お知らせ

GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2007年6月30日土曜日

アドルノのウィーン講演(1960)より

アドルノのウィーン講演(1960)より(Taschenbuch版全集16巻pp.337--338、邦訳:酒田健一編「マーラー頌」pp.317)
(...)

In Mahlers Musik wird die beginnende Ohnmacht des Individuums ihrer selbst bewußt. In seinem Mißverhältnis zur Übermacht der Gesellschaft erwacht es zu seiner eigenen Nichtigkeit. Darauf antwortet Mahler, indem er dir Form setzende Souvränität fahrenläßt, ohne doch einen Takt zu schreiben, den nicht das auf sich selbst zurückgeworfene Subjekt zu füllen und zu verantworten vermöchte. Er bequemt sich nicht der beginnenden Heteronomie des Zeitalters an, aber er verleugnet sie nicht, sondern sein starkes Ich hilft dem geschwächten, sprachlosen zum Ausdruck und errettet ästhetisch sein Bild. Die Objektivität seiner Lieder und Symphonien, die ihn so radikal von aller Kunst unterscheidet, die in der Privatperson häuslich und zufrieden sich einrichtet, ist, als Gleichnis der Unerreichbarkeit des versöhnten Ganzen, negativ. Seine Symphonien und Märsche sind keine des disziplinierenden Wesens, das triumphal alles Einzelne und all Einzelnen sich unterjocht, sondern sammeln sie ein in einem Zug der Befreiten, der inmitten von Unfreiheit anders nicht zu tönen vermag denn als Geisterzug. Alle Musik Mahlers ist, wie die Volksetymologie eines seiner Liedertitel das Erweckende nennt, eine Rewelge.

(…)

マーラーの音楽のなかで個人の無力のはじまりが自覚されるのです。社会の圧倒的な力とのバランスを失った個人が、おのれの無価値に目覚めるのです。これに対してマーラーは、形式を定立する主権を放棄し、だがそれにもかかわらず、自己自身へと投げ返された主観によって満たされ、かつ責任をまっとうされていないような小節は一小節も書かないということによって答えるのです。彼は、はじまりつつあった時代の他律的傾向に順応しようとはしません。しかし彼はそれを拒否するのではなく、彼の強大な自我によって他の弱体化した、もの言わぬ自我に表現への道を用意してやり、その形姿を美的に救出するのです。私生活のぬくもりのなかで自足しているすべての芸術から彼を根本的に区別するあのリートや交響曲における客観性も、宥和的な全体に到達することの不可能性の比喩としてみるならば、ネガティブなものです。彼の交響曲や行進曲は、あらゆる個物、あらゆる個人をおのれの膝下に屈服させて凱歌をあげる軍事教練的な性格なものではなく、これらの個人を結集して解放された人びとの一隊をつくりあげようとするものです。ただこのような一隊も、自由を奪われた状況のただなかにあっては幽霊の行進にしかなりえないのですが。彼のリートの題名のひとつ、『レヴェルゲ』が民間語源的には目覚ますものを意味しているように、マーラーの音楽はすべてレヴェルゲなのです。

 アドルノの、これは1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分。歌曲「起床合図」に言及した最後の文章は特に有名だろう。 (これにちなんで言うと、対をなす「少年鼓手」の方は、処刑を前にしてGute Nacht!と叫んで終わるのであって、内容上もまさに対をなしている。また 目覚めているということでいけば、同じWunderhornliederの中のDer Schildwache Nachtliedでは、Verlone Feldwachtが登場し、最後は 終止形に到達することなく、Feldwachtという単語を引き伸ばして終わる。勿論、更にRückert LiederのUm Mitternachtへと連想を延ばすこともできるだろう。)


アドルノは社会と個人の関係を問題にするが、―そしてそれは勿論正しいのだろうが―、個人が己の価値の無さに思い当たるのは、別に社会の力に よってだけではないだろう。個人が社会に拘束されているという契機を軽視することはできないだろうが、それでも、社会的なものだけが個人を制約する わけではない。生物学的な限界もまた存在する。ここでアドルノがいわゆる中期のマーラーの「客観性」への言及で話を結んでいるのは、そういう意味で 妥当なのだ。だが、後期はどうなのか、後期様式に見られる―シェーンベルクがとりわけ第9交響曲について指摘した類の―非人称性についてはどうなのか、 というのが最近の私の関心の中心の一つである。社会がどうであれ、「否定性」というのは主観に、意識に予めプログラムされた徴なのではないか、と思えて ならないのだ。意識というのは、遺伝子の搬体たる生物としての個体に比べてもなお、儚く取るに足らないものなのだから。

そうした問題はおくにしても、このアドルノの指摘の的確さは、全く驚異的だと思う。マーラーの音楽がそうした儚い「主観性の擁護」であるという考えは、 まさにこうしたアドルノの言葉で言い尽くされてしまっているとすら思えるほどである。

なお、この講演は酒田健一編の「マーラー頌」で読むことができるが、それ以外にも例えば、シュライバーのマーラー論の「証言」の棹尾を飾るものとして 収めされている(ただしDie Objektivität seiner Lieder und Symphonien, 以降最後まで)。ただし、こちらの邦訳はその最初の文の従属節の解釈がおかしくて、 それだけ読むと、意味が逆転しているようにとれてしまうし、その後の文章も、恐らくはわかりやすくしようとして節の順序を入れ換えたり、原文の構造を崩して 言い換えたりしているのだが、結局、かえって意味がとりにくくなっているように見受けられるので、邦訳を利用する場合には注意が必要だと思われる。

別にけちをつけるのが目的でやっているのではないから、こうやって引用にコメントするたびに邦訳に対する疑義を書くのは本意ではないのだが、 幸か不幸か、そうせざるを得ない場合が多いのは遺憾なことだ。だが、気づいてしまったものを書かなければ備忘の用をなさないので、 止む無くコメントを残しておく次第である。(2007.6.30 執筆・公開, 2024.8.11 邦訳を追加)

2007年6月23日土曜日

ヴァルターの「マーラー」より:その「人」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.113, 邦訳p.207):その「人」についての回想
Es erscheint mir als die große moralische Leistung seines Lebens, daß er sich niemals über die Qualen der Kreatur und die seelischen Leiden der Menschheit mit dem achselzuckenden Ignorabimus des Philosophen beruhigte, um den Blick ungestört dem Schönen und Beglückenden des Weltbildes zuwenden zu können. » Daß du ihr Vater nicht, daß du ihr Zar «, diese Worte aus der Totenfeier des Mickiewicz konnte er in düsteren Momenten auch zu Gott sagen. Aber dann fühlte er wieder, daß hier ein Mißverständnis walten müsse, und blieb der Aufgabe, die ihn gewählt hatte, treu: zu leiden und einen göttlichen Sinn darin zu suchen.

 かれが生きるものの苦悩に黙従せず、また「われわれはそれを決して知らざるならん」と、肩をすくめる哲学者の態度で、人間の精神苦を受け流すこともしなかったことこそ、かれの人生の偉大な道義的完成であったと思う。かつそれならばこそ、かれは、この世の全領域における美しきもの、幸いなるものを熟視しつつけることができたのである。「君は人類の父であるばかりではなく、また皇帝!」とのミッキェヴィッツの詩「葬儀」の中の言葉は、また、かれが、暗鬱なときに、神に対していうことのできたことばであった。しかし、その発作は短時間であった。かれはどこかに解けきれぬ誤りがあるように感じて、かれに与えられた問題に真剣にとり組んで、そのなかに、神慮を求めんと苦しんだのであった。 

ヴァルターはここで晩年のマーラーが彼宛に送った書簡を思い浮かべながら、マーラーの「態度」について非常に説得力のある説明をしていると私には思われる。 この文章には、長年に亙ってマーラーと親しく接した人ならではの、決して一時の印象に引きずられない視線が感じられる。(もとの書簡も「語録」の方で 紹介しているので興味のある方は参照されたい。)
こう言ってしまえば身も蓋も無いかも知れないが、人間は矛盾に満ちた存在で、その歩みは決して論理的に整合的なわけではない。ある経験を介して、 一方の極から他方の極へと飛躍することだって、無くはないし、それを責めることは(少なくとも我が身を振り返れば)できない。 ヴァルターはそうしたマーラーの歩みに見られる不変項を取り出しているのであろう。 そしてこうした印象が決して個人的なものではなく、例えば、決して親密とはいえなかったヴァルターとアルマの両方から 聞けるというのは、それが必ずしも主観的な偏見の産物とは言えないことを示しているだろう。アルマもそうだが、ヴァルターにしても決してマーラーの「欠点」に 対して盲目だったわけではないのは、この回想を通読すればはっきりと窺えることでもあるし。
だが、これはマーラーの「人」に対してのコメントであって、その音楽はまた別のものだ、という意見に対しては、ヴァルター自身のマーラーの「作品」についての言葉が 反論することになる。(2007.6.23, 2024.7.26 邦訳を追加。2024.7.28 修正。)

2007年6月18日月曜日

アルマの「回想と手紙」にある「子供の死の歌」作曲に関するコメント

アルマの「回想と手紙」にある「子供の死の歌」作曲に関するコメント(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.97, 白水社版邦訳p.85)
... Er vollendete die Sechste Symphonie und vermehrte die zwei Kindertotenlieder um drei weitere, was ich nicht verstehen konnte. Ich kann es wohl begreifen, daß man so furchtbare Texte komponiert, wenn man keine Kinder hat, oder wenn man Kinder verloren hat. Schließlich hat auch Friedrich Rückert diese erschütternden Verse nicht fantasiert, sondern nach dem grausamsten Verlust seines Lebens niedergeschrieben. Ich kann es aber nicht verstehen, daß man den Tod von Kindern besingen kann, wenn man sie eine halbe Stunde vorher, heiter und gesund, geherzt und geküßt hat. Ich habe damals sofort gesagt: » Um Gottes willen, Du malst den Teufel an die Wand!«

(…)彼は『第六交響曲』を完成し、これまで二曲だった『亡き子をしのぶ歌』にさらに三曲書き加えた。私にはこうした執着が理解できなかった。子供のない人か、子供に死なれた人ならば、こういう恐ろしい詩に作曲することもわからないではない。じっさいフリードリヒ・リュッケルトにしても、この心をゆるがすような悲しい詩をたんなる空想によって書いたのではなく、子供を失うという生涯でもっとも無残な体験をしたのちに筆をとったのだ。しかし元気にはしゃいでいる娘たちを抱きしめたりキスしたりしてからものの三十分もたたぬうちに、子供の死を歌にできるというのはどういうことか。私はあるとき思わすこう言ったものだ。「ああ、お願いよ。不幸を呼ぶようなまねはよしてちょうだい!」 

私見では、もし人と作品との間の懸隔を語るのであれば、後期作品よりも寧ろ「子供の死の歌」こそ問題にされてしかるべきだと思われる。

引用したアルマの回想の記載とは細部において異なるのだが、現在の通説では、「子供の死の歌」は1901年に1,3,4曲、1904年に第2,5曲が追加された ということになっているようだ。いずれにせよ、この歌曲集については、なぜこのような詩に曲を付けようと思ったのかについては、少なくとも説明なり 解釈なりを要する「問題」ではあるだろう。この1904年の時点においても彼が長女を喪うのはまだ先のことだし、1901年に至っては、まだ結婚すらしていない のである。

一方でこの事実を逆手にとるかのように、精神分析学的な解釈に基づくかどうかによらず、この曲を「預言的な」もの、あるいは 「現実が芸術を模倣する」例であると主張する意見もまた存在する。個人的にはそうした方向の説明なり解釈には関心がない(私が知りたいと思うことの 説明になっていないから)ので、その当否を論じることはしないが、いずれにせよ、ここでのアルマの叫びは―もっとも彼女は 回想して書いているのではあるけれど―全く正当なものであるように感じられる。

しかも、アルマのこの発言は、それを「創作の謎」として、一般人には理解し難い領域に押しやることを禁じてしまってもいる。少なくとも彼女も 作曲をした以上、「一般論」として、作品と人生の関係はそんなものだ、などとは言えないだろうから。それはマーラーという個別のケースの謎なのだろうか? 「天才的な肉食獣」の謎?

勿論、そうした事情は取るに足らぬこととして、当時の「世紀末の流行」のテーマを取り上げたのだ、という説明で乗り切ってしまうこともできるのかも 知れない。だがそうした文化史的な還元による説明は上述の「預言」もどきの解釈を脱神話化する効果は認めることはできても、あのアルマさえ たじろいだ「マーラーの場合」の特殊性を説明し切れていないように思われてならない。何より、作品の持つ破壊的なまでの強度がそれに異議を唱えて いるように思えるのだが、、、(その強度は、例えば情景描写の克明さとか、嘆きの表現の巧みさなどから、この作品が全く背を向けてしまっていることに よって寧ろ強められていることにも注意すべきだろう。)

この作品と比較すべきは、(勿論、文化史の研究としては、重要なテーマかも知れないが、ここではそれは関心の外なので)同じテーマを扱った 同時代の他の作品などではなく、寧ろ彼自身が後に書いた「大地の歌」ではなかろうか。出来上がった作品も、生成史もひっくるめて、 「大地の歌」に繋がる要素、「大地の歌」と異なる要素を個別に見極めていく必要があるのだろう。いずれにせよ、「子供の死の歌」がマーラーの 創作の秘密を解く一つの鍵であることは確かなことに感じられる。私の前ではその鍵は最後まで開かないかも知れないが。(2007.6.18 執筆・公開, 2024.8.11 邦訳を追記。)

2007年5月31日木曜日

人物像:本棚(2025.9.9 更新)

マーラーは読書家であったといっていいようだ。友人宛てへの書簡には、書物への愛情を語ったものもある。その読書の音楽への反映は、まずもって、声楽曲の歌詞として用いることだろう。更には、後に撤回されたとはいえ、 初期の交響曲、とりわけ最初は交響詩「巨人」であった第1交響曲の標題にも、その読書の反映が見られるだろう。ただしマーラーの読書傾向は、私見ではいわゆる「文学的」なものであったとは言い難いように思える。

一つには哲学的著作への好みがはっきりしていること。悪阻に苦しむアルマに純粋理性批判を読み聞かせたエピソードや、 死の直前に読んでいたのが(今日ではすっかり忘れられてしまっているが)エドゥアルト・フォン・ハルトマンの著作であったことは有名だが、 彼の狭義での文学作品へのアプローチもまた、哲学的な傾向が強いように思える。

もう一つは、当時勃興しつつあった近代的な自然科学への強い関心。彼はいわゆる「理系」の人間ではなかったようだし、 当時の自然科学は、いまだ哲学と分離し切れていない、ややもすると実証性よりは思弁が前に出てしまうような状況で あったようだが、それでもなお、彼の関心の方向性が(少なくとも当時の)文学固有の領域の外に及んでいたことは明らかだと 思われる。たとえ唯物論に対するマーラーの批判的な言葉が見出されたとしても、少なくともそれは、議論の対象ではあったし、 無視できるようなものではなかったように見受けられる。不滅性に関する考え方にしても、それは寧ろ現代人に近い折り合いの 付け方であって、理解を絶する信念のようなものではなく、絶えず懐疑に曝され、それ故常にそれなりに納得できる説明が 必要なものだったのではなかろうか。

三つ目は、同時代の文学潮流に対する留保。勿論、読んでいなかったわけではないだろうし、とりわけアルマと結婚して後は、 同時代の作家と直接知り合いになる機会も増えている。(何しろ彼は、今やウィーンの名士の一人なのだ。)それにしても、 マーラーの嗜好はその音楽同様、奇妙にアナクロニックで、そうした知り合いの詩作や劇作が己の創作に関わることはなかった ように見える。明らかに彼の関心は、過去の古典文学やロマン主義文学にあったのだが、それは恐らく、彼の生まれた場所や 階層、そして生い立ち(つまり、ボヘミア・モラヴィアの境界近いドイツ語の言語島である地方都市での同化ユダヤ人)に制約されて いるのだろう。名士になる前の彼にとっては、それなりに経済的にも成功し、教養への志向が強かった父親の書庫の影響が 大きく、都会の「洗練された趣味」は疎遠なものであったように思われるし、名士になった後も、基本的な志向は変化しなかった のではなかろうか。

こうした傾向は、多くの人にとっては鬱陶しいものかも知れないし、文学的なものに価値を置く人にとっては、洗練されない、 あるいはそれ以上に、文学的なものの固有の価値に無頓着な赦し難いものであると感じられるかも知れない。私個人に ついては、自分もまた文学的な人間では全くないので、こうしたマーラーの傾向は寧ろ親しみが持てるものだけれども。

以下は、様々なマーラーに関する文献に出現するマーラーの読書対象を並べたものである。出典等の情報は追って追加して いくつもりだが、主としてアルマによるマーラーの回想、ヴァルターによるマーラーの回想、そしてジルバーマンの「マーラー事典」を 典拠としている。より詳細にあたろうとすれば、Jeremy Barham (ed.), Perspectives on Gustav Mahler, Ashgate, 2005 所収のJeremy Barham, Mahler the thinker : The books of the Alma Mahler-Werfel Collectionを参照すべきだろう。 この論文は、アルマが遺した蔵書に基づき、マーラーの「本棚」を憶測するといった趣向のもので、ある本がどのマーラー文献で 言及されているかの追跡や、蔵書に残された書き込みの調査の結果まで記載されており、管見ではこの章の趣旨に照らした時に 最も網羅的で徹底的なものである。ただし、これはあくまでもアルマの蔵書だし、仮にマーラーの本棚にあったとしても、そのことが そのまま愛読書であったことを意味するわけではない。読んだ結果、否定的な評価を下す場合もあっただろう。(実際、書簡集には そうした否定的に言及されている同時代作家の例は少なくない。)献本の類は、別の意味で(例えばマーラーの交友の広がりを 知る上で)役に立つのだろうが、マーラーの嗜好を知る直接の手がかりにはなりえない。有名なところでは、第8交響曲の初演後、 トーマス・マンはマーラーに自著を送ったようだが、マーラーがそれを読んだかどうかは確認できない。一方で、マーラーがもっと 若かった時代から付き合いのあったヴァルターの回想には現われるが、アルマの蔵書には含まれないものも少なくない。というわけで 結局のところ、実証的な跡付けによりマーラーの嗜好がどこまで歪みなく再現できるかについては自ずと限界があるというべきだろう。 (2007.5作成, 2008.10加筆, 2025.9.9更新)

ジャン・パウル「巨人」「花と果実と茨の画(ジーベンケース)」「生意気盛り」他
ブレンターノ/アルニム「子供の魔法の角笛」
ニーチェ「ツァラトゥストラ」
リュッケルト「子供の死の歌」他
ゲーテ「ファウスト」他
ミッキェヴィッチ「葬礼」
ハンス・ベトゥゲ「中国の笛」
エッカーマン「ゲーテとの対話」
ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」
カント「純粋理性批判」
プラトン「饗宴」
フェヒナー「ゼンド・アヴェスタ」「ナナ―植物の精神生活」
ロッツェ「小宇宙」
エドゥアルド・フォン・ハルトマン「生の問題」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」他
ヘルダーリン「パトモス」「ライン川」他
スターン「トリストラム・シャンディ」
ヴァーグナー/ヴェーゼンドンク往復書簡集
トルストイ「わが懺悔」
ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」
エッシェンバッハ「パルチヴァール」
ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク「トリスタン」
ジョルダーノ・ブルーノ「灰の水曜日の宴」「勝ち誇る野獣の追放」
ランゲ「唯物主義の歴史」
セルバンテス「ドン・キホーテ」
E.T.A.ホフマン「牡猫ムルの人生観」他
エウリピデス「アウリスのイフゲニア」他
デーメル「二人の男」
アンジェルス・シレジウス
シェークスピア
ラインケ
ガリレオ・ガリレイ
ヘルムホルツ
ダーウィン
ヘッケル
シラー
アリストテレス
グリルパルツァー
キーツ
ショッパー
イプセン
ハウプトマン
ヴェーデキント
アンリ・ベルクソン
ウィリアム・ジェームズ

「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて―

I.

マーラーに関して私は、交響曲だけではなく、それ以外の歌曲や「嘆きの歌」に ついても、その全体像を考える上で欠かせないと感じてきたし、そうした思いは ますます強くなってきている。一般にはマーラーは第一義的には交響曲作家であり、 また勿論そうした見方は間違っていないが、だからといって歌曲の重要性が 看過されるべきではないだろう。
常にあってはかけ離れた、相容れないとすらいえるような二つのジャンルの間の融合は、 歌曲の旋律の交響曲での引用、交響曲楽章への歌曲への嵌め込みを経て最後には「大地の歌」と いう交響曲的な構想をもった連作歌曲集へと至る。しかし歌曲の側でも、さすらう若者の歌、 子供の死の歌といった連作歌曲の流れがあってこそ、大地の歌のようなユニークな 形式が生み出されたのだと思われる。
交響曲に関して論争になる「標題」「プログラム」の問題についてもまた、それを直接云々する前に 歌曲において歌詞がどのように扱われているのかを考えずして議論するのは 随分と片手落ちではなかろうか。削除された「標題」や、作品の「説明」のために 書かれた文章と作品との関係の微妙さに比べれば、歌詞はとにかく、控えめに言っても 作品の直接的な素材であり、直接「標題」を云々する手前で、まず歌詞と音楽との関係を 考えることで浮かび上がってくることは色々とありそうである。
そして、そういう意味でも「大地の歌」はその作品の要石のような位置にあるように感じられる。 例えば、Dika Newlinが、マーラーの交響曲において2つ以上の歌詞付楽章がある場合には、 2つとも同じ作家のものは使われない、という大変に興味深い指摘をしているが、 「大地の歌」は、ここでもまた、ベトゲのNachdichtungとして考えれば連作歌曲、 李白他の中国の詩人の詩作への付曲と考えれば交響曲といった具合なのである。
これは歌詞と音楽との関係ではなく、寧ろ構想の水準の問題だが、勿論、歌詞と音楽との 関係と密接に結びついているのは確かで、それゆえ、例えばマイヤーが「音楽と文学」でマーラーの態度を 「簒奪者」と規定したのは、その説の当否はおくとしても、それなりの根拠あってのことには違いなく、 これに対するシュライバーの反撥には誤解が含まれているように感じられる。実際のところはそこに文学側から 眺めるか、音楽側から眺めるかの対立を読み取るのが妥当なのかも知れないが、それは少なくとも 私にとってはどうでも良いことで、問題はあくまでマーラーにおける言葉と音楽との間の緊張関係の 具体的なありようの方なのだ。

そんなことを考えている折、 梅丘歌曲会館で 甲斐さんが以前訳された「大地の歌」の訳を改訂されている(2007年6月稿)のに気付いて、 改めてその翻訳を熟読させていただいた。 そして、とりわけErdeという語の翻訳に対する繊細な配慮に感じ入るとともに、 その中でも第1楽章の題名について「地上」と訳されたことに強い説得力を感じたのである。 この文章で私もまたそうしているが、Das Lied von der Erdeは「大地の歌」と 訳す慣習になっている。だが、こと第1楽章の題名についていえばJammer der Erdeとは、 ずばり「地上の悲惨さ」とでも訳すのが適切に感じられたからである。 甲斐さんもまた、私が書き込んだコメントに対して、曲名を「大地の歌」としたことは 慣習への妥協である、とはっきり述べられている。

と同時に、だとしたら、他の部分、とりわけ第6楽章末尾のあのマーラーが 追加した歌詞のDie liebe Erdeはどうなのか、全曲のタイトルはどうか、というように、 この「大地の歌」全体でErdeという言葉で捉えられているものが何なのかを 改めて自分なりに考えてみたい気持ちになったのである。

ここに記すのは、その検討の結論ではなくて、むしろ検討の前準備のための 覚書である。思いつくままに視点を書き留めてみて、Erdeとは何かを考えることは、 実はマーラーを理解する切り口として決して周辺的ではないし、些事拘泥では ないという感じが強くなってきて、それゆえに却って簡単に結論が出せるような 問題ではないということが認識された、というのが正直なところである。
Erdeをどう訳すか、といった翻訳の問題から辿るのは本末転倒だと言われれば それまでだが、自分が抱いているイメージがその翻訳で変わってしまう気がするだけに、 私にとっては無視できないし、翻訳に込められた解釈は、まさに作品をどう捉えるかの 直接的な反映に違いない。しかも、この場合に限って言えば、漢詩のドイツ語への翻訳、 より正確には、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由した うえでの更なるベトゥゲによるNachdichtung、そしてさらにその上にマーラーその人による 決して無視することのできない改変という過程があって、その過程では狭義の翻訳の 問題には収まりきれない変形・変換が介在しているのは確かなのであるし、しかも、 マーラーの場合は、それを単に文化的な潮流、時代の流行としてのオリエンタリズムに 還元するのは、時代の文脈にマーラーを位置づけることによって適切な遠近感を 取り戻すという意義は認められても、かえってマーラーが持っていた疎外の意識、 アドルノがPeudomorphoseという語によって捉えようとした存在の様態を損なってしまう危険が あるのであってみれば、「翻訳」の問題は、決して副次的な問題ではないのだ。 もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、日本人が異国の音楽を 受容するに際しては何らかの(無意識的な)「翻訳」が為されているに違いないのである。 そうした幾重もの屈折を経て、あるいはそうした屈折を潜り抜けて、私がマーラーの音楽から 受け取ったと感じているものが何なのかを改めて考えてみようとした時に、Erdeという語の 翻訳という、一見些細に見える切り口を通して垣間見える展望は、決してトリヴィアルなものでは ないようだ、というのが偽らざる感覚なのである。
本当は、甲斐さんとの対話をしていきながら考えていった方が、自分独りでやるよりも ずっと深い理解に辿り着けそうなのだが、あいにくブログのコメントは字数の制限なども あって、こうした検討には向いていない。ブログのコメントには不適切なテーマという ことでまずは覚書を書く事にした次第である。そんなわけで、きっかけを与えて くださった甲斐さんに感謝の気持ちを申し上げたい。また、甲斐さんの訳業に比べて、 私の文章は、随分とまとまりのない、つたないものであることをお許しいただきたい。

以下に甲斐さんのお許しを得て、本稿で扱う2007年6月稿の第1楽章の歌詞の翻訳を転載する。 注も含め、甲斐さんご自身のものをできるだけそのまま転載したが、ドイツ語原文の明らかな誤字は 訂正させていただいた。
なお、甲斐さんも述べられているように、マーラーが曲をつけた詩は(マーラーについては「いつものこと」 ではあるが、)原詩そのものではない。第3連の改変を始めとして、この点についても興味深い論点が幾つも存在するが、 本稿はあくまでマーラーが曲をつけた詩における"Erde"という語に対象を限定することとし、 そうしたマーラーの改作にまつわる問題は別稿で扱うこととする。(2007年10月現在準備中。)


第1曲『地上の苦悩をうたう酒宴の歌』
       交響曲「大地の歌」より

詩: ベートゲ(Hans Bethge)
訳: 甲斐貴也(2007年6月稿)


黄金の杯には既に酒が満ち我らを誘う
だがまだ飲むな、その前に一曲歌いきかせよう!
この悲嘆の歌をお前達の心に哄笑のように響かせたいのだ
やがて嘆きの時が迫ればその心の園は荒れ果て
喜びも歌も枯れ萎むのだから

生は不可解だ、そして死も!

この家の主よ! その酒倉は黄金色の酒が満ちている
そしてここにはわたしの琴がある!
琴は掻き鳴らされ、酒盃は飲み乾されるのが
それぞれにふさわしいこと
酒で満たされた杯があるべき時にあるならば
その価値はこの世のどの王国にも勝る!

生は不可解だ、そして死も!

天空は永遠に蒼く
悠久の大地は春来たれば花咲く
だが人よ、お前達はどれだけ生き永らえるというのだ
儚い戯れに過ぎぬ浮世の楽しみさえ
百年と許されぬではないか!

あれを見ろ! 月明かりの墓の上に蹲る
亡霊のような獣の姿を
あれは猿だ! 聴け、生の甘美な芳香を
鋭く引き裂くその叫声を!
さあ盃を取れ、今こそその時だ! 
この黄金の杯を飲み乾すのだ!

生は不可解だ、そして死も!

              ~李太白による~

Schon winkt der Wein im gold'nen Pokale,
doch trinkt noch nicht,erst sing' ich euch ein Lied!
Das Lied vom Kummer soll auflachend in die Seele euch klingen.
Wenn der Kummer naht,liegen wüst die Gärten der Seele,
welkt hin und stirbt die Freude,der Gesang.

Dunkel ist das Leben,ist der Tod.

Herr dieses Hauses! Dein Keller birgt die Fülle des goldenen Weins!
Hier,diese Laute nenn' ich mein!
Die Laute schlagen und die Gläser leeren,
Das sind die Dinge,die zusammen passen.
Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit
Ist mehr wert,als alle Reiche dieser Erde!

Dunkel ist das Leben,ist der Tod!

Das Firmament blaut ewig,und die Erde
wird lange fest steh'n und aufblüh'n im Lenz.
Du aber,Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen,
an all dem morschen Tande dieser Erde!

Seht dort hinab! Im Mondschein auf den Gräbern
hockt eine wild-gespentische Gestalt!
Ein Aff ist's! Hört ihr,wie sein Heulen
hinausgellt in den süßen Duft des Lebens!
Jetzt nehmt den Wein! Jetzt ist es Zeit,Genossen!
Leert eure gold'nen Becher zu Grund!

Dunkel ist das Leben,ist der Tod!


※第三連で後半3行を省略し、A+A+B+Aの形にするなど、マーラーによる改変がかなりあります。省略された部分は下記の通り。
[Nur ein Besitztum ist dir ganz gewiss:
Das ist das Grab,das grinsende,am Erde.
Dunkel ist das Leben,ist der Tod.]


II.

さて、Erdeが「大地」ではなく、「地上」「浮世」と訳しうるということで私が 関連して思いついたのは、これまた甲斐さんにコメントさせていただいたとおり、 Wunderhornliederにおけるirdische/himmelische の対立である。よく知られていることだが、 これはいずれも原詩の題名ではなく、したがってこの対立はマーラー自身が持ち込んだものである。 第4交響曲の終曲に位置づけられたDas himmelische Lebenの原題はDer Himmel hängt voll Geigenであり、 これはこれで、第2楽章の死神ハインのフィデルを否でも連想してしまうという点で、 その詩の内容を考えたときに意味深長だが、 ここではVerspätungという原題を持つDas irdische Lebenが第10交響曲の煉獄の楽章に 関係していることの方が、晩年のマーラーを考えるに際して一層示唆的だろう。 要するに、ErdeはHimmelの対立項であり、寧ろ「世の成り行き」Weltlaufがそこで容赦なく経過する 場所、第4交響曲に即して言えばdas Irdishce meiden / weltlich'Getünmmelなのである。

だがこの点についての最も大胆な指摘は、長木さんが「全作品解説事典」の「大地の歌」の項で書かれている 内容ではなかろうか。長木さんは上述のHimmelとの対立を指摘された上で、 「大地の歌」というのが誤訳ですらありえ、「この世の歌」「俗世の歌」とした方が良かったのではと書かれている。 村井さんもまた、新しいマーラー伝の作品論の「大地の歌」の項の末尾で「大地の歌」はDas Lied von Himmelである 第4交響曲に対して、「地上の歌」「浮き世の歌」であるとしている。
私もこの見方には大筋においては賛成である。そして、こうした見方を傍証する事実として、例えばジルバーマンの「マーラー事典」の 「大地の歌」の項でも触れられているように、マーラーはもともと全体の題名を、第1楽章の標題に基づいて Das Lied von Jammer der Erdeにしようと考えていたことがあげられるだろう。

しかし、だからといってそれだけをもって全曲の構想をはかることは些か性急に過ぎるだろう。まずもって第1楽章と第6楽章の間の 距離を測る必要があるだろうし、甲斐さんも適切に指摘されているように、第1楽章の歌詞中ですら3箇所Erdeという語が 出現していて、 alle Reiche dieser Erde / die Erde wird lange fest stehen und aufblühn im Lenz /dem morschen Tande dieser Erde という具合なのである。2つ目は寧ろ第6楽章の末尾のDie liebe Erdeと響きあうものがある。 甲斐さんは「この世」「大地」「浮世」と訳しわけられているが、曲名の「地上」と併せて 4種類の訳語を使い分けられたこの選択の説得力には多くの方が同意されるのではなかろうか。

「大地の歌」は非常に有名な曲なので、国内盤のCDにつけられたものなどを含めれば、 その歌詞の翻訳は実に様々なものがあるだろう。残念ながらその全てを調べることは 今の私にはできない(寧ろこれはCDを蒐集して居られる方の方が適任かも知れない)が、 例えば、恐らく「スタンダード」の一つとして考えることができる深田甫訳のあるバージョン (というのも深田訳には複数のバージョンがあるようなので、ここでは私の手元にある 長木「全作品解説事典」所収のもの)を参考までに調べてみると、やはり、第1楽章の曲名は 「地上」、最初は「大地」(これは多少意外だが、実に巧みに「大地」という訳語を使われている。)、 2番目は「大地」、3番目は「地上」といった具合で、「地上」と「大地」を使い分けて おられるのが確認できる。これだけの例から一般化するのは避けるべきだろうが、少なくとも「地上」「大地」を 区別することが文脈上自然なことは異論の余地はないだろう。

ところで甲斐さんの用いられた「浮世」というのは、まさにDas irdische Lebenにぴったり 来るが、更には、第1楽章のルフランである Leben / Tod の対立(もっとも、 歌詞は、dunkelなのはどっちも同じだと言っているのだが)とも響きあうところがあるだろう。 つまるところ、Erde / Himmel は、Leben / Todと並行しているという見方がまずは成り立ちそうに 見えるのである。

III.

その一方で第6楽章のDie liebe Erdeの部分の歌詞はマーラーが書いたもので、 しかも若き日に書いた文章に由来していることもまた併せて考える必要があるのではなかろうか。 これも良く知られているように「大地の歌」の第6楽章の歌詞には、若き日のマーラーの友人への手紙や 詩作に出てくる言い回しと非常に似通っている部分があり、ここでマーラーははっきり自分の青年期に 回帰していると言い得るのである。
一般に言って、マーラーが晩年(といっても50歳くらいなのだが)になって、 壮年期の「世の成り行き」との葛藤から一歩身をひいて、「大地の歌」と第9交響曲で 個体としての限界と率直に向き合ったときの姿勢には「この世に忘れられる」ことの 安らぎと、あるいはもしかしたら「嘆きの歌」で描かれた眠り、 「さすらう若者の歌」の若者が終曲で旅立つことで手に入れる眠りのあの、 不思議な甘美さと通じたものがあるように思われる。

「大地の歌」と第9交響曲においては、カトリックとゲーテに依拠した第8交響曲とは 異なって、憧れが既成の宗教的なものとはっきりと切り離されているが、そこでErdeは、 一方では苦悩に充ち悲惨なものでありながら、同時に憧憬の対象ともなっているのである。
こういう言い方をすると、「それは読み違いであって、(多くの翻訳が示すとおり)もともと2種類のErdeがあるのだ、 それを混同するからそのような混乱した見方になるのだ」という批判が出てくるかも知れない。
だが本当にそれは別々のものなのか。私には、それが実は同一のものなのだという認識こそ、 マーラーの晩年を特徴付けるものではないかというように感じられてならないのである。 勿論、第1楽章のルフランで Leben / Tod が同じものと捉えられるのも、それと並行していると 考えるのである。
そういう意味では、「大地の歌」という訳が誤解を招くものであることには同意できるが、 だからといって、長木=村井説のように、Himmelの対立項としての「地上性」「浮き世」という側面のみを 強調するのも、行き過ぎであると思う。(もっとも両者の書き方には、従来説に対する差別化の意図があって、 強調はレトリカルなものであるととるべきなのかも知れないが。)あくまで、私は、―かつての第4交響曲でも 本来コントラストをなすべき第2楽章と第4楽章が不思議な仕方で通底していて、第1楽章の「夢のオカリナ」 の少し先には第5交響曲の冒頭への通路が口を開けていたように―「大地の歌」においても、 かつては対立と捉えていたものが、もはや単純な対立とは捉えられなくなったという点、かつてはDurchburchの 契機によって目指されていたものの仮象性への認識を重視したいのである。
またあるいは、これがマーラー晩年固有の認識であるという主張には異論があり、 寧ろその点ではマーラーは一貫していたのだ、という意見もあるかも知れない。 確かにそうした主張にも首肯できる部分があるのだが、実際にはもう少し個別には入りくんでいて、場合によっては 矛盾さえ見出せる様相を呈している、というのが実態ではないかと思われてならない。作品の様式の変遷、 マーラーその人の認識の変遷もあるし、個別のある時点の断面での認識を切り出したところで、その内部では 隅々まで一貫しているとは限らない、ことマーラーの場合については、そうではない、というのが私の素朴な印象である。

そうした両義性、単純な対立でも、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方ということについて、 音楽そのものの様態から何か手がかりを得ようと思えば、例えば、大地の歌のコーダのあの有名な付加6の和音の 機能を考えてみればよい。(なお村井さんは、何故か「増6度和音」と呼んでいる。私は和声学について正規の教育を 受けたわけではないが、ドッペルドミナンテの第5音(ラ)を半音下げた下方変位の和音のうち、第2転回形を増6の和音と 呼ぶのは聞いたことがあるのだが、付加6を「増6度和音」と呼ぶようなことがあるのだろうか。ご存知の方のご教示を仰ぎたい。) 一般に付加6はIよりもIVにその機能が近いといわれているが、そうした機能を考えると、実は歌曲を眺めたとき、全く同じ和音 (ここでは付加6)ではなくても、似たような終わり方をする曲は他にもある。 私が思い浮かべるのは2つあって、そのうちの1つはWunderhornliederのDer Schildwache Nachtliedで、 アドルノも指摘しているが、ここでは変ロ長調の属7和音の変形(CをDに置換する)によって、音楽は開かれたまま終わる。 勿論、結局はそれぞれの場面での終結の意味が問題なのだが、それでも一体どのような種類の 歌詞につけられた曲であるかを考えることは、恐らくヒントになるだろう。男女の対話を歌詞に持つこの曲は、最終節に 至って真夜中の闇の中に消えてゆくのである。マーラーはここでも歌詞に手を入れていて、Feldwachtという単語を 引き伸ばして歌わせて終わる。MitternachtといえばRückert LiederのUm Mitternachtが思い浮かぶが、それよりも、 ここではまずもって歩哨兵を意味するFeldwachtという単語から、真夜中に目覚めているもの、というこれまたマーラーでは お馴染みの、しかも恐らく非常に重要なイメージを連想することができるように思われることの方が私には興味深い。 無論、それはあのRevelgeにも通じるし、翻って「大地の歌」の終結部とも通じるものがあると感じられる。
だが、実はRückert LiederのIch atmet'einen linden Duftの方がもっと直接的だ。ここでは終結としてまさに付加6の 和音が用いられているし、チェレスタも響けば、「さすらう若者の歌」の終曲の眠りを包み込む菩提樹の香りLindenduftまで 隠されているのだから。この曲については後ほど、チェレスタの使用に関連して、Rückert Liederの他の曲も含めてもう一度 取り上げてみたい。Der Schildwache NachtliedでUm Mitternachtに言及したが、Ich atmet'einen linden Duftの 方は、Ich bin der Welt abhanden gekommenに触れずに済ますわけには行くまい。

もっとも、青土社「音楽の手帖」所収の深田論文のように「大地の歌」第6楽章のコーダの付加6の和音を「調性からの別れ」とするのは、 幾らなんでも飛躍が過ぎるように感じられて、私には受け入れられない。恐らくは ベルクやツェムリンスキーへの影響などもお考えの上での主張なのだろうし、 その後の第9交響曲、第10交響曲の歩みを考えた場合、汎調性から無調への流れのうちに このコーダを位置づけることはできるだろうが、この地点に調性との「告別」を認めることには 私は同意できない。ことは比喩や連想で済む話ではなく、マーラーにもドイツ文学にも造詣の深く、この文章でも 参照させていただいた素晴らしい翻訳をされている先生の発言だけに、首を捻ってしまう。所詮は素人の私が 見落としている何かがあるのかも知れない、否、そう考える方が「自然」かも知れないのだが、、、この点については、 「ブルックナー・マーラー事典」の「大地の歌」の項で渡辺裕さんが述べられている見解の方が納得できる。(ただし、 同意できるのはそれまでであって、マーラー個人の「晩年」の状況より、時代の精神風土との結びつきを重視する 姿勢には同意できない。どんなに控えめに考えても、後者が前者を否定することはないだろうし、これまた 戦略的にそうしている面はあるだろうが、後者に力点をおくことは、ことマーラーの場合に限っては、最終的に適切でない、 というのが少なくとも現時点での私の考えである。)
ただし、マーラーがシューベルトの後継者であることを告げるあのmoll-Durの 自由な交代、遂には第6交響曲において最も端的なモットーとして結晶した あの移行についてのある種の止揚であると取れないこともないだろう。 勿論、ここで起きているのは、第3音の下降による同主調間の移行そのものではない。 だが、例えばヴィニャルも指摘している通り、付加6によって、並行調であるイ短調・ハ長調が宙吊りになることは 確かだろう。ここで「大地の歌」の第1楽章が、マーラーにとっての悲劇の調性であるイ短調で開始すること、 第5楽章がその同主調であるイ長調で終わり、第6楽章がハ短調で開始され、ハ長調、ただし付加6で終わるという、 調性配置を思い起こしてもいいだろう。少なくともこうした点を素通りして議論を進めるのは、それが音楽であることを 置き去りにする危険を孕んでいるように思える。

IV.

それは「大地の歌」を、「東洋的」と見るかどうかという、一見したところ皮相な問いにも繫がっていくに違いない。 「大地の歌」の原詩の問題はかなり研究されていて、元の漢詩からベトゲの詩が成立するまでの過程についても、 色々なところで情報を得ることができるようになっている。そうした研究成果も踏まえた上で、一般にはベトゲの Nachdichtungはオリジナルの漢詩とは別のものである、と考えられていて、それはせいぜい単なる「東洋趣味」、 時代の趣味の装飾的な部分に過ぎないとされてしまうようだが、例えばそうした西欧側の事情よりはオリジナルの 漢詩の世界をずっとよく知っておられる吉川幸次郎さんのような中国文学者が、そこに中国的なものが 読み取れないこともないとコメントされているのは、果たしてリップサービスに過ぎないと割り切れるものなのか。
もっとも、私は何が西洋的で、何が東洋的であるという議論がしたいのではないし、 私にはそうする能力も資格もない。また、マーラーはやはり東洋思想を理解していた、あるいは東洋的な諦観に 至ったのだ、などと言いたいわけでもない。(「東洋的な諦観と」は、具体的に何を指しているのかも私にはわからないし。) そうではなく、私が注目したいのは、マーラーに確かにあったと思われる Erde / Himmel の対立、あるいは Leben / Tod の対立、 そしてこれら2つの対立の対応関係の帰趨の方なのである。

こうして考えたとき、Adornoの有名なマーラー論での「Erde=地球説」とでも言うべき 主張もまた興味深い。一見したところ、これは突飛な見方のようでいて、思いのほか説得力があるからでもあるが、 その一方で、その斬新さにも関わらず、結局のところこれもまた際立って「西洋的」な見方のように感じられてならないからでもある。 つまり、何とはなしに、Todへの移行=昇天=地球を見下ろす、といったような連想があるように感じられてならないのだ。 長木=村井説の言う「垂直」方向の動き、いわば「超越」の運動である。
勿論、アドルノには新ドイツ楽派からナチスへと流れていく(あるいは、とりわけ後期のハイデガーを思い浮かべても良いが)、 まさに「大地」「土地」としてのErde、より端的に「血」(=民族)と対を形成することになる「土」(=祖国)といった捉え方、 あるいはマーラーにも出現する―ただし、これまた両義的な仕方ではあるが―「故郷」Heimatに対するある種の 姿勢、ハイデッガーのヘルダーリン読解に見られるような立場(これにはアドルノはパラタクシスをもって対抗するわけである)に 対する批判があって、それらを是非とも相対化してしまいたかったに違いないし、 マーラーを生産的に受容するという観点からは傾聴すべき主張だと思うのだが、やはりマーラーの 作品そのものの持っている内容からすると、やや性急に思えてならない。
そればかりでなく、既述の連想がそれなりの妥当性を持つものとすれば、それはいかにも「西洋的」な発想だと思う。 「故郷」Heimatを持たないという思いは、同じ同化ユダヤ人であったアドルノとマーラーに共通する のだろうが、マーラーがベトゲの取りようによっては些か胡散臭さすら感じられる詩を通して 読み取ったものは、アドルノの説(白状すると、私は初めて読んだときには、思わず苦笑してしまった。 珍説とすら感じられたのである)に比べて、ずっとずっと、「東洋人」のはしくれである自分に身近に 響くように思われたのである。まあ、私の受け止め方は単なる思い込みに過ぎないと言われれば それまでなのだが、私は幼少の、丁度マーラーを聴き始めたのと同じ時期に漢籍に興味をもって、 漢詩はかなり熱心に読んでいて、「大地の歌」も第1楽章こそ、これまた随分大げさな、とは思ったものの 李白や王維、孟浩然の世界と異質だとはやはり思わなかった。(寧ろ中国と日本の違いは感じたけれど。) 青土社の「音楽の手帖 マーラー」所収の柴田南雄さんのレコード評に、上記の吉川幸次郎さんの訃報に触れつつも、 東洋的無常観を表現した「大地の歌」を聴いてみたいと書かれていた文章があったが、(生意気にも) その頃の私もそれには全く同感で、その頃レコードで持っていたメリマン、ヘフリガー、ヨッフム、コンセルトへボウ管弦楽団の 演奏ですら、もっと淡々、坦々として諦観が前面に出た演奏にならないものか、と感じていたくらいなのである。

これは余談だが、私は今なおいわゆる「阿鼻叫喚」系の演奏は、この「大地の歌」に関しては抵抗がある。 例えばバーンスタインの演奏は、こと「大地の歌」についてはマーラーの晩年の様式 みたいなものを「吹き飛ばして」しまっていないか、という疑念から私は逃れられないでいる。 バーンスタインは、この曲に込められた内容に関しては、最後の部分でマーラーに同意していないのでは なかろうか。そして他の演奏家ならそれでもいいのだが、バーンスタインのようなタイプの演奏家に 限っては、そうした齟齬が致命的なものになるのでは、という気がしている。

もっとも、私は現時点では「究極の演奏」に巡りあうべく色々な演奏を聴き比べることには 関心が持てなくなっているので、だからどの演奏がいい、というのはない。結局は「究極の演奏」も また私の主観的な嗜好の監獄から自由ではありえない。バーンスタインについて如何にも否定的に書いたが、 だからといってバーンスタインの演奏が「間違いだ」というのではないし、「悪い」というのでもない。 単に、私が「大地の歌」の音楽から受け取れると思っているものが、バーンスタインの演奏からは 聴き取れないというだけの話である。
更に言えば、ここで書きとめている「大地の歌」に対する見方も、これが「正解」である、 と考えているわけではない。これは「客観性」「真理」を追求することを要求される学問的な 性質のものではない。音楽の受容に関しては、そうした客観性と、自分の経験の質に忠実であろうと する志向が両立しうるかどうか、私には自明とは思えないのである。そしてとりあえず、どちらを とるかと言われれば、私は後者なのだ、ということなのだと思う。

V.

一方で、「大地の歌」と第9交響曲をあまりに性急に一まとめのものとして扱うことも 問題を起こすことになるかも知れない。密接な関係はあるものの、第9交響曲は「大地の歌」の 「後」に続く作品で、すべての面で大地の歌の帰結を出発点にしているものの、「大地の歌」の 反復でも、同じことの(今度は純器楽による)言い直しでもないだろう。

こうしてみたときに気になるのが、マーラーについてしばしば言われる象徴的な楽器法の 「大地の歌」への適用である。例えば、タムタム / マンドリン / チェレスタ という楽器に限定してみよう。
タムタムは、勿論常にではないが、しばしば Leben から Tod への移行とか、端的にTodを象徴する場面で使われる。 第2交響曲の第3楽章の「この世の営み」の無窮動が止んで、原光へと移行するattacaや、 第9交響曲第1楽章のHöcheste Kraft「最高の力をもって」の部分に続く、あのWie ein schwerer Konductの葬送行進曲を 思い浮かべてもいいだろう。そして「大地の歌」では、第6楽章、特にその中でも葬送行進曲風の中間の間奏曲部分が それにあたるだろう。(ちなみに、この部分について、HAYESさんがMAHLERIANA中の文章で WunderhornliederのNicht wirdersehenのルフランとの類似を指摘されているが、これは、これまたHAYESさんの 述べられている通り、ルフランの歌詞(Ade, mein herzallerliebster Schatz!)を考え合わせるに非常に興味深い指摘である。)

チェレスタについては第6交響曲と第8交響曲におけるその機能を考えてみればよい。 楽器の名前の通り、Himmelを象徴すると見做されることが多い。 わけても、第6交響曲の第4楽章において、3回目のハンマー打ちが削除され、チェレスタの上行音型に置き換わった ことはよく引き合いに出される。第1楽章のSchwungvollの第2主題でも響いているが、それ以上にアドルノのいう Suspensionの最も典型的な例である、第1楽章の展開部後半の、あのカウベルが鳴るブロック、あるいはアンダンテ楽章の やはりカウベルの響くエピソードのブロックでチェレスタが用いられることを見逃すことはできないだろう。 第8交響曲では、第2部も終わり近くの、あのマリア博士のBlicket auf!という呼びかけから始まる霊感に充ちた素晴らしい歌の後、 これもまたその力を否定し難い「神秘の合唱」に至る直前の、こちらは毀誉褒貶のある間奏曲の部分(練習番号199以降) の用法が重要だろうか。そのチェレスタが、「大地の歌」では第6楽章のDie liebe Erde以降のコーダで響くのである。 従って、これにやはり或る種の象徴を読み取ろうとするのは自然なことではあるだろう。

だが、これだけで終わらせてしまってRückert LiederのIch atmet'einen linden Duftに言及しないのは、マーラーの歌曲を 交響曲同様に重視すると言った手前、言行不一致の謗りを免れないだろう。 しかも、ここでも菩提樹の香りLindenduftが隠れていて、だとすると、ここでもまた若き日の「さすらう若者の歌」の終曲の眠りが 思い起こされる。(だから村井さんが「大地の歌」の終結部に関して特に「さすらう若者の歌」に言及しているのは的確だと思われる。) だが、Ich atmet'einen linden Duftそのものはどうなのか?しかも上で既に述べた通り、ここでは終結の付加6まで一致しているのである。 この作品には、同じRückert Liederに含まれるIch bin der Welt abhanden gekommenに通じるような遁世の安らぎはあって、 そこでなら、Himmelという言葉が、gestorben der Weltという言葉が確かに出てくる。gestorben dem Weltgetünmmelまで 出てきて、Erde / Himmel で行けば、どちらかといえば後者の側に属しているようにさえ見える。だが その一方でそもそもRückert Liederの世界は、Wunderhornliederの世界に比して、丁度同時期の中期交響曲群がそうであるように、 ずっと現実的、地上的な感覚が強いのもまた確かなことと感じられる。
そしてもう一つ、チェレスタが鳴り響く歌曲として忘れてはならないのは、Kindertotenliederの終曲である。ニ短調の嵐の音楽が Allmählich langsamerに至って、第1曲でも響いたグロッケンシュピールの響きとともに静まっていき、 ついにニ長調に転じたLangsam. Wie ein Wiegenliedの部分、曲尾において、ここではニ長調の主和音で閉じられるに至るまで、 ずっとチェレスタが響いている。その子守歌の歌詞に従うならば、ここでのチェレスタの機能は、第6交響曲におけるのと同様、 あるいはそれ以上に明確にHimmelを象徴するものと考えてよいのだろう。
だが、私の主観的な見方かも知れないが、この曲の 悲しみは、実にこの子守歌で頂点に達するのだ。この子守歌には、喪失の受容と諦観が伴っている。意識は天国にはない。 意識は地上にあって、いなくなってしまった子供が神様に守られている天国のことを思うのだ。安らぎはここにはない。 喪ったものはもう、元には戻らないから。だからチェレスタがHimmelを象徴しているといっても、そこでの意識のありようを個別に 見れば決して単純なものではないのだ。

結局のところ、チェレスタの響きには一定の情調が結びついていることは確かなのだが、 Erde / Himmel の対立にあまり図式的に適用するのは無理が生じるのではなかろうか。としてみれば、「大地の歌」の コーダでチェレスタが鳴ったといっても、それはやはり「地上」でのことで、Ich bin der Welt abhanden gekommenで既にそうであるように、 gestorben dem Weltgetünmmelとは言い、Himmelといっても、それはあくまで比喩であって、単純にいわゆるTodやHimmelといった 超越的なもの「自体」とは異なったものとして捉えられている、ここでの文脈に即して言えば、ErdeがWeltgetünmmelの場でもあり、一方でHimmel でもあるということかも知れないのである。

更には、大地の歌のコーダではチェレスタと同時にマンドリンが響いていることを無視することはできない。
第7交響曲の第4楽章、第2のNachtmusikを先駆とし、またもや第8交響曲第2部でもグレートヒェンであった Una poenitentiumが過去を振り返って聖母に取り縋りながら語る部分、ついでSelige Knabenがやはり 自分たちの過去とファウストの過去を対比させて語る部分―つまり過去のものとなった地上に対して眼差しが 向けられる部分―で用いられているが、「大地の歌」では第4楽章でははっきりと地上の(ただしそれは、 まるで回想の裡にあるように儚げではあるが)風景の中で鳴っていたマンドリンの響きは、ここでは寧ろ琵琶のようですらある。 第7交響曲や第8交響曲ではそうではなくても、「大地の歌」ではマンドリンは「東洋趣味」の現われであると 一般には解されるのかも知れないが、琵琶のようであるとはいっても、私がそこに東洋を聴いているわけではなく、 その音色は第6交響曲のカウベルとは異なって、寧ろチェレスタとは調和しない要素が残っていることを感じさせると いうことが言いたいのである。例えば第6交響曲では、Mediatorの指定のあるハープの弾奏や、低音の 調律されていない鐘の響きが表しているものに通じているように感じられる。(そしてそこでもやはりチェレスタは鳴っている のである、たとえそれが切れ切れで、まるで、遥かに遠ざかった場所から辛うじて風のまにまに響いてくるようであっても。)

そして第9交響曲では、チェレスタもマンドリンもないかわりに、葬送の鐘がタムタムとともに残るのである。 第4楽章において、Stets sehr gehaltenの指示以降、はっきりと大地の歌の終楽章が参照されるが、 それはその音楽の中では、客観的な要素、もはや表情を喪って宙を漂うしかない要素、シェーンベルクの 言う「非人称性」を思わせる要素に結び付けられる。こうしてみると、「大地の歌」終結のマンドリンの 響きを「非人称的」と形容したケネディの発言は、意味深長に思える。

こうした特徴の列挙はまだまだ続けることができるだろうし、重要なものを見落としているかも知れないが、 いずれにせよ、その特徴について何か解釈を自信をもって下すことは、私にはまだできそうにない。 だが、それでもこれまで聴いてきて、比較的揺らぎのない印象が心のなかに刻印されていることも確かなので、 ここでは論証抜きにその印象を書いておきたい。

私見では、大地の歌の終曲はersterbendの指示にも関わらず決して主観の消滅の描写ではないし、 同様に、第9交響曲の第4楽章も、「昇天」の音楽化ではないのは勿論、(この点では村井説とも異なって)超越を拒絶した死の描写であるとも思わない。 そういう見方は、結局、マーラーの晩年の音楽を、そうした音楽を書くに至った彼の心境を軽んじる一方で、結局「昇天」の音楽化という見方と同様、 「死が私に語るもの」の標題よろしく世紀末的な「死のイメージ」の描写というレベルに還元してしまいはしないだろうか。
別にマーラーその人の心境や認識、人生観(何なら世界観でも宇宙観でも、、、)が前代未聞の稀有なものであると言いたいわけではない。 むしろその音楽の創作の「動機」―それは素材に過ぎない―そのものは寧ろありふれていて、私の様な凡人にすら体験しうる、従ってあるレベルでは 共感できるようなものであっても、その心の傷の深さがその音楽に刻印されるときの様態の方は全く例外的で「天才的」という他なく、そうしたモメントを無視すること、 そして描写されているというよりは、音楽そのものがもたらす心的なプロセス(意識的、無意識的なものをひっくるめて)のユニークさとその圧倒的な力を、 それ以外の何かに還元してしまうような見解には抵抗を感じるということである。
子供の死の歌の回想は「ここではない場所」、あるいは「どこでもない場所」を示しはするが、いずれにせよ、最後まで主観は覚醒しているように聴こえる。 マーラーの音楽そのものが、それ自体或る種の非可逆な過程であり、だからこそその音楽を聴くことは、聴き手にとってそれを聴く前とは異なった 何かを発見させることがあるのだと私には感じられる。
シェーンベルクが言ったように、第9交響曲における主体は「メガホン」に過ぎないかも知れない。 だが第9交響曲が「限界」であって、その先にはTodが立ちはだかっているというのは、それもまたやはり「神話」に過ぎないのではないか。 (プラハ講演の時点で、シェーンベルクが第10交響曲に関して何を知っていたかを考慮する必要があるだろうし、後年 彼が、他の多くの作曲家同様に第10交響曲の補筆を断った理由は、例えばショスタコーヴィチがはっきりとそう言っているように、 寧ろ技術的な問題―ただしそこには作品を作ることに対する心構えのようなものも含まれる―が第一義的なものであったのではないかと思う。)
未完に終わった第10交響曲もまた、それの手前、第9交響曲との間に溝があるという見解同様、アダージョとそれに 続く部分の間に超えがたい溝があるという主張には同意し難いものがある。勿論第10交響曲がいかなる意味でも 完成した状態にないことは認めた上で、それでも私は、クックによって明らかにされた全5楽章の構想全体を重視したいのである。 演奏用の補筆とは言いながら第10交響曲のフィナーレを聴けば、おしなべて晩年のマーラーの音楽が どのような「場所」で鳴っているのかについてに関して、誤解することはないように思われる。

まだそれを説得力のある仕方で論証することはできないとはいえ、このような印象を持つ私にとっては、第10交響曲の演奏版の 作者であるクックが当初はBBCでの放送のためにマーラーに関して書いた小冊子で「大地の歌」について記した内容は、 強い説得力を持っている。クックは「大地の歌」の内容が若き日のマーラーの文章や詩と共通している部分があることを指摘した上で、 それを単なる回帰と見做さず、晩年の認識の違いをはっきりと述べているのである。 それを私なりに敷衍するならばその違いはまさに、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する「疎外の意識」の存在にあるのだと思う。 「さすらう若者の歌」で、あるいはリュッケルト歌曲集で、孤独と引き換えにWeltlaufから逃れる先であったそれ―それを「自然」と呼ぶことは容易いが、 それでなくても発散しがちな議論がこれ以上発散しないようにするためにも、ここでは「自然」について主題的に論じることはしない ―に対して、実はそれはHimmelなどではなく、結局同じErdeなのであるという認識がまずあって、更にその上で、「大地」の永遠性、 その絶えざる回帰・循環の一部でありながら、有限な個体は、その永遠性には与れないのだという認識があるのだと思う。
簡単な事、ある意味では最初からわかりきったことなのだ。「別れ」は永遠性に対するそれであり、それは自分の有限性に由来するに 違いない。そして勿論そうした認識をもたらす契機として、やはり娘の死、(後世の眼では誤診だったとしても主観的には大きなダメージとなった)自分の病の 宣告といった、個体の有限性に向き合うマーラー自身の個別的な経験があることは否定し難いと思う。 私は同じ時期にヴァルターに宛てて書いた書簡に現れたマーラーその人の気持ちを、当時流行の「死のイメージ」の描写などに すり替えたくないのである。私は「大地の歌」に、思い込みだろうが何だろうが、やはりそうしたマーラーの声を 聴き取ることができると感じているし、その重みだけは否定したくないのである。

それゆえ例えば、ここで最終的な判断をすることは到底できないものの、大谷さんが病跡学雑誌に掲載された論文で述べられている、 マーラーの晩年の音楽が、死の受容のプロセスの反映であるという説には説得力を感じる。 大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)によれば、「大地の歌」の曲の配列が、絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程(平山1988「悲嘆の構造とその病理」現代のエスプリ248 pp.39-51)に類似しているという。すなわち、受容の過程は以下の様な経過を辿る。

1.現実の否認
2.喪失に心から気付き、不安でしようがない。生きていく自信や意欲が持てない、悲しみが膨らみ感情の起伏が激しくなって、特に怒りが表面に出る。
3.引きこもり。亡き者にできるだけのことをしたのだろうか?
4.癒し。これからの新しい役割の意識
5.生き直す vita nova? 孤独感の深まり。

これに対して、「大地の歌」の楽章排列を対応づければ以下のようになる。

第1楽章.最も絶望的で苦悩に満ちている
第2楽章.寂寥、悲哀
第3,4楽章.過去の美への耽美的傾向
第5楽章.現実逃避
第6楽章.彼岸への指向、宿命への穏やかな肯定

この内容と順序こそが重要であって、ここを無視すればこの大谷さんの指摘を取り上げる意味合いはなくなるのだが、 その点で「大地の歌」と比較する意味でKindertotenliederを思い浮かべるのは興味深い。というのも ここで詳論はできないが、Kindertotenliederの排列順序については若干の異なりがあるように見受けられるからである。
(もしかしたら、Kindertotenliederが必ずしも実体験に基づいたものはなかったことを思い浮かべるべきなのかも知れない。もっとも、Kindertotenliederの 連作歌曲集としての一貫性の高さ、聴いてえられるカタルシスの深さもまた格別のものがあり、こちらについては病跡学的にどのような説明が可能なのか 伺ってみたいところではある。)
ここで重要なのは、その音楽が「死」そのものの「描写」であるのではなくて、その「受容」の過程の、凡人には為しえない天才的な仕方での昇華で あるということで、それゆえに聴き手もまた、音楽を聴くことでそのプロセスを自分なりに反復することができる可能性があるのだ。 (大谷さんも述べているように、「受容」そのものについてマーラーの能力が際立っていたということではなくて、偉大なのはその過程の作品化の方なのだが、 そこにある経験の深み、作品と経験との他には見られないほどに密接な関係がマーラーの特徴なのだと思う。)
とりわけ「大地の歌」について言えば、その構成が死の受容過程に類似しているという指摘は大変に興味深いもので、この「大地の歌」を 含めた様々な優れた芸術作品が持っている「力」、多くの人が感じ取ることができる力の正体を考える上で示唆的だと思うし、病跡学とはいっても、 いわゆるマーラーその人の気質類型論の類にはあまり関心はないとはいえ、この説については、私の自分の経験に照らして、深い共感を覚える。 例えば、バルビローリの「大地の歌」の演奏記録を聴き、その印象について書いた際、そうした経験を反芻しつつ文章を綴ったのを私ははっきりと覚えている。 (だから、この説に一見賛成しつつ、各楽章の性格付けと不可分のものである筈のその具体的なプロセスについて異議を唱えるような主張は、 私見によれば全く見当外れであって、すでにそれは一般的な「標題」や「プログラム」の議論にこの説を縮退させて論じているに過ぎず、であれば寧ろ、 この説にそのもの対して異議を唱えるのでなければ一貫しないだろうと思われる。少なくとも大谷説の要諦は経験の具体的な側面であり、その 説得力の源泉も、具体的な音楽の構成と心的なプロセスの同型性にある筈なのだ。)
さらにまたこの大谷さんの見方は、マイケル・ケネディの「マーラーは死ではなく、生に対する熱烈な憧れを表現」したのだという意見、その作品が聴き手の 「新陳代謝の一部になる」という表現と強く響きあうものがあるように思われる。 そして何より、私がマーラーに関して強く感じていること、マーラーの音楽が有限の主体の、儚い意識の擁護であること、取るに足らないものであっても、 それが還元不可能なものであり、様々な価値の源泉であるという感じ方とも一致しているように思われるのである。私にはヴェーベルンが気質の違いを 超えてマーラーに見出したかけがえのないものとは、こうした認識ではなかったかと思えてならないのだ。

VI.

そもそも、とりわけてもマーラーの場合、それが歌付であるからといって、主観的な感情や世界観の直接的な表明で あるということはできない。よく比較されるように、マーラーは友人であったヴォルフとは異なって詩に曲をつけるといった姿勢は 決して持たなかったが、マイヤーの「簒奪者」という定義を認めたうえでなお、常に単純素朴に自分の感情や認識を託しうる 詩に曲をつけたわけではないと思う。無論、最低限の共感なくしてはその詩が選択されることはないだろうが、詩と音楽との 間の関係は決して常に一様で直接的なわけではないのではなかろうか。それが明らかなのは、Wunderhornliederにおける イロニーに彩られた民謡調であろう。そこでの歌詞と作曲者との距離感は覆い難い。マーラーの旋律はしばしばキッチュの 嫌疑をかけられるほどに素朴で感傷的な装いを持っているが、その使われ方の方は些かも素朴ではない。 少なからぬ人が指摘しているように、マーラーの音楽にはどこかに醒めて客観的な部分があって、それはこの「大地の歌」ですら 例外ではないように私には思えるのである。(そしてその距離感が、ここでは有限性ゆえの「疎外」の意識に由来すると 考えているのは既述の通りである。)
その意味では、「Erde=地球説」をまるまる受け入れることは困難でも、若き日のマーラーにとっての ドイツ民謡の位置に、晩年は中国が来たのだ、それらはPeudomorphoseなのだ、というアドルノの主張には頷けるものがある。 この点についてはどっちみち外部の人間に過ぎない私には最終的に「わかる」ことはありえないだろうが、 紛い物であるとして蔑まれるベトゲの詩に比べて、アルニム=ブレンターノの民謡が「真正」であるということは ないのだろう。「大地の歌」を時流に応じた異国趣味と捉えるのは、全くの間違いではなくても、マーラーの場合の 特殊な事情を見損なっているように思われてならない。故郷がない人間の異国趣味とは一体何か、 その文化に帰属しきれない外部の人間にとって民謡とは何か、ということを考えずして、控えめに言っても 素材に過ぎない当時の文化を引き合いに出して作品を説明するだけでは、マーラーという場合の特異性を 探り当てることはできないのではなかろうか。既に上でも触れたが、それゆえ「ブルックナー・マーラー事典」における 渡辺説が、非常に綿密で恐らくは正確な文化史的な調査と理解に基づくものであったとしても、そしてまたマーラーの 音楽の未来を志向した部分を重視することには全く賛成なのだが、にも関わらず、だからといって、マーラーという「個別の場合」を 当時の精神風土に還元することには同意できない。そもそも、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンたちとマーラーとの影響関係はそれ自体、 まさに文化史・音楽史的な研究の対象には違いないだろうが、彼らがマーラーに見出したものが、狭義での技法的な次元のみに 留まるのか(それは例えばシェーンベルクのプラハ講演を裏切っていないか)、時代の流行に沿った世紀末的な「死」のイメージと やらに留まるのか(こちらはマーラーの「未来」への志向の方を裏切っていないか)、私には疑問である。 例えば書簡に見られるヴェーベルンやベルクの発言、ヴェーベルンの音楽にはっきりと聴き取れるマーラーの「場合」の こだまが、そうしたレベルで説明できるとは私には到底思えないのである。少なくともヴェーベルンが同時代の他の誰かではない マーラーを「選んだ」のは、マーラーの個別性が問題だったからに違いないし、私が追求したいのも、マーラーをどう「還元」するか ではなく、還元できない特異性の方にあるのだ。そうした個別性は学問に適さないというのであれば、寧ろ、 別に学問でなくても結構である。
一方で、「東洋人であるからマーラーの非西洋的な無常観がより 一層理解できる」式の主張もまた、見当外れに思われる。実のところマーラーが非本来的なものを擁護する 戦略としてとった中国の詩への擬態を、そのまま「わかる」ことなど自分にはできない。もっともそれを言えば、ベトゲの 詩でなくても、1000年も前の中国の詩人の原詩に対する「東洋人」のはしくれたる私の「理解」なんぞ、こちらも劣らず 怪しげなものであるに違いない。けれども、だからといってその戦略によってマーラーが擁護したかった、 音楽のかたちで伝えたかったものに、アクセス不能だとも思わない。そうした文化史的な知識の防御なしに、私が幼少時に 虚心に漢詩の世界にのめり込んで感じ取ったもの、マーラーの音楽を虚心に聴いて受け止めたもの、そして そこに確かにあると感じられた接点を否定しようとは思わない。客観的にはそれすら誤解だ、幻想だ、思い込みだ、 として嘲笑われてしまうとしても、である。アドルノの言葉に寄生して言えば、10代前半に聴いたその音の感覚的 実体性―クオリア―を前にすれば、形而上学的思考も、美学も無力だし、そうした個別的な経験によって 刻印される芸術作品の力を無視してしまえば、論じる理由そのものが消滅してしまう。

同様に、或る種の世界観や人生観をもってマーラーの作品を 説明しようとするやり方も、音楽が持っているニュアンスを言語の歪みによって損なってしまいがちであると 感じられる。結局のところ、マーラーは思想家ではなく、音楽家なのだ。 外から概念を押し付けるのではなく、音楽が個別に語るものを聴き取ること、音楽と歌詞とのその都度の 関係を、その距離感を感じ取ることが重要であるように思われる。
マーラーの音楽を俯瞰してみると、その一貫性に驚嘆する一方で、ちょっと見ただけでは矛盾しているように 思われるものが含まれていることに困惑することになる。例えばそれを伝記主義的に、マーラーの生涯における 出来事と、それに対するマーラーの心境の変化に還元して説明をしてしまいたくなるのは無理も無いことだし、 恐らくまるまる間違いということではないのだろう。
ここで取り上げているErdeについてみても、若き日からのモチーフであることを思えば、その一貫性は驚異的であるが、 その一方で、とりわけ晩年のマーラーはErdeについて決して単純な見方をしているわけではないことがここまでの予備的な検討からも容易に 予想される。音楽家であるマーラーは、音楽によって、Erdeとの様々な関わりの様態を色々な角度から しかも実はかなり客観的に吟味しているのではなかろうか。マイケル・ケネディの言うとおり、それは結論や確信ではなくて、 寧ろ実験であり問いかけなのではないか。マーラーの音楽の魅力は、その姿勢の誠実さ、 その追求の徹底性、それを行う際の技術的な処理の独自性に由来するところが大きいように感じている。 そして見かけの素朴さに反してその音楽が主観的な感傷に陥らないのは、一つにはその生まれ育ちに由来する どうしようもない疎外感ゆえの、だが、もう一つには自分自身に対してさえ醒めた視線を投げかけることができる 批判的な知性ゆえの距離感があるせいなのではなかろうか。マーラーの音楽は際立って「意識的な」音楽、 自己意識が成立するために必要な自己参照性を内包した系の音楽なのである。

最初にも書いたように、これは覚書に過ぎず、何か結論めいたことをここで書こうとは思わない。 思いついたままを書き記したが、今後更に音楽を聴き、詩を読み、そして様々な文献にあたることで、 更に追加すべきことが出てくるであろう。いずれにしても、本格的な検討が始められると感じられる瞬間は、 まだ当分の間訪れることはなさそうである。
その中で甲斐さんの翻訳は、私にとってはあまりに広大な問題領域を経巡る際の、最上の道標のように思われる。 今後も恐らく、改めて読むだびに考察のきっかけが得られるような刺激に満ちたものであり続けるように感じている。

(2007.5.31作成, 6.2補筆・修正して公開,6.4補筆、とりあえずの定稿とする。6.25 Kindertotenliederについて補筆, 6.27「死の受容」過程について補筆。7.19修正。9.30修正・加筆。10.6許諾を得て、甲斐さんの翻訳を転載する形態に変更。)

2007年5月20日日曜日

ヴァルターの「マーラー」にあるマーラーの言葉

ヴァルターの「マーラー」にあるマーラーの言葉(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.100, 邦訳『マーラー 人と芸術』, 村田武雄訳, 音楽之友社, 1960, p.181)
» Auf welchem dunklen Untergrunde ruht doch unser Leben«, sagte er einmal erschüttert zu mir, während sein verstörter Blick noch von dem seelischen Krampf zeugte, aus dem er sich gerade gelöst hatte; und er fuhr dann fort, von der tragischen Problematik der menschlichen Existenz stockend zu reden : » Von wo kommen wir? Wohin führt unser Weg? Habe ich wirklich, wie Schopenhauer meint, dies Leben gewollt, bevor ich noch gezeugt war? Warum glaube ich frei zu sein und bin doch in meinen Charakter gezwängt wie in ein Gafängnis? Was ist der Zweck der Mühe und des Leides? Wie verstehe ich die Grausamkeit und Bosheit in der Schöpfung eines gütigen Gottes? Wird der Sinn des Lebens durch den Tod endlich enthüllt werden? «

かれはかつて深い感動をもって、「われわれの人生は、なんと憂鬱で暗い土台をもっているのであろうか」、と語ったが、そのときのかれの苦悩にみちた表情は、かれが激しい精神の動きから、やっと解放されたばかりであったことを示していた。それからためらいがちに、かれは人間生存の問題について言葉をつづけてこう語った。「われわれはどこからやって来て、どこへつれてゆかれるのであろうか。私は、ショペンアウア云ったように、私が生まれる前にこの人生を本当に望んでいたか。なぜ私が自分の性格のなかで、まるで獄屋にいるごとく束縛されているのに、自由だなぞと感じるようにさせられるのであろうか。労苦と受難の目的はなんだろう。慈悲深い神の創造物のなかに、残虐と悪徳の存在することをどう解すべきだろう。人生の意味は、結局死によって解明されるのであろうか。」 

これらの言葉もまた、あちらこちらで引かれている有名なものであろう。あんまり当たり前になっていて、ショーペンハウアーを引用するくだりなどは、 かえってマーラー自身が言ったのかどうかがあやふやになっていたくらいだ。
勿論、こうした問いを発したことは、とりあえず彼があのような音楽を残したこととは別のことだ。要するに、このような問いを発したからといって、 その問いがあのような作品の成立を担保するわけではない。職業的な音楽家として、あえてこのような個人的な問いを、己が作る作品に 明示的には持ち込まないことを旨とする姿勢があって良いし、むしろそちらの方が高潔であるとすらいえるかも知れない。こうした姿勢に関して マーラーの音楽に向けられる批判は、実は的を射ている部分があるのだと思う。
だが逆に、このような問いなしにあのような音楽が可能であったかを考えると、それは不可能であっただろうと思われる。良きにつけ悪しきにつけ、 それがマーラーの音楽なのだ。その「意図」や「内的なプログラム」に関する謎解きが、その作品の理解「そのもの」であるという立場に立たなくても、 ある場合には歌詞として持ち込まれる言葉が、またある場合には、記号的とも、イコン的とも、あるいはジェスチャー(身振り)というように 表現されるようなその音楽自体のあり方が、こうした問いに対する「営み」であることを理解させる。これはヴァルターのようにそうした文化の内側に いる人には自明のことかも知れないが、実際にはそんなに自明のことではない。どうして音楽が、快・不快とか喜怒哀楽以上の何かを表現したり、 聴き手に喚起したりすることが可能なのか。だが、結果的には、それは確かにマーラーの場合には可能になっていると感じられる。
そして、あるタイプの人間がマーラーの音楽にかけがえのないものを見出すのは、他の人にとっては鬱陶しく、或いはいかがわしくさえ感じられる こうした事情に拠る部分が大きいのではなかろうか。少なくとも私は、こうしたマーラーの姿勢とその音楽を切り離して考えることは 難しいし、それがマーラーが自分にとって「問題」であり続けている理由でもあるのだ。つまり、人と音楽との関わり方の様相は基本的には個別的な ものだが、このマーラーの「場合」の特殊性が自分を惹きつけて止まないのだと感じている。
このヴァルターの文章には、マーラーと直接交流のあった、それだけではなく、あのつらい時期に自己の心底を打ち明けることができるほどに マーラーが信頼していた人ならではの意味深い言葉がたくさんある。それについては、「証言」の項でとりあげていきたい。(2007.5.20, 2024.7.10 邦訳を追加。)

2007年5月16日水曜日

リヒャルト・ホルン宛1907年の書簡にある自然科学の法則に関するマーラーの言葉

リヒャルト・ホルン宛1907年の書簡にある自然科学の法則に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書341番, p.369。1979年版のマルトナーによる英語版では348番, p.300, 1996年書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では369番, p.333-4)
Im Anschluß an unsere Diskussion von neulich abend sende ich Ihnen beiliegenden Artikel (Köln. Ztg.) über "Materie, Äther und Elektrizität", den ich eben gelesen. Was denken Sie nun über die Unveränderlichkeit der durch Naturwissenschaft gewonnenen Anschauung? -- Wie wird die "Beschreibung" aussehen, wenn unsere Erfahrungen auf diesem dunklen Gebiete so geordnet sein werden wie etwa heute unsere astronomischen Anschauungen? -- Und selbst zu meinem Ausspruche (ungefähr) "die Naturgesetze werden dieselben bleiben, aber unsere Anschauungen darüber werden sich ändern" -- muß ich noch hinzufügen, daß mir selbst dies nicht sicher ist. Es ist eine Denkmöglichkeit, daß sich im Laufe von Äonen (etwa infolge eines natürlichen Evolutionsgesetzes) selbst die Naturgesetze ändern können; daß also beispielweise dir Gravitation nicht mehr statthaben wird -- wie ja Helmholtz schon jetzt annimmt, daß auf unendlich kleine Distanzen das Gravitationsgesetz seine Gültigkeit verliert. Vielleicht (setze ich hinzu) auch auf unendlich große Entfernungen -- zum Beispiel höchst entfernte Sonnensysteme. Denken Sie einmal das alles bis ans Ende.

先ごろの晩の我々の議論に関連して、「物質、エーテルおよび電気」についての同封の記事(『ケルン新聞』)をお送りいたします。たった今読んだところです。さてあなたは、自然科学によって獲得されたものの見方の不変性についてどうお考えになりますか?――このような不明な領分における我々の経験が、たとえば今日の天文学的観点のように秩序づけられるとしたら、その「記述」はいったいどんな様相を呈することになるのでしょうか?――「自然法則は同じであり続けても、それについての我々の見方は変わってゆく」(概略)といった私の見解にすら――自分でもこれが不確かになってきたと付け加えざるを得ません。永遠が経過するうちに(たとえばある自然進化の法則の結果)自然法則すらも変化しうる、という思考の可能性です。というわけでたとえば重力ももはや成立しなくなるかもしれない――ヘルムホルツが早くも、至近の距離においては重力は有効性を失うと述べていたとおりです。あるいは(私がそれに付け加えて申すなら)無限に大きな距離を隔てたところでもまたしかり――たとえばこの上なく隔たった太陽系同士など。一度このことを考え詰めて最終結論までもっていってください。 

これはリヒャルト・ホルンという弁護士に宛てて書かれた手紙の、本文全文である。マルトナー版巻末の人名録を見ても、リヒャルト・ホルンがマーラーとどういう関係に あったのかはよくわからないようだが、いずれにせよ、歌劇場の監督と弁護士が手紙でやりとりする内容としては、甚だ異色のものではなかろうか。
マーラーはこの手紙でも言及されているヘルムホルツ(こちらはあの有名な物理学者である)とも交流があったらしいし、親しい友人にもベルリナーという物理学者がいて、 自然科学への関心もひとかたならぬものがあったようであるが、この手紙などはそのへんの消息を良く告げていると思われる。友人にプロがいたせいもあって、 マーラーは自分の直観を信じこんでしまうような愚には陥らなかったようだが、ここで開陳される「マーラー説」も、その論理性については措くとしても、 物理法則すら不変のものではないかも知れないという認識は、例えばレムの「新しい宇宙創造説」などを思い起こさせてなかなか興味深い。
だが、私が留意したいと思うのは、マーラーが決して文学的な空想一方の人間ではなかったこと、当時は自然科学自体、まだ発展途上の部分があった わけだが、マーラーの関心のありようは一見科学的に見えて一皮剥けば必ずしもそうではない「普通の」現代人に勝るとは言えなくとも、決して劣るものでは なかったことである。例えば第8交響曲についていったといわれる「惑星の運行」についてだって、所詮は文学的な比喩とは言いながら、その背後にはもしかしたら、 普通に思われている以上に自然科学的な認識が控えているかも知れないし、ゲーテにせよ、ニーチェにせよ、今日そうした過去の思想なり文学なりに 関心を抱く人間の平均的な志向よりははるかに「斬新な」読み方をしていたかも知れないのである。
そして、今日自分がマーラーから何を受け取るのかを考える時に、こうした書簡に垣間見られるマーラーその人の知性の働きを知るにつけ、決してそれを 過去の遺物として受け取ってはいけない、とりわけマーラーについてはその問いかけの時代を超えた部分にこそ、―たとえどんなに貧しくとも、自分なりに可能な 仕方で―応えるほうが、マーラーその人の考えにもそっているのではないか、と思えてならない。(2007.5.16, 2024.7.10 邦訳を追加。)