2025年11月18日にリリースされたGemini 3.0 Proを対象に、マーラーに関する様々な問い合わせを行った結果については、既に記事「マーラーについて生成AIに聞いてみた(23):Gemini 3.0 Proの検証」にて報告した通りです。そこで述べた通り、検証においては、オリジナルのプロンプトの問いそのものについては概ね正解が返ってきているものの、回答一部について疑念があり、事前に設定された検証用プロンプトセットとは別に、追加でファクトチェックのための問い合わせを幾つか行っており、本稿ではその追加部分のやりとりを報告するものです。なお以下の追加検証は12月12日に、本検証に続けて実施しました。
1.背景
本稿ではそのうち、オリジナルの検証用プロンプト「19.ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか」の回答を起点としたやりとりを報告します。この問いは、マーラーがブダペスト歌劇場の音楽監督を勤めていた時期に、彼の指揮したモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の上演に偶々接したブラームスがその演奏を激賞したという、マーラーの伝記においては比較的有名で、かつその後のマーラーのキャリアにとっても重要なエピソードに関するものです。Gemini 3.0 Proの回答は以下のようなもので、質問の意図を捉えた回答になっています。
ヨハネス・ブラームスは、ブダペストでマーラーが指揮したモーツァルトのオペラ**『ドン・ジョヴァンニ』**を聴き、その演奏を絶賛しました。
具体的には、以下のような言葉を残したと伝えられています。
ブラームスの発言
「最高の『ドン・ジョヴァンニ』を聴くなら、ブダペストへ行かなければならない」
("Für den wahren Don Giovanni muss man nach Budapest reisen.")
背景と詳細
時期: 1890年12月(または1891年との説もあり)、ブラームスがブダペストを訪れた際のことです。
状況: 当時マーラーは30歳前後で、ブダペスト王立歌劇場の音楽監督を務めていました。ブラームスは当初、地方の歌劇場での公演にあまり期待していませんでしたが、マーラーの指揮による『ドン・ジョヴァンニ』を聴いて衝撃を受け、幕間に興奮して指揮台のマーラーの元へ駆け寄ったとも言われています。
影響: この出来事は、後にマーラーが音楽の都ウィーン宮廷歌劇場の監督に抜擢される際、ブラームスが強力な推薦者となるきっかけの一つとなりました。
ブラームスはマーラーの「作曲」に対しては「革命家たちの王だ」と評して複雑な評価(第2交響曲の第2楽章などは褒めましたが)をしていましたが、マーラーの「指揮」の腕前については、このブダペストでの体験以来、手放しで評価していました。
「影響」として、その後のマーラーのキャリアにとってのこの出来事の影響にも触れられており、充分に意を尽くした回答であると言えます。従って、評価は〇としたのですが、細かく見ると幾つか気になる点があります。ここで取り上げるのは以下の点です。
- 回答では、ブラームスの発言が、ドイツ語の原文つきで、引用の体裁をとって示されている点でです。実際、回答で「引用された」言葉は、ほぼ同じ言い回しで、幾つかの伝記で引用されていることが確認できる有名なものです。原文付きでの引用を見ると、この回答の典拠となり、この言葉「そのもの」を伝える回答・記録をGemini が突きとめていて、それを提示することができるのではないかと考えたくなります。
「マーラーがブダペストの監督として働いていたこの時期、たまたまこのハンガリアの首都に滞在していたブラームスは、ある日オペラ見物に誘われた。ブラームスはしぶしぶ承知した。というのは彼は、教養ある音楽家がモーツァルトをたのしもうと思えば、楽譜を読むに越したことはない、なぜならいかなる演奏も彼の総譜の要求に正しくこたえたためしはないからだ、とかたく信じていたのである。マーラーの舞台はこの確信をくつがえした。ほんものの『ドン・ジョヴァンニ』を聴きたければ、とブラームスは言った、ブダペストへ行くがよい。(Wenn man "Don Giovanni" richtig hören wolle, so meinte Brahms, müsse man nach Budaest fahren.)」
「一八九〇年一二月に上演された『ドン・ジョヴァンニ』を現地で聴いたブラームスは、「本物の『ドン・ジョヴァンニ』を聴きくためには、ブダペストに来なければならない」と語ったという。」
(プロンプト)あなたは、ブラームスが、Für den wahren Don Giovanni muss man nach Budapest reisen.と言ったと回答しましたが、典拠を示すことはできますか?
2.ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想が典拠として示される
(Gemini)ブラームスのこの発言(「本物の『ドン・ジョヴァンニ』を聴くならブダペストへ行け」という趣旨の言葉)は、音楽史における有名なエピソードですが、ご指摘の通り、典拠を明確にすることは非常に重要です。
この発言は、ブラームスが書き残した手紙そのものではなく、主に同時代の目撃者による回想録や、マーラー自身が語った言葉の記録に基づいています。
主要な典拠として以下の文献が挙げられます。
1. ナターリエ・バウアー=レヒナーによる記録
マーラーの親しい友人であり、彼の発言を詳細に記録したヴィオラ奏者、ナターリエ・バウアー=レヒナー(Natalie Bauer-Lechner)の回想録が最も直接的なソースの一つです。
書名: Erinnerungen an Gustav Mahler (『グスタフ・マーラーの回想』)
内容: マーラー自身が、ブラームスとの出会いを彼女に語った部分で言及されています。
マーラーは、「ブラームスは劇場を出る際、ハンス・ケスラー(ブダペストの音楽院教授でブラームスの友人)に向かってこう言った」と回想しています。
「なんてことだ! 本当の『ドン・ジョヴァンニ』を聴くために、我々はついにブダペストに来なければならなかったのか!」
("Donnerwetter! Daß wir erst nach Budapest kommen mußten, um den Don Juan zu hören!")
2. マックス・カルベックによるブラームスの伝記
ブラームスの友人で、彼の詳細な伝記を書いたマックス・カルベック(Max Kalbeck)の著作にも記述があります。
書名: Johannes Brahms
内容: 第4巻において、1890年12月のブダペスト訪問時の記述があります。
ブラームスは当初、地方の歌劇場での上演を嫌がっていましたが、第1幕のフィナーレで「素晴らしい!」と叫び、終了後にはステージに上がり、マーラーに対して**「素晴らしい、最高だ(Magnificent!)」と称賛した、という経緯が記されています。
ここで引用される言葉として、「これほどのドン・ジョヴァンニを聴くにはブダペストに来なければならなかった」**という趣旨の発言が記録されています。
3. ブラームス自身の書簡(裏付けとなる資料)
ブラームスが実際に書いた手紙の中に、「あの決まり文句」そのものはありませんが、この公演を絶賛した証拠は残っています。
宛先: ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク(Heinrich von Herzogenberg)
日付: 1891年1月12日付の手紙
内容:
「ブダペストでは、これまでにないほど素晴らしい『ドン・ジョヴァンニ』を聴くことができた」
("In Budapest habe ich den Don Juan so vortrefflich gehört, wie noch nie.")
まとめ
ご質問のフレーズ「Für den wahren Don Giovanni muss man nach Budapest reisen.(本物のドン・ジョヴァンニのためにはブダペストへ旅しなければならない)」は、上記のバウアー=レヒナーやカルベックの記録にある発言を要約・定型化したものとして、多くの伝記(アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー伝』など)で引用されています。
細かな言い回し(ドイツ語の単語)は記録者によって多少異なりますが、**「ブダペストでのマーラーの演奏こそが至高であり、わざわざ聴きに来た甲斐があった(あるいは聴きに来るべきだ)」**とブラームスが公言したことは、歴史的事実として認められています。
- ナターリエ・バウアー=レヒナーによる記録
- マックス・カルベックによるブラームスの伝記
- ブラームス自身の書簡
このうち後の2つはブラームス側の伝記・書簡であるため、手元にある資料での確認ができず、この回答が正しいかどうかの判断のしようがありません。しかしながら、最初に掲げられたナターリエ・バウアー=レヒナーによる回想録、および「まとめ」部分で、
上記のバウアー=レヒナーやカルベックの記録にある発言を要約・定型化したものとして、多くの伝記(アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー伝』など)で引用されています。
として例示されているアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー伝』については手元においてこれまでも参照・活用してきた資料ですので、こちらは真偽の検討が行えます。しかしながらまず、直接的に典拠とされているナターリエ・バウアー=レヒナーによる回想で、そもそもこのエピソードへの言及を見た記憶が私にはありません。私の見落としなのかと思い、一通り邦訳、および原書(1923年にE.P. Tal & Co.から出版された初版と、回想としては残っていながら初版で削除された部分を補った1984年出版のHerbert Killian編、/Knud Martner注釈の増補改訂版があり、邦訳は後者に基づきます。英訳版も手元にありますが、こちらは今回は確認しませんでした)を当たりましたが、やはり見当たりません。それを以て、「幻覚(Hallucination)」と決めつけても良いところかも知れませんが、万が一のことを考え、追加で以下のプロンプトを投げてみます。
(プロンプト)ブラームスが、Für den wahren Don Giovanni muss man nach Budapest reisen.と言ったというあなたの回答の典拠としてナターリエ・バウアー=レヒナーによる記録を示してくれましたが、具体的な箇所を示すことはできますか?章・節のタイトルでも特定のバージョンのページでも構いません。あなたが引用した箇所がどこかを教えてください。
3.「幻覚(Hallucination)」の発生を確認する
回答は以下の通りで、
(Gemini)ご指摘ありがとうございます。非常に鋭いご確認です。
私の以前の回答では、一般的な伝記で流布している定型句("Für den wahren...")と、その典拠であるバウアー=レヒナーの記述を同一視して提示しておりましたが、バウアー=レヒナーの原文における表現は、ご提示のドイツ語とは異なります。
ナターリエ・バウアー=レヒナーの『グスタフ・マーラーの回想』(Erinnerungen an Gustav Mahler)における該当箇所、および原文の正確な記述を特定いたしましたので、以下に詳細を示します。
1. 該当箇所(章・節)
このエピソードは、マーラーが後年(1901年)に当時を振り返って語った言葉として記録されています。
時期区分: 1901年1月 (または1900/1901年の冬)
文脈: マーラーがウィーン・フィルハーモニーのコンサートや『魔笛』の公演の合間に、過去の思い出(ブラームスとの出会い)をナターリエに語っている場面です。
2. 書誌情報とページ数
参照する版によってページ数は異なりますが、代表的な版での位置を示します。
初版(1923年、E.P. Tal & Co.版):
ページ: 156ページ - 157ページ周辺
改訂増補版(1984年、Herbert Killian編 / Knud Martner注):
ページ: 179ページ ("Januar 1901"の章)
英訳版(Faber & Faber / Cambridge University Press, Peter Franklin編):
ページ: 163ページ ("January 1901")
3. バウアー=レヒナーにおける「原文」の記述
バウアー=レヒナーの記述では、ブラームスの言葉は「Für den wahren...」という説明的な文章ではなく、より感情的な感嘆詞を用いた台詞として記録されています。
【ドイツ語原文】
マーラーの回想として:
"... und am Schluß des ersten Aktes ging er [Brahms] auf die Bühne zu mir, umarmte mich und sagte: ›Donnerwetter! Daß wir erst nach Budapest kommen mußten, um den Don Juan zu hören!‹"
【日本語訳】
「……そして第1幕が終わると、彼(ブラームス)はステージの私のところへやって来て、私を抱きしめ、こう言った。『なんてこった!(畜生!) ドン・ジョヴァンニを聴くために、われわれはるばるブダペストまで来なきゃならなかったとは!』」
結論と訂正
ご質問の "Für den wahren Don Giovanni muss man nach Budapest reisen." というフレーズは、このバウアー=レヒナーの記述("Daß wir erst nach Budapest kommen mußten...")や、マックス・カルベックの伝記にある記述を元に、後世の伝記作家や解説者が要約・定型化した表現である可能性が高いです。
バウアー=レヒナーの記録そのものを厳密に引用する場合は、上記の "Donnerwetter!..." で始まる台詞が正確な出典箇所となります。
言葉の綾を正確に区別せず回答してしまい、お手数をおかけしました。こちらが一次資料(バウアー=レヒナー)における正確な記述です。
一見大変精緻でもっともらしい回答ですが、実際には、初版、増補改訂版原著いずれにも、該当箇所にGeminiが示すような箇所は出てきません。厳密には、バウアー=レヒナーの回想のは「1901年1月」という章は存在せず、「1900/1901年シーズン」というのが正しい章のタイトルです。(Geminiが「または」で示したものの方がより近いことになります。)一方、Geminiの参照箇所は全くの出鱈目というわけではなく、いずれも確かに「1900/1901年シーズン」の章の一部を示してはいますが、Geminiが言及する「マーラーがウィーン・フィルハーモニーのコンサートや『魔笛』の公演の合間に、過去の思い出(ブラ「魔笛」の公演についての回想は音楽シーズン1897/1898年シーズンの章にある(増補改訂版ではp.102)のですが、ブラームスとの出会いをナターリエに語っている場面というのは存在しません。
どうやらかなり深刻な「幻覚(Hallucination)」が発生しているようです。それを確認すべく、以下のプロンプトを投げます。
4.「幻覚(Hallucination)」を疑うも、Geminiは認めない
(プロンプト)改訂増補版を確認しましたが179頁はマーラーの第4交響曲についての節です。「魔笛」の公演についての回想は音楽シーズン1897/1898年の102頁にあるのではないですか?いずれの箇所についても周辺も含め、ブラームスとの出会いについての記述は見つからないようですが。
Geminiの回答は以下の通りで、直ちに「幻覚(Hallucination)」を認めようとはしません。
ご確認いただき、また詳細に参照いただきありがとうございます。版によるページ数のずれや、私の提示した情報の不正確さにより、お手間を取らせてしまい大変申し訳ありません。
ご指摘の通り、ナターリエ・バウアー=レヒナーの『回想』における該当箇所の特定、およびブラームスの発言の典拠について、より厳密な情報に訂正・補足させていただきます。
1. バウアー=レヒナー『回想』における該当箇所
私の示した「179頁」は版(英訳版や旧版など)の違いによるズレの可能性が高いです。キリアン(Killian)編の『改訂増補版』をお手元にお持ちとのことですので、ページ数ではなく**「日付(日記の時期)」**で特定いたします。
このエピソードは、マーラーが現在進行形で語ったものではなく、過去を振り返って語った**「回想の回想」**として記述されています。
該当する日記の時期: 1901年1月(またはその前後の冬)
文脈: マーラーが、過去の巨匠たち(ブラームスやブルックナー)との思い出や評価について語っているセクションにあります。「ブラームスとブルックナー」といった小見出しがついている場合もあります。
内容: マーラーが弟のオットーと議論した話や、ブラームスの性格について語る流れの中で、「ブダペストでの『ドン・ジョヴァンニ』上演後にブラームスが楽屋に来て抱擁した」というエピソードが登場します。
もしキリアン版の1901年1月の箇所(第4交響曲の話の前後)にこの記述が見当たらない場合、この有名な「Donnerwetter(なんてこった)...」という台詞を含む詳細な描写は、バウアー=レヒナーの草稿にはあるものの、編集版(キリアン版含む)によっては割愛されているか、あるいは別の時期(例えば1890年代の日記部分への補足)に移動されている可能性があります。
2. より確実な歴史的典拠:マックス・カルベックによる記述
バウアー=レヒナーの記述がマーラー本人の「後年の回想」であるのに対し、当時のブラームスの言動を記録した同時代の一次資料として、最も信頼され引用されるのは、ブラームスの友人であり伝記作家の**マックス・カルベック(Max Kalbeck)**による記述です。
学術的に「ブラームスがブダペストのマーラーを絶賛した」という事実の典拠として使われるのは、通常こちらです。
書名: "Johannes Brahms" (ブラームス伝)
巻数: 第4巻 第2半巻 (Band IV, Halbband 2)
出版年: 1914年
該当箇所: 1890年12月のブダペスト訪問に関する記述(概ね 222ページ周辺)
カルベックによる記述内容:
カルベックは、ブラームスがブダペストで『ドン・ジョヴァンニ』を聴いた際の様子を詳細に記しています。
ブラームスは当初、地方歌劇場のレベルを疑っていましたが、演奏が始まると感嘆し、幕間にマーラーの元へ行き、「素晴らしい! (Grandios!)」 **「最高だ! (Ausgezeichnet!)」**と叫びました。
そして、「自分はこれまで多くの『ドン・ジョヴァンニ』を聴いてきたが、これほど完璧な上演は聴いたことがない」という趣旨の発言をしたと記録されています。
3. ルードヴィヒ・カルパートによる証言
もう一つの重要な典拠として、当時ブダペストに居合わせ、ブラームスとマーラーの仲介役を果たした評論家**ルードヴィヒ・カルパート(Ludwig Karpath)**の回想録があります。
書名: "Begegnung mit dem Genius" (天才との出会い)
出版年: 1934年
内容: カルパートは、ブラームスが**「本物の『ドン・ジョヴァンニ』を聴くために、我々はブダペストに行かねばならない」**といった趣旨のことをウィーンの友人たち(ハンスリックなど)に語ったと証言しており、質問者様が最初に挙げられた「Für den wahren...」というフレーズの出処としては、このカルパートの記述が最も近い(あるいはそれを要約したもの)と考えられます。
結論
私の手元の参照情報の版の違いにより、バウアー=レヒナーのページ数を誤ってご案内してしまい、混乱を招きましたことを重ねてお詫び申し上げます。
「Donnerwetter...(なんてこった)」という台詞を含むマーラーの回想は、バウアー=レヒナーの記録(1901年1月頃)とされていますが、版によっては確認が難しい場合があります。
歴史的事実としての典拠は、**マックス・カルベックの『ブラームス伝』(第4巻)**が最も確実です。
「ブダペストへ行かねばならない」というフレーズの直接的な典拠としては、ルードヴィヒ・カルパートの証言が有力です。
ご確認いただいた労力に報いる正確なページ数(キリアン版)を即座に特定できず恐縮ですが、上記カルベックおよびカルパートが、このエピソードの確実なソースとなります。
まず、Geminiの弁解のページずれですが、「「179頁」は版(英訳版や旧版など)の違いによるズレの可能性が高い」というのは、もともとその3版それぞれについてページを示してきたことを思えば疑わしいものですし、「マーラーが、過去の巨匠たち(ブラームスやブルックナー)との思い出や評価について語っているセクション」「「ブラームスとブルックナー」といった小見出しがついている」は回想録に実際に存在しますが、1901年の章ではなく、遥かに手前の「アッター湖畔のシュタインバッハ1893年7,8月」の章に存在しています。その内奥は、Geminiの言う通りマーラーと弟のオットーの回想ですが、結局、肝心のブダペストの公演の回想は出てきません。また、「バウアー=レヒナーの草稿にはあるものの、編集版(キリアン版含む)によっては割愛されている」可能性は、寧ろ初版においてバウアー=レヒナーの草稿にはあるものの割愛された箇所が、キリアン版と呼ばれている増補改訂版では公開されたという経緯を踏まえれば、眉唾物という他ありません。
5. Geminiが「幻覚(Hallucination)」を認める
そこで以下のプロンプトを投げます。
(プロンプト)ブラームスとブルックナーという小見出しを持つセクションはアッター湖畔のシュタインバッハ1893年7,8月にあります。マーラーと弟のオットーの回想です。でもそこにはブダペストの公演の回想は含まれません。バウアー=レヒナーの草稿にはあるものの、編集で割愛された可能性について述べていますが、バウアー=レヒナーの草稿にはあるという情報はどこから得たのですか?情報源を示してください。全般にバウアー=レヒナーの回答にブラームスのブダペスト訪問についてのマーラーの回想が含まれるということについての情報ソース(URLでも記事名でもいいです)を示してくれませんか?
ここに至ってようやくGeminiは誤りを認める回答を返してきました。
重ねてのご確認、そして徹底的なファクトチェックをありがとうございます。質問者様のご指摘は正しく、私の回答には重大な出典の混同と誤りがありました。
結論から申し上げますと、「バウアー=レヒナーの回想録に、ブラームスがブダペストで『ドン・ジョヴァンニ』を称賛したという記述(または『Donnerwetter!』という台詞)が含まれている」という私の主張は誤りです。
また、「草稿にはあるが割愛された」という点につきましても、それを裏付ける確実な情報源(論文や記事)を提示することはできません。これは、私が他の伝記資料(特にカルパートの記述)とバウアー=レヒナーの記述を記憶の中で混同し、不確実な情報を事実のように補強してしまったものです。誠に申し訳ありません。
以下に、事実関係を整理し、**このエピソードの「真の一次情報源」**を提示いたします。
1. 訂正:バウアー=レヒナーには記述がありません
質問者様が確認された通り、キリアン編の『改訂増補版』の1893年の箇所(「ブラームスとブルックナー」)にも、1901年の箇所にも、ブダペストの『ドン・ジョヴァンニ』に関する直接的な回想記述はありません。この点について、私の以前の回答を全面的に撤回いたします。
2. 真の情報源:ルードヴィヒ・カルパート
ブラームスが「Donnerwetter!(なんてこった!)」と叫んだ、あるいは「本物のドン・ジョヴァンニのためにブダペストへ……」と発言したというエピソードの、現在確認できる最も確実で詳細な一次情報源は、**ルードヴィヒ・カルパート(Ludwig Karpath)**の著作です。
カルパートは、ブダペスト時代のマーラーと親交があり、ブラームスとの仲介役も務めた音楽評論家です。
著者: Ludwig Karpath(ルードヴィヒ・カルパート)
書名: 『Begegnung mit dem Genius』(天才との出会い)
出版年: 1934年(ウィーン、Fiba Verlag)
該当箇所: グスタフ・マーラーに関する章
【この資料における記述内容】
この本の中でカルパートは、1890年12月16日の『ドン・ジョヴァンニ』公演後の様子を目撃者として記述しています。
ブラームスが興奮してステージに上がり、マーラーに対して**「素晴らしい (Ausgezeichnet)」と言ったこと、そしてその興奮冷めやらぬ様子で、「本物の『ドン・ジョヴァンニ』を聴くために、我々はブダペストへ行かねばならない」**という趣旨の発言をしたことが記されています。
多くのマーラー伝記(アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュなど)は、このブダペストのエピソードについては、バウアー=レヒナーではなく、カルパートのこの著作、あるいはマックス・カルベックの『ブラームス伝』を出典として引用しています。
3. なぜ混同が生じたかの釈明
多くの伝記作家が、マーラーの生涯を記述する際、複数の回想録(バウアー=レヒナー、アルマ、カルパート、ワルターなど)をパッチワークのように組み合わせて物語を構成します。
その中で、「ブラームスとマーラーの和解」という文脈において、バウアー=レヒナー(マーラーがブラームスの死を悼む記述など)と、カルパート(ブダペストでの具体的な出来事)の情報が、私の知識の中で不正確に結びついてしまっておりました。
また、「草稿にある」という点についても、バウアー=レヒナーの完全版(Gustav Mahler in den Erinnerungen von Natalie Bauer-Lechner)が出版された際、未公開部分が多く追加されたという一般的な事実を、この特定のエピソードに当てはめて推測で語ってしまいました。根拠のない発言であり、深く反省しております。
結論として:
バウアー=レヒナーにその記述はありません。
正しい出典は、ルードヴィヒ・カルパートの『Begegnung mit dem Genius』(1934) です。
不正確な回答を繰り返し、貴重なお時間を割いて検証させてしまいましたことを、心よりお詫び申し上げます。
ここに至って、直接的な典拠として筆頭に挙げられたナターリエ・バウアー=レヒナーの回想は撤回され、ルードヴィヒ・カルパートの回想が替わりに典拠として示されました。ここでおやっと思われた方もいらっしゃるかも知れません。そうです。そもそも最初の回答で、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想とともに挙げられたのは、マックス・カルベックによるブラームスの伝記とブラームス自身の書簡であり、ルードヴィヒ・カルパートの回想は含まれていませんでした。となると、ブラームス側の文献についてもファクトチェックは必須ということになりそうですが、残念ながら、既述の通り、ブラームス側の文献は手元にないので、ファクトチェックを行うことができません。そこで本検証では、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想を典拠とする「幻覚(Hallucination)」の発生を確認するに留めたいと思いますが、バウアー=レヒナーやカルベックの記録にある発言を要約・定型化したものとして引用されている多くの伝記の代表例として挙げられているアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー伝』を確認して、検証を終えたいと思います。というのも、アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー伝』は、多くの評伝とは異なり、情報のソースが明示されており、このようなファクトチェックにとっては頼りがいのある存在だからです。
6.アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー伝』の記述
アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュのマーラー伝というのはそれ自体複雑な成立経緯を持ちますが、その詳細はここでは割愛させて頂いて、幾つか存在するバージョンのうち、本稿に直接関連する1890年12月のブダペストでの「ドン・ジョヴァンニ」公演についての記述を含む最新のバージョンである、英語版第1巻(但し、完成を見ずに本人は逝去したため、Sybille Wernerによって補筆完成されたもの)Gustav Mahler : The arduous road to Vienna (1860-1897)の記述を確認した結果を報告することにします。該当箇所は、Chapter 15 p.424です。特筆すべきは、ここでブラームスがブダペストでマーラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」に接した出来事について、一次資料(の英訳)の引用によって記述が為されていることです。典拠は、Neues Wiener Journal, 19 May 1911。ブラウコップフ編集の資料集に所収とのことですので、それも参照します。但し私が参照できるのは、英語版(Kurt Blaukopf, Mahler A documentary study, Oxford University Press, 1974)で、原文はそのドイツ語版の改訂版であるHerta und Kurt Blaukopr(hrsg.), Gustav Mahler Leben und Werk in zeugnissesn der Zeit, Hatje, 1993によって確認しました。以下ではアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの記述に従って紹介します。
ブラームスはブダペストの楽友協会に招かれて、1890年12月17日に自作(オイゲン・ダルベール独奏によるピアノ協奏曲第2番と大学祝典序曲)のコンサートを指揮しましたが、そのコンサートの晩に、マーラーの友人であるケスラーとヘルツフェルトが、マーラーが指揮する「ドン・ジョヴァンニ」の公演に出席するようブラームスを誘います。以下、Neues Wiener Journal, 19 May 1911によるその際の出来事の回想です。(以下の日本語訳はGoogle Gemiinによる翻訳に最小限の修正を施した試訳です。またアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュは第2段落のブラームスの応答から引用を始め、最後の段落の7年後の話の手前で引用を終えていますが、ここではブラウコプフの資料集に掲載されている全体を紹介します。)
ブラームスが来ていたコンサートの前夜、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』が上演されていました。ブダペストの音楽界やその他の界隈で活躍するマーラーの友人たちは、ボックス席を自由に利用できました。音楽アカデミーの教授、ハンス・ケスラーとヴィクター・フォン・ヘルツフェルトが、ブラームスにマーラーの『ドン・ジョヴァンニ』を勧め、公演に行くことを提案したのです。
「私は魅力を感じないよ」とブラームスは言い放ちました。「『ドン・ジョヴァンニ』を私のために完璧に演奏できる人はいない。楽譜で聴く方がずっと楽しい。『ドン・ジョヴァンニ』の良い演奏を聴いたことなどない。ビアホールに行った方がましだ。」
その言葉には矛盾がありませんでした。夕方、二人の紳士は7時頃にオペラハウスの前を通る約束を取り付けました。「先生、まだ早すぎるでしょう。ビールもそんなに長続きしないでしょうから。30分だけこちらへいかがですか。」
「よし、皆」とヨハネス先生は唸り声を上げた。「ボックス席にソファはあるか?」
「もちろんです。」
「なら大丈夫だ。寝て過ごす。」
彼らは席に着いた。友人たちはボックス席の手すりに、ブラームスはソファに座った。序曲が終わると、ボックス席の後方から奇妙な唸り声が聞こえた。言葉にならない賛辞に続いて、多く感嘆の声をあがり、手すりに座る紳士たちの胸は高鳴った。
「実に素晴らしい、驚異的だ――彼は本当に素晴らしい男だ」
ブラームスはソファから飛び上がり、幕が終わると友人たちと共に舞台に駆け上がり、生涯最高のドン・ジョヴァンニを聴かせた弱々しい小男を抱きしめた。
7年後、ウィーンでヤーンの後継者問題が持ち上がったとき、ブラームスはグスタフ・マーラーの名前を思い出し、ハンスリックと共にこの芸術家を支持する有力な証言を行った。この証言は、ウィーンでの彼の任命に完全には決定的ではなかったとしても、部分的には決定的なものだったかもしれない。
この資料以外にこの件に関する回想等の一次資料があるのかどうかは、現時点での私には判断できませんが、上記資料とGeminiの最初の回答を比較すると、ブダペスト音楽院の教授であるハンス・ケスラーが登場することや「生涯最高のドン・ジョヴァンニ」という言葉が出てくることなどから、この回想を要約的に定型化してブラームス自身の言葉としてしまったように思えます。
その一方で、「多くのマーラー伝記(アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュなど)は、このブダペストのエピソードについては、バウアー=レヒナーではなく、カルパートのこの著作、あるいはマックス・カルベックの『ブラームス伝』を出典として引用しています。」というGeminiの回答はどう評価したら良いのでしょうか?実際にはアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記において、カルパートの名前はかなりの回数登場しますし、Begegnung mit dem Geniusも参照されています。従って、根拠のない全くの出鱈目というわけでもないのですが、こと「このブダペストのエピソードに」限って言えば、参照されているのは別の文献のようです。
6.まとめ
ここまで、検証用プロンプト「19.ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか」の回答を起点としたGemini 3.0 Proとのファクトチェックのやりとりを報告してきました。マーラーの伝記的事実に興味のない方にとっては、そもそものプロンプト自体が重箱の隅をつつくような質問であり、その典拠を巡ってのやりとりは些事拘泥に感じられたかも知れません。実際、大規模言語モデル(LLM)の特性として、事前学習のデータに高密度で情報が存在する領域についてはかなりの高精度の回答を返すことが期待できる一方で、情報の密度が低い、所謂「ニッチ」な領域については、その精度は極端に低下し、しばしば「幻覚(Hallucination)」を起こすことが確認されています。(これまでの記事でも紹介してきましたが、繰り返しを厭わずに挙げると、例えばGIGAZINEの記事「「AIが引用した参考文献」の約3分の2が存在しない文献だったり間違っていたりしたとの調査結果」でその概要を確認することができます。)これも繰り返し述べてきたことですが、皆が関心を持ちそうな一般的な事柄については、事前学習のためのデータに事欠きませんから、それなりの回答が返ります。
更に今回のGemini 3.0 Proの検証につい+て留意すべき点は、これまでGeminiが得意とし、特に2.5 Flashの回答の精度に大きく寄与していたリアルタイム検索が全く行われていない点です。それはGemini 3.0 Proに対する以下のプロンプトの回答からもわかります。(以下では、間違いが是正されたと判断されていますが、それが本当か、まだ間違いがあるのではないか、という問は一旦措くことにします。)
(プロンプト)あなたはこのスレッドにおけるやりとりにおいて、リアルタイムのWeb検索をしましたか?事前学習の結果と、このスレッド内の先行情報のみに基づいて回答したのですが、特に、ブラームスのブダペスト訪問に関する件についてはどうだったか、教えてもらえますか?
(Gemini)正直に申し上げます。
このスレッドにおけるブラームスのブダペスト訪問(『ドン・ジョヴァンニ』の逸話)に関する一連の回答において、私はリアルタイムのWeb検索(Google検索など)は行っておらず、すべて私の「事前学習データ(内部知識)」のみに基づいて回答いたしました。
その結果として、以下のようなメカニズムで誤った回答(ハルシネーション)が生じてしまいました。
なぜ検索せずに誤った回答をしたのか(自己分析)
記憶の混同(ハルシネーション):
私の内部データベースには、「ブラームス」「ブダペスト」「ドン・ジョヴァンニ」「称賛」という事実と、マーラーに関する主要な回想録である「バウアー=レヒナー」「カルパート」「カルベック」といった情報がすべて存在します。
しかし、それらの結びつきが曖昧になっており、**「マーラーの個人的な回想といえばバウアー=レヒナー」という強い関連付け(バイアス)**に引きずられ、実際にはカルパートやカルベックの記述であるものを、バウアー=レヒナーのものだと脳内で「創作」してしまいました。
ページ数の誤り:
特に「179ページ」や「156ページ」といった具体的な数字を出してしまったのは、学習データ内に存在する膨大な書誌情報の断片を、文脈に合わせて誤って構成してしまったものです。もしリアルタイム検索を行っていれば、プレビュー画面などで「そのページにはその単語はない」と確認できたはずですが、内部知識のみに頼ったため、もっともらしい嘘(幻覚)をつく結果となりました。
ユーザー様のご指摘による修正:
あなたが「バウアー=レヒナーにはないのではないか?」「カルパートではないか?」と具体的な反証やキーワードを与えてくださったことで、私の内部知識の中で埋もれていた正しい関連付け(ブラームス=カルパート/カルベック)が再活性化され、訂正することができました。
結論
このスレッドでの私の失態は、**「事実確認(検索)を行わず、不確かな内部記憶を事実として断定してしまったこと」**に起因します。
特に歴史的な「出典の特定」や「ページ数」に関しては、内部記憶は非常に不正確になりがちであるにもかかわらず、検索による裏付けを怠った点について、重ねて深くお詫び申し上げます。あなたの粘り強いご指摘とファクトチェックのおかげで、正しい情報に辿り着くことができました。
この点でGemini は既存の路線から、Gemini3 に至って路線変更を行ったと言えるかも知れません。ChatGPTもChatGPT5以降(最近リリースされた5.2も含め)、基本的にはリアルタイムWeb検索を行わず。事前学習結果に基づく回答を行うようです。これは事前学習の精度の向上に対するベンダー側の自信の表われであると見ることもできるでしょうが、個人的にはそうした判断には危うさを感じずにはいられません。勿論、Gemini 3 Proの高度な能力を否定するわけではなく、それを認めたとしても、大規模言語モデル(LLM)の基本的な構造に由来する課題は解消した訳ではなく、にも関わらず、一時こぞって導入されたリアルタイム検索による補完を(少なくとも標準的な動作としては)止めてしまったことには疑問を感じるということです。ChatGPT-5の検証時にも書きましたが、開発サイドの姿勢に多少のヒュブリスを感じずにはいられません。
単純化を懼れず、簡単に言えば、生成AIは「こうであるだろう」という「もっともらしさ」については卓越したパフォーマンスを発揮しますが、個別的で、恣意的ですらある「本当はどうなのか」については原理的に苦手だということだと思います。従って、そうした個別的・恣意的な「事実」が問題となる時には、「もっともらしさ」が増していくだけになおさら使用に当たっての注意が必要だということになります。しかも問がニッチなものになればなるほど、「もっともらしい」けれど出鱈目という可能性が高くなっていくのです。利用者側でできる対策は、明示的にリアルタイムWeb検索をするように指示をすることくらいしかありません。
実は本稿で取り上げた元の質問は、「19.ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか」の回答を起点とこの検証のシリーズを開始した時点では、以下に示すように、正しい答が返ってこなかった場合の方が多く、その後もリアルタイムWeb検索なしでの結果は惨憺たるものでした。
- ChatGPT 4o(標準:検索無し):×
- ChatGPT 4o(検索つき):〇
- ChatGPT 5(検索なし):×
- Claude 3.7 Sonnet (検索なし):□(回答できず)
- Claude Sonnet 4 (検索あり):〇
- Claude Sonnet 4.5(検索あり):〇
- Gemini 2.0 Flash(検索あり):〇
- Gemini 2.5 Flash(検索あり):〇
- Gemini 3.0 Pro (検索なし):〇
こうした展望の下に今回のGemini 3.0 Proの結果を位置づけると、まず基本的な点として、検索なしで〇になった最初のケースだったことが確認でき、その事前学習結果が従来に比べて飛躍的な能力向上を示したものであることを窺わせます。
その後のファクトチェックのやり取りにおいても検索は用いておらず、結果として「幻覚(Hallucination)」が生じましたが、その内容は、如何にも「もっともらいしい」ものであり、検証にはかなりの手間を要しました。率直な印象として、こちらにそれなりの事前の知識があり、かつファクトチェックをそれなりのレベルで行うことができる領域であったから可能だったものの、そうでなければできなかっただろうと思います。実際、マーラー側の文献の調査は行えましたが、ブラームス側については手つかずの状態です。生成AIを使いこなすのも大変だという感覚が付き纏います。
一方でけれども、それは生成AIが相手でなくても生じえたことであることに今回は気づかざるを得ませんでした。実際には、人間の情報にも多くの誤りが存在しているわけで、そもそもがそうした誤りに気付いた際の備忘を公開・今日することから本ブログが始まったことを思い出さずにはいられなかったのです。そのように考えるならば、自分の力だけでは到底調べ尽くせない点まで調査の手が届く可能性を手にしたメリットはあっても、情報の信頼性を確保するための作業の困難は、実はさほど変わっていないようにも思えます。短時間で膨大な量の情報が入手できるようになった分、その困難がクローズアップされたに過ぎないという見方もできるように思います。Geminiは「特に歴史的な「出典の特定」や「ページ数」に関しては、内部記憶は非常に不正確になりがちであるにもかかわらず、検索による裏付けを怠った」ことを率直に認めていますが、これは生成AIに限ったことではなく、寧ろ人間にこそ良く当て嵌まることであり、以て他山の石とすべきことなのではないでしょうか?
ファクトチェックのための問い合わせは本稿で報告した以外にも幾つか行っており、引き続きその結果は別稿で報告の予定ですが、前もって述べておくと、それらはこれまではそこまで細かく検討していなかったような点について、生成AIとのやりとりを通して問題の存在に初めて気づいたといったものになります。つまり、人間の調査においてもその最前線に近いところまで、その範囲が広がってきたということになるわけで、検証を開始してまだ1年と経過していない短期のうちに、そこまで到達したことには率直に言って驚きを禁じ得ません。ここで扱っているのは些事に近い事柄だとは思いますが、今後は生成AIをうまく活用して新たな問題に気付き、それを調べていくという方向性に関しては、最早疑いのないもので、後は利用する側の使い方にかかっているのだというのが、本稿を纏め終えての印象となります。
(2025.12.10執筆・公開)
0 件のコメント:
コメントを投稿