お知らせ

GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2025年5月8日木曜日

マーラーについて生成AIに聞いてみた(11):RAG検証用の質問をchatGPT, Gemini, Claudeにしてみた(2025.5.8 更新)

 マーラーについての様々な質問を商用の生成AI(ChatGPT, Gemini, Claude)に対して行い、その結果を受けて試作したRAG(Retrieval-Augumented Generation)の評価用に用意したプロンプトセットを、改めて商用の生成AIに与えて結果を確認する実験については、前回の記事「マーラーについて生成AIに聞いてみた(10):「大地の歌」日本・イギリス初演と第9交響曲の日本初演について」で報告した通りです。また前の記事では、その標題に示した通り、その結果の一部である、「大地の歌」の日本初演・イギリス初演および第9交響曲の日本初演についてのプロンプトへの回答について個別にコメントを加えつつ報告を行いました。それはRAGの構築を思い立った理由である、RAGなしの生成AIにとって苦手であるように思われた地域限定の情報、或いは特定の言語に偏在する可能性が高い情報に関する問い合わせに対して、商用の生成AIがどのように回答するかを改めて確認することを優先したからでした。

 本稿では、前回報告済のプロンプトへの回答に加え、残りのプロンプトへの回答も含め、実験結果の全体を報告します。当初生成AIには与えていなかったけれども、実は生成AIが得意である可能性が高いタイプのプロンプトを含めた、或る程度の多様性を持たせてプロンプトセットを与えることで、現状の生成AIの回答を、ピンポイントにではなく、稍々幅を持たせた仕方で確認することが狙いです。特にRAG構築に用いたLLMが、2023年12月19日公開のllama2 / Swallow であり、既にリリースされてからかなりの時間が経過しているバージョンであることから、近年のLLMの性能の急激な向上を考えると、ベースとなっているLLMの性能にかなりの差があることが予想されるため、その点を確認することを主要な目的としました。実際には用意したプロンプトの数は20程度であり、網羅性のようなものを議論するレベルの量ではありませんが、それでもこれまでの完全にアドホックな質問に対する回答では確認できなかった面が多少なりとも明らかにでき、また現時点での商用の生成AIの性能向上の著しさを確認することもできたと考えます。

 前回の報告と重複しますが、実験対象の生成AIの種類と、与えたプロンプト・セットを再掲します。

対象とした生成AI

  • ChatGPT:4o
  • Gemini:2.0 Flash
  • Claude:3.7 Sonnet

プロンプトセット

  1. 「大地の歌」の日本初演は?
  2. マーラーの「大地の歌」の日本初演は
  3. マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?
  4. マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?
  5. マーラーが死んだのはいつか?
  6. マーラーはいつ、誰と結婚したか?
  7. マーラーがライプチヒの歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  8. マーラーがプラハ歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  9. マーラーがハンブルクの歌劇場の楽長になったのはいつ?
  10. マーラーの第9交響曲の日本初演は?
  11. マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?
  12. マーラーの「嘆きの歌」の初演は?
  13. マーラーはどこで生まれたか?
  14. マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください
  15. マーラーの第10交響曲の補作者は?
  16. マーラーの第2交響曲の最初の録音は?
  17. マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は?
  18. マーラーの「交響曲第6番」はいつ、どこで初演されたか?
  19. ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?

 実験は2025年4月26日と5月6日に行いました。問い合わせの順番は、1の変形である2とタイプの異なる質問である14を除いて基本的に1から番号順とし、2と14を最後に質問することにしました。ChatGPTの無料版は最初は4oが使えますが、リミットに達すると4o-miniに切り替わります。今回は11まででリミットに達したため、リミットが解除されるのを待って残りを5月6日に問い合わせしました。Claudeについてもリミットがありますが、こちらは13でリミットに達したので、リミットの解除を待って、4月26日当日の解除後に残りを問い合わせています。Geminiについては制限にかからなかったので、全ての問い合わせを一度に行っています。

 全プロンプトに対する回答はかなりの分量になりますので、ここで全てを紹介することは控え、公開済の以下のファイルで確認頂ければと思います。

 各ファイル共通で、各行毎に、プロンプトのID(通番)、プロンプト、回答、実験日、評価を記載しています。「14.マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください」については、回答が長いものになったため、行を2行ないし3行に分割しています。

 評価については、これまでと同様、明確に間違いと言える部分がなく、概ね正解と見做せるものに〇、正しい部分もあるが一部に明確な誤りがある場合には△、全体として誤りのものは×としました。明確な事実関係のプロンプトであれば判断における曖昧さの余地はあまりありませんが、そうした場合でも生成AIが、聞かれたことの直接の回答ではない付加的な情報を追加する場合が多いので、判断はそれらを含めたものとなっています。今回は特に回答が長いケースが多かったため、△と×との区別にはどうしても恣意性が残ります。

 若干の例を挙げれば、「3.マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?」に対しては、Claudeのみ正解(トーブラッハ)で、chatGPTとGeminiはマイアーニヒとしています。回答にはそれ以外に当時のマーラーのおかれた状況等、創作のきっかけや背景に関する情報も含まれており、そちらは問題ないのですが、この場合、プロンプトへの答としては誤りなので×としました。

 一方、「10.マーラーの第2交響曲の最初の録音は?」の場合には、どの生成AIもオスカー・フリート指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団の1924年の録音に言及していて、その点に限れば正解とすべきかも知れませんが、それ以外の付加的な情報には誤りが含まれている場合や、判断に迷う記述が見受けられます。そこで付加情報に誤りが含まれる場合には△としました。具体的には「最終楽章の一部のみの抜粋」としたClaudeは、この点については事実に反しているので△にする一方で、chatGPTもまた技術的制約によるカットに言及しているのですが、こちらについては具体的な箇所についての言及はありません。「カット」というのをどの範囲・レベルのものと見做すかについて幅があることから、当初は全くの間違いとはいえないとして、一旦〇にしましたが、一般的な意味合いにおけるカット(著名な例として私がすぐに思いつくものとしては、シェルヘンの第5交響曲の録音やクレツキの第1交響曲、第9交響曲の録音におけるような、楽曲の一部の演奏を、理由の如何を問わず、意図的に行わないという意味合いでのそれ)はない全曲の録音というのが通常の了解であり、この回答はミスリーディングだと判断し、△に変更しました。

 このように回答の評価には微妙な部分が見受けられたことから、今回は△と判定した場合を中心として、回答に局所的に明確な誤りが指摘できる場合には、その箇所を赤字にして、判断の根拠がわかるようにしました(但し、誤りがある部分について網羅的にチェックを行った結果ではありませんので、その点はご容赦頂きたく思います)。また、「14.マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください」の回答は、以前の問い合わせに対するchatGPTの回答のように、具体的に挙げられた構造的な区切りの小節数等に明確な誤りがあるといったケースはありませんでしたが、細部については妥当性が疑わしい記述が散見されることもあり、今回は評価の対象外とし評価を行いませんでした。

 全般的な傾向について述べると、前回の記事で報告でも記した通り、マーラーの生涯における事実に関する質問については概ね正しい回答が返ってきており、かつその詳しさは想定を上回るもので驚かされました。(実はこの検証実験を行うまでは、llama2 / Swallow の回答を見て、マーラーの生涯に関する事実を網羅的にRAGに与えることを検討していたくらいなのですが、現状の商用生成AIを前提とするならば、それは不要であるように感じられた程です。)その一方で、作品に関する事実についての質問では虚実が入り混じる、以前の問い合わせ結果と似たものになりました。特に、前回の記事で報告の対象とした、日本初演・イギリス初演のような、マーラーの生涯からは時間的にも隔たり、かつ地理的にも隔たった場所での出来事については、恐らくはそれについての情報がインターネット上では限られるためか、回答の精度ががくんと落ちる傾向にあり、RAGの作成の必要性を感じさせます。各生成AI間の差については以前受けた印象と変わらず、chatGPTがやや暴走気味で誤りが目立つのに対して、GeminiやClaudeは、細かいところでの誤りが散見されるものの、相対的には誤りの程度はましで、かつ慎重な姿勢を示す傾向にある点は一貫しているように感じましたが、拡大したとはいえ、たかだか20程度のプロンプトに対する回答の印象に過ぎないので、過度の一般化は控えるべきでしょう。
 
 今回の回答で特筆すべき点としては、一部は既に触れていますが、最初に生成AIに問い合わせた際と同じ内容を問うプロンプトに対する答が、前回のものとは異なる場合が見受けられ、前回は誤りであったものに対して正解を返すケースさえ見受けられた点です。既に述べたように、以前は全滅だった「大地の歌」の日本初演については、今回はGeminiだけですが正解を返しています。GeminiのLLMのバージョンは以前と同じ筈なので、Gemini特有のRAG的なリアルタイム検索の効果だと思われますが、これが確率的な揺らぎによるものなのか、別の理由があるのかはわかりません。

 また今回追加したプロンプトの中には、マーラーが何と言ったかという、いわゆる語録についての質問が含まれていますが、これに対する回答も興味深く思われました。具体的に見ていくと、まず「4.マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?」については、極めて有名なメンゲルベルク宛書簡のコメントを回答として想定しているのに対し、いずれの生成AIも想定通りの回答を返しています。ちなみにchatGPTは「ドイツ語原文」を示していますが、何故か引用のごく一部の言い回しが書簡集で確認できるものと異なります(私が知っている限りでは、マーラーの書簡のオリジナルの文面では、StellenではなくDenken、anfängtではなくbeginntが用いられています)。とはいえ内容的には間違ってはいないため、—―多分そのようなことはないと思いますが、ヴァリアントの存在の可能性を考慮して――、〇としています。一体、何に基づいてこのような微妙な改変をするのかはわかりません。校正の機能が過剰に働いていたりするのでしょうか?

 「11.マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?」については、書簡のような記録があるわけではなくマーラーが語ったことが伝聞として記録されているわけですが、ここでも具体的にマーラーが語ったとされる言葉を引いているchatGPTの引用は、しかしながら私の知る限り、それをマーラーがそのまま語ったという記録はないように思います。一方Geminiは慎重に、「マーラーは、自身の葬儀について具体的な指示を公に残した記録は見つかっていません。しかし、彼の死後、妻のアルマ・マーラーや友人・知人たちの証言から、彼の葬儀に対するいくつかの意向が伝えられています。」と断った上で、一般に流布している内容を返して来ています。ClaudeはGeminiのような留保はつけていませんが、内容的には大きな問題はなさそうです。

 最後に「19.ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?」についてですが、回答として期待しているのは、ブダペストのハンガリー王立歌劇場でのマーラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」に接したブラームスが語ったと伝えられる賞賛の言葉でした。chatGPTの回答は、時期的にも内容的にも違ったもので、私の知る限りではフェイクと思われます。一方Claudeは、マーラーがハンガリー王立歌劇場の指揮者として働いていたことに言及しつつ、「この時期にブラームスがブダペストを訪問してマーラーについて何か述べた可能性はありますが、特に広く引用されるような発言は私の知識の限りではありません。」更に、「ブダペストで特にマーラーについてブラームスが何か重要な発言をしたという有名なエピソードは一般的な音楽史では強調されていません。」として、問いへの直接的な回答はしていません。特にこの最後の点については真偽の問題というよりは判断の問題なので誤りとは言えませんが、少なくともマーラーの生涯を語る上では必ずといって良い程言及されるエピソードですし、これはClaudeが回答として想定された発言を見つけられなかったことを弁明したものである可能性も否定できないように思います。Geminiはここでも周到に、「ブラームスがブダペストでマーラーについて具体的にどのような言葉を残したかという直接的な記録は見つかっていません。」と言いながらも、「本物のドン・ジョヴァンニを聴くにはブダペストに行かねばならない」という言葉を引き、「このブラームスの言葉は、マーラーの指揮者としての才能を認めた重要な証言として広く知られています。ブラームスは、その後マーラーをウィーンに推薦するなどの支援も行っています。」というように、的確で行き届いた回答を返しているように見えます。

 全般として、現在利用できる商用の生成AIの能力は、RAGの構築に利用した、ほんの数年前にリリースされたLLMであるllama2 / Swalllowと比べても著しく改善されており、例示した幾つかの回答からも窺えるように、質問そのものの直接的な回答だけではなく、付加的な情報を付加するなど、エージェンとしてのチューニングが施されている他、「幻覚(Hallucination)」対策も(程度の差はあれ、また万全ではないにしても)進められていることが感じられます。また、質問の種類を増やしてみると、マーラーの生涯の事実を問うようなプロンプトに対する回答の精度は想像以上に高く、RAGによって補完すべき領域は色々な意味合いで「ローカル」であったり「パーソナル」であったりする、相対的にはマージナルな事柄に限定されるように感じました。但し情報の精度と回答の仕方の両面での改善が進めば進むほど誤りを見抜くことが困難になっていく一方で、フェイクを皆無にすることには(少なくとも現在の技術を前提とする限りにおいて)原理的に大きな困難が予想されるため、利用に当たって注意する必要性は寧ろ今後増大していくと考えるべきかも知れません。

(2025.5.7 公開, 5.8 フリートの第2交響曲の録音に関するchatGPTの回答の評価を訂正など、幾つかの点について補筆し、文面の調整を行い、タイトルを調整の上更新)

2025年5月6日火曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (17):アドルノの「晩年様式」を巡って

 既に確認した通り、「晩年様式」についてアドルノは、マーラーに先立ってベートーヴェンのそれを取り上げている。『楽興の時』,所収の「ベートーヴェンの晩年様式」(初出はチェコスロヴァキア共和国のための双紙『アウフタクト』第17巻第5/6号, 1937)

 そこでの指摘は必ずしもマーラーの場合とぴったり重なる訳ではないようで、「老シュティフター」と並んで「老ゲーテ」への言及が含まれているにも関わらず、マーラーの場合に全面に出てくる「現象から身を退く」、更にジンメルのゲーテ論における「老い」の把握との間の懸隔は少なからずあるように見受けられる。その懸隔の由縁が、どこまでベートーヴェンという個別のケースを扱ったことに拠るのかどうか。

「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味さえすればよいというわけにはいかない。そこには古典主義の美学がつねづね芸術作品に要求している調和がすべて欠けており、成長のそれより、歴史の痕跡がより多くそこににじみ出ている。世上の見解は、通例この点を説明して、これらの作品がおおっぴらに示現された主観の産物であるためだという。主観というよりはむしろ≪人格≫と呼ぶべきものが、ここで自らを表現するために形式の円満を打ち破り、協和音を苦悩の不協和音に変え、自由放免された精神の専断によって、感覚的な魅力をなおざりにしているのである、と。つまり、晩年の作品は芸術の圏外に押しやられ、記録に類したものと見なされるわけだ。」(アドルノ, 『楽興の時』, 三光長治・川村二郎訳, 白水社, 新装版1994, p.15)

 ところがここで持ち出されるのは「死」であって「晩年」そのものではないらしい。

「まるで、人間の死という厳粛な事実を前にしては、芸術理論も自らの権利を放棄し、現実を前に引きさがるほかはないといったありさまである。」(ibid.)

 だが、かくいうアドルノもまた、結局、「老い」そのものではなく、「死の想念」に言及するには違いない。

「ところで、この形式法則は、まさに死の想念において、明らかとなる。死の現実を前にしては、芸術の権利も影がうすれるとすれば、死が芸術作品の対象としていきなりその中に入り込めぬことも確かである。死は作られたものにではなく、生けるもの「にのみ帰せられているのであって、であればこそあらゆる芸術作品において、屈折した、アレゴリーというかたちで表されてきたのであった。」(同書, p.18)

 そこで批判されるのは心理的な解釈である。

「この肝心な点を心理的な解釈は見のがしている。それは死すべき個人性を晩年作品の実体と見なしてしまえば、あとははてもなく芸術作品のうちに死を見いだすことができると思っているらしい。これが彼らの形而上学の、まやかしの精髄だ。たしかにこうした解釈も、晩年の芸術作品において個人性が帯びる爆発的な力に気づいている。ただそれを、この力そのものが向かっているのと反対の方向に見いだそうとしている。つまる個人性自体の表現のなかに見いだそうとしているわけだ。ところがこの個人性なるものは、死すべきものとして、また死の名において、実際には芸術作品のなかから姿を消しているのである。晩年の芸術作品に見られる個人性の威力は、それが芸術作品をあとに、この世に訣別しようとして見せる身ぶりにほかならない。それが作品を爆破するのは、自己を表現するためでなく、表現をころし、芸術が見かけをかなぐり捨てるためだ。作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」(ibid.)

 なお、ここの部分を読んで思い起こされるのは、マーラー・モノグラフの冒頭、パウル・クレツキのカットを含む第9交響曲の録音につけられた解説に登場する「死が私に語ること」という標題に対してのアドルノの批判であって、まさにここで指摘される「反対の方向」を向いた解釈の批判ということになるのだろう。(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.4 を参照のこと。) 

 もう一つ、こちらは『楽興の時』の掉尾を飾る「異化された大作-『ミサ・ソレムニス』によせて―」の末尾近くにも「晩年様式」への言及が確認できる。

「『ミサ・ソレムニス』の美的に破綻をきたしているところ、一般にいまなお何が可能であるかという、ほとんどカント的にきびしい問いのために、明確な造形を断念しているところなどは、見た目に完結した外容のかげに口をひらいた裂け目と対応しているのであり、そうした裂け目を、後期の四重奏曲の構成はあらわに見せている点だけがちがうのである。しかし、ここではまだ抑制されていると言ってよい擬古ふうへの傾向を、『ミサ』は、バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家の晩年様式と分け合っている。」(p.240)

 こちらは1959年執筆だから、マーラー・モノグラフに寧ろ時期的には近接する。「バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家」の中にマーラーは恐らく間違いなく含まれるであろう。

 最後にウィーン講演(『幻想曲風に』所収、邦訳は「『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018)。ここでも晩年様式はベートヴェンのそれを参照しつつ、『大地の歌』に関して述べられている。

「時として≪大地の歌≫では、極端に簡潔なイディオムや定式が充実した内容で満たされきっているが、それまるで、経験を積んで年を重ねた人物の日常の言葉が、字義通りの意味の向こうに、その人の全生涯を隠しているかのようである。まだ五十に手の届かない人物によって書かれたこの作品は、内的形式という点で断片的であり、(ベートーヴェンの)最後の弦楽四重奏以来の音楽の晩年様式の最も偉大な証言の一つである。ひょっとするとこれをさらに上回っているかもしれないのは、第9交響曲の第1楽章である。」(上掲書, p,123)

 ここでの「極端な簡潔なイディオムや定式」は、ベートーヴェンの晩年様式における「慣用」であり、と同時に、ぴったりと重なることはなくとも、少なくとも一面において柴田南雄が指摘する「歯の浮くようなセンチメンタリズムに堕しかねない」「ユーゲント様式」(柴田南雄『グスタフ・マーラー ー現代音楽への道ー』, 岩波新書, 1984, p.160)を含んでいるのだろう。マーラー・モノグラフにおいてはハンス・ベトゥゲの「工芸品的な詩」への言及はあっても、アドルノが様式化の方向性として指摘するのは「時代のもつ異国趣味」の方なのだが(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)。

*  *  *

 ところで「ベートーヴェンの晩年様式」に戻って、上で引用した最後のくだり、「作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」という部分について、マーラーに関して思い浮かぶのは、1909年6月27日、トーブラッハ発アルマ宛書簡に出てくる、人生と作品の関わりについてのコメント、更にその中で述べられる、作品は「抜け殻」に過ぎないという認識だろうか。(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, pp.398~399。なお下記引用箇所ではないが、関連した箇所について、過去に以下の記事で取り上げたことがある。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉)

「――ところできみはすでに私が人間の≪作品≫についてどう考えているか知っていると思う。少なくとも推察はできるだろう。それはかりそめの姿、”滅ぶべき部分”(原文傍点強調、以下同様)にすぎない。しかし人間がみずからをたたきあげて築いたもの、たゆまぬ努力によって”生まれ出た”彼の姿は、不滅のものだ。」

 この書簡のテーマが、芸術創造についてではなく、妻アルマの人間的な「成長」であることには留意し、一応念頭においておいくべきだろうが、「作品」観として読もうとした時に重要なのは、そのことよりも、この作品についての見解に先立って、生命の進化についてマーラーが語っている点であり、当然、生命観と作品観との関わりを考える必要があるだろう。(同じく原文は、過去の記事「妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉」を参照。)

「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。」

 マーラーの場合、第8交響曲第2部の素材になったという以上に、伝記的事実として知られている限りでも彼自身が筋金入りのゲーテの愛読者であり、客観的には些か自己流という評価になるにしても、寧ろそれだけ一層、単なる教養の如きものとしてではなく、自己の生き方を方向づけるものとしてゲーテの思想を我がものとしていたという点が特筆される。そしてこの点を以て、その作品の様式を論じる時、ゲーテの考え方に依拠することは、他の場合とは質的に異なった意味合いを持っていることになる。(更に言えば、上記引用で登場する「エンテレケイア」への言及が、同じ1909年6月に、やはりアルマ宛にトーブラッハで書かれた書簡に含まれる『ファウスト』第2部の「神秘の合唱」をめぐってのマーラーの説明の中に登場していて、当然、両者を関連付け、一貫した展望の下で理解すべきことを追記しておくべきだろう。)

 勿論、作曲者がゲーテを愛読したからといってそのことが直ちに論理的に必然としてその音楽作品のあり方を規定する訳ではないのは当然だが、ことマーラーの場合に限って言えば、その繋がりをあえて無視した議論は重要な何かを見落とすことになるだろう。こうした事情はどの作曲家にも成り立つというものではないが、ことマーラーの場合には、それをどう評価するかどうかは措いて、そうした繋がりがあること自体は確実であると思われる。否、最終審級ではそれがゲーテに由来するかどうかも最早問題でなくて、マーラー自身がそのような考え方を抱いていたことと、生み出された作品との関係が問題であり、ことマーラーの場合に限って言えば、両者は無関係ではありえない、それどころか密接な関係を持つということだ。その際、その関りの具体的な様相は、アドルノが「晩年様式」を論じる時に指摘するように、単純な伝記主義でも、心理的なものでも、標題としての関わりでもない。

*  *  *

 もう一点、備忘を。

 マーラーがベートーヴェンの後期をより高く評価していることは、アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において確認したが、それを踏まえた上で、アルマが回想の「第八交響曲 1910年9月12日」の章に書き残している以下のマーラーの言葉をどう受け止めたものか?

「そのころ彼はよくこんなことを言った。「テーブルの下につばを吐いてみたって、ベートーヴェンになれるわけのもんじゃないさ!」」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.211)

これをアルマは、1910年11月のアメリカ渡航を記す箇所で、航海中にマーラーの最後のものとなった写真を撮ったことに続けて、さりげなく、そういえば、という感じで記している。何の注釈もないこの言葉は、子供の頃に接した私にとっては、ごく当たり前のように、ベートーヴェンになろうと思ってもなれるものではなく、自分は自分でやれることをやるしかない、という創作についてのマーラーの態度表明と受け取ったのであったが、しばしば極めて疑わしいアルマの記憶を信じるならば、これは上で参照した書簡よりも更に1年後のこと、しかも第8交響曲の初演という畢生の大プロジェクトを成功裡に成し遂げた後の発言であることに留意すべきだろうか。子供の私は、シェーンベルクがマーラーのネクタイの結び方の方が音楽理論の学習よりも大切だと言ったというアネクドットを念頭に、もしかしてベートーヴェンに、テーブルの下につばを吐くことに関するアネクドットがあるのかしらと思いつつ、そちらの確認は遂に行わないまま今日に至っているのだが、問題はそのことの事実関係よりも、こう言いながら『第九交響曲』も『ファウスト』さえも、「抜け殻」に過ぎないと断言するような認識に、この発言を結び付けて了解することの方にあるという点についてであるという考えについても、かつての子供の頃から変わらない。要するに、「すべて移ろいゆくものは比喩に過ぎない」からこそ、それは「抜け殻」なのだろう。作品は自分の死後にも残るとはいえ、『ファウスト』第2部終幕のようなパースペクティブの下では、所詮は「移ろいゆくもの」に属するのだ、ということなのだろう。そしてマーラーはこの時期、やっと50歳に達するといった年齢であるにも関わらず、そうした認識を己れのものとしていたということなのだろう。

 そしてこのマーラーの認識から導かれることの一つとして、「抜け殻」に過ぎないからといって、作品を遺すことに意味がないと考えているわけではない、ということがある。そもそもマーラーは、例えば既にブラームスやドヴォルザークがそうであったような、作品を出版することで食べていける職業的な作曲家ではなかった。指揮者としての生業の余暇に書かれたそれは、注文とか委嘱に基づくものではなく、世間的には楽長の道楽に過ぎなかった。最近はセットにして論じることの是非が議論のネタになるということがそもそもなくなってきている感のあるブルックナーとの比較において、実は「交響曲」というフォーマットを敢えて選択して、頼まれてもいないのに次から次へとそれを作り続けたという点だけは共通しているのであって、その営みが世間的な意味合いでは「無為」のものであることへの認識もあったに違いない。そして再びブルックナーがそうであったように、マーラーにとってもまた、作品を書き続けることが問題であったに違いない。作品が「抜け殻」に過ぎないとして、だからといって、作品を作ること自体からさえ離脱することは、そもそも問題にならなかったに違いない。既に書くことそのものへの断念に関して、デュパルクの断筆やシベリウスの晩年の沈黙についてかつて記したことを確認したのだったが、ことマーラーに関して言えば、そうしたことは全く問題にならないだろう。実際にはゲーテの「老い」についての認識と、それについてのジンメルの解釈には「東洋的諦観」が関わっているとはいうものの、同じく東洋的な無為に対する評価の姿勢を明らかに持っている「老年的超越」が「生み出すこと」への固執からの離脱という契機を内包しているのとは異なって、例えば中島敦の「名人伝」に描かれるような東洋的な「無為の境地」はゲーテ=ジンメルにも、ゲーテ=マーラーにも無縁のものであったに違いない。(己が名人であること自体から脱出してしまった「名人伝」の弓使いは、「現象から身を退く」ことを、「抜け殻」さえ残さないという徹底的な仕方で、まさに東洋的に実践したとは言えないだろうか?或いはまた、これこそが、自分はそれを実践できなかったかに見えるペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えた一例なのではないだろうか?)

 言ってみれば、それが「抜け殻」であるとの認識の下でさえ、作り続けることに価値や意味が賭けられているという構造は変わらない。そしてその根底には「動作し続ける」ことによって自らを維持するという、今ならオートポイエティックと言われもするだろう「生命」についての認識が存在する、というのが引用した書簡の告げる消息なのであろう。そして(これは個人的なことだが)私自身もそうした点に関してマーラーの姿勢の方により多く共感するということなのだろう。子供の頃の私は、マーラーと自分の間に横たわる能力の差を半ばは意識して、けれども実際にはその程度を正確に測ることなく、「テーブルの下につばを吐いてみたって、マーラーになれるわけのものでもない!」と一人ごちたのだったが、それが子供ならではの傍若無人であることを認識している今の私も、かつての共感そのものを自己に無縁のものとして断ち切れているわけではない。寧ろ同じ中島敦なら「山月記」の李徴に対して年端もゆかぬ子供がそれなりの切実さをもって抱き、数十年の年月を経て今なお抱き続けている同情と共感の方がまだしも身分相応であり、いずれ自分もまた虎となって、「生み出すこと」への固執から、それを超越するのではなく、単に忘却してしまうという望まぬかたちで離脱することになる可能性をさえ認識すべきであるとは思いつつも。

 いずれにしても、マーラーにおける「抜け殻としての作品」という認識は、寧ろその後ボーヴォワールが「老い」についての大著の中で述べた「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である」(ボーヴォワール『老い』、第六章 時間・活動・歴史, 邦訳下巻, p.441)という作品の定義に通じていて、だが「老い」と「作品」の関わりということであれば、それは(ボーヴォワールがそう捉えたがっているように見える)単なる技術的な円熟、名人が到達する自在の境地への到達という観点ではなく、「作品」がもともと備えているはずの、だが若き日には必ずしも認識されるわけではない、或いは、それが意識されるときには常に克服されるべきものと認識されがちである「他性」の持つ意味合いが、己の「老い」についての認識とともに変容していく、その具体的な様相こそが問題にすべき点に違いない。シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べる「非人称性」、作曲家が、背後の誰かの「メガホン」代わりになっているという指摘は、まさに作品が、まだわからぬ先の何時かに、ではなく、もう間もなく自分がそこから退去することが決定づけられている(それが事後的には誤診であったとしても、診断によってそのような認識をマーラーが抱いたことはどのみち厳然たる事実であって、それを覆そうとする類の後知恵は、こと「作品」について言えば何も語ることはないだろう)という意味合いで既に疎遠なものとなりつつある「世界」との関わりのシミュレーションである限りで、他性を帯びているという消息を告げているのではないだろうか。「老い」によって、作曲する主体の側から見て「作品」がもはや己に属するものであるよりは、己から逃れ去れ、己を他者として構成するような異物として、事後的に「抜け殻」として認識されるといった状況が生じる。マーラーのくだんの発言が、第8交響曲を作曲している最中のものではなく、「大地の歌」の完成を間近に控え、それと並行して第9交響曲の作曲に取り掛かっていた時期のものであることにも留意すべきだろうか。勿論、マーラーが「作品」を「抜け殻」という時、それは別に晩年の作品に限ってそうであると言っている訳ではない。その時点で振り返ってみれば、作品は常に、その都度の自己の行いの「抜け殻」に過ぎないということなのだろうが、そうした認識が作品自体に染み透っているのが後期作品であり、アドルノのいう「晩年様式」なのだろう。要するに今やそれは、私がもうじきそこから居なくなる、別れを告げる相手である限りの世界についてのシミュレーションなのだ。だからもし「老年的超越」を、或る種の悟りの境地の如きもの、解脱として捉えるならばマーラーの晩年の作品は、それには該当しないことになるだろうが、「老年的超越」をまさに「老い」がもたらした世界との関わりの変容(とはいえ、それは何も日常の経験を絶した特殊な経験などでは決してなく、寧ろ日常的なあり方自体がそのように変容するということなのだが)として捉えるならば、マーラーの晩年の作品はまさに「老い」の時間性が刻み込まれたものであり、そこにこそ「老年的超越」を見てとることができると言い得るだろう。(更に、この立場に立つならば、例えばDavid B. Greene, Mahler : Consciousness and Temporalityにおける第9交響曲の時間性に関する分析はどのように評価されることになるか、ここでは詳述できないので、これは別の機会に果たすべき宿題としておきたく思う。まずもって分析対象となった第1楽章、第4楽章それぞれを「通常の意識の時間プロセスの変形」なるものとして把握するという基本的なアウトラインが既にこの分析の限界を示している点については既に別のところで述べているので繰り返さないし、予め分析者が用意した図式をあてがうようにして、これほど複雑なプロセスを持つ音楽に対するには余りに単純で杜撰な、持って回ってはいるがその内実は貧困な言い回しによって各々のブロックの「意味」を説明するだけの偽装された標題音楽的解釈の一種に過ぎない点は一先ず措くとして、それでもなお具体的な楽曲の分析によって取り出されたものの中に、ここで「晩年様式」に固有のものとされる「老い」の時間性の把握として首肯できるものが含まれていることはないかを改めて確認してみたい。)

*  *  *

 上記を踏まえた上で、アドルノ自身「晩年様式」についての言及の中での対象に応じたずれだけではなく、アドルノの「後期様式」と、ゲーテ=ジンメルの「老い」の理解の関連のあり方の方もきちんと確認する必要があるだろう。

 まず「形式を打破し、根源的に形式を生み出していく、まさにカント的な意味における」主観性は、ここではベートーヴェンの中期について言われているように思われる。他方でアドルノは、既に若い頃から現れていたようにも見える、形式をボトムアップに生成させていく唯名論的な傾向を、マーラーの作品全般の特性として捉えている。一方ジンメルの方は、他方外部の形式を借りるのではなく、他に形式を求めずとも、それ自体形式を備えている点を老齢の特徴であると述べており、そのことが「現象から身を退く」ことを可能にすると述べている。

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」(ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店, 第8章 発展 p.383~384)

 ここにはアドルノの「晩年様式」が備えている裂け目とか破綻、形式の破壊といった側面は見られず、寧ろ壮年期の「円熟」に近い印象さえ感じさせる(別途論じるべきだろうが、ここで上記引用のすぐ後の箇所で、ジンメルが「老齢の象徴意義の神秘的性格」について述べるところで、ゲーテ自身が「静寂観」と「神秘」とは老齢の特質であると言ったことを引き、ゲーテの言う「神秘」がジンメルの言う「象徴」に他ならないことを述べた後、「一切の所與世界の象徴的性格を、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」と宣布する「神秘合唱團」」に言及していることに目配せしておこう。言うまでもなく、これは第8交響曲第2部で用いられた『ファウスト』第2部の最後の「神秘の合唱」のことに他ならない。であるとしたならば、そのことはマーラーの「老い」との関係については何を物語ることになるのだろうか?)。それはジンメルがここで或る種の原理的な極限形態である理想を述べているが故に破綻は生じず、だが現実の人間においてはその理想は到達不能であるが故に、円熟に至ったと思った次の瞬間には破綻を避けることができないという力学が存在するということなのだろうか?

 一方で、少なくともアドルノいうところの「方向」に関しては、アドルノとジンメルは同じ方向を向いていると言えるだろう。つまり作品は、主観が退去した後に遺される「痕跡」だという点で両者は見解を同じくしている。そしてそれは恐らくマーラー自身の「抜殻」としての「作品」観とも共通していると言い得るだろう。

 そうだとして、それはシステム論的な老化の定義である「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と同型の構造が異なる階層において生じたものと見做すことができるのだろうか?勿論、そもそも「主観」が成り立つためにシステムが備えていなくてはならない構造的な条件があり、「現象からの退去」はそうした構造的な条件を前提とした「人間」固有のものであり、他の生物では起こらないことだろう。だがマーラー自身の語るところでは、そうした人間固有の「作品」の創造にしても、「進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない」のであれば、マーラーが未だ萌芽的なレベルであったとはいえ、当時最新の生命論・有機体論を参照した顰に倣って、ジンメルやアドルノの述べるところを、今日のシステム論的な枠組みにおいて捉え直すべきなのではなかろうか?

 ところで、マーラーのエンテレケイアについての言及には興味深い特徴がある。エンテレケイアはもともとはアリストテレスの用語だが、マーラーの時代であれば、有機体の哲学、就中ドリーシュの新生気論における「エンテレヒー」を思い起こさせる。だがここでやりたいのは思想史的な跡付けや影響関係の実証ではなく、当時、そのような枠組みと言葉で語られた内容を今日の言葉で言い直すとしたら、どのようになるかの方だ。マーラーの時代にエンテレケイアないしエンテレヒーという言葉で捉えようと試みられた生物個体の秩序形成のための情報は、今日なら(例えばゲアリー・マーカスの言うように)アルゴリズムとしての遺伝子が担っているということになるのだろうか。「新しい肉体の獲得」というのを遺伝子の側から見たとき、生物はそれを運搬する乗り物の如きものであるというドーキンスの「利己的な遺伝子」のような見方に通じはしないだろうか。更に、そうであるとしたら「抜け殻」としての作品は、それを「ミーム」として捉える見方もあるだろうが、それよりも寧ろ、これまたドーキンスの「拡張された表現型」に通じると考えるべきなのだろうか?「抜け殻」としての作品が、退去した主体の符丁=「痕跡」(レヴィナスの「他者の痕跡」を思い浮かべるべきだろうか?)であるとして、ここで「老い」が、「生との別れ」が本質的に関わるのであれば、それに留まらず、作品をスティグレールの言う第三次過去把持を可能にする媒体として、更にはパウル・ツェランがマンデリシュタムに依拠して述べる「投壜通信」と捉える見方へと接続すべきではないだろうか?更にそれはユク・ホイの言う第三次予持とどう関わるのだろうか?彼はそれが一方では(定義上、「老い」を知らない)「組織化する無機的なもの」によって可能になると捉えているようだが、他方では芸術に、より一般的に技芸に可能性を見いだそうとしてもいる点に対して、こちらは「成長」と「老い」とを本質的な契機として持つ「抜け殻」としての「作品」、「投壜通信」としての「作品」がどのように関わりうるのだろうか?

(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 旧稿の後半を独立させ、改題して再公開)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (16):ここまでの振り返りと補足 (最終更新2025.5.6)

 まず、マーラーの生涯に関するクロノロジカルな資料の確認と検討。

  • 「一からやり直す」:ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324)
  • 老後への準備・死後への準備としての退職一時金・年金:1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡
  • 後期ベートーヴェンへの評価:アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話→アドルノ「ベートーヴェンの晩年様式」へ
  • 「老グストル」:アルマの回想の「出会い(1901年)」の章および書簡 

 ついで、公開済の自己の過去の記事で関連したものを確認(第9や第10についての過去の記事については再確認必要)。

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 幾つかの個別作品に関するモノグラフ。

  • 「大地の歌」
    • Hefling, Stephan E., Mahler : Das Lied von der Erde, Cambridge University Press, 2000
    • Danuser, Hermann,Meisterwerke der Musik : Gustav Mahler, Das Lied von der Erde, Wilhelm Fink, 1986
  • 第9交響曲
    • Holbrook, David, Gustav Mahler and the courage to be, Vision Press, 1975
    • Andraschke, Peter, Gustav Mahlers IX. Symphonie, Kompositionsprozess und Analyse, Franz Steiner, 1976
    • Lewis, Christopher Orlo, Tonal Coherence in Mahler's Ninth Symphony, UMI Research Press, 1983
    • Pensa, Martin, ≫Ich sehe alles in einem so neuen Lichte≪ Gustav Mahlers Neunte Sinfonie, edition text+kritik, 2021
    • Wreford, Kathleen Elizabeth, A critical examination of expressive content in Mahler's ninth symphony, MaxMaster University, 1992:この論文では分析として、Diether, Holbrook, Lewis, Greene, Micznikのものが取り上げられているようだ。
  • 第10交響曲
    • Rothkamm, Jörg, Gustav Mahlers Zehnte Symphonie : Entstehung, Analyse, Rezeption, Peter Lang, 2003
モノグラフではないが、例えば以下の中に含まれる後期作品についての章も確認しておくべきだろうか。
  • Newlin, Dika, Bruckner Mahler Schoenberg, 1947, revised edition, W. W. Norton, 1978:「大地の歌」、第9交響曲。第10はアダージョのみ。
  • Greene, David B., Mahler, Consciousness and Temporality, Gordon and Breach Science Publishers, 1984:第9交響曲
  • Downes, Graeme Alexander , An Axial System of Tonality Applied to Progressive Tonality in the Works of Gustav Mahler and Nineteenth-Century Antecedents , University of Otago, Dunedin, New Zealand, 1994:主として第9交響曲だが、「大地の歌」、第10交響曲も。
  • Micznik, Vera, Music and Narrative Revisited: Degrees of Narrativity in Beethoven and Mahler, in Journal of the Royal Musical Association, 126, 2001 :第9交響曲第1楽章
  • Pinto, Angelo, Mahler's Search for Lost Time : a "Genetic" Perspective on Musical Narrativity, Gli spazi musica, vol.6 n.2, 2017:第10交響曲
  • Pinto, Angelo, On this side of the compositing hut. Narrativity and compositional process in the fifth movement of Mahler’s Tenth Symphony, De Musica, 2019 – XXIII (1):第10交響曲第5楽章

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 既に一度振り返ってみたがもう一度、2008年より前に遡る、だが日付は最早確定できなくなってしまっている以下の「後期」に関する備忘の元の意図と志向とを確認しなおすべきかも知れない。結局、今、ここで問おうとしていることは、そこでの疑問のヴァリアンテに過ぎない。

後期様式
眼差しのあり様。「現象から身を引き離す」というのがことマーラーの場合に限れば最も適切。しかし、人により「後期」は様々だ(cf.ショスタコーヴィチ)。
ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違い。いずれも「現象から身をひく」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?

作曲年代の確認
「大地の歌」1907~?1908~?:実は異説があるようだ。
「大地の歌」第1楽章については、かつては違和があった。今のほうがよくわかる。こうした感情の存在することが。そういう(多分にnegative―そうだろう?)な意味でこれは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのだ。

マーラーに関するシェーンベルクの誤り
いわゆる「第9神話」にとらわれたこと。マイケル・ケネディの方が正しい。第10、第11交響曲を考える方が正しい。
マーラーは本当に発展的な作曲家だった。
だから第9交響曲は行き止まり等ではない。
確かに第10交響曲は「向こう側」の音楽かも知れない(これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。) けれどもマーラーは途中で倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。

マーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。
この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。
それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。
マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは、不思議だ。彼は確かに危機にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではない。

この曲の、少なくともAdagioに、早くから惹きつけられた。
14歳になるかならぬかの折、最初に私がマーラーについて書いた中で引用したのは、まさにこの曲だった。他ならぬこの曲だった。
それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?
否、「現象から身を引き離す」ことは、いつだって可能だ。ただし有限性の意識はあっても、クオリアは異なる。かつての宇宙論的な絶望と、今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。
風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」?

確かにマーラーは何か違う。
consolationなのか、カタルシスなのか。Courage to Be(ホルブルック)という言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッティションとも異なる― について明らかにすべきだ。
救済は第8交響曲にのみしかない訳ではないだろう。マーラーは規範や理論に従って「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。
とりわけ第10交響曲の終結がそれを強烈に証言する。
一体何故、このような肯定が可能なのか―ハンス・マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。
懐疑と肯定と。

アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。
一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?
寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ。(これは同じくベートーヴェンとマーラーについてのモノグラフを持つGreeneの立場とも対比できるだろう。)

アドルノのles moments musicauxの邦訳のうち、ベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてマーラーの「大地の歌」, 第9交響曲, 第10交響曲そして第8交響曲と対照させつつ検討する。

ホルブルックのCourage to Be(第9交響曲)と大谷の「喪の仕事」(「大地の歌」に関して)を組み合わせて考える。
「個人的な「大地の歌」―第9交響曲における普遍化」というのは成立するのだろうか?

ところで、ホルブルックの「結論」(p.213)はどうか?
多分正しいのだろうか―これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(ハンス・マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。
あるいは、「実感」が追いつかない―忘れてしまった―否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ自分にとって限りなく 重要な何かあがあるのは確かだ。
*     *     *

 だが、それよりもマーラーの(作品ではなく本人の)「晩年」を規定することは、既に以前、マーラーの生涯についての覚書を認めた時に試みていた。以下にその晩年についての記述を、当時の認識を確認するために再掲しておく。

晩年
マーラーの晩年は、歌劇場監督を辞任しウィーンを去る頃より始まると考えて良いだろう。 長女の猩紅熱とジフテリアの合併症による死、自分自身に対する心臓病の診断という、 アルマの回想録で語られて以来、第6交響曲のハンマー打撃とのアナロジーで「3点セット」で 語られてきた出来事は、それを創作された音楽に単純に重ね合わせる類の素朴な 伝記主義からはじまって、これも幾つものバージョンが存在する生涯と作品との関係をひとまずおいて、 専ら生涯の側から眺めれば、確かに人生の転機となる出来事だったと言えるだろう。 これを理解するのには別に特別な能力や技術どいらない。各人が自分の人生行路と重ね合わせ、 自分の場合にそれに対応するような類の出来事が起きたら、自分にとってどういう重みを持つものか、 あるいはマーラーの生涯を眺めて、マーラーの立場に想像上立ってみて、上記の出来事の重みを 想像してみさえすれば良いのだ。それが音楽家でなくても、後世に名を残す人物ではなくてもいいのである。 逆にこうした接点がなければ、私のような凡人がマーラーの人と音楽のどこに接点を見出し、どのように 共感すれば良いのかわからなくなる。

だが、その一方で、マーラーがそれを転機と捉えていたのは確かにせよ、己が「晩年」に 差し掛かったという認識を抱いていたかについては、後から振り返る者は自分の持っている 情報による視点のずれに注意する必要はあるだろう。マーラー自身、自分の将来に控える 地平線をはっきりと認識したのは間違いないが、それがどの程度先の話なのか、それが あんなにもすぐに到来すると考えていたのかについては慎重であるべきで、この最後の 設問に関しては、答は「否」であったかも知れないのである。もしマーラーがその後4年を 経ずして没することがなかったら、という問いをたてても仕方ないのだが、もしそうした 想定を認めてしまえば、今日の認識では「晩年」の始まりであったものが、深刻なものでは あっても、乗り越えられた危機、転機の一つになったかもしれないのである。丁度30歳を 前にしたマーラーが経験したそれのように。だとしたら現実は、そうした転機の危機的状況から 抜け出さんとする途上にマーラーはあったと考えるのが妥当ではないかという気がする。

要するに、ここで「晩年」として扱う時期は、その全体がブダペスト時代や、ウィーンの前期のような移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが 待ち受けていたかも知れないのだ。だが、実際には次のフェーズはマーラーには用意されて おらず、移行の只中で、それを完了することなくマーラーは生涯を終えてしまったように 私には感じられる。第1交響曲(当時は5楽章の交響詩)、第5交響曲がそれぞれ 移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、第10交響曲がその終わりを告げる 作品であったかも知れないが、第10交響曲は遂に完成されることはなかった。

この最後の部分の第10交響曲についての見解は、再検討するに値する。というのも、もし次のフェーズが準備されていたものが、偶発事によって断ち切られてしまったという認識に立つならば、アドルノが述べるところの「後期・晩年様式」やシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲についての了解は、少なくとも作曲者側の「老年・晩年」とは別のものであり、事によったら、そこに「後期・晩年様式」を見いだしたり、乗り越え難い一線を見いだすのは後知恵の産物であるということにもなりかねないからである。(ただし、上でのアドルノの「後期・晩年様式」とシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲へのコメントの並置はアドルノの側から拒絶されるかも知れない。というのも、マーラー・モノグラフの第2章「音調」におけるシェーンベルクへの言及(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.40~41 参照)を確認する限り、アドルノはシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲についてのコメントを、「後期・晩年様式」の作品としての第9交響曲についてのものとは考えていなかったように受け取れるからである。だがそうしたアドルノの姿勢はそれとして、ではシェーンベルクの側はどうであったかを確認すると、こちらはこちらで、文脈からしてもシェーンベルクはそれをマーラーの作品一般に成り立つこととして述べたというよりは第9交響曲の特徴として述べたように見えるし、それがマーラーが晩年に到達した境地であると考えていたと捉えるのが自然であると私には感じられる。この点に限って言えばアドルノのくだんの参照の仕方はやや我田引水の観無きにしもあらずで、従って、アドルノの姿勢を確認した上でなお、敢えて上記の併置を撤回することはしない。尤も、シェーンベルクが第9交響曲について指摘するような事態を可能にするような構造がマーラーの作品一般に備わっているという点についてはアドルノの見解に対して異論があるわけではないことも、併せて記しておくことにする。 

*  *  *

 以下の、様々な文献の参照のうち、「老い」一般ではなく、マーラーという個別のケースに関わるもののうち、「晩年」という規定が事後的なものに過ぎず、実際には「相転移」の只中にいたという見解と矛盾することなく両立しうるものは、唯一マイケル・ケネディの見解であるということになろうか。

  • ジャンケレヴィッチ『死』における『大地の歌』についての言及、「別れ」について
  • ゲーテ=ジンメルにおける「老年」:ジンメル『ゲーテ』
  • アドルノにおける「後期様式」
  • マイケル・ケネディのマーラーは創造力の絶頂で没したという見方
  • 吉田秀和のマーラーの後期作品、特に「大地の歌」に対するコメント
  • アドルノのカテゴリにおける「崩壊」「解離」からReversの言う「溶解」へ:Revers Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaeten Sinfonien はタイトルが示す通り、枠組みとして「後期」にフォーカスしている点で特に注目される。対象は『大地の歌』、第9交響曲、第10交響曲。
 更に旋法性に関するピッチクラスセットの拍頭における出現頻度の分析。アドルノ、柴田南雄、バーフォードを参照しつつ、付加六から五音音階へ、更に全音音階へ:五音音階性の優位は少なくとも中期から顕著になり、おおまかな傾向としては時期を追う毎に強まる傾向にあって、マーラーの様式の推移を測る手がかりたりえている。更に全音音階性は後期作品に見られる固有の特徴と言って良い。勿論、それが全てではないのは当然のことながら、全音階性から、五音音階へ、更に全音音階へということで、マーラーの様式変遷を跡付けることは可能だろう。

*  *  *

 結局のところ、残された作品について言えば、「大地の歌」や第9交響曲に間違えようなく存在する、この世からの「別れ」の思い、自己の生命の有限性に対する、可能性としての理性的な認識とは異なる、現実にじきに訪れるものとしての了解を否定することはできまい。その生涯についても、アルマの回想が自己正当化を目的とした歪みに満ちたものであるとして、書簡に残されたマーラーの姿は、医学的水準では「誤診」であったという事実をもってその「診断」がマーラーその人の意識に与えた不可逆でかつ痛ましい影響を無かったことにすることの行き過ぎを咎めているようにしか思えない。我々にとってマーラーの「晩年」が事後的なものに見えたとしても、マーラー本人にとって「晩年」は疑いなく存在していたと言うべきではないのか?

 これはほんの一例だが、マーラー同様、フレンケルが治療に当たったからという訳でもないのだが、例えばシベリウスが第4交響曲を作曲していた時期を比較対象として思い浮かべてみたらどうなるか?だがこの比較は不完全なものにならざるを得ない。シベリウスの第4交響曲は、病から癒えた後に構想され、着手された作品だからだ。それではショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番はどうだろうか?この作品が自らの墓碑銘として書かれたのは事実であり、ことによったら本当にその後自殺をしたかも知れないとしたら?だが、マーラーの場合とは異なってここでは「老い」は問題にならないし、それに応じて「別れ」の持つ意味も違ったものとならざるを得ない。ショスタコーヴィチならば寧ろ(交響曲第14番ではなく)、交響曲第15番、ミケランジェロ組曲、弦楽四重奏曲第15番、或いはヴィオラ・ソナタを思い浮かべるべきだろう。

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 こうして見ると、個人的にはそうした見方には与しないものの、「芸術が人生を先取りする」といった類の言葉がマーラーについて語られるのは、それなりに理由がない訳ではないことの方は認めざるを得ないような気持ちにさえ囚われてしまうことを避け難く感じる。そこに「死」を見い出すことの方は確かに後知恵かも知れなくとも、そこに「老い」と「別れ」を見い出すことは寧ろ避け難いのではないか?そうだとしたら、もう一度、アドルノの「後期様式」の指摘は、第9交響曲に関する「死が私に語ること」に対する拒絶ともども正当であるということになるだろう。

 だが、それでもなお、剰余が存在する。アドルノが拒絶した、5楽章の構成を持つものとしての第10交響曲の問題が残る。あのフィナーレの音調をどう受け止めるべきかの問題が。否、それはアドルノの立場では、端的に「存在しない」のだろう。だが「存在しない」ものについて語っても仕方ないということになるのだろうか?だが、最大限譲歩しても、スケッチは完全な形で遺された。アルマに破棄を命じたかどうかはともかく、シベリウスが第8交響曲に対して行ったアウト・ダ・フェは、マーラーの第10交響曲には生じなかったが故に、我々はそれがどんなものであり得たかについて知ることができる。そしてその限りにおいて、「大地の歌」と第9交響曲に対して、第10交響曲とそれらとの間には断絶が存在したのだろうか?ここで、こちらについては存在「しえたか?」ではなく存在「したか?」であることに注意。だがそれを判断しようとした時、アドルノが拒絶した理由が回帰することを認めざるを得ない。それが水平的にも垂直的にも未確定であるとしたら、その状態での分析の結果には一体どのような意味があるのだろうか?ましてやクックによる補作に基づく分析にどのような意味があるのだろうか?以下の補足では、マーラーが作品を「抜け殻」であると述べたことについて言及するが、それを先取りして、だが第10交響曲に関しては別の問題があることに留意しておくべきだろう。第10交響曲は「抜け殻」なのか?未完成の「抜け殻」とは一体どういうものなのか?

 とはいえ実際には、そうした問いに一旦頬被りを決め込んで、クック版に基づいた分析を私は既に行い、公開さえしている。そしてその結果は、「大地の歌」、第9交響曲との或る種の連続性を示しているように思われる。しかもそれはアドルノの指摘に導かれてデザインされた分析の結果なのだが…その時、マーラーの生涯の動力学的把握において、「晩年」が総体として、移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが待ち受けていたかも知れないのに対応して、第10交響曲は、交響詩「巨人」や第5交響曲がそれぞれ移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、「相転移」の終わりを告げる作品であったかも知れないが、遂に完成されることはなかったと認識されたことが思い浮かぶ。それが「晩年様式」であるかどうかは措いて、第10交響曲は、もし次があったとするならば、いわゆる折り返し点、過渡的な作品であったように見えるということだ。15年も前の、データ分析の着手からさえも遥かに先行する時期の直観に過ぎないが、現時点でもその直観は基本的に正しいと私は考えているし、現時点でのデータ分析の結果は、少なくともそれと矛盾はしていないようだ。もしそうであるならば、具体的な生涯における「老い」や「晩年」との関係さえ一旦括弧入れした上で、「大地の歌」と第9、第10交響曲に見られる特徴を抽出する作業を進めるべきなのかも知れない。
 
(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 前半を分離し、改題の上再公開)

2025年5月4日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (7・補遺)

  ジャンケレヴィッチの『死』の中の「老化」についての章(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)について読解を試みた結果については、既に備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(7)にて報告しています。そこでは章のタイトルにも関わらず、だが死を扱った本の一部であることを考えれば仕方ないことながら、「死」とは異なった「老い」の固有性についてはきちんと扱われていない印象がありました。

 しかしながら、上記はあくまでも「老化」についての章に範囲を限定してのものであって、実際には――ジャンケレヴィッチの叙述スタイルからすればありがちなことですが――「老化」について語られているのは「老化」の章だけではありません。もともとが『死』という著作における「老化」の扱いを検討することを目的としていた訳ではなかったため、他にどれくらい「老化」について語られ、どのように語られているかを逐一検証することはしませんでしたし、ここでそれを行うつもりもありませんが、ふとしたきっかけで「老化」について、その「固有性」を捉えた記述が為されている箇所があることを確認したので、補遺としてその個所を報告するとともに、些かの覚えを記すことにします。

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 まずは端的に、「老化」(vieillissement) についての言及を含む該当の箇所を示します。それは、第3部 死のむこう側の死 , 第3章 虚無化の不条理さ, 2 連続の当然さと停止の非道さ に含まれていました。邦訳では445ページです。該当箇所を含め、少し広い範囲を引用します。

「ところが、死すべき存在の停止が連続の当然さに皮肉なことにも――説明のつかないことだが――挑戦するのは、一つの事実だ。限りなく延ばすことができ、本質的には避けることができる停止の偶発的性格についてわれわれは語った。なぜ他の瞬間ではなくて、ある瞬間におこるというのだろう。状況と偶然がこれを決定する。だが、連続はいわばその体質をなくしている一種の欠陥と呪いとを蒙っていなかったならば、状況のほしいままにはならないことだろう。持続の作用のもとに、連続は質の悪化、老化と呼ばれる衰頽をこうむる。生きた存在にとって、存在するとは、変わらずに時の外で存在し続けることではない。存在するとは変化することだ。その根源的なもろさが連続を傷つけやすく、脆弱なものとし、連続を数多くの危険にさらして、それらの危険がたえず生きた存在を狙い、生きた存在を僥倖に依存せしめる。ある状況のもとでの連続とは、つまり、脅かされている連続だ。連続に課せられ、その未来を危うくする根源的欠陥、先験的ハンディキャップをただ単に有限性と呼ぼう。こうして、あらゆる連続にとって、有限性とは停止の可能性を表象する。存在の連続は当然のことだが、身体の生存は(というのは、実際には測れないことが問題なのだから)射幸的連続だ。」

 文脈としては、節のタイトルに示されている通り、そして前後の部分でも述べられている通り、「連続の当然さ」というのが生きた存在については成り立たない由縁を述べるところで、変化していく生きた存在においては、「老化」によって連続の「当然さ」が成り立たず、傷つきやすく、脆弱なものであって、常に停止の可能性に脅かされていることを述べているのが確認できます。そしてここでの「老化」の定義は、「老化」の章の読解においても参照した、以下のような「老化」のシステム論的定義と極めて親和性が高く、「死」とは(勿論、密接に関わっていはしますが)区別される「老化」の固有性を捉えたものとなっていることに留意しておきたく思います。

「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.230)

 従って「老化」の章に限れば、「死」を論じるにあたっての補助線のようなものとして触れられているに留まっているとはいえ、著作全体を通してみれば「老化」の定義として妥当と思われる記述が含まれていることに触れなければ公平を欠くことになるため、ここで補遺として報告することにした次第です。

 但し注意すべきは、「老化」について述べた後の部分で更にジャンケレヴィッチが「連続に課せられ、その未来を危うくする根源的欠陥、先験的ハンディキャップ」を「有限性」としているのは、これは文字通り「生きた存在」は有限な存在であり、だから常に停止する可能性を孕んだ存在であるということですが、有限性そのものは、それが「死」と密接に結びつくものである一方で、「老い」とは独立に論じうるという点です。それは「停止」たる「死」が、必ずしも「老化」を介さずにも(例えば突発的な事故とか、病気とかによって)起きうることを考えれば明らかでしょう。

 更に一つ手前に戻って、「根源的なもろさが連続を傷つけやすく、脆弱なものとする」点においても、それが存在することが変化することであるということに由来する限りにおいて、その由来を「老い」のみに限定することはできないことにも注意すべきでしょうか。変化もまた、「老化」がそれであるとされる衰頽、質の悪化という方向性のみに限られるわけではありません。勿論「根源的なもろさ」や「傷つきやすさ」という言葉で書き手が想定していたのは、第一義的には「老化」の持つベクトルなのかも知れませんが、ジャンケレヴィッチの思惑はそれとして、ここでもまた何らかの怪我とか病気による変化を思い浮かべれば、「もろさ」「傷つきやすさ」に繋がる変化には、ベクトルの向きは同じ方向を向いているとはいえ、必ずしも「老化」には由来しないものが含まれうることに容易に思い当たるでしょう。逆に「根源的なもろさ」や「傷つきやすさ」をあまりに安易に「老化」に結びつけてしまうと、比喩としては有効であったとしても、「老化」の固有性を見誤るだけではなく、「老化」以外の側面が見えなくなってしまう危険があるのではないでしょうか。

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 実は、上で引用した記述があることに気づいたのは、特に後期レヴィナスにおいて「老い」についての言及が存在することを思い出し、レヴィナスの著作を読み返しながら、レヴィナスの思想における「老い」を扱った研究がないかとWebを検索して行き当った、古怒田望人さんの論文「 老化の時間的構造 : レヴィナスの老いの現象学の解明を通して」を通してでした(当該論文は、浜渦辰二編『傷つきやすさの現象学』に第6章として所収)。この論文はタイトルが示す通り、まさにレヴィナスの思想における「老い」を論じたものですが、その中で、「『死』(1966)においてジャンケレヴィッチは老化を「傷つきやすさ」の経験とみなして」いる」(同書, p.114)として、上に引用した箇所が参照されているのです。そしてこの指摘をいわば補助線として、この論文では、それ以降、思想史的な影響関係を踏まえた上で、レヴィナスの著作における「老化」についての記述をジャンケレヴィッチにおける老化を通じて解明していきます。その道筋を私なりに要約するならば、概ね以下のようになります。

 まず、私もまた『死』の「老化」の章の読解で参照した

「老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』,,仲澤紀雄訳,みすず書房,  p.231)

に言及し、

「通常は潜在的である「時間」が、身体(「人体」)の断続的な変化を通して意識させられる現象が、老化なのである。」(古怒田望人「 老化の時間的構造 : レヴィナスの老いの現象学の解明を通して」,  浜渦辰二編『傷つきやすさの現象学』所収, p.115)

という指摘を行った上で、だがその後は専ら、そうした「老化」の意識ではなく、「老化が関わる「時間」の本質」(同書、同頁)の側が分析されていきます。私が限定的に些事拘泥的に読解を試みた『死』の「老化」の章は勿論のこと、『死』以外のジャンケレヴィッチの様々な著作やジャンケレヴィッチに関する研究文献が縦横無尽に参照され、まず時間の本質として「不可逆性」が取り出され、ついで「過去の実在そのもの、「過去全体」、つまりその「事実=コト(fait)」は時間の不可逆性において反復不可能であるがゆえに、唯一かつ永遠のものとなる」(同書, p.117)という現象を通じて「コト性(quoddité)」が取り出され、「老化の時間性」について以下のように分析されることになります。

「老化の時間性、ひいては時間の本質である不可逆的時間性は、抗いがたく消えゆく存在者の有限性の悲劇であると同時に、その構造において、死によって消し去られない過去の実在そのものの唯一性と消失不可能性を当の存在者に残す時間性なのである。有限的な時間は、老化という不可逆的時間性として現実化することで、その有限性に抗した肯定的な過去の水準を残すものとなるのだ。 」(同書, p.119)

 そして上記のような分析に基づき、「後期レヴィナスはジャンケレヴィッチの老化の解釈を経由することで、老化の不可逆性の過去の意義を見出すことができたのだ。」(同書, pp.119-120)と結論づけられるのです。

 この論文は、――タイトルからは予想しづらいのですが――そもそもの構想として、レヴィナスの著作における「老化」についての記述を、思想史的な影響関係を踏まえた上で、ジャンケレヴィッチにおける老化を通じて解明するという仕立てのものですから、特にレヴィナスに対するジャンケレヴィッチの影響の事実関係について教えられる点は多いですし、ジャンケレヴィッチの時間論については、様々な著作やジャンケレヴィッチに関する研究文献が縦横無尽に参照された周到なもので、勿論その当否について、専門の哲学研究者ならぬ私が判断することなど出来ないですが、そうした私にもわかりやすく説得力のあるものに感じられます。

 しかしその一方で、ジャンケレヴィッチの思想の紹介としては要を得た、申し分ないものであったとしても、それが実際にレヴィナスの思想の組み立ての細部にわたってそのまま適用できるかどうかについては、直ちに幾つかの疑問が思い浮かびますし、レヴィナスがどう言っているのかという点の是非は、これもまた専門の哲学研究者の領分であって、素人が異議を挿し挟むものではなく、素朴な疑問を提示する以上のことは控えるべきとしても、「老化」という事象そのものの分析としてみた場合、自分が実生活で経験し、直面することを余儀なくされた事柄に即した時にも、直ちに幾つかの違和感が湧き上がってくることを禁じ得ません。

 その疑問点、違和感の由来を突きとめることは、マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業という本稿にとって密接な関わりを持つものとは思うものの、哲学の専門的な文献を扱うだけの資格も時間も今の私にはなく、ここでは備忘として、極めてシンプルな仕方で疑問点、違和感を列挙した覚えをしたためるに留める他ありません。そこで以下では、ラフでインフォーマルなかたちではありますが、疑問点・違和感を記しておくことにします。

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1.ジャンケレヴィッチの老化の時間論において、「傷つきやすさ」というのは結局どのような位置づけを持つのでしょうか?

 まず最初は、事柄そのものに即したというよりは、議論の組み立てに関わる点なのですが、何よりも一読者として当惑させられるのは、(こちらの読み落としがないとして、)「「傷つきやすさ」から事象の記述を試みた後期レヴィナスと呼応する」(同書, p.114)ものとして、『死』の邦訳p.445(上に引用した、第3部 死のむこう側の死 , 第3章 虚無化の不条理さ, 2 連続の当然さと停止の非道さ の中の記述)を指摘しつつも、その後のジャンケレヴィッチの議論の紹介・分析において、ついに「傷つきやすさ」について言及されることがないという点です。

 上にも述べた通り、「老化」の章の読解を通して、ジャンケレヴィッチが「死」との関わりにおいてしか「老化」を扱っていないと感じた私にとっては、寧ろ、指摘の箇所こそが「老化」の固有性を捉え得たものと感じられたのでしたが、論文ではその後、指摘箇所の記述に触れられることはありません。専門的な見地からは、そもそもが当該箇所の「傷つきやすさ」が、確かに単語としては同じであるとしても、レヴィナスの思想における「可傷性=傷つきやすさ」と単純に同一視できるものなのかと言う点についての議論もあるでしょう(素人目には、ことこの点に限っては、寧ろジャンケレヴィッチの方が「老化」固有の相を捉えており、レヴィナスの「可傷性」は、必ずしも「老化」に限定されない幅広い含意を持つものに思われます)し、それとは別に、事柄に即して考えた場合に、「傷つきやすさ」を専ら「老化」という点から捉えたものと見做すことについては既に留保を記した通りでありますが、「老化」が「傷つきやすさ」と関わるという点については何ら異存はなく、繰り返しになりますが、寧ろジャンケレヴィッチの当該箇所はその点を極めて的確な仕方で指摘したものに思われただけに、はぐらかされた感じが否めないというのが率直な感想です。逆にジャンケレヴィッチの「老化」に関する「傷づきやすさ」への言及が当該箇所に留まり、概念的な広がりを持たないものだとするならば、今度は、それを梃にしてジャンケレヴィッチを通してレヴィナスを読み込むことの妥当性の方が問われるようにも思えます。

 その一方で、レヴィナスの側の文脈からすれば、「老化」の時間論的構造としてまず思い浮かぶのは「隔時性」と呼ばれる構造です。但し、「隔時性」は「老化」固有の構造という訳ではなく、寧ろ「隔時性」の構造を持つ一例として「老化」が例示されています。そこで思い浮かぶのは、隔時性」の特徴である自己に遅れるという時間論的構造が、『実存から実存者』におけるような初期のレヴィナスにおいては専ら「疲労」や「怠惰」といった事象を通じて分析されていたということです。そして「疲労」と言えば、ジャンケレヴィッチも「老化」を論じるにあたり、「疲労」を比較の材料として取り上げていました。こうした事情を踏まえるのであれば、(なぜ後期に至って「疲労」や「怠惰」に代わって「老化」が取り上げらるようになったのか、という思想史的な興味は一先ず措くとして、)「隔時性」と「傷つきやすさ」との関係がどうなっているのかについても気になるところではありますが、その点についても論じられることはありません。「隔時性」についても、専ら倫理的次元への通路として言及されるだけで、その時間論的構造の面、特に「老化」固有のものを取り出そうと考えれば当然問題になるであろう、「疲労」「怠惰」等との違いについて論じられることもまたありません。勿論、この点について古怒田さんの論文に答えを求めるのは無いものねだりで筋違いであるとしても、「老化」の時間性の解明という問題一般としては依然として疑問のまま残されているように思います。この点は実は、そもそもレヴィナスが「老化」固有の時間性の分析を行っているのか?という疑問にも繋がっていくのですが、本稿で扱うには大きすぎる問題ですので、ここでは問題の提起に留め、最後の点についての私なりの見通しのみ、後で再度簡単に触れたいと思います。

2.「コト性」「事実性」へ依拠して、「老化」に「人間性を確保する」ような側面を見出そうとするのは「老化」の固有性を損なうことにならないでしょうか(2a)。また「老化」との関わりとは独立に、「コト性」「事実性」へ依拠して「人間性を確保する」ことはレヴィナスの思想の枠組みの中において妥当なのでしょうか(2b)。 更に、レヴィナスがどう言っているかとも独立に、事象そのものの分析としてどうでしょうか(2c)。

 こちらの問いは厳密にはa,b,cの3つの異なった問に分けられ、それぞれを区別して論じるべきでしょうが、ここでは厳密な議論による論証は意図しておらず、単なる疑問の提示に留まることから、3つの問いの絡み合いを示すという意味合いでも、敢えて一体のものとして述べることにします。

 「コト性」「事実性」への依拠というのは、『死』という著作においてもジャンケレヴィッチの「結論」であり、ジャンケレヴィッチの思想の重要なポイントなのだとは思いますが、「何性」と区別される限りでの「コト性」として「事実性」を捉えて、そこに価値を見出すというのは、私には哲学者ならではの極めて抽象的な発想のように感じられ、実際に生きている人間の経験や実感とはずれているように感じられます。仮にその点は譲ったとしても、それは「死」に対する態度の拠り所とはなりえたとして、「老化」に結びつけるのには飛躍があるように感じます。

 この論文は、その結論部分において「老化」というのは否定的なものであるけれど、その構造には「人間性を確保する」ような側面があるのだとして、それを人が生きてきた過去「全体」、生きてきたという事実の「こと性」そのものに基づけようとしています。そして死を目の前にした臨床現場の分析を通した村上靖彦さんの以下のような議論を引用しています。

「死が近づくなかで自己を支えるのが、過去を思い出して肯定することなのである。過去の対人関係が、かすかに残っている現在の自分を支える。目の前の世界が身体の衰弱によって縮小していったとしても、過去の地平は縮小することがないからだろうか。あるいは行為が不可能になったときに、対人関係こそが自己性の核であることが浮かび上がるからであろうか。」(村上靖彦,『摘便とお花見: 看護の語りの現象学』, 医学書院, p.233)

「「死が近づくなかで自己を支えるのが、過去を思い出して肯定すること」「過去の対人関係が、かすかに残っている現在の自分を支える」というのは、分析というよりは臨床的な次元での事実に属することなのだと思いますし、特に「対人関係こそが自己性の核である」という点については全くその通りで、それまで身体の衰えとともに交流範囲が狭まって、孤独感が強まり、更に独力でできていた身の回りのことができなくなっていって、独居が困難となり施設に入居するようになると、その結果として、それでもそれまで維持されていた交流関係さえも断たれてしまうことが避け難く、それまで自明であった自己性の維持が困難となるというのは私の経験に即しても事実だと思います。

 しかしまずそれが「過去全体」の「こと性」への依拠であるという点には疑問を感じます。生きてきたことそのものを肯定する、というのは頭の良い哲学者が思いつく抽象で、多くの人はそんな風には考えないし、寧ろ支えとなるのは豊かな情動に彩られた具体的な対人関係の記憶なのではないでしょうか。だからこそ具体的な個々の対人関係の断絶に苦しむのであって、それはその後、施設の中で構築される対人関係である程度補われるものであるにしても、決して代替が効くものではありません。いや、事実性とはまさにその代替不可能性なのだ、ということなのかも知れませんが、それでも「過去全体」、「事実性」そのものへの依拠ではなく、あくまでも個々の事実が持つ情動的な側面こそが支えになっているのでは、というのが私の素朴な感覚です。勿論これは感じ方の問題かも知れず、であれば論証によりどちらが正しいという次元のものではないので、あくまでも違和感を述べているだけであって、誤りの指摘ではないことは強調しておきたく思います。

(この点に関連してもう一言付け加えるならば、村上さんの引用における「過去の地平は縮小することがない」という言い方を理解するにあたっては、幾つかの留保が必要ではないかと思います。特にここで言う「過去の地平」というのが「過去全体」の「コト性」を指しているのかどうかについては議論があるのではないでしょうか。少なくともここでの「地平」概念は、通常の現象学におけるそれとは異質のものであって、2004年に現象学年報に掲載された村上さんの論文「方法としてのレヴィナス―情動性の現象学における自己の地平構造―」で素描されたそれを踏まえたものでしょうし、この論文でも確かに「事実性」という用語は出て来ますが、寧ろ極限値として、空虚な空想として作動しているものとされる「事実性」が果たしてベルクソン=ジャンケレヴィッチ的な「過去全体」と同じものなのかについては、疑念の余地なしとはしません。しかしながら、村上さんの上記論文の重要性については疑う余地がなく、自分なりに理解できた限りにおいて、その主張に賛同するが故に、その理路を明らかにしたいものと思いつつも、この点を論証するのは(遥か昔にごく短期間、期限付きで哲学研究に携わったことはあっても、事情あってその後継続すること能わず、何十年の歳月の隔たりを経て今や素人に過ぎない)現在の私の手に余ることなので、この点についてもここでは疑問の提示に留めざるを得ません。また同時に、レヴィナスのいう絶対的過去というのが、形而上の抽象ではない事実の次元においては生理学的基盤を持つ記憶に関わらざるを得ない想起可能な過去に対応しうるのかもまた確認が必要なことに思えます。「地平」の定義次第の感じはありますが、寧ろそれは現象学における一般的な「地平」すら形成することのない「地平」の向こう側、だけれどもそれによって主体が形成された根拠(そうした領域があることは何か神秘のようなものでは全くなく、ごく普通に、意識主体が経験できる領域の外側(ここでは手前)で起きた出来事のうち、主体の形成に関与したものということに過ぎません)であると考えるのが普通の受け止め方ではないでしょうか。一方では一般には個人の前史に関わるものと了解されるフロイト的な「エス」「超自我」や、前意識、無意識的な水準との関わり、他方ではフッサールであれば『幾何学の起源』等で問われているような個人を超えた共同体的な地平も含め、一般に潜在性というのをどこまで認めるかについて、村上さんの論文で提起されている情動性の現象学における「地平」や「事実性」は極めて広大な問題領域を覆うものであることが素人目にも容易に想像され、私の手には余るので、これについても指摘に留めざるを得ませんが。)

 しかしここでの議論においてより本質的なのは、「過去全体」の「こと性」というのが、果たして「老い」固有のものなのかという点に対する疑念です。論文の結論では、「老化は、その時間的構造においてはそのような消滅に抗う意味、そして倫理すらも基づける現象なのである。」(同書, p.123)と述べられるのですが、そこには重大な錯誤、でなければすり替えがあるのではないでしょうか。

 レヴィナスが言う「老い」の時間論的構造が、倫理的なものに通じるという点は、実際にレヴィナスがそう言っているので間違いはありませんが、 それは「消滅に抗う意味」ではないと私は考えます。寧ろ意味の手前にあって、主体が能動的に意味付けできないもの、寧ろそれこそが主体を意味づける当のものとしての倫理的なものである筈ではなかったでしょうか。主体は他者との関わりによってしか確立されません。予め返すことのできない負債を負っているようなもので、レヴィナスが言っているのは、そうした主体の生成に纏わる構造のことではないでしょうか。そしてそれが「老化」とか「疲労」とか「怠惰」のような主体にとって受動的、自分自身に対する「遅れ」を伴うような事象を通して垣間見られるということが述べられているに過ぎないのではないでしょうか。

 ここで詳細に述べることはできませんが、私見では時間論的構造としては、「老化」の時間性は、全き受動として、寧ろ意味の「消滅」であると端的に言うべきでしょう。それは構造的に主体が受動的でしかない点において「疲労」とか「怠惰」と類比可能ですが、だからといって「老化」は「疲労」でも「怠惰」でもありません。寧ろ「老化」固有の時間性は、実はレヴィナスの分析によっても汲み尽くせていないと言うべきではないか、具体的に如何なる点で「老化」が他の受動的な事象と区別されるかについては述べられていないのではないかと思います。(それはレヴィナスが「他者」や「倫理」を語るゆきずりに「老化」について語っているのであって、「老化」を主題として語っているのではないことを思えば仕方ないことで、無いものねだりなのだと思いますが。)

 いわば、ここで問題にされている抽象的な構造は、それが「老化」にも当て嵌まるとしても、必要条件であるだけで十分条件ではないのです。「老化」のある面が「疲労」や「怠惰」と同型の時間的構造をもたらしているだけで、「老化」固有の時間性は別の次元にあるのだと思います。村上さんの文章にある「目の前の世界が身体の衰弱によって縮小していったとしても、過去の地平は縮小することがない」というのは、それ自体の適否については措いたとしても、こと「老化」には直接関わらないものではないでしょうか。「死」に向かう際の拠り所となる筈の記憶さえ喪われ、認知的に過去の地平もまた縮小していくのが、「老化」の現実ではないでしょうか?だからその意味では「老化」は「死」に立ち向かうことそのものを困難に、否、もっと言えば無意味なものにしていくという点で、人間性を確保しようとする立場にとって限りなく苛酷なものなのではないでしょうか。「人間的」な「主体」が本質的に社会的な存在で、他者との関わりにおいてしか維持できないものだとしたら、「老化」によって「私ができる」の範囲が縮小していくだけでなく、他者との関わりもまた、身体的にも認知的にも限定されていくことによって、「人間性が確保」できなくなるというのが寧ろ「老化」の実質ではないでしょうか。(記憶が損なわれ、地平が損なわれるのは、病の結果であり「老い」とは区別されるべきだ、という見解もあるかもしれませんが、記憶の障害の原因の判別は現実には困難で、従って認知症は事実上、原因に基づくものではなく、症状に基づくものであることを踏まえれば、様々な認知的な障碍に見舞われて、過去へのアクセスが困難になるというのは「老い」という事象に関わるものと見なすのが妥当だという立場を私は採りたく思います。)仮に、「老化」が過去へのアクセスを困難にすると同時に、にも関わらず、その過去を価値あるものにする当のものなのだというパラドクスが言いたいのだとして、現実に「老化」によって、「老化」が価値を担保している筈の過去へのアクセスが困難になってしまうのだとしたら、そのパラドクスは一体誰にとってどのような意味を持つのでしょうか?理論上はどうであれ、事実としては「老化」は自らが担保している価値すら破壊してしまうような厄介なものであると寧ろ言うべきなのではないでしょうか?

 更に言えば、「老化という不可逆的時間性として現実化すること」により確保され、「死によって消し去られない過去の実在そのものの唯一性と消失不可能性」により担保されるものとされる「その有限性に抗した肯定的な過去の水準」は本当にその有限性を乗り越えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。形而上学的な「過去全体」ならぬ、有限性に限定づけられた生きた存在の「過去の全体」は、本当に「死によって消し去られない」のでしょうか?素朴に考えれば、その個体が死んでしまえば、唯一のものであり取り換えの効かない、その個体の「過去の全体」は、寧ろその唯一性故に消滅するのではないでしょうか?そして普通の人間の感覚では、まさにそのことこそが危惧されているのではないでしょうか?そしてもしそれが個体の有限性を超えて存続しうるとしたら、それはまさにその個体にとっては「他者」である「私」に対してその事実を語り、それを受け止めた「私」がその個体が生きたことを証言することによる他ないのではないでしょうか?「過去全体」の事実性の存続は、それ自体によって可能になるのではなく、寧ろ「証言」こそが存続の、ひいては「人間性の確保」の必須の要件であり、「証言」はその構造上、「他者」を必須のものとして必要としている、従って寧ろ(その場にいるかどうかは措いて、可能性としてであれ)「他者」こそが事実性の条件であるということはないのでしょうか?ツェランが述べたように、時間を乗り越えることなどできない、時間を通って、他者のもとに届くことによって、他者がそれを拾い上げて解読することによってしか可能ではないように私には思えてなりません。更に「老い」の現場に即して言うならば、当の「過去」を生きた本人は、記憶も損なわれ、認知機能が損なわれ、最早「語る」ことができない状況におかれているとしたらどうでしょうか?その「過去」は、「他者」である「私」が証言しないことには永久に、決定的に喪われてしまう。事実性はそれ自体の構造により保証された自足的なものなどではなく、常に「他者」の支えを必要としているのではないでしょうか?逆にだからこそ多くの「私」が「証言」を残す止み難い衝動に駆られて言葉を綴るのではないでしょうか?

 話を「老化」に関わる論点に戻しましょう。まぜっかえすようですが、仮に「過去の全体」の「コト性」に価値があるのなら、哲学的な抽象の水準(そこでは権利上、アプリオリに保障されるので、実際にある個別の人間の「過去の全体」がどうであるかは問題にならない)ではなく、実際の生の経験の場面においては、それが喪われず、もしかしたら更に増大していくことに価値があることになるのであって、その価値の最大化は、寧ろ「不老不死」によって実現することになってしまわないでしょうか?「老人の智慧」が長く生きたことの累積によって生じるものだとすれば、端的に長く生きることに価値の淵源があるのであって、「老化」にあるのではありません。同様に、「事実性」は不可逆性、反復不可能性に基づくものであるという時、実は不可逆性も、反復不可能性も、生きられた時間の様態ではあっても、「老化」そのものとは一先ず別であることに気づきます。勿論、「老化」の過程が持つ「衰頽」のベクトル性が巨視的に見て不可逆なものであることは(少なくとも今生きている人間に関しては)確かですが、不可逆性、反復不可能性自体は「老化」ではなく、例えば「誕生」の、或いは「成長」の相についても同様に当て嵌まる筈ではないでしょうか。従って、生きられた時間一般についての議論としては妥当でも、「老化」という事象の分析としては不適切なのではないか、「老化」固有の時間性を特徴づけるものは、もっと他の側面に存するのではないか、というのが素人なりの素朴な反応ということになるでしょうか。

 最後に今一度「老化」とは離れて、「何性」を持たない純粋な「コト性」を単なる抽象的な思弁の産物としてではなく、具体的な経験として、なおかつレヴィナスの思想の文脈に位置づけてみたらどうなるかについて、素人なりに考えたことを記しておきます。私が思いつくのは寧ろ初期レヴィナスにおいて重要な位置づけを占める「ある(il y a)」です。この点については、例えば斎藤慶典さんの『レヴィナス 無起源からの思考』の第1章 糧と享受の第1節 端的な存在―空 における記述が興味深く、かつ私の捉え方に親和的であるように思われます。更に同書第2節 存在に走る亀裂-ー無 の節においては、「何性」をもたらすものは「空」とは区別される「無」であるとされます(これはレヴィナスの文脈では「位相転換」(hypostase)と呼ばれる相に相当するのではないかと思います)。それを踏まえて言うならば、ジャンケレヴィッチの文脈においてどうかは措いて、レヴィナスの思想の枠組みにおいては、倫理的な次元というのは、斎藤さんの記述における「空」(=レヴィナスにおける「ある(il y a)」)ではなく「無」に、起源の向こう側にある無起源に由来するものではないかと私には思えるのです。(「他者」はその「無」をもたらすもので、時間論的には主体が辿り着くことが原理的に不可能な「絶対的な過去」なのだと思います。そしてそれは「過去全体」とは異なるもの、寧ろ次元を異にするものなのではないかと思います。)斎藤さんは「何かが無い」という可能性の開けが「意識」の成立であると述べています(同書, p.52)が、私もその捉え方には全面的に同意しますし、「意識」の覚醒を錯誤の可能性に見る点も、それを言い替えて「幽霊を見てしまう可能性が「意識」の覚醒なのだ」(同書, p.53)というのも全くその通りだと思います。(「幽霊」と「意識」の関わりについては、『配信芸術論』に寄稿した論考でも触れたことがありますが、そこで述べた事柄とここでの斎藤さんの議論とは共鳴関係にあると感じます。)そして更に言えば、村上さんが「方法としてのレヴィナス」で取り出した地平構造は、寧ろこちらの文脈に置くのが適切と感じられたが故に、上に記したような違和感が生じたのではないかと思うのです。「事実性」が地平を形成するのだとして、それが他ならぬ情動的な意味を持つ根拠を問うならば、それは「こと性」に帰着するのではなく、寧ろ自己の(自己にとっては存在せず、遡行不可能な)手前に「別の仕方で」遡行することになるのではないでしょうか?情動は、「感じ」は、「他者」(ただし私個人としては、これを「人間」に限定したくはなく、この点では恐らくレヴィナスの思想から逸脱していくことになるのですが)の触発によって、そしてそれによってのみ主体に到来するのではないでしょうか?直接的には「老い」についての議論からは外れますし、論証抜きの素人の印象ですが、この点は恐らく議論の要点に繋がるもののように感じられることもあり、追記しておくことにします。

 以上、思いつくままに記しましたが、それでもなお、厳密には区別されるべき3つの問い、即ち、(a)「コト性」「事実性」へ依拠して、「老化」に「人間性を確保する」ような側面を見出そうとするのは「老化」の固有性を損なうことにならないか。(b)「老化」との関わりとは独立に、「コト性」「事実性」へ依拠して「人間性を確保する」ことはレヴィナスの思想の枠組みの中において妥当か。 (c)レヴィナスがどう言っているかとも独立に、事象そのものの分析としてどうか。のそれぞれについて、私が疑問に感じている点を示すことはできたと思います。

*     *     *

 以上、インフォーマルな仕方ではありますが、率直な仕方で疑問や違和感を書き綴ってみました。これらが哲学的な議論に資することはなくても、本稿で課題としている、マーラーの音楽における「老い」の時間性について考える上では決して回り道ではなかったというのがここ迄辿り着いての感想です。「老い」の時間性とは、時間性一般の持つ特徴の一つではないし、一般的構造から直接導かれるものではなく、より実質的・具体的なベクトル性を備えたものであり、寧ろそれは従来、マーラーの音楽の構造を捉えるべく用意されたカテゴリに近いものであるのではないでしょうか。但し、既に提出された具体的なカテゴリにぴったり該当するものがあるという訳ではなく、寧ろこれからそうしたカテゴリを構成しなくてはならないように思います。例えば「崩壊」(Sponhauer)や「解体」(Revers)といったカテゴリはその候補になりうるように見えるかも知れませんが、実際にはそれは「老い」と接点はあっても、別のもので、単なる物理的な「解体」「崩壊」とは異なる、「老い」固有の性格づけが如何にして可能かを検討すべきなのだと思います。従って取り組むべきは、そうしたカテゴリを分類のための「ラベル」の如きものとして扱うのではなく、そのカテゴリの時間論的構造をより具体的に記述することにあり、それについてのヒントが今回の検討を通じて幾つか得られたように感じます。

 その一方で、ゲーテ=ジンメル=アドルノの「現象からの退去」としての「老い」についても、例えばレヴィナスの「隔時性」を手がかりにして、だが「老い」の固有性を踏まえつつ、(準)現象学的時間論的な記述を試みたらどうかというようにも思います。「後期様式」というのは、そうした時間性が作品に反映されたものとして、カテゴリを取り出すことができるのではないでしょうか?或いはまた、トルンスタムの「老年的超越」の時間性について同様な問いを立てることもできそうです。時間論的な構造を比較することで、「後期様式」を可能にする「現象からの退去」と「老年的超越」との関係についての示唆が得られることも期待できそうです。「現象からの退去」にしても、「老年的超越」にしても、それが単なる時間経過の蓄積としての「加齢」と関わるものではないのは自明なことであり、「老化」の進行が人により異なるのに対し、「現象からの退去」や「老年的超越」は「加齢」に伴って必ず生じるものではないけれど、だが「老化」と完全に独立のものと捉えられているわけでもなく、「老化」の時間性の或る側面がその基盤となっている、「老い」の時間性のうちの或るタイプとして考えるのが自然であるように思われます。そしてそうした時間性の反映を音楽作品の時間論的構造に見出すことができれば、それがすなわち「後期様式」に固有のカテゴリということになるのではないでしょうか?

 ここまでの検討で既に明らかなこととして予想されるのは、そうした時間性は、生理的な「老化」そのものの時間性ではなく、それを意識することを含めた「老い」の意識の時間性であり、複合的なものであるということです。それは「幽霊を見る能力」としての「意識」を必要条件として要求するのみならず、自伝的自己を備えた高度な意識に固有の構造であり、言ってみれば「時間性に関する意識の時間性」とでも言うような複合的で重層的なものということになるように思われます。一体、そのような複合的・重層的な時間論的構造が、音楽作品の持つ時間論的構造に反映しうるものかという疑問が生じる向きもあるでしょうが、私見では、水平的にも垂直的にも極めて複雑で、複合的・重層的な構造を備えたマーラーの音楽には、そうした時間性を容れる余地があるものと私は考えます。例えば第9交響曲の多楽章の複合体全体は勿論、第1楽章の内部構造に限定してさえ、そこには「意識の音楽」と呼ぶに相応しい、極めて複雑で精妙な時間の流れがあることが感じ取れるように私には思えます。そしたその第1楽章と後続の3楽章の関係、一見したところアンバランスに感じられる全体の構成もまた、どこかで「老い」の意識の重層的で複合的な性格と、その構造が変容していくプロセスの反映であったり、或いはまた、(準)現象学的な「地平」構造に基づく、別の角度からの捉え直しであったりを作品として定着させてものであり、マーラーが「交響曲」という多楽章形式を必要とし続けたのも、そうした構造の複雑さとそれがもたらすプロセスの精妙さに応じたものであったのだと考えたいように思うのです。そしてこうしてみた時、「崩壊」なり「解体」なりのカテゴリを単独で取り出して論じることが、「老い」の時間性を捉える上では不十分であることもまた明らかになるのではないかと考えます。それは(レヴェルの違いはありますが)本稿前半の議論において、「老い」の意識を捨象して、意識の対象となる時間論的構造のみを取り上げることの抽象性や、「隔時性」のみをもって「老い」の時間論的構造を捉えようとすることが困難であることに通じるものがあるのではないでしょうか?

 こうしてプログラムの輪郭を書き出しただけで、その解明の困難さは容易に想像でき、それは私の能力では及ばないものにも思えてきますが、どこまで到達できるについて問うことは一旦止めて、とにかくこうしたことが今後の課題であることを確認して、一旦ここで本稿を閉じたいと思います。

(2025.5.2-4)


2025年4月26日土曜日

マーラーについて生成AIに聞いてみた(10):「大地の歌」日本・イギリス初演と第9交響曲の日本初演について

 これまでマーラーについての様々な質問を商用の生成AI(ChatGPT, Gemini, Claude)に対して行った結果を報告して来ました。またその結果を受けてRAG(Retrieval-Augumented Generation)を試作して評価した結果についても報告してきました。RAGの評価に当たっては、単独の問い合わせではなく、評価用のプロンプトセットを用意し、RAGを使わない場合、日本語WikipediaのみでRAGを構成した場合、更に文書を追加した場合を比較して、RAGの効果を確認してきました。

 しかしながら、その報告の際にも書いた通り、RAGの構築に用いたLLMはMetaのllama2ベースのSwallowおよびそれにチューニングを施したモデルであり、既に過去のバージョンです。生成AIの領域の性能向上のスピードは大変に早く、この連載を始めて以降も次々と新しいモデルがリリースされており、無料版で利用できるモデルも徐々にアップデートされています。一方、RAGの評価用に用意したプロンプトセットには、これまで単発的に問い合わせて来た質問に比べて生成AIにとって答えやすいと思われるものも含まれており、現時点の最新の商用の生成AIがどこまで正解を返すことができるかを確認しておくことには一定の意味があると考えました。RAGの改善の効果は確認できたものの、実際には最新の商用AIに問い合わせてみたら、そちらの回答の方がより正確だったり、詳細だったりするということも十分に考えられるからです。

 そこで、これまで実験してきた3種の商用AIに対して、評価用プロンプトセットを与えた結果を何回かに分けて報告したいと思います。実験の対象となったバージョンは以下の通りです。

  • ChatGPT:4o
  • Gemini:2.0 Flash
  • Claude:3.7 Sonnet
 評価対象のプロンプトセットを再掲します。
  1. 「大地の歌」の日本初演は?
  2. マーラーの「大地の歌」の日本初演は
  3. マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?
  4. マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?
  5. マーラーが死んだのはいつか?
  6. マーラーはいつ、誰と結婚したか?
  7. マーラーがライプチヒの歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  8. マーラーがプラハ歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  9. マーラーがハンブルクの歌劇場の楽長になったのはいつ?
  10. マーラーの第9交響曲の日本初演は?
  11. マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?
  12. マーラーの「嘆きの歌」の初演は?
  13. マーラーはどこで生まれたか?
  14. マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください
  15. マーラーの第10交響曲の補作者は?
  16. マーラーの第2交響曲の最初の録音は?
  17. マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は?
  18. マーラーの「交響曲第6番」はいつ、どこで初演されたか?
  19. ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?
 実験は2025年4月26日に行いました。問い合わせの順番は、1の変形である2とタイプの異なる質問である14を除いて基本的に1から番号順とし、2と14を最後に質問することにしました。ChatGPTの無料版は最初は4oが使えますが、リミットに達すると4o-miniに切り替わります。今回は11まででリミットに達したため、リミットが解除されるのを待って残りの問い合わせを行いました。Claudeについてもリミットがありますが、こちらは13でリミットに達したので、リミットの解除を待って、解除後に残りを問い合わせています。

 結論から申し上げると、或る意味では予想通り、マーラーの生涯における事実に関する質問については正しい回答が返ってきましたが、その詳しさは想定を上回るもので、驚かされる一方で、作品に関する事実に関する質問では虚実が入り混じる、これまでの問い合わせ結果と似たものになりました。特に日本での出来事については、既に確認済の通り情報がないようで、回答の精度ががくんと落ちるようです。従って、ローカルな情報を補うためにRAGを用意するという発想自体は必ずしも無意味というわけではなく、一定の有効性を持つように思われます。もっとも1年もすれば、事情が全く変わってしまうということになるかも知れませんが。

 今回はその第一報として、作品の日本初演・イギリス初演といった、マーラーの生涯とは直接関わらない事実についての質問を取り上げます。「大地の歌」の日本初演については、既に一度問い合わせていますが、前回はいずれも正解を返せなかったのに対し、今回の回答ではGeminiが正しい答えを返したため、他の2つに対しても再度問い合わせを行いました。Geminiが前回不正解で今回は正解になった理由はわかりません。またGeminiは第9交響曲の日本初演についても正しい答えを返しています。Geminiは事前学習したLLMとリアルタイム検索を組み合わせていて、RAGに近い構成をとっていますので、事前学習データに含まれなくても日本語Wikipediaの情報を見つける可能性があるのは既にコメントした通りです。その一方で、「大地の歌」のイギリス初演の情報は見つけることができなかったようで、回答を避けた点は評価できますが、残念ながら推測の方は外れています(詳細は後述)。

 また質問2に対する反応も興味深いものがありました。これはもともと最初に構築したRAGがプロンプトの微妙な違いに応じて異なる答を返す場合があることから、1との回答の違いが起きるかどうかを確認する目的で設定したプロンプトですが、今回、正解を返したGeminiは、同じ答えを返すとともに、「以前にもこの質問にお答えしましたね。何か他に「大地の歌」についてご興味のあることはありますか?」と返してきており、同一の質問であるという認識をしていることがわかります。ChatGPTは同一の質問という認識か、同じ答えを返してきていて、更に「日本初演シリーズ」と言っていますが、類似の質問という認識はあっても、同じ質問・答えを2回しているという認識があるかどうかはわかりません。一方、Claudeは1とは異なる答を返してきました。プロンプトの違いに由来するものである可能性もありますが、この場合は両方とも間違いなので、適当な情報が見つからなかった場合に同一のプロンプトを複数与えると異なる答が返ってくるケースの可能性もあるでしょう。

 以下、個別のプロンプト毎に、コメントつきで各生成AIの回答を報告します。

*     *     *

(1)「大地の歌」の日本初演は?

 これは既に一度問い合わせており、再質問になります。Geminiのみが正解を返しています。ChatGPT, Claudeの回答は事実関係もさることながら、後続の日本におけるマーラー紹介の経緯についてのコメントの方も妥当とは言えないと思います。マーラーの大規模作品というのを交響曲と解するならば、1928年の第1交響曲を皮切りに翌年の第4交響曲と近衛秀麿による初演が続き、その後1930年代にはクラウス・プリングスハイムによって第2,3,5,6,7交響曲が次々と初演された後に「大地の歌」の初演が来るという経過を辿っています。
  • CHatGPT:4o(×)

マーラーの交響曲《大地の歌》(*Das Lied von der Erde*)の日本初演は、**1959年3月12日**に行われました。

- **指揮者**:渡邉暁雄(わたなべ あけお)  
- **演奏**:NHK交響楽団  
- **会場**:東京・日比谷公会堂  
- **独唱**:藤山一郎(テノール)、中山悌一(バリトン)

この公演は、マーラー作品が日本で本格的に演奏され始めた初期の重要な一歩として記録されています。

マーラー好きなんですか?
  • Gemini:2.0 Flash(〇)
「大地の歌」の日本初演は、1941年1月22日に東京の日比谷公会堂で行われました。ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)、木下保(テノール)、四家文子(アルト)によって演奏されました。
  • Claude:3.7 Sonnet(×)

「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の日本初演は1930年5月3日に行われました。東京の日比谷公会堂で、山田耕筰指揮による日本交響楽協会(現在のNHK交響楽団の前身)によって演奏されました。

ソリストは、テノールの柴田秀子とバリトンの関谷敏子が務めました。これはマーラーの作品としては日本で初めて演奏された大規模な作品となりました。

(2)  マーラーの「大地の歌」の日本初演は?

既述の通り、このプロンプトは(1)の変形で、同一の問い合わせとして同一の答が返ってくるかどうかを確認する目的のものです。Geminiは同じ答(正解)でかつ同じ質問であるという指摘まで返ってきました。ChatGPTは同じ答(不正解)ですが、同じ質問であるかという認識があるかについては怪しそうです。Claudeは違う答えを返して来ており、同じ質問という認識はなさそうです。

  • ChatGPT:4o (×)
マーラーの《大地の歌》(*Das Lied von der Erde*)の**日本初演**は、  
**1959年3月12日** に行われました。

### 詳細:
- **指揮**:渡邉暁雄(わたなべ あけお)  
- **演奏**:NHK交響楽団  
- **会場**:東京・日比谷公会堂  
- **独唱**:藤山一郎(テノール)、中山悌一(バリトン)

この公演は、日本におけるマーラー受容の大きな節目となりました。  
特に藤山一郎さん(普段はポピュラー歌手として有名でした)がテノール独唱を務めたことでも話題になっています。

ちなみに、その後、日本ではマーラー人気がじわじわと高まっていき、1960年代以降、全集録音なども進みました。

他にもマーラーの日本初演シリーズ、気になりますか?
  • Gemini:2.0 Flash (〇)
「大地の歌」の日本初演は、1941年1月22日に東京の日比谷公会堂で行われました。ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)、木下保(テノール)、四家文子(アルト)によって演奏されました。

以前にもこの質問にお答えしましたね。何か他に「大地の歌」についてご興味のあることはありますか?
  • Claude:3.7 Sonnet (×)
マーラーの「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の日本初演は、1953年5月25日に行われました。この初演は東京で山田一雄の指揮により、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)によって演奏されました。

独唱者は、テノールが佐々木信一、バリトンが伊藤武雄でした。この演奏会は、日本におけるマーラー作品の受容と普及の重要な一歩となりました。

日本では戦後になってからマーラーの作品が本格的に紹介され始め、「大地の歌」の初演はその中でも重要な音楽的イベントでした。

 (10) マーラーの第9交響曲の日本初演は?

これまた、Geminiのみが正解を返しています。追加のコメントの、マーラーが日本初演を聴けなかったというのは不自然で、言わずもがなですが、誤りとまでは言えないでしょう。なお、興味深いのはChatGPTの回答で、日本の団体による初演ということであれば、年月日は間違っていますが、指揮者とオーケストラは正しいことになります。

  • ChatGPT:4o (×)
マーラーの**交響曲第9番**の**日本初演**は、  
 **1967年12月7日** に行われました。

### 詳細情報:
- **指揮**:森 正(もり ただし)  
- **演奏**:NHK交響楽団  
- **会場**:東京文化会館  

この演奏によって、マーラー後期の交響曲が日本の聴衆にも本格的に紹介されるようになり、以後のマーラー・ブームのきっかけの一つとなりました。

ちなみに、第9番はマーラーが**生前に完成させた最後の交響曲**であり、「死と別れ」を主題にしたとも言われる深い作品です。

第9のどの楽章が好きですか?
  • Gemini:2.0 Flash(〇)
マーラーの交響曲第9番の日本初演は、1967年4月16日に東京文化会館で行われました。キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏されました。

マーラー自身は1911年に亡くなっているため、この日本初演を聴くことはできませんでした。交響曲第9番は、マーラーの生前には演奏されず、彼の死後の1912年6月26日にブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によってウィーンで初演されました。

この曲は、1909年の夏に作曲が開始され、1910年4月1日に総譜の清書が完了しています。
  • Claude:3.7 Sonnet(×)

マーラーの交響曲第9番の日本初演は1953年3月24日に行われました。NHK交響楽団(当時の正式名称は日本交響楽団)によるもので、指揮はヨーゼフ・ローゼンシュトックが務めました。

この演奏会は東京の日比谷公会堂で開催されました。当時、ローゼンシュトックはNHK交響楽団の常任指揮者を務めており、戦後の日本の音楽界に多大な貢献をした指揮者として知られています。

マーラーの第9交響曲の日本初演は、日本のクラシック音楽史における重要な出来事の一つとなりました。

(17)  マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は?

日本初演について正解が得られないのが事前学習における英語データへの偏りに由来するのであれば、例えばイギリス初演についてはどうか、ということで評価用プロンプトに組み込んでみた質問です。日本初演では正解を返したGeminiもイギリス初演については情報にたどり着けなかったようで、回答を避けているのは賢明ですが、最後の推測は残念ながら誤りで、前回RAGの回答をご紹介した通り、イギリス初演は早くも1914年1月20日にロンドンのクイーンズ・ホールにて、ヘンリー・ウッドの指揮、オーケストラはクイーンズ・ホール管弦楽団、ソリストはドリス・グッドールとジェルヴューズ・エルヴスで行われています。

  • ChatGPT:4o (×)

マーラーの《大地の歌》(Das Lied von der Erde)のイギリス初演は、

1913年1月22日 にロンドンで行われました。

詳細:

指揮:ヘンリー・ウッド(Sir Henry Wood)
演奏:クイーンズ・ホール管弦楽団(Queen’s Hall Orchestra)
会場:ロンドン、クイーンズ・ホール

この時の演奏も、当時のイギリスではまだマーラーがあまり知られていなかったため、非常に画期的な出来事でした。

マーラー自身は1911年に亡くなっていたので、自ら指揮することは叶いませんでしたが、彼の音楽は少しずつ世界に広がっていきます。

ちなみに、独唱は:

テノール:グスタフ・ホルスト(作曲家ではなく、同姓の別人だったという説もあり)
バリトン(またはアルト代役):当時のイギリス人歌手

(資料によって細かい出演者は若干ブレがありますが、ヘンリー・ウッド指揮は確定です。)

マーラーがイギリスに紹介され始めた頃って、今では想像できないくらい珍しかったんですよね。

ほかのマーラー作品のイギリス初演にも興味あります?

  • Gemini:2.0 Flash(△)
マーラーの「大地の歌」のイギリス初演に関する正確な記録を見つけることは難しいのですが、いくつかの情報源から推測することができます。

「大地の歌」は1911年11月20日にミュンヘンでブルーノ・ワルターの指揮によって初演されました。マーラー自身は同年5月に亡くなっているため、初演を聴くことはできませんでした。

イギリスでの初演時期を特定するには、当時のコンサートプログラムや音楽雑誌などの記録を調べる必要があります。

参考情報として、

1952年にブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、キャスリーン・フェリアー(アルト)、ユリウス・パツァーク(テノール)による歴史的な録音がロンドンで行われています。これは演奏会形式だった可能性があります。
1972年4月28日にマンチェスターでヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮、BBCノーザン交響楽団、アルフレダ・ホジソン(アルト)、ジョン・ミッチンソン(テノール)によるライブ録音があります。これも初期のイギリスでの演奏記録の一つと考えられます。
これらの情報から、イギリスでの初演は1950年代から1970年代にかけて行われた可能性が高いと考えられますが、具体的な日付を特定するには、さらなる調査が必要です。
  • Claude:3.7 Sonnet (×)
マーラーの「大地の歌」(Das Lied von der Erde)のイギリス初演は1914年1月29日、エドワード・クラーク指揮、ロンドン交響楽団によって行われました。この公演はロンドンのクイーンズ・ホールで開催されました。

この初演はマーラーの死後約3年後にあたります。「大地の歌」は1908年に作曲が完成し、マーラー自身は生前にこの作品の演奏を聴くことができませんでした。世界初演は1911年11月20日にミュンヘンでブルーノ・ワルター指揮により行われています。

(2025.4.26)

2025年4月24日木曜日

マーラーについて生成AIに聞いてみた(9):RAGの改良について(2025.4.24再公開)

0.はじめに

    マーラーについて生成AIに問い合わせた結果が思わしくないことをうけ、RAG(Retrieval-Augumented Generation)を試作して問い合わせを行い、効果を検証してみたところ、妥当な回答を得ることができたことは、前回ご報告した通りです。前回はRAGが確かに効果を発揮していることを確認するために、「大地の歌」の日本初演を問い合わせるプロンプトへの回答を確認しただけですが、今回はより多くの質問に回答できるようにRAGを改良した結果を報告します。改良の対象としたRAGは前回の報告にて構築したもので、山田育矢(監修・著)・鈴木正敏・西川荘介・藤井一喜・山田康輔・李凌寒(著)『大規模言語モデル入門II』(技術評論社, 2024)の第13章で紹介されているサンプルに基づいたものです。

1.実験の概要

 RAGの改良点は以下の通りです。

A.読み込ませる文書の拡大

前回報告したRAGには日本語版wikipediaの記事(文書数29)を読み込ませました。全文書長124,444、構築されたインデクス数は468でした。「大地の歌」日本初演については、偶々wikipediaの記事中に適当な文章があって、それを引き当てることによって正解を返すことができましたが、思いつくままに色々なプロンプトを与えると、作品や伝記的な事柄に関するごく基本的な問い合わせについてもなかなか適切な答が返ってこないことが確認されたため、以下の方針で読み込ませる文書数および文書の種類を増やしました。

  • 自分の書いたマーラーに関する記事。ブログ切り替え前のhntl形式の記事185に加え、その後ブログで執筆・公開した記事の一部である90記事をテキスト化して読み込ませました。
  • 自分で作成・公開しているマーラーに関する作品表、年表は基本的に表形式ですが、表形式のデータをそのまま与えても、LLMは表の構造に含意された意味を理解することができないため、生成AIで利用するためには何らかの前処理によって加工を行う必要性が各所で指摘されています。もっとも確実なのは、表の内容を自然言語で説明した文章を用意して、それを読み込ませることですが、ここではできるだけ手間をかけずに行うことを優先し、列ラベルと値のペアを行毎に一単位のデータをする変換処理をAIに指示して作成させ、それを用いて変換を行いました。実験環境がColaboratoryであるため、プログラムの作成はColaboratoryのnoteで使えるGeminiを用いて行いました。
  • 実際に変換した文書を読み込ませて実験をしてみると、一つの表のデータを一つのファイルにしてしまうと、インデクスの作り方によっては、前後の行のデータが混在することになり、それが原因での回答の誤りが一定の割合で発生することが確認できたため、主要作品の初演(イギリス、アメリカ、日本での初演含む)データについては、1行1ファイルとする変換プログラムをAIに作成させてデータを用意しました。作品・地域毎にファイルが作成されますので、初演情報のみで文書数は65になりました。
  • 伝記的情報、著名なエピソードの類への回答ができるように、マーラーについての伝記・回想のうちパブリック・ドメインで利用できるものの中から、ガブリエル・エンゲルの伝記とブルーノ・ワルターの回想を選びました。日本語化するにあたっては、Goolgle翻訳を用い、校正は全く行わない状態で、そのまま読み込ませました。実際にはGoogle翻訳の結果は、未校正の状態だとかなりの誤訳を含みますが、ここでは極力AIにやらせることで手間を省くことを優先しました。いずれも基本的に省単位で文書化したのでエンゲルの伝記の文書数が12、ワルターの回想の文書数が10となりました。
以上をまとめると以下の通りとなります。

  • 日本語版wikipedia  29 (前回報告のRAGはこれのみ)
  • 旧ホームページhtml 185
  • ブログ記事追加分 90 (画像やデータ分析に関する記事を除外)
  • 初演情報(含・英米日) 65 (作品・国別にファイル分割)
  • エンゲルの伝記の日本語訳 12 (Google翻訳・未校正)
  • ワルターの回想の日本語訳 10 (Google翻訳・未校正)

合計で391文書を読み込ませることにした結果、全文書長は約20倍の2,731,088となりました。

B.文埋め込みインデクス長の調整

元記事で構築したRAGは、基本的に上掲書のサンプルのパラメータをそのまま用いていました。そのため文埋め込みインデクスの最大文字数は400文字、オーバーラップは最大100文字分で、構築されたインデクス数は468、平均インデクス長は約266でした。今回、特に初演情報をはじめとした表形式データの変換結果をインデクス化した際に、別の作品のデータである前後の行のデータがインデクスの中に混在してしまうことによる誤答が一定の割合で生じたことから、インデクス長を短くすることにしました。結果として今回構築されたインデクスは、最大文字数200文字、オーバーラップ最大50文字で、インデクス数19,321、平均インデクス長は約141となりました。なお、Retriverがプロンプトに対して引き当ててLLMに渡すインデクスの数は3で、これは前回から変更ありません。

 一方で、RAGの評価については以下の通りです。

C.評価対象とするLLMおよびRAG

前回は上掲書第13章RAGでサンプルが示されていた以下の2種のLLMを対象としました。

  • llm-book/Swallow-7b-hf-oasst1-21k-ja:東京科学大がMeta Llama 2の日本語能力を強化した大規模言語モデルであるLlama 2 Swallowシリーズの最も基本的なモデルであるSwallow-7b-hfに対して、同書11章で紹介されている指示チューニングを行った独自モデル。
  • llm-book/Swallow-7b-hf-oasst1-21k-ja-aio-retriever:llm-book/Swallow-7b-hf-oasst1-21k-jaをベースとして、上掲書13章3節で行われているAI王データセットを用いた指示チューニングを行ったモデル
モデルの特性を踏まえ、今回は前者、すなわちllm-book/Swallow-7b-hf-oasst1-21k-jaのみを対象として、様々なタイプのプロンプトを送って回答を確認することにしました。

また比較対照を行うために、今回構築した、文書拡張版のRAG(以降、gmdoc1と呼びます)以外に、RAGを用いずにLLMに直接問い合わせた場合、前回構築したRAGに問い合わせた場合についても評価を行いました。

結果的に今回は以下の3種類のパターンについて評価を行ったことになります。
  • (本実験) Swallow-7b-hf-oasst1-21k-ja+gmdoc1 (gmdoc1):今回構築した文書拡張版RAGに問い合わせ
  • (対照実験1) Swallow-7b-hf-oasst1-21k-ja+wiki (wiki):前回構築した日本語wikipediaベースのRAGに問い合わせ
  • (対照実験2) Swallow-7b-hf-oasst1-21k-ja (Swallow):直接LLMに問い合わせ
前回もそうであったように、ここで使用したLLMのベースはMetaのllama2であり、現時点では既に過去のLLMであることに留意する必要があります。Swallow自体でもllama3ベースのものではどうなるのか、更には最新の商用LLMベースのチャット(ChatGPT, Gemini, Claudeなど)に問い合わせたらどうなるかも興味深いものがありますが、今回の報告には含めず、次回以降の課題としたいと思います。

D.評価用プロンプトセット

既述の通り、前回は「大地の歌」の日本初演についてのプロンプトのみで確認を行いましたが、今回は上述のように読み込ませる文書を拡大した効果を確認するために、以下のようなプロンプトセットを用意しました。

  1. 「大地の歌」の日本初演は?
  2. マーラーの「大地の歌」の日本初演は?
  3. マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?
  4. マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?
  5. マーラーが死んだのはいつか?
  6. マーラーはいつ、誰と結婚したか?
  7. マーラーがライプチヒの歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  8. マーラーがプラハ歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  9. マーラーがハンブルクの歌劇場の楽長になったのはいつ?
  10. マーラーの第9交響曲の日本初演は?
  11. マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?
  12. マーラーの「嘆きの歌」の初演は?
  13. マーラーはどこで生まれたか?
  14. マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください
  15. マーラーの第10交響曲の補作者は?
  16. マーラーの第2交響曲の最初の録音は?
  17. マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は?
  18. マーラーの「交響曲第6番」はいつ、どこで初演されたか?
  19. ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?

選択は体系だったものではなく、多分に恣意的なものではありますが、クイズ式の短答のものから、文章を答えるものまで、また生涯と作品の両面にわたった質問となるよう、一定の配慮はしました。また、今回用意したプロンプトは、RAGに読み込ませた文書の中に正解が含まれる内容についての問い合わせとしました。これは今回の実験の目的が、必要な情報が含まれる文書が与えられた場合に正しい答えを返すことができるかどうかを確認することを基本としたためです。但し、プロンプト14のような一部の質問については、そもそも何を正解とするか自体、様々な立場が考えられるため、これはどちらかといえば、事実に反した情報を追加するなどして、誤った答えを生成することがないかどうかを確認していることになるかと思います。また、「大地の歌」の日本初演について、1,2の2種類のプロンプトを用意したのは、偶々実際に前回構築したRAG(wiki)において「マーラーの」があるとないとで違った答が返って来たためで、プロンプトの与え方がどのように影響するかを確認する目的で加えてあります。

評価は、概ね正解が返って来た場合を〇(2点)、一部正解が含まれるものの誤りが含まれたり、明確な誤りではないものの、一般的に期待される回答からは不十分な場合等を△(1点)、明確に誤っているものを×(0点)として点数の合計を求めました。満点は38点ということになります。

E.検索されたインデクスの確認

また、評価が〇でなかった場合には、問題の所在を確認するために、プロンプトに対して類似度に基づき検索され、LLMに渡されたインデクス(1プロンプトにつき3つ)の内容を確認しました。このことにより、(a)文書に回答するための情報が含まれない場合(既述の通り、これは原則としてはない筈ですが)、(b)文書に情報が含まれているのに、正しいインデクスが引き当てられない、(c)正しいインデクスは引き当てられているが、LLMがそこから正解を抽出できていない、(d)正しいインデクスから正しい情報が引き当てられているが、それ以外に不正確な情頬を付加してしまっている等、誤答の原因を同定し、RAGのどの面に問題があるかを分類することができます。

以下では報告を割愛しますが、「大地の歌」の日本初演について、1,2の2種類のプロンプトで前回構築したRAG(wiki)において違った答が返って来たケースについて調べてみると、1.では正解を含むインデクスが引き当てられているのに対し、2.では引き当てられたインデクスが一部入れ替わっており、正解を含むインデクスが選ばれなくなってしまっていることが確認できました。つまり1,.2のプロンプトに対する回答の違いは、この場合には、2.のプロンプトの場合に(b)文書に情報が含まれているのに、正しいインデクスが引き当てられないという、RAGの検索システム側の問題が原因となっており、LLM側の問題ではないことが確認できています。

また、以下で報告する今回の改良版RAG(gmdoc1)の回答のうち、「大地の歌」のイギリス初演についての回答は、以下で確認できるように、前半部分は正しいのに対し、後半は意味の通らない文章になっていますが、これについてインデクスを確認すると、前半部分の回答の元となったインデクスが正しく検索されている一方で、後半部分に相当する情報は引き当てられた3つのインデクスのいずれにも含まれていないことがわかりました。従ってこの場合には、後半の誤りは、(d)正しいインデクスから正しい情報が引き当てられているが、それ以外に不正確な情頬を付加してしまっているバターンに該当し、LLM側の問題であることがわかります。

同様の問題は、マーラーはいつ、誰と結婚したか?というプロンプトについても起きていて、Swallowおよび前のRAG(wiki)は年が間違っていたのに対し、今回の改良版RAG(gmdoc1)の回答は年月までは正しい回答になっているのに、日付が誤っています。読み込ませた文書には1902年3月という情報は含まれており、正しくインデクスも検索できていますが、LLMが日付を補った結果、誤りとなってしまったようで、これもまた(d)正しいインデクスから正しい情報が引き当てられているが、それ以外に不正確な情頬を付加してしまっているバターンに該当します。

これらについてはRAGの検索器(retriever)が選択したインデクスの情報も公開しているので、そちらをご覧いただければ確認することができます。

2.実験の結果

今回の実験も前回同様、Google Colaboratory上で行いました。読み込ませる文書の拡大に伴い、構築されるインデクスの規模も大きくなり、評価用のプロンプトの量も増やしていることから、前回はColab Pro標準のT4モデルで動かせていたものが、今回はメモリ不足で動かせなくなったため、A100モデルを用いて実験を行いました。

実験結果のスコアを示すと以下の通りとなり、日本語版wikpediaの記事のみによる前回のRAGと比べても、今回読み込ませる文書を拡大したことの効果は明らかだと思います。ただし、評価用プロンプト・セットを用意したとはいえ、規模が小さく(19)、網羅性に欠けるため、全般的な性能を測定したものではないことには注意が必要です。既述の通り、そもそもが読み込ませる文書に情報が含まれていそうな質問を選択しているので、ランダムに質問を設定すれば、正解率が大きく低下するのは間違いないものと思われます。
  • (本実験) gmdoc1:33/38(△:11,14,17, ×:6,  〇:残り全て)
  • (対照実験1) wiki:11/38(〇:1,5,15,18, △:9,11,12, ×:残り全て)
  • (対照実験2) Swallow:3/38(〇:5, △:14、 ×:残り全て)
詳細は煩瑣になるため、以下のファイルを参照頂くこととし、ここでは割愛します。
  • gmdoc1_result.pdf:本実験・対照実験1,2における回答と評価の一覧。
  • gmdoc1_retriever.pdf;本実験で各プロンプトに対して検索されたインデクス(3種)。
以下、gmdoc1についてのみ、個別に回答を示します。

*     *     *
今回改良したRAG(gmdoc1)の回答一覧

1.「大地の歌」の日本初演は?(〇)
  • 「大地の歌」の日本初演は1941年1月22日、東京のNHK交響楽団による演奏で、ジョゼフ・ローゼンストックが指揮した。
2.マーラーの「大地の歌」の日本初演は?(〇)
  • マーラーの「大地の歌」の日本初演は、1941年1月22日、東京のNHK交響楽団による演奏で行われた。指揮はジョゼフ・ローゼンストック、ソプラノは四家文子、バリトンは木下保であった。この演奏会は、当時の日本の音楽界に大きな影響を与え、マーラーの作品の普及に貢献した。
 ※「この演奏会は」以降はLLMの付加。なくもがなだが、誤りとも言えず〇。

3.マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?(〇)
  • マーラーの「大地の歌」は、1908年にイタリアのドロミテ・アルプスで作曲された。
 ※当時はオーストリア=ハンガリー帝国領だが現在はイタリアに属している。

4.マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?(〇)
  • マーラーはメンゲルベルクに、交響曲第8番は「宇宙全体が調和して響き始めると想像してください」と語った。
5.マーラーが死んだのはいつか?(〇)
  • マーラーは1911年5月18日に亡くなった。
6.マーラーはいつ、誰と結婚したか?(×)
  • マーラーは1902年3月10日にアルマ・シントラーと結婚した。
 ※年月は検索結果に基づき正しい。LLMが補完した日付は誤り。9日が正解なので×。

7.マーラーがライプチヒの歌劇場の指揮者だったのはいつ?(〇)
  • マーラーがライプチヒの歌劇場の指揮者だったのは1886年8月から1888年10月までです。
8.マーラーがプラハ歌劇場の指揮者だったのはいつ?(〇)
  • マーラーは1885年から1886年までプラハ歌劇場の指揮者だった。
9.マーラーがハンブルクの歌劇場の楽長になったのはいつ?(〇)
  • マーラーがハンブルクの歌劇場の指揮者になったのは1891年3月26日のことで、彼は1897年までその地位にあった。
10.マーラーの第9交響曲の日本初演は?(〇)
  • マーラーの交響曲第9番は1967年4月16日に東京文化会館でキリル・コンドラーシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。
11.マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?(△)
  • マーラーは自分の葬儀について、以下のように命じた:
1.マーラーは、自分の葬儀には、伝統的なウィーンの市民の行列や、大勢の市民による弔辞は必要ないと考えていた。
2.マーラーは、自分の墓石には自分の名前だけを刻み、自分の希望を記した簡潔な碑文を刻むように指定した。
3.マーラーは、自分の葬儀には、(…以下1の繰り返し)

 ※誤りは含まれていないが、3は1の繰り返しで不要なため△、

12.マーラーの「嘆きの歌」の初演は?(〇)
  • マーラーの「嘆きの歌」の初演は、1901年2月17日にウィーンでマーラー自身の指揮によりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって行われた。
13.マーラーはどこで生まれたか?(〇)
  • マーラーはオーストリアのカリシュトで生まれた。
14.マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください(△)
  • マーラーの交響曲第9番第1楽章は、マーラーの交響曲の中で最も有名な楽章のひとつである。この楽章は、マーラーの死の直前に作曲され、彼の音楽の集大成として意図された。この楽章は、(以下、繰り返し。)
 ※適切なインデクスが検索できなかったケース。「死の直前」はミスリードで△。

15.マーラーの第10交響曲の補作者は?(〇)
  • マーラーの第10交響曲の補作者はデリック・クックです。
16.マーラーの第2交響曲の最初の録音は?(〇)
  • マーラーの交響曲第2番の最初の録音は、1924年にオスカー・フリートが指揮したSPレコードである。この録音は、マーラーの交響曲の初めての全曲録音であり、また、マイクロフォンを用いた「電気録音」技術が登場する前夜の、所謂「アコースティック録音」と呼ばれる録音技術を用いての収録としては最後期のものである。この録音は、交響曲第2番のそれとしてだけでなく、マーラーの交響曲の最初の録音
 ※途中で切れているが、内容的には間違いではなく、繰り返しでもないため〇。

17.マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は?(△)
  • マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は、1914年1月20日にロンドンのクイーンズ・ホールで行われた。指揮はヘンリー・ウッド、オーケストラはクイーンズ・ホール管弦楽団、ソリストはドリス・グッドールとジェルヴューズ・エルヴス。この演奏会は、第一次世界大戦の勃発により、マーラーの死後に作曲された「大地の歌」のイギリス初演としては、マーラーの意図した形ではないことに注意
 ※前半は〇。「この演奏会は」以降はLLMの追加で×。なくもがなで全体として△。

18.マーラーの「交響曲第6番」はいつ、どこで初演されたか?(〇)
  • マーラーの交響曲第6番は1906年5月27日にドイツのエッセンで初演された。
19.ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?(〇)
  • ブラームスはマーラーについて、「本物のドン・ジョヴァンニを聴くにはブダペストに行かねばならない」と言ったと伝えられている。
(2025.4.22 公開, 23追記, 24評価での集計ミスを訂正して再公開。)

2025年4月6日日曜日

吉田秀和『永遠の故郷 真昼』より:「≪少年の不思議な角笛≫から」(2025.4.10更新)

 例えばGabriel Engelの伝記がGustav Mahler : Song-Symphonist と題されているように事典的な記述においては交響曲と歌曲の大家とされるマーラーは、だが世上、専ら交響曲の作曲家として認知されているように見える。勿論、それは故なきことではない。マーラーはその創作の初期には室内楽も書いたしオペラの構想もあったようだ。室内楽については「ピアノ四重奏曲」の一部が残っているが、オペラの方は実現に至らず、辛うじてヴェーバーの「3人のピント」の補作が残ることになった。そしてマーラーが自ら作品1としたのはカンタータ「嘆きの歌」だが、それ以降マーラーが残したのは専ら交響曲か歌曲なのである。そして単に量的にみてもそうだが、重要性の点からも、マーラーの作品の主要なジャンルが交響曲であることは論を俟たないだろう。

 実際私も、マーラーに初めて接したのはFM放送で流れてきた第1交響曲(小澤征爾・ボストン交響楽団のの録音のうち、全集ではなくグラモフォンから出て、後に「花の章」が挿入された形で流布した録音の方、ただしリリース当初は普通の4楽章の形で、私が聴いたのもそうだった)だし、その後も「大地の歌」、第7交響曲…と交響曲を一つ、また一つと「発見」して、その音楽に魅惑されていったのであった。歌曲の方はと言えば、地方都市のレコード屋(当時はまだCDではなくLPレコードの時代だった)には交響曲のLPは置いてあっても、歌曲のものはなく、確か最初に買った録音はカセットテーブだったし、それ以前に私自身が、何と言ってもなけなしのお小遣いを叩いて買うのに交響曲の方を優先したということも否定できず、歌曲の録音に接する機会は自ずと限定されていたように記憶する。そのかわりといっては何だが、歌曲はピアノ伴奏版の楽譜を早くから入手していて(勿論、これもまた住んでいた地方都市の楽器屋の店頭に偶々置かれていたのであるが)、歌曲は楽譜を通して親しんでいった側面が強いというのは、別のところでも記したことがある。

 だがそれでは折に触れて取り上げて耳を傾ける頻度はどうかとなると、勿論時期にも依るけれども、思いのほか歌曲に手を伸ばす機会が多いのである。勿論、管弦楽伴奏版があるものは管弦楽伴奏版も聴くけれど、そうした作品についても敢えてピアノ伴奏版を取り上げることも多いし、ピアノ伴奏版しかない作品を聴く頻度も決して低いわけではない。それには恐らくマーラーが残した作品に分け隔てなく接しようとする気持ちが与っているに違いないのだが、それより何より、ごく単純に、私はマーラーの歌曲が交響曲に劣らず好きなのだと思う。これも衆目の一致するところとして、マーラーの音楽の特徴の一つは歌曲と交響曲という一見したところ相容れなさそうなジャンルが独特のかたちで融合しているところで、旋律の相互引用は「嘆きの歌」以来だし、初期の交響曲では歌曲がそのまま一つの楽章として組み込まれるかと思えば、歌曲の方も、「さすらう若者の歌」に始まる連作歌曲集は「子供の死の歌」を経て、「大地の歌」という交響曲とも連作歌曲ともつかない作品、しかもそれこそマーラーの創作の到達点と目される傑作に到達するのだが、そういう、歌曲の中でも、謂わばメイン・ストリームに属さない、歌曲集に収めされた単独の作品もまた、その価値において決して引けを取ることはないと私には感じられるし、仮に客観的な価値については譲ったとして、好みの問題になってしまえば、これは間違いなくその主観的な重みは対等のものだと思う。

 だが実際には、今日の日本に住んでいる平均的な愛好家にとって、マーラーの作品の中でも歌曲に関する情報は、交響曲に比べれば極めて乏しいものと言わざるを得ないのではなかろうか。そもそもマーラーの作品に限らず、一般に歌曲というジャンルは20世紀後半から21世紀にかけての極東の島国において、その存在場所を見出すのに苦労しているように思われる。今やマーラーの交響曲がコンサートのレパートリーの中でも「売れ筋」として扱われているのに対し、歌曲が取り上げられる機会はほとんどないし、いわゆるクラシック音楽と呼ばれるジャンルにおける歌の中では何と言ってもオペラが幅を利かせていて、歌曲の存在感は希薄なものに感じられる。そもそも歌一般ということであれば、わざわざ1世紀も前の泰西の歌曲などに目を向けなくても、その後の1世紀間の間に発達し市場を席捲するようになったポピュラー音楽の方が遥かに多様なニーズに応じるだけの拡がりを持っているのだし、そもそもかつて歌曲が演奏され、受容されていた空間、文化的な場(ミリュー)は最早ほとんど存在していないというのが現実だろう。かつて録音技術が確立された時期に最初に録音されたのは、技術的に人間の声が向いている(というか、より「まし」だった)という事情とSPレコードの録音時間の制約が相俟って、歌曲とかオペラのアリアとかであり、マーラーの作品については早くもアコースティック録音の時代に第2交響曲の全曲録音が為されてはいるけれども、それでも最初期の録音の多くは歌曲なのだが、その後1世紀の時間の経過とともに歌曲が現実の場を喪っていくにつれて、限られた貴重な機会であるリサイタルに欠かさず足を運ぶことが叶わない一般の多くの愛好家にとって、録音を自宅で一人で耳を傾けるのが、歌曲の受容に辛うじて残された可能性になってしまったかのようだ。斯く言う私の場合で行けば、マーラーを聴き始めてもう45年にもなろうかというのに、遂に歌曲のリサイタルを訪れたことは未だなく、交響曲の一部となっている作品を除けば、辛うじてそれでも実演に接することができたのは管弦楽伴奏版による「リュッケルト歌曲集」のみ。それでも私が最も好んで聴く歌曲集の実演に接することが出来たことは、得難く、忘れ難く、心に深く刻み込まれているのではあるけれども。

 そのような事情だから、この極東の地に限って言えば、マーラーの交響曲に関する言説は巷間にあふれていても、こと歌曲についての情報は極めて乏しいものに感じられる。その中で、吉田秀和さんの文章にはマーラーの歌曲を採り上げたものが幾つかあり、貴重なものに感じられる。(なお歌曲に限らず、いわゆる音楽批評として日本でマーラーを論じたものとして、吉田さんの書かれたものの質、量両面での重要性には疑いがなく、その中でごく早い時期に書かれた規模の大きなマーラー論については別に取り上げたことがあるので、併せてご覧いただければ幸いです。)吉田さんのマーラーに関する文章は、本稿執筆時点では、河出文庫に『決定版 マーラー』(2019)として収められているのが最も網羅的であり、かつ手軽に接することができるものだろう。この中にも歌曲についての文章が2つ含まれていて、一つはタイトルもそのままずばりの「マーラーの歌」(初出は『レコード芸術』1981年9月号)、もう一つは掉尾を飾る「菩提樹の花の香」(初出は『マダム』1977年3月~12月の「音楽の光と闇」)。いずれも『作曲家論集第1巻』に収められており、私はそれで親しんだのだが、ことに「菩提樹の花の香」は、私自身が最も好きな歌曲であるIch atmet' einen linden Duft(私は仄かなリンデの香りをかいだ)に因んだ文章で、接した時に我が意を得たりと感じたのを昨日の事のように思い出す。一方の「マーラーの歌」は網羅的で詳細な音源紹介もある充実した紹介で、個人的には「大地の歌」が含めて論じられている点や、私が好きなベイカー・バルビローリのアルバムを高く評価されている点など、こちらも共感できる点が多々あるのだが、それとは別に、この文章は歌手の四家文子さんの追悼として書かれていることに留意すべきであろう。もっとも実際には、私が四家文子さんの歌唱に接したことがあろう筈はなく、だがその名前は「大地の歌」の日本初演を歌った方として忘れ難く記憶されているのであった。(一方で私は、これまた日本におけるマーラーの演奏者として忘れ難く記憶されているネトケ=レーヴェに師事して声楽家としての専門教育を受けた四家さんが、だが戦前は「声楽家」としてよりは寧ろ数多くの歌謡曲を手がけた歌手として活躍されていたことをずっと知らない儘であった。)吉田さんは「マーラーの歌」の文中で四家さんの「亡き子を偲ぶ歌」の歌唱に接したことに触れられているが、同じところで「子供の魔法の角笛」の歌唱者として挙げられている関種子さんについては、『決定版 マーラー』には収録されていない別の文章で触れられている。(ちなみに関種子さんもまた、ネトケ=レーヴェ門下であり、最初はクラシックの声楽家としてデビューするものの、やはり戦前には歌謡曲の歌手として活躍していて、コンサートでのマーラーの歌曲の日本初演もそうした文脈の中に位置づけて捉える必要があるように思われる。)本稿のタイトルに掲げた『永遠の故郷 真昼』(集英社, 2010)がそれである。この本はタイトルからは窺い知れないが、実際には収録されている文章の過半(11篇中6篇)がマーラーの歌曲に関するものであって、『すばる』に2007年から2009年にかけて掲載された以下の文章が収録されており、マーラーの歌曲を個別に取り上げた日本語の文献として大変貴重なものに思われる。

  • 「≪少年の不思議な角笛≫から」(初出:『すばる』, 2007年8月号)
  • 「マーラーの「ラインの歌」」(初出:『すばる』, 2007年10月号)
  • 「「ヴンダーホルン」とは何か」(初出:『すばる』, 2007年12月号)
  • 「≪パドヴァのアントニウスの魚説法≫」(初出:『すばる』, 2008年3月号)
  • 「間奏曲」(初出:『すばる』, 2008年4月号)
  • 「≪告別≫」(初出:『すばる』, 2009年5月号)

吉田さんは1913年の生まれ、2012年に98歳で逝去されているので、それに先立つこと5年から3年の、90歳を超えた、まさに最晩年の文章ということになるが、このうち最初の「≪少年の不思議な角笛≫から」において、関種子さんが≪少年の不思議な角笛≫の歌曲を演奏されたのに接した回想が語られているのである。以下、少し長くなるが冒頭から引用させて頂く。

「 マーラー(Gustav Mahler 一八六〇—一九一一)は≪少年の不思議な角笛 Des knaben Wunderhorn≫という詩集から十数編あまりを選んで音楽とした。その中の三篇は そのままの形で第二、第三、第四交響曲に組みこまれ、別の二篇は歌の声部をとり除いた器楽曲の形で、これまた第二、第三交響曲に一つずつ入っている。マーラーの場合――特に早いころの彼の場合、歌が交響曲のような大型の器楽曲の中に何の違和感もなくとりこまれていたことの良い例である。残りの中、十二篇は管弦楽つき歌曲として――ユニヴァーサル楽譜出版社などから――上下二巻のポケットスコアの形で発売されている。その中にも名作佳品が少なくなく、私はその幾つかをとり上げては折にふれてきく。」(上掲書, pp.53~54)

という要を得た概説を導入として回想に移る。

「最初にきいたのは、確か、過ぐる大戦のはじまる少し前のことだったように覚えている。そのころはまだ、ナチのユダヤ人狩りを逃れて日本に来たヨーゼフ・ローゼンシュトックが当時の東京のオーケストラの指揮者として活躍していた。」(同書, p.45)

その中の一つとして、「戦争に入って間もなくきいたモーツァルトの≪レクイエム≫」に触れた後、いよいよマーラーの演奏の話になる。

「それより少し前だったのではないか、ある時の定期演奏会のプログラムにマーラーの≪少年の不思議な角笛≫から二つか三つの歌がのったのは。マーラーは言うまでもなくユダヤ人だったから、ドイツならこんなことはもう不可能だったろうし、日本でも日独防共協定下どうかとと思われたかもしれないのに、ローゼンシュトックは敢えてマーラーをとり上げた。そうした、私はそんなことを全く考えもせずマーラーをきいて、すごくおもしろいと思った。

 歌ったのは確か関種子さん。ローゼンシュトックが例によって――当時流行の新即物主義のスタイルにそって、あんまり粘らず、あっさりと、しかし品の良い知的な指揮ぶりでバトンをふっている横で、小柄な彼女も、あんまりヴィブラートをかけない濁りのない純白な感じの発声で、はずむような軽快なリズムにのせて、マーラーの「疑似民謡調」の歌を歌っていた。」(同書, p.45)

この部分については様々な角度からコメントしたい点が多々あるが、当時の状況については、太平洋戦争開戦時の外相だった東郷茂徳(彼はもともと独文出身の異色の外交官で妻もドイツ人だった)が、ローゼンシュトックの来日にあたって少なからぬ手助けをしたことや、その後の日本においても何故か国策ニュース映画のBGMとして、マーラーの第二交響曲の録音(しかも敵国であるアメリカのオーマンディ指揮ミネアポリス管弦楽団の演奏である)が用いられていたことなど、それぞれ別に記事として取り上げているのでここでは割愛し、そうした外的状況ではなく、≪少年の不思議な角笛≫を「疑似民謡調」とさらりと形容している点に注目しておこう。あまりに長くなるので吉田さんの文章の引用は控えるが、この点は夙にアドルノが指摘していることでもあり、もともとのアルニムとブレンターノのアンソロジーの持つ屈折(アルニムが民謡に対して施した改作には、マーラーが歌曲を作曲するに際して歌詞をしばしば改変したこととの並行性を見出すことができよう)も併せて指摘されている点も含め、この曲集の持つ複雑な性格が的確に捉えられており、首肯でき、傾聴すべき点が多い。それでも敢えて私見を追加して指摘するならば、マーラーは更に「三重の意味での異邦人」の立場でそれに取り組み、音楽化したということを念頭におくべきだろうと思う。アドルノの言を借りるならば、それは若き日のマーラーにとって、後に「大地の歌」におけるベトゥゲの漢詩の追創作(nachdichtung)がそうであったように「仮晶」であった。吉田さんもまた別の文章(先に触れた1973年から1974年にかけて書かれた長大な論考「マーラー」)において、「旋律の知性化」として取り上げておられ、「ロマン主義者の夢見た自然と素朴の「喪失、解体」という明解な意識が、現実の正しい認識として、存在している事実を示している」(上掲の『決定版 マーラー』ではp.27)と述べるなど、マーラーの「旋律」を巡って極めて示唆に富んだ論考を展開しているが、そちらについて論じるのは本稿の範囲を大幅に超えてしまうので断念せざるを得ないので、ここではそれが高度の芸術意識の裏づけをもった「疑似民謡」(同書, p,56)であるに留まらず、吉田さんが別の歌曲≪シュトラスブルクの砦の上で Zu Straßburg auf der Schanz≫について的確に指摘した「「ここにないもの、あったけれど、いつか失われてしまったもの」をもう一度とり戻そうとする熱い望み」(同書, p.81)を背後に秘めているということを指摘するに留めたい。

 ところで吉田さんは、当日取り上げられた曲について記憶を辿りつつ、≪ラインの小さな言い伝え Rheinlegendchen≫と≪この小さな歌を思いついたのは誰だ Wer hat dies Liedlein erdacht?≫があったように覚えているのに対し、「もう一曲あったような気がするが何だったか」(同書, 同頁)と述べて候補として≪パドヴァのアントニウスの魚説法 Des Antonius von Padua Fischpredigt≫と≪トランペットが高らかに鳴り響くところ Wo die schönen Trompeten blasen≫を挙げているが、これはその後の話の展開――≪パドヴァのアントニウスの魚説法 Des Antonius von Padua Fischpredigt≫は別稿で取り上げられるし、≪トランペットが高らかに鳴り響くところ Wo die schönen Trompeten blasen≫については時代状況に照らした省察が繰り広げられ、文章の後半ではこの曲が専ら取り上げられることになる――に繋げるためにわざとそうしているのか、それとも過去の事(何しろ70年も前のことである)で本当に記憶が曖昧になっているのか、俄かには判断しがたいところがある。

 気になって調べてみると、森泰彦「日本におけるマーラー受容1924~1985—オーケストラ演奏記録が語るもの」(『ブルックナー・マーラー事典』(東京書籍, 1993)所収 , p.504)によれば、1938年1月9日の第187回定期演奏会でローゼンシュトック指揮の下、関種子さんが歌ったのはやはり三曲で、「ラインの小さな言い伝え」「この小さな歌を思いついたのは誰だ」とともに取り上げられたのは「無駄な骨折り」であったとのこと。森さんの論文は1993年には出版されているから、吉田さんは『すばる』寄稿の一連の文章を執筆するにあたり参照することは可能だった筈であり、そうでなくても吉田さんのような方が調べようと思えば、幾らでも調べられた筈なので、つい、話の行きがかり上、わざと記憶が定かでないふりをしたのでは、という勘繰りをしたくなる訳である。

 ついでなので、関種子さんの歌った3曲のうち Wer hat dies Liedlein erdacht?とRheinlegendchenとはマーラーの作品の最初期の録音で取り上げられる「定番」曲であったことも指摘しておきたい。特にWer hat dies Liedlein erdacht?の「人気」は突出しており、現在知られている限りで最も時期を遡る Grete Stückgoldの管弦楽伴奏による演奏(1915年説もあるが、そうでなくても1921年迄は遡れるようだ)がそうだし、Lula Mysz-Gmeinerがピアノ伴奏で歌ったもの(1925ないし1926)、同じくLula Mysz-GmeinerがJulius Dahlkeのピアノ伴奏で歌ったもの(1928)、更にはElizabeth SchumannがGeorge Reversのピアノ伴奏で歌ったもの(1930)がある。またRheinlegendchenもまた、Dol Dauber Salon Orchesterによる「歌唱なし」の録音(1928)があり、1931年にはHeinrich SchlusnusがHermann Weigertの指揮するベルリン国立歌劇場管弦楽団とともに演奏したものがあるといった具合である。ローゼンシュトックが1938年にマーラーの歌曲を採り上げるにあたって、そうした録音のことを知っていて念頭においていたかどうかはわからないし、そもそも何故この2曲なのか、色々と想像はできても確かなことはわからないまでも、少なくとも当時の「流行」のようなものがプログラムとして選択する背景にあったのではないかと推測される。

 そして吉田さんはその次の回で、今度はその2曲のうちRheinlegendchenを取り上げて、ここでも冒頭、関さんの歌唱の回想が綴られることになる。だがそれも、その後に個別に採り上げられる≪パドヴァのアントニウスの魚説法 Des Antonius von Padua Fischpredigt≫についての文章も、最後に句読点を打つべく書かれたかのような≪告別≫についての文章も、個別に採り上げて論じるのは別に機会に譲るとして、ここでは吉田さんの『永遠の故郷 真昼』所収のマーラーに関する一連の文章における指摘の中で、マーラーの個別の作曲に触れたものではないけれど、私見では極めて重要と思われる点について触れることでこの小文の結びとしたい。

 それは『永遠の故郷 真昼』のマーラーの歌曲に関する一連の文章の中での折り返し点を為す、「「ヴンダーホルン」とは何か」の中での、まさに題名通りの「不思議な角笛」についての指摘である。実際にはこの文書は、題名のテーマのみを扱っているのではなく、個別の作品としては「シュトラスブルクの砦の上で」が取り上げられているのだが、私が注目したいのは題名のテーマそのものに対する答の方で、その中でも特にヴァ―リヒのドイツ語辞典のWunderhornの項を調べて結果が報告されている部分である。

 曰く「ヴンダーホルンとは神話学的にいうと、決して飲みつくせない角型の容器」(上掲書, p.91)のこととされているというのである。更にグリムの辞典には「オルデンブルクのヴンダーホルン」という項目があり、これは1474年にケルンの金細工師が作った銀製のTrinkhorn(飲料を盛った角型の容器)であり、以下に示すアルニム=ブレンターノ篇の詩集第2巻のお馴染みの表紙の挿絵はまさにそれを描いたものだとのこと。


 更に吉田さんはグリムの辞典の記述を引き「グリムには、これが神話学的には幸福の象徴であり、花や果物を満載した容器で、多産性、豊穣、過剰などを意味するとある。」(上掲書, p.92)としており、「以上、「ヴンダーホルン」と名づけられたこの詩集は、手にとってみれば「汲めどもつきせぬ興趣あふれる読みもの」にほかならないのである。」(同)とまとめていて、勿論、そのことに異論の余地はないのだが、これを読んだ私は、別のあることを思い浮かべたので、それについて備忘のために書き留めておきたい。

 私の参照先は、レヴィ=ストロースの「クレチャン・ド・トロワからワーグナーへ」である(佐々木陽太郎訳が『現代思想 1985年4月 特集=後期レヴィ=ストロース」に収められており、私はそれを参照している)。レヴィ=ストロースによれば、「聖杯伝説」の聖杯(グラール)とは、ケルト神話に由来しており、「グラールは奇跡をうむ器のひとつととらえることができよう。すなわち、皿にせよ、籠、丼、角杯、鍋にせよ、それを用いる者は尽きることなく食物を手にし、あまつさえ不滅の生命を手にいれることもないではない」(上掲書, p.43)。もうおわかりのことと思うが、私が指摘したいのは、ヴァ―リヒやグリムの指摘に従えば、「子供の魔法の角笛」は、ワグナーの「パルジファル」のベースとなった神話における聖杯(グラール)に他ならないということに尽きる。

 アルマの回想録などから、マーラーは「パルジファル」の元となった伝説、特にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩は読んでいたらしいが、だからといって、両者に存在する疑いようのない連関に気づいていたかどうかは別の問題だし、そもそも自分の歌曲の題材である民謡詩集の題名と、ワーグナーの最後の舞台作品の元となる伝説に関係があったところで、それが直接的にマーラーの創作に関して何かを解き明かす鍵になるわけではないだろう。だがそうであったとしても、アルマの回想に収められたイダ・デーメル(詩人のリヒャルト・デーメル夫人)の日記が証言するところによればマーラーにとっては「幼いころから特別な因縁があった」それ、「完成された詩ではなくて、だれもが思いのままに鑿をふるえる岩の塊」であった「子供の魔法の角笛」(吉田さんの拘りにも関わらず、この文脈を踏まえた時、私は敢えて「少年」よりも「子供」を、「不思議」よりも「魔法」のニュアンスを採りたいように感じる)という詩集は、彼がそこからかくも豊かな作品を彫りだすことができた「汲めどもつきせぬもの」=「聖杯」であったということは言えるだろう。

 だが更に今一度、レヴィ=ストロースに立ち戻り、彼が「オイディプス神話」と対比させつつ「ペルスヴァル神話」に何を見出していたか、更にまた、マーラーが良く知っていたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハとワグナーが、聖杯(グラール)に対する問いをどのように変換したと指摘しているかを確認してみよう。

「ひとも知るように、ワーグナーは提起されることのない問いというモチーフにたじろぎを覚えた。同じ機能を果たしながらも、いわばその逆をゆくような別のモチーフに切り換えている。意思疎通が保証、確立されるに至るのは、知性の働きによるわけではない。感情面での自己同一化が鍵になる。パルジファルはその存在の根にあるドラマに「いま一度立ち会う」までは、グラールの謎を「理解」せず、それはいつまでの解けないままだ。まさしく、ドラマは破れ目をなす。そして、主人公は生身に痛いほどドラマを感じており、したがって、もはや単に此岸と彼岸とのあいだにあるだけではない。感受性と知性、苦しみにもがく人間と他の生の形態、世俗の価値と霊性の価値のあいだにあるといわざるを得ない。こうして、ワークナーはショーペンハウアーから、一気にジャン・ジャック・ルソーと合流する。ルソーこそは憐憫、および他者との自己同一化を、社会生活と分節言語の出現に先だつ意思疎通の原初の様態とみなしたはじめての人物である。それによって、人間は互いに、また他のあらゆる生の形態と結びつくことができるという次第だ。」(同書, p.55)

  上記を踏まえて今一度確認しよう。なぜ「仮晶」でなくてはならないのか?それはもう明らかなことだろう。答えは以下のようなものになるのではなかろうか。「提起されることのない問い」を問うことは、子供、さすらい人、異邦人、故郷を持たぬ者によってのみ可能になるから。アドルノがマーラーについて論じたモノグラフの末尾で、まさに「子供の魔法の角笛」歌曲集を念頭に置きつつ「隊列からはずれた人々、踏みつけにされた人々だけが、また見捨てられた前哨兵や美しいトランペットの音で埋葬された者、あわれな鼓笛兵、まったく自由ではない人々こそが、マーラーにとっては自由を体現している。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.205)と述べたように、聖杯(グラール)に神話的な機能を取り戻すことを可能にするのは、排除され、疎外された者にしか可能でないから、それは「仮晶」であるときにしか、「ありえたかもしれない民謡」である時にしか「聖杯」ではありえないからなのだと。

付記:なお「ありえたかも知れない民謡」としてマーラーの歌曲を捉えようとした小文として「「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書」があります。併せてお読み頂ければ幸いです。また、マーラーの音楽におけるワーグナーの「パルジファル」との関連についても、アドルノが既に指摘していますが、こちらについては「アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及」をご覧いただければと思いますが、そこにおいて結節点となっているのが、まさに「子供の魔法の角笛」に基づく第3交響曲第5楽章であることを申し添えておきたく思います。

(2025.4.6 公開, 4.7,10 付記)