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「アマチュアオーケストラ演奏頻度」ページに2024年分を追加し、更新・公開しました。(2024.12.30)

2024年12月30日月曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (4) (2024.12.30 更新)

 だが、そうした社会的構造に根差した生成と推移のリズムが刻む単純な生死の対立の平面とは更に別の軸が存在することが、主として細胞老化のメカニズムに関する研究により明らかにされてきた。そこから出発して、成長ではない、癌のような分裂の暴走というのを時間的なプロセスとして考えることができるだろうか?エントロピーの概念?ここでは成長との二項対立は問題にならない。寧ろ老化は癌化に対する防衛という一面を持つらしいのだ。

 あるいはまた、遺伝子においても、従来は意味をもたないとされた膨大な領域が単に冗長性を確保するといった観点にとどまらず、より積極的な「機能」を担っている可能性が示唆されるようになったし、細胞老化の研究により、老化というのが細胞の複製・増殖の暴走である癌化への防衛反応の一つであるという見方が出されたことを始めとして、生命を維持するメカニズムは当初考えられたような単純なものではなく、非常に複雑で込み入ったものであることが解明されつつある。

 だが、この視点の素朴なバージョンなら、既にボーヴォワールの『老い』にも登場している。ただしそれは「いかなる体感の印象も、老齢による老化現象をわれわれに明確に知らせはしない」(邦訳同書下巻, p.334)ことの理由としてではあるが。曰く

「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる。それは一つの生物学的均衡であり、適応が円滑に行われる場合は、老いゆく人間はそれに気づかない。無意識的調整操作によって、精神運動中枢の衰えが長いあいだ糊塗される可能性があるのだ。」(邦訳同書下巻, p.334)

だが、これは文脈上仕方ないことではあるけれど、事態の反面をしか捉えていない。つまり糊塗されている裏側で起きていることに対する観点が抜けていて、実はそちらこそ「老い」にとっては本質的な筈なのである。それを今日のシステム論的な議論に置き直せば、以下のようになるだろうか。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

  「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では、

「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

* * *

 であるとするならば、要するに求められているのは、藤原辰史が『分解の哲学』において遂行したように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 『分解の哲学』第5章でも指摘されていることだが、分解者という捉え方は、そういう捉え方をすることで色々なものが見えてくる点で極めて生産的ではあるが、厳密に定義しようとすると、どこかで輪郭がぼやけてしまって、必ずしも安定的な概念ではない。それでも敢えて私なりの立ち位置から定位しようとすると、第一義的にはそれは(ジャンケレヴィッチではないが)「死の向こう側」ということになるように思う。「死」自体も、近年、研究と医療等の現場との両方の水準で、その定義が問題になっているように決して自明なものではないのだろうが、その点は一先ず措いて、それでも「死」は誰にとっても明らかな障壁であり、それがゆえにその向こう側、「死」の後で起きることについてはなかなか思いが及ばないところを「分解」の視点は探り当てているのだと思う。

 同じく第5章には生態学に経済学的な概念が密輸されているという指摘があり、これは首肯できる。私が子供の頃に「オダム生態学」を読み、生態学の研究者になることを思い描きつつも、結局生態学ではなく哲学に向かった理由とも関わるのだが、「生産」と「消費」という切り口では見えないものに拘りたく、「分解」という視点がそれを開示していることを心強く感じる一方で、分解が生態系のシステムの中で新たな「生産」に繋がっていく循環の重要な側面であるという捉え方は(そこにある違いを無視すべきではないとはいえ)、ヨハネ伝の「一粒の麦」がそうであるような、「死」が新たな「生」に繋がるという考え方、或いは個体の死は種としての存続のいわば「応酬」であるという捉え方と同じく、それ自体は全く妥当でありながら、結局のところ、そこで「きえさる」もの、「死の手前」にあった「個」を別の水準に回収するということに通じているように感じるのである。

 勿論それは目を背けたくなったとてなくなるわけではない厳然たる事実であり、だからこそ「メメント・モリ」であり、『分解の哲学』でも「九相図」への言及が為されているのだろう。その一方で「分解」は「生」のプロセスの最中にも埋め込まれているという捉え方も可能で、例えば『分解の哲学』でも参照されている昆虫の変態はそのモデルの一つ(まさにスクラップ・アンド・ビルド)なのだと思うが、他方でこれは(そこの記述がそうなっているように)「死」もまた「生」の中に埋まっていう見方に通じ、プロセス時間論などでの「自己超越=死」と「生成」がリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握にも通じるように思うし、生物学的な水準では、個々の細胞は死んで新しいものに置き換わることで個体レベルの生が成り立っているという見方(岩崎秀雄先生の指摘される、種/個体のレベルでの生/死の対立の一つ下の階層で、個体/細胞のレベルで生/死が対立しているという、生と死を巡っての階層的・再帰的な構造を思い浮かべるべきだろう)に通じると思う。

 そうしたことを考えながら、ふと感じたことは、「分解」を「生」の最中ではなく、文字通り「死の手前」に置いてみることができないのか、ということであった。これは物凄く卑近なレベルに単純化してしまえば「老い」「老化」を「分解の哲学」の中で扱うことができないだろうかということである。

 『分解の哲学』でも取り上げられているチャペックは若くして逝去したからか、「老い」を扱っていないように思われる。例えば『マクロプーロスの処方箋』では、現在なら特異点論者のトピックである「不死」を扱っているが、そこでは「永遠の生」への懐疑はあっても「老い」は正面から扱われていないように感じる。寧ろ「不死」は「不老」でもあって、これは特異点論者の論点でもあるし、それが依拠している今日の「不死化」の研究のアプローチでもあって「老いを防ぐこと=死なないこと」となっているように見える。他方、上述の「個」というものにフォーカスするならば、「死」の手前には、事実上「生」の一部として、「自伝的自己」の崩壊・分解としての認知症があり、これは喫緊の社会問題でもあり、個人にとっても多くの場合、他人事ではなく最初は二人称的・三人称的に、最後には、もしかしたら一人称的にも直面せざるを得ない身近な問題でもあろう。それ故に「老い」には直結しない「分解」として、外傷的な損傷や精神疾患もあるが、それらよりも「死の手前」に存在する「分解」として「老い」を取り上げる方が一層興味深く思われるのであろうか。

 もう一つだけ付言するならば、「老い」としての「分解」には、再生とか復活に繋がる側面はなく、経済学的な循環からは零れ落ちてしまうもの、回収困難なものではないかというようにも思う。そしてだからこそ現実の社会の問題として解決し難い難問なのだろうか、というようにも思う。もう一度読み返してから言うべきだろうが、記憶する限り、『人新世の「資本論」』でも「老い」が主題的には扱われていた記憶はない。

 そもそも「持続可能性」にとって「老い」はどのように位置づけられるのか?アルタナティヴとして提示されているであろう『人新世の「資本論」』の「脱成長」において、「老い」という側面は(存在するであろう幾つかの水準のそれぞれにおいて)どのような意味を持つのだろうか?といったような疑問も湧いてきて、些か短絡的ながら、「老い」について論じない「脱成長」の議論は、何か本質的なところで底が抜けているということはないのか?というようなことさえ思う。

 一方、それを思えば、対立する資本主義の上に成り立っている特異点論者の「老い」に対する立場は明快であり、主張の是非を措けば、寧ろそれを正面から取り上げているとさえ言えるかも知れない。だからといって技術特異点論者の言うことに共感できるかどうかは、また別の問題であろう。例えばアンチエイジングを「ピンピンコロリ」の達成と言い換える如き風潮が見られるが、実際に介護に一人称的・二人称的に関わっている身にとって「ピンピンコロリ」そのものが本人にとっても周囲にとっても有難いということは認めたとて、それが一人の人間にとっての生きる意味などとは無縁の水準でしか発想されていないように感じられてしまうし、老化をコントロールすることが「ピンピンコロリ」を実現するために「も」有効であることを仮に認めたとしても、それがどうして健康寿命を限界まで引き延ばす話になるのか、若返りのテクノロジーの話になるのか、果ては(でもそれこそが本当の目標なのだろうが)寿命さえも乗り越えるという話に繋がるのがは杳として知れない。

 だが、アンチエイジングという言葉の濫用や、それに類する情況はボーヴォワールの時代にも既にあった、否、「二分心崩壊」以降、常にそういう志向を人間は持っているのかも知れなくとも、そして仮に医学的・工学的技術としての「アンチエイジング」が、現在既に巷間に流布し、まるで「老い」が「悪」であり、絶滅すべき対象であるというドクサとは独立のものであったとしても、そうしたドクサに乗っかろうとしているのであれば、それを許容することは私にはできない。

 結局のところ私は、マーラーの後期作品にはっきりと読み取ることができるとかつても思思ったし、今でもその点については同様に思っている、「現象から身を退く」ことで「老年」のみが達成できる認識、境地というものに子供の頃から憧れてきていて、たとえ自分にそうした境地が無縁のものであったとしても、その価値を信じ続けたいし、今更手放す気もないのだと思う。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿, 12.30更新)

2024年12月19日木曜日

備忘:マーラーの作品を分析するとはどういうことか?(2024.12.19 更新)

 これまで様々な角度から、様々な手法でマーラーの作品について分析を試みてきたが、そもそも自分が何を目指して、何をしているのかについて、改めて整理をしてみることにする。予め先回りしてお断りしておくならば、それは既に実際に達成できる水準を以て測ろうというのではなく、あくまでも、実際の達成がその目標からは程遠く、千里の道程の最初の一歩に過ぎないとしても、到達すべき目標は何かを再確認することが目的である。

 分析をするきっかけをシンプルに言えば、それは対象に強く惹き付けられたからで、この場合の対象はマーラーが作曲した具体的なあれこれの作品という人工物である。端的な言い方をすれば、自分が魅了されたのは、その作品の持つどういう特徴によるのか、そして翻って、このような作品を創り出した人間とはどのような人間なのか、どのようなやり方でこのような作品を生み出したのかを知りたいと思ったというのが出発点となるだろう。

 ところで作品とは一体何だろう。それを考える上で、マーラーに関連する脈絡で2つの参照先が思い浮かぶ。一つは「作品」は「抜け殻」に過ぎないというマーラー自身の言葉。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡で「作品」についてマーラーはこう語る。
…われわれが後世に残すものは、それがなんであれ、外皮、形骸にすぎない。『マイスタージンガー』、『第九交響曲』、『ファウスト』、これらはすべて脱ぎ捨てられた殻なのだ!根本的にはわれわれの肉体以上のものではない!もちろんそうした芸術的創造が不用な行為だというわけではない。それは人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないものだ。とくにこの歓喜こそは、健康と創造力の証(あかし)なのだ。…
(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.356, 白水社版酒田健一訳p.398)  

 「抜け殻」とは言っても、「不用な行為」ではないのは、それが「人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないもの」だから、という。マーラーが創造した作品の聴き手、受け取り手である私はつい、それを受け手の問題であると決めつけてしまうが、それが「健康と創造力の証(あかし)」であるとするならば、その歓喜は、第一義的には作り手であるマーラーその人の「創る喜び」とする方が寧ろ妥当なのかも知れない。勿論、聴き手は単にそれを受動的に受け取るだけではなく、それに触発されることで成長し、喜びを感じる…というように考えることもできるだろう。

 その一方で「抜け殻」であるというからには、それはそれを作り出した人間そのものではないにせよ、その「痕跡」であるという見方も導かれうるだろう。そこで思う浮かぶもう一つの参照先は、シュトックハウゼンが、アンリ・ルイ・ド・ラグランジュのマーラー伝に寄せた文章の以下のような件である。

もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはゆかないだろう。もっと幅のせまい音楽ならば――あらゆる情緒的世界において――どこででも聴くことができるだろう。たとえば雅楽、バリ島の音楽、グレゴリオ聖歌、バッハ、モーツァルト、ヴェーベルンの音楽などがそうである。こうした音楽は、《より純粋》で晴朗だといえるかもしれない。しかし地球人の特質、その情熱の――もっとも天使的なものから、もっとも獣的なものにいたるまでの――全スペクトル、地球人をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの――そうしたすべてを知ろうと思うなら、マーラーの音楽にまさる豊かな情報源はないだろう。

 この書物は、異常なまでに多くの人間的特徴をただ一個の人格のなかで統合し、そしてそれらを音楽という永遠の媒体のなかへ移植することのできたひとりの人間の生涯と音楽についての証言である。その音楽は、人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとするまえの、古い、全的な、《一個体としての》人間による最後の音楽である。マーラーの音楽は、おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっているすべての人びとにとってひとつの道標となるだろう。

(Karlheinz Stockhausen, Mahlers Biographie, ≪Musik und Bildung≫ Heft XI, Schott, 1973, 酒田健一編『マーラー頌』所収, 酒田健一訳, pp.391-2)

マーラー自身の言葉を敷衍するならば、シュトックハウゼンは、マーラーの音楽のことを「古い、全的な、《一個体としての》人間」の「抜け殻」であり、それは「ある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査」するために恰好の情報源であると言っている。更に言えば、「ある別の星に住む高等生物」ではないにしても、「人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとする」後の時代に生き、「おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっている」に違いないこの「私」にすれば、それが少なくとも、その作品を創り出した「人間」に関する情報源であり、自分自身にとっての「道標」であるということになるだろう。シュトックハウゼンが参照する他の様々な音楽との比較の妥当性、是非についてはもしかしたら異議があるにしても――ここで思い浮かぶのは、ド・ラグランジュのマーラー伝刊行後しばらくしてからの1977年に打ち上げられたボイジャー計画の探査機に収められた「ゴールデンレコード」のことで、そこにはガムランやバッハは含まれても、マーラーが取り上げられることはなかったことは書き留めておくべきだろう――、とりわけ、それが人間を「この大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの」についての情報源であるという点については躊躇なく同意したいように感じている。

 ただし、そうした人間の限界というのは人間固有のものであって、それが「ある別の星に住む高等生物」に共有されることは些かも自明なこととは言えまい。(技術的特異点(シンギュラリティ)が絵空事とは言えなくなった今日なら宇宙人の替わりに人工知能を持ってきても良いだろうが、人工知能を道具として、(かつて)「人間」(であったもの)が分析をすることはあっても、人工知能が「主体」の分析というのは、少なくとも現時点では、未だ空想の世界の話に過ぎないだろう。)他方において、シュトックハウゼンの言葉には、自分が帰属する社会の文化的遺物であるマーラーの音楽が、それ以外の社会の「人間」をも代表しうるという暗黙の了解が存在するように思われるが、実際にはそれすら凡そ自明のこととは言えないだろう。とはいえ、一世紀の時間の隔たりと、地球半周分の地理的な隔たりを通り抜けて、マーラーが遺した「抜け殻」は、極東の島の岸辺に辿り着き、そこに住む子供が或る時、ふとそれに気づいて拾い上げ、壜を開けて中に入ったメッセージに耳を傾けた結果、それに強く惹き付けられるということが起きたこともまた事実である。そこに数多の自己中心的な思い込みや誤解が介在していたとしても、その子供はそこに、自分をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか許そうとしない、同型のものを見出し、共感し、そこに自らが歩むための「道標」を見出したことは、少なくとも主観的には間違いない事実なのである。或る時マーラーは「音楽」について以下のようにナターリエ・バウアー=レヒナーに語ったようだが、それがこの私の寸法に合わせて如何に矮小化されたものであったとしても、創り手が語った通りのものを、私もまたその音楽に見出したのである。

「音楽は、常にある憧憬を含んでいなくてはならない。それは、この世界の事物を越え出ようとする憧れだ。すでに子供の頃から、音楽は僕にとって何か謎のような、僕を高みに連れていってくれるようなものだった。でも僕は当時、想像力によって、音楽の中になどまったくないような無意味なものまで、そこに押し込んだのだ。」(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録(1984年版原書p.138, 1923年版原書p.119, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, pp.301-2)

 そして彼がそこに見出したのは、単なる耳の娯楽、美しく快い音響の系列ではない。これまたシュトックハウゼンが指摘している通り、その音楽は極めて幅の広いスペクトルを有しており、時として醜さや耳障りな音すら敢えて避けることはなく、寧ろそれは作品を創り出した人間が認識した「世界」の複雑さ、多様性の反映なのである。更に言えばそれは、標題音楽、描写音楽の類ではなく、寧ろ、(ネルソン・グッドマン的な意味合いで)「世界制作」の方法であり、その音楽をふとした偶然で耳にして魅惑された子供は、その音楽を通じて、「世界」の認識の方法を学んだというべきなのだろう。第3交響曲作曲当時のマーラーの以下の言葉はあまりに有名だが、それは肥大した自己に溺れたロマン主義的芸術家の誇大妄想などではなく、文字通りに理解されるべきなのだ。

僕にとって交響曲とは、まさしく、使える技術すべてを手段として、ひとつの世界を築き上げることを意味している。常に新しく、変転する内容は、その形式を自ら決定する。この意味から、僕は、自分の表現手段をいつでも絶えず新たに作り出すことができなくてはならない。僕は今、自分が技法を完全に使いこなしている、と主張できると思うのだけれども、それでも事情は変わらない。(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:アッター湖畔シュタインバッハ1895年夏の章(原書p.19, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, p.62)

 それは彼が認識した世界の構造を反映していると同時に、彼の認識の様態をも反映している。第3交響曲に後付けされた挙句、最後には放棄された素朴な標題が告げているように、作曲者はそこでは寧ろ世界「が語ること」に耳を傾け、自らが楽器となって世界が語ることを証言する、いわば霊媒=媒体の役割を果たすことになる。同じ時期にアンナ・フォン・ミルデンブルク宛の書簡に記した以下のマーラーの言葉は、そのことを雄弁すぎる程までに証言している。

 さていま考えてもらいたいが、そのなかではじっさい全世界を映し出すような大作なのだよ、――人は、言ってみれば、宇宙を奏でる楽器なのだ、(…)このような瞬間には僕ももはや僕のものではないのだ。(…)森羅万象がその中で声を得て、深い秘密を語るが、これは夢の中でしか予感できないようなものなのだ!君だから言うが、自分自身が空恐ろしくなってくるようなところがいくつかあって、まるでそれはまったく自分で作ったものではないような想いがする。――すべては僕が目論んだままにもうすっかり出来上がっているのを僕は受け取るばかりだったのだから。」
(1896年6月18日付アンナ・フォン・ミルデンブルク宛書簡に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書153番, pp.162-3。1979年版のマルトナーによる英語版では174番, p.190, 1996年版書簡集に基づく邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では180番(1896年6月28日付と推定), pp.173-4)

 それでは一体、そうした作品を分析するとき、私は何をそこに見出そうとしているのか?なぜ演奏を聴くだけで事足れりとはせず、楽譜を調べ、楽曲分析を参照し、或いは自作のプログラムを用意して、MIDIデータを用いたデータ分析を行うのか?

 対比のために、耳に心地よい音響の系列の分析を考えてみると、この場合の分析の目的とは、なぜそれが耳に快いのかを突きとめることになるだろうか。西欧の音楽であればバロック期の作品や古典期の作品の多くは(勿論、モーツェルトの晩年の作品のような、私にとっては例外と感じられる作品はあるけれども)、そうした捉え方の延長線上で考えることができるだろう。或いはまた蓄積された修辞法に(クラングレーデ)基づく風景や物語の描写、或いは劇的なプロットの音楽化から始まって、ロマン派以降の作品のように、情緒的な心の動きや繊細な気分の移ろいや感覚の揺らめき、雰囲気の描写を行うような音楽もあり、そうした音楽にはその特質に応じてそれぞれ固有の分析の仕方があるだろう。では上記のようにシュトックハウゼンが規定し、創り手たるマーラーその人が語るようなタイプの作品についてはどうだろうか?

 端的な言い方をすれば、所詮は音響の系列に過ぎないものが、どうしてそれを創り出し、或いは演奏し、聴取する「人間」についての情報源たりえるのか?どうしてそれが「一つの世界」の写し絵たりうるのか?「世界」の認識の仕方の反映たりうるのか?ということになるだろうか。それは(勿論、一部はそうしたものを利用することはあっても)特定の修辞法に基づく描写ではないし、主観的な情緒や印象の音楽化に終始することもない。そうした事情を以て、人はしばしばマーラーの音楽を「哲学的」と呼んだりもするが、それが漠然とした雰囲気を示すだけの形容、単なる修辞の類でなく、少しでも実質を伴ったものであるとしたならば、一体、単なる音響の系列が、どのような特徴を備えていれば「哲学的」たりうるのか?

 上記の問いは修辞的、反語的なものではない。つまり実際には「哲学的」な音楽など形容矛盾であり、端的に不可能であって、「哲学的」な何かは音楽に外部から押し付けられたものであると考えている訳ではない。それどころか、私がマーラーの音楽に魅了された子供の頃以来、その音楽には「哲学的」と形容するのが必ずしも不当とは言えないような何かが備わっていると感じて来たし、今なおその感じは変わることなく続いているのである。そしてそれを「哲学的」と形容すること是非はおいて、マーラーの音楽には、それを生み出した「人間」の心の構造を反映した、或る種の構造が備わっているのではないかと考え、そうした構造を備えている音楽を「意識の音楽」と名付けて、その具体的な実質について少しでも理解しようと努めてきたのであった。勿論、マーラーの音楽だけが「意識の音楽」ではないだろうし、マーラーの音楽の全てが同じ程度にそうであるという訳でもなかろうが、私がマーラーの音楽に惹き付けられた理由が、それがそうした構造を備えているからなのではないかという予想を抱き続けてきたのである。

*   *   *

 「意識の音楽」については、既に別のところで何度か素描を試みて来たし、その後大きな認識の進展があった訳ではないので、ここで繰り返すことはしない。その替りにここでは、従来、音楽楽的な分析や、哲学的な分析によって示されてきた知見の中で、「意識の音楽」について、謂わば「トップダウン」に語っていると思われるものを指摘するとともに、MIDIデータを用いた分析のような、謂わば「ボトムアップ」なアプローチとの間に架橋が可能であるとしたら、どのような方向性が考えられるかについて、未だ直観的な仕方でしかないが言及してみたいと思う。

 まず手始めとして取り上げたいのが、マーラーの作品の幾つか、或いはその中の或る部分が備えているということについては恐らく幅広く認められていると思われる、「イロニー」あるいは「パロディー」といった側面についてである。

 私がマーラーに出会って最初に接した評伝の一つ、マイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー その生涯と作品』(中河原理訳, 芸術現代社, 1978)では、第2交響曲の第3楽章スケルツォに関連して、以下のように、純粋な器楽によるイロニーの表現の可能性についての懐疑が述べられていて、その後永らく自分の中に問題として沈殿続けていた。

「これは、人間のように耳は傾けるけれど態度は変えない魚たちに説教する聖アントニウスを歌った「角笛」歌曲のオーケストラ版である。この歌と詩は皮肉っぽく風刺的だが、しかし純粋な器楽で風刺と皮肉が表現できるものだろうか?耳ざわりな木管のきしみも風刺を伝えない。そういう意味ではこの楽章は失敗だと私は思う。しかし恐怖と幻滅の極めて力強い暗示をもった、まことに独創的なスケルツォとしては成功している(そしてそのことの方が重要なのである)。」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー その生涯と作品』, p.154)

その一方で「パロディー」についてケネディは、第9交響曲第3楽章に関連して以下のように述べている。

「マーラーは、対位法の技法を欠くといって自分を非難した人々への皮肉なパロディーをこめて、この楽章をひそかに「アポロにつかえる私の兄弟たちに」に捧げた。指定は「極めて反抗的に」とあり、実際そう響く。これは短い主題的細胞で組み立てられた耳ざわりで、ぎくしゃくした音楽で、最初の細胞には第5交響曲の第2,第3楽章の音形が反響している。トリオに入ると第3交響曲の第1楽章の行進曲のパロディーがある。こうしてマーラーは自分の諸作品をひとつの巨大な統一に結びつけてゆく。」(同書, pp.221-2) 

 第2交響曲第3楽章は歌曲と異なって、歌詞がある訳ではないので、器楽曲であるそれ自体はイロニーの表現にはならないと述べ、第9交響曲第3楽章についても、言葉による指示(最終的な総譜に残された訳ではないが)について皮肉を認めている一方で、器楽曲作品の主題的音形の引用によるパロディーは認めるというのがケネディの姿勢のようだ。風刺や皮肉は認めていなくても、第2交響曲第3楽章には恐怖と幻滅の極めて力強い暗示を認め、第9交響曲第3楽章についても、耳ざわりでぎくしゃくしているという性質は認めているので、皮肉は言語的なもので音楽だけでは成り立たない一方、音楽がそれ自体で或る種の気分、情態性を示すことができる(ネルソン・グッドマン的には「例示」examplifyということになろうか)と考えているようなのである。

 ここで思い浮かぶのはアドルノが『マーラー 音楽観相学』(龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)で、マーラーの音楽の唯名論的性格について述べている中で、以下のように述べている箇所である。

彼がしばしば、主題それ自体からはどちらとも判断を許さないままに、「まったくパロディー抜きで演奏」、あるいは「パロディーで」というように指示したということは、それらの主題が言葉によって高く飛翔する緊張を示している。音楽が何かを語りたいというのではないが、作曲家は人が語るかのような音楽を作りたいのだ。哲学的用語との類比で語るならば、この態度は唯名論的と言えるだろう。音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.83)

 引用の最初の部分だけとれば、音楽的には同一のものが、言葉の指示によってパロディーであったりなかったりするということだから、その限りでは、音楽そのものは同一でも、それをどう名付けるかが問題だという意味で「唯名論的」という言葉を使っているように見えるが、後続の件や、別の箇所で「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝統の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている。」(p.56)と述べていたり、「形式のカテゴリーをその意味から演繹する」「実質的形式論 materiale Formenlehre」(一般には素材的形式論とも)について述べるくだり(p.61)などを考え合わせると、寧ろ、個別の作品毎に各部分が担う機能に基づいて、いわばボトムアップに形式が規定されるといった側面が強調されているようにも見え、この水準は、音楽とそのメタレベルに位置する言語との関係ではなく、一般の抽象的形式カテゴリーと実質的カテゴリーとの関係が問題になっているのであって、実質的なものは抽象的カテゴリーと並行しているか、さもなくば下位に位置するものとされているのである。もし後者の立場に立つならば、ある主題がパロディーか否かというのは、音楽そのものによっては決定不可能であり、作曲者がそれにどのような指示を言葉によって与えるかで決まるという訳では必ずしもなく、寧ろ、個別の作品の音楽の脈絡に応じた、その主題の意味するものによって決まるということになるだろう。アドルノがモノグラフ冒頭で、「マーラーの交響曲の内実を明らかにするためには、作曲法上の問題にのみとらわれて作品そのものをおろそかにしてしまう単なる主題分析のような考察では不十分である」(同書, p.3)と述べているのは、こうした見方に由来しているのである。

 ケネディの言う通り、一般的には「イロニー」は、言語的なものを媒介としており、マーラーの音楽における歌曲と器楽曲の往還を考えれば、マーラーの音楽はそもそも言語的なものの侵入を受けており、それを抜きにして内実を捉えることはできないという見方ができる一方で、アドルノが指摘するような音楽内部における形式的カテゴリーと実質的カテゴリーの重層性を認めるならば、音楽そのものに内在するこうした複数の層の存在とその重なり合いがマーラーの音楽の重要な特徴の一つであると考えることができるように思われる。この点に関連してアドルノが

「マーラーの音楽は、あらゆる幻影に敵意を抱きつつ、芸術それ自体がそのようなものと成り始めた非真理から自らを癒やすために、かえって自身の、本来のものではない性格を強調し、虚構性を力説する。このようにして形式の力の場の中に、マーラーにおけるイロニーとして知覚されるものが生じている。(…)新しく作られたものの中にある既知のものの残像は、彼の場合には、どんな愚鈍な者の耳にも聞こえてくる。」(同書, p.42)

と述べていることを書き留めておきたい。そしてアドルノが言うように「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝来の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている」(同書, p.56)のであれば、特に実質的カテゴリーについては、音楽が謂わば庇を借りている伝統的な楽式よりも寧ろ、個別の作品の具体的な経過を追跡することによって明らかになる各部分の機能に基づいて同定されるものであるということになりそうである。ここに伝統を蓄積のある音楽学的な楽曲分析とは別に、MIDIデータを用いた分析を行うことによって、直ちにという訳には行かなくとも、将来的にはマーラーの音楽の内実を解明することに寄与する可能性を見ることができるのではないかと考える。

 「パロディー」についても、引用の元となる文脈と、引用された文脈との間のずれが持つ意味によって決定されるということになる。上に引いた第9交響曲第3楽章の例の場合、元となる第5交響曲第2楽章なり第3交響曲第1楽章なりの部分と比較した時、それを引用したロンド・ブルレスケにおいて疑いなく感じ取れる、ケネディ言うところの「耳ざわりで、ぎくしゃくした」感じは、主題的細胞の和声づけや楽器法に加えられた変形によってもたらされる部分が多く、これは広い意味合いにおいては、アドルノの言う「ヴァリアンテ(変形)」(Variante)の技法によるものと考えることができるだろう。「小説と同様に、定式から解放された個々のものが、いかにして形式へと自らを造り上げ、自律的な連関をわがものとするか、ということが、マーラーに特有の技術上の問題となる。」(同書, p.110)のに対して、「マーラーのヴァリアンテは、常にまったく異なると同時に同じであるような叙事詩的・小説的なモメントに対する技術上の定式化である。」(同書, p.114)と「ヴァリアンテ(変形)」は位置づけられている。続けて例として取り上げられるのは「歩哨の夜の歌」における和声進行における変容なのだが、してみれば、いずれはヴァリアンテの分析に繋がるものとして、さしあたりは予備的なレベルのものであれ、和音の遷移の系列に分析することには一定の意義があるのではないかと考えたい。そして「ヴァリアンテ(変形)」の手法がソナタ形式や変奏曲形式という伝統的図式に反して、その音楽の内実に即した実質的な形式原理にまで徹底された例として挙げることができるのが、第9交響曲の第1楽章である。

「様々な技術的処理方法は、内実に合致したものとなっている。図式的な形式との葛藤は、図式に反する方向へと決せられた。ソナタの概念と同様、変奏という概念も、この作品には適当ではない。しかし、交代して現われる短調の主題は、長調の領域とのその対比は楽章全体を通じて放棄されていないのだが、その短いフレーズが第一主題とリズム的に類似していることにより、音程の違いにもかかわらず第一主題の変奏であるかのように作用する。そのこともまた非図式的である。すなわち、対照的な主題を先に出た主題から別物として構造的に際立たせるのではなく、両者の構造を互いに近寄らせ、対照性を調的性格の対比の面だけに移行させるのである。両方の主題において、ヴァリアンテの徹底化された原則に従い、音程は全く固定化されず、その書法と端に位置する一定の音だけが定まっている。両者に対して類似性と対照性とは小さいな細胞から導き出され、主題の全体性へと譲り渡される。」(同書, pp.200-201)

 ここで述べられているヴァリアンテの具体的様相をMIDIデータを分析することによって抽出することは極めて興味深い課題だが、人間が聴取する場合には難なくできることをプログラムによって機械的に実行しようとすると、たちまちあまたの技術的な困難に逢着することになる。バスの進行や和声的な進行が固定化されている変奏と異なり、ゲシュタルトとしての同一性を保ちつつ、だが絶えざる変容に伴われた音楽的経過を、マーラーが意図したように、或いは聴き手が読み取るように分析することは決して容易ではないが、ニューラルネットをベースとした人工知能技術が進展した今日であれば、これは恰好の課題と言えるかも知れない。同様に、技術的には「ヴァリアンテ(変形)」の技法に関連した時間的な構造として「(…)主要主題の構造もまた、未来完了形の中にある。それは目立たない、レシタティーヴォ風の個性のないはじめの出だしから、力強い頂点にまで導かれる。つまりその主題は自身の結果として成り立つ主題なのであり、回顧的に聞くことによってはじめて完全に明らかなものとなる。」(同書, p.203)と、これもまた第9交響曲第1楽章に関連してアドルノが指摘する「未来完了性」を挙げることができるだろう。事後的に回顧することによって了解される目的論的な時間の流れというのは、現象学的時間論の枠組みにおいては、少なくとも第二次的な把持によって可能となる。第1楽章の総体、更にはこれも因襲的な交響曲の楽章構成に必ずしも従わない全4楽章よりなる第9交響曲全体の構造――それは「小説」にも「叙事詩」にも類比されるのだが――は、更に第三次の把持の水準の時間意識の構造を前提としなくては不可能であろう。

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 ここまで、マーラーの音楽の内実を明らかにするためのアプローチとして、言語を媒介とした高度な反省的意識の働きである「イロニー」「パロディー」を手がかりに、マーラー研究の文脈に添うかたちで、アドルノの言う伝統的な抽象的な形式カテゴリーと実質的カテゴリーの重層、更に音楽的経過に含まれる個々の要素の、いわば自己組織化的な形式化の具体的方法としての「ヴァリアンテ(変形)」の技法、それが可能にする時間論的構造としての未来完了性を取り上げてきた。ここで留意すべきと思われる点は、未来完了性のような時間的構造にせよ、アドルノが「小説」や「叙事詩」に類比するような構造にせよ、マーラーの音楽の特質と考えられるものは、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の反映と見做すことができるということであり、総じてマーラーの音楽は、そうした意識が感受し、経験する時間の流れのシミュレータと捉えることができるのではないかということである。そしてそうした観点に立った時に、高度な反省的意識の働きの反映と見做すことができる側面として、更に幾つかの点を挙げることができるだろう。ここではその中で、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の成立の、実は前提条件を為している、「他者」の働きに関わる特性として、調的二元論に基づく対話的構造、これも伝統的な規範からは逸脱する傾向を持つ対位法による複数の声の交錯、更にはシェーンベルクがマーラーを追悼したプラハ講演において以下のように指摘する「客観性」について目くばせするに留めたい。

 そこ(=第9交響曲:引用者注)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。

(シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

 と同時に、ここでは「動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間」にしか可能でないと指摘される「客観性」が、一方では既に触れた第3交響曲の創作についてマーラー自らが語ったとされる言葉に含まれる「…が語ることを」書き留めるという受動性に淵源を持ち、他方では「小説」的、「叙事詩的」な語りを可能にするような意識の構造に由来し、ひいてはモノグラフ末尾で「マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることにによって主観的なものとなる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.214)とアドルノが指摘する点に繋がるであろうこと、マーラーの音楽の内実を明らかにしようとする企ては、「作品のイデーそのものではなく、その題材にほかならない」「芸術作品によって扱われ、表現され、意図的に意味されたイデー」(同書, p.3)にしか行きつかない標題の領域をうろつくことなく、こうした構造の連関を浮かび上がらせるものでなくてはならないということを主張しておきたい。

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 上記のような点を仮に大筋認めた上で、だがしかし、具体的に為されたデータ分析の結果が、一体どのようにして上記のような問題系に繋がり、それを説明したり論証したりすることに関わるのか?という疑問は全くもって正当であり、率直に告白するならば、その具体的な道筋が朧げにでも予感できているといったレベルにすら程遠いというのが偽らざる現状であることは認めざるを得ない。

 そのことの困難さを端的に述べるために、問題を非常に簡単なかたちにして示してみよう。MIDIデータを用いたデータ分析について言えば、MIDIデータに含まれる音の系列に基づいて、そうした音の系列を産み出すためにはどのようなシステムが必要か、どのような規則(群)が、どのような構造が必要かという問題を解いていることになるが、それは例えば制御理論における逆問題の一種で、実現問題と呼ばれるような問題設定、系の挙動から、系の内部構造としての状態空間表現を求める問題に似たものとして捉えることができるだろう。つまり、マーラーの作曲した作品を生成するようなオートマトン、「マーラー・オートマトン」を設計する問題として捉えてみるのである。これに似た問題設定として、マーラーの作品の音の系列を与えて、似たような音の系列を生成するニューラルネットワークを学習させる機械学習の問題を考えてみるというのもある。後者についてはGoogle Magentaのようなツールを、Colaboratoryのような環境で動かすことによって比較的容易にやってみることが可能で、本ブログでも特に第3交響曲第6楽章を用いた実験を実施し、その結果を公開したことがあるが、話を単一作品(楽章)に限れば、更に試行錯誤を重ねればある程度の模倣はできそうな見通しは持てても、多様で複雑なマーラーの作品を模倣した音の系列を生成する機械を実現すること自体、容易なことではなさそうである。(これを例えばバロックや古典期の「典型的」な作品の生成と同一視することはできない。それらは寧ろ大量生産・消費される製品に近いものであり、それらと「唯名論的」に、個別の作品毎に、その内容によって実質的な形式が生成していくマーラーの作品との隔たりは小さなものではないと考えられる。同じことの言い替えになるが、機械学習にせよ、統計的な分析にせよ、マーラーの作品は、――冒頭に触れたシュトックハウゼンの指摘が或る意味で妥当であるということでもあるのだが――作品の数の少なさに比べて多様性が大きいし、その特性上、単純にデータの統計的な平均をとるようなアプローチにそぐわない面があるように感じられる。人間の聴き手、分析者は、何某かフィルターリングや変換を行った上で、抽象的な空間でデータ処理を行っているように感じられるのだが、ではどのようなフィルタリングや変換を行い、分析を行う空間をどのように定義すればいいのかについて具体的な手がかりがあるわけではない。)

 そこでいきなり「マーラー・オートマトン」を生成する問題を解くような無謀な企ては控えて、マーラーの作品の構造を分析することに専念したとして、そもそもマーラーの音楽の持つ複雑な構造そのものを、その内実に応じた十分な仕方で記述するという課題に限定してさえ前途遼遠であり、ここでの企てがそれを達成しうるかどうかについて言えば、率直に言って悲観的にならざるを得ないというのが現実である。マーラーの作品が「意識の音楽」であると仮定して、そこにどのような構造があると仮定すれば良いのかすら明らかではない。カオス的な挙動を想定した分析をすれば良いのか?(具体的には例えばリャプノフ指数を求められばいいのか?だが、カオス的な挙動そのものはごく単純な力学系ですら引き起こすことができるものであり、仮にある音楽作品にカオス的な挙動が観察されたとして、それが意味するところは何かは良くわからないが、それでもなおそれがマーラーの作品の何らかの特性に関わる可能性を考えてやってみることになるのだろうか?)、オートポイエーシスやセカンドオーダー・サイバネティクスのようなシステムを仮定して、それらが備えている(例えば自己再帰的な)構造を仮定した分析をすれば良いのか?

 だが恐らく、自己再帰的な構造というだけならば「意識」の関与について必要条件であったとしても、十分条件ではないだろう。つまり自己再帰的な構造は、自己組織化システム一般の備えている特徴であって、それが「意識」の関与の徴候であるわけではないだろう。或いはまた、それは高度な意識を備えた作曲者の「作品」であることを告げていることはあっても(例えばバッハの「フーガの技法」のような主題の拡大・縮小を含んだ高度な対位法的技術を駆使した作品を思い浮かべてみれば良い)、それはここでいう「意識の音楽」の特徴とはまた異なったものであり続けるだろう。寧ろ例えば、文学作品における普通の叙述と「意識の流れ」の手法との対比のようなものとの類比を考えるべきなのだろうか?ある叙述が「意識の流れ」であるというのは、どのようにして判定できるのだろうか?そしてここでは「音楽」が問題になっているのであれば、それは「音楽」に適用することが可能なものなのか?(これはそれ自体マーラーの作品を考える時に興味深い論点だろうが)「意識の流れ」と「夢の作業」に共通するものは何で、両者を区別するものは何か?こうした問いを重ねていくにつれ浮かび上がってくることに否応なく気づかされるのは、結局のところ「意識の音楽」の定義そのものが十分に明確ではないということである。だがその少なからぬ部分は恐らく「意識」そのものに由来するものではなかろうか?その一方で、このように考えることはできないか?すなわち、「意識の流れ」の定着は、それ自体は「意識的」に組み立てられた結果というより、無意識的なものを整序せずにそのまま定着させようとした結果なのだが、そこには高度な意識の介入があって、「無意識的なものを整序せずにそのまま定着させる」という所作自体は、高度にメタ的な「意識の運動」ではないだろうか?そうした操作の結果が音楽的に定着されたものを「意識の音楽」と呼ぶのではなかったか?

 「意識の音楽」の何らかの徴候を、MIDIデータの中に見出そうという試みが、そもそも初めからかなり無謀な企てであることは否定できない。困難は二重のものなのだ。「意識」がどのような構造がどのように作動することで成り立つかがそもそもわかっておらず、十分条件ではなく、良くて必要条件に過ぎない条件として、セカンドオーダーサイバネティクスやオートポイエーシスのような概念が提示されている、という状況がまずあり、更に直接「意識」そのものと相手にするのではなく、「意識」を持った存在が生産した作品を手がかりに、そこに「意識」を備えた生産主体の構造が反映されていることを見出そうとしているわけで、従って、仮説の上に仮説を重ねるこの企て自体、そもそも無理だとして否定されても仕方ない。そんな中で、限られた手段と資源でとにかくデータに基づく定量的な分析を行おうとすれば、「街灯の下で鍵を探す」状況に陥ることは避け難く、一般に「マクナマラの誤謬」と呼ばれる罠に陥ってしまう可能性は極めて高いだろう。けれども、だからといってデータに基づく分析を放棄してはならないし、簡単に測定できないものを重要でないとか、そもそも存在しないと考えているわけでは決してなく、そういう意味では、できることを手あたり次第やる、という弊に陥りはしても、「マクナマラの誤謬」の本体については回避できているというように認識している。

 三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」であれば、それをシュトックハウゼンの宇宙人が解読しようとしたとき、規則によって生成された音の系列そのものだけでは、それが「人間」の産み出したものであるかどうかの判定はできない。自然現象でも同じ系列が生じることは(マーラーの場合とは異なって)あり得るだろう。だけれども、残り2つの相があることで。それは「人間」が産み出したものであり、人間についての情報を与えてくれるものとなっているというように言えるのだと思う。「五芒星」の音の系列そのものからは「人間」は出てこない。でも同じ音の系列をマトリクスとして、あの3つのヴァリアントを産み出すことができるのは「人間」だけなのだと思う。

 翻ってマーラーの場合だって、或る作品の或る箇所だけ取り出せば、それを機械が模倣することは可能だ。だけれども、マーラーの作品の総体ということになると、しかも、既に存在する作品の模倣ではなく、新たにそれを産み出すということになれば、それを産み出す機械は、「人間」と呼ばれるものに限られるということになるのではないか?

 これも前途遼遠な話ではあるが、或る作品単独での特徴ではなく、例えば一連の作品を経時的に眺めた時に見られる変化であれば、それを産み出す「主体」に、所詮は程度の差であれ、もう少し近づくことができるのではないかというような当所もないことを思っている。牽強付会にしか見えないかも知れないが、その「主体」が成長し、老いる存在なのだ、ということが読み取れるならば、それには一定の意義があるのではというように思うのである。人間が成長し、老いていき、その結果「晩年様式」なるものが生じるというのは、「人間」についての水準では既に自明のなのかも知れないが、だからといってデータ分析によって経年的な変化が読み取れることを、初めから答えがわかっていることを跡付けているだけとは思わない。例えばの話、具体的にその変化が、どのような特徴量において現れるかは決して自明なことではないし、データ分析はすべからく、分析者の仮説とか思い込みとかから自由ではあり得ない。完全に中立で客観な分析というのは虚構に過ぎない。

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 最初はマーラーの作品における調的な遷移のプロセスを可視化することを目的として、そのための入力データとしてMIDIファイルを使うことにしたのがきっかけで、その後、特に和音(実際には機能和声学でいうところの和声ではなく、ピッチクラスセットに過ぎない。以下同じ。)の出現頻度を用いてクラスタリングや主成分分析を行い、マーラーの作品に関して、幾つかの知見を得ることができた。その後和音の状態遷移パターンに注目してパターンの多様性の分析やエントロピーの計算を行い、そこでも若干の知見を得た後、直近ではリターンマップの作成をしているが、今後、どのような観点での分析を進めたら良いのかについて明確な見通しが持てているわけではない。本稿はそうした或る種の行き詰まりの中で、何か少しでも手がかりが得られればと考えて始めた振り返りの作業の一環として執筆された。ここまで執筆してきて、特段新たな発見のようなものがあった訳ではないが、従来より蓄積されてきたマーラーの作品固有の特性に関する知見と、MIDIデータを用いたデータ分析のようなボトムアップな分析とのギャップを具体的に確認することが出来ただけでも良しとせねばなるまい。

 ギャップを埋めるにはどうすればいいかについても具体的な道筋を手にしているわけではなく、特に最後に述べた具体的な楽曲の構造そのものに「老い」を見出す作業については、一体どのようなアプローチで楽曲を分析を進めていったら良いかについての見通しすら現時点では立てていないことを認めざるを得ない。だが最後に、漠としたものではあるけれども、朧気に浮かんでいるアプローチの仕方について、簡単に述べておきたい。ポイントはまず、意識が基本的に「感じ」についてのものであり、「感じ」は有機体の「ホメオスタシス」に関わるというソームズやヤーク・パンクセップ、ダマシオの立場に依拠すること、更に「ホメオスタシス」という概念に注目し、ソームズ=フリストンの意識に関する自由エネルギー理論に依拠することに存する。これはマーラーの音楽を「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」として捉えようとしているからには、ごく自然な選択であろう。いきなり作品そのものにアプローチするのではなく、一旦まず意識についての定量化可能な理論を出発点にとり、音楽作品を意識を備えた有機体に対する入力でもあり出力でもあるものとして位置づけることによって、単なる音響の連なりではない音楽に意識の様態がどのように映り込み、また音楽を聴くことで意識がどのような振舞をするのかを定量的に捉えるアプローチをしてみようということである。自由エネルギー理論のような機械論的な説明に依拠することのここでのメリットは明らかで、そうすることによって作品を「マーラー・オートマトン」の出力と見做し、オートマトンの挙動を理解するという発想が単なる比喩ではなく、具体的なモデル化や分析の道具立てが備わったものとなる可能性が開ける。

 現時点で思い描くことのできる見取り図としては、「老い」についてのシステム論的な定義においてはホメオスタシスやエントロピーの観点から「老い」が捉えられていることから、ソームズ=フリストンの「自由エネルギー原理」に基づく「意識」の説明(これもホメオスタシスやエントロピーに深く関わっていることに思い起こされたい)をベースにし、上記のアドルノやReversのカテゴリの記述を意識にとっての「感じ」という観点から捉え直し、更には自由エネルギー原理的に翻訳することによってデータ処理可能な記述に変換し、楽曲の動力学的なプロセスの中にそれらを探っていくという道筋が浮かんではいる。楽曲のプロセスに「老い」や「老いの意識」を見出す以前に、まず「老い」の自由エネルギー理論的説明が必要であり、その上で「老いの意識」についても同様の説明があってようやく、それが音楽作品の構造や過程にどのように例示(examplify)――ネルソン・グッドマンの言う意味合いで――されうるかの検討に取り掛かることができるようになるだろうし、その時ようやく「晩年様式」の実質について語ることが出来る語彙が獲得できたと言いうるだろう。そして「晩年様式」の実質を語れるのであれば、「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」としてマーラーの作品を分析する手段は既に手に入ったことになるだろう。ちなみに上記では単純化のためにホメオスタシスにのみ言及したが、フリストンの「自由エネルギー原理」の重要な帰結として、人間の脳はホメオスタシス的な動きだけではなく、アロスタシス的な振る舞いを行うことが示されている。またパンクセップによっていわゆるデフォルトモードの情動がSEEKING(探索)であることが指摘されている。ここから創造性や「憧れ」といったものについて語る可能性も開けているように思われる。だが、この道筋を具体的に展開して実際の分析にまで繋がるレベルに到達するのは前途悠遠の企てであり、その実現には程遠いというのが現状である。

 そのギャップを埋める作業は、自分自身の手に負えるようなものではなく、ここでは問題提起を行うだけで、未来の優秀な研究者に委ねられているとしても構わない。寧ろこの問題設定を引き継ぎ(実際の作業は全く違うアプローチで勿論構わないが)いずれの日にか、マーラーの音楽の内実を捉えた分析が、具体的なデータに基づいて行われることを願って本稿の結びとしたい。(2024.8.16 初稿, 8.21, 28追記, 12.19末尾に追記)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(6)(2024.12.19 更新)

 『大地の歌』を起点とした時、「現象から身を退く」に基づくアドルノの晩年様式の規定をマーラーの音楽のどのような構造の具体的な特性に関連づけて指摘できるかだろうか?例えば「仮晶」Pseudmorphism 概念はどうだろうか?それを、引用とかパロディのようなメタレベルの操作としてではなく定義できるだろうか?中国、五音音階が果たす機能ということであれば、これは文化的文脈に依存のものとなる。日本で聴く『大地の歌』は「仮晶」として機能するのだろうか?そうではなく、そうした文化依存のものではなく、もっと別のレベルに「現象から身を退く」を見いだせないのか? 文字通りの物理現象としての「仮晶」の対応物を、時間プロセスのシミュレーションとしての音楽作品の中に具体的に指摘できないのだろうか?

 だがこれはこの場で判断を下せる類の問いではなく、この点に関して別途、膨大な分析・検討を要するだろう。私見では「仮晶」とは、必ずしも「後期様式」に固有の現象ではなく、「根無し草」であったマーラーにおいては寧ろ、若き日から一貫したあり様であったと思われる。そもそもが紛い物めいた「子供の魔法の角笛」に対するマーラーのアプローチは、更にもう一段屈折したものとなる。それはマーラーにおいては「真正な」意味合いで「ありえたかも知れない民謡」と化してしまう。リュッケルトの詩に関しても同じような側面を指摘することは可能だろう。中国の詩ではなくベトゥゲの追創作(nachdicitung)としてみれば『中国の笛』は、まさにその延長線上に位置づけられるものであろう。それゆえ「仮晶」は「後期様式」の相関物ではなく、寧ろマーラーの生涯を通じての基本的な存在様態の相関物であったと見るのが適当に感じられるのである。

 おしなべてマーラーの音楽は、極東から見れば西洋音楽の或る種の極限に見えたとしても、どこか「借り物」めいたところがあって、寧ろそうであるが故に一層、極東の子供にとって「開かれた」存在であったということができはすまいか?とはいうものの、(妻の知己から貰った)一部は偶然によるものとはいえ、他ならぬ『中国の笛』が「仮晶」の核となったという事実は残るし、インド哲学に影響されたショーペンハウアー、東洋学者であったリュッケルト、晩年に至って東方(オリエント)への傾倒を深め、『西東詩集』をものしたゲーテ(第8交響曲の『ファウスト』の音楽にも五音音階が登場することがマーラーの側からの「応答」を証立てているとは言ええないだろうか?)の先で、ベトゥゲの「紛い物」の向こう側にある極東に至ったのであるとすれば、「仮晶」の核としてではなく、改めて「現象から身を退く」ことに関連づけて「東洋的なもの」を考えることはできるのではなかろうか。

 だがこの時、その東洋にいる、否、中国の更に東から逆向きに眺めている筈の日本人たる私にとって、それはどのように受け止められるべきものか。「老い」との直接的な関わりにおいては、何よりもまず直ちに思い浮かるのは、トルンスタムの「老年的超越」であろう。既に触れたようにトルンスタムはそこに非西洋的な認識の様態、存在の様態を見出そうとしている。更には、これもまた既に目くばせをしておいたが、近年、ユク・ホイが『中国における技術の問い』から『芸術と宇宙技芸』への歩みの中で試みているアプローチを「老い」や「現象から身を退く」というアスペクトに関して解釈・変換することが考えられるだろう。それらを通して眺めた時、マーラーという個別の場合がどのような相貌をもって出現うするのか、その具体的な様相を描き出すことが必要になるであろう。

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 それでは同じアドルノの「性格的要素」、カテゴリの中にそれを求めるとしたらどうなのか?そうしてみると「崩壊」というカテゴリが「老い」と共鳴関係にあるものとして直ちに思い浮かぶ。あるいは更にアドルノのカテゴリでの「崩壊」ではなく、Reversの言う「溶解」は?だがここで問題にしたいのは、「別離」「告別」というテーマではない。寧ろ端的に「老い」なのだ。死の予感ではなく、現実の過程としての老い。「死の手前」での分解としての老い。それはだが、よく引き合いに出される「逆行」「退化」という捉え方とも異なる。細胞老化、個体老化のそれぞれにおいて起きていることはその基準になる。老化は成長の逆ではない。成長の暴走としてのガンは、老化を考える際に重要な役割を果たす。

 「意識の音楽」「時間の感受のシミュレータとしての音楽」という見方(これについては、記事「「意識の音楽」素描」および記事「MIDIファイルを入力としたマーラー作品の五度圏上での重心遷移計算について」の冒頭2節を参照のこと)に立ったとき、Peter Revers : Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaten Sinfonien, Salzburg, 1986, S.185ff における音楽構造の融解化Liquidation はどのように捉えることができるのか?(但し、これは恐らくLiquidationに限らず、アドルノの「性格」におけるカテゴリ全般、つまりDurchburch, Suspension, ErfuhlungやSponheuerが主題的に取り上げたVerfallにしても同じ問いが生じうるであろう。)Reversが、それがマーラーの後期作品において、特に第9交響曲においては、音楽形成にとって唯一有効なカテゴリーとなると述べ、それが第9交響曲では各楽章の末尾、大地の歌では楽章群の終わりの部分について言えるとする。そして形式構造の融解化の手法を、別れと回顧という表現内容と結びつけるのであるが、それでは表現内容が「別れ」「回顧」のいずれかでもなく、第3のカテゴリがあるのでもないとどうして言えるのか?時間性の観点からは、そもそも「別れ」と「回顧」とが同じ時間性を持つということは到底言えないだろうが、にも関わらずそれが音楽構造の融解化にいずれも帰着するということがどうして言えるのだろうか?『大地の歌』において「別れ」と「回顧」は寧ろ異なった層に位置づけられるとするのが自然に思われる(この点については、以前に調的な構造の観点から検討した結果を公開したことがある。「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―を参照。)のに対し、そこに形式的に同一の構造が見出せるとしたとき、その形式構造は、実は「別れ」「回顧」だけではなく、他の内容とも対応付けうるような一般的なものではないとどうして断言できるのだろうか?『大地の歌』の第6楽章の末尾の時間性は、そのタイトルにも関わらず、「別れ」の帰結とは異なるし、「回顧」の時間性とも相容れない時間性を持っているように思われる。この観点で興味深いのは寧ろ、「大地の歌」の曲の配列が絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の 受容過程であることを主張する大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)の指摘だろう(こちらについても、以前に触れたことがある。「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書 ―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて― を参照)。Reversの指摘は興味深い点を多々含んでいるけれど、『大地の歌』の歌詞に基づいて(というか引き摺られて)そこに「回顧」と「別れ」をしか見なかったり、かと思えば第9交響曲の方は、これを専ら「死」と結び付けてみせる類の紋切型から自由になり切れていないように私には思えてならない。

 だとしたら、例えばここに「老い」を措いてみることはできないのか?単純に言って「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」とするならば、「老い」はその中に「別れ」を含み持っているではないか。だがもしそうだとして、「意識の音楽」にそのことがどのように反映されるのか?「意識の」というからには、生物学的・生理学的な「老い」そのものではなく、文化的・社会的に規定された「老年期」でもなく、アルフレッド・シュッツが指摘するように「老いの意識」でなくてはなるまい。だが作曲の主体が「老い」を自覚することが一体「音楽」にどのように関わるというのか?伝記的事実を踏まえればほぼ自明のことに思われる作品と「老い」の関係は、だがそれを作品そのものから捉えようとした時には困難に直面するように思われる。それは音楽に伝記的事実を投影しているだけなのではないか?しかし、例えばアドルノの「後期様式」はそれが実質的なものであるという主張である筈だ。一方で「時間の感受のシミュレータ」として音楽作品を捉えようとした時、それが「老い」とどう関わるというのか?それは文字通り「老い」を生きる時間の感じをシミュレートするということなのだろうか?そのシミュレータ自体が「老い」を経験し、意識するようなタイプの機械、生物のような機械、「人間」のような機械であることなしにそれが可能なのかどうかは一先ず措くとしても、「死」の意識、「別れ」の意識ならぬ「老い」の意識は、音楽作品にどのように刻印されているものなのか?「現象からの退去」の音楽化とは?それはどのような時間的構造と関わるのだろうか?

 直ちに思い浮かぶのは、上でも触れたアドルノの「崩壊」、ReversのLiquidation(融解)といったカテゴリは、実は「死」や「回顧」ではなく、実は「老い」に関わる性格的カテゴリではないのかという問いだろう。それらが寧ろ「老い」に関わるということを主張しようとした時、一体どのような点をもってそれを支持する証拠とすることが可能だろうか?

 更にそれを解釈する言葉の水準ではなく、具体的な楽曲の構造的な特徴の水準で行おうとした時に、一体どのようなアプローチで楽曲を分析すれば良いかを問うた途端に、具体的な楽曲の構造そのものに「老い」を見出す作業は困難であり、直ちにそれに答えることはおろか、その作業を進めていく見通しすら現時点では立てていないことを認めざるを得ない。だが漠としたものではあるけれども、朧気に浮かんでいるアプローチの仕方について簡単に述べておくならば、ポイントはまず、意識が基本的に「感じ」についてのものであるというソームズやヤーク・パンクセップ、ダマシオの立場に依拠すること、更に「ホメオスタシス」という概念に注目し、ソームズ=フリストンの意識に関する自由エネルギー理論に依拠することに存する。これはマーラーの音楽を「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」として捉えようとしているからには、ごく自然な選択であろう。いきなり作品そのものにアプローチするのではなく、一旦まず意識についての定量化可能な理論を出発点にとり、音楽作品を意識を備えた有機体に対する入力でもあり出力でもあるものとして位置づけることによって、単なる音響の連なりではない音楽に意識の様態がどのように映り込み、また音楽を聴くことで意識がどのような振舞をするのかを定量的に捉えるアプローチをしてみようということである。

 現時点で思い描くことのできる見取り図としては、「老い」についてのシステム論的な定義においてはホメオスタシスやエントロピーの観点から「老い」が捉えられていることから、ソームズ=フリストンの「自由エネルギー原理」に基づく「意識」の説明(これもホメオスタシスやエントロピーに深く関わっていることに思い起こされたい)をベースにし、上記のアドルノやReversのカテゴリの記述を意識にとっての「感じ」という観点から捉え直し、更には自由エネルギー原理的に翻訳することによってデータ処理可能な記述に変換し、楽曲の動力学的なプロセスの中にそれらを探っていくという道筋が浮かんではいる。楽曲のプロセスに「老い」や「老いの意識」を見出す以前に、まず「老い」の自由エネルギー理論的説明が必要であり、その上で「老いの意識」についても同様の説明があってようやく、それが音楽作品の構造や過程にどのように例示(examplify)――ネルソン・グッドマンの言う意味合いで――されうるかの検討に取り掛かることができるようになるだろう。そしてその時ようやく「晩年様式」の実質について語ることが出来る語彙が獲得できたと言いうるだろう。そして「晩年様式」の実質を語れるのであれば、「意識の音楽」、「時間の感受のシミュレータとしての音楽」としてマーラーの作品を分析する手段は既に手に入ったことになるだろう。ちなみに上記では単純化のためにホメオスタシスにのみ言及したが、フリストンの「自由エネルギー原理」の重要な帰結として、人間の脳はホメオスタシス的な動きだけではなく、アロスタシス的な振る舞いを行うことが示されている。またパンクセップによっていわゆるデフォルトモードの情動がSEEKING(探索)であることが指摘されている。ここから創造性や「憧れ」といったものについて語る可能性も開けているように思われる。だが、この道筋を具体的に展開して実際の分析にまで繋がるレベルに到達するのは前途悠遠の企てであり、その実現には程遠いというのが現状である。

 そこでこの最後の問いについては一旦、問いとして開いたままにしておかざるを得ないとして、その替りに、更に漠然としてトピックレベルでの指摘に過ぎないので、ここでの問題設定に対して直接寄与することははじめから期待できないものではあるとは言うものの、『大地の歌』について、あくまでも「死」と「別れ」が主題でありながら参照が為され、更に「死」との関わりにおいて「老い」についての分析が行われているという点では特筆できるジャンケレヴィッチ『死』の該当部分の批判的な読解を行うことをもって、その手がかりを得るための準備作業としたい。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12,19 改稿)


2024年12月18日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (5)(2024.12.18 更新)

  トルンスタムの「老年的超越」の概念は、西欧的な自我観と密接な関係のある所謂「活動理論」を前提とした「アンチ・エイジング」の議論に対して、それに対立する「離脱理論」寄りの考え方として、だが単なる「離脱理論」に留まらない射程を持ち、ジンメル=アドルノがゲーテに依拠して述べる「現象から身を退く」こととしての「老年」への接続可能性を持つもののように思われるので、ここでの検討に値すると考える。例えば既述の能楽における「老い」の形姿と重ね合わせることができるのではないか、

 その点で留意するに値するのは、世阿弥が『風姿花伝』において能役者の生涯における三回の「初心」について述べる中で「老年の初心」について述べていることだろう。そもそも能楽には「老体」の能と称される演目があり、「老女物」の能を演じるのは能役者にとっての生涯の目標であり、かつては奥伝として特に許された者以外は生涯演ずることが叶わなかった程である。そしてそうした最終目標の演目において能役者が演じるのは、小野小町の老残の姿と心持ちを扱った作品(『卒塔婆小町』を始めとする所謂「小町物」)であったり、棄老伝説を踏まえた、今日的には残酷ともとれる状況を扱った作品(『伯母捨』)なのであって、役者として「老年の初心」を経て初めて到達できる境地と、そうした「老い」を主題とした演目との間に深い関りが存在することは、そうした作品の最高の上演に幾度か接すれば自ずと得心されるものであろう。

 私はこのことを単なる一般論として述べているのではなく、香川靖嗣師が演じた『伯母捨』(2013年4月6日)、『檜垣』(2019年9月14日)の老女物二曲に加え、老人の物狂いの能である『木賊』(2015年4月4日)、或いは老体の修羅能『実盛』(2010年4月3日)、更には「卑賎物」と呼ばれる罪業により地獄に落ちた老人の苦患を扱った「阿漕」(2000年6月10日)、「綾鼓」(2008年11月23日)、そして、それらとは全く異質であり、能にして能にあらずと言われるように、実際には「舞台芸術」ではなく「祭祀」そのものである『翁』(2003年1月5日)といった圧倒的な名演の数々を幸運にも拝見できたという具体的な経験に基づいて記していることを特に強調しておきたい。そうした観能の経験もまた、私がそうとは気づかずに断続的に行ってきた「老い」についての思考の枢要な導き手であったことを今、改めて認識し、そうした上演に立ち会うことができた僥倖に感謝せずにはいられない。ここでは「死」とは異なる「老い」の固有性が、そのマイナス面も含めて決して否定的に扱われることなく、だがそこから目を背けることもなく、真っ向から取り上げられているのである。

 上記のような点を踏まえた時私は、特に『伯母捨』のシテの存在の在り様を「老年的超越」に重ね合わせてみてはどうか、ということを考えたりもするのである。勿論、第一義的には「老年的超越」は社会学的に定義された概念であり、多数の高齢者に対してインタビューシートに沿った質問をして得られた回答を統計的に処理して高齢者に有意に特徴的であるという結果が得られたものではあるけれども、それを説明するのに「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化のこと」(増井幸恵『話が長くなるお年寄りには理由がある』, p.96)とされたり、「自己概念の変容」「社会と個人との関係の変容」「宇宙的意識の獲得」が三つの柱であるとされる(同書, p.98)ことから明らかなように、それはボーヴォワール(/サルトル)風には「世界・内・存在」としての個人の存在様態に関わるものであるが故に、寧ろ個別の具体的な作品に提示された人物像であったり、特定の個人の作品に映り込む意識の在り方を検討する際の手がかりになりうるのではなかろうか。一方で「世界観の変化」と言われ、「変容」、或いは「獲得」と言われるのは、一つにはそれが西欧的な自己観を基準にとっているからでもあり、それ故そのことはまた、マーラーの場合について言えば「晩年様式」が「異国趣味」という「仮晶」を必要としたという点にも関わっているに違いない。そもそも「異国趣味」がマーラーその人にとってどこまで借り物であったものか?マーラーの中には、インド哲学の影響が著しく、意志の否定を説くショーペンハウアーを皮切りに、ゲーテ(『西東詩集』West-östlicher Divan)、東洋学者でもあったリュッケルト、フェヒナー(『ツェント・アヴェスター』Zend-Avesta)、そしてハンス・ベトゲによる漢詩の追創作と、東方的なものに対する関わりが一貫して流れているのである。トルンスタムの「老年的超越」自体、東洋思想の影響の下で編み出されたものであるようだが、マーラーの側にも東洋的な諦観を、俄か仕込みの借り物としてではなく受容する素地があったのであれば、マーラーについてもまた「老年的超越」とその「晩年様式」とを突き合わせることは、表面的にそう見えるほど突飛なことではないのではなかろうか。

 西洋と東洋、ということであるならば、ボーヴォワールが『老い』の一番最初、「序」の冒頭で仏陀のエピソードを提示していることをどう受け止めたらいいのだろうか?本来これは、いわゆる「四門出遊」のエピソードの一部であり、それは後に「初転法輪」において四諦の一つである「苦諦」としてまとめられる「四苦」、即ち「生老病死」に若きシッダールタが直面した機会の中の出来事の筈である。私は仏陀の様々なエピソードに子供の頃から親しんできたので何事もなく通り過ぎてしまったが、改めて考えると「死」についてはあれだけ饒舌な西洋における「老い」に対する或る種の無視、特にそのマイナス面から目を背け、「老い」に対峙しようとしない姿勢に対して告発調なところも感じられなくもないボーヴォワールの口調を思えば、東洋においては「老い」について、その否定的な側面も含めて、少なくともそれを正面から取り上げようとしているのだということが告げられているようにも受け取れる。にも拘わらず本論になるとボーヴォワールは非西洋的な「老い」についての認識については「外部からの視点」と題された第1部の中でも「未開社会」の章の中に押し込めてしまっている。第2部のボーヴォワールの「世界ー内ー存在」としての、内側からの視点についての分析には興味深い点も多々認められるが、それに「序」の出だしにあえて仏陀を持ち出したことがどう影響しているかという点になると必ずしも判然とはしない。実際にはサルトルの「自我」の捉え方(特に『自我の超越』のような初期におけるそれ)には非西洋的な見方に通じる面もあるのだが、それが西洋的な視点に対する批判の拠点となり得ているかどうかについては限界があるように感じられる。

 これも既に『大地の歌』に関して何度か指摘していることだが、謂われるところの「異国趣味」について、自分が西洋から眺めた時に中国の更に向こう側から、逆向きに中国を眺めていることについて意識的であれ無意識にであれ無頓着である議論は大きな欠落を抱えずにはいないだろう。日本人が聴いてさえ耳につく『大地の歌』中間楽章の中国趣味にしてからが、日本人が聴くそれと西洋人のそれが同じであると思い込みことはできまい。だがここでは更に「老い」に関する認識の洋の東西の違いというのが加わることになる。一方でそれは「現象から身を退く」という両者共通の事実に対する両者の認識態度の違い(図式化すれば「活動理論」の西洋と「離脱理論」の東洋)なのだが、「現象から身を退く」際に依拠する「仮晶」として「東洋」、その中の「中国」がどのように機能するか、そもそも同じように「仮晶」たりうるのかという問題を引き起こさずにはいないだろう。そしてアドルノがその認識を記した半世紀前(それはマーラーが没してから半世紀後でもあったのだが)ではなく、更に半世紀後(ということはマーラーが没して1世紀後)の今日の、シンギュラリティを現実的なものとして議論することを可能にするような技術的状況下にあっては、そうした状況における宇宙と技術の多元性への可能性を検討した『再帰性と偶然性』のユク・ホイが、その思索の出発点において「技術への問い」に関して行ったような逆向きからの展望(『中国における技術への問い』)を、この文脈においても適用する必要があるだろう。(但し、この文脈においては、「東洋思想」という括りではなく、更に中国を挟んで反対側の極東の島国からの展望を剔抉すべきかも知れない。位相は異なるが、こちら側からも「仮晶」の論理が存在しており、しかもその位相は中国との関係の変化に応じて変容していると考えるべきであろうからである。とりわけてもここで、まさに「老い」についての認識が問題になっているからには一層この点は強調されるべきことに思われる。そう、私個人の記憶を辿っても『大地の歌』に出遭った時期、私は、李白、杜甫、王維など盛唐期の詩人のそれを中心とした漢詩にのめり込んでいたのだが、とりわけそれらに詠み込まれた「老い」の形姿が(気づいてか、気づかずか)逆向きに映り込むことは当然のこととして避け難く、特にそれは第1,2,6楽章の聴取に影響したし、現在もその影響は続いている筈である。そして更に今日、同じ(ジェインズの言う)二分心崩壊以後のエポックの中にあって、だがいよいよシンギュラリティが近づいている現時点で、改めてそれらの総体を今日の展望の下に位置づけなおす必要があるのを、我が事として感じている。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 改稿)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (3)(2024.12.18 更新)

 「老い」についての大著というと、邦訳で上下巻、二段組で700ページにもなるボーヴォワールの『老い』(朝吹三吉訳, 人文書院, 1972)があって、膨大な資料を渉猟し、その記述は多面的で、生理的側面、心理的側面、社会的側面の全てに亘り、客観的・対象的な了解と主観的・体験的な了解の両方を扱っており、かつそれらそれぞれの面のいずれについても充実したものだが、余りに経験的な次元に限定されている感じもある。一方でその限りにおいて、作家や学者に比べて芸術家(画家と音楽化)の晩年についての評価は高いのだが、その理由が特殊な技能を習得することから習熟に時間を要するという稍々皮相な指摘に留まっている。

 「このように彼ら(=音楽家:引用者注)が上昇線をたどるのは、音楽家が服さなねばならない拘束の厳しさによる、と私は解釈している。音楽家は自分の独創性を発揮するには高度の熟達がなければならず、これを獲得するには長い時間が必要なのである。」(邦訳下巻, p.479)

 何よりも「老い」が単なる「長い時間」と同一視されていて、「老い」の固有性が顧慮されていない点が致命的に感じられ、これではゲーテの「現象から身を退く」に基づくジンメルやアドルノの議論との間尺がそもそも合いようがない。ボーヴォワールが「老い」というものが様々なレベルで複合的に決定されているものであるが故に明確に定義することが困難であることを認識した上で、「老い」というものの固有性について理解しているだけに、個別の例における上記のような評価は寧ろ腑に落ちない感もある。

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  ボーヴォワールの分析は主観的・体験的な了解に関わる部分では『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているが、一般的に言えば、「老い」のような水準は、現象学的分析においては扱いづらいもののようである。現象学が通常扱う意識の水準で「疲労」とか「倦怠」が取り上げられることはあるが、それらは概ね、せいぜいが過去未来方向の把持を含めた「幅をもった現在」の意識の相関者である「中核自己」の水準であるのに対し、「老い」は生活世界の住人である「自伝的自己」に関わるもので、両者は区別されるべきように思われる。

 管見では、現象学的分析としては、アルフレッド・シュッツの生活世界の構成についての分析において「時を経ること」=「老いること」が取り上げられていることを確認している。例えば、既に「老いの体験」と「老いの意識」の区別について参照した『社会的世界の意味構成』の第2章では、「私が年老いていく」事実と「老いの認識」について、フッサール現象学の時間論を参照しつつ述べた後、第3章 他者理解の理論の大要 の第20節 他者の体験流と私自身の体験流の同時性(続き)において、生きられた「同時性」を「共に年老いるという事実」(同書邦訳, p.143, 原文傍点)に見出し、それに基づいて第4章 で社会的世界の構造分析が展開される。C.社会的直接世界 (同書邦訳, p.224以降)で我々関係についての考察が為され、「しかし直接世界的な社会関係において年老いるのは1人私だけではない。我々はともに年老いるのである。」(同書邦訳, p.237, 原文傍点)とされるのである。なおリチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』でもその最後の部分(第七章 生活史的状況 のE.時間構造)で、「時を経るという体験、つまり幼児期、青年期、成人期から衰退期を経て、老年に向かうという推移の体験」(邦訳:那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝, マルジュ社, 1996, p.246)をもっとも根本的な体験のひとつとして挙げており、「われわれは時を経るということ、これがわれわれにとっては最高度のレリヴァンスをもっている。それが、動機的レリヴァンス体系の最高次の相互関係、つまり人生プランを支配しているのである。」(邦訳同書, p.247)という指摘が見られる。勿論、このシュッツが取り上げる「年を経ること」=「老いること」は、時間論的には「推移」一般と関連づけられていることから窺えるように、特にダンテの定義する「老年」における「老い」の固有性をとらえたものではなく、従って、ここでの考察にとっては出発点を提供するものに過ぎないが、狭義での現象学的分析の対象である「中核自己」とは異なる「自伝的自己」の水準にフォーカスしている点、プロセス時間論などで「知「生成」と対比して論じられる「推移」の経験、つまり「超越」における被把持であり「自己超越=死」と「生成」とがリズムを刻むという不連続的・エポック的な時間把握へと接続可能である点、更には「老い」が本質的にポリフォニックであるという認識への展開の可能性を含み持つ点で極めて有効な視座を提供していると思われる。(更に追記。『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』における「時を経るという経験」が登場する箇所には編者による注が付けられているのだが、その注は、シュッツの別の論文「音楽の共同創造過程」への参照を求めている。ここでもまた音楽の体験が取り上げられていることに留意しよう。)

* * *

 結局のところ、総じて「老い」は通常二次的、複合的、派生的概念と見なされているのではなかろうか。老いはファーストオーダーの事象ではなく、ある種の複合・ベクトルの合成の結果と見なされるようなのである。生成に対するのは死であり、老いではないと見なされてしまう。かくして、だが死と老いとを区別しないことは、生成の側に本来は存在する差異を蔑ろにすることにも繋がってはいまいかという疑念が浮かび上がってくることを禁じ得ない。

 しかしその一方で、自伝的自己の老いについては、それでもいいのでは、という問い返しもまた可能ではなかろうか?ポリフォニーは単旋律の複合ではない。ポリフォニーをより単純な要素に還元することはできない。無理にそうすればカテゴリーミステイクになってしまうだろう。ここでもシュッツの指摘に耳を傾けるべきだろうか?『生活世界の構成 レリヴァンスの現象学』の第一章の序言において、シュッツは「対位法」を比喩として取り上げているのである。

「(…)私が念頭においているのは、同一楽曲の流れのなかで同時に進行している、独立した二つの主題間の関係についてである。それは簡単に言えば対位法の関係である。聴衆の精神は、いずれか一方の主題を辿るだろう。すなわち、どちらの主題であれ一方を中心的主題とみなし、他方を副次的主題とみなすだろう。中心的主題は副次的主題を決定しながら、それでもなお構造全体の入り組んだ構成のなかで依然として優位であり続ける。われわれの人格の、そしてまた意識の流れのこの「対位法的構造」こそが、他の文脈で自我分裂の仮説と呼ばれているもの―何らかのものを主題的に、それ以外のものを地平的にしようとすれば、われわれは自らの統一ある人格の人為的な分裂を想定せざるを得ないという事実―の系をなしている。主題と地平の区別が多少なりとも明確であるようにみえる場合、それを他から切り離して考えてみれば、そこには人格の二つの活動が存在しているにすぎない。そのひとつは、たとえば外的世界における諸現象を知覚する活動であり、他のひとつは「労働すること」、すなわち身体上の動きを通してその外的世界を変化させる活動である。だが、されに詳細に探究してみれば、そうした場合でさえも、精神の選定活動に関する理論は、領野、主題、地平といった問題よりもより一層複雑な問題群のための単なる題目―すなわち、われわれがレリヴァンスと呼ぶように提案している基本的な現象のための題目ーであるにすぎないということが明らかになるだろう。(…)」(リチャード・M・ゼイナー編『生活世界の構成:レリヴァンスの現象学』, 那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝訳, マルジュ社, 1996, p.41, ボールド体による強調は原文では傍点。 )

 シュッツの上記の指摘は、「老い」固有の事情についての指摘ではなく、寧ろ生活世界の構成一般についての指摘であるけれど、自伝的自己に関わる限りにおいての老いは、そうした次元に関わる限りにおいて、本質的に対位法的なものではないのか?「老い」の意識は、相対的なものである限りで、他者を必要とするのではないか?「老い」はポリフォニック、対話的なものではないか?それと細胞老化・個体老化という生物学的な意味合いでの老いとは区別されるべきではないか? 

 ボーヴォワールの『老い』においても、第二部 世界ー内ー存在(邦訳同書下巻)において、「老いとは、老いゆく人びとに起こること」(p.331)であるがゆえに「老いという問題については名目論的観点も観念論的観点もとることができない」と主張されるのは、「自己の状況を内面的に把握し、それに反応する主体」(ibid.)としての「年取った人間」としての「彼がいかに彼の老いを生きるかを理解しようと試みよう」とする限り当然のことであろう。そもそもボーヴォワールの分析は、『自我の超越』や『存在と無』といったサルトルの現象学的分析に依拠しているから、シュッツの立場との接点があるのは当然だが、「老いとは、客観的に決定されるところの私の対他存在(他者から見ての、また他者に対するかぎりにおいての、私という存在)と、それをとおして私が自分自身にもつ意識とのあいだの弁証法的関係なのである。」(邦訳同書下巻, p.334)という規定は、シュッツのいうレリヴァンスとしての「対位法的構造」と、少なくとも事象の側としては極めて近しい水準のものを対象としているとは言い得るだろう。如何にも『存在と無』における他者のまなざしに関する議論を彷彿とさせる、「老い」の発見における他者のまなざしの役割の強調も、それが身体の経験の枠組みの中で捉えられる限りにおいて、直接的な他者の視線であったり、鏡に映った自己を眺める自身の視線に還元されてしまうように見えたとして、それのみに尽きてしまうわけではあるまい。勿論、「老い」において生物学的次元・生理学的次元を無視することはできないが、そこに還元してしまえるわけではない。ボーヴォワールの言う「普遍的時間」とは、実のところ普遍的ではありえず、生物学的時間・生理学的時間、そしてそれらと同様、天体の運動のような次元に基盤を持ちつつも、社会的関係によって構成された「暦」のような時間の重層のそれぞれの切断面に老いの経験の契機が孕まれているのであって、さながら冒頭の私の経験は、ボーヴォワールの記述においては、第六章 時間・活動・歴史 の中における「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である。」(邦訳同書下巻, p.441)という規定に照らした場合の(残念ながらボーヴォワールの場合とは異なって)或る種の欠如の感覚(要するに、何も生み出すことなく馬齢を重ねるという認識)に起因するものであったということになろうか。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.18 全面改稿)

2024年12月12日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (2)(2024.12.13 更新)

 「老い」と「後期様式」に関連したアドルノの論考を確認しておこう。

  • ベートーヴェン:「ベートーヴェンの後期様式」(『楽興の時』):ここでは「晩年の様式の見方を修正するためには、問題になっている作品の技術的な分析だけが、ものの役に立つだろう。」とされる。だがその「技術的分析」は、必ずしも作品自体の内在的な分析を意味しない。というのもそこで手がかりとされるのは「慣用の役割という特異点」なので。それが「慣用」なのかそうでないかを判定する客観的な判断基準を設定できるだろうか?それ自体、文化的で相対的なものではないだろうか? 
  • マーラー:『マーラー』の最終章「長いまなざし」(ただし、「後期様式」への言及は、それに先立ち、第5章「ヴァリアンテー形式」において、アルバン・ベルクおよびベッカーの発言を参照しつつ、「(…)マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる。すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と述べている。この最後の発言は、シェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について語った言葉と響きあう。)

 一方、「老化」を扱ってはいても、シェーンベルク:「新音楽の老化」(『不協和音』)はシェーンベルク個人の「後期様式」の話ではない。そうではなくて寧ろ、所謂「エピゴーネン」に対する批判であろう。従ってここで「老化」は「後期様式」とは何の関係もないように見える。だがそれならそれで「老い」について2通りの区別されるべき見方があるということになる。「後期様式」とは「老い」そのもの(?)とは区別される何かなのだ。恐らくは生物学的な、ネガティブなニュアンスをもった「老化」と、それに抗するような別の何かがあるというわけだ。それはシェーンベルクその人が含み持っていた傾向と無縁でないのは勿論、例えば、ヴェーベルン論において、作品21の交響曲以降の「後期作品」について留保を述べるというより端的に否定的な評価をしているケースとも無縁ではないだろう。(なお、アドルノのヴェーベルン論の邦訳は、竹内豊治編訳『アントン・ヴェーベルン』,法政大学出版局, 1974, 増補版 1986, 所収。特に「後期作品」についてはp.158以降を参照。)ではそこには「後期様式」は存在しないのか?それとも二種類の後期様式が存在するのか? 特にヴェーベルンの場合については、別途「ヴェーベルンと老い」として独立に取り上げることになるだろう。

 ヴェーベルンは後期に至って、若き日に研究したフランドル楽派の音楽と、自分の音楽とを突き合わせるということをしているし、ゲーテの原植物や、法則という意味でのノモスについて言及してもいる。(これらは翻訳もあるヴィリ・ライヒ宛書簡で読むことができる。)フランドル楽派のような音楽への接し方は、果たして退行なのか。かつてある鼎談で西村朗さんがそう言ったように、そこに「ニヒリズム」を認めるべきなのか。主観性を超えた秩序、法則の反映として音楽を考えるという、ピタゴラス派的と言って良い姿勢(ただし、それは主知主義的であるとは限らない)は、ニヒリズムなのだろうか?或いは、それぞれの具体的なありようは異なるが、各自の仕方でそうした客観の側の秩序(無秩序でも構わないが、とにかく一般にイメージされるロマン派的な「主観性」とは対極にあるそれ)と自らの音楽との関係を探求した人たち、例えば後期のシベリウスは、クセナキスは、三輪眞弘のアルゴリズミック・コンポジションは、これらもやはりニヒリズムなのか。勿論、それらを単純にひとくくりにすることはできないが、それなら再びヴェーベルンの場合に戻って、その生成の文脈を離れて、今、ここで私が向き合っているその作品について言えば、そこにニヒリズムを認めるよりは、寧ろ或る種の「現象からの退去」の仕方を認めることの方が余程自然なことに思われてならない。であるとしたら、ヴェーベルンについて、アドルノの否定的な評価にも関わらず、しかしそこに或る種の「後期様式」を認めるべきなのではないか?

 ここで私はヘルダーリンの最晩年の断片の幾つかを思い浮かべる。ヘルダーリン伝を書いたホイサーマンが「(...)生は次第に主観的な色調と緊張を失う。さまざまな現われは客観的なもの、幻影のようなものになる。」(ウルリッヒ・ホイサーマン『ヘルダーリン』, 野村一郎訳, 理想社, p.189)と書いたような断片たちのことを。例えば「冬」Der Winter、

Der Winter

Das Feld ist kahl, auf ferner Höhe glänzet
Der blaue Himmel nur, und wie die Pfade gehen,
Erscheinet die Natur, als Einerlei, das Wehen
Ist frisch, und die Natur von Helle nur umkränzet.

Der Erde Stund ist sichtbar von dem Himmel
Den ganzen Tag, in heller Nacht umgeben,
Wenn hoch erscheint von Sternen das Gewimmel,
Und geistiger das weit gedehnte Leben.

野は荒涼として 遙かな山の上に
ただ青い空が輝いている、いくつもの小径のように
自然の現われるのは 同じようだ、吹く風は
爽やかに、自然はただ明るさにつつまれている。

大地の円は天空に包まれているのが見える
昼のうち また 明るい夜
空高く星くずの現われ出でるとき
そして 広く広がった生(いのち)はいっそう霊的になる

(ヘルダーリン「冬」野村一郎訳)

 あるいは、ヘルダーリンの絶筆となった「眺望」Die Aussichtといった作品の背後にある認識はどうなのか?ヘルダーリンはこれらを統合失調症の発症の後の、ホイサーマン言うところの「寂静」の裡で、かつての賛歌群のような人間には耐え難い集中の下では最早なく、間歇的に、折々に、或る種の機会詩として書き留めていった。時としてスカルダネリという「偽名」による署名とともに、狂った日付の下に。これらは病の結果として意図せず生み出されたものと一般には了解されているし、ここには意図を持った、高度に意識的な様式の選択は恐らくはないだろう。

 アドルノはヘルダーリンの後期賛歌について、恐らくはハイデガーのヘルダーリン解釈への異議申し立てという意味合いも込めて「パラタクシス」という論考を記している。それはヘルダーリンの「後期抒情詩」についてと題されているが、しかしここでの「後期」は、「寂静」に先立つ時期の作品を対象とし、それら作品が備える構造上の特徴を「パラタクシス」として規定して論じているのである。

 だが最後期の詩作もまた、円熟の果てに巨匠が辿り着く孤高の境地の如きものとしてではなく、余りにも痛ましい仕方ではあるけれど、「現象から身を退く」在り方ではないのか?しかも遺された作品は、紛れもない独自の「様式」を備えて我々に遺された。それはあの空前絶後の賛歌群と異なり、自由律ではなく韻律を備えていて、それまでの後期作品とははっきりと区別される。アドルノの言う「パラタクシス」は一般的な了解としては、ここには適用されないということになるだろうが、そんなことはお構いなしに、それらはまるで相転移の向こう側の領域からの投壜通信のように私の生きる岸辺に辿り着いたし、私は確かにそれを拾い上げ、そこにかけがえのない、自分自身に遥かに勝って永続的な価値のある何かがあることを確信する。その独特の光の諧調は、まばゆいばかりの後期賛歌群とは異なって、だが、地球半周分の隔たりと数百年の年月の隔たりを軽々と越えて、私の住まう岸辺を照らし出す。ホイサーマンの指摘する通り、私はそこに「韻の調和、形象の静かな輝き、疑いのない敬虔性の光」(ホイサーマン,上掲書, p.198)を認め、「ヘルダーリン最後期の詩に生きているこれらすべてのものは、それらの詩が生まれる源となった平和を示している。つねに熱望した平和、それはいま、彼が求めたのとは別のあり方で存在している。」(同書, 同頁)との言葉に同意する。

 ヴェーベルンの後期とヘルダーリンの最晩年の詩とを並べたのは所詮私の恣意に過ぎないとはいえ、アドルノの言う「後期様式」の更に向こう側があるのではないかという問いを立ててみたくなる誘惑に抗うことは、私にとっては非常に難しい。あたかも2つの「老い」があるようではないか?これもまた「老年的超越」(トルンスタム)の一つのありかたと言ってはいけないのか?ヴェーベルンの場合は措いて、ことヘルダーリンの場合に限って言えば、常には沈黙が支配する領域からまるで奇跡が起きたかのように一度きり届いたそれらの詩に、語の究極の意味合いにおける「現象からの退去」(なぜなら、そこには普通に了解されている意味合いにおいては「主体」は最早存在しているとは認められないかも知れないから)を認め、それが纏った形式を、それ自体は寧ろありふれたものであり、ジンメル=アドルノが想定しているような全く独自の「固有の形式」ではないにしても、これもまた「後期様式」の一つとして認めてはいけないのか?

 私はヘルダーリンの「後期」作品に関連して、あたかもそこには2つの「老い」があるように思えると述べたが、ヘルダーリンの場合とは、特に2つ目の「老い」については異なったものであるとはいえ、翻って、例えばヴェーベルンの後期作品を、しかも特に批判の多い、ヒルデガルト・ヨーネの詩作に基づく作品については、まさにその選択が故にこそ、だが志向としては同様の方向性を有するものとして捉えてはいけないのかを改めて問うことができるのではなかろうか?更にそれはまた、マーラーの後期作品について指摘される幾つかの断絶、つまり一般には第8交響曲を或る種の過渡的な折り返し点として、中期交響曲と「大地の歌」以降の後期作品の間にあるとされる断絶と、後期作品の中においても第9交響曲と第10交響曲の間に指摘されることのある断絶とに関わっているということはないのだろうか?

 私は繰り返し、第10交響曲の鳴り響く場所が何処であるかを正確に言い当てることができないということを述べ、その最大の近似値が以下に示すヘルダーリン晩年の断片が語られている場所=「遠く」であると予感してきたのであった。
 
Wenn aus der Ferne, da wir geschieden sind,
 Ich dir noch kennbar bin, dir Vergangenheit,
  O du Theilhaber meiner Leiden!
   Einiges Gute bezeichnen dir kann,

So sage, wie erwartet die Freundin dich,
 In jenen Gärten, da nach entawlicher
  Und dunker Zeit wir uns gefunden?
   Hier an den Strömen der heiligen Urwelt.

Da muß ich sagen, einiges Gutes war
 In deinen Bliken, als in den Fernen du
  Dich einmal fröhlich umgesehen
   Immer verschlossener Mensch mit finstrem

Aussehn. Wie flossen die Stunden dahin, wie still
 War meine Seele über der Wahrheit ...

In meinen Armen lebte der Jüngling auf,
 Der, noch verlassen, aus den Gefilden kam,
  Die er mir wies, mit einer Schwermuth,
   Aber dir Nahmen der seltnen Orte

Und alles Schöne hatt' er behalten, das
 An seeligen Gestaden, auch mir sehr werth
  In heimatlichen Lande blühet,
   Oder verborgen, aus hoher Aussicht,

Allwo das Meer auch einer beschauen kann,
 Doch keiner seyn will. Nehme vorlieb, und denk
  An die, die noch vergnügt ist, darum,
   Weil der entzükende Tag uns anschien ...

遠くからでも、このように分かれていても、わたしの姿が
 あなたにはまだおわかりでしたら、そして
  おお わたしの悩みをともにされたあなたよ!
   過ぎた日にいくつかのよいこともおみとめでしたら、

言ってください、あなたの女友(とも)がどのようにお待ちしていると お思いなのか?
 恐ろしい 暗い時のあとで
  わたしたちが見つけあった あの園で、
   ここ 聖なる根源世界の流れのほとりで。

申しますが あなたの視線のなかに
 あるよいものが あったのです、いつもは
  ことば少なく 暗い様子のあなたでしたが
   あのとき 遠くで一度うれしそうに ふりかえられた

あのときに。時は はるかに流れ去りました、じっと静かに
 わたしの魂は この事実に耐えていました…

若者であったあなたは わたしの胸のなかでよみがえったのです、
 あなたはまだ寄るべなく あの広い野から来られたのです、
  やがて その広い野をわたしにも教えてくださいました、憂鬱そうに。
   しかし あなたは 珍しい場所の名まえと

すべての美しいものを しっかりとお持ちでした、
 それは 至高の岸辺に またうれしいことに
  ふるさとの国に 花咲き あるいは
   ひそかに隠れています。あなたがそれをされたのは 高い展望からで

そこでは 大海原を静観することもできますが
 誰もそこに居ろうとしないのです。満足なさいませ、そして
  むかし よろこびの日がわたしたちを照らしていたといって
   いまもなお満ち足りている わたしのことをお思いください…
(ヘルダーリン「遠くからでも…」野村一郎訳)
この詩断片の語りの場というのもまた異様で、まるで世の成り行きから超絶した、異世界のほとりで、かつて自分がその只中を彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら 語っているかのようだ。そして、ほとんど同じ印象を、私はマーラーの第10交響曲についても 抱かずにはいられないのである。単に過去を振り返っているのではない。その過去の出来事の生起したのとは別の場所にいるような感じがしてならない。要するに、シェーンベルクがプラハ講演で言っていたあの一線を、やはりこの曲は越えてしまっているのでは、生きながらにして一時マーラーは、相転移の向こう側に抜けてしまったのではないかという感覚を否定し難く、その「場所」はまた、ヘルダーリンの最後期の詩の場所=「遠く」ではないかという考えをずっと抱き続けているのである。そしてこちらについては、アドルノが「後期様式」ということで言い当てようとした領域とも更に異なる、だが寧ろこちらこそが「老い」の奥津城にある領域なのではないかと思えるのである。

 だがしかし、ここではアドルノが通り過ぎてしまった領域について論じることは控え、その代わりに、その「パラタクシス」の中においてヘルダーリンの受動性、「東洋的で神秘的で限界を克服する原理」としてのそれについて指摘し、「ヘルダーリンのギリシャ精神の心象はすでに多島海の東方的な色彩のなかにあり、反擬古典主義的に色彩豊かで、アジア、イオニア、島々といった言葉に陶酔しているー」(邦訳:アドルノ『文学ノート2』みずず書房所収、p.208)と述べている点に目くばせしておくべきだろうか?これをアドルノがマーラーの後期様式において指摘する「仮晶」としての中国へと架橋できはしないだろうか?

 実は「東洋」というのは「老い」を考える上で、より一般的な文脈で考えた場合にも重要な意味合いを持っている(例えば、上でも言及したトルンスタムの「老年的超越」もまたそうだが、これについては別に取り上げることにしたい)。つまり生物学的・生理学的な「老い」ではなく、「老い」に関する認識、「老い」をどう捉え、受容するかについての態度は一定程度文化相対のものであり、洋の東西による違いがあるようなのだ。そしてまた、ここで「現象からの退去」としての「後期様式」が幾度となく東洋的なものに接近することもまた、そうした広がりの中で見ている必要があるだろう。そこで、ここで一旦、マーラーとその近傍固有の文脈を離れて、「老い」が一般にどのように捉えられているかについて俯瞰してみることにしたい。

(ちなみに「パラタクシス」を含む『文学ノート2』の邦訳書の巻末には前田良三「『文学ノート』ーアドルノの「主著」ならぬ主著をめぐって」という論考が収められているが、そこでは『オリエンタリズム』の著者であり、オリエンタリズムとポストコロニアリズムの理論を確立したエドワード・W・サイードが参照され、更にサイードの『晩年のスタイル』に言及しつつ、サイードが「アドルノから「晩年のスタイル」(あるいは後期の様式)というキーワードを取り込むことによって、「故郷喪失状態」という空間的条件を時間的なものに読みかえる。」(同書, p.389)という指摘が為されていることにも目くばせをしておこう。)

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12-13 改稿)

2024年12月5日木曜日

妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉(2024.12.5 更新)

妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.356, 白水社版酒田健一訳p.398)
... was wir hinterlassen, was es auch sei, ist nur Haut, Schale etc. Die Meistersinger, die Neunte, der Faust, alles sind nur abgstreifte Hüllen! Nicht mehr als was im Grunde genommen unsere Leiber! Nun freilich sage ich nicht, daß das Schaffen überflüssig sei. Es ist dem Menschen nötig zum Wachsen und zur Freude, die auch ein Symptom der Gesundheit und Schaffenskraft ist. ...

…われわれが後世に残すものは、それがなんであれ、外皮、形骸にすぎない。『マイスタージンガー』、『第九交響曲』、『ファウスト』、これらはすべて脱ぎ捨てられた殻なのだ!根本的にはわれわれの肉体以上のものではない!もちろんそうした芸術的創造が不用な行為だというわけではない。それは人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないものだ。とくにこの歓喜こそは、健康と創造力の証(あかし)なのだ。…

 この言葉のみをこの手紙から抜き出すのは危険なことかも知れない。手紙というのは、極めて局所的で限定的な、だがその限りでは大変に明確な 目的を持って書かれることがあって(いや、正確には、普通はそういうものか、、、)、従って、こういう言葉を取り出してきて、そうした手紙の意図を 抜きにして云々することは、原理的に言って、全く見当違いの結論にすら結びつきかねない。

だが、かつてこの本を繰り返し繰り返し読んでいた頃の私にとって、この言葉は衝撃的な力を持つものであった。そして、実際にはその力は今の 私にとってもやはり大きなものであり続けている。歳をとって、多少は受け止め方も変わってきてはいるけれど。

それにしても、この言葉は、本気で―つまり「方便」としてでなく―言われているのだろうか? 

実は、この手紙の前の方で、こうした「作品」についての考え方をアルマはすでに良く知っていると 思う、というくだりがあって、だとしたら、やはりこれは、少なくともその当時のマーラーの考え方だったのだ、とするのが適当なのかも知れない。 私のような、自分では何も生み出せない人間が言うのであれば、別にどうということもない―負け惜しみくらいに取られるのが落ちだろう―が、 言っているのがマーラーであれば、話は別ではないだろうか。あるいは寧ろ、天才であればこそ、こうしたことが言えるのだろうか。

もう一つの可能性がある。つまりマーラーは第2交響曲や第8交響曲を支えている「不滅性」についての考え方を、比喩としてではなく、「文字通り」 信じている、という可能性が。それならば、それに比べれば「作品」が取るに足らないというのも、きっと筋が通っているのであろう。 だが、現実にはこの時期のマーラーは、大地の歌から第9交響曲へと歩みを進めていた筈なのである。

あるいはまた、ここで言っている「作品」は、それを出発点として、作者の「精神」へと辿ることができる媒体といったほどの意味合いで使われている のかも知れない。作品を産み出す精神の働きの方が尊いのだ、というのであれば、これは納得がいく。だが、よく読むとそれは少し都合の良すぎる 読み方ではなかろうか。マーラーは「われわれの肉体」と「作品」とを対比しているのだ。するとやはり、最初に書いた通り、結局この手紙が書かれた ごくローカルな「意図」に立ち返るべきなのか、、、

いずれにしても、この言葉は私にとって「躓きの石」であり、今後も、この言葉を巡ってあれこれ考え続けることになりそうである。

だが、作品が抜け殻に過ぎないということばを理解するための手がかりとして、一つだけ、ある情報の「深さ」に関する近年の考え方に目くばせしておくことにしよう。それはマーラーの同時代から始まった(例えばポワンカレやマクスウェルを思い浮かべて頂きたい)複雑性や情報についてのアプローチが大きな進展を示し、深化を続けている21世紀に生きる者が拾い上げた壜の中味を解読するための重要な手がかりの一つなのではないかと思えるからである。

ある作品の持つ「深さ」はどのようにして測る事ができるのか。伝記主義的な実証はそれが生み出された背景をなす 環境を指し示しはするが、作品を、作品から受け取ることができるものを何ら明らかにしない一方で、形式的な分析もまた、 それ自体「痕跡」であるメッセージの、情報伝達の形態のみを問題にし、ノーレットランダーシュが『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(柴田裕之訳, 紀伊国屋書店, 2002)で述べるところのexformation、 メッセージが生み出される際に処分され、捨てられた情報(更にはベネットの「論理深度」とか、 セス・ロイドの「熱力学深度としての複雑性」もまた思い浮かべていただきたい)を扱うことができない。 勿論、形態の美しさ自体が、その深さと密接に関係するということもあるだろう。マクスウェル方程式にたいしてボルツマンが 発したことば、ゲーテのファウストの引用、更にはマクスウェル自身の言葉「私自身と呼ばれているものによって成されたことは、 私の中の私自身よりも大いなる何者かによって成されたような気がする」ということばを思い浮かべるべきだろう。 そしてまた、マーラー自身もまた、それに類する発言をしていること、「…が私に語ること」により作品を創り上げたことを思い起こすべきであろう。そのとき差出人たる幽霊とは一体何者だろうか。ダイモーンの声、ジュリアン・ジェインズの二院制の心の「別の部屋」からの声。 情報を捨てるプロセスそのものを事後的に物象化したものを幽霊と呼んでいるのだろうか。「抜け殻」としての作品。 そして捨てられた情報の大きさは、受け取るものがそこから引き出すことができる情報の豊かさに対応しているに違いない。

人の一生を超える時間の隔たりと、地球を半周の場所の隔たりを乗り越えて、 だが、実際にはそうした距離の測定を無効にする印刷技術が可能にした記譜法のシステムと 録音・再生のテクノロジーに支えられて、ふとした偶然によって耳にすることによって、マーラーの音楽を私は拾いあげ、それらに耳を澄ませる。それらは事後的に差出人を指示するが、それは常に痕跡としてでしかない。 私の裡にこだまするのは常に既に幽霊の声なのだし、作品は「抜け殻」に過ぎないのではなかろうか?

かくして21世紀に生きる私は、マーラーの言葉を、上述のような情報についての考え方に照らして了解すべきなのではないか。そして更にこの考え方は、意識は「抑制」であり、「引き算」で引く部分にあたる(津田一郎、松岡正剛『科学と生命と言語の秘密』, 文春新書, 2023, p.287)という考え方を接続することが可能ではなかろうか。かくして一見したところ謎めいたマーラーの言葉は、「意識の音楽」たるマーラーの音楽の秘密に迫るための鍵であるようにも思えてくるのである。
(2007.5.17, 2024.11.25,12.5 加筆更新)

2024年12月1日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (0)(2024.12.1 更新)

 今やマーラーと「老い」について、マーラーにおける「老い」について、必ずしもアドルノのようではなく自分なりの認識を整理することに向かうべきなのだと感じている。ゲーテはそれを「現象から身を退く」と定義したのだったが、後に個別に見るように、アドルノはジンメルのゲーテ理解を受け継ぐような形で「現象から身を退く」点を重視して「後期様式」を、マーラーおよびベートーヴェンという具体的な作曲家を対象として論じている。

* * *

 ゲーテ=ジンメルにおける「老年」。特に重視すべきは「無限」との関わりだろう。人間以外には「無限」を認識できる生き物はいない。

 手始めにジンメルのゲーテ論(邦訳:ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店)の中で「後期様式」に関連する箇所の同定をしておこう。

第8章 発展 p.383~384

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」

In ihr bedarf die subjektivische Formlosigkeit der Aufnahme in eine historisch oder ideell vorbestehende Form, durch die sie zugunsten einer Objektivität entwickelt wird. Im Alter aber hat der große gestaltende Mensch – ich spreche hier natürlich von dem reinen Prinzip und Ideal – die Form in sich und an sich, die Form, die jetzt schlechthin nur seine eigene ist; mit der Vergleichgültigung alles dessen, was die Bestimmtheiten in Zeit und Raum uns innerlich und äußerlich anhängen, hat sein Subjekt sozusagen seine Subjektivität abgestreift – das »stufenweise Zurücktreten aus der Erscheinung«, Goethes schon einmal angeführte Definition des Alters.

ここで「已に述べた」とあるので、前で言及がある筈。どこか?

第6章 釈明と克服 p.277

「ゲーテは曾て言ふ、「老齢とは一段一段現象から退去する謂である」と。―而して此の言葉は、本質が外皮を剥落するとも解し得るし、同様に本質が一切のあかるみから究極の秘密へ退去するとも解釈し得る。」

»Alter«, sagt Goethe einmal, »ist stufenweises Zurücktreten aus der Erscheinung« – und das kann ebenso bedeuten, daß das Wesen die Hülle fallen läßt, wie daß es sich aus allem Offenbarsein in ein letztes Geheimnis zurückzieht;

 ゲーテ=ジンメルにおける「後期様式」とは、それに先行する「初期様式」なり「中期様式」なりとの、その現われにおける差異のみについて言われているのではなく、その「様式」の由って来るところのものの違いが問題になっていて、謂わばメタ的な視点での区別であることに注意すべきだろう。青年期は、自己固有のものとしては寧ろその無形式によって特徴づけられるのであって、形式は外部からあてがわれた支え、外皮であり、「借り物」であるのに対して、老年期のそれは自己固有のものであり、最早外皮を必要とせず、そうであるが故に主観・客観の対立図式から解放されるという運動が思い描かれているのである。

 であるとすると、これをアドルノのマーラー・モノグラフの文脈に持ち帰った時に直ちに思い当たるのは、「唯名論的」性格だろう。もっともマーラーの作品における「唯名論的」な性格は晩年・後期固有のものではなく、寧ろ初期から一貫していると捉えられているのではあるが、一方でそうした「唯名論的」性格があればこそ、借り物の様式から離脱して、自己固有の形式の中での自由を獲得するというプロセスが可能となっているとは考えられないだろうか。マーラーの形式に対するアプローチにおける、その都度内側からボトムアップに形式を造り上げていくという「唯名論的」な傾向は、いわばマーラーが発展的作曲家であることの動因なのである。

 だがその点についての詳細は後に論じることとして、ここでは一旦、「老い」の側にフォーカスして、マーラーという「個別の場合」を扱うための予備作業、謂わば「地均し」をすることにしよう。

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1 更新)