2024年8月28日水曜日

備忘:マーラーの作品を分析するとはどういうことか?(2024.8.28更新)

 これまで様々な角度から、様々な手法でマーラーの作品について分析を試みてきたが、そもそも自分が何を目指して、何をしているのかについて、改めて整理をしてみることにする。予め先回りしてお断りしておくならば、それは既に実際に達成できる水準を以て測ろうというのではなく、あくまでも、実際の達成がその目標からは程遠く、千里の道程の最初の一歩に過ぎないとしても、到達すべき目標は何かを再確認することが目的である。

 分析をするきっかけをシンプルに言えば、それは対象に強く惹き付けられたからで、この場合の対象はマーラーが作曲した具体的なあれこれの作品という人工物である。端的な言い方をすれば、自分が魅了されたのは、その作品の持つどういう特徴によるのか、そして翻って、このような作品を創り出した人間とはどのような人間なのか、どのようなやり方でこのような作品を生み出したのかを知りたいと思ったというのが出発点となるだろう。

 ところで作品とは一体何だろう。それを考える上で、マーラーに関連する脈絡で2つの参照先が思い浮かぶ。一つは「作品」は「抜け殻」に過ぎないというマーラー自身の言葉。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡で「作品」についてマーラーはこう語る。
…われわれが後世に残すものは、それがなんであれ、外皮、形骸にすぎない。『マイスタージンガー』、『第九交響曲』、『ファウスト』、これらはすべて脱ぎ捨てられた殻なのだ!根本的にはわれわれの肉体以上のものではない!もちろんそうした芸術的創造が不用な行為だというわけではない。それは人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないものだ。とくにこの歓喜こそは、健康と創造力の証(あかし)なのだ。…
(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.356, 白水社版酒田健一訳p.398)  

 「抜け殻」とは言っても、「不用な行為」ではないのは、それが「人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないもの」だから、という。マーラーが創造した作品の聴き手、受け取り手である私はつい、それを受け手の問題であると決めつけてしまうが、それが「健康と創造力の証(あかし)」であるとするならば、その歓喜は、第一義的には作り手であるマーラーその人の「創る喜び」とする方が寧ろ妥当なのかも知れない。勿論、聴き手は単にそれを受動的に受け取るだけではなく、それに触発されることで成長し、喜びを感じる…というように考えることもできるだろう。

 その一方で「抜け殻」であるというからには、それはそれを作り出した人間そのものではないにせよ、その「痕跡」であるという見方も導かれうるだろう。そこで思う浮かぶもう一つの参照先は、シュトックハウゼンが、アンリ・ルイ・ド・ラグランジュのマーラー伝に寄せた文章の以下のような件である。

もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはゆかないだろう。もっと幅のせまい音楽ならば――あらゆる情緒的世界において――どこででも聴くことができるだろう。たとえば雅楽、バリ島の音楽、グレゴリオ聖歌、バッハ、モーツァルト、ヴェーベルンの音楽などがそうである。こうした音楽は、《より純粋》で晴朗だといえるかもしれない。しかし地球人の特質、その情熱の――もっとも天使的なものから、もっとも獣的なものにいたるまでの――全スペクトル、地球人をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの――そうしたすべてを知ろうと思うなら、マーラーの音楽にまさる豊かな情報源はないだろう。

 この書物は、異常なまでに多くの人間的特徴をただ一個の人格のなかで統合し、そしてそれらを音楽という永遠の媒体のなかへ移植することのできたひとりの人間の生涯と音楽についての証言である。その音楽は、人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとするまえの、古い、全的な、《一個体としての》人間による最後の音楽である。マーラーの音楽は、おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっているすべての人びとにとってひとつの道標となるだろう。

(Karlheinz Stockhausen, Mahlers Biographie, ≪Musik und Bildung≫ Heft XI, Schott, 1973, 酒田健一編『マーラー頌』所収, 酒田健一訳, pp.391-2)

マーラー自身の言葉を敷衍するならば、シュトックハウゼンは、マーラーの音楽のことを「古い、全的な、《一個体としての》人間」の「抜け殻」であり、それは「ある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査」するために恰好の情報源であると言っている。更に言えば、「ある別の星に住む高等生物」ではないにしても、「人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとする」後の時代に生き、「おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっている」に違いないこの「私」にすれば、それが少なくとも、その作品を創り出した「人間」に関する情報源であり、自分自身にとっての「道標」であるということになるだろう。シュトックハウゼンが参照する他の様々な音楽との比較の妥当性、是非についてはもしかしたら異議があるにしても――ここで思い浮かぶのは、ド・ラグランジュのマーラー伝刊行後しばらくしてからの1977年に打ち上げられたボイジャー計画の探査機に収められた「ゴールデンレコード」のことで、そこにはガムランやバッハは含まれても、マーラーが取り上げられることはなかったことは書き留めておくべきだろう――、とりわけ、それが人間を「この大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの」についての情報源であるという点については躊躇なく同意したいように感じている。

 ただし、そうした人間の限界というのは人間固有のものであって、それが「ある別の星に住む高等生物」に共有されることは些かも自明なこととは言えまい。(技術的特異点(シンギュラリティ)が絵空事とは言えなくなった今日なら宇宙人の替わりに人工知能を持ってきても良いだろうが、人工知能を道具として、(かつて)「人間」(であったもの)が分析をすることはあっても、人工知能が「主体」の分析というのは、少なくとも現時点では、未だ空想の世界の話に過ぎないだろう。)他方において、シュトックハウゼンの言葉には、自分が帰属する社会の文化的遺物であるマーラーの音楽が、それ以外の社会の「人間」をも代表しうるという暗黙の了解が存在するように思われるが、実際にはそれすら凡そ自明のこととは言えないだろう。とはいえ、一世紀の時間の隔たりと、地球半周分の地理的な隔たりを通り抜けて、マーラーが遺した「抜け殻」は、極東の島の岸辺に辿り着き、そこに住む子供が或る時、ふとそれに気づいて拾い上げ、壜を開けて中に入ったメッセージに耳を傾けた結果、それに強く惹き付けられるということが起きたこともまた事実である。そこに数多の自己中心的な思い込みや誤解が介在していたとしても、その子供はそこに、自分をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか許そうとしない、同型のものを見出し、共感し、そこに自らが歩むための「道標」を見出したことは、少なくとも主観的には間違いない事実なのである。或る時マーラーは「音楽」について以下のようにナターリエ・バウアー=レヒナーに語ったようだが、それがこの私の寸法に合わせて如何に矮小化されたものであったとしても、創り手が語った通りのものを、私もまたその音楽に見出したのである。

「音楽は、常にある憧憬を含んでいなくてはならない。それは、この世界の事物を越え出ようとする憧れだ。すでに子供の頃から、音楽は僕にとって何か謎のような、僕を高みに連れていってくれるようなものだった。でも僕は当時、想像力によって、音楽の中になどまったくないような無意味なものまで、そこに押し込んだのだ。」(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録(1984年版原書p.138, 1923年版原書p.119, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, pp.301-2)

 そして彼がそこに見出したのは、単なる耳の娯楽、美しく快い音響の系列ではない。これまたシュトックハウゼンが指摘している通り、その音楽は極めて幅の広いスペクトルを有しており、時として醜さや耳障りな音すら敢えて避けることはなく、寧ろそれは作品を創り出した人間が認識した「世界」の複雑さ、多様性の反映なのである。更に言えばそれは、標題音楽、描写音楽の類ではなく、寧ろ、(ネルソン・グッドマン的な意味合いで)「世界制作」の方法であり、その音楽をふとした偶然で耳にして魅惑された子供は、その音楽を通じて、「世界」の認識の方法を学んだというべきなのだろう。第3交響曲作曲当時のマーラーの以下の言葉はあまりに有名だが、それは肥大した自己に溺れたロマン主義的芸術家の誇大妄想などではなく、文字通りに理解されるべきなのだ。

僕にとって交響曲とは、まさしく、使える技術すべてを手段として、ひとつの世界を築き上げることを意味している。常に新しく、変転する内容は、その形式を自ら決定する。この意味から、僕は、自分の表現手段をいつでも絶えず新たに作り出すことができなくてはならない。僕は今、自分が技法を完全に使いこなしている、と主張できると思うのだけれども、それでも事情は変わらない。(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:アッター湖畔シュタインバッハ1895年夏の章(原書p.19, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, p.62)

 それは彼が認識した世界の構造を反映していると同時に、彼の認識の様態をも反映している。第3交響曲に後付けされた挙句、最後には放棄された素朴な標題が告げているように、作曲者はそこでは寧ろ世界「が語ること」に耳を傾け、自らが楽器となって世界が語ることを証言する、いわば霊媒=媒体の役割を果たすことになる。同じ時期にアンナ・フォン・ミルデンブルク宛の書簡に記した以下のマーラーの言葉は、そのことを雄弁すぎる程までに証言している。

 さていま考えてもらいたいが、そのなかではじっさい全世界を映し出すような大作なのだよ、――人は、言ってみれば、宇宙を奏でる楽器なのだ、(…)このような瞬間には僕ももはや僕のものではないのだ。(…)森羅万象がその中で声を得て、深い秘密を語るが、これは夢の中でしか予感できないようなものなのだ!君だから言うが、自分自身が空恐ろしくなってくるようなところがいくつかあって、まるでそれはまったく自分で作ったものではないような想いがする。――すべては僕が目論んだままにもうすっかり出来上がっているのを僕は受け取るばかりだったのだから。」
(1896年6月18日付アンナ・フォン・ミルデンブルク宛書簡に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書153番, pp.162-3。1979年版のマルトナーによる英語版では174番, p.190, 1996年版書簡集に基づく邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では180番(1896年6月28日付と推定), pp.173-4)

 それでは一体、そうした作品を分析するとき、私は何をそこに見出そうとしているのか?なぜ演奏を聴くだけで事足れりとはせず、楽譜を調べ、楽曲分析を参照し、或いは自作のプログラムを用意して、MIDIデータを用いたデータ分析を行うのか?

 対比のために、耳に心地よい音響の系列の分析を考えてみると、この場合の分析の目的とは、なぜそれが耳に快いのかを突きとめることになるだろうか。西欧の音楽であればバロック期の作品や古典期の作品の多くは(勿論、モーツェルトの晩年の作品のような、私にとっては例外と感じられる作品はあるけれども)、そうした捉え方の延長線上で考えることができるだろう。或いはまた蓄積された修辞法に(クラングレーデ)基づく風景や物語の描写、或いは劇的なプロットの音楽化から始まって、ロマン派以降の作品のように、情緒的な心の動きや繊細な気分の移ろいや感覚の揺らめき、雰囲気の描写を行うような音楽もあり、そうした音楽にはその特質に応じてそれぞれ固有の分析の仕方があるだろう。では上記のようにシュトックハウゼンが規定し、創り手たるマーラーその人が語るようなタイプの作品についてはどうだろうか?

 端的な言い方をすれば、所詮は音響の系列に過ぎないものが、どうしてそれを創り出し、或いは演奏し、聴取する「人間」についての情報源たりえるのか?どうしてそれが「一つの世界」の写し絵たりうるのか?「世界」の認識の仕方の反映たりうるのか?ということになるだろうか。それは(勿論、一部はそうしたものを利用することはあっても)特定の修辞法に基づく描写ではないし、主観的な情緒や印象の音楽化に終始することもない。そうした事情を以て、人はしばしばマーラーの音楽を「哲学的」と呼んだりもするが、それが漠然とした雰囲気を示すだけの形容、単なる修辞の類でなく、少しでも実質を伴ったものであるとしたならば、一体、単なる音響の系列が、どのような特徴を備えていれば「哲学的」たりうるのか?

 上記の問いは修辞的、反語的なものではない。つまり実際には「哲学的」な音楽など形容矛盾であり、端的に不可能であって、「哲学的」な何かは音楽に外部から押し付けられたものであると考えている訳ではない。それどころか、私がマーラーの音楽に魅了された子供の頃以来、その音楽には「哲学的」と形容するのが必ずしも不当とは言えないような何かが備わっていると感じて来たし、今なおその感じは変わることなく続いているのである。そしてそれを「哲学的」と形容すること是非はおいて、マーラーの音楽には、それを生み出した「人間」の心の構造を反映した、或る種の構造が備わっているのではないかと考え、そうした構造を備えている音楽を「意識の音楽」と名付けて、その具体的な実質について少しでも理解しようと努めてきたのであった。勿論、マーラーの音楽だけが「意識の音楽」ではないだろうし、マーラーの音楽の全てが同じ程度にそうであるという訳でもなかろうが、私がマーラーの音楽に惹き付けられた理由が、それがそうした構造を備えているからなのではないかという予想を抱き続けてきたのである。

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 「意識の音楽」については、既に別のところで何度か素描を試みて来たし、その後大きな認識の進展があった訳ではないので、ここで繰り返すことはしない。その替りにここでは、従来、音楽楽的な分析や、哲学的な分析によって示されてきた知見の中で、「意識の音楽」について、謂わば「トップダウン」に語っていると思われるものを指摘するとともに、MIDIデータを用いた分析のような、謂わば「ボトムアップ」なアプローチとの間に架橋が可能であるとしたら、どのような方向性が考えられるかについて、未だ直観的な仕方でしかないが言及してみたいと思う。

 まず手始めとして取り上げたいのが、マーラーの作品の幾つか、或いはその中の或る部分が備えているということについては恐らく幅広く認められていると思われる、「イロニー」あるいは「パロディー」といった側面についてである。

 私がマーラーに出会って最初に接した評伝の一つ、マイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー その生涯と作品』(中河原理訳, 芸術現代社, 1978)では、第2交響曲の第3楽章スケルツォに関連して、以下のように、純粋な器楽によるイロニーの表現の可能性についての懐疑が述べられていて、その後永らく自分の中に問題として沈殿続けていた。

「これは、人間のように耳は傾けるけれど態度は変えない魚たちに説教する聖アントニウスを歌った「角笛」歌曲のオーケストラ版である。この歌と詩は皮肉っぽく風刺的だが、しかし純粋な器楽で風刺と皮肉が表現できるものだろうか?耳ざわりな木管のきしみも風刺を伝えない。そういう意味ではこの楽章は失敗だと私は思う。しかし恐怖と幻滅の極めて力強い暗示をもった、まことに独創的なスケルツォとしては成功している(そしてそのことの方が重要なのである)。」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー その生涯と作品』, p.154)

その一方で「パロディー」についてケネディは、第9交響曲第3楽章に関連して以下のように述べている。

「マーラーは、対位法の技法を欠くといって自分を非難した人々への皮肉なパロディーをこめて、この楽章をひそかに「アポロにつかえる私の兄弟たちに」に捧げた。指定は「極めて反抗的に」とあり、実際そう響く。これは短い主題的細胞で組み立てられた耳ざわりで、ぎくしゃくした音楽で、最初の細胞には第5交響曲の第2,第3楽章の音形が反響している。トリオに入ると第3交響曲の第1楽章の行進曲のパロディーがある。こうしてマーラーは自分の諸作品をひとつの巨大な統一に結びつけてゆく。」(同書, pp.221-2) 

 第2交響曲第3楽章は歌曲と異なって、歌詞がある訳ではないので、器楽曲であるそれ自体はイロニーの表現にはならないと述べ、第9交響曲第3楽章についても、言葉による指示(最終的な総譜に残された訳ではないが)について皮肉を認めている一方で、器楽曲作品の主題的音形の引用によるパロディーは認めるというのがケネディの姿勢のようだ。風刺や皮肉は認めていなくても、第2交響曲第3楽章には恐怖と幻滅の極めて力強い暗示を認め、第9交響曲第3楽章についても、耳ざわりでぎくしゃくしているという性質は認めているので、皮肉は言語的なもので音楽だけでは成り立たない一方、音楽がそれ自体で或る種の気分、情態性を示すことができる(ネルソン・グッドマン的には「例示」exsamplifyということになろうか)と考えているようなのである。

 ここで思い浮かぶのはアドルノが『マーラー 音楽観相学』(龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)で、マーラーの音楽の唯名論的性格について述べている中で、以下のように述べている箇所である。

彼がしばしば、主題それ自体からはどちらとも判断を許さないままに、「まったくパロディー抜きで演奏」、あるいは「パロディーで」というように指示したということは、それらの主題が言葉によって高く飛翔する緊張を示している。音楽が何かを語りたいというのではないが、作曲家は人が語るかのような音楽を作りたいのだ。哲学的用語との類比で語るならば、この態度は唯名論的と言えるだろう。音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.83)

 引用の最初の部分だけとれば、音楽的には同一のものが、言葉の指示によってパロディーであったりなかったりするということだから、その限りでは、音楽そのものは同一でも、それをどう名付けるかが問題だという意味で「唯名論的」という言葉を使っているように見えるが、後続の件や、別の箇所で「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝統の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている。」(p.56)と述べていたり、「形式のカテゴリーをその意味から演繹する」「実質的形式論 materiale Formenlehre」(一般には素材的形式論とも)について述べるくだり(p.61)などを考え合わせると、寧ろ、個別の作品毎に各部分が担う機能に基づいて、いわばボトムアップに形式が規定されるといった側面が強調されているようにも見え、この水準は、音楽とそのメタレベルに位置する言語との関係ではなく、一般の抽象的形式カテゴリーと実質的カテゴリーとの関係が問題になっているのであって、実質的なものは抽象的カテゴリーと並行しているか、さもなくば下位に位置するものとされているのである。もし後者の立場に立つならば、ある主題がパロディーか否かというのは、音楽そのものによっては決定不可能であり、作曲者がそれにどのような指示を言葉によって与えるかで決まるという訳では必ずしもなく、寧ろ、個別の作品の音楽の脈絡に応じた、その主題の意味するものによって決まるということになるだろう。アドルノがモノグラフ冒頭で、「マーラーの交響曲の内実を明らかにするためには、作曲法上の問題にのみとらわれて作品そのものをおろそかにしてしまう単なる主題分析のような考察では不十分である」(同書, p.3)と述べているのは、こうした見方に由来しているのである。

 ケネディの言う通り、一般的には「イロニー」は、言語的なものを媒介としており、マーラーの音楽における歌曲と器楽曲の往還を考えれば、マーラーの音楽はそもそも言語的なものの侵入を受けており、それを抜きにして内実を捉えることはできないという見方ができる一方で、アドルノが指摘するような音楽内部における形式的カテゴリーと実質的カテゴリーの重層性を認めるならば、音楽そのものに内在するこうした複数の層の存在とその重なり合いがマーラーの音楽の重要な特徴の一つであると考えることができるように思われる。この点に関連してアドルノが

「マーラーの音楽は、あらゆる幻影に敵意を抱きつつ、芸術それ自体がそのようなものと成り始めた非真理から自らを癒やすために、かえって自身の、本来のものではない性格を強調し、虚構性を力説する。このようにして形式の力の場の中に、マーラーにおけるイロニーとして知覚されるものが生じている。(…)新しく作られたものの中にある既知のものの残像は、彼の場合には、どんな愚鈍な者の耳にも聞こえてくる。」(同書, p.42)

と述べていることを書き留めておきたい。そしてアドルノが言うように「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝来の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている」(同書, p.56)のであれば、特に実質的カテゴリーについては、音楽が謂わば庇を借りている伝統的な楽式よりも寧ろ、個別の作品の具体的な経過を追跡することによって明らかになる各部分の機能に基づいて同定されるものであるということになりそうである。ここに伝統を蓄積のある音楽学的な楽曲分析とは別に、MIDIデータを用いた分析を行うことによって、直ちにという訳には行かなくとも、将来的にはマーラーの音楽の内実を解明することに寄与する可能性を見ることができるのではないかと考える。

 「パロディー」についても、引用の元となる文脈と、引用された文脈との間のずれが持つ意味によって決定されるということになる。上に引いた第9交響曲第3楽章の例の場合、元となる第5交響曲第2楽章なり第3交響曲第1楽章なりの部分と比較した時、それを引用したロンド・ブルレスケにおいて疑いなく感じ取れる、ケネディ言うところの「耳ざわりで、ぎくしゃくした」感じは、主題的細胞の和声づけや楽器法に加えられた変形によってもたらされる部分が多く、これは広い意味合いにおいては、アドルノの言う「ヴァリアンテ(変形)」(Variante)の技法によるものと考えることができるだろう。「小説と同様に、定式から解放された個々のものが、いかにして形式へと自らを造り上げ、自律的な連関をわがものとするか、ということが、マーラーに特有の技術上の問題となる。」(同書, p.110)のに対して、「マーラーのヴァリアンテは、常にまったく異なると同時に同じであるような叙事詩的・小説的なモメントに対する技術上の定式化である。」(同書, p.114)と「ヴァリアンテ(変形)」は位置づけられている。続けて例として取り上げられるのは「歩哨の夜の歌」における和声進行における変容なのだが、してみれば、いずれはヴァリアンテの分析に繋がるものとして、さしあたりは予備的なレベルのものであれ、和音の遷移の系列に分析することには一定の意義があるのではないかと考えたい。そして「ヴァリアンテ(変形)」の手法がソナタ形式や変奏曲形式という伝統的図式に反して、その音楽の内実に即した実質的な形式原理にまで徹底された例として挙げることができるのが、第9交響曲の第1楽章である。

「様々な技術的処理方法は、内実に合致したものとなっている。図式的な形式との葛藤は、図式に反する方向へと決せられた。ソナタの概念と同様、変奏という概念も、この作品には適当ではない。しかし、交代して現われる短調の主題は、長調の領域とのその対比は楽章全体を通じて放棄されていないのだが、その短いフレーズが第一主題とリズム的に類似していることにより、音程の違いにもかかわらず第一主題の変奏であるかのように作用する。そのこともまた非図式的である。すなわち、対照的な主題を先に出た主題から別物として構造的に際立たせるのではなく、両者の構造を互いに近寄らせ、対照性を調的性格の対比の面だけに移行させるのである。両方の主題において、ヴァリアンテの徹底化された原則に従い、音程は全く固定化されず、その書法と端に位置する一定の音だけが定まっている。両者に対して類似性と対照性とは小さいな細胞から導き出され、主題の全体性へと譲り渡される。」(同書, pp.200-201)

 ここで述べられているヴァリアンテの具体的様相をMIDIデータを分析することによって抽出することは極めて興味深い課題だが、人間が聴取する場合には難なくできることをプログラムによって機械的に実行しようとすると、たちまちあまたの技術的な困難に逢着することになる。バスの進行や和声的な進行が固定化されている変奏と異なり、ゲシュタルトとしての同一性を保ちつつ、だが絶えざる変容に伴われた音楽的経過を、マーラーが意図したように、或いは聴き手が読み取るように分析することは決して容易ではないが、ニューラルネットをベースとした人工知能技術が進展した今日であれば、これは恰好の課題と言えるかも知れない。同様に、技術的には「ヴァリアンテ(変形)」の技法に関連した時間的な構造として「(…)主要主題の構造もまた、未来完了形の中にある。それは目立たない、レシタティーヴォ風の個性のないはじめの出だしから、力強い頂点にまで導かれる。つまりその主題は自身の結果として成り立つ主題なのであり、回顧的に聞くことによってはじめて完全に明らかなものとなる。」(同書, p.203)と、これもまた第9交響曲第1楽章に関連してアドルノが指摘する「未来完了性」を挙げることができるだろう。事後的に回顧することによって了解される目的論的な時間の流れというのは、現象学的時間論の枠組みにおいては、少なくとも第二次的な把持によって可能となる。第1楽章の総体、更にはこれも因襲的な交響曲の楽章構成に必ずしも従わない全4楽章よりなる第9交響曲全体の構造――それは「小説」にも「叙事詩」にも類比されるのだが――は、更に第三次の把持の水準の時間意識の構造を前提としなくては不可能であろう。

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 ここまで、マーラーの音楽の内実を明らかにするためのアプローチとして、言語を媒介とした高度な反省的意識の働きである「イロニー」「パロディー」を手がかりに、マーラー研究の文脈に添うかたちで、アドルノの言う伝統的な抽象的な形式カテゴリーと実質的カテゴリーの重層、更に音楽的経過に含まれる個々の要素の、いわば自己組織化的な形式化の具体的方法としての「ヴァリアンテ(変形)」の技法、それが可能にする時間論的構造としての未来完了性を取り上げてきた。ここで留意すべきと思われる点は、未来完了性のような時間的構造にせよ、アドルノが「小説」や「叙事詩」に類比するような構造にせよ、マーラーの音楽の特質と考えられるものは、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の反映と見做すことができるということであり、総じてマーラーの音楽は、そうした意識が感受し、経験する時間の流れのシミュレータと捉えることができるのではないかということである。そしてそうした観点に立った時に、高度な反省的意識の働きの反映と見做すことができる側面として、更に幾つかの点を挙げることができるだろう。ここではその中で、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の成立の、実は前提条件を為している、「他者」の働きに関わる特性として、調的二元論に基づく対話的構造、これも伝統的な規範からは逸脱する傾向を持つ対位法による複数の声の交錯、更にはシェーンベルクがマーラーを追悼したプラハ講演において以下のように指摘する「客観性」について目くばせするに留めたい。

 そこ(=第9交響曲:引用者注)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。

(シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

 と同時に、ここでは「動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間」にしか可能でないと指摘される「客観性」が、一方では既に触れた第3交響曲の創作についてマーラー自らが語ったとされる言葉に含まれる「…が語ることを」書き留めるという受動性に淵源を持ち、他方では「小説」的、「叙事詩的」な語りを可能にするような意識の構造に由来し、ひいてはモノグラフ末尾で「マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることにによって主観的なものとなる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.214)とアドルノが指摘する点に繋がるであろうこと、マーラーの音楽の内実を明らかにしようとする企ては、「作品のイデーそのものではなく、その題材にほかならない」「芸術作品によって扱われ、表現され、意図的に意味されたイデー」(同書, p.3)にしか行きつかない標題の領域をうろつくことなく、こうした構造の連関を浮かび上がらせるものでなくてはならないということを主張しておきたい。

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 上記のような点を仮に大筋認めた上で、だがしかし、具体的に為されたデータ分析の結果が、一体どのようにして上記のような問題系に繋がり、それを説明したり論証したりすることに関わるのか?という疑問は全くもって正当であり、率直に告白するならば、その具体的な道筋が朧げにでも予感できているといったレベルにすら程遠いというのが偽らざる現状であることは認めざるを得ない。

 そのことの困難さを端的に述べるために、問題を非常に簡単なかたちにして示してみよう。MIDIデータを用いたデータ分析について言えば、MIDIデータに含まれる音の系列に基づいて、そうした音の系列を産み出すためにはどのようなシステムが必要か、どのような規則(群)が、どのような構造が必要かという問題を解いていることになるが、それは例えば制御理論における逆問題の一種で、実現問題と呼ばれるような問題設定、系の挙動から、系の内部構造としての状態空間表現を求める問題に似たものとして捉えることができるだろう。つまり、マーラーの作曲した作品を生成するようなオートマトン、「マーラー・オートマトン」を設計する問題として捉えてみるのである。これに似た問題設定として、マーラーの作品の音の系列を与えて、似たような音の系列を生成するニューラルネットワークを学習させる機械学習の問題を考えてみるというのもある。後者についてはGoogle Magentaのようなツールを、Colaboratoryのような環境で動かすことによって比較的容易にやってみることが可能で、本ブログでも特に第3交響曲第6楽章を用いた実験を実施し、その結果を公開したことがあるが、話を単一作品(楽章)に限れば、更に試行錯誤を重ねればある程度の模倣はできそうな見通しは持てても、多様で複雑なマーラーの作品を模倣した音の系列を生成する機械を実現すること自体、容易なことではなさそうである。(これを例えばバロックや古典期の「典型的」な作品の生成と同一視することはできない。それらは寧ろ大量生産・消費される製品に近いものであり、それらと「唯名論的」に、個別の作品毎に、その内容によって実質的な形式が生成していくマーラーの作品との隔たりは小さなものではないと考えられる。同じことの言い替えになるが、機械学習にせよ、統計的な分析にせよ、マーラーの作品は、――冒頭に触れたシュトックハウゼンの指摘が或る意味で妥当であるということでもあるのだが――作品の数の少なさに比べて多様性が大きいし、その特性上、単純にデータの統計的な平均をとるようなアプローチにそぐわない面があるように感じられる。人間の聴き手、分析者は、何某かフィルターリングや変換を行った上で、抽象的な空間でデータ処理を行っているように感じられるのだが、ではどのようなフィルタリングや変換を行い、分析を行う空間をどのように定義すればいいのかについて具体的な手がかりがあるわけではない。)

 そこでいきなり「マーラー・オートマトン」を生成する問題を解くような無謀な企ては控えて、マーラーの作品の構造を分析することに専念したとして、そもそもマーラーの音楽の持つ複雑な構造そのものを、その内実に応じた十分な仕方で記述するという課題に限定してさえ前途遼遠であり、ここでの企てがそれを達成しうるかどうかについて言えば、率直に言って悲観的にならざるを得ないというのが現実である。マーラーの作品が「意識の音楽」であると仮定して、そこにどのような構造があると仮定すれば良いのかすら明らかではない。カオス的な挙動を想定した分析をすれば良いのか?(具体的には例えばリャプノフ指数を求められばいいのか?だが、カオス的な挙動そのものはごく単純な力学系ですら引き起こすことができるものであり、仮にある音楽作品にカオス的な挙動が観察されたとして、それが意味するところは何かは良くわからないが、それでもなおそれがマーラーの作品の何らかの特性に関わる可能性を考えてやってみることになるのだろうか?)、オートポイエーシスやセカンドオーダー・サイバネティクスのようなシステムを仮定して、それらが備えている(例えば自己再帰的な)構造を仮定した分析をすれば良いのか?

 だが恐らく、自己再帰的な構造というだけならば「意識」の関与について必要条件であったとしても、十分条件ではないだろう。つまり自己再帰的な構造は、自己組織化システム一般の備えている特徴であって、それが「意識」の関与の徴候であるわけではないだろう。或いはまた、それは高度な意識を備えた作曲者の「作品」であることを告げていることはあっても(例えばバッハの「フーガの技法」のような主題の拡大・縮小を含んだ高度な対位法的技術を駆使した作品を思い浮かべてみれば良い)、それはここでいう「意識の音楽」の特徴とはまた異なったものであり続けるだろう。寧ろ例えば、文学作品における普通の叙述と「意識の流れ」の手法との対比のようなものとの類比を考えるべきなのだろうか?ある叙述が「意識の流れ」であるというのは、どのようにして判定できるのだろうか?そしてここでは「音楽」が問題になっているのであれば、それは「音楽」に適用することが可能なものなのか?(これはそれ自体マーラーの作品を考える時に興味深い論点だろうが)「意識の流れ」と「夢の作業」に共通するものは何で、両者を区別するものは何か?こうした問いを重ねていくにつれ浮かび上がってくることに否応なく気づかされるのは、結局のところ「意識の音楽」の定義そのものが十分に明確ではないということである。だがその少なからぬ部分は恐らく「意識」そのものに由来するものではなかろうか?その一方で、このように考えることはできないか?すなわち、「意識の流れ」の定着は、それ自体は「意識的」に組み立てられた結果というより、無意識的なものを整序せずにそのまま定着させようとした結果なのだが、そこには高度な意識の介入があって、「無意識的なものを整序せずにそのまま定着させる」という所作自体は、高度にメタ的な「意識の運動」ではないだろうか?そうした操作の結果が音楽的に定着されたものを「意識の音楽」と呼ぶのではなかったか?

 「意識の音楽」の何らかの徴候を、MIDIデータの中に見出そうという試みが、そもそも初めからかなり無謀な企てであることは否定できない。困難は二重のものなのだ。「意識」がどのような構造がどのように作動することで成り立つかがそもそもわかっておらず、十分条件ではなく、良くて必要条件に過ぎない条件として、セカンドオーダーサイバネティクスやオートポイエーシスのような概念が提示されている、という状況がまずあり、更に直接「意識」そのものと相手にするのではなく、「意識」を持った存在が生産した作品を手がかりに、そこに「意識」を備えた生産主体の構造が反映されていることを見出そうとしているわけで、従って、仮説の上に仮説を重ねるこの企て自体、そもそも無理だとして否定されても仕方ない。そんな中で、限られた手段と資源でとにかくデータに基づく定量的な分析を行おうとすれば、「街灯の下で鍵を探す」状況に陥ることは避け難く、一般に「マクナマラの誤謬」と呼ばれる罠に陥ってしまう可能性は極めて高いだろう。けれども、だからといってデータに基づく分析を放棄してはならないし、簡単に測定できないものを重要でないとか、そもそも存在しないと考えているわけでは決してなく、そういう意味では、できることを手あたり次第やる、という弊に陥りはしても、「マクナマラの誤謬」の本体については回避できているというように認識している。

 三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」であれば、それをシュトックハウゼンの宇宙人が解読しようとしたとき、規則によって生成された音の系列そのものだけでは、それが「人間」の産み出したものであるかどうかの判定はできない。自然現象でも同じ系列が生じることは(マーラーの場合とは異なって)あり得るだろう。だけれども、残り2つの相があることで。それは「人間」が産み出したものであり、人間についての情報を与えてくれるものとなっているというように言えるのだと思う。「五芒星」の音の系列そのものからは「人間」は出てこない。でも同じ音の系列をマトリクスとして、あの3つのヴァリアントを産み出すことができるのは「人間」だけなのだと思う。

 翻ってマーラーの場合だって、或る作品の或る箇所だけ取り出せば、それを機械が模倣することは可能だ。だけれども、マーラーの作品の総体ということになると、しかも、既に存在する作品の模倣ではなく、新たにそれを産み出すということになれば、それを産み出す機械は、「人間」と呼ばれるものに限られるということになるのではないか?

 これも前途遼遠な話ではあるが、或る作品単独での特徴ではなく、例えば一連の作品を経時的に眺めた時に見られる変化であれば、それを産み出す「主体」に、所詮は程度の差であれ、もう少し近づくことができるのではないかというような当所もないことを思っている。牽強付会にしか見えないかも知れないが、その「主体」が成長し、老いる存在なのだ、ということが読み取れるならば、それには一定の意義があるのではというように思うのである。人間が成長し、老いていき、その結果「晩年様式」なるものが生じるというのは、「人間」についての水準では既に自明のなのかも知れないが、だからといってデータ分析によって経年的な変化が読み取れることを、初めから答えがわかっていることを跡付けているだけとは思わない。例えばの話、具体的にその変化が、どのような特徴量において現れるかは決して自明なことではないし、データ分析はすべからく、分析者の仮説とか思い込みとかから自由ではあり得ない。完全に中立で客観な分析というのは虚構に過ぎない。

*   *   *

 最初はマーラーの作品における調的な遷移のプロセスを可視化することを目的として、そのための入力データとしてMIDIファイルを使うことにしたのがきっかけで、その後、特に和音(実際には機能和声学でいうところの和声ではなく、ピッチクラスセットに過ぎない。以下同じ。)の出現頻度を用いてクラスタリングや主成分分析を行い、マーラーの作品に関して、幾つかの知見を得ることができた。その後和音の状態遷移パターンに注目してパターンの多様性の分析やエントロピーの計算を行い、そこでも若干の知見を得た後、直近ではリターンマップの作成をしているが、今後、どのような観点での分析を進めたら良いのかについて明確な見通しが持てているわけではない。本稿はそうした或る種の行き詰まりの中で、何か少しでも手がかりが得られればと考えて始めた振り返りの作業の一環として執筆された。ここまで執筆してきて、特段新たな発見のようなものがあった訳ではないが、従来より蓄積されてきたマーラーの作品固有の特性に関する知見と、MIDIデータを用いたデータ分析のようなボトムアップな分析とのギャップを具体的に確認することが出来ただけでも良しとせねばなるまい。そのギャップを埋める作業は、自分自身の手に負えるようなものではなく、ここでは問題提起を行うだけで、未来の優秀な研究者に委ねられているとしても構わない。寧ろこの問題設定を引き継ぎ(実際の作業は全く違うアプローチで勿論構わないが)いずれの日にか、マーラーの音楽の内実を捉えた分析が、具体的なデータに基づいて行われることを願って本稿の結びとしたい。(2024.8.16 初稿, 8.21, 28追記)

2024年8月12日月曜日

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及(Taschenbuch版全集第13巻p.300,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.202)
In der dialogisierenden Anlage des Satzes erscheint sein Gehalt. Die Stimmen fallen einander ins Wort, als wollten sie sich übertönen und überbieten: daher der unersättliche Ausdruck und das Sprachähnliche des Stücks(, der absoluten Romansymphonie).

楽章の対話する配置構造の中で、その内実が現れる。個々の声部は互いに口をはさみ、まるで互いを圧倒して競い合おうとするかのようである。まさにそこから、(絶対的な小説交響曲と言うことのできる)この作品の、飽くことなき表現と言語類似性とが生じている。 

偶々パウル・ツェランに関する書籍(関口裕明「パウル・ツェランとユダヤの傷 -《間テキスト性》研究-」慶應義塾大学出版会, 2011)の中で、ツェランとアドルノの 関係を扱っていた章を読んでいると、アドルノがマーラー論の上記の箇所を自己引用した書簡(1960年6月13日付)をツェラン宛に送っているものの引用(pp.160-1)に ぶつかった。同書末尾の書誌によれば、この書簡はアドルノ研究の年報のようなものに掲載されただけ(Theodor W. Adorno - Paul Celan: Briefwechsel 1960-1968. Hrsg. von Joachim Seng. In: Frankfurter Adorno Blätter VIII)のようなので、アドルノの研究者あるいはツェランの研究者でなければ目にすることは困難で、 そのいずれでもない、私のような市井のマーラーの聴き手にすれば、こうした事実を確認できるのは僥倖に近いものがあるので、ここに書きとめておく次第である。
 
なお、括弧で括った部分は、アドルノが引用の文脈上省略したと思われる部分である。引用の文脈について簡単に触れておくと、1960年5月23日に ツェランが、講演や書簡を除くと、彼の書いたほぼ唯一の散文である「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)を送ったのに対するアドルノの返礼が、上記の 文章の引用を含む6月13日付けの書簡となる。もともと「山中の対話」は、前年の1959年夏、ツェランがエンガディーンに滞在した折、同地でアドルノと 直接出会うチャンスがあったにも関わらず、アドルノの到来を待たずに同地を去りパリに戻った後、エンガディーンでの実現されなかった出会いの思い出として 書いたとツェランが自ら証言している散文であり、作中の対話の一方の話者である「大きなユダヤ人」はアドルノを指していると言われている。
 
上記の書籍を紐解いたのは、私がパウル・ツェランに関しては文学としては例外的な関心を抱いていて、その詩や散文を折に触れ読み返しているという 文脈あってのことなのだが、そうした文脈があればあったでなお一層、アドルノとツェランのやりとりの中で、マーラーの第9交響曲についての言及があるのは 非常に印象的なことである。だがツェランに親しんでいる人間の側に立てば、上で簡単にその一部を述べたアドルノとツェランとの交流については良く 知られたことではあるし、特に「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)に因んだやりとりはあまりに有名であるけれど、そこでマーラーの音楽が参照されることの方には、 些かの意外感がある、というのが一般的な反応であろうと想像される。関口さんも、上記を含む書簡を訳して引用した上で、「音楽にも精通していたアドルノ ならではの批評である。」としたあとで続けて、「独立した芸術作品としては、アドルノが『マーラー』で論じたマーラーの第9交響曲とツェランの詩的散文との 間には、ジャンルはもとより、その本質においても埋め難い径庭がある。」とコメントされている。
 
些か余談めくが、関口さんは、引用元であるアドルノの 「マーラー」の原文にあたられているようで、上で触れた省略についても述べられているのだが、それならば今度はアドルノが自己引用した文章のすぐ後、 パラグラフの結びとなる一節である"als ob die Musik während des Sprechens den Impuls zum Weitersprechen erst empfinge."の後半、"den Impuls"以降の部分が、 関口さんがツェランとの関わりで関心をお持ちのようで、ツェランに取材したオペラの初演にも立ち会われたと別の書籍で述べられているルジツカのヴィオラ協奏曲(1981) のタイトルとして用いられていること、そしてその作品でルジツカはまさにマーラーの第9交響曲をベースにしていることもまたご存知なのだろうか。のみならずルジツカには、 第5楽章にマーラーの第10交響曲の主題の引用を含む弦楽四重奏曲《...断片...》(1970)があるが、この作品はパウル・ツェラン追悼のために書かれたもので、 モットーとしてツェランの"Lichtzwang"からの一節が掲げられているのであるが、これについてはどうだろうか。
 
勿論、こうしたルジツカの側の文脈を列挙したところで、マーラーの音楽とツェランの詩的作品の間の関連を無条件に裏付けたり、 直接に証明したりするものでないことは明らかだが、仮に傍証であるとしても、こうした作品を書いている ルジツカのツェランに対する関わりについての言及を他所で行う一方で、ここでは「その本質においても埋め難い径庭がある」と断定し、だが、その断定に関する 一切の論証をせずにこの話題から離れていってしまうのは、上記のような事情を知る私にとっては非常に残念なことに感じられてならない。 浩瀚な大著のほんの一部でいわば通りすがりに言及されているだけなのであるから、無いものねだりなのだとは思いつつも、読者の私としては、俄には 受け入れがたい断定的なコメントがいわば宙に浮いたまま取り残されてしまった感じがして、ひっかかりを抱き続ける仕儀となっているのである。
 
さりとて、それについてツェラン、アドルノ、マーラーのいずれの研究者でもない私に何かが言えるわけでもないのだが、それでもこの文脈で主題的に論じられているのが 「対話」であることは明らかで、それがツェランにとっては極めて切実な問題であること、マーラーにおいても技法の次元を介してではあるが、極めて根本的な 問題であることもまた明白に思われるだけに、関口さんが、(あっさり通り過ぎてしまったマーラーの方はともかくも、)その点にはあたかも自明の前提の如く、 後続の「山中の対話」の分析でもほとんど主題的に扱うことがないことにも違和感を覚えてしまうのである。関口さんも指摘するとおり、ツェランは「子午線」において 「芸術」に「詩」を対立させる独特の詩論を展開するが、その一方でツェランはまた、先行するブレーメン講演で表明されている通り、詩を内的なモノローグ、 独語ではなく、「投壜通信」として、つまり対話として捉えてもいるのだし、そうした文脈で「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)を読むとき、まずそれが、タイトルに 「対話」という語を含み、形式として対話構造を直接持っているのではないが、その中で対話が繰り広げられていること、一度きり散文として対話が いわば「直接に」作品中でなされていることが持つ意味合いについてのコメントがあってしかるべきではないかという気がしてならない。
 
それはユダヤ性という点においても (ツェランが直接会って失望したブーバーよりも、寧ろ、ツェランの「投壜通信」への遅ればせの応答のようにツェラン論を書いたレヴィナスやデリダにおけるそれを 私は思い浮かべているが)決して瑣末な問題ではないし、「間テクスト性」という概念自体、ツェランについてそれを研究するのであれば、ツェランのいう「対話」概念 との絡み合いへの反省なしに行うことは、事態に即しているとは思えない。
 
してみれば、ことはマーラーに関わる部分に限定されるのではない。アドルノとツェランのこのやりとりを 「文章の音楽的効果」を介したものとして紹介するのは全く正当ではあるけれど、まずは何よりも、そこでジャンルを跨いだ「間テクスト性」において問題とされている 「対話」という主題という直接的なレベルにおいて無視が行われている点が、「対話」という主題の持つ射程、ジャンルを跨いだ「間テクスト性」概念自体にも 及ぶであろうそれに対する無視と重なって、ここで検討されるべきであった筈の論点、仮にマーラーの音楽について言えば個別には「その本質においても 埋め難い径庭がある」としても、それであればそうした個別の事情の方を無視して(つまり、マーラーが関係ないとおっしゃるならそれはそれでいいから)、 なお取り上げるべき論点、アドルノが指摘する「対話」の問題についての検討が為されていないことを遺憾に感じる気持ちを抑えがたいのである。 そもそも「間テクスト性」研究の正当性は、ツェラン自身が 「対話」を志向していた点(それが常に成功したのか、主観的にツェランがどのように感じていたか、晩年のツェランの抱えた問題がそれにどう影響したか、と いった問題は考慮しないといけないだろうが)に存している筈であり、「間テクスト性」の表れのレヴェルではなく、それを根拠づけている構造のレヴェルで 「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)はまさに結節点に位置しているのではないか。
 
だがここではマーラーの文脈に戻ることにしよう。マーラーの音楽において「対話」というのは、表面的には(子供の魔法の角笛を歌詞に持つ、バラード的な 作品が特に顕著だが、例えば「大地の歌」の終曲においても出現する)歌曲の歌詞における2つの人格間のやりとり、 「嘆きの歌」から第8交響曲第2部の「ファウスト」終幕の場に至る、やはり歌詞を持つカンタータ風の構想を持つ作品におけるテキストレヴェルでの プロットとしてのそれがまずあるが、それ以上に、アドルノがここで第9交響曲を主題に扱っている、形式面でのそれ、マーラーが出発点として参照し 続けたソナタ形式から取り出して見せた長調・短調の二元論(第6交響曲の第1楽章の第1主題と第2主題のブリッジの部分に出てくる有名な モットーはそれをいわば「蒸留」したものであろう)と、マーラーの音楽の一貫した特徴である2声の対位法による思考(それがむき出しの形で現れるのは、例えば 第9交響曲の第4楽章の最初は変ニ短調で現れる挿入句が、ついで嬰ハ短調で再び登場し、独立した対主題として成長するときにとる形態 だろう)、多楽章形式における視点の移動・変更(それがいわば「標題」として表に出ているのが第3交響曲の場合だろうが、別に第3交響曲において それが最も著しいわけではないし、例えば、一見そうは見えなくても、実際には「大地の歌」においてもはっきりと判別することができるが、それについて私は 別のところで素描を試みたことがある)、そしてそれとは異なったレベルでの作品自体の機能のレヴェル(例えばマーラーがアルマ宛の書簡で作者が 成長する折に脱ぎ捨てた「抜け殻」に過ぎないと述べているようなレヴェル)における「対話」や「贈与」といったコミュニケーション的な観点を 併せて考える必要があるだろう。
 
マーラーの音楽は肥大した自己意識の誇大妄想的な主観的独白と見做されることが多いようだが、何よりも上に述べたような、その音楽の 実質を支える内的な形式構造がそうした見方を否定する。マーラーの音楽が忌避されるのは、それが彼の表現として主観的だからではなく、 それが主観を苛む外部との葛藤を常に内的契機として孕んでしまっていて、美的な観点から判断すれば醜悪なものを内容するが故に、 心地よい音楽を求める人にとってそれは耳障りだからであり、逆に「心から心へ」の音楽観に忠実な人から見れば、その音楽は対立する契機を 含が故に屈折し、内的表白として理解しようとするものを拒む秘教的な暗号めいたものを持つゆえに素直に受け取ることができない胡散臭い 代物に映るからなのであろう。だがいずれにせよ「対話」という点においては、まずは内的な形式におけるそれが契機となって、今度はその作品自体が 他者に向かって開かれたもの、時代と環境を越えて、表現することのできない者、見捨てられた者の声を伝えるものであるという点で、ツェランが詩作を 通じて取り組んだことと一致するように私には思われる。上に引用したアドルノの指摘は、そうした一見したところ「埋め難い径庭」を超えた、両者の 最も個別的な側面での一致にまで通じるものなのではないか。
 
それはまた、それが成功しているかどうかは別として、ルジツカがなぜ、ツェランを追悼する作品でマーラーの音楽をまさに「間テキスト的」に引用せずには いられなかったかという理由にも繋がることは疑いない。勿論、現時点では論証抜きの仮説に過ぎないことは承知しているが、それでもこの場での私個人の 暫定的な結論はマーラーの音楽とツェランの詩的作品のジャンルの違い、2人の生きた時代や環境、それぞれの作品の持つ文脈の違いを 超えて、「対話」の構造において両者は本質的な関連を持つ、というものである。付言すれば、それは学問的論証のレベルではまだ取るに足らない レベルだし、私のような市井の人間の思いつきがきちんとした論証に辿り着く日が訪れることは、少なくとも私に残された時間を思えば、私個人の時間の 裡ではないと考えるべきだろうが、それでもなお、私はここでそれを「投壜」して、潜在的な読み手との「対話」を試みることはできる。そしてそれは、 ツェランの詩とマーラーの音楽に自分の生の極めて本質的な部分を支えてもらっている、それどころか私自身の一部であるとさえ感じている、それ自体は 取るに足らない存在に過ぎない私のではあるけれど、自己の個別性を賭した主観的確信に由来する行為なのである。否、そうした無力で言葉を 奪われたものである私、マーラーの音楽とツェランの詩に自己の代弁者を、自由を、あえて言えば"Schrift der Wahrheit"を見出すものの証言であるが 故に、論証としての説得力には至らずとも、この文章自体がせめて一つの証言としての意味があるのではないかと願わずにはいられない。(2012.10.20/21 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より(Taschenbuch版全集第13巻p.309,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.214)
(...)Vom Unwiederbringlichen vermag das Subjekt die auschauend Liebe nicht abzuziehen. Ans Verurteilte heftet sich der lange Blick. Seit der unbeholfenen, vom Klavier begleiteten Jugendkomposition des Volkslieds » Straßburg auf der Schanz' « sympathisiert Mahlers Musik mit den Azocialen, die umsonst nach dem Kollektiv die Hände ausstrecken. » Ich soll dich bitten um Pardon, und ich bekomm' doch meinen Lohn! Das weiß ich schon.« Subjektiv ist Mahlers Musik nicht als sein Ausdruck, sondern indem er sie dem Deserteur in den Mund legt. Alles sind letzte Worte. Der gehenkt werden soll, schmettert heraus, war er noch zu sagen hätte, ohne daß einer es hört. Nur daß es gesagt wird. Musik gesteht ein, daß das Shicksal der Welt nicht länger vom Individuum adhängt, aber sie weiß auch, daß dies Individuum keines Inhaltes mächtig ist, der nicht sein eigener, wie immer auch abgesplatener und ohnmächtiger wäre. Darum sind seine Brüche die Schrift von Wahrheit. (...)

(…)主体は、取り戻すことのかなわないものから、眺めている愛の眼をそらすことができない。判決を下されたものに対して、じっと見つめるまなざしがつきまとう。すでに若い頃の、ピアノ伴奏によるぎこちない民謡の<シュトラースブルクの堡塁で>以来、マーラーの音楽は、集団に対して無為に手を差し伸べる反社会的な人々への共感を抱いている――「許してくれと言えという。だけど罰はどのみち受けるのだ。それはもうわかっている」――マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることによって主観的なものとなるのだ。すべてのものが最後の言葉である。絞首刑になるべき者は、誰にも聞かれることなく、彼がまだ言いたいことを大声で語る。しかしそれはただ語られるだけなのである。音楽は世界の運命がもはや個人には左右されないことを認めるが、音楽はまたその個人が、どれほど引き裂かれた無力な内容でも、自分のものではない内容を意のままにすることはできないということも知っている。それゆえに、マーラーの音楽の破綻(ブリュッヘ:訳文原文ルビ)は、真理の書かれたもの Schrift von Wahrheit なのである。 (…)

アドルノのマーラー論の終わり間際の上記の一節は、別のところで既に紹介した1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分ともども、 マーラーの音楽が何であるかを正確に言い当てているように私には感じられる。否、より正しくは、「マーラーの 音楽が私に語ること」が何であると私が感じているかを正確に言い当てていると感じている、と言うべきなのかも知れない。マーラーの音楽を聴き始めたばかりの 子供は、自分ではそれをここまで正確に言い表すことができなくても、やはりそのように感じていたと思うし、それから30年後の今、かつては既に縮図としてではあれ、 自分が置かれた環境においては実感してはいたものの、寧ろより多くは予感であったものが、今や紛れもない実感として迫っていると感じられる。
ここでもまた「子供の魔法の角笛」が引き合いに出され、マーラーの音楽が流布しているロマン主義的な意味合いでの自己表現ではないことが説得的に 述べられている点には留意すべきだろう。寧ろそれは、そのような自己表現を禁じられた者に対する共感であり、擁護なのだ。マーラーの音楽がすっかり 「当たり前」になり、一時期は「マーラーの時代が来た」などど持て囃されて後もなお、マーラーの音楽の毀誉褒貶が著しいのは、マーラーの音楽が はっきりと聴き手を選ぶからなのだと思う。この音楽を不要なもの、不快なものと感じる人、この音楽を聴いて見たくないものを突きつけられているような 居心地の悪さを覚える人間がいるのは仕方ないことなのだ。けれども、その一方で、時間の隔たりと空間の隔たりを超えて、この音楽を欲している人、 この音楽の眼差しを必要としている人もまた確かにいる。マーラーの直面した敗北、感じた孤立、自分がそこで生きるしかない世界から、にも関わらず どうしようもなく疎外され、断罪されているという感じ方に共感を覚える人達のために、この音楽は存続し続けているし、存続し続ける。 マーラーの音楽がコンサートホールでの熱狂にどこか似つかわしくないというのも、その音楽が実は、誰も聞く耳を持たない最後の言葉を語らずには いられない疎外された人間のためのものだからなのだ。
一点だけ、些細なことだが、この著作に専ら新しい邦訳で接している方に対するフォローを。上記引用文の2つ目の文にder lange Blickという言い回しが 出てくる。これは引用文を含むこの著作の最後の章全体のタイトルでもある。内容に配慮してのこととは思うが、新訳では、タイトルは「長きまなざし」、 上記引用文では「じっと見つめるまなざし」と訳し分けられていて、それが同じ言い回しであることに気づかない。(ちなみに竹内・橋本による旧訳およびJephcottによる 英訳では、どちらもそれぞれ「長いまなざし」、the long gazeという同じ訳語が充てられている。)仕方ないことかも知れないが、このマーラー論のまさに最終章が 何故そのようなタイトルを持つか、アドルノが読み手に示唆したかった事がどのようなものであったかを窺い知る鍵の一つであると私には思われるので、 あえてここで注意を促しておきたい。
そのまなざしが聴き手にもまた届いていることを、マーラーの音楽の聴き手のうちのある種の人達は、私とともに感じ取っている ことと思う。破綻を破綻として、だが断罪するのではなく、愛をもって見つめつつ記録すること、内容の破綻とそのまなざしの二重性こそ、意識の音楽たる マーラーの作品の固有性であると私には思われる。アドルノはここでdie Schrift von Wahrheitという表現をしている。だが、私にはそう言ってしまっていいものか、 躊躇いがある。私自身は寧ろ、それが真理であればと願っているけれど、この世界ではそのようには認められないこと、常にその真理は「ここ」にはないのだ、 マーラーの音楽という仮象としてしか存在しえないのだ、ということを思わずにはいられない。否、だからこそ、勿論アドルノは正しいのだ。彼は破綻こそが そうであると言っているのだから。ここにあるのは断罪だけ、判決は覆らないし、声は届かない。甘え、感傷、自己憐憫、ナルシシズムといった批判はきっと この世界では正しいのだ。私もまた「私が間違っているのはわかっている」と言わざるを得ないのだ。私がいなくなっても、マーラーの音楽が遺ってくれればそれでいい。 私は彼のようには語れないし、彼が充分に語ってくれているのだから。(2009.3.14  執筆・公開, 2024.8.12 訳文を追加。)

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用(Taschenbuch版全集第13巻p.306,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.210)
(...)- Die Episode des Durchbruch ist in der Burleske so vergeblich geworden, wie die Hoffnung des sich öffnenden Fensters beim Tod Joseph K.'s im Prozeß, nur noch ein Flattern des richtigen Lebens, das möglich wäre und nicht ist: » Wie ein Licht aufzuckt, so fuhren die Fensterflügel dort auseinander, ein Mensch, schwach und dünn in der Ferne und Höhe, beugte sich mit einem Ruck weit vor und streckte die Arme noch weiter aus. « (...)

 (…)――突破のエピソードはブルレスケにおいてはむなしいものとなってしまった。それはちょうど『審判』の中でヨーゼフ・Kが死ぬときに開けられる窓の希望と似ており、可能ではあるがそこにはないような、正しい生の翻る様なのである。――「光がさっとひらめくと、窓の両側が開き、遠く高いところにかすかにぼんやりと、一人の人間がぐっと身を乗り出して腕をさらに先へとのばしていた。」

カフカの『審判』は、理由もわからず逮捕され、己の罪名もわからぬまま訴訟を起こされて裁判の被告となり、恥辱だけを残して犬のように「処刑」されていく ヨーゼフ・Kの物語だが、アドルノはそれをマーラーの第9交響曲のロンド・ブルレスケのエピソードについて述べるところで引用している。 それは丁度、更に後の、このマーラー論全体の末尾近くで、» Straßburg auf der Schanz' «に言及するのと呼応し、 最後に「子供の魔法の角笛」に登場するヴァリアント達、見捨てられた歩哨、美しいトランペットの響くところに埋葬された男、哀れな少年鼓手といった面々に繋がっていく。

全てのものが、誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだ。ヨーゼフ・Kはその光景を目にして、友達が、自分を助けてくれる人間が居るのでは、自分を 弁護する異議がまだあるのではと自問する。だが彼は、抵抗することが無価値なことを既に覚っているのだし、実際、その通りにしかならない。「極めて反抗的に」と 指示された音楽もまた、真理が幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。この音楽は、ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような 人間にとってまさに己を代弁するものとなる。

かつてパウル・ツェランはブレーメン講演において、マンデリシュタムが「対話者について」で述べた「投壜通信」を引用して、 詩を、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信であるとした。航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて 海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉は、だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、 砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に拾い上げられて読まれることはないのだろうか。マンデリシュタムはやはり「対話者について」において、そうした手紙を読むことが 自分の権利であると言っている。壜を見つけたものこそが手紙の名宛人なのだと。

マーラーもまた、死を前にして、» Die mich suchen, wissen, wer ich war, und die andern brauchen es nicht zu wissen. « と述べたという。私はその音楽が (自分がどんなにつまらない、価値のない人間であったとしてもなお、あるいは、マーラーの音楽が対象であれば寧ろ、それだけになお一層)私に宛てられたものであると 感じる。終わるのをためらって漂う第9交響曲の終曲に、マーラーの長いまなざしを感じ取ることができるように思える。音楽は、これもまたツェランが詩について 言ったのと同様、永遠を望みはしても、時を超越したものではありえず、時間の流れをかいくぐり、通り抜けて他人のもとに届くものなのだろう。その価値は 天空のどこかで定まったものではない。壜を見つけ、手紙を読み、それが自らへの呼びかけであることに気づいた者は、己が行使した「権利」に見合った 「義務」を果たすべきなのではなかろうか。どんなに頼りなく、不完全な、取るに足らない試みであったとしても、己の受け取ったものに比べれば無にも 等しいものであったとしても、それを為すのが私のつとめなのではなかろうか。 こうしてこのような言葉を連ねることにより、願わくばそのつとめの幾ばくかが果たされんことを。(2009.3.14 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

ヴァルターの「マーラー」における「エンテレケイア」についての言及

ヴァルターの「マーラー」における「エンテレケイア」についての言及(原書Noetzel Taschenbuch版pp.104-105,邦訳 『マーラー 人と芸術』,村田武雄訳, 音楽之友社, 1960, p.191)

Als in seiner Gegenwart einmal davon die Rede war, daß aus einem durchschnittenen Regenwurm zwei würden, indem die hintere Hälfte sich einen neuen Kopf zulege und selbständig weiterexistiere, rief Mahler sofort aus: »Dies wäre ein Beweis gegen die Entelechien-Lehre des Aristoteles.« Er war viel zu einsichtig und siener mangelhaften sachlichen Ausrüstung bewußt, um der wissenschaftlichen Bedeutung solcher Bemerkungen sicher zu sein; doch interessierten ihn Gedanken dieser Art zu heftig, als daß er sich mit der einfachen Aufnahme des Wissensstoffes beruhigt hätte; seine Denkenergie konnte nicht anders, als durch fachlich fundierte Widerlegungen zu tieferer Einsicht zu gelangen. Immer aber erregte die großartige Intuition, die aus seinen Bemerkungen in der Diskussion sprach, die Bewunderung seiner Freunde aus dem Gebiet der Wissenschaft.
又誰かがかれの面前でみみずを二つに裂き、二つの標本をつくって、後部が新しい頭を生やし、独立に生存しつづけるのを明示したとき、かれはたちまち、それはアリストテレスの質料の円現(エンテレケイア)の学理に対する証拠であると叫んだことがある。
かれはかれの科学的準備の欠陥に対してよく気がつき又感づいていたので独断に走ることはなかったが、この種の科学的な問題について単に正確な知識だけで満足することはできなかった。かれの旺盛な思考活動は、かれをして問題に深く没頭せしめた。それだけに、これらの学理の基底を究明発見して、より進んだ理解力を得たとかれが確信したときの幸福さは、まったく説明のしようがなかった。
論争中に、かれの所説に示されるすばらしい直観力は、かれの科学の友だちを感服せしめずにはおかなかった。

マーラーの自然哲学・自然科学への関心については別のところでも触れているが、このヴァルターの証言は、極めて具体的な例を挙げているという点で 鮮明な印象を残すものであろう。引用された部分の直前には、物理学における例も挙げられているが、ここでは生物学史における「生気論」と「機械論」の 対立の一齣の証言でもある、アリストテレスのエンテレケイアの理論についてのマーラーのアイデアに注目することにする。エンテレケイアの理論がアリストテレスに 端を発するということは言うまでもないことだが、マーラーの同時代においては、何といってもドリーシュのウニの胚の分割の実験結果に基づくいわゆる「新生気論」に おける胚発生の等結果性に対する説明原理としてのエンテレキーのことであったと思われる。もっとも、エンテレケイアについてはゲーテも述べており、ゲーテの 文学作品や対話記録のみならず、自然科学的な著作にも通じていたらしいマーラーはゲーテの説を思い浮かべていたのかも知れない。
マーラーが指摘している事象の方についていえば、これがミミズの中でも一部の種に見られる分裂による生殖を指すのか、トカゲの尻尾と同様の再生のことを 指すのか、両方の可能性もあるだろう。ワルターの記述をその通りに読めば前者であろう(なぜなら後者の場合には、プラナリアのような場合とは異なって、 分断された2つの部分のうち頭部の方には尾部が再生するが、尾部の方には再生が見られないからである)が、いずれにしても、最終の典型的生物体を 目的として予想しつつ現象を補正していく要因としてのエンテレキーの考え方を踏まえたコメントをマーラーはしていると思われる。
ところで私のドリーシュの主張に対する知識は、ドリーシュの著作そのものに拠るのではなく、フォン・ベルタランフィの"Das biologische Weltbild I , Die Stellung des Lebens in Natur und Wissenschaft", 1949、邦訳:「生命 有機体論の考察」, 長野敬・飯島衛共訳, みすす書房, 1954によるのだが、 フォン・ベルタランフィは1901年にウィーンの近郊に生まれているから、勿論直接的な関係はないにせよ接点のようなものはあるわけで、何より、「生命」という 著作が、ドリーシュのエンテレキーの理論から始まり、ゲーテの「ファウスト」の一節でしめくくられるということからも同じ文化的な世界に属しているというように 私には感じられる。
フォン・ベルタランフィも明確に述べているように、ドリーシュの「新生気論」そのものには(そうしたことを企てる動きもあるだろうが)今日に おいては最早過去の遺物、理論的には(フロギストンやエーテルがそうであったように)端的に「誤り」であるというのが適当だろうが、フォン・ベルタランフィ自身が 述べるように、その発想は有機体論に受け継がれているというように考えることもできるだろう。「誤り」という点においては当時の機械論もまた同様に誤りで あったと言うべきだろうし、今日では「情報」と呼ばれているものを極めて不正確ではあれ、予感していたのだという見方もできるかも知れないのである。 ただしそれはあくまでも「予感」に過ぎず、説明としては全く不充分なものであった。例えばゲーテの形態論には、ジョフロワ・サンティレールとともに、 「器官の平衡」のような考えがあるが、それはフォン・ベルタランフィが見出したような動的な平衡ないし定常状態として、開放系動力学に基づいた 定量的な法則を備えた形態形成理論によってようやく十全な説明が行われるものの現象論的な観察に過ぎない。科学史的な関心は別の意義が あるだろうが、今日においてそうした過去の理論をそのままなぞることは不毛な結果、いわゆる「知の欺瞞」にしかならない。これまたフォン・ベルタランフィが言うとおり、 単なる「相似性」による許しがたい偽りの類比やそこから生じる誤った判断は、論理的な相同性に基づくシステム論的な方法論により締め出されるべきなのである。
翻ってマーラーの音楽について述べられていることを顧みれば、ここでは生命ではなく、文化的な創造の産物が対象なのではあるが、機械論と生気論の 対立にも似た状況があるように思われる(これ自体が偽りの類比ではないということを証明することはここではできないが、そうではないと私は考えている。) マーラーの音楽のような複雑な対象の説明のための語彙は未だに十分には整備されていない一方で、粗雑で検証に耐えないような比喩や類比、 音楽そのものに辿り着かない別の平面をなぞるだけに終始している標題に関する議論が跋扈している。実際にマーラーの音楽を演奏し、聴取する時に 起きていること、演奏する主体の、聴取する主体の行為を説明するための理論が欠けていて、とりわけても優れた演奏が掴んでいる何か、そこで生じている 出来事の構造の記述があまりに不完全な仕方でしかできていないというように私には感じられる。
勿論、作曲家の側がそれを「神秘」と見做し、説明を拒絶する場合もあるだろう。マーラー自身、自作の分析や解説の類に懐疑的であったという証言が 多数あるのだが、私見ではマーラーの場合には、その説明の手段の貧困と、その直接的な帰結である結果の貧困、許しがたい歪みや誤りを拒絶したのだ。 そして、今日マーラーの音楽を受け止める時に、そうしたマーラーの態度を楯にとってマーラーと同時代と同じレベルの記述・説明に終始するのは、 マーラー自身の志向に反しているのではというように私には思われてならない。勿論、その一方で、既に半世紀以上も前に書かれたフォン・ベルタランフィの 著作を梃子に、せいぜいが四半世紀前までに提唱された理論(一般システム理論、情報理論、サイバネティクス、人工知能、脳神経科学、精神の生態学、 オートポイエーシス、いわゆる「複雑性」についての様々な理論はどれも皆、全てそうである)の中に未だにいて、なおかつ何よりも一世紀前のマーラーの音楽への 拘りを捨てられない私のあり方自体のアナクロニズムについては認めざるを得ないのだが、、、(2013.1.20 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

ハンス・マイヤー「音楽と文学」より

ハンス・マイヤー「音楽と文学」より(Gustav Mahler, Wunderlich, 1966, pp.145--146, 邦訳:酒田健一編「マーラー頌」p.356)
(...)
Gustav Mahler ist ein (großartiger) Usuroator : auch in der literarischen Sphäre, wie in seinem Verhältnis zur Natur, wie in der Auseinandersetzung mit den religiösen Bereichen. Mahlers Kunst ist in einem so exzessiven Maße dazu bestimmt, der Selbstaussage zu dienen, sie ist in ihren tiefsten Impulsen so ausschließlich Autobiographie, daß alles andere daneben nur als Vorwand zu dienen vermag. Dieser große Künstler verhält sich zur Literatur zunächst wie ein naiver Dilettant, der beim Lesen von Gedichten oder Romanen alles verschlingt, was der Identifikation zu dienen scheint, so daß er alle Aussagen der Dichter danach prüft, ob sie ein Wiedererleben eigener Zustände gestatten, all jene Seiten jedoch überschlägt, die dafür nicht zu taugen scheinen.
(...)

(…)
グスタフ・マーラーは一個の(壮大な)強奪者である。文学の世界においてもそうであり、自然との関係においてもそうであり、宗教的な領域との対決においてもそうである。マーラーの芸術は、はなはだしく自己陳述的な性格をもち、そのもっとも深い衝動においてまさに自伝以外のなにものでもなく、したがってそのほかの要素はすべてそのための口実として役立ちうるにすぎない。この偉大な芸術家は文学にたいしてなによりもまず素朴なディレッタントとしてかかわってゆく。つまり、詩や小説を読むさいに自己との一体化に役立つと思われるものだけをむさぼり食らい、それゆえ詩人たちのどんな言葉も、それらが自己の状態の再体験をもたらすものであるかどうかによって吟味し、それに役立ちそうにないページはすべて読みとばしてしまうのである。
(…) 

この言葉を含むハンス・マイヤーの論文は大変に面白いもので、その内容が刺激的な点では最右翼に位置づけられると思う。私見では必ずしも全面的に 賛成というわけではないが、その指摘には鋭いものがあって、とりわけ引用した文章は、マーラーの音楽のある側面を非常に的確に言い当てていると思う。 歌詞に対する態度など、それを裏付ける事実にも事欠かない。
ただし、私はそうしたマーラーの態度をあまり否定的には捉えていない。それどころかかつての私は「それがどうした、他にどういう立場があり得るんだ」とさえ 思っていたほどで、さすがに現時点ではそこまで一方的に言うつもりはないものの、やはりマーラーの「簒奪者」的な性格を決して否定的には考えられない。 一つには、私もそうした「ディレッタント」的な姿勢で、文学にも―そして同様に音楽に対しても―接しているからに違いないが、もう一つには、―ここでは 私はマイヤーに同意できないのだが―、マーラーが時代の趨勢からも、その身振りからもその嫌疑は十分にあるにも関わらず、最後のところで「芸術至上 主義者」であったとは私には思えないからでもある。(それは彼が第一義的に「音楽家」であったし、そう感じていたということと矛盾しない。)
一般にはここで問題になっているのは「音楽と文学」の力関係であると読むのが妥当なようだが、私個人としては少なくともマーラーの場合、その平面に 問題が留まることはないと感じている。あるいはまた、マーラーが亜流、終止符なのか、それとも新たな始まりなのかは、 異邦の別時代の人間であり、音楽研究者でも文学研究者でもない私には大した問題ではない。けれども、マイヤーの以下のような指摘―そこでは、 もはや「音楽と文学」の力関係など問題になっていないようだが―は(シャガールとカフカについては判断は控えたいが、少なくともマーラーに関しては) 的確だと思うし、矛盾に満ちて、些か強引ではあるが疑いも無く誠実であり、自分の立っている基盤の脆さについて意識していて、それが作品にも 映りこんでいるという、私にとってのマーラーの音楽の魅力と謎の源泉を言い当てているように感じられるのである。(2007.7.15 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)
(...) sie (= Mahler, Kafka, Chagall) sind auf der Suche nach einer neuen Naivität, der sie im Grunde mißtrauen. Aber diese Brüchigkeit eben haben sie in ihren besten Werken nach Kräften gestalten wollen. So entstand eine wahrhaftige Kunst, denn die bequeme Harmonie war ausgespart worden. (...)

(…)彼ら(=マーラー、カフカ、シャガール:引用者注)はあらゆるあらたな素朴さを求めつづけているが、この素朴さを彼らは根本的には信じていない。しかし彼らがそのもっともすぐれた作品において全力を尽くしてかたちづくろうとしたものこそ、まさにこのような脆さだったのである。こうして嘘のない芸術が成立した。なぜなら安易な調和は空白として残されたからである。 

同上(Gustav Mahler, Wunderlich, 1966, p.155, 邦訳:酒田健一編「マーラー頌」p.364)

パウル・シュテファン編の生誕50年記念論集中のブルノ・ヴァルターの寄稿より

パウル・シュテファン編の生誕50年記念論集中のブルノ・ヴァルターの寄稿より(Gustav Mahler : ein Bild seiner Persönlichkeit in Widmungen (1910) p.88, 邦訳:酒田編「マーラー頌」p.94)
(...)
Zum Schluß bitte ich um dir Erlaubnis, die Freundschaft so weit zu mißbrauchen, daß ich Ihnen einen Traum erzählen darf, den ich vor einigen Jahren träumte: Ich ging spazieren und sah Sie hoch über mir den steilen Pfad eines hohen Berges hinanklimmen; nach einiger Zeit mußte ich, vom Licht geblendet, die Augen schließen. Als ich sie wieder öffnete, fand ich Sie nach längerem Suchen auf einer ganz anderen Stelle des Berges, einen noch höher gelegenen Pfad ersteigend. Wieder schloß ich die Augen, wieder öffnete, ich sie, fand Sie nicht und erblickte Sie wieder an einer ganz anderen Seite aufstrebend. Das wiederholte sich immer wieder. Ich habe diesen Traum wirklich geträumt und ich glaube, wer Sie versteht, wird seine Symbolik anerkennen und sagen, es war ein Wahrtraum.
(...)

(…)
終わりに、いささか友情に甘えて、私が数年前に見た夢の話をさせていただきます。私が散歩していると、私の頭上はるかに、あなたがある高い山のけわしい小道をよじのぼってゆくのが見えました。しばらくして私はまぶしい陽光にくらんで目を閉じねばなりませんでした。ふたたび目を開いた私は、しばし探しあぐねたすえに、山のまったく別の一角の最前よりもずっと高いところにある小道を登ってゆくあなたの姿を見つけました。私はまた目を閉じ、また開きました。あなたの姿はなく、またしてもあなたはまったく別の斜面を登ってゆくのでした。こういうことがなんども繰り返されました。私はこの夢をほんとうに見たのです。そして私は、いやしくもあなたを理解している者ならばこの夢の象徴的な意味を認め、こう言うだろうと信じています――それは正夢だったのだと。
(…) 

マーラーの音楽は隔たった時代と場所を超えて届くものの一つだけれども、その音楽の力がそうした距離感をものともしないがゆえに、ある意味では逆説的なことに、 その距離を有無を言わさずに身をもって証言するものは数少ない。時代の隔たりは同じ場所であればより容易に測れるかもしれないし、場所の隔たりは例えば戦前や 戦争直後の日本の方がより端的に感じ取れたに違いない。私の場合には、ふとした偶然により私の手元にあるマーラーの生前に出版された1冊の本が、それが 今ここにあるという偶然をもって時間と場所との隔たりを最も強く感じさせる存在であろうか。マーラーの没後すぐ、あるいは戦前に出版されたものであれば 他にもいくつかあるものの、マーラーの生前まで遡るものは手元にある資料では、これ一点のみである。
上掲のブルノ・ヴァルターの言葉を含むこの記念論集は、パウル・シュテファンの編集、マーラーの生誕50年の1910年に第8交響曲の初演にあわせて編まれ、 第8交響曲初演の地であるミュンヘンのPiper社より出版されたものだ。しっかりとした装丁と上質の紙を使い、数多くの今なお著名な「マーラー派」の人びとの 寄稿とともに、巻頭にはロダンのマーラー像の写真が、巻末近くにはクリムトのベートーヴェン・フリースの騎士の部分のモノクロの写真が、 挿入されたパラフィン紙に保護されて収録されていて、巻頭のパラフィン紙にはロダンのサインと思しき筆跡が確認できる。
ここには掲げなかったが、このヴァルターの書簡調の寄稿は長大なもので、上掲の部分は末尾近くであり、 これに先立ってヴァルターはマーラーの作品について述べているけれど、それも上述の出版の経緯を考えれば当然のことながら第8交響曲までである。 実際には既に大地の歌と第9交響曲は一応の完成を見ており、ヴァルター自身、この年の4月にニューヨークからのマーラーの手紙によりそれを知らされている筈である。 (もっともヴァルターがこの文章を書いた日付は詳らかでないため、知っていて書かなかったのか、執筆時期が先行するのかは私には判断できない。) その後ヨーロッパに戻ったマーラーは第8交響曲の初演の準備に奔走するが、それと並行して夏には第10交響曲の作曲も開始され、8月末には相談のために ライデンにフロイトを訪ね、というように第8交響曲の初演に至るまでには、今日の私たちに良く知られた様々なことが起きている。自分の手元にある一冊の本が そうした一連の出来事に直接連なっていたと思うと、否でも不思議な感慨に囚われてしまう。
さて、だが上記のヴァルターの文章をここで紹介したのは、そうした経緯を紹介したいがためではない。そうではなくて、マーラーの創作の過程をある抽象的な 相空間における軌道としてイメージしてみたらどうだろうと考えた時に、ヴァルターが見た夢のイメージが鮮烈に蘇ったからである。ヴァルターはマーラーを間近に見て 上記のような印象をその心の中に定着させたのだろうが、時代と場所を隔てて私が抱くマーラーの創作の軌跡の特徴も、それに近いのだろうと思う。 自分から見て遙かな高みをさらによじ登っていくという相対的な位置関係や運動の方向、ポワンカレ断面のような切り口で見たときの離れ離れの軌道のイメージ、 アトラクターを遍歴するイメージ、カタストロフィックな分岐現象による相転移といったイメージである。マーラーは繰り返し繰り返し交響曲を書き続けた。 一つ一つの交響曲がマイケル・ケネディの言ったように「実験」であり、互いに異なっており、そのパワー・スペクトルは(あえて連続で近似すれば)ホワイトノイズとも、 1/fノイズとも異なるだろう。そしてマーラーの創作の過程同様、マーラーの音楽の内側もまた、同じようなカオスの縁のような複雑さと豊饒さを持つ空間なのであろう。 (創作の過程と創作の結果としての作品が備える過程の両者に入れ子構造のような自己言及的な関係があること自体、決してどの音楽にも起きることではなく、マーラーの音楽の特徴の一つとしてあげるべきだろう。)
我々はというのは言いすぎかも知れないけれど、少なくとも私はマーラーの音楽創作の軌跡についても、遺された音楽自体が描く軌道についても、その豊かさや 複雑さに十分に見合った記述をするための語彙なり、形式なりを持てていない。一方では印象を後から粗雑に分類したり、歪みと伴った類推によって構造の 粗雑な近似をするのが関の山である自然言語による印象や構造の記述があり、他方ではこれも観察の結果としての抽象に過ぎなかったり、創作に先行する 拘束条件として機能したとしても、特にマーラーの場合には昇ったら捨ててしまう梯子の役割しかしない、これまた非常に単純で、しばしば形式的な厳密さの点で 疑わしい音楽理論に基づく分析がある。音楽自体については何も明らかにしない標題としての世界観やら何やらについての得意げな祖述は論外としてもである。 いずれにせよ、マーラーの創作活動についても、遺されたマーラーの音楽についても、それらでは極めて不完全な記述しかできない。 だがだからといってそれに替わる新しい形式的語彙(おそらくは自然言語だけでは不十分だろう)が明らかなわけではない。他の音楽はいざ知らず、マーラーの場合に 限って言えば、それを「意識の音楽」と捉える限りにおいては今のところ裏付けとなる具体的な記述の枠組みを、現象論のレベルですら欠いているのだ。
だが多分、いずれの日にか意識自体のメカニズムが解明され、それに応じて「意識の音楽」についても具体的な記述を行うための準備ができるだろう。 まだ端緒についたばかりの意識研究やら、カオス力学系など、記述の枠組みやら語彙を提供してくれそうな研究分野が意識の問題に肉薄できるように なるにはまだしばらくの時間が必要だろう。それは100年先になるのかも知れない。従って今のところは100年前にヴァルターが(というかヴァルターの脳のメカニズムが)、 それ自体マーラーの交響曲の論理と恐らくは通じる仕方で「夢の論理」によって抽象し、変換して上掲のように書き残したものの方が 寧ろある側面の把握については「正確」でさえあるだろうけれども。 それは人間の意識・無意識の活動の産物であり、それの(ホワイトヘッド的な意味での)「享受」は、やはり人間の意識・無意識の活動なのだから、 その複雑で豊かな拡がりと深さを捉えるには、(これまた当時の自然科学や心理学に対して旺盛な関心を示したマーラー自身が恐らくは気づいていたように) 文化史的な定位や社会学的な機能(だが、それぞれ、いつ、どこにおいてのなのだろう?)、素材からマーラーが作り出したものをそっちのけに、ひたすら素材や 文脈をしか明らかにしない歴史的な探索、あるいはまた詩的であったり文学的であったりする修辞といったやり方だけでは不足していることを、 このヴァルターの夢は証しているように私には感じられる。
それにしてもマーラーの創作のエネルギーの巨大さ、振幅の激しさ、そのアウトプットの膨大さは驚くべきものだ。しかも彼の創作が軌道にのったのは40代になってからで、 その後僅かに10年間しか彼は生きていない。上記の記念論集の書かれた時期はもうその終わりにあるのだ。もっとも、愛娘を喪い、ウィーンを去り、 心臓に病を抱えていることは知っていたであろうが、まさか彼があと1年と生きられないとは彼自身は勿論、論集を寄稿した面々も思わなかっただろうが、、、
確かに40代というのは円熟の時期ではある。だが、彼は同時に指揮者としてのキャリアの頂点にあった。凡人の能くするところではないとはいえ、単純な 仕事の量だけから考えても、改めてどうしてこんなことが可能であったのかと呆然とするばかりである。しばしば不当な美化、神格化として近年では 疑いの念をもって見られることが多いようだが、「マーラー派」の面々が皆そろってそのように感じたように、確かにやはり彼は聖者であったに違いない。
そうして私のような平凡な市井の愛好家はよくよく注意しなくてはなるまい。まず、そのように感じた「マーラー派」の面々が、普通に考えれば本人達だって人並み 優れて有能な人達だったことを決して忘れてはならない。その一方で、偶像を破壊しようとする人達は彼ら自身がマーラーその人に直接会っているわけではないし、 彼らが「天才神話」を捏造したという嫌疑をかけている「マーラー派」の人びとが、マーラーが遺したものを護るべく(時と場合によっては文字通り生命を 賭して)闘って勝ち取った、まさにその余禄を食みつつそうしているのだということに。面白いことに彼らもまたほとんど一様に流行現象としてのマーラー受容に 眉を顰め、自分を別の場所に置きたがっているようだ。それがどこか私には正確に測ることができない一方で、それをする時間と労力を払う気にも私はなれないのだけれど。 では一体、彼らはマーラーの生の軌跡に、マーラーの遺した作品に何を見ているのだろう?しかもこうした構図はマーラーに限らず、どこでも繰り返されるもののようで、 それはミームの伝播過程に起きるかなり一般性の高い現象なのかも知れないのだが。
結局のところ私としては、自分がまだ子供の頃に出会った印象からも、今改めて壮年期の彼の年齢に近づきつつある我が身の無能と不毛を振り返っての 反省からも、どちらかと言えば「マーラー派」の印象の方に与したいという思いがますます強まっている。ヴァルターのような人にすら 上掲のような夢を見させる人、鋼鉄の意志と禁欲的なまでの勤勉さと無比の性格の強さを備えた人。多くの有能な人びとを 擁護のために立ち上がらせるだけの力を持った人格と作品の持ち主。そしてもう一度最初に戻って、隔たった時代と場所を超え、100年の歳月と地球半周の 距離という四次元量が惹き起こす座標の変換を経て、まずは事実としてこの私に届いた音楽を残した人。更にそうした四次元空間での距離をものともせず、 寧ろしばしばそれを忘れさせてしまうような力を備えた音楽を遺した人。そう、私にとって、それがマーラーなのだ。(2009.5.2 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば(Kühn & Quander (hrsg.), Gustav Mahler : ein Lesebuch mit Bildern, 1982, p.171, 邦訳p.375)
Diese Stelle bei » accende lumen sensibus « -- da geht dir Brücke hinüber zum Schluß des » Faust«. Diese Stelle ist der Angelpunkt des ganzen Werkes.

「そが光にてわれらが感ずる心を高めたまえ(アチェンデ・ルーメン・センシブス:邦訳原文ルビママ)」の箇所、ここで『ファウスト』の最終場面へと橋がかけられる。ここが、この作品全体の要である。 

第8交響曲というのは私にとっては最も大きな躓きの石である。その音楽の持つ力の否定し難さと、その力に対する懐疑が拮抗する。 しかもこの後に続くのは「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲といった後期作品なのだ。その力の大きさに応じて、懐疑もまた深いものにならざるを得ないかの ようだ。
第8交響曲に対してアドルノが批判的なのは良く知られているが、実はそのアドルノの文章にも微妙なニュアンスが感じ取れる。そしてそのアドルノがヴェーベルンが 指揮した演奏のaccende lumen sensibusの部分に特に言及していることを知っていると、ヴェーベルン自身が上のような発言をしていることは一層興味深く 感じられる。(アドルノが、この発言を知っていた、ということは大いにありそうなことだが、事実関係の確認はできていない。ご存知の方がいらっしゃれば、お知らせ いただけるようお願いしたい。)ヴェーベルンにはヴァルターが指揮したウィーン初演に際して、シェーンベルクに宛てた書簡(1912年3月16日付け)も残っていて、 そこではヴァルターの解釈に対してかなり否定的なコメントをしているのだが、ではヴェーベルンその人の解釈は一体どんなものであったか、勿論今となっては 知る術もない。だが、私が実演に接した経験からも、この曲に凄まじい力をもった表現が存在するのは否定し難く、恐らくアドルノもまた、実演を聴いた 印象を頭で考えた理屈で否定することができなかったのだろうと思う。(良し悪しはおくとして、こういう点ではアドルノは「率直」で、自己の経験に忠実な人で あったように思える)。 それは丁度、初期作品における些かなナイーブな「突破」Durchburchの契機を、けれどもこれまた否定しさることができないのと通じるところがあると思う。 私見では第8交響曲とは、全曲がその「突破」の一瞬そのものであるような、例外的な音楽なのだ。
今の私にはこの曲について、何ら断定的なことをいうことはできない。マーラーを熱心に聴かれている方の中には改めてこの曲を肯定的に捉えようとする論調も あるようだが、私は残念ながら説得的には感じられないし、少なくとも今のところそれには同意できない。今の私には晩年の(例えば第14交響曲の) ショスタコーヴィチの姿勢の方がよほど説得力があるように感じられ、従って後期の、「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲のマーラーには共感できても、 第8交響曲には距離を感じずにはいられないのだ。だが謎がなくなったわけではないし、この曲を「なかったことにする」わけにはいかない。 そして、引用したヴェーベルンの言葉はきっと謎に対する大きなヒントになるに違いない、という確かな「感じ」があるのも事実である。 マーラーが生涯において一度きり、一曲の音楽全体を「突破」として形作ったその中でも、accende lumen sensibusの箇所こそ、 まさに「突破」の契機が剥きだしになって聴き手を圧倒する一瞬なのは確かなことだし。
第8交響曲が「客観的に」ユーゲントシュティル的な装飾なのか、マイヤーの言う簒奪の最たるものかどうかすら、実はどうでもいいのかも知れない。 かく言うマイヤーもそう認めているようにここにも少なくとも誠実さはある。それが都合の悪い部分だとしても、それに目を瞑って素通りをして済ませるわけには いかない。少なくとも私個人は。 多分、私にとっては、個別の音楽よりもマーラーその人の方が問題なのだろう。お前は結局音楽を聴いているんではない、という批判があれば、恐らく 甘受せざるを得ないのだろう。そう、私もまた、マイヤーがマーラーについて言った「ディレッタント」として、マーラーの音楽に接してきたし、今でもそうしているし、 今後もそうし続けるに違いない。私はそのようにしかマーラーに接することはできないのだ。別に開き直るわけではないが、もしマイヤーの言うことが 正しいのであれば、マーラーに私のように接することもまた、それなりにマーラーに相応しいと言えるのではないかと言いたいようには感じている。(2007.7.15, 2024.8.11 邦訳を追加。)

2024年8月7日水曜日

ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉

ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324, 1996年版書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では396番, p.360)
... Aber zu mir selbst zu kommen und meiner mir bewußt zu werden, könnte ich nur hier in der Einsamkeit. -- Denn seit jenem panischen Schrecken, dem ich damals verfiel, habe ich nichts anderes gesucht, als wegzusehen und wegzuhören. -- Sollte ich wieder zu meinem Selbst den Weg finden, so muß ich mich den Schrecknissen der Einsamkeit überliefern. Aber in Grunde genommen spreche ich doch nur in Rätseln, denn was in mir vorging und vorgeht, wissen Sie nicht; keinesfalls aber ist es jene hypochondrische Furcht von dem Tode, wie Sie vermuten. Daß ich sterben muß, habe ich schon vorher auch gewußt. -- Aber ohne daß ich Ihnen hier etwas zu erklären oder zu schildern versuche, wofür es vielleicht überhaupt keine Worte gibt, will ich Ihnen nur sagen, daß ich einfach mit einem Schlage alles an Klarheit und Beruhigung verloren habe, was ich mir je errungen; und daß ich vis-à-vis de rien stand und nun am Ende eines Lebens als Anfänger wieder gehen und stehen lernen muß. ...

(…)でも自分自身に立ち戻り、自分自身を意識すること、それは当地の孤独の中でしかかなわないことなのです。――というのも、当時陥ったあのパニック状態以来、私はひたすら目をそむけ、耳を塞ぐしかなかったのです。――ふたたび自分自身へ戻る道を見つけなければならないとすれば、孤独の恐ろしさに身を委ねるほかはないのです。しかし一体全体、私はまったくのところ謎めいた話し方ばかりしていますね。だって君は私の身に何が起こったのか、ご存じないのですから。想像しておられるような死に対するヒポコンデリー的な畏怖などでは、よもやありませんでした。自分が死ななければならないことなど、最初からわかっていることでしたから。――ともあれ、君にここで何か説明したり、語って聞かせたりするよりは、だってそんなことはいかなる言葉をもってしてもできっこないことだから、ただ一言こう申し上げておきたい、つまり私はただの一瞬にしてこれまでに戦い獲ってきたあらゆる明察と平静とを失ってしまったのです。そして私は無に直面して(ヴィ・ア・ヴィ・ド・リアン(訳文ルビママ))立ち、人生の終わりになっていまからふたたび初心者として歩行や起立を学ばねばならなくなったのです。(…) 

(引用者注: vis-à-vis de rienはフランス語。「ヴィザヴィドゥリヤン」とリエゾンをするのが普通だと思うが、上記引用は訳文のルビに従った。) 

丁度マーラーが「大地の歌」に取り組んでいる時期に、ヴァルターに宛てて書いた手紙の一部だが、これもまた、ヴァルターの「マーラー」伝を始めとして色々な ところで引用されてきた有名な部分であろう。この文章には、まさに「大地の歌」に結晶する「受容」の過程が、その傷の深さとともにはっきりと刻印されている。 「そんなことはとっくの前にわかっていたことだ」という言葉は、若き日のマーラーを思えばいつわりは微塵も含まれていないが、にも関わらず、その言い方には 逆説的にマーラーの蒙った傷の深さを窺い知ることができるように感じられて痛ましい。ウィーンの宮廷歌劇場に40歳にならずして君臨し、すでに第8交響曲までの 作品を書き上げた天才が、一からやり直さなければならない、と書いているのを見るのは信じ難くさえ思える。
と同時に、この手紙を読めば「大地の歌」が何を語っているのかについての手がかりを得ることができるのではないか。それは「受容」の過程の結晶なのだ。 「とっくの前にわかっていたこと」のために一からやり直さなければならないという状況を受容して、再び仕事を続けられるようになる過程の反映なのだと思う。
勿論、ある人の生と作品とは別のものだ。けれども、マーラーの場合に限って言えば、そして特に「大地の歌」に限って言えば、その区別を殊更に 強調するような主張には私は抵抗を感じる。私はやはり、「大地の歌」を聴けば、マーラーのこの手紙のような心のありようとその音楽がほとんど 不可分なまでに結びついているのを感ぜずにはいられない。どうしてそんな結びつきが可能なのか?それこそが、彼が天才であるゆえんなのだろう。 いずれにせよ、その結びつきの切実さと誠実さこそその音楽の魅力の不可欠な要因だと思うし、私の様な平凡な―だが、傷つくことに関してだけは 彼と変わることのない―人間にとって、それを聴くことが、ある時にはほとんど不可欠にさえ思えるような力を持っているのは確かなことなのだ。
それを「普遍性」といえば語の厳密な意味では正しくないことになるだろう。だが、もういいではないか、という気がしてならない。100年も後の、 こんなに離れたところに生きている、気質も能力も異なる人間に対してその音楽の持つ力は、「普遍的」とか「永遠の」とかいう形容詞を 色褪せさせる。そんな天空のどこかで真偽が確証されるような概念は、少なくとも彼の音楽を聴く私にとっては不要である。 まさに「大地の歌」はそうしたものへの告別ではなかろうか。(2007.6.9, 2024.8.7 訳文を追加。)

ブルノ・ヴァルター宛1909年初頭ニューヨーク発の書簡にあるマーラーの言葉

ブルノ・ヴァルター宛1909年初頭ニューヨーク発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書381番, p.414。1979年版のマルトナーによる英語版では382番, p.329, 1996年版書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では404番, p.368)
... Ich durchlebe jetzt so unendlich viel (seit anderthalb Jahren), kann kaum darüber sprechen. Wie sollte ich die Darstellung einer solchen ungeheuren Krise versuchen! Ich sehe alles in einem so neuen Lichte -- bin so in Bewegung; ich würde mich manchmal gar nicht wundern, wenn ich plötzlich einen neuen Körper an mir bemerken würde. (Wie Faust in der letzten Szene.) Ich bin lebensdurstiger als je und finde die "Gewohnheit des Daseins" süßer als je. ...

(…)目下のところそれほど無限に多忙を極めているから(ここ一年半以来)、それについて話をする暇がとれません。このとてつもない危機的状況をなんと言い表したらいいか?一切がかくも新しい光の中にみえてきて――私はかくも活動のさなかにあるから、突如新たな肉体を得たと気づいてもなんら不思議に思わないかもしれません(さながら最終場面でのファウストのように)。今までになく生きることに飢え、「この世に生きているという当たり前のこと」が、かつてなく甘美なものに思われてきます。(…) 

一つ前の手紙の半年後にニューヨークから書かれた手紙。「大地の歌」と第9交響曲の間の時期に相当する。実は「大地の歌」の創作の時期については 異説があって意見の一致を見ていないようだ。もっとも一つ前の手紙が書かれていた1908年の時期がその只中であるのは確実のようではあるのだが。
この手紙の文中の1年半というのは、勿論、1907年夏の娘の死と、自分の病の宣告という出来事以来の期間を指している。 ここでは第8交響曲のファウストへの言及が印象的で、マーラーが「死の影の谷」を抜けたことを告げているように感じられる。 「大地の歌」の創作は、まさにその「受容」と「回復」の過程そのものだったに違いない。そして更に半年後には、マーラーは第9交響曲に向かうのである。 第9交響曲の第1楽章についてベルクの言った感動的な言葉と響きあうものが、引用した文章に感じ取れるように私には思えてならない。
それゆえ、例えば村井さんがその著書でこの手紙を引用する部分で、「「人生」と「芸術」との関係など、しょせんこの程度なのだ。」と述べているのを 読んだときには、全く驚いてしまった。なぜなら私は、まさにこの手紙にこそ、とりわけ晩年のマーラーならではの「人生」と「芸術」との密接な関係を 見出していたのだから。ベルクも言っているように、第9交響曲の第1楽章は、この手紙で告げられている「回復」の、生きることへの意志の表現でなくて なんだというのだろう。村井説のように、音楽が表現しているものの方を「通説」(「死が私に語ること」式の死のイメージの表現なり、「死との対決」という プログラム)に縛り付けたままにしておきながら、それを利用して「人生」と「芸術」との分離の方を強調してしまうのには、私は強い違和感を感じずには いられない。音楽とそれによって表現されるものの関係を単純化してしまうから、分離が結論されてしまうのではなかろうか。
私は精神分析の専門家でも、文学や音楽の専門家でもないので間違っているかも知れないが、まずもって「死の受容」のようなプロセスが、 そんなに一直線の単純なものであるとは限らないように感じられてならない。個人差もあるだろうが、ニューヨークで指揮をしている時には このように書いても、半年後に再び孤独に戻った時に、再度、そのプロセスを―ただし、今度は、もはや「回復」した人間がとりうる距離感を 保ちつつ―反芻するようなことはありえないのだろうか? そしてもう一度、第9交響曲はそうしたマーラーの心理的な状態と無関係ではなく、 例えば、自分が「かつて」経験したことを、まるで他人事のように客観的に「芸術作品」の内容として「表現」するといったような、他の作曲家であれば もしかしたらあり得たかも知れないような(無)関係ではなく、もう少し微妙な繋がりを持っているように感じられてならないのである。
単純な伝記主義は、「人生」における外面的な事件に「芸術」を還元してしまいがちで、これはあまりにも粗雑だろう。また例えば職業的な作曲家、 しかもずっと昔の、音楽の機能がマーラーの時代とは異なっていた時代の職業的作曲家であれば、「人生」と「芸術」とを分離すべきなのは もっともだ。だがマーラーの場合には「標題」の問題を見直す必要があるのと同様、「人生」と「芸術」との関係もまた見直す必要があるとはいえ、それでもなお、 その音楽はマーラーその人の「心」と深く個性的な結びつきをもっていて、それゆえ聴き手の「心」に強く訴えるのだと私は思う。勿論、 作品ごとにその結びつきの具体的なありさまは微妙に異なるだろう。「大地の歌」と第9交響曲を一緒に扱うことはできないだろう。だが、 「大地の歌」に比べて第9交響曲がより個人的でない、などということは言えないと思う。寧ろ、(この点では村井さんの言い方に同感なのだが) 「個人的であるがゆえに超個人的な、普遍的な作品」なのだろう。もっとも、この言い方は正鵠を射ているとは思うが、このままでは些か レトリカルで、どうしてそのようなことが可能なのかについての説明こそが必要なのではないかという気がするし、他の部分での 「人生」と「芸術」との関係の説明と、矛盾こそしないが、説得力のある仕方では噛み合っていないように感じられるが。
私個人のことを言えば、第9交響曲の第1楽章のあるタイプの演奏を聴くと、まるでマーラーが周囲に広がる風景を享受するその様態そのものが、 自分の心の中に沁み込んで来るように思われることがある。風景ではなく、風景を味わう意識の状態が感じ取れるように思えるのだ。 「感受の伝達」の直接性において、音楽ははるかに言葉にまさっている。だが、それだけではない。音楽は生の経験の不完全な、色褪せた コピーには留まらない。マーラーはこの曲を書くことを通して、風景を享受する仕方を産み出したのだ。(勿論、音楽だけではなく、言葉もまた そうした産出に、別の仕方ではあるが関わることができるだろうが。)それは彼の経験に根ざしているけれど、 同時にその経験を超えてもいる。「人生」と「芸術」との関係は、やはり(他の場合はいざ知らず、マーラーの場合には)もっとずっと 微妙なものに思えてならない。
勿論、単なる思い込みだと言われてしまえばそれまでではあるが、でも私にとってマーラーの音楽は、そういう類の音楽なのだ。(2007.6.11, 2024.8.7 邦訳を追加。)

2024年8月5日月曜日

MIDIファイルを入力とした分析:和音の出現頻度に基づくリターンマップ

 1.はじめに

 MIDIファイルを入力とした分析の直近の記事「MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の原点からの距離の遷移のリターンマップ」では、サンプリングした各時点(報告例においては、各小節頭拍)における和音(ピッチクラスセット)について、五度圏の空間における原点座標からの距離を求め、この距離の系列のリターンマップを書いてみました。

 ここでは既に何度か分析の対象としてきた和音(ピッチクラスセット)の出現頻度に基づくリターンマップを書いてみましたので、その結果を報告します。

 対象とする和音(ピッチクラスセット)の系列は前回同様、各小節頭拍毎の系列(従来より本ブログの分析でB系列と呼んできたもの)を用いました。リターンマップの軸(横軸は時刻f、縦軸は次の時刻t+1を表します)の定義については、出現頻度をそのまま用いるのではなく、出現頻度により和音(ピッチクラスセット)の順位付けを行い、その順位を用いることにしました。従って、原点に近ければ近い程、出現頻度が高い和音(ピッチクラス)であることになります。また、軸に頻度を直接とるのではなく、順位を軸にとることは、頻度分布がzipfの法則のような冪乗則に従う場合には、概ね対数軸に変換していることになります。

 リターンマップを作成する単位については、度圏上での和音重心の原点からの距離の遷移のリターンマップと同様に、楽章単位としました。また対象とする作品については、従来よりサンプルとして用いてきた歌曲「私はやわらかな香りをかいだ」以外については、「大地の歌」および第10交響曲のクック版を含めた11曲の交響曲の各楽章としました。出現頻度の順位の定義については、以下の2種類を用いました。

  • 全交響曲累計での出現頻度に基づくもの(frq1)
  • 各交響曲毎の出現頻度に基づくもの(frq2)

2.公開するデータの見方の説明

公開しているアーカイブファイル:ReturnMap_sym_B_frq.zipを解凍するとExcel ブック形式のファイル ReturnMap_sym_B_frq1.xlsx およびReturnMap_sym_B_frq2.xlsx が出てきます。これらのファイルは、シート毎に、上記の分析対象となった作品(「私はやわらかな香りをかいだ」と交響曲、交響曲は楽章毎)について入力となった情報と結果が収めされています。ReturnMap_sym_B_frq1.xlsxは全交響曲累計での出現頻度に基づくもの、ReturnMap_sym_B_frq2.xlsxは各交響曲毎の出現頻度に基づくものです。

各シートの内容は以下の通りです。

Sheet1:各列が、各作品(交響曲の場合は楽章)の和音(ピッチクラスセット)の各小節頭拍の系列を表します。行の定義は、MIDIファイルを入力とした分析の準備(2):和音の分類とパターンの可視化 に準じますが、ここでは1行目のラベルと10行目以降の系列本体だけを使用しています。

Sheet2:frq2の場合、各列が、各作品(交響曲の場合は楽章)の和音を出現頻度の降順に並べたものになります。frqは全交響曲累計での音を出現頻度の降順に並べたものが1列だけ存在します。それぞれ1行目が系列末の行番号(=系列長-1)、2行名以降が和音の番号になります。元となるデータはSheet4に収められています。Sheet2の行番号-1が、リターンマップの軸の座標値になります。

Sheet3:Sheet1をSheet2に基づいて、リターンマップの座標値に変換したものになります。各列が各作品(交響曲の場合は楽章)のリターンマップ上の軌道を表します。

Sheet3a(ReturnMap_sym_B_frq2.xlsxのみ):各交響曲毎の出現する和音(ピッチクラスセット)の種別数(異なり数)および全交響曲累計での出現する和音(ピッチクラスセット)の種別数(異なり数)をグラフ化したものです。m1~m10が交響曲第1番~10番、erdeが「大地の歌」、allが全交響曲での累計です。


Sheet4:Sheet2の元となる、和音(ピッチクラスセットの)出現頻度を集計単位毎に降順に並べ替えたものになります。ReturnMap_sym_B_frq1.xlsx では全交響曲の全楽章累計の出現頻度でのソート、ReturnMap_sym_B_frq2.xlsx では各交響曲毎の出現頻度でのソートをした結果になります。和音のうち主要なものについてはラベルを付記してあります。 

以下のシートは各交響曲楽章毎のリターンマップの作成結果を収めています。各シート名と作品の対応は以下の通りです。

  • mX_Y(X:交響曲通番、Y:楽章):第1交響曲~第9交響曲
  • erde_1~erde_6:「大地の歌」
  • m101~m105:第10交響曲(クックによる5楽章版)
  • duft:「私はやわらかな香りをかいだ」(参考)
例として、第9交響曲第1楽章(m9_1)の全交響曲累計での出現頻度に基づくリターンマップ(frq1)、及び第9交響曲における出現頻度に基づくもの(frq2)を示します。いずれも1列目がリターンマップのx座標、2列目がリターンマップのy座標の値となります。全交響曲累計での出現頻度に基づくリターンマップは、全交響曲累計での出現する和音(ピッチクラスセット)の種別数(異なり数)で軸を揃えています。各交響曲毎の出現頻度に基づくリターンマップは、各交響曲全体での種別数(異なり数)で軸の最大値を交響曲毎に変えています。


全交響曲累計での出現頻度に基づくリターンマップ(frq1):総種別数(異なり数)=231

第9交響曲における出現頻度に基づくリターンマップ(frq2):総種別数(異なり数)=137


[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。
(2024.8.5公開)

2024年8月4日日曜日

ヴァルターの「マーラー」にあるマーラーの指揮者としての仕事ぶりについての回想

ヴァルターの「マーラー」にあるマーラーの指揮者としての仕事ぶりについての回想(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.23, 邦訳pp.27,28)
(...) Beweßte Belehrung erteilte er mir also fast niemals - aber was ich durch das Erlebnis dieses Wesens, das sich absichtlos, aus innerer Überfülle, in Wort und Musik ergoß, an tiefer Belehrung und Erziehung gewann, ist unmeßbar. Aus der impulsiv ausbrechenden Art Mahlers erklärt sich vielleicht die Erregung, die ich bei fast allen Menschen, die mit ihm zu tun hatten, einschließlich der ihm Nächsten, besonders natürlich bei Sängern und Orchestermusikern, im Verkehr mit ihm beobachten konnte. (...) Haß und Erbitterung auf der Seite mancher schwächer Begabten oder Anmaßenden, die sich von dem Unerbittlichen mißhandelt fühlten, gab es auch aber wollend oder widerstrebend fügten sich alle seinem Willen.

 (…)かれは私に意識的教訓こそ与えたことはなかったが、私がかれの個性から、又かれの経験から把握した教訓は、考えようとしなくても、言葉や音楽のうちにおのずから現れていて、それはまったく量り知れぬほどである。マーラーが一時的衝動にかられて、感情を爆発させたことは、すこしでもかれと接触をもった人、それはかれの近親の者はもちろんのこと、特に歌手や管弦楽員が多かったが、そのだれしも認めるところである。(…)この厳格な教師から虐待されたと感じた、いわゆる才能なきうぬぼれの強い人間からは馬頭され、嫌悪された。しかし、かれに好意をもつ者ももたぬ者も、結局はかれの意志力に服従せざるを得なかったのである。

マーラーの指揮者としての仕事ぶりについてはさまざまな証言が残っているが、その中には一緒に仕事をする人間に対する厳格で、時折過酷ですら ある態度に関するものも数多く含まれる。上記のヴァルターによる証言は、マーラーを擁護する立場から書かれているから、マーラーの態度を不当である と糾弾しているわけではないが、マーラーに関して好意的に思わない人間が幾らでもいそうなことは、この文章からでも容易に読み取れるだろう。 勿論時代的なファクターもあって、今日では通用しないようなやり方もマーラーの時代にはごくありふれた風景であったかも知れないし、マーラーの場合には とりわけユダヤ人であることに起因するバイアスがあることもまた確実だ。だがそれでもなお、マーラーが時としてかなり問題のあるやり方をしたらしいことは、 様々な証言が伝えている通りである。
マーラーが歌劇場の監督として、指揮者として達成したものの評価については概ね高い評価が為されているが、そのことを勘案してもなお、その達成の 背後にある「職場」での人間的な軋轢、葛藤の類が帳消しにされることはない。それを「一将功成りて万骨枯る」式に否定的に受け止める見方だって あるだろうし、逆にそれが達成したものの価値の否定に繋がれば、それには違和感を感じはしても、基本的に共同作業である歌劇の上演やコンサートでの 演奏がマーラー一人で達成されたわけではないのは当然のことであって、事実としてその達成を支えた人の全てが記憶されているわけではないからには、 「一将功成りて万骨枯る」にも一定の正当性があると言わざるを得ないだろう。この点については今日の、もっとありふれた別の種類の組織でも風景は 変わることがないに違いない。マーラーみたいなタイプは程度の差はあれ、いつでも、どこにでもいて、毀誉褒貶が半ばすることもまた同じなのだ。 何かを達成することが要求されている組織にとっては必要悪だという言い方もできるかも知れない。
マーラーは欠点が多い人間であったというべきだろうし、少なくとも円満でバランスの取れた人間ではなかったのは確かなようだ。そしてその欠点が 時として致命的なまでに対人関係を損ない、組織としての成果の達成の妨げになったことだってあるだろう。勝率10割は、どんな領域においても 不可能だし、あげつらおうと思えば、どんな達成に対してだって瑕疵を見つけて批判することは可能だろう。その点でマーラーは恐らく、その巨大な才能に 見合う程度には支持者、擁護者にも恵まれていた。例えば別のところ(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.111, 邦訳p.203)でヴァルターが 以下のように述べているのは印象的である。見た目は控えめな擁護だが、自分の力量と価値をきちんと把握していたに違いない、にも関わらず、 時折自分の感情や振舞いをコントロールできなかった、有能でありながら欠陥ある職業人であったマーラーにとって、このように後世に伝えてもらえることは この上ない、恐らく最大の賛辞に匹敵するのではなかろうか。(2008.11.16, 2024.8.4 邦訳を追加)
 
(...) der im Herzen Gütige konnte hart und beißend, heftig und jähzornig, kalt und abweisend sein; aufrichtig war er jedenfalls immer. (...)

(…)かれの心は温情にみちあふれていたが、かれは厳しく、鋭く、非妥協的で短気、冷たくて不愛想であることができた。しかしつねに誠意は失わなかった。(…)


ヴァルターの「マーラー」にあるマーラーとの出会いの回想

ヴァルターの「マーラー」にあるマーラーとの出会いの回想(原書1981年Noetzel Taschenbuch版pp.17,18, 邦訳pp.14,15)
(...) Und da stand er nun in Person in der Theaterkanzlei, als ich von meinem Antrittsbesuch bei Pollini heraustrat: bleich, mager, klein von Gestalt, länglichen Gesichts, die steile Stirn von tiefschwarzem Haar umrahmt, bedeutende Augen hinter Brillengläsern, Furchen des Leides und des Humors im Antlitz, das, während er mit einem anderen sprach, den erstaunlichsten Wechsel des Ausdrucks zeigte, eine gerade so interessente, dämonische, einschüchternde Inkarnation des Kapellmeisters Kreisler, wie sie sich der jugendliche Leser E. Th. A. Hoffmannscher Phantasien nur vorstellen konnte; er fragte mich freundlich-gütig nach meinen musikalischen Fähigkeiten und Kenntnissen - was ich zu seiner sichtlichen Befriedigung mit einer Mischung von Schüchternheit und Selbstgefühl erwiderte - und ließ mich in einer Art Betäubung und Erschütterung zurück. Denn meine bischerigen, im bürgerlichen Milieu entstandenen Erfahrungen hatten mich gelehrt, daß man dem Genie nur in Büchern und Noten, im Genuß der Musik und des Schauspiels, in den Kunstschättern sei. (...)

(…)私が、はじめてポリニイを訪問して、かれの私室を去ろうとしたとき、マーラーは、劇場の事務室にいた。やせ青ざめ、やや長面の小柄なからだつき、濃い黒髪で縁どられた切れあがった額、眼鏡の奥に輝く特徴あるまなざし、人と語る場合にいちじるしい表情の変化をみせる顔に表われた懐しさとユーモアの線――それはホフマンの幻想的な物語を愛読する若い読者なら想像に浮かぶ、興味深い、超人的で、威圧的な人物である、あの、劇場主クライスラーに生き写しであった。マーラーは、快く、また親切に、私の楽才や音楽上の知識に関して尋ねてくれた。――それに対して、私は、かれが満足の意を表するまで、羞恥心と自負心との入り混じった気持ちで答えた。――その間、私は、一種の恍惚と深い感動にひたっていた。というのは、私がせまい家庭なかで得た経験では、天才は、書物の中で、音楽の文献の中で、また音楽や劇の鑑賞の中で、また博物館の芸術品の中でのみ発見しうるものであって(…)

この文章の特に冒頭部分、即ち、ヴァルターがマーラーその人と初めて知己を得た際の印象は様々な文献に引かれていて著名なものであろう。 別のところでも述べたとおり、ヴァルターの「マーラー」がマーラーを直接知る自身もまた高名な指揮者の証言として大きな影響力を持っているのは疑いない。 そしてその結果、流布するマーラー像の形成に良かれ悪しかれ寄与するところの大きいことも否定できないだろう。同様なことは、事実関係に関して 不正確であることで評判の悪いアルマの回想にも、シェーンベルクのマーラーに関する発言にも言えることで、彼らがマーラーを「殉教者」「聖人」に仕立てたように、 ヴァルターもマーラーを「天才」と呼んで、「伝説」の構築に寄与したのだ、という見方もあるだろう。アルマの回想についてその後為された事実関係の検証が ヴァルターの回想に対して為されているのかは寡聞にして知らないが、事実は闇の中で「定説」のみが跋扈するということになっていないかどうかについて 疑いを持つ人がいてもおかしくはない。更に言えば証言者同士も全く没交渉であるわけではなく、マーラーの場合でも例えばヴァルターとアルマとの関係が、 それぞれの相手についての記述に微妙な陰影を投げかけているのは間違いがないことだろう。ヴァルターとクレンペラーの関係しかり、アルマとシュトラウス夫妻、 あるいはアルマとアンナ・フォン・ミルデンブルクやナターリエ・バウアー=レヒナーとの関係しかりである。
だが、だからといってマーラーは聖人ではないし、天才ではない、マーラーの歌劇場指揮者としての功績はマーラーが一人で達成したのではないし、 マーラーの遺した作品の価値は限定的なものだ、天才の作品も環境の産物に過ぎないといった主張、一見したところ非の打ち所のなさそうな 冷静なコメントに対して、留保も躊躇もなく賛成できるかということになると、私個人は必ずしもそうではないのである。現時点での私は、マーラーの人間に 対しても音楽に対しても、恐らくマーラーにぞっこんであった若き日のヴァルターほどの思い入れはない。寧ろ否定し難い矛盾に当惑し、あるいは もっと言えば、どうしてこんな人間、こんな音楽に熱中してしまったのか、「他ならぬ」この人と音楽で他ではありえなかったのか、という(これは専ら私個人の) 疑問を解こうとしているに近い。天才、英雄、聖人、ヒーロー、その他何でも結構だが、どんな人間でも矛盾はあるし、欠点もあるだろう。否、もっと正確に 言えば、ある状況下では稀有な資質と見えるものが、別の状況では致命的な欠陥になることだってありうるだろう。勿論、気が合う、合わないのレベルについては 言を俟たない。
それでは、ヴァルターがマーラーに会った時に感じた「これが天才なのだ」という感じ方は、主観的なものであるとして否定されるべきなのか?それは「事実」 ではないのか?実はヴァルター自身はこの点については極めて自覚的で、序文においてきちんと予防線をはっていて、自分が本文で書く主題の持つ限界や 制限について目配せを怠っていない。無論のこと「事実」は大切で、あったことをなかったことにするような詭弁としての歴史修正主義は論外であろう。 意図しない勘違いや書き間違いについては、「事実」を問題にする限り質されるべきであろう。私は歴史学者でもなければ、伝記作者でもない。 世上、ノン・フィクション作家と呼ばれるような(あるいはそのように自己規定される)方々の立場とも接点はないが、そんな私でも、 上記の如き際立って主観的で私的な疑問を解決するために、「事実」を欲するのである。その音楽を繰り返し聴き、楽譜を読み、 あるいは様々な文献にあたって色々な時代の色々な人たちがマーラーについて語り、書いたものを(所詮は自分に与えられた限定された時間で 可能な範囲でに過ぎないが)渉猟するのは、「事実」が知りたいからなのだろう。だが、そうした渉猟の結果は、逆説的にも展望の多様性の認識であり、 そして自分にとって親和的であるようなある展望にたったとき、やはりマーラーは「天才」だったし、 「聖人」「殉教者」「英雄」「ヒーロー」等々と呼ぶに相応しいといわざるを得ない、ということだった。もはやアイドルではないにしても、そしてそうした規定を 否定する意見の存在と正当性を認めた上で、私個人としては、そうしたマーラーの捉え方を否定したいとは思わないのである。
世上、ノンフィクション作家と呼ばれ、あるいは自己規定する方々には、虚像を剥ぎ、偶像破壊をする(と自ら考えている)ことに熱心な方がいらっしゃるようで、 自ら「事実」と呼ぶものをもって他人の立場を断罪するようなことが行われることもあるらしい、というのを最近、マーラーとは全く別の 出来事を調べている時に知った。マーラーとは直接関係のない話でもあり、ここではこれ以上は書かないが、そうした文章を目にして思ったのが、 「天才作曲家」「大指揮者」「名監督」マーラーについても、きっと同じことを言う人はいるのだろうな、ということだったのだ。
そう、マーラーに関しても事情は変わるところはない。私はヴァルターがマーラーから受けた印象を(たとえ事実関係に多少の瑕疵があったことがわかった場合でも) 「真実」を含むものとして捉えたいと思うし、ヴァルターがマーラーについての回想を(自分自身の回想とは別に)書こうと考えた動機に、やはり書かずにいられない 衝動があったのだと考えたい。(勿論、幾らでも「不純な動機」を推測することは可能だろうが、この場合、それは文字通り「下衆の勘繰り」だと私には感じられる。 余技として回想を書いているヴァルターとノン・フィクション作家を生業とし、「真実」を語り、偶像破壊をすることによって糧を得ている場合と比較してみれば 良いだろうし、何よりもヴァルターが書いた文章を読んで、それが「何が言いたくて書かれたものなのか」がわからないということは、私個人にはなかった。) 否、例えばマーラーがいなければ当時の歌劇場の上演水準はどのようなものになっていたか、 マーラーがいなければ昨今のシンフォニーコンサートのプログラムやCD,DVDなどの商品企画がどうなっていたかといった 側面に限定しても、風景が随分と異なったものになったに違いないことは容易に想像がつく。勿論仮に、そうした側面を超えた価値を問題にしたとしたところで、 それがマーラーが歌劇場やオーケストラのプローべでやった 批難さるべき行為を帳消しにすることはないし、マーラーの持っていた欠点、マーラーが周囲の人間に与えた傷を無にすることもないが、だからといって、 逆にそのことをもってマーラーが成し遂げたこと、彼がいなければ成し遂げられなかったものを否定するのもまた、控えめに言っても同程度には不当なことだろう。
要するに、英雄やヒーローが虚構されたものであるという言い方には一定の真実が含まれているのは確かであっても、だからといって、ある人がその地位や 立場にあって成し遂げたことを「一将功成りて万骨枯る」式の言辞によって否定するのも極端であるように思われるのだ。確かにマーラーが歌劇場で達成した 業績はマーラーだけの力で達成できたわけではない。だが、一方でマーラーが自己の能力と気質によって達成したことを毀貶するのは、私には耐え難いことに 感じられる。それを当事者でもない人間が「一将功成りて万骨枯る」として一刀両断にするなど、私には絶対にできない。ましてや様々な資料から、マーラーが 容易くその成功を掴めたわけないことを知り、そして最後には敗残者のように去らなくてはならなかったことを知り、別のところで紹介した職場への告別の辞を マーラーが遺したことを知り、その告別の辞が辿った運命を知っていれば尚更のことである。 クリムトが1907年12月はじめにウィーンを去るマーラーを見送った後に言ったとされるVorbeiという言葉は、マーラーをある時代の象徴、ある価値の 体現者と見做す姿勢から発せられたと受け止められているようだが、その真偽はおいて(そう、もしお望みなら疑ってみても結構である。この場合には 「言った」というのが「定説」だろうが、所詮は伝聞なのだから厳密には真相は闇の中に違いない)、それが偶像視なのか?それが虚像だというのだろうか?ある時は マーラーをもて囃し、褒めちぎり、別の時には手のひらを返したように攻撃したジャーナリズムの世界の人間たちに対してならば、自身も論陣を張った カール・クラウスに従って、「英雄」「偉人」の捏造の廉で告発することも不当ではなかろう。だが、クリムトの言葉の背後にある衝動と、カール・クラウスが批判する 類の新聞記事の背後にある衝動とを同一視することはできまい。
「ヒーローなどいない」「英雄は不要だ」という言い方はそれ自体大変に口当たりが良い ものだが、揚げ足取りになるかも知れなくとも、実際にはヒーロー、英雄は、ある価値観の展望下では間違いなく存在するのだ。「自分はヒーローなどではない」、 「自分は英雄ではない」「ヒーローは別にいる」という当事者の発言は尊重されるべきだし、自身が事実関係を明らかにする証人になることも ありえるだろう。仮にそうでなくても、そうした発言は発言者の価値観の発露であり、さらには発言した当事者の品位を証することはあるだろうが、 一方で、出来事に大したコミットもしていない人間が「ヒーローなどいない」「英雄は不要だ」といった発言をすることは、それはそれで「真実」からの背馳を 齎さないか、私には疑問に感じられてならない。ある人間を「聖人」や「天才」として描き出すことが、事実との乖離を招く危険があることは否定しないが、 だが少なくともそこには書くものの対象に対する敬意と、自分の経験に対する誠実さが存在する。それは書き手自身が持っている価値に対する信頼の 表明でもあるだろう。ヴァルターがマーラーを描くケースはまさにそうだと私には感じられる。あるいはブラウコップフの評伝にしても、ラ・グランジュの膨大な伝記に しても、否、あれほど問題があるといわれているアルマの回想にしても、私には書き遺すことへの衝動と、マーラーの価値に対する揺ぎ無い信頼を感じる。 でなければ、それに一生を費やすことなどできようか。勿論のこと、「真実」と「虚偽」の境を曖昧にすることは厳に慎むべきだが、その上でなお、視点の、 展望の多様性、相違はあるだろう。もし読み手がそれを知りたければ、様々な証言を突き合わせる作業を自分でやれば良いのだ。 それは最早どれが「真実」かを断じるための営みではない。対象がマーラーであれば、マーラーという人間の多様な側面に触れ、価値の多様性の中に、 そのようなマーラーに拘り続ける自分の価値を位置づけるための営みではなかろうか。
では、マーラーが自分の価値と共存し得ない存在であったときにはどうすればいいのか、という問いは論理的には可能かも知れないが、現実には極端な状況で なければ立てる必要のない問いだろう。私が知りうることが世界の多様性からすれば取るに足らない断片に過ぎないのは、始めから明らかなことだ。 フレーム問題にぶつかったロボットではないのだから、自分にとって大した価値を持ちそうにない対象と取り上げては「これは気に入らない」という作業を繰り返す 必要などありはしない。肯定的抱握が生じて、ある永遠的客体が進入することは、それ以外に対する否定であるというのは論理的には正しいかも知れないが、 それでも否定的抱握が生じているわけではない。私には偶像破壊や虚像の剥ぎ取りなどをやっている時間は遺されていないようだ。だから私としては ロラン・バルトの、Il ne nie jamais rien : « Je détournerai mon regard, ce sera désormais ma seule négation. »という言葉に共感を覚えるのである。(2008.7.19, 2024.8.4 邦訳を追記。)