I.
マーラーに関して私は、交響曲だけではなく、それ以外の歌曲や「嘆きの歌」に
ついても、その全体像を考える上で欠かせないと感じてきたし、そうした思いは
ますます強くなってきている。一般にはマーラーは第一義的には交響曲作家であり、
また勿論そうした見方は間違っていないが、だからといって歌曲の重要性が
看過されるべきではないだろう。
常にあってはかけ離れた、相容れないとすらいえるような二つのジャンルの間の融合は、
歌曲の旋律の交響曲での引用、交響曲楽章への歌曲への嵌め込みを経て最後には「大地の歌」と
いう交響曲的な構想をもった連作歌曲集へと至る。しかし歌曲の側でも、さすらう若者の歌、
子供の死の歌といった連作歌曲の流れがあってこそ、大地の歌のようなユニークな
形式が生み出されたのだと思われる。
交響曲に関して論争になる「標題」「プログラム」の問題についてもまた、それを直接云々する前に
歌曲において歌詞がどのように扱われているのかを考えずして議論するのは
随分と片手落ちではなかろうか。削除された「標題」や、作品の「説明」のために
書かれた文章と作品との関係の微妙さに比べれば、歌詞はとにかく、控えめに言っても
作品の直接的な素材であり、直接「標題」を云々する手前で、まず歌詞と音楽との関係を
考えることで浮かび上がってくることは色々とありそうである。
そして、そういう意味でも「大地の歌」はその作品の要石のような位置にあるように感じられる。
例えば、Dika Newlinが、マーラーの交響曲において2つ以上の歌詞付楽章がある場合には、
2つとも同じ作家のものは使われない、という大変に興味深い指摘をしているが、
「大地の歌」は、ここでもまた、ベトゲのNachdichtungとして考えれば連作歌曲、
李白他の中国の詩人の詩作への付曲と考えれば交響曲といった具合なのである。
これは歌詞と音楽との関係ではなく、寧ろ構想の水準の問題だが、勿論、歌詞と音楽との
関係と密接に結びついているのは確かで、それゆえ、例えばマイヤーが「音楽と文学」でマーラーの態度を
「簒奪者」と規定したのは、その説の当否はおくとしても、それなりの根拠あってのことには違いなく、
これに対するシュライバーの反撥には誤解が含まれているように感じられる。実際のところはそこに文学側から
眺めるか、音楽側から眺めるかの対立を読み取るのが妥当なのかも知れないが、それは少なくとも
私にとってはどうでも良いことで、問題はあくまでマーラーにおける言葉と音楽との間の緊張関係の
具体的なありようの方なのだ。
そんなことを考えている折、
梅丘歌曲会館で
甲斐さんが以前訳された「大地の歌」の訳を改訂されている(2007年6月稿)のに気付いて、
改めてその翻訳を熟読させていただいた。
そして、とりわけErdeという語の翻訳に対する繊細な配慮に感じ入るとともに、
その中でも第1楽章の題名について「地上」と訳されたことに強い説得力を感じたのである。
この文章で私もまたそうしているが、Das Lied von der Erdeは「大地の歌」と
訳す慣習になっている。だが、こと第1楽章の題名についていえばJammer der Erdeとは、
ずばり「地上の悲惨さ」とでも訳すのが適切に感じられたからである。
甲斐さんもまた、私が書き込んだコメントに対して、曲名を「大地の歌」としたことは
慣習への妥協である、とはっきり述べられている。
と同時に、だとしたら、他の部分、とりわけ第6楽章末尾のあのマーラーが
追加した歌詞のDie liebe Erdeはどうなのか、全曲のタイトルはどうか、というように、
この「大地の歌」全体でErdeという言葉で捉えられているものが何なのかを
改めて自分なりに考えてみたい気持ちになったのである。
ここに記すのは、その検討の結論ではなくて、むしろ検討の前準備のための
覚書である。思いつくままに視点を書き留めてみて、Erdeとは何かを考えることは、
実はマーラーを理解する切り口として決して周辺的ではないし、些事拘泥では
ないという感じが強くなってきて、それゆえに却って簡単に結論が出せるような
問題ではないということが認識された、というのが正直なところである。
Erdeをどう訳すか、といった翻訳の問題から辿るのは本末転倒だと言われれば
それまでだが、自分が抱いているイメージがその翻訳で変わってしまう気がするだけに、
私にとっては無視できないし、翻訳に込められた解釈は、まさに作品をどう捉えるかの
直接的な反映に違いない。しかも、この場合に限って言えば、漢詩のドイツ語への翻訳、
より正確には、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由した
うえでの更なるベトゥゲによるNachdichtung、そしてさらにその上にマーラーその人による
決して無視することのできない改変という過程があって、その過程では狭義の翻訳の
問題には収まりきれない変形・変換が介在しているのは確かなのであるし、しかも、
マーラーの場合は、それを単に文化的な潮流、時代の流行としてのオリエンタリズムに
還元するのは、時代の文脈にマーラーを位置づけることによって適切な遠近感を
取り戻すという意義は認められても、かえってマーラーが持っていた疎外の意識、
アドルノがPeudomorphoseという語によって捉えようとした存在の様態を損なってしまう危険が
あるのであってみれば、「翻訳」の問題は、決して副次的な問題ではないのだ。
もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、日本人が異国の音楽を
受容するに際しては何らかの(無意識的な)「翻訳」が為されているに違いないのである。
そうした幾重もの屈折を経て、あるいはそうした屈折を潜り抜けて、私がマーラーの音楽から
受け取ったと感じているものが何なのかを改めて考えてみようとした時に、Erdeという語の
翻訳という、一見些細に見える切り口を通して垣間見える展望は、決してトリヴィアルなものでは
ないようだ、というのが偽らざる感覚なのである。
本当は、甲斐さんとの対話をしていきながら考えていった方が、自分独りでやるよりも
ずっと深い理解に辿り着けそうなのだが、あいにくブログのコメントは字数の制限なども
あって、こうした検討には向いていない。ブログのコメントには不適切なテーマという
ことでまずは覚書を書く事にした次第である。そんなわけで、きっかけを与えて
くださった甲斐さんに感謝の気持ちを申し上げたい。また、甲斐さんの訳業に比べて、
私の文章は、随分とまとまりのない、つたないものであることをお許しいただきたい。
以下に甲斐さんのお許しを得て、本稿で扱う2007年6月稿の第1楽章の歌詞の翻訳を転載する。
注も含め、甲斐さんご自身のものをできるだけそのまま転載したが、ドイツ語原文の明らかな誤字は
訂正させていただいた。
なお、甲斐さんも述べられているように、マーラーが曲をつけた詩は(マーラーについては「いつものこと」
ではあるが、)原詩そのものではない。第3連の改変を始めとして、この点についても興味深い論点が幾つも存在するが、
本稿はあくまでマーラーが曲をつけた詩における"Erde"という語に対象を限定することとし、
そうしたマーラーの改作にまつわる問題は別稿で扱うこととする。(2007年10月現在準備中。)
第1曲『地上の苦悩をうたう酒宴の歌』
交響曲「大地の歌」より
|
詩: ベートゲ(Hans Bethge)
訳: 甲斐貴也(2007年6月稿)
黄金の杯には既に酒が満ち我らを誘う
だがまだ飲むな、その前に一曲歌いきかせよう!
この悲嘆の歌をお前達の心に哄笑のように響かせたいのだ
やがて嘆きの時が迫ればその心の園は荒れ果て
喜びも歌も枯れ萎むのだから
生は不可解だ、そして死も!
この家の主よ! その酒倉は黄金色の酒が満ちている
そしてここにはわたしの琴がある!
琴は掻き鳴らされ、酒盃は飲み乾されるのが
それぞれにふさわしいこと
酒で満たされた杯があるべき時にあるならば
その価値はこの世のどの王国にも勝る!
生は不可解だ、そして死も!
天空は永遠に蒼く
悠久の大地は春来たれば花咲く
だが人よ、お前達はどれだけ生き永らえるというのだ
儚い戯れに過ぎぬ浮世の楽しみさえ
百年と許されぬではないか!
あれを見ろ! 月明かりの墓の上に蹲る
亡霊のような獣の姿を
あれは猿だ! 聴け、生の甘美な芳香を 鋭く引き裂くその叫声を!
さあ盃を取れ、今こそその時だ!
この黄金の杯を飲み乾すのだ!
生は不可解だ、そして死も!
~李太白による~
|
Schon winkt der Wein im gold'nen Pokale,
doch trinkt noch nicht,erst sing' ich euch ein Lied!
Das Lied vom Kummer soll auflachend in die Seele euch klingen.
Wenn der Kummer naht,liegen wüst die Gärten der Seele,
welkt hin und stirbt die Freude,der Gesang.
Dunkel ist das Leben,ist der Tod.
Herr dieses Hauses! Dein Keller birgt die Fülle des goldenen Weins!
Hier,diese Laute nenn' ich mein!
Die Laute schlagen und die Gläser leeren,
Das sind die Dinge,die zusammen passen.
Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit
Ist mehr wert,als alle Reiche dieser Erde!
Dunkel ist das Leben,ist der Tod!
Das Firmament blaut ewig,und die Erde
wird lange fest steh'n und aufblüh'n im Lenz.
Du aber,Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen,
an all dem morschen Tande dieser Erde!
Seht dort hinab! Im Mondschein auf den Gräbern
hockt eine wild-gespentische Gestalt!
Ein Aff ist's! Hört ihr,wie sein Heulen
hinausgellt in den süßen Duft des Lebens!
Jetzt nehmt den Wein! Jetzt ist es Zeit,Genossen!
Leert eure gold'nen Becher zu Grund!
Dunkel ist das Leben,ist der Tod!
※第三連で後半3行を省略し、A+A+B+Aの形にするなど、マーラーによる改変がかなりあります。省略された部分は下記の通り。
[Nur ein Besitztum ist dir ganz gewiss:
Das ist das Grab,das grinsende,am Erde.
Dunkel ist das Leben,ist der Tod.]
|
II.
さて、Erdeが「大地」ではなく、「地上」「浮世」と訳しうるということで私が
関連して思いついたのは、これまた甲斐さんにコメントさせていただいたとおり、
Wunderhornliederにおけるirdische/himmelische の対立である。よく知られていることだが、
これはいずれも原詩の題名ではなく、したがってこの対立はマーラー自身が持ち込んだものである。
第4交響曲の終曲に位置づけられたDas himmelische Lebenの原題はDer Himmel hängt voll Geigenであり、
これはこれで、第2楽章の死神ハインのフィデルを否でも連想してしまうという点で、
その詩の内容を考えたときに意味深長だが、
ここではVerspätungという原題を持つDas irdische Lebenが第10交響曲の煉獄の楽章に
関係していることの方が、晩年のマーラーを考えるに際して一層示唆的だろう。
要するに、ErdeはHimmelの対立項であり、寧ろ「世の成り行き」Weltlaufがそこで容赦なく経過する
場所、第4交響曲に即して言えばdas Irdishce meiden / weltlich'Getünmmelなのである。
だがこの点についての最も大胆な指摘は、長木さんが「全作品解説事典」の「大地の歌」の項で書かれている
内容ではなかろうか。長木さんは上述のHimmelとの対立を指摘された上で、
「大地の歌」というのが誤訳ですらありえ、「この世の歌」「俗世の歌」とした方が良かったのではと書かれている。
村井さんもまた、新しいマーラー伝の作品論の「大地の歌」の項の末尾で「大地の歌」はDas Lied von Himmelである
第4交響曲に対して、「地上の歌」「浮き世の歌」であるとしている。
私もこの見方には大筋においては賛成である。そして、こうした見方を傍証する事実として、例えばジルバーマンの「マーラー事典」の
「大地の歌」の項でも触れられているように、マーラーはもともと全体の題名を、第1楽章の標題に基づいて
Das Lied von Jammer der Erdeにしようと考えていたことがあげられるだろう。
しかし、だからといってそれだけをもって全曲の構想をはかることは些か性急に過ぎるだろう。まずもって第1楽章と第6楽章の間の
距離を測る必要があるだろうし、甲斐さんも適切に指摘されているように、第1楽章の歌詞中ですら3箇所Erdeという語が
出現していて、
alle Reiche dieser Erde / die Erde wird lange fest stehen und aufblühn im Lenz /dem morschen Tande dieser Erde
という具合なのである。2つ目は寧ろ第6楽章の末尾のDie liebe Erdeと響きあうものがある。
甲斐さんは「この世」「大地」「浮世」と訳しわけられているが、曲名の「地上」と併せて
4種類の訳語を使い分けられたこの選択の説得力には多くの方が同意されるのではなかろうか。
「大地の歌」は非常に有名な曲なので、国内盤のCDにつけられたものなどを含めれば、
その歌詞の翻訳は実に様々なものがあるだろう。残念ながらその全てを調べることは
今の私にはできない(寧ろこれはCDを蒐集して居られる方の方が適任かも知れない)が、
例えば、恐らく「スタンダード」の一つとして考えることができる深田甫訳のあるバージョン
(というのも深田訳には複数のバージョンがあるようなので、ここでは私の手元にある
長木「全作品解説事典」所収のもの)を参考までに調べてみると、やはり、第1楽章の曲名は
「地上」、最初は「大地」(これは多少意外だが、実に巧みに「大地」という訳語を使われている。)、
2番目は「大地」、3番目は「地上」といった具合で、「地上」と「大地」を使い分けて
おられるのが確認できる。これだけの例から一般化するのは避けるべきだろうが、少なくとも「地上」「大地」を
区別することが文脈上自然なことは異論の余地はないだろう。
ところで甲斐さんの用いられた「浮世」というのは、まさにDas irdische Lebenにぴったり
来るが、更には、第1楽章のルフランである Leben / Tod の対立(もっとも、
歌詞は、dunkelなのはどっちも同じだと言っているのだが)とも響きあうところがあるだろう。
つまるところ、Erde / Himmel は、Leben / Todと並行しているという見方がまずは成り立ちそうに
見えるのである。
III.
その一方で第6楽章のDie liebe Erdeの部分の歌詞はマーラーが書いたもので、
しかも若き日に書いた文章に由来していることもまた併せて考える必要があるのではなかろうか。
これも良く知られているように「大地の歌」の第6楽章の歌詞には、若き日のマーラーの友人への手紙や
詩作に出てくる言い回しと非常に似通っている部分があり、ここでマーラーははっきり自分の青年期に
回帰していると言い得るのである。
一般に言って、マーラーが晩年(といっても50歳くらいなのだが)になって、
壮年期の「世の成り行き」との葛藤から一歩身をひいて、「大地の歌」と第9交響曲で
個体としての限界と率直に向き合ったときの姿勢には「この世に忘れられる」ことの
安らぎと、あるいはもしかしたら「嘆きの歌」で描かれた眠り、
「さすらう若者の歌」の若者が終曲で旅立つことで手に入れる眠りのあの、
不思議な甘美さと通じたものがあるように思われる。
「大地の歌」と第9交響曲においては、カトリックとゲーテに依拠した第8交響曲とは
異なって、憧れが既成の宗教的なものとはっきりと切り離されているが、そこでErdeは、
一方では苦悩に充ち悲惨なものでありながら、同時に憧憬の対象ともなっているのである。
こういう言い方をすると、「それは読み違いであって、(多くの翻訳が示すとおり)もともと2種類のErdeがあるのだ、
それを混同するからそのような混乱した見方になるのだ」という批判が出てくるかも知れない。
だが本当にそれは別々のものなのか。私には、それが実は同一のものなのだという認識こそ、
マーラーの晩年を特徴付けるものではないかというように感じられてならないのである。
勿論、第1楽章のルフランで Leben / Tod が同じものと捉えられるのも、それと並行していると
考えるのである。
そういう意味では、「大地の歌」という訳が誤解を招くものであることには同意できるが、
だからといって、長木=村井説のように、Himmelの対立項としての「地上性」「浮き世」という側面のみを
強調するのも、行き過ぎであると思う。(もっとも両者の書き方には、従来説に対する差別化の意図があって、
強調はレトリカルなものであるととるべきなのかも知れないが。)あくまで、私は、―かつての第4交響曲でも
本来コントラストをなすべき第2楽章と第4楽章が不思議な仕方で通底していて、第1楽章の「夢のオカリナ」
の少し先には第5交響曲の冒頭への通路が口を開けていたように―「大地の歌」においても、
かつては対立と捉えていたものが、もはや単純な対立とは捉えられなくなったという点、かつてはDurchburchの
契機によって目指されていたものの仮象性への認識を重視したいのである。
またあるいは、これがマーラー晩年固有の認識であるという主張には異論があり、
寧ろその点ではマーラーは一貫していたのだ、という意見もあるかも知れない。
確かにそうした主張にも首肯できる部分があるのだが、実際にはもう少し個別には入りくんでいて、場合によっては
矛盾さえ見出せる様相を呈している、というのが実態ではないかと思われてならない。作品の様式の変遷、
マーラーその人の認識の変遷もあるし、個別のある時点の断面での認識を切り出したところで、その内部では
隅々まで一貫しているとは限らない、ことマーラーの場合については、そうではない、というのが私の素朴な印象である。
そうした両義性、単純な対立でも、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方ということについて、
音楽そのものの様態から何か手がかりを得ようと思えば、例えば、大地の歌のコーダのあの有名な付加6の和音の
機能を考えてみればよい。(なお村井さんは、何故か「増6度和音」と呼んでいる。私は和声学について正規の教育を
受けたわけではないが、ドッペルドミナンテの第5音(ラ)を半音下げた下方変位の和音のうち、第2転回形を増6の和音と
呼ぶのは聞いたことがあるのだが、付加6を「増6度和音」と呼ぶようなことがあるのだろうか。ご存知の方のご教示を仰ぎたい。)
一般に付加6はIよりもIVにその機能が近いといわれているが、そうした機能を考えると、実は歌曲を眺めたとき、全く同じ和音
(ここでは付加6)ではなくても、似たような終わり方をする曲は他にもある。
私が思い浮かべるのは2つあって、そのうちの1つはWunderhornliederのDer Schildwache Nachtliedで、
アドルノも指摘しているが、ここでは変ロ長調の属7和音の変形(CをDに置換する)によって、音楽は開かれたまま終わる。
勿論、結局はそれぞれの場面での終結の意味が問題なのだが、それでも一体どのような種類の
歌詞につけられた曲であるかを考えることは、恐らくヒントになるだろう。男女の対話を歌詞に持つこの曲は、最終節に
至って真夜中の闇の中に消えてゆくのである。マーラーはここでも歌詞に手を入れていて、Feldwachtという単語を
引き伸ばして歌わせて終わる。MitternachtといえばRückert LiederのUm Mitternachtが思い浮かぶが、それよりも、
ここではまずもって歩哨兵を意味するFeldwachtという単語から、真夜中に目覚めているもの、というこれまたマーラーでは
お馴染みの、しかも恐らく非常に重要なイメージを連想することができるように思われることの方が私には興味深い。
無論、それはあのRevelgeにも通じるし、翻って「大地の歌」の終結部とも通じるものがあると感じられる。
だが、実はRückert LiederのIch atmet'einen linden Duftの方がもっと直接的だ。ここでは終結としてまさに付加6の
和音が用いられているし、チェレスタも響けば、「さすらう若者の歌」の終曲の眠りを包み込む菩提樹の香りLindenduftまで
隠されているのだから。この曲については後ほど、チェレスタの使用に関連して、Rückert Liederの他の曲も含めてもう一度
取り上げてみたい。Der Schildwache NachtliedでUm Mitternachtに言及したが、Ich atmet'einen linden Duftの
方は、Ich bin der Welt abhanden gekommenに触れずに済ますわけには行くまい。
もっとも、青土社「音楽の手帖」所収の深田論文のように「大地の歌」第6楽章のコーダの付加6の和音を「調性からの別れ」とするのは、
幾らなんでも飛躍が過ぎるように感じられて、私には受け入れられない。恐らくは
ベルクやツェムリンスキーへの影響などもお考えの上での主張なのだろうし、
その後の第9交響曲、第10交響曲の歩みを考えた場合、汎調性から無調への流れのうちに
このコーダを位置づけることはできるだろうが、この地点に調性との「告別」を認めることには
私は同意できない。ことは比喩や連想で済む話ではなく、マーラーにもドイツ文学にも造詣の深く、この文章でも
参照させていただいた素晴らしい翻訳をされている先生の発言だけに、首を捻ってしまう。所詮は素人の私が
見落としている何かがあるのかも知れない、否、そう考える方が「自然」かも知れないのだが、、、この点については、
「ブルックナー・マーラー事典」の「大地の歌」の項で渡辺裕さんが述べられている見解の方が納得できる。(ただし、
同意できるのはそれまでであって、マーラー個人の「晩年」の状況より、時代の精神風土との結びつきを重視する
姿勢には同意できない。どんなに控えめに考えても、後者が前者を否定することはないだろうし、これまた
戦略的にそうしている面はあるだろうが、後者に力点をおくことは、ことマーラーの場合に限っては、最終的に適切でない、
というのが少なくとも現時点での私の考えである。)
ただし、マーラーがシューベルトの後継者であることを告げるあのmoll-Durの
自由な交代、遂には第6交響曲において最も端的なモットーとして結晶した
あの移行についてのある種の止揚であると取れないこともないだろう。
勿論、ここで起きているのは、第3音の下降による同主調間の移行そのものではない。
だが、例えばヴィニャルも指摘している通り、付加6によって、並行調であるイ短調・ハ長調が宙吊りになることは
確かだろう。ここで「大地の歌」の第1楽章が、マーラーにとっての悲劇の調性であるイ短調で開始すること、
第5楽章がその同主調であるイ長調で終わり、第6楽章がハ短調で開始され、ハ長調、ただし付加6で終わるという、
調性配置を思い起こしてもいいだろう。少なくともこうした点を素通りして議論を進めるのは、それが音楽であることを
置き去りにする危険を孕んでいるように思える。
IV.
それは「大地の歌」を、「東洋的」と見るかどうかという、一見したところ皮相な問いにも繫がっていくに違いない。
「大地の歌」の原詩の問題はかなり研究されていて、元の漢詩からベトゲの詩が成立するまでの過程についても、
色々なところで情報を得ることができるようになっている。そうした研究成果も踏まえた上で、一般にはベトゲの
Nachdichtungはオリジナルの漢詩とは別のものである、と考えられていて、それはせいぜい単なる「東洋趣味」、
時代の趣味の装飾的な部分に過ぎないとされてしまうようだが、例えばそうした西欧側の事情よりはオリジナルの
漢詩の世界をずっとよく知っておられる吉川幸次郎さんのような中国文学者が、そこに中国的なものが
読み取れないこともないとコメントされているのは、果たしてリップサービスに過ぎないと割り切れるものなのか。
もっとも、私は何が西洋的で、何が東洋的であるという議論がしたいのではないし、
私にはそうする能力も資格もない。また、マーラーはやはり東洋思想を理解していた、あるいは東洋的な諦観に
至ったのだ、などと言いたいわけでもない。(「東洋的な諦観と」は、具体的に何を指しているのかも私にはわからないし。)
そうではなく、私が注目したいのは、マーラーに確かにあったと思われる Erde / Himmel の対立、あるいは Leben / Tod の対立、
そしてこれら2つの対立の対応関係の帰趨の方なのである。
こうして考えたとき、Adornoの有名なマーラー論での「Erde=地球説」とでも言うべき
主張もまた興味深い。一見したところ、これは突飛な見方のようでいて、思いのほか説得力があるからでもあるが、
その一方で、その斬新さにも関わらず、結局のところこれもまた際立って「西洋的」な見方のように感じられてならないからでもある。
つまり、何とはなしに、Todへの移行=昇天=地球を見下ろす、といったような連想があるように感じられてならないのだ。
長木=村井説の言う「垂直」方向の動き、いわば「超越」の運動である。
勿論、アドルノには新ドイツ楽派からナチスへと流れていく(あるいは、とりわけ後期のハイデガーを思い浮かべても良いが)、
まさに「大地」「土地」としてのErde、より端的に「血」(=民族)と対を形成することになる「土」(=祖国)といった捉え方、
あるいはマーラーにも出現する―ただし、これまた両義的な仕方ではあるが―「故郷」Heimatに対するある種の
姿勢、ハイデッガーのヘルダーリン読解に見られるような立場(これにはアドルノはパラタクシスをもって対抗するわけである)に
対する批判があって、それらを是非とも相対化してしまいたかったに違いないし、
マーラーを生産的に受容するという観点からは傾聴すべき主張だと思うのだが、やはりマーラーの
作品そのものの持っている内容からすると、やや性急に思えてならない。
そればかりでなく、既述の連想がそれなりの妥当性を持つものとすれば、それはいかにも「西洋的」な発想だと思う。
「故郷」Heimatを持たないという思いは、同じ同化ユダヤ人であったアドルノとマーラーに共通する
のだろうが、マーラーがベトゲの取りようによっては些か胡散臭さすら感じられる詩を通して
読み取ったものは、アドルノの説(白状すると、私は初めて読んだときには、思わず苦笑してしまった。
珍説とすら感じられたのである)に比べて、ずっとずっと、「東洋人」のはしくれである自分に身近に
響くように思われたのである。まあ、私の受け止め方は単なる思い込みに過ぎないと言われれば
それまでなのだが、私は幼少の、丁度マーラーを聴き始めたのと同じ時期に漢籍に興味をもって、
漢詩はかなり熱心に読んでいて、「大地の歌」も第1楽章こそ、これまた随分大げさな、とは思ったものの
李白や王維、孟浩然の世界と異質だとはやはり思わなかった。(寧ろ中国と日本の違いは感じたけれど。)
青土社の「音楽の手帖 マーラー」所収の柴田南雄さんのレコード評に、上記の吉川幸次郎さんの訃報に触れつつも、
東洋的無常観を表現した「大地の歌」を聴いてみたいと書かれていた文章があったが、(生意気にも)
その頃の私もそれには全く同感で、その頃レコードで持っていたメリマン、ヘフリガー、ヨッフム、コンセルトへボウ管弦楽団の
演奏ですら、もっと淡々、坦々として諦観が前面に出た演奏にならないものか、と感じていたくらいなのである。
これは余談だが、私は今なおいわゆる「阿鼻叫喚」系の演奏は、この「大地の歌」に関しては抵抗がある。
例えばバーンスタインの演奏は、こと「大地の歌」についてはマーラーの晩年の様式
みたいなものを「吹き飛ばして」しまっていないか、という疑念から私は逃れられないでいる。
バーンスタインは、この曲に込められた内容に関しては、最後の部分でマーラーに同意していないのでは
なかろうか。そして他の演奏家ならそれでもいいのだが、バーンスタインのようなタイプの演奏家に
限っては、そうした齟齬が致命的なものになるのでは、という気がしている。
もっとも、私は現時点では「究極の演奏」に巡りあうべく色々な演奏を聴き比べることには
関心が持てなくなっているので、だからどの演奏がいい、というのはない。結局は「究極の演奏」も
また私の主観的な嗜好の監獄から自由ではありえない。バーンスタインについて如何にも否定的に書いたが、
だからといってバーンスタインの演奏が「間違いだ」というのではないし、「悪い」というのでもない。
単に、私が「大地の歌」の音楽から受け取れると思っているものが、バーンスタインの演奏からは
聴き取れないというだけの話である。
更に言えば、ここで書きとめている「大地の歌」に対する見方も、これが「正解」である、
と考えているわけではない。これは「客観性」「真理」を追求することを要求される学問的な
性質のものではない。音楽の受容に関しては、そうした客観性と、自分の経験の質に忠実であろうと
する志向が両立しうるかどうか、私には自明とは思えないのである。そしてとりあえず、どちらを
とるかと言われれば、私は後者なのだ、ということなのだと思う。
V.
一方で、「大地の歌」と第9交響曲をあまりに性急に一まとめのものとして扱うことも
問題を起こすことになるかも知れない。密接な関係はあるものの、第9交響曲は「大地の歌」の
「後」に続く作品で、すべての面で大地の歌の帰結を出発点にしているものの、「大地の歌」の
反復でも、同じことの(今度は純器楽による)言い直しでもないだろう。
こうしてみたときに気になるのが、マーラーについてしばしば言われる象徴的な楽器法の
「大地の歌」への適用である。例えば、タムタム / マンドリン / チェレスタ という楽器に限定してみよう。
タムタムは、勿論常にではないが、しばしば Leben から Tod への移行とか、端的にTodを象徴する場面で使われる。
第2交響曲の第3楽章の「この世の営み」の無窮動が止んで、原光へと移行するattacaや、
第9交響曲第1楽章のHöcheste Kraft「最高の力をもって」の部分に続く、あのWie ein schwerer Konductの葬送行進曲を
思い浮かべてもいいだろう。そして「大地の歌」では、第6楽章、特にその中でも葬送行進曲風の中間の間奏曲部分が
それにあたるだろう。(ちなみに、この部分について、HAYESさんがMAHLERIANA中の文章で
WunderhornliederのNicht wirdersehenのルフランとの類似を指摘されているが、これは、これまたHAYESさんの
述べられている通り、ルフランの歌詞(Ade, mein herzallerliebster Schatz!)を考え合わせるに非常に興味深い指摘である。)
チェレスタについては第6交響曲と第8交響曲におけるその機能を考えてみればよい。
楽器の名前の通り、Himmelを象徴すると見做されることが多い。
わけても、第6交響曲の第4楽章において、3回目のハンマー打ちが削除され、チェレスタの上行音型に置き換わった
ことはよく引き合いに出される。第1楽章のSchwungvollの第2主題でも響いているが、それ以上にアドルノのいう
Suspensionの最も典型的な例である、第1楽章の展開部後半の、あのカウベルが鳴るブロック、あるいはアンダンテ楽章の
やはりカウベルの響くエピソードのブロックでチェレスタが用いられることを見逃すことはできないだろう。
第8交響曲では、第2部も終わり近くの、あのマリア博士のBlicket auf!という呼びかけから始まる霊感に充ちた素晴らしい歌の後、
これもまたその力を否定し難い「神秘の合唱」に至る直前の、こちらは毀誉褒貶のある間奏曲の部分(練習番号199以降)
の用法が重要だろうか。そのチェレスタが、「大地の歌」では第6楽章のDie liebe Erde以降のコーダで響くのである。
従って、これにやはり或る種の象徴を読み取ろうとするのは自然なことではあるだろう。
だが、これだけで終わらせてしまってRückert LiederのIch atmet'einen linden Duftに言及しないのは、マーラーの歌曲を
交響曲同様に重視すると言った手前、言行不一致の謗りを免れないだろう。
しかも、ここでも菩提樹の香りLindenduftが隠れていて、だとすると、ここでもまた若き日の「さすらう若者の歌」の終曲の眠りが
思い起こされる。(だから村井さんが「大地の歌」の終結部に関して特に「さすらう若者の歌」に言及しているのは的確だと思われる。)
だが、Ich atmet'einen linden Duftそのものはどうなのか?しかも上で既に述べた通り、ここでは終結の付加6まで一致しているのである。
この作品には、同じRückert Liederに含まれるIch bin der Welt abhanden gekommenに通じるような遁世の安らぎはあって、
そこでなら、Himmelという言葉が、gestorben der Weltという言葉が確かに出てくる。gestorben dem Weltgetünmmelまで
出てきて、Erde / Himmel で行けば、どちらかといえば後者の側に属しているようにさえ見える。だが
その一方でそもそもRückert Liederの世界は、Wunderhornliederの世界に比して、丁度同時期の中期交響曲群がそうであるように、
ずっと現実的、地上的な感覚が強いのもまた確かなことと感じられる。
そしてもう一つ、チェレスタが鳴り響く歌曲として忘れてはならないのは、Kindertotenliederの終曲である。ニ短調の嵐の音楽が
Allmählich langsamerに至って、第1曲でも響いたグロッケンシュピールの響きとともに静まっていき、
ついにニ長調に転じたLangsam. Wie ein Wiegenliedの部分、曲尾において、ここではニ長調の主和音で閉じられるに至るまで、
ずっとチェレスタが響いている。その子守歌の歌詞に従うならば、ここでのチェレスタの機能は、第6交響曲におけるのと同様、
あるいはそれ以上に明確にHimmelを象徴するものと考えてよいのだろう。
だが、私の主観的な見方かも知れないが、この曲の
悲しみは、実にこの子守歌で頂点に達するのだ。この子守歌には、喪失の受容と諦観が伴っている。意識は天国にはない。
意識は地上にあって、いなくなってしまった子供が神様に守られている天国のことを思うのだ。安らぎはここにはない。
喪ったものはもう、元には戻らないから。だからチェレスタがHimmelを象徴しているといっても、そこでの意識のありようを個別に
見れば決して単純なものではないのだ。
結局のところ、チェレスタの響きには一定の情調が結びついていることは確かなのだが、
Erde / Himmel の対立にあまり図式的に適用するのは無理が生じるのではなかろうか。としてみれば、「大地の歌」の
コーダでチェレスタが鳴ったといっても、それはやはり「地上」でのことで、Ich bin der Welt abhanden gekommenで既にそうであるように、
gestorben dem Weltgetünmmelとは言い、Himmelといっても、それはあくまで比喩であって、単純にいわゆるTodやHimmelといった
超越的なもの「自体」とは異なったものとして捉えられている、ここでの文脈に即して言えば、ErdeがWeltgetünmmelの場でもあり、一方でHimmel
でもあるということかも知れないのである。
更には、大地の歌のコーダではチェレスタと同時にマンドリンが響いていることを無視することはできない。
第7交響曲の第4楽章、第2のNachtmusikを先駆とし、またもや第8交響曲第2部でもグレートヒェンであった
Una poenitentiumが過去を振り返って聖母に取り縋りながら語る部分、ついでSelige Knabenがやはり
自分たちの過去とファウストの過去を対比させて語る部分―つまり過去のものとなった地上に対して眼差しが
向けられる部分―で用いられているが、「大地の歌」では第4楽章でははっきりと地上の(ただしそれは、
まるで回想の裡にあるように儚げではあるが)風景の中で鳴っていたマンドリンの響きは、ここでは寧ろ琵琶のようですらある。
第7交響曲や第8交響曲ではそうではなくても、「大地の歌」ではマンドリンは「東洋趣味」の現われであると
一般には解されるのかも知れないが、琵琶のようであるとはいっても、私がそこに東洋を聴いているわけではなく、
その音色は第6交響曲のカウベルとは異なって、寧ろチェレスタとは調和しない要素が残っていることを感じさせると
いうことが言いたいのである。例えば第6交響曲では、Mediatorの指定のあるハープの弾奏や、低音の
調律されていない鐘の響きが表しているものに通じているように感じられる。(そしてそこでもやはりチェレスタは鳴っている
のである、たとえそれが切れ切れで、まるで、遥かに遠ざかった場所から辛うじて風のまにまに響いてくるようであっても。)
そして第9交響曲では、チェレスタもマンドリンもないかわりに、葬送の鐘がタムタムとともに残るのである。
第4楽章において、Stets sehr gehaltenの指示以降、はっきりと大地の歌の終楽章が参照されるが、
それはその音楽の中では、客観的な要素、もはや表情を喪って宙を漂うしかない要素、シェーンベルクの
言う「非人称性」を思わせる要素に結び付けられる。こうしてみると、「大地の歌」終結のマンドリンの
響きを「非人称的」と形容したケネディの発言は、意味深長に思える。
こうした特徴の列挙はまだまだ続けることができるだろうし、重要なものを見落としているかも知れないが、
いずれにせよ、その特徴について何か解釈を自信をもって下すことは、私にはまだできそうにない。
だが、それでもこれまで聴いてきて、比較的揺らぎのない印象が心のなかに刻印されていることも確かなので、
ここでは論証抜きにその印象を書いておきたい。
私見では、大地の歌の終曲はersterbendの指示にも関わらず決して主観の消滅の描写ではないし、
同様に、第9交響曲の第4楽章も、「昇天」の音楽化ではないのは勿論、(この点では村井説とも異なって)超越を拒絶した死の描写であるとも思わない。
そういう見方は、結局、マーラーの晩年の音楽を、そうした音楽を書くに至った彼の心境を軽んじる一方で、結局「昇天」の音楽化という見方と同様、
「死が私に語るもの」の標題よろしく世紀末的な「死のイメージ」の描写というレベルに還元してしまいはしないだろうか。
別にマーラーその人の心境や認識、人生観(何なら世界観でも宇宙観でも、、、)が前代未聞の稀有なものであると言いたいわけではない。
むしろその音楽の創作の「動機」―それは素材に過ぎない―そのものは寧ろありふれていて、私の様な凡人にすら体験しうる、従ってあるレベルでは
共感できるようなものであっても、その心の傷の深さがその音楽に刻印されるときの様態の方は全く例外的で「天才的」という他なく、そうしたモメントを無視すること、
そして描写されているというよりは、音楽そのものがもたらす心的なプロセス(意識的、無意識的なものをひっくるめて)のユニークさとその圧倒的な力を、
それ以外の何かに還元してしまうような見解には抵抗を感じるということである。
子供の死の歌の回想は「ここではない場所」、あるいは「どこでもない場所」を示しはするが、いずれにせよ、最後まで主観は覚醒しているように聴こえる。
マーラーの音楽そのものが、それ自体或る種の非可逆な過程であり、だからこそその音楽を聴くことは、聴き手にとってそれを聴く前とは異なった
何かを発見させることがあるのだと私には感じられる。
シェーンベルクが言ったように、第9交響曲における主体は「メガホン」に過ぎないかも知れない。
だが第9交響曲が「限界」であって、その先にはTodが立ちはだかっているというのは、それもまたやはり「神話」に過ぎないのではないか。
(プラハ講演の時点で、シェーンベルクが第10交響曲に関して何を知っていたかを考慮する必要があるだろうし、後年
彼が、他の多くの作曲家同様に第10交響曲の補筆を断った理由は、例えばショスタコーヴィチがはっきりとそう言っているように、
寧ろ技術的な問題―ただしそこには作品を作ることに対する心構えのようなものも含まれる―が第一義的なものであったのではないかと思う。)
未完に終わった第10交響曲もまた、それの手前、第9交響曲との間に溝があるという見解同様、アダージョとそれに
続く部分の間に超えがたい溝があるという主張には同意し難いものがある。勿論第10交響曲がいかなる意味でも
完成した状態にないことは認めた上で、それでも私は、クックによって明らかにされた全5楽章の構想全体を重視したいのである。
演奏用の補筆とは言いながら第10交響曲のフィナーレを聴けば、おしなべて晩年のマーラーの音楽が
どのような「場所」で鳴っているのかについてに関して、誤解することはないように思われる。
まだそれを説得力のある仕方で論証することはできないとはいえ、このような印象を持つ私にとっては、第10交響曲の演奏版の
作者であるクックが当初はBBCでの放送のためにマーラーに関して書いた小冊子で「大地の歌」について記した内容は、
強い説得力を持っている。クックは「大地の歌」の内容が若き日のマーラーの文章や詩と共通している部分があることを指摘した上で、
それを単なる回帰と見做さず、晩年の認識の違いをはっきりと述べているのである。
それを私なりに敷衍するならばその違いはまさに、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する「疎外の意識」の存在にあるのだと思う。
「さすらう若者の歌」で、あるいはリュッケルト歌曲集で、孤独と引き換えにWeltlaufから逃れる先であったそれ―それを「自然」と呼ぶことは容易いが、
それでなくても発散しがちな議論がこれ以上発散しないようにするためにも、ここでは「自然」について主題的に論じることはしない
―に対して、実はそれはHimmelなどではなく、結局同じErdeなのであるという認識がまずあって、更にその上で、「大地」の永遠性、
その絶えざる回帰・循環の一部でありながら、有限な個体は、その永遠性には与れないのだという認識があるのだと思う。
簡単な事、ある意味では最初からわかりきったことなのだ。「別れ」は永遠性に対するそれであり、それは自分の有限性に由来するに
違いない。そして勿論そうした認識をもたらす契機として、やはり娘の死、(後世の眼では誤診だったとしても主観的には大きなダメージとなった)自分の病の
宣告といった、個体の有限性に向き合うマーラー自身の個別的な経験があることは否定し難いと思う。
私は同じ時期にヴァルターに宛てて書いた書簡に現れたマーラーその人の気持ちを、当時流行の「死のイメージ」の描写などに
すり替えたくないのである。私は「大地の歌」に、思い込みだろうが何だろうが、やはりそうしたマーラーの声を
聴き取ることができると感じているし、その重みだけは否定したくないのである。
それゆえ例えば、ここで最終的な判断をすることは到底できないものの、大谷さんが病跡学雑誌に掲載された論文で述べられている、
マーラーの晩年の音楽が、死の受容のプロセスの反映であるという説には説得力を感じる。
大谷1995(病跡誌No.49 pp.39-49)によれば、「大地の歌」の曲の配列が、絶望(悲しみと怒り)、虚脱、受容、見直し(再起)という死や障害の
受容過程(平山1988「悲嘆の構造とその病理」現代のエスプリ248 pp.39-51)に類似しているという。すなわち、受容の過程は以下の様な経過を辿る。
1.現実の否認
2.喪失に心から気付き、不安でしようがない。生きていく自信や意欲が持てない、悲しみが膨らみ感情の起伏が激しくなって、特に怒りが表面に出る。
3.引きこもり。亡き者にできるだけのことをしたのだろうか?
4.癒し。これからの新しい役割の意識
5.生き直す vita nova? 孤独感の深まり。
これに対して、「大地の歌」の楽章排列を対応づければ以下のようになる。
第1楽章.最も絶望的で苦悩に満ちている
第2楽章.寂寥、悲哀
第3,4楽章.過去の美への耽美的傾向
第5楽章.現実逃避
第6楽章.彼岸への指向、宿命への穏やかな肯定
この内容と順序こそが重要であって、ここを無視すればこの大谷さんの指摘を取り上げる意味合いはなくなるのだが、
その点で「大地の歌」と比較する意味でKindertotenliederを思い浮かべるのは興味深い。というのも
ここで詳論はできないが、Kindertotenliederの排列順序については若干の異なりがあるように見受けられるからである。
(もしかしたら、Kindertotenliederが必ずしも実体験に基づいたものはなかったことを思い浮かべるべきなのかも知れない。もっとも、Kindertotenliederの
連作歌曲集としての一貫性の高さ、聴いてえられるカタルシスの深さもまた格別のものがあり、こちらについては病跡学的にどのような説明が可能なのか
伺ってみたいところではある。)
ここで重要なのは、その音楽が「死」そのものの「描写」であるのではなくて、その「受容」の過程の、凡人には為しえない天才的な仕方での昇華で
あるということで、それゆえに聴き手もまた、音楽を聴くことでそのプロセスを自分なりに反復することができる可能性があるのだ。
(大谷さんも述べているように、「受容」そのものについてマーラーの能力が際立っていたということではなくて、偉大なのはその過程の作品化の方なのだが、
そこにある経験の深み、作品と経験との他には見られないほどに密接な関係がマーラーの特徴なのだと思う。)
とりわけ「大地の歌」について言えば、その構成が死の受容過程に類似しているという指摘は大変に興味深いもので、この「大地の歌」を
含めた様々な優れた芸術作品が持っている「力」、多くの人が感じ取ることができる力の正体を考える上で示唆的だと思うし、病跡学とはいっても、
いわゆるマーラーその人の気質類型論の類にはあまり関心はないとはいえ、この説については、私の自分の経験に照らして、深い共感を覚える。
例えば、バルビローリの「大地の歌」の演奏記録を聴き、その印象について書いた際、そうした経験を反芻しつつ文章を綴ったのを私ははっきりと覚えている。
(だから、この説に一見賛成しつつ、各楽章の性格付けと不可分のものである筈のその具体的なプロセスについて異議を唱えるような主張は、
私見によれば全く見当外れであって、すでにそれは一般的な「標題」や「プログラム」の議論にこの説を縮退させて論じているに過ぎず、であれば寧ろ、
この説にそのもの対して異議を唱えるのでなければ一貫しないだろうと思われる。少なくとも大谷説の要諦は経験の具体的な側面であり、その
説得力の源泉も、具体的な音楽の構成と心的なプロセスの同型性にある筈なのだ。)
さらにまたこの大谷さんの見方は、マイケル・ケネディの「マーラーは死ではなく、生に対する熱烈な憧れを表現」したのだという意見、その作品が聴き手の
「新陳代謝の一部になる」という表現と強く響きあうものがあるように思われる。
そして何より、私がマーラーに関して強く感じていること、マーラーの音楽が有限の主体の、儚い意識の擁護であること、取るに足らないものであっても、
それが還元不可能なものであり、様々な価値の源泉であるという感じ方とも一致しているように思われるのである。私にはヴェーベルンが気質の違いを
超えてマーラーに見出したかけがえのないものとは、こうした認識ではなかったかと思えてならないのだ。
VI.
そもそも、とりわけてもマーラーの場合、それが歌付であるからといって、主観的な感情や世界観の直接的な表明で
あるということはできない。よく比較されるように、マーラーは友人であったヴォルフとは異なって詩に曲をつけるといった姿勢は
決して持たなかったが、マイヤーの「簒奪者」という定義を認めたうえでなお、常に単純素朴に自分の感情や認識を託しうる
詩に曲をつけたわけではないと思う。無論、最低限の共感なくしてはその詩が選択されることはないだろうが、詩と音楽との
間の関係は決して常に一様で直接的なわけではないのではなかろうか。それが明らかなのは、Wunderhornliederにおける
イロニーに彩られた民謡調であろう。そこでの歌詞と作曲者との距離感は覆い難い。マーラーの旋律はしばしばキッチュの
嫌疑をかけられるほどに素朴で感傷的な装いを持っているが、その使われ方の方は些かも素朴ではない。
少なからぬ人が指摘しているように、マーラーの音楽にはどこかに醒めて客観的な部分があって、それはこの「大地の歌」ですら
例外ではないように私には思えるのである。(そしてその距離感が、ここでは有限性ゆえの「疎外」の意識に由来すると
考えているのは既述の通りである。)
その意味では、「Erde=地球説」をまるまる受け入れることは困難でも、若き日のマーラーにとっての
ドイツ民謡の位置に、晩年は中国が来たのだ、それらはPeudomorphoseなのだ、というアドルノの主張には頷けるものがある。
この点についてはどっちみち外部の人間に過ぎない私には最終的に「わかる」ことはありえないだろうが、
紛い物であるとして蔑まれるベトゲの詩に比べて、アルニム=ブレンターノの民謡が「真正」であるということは
ないのだろう。「大地の歌」を時流に応じた異国趣味と捉えるのは、全くの間違いではなくても、マーラーの場合の
特殊な事情を見損なっているように思われてならない。故郷がない人間の異国趣味とは一体何か、
その文化に帰属しきれない外部の人間にとって民謡とは何か、ということを考えずして、控えめに言っても
素材に過ぎない当時の文化を引き合いに出して作品を説明するだけでは、マーラーという場合の特異性を
探り当てることはできないのではなかろうか。既に上でも触れたが、それゆえ「ブルックナー・マーラー事典」における
渡辺説が、非常に綿密で恐らくは正確な文化史的な調査と理解に基づくものであったとしても、そしてまたマーラーの
音楽の未来を志向した部分を重視することには全く賛成なのだが、にも関わらず、だからといって、マーラーという「個別の場合」を
当時の精神風土に還元することには同意できない。そもそも、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンたちとマーラーとの影響関係はそれ自体、
まさに文化史・音楽史的な研究の対象には違いないだろうが、彼らがマーラーに見出したものが、狭義での技法的な次元のみに
留まるのか(それは例えばシェーンベルクのプラハ講演を裏切っていないか)、時代の流行に沿った世紀末的な「死」のイメージと
やらに留まるのか(こちらはマーラーの「未来」への志向の方を裏切っていないか)、私には疑問である。
例えば書簡に見られるヴェーベルンやベルクの発言、ヴェーベルンの音楽にはっきりと聴き取れるマーラーの「場合」の
こだまが、そうしたレベルで説明できるとは私には到底思えないのである。少なくともヴェーベルンが同時代の他の誰かではない
マーラーを「選んだ」のは、マーラーの個別性が問題だったからに違いないし、私が追求したいのも、マーラーをどう「還元」するか
ではなく、還元できない特異性の方にあるのだ。そうした個別性は学問に適さないというのであれば、寧ろ、
別に学問でなくても結構である。
一方で、「東洋人であるからマーラーの非西洋的な無常観がより
一層理解できる」式の主張もまた、見当外れに思われる。実のところマーラーが非本来的なものを擁護する
戦略としてとった中国の詩への擬態を、そのまま「わかる」ことなど自分にはできない。もっともそれを言えば、ベトゲの
詩でなくても、1000年も前の中国の詩人の原詩に対する「東洋人」のはしくれたる私の「理解」なんぞ、こちらも劣らず
怪しげなものであるに違いない。けれども、だからといってその戦略によってマーラーが擁護したかった、
音楽のかたちで伝えたかったものに、アクセス不能だとも思わない。そうした文化史的な知識の防御なしに、私が幼少時に
虚心に漢詩の世界にのめり込んで感じ取ったもの、マーラーの音楽を虚心に聴いて受け止めたもの、そして
そこに確かにあると感じられた接点を否定しようとは思わない。客観的にはそれすら誤解だ、幻想だ、思い込みだ、
として嘲笑われてしまうとしても、である。アドルノの言葉に寄生して言えば、10代前半に聴いたその音の感覚的
実体性―クオリア―を前にすれば、形而上学的思考も、美学も無力だし、そうした個別的な経験によって
刻印される芸術作品の力を無視してしまえば、論じる理由そのものが消滅してしまう。
同様に、或る種の世界観や人生観をもってマーラーの作品を
説明しようとするやり方も、音楽が持っているニュアンスを言語の歪みによって損なってしまいがちであると
感じられる。結局のところ、マーラーは思想家ではなく、音楽家なのだ。
外から概念を押し付けるのではなく、音楽が個別に語るものを聴き取ること、音楽と歌詞とのその都度の
関係を、その距離感を感じ取ることが重要であるように思われる。
マーラーの音楽を俯瞰してみると、その一貫性に驚嘆する一方で、ちょっと見ただけでは矛盾しているように
思われるものが含まれていることに困惑することになる。例えばそれを伝記主義的に、マーラーの生涯における
出来事と、それに対するマーラーの心境の変化に還元して説明をしてしまいたくなるのは無理も無いことだし、
恐らくまるまる間違いということではないのだろう。
ここで取り上げているErdeについてみても、若き日からのモチーフであることを思えば、その一貫性は驚異的であるが、
その一方で、とりわけ晩年のマーラーはErdeについて決して単純な見方をしているわけではないことがここまでの予備的な検討からも容易に
予想される。音楽家であるマーラーは、音楽によって、Erdeとの様々な関わりの様態を色々な角度から
しかも実はかなり客観的に吟味しているのではなかろうか。マイケル・ケネディの言うとおり、それは結論や確信ではなくて、
寧ろ実験であり問いかけなのではないか。マーラーの音楽の魅力は、その姿勢の誠実さ、
その追求の徹底性、それを行う際の技術的な処理の独自性に由来するところが大きいように感じている。
そして見かけの素朴さに反してその音楽が主観的な感傷に陥らないのは、一つにはその生まれ育ちに由来する
どうしようもない疎外感ゆえの、だが、もう一つには自分自身に対してさえ醒めた視線を投げかけることができる
批判的な知性ゆえの距離感があるせいなのではなかろうか。マーラーの音楽は際立って「意識的な」音楽、
自己意識が成立するために必要な自己参照性を内包した系の音楽なのである。
最初にも書いたように、これは覚書に過ぎず、何か結論めいたことをここで書こうとは思わない。
思いついたままを書き記したが、今後更に音楽を聴き、詩を読み、そして様々な文献にあたることで、
更に追加すべきことが出てくるであろう。いずれにしても、本格的な検討が始められると感じられる瞬間は、
まだ当分の間訪れることはなさそうである。
その中で甲斐さんの翻訳は、私にとってはあまりに広大な問題領域を経巡る際の、最上の道標のように思われる。
今後も恐らく、改めて読むだびに考察のきっかけが得られるような刺激に満ちたものであり続けるように感じている。
(2007.5.31作成, 6.2補筆・修正して公開,6.4補筆、とりあえずの定稿とする。6.25 Kindertotenliederについて補筆, 6.27「死の受容」過程について補筆。7.19修正。9.30修正・加筆。10.6許諾を得て、甲斐さんの翻訳を転載する形態に変更。)