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アマチュア・オーケストラ演奏頻度を2025年の公演の集計を追加して更新しました。(2025.12.25)

2026年9月13日日曜日

ピッチクラスセットDFTによる調性力学の実証的知見 ——応用編レポートII

 1. 序論

本レポートは、方法論レポートII(PCセットDFT、段階4)で確立されたf1〜f6モード分析の枠組みを、55楽章コーパスに適用して得られた実質的知見をまとめるものである。応用編(五度圏重心分析編)がf5(五度圏)空間のみに基づく分析であったのに対し、本編はf1〜f6すべてのモードを対象とし、コーパス中のどの楽章がf5以外の空間で組織化されているかを直接検出する。

方法論IIの第7章(動機的事例:ペッテション)・第10章(今後の応用可能性)で名指しされた仮説を、実データによって検証・精緻化することを主たる目的とする。各章の冒頭で対応する仮説を明示し、検証できた仮説/精緻化を要した仮説/否定的な結果に終わった仮説(ブルックナー)/範囲外の新規発見(ブラームス)を区別して報告する。


2. Fourier Mode Profileによるコーパス全体の俯瞰

2.1 Dominant_Modeの分布


55楽章それぞれについて、f1〜f6のうち振幅が最大のモード(Dominant_Mode)を集計すると以下の通りである。

Dominant_Mode

楽章数

割合

f5

28

50.9%

f4

17

30.9%

f3

9

16.4%

f6

1

1.8%

f1・f2

0

0%

f5優勢は全体の約半数にとどまり、f3・f4が合わせて約半数を占める。「五度圏=西洋音楽の第一空間」という前提は統計的に裏付けられるが、それだけでは記述しきれない楽章が半数近くに及ぶことが、コーパス全体で確認できる。f1・f2優勢の楽章は存在しない。

2.2 作曲家別プロファイル

作曲家ごとにDominant_Modeの内訳と、モード集中度(Dominant_Mode_Shareの平均)、f5振幅の平均を並べると次のようになる。

作曲家

f3優勢

f4優勢

f5優勢

f6優勢

n

平均Dominant_Mode_Share

f5平均振幅

ブラームス

0

4

0

0

4

0.237

0.526

ブルックナー

1

1

6

0

8

0.229

0.568

ハイドン

1

3

4

0

8

0.229

0.577

マーラー

2

0

9

0

11

0.229

0.539

モーツァルト

0

1

3

0

4

0.240

0.576

ペッテション

5

5

1

0

11

0.209

0.400

DSCH

0

1

1

0

2

0.219

0.540

シベリウス

0

2

4

1

7

0.242

0.507

ここから2点、注目すべき全体傾向が読み取れる。

第一に、Dominant_Mode_Shareの平均は作曲家を問わずおおむね0.21〜0.24の狭いレンジに収まっている。つまり「モードが入れ替わること」自体はコーパス全体に広く分布する現象である一方、「一つのモードに極端に集中すること」はどの作曲家にも稀である。モードの交代は、劇的な断絶というよりも僅差での優劣交代として起きている。

第二に、f5平均振幅で見るとペッテションが突出して低い(0.400、他は0.51〜0.58の範囲に収まる)。ペッテションのみが、f5空間そのものの振幅低下という形でコーパスの他の作曲家から明確に区別される。

2.3 Fourier_Concentration——支配モードの強さそのものを測る

Dominant_Modeは「どのモードが最大か」を示すが、「その最大モードが他モードをどれだけ圧倒しているか」は別の情報である。この点を捉える指標がFourier_Concentrationである。55楽章コーパス全体では、平均0.0256、標準偏差0.0108、範囲0.0044〜0.0450となる。

作曲家別に見ると、ペッテション(平均0.0103)が最も低く、モーツァルト(0.0359)・ブラームス(0.0350)・ハイドン(0.0334)が高い。これはDominant_Mode_Shareの傾向(2.2節)と方向としては一致するが、両者の相関は r=0.745 であり、完全に同一の情報ではない。ペッテションのFourier_Concentrationが突出して低いという事実は、4章で述べた「f5からf3・f4への単純な移行ではなく、複数の弱い求心力が並立する」という描像を、Dominant_Mode_Shareとは独立に測定された指標からも裏付けるものである。

以上の全体像を踏まえ、3〜8章では、この俯瞰から特に検討に値する作曲家・作品を個別に取り上げる。


3. ブラームス——f4優勢という新規知見

方法論IIとの対応:方法論II第10章にはブラームスへの言及はなく、本編で新たに見出された知見である。

ブラームスの交響曲第1〜4番(各第1楽章)は、全4曲においてf4がf5をわずかに上回る

作品

f4

f5

Avg_r(f4空間)

Anisotropy_Ratio(f4空間)

第1番

0.631

0.494

0.631

0.727

第2番

0.554

0.549

0.554

0.884

第3番

0.557

0.550(推定)

0.557

0.897

第4番

0.584

0.549(推定)

0.584

0.714

差は僅少(第2番では0.554対0.549とほぼ拮抗)だが、4曲すべてが同じ方向に傾いている点は偶然とは考えにくい一貫性である。f4はIC3(短3度)に一意に対応するモードであり(9章参照)、ブラームスの和声語法における短3度関係(並行三度・六度の多用、属七・減七系和音への接近)が、f5(完全5度圏)と拮抗しうる強度でf4空間に刻まれている可能性を示唆する。ただしn=4であり、この一貫性が作曲家個人の様式的特徴なのか、初期〜中期ロマン派に一般的な傾向なのかは、コーパス拡張による検証が必要である。


4. ペッテション後期——f5からの逸脱と複数空間への分岐

方法論IIとの対応:第7章の動機的事例、および第10章「ペッテション」項目に対応する。同章では「f5での原点集積が、f4での短3度周期性を基礎とするより広い組織原理への再編を示唆する」という仮説が提示されていた。

4.1 Fourier mode profileで見るf5の後退

ペッテション11曲中、f5優勢はSym6の1曲のみであり、残る10曲はf3優勢(Sym7・8・9・10・12)とf4優勢(Sym11・13・14・15・16)にほぼ均等に分裂する。f5の絶対振幅も、コーパス中央値(0.537)を下回る作品が大半を占め、特にSym10・Sym11では0.316まで低下する。

4.2 f3・f4空間内部の軌道力学

f4優勢の5曲について、f4空間でのF4_Dominant_Phase_Ratio(3つの位相クラスのうち最頻出の占有率)を見ると、0.35〜0.50の範囲でコーパス中央値(0.404)をやや上回る程度にとどまる。F4_Attractor_Numberは全曲で3(3つの位相クラスすべてが有意に出現)であり、単一の位相への一極集中ではない。

f3優勢の5曲についても、Anisotropy_Ratioは0.51〜0.90とばらつきが大きく、統一的な組織原理を一言で要約することは難しい。

4.3 動機的事例の検証・精緻化

以上から、方法論II第7章の仮説は部分的に検証されたが、単純な「f5→f4」という一対一の移行では説明できないことが分かった。実際には、

  • f5空間の振幅低下という点では仮説通りである。

  • しかし移行先はf4だけでなくf3にもほぼ均等に分岐しており、「短3度周期性」という単一の組織原理には還元できない。

  • f4空間内部での位相集中度も中程度にとどまり、劇的な一極集中は見られない。

したがって、ペッテション後期の調性力学は「f5からf4への再編」ではなく、f5という単一の強い求心力が失われた結果、f3・f4という複数の弱い求心力が並立する状態として記述する方が実態に近い。この精緻化は、Report Iで確認された「ペッテションのExact_Triadic_Ratioが最低である(真の調的希薄化)」という知見とも整合的である——単一空間への収束ではなく、複数空間にわたる希薄化という描像である。


5. シベリウス《タピオラ》——f6空間での全音音階的組織

方法論IIとの対応:第10章「シベリウス:f5とf6の併用」に対応する。

《タピオラ》は55楽章中唯一のf6優勢楽章であり、f6=0.551に対しf5=0.376と明確な差がある。これはReport Iで報告した「《タピオラ》の原点着地が全音音階的PC-set{D♭,E♭,F,G,A,H}に集中する」という知見と、独立した経路(PCセットDFT)から直接裏付けられる結果である。

5.1 理論的裏付け:IC2とf6の一対一対応

方法論IIのウィーナー・ヒンチン対応表によれば、f6はIC2(長2度)に一意に対応するモードである。全音音階はすべての隣接音程がIC2(長2度)で構成される音階であり、IC2密度が理論上最大となる音組織である。したがって全音音階的書法を持つ楽章がf6において突出した振幅を示すことは、理論的に予測される帰結であり、《タピオラ》はこの理論的対応関係を実データで裏付ける最も明快な事例となっている。

5.2 f6空間の構造的な次元縮退——方法論上の注記

f6係数には、他のモードにはない特有の数学的性質がある。F6(X) = Σ e{−iπx}であり、これは全ての整数xについて実数値((−1)x)を取る。すなわちf6空間は理論上つねに実軸上に縮退する1次元の量であり、2次元的な「軌道」を持たない。実際、全55楽章のf6座標の虚部(Mean_y)は最大でも10⁻¹⁶のオーダーであり、数値誤差の範囲内でゼロである。

このため、Avg_r(原点からの距離=全音音階性の強度)やOrigin_Ratioは意味のある指標として使えるが、Anisotropy_Ratioや角度ベースの指標はf6空間では構造的に退化する(《タピオラ》のf6空間Anisotropy_Ratioは数値上ほぼ0だが、これは「等方的である」ことを意味するのではなく、指標が2次元的な軌道を前提として設計されているために生じる非典型的な値であり、解釈上の注意を要する)。f6を用いる分析では、この次元縮退を踏まえた指標選択が必要である。


6. マーラー第7交響曲——「超長調」仮説とf3

方法論IIとの対応:第10章「マーラー:第7交響曲、アドルノの『超長調』概念」に対応する。

マーラー11曲中、f3優勢は2曲のみであり、そのうちの1曲がまさに名指しされていたマーラー第7交響曲第1楽章である(もう1曲は未特定の別作品)。


f3

f5

Avg_r(f3空間)

Anisotropy_Ratio(f3空間)

f3空間

0.534

0.534

0.847

f5空間(参考)

0.497

0.497

0.683

f3空間ではf5空間と比べてAvg_r・Anisotropy_Ratioともに高く、より凝集し、より方向的に偏った組織を示す。これは、マーラー第7交響曲第1楽章がf5よりもf3でより強い構造を持つことを示す結果であり、方法論IIが理論的に予告していた「超長調」的な組織——複数の調域が同時に活性化される複層的な調性が通常の五度圏(f5)とは異なる空間で現れるという仮説と整合的な結果である。ただし、f3優勢であることそのものが「超長調」であることを証明するわけではなく、これは1事例のみの一致にとどまる。統計的な検証(他のf3優勢楽章との比較、あるいはマーラーの他の「複層的」と評される楽章の追加分析)が今後必要である。


7. ブルックナー7・8・9番——f5内部にとどまる組織(否定的結果)

方法論IIとの対応:第10章「ブルックナー:7・8・9番の比較」に対応する。

第7・8・9番はいずれもf5優勢であり(f5=0.587/0.529/0.572)、モードの切り替えとしては現れない。すなわち、これら3曲の間に見られる差異(Report Iで確認したブルックナーの発達的傾向、Exact_Triadic_Ratioの第8番における下方外れ値等)は、f5空間内部の力学として説明する必要があり、DFTモード間の切り替えという形では検出されない

この点で、方法論II第10章の仮説は否定的な結果に終わったと言える。ただし、二次的なモードの相対強度には示唆的な違いがある。


f3

f4

f5

f6

第7番

0.555

0.518

0.587

0.342

第8番

0.476

0.525

0.529(8曲中最低)

0.350

第9番

0.510

0.465

0.572

0.371(8曲中最高)

第8番はf5振幅がブルックナー全8曲中最低であり、Report Iで確認したExact_Triadic_Ratioの下方外れ値(第8番、0.301)と符合する。第9番はf6振幅が全8曲中最高であり、全音音階的・対称和音的な要素がわずかながら増加している可能性を示す。いずれも「否定的な結果」の中に見出された、二次的だが具体的な手がかりである。


8. DSCH——n=2における空間選択の不一致

方法論IIとの対応:第10章「ショスタコーヴィチ」に対応する。

DSCHはコーパス中最小のサンプル(n=2)だが、その2曲でDominant_Modeが分裂している。


f4

f5

Dominant_Mode

第9番

0.507

0.583

f5

第10番

0.536

0.497

f4

n=2のため、これが作曲家的傾向なのか、2曲の個別的な違いに過ぎないのかを判別することはできない。方法論IIの仮説を検証するにはデータが不十分であり、DSCHコーパスの拡張が前提条件となる。


9. 音程クラス分布との理論的対応関係

方法論IIで確立されたウィーナー・ヒンチン対応(音程クラス分布とフーリエモードの一対一対応)に照らすと、本編で見出した知見のいくつかは理論的に予測可能な帰結として位置づけられる。

モード

主に対応する音程クラス

本編での該当事例

f6

IC2(長2度)

《タピオラ》の全音音階(隣接音程がすべてIC2)——理論と実データの一致が最も明快(5.1節)

f4

IC3(短3度)

ペッテションの減七和音(IC3の積み重ね)との関連が示唆されるが、f4優勢は必ずしも減七和音収束と一致せず(4章)、ブラームスのf4優勢の意味は未解明(3章)

f5

IC5(完全4/5度)

Report Iの五度圏重心分析全体の理論的基盤

f3・f6(同点)

IC4(長3度)

マーラー7番のf3優勢が「複層的調性」仮説と整合(6章)

ただし本編で用いたデータは原点PC-setの頻度分布とDFTモード振幅にとどまり、各楽章の音程クラス分布そのもの(音程遷移のヒストグラム)は直接算出していない。したがって上記の対応関係は理論的に整合的な解釈にとどまり、統計的な検証(各楽章のIC分布を独立に算出し、モード振幅との相関を直接確認する)は今後の課題である。


10. 総合考察——「逸脱」の先にある複数の組織原理

  1. f5優勢は半数にとどまる:コーパス全体で見ると、五度圏(f5)が唯一の組織原理ではなく、f3・f4がほぼ同等の頻度で優勢になる。

  2. モード集中度は一様に穏やか:Dominant_Mode_Shareの作曲家別平均は0.21〜0.24の狭いレンジに収まり、「モードの交代」は劇的な断絶ではなく僅差での優劣交代として起きる。

  3. ペッテションの「逸脱」は単純な移行ではない:f5からの逃避はf3・f4への分岐という形を取り、単一の新しい組織原理への収束ではなく、複数の弱い求心力の並立として記述すべきである。

  4. 理論的予測との明快な一致(《タピオラ》)と、予測を要検証にとどめる事例(ブラームス)が併存する:IC2↔f6という一対一対応は全音音階という明確な音組織で理論通りに現れる一方、f4↔IC3の対応はブラームスのケースで単純な解釈を許さない。

  5. 否定的結果も知見である:ブルックナー7・8・9番はモード切り替えという形での差異化を示さなかったが、その中で第8番の低f5振幅、第9番の高f6振幅という二次的な手がかりが得られた。

  6. f6空間の数学的縮退:f6係数がつねに実数値を取るという構造的事実は、全音音階検出という応用上の有用性と、角度ベース指標の非適用性という制約を同時にもたらす。

10.1 五度圏中心の消失は、PC-set組織の消失ではない

本編を通じて確認できたのは、f5(五度圏)振幅の低下が「調性の消失」を意味するとは限らない、という点である。f5が後退する場合、そこには必ずしも無秩序が残るのではなく、f3・f4・f6のいずれかが相対的に前景化する形で、別の周期的組織原理へ置き換わる場合がある。Report Iで導入したOrigin_PCSet_Ratioは、この意味では「五度圏重心法の例外処理」にとどまらず、f5では捉えられないPC-set構造を再導入するための最初の一歩であったことになる。DFTへの一般化は、この問題を段階的な例外処理としてではなく、f1〜f6全体にわたる連続的な観察対象として扱うことを可能にした。

この視点に立つと、本編で見出した作曲家ごとの違いは、単なる「和声語法の違い」以上のものとして読める。すなわち、音楽的主体が調的空間をどのように利用・維持・逸脱するかという存在様式の違いである。

  • ブルックナー:f5空間から離脱せず、その内部で構造変化する(7章)。

  • ペッテション:f5という共有された求心的空間から、複数の弱い周期空間(f3・f4)へ分岐する(4章)。

  • マーラー:f3的な複層的組織が、少なくとも1事例(第7交響曲)において一時的に前景化する(6章)。

  • シベリウス(《タピオラ》):全音音階という、他のどの作曲家にも見られない別種の周期構造(f6)へ明確に移行する(5章)。

この整理は、Report Iで確立した「局所的な調的焦点を保持しつつ全体方向性が散逸するブルックナー」「真に調的希薄化するペッテション」という対比を、DFTという別の座標系から独立に再確認するものでもある。ただし、この「存在様式」としての整理はあくまで本編の実証的知見を踏まえた解釈上の枠組みであり、さらなる哲学的・理論的検討は総合報告書に委ねる。


11. 限界と今後の課題

11.1 サンプルサイズの制約

DSCH(n=2)、ブラームス(n=4)は他の作曲家(n=7〜11)と統計的に並列に扱えない。特にブラームスのf4優勢という新知見、DSCHの空間選択の不一致は、コーパス拡張による検証が前提となる。

11.2 音程クラス分布の直接検証

9章で述べた通り、本編はDFTモード振幅と原点PC-set頻度の分析にとどまり、各楽章の音程クラス分布そのものを独立に算出していない。理論的対応関係の統計的検証は今後の課題である。

11.3 マーラーの複層的調性仮説の拡張検証

6章の知見は1事例(マーラー7番)にとどまる。マーラーの他の「複層的」と評される楽章、および他作曲家における同様の事例を追加検証する必要がある。

11.4 f6空間の指標体系の再設計

5.2節で示した構造的縮退を踏まえ、f6(および理論上同様の性質を持ちうる他のモード)に適した指標体系を別途設計する必要がある。

11.5 三輪作品への展開

本編の枠組み(Fourier mode profile、f1〜f6軌道分析)を三輪眞弘《虹機械》に適用した結果は、既存の三輪作品応用レポート(Report I範囲)との接続を含め、別レポートで報告する。予備的に確認したところ、《虹機械》は全6分析点(浜松版・光庵版×窓幅4/8/16)でf5優勢を示す一方、Fourier_Concentrationは0.051〜0.105と本編コーパスの最大値(0.045)をすべて上回り、f5/f4比も3.41〜4.63とコーパスの分布から明確に外れている。この結果の詳細な検討は、三輪作品専用レポートに委ねる。

(2026.9.13 公開)


五度圏ピッチクラスセット重心分析による調性力学の実証的知見 ——応用編レポートI

 

1. 序論

1.1 背景と目的

本レポートは、方法論レポートI(五度圏重心分析、段階1〜3)で確立された指標体系を、55楽章コーパスに適用して得られた実質的知見をまとめるものである。指標群の内部構造(新規指標群だけで見た主成分構造)から出発し、旧9指標との統合による全体像、作曲家間比較、個別事例、そして原点PC-set構造の直接分解へと、発見の階層をたどる構成をとる。

1.2 対象コーパスと分析条件

ハイドン・モーツァルト・ブラームス・ブルックナー・マーラー・シベリウス・ショスタコーヴィチ(DSCH)・ペッテションの計55楽章。作曲家によりサンプル数が大きく異なり(ハイドン8、モーツァルト4、ブラームス4、ブルックナー8、マーラー11、シベリウス7、DSCH 2、ペッテション11)、特にDSCH(n=2)・ブラームス・モーツァルト(各n=4)については統計的解釈に注意を要する。

1.3 応用編の位置づけ

本編の範囲:PCセットの離散フーリエ変換(DFT)への一般化(段階4)は含まない。DFTスペクトル指標(f₁〜f₆、Fourier_Concentration)を用いた分析、および三輪眞弘《虹機械》との比較は、別途Report II、およびDFT応用編・三輪作品応用レポートで扱う。

方法論I(五度圏重心分析)+方法論II(PC-set/DFT体系)
        ↓
応用編:五度圏重心分析の実質的知見(本レポート)
        ├─ 新規指標群の内部構造
        ├─ 統合PCA
        ├─ 作曲家比較
        ├─ ブルックナー/ペッテション
        └─ Origin_PCSet frequency
応用編:DFT応用編(別レポート)


2. 55楽章コーパスの全体構造――まず統合PCAで位置を定める

本章では、個別指標をばらばらに列挙するのではなく、まず新規指標群の内部構造を確認し、その後に旧9指標との統合によって55楽章コーパス全体の位置関係を定める。これを以後の作曲家比較・作品比較の基準面とする。 ### 2.1 5指標PCA——新規指標群の内部構造

旧9指標を含めず、原点分解能・三和音検出に関わる新規指標5つ(Exact_Triadic_Ratio、Triadic_Neighborhood_Ratio、Triadic_Nearest_Distance_Mean、Dominant_Peak_Ratio、Origin_PCSet_Ratio)のみでPCAを行うと、新規指標群がそれぞれ異なる変動パターンを持つ複数の情報層として整理できることが分かる。

(注:本レポートで示すPCAローディングは、いずれもPCA成分行列=固有ベクトル(単位ノルム)の値である。変数と主成分得点との相関係数に相当する「構造loading」(固有ベクトル×√固有値)とは数値が異なるため、他資料と照合する際は規約の違いに注意されたい。)

主成分

寄与率

累積寄与率

主導変数(ローディング)

PC1

71.37%

71.37%

Exact_Triadic_Ratio (+0.516)、Triadic_Neighborhood_Ratio (+0.515)、Triadic_Nearest_Distance_Mean (−0.512)

PC2

20.00%

91.37%

Origin_PCSet_Ratio (+0.934)

PC3

7.66%

99.02%

Dominant_Peak_Ratio (+0.850)

PC1は三和音そのもの、およびその近傍構造(三和音への距離の近さ)に関わる3変数がほぼ同じ重みで揃って効く軸であり、「三和音性」と呼べる。PC2はOrigin_PCSet_Ratio単独がほぼ全体を占め、「原点構造」として三和音性とは異なる主成分軸を形成する。PC3はDominant_Peak_Ratio単独が支配的な、残余的な「ピーク構造」軸である。

5変数の変動の99.02%が上位3主成分によって説明され、三和音性・原点構造・ピーク構造という3つの主要な変動軸として整理できる。特に注目すべきは、Origin_PCSet_Ratio(原点構造)がExact_Triadic_Ratio(三和音性)とは異なる主成分軸を形成した点である。実際の相関係数はr=−0.167であり、三和音性の他の指標(Triadic_Neighborhood_Ratio等)同士の相関(r=0.98程度)と比べて明確に弱い。ただしOrigin_PCSet_RatioはTriadic_Nearest_Distance_Meanとはr=0.398とやや相関を持ち、完全に無相関というわけではない。この、原点着地(対称和音への収束)が三和音的安定性とは異なる軸として現れるという知見は、5節で扱うOrigin_PCSet frequency分析——その軸の具体的中身——を読み解く前提となる。

Fig. 2-1 PCA Biplot(5指標PCA, PC1×PC2)】 Exact_Triadic_Ratio・Triadic_Neighborhood_Ratio・Triadic_Nearest_Distance_Mean・Dominant_Peak_Ratio・Origin_PCSet_Ratioの5変数によるPC1×PC2バイプロット。上表のローディングを視覚的に裏付け、「三和音性」(PC1)と「原点構造」(PC2)が別方向のベクトルとして分離していることが確認できる。


2.2 13変数統合PCA——コーパス全体の主成分構造

旧9指標+新4指標(Anisotropy_Ratio、Rbar_full、Origin_PCSet_Ratio、Exact_Triadic_Ratio)の計13変数を標準化してPCAを行った結果、上位3主成分で全分散の78.4%を説明する。

主成分

寄与率

PC1

51.95%

PC2

16.76%

PC3

9.67%

PC1:Avg_r(+0.347)・Tonal_Focus(+0.287)・Rbar_full(+0.293)・Exact_Triadic_Ratio(+0.331)が正に、Avg_Step・Step_Rate_100・PC_Density・Texture_Volatility・Anisotropy_Ratioが負に効く軸。高PC1は調的凝集と三和音的安定を、低PC1は複雑性・非三和音化・方向的異方性の増大を意味する。「調的凝集の崩壊度」を表す軸

PC2:Spatial_Dispersion_old(+0.622)が突出して支配的であり、Tonal_Focus(−0.314)・Rbar_full(−0.353)が負に効く。高PC2は空間分散の増大と方向集中度の低下を意味する。「空間的散逸度」を表す軸

PC3:Origin_PCSet_Ratio(+0.747)が最も強く主導するが、SD_r_old(+0.470)・Exact_Triadic_Ratio(+0.190)・Anisotropy_Ratio(+0.182)も無視できない寄与を持つ。2.1節の5指標PCAでは三和音性とは異なる主成分軸を形成していたOrigin_PCSet_Ratioが、旧9指標と統合されるとSD_r等の影響を受けた複合軸に組み込まれる。したがって「PC3=Origin_PCSet_Ratioそのもの」と同一視せず、Origin_PCSet_Ratioを主要な構造変数とする複合軸として扱う。

Fig. 3-4 Combined PCA (old 9 + new 4 metrics)】 統合PCAの3面散布図。ここでは本図を55楽章コーパスの全体地図として用い、以後の作曲家比較・個別事例を読む基準を与える。

2.3 作曲家別分布

ハイドン・モーツァルトの古典派クラスタ:両者はPC1が高く(平均:ハイドン3.36、モーツァルト2.92)、PC2が低い(平均:ハイドン−1.31、モーツァルト−1.14)位置に一貫してまとまる。調的凝集が強く、空間分散も小さいという、両条件を満たす唯一の作曲家群である。

ペッテション:PC1で著しく左(負)に拡散する(平均−3.44、範囲−5.68〜−0.61)。特にSym11(−5.68)・Sym10(−5.47)が最も左に位置する。

DSCH(Sym9・10、n=2):PC2でコーパス中最も高い値を示す(Sym09: 3.44、Sym10: 2.68)。一方PC1方向では相対的に穏やかである(平均−0.90、ペッテション平均−3.44と対照的)。

2.4 調性希薄化の少なくとも二つの様式

以上から、単一の「凝集⇔希薄化」という軸だけでなく、質的に異なる2種類の希薄化様式が識別できる。両者は、それぞれ異なる構造変数群が主導する別個の主成分軸に沿った希薄化として現れる。

  • ペッテション型:PC1方向の希薄化。調的凝集・三和音的安定の低下と、複雑性・異方性の増大を伴う。

  • DSCH型(n=2につき仮説段階):PC2方向の希薄化。空間分散の急増と方向集中度の低下を伴うが、PC1方向(調的凝集度そのもの)では相対的に穏やかである。

この2軸区別自体は、新指標を加えて初めて見えるようになったものではない。旧9指標のみ(Anisotropy_Ratio等の新指標を含まない)でPCAを行っても、ペッテションのPC1拡散(平均−3.12)とDSCHのPC2拡散(平均2.85)は、13変数版とほぼ同じ規模で既に観察される。すなわち、この2軸区別は旧9指標の構造の中に既に存在していた。新指標(Anisotropy_Ratio、Rbar_full、Origin_PCSet_Ratio、Exact_Triadic_Ratio)が実質的に付け加えたのは、PC1・PC2の基本構造そのものではなく、Origin_PCSet_Ratioが主導する独立した第3の軸(PC3)である。この点は2.1節の5指標PCAでOrigin_PCSet_Ratioが三和音性とは異なる主成分軸を形成することとも整合的であり、新指標体系の主要な貢献は「PC1・PC2の発見」ではなく「原点構造という新しい情報次元(PC3)の追加」にあると位置づける方が正確である。

なお、PC3軸ではDSCHが平均−1.42でコーパス中最低、ブラームスが平均+1.38で最高という対照を示す。ただし、ペッテションはPC3で全作品が負の値(−1.17〜−0.20)を取り、DSCHに近い側に位置する。PC3の高低を「対称和音への収束/非収束」という形でペッテション型・DSCH型の対比に組み込むことはできない。ペッテションに固有の対称和音(減七和音)への強い収束は、PC3スコアとは独立した原点分解能の直接的な知見として5節で別に扱う。


3. 作曲家別プロフィール――三段階の指標を横断して読む

第3章では、Stage 1〜3の指標を作曲家別に並べ、平均値だけでなく分布の広がりを含めて比較する。個別指標を順に説明するだけでなく、三段階が一つのプロフィールとしてどう組み合わさるかを確認する。

3. 作曲家単位の主要指標プロファイル

3.1 Anisotropy_Ratio——空間的等方性・異方性

中央値で見ると、ブルックナー(0.819)・ブラームス(0.799)・ペッテション(0.793)・DSCH(0.761)が高い群を形成し、ハイドン(0.518)が最も低い。古典派ではAnisotropy_Ratioが比較的低く、ロマン派後期以降の一部作曲家では高い値を示す傾向が確認される。

3.2 Rbar_full——方向集中度

作曲家

Rbar_full 平均

ハイドン

0.734

モーツァルト

0.733

シベリウス

0.458

ブラームス

0.382

マーラー

0.329

ブルックナー

0.257

ペッテション

0.246

DSCH

0.092(n=2、要注意)

古典派2人が突出して高く、他の作曲家では相対的に低い値にとどまる。ただし、この並び自体は厳密な作曲年代順ではなく(例えばブラームスとブルックナーはほぼ同時代である)、これを「時代とともに単調に低下する」直線的な史的トレンドとして提示するのは慎重であるべきである。また、Rbar_fullが直接測定しているのは五度圏上の特定方向への集中度であり、「主音への指向性」そのものと同一視すべきではない。この指標はTonal_Focusとほぼ同じ情報をより解釈可能な形で言い換えたものに近く、独自の新規性は限定的である点にも注意する必要がある。

3.3 Origin_PCSet_Ratio——原点構造

シベリウスの分布が突出して広い(0.005〜0.168)。最大値を牽引しているのは交響曲第2番第1楽章(0.168)であり、次いで交響曲第6番第4楽章(0.120)、《タピオラ》(0.105)の順である。全音音階的書法を多用する複数の楽章がこの指標を押し上げている。

3.4 Exact_Triadic_Ratio——三和音性

ペッテションが中央値0.114で明確に最低であり、他のすべての作曲家(マーラー0.347〜モーツァルト0.539)から乖離している。三和音的な調的骨格そのものがペッテションにおいて希薄であることを直接示す。

3.5 作曲家間比較の総合的整理


Fig. 5-1 boxplots_stage1_stage3: Stage 1・Stage 3の主要指標を作曲家別箱ひげ図で比較することにより、平均値だけでは見えない作品間分散が確認できる。

Fig. 5-3 composer_tonal_dynamics_profile:Stage 1〜3の代表指標を全作品基準のz-score平均でまとめた作曲家プロフィール。三段階の情報層を横断して比較するための中心図とする。

4指標を横断すると、作曲家ごとの「調性希薄化」の質的な違いが浮かび上がる。

作曲家

Anisotropy_Ratio

Rbar_full

Exact_Triadic_Ratio

特徴

ハイドン・モーツァルト

等方的凝集・三和音的安定

ブルックナー

中低

中〜高

方向拡散、局所的凝集は保持(4節参照)

ペッテション

最低

方向拡散+三和音骨格の希薄化(真の調性的弱体化)

DSCH(n=2)

最低

空間的散逸が突出(2.4節参照)

シベリウス

Origin_PCSet_Ratioの分散が突出(全音音階書法)

注意:n=2のDSCH、n=4のブラームス・モーツァルトは、他作曲家(n=8〜11)と並列した統計的解釈には注意を要する。


4. 調性希薄化の空間構造と滞在構造――ブルックナーとペッテション

ここでは、作曲家平均の比較から一歩進み、Stage 1の空間構造とStage 2の滞在構造を組み合わせて、似た異方性を持つ作曲家が同じ力学を持つとは限らないことを示す。

Fig. 5-2 Avg_r vs Anisotropy_Ratio: Avg_rとAnisotropy_Ratioの組み合わせによって、方向的には似ていても半径方向の凝集度が異なるブルックナーとペッテションを分離する。

4.1 Avg_rと空間的広がり

Avg_r(半径方向の凝集度)で見ると、ブルックナー(全8楽章:0.529–0.597)とペッテション後期(Sym9–16:0.316–0.426)は完全に無重複(ブルックナー最小0.529 > ペッテション後期最大0.426)で分離できる。

4.2 Anisotropy_Ratio

一方Anisotropy_Ratioは、ブルックナー(0.690–0.873)とペッテション後期(0.716–0.954)でほぼ同じ高い異方性域に重複して分布する。両者とも方向的には等方的に崩壊している。

4.3 PC1・PC2による位置づけ

2章で見た通り、ペッテションはPC1(調的凝集崩壊軸)で著しく左に拡散する一方、ブルックナーはPC1・PC2いずれにおいてもペッテションほど極端な値を取らない。ブルックナーの希薄化は、Avg_r・Anisotropy_Ratioという方向性指標の組み合わせによって初めて明確に検出される、より繊細な現象である。

4.4 二つの「調性希薄化」

Avg_rとAnisotropy_Ratioを組み合わせると、両者とも方向集中を失っているが、ブルックナーは局所的な調的凝集を保持し、ペッテション後期では半径方向の凝集そのものが大きく低下するという質的な違いが定量的に裏付けられる。これは3.5節の整理(ペッテションのExact_Triadic_Ratioが最低である一方、ブルックナーは中〜高水準を保つ)とも整合的である。

Fig. 5-6 Bruckner–Pettersson Two-Stage Comparison: 左パネルでStage 1のAvg_r×Anisotropy_Ratio、右パネルでStage 2のDominant_Residence_Ratio×Residence_Entropyを比較し、二者の差を空間構造と滞在構造の双方から確認する。4.1〜4.4節で個別に示したStage 1・Stage 2それぞれの分離を、両段階を並べた形でまとめて確認する図として、本節の締めに置く。

4.5 発達的時間構造

ブルックナーの交響曲番号(作曲年代の代理指標)とRbar_fullの間には強い負の相関が確認できる(Spearman ρ = −0.833、p = 0.010、n=8)。

番号

Rbar_full

0番

0.445

2番

0.335

3番

0.237

4番

0.336

5番

0.192

7番

0.271

8番

0.177

9番

0.062

これは旧9指標体系では不可視であり、方向性指標(Rbar_full)によって初めて捉えられた、ブルックナーにおける発達的な方向集中度の低下である。ペッテションについては後期作品群(Sym9–16)を一括りにした横断的比較(4.1–4.4節)に留めており、同様の年代内単調性が存在するかは今後の課題とする(8節)。


5. アトラクターと作品内部の時間的差異

Stage 2の情報は、作曲家平均だけでなく「いくつの領域に滞在し、どの領域が支配するか」という分布形として読む必要がある。ここでは二つのLandscape図を用いて、アトラクター数・滞在エントロピー・支配率の関係を明示する。

 5-4a Attractor Landscape I: Attractor_NumberとResidence_Entropyを基本軸とし、Dominant_Residence_Ratioをバブルサイズで表現したLandscape I。滞在領域の数と分布集中の関係を概観する。

Fig. 5-4b Attractor Landscape II:Attractor_NumberとDominant_Residence_Ratioを軸に、Residence_Entropyを色で表現するLandscape II。単一アトラクター支配と多峰的滞在をより直接に比較する。

作曲家内部の個別事例

5.1 ハイドン83番・88番の対比——「単峰的」の内実の違い

ハイドン後期交響曲群の中で、83番(G短調)と88番(G長調・単一主題)は、いずれもAttractor_Number上は「単峰的」に分類されるが、その内実は異なる。


Dominant域

Second域

Peak_Ratio_1st_2nd

解釈

Haydn_83(G短調)

A

C

1.65

二極が緩やかに拮抗

Haydn_88(G長調・単一主題)

A

G

4.97

一極が圧倒的優勢——単一主題ゆえの対立の不在と整合

Peak_Ratioで見ると、88番(4.97)は55楽章中でも最も極端な一極集中を示す部類である。この二極の拮抗/一極集中という違いは、付録Eのヒートマップ+分散楕円図(Haydn_83・Haydn_88パネル)でも視覚的に確認できる。83番は分散楕円が横に伸びて二つの滞在域にまたがるのに対し、88番は単一領域に鋭く集中した楕円を示す。

主調からの乖離角度による検証(両楽章ともRbar_full値が55楽章の中央値0.380を上回る安定した推定であることを確認済み:83番0.530、88番0.643)。


名目主調

期待角度

実測Home_Angle

乖離

信頼性

Haydn_88

G(maj)

135.0°

130.5°

4.47°

high_confidence

Haydn_83

G(min)

195.0°

178.4°

16.56°

high_confidence

88番は理論的に期待される長調的重心にほぼ完全に一致し、単一主題ゆえに教科書的な長調的重心に終始収まっていることを示す。一方83番は、短調の理論的期待値よりもむしろ裸のトニック自体(G, 180°)に近い挙動を示しており、通常の短調に較正された理論的重心よりもトニックへの張り付きが強い、という非典型的な安定性を持つ。ただしHome_Angle(全体平均的重心)がトニック近傍にあるのに対し、Dominant_Tonal_Regionは”A”(上主音方向)であり、平均としてはトニック近傍に留まりながら個々の小節としては最も頻繁にA方向を訪れるという、単純な単峰性では説明しきれない構造を示す。

なお、83番はハイドン全8楽章の中で唯一、旧9指標体系のPCA空間(PC1・PC2)においてブルックナー作品群の重心に突出して近接する外れ値であることが方法論レポートIで確認されている。これはハイドン・コーパス中唯一の短調作品であることと符合しており、短調であることが調的プロットの形状そのものに系統的な影響を与えている可能性を示唆する(この観察は旧9指標PCAに基づくものであり、2章の13変数統合PCAとは別分析である点に留意)。

なお、原点分解能(5.3節)で見ると、83番は{Es,G,H}型(増三和音)が最頻出originであり、55楽章の多数派(減七和音型)から外れる少数派に属する。短調・少数派origin類型・旧PCAでの外れ値という3つの特異性が同一作品に集中している点は、今後さらに検討する価値がある。

5.2 ショスタコーヴィチ(DSCH、Sym9・10)の特異性

DSCHは、PC2(空間分散主導)でコーパス中最も極端な外れ値を示す(2.3節)。PC3(Origin_PCSet_Ratio主導の複合軸)でも最も低い値を取るが、これは「対称和音へ収束しない」ことを積極的に意味するものではなく、他の作曲家と比べて相対的に低い値というにとどまる。ペッテション型(PC1方向の調的凝集崩壊)とは異なる軸(PC2:空間的散逸)に沿った、質的に異なる調性希薄化の様式を示唆する。

原点PC-set構造(5.3節)で見ると、DSCH第9番は検出された原点着地のすべてが単一の増三和音{C,E,A♭}であり、少数派である増三和音型に完全に収束するという、コーパス全体の傾向(減七和音型優勢)とは異なる独自のパターンを示す。ただしn=2であり、この解釈は仮説の域を出ない。DSCHコーパスの拡張が今後の課題である。

5.3 ブルックナー7番・8番

ブルックナー7番は、Tonal_Focusからの予測に反してRbar_fullが低く、凝集はしているが方向は分散している。これは「局所的な調的焦点を保ちつつ全体方向性が散逸する」というブルックナーの一般的特徴(4節)の中でも、7番が特に強くこの傾向を示すことを意味する。

Exact_Triadic_Ratioの下方外れ値について:ブルックナー群の中の最小値は第8番(0.301)であり、第9番(0.399)ではない。三和音的骨格の希薄化という観点では、ブルックナーの中で特異なのは第9番ではなく第8番である。

5.4 ペッテション内部の作品差

減七和音型への収束度(回転同値類レベルのratio)は、ペッテション後期作品の中でも一様ではない。第13番(62.1%)・第10番(36.4%程度、詳細は5.2節参照)が高い収束を示す一方、第8番・第12番・第15番は相対的に収束度が低い。また第9番・第11番は減七和音型ではなく増三和音型が最頻出origin PC-setであり、後期作品群の中でも「減七和音への収束」が一枚岩ではないことを示している。


まとめ 各作曲家の代表作品のプロフィール

Fig. 5-7 Representative Tonal-Dynamics Fingerprints:各作曲家の代表作品をStage 1〜3の8代表指標でz-score化し、作品ごとの多層的プロフィールを比較する。作曲家平均と個別作品の差を橋渡しする総合図。

6. 原点PC-set構造の直接分解――PCAでは見えない質的内訳

6.1 コーパス全体における原点PC-setの頻度構造

全55楽章にわたって原点として検出されたPC-set(Origin_PCSet)を集計すると、作品×PC-setの組み合わせで425件のレコードが得られ、固有のPC-setとしては66種、総頻度は1182件である。Rotation_Class(回転同値類、全17種)単位で集計すると:

Rotation_Class

総頻度

割合

{0,3,6,9}(減七和音型)

632

53.5%

{0,4,8}(増三和音型)

242

20.5%

{0,2,6,8}

84

7.1%

{0,1,4,7,8}

76

6.4%

{0,2,4,6,8,10}(全音音階型)

22

1.9%

その他12クラス

126

10.7%

減七和音型と増三和音型で全体の73.9%を占める。作品単位で見ても、55楽章42楽章が減七和音型を最頻出origin、8楽章が増三和音型を最頻出originとしており、この2類型がコーパス全体における原点収束の圧倒的多数を占める。全音音階型を最頻出originとするのは《タピオラ》1曲のみである。

6.2 回転同値類から見た原点PC-setの階層構造

{0,3,6,9}(減七和音)は移調によって3種類({0,3,6,9}, {1,4,7,10}, {2,5,8,11})しか異なる集合を持たない。同様に{0,4,8}(増三和音)は4種類、{0,2,4,6,8,10}(全音音階)は2種類しか存在しない。すなわち、内部対称性が高いPC-setほど、移調によって生じる異なる具体的音高集合の数(移調群の軌道サイズ)は少なくなる——これは群作用に関する数学的事実である。この事実自体は、実際の頻度分布において少数の集合に頻度が集約されることを直接には意味しないが、本コーパスでは実際にそのような集中が観察される。

例えばペッテション交響曲第13番では、原点として最頻出の単一PC-set{D,F,A♭,H}は全origin着地の36.9%を占めるにとどまるが、これと同一の回転同値類{0,3,6,9}に属する他の2つの移調({D♭,E,G,B}=16.5%、{C,E♭,G♭,A}=8.7%)を合わせると62.1%に達する。つまり、ペッテションの「減七和音への収束」は特定の1つの移調に固定されているのではなく、減七和音という構造そのもの(3種類の移調間を横断しながら)に収束していることを意味する。

6.3 作品別のOrigin_PCSet構造

楽章ごとの最頻出originを一覧すると、コーパスの大部分(42/55楽章)が減七和音型に収束する中で、増三和音型を示す楽章(ブルックナー第0番、ハイドン83番・104番、マーラー《大地の歌》・第2番・第6番・第9番、DSCH第9番)が一定数存在する。特にDSCH第9番は、検出された原点着地のすべて(比率1.000)が単一の増三和音{C,E,A♭}であり、少数の着地事例ながら完全な収束を示す点は注目に値する。

6.4 ペッテション後期——減七和音型

ペッテション交響曲第6・10・12・13・14・15・16番では、単一の減七和音{D, F, A♭, H}(回転同値類{0,3,6,9})が繰り返し最頻出origin PC-setとなる。回転同値類レベルの収束率は第13番で最大62.1%に達する(5.2節)。この収束はSym9・Sym11のみ例外であり(両曲とも{Des,E,G,B}系=増三和音型が最頻出)、後期作品群の中でも一様ではない。

6.5 シベリウス《タピオラ》——全音音階型

《タピオラ》では、全音音階そのものである原点PC-set{D♭,E♭,F,G,A,H}({1,3,5,7,9,11})が原点着地の中で最頻出の単一PC-set(18.6%)である。これとは別に、元データのRotation_Classフィールドで見ると、{0,2,6,8}という別の対称集合クラスへの着地が約39%を占めており、全音音階(6音)とは要素数の異なる、もう一つの対称性の高い着地先が存在することが分かる。両者は同一の回転同値類ではなく、それぞれ独立した対称和音の実現形として並存している。コーパス全体では全音音階型({0,2,4,6,8,10})は1.9%と希少であるにもかかわらず、《タピオラ》という単一作品では複数の対称和音類型が支配的な原点構造をなしており、作品固有の書法的選択が原点分解能に鮮明に刻まれる好例である。

6.6 原点収束とPC-set種別の関係

2.1節で示した通り、Origin_PCSet_Ratio(原点着地の「頻度」)は三和音性(Exact_Triadic_Ratio等)とは異なる主成分軸を形成する。本節(5.1–5.5)の分析はこれをさらに一段深め、「原点にどれだけ着地するか」という頻度の背後にある「どの対称和音類型に着地するか」という質的内訳を明らかにした。減七和音型・増三和音型・全音音階型という複数の対称和音類型が、作曲家・作品ごとに異なる比重で原点収束を構成しており、「原点」は単一の和音ではなく、複数の対称性クラスからなる階層的な構造であることが、頻度分析によって直接示された。


本章は、統合PCAで確認されたOrigin_PCSet_Ratioを、そのままPC3の意味へ還元するのではなく、原点に着地したPC-setを直接分解して、その質的内訳を明らかにするものである。

7. 総合考察

7.1 調性力学の多層構造

2.1節の5指標PCAは、新規指標群が「三和音性」「原点構造」「ピーク構造」という3つの主要な変動軸に分かれることを示した。2.2節の13変数統合PCAでは、これらが旧9指標と結合し、「調的凝集崩壊」(PC1)・「空間的散逸」(PC2)・「原点構造を主とする複合軸」(PC3)という3軸に再編される。さらに5節では、Origin_PCSet_Ratioという「頻度」の背後にある「対称和音の種別」という、PCAでは捉えられない質的内訳を直接分解によって明らかにした。指標→PCA→PC-set直接分解という3つの解像度が、互いに補完しながら調性力学の多層構造を描き出している。

7.2 「調性希薄化」の二つの様式

ペッテション型(PC1主導:調的凝集崩壊)とDSCH型(PC2主導:空間的散逸、n=2の仮説)という、質的に異なる2つの希薄化様式が識別された(2.4節)。

7.3 Origin_PCSet構造の意味

「原点」は単一の和音ではなく、減七和音型・増三和音型・全音音階型という複数の対称性クラスからなる階層的構造であり(6.6節)、その内部対称性の高さが移調群における軌道サイズを規定する(6.2節)。

7.4 ブルックナーとペッテションの分岐

両者はAnisotropy_Ratioでは類似した高い異方性を示すが、Avg_rによって明確に分離され、ブルックナーは局所的な調的焦点を保持する希薄化、ペッテションは真の調性的弱体化という異なる機序を持つ(4節)。さらにブルックナーには作曲年代とRbar_fullの強い負の相関という、独自の発達的時間構造が見出される(4.5節)。

7.5 作曲家平均を超える作品内部の多様性

ハイドン83番・88番の対比、ブルックナー7番・8番、ペッテション内部の減七和音収束度のばらつきなど、作曲家単位の平均像だけでは捉えられない作品ごとの多様性が、方向性指標・原点分解能によって初めて可視化される(6節)。

7.6 本研究から得られた実質的知見(要約)

  1. 調性希薄化には少なくとも2つの質的に異なる様式(PC1主導・PC2主導)が存在する。

  2. ブルックナーとペッテション後期は、方向的等方性は類似するが半径方向の凝集度で明確に分離される、機序の異なる調性希薄化である。

  3. 原点分解能は、作曲家・作品固有のPC-set構造の指紋(減七和音型・増三和音型・全音音階型等)を可視化するが、これは統合PCAのPC3スコアとは独立した観察である。

  4. ブルックナーには作曲年代とRbar_fullの強い負の相関という、旧指標体系では不可視だった発達的パターンが存在する。

  5. 作曲家単位の平均像を超えた作品内部の多様性(ハイドン83/88番、ブルックナー7/8番等)が複数確認される。


8. 限界と今後の課題

8.1 コーパス上の制約

DSCH(n=2)、ブラームス・モーツァルト(各n=4)は、他作曲家(n=8〜11)と統計的に並列に扱うことができない。特にDSCH型の希薄化様式(2.4節)・DSCH第9番の増三和音完全収束(6.2節)に関する解釈は仮説の域を出ず、コーパス拡張による検証が必要である。

8.2 PCA解釈の制約

13変数統合PCA(2.2節)のPC3は、Origin_PCSet_Ratio単独ではなくSD_r等を含む複合軸であるため、原点構造の解釈にあたっては常に5節の直接分解と併読する必要がある。

8.3 PC-set分析の課題

ペッテション内部(6.4節)における減七和音収束度のばらつきの要因、Sym9・Sym11のみが増三和音型を示す背景については、本編では記述にとどまり、要因分析は行っていない。

8.4 DFTとの接続

PCセットDFTへの一般化(段階4、f₁〜f₆モードプロファイル)による分析はReport IIおよびDFT応用編で扱う。特に5節で明らかにした対称和音クラスの階層構造は、DFT係数(特にf₄・f₅)の対称性検出パターンと理論的に対応することが予想され、両者の接続は重要な今後の課題である。

8.5 三輪作品への展開

本編の枠組み(統合PCA・原点PC-set頻度分析)を三輪眞弘《虹機械》に適用した結果は、別レポートで報告する。


付録

付録A:指標一覧

分類

指標

旧9指標

Avg_r、Avg_Step、SD_r、Step_Rate_100、PC_Density、Tonal_Focus、Spatial_Dispersion、Harmonic_Coverage、Texture_Volatility

方向性指標

Anisotropy_Ratio、Rbar_full、Peripheral_Circular_Concentration、Residence_Entropy、Attractor_Number、Dominant_Residence_Ratio

原点・三和音指標

Origin_PCSet_Ratio、Exact_Triadic_Ratio、Triadic_Neighborhood_Ratio、Triadic_Nearest_Distance_Mean、Dominant_Peak_Ratio

付録B:PCA寄与率・ローディング一覧

(下表はいずれもPCA成分行列=固有ベクトルの値。構造loading(固有ベクトル×√固有値)ではない。2.1節の注記を参照。)

5指標PCA(2.1節)

変数

PC1

PC2

PC3

Exact_Triadic_Ratio

0.516

0.134

−0.208

Triadic_Neighborhood_Ratio

0.515

0.055

−0.316

Triadic_Nearest_Distance_Mean

−0.512

0.131

0.258

Dominant_Peak_Ratio

0.421

0.300

0.850

Origin_PCSet_Ratio

−0.168

0.934

−0.261

寄与率

71.37%

20.00%

7.66%

13変数統合PCA(2.2節):寄与率PC1=51.95%/PC2=16.76%/PC3=9.67%。主要ローディングは本文2.2節を参照。

付録C:Origin_PCSet frequency 集計表

Rotation_Class

総頻度

割合

コーパス中の最頻出作品数

{0,3,6,9}(減七和音型)

632

53.5%

42/55

{0,4,8}(増三和音型)

242

20.5%

8/55

{0,2,6,8}

84

7.1%

2/55

{0,1,4,7,8}

76

6.4%

1/55

{0,2,4,6,8,10}(全音音階型)

22

1.9%

1/55

その他12クラス

126

10.7%

1/55

合計

1182

100%

55/55

詳細な作品別・PC-set別の頻度データは origin_pcset_frequency_v3.csv(425行)を参照。

付録D:作品別詳細データ

主要指標の作品別一覧は merged_with_pca_combined_13var.csvdirectional_metrics_results_v3_v3origin.csv を参照。

付録E:全55楽章ヒートマップ+分散楕円一覧

本文中の個別事例(5節)で言及する分散楕円の形状は、全55楽章分のヒートマップ+分散楕円図(グレー破線=全点版、青実線=頻度フィルタ版の楕円、黒矢印=原点からhome方向へのベクトル)として以下に示す。



(2026.9.13 公開)