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2009年8月9日日曜日

マーラーの楽曲を考える場合の3つのトピックについて

マーラーの交響曲がいわゆる「古典的」な定型から逸脱していることは広く知られているし、例えば楽章構成のような レヴェルであれば、一瞥すればそれは明らかなことに見えるかもしれない。だがそれだけでは単なる規範からの逸脱の 指摘に過ぎず、何故そうしたことが生じたかの説明にもならなければ、その結果何が起きるかの説明にもならない。 否、マーラー以前、以後を問わず、そうした逸脱は別に例が無い訳ではなく、だからマーラーの場合を識別するためには そうしたレヴェルの特徴の指摘だけでは不十分なのである。
 
そうしたみた場合に、それではそうした複数の楽章がどのように繋がっているのかが問題になるだろう。この問題はそれ自体 独立して取り上げる意味のあるものだと思うがここではそこは通り過ぎることにして、もう一歩先にある楽章の中の構造に 焦点をあててみたいのだが、それを考える際に手ががりとなる調的配置については別にメモしたので、ここでは私が楽章内の 構造を考える上で興味深いと思っている3つのトピックについて簡単に一瞥してみたい。勿論それぞれについては個別に具体的に 議論する必要があり、こうした議論なしには「マーラーの場合」について語ることはできないと考える。自然の音やファンファーレ、 引用の問題など、マーラーならではのテマティスムには意義もあれば魅力もあることは認めた上で、だがそれらが音楽の脈絡の 中でどのように登場するのかの方がより一層重要なはずである。これは例えばRedlichが挙げている「特徴」characteristicsに 対して形式分析に基づく様式的な裏付けが必要であるとAgawuが述べているのと方向性としては並行しているだろう。そしてまたそれは アドルノが1960年のマーラーに関するモノグラフの冒頭で述べた方向性とも背馳しないだろう。

つまるところアドルノの長編小説形式のアナロジーはマーラーの音楽の総体を捉えている点でより多くを語っているし、私が考えている「意識の音楽」の要件ともそれは深く関係している。 外的な参照は実際の聴取の場面でも程度の差はあれ生じるには違いないから無視することはできないだろうが、 特に引用のような文化的な文脈への依存性の高いものについては、そうした文脈を持たずとも音楽が端的に持つ構造の力の 方にまずは注目したい。一例を挙げれば「ファンファーレ」「シグナル」は確かにマーラーの音楽を聴けばそこかしこで聴くことができ、 その音楽の特徴の一つであろうが、このファンファーレについての伝記主義的な詮索(当時のオーストリアの軍楽隊について、 あるいはマーラーが幼少期を過したイーグラウにあった兵営についてetc.)やその記号学的な意味の詮索に直ちに向かうよりは、 ファンファーレが楽曲の展開のさなかで担う機能について踏まえた上で、それが音楽の内容(あえて「意味」とは呼ばないでおこう)に どのように寄与しているのかを考える方がより一層興味深いことに思われるのである。アドルノがマーラーについてのモノグラフの 冒頭で第1交響曲第1楽章の序奏を思い浮かべつつ、最初の章のタイトルを「カーテンとファンファーレ」としたことや、 第4交響曲第1楽章の展開部末尾に出現するファンファーレについて述べるくだりで、ファンファーレというのが音楽の「展開」に 寄与しない静的な性質を持つことに触れたりするのは、そうした観点からすれば非常に興味深い。実際第1交響曲においても、 あるいは第4交響曲のかの部分で予告された第5交響曲の冒頭楽章においても、ファンファーレは導入部という静的な部分の 構成要素として出現している。レートリヒのように第5交響曲において伝統的な交響曲における第1楽章が2つに分割されて、 第1部を構成する2つの楽章となったとする立場を敷衍すれば、第1楽章である葬送行進曲は序奏が拡大された挙句、 楽章として独立してしまったという見方が可能で、第1交響曲第1楽章や第3交響曲第1楽章で既にそうであったように、 そして更に第6交響曲のフィナーレで徹底してその可能性を汲みつくされるように、本来はソナタ形式の外側にあった序奏が その主要部との動機的な連関によって内部に入り込んでしまう中で、ファンファーレのみは主要楽章である第2楽章で 扱われないことが注目される。それはファンファーレが静的で展開も(マーラー独特の)変形も拒む素材であることに由来するのだ。 そうした静的な性質は、それが出現する脈絡とは異質のものであるという性質をまた備えている。それゆえ第1交響曲第1楽章の あの「突破」を始めとして、音楽を進める動力が枯渇して楽曲が停滞するのを外側から賦活するような役割を果たすことにもなる。 ファンファーレはマーラーの音楽に層が複数あること、「外部」が存在し、その外部に対する系の反応過程であること、しかも その外部との境界面で起きている事象をいわば「その場」で捕まえようとする試みであることに対して際立って重要な働きをして おり、そうした機能を個別に見ていくことの方が一層興味深いのではなかろうか。それゆえ音楽外のものであることが明らかな 標題など、脇において置いてしまうべきなのだ。マーラー自身が後からとはいえ気付いて捨てたものを拾い上げることが、 マーラーの「音楽」を捉えることにどれだけ寄与するのか、私には判然としないのである。
 
その一方で歌詞がついたものについては、歌詞が理解できない状況はさすがに除外していいように思えるが、同じ歌詞に別の音楽を つけることが可能であることを思えば、結局のところ音楽自体の論理なりプロセスなりが問題なのは言うまでもない。 歌詞に対する音楽のあり方には事実上無限の選択肢があるから、音楽の水準でどのような選択が為されたかこそが第一義的な 問題なのは当然である。思考実験としてであれば、歌詞つきの楽曲であってさえ、意味の水準を一旦遮蔽してしまって何が 起きるか(マーラーがピアノロールに歌曲をピアノで弾いて記録したようなケースがわかりやすいだろうか)を問うてみてもいいだろう。 その場合、例えば別の言語を話す聴き手にとって歌詞が理解できないとしても演奏者の側は、ほとんどの場合(音声合成によるような場合を除いて)歌詞の意味を理解せずに歌うことはあり得ないという事実は残るのだが、そこも捨象してしまう立場すらあり得るだろうし、そうしてしまっても何も残らないわけではないのは明らかだから、そうした還元の後に残るものを対象とするやり方があってもいいように私には思われる。要するに原理原則などはどうでもよくて、そうしたことが現実に起きうるのであれば、 それを問題にしたらよいのだ。これもまた一つの立場であって、中立的な立場などないことは認めた上で、私が採用するのはこのような立場なのである。
 
まずは3つのトピックを列挙しよう。1つめはファンファーレに関連して既に少し触れた序奏の位置づけの問題であって、 特にソナタ形式の楽章におけるそれが問題になるのは明らかだが、それだけではなく、それ以外の形式や楽章間をまたいだ序奏の 再現といった点についても注目すべきかと思われる。 もう1つはいわゆる舞曲形式における発展・展開の問題であり、最後の1つは歌曲と交響曲との両方に関わる 有節的な歌曲形式や通作的な歌曲形式と交響曲形式との融合の問題である。序奏がつくのはいわゆるソナタ形式の楽章である 場合が多いのに対して、舞曲においてはいわゆる3部形式やロンド形式へのソナタ的な発展・展開の契機の侵入のありさまが 問題になる。マーラーの場合にはこの両者が独立の問題と言えるわけではないこと、にも関わらず、それらが区別できない 訳ではなく、出発点となっている形式のもともとの姿から遠ざかってはいても、いわば楽曲の持つ固有の時間性の水準で、質的な 違いが与えられているように思われるのだ。単純な一元化、形式の還元や均質化のかわりに、もともとの形式が潜勢的には 備えていた力を活用して、それらを様々な仕方で組み合わせて緊張を生じさせることによって、その都度固有の世界を形作る 試みがなされているのである。
 
文字通りの反復を嫌ったマーラーは、3部形式の舞曲においてもDa Capoを書かなかった。 唯一の例外は第10交響曲のプルガトリオ楽章で、このDa Capoがあることを根拠に草稿の水平方向における完成度に疑義が 提示されるといったことが起きるほどなのである。だがそれは、「すっかり元のままではない」というだけであって、やはり元のレヴェルへの 還帰はなされるのだ。一方でソナタ形式の再現部はそれとは異なり、別のレヴェルに到達する。そこはかつていた場所とは異なった 場所で、もう元には戻らないという非可逆性の認識が再現部なのであり、従って再現部においても展開のプロセスは続くのである。 その一方で序奏はソナタ形式に静的な要素を持ち込むように見える。しかもその機能は拡大され、その楽章のみならず全曲を 通じて機能する主要な素材を提供することもあるし、序奏自体がソナタの経過の途中で再現されもして、ソナタ形式の図式の 中に侵入してしまう。規模の点でも著しく拡張され、しばしば主部よりも長いことすらある。序奏というのは言ってみれば地平を 形成しているわけで、その性格は基本的には静的なものだから、序奏の再現はそれがソナタ形式の只中であったとしても あたかも元のレヴェルに戻ってしまったかのような時間性をもたらすことになる。かくしてマーラーにおいては静的なものと動的なものが 相互に嵌入しあい、複数の異なった時間性を備えた層が重なって、それらの間を運動していくのだ。複数の層の間の往還を 可能にするのが多楽章形式なのであってみれば、それはもともとは交響曲という楽曲の形式に由来するものであったとしても 最早古典派における図式から遠く離れて、別の機能を果たす素材となっているのである。attaccaや第2交響曲第1楽章後の 5分間の休み指定のような楽章間のつながり方、上位構造としてのTeil(部)構成の導入というのも、そうした層の間の関係の 複雑さを反映しているに違いない。要するに最早ここでは単純な持続の中でのリニアな楽曲の継起では扱いきれない何かが 問題になっているのだ。
 
歌詞の持つ節と楽曲の構造の対応の問題は、ハンス・マイヤーをして「簒奪者」と呼ばしめるような歌詞に対するスタンスを マーラーに採らせることになる。要するに、イダ・デーメルの証言にあるマーラーの言葉とおり、歌詞もまた楽曲の素材なのであって、 しかもそれは意味内容の水準においてのみそうなのではなく、テキストの持つ構造のレヴェルも含めてそうなのだ。そしてマーラーは これらの問題について、第8交響曲と大地の歌という、内容上は一見したところいかなる接点もなさそうな2つの作品によって、 一応の結論に到達したかに見える。
 
そしてここでは詳述できないものの、最後のこの問題もまた、前の2つと単独で分離して 扱うよりは、寧ろ前の2つのトピックとどのように複合し、相互に関係し合っているかの様相を具体的な作品について 見ていくべきなのだ。アドルノはマーラーの形式の扱いに唯名論的な側面を見出しているが、そうであればこそ尚更 幾つかの断面を定義してそこに現れてくるものを個別に見ていくようなアプローチが必要で、その断面の切断の与え方を 方向付けるものとして、これら3つのトピックは手がかりを与えてくれるものに私には思われる。アドルノが形式分析の限界を 見出すのは、既存の枠組みの中でしか動き回れないような類の形式分析には自らに予め課された枠を意識し、 その外側に出ることができないからなのだが、マーラーが創作を通じて行った作業はまさにそうした限界を乗り越える試み そのものであり、そうした試みは各々が一回性の徴をどうしても帯びることになる。
 
例えばここでのマーラーの手つきは例えば第8交響曲の中でもその第1部と第2部とでは やや異なっているようだ。というのも第1部では聖霊降臨祭の賛歌をマーラーはかなり自由に組み換え、更に再現部では 自作の節を挿入しさえして、賛歌のもともと持っていた有節的な構造を、7という数象徴と関連づけられた 節数もろともソナタ形式の論理に合せて変形させているかのようなのに対し、第2部ではマクロな構造に限ればゲーテの 詩句を概ねそのまま使っていて、それが故に交響曲的な多楽章形式ではなく、巨大な50分以上もかかる単一の楽章に よる通作形式を採っているように見えるからだ。それは楽章というよりは例えば「「嘆きの歌」におけるTeilに近い単位であって、 マーラー自身も他の曲でしばしばそうしたようなTeilの下に幾つかの楽章をまとめることをここではせずに、Teilのみを 単位として遺しているのである。第2部の中に、Bekkerやde la Grangeの報告している当初の構想の対応物を見出そうとする試みも Specht以来確かにあるものの、寧ろここではそうした対応付け自体よりも、この脈絡でマーラーが巨大な楽曲の内部にどのような 構造を与えたかを個別に問うべきだろう。実際、対応づけをしたところでattaccaで繋がれた3つの楽章の連続とは明らかに 異なっているわけで、寧ろ私見では、音楽の経過と歌詞との対応づけをミクロに見ながら、第2部の内容の経過が如何なる 音楽的プロセスに対応するのか、更にはこれまたマイヤー以来しばしば疑問視されてきた第1部と第2部との連関を、音楽とは 別の水準で聖霊降臨祭の賛歌とゲーテのファウスト自体を突き合せて論難するのではなく、第1部と第2部が音楽的に どのように関連付けられ、音楽によって第1部のどの節が第2部のどの語りに対応付けられているかを確認することによって 闡明するすることの方が有意義に思われてならない。
 
例えば、第1部では変イ長調をとる第2主題(Imple sperna gratia)が、 第2部でファウストのよみがえりをグレートヒェンが歌うところで再現するのは極めて印象的だが、そうした歌詞上の対応を 支えるものとして、この第2主題が実は第1部のあの圧縮された再現部では実は出現していないこと、そして第2部での再現に おいては変ロ長調をとること(主調が変ホ長調であることに注意し、また第1部の再現部の前にも長大な変ロのペダルが 出現していたことを思い起こそう)に気付けば、実はこの第2主題はようやく第2部も終わり近くになってようやく文字通り「再現」するのだ、 そしてそれは今度こそ決定的な変ホ長調(Mater gloriosaによる「来たれ」Komm!)を「より新鮮」な姿で準備するのだということが明らかになる。 だが驚くべきことは実際に、こうしたことに気付かずに聴いて受けた印象をそれは実に正確に説明しているように感じられることだ。 それは単純に同じ動機なり旋律なりにどの歌詞が割り当てられているかという単純な対応付けを超えて、マーラーが音楽によって実現しようと 試みたものに照明をあてることになるだろう。
 
同様に、主調の変ホ長調に対して半音高いホ長調が持っている機能にも注意しよう。 ただちに思い当たるのが、第1部のあのAccende lumen sensibusの箇所(練習番号55)がホ長調で出現することだが、 ヴェーベルンの指摘しているようにこのAccendeの動機は第1部と第2部を橋渡しする役割を担っており、第2部においても 何度も繰り返し出現する。そして第2部ではMater gloriosaが出現する部分(練習番号106)がホ長調なのである。 私はいわゆる音から色彩への共感覚を持っているが、変ホ長調とホ長調は金色から青白い光への強いコントラストの変化を 備えていて、だからホ長調は変ホ長調に対して単純にクロマティックな関係にあるだけに留まらない。トリスタン以来、ブルックナーの 第7交響曲や第9交響曲の例もあるようにホ長調というのは独特の価値を帯びた調性なのだろうが、マーラーの作品の中でも 例えば第7交響曲の第1楽章がここでは導入部のロ短調の和音への付加音が予告している同主短調との明暗法の帰結として ホ長調で終わっているし、何よりも第4交響曲のフィナーレが緩徐楽章が準備した主調であるト長調で出発しながら、 最後になってホ長調に転じてそのまま終わってしまうなど、固有の機能を持っていることは間違いないだろう。そしてこうした点を考慮に 入れずにこの作品の「内容」について議論することにさほどの意義があるとは私には思えないのだ。
 
一方の「大地の歌」でも、第1楽章では有節形式をソナタ形式と融合させるために原詩の第3節を変形していたり、 終楽章で2つの詩を接木するために真ん中に巨大な器楽のみによる間奏を置いてみたりと、その反応はやはり一様ではない。 興味深いのはいわゆる歌詞の内容の水準における大きな違いにも関わらず、そうした歌詞の構造の扱い方については第8交響曲と 「大地の歌」には共通する操作を見つけることができそうな点である。(もっとも別の所にすでに書いたとおり、私には内容の水準に おいてもこの2曲の間には接点があるように感じられるのだが。)ただし「大地の歌」は(今度はその歌詞の内容に相応しくというべき だろうか)複数の楽章を組み合わせるようにして、いわば「下から」2つのTeilを構成する。その様相は例えば第3交響曲の裏返しの ようにも見えるが、そうした特性は調的な配置からも窺うことが可能であり、第3交響曲では長大な序奏を持ち、単独で第1部を 構成する第1楽章が、いわば提示部と再現部を裏返すような調的配置を採ることで第2部へと繋がっていくのに対し、「大地の歌」 では冒頭のイ短調の同主長調で華々しく終わる第5楽章で一旦区切りがつけられ、一旦そこで句読点が入ったのちに ハ短調の短い序奏で開始される終楽章が続くのである。それは今度は第6交響曲の冒頭楽章がイ長調で終わることや フィナーレがハ短調で始まることとの対比を呼び起こさずにはいないだろう。ただし「大地の歌」の終楽章はイ短調に回帰する 第6交響曲とは異なった歩みを見せる。再び同主調のハ長調で終結するが、付加6度が追加され、イ短調とハ長調の 間で宙吊りになったまま終わってしまうのだ。(これを変ホ長調で始まり、第2部の開始では同主短調を取るものの最後は 変ホ長調で終わる第8交響曲と更に比較したらどうだろうか。)そして勿論、このような調的配置は、「大地の歌」においては 歌詞の内容や、楽章間の層的な関係と密接に関連している。(気付いた点については既に別にまとめているので、ここでは 繰り返さない。)では第8交響曲ではどうなのか、特に、一見したところテキストの論理が楽曲の論理に優越している 唯一の例であるかに見える第2部ではどうなのか、こうした問いのリストはまだまだ幾らでも続けることができようが、 いずれにしても、このようにして上述の3つのトピックとそれらの間の関連を個別の楽曲について見ていき、その都度の 様相を捉えるような「個別的なものの観相学」こそがマーラーの場合全般の「個別性」をもまた明らかにするに違いないのである。 (2009.8.9-12 この項続く。)

2009年7月26日日曜日

マーラーにおける調性についての覚書(2023.1.16更新)

マーラーの音楽そのものについて語ろうとするときに重要なパラメータが、その音楽が辿る調的な遍歴のプロセス(力学系における軌道)にあることについては 異論の余地はないだろう。それは交響曲や連作歌曲集というフォーマットが選択された個別の楽曲の中で起きるその変容のプロセスについても 言いうるし、ワグナーの音楽が席巻した時代にあって彼自身もその影響を受けなかったわけではないにも関わらず、アナクロニスムかと思われかねないほどに 全音階的な初期の語法から、新ウィーン楽派との近接を無視できない後期作品の語法への通時的なプロセスについても言いうると思われる。 未完成に終わった第10交響曲においてすら、部分的には調性の限界に近づくことはあっても全体としては調性のシステムの中にいるマーラーの 音楽は、調性の遍歴のプロセスを巡る実験であったという見方すらできるだろう。もちろんそれはマーラーの音楽をある一面から眺めて記述しているに 過ぎず、それで全てが言い尽くせるわけではない。だが現象の記述を行う際に、その挙動を的確に記述できるパラメータを選択することの重要性は 明らかなことだ。マーラーを語ろうとする時、音楽そのものに決して辿り着くことがない標題にまつわる議論や、伝記的な事実の詮索、あるいは 文化史的な渉猟などよりも、音楽そのものについての記述方法を確立することの方が余程重要なのは明らかなことに思われる。そしてそうした水準での 語彙の貧困は明らかなようで、ニーチェの思想との連想から第3交響曲を「円環的」としてみるかと思えば、「大地の歌」の終曲の付加6の和音を 「調性からの告別」と呼んでみるといった類の言説は、だがそうした語彙の使用の根拠を尋ねてみればあまりに粗末で粗雑なアナロジーであったり、 不正確な修辞に過ぎないことがわかってしまう。結局のところ一見すると楽曲そのものの特徴を捉えた言辞に見えるそうした発言も、実のところ 楽曲を分析することから帰納されたわけではなく、外から文学的な想像力やら文化史的な展望とやらによって押し付けられたもので、かえって 音楽自体を見えにくくし、あるいはかえって歪めて聴取することを誘発していないだろうかという疑念にかられてしまうのである。

一方で例えば伝統的な形式からの逸脱をもってマーラーの創意工夫を測ろうとする主張が日本でなされることもないではないが、 その主張そのものには首肯できてもその実質を見ればこちらもまた首を捻るケースの頻出に困惑することになる。一つにはそこで言われている 「伝統的な形式」の方の定義が少しも明確でなく、だからそこで意図されている筈の差異のあぶり出しが鮮明に浮かび上がってこないことになるのではという 感じが拭い難いのである。例えばこの点では邦語文献中最も網羅的な長木による全作品解説はまさに(序文にてそのように述べられている通り) 上述のようなアプローチによるもので、その価値は極めて高い(否、網羅性の観点に限れば、管見ではこれに匹敵するのはラ・グランジュの伝記の補遺として 収められたそれがあるだけで、世界に誇っても良いと思われるのである)が、その一方で調性の変容の具体的な例示に関していえば、「原則としてスコアの調号に従」うという 方針もあって中途半端なものになってしまっているし、恐らくは色々な文献をあたって様々な分析を比較した結果なのだろうが、巨視的な構造の 把握についても疑念を抱く箇所が少なくない。問題は個別の分析そのものではなくて、全体としての整合性にあって、そこで想定されているはずの 「形式的な定型」の側が一貫していないような気がするのである。一貫していなくても、それを断ってくれれば構わないのだが、そうでもないし、 「逸脱」の方は自分で考えろといわんばかりに分析者がどう「逸脱」していると考えるかについては全く言及がないのも(もともとが演奏会プログラム の解説であることを考えれば仕方ないのかも知れないが)期待はずれの感が大きい。確かにマーラーの楽曲の分析はマーラーの音楽を自らの伝統とする 彼の地においてもなかなか意見の一致を見ないようだし、だからそれは今日のこの国固有の問題ではないのかも知れない。 だが市井の一享受者に過ぎない私にとって学問の世界がどうであるかなど所詮は他人事で、要するに自らの経験と背馳しないような仕方で 「マーラーの場合」を記述することが出来さえすれば良いのだ。

そうした視点に立つことを前提とした場合に、では調的な遍歴の過程に注目することの妥当性はどうだろうか。例えばニューリンの指摘以来、 これは定着した感じのある「発展的調性」という見方は聴取の経験と関係があるのか、それともそうした分析はいわば机上の議論なのか。 学問的にはこれはこれで一つの問題なのだろうが、素人である私にとっては自分の主観的な経験からそれに対して、聴取の経験と無関係とは 思えないと言えれば充分である。私は絶対音感についてはあまり自信はないが、それでもマーラーの楽曲間の調的な関係の認知ははっきりとある らしい。また始点と終点だけを取り出すことに心理学的に疑義を抱く向きも、ミクロな転調のプロセスの認知についてはまさか否定はすまい。何より 楽譜を見ずにいわば身体で覚えた楽曲のマクロな構造の認知やら、動力学的な印象、アドルノに由来する例のカテゴリ( 突破 / 停滞 / 充足の3つに更に 崩壊を加えたものが用いられることが多いだろう)の説得力の源泉を訪ねてみた時に、調的な配置の設計がそれらに無関係であるとは私には思えないのである。 (なお私はこれを「音楽一般」に敷衍することには興味がない。ここではマーラーの楽曲だけを問題にしている。)

勿論、それらをきちんと記述しようとしたら個別の楽曲について詳細に跡付ける作業が必要で、それはそれで仕掛り作業として今後やっていかなくては と思っているのだが、ここでは今後の作業の準備の意味合いも込めて、特に印象的な楽曲や部分について思いつくままに書き留めておこう。 (大地の歌についてだけは別に少し具体的に採り上げたことがあるのでここでは言及しない。)

第1交響曲ではまず、第1楽章が問題だろう。ニ長調の、しかも調的に極めて静的な性質を帯びた長大な序奏、歌曲旋律による主題の提示に ついては問題ないのだが、これをソナタと見れば、調的な緊張の構成については全く非因習的なことがわかる。別のところではマーラー自身も用いる 2主題の対比によるやり方はここでは採用されず、主要主題が変容していくなかで転調が起きて、結局(マーラー自身が「後から」追加した提示部 反復のための複縦線のある練習番号12では)確かに属調で終止するのである。(84小節以降を第二主題とする分析もあるが、これはソナタ形式に おける調的な機能を考えれば些か無理があるだろう)。しかも展開部では(これまた後のマーラーの楽曲で繰り返し起きることだが) 序奏がもう一度戻ってきてしまう。展開部と再現部の境界でいわゆる「突破」が発生するのだが、この再現は文字通りのものではなく、 寧ろ別の段階に移行したような感じが強い。結局、ソナタ形式が下敷きにあるとは言いながら、何か別のパラメータが支配的である印象が既に強いのである。「突破」による再現部の開始を告知する素材は、実は提示部の複縦線の後、回帰した序奏の中から浮かび上がるホルンが吹き鳴らす新しい素材であることにも注意しよう。そういう言い方をするならば、展開部で初めて導入される主題が、順序を変えて先に再現し、逆行するようにして主要主題が後から再現されるという、回文的な構成法が採られているという見方も可能だろう。再現部において主題の再現の順序が提示の時のそれとは入れ替わって、アーチ状の対称的な構造を形成するという構成法は、例えば第6交響曲のフィナーレでも見られるが、その点だけを取り出して共通性を言うことの意義は限定的なものだろう。それは第1交響曲の第1楽章における「突破」と第6交響曲のフィナーレにおけるハンマー打ちという伝統的な図式に介入する要素の介入の場所とその様相の違いの方が、アドルノのいう「唯名論的」なあり方を示すマーラーの楽曲の場合にはより重要かも知れないからである。

第2交響曲では、もともと冒頭楽章と同一の楽曲を構成する予定ではなかったらしい(それゆえマーラーは冒頭楽章を単独の交響詩と見做そうとさえした) 第2楽章アンダンテが「浮いてしまう」のに対して、第1楽章を第1部に、後続の楽章を 第2部とするかのような長大な楽章間休止指示がある一方で、第3楽章以降はアッタッカで演奏されるという全体の構想がある。第2楽章が持つ対比の 効果は調的な配置によっても強調される。マーラーは多楽章形式の作品に拘り続けたが、それはこのような異なる視点、異なる意識のレベルを 同一の曲の中で併置して重層化させる効果を求めていたからに違いない。単一楽章の中での転調では同じ効果は決して得られないだろうが、 例えば第1楽章の第2主題がホ長調という遠隔調で登場する部分などは、こちらは単一楽章の中での重層化が生じているし、前後の楽章と アッタッカで繋がれているにも関わらず第4楽章の調性もまた前後の文脈に対して「島」を形成するかのようだ。聴く人が聴けばとりとめない、しっかりと した構造のないものと聞えるかも知れないが、楽章間の長さの極端なアンバランスとともに、こうした多層的な構造がマーラーの楽曲の特性であることは 確かだし、彼が交響曲を選んだのは理にかなっていると言えるように思われる。

第3交響曲第1楽章では提示部の終わり、展開部の終わりは誰の眼から見ても明らかなのだが、各部分の内部構造の方は一見混沌として見える。 一つには冒頭のホルン斉奏による序的主題により開始される一見したところ序奏に見える部分が展開部でも再現部でも幅を利かせていて、しかも次から次へと 動機が出現し、しかもそれらのあるものは相互に連関しているので、そもそも一体どれがソナタ形式でいう「主要主題」なのか自体が判然しないという 有様なのだ。長大でかつ素材として重要な序奏の問題は第1交響曲第1楽章や第2楽章の第1楽章、そして第6交響曲のフィナーレ、第7交響曲第1楽章、 第10交響曲第1楽章などでも見られ、マーラーの楽曲構造の特徴の一つといって良いだろう。要するに序奏はソナタ形式の外部にあるのではなく、 内部にあるのだ。ただしその様相は個別の楽章で異なっている。第3交響曲の第1楽章で顕著なのは提示部の機能と再現部の機能が入れ替わって しまっているかに聴こえるという点だろう。つまり提示部は冒頭の調性(ニ短調)の同主調であるニ長調で終わるのに対して、再現部は平行調である ヘ長調で終わるのだ。勿論、ニ短調の部分をそっくり序奏と見做して、本来のソナタ提示部はヘ長調で開始されるのだとして、だからヘ長調で終わるのは 別に驚くことではないという意見も予想されるところではあるが、その場合には、第1交響曲第1楽章同様、第二主題に相当するものがないことはおくとしても、 提示部終結の「充足」の部分がニ長調をとる理由の説明がつかなくなる。これを瑣事と見做すのであれば一体ソナタ形式とは何なのかの方を今度は 問い返すべきだということになろう。一貫性というのは例えばこうしたレヴェルで問われているのである。

第4交響曲では一見したところ(あくまでもそれまでの作品と比較しての相対的なレベルではあるけれど)保守的なソナタ形式を採用しているように 見える第1楽章のあちこちにある仕掛けも気になるが、それよりはト長調で開始される(もっとも序奏はロ短調と見做すべきだろうが)この交響曲の フィナーレが歌曲であり、しかも第3楽章が属調のニ長調で終わって準備しているのに対して、注文どおりト長調で始まるフィナーレが最後はホ長調で 終結することに注目すべきだろう。ちなみにホ長調は第3楽章にあるあの「突破」の部分のとる調性でもある。冒頭の鈴の動機がフィナーレにおいても、 いつも律儀にロ短調で回帰することにも注意しよう。ホ長調は確かにト長調と3度関係にあるから近親調ではあるが、異なる調性になったまま、 戻らずに終わるという聴いて感じる印象が緩和されることはない。

第5交響曲こそは発展的調性の範例として採り上げられてきた作品であり、古典的な枠組みからの逸脱の典型であるかのような扱いを 受けてきた。だが確かに嬰ハ短調で開始するとはいえ、それはいわば序奏にあたる葬送行進曲の調に過ぎず、実質的な主要楽章である 第2楽章はイ短調であることを軽視してはならないだろう。そして最後に辿り着く調性であるニ長調には、第2楽章の再現部の末尾で 一旦辿り着いているし、単独で第2部を構成する巨大なスケルツォが既にニ長調で始まり、ニ長調で終わることにも注目しよう。この曲の 「内的プログラム」と通常考えられているベートーヴェン的な図式というのは一体どこにその実体があるのだろうと疑ってみるのは不当でもなければ 無意味でもあるまい。

第6交響曲については4楽章の構成をとり、イ短調で始まり、イ短調で終わるその「古典的な」佇まいが注目される一方で、中間のアンダンテと スケルツォの順序の問題やらフィナーレのハンマー打ちの回数が話題になることが多いようだが、それらもまた調的な配置や楽式との関連の 中で検討されるべき性質のものであるように私には思われる。中間楽章の順序の問題は簡単ではあるが別に触れたこともあり、ここでは 特にフィナーレの構造とハンマー打ちが起きる場所の関係に注目しておきたい。ハンマーの打点ではなく、タムタムが鳴らされる場所にも 同時に注目しよう。このフィナーレもまた序奏部が執拗に回帰し、聴感上は大きな構造上の句読点の役割を果たしている。その序奏部が 回帰するときの調性、ハンマーの打点の調性はこの楽曲のスキームを事実上大まかに決めてしまう。ハ短調で開始されるこの曲は、最後には 全曲の冒頭の調性であるイ短調で終止するが、最後に序奏が回帰したときにすでにそれは定まっている。だが、それはすでに遡って、主題の 再現の順序が入れ替わって、アーチ状の対称的な構造を形成し、まずは同主調で副主題が再現したあとイ短調の主要主題の再現となる というプロセスが準備しているとも言えるのだ。こうして調的な配置のみを書けば如何にも恣意的に映りかねないが、この楽章に関してはそうした プロセスが見事に音楽的内容と対応していて、恣意どころか或る種の必然性をすら思わせるような説得力を生み出している。

第7交響曲もまた発展的調性の例として引き合いに出されることが多いものの、この作品の場合にはとりわけ冒頭楽章の調性につきまとう 或る種の曖昧さ、一つの調性に留まらずに絶えず別の調性を示唆するような余剰を孕んだ響きが、調性の辿るプロセスを単純化して 図式化することを拒んでいる。第1楽章は結局のところずっとホ長調に辿り着こうとして曲頭の既に付加音を持つロ短調から出発して 遍歴を続ける。新ウィーン楽派を思わせるような四度の累積も常に偏差を孕んでいるかのような調的な遍歴に独特の輝きを添える。 問題視されるフィナーレのハ長調は、だが1番目の夜曲の調性でもあることに注意しよう。ただしそこでは第6交響曲のあのモットーと同じ 動きによってそれはハ短調に常に傾斜するような動きが与えられているのだが。ともあれ調的なプロセスだけ見れば、第7交響曲と第5交響曲には 冒頭の調性が終結の調性に対して導音の関係にあり、短調から長調への移行が行われるという点を除けば殆ど共通点を見出すことができない。 更に言えば、冒頭和音の付加音が既に告げているように、ここでは調性は寧ろ色彩や明暗の変化と結びついていて、そうした側面を捨象した整理は意味がないだろう。 なおフィナーレのハ長調は、その影が第9交響曲の第2楽章に伸びているように私には感じられてならない。この音楽を肯定的にとるか否かに 関わらず、これはこれで「現実」への回帰であり、「世の成り行き」の音楽なのだ。

第8交響曲では変ホ長調への固執が顕わだ。まるで全曲が1つの突破、この世の中に何かのはずみで生じた裂け目であるかのように、その音楽の 辿るプロセスは他の交響曲のような「世の成り行き」とは無縁であるかのようだ。だがそれだけでは事態の半分をしかとらえたことにならないだろう。 変ホ長調の中に出現するホ長調の領域は、更に一段と照明が変わったかのような特異点を形作る。暖色系の金色の光の中に、寒色系の青白い 光点が出現するといった具合なのである。だからこの曲を単純に全音階的であると断定するのは単純化の謗りを免れないだろう。確かにここには 例えば前の第7交響曲が持っていたような微妙な濃淡の変化、明暗の移ろいはないけれど、ここにもクロマティックな運動は存在するし、それが 聴き手に与える印象は明確なものだと私には思われる。

第9交響曲ではまず、第1楽章の調的な配置が問題になるだろう。この楽章をソナタ形式と捉えるか二重変奏と捉えるかについての論争は 夙に有名であるが、ソナタ形式と見做した場合に異様なのは、展開部の最中においても、いわゆる主要主題が回帰するたびにニ長調が回帰してしまう という調的なプロセスである。通常のソナタ形式とは異なって、ここではニ長調は或る種のアトラクターであって、常にそこに回帰する基層を形成しているかの ようで、そこに様々な外乱が介入することによって風景が変容していくのだが、結局のところ全ては回想の裡にあるかのようで第1楽章が終わった時の完結感は 非常に強い。それゆえ第2楽章は全く別の層、つまり「世の成り行き」を無媒介に提示することしかできない。第3楽章もまた第2楽章と層を同じくしている (ハ長調に対してイ短調)。留意すべきは素材上は第4楽章に関連するエピソードの部分が第1楽章の調性であるニ長調をとっていることだ。素材は同じだが、 ベクトルは寧ろ第1楽章同様、過去を向いているのだ。それに対して終曲のアダージョが半音低い基音を持つ変ニ長調であることは、 それが冒頭楽章と同様に「現実」から身を引いたものであることを告げると同時に、その時間性が第1楽章とは異なることを告げているように私には思われる。 それは夜明けを待つ音楽なのだ。夜明けは(少なくとも音楽上の「私」には)やって来ないのだが、それは予感されている。

第10交響曲は未完成であるけれど、全5楽章の調的な配置をクック版によって確認する意味は小さくないだろう。この曲の冒頭のヴィオラの旋律は ほとんど調性について語るのが無意味なものであり、新ウィーン楽派の無調に限りなく近接する。一方で主要部は嬰へ調というマーラーにおいても 比較的珍しい基音上で長調と短調の間を揺れ動く。中間楽章を経てフィナーレに到達するところではニ短調をとり、しばらくニ短調とニ長調(更にロ長調)の間を 揺れ動きながら音楽が進むが、第1楽章が回想されるときには調性もまた嬰へ調に回帰する。なおパルティチェルではこのフィナーレのコーダには調性の異なる 2つのバージョンが遺されているようだ。クックが選択しているのは嬰へ調のヴァージョンであり、その選択は全く自然なものであると思われるが、もしもう一方の 案を採用したら一体どういうことが起きたのかを考えるのは無意味ではあるまい。だが私にとって特に印象的なのは、嬰へ調による部分よりも寧ろ フィナーレでニ長調で出てくる主題の性格の方だ。この文脈ではニ長調という調性が何とも不思議な光を持って響いてくるように私には感じられる。 ニ長調がこんなふうに響く場所、この交響曲の「ここ」がどこであるかは、未だに私には謎であり続けている。もしかしたらシェーンベルクも言っているように、 それはまだ私が聴く資格を持たないような、そんな音楽なのかも知れない。聴き始めて30年、幾度となく聴いてきた音楽であるにも関わらず、私はこうした 印象から逃れることが未だに出来ずにいるのである。

「大地の歌」については別のところで触れたので、ここでは終曲の調性であるハ長調がマーラーの他の作品で用いられる文脈(第7交響曲のフィナーレ、 第9交響曲の第2楽章、第7交響曲の第2楽章、あるいは第4交響曲第2楽章や第3交響曲第3楽章、第2交響曲第3楽章、更には第10交響曲 第4楽章といったスケルツォ楽章の途中で出現するハ長調の対比要素を想起せよ)を考えたときに、 この終曲が「この世」からの「離脱」の音楽であるという、よくなされる解釈の根拠は何なのか、それは楽曲自体に従ったコメントではなく、 それこそ聴き手の主観的な「思い込み」ではないか、楽曲を離れて文化史的な背景を動員して、マーラーの音楽を時代の風潮の中に 還元してしまうことがマーラーの場合の個別性とその音楽の持つ時代を超えた力を捉え損なっていないか疑問に感じられることのみ触れておこう。 その替わりに、ここでは最後に「嘆きの歌」と2つの連作歌曲集について一瞥しておこう。

「嘆きの歌」について言及する場合には、マーラーが後に削除することになった「森のメルヘン」を含めて考えたほうが一層興味深い。これを 改訂版で、即ち初稿の第2部から聴きはじめるのは、喩えて言えば第6交響曲のフィナーレだけを聴くようなもので、それはそれで説得力があるけれど、 調的なプロセスの観点からは、途中から聴きはじめるような感覚を拭い難い。マーラーの「悲劇の調」であるイ短調で始まり、イ短調で終わるこの作品は だがその調的な変容のプロセスから見れば、短調と長調の頻繁な交代、それを媒介にした3度関係の近親調間の往還といったその後のマーラーの 特徴が既にみられるだけではなく、複調的な層の重ね合わせなどにも事欠かず、その後の作品よりも寧ろ大胆ですらある。ともあれマーラーが 自ら作品1と呼んだ作品がイ短調の主和音で終結するという事実は、マーラーの作品全体を眺望したときに極めて示唆的である。

「さすらう若者の歌」の調性配置もまた、破格とまでは言えなくても少なくとも独特ではある。 最初の曲はニ短調で開始し中間に変ホ長調の部分を挟むがニ短調に回帰する。ところが第2曲はニ長調からロ長調に転調して更に嬰ヘ長調に至って 終わってしまう。 3曲目は再びニ短調に始まるが、音楽的な「崩壊」の最初の事例である末尾では変ホ音で終止する。終曲はホ短調で始まり、ヘ長調に転じて、 最初に同主短調で終止してしまう。一見したところナイーブな音調を持った作品でありながら、調的な遍歴から見ればこれはかなり大胆なプロセスを 備えていて、それが作品を感傷一方の通俗性から救っているのは疑いないだろう。

一方で「子供の死の歌」は巨視的にはニ短調で開始しニ長調で 終わるというオーソドックスなスキームに基づいている。中間の3曲は両端の曲とは対照的に、ハ短調・変ホ長調とその同主短調という領域を動き回る。 ここでは「さすらう若者の歌」の遍歴はないけれど、そのかわり意識の層がはっきりと重ね合わせられていて、その間を往還する運動が見られるのである。 同じ「喪の音楽」であるにも関わらず、ここでのプロセスは「大地の歌」のそれとは異なっていて、それを比較することは非常に興味深いトピックだろう。

以上、駆け足で多楽章形式の作品について、いわば「印付け」をしてみたが、これらはそれぞれ細部にわたった検討が必要なものばかりであり、 ここではそれらに対して大急ぎで目配せをしたに過ぎない。いずれにせよ、マーラーの楽曲を調的なプロセスを切断面に調べてみることはその楽曲の内容に 近づくために不可欠であることは確かなことのように思われる。とりわけマーラーの音楽を「意識の音楽」として捉える時に、それは「意識の音楽」が 備えているべき複数の層の存在を明らかにし、更にそれらの間で生じている運動、つまりは意識の変容の過程を記述する有力なパラメータであると 思われるのである。(2009.7.26/27, 2023.1.16 第1交響曲に関して追記。)

2009年5月31日日曜日

戦前のマーラー演奏の記録を聴く

マーラーの音楽が今日かくも普及することについてLPレコードやCDといった録音媒体の発達の寄与があったという主張が、とりわけ音楽社会学といった 研究領域の研究者からよく聞かれるのは周知のことであろう。だがマーラーその人は1911年に没しているため自作自演といえば、ピアノロールに遺された 歌曲3曲(うち1曲は第4交響曲のフィナーレである「天上の生活」)と第5交響曲の第1楽章のピアノ演奏しかない。否、時代を代表する指揮者でありながら、 自作自演のみならず、一般に指揮者としての演奏記録は残されていないようだ。

その一方で生前のマーラーを知る人による演奏記録は少なからず遺されている。その代表は恐らくヴァルターとクレンペラーということになるのだろうが、 それは第二次世界大戦後、録音技術が飛躍的に向上して以降も彼等が演奏活動を続け、今日でも特に「歴史的録音」としてでなく、多くの選択肢の中の 一つとして彼等の演奏が聞かれ続けていることに拠る部分が大きいだろう。その一方で、マーラーの生前からマーラーの作品を取り上げ、程度の差はあれ マーラー自身からも評価されていたメンゲルベルクやフリートの方は、理由こそ違え第二次世界大戦後は活動しなかったから、その記録は限定されてしまう。 フリートであれば、世界初のマーラーの交響曲の録音となった1924年の第2交響曲の演奏が、メンゲルベルクであれば1939年9月の第4交響曲の演奏が 記録として残っていて現在でも聞くことができる。それらは録音技術の制約もあって今日の録音と同等の聴き方はできないだろうが、その一方で、「時代の記録」と いった資料体、晩年にニューヨークに住むアルマを訪れたインタビューや、ニューヨーク時代のマーラーについての楽員の思い出を録音した記録などと同様の ドキュメントであると考えれば、また少し違った聞き方が可能だろう。そしてそうした立場に立てば、ヴァルターにしても1936年5月の「大地の歌」、 1939年の「第9交響曲」の録音は、ドキュメントとしての価値は計り知れないものがある。

否、そうした交響曲の著名な録音に限らなければ、そうしたドキュメントのリストはまだ続けられるし、もう少し遡ることすら可能なようだ。レーケンパーが ホーレンシュタインの伴奏で歌った「子供の死の歌」の1928年の演奏はあまりに有名だが、それ以外にもやはり時代を画する歌手であったシュルスヌスの 「ラインの伝説」「少年鼓手」の1931年の録音があるし、ソプラノのシュテュックゴルトの歌唱には少なくとも1921年迄遡るものがある。(もしNaxos盤記載の通り、 15年頃まで遡るとしたら、これは大戦間ですらなく、第1次世界大戦前、マーラーが没してからもまだ数年という時期のものということになるが、彼女の キャリアなどを考えると1915年説には疑いがあるようだ。)また時期は1930年とやや下り、年齢的にも最盛期は過ぎた時期の録音で、 演奏そのものに対する世評は一般には高くないものの、シャルル=カイエが歌った 「原光」「私はこの世に忘れられ」は、彼女が1907年にマーラー自身によってウィーン宮廷歌劇場に招かれ、短期間ではあるがマーラーの下で歌った ことや、1911年11月20日のミュンヘンでの大地の歌初演をワルターの下で歌ったことを思えば、その記録の意義は計り知れないものがあろう。 ワルターのピアノ伴奏での歌曲やワルター指揮のニューヨーク・フィルとの第4交響曲の歌唱の録音があるデジ・ハルバンが、これまたマーラーが宮廷歌劇場に 呼び寄せたあのゼルマ・クルツの娘であることも付記すべきだろうか。

だが、それらの録音を聴くと、音質の制約の壁を超えてこちらに届くものが確かにあることに否応無く気づかされる。否、もっと端的に、それらの記録の幾つかを 聴くことによって得られる感動は、ドキュメントとしてのそれを超えたものがあることを認めざるを得なくなる。例えば「私はこの世に忘れられ」を、「大地の歌」の 初演者であるシャルル=カイエの1930年の歌唱、1936年にワルターの下で歌ったトールボリ、そして1952年にやはりワルターの下で歌ったフェリアーと聴いていくと、 それぞれの歌唱の素晴らしさに圧倒されてしまう。その感動の深さは、ずっと自分の生きている時代に近い他の録音に劣らないばかりか、もしかしたら それに優るのではとさえ思えてくるほどなのだ。

とはいえ、トールボリの歌唱を含め、ワルターのアンシュルス間際の演奏は、戦前の日本にも輸入されたSPレコードによって知られており、レーケンパーの「子供の死の歌」も またそうであったようだから、それらを知っていた人にとっては格別の思い入れがあるに違いなくとも、私にはそうした思い入れは持ちようがない。1980年代の マーラーブームの頃には、戦前・戦中の日本におけるマーラー受容の様子が知られるようになったり、近衛秀麿の第4交響曲の録音が復刻されたりしたが、 自分がその末梢に位置することは否定しようのない事実であったとしても、だからといってそうした過去と自分が、マーラーを経験することにおいて繋がっている とは思えなかったし、今でもそうは思っていない。日本マーラー協会の会員だったのだからそうしようと思えばもう少しそうしたルーツ探しだってできた筈なのだろうが、 当時の私は全くそうしたことに興味がもてなかった。近衛秀麿の演奏に世界初という記録以上のものを聴き取ることはできなかったし、あるいは例えば戦前・戦中の マーラー演奏と接点のあった日本マーラー協会会長の山田一雄さんの演奏を聴くこともなかった。現在私の手元には1938年3月と1941年1月、 それぞれローゼンシュトック指揮による第3交響曲と「大地の歌」の定期演奏会の時の新交響楽団の会報「フィルハーモニー」があるが、 それらが資料として持つ意味合いを超えるものは何ひとつとしてなく、懐古趣味の対象になどなりようがない。そこに自分が 連なる伝統を見出すことなど、少なくとも私にはできない。そう、寧ろ端的に、それは私が聴いた、私が今聴いているマーラーではないと言いたい気がする。 しかも2つの異なった意味合いで。一つには、現在私がいる時点からの時間的な隔たりにおいて。もう一つには、当時の日本におけるマーラー受容のあり方に対する 奇妙な違和感、つまりそちらの方には逆向きの(つまりもっと自分に近い時点との比較において)デジャ・ヴュが伴うように思えるという点において。要するに同時代性が 文化的な距離を無効にすることはなく、寧ろその点では時代による変化というのがあまりないように感じられるという点において。

だがその一方で、あるいはそうであるだけに、例えばレーケンパーの「子供の死の歌」から受け取ることができるものは、私にとって時代の隔たりを超えて 伝わってくるものなのだ。ワルターの戦前の演奏、特に「第9交響曲」のそれについては当時の時代の危機的状況の記録といった側面が強調されることが多いが、 寧ろ私が思うのは、その時の演奏者の中にはマーラーの指揮の下で演奏した経験のある人が少なからず含まれたに違いないし、その録音から辛うじて聴き取れると 私が感じるものには(あるいはそれは勘違いや思い込みだと言われるかもしれないが)、マーラーの作品が産み出された時代と地続きであるが故の、半ばは演奏様式と いった形で伝統として定着した、だが残りは蓄積された記憶に基づいたほとんど無意識的な親和性があるように思えてならないのである。それは現在の私とはとりあえず全く 隔たった時代と場所の記憶であり、私にとってはマーラーが如何に自分から遠い存在かを否応無く確認させられることになる。演奏技術は向上し、録音の技術も 向上したかも知れないが、「マーラーの時代が来た」などといったキャッチフレーズが如何にお目出度い遠近法的倒錯に基づくものであるかを私は感じずには いられない。寧ろマーラーの時代はとっくに過ぎているというべきなのではないのか。

その点に関連して、もう一つ思い当たったことがある。ワルターの第9交響曲やフェリアーの「私はこの世に忘れられ」を聴いて、私は何となく、バルビローリが ベルリンフィルを指揮した1964年の第9交響曲やベイカーがバルビローリの伴奏で歌った「私はこの世に忘れられ」(これには1967年のハレ管弦楽団のものと、 1969年のニュー・フィルハーモニア管弦楽団のものがあるが)を思い浮かべたのだ。バルビローリは1899年生まれといいながら、イギリスの指揮者であり、 大陸のマーラー演奏の伝統とは直接関係がない。強いて言えばフルトヴェングラーのいわば代役のような形で引き受けたニューヨーク・フィルハーモニックとの関係に 寧ろ接点があるかも知れないくらいなのだが、それではそのバルビローリの指揮で第9交響曲を演奏したときに当時のベルリン・フィルの奏者をあれほどまでに感動させたものは 何だったのか。当時のベルリンには聴き手のうちにも奏者のうちにも戦前の記憶をもつ人がいた筈であり、1960年代にもなって、しかもドーバー海峡の向こうから やってきたイタリア系の指揮者が、そうした記憶に繋がるような演奏をしたことに驚いたといった側面が必ずやあったに違いないと私は思う。勿論、バルビローリと ベルリン・フィルの演奏を戦前の伝統なり記憶なりの継承であるということはできないだろうが、しかし更に半世紀近く後の現在から眺めれば、バルビローリの 演奏もまた過去のものとなってしまったという感覚は拭い難い。結局のところマーラーと現在との距離はちっとも縮まっていかない。寧ろ、ある時期にマーラーの 受容が一気に進んだことによって、逆説的に今度こそマーラーは決定的に過去の存在になってしまったとさえ言いうる気がしてならない。

そしてそうした展望において、三輪眞弘さんの言う「録楽」としてのマーラーの演奏記録を聴くことに、或る種の逆転が生じているように私には感じられる。 戦前の演奏を「録楽」で聴いたからそこに「幽霊」を見出したのではないかという論理の筋道はここでも正しいのだが、その一方でそれは私にとって 予め「幽霊」でしかありえないものなのだ。現代の演奏を遙かに優れた録音・再生技術によって「録楽」として享受するのと、そうした経験の間には 無視できない差があるように思えてならない。権利問題としては確かにそれもまた「代補」なのだが、事実問題としては「代補」としてしか最早存在し得ない。 そして時代の隔たりを感じつつ、にも関わらず、その隔たりを超えてやってくるものは、今日のコンサートホールで繰り広げられる技術的精度においては遙かに優れた 演奏では、或いは今日の遙かに進んだテクノロジーに支えられた録音で聴ける演奏では替わりが利かないもののようなのだ。やってくるものが或る意味で時代を 超えているのだとしたら、一体どちらを「幽霊」と呼ぶのが相応しいのだろう。勿論私は「歴史的録音以外には価値が無い」とは思っていない。作品を把握するには 歴史的録音では限界があるのははっきりしている。歴史的録音の裡にのみ本物があるといった言い方を私は断固として拒絶する。私が言いたいのはそういうことでは ないのだ。そうではなくて、マーラーのような過去の音楽の場合、しかもその音楽が産み出された時代やその時代に陸続きの時代の「録楽」が遺されているような 場合には、それらを現代における「録楽」と同じように聴くことがとても難しいことになるということが言いたいに過ぎない。

それは一般論としてはマーラーだけの問題ではないかも知れない。だが、私個人について言えば、恐らくそれはマーラー固有の側面が非常に色濃いのではないかと 思っている。勿論私がマーラーその人に興味があるのは、このような音楽を遺したからで、そこには逆転はない。だが私は結局のところ、そうした作品を産み出した マーラーその人を探しているのだと思う。作品はマーラーその人の「抜け殻」、それもまた「幽霊」ではないのか。だからといって書簡をはじめとするドキュメントの 方にこそ「本物」がいるとも思っていないし、やはり「本物」は「作品」を通してしか出会えないと思うのだが。 (2009.5.31/9.26)

2009年5月24日日曜日

今更、どうしてマーラーなのか

今更、どうしてマーラーなのか、という問いは二重の意味で現在の風景に馴染まない、アナクロニックなものに見えるかも知れない。 一方ではマーラーの音楽はコンサート・レパートリーの重要な部分を占めているし、マーラーの同時代の音楽は勿論、それ以後の過去の音楽 (20世紀に「現代音楽」と呼ばれたジャンルも含めて)も、逆にマーラーより前の音楽も、ある意味では分け隔てなく演奏が行われ、聴取が行われている。 アーノンクールが指摘するようにそうした風景が歴史的にみて異様なものであったとしても、「今更」という問いは、そうした展望の下では最早 相応しくないかのようだ。一方で、同時代性からの展望は全く異なるだろう。1世紀のうちに生じたパースペクティヴの変容によって、マーラーの音楽は 恐竜の如く、既に過去の遺物であるかのようだ。とりわけケージの名前に象徴される音楽の定義の見直しの後の風景の中で、マーラーの音楽は はっきりと過去の制度の制約をあまりに強く受けすぎていて、最早「使いみちのない」ものに見えるかも知れない。もっとも、断絶を強調するような こうした見方は寧ろかつて20世紀のある時期まで優勢であったもので、ポスト・モダンの今日は最早「何でもあり」なのだとすれば、最初の問いはもう一度、更に 三つ目の意味合いでナンセンスだということになるのかも知れないが。もっとも、上記の2つないし3つの「理由」は、一般論として思いつきはしても、 私にとって等しく説得力を持つものではない。私が特に関心があるのは、2つ目の立場、同時代性からの展望である。「マーラーの時代が来た」という声の 一部に恐らくは意識的に、あるいはまた無意識的に含まれるであろう、マーラーの音楽は最早時代を超越しているのだ、それは普遍的なのだというような 見方は私には到底受け容れ難いし、だからといって「何でもあり」の時代だからマーラー「もまた」いいではないかと思っているわけでもない。 クラシック音楽を自明とする立場にありがちな前者の考えこそ時代錯誤も甚だしくて、そうした距離感や自分の立ち位置の意識が欠落した評論、 解説の類にはいらいらさせられるし、その一方で私は基本的には偏狭な人間なので「何でもあり」の一つとしてマーラーに接しているわけではない。 寧ろ共感でき、戸惑い無く聴ける音楽は非常に限定されているといって良い。そもそも偏狭である以前に時間の制限や能力の限界もあって、そんなに色々なものを 相手にするのは無理なのだ。

私は音楽を職業としていないので、あくまでも自分の生業とのアナロジーによる想像に過ぎないが、例えば音楽の創作の現場に自分が居たとすれば、 マーラーの音楽に対して現実に今そのように接しているように接することはありえないだろうな、という気はする。端的な言い方をすれば、自分がもし 音楽を書くとしたら、マーラーのような音楽は書かないだろうということだ。マーラーは結局のところ過去の別の文化に属する他者であって、 同じ位置に自分を置くことはできない。だから、一見矛盾しているようではあっても、同時代の営みの中で私が関心を持つのは、マーラーの音楽とは 一見して全く関係の無い、寧ろ、そこからは最も遠く隔たっているかに見えるような類の試みなのである。自分でも何となく腑に落ちないのだが、 同時代の誰かがマーラーのような音楽を書くことに対しては明確な拒絶反応があるようなのだ。ほとんどナンセンスに等しい乱暴な仮定であることを 承知で言えば、もし現代にマーラーが生きていたら、彼が書いたのはあのような音楽ではなかっただろうとも思う。こんな仮定を積み重ねることに さしたる意味はないだろうけれど、今日マーラーのような音楽を書くことは、マーラー的なメンタリティに反するとさえ言えると思う。少なくともマーラーが 持っていて、その音楽として具現している或る種の志向、私にとって、そのためにマーラーを聴き続けている何かを現代の日本で展開しようとすれば、 全く異なった相貌の音楽になったに違いない。そういう意味では、時代の制約によって音楽が身に纏う意匠というのは、実は「抜け殻」(マーラー自身が 晩年のある書簡でこういう言い方をまさにしている)に過ぎないのではという気さえする。ありていに言えば、似たようなスタイルの全く異なった実質の 音楽が山とあるのは、多分いつの時代でも同じだろう。私には後期ロマン派の音楽が好きです式の括り方ができるというのが信じられないのだ。 (もっとも、現在からの距離感というのが存在しないわけではないから、後期ロマン派以前の音楽をどう聴いたらよいのかわからない、といったことは 起きるのだが、だからといって、後期ロマン派なら何でも良いことにはならないだろう。) 同様にアルゴリズミック・コンポジションなら何でもいい、あるいは力学系やオートマトンを使っていればいいというわけでもないのは当然のことである。 その結果、今度はミニマル系が好きですとか、ノイズ系がetc.の括り方に抵抗を覚えることになる。だがだからといって、意匠がどうでもいいかといえばそんなことはない。 与えられた環境、文脈に応じて、妥当な選択というのがある筈で、それが19世紀末のウィーンと21世紀の日本で同じであるわけがないだろう。

だが、だったらもう一度、今更、どうしてマーラーなのか、という問いに立ち戻らざるを得ない。今日の創作の現場ではありえない選択肢だと言っておきながら、 1世紀の時間と文化的な隔絶といった距離感を感じつつ、それでも何故マーラーの音楽がこのように力を持っているのか。今や、始まりと終わりがあること、 組曲形式、オーケストラという媒体を用いること、コンサートホールという場での演奏を前提としていることといった、ある領域の内部では自明と見なされている事柄すら、 より広い展望の下では最早とっくに自明ではなくなっているというのに。勿論、マーラーの音楽のプロセスはそれが下敷きにしている古典的な形式のそれではないし、 組曲形式の持つ意味もすっかり変容している。あるいはまた、今やそれはコンサートホールで演奏される「音楽」であるよりも多くCDのような媒体に収められた 「録楽」であるかも知れない(少なくとも私自身については)。最後の点に関連する点で最近よく思うのは、一時期よく言われた「マーラーの時代が来た」と言われた 時代の演奏よりも、それに先立つ時期の、演奏精度や慣れといった点では見劣りがするかも知れない演奏の方が、マーラーの音楽の持つ特性を (もしかしたら半ばは無意識にであれ)掴んでいるのでは、ということだ。勿論、例によってそれを時代による演奏様式の変遷のような議論に縮退させてはならない。 歌は世につれ、ということであれば、テクスチュアに徹底的に拘った今日の高精度な演奏こそ相応しいということになるのだろうし、そうした意見にも一理あることは 確かだろう。だが私個人にとってはそうした「現代的なマーラー」は 不要とまではいわないが、少なくとも「今更マーラーを聴く理由」に照らしたときに、興味を惹くものにはなりえない。歌は世につれならば、そもそも今更マーラーを 聴く理由など無いはずではないか、というわけである。だからといって懐古趣味やら刷り込みというわけでもない。そもそも自分が生まれる前の演奏、 自分が文脈の持ち合わせのない演奏に対してノスタルジーを抱くというのは矛盾だ。「伝統」のようなものが不可欠であるわけではないのはバルビローリの演奏を 聴けばわかる。だいたい20世紀後半の日本にいる一介の音楽愛好家が、自分の立ち位置を棚に上げてマーラーの音楽の演奏の「伝統」を云々するのは、 客観的に見て滑稽ですらあるだろう。そもそも私は文化史とか社会学的な興味でマーラーに関心を持っているわけではないから、マーラーの音楽をそうした 文脈とか背景に還元することには反撥こそ覚えることはあっても、納得することはない。一方で日本での洋楽受容史みたいな視点も最近はよく見かけるが、 今度は自分がその内側の末梢に位置しているのだろうとは思っても、そこに今更マーラーを聴く理由が見つかるとは思えない。近衛秀麿の第4交響曲録音が マーラー演奏の録音史上特筆されるべきことであると言われても、貧弱な音質のその録音に今更マーラーを聴く理由を見出すことは私にはできなかった。 歴史的録音の蒐集には関心がないから、例えばメンゲルベルクの1939年の第4交響曲の演奏記録と同列に論じることなど私には思いもよらないことなのだ。

だが、それでも今更マーラーを聴くことに理由がないわけではない。このように始まり、このようなプロセスを持ち、このように終わる音楽が他にないから。 主題があり、動機がある。それはイデーを拒否した音の並びの対極にあって、単なる音響であることができない。だがその一方でそれらが辿る履歴は 独特で、因習的な仕方でなく、変容し、解体していく。だが解体してもそれはただの音にはならない。断片に過ぎなくても、それは断片であることを 主張する。引用も、自己引用もそうした前提あってのことだ。プロセスもまた、因習的な構造を極限まで押しひろげながら、それを壊してしまうことは 決してしない。自己を消去し、一旦すべてをリセットしてやり直すラディカリズムはそこにはない。寧ろ矛盾しつつ、変容しつつ、彷徨う自己の遍歴そのもの なのだ。他者の声が介入したり、自らをエミュレートしたり、眠りにおけるように忽然と消滅して、また突如として生起したり、巨視的に見ればある法則に 従っていることはわかるが、微視的には隙間や穴がたくさんあって、挙動が予測できない。垂直的にも水平的にもその組織は複雑だ。多彩なテクスチュア があり、再帰的な構造があり、中間的なユニットが存在する。それらは蠢き、くっついたり離れたり、分解したり、別のものになったりして、 決して同じでいることがないが、全体としてのコヒーレンスは辛うじて保たれている。意識の挙動について語る時、神経系の挙動のレベルとは別の水準が適切なことが 多いように、その挙動もまた、一つ一つの音のパラメータの値とその変化の方向や大きさの記述をしただけでは適切に記述したことにはならないだろう。 そしてそのプロセスは自然現象よりも意識の流れに遙かに近いように思われる。もともとは踊りのための音楽の連鎖であった組曲も、 ここでは全く別のものになりはてている。ここでもマーラーは単一楽章への圧縮による論理の徹底という方向性はとらない。 彼の音楽は複数の異なる楽章の継起でなくてはならないのだ。多元性、複数の層の 存在がマーラーの音楽には欠かせない。複数の楽章が無ければ、異なる文脈での素材の引用といったことはそもそも起きようがない。逆算したわけではなくとも、 結果的に組曲形式はパースペクティヴの複数性を可能にし、筋書きを重層化し、ストーリー・テリングを厚みのある複眼的なものにしている。そしてその音楽の 背後には常に或る種の志向が働いていて、それは複数の作品を跨いでその音楽を単なる多様式主義の混沌と化すことを拒んでいる。世界がどのような 相貌を持っているかは、主体のありようと相関的なものだ。そしてその意味において、このような音楽を私は他には知らない。

その軌道は複雑で、簡単に記述することを拒むけれど、一例を挙げれば第3交響曲の終楽章の練習番号26番におけるような、あるいは第8交響曲第2部の 練習番号156番におけるようなマーラーの音楽のあの強烈な「再現」に匹敵するものを私は他の音楽に見つけることができない。 それは単純な反復ではないのだ。あるいはまた枚挙に暇がない、マーラーの音楽における「後戻りができないポイント」の存在。そしてそうしたかけがえの ない何かは、これまた一例に過ぎないが、1952年にヴァルターの指揮のもとフェリアーが歌った「大地の歌」の終楽章のコーダの始まりのような、 自分が生まれる遙かに前の演奏記録にはっきりと刻印されていることが多いのだ。今日のコンサートホールでそれが聴き取れるないと言い切ることは できないだろうけれども、時間的にも経済的にもそれは非常に効率の悪い投資に感じられてならない。ライヴかスタジオかといったことも取るに足らないことで、 決定的な瞬間はスタジオでだって起きる時には起きるのは当然のことである。注意しなくてはならないのは、マーラーの音楽においてテクスチュア、音自体の 質が重視され、セカンダリー・パラメータの機能が重要になるからといって、徒らにそこにフォーカスした演奏解釈が「正解」であるわけではないということだ。 そうした恣意によって喪われるものは少なくないだろう。今更標題についての詮索をしたところで、マーラーの音楽の出てきた背景を明らかにすることは可能でも マーラーの音楽に辿り着くことはない一方で、「純音楽的」と呼ばれるアプローチが、マーラーの音楽そのものが持っている質の把握を保証するわけでもない。演奏解釈に おける「音楽だけが問題だ」という立場は、それはそれで結局は人間の営みである音楽に対する或る種の態度決定で、その結果として現象する「音楽そのもの」の 実質に対してそうした態度が特権的な立場にあるわけではない。マーラーはフェルドマンやクセナキスではないけれど、ベートーヴェンでもない。なんなら人間の心の 外界との相互作用を力学系で記述することにしても良いのだ。標題的・文学的解釈でなければ物理的な音響がすべて、という二者択一は論じる側の記述言語や 語彙の貧困を対象に押し付けているに過ぎない。適切な記述レベルを探すのは論ずる側の仕事のはずである。まあ、もしかしたら「適切さ」についての 基準自体が動いていて、ある価値を最大化するには、そうした単純化をした方が都合がいいのかも知れないが。

(なお、私にとってマーラーの音楽がより多く三輪眞弘さんの言う「録楽」であることにもまた、もう少し別の見方がありえるかも知れないという気がしている。 確かにマーラーは、ミュンヘンでの第8交響曲初演をその一方の典型例と考えられるように、コンサートホールで演奏され、聴取されるためにその音楽を 作曲した。だが、100年後の今日、それが日本のコンサートホールで演奏されることの意味合いは同じものである保証はない。マーラーの音楽は、 しばしばそう思われているように、未来のコンサートホールの聴衆のために書かれたのだろうか。私にはそうは思えない。そして、それがはっきりと過去の遺物である という認識が「録楽」としてマーラーの作品を聴くこととどこかで繋がっているように思えてならない。そのとき「録楽」として聴くことによって、その音楽の現代的な意義が 見えなくなっているのではという嫌疑があることは認めるが、果たして作用の向きはそちらだけだろうか。マーラーに関してはかつて、コンサートホールでの演奏にも 何度か接して、交響曲については辛うじて過半の作品の実演には接しているのだけれど、その経験を踏まえてもなお、今更マーラーの音楽を聴きに、 時間の制約がきつくてコストばかりは決して小さくないコンサートに足を運ぶ気にはなかなかなれない。しかもそこでの演奏が、私が聴きとりたいと思っている志向を 捉えてくれているという保証はないのだ。否、もはやそうして志向を現在の日本のコンサートホールで確認することは望み薄で、寧ろ積極的にマーラーは 「幽霊」であって、それゆえ「録楽」こそが相応しいのでは、という気がしてならないのだ。ちなみに同時代の音楽だけでなく、ブルックナーやショスタコーヴィチと いった作曲家についても必ずしもそうは思っていないから、これは私のクラシック音楽の受け止め方一般の徴候ではなく、相手がマーラーの場合に固有の 問題である。卵が先か、鶏が先か、あるいはすでにループの内に落ち込んでしまっているから、今更どちらかを区別するのは実際上不可能なのかも知れないが、 マーラーと私の間に広がる100年の時間と、地球半周分の距離、そしてそうした量では捉えられない文脈の隔絶には、寧ろ「録楽」と、解読を待っている投壜通信の ようなスコアこそが相応しいのではという感じがしてならないことは書き留めておきたい。仮にコンサートホールに足を運んでも、そこで聞く実演の方が寧ろ「影」に 過ぎないのでは、という感覚すら私にはあるのだ。これまた「投壜通信」の媒体に他ならないCDに収められた過去の演奏記録に接する時の方が、 所詮は過去の異郷の音楽であるマーラーに接するには相応しくはないのか。どこかで否定したいとは思いながら、そうした考えを否定することができずにいるのである。)

その一方で、マーラーの音楽のそうした特徴を適切に記述する語彙はまだ確立されてはいないように思われてならない。マーラーの音楽は人間の意識活動も 含めた活動の結果であるだけでなく、その活動自体の或る種のモデルであるように思われる。それは活動そのものの複雑さ、多層性、多様性を備えている。 私が(不正確な言い方であることはある程度は承知で)「意識の音楽」と呼んでいるのは、音楽作品自体にその音楽作品を産み出す活動の影が映りこんでいる ような類の音楽を指していて、勿論、マーラーの音楽だけがそうであるわけではないし、連続主義的な立場をとれば、どんな音楽も何らかの形で、程度の差はあれ そうだということになるかも知れないけれども、マーラーの音楽こそが典型であると思っている。その特質は、静的な楽曲分析によっては記述できない一方で、 標題のような次元を幾ら渉猟しても言い当てることが出来るはずがないものだろう。あるいはもしかしたら、マーラーの音楽に刻印されたような意識のあり方自体が もはや現代では失われつつあるのだ、ジュリアン・ジェインズの言う通り、意識のあり方そのものが変化していくのだという見方が正しいのかも知れない。 だがもしそうだとしても、マーラーの音楽に刻印された意識の様態を過去の遺物だとは思いたくないのだ。それを普遍的なものであると主張することはできないし、 そうすることに興味があるわけでもないが、マーラーの音楽のようなものを生み出すことができるような生物の活動を私は価値のある、かけがえのないものだと 思っているのである。それを精神の営みと呼ぼうが、意識の営みと呼ぼうが、あるいはそういう言い方を拒絶して、ある非常に複雑な機械の活動と見なそうと 構わない。マーラーの音楽の(動的な側面も含めた上での)構造、そうした構造を産出することができる機構に私は関心があるのだ。

要するに、それを意識の音楽と呼ぶかどうかは一旦おいても良い。いずれにしてもマーラーの音楽のような複雑さと豊かさと、ある種の志向を備えた音楽を 私は他に知らないのだ。志向において通じる試みが今日為されていないとは思わないし、その達成にも端倪すべからざるものを認めることに吝かではないが、 マーラーの音楽の替わりを見つけることはどうやらできそうにない。今日の音楽がマーラーのそれのようでないのには必然性があるし、寧ろそうでなくてはならないのだろうが、 だとしたら喪われてしまったものは、少なくとも私にとっては無しで済ませられないほど大きなものなのだ。今更ではあるけれど、マーラーの音楽がなくては 私は困るのだ。それは或る種の価値の要石であり、そうした価値なくして私は到底やっていけないだろう。いきなり卑小な話になるが、休みの日の 数時間にこうしたことを書き付けることによって、やっと精神のバランスが保てているのだ。私というシステムを維持するのにそれは必要なのである。(2009.5.24)

2009年5月23日土曜日

メンゲルベルクの第4交響曲演奏を聴いて

メンゲルベルクが1939年9月にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した第4交響曲の演奏の記録が残っている。フィナーレのソプラノは ジョー・ヴィンセント。当然モノラルだし、音質も細かいニュアンスを聴き取るのには些か辛いくらいのものだが、終演後の拍手も収められたコンサートの ライブ録音であり、演奏が持っていたであろう雰囲気は読み取れるように思えるし、コンサートホールの空気もまた、ある程度は感じ取ることができる。

マーラーに関する伝記的な書物を読んだことがある人なら、メンゲルベルクが生前のマーラーに如何に信頼されていたかは周知のことだろうし、没後の1920年5月には自らの コンセルトヘボウ管弦楽団指揮者就任の25周年を記念して「マーラー祭」を開催し、全管弦楽曲を次々と演奏したということもまたよく知られているだろう。 第4交響曲ということでいえば、アルマの回想録にも休憩を挟んで第4交響曲を2回演奏するコンサートを1904年10月23日に企画し、1度目はメンゲルベルクが、 2度目はマーラーがタクトをとったことを知らせる書簡が収められている。自身時代を代表する大指揮者であったマーラーを直接知る世代の指揮者としては ヴァルターやクレンペラーが有名だが、年齢的に言っても、実質においても彼らはマーラーに対して弟子とか部下といった関係にあったので、メンゲルベルクと マーラーとの関係と同列に論じることはできないだろう。(マーラーの生前に彼ら自身がマーラーの作品の演奏を活発に行ったかどうかを考えてみれば良い。) 中間的な位置にいるのがオスカー・フリートで、マーラーの生前からマーラーの作品の演奏はしていたようだし、没後になるが、マーラーのレコード録音としては 最初の録音を1924年に行っている(曲は第2交響曲。ちなみにそれに続くのが、1928年のかの有名なレーケンパーとホーレンシュタインの子供の死の歌である)。 だが書簡などを見る限り、マーラーのメンゲルベルクに対する評価は例外的なもので、フリートとマーラーとの関係もまた、メンゲルベルクとマーラーの それとは比較にならないだろう。

話を「世界初録音競争」ということにしてしまえば第4交響曲の勝者は近衛秀麿と新交響楽団 (独唱は北沢栄)だし、そもそもこのメンゲルベルクの演奏記録が世の中に出たのは戦後もかなりたってからのことなのだが、そんな比較にさしたる意味があろうはずもなく、 要するに演奏記録が残っている指揮者の中でメンゲルベルクの占める位置は例外的なのだ。寧ろ私は、マーラーがピアノ・ロールに遺した自作自演(勿論 ピアノ編曲だが)の中にも第4交響曲を締めくくる歌曲「天国の生活」が含まれ、不完全ながらもこの第4交響曲でメンゲルベルクとマーラーの揃い踏みを 1世紀後に再現することができることに些かの感慨を抱かずにはいられない。

一方、1939年にヨーロッパがどのような情勢であったかを知識としてであれ確認することは、このコンサートの記録の歴史的な位置づけを知る上で意味あることだろう。 ヒストリカルな録音ということでいけば、1938年1月16日のヴァルターとヴィーン・フィルによる第9交響曲のコンサートでの演奏の記録も有名だろうが、その日付が ヒトラーによるオーストリア併合の僅かに2ヶ月前であることを確認することもまた、意味ないことではなかろう。ヴァルターの演奏のレコード録音が送られた先も、 ヴァルターが3月13日にアンシュルスを知ったのもオランダでのことであったが、そのオランダもまた1940年には占領され、政権は亡命することを余儀なくされるのである。 ドイツではすでに1937年の12月にユダヤ人の音楽活動をドイツから排斥する法令が出されている。当然マーラーの音楽の演奏は「御法度」になっていた。 戦後メンゲルベルクはナチス協力者として指揮活動を禁止され、その禁止が解ける前の1951年3月22日に没してしまったのはあまりに有名なことだが、 オランダにおいてとはいえ、1939年の時点でマーラーの交響曲を採り上げるというのが、恐らくはぎりぎりの選択であったことは想像に難くない。 (そういえば不幸なことにコンサートの途中で起きたハプニングもろとも記録されていることで有名なシューリヒトがコンセルトへボウ管弦楽を指揮した「大地の歌」の コンサートも同じ年のこと、しかもそれは病気でキャンセルを余儀なくされたメンゲルベルクの代役として演奏会であった。)

この有名な演奏記録に関してはすでに多くのことが語られているし、私の感想を付け加えることになど意味はないだろうと思うのだが、その一方で、 この演奏記録を聴いて感じられるのは、ロマン主義的な時代がかった解釈であったり、熱っぽい思い入れであったりではなく、寧ろ緻密でかつ 包括的な形式の把握に基づく知的な側面であり、しかもそれはソナタ形式を図式的に捉えて曲に押し付けて、はみ出た部分を逸脱として 整除してしまうのではなく、寧ろこの音楽の持つ独特の形式感を巧く捉えているように感じられたことは書いておきたい。こうした把握は時代の流行の スタイルのようなものとは別の次元にあるようで、ある時代の演奏には一律欠如していて、近年の演奏には備わっているといったような議論を 受け付けないものと私には思われる。勿論、正解が一つあるというものではないだろうし、そうした「傾向」の分類をしたら別のカテゴリに入れられてしまう 2つの演奏が、それぞれ違っていながら独特の形式把握を示していて、同じカテゴリの他の演奏とは異彩を放つ、というようなことさえ起こりうるのではないか。

もう一つ、指揮者のメンゲルベルクもさることながら、1939年当時のコンセルトヘボウ管弦楽団には、恐らくマーラーを知る演奏者がまだ少なからず居たに 違いない。マーラーは上述の1904年のコンサートだけでなく、何度もアムステルダムを訪れて指揮をしている。私にはそれを調べるだけの余裕がないが、 マーラーの自作自演を創り上げた奏者がこの1939年の演奏にも恐らくは参加しているのではなかろうか。マーラー自身とメンゲルベルクによる演奏の伝統が この演奏には息づいているに違いないのだ。メンゲルベルクがマーラーを演奏している回数は1920年4月までで200回を超えたというパウル・シュテファンの 報告が遺されているが、そのすべてがコンセルトヘボウとのものではないにせよ、かなりの回数をコンセルトヘボウ管弦楽団が演奏しているのは間違いない。

そしてその伝統は今日まで引き継がれているに違いないのだが、ことマーラー演奏に関しては、ベルリン・フィルは勿論、ヴィーン・フィルですら、そうした「記憶」を保持しているとは言い難いだろう。 (そのかわりウィーンのオーケストラはマーラーの音楽の背景をなず層についての「伝統」は持ち合わせているのだろうが。)バルビローリのベルリン・フィルとの 演奏記録など、これはこれで出会いの新鮮さによるのかも知れない或る種の昂奮や緊張が感じられて素晴らしいのだが、一方で明らかに弾きなれていないが ゆえの傷も少なくない。一方、コンセルトヘボウ管弦楽団について言えば、第二次大戦の中断を無視することはできないにしても、やはり些か事情が異なって そこには或る種の伝統と呼びうるかも知れない記憶とその継承があるのではなかろうか。

それに比べれば、近年のオーケストラにとってマーラーは最早未知のレパートリーではないのだろうが、そこにはある時期までのコンセルトヘボウ管弦楽団の 演奏にははっきりと感じ取れた記憶もなければ、出会いの新鮮さもないように感じられてならない。演奏技術は上がり、録音・再生の技術も上がり、 それゆえ録音を通しても、微細なニュアンスの変化が感じ取れるようになったと言われるし、確かに微に入り細に入った解釈や演奏が繰り広げられているのだろうが、 そこには録音の限界を超えてメンゲルベルクの演奏からかくも濃厚に伝わってくる何かが欠けているように思えてならないのである。

メンゲルベルクの演奏は、一部の評者が言うような「細部の彫りの浅い」(喜多尾道冬)、あるいは「一つ一つの音のニュアンスということに関しては、 残された録音の音質の悪さを差し引いて考えても、十分な表現を行っていたとはいい難い」(渡辺裕)演奏なのだろうか。後者の論で対比される演奏の代表格は、 これまた私がよく聴くインバルの演奏なのだが、インバルとメンゲルベルクの演奏に違いがあることは勿論のこととして、その違いの内実が上記のような メンゲルベルクの演奏への評価を一方の前提とするようなものなのかについては私は留保したいように感じている。 後者の議論に沿って言えば、インバルの演奏が近年の解釈の行き方の特徴のあるものを典型的に具現しているということは認められても、 「音の表情の復権」という言葉に集約されるらしい「ポストモダン」時代の演奏が、マーラーの意図をようやく闡明しえたとする主張には何かひっかかりを 感じずにはいられないし、インバルの演奏が確かに指摘されるような特徴を備えているのは確かであるにしても、それだけではインバルの演奏が備えている 或る種の質を捉えたことにはならないように思えてならないのだ。それはインバルの演奏を批判する評言の定型である、細部のリアリティと引き換えに、 毒気のないものになっているという意見と実はあまり隔たっていないのではなかろうか。(こういうからには勿論私はインバルの演奏を、そのようなものとは聴いて いないのだが。)

マーラーの音楽にとって、いわゆるセカンダリ・パラメータと言われる次元が重要であることには異論はないのだが、にも関わらず、何か分類の軸が ずれているような、パースペクティブが歪んでいるような感覚を抑えることができない。改めてメンゲルベルクの演奏を何度か聴いてみたが、結果は寧ろそうした 違和感を強めることになったように感じている。「ポストモダン」時代の演奏の特徴として一括りにしてしまうと落ちてしまうような次元こそが、私がある演奏を 聴いて惹きつけられるポイントであるのではないかと思えてならないのだ。そもそも音色のようなパラメータを独立の次元として取り出して操作するのは、 それ自体寧ろモダニズムの伝統の流れの裡にあるのではないのか、今日の「知的」な解釈は、寧ろマーラーの音楽の巨視的な形式、その特異な 流れのプロセスに背を向けて、局所的な、そしてその限りではアピールしやすい特徴によって差別化を図るようなことになってはいないだろうか、といった 疑念を振り払うのは難しい。

そうした傾向は至って現代的なものには違いなく、そういえばどこかの複雑系の研究者が怪しげなアナロジーを振り回しながら、ケージの 音楽を称揚しつつ「ストーリーテリングからテクスチュアへ」などといったコピーを振りまいているのを見かけたりもするし、同様にケージの音楽をはじめとする論者お気に入りの 幾つかの「現代音楽」が持っているらしい時間性とやらをもって伝統的・ロマン主義的な音楽の時間性を批判するような論調も目にしたことがある。 勿論そうした論陣にとってはマーラーなど過去の遺物であって、最早賞味期限の切れた存在なのかも知れないが、生憎私は、彼らが顕揚するテクスチュアやら 根源的な音自身の本当の時間とやらよりは遙かに多くのものをマーラーの音楽から受け取っているし、始まりや終わりを否定すること(それがいとも容易いのは 判りきった話ではないか、、、)よりも、どのように始め、どのように終わるかについてのマーラーの飽くなき探求の道行の方が遙かに刺激的に感じられる。 だからというわけでもないだろうが、ある時期以降のマーラー演奏に顕著な、磨き上げられたディティールと多彩な音色としなやかな旋律を備えながら、ちっとも 音楽のプロセスが見えてこなかったり、逆にあまりに見え透いたプロセスに縮退させられているかのような方向性については、そちらはそちらでマーラーの音楽の 持つある側面だけを自分の都合の良いように利用しているだけなのでは、と思えてならないのである。そう、多分マーラーを聴くことは今日において、 レヴィナスが言うような意味合いで「アナクロニック」な営みなのではないかとさえ思えるのだ。

そもそも演奏の類型論のようなものの危うさは、テンポの変化であるとか、演奏時間の長さといった、誰にでもわかる、そして実は定量化しようと 思えば比較的容易にできるような分類軸を用いることが多く、そこに時代の様式の影響や、伝統の有無、民族性といった要因を絡めた議論になる傾向にある。 その限りでは、直感的で裏づけを欠いているかに見える印象批評も、データを駆使した分析も実はあまり変わることがない。だが、果たしてそうした次元のみで ある演奏が心に訴える所以を説明できるのだろうか、という疑念は拭い難く存在する。否、ごく単純に言って、私が感動を覚える幾つかの演奏の間には そんなに単純な共通点など見出せない。それぞれがユニークであり、異なった視点からマーラーの音楽の持つ途方もない複雑さに光を当てているように 思えるのである。

勿論、時代の一般的な傾向を論じ、社会と音楽との関係を浮び上がらせるのが音楽社会学の仕事なのだろうし、だから私がぶつぶつ言っているような 違和感を訴えるのはお門違いなのだろうとは思う。だが、もしそうだとしたら、音楽社会学とは結局音楽の何について論じていることになるのだろう、 音楽はそれ自体、或る種の素材に過ぎないのだろうか、という疑問は押さえ難いし、そうした疑問は、音楽社会学としては、それはそれでマージナルな 位置にいるのであろう、アドルノの議論に対してもふと感じる瞬間がある。その一方で、マーラーの音楽を語る適切な「言語」を用意するという観点で アドルノは大きな寄与をしていることは明らかに思えるのに対して、演奏解釈についての議論の方の寄与については、少なくとも現時点での私には 明らかではない。だが、メンゲルベルクの演奏に備わっていると思われる或る種の質、恐らくは「伝統」とか「記憶」とかに基づいているのであろうそれが、にも関わらず それらを扱うべき領域であるはずの歴史学的な、あるいは社会学的な説明には還元できないものなのではないかという感覚の方は はっきりしたものなのである。多分本当に大切なのは「伝統」やら「記憶」の内容よりも、それらを支える動きなのではないか、そしてそうした運動の伝播は 時代と場所の隔たりを超えて起きるものなのではないか。メンゲルベルクの第4交響曲の演奏記録は、そんなことを私に感じさせた。(2009.5.23/12.3)

2009年4月30日木曜日

事実はどうであったのか?―楽譜の改訂経緯について調べてみて

この半年間の身辺の環境変化の激しさのあまり、昨年末には予定していた幾つかの重要なプランが実行できなかったりして、 自分の処理能力の不足にすっかり嫌気がさしてしまい、所詮は余暇の趣味に過ぎない事柄について優先度づけを改めて行って 絞込みを行う一方で、資料やCD類の処分を行い、Webページについても今後保守ができなさそうな部分を少しずつ整理・縮小したりして いるうちに5月も間近になってしまった。何たることか、何もしないでいるうちにもう1年の3分の1は終わってしまったというのだ。

音楽関連で言えば、同時代に、身近な環境に生きる人間としてのコミットメントに自分勝手な義務感を感じている三輪眞弘さんを除けば、 後は程度の問題だという気持ちを抑えられない。CDも資料も蒐集が自己目的化することの無意味さは明らかだが、そうでなくても自分が受け取った分を 「返す」ことができないのであれば単なる消費に過ぎない。返すためにはまずは一定の蓄積が必要だろうが、返す作業自体にも時間がかかる。私の様な 能力が不足した人間に贅沢は許されない。三輪さん以外については、とにかくマーラーについては仕掛り作業の山があるのでそれを崩していくことに 専念しようというのが直近の方針である。今の私を見て、昨年の私はほくそえんでいるに違いない。何しろ、仕掛りの山を作っておけばそれが済むまでは 続けるだろうと思って、意図して仕組んだ側面もあるのだから。

というわけで、やっとできた空き時間に、まずは所蔵楽譜の整理をやろうと思い立った。所蔵楽譜などといっても大したものではなく、マーラー・ファンなら 必須アイテムであろう、マーラー協会全集版もなければ、自筆譜のファクシミリがあるわけでもない。全集補巻である「葬礼」やピアノ四重奏曲、 嘆きの歌の1880年稿、大地の歌のピアノ伴奏版やらがあるわけでもない。(2021.5.11追記:その後10年以上の長い時間をかけて、全集補巻については手元で確認できるようになった。ファクシミリについては第7交響曲のみ手元にあるが、IMSLPでpdf版が手に入るようになってきており、そもそも手元に置く必要性が薄れてきている。)音楽之友社から出ているポケットスコアのうち交響曲10曲とDoverから出ている 全集以前の版のリプリント、第10交響曲のクック版、リートと歌第1集、幾つかの交響曲のピアノ編曲、Webで入手できるIMSLPで公開されている楽譜で全てである。 だが、私程度の関わりしかマーラーに対して持っていない人間には、それらですら十分過ぎるほどであって、使いこなせているとは到底言い難い。 例えばの話、各曲の出版の経緯、改訂の経過などが頭に入っているわけではないし、ある曲について複数の版を持っている場合でも、その異同を 逐一把握できているわけではない。有名な改訂箇所の幾つかを確認するのに用いた程度で、実証性が重視される今日の学問の世界では、こんなことは 許容されるはずがない。全くもって趣味とは気楽なものだと自嘲するほかないのだ。

だがともあれ、複数の版を持っている曲についての整理をしてみようと思って始めてみると、これが思ったより遙かに厄介なのに気づいた。そもそもが楽譜の 出版についての情報が乏しく、あっても不完全なのである。初版の出版年すら資料によってまちまちで、どれが正しいのかわからない。ましてやその後の 改訂版の出版の情報を探すのはかなり骨が折れる。調べた結果は別のページに記載したのでここでは繰り返さないが、事典的な性格の資料ですら、 情報の網羅性については全くお話にならず、各作品についてのモノグラフ的な研究書で実証的なアプローチを採用しているものにあたらなければならなかった。 しかも結果は驚くべきもので、Doverの楽譜にあるソースの説明は第5交響曲までの初期の交響曲については極めて疑わしい、控え目に言っても、 出版の状況を考えればあまりに曖昧で情報としては不十分であるというのが結論である。

私見では、これは随分な状況だと言わざるを得ない。自身が時代を代表する大指揮者で、当然、初演を含む自作の指揮を何度と無く手がけた マーラーが初演後も改訂を繰り返したという話は非常に有名ではないか。死後出版の大地の歌と第9交響曲はともかく、第6交響曲の中間楽章の 順序やハンマー打ちの回数から始まって、呈示部反復の有無のような楽式論上の把握に関わる異同も含めて、おしなべて異稿の問題はマーラーに おいては主要なトピックの一つであるように見えるのに、出版譜についての情報がかくも乏しいのは或る種異様な感じがするほどである。

勿論、異稿の問題は第一義的には自筆譜の問題であり、特に初期の作品では出版前ではなく寧ろ初演前の創作プロセスにおける紆余曲折に 関心の中心があるわけで、だから出版譜の問題など副次的だという考え方もあるかも知れない。ブルックナーの場合とは異なって、マーラーは マクロな構造に関わるような改訂を初版出版後に行うことはあまりなかったから、出版譜の違いは主として器楽法上の問題になるのもまた 事実である。原典至上主義というのが現場の作業を軽視した空想の産物であるのも事実だし、マーラー自身、状況に応じて器楽法の 改変を許容していたという証言もある。だがマーラーがしばしば出版譜に書き込むことで行った改訂作業には、様々な理由の、様々なレベルの ものが含まれていたと考えるのが自然ではないか。実際に演奏してみたらうまく行かなかったので変えたというのが、作品の理念そのものの 不変性を常に前提としていたとは限らない。そもそもマーラーにとって器楽法は決して副次的なパラメータとは言えないだろうし、理念そのものが 動いていった可能性だって否定できない。否、こうした状況を把握するための基本的な情報として出版譜の状況、改訂経緯などをまず 押さえる必要があるというのは、実証主義的な発想からしたら当然のことなのではないかと思うのだが、、、

別に私は何か新規性のある説を求めているわけでもないし、そうした水準で批判を行う資格が自分にあるとも思わない。研究の最先端からすれば 周回遅れの愛好家が単純に「事実はどうであったのか」を知りたいだけなのだ。しかもことは創作のプロセスのように実証性が本質的に限界に つきあたる可能性があるような事柄ではない。 だが、私をとりまいているのは非常に乏しく、しかもそれでいてお互いに矛盾する情報なのである。もう一度、マーラー自身の作曲の経過や 改訂の経過そのものではないのだから、楽譜の出版や改訂版の出版は重要でない事柄なのだろうか。多くのマーラーについての著作や翻訳に それでも一応ついてはいる資料のうちの一項目に過ぎないのは確かだが、でもだからといってそうした書籍の校正の際にもきちんとしたチェックが 行われなくてもいいような瑣末な情報なのだろうか。私のこのWebページのような一介のアマチュアが勝手に書いている文章ではないのだ。 音楽学者、音楽評論家という肩書きの著者を持ち、正規の流通経路を辿る書籍における「事実」に関する情報なのである。

最後に何となく私が感じたことを書いておきたい。かつて日本でマーラーが社会的流行現象になった時期があり、それ以降今日に至るまで、 コンサートレパートリーとしても、CDなどの録音媒体のコンテンツとしてもマーラーは決して周縁的な存在とは言えないだろうと思う。 けれども今なお、ここではマーラーは所詮は余所者なのかも知れない、クラシック音楽の受容というのは一介の市井の愛好家の素朴な疑問すら 解消できない程度のものなのかも知れないという感覚を私は拭えない。マーラーの音楽が、マーラーの人が好きで、あるいは心からの尊敬の念を 持ってマーラーを研究したり、マーラーを論じたりしている人はこの国にどれくらいいるのかしら、という疑問が頭をもたげるのを防ぐことができない。 否、そうした人はいるけれど、それはおまえのような市井の愛好家とは関係がない、お前のような人間にはそうした情報にアクセスする資格も 価値もないのだ、ということなのか。海外の研究者のものも含めて、色々な文献をあたってみて実際には出版譜の問題というのはマーラーの場合、 少なくとも「解決済み」の問題というのは程遠いらしい、というのは感じられる。だけれどもそのことが日本国内における情報の偏在を許容する 理由にはならないだろう。再び、研究の最先端にいる人間にとっては、こうした「周回遅れ」の人間の不満などどうでもいいことなのは、自分が 職業として実務を行っている領域の事情を考えれば理解できないことはない。だが、その領域の状況と比べても、情報の流通のタイムラグや 質の落差があまりに著しいのでは、という感覚は拭えない。研究のことは良く分からないけど、少なくとも消費にかけては日本は世界的に 見ても一大消費地ではないのか。

私がそもそもWebページでマーラーの情報を取り上げるきっかけとなったのは、アドルノのマーラー論の翻訳をはじめとしたマーラーについての文章の 翻訳について疑問に思うことがあまりに多かったからだし、それが一時的なものでなく、継続、拡大することになったのは、「証言」「語録」の整理をしようと 思ったときに自分が経験した煩わしさを他の方がショートカットできたら随分と時間と労力、そして率直に言えば資料を蒐集するコストの節約に なるだろうと思ったことが大きく作用している。そして今回は出版譜の状況をちょっと調べようと思ったら、またしても、大した量でもないとはいえ、資料の中を 彷徨うことになって、こうした文章を書かずにはいられない気分になっている。要するに、マーラーについて何かちょっとしたことを知ろうとしたときに、 一体何を信じれば良いのか戸惑いを覚えることがあまりに多すぎるのだ。Web上には一体何が根拠の新説かと訝しがる他ないような疑わしい情報が あたかも「事実」であるような体裁で流布していたりもして、これらにもがっかりさせられる。もっともWeb上の情報は誰かがいつか訂正する可能性はある。 書籍は一旦流通したらそうした修正が容易に利かないので厄介なのだ。

他の作曲家の場合についてはマーラー以上に知っているとは言えないので比較することはできないし、もし同じようなことがあっても もっとそれを語るに相応しい他の方に委ねたいが、浅からぬ因縁によって、もはや支払いきれないほどのものをかつて受け取ってしまい、遺された時間を 少しでも収支の均衡に向けざるを得ない状況にあるマーラーについては、こうした気持ちをどこかに書いておかずにはいられない。たとえ自分には そうする「資格」がなくても、自分の中にとどめておくことに躊躇いを覚えるのだ。私は1世紀の時間と生きている文化的環境の違い、自分が 音楽家でも音楽学者でも音楽評論家でも、音楽を職業としている人間ではない、単なる愛好家に過ぎないという点には 頬かむりを決め込んで、マーラーに対してこう言ってみたいのである。 「あなたの作品の出版譜について疑問に思って調べてみたんですけど、事実がどうであったか、よくわからないんです。この国でもあなたに 関する本はたくさん出ていますし、情報はたくさんあるように見えるんですが、、、」かくしてさっぱり収支が改善される見通しがたたず、容赦なく 休日は過ぎ、途方にくれることになるのである。多忙を極める職業人であったマーラーなら、そういう気分を少しはわかってくれるのでは ないかしら、と思うのだけれども。(2009.4.30)

2009年4月12日日曜日

第7交響曲の内的プログラムは破綻しているか?

本当に久しぶりに出来た「使い途の決まっていない時間」に、ふとしたきっかけでバルビローリが指揮したマーラーの第7交響曲の録音を聴き始める。 1960年10月20日だから私が生まれる前に、マンチェスターで行われた演奏会のライブ録音である。客席のざわめき、咳の音も生々しいし、 このコンサートのために編成されたのであろう、BBCノーザン交響楽団とハレ管弦楽団の混成オーケストラの一期一会の演奏の緊張感も きっちりと伝わってくる。1960年といえばマーラー生誕100年のアニヴァーサリーの年だ。今日ではすっかり古典となっているアドルノの音楽観相学を 名乗るマーラーに関するモノグラフの出版もこの年だ。オーケストラにとってこの曲は今日のように馴染みのある作品ではなかったろう。今日の 演奏でなら起こりえないような事故もあって、演奏には傷は多いが、解釈は隅々まで行き届いているし、管弦楽のための協奏曲のようなこの作品に あって欠かすことのできない各声部の「歌」がこの演奏にはぎっしりと詰まっている。実は第7交響曲にはそれぞれ個性的な名演が数多あって、 その数は他の交響曲に決してひけを取らない。そのことのみをもってさえ、この曲を失敗作と見なすことの不当さは明らかだと若い頃の私は 憤慨交じりに思っていたものだが、私見ではその中に数えいれることに些かの躊躇も感じない。バルビローリは10年後の1970年に没しているが、 もう1年彼に時間があれば、後世の我々の手元にはベルリン・フィルとの演奏の記録が残った筈であったらしい。だが、気心の知れたマンチェスターの オーケストラを率いてのこの演奏には、第3交響曲のデリック・クックの場合と同様、マイケル・ケネディにあれほどまでに確信に満ちた文章を書かせる だけの、あるいはこの曲に対して懐疑的であったデリック・クックをすら納得させるだけの圧倒的な説得力が備わっているのだから、 この演奏が2000年にBBCからCDとしてリリースされたことに感謝すべきなのだろう。

「問題作」であるらしい第7交響曲に関しては、上で触れたアドルノのモノグラフを筆頭に多くのことが語られてきたし、恐らくは今後もそうだろう。 そうした発言に触れてみて私が感じるのは、自分は恐らくその最も外縁にいるに違いない、いわゆる「伝統」というものの影だ。嵐のような天候の ある日の夜、電波状態の悪い中、しかも放送が始まって少ししてからFM放送でこの曲を聴き始めたのがこの曲との最初の出会いであった 中学生の子供にとって、その「伝統」は、極めて皮相なかたちでしか自分の中に根付いていなかったのだろう。勿論、第1楽章の4度の堆積が もたらす独特の沸騰するような緊張は、彼にとってはそれまでに聴いた音楽にはない新鮮で魅惑的なものであり、そうした印象は彼が少ないなりに それまで持っていた音楽経験の文脈あってのことだったろうが、彼は愚かにも、識者の言うような「パロディ的」「メタ音楽的」な側面に全く気づくことは なかった。同じ人間が30年後、バルビローリが半世紀前に遺した演奏を聴いて感じるのは、自分がこの曲に対して抱いてきた印象が、 強められることこそあれ、決して弱まったり、疑いが生じることはないということだ。内的プログラムの破綻を証する惨澹たる失敗作であるらしい、 茶番の内部告発であり、不可能性の証明であることによってこそ価値があるのだとされる第5楽章のフィナーレを聴いて、ちっともそのようには響かないことを 再び確認するだけである。

この演奏の終演後の拍手はほとんど熱狂的といっていいものだが、それはこの曲の、言われるところの「前衛性」、脱構築的な あり方を聴衆が理解できた故のものなのか。多分そうではないだろう。では彼らは「勘違い」していたのか。もしそうだとしたら、私もまた、そうした 「勘違い」組の一員なのだろう。否、私は積極的にその一員たろうとするだろう。デリック・クックがこの演奏に見出したものは、彼の作品への懐疑を 覆すものだったようだが、それは今日の識者のような理解に達したからだということではない筈だ。何よりも彼は、コヒーレンスという言葉を使っているのである。 そう、この曲は伝統が命じる「内的プログラム」とやらとは別の水準でコヒーレンスを備えているし、第5楽章はそのまま受け止めていいのだと私には 感じられてならない。確かにそれは「伝統」の中でこの作品を聴いた人達の顰蹙を買いはしただろうが、(20世紀の前衛によくあった本末転倒よろしく) 顰蹙を買うことが「目的」でも「意図」でもなかったのではないか。「目的」や「意図」とは無関係に、作品が持つ社会的な機能がそうなのだ、と 言われれば、それはそうなのかも知れないが、その社会とは、いつの時代のどの社会のことを指すのか、はっきりさせて欲しいものだと思うし、実の ところ、そんな社会的な機能など、私にとってはどうでもいいことなのだと白状せざるを得ない。識者にすれば、控え目に言っても憐みを買う、嘲笑される ような言い草なのだろうが、私にはそういう「伝統」がないのだから仕方がない。

それを言えば、後に第1交響曲となる2部5楽章の交響詩を身銭を切って演奏したマーラーは、その作品が顰蹙を買ったことに戸惑い、傷ついたようだ。 私見では、マーラーには他意はなく、彼はごく素直に自分の中に響いている音楽を書きとっただけなのだと思う。それは第4交響曲のときもそうだったし、 この第7交響曲の場合もそうだったのだと思う。アドルノはシェーンベルクがこの第7交響曲に対してとった態度を、些かの驚きをもって記しているが、そういうアドルノの 評言よりも、アルマの回想に続く書簡集に含まれるシェーンベルクの第7交響曲に対するコメントの方が私にとっては自分の感じたままに遙かに近い。 当時の子供だった私にもそうだったし、現在の私にもそのように感じられるのだ。勿論、ありのままの聴取というのは虚構であって、あるのは異なった文脈の中での 様々な聴取だけなのだろう。だが、もしそうだとしたら、その「文脈」は音楽の伝統やら、啓蒙のプログラムやらといった範囲を超えて広がっているのだと思う。 私に言わせれば、第7交響曲が破綻しているとすれば、それは作品の内部とか、作品の文脈の側にあるのではない。破綻は聴いている私の側にある。 恐らくそれと同じように、マーラーその人にもその破綻はあったのだろうと思う。だが、彼はそれを作品の中に持ち込んだわけでもないし、窓のないモナドよろしく、 その作品がマーラーの破綻を映しているとも思わない。第7交響曲のフィナーレを文字通りに受け取れないのは、受け取れない側の責任で、音楽の責任ではない、失敗の原因を音楽に押し付けるのは責任転嫁ではないかと私は思っているのだ。それは第8交響曲を滅多に聴けないのと本質的には同じだと思っている。

破綻は私の側にある、とはこういうことだ。私はいつでも第7交響曲のフィナーレの肯定性をそのまま受け取れるわけでは決してない。だがその原因は、専ら 私の側にあるのだ。破綻しているのは私の生の方であり、だからこそ私にとってマーラーの音楽は必要なものなのだ。マーラーの作品群が、あるいは個別の 作品がその中に持つ大きな振幅こそ、自分にとっては自然に感じられる。もう一度シェーンベルクの言葉を引けば、彼がマーラーの第3交響曲に見て取った 「幻影を追い求める戦い」「幻想を打ち砕かれた人間の苦悩」「内面の調和を求めて努力する姿」を、私もまたマーラーの音楽に感じることができる。 勿論、それは音楽の「内容」そのものではない。シェーンベルクにとっては第3交響曲の標題などどうでもいいことだったようだが、それも含めて私はシェーンベルクの 感じ方に共感を覚える。マーラーの音楽に「肯定」の要素があること、少なくとも「肯定」への探求があることは、私がマーラーを聴く理由の根底にあるのだと思う。 かつての子供もそうであったし、(ちっとも成長も成熟もしないという批判は甘受することとして)今の私もまたそうなのだ。そうした私にとって、 「第7交響曲の内的プログラムは破綻している」といったような言い方は、単なる詭弁にしか感じられない。

確かに第7交響曲には、苦悩から歓喜へというような内的プログラムなどない。だが、それはそうであろうとして破綻したわけではなく、 きっとそんなものは始めからなかったのだ。第2、第4楽章から先に着想され、 1年後の休暇も終わりになった頃、ボートの一漕ぎで第1楽章の着想を得てようやく全曲の構想が定まったという経緯を持つこの音楽には、もっと遠心的で 万華鏡のような構造が存在する。フィナーレは何かのリニアな過程の結論なのだろうか。そうではあるまい。外部から恣意的に尺度を押し付けて、その尺度からの 背馳をもって測られたものが語るのは、測られる作品ではなく、測る人間のありようではないと言い切れるだろうか。一体それは何の観相学なのだ。 第3交響曲に「円環的」構造を見出しうるという、あきれるほど粗雑な議論同様、第7交響曲に単純な図式を当てがうことは、その作品の持つ豊かさ、 非常に入り組んで、見えにくくはなっていても、このバルビローリの演奏のような説得力のある解釈においては的確に把握されている巨視的な秩序を 損なうだけのように思えてならない。「基本法則は単純だが、世界は退屈ではない」とは物性論における超伝導とのアナロジーによって、質量の起源たる 対称性の破れが自発的に生じる動力学を提示した南部陽一郎博士の言だが、顰蹙を買うことはあっても決して退屈することはないと揶揄交じりに 言われたこともあるマーラーの音楽の持つ多様性、豊かさは、粗雑な文学的な修辞で飾り立てることではなく、マーラーの音楽そのものの構造を 記述し、説明しようとする試みによってより良く理解できるに違いない。優れた演奏解釈は、言語化することなくそうした勘所を押さえているのだろうが、 だとしたらある解釈の卓越を証することについてもまた、同様のことが言いうるのだろう。実はアドルノは、一方ではそのための手がかりをもまた 遺しているのだ。例えば「音調」の章における調的配置についての言及や、「ヴァリアンテ」の章に見られる超-長調についての言及や、マーラーにおける 「唯名論」についてなどによって、同じアドルノがフィナーレに下した判断に疑念を挟むことが可能ではないだろうか。

否、私のような単なる享受者、音楽学者でも哲学者でもない一介の非専門家に過ぎない聴衆にしてみれば、自分が音楽から受け取ったものを反故にしたくないだけなのだ。教養ある知的な聴き手にとっては嘲笑の対象となるのかも知れないが、それでもなお、例えばこのバルビローリの演奏から 受け取ることのできる或る種の質について、擁護したいだけなのだ。それなくしては音楽を聴くことそのものが意義を喪ってしまい、その音楽について書くことの動機そのものが喪失するようなものが、バルビローリの演奏には間違いなく備わっている。私にとって第7交響曲が持っている或る種の質を 擁護することは、実のところ30年前からのテーマだった。

だがそれを職業とすることなく、音楽を聴くことを単なる消費としないでおくことは、時折非常に困難となる。まずもって物理的に時間がないのだ。 遺された時間で何を聴き、何について書くのか。自分に許された容量を考えれば選択と集中は避け難いが、時期によってはその限定された範囲すら 自分にとっては手が届かない領域にさえ思えてくる。膨大なCDのコレクションや文献を所有することは私にとっては意味がない。手持ちの貧弱な 蒐集ですら、最早己の容量を超えているように感じられることも一再ならずある。そうやってまた文献を処分し、CDを処分し、計画を縮小し、 という退却のプロセスを辿っていくのだ。

逆説的なことだが、私にとってマーラーの音楽は、それ自身がそうした縮小均衡への歯止めになっているようだ。マーラーが神の衣を織るという自覚を もって、歌劇場の監督の激務の合間を縫って遺した作品たちは、かつて初めて遭った時にすでにそう感じたように、それ自体が価値の源泉であり、 私のような貧しい人間にすら、何事かをすべきなのだといざなう力を持っていたし、その力は30年の歳月を経て、まだ辛うじて残っているらしい。 傍から見れば強迫観念に取り憑かれているだけの無意味な営みであったとしても、それは私に沈黙することを許さない。それは「応答」を要求するのだ。 お前に時間ができたなら、お前は受け取ったものに応じて、何かを返さなくてはならない。それが無益なものであっても「応答」せよ、、、

シェーンベルクにとってマーラーは同時代の人間だった。だから書簡に記された言葉は、自分が会って話ができる、その人に向けてのものだった。 幸運なことに、私にも同時代にそうした「応答」ができる貴重な対象が存在するけれど、マーラーはその中には勿論、含まれようがない。 1世紀後の異郷に居る私の場合、シェーンベルクとは状況が全く異なるのだ。なのに私は愚かにも、シェーンベルクが聴いたようにしか その音楽を聴けないと感じ、それに加えてあろうことか、そうした態度を正当化したいのだ。マーラーその人が音楽を介して、今そこに居るかのように、、、

だが、私は頬かむりをしてこう言いたい。それは仕方ないのだ。マーラーの音楽がそれを命じているのだから、と。その音楽を聴く時、私はマーラーその人を 身近に感じずには居られない。私は彼の見た同じ風景を見ることはできないけれど、彼の音楽を通して、風景の見方を自分のものとすることができる。 私なりに卑小化されたものであっても、彼の問題意識や或る種の「姿勢」を自分のものとすることができる。できる以前に、それは最早私の一部と なっていて、今更無かったことにするわけにはいかない。彼の音楽とは関係のない、生活の脈絡の中で、だけれども私は、そうとは自覚せずに彼から 受け取ったものに従って価値判断をし、行動しているのだ。極端だろうか?そうかも知れないが、だが私には(シェーンベルクがまたしてもそのように 語っているように)そのようにしかマーラーの音楽を聴くことはできなかったし、今でもできない。そういう聴き方をしないのであれば、この音楽を 聴くべきではないのだ。そのかわり、「ただで」それを受け取ってはならない。己の貧困を自覚しつつも、何かを返さなくてはならない。そうでなければ この音楽を聴くのを私は止めなくてはならないだろう。かつて一度はそうしようと思ったように。だが、こうして聴き続けている間は、何かを返すべく努めなくてはならないのだ。

私のような人間さえ、時折はそのフィナーレを聴き、その肯定性を自ら引き受けることができるような瞬間が、その生の成り行きに含まれることは、 私にとってかけがえのないことなのだ。生の成り行きのある断片の中であれ、肯定することなしにやっていくことなどできないだろう。音楽にとってそれが終わった 後の時間が、外部が存在するのと同様、そうした断片は断片でしかなく、新たな世の成り行きの中でそれは色褪せていくことになろうとも、 時折はこうして第7交響曲を聴くことができることは、翻ってそもそもこの音楽に出会えたことは、こうした音楽を書いた人間がかつていたということと同様に、 私にとってかけがえなく、貴重なことなのである。(2009.4.12)