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2025年2月7日金曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (11) (2025.2.7.更新)

 ところでマーラーの晩年はいつから始まったのかという問いについては、作品における「後期様式」と対応付ける答え方が一般的だろう。(それは結局、アルマの「3つの運命の打撃」の前と後という見解を受け入れることになる。)だが、「老い」の始まりは?彼が「老グストル」になったのはアルマと結婚して以降だ。すると第5交響曲を分水嶺として、第6交響曲以降は「老い」の意識の裡で書かれたという見方が成り立つことになる。そこにはまだ「後期」の死の影はないけれど、「老い」の意識は確実に存在するとは言えないだろうか?だがそれはアドルノ=ジンメルの言う「現象から身を退く」こととイコールではないだろう。その意味合いでは作品における「後期様式」を第8交響曲を分水嶺にして、『大地の歌』以降におくことは間違いではない。寧ろそれらを「死」とあまりにも性急に結びつけることが問題なのだ。そこにあるのは第一義的には「老い」であり、一人称的な「死」についての認識は、寧ろ前提・背景、せいぜいが素材に過ぎず、実質ではない。ましてや「死」一般ということならば、マーラーにおいてそれは作品1たる『嘆きの歌』以来、ずっと扱われてきたのではなかったか?それを考えるならば、「老い」を主題化して取り上げることでマーラーの後期に関する誤解や矛盾の幾つかは解消するのではないか?

 もう一つの伝記的・実証的な資料。1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡。アルマの言うところの「三つの運命の打撃」の一つであるウィーン王室=宮廷歌劇場監督辞任に関わる書簡で、後者は、後任者ヴァインガルトナーの前任地であるプロイセン劇場総監督によるヴァインガルトナー解任により、ヴァインガルトナーが1908年1月1日よりマーラーの後任となることが確定したことを告げるとともに、前者の中でマーラーが当初契約上の任期満了前の辞職に伴い希望していた幾つかの案件につき、皇帝から許しが出たことを告げる手紙であり、アルマが回想録に付した書簡集の中で過半を占めるマーラーからアルマ宛の手紙とともに幾つか収められているマーラーとアルマ以外の人間との間で交わされた書簡の遣り取りの一つである。

 マーラーからモンテヌオーヴォ侯への書簡は以下の3点についての希望を伝えるものであった。
  1. 任期満了前の辞職につき、退職時の年金額についての交渉
  2. 任期満了前の辞職につき、俸給の未払い分の請求
  3. 自分が死んだ時の、妻および子供への手当の支給
 そしてモンテヌオーヴォ侯からの返信は、上記のいずれの点についても。マーラーの希望通りに解決されたことを告げている。

 この書簡の往復によって、マーラーがウィーン王室=宮廷歌劇場監督を辞して後、老後の備えとともに、自分の死後の準備についても怠りなかったことを窺い知ることができる。特に前者のマーラーの書簡は、マーラーが冷静で現実的な交渉者であったことを如実に窺わせるに足る。尤もマーラーが劇場とのやりとりにおいて、人によっては「策士」「策略家」という形容をする程に、職を辞するにあたっても衝動的に辞めてから次を探すなどもっての外(とはいえ、そうしようと思えばそうできる程の稼ぎはあった筈なのだが)、常に事前に次の契約を獲得していたのは若き日からの常であって、だからその点について特殊な訳ではない。特にこの遣り取りの中での2点目の補償について等であれば、例えばハンガリー国立歌劇場を辞する際にも、残された契約期間に受け取れたであろう額が支給されることを求めて認められたりした経緯もあるわけだが、ここでは第3点目として自身の死後についての項目が挙がっている点でマーラーが「老後」「死後」を見据えていたこと、ということは即ち、マーラーの「老い」についての意識に基づく行動を、はっきりと、かつ客観的な事実として告げている。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2025.2.7 補筆)

2025年2月2日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(7)(2025.2.2 更新)

 以前、通常ならそこにマーラーの名前を見出すことを人が期待することがなさそうな2つの重要な著作、即ちジャンケレヴィッチ『死』とドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』の中に、マーラーの名前が見出され、更にそのいずれもが『大地の歌』への参照を持つことに気づき、備忘として書き留めたことがある。ここで取り上げるジャンケレヴィッチの『死』の方は、高校生の時から知っていたこともあって以前より手元にはあって通読したこともあり、実は『大地の歌』への言及があることも当然認識はしていたのだが、これも別の雑記めいた文章に書き留めたことがあるけれど、その終わり近くに結論めいた形で語られる事実性に依拠するような発想に対して、最初こそ期待できる拠点として検討をしたものの、検討を経るに従って次第に反撥を覚えるようになったという経緯を持つ。更に言えばまずその文体に耐え難さを感じてしまうこともあって、それ自体を主題として論じうるような読解ができず、上述の備忘を記すのが精一杯なのが正直なところであるし、辛うじて読み取れた範囲でも、その見解については直ちに幾つもの疑問が浮かんでしまうような対象ではあるとはいえ、マーラーについて流布する言説の多くが前提としている或る点に対する留保を感じているような場合には、その論点について考える上で貴重な参照点となりうるため、上記指摘に留まらず、もう少し詳細な検討をしたいと考えてきた。 

 マーラーの後期作品を「老い」という観点から理解するというここでの企図の着眼点は、マーラーの長くはないけれどそれでももう1世紀を超える受容史の中にあって、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいて論じられてきたのに対し、「死」ではなく「老い」との関りにおいて論じるのがより適切であるという仮説に集約される。従って従来のマーラーに関する言説においては周縁的な位置づけを持ち、だが『大地の歌』への言及を含み、かつ「死」について扱った著作であるジャンケレヴィッチの『死』は恰好の出発点といえるのではなかろうか。実際、ジャンケレヴィッチの『死』は死そのものと同様、その手前と向こう側についても延々と語っており、その中で勿論「老い」についても「死の手前」の中の一つとして論じている(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)。

 だが結論から言えば、あくまでもそこでは「死」が主題であることを思えば無い物ねだりとは言い乍ら、やはり「老い」そのものについて論じているとは言い難く、勿論こうした次元での「老い」は直接には「現象から身を退く」ことをその定義とする「後期様式」とは無関係であるということになろうし、こうした次元の「老い」と切り離してそれらを論じることは、こちらはこちらでもともとのゲーテの言葉を軽んじていることになりかねない。従ってそれは自ずと、ジャンケレヴィッチの「死」についての思索に基づき、それを踏まえ、継承・展開するかたちでマーラーと「老い」について考えるということにはなり得ず、ジャンケレヴィッチの言明に対する異議申し立てを含まざるを得ないから、寧ろそれを反面教師として、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としたものにならざるを得ない。ここで企図しうるおとは、あくまでもジャンケレヴィッチに対する批判ではなく、ジャンケレヴィッチの『死』における「老化」に関する叙述を細かく検討することを通じて、マーラーの後期作品、アドルノがジンメルを参照しつつ、ゲーテの箴言にある「現象から身を退く」という言葉によって定義づける作品(その中には、『死』で言及される『大地の歌』も含まれるわけだが)について適切な視座を得る手がかりとすることであろう。

 実際後述の通り、ジャンケレヴィッチの『死』の中には「老い」についての章さえ存在するのだが、「別れ」というテーマに関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見え、その限りでは寧ろこれまでの「死」と結び付けて捉える発想の一例として扱うことさえできるかも知れない。「別れ」というテーマに関する部分でのみ『大地の歌』が参照されていることは決して偶然などではなく、「老い」ではなく「死」に関連づけて捉えるという発想との必然的な連関の中で捉えられうるに違いのであれば、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいてのみ論じられ、「別れ」のモチーフも専ら「死」に関連づけられてきたことに対する批判を、ジャンケレヴィッチの著作の批判的読解を通して試みることが可能であろう。

 そこでここでのアプロ―チとして、一旦『大地の歌』への言及がある箇所から離れ、まず「老い」についてのジャンケレヴィッチの扱い方、特に「老化」をこの著作全体の主題である「死」にどう関係づけるかの具体的様相について、些か些事拘泥的と受け止められるかも知れないような祖述的な(だが同時に批判的な)読解を試みる。多分に主観的に私の場合にはそうせざるを得ないという面を否定する気はないが、彼のトレードマークであり、人によってはそれに魅了されることもあるらしく、「交響曲」に喩えられることすらあるらしい、その華麗なレトリックと重厚な論述のスタイルについては、敢えてそれに逆らった読解を行って、その修辞に埋もれがちな「老い」の扱い方を最大限批判的に整理し、その確認結果を踏まえて、『大地の歌』への言及の部分の理解を試みるというやり方を取ることにする。

*  *  *

「老化の中に死すべき運命の徴候と死そのものの前駆症を読み取ろうという誘惑に人は駆られる。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 仲澤紀夫訳, みすず書房, 1978, p.202)

 とジャンケレヴィッチは「老化」の章を始める。この「老化」の章は彼の「死」についての浩瀚な著作の中で、第1部 死のこちら側の死 の末尾に当たる第4章に位置している。そして直ちに「老化は、一種の稀薄にされた死、引き延され、間隙の次元にまで拡大された瞬間ではなかろうか。」(同)と言い替えて見せる。例によってジャンケレヴィッチのこの問いは多分に修辞的なものであり、従って直ちに矛盾なるものが指摘され、結局は否定されることになるのだが、そこで指摘される矛盾とは、半分はレトリカルで「ためにする」もの、つまり逆説を提示してみせようとする身振りそのものが生み出したものに過ぎないように見える。従って当然、ジャンケレヴィッチ自身はそれを逆説と言い、矛盾と言うのを止めようとはしないのだが、実際にはそれは矛盾などではなく、生の時間の把握におけるミクロとマクロのレベル、より正確には論理のオーダーの差に拠るものと考える方が事象に即した捉え方なのではなかろうかという疑問が直ちに湧いてくる。

「(…)各瞬間ごとにわれわれを実現するものは、各瞬間ごとにわれわれをすこし死に近づける。それは衰頽が人生の第一の段階に続く第二段階として生長に続くからではない。可能性が現存と化することが、すでにそれ自体において、一つの衰頽というべき到来なのだ。」(同)

 従ってそのレトリックは措いて結論だけとれば、そして更にここでは「老化」でなく「死」こそが主題なのであって、その限りで「老化」の側について過大な要求することが無い物ねだりであるという点を一旦措いてしまえば、「老化」と「死」とが区別され、異なったものとして捉えられるという点自体に問題があるわけではない。

 とはいえオーダーの問題は取るに足らないというわけではなく、既に述べたとおり、「老化」が(「死」がどうであるかについての吟味は一先ず措いて)セカンドオーダーの、複合的・雑種的な側面をもった事象である点を踏まえるのは重要で、ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、

「衰えの眼には見えない前駆症、ごく遠い先の老衰に前駆する予兆は、原則として、ごく初期の幼年時代においてさえ読み取れるものであろう。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.203)

というコメントは、一旦は区別した筈のオーダーの違いを自ら無視してしまっていることになっていて読み手の困惑を誘う。ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、例えばホワイトヘッド的なプロセス時間論の文脈での以下の指摘に対応するような水準での検討が必要となる筈ではないか?レトリックのレベルとは別に、ジャンケレヴィッチの議論はしばしば形而上学的な水準の議論と、具体的な生物学的・生理学的水準の議論との間を余りに融通無碍に行き来する感じを否めない。

「(…)われわれは実体・対・属性という永遠的客体に関わる論理を事象の論理と混同し、ここにおいて対象の生成を考えてはならない。常識が陥りやすいかかる考想は、確定的な部分事象の連なりの中で生成を考えることになるから、一事象の生成の時間をとらえることはできない。事象連鎖を通じての生成は、いわば事象の生成にもとづく生成であり、これについての問は論理学的に第二次(セカンドオーダー)の問いなのである。」(遠藤弘, 「時の逆流について(『フィロソフィア』72 所収)」,早稲田大学哲学会, 1984 )

それは「老化」に関する以下の説明からも読み取れる。

「老化した組織が損失を償うのがしだいしだいに難しくなり、損傷を補うのがますます遅くなるように、同様に、(…)」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.204)

そもそもここでは転倒が起きていて、にも関わらずその転倒した状態で論理を組み立てようとするからこのようになるのであって、本来ない問題を作って、そこにアポリアがあり、パラドクスがあるかの如き議論をしようとしているように感じられてしまうのではないか。

実際には「老化」は、例えばシステム論な立場からは、以下に見るように「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と定義されるのである。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

 後に見るように、ラプソディックなジャンケレヴィッチの言明を辿っていくと、実際には彼もこれに近い考え方をしているのではと思わせる箇所にも行き当たるのだが、それを踏まえればここで「…のように」の部分で持ち出された事柄の方が定義の本体なのであって、その点の履き違えを元にレトリックを弄しているだけという感覚を否み難く持つことになる。(勿論、ジャンケレヴィッチに与する人は、それは立場の違いに基づくもので、言いがかりの類であるとして退けるのであろうが。)

 だが恐らくはシステム論的な理解とは別の了解に基づいているらしいジャンケレヴィッチはこのようにコメントする。

「生物学上の疲労と生命の躍動の衰頽だけでは、これを説明するのにかならずしも十分ではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.206)

「かならずしも十分ではない」のは文字通りにはその通りであり、別に間違っているわけではない。しかしことこの文脈に即した限りでは、それはそもそも倦怠の経験と「老い」をジャンケレヴィッチが不適切な仕方で結びつけたからに過ぎない。更に

「生物学上の若返りの秘密が発見されたとしても、わたしはなお老化することだろう。諸器官の老化が抑制されあるいは遅らされても、年月と記憶の重さはわれわれをいっそう老化することだろう。」(同)

というのはいただけない。ここでは永遠的客体と事象のオーダーの差ではなくても、「疲労」とか「倦怠」の分析が適用可能な時間性のレベルと、「老い」を論じることが適切な時間性のレベルの不当な混同がまずある。確かに、個々の器官の水準と、全体としての個体の水準のレベルの違うというのはあって、疲労が主として前者の水準で論じるのが適切なのはその通りだろう。だがだからといって個体の老化が諸器官の老化と独立のものであろうはずがない。一体ジャンケレヴィッチは「われわれ」がどんな基盤の上に立っていると思っているのかを問いたくなってしまう。レベルが違えばそこには断絶があって無関係であるという論理の独り歩きが自ら問題を正しく捉える途を閉ざしてしまうのだ。(もう一つ言えば、この言及は、主観的で一人称的な体験を含むはずの「疲労」の経験を、客観的、科学的な水準の話にすり替えているのでなければ、いつの間にか横滑りしている点でもいただけない。これがジャンケレヴィッチのオリジナリティであるレトリックに由来するものだと言い募るであれば、そのオリジナリティは議論をまともに行えなくする原因であるとして、その価値に留保を付けざるを得なくなるのではなかろうか?)

 結局のところジャンケレヴィッチは「死」のみならず「老化」についても形而上学的に取り扱おうとする。それは以下のテーゼにおいて明瞭となる。

「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」(同)

 私は「時」は常に具体的な相を持つものであり、純粋状態というのは抽象だという立場なので、そもそもこのテーゼとは相容れないが、ジャンケレヴィッチがそのような手つきで「老化」に見ようとしているものを可能な限り救い出すように努めてみよう。では「純粋な時」の内実は何か?

「純粋の時、つまり漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化、純潔さの消耗だ。」(同)

ということで、一般的ではあるけれど、寧ろ極めて具体的な意識の状態が列挙されている。そしてそれを是認するように

「なるほど、意識の経験は、一つの恒常的な経験だ。」(同)

だがその続きは「たそがれ」と「秋」とが「憂愁にたえず素材を供給更新する。」となって「恒常性」というのは(意識の存続の期間をその中に含んでしまうような長期に亙る)絶えざる反復であるとされる。そしてその果てには(さっきはそれで尽くされることはないと言ったばかりなのに)再び「疲労」が参照される。

「疲労の曲線には上昇下降の間に最高潮があるが、器官の老衰の図式あるいは縮図もそのようなものではないだろうか。」(同)

 だが(またしても、だが結論だけ見れば正当に思われることに)結局、この繰り返し・反復への依拠もまた放棄される。結局「老年」は一回切りの経験とされるのである。これが「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」というテーゼとどういうふうに接続されるのかが気になるところではあるが、それは一旦措いて更に彼の論理を追ってみよう。

「自然における衰頽は、悲しいかな、まことに真剣で、まったく詩情に欠けている。この衰頽は、ただ単に逆行不可能なだけではなく、その上決定的なものであり、とくに一回限りのものだ。」(同書, p.207)

要するに「疲労からは回復するが、老いからの回復はない」と一言言ってしまえば済む話なのだ。だがここにもスケールの、レベルの混同がある。「漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化」という意識の経験の水準では、一時的にそれが中断し、或いは恢復することすらあり得るだろう。老いが一回性で、不可逆であるとするならば、そうした認識は別のスケールで行われているというべきなのだ。従ってジャンケレヴィッチの議論は、その指摘のある部分の妥当性にも関わらず、論理的には破綻していると言わざるを得ないだろう。

 繰り返しになるが、ジャンケレヴィッチの「老年」に関する主張そのものは、実際にはシステム論的な定義に対立するものではないし、それは器官レベルとは異なるレベルで把握されるものであるというのも間違いではないし、一回切りというのも間違っているわけではない。だがそれは器官レベルと無関係ではなく、寧ろそれに基づくものでなくてはならないし、また「意識の経験」なるものをそれと独立のものとして特別扱いするのはおかしい。「意識の経験」は実際には、それがダマシオの言う中核意識ー中核自己、現象学的な第i一次把持に関わるレベルであれば、器官レベルと同じ水準で捉えられるようなものであり、寧ろ「老化」はそれを超えたダマシオの延長意識ー自伝的自己、現象学的には想起と予期の水準である第二次把持、更にはスティグレール(およびユク・ホイ)の言う第三次把持が関わるような、技術的・文化的・社会的に規定される水準に関わるのである。そして「一回性」というのは、このレベルで言いうるものであって、そのレベルが、生物学的システム論的には、器官のレベルとは異なるレベルでの「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」に対応する筈なのである。私の立場からは、実際には「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」という捉え方の方が、一回性という意識の経験、意識にとっての見えを生じさせる根拠であって、「純粋な時」など不要だし「意識の経験」を根拠におくのは、(勿論、それを「意識」することができるのは、少なくとも延長意識を備えた生物に限られるという点はあるにせよ、あくまでも「意識の経験」は結果であって)遠近法的倒錯の産物に過ぎない。

 一方で「老化」の不可逆性について(実は厳密に言えば、その不可逆性は確率的なものであって、一時的な回復だって一定の確率で起こりうる筈なのだが)の具体的な例示については問題はない。だが「疲労」と「老化」の違いを述べながら「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回すのに何の益があるのかは判然としない。「老化は時間性の病」という定義も直ちに「正常であると同時に病的なものだ」というほとんど空虚な言明に引き継がれ、「死が健康な人びとの病気であるのと同じ意味で」という比較もそうした比較に何の意味があるのか杳として知れないまま第1節は閉じられる。

*  *  *

 そして第2節が始まると「老化はわれわれにすこしずつ死をあかすというのだろうか。」と述べられているのを見て、多くの人は絶句するのではなかろうか。一体第1節のゆきつもどりつの議論は何だったのだろう?ただしこの著作は、老化についてではなく、「死」についてのものであることを思えば、老化はそれ自体が議論の対象というよりも、それを「死」に引き寄せて見たり、対比させてみたりといった気儘な操作の対象に過ぎないのかも知れないが。かくしてこの冒頭から窺えるように、第2節はほとんど「老化」に関して言えば無意味な節ということになってしまう。唯一末尾近くの

「時の展開は、存在と事物に毀損作用を働くのだから。時は分解の次元とも言えよう。」(同書, p.212)

という箇所のみが意味ある発言であるように見える。但しこれはエントロピーの増大が時間の向きであるという言明に過ぎないのだが。だがジャンケレヴィッチはこれを彼が「おおざっぱな隠喩」と呼ぶ「骸骨が老人の痩せた肉の下にしだいに見えるようになる」という表象に結びつけてしまう。そんな隠喩に勝手に結びつけるのがいけないのであって、そんな隠喩よりも「時は分解の次元」の方がよほど「老い」に関しては実質的な言明であるのだから、ここでも論理の向きが本来とは逆になっているのだ。

 だがそんなことはお構いなく、ジャンケレヴィッチはくだんの隠喩に拘って、それを延々引き摺り回した挙句、末尾の

「老化がしだいしだいに老衰する組織の中に死をますます明白なものとはしないだろう。」(同)

と、その隠喩の不適切さを論じて節を結ぶ。自分から隠喩を持ち出しておいてそれを不適切だと断じるのであれば、初めからそんな隠喩を引き摺り回す必要などないのだ。老化は、生物という物理システムの定常状態の変移と崩壊を指すのだから、死はその変移の帰着点に過ぎず、単に彼が引き摺り回す言明の言い回しが事象に即した時に不正確なだけであろう。

*  *  *

 ところが、第3節の冒頭でもまた、その不正確な言い回しを引っ張り出して批判をして見せる。そこから彼の言葉によれば「弁証法的」で「非一義的」ということになるらしい、正しい定義にようやく取り掛かる。まずは「老化は死にわれわれを近づける。」これは定常状態の変移の向きが最後に崩壊に至るものであることの言い換えに過ぎない。

「組織と血管の硬化、骨の漸進的脆弱化、心臓の疲労、そして老眼は(…)無気力の侵入の前駆兆候だ。」(同書, p.213)

 違う。それらは前駆兆候ではなくて、無気力をもたらす原因だろう。

「生命の機能が徐行し始める。」(同)

 これは定常状態の変化の向きを述べているのだとすれば彼のお好みであるらしい「隠喩」としては妥当だろう。

「細胞が老化し、動脈が老化して、毒素や毒性が長い間に毎日すこしずつ体液の科学的構成をそこねる。」(同)

一体、ここでいう毒素・毒性というのは具体的には何なのか?実は「老化」の機序は現時点でも明らかになったとは言い難く、解明が困難な問題であり続けている。それを前提にすれば、一見おおまかな把握としては妥当そうに見えるが、この「毒素」の説明が妥当だとするならばフロギストンによる燃焼の説明だって妥当だということになる。否、実際にはそんな毒素などなく、毒素が増えて行った結果死に至るという事実は確認されていないようだし(勿論、間接的に死に至る症状を引き起こす原因となりうる変化はあるし、その変化を引き起こす化学物質は幾つも知られているが、それは死の直接的な原因ではない、一義的に老化を引き起こす遺伝子というのは存在せず、個別には関与する遺伝子が突き止められているものもある様々な促進作用と阻害作用の合力の結果なのだ)、今後そのような毒素が発見される可能性も限りなく低そうだから、寧ろこの説明は端的に出鱈目だと言うべきか、百歩譲っても現時点では不要な程にまで不正確だと言うべきなのだろう。

この辺りのジャンケレヴィッチの言い回しのことごとくが、そうした歪みを持った文学的修辞に過ぎず、要するに、ジャンケレヴィッチの関心事は、老化自体ではなく、老化に纏わるレトリックの方に専ら存するのではないかという疑いが生じてくるのは避け難い。

「あたかも死の向地性とでもいうものがすでに墓へと引き寄せるかのように、あたかも自分自身の重みでもう冥界へ、大地の奥深くへと傾いてゆくように、身体自身が曲がってくる。」(同)

老化で腰が曲がり、背骨が曲がるのは、死の向地性のような文学的表現とは関係がない。それなら直立歩行に至る前のホモ属は、より死に近かったとでも言うのか?このような、読んでいて当惑を感じる他ないような記述を延々読まされると、思わずソーカルとブリクモンによる『知の欺瞞』において、判読可能な文章は一握りで、あるものは陳腐で、あるものは間違いと断定されてしまっているドゥルーズの無限小解析についての長大な記述(ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞』, 田崎晴明, 大野克嗣, 堀茂樹訳, 岩波書店, 2000, 岩波現代文庫版, 2012, p.239~247参照)を思い起こし、それに付き合わされるのと同様に時間の無駄でしかないように感じられてしまう。勿論こちらは科学の濫用ではないけれども、その華麗な修辞に埋もれた論理を追うことがしばしば困難である点では共通性があるように感じられる。文学的な比喩表現を不要視する訳でも、否定する訳でもなく、それが適切な場面もあるだろうが、「死」との関りにおいて「老化」を把握するのに文学的な表現を幾ら尽くしても、「老化」が主観的な経験のみで尽くせる訳ではなく、客観的な事実を無視することができないことは勿論、主観的な経験にしても現象学的な水準での記述や分析の対象であって、純粋に論理的な操作や形而上学的な直観のみで扱う対象ではない以上、それによって何かが明らかになることはあるまい。言葉の上でだけ、見せかけの対立を作り出して逆説を弄び、概念を厳密に操作する替わりに横滑りさせることを繰り返したところで、それは「老い」そのものとも、「老いの経験」とも無関係な戯れに過ぎず、そこから何かが得られることはない。「死」が彼のお気に入りのテーマであり、更には彼の修辞にとって恰好の題材であるのとは対照的に、「老い」は散文的で現実的に過ぎて、「何だかわからないもの」や「ほとんど無」の、或いは「筆舌に尽くしがたいもの」についての哲学者であるジャンケレヴィッチ好みの高尚な形而上学的な直観の対象にはふさわしくないのかも知れない。

*  *  *

 そして「老化」についてのジャンケレヴィッチの議論の行き着く先は、章題にも関わらず(だが、案の定と言うべきか)「老化」についての分析ではないようだ。最終節である第4節が、「死刑囚」についての議論で開始されることがそれを端的に物語っている。「死刑囚」は勿論「老い」とは何の関係もない。そして「死刑囚」について論じることは、「老い」固有の問題ではなく、寧ろ端的に「死」について論じることにならざるを得ない。であってみれば、それを「老い」の章の最中で、しかもその末尾の節の冒頭に据えるのであれば、そもそもジャンケレヴィッチは「老い」についてなど議論する気がないのだろうと考えざるを得ない。但しここで、死刑囚が獲得する「二重の視点」「共観的」「回顧的」「第三人称的」な視点が問題であって、それを可能にする意識の構造が「老い」の認識に関わるということに限れば、これは主張として問題ないが、もしそうであるとしても「老化」とは無関係な「死刑囚」をわざわざ持ち出す必要などない筈である。だがその点は一先ずおいて先に進もう。

「老化は、限られた可能性の貯えが徐々に消耗していくことに還元されよう。」(同書, p.220)

この観点を取ることを可能にするものをジャンケレヴィッチは「超意識」(同)と呼ぶが、その定義の「生成の全体を俯瞰する」(同)というのも曖昧さに満ちた言い方で、「生成の全体」なるものが何であるかを考えれば不正確でさえあるだろう。ここでも問題はマクロとミクロのレベルの違いなのだが、「継続する出来事の後を追って地上をはい回る」(同)だけであれば、意識の中断を挟んだ過去の想起と未来の予期を可能とする第二次把持のメカニズムすらいらない。そしてここでいう「生成の全体」の生成は、例えばプロセス哲学的にファーストオーダーである無時間的「生成」でなく、事象の論理のレベルであることは、「生涯」といった言葉が論述に紛れ込んでいることからも明らかだろう。そればかりか(システム論的に定義可能な「老いそのもの」ではなく)「老い」の意識は、自伝的自己の持つ延長意識を俟って初めて可能なのだ。だがジャンケレヴィッチは結局、老年というのは生命の「色調」とやらの「質」の違いということにしてしまう。

「老年は生命力の衰頽の一つの形だが、この衰頽した生命力はそれでも一つの生きている生命力だ。そこで、老人の生命力はその量的な濃厚さ、つまり、存在の質と重さでは成人の生命力と変わらない。ただ、質が、生命の色調の特徴が異なるのだ。」(同書, p.224)

これを隠喩であると言わず、かつ「色調」がどのように定義され、計測されるかが示されることなく、「青春と老年とは、生命の色調の変形であり、質を異にする実存の様態」(p.225)と繰り返されても読み手は困惑させられるばかりである。ここで「質」を持ち出すについてはジャンケレヴィッチの独創というわけではなく、彼が依拠するベルクソンのそれに従ったものであるらしいが、結局のところ言われるのは、実際には「老化そのもの」と「老いの意識」の区別に過ぎず、ボーヴォワールなら、外から見た老いと内側から見た老いと区別するところを以下のような言い回しで述べているに過ぎない。

「老年について語るとき、客観的な系列と生きた系列を混同することは避けねばならない。前者は、たとえば癒着の時間あるいは反応の時間の延長、条件反射の緩慢化のように、数あるいは量で表されるいくつかの原因の尺度上の進展によって特徴づけられ、後者は、生きた経験の質の変化に存する。」(同書, p.225)

確かにある尺度によって測定される生体の生理的な状態と、意識によって経験されるものは異なるが、だからといって両者は無関係ではないだろう。後者は前者の影響を逃れることができない一方で、確かに後者が(つまり或る種の思い込みが)前者に影響する(体調を悪くする)ということも起きうるであろうが、老化というのは、その両方に亘る事象、複合的な出来事と寧ろ言うべきであって、ジャンケレヴィッチの区別への拘りは単なる不毛にしか通じないように感じられる。

「≪変質≫は、意識が”他者”—であって少なくではないーとなる過程だ。」(同)

というのは、他性についての定義を欠いている以上、それ固有の歪みを持った比喩に過ぎない。更に言えば、まさか老いることが文字通りに「他者になる」ことであろう筈はなく、寧ろ意識の中断を挟んだ自己同一性があること、自伝的自己を備えていることが老いの経験にとっては不可欠なのだから、ジャンケレヴィッチの比喩は寧ろ不適切な歪みを持ち込む弊害の方が大きいのではないか?

 だがそうしたことに目を瞑って、ジャンケレヴィッチの言わんとすることを捉えようとするならば、結局、彼にとって「老いとは老いの経験のことだ」ということに尽きていて、それを言うために延々と繰り言を述べているに過ぎないように見える。

 例えばシェーラーが、「年齢と戸籍とは無関係な一種の≪形而上学的≫老化」(同書, p.226)を信じていたというようなことを傍証として持ち出すが、これは老いの体験というのが、個体により、或いは同一の個体であってもその折々の心的な状態に応じてさまざまであって、前者であれば、これは老年学という社会学の分野においては「老い」の進行は確率的な事象であって、年齢に正確に対応した事象ではなく、その発現と進展には統計的な揺らぎがあるということを酷く曖昧な仕方で述べているに過ぎないと一方では思われるし、更に別の話として、生理的な老いとそれについての意識の経験とは別に、自伝的自己が持つ老いについての認識(だからそれは老いに纏わる様々な身体的・心理的事象の経験とも別のものである)というものがあって、それは年齢を問わないということであるとするならば、こちらはこちらで、これまでジャンケレヴィッチがさんざんそうしてきたように、本来区別されるべき事柄について不当に混同をすることによって可能になったレトリックに過ぎず、言葉の上のことに過ぎない。

 そしてそうした自己のレトリックに起因する混乱を脇に置いて

「老年はいつも死の逼迫接近によって測られるわけではない。近接と距離とは空間上の映像であり、社会の概念ではないだろうか。」(同)

といって、それを社会に押し付けるのは不当に思われるし、そのことを

「老年は暦の上の一つの日付にも道路の距離にも還元されないのだ。」(同)

と結論づけるのも筋違いにしか感じられない。勿論、複合的な事象である「老い」には社会的な側面が存在するのは確かなことであり、だからジャンケレヴィッチがそれを「社会的」測定から引き離そうとするのはそもそも無理筋というものだ。確かに「老い」が暦という人間の生理的なリズムとは異なった、天文学的な基準によって定義された尺度と無関係なのもそれ自体は正しいし、更に言えば、そうした暦が社会的なものであるということもまた正しく、その限りでは妥当であるが、だからといって、そのことから「老年」が社会的なものでないということは導かれない。ここの言明の間を結びつける論理については、ジャンケレヴィッチのそれは曖昧なレトリックに凭れ掛かった言葉の上だけの遊びであって、事象に即して言えば出鱈目であり、ナンセンスであり、全く間違っているという他ない。恐らくここで言いたいのは、要するに「老いの経験」は主観的な経験なんだから、外からは測定できないのだという、如何にも亜流ベルクソン的な発想に基づく主張なのだろうが、これだけ贅言を尽くしてなお、それで結局「老い」とは何に基づく経験であって、結局のところこの浩瀚な著作の主題である「死」とどのような関係にあるのかについての議論は、さっぱり深まっていないように思われるのは錯覚なのだろうか?

 実際には彼の、およそ適切とは思えない用語法では「超意識」と呼ばれるもの、現象学的には第一次把持に相当するダマシオの言う「中核自己」のレベルを超え、「自伝的自己」による俯瞰を可能にするのは、一方で彼が「共観的」「第三者的」という言い方をしていることから窺えるように、まさにそちらの方が社会的であり、現象学的には第二次把持のみならず、スティグレールやユク・ホイが言う、第三次把持がテクノロジーに基礎づけられているという事実、或いはアンディ・クラークが言うように、今日の人間は生まれながらのサイボーグであって、言語も含めた技術的補綴によって成り立っているという事実に基づいているのだし、そうしたテクノロジーの侵入を措いたとしても、「超意識」はそれ自体の発生において、そもそも社会的に基礎づけられたものなのだから、ジャンケレヴィッチの主張は支離滅裂にしか映らない。それは自分の背中を見ることができず、自己が成立する以前の、自己が如何にして成立したかの機序について「知りえない」とする(スティグレールやユク・ホイ、クラークの名誉のために付け加えれば「かつての」)哲学者の野郎自大が齎した歪みが露呈しているに過ぎないのだ。

 だがなおも「老いの意識的経験」に拘るジャンケレヴィッチは「動物は衰頽するが、自分自身の衰頽には立ち会わない。」(同書, p.229)といった主張をしてみたりもするが、これは事実の問題として、動物学の領域では今や人間の側の傲慢さに基づく先入観に侵された不当な断定として問いに付される主張だろう。動物の方はあくまでも話の枕で、人間が「超意識」を持っていて、その「超意識」が老いにとって重要だというのなら、それは別に構わないのだが、だからと言って、今度はその意識について

「老いるという意識は、したがって、厳密に言えば、直接の経験にも推論にも由来するものではない。」(同書, p.230)

などと主張されると、一見当たり前の事を言っているように見えるこの主張の真意を測りかねるということになる。実際にここで言われているのは、老いの徴候とされる、様々な観察・観測の結果は、それが老いの徴候であるという解釈が先行的にあって、観察結果について判断し解釈する主体(老人自身であれ、医師であれ、或いは介護レベルの認定をおこなう行政の担当者であれ)があってのものであるという、ごく常識的なこと以上のものではなさそうにしか見えない。そして一般的にはそうした水準で、推論に基づいて要介護度の認定が行われ、認知症の診断が行われているのである。私はその場に立ち会った当事者の一人だから、その経験に基づいて言えば、勿論、主体に対するインタビューも欠かさず行われていて、主体の証言も記録はされるが、それを文字通りに受け取ることが、主体の内側で起きていることを正しく判断することに繋がらないこともまた、現場では常識レベルのことであって、結局のところ解釈や推論抜きで「主体」についての真実を見出しうるというのは、本質的に関主観的で対話的な存在である筈の主体自身にとっても幻想に過ぎないのだ。にもかかわらずジャンケレヴィッチが以下のように言うとき

「(…)居眠りが繰り返されることや、固有名詞の忘却、視力の減退、階段を昇るさいの困難の増加などを老化の徴候と解釈する主体を無視した推論については、象徴にもとづいて意味を結論するそのような抽象的推論は、それだけではわれわれを説得にするのには十分ではない。」(同)

彼は「われわれ」の中に自分自身以外の誰を含めて想定しているのだろうか?権利上、それが自分が理性的存在者の代表であり、理性的存在者は皆自分のように考えるという哲学者のお目出たい傲慢さでないとしたら、彼の恣意で決定できるような誰かが彼以外に他にいるのだろうか?この言明は、「いや、私にとっては十分に説得的ですよ。」という反論にどう答えようとしているのか?いや、これは哲学であって実証的な科学ではないから、事実水準の話ではなく、権利水準の話をしているというなら、それならそれでつまるところ、この言明によってジャンケレヴィッチは何を表明したいのか?

 だがここでは「老い」を取り上げるのが最終目的であって、ジャンケレヴィッチの著作を吟味すること自体が最終目的であるわけではないから、その点について目くじらを立てるのは程々にしよう。

「衰頽は誠実な直接の経験というよりは、むしろ一つの解釈であり、一つの判断なのだ。」(同)

と、この言明自体は全く問題ない。そう、繰り返し述べているように、「老い」というのは複合的で雑種的な事象なので、それを直接測定できる指標が存在するようなものではないから、その限りで解釈や判断の結果であるという主張自体には特に問題はない。そして恐らくその点において「老い」は「死」とはやや性格を異にするのであろう。勿論、生死の判定に纏わる様々な困難は、それらもまた「老い」のように解釈や判断に委ねられる側面を持つことを示唆しているけれども、だからといって「老い」がそうであるのと同様にそうであるとは言い難い。「老い」の厄介さは、そのシステム論的定義を改めて確認し直せばわかることだが、それが非常に複雑なシステムの「定常状態」の変移という非常に巨視的な仕方でしか定義できないという点にあり、なおかつ、その変移について、系自体が崩壊する方向に向けての変化という仕方で定義されるのであって、崩壊そのものの程度(こちらは「老い」でなく「死」への接近の度合いという意味合いを持つだろうが)で測られるものではないことに存する。なおかつその過程は現実の個々の事例について言えば確率的な揺らぎの中にあって、必ずしも単調な変化ではなく、複雑な軌道を持ちつつも、最終的には系自体が崩壊するに至るように方向づけられた過程なのである。

 ジャンケレヴィッチも勿論そうした複合を無視しているわけではないから、「老い」を複合的な原因を持つものとして捉える言明と解釈できそうな言明が登場しはする。

「正常な状態では分離されているこのような経験とこのような観点とが互いに干渉し合う時、老いるという意識が生ずる。」(同)

ここで「このような」とは、「客観的観点は生きるべき期間の有限性を認めることができるが、その有限性をただ他人にとってのみ有効な真実とみなしたがる。生きた経験は、自分にとって有効だが、死を受け入れない。」(同)という観点と経験の謂いである。

 だがこれもまたごく平凡に、既述の老いの定義に纏わる厄介さについての言明の言い換えの類に過ぎない。生とは散逸系である生物学的なシステムが存続する「定常状態」のことであり、動的不均衡の中で、準安定的な状態というのが維持されているわけだが、ここでいう客観的観点の側は、その安定状態が、軌道を描いて変化しつつ、最後は崩壊する過程の外部からの観測であり、ここでいう生きた経験の方は、そうした系自体の内部からの観測のことを言っているのだから、結局この言明も構造的には何ら新しいことを言っている訳ではなく、「生理的な老いの過程」と「老いの経験」の複合が「老いの意識」を生み出すと言っているのであって、その限りでは構図は問題ないが、だがジャンケレヴィッチの文脈におけるその実質は、またしても疑わしい。外部からの観測と内部からの観測における差異が問題であるとしてなぜそれが「生の有限性」についてでなくてはならないのか?確かに老いの認識は生の有限性の認識でもあろうが、それだけではないし、寧ろ生の有限性という「死」に関わる側面以外の部分こそが「老い」固有のものなのではないのか?だとしたら、そこにはここででっち上げられたような観点と経験の干渉などありはしない。寧ろ単純に両者が相俟って「老いの意識」が生じるというだけで十分ではないか。

 実際にはその後しばらくのジャンケレヴィッチの叙述はようやく「まともな」ものになるかに見える。まずはベルクソンを参照し、

「感覚の質の変化が刺激の増大の尺度に度合いも進展度もすこしも反映しない」(同書, p.231)

点を述べる。これは特に問題ないし、

「記憶は大脳におおまかに依存するが、回想は大脳皮質のそれぞれの場所に文字どおり位置づけられているということはなく」(同)

というのも、或るタイプの記憶の想起を支える機構の説明として問題ない。(なぜそれが併置されるのかの論理、或る種の記憶と想起のメカニズムの非局在性が、この際どういう関係があって言及されているのかについては目を瞑ってしまえば。それはベルクソンの元々の言明とも関係なければ、老いとも関係ないから、これは奇妙にしか映らないのだが…)そして、

「人の質的老化が毎日詳細にわたって人生途上の進展をそのま訳出しているというのも真実ではない。詳細にわたってというのは真実ではないが、おおまかに、間接的にというのは真実だ。」(同)

というのも問題ないだろう。老いという定常状態の軌道は(数学的な意味で)単調に崩壊に向かうわけではなく、揺らぎをもって、確率的に動いていて、その軌道というのは粗視的に見た時に浮かび上がってくるものなのだから。

 一方で、「老い」の自覚は、そうした連続的な過程の非連続的な感受に基づくものであるというのもまた、それ自体は正しいだろう。それゆえ、ボーヴォワールの『老い』においても印象的な仕方で繰り返し語られるように、「老い」とは或る日突然に自覚されるものでありうるわけだ。

「身体の連続的変貌は時を隔てて、つまり、間歇的、不規則に意識に現われる。老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(同)

その通り。但し、老化自体が確率的な過程であることと、老いの自覚が突然に生じることは、厳密には区別されるべきだろう。前者によれば、若返りの自覚というのも時として可能ということが帰結し、実際にしばしばそのような経験は生じるであろう。寧ろ逆に、揺らぎを孕みつつ、エントロピーの増大という熱力学的過程に従うかのように巨視的には崩壊に向いた過程であるということが、間歇的・不規則な内部観測における老いの自覚に繋がっているのだから、ここにも避けるべきレベルの混同の嫌疑が生じるような書き方に眉を顰めざるを得ない。とはいえ、言明自体はここについては適切である。

 だがもう良いだろう。ジャンケレヴィッチの「老化」の章の結論部分においては、「感得」がキーワードであり、その点について確認することでジャンケレヴィッチの議論の要点を確認することができるだろう。そしてまた、この「感得」こそが、ジャンケレヴィッチにおいて死と老化を関連付けて論じることを可能にするポイントでもあるだろう。

「”真に受けること”にほかならないこの自意識、男も女もはじめて時の消滅に気づく老化の意識をわれわれは≪感得≫と呼んだ。感得は生きた時と鳥瞰した時の最初の出会いだ。」(同書, p.233)

ということは、基本的には内部観測の結果と、外部観測の結果の突合こそが老化だということで、これは数ページ前に述べられていたことの繰り返しに≪感得≫というラベルを付けたということになる。そして≪感得≫についての3つの相というのが再び確認される。ところがここでの言い回しからわかるように≪感得≫はもともと「老化」について導入されたのではなく、まさに本題である「死」について導入されたのだ。それを事も無げに、断りもなく「老化」に適用してしまって構わないのだろうか?

 その是非を措けば、そうした挙措はジャンケレヴィッチが「死」と「老化」の関係をどのように捉えているかを問わず語りに告げているということになるのだろう。そして実際、そこでは「老いてゆく人間」が主語の場合でも、「老い」ではなく「死」との関係が論じられてしまう。曰く、

「老いてゆく人間は、感得することによって、予告と自分自身の死の結びつきを把えないならば…」(同書, p.234)

或いは、 

「年老いてゆくものが、自分自身の死の日(時計上の時・分、暦上の何日)を文字どおり知るのではなく、死の近いことを強烈に経験するのだ。」(同)

従って

「≪感得≫のこれらの三つの相は、老化の経験においては、もちろん互いに切り離すことができない。」(同)

という言明の当否に依らず、ここでは「老い」そのものではなく、「老い」における「死」が問題になっていて、最早「老化」そのものについての議論は終わっているということに読者は気付かされることになるのだ。この言明以降、この節の末尾まで、ということは「老化」と題された章の末尾まで、ということでもあるのだが、とうとう「老い」という言葉は全く出て来なくなり、ひたすら「死」の≪感得≫について語られるばかりである。だが、その末尾までの言明を見て、一体それが「老化」とどう関わるのか、訝しく思う人がいても不思議はない。そこに書かれているのは、この節の冒頭の「死刑囚」の話がそうであったのと同様に、「老いてゆく人間」にのみ専ら関わることでもなく、「老い」と独立に論じることができることなのである。振り返ってみれば、「老い」についての議論の末尾で客観的な知識なり認識なりと、生きられた経験の相互干渉が「老いの意識」を生み出すとされたのであったが、結局のところそうした知識を一人称的に”真に受けること”が「死」についてと同様「老い」についても重要なのだということがジャンケレヴィッチの謂わんとすることなのかも知れない。

 だがもし仮にそうであったとして、「死」とは異なった「老い」の経験自体、「死」に対する「老いてゆく人間」ではなく「老いてゆく人間」が「老い」そのものにどう対するのか、「老い」固有の悲劇性がそこにあるのではないかという疑問についてジャンケレヴィッチが答えてくれることは期待すべきでないだろう。それは自ら引き受けて、自ら答えていくべき問題なのだろう。ボーヴォワールの『老い』は例外的に老いそのものに正面から立ち向かった試みであるが、その中でアンガージュマンの人らしくボーヴォワールが告発するように西洋の文化や社会は「老い」について正面から取り組むことを避けてきたのではないか?「死」についてはあれほど饒舌で、「死」についての著作なら古今を問わず汗牛充棟の状態であるのに対して、「死」そのものでもなく、「死」の前駆でもなく、直面することを強いられる「老い」そのものについて語られることが何と少なく、「老い」の議論がいとも容易に「死」についての議論にすり替えられてしまうことか…そしてそのすり替えの、まさに典型的な例をジャンケレヴィッチのこの著作に見出したような気がする。

*  *  *

 ここからは急ぎ足で、これまでの「老化」についてのジャンケレヴィッチの記述の追跡の結果を踏まえて、改めて『大地の歌』への参照箇所についての検討を行ってみたい。『大地の歌』への参照は、第2部 死の瞬間における死 の第3章 逆行できないもの の掉尾を飾る第9節 訣別。そして短い出会いについて で行われる。ここで直ちに気になる点は、第2部がその看板が示す通り、死の瞬間のみについて語るのだとすれば、逆行できないものというのはそもそもナンセンスということになることである。実際、それは先行する第2章で、ほとんど無 について語る時、既に、厳密な意味合いで瞬間に属さないものが密輸されているところから破綻していて、第3章は更に大胆に、実質的には再び「老い」について語り直しているようなものだ。

 そもそも「老い」について語った時、老いこそが一回性で、不可逆であると言っていたのではなかったか?だとすれば、その構成上の位置づけにも関わらず、『大地の歌』への参照は、実際には「死」そのものよりも寧ろ「老い」について語る文脈において行われているとさえ言い得るのではなかろうか?そして実際、第9節 訣別。そして短い出会いについて は冒頭でいきなり

「だが、この償われない喪失が人を慰められないままに残すとしても、老いてゆく人間がまったく補償に欠けているというのではない。」(同書, p.351)

と、老いにおける「補償」について語りだすのを見ると、それは確信に近いものになる。

「別離という数多くのちいさな死が、死という大きな別離の楕円を形作っているからだ。」(同書, p.352)

というレトリックも既視感のあるものだ。果たして老化について語っていた時には「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回していたのである。しかもここでの「告別」は、火星探査を引き合いに出して語られるのである。この点は決して取るに足らないことではない。アドルノが宇宙飛行士の見る「地球」についてまさに『大地の歌』に関連して述べていたことを思い起こし、火星への植民をビジネスにしようというイーロン・マスクが使い捨てのロケットではなく、帰還して再利用ができるロケットの開発をしていることを思い起こしてみるがいい。ここでのジャンケレヴィッチの主張のポイントは、「死」は一回性のもの、不可逆なもので、死の瞬間の近傍のトポロジーは、彼自身の著作の構成を裏切っていて、死のこちら側と死の向こう側は対称ではなく、(そういう言い方をするならば)「死出の旅」は片道であることが「告別」の持つ意味合いを、一時的な別れとは全く異なるものにするという点に存する筈である。寧ろ、死のこちら側というのは、死の「手前」というのが適切であって、かつそのトポロジーを決めているのが「老化」である筈なのだ。当然だが、「告別」は死の手前で為される。であるからには、一回性の、一度限りのそれは寧ろ「老い」に固有のもの、寧ろ「老い」に帰属させるのが妥当なものではなかろうか。

 そして悲劇性についても、ここでは「不在に先行した別離は悲劇性そのもの」(同書, p.353)と言われているが、「老化」に関しては、

「≪悲劇的なもの≫とは、人を突然≪老化した≫状態に置く一連の状況の名だ。」(同書, p.217)

と言われていたことを思い起こすべきだろうか。ジャンケレヴィッチお得意のレトリックを剥がしてしまえば、これはボーヴォワールが『老い』の第2部 世界内存在 で扱う、老いの認識に関わるのであり、老化を突然自覚することに関わる筈である。勿論、老いの自覚は「告別」によってもたらされるとは限らない。というより寧ろ、「老い」の自覚に導かれて人は「告別」をするのではなかろうか。「告別」が人を「老化」させるのではないが、「告別」は老化の自覚なしにはありえない。老いの自覚は、「自己」というある種の「定常状態」の行き着く先が「自己」の崩壊であるということの自覚、自分が下り坂、梯子の降りる側にいるということの自覚なのであって、その不可逆な過程の先にあるものこそ「死」なのであり、それゆえに「告別」は悲劇的なものになるのだという常識的な見方の方が、告別の悲劇性の拠って来るところを正しく捉えているのではなかろうか?

*  *  *

 おまけとして、当該の節のタイトルの末尾に付加された「短い出会い」についてはどうか?『大地の歌』の「告別」について言えば、確かにそこでの告別は、短い出会いにおいて為されているように見える。一緒にいるわけではない友人に別れを告げるために、わざわざ出会いが設定されるという構図は、だから『大地の歌』でも成立していることになる。だが、その内実はここでジャンケレヴィッチの言う通りだろうか?「告別」のテキストが、マーラー自身が2つの詩を継ぎ合わせたものであることにまず注意しよう。ベトゲの元の詩のみならず、さらにベトゲのNachdichtungの典拠である王維と孟浩然の詩もまた、「告別」の設定そのものでなくて、なおかつそちらであればそれぞれにジャンケレヴィッチ風の「短い出会い」が適用できたかも知れない。だが、マーラーの作品のテキスト自体はどうか?ここで思い浮かぶのは、友人に関するドゥルーズ=ガタリの奇妙なコメントだろう。寧ろドゥルーズ=ガタリの方が、マーラーが「告別」の楽章に施した錯綜とした操作の帰結を捉えている可能性すらあるだろう。更に言えば、元々の孟浩然の詩、王維の詩の「別れ」は「死別」なのだろうか?「別れ」のための「短い出会い」については認めたとして、それはジャンケレヴィッチがこの節で述べているような「死」を前にしたものだったのだろうか?そしてそれとは別に、ベトゥゲのNachdichtungを素材に更に編集を施したマーラーの歌詞においてはどうなのか?

 勿論、そこに死の影を見ず、それをマーラーの受けた診断は誤診だったし、マーラー自身も健康そのものであったということを論拠に通説を批難する近年の論調は、ジャンケレヴィッチ風には、マーラー自身の第一人称的な≪感得≫を蔑ろにしていて、それが「客観的」に「事実」に基づいていることを認めたとして、マーラーその人とその作品について語る時にそのことがどこまで意味を持つかについては甚だ疑問だろう。何しろマーラーは『大地の歌』を聴いた人間が自殺をするのでは、とさえ言ったらしいではないか?それともこのアネクドットにしても、弟子が「神話」を創作するために脚色したフィクションであるという証拠でもあるのだろうか?そもそも第一人称的な死を仮に措いたとして、幼少期から兄弟の早逝に繰り返し直面し、その後も兄弟や友人の自殺にも遭遇しているし、余りに有名な長女の死についてのアルマの証言に偽りが含まれているとして、それがマーラー本人にとって耐え難い経験であったことは想像に難くない。所謂「誤診」以前にも、まさにそのキャリアのピークにおいて痔による大量出血が原因で瀕死の状態を経験していて、別にそれを題材とした標題音楽を作曲しなかったからといって、そのことがその後の彼の人と作品に影響していないとか、大した影響はなかったという論拠にはなり得まい。それゆえ私が通説に疑問を感じるのは、異論のための異論の如きものが依拠するものとは全く無関係な理由によるのであって、このような異論ならば、通説との「あれかこれか」で私が迷うことはなく、通説の方が余程「真実」の近くを射貫ていると考える。だがそれもまた程度の問題で、比較をした結果に過ぎず、だからといって通説が的を射ているとは考えていないのである。 

*  *  *

 ここでこの読解の当初の目的を再確認しよう。この読解は、ジャンケレヴィッチの『死』の「老化」の章と「別れ」の節の読解を通して、必ずしもジャンケレヴィッチの思索を継承・展開するかたちではなく、寧ろ反面教師としてであれ、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としていた。そして実際に、大著の別々の箇所(「老化」は「死のこちら側」、「別れ」は「死の瞬間」に位置づけられていた)に存在する両者の読解を通して確認できたこととして、以下の点が挙げられるように思う。

 一見したところ「老化」についての考察は、「別れ」に関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見えるし、「老化」と「死」との区別を指摘していることから、『大地の歌』の参照に関して言えば。従来の「死」と結び付けて捉える通説と共通した発想(アドルノが批判した、第9交響曲の解説における「死が私を語ること」という後付けの標題の類のそれ)の一例として扱うことさえできるかも知れない。一方で、「老化」についての叙述は、一方では「死」についてのものとされる叙述と入り混じってしばしば区別ができず、寧ろそれは端的に「老化」についてのものとして区別するのが妥当に思われる箇所を含み、他方では「老化」が主題である筈の箇所で≪感得≫について語る時、実際には「老化」固有のそれではなく、「死」について語ったことを繰り返すことしかしていないといった箇所もあり、総じて「老化」を「死」から引き離そうとしつつも、その試みは不十分にしか達成されていない一方で、「死」についての叙述の中には、本来「老化」についてのものでしかないものが密輸されているように見える。「死」について斯くも饒舌たろうとし、実際に饒舌である一方で、この著作が『死』についてのものであるという前提を踏まえてなお、西洋の思考は「老化」について、それを正面から取り上げることを避けるというボーヴォワールの批判は当たっていると言わざるを得ないように感じられたというのは偽らざる感想である。

 翻って『大地の歌』の「別れ」について言えば、それが「死」の観点からのみ論じられるのは適切でないとしても、それでは「老い」の観点から論じるのは妥当なのかは独立の問題であろう。「死」でも「老い」でもなく、端的に「別れ」そのものであって何故いけないのか?歌詞は素材に過ぎず、作者の心理の投影を安直に作品に対してするべきでないとしたら、「老い」を持ち込むこともまた、人と作品に関する既成の発想に捉われたものではないのかという問いには、別に答える必要があるだろう。だが、ここでは一旦論証抜きで見通しだけ述べれば、「老い」を持ち込むのは心理学的な作者ー作品観に基づく密輸などではない。歌詞は素材だろうが、作品の一部であるには違いなく、あたかも歌詞など存在しないかの如く『大地の歌』を受容するのは(そうした姿勢を全面的に拒否しないまでも)妥当とは言えないとするならば、そして標題的・描写的な形態ではないにせよ、歌詞内容に触発されて作品が生成したのであれば、そこには「生の有限性」の認識があり、「疲労」の感受があり、「老い」の認識があることは明らかなことではなかろうか。「疲労」は「眠り」を誘うのだが、ここでの「疲労」は、ではそれによって「疲労」からの恢復が達成されるような類のものなのか?若き日の回想を呼び起こすようなその「疲労」は寧ろ、生体のロバストネスの変移としてのホメオスタシスの定常位置の変化としての「老い」の感受そのものなのではないか?ジャンケレヴィッチの「老い」の捉え方も、ダマシオの言う中核意識ー中核自己のレベルではなく、従って現象学的には単なる意識の中断を乗り越えた想起や予期が可能な第二次把持のレベルを前提とはしても、それに留まるレベルではなく、スティグレールやユク・ホイの第三次把持のレベルに対応する延長意識ー自伝的自己のレベルに関わるとする把握に通じており、システム論的な「ロバストネスの変移と崩壊」に通じている側面を見出すことができたし、「老い」を外側から観察できる事象としてのみ捉えるのではなく、主観的な認識を必須とする立場は正当なものであるが、そうした点を踏まえた時、『大地の歌』の「別れ」は「老い」の認識に立ったそれであるという把握には一定の妥当性があると主張しうるという見通しは、ここでの読解・検討を通じて確保できたのではないかと考える。

(2023.1.30初稿公開, 2.3更新, 2024.12.18 備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業の一部として再編集。改題の上再公開。2025.1.31, 2.2 誤記修正・表現の調整を行い更新。)


2025年1月29日水曜日

「投壜通信」としてのマーラーの音楽(2025.1.29 再公開)

アドルノ的な弁証法の枠組みのうちでは、おそらくは特異な楽器法や異化はちょうどラッヘンマンについて語るときそうであるように、マーラーを語るときに欠かせない「キャッチコピー」なのだろう。ところで、異化というのは文脈を必要とする。文脈を共有できるかどうかは実際のところ程度問題であるのだが、例えば一時期「モード」になったとまで言われた、かの「黄昏の地」における「形而上学の歴史の脱構築」とやらにしてもそうであるように、全く無関係であると言い切ることもまた困難であるにしても、ではそれが自分の喫緊の問題であるかといえば、自分が持つ文脈の頼りなさを思うにつけ、決してそうとはいえない、と言わざるを得ないのが正直なところだろう。ましてや対象領域は自分が専門的・職業的に関わっているわけではない音楽である。

特殊奏法というのも、「普通の奏法」というのがあって特殊が定義されるような捉え方をされる場合には、同じことが言えるだろう。例えば自分が演奏者であるならば、自分が習得してきた楽器の演奏法というのもあるし、それを抜きにしたとしても、指定されたやり方と物理的に格闘せざるを得ないわけで、そこに生じる抵抗というのが実現される音楽と不即不離なものであるというのは確かなことであろうが、現実にはここでは私は単なる享受者に過ぎず、せいぜいが実現された音響の新奇さを追っかけるくらいが関の山である。マーラーの音楽だって、ヴェーベルンの音楽だって、かつては随分と新奇な音響に満ちていたに違いないし、自分もまた、その新奇さに一度は魅了されたに違いないが、そうした新奇さは、異化がそうであるように摩滅してしまう賞味期限つきのものなのだ。

無論、賞味期限つきと割り切った聴き方があっても良いし、とりわけ同時代の音楽であればそれもまた大切なことではあるのだろうが、同時代であれば問題意識が共有できるとは限らない。賞味期限という意味ではとうに切れて、当時の文脈を再現することが覚束ない作品が「古典」として享受されるのは音楽だけに限った話ではない。そして実際のところ、同時代性が担保するかも知れない文脈の共有の頼りなさと比べたとき、そうした「古典」が持つ力の大きさは歴然としているように感じられる。私が同時代のものを積極的に渉猟する気になれないのは、それよりも、たとえ勝手読みでも誤読でも、そこから多くのものを得られる古典が幾らでもあるからだ。個人的な事情になってしまうが、その古典にしても、歴史的なパースペクティブを己のものとするように幅広くとか、あるいは演奏史や享受史を俯瞰できるほど深く、というわけには残念ながらいかない。時間にも能力にも限界がある身であれば、自ずと選択と集中が必要となるのであって、熱心なコンサートゴーアーの方々や膨大なコレクションを作り上げる方々を羨んでみても仕方ないと思うほかない。私にはそれだけのキャパシティがないのである。

もっともマーラーの場合には、特異な楽器法も、異化効果も、それとして意図されたものではない。マーラーは自分が表現したいものを表現する手段を探していて、そうした奏法や発想に辿り着いたのだ。予め弁証法的なシェマがあり、コンセプトがあってそれ自体を目的として異化が、特殊な奏法による伝統の相対化が、騒音と楽音の境界の再設定や、ひいては美と醜の弁証法的な運動が目指されているのではない。そうしたこと自体が目的として意味を持つようになるのは、もっと後のこと、まさにマーラーを歴史的に振り返って、自分達の先行者として位置づけることのできる文脈でのことだ。

だが、それは「私の」文脈ではない。私は音楽家ではないし、そこに微妙ではあっても決して瑣末ではない転倒を感じずにはいられない。誠実さを疑うわけではなくても、そうした転倒は或る種の袋小路に行き着くのでは、それは例えばヴェーベルンの後期の音楽に対してなされた転倒と良く似た構造を持っていないか、という疑念は拭い難い。音楽家であればこの疑念自体を己の課題としてしばらくそこで立ち止まることも意義のあることであったかもしれないが、私には結局、それに時間をかけるだけの意義は見出し難いということなのだと思う。私にとっての問題は、そうした表現媒体における弁証法的な運動そのものにはない。専ら、マーラーが見出した世の成り行きと「私」との関係、世界と私との関係の方なのだ。それとて文脈からは自由ではありえない、というのが冷静な見方なのかもしれないが、寧ろ、音楽を聴くことでそのような関係の様態を同化し、我が物とすることが可能である以上、文脈の相対性を声高に主張する賢しらさは、音楽が時代を超えて持つ力に対してあまりに無頓着に思われる。それですむならマーラーの音楽など聴かなければよい。マーラー自身もきっとそう思ったであろうと、マーラーに関しては少なからぬ「文脈」についての知識を持った上で、ある程度の確信を持って言うことができる。所詮はまだ、100年程度しか経っていないのだし、決してマーラーの生きた環境と、自分の生きる環境が共役不可能なほどに隔たってしまっているとは思えない。

だからマーラーとの関係は、幾重にも屈折したものとなる。文脈を共有できていないという面と、同時代性がとっくに喪われているという点で、マーラーの音楽の弁証法的な機能は私にとって疎遠なものだ。寧ろマーラーは私にとってははじめから或る意味での「古典」なのだ。私にとっては、それはその音楽の側が持っていた様々な文脈を知らずとも、反省的に演奏史や享受史に己を位置づけることをしなくても、そして後になって、最初に抱いていた思い込みや誤解に気づくことがあったとしても、それゆえに自分の奥底まで届くような聴取の質が損なわれることはないような音楽なのだ。そういう意味でマーラーの音楽は、1世紀の時間の隔たりと、地球半周分の空間の隔たりを通り抜けて、或る日、子供であった私の住む岸辺に辿り着いた「投壜通信」であり、偶々それを拾い上げて開封して読んだ私こそが名宛人であるところの「手紙」、異なる時代と場所で、別の仕方で、だが同じように「世の成り行き」に翻弄され、よろめきながら行進を続けている自分の思いや気持ちをぶつけ、自分の問題意識を突き合わせることができる、自分にとって欠かすことのできない存在なのだ。

(2006.10/2007.7, 2025.1.29 改題、加筆の上、再公開)

2025年1月24日金曜日

マーラーの音楽におけるポリフォニーと「対話」について(2025.1.24 再公開)

マーラーの音楽の基本的な発想の一つの側面として、対位法的な発想があることについては概ね異論はなかろう。 いわゆる概説書の類でも、一例を挙げればマイケル・ケネディがそのような指摘をしているし、アドルノもまた、マーラーに 関するモノグラフの中で、かなりの重点を置いて取り上げている。

マーラー自身の証言における「対位法」についての言及についていえば、バウアー・レヒナーの「回想」にある有名な 件をまず挙げるべきなのだろう。ただしこの言及は、マーラーの音楽における(マーラーの生きた時代を考えた場合に) 前衛的な側面、一般にはシュルレアリスムと結び付けられることの多い、コラージュやモンタージュといった技法、 あるいは「サウンドスケープ」のようなコンセプトとの関連で言及されることが多い。この場合の音楽の領域での 参照先は、例えばチャールズ・アイヴズであり、ドナルド・ミッチェルがその浩瀚なマーラーの作品についての著作のうち 「角笛交響曲の時代」を扱った巻において、トピック的にマーラーとアイヴズにフォーカスした節を設けていたり、 日本においても渡辺裕さんのマーラー論をまとめた著作の中に、マーラーが生きた時代のウィーンの「サウンドスケープ」 との関連を論じた論文が含まれているのを読むことができる。

一方で保守的と言われるマーラーの読書傾向の嗜好を辿ると、バフチンが「小説の言葉」のとりわけ第5章「ヨーロッパの 小説における二つの文体の流れ」等で取り立てているポリフォニー性の強い作品の系譜との共通性が見られることに気づかざるを得ない。 叙事詩から小説への決定的な第一歩を踏み出したとされるヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」からはじまって、 スターンの「トリストラム・シャンディ」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、更にはスターンの流れのドイツにおける継承としてのジャン・パウルの作品(「巨人」 「生意気盛り」「ジーベンケース」など)、メタ小説的な趣向に事欠かないホフマン(「牡猫ムルの人生観」を思い浮かべて いただきたい)、マーラーの読書の中核であったらしいゲーテの作品、そして掉尾を飾るのは何といってもバフチンがポリフォニックな 小説の典型と見做し、「ドストエフスキーの詩学の諸問題」で主題的に扱っているドストエフスキー(特に「カラマーゾフの兄弟」)と いった具合に、ポリフォニー性の高い作品が一貫して好まれていることがわかる。

バフチンといえば芸術創造を本質的に対話的なものと考える初期の見解から出発して、様々な様式や言語、文化の 間の対話を実現するものとしての小説のポリフォニー的構造の指摘を行うに至るが、更に小説にカーニバル性を 見出す主張を行っている。そしてポリフォニー性のみならずカーニバル性も含め総じてバフチンが小説というジャンルに見出す 「対話」的な構造は、一見すると様々な文化に属するジャンルが無秩序に混淆しているようにさえ見え、それが批難や嫌悪の 原因ともなるマーラーの音楽との親和性が高いように思われる。もっと直接的に、一時は作曲者自身によって交響詩「牧神」と さえ呼ばれた巨大な第1楽章を持つ第3交響曲や、まさにカーニバル的と呼ぶに相応しい様相を呈するフィナーレを含み、 バロック的なフランス風序曲を下敷きにしながら、四度音程の積み重ねによって新ウィーン楽派にも通じる第1楽章、 谷間を隔てて呼び交わすホルンやカウベルが鳴り響く中、古風な夜の音楽の断片が交錯する第1夜曲、 バルトーク・ピチカートの先駆けさえ厭わないグロテスクで「影のような」中間のスケルツォ、ギターやマンドリンを コンサートホールに持ち込んでの第2夜曲でのセレナーデの追憶からなる遠心的な構成を備えた第7交響曲を 思い浮かべてみることも出来よう。

交響曲と歌曲、カンタータといったジャンルの並列と交差(連作歌曲から交響曲「大地の歌」にいたる流れと、「嘆きの歌」を 起点にし、ファウスト第2部の終幕を取り上げた第8交響曲第2部にいたる流れを見出すことができるだろう)、 民謡(借り物としてのドイツ民謡、基層としてのボヘミヤ的な旋律とユダヤ的な旋律)とコラール、調律されていない 音響と楽音、自然の音(鳥の声、小川のせせらぎ)と人間の音(カウベル、郵便馬車のポストホルン、ホルンの 呼び交わしからファンファーレへ)、更には都市の喧騒の並存は、まさに多言語の混在であり、パロディやイロニーの導入は それが意識の音楽であり、多層的なものであることを告げる。交響曲というジャンル自体の歴史を交響曲自体が振り返り、 その結果として最早即時的にそれ自身ではあり得ず、自身のイメージを演ずることしかできないかのようだ。 マーラーにおいては主観的形式であった筈の歌曲ですら、とりわけ「子供の魔法の角笛」に取材したそれはどこか客観的であり、 民謡そのものではなく、民謡を利用した別の何かになってしまっている。

マーラーが交響曲というジャンルを選択したことは、そうした嗜好と全く無関係であると考える必要もなかろう。 一見して雑種的で複合的な、今日で言えばマルチ・メディア的なジャンルであるオペラの上演に一方では携わりながら、 当時の概念では「総合芸術」であるそれが、本当の意味での多声性を保証するものではないことに気づいてか、 自己の作品創造においては、そうした経験を惜しみなく交響曲というジャンルに注ぎ込み、それをバフチン的な意味で 小説的であり、ポリフォニックなものとしたと見做すことができるのではなかろうか。

だが小説という文学におけるジャンルとマーラーの交響曲との類似の指摘、更には類似のいわば要石たるポリフォニー性の 指摘といえば、まずはアドルノの所論に言及すべきだろう。彼の「マーラー論」の1章はまさに「小説」と題されており、 マーラーの音楽に最も近いジャンルは小説であるという主張をしている。更には第9交響曲について絶対的な小説-交響曲と 規定しているくだりでは、対位法的な声部の間の対話構造に言及していて、ポリフォニーを「対話」の実現であり、 小説というジャンルがそれを可能にすると主張するバフチンの立場との突合せが可能な程度には並行性が見られるように思われる。

ところで、まさにその部分こそ、ツェランの「山中の対話」の贈呈の返礼としてツェランに宛てて書かれた書簡において、 アドルノが自作を引用した箇所に他ならない。話は単に文学作品の音楽性といったレヴェルに留まらないのだ。 勿論のこと、小説と詩というジャンル間の隔たりは小さくない。まさにバフチンが、小説の対話的構造の対立項として 詩のモノローグ的な性格を強調しているのであるから、このアドルノの引用に比較に超えがたい懸隔に架橋を試みる 牽強付会を見出す人がいても不思議はない。だが詩を芸術と対立させつつ、詩を対話的なものとして捉えていたのが 他ならぬツェラン自身であったとすれば、詩における対話の可能性について、寧ろここを出発点として考えていく姿勢こそが ツェランを読むために必要とさせることなのではなかろうか。ツェランの詩はバフチンが多分に戦略的な意図をもって 設定した詩の類型からの例外、逸脱と考えることはできないだろうか。

そうした展望の中で再びマーラーの本棚に目をやると、ツェラン自身も大きな共感を寄せていたらしい、ポリフォニックな 詩作の実践者の姿が目に留まる。ギリシアの讃歌に範をとり、キリストとギリシアの神々が共存する後期の自由律の 巨大な詩篇群に加え、ソフォクレスのドイツ語翻訳を試みた人、最晩年には病の中でスカルダネリという別の名で署名した 短い詩を他者に宛てて送り続けた人。その人の名はフリードリヒ・ヘルダーリン。マーラーが好んだとされる 巨大なライン讃歌とマーラーの巨大な交響曲楽章の間に「近さ」を見出すことがそんなに困難なこととは 私には思われないが、のみならず、荒唐無稽と断定されてしまうこともあるフラバヌス・マウルスの讃歌 (しかもここでは伝統的なグレゴリア聖歌のカントゥス・フィルムスが顧みられることもない)とゲーテのファウストの 第2部(これ自体はそれまでも何度となく作曲家達によって取り上げられてきた題材である)の間の架橋もまた、 ヘルダーリンが別の基盤に立って別の文脈で企図したそれと構造的に同型の、相異なる他者間の「対話」の試みとして 捉えることができるのではないだろうか。

否、翻ってツェランの詩を顧みても、ツェランの詩作がどんな「対話」の文脈を水源として織られて行ったか、 その作品の中に、作者の個人的経験の層、読書その他による「対話」の反響の層がどんなにぎっしりと埋め込まれているかを 思えば、そこに(例えばツェランが自身の対極として想定していたらしいマラルメの「書物」のような)モノローグ的なあり方とは 異なった様相を確認するのは別段困難なことには思えない。その詩は、ある時にはカバラを参照するかと思えば、 植物学、鉱物学、地質学、気象学や解剖学といった莫大な領域を参照し、晩年になるにつれますます顕著になる 改行による単語の綴りの分離、それと相関するかのようにこちらもまた増大し、解釈の困難すらもたらすことがしばしばである ネオロジスムもまた、ツェランの詩が決してモノローグなどではなく、それ自体が自律したポリフォニックな構造を備えていることを 示していはしないだろうか。その詩の言われるところの秘教性なるものは、実はその詩が私的で自閉的で他者を拒んでいるが故ではなく、 寧ろ全く逆にその詩が読み手の視界に収まりきらない程の複雑さと多重度をもって他者に対して開かれた、多声的な構造を 備えていることに由来する解釈の困難さを履き違えたゆえの誤解ではないのか。一体そこでは誰が語っているのか。 作者はもはや語りの主体ではないかのようだ。シェーンベルクがプラハ講演にてマーラーの第9交響曲を評して述べた 言葉、まるで他者が作曲主体をメガホン代わりに使っているかのようだとの言葉は、晩年のツェランの詩篇についても 言えるのではなかろうか。

そうしたことを思い合わせてみるに、一見すると対極にすら見えるかも知れない寡黙で訥弁なツェランの晩年の詩と、 まさに小説-交響曲の体現である巨大で饒舌なマーラーの後期交響曲との間にも、私はそうした表面的な違いを超えた、 ある「近さ」を感じずにはいられない。それはマーラーもツェランも、物言わぬものの代弁をすること、 「幽霊」たちに声を与えることを己の創作の使命とした点と恐らくは関係があり、つまるところ、もう一度、 その作品がその中で生み出され、そして生み出された作品そのものが再帰的に構築していく場の構造としての 「対話」が問題なのではないかという気がしてならない。

(2012.10.30/31, 11.5, 2025.1.24 改題の上、再公開)

2025年1月22日水曜日

マーラーをコンサートホールで聴くことの難しさ(2025.1.22 再公開)

マーラーの音楽がコンサートホールでの演奏・聴取を前提として書かれているのは言うまでもないことのように見える。けれどもその自明さは、 その音楽が作曲されてから100年が経過した極東の地においてもコンサートホールが存在し、オーケストラが存在し、演奏会が催され続けている という社会的、制度的な連続性に拠っているはずである。マーラーよりも100年前の音楽が受容された社会的・制度的な前提が最早存在せず、 だからこそ時代考証を経た「復元」が意味を持つことを考えれば、もう100年経過した未来でも自明であり続けるかどうかは予断を許さないと 考えるべきなのだろう。

一方で、マーラーが生きた時代を知る人は最早おらず、マーラーの音楽がそこから生まれ、そこで鳴り響いた環境からは遠く隔たってしまっている こともまた否定し難いように思える。勿論、地理的な隔絶というのもある。マーラーに関して言えば、アメリカやロシアのようにマーラー自身が訪れて 自作を演奏することはなかったけれど、マーラーその人を知っており、1923年にはベルリンでマーラー・ツィクルスを企画した指揮者クラウス・ プリングスハイムが戦前にマーラーの交響曲の幾つかを日本初演していったという経緯は確かにあるものの、文化的な隔たりを無視することは できないだろう。マーラーのマージナリティ、あるいは些か皮相になるが例えば「大地の歌」が唐詩の翻案に基づいていたりといった側面は確かに マーラーの音楽を日本人が受容することを容易にしているかも知れないが、その代わりにマーラーの音楽が当時、彼の地において持った インパクトを測るのには際立って意識的な作業が必要になる。唐詩の場合は厄介で、日本人にとってそれは伝統的に身近なものであったとはいえ、 結局それは外国の風景だし、やはり翻訳して受容してきたには違いなく、結局は別の位置に立って眺めているに過ぎないのである。ボヘミア生まれの ユダヤ人マーラーと「子供の魔法の角笛」の距離感を実感するのも難しいけれど、彼と「中国の笛」との距離感を測るのはある意味では更に 厄介かも知れないのだ。

勿論そんなことはわかりきったことだし、それを言い出せば同時代の人間だってマーラーの位置に立つことは原理的には不可能だということになる。 今日の日本でゲーテやニーチェを引いてマーラーの世界観なるものを説明しようとするのは、マーラーの立ち位置と今日の間にある隔絶に対して あまりにナイーヴに思えてならないし、一方でマーラー時代のウィーンについての知識があるに越したことはないだろうけれど、その知識が今日、 日本でマーラーを受容することに対しては何の担保ともなりえないことに無頓着な解説は、そうした脈絡もなく、ある日突然、マーラーの音楽を聴いて 魅せられた子供が聴き取った筈のもの、時代の違い、地理的・文化的隔絶を乗り越えて届いた「声」を言い当てることに対しては無力である。 だが個別的なもの、具体的なもの、単に主観的で一回性の経験そのものを問題にしたいわけではない。もしそうなら、ある時空の座標の1点で 起きたイヴェント、例えば頼りない音質のラジカセから響いた音響が、ヒト科の個体の脳内の神経回路網をどう刺激し、変形したかが記述できれば 少なくとも原理的には事足りることになる筈である。

こう書けば極端に響くが、もう一方の普遍性の側の危うさは音楽の場合には明らかで、 幾ら背伸びをしたところでそれは「人間」を超えることはない。シュトックハウゼンはド・ラ・グランジュのマーラー伝の書評で、「もしある別の星に 住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはいかないだろう。」(酒田健一訳、 以下同じ)と述べているが、この発言は幾つかの点で示唆的である。一つには生物の「高等」さの尺度が「地球人」におかれていていること。無いものねだりとは 言いながら、例えばスタニスワフ・レムが描き出したようにそもそも地球上の生物とは全く異なる物理化学的・生物学的基盤の上に「知性」(正確には 「知的」に見えるもの)が備わっていることだって大いにありうるわけだ。そうであってみれば、そもそも「音楽」というのが件の高等生物にとっては全く理解しがたい もの、何のために存在するものであるかすら分からない音響だということも考えられるし、人間と同じ周波数帯の聴覚を備えていることを期待すべきでは ないかも知れない。彼が考えていることがあまりに「人間」的なものを自明なものと前提した、随分とムシの良い人間中心主義なのは明らかなのだが、 彼の「音楽」が暗黙の裡に前提としているものはそれだけではない。シュトックハウゼンの発言の意図が別にあることは承知で言えば、もちろん「地球人」を ヨーロッパのある時期の、しかもかなり特殊な音楽、たった一人の人間が書いた音楽で代表させることの無謀さは明らかで、そこに西欧の文化帝国主義の 無邪気は顕れを見出して呆れる人がいても不思議はない。勿論シュトックハウゼンは、一方では「人間」が時代とともに変容するものであることに対する 認識はあって、「その音楽は、人類が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめようとするまえの、 古い、全的な、《一個体》としての人間による最後の音楽である。」と述べてはいるが、寧ろジュリアン・ジェインズが構想したような時間軸での 意識の歴史のようなパースペクティブこそ相応しい文脈にも関わらず、こちらは今度はあまりに狭い文脈の議論に飛躍してしまっている。恐らくこの発言で 想定されているのは、彼の周辺の「現代音楽」から眺めた展望に過ぎない。結局、マーラーの音楽は、歴史的・文化的に極めて限定された「人間」 (その中には勿論、シュトックハウゼンも含まれるわけだ)のためのものに過ぎないということが露呈されているようだ。

かくして異文化理解のようなレベルで議論している分には成立するかに見える普遍性も、一歩外に踏み出せば色褪せてしまう。 別の星に住む高等生物を持ち出すまでもなく、人工知能研究以後におけるロボットを考えてもいいし、その認知能力が明らかになりつつある別の生物、 例えばオウムやインコ、あるいはイルカやクジラを考えても構わない。マーラーの音楽からは随分遠くに来てしまったように見えるかも知れないが、 それは一般にマーラーの音楽を語る文脈の側が自分の都合の良い視界狭窄に陥っているからであって、シュトックハウゼンの発言は勿論、詩的な比喩か修辞のように、 あるいは芸術家の誇大妄想として受け流すのではなく、逆にその不十分さを補って、もっと先に推し進めていくことによって限界を認識することに よってこそマーラーの音楽の今日的な射程は見えてくるのではないか。個別の経験を超えるものとは言っても、天空のどこかにあるイデアを想定する 必要はない(論理的な極限概念としてホワイトヘッド的な「永遠的客体」を考えるのは構わないが)。そもそも一体、マーラーの「音楽」なるものはどこにあるのか。 それはコンサートホールの中に響き渡る音響のうちにしかないのか。CD等の媒体に収めされた音響が「音楽」の痕跡に過ぎないのだとしたら、 あるコンサートホールにある日響いた音響もまた、「音楽」の不完全な写し絵に過ぎないのではないか。あるいはまた、聴く「私」抜きには「音楽」が 成立しえないのであれば、コンサートホールでの演奏は「音楽」そのものではなく、寧ろ、それが聴く私の中に起こす反応の過程を含めた全体を 「音楽」と呼ぶべきなのではないか。だがそうだとしたら、更にホールで聴く「私」の人数だけ起きる異なった反応の過程のすべてを音楽と呼ぶのが より適切なのだろうか。一方で、楽譜を手にして頭の中で鳴らすそれは音楽とはいえないのだろうか。マーラーは「大地の歌」や第9交響曲の 初演を聴かずに没したが、それではマーラーは自分の「音楽」を知っておらず、今日の日本でコンサートホールで演奏されるそれらを聴く人間の 方がマーラーよりも「音楽」により近いというべきなのだろうか。個別の経験のどのような断面に現れる構造を「マーラーの音楽」と呼ぶべきなのだろう。

何を大袈裟な、所詮は趣味や娯楽の話、音楽がある文化の中のものであることはわかりきったことだし、CDを聴いたり、コンサートに通ったり、あるいは 自分で演奏したりするのに、そんな話は関係がない、というのが一般的なマーラー受容における「良識ある」反応ということになるのだろう。 些か異なる文脈だが、フランツ・ヨーゼフ皇帝がマーラーのウィーン宮廷歌劇場での改革について「所詮は娯楽ではないか」といった発言をしている。 この発言で問題になったコンサートホールやオペラハウスでのマナーも流動的なもので、今日ではどちらかと言えば上記の発言にも関わらず 皇帝が支持したマーラーのやり方に近いものがスタンダードとなっているわけだが、いずれにしてもそうした諸々の決まり事の中でマーラーの音楽は、 だが基本的には趣味・娯楽として聴かれているのだろう。もともとがミュンヘンの博覧会の会場で初演された第8交響曲は、だからコンサートホールのこけら 落としや何かを記念したイヴェントにうってつけの曲目で、もともとコンサート・ピースでしかない第2交響曲は宗教音楽ではありえず、 だからそれがユーゲントシュティル的な装飾に過ぎないというハンス・マイヤーの嫌疑は、受け止め方によっては寧ろ相手を過大評価したないものねだりである という廉で不当な批判と見做されても不思議はないのかも知れない。では一体、コンサートホールで演奏される第2交響曲や第8交響曲に対して、 どのように向き合えばいいのだろう。第2交響曲や第8交響曲の扱いに困って、なかったことにする態度というのも、現実にそれをコンサートホールで聴く という状況を考えれば理解できなくはない。だが私見では、それはコンサートホールでの演奏会というフォーマット、今日の日本におけるそれが 第2交響曲や第8交響曲が備えている或る種の志向を容れる媒体としては不適切だということであって、第2交響曲や第8交響曲そのものが 賞味期限切れなのだとは考えたくないのである。それでは他の曲ならコンサートホールに相応しいかといえば、私には到底そうは思えない。私にとっては マーラーの音楽はどの作品も、それが紛れもなくコンサートホールで演奏されるように作曲されているにも関わらず、コンサートホールで聴くことが 非常に困難なものになってしまっているのだ。

一体どこにその困難さがあるのだろうと色々と条件を列挙したり、代替案を考えてみたりしてみれば、おおよそ以下のようになる。今日、マーラーの 音楽を聴くための代替手段としてもっともありふれているのは、(1)CDなどの媒体に録音されたものを聴くことだろう。それ以外にも(2)楽譜を読むこと、 (3)ピアノ連弾などに編曲された形態を演奏することも考えられるし、(4)記憶にたよって頭の中で鳴らすことや、(5)自分が奏者としてあるバートを担当する、 あるいは(6)指揮をするというやり方で、演奏者として聴くというのも可能性としてはあるだろうが。コンサートホールで聴くのも、例えば(7)聴き手が自分一人の 場合も可能性としてなら考えられるだろう。もう一つ、純粋な可能性としてなら考えられるのが、(8)マーラーが今日の日本に生きていて彼と一緒に聞く場合もある。 マーラーは指揮者だったから、(9)自作自演を聴くというのもありえるだろう。ここで重要なのは、自分が100年前のウィーンに住んでいるという可能性の 方は考えないことである。ただし、ヴァリアントとして(10)今日、かつてマーラーが生きていた、例えばウィーンでコンサートを聴くのはどうかというのは含めても 良いかも知れない。100年前に自分を置くのは原理的に不可能だが、空間の移動は可能性としてはありえる。マーラーが今日の日本に生きている というのは原理的に不可能に見えるが、これはマーラーが日本人で同時代の作曲家であるとすればいいのだ。要するに、そのような音楽が今日の日本で 書かれて、同時代の音楽として聴く可能性で、人間の方もマーラーみたいな誰かが、マーラーのような音楽を書いたと思えばよい。

(1)(2)(3)(4)は実際にそうしているか、それに近い受容を実際にしているから問題ないのははっきりしている。(5)(6)は経験がないので何ともいえないが、 恐らくこの場合には全く違った展望になるだろうと思われる。(7)(10)はいずれも恐らくだめだろうと思う。(10)は日本で聴くのとは全く異なる経験であろうとは 思うけれど、所詮は自分の檻からは逃れられない。最後の他者として自分が残ってしまって持て余すことになると思う。(7)の方は、指揮者・演奏者の 他者性・複数性が気になってしまってだめだろうと思う。(8)(9)はもともと突飛な想定なので想像に限度があるが、恐らくは困難だと思う。言い換えれば、 今日の日本でマーラーのような気質と問題意識を持った人間が作品を書けば、全く異なった素材を用いた、全く異なった音楽にならざるを得ないのではないかと 思えるということだ。マーラーの音楽は、結局のところ過去の異郷の音楽でしかない。今、ここでの作品としては最早不可能なものなのだと思う。

どうしてこういうことになるのか。一つ考えられるが、私がマーラーを受容してきたのがそもそもコンサートでの実演の聴取を通してではなく、レコードやCD、 あるいは放送といった媒体を介してであったということがあるだろう。ただしクルト・ブラウコップフのような音楽社会学者の主張とは些か異なって、 そうすることによって、マーラーの音楽が自分の「内側」で響くようになってしまった、というのが大きく寄与していると思う。楽譜を読んだり、キーボードで 弾いたりという享受の仕方は、クルト・ブラウコップフの議論では寧ろ、LPレコード以前のかつての受容の方法として対立するのだが、ここではそうではなくて、 寧ろレコードやCDでの聴取の側に属してコンサートホールでの聴取と対立し、公共性に対して私性を強化する機能をしているのである。私がレコードや CDの蒐集に熱心でなく、聴き比べのようなものに関心がないのも、それが第一義的には「内側」で響く音楽を確認する機能を担っているからなのだろう。 従って、どんな演奏でもいいわけではなく、嗜好のようなものは存在する一方で、音質や臨場感にはあまり頓着しないのだろう。一方でいわゆる決定盤主義に ならないのは、個別の演奏にある様々な制約が、「内側」の響きと一致しないためだろう。もしそうだとすると(5)や(6)、特に(6)については、その能力と機会が あったと仮定すれば恐らく取り組んだであろうが、それでも或る種の究極の演奏といった考え方には馴染めない。結局のところ「内側」の響き自体が動いていく ものだということと、実演では様々な現実的な条件への対応が必要で、だから演奏は毎回異なって当然だし、そうであるべきだと考えているからだ。

「内側」の響きといい、私性といい、取りようによっては非常に傲慢で独善的な聴き方をしているのではないかという批判は当然あるべきで、自分の聴き方の 価値について擁護しようとは思わない。あくまでも事実として、私はマーラーをそのように聴いてきたし、今でもそうだということに過ぎない。マーラーはこのように 聴かなくてはならないなどということはなくて、言いうるのは、マーラーはこのように聴かれる場合があり得るという例示に限られる。寧ろ、様々な制約で、 かくも不幸な聴き方しかできなくなった症例として掲げるべきなのかも知れない。何しろ、マーラーの音楽は、結局のところコンサートホールのための音楽なのだから、 非本来的といえば、非本来的な聴取であることは否定しようがないのだから。

あえて言えば、マーラーの音楽に内在するメタ音楽的な契機、既存の枠組みを 相対化し、いわば「括弧」入れして「上演する」やり方、更にはパロディーやイロニーを可能にする自分自身に対する距離の存在、自己参照性、複数の声の 共存、複数のレベルの併置、要するにマーラーの音楽を「意識の音楽」たらしめている特性を考えれば、今やそれをコンサートで単純に聴くのではなく、 コンサートホールでの演奏の記録を聴くこと、コンサートホールでの演奏という状況の「括弧入れ」を行うための媒体として「録楽」を考えること、いわば メタシアターとして「録楽」による聴取を考えることはマーラーの場合には、その音楽の実質に適っているという主張は可能ではなかろうか。マーラーにあっては 既存の様式は「幽霊」としてしか存在しえない。そこには意図されたアナクロニスムが存在するのだ。であってみれば、マーラーの音楽そのものを今度は 「幽霊」として受容すること、もはや不可能なものとして、過ぎ去ったものとして聴くことはあながち不当なこととは言えまい。

アドルノがカフカの「審判」の末尾を引用して述べるように、マーラーの音楽が誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだとしたら? ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような人間にとってまさに己を代弁するような音楽、「極めて反抗的に」と指示された音楽は真理が 幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。マンデリシュタムが、あるいはマンデリシュタムを引用したツェランが詩について 述べたのと同じように、マーラーの音楽もまた、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信ではなかろうか。 航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉は、 だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に拾い上げられて読まれることはないのだろうか。 マンデリシュタムはやはり「対話者について」において、そうした手紙を読むことが自分の権利であると言っている。壜を見つけたものこそが手紙の名宛人なのだと。 だとしたら、楽譜がそうであるように、演奏を記録した銀色の円盤もまた、そうした投壜通信たるマーラーの音楽にこそ相応しい媒体ではなかろうか。

結局のところ、100年も前の異国の音楽を、それに相応しく聴くことが私にはとうとうできそうにない。それならいっそのこと聴くのをやめてしまえばよさそうなもので、 実際、一時期そのようにしようと試み、数年間マーラーを聴かないで過したこともあった。だが、今、ここで、限られた能力しかない自分に残された時間で何を するかを考えたとき、今、ここで創造される音楽を除いてしまえば、自分の「内側」で響いているマーラーの音楽以外に聴き続けるものはない。そう、自分の「内側」で 響いているそれは、寧ろ端的に自分の一部というべきで、外から聴こえてくる音楽、外で他者が鳴らす音楽とは異なるものなのである。もっとも、その境界は連続的で あって、もともとは外で響いていた筈だし、今でもそれは、いわば自分の中の他者、異物としての他性を喪ってはいないし、寧ろ、その他性ゆえに、「私」という システムの中で機能しているのだと考えているのだが。それは丁度、今、ここで創造される音楽が、私自身が作曲するのではない以上、問題意識の共有と、 世界の捉え方、感じ方、認識の様態に対する共感はあっても、はっきりとした他性を備えた、他者からの呼び掛けであるのと呼応しているのだろう。

もしそうだとしたら、もう一度私がコンサートホールでマーラーの音楽を聴く契機は、マーラー自身が最早「幽霊」でしかない以上、演奏者に対するコミットメントに しかないのかも知れない。娯楽として、趣味として、お客さんとして音楽を聴くのではなく、仮に自分は演奏しなくても、演奏者の隣で音楽に接することによって、 私の隣に、今、ここにいる他者である演奏者の奏でる響きと私の「内側」の響きとの間に相互作用が生じる以外に「内側」の響きを公共性の場にもたらすことは困難であるように 思われる。そしてそれもまた、今、ここで創造される音楽が、私の隣に、今、ここにいる他者である作曲者と私との間の相互作用(ただし、一般には能力の多寡に 応じて収支はバランスを大きく欠いている。常に与えられるものの方が、返すことができるものよりも遥かに大きいのだが)によって、場を形づくることができるのに 対応しているのだろう。そうでなければ「幽霊」たるマーラーには、解読を強いる謎が鏤められた暗号文字で綴られた投壜通信である「楽譜」や、その場にいない他者の 痕跡である「録楽」こそが相応しいように私には感じられてならない。そしてそこに読み出すのは痕跡そのものではなく、痕跡が指し示す何か、歴史的・地理的・文化的 隔たりを超えて、解読すべき何かなのだ。そしてそれこそがマーラーが作品を書かずにはいられなかった(伝達したかった、ではない)何かであるに違いない。 いつもこうした状況が成立するわけではないけれど、ことマーラーの場合にはそうなのだと思う。それがマーラーの音楽の持つ力の源泉なのだ。

(2010.1.11初稿, 1.14加筆, 2025.1.22 改題の上、再公開)

2025年1月20日月曜日

マーラーの音楽が喚起する「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)(2025.1.20 再公開)

音楽を聴くとき、「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)が頭の中に思い浮かぶことがある。それはその音楽が風景を描写した標題音楽であるか否かとは関係がないし、「想像上の」(イマジナリー)と書いたように、自分の知っている具体的な場所の記憶との連想でもない。もっと言えば、それは具体的な細部を欠いていて、実質を突き詰めていけば、音楽が惹き起こす幾つかのモーダルな質の複合に過ぎないのかも知れない場合もあるし、もう少し具体的な地形、季節、天候、時間帯といったものを備えていることもある。とりわけマーラーの交響曲のように叙事的な広がりを備えた音楽の場合、音楽の経過に応じて風景の上でも時間が流れ、変化が生じることになる。それは静的な絵画ではなく、風景の中を逍遥する経験の記録の如きものなのだ。

歌詞を備えた音楽であれば、その歌詞の内容がそうした風景の中に映り込むことはほとんど避け難く、だけれども歌詞自体が喚起する風景もまた、ほとんどの場合そうであるように、具体的な地名を欠いていれば、「想像上の」(イマジナリー)風景であるには違いない。

一方で音楽外的な知識によって、作品が特定の地名と結びつくようなこともある。私が現実には訪れたことのないザルツカンマーグートの山塊(もっとも今日なら写真や映像で仮想的に見ることは幾らでもできるのだが)は、マーラーが見たことのない極東の風景と鏡像的な関係にあって、だから私はマーラーがワルターに語った言葉を文字通りに受け止め、現実のザルツカンマーグートではなく、第3交響曲の作品が内包している世界のヴァーチャルな山をこそ見るべきだし、「大地の歌」に極東の風景(それが中国なら、訪れたことがないという点では私にとってはマーラーが作曲をした場所と変わるところはないのだが)を見るのではなく、まさに音楽が描き出す、現実の何処でもない仮想の風景を見るべきなのだろう。

とはいうものの、風景が具体的なものである場合、例えば川が流れている場合、自分が現実に見た川そのものではなくても、それが抽象され、変形されたものによって「想像上の」(イマジナリー)風景が形成されることもまた、避け難い。川面に映る月、空を仰ぐと銀色の小舟のように漂う月もまた、所詮は同じ月を見ているのではあっても、ある日ある刻にある場所で見た月の印象の重畳が、音楽と歌詞とか呼び起こす風景の素材となっているはずである。そしてその風景は、変形されてはいても、或る日現実に出会う可能性がないともいえない現実性を帯びたものである場合もあるだろうし、或る種の幻視に近い、現実との接点が希薄な、生々しくはあっても抽象的な心的空間における像であることもあるだろう。

では同じ音楽を繰り返し聴くことによって、いつも同じ風景に辿り着くものだろうか?同じ演奏の録音であれば、恐らくそれはYesだろう。最初は共感覚的な基盤によって生じたそれは、少しずつ連想に近いものになっていき、細部が明確になったり、別の視野がひらけたりはしても、その風景は矛盾なく一貫したものであるだろう。だが同じ作品の異なる演奏の場合はどうだろうか。この場合には、同じ風景の少し異なる時間、異なる年の、異なる日の表情の違いに似た場合もあるだろうし、異なる風景が浮かぶこともあるだろう。

音楽が呼び起こすこうした「想像上の」(イマジナリー)風景が明確であればあるほど、同じ音楽が或る具体的な映像との組合せで提示されるような場合に当惑を惹き起こすことになる。拒絶反応とまではいかなくても、何か居心地の悪い感覚に囚われることは避け難い。

こうした風景は、実演を通して作品に接する頻度が低く、録音媒体による反復聴取が聴体験のほとんどを形成しているが故のものかも知れない。音が産み出される現場に居合わせることなく、まるで異なる時空から届くかのように音を受け止める聴き方が、その音が響いている異なる時空の風景を浮かび上がらせているという側面は否定し難いだろう。コンサートホールで、奏者が音を産み出す現場を目の当たりにしつつ、それとは異なる時空を目前にあるかの如くに思い浮かべるのは決して容易ではない。勿論コンサートホールであっても、眼を閉じてしまえばそれは可能かも知れないし、録音を聴く場合でも(幾つかの記念碑的な実況録音ではしばしば起きることだが)、演奏が行われている場の雰囲気の濃密さに風景の方が後景に退くこともあるだろう。だが、ではそれが録音再生テクノロジーの産物であり、作品自体とは無縁のものであるかと言えば、決してそんなことはない。少なくとも或る種の音楽は、それ自体が確実に、そうした風景を呼び起こす力を、私に対しては備えているということができる。

久しぶりにある作品を聴く行為は、私的で内面的な「想像上の」(イマジナリー)風景の空間における「帰郷」に近いものになる。見慣れた風景、あるべきところあるべきものが存在する或る種の確からしさの感覚。それはだが、懐旧の故郷などではない。その風景は、もともと私がその中に埋め込まれていた風景ではなく、それはもともと私の風景ではなかったところのもの、自らが迎え入れ、そこに自らを埋め込むことを選択した風景、そこに己の希望を托した未来としての風景、北村透谷の意味での「幻境」なのだ。

その風景は儚いものであり、それ自体遺しておかなければ喪われてしまう性格を帯びたもの、しかもそれは音楽が鳴り響く瞬間の、しかも音響が響く空間にではなく、それを聴取する私の裡にしかないものではあるけれど、人が生きるための糧を得る場所、そこに希望を見出しうる場所というのは、常にそういう性質のもの、「想像的」(イマジナリー)でしかありえないものではなかっただろうか?「私」の住処という点において、リアリティとヴァーチャリティの位相は逆転する。もっとも「私」というのがそもそもヴァーチャルな存在であり、それは構造的にはごく当たり前のことなのだろうが。

その風景は向こう岸を垣間見たものであったろうか。確実なことはその風景が、ある署名を備えた音楽作品によって喚び起こされるものであって、決して孤立した主観の中での幻想などではないということだ。勿論、現実の風景であってもそうであるように、各人の展望に応じて、そこに見出すものには差異があるだろう。けれどもそれは一旦作品としていわばデジタル化、量子化され、アーカイブされることによって、一つの世界を閉じ込めたものになる。どこか別の時と場所においても、私のような子供が或る日、流れ着いた壜を拾い、それを開けて、同じ風景に眺め入ることだろう。その時、風景は同時的ではなく、通常の意味合いでのコミュニケーションは成立せず、幽霊的なものでしかなくとも、なお共同主観的なものであり、受け取り手はそのことを(私がそうであるように)知っている。

表面的には絶望と厭世に彩られ、この世からの告別である音楽は、だが、トラウマを抱えているが故に、それ自体を語ることができず、己の苦しみを他の界面に投影することでようやく自己を維持しえている人間、そのようなかたちで語る以外の言葉を奪われ、それでもなお己の住まう岸から、誰かに届くことを願って壜に言葉を詰めて投じる他に、生き延びる術もなき人間にとっては、それ自体が「希望」に他ならない。「私はこの世で幸運に恵まれなかった」という呟きを我がものとする人間は、どこにもない、音楽が鳴り響く瞬間にしか存続しないかも知れない「永遠の大地」(何たる矛盾か!)を己れの「希望」の故郷とするのだ。

それは現実には最早ない「希望」ではあるけれど、丁度、作品の提示する風景の中に自らを置く瞬間だけ、想像の上でであれ、己を其処に託すことができる「希望」なのであり、それは貧しい心の持ち主が、己の一生を全うすべく、己にとっては何らの「希望」なき現実を歩むための糧なのである。聴き始めてから35年以上の歳月を経て、再び聴く「大地の歌」という作品は、少なくとも私にとっては、かつての子供であった私にとってそうであったように、だが、その後の世の成り行きに抗いようもなく翻弄され、今なおしばらくの間はその中で生き続けなくてはならない私にとってはより一層切実に、そうした「希望」に他ならないのだ。その風景の中に立つことが、ささやかなものであっても 或る価値へのコミットメントであり、そうすることを通じて私もまた、世の成り行きの勝者達にとっては存在しない風景の住人、幽霊(レヴェルゲ)達の行進に加わるのである。そして私は小声で証言する。「確かに私はその音楽を聴き、その風景を見た」、と。仮令客観的にはデブリの如きものであったとしても、証言することによって私は辛うじて、私自身をも超えて生き延びる。現実の私は沈黙を保ったとしても、「想像上の」(イマジナリー)風景に住む私が語り、私を離れた言葉が、私をではなく、私が見たもの、体験した出来事を、「想像上の」(イマジナリー)風景の中を通って漂流を続ける。私にはそれを見届けることができないことが、ここでは最大の慰めとなる。

(2014.11.02,  2025.1.20 改題の上、再公開)

2025年1月19日日曜日

20世紀のマーラー、21世紀のマーラー:再び空間性から時間性へ(2025.1.19 再公開)

マーラーの音楽が新ウィーン楽派以降、20世紀の音楽において、どのように受容されてきたかを俯瞰した文章を 改めて読み返し、20世紀の音楽そのものを思い起こし、その上でマーラーの音楽における最も重要と自分が考えてきた 側面を改めて振り返ってみると、何故、マーラーの音楽を過去のものとして用済みにできないのか、それ以前の音楽にも、 その後の音楽にも私が見出せない、そればかりか、音楽以外のものに見出せず、それゆえ繰り返しマーラーの音楽に 立ち戻らずにはいられない理由に思い当たる。そしてマーラーを聴き始めた35年前の中学生になったばかりの自分には ただちに自覚できたわけではないにせよ、程なくして関心の領域として自ら設定した枠組みが、結局のところその理由と 正確に対応することに改めて気付くことになる。約10ヶ月近い中断を経て、改めてマーラーの音楽に立ち戻った途端に、 突然、自分がしてきたことを基底で支えているものが何であるかについて気付かされることになる。あるいはそれは、 かつてはあまりに当然のことであり、そのこと自体を自覚的に確認するまでもなかっただけかも知れないという気はする。 けれども、今までかならずしも明確に意識していなかった自分の行動の理由が突然、自分自身にとって明らかになったには 違いない。あるいはまた、時間が経つにつれ、驚愕の感覚は薄れ、一体全体当たり前のことに何を驚いていたものかと 呆れることになるのかも知れないが、今はその驚きに忠実に、浮かび上がった構図を記録しておくことにしよう。

マーラーの音楽を特徴づけるものは何かについては、勿論のこと、立場によって色々な見方が可能であろう。 しかし、20世紀の音楽は、マーラーの音楽の中に、とりわけても空間的な側面での創意を認めてきたと言えるのでは なかろうか。マーラーの楽譜の指示の中に、空間的なパラメータに関するものが見られることは、しばしば指摘されてきた。 改めて指摘するまでもないだろうが、例えば遠くから聞こえるようにオフ・ステージ(多くの場合舞台裏)で演奏が指示される 第2交響曲の第5楽章におけるバンダ、やはりオーケストラ本体とは離れたオフ・ステージ(こちらは客席の高い位置が 多いようだ)で演奏する指定がある第8交響曲の金管の別働隊、これも舞台裏での演奏指示がある第3交響曲第1楽章の 主題展開部末尾の小太鼓、同じく第3交響曲第3楽章中間部のポストホルン、更には高いところに配置するよう指定される 第3交響曲の独唱、女声合唱、児童合唱と鐘、ステージでの演奏と舞台裏での演奏の使い分けが為される第6交響曲や 第7交響曲のカウベルなどが直ちに思い浮かぶ。当時は対抗配置であった第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのパートの 掛け合いもまたコンサートホールでの空間的な効果を狙ったもので、第1交響曲の突破の直前のクレシェンドにおいて第2ヴァイオリンの パートのみクレシェンドをしない指示をしたり、第6交響曲のアンダンテ楽章でもパート間での強弱のコントラストの効果を狙ったりと、 例示を試みれば枚挙に暇がない。

舞台裏のオーケストラは「嘆きの歌」の初期形態に既に構想されていたし、第1交響曲の 序奏のトランペットのファンファーレも「遠くから」響くように指示される。ミュートを使わないホルンとミュートを使ったホルンの 呼び交わしよって、恰もこだまが返ってくるような効果を意図した第7交響曲の第1夜曲(第2楽章)や第5交響曲第3楽章の 中間部分、ミュートされたトランペットのファンファーレをフルートが引き継ぐことで、恰も霧の彼方に音源が去っていくかの効果を企図した 第5交響曲第1楽章の葬送行進曲の末尾のように、音色の変化による空間的な奥行きの表現を狙った例を 挙げることもできるだろう。あるいは演奏指示として「遠くから」という指定が為される場合もある。何よりも、第1交響曲の 第1楽章の冒頭の序奏は「自然の音のように」という指示がなされ、弦楽器群のフラジオレットのA音が数オクターブに 渡って広げられ、アドルノの言うところの「カーテン」を形成する。ファンファーレはカーテンの向こう側から聞こえてくるという仕掛に なっていて、そのファンファーレは再現部の冒頭の「突破/発現(Druchbruch)」の箇所では、文字通り前面に突破して 発現することになる。

こうした空間性の導入は、例えばリゲティが注目して指摘を行っているが、そのリゲティは自作において、直接的な 影響を示す「ロンターノ」のみならず、空間性についての関心をずっと持ち続けたことは良く知られている。 だが、空間性というのはそうした直接的なケースに留まらない。例えば、これまたマーラーの音楽の特徴とされる 通俗的な素材の引用やコラージュ的な素材の重ね合わせも空間的な多層性を惹き起こすし、マーラーの作曲法の 基本にある対位法的・線的な発想は、やはり多層性や空間的な広がりをもたらすことになる。

舞台裏での演奏指示の例として掲げた第3交響曲第1楽章の展開部末尾の舞台裏の小太鼓は、 舞台の低弦のピチカートとは無関係の、独立のテンポで叩くことが求められており、複数のテンポが並行する部分としても 著名であろう。更に第6交響曲フィナーレのハンマーや低音の鐘、第7交響曲フィナーレの金属の棒、あるいは両者で 用いられるカウベルなど、調律されていない打楽器の利用、非楽音的・雑音的な音響の導入もまた空間的な質の多様性、 重層性をもたらしていると考えることができるだろう。雑音的な音響ということで言えば、コル・レーニョ(例えば第7交響曲の 第2楽章)や絃を指板に当てる、所謂バルトーク・ピチカート(第7交響曲の第3楽章)、ハープにおけるMediatorの指定 (第6交響曲のフィナーレ)といった特殊奏法や、管弦楽法の通則に逆らうような、鳴りにくい音域を敢えて用いる楽器法 (思いつくままに幾つか例を挙げれば、ファゴットの高音域での使用、フルートの低音域での使用、コントラバスのソロが 主旋律を弾く第1交響曲の第3楽章など、これも幾らでも続けることが出来よう)は調律されない楽器の導入とともに、 ラッヘンマンの「楽器によるミュージック・コンクレート」や通常の奏法をパラメータの一部にしてしまうような特殊奏法による 音色のパレットの大幅な拡張に通じていくと同時に、そのような奏法によって、これまた西欧音楽における規範であった ムラのない均質で大きな音に対して、非西欧的な音楽が重視するような、所謂「サワリ」のある音を引き出し、 奏者の息遣いを含めた身体性を浮かび上がらせる方向性に通じていく。

考えようによっては第4交響曲第2楽章の独奏ヴァイオリンのスコルダトゥーラもまた、音色の多様化とともに、 微妙な音律のずれの効果によるヘテロフォニー的な空間的な滲みを狙っていると考えることもできるだろう。 第4交響曲第1楽章のフルート4本によるアドルノ言うところの「夢のオカリナ」もまた、4本のフルートの重ね合わせによる 音色の変化は当然のこととして、同様にヘテロフォニーに通じる着想を見出すことができるのかも知れない。 ヴァイオリンの高音域とコントラバス、コントラファゴットのみによる第9交響曲のフィナーレに見られる対位法、 更には第10交響曲のアダージョ楽章でも聴かれる音が漂う虚空を浮かび上がらせるような対位法もまた、 空間的な処理の一例と考えることができるだろう。

実際、再びリゲティを引き合いに出せば、雑音と楽音のあいだの音の探求は既に初期において 明確だし、異なる音律の並存、異なるテンポの並存といった試みは晩年の作品において顕著であり、 しかもそれらはリゲティ独自の音楽的空間についての考え方の作品上でのリアライズなのである。 「擬似空間」、「時間流の空間化」といった用語から窺えるように、リゲティの作品では音楽作品を「想像上の空間」を 産み出すものと見做す傾向が強く、また「網状組織」や「複数の中心」といった用語から窺えるように、 多層的で複数のパーステクティブを備え、奥行きを持った空間を音響的に実現しようとする志向が見られる。 のみならず、リゲティは作品を静的なオブジェとして見做す傾向が強く、音楽の時間軸上の展開は、プロセスが 非常に緩慢にしか推移しない初期のミクロポリフォニー的な作品だけでなく、後期の作品においても目的をもった 発展というよりは、予め静的に定められた規則を時間軸上に広げて提示するという側面が強いようだ。

だがこうした空間性の重視は、寧ろそうした側面を引き出す20世紀の音楽の側の事情を物語っているとも 考えられる。調性が崩壊した挙句、機能和声を放棄することによって楽曲を構成する原理のうち、時間方向の 展開の最も基本的な手段が喪われることによって、20世紀の音楽は音楽を別の原理で支える必要性に 迫られる。音色の次元の拡張や空間性はそうした要求に応えるものであったと見做すことができるだろう。 だが、音楽が時間的な延長を持たざるを得ない以上、時間的な経過を扱う方法が必要とされることには 変わりがない。合成和音のシステムやスペクトル楽派は時間軸については何の解決も与えないし、クセナキス的な 篩のシステムによる音階の構成の一般化や集合論や群論による構造の規定もまた、いみじくもクセナキスが そう語るように、時間外構造をしか規定しない。12音技法は順序を原理として持つ点でいわゆる時間内構造を 規定しうるが、それは貧弱な順序構造以上の複雑な構造を組み立てることはできないゆえ、巨視的な 形式構造として、バロックや古典の形式を使い続けることによって支えるしかない。12音が一巡り鳴ったら それで終りというミニアチュア形式を導くヴェーベルンの直観の方が寧ろ理に適っているのだ。クセナキスは 確率によって音の継起の頻度や密度を確率的に制御しようとするが、微視的な構造については何も規定しない がゆえに具体的な細部は作曲者の直観によって選択・決定されるしかない。ミニマリスムの反復の手法や フラクタル幾何学の援用、無限列の利用やオートマトンの導入は力学系的な発想であるから時間方向の発展の 原理ではあるけれど、ゆらぎを与えたところで単一の法則での音の制御は単純な時間構造しかもたらさないし、 幾つかの法則を単に重ねたところで、先行する西欧音楽の歴史が築き上げた複雑で豊かな構造に比べたとき、 貧弱な結果しか齎さないように見える。制御するパラメータを演奏や聴取の限界まで、あるいは限界を超えて増やし、 細部をもはや聞き取れないほど複雑にしてみても、生物学的な進化の速度に従うほかない保守的な人間の 知覚様式は、そこに混沌と無秩序をしか見出さないという結果を招きかねない。

一方で工芸的な組立て・構築を放棄し、サウンド・スケープのように伝統的な意味合いでは非音楽的な音環境に おける音響イベントの継起をそのまま受け入れて聞き入ることや、メシアンのように神学的な意図も手伝って それ自体は永遠に反復可能なある持続によって楽曲を形作り、そうしたブロックをパネルを並べるように複数併置することで 楽曲を構成する試みもあるが、それらの聴取の経験はプロセスの動性よりも、寧ろ静的な印象が強い。 フェルドマンのある時期以降の音楽の数時間にわたる長大な持続は、寧ろ時間の観念を変容させ、廃棄に 追い込んで、不動の塊と化した時間のオブジェの出現をもたらすし、ミクロポリフォニーの知覚の限界に挑むようなゆっくりとした 推移もまた、想像上の空間に時間を変換したインスタレーションの趣きがある。クセナキスがある時期から 用いた樹形曲線、リゲティにおけるフラクタル幾何学の時間構造への適用も、その着想は空間的であり、 時間方向の持続は、空間を描くために一巡りするために必要とされる時間に過ぎず、結局のところ、そこでは何も 新奇な出来事は起こらない。神学的な永遠性であれ、ガジェット的なオブジェであれ、静的で閉じた作品であるか、 プロセスを重視するかはあるが、いずれにしても音楽はどこかに向かうことを止めてしまい、聴き手をどこかに誘う 目的論的なベクトル性を喪ってしまっているように見える。音楽社会学のような領域では、そうした傾向を 20世紀の社会が持つ構造が定着されたものであると見做されるのであろうし、そこには目的論的な強制に対する プロテスト、管理された時間を逃れ、アナーキーで自由な時間を取り戻そうとするイデオロギー的な選択が 働いているのかも知れない。

約半世紀程前にマーラーの生誕100年が祝われてからこちら、マーラーの音楽はダールハウスも指摘しているように、 かつての世界観音楽としてではなく、ようやく絶対音楽として聴かれるようになった。そうした文脈においてはヴィスコンティの映画の BGMとして第5交響曲の第4楽章が用いられることは、マーラーの流行にとって少なからぬ効果を持ったとはいえ、 そうした絶対音楽としての受容の流れに対する伝記主義的逆行、「悪しき19世紀の残滓」であると見做されたものだ。 しかしその後、絶対音楽としてのマーラーの受容は、 今度は単なるサウンドの消費、音響体としての音色の多彩さや詳細を極める演奏指示を如何に忠実にリアライズするかといった ディティールのみで評価が決まるような兆候を帯びるようになる。もっともこうした傾向は高橋悠治さんが1970年代前半に 既に指摘しているように、別にマーラーに限ったものではなく、LPやCDのように何度も好きなところで止めて繰り返し 再生できるメディアの発達と、テレビ番組の放映においては時間枠に区切られ、 更にはコマーシャルで断ち切られるといったように細切れに分解されて提示され、最早そうした事態に驚きさえしなくなるといった 状況とがドラマを成立させる時間の構造を解体させていく過程の一サンプルに過ぎないのだろう。

音楽的時間をテンポの変化の大きさという尺度に還元して演奏様式を 比較するといった試みがマーラーの第4交響曲の録音に対して行われたのは、そうした潮流を考えれば自然な成り行き であったと言えるのかも知れない。勿論、そうした切り口での分析自体に価値がないわけではないのだが、それで音楽に おける時間の次元が汲み尽くされたかのような様相を呈するとしたら、それはやはりマーラーの音楽的時間、 アドルノが性格的要素として「発現/突破」「停滞/一時止揚」「充足」、あるいは「崩壊」といったカテゴリーを 用いて言い当てようとした実質は大きく損なわれてしまったという印象は拭い難いし、その隣でマーラーの音楽の サウンドスケープといったテーマが論じられるのだとしたら、そうした光景はマーラーの音楽の空間的な側面の重視が、 時間的な側面の縮退・単純化と引き換えであることを示しており、それは20世紀後半という時代の特質を反映した ものだということなのだろう。

それに対する評価はおくとして、バブルの時代のおぞましいまでのマーラーの流行は、自らを正当化する「マーラーの時代が来た」という 極めて都合の良い御誂え向きのキャッチコピーのもと、録音メディアや放送メディアの媒介などなかったかの如く、バブルの恩恵で 次々と建設されるコンサートホールの杮落としに因んでマーラーの交響曲の連続演奏会が同時にあちらこちらで行われるという異様な熱狂 (もっともこれもまた、マーラーの音楽に限定された現象ではなく、ベートーヴェンの交響曲を順番に全て演奏していく マラソンコンサートなどのような近年の現象と通じているだろう)と、到底きちんとは聴ききれないのではないかと思われるような 膨大なコレクションを個人のものにすることを可能にした際限のない交響曲全集のCDのリリース(こちらも同様に、マーラーだけの 現象でも交響曲というジャンルに固有の現象でもなく、ネットワークからのダウンロード配信への過渡期にあたる今日では、 様々な切り口でのCDのボックスセット化による過去の音源の叩き売りの企画は当たり前の風景になったかのようだ)との氾濫の中、 既に古びたメディアである映画のBGMでは最早不足とばかりにマーラーを切り刻んで数十秒のCMの中に押し込み、 果ては「着メロ」としてパーソナライズするまでに至る時間の平板化と断片化による時間構造の解体のプロセスであったと言えるかも知れない。 少なくとも私個人に限って言えば、そうした傾向に耐え難いものを感じ、一時期マーラーの音楽を聴くことを全く止めることを 余儀なくされたほどであったが、今こうして振り返ってみれば、自分が一体何に耐え難さを感じていて、その時は明確な認識には至らないまでも、 何を予感してそうした行動をとったのか、わかるような気がする。それは単にマーラーの音楽という対象の本質の破壊ではない。 マーラーの音楽によって自己を形成した私にとって、それは自分自身の破壊に繋がる側面を持っていたのだ。

そうしたマーラー後の音楽やらマーラーの音楽の受容やらが地層のように累積した厚みを通してマーラーの音楽を改めて 眺めたときに、それが反動的なものであるかどうかはおくとして、その後喪われてしまい、そして今日の世界では取り戻すことのできない、 かつての時間的な構造への渇きのようなものを癒す対象としてマーラーの音楽に向かっている自分を発見することになる。

上述のようにマーラーの音楽は20世紀の、色々な意味で空間的な音楽に対する前駆、先蹤として様々なヒントを 与えるような側面があったのは確かだが、マーラーの音楽は本来、優れた意味で時間的な側面の強いものであった筈である。 基本的にロマン派の音楽であるマーラーの音楽こそは、優れて意識の音楽であり、意識の時間的な変容のプロセスを 作品として提示するものであるはずだ。巨視的な形式において機械的な反復、再現を嫌うマーラーの音楽の経過は 不可逆的であり、アドルノによって長編小説に譬えられたその構造は、聴き手を全く別の風景へと導く。 主題の再現とて、単なる繰り返しではなく、再現までに経過した時間の厚みを感じさせ、まさにそれが「再現」であって、 元のものとは異なるものであることを告げる。部分的に無調的な旋律が含まれ、伝統的なカデンツからは逸脱しながらも、 全音階的な発想を捨てなかったマーラーは、その代わりにかつての調性格論にも比せられる調性毎の固有で置換不可能な 質を保持し、楽章間の調的な配置の関係によって複数の層の関係を示し、発展的調性によって音楽がどこに向かうのかを 曖昧さなく示すことができる。それは主観的・心理的な時間であるとともに、意識的な活動に限定されず、意識の奥底で 働く無意識の活動の反映でもあるし、ヘーゲル的な「世の成り行き」の容赦なさでもある。調的な音楽の軌道が描く 力学系的な遍歴は、まさに世界と関わる意識の時間性の遍歴に他ならない。そしてこうした事態は、 それ以前のロマン派音楽でも兆候としては見られたものの、マーラーにおけるほどクリティカルな問題として前景に 出ることはなかったし、マーラー以後の音楽がそうした事態に背を向けてしまったことは既に見たとおりである。

万物は流転するという認識を 人間的な尺度の限界の内部での認識であると嘲笑し、今こそ世界の人間的な意味づけからの訣別が必要だと 言い立てることは容易だが、己の認識の檻の外部に端的に出ることが出来るというのは、それ自体が意識の浅薄な 思いなしによる独断論のまどろみの中での寝言に過ぎないかも知れないことに対して、そうした姿勢はあまりに 無頓着ではないか。そうした思いなしがあまりに観念的で抽象的なものであり、現実に対して力を持ちえずに結局 ノスタルジーへの退却し、自閉せざるを得なかった歴史に対し、それはあまりに盲目であるか、さもなくば開き直っているのだと しか思えない。そうした態度は、空を飛ぶことができると頑なに主張し、だが実際にやってみろと促されれば一歩も 踏み出すことのできない観念ばかりが肥大した100年前のアヴァンギャルドと変わるところがない。

よくあることではあるし、とりわけマーラーの周囲でも 頻繁に起きていることではあるけれど、歴史を語り、過去の音楽のおかれた文脈に関する知識を披瀝しつつ、だが そうして語っている自分が拘束されている現実との距離感の感覚は欠如していて、まるで骨董品の来歴を語る 好事家のごとき趣味的な態度は、過去の異郷の音楽を今日引き受けることの必要性と切実さを些かも明らかにしない ばかりか、蒙昧化にしかなっていない。勿論、今日の状況でマーラーのような音楽を書くことは端的に不可能に違いない。 そしてそうした不可能性に直面し、そうした事態から目を逸らすことなく誠実に状況に向き合っている作曲家の例を私は 具体的に身近に知っているし、そうした試みが自分の同時代に、すぐ近くで行われていることに勇気付けられもしている。 そうした活動を目の当たりにして感じることは、おかれている状況に応じ、選択される手段は違い、実現される作品の相貌も 全く異なるが、そうした活動の方が自分の置かれている位置の方は等閑視したままマーラーについて新規さを装った 主張をするような態度やマーラーの音楽を引用する姿勢により己の立場の限界を露呈するような態度よりも、 かつてマーラーが己の状況の中で取り組んだ企図と姿勢をよりよく継承しているということだ。結局のところ、時代を隔てた 作曲家の営みの距離を、表面的な様式上の影響関係やら引用によって単純に測ることはできない。今ここで確認できる そうした関係は結局のところマーラーを利用する側の思惑をしか示さないし、マーラーをどのようなものとして扱いたいかを 語ることによって、そうやって扱う側の志向が炙り出されるばかりであって、マーラーが為そうとしたこと、その志向の方はといえば、 今日では100年間の間に起きた状況の変化に応じ、全く別の仕方で為されていると考えるべきなのだ。

21世紀になって、1000年に一度と言われる未曾有の地震と津波の災害に襲われ、更にはその結果として 原子力発電所の災害が発生し、その影響が人間の尺度で言えば単一の個体の寿命を超えかねないような 事態に遭遇した今、尚マーラーの音楽を聴き続けることの意義、マーラーの楽譜を調べ、その作品の構造を自分の聴経験と突合せる作業を 続けることの意義は、だから私の場合には明らかである。要するに、端的に言ってマーラーの音楽にしか見出せないような 時間的な構造があり、マーラーの音楽にしかないような世界への態度、世界に対する姿勢があるのだ。それは主観性の 擁護の音楽であり、これまた価値判断は様々だろうが、或る種の主体の構造、意識と無意識と身体性との複合的な 様相がそこでは示されていて、しかもそれは他では代替が利かないもののようなのだ。

単にお前はその音楽によって自己の 回路を形成してしまったから、その音楽から逃れられないのだ、それは全く一般性を欠いていて、お前の個別的な問題に 過ぎないのだという批判に対しては私は抗弁すまいと思う。実際それはその通りだからだ。ジュリアン・ジェインズが素描したように、 もともと可塑的な脳の回路の構築の仕方の一つに過ぎない意識のあり方は時代と場所により、そしてそこでの社会的・文化的な 環境によって変化していくものに違いない。

私が生きている間には実現しないかも知れないが、ポスト・ヒューマン思想の 論者が語るように、近い将来に特異点に到達し、意識のあり方のみならず、「精神」「魂」の定義自体が変わってしまい、 例えば「魂の不死性」のような考え方が、空想的な観念の裡の霞のかかった妄想としてではなく、徹底的に唯物論的な 技術的な手段のブレイクスルー(遺伝子工学やナノ・テクノロジー、人工知能的なロボット研究などの今後の進展が それを可能にするのだが)を通じて、全く別の意味合いを帯びて、紛れもない現実になる可能性だってあるかも知れないのだ。 「人間」概念自体が拡張され、現在とは似ても似つかないものに変容しうるのだとしたら、世界の人間的な意味づけの 実質もまた変わるだろう。

だが結局のところどこまでいっても、「人間」という概念をまるごと廃棄するのであればともかく、そうでなければ 「人間的な意味づけ」を逃れることなど出来はすまい。一見、非人間的に感じられ、そう見做されるかもしれない暴力的な 現実もまた、それ自体「人間的な意味づけ」が為されたものでしかないのだ。

例えば一方で三輪眞弘さんの言う「コンピュータ語族」としての、機械とのシステムの中に埋め込まれた人間が居て、 他方では他の生物、とりわけ動物と人間の境界が問題にされ、永らく倫理学における暗黙の前提であった人格概念の 見直しが行われつつある中でマーラーの音楽で語られていることを振り返ってみれば、控えめに言ってもマーラーがナイーブな 人間中心主義、人間を絶対的な基準とおくような発想からは遠かったことは明らかなことに思われる。そして例えば第8交響曲を まるでピタゴラス派の天球の音楽の復興であるかの如く、惑星や恒星の運動に譬えたマーラーの企図を、作品そのものの実質もまた 決して裏切らない。全体が「突破/発現」の瞬間であるかの如きこの作品の持つ独特の時間性は、移ろいゆくものとしての 人間を超出する仮想的な視点からの展望であるかのようではないか。

無論のことマーラーの音楽を聴き続けることが、上述のような未来の展望を無条件に保証するわけではない。更に言えば、 自分が生きている間に実現しそうもない変革など結局のところ切実な問題たりえないし、よしんばそうした側面に対して、 個人的な事情から技術的、哲学的に多少の関心や利害があったところで、実際のところ、卑小なばかりか、消耗しつくして 病んでいる現在の私にとって、上述のような問題意識は手に余る。私は単に「世の成り行き」の中で落伍しそうになっている自分を、 手を広げて迎えてくれる音楽を求めているだけなのだろう。音楽をムーディーに消費するばかりの私のような存在にとって、 20世紀の様々な音楽のほとんどは、とりわけそれが産み出されたプロセスや文脈を離れ、オブジェとして対峙したとき、 それ自体が閉塞の反映であり、己を取り囲む状況の閉塞を確認させられて抱えているストレスを昂進させるばかりだし、 マーラー以前の音楽の方は、現実がこうなる以前の状況を記憶する媒体としてノスタルジーの対象となり、 一時の休息と慰藉を与えてくれるものではあっても、そしてそれは身体的にもメンタルにも危機的な状況にある人間にとって ある時期には必要なものであっても、再び現実に戻り、「世の成り行き」の中に自分を投じる勇気を与えてくれるものではないのだ。

マーラーの音楽はかくして三輪眞弘さんの活動とともに今の私にとってかけがえのないものであるのだが、 その理由を問われれば、マーラーの場合には、その音楽が持つ時間的な構造、そこでの主体の遍歴の不可逆性によるのだと答えることになるだろう。 その音楽は、自由を奪われた幽霊達の隊列に私もまた加わるように誘うのだ。自分が幽霊ではないと感じる人にとってはこの音楽は全く不要なものだろうから、 こうした状況を一般化するつもりは全くない。これが極めて個別的な状況であることを認めた上で、それだけに自分にとっては 切実なものなのであることは繰り返し強調しておきたい。そういう人間にも居場所があってもいいではないか。 そういう人間にも声が与えられもいいではないか。マーラーの音楽はそういう人間の代弁者なのだ。

そしてこうした側面こそ、その音楽が作曲されてこの方、途絶えることなく(私もその一人である)マーラーの音楽を求める者にとってかけがえのない特質であったし、それは21世紀になった現在でも些かも変わらない、否、それどころか人間の解体がますます進むにつれて、その度合いはますます深くなっているのではないかと感じられてならない。

(2012.5.2, 2025.1.19, 改題の上、再公開)