1.はじめに
本稿は記事「マーラーについて生成AIに聞いてみた(25):Gemini 3.0 Proの検証・補遺(2)第6交響曲初演について」の続編の位置づけのものです。2025年11月18日にリリースされたGemini 3.0 Proを対象に、マーラーに関する様々な問い合わせを行った結果について、まず記事「マーラーについて生成AIに聞いてみた(23):Gemini 3.0 Proの検証」にて報告しました。本稿に関連するのは検証用プロンプトセットのうち、第6交響曲の初演の日時と場所を問うプロンプトの回答で、本来の質問内容については正解が返って来たものの、回答中に含まれる補足的な内容の一部に疑念があり、追加でファクトチェックのための問い合わせを幾つか行った結果を報告したのが前回の記事でした。本稿はそのうち、資料の不足により前の記事の時点では確認が行えなかった、初演時の第4楽章におけるハンマー打撃の回数についての国際マーラー協会の新批判全集の見解に関する追加のファクトチェックの結果の報告となります。一方で、初演時のハンマーの回数が何回だったのかという事実に関しては、残念ながら本稿は新しい情報を提供できず、2回、3回の両方の可能性があり、いずれであるかを決定するに足る判断材料に欠けるという前稿における結論を更新するには至りませんでした。しかしながら、こちらについても(生成AIの検証という主旨からは逸脱しますが)若干の手元資料の調査・確認をしたので、その結果についても簡単に報告します。
本稿の本来の目的である追加のファクトチェックを行うことができたのは、偏にマーラー祝祭オーケストラの音楽監督である井上喜惟先生のご協力に依るものであり、先生のご厚意に対して感謝の意を表させて頂きます。
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2.問題の所在
元々のGemini 3 Proの回答のうち、本稿のファクトチェックの対象となるのは、「初演に関するエピソード」として付加的に示された以下の箇所です。
- ハンマーの回数: この交響曲の最大の特徴であるフィナーレの「ハンマー」は、当初3回打たれる予定でしたが、マーラーは「3度目の打撃が英雄(自分自身)を倒す」という迷信的な恐怖を感じ、初演のリハーサル中に3回目を削除しました。そのため、初演では2回だけ打たれました(現在も2回とするのが通例ですが、3回打つ版も存在します)。
この回答の典拠を尋ねる追加のプロンプトへの回答には、以下のような明確に「幻覚(Hallucination)」と断定できるものも含まれます。
- 国際マーラー協会の見解の変遷:
- 1963年の「旧全集(ラッツ校訂)」では、アルマの意見を採用して「3回」に戻されました。
- しかし、その後の研究で「マーラーは迷信とは関係なく、音楽的な理由(密度の調整など)も含めて2回にした可能性が高い」とされ、2010年の「新全集(クービック校訂)」では再び**「2回」が正解**とされました。
A. ラインホルト・クービックによる校訂報告(新全集)国際マーラー協会による『交響曲第6番 新全集版』(2010年)の序文および校訂報告において、クービックは以下の事実関係を提示しています。
- 第1版(初版): 1906年3月に出版。ここには「3回」のハンマーが印刷されています。
- エッセンでのリハーサル: 1906年5月、初演のためにエッセンに入ったマーラーは、現地で集中的なリハーサルを行いました。クービックによれば、マーラーはこのリハーサル中にオーケストレーションの変更(「エッセン改訂」)を行い、そのプロセスの一環として第3のハンマー打撃を削除したと結論づけています。
- 根拠: 初演直後に準備が進められた「第2版(改訂版)」の印刷用原版(プレート)の修正痕跡や、マーラーが出版社(C.F.カント)に送った指示のタイミングから、変更は初演の経験(リハーサル含む)に基づく即時的なものであったと推測されています。
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3.典拠に関するファクトチェックの結果
マーラー祝祭オーケストラの音楽監督である井上喜惟先生に、上記の経緯を説明して、問い合わせさせて頂いたところ、早速に問題となっている新全集第VI巻(2000)の序文と校訂報告の写しをお送り頂き、典拠の真偽についての確認が取れましたので、以下にその結果を報告します。
新全集第VI巻の序文には典拠の一覧とそれへのコメント、中間楽章の順序に関する節に続いて、最後にハンマーの打撃の回数の問題について述べた節があり、その記述は極めて明快です。説明も平易なもので、曖昧さもないと思われるため、以下では原文の引用は割愛させて頂き、全文の試訳のみを示します。
自筆譜には、第4楽章に5つのハンマー打撃が確認されている。第9小節(不明瞭)、第336小節、第479小節、第530小節、第783小節である。これらは清書版が完成した後に追加されたものである。また第1版の版下となる浄書楽譜(Stichvorlage)にも後から追加され、一部は消去されている。1906年5月27日のエッセンでの初演では、第336小節、第479小節、第783小節の3つのハンマーが打たれた。ミュンヘン公演に先立ち、マーラーは第783小節のハンマー打撃を省略した。このハンマー打撃は、指揮者用スコアの改訂版である新版には記載されていない。(国際マーラー協会新批判版全集第VI巻序文より)
新全集第VI巻の序文、校訂報告におけるハンマー打撃についての記述は上記で全てです。ここでは極めて明確に、初演では3回(第1版第1稿・第2稿に記載の箇所で)打たれ、続くミュンヘンでの演奏において2回(こちらは第2版=第3稿に記載の箇所で)打たれたと記述されています。従って、初演時のハンマーの回数について、国際マーラー協会の新全集第VI巻を典拠とするGeminiの一連の回答は「幻覚(Hallucination)」)であったということになります。
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4.初演時のハンマー打撃の回数は?
Geminiの新全集に関する記載が全くの出鱈目であることが確認できたので、Geminiの回答に関するファクトチェックという観点では上記で完了ということになります。しかしながら、それとは別に、初演時のハンマーの回数が何回であったのかという事実に関する問は成立します。そしてこちらについては、2回、3回の両方の可能性があり、いずれであるかを決定するに足る判断材料に欠けるという立場が前稿の結論でした。
上に見た通り、国際マーラー協会の新全集第VI巻でのこの点の記述は曖昧さの余地のないもので、エッセンでの初演では3回、ミュンヘンでの再演で2回となったとされています。この後、楽章順序の問題では議論の的となるウィーンでの再演が続くわけで、そちらへの言及はありませんが、恐らくそのまま2回であり、それがマーラーの最終意思なのだということなのだろうと推測されます。その一方で、断定的な語り口ではありますが、その根拠が示されているわけではありません。また、Geminiの「幻覚(Hallucination)」は全く無根拠に生じることはあり得ず、逆に事前学習のデータ中に初演時に2回打たれたという記述が含まれていればこそ、このような回答が生成されたと考えるべきであって、別の情報源で2回とする主張が存在すると考える方が自然です。
そして実際、手元で確認できる資料中に初演時のハンマーの回数を2回とするものが存在します。それは金子建志「マーラーの交響曲」(音楽之友社)で、その第3章 後期の交響曲の<6番>の節で、非常に詳しい検証が為されているのですが、そこで初演時には2回であった可能性が高いとする主張が為されているのです。その最大の根拠はフーゴー・ダッフナーという批評家が書いたエッセン初演についての批評であり、それを根拠にして、通説(3回)が根拠としているアルマの回想の信頼性を検討し、更にはGeminiも頻りに言及する「運命の3つの打撃」をハンマーの打撃が3回であることと単純に結びつけることに対する疑問を呈する(従って、「運命の3つの打撃」とハンマーの打撃が2回は両立し得る)といった内容のものです。第6交響曲に限らず、この著作は徹底的な資料調査と緻密な考察に基づくものであり、その信頼性は非常に高いものと感じられますが、残念ながら注や文献参照がないため直ちに典拠に遡ることはできません。
実は私が2回、3回の両方の可能性があるという立場を取ったのはこの著作で示された初演評の存在が念頭にあったからなのですが、井上先生が返信の中で本件に関する文献として特にこの著作の存在を指摘して下さったこともあり、更にその一方で新全集第VI巻が明確に3回説を採っていることが確認できたので、2回の可能性が高いとする説が示された信頼性が高い資料として紹介しておくのが妥当と考えました。
一方で明確な批評という記録資料があり、また従来説の論拠について徹底した批判的検討が為されているのであれば、寧ろ2回説が通説にならないのは不思議な感じがします。同様にして新全集第VI巻序文における断定の根拠は何なのかもまた疑問に感じられますが、既述の通り、こちらもまたその断定の根拠は示されていない以上、その是非は判断できません。
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5.まとめとコメント
以上、第6交響曲初演時のハンマーの打撃の回数に関する典拠についてのGemini 3 Proの回答のファクトチェックの結果、およびそこから派生して、第6交響曲初演時のハンマーの打撃の回数そのものについての議論を紹介してきました。これまでで確認できたことを要約すると以下の通りとなります。
- 初演時2回説の根拠を新批判版全集に求めるGemini 3 Proの回答は「幻覚(Hallucination)」)である。
- 新批判版全集第VI巻はエッセン初演では3回、次のミュンヘンでの演奏から2回となったと主張しているが、その論拠は示されていない。
- 初演時は2回であった可能性が高いとする研究として金子建志「マーラーの交響曲」があり、フーゴー・ダフナーの初演についての批評文の存在がその論拠の柱となっている。
付言すれば、フーゴー・ダフナーの評についての記載がないか、念のため、アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記を当たってみたのですが、これはこれで興味深いことに、実は言及そのものはあります(英語版第3巻、pp.522-3)。しかしながら、恐らく美学的な立場を異にするダフナーのどちらかといえば辛辣なコメントの論調の紹介に終始しており、ハンマーの回数の記述への参照・言及はありません。新批判版全集も論拠として採用せず、3回としていないことと併せ、どのような判断が働いた結果なのか確認したい気持ちに駆られるところではあります。しかしながら本稿では2回、3回の両方の可能性があり、いずれであるかを決定するに足る判断材料に欠けるという立場を再度確認するに留め、この件についての調査・検討はここで一旦打ち切りたく思います。
というのも、これは金子さんもそのように明確に述べておられることですが、マーラーの最終判断が2回であったことの方はほぼ確実と考えられ、今日、演奏や受容を行う人間にしてみれば、初演時にどうであったかといった事柄は、歴史的には揺るがせに出来ない事柄ではあっても、謂わばマーラーの試行錯誤の途中経過に纏わる問題に過ぎず、この点がどちらであったとしても最終判断には大きく影響しないと考えられるからです。(この点で中間楽章の順序の問題とは異なると考えます。)前稿でも触れたように、レートリヒのようにマーラーが最終的に3回に戻す判断をしたという見解も無い訳ではないのですが、その根拠として示されているものはその説を強く支持するものとは思えません。また事実問題は措いて、権利問題、「べき論」ということであれば、音楽の構造の面からも、初期のアイデアの5回から1,4回目を削除したのであれば、構造的に共通する場所で打たれる5回目も削除した、現行の2回の形態の方がより整合的であるということは言えるでしょう。(尤も、美学的な判断としてそうした整合性にどれくらい重きを置くかは更に別の問題となりますが。)
但しレートリヒの立場を支持するものとして、ノーマン・デル・マール(Norman Del Mar)の第6交響曲に関するモノグラフ(1980)があることには留意しておくべきかも知れません。このモノグラフがレートリヒ版の出版社であるオイレンブルクから出版されていることからも窺えるように、序文を寄せているコリン・マシューズ(第10交響曲のクック版の協力者としても著名です)と同様、デル・マールもまたレートリヒの主張を支持する立場なのですが、その議論の組み立てとして、Gemini 3 Proの回答でもしばしば確認できた、マーラーが迷信的な懼れから3回目のハンマーを削除したという立場を取り、第6交響曲の初演が第8交響曲の創作と時期を同じくすることから、それをマーラーの一時の気の迷いと捉えている点が興味を惹きます。アルマの「運命の3回の打撃」説の方は回想における後付けの理屈であり、初演当時のマーラーがそのような迷信に囚われると考えるのは、クロノロジカルにもナンセンスであるとするのが今日では寧ろ一般的ではないかと思われますが、マーラーが或る意味で迷信深かったことは、実はアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュも述べていることです。こうなるとマーラーの最終意思についてのレートリヒの主張を受け入れるかどうかとは更に別に、作曲者の意思というのも相対的なものであり、例えば後年、創作時期とは全く違った見解に至った挙句に、かつての作品を改訂して、別の版を作り上げた時に、改訂を「最終意思」として以前の版を否定すべきなのか?といった議論にも繋がっていきそうです。
そして様々な過去の議論の集積の反映(但しWeb上に存在するものに限られる点は留意が必要ですが)である生成AIの回答には、デル・マールの議論の組み立てで用いられている視点の反映を感じとることができるように感じられます。直接ではなくても、その主張が他の文献で参照、引用されれば、大規模言語モデルの性質上、その内容が回りまわって反映されることは十分に考えられるでしょう。そこからGemini 3 Proが返した回答に含まれる、一見すると尤もらしく、良くできた作話までの距離は遠いものではなさそうです。迷信的な懼れによる削除が初演に至るリハーサルという現場で実際に起き、初演の場に反映されたことかどうかは、そうした削除が起きたこと自体と比較して、副次的な問題という扱いになってしまうという訳です。もしかしたら時として人間もこの類の過誤は犯してしまいがちではないでしょうか?
今回の検討で強く感じたのは、Gemini 3 Proの回答のファクトチェックはそれとして、だけれども或る点から先は寧ろ、回答の検討を通して様々な問題が浮かび上がって来て、それらを追求することは、従来より生成AI抜きで行ってきた事と何ら変わらないということで、今回の場合には、それは通説の批判的見直しのようなものになったようです。。後は個別の論点が持つ価値の判断如何であり、適切に取捨選択することができれば、時として重要な問題に気付き、アプローチするきっかけとなることも十分に考えられるのではないかというのが本稿を終えるにあたっての率直な感想です。
(2025.1.1初稿公開)