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GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2024年8月12日月曜日

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及(Taschenbuch版全集第13巻p.300,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.202)
In der dialogisierenden Anlage des Satzes erscheint sein Gehalt. Die Stimmen fallen einander ins Wort, als wollten sie sich übertönen und überbieten: daher der unersättliche Ausdruck und das Sprachähnliche des Stücks(, der absoluten Romansymphonie).

楽章の対話する配置構造の中で、その内実が現れる。個々の声部は互いに口をはさみ、まるで互いを圧倒して競い合おうとするかのようである。まさにそこから、(絶対的な小説交響曲と言うことのできる)この作品の、飽くことなき表現と言語類似性とが生じている。 

偶々パウル・ツェランに関する書籍(関口裕明「パウル・ツェランとユダヤの傷 -《間テキスト性》研究-」慶應義塾大学出版会, 2011)の中で、ツェランとアドルノの 関係を扱っていた章を読んでいると、アドルノがマーラー論の上記の箇所を自己引用した書簡(1960年6月13日付)をツェラン宛に送っているものの引用(pp.160-1)に ぶつかった。同書末尾の書誌によれば、この書簡はアドルノ研究の年報のようなものに掲載されただけ(Theodor W. Adorno - Paul Celan: Briefwechsel 1960-1968. Hrsg. von Joachim Seng. In: Frankfurter Adorno Blätter VIII)のようなので、アドルノの研究者あるいはツェランの研究者でなければ目にすることは困難で、 そのいずれでもない、私のような市井のマーラーの聴き手にすれば、こうした事実を確認できるのは僥倖に近いものがあるので、ここに書きとめておく次第である。
 
なお、括弧で括った部分は、アドルノが引用の文脈上省略したと思われる部分である。引用の文脈について簡単に触れておくと、1960年5月23日に ツェランが、講演や書簡を除くと、彼の書いたほぼ唯一の散文である「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)を送ったのに対するアドルノの返礼が、上記の 文章の引用を含む6月13日付けの書簡となる。もともと「山中の対話」は、前年の1959年夏、ツェランがエンガディーンに滞在した折、同地でアドルノと 直接出会うチャンスがあったにも関わらず、アドルノの到来を待たずに同地を去りパリに戻った後、エンガディーンでの実現されなかった出会いの思い出として 書いたとツェランが自ら証言している散文であり、作中の対話の一方の話者である「大きなユダヤ人」はアドルノを指していると言われている。
 
上記の書籍を紐解いたのは、私がパウル・ツェランに関しては文学としては例外的な関心を抱いていて、その詩や散文を折に触れ読み返しているという 文脈あってのことなのだが、そうした文脈があればあったでなお一層、アドルノとツェランのやりとりの中で、マーラーの第9交響曲についての言及があるのは 非常に印象的なことである。だがツェランに親しんでいる人間の側に立てば、上で簡単にその一部を述べたアドルノとツェランとの交流については良く 知られたことではあるし、特に「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)に因んだやりとりはあまりに有名であるけれど、そこでマーラーの音楽が参照されることの方には、 些かの意外感がある、というのが一般的な反応であろうと想像される。関口さんも、上記を含む書簡を訳して引用した上で、「音楽にも精通していたアドルノ ならではの批評である。」としたあとで続けて、「独立した芸術作品としては、アドルノが『マーラー』で論じたマーラーの第9交響曲とツェランの詩的散文との 間には、ジャンルはもとより、その本質においても埋め難い径庭がある。」とコメントされている。
 
些か余談めくが、関口さんは、引用元であるアドルノの 「マーラー」の原文にあたられているようで、上で触れた省略についても述べられているのだが、それならば今度はアドルノが自己引用した文章のすぐ後、 パラグラフの結びとなる一節である"als ob die Musik während des Sprechens den Impuls zum Weitersprechen erst empfinge."の後半、"den Impuls"以降の部分が、 関口さんがツェランとの関わりで関心をお持ちのようで、ツェランに取材したオペラの初演にも立ち会われたと別の書籍で述べられているルジツカのヴィオラ協奏曲(1981) のタイトルとして用いられていること、そしてその作品でルジツカはまさにマーラーの第9交響曲をベースにしていることもまたご存知なのだろうか。のみならずルジツカには、 第5楽章にマーラーの第10交響曲の主題の引用を含む弦楽四重奏曲《...断片...》(1970)があるが、この作品はパウル・ツェラン追悼のために書かれたもので、 モットーとしてツェランの"Lichtzwang"からの一節が掲げられているのであるが、これについてはどうだろうか。
 
勿論、こうしたルジツカの側の文脈を列挙したところで、マーラーの音楽とツェランの詩的作品の間の関連を無条件に裏付けたり、 直接に証明したりするものでないことは明らかだが、仮に傍証であるとしても、こうした作品を書いている ルジツカのツェランに対する関わりについての言及を他所で行う一方で、ここでは「その本質においても埋め難い径庭がある」と断定し、だが、その断定に関する 一切の論証をせずにこの話題から離れていってしまうのは、上記のような事情を知る私にとっては非常に残念なことに感じられてならない。 浩瀚な大著のほんの一部でいわば通りすがりに言及されているだけなのであるから、無いものねだりなのだとは思いつつも、読者の私としては、俄には 受け入れがたい断定的なコメントがいわば宙に浮いたまま取り残されてしまった感じがして、ひっかかりを抱き続ける仕儀となっているのである。
 
さりとて、それについてツェラン、アドルノ、マーラーのいずれの研究者でもない私に何かが言えるわけでもないのだが、それでもこの文脈で主題的に論じられているのが 「対話」であることは明らかで、それがツェランにとっては極めて切実な問題であること、マーラーにおいても技法の次元を介してではあるが、極めて根本的な 問題であることもまた明白に思われるだけに、関口さんが、(あっさり通り過ぎてしまったマーラーの方はともかくも、)その点にはあたかも自明の前提の如く、 後続の「山中の対話」の分析でもほとんど主題的に扱うことがないことにも違和感を覚えてしまうのである。関口さんも指摘するとおり、ツェランは「子午線」において 「芸術」に「詩」を対立させる独特の詩論を展開するが、その一方でツェランはまた、先行するブレーメン講演で表明されている通り、詩を内的なモノローグ、 独語ではなく、「投壜通信」として、つまり対話として捉えてもいるのだし、そうした文脈で「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)を読むとき、まずそれが、タイトルに 「対話」という語を含み、形式として対話構造を直接持っているのではないが、その中で対話が繰り広げられていること、一度きり散文として対話が いわば「直接に」作品中でなされていることが持つ意味合いについてのコメントがあってしかるべきではないかという気がしてならない。
 
それはユダヤ性という点においても (ツェランが直接会って失望したブーバーよりも、寧ろ、ツェランの「投壜通信」への遅ればせの応答のようにツェラン論を書いたレヴィナスやデリダにおけるそれを 私は思い浮かべているが)決して瑣末な問題ではないし、「間テクスト性」という概念自体、ツェランについてそれを研究するのであれば、ツェランのいう「対話」概念 との絡み合いへの反省なしに行うことは、事態に即しているとは思えない。
 
してみれば、ことはマーラーに関わる部分に限定されるのではない。アドルノとツェランのこのやりとりを 「文章の音楽的効果」を介したものとして紹介するのは全く正当ではあるけれど、まずは何よりも、そこでジャンルを跨いだ「間テクスト性」において問題とされている 「対話」という主題という直接的なレベルにおいて無視が行われている点が、「対話」という主題の持つ射程、ジャンルを跨いだ「間テクスト性」概念自体にも 及ぶであろうそれに対する無視と重なって、ここで検討されるべきであった筈の論点、仮にマーラーの音楽について言えば個別には「その本質においても 埋め難い径庭がある」としても、それであればそうした個別の事情の方を無視して(つまり、マーラーが関係ないとおっしゃるならそれはそれでいいから)、 なお取り上げるべき論点、アドルノが指摘する「対話」の問題についての検討が為されていないことを遺憾に感じる気持ちを抑えがたいのである。 そもそも「間テクスト性」研究の正当性は、ツェラン自身が 「対話」を志向していた点(それが常に成功したのか、主観的にツェランがどのように感じていたか、晩年のツェランの抱えた問題がそれにどう影響したか、と いった問題は考慮しないといけないだろうが)に存している筈であり、「間テクスト性」の表れのレヴェルではなく、それを根拠づけている構造のレヴェルで 「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)はまさに結節点に位置しているのではないか。
 
だがここではマーラーの文脈に戻ることにしよう。マーラーの音楽において「対話」というのは、表面的には(子供の魔法の角笛を歌詞に持つ、バラード的な 作品が特に顕著だが、例えば「大地の歌」の終曲においても出現する)歌曲の歌詞における2つの人格間のやりとり、 「嘆きの歌」から第8交響曲第2部の「ファウスト」終幕の場に至る、やはり歌詞を持つカンタータ風の構想を持つ作品におけるテキストレヴェルでの プロットとしてのそれがまずあるが、それ以上に、アドルノがここで第9交響曲を主題に扱っている、形式面でのそれ、マーラーが出発点として参照し 続けたソナタ形式から取り出して見せた長調・短調の二元論(第6交響曲の第1楽章の第1主題と第2主題のブリッジの部分に出てくる有名な モットーはそれをいわば「蒸留」したものであろう)と、マーラーの音楽の一貫した特徴である2声の対位法による思考(それがむき出しの形で現れるのは、例えば 第9交響曲の第4楽章の最初は変ニ短調で現れる挿入句が、ついで嬰ハ短調で再び登場し、独立した対主題として成長するときにとる形態 だろう)、多楽章形式における視点の移動・変更(それがいわば「標題」として表に出ているのが第3交響曲の場合だろうが、別に第3交響曲において それが最も著しいわけではないし、例えば、一見そうは見えなくても、実際には「大地の歌」においてもはっきりと判別することができるが、それについて私は 別のところで素描を試みたことがある)、そしてそれとは異なったレベルでの作品自体の機能のレヴェル(例えばマーラーがアルマ宛の書簡で作者が 成長する折に脱ぎ捨てた「抜け殻」に過ぎないと述べているようなレヴェル)における「対話」や「贈与」といったコミュニケーション的な観点を 併せて考える必要があるだろう。
 
マーラーの音楽は肥大した自己意識の誇大妄想的な主観的独白と見做されることが多いようだが、何よりも上に述べたような、その音楽の 実質を支える内的な形式構造がそうした見方を否定する。マーラーの音楽が忌避されるのは、それが彼の表現として主観的だからではなく、 それが主観を苛む外部との葛藤を常に内的契機として孕んでしまっていて、美的な観点から判断すれば醜悪なものを内容するが故に、 心地よい音楽を求める人にとってそれは耳障りだからであり、逆に「心から心へ」の音楽観に忠実な人から見れば、その音楽は対立する契機を 含が故に屈折し、内的表白として理解しようとするものを拒む秘教的な暗号めいたものを持つゆえに素直に受け取ることができない胡散臭い 代物に映るからなのであろう。だがいずれにせよ「対話」という点においては、まずは内的な形式におけるそれが契機となって、今度はその作品自体が 他者に向かって開かれたもの、時代と環境を越えて、表現することのできない者、見捨てられた者の声を伝えるものであるという点で、ツェランが詩作を 通じて取り組んだことと一致するように私には思われる。上に引用したアドルノの指摘は、そうした一見したところ「埋め難い径庭」を超えた、両者の 最も個別的な側面での一致にまで通じるものなのではないか。
 
それはまた、それが成功しているかどうかは別として、ルジツカがなぜ、ツェランを追悼する作品でマーラーの音楽をまさに「間テキスト的」に引用せずには いられなかったかという理由にも繋がることは疑いない。勿論、現時点では論証抜きの仮説に過ぎないことは承知しているが、それでもこの場での私個人の 暫定的な結論はマーラーの音楽とツェランの詩的作品のジャンルの違い、2人の生きた時代や環境、それぞれの作品の持つ文脈の違いを 超えて、「対話」の構造において両者は本質的な関連を持つ、というものである。付言すれば、それは学問的論証のレベルではまだ取るに足らない レベルだし、私のような市井の人間の思いつきがきちんとした論証に辿り着く日が訪れることは、少なくとも私に残された時間を思えば、私個人の時間の 裡ではないと考えるべきだろうが、それでもなお、私はここでそれを「投壜」して、潜在的な読み手との「対話」を試みることはできる。そしてそれは、 ツェランの詩とマーラーの音楽に自分の生の極めて本質的な部分を支えてもらっている、それどころか私自身の一部であるとさえ感じている、それ自体は 取るに足らない存在に過ぎない私のではあるけれど、自己の個別性を賭した主観的確信に由来する行為なのである。否、そうした無力で言葉を 奪われたものである私、マーラーの音楽とツェランの詩に自己の代弁者を、自由を、あえて言えば"Schrift der Wahrheit"を見出すものの証言であるが 故に、論証としての説得力には至らずとも、この文章自体がせめて一つの証言としての意味があるのではないかと願わずにはいられない。(2012.10.20/21 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より(Taschenbuch版全集第13巻p.309,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.214)
(...)Vom Unwiederbringlichen vermag das Subjekt die auschauend Liebe nicht abzuziehen. Ans Verurteilte heftet sich der lange Blick. Seit der unbeholfenen, vom Klavier begleiteten Jugendkomposition des Volkslieds » Straßburg auf der Schanz' « sympathisiert Mahlers Musik mit den Azocialen, die umsonst nach dem Kollektiv die Hände ausstrecken. » Ich soll dich bitten um Pardon, und ich bekomm' doch meinen Lohn! Das weiß ich schon.« Subjektiv ist Mahlers Musik nicht als sein Ausdruck, sondern indem er sie dem Deserteur in den Mund legt. Alles sind letzte Worte. Der gehenkt werden soll, schmettert heraus, war er noch zu sagen hätte, ohne daß einer es hört. Nur daß es gesagt wird. Musik gesteht ein, daß das Shicksal der Welt nicht länger vom Individuum adhängt, aber sie weiß auch, daß dies Individuum keines Inhaltes mächtig ist, der nicht sein eigener, wie immer auch abgesplatener und ohnmächtiger wäre. Darum sind seine Brüche die Schrift von Wahrheit. (...)

(…)主体は、取り戻すことのかなわないものから、眺めている愛の眼をそらすことができない。判決を下されたものに対して、じっと見つめるまなざしがつきまとう。すでに若い頃の、ピアノ伴奏によるぎこちない民謡の<シュトラースブルクの堡塁で>以来、マーラーの音楽は、集団に対して無為に手を差し伸べる反社会的な人々への共感を抱いている――「許してくれと言えという。だけど罰はどのみち受けるのだ。それはもうわかっている」――マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることによって主観的なものとなるのだ。すべてのものが最後の言葉である。絞首刑になるべき者は、誰にも聞かれることなく、彼がまだ言いたいことを大声で語る。しかしそれはただ語られるだけなのである。音楽は世界の運命がもはや個人には左右されないことを認めるが、音楽はまたその個人が、どれほど引き裂かれた無力な内容でも、自分のものではない内容を意のままにすることはできないということも知っている。それゆえに、マーラーの音楽の破綻(ブリュッヘ:訳文原文ルビ)は、真理の書かれたもの Schrift von Wahrheit なのである。 (…)

アドルノのマーラー論の終わり間際の上記の一節は、別のところで既に紹介した1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分ともども、 マーラーの音楽が何であるかを正確に言い当てているように私には感じられる。否、より正しくは、「マーラーの 音楽が私に語ること」が何であると私が感じているかを正確に言い当てていると感じている、と言うべきなのかも知れない。マーラーの音楽を聴き始めたばかりの 子供は、自分ではそれをここまで正確に言い表すことができなくても、やはりそのように感じていたと思うし、それから30年後の今、かつては既に縮図としてではあれ、 自分が置かれた環境においては実感してはいたものの、寧ろより多くは予感であったものが、今や紛れもない実感として迫っていると感じられる。
ここでもまた「子供の魔法の角笛」が引き合いに出され、マーラーの音楽が流布しているロマン主義的な意味合いでの自己表現ではないことが説得的に 述べられている点には留意すべきだろう。寧ろそれは、そのような自己表現を禁じられた者に対する共感であり、擁護なのだ。マーラーの音楽がすっかり 「当たり前」になり、一時期は「マーラーの時代が来た」などど持て囃されて後もなお、マーラーの音楽の毀誉褒貶が著しいのは、マーラーの音楽が はっきりと聴き手を選ぶからなのだと思う。この音楽を不要なもの、不快なものと感じる人、この音楽を聴いて見たくないものを突きつけられているような 居心地の悪さを覚える人間がいるのは仕方ないことなのだ。けれども、その一方で、時間の隔たりと空間の隔たりを超えて、この音楽を欲している人、 この音楽の眼差しを必要としている人もまた確かにいる。マーラーの直面した敗北、感じた孤立、自分がそこで生きるしかない世界から、にも関わらず どうしようもなく疎外され、断罪されているという感じ方に共感を覚える人達のために、この音楽は存続し続けているし、存続し続ける。 マーラーの音楽がコンサートホールでの熱狂にどこか似つかわしくないというのも、その音楽が実は、誰も聞く耳を持たない最後の言葉を語らずには いられない疎外された人間のためのものだからなのだ。
一点だけ、些細なことだが、この著作に専ら新しい邦訳で接している方に対するフォローを。上記引用文の2つ目の文にder lange Blickという言い回しが 出てくる。これは引用文を含むこの著作の最後の章全体のタイトルでもある。内容に配慮してのこととは思うが、新訳では、タイトルは「長きまなざし」、 上記引用文では「じっと見つめるまなざし」と訳し分けられていて、それが同じ言い回しであることに気づかない。(ちなみに竹内・橋本による旧訳およびJephcottによる 英訳では、どちらもそれぞれ「長いまなざし」、the long gazeという同じ訳語が充てられている。)仕方ないことかも知れないが、このマーラー論のまさに最終章が 何故そのようなタイトルを持つか、アドルノが読み手に示唆したかった事がどのようなものであったかを窺い知る鍵の一つであると私には思われるので、 あえてここで注意を促しておきたい。
そのまなざしが聴き手にもまた届いていることを、マーラーの音楽の聴き手のうちのある種の人達は、私とともに感じ取っている ことと思う。破綻を破綻として、だが断罪するのではなく、愛をもって見つめつつ記録すること、内容の破綻とそのまなざしの二重性こそ、意識の音楽たる マーラーの作品の固有性であると私には思われる。アドルノはここでdie Schrift von Wahrheitという表現をしている。だが、私にはそう言ってしまっていいものか、 躊躇いがある。私自身は寧ろ、それが真理であればと願っているけれど、この世界ではそのようには認められないこと、常にその真理は「ここ」にはないのだ、 マーラーの音楽という仮象としてしか存在しえないのだ、ということを思わずにはいられない。否、だからこそ、勿論アドルノは正しいのだ。彼は破綻こそが そうであると言っているのだから。ここにあるのは断罪だけ、判決は覆らないし、声は届かない。甘え、感傷、自己憐憫、ナルシシズムといった批判はきっと この世界では正しいのだ。私もまた「私が間違っているのはわかっている」と言わざるを得ないのだ。私がいなくなっても、マーラーの音楽が遺ってくれればそれでいい。 私は彼のようには語れないし、彼が充分に語ってくれているのだから。(2009.3.14  執筆・公開, 2024.8.12 訳文を追加。)

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用(Taschenbuch版全集第13巻p.306,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.210)
(...)- Die Episode des Durchbruch ist in der Burleske so vergeblich geworden, wie die Hoffnung des sich öffnenden Fensters beim Tod Joseph K.'s im Prozeß, nur noch ein Flattern des richtigen Lebens, das möglich wäre und nicht ist: » Wie ein Licht aufzuckt, so fuhren die Fensterflügel dort auseinander, ein Mensch, schwach und dünn in der Ferne und Höhe, beugte sich mit einem Ruck weit vor und streckte die Arme noch weiter aus. « (...)

 (…)――突破のエピソードはブルレスケにおいてはむなしいものとなってしまった。それはちょうど『審判』の中でヨーゼフ・Kが死ぬときに開けられる窓の希望と似ており、可能ではあるがそこにはないような、正しい生の翻る様なのである。――「光がさっとひらめくと、窓の両側が開き、遠く高いところにかすかにぼんやりと、一人の人間がぐっと身を乗り出して腕をさらに先へとのばしていた。」

カフカの『審判』は、理由もわからず逮捕され、己の罪名もわからぬまま訴訟を起こされて裁判の被告となり、恥辱だけを残して犬のように「処刑」されていく ヨーゼフ・Kの物語だが、アドルノはそれをマーラーの第9交響曲のロンド・ブルレスケのエピソードについて述べるところで引用している。 それは丁度、更に後の、このマーラー論全体の末尾近くで、» Straßburg auf der Schanz' «に言及するのと呼応し、 最後に「子供の魔法の角笛」に登場するヴァリアント達、見捨てられた歩哨、美しいトランペットの響くところに埋葬された男、哀れな少年鼓手といった面々に繋がっていく。

全てのものが、誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだ。ヨーゼフ・Kはその光景を目にして、友達が、自分を助けてくれる人間が居るのでは、自分を 弁護する異議がまだあるのではと自問する。だが彼は、抵抗することが無価値なことを既に覚っているのだし、実際、その通りにしかならない。「極めて反抗的に」と 指示された音楽もまた、真理が幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。この音楽は、ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような 人間にとってまさに己を代弁するものとなる。

かつてパウル・ツェランはブレーメン講演において、マンデリシュタムが「対話者について」で述べた「投壜通信」を引用して、 詩を、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信であるとした。航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて 海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉は、だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、 砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に拾い上げられて読まれることはないのだろうか。マンデリシュタムはやはり「対話者について」において、そうした手紙を読むことが 自分の権利であると言っている。壜を見つけたものこそが手紙の名宛人なのだと。

マーラーもまた、死を前にして、» Die mich suchen, wissen, wer ich war, und die andern brauchen es nicht zu wissen. « と述べたという。私はその音楽が (自分がどんなにつまらない、価値のない人間であったとしてもなお、あるいは、マーラーの音楽が対象であれば寧ろ、それだけになお一層)私に宛てられたものであると 感じる。終わるのをためらって漂う第9交響曲の終曲に、マーラーの長いまなざしを感じ取ることができるように思える。音楽は、これもまたツェランが詩について 言ったのと同様、永遠を望みはしても、時を超越したものではありえず、時間の流れをかいくぐり、通り抜けて他人のもとに届くものなのだろう。その価値は 天空のどこかで定まったものではない。壜を見つけ、手紙を読み、それが自らへの呼びかけであることに気づいた者は、己が行使した「権利」に見合った 「義務」を果たすべきなのではなかろうか。どんなに頼りなく、不完全な、取るに足らない試みであったとしても、己の受け取ったものに比べれば無にも 等しいものであったとしても、それを為すのが私のつとめなのではなかろうか。 こうしてこのような言葉を連ねることにより、願わくばそのつとめの幾ばくかが果たされんことを。(2009.3.14 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

ヴァルターの「マーラー」における「エンテレケイア」についての言及

ヴァルターの「マーラー」における「エンテレケイア」についての言及(原書Noetzel Taschenbuch版pp.104-105,邦訳 『マーラー 人と芸術』,村田武雄訳, 音楽之友社, 1960, p.191)

Als in seiner Gegenwart einmal davon die Rede war, daß aus einem durchschnittenen Regenwurm zwei würden, indem die hintere Hälfte sich einen neuen Kopf zulege und selbständig weiterexistiere, rief Mahler sofort aus: »Dies wäre ein Beweis gegen die Entelechien-Lehre des Aristoteles.« Er war viel zu einsichtig und siener mangelhaften sachlichen Ausrüstung bewußt, um der wissenschaftlichen Bedeutung solcher Bemerkungen sicher zu sein; doch interessierten ihn Gedanken dieser Art zu heftig, als daß er sich mit der einfachen Aufnahme des Wissensstoffes beruhigt hätte; seine Denkenergie konnte nicht anders, als durch fachlich fundierte Widerlegungen zu tieferer Einsicht zu gelangen. Immer aber erregte die großartige Intuition, die aus seinen Bemerkungen in der Diskussion sprach, die Bewunderung seiner Freunde aus dem Gebiet der Wissenschaft.
又誰かがかれの面前でみみずを二つに裂き、二つの標本をつくって、後部が新しい頭を生やし、独立に生存しつづけるのを明示したとき、かれはたちまち、それはアリストテレスの質料の円現(エンテレケイア)の学理に対する証拠であると叫んだことがある。
かれはかれの科学的準備の欠陥に対してよく気がつき又感づいていたので独断に走ることはなかったが、この種の科学的な問題について単に正確な知識だけで満足することはできなかった。かれの旺盛な思考活動は、かれをして問題に深く没頭せしめた。それだけに、これらの学理の基底を究明発見して、より進んだ理解力を得たとかれが確信したときの幸福さは、まったく説明のしようがなかった。
論争中に、かれの所説に示されるすばらしい直観力は、かれの科学の友だちを感服せしめずにはおかなかった。

マーラーの自然哲学・自然科学への関心については別のところでも触れているが、このヴァルターの証言は、極めて具体的な例を挙げているという点で 鮮明な印象を残すものであろう。引用された部分の直前には、物理学における例も挙げられているが、ここでは生物学史における「生気論」と「機械論」の 対立の一齣の証言でもある、アリストテレスのエンテレケイアの理論についてのマーラーのアイデアに注目することにする。エンテレケイアの理論がアリストテレスに 端を発するということは言うまでもないことだが、マーラーの同時代においては、何といってもドリーシュのウニの胚の分割の実験結果に基づくいわゆる「新生気論」に おける胚発生の等結果性に対する説明原理としてのエンテレキーのことであったと思われる。もっとも、エンテレケイアについてはゲーテも述べており、ゲーテの 文学作品や対話記録のみならず、自然科学的な著作にも通じていたらしいマーラーはゲーテの説を思い浮かべていたのかも知れない。
マーラーが指摘している事象の方についていえば、これがミミズの中でも一部の種に見られる分裂による生殖を指すのか、トカゲの尻尾と同様の再生のことを 指すのか、両方の可能性もあるだろう。ワルターの記述をその通りに読めば前者であろう(なぜなら後者の場合には、プラナリアのような場合とは異なって、 分断された2つの部分のうち頭部の方には尾部が再生するが、尾部の方には再生が見られないからである)が、いずれにしても、最終の典型的生物体を 目的として予想しつつ現象を補正していく要因としてのエンテレキーの考え方を踏まえたコメントをマーラーはしていると思われる。
ところで私のドリーシュの主張に対する知識は、ドリーシュの著作そのものに拠るのではなく、フォン・ベルタランフィの"Das biologische Weltbild I , Die Stellung des Lebens in Natur und Wissenschaft", 1949、邦訳:「生命 有機体論の考察」, 長野敬・飯島衛共訳, みすす書房, 1954によるのだが、 フォン・ベルタランフィは1901年にウィーンの近郊に生まれているから、勿論直接的な関係はないにせよ接点のようなものはあるわけで、何より、「生命」という 著作が、ドリーシュのエンテレキーの理論から始まり、ゲーテの「ファウスト」の一節でしめくくられるということからも同じ文化的な世界に属しているというように 私には感じられる。
フォン・ベルタランフィも明確に述べているように、ドリーシュの「新生気論」そのものには(そうしたことを企てる動きもあるだろうが)今日に おいては最早過去の遺物、理論的には(フロギストンやエーテルがそうであったように)端的に「誤り」であるというのが適当だろうが、フォン・ベルタランフィ自身が 述べるように、その発想は有機体論に受け継がれているというように考えることもできるだろう。「誤り」という点においては当時の機械論もまた同様に誤りで あったと言うべきだろうし、今日では「情報」と呼ばれているものを極めて不正確ではあれ、予感していたのだという見方もできるかも知れないのである。 ただしそれはあくまでも「予感」に過ぎず、説明としては全く不充分なものであった。例えばゲーテの形態論には、ジョフロワ・サンティレールとともに、 「器官の平衡」のような考えがあるが、それはフォン・ベルタランフィが見出したような動的な平衡ないし定常状態として、開放系動力学に基づいた 定量的な法則を備えた形態形成理論によってようやく十全な説明が行われるものの現象論的な観察に過ぎない。科学史的な関心は別の意義が あるだろうが、今日においてそうした過去の理論をそのままなぞることは不毛な結果、いわゆる「知の欺瞞」にしかならない。これまたフォン・ベルタランフィが言うとおり、 単なる「相似性」による許しがたい偽りの類比やそこから生じる誤った判断は、論理的な相同性に基づくシステム論的な方法論により締め出されるべきなのである。
翻ってマーラーの音楽について述べられていることを顧みれば、ここでは生命ではなく、文化的な創造の産物が対象なのではあるが、機械論と生気論の 対立にも似た状況があるように思われる(これ自体が偽りの類比ではないということを証明することはここではできないが、そうではないと私は考えている。) マーラーの音楽のような複雑な対象の説明のための語彙は未だに十分には整備されていない一方で、粗雑で検証に耐えないような比喩や類比、 音楽そのものに辿り着かない別の平面をなぞるだけに終始している標題に関する議論が跋扈している。実際にマーラーの音楽を演奏し、聴取する時に 起きていること、演奏する主体の、聴取する主体の行為を説明するための理論が欠けていて、とりわけても優れた演奏が掴んでいる何か、そこで生じている 出来事の構造の記述があまりに不完全な仕方でしかできていないというように私には感じられる。
勿論、作曲家の側がそれを「神秘」と見做し、説明を拒絶する場合もあるだろう。マーラー自身、自作の分析や解説の類に懐疑的であったという証言が 多数あるのだが、私見ではマーラーの場合には、その説明の手段の貧困と、その直接的な帰結である結果の貧困、許しがたい歪みや誤りを拒絶したのだ。 そして、今日マーラーの音楽を受け止める時に、そうしたマーラーの態度を楯にとってマーラーと同時代と同じレベルの記述・説明に終始するのは、 マーラー自身の志向に反しているのではというように私には思われてならない。勿論、その一方で、既に半世紀以上も前に書かれたフォン・ベルタランフィの 著作を梃子に、せいぜいが四半世紀前までに提唱された理論(一般システム理論、情報理論、サイバネティクス、人工知能、脳神経科学、精神の生態学、 オートポイエーシス、いわゆる「複雑性」についての様々な理論はどれも皆、全てそうである)の中に未だにいて、なおかつ何よりも一世紀前のマーラーの音楽への 拘りを捨てられない私のあり方自体のアナクロニズムについては認めざるを得ないのだが、、、(2013.1.20 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

ハンス・マイヤー「音楽と文学」より

ハンス・マイヤー「音楽と文学」より(Gustav Mahler, Wunderlich, 1966, pp.145--146, 邦訳:酒田健一編「マーラー頌」p.356)
(...)
Gustav Mahler ist ein (großartiger) Usuroator : auch in der literarischen Sphäre, wie in seinem Verhältnis zur Natur, wie in der Auseinandersetzung mit den religiösen Bereichen. Mahlers Kunst ist in einem so exzessiven Maße dazu bestimmt, der Selbstaussage zu dienen, sie ist in ihren tiefsten Impulsen so ausschließlich Autobiographie, daß alles andere daneben nur als Vorwand zu dienen vermag. Dieser große Künstler verhält sich zur Literatur zunächst wie ein naiver Dilettant, der beim Lesen von Gedichten oder Romanen alles verschlingt, was der Identifikation zu dienen scheint, so daß er alle Aussagen der Dichter danach prüft, ob sie ein Wiedererleben eigener Zustände gestatten, all jene Seiten jedoch überschlägt, die dafür nicht zu taugen scheinen.
(...)

(…)
グスタフ・マーラーは一個の(壮大な)強奪者である。文学の世界においてもそうであり、自然との関係においてもそうであり、宗教的な領域との対決においてもそうである。マーラーの芸術は、はなはだしく自己陳述的な性格をもち、そのもっとも深い衝動においてまさに自伝以外のなにものでもなく、したがってそのほかの要素はすべてそのための口実として役立ちうるにすぎない。この偉大な芸術家は文学にたいしてなによりもまず素朴なディレッタントとしてかかわってゆく。つまり、詩や小説を読むさいに自己との一体化に役立つと思われるものだけをむさぼり食らい、それゆえ詩人たちのどんな言葉も、それらが自己の状態の再体験をもたらすものであるかどうかによって吟味し、それに役立ちそうにないページはすべて読みとばしてしまうのである。
(…) 

この言葉を含むハンス・マイヤーの論文は大変に面白いもので、その内容が刺激的な点では最右翼に位置づけられると思う。私見では必ずしも全面的に 賛成というわけではないが、その指摘には鋭いものがあって、とりわけ引用した文章は、マーラーの音楽のある側面を非常に的確に言い当てていると思う。 歌詞に対する態度など、それを裏付ける事実にも事欠かない。
ただし、私はそうしたマーラーの態度をあまり否定的には捉えていない。それどころかかつての私は「それがどうした、他にどういう立場があり得るんだ」とさえ 思っていたほどで、さすがに現時点ではそこまで一方的に言うつもりはないものの、やはりマーラーの「簒奪者」的な性格を決して否定的には考えられない。 一つには、私もそうした「ディレッタント」的な姿勢で、文学にも―そして同様に音楽に対しても―接しているからに違いないが、もう一つには、―ここでは 私はマイヤーに同意できないのだが―、マーラーが時代の趨勢からも、その身振りからもその嫌疑は十分にあるにも関わらず、最後のところで「芸術至上 主義者」であったとは私には思えないからでもある。(それは彼が第一義的に「音楽家」であったし、そう感じていたということと矛盾しない。)
一般にはここで問題になっているのは「音楽と文学」の力関係であると読むのが妥当なようだが、私個人としては少なくともマーラーの場合、その平面に 問題が留まることはないと感じている。あるいはまた、マーラーが亜流、終止符なのか、それとも新たな始まりなのかは、 異邦の別時代の人間であり、音楽研究者でも文学研究者でもない私には大した問題ではない。けれども、マイヤーの以下のような指摘―そこでは、 もはや「音楽と文学」の力関係など問題になっていないようだが―は(シャガールとカフカについては判断は控えたいが、少なくともマーラーに関しては) 的確だと思うし、矛盾に満ちて、些か強引ではあるが疑いも無く誠実であり、自分の立っている基盤の脆さについて意識していて、それが作品にも 映りこんでいるという、私にとってのマーラーの音楽の魅力と謎の源泉を言い当てているように感じられるのである。(2007.7.15 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)
(...) sie (= Mahler, Kafka, Chagall) sind auf der Suche nach einer neuen Naivität, der sie im Grunde mißtrauen. Aber diese Brüchigkeit eben haben sie in ihren besten Werken nach Kräften gestalten wollen. So entstand eine wahrhaftige Kunst, denn die bequeme Harmonie war ausgespart worden. (...)

(…)彼ら(=マーラー、カフカ、シャガール:引用者注)はあらゆるあらたな素朴さを求めつづけているが、この素朴さを彼らは根本的には信じていない。しかし彼らがそのもっともすぐれた作品において全力を尽くしてかたちづくろうとしたものこそ、まさにこのような脆さだったのである。こうして嘘のない芸術が成立した。なぜなら安易な調和は空白として残されたからである。 

同上(Gustav Mahler, Wunderlich, 1966, p.155, 邦訳:酒田健一編「マーラー頌」p.364)

パウル・シュテファン編の生誕50年記念論集中のブルノ・ヴァルターの寄稿より

パウル・シュテファン編の生誕50年記念論集中のブルノ・ヴァルターの寄稿より(Gustav Mahler : ein Bild seiner Persönlichkeit in Widmungen (1910) p.88, 邦訳:酒田編「マーラー頌」p.94)
(...)
Zum Schluß bitte ich um dir Erlaubnis, die Freundschaft so weit zu mißbrauchen, daß ich Ihnen einen Traum erzählen darf, den ich vor einigen Jahren träumte: Ich ging spazieren und sah Sie hoch über mir den steilen Pfad eines hohen Berges hinanklimmen; nach einiger Zeit mußte ich, vom Licht geblendet, die Augen schließen. Als ich sie wieder öffnete, fand ich Sie nach längerem Suchen auf einer ganz anderen Stelle des Berges, einen noch höher gelegenen Pfad ersteigend. Wieder schloß ich die Augen, wieder öffnete, ich sie, fand Sie nicht und erblickte Sie wieder an einer ganz anderen Seite aufstrebend. Das wiederholte sich immer wieder. Ich habe diesen Traum wirklich geträumt und ich glaube, wer Sie versteht, wird seine Symbolik anerkennen und sagen, es war ein Wahrtraum.
(...)

(…)
終わりに、いささか友情に甘えて、私が数年前に見た夢の話をさせていただきます。私が散歩していると、私の頭上はるかに、あなたがある高い山のけわしい小道をよじのぼってゆくのが見えました。しばらくして私はまぶしい陽光にくらんで目を閉じねばなりませんでした。ふたたび目を開いた私は、しばし探しあぐねたすえに、山のまったく別の一角の最前よりもずっと高いところにある小道を登ってゆくあなたの姿を見つけました。私はまた目を閉じ、また開きました。あなたの姿はなく、またしてもあなたはまったく別の斜面を登ってゆくのでした。こういうことがなんども繰り返されました。私はこの夢をほんとうに見たのです。そして私は、いやしくもあなたを理解している者ならばこの夢の象徴的な意味を認め、こう言うだろうと信じています――それは正夢だったのだと。
(…) 

マーラーの音楽は隔たった時代と場所を超えて届くものの一つだけれども、その音楽の力がそうした距離感をものともしないがゆえに、ある意味では逆説的なことに、 その距離を有無を言わさずに身をもって証言するものは数少ない。時代の隔たりは同じ場所であればより容易に測れるかもしれないし、場所の隔たりは例えば戦前や 戦争直後の日本の方がより端的に感じ取れたに違いない。私の場合には、ふとした偶然により私の手元にあるマーラーの生前に出版された1冊の本が、それが 今ここにあるという偶然をもって時間と場所との隔たりを最も強く感じさせる存在であろうか。マーラーの没後すぐ、あるいは戦前に出版されたものであれば 他にもいくつかあるものの、マーラーの生前まで遡るものは手元にある資料では、これ一点のみである。
上掲のブルノ・ヴァルターの言葉を含むこの記念論集は、パウル・シュテファンの編集、マーラーの生誕50年の1910年に第8交響曲の初演にあわせて編まれ、 第8交響曲初演の地であるミュンヘンのPiper社より出版されたものだ。しっかりとした装丁と上質の紙を使い、数多くの今なお著名な「マーラー派」の人びとの 寄稿とともに、巻頭にはロダンのマーラー像の写真が、巻末近くにはクリムトのベートーヴェン・フリースの騎士の部分のモノクロの写真が、 挿入されたパラフィン紙に保護されて収録されていて、巻頭のパラフィン紙にはロダンのサインと思しき筆跡が確認できる。
ここには掲げなかったが、このヴァルターの書簡調の寄稿は長大なもので、上掲の部分は末尾近くであり、 これに先立ってヴァルターはマーラーの作品について述べているけれど、それも上述の出版の経緯を考えれば当然のことながら第8交響曲までである。 実際には既に大地の歌と第9交響曲は一応の完成を見ており、ヴァルター自身、この年の4月にニューヨークからのマーラーの手紙によりそれを知らされている筈である。 (もっともヴァルターがこの文章を書いた日付は詳らかでないため、知っていて書かなかったのか、執筆時期が先行するのかは私には判断できない。) その後ヨーロッパに戻ったマーラーは第8交響曲の初演の準備に奔走するが、それと並行して夏には第10交響曲の作曲も開始され、8月末には相談のために ライデンにフロイトを訪ね、というように第8交響曲の初演に至るまでには、今日の私たちに良く知られた様々なことが起きている。自分の手元にある一冊の本が そうした一連の出来事に直接連なっていたと思うと、否でも不思議な感慨に囚われてしまう。
さて、だが上記のヴァルターの文章をここで紹介したのは、そうした経緯を紹介したいがためではない。そうではなくて、マーラーの創作の過程をある抽象的な 相空間における軌道としてイメージしてみたらどうだろうと考えた時に、ヴァルターが見た夢のイメージが鮮烈に蘇ったからである。ヴァルターはマーラーを間近に見て 上記のような印象をその心の中に定着させたのだろうが、時代と場所を隔てて私が抱くマーラーの創作の軌跡の特徴も、それに近いのだろうと思う。 自分から見て遙かな高みをさらによじ登っていくという相対的な位置関係や運動の方向、ポワンカレ断面のような切り口で見たときの離れ離れの軌道のイメージ、 アトラクターを遍歴するイメージ、カタストロフィックな分岐現象による相転移といったイメージである。マーラーは繰り返し繰り返し交響曲を書き続けた。 一つ一つの交響曲がマイケル・ケネディの言ったように「実験」であり、互いに異なっており、そのパワー・スペクトルは(あえて連続で近似すれば)ホワイトノイズとも、 1/fノイズとも異なるだろう。そしてマーラーの創作の過程同様、マーラーの音楽の内側もまた、同じようなカオスの縁のような複雑さと豊饒さを持つ空間なのであろう。 (創作の過程と創作の結果としての作品が備える過程の両者に入れ子構造のような自己言及的な関係があること自体、決してどの音楽にも起きることではなく、マーラーの音楽の特徴の一つとしてあげるべきだろう。)
我々はというのは言いすぎかも知れないけれど、少なくとも私はマーラーの音楽創作の軌跡についても、遺された音楽自体が描く軌道についても、その豊かさや 複雑さに十分に見合った記述をするための語彙なり、形式なりを持てていない。一方では印象を後から粗雑に分類したり、歪みと伴った類推によって構造の 粗雑な近似をするのが関の山である自然言語による印象や構造の記述があり、他方ではこれも観察の結果としての抽象に過ぎなかったり、創作に先行する 拘束条件として機能したとしても、特にマーラーの場合には昇ったら捨ててしまう梯子の役割しかしない、これまた非常に単純で、しばしば形式的な厳密さの点で 疑わしい音楽理論に基づく分析がある。音楽自体については何も明らかにしない標題としての世界観やら何やらについての得意げな祖述は論外としてもである。 いずれにせよ、マーラーの創作活動についても、遺されたマーラーの音楽についても、それらでは極めて不完全な記述しかできない。 だがだからといってそれに替わる新しい形式的語彙(おそらくは自然言語だけでは不十分だろう)が明らかなわけではない。他の音楽はいざ知らず、マーラーの場合に 限って言えば、それを「意識の音楽」と捉える限りにおいては今のところ裏付けとなる具体的な記述の枠組みを、現象論のレベルですら欠いているのだ。
だが多分、いずれの日にか意識自体のメカニズムが解明され、それに応じて「意識の音楽」についても具体的な記述を行うための準備ができるだろう。 まだ端緒についたばかりの意識研究やら、カオス力学系など、記述の枠組みやら語彙を提供してくれそうな研究分野が意識の問題に肉薄できるように なるにはまだしばらくの時間が必要だろう。それは100年先になるのかも知れない。従って今のところは100年前にヴァルターが(というかヴァルターの脳のメカニズムが)、 それ自体マーラーの交響曲の論理と恐らくは通じる仕方で「夢の論理」によって抽象し、変換して上掲のように書き残したものの方が 寧ろある側面の把握については「正確」でさえあるだろうけれども。 それは人間の意識・無意識の活動の産物であり、それの(ホワイトヘッド的な意味での)「享受」は、やはり人間の意識・無意識の活動なのだから、 その複雑で豊かな拡がりと深さを捉えるには、(これまた当時の自然科学や心理学に対して旺盛な関心を示したマーラー自身が恐らくは気づいていたように) 文化史的な定位や社会学的な機能(だが、それぞれ、いつ、どこにおいてのなのだろう?)、素材からマーラーが作り出したものをそっちのけに、ひたすら素材や 文脈をしか明らかにしない歴史的な探索、あるいはまた詩的であったり文学的であったりする修辞といったやり方だけでは不足していることを、 このヴァルターの夢は証しているように私には感じられる。
それにしてもマーラーの創作のエネルギーの巨大さ、振幅の激しさ、そのアウトプットの膨大さは驚くべきものだ。しかも彼の創作が軌道にのったのは40代になってからで、 その後僅かに10年間しか彼は生きていない。上記の記念論集の書かれた時期はもうその終わりにあるのだ。もっとも、愛娘を喪い、ウィーンを去り、 心臓に病を抱えていることは知っていたであろうが、まさか彼があと1年と生きられないとは彼自身は勿論、論集を寄稿した面々も思わなかっただろうが、、、
確かに40代というのは円熟の時期ではある。だが、彼は同時に指揮者としてのキャリアの頂点にあった。凡人の能くするところではないとはいえ、単純な 仕事の量だけから考えても、改めてどうしてこんなことが可能であったのかと呆然とするばかりである。しばしば不当な美化、神格化として近年では 疑いの念をもって見られることが多いようだが、「マーラー派」の面々が皆そろってそのように感じたように、確かにやはり彼は聖者であったに違いない。
そうして私のような平凡な市井の愛好家はよくよく注意しなくてはなるまい。まず、そのように感じた「マーラー派」の面々が、普通に考えれば本人達だって人並み 優れて有能な人達だったことを決して忘れてはならない。その一方で、偶像を破壊しようとする人達は彼ら自身がマーラーその人に直接会っているわけではないし、 彼らが「天才神話」を捏造したという嫌疑をかけている「マーラー派」の人びとが、マーラーが遺したものを護るべく(時と場合によっては文字通り生命を 賭して)闘って勝ち取った、まさにその余禄を食みつつそうしているのだということに。面白いことに彼らもまたほとんど一様に流行現象としてのマーラー受容に 眉を顰め、自分を別の場所に置きたがっているようだ。それがどこか私には正確に測ることができない一方で、それをする時間と労力を払う気にも私はなれないのだけれど。 では一体、彼らはマーラーの生の軌跡に、マーラーの遺した作品に何を見ているのだろう?しかもこうした構図はマーラーに限らず、どこでも繰り返されるもののようで、 それはミームの伝播過程に起きるかなり一般性の高い現象なのかも知れないのだが。
結局のところ私としては、自分がまだ子供の頃に出会った印象からも、今改めて壮年期の彼の年齢に近づきつつある我が身の無能と不毛を振り返っての 反省からも、どちらかと言えば「マーラー派」の印象の方に与したいという思いがますます強まっている。ヴァルターのような人にすら 上掲のような夢を見させる人、鋼鉄の意志と禁欲的なまでの勤勉さと無比の性格の強さを備えた人。多くの有能な人びとを 擁護のために立ち上がらせるだけの力を持った人格と作品の持ち主。そしてもう一度最初に戻って、隔たった時代と場所を超え、100年の歳月と地球半周の 距離という四次元量が惹き起こす座標の変換を経て、まずは事実としてこの私に届いた音楽を残した人。更にそうした四次元空間での距離をものともせず、 寧ろしばしばそれを忘れさせてしまうような力を備えた音楽を遺した人。そう、私にとって、それがマーラーなのだ。(2009.5.2 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば(Kühn & Quander (hrsg.), Gustav Mahler : ein Lesebuch mit Bildern, 1982, p.171, 邦訳p.375)
Diese Stelle bei » accende lumen sensibus « -- da geht dir Brücke hinüber zum Schluß des » Faust«. Diese Stelle ist der Angelpunkt des ganzen Werkes.

「そが光にてわれらが感ずる心を高めたまえ(アチェンデ・ルーメン・センシブス:邦訳原文ルビママ)」の箇所、ここで『ファウスト』の最終場面へと橋がかけられる。ここが、この作品全体の要である。 

第8交響曲というのは私にとっては最も大きな躓きの石である。その音楽の持つ力の否定し難さと、その力に対する懐疑が拮抗する。 しかもこの後に続くのは「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲といった後期作品なのだ。その力の大きさに応じて、懐疑もまた深いものにならざるを得ないかの ようだ。
第8交響曲に対してアドルノが批判的なのは良く知られているが、実はそのアドルノの文章にも微妙なニュアンスが感じ取れる。そしてそのアドルノがヴェーベルンが 指揮した演奏のaccende lumen sensibusの部分に特に言及していることを知っていると、ヴェーベルン自身が上のような発言をしていることは一層興味深く 感じられる。(アドルノが、この発言を知っていた、ということは大いにありそうなことだが、事実関係の確認はできていない。ご存知の方がいらっしゃれば、お知らせ いただけるようお願いしたい。)ヴェーベルンにはヴァルターが指揮したウィーン初演に際して、シェーンベルクに宛てた書簡(1912年3月16日付け)も残っていて、 そこではヴァルターの解釈に対してかなり否定的なコメントをしているのだが、ではヴェーベルンその人の解釈は一体どんなものであったか、勿論今となっては 知る術もない。だが、私が実演に接した経験からも、この曲に凄まじい力をもった表現が存在するのは否定し難く、恐らくアドルノもまた、実演を聴いた 印象を頭で考えた理屈で否定することができなかったのだろうと思う。(良し悪しはおくとして、こういう点ではアドルノは「率直」で、自己の経験に忠実な人で あったように思える)。 それは丁度、初期作品における些かなナイーブな「突破」Durchburchの契機を、けれどもこれまた否定しさることができないのと通じるところがあると思う。 私見では第8交響曲とは、全曲がその「突破」の一瞬そのものであるような、例外的な音楽なのだ。
今の私にはこの曲について、何ら断定的なことをいうことはできない。マーラーを熱心に聴かれている方の中には改めてこの曲を肯定的に捉えようとする論調も あるようだが、私は残念ながら説得的には感じられないし、少なくとも今のところそれには同意できない。今の私には晩年の(例えば第14交響曲の) ショスタコーヴィチの姿勢の方がよほど説得力があるように感じられ、従って後期の、「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲のマーラーには共感できても、 第8交響曲には距離を感じずにはいられないのだ。だが謎がなくなったわけではないし、この曲を「なかったことにする」わけにはいかない。 そして、引用したヴェーベルンの言葉はきっと謎に対する大きなヒントになるに違いない、という確かな「感じ」があるのも事実である。 マーラーが生涯において一度きり、一曲の音楽全体を「突破」として形作ったその中でも、accende lumen sensibusの箇所こそ、 まさに「突破」の契機が剥きだしになって聴き手を圧倒する一瞬なのは確かなことだし。
第8交響曲が「客観的に」ユーゲントシュティル的な装飾なのか、マイヤーの言う簒奪の最たるものかどうかすら、実はどうでもいいのかも知れない。 かく言うマイヤーもそう認めているようにここにも少なくとも誠実さはある。それが都合の悪い部分だとしても、それに目を瞑って素通りをして済ませるわけには いかない。少なくとも私個人は。 多分、私にとっては、個別の音楽よりもマーラーその人の方が問題なのだろう。お前は結局音楽を聴いているんではない、という批判があれば、恐らく 甘受せざるを得ないのだろう。そう、私もまた、マイヤーがマーラーについて言った「ディレッタント」として、マーラーの音楽に接してきたし、今でもそうしているし、 今後もそうし続けるに違いない。私はそのようにしかマーラーに接することはできないのだ。別に開き直るわけではないが、もしマイヤーの言うことが 正しいのであれば、マーラーに私のように接することもまた、それなりにマーラーに相応しいと言えるのではないかと言いたいようには感じている。(2007.7.15, 2024.8.11 邦訳を追加。)