お知らせ

アマチュア・オーケストラ演奏頻度を2025年の公演の集計を追加して更新しました。(2025.12.25)

2005年7月10日日曜日

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について(2)--英訳の場合


アドルノのマーラー論での第4交響曲への言及に関して、新しい邦訳と私見との相違を 別のところにまとめたが、 その後、英訳(Mahler - A Musical Physiognomy, translated by Edmund Jephcott, 1992, The University of Chicago Press)を入手して確認したところ、英訳版ではアドルノの注の 付け方を練習番号との相対位置に基本的に改める方針をとっていることがわかった。 (ただし厳密には参照できたのは1996年刊のペーパーバック版である。)
この付け替え作業が推測によるのか、アドルノが参照した版にあたってのものかについては 記載がないが、推測であると書いていないからには、後者なのだろうと思われる。もし そうなのであれば、注の参照箇所に関しては、英訳のそれを「正解」と考えて良いだろう。
そこで、以下に英訳での参照箇所を抜粋したものを掲載したい。少なくとも原注の参照箇所に ついては、私の推定をご覧になるよりは英訳者の調査結果をご覧になったほうが確実だと 思われるからである。
なお、関連して問題にした原文の解釈の相違についても英訳を参照することが考えられるが、 こちらは参照箇所の問題と自ずと性格を異にするものでもあり、ここでは行わない。

以下、英訳(ペーパーバック版)の原文ページ、英訳での参照箇所を順次掲げる。 括弧内の小節数およびコメントは本ページの作者による補足である。


I.Curtain and Fanfare

p.6、原注(3):第4楽章、練習番号1の7小節後(=18小節)

p.10、原注(13):第2楽章練習番号11


III.Characters

p.44、原注(1):第1楽章練習番号7。参照箇所として第1楽章練習番号23の9小節後(=323小節)。

p.44、原注(2):第3楽章練習番号2の6小節後(=67小節。"klagend"と指示された第2主題の 前半の方の対応箇所の記載は英訳にはない。)

p.53、原注(18):第1楽章練習番号10の1小節後(=126小節)以降。

p.53、原注(19):第3楽章練習番号2の2小節前から始まる。(練習番号"3"の明らかな誤植だろう。)

p.53、原注(20):第1楽章練習番号17の5小節後、アウフタクトを伴う。(=225小節)

p.54、原注(21):第1楽章練習番号1の3小節後(=20小節)。

p.54、原注(22):第1楽章練習番号7の4小節後(=94小節)。

p.54、原注(23):第1楽章練習番号16(=209小節)。

p.54、原注(24):第1楽章練習番号19(=251小節)。

p.54、原注(25):第1楽章練習番号2(=32小節)。

p.55、原注(26):第1楽章練習番号18(=239小節)。

p.55、原注(27):第1楽章6小節を参照せよ。

p.57、原注(29):第1楽章10小節。アウフタクトを伴う。

p.57、原注(30):第4楽章練習番号10(=105小節以降)。

p.57、原注(31):第1楽章練習番号24の11小節後(=340小節)。


IV.Novel

p.68、原注(7):第1楽章練習番号8の前の3小節(99小節~101小節)。


V.Variant-Form

p.90、原注(5):第1楽章5小節。

p.90、原注(6):第1楽章9小節。

p.90、原注(7):第1楽章13小節。

p.91、原注(8):第1楽章練習番号2の5小節前(=27小節)。

p.91、原注(9):第1楽章練習番号2の3小節前(=29小節)。

p.91、原注(10):第1楽章練習番号18の8小節後(=246小節)。

p.91、原注(11):第1楽章練習番号23の4小節後と6小節後(=318,320小節)、練習番号23の1小節後、2小節後(=315,316小節)


VI.Dimensions of Technique

p.107、原注(1):第2楽章練習番号8(=185小節)。

p.118、原注(24):第3楽章練習番号2までの7小節(55~61小節)。


VIII.The Long Gaze

p.149、原注(7):第2楽章22小節以降。


(2005.7.10公開)

2005年7月1日金曜日

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について

アドルノのマーラー論は全編にわたって具体的な楽曲への言及がされているが、 それらは全て注の形をとっている。そしてその指示は、アドルノが参照した研究用スコアの ページとページ相対の小節数によっている場合が多い。この方式の問題点は、 アドルノが参照したものと同一の版でないと指示している場所が確定できないことである。 (練習番号で指示がされている場合もあり、こちらは版に拠らないので問題はない。) 実際には、訳注で述べられている通り、第4交響曲の場合が問題で、現在一般に使用されている マーラー協会による決定版は1963年の出版で、1960年出版の著作を執筆するにあたって アドルノが参照した旧版と組み方が全く異なるようだ。そのため、旧版を参照することが できなければアドルノの本文の言及から対応箇所を推定するほかない。この作業が 必ずしも常に容易なわけではないのは、訳注に書かれている通りである。
私はただの(しかも実際にはそんなに熱心とはいえない)聴き手に過ぎないのだが、 それでもなお、アドルノの文章を読み、マーラーの楽譜を対照した限りで、新訳の訳者と 異なる見解に達した場所が幾つかあったので、それをここに記載したい。
ただし私はアドルノにせよ、マーラーにせよ専門の研究者でも専門の演奏者でもないし、 自分の見解の正当性を殊更に主張するつもりは全くない。勿論、画期的な訳業である 新訳にけちを付けようとしている訳では全くない。新訳はアドルノに対する理解に基づいた 原文の解釈を背景とした仕事であるばかりか、別のところで書いたように、移動中の 電車の中で読めるほど日本語としてこなれた翻訳なのである。私も含めて多くのマーラー音楽の 聴き手が、訳者の解釈を通じてアドルノの主張をようやく把握できるようになったわけで、 こうした優れた翻訳なしには、ドイツ語が不自由な私のような人間がアドルノの考えに接することなど 不可能なのである。しかし一方で、それだけに、他のところでは明晰な新訳を読まれて、 私同様、第4交響曲に関する部分について、戸惑いを覚える方がいらっしゃるのではないかと 想像される。本項はそうした場合に、新訳の読者が自分で検討を行う一助になること、かつまた 私の疑問や勘違いを公表することで、マーラーを、またアドルノを良くご存知の方の ご教示を乞いたいと考えて公表することにしたに過ぎない。寧ろ、これは新訳の訳者があとがき で奨められている「対峙」の(不十分な)試みの記録であり、グループで討論することの できる環境にない人間が、その代わりにそれを公開するのだというようにお考えいただけるよう 御願いしたい。

以下、各章毎に訳書のページをまず掲げ、対照の便を図るために括弧の中に手元にある 原書(Taschenbuch版全集第13巻による)のページを掲げる。その後で私の見解を記述し、 それが訳書と異なる場合には、それを記載した。利便のために、見解が異なる箇所については、 その箇所をボールド体にすることにした。一読していただければ明らかな通り、解釈の違いは 箇所としてはわずかなものだが、その中には文章の解釈そのものに関わる部分も含まれる。 従って、単にアドルノが参照した楽譜にあたって、原注の対応箇所の記述のみ修正すれば ことたれりというわけにはいかないと考える。(もしそうであれば、そうした文献にあたれる 方が調査をされた結果があれば十分であり、本項はわざわざ推測に推測を重ねる愚を犯して いることになるだろうが。)
なお、厳密には注による楽譜の言及がない箇所でも第4交響曲について言及されている ケースはあるが、とりあえずそれらは対象外とする。


I.天幕とファンファーレ

8頁(154頁)、原注(3):第4楽章17,18小節。ここは歌詞への言及があるので曖昧さはないだろう。

13頁(158頁)、原注(13):第2楽章練習番号11(254小節)。訳書では注の位置が間違っていて、 アドルノの言及している"Sich noch mehr ausbreitend"という指示との対応がとれないためか、 訳書では小節数の同定がなされていない。


III.性格的要素

60頁(193頁)、原注(1):第1楽章練習番号7(91小節)。参照箇所として第1楽章323小節。前者は 練習番号があるし、後者は"Ruhig und immer ruhiger werden"という指示が手がかりになるので、 曖昧さはない。

61頁(193頁)、原注(2):第3楽章62小節、および67小節。前者は"klagend"と指示された第2主題の 前半を、後者は"singend"と指示された後半を指示しており、曖昧さはない。

73頁(203頁)、原注(18):第1楽章126小節。練習番号10の1小節後と書かれていて曖昧さはない。

74頁(203頁)、原注(19):第3楽章78小節。練習番号3の2小節前から始まると書かれていて曖昧さはない。

74頁(203頁)、原注(20):第1楽章225小節、アウフタクトを持つトランペットのファンファーレを 指していると素直に考えるべきではないか。これはまさに第5交響曲冒頭のファンファーレそのもの であり、その後の中期交響曲とカフカの巣穴の地下道のように結びついているという指摘とも 対応する。訳書の解釈はクライマックスである練習番号17より前の216小節だが、思うにこれは、 (漢数字で記載されているがゆえの、226小節の誤植である可能性を除外するとしたら) 訳書75頁末近くのファンファーレについての文章を考慮してのことと忖度される。(Eine Fanfare nun ist nicht weiter zu entwickeln; nur zu repetieren, ...)ここを前の文章との繋がりなどから 原注23の「故意に子供じみた、騒がしく楽しげな領域」(absichtsvoll infantiles, lärmend lustiges Feld)の再現部での繰り返し(原注24)についての記述と考えれば、 そこで「それ以上展開しようがなく」「ただ繰り返されるだけ」のファンファーレというのは、 その「領域」で奏されるもので、かつ再現部の繰り返しでも繰り返されるだけのものでなくては ならないからだ。しかしそれでも、216小節のどのパートの音形がファンファーレと呼びうるのか、 あるいはそれが第5交響曲に見られるのか、私にはわからないし、再現部の繰り返しで216小節に 相当する257小節は寧ろ、移行部(第1楽章練習番号2)との親縁関係を証言する部分であって、 ファンファーレの記述とはやはり一致しないように思える。私見では訳書75頁末近くの ファンファーレについての文章は、その(実際には存在しない)再現についてではなく、 展開部の末尾の、再現部への移行に現れるそれ、つまり上記の225小節以下のファンファーレそのものの ことを述べているのである。ファンファーレというのは「一般に」そもそも展開しようがなく、 繰り返されるほかないし、実際、この第4交響曲第1楽章の展開部末尾のみならず、第5交響曲 第1楽章においても、否、マーラーのその他の交響曲のファンファーレについてもそれは言える のではないか。

75頁(203頁)、原注(21):第1楽章20小節の第1,2クラリネットと第1,2ファゴットによって奏される音型の ことを指しているのであろう。訳注では第25,27,29小節を指定しているが、その後の対応する 第94小節のチェロの音型と第95小節における解決(原注22については正しい箇所を 参照している)についての言及などを考慮した結果、私の見解は異なる。従って「クラリネットとファゴットの うち1つが即興的に奏される。」という該当部分の訳も少なくとも楽譜とは辻褄があっていない。 (もっとも、この箇所の訳については、仮に原注(21)の指示が訳注どおりとしても楽譜との辻褄の 問題は残ると思うが。「(主題複合のうちの)一つがクラリネットとファゴットによって即興的に奏される」 とでも訳すべきなのではなかろうか。)

75頁(204頁)、原注(22):第1楽章95小節。上述の通りであり訳注が参照している箇所を指していると考える。

75頁(204頁)、原注(23):第1楽章209小節、練習番号16。練習番号指定があるので曖昧さはない。

75頁(204頁)、原注(24):第1楽章251小節、練習番号19。同上。

75頁(204頁)、原注(25):第1楽章32小節、練習番号2。同上。なお原注20についての記述を参照のこと。 この脈絡で問題になるのは、訳書75頁から76頁にわたる文章の意味するところであろう。 「遠く離れたものを暖め直」(ein weiter Entferntes aufzuwärmen)すというのは、 単純に32小節を再現することも含め、いわゆる型どおりの再現部を形作ることを意味しているのであろう。 次の「展開部で充分に示されたものをむなしくただ繰り返すだけの力動性をもう一度再現部で動かす」 (in der Reprise abermals eine Dynamik anzudrehen, welche die sehr ausführliche der Durchführung vergebens nur duplizierte.)というくだりと、それに続く甘んじて選ばれた「不規則性ゆえに 印象の強い同一性」(durch Unregelmäßigkeit eindringliche Identität)というのは、 「故意に子供じみた、騒がしく楽しげな領域」の再現部における繰り返し、 つまり原注24で指示された箇所のことを言っているように思われる。要するに、単純な再現もありえないが、 実に念入りな展開部がファンファーレでいわばご破算にされてしまい、展開のダイナミズムが堰き止め られてしまったからには、しばしばあるように再現部を第2の展開部として更なる展開を行うわけにもまた 行かない。そこで、ほんの数十小節しか離れていないのだが、展開部の終わり近くで扱った、移行部の 素材の変形を、もう一度嵌め込んでみた、というふうに考えているのであれば、私の聴取の印象とも一致し、 実に的確な指摘であると思うのだが。

76頁(204頁)、原注(26):第1楽章239小節、練習番号18。練習番号指定があるので曖昧さはない。

76頁(204頁)、原注(27):第1楽章6小節。訳注は17小節から21小節を指示しているが、アドルノの指定 通りかどうかをおけば、訳注の指示している箇所の方が参照先としてはより適切のように思われる。 しかしながら、アドルノの指定は他の注での参照箇所との整合性などを考えれば、主題の最初の提示に おける対応箇所であるのはほぼ間違いがないと思う。

78頁(207頁)、原注(29):第1楽章9小節。ホルンが高音で旋律を吹き、かつアウフタクトを伴うということで、 確実だろう。

79頁(207頁)、原注(30):第4楽章105小節~111小節。歌詞による指示なので曖昧さはない。

79頁(207頁)、原注(31):第1楽章340小節。「第1楽章のコーダ」(der Coda des ersten Satzes)で 「最後のグラツィオーソ・アインザッツの前の「非常に控え目に」という記号のついた3つの四分音符」(die drei "sehr zurückhaltenden" Viertel vorm letzen Grazioso-Einsatz)とあれば、確実であろう。 寧ろこの部分で気になるのは、「パロディーで有名な」(durch Parodien berühmte)という形容である。どの(あるいは誰の?) パロディーでどのように有名なのか、この箇所がパロディーの対象になっているのか、それともこの箇所自体が 何かのパロディーなのかも含め、私にはよくわからない。ご存知の方がいらしたら、是非ご教示いただきたい。


IV.小説

92頁(216頁)、原注(7):第1楽章99小節~101小節。練習番号8の前という指示があり、曖昧さはない。


V.ヴァリアンテ-形式

120頁(237頁)、原注(5):第1楽章5小節。訳書では3小節となっている。確かに主題そのものは3小節から から始まるが、後述のように、ここで問題のジョーカー動機、ヴァリアンテの対象となるオリジナルの部分と いうのは5小節の部分に限定されると考えられるし、他の参照箇所との整合性から考えても、ここでは アドルノは5小節を指示していると考えたい。

120頁(237頁)、原注(6):第1楽章9小節。「その最後の音形」(Sein Endglied)とは、5小節の後半の16分音符の音形であり、 これの変形が出現する箇所だから確実と思われる。ただし、後述のように、原注7の指示している箇所の ことを考えると、この変形は例えば11小節のバスの音形をも含めているかも知れない。

120頁(237頁)、原注(7):第1楽章13小節。訳注では9,10小節としている。私見ではこの部分には2つの問題が ある。まずは簡単な方からいくと、原注の翻訳についてだが、"zweites System, Takt 3"が「第3小節、後半」に なっていて、原文を確認するまで、どういう意味なのか理解できずに困惑した。他の章の原注の翻訳では、 「第2部分」(VIII.原注51他)のように訳されていることもあれば、「後半、第3小節」(VI.原注(4))のように なっている場所もあり、統一が取れていないが、それぞれ意味は誤解無くとれるのに対し、いずれにせよ「第3小節、 後半」では素直に訳書を読めば、全く誤解してしまいかねないと思う。Systemというのはここでは勿論、鳴っている 楽器が限定されている箇所で、スコアが1ページ内で複数ブロックに折り返されることがある、その1ブロックのことを 言っている。
次に見解の違いについてだが、これはどちらかといえば、原注5から始まり、原注11まで続く一連のヴァリアンテの 技法の例示のうち、特に訳書120頁に相当する前半部分の解釈の問題である。
まず、細かいが、「下属音に伴われている」(von der Unterdominante)のは主題ではなく、ヴァリアンテの対象の「部分」でなくては ならない。(これ自体は当たり前のことなので、別にどちらでも良さそうなものだが、この後の解釈の違いに 基づくものであるかも知れないので、特に注記することにする。) 次に「その上に第1のヴァリアンテがすぐに続く。」(eine erste Variante folgt unmittelbar darauf.)が、9小節から「すぐに続く」のだから、 9,10小節のことと解釈されているが、これには疑問がある。この文脈ではオリジナルは5小節、第1のヴァリアンテは 13小節、第2のヴァリアンテは15小節のことなのだ。それは、少し後の「このようにして、最初のヴァリアンテ においては強められる傾向と弱められる傾向とが互いに交錯している。第2の2小節後のヴァリアンテでは、明白に 緊張感の中でこの両者の傾向の均衡が図られる。和声の一時的転調は、原調とは異質なバスの変ロ音、すなわち 強い二度上声音でより強められる。」(In der ersten Variante wirken demnach eine verstärkende und eine abschwächende Tendenz gegeneinander. Die zweite, zwei Takite später, sorgt für deren Ausgleich in entschieden fortschreitender Intensität. Die harmonische Ausweichung wird stärker durch den tonartfremden Baßton b, eine kräftige Nebenstufe.) の箇所から明らかである。そして、原注7の箇所から、上記の箇所までの 記述はひたすら第1のヴァリアンテ、即ち13小節についてだけ書いているのではないだろうか。従って、 原注7の後の「それは次の小節のはじめも下属音に触れるが、すぐに第2小節でイ短調...へと一時転じる。」には 同意できない。訳文は原注7が9,10小節である以上、恐らく10,11小節か、11,12小節のことを指していると いう解釈なのだろうが、これも楽譜を参照して考えて納得できず、止む無く原文にあたった箇所である。 「次の小節のはじめ」というのは原文では"...auf dem guten Taktteil"であって、単にその 小節の強拍、つまり13小節の1拍目のことのように思える。同様に「すぐに第2小節で」の原文 "... schon mit dem zweiten ..."はzweiten Taktteil"のこと、13小節2拍目のことに違いない。実際、 イ短調の和音が現れるのは13小節の2拍目のことである。(ここは聴くと音楽がちょっとだけ歪むような感覚の 箇所で、それゆえ私の立場では、アドルノの指摘は、その歪みの謎解きをしてくれているわけである。) また、それに続く、「前半部分の特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行され」(Bei identischen Rhythmus wird die charakteristische Aufwärtsbewegung der Sekund in der ersten Hälfte umgekehrt)というのが (原注7を9,10小節とするなら妥当ともいえるが)12小節の付点4分音符と16部音符の音形の下行のこととされているが、 これも私見では、13小節の「前半部分」のことでなくてはならない。実際、オリジナルの形にたいして、 13小節の第1のヴァリアンテでは、「特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行されている」のだから。 なお、その後の「主題それ自体の変形であるこの旋律の冒頭部分」(das vorausgehende Anfangsmotiv nämlich, welches das des Hauptthemas selbst variiert)は訳の指示の通り、11小節のことと思われる。要するに第11小節からはじまる楽節が冒頭 主題の変形と見なされていて、その冒頭の変形と13小節のジョーカー動機の変形が一貫しているというのがアドルノの 指摘であろう。であればこそ、それに先立つ「前半部分の特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行され」は、 やはりジョーカー動機の第1のヴァリアンテである13小節の前半のことでなくてはならない、というのが私の見解である。

121頁(238頁)、原注(8):第1楽章27小節。文脈から確実だろう。

121頁(238頁)、原注(9):第1楽章29小節。同上。

121頁(238頁)、原注(10):第1楽章246小節。ここの原注の翻訳も原注7同様、zweites Systemを「後半」と しているので注意が必要である。

121頁(239頁)、原注(11):第1楽章320小節、比較参照箇所は第1楽章315,316小節、練習番号23とその1小節後。 本文の記述が具体的なので確実であろう。なお些細なことで恐縮だが、ここでも原注の訳には首を捻った。 原文ではcf.になっているのが「さらに」で順接に訳されていただけなのだが、思わず原文にあたって しまった箇所である。もっともアドルノにも問題があって、原注のつけられているのは「旋律的にも、 和声的にも新しく装いながら」(melodisch und durch Neuharmonisierung)だから、寧ろcf.で指定されている 箇所で、アドルノが指示する頂点のイ音への言及の箇所ではないのである。


VI.技術の次元

139頁(253頁)、原注(1):第2楽章185小節、練習番号8。練習番号の指定があるので、曖昧さはない。

154頁(264頁)、原注(24):第3楽章55~61小節。練習番号2まで、とあり、本文の記述も具体的なので確実だろう。


VIII.長きまなざし

191頁(291頁)、原注(7):第2楽章22小節(オーボエの音形)。ただしこの箇所については率直なところ、 そのような気がするといった程度のものである。(訳注も、「のことと思われる」という書き方で、 推測であることを明らかにしている。)幾つかの観点から、私見では訳注の指示する94~103小節では ありえないとは思うのだが、それではどれが「ユダヤ教会的な」(Synagogale)もしくは「世俗的・ユダヤ的な」 (profan-jüdischen)旋律なのか、私には確信をもって 判断することはできない。マーラーのユダヤ性というのは格好の研究テーマに違いないので、恐らくは この箇所を問題にしている文献もあるだろう。(けれども例えばWebで見ることができたそうした論文の 一つは、第1交響曲の第3楽章の旋律をひたすら問題にしつづけ、アドルノのこの本の引用もされているのに、 この箇所のアドルノの言及には全く触れていなかった。当然、読んでいないはずはないだろうから、 意識的に無視したのかもしれないが、これには吃驚してしまった。)いずれにせよ、そういう わけで、この箇所の「正解」についてはご存知の方のご教示を待つほかない。是非、下記宛てにご連絡 いただけるよう御願いする次第である。

(2005.6一部公開、2005.7.1現在の形態で公開, 2007.2.4引用箇所にアドルノの原文を比較のために追加)

2005年5月31日火曜日

参考録音覚書

特に交響曲、管弦楽伴奏歌曲をはじめとして、マーラーの音楽には膨大な数の録音が存在し、それゆえ名盤には事欠かない。 時代による様式の変化や指揮者、オーケストラの個性などがあいまって非常に多様な選択肢があるが、嗜好もそれと同じだけ 様々であろうから、ここでは特に個別に言及しない。範囲をWebページに限定しても熱心なコレクターが多くおられるようなので、 様々な演奏を聴きたい方は、そうした方のWebページをご覧になることをおすすめする。以下では有名な曲については、 主として入手のし易さを重視した例を、それ以外では録音の多様性を示す例を挙げることにする。

交響曲全集については上述の通り、多くの選択肢が存在するゆえ、ここで特定の演奏を取り上げるまでもなかろうが、 「大地の歌」、第10交響曲のアダージョのみの版と5楽章のクック版のすべてを含んでいるインバル/フランクフルト放送交響楽団は 網羅性の高さと入手のしやすさを兼ね備えている。なおインバルはウィーン交響楽団と全ての管弦楽伴奏歌曲の録音もしている。
「嘆きの歌」は今や1880年の初稿を聴くことができる。ナガノ/ハレ管弦楽団のものが入手しやすいだろう。
歌曲はピアノ伴奏しかないものと管弦楽伴奏も存在するものがあるため、網羅的な録音というのはなかなかない。
もっとも管弦楽伴奏のものに限れば選択肢は広い。なお、「リュッケルト歌曲集」の管弦楽伴奏版はしばしば、 マーラー自身の管弦楽伴奏のある4曲に加え、マックス・プットマンの管弦楽伴奏編曲による「美しさのゆえに愛するなら」を 含める場合が多い。その中で、ナガノ/ハレ管弦楽団(ヘンシェルの歌唱)のものは1905年1月29日のマーラー自身の指揮に よる「子供の死の歌」「リュッケルト歌曲集」(管弦楽伴奏のある4曲のみ)の初演の演奏会のプログラムを再現したもの で、同時に演奏された「子供の魔法の角笛」のうちの7曲も併せて演奏されており、大変に興味深い。特に「子供の魔法の 角笛」のうち、「歩哨の夜の歌」「無駄な骨折り」「不幸な時の慰め」「塔の中で迫害されている者の歌」は男声と女声の 掛け合いで歌われる場合と男性単独で歌われる場合があるので、その点での聴き比べも興味深いだろう。ヘンシェル/ナガノの 演奏では、「歩哨の夜の歌」「不幸な時の慰め」「塔の中で迫害されている者の歌」が男声のみで歌われるのを聴くことができる。
なお、「大地の歌」はアルトのかわりにバリトンでの歌唱の可能性をマーラー自身が想定していたが、現実にはバリトンが歌った録音は非常に少ない。 バーンスタイン/ウィーン・フィル、フィッシャー・ディースカウのバリトン、キングのテノールのものが著名だろう。

歌曲のピアノ伴奏版なら、フィッシャー=ディースカウ/バレンボイムのものが「青年時代の歌」「さすらう若者の歌」 「子供の魔法の角笛」「リュッケルト歌曲集」を収めていて貴重だろう。バーンスタインがピアノ伴奏をし、ルートヴィヒとベリーが 歌った「子供の魔法の角笛」、同じくバーンスタインのピアノ伴奏、フィッシャー・ディースカウの歌唱による「さすらう若者の歌」、 「リュッケルト歌曲集」(4曲)「青年時代の歌」(抜粋)もまた非常に有名であろう。ただし、「美しさのゆえに愛するなら」「ハンスとグレーテ」 「外へ!外へ!」「たくましい想像力」は含まれていない。初期のいわゆる「3つの歌」を含むものと しては、ベイカー/パーソンズのものがある(「青年時代の歌」「さすらう若者の歌」を併録。)「子供の死の歌」の ピアノ伴奏版は、いわゆる大家、有名歌手の演奏では思いのほかない。管弦楽伴奏版と比べたときの差は、最近になって ようやくピアノ伴奏版の録音が増えてきた「大地の歌」ほどではないにしても、かなり大きいように思える。 必ずしも入手しやすいわけではないかも知れないが、新しい録音ではゲンツ/ヴィニョルズのものが「青年時代の歌」の抜粋(7曲)、 「さすらう若者の歌」「リュッケルト歌曲集」とともに「子供の死の歌」を収めていて貴重だと思う。 「大地の歌」のピアノ伴奏版は現在では幾つかあるが、嚆矢となったカツァリスのピアノ、モーザーとファスベンダーの歌唱のものが 有名だろう。またソプラノの平松英子が野平一郎のピアノ伴奏で歌った「大地の歌」は、連作歌曲集としてのこの作品のポテンシャルを 活かした企画であり、なおかつ日本人による演奏としての解釈のユニークさも備えている。しかも歌唱もピアノも技術的に驚くべき水準に達して おり、ピアノ伴奏版に留まらず、管弦楽版も含めて「大地の歌」の演奏を語る上で欠かすことができない名演であると思う。テノール・バリトン歌唱の ピアノ伴奏版としては、スミスのテノール、パレイのバリトン、ラーデマンのピアノによる演奏がリリースされている。

マーラーは今や人気者なので、「ピアノ四重奏曲楽章」や交響詩「葬礼」をはじめ第1交響曲のハンブルク稿、ヴァイマル稿(5楽章からなる交響詩「巨人」) などの初期形の録音すら存在する(例えばルード指揮ノルシェーピング交響楽団の「巨人」(ハンブルク稿)ハマル指揮パンノン・フィルハーモニー管弦楽団の「巨人」(ヴァイマル稿)リッケンバッハー指揮 バンベルク交響楽団の「葬礼」「花の章」など)。果ては交響曲のピアノ連弾版(ただし、これには例えばツェムリンスキーが「私的演奏協会」 での演奏のために編曲した、際立って優れた第6交響曲の編曲なども含まれる)、室内楽編曲版などの録音すら入手できる ようになっている。第10交響曲の全曲演奏用補筆版については、いわゆる「標準」の地位にあると見なせるクック第3稿のみならず、 他のバージョン(カーペンター版、マゼッティ版など)による録音も出ている。またクック版に準拠しながらも、部分的に 管弦楽法を改変している録音も存在する。(例えばザンデルリンクの演奏。)

いわゆる歴史的な録音に関心がある人にとっては、マーラー自身が残したピアノロール(1905.11.9)や、マーラーの友人であった メンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した第4交響曲(ソプラノはヴィンセント)の演奏、 オスカー・フリートが1924年に残した第2交響曲の録音などが興味深い記録であろう。 近衛秀麿の指揮した第4交響曲の録音も初期の記録としては貴重であり、CD化されたことがあった。(ただし私見では近衛のそれは あくまでも資料としての価値を超えるものではないが。) ヴァルター、クレンペラーといった指揮者は現在でもお馴染みの指揮者だが、いずれも指揮者マーラーの弟子と呼んでよい。 その解釈は時代の流れもあって、少なくとも指揮者マーラーの流儀の継承であるわけではないが、一方で、今日のように マーラー演奏が一般的になる以前からマーラーを取り上げていたこともあり、その演奏には歴史的な価値があるだろう。

だが歴史的録音の価値は、クロノロジカルな初録音記録の競争にあるわけではないし、時代の証言としての記録、つまるところ 同時代人の証言などと等価な資料体としての価値に限定されるわけではない。歴史的録音が可能なマーラーという作曲家の作品自体が 最早過去のものであり、1世紀の時間的な隔たりがあること、更にはおよそマーラー自身の伝統とは懸け離れた極東の島国に住まう人間にとって それが如何に自分から遠いものであることを知るにつけ、マーラーその人を知る人々の演奏、マーラーの生きた時代の記憶を持つ人達の演奏に、 馴れの問題も含めた演奏技術の向上や録音技術の向上にも関わらず後世の、だが寧ろ自分にとっては近い時代の演奏には聴き取れない 何かが存在することは明らかであろう。あるいはいっそのことそうした歴史的なパースペクティヴを捨ててしまって、端的に時代の壁、テクノロジーの 限界の壁を超えて、私たちだけでなく、未来の人びとの心をも捉え続けるに違いない演奏を歴史的録音によって聴くことができるのは確かなことなのである。

そうした録音として私が特にここで言及したいのは、交響曲であればすでに触れたメンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団による1926年5月の第5交響曲 第4楽章や1939年9月の第4交響曲の演奏、そして1936年5月24日のワルターとウィーン・フィル、トールボリとクルマンの独唱に よる「大地の歌」、アンシュルス直前の1938年1月16日のワルターとウィーン・フィルによる「第9交響曲」、あるいはまたその翌年のNBC交響楽団との 第1交響曲1939年10月5日アムステルダムでのシューリヒト指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団とトールボリとエーマンによる「大地の歌」 (この演奏はコンサートの最中に起きたハプニングが記録されていることで有名だが、私見では、そうした史料的な価値を捨象してなお無比の価値を持つ)、 更に戦後まで範囲を広げれば、1948年のワルターのウィーンへの里帰り公演である第2交響曲の演奏、 これまたワルターとウィーン・フィルによる、だが今度はフェリアーとパツァークの独唱による「大地の歌」の1952年のスタジオ録音、そして同じくフェリアーが 今度はルイスとともにバルビローリとハレ管弦楽団とともに同じ1952年に今度はマンチェスターで演奏した「大地の歌」のエア・チェックの記録である。 個人的には、その系列に連なるものとして、(一般にはこれ自体は「歴史的録音」の範疇外として扱われるのだろうが)バルビローリとベルリン・フィルによる 第9交響曲の1964年の録音も含めたいように感じる。バルビローリの演奏はそれ自体、直接的にはヨーロッパ大陸のマーラー演奏の伝統とも独立だし、 晩年のマーラーが指揮したニューヨーク・フィルハーモニックの時代にはマーラーをほとんど採り上げていないから、ここでの伝統との連続性も極めて薄弱に 過ぎないものでありながら、今日から見ればその後の演奏様式よりは寧ろ過去の様式に通じるものを持っているように思われてならないのである。 ただし、そのバルビローリが第二次世界大戦後、ネヴィル・カーダスに勧められてマーラーを「発見」した後、「古巣」のニューヨーク・フィルハーモニックに 2度客演した折の記録がいずれも残っていて、しかもいずれも圧倒的な演奏であることは留意されてよい。1959年1月11日カーネギーホールでの第1交響曲1962年12月8日フィルハーモニーホールでの第9交響曲の演奏の放送用録音がそれで、特に前者は晩年をアメリカで過したアルマがリハーサルと本番に 立会い、賞賛の言葉をバルビローリに送ったというエピソードをアネクドットの類と思わせない、極めて優れた演奏である。

だが、歴史的な録音の価値という意味では交響曲と歌曲に優劣をつけることは意味がないことであって、こちらもまたレーケンパーとホーレンシュタインによる 「子供の死の歌」の1928年の録音を筆頭に、「子供の死の歌」であればフェリアーがワルターとウィーンフィルの伴奏で歌った1949年の録音から 1967年のバルビローリとハレ管弦楽団の伴奏によるベイカーの歌唱という系列を、あるいはまた「私はこの世に忘れられ」であれば、 1907年にマーラーによりウィーン宮廷歌劇場に招かれ、短期間ではあるがマーラーの下で歌った経験を持ち、さらには1911年11月のミュンヘンにおける ワルターによる「大地の歌」初演でも歌ったサラ・シャルル=カイエによる1930年代の録音、「大地の歌」のコンサートのアンコールに歌われた 1936年のトールボリの録音、これもまた「大地の歌」のフィルアップとして録音された1952年のフェリアーの歌唱、そして1964年と1967年の 2度、オーケストラを変えて録音されたバルビローリ伴奏によるベイカーの録音といった系列を挙げないわけにはいかないだろう。 その一方で、ワルターのピアノ伴奏での「リートと歌」からの8曲の録音があり、またワルターとニューヨーク・フィルによる第4交響曲のソプラノ・ソロを受け持った デジ・ハルバンが、やはりマーラーがウィーン宮廷歌劇場に呼び、マーラーの下で歌ったあのゼルマ・クルツの娘であることを確認しておいてもいいだろう。 1950年ニューヨーク・フィルと第8交響曲を録音したストコフスキーは1916年に第8交響曲のアメリカ初演を行なっているが、 その彼が1910年9月のマーラー自身の指揮によるミュンヘンでの第8交響曲初演の聴衆の一人であったこともまた忘れてはなるまい。 またシューリヒトも同じく第8交響曲初演に立ち会っており、1913年9月には監督を務めたヴィースバーデンで第8交響曲の初演を行い、また1921年4月13日から25日までに わたりドイツで最初のマーラー・フェスティヴァルを開催した指揮者である。セッション録音こそないものの、上述の1939年のコンセルトヘボウとの「大地の歌」の他に 晩年の1958年にフランス国立管弦楽団を指揮した第2交響曲と「さすらう若者の歌」、同年にシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した第2交響曲、1960年にやはりシュトゥットガルト 放送交響楽団を指揮した第3交響曲などの演奏記録には接することができる。

アドルノのマーラー論が出版された生誕100年の1960年以降、いわゆるマーラー・ルネサンスが始まる。現代的な マーラー評伝の嚆矢となったクルト・ブラウコプフが書いているように、LPレコードの出現は、マーラーの音楽の 普及に大きな影響があった。有名なところではクーベリック、ショルティ、バーンスタイン、ハイティンクといった指揮者が 交響曲全集を完成したのはその時期にあたる。バルビローリのようにスタジオ録音こそ一部の曲しか 残さなかったが、当時より評価が高い演奏の録音が知られていて、ようやく最近になってその業績の全貌が 広く知られるようになったケースもある。(その中には、録音状態の悪さや、第1楽章冒頭の欠落などのハンディにも 関わらず、単なる記録としての価値を遥かに超えた、フェリアーがアルトソロを歌った1952年の「大地の歌」も含まれる。)

ついで、例えばインバル、ベルティーニ、ギーレン、ツェンダー、コンドラシンといった指揮者の際立って優れたマーラー演奏が、 海外のコンサートの録音のFM放送によって国内に紹介されていった。このうちコンドラシンは第3交響曲や第9交響曲のロシア初演者であり、 第1,3,4,5,6,7,9番の交響曲のロシアのオーケストラによる録音(第1,3,4,9がモスクワ・フィル、第5がソビエト国立交響楽団、 第6,7がレニングラード・フィル)が存在するが、その演奏は別の伝統に属するオーケストラの響きの 個性で際立っているとともに、その一方でコンドラシンの解釈の卓越を証言する極めて質の高いものばかりである。また、 コンドラシンとモスクワ・フィルは第9交響曲の日本初演を1967年4月16日に東京文化会館で行っており、その折の記録(NHKによる実況録音)を聴くことができる。 FMで放送されたのはコンドラシンが西側に亡命して後の演奏だが、その中でもコンドラシンの最後の演奏となった1981年3月7日、アムステルダムの コンセルトへボウでの北ドイツ放送交響楽団との第1交響曲の演奏記録は貴重なものであろう。 その後の若干過熱気味の嫌いもあったブームから今日までについては、多くのところで語られているし、 録音としては現役のものも多いだろうから、ここでは割愛する。

日本人の演奏ということでいけば、上述の近衛の演奏以外では、第1交響曲のハンブルク稿日本初演、第1楽章に 「葬礼」を演奏した第2交響曲を含む、若杉/東京都交響楽団の全集や、日本で世界初演が行われたというゆかりもある ピアノ伴奏版の「大地の歌」の日本人歌手・ピアニストによる演奏(すでに複数存在する)などが挙げられるだろうか。

ただしマーラーの音楽は、基本的にコンサートホールで聴かれるために書かれた音楽であるから、可能ならば実演に 接すべきであろう。舞台裏や離れた場所での演奏指示を含み、空間的な効果を狙った作品も多いし、第8交響曲のように、 音響体としての規模が大きくて、コンサートホールで直接音響に身を浸したほうが、(その繊細で薄い楽器法の部分も 含めて)把握しやすい場合もある。第6交響曲のハンマーをはじめとした、多用される打楽器の音響も、録音を聴くのと 実演に接するので違いが出やすいだろう。一方で、マーラーは特に日本国内のコンサートにおいては、今や集客の しやすい「定番」レパートリーのようなので演奏機会も少なくない。来日オーケストラのプログラムでもマーラーは 最も良く取り上げられる作曲家の一人といっていいだろう。

もっとも、だからといってコンサートホールでの方が「感動できる」かどうかはまた、別の問題である。 演奏の良し悪しとは別に、マーラーの音楽の持つ性質が、まさにそのために書かれているにも関わらず、 コンサートホールのような場に相応しいとは言い難い面を持っているかも知れないので。(だから、ある種の 規範を持つ音楽家はマーラーを演奏すること自体を我慢ならないものと見なして拒絶するだろう。そういう気持ちも 決してわからないではないと私には感じられる。)出不精の私も、マーラーに関しては過半の交響曲の実演に 接しているが、残念ながら「感動した」と言いうるのは率直なところわずかであった。それでもなお、実演に 接したことがあるかどうかは、例えばその後は録音を聴き続けるにせよ、聴取のあり方に影響するであろうと 思われる。

さらに言えば、マーラーが最早過去の存在であること(これ自体は否定しようのない事実であり、マーラーの音楽の 「新しさ」を幾ら述べ立てたところで、そのことによって展望が変わることはない)、要するにマーラーの時代は端的に 既に遙か彼方に去ってしまっていることを思えば、逆説的に、それ自体本来は現実の色褪せたコピーであるはずの 「録音」が、「かつてあった」筈の現実への接点を持ちようのない今日の人間にとって、控え目に言ってもマーラーの 音楽のある側面、しかも極めて重要な側面を知る唯一の手がかりであるに違いない。録音技術が如何に発達し、 如何に立派な再生装置を用いたところで、録音が実演にとって変わることはありえないし、その一方で単純な 時空間の共有、要するに「最近の録音」であったり、「日本での演奏」であったりするという同時代性の事実が 担保するものの頼りなさは明らかなことであろう。今日の日本のコンサートホールで聴くことができるマーラーが 如何なるものであるのかは些かも自明ではないのだ。

マーラーは偶々、録音・再生・複製といった技術が確立する 直前に没してしまったのだが、その結果として、さらに過去の作曲家におけるように殊更に「再構成」の作業を 行わなくても、楽譜の読み方、奏法について「録音」を通して知ることが可能である。ただし、同時代とそれに 続く時代においては録音・再生・複製の技術の限界から、「録音」が様々な限界を抱えていることもまた否定できない。 今日、マーラーは最早過去の作曲家となり、充分な距離感をもってその音楽に接することができるようになり、 恐らくそれに関係して、演奏様式や解釈の点においても変化が生じた。その結果の方は今度は「録音」技術の 進展によって、かつてとは比較にならないほどの「リアリティ」をもって何度も追体験可能となってきた。恐らく今後も ますます演奏様式上は「過去」とは自由になり、録音・再生技術の進展は実演と録音のリアリティの差を狭めていくのだろう。 そのようにしてマーラーの音楽という「ミーム」は再生され、変異にさらされつつも存続していくに違いないのだ。

今日コンサートホールでマーラーを聴くことの意味が些かも自明でないのと同様に、マーラーを「録音」を通じて 聴くことの意味もまた、些かも明らかではない。とりわけ「録音」が持つ意味合いは、ことマーラーに限って言えば これから明らかにされるべき問題として残っているように私には思われる。自分が夜中に自室の机の前で、 PCを用いて再生したマーラーから得る「感動」というのは一体何なのか。実演では恐らく不可能な程の頻度で 同じ曲を繰り返し聴くことは「録音」によってのみ可能だろう。しかも「同じ」演奏を何度も聴くことが可能になるのだ。 そこでおきていることは、実演で、あるいはスコアを通してマーラーを知ることとは全く別の種類の経験であろう。 してみれば可否は別として、「録音」を通じてマーラーを受容することがどういうことであるかをもう少しきちんと測る必要が あるのではないだろうか。 (2005.5初稿,2005.7,2006.5, 2007.12, 2008.3.13,19、2009.05.17, 6.15, 8.1/9, 10.27,31, 2010.1.11, 5.18, 10.3加筆・修正)

参考書籍覚書(2005~8)

マーラーを語る上で、生誕100年を記念して出版されたアドルノのマーラー論を取り上げないわけには いかないだろう。いわゆる専門的な研究を志すわけではなくとも、マーラーについて何かを語ろうとした時に、 この著作を読まずに済ませることは困難だと思う。しかも今日では素晴らしい新訳(「マーラー 音楽観相学」 訳:龍村あや子、法政大学出版局)により日本語でその内容を、比較的に容易に理解する手段が 用意されているのである。
アドルノの文章は難解だと言われるが、幸いにしてあまりにかけ離れた言語である 日本語に翻訳するにあたって充分に意味の通る翻訳がなされるため、訳者の解釈の助けを借りながら内容を 理解することができるという、逆説的ではあるが恵まれた状況に我々はあるのだと思う。「否定弁証法」しかり、 「認識論のメタ批判」しかりである。
とりわけ現象学批判の後者は、個人的には一層理解しやすいものであるが、それと同様かそれ以上に、語られている 音楽に親しんでいるマーラーについての著作であれば、尚更とっつきやすい。私のように、熱狂的なファンでは ない、どちらかといえば距離をおいた聴き手ですらそうなのだから、多くの熱心な聴き手の方にとっては 決して難解であるとは思えず、ややもすると今なお敬して遠ざけられがちであることは驚きである。
もっとも、そうはいっても意味が通りにくい部分も散見するし、私見では、はっきりと誤りではないかと 思われる場所もなくはない。わかりやすい例を一つだけあげれば、III.性格的要素の章の出だし、訳書57頁 (Taschenbuch版の全集13巻では190頁)のアプゲザングの例のうち第3交響曲第1楽章の対応箇所について、 訳者は362小節~368小節であると補足しているが、私見ではアドルノが考えているのは明らかに練習番号28 (351小節)以降である。それはIV.小説の末尾(訳書108頁、原書228頁)の原注26において、まさにその アプゲザングへの再度の言及があり、そこでははっきりと練習番号28がアドルノによって指示されている ことから明らかであるように思われる。聴取の印象からいっても練習番号28からの箇所の方が「充足」に 相応しく、訳者の指定箇所は(アドルノもそう表現しているが)寧ろ「崩壊」であろう。少なくとも 聴く限りでは「充足」として機能しているようには私には感じられない。
(幾つか気付いた点のうち、特に第4交響曲に関する部分については、 別にまとめた(「アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について」) ので、興味がある方はそちらをご覧になっていただければ幸いである。)
しかし旧訳(私が知った時には既に絶版で、図書館で閲覧することしかできなかった)に比べれば、 その訳の素晴らしさは一目瞭然であると思われる。これなら移動時間の電車の中でも読めるという くらいこなれた訳であり、画期的なことだと思う。
なお、これらとは更に別に、青土社「音楽の手帖 マーラー」には、深田甫訳による、第4章の更に部分訳が 収められている。これは一見して非常にこなれた訳なのだが、とりわけ哲学的な概念操作を内容とする抽象性の高い部分に なると途端に首を捻る文章になる傾向がある。(この点では龍村訳の方がずっと違和感がない。) マーラーが曲をつけた詩の翻訳でも著名な訳者の手になるもので、日本語としての読みやすさは群を抜いているとは思うが、 踏み込んで補った部分がアドルノの意図を捉えているかどうかは、また別の問題なのではなかろうか。
もっとも、深田訳に関しては、歌詞の翻訳でも―語彙の豊かさ、表現の多彩さに驚嘆するとともに、 日本語としてこなれていることは認めても―そのあまりの自在さに当惑することが多い(しかも詩によっては複数のバージョンの翻訳があって、 そのバージョンを比較すると、その違いの大きさに再度驚くことになる)のだが、 これは私に文学的な感受性が欠如しているせいなのであろう。まあ、世の中には誤訳だらけの歌詞翻訳があふれていると仄聞するので、 それに比べれば、深田訳の質の高さには議論の余地はないのだろうとは思うのだが。
かつて、このアドルノの著作を評して音楽が行間から聞こえてこないタイプの著作である、という評もあった (「音楽の手帖 マーラー」(青土社)の中の川村二郎さんの文章にそんな記述があった)が、BGM的に マーラーの音楽を思い浮かべながら読むことはできないという意味ではその通りではあっても、実際には寧ろ、 アドルノのこの著作ほど具体的にマーラーの音楽自体に迫ったものは読んだことがない。その記述は至るところ 音楽の具体的な部分への言及に溢れていて、その音楽に慣れ親しんだ方ならば、これほど音楽を思い浮かべ ながら読み進められる著作もないのではないかと思う。もしかしたら専門の研究者にとっては、40年以上前の この著作は最早、参照に値しない「歴史上の文献」になっているのかもしれないが、充分にその内容を 咀嚼することすらまだできていない私にとっては、まだまだアクチュアルな著作である。
とはいうものの、それはアドルノの主張に全面的に賛同できるということではない。「アドルノ以後」の 多くの論者がそれぞれ少しずつ異なったニュアンスで留保をつけているが、私もまた、アドルノの主張の 根本の部分に首肯し難いものを感じる。独自の概念装置を用いたマーラーの音楽の具体的な分析は 素晴らしいと思うが、その社会批判的な部分には必ずしも説得力を感じない。寧ろ、予断された歴史的な 図式に現実を当て嵌めるかのような強引さが感じられる。それが他のアドルノが評価しなかった作曲家に 適用された時の恣意性を思うに、その所説のある部分(もしかしたら、それは根幹をなす部分かも 知れないし、ことマーラーに関しては―文脈を共有する者が持つ「クオリア」の反映ゆえの―それなりの 説得力を感じないでもないのだが)に対して留保をつけざるを得ないように感じている。

というわけで、アドルノの著作があればそれだけでも充分過ぎるほどなのだが、それ以外に挙げると すれば、本来はドナルド・ミッチェルの生成史的な研究(私の知る限り、現時点で3巻)、 アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの浩瀚な伝記(私が参照しているのは、フランス語版の3巻本である。 その後、内容の改訂・増補を伴う英語版も出ている。)、そして必ずしも評価について一致を 見ているわけではないようだが、コンスタンティン・フローロスの標題音楽的なアプローチによる 大部のマーラー論(これまた3巻本)の3つを挙げるべきなのだろう。
しかしミッチェルの研究はその一部の翻訳が出たきりだし(「マーラー さすらう若者の時代」喜多尾道冬訳, 音楽之友社,品切、「マーラー 角笛交響曲の時代」喜多尾道冬訳,音楽之友社)、 ラ・グランジュについては幾つかの論文の翻訳をまとめたものが出版されているに過ぎない (「グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて」船山隆,井上さつき訳,草思社)。 フローロスに至ってはようやく最近英語版からの翻訳で第3巻のみが出版されたばかりである。(コンスタンティン・フローロス「マーラー 交響曲のすべて」訳:前島良雄・前島真理、藤原書店)
ちなみに個人的には私はフローロスの立場にはほとんど関心がない。マーラーがいわゆるハンスリックの意味での 「絶対音楽」ではないのは明らかであるにせよ、だからといって直ちにフローロスのようなアプローチを 正当化することにはならないと思う。アドルノを批判する姿勢を明らかにしているフローロスの立場がアドルノのいう 標題音楽的な解釈として批判の対象になりうるかについても議論があってしかるべきだろうが、 いずれにせよ一読した限りではアドルノの著作ほどの刺激は感じない。 私は幸い研究者ではないので、義務的に読む必要性に迫られることもない。 主要な文献の大部の翻訳が出たこと自体は歓迎したいが、それゆえここでは特に取り上げることはしない。
また、マーラーの音楽をドイツ・ロマン派の汎神論的な自然哲学的世界観の表現として捉えようとする立場と しては例えば国内でも岩下の説がある(その所説については岩下眞好, 福井鉄也(写真)マーラー:その交響的宇宙,音楽之友社や、キーワード事典 作曲家再発見シリーズ マーラー所収の論文を参照されたい)が、これにもまた同意しかねる。もしマーラーをそうした思潮の中に 位置づけること自体目的であればそれなりに妥当な側面もあるとは思うが、それはマーラーの作品の「環境」の一部 を明らかにするものではあっても、決してマーラー「について」の議論ではないし、マーラーの特異性を明らかにすることは ないように思われる。そもそも岩下の論では第9交響曲が(そしてまた第10交響曲も恐らく同様に) 全く扱えない。マーラーの作品を俯瞰するという観点からすれば、すでにこれのみをもって、その論には致命的な 限界があると言わざるを得ないのではないか。第8交響曲と大地の歌、第9交響曲との間に広がる溝こそ、 そこに矛盾や破綻を見出したり、伝記主義的な裏づけをもった変化を認めるのでなければ、まさに説明が必要な 「躓きの石」であるのは、ワルターの指摘を引き合いに出すまでも無く明らかなことのように思えるのだが。
更に言えば、仮に世界観や理念についての議論に限定したとして、岩下の説で扱われているのはせいぜい ニーチェまでであって、マーラー自身が強い関心を抱いていたより近代的な思潮、 フェヒナーやロッツェといった自然科学の発展の準備をした人たちの考え方に全く触れないのは不可解だし、同様に マーラーその人の軌跡を辿るなら、エドゥアルト・フォン・ハルトマンを素通りすることにも困惑を覚えざるを 得ない。期待して読み始めた人間は、恐らく肩透かしを食らった気分になるだろう。
私のような文化史的な知識の 無いものが、造詣の深い専門家に対して何を言うかとお叱りを受けそうだが、結局のところここで為されているのは、 例えば構造主義的な歴史観におけるような同時代の関連する諸潮流の運動の同型性の抽出ということですらなく (もっとも、そうだとしても尚、私にはあまり関心はもてないが)、結果としてその所説は、所詮は素材に過ぎないもの、 到達点ではなく、出発点をしか指し示さないように思えてならない。 到達点の特異性は紛う事なきマーラーその人のそれだろうが、出発点を渉猟することがマーラーが 実現したことをどれだけ明らかにするのか、素人の私は判然としないし、所説そのものが説得的だとは全く感じられない。
それでいてマーラーがそれを知っていたという実証的な裏づけを示すことなしにカールスの思想を 持ち出すのは如何にも唐突でその意図を測りかねる。フローロスですら手続きは原則としては実証的であり、 寧ろ彼の研究の意義はそこにあるとする見方もあるというのに、その実証性にすら拠らずに議論を進め、その一方で 自説の拠りどころとして、繰り返しパウル・ベッカーの業績―その価値は疑いないものであっても、 寧ろ今日においては、それ自体がマーラーの同時代の受容のあり方として批判的検討の対象にすることが 妥当かも知れないというのに―を引き合いに出すのは、どういう方法論的な根拠によってなのだろうか? 
残念ながら私は文学研究の方法論には疎いし、恐らくはきちんとした学問的な手続きにそって組み立てられている 議論についていけないのだとは思うが、いずれにせよ私の様な「一般の読者」には説得力も感じられなければ、 それを今日論じることの意義も理解できない。フローロスの場合と同様、深い学殖に裏づけされた説であることは 伺えるだけに残念ではあるが、致し方ない。学問的には立派な業績に基づいているのだろうが、 恐らく私にはその価値が正当に理解するだけの知識も能力もないのだろう。
研究のアプローチで行けば、私はマイヤー(Leonard B. Meyer)の言うところの「絶対的な表現主義者」の立場 に共感を覚えているので、そうした方向性の分析には抵抗がない。無論、マーラーの場合には、もっとも控えめに 考えても歌詞の問題があるから、最低限それに対する分だけは「参照的」である必要があるだろう。
それ故「絶対的」な立場で終始するとは思っていないが、その一方で、標題にせよ伝記にせよ、文化的・社会的な 背景にせよ、あるいはもう少し作品内在的には引用の問題にせよ、マーラーの場合には他の作曲家と比してなお、 そうした側面の重要性が大きいことを認めるに吝かではないし、そうした情報を背景にして音楽を聴くことが、 音楽の聴き方を変え、豊かにすることを否定しはしないものの、それらは最終的には参照先の詮索に過ぎず、 マーラーの作品自体の持つ固有性には結局のところ辿り着かないような感じを抱いている。また、 マーラー程の傑出した天才ともなれば、作品はおいて、マーラーその人の人間に対する関心というのがあるのも 理解はできるが、結局のところ私個人について言えば、何と言ってもこれらの作品が遺されていればこそであって、 最終的に作品自体に辿り着かないのは本末転倒に感じられるのである。
そのような背景もあって、かつてのブームの時代に夥しく出版された書籍のほとんどが楽曲案内の類か評伝的なものであり、 勿論それぞれ個性もあり、価値を否定するわけではないが、今振り返ってみればブームの時の持て囃されぶりの 割には後に残ったものは大したことがなかったのでは、という思いを禁じることができない。もちろん中には資料的に 貴重なものも含まれていたのだが、そのほとんどが現時点では入手不可能となっていることを考えれば、 ますますその感を強くする。現在入手が可能な書籍に限定してしまえば、そもそもこうした紹介自体が ほとんど不可能になってしまうのである。もっとも、このこと自体はマーラーのみの問題ではないかも知れないが。

そのなかで事典という体裁をとった2冊の日本人の著者による著作が注目される。 「ブルックナー・マーラー事典」(東京書籍)のマーラーの部分(編:渡辺裕)と、 長木誠司「グスタフ・マーラー全作品解説事典」(立風書房、絶版)の2つである。後者は絶版のようだが、 豊富な譜例を収めた丁寧な分析であり再版を強く望みたい。前者を単なる曲目解説と片付ける 向きもあるようだが、その解説は実際には綿密な調査と分析に基づいていると感じられるし、 コラムも興味深いものが多く、極めつけは詳細を極める文献案内で、(今となっては些か古い かもしれないが)同時代の文献から執筆時点までの研究史の俯瞰もできるこの文献案内は 大変に貴重なものだと思う。

邦語文献としては他には、柴田南雄「グスタフ・マーラー 現代音楽への道」(岩波書店)は、 新書の体裁ながら、作曲家の視点からの楽曲に対する分析・評価、そして20世紀音楽への影響についての 記述に加え、国内の、特に戦前における受容についての情報を含み、貴重である。

作品解説で入手しやすいものとしては、「作曲家別名曲解説ライブラリ第1巻 マーラー」(音楽之友社)が あげられるだろう。ただし、この本はその成立の経緯から複数の執筆者による分担のかたちをとっており、執筆者による内容の落差が 大きい。特に歌曲では執筆者によっては示唆に富む指摘が含まれる部分もあるのだが、書籍全体としては内容に明らかな間違いや 疑問のある記述が多く見られるように感じられる。
そうした問題は本文だけでなく巻末の資料にも及んでいるし、巻末の資料と本文との間に不整合が あったりするケースも散見される。そればかりか同一の執筆者による筈の生涯の記述と作品の解説の間にも記述に矛盾が あったり、一見したところ意味不明の記述があったりという具合で、到底信頼のおけるものとは言い難いように思われる。
交響曲に分類されている「大地の歌」や歌曲の解説でも、作品解説のあり方に関して疑問に思わざるを得ないような 記述方針のものが一部に見受けられ、入手のし易さだけからこの作品解説が参照されることに些かの違和感を禁じえない。
事実関係に誤りがあるのは論外だが、そうではなくても、主観的なコメントを除いてしまえば音楽を聴けばわかるような情報しか書かれていない 作品解説に一体何の意義があるのか私には判然としないし、推敲不足なのか構文的におかしな文章が見られるに至っては 内容以前の問題であり、別にけちをつけるために読んでいるわけではないのだから些かがっかりもしてしまう。
もっともそれはマーラーの巻に限ったことではなく、同じ執筆者の執筆になる他の作曲家の巻や書籍についても言えることで、 マーラーの場合と異なって資料として手元においておく必要を感じていない作曲家のものについては、あまりのひどさに処分して しまったものもある程なのだが。勿論、人によっては私が気にするようなことは大したことではなく、多少事実関係に間違いがあっても、 日本語として論理的におかしくても、まさにそうした内容なり、文体なりを評価する人もいるかもしれない(事実、そのような コメントを目にすることもある)から、あくまでもこれは私の主観的な評価に過ぎないが、一方で、一読して私と同じ思いをする人もまた いるであろうと思われるので、参考までにコメントをしておく次第である。

そんなものを読むくらいならCDを1つでも2つでも余計に 聴いた方がましだという意見があったとしても、コスト・パフォーマンスを考えればあながち批判もできないのは残念なことだが 仕方ない。一方で、上述のように作品解説にも優れたものはあるわけで、そうしたものが今度は読まれずに軽視されてしまうとしたら、 これもまた残念なことだと思う。
 そういう意味で、マーラーの創作活動とその成果にアプローチしようとした時に是非とも参照すべき邦語文献としては、金子建志の2冊の作品研究が挙げられる。(金子建志,「こだわり派のための名曲徹底分析:マーラーの交響曲,」 音楽之友社, 同, 「こだわり派のための名曲徹底分析:マーラーの交響曲2」, 音楽之友社)これは徹底した文献・楽譜の調査と緻密な分析の成果であり、こうした成果に日本語で接することができることは大変貴重なことに感じられる。

*     *     *
 
評伝の類は数多いしその優劣を論じても仕方ないだろうが、いわゆる一次文献にあたる 妻のアルマによる「回想と手紙」(出会いから死別迄の期間の回想に加えて、アルマ本人宛のものを中心としたかなりの量の書簡が付されている)と書簡集(こちらはアルマ宛のもの以外からなる)、そして角笛交響曲の時代の同伴者であったバウアー=レヒナーの 回想録は、伝記的な背景を知る上では欠かすことができないだろう。ちなみに「回想と手紙」は、回想の部分のみ英語版からの重訳でも出ており、文庫化もされているが、私がかつて熱心に読んだのは白水社版の原文からの翻訳、アルマ・マーラー「グスタフ・マ-ラ- 回想と手紙」 (訳:酒田健一)である。5年ほど前に改題して復刊されたようだが、書簡にせよ回想にせよ、 これも際立って優れた訳だと思う。とかく疑惑の目をもって見られがちなアルマの回想ではあるが、 一次文献をこのような達意の訳文で読むことができるのは貴重なことだ。 
書簡集は永らく未訳であったが、ようやく2008年になって、1996年版の書簡集の邦訳が登場した。(「マーラー書簡集」、訳:須永恒雄、法政大学出版局)書簡集のオリジナルはアルマが編集した1924年刊行のものだが、この邦訳の底本となっている1996年版では、アルマがしばしば恣意的に行った編集を排除してマーラーが書いたままの形態を示している他、しばしば日付の記載を欠くマーラーの書簡の日付推定に関する最新の研究成果に基づき、クロノロジカルな排列を採用していることが特記される。訳文には時折おやっと思う箇所もあるけれども、客観的な一次資料に日本語で接することのできる価値は限りなく大きく、マーラー・ブームが去った後の日本におけるマーラー関連の文献としては疑いなく最大の業績の一つだろう。 
一方でバウアー=レヒナーの 回想録(「グスタフ・マーラーの思い出」訳:高野茂、音楽之友社、絶版)は現在は入手が不可能のようであるが、 こちらの再版も期待したい。特に本書はオリジナル自体の入手が困難なようでもあり、この重要な著作の 翻訳が刊行されている価値は非常に大きいのではなかろうか。また、指揮者マーラーの弟子と呼んでいい、 ワルターやクレンペラーの回想もまた、貴重なものだろう。ワルターの方はモノグラフとして出版されていて、 かつては邦訳もあった(「マーラー 人と芸術」村田武雄訳、音楽之友社、絶版)し、 クレンペラーの回想は「マーラー頌」に収められていた。更に「音楽の手帖 マーラー」(青土社)の中では 両方を読むことができた(ただし、前者は一部のみ、後者は「マーラー頌」所収のものとは別の文章)。
いわゆる評伝で私が最初に読んだのは、マイケル・ケネディがDent社の叢書のために書いた 「グスタフ・マ-ラ- その生涯と作品」(訳:中河原理。芸術現代社、絶版)であった。 バルビローリ伝の著者として有名な著者によるこの本はイギリスの読者のために書かれているから、 イギリスにおける受容やエルガーやヴォーン・ウィリアムズとの比較の記述が目立つのは当然であるが、 そのおかげで最近ようやく全貌が明らかになったバルビローリの演奏についての記述があったり、 同じくイギリス人であったデリック・クックによる第10交響曲の補筆についてのかなり詳しい記述が あったりして、少なくとも当時としては貴重な内容を含んでいた。 また、詳細な年表がついていたり、散逸した初期作品を含む作品の一覧があったりと、資料面でも 興味深いものであったと思う。
ケネディの原著は注も完備されたしっかりとした体裁のものだが、その後、1990年に第2版が出ており 大幅な加筆がなされている。2000年の再版に際しても追補がなされており、初版以降の研究の進展、 受容の展開がきちんとフォローされていて、文章の読みやすさ、入手のし易さなども含めて、 ハンディな入門書としては非常に優れたものだと思う。なお現在の出版社はオックスフォード大学 出版局である。
しかし現代的な評伝の嚆矢ということであればクルト・ブラウコプフ「マーラー 未来の同時代者」 (酒田健一訳、白水社)を落とすわけにはいかないだろう。音楽社会学者によるこの著作の特徴は、 マーラーの生涯を記述するにせよ、その後のマーラー音楽の受容を記述するにせよ、その社会的な 背景に対する考察が含まれている点であろう。こうしたアプローチは今でこそ当たり前のことのように なっているし、ことマーラーの場合には、ユダヤ人であることや文化史的な文脈との関係を重視する 立場の文献はその後多くあるのだが、この本はその先駆けのような位置にあると思う。なおかつ、 幸いなことに復刊されていて、入手することができるという点でも貴重だ。
ちなみに、私のようなそれほど熱心ではない普通の聴き手にとっては、マーラーの伝記的事実の詳細に 拘泥するような情熱も根気も持ち合わせがない。例えば上述のドナルド・ミッチェルの研究の第1巻は、 ラ・グランジュの伝記と独立に構想されたため、膨大な伝記的情報を含んでいるのだが、 かつて一読した経験では、残念ながら私にとってはそうした詳細な事実の集積と音楽との間に、 寧ろ溝を感じる結果になったのを記憶している。たとえバイアスがかかっていようとアルマの手に よって描き出された壮年のマーラーの姿の方がよほど違和感がない。もっともそれとても、時間的にも 空間的にも遠く隔たったものであるという感覚を強く持たずにはいられないのだが。そもそも マーラーのような桁外れの能力を持った人間のことなど、うまくイメージしようと思っても、 平凡な生活を送っている能力的にも平凡な人間に容易にできる話ではない、というのが偽らざる 実感である。
ちなみに、これらの評伝の多くは翻訳だが、その中にはひどく読みづらいものや、はっきりと誤訳と 断定できるものが数多く含まれるものも残念ながら含まれる。 古い文献の場合には、そもそも 原文に事実誤認が含まれる場合もあるし、アドルノのマーラー論のように原文が大変に凝った 文章で書かれている場合には仕方のない部分もあると思う。
自分でやってみればすぐにわかるが、 1冊の著作を翻訳すれば意味を取りかねる箇所が幾つか出てくるのは止むを得ないことと思われるし、 裏づけの調査にも色々な限界があるのは仕方ないことだろう。校正もれというのもなくならないもので、大意には 影響しない誤字脱字の類にけちをつけるのはあまり生産的なことではなかろう。
しかし、日本語でも入手できる先行文献に あたって確認すれば防げそうなものや、作品を実際に聴くなり、楽譜を確認すれば―それどころか作品を 聴いたことがありさえすれば―私のような素人ですら間違いようのなさそうな取り違いが夥しく含まれるものや、 そもそも日本語としてこなれておらず意味を測りかねる文章が散見されるものもあるので、注意が必要だろう。
個別の翻訳を批判するのは本意ではないので、詳しくはとりあげないが、それでも「目に余る」と感じられたものを 幾つかあげれば、ピーター・フランクリンの1987年出版の新しいマーラー伝(ピーター・フランクリン「マーラーの生涯」 宮本貞雄訳, 青土社, 1999)は、原文がかなり凝った文体を持っているとはいうものの、 思わず首を捻りたくなるような訳文が頻出する。校正不足と思しき、日本語としておかしい部分も多いが、 それだけでなく内容上の誤解も夥しく、気になるところをチェックし出すと、ほぼ毎ページ毎に見つかるような 按配である。
この著作は新しいだけに、内容上、それまでの研究の蓄積を前提とした部分が多く、それだけに 調査不足は致命的のように思われる。だがそれだけでなく、マーラーの音楽に多少とも親しんでいる人間なら そもそも思いつかない類の間違いも多く見られ、熱心なファンの方ならずとも一通りマーラーの音楽を知っている 私のような人間ですらストレスを感ぜずには読めないような訳文である。
残念ながらこの文献に関しては、 もし英語が読めるのであれば直接原著にあたることを奨めざるを得ないし、最初に読む邦語文献としては 到底薦められない。内容的には興味深い指摘も見られるだけに、非常に遺憾なことであるが。翻訳作業の 大変さを思えば批判は出来る限り避けたいと思うものの、この場合については手にとって読まれる方々の 困惑が容易に予想されるゆえ、一言言及せずにはいられなかった。一読された方であれば必ずや同意 いただけることと思い、敢えて批判的なコメントをさせていただいた次第である。
さすがにそこまでひどいケースというのは他には思いつかないが、上でも触れたワルターの著作(ブルーノ・ワルター 「マーラー:人と芸術」村田武雄訳, 音楽之友社, 1960)も時折、おやっと思う部分にぶつかるので、 原文や英訳と照合すると、その多くは日本語訳の問題であることが確認できる。だがこちらはほとんどが容易に 推測がつく類の間違いであり、内容の貴重さや翻訳当時のマーラー受容の状況を考えれば、先駆的な邦訳に 取り組まれた功績を大とすべきであろう。

なかなか興味深い編集方針に基づく、クリスティアン・M・ネベハイの「ウィーン音楽地図」(白石隆生・敬子訳, 音楽之友社, 1987)の第2巻には、マーラーに関する章が含まれる。著者の専門があくまでも美術にあることが、 常とは異なった視点での記述になっていて興味深い点もあるのだが、残念ながら、恐らく原著に含まれると 思しき間違いもかなりあるので、注意が必要である。
一方、翻訳者の責に帰するべき明らかな間違いというのは あまりないが、校正もれや、一般的でない訳語の選択が散見されるほか、意味不明の訳者注―原著者が 引用しているバウアー・レヒナーの回想にある、ウィーン宮廷歌劇場での「ローエングリン」上演についての マーラーの言葉の伝聞について、その意図を推測しているようなのだが、引用された部分だけでなく、 原文の文脈を参照しさえすれば、こういう読み方はできないように思える―があるかと思えば、その一方で、短い 文章の量を思えば、かなりの割合になる明らかな原文の誤りには全く触れないというのは、方針としては 不可解に感じられる。
更に言えば、ここで触れられているのは、実は指揮者としての就任公演についてであって、 監督就任の公演ではないし、マーラーがヤーンから受け継いだ地位は普通「監督」と呼ばれており、支配人は マーラーの上司にあたる地位である。ブダペストでは監督であったと書かれているので、ウィーンにおける地位だけ支配人と するのは明らかにおかしい、といった調子である。
原書を入手して一読した限りでは、これはかなり「自由な」翻訳―それを 翻訳と呼ぶとするなら―であることがわかってきた。ここで逐一詳細を書くのは控えるが、少なくとも原文通りには訳されていないし、 事実関係では原文よりも詳しい記述が(注釈なしに)補われていることもあれば、そもそも原文には全く存在しない文章があったりという具合である。
まだ全てを照合したわけではないが、少なくとも「忠実な」翻訳でないことは確実なようだ。もっとも、訳者は著者と知己で ある旨訳者後書きに記されているから、あるいはそうしたことも了解済みでなされているのかも知れないが。
ちなみに、この本にはヴェーベルンの章もあるが、こちらも原著に含まれていたのであろうひどい間違いが何箇所かある。 もちろん原則として、翻訳者が原著の間違いについて責任を持つ必要なんかないだろうし、全ての作曲家についての 事実関係に通暁しているべきだなどと言いたいわけではない。
だが、 この本については、間違いの多くは信頼のおける文献に一つでもあたればわかる類のごく基本的なものであり、 折角音楽を専門とされている方の手によって翻訳されているのに、こうした誤りが放置されているのは些か残念な気がする。
というわけで、(まさか読者の勉強のためにそのようになっているということはないだろうが、)この本については読者が 自衛する必要があって、基本的な事実関係については、他の信頼できる文献で確認をとりながら読むべきであろう。

1980年代後半のブームの前の時点ではまだ数えるほどしかなかった日本語で読めるマーラー文献―その当時の状況は、 例えばマーラー生誕120年の1980年に刊行された上述の「音楽の手帖 マーラー」の巻末の文献表に伺える―に マーラー没後70年の1981年に加わったのが、みすず書房刊のクルシェネク/レートリヒ「グスタフ・マーラー 生涯と 作品」(和田旦訳)であった。これは、すでに翻訳のあるワルターの著作の英訳版に付けられたクルシェネクによる略伝に、 ケネディの評伝によって独立した巻を持つ以前にデント社のシリーズでマーラーを扱った巻であった、レートリヒの「ブルックナーと マーラー」の第8章から第14章をつけて1冊の本として翻訳したものである。
このような合本を編む意図については、訳者あとがきで述べられていて、確かにいずれの文章も短いながら興味深い 視点に満ちており、その意図は理解できないこともないのだが、とりわけ「楽曲解説」をなすべく部分訳されたレートリヒの 著作の扱いについては、幾つかの点で注意が必要である。
まず、レートリヒの著作のオリジナルにあたってみてすぐにわかるのは、マーラーを紹介した後半で生涯を扱った部分は 第4章で終わっていて、楽曲解説は(第8章ではなく)第5章から始まっていることである。レートリヒは個別の楽曲の解説に入る前に、 第5章でマーラーの音楽をロマン主義の系譜に位置づけ、第6章で旋律・和声・対位法の特徴を、第7章で 形式・テクスチュア・管弦楽法の特徴を譜例を交えて紹介している。訳者あとがきには、こうした事実の紹介は全くなく、 翻訳のみを読む人間(かつての私はそうだったのだが)は、レートリヒによる興味深い作品解説のいわば「総論」を 欠いたまま各論を読んでいることに気が付かない。
訳者のあとがきにある「楽曲解説」は、個別の作品の解説のことだと考えれば、こうした行為を一方的に不当だと主張することは できないかも知れないが、オリジナルを知れば、レートリヒの意図を損ねた紹介になっているのではという感覚は抑え難い。 しかも楽曲解説としてみた場合、一層興味深く、かつ、その後判明した事実による見直しの影響を受けることの少ないのは、 寧ろ「総論」の部分なのである。それゆえ、このような翻訳が編まれた意義は認められても、実現した形態には大きな不満が残る。
更に言うと、この翻訳の日本語はこなれていなくて、非常に読みづらいが、そればかりでなく、控えめに言っても、レートリヒのオリジナルの 文意が捉えられていない文章がかなり見受けられる。レートリヒの文体は平明なものではないが、かといって格別に凝ったものという 程でもなく、その意図を汲み取るのは決して難しくないのだが、翻訳の方は、直訳調であることをおくとしても、日本語として読んだ時に 不自然に感じられることが多く、原書を読んだ方がわかりやすい部分も少なくない。
ついでに言えば、訳者は「以後の研究により明らかになった事項については、訳文で訂正を行っている」とあとがきに記載しているが、 これについても不可解な点が多い。レートリヒの著作は1953年に執筆され、1963年に改訂されたものであり、訳者も書いている通り、 その後明らかになった事実関係の誤りが含まれているのは仕方がない。問題なのは訳者が行った訂正が、明らかに不徹底なもので あることだ。訳出する際に参照した書物もまた、あとがきに掲げられているが、それらを参照しているのであれば当然為されていてよいはずの 訂正がなかったりして、かえって混乱を招く危険すらあるように思える。訳者が訂正を行っていると主張しているだけに一層その危険は 大きなものになってしまっており、翻訳の日本語のわかりにくさ同様、非常に残念に感じられる。
いまやこの邦訳自体が古いものになってしまい、あえてこの訳を手にする人も少ないだろうが、訳者の意図した「内容的にも充実した 手頃なマニュアル」として使おうとする場合には、注意が必要だと思う。私見では、レートリヒの意見には今尚耳を傾けるべき点が 多くあると感じていて、この著作を現時点で(歴史的な相対化を行う必要はあるだろうが)参照する意味もまたあると思っているので、 あえてここでとりあげておくことにした。
あるいはまた、マーラー事典(立風書房1989)に含まれるシノポリへのインタビューの翻訳も幾つかの明らかな 誤訳が確認できるが、このインタビューについては、それがもともと含まれている原著の翻訳がある (ヘルムート・キューン/ゲオルク・クヴァンダー「グスタフ・マーラー:その人と芸術、そして時代」岩下眞好他訳・泰流社,1989) ので、そちらを参照した方が良いだろう。最後のケースのように複数の翻訳がある場合も含め、総じてマーラーの場合は 比較対照する文献には相対的には恵まれていると言って良いだろうから、それらを照合しながら読んでいけば、 多くの場合には疑問は解消できるように思われる。また、過去とは異なって、現在ではWebで原書を取り寄せることが 格段に容易になっているので、それを利用しない手はないだろう。

*     *     *

 いわゆるアンソロジーとしては、上述の「音楽の手帖 マーラー」(青土社、品切)はアドルノもあれば、 テオドール・ライク(精神分析)もブーレーズもバーンスタインもあり、ワルターやクレンペラーの回想も あれば、シェーンベルクの講演もありという、今思うと錚々たる著者によるもので、現在でも(録音の 紹介などは歴史的な記録になってしまうかもしれないが、それはそれで別の意味で貴重だろうし、) 充分に価値があるものだと思う。復刻が望まれる。強いて難を言えば、翻訳は実は部分訳であるものが 多いのに、それと断っていない場合がままあること、日本人の手になる文章、とりわけ書き下ろしの中には、 恐らくは時間に追われて書いたのではないかと想像したくなるようなものが含まれることだろうか。 いわゆるコラム的なものであればさほど気にはならないが、一見、解説論文的な体裁をとっているものの 場合には、情報の提供という点で一定の価値はあっても、著者の所説の展開についてはちょっとついて いけないと感じられるものもある。
一つだけ例を挙げれば、それ自体は大変に刺激的なハンス・マイヤーの論文を 下敷きにした深田論文は、著者の論理を追って細かく読むと不可解な部分が多い上、マイヤーの 所説の切り取り方も大胆なもので、この文章だけ読むとマイヤーの主張が持つニュアンスを誤解しかねない ように思われる。無論、そうした切り取り方自体は別段批難されるべきものではないが、マイヤーの主張に 大幅に依拠しつつ論を進めながら、「簒奪者」という規定の一面のみ取り上げて、「自家培養者」という 自己の主張をそれに繋げるばかりか、取りようによってはマイヤーとは正反対とも考えられる主張に、そうと断ることもなく 繋げてしまうので、マイヤーの元の主張を知るものは思わず目眩に襲われかねない。しかも その後半の「自家培養」という規定に沿って展開される議論は、私の様な文学的な想像力に欠ける人間には、 ついていくのに苦痛を覚えるほどの飛躍に富んでいて、おしまいには唐突に「徒らに生まれてきたのではない、 徒らに闘ってきたのでもない。」という一文で結ばれるのである。
恐らく文学研究の世界では、こうした飛躍が 問題にされることはないのだろうが(それどころか、もしかしたら、賞賛されるのだろうか?)、一般の読者が 読むには少々高尚過ぎるように感じられてならないのは私だけなのだろうか。そればかりか意地の悪い観方をすれば、 時間に追われて、マイヤーの所説を「簒奪し」、自分の知っている文学史上の、あるいはマーラーにまつわる事実を適当に 混ぜ合わせて、思いつき同然の連想によって文章に繋ぎ合わせただけなのでは、という疑いさえ引き起こしかねないとさえ思うのだが。
そもそもマイヤーはカフカの日記の言葉を引いて、マーラーにおける音楽と文学との関係が19世紀の典型に 従った心理学的なものだったといっているのか、そうではなくて、そこに表現主義の先駆となる心理学の否定の 事例を見出しているのか、どっちなのだろうか?
あるいはまた、恐らくそのことと全く無関係ではないのだろうが、 「大地の歌」では、文学だけでなく、音楽の面でも自家培養がなされているという主張を、突然何の説明もなく、傍証もなく つきつけられて納得できなければいけないのだろうか。 情けないことだが、音楽における「自家培養」ということで深田が指しているもの が何なのか、私には全くわからないことを白状せざるをえない。 
更にまた、いわゆる付加6の和音で終結するその末尾を、何の補足もなく 「大地としがらみをなす調性から」の「解放」と言われて納得しなくてはならないのか? 
マーラーのエロスを主題とした 書簡を取り上げて、「これをゲーテ流の汎神論と見做すことは容易だが、そのようなトラディショナリズムを撥ね つけるまなざしが獲得しているものは、エロスが愛という語に置き換えられようが、憧憬とされようが、郷愁とされようが、 事情に変わるところはない」と言われて、理解できなければならないのだろうか? 
「そのようなトラディショナリズムを撥ね つけるまなざしが獲得しているもの」が一体何なのかくらい、自分で考えなさい、ということなのか? 
これが自家培養と どう関係するのかも、自明でわざわざ書くほどのことではないのか? 
そして繰り返しになるが、その後に、 「徒らに生まれてきたのではない、徒らに闘ってきたのでもない。」という一文が来て終わるのを、どう理解せよというのか。
また、これは劈頭で主張されていた「エクメニカルなものへの志向」とどう関係するのか? 
挙げれば切りがないのでもう止めにするが、私には残念ながらどれ一つとしてわからないのである。
まあ、時間に追われたやっつけ仕事だというのは多分、一般の読者に過ぎない自分の無能力を棚に上げた 責任転嫁なのだろうから、つくづく自分が文学とは縁の無い人間、想像力の欠如した人間であるということを 思い知らされて、嘆息するしかないのである。残念ながら、この文章の「行間」を読むことは私の能力の限界を遥かに 超えている。
私にとっては、是非はおくとして、マイヤーの主張の方がはるかにわかりやすい。否、深田の文章に比べれば、アドルノのあの文章の方が まだその論理を追うことができるようにさえ感じられる。
(ちなみに「音楽の手帖」には深田訳のアドルノのマーラー論の一部も 掲載されているが、既述の通りこの訳文もまた要注意である。大変にこなれた日本語になっているのだが、内容が概念的で 抽象的な部分になると、首を捻る文章につきあたることになる。だから、アドルノの文章の方がまだその論理を追うことができるというのは、 深田訳を読んでのことではない。誤解のないように念のために補足させていただく。)
一例を挙げれば、上記のようなケースのあるとはいうものの、それでもこの「音楽の手帖」の全体としての密度の高さは、 その後「マーラーブーム」の只中で編まれたムックの類に比べて、際立っているように思われる。

ブラウコプフの評伝およびアルマの回想と手紙の訳者である酒田健一が編集した「マーラー頌」 (白水社、品切)は、マーラーを巡る「証言」を網羅的に捉えることができるという点では、 更に徹底しているだろう。1890年代の同時代のものから1970年代までの、地域で見ても オーストリア・ドイツは勿論、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ロシア・ソ連にわたる73の文章の 翻訳を収めたもので、その中には貴重な証言、重要な論文が数多く含まれる。

私は現時点では色々な演奏の聴き比べにはあまり関心がなく、数多く存在する熱心な聴き手のページで 公開されているような的確な評を読めればそれで充分であると思っているので、職業的な音楽評論家の書いた 演奏評(LP・CD評含む)にはあまり関心がなく、それゆえ存在を知りながらも素通りしてきたところで、 そうしたWebページの一つで好意的に評価されていたのを見たのがきっかけで手にとり、一読して、 これは読んでみてよかったと感じたのは、「吉田秀和作曲家論集1 ブルックナー・マーラー」(音楽之友社, 2001)である。
といっても私が感銘を受けたのは、やはり個別の演奏評(LP・CD評)の部分ではなく、むしろ最初におかれた50ページを超えるマーラー論 とでもいうべき文章で、これが1973年~74年に書かれていたということに驚くとともに、この文章に言及している文献というのに心当たりが ないことを些か訝しくさえ感じた。(もっとも、これは私が不勉強なだけなのだと思うが。もしご存知の方がいらっしゃれば 教えていただければ幸いである。)
音楽学者ではなく音楽評論家の文章であるとはいっても、では、私のような市井の愛好家が入手できる範囲で、これだけ音楽自体に 踏み込み、音楽史やマーラーその人の個性にも配慮したものがあったかといえば、あまり記憶にないように思う。 更に(この点は特に素晴らしいと思ったのだが)、自分のマーラー受容の「立ち位置」を明確に意識して書かれたものは更に少ないように思う。 受容史を主題的に論じるのは別に、自分の個人的な距離感を自覚し、はっきりとそう語りつつ、それでいて自分の マーラー経験に対して忠実であろうとする姿勢が感じられて、私には新鮮で、かつ親近感を抱いた。
(逆に音楽学者のものや、あるいは文学研究者としてマーラーにアプローチするケースの方が、その時期の音楽学者の世界の トレンドや、自分の文学における研究領域や関心という前提に対してに無自覚―もしかしたら自覚的で、でもそうとは言わずに 黙っているだけかも知れないが―に従っているようにすら思える。)
勿論、世代の差もあって、私は吉田に比べれば、ずっと抵抗無くマーラーを受け入れてしまった。 (実は自分の体質にそんなに親和的なものではなかったはずなのに、抵抗がなさ過ぎて、「まるのみ」 してしまったせいで、今になって苦労している感じすらあるが、、、)
けれども、それだけに、こんなにきっちりとマーラーについて考えたとは到底言えない、と、今になって感じている。愚かにも、いざ自分で 何か言おうとするまで気付かなかったのだ。(まあ吉田秀和のような高名な評論家と自分を比較しても仕方ないのだが。)
一つ難を言えば、これは無いものねだりのような気もするが、マーラーの音楽を完結し、完成したものと捉えすぎていて、 それを自分が(であってその時々の日本の「世相」なりなんなりが、ではない)どう受け止めるのか、どう生かすのかといったスタンスが 希薄な点は、やはり音楽を評論する、という立場上、仕方ないのかなとも思うけど、残念な気もする。 もっとも、マーラーが「過去」の、「異郷」の音楽であることも、その音楽が非常に高い価値を持つものであることも、 はっきりしているわけで、そうした距離を踏まえ、作品の価値に敬意を持って接するのであれば、そうなって当然ではないか、と 言われれば、それはその通りなのだが。
(この文脈では音楽学者には―音楽に対するアプローチの点で―一般論としてはほとんど期待できず(職業としてやっている んだから当然なわけで、これは勿論非難ではない)、寧ろ、作曲家や演奏家、あるいは―文学研究者ではなく― 文学者や画家といった人たちの言うことに耳を傾けるべきなのかも知れない。 もっとも、吉田にとってマーラーが占める位置の方が、今度は必ずしも中心的ではないかも知れないことを考えれば、 これもまた、あまりにマーラーに偏した意見なのかも知れないが。)
それでもなお、よくわからないながら、強い力によってひきつけるマーラーの音楽が、吉田個人にとって何だったのか、もう一度、 ―個別の演奏評やCD評ではなく、できれば一般的な「評論」の枠すら外して―話を聴いてみたい気がしてならない。
個人的な好みで言えば、同じマーラー論でシェーンベルクの講演とそこでの分析が中心的に取り上げられている点が、 何と言っても気に入っている。(この講演は何といっても群を抜いて素晴らしいものだと思う。)
また、私はバルビローリ贔屓なので、バルビローリの第9交響曲の演奏についての文章は、やはり興味深いものだったし、共感する 部分も多々あった。
更に、「マーラーの歌」「菩提樹の花の香り」は、マーラーの歌曲を 交響曲と同じだけ大事に考えている(そして、現実には歌曲が軽視されがちなので、寧ろ歌曲にこだわりを感じている)私にとっては、 印象的な文章だった。「菩提樹の香り」が普段の生活でもつ感じについては、日本で生まれて 日本で育った私にとってはどうしようもない部分がある。これはもう何といっても「限界」としかいいようがないものだ。
(仏教の世界では、菩提樹は、別のコノテーションを持っているし。もっとも、これはこれで、些か変わった角度でまたマーラーの菩提樹の イメージにもう一度接すると言えないこともないだろうが、、、)

最後に入手が可能であり、かつ新しいという観点から、村井翔「マーラー」(音楽之友社)を あげたい。かつての評伝の定型からは大きく外れ、分量や体裁を考えると際立って充実した 内容を持った著作で、読み応え充分なのだが、著者自ら記している通り、生涯にしても 楽曲解説にしても、どちらかといえば何冊目かに読んだ方が面白く読める内容であると思う。 最初の一冊として読んだらどうなのか、というのは残念ながら判断のしようがないが、 ありきたりの評伝を読むよりは、遥かに価値があると思う。
一方で、楽曲解説から第2交響曲、 第8交響曲を略してしまったことは、分量の問題や著者の立場を考えれば止むを得ないとはいえ、 最初の一冊とした場合には問題かも知れない。否、入門書としての体裁にこだわらずに言えば、 なぜその2曲が「選外」になったのかについての解説というのがあっても良いのではないかと すら思える。
勿論それは嫌いな作品に対する誹謗中傷にはなりようがない。例えば興味深い 生成史を持つ第2交響曲が、何故「うまくいっていない」のかを書くのは、それなりに マーラーの音楽の特質を浮び上がらせることになると思われる。
尚、個人的には歌曲、特に 二つの連作歌曲集の重要性は交響曲に対してひけをとることはないと考えているので、 楽曲解説の選に漏れたのは残念だが、これは立場の問題であり止むを得ないだろう。
ついでに言えば、ここまで充実しているのだから、参考文献についても著者の選択したリストを 拝見したかったと思う。その一部は本文や後書きから伺え、多くは我が意を得たりというように 感じているだけに、これもまた残念である。

[2026年1月の後記] 以上は、2005年に初稿を公開し、その後2008年にかけて加筆を行っていった文章ですので、最新の情報は含まれていません。また対象は、日本語で読むことのできる書籍の一部に限定しており、全てではありませんし、海外の文献も対象から除外しています。

公開にあたり、2008年以降に出版された邦語文献を補うことも考えましたが、今、文献紹介をするのであれば、本稿執筆当時とは方針を違え、恣意的な選択を避け、更に時代を遡って、マーラー・ルネサンスの生誕100年以前の国内での受容も含めた網羅的な紹介をすべく、全面的に改稿したい考えているため、それは後日の宿題として、とりあえずは旧稿を基本的にはそのまま公開することにしたことをお断りさせて頂きます。

その一方で、2008年以降今日に至る迄には、マーラーの生誕150年(2010年)、没後100年(2011年)のアニヴァーサリーが挟まっていることを思えば、その後、特にマーラーを主題的に扱う、いわばモノグラフ的な書籍の国内での刊行がごくわずかなものに限定されることは受容史上、指摘しておきべきことに感じられます。

それには、何よりもまず、こと日本においては2011年が、東日本大震災という未曽有の災害に見舞われた年として記憶されるべきであるという事情が関わっていることは間違いないことと思われます。その一方でその期間が、バブル崩壊後の失われた20年、或いは更にそれを延長した失われた30年にあたることを思えば、マーラーの受容というのが所詮はバブルの産物としての徒花であったという側面を完全に否定することもまた、難しいのではないかというようにも感じられます。バブル景気の中、コンサートホールが次々と建設され、そのこけら落しにマーラー交響曲全曲演奏のツィクルスが次々と行われた生誕100年の時期は、書籍の出版においても未曽有の活況を呈していたことは、今日回顧すれば明らかな事に思われます。

そうした社会的・経済的状況の変化がマーラーに関する研究や文献の出版について影響していることもまた明らかなことと感じられ、ムックの類も含めて、過去の成果の焼き直しの類が多い中で、ここで補遺的に特記するとしたら、まさにその最中に東日本大震災が発生した、交響曲全曲演奏のツィクルスに因んで企画された、金聖響・玉木正之, マーラーの交響曲 (講談社現代新書), 講談社, 2011をまずは挙げることができるでしょう。豊富な周辺情報もさることながら、この著作は、実演に携わった立場からの証言が数多く鏤められている点が貴重であり、遅れて出版され、邦語での紹介も為された、Wolfgang Schaufler (hrsg.), Gustav Mahler. Dirigenten im Gespraech, Universal Edition, 2013, 英語版は、Wolfgang Schaufler (ed.), Gustav Mahler. The Conductors' Interviews: English Version, Universal Edition, 2013, 日本語訳は、ヴォルフガング シャウフラー, マーラーを語る: 名指揮者29人へのインタビュー, 天崎 浩二訳 , 音楽之友社, 2016 と並んで、この時期の演奏者サイドの証言として貴重なものと思われます。

評伝としては、田代櫂、「グスタフ・マーラー 開かれた耳、閉ざされた地平」(春秋社, 2009)を挙げることができます。これは大作曲家の人と作品を紹介するシリーズという企画の枠組みの中の一冊ではない、日本人の手になる本格的な評伝としては初めて(但し、田代さんはブルックナーを始めとして評伝を幾つか書いているので、その中の一冊ではあるけれども)と言って良いもので、新しい資料に基づいた、正確で充実した内容を持つもので、かつ寧ろ小説に近い、魅力的で読み易いスタイルで書かれています。マーラーの人に興味を持つ日本語読者にとっては、本篇で紹介済の村井翔さんのものと並んで、現時点でのリファレンスとなるものですし、既に他の先行文献を手にした人にとっても新しい発見のある、一読に値するものと考えます。

国内でのマーラー研究としては、孤軍奮闘の感のある、前島良雄さんの著作が特記されます。東日本大震災の年の刊行となる、前島良雄, 「マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来」, アルファベータ, 2011 およびその3年後に刊行された 前島良雄, 「マーラーを識る 神話・伝説・俗説の呪縛を解く」, アルファベータ, 2014 です。前島さんは、フローロスのマーラー・モノグラフの第3巻(邦題は「マーラー 交響曲のすべて」)の訳者でもあり、その立場はその訳者後書きでも記されています。率直に言えば、個別の点について前島さんと見解を異にする部分もあり、また、「神話・伝説・俗説」には既にかなり前から指摘され、「呪縛」が解かれているものが少なからず含まれるように感じられもするのですが、そうした見解・認識の相違は措いて、この「失われた30年」における存在感は唯一無二のものであると考えます。

 
(2005.5初稿,2005.6--8,2006.5,6加筆・修正,2007.4.1, 28, 5.1,2,13,27, 6.6加筆, 6.28私信をベースに加筆, 8.27加筆, 2007.12修正, 2008.3.30加筆, 2026.1.6加筆)

2004年12月31日金曜日

マーラーに対する懐疑

音楽を聴くことは、認識、世界に対する態度の様態を学ぶことであるということは、私にとっては明らかなこと、音楽について考え、文章を書く際の出発点になっている。 ところで、才能というものと、世界に対する認識の様態とは必ずしも関係しない。同じような態度を持つ作曲の才能がない(だがもしかしたら他の才能があるかも知れない―無いかもしれない!)人間も居るだろう。その様態を受け入れられるかどうかは「相性」の問題で、どれが正しいということはあり得ない。

例えばマーラーを特徴付ける、それ自体様々な位相と志向を持つ「孤独」について考えてみる。マーラーの孤独は決して不毛ではない。それどころか、孤独の中から彼らは最上のものを生み出すことができた。 だが、平凡な人間の孤独は不毛だ。それは何も生み出さない。 同じ性格の、同じ気質の天才と凡人とが居る。才能は気質や性格とは関係がない。気質的に類似していることは何も物語らない。 マーラーの晩年のあの悲観主義は、その時点で得ていた地位を考えると些か当惑しないでもない。とりわけマーラーの音楽のあの「自己劇化」的なあり方に拒絶反応を持つ人はいるだろう。

私とて、今やマーラーの態度には割り切れなさを感じないでもない。世俗的にも頂点を極め、作曲においても―第2,3交響曲や第8交響曲を見れば明らかなように―成功を収め、そしてその作曲のために家庭生活を犠牲にした「天才たる肉食獣」(これは妻アルマがマーラーについて言った言葉だが)が「私はこの世では幸運にめぐまれなかった」等といって欲しくない。 かつては音楽に表現された内容にひきずられてであろう、マーラーの地位の特殊性―いわゆるセレブリティに属するのだ―に気付かなかった。事実としては知っていても、子供の私には実感がわかなかったのだ。何という想像力の欠如だろう!

マーラーは不幸な人間だと思っていた。だが、実際には、それはマーラーその人ではない。勿論、主観的な幸不幸は他人のどうこう言えるものではない。だが、マーラーは例えば、アラン・ペッテションではない。

ショスタコーヴィチの場合、まずは叙事詩的な語り部として、次には時代状況の犠牲者としての位置づけがある―それでも彼が「特権階級」であることは否定できないだろうが。 勿論マーラーだって、そうした叙事詩の語り部という側面がある(アドルノの主張の一部はつまるところそういうことだ)のかも知れない。 だがマーラーの場合、やはりギャップは大きい。彼が弱者を代弁するということが可能だということが、芸術の、天才の不思議なのだろう。 自分のやりたいことをなしとげることは、それなりの犠牲を伴う。それをするかどうかは選択の問題だ。あるいは性格の問題もあるだろう。 そして、自分のしている事の価値を信じることができるかどうかにも。

「年をとってしまった」アリサは、偉大なパスカルを読んで、違和感を感じる。多分、それと同じように私もまた、偉大なマーラーの音楽を改めて聴いて、それが隅々まで馴染みの音楽であるにも関わらず、違和感を感じることに気付いた。まずはその世界観のようなものが、自分の特にこの数年の経験による価値観の変化の結果、信じ難いものになっていること。それとその人格や性格に対する距離感が強くなったこと。

並外れた天才であるだけでなく、上昇志向の強い策略家。自分の作曲に対するあの自信。自分の才能への信頼。勿論、そうした側面がその音楽と無関係であるはずはない。そして、その風景との距離。それは結局、私の風景ではない。(私はかつて、勘違いしていたのだろう。自分の目前の風景を投影してしまったものだ。第1交響曲の序奏や、「大地の歌」の「告別」に、あるいは第6交響曲のアンダンテに。) それは異邦の風景だ。今や例えば武満の音楽の風景の方がずっと馴染み深い。何より、パスカルのあの悲愴感漂う身振り同様、マーラーの身振りも美しくはあっても、 少なくとも共感できるものではなくなっている。

久しぶりにアーノンクールのハイドンを聴いたときの違和感、どうしてマーラーとハイドンという、この2種類の音楽を自分の中で共存させることができるのかという素直な懐疑の感情。少なくともアーノンクールがマーラーを受け入れないのは、生理的にいってもまず「自然」なことに思えた。
これだけ熱心に聴いて覚えている音楽が、けれども今の自分の身の丈、今の自分に見えている風景、様々な事象に対する考え方に合致しなくなっているのは、 悲しいことだ。けれども仕方ない。後ろを振り返っても仕方ない。この数ヶ月で、これまで各時期においてはそれなりの価値を持った音楽を聴きなおして、 取捨選択をした。今の自分が等身大で聴ける音楽を残すことにした。自分にとってヨーロッパは遠い、というのが実感だ。 ロマン派の音楽は、もうそれほど親しげに響かない。僻遠の地の、全く異なった文化的背景の音楽。 (2004.12/2007.12)

2003年9月20日土曜日

ヘルベルト・ケーゲルのこと

ケーゲルとの出会いは鮮烈なものだった。ウェーベルンの作品集のLPである。ブーレーズを中心とした全集があるとも知らず(もっとも知っていても高くて買えなかっただろうが)、とにかくウェーベルンを聴きたくて買ったレコードが ケーゲルの演奏だった。そして多分、CDが出たときに最初に買いなおしたのは、このウェーベルンの作品集だったと記憶している。3,200円もする高価なCDで、今や5000円程度の15枚組のセット物の1枚に、しかもベルクの作品と一緒に収録されていることを知るにつけ隔世の感を禁じえない。しかし実際、それだけの価値のある演奏なのだ。
ケーゲルがここで録音している作品については、ブーレーズの2度の全集を含め、他のどの演奏を聴いてもその印象が凌駕されることは決してなかった。ロンドン交響楽団やベルリン・フィルが技術的に劣るということはないだろうから、これはオーケストラの技術の問題ではありえない。もっぱらこの演奏の持っている純度と透明感、そしてウェーベルン演奏になくてはならない繊細で親密な叙情性に拠っているに違いない。実際、作品1のパッサカリアがどんなに荒々しい部分までも徹底して、こんなに瑞々しく歌われているのは奇跡のようだし、作品10の響きの純粋さはヨーロッパの音楽が辿り着いた極限に相応しいものに感じられる。

ケーゲルの演奏様式は、基本的にロマンティックなものだと思う。ただしその感覚は、まさに、言われるところの「新音楽」後のもの、20世紀のものなのだと思う。あくまでも譬えに過ぎないが、ヨッフムにとってのブルックナー、バルビローリにとってのエルガーに相当するものは、ケーゲルの場合には無調にさしかかった辺りから12音音楽に到達するまでの、新ウィーン楽派の音楽なのではなかろうか。勿論、これには伝記上の事実に基づく異論があるだろう。まずもって作曲の師であったブラッハーの音楽はどうなのか、あるいは人によってはヒンデミットやオルフの水際立った演奏を引き合いに出して、新即物主義やその後の様々な傾向との親和性の方を強調するかも知れない。私は文化史の研究者ではなく、ケーゲルの演奏を歴史的な文脈で聴くだけの知識もない。調べれば調べられるだろうが、そうした事実関係の検証をしてみようと思うほど熱心な聴き手でもないし、そもそもそういう聴取の仕方にはあまり関心が無い。従ってこの点については、あくまでも自分の聴取の印象に過ぎず、それ以上の正当性を主張するつもりはない。そもそも、ある演奏家の解釈の方向性は一般に幾つかのベクトルの合成であることを考えれば、そのうちの一つだけを強調するのはバランスを欠いているかも知れないのである。だが私には、最初に聴いたのがウェーベルンだから、というのを差し引いて考えても、もしかしたらケーゲル自身にとって最早過去のものとなりつつあったかもしれない新ウィーン楽派的な感性のようなものが、最も親和していると感じられるのである。
ただし少なくとも、アドルノに見られる、結果としては否定しがたく恣意的な「新音楽」の特権化からは、演奏家ケーゲルは幸運にも、そして賢明にも自由である。その最上の成果はアドルノがあれほど嫌ったシベリウスの第4交響曲の演奏だろう。勿論、既述のヒンデミット、あるいはバルトークやストラヴィンスキーの演奏をあげても良いだろうが。また、新ウィーン楽派の持つある意味では偏狭な地域性、世紀末ウィーン的な側面はケーゲルにおいては感じ取れない。要するに、ここで親和的だというのは、文脈として無意識的に埋め込まれていたというよりは、もう少し意識的に探り当てられたものであっても構わないのである。
ケーゲルの演奏は、それ以前の世代(その中には、例えば指揮者ウェーベルンも含まれる)に比べて「モダン」である。いわゆる表現主義的な演奏様式は、それ以前の世代が担っていたもので、ケーゲルの時代にはそれは過去のものになりつつあった筈である。けれども一方で、分析的で怜悧なブーレーズやウェーベルンを媒介にしてシューベルトを読み直すツェンダー、あるいは逆にシューベルトのようにウェーベルンで歌うことのできるアバドでも良いが、新ウィーン楽派の音楽をごく「自然に」演奏する後続する世代とも、あるいはあからさまに歴史的な文脈に入れてしまって、むしろ退嬰的に、退廃的に演奏してしまうような解釈とも違って、そこにはそのモダンさの背後にある、ロマンティックな衝動のようなものが息づいているように感じられるのである。その視点自体の当否はおくとして、どこまで到達したのか、という視点で考えれば、現時点ではすでに新ウィーン楽派の音楽も決定的に過去の音楽に違いない。しかしケーゲルの場合には、新ウィーン楽派の音楽に対する態度はある意味では過渡期のもつ二律背反性のようなものを感じさせる。もしかしたらそれを「過渡期」に帰するのは誤りで、単純にケーゲルの個人的な資質に因るものだとしてしまえばいいのかも知れないが。 ウェーベルンもそうだが、例えばケーゲル晩年の成果である、シェーンベルクの調性期の決算であるグレの歌や、ベルク晩年の十二音技法によるヴァイオリン協奏曲については、実を言えばケーゲルの演奏を聴いて初めて、その音楽が「わかった」ような気がしたのだった。とりわけ後者の音楽が胸を締め付けるような、ほとんど甘美な感傷に近い情調を持つことが感覚的に感じ取れたのは、ケーゲルの死の前年の演奏によってである。要するに音楽に対する共感の深さと解釈上の踏み込みの徹底ぶり、そしてもしかしたら作曲者の意に反して音楽が持ってしまったかも知れない、どこか冷たく醒めてしまっている肌触りも含めて、これ以上ぴったりくる感じのする演奏はない。身もふたもない言い方をしてしまえば、要するに、私が新ウィーン楽派の音楽をそのように聴きたいと思っているタイプの演奏だ、ということに過ぎないのかも知れないのだが。
そしてそれゆえか、マーラー以前の音楽に対するケーゲルの解釈は、あからさまに回顧的で、ある種のマニエリズムが介在するように感じられる。その完成度の高さは疑問の余地はないが、親密さには欠けている。(正確には、ごく稀にしか「共感」に達することができない、というべきかも知れないが。)一見して素朴な肌触りでありながら、その曲作りにはどこか人工臭があって、まるで自分のもしかしたら地であるはずの素朴さを、自分で信じられないといった風情の音楽なのだ。人によっては、そこに素朴さへの憧れの純度の高さを見出し、高く評価するであろうし、こうした屈折はマーラーのイロニーの表出にはもってこいなのかも知れないが、ケーゲルの場合には最後に残るのが、寧ろマーラーの時代すらすでに過去のものであり、それを我が物とすることは最早できないのだ、という認識―マーラーその人は、そうした認識を、例えばシューベルトに対して持っていたように感じられる―であるような気がして、その音楽を素直に聴くことができないのである。
一方で同時代の音楽に及ぶレパートリーの側については、その演奏のもつ説得力は疑うべくもないが(何しろ、面白いかどうかと言われれば、 面白く聴けるのである)、こちらは私の個人的な資質の限界で、どのような音楽でも無条件に聴くには至らない。
ショスタコービッチの音楽に対する姿勢もまた個性的だと思う。その特徴は、何よりも「美しさ」にある。ケーゲルの演奏を聴くことを通して逆説的に気付かされることなのだが、ショスタコービッチの音楽に、人はしばしば「真実」や、「正義」すら求めるのに、美しさがそこにあることを求めていないかもしれないのだ。一方で、単に美しい演奏であれば、より高精度な演奏技術に支えられた、機能的な演奏だってあるではないかという意見もあるだろう。けれども、ここにある美しさは、そうした音響としてのそれに留まらない。それには聴く人をどこか畏怖させ、目覚めさせるものがある。それは自律的な音響の運動でも、標題内容の「表現」でもない。こうした音楽の境位は、またもや、マーラーから新ウィーン楽派にかけてのそれに通じるものがあると思われる。ザンデルリンクの(後期)マーラーが、彼の言う「詩的な」ショスタコービッチから折り返されたものなら、ケーゲルのショスタコービッチには逆にマーラーから、それもどちらかといえば初期のマーラーの世界から延びた影が射しているかのようなのだ。もしかしたら音楽自体が望み始めているかもしれない、そして同様に聴き手も望んでいるかもしれない、攻撃者との同一化による客観の暴力はここでは予感されているに留まっている。そうした予感に怯えつつも、ユートピアを夢見ることはまだ、禁じられていないのだ。だから例えば、ライヴゆえの傷の多い第2交響曲の演奏の記録は、そうした傷を軽々と超えてかけがえのないものになりえている。社会主義政権下で「復活」の讃歌が一体どのように受容されたかについて考えれば不思議な感じもするのだが、常の感動を表に出さない抑制をここではさすがに感動が上回って、会場の高揚した雰囲気すらありありと伝わってくる。そして、遥かな異郷で粗末な再生装置でその記録を聴く日本人の一人は、実演では一度ならず「とりのこされて」白けた経験すらもっている自分にとって問題のある音楽であるにも関わらず(何しろ、一層問題のありそうな第8交響曲の方は実演の方が説得力があったのだから始末におえない)、この演奏記録に限っては、それを聴くと決まって感極まって涙を流さんばかりになるのである。(一度、夢でこの曲のフィナーレが最後まで鳴り響いたことがあったが、その演奏―もしかしたら夢の裡では自分が指揮をしていたのかも知れないのだが―はケーゲルのこの演奏に大変に似たものであったように記憶している。要するに私にとってこの演奏は、内的な緊張や間合いが、自分の奥底のどこかで共鳴するようなタイプのものなのだろう。)ここまで歌われている言葉がはっきりと聴き手に飛び込んでくる演奏も珍しい(もっとも、それはこの演奏に限らず、ケーゲルの演奏の一般的な特徴の一つだと思う)が、その言葉と音楽との結びつきが、このような説得力を持つ瞬間が優れた演奏でさえあれば常に保証されているわけではないのだ。総体としてみればあからさまにマニエリスティックで人工的でありつつ、ある瞬間にふと素朴さが文字通りの「突破」を実現してしまうといった事態がここでは起きている。そうしてみれば、新ウィーン楽派がマーラーに聴き取ったかけがえのないものは、確かにここでもしっかりと捉えられているのではないかと思う。

個別の作品に対する解釈を、ということではなく、ケーゲルその人の様式を跡付けようと試みる人は、その変遷に驚かされることになるだろう。私は偶々、丁度過渡期にあたる 1977年のウェーベルンから聴き始め、その後、1980年代後半の回顧的とでも言うべき透明な哀切さを湛えたロマンティックな演奏を聴き、最後に1960年代から70年代前半の、ぞっとするような冷たい鋭さを備えた、ほとんど身体的といっていい衝迫に突き動かされた演奏を聴くことになった。一般に流布している些かエキセントリックなイメージは、恐らく寧ろ初期の演奏から受ける異様な印象に由来すると思われ、それはそれで正鵠を射ている部分もあるだろうし、例えばマーラーであれば第2交響曲の、ショスタコービッチであれば第4交響曲や第11交響曲のような演奏が余人では成し得ない成果であることを認めるに吝かではないものの、個人的には、行き場を喪ってしまったかのように佇む感のある晩年の演奏もまた、かけがえのないものに思われる。
レパートリーという点では、合唱指揮者としての経験からか、声楽入りの大規模な作品の演奏(その中にはオペラの演奏会形式での演奏も含まれるが)への拘りを感じる。ハイドンの四季からはじまって、モーツァルトやシューベルトも声楽による宗教曲が取り上げられているし、ブラームスではドイツレクイエムが特別視されているのは明らかだろう。 また、そうした声楽入りの作品への嗜好は、叙事的なもの、具体的なものへの嗜好と通底しているかもしれない。例えばシェーンベルクなら、ワルシャワの生き残り、モーセとアロン、グレの歌。あるいはデーメルの詩を背景として持つ浄夜であって、 5つの管弦楽曲や変奏曲、室内交響曲ではないのだ。
マーラーもまた、声楽付の作品が多い作曲家であるが、嘆きの歌や第8交響曲、大地の歌も含め、声楽を伴う作品が多く取り上げられている印象は否定できない。これは単に、現にリリースされているのが初期作品と「大地の歌」に限定されているという事実によるのではなく、むしろ既述した初期のマーラーのケーゲルにとっての位置づけの特殊性と、それらにおける声楽の重要性との関係が寧ろ問題にされるべきなのだろうと思う。
ショスタコービッチにおける曲の選択も興味深い。例えばザンデルリンクの「詩的」「叙事的」という分類であれば、ザンデルリンクとは相補的に叙事的な曲が選択されているようだ。一方で、第14番が取り上げられるのは声への拘りという点からも違和感はないだろう。(ただし現在録音で聴くことができるレパートリーは、そのまま実演のそれではないようだ。例えば第8交響曲は取り上げられているらしい。従って曲目の選択に関してどこまで意識的であったかについての判断は慎重であるべきだろうが。)
テキスト、声楽への傾斜というのは、言い古されたことではあるが、無調期から十二音技法へ移行する新ウィーン楽派が、楽曲を構成する際の支えとして必要としたという「解説」を思い起こさせる。勿論、安直にそれと結び付けようというのではないが、しかし、ケーゲルの演奏様式を支えているものが何であるのか、 60年代から70年代前半にかけて感じ取れる、あの生理的な怒りともとれるような強烈な緊迫感から、80年代後半のその場に立ち尽くしてしまったような脆く儚げな行き場を喪った叙情までを貫く基調をなす在り方を探る上で、こうしたレパートリーに現れた嗜好が手がかりを与えてくれるのではないかと思う。自律的で自己完結的な音楽美学とは相容れない志向が、確かにそこには流れているように思えるのだ。ケーゲルの演奏にはしばしば、音楽がもともともっているもの以上のものが結晶しているような過剰が孕まれているように感じられるのと、それが関係しているのではと思わずにはいられない。(勿論、こうした事情は、マーラーの交響曲における声楽の導入に関しても言えることと思われる。)

あえて言うまでもないことだが、ケーゲルは今は消滅した旧東ドイツの音楽家であった。これは単に書類上帰属する国籍の問題ではなく、恐らくその音楽の特徴を構成する諸契機のうち重要なものの一つだろう。この話題になると決まって言及される、その音楽との関連自体必ずしも自明でない(ただし勿論、無関係ということはないだろうが)、その生涯の最期についてはひとまず措いても、それは確かなことに違いない。この点について主題的に論じることは私には到底しかねるが、それでも、ケーゲルについて書く以上、この点に関連して印象的に感じられる点を幾つか取り上げないのは、それはそれで不当なことのように思われる。

多くの海外公演をこなしたにも関わらず、そしてとりわけ晩年における日本のオーケストラへの度重なる客演にも関わらず、ケーゲルは一部のスター指揮者(ケーゲルが自己紹介の時に引き合いに出したと伝えられる、もう一人のヘルベルト、カラヤンがその典型であろう)が意識的にであれ、無意識的にであれ体現した「国際性」とは無縁であり続けたように思われる。結局、彼の表現媒体はライプチヒの中部ドイツ放送交響楽団とドレスデンのフィルハーモニーの2つであった。そこでのオーケストラの違いは、確かに部分的にはあるだろうが、部分的に留まる。普遍的であるが故の均質性ではなく、寧ろ、ほぼ無媒介に局所的であるがゆえに、そのようにしかありえなかったようなのだ。従って、ドレスデンのオーケストラの方が音色がやわらかく、特に弦楽器の響きに中欧的な温もりのようなものがよりはっきりと感じ取れるかもしれないとはいえ、そして演奏様式の変遷上、その2つのオーケストラの違いは契機の一つとしてはあったかもしれないが、寧ろケーゲル自身の内的な変遷の論理の方が優越しているように感じられる。
ただし、ここでいう局所性というのは、土着のもの、風土的なものへの還元を意味することでは全くない。少し前の世代であればまだ可能であったそうした沈殿物からの備給からも、無国籍性と民族性の不思議な同居(3人目のヘルベルト、ブロムシュテットを想像しても良い)といった、その後の世代にしばしば生じる事態とも異なって、ここでは一旦そうしたものが遮断されているかのようなのだ。それを社会的な環境(1933年を、あるいは1945年を少年期から青年期に迎えた世代にとって、それらを何歳で迎えたかというのは、その近傍以外では可能な粗雑な世代論での括りが捉えそこなう細かい差異を孕んでいる、というのはありそうなことではある)に単純に還元しようというわけではないが、兵役を挟んでその音楽的なキャリアを戦後に東ドイツで開始したという事実は、そうした遮断に与っていると思われる。
一方で、その遮断は遮断の前の記憶を消してしまうことにはならない。ワイマール期に生まれ、戦前に育ち、音楽教育を受けて形成を行った記憶は、無からの出発に抵抗する。だから戦後むしろ中心的であったより軽めの響き、臨機応変で柔軟な適応性、中性化される分豊かになる色彩のパレットとは、本質的に異質のものであり続けたのではなかろうか。すべてを伝記主義的に説明することはできないだろうが、少なくとも、そうした記憶の揺曳が、戦後のアヴァンギャルドの些か挑発的ですらあった擁護者の基層に感じられるのである。仮にそうした歴史的な説明を否定してもなお、ここで「記憶」と呼んだものが基調として存在するという感じは残る。

原的信憑に近い、後から振り返って考えれば根拠があるとも思えない、けれども振り払って全く否定し去ることもできない信頼のようなものがあって、その根強さに応じた分だけ、絶望感なり幻滅なりもまた深いのだ、ということを感じさせる。最後の局面では、あたかも次の瞬間には懐疑に根こそぎさらわれてしまうことがわかっていて、尚も無理に信じずにはいられないといった状況での諦念の影が差した眼差しがあるように思われる。

だからこそその音楽は、決して退廃的になることはないし、自分の無力さを棚にあげて、客観の暴力に荷担することもない。襲いかかるものの理不尽さに応じて、反応もまた、場合によっては嘲笑を買うかもしれないほどエキセントリックな過激さを帯びることもあるだろう。勿論、そうした様相を軽視することは不当であるけれど、だからといって、その様相のみを切り出してレッテルを貼ることに対する抗議にも同様に分があるのだ。何よりもその音楽が見せるすがすがしい透明感、よく練られた解釈の背後に見え隠れする寧ろ素朴といってもいい率直さが抵抗する。
勿論、そうした素朴さは、それに対する深刻な懐疑、素朴さ自体を毀損しかねない絶望と同居している。
聴き取りうるのはそのベクトル性の深さ、陰影の濃さであって、どこか局所的に取り出しうる特徴的な効果は、そうした連関抜きには喧伝されるその壮絶な効果を持ちえないに違いないのである。

ケーゲルについて思うことはかなりあるのだが、その多くは今のところ疑問文のかたちをしたものばかりだし、それを考えるにはケーゲルの未聴の音源を聴く必要とともに、やはり歴史的な文脈についての考慮も欠かせないように思える。従ってそれらについては、もう少し時間がたってから、ある程度見通しがたってから書いてみたいと思っている。 (2003年9月20日初稿,29日追加,2005年1月16日改稿,18,19,22日追加,9月9日改稿, 2007.7.9, 19, 8.16改稿)

2003年9月1日月曜日

カルロ・マリア・ジュリーニのこと(2020.5.24 加筆)

 実際にその演奏の記録に接するまでのジュリーニに対する印象は希薄なもので、何よりもマーラーの第9交響曲の演奏の評判の印象ばかりが強かった思う。LP時代からその存在と評判は耳にしていたのだが、高価なLPはそんなに手軽に買えるものではなく、迷っているうちにとうとうLPでは第9交響曲の演奏を入手することなくCDの時代になってしまった。

 そうしたわけで、このジュリーニの演奏も永らく未聴で、録音されてから20年以上経過してようやく聴く機会を得たのであるが、それは全く「マーラー的」でない演奏と感じられ、率直に言って、衝撃的だった。誤解を恐れずに言えば、あまりに(若干強引なまでに)「普通の」音楽として演奏されていたことに驚いたのだ。未だに似た演奏は思い浮かばない、特異で例外的な演奏だと思う。場合によってはいらいらするほど均整が取れていて、表現主義的な表出性とは全く縁がなく、従ってここには没落の不安に怯える主観はいない。(シェーンベルクがこの曲を「非人称的」だと言ったのは、勿論、ジュリーニの演奏が実現しているような意味では断じてない。)そうした表現主義的で、ある意味では音楽外の文脈を切り離し、更に場合によっては単なる演奏上の技術的な指示ばかりではない総譜上の指示、あるいは音楽の経過が内包するプログラム(標題をつけるを止めたとはいえ、マーラーの場合にはそれは別段「秘められている」わけではなく、明らかであると思うが)を無視した上で、どのような音楽を作れるかという実験とすら言えるかもしれない。ジュリーニの演奏では、その第3楽章は、世界を買おうとして破産した主観の末期の心象ではないのだ。「極めて反抗的に」というマーラーの指示は、ここでは全く別の水準で達成されている。

 勿論、この演奏もやはりマーラールネサンスの時代精神に忠実な演奏ではないか、例えば、2つほど例を挙げれば、レヴァインやカラヤンのような場合とどう違うのか、という問いはあるかも知れない。マーラールネサンスの時代には「純音楽的な」演奏がもてはやされたものだった。曰く「健康な」「神経症的でない」マーラー、、、あるいはまた、今日のブーレーズのような「客観的な」解釈と比べたら?否、この演奏はやはり特殊なのだ。デジタルなわけではないし、分析的でもない。その音楽は純粋な音響体と呼ぶにはあまりに人間的で、それでいて個別性は拒絶したような演奏なのだ。いずれにせよ、これがマーラーの第9交響曲の代表的な演奏であったというのは信じ難い。演奏としての完成度はともかく、音楽の捉え方では間違いなく、例外に属すると思われるのだが。

* * *

 こうして書くと、この演奏に対して私が否定的な印象を持っている、というように受け取られるかも知れないが、勿論実際は逆で、ようやく、この演奏をもって、(もしそう呼ぶとしたら)「純音楽的」でありながら説得力のある解釈に行き当たったのだ。「純音楽的」であるがゆえに何かが決定的に欠落した感じを抱くこともなければ、「純音楽的」でありながら一方で、というバランスの良さでもなく、徹底して「純音楽的」であるが故に説得力のある演奏なのだ。

 唯一、音楽外的な連想として感じ取れるのは、マーラーが作曲を行ったチロル地方を ジュリーニは知っている(バルレッタの生まれだが、幼少時に南チロル地方で生活したことがあるらしい)という伝記的な事実だ。かつてこの曲を頻繁に聴いていたころ(その頃最もよく聴いていたのはインバルの演奏で、この演奏こそこの曲の代表的な演奏だと思うが)、特に第1楽章に、その生活圏の風景が見えるように強く感じられた。一方例えば、これもまた代表的な演奏であり、かつ同様にその頃聴いていたバーンスタインの2種の演奏、つまりベルリン・フィルとのライブとコンセルトヘボウとの演奏は、いずれもそうした風景を喚起させるような演奏ではなかったと記憶している。ところで、このジュリーニの演奏を初めて聴いたときまず感じたのは、その風景が見えるということだった、しかもそれはインバルの演奏のように、あるいはその後聴いたバルビローリの演奏においてよりはっきりとそうであるように回想する意識の裡にあるのではなく、今、そこに見えているものに感じられたのである。風景が現前していて、主体はその風景のうちにいるのだ。こうした直接性、そしてある意味では逆説的といえるかもしれない具体性は、この曲の演奏にあっては極めて例外的な印象であると私は考えている。そうした感覚的ともいえるような直接性こそ、ジュリーニの演奏の特徴なのだろう。

 「大地の歌」についても、基本的な印象は変わらない。より室内楽的で色彩的な管弦楽法を持つこの曲の方が、直接性や克明さという点ではより明確かもしれない。歌つきにもかかわらず、あるいは歌つきだからこそ、楽音は主観的な情緒のフィルターや回想する意識を通さずに、すぐそこで鳴っている。ユーゲントシュティル様式や東洋趣味といった歴史的な文脈とも無関係に、いつぞやにも聴いた音、かつて眺めた風景を今一度耳にし、目前にする、といった風情なのだ。懐旧の念に囚われた感傷はなく、その音は繊細だが、決してくすまず、くっきりと聞こえるし、風景も涙にかすむことはなく、色彩に富んでいる。いくら性急な聴き手であってもこれほど直接に現前する音楽を自己耽溺的な主観の哀傷のドラマに取り違える事はないだろう。その楽音は繊細ではあってもきっちりとした実質を備えていて、感傷からも、表現主義からも程遠く、かつまた陶磁器のような人工的な儚さとは無縁なのだ。

 もっと直接的な言い方をすれば、「私は山に行こう。故郷を、住処を求めて彷徨おう、けれども遠くにはいくまい」と歌った私は、ここでは故郷の山に辿り着いたのだ。最後の一節は、憧憬の裡に接続法的にではなく、今そこに広がる風景の美しさに対して歌われているのではないだろうか。そして更に、これは恐らく牽強付会だろうし、 ジュリーニほど伝記主義に相応しからぬ人はいないとは思うが、その「故郷の山」は子供時代を過ごしたドロミテの山々なのだ、という連想を禁じることができない。逆にそれゆえにこの音楽を感覚的に「感じる」ことができるジュリーニでなければ、この曲をこのように演奏することはできないのではないか、と思わせる絶対的な説得力がこの演奏にはあるように思え
る。

* * *

 ジュリーニの演奏は、ヴィオラを弾いていたせいか、内声が非常に重要視され、響きが厚くなっていること、旋律線が隅々まで緊張感を保っており、その立ち上がりから消滅まで、曖昧さがないことが最もすぐに気がつく点であろう。その明晰さと充溢は、ルネサンス的であるといいたいような性格のものだと思う。 ジュリーニおいて明晰さは、歌う自由を束縛しない。それはまた、透明感やマニエリスティックな細部の透かし彫り、一糸乱れぬ精密さアンサンブルを意味することもない。特に異様と感じられるほど極端なのは、フレーズや音響バランスの「プロポーション」への拘泥で、あたかもきちんと歌えきれないことを拒絶するかのようだ。

 ジュリーニの指揮の技術的な側面から言っても、そのタクトはリズムの正確さや、アンサンブルの精密さを要求するものではない。それは人間的な呼吸の生理に忠実で、寧ろ完全なプロポーションとバランスで歌えることが優先されているように思われる。

 テンポの変化や強弱法も、旋律線や音響バランスのプロポーションを損なわないことを前提に設計されているようで、無理はないが、それは自然というのとは少し異なる、極めて綿密な計算を感じさせるものだ。歌うことの自発性を求める一方で、完全主義とマニエリスムが存在するのも確かであり、しかもその造形法は、削る、縮める、せきたてるのではなく、加える、引き伸ばす、ためることが中心であるように思える。

 テンポの極端な揺れ、極端な強弱のコントラストは歌のプロポーションを損なうが故に拒絶されるのであって、実際にはその演奏を「インテンポ」というのは些か抵抗がある。カンタービレに由来する微細なテンポの揺れが其処彼処にある。息をつげないようなインテンポ、息をひけないような間合いはジュリーニの演奏には存在しない。そうした意味でジュリーニの音楽は極めて感覚的・身体的・人間的であって、その晴朗で均整の取れた様式はウマニスモ、ルネサンス的なヨーロッパ、啓蒙主義の典型(極限ではない。極限はもはや啓蒙主義ではないかもしれないから。)を思わせる。

* * *

 ジュリーニの音楽は、マージナルではないが、しかし中心でも極限でもなく、典型なのだ。そしてそこにいつも人間がいる。人間中心主義はイタリア系の指揮者の生理という側面もあるかもしれない。けれども、例えばイギリスに生まれたバルビローリは同じように叙情的であっても、同じように歌に満ちていても、周縁的なものやバロックなものへの開かれた態度によって、 ジュリーニとは区別される。そしてまた、ジュリーニのそれは、新ロマン主義の先駆けではなく、むしろ古典主義(これは20世紀前半の新古典主義とは全く関係がない)的である。ただし秩序と規律を重んじるフランスの古典主義ではなく、あくまでもイタリアのそれだが。こういうスタンスは、怜悧な聴き手にとって、場合によっては中途半端で詰めの甘いものと移るかも知れない。あるいは人によってはこれを中庸と呼ぶかも知れない。実際、その演奏に何か刺激的なハプニングが起きるようなことはない。また、宗教的な感じはなく、その音楽には超越はない。それは自己充足的、内在的で垂直軸を欠いている。奥行きすら怪しいのでは?と思えるほどである。時間論的にも、過去とも未来とも縁遠い、けれども生成の瞬間の拡大(チェリビダッケ)ではなく、持続する現在の充溢とでも呼ぶべきものだ。音の向こう側にも手前にも何もない、何かを求めて眼差しがさまようこともない。今、ここに鳴り響く音楽の直接性で十分なのだ。しかも ジュリーニの音楽は、スピノザ的にそれ自体が世界であろうとするチェリビダッケのそれとは異なって、主体性を喪失しないまま、世界という契機を内在化しているようだ。

 その音楽には静けさがないのではないが、空虚はない。叙情的だが情緒的ではなく、主観的な音楽ではない。これはバルビローリと異なって、意識の音楽ではないのだ。その音楽は、ある意味では経過毎に自足しているため、静的な性格を帯びる。コントラストが不足しているか、あるいは拒否しているのでは?と感じる瞬間すらある。場合によっては一面的な印象や奥行きの欠如を感じると言われるのはそのせいだろう。

 例えばザンデルリンクのマーラーの第9交響曲はしばしば「平板」だと言われるが、実際にはその演奏は「自然」であって、その経過はそっけないほど淡泊なだけで、決して平板なわけではない。寧ろ「平板」というのはジュリーニの演奏にこそ相応しい。充溢する歌、隙間無くポリフォニーで埋め尽くされる空間。ここでは静寂、音と音との合間すら歌によってコントロールされているかのようだ、まさにここでは沈黙は歌の構成要素、一部なのだ。そしてまた、完璧を目指す歌は、即興性のようなものを喪ってしまう。その音楽の経過は物語の展開でも「意識の流れ」でもない。「作為的」ではないが、いわゆる「自然な」演奏ではなく、意識的に歌うのだ。そこにはザンデルリンクにおけるような音の自発的な生成展開はないし、ましてやハプニングはなく、フレーズは予定調和的に閉じられるのだ。

 あえて言えば、不自然であることを意志的に拒絶する態度、実際には音楽自体が歪かもしれなくとも、それをあえて認めずに「あるべき」姿にプロポーションを矯正してしまう姿勢がジュリーニにはあるのではないか。ただしここでいう「あるべき姿」というのは、音自体の秩序が潜在的に欲している形態(ザンデルリンクはそのために総譜やパート譜をしばしば書き換えたらしい)、というのよりもっと強い意味合いをもっていて、個別の音楽という仮象を超えて、寧ろア・プリオリにあるべき理念的な秩序というのが想定されているようなのだ。しかし、ジュリーニの特異性はこうしたプラトニズムが、感覚的で身体的な直接性と結びついている点にある。プラトニズムとはいうものの、音は向こうからやってくるのではなく、あくまでも人間が歌うものなのだ。

 結果として、隅々まで音楽はコントロールされ理想的な姿を纏うための追求がなされる。こうした意味でジュリーニの音楽はとことん主体による作為の音楽で、そこには主体の充溢がある。ジュリーニの音楽は演奏家の「個性」、演奏の個別性は主張しないが、音楽自体は客観的な音響体ではなく、スピノザ的な自己完結性(チェリビダッケ)を帯びることは無いし、一方でザンデルリンクの演奏のように音の自然な流れに身を委ねているうちにどこかに運び去られてしまうこともなく、フレーズの終わりまで正確に歌いきらなくてはならない。そしてそれは聴取のプロセスについても言えるようだ。聴き手もまた、揮発してしまうことなく、最後まで聴きとおさなくてはならない。

 しかもバルビローリの場合と異なって、ジュリーニにおいては主体は遍歴した結果変容するということもなく、帰還するのである。つまるところジュリーニの場合、主体=人間の極は消え去らないし、本質的には変わらない。享受の極の受動性は、まさにその享受そのものによって補償され、主体は一層堅固になるかのようだ。聴くのが疲れると言われるのはその充溢のせいなのだろう。あるいはまた、曰く「立派過ぎる」演奏というのは、音の半ば自律的な運動に身を委ねるという、とりわけ享受の極では極普通に生じる態度を、ジュリーニの演奏が拒絶するが故に起きる息苦しさの表明に他ならない。聴き手は音楽を心から享受することはできても、圧倒され、どこかに連れ去られるようなことがあってはならないのだ。

 そのように考えるならば、今から遡ること半世紀前に柴田南雄さんが、当時リリースされて間もなかったジュリーニの第9交響曲の演奏を評して、「(…)わたくしも今のところではトップの座を占めることは認めるが、ちょっと堅さがある。緊張が見える。その力が抜ければもっとほんもの、という気がする。しかし、かけがえのない音楽的な厳しさが底に流れており、欲を言えばそれは失われずに、柔軟さがその上に加わればさぞかしすばらしいだろうと思うのだ」(柴田南雄「マーラー演奏のディスコロジー 前編(78年1月の記)」,『音楽の手帖 マーラー』(1980, 青土社)所収。ただし初出は『西洋音楽散歩』, 1979, 青土社とのこと。)と記しているのは、その音楽の質の見極めにおいては極めて的確である一方で、ここまで述べてきた、ジュリーニの演奏が持っていると思われる方向性とその根拠を考えるならば、或る種の無い物ねだりに陥っている感じを拭い難い。柴田さんの求めている柔軟さ、脱力は、柴田さんが的確に指摘するジュリーニの演奏の特質と本当に両立しうるのか、実は柴田さんが求めている理想(それはどちらかいえば、「東洋的」とでも形容する他ないものに私には感じられる)はジュリーニが規範とする理想と根本的なところで相容れないものではないのか、という疑問を禁じ得ないのである。

* * *

 徹底的な作曲者への無私の奉仕の姿勢が、隙間無く埋め尽くされた歌の充溢をもたらす。コントラストを欠いた経過は経過としての意味を喪う。これは、別の位相でだが、晩年のチェリビダッケに生じた事態と、結果だけとればよく似ているように思える。ただし、それをもたらす音楽に対する姿勢は全く異なる。チェリビダッケが西洋の音楽の理念の極限に達しえたのが、その周縁性によるのに対して、ジュリーニの場合、(弁証法的なアーノンクールとは全く異なって、大変に静的な性格を帯びているが)それは典型的にヨーロッパ的な存在様態ではないかと思う。それは「音楽は美しくあるべきだ」という立場での最高の達成なのだ。しかもそれは人間には聴き取ることができないピタゴラス派の天球の音楽ではなく、直接的で感覚的な身体性の位相で達成されている。そしてその身体性は、外界の事象を感受する感覚器の発達という人間のもつ生物学的な条件に忠実であるかのように、出来事によって変容を蒙った内部状態ではなく、変容を惹き起こした外部へと開かれている。主体の音楽といっても、内部事象への沈潜や、出来事を感受する界面へのこだわりはなく、ベクトルは外へと、つまるところ音楽へと向かっていくように思われる。ここでは音楽はまず感覚的なものなのだ。音楽を自らの身体と化すること、自分が音楽と一致することをめがけるその様態は「享受」のそれであって、それは現在の豊かさを味わいつくそうとする。それは瞬間の中に永遠を見る形而上学とは無縁で、寧ろ、持続する現在のうちで、その時間性の淵源である出来事の豊かさを、つまりはベクトル性の深さを享受するのだ。主体は決して消えてしまうことはない。

 かくしてジュリーニの演奏に対する私の向き合い方はアンビヴァレントなものになる。強い抵抗感と、達成されたものに対する感嘆が相半ばするのだ。マーラーを聴くならバルビローリを聴くだろう。音の自然な流れに身を浸したければ、ザンデルリンクを聴くだろう。けれども時折、ジュリーニの演奏を聴いてみたくなることがあるのだ。 ジュリーニの演奏は私にとってはアンチテーゼとして万鈞の重みを持っているのだ。(勿論、実際には正統的なのはジュリーニの方であって、私が常には好む演奏の方が何らかの意味で周縁性を帯びているのだが。)そんなに頻繁に聴くことはないし、自分にとって親近感を覚えるタイプの演奏ではないのだが、こんなに完成度が高くて「典型的な」演奏は他にない。それは私にとってある種の規範であるといっても良い。そうした意味でジュリーニの演奏は特別であると思う。 (2003年9月1日初稿、2007.1.11修正, 7.9改稿、2020年5月24日追記)