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GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2024年12月30日月曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (4) (2024.12.30 更新)

 だが、そうした社会的構造に根差した生成と推移のリズムが刻む単純な生死の対立の平面とは更に別の軸が存在することが、主として細胞老化のメカニズムに関する研究により明らかにされてきた。そこから出発して、成長ではない、癌のような分裂の暴走というのを時間的なプロセスとして考えることができるだろうか?エントロピーの概念?ここでは成長との二項対立は問題にならない。寧ろ老化は癌化に対する防衛という一面を持つらしいのだ。

 あるいはまた、遺伝子においても、従来は意味をもたないとされた膨大な領域が単に冗長性を確保するといった観点にとどまらず、より積極的な「機能」を担っている可能性が示唆されるようになったし、細胞老化の研究により、老化というのが細胞の複製・増殖の暴走である癌化への防衛反応の一つであるという見方が出されたことを始めとして、生命を維持するメカニズムは当初考えられたような単純なものではなく、非常に複雑で込み入ったものであることが解明されつつある。

 だが、この視点の素朴なバージョンなら、既にボーヴォワールの『老い』にも登場している。ただしそれは「いかなる体感の印象も、老齢による老化現象をわれわれに明確に知らせはしない」(邦訳同書下巻, p.334)ことの理由としてではあるが。曰く

「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる。それは一つの生物学的均衡であり、適応が円滑に行われる場合は、老いゆく人間はそれに気づかない。無意識的調整操作によって、精神運動中枢の衰えが長いあいだ糊塗される可能性があるのだ。」(邦訳同書下巻, p.334)

だが、これは文脈上仕方ないことではあるけれど、事態の反面をしか捉えていない。つまり糊塗されている裏側で起きていることに対する観点が抜けていて、実はそちらこそ「老い」にとっては本質的な筈なのである。それを今日のシステム論的な議論に置き直せば、以下のようになるだろうか。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

  「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では、

「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

* * *

 であるとするならば、要するに求められているのは、藤原辰史が『分解の哲学』において遂行したように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 『分解の哲学』第5章でも指摘されていることだが、分解者という捉え方は、そういう捉え方をすることで色々なものが見えてくる点で極めて生産的ではあるが、厳密に定義しようとすると、どこかで輪郭がぼやけてしまって、必ずしも安定的な概念ではない。それでも敢えて私なりの立ち位置から定位しようとすると、第一義的にはそれは(ジャンケレヴィッチではないが)「死の向こう側」ということになるように思う。「死」自体も、近年、研究と医療等の現場との両方の水準で、その定義が問題になっているように決して自明なものではないのだろうが、その点は一先ず措いて、それでも「死」は誰にとっても明らかな障壁であり、それがゆえにその向こう側、「死」の後で起きることについてはなかなか思いが及ばないところを「分解」の視点は探り当てているのだと思う。

 同じく第5章には生態学に経済学的な概念が密輸されているという指摘があり、これは首肯できる。私が子供の頃に「オダム生態学」を読み、生態学の研究者になることを思い描きつつも、結局生態学ではなく哲学に向かった理由とも関わるのだが、「生産」と「消費」という切り口では見えないものに拘りたく、「分解」という視点がそれを開示していることを心強く感じる一方で、分解が生態系のシステムの中で新たな「生産」に繋がっていく循環の重要な側面であるという捉え方は(そこにある違いを無視すべきではないとはいえ)、ヨハネ伝の「一粒の麦」がそうであるような、「死」が新たな「生」に繋がるという考え方、或いは個体の死は種としての存続のいわば「応酬」であるという捉え方と同じく、それ自体は全く妥当でありながら、結局のところ、そこで「きえさる」もの、「死の手前」にあった「個」を別の水準に回収するということに通じているように感じるのである。

 勿論それは目を背けたくなったとてなくなるわけではない厳然たる事実であり、だからこそ「メメント・モリ」であり、『分解の哲学』でも「九相図」への言及が為されているのだろう。その一方で「分解」は「生」のプロセスの最中にも埋め込まれているという捉え方も可能で、例えば『分解の哲学』でも参照されている昆虫の変態はそのモデルの一つ(まさにスクラップ・アンド・ビルド)なのだと思うが、他方でこれは(そこの記述がそうなっているように)「死」もまた「生」の中に埋まっていう見方に通じ、プロセス時間論などでの「自己超越=死」と「生成」がリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握にも通じるように思うし、生物学的な水準では、個々の細胞は死んで新しいものに置き換わることで個体レベルの生が成り立っているという見方(岩崎秀雄先生の指摘される、種/個体のレベルでの生/死の対立の一つ下の階層で、個体/細胞のレベルで生/死が対立しているという、生と死を巡っての階層的・再帰的な構造を思い浮かべるべきだろう)に通じると思う。

 そうしたことを考えながら、ふと感じたことは、「分解」を「生」の最中ではなく、文字通り「死の手前」に置いてみることができないのか、ということであった。これは物凄く卑近なレベルに単純化してしまえば「老い」「老化」を「分解の哲学」の中で扱うことができないだろうかということである。

 『分解の哲学』でも取り上げられているチャペックは若くして逝去したからか、「老い」を扱っていないように思われる。例えば『マクロプーロスの処方箋』では、現在なら特異点論者のトピックである「不死」を扱っているが、そこでは「永遠の生」への懐疑はあっても「老い」は正面から扱われていないように感じる。寧ろ「不死」は「不老」でもあって、これは特異点論者の論点でもあるし、それが依拠している今日の「不死化」の研究のアプローチでもあって「老いを防ぐこと=死なないこと」となっているように見える。他方、上述の「個」というものにフォーカスするならば、「死」の手前には、事実上「生」の一部として、「自伝的自己」の崩壊・分解としての認知症があり、これは喫緊の社会問題でもあり、個人にとっても多くの場合、他人事ではなく最初は二人称的・三人称的に、最後には、もしかしたら一人称的にも直面せざるを得ない身近な問題でもあろう。それ故に「老い」には直結しない「分解」として、外傷的な損傷や精神疾患もあるが、それらよりも「死の手前」に存在する「分解」として「老い」を取り上げる方が一層興味深く思われるのであろうか。

 もう一つだけ付言するならば、「老い」としての「分解」には、再生とか復活に繋がる側面はなく、経済学的な循環からは零れ落ちてしまうもの、回収困難なものではないかというようにも思う。そしてだからこそ現実の社会の問題として解決し難い難問なのだろうか、というようにも思う。もう一度読み返してから言うべきだろうが、記憶する限り、『人新世の「資本論」』でも「老い」が主題的には扱われていた記憶はない。

 そもそも「持続可能性」にとって「老い」はどのように位置づけられるのか?アルタナティヴとして提示されているであろう『人新世の「資本論」』の「脱成長」において、「老い」という側面は(存在するであろう幾つかの水準のそれぞれにおいて)どのような意味を持つのだろうか?といったような疑問も湧いてきて、些か短絡的ながら、「老い」について論じない「脱成長」の議論は、何か本質的なところで底が抜けているということはないのか?というようなことさえ思う。

 一方、それを思えば、対立する資本主義の上に成り立っている特異点論者の「老い」に対する立場は明快であり、主張の是非を措けば、寧ろそれを正面から取り上げているとさえ言えるかも知れない。だからといって技術特異点論者の言うことに共感できるかどうかは、また別の問題であろう。例えばアンチエイジングを「ピンピンコロリ」の達成と言い換える如き風潮が見られるが、実際に介護に一人称的・二人称的に関わっている身にとって「ピンピンコロリ」そのものが本人にとっても周囲にとっても有難いということは認めたとて、それが一人の人間にとっての生きる意味などとは無縁の水準でしか発想されていないように感じられてしまうし、老化をコントロールすることが「ピンピンコロリ」を実現するために「も」有効であることを仮に認めたとしても、それがどうして健康寿命を限界まで引き延ばす話になるのか、若返りのテクノロジーの話になるのか、果ては(でもそれこそが本当の目標なのだろうが)寿命さえも乗り越えるという話に繋がるのがは杳として知れない。

 だが、アンチエイジングという言葉の濫用や、それに類する情況はボーヴォワールの時代にも既にあった、否、「二分心崩壊」以降、常にそういう志向を人間は持っているのかも知れなくとも、そして仮に医学的・工学的技術としての「アンチエイジング」が、現在既に巷間に流布し、まるで「老い」が「悪」であり、絶滅すべき対象であるというドクサとは独立のものであったとしても、そうしたドクサに乗っかろうとしているのであれば、それを許容することは私にはできない。

 結局のところ私は、マーラーの後期作品にはっきりと読み取ることができるとかつても思思ったし、今でもその点については同様に思っている、「現象から身を退く」ことで「老年」のみが達成できる認識、境地というものに子供の頃から憧れてきていて、たとえ自分にそうした境地が無縁のものであったとしても、その価値を信じ続けたいし、今更手放す気もないのだと思う。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿, 12.30更新)

2024年12月19日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(6)(2024.12.19 更新)

 『大地の歌』を起点とした時、「現象から身を退く」に基づくアドルノの晩年様式の規定をマーラーの音楽のどのような構造の具体的な特性に関連づけて指摘できるかだろうか?例えば「仮晶」Pseudmorphism 概念はどうだろうか?それを、引用とかパロディのようなメタレベルの操作としてではなく定義できるだろうか?中国、五音音階が果たす機能ということであれば、これは文化的文脈に依存のものとなる。日本で聴く『大地の歌』は「仮晶」として機能するのだろうか?そうではなく、そうした文化依存のものではなく、もっと別のレベルに「現象から身を退く」を見いだせないのか? 文字通りの物理現象としての「仮晶」の対応物を、時間プロセスのシミュレーションとしての音楽作品の中に具体的に指摘できないのだろうか?

 だがこれはこの場で判断を下せる類の問いではなく、この点に関して別途、膨大な分析・検討を要するだろう。私見では「仮晶」とは、必ずしも「後期様式」に固有の現象ではなく、「根無し草」であったマーラーにおいては寧ろ、若き日から一貫したあり様であったと思われる。そもそもが紛い物めいた「子供の魔法の角笛」に対するマーラーのアプローチは、更にもう一段屈折したものとなる。それはマーラーにおいては「真正な」意味合いで「ありえたかも知れない民謡」と化してしまう。リュッケルトの詩に関しても同じような側面を指摘することは可能だろう。中国の詩ではなくベトゥゲの追創作(nachdicitung)としてみれば『中国の笛』は、まさにその延長線上に位置づけられるものであろう。それゆえ「仮晶」は「後期様式」の相関物ではなく、寧ろマーラーの生涯を通じての基本的な存在様態の相関物であったと見るのが適当に感じられるのである。

 おしなべてマーラーの音楽は、極東から見れば西洋音楽の或る種の極限に見えたとしても、どこか「借り物」めいたところがあって、寧ろそうであるが故に一層、極東の子供にとって「開かれた」存在であったということができはすまいか?とはいうものの、(妻の知己から貰った)一部は偶然によるものとはいえ、他ならぬ『中国の笛』が「仮晶」の核となったという事実は残るし、インド哲学に影響されたショーペンハウアー、東洋学者であったリュッケルト、晩年に至って東方(オリエント)への傾倒を深め、『西東詩集』をものしたゲーテ(第8交響曲の『ファウスト』の音楽にも五音音階が登場することがマーラーの側からの「応答」を証立てているとは言ええないだろうか?)の先で、ベトゥゲの「紛い物」の向こう側にある極東に至ったのであるとすれば、「仮晶」の核としてではなく、改めて「現象から身を退く」ことに関連づけて「東洋的なもの」を考えることはできるのではなかろうか。

 だがこの時、その東洋にいる、否、中国の更に東から逆向きに眺めている筈の日本人たる私にとって、それはどのように受け止められるべきものか。「老い」との直接的な関わりにおいては、何よりもまず直ちに思い浮かるのは、トルンスタムの「老年的超越」であろう。既に触れたようにトルンスタムはそこに非西洋的な認識の様態、存在の様態を見出そうとしている。更には、これもまた既に目くばせをしておいたが、近年、ユク・ホイが『中国における技術の問い』から『芸術と宇宙技芸』への歩みの中で試みているアプローチを「老い」や「現象から身を退く」というアスペクトに関して解釈・変換することが考えられるだろう。それらを通して眺めた時、マーラーという個別の場合がどのような相貌をもって出現うするのか、その具体的な様相を描き出すことが必要になるであろう。

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 それでは同じアドルノの「性格的要素」、カテゴリの中にそれを求めるとしたらどうなのか?そうしてみると「崩壊」というカテゴリが「老い」と共鳴関係にあるものとして直ちに思い浮かぶ。あるいは更にアドルノのカテゴリでの「崩壊」ではなく、Reversの言う「溶解」は?だがここで問題にしたいのは、「別離」「告別」というテーマではない。寧ろ端的に「老い」なのだ。死の予感ではなく、現実の過程としての老い。「死の手前」での分解としての老い。それはだが、よく引き合いに出される「逆行」「退化」という捉え方とも異なる。細胞老化、個体老化のそれぞれにおいて起きていることはその基準になる。老化は成長の逆ではない。成長の暴走としてのガンは、老化を考える際に重要な役割を果たす。

 「意識の音楽」「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という見方(これについては、記事「「意識の音楽」素描」および記事「MIDIファイルを入力としたマーラー作品の五度圏上での重心遷移計算について」の冒頭2節を参照のこと)に立ったとき、Peter Revers : Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaten Sinfonien, Salzburg, 1986, S.185ff における音楽構造の融解化Liquidation はどのように捉えることができるのか?(但し、これは恐らくLiquidationに限らず、アドルノの「性格」におけるカテゴリ全般、つまりDurchburch, Suspension, ErfuhlungやSponheuerが主題的に取り上げたVerfallにしても同じ問いが生じうるであろう。)Reversが、それがマーラーの後期作品において、特に第9交響曲においては、音楽形成にとって唯一有効なカテゴリーとなると述べ、それが第9交響曲では各楽章の末尾、大地の歌では楽章群の終わりの部分について言えるとする。そして形式構造の融解化の手法を、別れと回顧という表現内容と結びつけるのであるが、それでは表現内容が「別れ」「回顧」のいずれかでもなく、第3のカテゴリがあるのでもないとどうして言えるのか?時間性の観点からは、そもそも「別れ」と「回顧」とが同じ時間性を持つということは到底言えないだろうが、にも関わらずそれが音楽構造の融解化にいずれも帰着するということがどうして言えるのだろうか?『大地の歌』において「別れ」と「回顧」は寧ろ異なった層に位置づけられるとするのが自然に思われる(この点については、以前に調的な構造の観点から検討した結果を公開したことがある。「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―を参照。)のに対し、そこに形式的に同一の構造が見出せるとしたとき、その形式構造は、実は「別れ」「回顧」だけではなく、他の内容とも対応付けうるような一般的なものではないとどうして断言できるのだろうか?『大地の歌』の第6楽章の末尾の時間性は、そのタイトルにも関わらず、「別れ」の帰結とは異なるし、「回顧」の時間性とも相容れない時間性を持っているように思われる。この観点で興味深いのは寧ろ、「大地の歌」の曲の配列が絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程であることを主張する大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)の指摘だろう(こちらについても、以前に触れたことがある。「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて― を参照)。Reversの指摘は興味深い点を多々含んでいるけれど、『大地の歌』の歌詞に基づいて(というか引き摺られて)そこに「回顧」と「別れ」をしか見なかったり、かと思えば第9交響曲の方は、これを専ら「死」と結び付けてみせる類の紋切型から自由になり切れていないように私には思えてならない。

 だとしたら、例えばここに「老い」を措いてみることはできないのか?単純に言って「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」とするならば、「老い」はその中に「別れ」を含み持っているではないか。だがもしそうだとして、「意識の音楽」にそのことがどのように反映されるのか?「意識の」というからには、生物学的・生理学的な「老い」そのものではなく、文化的・社会的に規定された「老年期」でもなく、アルフレッド・シュッツが指摘するように「老いの意識」でなくてはなるまい。だが作曲の主体が「老い」を自覚することが一体「音楽」にどのように関わるというのか?伝記的事実を踏まえればほぼ自明のことに思われる作品と「老い」の関係は、だがそれを作品そのものから捉えようとした時には困難に直面するように思われる。それは音楽に伝記的事実を投影しているだけなのではないか?しかし、例えばアドルノの「後期様式」はそれが実質的なものであるという主張である筈だ。一方で「時間の感受のシミュレータ」として音楽作品を捉えようとした時、それが「老い」とどう関わるというのか?それは文字通り「老い」を生きる時間の感じをシミュレートするということなのだろうか?そのシミュレータ自体が「老い」を経験し、意識するようなタイプの機械、生物のような機械、「人間」のような機械であることなしにそれが可能なのかどうかは一先ず措くとしても、「死」の意識、「別れ」の意識ならぬ「老い」の意識は、音楽作品にどのように刻印されているものなのか?「現象からの退去」の音楽化とは?それはどのような時間的構造と関わるのだろうか?

 直ちに思い浮かぶのは、上でも触れたアドルノの「崩壊」、ReversのLiquidation(融解)といったカテゴリは、実は「死」や「回顧」ではなく、実は「老い」に関わる性格的カテゴリではないのかという問いだろう。それらが寧ろ「老い」に関わるということを主張しようとした時、一体どのような点をもってそれを支持する証拠とすることが可能だろうか?

 更にそれを解釈する言葉の水準ではなく、具体的な楽曲の構造的な特徴の水準で行おうとした時に、一体どのようなアプローチで楽曲を分析すれば良いかを問うた途端に、具体的な楽曲の構造そのものに「老い」を見出す作業は困難であり、直ちにそれに答えることはおろか、その作業を進めていく見通しすら現時点では立てていないことを認めざるを得ない。だが漠としたものではあるけれども、朧気に浮かんでいるアプローチの仕方について簡単に述べておくならば、ポイントはまず、意識が基本的に「感じ」についてのものであるというソームズやヤーク・パンクセップ、ダマシオの立場に依拠すること、更に「ホメオスタシス」という概念に注目し、ソームズ=フリストンの意識に関する自由エネルギー理論に依拠することに存する。これはマーラーの音楽を「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」として捉えようとしているからには、ごく自然な選択であろう。いきなり作品そのものにアプローチするのではなく、一旦まず意識についての定量化可能な理論を出発点にとり、音楽作品を意識を備えた有機体に対する入力でもあり出力でもあるものとして位置づけることによって、単なる音響の連なりではない音楽に意識の様態がどのように映り込み、また音楽を聴くことで意識がどのような振舞をするのかを定量的に捉えるアプローチをしてみようということである。

 現時点で思い描くことのできる見取り図としては、「老い」についてのシステム論的な定義においてはホメオスタシスやエントロピーの観点から「老い」が捉えられていることから、ソームズ=フリストンの「自由エネルギー原理」に基づく「意識」の説明(これもホメオスタシスやエントロピーに深く関わっていることに思い起こされたい)をベースにし、上記のアドルノやReversのカテゴリの記述を意識にとっての「感じ」という観点から捉え直し、更には自由エネルギー原理的に翻訳することによってデータ処理可能な記述に変換し、楽曲の動力学的なプロセスの中にそれらを探っていくという道筋が浮かんではいる。楽曲のプロセスに「老い」や「老いの意識」を見出す以前に、まず「老い」の自由エネルギー理論的説明が必要であり、その上で「老いの意識」についても同様の説明があってようやく、それが音楽作品の構造や過程にどのように例示(examplify)――ネルソン・グッドマンの言う意味合いで――されうるかの検討に取り掛かることができるようになるだろう。そしてその時ようやく「晩年様式」の実質について語ることが出来る語彙が獲得できたと言いうるだろう。そして「晩年様式」の実質を語れるのであれば、「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」としてマーラーの作品を分析する手段は既に手に入ったことになるだろう。ちなみに上記では単純化のためにホメオスタシスにのみ言及したが、フリストンの「自由エネルギー原理」の重要な帰結として、人間の脳はホメオスタシス的な動きだけではなく、アロスタシス的な振る舞いを行うことが示されている。またパンクセップによっていわゆるデフォルトモードの情動がSEEKING(探索)であることが指摘されている。ここから創造性や「憧れ」といったものについて語る可能性も開けているように思われる。だが、この道筋を具体的に展開して実際の分析にまで繋がるレベルに到達するのは前途悠遠の企てであり、その実現には程遠いというのが現状である。

 そこでこの最後の問いについては一旦、問いとして開いたままにしておかざるを得ないとして、その替りに、更に漠然としてトピックレベルでの指摘に過ぎないので、ここでの問題設定に対して直接寄与することははじめから期待できないものではあるとは言うものの、『大地の歌』について、あくまでも「死」と「別れ」が主題でありながら参照が為され、更に「死」との関わりにおいて「老い」についての分析が行われているという点では特筆できるジャンケレヴィッチ『死』の該当部分の批判的な読解を行うことをもって、その手がかりを得るための準備作業としたい。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12,19 改稿)


2024年12月18日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (5)(2024.12.18 更新)

  トルンスタムの「老年的超越」の概念は、西欧的な自我観と密接な関係のある所謂「活動理論」を前提とした「アンチ・エイジング」の議論に対して、それに対立する「離脱理論」寄りの考え方として、だが単なる「離脱理論」に留まらない射程を持ち、ジンメル=アドルノがゲーテに依拠して述べる「現象から身を退く」こととしての「老年」への接続可能性を持つもののように思われるので、ここでの検討に値すると考える。例えば既述の能楽における「老い」の形姿と重ね合わせることができるのではないか、

 その点で留意するに値するのは、世阿弥が『風姿花伝』において能役者の生涯における三回の「初心」について述べる中で「老年の初心」について述べていることだろう。そもそも能楽には「老体」の能と称される演目があり、「老女物」の能を演じるのは能役者にとっての生涯の目標であり、かつては奥伝として特に許された者以外は生涯演ずることが叶わなかった程である。そしてそうした最終目標の演目において能役者が演じるのは、小野小町の老残の姿と心持ちを扱った作品(『卒塔婆小町』を始めとする所謂「小町物」)であったり、棄老伝説を踏まえた、今日的には残酷ともとれる状況を扱った作品(『伯母捨』)なのであって、役者として「老年の初心」を経て初めて到達できる境地と、そうした「老い」を主題とした演目との間に深い関りが存在することは、そうした作品の最高の上演に幾度か接すれば自ずと得心されるものであろう。

 私はこのことを単なる一般論として述べているのではなく、香川靖嗣師が演じた『伯母捨』(2013年4月6日)、『檜垣』(2019年9月14日)の老女物二曲に加え、老人の物狂いの能である『木賊』(2015年4月4日)、或いは老体の修羅能『実盛』(2010年4月3日)、更には「卑賎物」と呼ばれる罪業により地獄に落ちた老人の苦患を扱った「阿漕」(2000年6月10日)、「綾鼓」(2008年11月23日)、そして、それらとは全く異質であり、能にして能にあらずと言われるように、実際には「舞台芸術」ではなく「祭祀」そのものである『翁』(2003年1月5日)といった圧倒的な名演の数々を幸運にも拝見できたという具体的な経験に基づいて記していることを特に強調しておきたい。そうした観能の経験もまた、私がそうとは気づかずに断続的に行ってきた「老い」についての思考の枢要な導き手であったことを今、改めて認識し、そうした上演に立ち会うことができた僥倖に感謝せずにはいられない。ここでは「死」とは異なる「老い」の固有性が、そのマイナス面も含めて決して否定的に扱われることなく、だがそこから目を背けることもなく、真っ向から取り上げられているのである。

 上記のような点を踏まえた時私は、特に『伯母捨』のシテの存在の在り様を「老年的超越」に重ね合わせてみてはどうか、ということを考えたりもするのである。勿論、第一義的には「老年的超越」は社会学的に定義された概念であり、多数の高齢者に対してインタビューシートに沿った質問をして得られた回答を統計的に処理して高齢者に有意に特徴的であるという結果が得られたものではあるけれども、それを説明するのに「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化のこと」(増井幸恵『話が長くなるお年寄りには理由がある』, p.96)とされたり、「自己概念の変容」「社会と個人との関係の変容」「宇宙的意識の獲得」が三つの柱であるとされる(同書, p.98)ことから明らかなように、それはボーヴォワール(/サルトル)風には「世界・内・存在」としての個人の存在様態に関わるものであるが故に、寧ろ個別の具体的な作品に提示された人物像であったり、特定の個人の作品に映り込む意識の在り方を検討する際の手がかりになりうるのではなかろうか。一方で「世界観の変化」と言われ、「変容」、或いは「獲得」と言われるのは、一つにはそれが西欧的な自己観を基準にとっているからでもあり、それ故そのことはまた、マーラーの場合について言えば「晩年様式」が「異国趣味」という「仮晶」を必要としたという点にも関わっているに違いない。そもそも「異国趣味」がマーラーその人にとってどこまで借り物であったものか?マーラーの中には、インド哲学の影響が著しく、意志の否定を説くショーペンハウアーを皮切りに、ゲーテ(『西東詩集』West-östlicher Divan)、東洋学者でもあったリュッケルト、フェヒナー(『ツェント・アヴェスター』Zend-Avesta)、そしてハンス・ベトゲによる漢詩の追創作と、東方的なものに対する関わりが一貫して流れているのである。トルンスタムの「老年的超越」自体、東洋思想の影響の下で編み出されたものであるようだが、マーラーの側にも東洋的な諦観を、俄か仕込みの借り物としてではなく受容する素地があったのであれば、マーラーについてもまた「老年的超越」とその「晩年様式」とを突き合わせることは、表面的にそう見えるほど突飛なことではないのではなかろうか。

 西洋と東洋、ということであるならば、ボーヴォワールが『老い』の一番最初、「序」の冒頭で仏陀のエピソードを提示していることをどう受け止めたらいいのだろうか?本来これは、いわゆる「四門出遊」のエピソードの一部であり、それは後に「初転法輪」において四諦の一つである「苦諦」としてまとめられる「四苦」、即ち「生老病死」に若きシッダールタが直面した機会の中の出来事の筈である。私は仏陀の様々なエピソードに子供の頃から親しんできたので何事もなく通り過ぎてしまったが、改めて考えると「死」についてはあれだけ饒舌な西洋における「老い」に対する或る種の無視、特にそのマイナス面から目を背け、「老い」に対峙しようとしない姿勢に対して告発調なところも感じられなくもないボーヴォワールの口調を思えば、東洋においては「老い」について、その否定的な側面も含めて、少なくともそれを正面から取り上げようとしているのだということが告げられているようにも受け取れる。にも拘わらず本論になるとボーヴォワールは非西洋的な「老い」についての認識については「外部からの視点」と題された第1部の中でも「未開社会」の章の中に押し込めてしまっている。第2部のボーヴォワールの「世界ー内ー存在」としての、内側からの視点についての分析には興味深い点も多々認められるが、それに「序」の出だしにあえて仏陀を持ち出したことがどう影響しているかという点になると必ずしも判然とはしない。実際にはサルトルの「自我」の捉え方(特に『自我の超越』のような初期におけるそれ)には非西洋的な見方に通じる面もあるのだが、それが西洋的な視点に対する批判の拠点となり得ているかどうかについては限界があるように感じられる。

 これも既に『大地の歌』に関して何度か指摘していることだが、謂われるところの「異国趣味」について、自分が西洋から眺めた時に中国の更に向こう側から、逆向きに中国を眺めていることについて意識的であれ無意識にであれ無頓着である議論は大きな欠落を抱えずにはいないだろう。日本人が聴いてさえ耳につく『大地の歌』中間楽章の中国趣味にしてからが、日本人が聴くそれと西洋人のそれが同じであると思い込みことはできまい。だがここでは更に「老い」に関する認識の洋の東西の違いというのが加わることになる。一方でそれは「現象から身を退く」という両者共通の事実に対する両者の認識態度の違い(図式化すれば「活動理論」の西洋と「離脱理論」の東洋)なのだが、「現象から身を退く」際に依拠する「仮晶」として「東洋」、その中の「中国」がどのように機能するか、そもそも同じように「仮晶」たりうるのかという問題を引き起こさずにはいないだろう。そしてアドルノがその認識を記した半世紀前(それはマーラーが没してから半世紀後でもあったのだが)ではなく、更に半世紀後(ということはマーラーが没して1世紀後)の今日の、シンギュラリティを現実的なものとして議論することを可能にするような技術的状況下にあっては、そうした状況における宇宙と技術の多元性への可能性を検討した『再帰性と偶然性』のユク・ホイが、その思索の出発点において「技術への問い」に関して行ったような逆向きからの展望(『中国における技術への問い』)を、この文脈においても適用する必要があるだろう。(但し、この文脈においては、「東洋思想」という括りではなく、更に中国を挟んで反対側の極東の島国からの展望を剔抉すべきかも知れない。位相は異なるが、こちら側からも「仮晶」の論理が存在しており、しかもその位相は中国との関係の変化に応じて変容していると考えるべきであろうからである。とりわけてもここで、まさに「老い」についての認識が問題になっているからには一層この点は強調されるべきことに思われる。そう、私個人の記憶を辿っても『大地の歌』に出遭った時期、私は、李白、杜甫、王維など盛唐期の詩人のそれを中心とした漢詩にのめり込んでいたのだが、とりわけそれらに詠み込まれた「老い」の形姿が(気づいてか、気づかずか)逆向きに映り込むことは当然のこととして避け難く、特にそれは第1,2,6楽章の聴取に影響したし、現在もその影響は続いている筈である。そして更に今日、同じ(ジェインズの言う)二分心崩壊以後のエポックの中にあって、だがいよいよシンギュラリティが近づいている現時点で、改めてそれらの総体を今日の展望の下に位置づけなおす必要があるのを、我が事として感じている。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (3)(2024.12.18 更新)

 「老い」についての大著というと、邦訳で上下巻、二段組で700ページにもなるボーヴォワールの『老い』(朝吹三吉訳, 人文書院, 1972)があって、膨大な資料を渉猟し、その記述は多面的で、生理的側面、心理的側面、社会的側面の全てに亘り、客観的・対象的な了解と主観的・体験的な了解の両方を扱っており、かつそれらそれぞれの面のいずれについても充実したものだが、余りに経験的な次元に限定されている感じもある。一方でその限りにおいて、作家や学者に比べて芸術家(画家と音楽化)の晩年についての評価は高いのだが、その理由が特殊な技能を習得することから習熟に時間を要するという稍々皮相な指摘に留まっている。

 「このように彼ら(=音楽家:引用者注)が上昇線をたどるのは、音楽家が服さなねばならない拘束の厳しさによる、と私は解釈している。音楽家は自分の独創性を発揮するには高度の熟達がなければならず、これを獲得するには長い時間が必要なのである。」(邦訳下巻, p.479)

 何よりも「老い」が単なる「長い時間」と同一視されていて、「老い」の固有性が顧慮されていない点が致命的に感じられ、これではゲーテの「現象から身を退く」に基づくジンメルやアドルノの議論との間尺がそもそも合いようがない。ボーヴォワールが「老い」というものが様々なレベルで複合的に決定されているものであるが故に明確に定義することが困難であることを認識した上で、「老い」というものの固有性について理解しているだけに、個別の例における上記のような評価は寧ろ腑に落ちない感もある。

* * *

  ボーヴォワールの分析は主観的・体験的な了解に関わる部分では『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているが、一般的に言えば、「老い」のような水準は、現象学的分析においては扱いづらいもののようである。現象学が通常扱う意識の水準で「疲労」とか「倦怠」が取り上げられることはあるが、それらは概ね、せいぜいが過去未来方向の把持を含めた「幅をもった現在」の意識の相関者である「中核自己」の水準であるのに対し、「老い」は生活世界の住人である「自伝的自己」に関わるもので、両者は区別されるべきように思われる。

 管見では、現象学的分析としては、アルフレッド・シュッツの生活世界の構成についての分析において「時を経ること」=「老いること」が取り上げられていることを確認している。例えば、既に「老いの体験」と「老いの意識」の区別について参照した『社会的世界の意味構成』の第2章では、「私が年老いていく」事実と「老いの認識」について、フッサール現象学の時間論を参照しつつ述べた後、第3章 他者理解の理論の大要 の第20節 他者の体験流と私自身の体験流の同時性(続き)において、生きられた「同時性」を「共に年老いるという事実」(同書邦訳, p.143, 原文傍点)に見出し、それに基づいて第4章 で社会的世界の構造分析が展開される。C.社会的直接世界 (同書邦訳, p.224以降)で我々関係についての考察が為され、「しかし直接世界的な社会関係において年老いるのは1人私だけではない。我々はともに年老いるのである。」(同書邦訳, p.237, 原文傍点)とされるのである。なおリチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』でもその最後の部分(第七章 生活史的状況 のE.時間構造)で、「時を経るという体験、つまり幼児期、青年期、成人期から衰退期を経て、老年に向かうという推移の体験」(邦訳:那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝, マルジュ社, 1996, p.246)をもっとも根本的な体験のひとつとして挙げており、「われわれは時を経るということ、これがわれわれにとっては最高度のレリヴァンスをもっている。それが、動機的レリヴァンス体系の最高次の相互関係、つまり人生プランを支配しているのである。」(邦訳同書, p.247)という指摘が見られる。勿論、このシュッツが取り上げる「年を経ること」=「老いること」は、時間論的には「推移」一般と関連づけられていることから窺えるように、特にダンテの定義する「老年」における「老い」の固有性をとらえたものではなく、従って、ここでの考察にとっては出発点を提供するものに過ぎないが、狭義での現象学的分析の対象である「中核自己」とは異なる「自伝的自己」の水準にフォーカスしている点、プロセス時間論などで「知「生成」と対比して論じられる「推移」の経験、つまり「超越」における被把持であり「自己超越=死」と「生成」とがリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握へと接続可能である点、更には「老い」が本質的にポリフォニックであるという認識への展開の可能性を含み持つ点で極めて有効な視座を提供していると思われる。(更に追記。『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』における「時を経るという経験」が登場する箇所には編者による注が付けられているのだが、その注は、シュッツの別の論文「音楽の共同創造過程」への参照を求めている。ここでもまた音楽の体験が取り上げられていることに留意しよう。)

* * *

 結局のところ、総じて「老い」は通常二次的、複合的、派生的概念と見なされているのではなかろうか。老いはファーストオーダーの事象ではなく、ある種の複合・ベクトルの合成の結果と見なされるようなのである。生成に対するのは死であり、老いではないと見なされてしまう。かくして、だが死と老いとを区別しないことは、生成の側に本来は存在する差異を蔑ろにすることにも繋がってはいまいかという疑念が浮かび上がってくることを禁じ得ない。

 しかしその一方で、自伝的自己の老いについては、それでもいいのでは、という問い返しもまた可能ではなかろうか?ポリフォニーは単旋律の複合ではない。ポリフォニーをより単純な要素に還元することはできない。無理にそうすればカテゴリーミステイクになってしまうだろう。ここでもシュッツの指摘に耳を傾けるべきだろうか?『生活世界の構成 レリヴァンスの現象学』の第一章の序言において、シュッツは「対位法」を比喩として取り上げているのである。

「(…)私が念頭においているのは、同一楽曲の流れのなかで同時に進行している、独立した二つの主題間の関係についてである。それは簡単に言えば対位法の関係である。聴衆の精神は、いずれか一方の主題を辿るだろう。すなわち、どちらの主題であれ一方を中心的主題とみなし、他方を副次的主題とみなすだろう。中心的主題は副次的主題を決定しながら、それでもなお構造全体の入り組んだ構成のなかで依然として優位であり続ける。われわれの人格の、そしてまた意識の流れのこの「対位法的構造」こそが、他の文脈で自我分裂の仮説と呼ばれているもの―何らかのものを主題的に、それ以外のものを地平的にしようとすれば、われわれは自らの統一ある人格の人為的な分裂を想定せざるを得ないという事実―の系をなしている。主題と地平の区別が多少なりとも明確であるようにみえる場合、それを他から切り離して考えてみれば、そこには人格の二つの活動が存在しているにすぎない。そのひとつは、たとえば外的世界における諸現象を知覚する活動であり、他のひとつは「労働すること」、すなわち身体上の動きを通してその外的世界を変化させる活動である。だが、されに詳細に探究してみれば、そうした場合でさえも、精神の選定活動に関する理論は、領野、主題、地平といった問題よりもより一層複雑な問題群のための単なる題目―すなわち、われわれがレリヴァンスと呼ぶように提案している基本的な現象のための題目ーであるにすぎないということが明らかになるだろう。(…)」(リチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』, 那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝訳, マルジュ社, 1996, p.41, ボールド体による強調は原文では傍点。 )

 シュッツの上記の指摘は、「老い」固有の事情についての指摘ではなく、寧ろ生活世界の構成一般についての指摘であるけれど、自伝的自己に関わる限りにおいての老いは、そうした次元に関わる限りにおいて、本質的に対位法的なものではないのか?「老い」の意識は、相対的なものである限りで、他者を必要とするのではないか?「老い」はポリフォニック、対話的なものではないか?それと細胞老化・個体老化という生物学的な意味合いでの老いとは区別されるべきではないか? 

 ボーヴォワールの『老い』においても、第二部 世界ー内ー存在(邦訳同書下巻)において、「老いとは、老いゆく人びとに起こること」(p.331)であるがゆえに「老いという問題については名目論的観点も観念論的観点もとることができない」と主張されるのは、「自己の状況を内面的に把握し、それに反応する主体」(ibid.)としての「年取った人間」としての「彼がいかに彼の老いを生きるかを理解しようと試みよう」とする限り当然のことであろう。そもそもボーヴォワールの分析は、『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているから、シュッツの立場との接点があるのは当然だが、「老いとは、客観的に決定されるところの私の対他存在(他者から見ての、また他者に対するかぎりにおいての、私という存在)と、それをとおして私が自分自身にもつ意識とのあいだの弁証法的関係なのである。」(邦訳同書下巻, p.334)という規定は、シュッツのいうレリヴァンスとしての「対位法的構造」と、少なくとも事象の側としては極めて近しい水準のものを対象としているとは言い得るだろう。如何にも『存在と無』における他者のまなざしに関する議論を彷彿とさせる、「老い」の発見における他者のまなざしの役割の強調も、それが身体の経験の枠組みの中で捉えられる限りにおいて、直接的な他者の視線であったり、鏡に映った自己を眺める自身の視線に還元されてしまうように見えたとして、それのみに尽きてしまうわけではあるまい。勿論、「老い」において生物学的次元・生理学的次元を無視することはできないが、そこに還元してしまえるわけではない。ボーヴォワールの言う「普遍的時間」とは、実のところ普遍的ではありえず、生物学的時間・生理学的時間、そしてそれらと同様、天体の運動のような次元に基盤を持ちつつも、社会的関係によって構成された「暦」のような時間の重層のそれぞれの切断面に老いの経験の契機が孕まれているのであって、さながら冒頭の私の経験は、ボーヴォワールの記述においては、第六章 時間・活動・歴史 の中における「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である。」(邦訳同書下巻, p.441)という規定に照らした場合の(残念ながらボーヴォワールの場合とは異なって)或る種の欠如の感覚(要するに、何も生み出すことなく馬齢を重ねるという認識)に起因するものであったということになろうか。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿)

2024年12月12日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (2)(2024.12.13 更新)

 「老い」と「後期様式」に関連したアドルノの論考を確認しておこう。

  • ベートーヴェン:「ベートーヴェンの後期様式」(『楽興の時』):ここでは「晩年の様式の見方を修正するためには、問題になっている作品の技術的な分析だけが、ものの役に立つだろう。」とされる。だがその「技術的分析」は、必ずしも作品自体の内在的な分析を意味しない。というのもそこで手がかりとされるのは「慣用の役割という特異点」なので。それが「慣用」なのかそうでないかを判定する客観的な判断基準を設定できるだろうか?それ自体、文化的で相対的なものではないだろうか? 
  • マーラー:『マーラー』の最終章「長いまなざし」(ただし、「後期様式」への言及は、それに先立ち、第5章「ヴァリアンテー形式」において、アルバン・ベルクおよびベッカーの発言を参照しつつ、「(…)マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる。すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と述べている。この最後の発言は、シェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について語った言葉と響きあう。)

 一方、「老化」を扱ってはいても、シェーンベルク:「新音楽の老化」(『不協和音』)はシェーンベルク個人の「後期様式」の話ではない。そうではなくて寧ろ、所謂「エピゴーネン」に対する批判であろう。従ってここで「老化」は「後期様式」とは何の関係もないように見える。だがそれならそれで「老い」について2通りの区別されるべき見方があるということになる。「後期様式」とは「老い」そのもの(?)とは区別される何かなのだ。恐らくは生物学的な、ネガティブなニュアンスをもった「老化」と、それに抗するような別の何かがあるというわけだ。それはシェーンベルクその人が含み持っていた傾向と無縁でないのは勿論、例えば、ヴェーベルン論において、作品21の交響曲以降の「後期作品」について留保を述べるというより端的に否定的な評価をしているケースとも無縁ではないだろう。(なお、アドルノのヴェーベルン論の邦訳は、竹内豊治編訳『アントン・ヴェーベルン』,法政大学出版局, 1974, 増補版 1986, 所収。特に「後期作品」についてはp.158以降を参照。)ではそこには「後期様式」は存在しないのか?それとも二種類の後期様式が存在するのか? 特にヴェーベルンの場合については、別途「ヴェーベルンと老い」として独立に取り上げることになるだろう。

 ヴェーベルンは後期に至って、若き日に研究したフランドル楽派の音楽と、自分の音楽とを突き合わせるということをしているし、ゲーテの原植物や、法則という意味でのノモスについて言及してもいる。(これらは翻訳もあるヴィリ・ライヒ宛書簡で読むことができる。)フランドル楽派のような音楽への接し方は、果たして退行なのか。かつてある鼎談で西村朗さんがそう言ったように、そこに「ニヒリズム」を認めるべきなのか。主観性を超えた秩序、法則の反映として音楽を考えるという、ピタゴラス派的と言って良い姿勢(ただし、それは主知主義的であるとは限らない)は、ニヒリズムなのだろうか?或いは、それぞれの具体的なありようは異なるが、各自の仕方でそうした客観の側の秩序(無秩序でも構わないが、とにかく一般にイメージされるロマン派的な「主観性」とは対極にあるそれ)と自らの音楽との関係を探求した人たち、例えば後期のシベリウスは、クセナキスは、三輪眞弘のアルゴリズミック・コンポジションは、これらもやはりニヒリズムなのか。勿論、それらを単純にひとくくりにすることはできないが、それなら再びヴェーベルンの場合に戻って、その生成の文脈を離れて、今、ここで私が向き合っているその作品について言えば、そこにニヒリズムを認めるよりは、寧ろ或る種の「現象からの退去」の仕方を認めることの方が余程自然なことに思われてならない。であるとしたら、ヴェーベルンについて、アドルノの否定的な評価にも関わらず、しかしそこに或る種の「後期様式」を認めるべきなのではないか?

 ここで私はヘルダーリンの最晩年の断片の幾つかを思い浮かべる。ヘルダーリン伝を書いたホイサーマンが「(...)生は次第に主観的な色調と緊張を失う。さまざまな現われは客観的なもの、幻影のようなものになる。」(ウルリッヒ・ホイサーマン『ヘルダーリン』, 野村一郎訳, 理想社, p.189)と書いたような断片たちのことを。例えば「冬」Der Winter、

Der Winter

Das Feld ist kahl, auf ferner Höhe glänzet
Der blaue Himmel nur, und wie die Pfade gehen,
Erscheinet die Natur, als Einerlei, das Wehen
Ist frisch, und die Natur von Helle nur umkränzet.

Der Erde Stund ist sichtbar von dem Himmel
Den ganzen Tag, in heller Nacht umgeben,
Wenn hoch erscheint von Sternen das Gewimmel,
Und geistiger das weit gedehnte Leben.

野は荒涼として 遙かな山の上に
ただ青い空が輝いている、いくつもの小径のように
自然の現われるのは 同じようだ、吹く風は
爽やかに、自然はただ明るさにつつまれている。

大地の円は天空に包まれているのが見える
昼のうち また 明るい夜
空高く星くずの現われ出でるとき
そして 広く広がった生(いのち)はいっそう霊的になる

(ヘルダーリン「冬」野村一郎訳)

 あるいは、ヘルダーリンの絶筆となった「眺望」Die Aussichtといった作品の背後にある認識はどうなのか?ヘルダーリンはこれらを統合失調症の発症の後の、ホイサーマン言うところの「寂静」の裡で、かつての賛歌群のような人間には耐え難い集中の下では最早なく、間歇的に、折々に、或る種の機会詩として書き留めていった。時としてスカルダネリという「偽名」による署名とともに、狂った日付の下に。これらは病の結果として意図せず生み出されたものと一般には了解されているし、ここには意図を持った、高度に意識的な様式の選択は恐らくはないだろう。

 アドルノはヘルダーリンの後期賛歌について、恐らくはハイデガーのヘルダーリン解釈への異議申し立てという意味合いも込めて「パラタクシス」という論考を記している。それはヘルダーリンの「後期抒情詩」についてと題されているが、しかしここでの「後期」は、「寂静」に先立つ時期の作品を対象とし、それら作品が備える構造上の特徴を「パラタクシス」として規定して論じているのである。

 だが最後期の詩作もまた、円熟の果てに巨匠が辿り着く孤高の境地の如きものとしてではなく、余りにも痛ましい仕方ではあるけれど、「現象から身を退く」在り方ではないのか?しかも遺された作品は、紛れもない独自の「様式」を備えて我々に遺された。それはあの空前絶後の賛歌群と異なり、自由律ではなく韻律を備えていて、それまでの後期作品とははっきりと区別される。アドルノの言う「パラタクシス」は一般的な了解としては、ここには適用されないということになるだろうが、そんなことはお構いなしに、それらはまるで相転移の向こう側の領域からの投壜通信のように私の生きる岸辺に辿り着いたし、私は確かにそれを拾い上げ、そこにかけがえのない、自分自身に遥かに勝って永続的な価値のある何かがあることを確信する。その独特の光の諧調は、まばゆいばかりの後期賛歌群とは異なって、だが、地球半周分の隔たりと数百年の年月の隔たりを軽々と越えて、私の住まう岸辺を照らし出す。ホイサーマンの指摘する通り、私はそこに「韻の調和、形象の静かな輝き、疑いのない敬虔性の光」(ホイサーマン,上掲書, p.198)を認め、「ヘルダーリン最後期の詩に生きているこれらすべてのものは、それらの詩が生まれる源となった平和を示している。つねに熱望した平和、それはいま、彼が求めたのとは別のあり方で存在している。」(同書, 同頁)との言葉に同意する。

 ヴェーベルンの後期とヘルダーリンの最晩年の詩とを並べたのは所詮私の恣意に過ぎないとはいえ、アドルノの言う「後期様式」の更に向こう側があるのではないかという問いを立ててみたくなる誘惑に抗うことは、私にとっては非常に難しい。あたかも2つの「老い」があるようではないか?これもまた「老年的超越」(トルンスタム)の一つのありかたと言ってはいけないのか?ヴェーベルンの場合は措いて、ことヘルダーリンの場合に限って言えば、常には沈黙が支配する領域からまるで奇跡が起きたかのように一度きり届いたそれらの詩に、語の究極の意味合いにおける「現象からの退去」(なぜなら、そこには普通に了解されている意味合いにおいては「主体」は最早存在しているとは認められないかも知れないから)を認め、それが纏った形式を、それ自体は寧ろありふれたものであり、ジンメル=アドルノが想定しているような全く独自の「固有の形式」ではないにしても、これもまた「後期様式」の一つとして認めてはいけないのか?

 私はヘルダーリンの「後期」作品に関連して、あたかもそこには2つの「老い」があるように思えると述べたが、ヘルダーリンの場合とは、特に2つ目の「老い」については異なったものであるとはいえ、翻って、例えばヴェーベルンの後期作品を、しかも特に批判の多い、ヒルデガルト・ヨーネの詩作に基づく作品については、まさにその選択が故にこそ、だが志向としては同様の方向性を有するものとして捉えてはいけないのかを改めて問うことができるのではなかろうか?更にそれはまた、マーラーの後期作品について指摘される幾つかの断絶、つまり一般には第8交響曲を或る種の過渡的な折り返し点として、中期交響曲と「大地の歌」以降の後期作品の間にあるとされる断絶と、後期作品の中においても第9交響曲と第10交響曲の間に指摘されることのある断絶とに関わっているということはないのだろうか?

 私は繰り返し、第10交響曲の鳴り響く場所が何処であるかを正確に言い当てることができないということを述べ、その最大の近似値が以下に示すヘルダーリン晩年の断片が語られている場所=「遠く」であると予感してきたのであった。
 
Wenn aus der Ferne, da wir geschieden sind,
 Ich dir noch kennbar bin, dir Vergangenheit,
  O du Theilhaber meiner Leiden!
   Einiges Gute bezeichnen dir kann,

So sage, wie erwartet die Freundin dich,
 In jenen Gärten, da nach entawlicher
  Und dunker Zeit wir uns gefunden?
   Hier an den Strömen der heiligen Urwelt.

Da muß ich sagen, einiges Gutes war
 In deinen Bliken, als in den Fernen du
  Dich einmal fröhlich umgesehen
   Immer verschlossener Mensch mit finstrem

Aussehn. Wie flossen die Stunden dahin, wie still
 War meine Seele über der Wahrheit ...

In meinen Armen lebte der Jüngling auf,
 Der, noch verlassen, aus den Gefilden kam,
  Die er mir wies, mit einer Schwermuth,
   Aber dir Nahmen der seltnen Orte

Und alles Schöne hatt' er behalten, das
 An seeligen Gestaden, auch mir sehr werth
  In heimatlichen Lande blühet,
   Oder verborgen, aus hoher Aussicht,

Allwo das Meer auch einer beschauen kann,
 Doch keiner seyn will. Nehme vorlieb, und denk
  An die, die noch vergnügt ist, darum,
   Weil der entzükende Tag uns anschien ...

遠くからでも、このように分かれていても、わたしの姿が
 あなたにはまだおわかりでしたら、そして
  おお わたしの悩みをともにされたあなたよ!
   過ぎた日にいくつかのよいこともおみとめでしたら、

言ってください、あなたの女友(とも)がどのようにお待ちしていると お思いなのか?
 恐ろしい 暗い時のあとで
  わたしたちが見つけあった あの園で、
   ここ 聖なる根源世界の流れのほとりで。

申しますが あなたの視線のなかに
 あるよいものが あったのです、いつもは
  ことば少なく 暗い様子のあなたでしたが
   あのとき 遠くで一度うれしそうに ふりかえられた

あのときに。時は はるかに流れ去りました、じっと静かに
 わたしの魂は この事実に耐えていました…

若者であったあなたは わたしの胸のなかでよみがえったのです、
 あなたはまだ寄るべなく あの広い野から来られたのです、
  やがて その広い野をわたしにも教えてくださいました、憂鬱そうに。
   しかし あなたは 珍しい場所の名まえと

すべての美しいものを しっかりとお持ちでした、
 それは 至高の岸辺に またうれしいことに
  ふるさとの国に 花咲き あるいは
   ひそかに隠れています。あなたがそれをされたのは 高い展望からで

そこでは 大海原を静観することもできますが
 誰もそこに居ろうとしないのです。満足なさいませ、そして
  むかし よろこびの日がわたしたちを照らしていたといって
   いまもなお満ち足りている わたしのことをお思いください…
(ヘルダーリン「遠くからでも…」野村一郎訳)
この詩断片の語りの場というのもまた異様で、まるで世の成り行きから超絶した、異世界のほとりで、かつて自分がその只中を彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら 語っているかのようだ。そして、ほとんど同じ印象を、私はマーラーの第10交響曲についても 抱かずにはいられないのである。単に過去を振り返っているのではない。その過去の出来事の生起したのとは別の場所にいるような感じがしてならない。要するに、シェーンベルクがプラハ講演で言っていたあの一線を、やはりこの曲は越えてしまっているのでは、生きながらにして一時マーラーは、相転移の向こう側に抜けてしまったのではないかという感覚を否定し難く、その「場所」はまた、ヘルダーリンの最後期の詩の場所=「遠く」ではないかという考えをずっと抱き続けているのである。そしてこちらについては、アドルノが「後期様式」ということで言い当てようとした領域とも更に異なる、だが寧ろこちらこそが「老い」の奥津城にある領域なのではないかと思えるのである。

 だがしかし、ここではアドルノが通り過ぎてしまった領域について論じることは控え、その代わりに、その「パラタクシス」の中においてヘルダーリンの受動性、「東洋的で神秘的で限界を克服する原理」としてのそれについて指摘し、「ヘルダーリンのギリシャ精神の心象はすでに多島海の東方的な色彩のなかにあり、反擬古典主義的に色彩豊かで、アジア、イオニア、島々といった言葉に陶酔しているー」(邦訳:アドルノ『文学ノート2』みずず書房所収、p.208)と述べている点に目くばせしておくべきだろうか?これをアドルノがマーラーの後期様式において指摘する「仮晶」としての中国へと架橋できはしないだろうか?

 実は「東洋」というのは「老い」を考える上で、より一般的な文脈で考えた場合にも重要な意味合いを持っている(例えば、上でも言及したトルンスタムの「老年的超越」もまたそうだが、これについては別に取り上げることにしたい)。つまり生物学的・生理学的な「老い」ではなく、「老い」に関する認識、「老い」をどう捉え、受容するかについての態度は一定程度文化相対のものであり、洋の東西による違いがあるようなのだ。そしてまた、ここで「現象からの退去」としての「後期様式」が幾度となく東洋的なものに接近することもまた、そうした広がりの中で見ている必要があるだろう。そこで、ここで一旦、マーラーとその近傍固有の文脈を離れて、「老い」が一般にどのように捉えられているかについて俯瞰してみることにしたい。

(ちなみに「パラタクシス」を含む『文学ノート2』の邦訳書の巻末には前田良三「『文学ノート』ーアドルノの「主著」ならぬ主著をめぐって」という論考が収められているが、そこでは『オリエンタリズム』の著者であり、オリエンタリズムとポストコロニアリズムの理論を確立したエドワード・W・サイードが参照され、更にサイードの『晩年のスタイル』に言及しつつ、サイードが「アドルノから「晩年のスタイル」(あるいは後期の様式)というキーワードを取り込むことによって、「故郷喪失状態」という空間的条件を時間的なものに読みかえる。」(同書, p.389)という指摘が為されていることにも目くばせをしておこう。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12-13 改稿)

2024年12月5日木曜日

妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉(2024.12.5 更新)

妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.356, 白水社版酒田健一訳p.398)
... was wir hinterlassen, was es auch sei, ist nur Haut, Schale etc. Die Meistersinger, die Neunte, der Faust, alles sind nur abgstreifte Hüllen! Nicht mehr als was im Grunde genommen unsere Leiber! Nun freilich sage ich nicht, daß das Schaffen überflüssig sei. Es ist dem Menschen nötig zum Wachsen und zur Freude, die auch ein Symptom der Gesundheit und Schaffenskraft ist. ...

…われわれが後世に残すものは、それがなんであれ、外皮、形骸にすぎない。『マイスタージンガー』、『第九交響曲』、『ファウスト』、これらはすべて脱ぎ捨てられた殻なのだ!根本的にはわれわれの肉体以上のものではない!もちろんそうした芸術的創造が不用な行為だというわけではない。それは人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないものだ。とくにこの歓喜こそは、健康と創造力の証(あかし)なのだ。…

 この言葉のみをこの手紙から抜き出すのは危険なことかも知れない。手紙というのは、極めて局所的で限定的な、だがその限りでは大変に明確な 目的を持って書かれることがあって(いや、正確には、普通はそういうものか、、、)、従って、こういう言葉を取り出してきて、そうした手紙の意図を 抜きにして云々することは、原理的に言って、全く見当違いの結論にすら結びつきかねない。

だが、かつてこの本を繰り返し繰り返し読んでいた頃の私にとって、この言葉は衝撃的な力を持つものであった。そして、実際にはその力は今の 私にとってもやはり大きなものであり続けている。歳をとって、多少は受け止め方も変わってきてはいるけれど。

それにしても、この言葉は、本気で―つまり「方便」としてでなく―言われているのだろうか? 

実は、この手紙の前の方で、こうした「作品」についての考え方をアルマはすでに良く知っていると 思う、というくだりがあって、だとしたら、やはりこれは、少なくともその当時のマーラーの考え方だったのだ、とするのが適当なのかも知れない。 私のような、自分では何も生み出せない人間が言うのであれば、別にどうということもない―負け惜しみくらいに取られるのが落ちだろう―が、 言っているのがマーラーであれば、話は別ではないだろうか。あるいは寧ろ、天才であればこそ、こうしたことが言えるのだろうか。

もう一つの可能性がある。つまりマーラーは第2交響曲や第8交響曲を支えている「不滅性」についての考え方を、比喩としてではなく、「文字通り」 信じている、という可能性が。それならば、それに比べれば「作品」が取るに足らないというのも、きっと筋が通っているのであろう。 だが、現実にはこの時期のマーラーは、大地の歌から第9交響曲へと歩みを進めていた筈なのである。

あるいはまた、ここで言っている「作品」は、それを出発点として、作者の「精神」へと辿ることができる媒体といったほどの意味合いで使われている のかも知れない。作品を産み出す精神の働きの方が尊いのだ、というのであれば、これは納得がいく。だが、よく読むとそれは少し都合の良すぎる 読み方ではなかろうか。マーラーは「われわれの肉体」と「作品」とを対比しているのだ。するとやはり、最初に書いた通り、結局この手紙が書かれた ごくローカルな「意図」に立ち返るべきなのか、、、

いずれにしても、この言葉は私にとって「躓きの石」であり、今後も、この言葉を巡ってあれこれ考え続けることになりそうである。

だが、作品が抜け殻に過ぎないということばを理解するための手がかりとして、一つだけ、ある情報の「深さ」に関する近年の考え方に目くばせしておくことにしよう。それはマーラーの同時代から始まった(例えばポワンカレやマクスウェルを思い浮かべて頂きたい)複雑性や情報についてのアプローチが大きな進展を示し、深化を続けている21世紀に生きる者が拾い上げた壜の中味を解読するための重要な手がかりの一つなのではないかと思えるからである。

ある作品の持つ「深さ」はどのようにして測る事ができるのか。伝記主義的な実証はそれが生み出された背景をなす 環境を指し示しはするが、作品を、作品から受け取ることができるものを何ら明らかにしない一方で、形式的な分析もまた、 それ自体「痕跡」であるメッセージの、情報伝達の形態のみを問題にし、ノーレットランダーシュが『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(柴田裕之訳, 紀伊国屋書店, 2002)で述べるところのexformation、 メッセージが生み出される際に処分され、捨てられた情報(更にはベネットの「論理深度」とか、 セス・ロイドの「熱力学深度としての複雑性」もまた思い浮かべていただきたい)を扱うことができない。 勿論、形態の美しさ自体が、その深さと密接に関係するということもあるだろう。マクスウェル方程式にたいしてボルツマンが 発したことば、ゲーテのファウストの引用、更にはマクスウェル自身の言葉「私自身と呼ばれているものによって成されたことは、 私の中の私自身よりも大いなる何者かによって成されたような気がする」ということばを思い浮かべるべきだろう。 そしてまた、マーラー自身もまた、それに類する発言をしていること、「…が私に語ること」により作品を創り上げたことを思い起こすべきであろう。そのとき差出人たる幽霊とは一体何者だろうか。ダイモーンの声、ジュリアン・ジェインズの二院制の心の「別の部屋」からの声。 情報を捨てるプロセスそのものを事後的に物象化したものを幽霊と呼んでいるのだろうか。「抜け殻」としての作品。 そして捨てられた情報の大きさは、受け取るものがそこから引き出すことができる情報の豊かさに対応しているに違いない。

人の一生を超える時間の隔たりと、地球を半周の場所の隔たりを乗り越えて、 だが、実際にはそうした距離の測定を無効にする印刷技術が可能にした記譜法のシステムと 録音・再生のテクノロジーに支えられて、ふとした偶然によって耳にすることによって、マーラーの音楽を私は拾いあげ、それらに耳を澄ませる。それらは事後的に差出人を指示するが、それは常に痕跡としてでしかない。 私の裡にこだまするのは常に既に幽霊の声なのだし、作品は「抜け殻」に過ぎないのではなかろうか?

かくして21世紀に生きる私は、マーラーの言葉を、上述のような情報についての考え方に照らして了解すべきなのではないか。そして更にこの考え方は、意識は「抑制」であり、「引き算」で引く部分にあたる(津田一郎、松岡正剛『科学と生命と言語の秘密』, 文春新書, 2023, p.287)という考え方を接続することが可能ではなかろうか。かくして一見したところ謎めいたマーラーの言葉は、「意識の音楽」たるマーラーの音楽の秘密に迫るための鍵であるようにも思えてくるのである。
(2007.5.17, 2024.11.25,12.5 加筆更新)

2024年12月1日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (0)(2024.12.1 更新)

 今やマーラーと「老い」について、マーラーにおける「老い」について、必ずしもアドルノのようではなく自分なりの認識を整理することに向かうべきなのだと感じている。ゲーテはそれを「現象から身を退く」と定義したのだったが、後に個別に見るように、アドルノはジンメルのゲーテ理解を受け継ぐような形で「現象から身を退く」点を重視して「後期様式」を、マーラーおよびベートーヴェンという具体的な作曲家を対象として論じている。

* * *

 ゲーテ=ジンメルにおける「老年」。特に重視すべきは「無限」との関わりだろう。人間以外には「無限」を認識できる生き物はいない。

 手始めにジンメルのゲーテ論(邦訳:ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店)の中で「後期様式」に関連する箇所の同定をしておこう。

第8章 発展 p.383~384

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」

In ihr bedarf die subjektivische Formlosigkeit der Aufnahme in eine historisch oder ideell vorbestehende Form, durch die sie zugunsten einer Objektivität entwickelt wird. Im Alter aber hat der große gestaltende Mensch – ich spreche hier natürlich von dem reinen Prinzip und Ideal – die Form in sich und an sich, die Form, die jetzt schlechthin nur seine eigene ist; mit der Vergleichgültigung alles dessen, was die Bestimmtheiten in Zeit und Raum uns innerlich und äußerlich anhängen, hat sein Subjekt sozusagen seine Subjektivität abgestreift – das »stufenweise Zurücktreten aus der Erscheinung«, Goethes schon einmal angeführte Definition des Alters.

ここで「已に述べた」とあるので、前で言及がある筈。どこか?

第6章 釈明と克服 p.277

「ゲーテは曾て言ふ、「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」と。―而して此の言葉は、本質が外皮を剥落するとも解し得るし、同様に本質が一切のあかるみから究極の秘密へ退去するとも解釈し得る。」

»Alter«, sagt Goethe einmal, »ist stufenweises Zurücktreten aus der Erscheinung« – und das kann ebenso bedeuten, daß das Wesen die Hülle fallen läßt, wie daß es sich aus allem Offenbarsein in ein letztes Geheimnis zurückzieht;

 ゲーテ=ジンメルにおける「後期様式」とは、それに先行する「初期様式」なり「中期様式」なりとの、その現われにおける差異のみについて言われているのではなく、その「様式」の由って来るところのものの違いが問題になっていて、謂わばメタ的な視点での区別であることに注意すべきだろう。青年期は、自己固有のものとしては寧ろその無形式によって特徴づけられるのであって、形式は外部からあてがわれた支え、外皮であり、「借り物」であるのに対して、老年期のそれは自己固有のものであり、最早外皮を必要とせず、そうであるが故に主観・客観の対立図式から解放されるという運動が思い描かれているのである。

 であるとすると、これをアドルノのマーラー・モノグラフの文脈に持ち帰った時に直ちに思い当たるのは、「唯名論的」性格だろう。もっともマーラーの作品における「唯名論的」な性格は晩年・後期固有のものではなく、寧ろ初期から一貫していると捉えられているのではあるが、一方でそうした「唯名論的」性格があればこそ、借り物の様式から離脱して、自己固有の形式の中での自由を獲得するというプロセスが可能となっているとは考えられないだろうか。マーラーの形式に対するアプローチにおける、その都度内側からボトムアップに形式を造り上げていくという「唯名論的」な傾向は、いわばマーラーが発展的作曲家であることの動因なのである。

 だがその点についての詳細は後に論じることとして、ここでは一旦、「老い」の側にフォーカスして、マーラーという「個別の場合」を扱うための予備作業、謂わば「地均し」をすることにしよう。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1 更新)


2024年11月21日木曜日

MIDIファイルを入力とした分析補遺:五度圏上での和音重心の軌道の相関積分の計算結果(拍毎・楽章毎)

  1.はじめに

 記事「MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の軌道の相関積分の計算結果」において、五度圏上での和音重心の軌道に基づく作品分析の一つのアプローチとして、時系列データの非線形解析の手法の一つとして知られているGrassberger-Procaccia法(GP法)を用いた相関積分の計算結果を報告しました。そこでは、マーラーの交響曲11曲について、曲毎に小節頭拍における和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での重心の軌道について相関積分を行いました。本稿ではその補遺として、楽章毎、拍毎の和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での重心の軌道について相関積分を計算した結果を報告します。GP法および相関積分そのものの説明や実験条件の設定にあたっての検討事項等は前回記事と変わりませんので、その詳細については上記記事を参照頂くこととして、ここでは結果の報告だけを行います。

2.実験の条件

対象とする時系列データ:マーラーの交響曲全11曲の五度圏上で和音の重心の軌道データを対象とします。重心計算にあたり五度圏上の各音の座標は、Des=(1,0), E=(0,1), G=(-1,0), B=(0,-1)とし、和音の構成音のピッチクラスの集合につき重心を計算した結果を用いています。和音のサンプリング間隔は、各拍毎のものと、各小節の頭拍毎のものがありますが、今回対象としたのは各拍毎のものです。

また今回は楽章単位に計算を行うこととし、「大地の歌」、第10交響曲のクック版(5楽章)を含む全11曲の計50楽章のデータを対象としました。マーラーの交響曲楽章は30分を超える長大な楽章もあれば、数分のものもあり規模のばらつきが大きいことが特徴ですが、ここでは長短によらず楽章毎に1系列として計算を行いました。各データの系列長は短いもので数百ステップ、長いものでは数千ステップとなります。

相関次元というのが極限で定義されていることからうかがえるように、本来このような分析は、実数値をもつ変数の時系列データが膨大に存在することが前提とされているのに対し、ここで対象となっている音楽作品について言えば、限られた数のデータしかないこと、しかもそれは実世界での測定値であるが故の限界ではなく、作品として固定された有限の長さを持つ音の系列が対象であるが故の制限であり、それを踏まえればそもそもが目安程度の意味合いしか持ちえないことに留意する必要があります。

特に数百ステップのものはGP法を適用する対象としては系列長が短すぎるとされていますが、ここでは相関次元の計算は行わず、単に相関積分を計算しただけということもあり、また計算結果を見る限り、相関積分の傾きのグラフに平坦部分が見られるのは、寧ろ相対的には短く、単純な繰り返し音形が多く、楽式的には3部形式のような繰り返しを持つものが多かったことから、全ての計算結果を公開することにしました。

対象データは五度圏平面の座標であり、x,yの2次元のデータですが、相関積分の計算にあたっては、元の2次元データを対象とするのではなく、x, yそれぞれについて別々に時間遅れ座標系を用いて再構成した相空間における相関積分値を求めることにしました。

遅れ幅の設定:上記のように使用する五度圏上で和音の重心の軌道データは拍毎でサンプリングしたものですので、遅れ幅は1ステップ=1拍として計算を行いました。

埋め込み次元:曲単位での計算実験と同様、m=1~10とします。

半径の設定:曲単位での計算実験と同様、r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みとします。

距離の定義:曲単位での計算実験結果を踏まえ、より安定していると思われるユークリッド距離を用いました。

実際の計算にあたっては、対象とする座標データ(-1<=x,y<=1)を更に0~1の区間に規格化したものを用いて相関積分値の計算を行いました。

相関積分の値と半径rとで両対数プロットをして、傾きが直線的に安定している部分の傾きが相関次元になります。傾きの変化の確認のために、相関積分の値と半径rとの両対数プロットに加え、傾きの大きさと半径rの両対数プロットも行うことにしました。


3.計算結果

相関指数を求めるための傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)は多くの楽章で見出せませんでした。また埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向も明確には確認できない楽章が多いようです。以下に一例として第6交響曲第1楽章と第9交響曲第1楽章の重心軌道のx座標の相関積分値の傾きの曲線を示しますが、特に後期作品の楽章は概ね似たような傾向にあります。


その一方で、初期作品を中心に、幾つかの楽章では、明確ではないものの、傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)が短いながらも見られたり、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向が窺えたりするケースもありました。以下は第1交響曲第1楽章のy座標の軌道の相関積分値の傾きです。


後期作品の中では「大地の歌」の中間楽章、中期では第5交響曲第4楽章や第6交響曲第3楽章などに同様の傾向が見られます。それらの共通点としては、繰り返し音形が多く、楽式的には3部形式のような単純なものが多いように思われますので、それらの共通点を調べることによって説明ができるかも知れませんが、この報告では後日の課題に留めたく思います。



但し、それではこのような傾向が見られるのは短く形式的に単純な楽章に限られるかと言えば、必ずしもそうではなく、上掲の第1交響曲第1楽章もそうですし、例えば以下に示す第3交響曲第1楽章のような長大で錯綜とした形式を持つ楽章でも、明確ではないながら、傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)が短いながらも見られたり、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向が窺える場合もあります。全般としては、特に第1~第3交響曲までの初期作品により多く見られる傾向のように思われます。しかしながら、こうした傾向が共通の原因に基づくものなのかも含めて、詳細な分析・考察は後日の課題として、ここでは結果の報告のみに留めさせて頂きます。


4.公開データの内容

本報告で報告した実験に関連するデータは、公開したアーカイブファイルgm_euclid_correlation_integral_grvA.zip に含まれています。

解凍すると以下のフォルダ・ファイル構成になっています。
  • in:入力データ。各交響曲楽章の重心の遷移軌道(x軸、y軸別)
  • result:各交響曲楽章の相関積分値(x軸, y軸別、埋め込み次元m=1~10および相関積分を行った半径(いずれも対数表示。csv形式)。
  • plot:各交響曲楽章毎の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)を埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • slope:各交響曲楽章毎の相関積分値(y軸)の傾きを埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • gm_sym_grvA.xls:(参考)五度圏上での和音重心の遷移の座標値データとグラフ表示(楽章毎)
(2024.11.21 公開)
[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2024年11月8日金曜日

MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の軌道の相関積分の計算結果(2024.11.21更新)

 1.はじめに

 記事「MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の原点からの距離の遷移のリターンマップ」において、ピッチクラスのセットとしての和音について、五度圏上でその構成音の重心を計算した結果に基づいてリターンマップを作成した結果を報告しました。但しそこでは作成したリターンマップの公開はしましたが、五度圏上での和音の重心の軌道の遷移のプロットと同様、例えばそれを分類することによって対象となっている作品の特徴づけをするといった点について具体的な手がかりがなく、実施できていませんでした。本稿では五度圏上での和音重心の軌道に基づく作品分析の一つのアプローチとして、時系列データの非線形解析の手法の一つとして知られているGrassberger-Procaccia法(GP法)を用いた相関積分を計算してみましたので、その結果を報告します。

 GP法はカオス力学系の時系列解析の手法として良く知られており、多くの書籍やWebページで紹介されています。本稿で報告する実験にあたっても、合原一幸編『カオス時系列解析の基礎と応用』(産業図書)のような書籍や北海道大学の井上純一先生の「2011年度 カオス・フラクタル 講義ノート」(その第9回の後半が相関積分・相関次元の解説でC言語によるサンプルコードもついています)等のWebの情報を参考にしてプログラムを自作してColaboratoryのノート上で計算機実験を行いました。そこでGP法自体の説明はそれらに譲ることとし、ここでは実験内容の報告のみに限定させて頂き、ごく簡単な説明に留めさせて頂きます。

 GP法は非線形解析法のうち、「埋め込み定理」を用いて高次元空間にアトラクタを構成し、相関積分という統計量から相関次元を求めることによって、カオス力学系の特性の一つである自己相似性の有無を把握するための手法です。相関積分の結果に基づき、相関積分曲線の直線部分(つまり傾きのグラフがプラトーとなる区間)について埋め込み次元毎に相関指数を求め、相関指数が次元が高くなるにつれて飽和が起きている時に相関次元が求まります。

 しかしながらどんな系であっても相関次元が計算できるわけではなく、例えばランダムな系では相関指数の飽和が起らないことが知られています。また数学的カオスモデルのノイズのない時系列データの相関積分曲線は直線となるため、任意の位置で相関指数の計算が可能ですが、実データの場合には明確な直線部分が確認できないことがあるため、Scaling Regionと呼ぶ範囲を設定して相関指数を計算することになりますが、明確なScaling Regionが確認できない場合もあります。

 結論から言えば、本稿で報告するマーラーの交響曲の五度圏上での和音重心の軌道の時系列データの相関積分結果については相関積分曲線や傾きのグラフから確認出来る限り、明確なScaling Regionが確認できない場合がほとんどであり、また埋め込み次元が高くなった時に一定の傾きに収束する傾向についても同様で、妥当性を持った相関指数の計算は困難なようです。その限りでは、カオス力学系におけるような自己相似性について特段報告に値するようなことは確認できなかったことになります。

 その一方で、相関積分曲線や傾きの曲線をプロットした結果から、これまでに和音の出現頻度分布やエントロピーの分析と同様、マーラーの交響曲を創作時期に沿って眺めた時に、その変化に一定の傾向が現れていることが確認できましたし、相関指数の計算ができないとはいえ、ランダムな場合と比べた時、その相関積分曲線や傾きの曲線は明らかに異なる特徴を持っており、そこから読み取れることがあるように思います。また、実験条件が不適切なために意味のある結果が得られていない可能性もあるでしょう。

 更に言えばそうした結果以前の問題として、相関次元というのが極限で定義されていることからうかがえるように、本来このような分析は、実数値をもつ変数の時系列データが膨大に存在することが前提とされているのに対し、ここで対象となっている音楽作品について言えば、限られた数のデータしかないこと、しかもそれは実世界での測定値であるが故の限界ではなく、作品として固定された有限の長さを持つ音の系列が対象であるが故の制限であり、それを踏まえればそもそもが目安程度の意味合いしか持ちえないことに留意する必要もあると思われます。(但し後述のように、今回対象としたマーラーの交響曲作品は長大であることから、小節拍頭での和音の遷移の系列の長さは1作品につき1000~3000程度となりますので、適用対象としてそもそも不適切で、計算結果を検討することに全く意味がないというレベルではないと考えます。)

 そこで上記の制限を踏まえたうえで、実験条件とその結果を報告するとともに、得られた結果から読み取れると考える点についてコメントを付することによって、問題提起とさせて頂くことにした次第です。

2.実験の条件

対象とする時系列データ:マーラーの交響曲全11曲の五度圏上で和音の重心の軌道データを対象とします。重心計算にあたり五度圏上の各音の座標は、Des=(1,0), E=(0,1), G=(-1,0), B=(0,-1)とし、和音の構成音のピッチクラスの集合につき重心を計算した結果を用いています。和音のサンプリング間隔は、各拍毎のものと、各小節の頭拍毎のものがありますが、今回対象としたのは各小節の頭拍毎のものです。

元の計算結果は(attaccaの有無によらず)各楽章単位ですが、今回は作品全体での軌道の遷移について計算対象とするために、楽章毎の計算結果を連絡して、交響曲1曲毎に1系列として、「大地の歌」、第10交響曲のクック版(5楽章)を含む全11曲の11系列のデータを対象としました。従って、各データの系列長は作品全曲合計の小節数(1000~3000程度)となります。

対象データは五度圏平面の座標であり、x,yの2次元のデータですが、相関積分の計算にあたっては、元の2次元データを対象とするのではなく、x, yそれぞれについて別々に時間遅れ座標系を用いて再構成した相空間における相関積分値を求めることにしました。

遅れ幅の設定:上記のように使用する五度圏上で和音の重心の軌道データは各小節頭拍でサンプリングしたものですので、遅れ幅は1ステップ=1小節として計算を行いました。

埋め込み次元:m=1~10とします。

上記より、例えばτ=1、m=3なら、「現在の小節先頭の和音・1小節後・2小節後」を座標とした3次元の相空間を構成し、そこでの軌道を眺めていることになります。この相空間上での任意のステップについて、そのステップの座標とそれ以外のステップの座標との距離を計算して、設定した半径rの中に含まれる点の数を数え、それを全軌道の点について積分したものが相関積分となります。

半径の設定:r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みとします。

積分計算を行う半径rの範囲はデータに依存して経験的に決める必要があります。半径がある程度大きくなると他の軌道の他の全ての時点の点が近傍に含まれる飽和状態になり、半径がある程度小さくなると近傍にごくわずかしか点がない、ないし全く点がない状態になり、今回は予備実験を行った結果、概ね両端で飽和状態とノイズが入った状態とが確認できる上記の範囲について計算を行うことにしました。

距離の定義:最初にマンハッタン距離で計算をしましたが、結果が不安定なケースが見受けられ、また半径の設定が困難なケースがあったため、ユークリッド距離での計算も行いました。両方の結果データを公開しますが、結果の検討は主として、相対的に安定した結果が得られているユークリッド距離の計算結果で行います。

実際の計算にあたっては、対象とする座標データ(-1<=x,y<=1)を更に0~1の区間に規格化したものを用いて相関積分値の計算を行いました。

相関積分の値と半径rとで両対数プロットをして、傾きが直線的に安定している部分の傾きが相関次元になります。傾きの変化の確認のために、相関積分の値と半径rとの両対数プロットに加え、傾きの大きさと半径rの両対数プロットも行うことにしました。

比較実験:1.はじめにに記載した通り、相関積分の計算結果は、明確なScaling Regionが確認できない場合がほとんどであり、また相関積分曲線や傾きのグラフから確認出来る限り、埋め込み次元が高くなった時に一定の傾きに収束する傾向はあるものの、明確な収束は確認できず、妥当性を持った相関指数の計算は困難であることがわかりました。そこで寧ろランダムな系との違いを確認することにフォーカスすることとし、比較のために似たような条件のランダムな系列を用意して相関積分を求め、その結果との比較を行いました。具体的には以下のような条件で乱数の系列を発生させて、その系列について相関積分を求めることにしました。

系列長N=1000,2000,3000の3種類(全ての交響曲の系列長は1000~3000の範囲に収まることから)、遅れ幅τ=1、埋め込み次元m=1~10、半径r=0.1~2.0の範囲で0.1刻み、マンハッタン距離・ユークリッド距離の両方で相関積分値を計算。

五度圏上で和音の重心の軌道の取り得る座標値は、五度圏の範囲の任意の実数というわけではなく実際に取り得る値は限定されます。そこで第9交響曲をサンプルに、出現するx座標値,y座標値の異なり数を求めて、その結果に基づき0~200の整数の乱数を系列長分発生させ、発生した系列を0~1の浮動小数点数に規格化します。遅れ幅は作品の場合と同様τ=1とし、やはり作品の場合と同様に、埋め込み次元m=1~10について、半径r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みで相関積分値を計算しました。理論上は系列長の影響はない筈ですが、疑似乱数による計算の場合に計算結果には違いが生じることを考えて、シードを固定せず、3種類の系列長での疑似乱数列の相関積分値をマンハッタン距離とユークリッド距離で計算して、作品の相関積分結果との比較を行いました。結果的には系列長による違いはほとんどありませんでした。

3.計算結果

計算結果の要約となる、埋め込み次元m=10, ユークリッド距離での相関積分結果について、半径と相関積分値を両対数プロットしたものをもとに、半径をx軸、傾きをy軸として、五度圏上のx座標の軌道の相関積分結果と五度圏上のy座標の相関積分結果を単純に加えたものをプロットした結果を示します。レジェンドはそれぞれ
  • m1~10 :第1交響曲~第10交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • rnd:疑似乱数, N=2000
  • rnd1000:疑似乱数, N=1000
  • rnd3000:疑似乱数, N=3000
を表します。色が巡回して用いられているので、m1~4とerde/rnd/rnd1000/rnd3000に同じ色が割当たっていますが、x=-0.4より左側が欠損していて、いずれもx=-0.4の時、y=10に近い値となっているのがrnd/rnd1000/rnd3000であり、m1~3はx=-0.4あたりでy=4くらいの値で傾きが最大となっている、傾きが小さいグループであり、この傾向は全ての場合に共有していることから、比較的容易に判別可能です。

一見して明らかなように、相関指数を求めるための傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)は見出せません。またいずれの作品においても、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向も明確には確認できません。(以下に一例として第9交響曲の重心軌道のx座標の相関積分値の傾きの曲線を示します。)その一方で、疑似乱数列の相関積分曲線と比較した場合に、その傾きの違いは明らかです。また興味深いことに、傾きの最大値に注目すると、大まかにではありますが初期の交響曲から後期の交響曲へと行くに従って大きくなっていく傾向があり、第1,2,3交響曲/第4~8交響曲+「大地の歌」/第9,10交響曲の3グループに分かれるように思います。なお、第10交響曲は第9交響曲に比べて、寧ろそれ以前の作品に戻っているように見えますが、これには未完成作品であること、例えばプルガトリオ楽章がマーラーの作品のとしては例外的なDaCapoを持つ楽式であることなどが影響している可能性が考えられます。


一方、以下に示すように第1交響曲の重心軌道のx軸においてのみ、短い区間ではありますが、平坦に近い領域が確認できます。その傾きの大きさは1.0程度で、自己相似的な構造を存在を示唆するものかも知れません。


なお楽章毎の相関積分値についても一通り計算していますが、その結果の中にも同様に、平坦に近い領域が確認できるケースがあります。それらの共通点としては、単純な繰り返し音形が多く、楽式的には3部形式のような繰り返しを持つものが多いように思われますので、それらの共通点を調べることによって説明ができるかも知れませんが、この報告では後日の課題に留めたく思います。現時点では、それらの共通点として、平坦に近い部分の傾きが小さい(1.0かそれ以下)であることを踏まえると、自己相似性が認められるにしても、それはカオス的なものとは異なるメカニズムによって生じている可能性も考慮すべきと考えています。

GP法は時系列データのフラクタル次元の推定の方法であり、相関積分の計算はその中で相関次元を求めるためのステップとなっています。但し、相関次元が計算できるためには相関積分の結果が一定の条件を満たしていることが必要であり、全ての場合に相関次元が求められるわけではありません。しかしながら相関次元を求めるための条件を満たしていない場合でも、相関積分の結果から対象となっている系の特徴についての情報を得ることができるのではないかと考えます。当然のことながら一般には系が自己相似性を持つかどうかという点にフォーカスした解説がされ、自己相似性を持つ系との比較として疑似乱数列の相関積分結果が参照されることが専らですが、自己相似性は持たないが、ランダムな系とも異なる特徴を持った相関積分結果が得られる場合も当然あり得て、今回の結果はまさにそのケースに該当します。

それでは、今回の相関積分の計算結果からどのようなことがわかるでしょうか?疑似乱数列の相関積分結果と比較した時に確認できることは、疑似乱数列の場合に比べて、
  •  半径に対する積分値の傾きが小さく
  •  一定の半径で傾きがの拡大が止まってその後傾きが減衰する
ということかと思います。そして作品間での
  •  半径の変化に対する積分値の傾きおよび傾きの変化の度合いの違い
  •  傾きの拡大が止まった点での最大値の違い
にも明らかな差があるように思われます。ユークリッド距離とマンハッタン距離の両方での計算結果でもそれらは一貫しており、いずれも作品の和音系列の持つ特徴を反映したものと考えられます。

一般に、ここでの計算結果は、ある時点の和音を中心としてみた場合に、その和音の周辺に別の和音がどのように分布しているかの傾向の反映とみることができます。超球の半径を小さくすれば、体積が小さくなるからそこに含まれる和音の数は減りますが、近くになればなるほど存在する和音の密度が高くなるような分布の偏りがあれば、半径の減り方に対する積分値の減少の割合は緩やかになります。また埋め込み次元mは、時間的に離れた場所での分布をどの程度考慮するかの度合いを表していて、次元が深ければ時間幅が広くとられるので点の数は当然増えますが、例えば時間が経っても一定の割合である和音の近傍で和音が鳴ることがあって、その割合が多ければmを大きくした時に積分値は大きくなるし、また半径が小さくなったときに近傍の和音の密度が急速に上がれば、傾きの減衰はmが大きい程早く現れるでしょう。

疑似乱数列の場合には、半径の変化に対して近傍にある和音の分布は一定だし、次元の変化に対しては時間的に遠くにおいてもやはり分布が一定だとすると次元が増えるに従って積分値は累積されます。逆に半径を小さくすれば和音の数は減り、積分値の減少幅はどんどん大きくなり、半径が一定以上小さくなると、近傍には和音が一つもなくなります。上掲のサマリーにおいて半径が対数表記で-0.4より小さくなった時に結果が欠損するのが、まさに後者のケースに該当します。一方、次元を大きくすると時間的に離れた場所での状態が累積されるから、積分値の変化幅な次元数に応じて単調に大きくなり、最後には飽和(全ての点が超球の中に含まれる状態)します。

一方、音楽作品の場合にはある和音の近傍の和音の分布は半径の変化、次元の変化に対して常に一定ではありません。一般には半径が小さくなれば、急激に近傍に存在する和音の数は増えるでしょうし、その時、次元が大きければ和音の数の増加は更に急になるでしょう。半径に対する積分値の傾きが小さくなるという上記の観察は、和音の系列が規則的で、ある和音の近くに音が偏って存在していれば、半径の減り方に比べて球の中の和音の数は急には減らないので傾きは緩やかになると考えられます。また一定の半径で傾きがの拡大が止まってその後傾きが減衰するという傾向については、和音の分布に偏りがあって、各和音の近傍について、ある半径を境に急激に和音の密度が高くなるような状態を考えると説明できるように思います。

このように考えれば、作品間での半径に対する積分値の傾きおよび傾きの変化の度合いの違いや傾きの拡大が止まった点で傾きの変化の度合いの最大値の違いは、各作品の和音の系列における和音の選ばれ方の規則性、常に同じような選択が行われるのか、多様性に富んでいるのか?等々を反映した違いであるということになります。これらは自己相似性を持つかどうかとはまた別の特徴であり、GP法における相関積分計算の目的からは外れているかも知れませんが、自己相似性があるか、カオス的な振舞をしているかどうかとは別に、計算結果から作品の特徴を確認することはできると考えます。但し、そうした計算結果の傾向が具体的な作品の和音の状態遷移のどのような点に由来するのか等、具体的な点については現時点では明らかではありませんので、後日の課題としたいと思います。

また今回の実験では、1.はじめににおいて示した文献においては、ローレンツ写像やエノン写像について、元々は3次元の時系列データに対して、ある一つの次元について遅れ幅を設定した再構成を行って得られた相空間に対してGP法を適用しているのに倣って、五度圏の平面における和音(ピッチクラスセット)の重心の軌道のx座標、y座標の系列を独立の時系列データとして別々に相関積分結果を計算して結果をプロットしました。その結果はx軸、y軸とも似たような結果が得られることもあれば、そうではない場合もあるので、作品全体としての特徴を把握するという観点から、更にx座標系列、y座標系列の相関積分結果の平均をとって作品間や疑似乱数列の場合と比較していますが、このやり方が妥当性やより良い評価方法があるかどうかについても、後日の課題としたいと思います。

なお現時点では、この点について思い浮かぶのは、GP法に替わる他の次元推定法の一つであるJudd法(J法)が前提としているようなアトラクタの構造についての仮定です。Judd法はカオス的なアトラクタは、自己相似構造をもつフラクタルと滑らかな多様体の直積の構造を持つと仮定しています。つまり、ある方向には多様体だが、それと直交する方向には、例えばカント―ル集合のようなフラクタル構造となっていると仮定するのですが、これは、上掲の合原編『カオス時系列解析の基礎と応用』(p.148)によれば多くのカオス力学系で成り立っているとのことです。ここでの元の空間の次元は二次元に過ぎませんが、以下でも述べるような作品の調性構造に基づく重心軌道の偏りを考えた時、特定の方向について自己相似性が現れ、それと直交する方向には現れないというようなことは十分に考えられるように思えます。ここでは元の空間での軌道についてではなくx軸, y軸それぞれについて遅れ幅を設定して相空間に変換して、その結果を眺めているわけですが、その結果についても、x,yの一方についてのみ自己相似性を示唆するような結果が現れるということはあり得るように思います。実際に計算結果を見ても、上掲の第1交響曲の場合は、例示したy軸方向についてのみ平坦部分が現れ、x軸方向には現れませんし、楽章毎に計算した結果で平坦部分が現れるケースも、一方の軸について現れているように見えます。そしてこの点を重視するのであれば、x軸, y軸の相関積分の平均をもってその作品の特徴づけを行うというのは、重要な特徴を見えにくくしてしまっている可能性があり、不適切であると言うことになるかも知れません。とはいえ現時点で言えそうなことはここまでですので、今回の報告では示唆に留め、本格的な検討は今後の課題とさせて頂くことにした次第です。

この点に関連してついてもう一つ検討点を挙げるならば、五度圏におけるx軸、y軸の定義にそもそも任意性があることに対して、どう対応するかという点が挙げられます。2.実験の条件に記載した通り、五度圏上の各音の座標は、Des=(1,0), E=(0,1), G=(-1,0), B=(0,-1)として計算していますが、座標の取り方には任意性があります。一方で、マーラーのように(多分に逸脱はあるものの)伝統的な調組織に基づく作品の場合、基本となる調性(主調)に応じて重心の軌道には偏りがあります。従って主調に応じた座標変換(回転)を行う方が比較する上では望ましいかも知れません。但し、マーラーの交響曲の場合には、曲の開始の調性と終了の調性が異なる、所謂「発展的調性」が普通なため、各曲の主調についてはそもそも議論がありますので、古典期以前の作品のように曖昧さなく回転量を決められるわけではありません。一方で主調・属調・下属調の関係は五度圏上では60度の範囲に収まること、90度以上の回転については対称性があるため考える必要がないことを踏まえると、元データを一定の量(例えば60度)回転させたものについて計算を行って、オリジナルのx,y座標の結果と併せて4種類の結果を見ることで、座標の取り方の任意性の影響を防ぐことができるのではないかとも思います。こうした点の詳細な検討もまた、今後の課題としたく、ここでは問題の提起のみに留めます。

4.公開データの内容

本報告で報告した実験に関連するデータは、以下の2つのアーカイブファイルに分けて公開しています。

gm_euclid-correlation_integral_grvB.zip:ユークリッド距離による相関積分計算結果
gm_manhattan_correlation_integral_grvB.zip:マンハッタン距離による相関積分計算結果

いずれも解凍すると以下のフォルダ・ファイル構成になっています。

  • in:入力データ。各交響曲の重心の遷移軌道(x軸、y軸別)
  • result:各交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の相関積分値(x軸, y軸別、埋め込み次元m=1~10および相関積分を行った半径(いずれも対数表示。csv形式)。
  • plot:各交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)を埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • slope:各交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)の傾きを埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • summary:全交響曲の相関積分値の傾きの比較グラフ(jpeg形式)。埋め込み次元別(m=7,8,9,10)
  • compare:全交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の相関積分値の傾きの比較(jpeg形式)。埋め込み次元別(m=7,8,9,10)
  • gm_sym_grvB.xls:(参考)五度圏上での和音重心の遷移の座標値データとグラフ表示(楽章毎)

(2024.11.8 暫定版公開, 11.10,11 3.計算結果に考察を追記して更新, 11.21誤記の修正)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2024年9月18日水曜日

MIDIファイルを入力とした分析補遺:ピアノロールデータの公開(2024.9.20更新)

1.本稿の背景

 マーラー作品のMIDI化状況についてのWebでの調査結果を2016年1月3日に公開後、2019年9月に「MIDIファイルを入力としたマーラー作品の五度圏上での重心遷移計算について」と題して、それまで実施してきた五度圏上での重心遷移計算の結果について報告するとともに、重心計算の元となったMIDIファイルから抽出した基本データについても公開しました。MIDIファイルからのデータ抽出や抽出されたデータの加工はC言語による自作のプログラムで、データ分析はR言語で行って来ました。近年機械学習やデータ分析はPython言語で構築されるのが一般的ですが、PythonでMIDIデータの操作をする場合にはpretty_midiIというライブラリを利用できることがわかった(書籍での紹介例としては、2023年10月発行の北原鉄朗『音楽で身につけるディープラーニング』, オーム社があります)ので調べてみると、pretty_midiIではMIDIデータの読み書きが出来るだけではなく、ピアノロール配列を作成する機能があり、更に拍(beat)毎、強拍(downbeat)毎のピアノロール配列の作成も容易にできることがわかりました。

 pretty_midiは、公式ページ(pretty_midi 0.2.10 documentation)によれば2014年の論文Colin Raffel and Daniel P. W. Ellis. Intuitive Analysis, Creation and Manipulation of MIDI Data with pretty_midi. In 15th International Conference on Music Information Retrieval Late Breaking and Demo Papers, 2014 で報告された時点でベータリリースされていたようですから、実は私がMIDIファイルを入力としたデータ分析を企図した時点で既に利用可能であり、最初から選択肢として存在していた筈なのですが、プログラミング言語としてはC言語が一番身近で、データ分析環境としてはR言語をずっと用いてきたこともあり、偶々当時、C言語でのMIDIデータの操作についての情報を取得できたことからC言語でプログラムを自作してしまったために、MIDIデータの操作に関して他の手段を調査するということをして来ませんでした。その後、本稿に直接関連するところでは、Google Magentaによる機械学習の実験をGoogle Colaboratory上で試行したことがきっかけで、Colaboratory上でPythonのコードに触れるようになりました。現時点ではMagentaをColaboratory上で動かすことができなくなってしまっていますが、その代替手段として自分でPythonのライブラリを使って機械学習の実験を行うことを企図しているうちに、既存のデータ分析もColaboratory上に統合できれば便利だと思うようになり、ようやくPythonでのMIDIデータの操作に関する調査を行うことにした、というのが経緯となります。

 早速Colaboratory上でpretty_midiIライブラリを使って、これまでマーラー作品の分析で用いてきたMIIDIファイルを読み込んで、ピアノロールを作成することができるようになり、更に拍(beat)毎、強拍(downbeat)毎のピアノロール配列の作成をして、結果をMIDIファイルとして出力することができるようになったのですが、テストしているうちに、基本セットのMIDIファイルの中に読み込みエラーが発生するものが出てきました。自作のC言語プログラムでは問題なく読めていたファイルであり、原因は個別に調査が必要ですが、自作のC言語プログラムの方は、こちらはこちらで読み込みエラーが発生するMIDIファイルが存在します。偶々、分析に利用している基本セットにはエラーが発生するファイルが含まれなかった、というよりは読み込みエラーが発生するようなファイルは除外するような形で基本セットを構成してきたということになりますが、MIDIファイルを作成した際のシーケンサ等のプログラムの仕様によるものか、全てのファイルが読み込める訳ではないというのは、現時点ではde facto standardであるpretty_midiIでも既に生じているし、今後更に別のファイルでも生じうる可能性はあるわけで、仮にpretty_midiIの仕様が機能的には完全に上位互換であったとしても、自作のプログラムは代替手段として無意味ではなさそうです。

 本ブログでの分析に関連する具体的なところでは、例えば第9交響曲第2楽章、第3楽章のMIDIファイルをpretty_midiIで読み込むとエラーが発生してしまうため、ピアノロール形式のデータの作成自体できませんので、自作のプログラムの出力結果で代替する他ありません。客観的には調査不足のために車輪の再発明をしてしまったということになるのかも知れませんが、結果的には全くの無意味というわけではなかったことになりそうです。更に言えば、他人の作成したライブラリに依存した環境だと、ある日突然動かせなくなるということが起きて困るというのは、Google Magentaのケースで経験したことですが、そうした懸念なく、自作のプログラムの不具合を気にするだけで集計・分析をやって来れたことを思えば、一定の意義があったという見方もできるように思います。

 ところがそう思って確認してみると、MIDIファイルから抽出した公開済の基本データ(MIDIファイルの分析:基本データにて公開)の中には、各種基本データの計算の入力となる、いわば元データに相当するものか含まれていません。しかも、もともと五度圏上での重心遷移計算が目的だったため、元データはピアノロール形式のデータ(MIDIノート0~127の各時点毎の出現を表す)ではなく、それをピッチクラスで集計したもの(12音の各時点毎の出現を表す)でした。そこで自作のC言語プログラムを数年ぶりに改造して、ピアノロール形式のデータをタブ区切りのファイルとして出力できるようにしたので、従来より分析に用いて生きたマーラーの作品のMIDIファイルの基本データセットについてその出力結果を公開することにしました。なお元々のピッチクラスで集計したデータについてはピアノロール形式のデータから容易に計算できるため公開データには含めません。一方で、ピアノロール形式のデータの更に元となる、MIDIファイルの解析結果自体(pretty_midiライブラリではpretty_midi.PrettyMIDIの各instrumentのNoteの情報に加え、key_signature_changes及びtime_signature_changesに相当する情報)については、別のところで述べたように元となったMIDIファイルの入手が既に困難になっている場合もあることから、その代替の役割を果たすことが考えられますが、こちらは既にMIDIファイルの分析:MIDIファイル解析結果のページで公開済です。

 その一方で、実際にはpretty_midiIのピアノロール形式取得の仕様は、これまで本ブログの分析で使用してきた自作のプログラムと同一ではなく、従って、今回公開するピアノロール形式のデータはpretty_midiIの関数get_piano_roll()で取得できるものとは細かい部分で異なりますので、単に共有データの仕様を記載するだけではなく、pretty_midiIの仕様との相違点について以下に記載することにします。


2.公開データの仕様

pianoroll.zipを解凍するとpianorollフォルダが収められており、その中には以下の作品のピアノロールファイルが収められています。

  • 第1~9交響曲(楽章毎):m1_1~m9_4
  • 第10交響曲クック版(楽章毎):m101~105
  • 交響曲「大地の歌」:erde_1~6
  • 歌曲集「さすらう若者の歌」:ges1~4
  • リュッケルト歌曲集(「私はやわらかな香りをかいだ」:duft、「私の歌をのぞき見しないで」:blicke、「真夜中に」:mitternacht、「美しさのゆえに愛するなら」:liebst、「私はこの世に忘れられ」:gekommen
  • 「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」:antonius、「夏の交替」:mahler_jugend-11、「ラインの小伝説」:rheinlegendchen,「美しいトランペットが鳴り響く所」:trompeten、「いま太陽は晴れやかに昇る」:nunwilld
元となったMIDIデータに関する情報は、同梱されたexperimental_MidiFileName.pdfに記載されています。

各楽章・曲毎に、各拍毎のピアノロール(APL)、各小節頭拍毎のピアノロール(BPL)に加え、参考データとして拍子の基本音符の1/4の長さ(4分音符を基本とする拍子なら16分音符)単位のピアノロール(PL)があります。例えば「私はやわらかな香りをかいだ」のピアノロールでは以下の通りになります。

  • duft_PL.out:拍子の基本音符の1/4の長さ(4分音符を基本とする拍子なので、16分音符)単位でサンプリングした結果のピアノロール
  • duft_APL.out:各拍(4分音符を基本とする拍子なので4分音符)単位でサンプリングした結果のピアノロール
  • duft_BPL.out:各小節単位(小節頭拍毎)でサンプリングした結果のピアノロール
ピアノロールファイルのフォーマットは各行が各時点に対応し、タブ区切りの各列がMIDIノート番号0~127の音が鳴っているかどうかを表します。各列の値は、音が鳴っていない場合は0、鳴っている場合はその音が鳴っているチャネルの数(その音を鳴らしている楽器の種類数)を表しています。

これをpretty_midiライブラリのget_piano_roll()の仕様と比べると、PLについてはget_piano_roll()の引数fs拍子の基本音符の1/4の長さ(基本音符が4分音符ならば16分音符)に相当する値を指定した時に計算されるピアノロールに対応し、APLおよびBPLについては、get_piano_roll()の引数timeに以下の指定をした時に計算されて返ってくるピアノロール形式のデータに概ね対応しています。(より正確には引数fsに渡すサンプリング周波数を、get_tempo_changes()が返す四分音符単位でのテンポの変更を加味した上で与えるべきでしょうが。)
  • APLの場合:get_beats()が返す、拍子の変化、テンポの変化を考慮した拍の位置(時点)のリストに基づいてtimeを指定した場合に概ね対応します。但し複合拍子の場合、get_beats()は3拍毎の位置を返す点が異なります。テンポの変化がなければfsに拍子のベースの音符に相当する値(4/4なら4分音符, 3/8なら8分音符)を指定したものと同じになります。一方、本記事で公開するピアノロールデータは、ベースの音符が異なる拍子が混在する場合には、音価の短い音符単位となります。例えば2/4と3/8が混在する作品の場合には、8分音符単位での出力となります。
  • BPLの場合:get_downbeats()が返す、拍子の変化、テンポの変化を考慮した強拍の位置(時点)のリストに基づいてtimeを指定した場合に対応します。
pretty_midiでは時点の指定が秒数に変換されて為されるのに対して、公開するデータを作成するプログラムはMIDIファイルにおけるTime Base(時間方向の分解能)に基づく時点の指定によって計算をしている点が異なりますが、恐らくその点は結果に大きく影響することはないものと思われます。一方で、ここで公開するピアノロール形式のデータ作成においては、サンプリングをする拍の先頭から基本の拍の1/8の音価(つまり4分音符なら32分音符)未満の遅延を許容し、かつ基本の拍の1/8の音価未満の持続で終わることなく、更に音の鳴り始めから鳴り終わりまでの持続が基本の拍の1/8の音価以上の音を、その拍で鳴っている音と判定することで、MIDIデータにしばしば生じる微妙なタイミングのずれに対して若干の頑健性を持たせています。(逆にその結果として、短い音価の音符で更にスタカート奏法などの指定があって実現される音価が32分音符より短い場合や装飾音、アルペジオの構成音などは拾えないことになります。)そのため各時点で音が鳴っているかどうかの判定基準の違いが結果の差異に影響する可能性があります。pretty_midiの仕様詳細はpretty_midiのソースコードを眺めればわかることですが、現時点では未調査です。拍毎、小節毎のサンプリングをしようとした場合に限っては、一旦秒数に変換してから処理するのは却って遠回りなように思えること、本稿で公開するピアノロールデータの仕様は、その如何に関わらず明確であるため、ここではpretty_midi側の詳細の深追いはしないことにします。

またget_piano_roll()が返すピアノロールデータでは音が鳴っている場所の数値(0でない正の値)は音量を表すのに対して、本稿で公開するピアノロールデータではその音を鳴らしている楽器の種類数を表している点が異なります。本ブログの分析においては、基本的にMIDIファイルに含まれる音量の情報は用いていません。また、今回対象となった作品は管弦楽作品なので大きな違いにはなりませんが、楽器がピアノの場合、本稿で公開するデータでは、サステインペダルに関するコントロール・チェンジ(CC64)は見ていません。pretty_midiのget_piano_roll()では引数pedal_thresholdでサステインペダルのON/OFFの閾値を与えることができ、サステインペダルの効果をピアノロールデータに反映することができます。

(2024.9.18公開,19記事、データとも更新、20サステインペダルに関して追記)。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2024年9月6日金曜日

アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及

アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及(Taschenbuch版全集第17巻p.50,邦訳「楽興の時」白水社, p.73)

(...) Schon an einer klagenden Stelle des Glockenchors aus Mahlers Dritter Symphonie steht eine offene Reminiszenz an die Trauermusik für Titurel; und Mahlers Neunte ist ohne den dritten Akt, zumal das fahle Licht des Karfreitagszaubers nicht zu denken. (...)

(…)すでにマーラーの『第三交響曲』の鐘の合唱のうちの嘆きの部分では、ティートゥレルのための葬送音楽が明らかに想起されている。そしてマーラーの『第九交響曲』は、第三幕なしでは、とりわけ聖金曜日の魔法の青ざめた光なしでは考えられない。(…)  

別の目的で、疎遠な作曲家であるワグナーの、しかしその作品中ではやや例外的に多少の馴染みがなくはないわずかな作品のうちの1つである「パルジファル」について調べている折、 ふとマーラーについての言及に気づいたので備忘のために書きとめておくことにする。マーラーが主題として扱われているわけではない文章を読んでいて偶々マーラーに関する記述を見つけたとしても、 その文章の主題の側についての知識がなければ、そこでのマーラーの取り上げ方を云々することは難しいだろうが、ここでの主題である「パルジファル」は最初に述べたとおり、 多少なりとも馴染みのある作品であるが故に、その言及を出発点として想いをめぐらすこともできるわけで、思いつきのようなものでも書きとめておいて後日の検討の素材とする 意図で記しておくことにしたい。
1860年生まれのマーラーは1883年に没したワグナーと音楽家としてのキャリアに関して言えば、ほとんど入れ替わって後続するような関係にあるが、アルマの回想録 には、学生時代のマーラーがウィーンを訪れたワグナーを劇場で見かけたものの、 緊張のあまり声をかけることも、コートを着るのを手伝うこともできなかったという経験があるいう記述がある。 後年マーラーは時代を代表するワグナー指揮者の一人となり、かつウィーンの宮廷・王室歌劇場の監督としてワグナーの作品を取り上げることになるが、アルフレート・ ロラーとの共同作業による赫々たる成果を挙げたにも関わらず、ユダヤ人であった彼は、反ユダヤ主義的な傾向のあったコジマの意図もあって、ついぞバイロイトに指揮者として 招聘されることはなかった。宮廷・王室歌劇場監督としてコジマとの間で交わされた書簡が存在する(ヘルタ・ブラウコプフの編んだ『グスタフ・マーラー 隠されていた手紙』 中河原理訳・音楽之友社, 1988」で読むことができる)が、その内容は、例えばコジマの息子である歌劇作曲家ジークフリート・ワグナーの 作品を演目として採用するかどうかについての駆け引きであったり、あるいはまたバイロイトにアンナ・フォン・ミルデンブルクが出演できるように推薦する内容であったりと、 いわゆる監督としての業務上のやりとりが中心である。
話を「パルジファル」に限定すると、ワグナーの没後30年間はバイロイト以外での上演を禁止するというワグナー自身の指定による保護期間の規定に対して忠実であったマーラーは、 バイロイトへの出演を拒まれた結果として、「パルジファル」は手がけていない。現実にはいわゆる掟破りの例もあって、マーラーの存命中の1903年12月24日には後日マーラーが 訪れることになるニューヨークで、1905年6月20日には、これまたマーラーがコンサート指揮者として頻繁に訪れたアムステルダムでの上演が行われている。ちなみに上記のニューヨークでの 1903年の上演を強行したのは、後年マーラーをニューヨークに招聘したメトロポリタン歌劇場の支配人、コンリートだが、その上演を風刺するカリカチュアはロヴォールト社のオペラ解説 シリーズのパルジファルの巻に収められており、音楽之友社から出ている邦訳で確認することができる。ちなみにマーラーは、コンリートの下で「パルジファル」を指揮することはなかったが、 メトロポリタン歌劇場を辞任して後に、コンサート・ピースとしての演奏は許容されていた第一幕への前奏曲をニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会で指揮している (1910年3月2日の第5回「音楽史演奏会」)。アルマの回想には、「マーラーはコンリードとのニューヨーク行きの契約に署名したとき、どんなことがあっても「パルジファル」は上演しない という一行を加えた。彼はヴァーグナーの遺志にそむきたくなかったのだ。」("Als Mahler seinen Kontrakt mit Conried nach New York unterzeichnete, schrieb er die Klausel hinein, daß er unter keiner Bedingung den »Parsifal« dirigieren wolle, denn er wollte nicht dem testamentarischen Willen Wagners zuwiderhandeln.", 「回想と手紙」, 秋1907年の章, 邦訳1973年版ではp.146)とあって、例によってアルマの回想を鵜呑みにするのは事実が問題の場合には危険が伴い、かつ、この件に関する他のソースによる 確認は今の私にはできないが、契約条項の存在の有無に関わらず、結果的にはその通りになったことは事実のようである。少なくともこの一節の背後には、上述のコンリートの 「掟破り」があって、もし実際に契約条項が存在したとしたら、その事実を念頭においてのことであるのは確かであろう。
だが、指揮者マーラーと「パルジファル」の関わりは上記に留まらない。マーラーは歌劇場の楽長のとしてのキャリアのごく初期に、旅回りでワーグナーを上演する劇団を主宰し、 ワーグナー家の信頼を得ていたユダヤ人アンゲロ・ノイマンの知己を得て、キャリアを積み上げていく足がかりを掴むのだが、既に「指輪」4部作をバイロイト以外で上演することに 成功していたノイマンは、自分が監督を勤めていた1885年~86年シーズンのプラハの王立ドイツ州立劇場において、「パルジファル」を例外的に演奏会形式で上演することを コジマから許可される。そしてそれを実現した1886年2月21日に第一幕の場面転換の音楽と合唱と伴う最終場面の演奏会形式での上演を指揮したのは他ならぬマーラーであった。 つまりマーラーは、部分的ではあるもののパルジファルを初めて演奏会場で指揮したことになるのである。その後1887年11月30日に、今度はライプチヒ市立劇場で、ニキシュと分担するかたちで、 第一幕・第三幕の最終場面の指揮もしている。その後もバイロイトでパルジファルを歌うことになった歌手の役作りの手伝いを買って出たり、上述のように自分がバイロイトへの出演を 後押ししたアンナ・フォン・ミルデンブルクがバイロイトでクンドリーを演じるにあたり、リハーサルをつけたりしており、「パルジファル」という作品を熟知していたことを窺わせる記録に事欠かない。 (このあたりの事情は、ヘルタ・ブラウコプフ編「グスタフ・マーラー 隠されていた手紙」の「マーラーとコジマ・ワーグナー」の章のエドゥアルト・レーゼルの解説に詳しい。邦訳では291頁以降。)
従って、ここで取り上げたアドルノの文章で言及されているマーラー自身の作品への影響も、そうした実践や楽譜を通しての研究の産物なのかも知れないが、その出発点として 聴き手としてバイロイトを訪れた経験があることにも触れておくべきだろう。特にワグナーが没する前、1882年の初演の翌年の1883年にバイロイトで「パルジファル」を聴いていることが、 これまた書簡を通じて窺え、マーラーにとって「パルジファル」の経験が圧倒的なものであったことが書簡の内容や文体から想像することができる(1883年7月のある日曜、イーグラウから フリードリヒ・レーアに宛てた書簡。1996年版書簡集20番、邦訳p.26)。前年の1882年のパルジファル初演が行われた第2回バイロイト音楽祭(第1回の1876年からは6年振りという ことになる)はワグナー自身が関与した最後の回であり、マーラーと交流のあったブルックナーは訪れているが、マーラーはその時期は駆け出しの歌劇場楽長としての契約の切れている時期、 つまり失業中の時期であり、一方の1883年はモラヴィアのオルミュッツ(現在のオロモウツ)の劇場の楽長を勤めたあと、ウィーンでカール劇場でのイタリアからの巡業の一座の合唱指導の 仕事が5月まであり、その間に秋に始まる次のシーズンからのカッセルの王立歌劇場の監督の契約が決まっていた。1883年のバイロイト音楽祭も前年に続き、「パルジファル」のみの 上演であるから、マーラーはまさに「パルジファル」を聴きに「バイロイト詣で」をしたことになる。ちなみにマーラーのバイロイト訪問はその後も何度か行われていて、ブダペスト時代の 1889年の第7回、ハンブルクに移った1891年、1894年にも「パルジファル」を聴いていることが確認できる。また、「パルジファル」の典拠である、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの 「パルチヴァール」については、ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの「トリスタン」と並んで、アルマの「回想と手紙」の中に、夕食後にアルマがマーラーに読んで聞かせる本の一つとして 挙げられているし、アルマの没後にその蔵書を調査した折、蔵書の中に含まれていたことが確認されており、他の、自分が手がけた作品の典拠と並んで、取り上げることのなかった 「パルジファル」についても典拠を読んでいたことが確認できる。
もっとも、マーラーのみならず、 マーラーに後続する新ウィーン楽派の3人、つまりシェーンベルクもベルクもヴェーベルンも「パルジファル」を非常に高く評価していて、ベルクには後に妻となるヘレーネに宛てた手紙で バイロイトで聴いた「パルジファル」に触れたものがあるし、ヴェーベルンはやはり学生時代にいわば卒業旅行のようなものとして「バイロイト詣で」をしていて、その旅行記のような 文章が残っているが、その文章の冒頭にはパルジファルの前奏曲の冒頭主題が銘のようなかたちで書き写されていたりいる。シェーンベルクには問題の保護期間の延長についての文章があるが、 それを読めば「パルジファル」の作品そのものについての彼の評価を窺い知ることができる。
ちなみにここで取り上げたアドルノの文章も、始まってすぐに保護期間の問題についての言及を 含んでおり、「パルジファル」という作品が自律主義的な音楽美学に収まらない受容のされ方(それは全く妥当なことだし、とりわけても「パルジファル」はそうであるべきだと思うが)をしている点は はなはだ興味深い。滅多にこの作品が取り上げられることのない日本で実演に接したところで(勿論、上演の意義、上演に接することの意義は認めた上で)、この作品の上演が 西欧において置かれている文脈からは懸け離れたものでしかないことに聴き手は留意すべきなのだ。例えば物議をかもした(だけで終わったということになっているらしい) シュリンゲンジーフのバイロイトでの演出を思い起こせばよい。それが21世紀初頭のバイロイトで上演されるときに、その文脈で生じたであろう意味を「感じ取る」ことは不可能であるにしても、 それまでに蓄積されてきた「パルジファル」の演出の歴史を可能な範囲であれ俯瞰し、一時期物議をかもしたツェリンスキーによる「告発」といった出来事も踏まえた上で、 あるいはレヴィ=ストロースの「パルジファル」についての言及を一読した上で(そうすれば評判の悪いらしい数々の「読み替え演出」の中にも神話論理的な変換の試みに相当するものを 見出すことができないことではないことが確認できるだろう)、更にはこの演出の折に指揮を担当したブーレーズが、かつて、もう四半世紀前にバイロイトで「パルジファル」を指揮した折に書いた「パルジファル」についての 文章を読んだ上で、自己の感覚的な反応は反応として、そこで起きた出来事を遠回りにであれ理解しようという試みをするならば、他方でそれ自体は優れた演出であろうクラウス・ グートの演出を日本で受容することについても、そこに予め存在しているギャップや間隙に意識的にならざるを得なくなる。
「普遍性」などという曖昧な言葉を隠れ蓑にして、自己の主観的な感覚的な印象を正当化することが行われることは許容されえないだろう。ワグネリアンでなくとも、 (ワグネリアンなら勿論のことだろうが)ワグナー自身が一般の劇場でこの作品を上演することに対して抱いた危惧の念については、一旦は受け止める必要はある。 それを鼻持ちならない態度として否定するのは、作品自体をどう評価し、それに今、ここで自分自身が多少なりともかかずらっていることについて自覚的になった上でやればいいのだ。 主題的・内容的な議論、つまり宗教性がどうしたとか、ナチスとの関わりがどうしたとかといった点に取りかかるのはその後の話の筈で、そうした点が抜け落ちて、あたかもそれが 当たり前の如くに批評が成立すると思い為すのであれば、結局のところそうした主題的・内容的な議論自体を全うすることはできない筈である。同じ状況は実際にはいわゆる (「パルジファル」をその一部とする西欧音楽の末裔としての)「現代音楽」の側の受容の側にもあるのだが、作品の現代的意義を主題的には問うている(少なくともそのように 主張される)議論ですら、その扱い方自体は、上演を取り巻く様々な社会的・制度的状況は無条件に括弧入れできると思っている、つまり自らの批評の場は確保されていると 思い込んでいるかの如くに見え、そうした暗黙の前提自体が結果的に、目指すところ作品の現代的意義とやらへの到達を予め不可能にしているように見えるのは奇妙な光景という他ない。 まるで魔法にかかっているかの如く、時間と空間は溶け合うどころか、あっさり超越されてしまっているというわけだ。
そうした事情は、舞台芸術という「雑種的」なジャンルにとりあえず属するという了解になっている「パルジファル」に比べれば一見して直接的な問題には見えなくとも、 マーラーの音楽、音楽外的な標題や伝記的な出来事との関わりがあれほど論じられ、そうでなくても声楽の導入により、テキストと音楽との関係は無視できないものに なっているマーラーの作品についても基本的には変わるところはない。マーラーそのものについてのそうした傾向については何度もこれまでそうした兆候についての指摘を繰り返してきたので ここでは「パルジファル」に関連する文脈に限定して一例を挙げるならば、例えばヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」でのマーラーの「引用」程度の文脈で マーラーの音楽への拒絶感を自己正当化するような態度は、「バイロイト詣で」を欠かさない一方で、そちらこちらで上演される「パルジファル」のあの演出を貶し、あの演出を ごく簡単なコメントだけで持ち上げることを繰り返しつつ、結局のところワグナーの作品を消費しているだけか、せいぜいがそうした消費への誘いをしているだけの態度と変わるところはない。 「ヴェニスに死す」での「引用」にかこつけて一気に葬ってみせたマーラーの音楽は、それではここで引いたアドルノの文章で「パルジファル」の音楽との関わりが指摘されるそれとは違った何か なのだといって頬被りをきめこんでみせるのだろうか。その拒絶感の在り処は実際にはどこなのかを、ワグナーの音楽を鏡として突き詰める作業こそが必要なのではないか。
ところで、マーラーがバイロイトを訪れた時期を考えると、アドルノの上記の言及はクロノロジカルにはギャップを含んでいることがわかる。つまりマーラーが「パルジファル」経験をしたのは、 作曲家としてのマーラーについて言えば、「嘆きの歌」よりは後だが、第1交響曲よりも先行する時期にあたるのである。勿論、そのことが直ちにアドルノの主張の当否について何かを 物語ることはないが、少なくとも言及のある第3交響曲、第9交響曲以外の作品についてはどうかを問うことが権利上可能であることにはなる。第3交響曲の第5楽章は「子供の 魔法の角笛」に基づいているが、アドルノの言及しているのは練習番号3から7にかけてのアルト・ソロがペテロの悔恨を歌う部分、特にその中でも独唱が終わった後、鐘の音を 模する合唱と管弦楽による移行部となる練習番号6番以降の部分であろう。鐘がなり、ゆっくりとした行進曲調で バスが付点音符を含むリズム(全く同一というわけではないが)を固執して刻み続けること、嘆き、悔恨の感情が扱われていることは共通しており、確かに指摘はもっともと思われるが、 民謡調で女声や子供の声で歌われるマーラーの音楽(ペテロの嘆きすら、アルトのソロが歌うのである)と、聖杯騎士と後続部分ではアムフォルタス自身が嘆きと悔恨を語る ワグナーの劇の音楽のトーンには違いがあるのも確かだろう。そもそもマーラーの音楽では合唱は「泣いてはいけない」というのに対し、聖杯騎士たちはアムフォルタスを責めるばかり であり、第4楽章の「夜」を経たマーラーの「朝」の音楽には、荒廃した聖杯守護の騎士達の城の陰惨さは感じられない。 ただしマーラーが後続する第6楽章について「神よ、私の傷を見てください」と語ったというエピソードとは符合するし、 第3交響曲の終楽章をパルジファル第3幕の終幕の部分と比較するのは色々な点で興味深いことではあろう(これは両者が類似しているという意味ではない。はっきりと その実質において両者は全く異質のものであると私は断言できる)。更に言えば、先行する第4楽章でニーチェの詩を歌うアルト・ソロは 誰なのか、どういう性格付けを持っているのか(勿論、クンドリーが思い起こされるわけだが)、あるいは第2楽章の花と「パルジファル」における花の乙女を突き合わせてみると いった作業も可能になろう。
邦語文献では、ブルックナー/マーラー事典(東京書籍)のマーラーの第3交響曲の第5楽章の解説において、執筆者の渡辺裕さんが「パルジファル」との関連を指摘している(p.321)。 そこでは「罪を自覚したペテロがキリストに憐れみを乞い、そこで神への祈りが奇蹟による救済をもたらすことが暗示される、という構図」が「「パルジファル」とのつながりを感じさせる」 と述べられているのだが、アドルノの指摘についての言及はない。上述の通り関連の指摘自体は妥当だと思うが、私見によれば、渡辺さんの指摘する「構図」は「パルジファル」 の構図そのものとは言い難いというのが率直な印象で、「パルジファル」の解釈として寧ろこれは異色であるという感じを覚えずにはいられない。そもそもペテロもキリストも「パルジファル」には 現れないし、「神への祈りが奇蹟による救済をもたらすことが暗示される」とは、具体的には「パルジファル」の中のどの部分を指してのことなのか、私には到底明白とは思われない。 勿論「パルジファル」の側において、ペテロとキリストとの関係という基本的には別の物語への暗示(これこそ暗示のレベルであろうと思う)を含まないとは思わないが、 「パルジファル」の主要な構図は、あくまでもMitleid「共苦」を通しての認識による救済であるし、「罪を自覚したペテロ」が「パルジファル」における誰で、キリストが誰なのか、奇蹟を もたらす神への祈りとは、パルジファルにおいては誰のそれか、救済とは誰のものであるのかを問うた時、「パルジファル」の側で既に為されている或る種の構造変換 (レヴィ=ストロース的な神話論理の水準のもの)に気づかざるを得ない。しかも、マーラー/「魔法の角笛」(「哀れな子供の物乞いの歌」)の方も、第7楽章として予定され、 最終的に第4交響曲のフィナーレとなった歌曲のテキスト程異端的ではないにせよ、こちらはこちらでキリスト教的にはやはり或る種の読み替えなり構造変換なりが為されているのである。
ちなみに、他の第3交響曲に関する研究等においても、パルジファルへの参照はしばしば行われている。第5楽章に関する言及としては、フローロスの場合が挙げられるだろう。 ただしフローロスが注目しているのは、4つの鐘と少年合唱の利用が、空間的な指示つきで(「高いところに」配置するように指示があることについての言及であろう)用いられる点であって、 それ以外の側面についての言及はない。一方、ドナルド・ミッチェルの「角笛交響曲の時代」の第3交響曲と第4交響曲を扱った部分では、メヌエットである第2楽章に関して 「ワーグナーの《パルジファル》の花の乙女たちの場面で試みられている絶妙な装飾的表現を研究し、それをみごとな器楽法で 処理したかがやかしい例である。」(喜多尾道冬訳, p.210)といった言及が見られるし、ピーター・フランクリンの第3交響曲に関するモノグラフにおいては、第6楽章の自筆譜冒頭に 掲げられたエピグラフ(既に上でも言及している「父よ、私の傷を見てください、、、」)への言及に続けて、第6楽章に関して「パルジファル」が参照されているといった具合である。 それぞれ興味深い指摘ではあるが、あまりに断片的な参照であり、マーラーの第3交響曲の全体を俯瞰して、その系の一部に「パルジファル」が扱う問題に対するマーラーなりの 応答が含まれているといった視点には至っていない。逆に、その参照箇所の拡散ぶりの方が、そうした個々の論点の背後に、より構造的な連関が秘められていることを 裏書しているようにさえ見える。その点では、急所を押えているという点も含め、渡辺さんの指摘が最も本質的な次元を衝いていると私には感じられる。ただしそこで指摘 されていることを考えるためには、第3交響曲という作品の色々なレベルでの「多声的」な構造に応じた、多面的な検討が必要ではなかろうか。
というわけで、渡辺さんのここでの主張が、第3交響曲と「パルジファル」それぞれのある解釈を通じて妥当であるという論証が不可能だとは思わないが、 それを確認するのはかなりの事前の手続を通してのことであり、自明のこととは到底思えないというのが私の率直な感覚である。 あえて言えば、聖書の物語の関連を比較すれば、「パルジファル」と聖書の物語の関連よりも、マーラー/「魔法の角笛」(「哀れな子供の物乞いの歌」)の方が寧ろ構図において直接的であり、 それをもって「パルジファル」との関連を云々するのは寧ろ遠回りであって、些か強引な感じが否めない。 「パルジファル」との関連があることそのものは全く正しいし、限られた解説の中であえてその点に触れる慧眼に対しては敬意を表するものの、「パルジファル」とマーラーのこの作品との関連づけとしては (解説書の一部であるという制約を考えれば無い物ねだりだとは思うが)戸惑いを感じずにはいられないのである。私の展望は既述の通りで、ペテロの物語を寧ろ真ん中において、 マーラー/「魔法の角笛」(「哀れな子供の物乞いの歌」)と「パルジファル」を対照させたときに浮かび上がるのは、扱っている主題の共通性もさることなら、そのニュアンスの差異のコントラストの方である。 また、この第5楽章が、構造的に、概ね「パルジファル」であれば第3幕の聖金曜日の奇蹟の位置にあることについても異論はないが、具体的な布置は異なるし、総体としてみれば、 そもそも「パルジファル」が「罪を自覚したペテロがキリストに憐れみを乞い、そこで神への祈りが奇蹟による救済をもたらすことが暗示される、という構図」と総括できるものというのは、「パルジファル」の 解釈として、かなり大胆なものに思われる。
罪の自覚、憐み、祈り、奇蹟、救済といったモチーフは確かに共通するけれど、それらの布置と連関がもたらす「構図」の方はかなり異なるのではないか。 寧ろマーラーは自分なりの「パルジファル」の読み替えを、第3交響曲の総体をもって提示したのだと考えることはできるだろうが、寧ろ私としては、「パルジファル」で扱われている問題についての マーラーなりの回答と見做すべきであって、同じ問題に対するマーラーの第3交響曲における認識と回答は、「パルジファル」のそれとは結果的には相当に隔たっているというのが 妥当な見方なのではなかろうか。
第9交響曲についての言及は更に曖昧で、しかも聖金曜日の音楽が参照されていることには率直に言えば些かの戸惑いを感じずにはいられない。勿論、主張が誤っていると いいたい訳ではないのだが、マーラーの第9交響曲と「パルジファル」の音楽の接点ということであれば、寧ろ他の部分の方により多く私は接点を見出せるように感じている。 色彩について言えば、第9交響曲第4楽章の色彩についてアドルノは、マーラーについてのモノグラフにおいて"künstlich roten Felsen"という言い方をしているが、他の箇所で詳述したとおり、これはドロミテの 地で"Enrosadira"と呼ばれる現象、日の出や夕暮れの陽の光に照らされて、赤色、薔薇色、菫色などの色彩に変化する現象を思い浮かべてのことと思われ、聖金曜日の 光とは異なる。先行する楽章、特に第1楽章などには"das fahle Licht"により相応しい箇所もあろうが、 私見ではそうした色彩に関する点も含め、第9交響曲については 聖金曜日の部分よりも寧ろ「パルジファル」の他の部分に類似の音調を感じ取ることができるように思われてならない。
ただし、「パルジファル」の音楽とマーラーとの関係では、寧ろ第10交響曲第1楽章の主題の一つがクリングゾールのライトモティーフと類似するという指摘の如きものの方が、少なくとも 日本では人口に膾炙しているように窺えるにも関わらず、「パルジファル」の音楽からの連想においてアドルノがマーラーの音楽の中で第9交響曲を取り出したこと自体は全く 妥当なことと思われる(第10交響曲こそ、ワグナーのみならず、シュトラウスのサロメの動機との関連などの指摘にも関わらず、そうした作品とは異なった音調を備え、異なった 場所で鳴り響く音楽である、というのが私の認識であるからだ)。私個人の印象では、寧ろ第1楽章の音楽にこそ「パルジファル」の音楽の遠いエコーが聴き取れるように思われる。 マーラーの音楽はワグナーとは異なって神話的な世界とは無縁であり、そもそも音楽が鳴り響く場が異なっているし、音楽の主観のあり方も全く異なるから、時代が接していて、 巨視的に見れば様式的な影響があるのは明らかであるにしても、そうした影響関係は音楽の備えている時代と場所を越えた価値に注目したときにはほとんど何の意味も持たないだろう。
だが、にも関わらず、例えば第9交響曲の冒頭でハープで提示され、(ソナタ形式としてみた場合の)展開部末尾の葬送行進曲の部分(練習番号15の後、Wie ein schwerer Kondukt 以降)においてまさに鐘で奏される動機は、アドルノがもう一つの参照点としている第3交響曲第5楽章の鐘の動機と、従って「パルジファル」の鐘の動機と連関しているのは明らかだろう。 (なお、「パルジファル」の鐘の動機と第9交響曲の冒頭の動機との連関の指摘に限れば、金子建志「こだわり派のための名曲徹底分析:マーラーの交響曲」の第9交響曲についての章に 言及があることを記しておく。)ここで葬送されるのは決してティトゥレルに比されるような主体ではないにせよ、まずもってここが構造的に場面転換に相当する点において、「パルジファル」第3幕の場面転換部分を 思い起こすことは困難ではない。そのように考えると、この部分に対応した提示部における箇所、即ち練習番号7の前、音楽が静まった後のTempo I subitoから始まって後、 練習番号7を過ぎてPlötzlich sehr mäßig und zurückhaltend以降の部分は、第1幕のあの有名な場面転換の、森から城への「道行」の音楽、”Du sieh'st , mein Sohn, zum Raum wird hier die Zeit.” というグルネマンツの言葉がいわば注釈するプロセスを実現する音楽の遠いこだまであるように私には感じられる。勿論、アナロジーには限界があって、ワグナーの作品においてはいずれもが、 能の前場と後場のような場の時間的・空間的な移行を惹き起こすのに対し、マーラーのそれは直前で生じた或る種のカタストロフの結果、意識の不可逆的な変化が生じつつも、 いわば意識の階層のレベルを一段降りて、だが同じ風景が回帰するプロセスを実現している。音楽は常に冒頭の風景に戻るが決して同一の風景の反復ではない。それでもなお Andanteという指示の元々の意味に忠実に、常に繰り返される歩みはどこかに向かう。だがそれは別の場所には辿り着かないで終わるのだ、少なくとも第1楽章においては。 変化が起きるのは歩く主体の意識の方であって、風景の「場所」、つまり空間的には「客観的」には冒頭と同じなのだ。「風景」が主観が捉えたものである限りにおいてのみ「風景」が、 寧ろ「展望」が変化したのであって、その歩みは全くの徒労というわけではなく、何か別の「場所」に到達したというように言いうるのであるが、それは寧ろ同じ風景の中を循環する 意識の内的な遍歴なのである。同じ場所を巡回しつつ、意識は現在の場を離れて過去に、フッサール現象学でいう第二次的な想起のプロセスを都度繰り返す。だが、その間にも経過する 容赦ない外的な時間流がもたらす推移(それの巨視的な累積の結果が「老い」と呼ばれる)が「風景」を、内的な空間の展望を変えてしまう。従ってここでもグルネマンツの ”Du sieh'st , mein Sohn, zum Raum wird hier die Zeit.”は、ある意味では事態の記述たりえているのである。
そしてマーラーの音楽の中でもとりわけて第9交響曲においては音楽的主体の受動性が顕わである点において「パルジファル」という音楽劇の持ついわゆる外的な筋書きの変化の 乏しさと対応した音楽の性格との或る種の類似が認められるだろう。いわばホワイトヘッドの抱握の理論における「推移」の時間の、しかも受動性が歪なまでに優位なのだ。 勿論それは「超越」に他ならないのだが、目的論的図式はここでは廃墟と化していて、寧ろレヴィナス時間論における「超越」、主体の可傷性、被曝性といった側面と 他者の他者性が相関して強調されるそれの音楽的実現であると考えることができるだろう。聖金曜日は単に到来するのであって、それは主体の働きとは基本的には無関係だ。 アドルノの第9交響曲についての言及は曖昧だが、こうした抽象的な時間論的図式のレベルで考えれば、その指摘は見かけほどは意外なものではないということになりそうだ。 ただし「パルジファル」の末尾の"、あの物議を醸し続けてきた言葉、"Erlösung dem Erlöser!"までその類比を拡張できるかどうかについては予断は許されないだろう。
"Erlösung dem Erlöser!"という言葉を導きの糸としつつ、第9交響曲以外のマーラーの音楽を改めて振り返ってみると、マーラーにおける「パルジファル」の対応物として、 表面的にはより直接的にさえ見える2つの作品に思い当たることになる。即ちそれは、宗教的であることが一見あからさまであり、その「正統性」とその価値について 絶えず懐疑の眼差しに曝され続けてきた作品、やはり「パルジファル」同様、既に色褪せた過去の遺物とする見方すらある作品である第2交響曲と第8交響曲である。 内容や主題ではなく、より抽象的な次元においてそれらが何を実現しているかを改めて検討する際に、「パルジファル」をいわば鏡として置くことは興味深い。 アドルノは既にマーラーに関するモノグラフで第8交響曲に関連して(些か異例なことに)カバラ的なものにさえ言及し、"Mahlers Gefahr ist die des Rettenden"とさえ 言っている。アドルノは「パルジファル」では虚偽から真実が生じる、ただしその真実は「消えうせた意味をたんなる精神から呼び起そうとすることの不可能性」のそれである といったことを、ここで取り上げた文章の末尾で述べているが、それは第8交響曲に対するアドルノの評価との突合せを迫るほどには並行的であろう。
一方の第2交響曲の第1楽章は一時期、交響詩「葬礼(Totenfeier)」として独立の作品と考えられていた時期があったことが知られているし、その音楽こそ"die Totenfeier meines lieben Herrn"のそれと突き合わせてみることが出来るように感じられる。(ただし、良く知られているようにTotenfeierという題名の由来は、マーラーの友人であったリーピナーが ドイツ語に翻訳をしているアダム・ミツキエヴィチの詩劇"Dziady"である。題名には言及がないが、晩年にニューヨークで自作の第1交響曲を指揮したときのことをワルターに報告する書簡で、 「葬礼」第3部の最も有名な箇所を自作のいわば「解説」に引用していることも良く知られているだろう。ただし"Dziady"がもともとはスラヴやリトワニアにおける 祖先を供養する祭礼であることを考えると、それを「葬礼」と訳すことが妥当かは疑問の余地があるかも知れない。例えばアルマの「回想と手紙」でアルマがリーピナーの翻訳に 言及している箇所では、白水社版の訳(p.37)では「慰霊祭」と訳されている例もある。これだと、言及されているものが第2交響曲第1楽章の題名の由来であるとは 訳書を読むものは気づかないかも知れないが、逆にマーラーの楽曲の側を「葬礼」ではなく「慰霊祭」であるとして聴いてみても良いのである。いずれにしてもマーラーがTotenfeierで どういった儀礼を思いうかべていたかは更に別の問題として考えなくてはならないだろう。
そうした錯綜を前にしてみると、そもそもが全体で4部からなり、その第1部は未完、最も有名な第3部はその他の部分の10年後に書かれていて、内容上も 連続性を欠いているこの詩劇において"Dziady"という題名に相応しいのは第2部であることを考えると、マーラーが第1交響曲、第2交響曲の2作を、リーピナーが翻訳した ミツキエヴィチの詩劇"Dziady"と関連づけている事実は確認しておくべきだろうが、結局のところTotenfeierという単語に基づいて連想を膨らませるのは恣意的な感じを否めず、実証的な 水準では検証に耐えないことははっきりとさせておくべきだろう。そしてここでの「パルジファル」でのティトゥレルの葬礼への連想も、もちろんそうした限界の範囲での連想に過ぎないのである。 最終的にはそれは実証不可能だし、実証そのものに決定的な意味が存するわけでもない。必要なのは音楽を取り巻く状況のこうした錯綜を踏まえ、その上で今、ここでそうした 錯綜の中から浮かび上がってくる音楽がこちら側にもたらすものを見極めることであろう。
だが、それを前提にしたとしてもなお、 ハンス・フォン・ビューローという「父」の死をきっかけに完成した第2交響曲、後日フロイトの弟子であるテオドール・ライクの精神分析的解釈を呼び起すような成立史を 持つこの作品について、まさに「父」ティトゥレルの「葬礼」の場面の音楽を連想することは、その背後に存在する構造を考えれば決して妥当性を欠くとは思えない。 ビューロウとの関係は1883年夏のバイロイトでの「パルジファル」の初体験の直後の1884年1月のカッセル時代から始まっている。ビューロウの死は1894年2月、マーラーが立ち会った ハンブルクでの葬儀は3月29日、第2交響曲の完成はシーズン後6月のシュタインバッハにて、その後にバイロイトを訪れて「パルジファル」を聴いているのだ。そして その間の1891年にももう一度「パルジファル」を聴いている。1889年夏のバイロイト訪問に先立つ1888年8月にスコア完成をみた、つまりプラハ時代に成立した第2交響曲第1楽章に "Totenfeier"というタイトルを付与することをマーラーが何時、何をきっかけに思いついたものか。更にマーラーは第2交響曲としての初演後の1896年3月16日のベルリンでの演奏会でなお、 第1楽章のみを「葬礼」として演奏していることにも気を留めておこう。有名なマルシャルクへの書簡にて、「葬礼」で葬られているのは第1交響曲第4楽章で死ぬ英雄であると述べるのは、 その直後の3月26日である。そしてこれまた有名な、ビューロウに「葬礼」を聴かせた時の拒絶反応の「思い出」(?)を述べたザイドル宛の手紙は1897年2月になってからのものなのだ。)
繰り返すがここで問題にしたいのは、文化史的、思想史的な実証の水準であったり、 ワグナーにおけるショーペンハウアー哲学の影響、Mitleidの思想、一方のマーラーの思想を音楽がつけられたテキストの内容のレベルで比較するといった水準の議論ではない。 また、音楽そのものを対象とするにしても、単なる引用や動機の類似の指摘レベルの議論に終始していては、作品の持つ射程の理解に資することは覚束無いだろう。 (その点で、アドルノがマーラーについてのモノグラフの冒頭で述べたマーラー理解の困難についてのコメントは、今日においても妥当すると私は考えている。そしてそれは ナチスによる介入についての点が、こちらは裏返しの形で妥当するという点も含め、「パルジファル」についても当て嵌まるのであろう。) そんな議論は、100年以上の時間と地球半分の空間の隔たり、それ以上に大きな文化的・思想的な隔たりのこちら側で、今、ここで「パルジファル」を、マーラーの音楽を 取り上げることの意義とはほとんど無関係なことである。寧ろ今、ここでの議論の起点は、三輪眞弘さんの「新しい時代」のような作品にこそ求めるべきである。逆にそれが 提起する問題を考える上で、「パルジファル」やマーラーの音楽のような過去の参照点なしで済ませることは私には困難で、「新しい時代」のような作品に、その作品の価値に 相応しい仕方で接しようとすれば、そこで取り上げられている問題を時事的に取り上げたり、そこで用いられているテクノロジー自体について論じるだけでは不充分であろう。 それぞれを、時代と文化の相違を超えた価値の次元において理解しようとしたときに、例えばレヴィ=ストロースが神話研究で行ったような仕方と類比的なやり方で、 それらを比較検討することが是非とも必要なのではないかと感じられてならないのである。(2012.10.07公開, 10.13/14加筆, 10.28指揮者マーラーの「パルジファル」との 関わりにつき大幅に修正, 11.23「ブルックナー/マーラー事典」での第3交響曲第5楽章の解説についてのコメントを加筆, 2013.1.19 アルマの「回想と手紙」における 言及に関して加筆。2024.9.6 邦訳を追加。)