2005年7月31日日曜日

歌詞についての概観

マーラーの作品は歌曲と交響曲がそのほとんどを占めている。 一般にはマーラーは第一義的には交響曲作家であり、また勿論そうした見方は間違って いないが、だからといって歌曲の重要性が看過されるべきではないだろう。

常にあってはかけ離れた、相容れないとすらいえるような二つのジャンルの間の 融合は、歌曲の旋律の交響曲での引用、交響曲楽章への歌曲への嵌め込みを経て 最後には大地の歌という交響曲的な構想をもった連作歌曲集へと至る。 しかし歌曲の側でも、さすらう若者の歌、子供の死の歌といった連作歌曲の流れが あってこそ、大地の歌のようなユニークな形式が生み出されたのだと思われる。

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そこで本ページでは、マーラーが素材とした歌詞をまとめたい。幸い、マーラーに 関しては著作権の問題で原詩の掲載を控えないといけないようなケースというのは ないようなので、その全貌を提示することが可能である。 上述の理由から対象を歌曲に限定するのもマーラーの場合には意味がないので、 交響曲楽章で合唱により歌われるものも含めることにする。外延を嘆きの歌、 3つの歌から大地の歌までの作品とすると、曲数にして60曲程度になる。

なお、本ページの方針として、原詩の背景には(マーラーの自作のケースを除けば、 作者が誰であるかということも含めて)重点をおかない。そうした研究は 数多くあるし、勿論有益だろうが、私見では結局のところ詩というのは素材、 出発点に過ぎない、特にマーラーの場合に限って言えば、優れてそうである言いうる というのがその理由である。

ただしマーラーが施した改変に一定の留意をすべきなのは当然だろう。作曲者の 意図は達成されたものとは別だとはいえ、それは原詩の背景を調べることとは 自ずと次元が異なると思われるし、詩を(かなり気侭に)改変するという スタンス自体が、マーラーの特徴の一つといってよいからだ。

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自作の詩に音楽をつけるのは、ジャンルを問わねば別段驚くべきことでも無いはずだが、 実際にはクラシック音楽の文脈ではマーラーの特徴の一つに数えるべきで、 破棄されたオペラのリブレットも含め、影響関係を論じるならばまずはワグナーの 影響が問題になるのかも知れない。 しかし自作の詩への作曲はある時期を境に途絶えてしまう。それに対し、 歌詞の改変はほとんど改作といってよいクロップシュトックの復活の賛歌の敷衍から、 カトリックの著名な賛歌である「来たれ創造主なる聖霊よ」のパラフレーズを経て、 「大地の歌」の「告別」まで続く。「復活」がそうであるように「告別」もまた、 その改変の程度たるや、実質はベトゥゲの詩を下敷きにした自作の詩と呼んでも いいくらいの徹底ぶりで、そうした詩への介入の程度から見ると後期作品は 初期作品に通じるものがあると言ってもよいくらいに思える。もっともそれ以外では 原詩に忠実であったかといえば決してそんなことはなく、子供の魔法の角笛に 対しては削除、追加といった改変をかなり自由に施して作曲している。

歌詞を素材と見なすこうした態度について裏付けとなるマーラー自身の言葉が あるのはよく知られているが、それを踏まえて言えば第8交響曲の第2部のみが 「言行不一致」の例であるかも知れない。要するにゲーテのファウストへの 作曲というのは、シューマンやリストの先例があるかどうかに関わらず、何より マーラー自身にとっての「例外的な」ケースだった。そして、どう取り繕った ところで第8交響曲の第2部が、マーラーが介入を最小限に控えたゲーテのテキストに 強く拘束されているのは否定しがたいように思える。(とはいえ、例えばシューマンと比べれば、 マーラーはここでも自由に振舞っていると言える。「音楽に詩をあわせる」ための 語句の変更、移動、繰り返しは多く、それらはしばしばゲーテの元の詩の韻律を 壊してしまう。それだけではなく、「熾天使の教父」の語りを全く省略してしまうことで、 後続する「昇天した少年たち」の歌の意味合いを変えてしまうことまでしている。 だがそれでも巨視的に見てゲーテの詩句が音楽の構造を決定していることは 明らかだと思う。) その音楽のそこここに底知れぬ力を放つ瞬間があるのを否定するつもりはないが、 それが瞬間の積み重ねに過ぎず、例えば第1部のあの(些か退行的なのかもしれないが、 それでもなお)緊密な構造に比べても、内容から形式を鍛造する、 あのいつもの動性がその音楽に感じられないのもまた、否定できないように 私は感じている。

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なお詩の掲載にあたっては、手元にある資料、CDのリーフレット類や、Webの 以下のサイトに依拠した。マーラーによる改変についても、私は直接原典に あたって確認できる環境にはないので、同様に二次資料に依拠せざるを得なかった。 特に「大地の歌」については、ベトゥゲの原詩とマーラーの改変のみならず、 ベトゥゲの「種本」であるハイルマンの詩集、その元のエルヴェ・サン=ドニの詩集と ユディト・ゴーチェの詩集、更におおもとの漢詩まで辿る研究が存在するが、 ここではマーラーが参照した原詩とそれに対してマーラーが行った改変に限定して 編集を行っている。詳細を知りたい方は以下の参考サイトをご覧になっていだだくのが 良いと思う。

従って、知見の多くはそうした先行研究やサイトに拠るものだが、異同も 少なくないため、少なからず自分の判断で取捨選択を行わざるを得なかった。
本ページに意義があるとすれば、マーラーが音楽をつけた詩が一覧できるということに 過ぎないかも知れないが、現実にそうしたWebページが他にはない以上、何かの役に 立つこともあるのではないかと考えている。

また、こうしたページの場合には、誤字の類はないように万全を期するべきだが、 つきものであるのが現実であろうと思う。もしお気づきの点があればご教示いただき たく、お願いする次第である。

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一方で、歌詞の翻訳はこのWebページの作成者の力量に余るということで断念しており、 今後も検討対象として扱うときに必要に応じて試訳をすることはあるかも知れないが、 網羅的、包括的な訳詩を行う予定はない。

そもそもWebには、以下でも紹介している梅丘歌曲会館「詩と音楽」の ような素晴らしい訳詩と的確な解説が為されているサイトが既に存在しており、私も参考にさせていただいている。従って、訳詩を必要とされる方には、 そちらを参照されることをお薦めすることにして、ここでは原詩などの資料を掲載するに留める方針とする。

なお、当Webページの歌曲の訳題についても順次、従来の訳詩よりも適切と思われる 梅丘歌曲会館「詩と音楽」のものに準拠するよう変更する予定でいる。梅丘歌曲会館「詩と音楽」で扱われているのは49曲(「大地の歌」を含む)。 詳細はグスタフ・マーラーのページを ご覧になっていただければわかるが、マーラーのほぼ全ての歌曲の歌詞とその対訳を参照することができるようになっている。 参考までに、梅丘歌曲会館「詩と音楽」での訳題を以下に掲げておく。 (2010.7.18/19, 8.16, 9.2, 11.6追記)

  • 若き日の歌 第一集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
    • 春の朝 Frühlingsmorgen 詩:リヒャルト・レアンダー
    • 思い出 Erinnerung 詩:リヒャルト・レアンダー
    • ハンスとグレーテ Hans und Grete 詩:作曲者
    • セレナーデ Serenade  詩:ティルソ・デ・モリーナ
    • ファンタジー Phantasie 詩:ティルソ・デ・モリーナ
  • 若き日の歌 第二集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
    • 悪い子を良い子にするには Um schlimme Kinder artig zu machen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 私は喜びに満ちて緑の森を歩いた Ich ging mit Lust durch einen grünen Wald 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • それ行け! Aus! Aus!  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 強烈な想像力 Starke Einbildungskraft 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
  • 若き日の歌 第三集 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
    • シュトラスブルクの砦の上 Zu Straßburg auf der Schanz' 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 夏に交代 Ablösung im Sommer 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 別れて会えない Scheiden und Meiden 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 二度と会えない Nicht wiedersehen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 自意識過剰 Selbstgefühl  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
  • さすらう若人の歌 Lieder eines fahrenden Gesellen
    • ぼくの好きだった人が結婚式をあげるとき Wenn mein Schatz Hochzeit macht 詩:作曲者
    • 今日の朝、野原をゆくと Ging heut morgen übers Feld 詩:作曲者
    • ぼくは赤く焼けたナイフを持っている Ich hab' ein glühend Messer 詩:作曲者
    • ぼくの好きだった人の二つの青い瞳 Die zwei blauen Augen von meinem Schatz 詩:作曲者
  • 子供の不思議な角笛 Des Knaben Wunderhorn
    • 歩哨の夜の歌 Der Schildwache Nachtlied 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 無駄な努力 Verlorne müh' 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 不幸中の慰め Trost im Unglück  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 誰がこの小唄を思いついたの? Wer hat dies Liedlein erdacht?  詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • この世の暮らし Das irdische Leben 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • パドヴァのアントニウス 魚へお説教 Des Antonius von Padua Fischpredigt 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • ラインの伝説 Rheinlegendchen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 塔に囚われて迫害を受けし者の歌 Lied des Verfolgten im Turm 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 美しきトランペットが鳴り響くところ Wo die schönen Trompeten blasen 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 高度な知性を讃えて Lob des hohen Verstands 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 三人の天使がやさしい歌を歌ってた Es sungen drei Engel einen süßen Gesang 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • はじめての灯り Urlicht 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • あの世の暮らし Das himmlische Leben 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 起床合図 Revelge 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
    • 少年鼓手 Der Tambourgesell 詩:子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)
  • 5つのリュッケルトの詩による歌曲
    • 私の歌の中まで覗きこまないで Blicke mir nicht in die Lieder 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 私はほのかな香りをかいだ Ich atmet' einen linden Duft 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 私はこの世に忘れられて Ich bin der Welt abhanden gekommen 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 真夜中に Um Mitternacht 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • あなたが美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
  • 交響曲「大地の歌」 Das Lied von der Erde
    • 『地上の苦悩をうたう酒宴の歌』 Das Trinklied vom Jammer der Erde 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『秋に寂しい人』 Der Einsame im Herbst 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『若さについて』(ピアノ版:「磁器の四阿」) Von der Jugend (Der Pavillon aus Porzellan) 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『美しさについて』(ピアノ版:「岸辺にて」) Von der Schönheit (Am Ufer) 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『春に酔う人』(ピアノ版「春に飲む人」) Der Trunkene im Frühling (Der Trinker im Frühling) 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
    • 『別れ』 Der Abschied 詩:ベートゲ(Hans Bethge)
  • 子供たちの死の歌集 Kindertotenlieder 詩:リュッケルト(Friedrich Rückert)
    • 1.いまや太陽は明るく昇る Nun will die Sonn' so hell aufgehn
    • 2.今になってみればよく分かる Nun seh' ich wohl
    • 3.おまえのママが Wenn dein Mütterlein
    • 4.私はよく考える、あの子たちは出かけただけなのだと Oft denk' ich,sie sind nur ausgegangen
    • 5. こんな天気のとき、こんなに風が鳴るときは In diesem Wetter,in diesem Braus

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<参考サイト>
  • 梅丘歌曲会館「詩と音楽」: 従来「大地の歌」、「子供の死の歌」の解説が、素晴らしい訳とともに読むことができたが、現在では、初期歌曲から「子供の魔法の角笛」についての網羅的な訳詩と解説を読むことができる。 詳細はグスタフ・マーラーのページを参照。
  • フィヒテとリンデ:オーパス蔵のCD、 マーラー:交響曲「大地の歌」/ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィル  カスリーン・フェリアー(a)/ ユリウス・パツァーク(t)添付の訳詩を担当された甲斐さんのページ。訳詩の改訂稿を読むことができる他、マーラーの『大地の歌』の第3楽章「青春について」のテキストに関する、浜尾房子氏の誤訳説を検証、批判した論文「ジュディット・ゴーチェ「磁器の亭」~誤訳説批判」を読むことができる。 なお上記の梅丘歌曲会館「詩と音楽」の「大地の歌」「子供の死の歌」も甲斐さんが担当されている。
  • 香川大の最上英明先生のページでは、 先生の書かれた「マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─」を読むことができる。 即ち、 マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─(第1~3楽章) (「香川大学経済論叢」第76巻第3号(2003年12月発行)掲載) および、 マーラーの《大地の歌》─ 唐詩からの変遷 ─(第4~6楽章) (「香川大学経済論叢」第76巻第4号(2004年3月発行)掲載 ) である。 大地の歌の原詩の変遷を辿るということでは、内容的にも網羅的なこの研究を参照するのが 良いと思う。
  • ドイツのグーテンベルク・プロジェクト (ドイツ語)では、「子供の魔法の角笛」やリュッケルトの詩、そしてニーチェやゲーテのテキストの オリジナルを読むことができる。クロップシュトックの「復活」は残念ながらないようなので、 私はフライブルク大のアンソロジーの ページ(ドイツ語)を参照した。また聖歌(「復活」と「来たれ創造主なる聖霊よ」)については、教会関係のWebで本来の (つまり信仰の場での)姿に接することができる。

マーラーと永遠性についてのメモ

永遠を欲するのは、作品自体でもある。マーラーの時代、録音・録画の技術はまだその黎明期にあったから、 彼の指揮者としての営みは、エフェメールなものであるという宿命を帯びていた。恐らくマーラー自身、そのことに自覚的だっただろう。
では作曲はどうなのか?

マーラー自身は自身の担体としての有限性に自覚的であったし、それだけになお一層、自分を介して生まれてくる作品が、 自分の死後も残ることに拘っていたように思える。そして、実際、永遠を欲するのは人間だけではない。 ミームとしての作品もまた、なんら変わることはないのではないか?

マーラーは、自ら何かを語りたくて作曲をしたのではない。勿論、語るべき何かが己の裡に存在していることへの自覚はあった。 だが、それは「私が語ること」ではない。マーラーが不完全な直観から捻り出した陳腐な標題すら「何かが私に語ること」なのだ。 マーラーその人は、ある種の媒体に過ぎないことをはっきりと自覚している発言も残されている。そしてまたシェーンベルクの第9交響曲に関する コメント、即ちそれが非人称的で、主体はそこでは「メガホン」でしかない、と言っている言葉は比喩などではなく、「文字通り」に受け取られるべきなのだ。

微妙なのは、こうした姿勢が、マーラーが職業的な作曲家でなかったことと無関係ではなさそうなことだ。 職業的な作曲家なら、もしかしたら語るべき何かが己の裡になくても、委嘱を受ければ、あるいは生活の糧を得るために、曲を書くだろう。 勿論、「集団的主観」の方は、そういう作曲においても健在であって、同じように観相学が成立すると言ってよいのかも知れない。 けれども、主観的な契機や衝動を欠いた作品は、それを経由する個人が希薄であるが故に、そしてそれが何かの社会的な目的や機会を意識している割合が大きいゆえに、逆説的にそうした「何か」の声を、つまり「集団的主観」の語りかけに関して貧弱である可能性が高いということにはならないだろうか? マーラーは無意識にその危険を感じていたのかも知れない。耳を澄ます自由を得るために、マーラーは職業として作曲を行わない。

いつでも歴史は敗者のものではなく、勝者のものであるがゆえに、文化のドキュメントは同時に野蛮のドキュメントである、というような考え方は、ベンヤミンに由来するものであったか、それともアドルノに由来するものであったか?(レヴィナスもまた、作品と歴史に関して類比して検討することが可能なことを語っている。)

マーラーの不思議は、ユダヤ人であることの疎外はあったかも知れないものの、彼が生涯を通して、ほぼ一貫して勝者であったにも関わらず、敗者のための音楽を書いたように思われるという、逆説的な状況にある。 一方で、マーラーの音楽をはしたない、みっともないものとして拒絶する態度が存在する。マーラーその人にもどうやらあったらしい自己劇化、「私の声」を大管弦楽を用いて表出することに無節操を感じる人がいるのは別段不思議でもなんでもない。 けれども、決して「立派」とはいえないその内容の語り手が、ウィーンの宮廷歌劇場に君臨した監督その人であることの落差の方が私にとっては大きい。

要するに、歴史に残ったからマーラーが勝者である、という以前に、すでに生前のマーラーは勝者の側にいた、というのが客観的な事実ではないか。 歴史の審判が劇的な逆転を演出し、生前不遇であった天才を一躍、勝者に仕立てたというストーリーは、マーラーの場合には全くあてはまらない。 確かに指揮者としての成功に比べて、作曲家としての成功は全面的とまでは言いがたいだろうが、少なくとも第2交響曲、第3交響曲、そして何より第8交響曲は掛け値なしの成功を収めている。こういう言い方は、これはこれで公平を欠くし、不謹慎の謗りを免れないだろうが、マーラーの生涯の悲劇と呼ばれているものだって、一歩距離をおいてみれば別段、異常なものではない。彼の生きた時代が、例えばその直後のヴェーベルンや、さらにその後のショスタコーヴィチに比べて、遥かに平和な時代であったことは否定しがたいだろうし、幼年の兄弟の早逝、長女の死、妻の不倫、自分の病(誤診であったというのが通説になりつつあるようだが)の自覚、それらは勿論、経験したものにとっては悲劇に他ならないとはいえ、あえて言えば、特に異様で常軌を逸した出来事とは言えないだろう。

もっとも、マーラーの音楽は決して個人の悲劇についての音楽ではない。
マーラーの音楽に固着しているといって良い、悲劇と厭世のイメージはさすがに最近は色褪せてきたとはいえ、なかなか根強いものがあるようだが、例えば第6交響曲を聞いて感じるのは、寧ろ強烈な活力の方で、人によっては、その力の氾濫に閉口するのではないかと思えるくらいだ。悲劇と同じくらい、個人の方も適切でないのは、例えば角笛歌曲集を聴けば明らかだ。否、交響曲においても、語り手と登場人物の分離は明らかであって、これを体験記のように受け止めるのは無理があるだろう。 だから問題は、勝者であるマーラーが何故、弱者を主人公とする小説のような交響曲を、あるいは歌曲を書いたのか、という構造をとるというのが正しいだろう。

だが、多分実際にはそうした観点はそもそも全くの見当違いなのだろう。
世間的にみて勝者であることと、個人の心象は別のものであるし、その経験が(他の人間でもしばしば経験することであるという点で)ありふれたものであるというのなら、それは個人的な経験への沈潜が普遍的なものに転化する契機を形作っているというように考えるべきなのであろう。 私は、マーラーの音楽が歴史上の重要な出来事を予言したといったような捉え方には全く共鳴できないし、一方でマーラーの音楽が扱っている経験があまりに卑小であるが故に、それを大管弦楽を用いて音楽に形作ることをはしたないことだとも思わない。 そもそも、オペラにせよ、歌曲の詩にしろ、あるいは標題音楽のプログラムにしろ、そんなに高尚で立派なことを扱っているとも私には思えない。 問題なのは勿論、素材ではなく、形作られた音楽の方なのだ。

けれども、何故マーラーがこのような音楽を、という謎がそれで解けたことにはならない。歴史のドキュメントは野蛮のドキュメントであるとしたら、歴史の審判を生き延びた(ように少なくとも今のところは思われる)マーラーの音楽における野蛮とは何なのか、に対する答も出ていない。 マーラーの音楽は弱者の音楽「だから」、決して野蛮なわけではない、という論法も、あまり説得力があるようには感じられない。 (野蛮を暴力と読み替えれば、これはレヴィナスにも通じるテーマだ。どっちみち暴力なしには済まないのか?だとしたら「ましな」暴力というのがあるのか、などなど、、、)

マーラーの音楽には、慰めがある。結局生きる勇気を与える音楽なのだ。
聴き手を癒し、生きる力を取り戻させる音楽。 そして、どこかでこの音楽は永遠を信じている。 こどもたちはちょっと出かけただけだ、、、この音楽が永遠を信じる仕方はちょうど、そういうような具合なのだ。そのように、単純で素朴な仕方であたかも忘れ去られていたけれども、気付いてみたらまるで当たり前のことであるかのような自然さ。 それは勿論、幸福が仮象に過ぎず、生は結局有限に過ぎないという意識に裏打ちされている。そういう意味では、この音楽は信仰の産物ではない。 一見して矛盾しているようではあっても、生の有限性と、永遠を信じることとは両立するのだ。

作品自体が投壜通信のごときものだからなのだろうか? この世の成り行きの愚かしさ、情け容赦無さに対するあんなにシビアな認識にも関わらず、あの辛辣極まりないイロニーにも関わらず、何故か、子供のように単純な永遠性への確信は損なわれていないようなのだ。

その懐疑の深さと、現実認識の透徹と、永遠性へのほとんど確信めいた憧憬。その共存は私には、あるときには耐え難い矛盾に感じられるし、 別の時には、その両極端に引き裂かれた意識のありように深い共感を感じずに居られない。

100年が経ち、意識を、生命を、永遠性を巡っての風景はかなり変わってしまった。
進化論は洗練され人間の存在を盲目的なシステムの試行錯誤の産物であり、それは生存のための戦略として取りうる選択肢の一つに過ぎないことが 明らかになった。目的論的なパースペクティヴの遠近法的な錯誤が明らかになり、人間は己が進化の力学系の中の単なる通過点に過ぎないことを 自覚することになった。

一方で心や意識は、行動主義的な括弧入れを経て、いよいよ御伽噺の対象ではなく、科学的な検討の対象に なった。神経科学的な知見は意識が如何に頼りない生物学的基盤に依った儚い存在であるかを明らかにしたし、人工知能研究によって、知性や意識に ついての意識の自己認識は一層深まった。

現代ではマーラーの「世界観」は時代錯誤な骨董でしかない。それに気づかずに、それによって生じるギャップを我が事として引き受けずに、まるで 自分が時代も社会的文化的環境も超越したかのようにその音楽を聴くことができる人も恐らくは居るだろう。否、それどころか、音楽を評論する場では 寧ろそうした姿勢の方が優勢であるかのようだ。そうした距離感がないまま、マーラーを同時代人のベッカーが論じたような「世界観音楽」として捉えられると する立場がどうしたら可能なのか、私には見当がつかないのだけれども。

けれどもだからといって、マーラーの音楽の一見したところ力を喪ったかに見える側面、すでに50年も前にアドルノが懐疑の眼差しを向けたあの 肯定的なものが、全くの意義を喪ったと断言することもまた、私にはできない。ショスタコーヴィチの晩年の認識の方が遙かに自分にとって違和感のない ものであるとは感じつつ、マーラーの音楽の反動的なまでに素朴な、だけれども堅固で決して損なわれることのないようにみえる心の動きが、 冷静に考えれば、あるいは客観的にはそれが「思い込み」に過ぎないものであるとしても、私にとって「不要なもの」とは言い切れないのだ。

風景の変化に無関心であることはできない。だけれども、意識が己の有限性を意識した時に一体何を為しうるのかという問いは、既にマーラーのものであったし、 その問題が解決されることはない。なぜならそれは社会的なものである以上に、生物学的なものだからだ。マーラーの音楽はそうした意識の自己反省の 産物であり、その作品はそれ自体、世界観の表明である以前に、かつまたそうである以上に、そうした自己参照的な系なのだ。私はそこに社会が 映り込む様を見たいとは思わない。そこにマーラーが生きた社会が反映していること自体は間違いではないだろうが、私が関心があるのは結局のところ そうした映りこみを可能にした、と同時にそうした映りこみによってもたらされた主体の側の様態の特殊性にあるからだ。

クオリアに拘り、主体の様態に拘ること、マーラーの音楽を「意識の音楽」「主体性の擁護」として捉えることは、かの「主体の死」の、主体概念の解体の 後に如何にして可能なのかという問いには、確かに傾聴すべきものがある。風景の変化に無関心であることはできない、というのは、そうした主体性への 懐疑の過程と結果を、まるでなかったかのようにマーラーを聴くことはできない、ということなのだ。だけれども、そうした主体概念の問い直しの後に、この私に、 儚くちっぽけな意識に一体どのような展望がありうるのかを問うことは可能だし、少なくとも私はせずには居られない。そして実際のところマーラーこそ、 そうした「主体の死」を引き受けて、その上で何を為しうるかを示した先駆ではなかったか。意識は擁護されねばならない。なぜならそれは取るに足らない、 あまりに儚いものだからだ。

例えばバルビローリの第9交響曲の演奏から聴き取ることができるのは、そうした認識であるように思える。この演奏に対して、 今日の演奏技術の高さや、マーラー演奏の経験の蓄積をもって、あるいはまた、録音技術の進歩をもって、かつて持ちえた価値は既に喪われていると 評価するような意見は、音楽の、そして演奏のもつ個別性をどのように考えているのだろう。否、他人のことはどうでもいい。少なくとも私はこの演奏にこそ、 意識自身による己れの儚さと有限性に対する認識と、それゆえ一層切実でかつ説得力に満ちた擁護を見出すのだ。 ここにはマーラーが書いた音楽の実質と、バルビローリの解釈の志向のほとんど奇跡と呼びたくなるような一致がある。 バルビローリとベルリン・フィルのこのかけがえのない記録の特質は、音楽への主観的な没入ではなく、冷静な認識に媒介された深い共感の質の例外性 にあるように思われるだ。そしてそれゆえ、この演奏を聴くにあたって必要なのもまた同じ、瞬間の音響に埋没することない、音楽の構造についての把握と、 まさにそれによって可能になる、音楽が提示する或る種の「姿勢」に対する同調なのではないか。

そのような「感受の伝達」の連鎖は可能だし、それなくして音楽を聴くことに如何程の意味があるとも思えない。ここでは音楽は娯楽ではないし、 演奏を聴き比べて、巧拙を論じ、評価の序列付けを行う批評的な聴き方は、私がこの演奏に接する際には最も疎遠なものだ。 ここでは音楽を聴くことは、まさに自分の(無)起源を認識する行為に他ならないのだと思われる。(2005.7/2007.12)

2005年7月10日日曜日

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について(2)--英訳の場合


アドルノのマーラー論での第4交響曲への言及に関して、新しい邦訳と私見との相違を 別のところにまとめたが、 その後、英訳(Mahler - A Musical Physiognomy, translated by Edmund Jephcott, 1992, The University of Chicago Press)を入手して確認したところ、英訳版ではアドルノの注の 付け方を練習番号との相対位置に基本的に改める方針をとっていることがわかった。 (ただし厳密には参照できたのは1996年刊のペーパーバック版である。)
この付け替え作業が推測によるのか、アドルノが参照した版にあたってのものかについては 記載がないが、推測であると書いていないからには、後者なのだろうと思われる。もし そうなのであれば、注の参照箇所に関しては、英訳のそれを「正解」と考えて良いだろう。
そこで、以下に英訳での参照箇所を抜粋したものを掲載したい。少なくとも原注の参照箇所に ついては、私の推定をご覧になるよりは英訳者の調査結果をご覧になったほうが確実だと 思われるからである。
なお、関連して問題にした原文の解釈の相違についても英訳を参照することが考えられるが、 こちらは参照箇所の問題と自ずと性格を異にするものでもあり、ここでは行わない。

以下、英訳(ペーパーバック版)の原文ページ、英訳での参照箇所を順次掲げる。 括弧内の小節数およびコメントは本ページの作者による補足である。


I.Curtain and Fanfare

p.6、原注(3):第4楽章、練習番号1の7小節後(=18小節)

p.10、原注(13):第2楽章練習番号11


III.Characters

p.44、原注(1):第1楽章練習番号7。参照箇所として第1楽章練習番号23の9小節後(=323小節)。

p.44、原注(2):第3楽章練習番号2の6小節後(=67小節。"klagend"と指示された第2主題の 前半の方の対応箇所の記載は英訳にはない。)

p.53、原注(18):第1楽章練習番号10の1小節後(=126小節)以降。

p.53、原注(19):第3楽章練習番号2の2小節前から始まる。(練習番号"3"の明らかな誤植だろう。)

p.53、原注(20):第1楽章練習番号17の5小節後、アウフタクトを伴う。(=225小節)

p.54、原注(21):第1楽章練習番号1の3小節後(=20小節)。

p.54、原注(22):第1楽章練習番号7の4小節後(=94小節)。

p.54、原注(23):第1楽章練習番号16(=209小節)。

p.54、原注(24):第1楽章練習番号19(=251小節)。

p.54、原注(25):第1楽章練習番号2(=32小節)。

p.55、原注(26):第1楽章練習番号18(=239小節)。

p.55、原注(27):第1楽章6小節を参照せよ。

p.57、原注(29):第1楽章10小節。アウフタクトを伴う。

p.57、原注(30):第4楽章練習番号10(=105小節以降)。

p.57、原注(31):第1楽章練習番号24の11小節後(=340小節)。


IV.Novel

p.68、原注(7):第1楽章練習番号8の前の3小節(99小節~101小節)。


V.Variant-Form

p.90、原注(5):第1楽章5小節。

p.90、原注(6):第1楽章9小節。

p.90、原注(7):第1楽章13小節。

p.91、原注(8):第1楽章練習番号2の5小節前(=27小節)。

p.91、原注(9):第1楽章練習番号2の3小節前(=29小節)。

p.91、原注(10):第1楽章練習番号18の8小節後(=246小節)。

p.91、原注(11):第1楽章練習番号23の4小節後と6小節後(=318,320小節)、練習番号23の1小節後、2小節後(=315,316小節)


VI.Dimensions of Technique

p.107、原注(1):第2楽章練習番号8(=185小節)。

p.118、原注(24):第3楽章練習番号2までの7小節(55~61小節)。


VIII.The Long Gaze

p.149、原注(7):第2楽章22小節以降。


(2005.7.10公開)

2005年7月1日金曜日

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について

アドルノのマーラー論は全編にわたって具体的な楽曲への言及がされているが、 それらは全て注の形をとっている。そしてその指示は、アドルノが参照した研究用スコアの ページとページ相対の小節数によっている場合が多い。この方式の問題点は、 アドルノが参照したものと同一の版でないと指示している場所が確定できないことである。 (練習番号で指示がされている場合もあり、こちらは版に拠らないので問題はない。) 実際には、訳注で述べられている通り、第4交響曲の場合が問題で、現在一般に使用されている マーラー協会による決定版は1963年の出版で、1960年出版の著作を執筆するにあたって アドルノが参照した旧版と組み方が全く異なるようだ。そのため、旧版を参照することが できなければアドルノの本文の言及から対応箇所を推定するほかない。この作業が 必ずしも常に容易なわけではないのは、訳注に書かれている通りである。
私はただの(しかも実際にはそんなに熱心とはいえない)聴き手に過ぎないのだが、 それでもなお、アドルノの文章を読み、マーラーの楽譜を対照した限りで、新訳の訳者と 異なる見解に達した場所が幾つかあったので、それをここに記載したい。
ただし私はアドルノにせよ、マーラーにせよ専門の研究者でも専門の演奏者でもないし、 自分の見解の正当性を殊更に主張するつもりは全くない。勿論、画期的な訳業である 新訳にけちを付けようとしている訳では全くない。新訳はアドルノに対する理解に基づいた 原文の解釈を背景とした仕事であるばかりか、別のところで書いたように、移動中の 電車の中で読めるほど日本語としてこなれた翻訳なのである。私も含めて多くのマーラー音楽の 聴き手が、訳者の解釈を通じてアドルノの主張をようやく把握できるようになったわけで、 こうした優れた翻訳なしには、ドイツ語が不自由な私のような人間がアドルノの考えに接することなど 不可能なのである。しかし一方で、それだけに、他のところでは明晰な新訳を読まれて、 私同様、第4交響曲に関する部分について、戸惑いを覚える方がいらっしゃるのではないかと 想像される。本項はそうした場合に、新訳の読者が自分で検討を行う一助になること、かつまた 私の疑問や勘違いを公表することで、マーラーを、またアドルノを良くご存知の方の ご教示を乞いたいと考えて公表することにしたに過ぎない。寧ろ、これは新訳の訳者があとがき で奨められている「対峙」の(不十分な)試みの記録であり、グループで討論することの できる環境にない人間が、その代わりにそれを公開するのだというようにお考えいただけるよう 御願いしたい。

以下、各章毎に訳書のページをまず掲げ、対照の便を図るために括弧の中に手元にある 原書(Taschenbuch版全集第13巻による)のページを掲げる。その後で私の見解を記述し、 それが訳書と異なる場合には、それを記載した。利便のために、見解が異なる箇所については、 その箇所をボールド体にすることにした。一読していただければ明らかな通り、解釈の違いは 箇所としてはわずかなものだが、その中には文章の解釈そのものに関わる部分も含まれる。 従って、単にアドルノが参照した楽譜にあたって、原注の対応箇所の記述のみ修正すれば ことたれりというわけにはいかないと考える。(もしそうであれば、そうした文献にあたれる 方が調査をされた結果があれば十分であり、本項はわざわざ推測に推測を重ねる愚を犯して いることになるだろうが。)
なお、厳密には注による楽譜の言及がない箇所でも第4交響曲について言及されている ケースはあるが、とりあえずそれらは対象外とする。


I.天幕とファンファーレ

8頁(154頁)、原注(3):第4楽章17,18小節。ここは歌詞への言及があるので曖昧さはないだろう。

13頁(158頁)、原注(13):第2楽章練習番号11(254小節)。訳書では注の位置が間違っていて、 アドルノの言及している"Sich noch mehr ausbreitend"という指示との対応がとれないためか、 訳書では小節数の同定がなされていない。


III.性格的要素

60頁(193頁)、原注(1):第1楽章練習番号7(91小節)。参照箇所として第1楽章323小節。前者は 練習番号があるし、後者は"Ruhig und immer ruhiger werden"という指示が手がかりになるので、 曖昧さはない。

61頁(193頁)、原注(2):第3楽章62小節、および67小節。前者は"klagend"と指示された第2主題の 前半を、後者は"singend"と指示された後半を指示しており、曖昧さはない。

73頁(203頁)、原注(18):第1楽章126小節。練習番号10の1小節後と書かれていて曖昧さはない。

74頁(203頁)、原注(19):第3楽章78小節。練習番号3の2小節前から始まると書かれていて曖昧さはない。

74頁(203頁)、原注(20):第1楽章225小節、アウフタクトを持つトランペットのファンファーレを 指していると素直に考えるべきではないか。これはまさに第5交響曲冒頭のファンファーレそのもの であり、その後の中期交響曲とカフカの巣穴の地下道のように結びついているという指摘とも 対応する。訳書の解釈はクライマックスである練習番号17より前の216小節だが、思うにこれは、 (漢数字で記載されているがゆえの、226小節の誤植である可能性を除外するとしたら) 訳書75頁末近くのファンファーレについての文章を考慮してのことと忖度される。(Eine Fanfare nun ist nicht weiter zu entwickeln; nur zu repetieren, ...)ここを前の文章との繋がりなどから 原注23の「故意に子供じみた、騒がしく楽しげな領域」(absichtsvoll infantiles, lärmend lustiges Feld)の再現部での繰り返し(原注24)についての記述と考えれば、 そこで「それ以上展開しようがなく」「ただ繰り返されるだけ」のファンファーレというのは、 その「領域」で奏されるもので、かつ再現部の繰り返しでも繰り返されるだけのものでなくては ならないからだ。しかしそれでも、216小節のどのパートの音形がファンファーレと呼びうるのか、 あるいはそれが第5交響曲に見られるのか、私にはわからないし、再現部の繰り返しで216小節に 相当する257小節は寧ろ、移行部(第1楽章練習番号2)との親縁関係を証言する部分であって、 ファンファーレの記述とはやはり一致しないように思える。私見では訳書75頁末近くの ファンファーレについての文章は、その(実際には存在しない)再現についてではなく、 展開部の末尾の、再現部への移行に現れるそれ、つまり上記の225小節以下のファンファーレそのものの ことを述べているのである。ファンファーレというのは「一般に」そもそも展開しようがなく、 繰り返されるほかないし、実際、この第4交響曲第1楽章の展開部末尾のみならず、第5交響曲 第1楽章においても、否、マーラーのその他の交響曲のファンファーレについてもそれは言える のではないか。

75頁(203頁)、原注(21):第1楽章20小節の第1,2クラリネットと第1,2ファゴットによって奏される音型の ことを指しているのであろう。訳注では第25,27,29小節を指定しているが、その後の対応する 第94小節のチェロの音型と第95小節における解決(原注22については正しい箇所を 参照している)についての言及などを考慮した結果、私の見解は異なる。従って「クラリネットとファゴットの うち1つが即興的に奏される。」という該当部分の訳も少なくとも楽譜とは辻褄があっていない。 (もっとも、この箇所の訳については、仮に原注(21)の指示が訳注どおりとしても楽譜との辻褄の 問題は残ると思うが。「(主題複合のうちの)一つがクラリネットとファゴットによって即興的に奏される」 とでも訳すべきなのではなかろうか。)

75頁(204頁)、原注(22):第1楽章95小節。上述の通りであり訳注が参照している箇所を指していると考える。

75頁(204頁)、原注(23):第1楽章209小節、練習番号16。練習番号指定があるので曖昧さはない。

75頁(204頁)、原注(24):第1楽章251小節、練習番号19。同上。

75頁(204頁)、原注(25):第1楽章32小節、練習番号2。同上。なお原注20についての記述を参照のこと。 この脈絡で問題になるのは、訳書75頁から76頁にわたる文章の意味するところであろう。 「遠く離れたものを暖め直」(ein weiter Entferntes aufzuwärmen)すというのは、 単純に32小節を再現することも含め、いわゆる型どおりの再現部を形作ることを意味しているのであろう。 次の「展開部で充分に示されたものをむなしくただ繰り返すだけの力動性をもう一度再現部で動かす」 (in der Reprise abermals eine Dynamik anzudrehen, welche die sehr ausführliche der Durchführung vergebens nur duplizierte.)というくだりと、それに続く甘んじて選ばれた「不規則性ゆえに 印象の強い同一性」(durch Unregelmäßigkeit eindringliche Identität)というのは、 「故意に子供じみた、騒がしく楽しげな領域」の再現部における繰り返し、 つまり原注24で指示された箇所のことを言っているように思われる。要するに、単純な再現もありえないが、 実に念入りな展開部がファンファーレでいわばご破算にされてしまい、展開のダイナミズムが堰き止め られてしまったからには、しばしばあるように再現部を第2の展開部として更なる展開を行うわけにもまた 行かない。そこで、ほんの数十小節しか離れていないのだが、展開部の終わり近くで扱った、移行部の 素材の変形を、もう一度嵌め込んでみた、というふうに考えているのであれば、私の聴取の印象とも一致し、 実に的確な指摘であると思うのだが。

76頁(204頁)、原注(26):第1楽章239小節、練習番号18。練習番号指定があるので曖昧さはない。

76頁(204頁)、原注(27):第1楽章6小節。訳注は17小節から21小節を指示しているが、アドルノの指定 通りかどうかをおけば、訳注の指示している箇所の方が参照先としてはより適切のように思われる。 しかしながら、アドルノの指定は他の注での参照箇所との整合性などを考えれば、主題の最初の提示に おける対応箇所であるのはほぼ間違いがないと思う。

78頁(207頁)、原注(29):第1楽章9小節。ホルンが高音で旋律を吹き、かつアウフタクトを伴うということで、 確実だろう。

79頁(207頁)、原注(30):第4楽章105小節~111小節。歌詞による指示なので曖昧さはない。

79頁(207頁)、原注(31):第1楽章340小節。「第1楽章のコーダ」(der Coda des ersten Satzes)で 「最後のグラツィオーソ・アインザッツの前の「非常に控え目に」という記号のついた3つの四分音符」(die drei "sehr zurückhaltenden" Viertel vorm letzen Grazioso-Einsatz)とあれば、確実であろう。 寧ろこの部分で気になるのは、「パロディーで有名な」(durch Parodien berühmte)という形容である。どの(あるいは誰の?) パロディーでどのように有名なのか、この箇所がパロディーの対象になっているのか、それともこの箇所自体が 何かのパロディーなのかも含め、私にはよくわからない。ご存知の方がいらしたら、是非ご教示いただきたい。


IV.小説

92頁(216頁)、原注(7):第1楽章99小節~101小節。練習番号8の前という指示があり、曖昧さはない。


V.ヴァリアンテ-形式

120頁(237頁)、原注(5):第1楽章5小節。訳書では3小節となっている。確かに主題そのものは3小節から から始まるが、後述のように、ここで問題のジョーカー動機、ヴァリアンテの対象となるオリジナルの部分と いうのは5小節の部分に限定されると考えられるし、他の参照箇所との整合性から考えても、ここでは アドルノは5小節を指示していると考えたい。

120頁(237頁)、原注(6):第1楽章9小節。「その最後の音形」(Sein Endglied)とは、5小節の後半の16分音符の音形であり、 これの変形が出現する箇所だから確実と思われる。ただし、後述のように、原注7の指示している箇所の ことを考えると、この変形は例えば11小節のバスの音形をも含めているかも知れない。

120頁(237頁)、原注(7):第1楽章13小節。訳注では9,10小節としている。私見ではこの部分には2つの問題が ある。まずは簡単な方からいくと、原注の翻訳についてだが、"zweites System, Takt 3"が「第3小節、後半」に なっていて、原文を確認するまで、どういう意味なのか理解できずに困惑した。他の章の原注の翻訳では、 「第2部分」(VIII.原注51他)のように訳されていることもあれば、「後半、第3小節」(VI.原注(4))のように なっている場所もあり、統一が取れていないが、それぞれ意味は誤解無くとれるのに対し、いずれにせよ「第3小節、 後半」では素直に訳書を読めば、全く誤解してしまいかねないと思う。Systemというのはここでは勿論、鳴っている 楽器が限定されている箇所で、スコアが1ページ内で複数ブロックに折り返されることがある、その1ブロックのことを 言っている。
次に見解の違いについてだが、これはどちらかといえば、原注5から始まり、原注11まで続く一連のヴァリアンテの 技法の例示のうち、特に訳書120頁に相当する前半部分の解釈の問題である。
まず、細かいが、「下属音に伴われている」(von der Unterdominante)のは主題ではなく、ヴァリアンテの対象の「部分」でなくては ならない。(これ自体は当たり前のことなので、別にどちらでも良さそうなものだが、この後の解釈の違いに 基づくものであるかも知れないので、特に注記することにする。) 次に「その上に第1のヴァリアンテがすぐに続く。」(eine erste Variante folgt unmittelbar darauf.)が、9小節から「すぐに続く」のだから、 9,10小節のことと解釈されているが、これには疑問がある。この文脈ではオリジナルは5小節、第1のヴァリアンテは 13小節、第2のヴァリアンテは15小節のことなのだ。それは、少し後の「このようにして、最初のヴァリアンテ においては強められる傾向と弱められる傾向とが互いに交錯している。第2の2小節後のヴァリアンテでは、明白に 緊張感の中でこの両者の傾向の均衡が図られる。和声の一時的転調は、原調とは異質なバスの変ロ音、すなわち 強い二度上声音でより強められる。」(In der ersten Variante wirken demnach eine verstärkende und eine abschwächende Tendenz gegeneinander. Die zweite, zwei Takite später, sorgt für deren Ausgleich in entschieden fortschreitender Intensität. Die harmonische Ausweichung wird stärker durch den tonartfremden Baßton b, eine kräftige Nebenstufe.) の箇所から明らかである。そして、原注7の箇所から、上記の箇所までの 記述はひたすら第1のヴァリアンテ、即ち13小節についてだけ書いているのではないだろうか。従って、 原注7の後の「それは次の小節のはじめも下属音に触れるが、すぐに第2小節でイ短調...へと一時転じる。」には 同意できない。訳文は原注7が9,10小節である以上、恐らく10,11小節か、11,12小節のことを指していると いう解釈なのだろうが、これも楽譜を参照して考えて納得できず、止む無く原文にあたった箇所である。 「次の小節のはじめ」というのは原文では"...auf dem guten Taktteil"であって、単にその 小節の強拍、つまり13小節の1拍目のことのように思える。同様に「すぐに第2小節で」の原文 "... schon mit dem zweiten ..."はzweiten Taktteil"のこと、13小節2拍目のことに違いない。実際、 イ短調の和音が現れるのは13小節の2拍目のことである。(ここは聴くと音楽がちょっとだけ歪むような感覚の 箇所で、それゆえ私の立場では、アドルノの指摘は、その歪みの謎解きをしてくれているわけである。) また、それに続く、「前半部分の特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行され」(Bei identischen Rhythmus wird die charakteristische Aufwärtsbewegung der Sekund in der ersten Hälfte umgekehrt)というのが (原注7を9,10小節とするなら妥当ともいえるが)12小節の付点4分音符と16部音符の音形の下行のこととされているが、 これも私見では、13小節の「前半部分」のことでなくてはならない。実際、オリジナルの形にたいして、 13小節の第1のヴァリアンテでは、「特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行されている」のだから。 なお、その後の「主題それ自体の変形であるこの旋律の冒頭部分」(das vorausgehende Anfangsmotiv nämlich, welches das des Hauptthemas selbst variiert)は訳の指示の通り、11小節のことと思われる。要するに第11小節からはじまる楽節が冒頭 主題の変形と見なされていて、その冒頭の変形と13小節のジョーカー動機の変形が一貫しているというのがアドルノの 指摘であろう。であればこそ、それに先立つ「前半部分の特徴ある二度の上行形が同じリズムの上で逆行され」は、 やはりジョーカー動機の第1のヴァリアンテである13小節の前半のことでなくてはならない、というのが私の見解である。

121頁(238頁)、原注(8):第1楽章27小節。文脈から確実だろう。

121頁(238頁)、原注(9):第1楽章29小節。同上。

121頁(238頁)、原注(10):第1楽章246小節。ここの原注の翻訳も原注7同様、zweites Systemを「後半」と しているので注意が必要である。

121頁(239頁)、原注(11):第1楽章320小節、比較参照箇所は第1楽章315,316小節、練習番号23とその1小節後。 本文の記述が具体的なので確実であろう。なお些細なことで恐縮だが、ここでも原注の訳には首を捻った。 原文ではcf.になっているのが「さらに」で順接に訳されていただけなのだが、思わず原文にあたって しまった箇所である。もっともアドルノにも問題があって、原注のつけられているのは「旋律的にも、 和声的にも新しく装いながら」(melodisch und durch Neuharmonisierung)だから、寧ろcf.で指定されている 箇所で、アドルノが指示する頂点のイ音への言及の箇所ではないのである。


VI.技術の次元

139頁(253頁)、原注(1):第2楽章185小節、練習番号8。練習番号の指定があるので、曖昧さはない。

154頁(264頁)、原注(24):第3楽章55~61小節。練習番号2まで、とあり、本文の記述も具体的なので確実だろう。


VIII.長きまなざし

191頁(291頁)、原注(7):第2楽章22小節(オーボエの音形)。ただしこの箇所については率直なところ、 そのような気がするといった程度のものである。(訳注も、「のことと思われる」という書き方で、 推測であることを明らかにしている。)幾つかの観点から、私見では訳注の指示する94~103小節では ありえないとは思うのだが、それではどれが「ユダヤ教会的な」(Synagogale)もしくは「世俗的・ユダヤ的な」 (profan-jüdischen)旋律なのか、私には確信をもって 判断することはできない。マーラーのユダヤ性というのは格好の研究テーマに違いないので、恐らくは この箇所を問題にしている文献もあるだろう。(けれども例えばWebで見ることができたそうした論文の 一つは、第1交響曲の第3楽章の旋律をひたすら問題にしつづけ、アドルノのこの本の引用もされているのに、 この箇所のアドルノの言及には全く触れていなかった。当然、読んでいないはずはないだろうから、 意識的に無視したのかもしれないが、これには吃驚してしまった。)いずれにせよ、そういう わけで、この箇所の「正解」についてはご存知の方のご教示を待つほかない。是非、下記宛てにご連絡 いただけるよう御願いする次第である。

(2005.6一部公開、2005.7.1現在の形態で公開, 2007.2.4引用箇所にアドルノの原文を比較のために追加)