「(…)若い頃、プラハに住んでいたとき、わたしはスメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクなどチェコとスロヴァキアのオペラが演奏されていた国立オペラ座とヴァグナーとシュトラウスを演じていた新ドイツ劇場とに時を分かっていた。どちら側にわたしの心があったか言う必要があるだろうか。マーラーの全交響曲を聞いたのもまたプラハだった。ブルーノ・ワルターがウィーンから来てルツェルナ公会堂でこれを指揮した。とくに第二部の(ゲーテの『ファウスト』の終幕)いくつかのすばらしい瞬間にもかかわらず、マーラーの『第八交響曲』は『八分音符氏』が夢みた《戸外の光の中で、木々の前で演ぜられ、ただよう》音楽にはほとんど似ていない。ドイツ音楽は虚無にあまりにも制御され、壮大さの意欲にあまりにも占有されている。それは《花の香りと空気の曲線と木の葉の動きの神秘な協合》にあまりにも頑なに背を向ける。わたしは、音楽が平原の風の歌に耳を閉じず、夜の香りに無感覚でないことを愛する。(…)」(邦訳、pp.297-298)
アドルノの作曲家の取捨選択が(特に槍玉にあげられた作曲家、例えばストラヴィンスキーやヒンデミット、シベリウスを評価する側の)物議を醸したことは、マーチン・ジェイのモノグラフにも書かれている通りだが、ジャンケレヴィッチはアドルノ程度にも論理的でない。にも関わらず、単なる嗜好ということで片づけてしまう訳でもなく、理由を延々と語って見せるのだが、直ぐ後に自ら述べる「互いにごく異なっているいくつかの作品を共に愛する権利」、例えばアルベニスとスクリャービンとを愛する権利の主張、「だれに対するにせよ弁明する必要もない」権利と、上記のようなお喋りとの関係は定かではない。恐らくはある他者が、同じ権利によってマーラーを愛することについて、彼は「どうぞお好きに」というのだろうが(そしてそこがアドルノとは異なるところだろうが)、であるとしても、もしそうならば、それは彼がマーラーをどう聴くか、あるいはどう「聴かないか」を告げることはあっても、マーラーの音楽が持っているポテンシャル、異なる聴取の可能性、ジャンケレヴィッチが聴きとれないと証言する、そして聴き取りたいと思っている音楽を、まさにマーラーの中に(他の誰かが)聴き取る可能性に対して不当ではないだろうかと思わずにはいられない。
ジャンケレヴィッチは、ドビュッシーを引き合いに出すが、そのドビュッシーの音楽を、そしてスメタナやドヴォルザークの音楽をマーラーが高く評価し、指揮者として何度も演奏したこと、のみならずその作品にそれらの音楽の影響を見出す見解も存在することは証言しておくべきだろうか。勿論そのことが、マーラーの音楽そのものについて何かを告げることはなく、単なる傍証の類に過ぎないが、それでもそのことは、ジャンケレヴィッチが対立させようとする項の間に、他はいざ知らず、マーラーその人は対立を見ていたわけではないことを控え目に、小声で告げることだろう。
こうしたことは幾らでも続けることができよう。例えば、アウシュビッツ後に生き延びたユダヤ人であるジャンケレヴィッチが、オーストリア・ハンガリー帝国の「言語島」に育った同化ユダヤ人の息子であるマーラーが一時期まさに、プラハの「新ドイツ劇場」で指揮をしていたことを知っていた上で、上述のように語っている可能性は大いにあるが、そのマーラーが、その後ウィーンの王室宮廷歌劇場の監督として、スメタナの「ダリボル」を演奏したことの方は知っていただろうか。一般に「ダリボル」は、「リブシェ」とともに、その「ナショナリスティック」な内容の一方で(だから当然、ウィーンでの「ダリボル」の上演は政治的な意味合いを持たざるを得ない。「リブシェ」が強い政治的なコンテキストの中で作曲され、上演されたのと同様に。)、非常に強いワグナーの影響を指摘されているのだが。
いやそうした周辺的な話は止めにして、マーラーの音楽そのものを問題にしてみよう。ここで、限定つきではあっても、「よりによって」ファウスト第二部の終幕を音楽化した第8交響曲をジャンケレヴィッチが評価しているのは、やや意外な感じがしなくもない。だが、「虚無と壮大さ」をもって批判するのであれば、その選択は確信犯的なものと疑われても仕方あるまい。(またしても、であるならば、例えば『死』で参照している『大地の歌』はどうなるのだろう…)
一方でマーラーが第三交響曲に関して言ったこと、「鳥の歌、花の色、森の香りだけでは自然は作れない。ディオニュソスが、偉大なるパンの神が必要なのだ。」という発言を、ジャンケレヴィッチは知っていてドビュッシーを引き合いに出したものか。するとジャンケレヴィッチの言い分にも一理あるということになるのかも知れない。だが、別のところで書き留めたように、まさにこの言葉を梃子に、ドゥルーズ=ガタリがどのような議論を展開したかを思い出してみて頂きたい。
しかしながら、一番驚くのは、ロシア帝国からのユダヤ人移民の息子が、オーストリア・ハンガリー帝国の「言語島」に育った同化ユダヤ人の息子の音楽を、まるでそれが「ドイツ音楽」の典型であると考えていると受け止められかねないような仕方で語っていることだ。「ドイツ音楽」の定義の下、「オーストリア音楽」が等閑視されていることは一先ず措こう(というのもシューベルトやブルックナー、フランツ・シュミットが問題にされているわけではないので)。マーラーが「三重」の意味での無国籍者の感覚を持っていたこと、再びドゥルーズ=ガタリを参照すれば、彼らがカフカを「マイナー文学」と規定したのを承けて、「マイナー音楽」と呼んでもいいような性格をマーラーの音楽が孕んでいることを、ジャンケレヴィッチは認めたくないように見える。文学と音楽は違って、音楽だけは嗜好の押し売りをしていいのだ、とでも言うのだろうか?一世紀を隔てた極東の島に住む子供にすら、「ドイツ音楽」とははっきりと異質なものとしてマーラーの音楽は響いたというのに。
しかしそれも良しとしよう。最大の問題は、ドビュッシーを引き合いに、それに対する背馳と拒絶をジャンケレヴィッチが主張する《戸外の光の中で、木々の前で演ぜられ、ただよう》音楽、《花の香りと空気の曲線と木の葉の動きの神秘な協合》の音楽が、「偉大なるパン」への言及にも関わらず、マーラーの音楽にははっきりと聞き取れるという点である。ジャンケレヴィッチのいう「虚無と壮大さ」を仮に認めたとして、その上でなお、マーラーの「音楽が平原の風の歌に耳を閉じず、夜の香りに無感覚でない」ことを聞き取れないのは、専らジャンケレヴィッチの側の問題ということはないのだろうか?
再び『大地の歌』を、あるいは第一交響曲、更には第七交響曲を引き合いに出してもいいだろう。あえて言えば、パンの存在が、それを映画音楽やムード音楽的な(マーラーの時代で言えば、「ゼッキンゲンのラッパ手」のようなものが思いつくが)単なる描写音楽と区別がつかなくなることから、或はユーゲントシュティル風の装飾に退化することから救っているという見方さえ不可能ではなかろう。マーラーの世界を構築する意志は、今日なら、寧ろ分析哲学における多世界論、あるいは哲学的な立場としてはその多世界論については批判的である替りに、様々な「バージョン」の存在を作品にとって本質的なものと見なす、ネルソン・グッドマンの美学理論(彼にはその題名もずばり『世界制作の方法』という著作があることを指摘しておくべきだろうか?)のようなものを通じて受け止めるべきものを含んでいはしまいか?
ちなみに言えば、ジャンケレヴィッチがマーラーを参照する場面は、管見でもう一箇所存在する。彼が晩年に企図した、『音楽から沈黙へ』全七巻の掉尾に収められる筈であった『音楽と筆舌に尽くせないもの、夜のもの、沈黙』の、いわば改稿前の姿である『音楽と筆舌に尽くせないもの』(1961, 再版1983、邦訳は仲澤紀雄訳, 国文社, 1995)の中で一度きり、自分の言葉としでですらでなく、ラヴェルが言った言葉として(だが、引用の形さえ取らず、従って、出典に対する注もなく)このようにマーラーを参照してみせる。
「短さは、緩叙のもっとも自然な形だ。ラヴェルは、マーラーの膨大な交響曲を批評し、ぶしつけな打ち明け話や、日記および冗長な自伝にうかがわれる慎みを欠いた多弁な率直さを嘲笑する。フォーレの場合、『小品』の簡潔さは、濃密度と節度の要求を表明している。言外に含まれた意味は、《小品》の延長であるべきもの、その短さをひき延ばす黙説法の輝きではないだろうか。ラヴェルのような音楽家の厳しい、貪欲なまでの簡潔さ、ファリャのような音楽家の峻厳さ、ドビュッシーのような音楽家の雄々しい自制は、感情の露出癖と音楽の無節制にとっては、慎みと節度の教訓にほかならない。」(邦訳、pp.64-65)ここには最早、具体的な作品への言及すらない。(あるいはそのこともひっくるめて、ラヴェルの発言に責を帰するつもりだろうか?)ラヴェルがどこかでそれに類することを言ったかどうかの真偽については問うまい。こんなコメントに抗弁しても虚しいだけだが、それでもなお、一つにはラヴェルの音楽家としての姿勢や発言は、必ずしもその作品の実質を保証するものではないこと、そしてその点についても実質的には一致を認めてなお、マーラーの「膨大さ」は、例えば別のところでそのテクニカルな欠点をラヴェルが非難しているベルリオーズのそれと単純に同一視できないだろうし、マーラーの音楽に、日記やら自伝を見出すのは、ある種の(しかもどちらかと言えば、マーラーを嫌う)聴き手の押し付けである場合が多いようだ。或はまた、マーラーに多弁を認めてなお、ジャンケレヴィッチが『死』で参照している『大地の歌』における、あるいは交響曲でなくても良ければ、特にリュッケルトの詩による歌曲集における別の(つまり持続の次元ではなく、器楽法の上での)節約、更には感情の露出癖という点に関して言えば、例えば第9交響曲にシェーンベルクが見出す「非人称性」はどのように扱われるのか?マーラーの音楽に無節操を見出すのは、そこに存在する(多分、別種の)論理を、形式を、別の種類の禁欲を、節約を見てとれないだけということはないのか。直ぐ後でジャンケレヴィッチ自身、量に対する質の「独立」について述べているが、もしそれが本当に「独立」しているなら、膨大さが即、質の低下を意味することもまた、ない筈なのだ。あるいは「過度」の弁証法的破滅そのものが方法論であり、ある部分(全てでは勿論ない)では(ジャンケレヴィッチにとって大事なものであるらしい)意味やら効果やらの希薄化すら厭わないような姿勢が、彼お好みの「イロニーの精神」に基いたものだという可能性についてはどうなのか?何なら、ジャンケレヴィッチ自身の叙述、とりわけ『死』のような著作の膨大さ、更には、これはどの著作を開いても等しく読み取れる多弁について、そっくりジャンケレヴィッチにお返ししても良いだろう。音楽とはまた別なのだ、とでも言うのだろうか。緩徐を、黙説を語るこの饒舌ぶりは一体どうしたことか…
嗜好を語るのは構わない。だが、そうであるならばあくまでも嗜好であるとして語るべきであり、あたかも客観的な評価であるかの如く装った趣味の押し売りはすべきではない。自分にはそうは聴こえない、というのを、言説の力で、さも客観的な判断の如く語るべきではない。それは、あろうことか、ユダヤ人マーラーに対してナチスの時代になされた誹謗中傷と区別がつかなくなってしまいかねない。疎遠なものに対する感受の器官の解像度は低くなりがちなのだ。勿論、ジャンケレヴィッチを権威として虎の威を借るが如く、自分の嗜好の押し付けをして憚らない、百年一日の如き、「トランク哲学」ならぬ「トランク美学」の「権威」の主張の責任をジャンケレヴィッチに帰するのは正当なこととは言えないだろうが。
だが、それにしてももう一度、ジャンケレヴィッチが第8交響曲の第2部、マーラーを評価する側において、寧ろ毀誉褒貶相半ばする楽章に、最も「ドイツ的」な性格すら見出されかねない音楽に、「いくつかのすばらしい瞬間」を見出しているという発言には興味深いものがある。実のところ、研究の出発点でシェリングを取り上げ、だから『夜の音楽』において、あるいは『イロニーの精神』において、結局のところ登ったら捨てる梯子のような扱いであるにせよ、皮相とは言えない仕方でドイツ・ロマン派に対する言及をしているジャンケレヴィッチは、ショパンの引き立て役ばかりをさせられるシューマン以上に、マーラーの音楽の寄る辺なさを、「なんだかわからないもの」、「ほとんど無」の思想から語れた筈なのに、という感じをどうしても抱いてしまう。『死』の中で通りすがりのように言及される『大地の歌』は、その出発点になりえた筈なのではなかろうか。だがそれは彼の嗜好の「外部」に場を持つものであり、だから、彼ではない他の誰かが引き継ぐべきなのだろう。アドルノのモノグラフもまた、半世紀の時を経て、書換えを待っているように思われるが、ジャンケレヴィッチの方もまた、ドイツ的なものに対する拒絶反応を、よりによって迫害された側にぶつけてしまうようなことなく、語りなおす必要があるのではなかろうか。(2018.7.15初稿, 7.17補筆)
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