2024年11月21日木曜日

MIDIファイルを入力とした分析補遺:五度圏上での和音重心の軌道の相関積分の計算結果(拍毎・楽章毎)

  1.はじめに

 記事「MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の軌道の相関積分の計算結果」において、五度圏上での和音重心の軌道に基づく作品分析の一つのアプローチとして、時系列データの非線形解析の手法の一つとして知られているGrassberger-Procaccia法(GP法)を用いた相関積分の計算結果を報告しました。そこでは、マーラーの交響曲11曲について、曲毎に小節頭拍における和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での重心の軌道について相関積分を行いました。本稿ではその補遺として、楽章毎、拍毎の和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での重心の軌道について相関積分を計算した結果を報告します。GP法および相関積分そのものの説明や実験条件の設定にあたっての検討事項等は前回記事と変わりませんので、その詳細については上記記事を参照頂くこととして、ここでは結果の報告だけを行います。

2.実験の条件

対象とする時系列データ:マーラーの交響曲全11曲の五度圏上で和音の重心の軌道データを対象とします。重心計算にあたり五度圏上の各音の座標は、Des=(1,0), E=(0,1), G=(-1,0), B=(0,-1)とし、和音の構成音のピッチクラスの集合につき重心を計算した結果を用いています。和音のサンプリング間隔は、各拍毎のものと、各小節の頭拍毎のものがありますが、今回対象としたのは各拍毎のものです。

また今回は楽章単位に計算を行うこととし、「大地の歌」、第10交響曲のクック版(5楽章)を含む全11曲の計50楽章のデータを対象としました。マーラーの交響曲楽章は30分を超える長大な楽章もあれば、数分のものもあり規模のばらつきが大きいことが特徴ですが、ここでは長短によらず楽章毎に1系列として計算を行いました。各データの系列長は短いもので数百ステップ、長いものでは数千ステップとなります。

相関次元というのが極限で定義されていることからうかがえるように、本来このような分析は、実数値をもつ変数の時系列データが膨大に存在することが前提とされているのに対し、ここで対象となっている音楽作品について言えば、限られた数のデータしかないこと、しかもそれは実世界での測定値であるが故の限界ではなく、作品として固定された有限の長さを持つ音の系列が対象であるが故の制限であり、それを踏まえればそもそもが目安程度の意味合いしか持ちえないことに留意する必要があります。

特に数百ステップのものはGP法を適用する対象としては系列長が短すぎるとされていますが、ここでは相関次元の計算は行わず、単に相関積分を計算しただけということもあり、また計算結果を見る限り、相関積分の傾きのグラフに平坦部分が見られるのは、寧ろ相対的には短く、単純な繰り返し音形が多く、楽式的には3部形式のような繰り返しを持つものが多かったことから、全ての計算結果を公開することにしました。

対象データは五度圏平面の座標であり、x,yの2次元のデータですが、相関積分の計算にあたっては、元の2次元データを対象とするのではなく、x, yそれぞれについて別々に時間遅れ座標系を用いて再構成した相空間における相関積分値を求めることにしました。

遅れ幅の設定:上記のように使用する五度圏上で和音の重心の軌道データは拍毎でサンプリングしたものですので、遅れ幅は1ステップ=1拍として計算を行いました。

埋め込み次元:曲単位での計算実験と同様、m=1~10とします。

半径の設定:曲単位での計算実験と同様、r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みとします。

距離の定義:曲単位での計算実験結果を踏まえ、より安定していると思われるユークリッド距離を用いました。

実際の計算にあたっては、対象とする座標データ(<-1=x,y<=1)を更に0~1の区間に規格化したものを用いて相関積分値の計算を行いました。

相関積分の値と半径rとで両対数プロットをして、傾きが直線的に安定している部分の傾きが相関次元になります。傾きの変化の確認のために、相関積分の値と半径rとの両対数プロットに加え、傾きの大きさと半径rの両対数プロットも行うことにしました。


3.計算結果

相関指数を求めるための傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)は多くの楽章で見出せませんでした。また埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向も明確には確認できない楽章が多いようです。以下に一例として第6交響曲第1楽章と第9交響曲第1楽章の重心軌道のx座標の相関積分値の傾きの曲線を示しますが、特に後期作品の楽章は概ね似たような傾向にあります。


その一方で、初期作品を中心に、幾つかの楽章では、明確ではないものの、傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)が短いながらも見られたり、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向が窺えたりするケースもありました。以下は第1交響曲第1楽章のy座標の軌道の相関積分値の傾きです。


後期作品の中では「大地の歌」の中間楽章、中期では第5交響曲第4楽章や第6交響曲第3楽章などに同様の傾向が見られます。それらの共通点としては、繰り返し音形が多く、楽式的には3部形式のような単純なものが多いように思われますので、それらの共通点を調べることによって説明ができるかも知れませんが、この報告では後日の課題に留めたく思います。



但し、それではこのような傾向が見られるのは短く形式的に単純な楽章に限られるかと言えば、必ずしもそうではなく、上掲の第1交響曲第1楽章もそうですし、例えば以下に示す第3交響曲第1楽章のような長大で錯綜とした形式を持つ楽章でも、明確ではないながら、傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)が短いながらも見られたり、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向が窺える場合もあります。全般としては、特に第1~第3交響曲までの初期作品により多く見られる傾向のように思われます。しかしながら、こうした傾向が共通の原因に基づくものなのかも含めて、詳細な分析・考察は後日の課題として、ここでは結果の報告のみに留めさせて頂きます。


4.公開データの内容

本報告で報告した実験に関連するデータは、公開したアーカイブファイルgm_euclid_correlation_integral_grvA.zip に含まれています。

解凍すると以下のフォルダ・ファイル構成になっています。
  • in:入力データ。各交響曲楽章の重心の遷移軌道(x軸、y軸別)
  • result:各交響曲楽章の相関積分値(x軸, y軸別、埋め込み次元m=1~10および相関積分を行った半径(いずれも対数表示。csv形式)。
  • plot:各交響曲楽章毎の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)を埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • slope:各交響曲楽章毎の相関積分値(y軸)の傾きを埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • gm_sym_grvA.xls:(参考)五度圏上での和音重心の遷移の座標値データとグラフ表示(楽章毎)
(2024.11.21 公開)
[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2024年11月8日金曜日

MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の軌道の相関積分の計算結果(2024.11.21更新)

 1.はじめに

 記事「MIDIファイルを入力とした分析:五度圏上での和音重心の原点からの距離の遷移のリターンマップ」において、ピッチクラスのセットとしての和音について、五度圏上でその構成音の重心を計算した結果に基づいてリターンマップを作成した結果を報告しました。但しそこでは作成したリターンマップの公開はしましたが、五度圏上での和音の重心の軌道の遷移のプロットと同様、例えばそれを分類することによって対象となっている作品の特徴づけをするといった点について具体的な手がかりがなく、実施できていませんでした。本稿では五度圏上での和音重心の軌道に基づく作品分析の一つのアプローチとして、時系列データの非線形解析の手法の一つとして知られているGrassberger-Procaccia法(GP法)を用いた相関積分を計算してみましたので、その結果を報告します。

 GP法はカオス力学系の時系列解析の手法として良く知られており、多くの書籍やWebページで紹介されています。本稿で報告する実験にあたっても、合原一幸編『カオス時系列解析の基礎と応用』(産業図書)のような書籍や北海道大学の井上純一先生の「2011年度 カオス・フラクタル 講義ノート」(その第9回の後半が相関積分・相関次元の解説でC言語によるサンプルコードもついています)等のWebの情報を参考にしてプログラムを自作してColaboratoryのノート上で計算機実験を行いました。そこでGP法自体の説明はそれらに譲ることとし、ここでは実験内容の報告のみに限定させて頂き、ごく簡単な説明に留めさせて頂きます。

 GP法は非線形解析法のうち、「埋め込み定理」を用いて高次元空間にアトラクタを構成し、相関積分という統計量から相関次元を求めることによって、カオス力学系の特性の一つである自己相似性の有無を把握するための手法です。相関積分の結果に基づき、相関積分曲線の直線部分(つまり傾きのグラフがプラトーとなる区間)について埋め込み次元毎に相関指数を求め、相関指数が次元が高くなるにつれて飽和が起きている時に相関次元が求まります。

 しかしながらどんな系であっても相関次元が計算できるわけではなく、例えばランダムな系では相関指数の飽和が起らないことが知られています。また数学的カオスモデルのノイズのない時系列データの相関積分曲線は直線となるため、任意の位置で相関指数の計算が可能ですが、実データの場合には明確な直線部分が確認できないことがあるため、Scaling Regionと呼ぶ範囲を設定して相関指数を計算することになりますが、明確なScaling Regionが確認できない場合もあります。

 結論から言えば、本稿で報告するマーラーの交響曲の五度圏上での和音重心の軌道の時系列データの相関積分結果については相関積分曲線や傾きのグラフから確認出来る限り、明確なScaling Regionが確認できない場合がほとんどであり、また埋め込み次元が高くなった時に一定の傾きに収束する傾向についても同様で、妥当性を持った相関指数の計算は困難なようです。その限りでは、カオス力学系におけるような自己相似性について特段報告に値するようなことは確認できなかったことになります。

 その一方で、相関積分曲線や傾きの曲線をプロットした結果から、これまでに和音の出現頻度分布やエントロピーの分析と同様、マーラーの交響曲を創作時期に沿って眺めた時に、その変化に一定の傾向が現れていることが確認できましたし、相関指数の計算ができないとはいえ、ランダムな場合と比べた時、その相関積分曲線や傾きの曲線は明らかに異なる特徴を持っており、そこから読み取れることがあるように思います。また、実験条件が不適切なために意味のある結果が得られていない可能性もあるでしょう。

 更に言えばそうした結果以前の問題として、相関次元というのが極限で定義されていることからうかがえるように、本来このような分析は、実数値をもつ変数の時系列データが膨大に存在することが前提とされているのに対し、ここで対象となっている音楽作品について言えば、限られた数のデータしかないこと、しかもそれは実世界での測定値であるが故の限界ではなく、作品として固定された有限の長さを持つ音の系列が対象であるが故の制限であり、それを踏まえればそもそもが目安程度の意味合いしか持ちえないことに留意する必要もあると思われます。(但し後述のように、今回対象としたマーラーの交響曲作品は長大であることから、小節拍頭での和音の遷移の系列の長さは1作品につき1000~3000程度となりますので、適用対象としてそもそも不適切で、計算結果を検討することに全く意味がないというレベルではないと考えます。)

 そこで上記の制限を踏まえたうえで、実験条件とその結果を報告するとともに、得られた結果から読み取れると考える点についてコメントを付することによって、問題提起とさせて頂くことにした次第です。

2.実験の条件

対象とする時系列データ:マーラーの交響曲全11曲の五度圏上で和音の重心の軌道データを対象とします。重心計算にあたり五度圏上の各音の座標は、Des=(1,0), E=(0,1), G=(-1,0), B=(0,-1)とし、和音の構成音のピッチクラスの集合につき重心を計算した結果を用いています。和音のサンプリング間隔は、各拍毎のものと、各小節の頭拍毎のものがありますが、今回対象としたのは各小節の頭拍毎のものです。

元の計算結果は(attaccaの有無によらず)各楽章単位ですが、今回は作品全体での軌道の遷移について計算対象とするために、楽章毎の計算結果を連絡して、交響曲1曲毎に1系列として、「大地の歌」、第10交響曲のクック版(5楽章)を含む全11曲の11系列のデータを対象としました。従って、各データの系列長は作品全曲合計の小節数(1000~3000程度)となります。

対象データは五度圏平面の座標であり、x,yの2次元のデータですが、相関積分の計算にあたっては、元の2次元データを対象とするのではなく、x, yそれぞれについて別々に時間遅れ座標系を用いて再構成した相空間における相関積分値を求めることにしました。

遅れ幅の設定:上記のように使用する五度圏上で和音の重心の軌道データは各小節頭拍でサンプリングしたものですので、遅れ幅は1ステップ=1小節として計算を行いました。

埋め込み次元:m=1~10とします。

上記より、例えばτ=1、m=3なら、「現在の小節先頭の和音・1小節後・2小節後」を座標とした3次元の相空間を構成し、そこでの軌道を眺めていることになります。この相空間上での任意のステップについて、そのステップの座標とそれ以外のステップの座標との距離を計算して、設定した半径rの中に含まれる点の数を数え、それを全軌道の点について積分したものが相関積分となります。

半径の設定:r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みとします。

積分計算を行う半径rの範囲はデータに依存して経験的に決める必要があります。半径がある程度大きくなると他の軌道の他の全ての時点の点が近傍に含まれる飽和状態になり、半径がある程度小さくなると近傍にごくわずかしか点がない、ないし全く点がない状態になり、今回は予備実験を行った結果、概ね両端で飽和状態とノイズが入った状態とが確認できる上記の範囲について計算を行うことにしました。

距離の定義:最初にマンハッタン距離で計算をしましたが、結果が不安定なケースが見受けられ、また半径の設定が困難なケースがあったため、ユークリッド距離での計算も行いました。両方の結果データを公開しますが、結果の検討は主として、相対的に安定した結果が得られているユークリッド距離の計算結果で行います。

実際の計算にあたっては、対象とする座標データ(<-1=x,y<=1)を更に0~1の区間に規格化したものを用いて相関積分値の計算を行いました。

相関積分の値と半径rとで両対数プロットをして、傾きが直線的に安定している部分の傾きが相関次元になります。傾きの変化の確認のために、相関積分の値と半径rとの両対数プロットに加え、傾きの大きさと半径rの両対数プロットも行うことにしました。

比較実験:1.はじめにに記載した通り、相関積分の計算結果は、明確なScaling Regionが確認できない場合がほとんどであり、また相関積分曲線や傾きのグラフから確認出来る限り、埋め込み次元が高くなった時に一定の傾きに収束する傾向はあるものの、明確な収束は確認できず、妥当性を持った相関指数の計算は困難であることがわかりました。そこで寧ろランダムな系との違いを確認することにフォーカスすることとし、比較のために似たような条件のランダムな系列を用意して相関積分を求め、その結果との比較を行いました。具体的には以下のような条件で乱数の系列を発生させて、その系列について相関積分を求めることにしました。

系列長N=1000,2000,3000の3種類(全ての交響曲の系列長は1000~3000の範囲に収まることから)、遅れ幅τ=1、埋め込み次元m=1~10、半径r=0.1~2.0の範囲で0.1刻み、マンハッタン距離・ユークリッド距離の両方で相関積分値を計算。

五度圏上で和音の重心の軌道の取り得る座標値は、五度圏の範囲の任意の実数というわけではなく実際に取り得る値は限定されます。そこで第9交響曲をサンプルに、出現するx座標値,y座標値の異なり数を求めて、その結果に基づき0~200の整数の乱数を系列長分発生させ、発生した系列を0~1の浮動小数点数に規格化します。遅れ幅は作品の場合と同様τ=1とし、やはり作品の場合と同様に、埋め込み次元m=1~10について、半径r=0.1~2.0の範囲で0.1刻みで相関積分値を計算しました。理論上は系列長の影響はない筈ですが、疑似乱数による計算の場合に計算結果には違いが生じることを考えて、シードを固定せず、3種類の系列長での疑似乱数列の相関積分値をマンハッタン距離とユークリッド距離で計算して、作品の相関積分結果との比較を行いました。結果的には系列長による違いはほとんどありませんでした。

3.計算結果

計算結果の要約となる、埋め込み次元m=10, ユークリッド距離での相関積分結果について、半径と相関積分値を両対数プロットしたものをもとに、半径をx軸、傾きをy軸として、五度圏上のx座標の軌道の相関積分結果と五度圏上のy座標の相関積分結果を単純に加えたものをプロットした結果を示します。レジェンドはそれぞれ
  • m1~10 :第1交響曲~第10交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • rnd:疑似乱数, N=2000
  • rnd1000:疑似乱数, N=1000
  • rnd3000:疑似乱数, N=3000
を表します。色が巡回して用いられているので、m1~4とerde/rnd/rnd1000/rnd3000に同じ色が割当たっていますが、x=-0.4より左側が欠損していて、いずれもx=-0.4の時、y=10に近い値となっているのがrnd/rnd1000/rnd3000であり、m1~3はx=-0.4あたりでy=4くらいの値で傾きが最大となっている、傾きが小さいグループであり、この傾向は全ての場合に共有していることから、比較的容易に判別可能です。

一見して明らかなように、相関指数を求めるための傾きが一定になる平坦な領域(Scaling Region)は見出せません。またいずれの作品においても、埋め込み次元の増大に従い、傾きが一定に収束する傾向も明確には確認できません。(以下に一例として第9交響曲の重心軌道のx座標の相関積分値の傾きの曲線を示します。)その一方で、疑似乱数列の相関積分曲線と比較した場合に、その傾きの違いは明らかです。また興味深いことに、傾きの最大値に注目すると、大まかにではありますが初期の交響曲から後期の交響曲へと行くに従って大きくなっていく傾向があり、第1,2,3交響曲/第4~8交響曲+「大地の歌」/第9,10交響曲の3グループに分かれるように思います。なお、第10交響曲は第9交響曲に比べて、寧ろそれ以前の作品に戻っているように見えますが、これには未完成作品であること、例えばプルガトリオ楽章がマーラーの作品のとしては例外的なDaCapoを持つ楽式であることなどが影響している可能性が考えられます。


一方、以下に示すように第1交響曲の重心軌道のx軸においてのみ、短い区間ではありますが、平坦に近い領域が確認できます。その傾きの大きさは1.0程度で、自己相似的な構造を存在を示唆するものかも知れません。


なお楽章毎の相関積分値についても一通り計算していますが、その結果の中にも同様に、平坦に近い領域が確認できるケースがあります。それらの共通点としては、単純な繰り返し音形が多く、楽式的には3部形式のような繰り返しを持つものが多いように思われますので、それらの共通点を調べることによって説明ができるかも知れませんが、この報告では後日の課題に留めたく思います。現時点では、それらの共通点として、平坦に近い部分の傾きが小さい(1.0かそれ以下)であることを踏まえると、自己相似性が認められるにしても、それはカオス的なものとは異なるメカニズムによって生じている可能性も考慮すべきと考えています。

GP法は時系列データのフラクタル次元の推定の方法であり、相関積分の計算はその中で相関次元を求めるためのステップとなっています。但し、相関次元が計算できるためには相関積分の結果が一定の条件を満たしていることが必要であり、全ての場合に相関次元が求められるわけではありません。しかしながら相関次元を求めるための条件を満たしていない場合でも、相関積分の結果から対象となっている系の特徴についての情報を得ることができるのではないかと考えます。当然のことながら一般には系が自己相似性を持つかどうかという点にフォーカスした解説がされ、自己相似性を持つ系との比較として疑似乱数列の相関積分結果が参照されることが専らですが、自己相似性は持たないが、ランダムな系とも異なる特徴を持った相関積分結果が得られる場合も当然あり得て、今回の結果はまさにそのケースに該当します。

それでは、今回の相関積分の計算結果からどのようなことがわかるでしょうか?疑似乱数列の相関積分結果と比較した時に確認できることは、疑似乱数列の場合に比べて、
  •  半径に対する積分値の傾きが小さく
  •  一定の半径で傾きがの拡大が止まってその後傾きが減衰する
ということかと思います。そして作品間での
  •  半径の変化に対する積分値の傾きおよび傾きの変化の度合いの違い
  •  傾きの拡大が止まった点での最大値の違い
にも明らかな差があるように思われます。ユークリッド距離とマンハッタン距離の両方での計算結果でもそれらは一貫しており、いずれも作品の和音系列の持つ特徴を反映したものと考えられます。

一般に、ここでの計算結果は、ある時点の和音を中心としてみた場合に、その和音の周辺に別の和音がどのように分布しているかの傾向の反映とみることができます。超球の半径を小さくすれば、体積が小さくなるからそこに含まれる和音の数は減りますが、近くになればなるほど存在する和音の密度が高くなるような分布の偏りがあれば、半径の減り方に対する積分値の減少の割合は緩やかになります。また埋め込み次元mは、時間的に離れた場所での分布をどの程度考慮するかの度合いを表していて、次元が深ければ時間幅が広くとられるので点の数は当然増えますが、例えば時間が経っても一定の割合である和音の近傍で和音が鳴ることがあって、その割合が多ければmを大きくした時に積分値は大きくなるし、また半径が小さくなったときに近傍の和音の密度が急速に上がれば、傾きの減衰はmが大きい程早く現れるでしょう。

疑似乱数列の場合には、半径の変化に対して近傍にある和音の分布は一定だし、次元の変化に対しては時間的に遠くにおいてもやはり分布が一定だとすると次元が増えるに従って積分値は累積されます。逆に半径を小さくすれば和音の数は減り、積分値の減少幅はどんどん大きくなり、半径が一定以上小さくなると、近傍には和音が一つもなくなります。上掲のサマリーにおいて半径が対数表記で-0.4より小さくなった時に結果が欠損するのが、まさに後者のケースに該当します。一方、次元を大きくすると時間的に離れた場所での状態が累積されるから、積分値の変化幅な次元数に応じて単調に大きくなり、最後には飽和(全ての点が超球の中に含まれる状態)します。

一方、音楽作品の場合にはある和音の近傍の和音の分布は半径の変化、次元の変化に対して常に一定ではありません。一般には半径が小さくなれば、急激に近傍に存在する和音の数は増えるでしょうし、その時、次元が大きければ和音の数の増加は更に急になるでしょう。半径に対する積分値の傾きが小さくなるという上記の観察は、和音の系列が規則的で、ある和音の近くに音が偏って存在していれば、半径の減り方に比べて球の中の和音の数は急には減らないので傾きは緩やかになると考えられます。また一定の半径で傾きがの拡大が止まってその後傾きが減衰するという傾向については、和音の分布に偏りがあって、各和音の近傍について、ある半径を境に急激に和音の密度が高くなるような状態を考えると説明できるように思います。

このように考えれば、作品間での半径に対する積分値の傾きおよび傾きの変化の度合いの違いや傾きの拡大が止まった点で傾きの変化の度合いの最大値の違いは、各作品の和音の系列における和音の選ばれ方の規則性、常に同じような選択が行われるのか、多様性に富んでいるのか?等々を反映した違いであるということになります。これらは自己相似性を持つかどうかとはまた別の特徴であり、GP法における相関積分計算の目的からは外れているかも知れませんが、自己相似性があるか、カオス的な振舞をしているかどうかとは別に、計算結果から作品の特徴を確認することはできると考えます。但し、そうした計算結果の傾向が具体的な作品の和音の状態遷移のどのような点に由来するのか等、具体的な点については現時点では明らかではありませんので、後日の課題としたいと思います。

また今回の実験では、1.はじめににおいて示した文献においては、ローレンツ写像やエノン写像について、元々は3次元の時系列データに対して、ある一つの次元について遅れ幅を設定した再構成を行って得られた相空間に対してGP法を適用しているのに倣って、五度圏の平面における和音(ピッチクラスセット)の重心の軌道のx座標、y座標の系列を独立の時系列データとして別々に相関積分結果を計算して結果をプロットしました。その結果はx軸、y軸とも似たような結果が得られることもあれば、そうではない場合もあるので、作品全体としての特徴を把握するという観点から、更にx座標系列、y座標系列の相関積分結果の平均をとって作品間や疑似乱数列の場合と比較していますが、このやり方が妥当性やより良い評価方法があるかどうかについても、後日の課題としたいと思います。

なお現時点では、この点について思い浮かぶのは、GP法に替わる他の次元推定法の一つであるJudd法(J法)が前提としているようなアトラクタの構造についての仮定です。Judd法はカオス的なアトラクタは、自己相似構造をもつフラクタルと滑らかな多様体の直積の構造を持つと仮定しています。つまり、ある方向には多様体だが、それと直交する方向には、例えばカント―ル集合のようなフラクタル構造となっていると仮定するのですが、これは、上掲の合原編『カオス時系列解析の基礎と応用』(p.148)によれば多くのカオス力学系で成り立っているとのことです。ここでの元の空間の次元は二次元に過ぎませんが、以下でも述べるような作品の調性構造に基づく重心軌道の偏りを考えた時、特定の方向について自己相似性が現れ、それと直交する方向には現れないというようなことは十分に考えられるように思えます。ここでは元の空間での軌道についてではなくx軸, y軸それぞれについて遅れ幅を設定して相空間に変換して、その結果を眺めているわけですが、その結果についても、x,yの一方についてのみ自己相似性を示唆するような結果が現れるということはあり得るように思います。実際に計算結果を見ても、上掲の第1交響曲の場合は、例示したy軸方向についてのみ平坦部分が現れ、x軸方向には現れませんし、楽章毎に計算した結果で平坦部分が現れるケースも、一方の軸について現れているように見えます。そしてこの点を重視するのであれば、x軸, y軸の相関積分の平均をもってその作品の特徴づけを行うというのは、重要な特徴を見えにくくしてしまっている可能性があり、不適切であると言うことになるかも知れません。とはいえ現時点で言えそうなことはここまでですので、今回の報告では示唆に留め、本格的な検討は今後の課題とさせて頂くことにした次第です。

この点に関連してついてもう一つ検討点を挙げるならば、五度圏におけるx軸、y軸の定義にそもそも任意性があることに対して、どう対応するかという点が挙げられます。2.実験の条件に記載した通り、五度圏上の各音の座標は、Des=(1,0), E=(0,1), G=(-1,0), B=(0,-1)として計算していますが、座標の取り方には任意性があります。一方で、マーラーのように(多分に逸脱はあるものの)伝統的な調組織に基づく作品の場合、基本となる調性(主調)に応じて重心の軌道には偏りがあります。従って主調に応じた座標変換(回転)を行う方が比較する上では望ましいかも知れません。但し、マーラーの交響曲の場合には、曲の開始の調性と終了の調性が異なる、所謂「発展的調性」が普通なため、各曲の主調についてはそもそも議論がありますので、古典期以前の作品のように曖昧さなく回転量を決められるわけではありません。一方で主調・属調・下属調の関係は五度圏上では60度の範囲に収まること、90度以上の回転については対称性があるため考える必要がないことを踏まえると、元データを一定の量(例えば60度)回転させたものについて計算を行って、オリジナルのx,y座標の結果と併せて4種類の結果を見ることで、座標の取り方の任意性の影響を防ぐことができるのではないかとも思います。こうした点の詳細な検討もまた、今後の課題としたく、ここでは問題の提起のみに留めます。

4.公開データの内容

本報告で報告した実験に関連するデータは、以下の2つのアーカイブファイルに分けて公開しています。

gm_euclid-correlation_integral_grvB.zip:ユークリッド距離による相関積分計算結果
gm_manhattan_correlation_integral_grvB.zip:マンハッタン距離による相関積分計算結果

いずれも解凍すると以下のフォルダ・ファイル構成になっています。

  • in:入力データ。各交響曲の重心の遷移軌道(x軸、y軸別)
  • result:各交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の相関積分値(x軸, y軸別、埋め込み次元m=1~10および相関積分を行った半径(いずれも対数表示。csv形式)。
  • plot:各交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)を埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • slope:各交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の半径(x軸)毎の相関積分値(y軸)の傾きを埋め込み次元m=1~10についてプロットした画像(jpeg形式)。
  • summary:全交響曲の相関積分値の傾きの比較グラフ(jpeg形式)。埋め込み次元別(m=7,8,9,10)
  • compare:全交響曲および疑似乱数列(N=1000,2000,3000)の相関積分値の傾きの比較(jpeg形式)。埋め込み次元別(m=7,8,9,10)
  • gm_sym_grvB.xls:(参考)五度圏上での和音重心の遷移の座標値データとグラフ表示(楽章毎)

(2024.11.8 暫定版公開, 11.10,11 3.計算結果に考察を追記して更新, 11.21誤記の修正)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2024年9月18日水曜日

MIDIファイルを入力とした分析補遺:ピアノロールデータの公開(2024.9.20更新)

1.本稿の背景

 マーラー作品のMIDI化状況についてのWebでの調査結果を2016年1月3日に公開後、2019年9月に「MIDIファイルを入力としたマーラー作品の五度圏上での重心遷移計算について」と題して、それまで実施してきた五度圏上での重心遷移計算の結果について報告するとともに、重心計算の元となったMIDIファイルから抽出した基本データについても公開しました。MIDIファイルからのデータ抽出や抽出されたデータの加工はC言語による自作のプログラムで、データ分析はR言語で行って来ました。近年機械学習やデータ分析はPython言語で構築されるのが一般的ですが、PythonでMIDIデータの操作をする場合にはpretty_midiIというライブラリを利用できることがわかった(書籍での紹介例としては、2023年10月発行の北原鉄朗『音楽で身につけるディープラーニング』, オーム社があります)ので調べてみると、pretty_midiIではMIDIデータの読み書きが出来るだけではなく、ピアノロール配列を作成する機能があり、更に拍(beat)毎、強拍(downbeat)毎のピアノロール配列の作成も容易にできることがわかりました。

 pretty_midiは、公式ページ(pretty_midi 0.2.10 documentation)によれば2014年の論文Colin Raffel and Daniel P. W. Ellis. Intuitive Analysis, Creation and Manipulation of MIDI Data with pretty_midi. In 15th International Conference on Music Information Retrieval Late Breaking and Demo Papers, 2014 で報告された時点でベータリリースされていたようですから、実は私がMIDIファイルを入力としたデータ分析を企図した時点で既に利用可能であり、最初から選択肢として存在していた筈なのですが、プログラミング言語としてはC言語が一番身近で、データ分析環境としてはR言語をずっと用いてきたこともあり、偶々当時、C言語でのMIDIデータの操作についての情報を取得できたことからC言語でプログラムを自作してしまったために、MIDIデータの操作に関して他の手段を調査するということをして来ませんでした。その後、本稿に直接関連するところでは、Google Magentaによる機械学習の実験をGoogle Colaboratory上で試行したことがきっかけで、Colaboratory上でPythonのコードに触れるようになりました。現時点ではMagentaをColaboratory上で動かすことができなくなってしまっていますが、その代替手段として自分でPythonのライブラリを使って機械学習の実験を行うことを企図しているうちに、既存のデータ分析もColaboratory上に統合できれば便利だと思うようになり、ようやくPythonでのMIDIデータの操作に関する調査を行うことにした、というのが経緯となります。

 早速Colaboratory上でpretty_midiIライブラリを使って、これまでマーラー作品の分析で用いてきたMIIDIファイルを読み込んで、ピアノロールを作成することができるようになり、更に拍(beat)毎、強拍(downbeat)毎のピアノロール配列の作成をして、結果をMIDIファイルとして出力することができるようになったのですが、テストしているうちに、基本セットのMIDIファイルの中に読み込みエラーが発生するものが出てきました。自作のC言語プログラムでは問題なく読めていたファイルであり、原因は個別に調査が必要ですが、自作のC言語プログラムの方は、こちらはこちらで読み込みエラーが発生するMIDIファイルが存在します。偶々、分析に利用している基本セットにはエラーが発生するファイルが含まれなかった、というよりは読み込みエラーが発生するようなファイルは除外するような形で基本セットを構成してきたということになりますが、MIDIファイルを作成した際のシーケンサ等のプログラムの仕様によるものか、全てのファイルが読み込める訳ではないというのは、現時点ではde facto standardであるpretty_midiIでも既に生じているし、今後更に別のファイルでも生じうる可能性はあるわけで、仮にpretty_midiIの仕様が機能的には完全に上位互換であったとしても、自作のプログラムは代替手段として無意味ではなさそうです。

 本ブログでの分析に関連する具体的なところでは、例えば第9交響曲第2楽章、第3楽章のMIDIファイルをpretty_midiIで読み込むとエラーが発生してしまうため、ピアノロール形式のデータの作成自体できませんので、自作のプログラムの出力結果で代替する他ありません。客観的には調査不足のために車輪の再発明をしてしまったということになるのかも知れませんが、結果的には全くの無意味というわけではなかったことになりそうです。更に言えば、他人の作成したライブラリに依存した環境だと、ある日突然動かせなくなるということが起きて困るというのは、Google Magentaのケースで経験したことですが、そうした懸念なく、自作のプログラムの不具合を気にするだけで集計・分析をやって来れたことを思えば、一定の意義があったという見方もできるように思います。

 ところがそう思って確認してみると、MIDIファイルから抽出した公開済の基本データ(MIDIファイルの分析:基本データにて公開)の中には、各種基本データの計算の入力となる、いわば元データに相当するものか含まれていません。しかも、もともと五度圏上での重心遷移計算が目的だったため、元データはピアノロール形式のデータ(MIDIノート0~127の各時点毎の出現を表す)ではなく、それをピッチクラスで集計したもの(12音の各時点毎の出現を表す)でした。そこで自作のC言語プログラムを数年ぶりに改造して、ピアノロール形式のデータをタブ区切りのファイルとして出力できるようにしたので、従来より分析に用いて生きたマーラーの作品のMIDIファイルの基本データセットについてその出力結果を公開することにしました。なお元々のピッチクラスで集計したデータについてはピアノロール形式のデータから容易に計算できるため公開データには含めません。一方で、ピアノロール形式のデータの更に元となる、MIDIファイルの解析結果自体(pretty_midiライブラリではpretty_midi.PrettyMIDIの各instrumentのNoteの情報に加え、key_signature_changes及びtime_signature_changesに相当する情報)については、別のところで述べたように元となったMIDIファイルの入手が既に困難になっている場合もあることから、その代替の役割を果たすことが考えられますが、こちらは既にMIDIファイルの分析:MIDIファイル解析結果のページで公開済です。

 その一方で、実際にはpretty_midiIのピアノロール形式取得の仕様は、これまで本ブログの分析で使用してきた自作のプログラムと同一ではなく、従って、今回公開するピアノロール形式のデータはpretty_midiIの関数get_piano_roll()で取得できるものとは細かい部分で異なりますので、単に共有データの仕様を記載するだけではなく、pretty_midiIの仕様との相違点について以下に記載することにします。


2.公開データの仕様

pianoroll.zipを解凍するとpianorollフォルダが収められており、その中には以下の作品のピアノロールファイルが収められています。

  • 第1~9交響曲(楽章毎):m1_1~m9_4
  • 第10交響曲クック版(楽章毎):m101~105
  • 交響曲「大地の歌」:erde_1~6
  • 歌曲集「さすらう若者の歌」:ges1~4
  • リュッケルト歌曲集(「私はやわらかな香りをかいだ」:duft、「私の歌をのぞき見しないで」:blicke、「真夜中に」:mitternacht、「美しさのゆえに愛するなら」:liebst、「私はこの世に忘れられ」:gekommen
  • 「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」:antonius、「夏の交替」:mahler_jugend-11、「ラインの小伝説」:rheinlegendchen,「美しいトランペットが鳴り響く所」:trompeten、「いま太陽は晴れやかに昇る」:nunwilld
元となったMIDIデータに関する情報は、同梱されたexperimental_MidiFileName.pdfに記載されています。

各楽章・曲毎に、各拍毎のピアノロール(APL)、各小節頭拍毎のピアノロール(BPL)に加え、参考データとして拍子の基本音符の1/4の長さ(4分音符を基本とする拍子なら16分音符)単位のピアノロール(PL)があります。例えば「私はやわらかな香りをかいだ」のピアノロールでは以下の通りになります。

  • duft_PL.out:拍子の基本音符の1/4の長さ(4分音符を基本とする拍子なので、16分音符)単位でサンプリングした結果のピアノロール
  • duft_APL.out:各拍(4分音符を基本とする拍子なので4分音符)単位でサンプリングした結果のピアノロール
  • duft_BPL.out:各小節単位(小節頭拍毎)でサンプリングした結果のピアノロール
ピアノロールファイルのフォーマットは各行が各時点に対応し、タブ区切りの各列がMIDIノート番号0~127の音が鳴っているかどうかを表します。各列の値は、音が鳴っていない場合は0、鳴っている場合はその音が鳴っているチャネルの数(その音を鳴らしている楽器の種類数)を表しています。

これをpretty_midiライブラリのget_piano_roll()の仕様と比べると、PLについてはget_piano_roll()の引数fs拍子の基本音符の1/4の長さ(基本音符が4分音符ならば16分音符)に相当する値を指定した時に計算されるピアノロールに対応し、APLおよびBPLについては、get_piano_roll()の引数timeに以下の指定をした時に計算されて返ってくるピアノロール形式のデータに概ね対応しています。(より正確には引数fsに渡すサンプリング周波数を、get_tempo_changes()が返す四分音符単位でのテンポの変更を加味した上で与えるべきでしょうが。)
  • APLの場合:get_beats()が返す、拍子の変化、テンポの変化を考慮した拍の位置(時点)のリストに基づいてtimeを指定した場合に概ね対応します。但し複合拍子の場合、get_beats()は3拍毎の位置を返す点が異なります。テンポの変化がなければfsに拍子のベースの音符に相当する値(4/4なら4分音符, 3/8なら8分音符)を指定したものと同じになります。一方、本記事で公開するピアノロールデータは、ベースの音符が異なる拍子が混在する場合には、音価の短い音符単位となります。例えば2/4と3/8が混在する作品の場合には、8分音符単位での出力となります。
  • BPLの場合:get_downbeats()が返す、拍子の変化、テンポの変化を考慮した強拍の位置(時点)のリストに基づいてtimeを指定した場合に対応します。
pretty_midiでは時点の指定が秒数に変換されて為されるのに対して、公開するデータを作成するプログラムはMIDIファイルにおけるTime Base(時間方向の分解能)に基づく時点の指定によって計算をしている点が異なりますが、恐らくその点は結果に大きく影響することはないものと思われます。一方で、ここで公開するピアノロール形式のデータ作成においては、サンプリングをする拍の先頭から基本の拍の1/8の音価(つまり4分音符なら32分音符)未満の遅延を許容し、かつ基本の拍の1/8の音価未満の持続で終わることなく、更に音の鳴り始めから鳴り終わりまでの持続が基本の拍の1/8の音価以上の音を、その拍で鳴っている音と判定することで、MIDIデータにしばしば生じる微妙なタイミングのずれに対して若干の頑健性を持たせています。(逆にその結果として、短い音価の音符で更にスタカート奏法などの指定があって実現される音価が32分音符より短い場合や装飾音、アルペジオの構成音などは拾えないことになります。)そのため各時点で音が鳴っているかどうかの判定基準の違いが結果の差異に影響する可能性があります。pretty_midiの仕様詳細はpretty_midiのソースコードを眺めればわかることですが、現時点では未調査です。拍毎、小節毎のサンプリングをしようとした場合に限っては、一旦秒数に変換してから処理するのは却って遠回りなように思えること、本稿で公開するピアノロールデータの仕様は、その如何に関わらず明確であるため、ここではpretty_midi側の詳細の深追いはしないことにします。

またget_piano_roll()が返すピアノロールデータでは音が鳴っている場所の数値(0でない正の値)は音量を表すのに対して、本稿で公開するピアノロールデータではその音を鳴らしている楽器の種類数を表している点が異なります。本ブログの分析においては、基本的にMIDIファイルに含まれる音量の情報は用いていません。また、今回対象となった作品は管弦楽作品なので大きな違いにはなりませんが、楽器がピアノの場合、本稿で公開するデータでは、サステインペダルに関するコントロール・チェンジ(CC64)は見ていません。pretty_midiのget_piano_roll()では引数pedal_thresholdでサステインペダルのON/OFFの閾値を与えることができ、サステインペダルの効果をピアノロールデータに反映することができます。

(2024.9.18公開,19記事、データとも更新、20サステインペダルに関して追記)。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2024年9月6日金曜日

アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及

アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及(Taschenbuch版全集第17巻p.50,邦訳「楽興の時」白水社, p.73)

(...) Schon an einer klagenden Stelle des Glockenchors aus Mahlers Dritter Symphonie steht eine offene Reminiszenz an die Trauermusik für Titurel; und Mahlers Neunte ist ohne den dritten Akt, zumal das fahle Licht des Karfreitagszaubers nicht zu denken. (...)

(…)すでにマーラーの『第三交響曲』の鐘の合唱のうちの嘆きの部分では、ティートゥレルのための葬送音楽が明らかに想起されている。そしてマーラーの『第九交響曲』は、第三幕なしでは、とりわけ聖金曜日の魔法の青ざめた光なしでは考えられない。(…)  

別の目的で、疎遠な作曲家であるワグナーの、しかしその作品中ではやや例外的に多少の馴染みがなくはないわずかな作品のうちの1つである「パルジファル」について調べている折、 ふとマーラーについての言及に気づいたので備忘のために書きとめておくことにする。マーラーが主題として扱われているわけではない文章を読んでいて偶々マーラーに関する記述を見つけたとしても、 その文章の主題の側についての知識がなければ、そこでのマーラーの取り上げ方を云々することは難しいだろうが、ここでの主題である「パルジファル」は最初に述べたとおり、 多少なりとも馴染みのある作品であるが故に、その言及を出発点として想いをめぐらすこともできるわけで、思いつきのようなものでも書きとめておいて後日の検討の素材とする 意図で記しておくことにしたい。
1860年生まれのマーラーは1883年に没したワグナーと音楽家としてのキャリアに関して言えば、ほとんど入れ替わって後続するような関係にあるが、アルマの回想録 には、学生時代のマーラーがウィーンを訪れたワグナーを劇場で見かけたものの、 緊張のあまり声をかけることも、コートを着るのを手伝うこともできなかったという経験があるいう記述がある。 後年マーラーは時代を代表するワグナー指揮者の一人となり、かつウィーンの宮廷・王室歌劇場の監督としてワグナーの作品を取り上げることになるが、アルフレート・ ロラーとの共同作業による赫々たる成果を挙げたにも関わらず、ユダヤ人であった彼は、反ユダヤ主義的な傾向のあったコジマの意図もあって、ついぞバイロイトに指揮者として 招聘されることはなかった。宮廷・王室歌劇場監督としてコジマとの間で交わされた書簡が存在する(ヘルタ・ブラウコプフの編んだ『グスタフ・マーラー 隠されていた手紙』 中河原理訳・音楽之友社, 1988」で読むことができる)が、その内容は、例えばコジマの息子である歌劇作曲家ジークフリート・ワグナーの 作品を演目として採用するかどうかについての駆け引きであったり、あるいはまたバイロイトにアンナ・フォン・ミルデンブルクが出演できるように推薦する内容であったりと、 いわゆる監督としての業務上のやりとりが中心である。
話を「パルジファル」に限定すると、ワグナーの没後30年間はバイロイト以外での上演を禁止するというワグナー自身の指定による保護期間の規定に対して忠実であったマーラーは、 バイロイトへの出演を拒まれた結果として、「パルジファル」は手がけていない。現実にはいわゆる掟破りの例もあって、マーラーの存命中の1903年12月24日には後日マーラーが 訪れることになるニューヨークで、1905年6月20日には、これまたマーラーがコンサート指揮者として頻繁に訪れたアムステルダムでの上演が行われている。ちなみに上記のニューヨークでの 1903年の上演を強行したのは、後年マーラーをニューヨークに招聘したメトロポリタン歌劇場の支配人、コンリートだが、その上演を風刺するカリカチュアはロヴォールト社のオペラ解説 シリーズのパルジファルの巻に収められており、音楽之友社から出ている邦訳で確認することができる。ちなみにマーラーは、コンリートの下で「パルジファル」を指揮することはなかったが、 メトロポリタン歌劇場を辞任して後に、コンサート・ピースとしての演奏は許容されていた第一幕への前奏曲をニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会で指揮している (1910年3月2日の第5回「音楽史演奏会」)。アルマの回想には、「マーラーはコンリードとのニューヨーク行きの契約に署名したとき、どんなことがあっても「パルジファル」は上演しない という一行を加えた。彼はヴァーグナーの遺志にそむきたくなかったのだ。」("Als Mahler seinen Kontrakt mit Conried nach New York unterzeichnete, schrieb er die Klausel hinein, daß er unter keiner Bedingung den »Parsifal« dirigieren wolle, denn er wollte nicht dem testamentarischen Willen Wagners zuwiderhandeln.", 「回想と手紙」, 秋1907年の章, 邦訳1973年版ではp.146)とあって、例によってアルマの回想を鵜呑みにするのは事実が問題の場合には危険が伴い、かつ、この件に関する他のソースによる 確認は今の私にはできないが、契約条項の存在の有無に関わらず、結果的にはその通りになったことは事実のようである。少なくともこの一節の背後には、上述のコンリートの 「掟破り」があって、もし実際に契約条項が存在したとしたら、その事実を念頭においてのことであるのは確かであろう。
だが、指揮者マーラーと「パルジファル」の関わりは上記に留まらない。マーラーは歌劇場の楽長のとしてのキャリアのごく初期に、旅回りでワーグナーを上演する劇団を主宰し、 ワーグナー家の信頼を得ていたユダヤ人アンゲロ・ノイマンの知己を得て、キャリアを積み上げていく足がかりを掴むのだが、既に「指輪」4部作をバイロイト以外で上演することに 成功していたノイマンは、自分が監督を勤めていた1885年~86年シーズンのプラハの王立ドイツ州立劇場において、「パルジファル」を例外的に演奏会形式で上演することを コジマから許可される。そしてそれを実現した1886年2月21日に第一幕の場面転換の音楽と合唱と伴う最終場面の演奏会形式での上演を指揮したのは他ならぬマーラーであった。 つまりマーラーは、部分的ではあるもののパルジファルを初めて演奏会場で指揮したことになるのである。その後1887年11月30日に、今度はライプチヒ市立劇場で、ニキシュと分担するかたちで、 第一幕・第三幕の最終場面の指揮もしている。その後もバイロイトでパルジファルを歌うことになった歌手の役作りの手伝いを買って出たり、上述のように自分がバイロイトへの出演を 後押ししたアンナ・フォン・ミルデンブルクがバイロイトでクンドリーを演じるにあたり、リハーサルをつけたりしており、「パルジファル」という作品を熟知していたことを窺わせる記録に事欠かない。 (このあたりの事情は、ヘルタ・ブラウコプフ編「グスタフ・マーラー 隠されていた手紙」の「マーラーとコジマ・ワーグナー」の章のエドゥアルト・レーゼルの解説に詳しい。邦訳では291頁以降。)
従って、ここで取り上げたアドルノの文章で言及されているマーラー自身の作品への影響も、そうした実践や楽譜を通しての研究の産物なのかも知れないが、その出発点として 聴き手としてバイロイトを訪れた経験があることにも触れておくべきだろう。特にワグナーが没する前、1882年の初演の翌年の1883年にバイロイトで「パルジファル」を聴いていることが、 これまた書簡を通じて窺え、マーラーにとって「パルジファル」の経験が圧倒的なものであったことが書簡の内容や文体から想像することができる(1883年7月のある日曜、イーグラウから フリードリヒ・レーアに宛てた書簡。1996年版書簡集20番、邦訳p.26)。前年の1882年のパルジファル初演が行われた第2回バイロイト音楽祭(第1回の1876年からは6年振りという ことになる)はワグナー自身が関与した最後の回であり、マーラーと交流のあったブルックナーは訪れているが、マーラーはその時期は駆け出しの歌劇場楽長としての契約の切れている時期、 つまり失業中の時期であり、一方の1883年はモラヴィアのオルミュッツ(現在のオロモウツ)の劇場の楽長を勤めたあと、ウィーンでカール劇場でのイタリアからの巡業の一座の合唱指導の 仕事が5月まであり、その間に秋に始まる次のシーズンからのカッセルの王立歌劇場の監督の契約が決まっていた。1883年のバイロイト音楽祭も前年に続き、「パルジファル」のみの 上演であるから、マーラーはまさに「パルジファル」を聴きに「バイロイト詣で」をしたことになる。ちなみにマーラーのバイロイト訪問はその後も何度か行われていて、ブダペスト時代の 1889年の第7回、ハンブルクに移った1891年、1894年にも「パルジファル」を聴いていることが確認できる。また、「パルジファル」の典拠である、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの 「パルチヴァール」については、ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの「トリスタン」と並んで、アルマの「回想と手紙」の中に、夕食後にアルマがマーラーに読んで聞かせる本の一つとして 挙げられているし、アルマの没後にその蔵書を調査した折、蔵書の中に含まれていたことが確認されており、他の、自分が手がけた作品の典拠と並んで、取り上げることのなかった 「パルジファル」についても典拠を読んでいたことが確認できる。
もっとも、マーラーのみならず、 マーラーに後続する新ウィーン楽派の3人、つまりシェーンベルクもベルクもヴェーベルンも「パルジファル」を非常に高く評価していて、ベルクには後に妻となるヘレーネに宛てた手紙で バイロイトで聴いた「パルジファル」に触れたものがあるし、ヴェーベルンはやはり学生時代にいわば卒業旅行のようなものとして「バイロイト詣で」をしていて、その旅行記のような 文章が残っているが、その文章の冒頭にはパルジファルの前奏曲の冒頭主題が銘のようなかたちで書き写されていたりいる。シェーンベルクには問題の保護期間の延長についての文章があるが、 それを読めば「パルジファル」の作品そのものについての彼の評価を窺い知ることができる。
ちなみにここで取り上げたアドルノの文章も、始まってすぐに保護期間の問題についての言及を 含んでおり、「パルジファル」という作品が自律主義的な音楽美学に収まらない受容のされ方(それは全く妥当なことだし、とりわけても「パルジファル」はそうであるべきだと思うが)をしている点は はなはだ興味深い。滅多にこの作品が取り上げられることのない日本で実演に接したところで(勿論、上演の意義、上演に接することの意義は認めた上で)、この作品の上演が 西欧において置かれている文脈からは懸け離れたものでしかないことに聴き手は留意すべきなのだ。例えば物議をかもした(だけで終わったということになっているらしい) シュリンゲンジーフのバイロイトでの演出を思い起こせばよい。それが21世紀初頭のバイロイトで上演されるときに、その文脈で生じたであろう意味を「感じ取る」ことは不可能であるにしても、 それまでに蓄積されてきた「パルジファル」の演出の歴史を可能な範囲であれ俯瞰し、一時期物議をかもしたツェリンスキーによる「告発」といった出来事も踏まえた上で、 あるいはレヴィ=ストロースの「パルジファル」についての言及を一読した上で(そうすれば評判の悪いらしい数々の「読み替え演出」の中にも神話論理的な変換の試みに相当するものを 見出すことができないことではないことが確認できるだろう)、更にはこの演出の折に指揮を担当したブーレーズが、かつて、もう四半世紀前にバイロイトで「パルジファル」を指揮した折に書いた「パルジファル」についての 文章を読んだ上で、自己の感覚的な反応は反応として、そこで起きた出来事を遠回りにであれ理解しようという試みをするならば、他方でそれ自体は優れた演出であろうクラウス・ グートの演出を日本で受容することについても、そこに予め存在しているギャップや間隙に意識的にならざるを得なくなる。
「普遍性」などという曖昧な言葉を隠れ蓑にして、自己の主観的な感覚的な印象を正当化することが行われることは許容されえないだろう。ワグネリアンでなくとも、 (ワグネリアンなら勿論のことだろうが)ワグナー自身が一般の劇場でこの作品を上演することに対して抱いた危惧の念については、一旦は受け止める必要はある。 それを鼻持ちならない態度として否定するのは、作品自体をどう評価し、それに今、ここで自分自身が多少なりともかかずらっていることについて自覚的になった上でやればいいのだ。 主題的・内容的な議論、つまり宗教性がどうしたとか、ナチスとの関わりがどうしたとかといった点に取りかかるのはその後の話の筈で、そうした点が抜け落ちて、あたかもそれが 当たり前の如くに批評が成立すると思い為すのであれば、結局のところそうした主題的・内容的な議論自体を全うすることはできない筈である。同じ状況は実際にはいわゆる (「パルジファル」をその一部とする西欧音楽の末裔としての)「現代音楽」の側の受容の側にもあるのだが、作品の現代的意義を主題的には問うている(少なくともそのように 主張される)議論ですら、その扱い方自体は、上演を取り巻く様々な社会的・制度的状況は無条件に括弧入れできると思っている、つまり自らの批評の場は確保されていると 思い込んでいるかの如くに見え、そうした暗黙の前提自体が結果的に、目指すところ作品の現代的意義とやらへの到達を予め不可能にしているように見えるのは奇妙な光景という他ない。 まるで魔法にかかっているかの如く、時間と空間は溶け合うどころか、あっさり超越されてしまっているというわけだ。
そうした事情は、舞台芸術という「雑種的」なジャンルにとりあえず属するという了解になっている「パルジファル」に比べれば一見して直接的な問題には見えなくとも、 マーラーの音楽、音楽外的な標題や伝記的な出来事との関わりがあれほど論じられ、そうでなくても声楽の導入により、テキストと音楽との関係は無視できないものに なっているマーラーの作品についても基本的には変わるところはない。マーラーそのものについてのそうした傾向については何度もこれまでそうした兆候についての指摘を繰り返してきたので ここでは「パルジファル」に関連する文脈に限定して一例を挙げるならば、例えばヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」でのマーラーの「引用」程度の文脈で マーラーの音楽への拒絶感を自己正当化するような態度は、「バイロイト詣で」を欠かさない一方で、そちらこちらで上演される「パルジファル」のあの演出を貶し、あの演出を ごく簡単なコメントだけで持ち上げることを繰り返しつつ、結局のところワグナーの作品を消費しているだけか、せいぜいがそうした消費への誘いをしているだけの態度と変わるところはない。 「ヴェニスに死す」での「引用」にかこつけて一気に葬ってみせたマーラーの音楽は、それではここで引いたアドルノの文章で「パルジファル」の音楽との関わりが指摘されるそれとは違った何か なのだといって頬被りをきめこんでみせるのだろうか。その拒絶感の在り処は実際にはどこなのかを、ワグナーの音楽を鏡として突き詰める作業こそが必要なのではないか。
ところで、マーラーがバイロイトを訪れた時期を考えると、アドルノの上記の言及はクロノロジカルにはギャップを含んでいることがわかる。つまりマーラーが「パルジファル」経験をしたのは、 作曲家としてのマーラーについて言えば、「嘆きの歌」よりは後だが、第1交響曲よりも先行する時期にあたるのである。勿論、そのことが直ちにアドルノの主張の当否について何かを 物語ることはないが、少なくとも言及のある第3交響曲、第9交響曲以外の作品についてはどうかを問うことが権利上可能であることにはなる。第3交響曲の第5楽章は「子供の 魔法の角笛」に基づいているが、アドルノの言及しているのは練習番号3から7にかけてのアルト・ソロがペテロの悔恨を歌う部分、特にその中でも独唱が終わった後、鐘の音を 模する合唱と管弦楽による移行部となる練習番号6番以降の部分であろう。鐘がなり、ゆっくりとした行進曲調で バスが付点音符を含むリズム(全く同一というわけではないが)を固執して刻み続けること、嘆き、悔恨の感情が扱われていることは共通しており、確かに指摘はもっともと思われるが、 民謡調で女声や子供の声で歌われるマーラーの音楽(ペテロの嘆きすら、アルトのソロが歌うのである)と、聖杯騎士と後続部分ではアムフォルタス自身が嘆きと悔恨を語る ワグナーの劇の音楽のトーンには違いがあるのも確かだろう。そもそもマーラーの音楽では合唱は「泣いてはいけない」というのに対し、聖杯騎士たちはアムフォルタスを責めるばかり であり、第4楽章の「夜」を経たマーラーの「朝」の音楽には、荒廃した聖杯守護の騎士達の城の陰惨さは感じられない。 ただしマーラーが後続する第6楽章について「神よ、私の傷を見てください」と語ったというエピソードとは符合するし、 第3交響曲の終楽章をパルジファル第3幕の終幕の部分と比較するのは色々な点で興味深いことではあろう(これは両者が類似しているという意味ではない。はっきりと その実質において両者は全く異質のものであると私は断言できる)。更に言えば、先行する第4楽章でニーチェの詩を歌うアルト・ソロは 誰なのか、どういう性格付けを持っているのか(勿論、クンドリーが思い起こされるわけだが)、あるいは第2楽章の花と「パルジファル」における花の乙女を突き合わせてみると いった作業も可能になろう。
邦語文献では、ブルックナー/マーラー事典(東京書籍)のマーラーの第3交響曲の第5楽章の解説において、執筆者の渡辺裕さんが「パルジファル」との関連を指摘している(p.321)。 そこでは「罪を自覚したペテロがキリストに憐れみを乞い、そこで神への祈りが奇蹟による救済をもたらすことが暗示される、という構図」が「「パルジファル」とのつながりを感じさせる」 と述べられているのだが、アドルノの指摘についての言及はない。上述の通り関連の指摘自体は妥当だと思うが、私見によれば、渡辺さんの指摘する「構図」は「パルジファル」 の構図そのものとは言い難いというのが率直な印象で、「パルジファル」の解釈として寧ろこれは異色であるという感じを覚えずにはいられない。そもそもペテロもキリストも「パルジファル」には 現れないし、「神への祈りが奇蹟による救済をもたらすことが暗示される」とは、具体的には「パルジファル」の中のどの部分を指してのことなのか、私には到底明白とは思われない。 勿論「パルジファル」の側において、ペテロとキリストとの関係という基本的には別の物語への暗示(これこそ暗示のレベルであろうと思う)を含まないとは思わないが、 「パルジファル」の主要な構図は、あくまでもMitleid「共苦」を通しての認識による救済であるし、「罪を自覚したペテロ」が「パルジファル」における誰で、キリストが誰なのか、奇蹟を もたらす神への祈りとは、パルジファルにおいては誰のそれか、救済とは誰のものであるのかを問うた時、「パルジファル」の側で既に為されている或る種の構造変換 (レヴィ=ストロース的な神話論理の水準のもの)に気づかざるを得ない。しかも、マーラー/「魔法の角笛」(「哀れな子供の物乞いの歌」)の方も、第7楽章として予定され、 最終的に第4交響曲のフィナーレとなった歌曲のテキスト程異端的ではないにせよ、こちらはこちらでキリスト教的にはやはり或る種の読み替えなり構造変換なりが為されているのである。
ちなみに、他の第3交響曲に関する研究等においても、パルジファルへの参照はしばしば行われている。第5楽章に関する言及としては、フローロスの場合が挙げられるだろう。 ただしフローロスが注目しているのは、4つの鐘と少年合唱の利用が、空間的な指示つきで(「高いところに」配置するように指示があることについての言及であろう)用いられる点であって、 それ以外の側面についての言及はない。一方、ドナルド・ミッチェルの「角笛交響曲の時代」の第3交響曲と第4交響曲を扱った部分では、メヌエットである第2楽章に関して 「ワーグナーの《パルジファル》の花の乙女たちの場面で試みられている絶妙な装飾的表現を研究し、それをみごとな器楽法で 処理したかがやかしい例である。」(喜多尾道冬訳, p.210)といった言及が見られるし、ピーター・フランクリンの第3交響曲に関するモノグラフにおいては、第6楽章の自筆譜冒頭に 掲げられたエピグラフ(既に上でも言及している「父よ、私の傷を見てください、、、」)への言及に続けて、第6楽章に関して「パルジファル」が参照されているといった具合である。 それぞれ興味深い指摘ではあるが、あまりに断片的な参照であり、マーラーの第3交響曲の全体を俯瞰して、その系の一部に「パルジファル」が扱う問題に対するマーラーなりの 応答が含まれているといった視点には至っていない。逆に、その参照箇所の拡散ぶりの方が、そうした個々の論点の背後に、より構造的な連関が秘められていることを 裏書しているようにさえ見える。その点では、急所を押えているという点も含め、渡辺さんの指摘が最も本質的な次元を衝いていると私には感じられる。ただしそこで指摘 されていることを考えるためには、第3交響曲という作品の色々なレベルでの「多声的」な構造に応じた、多面的な検討が必要ではなかろうか。
というわけで、渡辺さんのここでの主張が、第3交響曲と「パルジファル」それぞれのある解釈を通じて妥当であるという論証が不可能だとは思わないが、 それを確認するのはかなりの事前の手続を通してのことであり、自明のこととは到底思えないというのが私の率直な感覚である。 あえて言えば、聖書の物語の関連を比較すれば、「パルジファル」と聖書の物語の関連よりも、マーラー/「魔法の角笛」(「哀れな子供の物乞いの歌」)の方が寧ろ構図において直接的であり、 それをもって「パルジファル」との関連を云々するのは寧ろ遠回りであって、些か強引な感じが否めない。 「パルジファル」との関連があることそのものは全く正しいし、限られた解説の中であえてその点に触れる慧眼に対しては敬意を表するものの、「パルジファル」とマーラーのこの作品との関連づけとしては (解説書の一部であるという制約を考えれば無い物ねだりだとは思うが)戸惑いを感じずにはいられないのである。私の展望は既述の通りで、ペテロの物語を寧ろ真ん中において、 マーラー/「魔法の角笛」(「哀れな子供の物乞いの歌」)と「パルジファル」を対照させたときに浮かび上がるのは、扱っている主題の共通性もさることなら、そのニュアンスの差異のコントラストの方である。 また、この第5楽章が、構造的に、概ね「パルジファル」であれば第3幕の聖金曜日の奇蹟の位置にあることについても異論はないが、具体的な布置は異なるし、総体としてみれば、 そもそも「パルジファル」が「罪を自覚したペテロがキリストに憐れみを乞い、そこで神への祈りが奇蹟による救済をもたらすことが暗示される、という構図」と総括できるものというのは、「パルジファル」の 解釈として、かなり大胆なものに思われる。
罪の自覚、憐み、祈り、奇蹟、救済といったモチーフは確かに共通するけれど、それらの布置と連関がもたらす「構図」の方はかなり異なるのではないか。 寧ろマーラーは自分なりの「パルジファル」の読み替えを、第3交響曲の総体をもって提示したのだと考えることはできるだろうが、寧ろ私としては、「パルジファル」で扱われている問題についての マーラーなりの回答と見做すべきであって、同じ問題に対するマーラーの第3交響曲における認識と回答は、「パルジファル」のそれとは結果的には相当に隔たっているというのが 妥当な見方なのではなかろうか。
第9交響曲についての言及は更に曖昧で、しかも聖金曜日の音楽が参照されていることには率直に言えば些かの戸惑いを感じずにはいられない。勿論、主張が誤っていると いいたい訳ではないのだが、マーラーの第9交響曲と「パルジファル」の音楽の接点ということであれば、寧ろ他の部分の方により多く私は接点を見出せるように感じている。 色彩について言えば、第9交響曲第4楽章の色彩についてアドルノは、マーラーについてのモノグラフにおいて"künstlich roten Felsen"という言い方をしているが、他の箇所で詳述したとおり、これはドロミテの 地で"Enrosadira"と呼ばれる現象、日の出や夕暮れの陽の光に照らされて、赤色、薔薇色、菫色などの色彩に変化する現象を思い浮かべてのことと思われ、聖金曜日の 光とは異なる。先行する楽章、特に第1楽章などには"das fahle Licht"により相応しい箇所もあろうが、 私見ではそうした色彩に関する点も含め、第9交響曲については 聖金曜日の部分よりも寧ろ「パルジファル」の他の部分に類似の音調を感じ取ることができるように思われてならない。
ただし、「パルジファル」の音楽とマーラーとの関係では、寧ろ第10交響曲第1楽章の主題の一つがクリングゾールのライトモティーフと類似するという指摘の如きものの方が、少なくとも 日本では人口に膾炙しているように窺えるにも関わらず、「パルジファル」の音楽からの連想においてアドルノがマーラーの音楽の中で第9交響曲を取り出したこと自体は全く 妥当なことと思われる(第10交響曲こそ、ワグナーのみならず、シュトラウスのサロメの動機との関連などの指摘にも関わらず、そうした作品とは異なった音調を備え、異なった 場所で鳴り響く音楽である、というのが私の認識であるからだ)。私個人の印象では、寧ろ第1楽章の音楽にこそ「パルジファル」の音楽の遠いエコーが聴き取れるように思われる。 マーラーの音楽はワグナーとは異なって神話的な世界とは無縁であり、そもそも音楽が鳴り響く場が異なっているし、音楽の主観のあり方も全く異なるから、時代が接していて、 巨視的に見れば様式的な影響があるのは明らかであるにしても、そうした影響関係は音楽の備えている時代と場所を越えた価値に注目したときにはほとんど何の意味も持たないだろう。
だが、にも関わらず、例えば第9交響曲の冒頭でハープで提示され、(ソナタ形式としてみた場合の)展開部末尾の葬送行進曲の部分(練習番号15の後、Wie ein schwerer Kondukt 以降)においてまさに鐘で奏される動機は、アドルノがもう一つの参照点としている第3交響曲第5楽章の鐘の動機と、従って「パルジファル」の鐘の動機と連関しているのは明らかだろう。 (なお、「パルジファル」の鐘の動機と第9交響曲の冒頭の動機との連関の指摘に限れば、金子建志「こだわり派のための名曲徹底分析:マーラーの交響曲」の第9交響曲についての章に 言及があることを記しておく。)ここで葬送されるのは決してティトゥレルに比されるような主体ではないにせよ、まずもってここが構造的に場面転換に相当する点において、「パルジファル」第3幕の場面転換部分を 思い起こすことは困難ではない。そのように考えると、この部分に対応した提示部における箇所、即ち練習番号7の前、音楽が静まった後のTempo I subitoから始まって後、 練習番号7を過ぎてPlötzlich sehr mäßig und zurückhaltend以降の部分は、第1幕のあの有名な場面転換の、森から城への「道行」の音楽、”Du sieh'st , mein Sohn, zum Raum wird hier die Zeit.” というグルネマンツの言葉がいわば注釈するプロセスを実現する音楽の遠いこだまであるように私には感じられる。勿論、アナロジーには限界があって、ワグナーの作品においてはいずれもが、 能の前場と後場のような場の時間的・空間的な移行を惹き起こすのに対し、マーラーのそれは直前で生じた或る種のカタストロフの結果、意識の不可逆的な変化が生じつつも、 いわば意識の階層のレベルを一段降りて、だが同じ風景が回帰するプロセスを実現している。音楽は常に冒頭の風景に戻るが決して同一の風景の反復ではない。それでもなお Andanteという指示の元々の意味に忠実に、常に繰り返される歩みはどこかに向かう。だがそれは別の場所には辿り着かないで終わるのだ、少なくとも第1楽章においては。 変化が起きるのは歩く主体の意識の方であって、風景の「場所」、つまり空間的には「客観的」には冒頭と同じなのだ。「風景」が主観が捉えたものである限りにおいてのみ「風景」が、 寧ろ「展望」が変化したのであって、その歩みは全くの徒労というわけではなく、何か別の「場所」に到達したというように言いうるのであるが、それは寧ろ同じ風景の中を循環する 意識の内的な遍歴なのである。同じ場所を巡回しつつ、意識は現在の場を離れて過去に、フッサール現象学でいう第二次的な想起のプロセスを都度繰り返す。だが、その間にも経過する 容赦ない外的な時間流がもたらす推移(それの巨視的な累積の結果が「老い」と呼ばれる)が「風景」を、内的な空間の展望を変えてしまう。従ってここでもグルネマンツの ”Du sieh'st , mein Sohn, zum Raum wird hier die Zeit.”は、ある意味では事態の記述たりえているのである。
そしてマーラーの音楽の中でもとりわけて第9交響曲においては音楽的主体の受動性が顕わである点において「パルジファル」という音楽劇の持ついわゆる外的な筋書きの変化の 乏しさと対応した音楽の性格との或る種の類似が認められるだろう。いわばホワイトヘッドの抱握の理論における「推移」の時間の、しかも受動性が歪なまでに優位なのだ。 勿論それは「超越」に他ならないのだが、目的論的図式はここでは廃墟と化していて、寧ろレヴィナス時間論における「超越」、主体の可傷性、被曝性といった側面と 他者の他者性が相関して強調されるそれの音楽的実現であると考えることができるだろう。聖金曜日は単に到来するのであって、それは主体の働きとは基本的には無関係だ。 アドルノの第9交響曲についての言及は曖昧だが、こうした抽象的な時間論的図式のレベルで考えれば、その指摘は見かけほどは意外なものではないということになりそうだ。 ただし「パルジファル」の末尾の"、あの物議を醸し続けてきた言葉、"Erlösung dem Erlöser!"までその類比を拡張できるかどうかについては予断は許されないだろう。
"Erlösung dem Erlöser!"という言葉を導きの糸としつつ、第9交響曲以外のマーラーの音楽を改めて振り返ってみると、マーラーにおける「パルジファル」の対応物として、 表面的にはより直接的にさえ見える2つの作品に思い当たることになる。即ちそれは、宗教的であることが一見あからさまであり、その「正統性」とその価値について 絶えず懐疑の眼差しに曝され続けてきた作品、やはり「パルジファル」同様、既に色褪せた過去の遺物とする見方すらある作品である第2交響曲と第8交響曲である。 内容や主題ではなく、より抽象的な次元においてそれらが何を実現しているかを改めて検討する際に、「パルジファル」をいわば鏡として置くことは興味深い。 アドルノは既にマーラーに関するモノグラフで第8交響曲に関連して(些か異例なことに)カバラ的なものにさえ言及し、"Mahlers Gefahr ist die des Rettenden"とさえ 言っている。アドルノは「パルジファル」では虚偽から真実が生じる、ただしその真実は「消えうせた意味をたんなる精神から呼び起そうとすることの不可能性」のそれである といったことを、ここで取り上げた文章の末尾で述べているが、それは第8交響曲に対するアドルノの評価との突合せを迫るほどには並行的であろう。
一方の第2交響曲の第1楽章は一時期、交響詩「葬礼(Totenfeier)」として独立の作品と考えられていた時期があったことが知られているし、その音楽こそ"die Totenfeier meines lieben Herrn"のそれと突き合わせてみることが出来るように感じられる。(ただし、良く知られているようにTotenfeierという題名の由来は、マーラーの友人であったリーピナーが ドイツ語に翻訳をしているアダム・ミツキエヴィチの詩劇"Dziady"である。題名には言及がないが、晩年にニューヨークで自作の第1交響曲を指揮したときのことをワルターに報告する書簡で、 「葬礼」第3部の最も有名な箇所を自作のいわば「解説」に引用していることも良く知られているだろう。ただし"Dziady"がもともとはスラヴやリトワニアにおける 祖先を供養する祭礼であることを考えると、それを「葬礼」と訳すことが妥当かは疑問の余地があるかも知れない。例えばアルマの「回想と手紙」でアルマがリーピナーの翻訳に 言及している箇所では、白水社版の訳(p.37)では「慰霊祭」と訳されている例もある。これだと、言及されているものが第2交響曲第1楽章の題名の由来であるとは 訳書を読むものは気づかないかも知れないが、逆にマーラーの楽曲の側を「葬礼」ではなく「慰霊祭」であるとして聴いてみても良いのである。いずれにしてもマーラーがTotenfeierで どういった儀礼を思いうかべていたかは更に別の問題として考えなくてはならないだろう。
そうした錯綜を前にしてみると、そもそもが全体で4部からなり、その第1部は未完、最も有名な第3部はその他の部分の10年後に書かれていて、内容上も 連続性を欠いているこの詩劇において"Dziady"という題名に相応しいのは第2部であることを考えると、マーラーが第1交響曲、第2交響曲の2作を、リーピナーが翻訳した ミツキエヴィチの詩劇"Dziady"と関連づけている事実は確認しておくべきだろうが、結局のところTotenfeierという単語に基づいて連想を膨らませるのは恣意的な感じを否めず、実証的な 水準では検証に耐えないことははっきりとさせておくべきだろう。そしてここでの「パルジファル」でのティトゥレルの葬礼への連想も、もちろんそうした限界の範囲での連想に過ぎないのである。 最終的にはそれは実証不可能だし、実証そのものに決定的な意味が存するわけでもない。必要なのは音楽を取り巻く状況のこうした錯綜を踏まえ、その上で今、ここでそうした 錯綜の中から浮かび上がってくる音楽がこちら側にもたらすものを見極めることであろう。
だが、それを前提にしたとしてもなお、 ハンス・フォン・ビューローという「父」の死をきっかけに完成した第2交響曲、後日フロイトの弟子であるテオドール・ライクの精神分析的解釈を呼び起すような成立史を 持つこの作品について、まさに「父」ティトゥレルの「葬礼」の場面の音楽を連想することは、その背後に存在する構造を考えれば決して妥当性を欠くとは思えない。 ビューロウとの関係は1883年夏のバイロイトでの「パルジファル」の初体験の直後の1884年1月のカッセル時代から始まっている。ビューロウの死は1894年2月、マーラーが立ち会った ハンブルクでの葬儀は3月29日、第2交響曲の完成はシーズン後6月のシュタインバッハにて、その後にバイロイトを訪れて「パルジファル」を聴いているのだ。そして その間の1891年にももう一度「パルジファル」を聴いている。1889年夏のバイロイト訪問に先立つ1888年8月にスコア完成をみた、つまりプラハ時代に成立した第2交響曲第1楽章に "Totenfeier"というタイトルを付与することをマーラーが何時、何をきっかけに思いついたものか。更にマーラーは第2交響曲としての初演後の1896年3月16日のベルリンでの演奏会でなお、 第1楽章のみを「葬礼」として演奏していることにも気を留めておこう。有名なマルシャルクへの書簡にて、「葬礼」で葬られているのは第1交響曲第4楽章で死ぬ英雄であると述べるのは、 その直後の3月26日である。そしてこれまた有名な、ビューロウに「葬礼」を聴かせた時の拒絶反応の「思い出」(?)を述べたザイドル宛の手紙は1897年2月になってからのものなのだ。)
繰り返すがここで問題にしたいのは、文化史的、思想史的な実証の水準であったり、 ワグナーにおけるショーペンハウアー哲学の影響、Mitleidの思想、一方のマーラーの思想を音楽がつけられたテキストの内容のレベルで比較するといった水準の議論ではない。 また、音楽そのものを対象とするにしても、単なる引用や動機の類似の指摘レベルの議論に終始していては、作品の持つ射程の理解に資することは覚束無いだろう。 (その点で、アドルノがマーラーについてのモノグラフの冒頭で述べたマーラー理解の困難についてのコメントは、今日においても妥当すると私は考えている。そしてそれは ナチスによる介入についての点が、こちらは裏返しの形で妥当するという点も含め、「パルジファル」についても当て嵌まるのであろう。) そんな議論は、100年以上の時間と地球半分の空間の隔たり、それ以上に大きな文化的・思想的な隔たりのこちら側で、今、ここで「パルジファル」を、マーラーの音楽を 取り上げることの意義とはほとんど無関係なことである。寧ろ今、ここでの議論の起点は、三輪眞弘さんの「新しい時代」のような作品にこそ求めるべきである。逆にそれが 提起する問題を考える上で、「パルジファル」やマーラーの音楽のような過去の参照点なしで済ませることは私には困難で、「新しい時代」のような作品に、その作品の価値に 相応しい仕方で接しようとすれば、そこで取り上げられている問題を時事的に取り上げたり、そこで用いられているテクノロジー自体について論じるだけでは不充分であろう。 それぞれを、時代と文化の相違を超えた価値の次元において理解しようとしたときに、例えばレヴィ=ストロースが神話研究で行ったような仕方と類比的なやり方で、 それらを比較検討することが是非とも必要なのではないかと感じられてならないのである。(2012.10.07公開, 10.13/14加筆, 10.28指揮者マーラーの「パルジファル」との 関わりにつき大幅に修正, 11.23「ブルックナー/マーラー事典」での第3交響曲第5楽章の解説についてのコメントを加筆, 2013.1.19 アルマの「回想と手紙」における 言及に関して加筆。2024.9.6 邦訳を追加。)

2024年8月28日水曜日

備忘:マーラーの作品を分析するとはどういうことか?(2024.8.28更新)

 これまで様々な角度から、様々な手法でマーラーの作品について分析を試みてきたが、そもそも自分が何を目指して、何をしているのかについて、改めて整理をしてみることにする。予め先回りしてお断りしておくならば、それは既に実際に達成できる水準を以て測ろうというのではなく、あくまでも、実際の達成がその目標からは程遠く、千里の道程の最初の一歩に過ぎないとしても、到達すべき目標は何かを再確認することが目的である。

 分析をするきっかけをシンプルに言えば、それは対象に強く惹き付けられたからで、この場合の対象はマーラーが作曲した具体的なあれこれの作品という人工物である。端的な言い方をすれば、自分が魅了されたのは、その作品の持つどういう特徴によるのか、そして翻って、このような作品を創り出した人間とはどのような人間なのか、どのようなやり方でこのような作品を生み出したのかを知りたいと思ったというのが出発点となるだろう。

 ところで作品とは一体何だろう。それを考える上で、マーラーに関連する脈絡で2つの参照先が思い浮かぶ。一つは「作品」は「抜け殻」に過ぎないというマーラー自身の言葉。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡で「作品」についてマーラーはこう語る。
…われわれが後世に残すものは、それがなんであれ、外皮、形骸にすぎない。『マイスタージンガー』、『第九交響曲』、『ファウスト』、これらはすべて脱ぎ捨てられた殻なのだ!根本的にはわれわれの肉体以上のものではない!もちろんそうした芸術的創造が不用な行為だというわけではない。それは人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないものだ。とくにこの歓喜こそは、健康と創造力の証(あかし)なのだ。…
(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.356, 白水社版酒田健一訳p.398)  

 「抜け殻」とは言っても、「不用な行為」ではないのは、それが「人間に成長と歓喜をもたらすために欠かすことのできないもの」だから、という。マーラーが創造した作品の聴き手、受け取り手である私はつい、それを受け手の問題であると決めつけてしまうが、それが「健康と創造力の証(あかし)」であるとするならば、その歓喜は、第一義的には作り手であるマーラーその人の「創る喜び」とする方が寧ろ妥当なのかも知れない。勿論、聴き手は単にそれを受動的に受け取るだけではなく、それに触発されることで成長し、喜びを感じる…というように考えることもできるだろう。

 その一方で「抜け殻」であるというからには、それはそれを作り出した人間そのものではないにせよ、その「痕跡」であるという見方も導かれうるだろう。そこで思う浮かぶもう一つの参照先は、シュトックハウゼンが、アンリ・ルイ・ド・ラグランジュのマーラー伝に寄せた文章の以下のような件である。

もしある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはゆかないだろう。もっと幅のせまい音楽ならば――あらゆる情緒的世界において――どこででも聴くことができるだろう。たとえば雅楽、バリ島の音楽、グレゴリオ聖歌、バッハ、モーツァルト、ヴェーベルンの音楽などがそうである。こうした音楽は、《より純粋》で晴朗だといえるかもしれない。しかし地球人の特質、その情熱の――もっとも天使的なものから、もっとも獣的なものにいたるまでの――全スペクトル、地球人をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの――そうしたすべてを知ろうと思うなら、マーラーの音楽にまさる豊かな情報源はないだろう。

 この書物は、異常なまでに多くの人間的特徴をただ一個の人格のなかで統合し、そしてそれらを音楽という永遠の媒体のなかへ移植することのできたひとりの人間の生涯と音楽についての証言である。その音楽は、人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとするまえの、古い、全的な、《一個体としての》人間による最後の音楽である。マーラーの音楽は、おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっているすべての人びとにとってひとつの道標となるだろう。

(Karlheinz Stockhausen, Mahlers Biographie, ≪Musik und Bildung≫ Heft XI, Schott, 1973, 酒田健一編『マーラー頌』所収, 酒田健一訳, pp.391-2)

マーラー自身の言葉を敷衍するならば、シュトックハウゼンは、マーラーの音楽のことを「古い、全的な、《一個体としての》人間」の「抜け殻」であり、それは「ある別の星に住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査」するために恰好の情報源であると言っている。更に言えば、「ある別の星に住む高等生物」ではないにしても、「人間が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめたようとする」後の時代に生き、「おのれ自身がじっさい何者であるのかもはやわからなくなっている」に違いないこの「私」にすれば、それが少なくとも、その作品を創り出した「人間」に関する情報源であり、自分自身にとっての「道標」であるということになるだろう。シュトックハウゼンが参照する他の様々な音楽との比較の妥当性、是非についてはもしかしたら異議があるにしても――ここで思い浮かぶのは、ド・ラグランジュのマーラー伝刊行後しばらくしてからの1977年に打ち上げられたボイジャー計画の探査機に収められた「ゴールデンレコード」のことで、そこにはガムランやバッハは含まれても、マーラーが取り上げられることはなかったことは書き留めておくべきだろう――、とりわけ、それが人間を「この大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか彼に許そうとしないところのもの」についての情報源であるという点については躊躇なく同意したいように感じている。

 ただし、そうした人間の限界というのは人間固有のものであって、それが「ある別の星に住む高等生物」に共有されることは些かも自明なこととは言えまい。(技術的特異点(シンギュラリティ)が絵空事とは言えなくなった今日なら宇宙人の替わりに人工知能を持ってきても良いだろうが、人工知能を道具として、(かつて)「人間」(であったもの)が分析をすることはあっても、人工知能が「主体」の分析というのは、少なくとも現時点では、未だ空想の世界の話に過ぎないだろう。)他方において、シュトックハウゼンの言葉には、自分が帰属する社会の文化的遺物であるマーラーの音楽が、それ以外の社会の「人間」をも代表しうるという暗黙の了解が存在するように思われるが、実際にはそれすら凡そ自明のこととは言えないだろう。とはいえ、一世紀の時間の隔たりと、地球半周分の地理的な隔たりを通り抜けて、マーラーが遺した「抜け殻」は、極東の島の岸辺に辿り着き、そこに住む子供が或る時、ふとそれに気づいて拾い上げ、壜を開けて中に入ったメッセージに耳を傾けた結果、それに強く惹き付けられるということが起きたこともまた事実である。そこに数多の自己中心的な思い込みや誤解が介在していたとしても、その子供はそこに、自分をこの大地に縛りつけ、そして宇宙の他の領界についてはただ夢みることしか許そうとしない、同型のものを見出し、共感し、そこに自らが歩むための「道標」を見出したことは、少なくとも主観的には間違いない事実なのである。或る時マーラーは「音楽」について以下のようにナターリエ・バウアー=レヒナーに語ったようだが、それがこの私の寸法に合わせて如何に矮小化されたものであったとしても、創り手が語った通りのものを、私もまたその音楽に見出したのである。

「音楽は、常にある憧憬を含んでいなくてはならない。それは、この世界の事物を越え出ようとする憧れだ。すでに子供の頃から、音楽は僕にとって何か謎のような、僕を高みに連れていってくれるようなものだった。でも僕は当時、想像力によって、音楽の中になどまったくないような無意味なものまで、そこに押し込んだのだ。」(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録(1984年版原書p.138, 1923年版原書p.119, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, pp.301-2)

 そして彼がそこに見出したのは、単なる耳の娯楽、美しく快い音響の系列ではない。これまたシュトックハウゼンが指摘している通り、その音楽は極めて幅の広いスペクトルを有しており、時として醜さや耳障りな音すら敢えて避けることはなく、寧ろそれは作品を創り出した人間が認識した「世界」の複雑さ、多様性の反映なのである。更に言えばそれは、標題音楽、描写音楽の類ではなく、寧ろ、(ネルソン・グッドマン的な意味合いで)「世界制作」の方法であり、その音楽をふとした偶然で耳にして魅惑された子供は、その音楽を通じて、「世界」の認識の方法を学んだというべきなのだろう。第3交響曲作曲当時のマーラーの以下の言葉はあまりに有名だが、それは肥大した自己に溺れたロマン主義的芸術家の誇大妄想などではなく、文字通りに理解されるべきなのだ。

僕にとって交響曲とは、まさしく、使える技術すべてを手段として、ひとつの世界を築き上げることを意味している。常に新しく、変転する内容は、その形式を自ら決定する。この意味から、僕は、自分の表現手段をいつでも絶えず新たに作り出すことができなくてはならない。僕は今、自分が技法を完全に使いこなしている、と主張できると思うのだけれども、それでも事情は変わらない。(ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:アッター湖畔シュタインバッハ1895年夏の章(原書p.19, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, p.62)

 それは彼が認識した世界の構造を反映していると同時に、彼の認識の様態をも反映している。第3交響曲に後付けされた挙句、最後には放棄された素朴な標題が告げているように、作曲者はそこでは寧ろ世界「が語ること」に耳を傾け、自らが楽器となって世界が語ることを証言する、いわば霊媒=媒体の役割を果たすことになる。同じ時期にアンナ・フォン・ミルデンブルク宛の書簡に記した以下のマーラーの言葉は、そのことを雄弁すぎる程までに証言している。

 さていま考えてもらいたいが、そのなかではじっさい全世界を映し出すような大作なのだよ、――人は、言ってみれば、宇宙を奏でる楽器なのだ、(…)このような瞬間には僕ももはや僕のものではないのだ。(…)森羅万象がその中で声を得て、深い秘密を語るが、これは夢の中でしか予感できないようなものなのだ!君だから言うが、自分自身が空恐ろしくなってくるようなところがいくつかあって、まるでそれはまったく自分で作ったものではないような想いがする。――すべては僕が目論んだままにもうすっかり出来上がっているのを僕は受け取るばかりだったのだから。」
(1896年6月18日付アンナ・フォン・ミルデンブルク宛書簡に出てくる作品創作に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書153番, pp.162-3。1979年版のマルトナーによる英語版では174番, p.190, 1996年版書簡集に基づく邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では180番(1896年6月28日付と推定), pp.173-4)

 それでは一体、そうした作品を分析するとき、私は何をそこに見出そうとしているのか?なぜ演奏を聴くだけで事足れりとはせず、楽譜を調べ、楽曲分析を参照し、或いは自作のプログラムを用意して、MIDIデータを用いたデータ分析を行うのか?

 対比のために、耳に心地よい音響の系列の分析を考えてみると、この場合の分析の目的とは、なぜそれが耳に快いのかを突きとめることになるだろうか。西欧の音楽であればバロック期の作品や古典期の作品の多くは(勿論、モーツェルトの晩年の作品のような、私にとっては例外と感じられる作品はあるけれども)、そうした捉え方の延長線上で考えることができるだろう。或いはまた蓄積された修辞法に(クラングレーデ)基づく風景や物語の描写、或いは劇的なプロットの音楽化から始まって、ロマン派以降の作品のように、情緒的な心の動きや繊細な気分の移ろいや感覚の揺らめき、雰囲気の描写を行うような音楽もあり、そうした音楽にはその特質に応じてそれぞれ固有の分析の仕方があるだろう。では上記のようにシュトックハウゼンが規定し、創り手たるマーラーその人が語るようなタイプの作品についてはどうだろうか?

 端的な言い方をすれば、所詮は音響の系列に過ぎないものが、どうしてそれを創り出し、或いは演奏し、聴取する「人間」についての情報源たりえるのか?どうしてそれが「一つの世界」の写し絵たりうるのか?「世界」の認識の仕方の反映たりうるのか?ということになるだろうか。それは(勿論、一部はそうしたものを利用することはあっても)特定の修辞法に基づく描写ではないし、主観的な情緒や印象の音楽化に終始することもない。そうした事情を以て、人はしばしばマーラーの音楽を「哲学的」と呼んだりもするが、それが漠然とした雰囲気を示すだけの形容、単なる修辞の類でなく、少しでも実質を伴ったものであるとしたならば、一体、単なる音響の系列が、どのような特徴を備えていれば「哲学的」たりうるのか?

 上記の問いは修辞的、反語的なものではない。つまり実際には「哲学的」な音楽など形容矛盾であり、端的に不可能であって、「哲学的」な何かは音楽に外部から押し付けられたものであると考えている訳ではない。それどころか、私がマーラーの音楽に魅了された子供の頃以来、その音楽には「哲学的」と形容するのが必ずしも不当とは言えないような何かが備わっていると感じて来たし、今なおその感じは変わることなく続いているのである。そしてそれを「哲学的」と形容すること是非はおいて、マーラーの音楽には、それを生み出した「人間」の心の構造を反映した、或る種の構造が備わっているのではないかと考え、そうした構造を備えている音楽を「意識の音楽」と名付けて、その具体的な実質について少しでも理解しようと努めてきたのであった。勿論、マーラーの音楽だけが「意識の音楽」ではないだろうし、マーラーの音楽の全てが同じ程度にそうであるという訳でもなかろうが、私がマーラーの音楽に惹き付けられた理由が、それがそうした構造を備えているからなのではないかという予想を抱き続けてきたのである。

*   *   *

 「意識の音楽」については、既に別のところで何度か素描を試みて来たし、その後大きな認識の進展があった訳ではないので、ここで繰り返すことはしない。その替りにここでは、従来、音楽楽的な分析や、哲学的な分析によって示されてきた知見の中で、「意識の音楽」について、謂わば「トップダウン」に語っていると思われるものを指摘するとともに、MIDIデータを用いた分析のような、謂わば「ボトムアップ」なアプローチとの間に架橋が可能であるとしたら、どのような方向性が考えられるかについて、未だ直観的な仕方でしかないが言及してみたいと思う。

 まず手始めとして取り上げたいのが、マーラーの作品の幾つか、或いはその中の或る部分が備えているということについては恐らく幅広く認められていると思われる、「イロニー」あるいは「パロディー」といった側面についてである。

 私がマーラーに出会って最初に接した評伝の一つ、マイケル・ケネディの『グスタフ・マーラー その生涯と作品』(中河原理訳, 芸術現代社, 1978)では、第2交響曲の第3楽章スケルツォに関連して、以下のように、純粋な器楽によるイロニーの表現の可能性についての懐疑が述べられていて、その後永らく自分の中に問題として沈殿続けていた。

「これは、人間のように耳は傾けるけれど態度は変えない魚たちに説教する聖アントニウスを歌った「角笛」歌曲のオーケストラ版である。この歌と詩は皮肉っぽく風刺的だが、しかし純粋な器楽で風刺と皮肉が表現できるものだろうか?耳ざわりな木管のきしみも風刺を伝えない。そういう意味ではこの楽章は失敗だと私は思う。しかし恐怖と幻滅の極めて力強い暗示をもった、まことに独創的なスケルツォとしては成功している(そしてそのことの方が重要なのである)。」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー その生涯と作品』, p.154)

その一方で「パロディー」についてケネディは、第9交響曲第3楽章に関連して以下のように述べている。

「マーラーは、対位法の技法を欠くといって自分を非難した人々への皮肉なパロディーをこめて、この楽章をひそかに「アポロにつかえる私の兄弟たちに」に捧げた。指定は「極めて反抗的に」とあり、実際そう響く。これは短い主題的細胞で組み立てられた耳ざわりで、ぎくしゃくした音楽で、最初の細胞には第5交響曲の第2,第3楽章の音形が反響している。トリオに入ると第3交響曲の第1楽章の行進曲のパロディーがある。こうしてマーラーは自分の諸作品をひとつの巨大な統一に結びつけてゆく。」(同書, pp.221-2) 

 第2交響曲第3楽章は歌曲と異なって、歌詞がある訳ではないので、器楽曲であるそれ自体はイロニーの表現にはならないと述べ、第9交響曲第3楽章についても、言葉による指示(最終的な総譜に残された訳ではないが)について皮肉を認めている一方で、器楽曲作品の主題的音形の引用によるパロディーは認めるというのがケネディの姿勢のようだ。風刺や皮肉は認めていなくても、第2交響曲第3楽章には恐怖と幻滅の極めて力強い暗示を認め、第9交響曲第3楽章についても、耳ざわりでぎくしゃくしているという性質は認めているので、皮肉は言語的なもので音楽だけでは成り立たない一方、音楽がそれ自体で或る種の気分、情態性を示すことができる(ネルソン・グッドマン的には「例示」exsamplifyということになろうか)と考えているようなのである。

 ここで思い浮かぶのはアドルノが『マーラー 音楽観相学』(龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)で、マーラーの音楽の唯名論的性格について述べている中で、以下のように述べている箇所である。

彼がしばしば、主題それ自体からはどちらとも判断を許さないままに、「まったくパロディー抜きで演奏」、あるいは「パロディーで」というように指示したということは、それらの主題が言葉によって高く飛翔する緊張を示している。音楽が何かを語りたいというのではないが、作曲家は人が語るかのような音楽を作りたいのだ。哲学的用語との類比で語るならば、この態度は唯名論的と言えるだろう。音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.83)

 引用の最初の部分だけとれば、音楽的には同一のものが、言葉の指示によってパロディーであったりなかったりするということだから、その限りでは、音楽そのものは同一でも、それをどう名付けるかが問題だという意味で「唯名論的」という言葉を使っているように見えるが、後続の件や、別の箇所で「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝統の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている。」(p.56)と述べていたり、「形式のカテゴリーをその意味から演繹する」「実質的形式論 materiale Formenlehre」(一般には素材的形式論とも)について述べるくだり(p.61)などを考え合わせると、寧ろ、個別の作品毎に各部分が担う機能に基づいて、いわばボトムアップに形式が規定されるといった側面が強調されているようにも見え、この水準は、音楽とそのメタレベルに位置する言語との関係ではなく、一般の抽象的形式カテゴリーと実質的カテゴリーとの関係が問題になっているのであって、実質的なものは抽象的カテゴリーと並行しているか、さもなくば下位に位置するものとされているのである。もし後者の立場に立つならば、ある主題がパロディーか否かというのは、音楽そのものによっては決定不可能であり、作曲者がそれにどのような指示を言葉によって与えるかで決まるという訳では必ずしもなく、寧ろ、個別の作品の音楽の脈絡に応じた、その主題の意味するものによって決まるということになるだろう。アドルノがモノグラフ冒頭で、「マーラーの交響曲の内実を明らかにするためには、作曲法上の問題にのみとらわれて作品そのものをおろそかにしてしまう単なる主題分析のような考察では不十分である」(同書, p.3)と述べているのは、こうした見方に由来しているのである。

 ケネディの言う通り、一般的には「イロニー」は、言語的なものを媒介としており、マーラーの音楽における歌曲と器楽曲の往還を考えれば、マーラーの音楽はそもそも言語的なものの侵入を受けており、それを抜きにして内実を捉えることはできないという見方ができる一方で、アドルノが指摘するような音楽内部における形式的カテゴリーと実質的カテゴリーの重層性を認めるならば、音楽そのものに内在するこうした複数の層の存在とその重なり合いがマーラーの音楽の重要な特徴の一つであると考えることができるように思われる。この点に関連してアドルノが

「マーラーの音楽は、あらゆる幻影に敵意を抱きつつ、芸術それ自体がそのようなものと成り始めた非真理から自らを癒やすために、かえって自身の、本来のものではない性格を強調し、虚構性を力説する。このようにして形式の力の場の中に、マーラーにおけるイロニーとして知覚されるものが生じている。(…)新しく作られたものの中にある既知のものの残像は、彼の場合には、どんな愚鈍な者の耳にも聞こえてくる。」(同書, p.42)

と述べていることを書き留めておきたい。そしてアドルノが言うように「マーラーがいつもどのように作曲するかは、伝来の秩序の原則にではなく、その曲独自の音楽内容と全体構想に従っている」(同書, p.56)のであれば、特に実質的カテゴリーについては、音楽が謂わば庇を借りている伝統的な楽式よりも寧ろ、個別の作品の具体的な経過を追跡することによって明らかになる各部分の機能に基づいて同定されるものであるということになりそうである。ここに伝統を蓄積のある音楽学的な楽曲分析とは別に、MIDIデータを用いた分析を行うことによって、直ちにという訳には行かなくとも、将来的にはマーラーの音楽の内実を解明することに寄与する可能性を見ることができるのではないかと考える。

 「パロディー」についても、引用の元となる文脈と、引用された文脈との間のずれが持つ意味によって決定されるということになる。上に引いた第9交響曲第3楽章の例の場合、元となる第5交響曲第2楽章なり第3交響曲第1楽章なりの部分と比較した時、それを引用したロンド・ブルレスケにおいて疑いなく感じ取れる、ケネディ言うところの「耳ざわりで、ぎくしゃくした」感じは、主題的細胞の和声づけや楽器法に加えられた変形によってもたらされる部分が多く、これは広い意味合いにおいては、アドルノの言う「ヴァリアンテ(変形)」(Variante)の技法によるものと考えることができるだろう。「小説と同様に、定式から解放された個々のものが、いかにして形式へと自らを造り上げ、自律的な連関をわがものとするか、ということが、マーラーに特有の技術上の問題となる。」(同書, p.110)のに対して、「マーラーのヴァリアンテは、常にまったく異なると同時に同じであるような叙事詩的・小説的なモメントに対する技術上の定式化である。」(同書, p.114)と「ヴァリアンテ(変形)」は位置づけられている。続けて例として取り上げられるのは「歩哨の夜の歌」における和声進行における変容なのだが、してみれば、いずれはヴァリアンテの分析に繋がるものとして、さしあたりは予備的なレベルのものであれ、和音の遷移の系列に分析することには一定の意義があるのではないかと考えたい。そして「ヴァリアンテ(変形)」の手法がソナタ形式や変奏曲形式という伝統的図式に反して、その音楽の内実に即した実質的な形式原理にまで徹底された例として挙げることができるのが、第9交響曲の第1楽章である。

「様々な技術的処理方法は、内実に合致したものとなっている。図式的な形式との葛藤は、図式に反する方向へと決せられた。ソナタの概念と同様、変奏という概念も、この作品には適当ではない。しかし、交代して現われる短調の主題は、長調の領域とのその対比は楽章全体を通じて放棄されていないのだが、その短いフレーズが第一主題とリズム的に類似していることにより、音程の違いにもかかわらず第一主題の変奏であるかのように作用する。そのこともまた非図式的である。すなわち、対照的な主題を先に出た主題から別物として構造的に際立たせるのではなく、両者の構造を互いに近寄らせ、対照性を調的性格の対比の面だけに移行させるのである。両方の主題において、ヴァリアンテの徹底化された原則に従い、音程は全く固定化されず、その書法と端に位置する一定の音だけが定まっている。両者に対して類似性と対照性とは小さいな細胞から導き出され、主題の全体性へと譲り渡される。」(同書, pp.200-201)

 ここで述べられているヴァリアンテの具体的様相をMIDIデータを分析することによって抽出することは極めて興味深い課題だが、人間が聴取する場合には難なくできることをプログラムによって機械的に実行しようとすると、たちまちあまたの技術的な困難に逢着することになる。バスの進行や和声的な進行が固定化されている変奏と異なり、ゲシュタルトとしての同一性を保ちつつ、だが絶えざる変容に伴われた音楽的経過を、マーラーが意図したように、或いは聴き手が読み取るように分析することは決して容易ではないが、ニューラルネットをベースとした人工知能技術が進展した今日であれば、これは恰好の課題と言えるかも知れない。同様に、技術的には「ヴァリアンテ(変形)」の技法に関連した時間的な構造として「(…)主要主題の構造もまた、未来完了形の中にある。それは目立たない、レシタティーヴォ風の個性のないはじめの出だしから、力強い頂点にまで導かれる。つまりその主題は自身の結果として成り立つ主題なのであり、回顧的に聞くことによってはじめて完全に明らかなものとなる。」(同書, p.203)と、これもまた第9交響曲第1楽章に関連してアドルノが指摘する「未来完了性」を挙げることができるだろう。事後的に回顧することによって了解される目的論的な時間の流れというのは、現象学的時間論の枠組みにおいては、少なくとも第二次的な把持によって可能となる。第1楽章の総体、更にはこれも因襲的な交響曲の楽章構成に必ずしも従わない全4楽章よりなる第9交響曲全体の構造――それは「小説」にも「叙事詩」にも類比されるのだが――は、更に第三次の把持の水準の時間意識の構造を前提としなくては不可能であろう。

*   *   *

 ここまで、マーラーの音楽の内実を明らかにするためのアプローチとして、言語を媒介とした高度な反省的意識の働きである「イロニー」「パロディー」を手がかりに、マーラー研究の文脈に添うかたちで、アドルノの言う伝統的な抽象的な形式カテゴリーと実質的カテゴリーの重層、更に音楽的経過に含まれる個々の要素の、いわば自己組織化的な形式化の具体的方法としての「ヴァリアンテ(変形)」の技法、それが可能にする時間論的構造としての未来完了性を取り上げてきた。ここで留意すべきと思われる点は、未来完了性のような時間的構造にせよ、アドルノが「小説」や「叙事詩」に類比するような構造にせよ、マーラーの音楽の特質と考えられるものは、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の反映と見做すことができるということであり、総じてマーラーの音楽は、そうした意識が感受し、経験する時間の流れのシミュレータと捉えることができるのではないかということである。そしてそうした観点に立った時に、高度な反省的意識の働きの反映と見做すことができる側面として、更に幾つかの点を挙げることができるだろう。ここではその中で、高度な反省的意識を備え、自伝的自己を有する「人間」の心の構造の成立の、実は前提条件を為している、「他者」の働きに関わる特性として、調的二元論に基づく対話的構造、これも伝統的な規範からは逸脱する傾向を持つ対位法による複数の声の交錯、更にはシェーンベルクがマーラーを追悼したプラハ講演において以下のように指摘する「客観性」について目くばせするに留めたい。

 そこ(=第9交響曲:引用者注)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。

(シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

 と同時に、ここでは「動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間」にしか可能でないと指摘される「客観性」が、一方では既に触れた第3交響曲の創作についてマーラー自らが語ったとされる言葉に含まれる「…が語ることを」書き留めるという受動性に淵源を持ち、他方では「小説」的、「叙事詩的」な語りを可能にするような意識の構造に由来し、ひいてはモノグラフ末尾で「マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることにによって主観的なものとなる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.214)とアドルノが指摘する点に繋がるであろうこと、マーラーの音楽の内実を明らかにしようとする企ては、「作品のイデーそのものではなく、その題材にほかならない」「芸術作品によって扱われ、表現され、意図的に意味されたイデー」(同書, p.3)にしか行きつかない標題の領域をうろつくことなく、こうした構造の連関を浮かび上がらせるものでなくてはならないということを主張しておきたい。

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 上記のような点を仮に大筋認めた上で、だがしかし、具体的に為されたデータ分析の結果が、一体どのようにして上記のような問題系に繋がり、それを説明したり論証したりすることに関わるのか?という疑問は全くもって正当であり、率直に告白するならば、その具体的な道筋が朧げにでも予感できているといったレベルにすら程遠いというのが偽らざる現状であることは認めざるを得ない。

 そのことの困難さを端的に述べるために、問題を非常に簡単なかたちにして示してみよう。MIDIデータを用いたデータ分析について言えば、MIDIデータに含まれる音の系列に基づいて、そうした音の系列を産み出すためにはどのようなシステムが必要か、どのような規則(群)が、どのような構造が必要かという問題を解いていることになるが、それは例えば制御理論における逆問題の一種で、実現問題と呼ばれるような問題設定、系の挙動から、系の内部構造としての状態空間表現を求める問題に似たものとして捉えることができるだろう。つまり、マーラーの作曲した作品を生成するようなオートマトン、「マーラー・オートマトン」を設計する問題として捉えてみるのである。これに似た問題設定として、マーラーの作品の音の系列を与えて、似たような音の系列を生成するニューラルネットワークを学習させる機械学習の問題を考えてみるというのもある。後者についてはGoogle Magentaのようなツールを、Colaboratoryのような環境で動かすことによって比較的容易にやってみることが可能で、本ブログでも特に第3交響曲第6楽章を用いた実験を実施し、その結果を公開したことがあるが、話を単一作品(楽章)に限れば、更に試行錯誤を重ねればある程度の模倣はできそうな見通しは持てても、多様で複雑なマーラーの作品を模倣した音の系列を生成する機械を実現すること自体、容易なことではなさそうである。(これを例えばバロックや古典期の「典型的」な作品の生成と同一視することはできない。それらは寧ろ大量生産・消費される製品に近いものであり、それらと「唯名論的」に、個別の作品毎に、その内容によって実質的な形式が生成していくマーラーの作品との隔たりは小さなものではないと考えられる。同じことの言い替えになるが、機械学習にせよ、統計的な分析にせよ、マーラーの作品は、――冒頭に触れたシュトックハウゼンの指摘が或る意味で妥当であるということでもあるのだが――作品の数の少なさに比べて多様性が大きいし、その特性上、単純にデータの統計的な平均をとるようなアプローチにそぐわない面があるように感じられる。人間の聴き手、分析者は、何某かフィルターリングや変換を行った上で、抽象的な空間でデータ処理を行っているように感じられるのだが、ではどのようなフィルタリングや変換を行い、分析を行う空間をどのように定義すればいいのかについて具体的な手がかりがあるわけではない。)

 そこでいきなり「マーラー・オートマトン」を生成する問題を解くような無謀な企ては控えて、マーラーの作品の構造を分析することに専念したとして、そもそもマーラーの音楽の持つ複雑な構造そのものを、その内実に応じた十分な仕方で記述するという課題に限定してさえ前途遼遠であり、ここでの企てがそれを達成しうるかどうかについて言えば、率直に言って悲観的にならざるを得ないというのが現実である。マーラーの作品が「意識の音楽」であると仮定して、そこにどのような構造があると仮定すれば良いのかすら明らかではない。カオス的な挙動を想定した分析をすれば良いのか?(具体的には例えばリャプノフ指数を求められばいいのか?だが、カオス的な挙動そのものはごく単純な力学系ですら引き起こすことができるものであり、仮にある音楽作品にカオス的な挙動が観察されたとして、それが意味するところは何かは良くわからないが、それでもなおそれがマーラーの作品の何らかの特性に関わる可能性を考えてやってみることになるのだろうか?)、オートポイエーシスやセカンドオーダー・サイバネティクスのようなシステムを仮定して、それらが備えている(例えば自己再帰的な)構造を仮定した分析をすれば良いのか?

 だが恐らく、自己再帰的な構造というだけならば「意識」の関与について必要条件であったとしても、十分条件ではないだろう。つまり自己再帰的な構造は、自己組織化システム一般の備えている特徴であって、それが「意識」の関与の徴候であるわけではないだろう。或いはまた、それは高度な意識を備えた作曲者の「作品」であることを告げていることはあっても(例えばバッハの「フーガの技法」のような主題の拡大・縮小を含んだ高度な対位法的技術を駆使した作品を思い浮かべてみれば良い)、それはここでいう「意識の音楽」の特徴とはまた異なったものであり続けるだろう。寧ろ例えば、文学作品における普通の叙述と「意識の流れ」の手法との対比のようなものとの類比を考えるべきなのだろうか?ある叙述が「意識の流れ」であるというのは、どのようにして判定できるのだろうか?そしてここでは「音楽」が問題になっているのであれば、それは「音楽」に適用することが可能なものなのか?(これはそれ自体マーラーの作品を考える時に興味深い論点だろうが)「意識の流れ」と「夢の作業」に共通するものは何で、両者を区別するものは何か?こうした問いを重ねていくにつれ浮かび上がってくることに否応なく気づかされるのは、結局のところ「意識の音楽」の定義そのものが十分に明確ではないということである。だがその少なからぬ部分は恐らく「意識」そのものに由来するものではなかろうか?その一方で、このように考えることはできないか?すなわち、「意識の流れ」の定着は、それ自体は「意識的」に組み立てられた結果というより、無意識的なものを整序せずにそのまま定着させようとした結果なのだが、そこには高度な意識の介入があって、「無意識的なものを整序せずにそのまま定着させる」という所作自体は、高度にメタ的な「意識の運動」ではないだろうか?そうした操作の結果が音楽的に定着されたものを「意識の音楽」と呼ぶのではなかったか?

 「意識の音楽」の何らかの徴候を、MIDIデータの中に見出そうという試みが、そもそも初めからかなり無謀な企てであることは否定できない。困難は二重のものなのだ。「意識」がどのような構造がどのように作動することで成り立つかがそもそもわかっておらず、十分条件ではなく、良くて必要条件に過ぎない条件として、セカンドオーダーサイバネティクスやオートポイエーシスのような概念が提示されている、という状況がまずあり、更に直接「意識」そのものと相手にするのではなく、「意識」を持った存在が生産した作品を手がかりに、そこに「意識」を備えた生産主体の構造が反映されていることを見出そうとしているわけで、従って、仮説の上に仮説を重ねるこの企て自体、そもそも無理だとして否定されても仕方ない。そんな中で、限られた手段と資源でとにかくデータに基づく定量的な分析を行おうとすれば、「街灯の下で鍵を探す」状況に陥ることは避け難く、一般に「マクナマラの誤謬」と呼ばれる罠に陥ってしまう可能性は極めて高いだろう。けれども、だからといってデータに基づく分析を放棄してはならないし、簡単に測定できないものを重要でないとか、そもそも存在しないと考えているわけでは決してなく、そういう意味では、できることを手あたり次第やる、という弊に陥りはしても、「マクナマラの誤謬」の本体については回避できているというように認識している。

 三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」であれば、それをシュトックハウゼンの宇宙人が解読しようとしたとき、規則によって生成された音の系列そのものだけでは、それが「人間」の産み出したものであるかどうかの判定はできない。自然現象でも同じ系列が生じることは(マーラーの場合とは異なって)あり得るだろう。だけれども、残り2つの相があることで。それは「人間」が産み出したものであり、人間についての情報を与えてくれるものとなっているというように言えるのだと思う。「五芒星」の音の系列そのものからは「人間」は出てこない。でも同じ音の系列をマトリクスとして、あの3つのヴァリアントを産み出すことができるのは「人間」だけなのだと思う。

 翻ってマーラーの場合だって、或る作品の或る箇所だけ取り出せば、それを機械が模倣することは可能だ。だけれども、マーラーの作品の総体ということになると、しかも、既に存在する作品の模倣ではなく、新たにそれを産み出すということになれば、それを産み出す機械は、「人間」と呼ばれるものに限られるということになるのではないか?

 これも前途遼遠な話ではあるが、或る作品単独での特徴ではなく、例えば一連の作品を経時的に眺めた時に見られる変化であれば、それを産み出す「主体」に、所詮は程度の差であれ、もう少し近づくことができるのではないかというような当所もないことを思っている。牽強付会にしか見えないかも知れないが、その「主体」が成長し、老いる存在なのだ、ということが読み取れるならば、それには一定の意義があるのではというように思うのである。人間が成長し、老いていき、その結果「晩年様式」なるものが生じるというのは、「人間」についての水準では既に自明のなのかも知れないが、だからといってデータ分析によって経年的な変化が読み取れることを、初めから答えがわかっていることを跡付けているだけとは思わない。例えばの話、具体的にその変化が、どのような特徴量において現れるかは決して自明なことではないし、データ分析はすべからく、分析者の仮説とか思い込みとかから自由ではあり得ない。完全に中立で客観な分析というのは虚構に過ぎない。

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 最初はマーラーの作品における調的な遷移のプロセスを可視化することを目的として、そのための入力データとしてMIDIファイルを使うことにしたのがきっかけで、その後、特に和音(実際には機能和声学でいうところの和声ではなく、ピッチクラスセットに過ぎない。以下同じ。)の出現頻度を用いてクラスタリングや主成分分析を行い、マーラーの作品に関して、幾つかの知見を得ることができた。その後和音の状態遷移パターンに注目してパターンの多様性の分析やエントロピーの計算を行い、そこでも若干の知見を得た後、直近ではリターンマップの作成をしているが、今後、どのような観点での分析を進めたら良いのかについて明確な見通しが持てているわけではない。本稿はそうした或る種の行き詰まりの中で、何か少しでも手がかりが得られればと考えて始めた振り返りの作業の一環として執筆された。ここまで執筆してきて、特段新たな発見のようなものがあった訳ではないが、従来より蓄積されてきたマーラーの作品固有の特性に関する知見と、MIDIデータを用いたデータ分析のようなボトムアップな分析とのギャップを具体的に確認することが出来ただけでも良しとせねばなるまい。そのギャップを埋める作業は、自分自身の手に負えるようなものではなく、ここでは問題提起を行うだけで、未来の優秀な研究者に委ねられているとしても構わない。寧ろこの問題設定を引き継ぎ(実際の作業は全く違うアプローチで勿論構わないが)いずれの日にか、マーラーの音楽の内実を捉えた分析が、具体的なデータに基づいて行われることを願って本稿の結びとしたい。(2024.8.16 初稿, 8.21, 28追記)

2024年8月12日月曜日

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及(Taschenbuch版全集第13巻p.300,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.202)
In der dialogisierenden Anlage des Satzes erscheint sein Gehalt. Die Stimmen fallen einander ins Wort, als wollten sie sich übertönen und überbieten: daher der unersättliche Ausdruck und das Sprachähnliche des Stücks(, der absoluten Romansymphonie).

楽章の対話する配置構造の中で、その内実が現れる。個々の声部は互いに口をはさみ、まるで互いを圧倒して競い合おうとするかのようである。まさにそこから、(絶対的な小説交響曲と言うことのできる)この作品の、飽くことなき表現と言語類似性とが生じている。 

偶々パウル・ツェランに関する書籍(関口裕明「パウル・ツェランとユダヤの傷 -《間テキスト性》研究-」慶應義塾大学出版会, 2011)の中で、ツェランとアドルノの 関係を扱っていた章を読んでいると、アドルノがマーラー論の上記の箇所を自己引用した書簡(1960年6月13日付)をツェラン宛に送っているものの引用(pp.160-1)に ぶつかった。同書末尾の書誌によれば、この書簡はアドルノ研究の年報のようなものに掲載されただけ(Theodor W. Adorno - Paul Celan: Briefwechsel 1960-1968. Hrsg. von Joachim Seng. In: Frankfurter Adorno Blätter VIII)のようなので、アドルノの研究者あるいはツェランの研究者でなければ目にすることは困難で、 そのいずれでもない、私のような市井のマーラーの聴き手にすれば、こうした事実を確認できるのは僥倖に近いものがあるので、ここに書きとめておく次第である。
 
なお、括弧で括った部分は、アドルノが引用の文脈上省略したと思われる部分である。引用の文脈について簡単に触れておくと、1960年5月23日に ツェランが、講演や書簡を除くと、彼の書いたほぼ唯一の散文である「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)を送ったのに対するアドルノの返礼が、上記の 文章の引用を含む6月13日付けの書簡となる。もともと「山中の対話」は、前年の1959年夏、ツェランがエンガディーンに滞在した折、同地でアドルノと 直接出会うチャンスがあったにも関わらず、アドルノの到来を待たずに同地を去りパリに戻った後、エンガディーンでの実現されなかった出会いの思い出として 書いたとツェランが自ら証言している散文であり、作中の対話の一方の話者である「大きなユダヤ人」はアドルノを指していると言われている。
 
上記の書籍を紐解いたのは、私がパウル・ツェランに関しては文学としては例外的な関心を抱いていて、その詩や散文を折に触れ読み返しているという 文脈あってのことなのだが、そうした文脈があればあったでなお一層、アドルノとツェランのやりとりの中で、マーラーの第9交響曲についての言及があるのは 非常に印象的なことである。だがツェランに親しんでいる人間の側に立てば、上で簡単にその一部を述べたアドルノとツェランとの交流については良く 知られたことではあるし、特に「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)に因んだやりとりはあまりに有名であるけれど、そこでマーラーの音楽が参照されることの方には、 些かの意外感がある、というのが一般的な反応であろうと想像される。関口さんも、上記を含む書簡を訳して引用した上で、「音楽にも精通していたアドルノ ならではの批評である。」としたあとで続けて、「独立した芸術作品としては、アドルノが『マーラー』で論じたマーラーの第9交響曲とツェランの詩的散文との 間には、ジャンルはもとより、その本質においても埋め難い径庭がある。」とコメントされている。
 
些か余談めくが、関口さんは、引用元であるアドルノの 「マーラー」の原文にあたられているようで、上で触れた省略についても述べられているのだが、それならば今度はアドルノが自己引用した文章のすぐ後、 パラグラフの結びとなる一節である"als ob die Musik während des Sprechens den Impuls zum Weitersprechen erst empfinge."の後半、"den Impuls"以降の部分が、 関口さんがツェランとの関わりで関心をお持ちのようで、ツェランに取材したオペラの初演にも立ち会われたと別の書籍で述べられているルジツカのヴィオラ協奏曲(1981) のタイトルとして用いられていること、そしてその作品でルジツカはまさにマーラーの第9交響曲をベースにしていることもまたご存知なのだろうか。のみならずルジツカには、 第5楽章にマーラーの第10交響曲の主題の引用を含む弦楽四重奏曲《...断片...》(1970)があるが、この作品はパウル・ツェラン追悼のために書かれたもので、 モットーとしてツェランの"Lichtzwang"からの一節が掲げられているのであるが、これについてはどうだろうか。
 
勿論、こうしたルジツカの側の文脈を列挙したところで、マーラーの音楽とツェランの詩的作品の間の関連を無条件に裏付けたり、 直接に証明したりするものでないことは明らかだが、仮に傍証であるとしても、こうした作品を書いている ルジツカのツェランに対する関わりについての言及を他所で行う一方で、ここでは「その本質においても埋め難い径庭がある」と断定し、だが、その断定に関する 一切の論証をせずにこの話題から離れていってしまうのは、上記のような事情を知る私にとっては非常に残念なことに感じられてならない。 浩瀚な大著のほんの一部でいわば通りすがりに言及されているだけなのであるから、無いものねだりなのだとは思いつつも、読者の私としては、俄には 受け入れがたい断定的なコメントがいわば宙に浮いたまま取り残されてしまった感じがして、ひっかかりを抱き続ける仕儀となっているのである。
 
さりとて、それについてツェラン、アドルノ、マーラーのいずれの研究者でもない私に何かが言えるわけでもないのだが、それでもこの文脈で主題的に論じられているのが 「対話」であることは明らかで、それがツェランにとっては極めて切実な問題であること、マーラーにおいても技法の次元を介してではあるが、極めて根本的な 問題であることもまた明白に思われるだけに、関口さんが、(あっさり通り過ぎてしまったマーラーの方はともかくも、)その点にはあたかも自明の前提の如く、 後続の「山中の対話」の分析でもほとんど主題的に扱うことがないことにも違和感を覚えてしまうのである。関口さんも指摘するとおり、ツェランは「子午線」において 「芸術」に「詩」を対立させる独特の詩論を展開するが、その一方でツェランはまた、先行するブレーメン講演で表明されている通り、詩を内的なモノローグ、 独語ではなく、「投壜通信」として、つまり対話として捉えてもいるのだし、そうした文脈で「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)を読むとき、まずそれが、タイトルに 「対話」という語を含み、形式として対話構造を直接持っているのではないが、その中で対話が繰り広げられていること、一度きり散文として対話が いわば「直接に」作品中でなされていることが持つ意味合いについてのコメントがあってしかるべきではないかという気がしてならない。
 
それはユダヤ性という点においても (ツェランが直接会って失望したブーバーよりも、寧ろ、ツェランの「投壜通信」への遅ればせの応答のようにツェラン論を書いたレヴィナスやデリダにおけるそれを 私は思い浮かべているが)決して瑣末な問題ではないし、「間テクスト性」という概念自体、ツェランについてそれを研究するのであれば、ツェランのいう「対話」概念 との絡み合いへの反省なしに行うことは、事態に即しているとは思えない。
 
してみれば、ことはマーラーに関わる部分に限定されるのではない。アドルノとツェランのこのやりとりを 「文章の音楽的効果」を介したものとして紹介するのは全く正当ではあるけれど、まずは何よりも、そこでジャンルを跨いだ「間テクスト性」において問題とされている 「対話」という主題という直接的なレベルにおいて無視が行われている点が、「対話」という主題の持つ射程、ジャンルを跨いだ「間テクスト性」概念自体にも 及ぶであろうそれに対する無視と重なって、ここで検討されるべきであった筈の論点、仮にマーラーの音楽について言えば個別には「その本質においても 埋め難い径庭がある」としても、それであればそうした個別の事情の方を無視して(つまり、マーラーが関係ないとおっしゃるならそれはそれでいいから)、 なお取り上げるべき論点、アドルノが指摘する「対話」の問題についての検討が為されていないことを遺憾に感じる気持ちを抑えがたいのである。 そもそも「間テクスト性」研究の正当性は、ツェラン自身が 「対話」を志向していた点(それが常に成功したのか、主観的にツェランがどのように感じていたか、晩年のツェランの抱えた問題がそれにどう影響したか、と いった問題は考慮しないといけないだろうが)に存している筈であり、「間テクスト性」の表れのレヴェルではなく、それを根拠づけている構造のレヴェルで 「山中の対話」(Gespäch im Gebirg)はまさに結節点に位置しているのではないか。
 
だがここではマーラーの文脈に戻ることにしよう。マーラーの音楽において「対話」というのは、表面的には(子供の魔法の角笛を歌詞に持つ、バラード的な 作品が特に顕著だが、例えば「大地の歌」の終曲においても出現する)歌曲の歌詞における2つの人格間のやりとり、 「嘆きの歌」から第8交響曲第2部の「ファウスト」終幕の場に至る、やはり歌詞を持つカンタータ風の構想を持つ作品におけるテキストレヴェルでの プロットとしてのそれがまずあるが、それ以上に、アドルノがここで第9交響曲を主題に扱っている、形式面でのそれ、マーラーが出発点として参照し 続けたソナタ形式から取り出して見せた長調・短調の二元論(第6交響曲の第1楽章の第1主題と第2主題のブリッジの部分に出てくる有名な モットーはそれをいわば「蒸留」したものであろう)と、マーラーの音楽の一貫した特徴である2声の対位法による思考(それがむき出しの形で現れるのは、例えば 第9交響曲の第4楽章の最初は変ニ短調で現れる挿入句が、ついで嬰ハ短調で再び登場し、独立した対主題として成長するときにとる形態 だろう)、多楽章形式における視点の移動・変更(それがいわば「標題」として表に出ているのが第3交響曲の場合だろうが、別に第3交響曲において それが最も著しいわけではないし、例えば、一見そうは見えなくても、実際には「大地の歌」においてもはっきりと判別することができるが、それについて私は 別のところで素描を試みたことがある)、そしてそれとは異なったレベルでの作品自体の機能のレヴェル(例えばマーラーがアルマ宛の書簡で作者が 成長する折に脱ぎ捨てた「抜け殻」に過ぎないと述べているようなレヴェル)における「対話」や「贈与」といったコミュニケーション的な観点を 併せて考える必要があるだろう。
 
マーラーの音楽は肥大した自己意識の誇大妄想的な主観的独白と見做されることが多いようだが、何よりも上に述べたような、その音楽の 実質を支える内的な形式構造がそうした見方を否定する。マーラーの音楽が忌避されるのは、それが彼の表現として主観的だからではなく、 それが主観を苛む外部との葛藤を常に内的契機として孕んでしまっていて、美的な観点から判断すれば醜悪なものを内容するが故に、 心地よい音楽を求める人にとってそれは耳障りだからであり、逆に「心から心へ」の音楽観に忠実な人から見れば、その音楽は対立する契機を 含が故に屈折し、内的表白として理解しようとするものを拒む秘教的な暗号めいたものを持つゆえに素直に受け取ることができない胡散臭い 代物に映るからなのであろう。だがいずれにせよ「対話」という点においては、まずは内的な形式におけるそれが契機となって、今度はその作品自体が 他者に向かって開かれたもの、時代と環境を越えて、表現することのできない者、見捨てられた者の声を伝えるものであるという点で、ツェランが詩作を 通じて取り組んだことと一致するように私には思われる。上に引用したアドルノの指摘は、そうした一見したところ「埋め難い径庭」を超えた、両者の 最も個別的な側面での一致にまで通じるものなのではないか。
 
それはまた、それが成功しているかどうかは別として、ルジツカがなぜ、ツェランを追悼する作品でマーラーの音楽をまさに「間テキスト的」に引用せずには いられなかったかという理由にも繋がることは疑いない。勿論、現時点では論証抜きの仮説に過ぎないことは承知しているが、それでもこの場での私個人の 暫定的な結論はマーラーの音楽とツェランの詩的作品のジャンルの違い、2人の生きた時代や環境、それぞれの作品の持つ文脈の違いを 超えて、「対話」の構造において両者は本質的な関連を持つ、というものである。付言すれば、それは学問的論証のレベルではまだ取るに足らない レベルだし、私のような市井の人間の思いつきがきちんとした論証に辿り着く日が訪れることは、少なくとも私に残された時間を思えば、私個人の時間の 裡ではないと考えるべきだろうが、それでもなお、私はここでそれを「投壜」して、潜在的な読み手との「対話」を試みることはできる。そしてそれは、 ツェランの詩とマーラーの音楽に自分の生の極めて本質的な部分を支えてもらっている、それどころか私自身の一部であるとさえ感じている、それ自体は 取るに足らない存在に過ぎない私のではあるけれど、自己の個別性を賭した主観的確信に由来する行為なのである。否、そうした無力で言葉を 奪われたものである私、マーラーの音楽とツェランの詩に自己の代弁者を、自由を、あえて言えば"Schrift der Wahrheit"を見出すものの証言であるが 故に、論証としての説得力には至らずとも、この文章自体がせめて一つの証言としての意味があるのではないかと願わずにはいられない。(2012.10.20/21 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より(Taschenbuch版全集第13巻p.309,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.214)
(...)Vom Unwiederbringlichen vermag das Subjekt die auschauend Liebe nicht abzuziehen. Ans Verurteilte heftet sich der lange Blick. Seit der unbeholfenen, vom Klavier begleiteten Jugendkomposition des Volkslieds » Straßburg auf der Schanz' « sympathisiert Mahlers Musik mit den Azocialen, die umsonst nach dem Kollektiv die Hände ausstrecken. » Ich soll dich bitten um Pardon, und ich bekomm' doch meinen Lohn! Das weiß ich schon.« Subjektiv ist Mahlers Musik nicht als sein Ausdruck, sondern indem er sie dem Deserteur in den Mund legt. Alles sind letzte Worte. Der gehenkt werden soll, schmettert heraus, war er noch zu sagen hätte, ohne daß einer es hört. Nur daß es gesagt wird. Musik gesteht ein, daß das Shicksal der Welt nicht länger vom Individuum adhängt, aber sie weiß auch, daß dies Individuum keines Inhaltes mächtig ist, der nicht sein eigener, wie immer auch abgesplatener und ohnmächtiger wäre. Darum sind seine Brüche die Schrift von Wahrheit. (...)

(…)主体は、取り戻すことのかなわないものから、眺めている愛の眼をそらすことができない。判決を下されたものに対して、じっと見つめるまなざしがつきまとう。すでに若い頃の、ピアノ伴奏によるぎこちない民謡の<シュトラースブルクの堡塁で>以来、マーラーの音楽は、集団に対して無為に手を差し伸べる反社会的な人々への共感を抱いている――「許してくれと言えという。だけど罰はどのみち受けるのだ。それはもうわかっている」――マーラーの音楽は、彼の表現として主観的なのではなく、脱走兵に音楽を語らせることによって主観的なものとなるのだ。すべてのものが最後の言葉である。絞首刑になるべき者は、誰にも聞かれることなく、彼がまだ言いたいことを大声で語る。しかしそれはただ語られるだけなのである。音楽は世界の運命がもはや個人には左右されないことを認めるが、音楽はまたその個人が、どれほど引き裂かれた無力な内容でも、自分のものではない内容を意のままにすることはできないということも知っている。それゆえに、マーラーの音楽の破綻(ブリュッヘ:訳文原文ルビ)は、真理の書かれたもの Schrift von Wahrheit なのである。 (…)

アドルノのマーラー論の終わり間際の上記の一節は、別のところで既に紹介した1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分ともども、 マーラーの音楽が何であるかを正確に言い当てているように私には感じられる。否、より正しくは、「マーラーの 音楽が私に語ること」が何であると私が感じているかを正確に言い当てていると感じている、と言うべきなのかも知れない。マーラーの音楽を聴き始めたばかりの 子供は、自分ではそれをここまで正確に言い表すことができなくても、やはりそのように感じていたと思うし、それから30年後の今、かつては既に縮図としてではあれ、 自分が置かれた環境においては実感してはいたものの、寧ろより多くは予感であったものが、今や紛れもない実感として迫っていると感じられる。
ここでもまた「子供の魔法の角笛」が引き合いに出され、マーラーの音楽が流布しているロマン主義的な意味合いでの自己表現ではないことが説得的に 述べられている点には留意すべきだろう。寧ろそれは、そのような自己表現を禁じられた者に対する共感であり、擁護なのだ。マーラーの音楽がすっかり 「当たり前」になり、一時期は「マーラーの時代が来た」などど持て囃されて後もなお、マーラーの音楽の毀誉褒貶が著しいのは、マーラーの音楽が はっきりと聴き手を選ぶからなのだと思う。この音楽を不要なもの、不快なものと感じる人、この音楽を聴いて見たくないものを突きつけられているような 居心地の悪さを覚える人間がいるのは仕方ないことなのだ。けれども、その一方で、時間の隔たりと空間の隔たりを超えて、この音楽を欲している人、 この音楽の眼差しを必要としている人もまた確かにいる。マーラーの直面した敗北、感じた孤立、自分がそこで生きるしかない世界から、にも関わらず どうしようもなく疎外され、断罪されているという感じ方に共感を覚える人達のために、この音楽は存続し続けているし、存続し続ける。 マーラーの音楽がコンサートホールでの熱狂にどこか似つかわしくないというのも、その音楽が実は、誰も聞く耳を持たない最後の言葉を語らずには いられない疎外された人間のためのものだからなのだ。
一点だけ、些細なことだが、この著作に専ら新しい邦訳で接している方に対するフォローを。上記引用文の2つ目の文にder lange Blickという言い回しが 出てくる。これは引用文を含むこの著作の最後の章全体のタイトルでもある。内容に配慮してのこととは思うが、新訳では、タイトルは「長きまなざし」、 上記引用文では「じっと見つめるまなざし」と訳し分けられていて、それが同じ言い回しであることに気づかない。(ちなみに竹内・橋本による旧訳およびJephcottによる 英訳では、どちらもそれぞれ「長いまなざし」、the long gazeという同じ訳語が充てられている。)仕方ないことかも知れないが、このマーラー論のまさに最終章が 何故そのようなタイトルを持つか、アドルノが読み手に示唆したかった事がどのようなものであったかを窺い知る鍵の一つであると私には思われるので、 あえてここで注意を促しておきたい。
そのまなざしが聴き手にもまた届いていることを、マーラーの音楽の聴き手のうちのある種の人達は、私とともに感じ取っている ことと思う。破綻を破綻として、だが断罪するのではなく、愛をもって見つめつつ記録すること、内容の破綻とそのまなざしの二重性こそ、意識の音楽たる マーラーの作品の固有性であると私には思われる。アドルノはここでdie Schrift von Wahrheitという表現をしている。だが、私にはそう言ってしまっていいものか、 躊躇いがある。私自身は寧ろ、それが真理であればと願っているけれど、この世界ではそのようには認められないこと、常にその真理は「ここ」にはないのだ、 マーラーの音楽という仮象としてしか存在しえないのだ、ということを思わずにはいられない。否、だからこそ、勿論アドルノは正しいのだ。彼は破綻こそが そうであると言っているのだから。ここにあるのは断罪だけ、判決は覆らないし、声は届かない。甘え、感傷、自己憐憫、ナルシシズムといった批判はきっと この世界では正しいのだ。私もまた「私が間違っているのはわかっている」と言わざるを得ないのだ。私がいなくなっても、マーラーの音楽が遺ってくれればそれでいい。 私は彼のようには語れないし、彼が充分に語ってくれているのだから。(2009.3.14  執筆・公開, 2024.8.12 訳文を追加。)