お知らせ

GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2023年7月30日日曜日

MIDIファイルを入力とした分析の準備(3):状態遷移の集計手法の検討と集計結果の公開(2023.7.30更新)

1.本稿の背景と目的

 2015年頃にマーラーの作品のMIDIファイルのWeb上での公開状況について調査し、データ収集に着手し、その結果を2016年初頭に記事として公開して以来、これまでMIDIファイルを入力とした分析を、和音の出現頻度にフォーカスして行ってきました。

 データ分析を行う当初の動機は、マーラー作品の調的な遷移のプロセスを可視化することでしたから、最初に行ったのは、各拍あるいは各小節頭拍の和音の重心を五度圏上に定義し、その軌道の遷移の様子を可視化することでしたが、その後は予備作業として和音の自動ラベリングと調的遷移の推定を行った後、一旦は動的な遷移プロセスではなく、和音の出現頻度という特徴量に基づく分析を行ってきました。

 当初よりの課題であった時間方向の動的な遷移のプロセスの分析に向けての準備作業として、まずは長三和音と短三和音のみに注目して、その交替の頻度に対象を限定した集計を行ったりもしましたが、その結果を本格的に分析するには至らず、その後は再び、和声の出現頻度に関して、未分析の和音を解消したり、長三和音と短三和音について転回形を区別したりして、マーラーの作品と他の作曲家の作品との比較、マーラーの作品間(特に交響曲)の比較を行いました。その結果として、粗視的な、テクスチュアレベルに限定されたものではありますが、マーラーの作品の特徴や、マーラーの作品を創作時期に沿って時系列で眺めた時に浮かび上がる変化の傾向を、具体的なデータの裏付けをもった形で示すことができたと考えます。

 更にここまでの集計・分析を通じて得られた知見や、並行して実施してきたGoogle Magentaを用いた機械学習の実験を通して得られた知見に基づき、いよいよ本来の目的であった状態遷移プロセスの分析に着手すべく準備作業を行いましたので、その結果を以下に報告します。

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2.状態遷移の集計手法の検討

 まず具体的な集計・分析に先立って検討すべきは、マーラーの作品のような複雑な音楽作品の状態遷移をどのように捉えるかです。音楽にとって時間の次元が本質的なものであり、脳における音楽の統計学習において「遷移確率」の計算が重要であることは、例えば大黒達也『音楽する脳』(朝日新書, 2022)等を参照頂ければと思いますが(同書であれば、第2章「宇宙の音楽 脳の音楽」の「脳の音楽」の部分(p.76以降)、特にpp.84~88、更にそれに基づいて作曲家の個性について述べた節(pp.125~127)を参照)、同書で例示されているのは単一の旋律であり、マーラーであれば歌曲なら適用可能なものの、伴奏部分の重要性を考えれば声のパートのみを抽出しても、作品全体としての「旋律線」の一部しか捉えられないのではないかという疑問が直ちに浮かびますし、マーラーの作品において対位法的な側面が本質的であること(例えば、マイケル・ケネディの「マーラーの作曲技法の根本原理は二声の対位法である」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』, 中河原理訳, 芸術現代社, 1978, p.129)という指摘を参照のこと)を踏まえると、その疑問は一層強まるように感じられます。

 その一方で、最近の機械学習の領域では、人間が抽象・加工したデータではなく生のデータそのものを用いるアプローチが優勢で、音響データを直接入力とするアプローチも試みられています。しかしながらマーラーの作品は大規模なオーケストラのために書かれており、音楽分析の領域では「セカンダリー・パラメータ」と呼ばれる次元が膨大で、かつ重要な役割を果たしているのに対して、それらを直接扱うのは今なお困難に見えます。例えばGoogle Magentaには、単旋律を扱うmelodyRNNモデルだけではなく、J.S.バッハのコラールの和声付けを範例としたpolyphonyRNNモデルのような多声体を扱う(ということは和音の系列を扱える)モデルも用意されていますが、入力はシングル・トラックのMIDIデータに限定されており、音色の次元は捨象されています。そのような状況を踏まえると、マーラーの作品(特にその交響曲)について、その複雑多様な総体を抽象することなく分析することは(私のようなアマチュアが自分で利用できるリソースの範囲内で試行するという点を勘案すれば一層の事)時期尚早であり、その一部の次元のみを抽象したデータを対象とした分析に限定せざるを得ないと思われ、であるとするならば、従来実施してきた分析の延長線上で何ができるかを考えるのが現実的だということになりそうです。

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 既述の通り、本ブログではこれまで、MIDIファイルを入力とした分析を行ってきましたが、和音の出現頻度の集計・分析をするにあたり、作品の中の全ての音を対象とするのではなく、各拍頭、或いは(拍子の情報が存在していることを前提に)小節頭拍における和音のみを対象に行ってきました。それは調的な遷移のプロセスを粗視的に把握することを目的として採用した手法でした。更にそこでは、各小節頭拍、ないし各拍頭で鳴っている和音(含む単音、2音)について

  1. ひとまず転回を無視して分類(ピッチクラスセットに相当)
  2. 転回を判定するために、最も低い音を抽出
  3. 上記を用いて、長三和音、短三和音については転回を判定する

といった処理を行い、その結果を用いた分析を行ってきました。従って状態遷移の集計・分析を行うにあたっても、これまで行ってきた上記の和音(ピッチクラスセット)の頻度分析と共通の手法を用いて実施することが考えられます。

 その一方で状態遷移の分析では、単独の和音(ピッチクラスセット)の頻度の集計・分析では考慮する必要のなかった、前の和音と後の和音の相対的な関係についての対称性を考慮する必要が生じます。例えば「長三和音→短三和音」の連結を例として取り上げてみると、「イ長調の長三和音→イ短調の短三和音」と「ハ長調の長三和音→イ短調の短三和音」とは区別されるべきですが、「イ長調の長三和音→イ短調の短三和音」と「ハ長調の長三和音→ハ短調の短三和音」は、基音は異なりますが、遷移そのものは同一のものと判定されるべきでしょう。同様に「二長調の長三和音→イ長調の長三和音」の遷移と「ヘ長調の長三和音→ハ長調の長三和音」の遷移とは、相対的な移動(五度圏上で、サブドミナント方向に1つシフトする)という点では同じ移動と判定されるべきです。このためには、転回を判定するためのバスの音の抽出とは別に、和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置を取得して、遷移における移動を、前後の位置の差分として計算する必要があります。

 そこで遷移パターンの集計にあたっては、以下のような符号化を行って、対象となる和音のラベリングを行うこととしました。

(a)和音(ピッチクラスセット)のラベル:12桁の2進数=10進表現で0~4095で表現できるので4桁あれば十分です。和音の五度圏上での出現位置について対称性があるので、便宜的に10進表現した場合の最小値をラベルとします。例えば、単音の場合、12音のうちどの音が鳴るかによって以下の12通りありますが、最小値である1をこのピッチクラスセットのラベルとします。なおここでは、従来の符号化の時の取り決めに準じて、最下位ビットはDesで、左方向にドミナント方向にシフトしていくものとします。(以下の括弧内はピット列を10進表現した値と、その値と五度圏上の音の対応を表します。)Desを起点にとったのには特に理由はなく、単なる取り決めの問題です。

000000000001(1:Des/Cis)
000000000010(2:Aes)
000000000100(4:Es)
000000001000(8:B)
000000010000(16:F)
000000100000(32:C)
000001000000(64:G)
000010000000(128:D)
000100000000(256:A)
001000000000(512:E)
010000000000(1024:H)
100000000000(2048:Ges/Fis)

(b)和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置:その和音のラベルとなったパターンを基準として、左に何ビットずれているかで示します。但しビット列は五度圏上の位置を示しており、最上位桁は最下位桁に繋がって巡回する構造となっているので、基準位置のすぐ右隣りが12となります。例えば長三和音に対応するピッチクラスセットは、以下の12通りですが、ラベルは最小値の19となり、そこから左回りに以下のように位置を定義します。ハ長調の長三和音は608ですが、ラベルは調を問わず長三和音のピッチクラスセット共通で19となり、五度圏上の位置は608に対応した6となります。

2057 3076 1538 769 2432 1216 608 304 152 76 38 19
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 ここで注意が必要なのは、この符号化は、ある和音の五度圏上の位置の区別ができるように、便宜的にある位置を基準にしたものに過ぎず、符号化された数値は、その和音が鳴っている調性領域の「主音」を表したものではないということです。長三和音の場合は偶々、後述する(c)におけるDesを起点にしてドミナント方向に数が増えていくラベルによるバスの位置の符号化と結果が一致していますが、あくまでも起点は、10進表現したときに最小の値をとる位置という定義に基づき、和音毎に決まるため、一般には和音毎に基準位置は異なります。例えば短三和音の場合を示すと以下の通りです。

2060 1030 515 2305 3200 1600 800 400 200 100 50   25
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 最小値は25ですので、そこが基準位置になりますが、6で符号化される800の構成音はC-A-Eであり、これはイ短調の短三和音です。

 ここまでで既にお気づきの方も居られることと思いますが、和音の中には対称性があって、五度圏上での或る角度での回転に対して対称となるものが存在します。ではこうした和音の場合にはどのように基準を決めれば良いでしょうか?ここでは最も単純な例として、増四度音程(triton)を例にとってみます。

2080 1040 520 260 130 65 2080 1040 520 260 130  65
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
6 5 4 3 2 1 12 11 10 9 8 7 (?:代替案)
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 10進表現した時の最小値はDes-Gの組み合わせで、値は65ですが、Desの位置を基準にとった場合とGの位置を基準にとった場合と2通りの基準の取り方が存在しており、どちらを基準にするかは、別にルールを追加してやらないと決まらないことになります。本稿では、後述の(c)におけるDesを基準とした五度圏上の位置のラベルの小さい音を基準とするというルールによって基準位置を決定しています。増四度音程は180度回転に対して対称でしたが、90度回転に対して対称な和音もありますので、こちらについても同じルールによって基準位置を決めています。

 ということで重要なのは、ここでの基準位置の決め方はアドホックなものであって、機能和声理論における主音のような概念とは関係がなく、一致する場合があってもそれは偶然に過ぎないという点です。あくまでも五度圏上の位置の違いを区別をすることが目的なので別のルールでも構いませんが、主音のような機能的な概念がここでの目的には適していないことは、同じ構成音の和音(例えばF-C-A)が文脈によって、へ長調の主和音であったり、ハ長調の下属和音であったりすることを思い浮かべて頂ければ了解頂けるのではないかと思います。

(c)和音の最低音の五度圏上での位置:(b)と同様に1~12の範囲を持ちますが、ここでもDesを起点として以下のように番号付けします。

Ges H E A D G C F B Es Aes Des
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1

なおここでの最低音についても、(b)と同様、五度圏上の位置の区別が目的ですので、あくまでも実際に鳴っている音のMIDIコードナンバーが最も小さい音が上記の番号のどれに当たるかを定義としており、機能和声における根音のような機能的な概念とは無関係なものであることをお断りしておきます。


(d)和音の符号化

上記(a)(b)(c)の定義に基づき、(c)を1~2桁目、(b)を3~4桁目、(a)を5~8桁目をする10進整数で和音を表現することにします。

例えばハ長調の主三和音(C-E-G)の第2転回形(四六の和音)は、

  • ピッチクラスのラベルは19…(a)
  • 和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置では608なので6…(b)
  • 和音の最低音の五度圏上での位置はGなので7…(c)

となりますから、上記の値に基づき、

19×10000+6×100+7=190607

というように符号化されます。この符号化により、ピッチクラスの同一性、五度圏上での位置、転回の区別を表現することが可能です。


(e)遷移パターンの定義

 更に上記の符号化に基づいて、遷移パターンを計算する時、(b))和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置については、前の和音と後の和音の距離を計算します。繰り返しいなりますが、五度圏のビット表現のため、最上位ビットの次は最下位ビットに巡回しますから、差を計算して値が負になった場合には12を加えることで距離の計算が行えることになります。そして遷移パターンとしては、前の和音の3~4桁目は常に0として、後の和音の3~4桁目に前と後の距離を設定します。こうすることにより、同一の和音(ピッチクラスセット)で五度圏上の位置は異なるが、同じ距離の移動を持つ遷移パターン(例えば、「二長調の長三和音→イ長調の長三和音」と「ヘ長調の長三和音→ハ長調の長三和音」)が同じ数値で表現されることになります。これにより、例えば「ドミナント方向への転調」のようなレベルで遷移が抽象されたことになります。但し、あくまでも同一のパターン変化を取り出すことができたに過ぎず、ここでは状態遷移の「意味」は捨象されていることに留意する必要があります。つまり同じ状態遷移が「転調」なのか、同一調領域における主和音から属和音への移行(あるいは下属和音から主和音への移行)なのかという「意味」は考慮されていないということです。

 それではこの遷移パターンの符号化において、転回に関する情報である(c)和音の最低音の五度圏上での位置はどのように扱うべきでしょうか?遷移パターンの符号化にあたり、五度圏上の位置そのものではなく、前の和音の位置を基準とした後の和音の位置との相対距離を用いたので、転回形の判定に用いる最低音の情報も、和音の位置の相対化に対応した相対化の必要があります。特に後の和音の転回形の情報は、それ自体前の和音の位置との距離に基づく相対位置に変換された後の和音の位置を基準とした値に変換される必要があります。

 上で掲げたハ長調の主三和音(C-E-G)の第2転回形(四六の和音)を例にして、仮に前の和音がヘ長調の主三和音(F-A-C)だった場合にどう符号化されるかを示すと

  • ピッチクラスのラベルは不変で19…(a)
  • 和音の位置は前の和音の位置基準の相対位置に変換。五度上だから五度圏上の左隣、距離としては1…(b)
  • 和音の最低音の五度圏上での位置は(b)の値との相対なので2…(c)

となり、上記の値に基づき、

19×10000+1×100+2=190102

というように符号化されます。

 なお、転回形を区別しない場合には、(a)(b)のみで、(c)は無視し(常に0となる)、

19×10000+1×100=190100

と符号化することになります。


(f)遷移パターンの「深さ」

 更に遷移パターンを定義するにあたり、前に何ステップまで遡った系列で次の音が決まるかという状態遷移を決める記憶の幅を決める必要があります。上掲の大黒達也『音楽する脳』ではそれを「深さ」と呼んでいる(同書, p.87の「深い統計学習と浅い統計学習」の節を参照)ので、ここでも「深さ」という呼び方を採用しますが、最も単純なものは、直前の音が次の音を決めるという「前→後」という遷移パターンで、これは深さ=1ということになります。「2つ前→1つ前→後」は深さ=2ということになります。また、この定義によれば、ある時点で鳴っている和音の頻度の集計は、深さ=0のパターンであると見做すことが可能です。(ただし深さ=0の場合には、2つの和音の間の移動の差分の計算というのは成り立たないため、和音そのものの五度圏上の位置、バスの位置を符号化したものの出現頻度の集計となり、深さ=1以上の場合とは集計対象が異なります。勿論、五度圏上の位置を捨象して、ピッチクラスの集合に対応したラベルのみであるとか、転回を区別するかどうかについての選択肢はありますが、いずれにしても差分の計算ではありません。)


(g)遷移パターンの符号化

 上記の遷移パターンの符号化を行った場合、深さによらず、遷移パターンの先頭では、(b)和音の位置は常に0(ここを起点の相対位置に変換するので)、(c)転回判定のバスの位置は(b)の位置からの相対に変換されます。一方、先頭以外については、既述の遷移パターンの定義通り、(b)は前の和音の位置からの相対位置、(c)は自分自身の(b)からの相対位置に(b)として求めた前との相対位置を加えた値(つまり前の和音の位置からの相対位置に等しい)になります。このようにして遷移パターンは、深さが増して系列が長くなっても、常に直前の和音に対する相対位置の系列で表されることになります。直感的には「ヘ長調主和音→ハ長調主和音の場合」も「ハ長調主和音→ト長調主和音」の場合も同様に、前の和音を基準にして、ドミナント方向に五度圏上で1ずれるという「ずれ」が符号化され、転回の情報は相対情報に変換されて保存されることになります。

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3.分析の条件

 和音の出現頻度の集計・分析においては、単音・重音を含める/除外する、或いは更に和声の分析で用いられる「名前を持った」主要な和音に限定する、というように分析対象を目的に沿って絞り込んで分析してきましたが、遷移の集計・分析について考えた場合には、以下のような条件で行うのが適当と考えました。

  • 同一和音の連続は集計対象外。
  • 無音の拍(小節)は対象外。
 和音の遷移パターンを調べることを目的とした場合、単音・重音の拍(小節)は対象外とするのが基本と考えますが、比較用に対象としたデータも集計しましたので、以下の2種類のデータを集計しました。
  • 単音・重音の拍(小節)は対象外。(cdnz3)
  • 単音・重音の拍(小節)を含む。(cdnz)

 転回形の区別については、和音の出現頻度分析との整合性に配慮した場合には、長短三和音のみ区別して他は区別しないものを基本とすべきでしょうが、後述の通り、遷移の前の情報の「深さ」(大黒、上掲書, p.86 深い統計学習と浅い統計学習 の節を参照)を増していくにつれて遷移パターンのバラエティが増えて、各遷移パターンの出現頻度が小さくなることもあって、以下の3種類のパターンについてデータを集計しました。

  • 全ての和音について転回形を区別せず。(default)
  • 長短三和音のみ転回形を区別。(tonic)
  • 全ての和音について転回形を区別。(inv)
 これは自明のことですが、転回形を区別する分、対称性が喪われるので、区別されるパターンの数は増えることになります。つまり区別されるパターン数について、

default < tonic < inv  

の関係にあります。defaultの場合には、遷移パターンの符号の下位2桁は必ず0です。tonicの場合には、ピッチクラスの符号が19と25以外については下位2桁は必ず0です。いずれも場合にも転回は区別されず、同一の和音として遷移の頻度の集計が行われます。

 (なお、本記事の公開当初に公開した集計結果では、転回形を区別した場合の符号化の仕方にミスがあり、上記のうち、全ての和音について転回形を区別した場合(inv)と長短三和音のみ転回形を区別した場合(tonic)のデータに誤りがありました。現在公開しているのはミスを除いた2023年7月26日夜公開の修正版の集計結果です。)

 最後に、冒頭で述べたように、全ての和音を対象とするのではなく、各小節頭拍、ないし各拍頭で鳴っている和音を対象とし、以下の2種のデータを集計しました。
  • 各拍頭(A)
  • 各小節頭拍(B)
 結果として、2×3×2=12通りのデータを集計することになります。 

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4.分析の対象

 最後に分析の対象および集計単位、および集計対象とした状態遷移の深さにつき述べます。分析の対象は従来、和音の出現頻度分析で用いてきたものと同一の、第1交響曲~第10交響曲と「大地の歌」の全11曲のMIDIファイルとしました。当該MIDIファイルは楽章毎に作成されていますが、状態遷移パターンおよび出現回数の集計は、曲毎に行いました。状態遷移の深さは1~5としました。つまり、深さ1の「前→後」から始まって、深さ5の「5つ前、4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後」までの5種類について、出現頻度の計算を曲単位で行いました。なお、統計学習では、出現頻度ではなく出現確率を用いますが、確率は頻度の出力から計算できますし、出現頻度そのものにも資料的な価値があると考え、出現頻度の集計結果のまま公開することにしました。

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5.公開した集計結果の説明

 以下、公開しているアーカイブファイルの内容について説明します。本記事に関連するアーカイブファイルは以下の5種類です。

(1)和音の符号化の定義

アーカイブファイル和音状態遷移パターン定義.zipには以下の1ファイルが含まれます。

  • chord_code.xls:和音の符号化の五度圏上の位置の符号化についての定義ファイル

ファイルのフォーマットは以下の通りです。

  • A~L列:五度圏上の以下の位置の音が鳴っている(1)/鳴っていない(0) Ges H E A D G C F B Es Aes Des
  • M列:1~12列のビットパターンの10進表現(0~4095)
  • N列:同一和音(ピッチクラスセット)の五度圏上の相対位置(最小値=1で右回りに1ずつ増加。最上位ビットから最下位ビットに巡回して、最小値のすぐ右隣りが12)


(2)対象データ

アーカイブファイル和音状態遷移元データ_全交響曲.zipには状態遷移パターンの出現頻度集計の対象データを含む、以下の4ファイルが収められています。

  • sym_A_seq3.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_B_seq3.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_A_seq.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_B_seq.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • 各列:各楽章・部・曲毎の対象データ(以下は歌曲1曲のみの例なので1列のみ。)
  • 1行目:和音数(状態遷移の状態の数)
  • 2~9行目:未使用
  • 10行目以降:各状態における和音を上述の定義に基づき符号化したもの


(3)和声出現頻度集計結果

アーカイブファイル和音出現頻度集計結果_全交響曲.zipには和音の出現頻度を集計した以下の4ファイルが収められています。
  • sym_A_frq3.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_B_frq3.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_A_frq.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_B_frq.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • A,B列:構成音(ピッチクラスの集合)、五度圏上の位置、バスの位置を区別した和音出現頻度。A列1行目はパターン数。
  • C.D列:構成音(ピッチクラスの集合)、バスの位置を区別した和音出現頻度。C列1行目はパターン数(invに対応)。
  • E,F列:構成音(ピッチクラスの集合)を区別し、長短三和音のみバスの位置を区別した和音出現頻度(tonicに対応)。E列1行目はパターン数。
  • G,H列:構成音(ピッチクラスの集合)のみを区別した和音出現頻度(defaultに対応)。G列1行目はパターン数。



(4)状態遷移パターン集計結果

アーカイブファイル和音状態遷移パターン出現頻度_全交響曲.zipには和声の状態遷移パターンの頻度を集計した以下の12のファイルが含まれます。

各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_A_cdnz3.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_A_cdnz3_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_A_cdnz3_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_B_cdnz3.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_B_cdnz3_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_B_cdnz3_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_A_cdnz.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_A_cdnz_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_A_cdnz_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
  • sym_B_cdnz.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_B_cdnz_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_B_cdnz_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • A,B列:未使用
  • C~E列:深さ=1の状態遷移パターン(C~D)と頻度(E)。C列1行目はパターン数。
  • F~I列:深さ=2の状態遷移パターン(F~H)と頻度(I)。F列1行目はパターン数。
  • J~N列:深さ=3の状態遷移パターン(J~M)と頻度(N)。J列1行目はパターン数。
  • O~T列:深さ=4の状態遷移パターン(O~S)と頻度(T)。O列1行目はパターン数。
  • U~AA列:深さ=5の状態遷移パターン(U~Z)と頻度(E)。U列1行目はパターン数。



(5)和音・状態遷移パターン種別

アーカイブファイル和音状態遷移パターン種別_全交響曲.zipには和音毎・状態遷移パターン毎の出現頻度を集計した以下のファイルが収められています。
  • sym_cdnz_summary.xlsx
ファイルは以下の4シートからなり、シート毎に以下の条件で集計した和音・状態遷移パターンの種別の集計結果が含まれます。
  • B_cdnz3:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • B_cdnz:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
  • A_cdnzs3:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • A_cdnz:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
各シートのフォーマットは共通で、以下の通りです。

列方向:
  • A列:集計対象の和音・状態遷移の種別
    • seq:対象拍数(Aなら拍数、Bなら小節数に概ね等しい)
    • cseq:対象状態数(cdnzなら単音・重音を含む、cdnz3なら単音・重音を含まない)
    • cfrq:対象状態種別数(和音の違い、五度圏上の位置の違い、転回形を区別)
    • inv:状態遷移パターン・全ての和音について転回形を区別
    • tonic:状態遷移パターン・長短三和音のみ転回形を区別
    • default:状態遷移パターン・全ての和音について転回形を区別せず
  • B列:深さ(0~5)の区分
    • 0:和音種別
    • 1:状態遷移パターン・前→後
    • 2:状態遷移パターン・2つ前、1つ前→後
    • 3:状態遷移パターン・3つ前、2つ前、1つ前→後
    • 4:状態遷移パターン・4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後
    • 5:状態遷移パターン・5つ前、4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後
  • C~M列:各交響曲の集計結果
    • C列(m1):第1交響曲
    • D列(m2):第2交響曲
    • E列(m3):第3交響曲
    • F列(m4):第4交響曲
    • G列(m5):第5交響曲
    • H列(m6):第6交響曲
    • I列(m7):第7交響曲
    • J列(m8):第8交響曲
    • K列(erde):「大地の歌」
    • L列(m9):第9交響曲
    • M列(m10):第10交響曲
行方向:
  • 1行目:ヘッダー行
  • 2行目~22行目:和音・状態遷移の種別(A列)/深さ(B列)の条件毎・曲毎の集計結果
    • 2行目:seq/0:対象拍数(Aなら拍数、Bなら小節数に概ね等しい)
    • 3行目:scseq/0:対象状態数(cdnzなら単音・重音を含む、cdnz3なら単音・重音を含まない)
    • 4行目:scfrq/0:対象状態種別数(和音の違い、五度圏上の位置の違い、転回形を区別)
    • 5行目:sinv/0:和音種別(深さ0)・全ての和音について転回形を区別
    • 6行目:stonic/0:和音種別(深さ0)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 7行目:sdefault/0:和音種別(深さ0)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 8行目:sinv/1:状態遷移パターン(深さ1)・全ての和音について転回形を区別
    • 9行目:stonic/1:状態遷移パターン(深さ1)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 10行目:sdefault/1:状態遷移パターン(深さ1)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 11行目:sinv/2:状態遷移パターン(深さ2)・全ての和音について転回形を区別
    • 12行目:stonic/2:状態遷移パターン(深さ2)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 13行目:sdefault/3:状態遷移パターン(深さ2)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 14行目:sinv/3:状態遷移パターン(深さ3)・全ての和音について転回形を区別
    • 15行目:stonic/3:状態遷移パターン(深さ3)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 16行目:sdefault/3:状態遷移パターン(深さ3)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 17行目:sinv/4:状態遷移パターン(深さ4)・全ての和音について転回形を区別
    • 18行目:stonic/4:状態遷移パターン(深さ4)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 19行目:sdefault/4:状態遷移パターン(深さ4)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 20行目:sinv/5:状態遷移パターン(深さ5)・全ての和音について転回形を区別
    • 21行目:stonic/5:状態遷移パターン(深さ5)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 22行目:sdefault/5:状態遷移パターン(深さ5)・全ての和音について転回形を区別せず


[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。 

(2023.7.24公開, 7.25集計結果公開を中止、7.26修正版の集計結果を公開, 7.27説明の追加し、アーカイブファイルを4分割して再公開, 7.28補足説明の追加, 7.30和音・状態遷移パターン種別の追加公開・説明の追加)

2023年7月2日日曜日

ヴァルターの「マーラー」より:その「作品」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.85, 邦訳pp.149-150):その「作品」についての回想
Es ist also ein Opus von musikalischer Geschlossenheit, das in Mahlers Schaffen vorliegt, und dem prüfenden Blick wird sich keine Lücke in der musikalisch-logischen Kontinuität, im formalen Bau zeigen. Trotzdem kann eine absolut musikalische Wertung seinem Werke nicht gerecht werden, das zugleich die Geschichte seines inneren Lebens ist. Erst wenn wir sein Schaffen als die Äußerung einer großen Seele in Musik betrachten, werden wir den rechten Standpunkt gewonnen haben. Maßstäbe der Menschlichkeit müssen zu denen der Kunst hinzukommen, wollen Bedeutung würdigen. --

 マーラーの作品には、ひとつとして、かれの個性と音楽の緊密していないものは無い。いくら詮索好きな人でも、かれの音楽の論理的連鎖とその外形的構成との間に間隙を発見することはできないであろう。だが、また純粋に音楽的評価だけでは彼の作品を正しく判断することはできないのである。それは、かれの作品が同時にかれの内部生活の歴史だからである。われわれはかれの作品がかれの内面の音楽的表現であるとみなすことによってのみ、正しい観点に立つことができるのである。ゆえにマーラーの創造の重要性を十分に明らかにするためには、種々の人間性、かれの人間的価値と美的価値とを加えなければならないし附与されなければならないのである。 

In welcher Beziehung Erlebnis, Gedanke, poetische Vision, religiöses Gefühl zu seiner Musik stehen, will ich versuchen, in der Besprechung der einzelnen Symphonien anzudeuten, da in jeder von ihnen dir Beziehung eine andere ist. Nur eines sei vorausgeschickt: » Programmusik «, das heißt die musikalische Schilderung eines außermusikalischen Vorgangs hat er nie geschrieben.

ここでのヴァルターの言葉の説得力もまた、その作品は勿論のこと、マーラーその人を非常に良く知っていて、その人と音楽との関係をまさに 目の当りにした経験に根差しているのであろう。音楽一般がどうかとか、当時のヨーロッパの音楽の傾向がどうだとかいうのは、登ったら外す梯子の はずであって、最後はマーラーの個別の場合が問題なのだ。そしてマーラーの音楽に虚心坦懐に体を浸せば、このヴァルターの発言が的確であることは まさに身をもって感じられるのではないかと思う。(少なくとも私はそうだ。)


 ところで、この部分の邦訳は好意的に見てもかなりの意訳になっている。最後の文章に至っては、ちょっと読むと全く違った意味に取りかねないように 思われるので注意が必要であるから、参考まで以下に邦訳を掲げておく。
 私はつぎにかれの交響曲のおのおのを解説することによって、かれの音楽と、かれの経験や思想や詩的幻想やまた宗教的感情との関係を明らかにしたいと思う。実際これらの関係は交響曲の場合に最も顕著に現れているからである。しかし、あらかじめ断っておかねばならないのは、かれは決して「標題楽」を書かなかったこと、つまりある特殊な音楽的問題を音楽によって説明したことは無いことである。(ブルーノ・ワルター, マーラー 人と芸術, 村田武雄訳, 音楽之友社, 1960, p.150)

 おわかりの通り、ワルターが「標題楽」をどう捉えているかについて、これでは全く異なる理解をしてしまうだろう。 素直に訳せば「音楽外のプロセスの音楽的表現」だろうし、これで十分だと思われるのに、どうして上記のような訳となったのか杳として知れない。

 一般にこの邦訳は基本的に戦前から戦争直後のもの(最初は「音楽評論」という雑誌に連載されたらしい)のようであり、 当時のマーラーに関する情報の量を考えれば、具体的な部分について知っていさえすれば間違えないような誤訳があるのは止むを得ないのかも知れないが、 そうしたものとは違って、こうした抽象的な部分での間違いはそれとはすぐにわからないことも多いから厄介である。もっとも最後の文章については、 前後の文脈からして、何かおかしいということはわかるとは思うが。それゆえ1960年の再版にあたっても、そうした誤りについて全くそのままなのは 些か遺憾に思われる。(訳者がこだわっているらしい文体については、私の語学力では判断しようがないが、それとは別のレベルの問題である。)
 
 比較のために、手元にあるJames Galstonの英訳の最後のパラグラフを参照すると、以下の通りである。
I shall endeavor to indicate the relationship of experience, thought, poetic vision, and religious feeling to his music by commenting individually upon his symphonies, his relationship to each one of them being a different one. Let me say this beforehand, however: He has never writtten "program music" -- this is to say, the musiacal description of an extramusical event.(Bruno Walter, Gustav Mahler, translated by James Galston, with a biographical essay by Ernst Krenek, Vienna House, 1973)
こちらは邦訳に比べれば少なくとも意味をとる上では忠実なようだが、それでもやはり 翻訳全体としてみた場合には全く間違いがないわけではないようだ。ともあれ、特に邦訳は非常に貴重なものであり、かつ個人的にはこの部分はこの回想の中でも印象的な部分と感じているので、残念なことである。(2007.6.23初稿, 2023.7.2邦訳、英訳を比較対象のために参照しつつ補記. 2024.7.28 引用前半の邦訳を追加。)

2023年5月24日水曜日

補遺:第8交響曲における五音音階性:MIDIデータを入力とした分析続報(3)(最終更新2023.5.29)

 これまで本ブログで断続的に実施・報告してきた、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析の続報として、「付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析」および、「2つの旋法性?:MIDIデータを入力とした分析続報(2):全音階・五音音階・全音音階を巡って」を公開しましたが、お読み頂いた方から、第8交響曲における五音音階性について確認のお問い合わせを頂きました。

 第8交響曲は全音階的ではないかというご指摘で、お問い合わせ頂いてみて改めて記事を読み直すと、一つの理由として、2番目の記事のまとめにおいて、何らの注記なしに、第6,8交響曲について、「全音階-/五音音階+/全音音階-」という特徴づけをしたことがあると気づきました。ここでの整理は、あくまでも比較対象内の相対的な傾向を示すものであり、マーラーの作品の中では、全音階性が相対的に優越した前期作品とそれ以外の要素が相対的に優越した後期作品に分かれるという点を表したもので、かつ主成分分析結果のプロットの各象限を特徴づけるために恣意的に単純化した面があることは否定できません。全音階性は他の作曲家と比較した場合には寧ろマーラーを特徴づけるものですし、特に第6交響曲、第8交響曲については主和音形の出現頻度が下がっているわけではなく、全音階性を"-"とするのは明らかにミスリーディングでラベルとしては適切ではありませんでした。より適切なラベルに修正すべきかも知れませんが、適当なものが思い浮かばず、マーラーと他の作曲家の作品間の分類と併せ、属九和音優位というのを、飽くまでも今回の結果を要約するための便宜的なものとして採用して修正することとし、その旨を注記するとともに、分類の方も、主成分分析結果のプロットの各象限のラベルであることが明確になるように修正を加えました。

 と同時に、一見したところ前期作品群への回帰の印象さえ受ける第8交響曲における五音音階性について、今回分析に用いたデータからわかることについて、個別に確認することは興味深い課題であると考え、改めて分析に用いたデータと分析結果の見直しを行い、更に、分析の元となった各拍頭毎・各小節の頭拍毎の和音パターン(ビッチクラスの集合)についても確認を行いましたので、その結果を以下に記します。

 上記のような次第で、前の記事の訂正も本記事の執筆も、ご指摘をうけてのものであり、記事をお読み頂き、ご指摘とともに興味深い問題提起をして頂いたことにこの場を借りて御礼申し上げます。

*  *  *

 第8交響曲は、実は今回のデータについてだけ言えば、五音音階系の頻度が全交響曲中最大で、五音音階系2種(add6およびpenta)合計で、100拍につき8を超えます。次点は実は第6交響曲で、この結果には、この2曲のテクスチュアが分厚くて、厚い和音の頻度が相対的に高いという事情もあろうかと思います。特に「大地の歌」より割合が高いのはそのせいではないかと思います。最初の記事でも注記した通り、本分析での集計の仕方として、水平方向の旋律線にいわば「分散」しているものはカウントされず、あくまで垂直方向に同時に和音として響いているものだけを見ていることもあって、聴感と比べた時にテクスチュアが厚い方が高めに出る傾向があると思います。実は第6、第8とも属7和音形、属9和音形の頻度も高く、主和音形の頻度も当然のこととして他に比べて低くはないのですが、頻度の割合の相対的な比較ということになると、五音音階系の突出が際立っているという結果になっています。この点を踏まえれば、全音階性の+/-でラベルづけするよりは、他の作曲家も含めた特徴づけ同様、こちらも九の和音のような複雑な和音の優位として表現するのがより正確かも知れません。

 第8交響曲を聴いた印象について言えば、私個人は第1部は全音階的、第2部は場所によって五音音階的な雰囲気が感じられることがしばしばあるというように感じてきました。従って第1部と第2部で傾向に違いがあるのだろうと思い込んでいたのですが、実は分析の元となった頻度のデータを見ると、両者に大きな違いはなく、いずれも五音音階系2種(add6およびpenta)合計で、100拍につき8を超えます。これは私自身、意外に感じた点です。理由を考えてみると、一つには第1部が、これも他の作曲家の作品と比べれば長大ではあるものの、マーラーの他の交響曲との比較においては、相対的には簡潔な印象さえあること、何より第2部がマーラーの作品中でも群を抜いて長大で、唯一1000小節を超える(あの第3交響曲第1楽章ですら875小節、第6交響曲のフィナーレでも822小節で900小節を超えることはありません)ことから、第2部のある部分で五音音階的なところが印象に残っても、全体の中での比率ということでは割合は大きくならない、つまり聴感は回数に拠る側面があると思われますが、ここでは割合を比較しているので、回数程は割合は高くないという事情もありそうです。

 他方、この件に関連して少し確認してみたところでは、柴田南雄さんの岩波新書のモノグラフ『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』(1984)での指摘に頷ける点が多いと感じます。柴田さんは第8交響曲について、第1部は第7のフィナーレの反映、第2部は「大地の歌」の予告と捉えています(同書, p.141)。この指摘のうち、前者は直観的には意外な感じもするのですが、そう思って振り返ってみると、前の記事で少しだけ触れたアドルノの「超長調」の指摘も恐らくは無関係ではないのだと思いますが、第7交響曲も総じて五音音階的な雰囲気はかなりあって、それはこれぞ初期交響曲の全音階的性への突然の回帰と目されることの多い(例えばマイケル・ケネディは『グスタフ・マーラー その生涯と作品』(中河原理訳, 芸術現代社, 1977)の中で、そこに「心を開いた陽気さがあり、「魔法の角笛」の素朴さへの、突然で極めて感動的な逆戻りがあ」ると指摘しています。(同書, p.189))、「悪名高い」ロンド・フィナーレについてもそのことは言えるのではないでしょうか。実際に頻度の割合のデータを見ても、五音音階系2種(add6およびpenta)合計で、100拍につき9.7強という、第8交響曲を上回る頻度であることが確認できます。第7交響曲全体の平均では5.4ですが、この曲は多様性に富んでいて、第3楽章の「影のような」スケルツォは2を切っていてこれがこの曲の中の最小、「超長調」の第1楽章は4.7、2つの「夜曲」はそれぞれ第2楽章3.6、第4楽章5.3なので、五音音階性に関しては、ロンド・フィナーレが極めて大きな寄与をしていることになります。つまり、前期作品の世界への回帰とは言っても、単純な逆行ではなく、五音音階性という後に繋がる傾向も併せ持っているということが見て取れるように思います。してみれば、柴田さんの第8交響曲第1部と第7交響曲第5楽章についての指摘は、こちらは五音音階性に陽に触れているわけではないのですが、その点についても妥当であるということが言えるのではないでしょうか。

 一方第8交響曲第2部が「大地の歌」の予告という柴田さんの主張の方は、こちらはまさに五音音階性に関わっているのですが、特にその点について柴田さんが指摘しているのは2か所です。1つ目は少年合唱と女声合唱が入って、スケルツォ的な雰囲気に変わる部分(385小節、練習番号56のAllegro decisoからだと思います)。ここから「五音音階ふうのモティーフが時折、聞こえはじめる。」(柴田南雄, 上掲書, p.143)2つ目はずっと後、マグダラのマリア、サマリアの女、エジプトの女の三重唱(練習番号135 「とても流れるように、ほとんど急くように」以降)で、「この辺でも「大地の歌」を予告する東洋的異国情調の表現としての音音階を聴くことができる。」(同書, 同頁)と指摘されています。実際にデータを見ても、上記2か所は付加6が固まって出現する場所であることが確認できます。(余談ですが、特に後者を確認した時、エジプトやパレスチナもヨーロッパから見たら中近東、オリエント=「東洋」だというのを思い出しました。またゲーテも実は東洋への関心が強かったし、カトリックの聖歌でGloria Patriで終わる第1部はともかく、第2部はそもそもが東洋的な発想の影響が強いのではないかということも思いました。マリア崇拝自体、カトリックが浸透するに際して取り込んだ、基層の異教の信仰の名残なのでしょうし。)

 ただ、私個人は上記2か所よりももっと決定的な箇所があると感じていて、それは大詰めの「神秘の合唱」の直前、練習番号199の、2/2に変わり、ハーモニウム、チェレスタ、ピアノ、木管とハープ、弦のフラジオレットによるやや飾り物めいた色彩のブロックがありますが、この手前とこの部分が一番顕著だと感じていて、実際にデータを眺めてもここも付加6が固まって出現する箇所です。楽器法的にも、チェレスタやハープの使用は「大地の歌」の全曲の末尾を思わせます。ピアノとハーモニウムが加わって、ちょっとコッテリした感じで、マイケル・ケネディはオーストリアバロックの教会の室内装飾を引き合いに出したり、クリスマスツリーの妖精を持ち出して批判的に指摘していますが(マイケル・ケネディ, 上掲書, p.201)ケネディの言わんとすることも良くわかるように思います。

 また今回は和音パターン(ピッチクラスの集合)の分析なので、これは直接分析結果に繋がるわけではないのですが、例えば三重唱の旋律線の出だし部分はMater Gloriosaのモチーフと共通です。こちらはEs-C-B-A-Gで、これ自体は五音音階ではないですが、ちょっと変形すればそうなるし、和声付けの時にEs-C-Bという動機にEs-C-B-Gを裏打ちする箇所は、エキゾチックな雰囲気になるのではないか、というようにも思います。いってみれば、全音階的にも五音音階的にも扱えるということでしょうか?前の記事で参照したバーフォードのbasic shape(C-D-E-A-G)とも直接は一致しませんが、接点はあるように思います。実際、第2部のMater Gloriosaに因んだ箇所の旋律線はバーフォードのbasic shapeの変形と見ることができる要素を豊富に含むように思います。

*  *  * 

 以上より、第8交響曲における五音音階性は「大地の歌」と比べても遜色ない程度には高く、第7交響曲のフィナーレがそうであるように、初期交響曲の全音階性への回帰の面とともに、後期作品の特徴の一つである五音音階性を含んでいる点で、単なる回帰には留まらない特徴も併せ備えていると言って良いのではないかと考えます。(2023.5.24公開、5.29第3交響曲第1楽章の小節数に関する誤記を訂正するとともに補足)

2023年5月22日月曜日

2つの旋法性?:MIDIデータを入力とした分析続報(2):全音階・五音音階・全音音階を巡って(2023.5.21, 最終更新5.31)

 1.はじめに

 本稿の直前の記事、「付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析」では、これまで本ブログで断続的に実施・報告してきた、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析の続報として、長短の主和音形(ピッチクラスの集合)について転回形を区別し、かつそれらと属七・属九・付加六の和音形に対象を限定した分析の結果を報告しました。それはそれまでに今後の課題として挙げられていた2つの分析観点のうち、和音の転回の区別を意識することで、和音の持っている機能的側面を反映した分析が可能となる可能性があるため、最低限でも主三和音形(機能としての主和音ではなく主和音の形)については転回形を区別した分析をするという課題に応じたものでした。もう一つの課題である、機能和声で用いられる、所謂「名前のついた和音」だけを対象とするのではなく、特に後期作品に行くほど増加する、「名前のない」未分析の和音を集計・分析対象とするという課題については、「名前のない」未分析の和音を網羅的に扱うことは手に余るので、直近の分析でも取り上げた旋法性に関連して、特にマーラーの「後期様式」と密接な関連を持つと指摘されている五音音階と全音音階の構成音からなる和音に対象を絞った分析を行いましたので、その結果を以下に報告します。本ブログにおけるデータ分析が持つ様々な制限や限界については前の記事で一通り触れましたので、ここでは割愛し、端的に分析のスコープと結果について述べることとさせて頂きます。


2.本分析の背景

 本分析が導きの糸としたのは、アドルノのマーラー・モノグラフに含まれる、マーラーの、特に後期作品を特徴づけるとされる和音についての指摘です。それは本ブログの別のところで準備作業を進めているマーラーの音楽における「老い」についての論考の糸口の一つでもある、老年に関するゲーテの言葉への以下のような言及から始まる、最終章「長きまなざし」の一節の中に含まれています。

「ゲーテの言葉にあるように「現象から身を引く」ために、また自分の音楽に、痛みに満ちた思い出の香りを染み込ませるために、後期のマーラーは時代のもつ異国趣味に心を傾ける。かくして中国が様式化の原則となる。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)

後続の箇所でアドルノは、「≪大地の歌≫の終わるところから始まっていると人が語ったのも誤りではない」第九交響曲の中間楽章について「全音階法(ママ)をさらに旋律形成に使い、またその帰結として和声進行にも利用している」と述べ、続けて以下のように述べていきます。

「マーラーは、ヨーロッパ芸術の全体の動きの中ではそれらすべてが少々古び、全音階法(邦訳原文ママ)が時代遅れとなった時点で、五音音階や東アジア風の響きを醸し出している。彼は全音階(邦訳原文ママ)に、ドビュッシーの手入れによってすでに失われてしまっていたショックのようなものを取り戻す。たとえば<地上の惨めさについて>の酔人の歌の中の「朽ちたがらくた」に全音階(邦訳原文ママ)の和音が伴うとき、音楽はさながら砕け散るかのようである(原注6)。」(同書, 同ページ)

 そして更に後続の部分で、中国が「初期のの頃に民謡が果たしていたのと似た役割を担っている。それは言葉どおりに捉えられるのではなく、本来のものでない性格によってはじめて語られるような「仮唱」なのである。」(同書, p.190)という「ありえたかも知れない民謡」についての重要な指摘ーーこれについても、本ブログの別の記事(「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書)で検討を行っていますがーーに至るわけですが、ここで問題にしたいのはそのことではなく、その具体的な手段として五音音階と共に指摘されている「全音階」についてです。

 ところで、ここで「全音階」という訳語が当てられているのは、ドビュッシーへの言及からしても、実は通常「全音階」という訳語が当てられることの多いダイアトニックスケールのことではなく、「全音音階」(英語ではwhole-tone scale)のことではないかと思って原文にあたってみると、原文ではGanztonskalaであることが確認できます(私が確認に用いたのは Taschenbuch版 Die musikalischen Monographien 所収の原文で、p.290にあたります)。新訳がでた結果、最早用済みとなって参照されることのないようにさえ見受けられる竹内豊治・橋本一範による旧訳を念のため確認すると、こちらは「全音音階」となっており、更にEdmund Jephcottによる英訳の対応箇所(p.148)を確認すると、こちらでは the whole-tone scaleとなっているのですが、何よりも上記引用の最後の部分の原注6として参照されている「大地の歌」第1楽章の対応箇所を確認すれば、訳文で「全音階の和音が伴う」と訳されているのが、全音音階の構成音からなる和音のことであることが確認できます。(ちなみに新訳では原注6の原書の誤りを指摘して、わざわざそれが「大地の歌」第1楽章の317~319小節目であると注記しているので、訳語の選択の是非はともかく、指示されている事象についての食い違いはないものと思われます。)

 従ってアドルノは、後期様式を特徴づけるものとして五音音階とともに全音音階を挙げ、それがマーラーの後期作品において使用されているという指摘を行っているわけです。全音音階といえばアドルノが引用しているように、ドビュッシーの使用例が有名であり、特に前奏曲集第1巻の「帆」では全音音階と五音音階がともに用いられていることは良く知られているでしょう。そしてドビュッシーのケースについては、パリ万国博覧会で接したガムランのスレンドロ音階の影響が指摘されることがあるようですし、アドルノのこの指摘においても、五音音階、全音音階のいずれもが東洋趣味、東アジア風の響きとして捉えられているようです。

 ということで、上記のアドルノの指摘から、分析対象の和音として、全音音階の構成音からなる和音を追加することが考えられるわけですが、そうした記述に接して改めて前の記事でも取り上げた付加六の和音について考えてみると、こちらは平行調関係にある長調・短調の主三和音の複合であるだけではなく、所謂「四七抜き」と呼ばれる五音音階の構成音と重なっていることに思い当たります。実際には付加六は、五音からなる五音音階の構成音のうち第二音を欠いたものですので、ここから出発して更に、付加六のみを対象とするのではなく、五音音階全ての音を構成音とする和音ーーこれは伝統的な理論では所謂「名前のない」和音であり、それゆえこれまで集計はしても分析の対象にはしてこなかった訳ですがーーを分析対象の特徴量に追加することが考えられます。

 また上記のアドルノの指摘を踏まえた時、後期様式を特徴づける和音に関する指摘として、更に、第5章「ヴァリアンテーー形式」に出てくる以下の指摘のことも思い当たります。

「(…)この楽章(引用者注:=第七交響曲の第一楽章)はマーラーがそれまでに書いた作品のどれよりも感覚的に色彩に富んでいる。彼の後期の交響曲はこの点を重視することとなった。長調は、音をさらに付加されることにより、長調を超えるものとして光を放つ。ブルックナーの第九交響曲のアダージョの有名な和音のようである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.134)

 第七交響曲の特に第一楽章における所謂「超長調」についてのこの指摘は、例えば第七交響曲(改訂版)のフィルハーモニア版ポケットスコア(日本国内では音楽之友社刊, OGT1479)の序文(F.S.というイニシャルの署名付き, p.iii)でも参照されており、これはこれで有名なものですし、 その具体的な様相は別の機会に独立した話題として取り上げるに相応しい豊かなものですが、ここで思い当たるのは寧ろ、上で引き合いに出されているブルックナーの第九交響曲のアダージョの和音の方で、これは付加六に更に九度を加えたものなのですが、と同時に、ピッチクラスの集合としてみた場合には、まさに五音音階の構成音全てからなる和音に他なりません。

 ブルックナーの第九交響曲に東洋趣味を見るのはお門違いも甚だしいということになるでしょうが、であれば寧ろ、それが東洋趣味に由来するものであるかどうかとは別に、長調に音を付加された結果としての「超長調」という、既存の調性感を超えた領域への移行に関わるものとして五音音階性を捉えることができるように思います。そして五音音階や全音音階のような、既存の全音階法(こちらは文字通りのダイアトニックスケールのことですが)を超えるメカニズムを「旋法性」と名付けるのであれば、付加六は確かにその一部(五音音階性の側)の現われであるということは言えるのではないでしょうか。

 しかしその一方で、上記のような見方に立った時、前の記事までで論じてきたことに対しては、以下の2点の修正を施すべきではないかという仮説が導かれるように思います。

 まず1点目の修正点として、マーラーの後期様式を具体的に特徴づけるものとして、少なくとも2つの異なる「旋法性」が存在することになります。一つは従来想定してきた付加六との関りが深い五音音階であり、今回それに加えて全音音階を考慮すべきであるということになります。ここから付加六だけに注目するのではなく、五音音階の構成音全てから成る和音も分析対象に加えるべきであるだけではなく、全音音階の構成音についても分析対象に加えるべきであることになります。

 更に付加六が五音音階の一部の構成音からなる和音であるとしたとき、まさに五音音階の構成音からなる C-D-E-A-G という並びをマーラーの旋律の或る種のプロトタイプ(基本的原型(原語は basic shape)と彼は呼んでいます)と考える、フィリップ・バーフォードの以下の見解が思い起こされます。

「(…)マーラーの交響曲の楽章間にはさらに精妙を極める結びの糸が張りめぐらされており、そのことは彼の書いたほとんどすべての作品で跡づけることができる。次に示すものは基本的原型とも言うべきもので、マーラーの抒情的インスピレーションに支配的な旋律の流れの特徴的曲線構造である(譜例1)。」(バーフォード, 『マーラー/交響曲・歌曲』(BBCミュージック・ガイド・シリーズ), 砂田力訳, 河村譲二補訳, 日音プロモーション, 1987, pp.12~13 )

 上記で譜例1として掲げられているのがC-D-E-A-G という並びであり、これが「特に後期の交響曲においては、半音階的仕上げで隠されている」(ibid.)という指摘に続いて、

「さらにまた特徴的なことは、譜例1で示されたこの基本音型が<付加6度>の和音に含まれていることであり、それは<大地の歌>の最終ページで重要な役割を演じている(譜例2)。」(同書, 同ページ)

という指摘が為されるのですが、バーフォードの主張が正しいとするならば、五音音階的要素は、後期作品のみならず、マーラーの作品一般にみられる特徴であるということになり、それを後期様式のみの特徴に限定することはできないことになります。これが2点目の修正点です。

 実際少し思い起こしてみるだけで、少なくとも中期交響曲と密接な関連を持つリュッケルト歌曲集等において既に、「大地の歌」に先駆けて、五音音階的な旋律(例えば「私はこの世に忘れられ」)や全曲の終止における付加六の使用(例えば「私はやさしい香りをかいだ」)の例が思い浮かびます。更にアドルノが上記の引用箇所に先立って、「美しさゆえに愛するならば」について

「(…)歌声は主音の六度上のイ音で終わり、主和音とは不協和である。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.187)

と指摘している通り、歌唱部分の結びに付加六が現れていることも思い起こされます。またマーラーの作品と他の作曲家の作品との比較においては、付加六の使用こそがマーラーを特徴づけるものであることはこれまでの分析で十分に明らかにされていると思います。

 但しその一方で、マーラーの作品間の比較において、出現頻度の観点から付加六の和音について確認するならば、その頻度が後期に向けて徐々に高くなり、優越した要素になっていくという点については、これまでの分析結果が事実として示していますので、後期作品のみの特徴というわけではなくても、後期で優位に立つ特徴ということは言えるわけで、全体としては、

全音階的(diatonic)な要素/五音音階的(pentatonic)な要素(付加六)/全音音階(whole-tone scale/Ganztonskala)的な要素

の3つの間の関係について、時代区分の沿った変化に注目しつつ、データ分析によって確認していくべきであるということになりそうです。そして、これらを分析しようとした場合、機能和声的な各種の理論で扱われるような、所謂「名前のついた」和音のみを対象とした分析では不十分であり、それなりの頻度で出現しながらこれまで分析の対象となってこなかった「名前のない」和音にも分析の対象を広げる必要が出てくることになります。


3.分析条件

 上記のような検討から、追加の分析を以下のようにレイアウトすることにしました。

対象とする和音:長短主和音形の基本形(maj, min)、長三和音の四六の和音(maj46), 属七(dom7)、属九(dom9)、付加六(add6)に加えて、五音音階の全ての構成音による和音(penta:ピッチクラスセットID=31)、全音音階の構成音による和音3種、即ち全てを含むもの(ganz:ピッチクラスセットID=1365)、5つを含むもの(ganz-1:ピッチクラスセットID=341),、4つを含むもの(ganz-2:ピッチクラスセットID=277)の合計10種類の和音パターンが各拍の頭で出現する頻度(100拍あたり)を特徴量としました。なお、特徴量を上記10種にするにあたっては、長短主和音形の基本形(maj, min)、六の和音(maj6, min6)、四六の和音(maj46, min46)の全てを含んだより大きな特徴量の集合で予備的な実験を行い、上位の主成分での説明率ができるだけ高くなるような特徴量(和音)の組み合わせを選択した結果になります。

分析手法:今回の分析の対象となる特徴量については事前に、和音の間での出現頻度の違いが大きいことが判明しています。具体的には、マーラーの交響曲全体での出現頻度を比較した時、従来分析対象としてきた「名前のある」和音パターンと比べて、全音音階の構成音全てを含む和音パターン(ganz)のみはそのいずれよりも低いですが、それ以外(penta, ganz-1, ganz-2)の出現頻度は他の「名前のある和音」と比べて特段低いわけではありません。一方、今回の分析対象の中では、特に長三和音基本形(maj)の出現頻度は他に比べて明らかに高いため、標準化を行なわずに分析を実施した場合に、他の和音パターンの寄与が見えにくくなることが予想されます。そこで今回は標準化ありの主成分分析のみを行うことにして、五音音階性、全音音階性の特徴が浮かび上がるようにしました。

分析対象のデータ:まずマーラーの交響曲の間の比較を従来と同じデータセットを用いて行いました。次いでマーラーと他の作曲家の作品との比較について、前回の実験と同じ以下の作品のデータセットについて行いました。(括弧内は以下に示す分析結果におけるラベルを表します。)分析は曲を単位として行い、多楽章形式の作品については各和音形(ピッチクラスの集合)について全曲の各拍頭での出現回数を累計し100拍あたりの出現頻度を求めました。

    • マーラー(mahler):第1~10交響曲、大地の歌(mahler1~10, mahlerErde)
    • ブラームス(brahms):第1,2,3,4交響曲(brahms1,2,3,4)
    • ブルックナー(bruckner):第5,7,8,9交響曲、第9交響曲フィナーレ(bruckner5,7,8,9,9f)
    • スメタナ(smetana):我が祖国(smetanaMaVlast)
    • ドヴォルザーク(dvorak):第7,8,9交響曲(dvorak7,8,9)
    • ヤナーチェク(janacek):シンフォニエッタ(janacekSym)
    • フランク(franck):交響的変奏曲、交響曲)(franckVar,  franckSym)
    • ラヴェル(ravel):ダフニスとクロエ第2組曲、優雅で感傷的な円舞曲、左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲ト調(ravelDaphnis, ravelValNS, ravelLeftPC, ravelPC)
    • シベリウス(sibelius):第2,7交響曲、タピオラ(sibelius2,7,sibeliusTapiola)
    • タクタキシヴィリ(taktakishvili):ピアノ協奏曲第1番(taktakPC1) 

4.分析結果

(A)マーラーの交響曲間の比較

 マーラーの交響曲間の比較を第1主成分を横軸、第2主成分を縦軸とした上記のプロットで確認すると、第3象限(左下)方向のベクトルとして長三和音基本形(maj)、それに対して逆方向の第2象限(右上)方向のベクトルとして全音音階の構成音からなる和音(ganz, ganz-1, ganz-2)が確認でき、それらと直交する第4象限(右下)方向に属和音・五音音階構成音の和音(付加六を含む)のベクトルが確認できます。そして大まかには時代区分に沿う形で、第2象限の第1交響曲から反時計回りに、主として第2象限に第2~第5、第7交響曲、第3象限に第6、第8交響曲、第1象限に「大地の歌」と第9、第10交響曲が位置していて、特に横軸に近い軸に沿って、概ね年代順に作品が並ぶ傾向が確認できます。そしてそれは以下の第1主成分得点が示す傾向でもあります。

 

第1主成分得点

第1主成分負荷


 第1主成分は大まかには年代別の傾向を示す成分で、後期に行くほど点数が高くなる傾向にあります。初期には長三和音基本形と46の和音、短三和音が優位であったのが、時代とともにそれ以外の七の和音、九の和音、五音音階的な要素、全音音階的な要素が優位になっていく傾向が抽出されたものと言えます。ただし後に見るように、それぞれの傾向がどこから強まるかについては違いがあり、五音音階的傾向は第6交響曲以降、全音音階的傾向は「大地の歌」以降の後期作品で強くなっており、そのずれによって各時期の特徴が区別できるように思われます。


第2主成分得点


第2主成分負荷


 第2主成分については、全音音階的傾向が強いものの得点が高くなるという特徴を持っています。第1交響曲が例外ですが、それ以外については、第8交響曲までが中立か非全音音階的、「大地の歌」以降の後期作品は全音音階的傾向が強くなっていることが読み取れます。第1交響曲の得点が高いのは、最初に掲げたbiplotグラフから判断する限り、後期3作品が全音音階的要素が強い傾向にあるのとは違って、寧ろ第6交響曲や第8交響曲を特徴づける五音音階的要素が極度に弱い点に起因すると考えるべきだと思われます。
 
 実際、元データを確認してみても、第1交響曲は全音音階的和音3種(ganz, ganz-1, ganz-2)合計で100拍につき0.7であり、これは第3,4交響曲とほぼ同じなのに対して、第6交響曲以降の作品では100拍につき1回を超える頻度です。逆に五音音階系2種(add6, penta)の頻度について見ると、第1交響曲は2種合計で100拍につき3回を切る唯一の作品で、全交響曲中最低です。逆に第6交響曲以降の後期作品では100拍につき5回を超える頻度となっており、前回までの付加六のみを対象とした分析結果でも確認できた、後期にいくに従って五音音階系の特徴(これを前回の分析では「旋法性」と呼んだのでした)が強まっていく傾向は、本分析でも確認できます。


(B)マーラーと他の作曲家の作品間の比較


 マーラーと他の作曲家との比較においては、従来の分析と同様、マーラーの作品は非常にコヒーレンスが高く、特徴が鮮明で一貫している一方で、作曲年代による違いもあって、年代を経ることによる傾向の推移が比較的明確に読み取れる特徴がここでも確認できます。上記のプロットでは中心より下側の中央から右側にかけて、左右に初期・中期・後期と並んでおり、本分析の結果上は、時代を経るに従い推移する特徴は横軸の第1主成分軸に、マーラー作品全体に一貫した特徴は縦軸の第2主成分に現われていると見ることができそうです。ブラームスは中心から見た場合、マーラーの概ね反対側に固まっているのに対し、ブルックナーやドヴォルザークは両者をつなぐ中間的傾向があると言えそうです。ラヴェルは第2主成分軸方向には一貫していますが、第1主成分方向には作品による違いが大きく、大きく2つのグループに分かれることが読み取れます。しかしながら極端なのはシベリウスであり、作品間のばらつきが非常に大きく、左下から右上にかけて幅広く分布していることがわかります(ちなみにこの傾向は前回の分析でも確認できた特徴です)。


第1主成分得点

第1主成分負荷

 第1主成分は属九と五音音階系、全音音階系が優位だと得点が高い傾向にあります。
前回の分析では属七と属九を一緒にして計算しましたが、今回の分析で見る限りは、属九は寧ろ九の和音としての五音音階系、全音音階系との共通性の方が優っていて、その分布は寧ろ五音音階系や全音音階系の要素に近い傾向があるように見えます。第1主成分が高いグループと低いグループは作曲家毎にはっきり分かれていて、マーラーはラヴェルやシベリウスとともに高いグループ、他の作曲家は低いグループに分かれるようです。但し例外があって、アドルノが「超長調」について語る際に言及したブルックナーの第9交響曲は高いグループに、シベリウスの中でも作曲時期が早い第2交響曲は低いグループに属していることが確認できます。

第2主成分得点

第2主成分負荷

 第2主成分については五音音階系の要素の強弱が主として影響していることが負荷から確認できます。こちらも第1主成分同様、作曲家毎の傾向は明確で、マーラーはラヴェル、タクタキシヴィリと並んで点数が低いグループに属します。マーラーについては第1主成分とは異なって、時期毎に異なる傾向を示すのではなく、全般に点数が低いことが見てとれます。主成分得点が高いグループの中でもシベリウスの「タピオラ」の得点が突出していますが、これについては第1主成分と組み合わせてみると、同じく主成分得点の高いグループの他の作品とは得点の高さの理由が違うことがわかります。本分析結果を確認後、調べてわかったことなのですが、実は「タピオラ」は全音音階を用いた作品として知られているようで、実際に出現頻度を確認してみたところでも、全音音階的な要素が非常に高頻度に現われているのに対し、同じグループの他のメンバーは五音音階的でない(つまり付加六および五音音階の構成音全てと含む和音の頻度が低い)点では共通していても、寧ろ全音階的な要素が強い結果として主成分得点が高くなっている傾向が読み取れるように思います。

 なおラヴェルの「ダフニスとクロエ」や「優雅で感傷的な円舞曲」も全音音階系の和音の出現頻度が有意に高く、マーラーの第6交響曲以降においてganz, ganz-1, ganz-2の全音音階系和音3種合計で100拍につき1回を超える以外には1を超える作曲家・作品は他にありませんが、「ダフニスとクロエ」は4.5回、「優雅で感傷的な円舞曲」は3.5回となっています。それに対してシベリウスの「タピオラ」は3つ合わせると100拍につき10回強、しかもマーラーの後期の一部作品とラヴェルの「ダフニスとクロエ」以外では出現しない全音音階の構成音を全て含む和音(ganz)の出現頻度が100拍あたり2.5回で、この和音が出現する他の作品に比べても2桁多い結果となっており突出していることが元データから確認できます。ちなみにシベリウスの他の作品について見ると、第2交響曲は全音音階系3種合計で100拍につき0.2程度で頻度が低いグループに属しているのに対し、第7交響曲は1弱でブルックナーの第9交響曲と並んで全音音階系和音の出現頻度については中間的なグループを構成していて、作品間で特徴がまちまちの傾向があるようです。


5.まとめ

本分析の主たる着眼点であった、全音階・五音音階・全音音階の各要素の強さにより、マーラーの交響曲間の分類、マーラーと他の作曲家の作品間での分類は概ね以下の通りとなっていることが分析結果から読み取れるように思われます。なお、以下の+/-はあくまでも比較対象内の相対的な傾向を示すものであり、主成分分析結果のプロットの各象限を特徴づけるために恣意的に単純化した面があることは否定できません。(注記:全音階性は他の作曲家と比較した場合には寧ろマーラーを特徴づけるものですし、特に第6交響曲、第8交響曲については主和音形の出現頻度が下がっているわけではなく、全音階性を"-"とするのは明らかにミスリーディングでラベルとしては適切ではありませんでした。より適切なラベルに修正すべきかも知れませんが、適当なものが思い浮かばず、マーラーと他の作曲家の作品間の分類と併せ、属九和音優位というのを、飽くまでも今回の結果を要約するための便宜的なものとして採用して修正することとします。この点については、本稿をお読み頂いた方からご指摘をうけて再検討した結果、注記と訂正に至りました。この場を借りて、ご指摘に感謝いたします。)

(A)マーラーの交響曲内の分類
第2象限(三和音+/五音音階-/全音音階-):第1交響曲
第3象限(三和音+/五音音階+/全音音階ー):第2~5,7交響曲
第4象限(属九+/五音音階+/全音音階ー):第6,8交響曲
第1象限(全音階-/五音音階+/全音音階+):『大地の歌』、第9,10交響曲

(B)マーラーと他の作曲家の作品間の分類
第1主成分
属九・五音音階構成音・全音音階構成音優位:シベリウスの第7交響曲およびタピオラ、ラヴェル、後期マーラー、ブルックナーの第9交響曲
三和音・属七優位:ブラームスなど上記以外の作曲家・作品、シベリウスの第2交響曲、初期マーラー
第2主成分
五音音階+:マーラー、ラヴェル、タクタキシヴィリのピアノ協奏曲第1番
五音音階ー/全音音階+:シベリウスのタピオラ
五音音階-/全音階+:上記以外の作曲家・作品、シベリウス第2,7交響曲

(2023.5.21公開、5.22更新、5.24:指摘をうけて「5.まとめ」に注記を追加し、分類のラベルを修正, 5.31「美しさゆえに愛するなら」についてのアドルノの指摘について追記)


[付録]ダウンロード可能なアーカイブ五音音階・全音音階分析.zip の中には以下のファイルが含まれます。

(A)マーラーの交響曲間の比較(フォルダ名gm_sym_cat)

(A1)入力データ
 gm_sym_cat_57.csv:分析対象の和音形(maj, maj46, min, dom7, dom9, add6, penta, ganz, ganz-1, ganz-2) の分析対象作品毎の出現割合
 gm_sym_cat_col.csv:対象作品の作品に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_sym_cat_label.csv:対象作品の作品名ラベル

(A2)主成分分析結果
 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ


(A3)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 主成分分析結果サマリを含む。

(B)マーラーと他の作曲家の作品の比較(フォルダ名gm+control_cat)

(B1)入力データ
 gm_control_cat_add6.csv:分析対象の和音形(maj, maj46, min, dom7, dom9, add6, penta, ganz, ganz-1, ganz-2) の分析対象作品毎の出現割合
 gm_control_cat_col.csv:対象作品の作曲家に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_control_cat_label.csv:対象作品の作曲家名ラベル

(B2)主成分分析結果
 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ


(B3)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 主成分分析結果サマリを含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2023年5月21日日曜日

付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析(最終更新2023.5.21)

1.これまでの経緯と分析の背景

 マーラーの音楽の特徴について語る一つの方法として、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析をこれまで断続的に行ってきました。その経緯については、記事「データから見たマーラーの作品:これまでの作業の時系列に沿った概観」にまとめた通りです。もともとの動機は音楽の調的なプロセスを可視化することで、五度圏上にプロットする作業を手でやり始めたところ、MIDIデータを用いて自動化してはどうかという示唆を作曲家・メディアアーティストの三輪眞弘先生に頂いたのがきっかけでした。まずMIDIデータを解析するプログラムをC言語で自作し、抽出したデータを公開することから始め、次いで当初の目的であった調的な変化のプロセスを可視化する試みを行いました。その後は特に和音(より正確にはピッチクラスの集合)の出現頻度に的を絞り、マーラーの交響曲を対象に、作品間の比較や他の作曲家の作品との比較をすることでその特徴を実証的に明らかにすることを目的とした初歩的な統計分析を行いました。分析で得られた結果とそこから導いた仮説については、記事「MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 和声出現頻度の分析のまとめ」に記載してある通りです。私的な場ではありますが、やってきたことを要約して報告する場を設けて頂いたことで一区切りついたことから、その後は長短の主和音の交替にフォーカスした分析を試行したり、これもまたMIDIファイルを入力としたGoogle Magentaを用いた機械学習の予備実験を行ったりしていましたが、改めて分析を再開するにあたり、報告のレジュメを読み返して、これまでにわかったこと、及び報告の際に指摘頂いた点や今度の課題となった点を改めて整理しなおすと、概ね以下のようになると思います。

  • 他の作曲家の作品との比較におけるマーラーの特徴づけとしては、古典派的なドミナントシステムに対して付加六の使用を中心とした別のシステムが存在することを窺わせる一方で、古典的なシステムが機能しなくなったわけではなく、機能和声で用いられる三和音・四和音が依然として用いられている点では古典派と共通しており、その点でより新しい時代の後続の作曲家の作品とは区別可能に見えること。
  • マーラーの作品創作の展開のプロセスは、第1交響曲を出発点として、一旦、角笛交響曲(第2~第4交響曲で)長・短調のコントラストの原理に基づいた後、長・短調のコントラストとは別の原理が登場して拮抗するようになった後、後者が優位に立つという傾向を備えている。古典派の作品の、長調中心・ドミナント優位な原理ではなく、それとは異なる長・短調のコントラストの原理がマーラーにおいて優越している点は夙に指摘されてきたことでもあり、また聴いていても感じ取れることだが、更にそれとは別の原理が存在し、後期になるについて優位に立つこと。但しその代替となるシステムの解明は今後の課題となっていた。
  • 分析手法の観点での今後の課題としてはまず、(1)機能和声で用いられる、所謂「名前のついて和音」だけを対象とするのではなく、特に後期作品に行くほど増加する未分析の和音を集計・分析対象とすること。と同時に(こちらは三輪眞弘先生に指摘して頂いた点なのですが)(2)和音の転回の区別を意識することで、和音の持っている機能的側面を反映した分析が可能となる可能性があるため、最低限でも主三和音形(機能としての主和音ではなく主和音の形)については転回形を区別した分析をすること。

 報告レジュメやまとめ記事を改めて読み返してみると、我ながら、実際に行った分析の内容からすれば些か勇み足の感を否めないというのが正直な印象です。和音の頻度分析は、音楽にとって最も基本的な水平方向の次元を無視し、時間方向の和音の並び方を捨象したものであり、報告の折に岡田暁生先生からご指摘頂いた通り、せいぜいが音楽作品に接して感じ取ることができる表層的なテクスチュア、聴感に相当するものを分析しているに過ぎないという点は強調し過ぎてもし過ぎということはありません。分析でわかったことは、直接的にはあくまでも和音(しかも従来の分析では厳密に言えばピッチクラスの集合に過ぎない)の出現頻度の分布の傾向であり、或る和音と別の和音の出現の仕方に相関が見られたり、出現頻度の偏り方によって作品が分類でき、その分類に基づいて作曲家間の類似性や差異を述べることができるというに過ぎません。これは必ずしも適切な類比ではないかも知れませんが、或る和音の出現頻度から作品の背後に存在する原理を探ろうとする試みに付き纏う困難には、特定の形質に関わる遺伝子を突き止める作業に伴う困難に通じるものがあるように感じます(なお私は後者についての情報を、主としてゲアリー・マーカス『心を生み出す遺伝子』から得ていますが、同書で紹介されている事例には、アナロジーを感じさせるものが多々ありました)。データ分析によって浮かび上がるのはあくまでも相関関係であり、直接的な因果関係が直ちに導かれるわけではないのですが、それでもなお、一連の分析で見出された特定の和音の頻度の作曲家毎の偏りの傾向や特定の複数の和音の出現に見られる相関には明確といって良いものも含まれており、その背後に何らかのシステムが存在し、機能していることを強く示唆しているという結論については、これまでの分析の結果について訂正の必要は感じません。

 その一方で、そこで示唆されているものをより明確なものにしていくためには、更に追加の分析が必要であることも間違いありません。上記の分析手法の観点での今後の課題のうち前者は、前回の分析において、その存在が強く示唆されつつも、それ以上の解明ができなかった代替原理に関して、機能和声において登場する「名前のついた」和音ではない、「名前のない」未分析の和音の中で比較的高い頻度で出現するものに注目することで解明が期待できるのではないかという発想に基づくのに対し、後者は逆にこれまでの分析を出発点として、機能の観点でより和音をよりきめ細かく見ていくこと、謂わば解像度を上げることで解明を図るという発想と捉えることができるでしょう。

 更に付け加えるならば、他の作曲家との比較においてマーラーの音楽を特徴づけるものが、マーラーの音楽の内部における創作展開のプロセスを特徴づけるものとどのような関係にあるのかについての検討が行われていない点も気になります。この点についても、解像度を上げるアプローチで、しかも他の作曲家との比較とマーラーの作品間の比較の両方において共通の特徴量を使った分析を行うことで手がかりを得ることができるかも知れません。

 そこでここではまず手始めとして、解像度を上げる方針に基づいた簡単な追加の分析を行ったので、その結果を報告することにします。

2.分析方針の決定

 まず分析対象とする和音の中で長短の主和音形については転回形を区別して頻度データを取り直す一方で、分析対象とする和音についてはこれまでの分析結果とそこから導き出した仮説に基づいて絞り込むアプローチを採りました。

 これまでの分析で示唆された、付加六の使用により特徴づけられる、ドミナントシステムとは異質のシステムに関係しそうな論点を考えてみると、マーラーの場合には何よりもまず「大地の歌」のコーダが思い浮かびます。全曲の出だしの調性であり、マーラーにおける調性格論では「悲劇の調性」とされるイ短調と、作品の半分の長さを占める長大な終楽章の曲頭の調性であるハ短調の同主長調であるハ長調とは平行調の関係にあるわけですが、それらが謂わば「宙吊り」にされた形が付加六であり、言うなれば、短調・長調の対立の原理が止揚されたと考えることができます。そしてそれと同時に思い浮かぶのは、ハンス・ベトゥゲによる漢詩の追創作を歌詞に持つ「大地の歌」では、それに対応するように「東洋的な」五音音階が用いられているという点です。そうした特徴は「大地の歌」に限られる訳ではなく、思いつくままに挙げても、リュッケルト歌曲集や第8交響曲でも「大地の歌」を予見させるような要素が見らますし、更により一般的に旋法の使用、旋法的な節回しということであれば、柴田南雄さんが『グスタフ・マーラーー現代音楽への道ー』(岩波新書. 1984)で分析している第3交響曲第1楽章のようなケースも思い浮かびます。その冒頭のホルン8本により斉奏される旋律は、ブラームスの大学祝典序曲の素材でもある学生歌の引用であり、マーラーが学生時代の所属したサークルの記憶によるとする解釈もあるようですが、柴田さんはそれをマーラーの「幼児体験の反芻」と捉えています。

 「(…)これは、完全に作曲者の幼児体験の反芻と捉えることが出来る。つまり、金管楽器による行進曲調は彼が子供の頃に住んでいたモラヴィアの町イラーヴァ(ドイツ名イーグラウ)での、オーストリア軍の兵営から聞えてくる軍楽の響きである。(…)また、ソの音にシャープがないこと、つまりこの旋律が半音の上行導音を欠く自然短音階であることは、その町で歌われていたボヘミアの民謡か、あるいはユダヤ教のシナゴーグで聞いた礼拝の歌のエコーであろう。(…)」(柴田南雄『グスタフ・マーラー』, pp.70~71)

 そして当該旋律の詳細な分析が繰り広げられ、その分析の末尾の節(p.78)でまとめられるような広大な音楽文化圏の様々な音楽的伝統が参照されていくわけですが、ここでの論点から興味深いのは、それが平行調の関係にある長調・短調の交替が「ウィーン古典派=ロマン派の音感ではな」(p.75)く、「スラブの民俗音楽の特徴」(ibid.)とされ、「一つの音組織に二つの中心音が存在する」と捉えられている点と、上記引用にある上行導音の欠如と対応した下降導音の存在が、教会旋法(フリギア旋法)的であるという指摘でしょう(最後の点で『大地の歌』の第1楽章のリフレインへの反映が指摘されていることも付記すべきでしょうか)。第3交響曲の第1楽章はヘ長調で終結するわけですが、ニ短調ーヘ長調という平行調のフレームはドミナントと上行導音に基づく個展的なシステムや長調・短調の対比のシステムよりも基層の民俗的起源に基づくものであり、ドミナントシステムからの逸脱、短調・長調の二元論対立の稀薄化の傾向を持っていることが指摘されています。柴田さんの指摘に拠れば、ドミナントシステムからの逸脱、短調・長調の二元論対立の稀薄化は、マーラーがチェコ出身で、ボヘミアとモラヴィアの境界地域に生まれ育ったという出自を思わせずにはおかないものということになりますが、ここからチェコの音楽との比較対照を行うことが考えられます。具体的な比較の対象としては、これまでしばしば比較の対象として取り上げられてきたスメタナのようなボヘミアの音楽もそうですが、寧ろモラヴィアの民俗音楽に根差したヤナーチェクとの比較の方が一層興味深そうに感じられます。

 その一方で「旋法性」という観点から比較対象としてきたマーラー以外の作曲家を改めて振り返ってみた時、付加六の和音の出現頻度の高さに関してマーラーと類似の傾向を示した作曲家としてラヴェルとシベリウスが挙げられていたことが思い浮かびます。ラヴェルは所謂「印象主義」の作曲家として一般には了解されており、その語法上の特徴として(それが教会旋法に由来するものなのか、ボロディンのようなスラブ音楽からの影響なのかは一先ず措くとして)旋法性が挙げられ、長調・短調の対立が曖昧になっている点が指摘されることが思い起こされます(例えば、ジャンケレヴィッチ『ラヴェル』の「創作の技術」の章の中の「音階」の節。白水社から出版された邦訳ではp.139以降を参照。なおジャンケレヴィッチは、「音階の至聖なる二元論に対するラヴェルの不満」(p.141)や導音の不在についても指摘しています(ibid.))。シベリウスについては、何よりもその「北欧的」な響きを成り立たせている要素の一つに旋法性を挙げることができるでしょう。最もあからさまな例として直ちに思い浮かぶのは第6交響曲がドリア旋法で書かれていることですが、それ以外の作品でも旋法的な要素は至る所にあって指摘には事欠かないでしょう。勿論、ラヴェルとシベリウスの間には大きな様式的な隔たりがありますし、そのいずれか一方とですら、マーラーとの類似を論じるのは無謀な企てかも知れません。しかしながら付加六が高頻度で出現することは何某か「旋法性」と関わっていて、旋法の使用がドミナントシステムとは異質の原理に関わっているという点に限って言えば、その具体的な細部の違いを措いてしまえば、そこに共通性を見出すことはできるのではないでしょうか?

 最後に、これは単なる個人的な嗜好の話になりますが、私は先にシベリウスの交響曲、それも特に後期の交響曲に親しんでからマーラーの音楽を聴いて熱中するようになったのですが、数多くの相違点にも関わらず、両者の間には類似点があると感じていて、当時読むことができたマーラーに関するほぼ唯一のムックであった青土社の『音楽の手帖 マーラー』に収められた竹西寛子さんの「根の気分」と題された文章の以下のくだりを読んで共感を覚えたことを思い出します。結局のところ私がMIDIデータを入力としたデータ分析によって突き止めようとしているのは、岡田暁生先生の指摘する音楽の表層的なテクスチュアから感受できる「根の気分」の由来なのかも知れません。

「マーラーのいくつかの作品は、私の根の気分にかかわる。そのかかわり方に独自の粘着力をもっているように思われる。むろん、根の気分をたてにとるなら、ここにかかわるのはマーラーだけの作品ではないけれども、陰気になり過ぎもせず、しかし決して陽気にはなりようのないきわどい一線を守らせるのが私のマーラーである。(…)もし、この気分の醸成に限って言うなら、目下のところ、私のマーラーのもっとも近くにいるのはシベリウスということになるのかもしれない。」(竹西寛子「根の気分」, 『音楽の手帖 マーラー』, 青土社, 1980 所収,  pp.16~17)

 ラヴェルの音楽を聴くようになったのはずっと後になってからで、最初からラヴェルの音楽に対しては或る種の距離感をもった接し方にならざるを得なかったのですが、それでもなお、他ならぬラヴェルの音楽に惹き付けられたのは、そうした「根の気分」に関わる共通性を感じ取ったからではないかと思うのです。三者三様、全く異なる個性を持ち、それぞれにその背景は異なるし、この三人に必ずしも限定されるわけではないのですが、その後私が「意識の音楽」と名付けた「感受のシミュレータ」としての音楽の在り方と、それを可能にする構造について言えば、そこに共通性があるように思うのです。けれども直接論証のできない発言はここまでとして、以下ではMIDIデータを入力とした分析により示すことのできる側面に話を限定することにします。

3.分析条件

 上記のような検討から、ここではこれまでの分析で浮かび上がってきた付加六の和音の出現頻度の高さが、旋法性の現われであり、それが西洋音楽の伝統的なドミナントシステムとは異なった原理の存在と関わっているのではないかという想定に基づき、追加の分析を以下のようにレイアウトすることにしました。

対象とする和音:長短主和音形の基本形(maj, min)、六の和音(maj6, min6)、四六の和音(maj46, min46)を区別する一方、属七、属九は属和音形(dom)としてまとめ、更に付加六(add6)を加えた8種類の和音パターンが各拍の頭で出現する頻度(100拍あたり)を特徴量としました。

[重要な注記]:ここでいう「主和音形」・「属和音形」は、機能和声の理論での主和音・属和音とは一致しません。既に触れた通り、従来の分析について厳密な言い方をすれば「同時に鳴っているピッチクラスの集合」を対象としていたするのが正確でしょう。「主和音形」・「属和音形」というのはそうしたピッチクラスの集合に対して、伝統的な音楽理論での呼び名への連想に基づいて付与された名前に過ぎません。それに対し今回は、長三和音、短三和音に相当するピッチクラスの集合についてのみ、最低音がどのピッチクラスであるかによって区別をすることによって転回形の区別に相当する分類をすることにしたということです。一方で機能和声での主和音・属和音は主音・属音の定義を前提としており、ある時点の主音が何であるかは文脈依存であり、同じピッチクラスの集合が文脈に応じて主和音であったり属和音であったりします。本稿を含む一連の分析ではー少なくとも現時点まではー文脈を意識した分析は行っていないので、ここでいう「主和音形」には機能的に見た場合には、主和音も三和音の属和音も(更に言えば重複を持つ四和音以上も)含まれます。従って「主和音形」の出現頻度として本分析で集計されるものには機能的には三和音の属和音も含めてカウントされており、「属和音形」としては属七・属九という四和音・五和音だけが含まれていることをお断りしておきます。岡田暁生先生が機能を無視したテクスチュアの分析と指摘されたのは、まさにこの根本的な部分に関わるものと私は理解しています。

分析手法:前回同様の、各種のクラスタ分析(階層的な手法3種:complete法、average法、ward法、非階層的な手法1種:kmeans法)と主成分分析を行うこととしました。主成分分析にあたり、当然に予想される和音形間の出現頻度の偏りに対して標準化を行うかどうかについて言えば、100拍あたりの和音形の出現頻度という同一次元量であることから必須ではありませんが、各和音形の出現頻度の違いを反映するために標準化を行うべきではないという立場と、特定の作品における和音形間の出現頻度の偏りを取り除き、各和音形毎の作品間・作曲家間での出現頻度の偏りに注目すべきという立場の両方が考えられることから、標準化を行う場合と行わない場合の両方の分析を行うことにしました。

分析対象のデータ:マーラーの交響曲は従来と同じデータセットを用いました。従来の分析では、各拍毎の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したA系列と、各小節毎に先頭の拍の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したB系列という2種類のデータのいずれかを用いた分析を行ってきましたが、本分析は和音の出現頻度の統計ということで、サンプルの多いA系列のデータを用いた分析を行いました。比較対象の他の作曲家の作品の選択については、既述の方針に基づき以下の通りとしました。(括弧内は以下に示す分析結果におけるラベルを表します。)分析は曲を単位として行い、多楽章形式の作品については各和音形について全曲の出現回数を累計し100拍あたりの出現頻度を求めました。

  • マーラー(mahler):第1~10交響曲、大地の歌(mahler1~10, mahlerErde)
  • ブラームス(brahms):第1,2,3,4交響曲(brahms1,2,3,4)
  • ブルックナー(bruckner):第5,7,8,9交響曲、第9交響曲フィナーレ(bruckner5,7,8,9,9f)
  • スメタナ(smetana):我が祖国(smetanaMaVlast)
  • ドヴォルザーク(dvorak):第7,8,9交響曲(dvorak7,8,9)
  • ヤナーチェク(janacek):シンフォニエッタ(janacekSym)
  • フランク(franck):交響的変奏曲、交響曲)(franckVar,  franckSym)
  • ラヴェル(ravel):ダフニスとクロエ第2組曲、優雅で感傷的な円舞曲、左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲ト調(ravelDaphnis, ravelValNS, ravelLeftPC, ravelPC)
  • シベリウス(sibelius):第2,7交響曲、タピオラ(sibelius2,7,sibeliusTapiola)
  • タクタキシヴィリ(taktakishvili):ピアノ協奏曲第1番(taktakPC1) 

[重要な注記] 本分析が従来の分析の続きであり、前提を共有していることから、本稿のみからでは本分析の重要な制限について読み取れないことに気付いたので、特に以下の点についての追記をさせて頂きます。

本稿の分析では、ある作品のMIDIデータに含まれる和音(=ある時点で同時に鳴っている音)の全てを対象としているわけではありません。上に追記した通り、従来より一連の分析では、各拍毎の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したA系列と、各小節毎に先頭の拍の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したB系列という2種類のデータを抽出して分析の入力としてきました。

MIDIデータからデータを抽出することを前提とした時に、このやり方でまず問題になるのは、MIDIデータで小節や拍について楽譜通りの設定になっているかどうかでした。というのもMIDIファイルは、楽譜を見てMIDIシーケンサ―ソフトを使って打ち込む場合もあれば、MIDIキーボードで演奏したものを記録するやり方で作られる場合もあって、後者の場合には、現実の演奏はテンポに微細な揺らぎがあるため、小節や拍の情報は、もしそれがあったとしても、データ抽出で使う目的には適さないと考えるべきです。ちなみに後者はピアノ曲のケースでは良くあります。マーラーの場合だとピアノ伴奏歌曲の場合が該当しますが、交響曲については前者のやり方で制作されることが多いようなので、マーラーの交響曲の分析では幸いにしてこの点に限っては問題となることはありません。しかしながら前者の場合でも、拍子などの小節の区切りの情報は必須ではないため、必ずしも分析に使えるとは限らないのです。

しかしそれよりもより本質的な問題として、例えば(典型的にはアルベルティ・バスのように)和音が分散して現れたときに抽出できる音の集合を考えると、拍頭で鳴っている音は和音の構成音の全てではなく、そのうちの一部であり、分析される和音自体は抽出できず、その部分が各拍毎に抽出されるに過ぎない点が考えられます。本分析のやり方では、あくまでも拍の頭・小節の頭で同時になっている音の集合を抽出するので、単音や重音が抽出され、それらを組み合わせて得られる「本来の」和音は抽出されません。拍の間に鳴る音が全て和声の構成音であれば、それらを併合して一つの和音として捉うようにやり方を変更すればいいのですが、拍の間に鳴る音としては、経過音、刺繍音その他の非和声音が幾らでも存在し得るため、無条件で併合すれば意図しない結果になってしまいます。

この例から窺えるように、楽曲分析は、必ずしも鳴っているだけ音を対象としているのではなく、その楽曲分析が背景としている理論における「正解」がわかっている必要があります。和声音・非和声音の区別もそうですし、和音の「完全形」からの「根音」を始めとする構成音の「省略」も然り、複雑な(名前を持たない)和音を基本的な(名前のある)和音の一部の音が「変位」したものとして捉えるやり方も然りですし、何より「主音」が何であるかの知識なしには或る同じ形が主和音なのか属和音なのかの判定すらできません。

そして本稿の分析は、どの理論に準拠するにせよ、特定の理論に基づいた楽曲分析プログラムを書くことが目的ではなく、そのような理論に基づく「知識」なしで、ある時点で現れた音を抽出した結果だけを手掛かりに行っています。(今時だと、高度な楽曲分析を行うAIというのもどこかで開発されていることでしょうし、楽曲分析を自動化することを目的とするならば、もっと別のアプローチの選択すべきでしょう。)従って、本稿および本稿に至るまでに実施してきた分析は、特定の音楽理論に基づいた楽曲分析とは前提が大幅に異なり、それ故そうした分析を基準とした場合には、様々な(立場によっては致命的と見なされる可能性すらある)制限が存在することをお断りしておきます。立場によっては、ここでの分析には全く価値を認めないという判断すらあり得るでしょう。

或る意味では、私自身が訓練された耳を持っていないので、そういう聴き手がどう聴くかという設定での分析は考え得るのでしょうが、これに対しては、気付いていないだけで理論に沿った聴き方をしている部分が確実にあって、要するに聴き手の学習の程度次第ということになるでしょうし、作曲者の側はエキスパートであって、基本的には伝統的な楽曲分析と共通の発想で書かれているというのは動かしがたい事実でしょうから、それらを踏まえれば、訓練された耳にどう聞こえるかを論じることの方が筋道として正しいのかも知れません。

このように考えていくと、ここでの報告にお付き合い頂くには、相当に寛容な立場に立って頂く必要がありそうですが、ここでお断りするような様々な制限つきであっても、実際に鳴っている音に関するデータに基づいて、これくらいのことは言えるのだ、というように受け止めて頂ければ幸いです。


4.分析結果

A.階層クラスタ分析

 まずクラスタリングの結果から確認してみます。最初は3種類の階層クラスタ分析の結果です。





 3種の手法の結果の間に存在する細かい違いは、必ずしも分類が安定していない部分の存在を示していると捉えることができますが、その一方で大まかな分類には共通点も確認できます。またマーラーの作品と距離が近い枝に含まれる他の作曲家の作品と、マーラーの作品からは離れた枝に含まれる作品の間の区別は3種の分析で共通していて、分類上安定しているように見えます。つまりブラームスとブルックナーの第7,8、ドヴォルザークの第8,9、スメタナからなるグループ、フランク、シベリウス、ドヴォルザークの第7からなるグループの2つがマーラーの作品からは隔たったグループであり、ラヴェル、ヤナーチェク、タクタキシヴィリとブルックナーの第5,9がマーラーの作品に近いグループということになるようです。一方でマーラーの作品は「大地の歌」、第9,10という後期作品に第5を加えたグループとそれ以外の2つのグループに分かれ、前者と近いのがラヴェルの2つの協奏曲とブルックナーの第9の完成部分、後者に近いのがヤナーチェクとタクタキシヴィリであるという点は共通しているようです。そしてその分類は大筋においては以下の非階層クラスタ分析でも確認できますので、分類上相対的に安定した部分と言えそうです。

B.非階層クラスタ分析

 それでは非階層クラスタ分析の結果を見てみます。




 非階層クラスタ分析ではクラスタ数を与える必要があるため、シミュレーションによるギャップ統計量に基づき、階層クラスタ分析の結果を参考にしつつ、相対的に安定していて、かつ分類として意味がありそうな4に設定しましたが、必ずしも安定しているわけではなく、何度か実行すると上に示す2種類のクラスタが交替して出現することが確認できました。前者(kmeans4)はマーラーが1つのクラスタに全て含まれ、それ以外に3つのクラスタができるもの、後者(kmeans4-alt)はマーラーが前期・後期の2つのクラスタに分かれ、それ以外にブラームス他のクラスタとフランク他のクラスタの2つができるものです。前者ではマーラーと同じグループに属しているのはブルックナーの第5交響曲と第9交響曲のフィナーレ、ヤナーチェクのシンフォニエッタとラヴェルの2曲のピアノ協奏曲、タクタキシヴィリのピアノ協奏曲です。この分類は階層クラスタ分析の結果とほぼ一致しています。

  kmeans4
  クラスタ番号   1 2 3 4
  brahms          0 4 0 0
  bruckner        2 1 1 1
  dvorak           0 0 2 1
  franck            0 0 0 2
  janacek          1 0 0 0
  mahler-early   4 0 0 0
  mahler-late     4 0 0 0
  mahler-middle 3 0 0 0
  ravel               2 0 0 2
  sibelius           0 0 0 3
  smetana         0 0 1 0
  taktakishvili     1 0 0 0

        mahler1         mahler2         mahler3         mahler4 
              1               1               1               1 
        mahler5         mahler6         mahler7         mahler8 
              1               1               1               1 
     mahlerErde         mahler9        mahler10       bruckner5 
              1               1               1               1 
      bruckner7       bruckner8       bruckner9      bruckner9f 
              2               3               4               1 
        dvorak9         dvorak8         dvorak7  smetanaMaVlast 
              3               3               4               3 
     janacekSym       sibelius7 sibeliusTapiola       sibelius2 
              1               4               4               4 
      franckVar       franckSym         brahms1         brahms2 
              4               4               2               2 
        brahms3         brahms4      ravelValNS    ravelDaphnis 
              2               2               4               4 
    ravelLeftPC         ravelPC       taktakPC1 
              1               1               1 

 一方後者では、マーラーの後期作品(「大地の歌」、第9,10交響曲)と同じグループに属するのはブルックナーの第9交響曲の完成した3楽章分にラヴェルの曲全て、それ以外のマーラー作品と同じグループに含まれるのはブルックナーの第5交響曲と第9交響曲のフィナーレ、ヤナーチェクのシンフォニエッタとタクタキシヴィリのピアノ協奏曲であり、これはkmeans4と共通していますから、マーラーの後期作品との距離が近いグループが分離したと捉えることができそうです。その替わりに、大まかにはブラームスが含まれるグループとドヴォルザークの第8、第9交響曲とスメタナが含まれるグループが併合して一つになっています。ブルックナーの第9の完成部分とラヴェルの作品のうち2曲のコンチェルトについては階層クラスタ分析の結果とも一致していますが、ラヴェルの他の2曲とブルックナーの第9のフィナーレは階層クラスタ分析では所蔵する枝について手法によって揺れが生じていて、分類が安定していなさそうに見えます。特にラヴェルの他の2曲については、クラスタ数が増えれば独立のクラスタを形成しそうです。

  kmeans4-alt
  クラスタ番号   1 2 3 4
   brahms         4 0 0 0
  bruckner        2 2 1 0
  dvorak           2 0 0 1
  franck            0 0 0 2
  janacek          0 1 0 0
  mahler-early   0 4 0 0
  mahler-late     0 1 3 0
  mahler-middle 0 3 0 0
  ravel               0 0 4 0
  sibelius           0 0 0 3
  smetana         1 0 0 0
  taktakishvili    0 1 0 0

        mahler1         mahler2         mahler3         mahler4 
              2               2               2               2 
        mahler5         mahler6         mahler7         mahler8 
              2               2               2               2 
     mahlerErde         mahler9        mahler10       bruckner5 
              3               3               3               2 
      bruckner7       bruckner8       bruckner9      bruckner9f 
              1               1               3               2 
        dvorak9         dvorak8         dvorak7  smetanaMaVlast 
              1               1               4               1 
     janacekSym       sibelius7 sibeliusTapiola       sibelius2 
              2               4               4               4 
      franckVar       franckSym         brahms1         brahms2 
              4               4               1               1 
        brahms3         brahms4      ravelValNS    ravelDaphnis 
              1               1               3               3 
    ravelLeftPC         ravelPC       taktakPC1 
              3               3               2 

C.主成分分析

 ついで主成分分析の結果の確認に進みます。既述の通り、主成分分析は、標準化を行わずに分析対象の和音形の100拍あたりの出現頻度の割合をそのまま反映した分析と、標準化を行って特定の曲における和音形間の出現割合の違いは無視して、各和音形についての作品間での出現割合の分布の違いにのみ注目した場合の両方で分析をしましたが、結果としては主成分得点や成分への各和音形の寄与率には違いがあるものの、大まかな傾向としては共通したものが得られました。([付記]なお、標準化なしの分析の第2主成分は標準化ありの場合と比べ、正負が反転していることがわかったため、以下の説明、ダウンロード可能な結果ファイルのいずれにおいても、第2主成分軸を反転させてグラフ表示をしています。また説明上は標準化ありの第2主成分の向きに合わせた説明をしていることをお断りしておきます。)

(A)標準化ありの場合

 まず標準化ありの結果を見てみます。




 マーラーの作品は第1主成分(横軸)方向には中央右寄りに固まって、かつ作品の時代区分に概ね沿った広がりを示しているのに対して、第2主成分(縦軸)方向には上側に集中しているのが見て取れます。他の作曲家については第1主成分(横軸)左側に明確に拠っているのがブラームス、ドヴォルザーク、左右に広がっているのがブルックナー、シベリウスであり、ラヴェルはマーラーよりも更に右端にプロットされていることが確認でき、第2主成分方向にはやや下よりに固まっているブラームス、ブルックナー、ラヴェルに対して、シベリウスが下側に向けて広がっているのに対し、ドヴォルザークが上側に向けて広がっている様子が見て取れます。それでは第1,第2主成分の得点と、特徴量の寄与を確認してみます。



 上に見るように、第1主成分は主和音形・属和音形(属七・属九)/付加六の対立(負の相関)を示しているのに対し、後述する第2主成分は主和音基本形・六の和音と付加六/四六の和音と属和音形(属七・属九)の対立(負の相関)が示されたものとなっています。属和音形(属七・属九)/付加六の対立(負の相関)は両者に共通しており、第1主成分を横軸、第2主成分を縦軸にとったプロットをした時に、付加六(add6)は上向き、属七・属九の属和音形2種(dom)は下向きの互いに180度逆向きのベクトルで表示されるのはそのためであることがわかります。主和音形6種は第1主成分で全てマイナスの寄与であるため、プロット上は付加六(add6)、属和音形(dom)とはほぼ直交して左向きにベクトル表示されますが、第2主成分では基本形(maj,min)と六の和音(maj6,min6)と付加六(add6)がいずれもプラス、四六の和音(maj46,min46)と属和音形(dom)がいずれもマイナスであるため、結果的にプロット上、四六の和音(maj46,min46)は左斜め下に傾いて、属和音形(dom)寄りのベクトルとなっていることも確認できます。また基本形(maj,min)・六の和音(maj6,min6)・四六の和音(maj46,min46)の矢印の向きはいずれもほぼ重なっていて、本分析の結果においては長調・短調の区別がないことにも気づきます。

 第1主成分に関して得点が高く、主和音形および属和音形(属七・属九)が少なく、付加六が多い傾向にあるのがマーラーとラヴェルであり、特にラヴェルはその傾向が4曲全てに見られるのに対し、マーラーは第1交響曲を除くと概ね時代区分に沿って後期になる程その傾向が強くなっていることがわかります。ブラームス、ドヴォルザークはスメタナと並んで点数が低い(ベクトルの起点である中心より左側に偏っている)のに対して、シベリウスやブルックナーは作品によって傾向が異なること(結果として、左右両側に広がっていること)が確認できます。

 一方で第2主成分について見ると、マーラーは概ね得点が高いのに対しラヴェルは低い傾向にあって、第2主成分までの組み合わせでマーラーとラヴェルを区別することができそうなことがわかります。それ以外ではタクタキシヴィリとドヴォルザークの第9の得点が高いのが目立つ一方で、他のドヴォルザークの交響曲とスメタナはほぼ中立であるのに対してブラームス、フランク、シベリウスなどの他の作曲家は全ての作品でマイナスの得点となっており、付加六と属和音形(属七・属九)のどちらが優位かについてマーラーとは明確な違いがあることがわかります。



(2)標準化なしの場合

 既述の通り大まかな傾向は同じですが、参考までに標準化なしの結果についても確認してみます。

 まず長調の主和音基本形と属和音形(属七・属九)の頻度の高さは、プロット上のmaj,domベクトルの長さで示されていることが確認できます。興味深いのは、標準化した場合と得点の正負が逆転しているケースがある点で、例えばヤナーチェク(得点の棒グラフでは紫色で示されています)が該当します。これは和音間の出現頻度の割合が大きく異なることに起因しており、寄与の正負が逆向きの特徴量が打ち消し合う際に、標準化の有無による頻度の偏りの効果でどちらの特徴量が勝つかが変わるためです。実際、ヤナーチェクのシンフォニエッタの入力データを確認すると、属七・属九の出現頻度がかなり低い(100拍あたり3程度)ことが確認できます。その一方で付加六の頻度の方もまた非常に低い(100拍あたり2弱)のです。既述の通り、今回の分析ではブラームスをはじめとする属和音形の出現頻度が高いグループ(100拍あたり10程度)が存在するために、標準化を行わないと属和音形の出現率の低さが強調される結果となり、それが特に属和音形の負の寄与率が著しく大きい第2主成分の得点の極端な違いの原因となるだけでなく、第1主成分においては得点の正負の逆転をもたらしているようなのです。つまり今回の分析の場合、属和音形と付加六の出現頻度は強い負の相関関係を持っており、その結果として付加六の頻度の高さではなく、属和音形の出現頻度の低さによっても主成分得点が上がる構造になっていることに注意する必要があります。ヤナーチェクはアンチ・ドミナントではありますが、付加六の出現頻度が高いわけではなく、この点でマーラーやラヴェルとは異なった傾向を持っています。他方、標準化を行わない分析の結果におけるラヴェルの第1主成分得点の高さは、こちらは主和音基本形の出現頻度が極端に低いことに起因していることも確認できます(特に「ダフニスとクロエ」と「優雅で感傷的な円舞曲」は100拍あたり1.5程度と対象作品中最小なのに対して付加六が100拍あたり6~7でかなり大きめなので非常に大きな第1主成分得点になります。)








5.分析結果についての考察

 本稿では、転回形を区別した長短主和音形と属和音形(属七・属九)、および付加六の和音形の出現頻度のみを特徴量として用いた分析を行いましたが、結果について考察してみます。

 まずクラスタリングの結果ですが、分析手法によって若干の揺れはあるものの、今回設定した他の作曲家の作品の中でマーラーの作品を位置づけることには成功していると思います。マーラーに距離が近いのはラヴェルやヤナーチェク、タクタキシヴィリで、シベリウスはフランクと同じグループを形成し、ブラームスやスメタナが含まれるグループとマーラーが含まれるグループの間の中間的な位置を占める結果となりました。ブルックナーやドヴォルザークの作品は作品によって和音の出現傾向にばらつきがあり、複数グループに跨って分布するのに対し、マーラーはブラームス程ではないにしても比較的ばらつきが小さく、一纏まりになる傾向がありますが、「大地の歌」以降の後期作品とそれ以外は傾向をやや違えており、2つのクラスタに分裂した結果も得られました。

 次に主成分分析の結果ですが、主成分分析は、標準化をする/しないの両方の条件で行ったので、まず、出現頻度の高い和音の寄与を頻度に応じて重みづけしており、より聴感に即していると考えられる標準化なしの分析の分析結果について検討してみます。

 第1主成分は長調の基本形主和音(maj)の出現頻度の寄与が著しく大きく、寧ろ長調の基本形主和音にどれくらい頻繁に立ち戻るかという観点で軸が形成されているように見えます。同様に第2主成分も属七・属九(dom)の出現頻度の寄与が著しく大きく、こちらはドミナントシステムの優越の度合いを示すものと見做せます。しかし今回特に注目した付加六の和音については、第1主成分・第2主成分のいずれに対しても、その寄与の大きさが際立っているわけではなくプライマリの要因とは考えられません。従って付加六の寄与を測るためには、標準化をした分析の方を確認すべきと思われます。その一方でクラスタ分析結果ではマーラーに距離的に近いグループに分類されたラヴェルとヤナーチェクについて、ラヴェルは主和音形の出現頻度の低さによって特徴づけられるため第1主成分得点が高く、ヤナーチェクは属七・属九の出現頻度の低さによって特徴づけられるため第2主成分得点が高くなるといった点が確認でき、いずれもマーラーの作品とは傾向を違えており(強いていえばヤナーチェクはマーラー初期寄り、ラヴェルは後期寄りと言えるでしょう)、かつ両者の間でも区別が可能であることがわかりました。

 標準化ありの分析は、和音間の出現頻度の偏りに依らず、対象となった和音の出現頻度の作品間での偏りを同じ重みで扱います。その一方であくまでも対象となっている作品を全体とした時の比較であり、対象の作品の集合を変えればそれに応じて結果も変わる点には留意が必要です。(標準化なしの分析でも同じことは言えるものの、こちらは絶対的な出現頻度という対象作品の集合に依存しない値に基づく分析である点で、完全に相対的な標準化ありの分析とは異なります。)

 まず第1主成分への各和音の寄与(負荷)を見ると、前回までの分析で転回形を区別せずに概ね同じ傾向が確認できた理由が確認できるように思います。既に述べたように第1主成分は、転回形によらず全ての主和音形と属和音形(属七・属九)の頻度が優越するか、付加六の頻度が優越するかという対比で軸が形成されますので、この成分だけに限れば、主和音形の転回を区別するかどうかには影響を受けません。一方で第2主成分については四六の和音と属七・属九からなるグループと基本形と六の和音と付加六の和音からなるグループのどちらが優越するかという対比で軸が形成されており、転回形を区別することで現れたものだと言えます。強いてネーミングを試みるならば、第1主成分はアンチ・トニックの軸、第2主成分はアンチ・ドミナントの軸と言えるでしょうか。

[重要な注記] 繰り返しになりますが、誤解の無いように補足させて頂くと、ここでいう「主和音形」には、機能和声的には、主和音も三和音の属和音も含まれていること、一方「属和音形」には属七・属九のみが含まれていることをお断りしておきます。それを踏まえれば、第1主成分側は、これまで行ってきた、様々な次元を捨象して得られた「ピッチクラスの集合」の分析で得られた結果と等価ですから、文脈を無視した和音の音の組み合わせという、いわば表層的なテクスチュアのみに関わり、第2主成分は四六の和音と属七・属九の相関が取り出させたということでいわばテクスチュアの表層から機能を覗き見ているといえるように感じます。

 マーラー作品内部の時代区分に沿った変化にフォーカスして見た場合でも、大まかな傾向としては前回と同様なのですが、前回はほぼ完全に時系列に沿った変化が抽出できたのに対し、今回は第一交響曲が例外となる結果が得られました。この理由を調べて見ると、前回の分析で用いた特徴量の中には単音や二音の出現頻度が含まれており、単音と三度、特に長三度の寄与が大きかったのに対して、今回は単音と重音を分析対象から外したことが影響しているようです。第1交響曲は第1楽章冒頭の長大なAの単音の持続を背景とする序奏の領域がその後も回帰し、結果として単音の占める割合が大きいのですが、その影響で主三和音形の出現頻度が見かけ上低下するのに加えて、その原因となった単音が分析対象から除外されたことによって、偶々後期作品に近い主三和音形の出現頻度となったために、時代区分に沿った変化の例外のような結果が得られたようです。前回、時代区分に沿った変化が現れたのは第2主成分であり、前回の分析の第1主成分は単音や重音が多いのか、三和音以上の和音が多いのかといった音の厚みに関わるものであったことを思い起こせば、そうしたテクスチュア上の差異の影響を取り除いて、マーラーの作品の創作時代区分に沿った変化を、より機能的な側面に基づいて浮かび上がらせることに今回の分析は成功したという見方ができるのかも知れません。

 更に言えば、前回の分析では作品単位での出現頻度計算にあたり、楽章毎に100拍あたりの和音出現頻度を求めて、曲単位で平均化するやり方(平均和音出現頻度)と、和音出現回数の曲毎の累計から100拍あたりの頻度を計算するやり方(累計和音出現頻度)の2通りについて分析を行っていますが、今回は後者の方法での集計結果に基づく分析のみを行っています。考え方としては楽章という単位を意識せず曲全体での出現頻度を対象とするのか、楽章単位に独立し完結したものとして出現頻度を計算し、曲全体としてはその平均値を用いるかの違いですが、後者では楽章毎の長さ(ここでは拍数)が無視され、30分かかる楽章と5分しかかからない楽章について同じ割合で寄与していると見做していることになります。言い替えれば、短くて和音の出現頻度上偏りの大きな楽章が存在すると、その楽章の和音の出現分布が強調して反映されることになります。マーラーの場合では、第3交響曲の第5楽章や第2交響曲の第4楽章などが該当することがわかっていますが、この点の影響の程度を把握するためには、平均和音出現頻度に基づいて今回と同じ条件での分析を行って結果の比較をしてみる必要があるでしょう。

6.まとめ

 クラスタ分析の結果と主成分分析の結果を照合すると、今回の分析対象となった作曲家について概ね以下のような傾向を持つと言えるのではないかと思います。

(A1)第1主成分(アンチ・トニック):-/第2主成分(アンチ・ドミナント):-
  biplotグラフの第3象限。
  ブラームスの交響曲がプロトタイプ。
  古典的なドミナントシステムと明確な調性感。
(A2)第1主成分(アンチ・トニック):-/第2主成分(アンチ・ドミナント):+
  biplotグラフの第2象限。
  ドヴォルザークの第9交響曲がプロトタイプ。
  旋法性を持ちつつ、調性感は明確。
(B1)第1主成分(アンチ・トニック):+/第2主成分(アンチ・ドミナント):-
  biplotグラフの第4象限。
  該当なし。強いて言えばシベリウスの第2交響曲が近い。
  調性感稀薄だがドミナント優位であり旋法性も稀薄。
(B2)第1主成分(アンチ・トニック):+/第2主成分(アンチ・ドミナント):+
  biplotグラフの第1象限。
  ラヴェルがプロトタイプ。
  旋法性と曖昧な調性感。

 あくまでも上記はプロトタイプであり、中間的なタイプの作品も存在すれば、同じ作曲家の作品が複数のプロトタイプにわたり広範囲に広がっている場合もあります。ブルックナーやドヴォルザーク、シベリウスがそれらに該当します。マーラーはブラームスと並んで、比較的作品間のコヒーレンスが高い傾向にあると言えます。基本的には(B2)に属しますが、創作の時代区分に沿ってドヴォルザークの第9交響曲のいる(A2)とラヴェルのいる(B2)の中間点のヤナーチェクやタクタキシヴィリの近傍から(B2)の極へ近づいていった(がそこまでは辿り着かなった)と捉えることができそうです。つまり第2主成分については+(アンチ・ドミナント)である点では一貫していますが、第1主成分軸は、作品創作の展開につれて中立から+(アンチ・トニック)へと推移していったと捉えることができそうです。これが他の作曲家との比較においてマーラーの音楽を特徴づけるものが、マーラーの音楽の内部における創作展開のプロセスを特徴づけるものとどのような関係にあるのかに関する本分析での回答ということになると思います。

 なお、今回の分析の設定に纏わる制約として、分析対象の単位が作品であるため、多楽章形式の作品の場合作品中に含まれる異なる性質をもった楽章の特徴が平均化されてしまう点が挙げられます。交響曲で両端の楽章は古典的で調性的にも明確だが、中間楽章は旋法に基づいて書かれていて、主和音ないし属和音があまり出現しないというようなケースを想定すると限界は明らかだと思います。とはいえこれは全くの架空の話というわけではなく、実はドヴォルザークの第9交響曲がまさしくこれに近い頻度分布となっていて、結果的に曲全体として(A2)のプロトタイプとなっていますし、前の節でも述べたように、マーラーの第3交響曲の場合は旋法性の強い冒頭楽章に対して、属七・属九和音(dom)が全く出現しない第4楽章(但し付加六も100拍あたり1.8で低く、既述のヤナーチェクのシンフォニエッタのケースに類似しています)、鐘の音の模倣を繰り返すせいで主和音基本形(maj)の比率が3割にも達する特異な頻度分布を持つ第5楽章や、属七・属九和音(dom)が100拍あたり7とマーラーの交響曲の全楽章中でも際立って高頻度である終曲のアダージョもあって、長さがまちまちなだけでなく、異なる性質を持った楽章が組み合わされていることが確認できますが、そうした多様性は今回の分析では捨象され、平均化されてしまっていることは制約として確認しておくべきと考えます。

 最後に、それではこの分析の導きの糸となった「付加六は旋法性の現われ」という捉え方についてはどうでしょうか?分析結果から読み取れる限り、妥当なケースがあるということは言えそうですが、そうとは言えないケースも確認できました。ヤナーチェクは一見したところ(B2)に該当しそうで、初期のマーラーの近傍にプロットされますが、既に述べた通り、付加六の和音の頻度は高くなく、属七・属九の頻度が極度に低いために、結果として近くにプロットされたに過ぎません(マーラーの中にも第3交響曲第4楽章のような類似のケースもあるのですが)。属和音形の頻度が低いのだからアンチ・ドミナントというラベル自体は寧ろヤナーチェクにこそ相応しいとさえ言えますし、付加六の頻度によらず旋法性が高いのは聴けば明らかでしょう。従って付加六の和音が高頻度で現れるのには、旋法性だけではなく更に追加の条件が必要なのではないかと思われます。ここからは分析の結果からは離れますが、想定できることとして、長調・短調の対比の枠を持たない単一の旋法に基づく作品の場合、調性感を稀薄にするといった操作はそもそも不可能です。付加六は長調・短調の対比の枠の中で調性感を稀薄にする時(更に具体的に特定するならば、長調・短調の対比の枠組みの中でも、2つの基本音が併存する、平行調関係に基づいた場合) に結果的に出現する、いわば随伴的なものなのではないでしょうか?従って「付加六は旋法性の現われか?」という問いに対して、現時点で回答を試みるならば、付加六は旋法性の現われ「でも」ありうるが、直接的関係がある因果的なものではなく、長調・短調の対比の枠の中に旋法的な要素が入り込んだ時に現われる随伴的なものに過ぎない。従って、問いへの答えは「はい」でも「いいえ」でもある、ということになるように思います。

 ところで、第1主成分について主和音形(特に長調の基本形、但し繰り返していうようにここには機能和声でいう三和音の属和音も含まれます)の頻度が相対的に低いことをもって「アンチ・トニック」と命名し、聴感上は「調性感が稀薄」とし、第2主成分については四六の和音と属和音形(この分析では属七と属九の形のこと)の頻度が相対的に低いことをもって、「アンチ・ドミナント」と命名し、こちらに「旋法性」を割り振りましたが、もし上記のような制限がつくならば、この割り振りは恣意的ではないかということになるかも知れません。しかし、そもそも「調性感」はどのように定義されるものでしょうか?同様に「旋法性」という言葉にも曖昧さが付き纏います。ラベルの割り当てを逆にすべきだという人がいても不思議はないくらいに感じます。

 とはいうものの、繰り返しになりますが、第1主成分は転回の有無を無視しても成り立つもので、この分析の前に既に明らかになっていたものの再認であるのに対し、第2主成分は転回を区別することによって初めて検出できたものであり、かつ四六の和音と属七・属九の頻度に正の相関があるという内容を踏まえれば、こちらは和音のシステムの機能に関わるものということが言えると思います。今回の分析で現れた第1主成分も第2主成分もいずれも付加六の和音の頻度に関わりますが、「聴感」のレベルに関わる第1主成分と比較して、第2主成分の方はより「機能的」な性格を持っている。そして「調性感」という言葉を「聴感」のレベルでの或る種の古典的・保守的な感じというニュアンスで使っているの対し、「旋法性」という言葉は、単なる旋法の使用を意味するのではなく、或いはまた特定の旋法の使用を含意するものでもなく、寧ろ古典的なドミナントシステムとは異なった別のシステムが機能しているというニュアンスを込めて採用していることを付言した上で、一旦は上記のラベリングは撤回せずにそのままにしておきたく思います。(2023.5.5, 5.6重要な注記を追加, 5.7 ラベルの左手のための協奏曲のデータに誤りがあったためデータを差替え、第二主成分軸の反転についての注記を追加。なお本文の説明には上記データの誤りは影響ありませんでした。5.7-8 用語法に関する指摘を頂いて、重要な注記の追記に留めずに「主和音形」「属和音形」という表現を適用して、機能和声での主和音・属和音との混同が起きにくくなるように修正しました。ご指摘に感謝します。5.10加筆、5.19重要な追記をさらに追加。5.21ピッチクラスへの言及を追加。)

[付録]ダウンロード可能なアーカイブ 主和音転回形分析.zip の中には以下のファイルが含まれます。

(1)入力データ
 gm_control_cat_add6.csv:分析対象の和音形(長短主三和音基本形・六の和音・四六の和音、属和音形(属七・属九)・付加六の和音形)の分析対象作品毎の出現割合
 gm_control_cat_col.csv:対象作品の作曲家に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_control_cat_label.csv:対象作品の作曲家名ラベル(非階層クラスタ分析で使用)

(2)主成分分析系
 eigen.jpeg:固有ベクトルのグラフ

 prcomp_F.jpeg:主成分分析(scale=F)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12F.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23F.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3]F.jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3]F.jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ

 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_34.jpeg:主成分分析結果(第3,第4成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-4].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-4].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ

(3)階層クラスタ分析系:
 hclust_complete.jpeg:complete法での分類結果
 hclust_average.jpeg:average法での分類結果
 hclust_wardD2.jpeg:ward法での分類結果

(4)非階層クラスタ分析系:
 clusGap.jpeg:ギャップ統計量のシミュレーション結果サンプル
 kmeans4.csv:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果
   kmaens4-alt.csv:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果別解
 kmeans4.jpeg:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果のclusplotグラフ
   kmaens4-alt.jpeg:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果別解のclusplotグラフ
 
(5)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 固有ベクトル、ギャップ統計量シミュレーション結果サンプル、
 非階層クラスタ分析結果(2種)、主成分分析結果サマリ(2種)を含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。