2023年11月20日月曜日

フリッツ・レーア宛1885年1月1日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(2023.11.20更新)

フリッツ・レーア宛1885年1月1日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(1924年版書簡集原書23番, p.33。1979年版のマルトナーによる英語版では29番, p.81, 1996年版に基づく法政大学出版局版・須永恒雄邦訳では32番, p.37)
(...)
Meine "Trompetermusik" ist in Mannheim aufgeführt worden und wird demnächst in Wiesbaden und Karlsruhe aufgeführt werden. Alles natürlich ohne das geringste Zutun von meiner Seite. Denn Du weißt, wie wenig mich gerade dieses Werk in Anspruch nimmt.(...)

(…)僕の≪トランペット吹きの音楽≫はマンハイムで演奏されたが、続いてヴィースバーデンとカールスルーエでも演奏されることになっている。万事がもちろん、一切僕の関与なしにだ。だって、君もご存じのとおり、この作品はまったく僕にとっては物の数には入らないのだ。(…) 

この手紙をここに引いたのは「ゼッキンゲンのラッパ手」の再演に関する言葉が含まれるためだが、実はこの新年に書かれた手紙は「さすらう若者の歌」の 創作に関連して引用されることの方が遙かに多い。実際、この手紙の主題はそちらにあって、引用した部分はまるで「ついで」のように触れられているに 過ぎないのだ。というわけで、上記の引用の前後に記述されている「さすらう若者の歌」に関係する部分は、別の機会に是非紹介したい。
ここでは半年前には「大変に満足」していた筈の「ゼッキンゲンのラッパ手」に対する冷めた態度が印象的だが、それが「さすらう若者の歌」創作にまつわる 状況と心境の変化とともに語られていることが私には興味深く感じられる。それでもマーラーはこの後交響詩「巨人」において一旦は、その両者を「引用」する。 最終的には第1交響曲に改訂する際に「花の章」を削除することで、「ゼッキンゲンのラッパ手」を抹殺してしまうのであるが。
なお、言及されているマンハイム、ヴィースバーデン、カールスルーエのうち再演が確認されているのは、ラ・グランジュによればカールスルーエのみとのことである。 ちなみに英語版書簡集には、カールスルーエでの演奏の予告が収録されている。それによれば日付は1885年6月5日なのだが、これはラ・グランジュの1973年の 英語版の記述(6月6日)とも、フランス語版第1巻の記述(6月16日)とも一致しない。後者は恐らく誤植だろうが、前者もまた、その可能性がある。 ラ・グランジュが上演を確認した資料がマルトナーが書簡集で紹介した演奏予告とは別のものなのかどうか確認する術がないので、誤植なのか 予告より遅れて上演されたのかは判断できない。ラ・グランジュの著作は大部なせいか、この類の誤植は少なくなく、資料として使おうとすると 他の文献との矛盾が見つかることがしばしばで厄介である。(2007.12.26, 2023.11.20邦訳の情報を追加)

イダ・デーメル(詩人のリヒャルト・デーメル夫人)の日記に出てくるマーラーの言葉(2023.11.20更新)

イダ・デーメル(詩人のリヒャルト・デーメル夫人)の日記に出てくるマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1971年版原書p.121, 白水社版酒田健一訳p.112)
Es käme ihm auch immer wie Barbarei vor, wenn Musiker es unternähmen, vollendet schöne Gedichte in Musik zu setzen. Das sei so, als wenn ein Meister eine Marmorstatue gemeißelt habe und irgend ein Maler wollte Farbe darauf setzen. Er, Mahler, habe sich nur einiges aus dem Wunderhorn zu eigen gemacht ; zu diesem Buch stehe er seit frühester Kindheit in einem besonderen Verhältnis. Das seien keine vollendeten Gedichte, sondern Felsblöcke, aus denen jeder das Seine formen dürfe.

音楽家が完璧な詩に作曲しようと試みるのは、野蛮な行為としか思えない。それはまるで彫刻の大家が彫りあげた大理石の立像に、そこいらの絵描きが色をぬりたくろうとするようなものだ。だから自分は『子供の魔法の角笛』のなかからほんの少しばかり頂戴するにとどめた。この本とは幼いころから特別な因縁があったからだ。それは完成された詩ではなくて、だれもが思いのままに鑿をふるえる岩の塊なのだ。 

マーラーが自分の作品における歌詞の選択についての考えを述べた言葉。 マーラーは作曲にあたって原詩に手を入れることを躊躇しなかったが、その姿勢を裏付ける言葉だと思われる。 これを例えばデュパルクの言葉と比較するのは興味深い。 最初の1文については同じだが、その後は異なって、デュパルクは不可能事に挑んだのに対して、マーラーは終生、ずっと現実的だったと言えそうだ。 なお、比喩として彫刻家や画家を持ち出しているが、画家は丁度マーラーの姓との語呂合わせになっている(Maler / Mahler)のが意識してのことだとしたら、 機転のきいた言葉ではなかろうか。(機転があるのは記録者のデーメル夫人の方である可能性も否定できないが。)

ちなみに、ここでは割愛したが、この文章の前には戯曲に音楽をつけることについての発言があるが、それが暗に自分がオペラの作曲を放棄したことの 説明になっているようで、ここで引用した部分と両方あわせて第8交響曲第2部のゲーテ「ファウスト」第2部終幕への作曲のことを考えてみること同様、 興味深いものがある。

なお、原書のページは私が所蔵しているミッチェルによるドイツ語新版(1971)のものである。デーメル夫人の日記からの引用は Splendid Isolation 1905 の 章の最後に置かれているから、それを手がかりに探せば他の版でも同定は難しくないだろう。(2007.5.15, 2023.11.20邦訳を追加)

2023年11月13日月曜日

MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率分布の比較(2) 他の作曲家の作品との比較

1.はじめに

 記事:MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率分布の比較では、マーラーの交響曲全体の状態遷移パターンの出現確率分布と、各作品の状態遷移パターンの出現確率分布との比較を行った結果を報告しました。一方、他の作曲家の作品との比較については、マーラーの同時代以降の作品との比較を企て、一旦公開まで漕ぎ着けたものの、未分析の和音が占める割合が高いことに気付き、意味のある集計・分析にならないと判断し、記事を撤回しました。その経緯は記事:MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回についてに記載した通りです。そして同記事ではマーラーの同時代以降の作品との比較の替わりに、比較対象としてきた他の作曲家の作品における未分析の和音の出現頻度を報告しました。その結果を踏まえ、本記事では、他の作品との比較をしようとした場合に、未分析の和音の割合が比較的小さくて、マーラーの作品に出現する和音および和音の遷移のパターンの範囲に収まり、その頻度の分布の比較をすることが概ね可能な作品を選択して比較を行った結果を報告します。以下、これまでの記事同様、計算結果に対するコメントはせずに、集計・分析条件の説明と結果の報告のみを行います。

 但し、これまで本ブログで行ってきた、MIDIファイルを入力としたマーラーの作品の分析を通して見た場合、MIDIファイルから自作のプログラムで抽出した拍毎・小節頭拍毎の和音(ピッチクラスの集合)の連なりを分析しようと試みて、最も初期には和音の系列データそのものを時系列データと見做して、時系列データの比較手法を用いたクラスタリングを検討したものの、和音の系列データの各要素は或る次元を持った量ではなく、ピッチクラスの集合をある規則で符号化して数値化したものであるためにうまく行かず、その後は一定の限定した和音の集合に範囲を限定して、その出現頻度に注目した分析を行ってきたのに対して、状態遷移パターンの出現確率分布を用いて、カルバック・ライブラー・ダイバージェンスのような特徴量を用いた比較を行ったり、出現確率分布のベクトル全体を特徴ベクトルと見做したクラスタリングを行うことによって、漸く和音(ピッチクラスの集合)の系列の全体を表す特徴量を用いた分析が可能になったと言えるのではないかと思います。また、個別の作品間の比較や、それらと他の作曲家の作品との比較に留まらず、マーラーの交響曲全体についての特徴量を計算して、それと個別の作品とを比較することが可能になったこともあって、その一部の次元のみを取り出しているに過ぎないとは言え、漸く「マーラー・オートマトン」の出力の全体を捉えた分析に辿り着いたように感じます。


2.集計・分析の方法

これまでに用いてきた以下の特徴量を集計することとします。各項目それぞれの詳細については各特徴量の集計や分析の結果を報告した過去の記事を参照頂きたく、ここでの説明は割愛させて頂きます。

  • 単純マルコフ過程としてみた場合のエントロピー
  • 和音パターン・状態遷移パターンの出現確率のエントロピー
  • 状態数と系列長の比率
  • カルバック・ライブラー・ダイバージェンス
  • 相互情報量
  • 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング(階層クラスタ分析:complete法)
 このうちカルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量については、マーラーの交響曲全曲についての和音パターンおよび状態遷移パターンの出現確率分布を比較対象とした作品のものと比較しますが、比較対象の作品における確率分布を分子側、マーラーの交響曲全体における確率分布を分母側として計算を行うのは、マーラーの各交響曲との比較の場合と同じで、KLD(P||Q)とした時、P:比較対象の作品、Q:マーラーの交響曲全体です。但しマーラーの各交響曲の場合には、交響曲全体で出現するパターン(Q側)が個別の作品(P側)で出現しない、つまり確率0であることはありえるが、その逆はないという条件が成り立ちますが、今回は他の作曲家の作品との比較のため。必ずしも成り立ちません。この時、比較対象の他の作曲家の作品には出現するがマーラーの交響曲には出現しないパターンを含めて出現確率のベクトルを構成すると、計算上、分母が0になり値が無限大になってしまいます。そこでマーラーの全交響曲に出現するパターンのみを対象にして出現確率のベクトルを構成することになりますが、そうすると今度は比較対象の作品に出現するパターンで集計対象にならないパターンが出てきてしまいます。
 今回比較対象の候補とした作品は、記事:MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回について記載の確認結果を踏まえ、未分析の和音が無いか、あっても極僅かな作品としましたが、その中でも、実際に計算をしてみると、マーラーの交響曲には出現しないパターンを数多く持った作品が出てきてしまいます。また、その割合は当然ですが、和音のパターンについての場合と、状態遷移パターン(ここでは深さ1のみ)についての場合とでは大きく異なります。A、Bという和音が出現しても、A→Bという状態遷移が生じるとは限りませんし、B→Aについても同じことが言えます。従ってある比較対象の作品に出現する和音のパターンが全てマーラーの全交響曲に含まれる場合でも、それら和音の組み合わせである状態遷移パターンについては、その比較対象の作品に出現するパターンがマーラーの全交響曲に出現するとは限りません。そこで本記事の分析にあたっては、そのような未集計のパターンがどれくらい出現するかの集計も同時に行い、結果を報告する対象に含めるかどうかを判断することにしました。
 具体的には、マーラーの全交響曲(gm_all)との比較対象とする作品の候補として、以下を選択しました。
  • ブルックナー:第5,7,8,9交響曲(ab5,7,8,9)
  • ブラームス:第1~4交響曲(jb1,2,3,4)
  • シベリウス:第2,7交響曲、「タピオラ」(js2,7, jsTapiola)
  • フランク:交響曲、交響的変奏曲、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ(cfsym, cfsymvar, cfsq, cfvp)
  • ヤナーチェク:シンフォニエッタ(lj)
  • タクタキシヴィリ:ピアノ協奏曲第1番(ot)
  • ラヴェル:左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲、優雅で感傷的な円舞曲、「ダフニスとクロエ」第2組曲(mr1, mr2, mr3, mr4)
 これらについて、まず上述のように未集計のパターンののべ数を確認します。まずは単独和音パターン(深さ=0に相当)についての集計結果を示します。

一見して、ラヴェルの作品における未集計和音の数が多いことがわかります。(他の作曲家は全くないか、あっても1曲につき数個。)ラヴェルの作品の系列長は他の作曲家の作品に比べれば相対的に短めですから、系列長の中で占める割合は更に大きいことになります。
 同様に、前後の和音の対からなる状態遷移パターン(深さ=1に相当)について、未集計パターンを見ますが、こちらはのべ数そのものではなく、対象となる系列長の中で、未集計のものが占める割合を以下に示します。

こちらでもラヴェルの作品の未集計パターンの割合の多さは明らかです。シベリウスの作品も「タピオラ」はラヴェルの作品と同等の割合であり、第7交響曲も高めですが、ラヴェルにおけるように半分前後の割合に達する作品はありません。また、深さ0の集計結果も併せて考えると、ラヴェルについては系列のうちのかなりの割合が実質的に分析の対象から外れてしまうことになり、結果の意味合いについて留保がつくことになります。
 そこで本記事の分析においては、ラヴェルの作品は対象外とすることにしました。一方、同様にして、深さ=2,3,4,5の状態遷移パターンについても集計を行った時にどのような結果になるのかについても確認してみたくなりますが、本稿では深さ0,1に限定し、それ以上の深さについての集計・分析は後日を期することとします。


3.集計・分析結果

3.1.エントロピーおよび多様性の計算結果(比較対象の作品およびマーラーの全交響曲(右端))

(A)単純マルコフ過程として見た場合のエントロピーおよび状態遷移パターンの出現確率のエントロピー(深さ0~5)

(B)パターン数/系列長比(深さ0~5)


3.2.カルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量の計算結果(KLD(P||Q)とした時、P:比較対象の作品、Q:マーラーの全交響曲)
(A)深さ=0

(B)深さ=1

(参考)出現確率エントロピーの差分(Q-P、但しP:各曲、Q:全体)

未集計のパターン数が多いシベリウスの第7交響曲、「タピオラ」では深さ0の差分がマイナスになっており、マーラーの全交響曲よりもエントロピーが大きいことが確認できる。


3.3. 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果

(A)深さ=0


(B)深さ=1



[付録]ダウンロード可能なアーカイブファイルcontrol_cdnz3_pcls.zip の中には以下のファイルが含まれます。

  • 入力ファイル(比較対象の作品およびマーラーの全交響曲について)
    • gm_control_A_prob_all.csv:和音パターン出現確率(深さ0):マーラーの全交響曲の列を含む。ラヴェルの作品は含まず。クラスタ分析の入力。
    • gm_control_A_prob2_all.csv:状態遷移パターン出現確率(深さ1):マーラーの全交響曲の列を含む。ラヴェルの作品は含まず。クラスタ分析の入力。
    • control_A_prob_all.csv:和音パターン出現確率(深さ0):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品は含まず。gm_control_A_prob_all.csvのサブセット。
    • control_A_prob2_all.csv:状態遷移パターン出現確率(深さ1):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品は含まず。gm_control_A_prob2_all.csvのサブセット。
    • *_A_cdnz3_pcl.csv:比較対象の各作品(ラヴェルの作品も含む)の状態遷移パターン出現頻度(深さ0~5)
    • *_A_cdnz3_pcl_transition.csv:比較対象の各作品(ラヴェルの作品も含む)の状態遷移マトリクス
  • 結果・中間結果ファイル(比較対象の作品およびマーラーの交響曲全体について)
    • hclust_complete_prob_all.jpg:状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果(深さ=0)
    • hclust_complete_prob2_all.jpg:状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果(深さ=1)
    • control_A_pcl_KLD_MI.xlsx
      • Sheet1シート:比較対象の作品およびマーラーの交響曲全体について
        • 総拍数
        • 状態数(深さ0~5)
        • 系列長(深さ0~5)
        • パターン数/系列長比(深さ0~5)
        • 単純マルコフ過程としてのエントロピー
        • 状態(パターン)の出現確率(深さ0~5)のエントロピー
        • 対マーラー全交響曲の出現確率エントロピー差分(深さ0~5):(Q-P、但しP:各曲、Q:マーラー全交響曲)
        • 対マーラー全交響曲のカルバック・ライブラー・ダイバージェンス(深さ0,1):(KLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:マーラー全交響曲)
        • 対マーラー全交響曲の相互情報量(深さ0,1)
        • 対マーラー全交響曲の交差エントロピー(深さ0,1)
        • 未集計系列数・深さ0:未集計和音パターンののべ数
        • 未集計系列数・深さ1:未集計状態遷移パターンののべ数
        • 未集計系列比率・深さ1:未集計状態遷移パターンののべ数の系列長に対する割合
      • d0シート:和音パターン出現頻度(深さ0):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
      • d0pシート:和音パターン出現確率(深さ0):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
      • d1シート:状態遷移パターン出現頻度(深さ1):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
      • d1pシート:状態遷移パターン出現確率(深さ1):比較対象作品のみ。ラヴェルの作品を含む。
(2023.11.13)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2023年11月10日金曜日

MIDIファイルを入力とした分析:状態遷移パターンの出現確率分布の比較

 1.はじめに

 記事:MIDIファイルを入力とした分析:マルコフ過程としてのエントロピー計算結果(補遺)創作時期別集計において、マーラーの作品を創作時期別に見た場合に、全般的な多様性や状態遷移の深さと多様性の関係において、創作時期によって傾向が変化していく点について、各作品毎ではなく、創作時期別に、更にマーラーの交響曲全体で、単純マルコフ過程として見た場合のエントロピー、深さ0~5の状態遷移パターン出現確率のエントロピー、或いは状態遷移パターン数と系列長の比といった特徴量を集計した結果を報告しました。その結果は、、創作時期によって傾向が変化していくというそれまでの集計・分析に基づく観察と一致するものであったのですが、そこでの比較は数値の単純な比較とそのグラフによる可視化によるもので、定量的に差異を測定した訳ではありません。

 そこで本記事では、マーラーの交響曲全体の状態遷移パターンの出現確率分布と、各作品の状態遷移パターンの出現確率分布との比較を行った結果を報告します。2つの確率分布の比較の方法としては、幾つかの方法が直ちに思い浮かびますが、ここではカルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量の2つを用いました。更に参考として、状態遷移パターンの出現確率のエントロピーについて全体と各作品とを比較した結果も報告します。最後の点は、出現確率分布の比較が、所謂「距離」の定義を満たしているといないとに関わらず(実際にはカルバック・ライブラー・ダイバージェンスは満たしていない訳ですが)、計算して求まる値は両方の差の絶対値であって、非負の量であることから、どちらが多様性がより大きい・小さいといった情報が落ちてしまうのを補うためです。

 更に、カルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量を計算するために用意した状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトル自体を特徴量としてクラスタリングを行ってみましたので、その結果も併せて報告します。なおこれは、以前に行った和音の出現頻度に基づく分類で用いた特徴量と基本的には同じですが、以前の分析では、幾つかの「名前のある」(つまり音楽理論上、機能を持つとされる)和音に対応するパターンに限定して行っていたものを、交響曲全体で出現する全ての和音に対応するパターンを対象として行ったという位置づけになります。直前の記事MIDIファイルを入力とした分析:未分析の和音の出現頻度―エントロピー計算結果の同時代以降の作品との比較の記事撤回についてで取り上げたように、マーラーの作品については未分析の和音はないので、このような分析が可能となっています。

 以下、計算結果に対するコメントはせずに、集計・分析条件の説明と結果の報告のみを行います。また、カルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量の定義などについての説明も割愛させて頂きます。両方とも特に近年の機械学習で用いられていることもあってか、Web上で様々な説明・解説があるようですので、必要に応じてそれらを参照頂けますようお願いします。


2.集計・分析の条件

2.1. カルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量の計算

 上掲の創作時期別集計の記事におけるのと同様、単音・重音は対象外(cdnz3)/移置・転回を区別しない(pcl)条件で、今回は各拍(A)毎に抽出した和音パターンの系列のみを対象としました。(A/B系列で大きく見た場合には著しい差異がないと判断し、計算資源の制約に抵触しない限りでは、よりサンプルの多いA系列をもって代表させるのが適当と考えました。)計算対象となる状態は、深さ0(和音=ピッチクラスの集合のパターン)と深さ1(和音=ピッチクラスの集合の状態遷移パターン、単純マルコフ過程の状態遷移パターンに相当)です。

 計算にあたっては従来から用いてきたR言語にあるエントロピー計算用のライブラリ(entropy)をRstudio上で使用しました。R言語のバージョンは4.3.1です。entropyライブラリにはカルバック・ライブラー・ダイバージェンスと相互情報量を計算するプラグインが用意されています(それぞれKL.pluginとmi.plugin)ので、それを利用して計算を行いました。既述の通り、特にカルバック・ライブラー・ダイバージェンスは、所謂「距離」の公理を満たしておらず非可換ですが、ここでは個別の作品における確率分布を分子側、交響曲全体における確率分布を分母側として計算を行っています。つまりKLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:全体です。(交響曲全体で出現するパターン(Q側)が個別の作品(P側)で出現しない、つまり確率0であることはありえるが、その逆はないため。逆向きの計算では分母が0になり、値が無限大になってしまいます。)なお、公開した計算結果には交差エントロピーも含めていますが、これは各曲のエントロピーとカルバック・ライブラー・ダイバージェンスから求めることができます。(即ち、H(P, Q) = H(P) + KLD(P||Q))

 冒頭述べた通り、参考として個別の作品における状態パターンの出現確率のエントロピーと交響曲全体の状態パターンの出現確率のエントロピーとの差分の計算も行いましたが、こちらについては、後者が前者よりも大きければプラス、小さければマイナスの値を取るように計算しました。これは深さ0~5の全てについて計算を行いました。

2.2. 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング

 従来から用いてきたR言語を用い、R言語の階層クラスタリング関数hclustで、complete法により計算を行いました。今回の分析の特徴として、各作品の状態遷移パターンの出現確率分布のベクトル(m1~m10)に加えて、交響曲全体の状態遷移パターンの出現確率分布のベクトル(all)も含めてクラスタリングを行うことで、全体と各作品の距離が視覚的に確認できるようにしてみました。


3.集計・分析結果

3.1.カルバック・ライブラー・ダイバージェンスおよび相互情報量の計算結果(KLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:全体)

(A)深さ=0


(B)深さ=1

(参考)出現確率エントロピーの差分(Q-P、但しP:各曲、Q:全体)
※後期作品の深さ0の差分がマイナスになっている点に注意。第8交響曲はわずかにプラスだがほぼ0でした。

3.2. 状態遷移パターンの出現確率分布を表すベクトルによるクラスタリング結果

(A)深さ=0

(B)深さ=1

※深さ0と1では、all(全交響曲)とm6(第6交響曲)の位置が異なりますが、後期作品3曲が概ね同じクラスタに属する点では共通しています。


[付録]ダウンロード可能なアーカイブファイルgm_sym_A_KLD_MI_cdnz3_pcl.zip の中には以下のファイルが含まれます。

  • 入力ファイル(各交響曲および交響曲全体について)
    • gm_A_prob_all.csv:和音パターン出現確率(深さ0):値のみ
    • gm_A_prob2_all.csv:状態遷移パターン出現確率(深さ1):値のみ
    • gm_A_frq_all.csv:和音パターン出現頻度(深さ0):パターンラベル付き
    • gm_A_frq2_all.csv:状態遷移パターン出現頻度(深さ1):パターンラベル付き
  • 結果ファイル(各交響曲および交響曲全体について)
    • hist.txt:R言語の実行ログ
    • gm_sym_A_KLD_MI_cdnz3R_pcl.xlsx
      • 状態(パターン)の出現確率(深さ0~5)
      • 対全交響曲の出現確率エントロピー差分(深さ0~5):(Q-P、但しP:各曲、Q:全体)
      • 単純マルコフ過程、二重マルコフ過程としてのエントロピー
      • 対全交響曲のカルバック・ライブラー・ダイバージェンス(深さ0,1):(KLD(P||Q)とした時、P:各曲、Q:全体)
      • 対全交響曲の相互情報量(深さ0,1)
      • 対全交響曲の交差エントロピー(深さ0,1)

(2023.11.10)

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。