東京都町田市三輪沢山荻野邸の壁画(作:原田和枝)
Bei Regen, Wind, Schnee oder klarem Himmel - immer mit Mahler
(雨でも、風でも、雪でも、晴れた空でも、常にマーラーとともに)
2017年9月および2020年5月に本ページ作成者が撮影した写真をこちらのページで公開しています。
東京都町田市三輪沢山荻野邸の壁画(作:原田和枝)
Bei Regen, Wind, Schnee oder klarem Himmel - immer mit Mahler
(雨でも、風でも、雪でも、晴れた空でも、常にマーラーとともに)
2017年9月および2020年5月に本ページ作成者が撮影した写真をこちらのページで公開しています。
(...)"Die Musik muß immer ein Sehen enthalten, ein Sehen über die Dinge dieser Welt hinaus. Schon als Kind war sie mir etwas so Geheimnisvoll-Emporttragendes, doch legte ich damals mit meiner Phantasie auch Unbedeutendes hinein, was gar nicht darinnen war." (...)
(…)「音楽は、常にある憧憬を含んでいなくてはならない。それは、この世界の事物を越え出ようとする憧れだ。すでに子供の頃から、音楽は僕にとって何か謎のような、僕を高みに連れていってくれるようなものだった。でも僕は当時、想像力によって、音楽の中になどまったくないような無意味なものまで、そこに押し込んだのだ。」(…)
So mag ein Halbwüchsiger um fünf Uhr in der Früh geweckt werden von der Audition eines überwältgend niederfahrenden Lauts, auf dessen Wiederkunft zu warten der, welcher ihn eine Sekunde zwischen Wachen und Schlaf gewahrte, niemals mehr verlernt. (Taschenbuch版全集第13巻p.153 )
このように、十代半ばの子供は人を圧するように打ち降りて来る音を耳にして朝五時にたたき起こされるのかもしれない。その音を夢うつつにほんの一瞬耳にした者は、それがもう一度やってくるのでは、と期待するのを決して忘れはしない。(邦訳(龍村訳) p.6)
Mahler erzählte aus alter Zeit, daß er in Prag aus Verzweiflung, den greulichen "Trompeter von Säkkingen" so oft dirigieren zu müssen, in einer lustigen Stunde sich den Spaß machte, aus der ganzen Oper das Leitmotiv herauszustreichen, wie sie auch von nun an ohne Einbuße (alles ist ja in diesem "Schund" gleich wichtig oder unwichtig) dort so aufgeführt wurde ! Der Intendant sagte zwar einmal, es komme ihm so merkwürdig vor, als fehle etwas darin; aber was es war, dahinter kam er nicht !
"Dieses Machwerk ist übringens so, daß man gerade so gut alle Bläser oder, wahrhaftig, sämtliche Streicher daraus entfernen könnte, ohne daß es jemand merkte, da alle Instrumente : Bläser, Streicher, Schlagwerk, immer genau dasselbe spielen !"
マーラーは昔の話をした。彼がプラハにいたとき、吐き気をもよおすような《ゼッキンゲンのトランペット吹き》を何度も指揮させられたのに嫌気がさして、気分が良い時に、遊び半分に、このオペラ全体からライトモチーフを、今後そこでそのかたちで演奏しても支障がない程度に抜き出して削ってしまった。(この「がらくた」にあっては、すべてが重要とも無意味ともつかなかった。)そこの監督は、何か欠けていて妙な気がする、とは言ったが、それには気づかなかったのだ!こちらは自作の「ゼッキンゲンのラッパ手」ではなくて、ネスラーの歌劇に関する、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録に収録されたマーラーのコメントで、 彼のネスラーの作品に対する評価が端的に窺える言葉である。
「このでっち上げの作品は、ほとんど全ての管楽器や、実際、弦楽器をそっくり取ってしまったところで誰も気づかない、といった代物なのだ。管楽器であれ、弦楽器であれ、打楽器であれ、すべての楽器がいつも同じことを弾いているんだからね!」
... Aber Symphonie heißt mir eben : mit allen Mitteln der vorhandenen Technik eine Welt aufbauen. Der immer neue und wechselnde Inhalt bestimmt sich seine Form von selbst. In diesem Sinne muß ich stets erst wieder lernen, mir meine Ausdrucksmittel neu zu erschaffen, wenn ich auch die Technik noch so vollkommen beherrsche, wie ich, glaub'ich, jetzt von mir behaupten kann.
(…)僕にとって交響曲とは、まさしく、使える技術すべてを手段として、ひとつの世界を築き上げることを意味している。常に新しく、変転する内容は、その形式を自ら決定する。この意味から、僕は、自分の表現手段をいつでも絶えず新たに作り出すことができなくてはならない。僕は今、自分が技法を完全に使いこなしている、と主張できると思うのだけれども、それでも事情は変わらない。引用した最初の文が、アドルノのマーラー論を始めとして、これまた至る所で引用されるマーラーの交響曲についての言葉である。 これはマーラーが第3交響曲について語っている文脈で出てきた言葉であるが、まさに第3交響曲こそ、この定義に相応しい作品であることは 衆目の一致するところだろう。ところで私は、それに続く言葉もまた、とても重要だと思う。まさに内容が形式を産み出す点にこそ、マーラーの音楽の 比類ない力が在るのだと感じているからであり、マーラーは終生、ここでの発言の最後の部分に忠実であり続けたように思われるからである。
(...)"Du wirst sehen, ich halte diesen greulichen Zustand nicht einmal so lange aus, daß ich die Pension anständigerweise annehmen kann. Am liebsten möchte ich gleich auf und davon gehen. Ja, wenn das ein Absehen hätte : (...) Aber bei der Einrichtung unseres Theaters, wo täglich gespielt werden muß, wo ich der ärgsten Verlotterung und tief eingewurzelten Fehlern auf Schritt und Tritt bei dem ganzen Körper, mit dem ich's zu tun habe, begegne, und oft erst im Momente der Aufführung und im ärgsten Kampfe alles umstürzen und neu aufbauen muß; wo ich ein Repertoire habe, welches das Gemeine neben dem Höchesten enthält; wo die Stumpfheit und Beschränktheit von Ausführenden und Aufnehmenden mir meist wie eine Wand entgegensteht : da ist es eine Sisyphusarbeit, die ich leisten soll, die meine besten Kräfte, ja mein Leben aufzehren, aber zu keinem Ziel und Gelingen führen kann! Und daß ich vor tausenderlei Sorgen nie mit selbst angehöre, ist das Ärgste dran."
(...)
(…)「僕はこんな嫌な状態を、ちゃんと年金がもらえるようになるまで、我慢できっこないさ。いっそ今すぐにでも思い立って、おさらばしたいものだ。もし何か見通しでもあればの話だがね。(…)しかし、我々のオペラ劇場の制度では、毎日上演が行われなくてはならない。僕は、関わりをもつあらゆる部分でひどい自堕落と根深い欠陥に出会い、いざ上演というときになって、苦闘の末すべてをぶちこわして、新たに再建しなくてはならないことだってしばしばだ。おまけに僕の持つ上演演目は、最高の作品と並んで卑俗な作品をも含んでいる。そして大抵は上演スタッフと観客双方の愚鈍さと能力の限界が、僕の前に壁のように立ち塞がっているから、僕がそこでやっていることはシーシュポスの仕事にほかならず、僕の最良の能力ばかりか、僕の命までも消耗し尽くされる。しかも、それには目的もなければ成功もないものだ!何千という心配事のために、全く自分のことを考える暇がないのが最悪だ!」これはマーラーがウィーン宮廷歌劇場の監督に任命された折のナターリエ・バウアー=レヒナーの回想に含まれるマーラーの言葉である。指揮者、劇場の 管理者としても間違いなく有能であったマーラーがこうした言葉を残すことに或る種の訝しさを覚える向きがあるのは承知しているし、こうは言いながら、 数多の成功とそれに見合った名声をマーラー自身が楽しむ瞬間がなかったわけではないのは当然のことであろう。だが、そんなに目くじらを立てる程の 話でもないという見方もできるだろう。ウィーンの歌劇場の監督の発言、 大作曲家マーラーの発言だから読む人に立場によって様々な反応をもたらすのだろうが、内容を多少置き換えてしまえば、今日のありふれた 管理職の愚痴と大きく変わることはないのだから。随分いい気なものだとも言えるし、有能だけれども独断的な、部下になってしまえば一将功成りて万骨枯るタイプの 嫌な上司だったのではと思う人がいても仕方ないかも知れない。その一方で、程度の差はあれ、組織を任されて結果を出すことを求められる 同じような立場の人間であれば、このようなことを思うのはそんなに特殊なことではないという見方もあるだろう。誰もが自分の能力をそれなりに恃んで 努力するしかないし、結果の方はうまく行くこともあれば、失敗に終わることもあるという点は別に変わるところはない。そう思えばこうした述懐は、 天才神話に彩られているマーラーの普通の人間にとって最も親しみやすくわかりやすい 側面であるとさえ言えるかも知れないのだ。仕事から逃れた先が非生産的な余暇ではなく、そちらこそが神の衣を織る営みとなった作曲であったから結果的には 事情は異なるものの、そうでなければそれすらありがちな趣味への逃避に過ぎず、それなら凡人にも理解できないことはなさそうである。実際に生前の マーラーに対しては、作曲は些か度を越していて、それゆえ傍迷惑な楽長の道楽という評価もあったらしいのである。
(…)
"Daß ich da als Haupt und König herrsche, ist doch wie ein Traum !"
「僕がここで王様として支配しているなんて、まるで夢みたいだ!」
(同書、同ページ)
(2024.6.26邦訳を追記。)
(...) "Gott, ich könnte ja alles ertragen", sagte er zu mir, "wenn mir die Zukunft meiner Werke gesichert schine. Aber nach der gestrigen Erfahrung bin ich hoffnungsloser als je. Ich werde bald mein Letztes für diese teuren Aufführungen hingegeben haben und dann wird es mit meinen Symphonien zu Ende sein, denn ein anderer wird sie mir nicht bringen!"
(…)「僕の作品の将来は揺るぎない、という確信が持てるのであれば、ああ、僕は何にだって耐えられるだろうよ。」と彼は私に行った。「でも昨日の経験からすると、僕は前よりも絶望的だ。僕はやがて、こうした金のかかる演奏のために持てる物すべてを使いきって、それで僕の交響曲もおしまいだ。誰もそれを演奏してくれやしないんだから!」マーラーの作品は同時代には必ずしも順調に受容されたわけではなかったというのは良く知られたことであって、それが「いつか私の時代はくる」という、奇妙に 独り歩きした感のあるあの言葉の背景をなしているのもまた確かなことなのだが、それでもウィーンの歌劇場監督として時代の中心人物となって以降のマーラーには 熱心でしかも非常に高度な理解力を備え、自らも生産的たりえた支持者達に恵まれたこともまた、確かなことだと思われる。そして今日の評価はおくとして、 その早すぎた晩年に訪れた第8交響曲初演の成功は、マーラーの同時代における位置づけを揺ぎ無いものとした。
(...) "Denk dir, die Stellen, welche ich bei der Arbeit nur geschwind, interimwiese hinschreibe, um weiterarbeiten zu können - von denen ich annehme, ich werde sie dann streichen oder ganz ändern -, dir erweisen sich nachher als die besten: als so wichtig und notwendig, daß ich, ohne zu schaden, keine Note hinzutun und keine wegnehmen kann.
Noch seltsamer ist es mir bei einem Passus ergangen, mit dem ich gar nicht ins Reine kommen konnte und der mich die letzten Tage schrecklich quälte. Da ruft mir heute im Schlaf eine Stimme zu (es war die Beethovens oder Wagners, mit denen ich jetzt überhaupt - keine üble Gesellschaft! - nächtlichen Umgang pflege): 'Laß doch die Hörner drei Takte später einfallen!' Und damit war die Schwierigkeit aufs einfacheste und wunderbarste gelöst, daß ich meinen Augen nicht traute!"
(…) 「ねえ、僕がただ仕事を先に進めるために、一時しのぎに速く書きとばした箇所――いずれ削ってしまうか、そっくり書き変えてしまうつもりでいた箇所――が、後になってみると最高の出来である、ということがあるものだ。それを傷つけずには、音符ひとつでも付け加えたり、削ったりすることができないほどに重要かつ必然的である、ということがね。
ある一節では、もっと奇妙なことが起こった。僕は、そこがすっきりせずに、このところひどく悩まされていたんだけれど、きょう眠りのなかで、ある声が僕にこう呼び掛けてきたのだ。(それは、僕がこのごろ夜毎に付き合っている――といっても、悪い仲間じゃないよ!――ベートーヴェンかヴァーグナーの声だった。)『ホルンが三小節おくれで出てくるようにしなさい!』このことで難題が実にあっさりと、見事に解けてしまったのには、自分の目を疑ったよ!」
これは「マーラーのエッカーマン」ことナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録のアッター湖畔シュタインバッハの1896年夏の章に含まれる、自身の創作プロセスの経験をマーラーが語った言葉である。前後の脈絡から明らかなように、この時マーラーは第3交響曲の作曲の最中であり、上記の言葉もその途上で起きたことであろう。 なお理由は詳らかにしないが、この部分は1923年版には含まれていない。「故郷と少年時代について」という日付なしの回想の記録のあと、「作曲と楽器付け」という7月16日の日付つきの パラグラフの前に、7月10日という日付つきで、だがタイトルはなしで、その日の午後、自転車でウンターアッハに同行した折にマーラーが語った言葉として収められているのである。