2023年5月24日水曜日

補遺:第8交響曲における五音音階性:MIDIデータを入力とした分析続報(3)(最終更新2023.5.29)

 これまで本ブログで断続的に実施・報告してきた、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析の続報として、「付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析」および、「2つの旋法性?:MIDIデータを入力とした分析続報(2):全音階・五音音階・全音音階を巡って」を公開しましたが、お読み頂いた方から、第8交響曲における五音音階性について確認のお問い合わせを頂きました。

 第8交響曲は全音階的ではないかというご指摘で、お問い合わせ頂いてみて改めて記事を読み直すと、一つの理由として、2番目の記事のまとめにおいて、何らの注記なしに、第6,8交響曲について、「全音階-/五音音階+/全音音階-」という特徴づけをしたことがあると気づきました。ここでの整理は、あくまでも比較対象内の相対的な傾向を示すものであり、マーラーの作品の中では、全音階性が相対的に優越した前期作品とそれ以外の要素が相対的に優越した後期作品に分かれるという点を表したもので、かつ主成分分析結果のプロットの各象限を特徴づけるために恣意的に単純化した面があることは否定できません。全音階性は他の作曲家と比較した場合には寧ろマーラーを特徴づけるものですし、特に第6交響曲、第8交響曲については主和音形の出現頻度が下がっているわけではなく、全音階性を"-"とするのは明らかにミスリーディングでラベルとしては適切ではありませんでした。より適切なラベルに修正すべきかも知れませんが、適当なものが思い浮かばず、マーラーと他の作曲家の作品間の分類と併せ、属九和音優位というのを、飽くまでも今回の結果を要約するための便宜的なものとして採用して修正することとし、その旨を注記するとともに、分類の方も、主成分分析結果のプロットの各象限のラベルであることが明確になるように修正を加えました。

 と同時に、一見したところ前期作品群への回帰の印象さえ受ける第8交響曲における五音音階性について、今回分析に用いたデータからわかることについて、個別に確認することは興味深い課題であると考え、改めて分析に用いたデータと分析結果の見直しを行い、更に、分析の元となった各拍頭毎・各小節の頭拍毎の和音パターン(ビッチクラスの集合)についても確認を行いましたので、その結果を以下に記します。

 上記のような次第で、前の記事の訂正も本記事の執筆も、ご指摘をうけてのものであり、記事をお読み頂き、ご指摘とともに興味深い問題提起をして頂いたことにこの場を借りて御礼申し上げます。

*  *  *

 第8交響曲は、実は今回のデータについてだけ言えば、五音音階系の頻度が全交響曲中最大で、五音音階系2種(add6およびpenta)合計で、100拍につき8を超えます。次点は実は第6交響曲で、この結果には、この2曲のテクスチュアが分厚くて、厚い和音の頻度が相対的に高いという事情もあろうかと思います。特に「大地の歌」より割合が高いのはそのせいではないかと思います。最初の記事でも注記した通り、本分析での集計の仕方として、水平方向の旋律線にいわば「分散」しているものはカウントされず、あくまで垂直方向に同時に和音として響いているものだけを見ていることもあって、聴感と比べた時にテクスチュアが厚い方が高めに出る傾向があると思います。実は第6、第8とも属7和音形、属9和音形の頻度も高く、主和音形の頻度も当然のこととして他に比べて低くはないのですが、頻度の割合の相対的な比較ということになると、五音音階系の突出が際立っているという結果になっています。この点を踏まえれば、全音階性の+/-でラベルづけするよりは、他の作曲家も含めた特徴づけ同様、こちらも九の和音のような複雑な和音の優位として表現するのがより正確かも知れません。

 第8交響曲を聴いた印象について言えば、私個人は第1部は全音階的、第2部は場所によって五音音階的な雰囲気が感じられることがしばしばあるというように感じてきました。従って第1部と第2部で傾向に違いがあるのだろうと思い込んでいたのですが、実は分析の元となった頻度のデータを見ると、両者に大きな違いはなく、いずれも五音音階系2種(add6およびpenta)合計で、100拍につき8を超えます。これは私自身、意外に感じた点です。理由を考えてみると、一つには第1部が、これも他の作曲家の作品と比べれば長大ではあるものの、マーラーの他の交響曲との比較においては、相対的には簡潔な印象さえあること、何より第2部がマーラーの作品中でも群を抜いて長大で、唯一1000小節を超える(あの第3交響曲第1楽章ですら875小節、第6交響曲のフィナーレでも822小節で900小節を超えることはありません)ことから、第2部のある部分で五音音階的なところが印象に残っても、全体の中での比率ということでは割合は大きくならない、つまり聴感は回数に拠る側面があると思われますが、ここでは割合を比較しているので、回数程は割合は高くないという事情もありそうです。

 他方、この件に関連して少し確認してみたところでは、柴田南雄さんの岩波新書のモノグラフ『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』(1984)での指摘に頷ける点が多いと感じます。柴田さんは第8交響曲について、第1部は第7のフィナーレの反映、第2部は「大地の歌」の予告と捉えています(同書, p.141)。この指摘のうち、前者は直観的には意外な感じもするのですが、そう思って振り返ってみると、前の記事で少しだけ触れたアドルノの「超長調」の指摘も恐らくは無関係ではないのだと思いますが、第7交響曲も総じて五音音階的な雰囲気はかなりあって、それはこれぞ初期交響曲の全音階的性への突然の回帰と目されることの多い(例えばマイケル・ケネディは『グスタフ・マーラー その生涯と作品』(中河原理訳, 芸術現代社, 1977)の中で、そこに「心を開いた陽気さがあり、「魔法の角笛」の素朴さへの、突然で極めて感動的な逆戻りがあ」ると指摘しています。(同書, p.189))、「悪名高い」ロンド・フィナーレについてもそのことは言えるのではないでしょうか。実際に頻度の割合のデータを見ても、五音音階系2種(add6およびpenta)合計で、100拍につき9.7強という、第8交響曲を上回る頻度であることが確認できます。第7交響曲全体の平均では5.4ですが、この曲は多様性に富んでいて、第3楽章の「影のような」スケルツォは2を切っていてこれがこの曲の中の最小、「超長調」の第1楽章は4.7、2つの「夜曲」はそれぞれ第2楽章3.6、第4楽章5.3なので、五音音階性に関しては、ロンド・フィナーレが極めて大きな寄与をしていることになります。つまり、前期作品の世界への回帰とは言っても、単純な逆行ではなく、五音音階性という後に繋がる傾向も併せ持っているということが見て取れるように思います。してみれば、柴田さんの第8交響曲第1部と第7交響曲第5楽章についての指摘は、こちらは五音音階性に陽に触れているわけではないのですが、その点についても妥当であるということが言えるのではないでしょうか。

 一方第8交響曲第2部が「大地の歌」の予告という柴田さんの主張の方は、こちらはまさに五音音階性に関わっているのですが、特にその点について柴田さんが指摘しているのは2か所です。1つ目は少年合唱と女声合唱が入って、スケルツォ的な雰囲気に変わる部分(385小節、練習番号56のAllegro decisoからだと思います)。ここから「五音音階ふうのモティーフが時折、聞こえはじめる。」(柴田南雄, 上掲書, p.143)2つ目はずっと後、マグダラのマリア、サマリアの女、エジプトの女の三重唱(練習番号135 「とても流れるように、ほとんど急くように」以降)で、「この辺でも「大地の歌」を予告する東洋的異国情調の表現としての音音階を聴くことができる。」(同書, 同頁)と指摘されています。実際にデータを見ても、上記2か所は付加6が固まって出現する場所であることが確認できます。(余談ですが、特に後者を確認した時、エジプトやパレスチナもヨーロッパから見たら中近東、オリエント=「東洋」だというのを思い出しました。またゲーテも実は東洋への関心が強かったし、カトリックの聖歌でGloria Patriで終わる第1部はともかく、第2部はそもそもが東洋的な発想の影響が強いのではないかということも思いました。マリア崇拝自体、カトリックが浸透するに際して取り込んだ、基層の異教の信仰の名残なのでしょうし。)

 ただ、私個人は上記2か所よりももっと決定的な箇所があると感じていて、それは大詰めの「神秘の合唱」の直前、練習番号199の、2/2に変わり、ハーモニウム、チェレスタ、ピアノ、木管とハープ、弦のフラジオレットによるやや飾り物めいた色彩のブロックがありますが、この手前とこの部分が一番顕著だと感じていて、実際にデータを眺めてもここも付加6が固まって出現する箇所です。楽器法的にも、チェレスタやハープの使用は「大地の歌」の全曲の末尾を思わせます。ピアノとハーモニウムが加わって、ちょっとコッテリした感じで、マイケル・ケネディはオーストリアバロックの教会の室内装飾を引き合いに出したり、クリスマスツリーの妖精を持ち出して批判的に指摘していますが(マイケル・ケネディ, 上掲書, p.201)ケネディの言わんとすることも良くわかるように思います。

 また今回は和音パターン(ピッチクラスの集合)の分析なので、これは直接分析結果に繋がるわけではないのですが、例えば三重唱の旋律線の出だし部分はMater Gloriosaのモチーフと共通です。こちらはEs-C-B-A-Gで、これ自体は五音音階ではないですが、ちょっと変形すればそうなるし、和声付けの時にEs-C-Bという動機にEs-C-B-Gを裏打ちする箇所は、エキゾチックな雰囲気になるのではないか、というようにも思います。いってみれば、全音階的にも五音音階的にも扱えるということでしょうか?前の記事で参照したバーフォードのbasic shape(C-D-E-A-G)とも直接は一致しませんが、接点はあるように思います。実際、第2部のMater Gloriosaに因んだ箇所の旋律線はバーフォードのbasic shapeの変形と見ることができる要素を豊富に含むように思います。

*  *  * 

 以上より、第8交響曲における五音音階性は「大地の歌」と比べても遜色ない程度には高く、第7交響曲のフィナーレがそうであるように、初期交響曲の全音階性への回帰の面とともに、後期作品の特徴の一つである五音音階性を含んでいる点で、単なる回帰には留まらない特徴も併せ備えていると言って良いのではないかと考えます。(2023.5.24公開、5.29第3交響曲第1楽章の小節数に関する誤記を訂正するとともに補足)

2023年5月22日月曜日

2つの旋法性?:MIDIデータを入力とした分析続報(2):全音階・五音音階・全音音階を巡って(2023.5.21, 最終更新5.31)

 1.はじめに

 本稿の直前の記事、「付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析」では、これまで本ブログで断続的に実施・報告してきた、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析の続報として、長短の主和音形(ピッチクラスの集合)について転回形を区別し、かつそれらと属七・属九・付加六の和音形に対象を限定した分析の結果を報告しました。それはそれまでに今後の課題として挙げられていた2つの分析観点のうち、和音の転回の区別を意識することで、和音の持っている機能的側面を反映した分析が可能となる可能性があるため、最低限でも主三和音形(機能としての主和音ではなく主和音の形)については転回形を区別した分析をするという課題に応じたものでした。もう一つの課題である、機能和声で用いられる、所謂「名前のついた和音」だけを対象とするのではなく、特に後期作品に行くほど増加する、「名前のない」未分析の和音を集計・分析対象とするという課題については、「名前のない」未分析の和音を網羅的に扱うことは手に余るので、直近の分析でも取り上げた旋法性に関連して、特にマーラーの「後期様式」と密接な関連を持つと指摘されている五音音階と全音音階の構成音からなる和音に対象を絞った分析を行いましたので、その結果を以下に報告します。本ブログにおけるデータ分析が持つ様々な制限や限界については前の記事で一通り触れましたので、ここでは割愛し、端的に分析のスコープと結果について述べることとさせて頂きます。


2.本分析の背景

 本分析が導きの糸としたのは、アドルノのマーラー・モノグラフに含まれる、マーラーの、特に後期作品を特徴づけるとされる和音についての指摘です。それは本ブログの別のところで準備作業を進めているマーラーの音楽における「老い」についての論考の糸口の一つでもある、老年に関するゲーテの言葉への以下のような言及から始まる、最終章「長きまなざし」の一節の中に含まれています。

「ゲーテの言葉にあるように「現象から身を引く」ために、また自分の音楽に、痛みに満ちた思い出の香りを染み込ませるために、後期のマーラーは時代のもつ異国趣味に心を傾ける。かくして中国が様式化の原則となる。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)

後続の箇所でアドルノは、「≪大地の歌≫の終わるところから始まっていると人が語ったのも誤りではない」第九交響曲の中間楽章について「全音階法(ママ)をさらに旋律形成に使い、またその帰結として和声進行にも利用している」と述べ、続けて以下のように述べていきます。

「マーラーは、ヨーロッパ芸術の全体の動きの中ではそれらすべてが少々古び、全音階法(邦訳原文ママ)が時代遅れとなった時点で、五音音階や東アジア風の響きを醸し出している。彼は全音階(邦訳原文ママ)に、ドビュッシーの手入れによってすでに失われてしまっていたショックのようなものを取り戻す。たとえば<地上の惨めさについて>の酔人の歌の中の「朽ちたがらくた」に全音階(邦訳原文ママ)の和音が伴うとき、音楽はさながら砕け散るかのようである(原注6)。」(同書, 同ページ)

 そして更に後続の部分で、中国が「初期のの頃に民謡が果たしていたのと似た役割を担っている。それは言葉どおりに捉えられるのではなく、本来のものでない性格によってはじめて語られるような「仮唱」なのである。」(同書, p.190)という「ありえたかも知れない民謡」についての重要な指摘ーーこれについても、本ブログの別の記事(「ありえたかも知れない民謡」としてのマーラーの歌曲についての覚書)で検討を行っていますがーーに至るわけですが、ここで問題にしたいのはそのことではなく、その具体的な手段として五音音階と共に指摘されている「全音階」についてです。

 ところで、ここで「全音階」という訳語が当てられているのは、ドビュッシーへの言及からしても、実は通常「全音階」という訳語が当てられることの多いダイアトニックスケールのことではなく、「全音音階」(英語ではwhole-tone scale)のことではないかと思って原文にあたってみると、原文ではGanztonskalaであることが確認できます(私が確認に用いたのは Taschenbuch版 Die musikalischen Monographien 所収の原文で、p.290にあたります)。新訳がでた結果、最早用済みとなって参照されることのないようにさえ見受けられる竹内豊治・橋本一範による旧訳を念のため確認すると、こちらは「全音音階」となっており、更にEdmund Jephcottによる英訳の対応箇所(p.148)を確認すると、こちらでは the whole-tone scaleとなっているのですが、何よりも上記引用の最後の部分の原注6として参照されている「大地の歌」第1楽章の対応箇所を確認すれば、訳文で「全音階の和音が伴う」と訳されているのが、全音音階の構成音からなる和音のことであることが確認できます。(ちなみに新訳では原注6の原書の誤りを指摘して、わざわざそれが「大地の歌」第1楽章の317~319小節目であると注記しているので、訳語の選択の是非はともかく、指示されている事象についての食い違いはないものと思われます。)

 従ってアドルノは、後期様式を特徴づけるものとして五音音階とともに全音音階を挙げ、それがマーラーの後期作品において使用されているという指摘を行っているわけです。全音音階といえばアドルノが引用しているように、ドビュッシーの使用例が有名であり、特に前奏曲集第1巻の「帆」では全音音階と五音音階がともに用いられていることは良く知られているでしょう。そしてドビュッシーのケースについては、パリ万国博覧会で接したガムランのスレンドロ音階の影響が指摘されることがあるようですし、アドルノのこの指摘においても、五音音階、全音音階のいずれもが東洋趣味、東アジア風の響きとして捉えられているようです。

 ということで、上記のアドルノの指摘から、分析対象の和音として、全音音階の構成音からなる和音を追加することが考えられるわけですが、そうした記述に接して改めて前の記事でも取り上げた付加六の和音について考えてみると、こちらは平行調関係にある長調・短調の主三和音の複合であるだけではなく、所謂「四七抜き」と呼ばれる五音音階の構成音と重なっていることに思い当たります。実際には付加六は、五音からなる五音音階の構成音のうち第二音を欠いたものですので、ここから出発して更に、付加六のみを対象とするのではなく、五音音階全ての音を構成音とする和音ーーこれは伝統的な理論では所謂「名前のない」和音であり、それゆえこれまで集計はしても分析の対象にはしてこなかった訳ですがーーを分析対象の特徴量に追加することが考えられます。

 また上記のアドルノの指摘を踏まえた時、後期様式を特徴づける和音に関する指摘として、更に、第5章「ヴァリアンテーー形式」に出てくる以下の指摘のことも思い当たります。

「(…)この楽章(引用者注:=第七交響曲の第一楽章)はマーラーがそれまでに書いた作品のどれよりも感覚的に色彩に富んでいる。彼の後期の交響曲はこの点を重視することとなった。長調は、音をさらに付加されることにより、長調を超えるものとして光を放つ。ブルックナーの第九交響曲のアダージョの有名な和音のようである。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.134)

 第七交響曲の特に第一楽章における所謂「超長調」についてのこの指摘は、例えば第七交響曲(改訂版)のフィルハーモニア版ポケットスコア(日本国内では音楽之友社刊, OGT1479)の序文(F.S.というイニシャルの署名付き, p.iii)でも参照されており、これはこれで有名なものですし、 その具体的な様相は別の機会に独立した話題として取り上げるに相応しい豊かなものですが、ここで思い当たるのは寧ろ、上で引き合いに出されているブルックナーの第九交響曲のアダージョの和音の方で、これは付加六に更に九度を加えたものなのですが、と同時に、ピッチクラスの集合としてみた場合には、まさに五音音階の構成音全てからなる和音に他なりません。

 ブルックナーの第九交響曲に東洋趣味を見るのはお門違いも甚だしいということになるでしょうが、であれば寧ろ、それが東洋趣味に由来するものであるかどうかとは別に、長調に音を付加された結果としての「超長調」という、既存の調性感を超えた領域への移行に関わるものとして五音音階性を捉えることができるように思います。そして五音音階や全音音階のような、既存の全音階法(こちらは文字通りのダイアトニックスケールのことですが)を超えるメカニズムを「旋法性」と名付けるのであれば、付加六は確かにその一部(五音音階性の側)の現われであるということは言えるのではないでしょうか。

 しかしその一方で、上記のような見方に立った時、前の記事までで論じてきたことに対しては、以下の2点の修正を施すべきではないかという仮説が導かれるように思います。

 まず1点目の修正点として、マーラーの後期様式を具体的に特徴づけるものとして、少なくとも2つの異なる「旋法性」が存在することになります。一つは従来想定してきた付加六との関りが深い五音音階であり、今回それに加えて全音音階を考慮すべきであるということになります。ここから付加六だけに注目するのではなく、五音音階の構成音全てから成る和音も分析対象に加えるべきであるだけではなく、全音音階の構成音についても分析対象に加えるべきであることになります。

 更に付加六が五音音階の一部の構成音からなる和音であるとしたとき、まさに五音音階の構成音からなる C-D-E-A-G という並びをマーラーの旋律の或る種のプロトタイプ(基本的原型(原語は basic shape)と彼は呼んでいます)と考える、フィリップ・バーフォードの以下の見解が思い起こされます。

「(…)マーラーの交響曲の楽章間にはさらに精妙を極める結びの糸が張りめぐらされており、そのことは彼の書いたほとんどすべての作品で跡づけることができる。次に示すものは基本的原型とも言うべきもので、マーラーの抒情的インスピレーションに支配的な旋律の流れの特徴的曲線構造である(譜例1)。」(バーフォード, 『マーラー/交響曲・歌曲』(BBCミュージック・ガイド・シリーズ), 砂田力訳, 河村譲二補訳, 日音プロモーション, 1987, pp.12~13 )

 上記で譜例1として掲げられているのがC-D-E-A-G という並びであり、これが「特に後期の交響曲においては、半音階的仕上げで隠されている」(ibid.)という指摘に続いて、

「さらにまた特徴的なことは、譜例1で示されたこの基本音型が<付加6度>の和音に含まれていることであり、それは<大地の歌>の最終ページで重要な役割を演じている(譜例2)。」(同書, 同ページ)

という指摘が為されるのですが、バーフォードの主張が正しいとするならば、五音音階的要素は、後期作品のみならず、マーラーの作品一般にみられる特徴であるということになり、それを後期様式のみの特徴に限定することはできないことになります。これが2点目の修正点です。

 実際少し思い起こしてみるだけで、少なくとも中期交響曲と密接な関連を持つリュッケルト歌曲集等において既に、「大地の歌」に先駆けて、五音音階的な旋律(例えば「私はこの世に忘れられ」)や全曲の終止における付加六の使用(例えば「私はやさしい香りをかいだ」)の例が思い浮かびます。更にアドルノが上記の引用箇所に先立って、「美しさゆえに愛するならば」について

「(…)歌声は主音の六度上のイ音で終わり、主和音とは不協和である。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, p.187)

と指摘している通り、歌唱部分の結びに付加六が現れていることも思い起こされます。またマーラーの作品と他の作曲家の作品との比較においては、付加六の使用こそがマーラーを特徴づけるものであることはこれまでの分析で十分に明らかにされていると思います。

 但しその一方で、マーラーの作品間の比較において、出現頻度の観点から付加六の和音について確認するならば、その頻度が後期に向けて徐々に高くなり、優越した要素になっていくという点については、これまでの分析結果が事実として示していますので、後期作品のみの特徴というわけではなくても、後期で優位に立つ特徴ということは言えるわけで、全体としては、

全音階的(diatonic)な要素/五音音階的(pentatonic)な要素(付加六)/全音音階(whole-tone scale/Ganztonskala)的な要素

の3つの間の関係について、時代区分の沿った変化に注目しつつ、データ分析によって確認していくべきであるということになりそうです。そして、これらを分析しようとした場合、機能和声的な各種の理論で扱われるような、所謂「名前のついた」和音のみを対象とした分析では不十分であり、それなりの頻度で出現しながらこれまで分析の対象となってこなかった「名前のない」和音にも分析の対象を広げる必要が出てくることになります。


3.分析条件

 上記のような検討から、追加の分析を以下のようにレイアウトすることにしました。

対象とする和音:長短主和音形の基本形(maj, min)、長三和音の四六の和音(maj46), 属七(dom7)、属九(dom9)、付加六(add6)に加えて、五音音階の全ての構成音による和音(penta:ピッチクラスセットID=31)、全音音階の構成音による和音3種、即ち全てを含むもの(ganz:ピッチクラスセットID=1365)、5つを含むもの(ganz-1:ピッチクラスセットID=341),、4つを含むもの(ganz-2:ピッチクラスセットID=277)の合計10種類の和音パターンが各拍の頭で出現する頻度(100拍あたり)を特徴量としました。なお、特徴量を上記10種にするにあたっては、長短主和音形の基本形(maj, min)、六の和音(maj6, min6)、四六の和音(maj46, min46)の全てを含んだより大きな特徴量の集合で予備的な実験を行い、上位の主成分での説明率ができるだけ高くなるような特徴量(和音)の組み合わせを選択した結果になります。

分析手法:今回の分析の対象となる特徴量については事前に、和音の間での出現頻度の違いが大きいことが判明しています。具体的には、マーラーの交響曲全体での出現頻度を比較した時、従来分析対象としてきた「名前のある」和音パターンと比べて、全音音階の構成音全てを含む和音パターン(ganz)のみはそのいずれよりも低いですが、それ以外(penta, ganz-1, ganz-2)の出現頻度は他の「名前のある和音」と比べて特段低いわけではありません。一方、今回の分析対象の中では、特に長三和音基本形(maj)の出現頻度は他に比べて明らかに高いため、標準化を行なわずに分析を実施した場合に、他の和音パターンの寄与が見えにくくなることが予想されます。そこで今回は標準化ありの主成分分析のみを行うことにして、五音音階性、全音音階性の特徴が浮かび上がるようにしました。

分析対象のデータ:まずマーラーの交響曲の間の比較を従来と同じデータセットを用いて行いました。次いでマーラーと他の作曲家の作品との比較について、前回の実験と同じ以下の作品のデータセットについて行いました。(括弧内は以下に示す分析結果におけるラベルを表します。)分析は曲を単位として行い、多楽章形式の作品については各和音形(ピッチクラスの集合)について全曲の各拍頭での出現回数を累計し100拍あたりの出現頻度を求めました。

    • マーラー(mahler):第1~10交響曲、大地の歌(mahler1~10, mahlerErde)
    • ブラームス(brahms):第1,2,3,4交響曲(brahms1,2,3,4)
    • ブルックナー(bruckner):第5,7,8,9交響曲、第9交響曲フィナーレ(bruckner5,7,8,9,9f)
    • スメタナ(smetana):我が祖国(smetanaMaVlast)
    • ドヴォルザーク(dvorak):第7,8,9交響曲(dvorak7,8,9)
    • ヤナーチェク(janacek):シンフォニエッタ(janacekSym)
    • フランク(franck):交響的変奏曲、交響曲)(franckVar,  franckSym)
    • ラヴェル(ravel):ダフニスとクロエ第2組曲、優雅で感傷的な円舞曲、左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲ト調(ravelDaphnis, ravelValNS, ravelLeftPC, ravelPC)
    • シベリウス(sibelius):第2,7交響曲、タピオラ(sibelius2,7,sibeliusTapiola)
    • タクタキシヴィリ(taktakishvili):ピアノ協奏曲第1番(taktakPC1) 

4.分析結果

(A)マーラーの交響曲間の比較

 マーラーの交響曲間の比較を第1主成分を横軸、第2主成分を縦軸とした上記のプロットで確認すると、第3象限(左下)方向のベクトルとして長三和音基本形(maj)、それに対して逆方向の第2象限(右上)方向のベクトルとして全音音階の構成音からなる和音(ganz, ganz-1, ganz-2)が確認でき、それらと直交する第4象限(右下)方向に属和音・五音音階構成音の和音(付加六を含む)のベクトルが確認できます。そして大まかには時代区分に沿う形で、第2象限の第1交響曲から反時計回りに、主として第2象限に第2~第5、第7交響曲、第3象限に第6、第8交響曲、第1象限に「大地の歌」と第9、第10交響曲が位置していて、特に横軸に近い軸に沿って、概ね年代順に作品が並ぶ傾向が確認できます。そしてそれは以下の第1主成分得点が示す傾向でもあります。

 

第1主成分得点

第1主成分負荷


 第1主成分は大まかには年代別の傾向を示す成分で、後期に行くほど点数が高くなる傾向にあります。初期には長三和音基本形と46の和音、短三和音が優位であったのが、時代とともにそれ以外の七の和音、九の和音、五音音階的な要素、全音音階的な要素が優位になっていく傾向が抽出されたものと言えます。ただし後に見るように、それぞれの傾向がどこから強まるかについては違いがあり、五音音階的傾向は第6交響曲以降、全音音階的傾向は「大地の歌」以降の後期作品で強くなっており、そのずれによって各時期の特徴が区別できるように思われます。


第2主成分得点


第2主成分負荷


 第2主成分については、全音音階的傾向が強いものの得点が高くなるという特徴を持っています。第1交響曲が例外ですが、それ以外については、第8交響曲までが中立か非全音音階的、「大地の歌」以降の後期作品は全音音階的傾向が強くなっていることが読み取れます。第1交響曲の得点が高いのは、最初に掲げたbiplotグラフから判断する限り、後期3作品が全音音階的要素が強い傾向にあるのとは違って、寧ろ第6交響曲や第8交響曲を特徴づける五音音階的要素が極度に弱い点に起因すると考えるべきだと思われます。
 
 実際、元データを確認してみても、第1交響曲は全音音階的和音3種(ganz, ganz-1, ganz-2)合計で100拍につき0.7であり、これは第3,4交響曲とほぼ同じなのに対して、第6交響曲以降の作品では100拍につき1回を超える頻度です。逆に五音音階系2種(add6, penta)の頻度について見ると、第1交響曲は2種合計で100拍につき3回を切る唯一の作品で、全交響曲中最低です。逆に第6交響曲以降の後期作品では100拍につき5回を超える頻度となっており、前回までの付加六のみを対象とした分析結果でも確認できた、後期にいくに従って五音音階系の特徴(これを前回の分析では「旋法性」と呼んだのでした)が強まっていく傾向は、本分析でも確認できます。


(B)マーラーと他の作曲家の作品間の比較


 マーラーと他の作曲家との比較においては、従来の分析と同様、マーラーの作品は非常にコヒーレンスが高く、特徴が鮮明で一貫している一方で、作曲年代による違いもあって、年代を経ることによる傾向の推移が比較的明確に読み取れる特徴がここでも確認できます。上記のプロットでは中心より下側の中央から右側にかけて、左右に初期・中期・後期と並んでおり、本分析の結果上は、時代を経るに従い推移する特徴は横軸の第1主成分軸に、マーラー作品全体に一貫した特徴は縦軸の第2主成分に現われていると見ることができそうです。ブラームスは中心から見た場合、マーラーの概ね反対側に固まっているのに対し、ブルックナーやドヴォルザークは両者をつなぐ中間的傾向があると言えそうです。ラヴェルは第2主成分軸方向には一貫していますが、第1主成分方向には作品による違いが大きく、大きく2つのグループに分かれることが読み取れます。しかしながら極端なのはシベリウスであり、作品間のばらつきが非常に大きく、左下から右上にかけて幅広く分布していることがわかります(ちなみにこの傾向は前回の分析でも確認できた特徴です)。


第1主成分得点

第1主成分負荷

 第1主成分は属九と五音音階系、全音音階系が優位だと得点が高い傾向にあります。
前回の分析では属七と属九を一緒にして計算しましたが、今回の分析で見る限りは、属九は寧ろ九の和音としての五音音階系、全音音階系との共通性の方が優っていて、その分布は寧ろ五音音階系や全音音階系の要素に近い傾向があるように見えます。第1主成分が高いグループと低いグループは作曲家毎にはっきり分かれていて、マーラーはラヴェルやシベリウスとともに高いグループ、他の作曲家は低いグループに分かれるようです。但し例外があって、アドルノが「超長調」について語る際に言及したブルックナーの第9交響曲は高いグループに、シベリウスの中でも作曲時期が早い第2交響曲は低いグループに属していることが確認できます。

第2主成分得点

第2主成分負荷

 第2主成分については五音音階系の要素の強弱が主として影響していることが負荷から確認できます。こちらも第1主成分同様、作曲家毎の傾向は明確で、マーラーはラヴェル、タクタキシヴィリと並んで点数が低いグループに属します。マーラーについては第1主成分とは異なって、時期毎に異なる傾向を示すのではなく、全般に点数が低いことが見てとれます。主成分得点が高いグループの中でもシベリウスの「タピオラ」の得点が突出していますが、これについては第1主成分と組み合わせてみると、同じく主成分得点の高いグループの他の作品とは得点の高さの理由が違うことがわかります。本分析結果を確認後、調べてわかったことなのですが、実は「タピオラ」は全音音階を用いた作品として知られているようで、実際に出現頻度を確認してみたところでも、全音音階的な要素が非常に高頻度に現われているのに対し、同じグループの他のメンバーは五音音階的でない(つまり付加六および五音音階の構成音全てと含む和音の頻度が低い)点では共通していても、寧ろ全音階的な要素が強い結果として主成分得点が高くなっている傾向が読み取れるように思います。

 なおラヴェルの「ダフニスとクロエ」や「優雅で感傷的な円舞曲」も全音音階系の和音の出現頻度が有意に高く、マーラーの第6交響曲以降においてganz, ganz-1, ganz-2の全音音階系和音3種合計で100拍につき1回を超える以外には1を超える作曲家・作品は他にありませんが、「ダフニスとクロエ」は4.5回、「優雅で感傷的な円舞曲」は3.5回となっています。それに対してシベリウスの「タピオラ」は3つ合わせると100拍につき10回強、しかもマーラーの後期の一部作品とラヴェルの「ダフニスとクロエ」以外では出現しない全音音階の構成音を全て含む和音(ganz)の出現頻度が100拍あたり2.5回で、この和音が出現する他の作品に比べても2桁多い結果となっており突出していることが元データから確認できます。ちなみにシベリウスの他の作品について見ると、第2交響曲は全音音階系3種合計で100拍につき0.2程度で頻度が低いグループに属しているのに対し、第7交響曲は1弱でブルックナーの第9交響曲と並んで全音音階系和音の出現頻度については中間的なグループを構成していて、作品間で特徴がまちまちの傾向があるようです。


5.まとめ

本分析の主たる着眼点であった、全音階・五音音階・全音音階の各要素の強さにより、マーラーの交響曲間の分類、マーラーと他の作曲家の作品間での分類は概ね以下の通りとなっていることが分析結果から読み取れるように思われます。なお、以下の+/-はあくまでも比較対象内の相対的な傾向を示すものであり、主成分分析結果のプロットの各象限を特徴づけるために恣意的に単純化した面があることは否定できません。(注記:全音階性は他の作曲家と比較した場合には寧ろマーラーを特徴づけるものですし、特に第6交響曲、第8交響曲については主和音形の出現頻度が下がっているわけではなく、全音階性を"-"とするのは明らかにミスリーディングでラベルとしては適切ではありませんでした。より適切なラベルに修正すべきかも知れませんが、適当なものが思い浮かばず、マーラーと他の作曲家の作品間の分類と併せ、属九和音優位というのを、飽くまでも今回の結果を要約するための便宜的なものとして採用して修正することとします。この点については、本稿をお読み頂いた方からご指摘をうけて再検討した結果、注記と訂正に至りました。この場を借りて、ご指摘に感謝いたします。)

(A)マーラーの交響曲内の分類
第2象限(三和音+/五音音階-/全音音階-):第1交響曲
第3象限(三和音+/五音音階+/全音音階ー):第2~5,7交響曲
第4象限(属九+/五音音階+/全音音階ー):第6,8交響曲
第1象限(全音階-/五音音階+/全音音階+):『大地の歌』、第9,10交響曲

(B)マーラーと他の作曲家の作品間の分類
第1主成分
属九・五音音階構成音・全音音階構成音優位:シベリウスの第7交響曲およびタピオラ、ラヴェル、後期マーラー、ブルックナーの第9交響曲
三和音・属七優位:ブラームスなど上記以外の作曲家・作品、シベリウスの第2交響曲、初期マーラー
第2主成分
五音音階+:マーラー、ラヴェル、タクタキシヴィリのピアノ協奏曲第1番
五音音階ー/全音音階+:シベリウスのタピオラ
五音音階-/全音階+:上記以外の作曲家・作品、シベリウス第2,7交響曲

(2023.5.21公開、5.22更新、5.24:指摘をうけて「5.まとめ」に注記を追加し、分類のラベルを修正, 5.31「美しさゆえに愛するなら」についてのアドルノの指摘について追記)


[付録]ダウンロード可能なアーカイブ五音音階・全音音階分析.zip の中には以下のファイルが含まれます。

(A)マーラーの交響曲間の比較(フォルダ名gm_sym_cat)

(A1)入力データ
 gm_sym_cat_57.csv:分析対象の和音形(maj, maj46, min, dom7, dom9, add6, penta, ganz, ganz-1, ganz-2) の分析対象作品毎の出現割合
 gm_sym_cat_col.csv:対象作品の作品に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_sym_cat_label.csv:対象作品の作品名ラベル

(A2)主成分分析結果
 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ


(A3)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 主成分分析結果サマリを含む。

(B)マーラーと他の作曲家の作品の比較(フォルダ名gm+control_cat)

(B1)入力データ
 gm_control_cat_add6.csv:分析対象の和音形(maj, maj46, min, dom7, dom9, add6, penta, ganz, ganz-1, ganz-2) の分析対象作品毎の出現割合
 gm_control_cat_col.csv:対象作品の作曲家に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_control_cat_label.csv:対象作品の作曲家名ラベル

(B2)主成分分析結果
 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ


(B3)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 主成分分析結果サマリを含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2023年5月21日日曜日

付加六は旋法性の現われか?:MIDIデータを入力とした分析続報:主和音形とその転回形・属七・属九・付加六の出現頻度分析(最終更新2023.5.21)

1.これまでの経緯と分析の背景

 マーラーの音楽の特徴について語る一つの方法として、Webで公開されているマーラーの作品のMIDIファイルのデータを入力とした分析をこれまで断続的に行ってきました。その経緯については、記事「データから見たマーラーの作品:これまでの作業の時系列に沿った概観」にまとめた通りです。もともとの動機は音楽の調的なプロセスを可視化することで、五度圏上にプロットする作業を手でやり始めたところ、MIDIデータを用いて自動化してはどうかという示唆を作曲家・メディアアーティストの三輪眞弘先生に頂いたのがきっかけでした。まずMIDIデータを解析するプログラムをC言語で自作し、抽出したデータを公開することから始め、次いで当初の目的であった調的な変化のプロセスを可視化する試みを行いました。その後は特に和音(より正確にはピッチクラスの集合)の出現頻度に的を絞り、マーラーの交響曲を対象に、作品間の比較や他の作曲家の作品との比較をすることでその特徴を実証的に明らかにすることを目的とした初歩的な統計分析を行いました。分析で得られた結果とそこから導いた仮説については、記事「MIDIファイルを入力とした分析:データから見たマーラーの作品 和声出現頻度の分析のまとめ」に記載してある通りです。私的な場ではありますが、やってきたことを要約して報告する場を設けて頂いたことで一区切りついたことから、その後は長短の主和音の交替にフォーカスした分析を試行したり、これもまたMIDIファイルを入力としたGoogle Magentaを用いた機械学習の予備実験を行ったりしていましたが、改めて分析を再開するにあたり、報告のレジュメを読み返して、これまでにわかったこと、及び報告の際に指摘頂いた点や今度の課題となった点を改めて整理しなおすと、概ね以下のようになると思います。

  • 他の作曲家の作品との比較におけるマーラーの特徴づけとしては、古典派的なドミナントシステムに対して付加六の使用を中心とした別のシステムが存在することを窺わせる一方で、古典的なシステムが機能しなくなったわけではなく、機能和声で用いられる三和音・四和音が依然として用いられている点では古典派と共通しており、その点でより新しい時代の後続の作曲家の作品とは区別可能に見えること。
  • マーラーの作品創作の展開のプロセスは、第1交響曲を出発点として、一旦、角笛交響曲(第2~第4交響曲で)長・短調のコントラストの原理に基づいた後、長・短調のコントラストとは別の原理が登場して拮抗するようになった後、後者が優位に立つという傾向を備えている。古典派の作品の、長調中心・ドミナント優位な原理ではなく、それとは異なる長・短調のコントラストの原理がマーラーにおいて優越している点は夙に指摘されてきたことでもあり、また聴いていても感じ取れることだが、更にそれとは別の原理が存在し、後期になるについて優位に立つこと。但しその代替となるシステムの解明は今後の課題となっていた。
  • 分析手法の観点での今後の課題としてはまず、(1)機能和声で用いられる、所謂「名前のついて和音」だけを対象とするのではなく、特に後期作品に行くほど増加する未分析の和音を集計・分析対象とすること。と同時に(こちらは三輪眞弘先生に指摘して頂いた点なのですが)(2)和音の転回の区別を意識することで、和音の持っている機能的側面を反映した分析が可能となる可能性があるため、最低限でも主三和音形(機能としての主和音ではなく主和音の形)については転回形を区別した分析をすること。

 報告レジュメやまとめ記事を改めて読み返してみると、我ながら、実際に行った分析の内容からすれば些か勇み足の感を否めないというのが正直な印象です。和音の頻度分析は、音楽にとって最も基本的な水平方向の次元を無視し、時間方向の和音の並び方を捨象したものであり、報告の折に岡田暁生先生からご指摘頂いた通り、せいぜいが音楽作品に接して感じ取ることができる表層的なテクスチュア、聴感に相当するものを分析しているに過ぎないという点は強調し過ぎてもし過ぎということはありません。分析でわかったことは、直接的にはあくまでも和音(しかも従来の分析では厳密に言えばピッチクラスの集合に過ぎない)の出現頻度の分布の傾向であり、或る和音と別の和音の出現の仕方に相関が見られたり、出現頻度の偏り方によって作品が分類でき、その分類に基づいて作曲家間の類似性や差異を述べることができるというに過ぎません。これは必ずしも適切な類比ではないかも知れませんが、或る和音の出現頻度から作品の背後に存在する原理を探ろうとする試みに付き纏う困難には、特定の形質に関わる遺伝子を突き止める作業に伴う困難に通じるものがあるように感じます(なお私は後者についての情報を、主としてゲアリー・マーカス『心を生み出す遺伝子』から得ていますが、同書で紹介されている事例には、アナロジーを感じさせるものが多々ありました)。データ分析によって浮かび上がるのはあくまでも相関関係であり、直接的な因果関係が直ちに導かれるわけではないのですが、それでもなお、一連の分析で見出された特定の和音の頻度の作曲家毎の偏りの傾向や特定の複数の和音の出現に見られる相関には明確といって良いものも含まれており、その背後に何らかのシステムが存在し、機能していることを強く示唆しているという結論については、これまでの分析の結果について訂正の必要は感じません。

 その一方で、そこで示唆されているものをより明確なものにしていくためには、更に追加の分析が必要であることも間違いありません。上記の分析手法の観点での今後の課題のうち前者は、前回の分析において、その存在が強く示唆されつつも、それ以上の解明ができなかった代替原理に関して、機能和声において登場する「名前のついた」和音ではない、「名前のない」未分析の和音の中で比較的高い頻度で出現するものに注目することで解明が期待できるのではないかという発想に基づくのに対し、後者は逆にこれまでの分析を出発点として、機能の観点でより和音をよりきめ細かく見ていくこと、謂わば解像度を上げることで解明を図るという発想と捉えることができるでしょう。

 更に付け加えるならば、他の作曲家との比較においてマーラーの音楽を特徴づけるものが、マーラーの音楽の内部における創作展開のプロセスを特徴づけるものとどのような関係にあるのかについての検討が行われていない点も気になります。この点についても、解像度を上げるアプローチで、しかも他の作曲家との比較とマーラーの作品間の比較の両方において共通の特徴量を使った分析を行うことで手がかりを得ることができるかも知れません。

 そこでここではまず手始めとして、解像度を上げる方針に基づいた簡単な追加の分析を行ったので、その結果を報告することにします。

2.分析方針の決定

 まず分析対象とする和音の中で長短の主和音形については転回形を区別して頻度データを取り直す一方で、分析対象とする和音についてはこれまでの分析結果とそこから導き出した仮説に基づいて絞り込むアプローチを採りました。

 これまでの分析で示唆された、付加六の使用により特徴づけられる、ドミナントシステムとは異質のシステムに関係しそうな論点を考えてみると、マーラーの場合には何よりもまず「大地の歌」のコーダが思い浮かびます。全曲の出だしの調性であり、マーラーにおける調性格論では「悲劇の調性」とされるイ短調と、作品の半分の長さを占める長大な終楽章の曲頭の調性であるハ短調の同主長調であるハ長調とは平行調の関係にあるわけですが、それらが謂わば「宙吊り」にされた形が付加六であり、言うなれば、短調・長調の対立の原理が止揚されたと考えることができます。そしてそれと同時に思い浮かぶのは、ハンス・ベトゥゲによる漢詩の追創作を歌詞に持つ「大地の歌」では、それに対応するように「東洋的な」五音音階が用いられているという点です。そうした特徴は「大地の歌」に限られる訳ではなく、思いつくままに挙げても、リュッケルト歌曲集や第8交響曲でも「大地の歌」を予見させるような要素が見らますし、更により一般的に旋法の使用、旋法的な節回しということであれば、柴田南雄さんが『グスタフ・マーラーー現代音楽への道ー』(岩波新書. 1984)で分析している第3交響曲第1楽章のようなケースも思い浮かびます。その冒頭のホルン8本により斉奏される旋律は、ブラームスの大学祝典序曲の素材でもある学生歌の引用であり、マーラーが学生時代の所属したサークルの記憶によるとする解釈もあるようですが、柴田さんはそれをマーラーの「幼児体験の反芻」と捉えています。

 「(…)これは、完全に作曲者の幼児体験の反芻と捉えることが出来る。つまり、金管楽器による行進曲調は彼が子供の頃に住んでいたモラヴィアの町イラーヴァ(ドイツ名イーグラウ)での、オーストリア軍の兵営から聞えてくる軍楽の響きである。(…)また、ソの音にシャープがないこと、つまりこの旋律が半音の上行導音を欠く自然短音階であることは、その町で歌われていたボヘミアの民謡か、あるいはユダヤ教のシナゴーグで聞いた礼拝の歌のエコーであろう。(…)」(柴田南雄『グスタフ・マーラー』, pp.70~71)

 そして当該旋律の詳細な分析が繰り広げられ、その分析の末尾の節(p.78)でまとめられるような広大な音楽文化圏の様々な音楽的伝統が参照されていくわけですが、ここでの論点から興味深いのは、それが平行調の関係にある長調・短調の交替が「ウィーン古典派=ロマン派の音感ではな」(p.75)く、「スラブの民俗音楽の特徴」(ibid.)とされ、「一つの音組織に二つの中心音が存在する」と捉えられている点と、上記引用にある上行導音の欠如と対応した下降導音の存在が、教会旋法(フリギア旋法)的であるという指摘でしょう(最後の点で『大地の歌』の第1楽章のリフレインへの反映が指摘されていることも付記すべきでしょうか)。第3交響曲の第1楽章はヘ長調で終結するわけですが、ニ短調ーヘ長調という平行調のフレームはドミナントと上行導音に基づく個展的なシステムや長調・短調の対比のシステムよりも基層の民俗的起源に基づくものであり、ドミナントシステムからの逸脱、短調・長調の二元論対立の稀薄化の傾向を持っていることが指摘されています。柴田さんの指摘に拠れば、ドミナントシステムからの逸脱、短調・長調の二元論対立の稀薄化は、マーラーがチェコ出身で、ボヘミアとモラヴィアの境界地域に生まれ育ったという出自を思わせずにはおかないものということになりますが、ここからチェコの音楽との比較対照を行うことが考えられます。具体的な比較の対象としては、これまでしばしば比較の対象として取り上げられてきたスメタナのようなボヘミアの音楽もそうですが、寧ろモラヴィアの民俗音楽に根差したヤナーチェクとの比較の方が一層興味深そうに感じられます。

 その一方で「旋法性」という観点から比較対象としてきたマーラー以外の作曲家を改めて振り返ってみた時、付加六の和音の出現頻度の高さに関してマーラーと類似の傾向を示した作曲家としてラヴェルとシベリウスが挙げられていたことが思い浮かびます。ラヴェルは所謂「印象主義」の作曲家として一般には了解されており、その語法上の特徴として(それが教会旋法に由来するものなのか、ボロディンのようなスラブ音楽からの影響なのかは一先ず措くとして)旋法性が挙げられ、長調・短調の対立が曖昧になっている点が指摘されることが思い起こされます(例えば、ジャンケレヴィッチ『ラヴェル』の「創作の技術」の章の中の「音階」の節。白水社から出版された邦訳ではp.139以降を参照。なおジャンケレヴィッチは、「音階の至聖なる二元論に対するラヴェルの不満」(p.141)や導音の不在についても指摘しています(ibid.))。シベリウスについては、何よりもその「北欧的」な響きを成り立たせている要素の一つに旋法性を挙げることができるでしょう。最もあからさまな例として直ちに思い浮かぶのは第6交響曲がドリア旋法で書かれていることですが、それ以外の作品でも旋法的な要素は至る所にあって指摘には事欠かないでしょう。勿論、ラヴェルとシベリウスの間には大きな様式的な隔たりがありますし、そのいずれか一方とですら、マーラーとの類似を論じるのは無謀な企てかも知れません。しかしながら付加六が高頻度で出現することは何某か「旋法性」と関わっていて、旋法の使用がドミナントシステムとは異質の原理に関わっているという点に限って言えば、その具体的な細部の違いを措いてしまえば、そこに共通性を見出すことはできるのではないでしょうか?

 最後に、これは単なる個人的な嗜好の話になりますが、私は先にシベリウスの交響曲、それも特に後期の交響曲に親しんでからマーラーの音楽を聴いて熱中するようになったのですが、数多くの相違点にも関わらず、両者の間には類似点があると感じていて、当時読むことができたマーラーに関するほぼ唯一のムックであった青土社の『音楽の手帖 マーラー』に収められた竹西寛子さんの「根の気分」と題された文章の以下のくだりを読んで共感を覚えたことを思い出します。結局のところ私がMIDIデータを入力としたデータ分析によって突き止めようとしているのは、岡田暁生先生の指摘する音楽の表層的なテクスチュアから感受できる「根の気分」の由来なのかも知れません。

「マーラーのいくつかの作品は、私の根の気分にかかわる。そのかかわり方に独自の粘着力をもっているように思われる。むろん、根の気分をたてにとるなら、ここにかかわるのはマーラーだけの作品ではないけれども、陰気になり過ぎもせず、しかし決して陽気にはなりようのないきわどい一線を守らせるのが私のマーラーである。(…)もし、この気分の醸成に限って言うなら、目下のところ、私のマーラーのもっとも近くにいるのはシベリウスということになるのかもしれない。」(竹西寛子「根の気分」, 『音楽の手帖 マーラー』, 青土社, 1980 所収,  pp.16~17)

 ラヴェルの音楽を聴くようになったのはずっと後になってからで、最初からラヴェルの音楽に対しては或る種の距離感をもった接し方にならざるを得なかったのですが、それでもなお、他ならぬラヴェルの音楽に惹き付けられたのは、そうした「根の気分」に関わる共通性を感じ取ったからではないかと思うのです。三者三様、全く異なる個性を持ち、それぞれにその背景は異なるし、この三人に必ずしも限定されるわけではないのですが、その後私が「意識の音楽」と名付けた「感受のシミュレータ」としての音楽の在り方と、それを可能にする構造について言えば、そこに共通性があるように思うのです。けれども直接論証のできない発言はここまでとして、以下ではMIDIデータを入力とした分析により示すことのできる側面に話を限定することにします。

3.分析条件

 上記のような検討から、ここではこれまでの分析で浮かび上がってきた付加六の和音の出現頻度の高さが、旋法性の現われであり、それが西洋音楽の伝統的なドミナントシステムとは異なった原理の存在と関わっているのではないかという想定に基づき、追加の分析を以下のようにレイアウトすることにしました。

対象とする和音:長短主和音形の基本形(maj, min)、六の和音(maj6, min6)、四六の和音(maj46, min46)を区別する一方、属七、属九は属和音形(dom)としてまとめ、更に付加六(add6)を加えた8種類の和音パターンが各拍の頭で出現する頻度(100拍あたり)を特徴量としました。

[重要な注記]:ここでいう「主和音形」・「属和音形」は、機能和声の理論での主和音・属和音とは一致しません。既に触れた通り、従来の分析について厳密な言い方をすれば「同時に鳴っているピッチクラスの集合」を対象としていたするのが正確でしょう。「主和音形」・「属和音形」というのはそうしたピッチクラスの集合に対して、伝統的な音楽理論での呼び名への連想に基づいて付与された名前に過ぎません。それに対し今回は、長三和音、短三和音に相当するピッチクラスの集合についてのみ、最低音がどのピッチクラスであるかによって区別をすることによって転回形の区別に相当する分類をすることにしたということです。一方で機能和声での主和音・属和音は主音・属音の定義を前提としており、ある時点の主音が何であるかは文脈依存であり、同じピッチクラスの集合が文脈に応じて主和音であったり属和音であったりします。本稿を含む一連の分析ではー少なくとも現時点まではー文脈を意識した分析は行っていないので、ここでいう「主和音形」には機能的に見た場合には、主和音も三和音の属和音も(更に言えば重複を持つ四和音以上も)含まれます。従って「主和音形」の出現頻度として本分析で集計されるものには機能的には三和音の属和音も含めてカウントされており、「属和音形」としては属七・属九という四和音・五和音だけが含まれていることをお断りしておきます。岡田暁生先生が機能を無視したテクスチュアの分析と指摘されたのは、まさにこの根本的な部分に関わるものと私は理解しています。

分析手法:前回同様の、各種のクラスタ分析(階層的な手法3種:complete法、average法、ward法、非階層的な手法1種:kmeans法)と主成分分析を行うこととしました。主成分分析にあたり、当然に予想される和音形間の出現頻度の偏りに対して標準化を行うかどうかについて言えば、100拍あたりの和音形の出現頻度という同一次元量であることから必須ではありませんが、各和音形の出現頻度の違いを反映するために標準化を行うべきではないという立場と、特定の作品における和音形間の出現頻度の偏りを取り除き、各和音形毎の作品間・作曲家間での出現頻度の偏りに注目すべきという立場の両方が考えられることから、標準化を行う場合と行わない場合の両方の分析を行うことにしました。

分析対象のデータ:マーラーの交響曲は従来と同じデータセットを用いました。従来の分析では、各拍毎の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したA系列と、各小節毎に先頭の拍の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したB系列という2種類のデータのいずれかを用いた分析を行ってきましたが、本分析は和音の出現頻度の統計ということで、サンプルの多いA系列のデータを用いた分析を行いました。比較対象の他の作曲家の作品の選択については、既述の方針に基づき以下の通りとしました。(括弧内は以下に示す分析結果におけるラベルを表します。)分析は曲を単位として行い、多楽章形式の作品については各和音形について全曲の出現回数を累計し100拍あたりの出現頻度を求めました。

  • マーラー(mahler):第1~10交響曲、大地の歌(mahler1~10, mahlerErde)
  • ブラームス(brahms):第1,2,3,4交響曲(brahms1,2,3,4)
  • ブルックナー(bruckner):第5,7,8,9交響曲、第9交響曲フィナーレ(bruckner5,7,8,9,9f)
  • スメタナ(smetana):我が祖国(smetanaMaVlast)
  • ドヴォルザーク(dvorak):第7,8,9交響曲(dvorak7,8,9)
  • ヤナーチェク(janacek):シンフォニエッタ(janacekSym)
  • フランク(franck):交響的変奏曲、交響曲)(franckVar,  franckSym)
  • ラヴェル(ravel):ダフニスとクロエ第2組曲、優雅で感傷的な円舞曲、左手のための協奏曲、ピアノ協奏曲ト調(ravelDaphnis, ravelValNS, ravelLeftPC, ravelPC)
  • シベリウス(sibelius):第2,7交響曲、タピオラ(sibelius2,7,sibeliusTapiola)
  • タクタキシヴィリ(taktakishvili):ピアノ協奏曲第1番(taktakPC1) 

[重要な注記] 本分析が従来の分析の続きであり、前提を共有していることから、本稿のみからでは本分析の重要な制限について読み取れないことに気付いたので、特に以下の点についての追記をさせて頂きます。

本稿の分析では、ある作品のMIDIデータに含まれる和音(=ある時点で同時に鳴っている音)の全てを対象としているわけではありません。上に追記した通り、従来より一連の分析では、各拍毎の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したA系列と、各小節毎に先頭の拍の和音(同時に鳴っている音の集まり)を抽出したB系列という2種類のデータを抽出して分析の入力としてきました。

MIDIデータからデータを抽出することを前提とした時に、このやり方でまず問題になるのは、MIDIデータで小節や拍について楽譜通りの設定になっているかどうかでした。というのもMIDIファイルは、楽譜を見てMIDIシーケンサ―ソフトを使って打ち込む場合もあれば、MIDIキーボードで演奏したものを記録するやり方で作られる場合もあって、後者の場合には、現実の演奏はテンポに微細な揺らぎがあるため、小節や拍の情報は、もしそれがあったとしても、データ抽出で使う目的には適さないと考えるべきです。ちなみに後者はピアノ曲のケースでは良くあります。マーラーの場合だとピアノ伴奏歌曲の場合が該当しますが、交響曲については前者のやり方で制作されることが多いようなので、マーラーの交響曲の分析では幸いにしてこの点に限っては問題となることはありません。しかしながら前者の場合でも、拍子などの小節の区切りの情報は必須ではないため、必ずしも分析に使えるとは限らないのです。

しかしそれよりもより本質的な問題として、例えば(典型的にはアルベルティ・バスのように)和音が分散して現れたときに抽出できる音の集合を考えると、拍頭で鳴っている音は和音の構成音の全てではなく、そのうちの一部であり、分析される和音自体は抽出できず、その部分が各拍毎に抽出されるに過ぎない点が考えられます。本分析のやり方では、あくまでも拍の頭・小節の頭で同時になっている音の集合を抽出するので、単音や重音が抽出され、それらを組み合わせて得られる「本来の」和音は抽出されません。拍の間に鳴る音が全て和声の構成音であれば、それらを併合して一つの和音として捉うようにやり方を変更すればいいのですが、拍の間に鳴る音としては、経過音、刺繍音その他の非和声音が幾らでも存在し得るため、無条件で併合すれば意図しない結果になってしまいます。

この例から窺えるように、楽曲分析は、必ずしも鳴っているだけ音を対象としているのではなく、その楽曲分析が背景としている理論における「正解」がわかっている必要があります。和声音・非和声音の区別もそうですし、和音の「完全形」からの「根音」を始めとする構成音の「省略」も然り、複雑な(名前を持たない)和音を基本的な(名前のある)和音の一部の音が「変位」したものとして捉えるやり方も然りですし、何より「主音」が何であるかの知識なしには或る同じ形が主和音なのか属和音なのかの判定すらできません。

そして本稿の分析は、どの理論に準拠するにせよ、特定の理論に基づいた楽曲分析プログラムを書くことが目的ではなく、そのような理論に基づく「知識」なしで、ある時点で現れた音を抽出した結果だけを手掛かりに行っています。(今時だと、高度な楽曲分析を行うAIというのもどこかで開発されていることでしょうし、楽曲分析を自動化することを目的とするならば、もっと別のアプローチの選択すべきでしょう。)従って、本稿および本稿に至るまでに実施してきた分析は、特定の音楽理論に基づいた楽曲分析とは前提が大幅に異なり、それ故そうした分析を基準とした場合には、様々な(立場によっては致命的と見なされる可能性すらある)制限が存在することをお断りしておきます。立場によっては、ここでの分析には全く価値を認めないという判断すらあり得るでしょう。

或る意味では、私自身が訓練された耳を持っていないので、そういう聴き手がどう聴くかという設定での分析は考え得るのでしょうが、これに対しては、気付いていないだけで理論に沿った聴き方をしている部分が確実にあって、要するに聴き手の学習の程度次第ということになるでしょうし、作曲者の側はエキスパートであって、基本的には伝統的な楽曲分析と共通の発想で書かれているというのは動かしがたい事実でしょうから、それらを踏まえれば、訓練された耳にどう聞こえるかを論じることの方が筋道として正しいのかも知れません。

このように考えていくと、ここでの報告にお付き合い頂くには、相当に寛容な立場に立って頂く必要がありそうですが、ここでお断りするような様々な制限つきであっても、実際に鳴っている音に関するデータに基づいて、これくらいのことは言えるのだ、というように受け止めて頂ければ幸いです。


4.分析結果

 まずクラスタリングの結果から確認してみます。最初は3種類の階層クラスタ分析の結果です。





 3種の手法の結果の間に存在する細かい違いは、必ずしも分類が安定していない部分の存在を示していると捉えることができますが、その一方で大まかな分類には共通点も確認できます。またマーラーの作品と距離が近い枝に含まれる他の作曲家の作品と、マーラーの作品からは離れた枝に含まれる作品の間の区別は3種の分析で共通していて、分類上安定しているように見えます。つまりブラームスとブルックナーの第7,8、ドヴォルザークの第8,9、スメタナからなるグループ、フランク、シベリウス、ドヴォルザークの第7からなるグループの2つがマーラーの作品からは隔たったグループであり、ラヴェル、ヤナーチェク、タクタキシヴィリとブルックナーの第5,9がマーラーの作品に近いグループということになるようです。一方でマーラーの作品は「大地の歌」、第9,10という後期作品に第5を加えたグループとそれ以外の2つのグループに分かれ、前者と近いのがラヴェルの2つの協奏曲とブルックナーの第9の完成部分、後者に近いのがヤナーチェクとタクタキシヴィリであるという点は共通しているようです。そしてその分類は大筋においては以下の非階層クラスタ分析でも確認できますので、分類上相対的に安定した部分と言えそうです。

 それでは非階層クラスタ分析の結果を見てみます。




 非階層クラスタ分析ではクラスタ数を与える必要があるため、シミュレーションによるギャップ統計量に基づき、階層クラスタ分析の結果を参考にしつつ、相対的に安定していて、かつ分類として意味がありそうな4に設定しましたが、必ずしも安定しているわけではなく、何度か実行すると上に示す2種類のクラスタが交替して出現することが確認できました。前者(kmeans4)はマーラーが1つのクラスタに全て含まれ、それ以外に3つのクラスタができるもの、後者(kmeans4-alt)はマーラーが前期・後期の2つのクラスタに分かれ、それ以外にブラームス他のクラスタとフランク他のクラスタの2つができるものです。前者ではマーラーと同じグループに属しているのはブルックナーの第5交響曲と第9交響曲のフィナーレ、ヤナーチェクのシンフォニエッタとラヴェルの2曲のピアノ協奏曲、タクタキシヴィリのピアノ協奏曲です。この分類は階層クラスタ分析の結果とほぼ一致しています。

  kmeans4
  クラスタ番号   1 2 3 4
  brahms          0 4 0 0
  bruckner        2 1 1 1
  dvorak           0 0 2 1
  franck            0 0 0 2
  janacek          1 0 0 0
  mahler-early   4 0 0 0
  mahler-late     4 0 0 0
  mahler-middle 3 0 0 0
  ravel               2 0 0 2
  sibelius           0 0 0 3
  smetana         0 0 1 0
  taktakishvili     1 0 0 0

        mahler1         mahler2         mahler3         mahler4 
              1               1               1               1 
        mahler5         mahler6         mahler7         mahler8 
              1               1               1               1 
     mahlerErde         mahler9        mahler10       bruckner5 
              1               1               1               1 
      bruckner7       bruckner8       bruckner9      bruckner9f 
              2               3               4               1 
        dvorak9         dvorak8         dvorak7  smetanaMaVlast 
              3               3               4               3 
     janacekSym       sibelius7 sibeliusTapiola       sibelius2 
              1               4               4               4 
      franckVar       franckSym         brahms1         brahms2 
              4               4               2               2 
        brahms3         brahms4      ravelValNS    ravelDaphnis 
              2               2               4               4 
    ravelLeftPC         ravelPC       taktakPC1 
              1               1               1 

 一方後者では、マーラーの後期作品(「大地の歌」、第9,10交響曲)と同じグループに属するのはブルックナーの第9交響曲の完成した3楽章分にラヴェルの曲全て、それ以外のマーラー作品と同じグループに含まれるのはブルックナーの第5交響曲と第9交響曲のフィナーレ、ヤナーチェクのシンフォニエッタとタクタキシヴィリのピアノ協奏曲であり、これはkmeans4と共通していますから、マーラーの後期作品との距離が近いグループが分離したと捉えることができそうです。その替わりに、大まかにはブラームスが含まれるグループとドヴォルザークの第8、第9交響曲とスメタナが含まれるグループが併合して一つになっています。ブルックナーの第9の完成部分とラヴェルの作品のうち2曲のコンチェルトについては階層クラスタ分析の結果とも一致していますが、ラヴェルの他の2曲とブルックナーの第9のフィナーレは階層クラスタ分析では所蔵する枝について手法によって揺れが生じていて、分類が安定していなさそうに見えます。特にラヴェルの他の2曲については、クラスタ数が増えれば独立のクラスタを形成しそうです。

  kmeans4-alt
  クラスタ番号   1 2 3 4
   brahms         4 0 0 0
  bruckner        2 2 1 0
  dvorak           2 0 0 1
  franck            0 0 0 2
  janacek          0 1 0 0
  mahler-early   0 4 0 0
  mahler-late     0 1 3 0
  mahler-middle 0 3 0 0
  ravel               0 0 4 0
  sibelius           0 0 0 3
  smetana         1 0 0 0
  taktakishvili    0 1 0 0

        mahler1         mahler2         mahler3         mahler4 
              2               2               2               2 
        mahler5         mahler6         mahler7         mahler8 
              2               2               2               2 
     mahlerErde         mahler9        mahler10       bruckner5 
              3               3               3               2 
      bruckner7       bruckner8       bruckner9      bruckner9f 
              1               1               3               2 
        dvorak9         dvorak8         dvorak7  smetanaMaVlast 
              1               1               4               1 
     janacekSym       sibelius7 sibeliusTapiola       sibelius2 
              2               4               4               4 
      franckVar       franckSym         brahms1         brahms2 
              4               4               1               1 
        brahms3         brahms4      ravelValNS    ravelDaphnis 
              1               1               3               3 
    ravelLeftPC         ravelPC       taktakPC1 
              3               3               2 

 ついで主成分分析の結果の確認に進みます。既述の通り、主成分分析は、標準化を行わずに分析対象の和音形の100拍あたりの出現頻度の割合をそのまま反映した分析と、標準化を行って特定の曲における和音形間の出現割合の違いは無視して、各和音形についての作品間での出現割合の分布の違いにのみ注目した場合の両方で分析をしましたが、結果としては主成分得点や成分への各和音形の寄与率には違いがあるものの、大まかな傾向としては共通したものが得られました。([付記]なお、標準化なしの分析の第2主成分は標準化ありの場合と比べ、正負が反転していることがわかったため、以下の説明、ダウンロード可能な結果ファイルのいずれにおいても、第2主成分軸を反転させてグラフ表示をしています。また説明上は標準化ありの第2主成分の向きに合わせた説明をしていることをお断りしておきます。)

 まず標準化ありの結果を見てみます。




 マーラーの作品は第1主成分(横軸)方向には中央右寄りに固まって、かつ作品の時代区分に概ね沿った広がりを示しているのに対して、第2主成分(縦軸)方向には上側に集中しているのが見て取れます。他の作曲家については第1主成分(横軸)左側に明確に拠っているのがブラームス、ドヴォルザーク、左右に広がっているのがブルックナー、シベリウスであり、ラヴェルはマーラーよりも更に右端にプロットされていることが確認でき、第2主成分方向にはやや下よりに固まっているブラームス、ブルックナー、ラヴェルに対して、シベリウスが下側に向けて広がっているのに対し、ドヴォルザークが上側に向けて広がっている様子が見て取れます。それでは第1,第2主成分の得点と、特徴量の寄与を確認してみます。



 上に見るように、第1主成分は主和音形・属和音形(属七・属九)/付加六の対立(負の相関)を示しているのに対し、後述する第2主成分は主和音基本形・六の和音と付加六/四六の和音と属和音形(属七・属九)の対立(負の相関)が示されたものとなっています。属和音形(属七・属九)/付加六の対立(負の相関)は両者に共通しており、第1主成分を横軸、第2主成分を縦軸にとったプロットをした時に、付加六(add6)は上向き、属七・属九の属和音形2種(dom)は下向きの互いに180度逆向きのベクトルで表示されるのはそのためであることがわかります。主和音形6種は第1主成分で全てマイナスの寄与であるため、プロット上は付加六(add6)、属和音形(dom)とはほぼ直交して左向きにベクトル表示されますが、第2主成分では基本形(maj,min)と六の和音(maj6,min6)と付加六(add6)がいずれもプラス、四六の和音(maj46,min46)と属和音形(dom)がいずれもマイナスであるため、結果的にプロット上、四六の和音(maj46,min46)は左斜め下に傾いて、属和音形(dom)寄りのベクトルとなっていることも確認できます。また基本形(maj,min)・六の和音(maj6,min6)・四六の和音(maj46,min46)の矢印の向きはいずれもほぼ重なっていて、本分析の結果においては長調・短調の区別がないことにも気づきます。

 第1主成分に関して得点が高く、主和音形および属和音形(属七・属九)が少なく、付加六が多い傾向にあるのがマーラーとラヴェルであり、特にラヴェルはその傾向が4曲全てに見られるのに対し、マーラーは第1交響曲を除くと概ね時代区分に沿って後期になる程その傾向が強くなっていることがわかります。ブラームス、ドヴォルザークはスメタナと並んで点数が低い(ベクトルの起点である中心より左側に偏っている)のに対して、シベリウスやブルックナーは作品によって傾向が異なること(結果として、左右両側に広がっていること)が確認できます。一方で第2主成分について見ると、マーラーは概ね得点が高いのに対しラヴェルは低い傾向にあって、第2主成分までの組み合わせでマーラーとラヴェルを区別することができそうなことがわかります。それ以外ではタクタキシヴィリとドヴォルザークの第9の得点が高いのが目立つ一方で、他のドヴォルザークの交響曲とスメタナはほぼ中立であるのに対してブラームス、フランク、シベリウスなどの他の作曲家は全ての作品でマイナスの得点となっており、付加六と属和音形(属七・属九)のどちらが優位かについてマーラーとは明確な違いがあることがわかります。

 既述の通り大まかな傾向は同じですが、参考までに標準化なしの結果についても確認してみます。



 まず長調の主和音基本形と属和音形(属七・属九)の頻度の高さは、プロット上のmaj,domベクトルの長さで示されていることが確認できます。興味深いのは、標準化した場合と得点の正負が逆転しているケースがある点で、例えばヤナーチェク(得点の棒グラフでは紫色で示されています)が該当します。これは和音間の出現頻度の割合が大きく異なることに起因しており、寄与の正負が逆向きの特徴量が打ち消し合う際に、標準化の有無による頻度の偏りの効果でどちらの特徴量が勝つかが変わるためです。実際、ヤナーチェクのシンフォニエッタの入力データを確認すると、属七・属九の出現頻度がかなり低い(100拍あたり3程度)ことが確認できます。その一方で付加六の頻度の方もまた非常に低い(100拍あたり2弱)のです。既述の通り、今回の分析ではブラームスをはじめとする属和音形の出現頻度が高いグループ(100拍あたり10程度)が存在するために、標準化を行わないと属和音形の出現率の低さが強調される結果となり、それが特に属和音形の負の寄与率が著しく大きい第2主成分の得点の極端な違いの原因となるだけでなく、第1主成分においては得点の正負の逆転をもたらしているようなのです。つまり今回の分析の場合、属和音形と付加六の出現頻度は強い負の相関関係を持っており、その結果として付加六の頻度の高さではなく、属和音形の出現頻度の低さによっても主成分得点が上がる構造になっていることに注意する必要があります。ヤナーチェクはアンチ・ドミナントではありますが、付加六の出現頻度が高いわけではなく、この点でマーラーやラヴェルとは異なった傾向を持っています。他方、標準化を行わない分析の結果におけるラヴェルの第1主成分得点の高さは、こちらは主和音基本形の出現頻度が極端に低いことに起因していることも確認できます(特に「ダフニスとクロエ」と「優雅で感傷的な円舞曲」は100拍あたり1.5程度と対象作品中最小なのに対して付加六が100拍あたり6~7でかなり大きめなので非常に大きな第1主成分得点になります。)








5.分析結果についての考察

 本稿では、転回形を区別した長短主和音形と属和音形(属七・属九)、および付加六の和音形の出現頻度のみを特徴量として用いた分析を行いましたが、結果について考察してみます。

 まずクラスタリングの結果ですが、分析手法によって若干の揺れはあるものの、今回設定した他の作曲家の作品の中でマーラーの作品を位置づけることには成功していると思います。マーラーに距離が近いのはラヴェルやヤナーチェク、タクタキシヴィリで、シベリウスはフランクと同じグループを形成し、ブラームスやスメタナが含まれるグループとマーラーが含まれるグループの間の中間的な位置を占める結果となりました。ブルックナーやドヴォルザークの作品は作品によって和音の出現傾向にばらつきがあり、複数グループに跨って分布するのに対し、マーラーはブラームス程ではないにしても比較的ばらつきが小さく、一纏まりになる傾向がありますが、「大地の歌」以降の後期作品とそれ以外は傾向をやや違えており、2つのクラスタに分裂した結果も得られました。

 次に主成分分析の結果ですが、主成分分析は、標準化をする/しないの両方の条件で行ったので、まず、出現頻度の高い和音の寄与を頻度に応じて重みづけしており、より聴感に即していると考えられる標準化なしの分析の分析結果について検討してみます。

 第1主成分は長調の基本形主和音(maj)の出現頻度の寄与が著しく大きく、寧ろ長調の基本形主和音にどれくらい頻繁に立ち戻るかという観点で軸が形成されているように見えます。同様に第2主成分も属七・属九(dom)の出現頻度の寄与が著しく大きく、こちらはドミナントシステムの優越の度合いを示すものと見做せます。しかし今回特に注目した付加六の和音については、第1主成分・第2主成分のいずれに対しても、その寄与の大きさが際立っているわけではなくプライマリの要因とは考えられません。従って付加六の寄与を測るためには、標準化をした分析の方を確認すべきと思われます。その一方でクラスタ分析結果ではマーラーに距離的に近いグループに分類されたラヴェルとヤナーチェクについて、ラヴェルは主和音形の出現頻度の低さによって特徴づけられるため第1主成分得点が高く、ヤナーチェクは属七・属九の出現頻度の低さによって特徴づけられるため第2主成分得点が高くなるといった点が確認でき、いずれもマーラーの作品とは傾向を違えており(強いていえばヤナーチェクはマーラー初期寄り、ラヴェルは後期寄りと言えるでしょう)、かつ両者の間でも区別が可能であることがわかりました。

 標準化ありの分析は、和音間の出現頻度の偏りに依らず、対象となった和音の出現頻度の作品間での偏りを同じ重みで扱います。その一方であくまでも対象となっている作品を全体とした時の比較であり、対象の作品の集合を変えればそれに応じて結果も変わる点には留意が必要です。(標準化なしの分析でも同じことは言えるものの、こちらは絶対的な出現頻度という対象作品の集合に依存しない値に基づく分析である点で、完全に相対的な標準化ありの分析とは異なります。)

 まず第1主成分への各和音の寄与(負荷)を見ると、前回までの分析で転回形を区別せずに概ね同じ傾向が確認できた理由が確認できるように思います。既に述べたように第1主成分は、転回形によらず全ての主和音形と属和音形(属七・属九)の頻度が優越するか、付加六の頻度が優越するかという対比で軸が形成されますので、この成分だけに限れば、主和音形の転回を区別するかどうかには影響を受けません。一方で第2主成分については四六の和音と属七・属九からなるグループと基本形と六の和音と付加六の和音からなるグループのどちらが優越するかという対比で軸が形成されており、転回形を区別することで現れたものだと言えます。強いてネーミングを試みるならば、第1主成分はアンチ・トニックの軸、第2主成分はアンチ・ドミナントの軸と言えるでしょうか。

[重要な注記] 繰り返しになりますが、誤解の無いように補足させて頂くと、ここでいう「主和音形」には、機能和声的には、主和音も三和音の属和音も含まれていること、一方「属和音形」には属七・属九のみが含まれていることをお断りしておきます。それを踏まえれば、第1主成分側は、これまで行ってきた、様々な次元を捨象して得られた「ピッチクラスの集合」の分析で得られた結果と等価ですから、文脈を無視した和音の音の組み合わせという、いわば表層的なテクスチュアのみに関わり、第2主成分は四六の和音と属七・属九の相関が取り出させたということでいわばテクスチュアの表層から機能を覗き見ているといえるように感じます。

 マーラー作品内部の時代区分に沿った変化にフォーカスして見た場合でも、大まかな傾向としては前回と同様なのですが、前回はほぼ完全に時系列に沿った変化が抽出できたのに対し、今回は第一交響曲が例外となる結果が得られました。この理由を調べて見ると、前回の分析で用いた特徴量の中には単音や二音の出現頻度が含まれており、単音と三度、特に長三度の寄与が大きかったのに対して、今回は単音と重音を分析対象から外したことが影響しているようです。第1交響曲は第1楽章冒頭の長大なAの単音の持続を背景とする序奏の領域がその後も回帰し、結果として単音の占める割合が大きいのですが、その影響で主三和音形の出現頻度が見かけ上低下するのに加えて、その原因となった単音が分析対象から除外されたことによって、偶々後期作品に近い主三和音形の出現頻度となったために、時代区分に沿った変化の例外のような結果が得られたようです。前回、時代区分に沿った変化が現れたのは第2主成分であり、前回の分析の第1主成分は単音や重音が多いのか、三和音以上の和音が多いのかといった音の厚みに関わるものであったことを思い起こせば、そうしたテクスチュア上の差異の影響を取り除いて、マーラーの作品の創作時代区分に沿った変化を、より機能的な側面に基づいて浮かび上がらせることに今回の分析は成功したという見方ができるのかも知れません。

 更に言えば、前回の分析では作品単位での出現頻度計算にあたり、楽章毎に100拍あたりの和音出現頻度を求めて、曲単位で平均化するやり方(平均和音出現頻度)と、和音出現回数の曲毎の累計から100拍あたりの頻度を計算するやり方(累計和音出現頻度)の2通りについて分析を行っていますが、今回は後者の方法での集計結果に基づく分析のみを行っています。考え方としては楽章という単位を意識せず曲全体での出現頻度を対象とするのか、楽章単位に独立し完結したものとして出現頻度を計算し、曲全体としてはその平均値を用いるかの違いですが、後者では楽章毎の長さ(ここでは拍数)が無視され、30分かかる楽章と5分しかかからない楽章について同じ割合で寄与していると見做していることになります。言い替えれば、短くて和音の出現頻度上偏りの大きな楽章が存在すると、その楽章の和音の出現分布が強調して反映されることになります。マーラーの場合では、第3交響曲の第5楽章や第2交響曲の第4楽章などが該当することがわかっていますが、この点の影響の程度を把握するためには、平均和音出現頻度に基づいて今回と同じ条件での分析を行って結果の比較をしてみる必要があるでしょう。

6.まとめ

 クラスタ分析の結果と主成分分析の結果を照合すると、今回の分析対象となった作曲家について概ね以下のような傾向を持つと言えるのではないかと思います。

(A1)第1主成分(アンチ・トニック):-/第2主成分(アンチ・ドミナント):-
  biplotグラフの第3象限。
  ブラームスの交響曲がプロトタイプ。
  古典的なドミナントシステムと明確な調性感。
(A2)第1主成分(アンチ・トニック):-/第2主成分(アンチ・ドミナント):+
  biplotグラフの第2象限。
  ドヴォルザークの第9交響曲がプロトタイプ。
  旋法性を持ちつつ、調性感は明確。
(B1)第1主成分(アンチ・トニック):+/第2主成分(アンチ・ドミナント):-
  biplotグラフの第4象限。
  該当なし。強いて言えばシベリウスの第2交響曲が近い。
  調性感稀薄だがドミナント優位であり旋法性も稀薄。
(B2)第1主成分(アンチ・トニック):+/第2主成分(アンチ・ドミナント):+
  biplotグラフの第1象限。
  ラヴェルがプロトタイプ。
  旋法性と曖昧な調性感。

 あくまでも上記はプロトタイプであり、中間的なタイプの作品も存在すれば、同じ作曲家の作品が複数のプロトタイプにわたり広範囲に広がっている場合もあります。ブルックナーやドヴォルザーク、シベリウスがそれらに該当します。マーラーはブラームスと並んで、比較的作品間のコヒーレンスが高い傾向にあると言えます。基本的には(B2)に属しますが、創作の時代区分に沿ってドヴォルザークの第9交響曲のいる(A2)とラヴェルのいる(B2)の中間点のヤナーチェクやタクタキシヴィリの近傍から(B2)の極へ近づいていった(がそこまでは辿り着かなった)と捉えることができそうです。つまり第2主成分については+(アンチ・ドミナント)である点では一貫していますが、第1主成分軸は、作品創作の展開につれて中立から+(アンチ・トニック)へと推移していったと捉えることができそうです。これが他の作曲家との比較においてマーラーの音楽を特徴づけるものが、マーラーの音楽の内部における創作展開のプロセスを特徴づけるものとどのような関係にあるのかに関する本分析での回答ということになると思います。

 なお、今回の分析の設定に纏わる制約として、分析対象の単位が作品であるため、多楽章形式の作品の場合作品中に含まれる異なる性質をもった楽章の特徴が平均化されてしまう点が挙げられます。交響曲で両端の楽章は古典的で調性的にも明確だが、中間楽章は旋法に基づいて書かれていて、主和音ないし属和音があまり出現しないというようなケースを想定すると限界は明らかだと思います。とはいえこれは全くの架空の話というわけではなく、実はドヴォルザークの第9交響曲がまさしくこれに近い頻度分布となっていて、結果的に曲全体として(A2)のプロトタイプとなっていますし、前の節でも述べたように、マーラーの第3交響曲の場合は旋法性の強い冒頭楽章に対して、属七・属九和音(dom)が全く出現しない第4楽章(但し付加六も100拍あたり1.8で低く、既述のヤナーチェクのシンフォニエッタのケースに類似しています)、鐘の音の模倣を繰り返すせいで主和音基本形(maj)の比率が3割にも達する特異な頻度分布を持つ第5楽章や、属七・属九和音(dom)が100拍あたり7とマーラーの交響曲の全楽章中でも際立って高頻度である終曲のアダージョもあって、長さがまちまちなだけでなく、異なる性質を持った楽章が組み合わされていることが確認できますが、そうした多様性は今回の分析では捨象され、平均化されてしまっていることは制約として確認しておくべきと考えます。

 最後に、それではこの分析の導きの糸となった「付加六は旋法性の現われ」という捉え方についてはどうでしょうか?分析結果から読み取れる限り、妥当なケースがあるということは言えそうですが、そうとは言えないケースも確認できました。ヤナーチェクは一見したところ(B2)に該当しそうで、初期のマーラーの近傍にプロットされますが、既に述べた通り、付加六の和音の頻度は高くなく、属七・属九の頻度が極度に低いために、結果として近くにプロットされたに過ぎません(マーラーの中にも第3交響曲第4楽章のような類似のケースもあるのですが)。属和音形の頻度が低いのだからアンチ・ドミナントというラベル自体は寧ろヤナーチェクにこそ相応しいとさえ言えますし、付加六の頻度によらず旋法性が高いのは聴けば明らかでしょう。従って付加六の和音が高頻度で現れるのには、旋法性だけではなく更に追加の条件が必要なのではないかと思われます。ここからは分析の結果からは離れますが、想定できることとして、長調・短調の対比の枠を持たない単一の旋法に基づく作品の場合、調性感を稀薄にするといった操作はそもそも不可能です。付加六は長調・短調の対比の枠の中で調性感を稀薄にする時(更に具体的に特定するならば、長調・短調の対比の枠組みの中でも、2つの基本音が併存する、平行調関係に基づいた場合) に結果的に出現する、いわば随伴的なものなのではないでしょうか?従って「付加六は旋法性の現われか?」という問いに対して、現時点で回答を試みるならば、付加六は旋法性の現われ「でも」ありうるが、直接的関係がある因果的なものではなく、長調・短調の対比の枠の中に旋法的な要素が入り込んだ時に現われる随伴的なものに過ぎない。従って、問いへの答えは「はい」でも「いいえ」でもある、ということになるように思います。

 ところで、第1主成分について主和音形(特に長調の基本形、但し繰り返していうようにここには機能和声でいう三和音の属和音も含まれます)の頻度が相対的に低いことをもって「アンチ・トニック」と命名し、聴感上は「調性感が稀薄」とし、第2主成分については四六の和音と属和音形(この分析では属七と属九の形のこと)の頻度が相対的に低いことをもって、「アンチ・ドミナント」と命名し、こちらに「旋法性」を割り振りましたが、もし上記のような制限がつくならば、この割り振りは恣意的ではないかということになるかも知れません。しかし、そもそも「調性感」はどのように定義されるものでしょうか?同様に「旋法性」という言葉にも曖昧さが付き纏います。ラベルの割り当てを逆にすべきだという人がいても不思議はないくらいに感じます。

 とはいうものの、繰り返しになりますが、第1主成分は転回の有無を無視しても成り立つもので、この分析の前に既に明らかになっていたものの再認であるのに対し、第2主成分は転回を区別することによって初めて検出できたものであり、かつ四六の和音と属七・属九の頻度に正の相関があるという内容を踏まえれば、こちらは和音のシステムの機能に関わるものということが言えると思います。今回の分析で現れた第1主成分も第2主成分もいずれも付加六の和音の頻度に関わりますが、「聴感」のレベルに関わる第1主成分と比較して、第2主成分の方はより「機能的」な性格を持っている。そして「調性感」という言葉を「聴感」のレベルでの或る種の古典的・保守的な感じというニュアンスで使っているの対し、「旋法性」という言葉は、単なる旋法の使用を意味するのではなく、或いはまた特定の旋法の使用を含意するものでもなく、寧ろ古典的なドミナントシステムとは異なった別のシステムが機能しているというニュアンスを込めて採用していることを付言した上で、一旦は上記のラベリングは撤回せずにそのままにしておきたく思います。(2023.5.5, 5.6重要な注記を追加, 5.7 ラベルの左手のための協奏曲のデータに誤りがあったためデータを差替え、第二主成分軸の反転についての注記を追加。なお本文の説明には上記データの誤りは影響ありませんでした。5.7-8 用語法に関する指摘を頂いて、重要な注記の追記に留めずに「主和音形」「属和音形」という表現を適用して、機能和声での主和音・属和音との混同が起きにくくなるように修正しました。ご指摘に感謝します。5.10加筆、5.19重要な追記をさらに追加。5.21ピッチクラスへの言及を追加。)

[付録]ダウンロード可能なアーカイブ 主和音転回形分析.zip の中には以下のファイルが含まれます。

(1)入力データ
 gm_control_cat_add6.csv:分析対象の和音形(長短主三和音基本形・六の和音・四六の和音、属和音形(属七・属九)・付加六の和音形)の分析対象作品毎の出現割合
 gm_control_cat_col.csv:対象作品の作曲家に対応した色(主成分得点グラフで使用)
 gm_control_cat_label.csv:対象作品の作曲家名ラベル(非階層クラスタ分析で使用)

(2)主成分分析系
 eigen.jpeg:固有ベクトルのグラフ

 prcomp_F.jpeg:主成分分析(scale=F)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12F.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23F.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-3]F.jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-3]F.jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ

 prcomp_T.jpeg:主成分分析(scale=T)結果のbiplotグラフ
 ggbiplot_12.jpeg:主成分分析結果(第1,第2成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_23.jpeg:主成分分析結果(第2,第3成分)のggbiplotグラフ
 ggbiplot_34.jpeg:主成分分析結果(第3,第4成分)のggbiplotグラフ
 pr_score-[1-4].jpeg:主成分得点のbarplotグラフ
 prcomp_PC[1-4].jpeg:主成分負荷量のbarplotグラフ

(3)階層クラスタ分析系:
 hclust_complete.jpeg:complete法での分類結果
 hclust_average.jpeg:average法での分類結果
 hclust_wardD2.jpeg:ward法での分類結果

(4)非階層クラスタ分析系:
 clusGap.jpeg:ギャップ統計量のシミュレーション結果サンプル
 kmeans4.csv:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果
   kmaens4-alt.csv:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果別解
 kmeans4.jpeg:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果のclusplotグラフ
   kmaens4-alt.jpeg:kmeans法(クラスタ数=4)での分類結果別解のclusplotグラフ
 
(5)分析履歴
 hist.txt:R言語を用いた分析履歴(Windows版R言語 ver.4.1.0をR studio上で実行)。
 固有ベクトル、ギャップ統計量シミュレーション結果サンプル、
 非階層クラスタ分析結果(2種)、主成分分析結果サマリ(2種)を含む。

[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。

2023年5月4日木曜日

チェコ音楽からのマーラーの眺望:ヴィチェスラフ・ノヴァークを中心にして(2022.12.7オリジナル版, 2023.2.8改加筆版公開, 4.30,5.4加筆)

 南ボヘミア出身の後期ロマン派の作曲家、ヴィチェスラフ・ノヴァークの音楽に接したのは、音楽の録音の記録媒体がLPレコードからCDに替わってしばらくしてからの頃のことだったと記憶する。そもそも私がノヴァークの音楽を聴いてみようと思ったのが、中学生の子供の頃から私の偶像=アイドルであったマーラーの音楽のあまりの「流行」現象に嫌気がさして、マーラーの音楽を聴くのを一時期すっかり止めてしまったことに起因するので、1990年代に入って間もなくくらいの頃だったのではなかったか。頼まれもしないのにマーラー自身の、妻に宛てた書簡(1902年2月ゼメリング発)に記された、極めて限定された文脈で発せられた負け惜しみの類に過ぎない言葉を乗っ取った「私の時代が来た」などというコピーの下、コマーシャリズムに担ぎ出されるという状況に嫌気がさし、地方都市の中で生きていた時代から、地方都市から都心に通う大学生活、更にその後は通勤圏内の独身者寮から都心のオフィスに通うようになった環境の変化があって、ようやくコンサート会場でマーラーの音楽に接することができるようになったはものの、バブル期の世相もあって音響的にクオリティの高いコンサートホールが競うように出現した時期でもあり、マーラーは恰好の集客=動員の素材とされ、それまでは西欧音楽の主流からは奇異の目をもって見られた傍流の、今日風には「オタク」が聴くものであったのが、既にマーラーその人の時代に彼の地ではそうであったように、一世紀遅れてようやく極東の島国でも「社交場」に鳴り響くこととあいなって、マーラーの音楽がまさにそのために書かれたにも関わらずコンサートの雰囲気に堪え難さを感じたことが決定的だった。

 当時は日本マーラー協会という団体があって、時折送られてくる会報を読むだけの幽霊会員に過ぎなかったとはいえ、私も一応会員ではあったのだが、会長の山田一雄さんが亡くなられ、事務局長をやっておられた桜井健二さんが退かれるとともに活動があっという間に停滞し休止に至ったのもその時期だったのではなかったか。マーラー像も時代に応じて変わっていく訳で、当時のマーラーは19世紀末の退廃の中、悲劇的な生涯を送り、厭世観に満ち、己れの弱みをさらけ出す自伝的な音楽を書いた二流の作曲家というかつてのイメージから脱して、19世紀円熟期のウィーンの文化を代表し、その中心に位置する宮廷・王室歌劇場のスター指揮者であり、ウィーン分離派のサークルの中で育ち、作曲さえ試みた美貌の妻の存在もあって同時代の文化史におけるアイコンとして位置づけられ、新ウィーン楽派に精神的な指導者として仰がれて20世紀を予言するような音楽を書いた予言者で、時代がやっと追いついたといった持ち上げれ方をしたのだったが、そうした見方にも一理はあって、マーラーが自己の能力を恃んで信念を貫き通して達成した成果は凡人の能くするところではないし、芸術的な成果は措いて世間的に見てもセレブリティ、成功者であることは疑いない。子供の頃とは違って、自分の能力や気質について否応なく自覚的にならざるを得なくなった私にとってマーラーはあまりに偉大過ぎて、その「公的な」人物像と音楽の間に謎めいたギャップのある、距離感の測り難い存在となっていたのである。

 だがそれだけでは、辿り着いた先が他ならぬヴィチェスラフ・ノヴァークの音楽であることに理由にはならないだろう。では何故ノヴァークだったのかという最大の理由が、スプラフォンの国内盤のCD(だからリーフレットも当然日本語である)で丁度その頃、どういう偶然によってか纏まってリリースされたノヴァークの音楽そのものから受けた印象であることは当然のことだが、特にその中でも『南ボヘミア組曲』Jihočeská svita, op.64 に定着された風景が、その頃の自分にはその中にいることで静けさに満ちた深い慰めを得ることのできるかけがえのないものであったことが決定的であった。

 私は作品を、その作品が生まれた社会的・文化的文脈に還元して事足れりとする立場には明確に反対である(そもそも一世紀近く後の異郷の人間である私がそれを聴くからにはそれは明らかなことで、一世紀分遅れて地球半周分隔たった位置に自分がいることもそっちのけで異郷の過去についての蘊蓄を垂れる等、笑止の沙汰ではなかろうか)一方で、作品だけが重要でその作品を書いた人間のことなどどうでもいいとも全く思わず、恐らくはゲーテの考え方に影響されたマーラーの、作品を生み出す人間の行為の方が大切であって作品は謂わば抜け殻のようなものに過ぎないという考え方(1909年6月27日付、トーブラッハ発の妻宛て書簡)に寧ろ共感するし、そのことは全てを作者の伝記的な出来事に還元してしまう伝記主義を意味するわけではない、そればかりか伝記的事実に勝って作品自体こそが、痕跡としてであれ、或いは痕跡であるからこそマンデリシュタム=ツェランの言う「投壜通信」の媒体として、時間を超えるのではなく時間の中を通り抜けて或る日、それが打ち寄せられた波辺で拾い上げた者こそが名宛人であるという主張に通じるものと考えてきたから、ノヴァークの場合も例外ではなく、その作品への興味は直ちにノヴァークその人への関心へと繋がったのだが、今でこそWeb上で様々な情報にアクセスできるとはいえ、当時は未だその発達の初期にあってノヴァークについての情報は乏しく、紙媒体のニューグローヴ世界音楽大事典のノヴァークについてのエントリがほぼ唯一の情報だったと記憶する。かなり長いことコピーとして持っていたが今は既に手元にはないその記述には、幼い日に父を喪ってからの経済的な苦労や、その後の精神的な危機、それに対する救いとなったチェコ各地を巡っての民謡採集についての言及があったと記憶するが、13歳の時からの偶像=アイドルであったマーラーを聴くことを止め、盲目的な熱中の最中では気付くことのなかったマーラーと自分の間の途轍もない距離、比類ない能力とそれを十分に発揮する気質を備え持ち、世俗的な意味合いでもセレブリティとなったマーラーと己の間に広がる深淵に今更ながらに気付くといった己の愚かさに絶望さえしていた私は、そうした伝記的記述から垣間見えるノヴァークが被った傷の痕跡をその作品に見出し、森や池や草原といった風景にノヴァークが感じ取った慰藉を作品を聴くことを通じて我が事ととして感じ取ったのだと思う。

 ノヴァークはドヴォルザークの弟子であり、ヨゼフ・スークとマスタークラスでの同門ということになる。初期の室内楽はドヴォルザーク・ブラームス的で和声的にも保守的である一方、自分が採集した民族音楽を素材として使用し、雰囲気には寧ろスメタナの室内楽を思わせる切迫感があるが、その後の作品となると、2曲のバレー・パントマイムのための音楽に代表されるようなフランス印象派の影響が感じられる作品があるかと思えば、交響詩等では寧ろシュトラウスを思わせるような響きの作品もあって多様性に富む。共通するのは形式の面で堅固で構築的であることで、素材の節約の下でも音楽が弛緩することはない。人口に膾炙しているのはもともとピアノ連弾のための作品として作曲されたものを作曲家自身が小管弦楽用に編曲した『スロヴァツコ組曲』であろうが、音画風でわかりやすく曲ごとの変化に富んだこの作品よりも、同じCDに併録された『南ボヘミア組曲』のユニークな時間の流れ方、単なる雰囲気の変化や対比ではない、組曲を構成する楽曲の間にある意識の位相の違い(組曲前半の直接経験される現在と回想される過去に対して、組曲後半の社会的・理念的なものの侵入、即ち歴史的過去と未来への眼差しという重層性)など、ノヴァーク独自の音調が聞き取れるのは明らかにこちらであろう。

 だがそれにしても何故、19世紀末から20世紀前半にかけてのチェコの作曲家なのかという問いに答えるのは今度は比較的容易い。既述の通り子供の頃の私の偶像=アイドルはマーラーだったが、マーラーは自らについて三重の意味で異邦人であると述べている。曰く、オーストリアの中のボヘミア人、ドイツの中のオーストリア人、世界の中のユダヤ人。一般にはマーラーがユダヤ人であり、生前既にウィーンで活発であった反ユダヤ主義に遭って本人が辛酸を舐めたのみならず、死後はその作品がナチスによって非アーリア音楽として演奏禁止となる時期もあった点に強調が置かれがちだが、その一方でマーラーを巡る議論の中では、マーラーの音楽とボヘミアの音楽の親近性についての指摘もしばしば為されている。LPレコードの時代の到来、ステレオ録音の普及と時を同じくして競うようにして始まったマーラー交響曲全集録音のプロジェクトの中には、チェコ出身で第二次世界大戦後のチェコの共産化に反対して亡命し、晩年になってビロード革命による共産党政権の崩壊により劇的な里帰りを果たし、一旦引退した後にも関わらずプラハの春音楽祭でカムバックしてスメタナの『我が祖国』を指揮したラファエル・クーベリックが西側にあって首席指揮者を勤めて以降、長きにわたって良好な関係にあったバイエルン放送交響楽団によるものがあるし、その後を追うようにして、当時は「東側」であったチェコスロヴァキアでもチェコ・フィルハーモニーがヴァーツラフ・ノイマンの指揮の下でマーラー交響曲全集を完成させている。これは良くある話でクラシックの聴き始めにドヴォルザークの『新世界』交響曲を聴いて魅了された子供であった私は、父親がFM放送をエアチェックしながら録音したカセットテープの中に同じドヴォルザークの『アメリカ』弦楽四重奏曲を発見し、こちらにもすっかり馴染んでいた一方で、その後しばらくしてフランクの晩年の数曲、更にシベリウスの特に後期交響曲や『タピオラ』を聴くようになった子供が、上記のクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の演奏による第6交響曲と第10交響曲のアダージョのLPを、次いで第3交響曲のLPを、更にFM放送で第7交響曲の録音を聴いてマーラーに親しむようになったが故に、マーラーの音楽の中にボヘミア的なものを聴きとるのは難しいことではなかった。

 ノヴァークは当時のいわゆる「国民楽派」の作曲家にしばしば見られたように、実際に現地に足を運んでボヘミア、モラヴィア、スロヴァツコ、スロヴァキアといった地域の民謡を採集してまわったとされる。学術性の高い取り組みとして有名なのは何といってもコダーイとバルトークの取り組みだろうが、ノヴァークの貢献はとりわけボヘミアとははっきりと音楽的様式を違えるモラヴィア地方の民俗音楽を世に知らしめたことにあり、その限りではこちらは自分自身がモラヴィアの生まれであるヤナーチェクの果たした役割と並んで評価されるもののようである。実はノヴァークはボヘミア人とは言いながら、ボヘミア南部のモラヴィアとの境界に程近いカメニツェ・ナト・リポウ Kamenice nad Lipou の生まれであることもあって、ボヘミアのそれとともにモラヴィアの民俗にも触れうる環境にあったのだが、実はこの点がマーラーの生まれ育った環境と共通するということに気づいたのはずっと後になってのことだった。地図を開いてイフラヴァ Jihlava(往時のドイツ語地名ではイーグラウ Iglau)とカメニツェ・ナト・リポウの位置を確かめるべく、今ならGoogle Mapsで両者を結ぶルートを検索してみるとわかることだが、その間の距離は道沿いに測っても50kmに満たないのである。さすがに今日その距離を徒歩で踏破する人がいるとも思えないが、最も直線に近いルートで道なりに44.5km、所要時間9時間12分というから、朝起きて出発して夕方には辿り着ける距離には違いなく、途中緩やかな起伏はあるものの周囲の風景も大きく変わるわけではなさそうである。マーラーから距離を置くべく見出した筈の音楽が、その表面的な様式的な差異や作曲者の意識の様態の相関物であろう音楽の経過が纏う性格の違いにも関わらず、その客観的な極を構成する風景において相似することにある折にふとに気づいた時、我が事ながら苦笑せざるを得なかったのを思い出す。違いはと言えば、ユダヤ人であったマーラーがドイツ系の同化ユダヤ人の家に生まれたのに対してノヴァークはチェコ人の民族意識が高揚した時期にボヘミアに生まれたチェコ人であったから、両者の間には風景の中の自分の身の置き場所についての感覚の方には大きな違いがあって、マーラーが直面したような水準での疎外にノヴァークが苦しむことは恐らくなかったであろう。但しそれはノヴァークが疎外と無縁であったことを意味する訳ではなく、その気質も手伝って、別の理由による疎外感や絶望感に苛まれることになったようであり、その傷跡は彼の遺した音楽にはっきりと聴きとることができると私には感じられる。

 かくしてマーラーと同様、ノヴァークもオーストリア=ハンガリー帝国の辺境であるボヘミアの中でも更に地方都市の生まれということになろうが、西欧の音楽の伝統におけるボヘミアの位置づけはそれほど単純なものとは言えない。フス戦争後カトリックに支配される時代は、チェコの歴史においては文化的にも民族的なものが抑圧された暗黒時代として捉えられるが、こと音楽について言えば、例えば大バッハと同時代では、その時代のカトリックの宗教音楽の頂点の一つと目される多数のミサ曲で著名な(その作品には大バッハも注目し、高く評価していたことが知られている)作曲家ゼレンカがチェコ人だし、その後の前古典派の時期からマンハイム楽派、更にウィーン古典派の最盛期に至るまでの時期に活躍した作曲家達の中にボヘミア出身者を見つけることは、しばしばチェコ語の名前ではなくドイツ語の名前で知られていることからボヘミア出身であることに気づき難いという事情を踏まえたとして尚、容易いことであろう。直接古典期の音楽様式の確立に寄与した彼ら「旧ボヘミア楽派」と呼ばれる作曲者に対し、19世紀のボヘミア楽派は自分達の民族性・地域性の重視によって特徴づけられる。当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国領に含まれる一地域の中心都市の扱いであったプラハでは、かつてモーツァルトが当地で大当たりをとった『フィガロの結婚』を自ら指揮するために訪れて、『プラハ』のニックネームを持つ第38番のニ長調交響曲(K.504)を初演した地であることから窺えるように、永らくドイツ系の作品が上演されていたのだが、19世紀も半ば近くになると自分たちのための劇場を造ろうという機運がチェコ人の間に生じて、まず仮劇場が1862年に設立されるとそこの首席指揮者となったのがスメタナ、そこのオーケストラでヴィオラを弾いていたのがドヴォルザークであり、1881年にようやく落成なった国民劇場の杮落しに上演されたのがスメタナのオペラ『リブシェ』Libuše (1872)である(なお、その直後に一旦火災に見舞われた劇場が1883年に再開された時にも『リブシェ』が上演された)といった具合で、永らく辺境と見なされ、抑圧されたマイノリティであったボヘミア人が、急速な工業化の進展もあって経済的に豊かになったことを背景としたナショナリズムの高調と分かち難い関りを持ち、ドイツ・オーストリア的なものとは対立的であるというのが一般的な認識であろう。(なお1992年以降日本語で「プラハ国立歌劇場」と呼ばれるのは、プラハにおいてドイツ・オーストリア的な作品の上演が行われた新ドイツ劇場のことで、現在は国民劇場の下部組織という位置づけにあるようだ。)

 だがより細かく見れば19世紀のボヘミア楽派との関係とて、決して単純なものではない。当時のボヘミア領の小さな村カリシュトに生まれたマーラーは生後程なくして、ボヘミアとモラヴィアの境に存在するドイツ人の街イーグラウに家族とともに移り住む(田代櫂『グスタフ・マーラー 開かれた耳、閉ざされた地平』には「モラヴィアへの境界を越え」(p.11)とあり、またイグラウを「モラヴィア第二の町」(p.13)としているが、そうであるとして、モラヴィアから見てボヘミアとの境にあるには違いないし、寧ろ社会言語学でいうところの「言語島」(Sprachinsel)、ここではドイツ語のそれであった点の方が重要だろう)のだが、それは同化ユダヤ人が、シナゴーグには依然として通ったとしても、日常はドイツ語を話しドイツ人のコミュニティの中で身を立てることが普通であったことの一例であるようだ。成功した酒造業者であったマーラー家には近郊のボヘミア人、モラヴィア人が使用人として出入りしていたようだから、マーラーは母語として家庭でドイツ語を話し、ドイツ語で読み書きを学ぶ教育を受ける一方で、チェコ語もある程度は理解できただろうし、ボヘミアとモラヴィアの両方の民謡を聞く機会もあって、「神童」マーラーのエピソードとして、与えられたアコーディオンで、自分が耳にした音楽を片っ端から弾いてしまったというものがあるが、その中にはボヘミアとモラヴィアの民族音楽が含まれていたに違いないのである。後年のマーラーがピアノ連弾でチェコの民族舞踏であるポルカを上機嫌で弾いていたというエピソードもあって、チェコの音楽がマーラーにとって極めて身近なものであったことを感じさせる。勿論、マーラーの作品とチェコの民俗音楽の直接的な関わりについての研究もあって、特にVladimir Karbusicky, Gustav Mahler und seine Umwelt は重要な成果とされている。日本語で読める文献としては、ヘンリー・A・リー『異邦人マーラー』(渡辺裕訳, 音楽之友社)の第2章「プラハとウィーンの間に」特にその中の「2. チェコとの結び付き」を挙げることができよう(勿論、カルブシツキの上記研究も頻繁に参照されている)。より直接的な音楽作品間の影響関係としては、例えばドナルド・ミッチェルがスメタナとの関係について論じたものが、Mahler Studiesに含まれるのが比較的アクセスしやすいだろうか。(Donald Mitchell, Mahler and Smetana:significant influences or accidental parallels? , in Stephan E. Hefling, Mahler Studeis, Cambridge University Press, 1997)

 更に後年のマーラーは、ウィーンの宮廷・王室歌劇場監督に至るキャリア・パスの途中で、短期間ではあるけれどプラハの劇場の指揮者を務めることになるが、ワーグナーの楽劇とモーツァルトの歌劇の解釈者として既に名声を確立しつつあった彼の職場は当然ながら落成して間もない国民劇場ではなくて、ドイツ・オペラを主要なレパートリーとする、アンゲロ・ノイマンが初代の監督を勤める新ドイツ劇場であった。その彼がハンブルクに移って親交を結んだのは、くだんのボヘミア楽派の一人である作曲家・批評家のフェルステル(ちなみに妻のベルタはフェルスター=ラウテラーの名で知られたオペラ歌手であり、マーラーの下で歌ったこともあった)であり、彼には自分がボヘミア生まれであって、チェコ語を話せることをアピールしたようだ。何より興味を惹かれるのは、マーラーがウィーンの宮廷=王室歌劇場の監督を勤めていた時代1892年に、スメタナのオペラ『ダリボル』Dalibor (1868) を取り上げたことで、15世紀末のプロスコヴィツェでの反乱に参加した騎士ダリボルの物語が、マーラーが得意とする『フィデリオ』と筋書きにおいて類似していることや、ワグナーの影響が顕著な音楽を持つことから、チェコで物議を醸したのと逆にウィーンでは取り上げやすかったという事情も寄与したのではあろうけれども、当時の状況を考えるに、チェコの伝説に基づく歌劇を帝国の首都で取り上げることは何某かの政治的な意味合いを帯びてしまうことが避けられたなったであろうことを思えば、マーラーのこの作品への愛着がひとしおであったことが窺える。だがオペラ指揮者マーラーのお気に入り、十八番ということであれば『売られた花嫁』Prodaná nevěstaを挙げない訳にはいかないだろう。ローカル色豊かなこの作品は、オーストリア=ハンガリー帝国内では人気があり、それは今日に至るまでドイツ語によるこのオペラの上演が引きも切らない点にも窺える一方で、例えばアメリカでは受け入れられなかったらしいのだが、晩年のマーラーがニューヨークで上演した演目の一つとして『売られた花嫁』が含まれていて、マーラーの熱の入れようはアルマが回想でわざわざ記している程であって、こちらもまたこのチェコの国民的オペラへのマーラーの愛着を窺い知ることができるように思う。一方コンサート指揮者としてのマーラーはドヴォルザークの交響曲をあまり評価していなかったらしいが、交響詩については別であり、『野鳩』Holoubek,op.110を取り上げている他、『英雄の歌』Píseň bohatýrská, op.111については初演者として名を残している。初演ということであれば、既述のフェルステルの第3交響曲の初演もまたマーラーがタクトをとっている。

 彼が指揮者としても高く評価していたツェムリンスキーはマーラーの没後1911年から1927年まで、前任者でマーラーとも関係のあったアンゲロ・ノイマンの後を継いでプラハの新ドイツ劇場の音楽監督として活動したが、そのツェムリンスキーと協力関係にあって、1920年以降は同じ劇場の首席指揮者を勤めたのは、これまたボヘミア楽派の主要メンバーの一人であり、ノヴァークにとってはライヴァルであった作曲家オタカル・オストルチルであった。指揮者としてのオストルチルはベルクの『ヴォツェック』のプラハ初演を実現したことを始めとして、シュトラウスやドビュッシー、ストラヴィンスキーやミヨーを取り上げたことでも知られるモダニズムの擁護者として知られるが、作曲家としてのオストルチルは、スメタナの流れを継ぐフィビフの弟子であった。その芸術的姿勢の支持者の一人に微分音音楽のパイオニアの一人として著名なアロイス・ハーバがいるが、オストルチルとのライヴァル関係もさることながら、ノヴァークの作風からすると意外に思えるかも知れないことに、ハーバは最初はノヴァークの弟子であった。モラヴィアの出身で幼い時から民謡に親しんだハーバは民俗音楽への興味からノヴァークに師事したようだし、そうした来歴から窺えるように、その微分音の使用は、例えば同じく微分音楽の提唱者・理論家として著名なヴィシネグラツキーとは異なって、特にモラヴィアの民謡に見られるオクターブを十二に分割する音階には含まれない音程や、半音以下の微妙な音程の変化から抽象されたものであり、それ故に単なる理論に基づく実験以上の作品を数多く作曲したことや、微分音音楽を演奏するための楽器制作や教育にも意欲的であり、実践的な側面での数多くの成果を挙げたことが知られているが、そうした彼の微分音音楽の実践を支持したのは、こちらは理論上で微分音音楽の可能性を示唆するに留まったとはいえ、その影響力には絶大なものがあったフェルリッチオ・ブゾーニであるが、そのブゾーニもまた熱烈なマーラーの信奉者として(アルマの回想録での印象的な描写も相俟って)有名であろう。

 そうした潮流の中でノヴァークは、既述の通り、一時期は印象派やシュトラウスのような時代のトレンドの影響を受けはしたものの、寧ろその後は時代の流れから身を退いてしまったかのように見える。とはいえ勿論それは出発点への単純な回帰、逆行という訳ではない。一見それは反動に見えるかも知れないが、寧ろ私がそこに見出すのは、気どりや飾り気の無さ、敢えて洗練とか流麗さとかを拒むようなたどたどしくさえある朴訥さである。その表情は寧ろ若き日の室内楽に見られた些か不器用なまでの率直さに再び近づいているようで、確かに自己の基本的な性格に立ち戻ったという点ではその通りであるとしても、ここでは最早現象そのものに無自覚に対峙するのではなく、ゲーテの箴言に言うところの「現象から身を退く」(Zurücktreten aus der Erscheinung) ことに近接するような、自己の主観の働きを客観化するような働きを感じずにはいられない。

 今、こうして遅ればながらノヴァークについて書き留めておこうとする私の記述内容は、だがしかし私という個人限定の私的な「感受」の内容を書き留めたに過ぎないのではなかろうか?またその内容は、それは曾ての私がノヴァークの音楽に聴きとったものと同じだろうか?マーラーから距離を置くための拠点のようなものとしてノヴァークの音楽に接した私は、だがしばらくして後、再びマーラーの音楽への立ち戻った。そしてそうしたことの全てが起きてから最早四半世紀の時が経とうとしていることに気付いて、私はその間に広がる時間の隔たりを前に言葉を喪ってしまう。既述のようにボヘミアの音楽はかつての私にとってごく当たり前のものだったし、ボヘミアの音楽との接触は一度切りのものではなくて断続的なものであった。例えば中学生の私は合唱部に属していたが、(まさか当時私のマーラーへの熱中がその原因とも思えないので)どういう経緯でかコンクールの舞台で合唱指揮をすることになり、その時に選ばれたのが(というからには私が主体的に選曲する自由は与えられておらず、私に合唱指揮をするよう指示した音楽教師による選曲だったのだが)スメタナの『モルダウ』を合唱用に短くアレンジしたものだった。後の私は、既述の「ビロード革命」後の「プラハの春」音楽祭での『我が祖国』に接したことが直接的なきっかけで、それまで腑に落ちなかった「国民楽派」の音楽に漸く自分なりの実感をもって接することができるようになるのだが、中学生の私はそうした思いを抱くこともなく、情けないことには『我が祖国』全曲を聴くことすらない儘、辛うじて原曲の交響詩『モルダウ』のみに接した限りで自分なりの解釈をもってコンクール本番に臨んだのであった。中学生の合唱部で中学生自身に指揮をさせることが珍しかったためか、偶々そのコンクールに審査員として立ち会っていたらしい作曲家の中田喜直さんが、中学生ながらそれなりの解釈を施しての指揮であったことを評価して下さり、指揮の勉強を続けるようにとの言葉を下さったというのを後日、くだんの音楽教師の伝言経由で聞いたのだったが、特段音楽的な環境にいるわけでもない地方都市に住む平凡な中学生にとって、間接的にであれ受け取った高名な(中学の音楽の教科書に必ず載っている合唱曲の作曲家だったから勿論、名前を知らない筈はない)作曲家の言葉は、自分の生きているちっぽけな生活世界の中でリアリティを持つことはなく、後に苦々しい思いとともに思い起こすエピソードの一齣となる他なかった。とまれ偶然の産物とはいえ、ここでもチェコの音楽との例外的な接触があって、私がマーラーへの熱中の背後で後年ノヴァークに出会うことになる背景を形成したことは間違いない。

 更に言えば、こちらはノヴァークの音楽を聴くようになったのと相前後するような時期のことだが、当時石川達夫さんが精力的に翻訳・紹介をしていたカレル・チャペックの作品をかなり纏めて読んだことや、ビロード革命の立役者である劇作家、ヴァーツラフ・ハヴェルが獄中から妻宛てに書いた膨大な書簡(『プラハ獄中記―妻オルガへの手紙』)を読んだり、現象学の研究者としてフッサール、ハイデガーに師事しながら、晩年になってハヴェルとともに「憲章77」Chartě 77 の代表として活動をした結果、官憲に拉致されて長時間の尋問を受けた後に心臓発作を起こして逝去した哲学者、ヤン・パトチカの『歴史哲学についての異端的論考』Kacířské eseje o filosofii dějin (邦訳:みずず書房, 2007)をやはりこれも石川達夫さんの翻訳を通じて接したこと、こちらは美術になるが、偶々チェコの画家フランチシェク・クプカFrantišek Kupka (1871~1957)だけにフォーカスした展覧会(1994年、愛知県美術館・宮城県美術館・世田谷美術館を巡回。私は世田谷美術館で作品に接した)があり、その作品にある程度網羅的な仕方で接する機会があったこともまた、チェコについての関心を広げる役割をしたと記憶する。音楽についても同様で、フィビフ、フェルステル、スーク、マルティヌー、ヤナーチェク、オストルチルやハーバといったチェコ人の作曲家の作品に接するなど、チェコの音楽に接する機会が何故か相対的に多かったことを考えれば、ノヴァークの音楽との出会いもまた、チェコの文化との遭遇の一齣に過ぎなかったという見方も可能だろう。

 既述のようにノヴァークは、本人の誕生からの前半生を、ドイツ人のための神聖ローマ帝国の後継国家であるオーストリア=ハンガリー帝国内においてチェコのナショナリズムが高まっていく中で過ごした。一時取り沙汰されたこともあったらしいチェコ人の自治権を認めた三重帝国こそ実現しなかったが、第一次世界大戦にオーストリア=ハンガリー帝国が敗れて解体することの結果として、チェコ人はひととき独立を獲得する。マサリクに率いられた所謂チェコスロヴァキア第一共和国の成立である。だが第一共和国は、東方からの脅威を防くことを目論むヒトラーのオーストリア併合の次の餌食となってしまい、まずドイツ人が多く居住するズデーテンが割譲され、次いで全体が併合されてしまって第一共和国は消滅する。(この時のヒトラーのやり方は、今まさに起きているプーチンのロシアによるクリミア半島の割譲とドンバス地方への傀儡政権の樹立というプロセスの仕上げとしてのウクライナ侵攻を彷彿とさせる。そのことを考えればプーチンの侵攻の口実がネオナチからの解放を目的とした自称「特別軍事作戦」であることは悪い冗談としか感じられない。)

 第一共和国はミュンヘン協定により戦争回避の生贄として見殺しにされ、おしまいにはチェコ地域(ボヘミアとモラヴィアの主要部分)はベーメン・メーレン保護領として併合されてしまうのだが、『南ボヘミア組曲』はそうした一連の出来事に先立つ1936年から1937年にかけて作曲された。1930年、日本風には還暦を迎えたノヴァークは生誕の地であるカメニツェ・ナト・リポウを訪れる。そのことをきっかけにして、彼は自分が南ボヘミアの田園風景、とりわけ森や池から自分が受け取ったものを改めて認識し、それらに対する応答として『南ボヘミア組曲』を作曲したというのが経緯となる。既に述べたこの作品の特質、即ちユニークな時間の流れ方、単なる雰囲気の変化や対比ではない、組曲を構成する楽曲の間にある意識の位相の違い(組曲前半の直接経験される現在と回想される過去に対して、組曲後半の社会的・理念的なものの侵入、即ち歴史的過去と未来への眼差しという重層性)に関連した、抒情的・印象的な前半2曲と3曲目に置かれたフス教徒の聖歌(『イステブニツェ聖歌集』Jistebnický kancionál 所収で、スメタナの『我が祖国』Má vlast やドヴォルザークの劇的序曲『フス教徒』Hustiská dramatická ouvertura, op.67 で用いられたことで余りに有名な「汝ら、神の戦士よ」Ktož jsú boží bojovníci)との対比もさることながら、この作品が或る種未来を先取りした作品である点に留意すべきであろう。勿論、作品創作の時期には既に後のカタストロフの予兆はあちらこちらに伺えたに違いないが、それにしても、かの白山の戦いでフス派が壊滅してからというものの、或る種黙示録的な予言の如きものとして伝えられ、スメタナの『我が祖国』Má vlast の末尾の連続して奏される2曲「ターボル」Tábor と「ブラニーク」Blaník によって余りにも有名になったあの伝説がここで暗示されているのは、その後のチェコの運命を思えば、予言的とでもいうべきか。

 だが白山の騎士達が現実に出現することはなく、その後のズデーテン割譲から保護領化に至るまでの期間ひととき沈黙するものの、『深淵から』De profundis (1941) と題された交響詩とオルガンと管弦楽のための『聖ヴェンツェラス三部作』Svatováclavský triptych (1941)で作曲を再開したノヴァークは、ナチスの支配下では音楽によるレジスタンスを展開したのであった。よもや待ち望んだ白山の騎士と勘違いしたわけではなかろうが、そうしたノヴァークにとってスターリンが解放者として映ったのは間違いないことなのだろう。1943年に作曲された『五月の交響曲』Májová symfonie と題された独唱、合唱つきの長大な管弦楽曲はスターリンに献呈されており、ナチスの壊滅から7か月後の1945年12月に初演された。戦後まもなく1949年には没するノヴァークが共産党政権に対して親和的であり、「人民芸術家」の称号を得たことについて今日の視点から後知恵で批判することは容易いことだが、ここではその事実を述べるに留めて当否を論じることは控えたい。 

 それとともに、マーラーがチェコ人ではなく、チェコ生まれのユダヤ人であり、ナチスによって「退廃音楽」として演奏を禁止されたという点を踏まえるならば、一頃日本でも話題になった姪アルマ・ロゼの名の傍らに、ホロコーストの犠牲となり、強制収容所でその生を断たれた一連のチェコ生まれのユダヤ系の作曲家の名前を挙げないでいるのはバランスを欠くことになるだろう。シェーンベルクの門下でプラハのドイツ劇場でツェムリンスキーの計らいで指揮者を務める一方で、ハーバにも師事したヴィクトル・ウルマン、やはりハーバの門下であるギデオン・クライン、更にはヤナーチェクの門下であったパヴェル・ハース、ハンス・クラーサといった、テレージエンシュタット強制収容所に送られた後、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で殺害されるという運命を辿った作曲家達、同じくナチスにより「退廃音楽」として迫害され、ホロコーストの犠牲となったエルヴィン・シュルホフといった作曲家の存在を忘れてはなるまい。一方で、ノヴァークの弟子であり、微分音音楽の開拓者として当時の前衛であったハーバもまた、ナチス支配下では作品演奏を禁じられ、プラハ音楽院に自ら設けた微分音学科での教育も禁じられることになる。戦後一旦は復帰するものの、今度はスターリニズムの影響下にあった共産党政権によって「形式主義者」として迫害を受け、微分音学科は廃止され、強制的な引退に追い込まれることになる。尤も引退後の彼は作曲の自由を回復することになって逆に本来の前衛的な作風を取り戻し(彼の最後の弦楽四重奏曲である第16番は五分音による)、半ば忘れ去られつつ1973年に世を去る迄実験的な探求を続けたのであったが。

 勿論、だからといって私にとってチェコはまずもってマサリクとチャペックのそれであり、パトチカとハヴェルのそれであることには些かも変わりはない。ハヴェルには「力なき者たちの力」Moc bezmocných (1978)と題された論考があるけれど、まさに「力なき者たちの力」こそが拠って立つべき根拠であるという思いも変わることはない。またチャペックの作品の持つ、後年のSFを遥かに凌ぐ透視力への感歎の思いは、原子力(『絶対子製造工場』や『クラカチット』)、感染症の蔓延と戦争(『白い病』)、ロボットや遺伝子工学、人工知能、人工臓器(『ロボット』、『山椒魚戦争』)や老化(『マクロプーロスの処方箋』)といったシンギュラリティ(「技術的特異点」)を目前にした今日の問題をチャペックが全て予感しているのであれば、寧ろ強まるばかりである。不覚にもごく最近気づいたのだが、「分解」「腐敗」を切り口とするという卓抜な着想と歴史学者としての実証によって今日の問題に対して最も鋭く批判的な応答をしている藤原辰史先生の『分解の哲学』は一章をチャペックに割いており、一読してチャペックと藤原先生双方の着眼の卓抜さに圧倒される思いがしたことを鮮明に記憶している。

 だがもしそうだとして、ビロード革命後にプラハで鳴り響いた『我が祖国』のもたらす感動、チェコ人でもないし、チェコに暮らしたこともない人間の、恐らくは少なくない誤解を孕んだ身勝手な共感は、一体何に対するものなのだろうか?それは幾らでも暴力的に成り得て、「浄化」という名の他者に対する排除、他者の絶滅を正当化する論理が依拠する類の排外的で独善的なナショナリズムとどのように区別されうるというのだろうか?

 勿論そうした問いに対して簡単に答えられる筈もなく、だがだからといってそうした問いを回避して済むわけでもないのだけれども、私にとってのノヴァークの音楽は、出会ってから四半世紀が過ぎた今もかつてと同じ風景を私に見せてくれる。そして四半世紀も遅れてノヴァークの音楽との遭遇についての証言を書き留めておきたいという思いをようやくこのように果たそうと試みた時、自分にとってノヴァークの音楽は或るタイプの「生」のモードに結びついていることを認識せざるを得ない。そしてそのモードはボヘミア楽派のメンバーの一人としてのノヴァークのそれではなく、更にまたその生涯を通じて幾多の変遷を遂げたノヴァークその人のそれですらなく、端的に『南ボヘミア組曲』を作曲した折のノヴァークのそれであることに気付くのである。最初に述べたことの繰り返しになるけれど、ノヴァークに出会った頃の私は、その音楽に彼の蒙った傷と絶望と、森や池や草原の風景から受け取ることのできる深い慰藉とを感じ取り、内向的でぶっきらぼうで非社交的な彼の性格を受け止め、共感したのだったと記憶するが、今そうであるのと同様、当時の私にとっても最も深く心の中に染み透る作品である『南ボヘミア組曲』にかつて見たものは、今にして思えば稍々位相のずれたものであったかも知れないと思う。

 既に記した通り、ノヴァークは60歳に到達した折の「帰郷」をきっかけにこの作品を創り出した。組曲を構成する楽曲の間にある意識の位相の違い、即ち組曲前半の直接経験される現在と回想される過去に対して、組曲後半の社会的・理念的なものの侵入、即ち歴史的過去と未来への眼差しという重層性そのものが物語る通り、瞑想的で流れ込む外の風景の「感じ」と外に沁み出していく「私」という意識の構造とその移ろいの過程の様態が克明に定着された前半の2曲もまた、若き日の作品群とは異なって、直接的な体験の印象主義的な音楽化ではなく、それ自体がフッサール現象学でいうところの第二次的な把持のレベルにある。(それに対し後半2曲についてスティグレールを援用するならば、更にテクノロジーに補綴された第三次的な把持の水準、アンディ・クラークの言う「生まれながらのサイボーグ」としての「人間」の水準にあると言えるだろう。)それは既に「回想」の相をも含んでおり、「回想」の意識内容と、今、改めて己れをその中に浸す風景の直接的「感受」(ここでの感受は、ホワイトヘッドのプロセス哲学的な意味合いで用いている)の二重性を帯びたものなのである。今の私が『南ボヘミア組曲』に見出すのは、これもノヴァークの後期作品の特徴と私が感じていることとして既に記したことの繰り返しとなるが、若き日の室内楽に見られた些か不器用なまでの率直さに再び近づき、気どりや飾り気の無さ、敢えて洗練とか流麗さとかを拒むようなたどたどしくさえある朴訥さが感じられるとはいえ、現象そのものに無自覚に対峙するのではなく、ゲーテの箴言に言う「現象から身を退く」ことに近接するような、自己の主観の働きを客観化するような働きである。ゲーテはそれを「老年」に結びつけて語ったのだっだが、アドルノはジンメルのゲーテ理解を受け継ぐような形で「現象から身を退く」点を重視して「後期様式」を、マーラー、シェーンベルク、ベートーヴェンといった具体的な作曲家を対象として論じている。それを単純にノヴァークに敷衍することが正当化できるかどうかについての判断は専門の研究者でもない私の能くするところではないが、そうであったとしても、ノヴァークに対して遅ればせの応答をかくして試みることで確認したのは、それが実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということであった。

 関わっていたというのが言い訳でないというのは、ノヴァークを良く聴いた同じ時期に、ノヴァークに対してではなかったし当時の私の年齢相応の仕方ではあったが、自分が既に「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えていたことに思い当たったからである。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。ここでそれらを繰り返すことはしないが、そのきっかけは、或る日自分がダンテの『神曲』冒頭に記されたような人生の折り返し点を気づかずに既に通り過ぎて了ったという認識を抱いたことだったように記憶する。その辺りの消息は、このブログの記事の中で、一見したところマーラーとの関連が稀薄そうに見える身辺雑記(1) 序に記録している通りである。人生の折り返し点を過ぎたということは、ダンテの定義によれば老年に差し掛かったということであって、そうした自己認識の下、アルヴォ・ペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」という言葉を導きの糸としたシベリウスの晩年の沈黙やデュパルクの断筆についての思考、ジッドの「狭き門」におけるアリサの「私は年をとってしまった」というジェロームへの言葉を巡っての思考、ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる相転移の地点についての思考は、その時期の私なりの「老い」についての思考であった。その時は寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

 「老い」について語られることは、「死」について語られることの多いのに比べて余りに少なく、仮に語られても、それは「死」との関りにおいてのみ論じられることが常であるように感じられる。だが、ジュリアン・ジェインズの言う「二分心」崩壊以降、ダマシオの言う延長意識が立ち上がると「自伝的自己」が確立され、生涯に亘って維持されるようになったのだが、逆にそうなってみると生物学的な「死」の手前に、その前駆としてではない「自伝的自己」の消滅が、「老い」によってもたらされることになった。ダマシオの記述を参照するならば、認知症の代表的な原因であるアルツハイマー病では「初期では記憶喪失が支配的で、意識は完全だが、この破壊的な病が進むと、しばしば進行的な意識低下が見られる。(…)この意識低下はまず延長意識に影響し、事実上、自伝的自己の様相がすっかり消えてしまうまで延長意識の範囲を徐々に狭めていく。そして最終的には中核意識も低下し、もはや単純な自己感さえなくなる。」(ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』, 田中三郎訳, 2003, 講談社, p.138)

 ジャンケレヴィッチの『死』は死そのものと同様、その手前と向こう側についても延々と語っており、その中で勿論「老い」についても「死の手前」の中の一つとして論じている(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)が、無い物ねだりとは言い乍ら、やはり「老い」そのものについて論じているとは言い難い。勿論こうした次元での「老い」は直接には「現象から身を退く」ことをその定義とする「後期様式」とは無関係であるということになろうけれど、こうした次元の「老い」と切り離してそれらを論じることは、こちらはこちらでもともとのゲーテの言葉を軽んじていることになるのではなかろうか。

 「老い」についての大著というと、邦訳で上下巻、二段組で700ページにもなるボーヴォワールの『老い』(朝吹三吉訳, 人文書院, 1972)があって、膨大な資料を渉猟し、その記述は多面的で、生理的側面、心理的側面、社会的側面の全てに亘り、客観的・対象的な了解と主観的・体験的な了解の両方を扱っており、かつそれらそれぞれの面のいずれについても充実したものだが、余りに経験的な次元に限定されている感じもある。一方でその限りにおいて、作家や学者に比べて芸術家(画家と音楽化)の晩年についての評価は高いのだが、その理由が特殊な技能を習得することから習熟に時間を要するという稍々皮相な指摘(「(…)このように彼ら(=音楽家:引用者注)が上昇線をたどるのは、音楽家が服さなねばならない拘束の厳しさによる、と私は解釈している。音楽家は自分の独創性を発揮するには高度の熟達がなければならず、これを獲得するには長い時間が必要なのである。(…)」, 邦訳下巻, p.479)に留まっている。何よりも「老い」が単なる「長い時間」と同一視されていて、「老い」の固有性が顧慮されていない点が致命的に感じられ、これではゲーテの「現象から身を退く」に基づくジンメルやアドルノの議論との間尺がそもそも合いようがない。ボーヴォワールが「老い」というものが様々なレベルで複合的に決定されているものであるが故に明確に定義することが困難であることを認識した上で、「老い」というものの固有性について理解しているだけに、個別の例における上記のような評価は寧ろ腑に落ちない感もあるが、ここでこれ以上立ち入ることは控えることにして後日を期することにしたい。

 その点で留意するに値するのは、世阿弥が『風姿花伝』において能役者の生涯における三回の「初心」について述べる中で「老年の初心」について述べていることだろう。そもそも能楽には「老体」の能と称される演目があり、「老女物」の能を演じるのは能役者にとっての生涯の目標であり、かつては奥伝として特に許された者以外は生涯演ずることが叶わなかった程である。そしてそうした最終目標の演目において能役者が演じるのは、小野小町の老残の姿と心持ちを扱った作品(『卒塔婆小町』を始めとする所謂「小町物」)であったり、棄老伝説を踏まえた、今日的には残酷ともとれる状況を扱った作品(『伯母捨』)なのであって、役者として「老年の初心」を経て初めて到達できる境地と、そうした「老い」を主題とした演目との間に深い関りが存在することは、そうした作品の最高の上演に幾度か接すれば自ずと得心されるもので、そうした観能の経験もまた、私がそうとは気づかずに断続的に行ってきた「老い」についての思考の枢要な導き手であったことを今、改めて認識し、そうした上演に立ち会うことができた僥倖に感謝せずにはいられない。ここでは「死」とは異なる「老い」の固有性が、そのマイナス面も含めて決して否定的に扱われることなく、だがそこから目を背けることもなく、真っ向から取り上げられているのである。

 であるとするならば、要するに求められているのは、『分解の哲学』において遂行されているように「分解」「腐敗」を正面から取り上げること、そしてその顰に倣いつつ、だが、こと「老い」を扱うのであれば、『分解の哲学』が謂わば「死の向こう側」における「分解」に目を背けることなく取り上げたのに呼応して、「死の手間」における「分解」を取り上げることなのだと考える。

 だが「老い」について上記のような議論をすることはそれ自体、最早ノヴァークその人への「応答」としては過剰であり、逸脱であるというのが客観的な判断としては妥当だろう。既述の通りノヴァーク自身はその後しばらくの沈黙の時期はあったけれども断筆に至ったわけではないし、その後は、抵抗としての音楽の創作に向かったのだから、ノヴァークその人の総体を論じるのであれば、そこに上述した意味合いでの「老い」を見出すのは無理筋ということになるに違いない。けれども私にとってのノヴァークは何よりもまず『南ボヘミア組曲』に映り込んだ彼なのであり、(『シニョリーナ・ジョヴェントゥ』のように素材として若さ/老いを扱った作品があるとは言え)もしかしたらノヴァークにおいて一度切り、そこに限ってということであれば、ここで考えているような「老い」を論じることは許容されるのではなかろうか。だが寧ろ、今やそのことをこうして確認したからには、かつての自分がノヴァークから明確に離れたという訳ではないにせよ、その後再びマーラーに立ち戻ったように、今度はマーラーと「老い」について、マーラーにおける「老い」について、必ずしもアドルノのようではなく自分なりの認識を整理することに向かうべきなのだと感じている。そしてそれはかつて『南ボヘミア組曲』に出会った折の仕方と同じ仕方でなく、上でラフにその輪郭を辿ったことの延長線で「老い」について考えることに通じるのであろう。(2022.12.7オリジナル版, 2023.2.8マーラーに関連する部分を編集し、若干の加筆の上公開、2.16, 3.7更新, 3.8改題, 4.30,5.4加筆修正)