以前、記事「戦前の日本におけるマーラー受容との断絶」において、以下のように記載したことがある。
(…)これはまだマーラーを聴き始めたばかりの頃であったろうか、戦争中のニュース映画のBGMにマーラーの第1交響曲の第4楽章の冒頭が用いられているのを耳にして驚いた記憶がある。 マーラーがユダヤ人であり、第2次世界大戦中に特にドイツにおいてその音楽が蒙った受難を知らないではなかったから、1941年時点ではまだユダヤ人であるローゼンシュトックがマーラーの「大地の歌」を 初演することができたといった、もう少し微妙な状況についてその時点では知らなかった私には、ドイツの同盟国であったはずの日本で戦争中のニュース映画のBGMにマーラーの 音楽が使われていたというのが腑に落ちなかったのである。(…)
最近になって、NHKがWebで公開している映像アーカイブ中に、第二次世界大戦中、所謂国策会社としてニュース映画を製作した日本映画社のニュース映画「日本ニュース」(1940年~1945年)が含まれることを知って、上記の記憶を確かめようと思い立ち、6年間、合計264号(ただしアーカイブに保存されているものには若干の欠落があるようだが)のニュースの各記事の冒頭を確認するというやり方で、一通りの確認作業を行ったので、その結果を報告する。
結論から言えば、第1交響曲第4楽章冒頭が用いられているケースは確認できなかった(とはいえ、各記事の冒頭の音楽を確認するという今回の確認方法に由来する見落としが原因で確認できなかった可能性もあり、飽くまでも今回の調査では見つけられなかったに過ぎない)。確認できたのは第2交響曲のみだが、そのかわりに第2交響曲については、確認できた限りで少なくとも延べ21号、26回(1号の中に複数記事が含まれており、同一号の複数記事で利用されているケースがあったことによる)に亘ってBGMとして利用されていることが確認できた。全体のうちの約1割弱で用いられており、これは偶に使用するといったレベルを超えて、常連・定番のBGMの一つとして頻繁に利用されたと言って良いように思われる。
利用されている箇所は決まっており、第1楽章の冒頭と第5楽章の冒頭が頻繁に用いられる他、第1楽章展開部冒頭(練習番号4以降)、展開部後半(練習番号15以降、練習番号17あたり、練習番号18以降)、再現部冒頭、第3楽章中間部(練習番号39あたり)、第5楽章練習番号11以降、練習番号14以降、練習番号25あたりの利用を確認している。
音源については、当時聴くことができた録音が限定されている中で、第2交響曲は、その作品の規模にも関わらず2種類の録音があった筈だが、そのうちの一方(フリート指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団他の演奏のもの)は所謂アコースティック録音であり音質の制約が大きいためだろうか、より新しい、電気録音によるオーマンディ指揮ミネアポリス交響楽団他の演奏が用いられているようだ。もともとマーラーの音楽自体がドイツではナチスによって禁止されていたことを思えば、そもそもマーラーの音楽がプロパガンダの素材として用いられていること自体もさることながら、加えて交戦中の「敵国」での演奏が用いられている点も指摘しておくべきだろうか。但し厳密を期すれば、「日本ニュース」の製作期間の全期間においてアメリカが「敵国」であったわけではなく、太平洋戦争前の米国の動向に関する報道も少なからず含まれているし、ドイツとの関係にしても、日独伊三国同盟の締結は「日本ニュース」開始後である1940年9月で、当然ニュースの報道内容にも含まれているのであるが、その点を踏まえたとしても尚、オーマンディ・ミネアポリス交響楽団のマーラーの交響曲の演奏が、特に太平洋戦争開始後の報道で頻繁に使用されているという点は事実であることを指摘しておきたい。(なお序でに言えば、1940年頃にはミトロプーロスとミネアポリス交響楽団が第1交響曲の録音をしており、レコードとしてリリースされていた筈なので、私の記憶に残っている第1交響曲(の第4楽章)についても、今回の調査で見落とされた箇所で用いられているか、或いは戦前の別のニュース映画で使用されていた可能性(更には、戦後の早い時期に、戦争中を回顧する映像の中で用いられていた可能性)は残るが、この点については後日を期することにしたい。)
「日本ニュース」は1940年から始まり、敗戦後も1945年中は製作されてその年末の264号で終了したが、マーラーの音楽の使用はいきなり1940年6月の第1号で行われた後はしばらく間が空いて、太平洋戦争開始後の1942年になると年に数回の頻度で使用され、最後の1945年4月封切の第249号まで続くが、その間1943年12月7日の第183号では、幾つかある記事の全てで利用されているのが目につくだろうか。
どのような内容の記事で用いられているかについても一定の傾向があるように思われたが、それは具体的に以下に掲げる記事一覧を確認すれば自ずと浮かび上がってくるものであろうから、コメントは控え、一先ずは確認できた事実の記載に留めたい。
以下、確認できた箇所をリンク付きで示す。(リンクを踏むとNHKのアーカイブに移動する。)日付はクレジッドされたものに依拠している(まだテレビは無いから映画館で公開されたものであり、従ってニュースではあるが放送日のようなものが定義できるわけではない点に留意されたい)。また使用箇所は厳密なものではなく、大まかな目安として捉えて頂きたい。
- 日本ニュース 第1号(検閲合格日 1940年6月11日)
- [3]漢水渡河急追進撃戦:第1楽章 展開部後半(練習番号18以降)
- 日本ニュース 第108号(検閲合格日 1942年6月30日)
- [4]アリューシャン作戦アッツ島攻略:第1楽章 冒頭
- 日本ニュース 第119号(検閲合格日 1942年9月15日)
- [3]阿片戦争百周年 反英興亜大会:第5楽章 冒頭
- 日本ニュース 第126号(検閲合格日 1942年11月2日)
- [5]ソロモン海戦:第5楽章 冒頭
- 日本ニュース 第130号(検閲合格日 1942年12月1日)
- [6]北満の守り関東軍<大東亜戦争一周年記念>:第1楽章 再現部冒頭
- [7]洋上を圧す連合艦隊<大東亜戦争一周年記念>:第1楽章 冒頭
- 日本ニュース 第132号(検閲合格日 1942年12月18日)
- [1]大御心を奉体 生産翼賛の集い 第3楽章中間部(練習番号39あたり)
- 日本ニュース 第149号(検閲合格日 1943年4月13日)
- [1]北ビルマ国境 蠢敵掃蕩戦:第1楽章 冒頭
- 日本ニュース 第158号(検閲合格日 1943年6月16日)
- [1]隼戦闘機隊 湖南省米基地を攻撃<大陸戦線>:第1楽章 展開部冒頭(練習番号4以降)
- 日本ニュース 第164号(検閲合格日 1943年7月27日)
- [1]米機来襲の南方基地<敵反抗を撃ち砕け>:第1楽章 展開部後半(練習番号18以降)
- [4]大空に誓う 学徒十万:第5楽章 練習番号14以降
- 日本ニュース 第176号(検閲合格日 1943年10月19日)
- [2]比島独立:第5楽章 冒頭
- 日本ニュース 第177号(検閲合格日 1943年10月27日)
- [1]決戦<南太平洋海戦>:第5楽章 冒頭+第1楽章 冒頭
- 日本ニュース 第183号(検閲合格日 1943年12月7日)
- [1]北方航空基地警戒続く<決戦第三年航空決戦>:第5楽章 冒頭
- [2]南海に活躍の新鋭海軍機<決戦第三年航空決戦>:第5楽章 練習番号14以降
- [3]第六次ブ島沖航空戦戦果発表<決戦第三年航空決戦>:第5楽章 冒頭
- [4]ビルマ反攻の連合軍基地を爆撃<決戦第三年航空決戦>:第1楽章 冒頭
- 日本ニュース 第192号(検閲合格日 1944年2月2日)
- ラバウル:第1楽章 展開部後半(練習番号17あたり)
- 日本ニュース 第204号(封切日 1944年4月27日)
- [2]台湾青年 高雄海兵団へ初入団:第5楽章 練習番号11以降
- 日本ニュース 第208号(封切日 1944年5月25日)
- [2]河南戦線 大陸打通作戦始まる:第1楽章 展開部後半(練習番号15以降)
- 日本ニュース 第218号(封切日 1944年8月3日)
- [1]戦勢熾烈 中部太平洋戦線:第5楽章 練習番号25あたり
- 日本ニュース 第226号(封切日 1944年9月28日)
- [2]米空軍の野望撃砕 B-29バンコクを爆撃:第1楽章 展開部後半(練習番号18以降)
- 日本ニュース 第228号(封切日 1944年10月12日)
- [5]ベルリン防空陣:第5楽章 冒頭
- 日本ニュース 第244号(封切日 1945年2月1日)
- [2]B-29邀撃戦:第5楽章 冒頭
- 日本ニュース 第247号(封切日 1945年3月8日)
- [3] 硫黄島:第5楽章 冒頭
- 日本ニュース 第249号(封切日 1945年4月5日)
- [2]ルソン戦線 ~「斬込隊」敵陣へ進発~:第1楽章 冒頭
(2023.10.12公開, 13更新, 15集計ミス訂正)
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