資料の「実証」の下に語られるそれは 「創作」にまつわるイデオロギーに汚染された、それも一つの「物語」ではないのか。私はここで何も「アウシュビッツは存在しなかった」や 「湾岸戦争は存在しなかった」式の歴史修正主義もどきの詭弁を弄そうとしているのではない。単純に、書簡の文章を作者の内面と同一視し、 さらにそれを優位におく論理と同様、これもまた結局のところ「作品」の「創作」についての、また「作品」の「成立」に纏わる或るイデオロギーの 圏内でのみ無条件で通用する論理に過ぎないのではないか。実証は尊重されるべきだが、その上で、何を目がけて実証するかが今や 問題ではないのか。

4.またしても「標題音楽」の問題。それを「交響詩」と呼ぶか「交響曲」と呼ぶかは事実の問題であるから、実証可能であろうが、だからといって 「標題」に対する姿勢が変容していったということの否定にそれが単純に直結するというのは自明なのだろうか。勿論、どう呼んだかの事実は 残るが、その上で「交響曲」についてのマーラーの姿勢に変化はなかったのか。またもし個別の事実に限定せず、マーラーの創作のプロセスを もう少しマクロにとられたならば、第2交響曲第1楽章が一時期「交響詩葬礼」であったこと、あるいは第3交響曲の第1楽章ですら、 ナターリエ・バウアー=レヒナーの証言によれば「交響詩パン」と呼ばれたことがあったことはどのように位置づけられるのか。 更にはマーラーが加えた改訂のプロセスが「絶対音楽」としての「交響曲」に向かっていくという方向性において一貫しているといった発言 (一例を挙げればミヒャエル・ギーレンの場合)は棄却されねばならないのか。はじめから「交響曲」だった「から」、改訂は「交響曲」に向けての ものではあり得ないというのは、論理的には全く正しいのだろうが、それは何のための主張であり、事実確認なのか。

結局のところ一見すると申し分のない文「第1交響曲は初めから交響曲であった」が、過度の単純化により(それが誤解を介してかどうかは問わず、 勿論、勝手に誤解されてしまう場合も含めて)新たな神話になる危険はないのだろうか。何故、その検証自体がそうであるのと同様に慎重に、 例えば「マーラーは第1交響曲のことを初めから私的な書簡では交響曲と呼んでいた」という事実確認文としてより確実な文章にしないのか。 「初めから」は上述の「成立」の認定についての曖昧さを残すから、日付を入れてしまえば更に「検証」の意図には適しているということはないのか。 そこに誤解と短絡と論理の飛躍を忍び込ませる余地をあえて作り出すのは何故なのかが、結局のところ私には理解できないのだ。

以上で要約を終え、大急ぎで終りに向かおう。総じて「音楽評論家」としての、どのような「専門家」的視点からのマーラー作品の研究の歴史の把握を前提とし、 どのような「専門家」的な方法論に基づく検討や分析の結果がこうなのかと考えるに、私のような「素人」には最早理解を絶していて、手をあげざるをえない。 思わず疲労感に囚われて「ここはいつでどこなのだ」と問い返したくなりもする。まるで100年の時間と空間の、社会的・文化的 隔たりと、その間に生じた様々な「出来事」、それによる展望の変容、認識の変化などまるでなかったかの如くのこの光景は、だがしかし、この地の マーラーの受容の場では見慣れた光景ではなかったのかという気もする。同じ時と場所にいながら、同じものを対象としているにも関わらず、恰も 全く別のものを見ているかのような、まるで声が届かないような感覚。お前はそれを繰り返し繰り返し書き留めてきたのを忘れたのか、と自分に問いかけ、 これが今日、ここでの「マーラーの受容」なのだという事実に絶句せざるを得ない。 しかも3月11日を過ぎ越した後でのそれは、何ともはや、ユートピアのような、亡霊的な風景であることか。

更にスピードを上げて結びに移ろう。

結果として「専門家」の「宣言」を前に、私は「子供のように」戸惑う。「作られた神話、あるいは俗説・通説に惑わされるな。これは「専門家」の 領分だ。お前は入ることはできない」という門番=「専門家」の声が恰も響いているかのようだ。しかもその「専門家」の断言は、 それ自体が窺い知れない理由によって単純化され、かえって子供=「素人」にとっては戸惑いを起こさせるものになっているようにしか見えない。

そしてふと私は、これと良く似た構造が、現在のこの国の別の領域でも起きているような気がする。そしてその別の領域が、それ自体複数であることに思い当たる。 その一つはやはり芸術に関する領域で起きていて、それに接したときに、その時も、こうして書いている今現在も深刻で解消していない幾つかの問題、 例えば一つだけ例を挙げれば放射線量の測定値とリスクの判定の問題に類似しているなと感じたことを思い出す。もう一つの外傷的な経験のように。

後者の問題からは(例え私が今いる場所であれば、影響が限定的であるとはいえ)簡単に逃げることはできないし、(影響が限定的であるがゆえに、 そうする必要も今のところないと「素人」なりに判断しているのだが)物理的に影響を軽減することができたにせよ、その問題から逃げることは できないと感じているのだが、「芸術」の「専門家」のムラ、「音楽」の「専門家」ムラでの類比的な出来事については、ムラの掟を知らない 「部外者」「異邦人」「子供」たる「素人」は、その場を立ち去るしかないように感じる。またしても、もう一つの外傷的な経験のように、今また。

けれども全ての「音楽」が「子供」たる「素人」の私に向かって門を閉ざしているのではない。「子供にでもわかることに気付かなくてはならない」と 発言し、私に呼びかけ、私が応答できる、応答しなくてはならないと感じる呼びかけが、今、私に既に届いている。それはこことは別の岸から 投げ込まれ、こことは別の場所で拾い上げた私が名宛人である手紙のごときものである。だから私はここではもう沈黙しよう。掟に従って。 「ここは私の場所ではない」のだから。

だが、しかし。

「ここは私の場所ではない」と語る声が時代と場所の隔たりを経て、私に届いているのではなかったのか。その声はもう聴こえないのか。それゆえに 痕跡を残す事無く、私はこの場を離れなくてはならないのか。

否、それもまた「だれがこの国に私を連れてきたんだ」(それ自体が何かの引用かも知れないのだから、二重の括弧で括るべきだろうか)と語り、 「ここは私の場所ではない」からここを去る「異邦人」、「私は何処へ行こう?私は山へ行こう。」 「私は故郷へ、私の居場所に行こう。」「けれども遠くへは行くまい。」と歌う声は、今なお「隣人」の声のように私に届かないだろうか。

否、否。それは幽霊のように微かではあるけれど、まだ届いている。それ故、私は痕跡を残したまま、未完成のものはそのままに、ここを去って沈黙しよう。

このように。

(2011.7.3公開)

2011年6月11日土曜日

マーラーの「音楽」

マーラーの「音楽」。一見したところそれは自明のものに見える。だが、最初の曖昧さは「の」に存するだろう。「の」の曖昧さは それ自体が更に分岐し、それらのそれぞれについて答えるためには膨大な時間を要するであろう。それでいてそれらはそれぞれ独立の ものというわけではなく、もう一度マーラーと名づけられた或る種の「場」の如きものにおいて相互に作用しあっている。例えばそうした 分岐の一つはマーラー「にとっての」音楽と、マーラー「による」音楽の対立であるだろう。さらに例えば後者の意味でのマーラー「の」音楽は だがこれも一義的なものではなく、寧ろマーラーが生きていた時代にあっては、まずもっては指揮者マーラーが指揮した音楽の 「解釈」のことであったかも知れない。マーラーが生きた時代の制約でそれを没後100年の今、直接に(だが、直接性の定義は?)知る術は 無いとしても。これはこれで単独で扱っても際限なく問題は広がっていくだろうが、ここでは直接それを扱うことはせず、 マーラー「の音楽」のもう一方との関係においてのみ間接的に後でもう一度立ち戻ることにしよう。

そのもう一方とは、こちらこそが今日一般にそう思われているマーラー「の音楽」、作曲家マーラーの書いた音楽の「作品」の方なのだが、 これまた、一体それが「どこ」にあるのかという問いに答えるのはそんなに簡単ではない。既に完成されていた記譜法のシステムと 印刷術によって複製可能となった楽譜がマーラーの音楽なのか。それとも誰かがどこかでその楽譜を用いて演奏した時の音響こそが マーラーの音楽なのか。いずれをとっても更に問いは続くだろう。楽譜には校訂の問題が付き纏うし、音響の方は、まず演奏について まわる解釈の問題があり、更にその音響に接する媒体の問題がある。コンサートホールもそうした媒体の1つだし、レコード、CD、 ラジオ放送、テレビ放送と変遷し、更にMP3ファイルのダウンロード、Webでの演奏会のライブ・ストリーミングに至るまで、様々な 媒体の差異は「音楽」と無関係ではありえない。それに加えてマーラー自身が指揮者であり、解釈して演奏する立場であったことが、 「作品」にどう関係しているのかという問いをもう一度重ねてみることもできるだろう。複製技術との関連で行けば、ベンヤミンが映画の 製作の方法の演劇との違いに注目したのと並行して、録音媒体に記録されることを前提としたスタジオ等でのセッション録音のプロセスや いわゆる「ライブ録音」と呼ばれるものにも実際には介在する録音に対する様々な編集や加工といった操作に注目すべきだろう。

他方、マーラーが生きた時代が近代的な音楽史の確立の時期にあたり、過去の音楽に対する歴史的な展望を持ちつつ、 その一方で同時代の先行する潮流としてのブラームス派とワグナー派の対立、逆に同時代の後続する潮流としてのシェーンベルクの音楽、 あるいはドビュッシーの、アイブズの音楽の中でマーラーの音楽が作曲されたという当時の時代背景に規定される「音楽」についての了解が マーラーの「音楽」を規定している側面も留意する必要があるだろう。(だが勿論、直ちにこう問うことができる。その了解とは誰にとっての それなのか。再び偶然最初の分岐であったもの、マーラー「にとって」の音楽とマーラー「による」音楽のいずれがここで問題になっているのかを 改めて問うことができるだろう。)

かくの如くマーラーの「音楽」はマーラーが生きた時代の音楽を規定する様々な制度の制約を受けたものだが、100年の時と 文化の違いを隔てて存続しているに違いない或る種の制度的な連続性が今日におけるマーラーの「音楽」を可能にしていることは 確認しておいても良かろう。コンサートホールや歌劇場での演奏と享受の形態は勿論多少の変化はあるけれど、基本的には今日と 大きく変わるわけではない。それまではドラスティックな変遷を積み重ねてきた楽器、楽器の集合体であるオーケストラという演奏形態も同様に 今日なお廃れることなく、大きな変化もなく今日用いられている。

それと同時に喪われてしまった文脈の厚みを軽視すべきではなかろう。マーラーの音楽の周囲で鳴り響いていた他の「音楽」、音楽以外の音響は 今日のそれとは異なるし、既に述べた媒体の変化も一緒に考える必要があるだろう。更にそうした条件が作曲の現場を逆に条件づけ、 制約することにも留意すべきだろう。オーケストラ作品の作り方もマーラーの時代と電子的な音響の操作の経験が浸透した今日では 同じであろう筈が無い。オーケストラやコンサートホールそのものは大きく変わっていないとはいうものの、その社会的な機能や地位は 大きく変化し、今やオーケストラという媒体がもはや補助金なしで維持ができない「文化財」となってしまっていること、いみじくも「クラシック音楽」 という呼称が物語るとおり、媒体も作品ももはや過去のものであり、意識的な維持・継承が必要なものである点も決定的な差異だろう。 「芸術音楽」と「軽音楽」の対立そのものは既にマーラーの時代にもあったとは言いながら、その内実は大きく変化し、特に伝統を有さない 日本においてマーラーの音楽の「芸術音楽」からの逸脱を身体化された経験として受け止めることは困難であることは、例えばシュニトケの 多様式主義と対比してみれば否応なく認識されるに違いない。「民謡風」であることくらいはわかり、通俗性について漠とした感覚を 持つことはできても、その陳腐さの度合いを同時代の西欧人が感じたように意識することはできない相談である。

次にやって来るのが、マーラーとは誰かという問いだ。享受の経験において、まず初めに音楽があったとするならば、マーラーを規定するのは、 実は音楽の側、マーラーの署名のある音楽の総体がマーラーを規定しているという側面があるだろう。とりわけマーラーの音楽においては人と 音楽との関係が問題になることが他の作曲家、他の作品に比べて多く、それゆえにマーラーの生涯や気質についての伝記的知識が 作品の解釈に流れ込むかと思えば、逆に音楽の側から人間像が形成され、時として事実を凌駕しかねないといった事態が生じる。 こうした事態がとりわけマーラーにおいて顕著であるとするならば、要するに「の」が含意する内実はその都度、固有名毎に定まるもの なのだという見方さえ成り立つかも知れない。マーラー固有の事情ということであれば、既述の演奏家にして作曲家という点が既にそうで、 とりわけマーラーが歌劇場の指揮者であり、またコンサートの指揮者でもあったことが作品に与えた影響については、明らかに中傷や 誹謗のニュアンスを帯びたカペルマイスタームジークであるという生前からついてまわった規定から、しばしば作品の「意味」の解釈の 根拠として用いられる様々な他の作曲家の作品の「引用」の問題に至るまで、演奏者、なかんずく指揮者であることが作曲に 与えた影響について論じられるかと思えば、社会学的・経済学的な側面から、注文によらない道楽としての作曲、シーズンオフである 夏の余暇の作曲家といった側面が取り沙汰されることにもなる。そうした「作品」の外部がマーラーの署名を持つ作品を条件づけているのは 確かなことだろう。あたかもそれを問うことが自明であるかの如き、かの「標題」についての際限のない問い、ただマーラーという名の、 マーラーの署名のある作品の周囲をうろつきまわることのみしか念頭にないかのような徘徊は、「作品」について語ると見せかけながら、 その実、作品を取り囲む文脈についての詮索に過ぎず、「音楽」の側が呼び出す文脈には無頓着に、自分こそが、そして自分のみが 「正当な」作品理解のための条件を具備した特権的な立場を僭称し、その地位を恰も「作品」そのものが認めたかの如く偽っているに過ぎない。 署名された作品は、まさに署名されることによって、投壜通信にも似て、寧ろそうした特権的な文脈なしに漂流することになった筈なのに。

ところで、複製技術によってコンサートホール以外の場所で聴くことが可能となったマーラーの音楽は、「絵画」における複製のようなものなのだろうか。 自宅のパソコンにダウンロードされたマーラーの音楽のMP3音源は、自宅の壁に貼ってある絵画の複製のようなものなのだろうか。 ラジオやテレビで中継され、あるいは記録されて後、放送される演奏会での演奏は、(アドルノがシュピーゲルのインタビューに対して答えて 言ったように)「おこぼれ」に過ぎないのだろうか。だが、もともと放送目的で演奏された場合には、一体それは何の「おこぼれ」なのだろう。 いつの日か、「ピリオド・アプローチ」として、かつて存在した「コンサートホール」を復元し、もともとそうした場所で演奏されることを想定して 書かれた音楽を「復元」する作業が行われるようになるような時代が到来するだろうか。 一方で、印刷されて比較的容易に手に入るようになったマーラーの作品の「楽譜」は、これまた所詮はマーラー自身の書いた手稿の「おこぼれ」なのか? ワープロが手書きを駆逐しないまでも、一定の割合で手書きに変わったように、ノーテーションソフトの発達で楽譜を手書きすることなく作品を書きとめ、 それをそのままインターネット経由でダウンロードできるよう公開した場合、頒布された楽譜を含むファイルは一体何の「おこぼれ」なのだろう。 署名は複製されるが、もともとのオリジナルは本当に単一性を保持しているのだろうか。複数の草稿があり、仮にどれがどれのコピーかが判明したとしても、 ではどちらが「真」の作品なのか。マーラーの場合に固有な一例を挙げれば、第6交響曲の中間楽章の順序の問題のように、事実問題の水準での 蓋然性を限りなく高めていきつつ、だが、「作品」としては事実が指示するマーラーの「意図」なるものに反した選択をなおも許容するような事態が、 あるいは唯一の決定稿を、マーラーその人が(もしかしたらある一連の予定されていたプロセスの途中で、外的な要因によって中断された可能性 だってありえるのだが、そうした事情は無視するか、あるいは最小限の配慮に限定し)この世を去ったときに遺した形態に求める発想が、 もしかしたら便宜的で実用的な事情に基づく「現実的な妥協」であったかも知れない改変の価値を履き違えたかに見える「嘆きの歌」のマーラー 協会の批判版全集における稿選択のような事態が物語るように、「真正な」唯一の作品に辿り着くことが意味を喪うケースがあること、既に 起源自体が仮構である可能性が常に存在することに留意すべきだろう。

価値論的な判断はおくとして、記譜法のシステムといい、音楽を保存する媒体のフォーマットといい、それらを用いたときそれら自体のもつ 媒体としての制限が記録する対象を歪めてしまう。だが、記譜する「手前」にマーラーの「作品」を想定するのは事後性に基づく仮構ではないのか。 マーラーは作曲家であると同時に演奏家でもあったし、それゆえ自作品の解釈者でもあった。だが時代の制約もあってマーラー自身の演奏解釈の 記録は残っていない。コンサートホールでの演奏は繰り返し行われているが、ホールの音響的な条件がマーラーの「音楽」に相応しいものであるか、 オーケストラの演奏や指揮者の解釈がマーラーの「音楽」に相応しいものであるかは別の問題であるし、理念としての理想的なマーラー演奏のための アコースティクス、規範となる解釈を想定するのは、これもまた事後性に基づく仮構であろう。演奏の現場を知り尽くしていたマーラーは、自作の 「楽譜」すら絶対視せず、その都度の音響的な条件に応じた改変を認めていた。演奏が録音されるときに技術的な制約で情報が欠落してしまうことに 対する異議申し立てと、あるホールがマーラーの作品の演奏に適さないという理由で演奏をキャンセルすることの間に本質的で飛び越えられない ギャップがあるのだろうか。勿論、程度の差はあるし、その程度の差によってあるものは許容され、あるものは拒絶されるのだが、それは結局のところ 程度の差と見做して差し支えないのではなかろうか。

ここで再び「作曲家」マーラーの「改訂」の問題の展望の下で見るならば、マーラーが自分自身をも含めた「現場の判断」に基づく改変を許容したのは、 一部のパラメータに過ぎないことにも留意は必要だろう。既述のような絶えざる改訂のプロセスは楽譜が流通した後でさえ行われており、 「改訂」とその場限りの「現場の工夫」とを見分けることも微妙なケースがあるだろうが、それでも「演奏家マーラー」と「作曲者」マーラーの区別は 多くの場合可能だろうし、初期作品の複雑な創作のプロセスの経験の後、中後期の作品においては第6交響曲の中間楽章の順序の問題を 除けば作品の構造に纏わる変更はほとんど為されなかったと言って良く、不変とは言わないまでも、比較的安定した次元があり、それが 「作品」を実質的に規定しているのを軽視することは許されない。

マーラーを巡ってはコラージュ的な作曲法、多様式主義に繋がるような 通俗的素材の利用、晩年の無調的な響き、調律されていない特殊な打楽器の多用による騒音的な音響の導入などといった側面が 強調されることが多く、勿論そうした「傾向」はマーラーにおいて少なくとも萌芽的なレベルでは確実に存在したのだろうが、そうはいっても マーラーにおいては、既成の技法として取り上げられたのでなく、唯名論的に作品の内実の要請に従っていわば生み出されたのだと いいうることに注意しよう。それらが作曲された文脈ではマーラーの作品は「音楽からの逸脱」と見做されるような効果を備えていたことも 軽視すべきではないし、マーラーの音楽の唯名論的な、その都度形作られる形式にしてからが、ややもすれば単なる無形式と見做され 批判された事情も銘記すべきだろうが、そういう意味では変わったのは周囲の文脈の方で、マーラーの「音楽」は署名され、アーカイブに 保存されることによって、タイムカプセルに入れられたもののように変化せずに私の手元に届いているのだ。しばしば過去においては 新規な効果を持ったものが、今日では陳腐化して新鮮な効果を最早持ちえなくなっているといった言われ方をするが、ことマーラーの場合に 限れば、さしあたり今のところは、後から振り返ってみれば、相変わらずかつての同じ批判と同じ擁護が繰り返されているように 回顧されるのかも知れない。今日マーラーが生きていたら、作曲した作品が今遺されているものと同じものであったとは到底考えられないが、 その一方で、時空の隔たりを超えて残ったものを、あたかも骨董品のように陳列して眺めるがごとき受容の仕方は、最早受容とも継承とも 呼べまいし、マーラーの作品を通路にして過去の文脈の方に降りていき、時代の隔たりなどまるでないかのようにそうした文脈の中に 自分が入っていくような受容の姿勢も、マーラーの「音楽」を(勿論、そうした姿勢をとる人とってはそれこそ真正な聴取姿勢と 考えているに違いない)ある予断の中に閉じ込めるばかりで、それが時空の隔たりを超える力の在り処を明らかにすることはない。

いつの日か、マーラーの「音楽」が最早コンサートホールで、人間が楽器を演奏することによって 演奏されるのではなく、楽譜から直接、(自動的とは言わないまでも)音響的に合成されて再現されるようになったとしたら、それはもうマーラーの 「音楽」ではないのだろうか。それを聴くのは(シュトックハウゼンが想像したような)宇宙人ではなく、ロボットでもなく、人間なのだとしたら。 もしかしたら、その時の聴き手は、今日の聴き手と同じ「人間」では最早ないと言うべきなのだろうか。今、あなたはマーラーの「作品」の 「楽譜」を開き、楽譜を目で追いながらあなたの頭の中で音響を仮構するとする。最早空気の振動という意味での音響は存在しない。 その時あなたの頭の中を流れるのは、それでもなお、マーラーの「音楽」なのだろうか。熱心なあなたはじきに楽譜を覚えてしまい、 楽譜なしで頭の中に音楽を思い浮かべられるとしたら、その時には?楽譜は昇ったら捨ててしまえる梯子であると言い切ってしまって いいのだろうか。

「楽譜」以前にマーラーの音楽が「あった」のではないだろう。楽譜という記録のための補助具は、マーラーの交響曲のような長大で 複雑な作品の「創造」そのものにとって不可欠なもの、単なる外部記憶の媒体ではなく、作品の成立の条件をなし、プロセスを 構成する要素であるに違いない。とりわけパートタイムの夏の余暇の作曲家であったマーラーの場合、スケッチ帳からパルティチェルに、 それからスコアにという転記・編集の作業そのものが創作にとって極めて本質的なものであったに違いない。それはまた他者への伝達のために、 別の世代への継承のためにも必要だろう。それと同様に「演奏」なしでの伝達・継承もまた、ないだろう。仮にそれがアコースティックな楽器演奏に よる現実の空気の振動による音響の記録ではなくても、完全に電子的に合成されたものであったとしても、あるいは脳の中の音響像に 過ぎなくても、そうした合成や像の形成の前提をなすものとして、いわば「原」‐オーケストラの如きものの「演奏」があるのだ。

つまり、記譜され署名されてアーカイブ化される音楽は亡霊的であり、事後的に「再現」されるしかない。「再現」とはいうものの、 最初の1回は実は存在しない。作品が媒体に定着される過程、それは少なくともマーラーの場合は作品創造の過程に他ならないのだが、 イデアルな存在としての「音楽そのもの」、天才の頭の中に閃いた霊感の産物を抹消することにより、遅れて作品として生成する。自らが演奏家で あり、演奏を重ねながら改訂を加えていったマーラーの場合には、最初の演奏すら創作の過程を終結させる特権的な時点ではありえない。 だがいずれにしても、媒体への定着、それによる複写の可能性、再現可能性によって「作品」は成立する。楽譜は作品の不完全で部分的な備忘、 解読し、解釈することによる再構が求められている不完全な代補に過ぎないが、ことマーラーの音楽作品はそのようにしか存在しえないのだ。

純粋な、如何なるメディアをも想定しない透明なマーラーの「音楽」、いわばイデアの如きものとしてのマーラーの「音楽」は、それ自体が 事後性に基づく仮構なのだ。少なくともマーラーの「音楽」に限れば、それは予め、例えばマーラーの時代に存在した(そして100年後の 現時点でも存在している)楽器群に依拠している。サンプリングされた音響の合成の前提をしないという極端な仮定の下ですら、 それらの楽器の音響上の特性についての知識なしには、現実のオーケストラを不要とする音響の合成の前提が成り立たない。 楽譜に書かれている奏法指示の記号についても同じことが言えるだろう。更に、これまたマーラーの場合を特徴づける楽譜における自然言語での 様々な指示は人間の奏者、しかも特定の音楽文化の伝統に属する人間を想定して書かれていて、そうした背景なしにそれらを 音響上の効果に変換することはできない。更に一見したところ量的な変換が可能であるかに見える強弱法やアゴーギグなどの指示も、 実際には同様に特定の音楽文化の伝統に属する人間でなければ量的なものへ適切に変換することはできないのだ。 あなたは実演で聴いた、あるいはCD等の録音媒体で聴いた様々な演奏における楽器間のバランスやダイナミクス、テンポの設定等に 違和感を感じていて、自分の理想の演奏を別に頭の中で持っているかも知れない。だが、そのイメージを、何の媒介も無く楽譜に含まれる 記号や文字のみから構成したと考えるのは誤りであり、それらはマーラーが属する音楽伝統に対する様々な知識と様々な媒体による 聴取の経験(必ずしもマーラーの「音楽」のみのそれに限定されない)の上で初めて可能になっていると考えるべきなのだ。

転記や複写や記録は(作曲者たるマーラー自身による書き誤り・写し誤りも含めて)常に不完全なものだが、 一方で(ここでは人間の脳も含めて)マテリアルな媒体を介さない「音楽」はなく、ファイルのフォーマット変換のように、 SPレコードをCDに変換するように、ある記譜法を別の表記の体系に変換するように、変換をしつつでなければ「音楽」の受容も継承もない。 マーラーの「音楽」は、「本物」がどこか特定の媒体に結びついて存在するのでも、イデアルな存在として如何なる媒体とも独立に 存在するのでもない。(2011.6.11~14)

2011年5月29日日曜日

マーラーの音楽の「サウンドスケープ」

マーラーの音楽から聴こえてくる風景には当然のことながら、マーラー自身の生きた風景が映りこんでいるといって良いだろう。 勿論、聴き手が受け止めるものは聴き手の側の生きている風景の影響を受けて変容する。マーラー自身の生きた時代に関する知識が 無くてもそれなりに、その音楽から聴き取り、聴き手が構成する風景というのはあるだろう。マーラーの音楽自体が聴き手の生きている風景の 一部であるという視点は無視できないだろうし、そのようにして別の時空を生きた他者の風景を自分の風景に取り込むことが、聴き手の 風景を、同じことだが風景の感受の様態を変容させることは確実であろう。一方で、聴き手がもともと備えている風景の感受のあり方が音楽の嗜好に 影響し、マーラーのように風景の感受に対して肯定的であったり否定的であったりというのもあるだろう。また、こうした作用は何もマーラーにのみ 固有の事態ではなく、他の音楽作品についても起きることかも知れないし、或る種の音楽ではそうした事は起きないかも知れない。 だが、最後の点についてはいつもの通り、それによって音楽を定義することや音楽の類型を括りだすことには関心はなく、 個別のこの音楽(ここではマーラーのそれ)の個別性を突き止めることにあるので、ここでは専らマーラーの場合に絞ることにしよう。

マーラーの音楽から聴こえてくる風景といった時、そこで問題になっているのは、マーラーの音楽で用いられている「素材」としての音響だけではなく、 マーラーがそれをどのように音楽として組織化したかという形式化のあり方そのものである。実際にはこの両者は相関していて単純に分離することは できない。しばしば言及される「自然の音のように」というマーラーの指示も、それによってマーラーが「自然」の風景を音画的に描き出しているという のは(ヘーゲル的な意味合いで)抽象的な把握であって、その手前にはマーラーの「自然観」が横たわっているだろうし、それと表裏を為すように マーラーの「音楽」のありようが炙り出されてくる様相を捉えるべきなのだ。マーラーの場合には文化史的な視点での優れた研究というのが存在しており、 マーラーの「自然観」がどのような文化的背景を持つのかを重層的に把握する試みも行われている。だが「自然の音のように」と楽譜に書き込んだとき、 そのようにして形作られる「音楽」と「自然」との関係もまた問われなくてはならない。それをわざわざ混乱しきった「標題」の問題に還元するのは、 あまり粗雑な抽象、却ってマーラーの場合の特殊性を取りこぼし兼ねない誤った一般化ではなかろうか。それに比べれば、シェーファーの 「サウンドスケープ」を手がかりに、ベルンハルト・アッペルの「マーラーの交響曲における大都市型の知覚パターン―社会学的研究―」を紹介しつつ、 マーラーの音楽に、彼の生きた時代にまさに進んでいた「都市化」の力が映りこんでいることを示した渡辺裕さんの「文化史のなかのマーラー」の 第8章「都市の音の知覚」は遥かに多くのことをマーラーの場合について示唆しているように私には思われる。

とはいうものの、実を言えば、マーラーの音楽を「都市の喧騒」を映し出しているという主張そのものには単純に首肯し難いものを感じるし、 アッペルの挙げている「大都市型」の音の知覚に基づくとされる音楽書法「偶発的ポリフォニー」「異種並列様式」「主題の断裂」「モチーフの モンタージュ」の四つについても、個別の特徴が傾向としてマーラーの音楽に見られることについては同意できても、それを「大都市型」の音の知覚に 基づける点については違和感無しとはしない。残念ながらきちんとした議論をするだけの余裕がないので、ここでは後日の議論のための備忘として、 私の感じる違和感をごく素朴に書き留めておくことにしたい。

1.マリー・シェーファーの「世界の調律」の中の「記憶のホルン」について。ここではまさに「自然の音のように」という指示のあるあの第1交響曲第1楽章 の序奏のホルンが扱われているようだ。シェーファーによればそれは風景の変質を映し出しており、都市化の進展により喪われた田園風景を ノスタルジックに振り返るものだという。マーラーの時代に都市化が進展したのは間違ってはいないだろうし、各地を転々としつつ歌劇場でのキャリアを 積み重ねていったマーラーの居宅はほとんどの場合都市部にあったのは事実だ。「自然の音のように」という指示の裏側に、「自然」ではないものの 存在を意識するが故に、あえて恰も改めて模倣されるべきものとしてそのように書き込まなければならなかったという消息を関知するのも間違いでは なかろう。だが、ここで「自然」と対立するのは実のところ何なのか?第一義的にはそれは「音楽」という「人工物」と考えるべきではなかろうか。 些事に拘泥するならば、「記憶のホルン」の記憶は誰の記憶なのか。マーラーの幼年時代のそれなのか。あるいは「子供の魔法の角笛」歌曲集に おけるような幽霊的にしか存在したことのない偽りの過去なのか。それとも(夏の作曲家マーラーが作曲小屋で創作に励むのは少し先の話だが) 休暇に訪れる郊外の風景の記憶なのか。昨日、あるいは数時間前に訪れた郊外の風景の記憶としての「音楽」ということはないのか。 ハイドンとマーラーの間に、シューマンを、あるいはマーラーと時代と場所を共有した、だが、明らかに前の世代に属するブラームスを置いて、 そこでの「狩のホルン」の位置づけを問うた時、「記憶のホルン」はマーラー固有のものなのか。マーラー固有のものであるという強い主張が為されている 訳ではないことを認めたとして、ではそのことを殊更マーラーの場合に結びつけるのは、どのような事情によるのか。

2.ベルンハルト・アッペルの「大都市型」の音の知覚に基づく音楽書法をマーラーの音楽の特徴とすること自体に大きな異論はない。だが、 実際にはそれもまた程度の問題で、マーラーの音楽はそれらの特徴を、過去の音楽に比べて、あるいは同時代の他の音楽に比べて豊富に 備えているのは確かだとしても、或いはまた、非常に的確に渡辺さんがマーラーの音楽に対する同時代のカリカチュアによって例証しているように、 同時代の人々にとって顰蹙の種となる程にまでその特徴が際立っていたとしても、その後の音楽におけるほどそれらの書法は徹底されているわけ ではなく、寧ろ、マーラーの音楽の特異性は、そうした書法を伝統的な音楽の枠と対決させた点にあったのではないのか。渡辺さんもまた、第8章の結びの 部分で、ウィーンという都市そのものが「都市化」のベクトルと、それに抗する「伝統の力」の拮抗の場であり、マーラーはその「二つの力の狭間に あって激しく引き裂かれた」と書いているが、マーラーが「伝統の力」に敗れてウィーンを去ったというのを、この状況に重ね合わせるのには違和感を 感じずにはいられない。仮に歌劇場監督としてのマーラーが「伝統の力」に敗れてウィーンを去ったというのが事実だとしても(この点については私は 判断を留保する。判断するだけの材料の持ち合わせもないし、実のところそれ自体には興味もないので)、作曲家マーラーは本当に敗れたのだろうか。 そのように捉えることは、マーラーの音楽を一方的に「都市化」のベクトルの側のみに与するものとして捉えることになり、マーラーの音楽そのものが その拮抗の場であったという視点を損なってしまうことにはならないだろうか。

ここで例として、マーラーとやはり時代と場所を共有するが、マーラーとは 異なった文化的伝統にあり、かつ世代的にも後の世代であるチャールズ・アイブズの場合を思い浮かべてみよう。そしてまた、アイブズの場合と マーラーの場合とを比較して、「現実音」の使用に対する共通性のみならず両者の差異にも目配せしたドナルド・ミッチェルの「角笛交響曲の時代」の 記述を思い浮かべてみよう。この場においてはアッペルの取り上げる書法はそれ自体としては寧ろ、アイブズの方によりぴったりと当て嵌まる。 そして更にシェーファーに戻れば、「記憶のホルン」もまた寧ろアイブズにこそ相応しいようだし、「自然の音のように」などアイブズは書かなかっただろうが、 それはハイドンがそう書かなかったのと同じ理由によるのではなく、マーラーを挟んで両者がそれぞれの反対側にいるからなのだということ、「伝統の力」を それまた一つの(まさにアドルノ的な意味での)「素材」としたマーラーの音楽の立ち位置(それは境界を侵犯しつつ確定しているかのようだ)が 「自然の音のように」という指示に照応するのだということを、ここでは論証抜きで主張しておくに留める。

3.渡辺さんが「都市の喧騒」をきらって大自然の中の作曲小屋にこもったはずのマーラーのもっている別の一面をかいま見させてくれる例として 挙げている2つのエピソードについて。一つはアルマの回想の「新世界 1907~08年」の章に出てくる、マーラーがニューヨークのマジェスティックホテルに 滞在しているときのバレル・オルガンにまつわるエピソードであり、もう一つはバウアー=レヒナーの回想の「1900年夏」の章の「ポリフォニー」と題された 有名なエピソードであるが、これらを渡辺さんはウィーンのプラーター公園の遊園地における音知覚に結びつけ、第4交響曲が「街角の音楽」として 批難されたという同時代の反応に繋げていく。これらはアッペルの主張の紹介の所謂露払いのような位置づけの部分であり、シェーファーの 「記憶のホルン」から始まって、総じてマーラーの音楽を「都市の音の知覚」に基づくものとする主張を形作っている。だが、あえて些事に拘泥するならば、 バレル=オルガンのエピソードは摩天楼の聳える近代都市の中に突然侵入してきた「過去」の「記憶」が問題になっているのであって、それは寧ろシェーファーの 「記憶のホルン」に照応するもので、「自然」の側にあると考えるべきなのではないか。バレルオルガンのようなメディアが「自然」の側にあるというのは、 それ自体何某かの問題を孕んでいるかも知れないし、例えば人が似たような認識・知覚の様態を第9交響曲のハ長調の第2楽章に見出したとしたら、 それはそれで基調をなす「世の成り行きの喧騒」の側について、もう一度「都市の喧騒」との関係を問うのは全く正当なことだと思うのだが。

「ポリフォニー」のエピソードについても基本的には同じことが言えるだろう。つまりそこでの「ポリフォニー」は両義的なものであって、それが発生させる 喧騒・騒音は、「自然」のそれであり、同時に「世の成り行き」のそれでもあるという点にこそ、マーラーの音楽の、マーラーの音楽に刻印された 認識の様態の独自性が存するのではないのか。マーラーの都市型ポリフォニーの最も顕著な例として、人はまたもやハ長調の第7交響曲の ロンド=フィナーレを挙げるかも知れない。それを肯定的に評価するのであれ、否定的に評価するのであれ、あるいはそこでの「失敗」を 評価するといったアドルノ的な立場をとるにせよ、アドルノでさえ遊園地の喧騒を見出しているこの音楽こそ「都市の音の知覚」のもっとも端的な反映が 見られる範例であるといった主張がなされるかも知れない。だが、またもや些事に拘泥すれば、件のエピソードはオフ・シーズンの避暑地での出来事で あったのだし、第7交響曲のロンド=フィナーレの末尾では、先行する楽章では遠くから聞こえていたカウベルが舞台の上でガラガラと響きわたるのである。 第3交響曲の第1楽章でもそうだが、寧ろここでは「自然」そのものが大都市さながらの喧騒の巷と化していると言うべきではないのか。

勿論、オフ・シーズンの避暑地での出来事は、マーラーの時代ならではのもので、それもまた広義で「都市の音の知覚」の一部を為すという言い方もできるかも知れない。 だがそもそも、角笛もカウベルも「自然」そのものではない。(「ポリフォニー」のエピソードの末尾でマーラーが、またもや「過去」に遡行して、イーグラウの 森の中での経験を語ることに留意しよう。)第3交響曲第3楽章のポストホルンが人間の存在を告げ、自然の中に無自覚に埋め込まれているのではなく、 自然の中で、田園の風景の真っ只中で、だが距離をおいて(「遠くから」聴こえるのだから、聴き手の方が遠く離れているのだ)自然を眺める眼差しの存在を 証言するように、ここではそれが「都市」であれ「自然」であれ、自分が埋め込まれた環境に対する現象学的還元にも比せられるような括弧入れが 行われている、そうした態度変更が問題なのだ。(翻って、ハイドンの音楽には彼の生きた時代の「都市」の方は映りこんでいないのだろうか。決して そんなことはあるまい。)確かにマーラーの「自然」への態度には或る種の反省的な意識の介在が認められるし、それが文化的な背景を持つものであることも 間違いではなかろう。だが、マーラーは同じ眼差しを「都市」に対しても投げかけているのではなかろうか。彼の同時代の、もしかしたら「都市の音の知覚」に もっと(無意識、無自覚であるが故に)忠実かも知れない他の音楽と比較してマーラーの音楽を特徴づけるのは、それが「都市の音の知覚」の様態を 反映している点ではなく、「都市」も「自然」も含めた「世の成り行き」に対する反省的な視点であり、それらの手前、ないし彼方にあって(ということは その場には現れていないということだが)それらを根拠づけ、価値づける筈の(なぜならそれらはその場には現れていないのだから、それは実現はしていないし、 実現する保証もないのだ)ものに対する探求の姿勢ではないのかと思われてならない。そうした姿勢が音を聴く態度にも映りこむ。その結果として その音楽は(マーラー自身がそう語ったと伝えられるように)「憧れ」を含むのだ。「憧れ」は決して音楽の「標題」でもないし、「素材」ですらなく、 寧ろマーラーの姿勢や態度の結果として音楽が孕み、聴き手に伝播するものなのだ。

そしてもう一度。マーラーの時代の風景には、それがマーラーの音楽に直接映りこんでいるかどうかとは別に、「都市」的なものが含まれているのは確かだ。 渡辺さんが引いたカリカチュアに「4度で鳴く」カッコウとともに、蒸気機関車が含まれている点は、私が蒸気機関車をマーラーの音楽に見出すかどうかとは 別として、興味深い。私は蒸気機関車をごく例外的にしか知らない「から」、聞き取れないという可能性を否定しない。マーラーの時代の「都市」と 私が知っている「都市」は同じものではないから、私はそれを「都市の音の知覚」として聞き取れないという可能性もまた。マーラーの時代、馬車はまだ 走っていたが同時に市電が走り始め、自動車もまだ珍しいものであったけれど、既に走っていた。鉄道網、蓄音機、写真、記録装置としてのプレイヤーズ・ピアノ、 白熱電球といった技術がまさにマーラーの生きている時代に発明され、その後の普及を待っている状態にあった。電力を用いた様々なメディア普及の前夜に 書かれた「音楽」。実のところ私にはマーラーを聴いても「都市の喧騒」はちっとも響いてこない一方で、公式な(だが如何なる権威によってか?)マーラーの後継者、 息子たちとは隔たって、20世紀のメディアの揺籃期に生み出された作品としての位置づけを確認する作業を行い、その上で今・ここで自分に呼びかけられているものに答え、 記憶の継承への関与していかなくてはならないように感じている。ここでも別のところで別のある人物によって、ある別の人物について(ああ、だが、ここに或る種の並行 関係を認めるのは決して不当ではないだろう)の講演の冒頭で掲げられた奇妙なスローガンが木霊しているかのように。あなたでも私でもいい、 誰かが進み出て以下のように言う。「生きることを学びたい、終に」、と、、、(2011.5.29初稿)