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2014年6月16日月曜日

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いて

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会
2014年6月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第10番(デリック・クックによる演奏用補筆版)

井上喜惟(指揮)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ


ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第11回の定期演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れる。 曲目は第10交響曲のデリック・クックによる演奏用補筆版。 第10交響曲はクックの補筆によって演奏可能になった5楽章の形態において その価値が闡明されるものであり、未完成であるにも関わらず、 マーラーの作品の中でも最高の力を備えた作品であるというように ずっと考え続けてきたが、初めて聴いてから30年以上の歳月を経て、 初めて接した実演がかくも素晴らしいものであったことを、非常に幸運なことであると感じ、 このような高水準の演奏を達成した音楽監督の井上喜惟さんと楽団の方々にまずは敬意を表したい。
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この曲の主調は嬰へ調で、管弦楽のどのパートにとっても演奏しづらく、鳴らしにくい調性だが、 当然それは意図された選択であって、作品にどこかこの世ならぬ不思議な陰影をもたらしているように 私には感じられる。音楽が響いている場所、音楽的主体のいる場所がどこであるのかを言い当てることが できないように思われるのだ。強いて言えば、ヘルダーリン晩年の詩断片"Wenn aus der Ferne, ..."が 語られている場所が思い浮かぶのだが、その詩断片の語りの場というのもまた異様で、 まるで世の成り行きから超絶した、異世界のほとりで、かつて自分がその只中を 彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら語っているかのようだ。
その限りでシェーンベルクがプラハ講演で第10交響曲について述べた言葉、 「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを受けとめるところまでは 熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」(酒田健一訳) という言葉は、この作品が知られていない過去の証言であるとして用済みにすることが できない何かを含んでいると私は考えている。
それだけにこの作品について言葉で語るのは非常に難しいのだが、特に今回の演奏を聴いて はっきりと感じ取れたことは、この作品の調的設計を中心としたユニークな全体の構造の 未完成とは思えぬ緊密さ、豊かさと、クックがマーラーの晩年の様式の延長線上で慎重に配置した 色彩の絶えざる変化が、モザイク状に組み上げられ交代する複数の音楽の層の質に 見事に適ったものであるということであった。
第1楽章冒頭のヴィオラが奏する調性感が希薄な旋律をはじめとして、この作品を 無調への入り口として捉える見方が一般的だが、全5楽章からなる交響曲総体の構想から すれば、細部での調性の拡大、非因襲的な楽章間の調的関係にも関わらず、 全体としては調性関係によって多層的・複合的な構造を構築する意図は明確であり、 従来にはない試みが行われているとはいえ、それは紛れもなくマーラーの 交響曲の発展の過程の(未完成であることを重視すれば、ありえたかも知れない) 最先端に位置づけられるものなのである。
この演奏では第2楽章と第3楽章の間にチューニングが行われたが、これは第1楽章と 第2楽章を第1部、第3楽章からを 第2部とする作曲者の構想に沿ったものであるし、実際に第2楽章の末尾において 嬰へ長調に到達することが作品全体の巨視的構造にとって持つ意味を考えれば、 この構造把握の妥当性は明らかであろう。
マーラーが交響曲においてそれまでも 何度か採用した5楽章形式ではあるが、その内部構造は前例のない、非常にユニークなものである。 特に重要なのが第2楽章スケルツォの位置づけであり、ここではスケルツォは「中間楽章」ではなく、 第1楽章に対して同じ調性圏において応答し、そのコーダにおいて第1段目のフィナーレを形成する。 頻繁な転調や調性感の拡大、希薄化にも関わらず、(あるいはそれゆえに)調的な発展はここでは 拒絶されていて、何か現実から断絶した閉鎖された空間の如き領域を形作る。
それに対して第2部冒頭の第3楽章は変ロ短調という調性(これは夙に関連が指摘される 「子供の魔法の角笛」の「この世の生」が到達する調性でもある)によって「プルガトリオ」と いうトポスを、嬰へ調というヴァーチャルで閉じた領域である第1部のいわば裏側に定位して 再開するのである。反復を嫌ったマーラーとしては例外的なDa Capoを持つプルガトリオ楽章の構造は、 この楽章の時間性が(「この世の生」への関連にも関わらず)日常的な生のそれではないことを 告げているかのようである。
いわゆる「死の舞踏」であると一般にはみなされる第4楽章スケルツォでは、その冒頭において ホ短調という調性が選択されていることに留意しよう。轟々と鳴る主部の嵐に対する凪のような (移行部分も含めた)トリオ部分(それはC-A-H-Dと調的に発展していくに従い表情を変えていく)の 指揮者によるテンポの設定が適切であるがゆえに、徐々に音楽が現実の影の領域に 侵入していく経過が的確に示され、その先のコーダにあたるフィナーレへのブリッジ部分への 到達が構造的に準備されているように聴き手には感じられる。
2人のティンパニ奏者が活躍する第4楽章の「影のような」コーダが「完全に消音された大太鼓」 (この演奏では、舞台上ではなく、舞台奥上方の客席に離れて置かれて、あたかもホール全体が 鳴っているかのような効果を上げていた)の一撃で鳴り止み、フィナーレの閾に達したとき、 音楽は二短調の領域にいる。
そしてバスチューバと大太鼓によって進められる 主部に対して、フルートが弦の和音上で息の長い、どんどんと輝きを増していく旋律を奏でるとき、 何たることか、音楽はニ長調の領域にいるのである。(ニ長調がマーラーの音楽において どのような機能をしているかは、幾つかの他の交響曲の楽章を思い起こせば充分だろう。) だがそれは中間のアレグロ部でもフラッシュバックのように挿入される、この楽章の (アドルノのカテゴリにおける)「滞留(Suspension)」のブロックの 調性であり、嬰へ長調の下属調であるロ長調の「幻境」に到達することで、この作品に おける「解決」の方向性が示唆される。
このロ長調の箇所の響きを比喩なしで言い当てるのは私には不可能である。 それは壜の中に閉じ込められた世界のように、何か膜のようなものに隔てられて、 周囲では樹々が嵐に吹かれて枝を撓ませ、その枝を通り抜ける湿気を孕んだ風の音と 風に靡く葉のざわめきとで充たされて、奥行きの感覚が喪われた結果であるのか、 外部から遮断され、閉鎖された空間が生み出され、その中心の場所はひっそりと黙して、 無時間的な空虚を閉じ込めていて、まるで神話的で無時間的な過去の断層に 落ち込んでしまったかのようだ。それはいわば外側(嬰へ調)から見た、 未来から見た「かつて」「現実」であったもののフラッシュバックなのだ。
音楽的主体はその挟間に居て、 いずれにも属さず、いずれとも膜のようなもので隔てられているかのようであり、 記憶の静寂の中にそうした風景が音も無く閉じ込められていて、己自身の存在を その風景の中に予感するのは、まるで自分の生に先立つ遥かな過去の 記憶の中に自分が埋め込まれたかのようで、己がその風景の裡に居るのか外にいるのかすら 最早定かではない。激しい嵐にも関わらず、彼の周囲には静寂が支配していて、 恰も聴覚を介してではなく、戻ってきた陽光の明るみや、暖かみのような 別の感覚を介して音を予感するかのようだ。
その後のアレグロの中間部が第1楽章のカタストロフの再現を経て、冒頭主題の 回帰を惹き起こした後、変ロ長調からの移行を経て、315小節で到達する 嬰ヘ長調の不思議な色合いを帯びた輝きがこれだけ眩く感じられ、 和声の進行による光の変化のニュアンスが、これだけ心を掻き乱すもので あったのも実演ならではで、聴いていて涙を堪えることができなかった。
その涙はまずもって素晴らしい演奏に接したことによる感動によるものなのだが、 同時にそれは、この終結部が第1部の調性である嬰へ調への回帰であること、 つまりここに何か肯定的なものがあるにしても、それは最早通常の 意味合いにおける「現実」で生起するものではないということが 調的な構造と、嬰へ調という調性の持つ固有の音調によって告げられている ことを感じた故なのだろう。 マーラー自身、変ロ長調による終結の代案を考えていたことが 遺された草稿からは伺えるようだが、既に述べたように、 「幻境」の部分がロ長調であることなどから、クックが選択した嬰ヘ長調による 解決に分があるように私には思われる。そしてそれは、井上氏が作品の解説に 記している「12回の打撃音」の「カバラ的」解釈とも整合しているのではなかろうか。
否、このフィナーレの結末における 主体の場所を考えれば、この作品が「この世」では作曲者によって完成される ことなく、その作品の価値を認識した他者によって補筆されなくてはならなかった 事情すら、作品にとって自然な成り行きではなかったかとさえ思えてくる。 再三シェーンベルクのプラハ講演を参照することになるが、確かに第9交響曲は 「限界」であり、第9交響曲では隠れた作曲者のメガフォンであった作曲者は、 第10交響曲では自らが隠れてしまい、補筆を待っていたかのようにさえ 感じられるのである。
第10交響曲には、その創作に纏わる「神話」が永らく付き纏ってきたが、 こうした調的遍歴をそうした「神話」に結び付けて解釈することにさほど意味が あるとは思えない一方で、この日の演奏のような明確な巨視的なブランと 各調的領域の性格やテンポの交替の適切な設定が為された演奏に接すれば、 この作品の持つ調的な設計の力の凄まじさに圧倒されずにいることはできない。 楽曲解説の類に書かれていることを手がかりに音楽を追いかけることと、 楽曲の構造が演奏そのものを通して浮かび上がってくるのを受け止めるのは 全く異なる経験であって、私はこの演奏によってようやく作品の構造を 充分に把握できたように感じられた。
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個別の楽章の解釈はといえば、これまでの第7, 9, 4番の実演においても井上氏の スケルツォ楽章の解釈には瞠目させられて来たが、個性の異なるスケルツォを3つ 中間楽章として持つこの作品はまさにその解釈の卓越を認識する、またとない機会となった。
特に第2楽章のスケルツォの解釈の卓越は、録音も含めて、これまでに接したどの 演奏解釈を上回るものであり、初めて隅々まで説得される十全な解釈に接したように感じた。 と同時に、第2楽章の全体構造に占める位置づけについても、ここまで説得的な解釈は これまでに出遭ったことがないほどに決定的なものであったと思う。
譜表の調号指定にも関わらず、不安定ながら嬰へ短調で始まるこの楽章の目まぐるしく変化する 調的な遍歴は、頻繁に交替するその部分部分の音楽の表情と、 固有のテンポによってその構造を明らかにするのだが、この演奏の解釈はそうした 部分部分の固有な音調を巨視的な流れの犠牲にすることなく隈なく提示することによって、 その音楽の経過の複雑さの中に秘められた或る種の必然性の如きものを明らかにしたものであり、 その説得力は圧倒的なものがあった。
オーケストラもまた、明らかに第2楽章に入ってドライブがかかったように感じられた。 特に主部は頻繁に拍子の変わるテンションの高い音楽だが、その響きの充実とリズムの躍動感は素晴らしく、 その後はフィナーレまで緊張感も途切れず、実に手応えのある響きでの演奏が展開され、 それぞれのパッセージの表情の濃やかさもまた、これまで聴いたどの演奏にも優るもので、 息を呑む瞬間にも事欠かなかった。勿論全く瑕がないというわけではないにせよ、 そうした細部の不安定さや瑕が気にならない素晴らしいアンサンブルであった。
特に印象的だったのはこの曲において常に支配的な 弦のパートが良く歌われていることに加えて、頻出する各パートのソロの表情の豊かさである。 印象に残った箇所やパートは枚挙に暇がないが、何よりも全体として、かくも深い感情に 満たされた演奏によって、マーラーの全交響曲の中でも際立って深く人の心を抉る第10交響曲の 全曲を聴くことができたのは稀有の経験であり、それはマーラーを演奏するための集った オーケストラでなくては実現できないに違いないものであり、聴き手にとって圧倒的な経験で あったのは勿論だが、それだけでなく、演奏する方々の心の動きと聴き手の心の動きが 一体となるような感じがして、作品を自らリアライズした指揮者をはじめとする 奏者の方々にとっても必ずや素晴らしい経験であったに違いないと感じられた。
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この日の演奏のような素晴らしく説得力のある演奏によって第10交響曲の全貌に 接することができると、「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを 受けとめるところまでは熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」 というシェーンベルクの言葉は、この音楽の持っている前代未聞の時間性を 図らずも「預言」してしまっているかにさえ感じられる。
この音楽は、それまでのマーラーの音楽とも異なった、 別の空間、現実の世界に住むものにとってはヴァーチャルと呼ぶ他ない、けれども 紛れもなく、そこもまた或る仕方で人間が生きる空間、進化の偶然と文化的・社会的な 発展の偶然の結果、今あるような意識を備えた人間のみが生きることができる仮想的な 空間を開示している類例のない作品であるように思われるのである。そうしたことを 一瞬であれ実現して見せる音楽芸術の持つ力の凄まじさと、それを構想しえた マーラーの天才に対しては、どんな言葉も無力なものに感じられ、この点でも シェーンベルクの講演内容に同意せざるを得ないのである。
同様に、試みが為された当時は寧ろ批判したり、留保したりすることが 良識ある姿勢とする見方が優越であったかに見えるクックの補筆の作業の 価値も疑問の余地がないものであると思われるし、この演奏はそのことを 最高度の説得力を持って示したと感じられる。
かつての留保は当時のマーラー協会の 校訂の基本姿勢であった最終稿=決定稿主義に象徴される美学を背景とするものであり、 そうした姿勢自体、全く異論を挟む余地のない絶対的なものではないだろう。 管弦楽配置に関しては、何よりも現場の人であったマーラー自身が演奏会場の アコースティクスに応じた臨機応援な対応を是としていたのであるし、 より作品の構造寄りの側面についてのアドルノの、モノグラフの第2版への後書きに 含まれる、決定的にさえ響く留保のコメント、即ち草稿が「垂直的に」断片的であり、 「和声的なポリフォニー、すなわちコラールの枠内での声部の編み細工によって はじめて、楽曲の具体的な形、作曲されたものが示されたことだろう」 (龍村訳)という発言すら、彼がその論の根拠とするマーラーの後期様式の 遺されたものではなく、向かっていった方向を考えたとき、クックの試みを 否定しきることができるような絶対的なものではないと思われる。
アドルノは 「マーラー自身に由来するものを厳密に尊重するならば、一つの不完全なもの、 彼の意図に反するものを提示することになるし、といって対位法的に補完する ならば、その仕事はまさにマーラー自身の創造性の発揮されるべきその場所へと 踏み込んでしまう」(龍村訳)という二者択一を示して両方を拒絶し、もって補筆を 否定するのだが、カーペンターのような、明らかに「マーラー自身の創造性の 発揮されるべきその場所へと踏み込んでしま」った挙句、自分の補筆の方を 絶対視するような姿勢とは全く異なって、クックの作業はどちらかといえば 不完全なものであることを自ら認めた上で、実現される音響像のもしかしたら 少し先に、ありえたかも知れない作品像を浮かび上がらせるための試みであり、 しかもマーラー自身の創作プロセスとて、それがどこで停止し、どこで 再開され、時には改作にまで到るかはその都度その都度の偶然に支配されることも あっただろうことを思えば、「少し先」の距離は、アドルノが考えている 程大きなものではないのかも知れないということは無いのかとさえ思えるのである。
何よりも「第10交響曲の構想の並外れた射程距離を感じ取る人間こそは、 そこに手を入れたり演奏することを回避すべき」であり、「まだ実行に 移されていないイメージに対する巨匠のスケッチを理解してあたかも完成 したかのように色づけする人は、それを壁に架けるのではなく、ファイルに 入れて自分一人で眺めている方がいい」という発言は、少なくともマーラーの 音楽が、人間の手によって演奏会場で演奏され、物理的な音響として 実現されることを不可欠のものとしているという点を決定的に見誤っている のではなかろうか。
今日のマーラーの音楽のポピュラリティは放送や録音媒体による 普及による部分が大きいだろうが、聴く力を麻痺させかねないバブル期に見られた ツィクルスによる実演の氾濫も含めた受容の歴史を経た現時点での展望からすれば、 寧ろ、必要なら「音断ち」をさえした上で、充分な準備と解釈の徹底が施された 実現がなされるのを新鮮な耳で聴取する経験こそが、その音楽の持っている力を 十全に解き放つための必須の契機であるということになるように私には思われる。 そしてまた、そうした契機なくして、過去の異郷の音楽を 今ここで演奏する意義はないし、そうした意義のある試みこそがマーラーの 音楽を世代を超えて継承していくものであるに違いない。
クックの試みもまた、 完成した暁にはコンサートホールで オーケストラによって演奏されることになっていたことが明らかなこの作品、 しかしながら、まさにそのために書かれたにも関わらず、演奏はおろか、 作曲の途上で、楽譜の上においてさえ、 そうした形態を採る前に作者たるマーラーの手を離れてしまったこの作品を、 アドルノのような専門家の占有物にしてファイルもろとも忘却に委ねてしまう ことなく継承していくことを可能にする試みである。
カーツワイルのような技術特異点論者の唱える技術的特異点の向こう側から見たとき、 生物学的な基盤の持つ限界からの自由を獲得し、 時間的にも空間的にも、現在の人間の持っている制限から自由になったとき、 人間のアイデンティティの定義も当然だが、作品のアイデンティティの側も また変容してしまった後で、この作品を取り巻く様々な状況の意味はどのように変わり、 どのような形態で、どのような媒体での受容が行われることになるのだろうか。 最早人間の可聴域の制限すら超え、媒体の制約も超えて、クックの作業の更なる延長線上に、 寧ろその未完成が故のポテンシャリティによって、現在では思いもつかないような 受容のされ方がなされるかも知れない。 例えばスタニスワフ・レムの「虚数」の中に収められた「ビット文学の歴史」に出てくる、 コンピュータによるカフカの「城」の補作完成の試み(これは失敗することになっているが)や、 ドストエフスキーの長編小説のミッシング・リンクの「仮構」といった試みの、 「人力による」(!)先蹤として評価される時代がいずれ到来するのではなかろうか。
マーラーの第10交響曲が提示するものは、21世紀になっても未だ解決済みでもないし、 過去の遺産などでは決してなく、未だそれに接する人間の成熟を待ち続けているように さえ感じられる。そういう意味で、この演奏会における演奏は、なぜ今ここでこの音楽を 演奏するのかについての有無を言わせぬ必然性を感じさせるものであったように感じられた。 改めて音楽監督の井上喜惟氏とオーケストラのメンバーに対して感謝の気持ちを記して 感想を終えたい。 (2014.6.16初稿公開, 17,18加筆修正)

2014年2月16日日曜日

マーラーの音楽の時間性についてのメモ

音楽は時間の組織化、構造化である。それは生物的な、感覚受容や身体的事象へ反応といった体験の時間とは異質の、非日常的に、人工的に編まれた時間の結晶体である。音楽的時間の経験は、様々な時間経験の一種に過ぎないが、それは高度な意識を持つ生物種である人間ならではの社会的・文化的な歴史の沈殿物の摂取であり、或る種の意識経験の様態を自分の中に(変形しつつ)移植することである。 叙事的、ロマン的(アドルノ)と形容される時間の流れを、その複雑さを毀損することなく捉えようとしたとき、充分に意識的で、 批判的・反省的な知性の持ち主であったマーラー自身による説明におけるゲーテの原植物を含む有機体論や進化論的メタファー(エンテケレイアなど)の進入については、その事実を骨董に関する薀蓄よろしく、歴史的な事象として指摘することなどではなく、さりとてそれを単なる比喩や修辞として、音楽自体とは別のものとして無視するのでもなく、システム理論や複雑系の理論の発展を通過した今の地点から捉え直すことこそが必要であろう。

調性組織における発展的調性は、楽式論における単なる反復、ダ・カーポを嫌い、絶えず変容し発展しようとする傾向との間に 明白な相関を有するのであって、出発点に過ぎない和声法や楽式論の図式を逸脱してしまう。その結果として、多楽章形式はここでは 複数の視点、複数の層からなる時間の布置を実現するデヴァイスであり、多重世界論(デイヴィッド・ルイスの様相実在論)の如き理論装置を要請する。 マーラー自身が敏感に感じ取り、指揮者への指示として書き込んだように、楽章の始まりと終わりは一様ではないし、楽章間の関係も、 画一的な単なる中断、中休みには決してならず、ある時にはそこに断層があり、ある時には休止を跨いで連続するといった具合に、 その連関の様相は多彩である。 オーケストラならではの、非平均律的な均質でない和声組織に支えられた調性格論は、直接的には共感覚的に色彩を喚起するものであると同時に、心理的時間としては、モーダルなヴァーチャリティの様々な質・諧調を実現しており、その肌理の細かさに対応した理論装置を要求する。

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マーラーの音楽は、職人技による工芸品的な単純なパターンの反復、規則的な変形による線形変化のもつ、物理的とでもいうべき 時間ではない。他方で、外的なプロットに束縛されることのない、独立したモナド的な主体性を備えている。 それが近藤譲の言う「身振り」の音楽であるというのは、命題的態度の音楽であるということであり、それは高度な心性を持つ 意識的主体においてのみ可能となる構造を前提として初めて生じうる時間性を備えているということであり、その時間性は 現象学的・実存的な時間論が分析の対象とするようなものである。

そしてそれは閉じているわけではなく、世界、他者との接触により生じる間主観的な出来事としての実存的時間を備えている。 その空間性は、相対論的に出会うことなく、常に遅れてしか出会い、応答できない同時的存在としての他者との距離であり、 主体の内的時間と同調しない、容赦ない推移の流れ(「世の成り行き」)に身を浸すという意味で、高度な心性を有する 意識的な主体の間主観的な生成過程の組織化である。

その限りにおいては、異星人が地球上の人間について知りたければ、 マーラーの音楽を調べれば良いという、カールハインツ・シュトックハウゼンの言葉は妥当性を持つ。これは(とりわけても 西欧的な意味合いでの)「人間」でなければ産み出しえない類の音楽であることは間違いない。更に、ジュリアン・ジェインズ的な 意識の考古学的な展望を、レイ・カーツワイルのような技術特異点論者のポスト・ヒューマン的な展望と接続する立場からは、 これは将来のある時点で、「かつての人間」の意識の様態を記録した考古学的遺物になるのだろう。マーラーの音楽が音楽で 在り続けるのは、「人間」がかつての、そして大きな変容を蒙りつつ、今なお辛うじて存続している「人間」の存続期間の 範囲内であり、賞味期限つきなのである。ジェインズの記述するホメロスの時代、あるいは西洋中世といった意識なきエポック ではマーラーの音楽はありえなかったし、タイムマシーンで遡及して送り届けたところで理解不可能なものであったに違いないが、 未来の方向に向けても、三輪眞弘さんが「感情礼賛」で「夢を見た」ようにポスト・ヒューマンのエポックにおいてはマーラーの音楽は理解不可能なものとなるであろう。(再帰的に、音楽を聴取する、しかも自己自身のような複雑な音楽を聴取する経験自体もまた、そうした時間性を備えている。このことから、マーラーの音楽自体が聴き手にとって優れた意味での他者である、つまり複雑な内部構造を有し、固有の時間性を持つ他者であり、レヴィナス的な意味で、決して自己固有化できない「他者」であるということが帰結する。それは私の中に埋め込まれても、或る種の飛び地、クリプトとして 存在し続けるだろう。)

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マーラーの音楽の時間はアドルノ風の、「突破」「停滞」「充足」「崩壊」といったカテゴリが示唆する心理的時間であり、 意識の構造に由来するアスペクト的な特性を持つ。楽章内においても時間の断絶、複数の層の不連続な継起があり、 ホワイトヘッドのプロセス哲学における時間論における「時の逆流」を彷彿とさせるような瞬間にも事欠かない。 それは単一の時間ではなく、複数の重層的な時間。時間の分岐と合流であり、ヒンティッカが試みたような可能世界意味論による解釈の下で、 フッサール現象学における内的時間意識の不連続性を取り扱う必要性を認識させる。

第一次過去把持・第二次過去把持の区別は勿論、忘却・想起・回想といった出来事を、多重世界の圏域体系上で解釈しようとしたとき、 しばしばその人工性や模倣的で根無し草の性格が取りざたされるマーラーにおける「民謡」調や、とりわけ「大地の歌」での 東洋趣味もまた、スティグレール的な第三次過去把持による前主体的過去、社会的、集合的記憶への仮構された遡及としての (ありえたかもしれない、架空の)「民謡」。「東洋」(「大地の歌」)として、同じ多重世界の圏域体系上で解釈可能な ものになるのではないか。

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そしてその先には、第10交響曲がある筈であった。嬰ヘ調という調性の持つヴァーチャリティと、その文脈における ニ長調がコントラストによって蒙る変容。過去が絶対的な過去になり、現在は通常の時系列的なパースペクティブから 隔離されて浮遊する。(臨死経験との類比からすれば、それは可能性としての「未来」を最早持たないことの 帰結なのだろうか?)だがそこにおいてこそ、(数学的な意味での)極限としての未来の到来・生成の場があり、 それは主体の側からは自己超越による死と再生の過程である。第10交響曲はそうした時間を作品の裡に 刻み込んでいるという点で、極めて特異な作品である。

この作品が未完成であることについては多くのことが 言われているが、この音楽が、芸術に許されたヴァーチャリティを限界まで徹底させ、「実現しない未来」の 時間を定着しつつあったことを思えば、ありとあらゆる迷信の類を取り除いた後に、その実質と、作品が「この」 現実世界、様相実在論的な可能世界意味論における用語法におけるそこでは、それがスーパーヴィニエンスである ことを確認した上で、未完成に終わったことに対して、「人間」は何某かの意味を読み込みたい欲求に抗うことは 難しい。それを「あまりに人間的」と断定する批判は正しいが、「音楽」が結局は「人間」のものでしかないことに 対する無視は致命的である。

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第8交響曲の冒頭のEsのペダル音は、人間の消滅の時に響く「基底の音」であるかも知れない。(実際、三輪眞弘さんの 「ひとのきえさり」ではEintonという「楽器」がそのように響く。)第8交響曲はアドルノ風には「突破」の瞬間の 拡大であろうが、その音楽は経過につれて、人間がそのままの姿では見ることのできない出来事と化してゆく。 勿論、(プフィッツナーが悪意を篭めて揶揄したといわれるように、またアドルノが両義的な態度の中で、不承不承か、 あるいは寧ろ、己の恃む否定性の威を借ってか認めたように、それは「到来しなかった」かも知れないのだ。 それは1世紀後の極東で、深夜、自室で「録楽」としてそれを聴いた聴き手のちっぽけな脳内で起きた事象に過ぎず、 何も変わっていはしない。これまたアドルノの言うように、ファウストの終景から聖書的近東を経由して 辿り着いた「大地の歌」の極東は紛い物に過ぎないかも知れない。だが、どんな形而上学も可能ではないということが最後の形而上学たりうる ように、あるいはまた、架空の極東の民族の(だから決して「到来したことのない」)滅亡を記憶する機械による朗読が、 あたかも最後の「音楽」のように、あるいは「音楽」の終焉のドキュメントとして、それ自体は現実に生起し、 その事実が語り継がれていくように、第10交響曲の、決して到来することのない、決して経験することのできない 時空は、マーラー自身によって完成されることはなかったけれども、デリック・クックによって演奏可能な形にされ、 1世紀を経てなお、極東の地で再演が試みられる限りにおいて、まさに「音楽」として、「音楽」を介して、 現実的に生起するのである。

かつての「音楽」、かつてそう呼ばれ、今なお、人がそれをそう呼ぶことに何の疑問を抱かない音楽作品と その演奏を振り返ってみたとき、逆に、或る過去の時代の、自分とは異なった歴史的・文化的伝統に属する人間が作曲し、 記譜して残した作品を、別の誰かが演奏するとき、あるいはまた、不幸にして未完成に終わった作曲を、 別の誰かが補うとき、更には同時代にいながら、それゆえに常に遅れてしか応答できないにせよ、自分のできる仕方 (それ自体は「音楽」ではないかも知れない)での応答を試みるとき、そうした人間の営みによって、 音楽が、第一義的にはまず自分自身という人間のためのものでありながら、そうした自分という或る種の制限、 檻の如きものが制限づけているに違いない視界の狭窄、感性の水路の狭窄にも関わらず、 その音楽(だがそれは、正確には「どれ」のことを、「どの範囲」の出来事を指しているのだろうか?)が 人間の限界を超越して、想像することの出来ないような彼方へと(そう、まるで宇宙船にカプセル化されて 未知の知的生命体に向けて送り出されたものであるかのように)、突き抜けていってしまい、 私のようなちっぽけな人間には及びもつかないような存在に感じられることが、しばしば生じる。 その限りで、いかに突飛で滑稽に見えようとも、アドルノが「大地の歌」に関連して、宇宙飛行士が外側から 見ることになる地球の青さを先取りしていると述べたのは、それがジャン=ピエール・デュピュイの賢明な破局論 での意味合いにおける「予言」である限りにおいて、文字通り正しいのである。だとしたら、レイ・カーツワイルの 述べる技術的特異点の彼方で生起することの「予言」が、第10交響曲において、それ自体未完了で開かれたままの 状態で行われていると考えることもまた可能であろう。

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勿論、技術的特異点の彼方において、この「音楽」が、否、おしなべて「音楽」自体が最早意味を喪失し、 無用のものとなる可能性もある。そうではなくても、かつての「人間」の制約条件に強く拘束されているがゆえに、 過去の遺物として、博物館での展示品としての価値しかなくなる可能性もあるだろう。その一方で、第10交響曲の 「今」と「ここ」がようやく適切な現実を獲得する事態も考えられるだろう。マーラーより更に100年前にヘルダーリンが、 早すぎる晩年の寂静の裡に記した断片 "Wenn aus der Ferne" の「今」「ここ」と同様、現在の現実世界では ヴァーチャルな、「場所なき場所」を指し示すそうした作品が、丁度ホメロスの叙事詩のように、今より更に100年後、 新たな光の裡で、新たな光を放たないと誰が言いうるだろうか?

全ては両義的である。まさにそのために書かれたにも関わらず、完成した暁にはコンサートホールでオーケストラによって 演奏されることになっていたことが明らかなこの作品は、しかしながら、演奏はおろか、作曲の途上で、楽譜の上においてさえ、 そうした形態を採る前に作者たるマーラーの手を離れた。だが、技術的特異点の向こう側から 見たとき、生物学的な基盤の持つ限界からの自由を獲得し、時間的にも空間的にも、現在の人間の持っている 制限から自由になったとき、人間のアイデンティティの定義も当然だが、作品のアイデンティティの側もまた 変容してしまった後で、この作品を取り巻く様々な状況の意味はどのように変わり、どのような形態で、 どのような媒体での受容が行われることになるのだろうか。最早人間の可聴域の制限すら超え、媒体の制約も超えて、 クックの作業の更なる延長線上に、寧ろその未完成が故のポテンシャリティによって、現在では思いもつかないような 受容のされ方がなされるかも知れない。

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人間的なものの極限に、人間を超えたものが顕現するかに思われる瞬間がある。通常の自己の記憶の回想ではない、 自己の経験していない過去を展望できるかに思われる瞬間があり、それに応じて、実現可能性のある現在の延長としての 未来ではない未来、人間の意識がその形態のままでは経験不可能に思われるような未来、極限としてしか想像できない未来が 顕現するかに思われる瞬間がある。音楽は実際には起きはしないことをあたかもそれが今ここで成就したかの如く偽る 詐術などではない。それは現実とは異なる実在の多重世界の別の一つにおける別の現実の投影なのだ。

これは現在の瞬間が拡大されて、永遠と化する奇跡ではない。そこで起きるのはまた、充実ではなく、「ノエマの 爆発」の如き出来事であり、寧ろ自己は没落し、滅して、純粋な受動性の領域が現れ、外から何かが到来する瞬間、 外に対して自己を被曝する瞬間であると同時に、主体の自己超越の瞬間なのだ。そうした瞬間は孤立した出来事ではなく、 それが生じるための力学が働く多層的な脈絡と多岐的な広がりとが必要となる。 マーラーの音楽は、そうした瞬間をその中に胚胎しているという点で特異な音楽であろう。そうした瞬間を孕む 時間的な構造はそれ自体、人間の歴史の蓄積の結果であり、マーラーの音楽はそうした文脈の下で起きた一回性の事象であった。 勿論、もう一度歴史が反復されれば、それが生じる可能性はあるが、それが生じるのは必然ではなく、系の持つゆらぎの 産物に過ぎず、異なった径路を辿ることになると考えるべきだ。

その音楽にあっては「ここ」こそが主体にとって未だ訪れることがなかった異邦の地であり、「自己」が滅したときにしか 出現しないという意味で、最も主体から遠い場所なのだ。これほど「人間」から遠ざかった音楽は、だが「人間」にとって遠いのであって、それは「人間」的主体の構造に基づいていて、それゆえ優れて「人間」のためのものなのだ。 シェーンベルクの第10交響曲への評言は、しばしば歴史的には誤解に基づいた、仰々しいほどまでに大袈裟なものと されることがあるが、実際には個別の出来事の事実関係の差異を超えて、その音楽の質を正しく言い当てている。 我々は、それを聞くための準備がまだ出来ておらず、その音楽に値しない。その故にその音楽は我々にとって未完成のまま留まる。それは常に未来に向かって開かれたまま、聴き手の個体の限界をさえ超えて存続し続ける。(2014.2.16初稿,2.21加筆)

2013年7月14日日曜日

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第10回定期演奏会を聴いて

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第10回定期演奏会
2013年7月13日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第4番ト長調

井上喜惟(指揮)
蔵野蘭子(ソプラノ)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ


ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの定期演奏会は第5回以降ミューザ川崎で開催されてきた。前回の第9回は東日本大震災による被災のため、 1年延期になり、2012年6月24日に文京シビックホール大ホールで行われたが、第10回の今回は修復を終えたミューザ川崎にいわば「戻って」の開催となった。 曲目は第4交響曲の後、休憩を挟んでワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の抜粋。ワーグナー作品について語るのは私には荷が勝ちすぎている故、 前半の第4交響曲の演奏のみについて感想を書き留めて置きたい。
*   *   *
実は私にとって第4交響曲をその本来あるべき姿で、即ちコンサートホールでの実演で聴くのは今回が初めてである。勿論、第4交響曲にはメンゲルベルクが指揮する コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏記録から始まって、膨大な録音の蓄積がある。人によってはこの曲の最初の録音が1930年に近衛秀麿の指揮する新交響楽団 の演奏のものであり、日本で行われたことを思い浮かべるかも知れない。楽譜を読むことと併せ、そうした録音を聴くことにより作品の構造と細部の音響像を 自分の中に定着させて後、実演に接するのは、この作品にコンサートホールで初めて接するのとは全く異なった経験である。ましてや文化的・社会的文脈において 全く異なるといって良い1世紀後の日本で、この作品がかつて(たとえばマーラーの同時代に)どのように響いたかを想像することは難しい。 仮に楽器や奏法について、いわゆるピリオド的なアプローチをとったところで、演奏者も聴き手も、演奏会が置かれている環境もそっくり異なるのである。 そういう意味では、上述の戦前の日本での録音とて同じことで、同じ日本だからという理由だけで、そこに連続性を見出すことは、少なくとも私個人には不可能である。 だが、その一方で、全く文脈のない聴取というのはありえない。コンサートの一回性による様々な 制約(私にとっての最大の問題は、自分自身の体調や心理状態である)もあるし、人間が演奏して再現することが前提となっている以上、誰がどこで演奏するのか、 ということもある。かくして、それが本来想定された上演の形態であるとは言いながら、幾重にも屈折してその「本来」に辿り着かねばならない人間にとっては、 その理由の如何を問わず、演奏者を聴き手が信頼することは(少なくとも私にとって)、「音楽そのもの」と呼ばれるものに虚心坦懐に接するための 必須の条件なのである。例えば特定の演奏家の録音を繰り返し聴くというのは、そうした信頼関係の退化した形態なのだ。ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの定期演奏会に足を運ぶのは、こと私に関して言えば、そうした「本来」に辿り着くことを可能にしてくれる貴重な場であるからに他ならない。
この演奏会の感想を記すにあたりまず書き留めておきたいのは、そうしたことを踏まえた上で、この演奏会において、隅々まで馴染んでいるとはいえ、初めて実演に接する作品に 対して、安心して、素直に接し、没入することができたという点である。勿論、技術的に不安定な箇所や、はっきりとわかる細部におけるミスも皆無ではなかったし、 リアライズの難しさを感じる部分がなかったわけではない。だが、そうしたことすら、私にとってはこの作品を理解することの妨げになることはなく、全体として、実演に 接しなければわからない多くの経験を得ることができた貴重な機会となった。クルト・ブラウコップフが音楽社会学者的な視点で行った、長時間録音媒体が可能にした マーラーの受容の変化についての指摘の中では、コンサートホールでは聴き取れない音が録音では聴き取れることが挙げられていたが、数多くの録音に接した上でコンサートホールでの 実演に接すると、逆に録音で聴こえない音が如何に多いかに驚かされることになる。今回は大規模な室内管弦楽という形容矛盾こそ寧ろ適切な形容とさえ感じられる、 音色の微妙な変化や対比、対位法的な 線の対話、音楽が静まり、背後にある沈黙が浮かび上がる瞬間、あるいはフレーズの切れ目の音の鳴らない瞬間のホールの残響をも一つの楽器としたかのような第4交響曲が 演奏されたこともあり、楽音が鳴り響く空間の中に自分がいることによって獲られる新しさの経験は圧倒的なものであった。勿論それは、聴き手たる自分が 作品の構造と脈絡を身体化した形で、次に起こる音響的イヴェントを予期していることが前提としてあって、だが、指揮者の形式構造に対する把握の確かさとそれに基づく 適切なテンポの設定があればこそのことである。第7交響曲、第9交響曲でもはっきりとそう認識できたが、この第4交響曲においても、そうした巨視的な構造の把握の確かさを 感じることができればこそ、聴き手は作品に安心して、素直に接し、没入することができるのだ。
その一方で、音楽がその場に全く相応しく自然に流れ出てくるような印象は、細部の積み重ねにも因っているのは間違いない。トロンボーンとチューバを省いた 編成の管弦楽の楽器法は、金管楽器を木管楽器の一種として扱うことを求めている(トランペットすら、音色のパレットの上で、クラリネットの少し先に位置づけられる)が、 特に様々な管を持ち替え、更には頻繁なベルアップ(Schalltrichter auf!の指示)をきちんと実践することで、多様な音色の立体的なコントラストを実現したクラリネット属と、 音域や音価・強弱の大きなコントラストによって、同様に音色の多様性を実現したファゴット属のパートの活躍が印象的であった他、それが導入されることではっきりと音調が変わり、 異なる領域に音楽が入ることを告げる打楽器群、フラジオレット等も用い、他の楽器の音色との混合により、別の楽器を産み出すことが求められることがあるかと思えば、 ある場所でははっきりと音楽の流れを主導する役割を担ったハープ、先行する作品に比べても際立って線的に精密に書かれた音楽にあって重要なコントラバスのパートの 安定感といったところが全体として印象的だった。
*   *   *
当初第3交響曲第7楽章に予定されていた歌曲がいわば押し出されてしまい、第4交響曲第4楽章に収まることになった成立史は良く知られていることだが、 そうした紆余曲折の中にあって、終曲に管弦楽伴奏歌曲1曲を持ってくるという着想自体の方は結局最後まで残り、のみならず、その前に三幅対(triptyque)の絵のような 3つの楽章が置かれるという第4交響曲の楽章設計のいわば原点になっている点は見逃すべきではなかろう。第2交響曲や第3交響曲における独唱を伴う楽章の 機能は、ここでのそれとは全く別のものなのだ。そして時系列的に独立に先行していたという事実はあり、確かにそこから逆算するように前の楽章が配置されたとはいえ、 前の楽章と終曲の歌曲の間にマーラーが設定した連関は軽視すべきではない。中期交響曲への橋渡しは、単に第5交響曲第1楽章のファンファーレが予示される といった皮相な点にのみあるのではなく、とりわけ第1楽章に著しく、実際アドルノがマーラーに関するモノグラフの中でも例外的に非常に細かく楽譜を追って 例示するほどの(Variante)の技法、恰も小説の登場人物が、小説の時間を生きることで変容していくような主題の操作の仕方や音楽的時間の構築の仕方こそが、 中期交響曲の前哨としての意義の裏づけとなっているのである。この辺りの事情や、更にマーラーが述べたとされる第9交響曲との関連については別のところに 覚えを記しているのでここではその内容を繰り返すことはしないが、私見では、陳腐な標題性の議論に終始することは論外としても、アドルノのコメントすら、 この交響曲については誤解を招来しかねないような側面があり、音楽自体の持つ決して損なってはならない契機を捉え損ねている。この日の演奏において、私は そのことをはっきりと確認したように思う。
そしてそうした巨視的な設計への配慮は、繰り返しになるが、今回も指揮者によって的確に準備され、実現していたと思う。経過の一部を取り出すのは適切ではないかも 知れないが、それでも強いて取り立てたいのは、例のアドルノ言うところの「夢のオカリナ」から始まって、第1楽章の展開部後半、 「わざとらしく子供じみた、騒々しくも楽しげな部分」(absichtsvoll infantiles, lärmend lustiges Feldとアドルノが呼ぶ練習番号16を経て、 中期交響曲とカフカの巣穴の地下道のように結びついているという指摘を俟つまでもなく明らかな第5交響曲第1楽章への暗示へ至る音調の変化 (頂点ではタムタムが強打され、全く違う領域に音楽が転げ落ちてしまったことが明らかにされる)、そして明確に音楽が停止して、何事もなかったかのように突然に フレーズの途中から再現部に入り、だがそうした軌道の力学で堰き止められてしまったものを補償するかのようにもう一度「わざとらしく子供じみた、 騒々しくも楽しげな部分」をブリッジして第1主題部再現を閉じる辺りまでの音楽的時間の流れであり、あるいは第3楽章の終り近く、練習番号12のあの有名な「突破」(Durchbruch) 以降、静まっていき、Gänzlich ersterbendで停止して第4楽章の天国に至る部分である。そして更にそれに続く第4楽章の全体、そこにおいてパート毎のテンポの入れ替わりが 聴くものに圧倒的な印象を与えたのは、この歌曲を中核として設計された交響曲全体の大きな構造の把握に裏づけされたテンポ設計あってのものに違いないのだ。
今回の演奏は、途中のチューニングなしで行われたが、 それが作品の長さが可能にしたものであるとしても、そのことによって獲られる効果が損なわれるわけでもない。三幅対(triptyque)の絵は決して遠心的に置かれているわけではなく、 楽章相互の明暗のコントラストも含め、寧ろ第4楽章の歌曲に寄り添うようにして置かれていることが自然に理解できるのである。とりわけ第3楽章末尾のGänzlich ersterbendに 関して言えば、第2交響曲の後半3楽章とは異なってattaccaの指示こそないが、音楽的時間は楽章間の中断をいわば跨いでしまっているのである。 第3楽章の「突破」の後、音楽が静まってからコーダに至るまでの和声進行のプロセスはまるで一旦、回り道をしてからようやくゆっくり、ゆっくりと状態を元に戻すような感覚がある。 でも実は戻ったと見える場所は出発点ではなく、決して元に戻ることなく、実は既に決定的に異なる相にいるのだが、その挙句に最後は何とニ長調に到達する プロセスが停止し、時間が止まったときには後続する歌曲のト長調が用意されているのである。この日の演奏おいては、 第4楽章の歌曲は序奏が始まってから登場し、歌い始めまでに定位置に移動する歌手によって歌われたが、これもまた楽章の合間も含めた音楽的時間を損なうことが ないような配慮に基づくものと忖度され、適切なものと感じられた。
この作品の第4楽章で初めて人間の声が響く瞬間というのは、それ自体が或る種の出来事であって、その強度は著名な第2交響曲のUrlichtのあの戦慄すべき歌い出しに 決して劣るものではない。そして歌詞がどんな多義性を孕んでいる可能性があったとしても、音楽がそのような場を用意し、自ずから物語る以上、 歌唱はマーラーが指示した通りでなければならない。ある意味では、ここは既に(つまり第4楽章が始まる前に)時間が停止しているわけで、それぞれ固有の テンポと表情を持ったブロックの交替はあっても、音楽の構造は基本的に静的である。それがとりわけはっきりと示されるのは、詩節に添った何回かの反復の後、 第4スタンザ冒頭の練習番号11で第1楽章の序奏が明確に再現され、だが一瞬ののち練習番号12で音楽が第4楽章の冒頭を回顧し、Kein Musik ist ja nicht auf Erden, ... と歌い始める部分だろう。まるでエンブレムのように聖ウルズラの微笑が浮かび上がるが、音楽は再びmorendoで消えてゆくまで、最早動かない。そうした音楽が求める、 その質に見合った歌唱が為されたこともまた、この日のこの曲の演奏の成功に大きく与っていたと思われる。
*   *   *
私がこの日の演奏を聴いて受けた印象のうち、果たしてどの程度がこの日の演奏を客観的に受け止めたものであるかはわからない。 上でも触れたことだが、私は第4交響曲に関して、以前より、マーラー自身の言葉を受けて、第9交響曲と関連づけて考えてきたが、この日の演奏は、 そうした聴き方に対しても(残念ながら未だ十分に言葉にはできないし、演奏会の感想からは完全に逸脱するので、それは別の機会にまた改めて論じたいが)、 大きな何かを告げるものがあったと感じている。 恐らくそれは、東日本大震災を経て、昨年のあの第9交響曲の演奏を同じ指揮者、同じオーケストラで聴いたこととどこかで繋がっているだろうが、仮に それが2つのコンサートに参加した人間のうちで私だけに生じた、ごく主観的な経験であったとしても構わない。繰り返しになるが、私は最早 客観的な(と呼ばれる)批評が成立するような地点でコンサートを聴いているのではなく、だからそうした立場でのコメントは断念している。是非、他のそれに相応しい方の 評が公開されることを期待したい。だが、そうした前提の上で、この日のコンサートで第4交響曲の実演に初めて接することができ、ここに記したような印象をもてたことを、 私は非常に幸運なことであったと感じている。それゆえ末筆になるが、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの方々、音楽監督・指揮者の井上喜惟さん、 事務局の方に対し、この日の演奏を共有することができたことへの感謝の気持ちとともに、長期に渉り、演奏会を継続して実現させていることに対する敬意を改めて 表することで感想を終えたいと思う。 (2013.7.14公開)

2013年7月7日日曜日

マーラーとドストエフスキー(2):「白痴」について

マーラーとドストエフスキーの関係が論じられるとき、多くの場合はドストエフスキーの側は「カラマーゾフの兄弟」がその中心となる 傾向にある。そもそも管見では、マーラーの生涯に関する一次文献において「白痴」(ИДИОТ)に言及されることはないようだ。 その一方で、マーラーとドストエフスキーの関係を、例えばフローロスが第3交響曲と「カラマーゾフの兄弟」の第2部第6篇3章のゾシマの説教と 関連づけて論じるように、いわゆる思想内容の水準で捉えるのではなく、様式上、ドストエフスキーの小説とマーラーの音楽との間に見られる 類似性について論じようとしたとき、何故か今度は「白痴」が参照される場面にしばしばぶつかることになる。

その嚆矢は何と言っても、マーラーに関するアドルノのモノグラフの第4章だろう。"Romanhaft ist die Kurve, die sie beschreibt, das sich Erheben zu großen Situationen, das Zusammenstürzen in sich. Gesten weden vollführt wie die der Nastassja des Idiioten, welche die Banknoten ins Feuer wirft ;"(Taschenbuch版全集13巻, pp.217-8)のように、「白痴」の第1部の終り近く、ナスターシャの名の祝日の 宴における彼女の行動が持ち出される。勿論、参照されるのは「白痴」だけではなく、上記引用の後ではバルザックもまた参照されるのだが、 既に先行する部分において、マーラーがシェーンベルクの弟子達に向かってドストエフスキーを勧めたところ、ヴェーベルンがストリンドベリを挙げて 応答したという有名なエピソードが参照されていることもあり、「小説」というタイトルを持つこの章における範例としてアドルノがドストエフスキーの 小説を念頭においているのは疑いない。

マーラーの作品に対するドストエフスキーの影響を主題とした論文で最も著名なのは、Inna Barsovaの"Mahler und Dostojewski"だろう。 近年では、Julian Johnsonが2009年のモノグラフ"Mahler's Voice"のとりわけ第6章"Ways of Telling"において、上記の Barsovaの論を受け、内容面よりは寧ろ様式の面でのマーラーとドストエフスキーの共通性を取り上げ、バフチンの「ポリフォニー」を参照しつつ論じているが、 ここでも参照されるのはドストエフスキーの他の小説ではなく「白痴」なのである。もっともここでもアドルノの上記モノグラフは同様に参照されている (まさに上記引用部分を含む一節が英訳で引用されている)わけで、従ってアドルノが「白痴」を参照していることが、ジョンソンがここでの専ら「白痴」に集中して 参照を行っている理由の一つにはなっているのだろう。実際、実に注にして5箇所が様々な特徴づけの範例として参照されているのである。 ((1)第2部の終りでのエパンチン将軍夫人のムイシュキンとのやりとり、(2)第2部5章のムイシュキンの不安に苛まれた内的独語、 (3)第2部9章のブルドフスキーの出生に纏わる事実が明らかになった後のブルドフスキーの取り巻き達のやりとりとそれに続くエパンチン将軍夫人の激しい批難の言葉、 (4)第1部6章、ムイシュキンがスイスで療養していた時期に出逢ったマリーという娘の死に至るまでの物語、(5)第3部7章のムイシュキンのスイスでの療養中の頃の回想)。

ドストエフスキーの小説とマーラーの音楽の様式的な共通性については、まさにバフチンのポリフォニーの概念を中心として、 別のところで既に書いているので繰り返さないが、アドルノやジョンソンの指摘は実際の読書経験・聴体験に照らして、十分な説得力を有するものであると 思われる。とはいうものの、こと「白痴」に関して言えば、私はマーラーの作品や同じドストエフスキーでも「カラマーゾフの兄弟」のような長期に 渉る繰り返しの聴取・読書により、すっかりその内容が自分の中に収まっていると言いうるような経験の蓄積を持っているわけではない。 30年以上前に「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来、「白痴」もまた何度か読もうとしながら、とうとう読むことができずに来て、ようやく つい最近になって、ふとしたきっかけで読むことができたに過ぎないのである。(ちなみにドストエフスキーの作品で私が読んだことのあるのは 「カラマーゾフの兄弟」と「白痴」の2つのみであり、私はドストエフスキーの愛読者というわけではない。)

最近になってようやく「白痴」を読むことができた理由の一つは、近年出版された望月鉄男訳(河出文庫)に因るところが大きい。世間的には 寧ろ「カラマーゾフの兄弟」こそ、亀山訳がベストセラーになってことで大いに話題となり、宝塚歌劇団で取り上げられたり、読み替えをした上で、 テレビドラマ化までされたようだが、別のところで述べた通り、私は亀山訳に関しては、その問題点を指摘する側に明確に与する考えでいる。 だが、思えば私がかつて「カラマーゾフの兄弟」を読みことができたのは、当時文庫版として新刊された原卓也訳に因るところが大きいのだから、 やはり良い訳が手に入ることの意義は決して小さなものではないということが、「白痴」に関しても、改めて確認されたということなのかも知れない。 というのも望月訳で読了した後、従来手に取りながら読めずにいた木村浩訳(新潮文庫)を通読して比較してみて、後者には少なからぬ 問題があり、そのために抵抗感なく読むことができないことがわかったからである。引っかかった箇所に付箋を付けながら読み進めるたのだが、 付箋の数は上下2巻で100を超えた。流れが悪い部分には一ページに何箇所も引っかかる場所が出てくるといった頻度であり、今回も先行して 望月訳を読んだ後でなければ読み通せなかっただろうと思う。ちなみに木村訳に関してもう一つわかったのが、先行する訳のうち、小沼文彦訳 (筑摩書房・個人全集)に非常に似ているということである。もっとも訳文の比較検討を目的で読んでいるわけではないから、翻訳の比較に ついてはこれくらいにしておく。

「白痴」は極めて印象的な鉄道の描写で始まる。のみならず鉄道は、作品中の「批評家」的=道化的機能を担う重要な 脇役の一人であるレーベジェフの「黙示録」解釈によれば「ニガヨモギの星」に他ならず、時代の精神的な風潮を象徴する 存在にすらなっている。その一方、マーラーの伝記においても鉄道は当たり前のように出て来て、ヨーロッパ各地の歌劇場に 勤め、更に頻繁に客演を行った指揮者マーラーの活動は、当時の鉄道網の発達抜きには考えることができない。 「白痴」に関して興味深いことには、マーラーがロシアへの演奏旅行に赴くにあたり、まさに「白痴」冒頭に出てくると思しき、 ワルシャワからペテルブルクに鉄道で移動していることが確認できることである。つまりムイシュキンが故国に戻った径路と交通手段は、 マーラーがロシアを訪問する際のそれでもあった。

一方で、「白痴」には、回想というかたちをとって、ムイシュキンが療養のために 滞在したスイスでの出来事や風景が繰り返し出てくるが、これはスイスでもフランス語圏であるとはいえ、ロシアの地方都市 (スターラヤ・ルッサをモデルとした架空の町という設定)を舞台にした「カラマーゾフの兄弟」と比較して、当時のヨーロッパの 雰囲気を強く感じさせる作品となっている。このことは、そもそも「白痴」はドストエフスキーがロシアを離れてヨーロッパの諸都市を 移動しつつ過した期間に書かれた作品であることを考えれば不思議なことではないし、全編の結末のエパンチン将軍夫人の ラドームスキーに対する言葉に、ロシアを離れて暮らしていたドストエフスキー自身の心境の反映を読み取ることもできるように感じる。

また「白痴」においては、これもドストエフスキー自身が目にしたヨーロッパの美術作品が大きな役割を果たしている (その最たるものが、ホルバインの「イエス・キリストの屍」だろう)のは良く知られていることである。一方、音楽の方はと言えば、 「白痴」の主要な舞台の一つである、ペテルブルク近郊の別荘地パーヴロフスクの駅の大広間において、オーケストラによる コンサートが催されるという記述がある。ここのオーケストラは実は非常にレベルの高いもので、ヨハン・シュトラウスが1856年 以降ロシアを訪問する度に客演し、或いはグリンカ、チャイコフスキー、アントン・ルビンシュタインの新作初演も数多く行っていて、 その時代のロシアの音楽の中心地の一角を占めていたらしい。マーラーがロシアを訪れた際にこのオーケストラに客演したという 記録は残念ながら見出せない(Inna Barsovaの"Mahler and Russia"によれば、マーラーのロシア訪問は3度、1897年にはモスクワ、 1902年と1907年にはペテルブルクを訪問し、1902年には現在のフィルハーモニーの奏楽堂にあたるホールで、 1907年には音楽院の大ホールで、いずれもマリインスキイ劇場のオーケストラを指揮している)が、時代設定上、 マーラーが活躍した時期には若干先行するとはいうものの、マーラーの少年時代よりも遡るわけでもなく、総じて マーラーの生活空間と「白痴」の物語の空間は密接に繋がっていると言えると思う。

上で言及したBarsovaの論文にもあるとおり、1902年3月にマーラーとアルマが結婚した直後の、いわゆる新婚旅行先が ペテルブルクであったことは、その旅の印象がアルマの回想にかなり詳しく出てくるから良く知られていることと思われるが、 そこでのペテルブルクの風景は1902年のそれだから、「白痴」の時代(1860年代末)からは30年近く後のことになる。 更にはドストエフスキーを誰も知らないことへの驚きをもアルマは記しているものの、裏を返せば彼らにとってペテルブルクという街は ドストエフスキーの作品中の印象と分かちがたく結びついていたことを証言していると考えることもできるだろう。

4部からなる「白痴」は、確かにジョンソンやアドルノの指摘の通り、極めてポリフォニックに、しかもマーラー的な意味合いでポリフォニックに 書かれている。しかも第1部の緊密さと、全体がそこに向けて設計されている第4部終結部に比べると、第2部、第3部と 第4部の前半には、いわゆるエピソード的な場面や、一見すると本筋からの逸脱にしか見えない長大な副筋の挿入があり、 譬えて言えば、非常に遠心的な構造を持った、4楽章からなる交響曲を聴いているような感じがする。 エピソード的とはいえ、第3部にある有名なイッポリートの「弁明」は本筋と関連を持つ重要なものだが、例えばイヴォルギン将軍の長大な 法螺話、あるいは第4部のレベージェフの財布に纏わる騒動などは全体の中で必ずしも有機的に機能しているとは言い難いように感じられる。

まるでマーラーの第6交響曲におけるハンマーの打撃のように、ムイシュキンの癲癇の発作の2回の再発が、そこで流れが切り替わる 緊張の頂点におかれるように設計されているが、1回目がロゴージン宅訪問後にムイシュキンがネヴァ河のほとりを彷徨いながら 内的独白を繰り広げ、不安が高まった頂点のところ(第2部5章)で、その不安の潜在的な原因であったロゴージンの殺意が現実の行為となる 瞬間に発生しており圧倒的なのに比べると、2回目を準備する夜会でのムイシュキンの長大なスピーチ(第4部7章)は、設定された性格付けを 逸脱しているわけでもなく、不自然なわけでもなく、そしてそれ自体意図された部分があるにせよ、どこか上滑りした感じがあって、 読んでいて気持ちが良いものではない。同様のことが第3部5章でのイッポリートの「弁明」(МОЕ НЕОБХОДИМОЕ ОБЪЯСНЕНИЕ)に ついても言うことができて、やはりこちらも意図した効果という側面はあるだろうが、全体として筆の凄まじいばかりの勢いを 感じることができる一方、その勢いが余ってしまった感がある部分が無きにしも非ずといった印象が拭い難いのである。

「白痴」が、当初の構想から大きく変わって現在のものになったことは膨大なノート(これは米川正夫訳の全集には一緒に収められている)に よって窺い知ることができるようだし、締め切りに追われて大急ぎで書かれ、それでも最後は間に合わずに、年を越して臨時増刊と いう形で掲載を終えたという事情も良く知られているようだが、上述のような印象には、そうした事情を窺わせる側面がないではない。 ただし特に私の場合、比較の対象が「カラマーゾフの兄弟」になるために分が悪いという面があり、実際、これだけの長さの小説を続けて 2回通読するというのは、これまた「カラマーゾフの兄弟」以来の事であるから、あくまでもこうしたコメントは一定の評価の上でのものでは あるのだが。実際それは、マーラーの交響曲同士を比較した場合に、一部の作品にある或る種の座りの悪さと似た性質のもので、 実のところそうした一見すると欠点にすら見えかねない特徴は、その作品の個性や魅力と不可分のものであることを思えば、こうした批判は ある意味ではないものねだりなのだろう。

だがその一方で、ドストエフスキー自身、この作品に「カラマーゾフの兄弟」と並んで強い愛着を示しつつ、この作品については、 書きたいことを十分に書きおおせていないという感覚は持っていたようだし、私見では、「白痴」において探求され、作中で明確に 目配せさえされたにも関わらず、結局到達できなかった事柄というのが確かにあって、その探求は「カラマーゾフの兄弟」において 再び試みられたと私は考えている。そのことは類似したキャラクターを備えた「白痴」におけるムイシュキンと「カラマーゾフの兄弟」に おけるアリョーシャの違い、特に両者における「決定的な瞬間」の到来の仕方の違いに現れており、「白痴」においては、 ある意味では自然主義的に、例外的な「瞬間」の時間性は決して持続せず、いわば弁証法的にその頂点において反対物に 転化する構造を備えていて、それゆえにムイシュキンはどこにも辿り着くことがないのだが、アリョーシャにおいては、 それはやはり極限的な経験が契機になっているとはいえ、不可逆で永続的なもの、少なくとも有限の生命を持つ人間の 尺度において、その後一生持続するような変化たりえている。ムイシュキンとアリョーシャの対応関係みならず、全般として 「白痴」の登場人物は、「カラマーゾフの兄弟」の登場人物の持つ特徴や性格を別の仕方で分配し直したような雰囲気を 備えているように感じられる。実はこのあたりもまた、マーラーの交響曲間の関係に近いものがあるように思われるが、 いずれの場合においても、その分配の仕方の違いが、そのまま結果の違いに結びついているような感じがある。 (ちなみにここでいう結果の違いは、作品の価値の優劣とは独立の問題であるし、作品の出来ともまた異なる固有の 次元を備えている。)

既に述べたように、イッポリートの「弁明」はメインのプロットに対しては明らかにエピソード的ではあるものの、 メインのプロットを批評する視点を提供している点で、その重要さは明らかである。しかし同じ批評的な視点でも、 特に第4部におけるラドームスキーのそれとは異なって、幾つかの重要な論点が未整理で、いわば開かれたままになっている 印象は拭えない。例えばイッポリートがムイシュキンの言葉だとして引用する「温順こそ恐るべき力だ」(смирение есть страшная сила)という言葉は、 そのように引用されるものの、病のせいか、時間の切迫のせいか、些か脈絡を欠く傾向にあるイッポリートの「弁明」と それの朗読を巡っての言説の中で展開されることはない。ムイシュキンに帰せられる「世界を救うのは美だ」 (что мир спасет красота)という言葉もまた、奇妙に宙に浮いたままである。更に後者に関しては、アグラーヤの次姉で絵描きの素養のあるアデライーダが ナスターシャの写真を見た時に述べた「これほどの美しさは力だわ、、、こんな美しさがあれば世界をひっくり返すことだってできるわ」 (Такая красота - сила ... с этакою красотой можно мир перевернуть!) という言葉(第1部7章)との関係もあり、更に加えてまたしてもイッポリートが ラドームスキー同様にムイシュキンを批判するにあたり持ち出す「キリスト教徒的」な心との関係もあるのだが、 それらが明らかにされることは少なくとも作品中においてはないように見える。

後の「カラマーゾフの兄弟」からの展望において、 「白痴」という作品の風景というのは、どこか歪んだものに映る。だが作品はその歪みに忠実であり、それゆえ結末は 悲劇となる他ない。ムイシュキンがナスターシャの写真に見出した「美」は、この陰惨な作品のそれでもあるかのようだ。 それは「世界を救う」ものではなかったのか。それともまたもやアドルノ風に、それもまた最早仮象として、不可能なものと してしか顕れることのできないものの垣間見せる光芒に過ぎないのか。にも関わらず、小林秀雄のようにムイシュキンに 不気味さを、或る種の魔性を見出すのは、結局のところ見当はずれでしかない。ましてやムイシュキンを悪魔呼ばわりする 解釈は論外である。そうした見解は、自分の見たいものを作品に押し付けているだけなのだ。小林秀雄は、よりによって ロゴージンの書斎の部屋にかかるカーテンの色を見間違え、更にはホルバインの絵のある部屋と混同して憚らない。 しかも一度ならず、四半世紀の時を隔てて二度までも。だが、それは彼の空想の裡の風景であって、それは「白痴」という 作品の持っている歪みとは別のものなのだ。

さりとて一方で、ムイシュキンの内面を描写することを作者の失敗と断罪し、 神秘のヴェールを被せておけば良かったなどという議論も、作者の意図を全く蔑ろにし、その企図の困難を嘲笑する ものでしかない。ムイシュキンの「憐み」をトーツキーの「プチジュー」における彼自身の「遊び心から出たいたずら」と等価な ものと見做し、トーツキーの「プチジュー」がムイシュキンの行動の先取りであるというような解釈(それは、第1部だけで も十分であるといったような判断に繋がっているのだが)もまた、この物語の結末の意味合いを根底から腐食させ、 損ねる類のものである。そうした解釈は当然に、ナスターシャに対する全面的な無理解と表裏一体の関係にある。 「カラマーゾフの兄弟」においても、アリョーシャを真犯人に仕立ててみたり、スメルジャコフの真の父親をグリーゴリイと 断定するような解釈があるらしいが、「白痴」においても解釈の恣意と、作者の意図の蹂躙は留まることを知らないようである。 勿論、時には「生産的」な誤読というのもあるのかも知れないが、ここでの問題は、いずれの解釈にしても解釈者が 自説の奇抜さを誇るくらいが関の山で、些かも生産的ではないことだ。もっとも似たような事情はマーラーの場合でも しばしば見かけることであり、だから別段驚くべきことではないのかも知れないが、さりとて、それを黙過するわけには行くまい。 マーラーについて不徹底ながら同じ理由でやってきたことを、「白痴」という作品についてもやるべきなのかも知れない。

ドストエフスキーは「白痴」を書くにあたって、セルバンテスのドン・キホーテをキリスト教文学にあらわれた美しい人びとの中で、 もっとも完成された人物と見做していたらしい。実際に書かれた「白痴」のテキスト中では、ムイシュキンがアグラーヤに宛てた 手紙をアグラーヤが挟み込む分厚い書物が、意図せずして「ドン・キホーテ」であった(第2部1章)という仕方で言及されるだけで、 直接にはプーシキンの「貧しき騎士」(рыцарь бедный)が作中に埋め込まれて重要な機能を果たすことになる(第2部7章)。それ以外では、 上でどこか上滑りした感じがあって、読んでいて気持ちが良いものではないと書いたムイシュキンの長広舌の一部が 「ドン・キホーテ」のエピソードの一つに基づくものであることが創作ノートによって確認できるようである。マーラーの愛読書でも あった「ドン・キホーテ」の主人公が「美しい人」であるとするならば、それを「美しい人」の屍を描いたホルバインの絵と、 「世界をひっくりかえす力」を備えたナスターシャの写真の「美しさ」と、更には「謎である」とムイシュキン自体が規定した アグラーヤにおける「美」も併せて一貫したパースペクティブに収めなくてはならないだろう。 それは更に、森有正の「ドストエーフスキーが最も深く、人間現実を その非現実性に接する域に突入するまで、掘下げた作品であって、爾余の諸大作群の、いわば、形而上学的基礎工作を なしている、とさえ言うことができると思うのである。「白痴」は、その外面的不統一と静穏さにもかかわらず、最も深い 内面的運動の原理を蔵するものであるということができる」(「ドストエーフスキーにおける「善」について」) という認識の下、「温順こそ恐るべき力だ」(смирение есть страшная сила)という言葉と、 「世界を救うのは美だ」(что мир спасет красота)という言葉を、あの悲劇的な結末の下に おいてみる企てに通じることになるだろう。そしてそれは森有正が主題として扱った「善」と、「美」との関係をも闡明するもので なくてはならないだろう。

これらの事柄は、さしあたり「白痴」という作品固有の問題に見えるが、実はその射程は遠く、マーラーの音楽の観相学にも 及ぶのではなかろうか。アドルノもジョンソンも「白痴」に言及するときには、いわゆる「語り方」の次元に焦点を当てていた。 だが、語り方を離れた内容についての議論同様、「語り方」に終始する分析もまた、マーラーの音楽が語ることを、そしてまた 「白痴」という作品が語ることを、そのベクトル性の深さにおいて闡明することはできない。実のところ、アドルノがまさに ナスターシャが10万ルーブリの札束を火に投じる場面を参照したのは、マーラーの音楽の、一般に「小説的」と呼びうる 特質を例証するためだけに過ぎなかったと考えることはない。そこでマーラーのどの作品のどの部分が鳴り響いているのかを 言い当てることが出来るのでなければ、アドルノのこの観相は空虚であろうし、マーラーの音楽が持っている力、上述の森有正の 「白痴」についての評言にも通じる「最も深く、人間現実をその非現実性に接する域に突入するまで、掘下げた」、 「形而上学的基礎工作をなしている」作品の、「最も深い内面的運動の原理を蔵するもの」のみが備える力を 捉え損なってはならないのであってみれば。(2013.7.7)

マーラーとドストエフスキー(1):「カラマーゾフの兄弟」について

マーラーがドストエフスキーの熱心な読者であることは様々な証言によって伝えられていて、良く知られたことと言って良いだろう。 マーラーの読書の傾向については別のところでも触れたが、哲学や自然科学に関してはプラトンやカントといった古典のみならず、 ショーペンハウアー以降、同時代のフェヒナーやロッツェ、エドゥアルト・フォン・ハルトマンといった最新のトレンドに敏感であったのに対して、 文学においては全般として古典に傾き、エウリピデスから始まってシェイクスピア、セルバンテス、スターン、ドイツ語圏においても 同時代の作家よりはジャン・パウル、ホフマン、ヘルダーリン、そして何よりもゲーテを愛読している中で、主要作の最初のドイツ語訳が 作者が没した直後の1882年から1890年にかけて行われていったドストエフスキーについては概ね同時代の文学作品の中では 例外的ともいえる熱中を示しているように窺える。

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マーラーに最初にドストエフスキーを紹介したのはジークフリート・リーピナーであったようだが、リーピナーの最初の妻(ただし 1891年に離婚)であったニーナ・ホフマン=マチェンコはドストエフスキーの研究者であり、1899年にドイツ語では初の ドストエフスキーの伝記、"Ph. M. Dostojewsky. Eine biographishche Studie"を執筆している。彼女はまた、 マーラーの若き日の友人、フリードリヒ・レーア夫妻とも交流があり、マーラーはレーアを通じて知己をえるようになったことが 書簡等から窺える。ニーナはマーラーのみならず、弟のオットーもまた親交があったのだが、そのオットーが「自分の入場券を返す」と いって1895年2月6日にピストル自殺をしたのはニーナの住まいでのことであったらしい。この「自分の入場券を返す」という表現は、 明らかに「カラマーゾフの兄弟」(БРАТЬЯ КАРАМАЗОВЫ)中のイワンの言葉(第2部第5編「プロとコントラ」(Pro и contra) 4章「反逆」(БУНТ)の「だから俺は自分の入場券は急いで返すことにするよ。正直な人間であるからには、できるだけ 早く切符を返さなけりゃいけないものな。俺はそうしているんだ。俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、 ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」 (訳は新潮文庫版の原卓也訳に従う、以下同じ。) "И если только я честный человек, то обязан возвратить его как можно заранее. Это и делаю. Не бога я не принимаю, Алеша, я только билет ему почтительнейше возвращаю.")を意識したものだろう。 (ちなみにピストル自殺といえば、「白痴」の登場人物で、「わが不可欠なる弁明」を読み上げて後、ピストル自殺未遂を 起こしたイッポリートのことを思い浮かべずにはいられない。)

ブルノ・ワルターもまた、マーラーにとってドストエフスキーが重要な存在であったことの証言者の一人であり、ハンブルク時代にマーラーの 家を訪れたおり、マーラーの妹のエマから、「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」(ВЕЛИКИЙ ИНКВИЗИТОР)の 部分に関して、アリョーシャとイワンのどちらが 正しいのかと聞かれたというエピソードを記録している。のみならず、マーラーについての回想("Gustav Mahler : ein Porträt")の中でも「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャとイワンの 対話への言及がある("In dem Gespräch des Ivan mit Aljoscha aus den Brüdern Karamasoff finden wir im Grunde den vollen Inhalt dessen ausgedrückt, was ich Mahlers Weltleid nannte.", Florian Noetzel Verlagの Taschenbücher zur Musikwissenshaft版ではp.107)。アルマもまた回想において、Mahlers Dostojewsky-Verbundundenheit hieß ihn oft und oft aussprechen : "Wie kann man glücklich sein, wenn ein Geschöpf auf Erden noch leidet!"(1949年版ではp.31)と述べている。ただしアルマの 言及は、こうした言葉が自己中心的であったり利己的であったりする人間により語られるものであり、マーラーもまたこうした考えを 実践しようという決意は持っていたことは認めても、つねに身をもって実践したとはいえない、という痛烈な批判のトーンを帯びた ものであることに留意すべきであろう。これ以外にもアルマは後年、晩年のマーラーとアメリカに滞在した折、ナイヤガラからの帰途に 「カラマーゾフの兄弟」を読んだことが書簡から窺えるが、リーピナーのグループに対する反感もあってか、上述のオットーの自殺に ついて言及する時も含め、マーラーのドストエフスキーに対する関係への言及には屈折した心境が感じられることが多い。 例外は1902年3月にマーラーと結婚した直後に新婚旅行を兼ねた演奏旅行で訪れたペテルブルクの印象を記録した部分で、 そこでは没後20年ほどにしかならないドストエフスキーの名を知る人がほとんどいないことへの驚きが記されている。

一方で、マーラーの作品に対するドストエフスキーの影響についてもまた、様々なことが言われている。最も著名なのは、Inna Barsovaの 論文"Mahler und Dostojewski"だろう。近年では、Julian Johnsonが2009年のモノグラフ"Mahler's Voice"(Oxford University Press)の とりわけ第6章"Ways of Telling"において、Barsovaの主張を受けて、内容面よりも寧ろ様式の面におけるマーラーとドストエフスキーとの 共通性を、バフチンの「ポリフォニー」を参照しつつ論じており、これは非常に興味深い。 一方で内容面・思想面での、しかも「カラマーゾフの兄弟」の影響ということでは、Constantin Florosが第3交響曲の第6楽章の 後に撤回されることになった1895/96年の構想における「永遠の愛」を「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老の説法(第3部第6篇 「ロシアの修道僧」(Русский инок)3章「ゾシマ長老の法話と説教から」(ИЗ БЕСЕД И ПОУЧЕНИЙ СТАРЦА ЗОСИМЫ)と 関連付けているのが良く知られているだろう(Constantin Floros, "Gustav Mahler I : Die geistige Welt Gustav Mahlers in systematischer Darstellung", p.66)。だがこちらは何しろ撤回された標題に纏わる議論でもあり、マーラーの側の裏付けが乏しいこともあって、 その説得力については意見が分かれるだろう。これ以外にも、初期交響曲の理解においてドストエフスキーが重要であるというシュペヒトの意見が あるし、日本では田代櫂さんが近年出版されたマーラー評伝中で「カラマーゾフの兄弟」に一節を割き(「グスタフ・マーラー 開かれた耳、 閉ざされた地平」の第5章「ハンザ都市」中の「カラマーゾフの衝撃」の節, pp.127-131)、その中で「カラマーゾフの兄弟」の 第1部第2編「場違いな会合」(Неуместное собрание)3章「信者の農婦たち」(ВЕРУЮЩИЕ БАБЫ)に現れるテーマと マーラー作品のテーマとが共通していると指摘している。

マーラーとドストエフスキーを巡るエピソードとしては、マーラーがシェーンベルクとその弟子達に対して、ドストエフスキーを読むことを勧めた折、 ヴェーベルンが、自分達にはストリンドベリが居ると返答したという件もまた有名だろう。このエピソードはマーラーと後続の表現主義の世代との ギャップを証言するものとして語られることが多いようだが、それが世代という環境によって規定されたものであるかどうかに関わらず、 なおかつ、時代の違い、文化的背景の違いの中で、マーラーとドストエフスキーが形作る星座のみはその構造を大きくは損なうことなく、 維持され続けているように思われる。もっとも私の場合には、ドストエフスキーの側については、熱心な読者とは言いがたい。なぜなら、 30年以上にわたって、何回となく読み返してきた結果、細かいエピソードやちょっとして描写の類まで頭に入っているという点でマーラーの 音楽と共通している「カラマーゾフの兄弟」を除けば、唯一「白痴」を、しかもごく最近になってようやく読み通すことができただけなのだから。 だがしかし、こと「カラマーゾフの兄弟」に関して言えば、内容面と様式面の両面において、それがマーラーの音楽と際立った親和性を持って いるのは疑いないことのように思われる。マーラー(Mahler)が絵描き(Maler)でカラマーゾフ(Карамазов)が「染物屋」(красильщик) (実際、ミーチャがこう呼ばれる場面が、第3部第8篇「ミーチャ」(МИТЯ)2章「セッター」(ЛЯГАВЫЙ)に出てくる)という類縁性が あるからというわけではなく、その作品の構造と内容の両面において、 私にとっては、マーラーの音楽も「カラマーゾフの兄弟」も同じ精神的な圏に属しており、両者は同じ問題、しかも私にとってのっぴきならない 重要性を帯びている問題を巡っての偉大なる先蹤なのである。

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「カラマーゾフの兄弟」がロシアで発表されたのは、1881年に没したドストエフスキーの晩年の1879年から1880年にかけてのことであるから、 マーラーと、あるいはドストエフスキーと接する時と距離は現在の我々のそれとは全く異なったものであっただろう。そしてそうした事情は勿論のこと、 私がマーラーに出逢った30年以上前においても変わりはなかったのだが、それでもなお、マーラーとの出逢いとほぼ時を同じくして 「カラマーゾフの兄弟」にも出逢ったのはまさに僥倖というべき出来事だったと思う。 今なお版を重ねている新潮文庫の原卓也訳の「カラマーゾフの兄弟」が出版されたのが丁度そのころ(奥付によれば、初版は 昭和53年7月20日)であり、私はその初版を買って以来、マーラーの音楽を聴き続けるとともに、「カラマーゾフの兄弟」を何度となく 読み返してきた。マーラーの場合には一時期一旦、全ての文献を処分してしまったことがあるのに対して、「カラマーゾフの兄弟」の方は そういうことはなかったのだが、さすがに四半世紀の時を経て、紙はすっかり茶色く焼けてしまい、カバーも破けて何時の間にか なくなり、背中が傷んで一部のページが外れてしまったりして読書に耐えなくなったため、つい3年程前に意を決して買い換えをした。 ところが入手できたのは平成16年に改版され字が大きくなったかわりにページ数が増えた版であった。何度も読んだために 何がどのページのどのあたりにあるかまで記憶してしまったこともあり、改版されてページ割が変更されたことに対する違和感が 大きく、結局古書で平成8年辺りの比較的状態の良い版を手に入れることになり、更にまた新潮世界文学の1巻として収められた 2段組の一巻本(1000ページ近い)も手に入れて、現在は3種類を必要に応じて使い分けている。(ただし厳密に言うと、 新潮世界文学に収められた版は文庫版よりも古く、訳文には若干の差異がある。)

「カラマーゾフの兄弟」の翻訳と言えば、数年前に出た新訳が夥しい誤訳を含むものであるのみならず、その翻訳が、放恣な想像力を 行使した奇妙な解釈を背景としたものであることが話題になったことがあった。私がその誤訳の実体を知ったのはごく最近のことなのだが、 実情を知るにつけ、マーラーを取り巻く状況との並行性を感じずにはいられなかった。誤訳を具体的に提示する作業を、莫大な労力を 惜しまずに行い、その結果をWebで公表して世に問うた方々に対して大きな敬意を抱くとともに、共感を抱いている。 私自身はあくまでも自分自身の備忘のために、マーラー文献の誤訳から始まって、伝記的事実や写真等の記録、出版譜に関するものなど、 色々な分野で不正確な情報に出逢うたびに記録してきたに過ぎず、推敲する時間すら取れないうちに次々とそうした発見があって、 結果として何時の間にやら膨大な量になってしまっただけなのだが、そうした不充分なものであっても敢えてwebで公開しているのは、 偏にプロの研究者ではない私と同じような市井の愛好家で、私と同じような関心や疑問を抱く方々にとって、少しでも同じ調査を する手間を省くために公開しているのであり、それ以上のものではない。実際には目に余る酷い翻訳もかなりあるのだが、 個別に指摘するだけの時間的な余裕もないから、個人的な見解として自分が見つけたものを報告しているに過ぎず、 遥かに不徹底な仕方ではある。それでもなお、自分にとって別格の小説であり、マーラーとも因縁浅からぬ「カラマーゾフの兄弟」を 巡ってそうした営みが為されていることを知って、それに対する支持の気持ちを表明する必要を感じ、マーラーの誕生日に因んで このように取り上げた次第である。

マーラーの音楽は必ず演奏行為によってリアライズされなくてはならず、聴き手は演奏者の解釈のフィルターを介して聴かざるをえないのに対し、 ドストエフスキーの小説はロシア語原文を読む限りは、そうした問題はない。だが、日本語に翻訳するとなれば、そこには訳者の基本的な語学力、 原作の置かれた文化的・社会的文脈についての知識、そして訳者自身の読解といった諸条件が介在することになる。一見すると言葉の壁がない分、 閾が低いかに見える音楽についても、時代と場所(文化的・社会的な「場」を含めて)の隔たりは実際には厳然としてあるのであって、 寧ろ一見透明に見える分、音楽の方が厄介かも知れない程である。それゆえ「カラマーゾフの兄弟」の誤訳を巡る論争は、今日の 日本におけるマーラー受容にとって、決して他人事とは言えない。1910年代(だからマーラーの没後間もなくの時期にあたる)の 米川正夫訳以来、数多くの訳者による翻訳の試みの蓄積を経て、利用できる情報において圧倒的に優位にあるはずの 「カラマーゾフの兄弟」の最新の翻訳と、その背景にある解釈が大きな問題を孕んでいるという事態は、メンゲルベルク、フリート、 ワルターやクレンペラーの世代から始まって、LPレコード、CDの発達もあって膨大な演奏の録音の蓄積を経ているはずの 今日のマーラー受容の姿と否応なく重なって見えてくる。それでもCDで安価に交響曲全集が入手できるようになったマーラーの場合と異なって、 「カラマーゾフの兄弟」においては、私が幸運にも最初に読んだ原卓也訳のみならず、江川卓訳(集英社)、小沼文彦訳(筑摩書房)、 池田健太郎訳(中央公論社)といった優れた訳業が存在するのだが、これらの訳を入手すること自体困難なようであり、 その一方で、問題のある新訳がブームと呼べるほどの売れ行きを示す現実にはうんざりさせされる。幸い私は上掲の翻訳については 全て手元にあって参照ができるし、その一方で、ロシア語原文、仏訳、独訳、西訳、英訳は電子テキストの形でインターネットを 介して入手できて手元にあったりする現実があり、こちらはこちらで、著作権の切れた初期の出版譜がWebで無償で入手できるようになり、 インターネットを経由して海外の古書店が在庫している文献を検索して取り寄せることができ、近年では図書館が、やはり 著作権の切れた古い文献から順次、デジタル化を進めているというマーラー周辺の事情と同じく、ネットワーク環境の変化の 恩恵を受けているわけである。

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ドストエフスキー側の研究については大した情報収集もしていないこともあり、直接マーラーに触れたものは確認できていないが、その中では ゴロソフケルが「カラマーゾフの兄弟」の第2部第5編「プロとコントラ」とカントの「純粋理性批判」の4つのアンチノミーを突き合わせる試み (木村豊房さんの訳で「ドストエフスキーとカント」という題名でみすず書房から出版されている)が興味深い。 マーラーが「純粋理性批判」を筆頭としたカントの著作に親しんでいたことや、上述のエマのワルターへの問いに関わる部分がまさに 主題的に扱われていることもあり、この研究は、マーラーの側からも注目に値するように思われる。 ゴロソフケルが「カラマーゾフの兄弟」に見出したカントの「純粋理性批判」のアンチノミーと、 解決できない問題を問わずには居られない理性の宿命、更には実践理性や構想力/想像力の問題は、まさにマーラー自身の 問題意識と重なる部分があるのみならず、ことマーラーの場合に限って言えば(というのも、本人にとっての問題が作品にそのまま 現れるのは必ずしも自明ではないし、寧ろその点でマーラーは例外に属するといっても良いかも知れないからなのだが) その音楽を通して問い続け、聴き手にも問いかけた問題と核心において通じていると思われる。今日においては カントのアンチノミーなど、それ自体がアナクロニズムであるとする向きには、恐らく、マーラーの音楽もまたアナクロニズムに違いない。 そしてアナクロニズムであっても仕方ないと私個人としては思わざるを得ない。なぜなら、その問題は別の時代、別の社会を生きる 私にとっても、未解決の問題であり続けているし、少なくとも私が生きる間には展望が一新されることはないだろうと考えているからである。 そういう意味では、私を含む現世代は未だマーラーやドストエフスキーの「エポック」の末裔なのだという認識を私は持っている。

それゆえ、「カラマーゾフの兄弟」とマーラーについては、いずれ必ず稿を改めて自分の考えを整理し、それをWebで公開すべきであると 考えている。もしかしたら、将来のある時点に、例えばカーツワイルのような論者が語る「技術的特異点」が到来し、意識の在り方が、 人間の定義が、観念と物質の関係が変わってしまうことがあるかも知れない。三輪眞弘さんが「感情礼賛」のカバーストーリーに記したように、現在が 回顧されることがあるのかも知れない。だが、それはもし到来するとしても、もう少し先の事であって、それまでは「カラマーゾフの兄弟」とマーラーが 提起した問いはなくならないし、それを各自が受け止め、自分に出来る仕方で継承していくしかないのだろう。

私がここで問いに対する導きとして考えている「カラマーゾフの兄弟」の箇所というのは、しかし、大審問官でもゾシマの説教でもない。そうではなくて、 「カラマーゾフの兄弟」という作品のまさに折り返し点、構造的な扇の要に位置している第3部第7編「アリョーシャ」(АЛЕША)の4章 「ガリラヤのカナ」(КАНА ГАЛИЛЕЙСКАЯ)の末尾の部分である。それは 《ほかの世界に接触》"соприкасаясь мирам иным"する瞬間、マーラー論の文脈で強いて対応物を求めるとするならば、 辛うじてアドルノがマーラーに関するモノグラフにおいてその一部を、Druchbruch/Suspension/Erfühllungというカテゴリーによって、 いわば間接的に言い当てたに過ぎない、或る種の時間的な構造、或る種の「極限」、更に言えば、特異点には違いないが、 いわば「奇跡」のような例外的な出来事を経ることなくして可能になるような場面である。 (私はここで「白痴」におけるムイシュキンとアリョーシャの、こうした位相における違いを突き止めようとしていると言うこともできるように思う。 それはそうした例外的な「瞬間」の時間性の差異、決定的な差異であり、それはアリョーシャにおいては不可逆で永続的なもの、少なくとも 有限の生命を持つ人間の尺度において、その後一生持続するものなのだ。)

その瞬間に起きたことを神秘として片付けずに受け止めようとするならば、鍵はその瞬間にアリョーシャの魂に響いた声が語る言葉、 《僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる》"за меня и другие просят"にあるだろう。私見では、かくの如き他者との受動的な 関わりについての分析を徹底的に掘り下げていった先蹤としてのレヴィナスの分析の行き着く果てにおいて、この言葉に、そしてこの言葉が 魂に響いた声によって語られたという事態に、「だれかがあのとき、僕の魂を訪れたのです」"Кто-то посетил мою душу в тот час"と後日 アリョーシャが語ることになった、魂を訪れる「他者」によって語られたという事態に行き当たることになる筈なのである。

だが、それはあくまで仮説的なもの、現時点ではきちんとした論証を伴わない、単なる見通しの提示に留まらざるをえない。同様にして、 それはマーラーの音楽のある瞬間の響きに裡に確かに聴き取ることができるものだが、こちらもまた、未だきちんとした説明ができない単なる 指摘に留まらざるをえない。フローロスのような内容的な指摘は勿論、ジョンソンのようなバフチン的なポリフォニーを援用した一般論な 「語り方」の議論でも不充分だし、「小説」とマーラーの交響曲のアナロジーを論じるのもまた、必要ではあっても十分ではなくて、ここで 問題になっている事態を的確に言い当てるためには恐らくは新しい語彙を鍛造するところから始めなくてはならないだろう。

ちなみにゴロソフケルは「ドストエフスキーとカント」の結びにおいて、「ドストエフスキー自身は「知性の地獄」から脱却できなかったが、 彼はそれでもアリョーシャに託して、未来に対する全人類的な期待---より正確にいえば、この期待への親近感を示そうとした。」(木下訳、 p.167)と結論づけ、まさに私が注目しているのと同じ、第7編第4章の別の箇所「本当の、、、本当の道は広く、まっすぐで、明るく、水晶のようにきらめき、 その果てに太陽があるのだ、、、」 "А дорога... дорога-то большая, прямая, светлая, хрустальная и солнце в конце ее... "を引用して、「読者はこの言葉をもって、 せめてもの慰めにするべきである。」と結んでいる。しかし、私見では、実はその結びは、仮にゴロソフケルの意見を認めてカント的な枠組みにあっては 行き止まりとしての結論であることを認めたとしても、そこが分析の終点であるということではないのであり、寧ろ、そこから分析が始まるべきなのだ。 あえて尚、カントに即して言うならば、「純粋理性批判」ではなく、「プロとコントラ」でもなく、「判断力批判」を、「ガリラヤのカナ」における 《ほかの世界に接触》を、「突破」の契機を出発点にとるべきなのではなかろうか。(そして再び、それは実は既に一度「白痴」において探求され、 作中で明確に目配せさえされたにも関わらず、結局到達できなかった事柄を、別の仕方で取り上げることに他ならないだろう。)

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翻って、例えばマーラーの音楽に纏わる様々な見解についてはどうだろうか。第9交響曲の終楽章に関連して、 非常に些細な、一見したところ取るに足らないとも見做されかねない例を幾つか挙げてみよう。例えば アドルノは第8小節の音型が第2交響曲の第4楽章である歌曲「原光」の引用であることを指摘する "Wie über Äonen kehrt das »Im Himmel Sein« aus dem Urlicht der Zweiten Symphonie zu Beginn wieder." (Taschenbuch版全集13巻, p.307)。 しかしその音型は、「原光」自体の再現において»wird leuchten (mir)«という歌詞でも歌われているのだ。 些細なことかもしれないが、もしかしたら、その些細な差異が、この楽章の時間性についての了解に関する 異なった展望を導くことはないだろうか。

更に続けてKindertotenliederの第4曲の引用についても言及するが、その一方で何故か、ずっと先に 出現する第8交響曲第2部の引用への言及はなされない。 Molto adagio subitoの指示から7小節目のヴィオラの下降音型がそれで、これは第8交響曲の第2部の 練習番号170から171にかけて、かつてグレートヒェンと呼ばれた女が歌う部分の結びの音型と同じである。 第8交響曲のこの箇所は、まさにファウストの復活が述べられる決定的な部分であり、更にこの音型には "neue Tag"という言葉があてられていることを思い起こしていただきたい。その上そもそも練習番号165番から 始まるこのグレートヒェンの歌は、楽章をまたがって、第8交響曲第1部の第2主題"Impre sperna gratia"の 「再現」なのであって、それはマーラー自身が etwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと 記していることからも明確なのである。

勿論、(アドルノもそのようなことを述べているが)第9交響曲の引用は、全て引用であって、従って回顧なのだから、 引用されている等のものとは全く異なる意味付けがされているのだということはできるかも知れない。 だがそれならば、こちらは有名で必ず言及されるといっていい、「子供たちのいる天国」を示唆するとされる、 Kindertotenlieder第4曲の末尾"Der Tag ist schön auf jenen Höh'n"の引用が 実は既に第8交響曲にも現れていること(第1部練習番号22 "firmans"のところ、 第2部練習番号79から4小節目のzurückhaltend "Die ew'ge Liebe"のところ)はどうなのか。つまるところ、 子供の死の歌の子供はまた、第8交響曲の第2部でグレートヒェンとともにファウストの復活を歌う子供達 (Selige Knaben)でもある筈なのだが、或る種のレティサンスによって、彼らだけが、ひいては第8交響曲だけが 恰も別の文脈に置かれようとしているように見える。

第8交響曲のここの部分では、この世では起きようのないこと、寧ろ起きては「ならない」と言うべきかも知れないこと、 「カラマーゾフの兄弟」第5編「プロとコントラ」の「4.反逆」(БУНТ)の章において、イワンがまさに先に引用した 言葉によって拒絶した事態が起きているのかも知れない。アリョーシャですら、イワンの「銃殺か」(расстрелять?)という問いに対して 肯定の返事をしているのだし、イワンとともに、ゲーテのファウストのこの結末を噴飯物として受け付けない人の 気持ちもわからなくもない。名作を地に引き摺り下ろすという意図から出たのではなしに、晩年のゲーテの若き日の 過失に対する悔恨をそこに見出す人もいるだろう。

だが、ゲーテのテキストそのものではなく、マーラーの音楽に端的に接したとき、第8交響曲第2部の音調が、 一見したところ対極にあるかに見えて、そのコントラストが人を戸惑わせさえする次の作品、一般には第8交響曲との間には 越えがたい深淵が拡がっていて、両者の間には端的に連続性はないかのような扱いを受けている「大地の歌」の それに通じるものがあることに気づかせる演奏解釈というのがあることを、私はある種の極限的な状況において 身をもって経験したことがあり、別のところに記録を残している。 また、3.11のために1年遅れで実現した、井上喜惟指揮するジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第9交響曲の 演奏は、一見したところ間に「大地の歌」を挟んで対極的な位置にあると見做されがちな第8交響曲と 第9交響曲が共通した世界認識に基づくものであることを示していることを印象付ける、圧倒的な説得力を 備えたものであり、その記録もまた、別のところで文章として残している。

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一方、ここでは詳述はできないし、その意味をきちんと 測ることも叶わないが、「カラマーゾフの兄弟」の作品については、ドストエフスキーの側から直接「ファウスト」第2部の 終幕に対する暗示的な参照が行われている点を、せめて指摘だけはしておきたい。ゾシマに対してPater Seraphicusと 呼びかけがなされる場面があるのだ。しかもそれは、第2部第5編「プロとコントラ」5章「大審問官」(ВЕЛИКИЙ ИНКВИЗИТОР) において、自作の詩「大審問官」の内容をアリョーシャに語り終えたイワンが、臨終の床にある ゾシマの許に急いで戻るように促す部分で、イワンの口から発せられるのである。「さ、それじゃ、お前の天使のような神父 (パーテル・セラフィクス:原訳文ではルビ)のところへ行ってやれ、だって危篤なんだろう。」(Ну иди теперь к твоему Pater Seraphicus, ведь он умирает; )そしてイワンと別れたアリョーシャはゾシマの僧庵に戻る途で、イワンの言葉を 思い浮かべてこのように自問するのだ。『《天使のような神父(パーテル・セラフィクス)》--こんな名前を兄さんはどこから 持ち出してきたのだろう、いったどこから?』アリョーシャはちらと考えた。『イワン、気の毒なイワン、今度はいつ会えるのだろう… あ、僧庵だ、助かった!そう、そうだ、長老のことか。長老さまがセラフィクス神父なのだ。あの方が僕を救ってくださる… 悪魔から永遠に!』("Pater Seraphicus" -- это имя он откуда-то взял -- откуда? промелькнуло у Алеши. Иван, бедный Иван, и когда же я теперь тебя увижу... Вот и скит, господи! Да, да, это он, это Pater Seraphicus, он спасет меня... от него и навеки!" )

イワンが何故、ゾシマのことをそう呼んだのかを 読者は突き止めなくてはならない。イヴァンはその前のアリョーシャとの対話において、あの「すべては許される」 ("всё позволено")という言葉を巡って、ゾシマの僧庵での「場違いな会合」を思い浮かべていた。ゾシマが イワンの苦悩の本質をあの場で完璧に言い当てたことにイワンは理解し、ゾシマの祝福を受け、その手に接吻した こと(第1部第2編「場違いな会合」5章「アーメン、アーメン」(БУДИ, БУДИ!)を思い出そう。そしてPater Seraphicusが、 この世を早く去った童子たち(Selige Knaben)の救い手、導き手であることをも。ここでは大急ぎで、2つの事実を述べて 後日の検討のための備えとしたい。

まずはドストエフスキーの側から。Pater Seraphicusがアッシジのフランチェスコを指していて、ゾシマがアッシジのフランチェスコに 擬されている可能性があるにせよ、ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」の創作にあたって、「ファウスト」第2部を参照した のは間違いのないことのようだ。というのも「カラマーゾフの兄弟」の創作ノートに、「ファウスト」第2部への言及があるからだ。

次いでマーラーの側から。マーラーがドストエフスキーとともにゲーテの愛読者であったことは良く知られているし、 「ファウスト」第2部もまた、「カラマーゾフの兄弟」を経由せずして、直接読んでいたことは間違いないだろう。 では、マーラーは「カラマーゾフの兄弟」における「ファウスト」への参照に気づいただろうか?証拠はないものの、 逆に「ファウスト」に親しんでいればこそ、気づかなかったということは考えにくいように思われる。ところで、ここに 些か奇妙な事実がある。一般に第8交響曲の第2部は、「ファウスト」第2部の終幕の場をそのまま音楽化したものと 考えられているが、厳密にはそうではなく、ここにも歌詞の省略がある。そして、その省略された部分こそ、まさに Pater Seraphicusが語る部分なのである。だから第8交響曲のパートには、Pater Seraphicusという役は登場 しないのである。もっとも、彼に導かれるはずの、この世を早く去った童子たち(Selige Knaben)の方は、全く 登場しないわけではなく、原文では天使達がファウストの霊を運んで空中の高いところをただよいつつ、 "Wer immer strebend sich bemüht, / Den können wir erlösen; "という重要な詩句を含む一節を歌う 部分の前にある"Hände verschlinget euch"以降の歌を、マーラーは順序を入換えて歌わせているのである。 グレートヒェンとともにファウストの復活を歌うのが、この子供達、洗礼を受けることが出来ずに命を奪われ、 カトリックの教義によれば、地獄の第一獄である辺土(リンボ)に行く運命であった筈の子供達であるのは、 上でも言及した通りである。従って、ここでは、マーラーの側のこのレティサンス、省略が何を意味しているのかが 問われるべきところなのだ。そしてそれは、創作プロセスにおける事象という事実性の水準と、作品そのものの 解釈の水準の両方で問うことができるだろう。だが、ここでは恣意的な臆測を逞しくすることは慎み、 上述の事実の指摘に留め、後日の検討を期することにしたい。

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そういうわけで、「カラマーゾフの兄弟」は、単にマーラーの愛読書であったという伝記的事実のみからは、形式的には マーラーの作品の外部に存在するものと見做さざるをえないが、恐らくはある空間においてマーラーの音楽の内部と 繋がっているような、特異な参照点であり、それゆえ一方の理解は他方に通じているように私には思われる。 それゆえ、これまで30年以上そうして来た様に、今後も引き続き、(ヴェーベルンとは異なって、)マーラー自身の勧めに従い、 ドストエフスキーと、なかんずく「カラマーゾフの兄弟」と、マーラーの音楽の両方ともに向かい合って行こうと思っている。 それによってシュペヒトに従い、初期の交響曲を見直す際の視座が得られるのかもしれないが、それだけではなく、 後期の作品もまた、どこかで通底しているのは確かなことであり、マーラーの生涯を貫く核心部分に関する視座を 得ることさえ可能であると私は考えている。そしてまた例えば、マーラーが第9交響曲に関して述べた、 一見すると謎めいた言葉、それが第4交響曲に通じるという発言の背後にある了解に近づくこともまた、 そうすることにより可能になり、ひいては第4交響曲に対して、従来のイロニーに基づく理解とは異なった 接し方をすることが可能になるような気がしてならないのである。(2013.7.7)

2013年4月28日日曜日

マーラーの音楽が私に語ること:「時の逆流」について

マーラーの音楽を聴く時、一体何が起きているのだろうか。マーラーの音楽が私に語ることは何か。

現前している楽音の内に、先行する楽音が留置されることをフッサールは第一次過去把持と呼ぶ。 かくして保持された先行する楽音の直接的記憶は次の楽音への期待を産み出す。 こちらはフッサールの内的時間意識の現象学の枠組みでは未来把持と呼ばれる。 第一次過去把持が知覚の現在の内部構造であるのに対し、想像力に属し、過去を(再)構成 するのが第二次過去把持である。第二次過去把持により所謂「記憶」の「想起」が可能になる。 ブレンターノが第一次過去把持もまた想像力によるものであるとし、第二次過去把持との区別を しなかった点にこうしてフッサールは異議申し立てをするわけだが、では本当に第一次過去把持は 想像力の産物ではないのかといえば、それはそれで単純化のしすぎであろう。実際には第二次 過去把持は第一次過去把持と「ともに」しか成立しえないし、第一次過去把持は第二次 過去把持の影響なしには成立し得ない。

そこでフッサールにおける第一次過去把持と第二次過去把持の関係を考えてみよう。 実際には程度の差はあれ、第二次過去把持は、第一次過去把持の中に常に埋め込まれた 状態でしか成立しないことに注目しよう。すなわち、過去における事象の想起において、 まずはかつて第一次的に把持された意識の現在における想起が含まれており、 把持の想起自体がかつての把持の生々しさを帯びることもありえる。その一方で、第二次 過去把持は知覚に由来するものではなく、想像力に由来するものであるが故に、 知覚に由来する現在における地平の様々な意味付与の動機付けから全く自由というわけには いかない。記憶を第一次的に把持しなおすことは原理的にできないのだ。それゆえ想起には 現在の把持に由来する変様が伴う。 一方で、第二次過去把持なくしては、睡眠や失神による意識の中断を乗り越えた流れの 同一性を確保することができないから、結局「私」を成り立たしめているのは、第二次過去把持の 働きに他ならない。

音楽を聴くというとき、直接的には第一次過去把持のレベルで音楽対象の時間の流れが 形作られる。では第二次過去把持が音楽にどのように影響するだろうか。 音楽作品の巨視的な構造、流れの脈絡の把握やこれから起きる音楽的事象への期待の 地平の構築には第二次過去把持が不可欠である。つまり今聴いている部分の受容に 極限せずに、作品の全体像を把握しながら聴こうと思えば、第二次過去把持は欠かせない。 とりわけマーラーの交響曲のような長大な作品、単一の楽章が長大であるのみならず、 複数の楽章から構成される作品、更には作品間に主題的・動機的連関のネットワークが 張り巡らされているような作品群を対象としたとき、第二次過去把持の蓄積の豊かさが 第一次過去把持における聴取の豊かさを可能にするという傾向は著しいものになる。

録音技術の登場により、全く同じ演奏を繰り返し聴くことが可能となった時、その都度の聴取の方は 同一なものではありえない。この同一物の差異の由来は先行する聴取の経験の記憶への沈殿物 (一般に「知識」と呼ばれるもの)の作用であり、あるいは都度の聴取の際の周辺の文脈の違いである。 ここでいう周辺の文脈には、自己の身体内事象や心理状態から始まって、自己を取り巻く環境の ありとあらゆる側面における差異が含まれる。ところが周囲の文脈もまたそれぞれ、過去の来歴に よって用意されたものである。(ただし、その全てが「私」にとって遡及可能なものであるわけではない。 相対性の原理により、同時に生起した事象の直接的経験が不可能であるのに対応して、 私の経験していない過去が私が属する「世界」には沈殿しており、私は私の知らない過去からの 影響を間接的なかたちであれ受けているのである。) 第二次過去把持は、第一次過去把持を選択するための基準、音楽の場合なら、音楽的対象を 構築していく条件を規定する「期待」の「地平」としての役割を果たす。だがそうした第二次過去把持の 背後にある録音技術による同一演奏の反復の可能性は、まずは事実問題として第二次過去把持の あり方に無視できない影響を及ぼしている。その点に注目したのが、スティグレールの第三次過去把持である。

スティグレールの第三次過去把持は、レコードやCDのような録音・再生技術の発達によって可能になった ものであり、意識とともに無意識をも構成する。そして同一対象の権利上無限の反復の可能性を、 単一の私に対してのみならず、我々に対して可能にする点にポイントがある。 第三次過去把持は、私的なものを超えた、私の遡行できない過去から到来したものであり、同時にそれは 「我々」を規定し、もう一度、今度は未来に向けて私的なものを超えた、私の到達できない未来への 地平を構成する。それが可能になるのは技術を媒介にしてであり、私が自分の個体としての限界を超えて 理念的なものに到達するためには技術の媒介が必要なのだ。マーラーの音楽であれば、まずは「楽譜」が そうした(スティグレールならオルトテティックな記憶技術と呼ぶであろう)媒介であり、録音された演奏の記録も また、それらの集積の結果として理念的対象としてのマーラーの音楽「そのもの」を仮構する契機となる。 更にレコードやCDのような録音・再生技術の発達により、知覚は映画的なものでしかなくなる。 メディアが可能にする時間的対象の同一の反復の経験によって、カント的主体の意識の流れ、 超越論的な枠組みへの踏みとどまりは最早不可能となり、カントにおいては超越論的枠組みで 考えられていた想像力=構想力の働きは外在化され、物象化されたとスティグレールは述べる。 それは意識の個別性を毀損する可能性を秘めている。

そもそも想像力=構想力は、カントの「純粋理性批判」の第1版において純粋悟性概念の超越論的演繹の 部分における3段階の「綜合」をになう能力(生産的構想力)として、超越論的統覚に先行する 「すべての認識、特に経験の可能性の根拠」(A118)として提示されながら、ハイデガーが「カントと形而上学の 問題」で指摘するように第2版における当該箇所の全面的な書換えによりその役割を制限され、「悟性の一つの機能」 として位置づけられることになった。

既にイエナ期の若きヘーゲルがカントの「綜合」における想像力=構想力の役割に注目し、 これを「信仰と知」において直感的知性と同一視することにより、カント自身は人間の認識の限界として、 いわば極限として無限の彼方に設定したものをあっさり踏み越えてしまう。そして このヘーゲルとカントの立ち位置のずれは「判断力批判」における「崇高」の問題でもそのまま 繰り返されることになる。

カントは「崇高」(das Erhabene)について「超感覚的」であると語っている。カントにおいては「美と崇高」が 対比され、美が感覚的なものに、崇高が超感覚的なものに対応づけられる。 カントにおいて超感覚的なものは理性の理念であり、ふさわしい表現はないが、 ふさわしい表現がないことの感覚的な表現は可能なので、心情にはたらきかけることが できると述べる(「判断力批判」第23節)。ヘーゲルは「美学講義」の「崇高の象徴論」において このカントの「崇高」論の批判的展開を試みており、そこでヘーゲルは、「崇高の表現」とは 表現に相応しい対象を見出しえぬまま無限なるものを表現する試みと言っている。 ヘーゲルの批判のポイント自体は、カントが主観の側からしか崇高を見ていないことだが、ここでも カントはもともと主観の限界を見極める「批判」を企図しており、ヘーゲルが前提にしてしまっているものは カントにとっては「人間」には到達できないものなのだ。

想像力=構想力を巡るカントの逡巡に対するハイデガーの「カントと形而上学の問題」に おける批判を、フッサールの時間論のプロセス哲学的な解釈によって引き受けることによって、 一般には「現実」として了解されている、「意味」として「現象」する「世界」の虚構性が明らかにされ、 そこにおいて想像力=構想力の役割は適切な位置づけを見出すことになる。即ちそれが既に述べたような、 「現在」としての把持を背後から規定し、意味づける「想起」を可能にするものとしての想像力= 構想力の役割である。

想像力=構想力による「想起」が「現実」をいわば仮構するものであるとして、更にそれを根拠 づける「外部」、私からは絶対的に到達できない過去があり、私が決して到達することのできない未来が あることもまた、上述の分析は明らかにしている。それはカントがそこで踏みとどまったように権利問題と しては問うことのできない領域であり、地平の更に彼方を、無限を思惟することに他ならない。それは カントが超越論的弁証論において論じた超越論的仮象、「純粋理性批判」第1版序文冒頭で 「人間的理性」の「特異な運命」と述べた問い、「現象」の手前ないし彼方についての問いである。 それはいわば起源への問いが停止した更に手前を問うことなのだが、そうした個体としての「人間」の 在り方を、個体を超えて、いわば背後から規定しているのが、世代を超えて継承される文化的なものであり、 それを支える媒体として生物学的な身体を補綴する「道具」であり、その基盤としての「技術」なのである。 「技術」は個体にとって生成の根拠である一方で、常にその個体の特異性を脅かすといった構造もまた、 「人間的理性」の「特異な運命」なのであり、マーラーの音楽はそうした運命の中で創造され、 演奏され、記録され、聴取されているのである。

マーラーをCDで繰り返し聴くことをもう一度考えてみよう。誰かのいつぞやのマーラー演奏記録 (それは一回性の出来事であるとしよう)を繰り返し聴くことは、 だが、ライブ録音と呼ばれているものも、しばしば同一プログラムの複数回の演奏を編集 することがあるし、セッション録音の場合はそもそも「演奏の一回性」自体が虚構となってしまっている。 だが、ここで問題にしたいのは演奏の地平ではなく、マーラーの作品というもう一つ手前のレベルなのだ。 CDによる記録だけでなく、コンサートホールでの実演の聴取の記憶、或いはピアノでトランスクリプションの 一部や歌曲のピアノ伴奏を弾いてみる経験といったもの、更には様々な楽曲分析や背景についての 研究等も含めたマーラーの作品にまつわる「私」の経験の総体が投影されるスクリーンに映し出される 或る種理念的な対象としてのマーラーの作品のレベルを問題にしたいのである。

マーラーの創作過程を知る者は、記譜法のシステムというのが単に出来上がった作品を記録する といった保存の水準のみならず、創作の方法自体に本質的に組み込まれていることに気づかざるを 得ない。マーラーの作曲の仕方は記譜法のシステムに根本的に依存していて、それはあらゆる 場面で登場する。記録された楽譜もまた決して完全に安定した状態にはならない。作曲家=指揮者 であったマーラーは、自分で演奏をするたびに管弦楽法に手を入れたとは良く知られているし、 後世の指揮者にも改変の権利を与えたという証言が伝わっているが、そうであれば一体どれが 「本物」なのかという問いを立てることにはあまり意味がなくなることになろう。 寧ろ、作品が享受される限りにおいて準安定状態にありつつも絶えず微少な調整を行いながらの 利用は常に行われているばかりか、そうした調整作業の継続こそが作品の受容を促進し、 絶えさせないための条件とすら言いうるのではなかろうか。

そしてそうした準安定状態の中での常に更新される受容が、私を成立させる。それは私の生成 そのものなのだ。 人間の個体的・集団的時間性(シモンドン的な意味合いにおいての)は、人間が後成的系統発生的な 存在であるが故に可能となる「幽霊性=再来性」と反復によって構成される時間性である。 全く孤立した「我」がまず発生し、その後で他者と出会うことで「我々」になるのではない。 フッサールが「デカルト的省察」の第5省察以来、膨大な間主観性についての草稿群で分析したように、 間主観性的な構造の発生の方が個体の 発生を規定するのであって、実際には我と我々は同時に一気に生成すると考えるべきなのだ。

であるとしたならば、デリダのいかんともし難い「運命」としていわば構造的に宿命づけられた「反復可能性」と コミットメントへの倫理的要請としての「反復」への誘いの「差異」を、マーラーを聴くという場面に適用してみたら どういうことになるだろうか?

他者への応答は、応答の内容が如何に否定的なものであったとしても、コミュニケーションが成立する以上、 最初に根源的な他者に対する肯定があって成立する。このいわば先行する肯定もまた、第二の肯定によって 確証され、反復されることなしには成立しえない。第二の肯定による確証の要請は、反復可能性が 構造的なものであるとするならば、それは確証を伴わない機械的な反復の可能性が常に存在するからだ。 寧ろ記号によってそうした機械的な反復が可能になるのであり、それを支えるのが技術である。 想像力に由来する第二次過去把持である想起によって、かつてあった/今は不在の対象が仮構され、 そうした仮構された想像的な媒介物がそれ自体自律した対象として予め存在していたかの如く 措定されたとき、理念的な同一性が確保される。ここまでは第二次過去把持による記憶が抽象化され、 個別性を喪失し、反復可能な「存在」として沈殿することで、ホワイトヘッド的には客体的不滅性を帯びる 過程を記述しているのだが、その沈殿物を生物学的な人間が備えている記憶媒体たる脳の中ではなく、 自分の身体の外側に、いわばそれを補綴するものとして物質的な媒体に記録したとき、第三次過去把持の 領域が開かれる。第三次過去把持によって「私」なしの反復可能性はいわば完成する。

その一方でデリダが要請する「反復」、確証を伴った第二の肯定としてのそれを先の第二次過去把持が 常に第一次過去把持の中に埋め込まれているという事態に照らして考えてみると、こちらもまた、必ずしも 能動的で主体的な選択としてではなく、現在の地平にいわば誘われるようにして変様が起きてしまうという 傾向を認めなくてはならない。反復の方が自動化される一方で、反復を損なう契機が常にあって、 積極的に反復しなければ、自動化された反復はいわば毀損したものとなってしまうということなのであろう。 だが逆に積極的な反復は、新たな地平における都度新たな「歓待」であり、そこに創造の可能性もまた 存しているのだ。理念的なものはアプリオリに与えられるものではない。それは第三次過去把持により、 私に先行して事前に存在しているかの如き現れ方をするが、理念的なものは未来に向けて、常に未完了の 状態で開かれたまま、繰り返し投射されることで準安定的な状態を維持できるのだ。創造は一回性の出来事だが、 再創造が行われなければ創造の結果は維持し得ない。

そしてそうした再創造の可能性はどこにあるのかと言えば、身体的できごとを外部の記号に 変えてしまう意識ではなく、意識下の無意識のレベルでも機能している心的機能の働きに注目すべきであろう。 主体の不在においても反復可能でなければ、それが記号として意味を持つことも、理解することも 使用することもできないという事態は、上述の意識の時間論的構造と関連しており、 意識は身体的なできごとを記号として解釈してしまう。しかし記号は現実を抽象した結果であり、その一部を 為すに過ぎないものであって、無意識のレベルでは意識が捨象してしまう様々な因果的な効果が働いている。 そして意識主体の選択には、そうした背後で働いている効果が影響せざるを得ない。第二次過去把持まで ではなく、更に第三次過去把持を考える必要があるのは、そうした意識の領野外で意識に影響を及ぼしている 対象の機能を解明するためである。それは技術的なものと無関係ではありえないが、技術的なものに 全く従属的というわけでもない。否、技術的なものによって可能になりつつ、技術的なものが含み持つ 共時化による意識の個体性の消滅に抵抗する契機として、ベイトソンが「われわれの無意識の層を伝え合う エクササイズである」という芸術の存在意義がある。芸術が、意識を持ってしまった有機体の、その意識が 己の構造上の制約の中で、それでも精神の全体を垣間見ようとする営みであるという規定を考えたとき、 「世界を構築しなければならない」と作者自らが規定するマーラーの交響曲こそが、この定義に最も相応しい ものの一つであるように私には思われる。

人間の意識の構造は可塑的なものであり、ジュリアン・ジェインズが示したように、数千年という 文明的な時間スケールにおいては、意識の様態は変化しうるし、意識が発生したり、 消滅したりということも起きえる。 理性的存在者の存在と、その同型性、構造的な一意性をア・プリオリに主張することはできない。 一方でフッサールが分析したような内的時間意識の構造もまた、少なくとも現在に至るまでの 「この」場、即ちマーラーの音楽が演奏され、聴かれるような場においては、準安定状態にあると 言って良いだろう。長大な持続を結するだけでなく、多様な時間性を内包するマーラーの音楽は まさにそうした意識構造が可能にするものであり、同時に、そうした意識構造により可能になる 世界に対する態度(認識のみならず、行動の面でも)の様態の或る種の「結晶」の如きものとして 考えられる。「世界を構築すること」というマーラーの自分の創作(直接には第3交響曲)に 対する良く知られたテーゼは、自分が作曲するのではなく、背後に居る何者かに書き取らされて いるような感覚の証言とともに、マーラーの音楽が優れてある時代と場所における意識構造と 不可分の関係にあることを告げている。

そしてそれは同時に、そうした意識固有の想像力の場、ヴァーチャリティの時空間を内包している。 そればかりではなく、第三次過去把持としての記憶技術によって、遺伝子の複製・交差によって 世代交替が起きるせいで、個体の経験が継承されることがないという制限を超えた理念的なもの へと関与することを可能にしている。そうした音楽にとって、ファウスト第2部の終幕の場はまさに 自己言及的な内容であるだろう。そこではファウストの甦生が語られ、比喩的な仕方で語られた 理念的なものの客体的不滅性が意識を超越を経て、新たな甦生に誘うという機制が 表現されている。マーラーの音楽の単なる文字通りの反復を嫌い、だが、 主題を再現させるときに、紛れもなくそれがかつて提示されたものの再現でありながら、 かつてとは最早同じではなく、非可逆的な過程を過ぎ越してしまい、もう元には戻れないと いう印象を強くもたらし、更にそのことによって、再現されることによって初めて主題が確保されたかの ような印象を与えるとともに、未だに生成の途上にあるといった様相を呈するという時間的な 構造はそうした「作り=為す」ことの衝動に見合っている。

創造は一回性の出来事であるが、反復し、常に動き続けることにより安定状態は維持されるので あり、目的論的図式から出発して錯覚されるように安定状態において動きが停止するわけではない。 エントロピーの極大の状態をではなく、エントロピーを減少させることによって準安定状態を維持し続けるためには、 系は閉鎖系ではなく開放系でなくてはならず、常に外部からエネルギーの供給を受ける必要がある。 そして系に新しさをもたらすのは、系を破壊する可能性のある偶然的なもの(ノイズ)であり、ノイズを いわば「消化する」ことによって自己組織化システムは維持されるのである。このときシステムは外部を持ち、 内部には多層的な部分構造を備え、安定化機構としての記憶を保持する必要がある。 そこでは偶然やノイズや死のプロセスが、組織化や学習の中で創造の契機となっているのである。 そしてマーラーの音楽はそうした高度な自己組織化システムである意識の構造を反映した意識の音楽なのだ。

その軌道は複雑で、簡単に記述することを拒むけれど、一例を挙げれば第3交響曲の終楽章の 練習番号26番におけるような、あるいは第8交響曲第2部の練習番号156番におけるような マーラーの音楽のあの強烈な「再現」に匹敵するものを私は他の音楽に見つけることができない。 それは単純な反復ではないのだ。

例えば第8交響曲第2部の練習番号165番の第1部の第2主題(Imple superna gratia)の再現。 主題が再現するということの持つ圧倒的な力をここまで徹底的に感じさせる瞬間というのは、なかなかない。 最早これは日常的な時間意識の裡にない、というのは確かなように思える。仮に第1部を聴かずにいた 場合であっても、私はこの作品を(楽譜によって、あるいはCDのような記録媒体の助けをかりて、何度も 繰り返し聴くことにより)記憶してしまっているので、記憶と知識によって、それを補うことができるのが、 この部分は、マーラーの決定的な主題再現がいつもそうであるように、それが単純な反復ではない 「再現」であるという徴を帯びている。或る種の時間的な感覚を呼び起す何かがあるのだ。 「かつてあった」という感覚、そこから遙かに遠くに至ったという感覚。目も眩むような 距離感が「再現」には含まれている。 マーラー自身、ここの箇所にetwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと記しているのだ。 歌詞もまた、Er ahnet kaum das frische Leben,...と、ファウストの再生を歌う。)

あるいはまたマーラーの音楽においては枚挙に暇がない、「後戻りができないポイント」の存在。またしても第8交響曲 第2部から例示すれば、まずは練習番号155番の少年合唱(Selige Knaben)の入りが挙げられる。 アドルノとは異なって、私が一瞬何が起きたかと思い、ぞっとするのはここだ。このあたりから音楽は少なくとも 私にとって未知の、未聞の領域に入っていくのを感じる。何度聴いてもそうなのだ。何か、人間が、この儚い、 有限の生命しか持たない生物が、そしてその生物に進化の悪戯によって備わった、さらに取る足らない意識が 到達することのできない場所に、自分がそのままでは見てはいけない何かに近づいている気がする。同様に、 練習番号176のマリア博士の歌唱の部分には「到達した」という非常に強い感覚を呼び起すものがある。 またしてもずっと遠くに来てしまった、そしてもう引き返すことなく、決して戻れないのだという感覚。 ちょっとした戦慄、軽い恐慌状態。

更にはアドルノがマーラーの第9交響曲について述べた未来完了的な主題提示の問題、再現と提示の問題を 考えて見ることもできるだろう。第9交響曲に限らず、マーラーが主題の再現を強調する時、実は再現こそが 真の提示であり、最初の提示はその予告に過ぎないという見方はできないだろうか。 再現の聴取において何が生じているのか。それは単なる再認ではなく、その間に横たわる時間の厚みを 通した再認の持つベクトル性の深みを感受しつつ、そこに単なる反復ではなく、冗長性という意味での 秩序に収まらない新しさを経験するという事態が生じているのではないだろうか。この事態こそまさに、 既に述べたあの、フッサールの時間論のプロセス哲学的な解釈によって引き受けることによって、 一般には「現実」として了解されている、「意味」として「現象」する「世界」の虚構性が明らかにされ、 そこにおいて想像力=構想力の役割は適切な位置づけを見出すことになる場面そのもの、 「現在」としての把持を背後から規定し、意味づける「想起」を可能にするものとしての想像力=構想力の 役割が確認できるような場面、高度な有機体における(再)創造の過程を定着させたものではなかろうか。

そしてプロセス哲学における「時の逆流」はそうした高度な有機体における(再)創造の過程の時間性を 捉えたものなのである。 プロセス哲学的な超越は創造性の否定であり、2つの生成の間を越えるだけではなく、可能的世界を事実 性によって限定することを通じて現実性から可能性への永遠的客体へと超えることでもあるとされる。 そして時の逆流とは、 「意識の生成の中で配景を形成している諸事象―当然のことながら、この中にたったいま過ぎ去った 根源的現在が含まれる―の死としての自己疎外を体験しつつ、その意味でそれらの事象の心性の滅した 未来を体験しつつ全体としては永遠の客体との関わりが不確定から確定への進む、心性の甦生への歩みである。」 (遠藤「時の逆流について」pp.39-40)

勿論、上述のプロセス哲学的な「時の逆流」は、事象連鎖を通じての対象の生成のレヴェルではなく、 実体体属性という永遠的対象に関わるレヴェルでの一事象の生成の時間を捉えようとしたものであることに 留意すべきだろう。具体的な聴経験について考えるとき、確定的な部分事象の連鎖の中での事象の生成に 基づく対象の生成を考えるならば、これは「時の逆流」が問題にしているレヴェルから見れば、いわば二次的で 派生的なレヴェルを扱っていることになる。だがその一方で、そのような二次的なレヴェルで時が恰も 逆流しているように感じられるとするならば、それはいわば幻想であって、実際には時の逆流自体を経験している わけではないにせよ、その感じの根拠を問うことはできるだろう。或る種の目的論的な発想は、それ自体が 意識がそれと気づかずに構成してしまうフィクションであるにしても、それを可能にするメカニズムが存在し、 まさにそれが意識を生じさせているのであれば、そうしたメカニズムの働きが「時の逆流」の「感じ」のいわば 原因となっているのだ。いわば自分自身を支える背後の機制を垣間見るようにして、二次的に「感じ」としての 「時の逆流」の経験が生じるのであろう。

あたかも生成する事象が、先行する過去の事象よりも、これから起きるであろう未来の事象によって 決定されるかのように思われるとき、現在の生成の創造性の源泉は過去ではなく未来にあると考えられる。 これはいわゆる目的性に従った行動の連鎖において、あたかも意図に添って事象が生じるかのような 幻想(というのは実際の出来事の系列は因果決定論を覆すものではなく、そうした意図そのものが 過去の出来事の結果に過ぎないからである)が生じるケースとは区別される。勿論、この場合でも そうした幻想が生じるのは何故かをなおも問うことはできるだろう。音楽作品のようないわゆる人工の 産物においても、結末に向かうようにいわば「仕組まれて」いる場合にそのような感覚が生じることが あるだろう。

だがそれとは異なったケースがある、それは予示されていたものが今これから実現する瞬間、 しかもその瞬間になってはじめてそれが予め可能性として示されていたことが、いわば事後的に 判明するような場合、つまるところ「新しい秩序」がもたらされたように感じられるような瞬間、 後成説的に潜在的であったものが成長して発現したかのような、不可逆的な過程が生じた ことがわかり、その時点から過去を回想したときに、その過去は最早遡及不可能なもの、 あたかも前生での出来事であるかに感じられる瞬間において感じられる「時の逆流」もある。

そうした瞬間はどんな音楽にも生じるというわけではない。それは或る種の時間的構造の下で しか生じないし、そうした時間的構造が生じるために作品が備えていなくてはならない構造的な 条件があるだろう。すなわちそれは、秩序に傾斜したあからさまな人工物ではなく、だが 自然現象の中でも物質的、無機的な構造(結晶構造のような秩序を思い浮かべれば良い)に 似たものではなく、さりとて無秩序でもない、エントロピーや情報量という尺度では単純に測れない 秩序と無秩序の中間領域にある「複雑性」の領域にある作品の場合、言い換えれば、 有機的な生命現象の模倣に近い、層的で内部構造を持ち、固有の時間を持つ複数の部分よりなる、 複雑さを備えた後成説的発達が可能な、自己組織化に類比できるような作品において感じられる場合である。

「時の逆流」が感じられるのは、そうした作品の中のある瞬間においてなのだ。明確な目的に 向かって進んでいくべく、隅々まで意識的に作曲しつくされた作品ではなく、寧ろ作曲する主体の 背後にあって主体の志向を定めている無意識的なものの声に従い、夢に見られるようなプロセス、 つまるところ内的時間意識を備えた主体のものではあるけれど、寧ろそれを支える背後の 自己組織化の過程によって形式そのものがその都度形作られる作品において感じ取ることができる 「時の逆流」があり、マーラーの音楽におけるそれはこちらの方なのだ。意識が決して見ることのできない 自己の起源を覗き込む瞬間、それは現在の延長としての未来把持ではない、これまた意識がそのまま 自己を滅することなく到達することが不可能かも知れない未来への超越の瞬間である。

そうした瞬間は構造的に定められるものなので、構造的な聴取を行っている限りは、それが起きることを 知っていたとして印象が薄れることはない。逆に「時の逆流」を感じ取るためには、その作品の膨大な 脈絡を記憶し、何が潜在的に用意され、何が実現可能かを(無意識的にであれ)押さえている 必要があるのだ。まさに音楽としての経過を知覚するために最低限必要な第一次過去把持の レヴェルではなく、それを背後から規定する第二次過去把持は勿論、第三次過去把持のレヴェルに 及ぶ広範な綜合作用を行うスティグレール的な意味での想像力、ベンヤミン=アドルノ風には 想起ではなく追憶、即ち想起する主観に先立つ客観についての回想が必要とされるのである。

具体的な経験のレベルに移せば、マーラーのような長大で複雑な作品を想起するための手段として 複製技術による記憶媒体による録音は有効であり、同じ録音を何度も反復する可能性、しかも 「私」だけではなく、誰に対しても同一の音楽を提示することの可能性が獲得されるが、その一方で、 常に聴取はその都度毎に一回性のものであることから逃れることはできないのである。そしてその都度の 聴取の態度は様々でありうる。ベンジャミン・リベットの実験が明らかにしたとおり、受動的な経験であると 意識が思いなす楽曲の聴取のプロセスは、実際には意識の背後における前意識的・無意識的な 活動により編集されたものであり、同一の演奏の繰り返しの聴取は、そうした編集の地平を形成し、 その地形を変化させるだろう。変化に富んだマーラーの音楽の脈絡は、一回性の受動的な聴取においても 聴き手を厭きさせることはないだろうが、その巨視的な設計や、マーラー自身の創作のプロセスにおいて 既に「書き取らされた」ものである精緻を極める動機の相互連関のネットワークや変形の技法を 把握するためには、演奏の次元においても指揮者による緻密な事前の総譜研究が欠かせないように、 聴き手も総譜を参照しつつ、繰り返して聴くことにより、自分自身にとってのマーラーの個別の作品の像を 構築していかなくてはならない。

しばしば議論の的になる、長大な経過における巨視的なシェマの知覚の 問題、例えば発展的調性の知覚の問題も、そうした反復に支えられた聴取の前では、問題設定そのものの 抽象性を露呈することになる。しかるべき事前条件下での心理学実験ならぬ現実の聴取においては、 総譜研究を通した知識すら、楽曲の把握の地平として動員されて当然であるし、絶対音感の有無は おくとしても(調性と色彩の共感覚とともに、あった方がより容易なのは明らかなことと思われるし、逆に事実としてそれがある場合にはその効果は本人にとっては明らかなのだが)、相対的な音高を想起できるほどに楽曲を自分の中に定着させた聴き手にしてみれば、巨視的なシェマもまた、都度の聴取にとって単なる知識としての地平であるのみならず、身体的できごとを外部の記号に変えてしまう意識のレベルではなく、 意識下の無意識のレベルでも機能している心的機能の働きに関わるものとなるであろう。かくしてマーラーの 作品が産み出す(比喩的な意味での)「風景」は、聴き手自身の(現象学的存在論的な意味合いでの) 「世界」のそれとなり、聴き手の意識を含めた「心」の構造そのものを構成する素材となるのだ。

それゆえ常に聴き手は新たな聴き方をすることによって、理念的で 無時間的に凝固した作品を都度新たに(再)賦活しつつ、応答しなくてはならないという要請が生じる。 ここで注意すべきは、そうして再創造されるのは作品だけではなく、そのようにして「私」の側もまた 再創造されるのだということである。私が事前に存在して、作品を待ち受けるのではない。作品を 受け取りつつ、同時に私もまた都度生成するのである。そしてそうした記憶媒体の助けをかりることに よって、マーラーの音楽は私固有の身体そのものになる。私の頭の中でそれは物質的な音響を経ずに鳴り響く までに至る。それは私の経験しなかった過去の風景であり、私の中に住まう他者、私をも「作り=為す」 ことにいざなうべく語りかけるのである。(2013.4.28, 29, 5.1,3,12,21)

2013年4月23日火曜日

音の身ぶりの変形とモンタージュ:マーラーから見たシューマンについて

マーラーがシューマンの交響曲のオーケストレーションに手を入れたことは今日では良く知られていて、その楽譜をリアライズした演奏の CDすら存在するのもまた、マーラーに親しんでいる人であれば周知のことであろう。マーラーの研究が進んだ今日では、マーラーの 発想を知るためのよすがとして、自作よりも寧ろ他人の作品の編曲を調べるといったアプローチが取られることもしばしばで、 シューマンの管弦楽法の手直しは、恰好の資料を提供していることになるのだろう。いわばそれはマーラーをより良く知るための或る種の 迂回路の如きものというわけだ。

翻ってシューマンの側から見た時に、マーラーの手直しはシューマンのオリジナリティを損なう余計な作業ということになるのかも知れない。 皮肉なことにこちら側からの風景でも、そこに見出されるのはシューマンよりはマーラー自身の姿のようなのだ。だが、人によってはそこに マーラーがシューマンの交響曲をある意味で(ベートーヴェンと並んで)特別扱いする思い入れのようなものを見出し、マーラー化された シューマンではなく、シューマンをいわば自分の原点の一つとして、いわばシューマン的なものを継承しようとするマーラーを見出すことも 可能ではなかろうか。

更に言えば、シューマンの作品の中での交響曲の位置づけの方も微妙であって、コンサートのレパートリーとして定着し、新しい録音も 絶え間なくリリースされるとはいうものの、やはり本領は初期のピアノ曲にあるという見方は根強いものがある。形式上の独自性という点でも、 初期のピアノ曲の方のそれの無比の独創性をまずは評価すべきなのは論を俟たないだろう。それ比べれば交響曲は或る種の退行である と見做されたり、そうではなくてもこちらは形式的に難ありとして留保がつくこともあれば、自分に向かない方向に向かう自滅的なプロセスを 辿ったサンプルとして否定的な評価をされることもあるようだ。実際にはシューマンの交響曲にも形式上の独創を見出す見解もないではなく、 実は個人的には寧ろそうした見解に共感することが多いのだが、シューマン自身がそこに「新しい道」を見出したブラームスの交響曲の評価と 比べれば、シューマンの交響曲の評価は毀誉褒貶相半ばするといったところだろう。ピアノ作品の独創性が顕揚されるあまり、シューマンは シンフォニックな発想を得意をしなかったかのような評価が為されることもめずらしくない。

ところでその形式についての評価が毀誉褒貶相半ばするという点では、マーラーもある意味では同じという見方も出来るだろう。 特にマーラーの交響曲を成立順に眺めていったときに、特に後期の作品の形式は旧来の図式論ではいわば出発点をしか言い当てる ことができない程、形式原理の換骨奪胎が進んでおり、従来とは異なりつつも、その後の音楽が放棄してしまったかに見える大規模な作品を 構成する原理を見出すことに成功しているように見える。巨視的な形式に関するカテゴリとしては、アドルノはそのマーラー論において示した 3つないし4つのカテゴリーが著名だろう。

一方でいわば微視的な構成の原理としてアドルノが指摘するのが、変奏ならぬ変形(ヴァリアンテ)の技法であるのだが、例えば第4交響曲 第1楽章の分析を追っていると、それが道化師の鈴で始まる作品であることも相俟ってか、どことなく、シューマンの作品における音の身ぶりの 変形とモンタージュという構成原理のことを思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。

勿論、巨視的な構成原理もそうだし、それ以外のトピックでも、リゲティ等が指摘するコラージュ性や複数の時間の流れは一見したところ シューマンの音楽の性格とは異なったものに見えるが、フモールやイロニーの存在や或る種のカーニヴァル性、更には音響的な実現の仕方は異なるとは いいながら、発想としては類縁のものを感じさせる空間性に対する意識というように、直接的な影響ではなくても、その志向においてマーラーが シューマンと共通する部分は少なくないように感じられる。「遠くから」という指示は、マーラーの場合には実際に舞台裏や舞台から離れた高いところで 演奏する指示であり、コンサートホールにおける音響の効果を狙ったものである、というのが一般的な了解だろう。だが、マーラーの場合においても それはリアルな音響空間のそれであると同時に理念的な空間性への意識とも無関係ではありえない。第6交響曲のカウベルや低音の鐘のように、 マーラー自身も警戒して述べているが如く、一見すると標題音楽的な描写的なものと受け取られがちな指示は、寧ろ音楽自体が切り開く ヴァーチャルな空間の質に対する形容なのである。一方のシューマンの場合の「遠くから」は、それがピアノ曲の楽譜に書き込まれているからには、 或る種の発想指示と捉えられるのが普通であり、こちらは実際の奏法上の具体的な対応物を持つわけではなく、けれどもやはり音楽が自ら 産み出し、その中で展開される空間の質に対する指示なのであって、超越性なり彼方への一般的にはロマン主義的という言葉で一くくりに されるであろう共通の志向を見てとることは寧ろ自然なことにすら感じられる。否、冒頭で言及したシューマンの交響曲へのマーラーの改訂作業は、 まずは演奏現場での解釈者としての作業であるという点を忘れるわけにはいかないにせよ、そうした点での共感に基づいたもののように思われる。 (一例だけ挙げれば「ライン」交響曲第1楽章に出現するホルンのシグナルは、明らかに空間的な質を担ったものだが、その質を確保すべく、 マーラーは、自作で行うようなゲシュトップフ奏法を指定している。実現される音響はこれはシューマン的というよりはあからさまにマーラー自身の ものに近づくこの改変は、見方を変えればマーラーがシューマンの音楽に、自分の音楽に通じる質を見出していたが故のものであると私は思われる。)

いや、そもそももっと状況証拠的なところでの接点なら幾らでもあると指摘する人もいるかも知れない。ジャン・パウルやホフマンへの傾倒、 子供の魔法の角笛や、リュッケルトといった詩人への嗜好、ヘルダーリンに対する高い評価、更にはゲーテに対する傾倒(「ファウスト」の 終幕に音楽をつけたという点でも両者は共通点を有する)というように、文学的嗜好の面での共通性は小さくない。更には音楽外的な 伝記的な出来事が音楽を語るときに絶え間なく進入する点でも共通しているといえるかも知れない。

だがここではもう一度、音楽そのものの構成原理に立ち返って、音の身ぶりの変形とモンタージュというシューマンにおける主要原理と マーラーのそれ、そして交響曲の形式原理に関して、シューマンを通してマーラーを眺めることを追求してみたいような気がする。 一般にはマーラーはワグナー派に分類されているし、交響曲においてもブルックナーと対にして語られることが多く、(パウル・ベッカーの 分類によれば)オーストリア的な交響曲の流れとしてシューベルトの系譜に位置づけられることはあっても、シューマンと比較して 論じられることはほとんどないと言って良い。そして勿論、一見して明らかな違いを等閑視しようというわけではないのだが、 にも関わらず、全く恣意的な比較に留まるわけでもないのではないかというように思えてならないのである。(2013.4.23,27)