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アマチュア・オーケストラ演奏頻度を2025年の公演の集計を追加して更新しました。(2025.12.25)

2017年2月12日日曜日

「大きな内的危機の兆候」としての第5交響曲 (2017.2.12 マーラー祝祭オーケストラ第14回定期演奏会によせて)

今回のマーラー祝祭オーケストラによる第5交響曲の演奏は、前身であるジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラによる2004年7月24日の演奏に続く再演になる。前回の演奏を記録したCDのリーフレットには、当日のコンサートプログラムから転載された解説があり、この曲を「…純粋な器楽交響曲としての要素(…)も手伝い、交響曲第1番「巨人」と並んで演奏頻度の非常に高い、マーラー中期の代表作」と紹介し、更に「初めて聴くという方でも、第4楽章「アダージェット」をお聴きになれば、ああこの曲かと思わず納得されるはず」と記している。その指摘は第5交響曲の受容の様相を捉える上で要を得たものと思われるし、13年後の今日も概ね当て嵌まるだろう。嘗てアダージェットが人口に膾炙するにあたってはトーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」に基づくルキノ・ヴィスコンティの映画の影響が大きかったが、近年では、例えばバンクーバー・オリンピックのアイスダンスで金メダルを勝ち取った演技で用いられていたことが想起されよう。

第4楽章だけが取り出されるという状況は、実は第5交響曲が主要なコンサート・ピースとして定着する遥か以前まで遡り、レコード録音においても、収録時間の制約もあってか、そのごく初期からしばしば単独での収録が為されてきた。だがそれも今や既に受容史上の過去の出来事になり、マーラーが或る種の流行となってこの方、曲頭の印象的なファンファーレに続く葬送行進曲で始まり、「あの有名な」アダージェットを経て、輝かしいコラールによるアポテオーズを持つこの曲は、「苦悩をつきぬけて歓喜にいたる」というベートーヴェン的な図式を実現した作品として定着した感がある。素材や作曲技法の面からも、声楽を導入し、歌曲をそのまま交響曲の楽章としてきたそれ迄とは異なり、「子供の死の歌」や「私はこの世に忘れられ」等、創作時期が並行する歌曲との関連はあっても、純音楽的な発想で緊密に構成された中期の作風を確立したという評価も定まり、マーラー自身が初演の折りにこの曲を「呪われた音楽」で「誰にも理解されないだろう」と述べたのも最早過去の事、今やマーラー・ルネサンスの最有力証人というのが一般的な理解であろう。

それでは、この作品を虚心に聴いて世評が作品の一面を捉えたものに過ぎないのではないかという疑問を抱く人は、その印象を自らの聴取の至らなさに帰すべきなのか。寧ろそれは、ナターリエ・バウアー=レヒナーが証言する作品創作時の苦労、更には初演前に既に開始され、没する間際まで絶え間なく執拗に続けられた改訂作業が傍証する、この作品の過渡的な臨界点としての性格に由来するのではなかろうか。

例えばこの曲に関してしばしば言及される「発展的調性」にしても、導音から主音への解決によるベートーヴェン的な図式の実現と捉える見方に対し、古典的な調性構造からの逸脱と見る立場があり、終楽章についても楽想指示通りに快活で肯定的な「歓喜の賛歌」と捉える見方に対し、楽章冒頭で引用される「高い知性への賛歌」の歌詞内容を踏まえ、アドルノの言うアダージェットの「クイックモーション」的変形にアイロニーを見出し、第1部末尾のコラールの出現を「失敗する神」と捉えることと併せ、出発点とした伝統的な図式の不可能性をメタ音楽的に批判するパロディーと見做す主張がある。

しかし件の疑問は必ずしもそうした主張に帰結する訳ではない。結局のところ音楽を完結したものと見做し、何らかの機能に還元する点でそれは「苦悩から歓喜へ」という内容の純器楽的な実現を主張する立場と変わるところがない。後付けの「説明」としては妥当なものであろう、初期の「角笛」交響曲群、中期の「絶対」交響曲群という区分に異を唱えるつもりもなく、この曲が技法的な側面で新たな出発を告げる作品であることは明らかだと認めた上で、そこで達成されたものを個別に具体的に見極めようとなると、いずれの立場にも聴取の実質からの逸脱の感覚を伴った判然としない感じが付き纏うのである。

予断を避け、そうした感覚に忠実たろうとしたとき、第5交響曲の中でもひときわ謎めいたものとして浮かび上がるのは、第2部として全曲のシンメトリーの要に置かれたスケルツォであろう。そしてマーラー自身が「絶えず新しい世界が生れては次の瞬間には滅んでいくカオス」と形容したこの楽章の謎の裡にこそ、作品全体を理解する鍵が潜んでいるのではなかろうか。展開部を備え、その破格の規模を徹底した変形の技法が蓋い尽くし、コーダではブルックナーばりの対位法的離れ業が演じられさえするこの楽章は、作品の中央で主調たるニ長調を確立してしまう。結果として、続く第3部が回顧的な性格が帯びるのは、規模的なバランスからも調的設計からも当然だし、フィナーレの末尾のコラールは第2楽章の末尾でブロッケンのように出現する同じコラールを別の文脈で、反対側から捉え返したものに他ならず、等しく淵源をスケルツォの「永遠の現在」に持ち、そこから発展したかに見える。後年リゲティがその空間性に着目することになる第1楽章のコーダ、柴田南雄がヴェーベルンの先駆を見出す第2楽章のコーダの音響もまた、スケルツォの生成の瞬間を遡行的に垣間見る働きが構造的に映り込んだものと捉えることができよう。

もし第5交響曲が、少なくとも第4交響曲程度には得体の知れない、捉えどころのない音楽と感じられるとしたら、それは寧ろ端的に過渡期の作品として、第4交響曲による句読点を引き取っての再度書き出しの音楽だからではないか。第4交響曲第1楽章展開部の頂点で音楽を崩壊させる、あの「召集」のトランペットを第5交響曲の予告と見做すのは実際には後知恵に過ぎないが、第4交響曲で探索した領域を今度は裏側から眺めようと試み、結果としてこの作品で或る種の臨界に達し、相転移が生じたと捉えるのが、作品の相貌とマーラーその人の経験に忠実な受けとめ方ではないか。この作品の受容の困難を予見したマーラーの言葉は、創作者としての、そして初演者としての困難の経験に基づくもので、時間経過に伴って作品に馴染み、演奏精度が向上し、聴取の経験が蓄積されれば解消される類のものではなく、寧ろそこに、クシェネクが見出した「大きな内的危機の兆候」を見るべきなのだ。1941年に為されたその発言を最早同時代性という歴史的価値しかない過去の受容態度と見做すのは、自らの展望の倒錯による視界狭窄を暴露するものでしかなかろう。自らも創作者であったクシェネクの発言は、伝記的・標題内容的ではない、創作そのもの、楽曲自体の水準のものであることに留意すべきだし、この曲が優れて実験的な探求の成果なのであれば、演奏も聴取もそれに応じて探求的なものであるべきなのだ。そして今回の再演はそうした探求の試みであり、聴き手に対する同行への誘いに他ならない。

2016年3月6日日曜日

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会を聴いて(2016年2月28日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会
2016年2月28日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第8番
井上喜惟(指揮)
森朱美(第1ソプラノ)
三谷結子(第2ソプラノ)
日比野景(第3ソプラノ)
蔵野蘭子(第1アルト)
小林由佳(アルト)
又吉秀樹(テノール)
大井哲也(バリトン)
長谷川顕(バス)
マーラー祝祭オーケストラ
マーラー祝祭特別合唱団(合唱指揮:高橋勇太)
成城学園初等学校合唱部・中央区プリエールジュニアコーラス・カントルム井の頭(合唱指揮:古橋富士雄)


マーラー祝祭オーケストラが第8交響曲を演奏する特別演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れた。このコンサートは、 前身であるジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの演奏会も含めたマーラーの交響曲全曲演奏企画の掉尾を 飾るものであるが、オルガン、ハーモニウム、チェレスタ、ピアノ、そしてマンドリンを含む大管弦楽に加えて、 8人の独唱者と児童合唱、2群の混声合唱を必要とするこの作品の上演は、マーラーの他の交響曲に比しても 際立って困難なものであることは明らかであろう。まずはこの演奏会の企画、準備、そして当日の演奏に関わられた、 音楽監督・指揮者の井上喜惟さんをはじめとする演奏者の方々、準備や当日の会場の運営に携わられた方々全てに対して、 敬意を表したい。

奇しくももうすぐ、東日本大震災以降、5度目の3月11日を迎える。震災直後にはコンサート自粛も相次ぎ、 演奏会の意義、ひいては音楽そのものの意義が問われもした。そうした中、ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの全曲演奏の企画も、演奏会場となったミューザ川崎の被災による公演延期という形で その影響を受けたのだったが、その結果として一度きり、場所を替えて演奏された第9交響曲の演奏が、 千年に一度の大地震と津波に加えて原子力発電所の災害という未曾有の出来事の経験と切り離すことができない、 通常のコンサートという制度の枠組みを超えたものとなったのを、ついこの間の事のように思い出す。

今回のコンサートもまた、他の人であれば通常のプロのオーケストラの定期演奏会と同じように聴き、 演奏会評を記すことも可能だろうが、こと私個人に限ってはそのような姿勢で演奏に接することは そもそも不可能である。のみならず、いわば一から手づくりでマーラーの作品の演奏会を作り上げるという 企画のあり方の総体こそが、日常は音楽とは無縁の職業に携わっている自分が敢てコンサートホールに足を運んで 音楽を聴くにあたっての必要な契機となっているが故に、公演がこのように無事実現したこと自体に対しても 心を動かさずにはいられない。そして勿論のこと、当日の演奏もまた、そうした企画を可能にした思いが 篭められていることを感じずにはいられない、感動的なものであったことを最初に記しておきたい。

以下、当日の演奏を聴いての感想を記しておくが、作品そのものについて、そしてこの作品を今、極東の島で 上演すること、その演奏を聴取することの持つ意味についてはプログラムに寄稿させて頂いた文章に記したし、 幸いにして、その内容と実際の聴取の経験の間に齟齬が生じることはなかったので、ここで繰り返すことはしない。 このことを敢て記載するのは、一つには以下の感想が、客観的な演奏会評ではないことをお断りするためでもあるが、 それよりも、私のような単なる愛好家にも門戸を開き、このような企画に微力ながらお手伝いする機会を 頂けたことに対する感謝の気持ちを表明したいからである。

率直に言えば、予め書き留めておいた内容とは別に、実演に接して受け止めたものそのものを言語化しようとしても、 井上さんがプログラムに寄せた文章の中でお書きになられているように、ほとんど不可能に感じられる。 私自身、ことこの作品においては実演に接することが極めて重要であることはわかっていたつもりであり、実際そのような ことを書きもしたが、にも関わらず、実際に演奏に接してしまえば、事前に用意して連ねた言葉が色褪せたものにしか感じられず、 さりとてそれに何かを付け加えようとしても、それは最早言語化を拒むような類のものでしかないように思えるのである。 不可能事であることが予め明らかであるのに敢てそれを試みるのは愚かなことだろうが、にも関わらずそうするのは、 如何に不十分で拙いものであったとしても、演奏を聴いた経験を記録しておくことによってしか、かくも大きな「贈与」を してくれた方々(その中には、作曲者のマーラーも含まれることだろう)に対して、応答することができないからであり、 そうすることが自分の義務にさえ感じられるからなのだ。

それゆえ、客観的な演奏会の評を読みたい方にとっては以下の記述は全く無価値なものであろうが、それはきっと、 そうする資格と能力がある別の方がしてくださるであろうから、そちらをお読み頂きたく思う。私にできるのは、 自分が自分固有の文脈の中で受け止めたものを、その価値を考えた時に極めて不十分なものと評価されるような 仕方であれ、その場で自分に可能な仕方で記録しておくことでしかない。結果として以下の文章は、 このコンサートを聴いて、こんなことを感じた人間が居たという事実の記録以上のものではありえないだろうが、 それでもそうした事実を記録し、公開することが、全くの無意味ということはないと考え筆を執る次第である。

*   *   *

開演の15分程前に会場であるミューザ川崎に到着し、着席したのは約10分程前。 ミューザ川崎は、ステージを取り囲むようにして客席が配置されているが、後に2群の混声合唱が着席することになる 正面から見てオーケストラの背後から左よりにかけての席と、児童合唱が着席することになるステージの左側の席以外は 概ね埋まっている。離れたところに置くよう指示されたバンダはステージに向かって右側のオルガンのすぐ脇の 最上階の客席に陣取り、第1部で重要な役割を果す鐘もまた、バンダの隣で奏された。第2部で栄光の聖母のパートを 受け持つ第3ソプラノは慣習上オフステージの高い位置で歌われることが多いが、こちらも同様にバンダの隣で歌われた。 8人の独唱者は第1部第2部を通じて正面から見るとオーケストラの背後、ステージの最上段で混声合唱が占める客席の すぐ下に位置し、独唱、合唱とも、自分のパートが近付くと立ち上がり、パート以外のところは基本的には着席する かたちで演奏が行われた。管弦楽はこれまでの他の作品の演奏会と同様の両翼配置、マンドリン(4丁)は弦楽器の奥の 正面で演奏された。第1部と第2部の間でのチューニングもまた、これまでの他の作品におけるのと同様である。

私が過去に第8交響曲の実演に接したのは1回だけ、もう四半世紀以前のサントリーホールの杮落としのコンサートだったが、 その時はやはりオーケストラの背後の客席を占めた混声合唱の直ぐ隣という、音響的なバランスの面では 不利と思われそうな席で聴いたのだった。にも関わらず、記憶している限り、その時でさえ聴取にあたって 決定的な制約とは感じられなかった。私の聴き方がいい加減なだけなのかも知れないが、偶々どちらも客席がステージを 取り囲む形式の、音響的には申し分のないホールであったからか、第8交響曲のような大編成の作品の場合、 自分の直ぐ近くの客席で合唱が歌われることによる奏者との一体感こそ感じられても、音響バランス上、 不満に感じられることというのは今回もなく、寧ろ録音では取捨選択が行われて聴き取れない細部が、 視覚的に確認できることの効果の寄与もあって殆ど全て耳に届くという点では、今回の演奏は申し分なかったように思える。

だが、楽譜に記載されている音がどれだけ聴こえるか自体は、演奏から受ける印象の、しかも主要部分ではなく、 周辺の一部に過ぎないし、大きな事故でも起きない限りは技術的な巧拙や演奏の精度すら印象を決定づける主たる 要因にはなり得ないのだということは、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの時代以来の聴き手に とっては自明のことであろう。今回の演奏もまた、マーラーの音楽に対する共感と演奏への集中という点において これまでの演奏会と比して勝るとも劣らない、素晴らしい演奏であったことは既に述べた通りである。

それでもなお客観的な演奏の出来を問題にするならば、勿論のこと実演ならではの傷も散見されたし、 この演奏会のために公募により編成されたアマチュアの混成合唱は、管弦楽とのバランスの上でやや 非力に感じられる瞬間が無くは無かったとは言え、仮に全てプロであってもバランス上は至難であったであろう 約200人程という規模を考えれば止むを得ないし、この複雑極まりない長大な楽曲を大きな破綻なく演奏したこと自体、 驚嘆に値することであろう。8人の独唱陣もまた、既述の配置の制約はあれ、一部を除けばオーケストラとのバランスも 申し分なかったが、その中でも特に印象的だったのは第1部末尾のようなマッシブな箇所では管弦楽と合唱の響きの中で 存在感を発揮する一方で、叙情的な部分での表情もしなやかであった第1、第2ソプラノの歌唱 (とりわけても第2部後半でファウストの復活を第1部Impre supernaの旋律で歌う、かつてのグレートヒェンの 第2ソプラノの歌唱は鮮明に記憶に残っている)、そして勿論、第2部でDoctor Marianusという中心的な役回りの テノールの、特に第2部コーダにおける高揚である。

特筆すべきは児童合唱で、こちらもまた100人程度の編成でありながら、 この作品の決定的な幾つかの瞬間(2つだけ例を挙げれば、第1部末尾の"sit Gloria Patri..."、 第2部の"Er überwächst uns schon..."など)の全てについて十全な歌唱が実現されており、素晴らしいの一語に尽きる。 管弦楽については、「大地の歌」の時もそうだったが、その響きは有機的で充実しており、巨大な編成が可能にする 繊細な音色の変化も鮮明に感じ取れる演奏であったと思う。勿論それには何よりもまず指揮者の音響バランスの設計があり、 長期に渉るプローベと実演における指揮者とオーケストラの共同作業の蓄積があって実現可能となったものに違いなく、 特にオーケストラがのった時の響きの固有性は、寧ろ均質化したプロの楽団では聴けないものでさえあるだろう。 この作品のユニークな調的設計がもたらす、共感覚的な色彩や明るさの変化の鮮明さもまた印象的で、 金色に輝く変ホ長調の"Veni"と青白く眩い光に充ちたホ長調の"Accende"の目も眩むような対比(私は共感覚があるので、 実際に目を瞑ってしまったほどである)、更には変ホ短調の神秘的な山峡の闇から出発して、 ホ長調による栄光の聖母の顕現を経て、曲頭の変ホ長調の光の氾濫のうちに終結する第2部のプロセスは圧倒的な ものであった。

だが、指揮者の解釈という点では、この演奏でユニークであったのは、そのテンポであったのではなかろうか。 実演にせよ、録音記録によってにせよ、この作品を聴き慣れた聴き巧者の耳には、恐らくそれは何か異質なものに聞こえた のではないかとさえ思われる。勿論、常にない大編成(しかもそれは単純に人数で図ることができるものではなく、 それ自体巨大な管弦楽のみならず、8人の独唱者、2群の混声合唱、児童合唱、空間的に離れた場所にいるオルガニストや バンダといったパートの膨大さをも考慮すべきであろう)の演奏者を混乱無く纏め上げることを思えば、 テンポの変化は入念なリハーサルで準備されねばならず、恣意的なテンポの切替や即興的な緩急の急激な変化の ようなものが入り込む余地は狭められたものになるに違いないのだが、この演奏において際立っていたのは、 事前に設計され、準備されたものの実現の側面以上に、その場で生み出されていく、現象学的な意味合い での音楽的時間の有機性、即ち、音楽が進むにつれ、音が次々と現実化するその様相が、あたかもそれ自体で 固有の生命を持ち、固有のリズムを備えている有機体の活動を目の当たりにするかのような、自律的、自発的なものに 感じられたことであった。

たとえ演奏者ではない単なる受容者、聴き手に過ぎなくても、音楽の内側に入り込んだ人間は、細部の完成度を 云々することなどとは別の水準で、その音楽的時間の経験が、最初の一撃の後、末尾に至るまで、ある種の必然性に 従ったものであったと感じたのではないかと思えてならないのである。ちなみに言えば、こうした時間の流れ方は、 やはりマーラーの音楽の中では特異なものであって、推移する流れという通常の時間了解の下では 一瞬の出来事としてしか捉えようのない創造の瞬間を、いわば内側から眺めた時の「時の逆流」の相を捉えた この作品ならではのもののように思われる。

それは恐らくは、例えば寧ろブルックナーの音楽の或る種の解釈によって経験可能となる時間性のうちに類似のものが 見出せるかも知れないような類のもののように思えるのだ(但しこれは、この作品がブルックナー的であると いうことでは全くない)が、ことこの作品に限って言えば、そうした行き方を正当なものたらしめる側面が 備わっているのであれば、この演奏は、マーラーが「天体の運行」に喩えたこの作品の理念に相応しいものであったのでは なかろうか。 (更に付け加えて言えば、このようなリアリゼーションが可能になったことの根拠を事実の中に探ろうとする人は、 井上喜惟さんがチェリビダッケに師事したという経歴を思い浮かべるかも知れない。なお、ここでは表面的な演奏様式の 水準ではなく、音楽的時間の把握といった水準が問題になっているのだから、例えばチェリビダッケがマーラーを 演奏しなかったことなどは問題にはならない。)

勿論、他の優れた演奏で行われているように個々の部分のテンポの設定を恣意的に行うことは可能だろうし、 幾つもの実演に立ち会った経験を踏まえて演奏を評するような立場の人がそうしたことを表面的に論うことも可能だろうが、特にこの作品の場合、たとえそれが自分のこれまでの聴経験に基づいた対比に基づくものであったとしても、 そうしたことには意味がないように私には思えてならない。寧ろそうではなくて、内的な必然性のようなもの、 まさにマーラーが述べた天体の運行がそうであるような法則性の如きものに支えられたプロセスに従うことが 専ら問題なのだし、このコンサートでの演奏は、そうした意味合いにおいて比類ないものであったと私は考えている。

そしてそれは、恐らくは間違いなく、その場に居合わせた全員が、つまり演奏者と聴き手の両方が感じ取ったことに 違いない。「もしかしたら」ではなく、恐らくは疑いなく、その場で聴き取れたものは、 現象としての音響だけではないのだ。「現実」には聴き取ることのできない響きを、その場に居た人間は演奏者であると 聴き手であるとを問わず、更にそのことに対して意識的であるか否かを問わず聴き取ったに違いない。

終演後の拍手はどれくらい続いただろうか。私はと言えば、終演後直ぐに湧き起こった拍手の中で しばし茫然自失する外なかったことを、こうして文章を書いている一週間後でもありありと思い出すことができる。 音響的には音楽は既に鳴り止んでいるけれど、音楽が生み出した時空は、それが仮象に過ぎないものであるとしても、 しばらくは「現実」と呼ばれる時空を押しのけて存続する。いやそれは、しばらくたって指揮者がようやく客席を 向いたくらいのタイミングでようやく我に返り、拍手を始めた後も、否、演奏会場を離れた後も、一週間の日常を 隔てた今でさえ、私の中では存続しているように感じられる程なのである。

終演後の光景で私にとって一番印象的だったのは、上述のように際立った演奏をした児童合唱の子供達の反応で、 思わず私は、アルマが記録したミュンヘンでのマーラー自身の指揮による初演の時の児童合唱の反応を思い起こさずには いられなかった。恐らく、約1世紀前のミュンヘンにおいてもそうであったように、このような例外的な演奏の経験は、 とりわけても若い子供達のためのものに違いない。私のような人生の半ばをとうに過ぎてしまった人間は、自分が 受け取りきれない程のものを受け取って置きながら、最早なすすべもなく、恐らくはそれを自分の中で朽ちるがままにするしか能が ないのに対して、若い彼らこそは、多くは今のところは無意識的に、だが全身をもって、この演奏を通じて 受け止めたものを、未来に継承して行くに違いないのである。

*   *   *

そのような時間の流れをもたらした演奏は、二時間近い演奏時間を、あたかもそれが夢の中での経過であり、 更にその夢の中では二時間の間に永遠にも比すべき時間が経過したかのように感じさせる一方で、夢から目覚めてみると ほんの一瞬の時間が経過しただけであるかのような錯覚を、目眩のような感覚と共にもたらす。

その結果私は、現実に自宅からコンサートホールまで移動し、そこで二時間弱を過した筈の自分の聴体験が、 最後の音が消え去ったのち、日常的な時間の中に戻り、しばらくその中を潜り抜けてみると、今や何か 非現実的なものであるかのような感覚に苦しめられることになった。 勿論それは、演奏の印象が希薄なものであったということではなく、 寧ろ逆に、自分の身体にそれはスティグマのように刻み付けられているのだが、 それがいつ、どこでのものなのかを改めて考えてみると、日常の時間の どこにもそんなことが起きたような痕跡が認められず、寧ろそれが、自分が 経験できない過去に起きたことのように感じられたり、自分が現実に 経験することがないであろう別の時空の出来事のように感じられたりする、ということなのだ。

更に加えていえば、これも偽らざる自分の反応として、終演後しばらくの間、自分がこのコンサートのために 記した文章が、全く色褪せた、つまらないものに感じられたことを事実として書き記しておきたい。 そうした気持ちはかなり長いこと続いたが、その後、会場で受け取ったプログラムに載せられた自分の文章を改めて 読み返してみて、そうした感覚は尚、ぬぐい難いものであるにしても、それでも辛うじて、 自分が経験したことに排反するようなことは書いておらず、極めて不十分ながら、 それを何とか言い当てようとしたものとして受け止めてもらえるかもしれないということを確認できて、 わずかばかりの気休めを感じることはできた。しかしそれでも尚、井上喜惟さんをはじめとする演奏者の方々が 達成したことに比して、自分に為し得ることの如何に卑小なものであるかを、今尚感じずにはいられない。 最初にも述べたように、今、このようにして感想を記していても、無力感のようなものを感じることなくして 文章を書くことが出来ずにいるのである。

マーラーは「ファウスト」の中の、こちらは第1部の地霊の科白を引いて、自分の作曲の営みについて、 「神の衣を織る」ということを或る書簡で言っているが、私は、まさにそうした「神の衣」に他ならないと 思えるものに実際に接してみて、自分がそうしたことに与る資格なり権利をそもそも欠いているようにさえ 感じるのである。永遠に与れない、比喩でしかない、移り行くものの側に属しているという点では違いはなくとも、 移り行くものの彼方を仮象として定着させたマーラーの「贈物」は、自分が担うにはあまりに重いものではなかろうか、 その「謎」は自分に解くにはあまりに難しいものではなかろうかという懐疑から遁れることはできそうにない。

だが、それでもなお、そうした私の思いに関係なく、演奏を聴いたという経験は私の中に刻印されて残っている。 東日本大震災の経験の傷が無くならないように、演奏を聴く事を通じて触れた何かは、楽音が消えてもなくならない。 そして自分の経験したことが、自分を超えた価値を有するものであるという認識に立つならば、 その経験を自己の個体としての有限性の中に閉じ込め朽ちて行くにまかせることは耐え難いことだし、それを 放置しておきながら、自分の経験が商業的なコンサートにおける消費者としてのそれとは異なると主張したところで、 結局のところ情報を捨てているという点で変るところはないということになってしまう。 それに対してせめてもの抵抗を試みようとすれば、自らを自分に優った価値を有するミームの搬体と見做し、 自分が、ではなく、ミームが卑小な自分を媒体にして、自分を超えて、恐らくは無限に向けて存続しようと することに対して辛うじて関わりうることに価値を見出すしかない。寧ろ私はそうしたものの通路に過ぎないと 考えるべきなのかも知れない。 それゆえ一旦は自分の記したものの価値を問うことは止め、私が忘れ去られても、或はこの拙い文章がいずれ 喪われてしまうことになっても、どこか別のところで、別の仕方でこの演奏会の記憶が継承され、 存続することを願って筆を擱くことにしたい。(2016.3.6初稿暫定公開)

2016年2月28日日曜日

第8交響曲という「謎」 (2016.2.28 マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会によせて)

肯定的であれ、否定的であれ、第8交響曲がマーラーの交響曲作品における或る種の特異点であることに異論はないであろう。更には最大の「謎」であることもまた。

第1部では聖霊降臨祭の賛歌が、第2部では『ファウスト』第2部の終幕の場が、オルガンを伴う4管編成の大管弦楽と共に8人の独唱者、2群の混声合唱と児童合唱により全曲通して歌われ、作曲者自身により「惑星や太陽の運行」に喩えられたこの曲が、もう一方の極である『大地の歌』と共にマーラーの声楽作品の到達点の一つであることは疑いない。

マーラーの作品の受容に大きく貢献したとされる録音技術の発達の恩恵という点でも、この作品は特殊な地位を占めているかに見える。実演に接する機会の制限を補うのみならず、バランス調整は勿論、離れた場所で別々に収録されたパートの合成さえ可能にするマルチマイク技術は、実演では聞き取りにくい細部を明らかにすると喧伝されたし、同一の演奏録音の繰り返しの聴取のみならず、ヘッドフォンを用いて自宅で一人で、あるいは移動中に、更には何かをしながらBGM的に、または一部だけ選択してといった断片的な聴取さえ可能にしたことが、功罪はあれ作品を身近にするのに寄与したことは確実であろう。

だが一方で、例えばハンス・マイヤーが提起した、この作品を含めたマーラーのテキストの扱いに関する痛烈な批判のみならず、それに対しては擁護の論陣を張ったアドルノを初めとするマーラー音楽の擁護者の少なからぬ人々もまた、ことこの作品に対しては否定的な評価や留保の姿勢を示している事実がある。大成功を収めた1910年9月12,13日の作曲者自身の指揮による初演が、列席した著名人の顔ぶれなどもあって、しばしば文化史的なイヴェントと見做されさえするこの作品は、ダーウィンの進化論、ニーチェの「神の死」、フロイトの精神分析などに代表される、自然科学の急速な発展を背景とした、既存の宗教が備えていた力の喪失過程を背景としており、かつては典礼と不可分であった音楽が、特にフランス革命後、世俗化の傾向を強めた果てに、例えばワグナーの『パルジファル』やスクリャービンの『プロメテ』のように、今度はその上演がいわば疑似宗教として、かつての典礼の代理をすることが企図されるようになった時代の潮流の産物としてしばしば位置づけられるが、常には時代に批判的であったマーラーが、この作品においては無批判に「肯定的」であり、そうした時代の潮流に服従していると見做されるのである。

作品自体についても、第1部ではソナタ形式の図式に合わせて聖歌を裁断し尽くす一方で、ゲーテのテキストへの付曲である第2部は、仮にそこにアダージョ、スケルツォ、フィナーレという区分を認め得たとしても、交響曲と呼ぶには構成的にあまりに弛緩しているし、同時期の他の作品に比して全音階的な和声法における主和音への固執が、この巨大な作品を、わかりやすくはあっても単調なものにしているという批判が存在する。

そして21世紀の日本において改めて振り返ってみた時、この作品がどこまで理解され、どのような意義を持ちうるかを問えば、直ちに幾つもの疑念に取り囲まれることになる。西欧においてすら保護の対象である文化財と見做されかねない今日、日本において多大な困難に立ち向い、この作品を上演する意義に対して疑念を抱く人が居ても不思議ではない。

しかしながら強い留保を示すアドルノの判断が最後のところで奇妙な躊躇いを示すのは、ヴェーベルンが指揮した第8交響曲の実演での経験に彼が忠実であり続けたからに違いない。その躊躇いが自分の理論に合せて対象を扱う愚から彼を救い、その発言を信ずるにたるものとしているように思われるのだが、他方でそこから、論理の力に屈することなきこの曲の並外れた力を読み取ることも可能ではなかろうか。この作品に対する批判が注意深いスコアの分析や、録音技術の発達が可能にした、繰り返しての聴取に基づくものであることを思えば、実演という契機は、ここでは他の作品にも増して極めて本質的なのであろう。勿論それはアドルノが批判する集団性の魔力、疑似宗教的なまやかしと紙一重であり、アドルノがこの曲の際どさを「救い主の危険」と述べたのは正当なことではあるが、それでも尚、性急な「失敗作」という判断は留保さるべきではなかったのかという疑問は残る。

この作品の持つ謎は、それが孕む危険ともども、創作後1世紀を経た、「技術的特異点」の直前の時代にありながら、相変わらず個体としての有限性に束縛されたままの今日の人間にも無縁なものではありえない。作品を過去の異国の文化的コンテクストに埋め戻して事足れりとせず、危険を引き受けつつもその「謎」に向き合うことは、マーラーと同じエポックの末裔たる我々にとっても喫緊の課題であり続けているし、なおかつそうした探究にあたっては、実演に接することが必須の契機を為すように思われるのである。

総じてこの作品を、アドルノの「突破」(Durchbruch)の時間性を音楽化したものと捉えることが「謎」を解く鍵ではなかろうか。プラハ講演でシェーンベルクが述べた、第1部での変ホ長調の主和音第二転回形への頻繁な回帰(規則違反であっても「正しい」のだから寧ろ規則を変えるべきだと彼は言うのだが)を初めとする規範からの逸脱も、作品の特異な時間性故のものなのだ。ソナタ形式として、提示部が主調の変ホ長調で閉じられるのも異例なら、展開部の中央(練習番号38)でのAccende lumen sensibusの「侵入」(ヴェーベルンの指摘の通り第2部との橋渡しを担っており、そのホ長調は第4交響曲同様「天国」の調性であり、ここでは栄光の聖母の調性でもある)も、そのAccendeに挟まれる主要主題の複数の動機を重ね合せた二重フーガ(同46)が展開部の只中であるにも関わらず変ホ長調であることも異例であろう。本来は提示部で調的緊張をもたらし、再現部で解消する機能を果たすべき副主題(Imple superna gratia)はここでは寧ろ充足的な性質の変ニ長調で提示され(同7)、再現部では省略されてしまう代わりに遥か後になって、第2部においてファウストの復活をかつてのグレートヒェンが歌う箇所(同165)において、ようやく「本来の」ドミナント(変ロ長調)で「再現」し、第1部冒頭の「来たれ」(Veni)に対応する栄光の聖母の「来たれ」(Komm)の主調による提示(同172)を用意するのである。

全曲の終結が「天国」の調性であるホ長調ではなく変ホ長調であるのは、この作品が「神秘の合唱」が告げるかに見える成就の音楽化ではなく、作品を支える意識は寧ろ「過ぎゆくもの」の側に留まること、「成就」は意識ある主体にとっては仮象に過ぎず、そこに向かって漸近はできても決して到達はできないことを示唆しているのではないか。

この作品においても「離れて配置される」金管群による「空間性」は重要だが、第1部末尾でAccendeが遠くから響くのに呼応して、全曲の末尾では曲頭のVeniが遠くで響くのは、そこが人間の超越の運動としての「突破」の起源であることを告げているかのようだ。「突破」を時間論的に解釈すれば、あたかも未来が現在に目的を示して導くかのような「創発」の瞬間であり、通常の時間性から見れば「時の逆流」に他ならないのである。

更には『ファウスト』第2部終幕が、意識ある主体が到達できない「死後の世界」である点を忘れてはなるまい。第1部にも出現する「子供の死の歌」の引用の意味は、第2部において誤解しようのない迄に明確になる。第9交響曲の暗示もあり、一見して正反対で異質と捉えられがちであるにも関わらず、この曲の他の後期作品への隣接は明らかなのだが、それもまた「突破」の超越が意識ある主体の「消滅」と表裏の関係にあるが故なのだ。

Veni Creator, Spritusに対する「ところでそれが来なければ」という、一見したところ冷静で、一分の理があるかに見える混ぜ返しもまた、曲頭のVeniで露わなのがインスピレーションを受けた主体の受動性であり、それが「既に到来している」のであれば、妥当ではあるまい。作品自体が到来に対する応答なのであり、ここで音楽は、実際には実現していないことを恰も実現したかのように見せかける詐術では決してないのではないか。

個人的経験を超えて「客観的」たろうとしたマーラーからのこの「贈物」を、その価値に相応しく受け止め、「応答」する義務が我々にはあり、その義務を果たすためには、アドルノが留保として述べた言葉を寧ろ逆転させた上で、それに伴う様々な危険を引き受けつつ、この曲の実演によって一体何が達成できるのかを自ら問うべきなのではなかろうか。

時代と場所の隔たりを超え、現実的な数多くの困難を乗り越えてこの作品を上演することは、まさしく「応答」の、優れて具体的な実践であろう。音楽監督の井上喜惟さんを初めとするマーラー祝祭オーケストラ・合唱団の方々、上演を支えて下さる方々の「壮挙」に対し敬意を表するとともに、私は聴き手の一人として、単に演奏を消費(それは情報論的には情報を単に捨てることに他ならない)することなく、マーラーの遺した「謎」に向き合い、自らも何かを生み出すことによって自分なりに「応答」するよう努めたい。

2015年8月29日土曜日

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(7):オルミュッツ劇場時代にマーラーが住んだ家(チェコ共和国オロモウツ)

マーラーは1882年にオルミュッツ(現・チェコ共和国オロモウツ)の歌劇場の指揮者を勤めていた時期に、劇場近くのホルニー広場にある黄金のカワカマスの家(現在はカフェー・デスティニー) に住んでいた。 現在でもカフェ・デスィニーの入り口の右斜め上方の建物の壁に、黄金のカワカマスが嵌め込まれているの確認できる。

2015年8月23日日曜日

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会を聴いて(2015年8月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会
2015年8月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール

ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲変ニ長調
井上喜惟(指揮)
カレン・ハコビヤン(ピアノ)
マーラー祝祭オーケストラ

(アンコール)ハコビヤン バッソ・オスティナート
カレン・ハコビヤン(ピアノ)

マーラー 交響曲「大地の歌」
井上喜惟(指揮)
今尾滋(テノール)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ


マーラー祝祭オーケストラ(旧・ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ)の特別演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れた。曲目はハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調と「大地の歌」であったが、 ピアノ協奏曲の演奏後、休憩を挟んでプログラム後半の「大地の歌」が演奏される前には、 ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調でソロを弾いたカレン・ハコビヤンさんがアンコール曲として、 自作のバッソ・オスティナートを披露した。 プログラムの構成の意図に関しては、音楽監督の井上喜惟さんがプログラムノートに書かれているが、 とりわけ「20世紀に入り、オスマン帝国領内におけるジェノサイド、ナチスドイツのホロコーストによる民族離散」 という共通性に関しては、ハコビヤンさんが自ら、アルメニア人ジェノサイドの追憶のために書いたと日本語で 紹介して演奏した「バッソ・オスティナート」が加わることで、その意図が一層明確になり、「大地の歌」を 受容する際の文脈が与えられたことを明記しておく必要があると考え、そのことを最初に記載しておきたい。

アルメニアの歴史についての私の知識はささやかなものではあるけれど、 ノアの方舟の辿り着いた土地に住む人々が、とりわけてもオスマン・トルコとの 関係で恐るべき苦難を味わったこと、しかもジェノサイドの計画性・組織性については未だに トルコは認めようとしていないことは以前に調べたことがあり、それらを思い起こさずにはいられない。 マーラーに関連した文脈に限っても、例えば妻アルマの後の伴侶であるフランツ・ヴェルフェル(ちなみに 彼もまたユダヤ人であり、そのせいもあってアルマはナチスに追われ、ヴェルフェルとともにアメリカに 脱出することを強いられる)の代表作が1915年のアルメニア人ジェノサイドに取材した、 「モーセ山の四十日」(Die vierzig Tage des Musa Dagh)という1933年に書かれた小説であることが想起されよう。 ヴェルフェルの作品の主題は、まさにハコビヤンさんの追憶の対象のそれであり、今年がまさにその出来事から 100年の節目の年であることを、私はここで記録しておかずにはいられない。

そうしてまた更に不可避的に、マーラーの没後にユダヤ人が経験することになり、一例を挙げれば、 パウル・ツェランの詩作によって、その言語を絶する傷が証言されているホロコーストについては勿論のこと、 日本人もまた、太平洋戦争末期の無差別都市爆撃、広島と長崎の原爆を経験する一方で、 南京事件(規模はともかく、それが事実であることを否定することはできないだろう)をはじめとする 侵略行為については加害者の立場にあることを意識せざるを得ない。中国の詩を素材とした 「大地の歌」を、日本において受容するにあたり、仮にそうしたことを抜きにしたいと考える人がいたとして、 寧ろ目をそむけるべきではないのではないかと思われるし、更には今日の中国と日本の関係をも加えた文脈の中で、1世紀前に異郷のユダヤ人が書いた音楽を、今、此処で演奏し、聴取するのだという ことに対しては意識的であるべきだと考える。

勿論そうしたことは、音楽を享受することについて必ずしも直接的な理由や動機となるべきでは ないかも知れないし、かつまた、そうした文脈に限定して音楽を聴くというのは極論でもあり、実際には抽象に過ぎないが、 逆に、無菌室よろしく、あらゆる文脈を剥ぎ取った防音設備の中で純粋に音響として音楽作品を享受する というのもまた、抽象に過ぎない。実際には演奏者も聴き手も、それぞれの多層的な文脈の中で音楽を 経験するわけだし、(拒絶も含めて)聴き手は与えられた文脈を、自分の展望の中で受けとめた上で 音楽に接すれば良いのだと思うが、私個人について言えば、 自分にとって初めての「大地の歌」の実演に接するにあたり、 このような文脈の下で「大地の歌」を聴くことは、非常に貴重な経験であったと思う。

私自身もまた、戦前及び戦後すぐの「大地の歌」の受容に纏わるエピソードについて、 自分の知る若干の事柄をまとめた文章を公開しているが、それらを踏まえた上で、折りしも戦後70年、 アルメニア人ジェノサイドから100年の節目に、かくの如き文脈を与えられた今回のコンサートは、 「大地の歌」の受容において、重要な意義を持つものであると考える。 今回のコンサートを、とりわけても「大地の歌」を、現在の日本で演奏し、それを聴くことに対して、 このような文脈づけをした音楽監督の井上喜惟さんの企画に対して、まずは敬意を表したい。

以下、コンサートの感想としては、いつもの通り、マーラーの作品のみに限り、かつ、 「大地の歌」の実演に接するに際しての考えについては、今回はプログラムノートに記載させていただく 機会を得たので、実演に接して受けとめたものに限って記録しておくことにする。「大地の歌」の 実演に何度も接している方にしてみれば、何とも拙いものと映るであろうが、それは仕方があるまいし、 いわゆる(客観性を旨とする)演奏会批評が目的ではなく、自分がコミットメントしている対象についての ドキュメントに過ぎないことは、これまでの感想と同様である。

それでも敢て、マーラー以外に関して感じたことを一言 書き加えておくならば、これまでの他の交響曲の演奏でも感じていた井上さんの、特にスケルツォ楽章や 変拍子の箇所におけるテンポやフレージングの把握の的確さには、地理的に重なり合い、影響しあう 部分があったであろう、東欧系の音楽に関する経験があるのではということに、ハチャトゥリアンの演奏を 聴いていて思い当たった。そしてこのことは、井上さんの企画が、単なる理念のレベルのみならず、 音楽的な経験の水準での蓄積に裏打ちされたものであることを雄弁に物語っているように思われた。

*   *   *

既述の通り、聴き始めて35年近くを経ているにも関わらず、私が「大地の歌」に接するのは今回が 初めてであったのだが、その上でまず何よりも強く感じたのは、 実演に接しなければ決してわからないことがたくさんあることは事前に想像していたものの、 ここまでとは思わなかったということである。この作品の演奏頻度は、マーラーの交響曲が頻繁に 演奏されるようになった今日においては、今や相対的には低いものになっているように思われるが、 ビジネスとしての収支計算はおくとしても、この曲の実演にあたっての 歌手も含めた各奏者の技術的な困難は推し量れるし、そうした困難の中で演奏解釈を一つのビジョンにまとめあげる 指揮者の困難も大変なものと思われ、この作品をルーチンのコンサートで、2,3度のプローベで 取り上げるのでは、仮に技術的に破綻のないレベルの演奏は可能としても、作品の実質に釣り合った 十分な演奏をすることは至難の業であるろうことが、はっきりと認識できたように思える。

勿論、演奏における細部の精度については、今回の演奏においても 演奏者の理想とするところからの乖離が無かった訳ではなかろうし、 特に、特別な編成で、一部についてはマーラー自身が意図したよりも更に規模が大きい (しかもオペラの場合と異なって、ピットに入っているわけではなく、 背後から覆いかぶさるように鳴る)オーケストラを バックに歌う歌手の負担の大きさ、それを配慮して演奏を設計する指揮者のコントロールの 困難の大きさを感じる瞬間もあった。同じメンバーで再演する機会があれば、更に精度の高い、 完成された演奏になることは間違いないことであろう。

だが私が強く感じたのは、「大地の歌」には、本当にこの作品にしか存在せず、この作品を 通してしか垣間見ることができないかけがえのない瞬間がいたるところにあり、 そうした瞬間の備えているある種の経験の質とても言うべきものを実現することは、単なる 演奏精度の尺度で測ることができないものだということである。そしてそうした質の把握において、 この演奏は卓越したものがあって、圧倒されることが何度となくあったのである。そうした質の把握が あればこそ、人によっては、より緻密なアンサンブルの精度を期待したくなるような箇所でも、 音楽の質が損なわれることはない。特にこの作品は、西欧音楽の枠組みの範囲内ではあるけれど、 単純な比例関係にない拍節の交替や重ね合わせによって、西欧音楽の均等なリズム感から 逸脱する傾向や、ヘテロフォニー的な側面をはっきりと備えていることもあって、寧ろ音響的な滲みや 暈のようなものを感じられることさえあり、気にならないどころか、寧ろ「あるべき響き」をそこに聴き取る ことができて感動する瞬間に事欠かなかったのである。

*   *   *

オーケストラの演奏に関して感じたのと同じことは歌唱のアプローチにも感じられ、とりわけアルトの歌唱は、 きれいに破綻無く歌うことよりも、寧ろ、歌詞に寄り添って、語りであれば文字通り囁きから叫びに至る、 表現のパレットを歌唱としてのぎりぎりの限界まで使い切ろうとするかのような歌い方で、 聴いていて肺腑がえぐられるように感じる瞬間が、これまた何度となくあった。 その感触は私の個人的な経験の範囲では、西欧音楽よりも、 寧ろ能楽における謡が高潮したときに受ける印象に近く、これもまた「大地の歌」という作品に 相応しく感じられた。(勿論これは、実際の歌唱の方法が非西欧的であったのでは全くない。 西欧の伝統的に依拠する申し分ない歌唱から、「大地の歌」という作品を介して、私が受け取ったものが、 単に表現豊かであったり、あるいはジャンルが違えば「ソウルフル」とでも形容されたかも知れない ものあるに留まらず、そうしたものにまで及んだいうことに過ぎず、こうした聴き方が私の全く個人的な ものであることを否定するつもりもないし、その当否を議論するつもりもない。他方で仮に私のような聴き方が 間違っていたとしても、私が歌唱から受け取った感動は些かも変わることはない。)

備忘のために、歌唱において特に印象的だった箇所を列挙しておけば、テノールでは、 第1楽章の第3部分の埋め込まれた「酒宴の歌」の部分、第5楽章の中間の色合いがくすんでテンポが緩み、 響きに温かみが差す部分などが印象に残った。アルトの歌唱は既述のように素晴らしく、枚挙に暇がないが、 第2楽章では、第3節、Ohne Ausdruckという指示のある"Mein Herz ist müde"という呟きから始まる部分 (突飛な連想だが、パルジファル第1幕のクンドリの歌唱パートが思い浮んだ)、第4楽章の音響上の ピークが過ぎて音楽が静まった後の部分、特に最後の詩節において 語り手の心情が映りこむことによって差し込む影と悲しみを語る部分。 第6楽章は、どこか一つというのは困難だが、強いて挙げれば、歌ではなく、語りが求められ、 またしてもOhne Ausdruck / Ohne Expressivoの指示があるレシタティーヴォ、特に中間の 器楽の葬送行進曲の後のレシタティーヴォの原調での再現以降、 とりわけてもEr sprach以降の歌詞上、「くぐもった(umflort)声」で語られたとされる部分。 ここもまた、マーラーの再現の常で、 特異点を通り過ぎ、不可逆な相転移が生じ、最早元には戻れないという徴を帯びている決定な箇所だが、 そうした時間性がもたらす音調を過たず捉えていたように感じられた。 繰り返しになるが、ここではいわゆる正確で美しい、高精度な歌唱とは些か異なる質が、音楽と歌詞によって 求められているのだと思うが、それに十全に応える素晴らしい歌唱であったと思う。

また、アルトの語りに伴うフルートもまた、西欧音楽のフルートであるよりは、葦笛や能管を思わせるような 音色と間合いを感じさせ、「大地の歌」の風景を、マーラーの音楽を生み出した側からではなく、 まさに日本の側から浮かび上がらせていて、それゆえこの作品を西欧の演奏家の演奏で聴くときに感じる 違和感のようなものを感じることなく、作品の生み出す風景の中に入り込むことができたように感じられた。 勿論、それは西欧の演奏が間違っているということではなく、とりわけ「大地の歌」のような作品にあっては、 それが生み出された伝統とは異なったパースペクティブから作品を捉える余地があり、この日を演奏は その可能性を汲みつくしているように思われたということである。

*   *   *

再び歌唱から管弦楽に戻って、「あるべき響き」をそこに聴き取れたと感じた瞬間を備忘のために書き留めておくならば、 第1楽章ではまず冒頭の響きが素晴らしく、あっという間に「大地の歌」の舞台である仮想的な空間に聴き手を引き込んでいく。 恥ずかしながら、開曲から1分と経たないというのに、もう感極まってしまって、不覚にも涙が出てしまった程、 その響きは壷に嵌ったものだった。 そして第3節のへ短調による紋中紋(mise en abyme)のように埋め込まれた「酒宴歌」の部分の空気感。 これまでの他の交響曲の演奏でも 感じたことだが、手にとれば重みを感じ取れそうな響きの充実があり、そのせいで、 調性が切り替わることに遷移していく色彩(私個人について言えば、共感覚により具体的に色彩が 感じられるのだが)の鮮やかさが一層鮮明なものになる。

第2楽章も冒頭の鈍く冷えた金色がかった風景が、途中で暗い寒色の空間に移り(そこにランプが灯るのである)、 それが再び暖色の風景に戻って、太陽を歌う部分では陽光の温もりさえ感じられるが、それが冒頭の 霧の中に再び沈んでいく過程の鮮明さ。そうした色彩の変化、温度や光の加減の変化は、中間の 第3,4,5楽章では一層鮮明になるが、特に圧倒されたのは第4楽章で、ト長調の青みがかった透明な風景が、 転調を繰り返す毎に光の調子と色合いを変えていく過程は、音楽を聴くことを通してその風景を見る 人間の心を掻き毟るような効果を持っている。 その過程の頂点でハ長調のまばゆい白色の光に到達するのだが、印象的なのはその後、 音楽が静まったところで、一旦、変ロ長調の暖色系の光の中で最初の雰囲気の再現が始まる(この変ロ長調が、 第6楽章ではまさに「美」に酔いしれた世界を歌うブロックに対応していることにも留意すべきだろうか)のが、 冒頭の調性に戻っていき、再びまた光の調子と色合いを変えかかって、だが今度は主調に落ち着くプロセスがまた、 あまりに鮮烈で、思わず涙なくして聴けないものであった。

第6楽章については、アルトの歌唱とフルートについては既に記したが、それ以外のところについて 書き留めておこうと思ったところで、個別にどこをどうと言っても仕方ないように感じられる。 自分が受けとめた印象の深さに比べて、感想を書きつける言葉が、 あまりに色褪せたものでしかないことを確認することにしかならないのは明らかだからだ。 恐らくは疑いなく、奏者も同じ思いであったと確信しているが、聴き手たる私もまた、 このような音楽を遺してくれたマーラーの天才に脱帽し、感謝する以外にないように思えるのである。

*   *   *

もう一点、特筆しておきたいのが、マーラーの作品の先駆性、その後の音楽がそこから影響を受けた 側面は、やはり実演によってしか十全に把握することができないということである。 この作品が要求する室内楽的な繊細なバランスは、工芸品のような完成度を追求すれば、 録音技術が可能にする調整を介した方がよりよく実現できるという側面もあろうが、 その一方で、特にこの作品で追求されている、単純な比例関係にない異なる音価の重ね合わせがもたらすゆらぎや、 ミュートの使用やベルアップ、あるいは複数のパートへの振り分けや重ね合わせによって もたらされる空間的な厚みや距離感の効果、より「絵画的」な効果としては、例えば第二楽章において両翼配置の ヴァイオリンが描き出す霧の渦が重なり合っては消えてゆく様、更には第6楽章において、非常に 低い音域を用いることによって、日本の伝統音楽で言うところの音の「さわり」が引き出される点などは、 その場で奏者が楽器を鳴らし、音響がホールの空間を介して直接聴き手に届く環境でないと、 十分に感じ取ることができないように思われるし、実際に実演に接してみれば、例えばリゲティやラッヘンマンが マーラーに見出したものが何であるかがごく感覚的に直接に把握できるように思われるのである。 勿論この演奏において、作曲者の意図に忠実な徹底したリアリゼーションが為されたことが、そうした 印象を可能にしているのは言うまでもないことであろう。

そこで音が鳴っているのを直接経験しつつ、だが、それとは異なる仮想的な空間で音が響いている、 その仮想的な空間こそが、「大地の歌」においては歌詞によって語られる場であり、その場もまた 単一ではなく、重層的・複合的なものであるということを、再生装置を介した聴取でそれを予感しつつ 聴くのとは全く異なって、直接的に「体験」するのは、この上なく魅惑的な経験であり、 恐らく聴き手自身が作曲家であれば、この作品は、そこから自分が取り込むことのできる アイデアが溢れんばかりの存在なのではないかだろうかというようなことを思わずにはいられなかった程だったのである。

*   *   *

勿論、これまで30年以上にわたって録音媒体を介して、或は楽譜を読む事を通して、 この作品の凄さは十二分に知っているつもりでいたけれど、実演に接してみれば、 そうした理解が、この音楽のもつ力の本当の凄みを全く捉えられていなかったことを 感じずにはいられない。マーラー自身はこの作品をあまりに絶望的で、聴いた人が 自殺するのではないかと語ったとワルターが伝えているが、 その音楽が聴き手に働きかける力の大きさについては、掛け値なしに、比喩でなく、 そうしたものであったと感じる一方で、その方向性については、マーラーの言葉には反して、 この音楽は、(後に録音媒体でそのような聴取が可能になったように)それを一人で、 しかもどこでもない場所、どこでもない時から響いてくる、幽霊的なものとして聴くのではなく、 実演によって接してみれば、或る意味では逆説的に、この音楽の持つ徹底的に個人的な性格と、 そこに篭められた悲しみと絶望の深さ故に、有限の生命に限界付けられ、容赦ない環境の猛威の中で立ち尽くし、 あるいは蹲って耐える他ない、寄る辺なき弱者が生きていくための希望を与えてくれるものであることを はっきりと感じることができたように思える。アドルノがマーラーの音楽を、虐げられた者に対して手を 差し伸べるのだと言っているが、そうした側面は実演を通してこそ、実感できるもののように思われる。

この音楽は、このように時間と場所の隔たりを超えて、 繰り返し実演されることによって、世代を超え、狭い意味での文化的伝統の差異さえ超えて、 継承されなくてはならないし、この作品が他ならぬ自分に対して手を差し伸べているのを感じ、 この音楽から力を受けとった者は、そうした継承に寄与すべきなのだというように感じられ、 それ故に、聴き手として実演に関わることで、自分もまた、ごく僅かであっても、 そうした継承に寄与できたことを嬉しく感じたのである。そして勿論、そうした機会を提供し、 そうした経験を聴き手に贈与してくれた、井上さんをはじめとする奏者の方々、のみならず、 この演奏会の企画、運営に携わった方々への感謝の思いを強くしたのであった。

*   *   *

このような演奏を実現するには、本番の集中も勿論だが、徹底した研究の上に、 幾度もの徹底したプローベが必要であったこと、更には、そもそもこのような演奏会を 企画し実現するためには私などには及びもつかないような、大変なパワーが必要と されることを痛感し、音楽監督の井上喜惟さんをはじめとする 奏者の方々には只々敬服するばかりである。 このような貴重な経験をさせていただいたことに対して、 改めて感謝の意を表するとともに、いよいよ最後となる次回の第8交響曲の演奏の 成功を祈念しつつ、この感想を終えたい。(2015.8.23初稿公開, 24修正)

2015年8月22日土曜日

『大地の歌』の「今」と「此処」 (2015.8.22 マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会によせて)

『大地の歌』が喚起する、眼前に確かに広がると感じられる風景は、一体何処のものなのか? 1世紀以上の時間的な隔たりと地球を1/3周分の空間的な隔たりを介して21世紀の日本でこの作品に接する者にとって、マーラーの作品のみならず、西洋のクラシック音楽の中でも特異な相貌を示すこの作品は、良かれ悪しかれテクノロジーの影響下にある長い受容の歴史を経て尚、未だ謎めいた存在であることを止めないかに見える。

クルト・ブラウコップフ等が指摘するように、マーラーの作品の普及にはLPレコードを代表とする録音技術の発達が大きく寄与してきたが、『大地の歌』に関しては1936年のSPレコードへの収録以来、LPレコードからCDを経て今日に至る迄に膨大なディスコグラフィーが築かれ、過去の歴史的名演の数々を何度も繰り返し聴くことができる替りに、その特異な編成ゆえか、マーラーの演奏が当たり前になった今日となっては、演奏頻度が飛躍的に向上した他の作品に比べ、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているかのようだ。のみならず、ラジオやテレビによる実況放送に加え、Live Streamingのような技術によって「生演奏」自体がますます仮想化しつつあるかに見える。

他方、作曲の当時マーラーが見ていた風景はと言えば、既にマーラーの時代に存在していた写真に加え、現在では例えばGoogle Street Viewを用いれば、(これはマーラーの時代にようやく発明されたばかりで実用化前であった)飛行機に乗り、鉄道や車により現地を訪れることなく、自宅でドロミテの風景の中を仮想的に移動することができる。今や、トーブラッハを訪れたデチャイが書き留めた、マーラーが毎日午後に逍遥したとされる道を逍遥することすらできるのだ。だがだからといって、マーラーがドロミテの風景を通して、アドルノのいう「仮晶(Pseudomorphose)」として構築した風景が其処にあるということはできない。それは端的に、作品の裡に仮想的なかたちでしか存在しえないのだ。

『大地の歌』の歌詞の素材である、漢詩に基づくハンス・ベトゲの追創作(Nachdichtung)を巡っては、オリジナルの漢詩の推定は勿論、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作の過程が追跡され、誤訳の実証的な指摘さえされてきた。だが既に半世紀近く前に吉川幸次郎が指摘している通り、漢詩はあくまで素材に過ぎず、ベトゲのみならず、マーラー自身による自由な変形を受けている点を見落としてはならず、仮想のものでしかない中国の風景もまた、そうであることにより、吉川の指摘の通りに、中国的であると同時に普遍的なものたり得ているのである。

更に言えば、歌詞に対するハンス・マイヤーの辛辣な評に対しアドルノが述べた通り、素材に過ぎない詩のみを音楽と独立に論ずるのは、文化的な潮流、時代の嗜好としてのオリエンタリズムやら当時流行の世紀末的な「死のイメージ」やらに還元することと同様、マーラーの疎外の意識が「仮晶」としてこの作品に定着したものを損ない、この作品において達成されたものを却って見えなくさせてしまう危険があるだろう。

『大地の歌』が交響曲か否かという問題もまた、「第9の迷信」に関連づけ、単純な二者択一を論じるのは皮相である。コンサートやCD販売といった興行や流通の制度からは厄介者扱いされるであろう、大管弦楽と2名の歌手を必要とする交響曲にして連作歌曲というユニークな形態の作品が、創作の到達点の一つとして産み出されたことこそが、マーラーの創作の特異性を示しているのである。歌詞と音楽との関係は勿論、変形の技法とともに、独自の「調性格論」(Tonartencharakteristik)をベースにした発展的調性によるシンフォニックな作品の設計が実現する6つの楽章間の多層的な構造を、ある時にはその中を逍遥し、ある時には俯瞰しつつ具体的に眺めていくことこそ重要であり、そうしてこそこの作品の無尽蔵の豊饒さに触れ、この形態でのみ実現可能な実質を捉えうるのでないか?

『大地の歌』という作品の実質を把握するにあたり、例えば、題名にも含まれるErdeという単語の孕む、有限で悲惨な「地上」と永遠に輝く「大地」との両義性を、どう訳し分けるかといった翻訳の問題から辿るのは一見したところ本末転倒に見えるかも知れない。

だが上述のような、素材のレヴェルでの、狭義の翻訳には収まらない変形・変換の介在を思えば、ことこの作品に限っては翻訳の問題は決して副次的ではないし、もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、異国の音楽を受容するに際しては、無意識的であれ、何らかの「翻訳」が為されているに違いない。日本人にとっては外国語であるドイツ語の歌詞を十分に身体化できないことの逃げ口上ではなしに、歌詞の注釈として音楽を解釈するような姿勢はこの作品には相応しくないし、楽曲においてもそうであるように、歌詞の水準においても、単なるポプリ、アンソロジーではない、絶えざる変形と複数の層の重ね合わせにより構築される仮想的な世界に端的に向かい合うべきなのだ。

日本から見れば所詮は外国であるけれど、非常に長期に渉って徹底した影響を受け、独特の受容をしてきた経緯から、西洋のオリエンタリズムに対して、謂わば「対偶」の位置から中国に向き合うのであれば、日本において問題となるのは、単純な洋の東西の差異ではありえない。万延元年に生まれ、明治44年に没したマーラーの同時代の、未だ漢詩を自ら作る伝統を受け継いでいた日本人であればともかくも、1世紀後の日本に生きる人間にとって、『大地の歌』の「原風景」にしても、どこか既視感のあるものであり乍ら、最早過去のものであり、かつての日本人に比べてずっと意識的に向き合うものでしかないだろう。

だが逆にそれだけに一層、非本来的なものを擁護する戦略としてマーラーがとった、漢詩を素材とした擬態が孕む屈折により浮かび上がる風景の見え方の面において、不思議な近さ、もっといえば構造的な同型性の如きものを感じずにはいられない。この音楽が指し示す仮想的な場所を、マーラーがドロミテの風景に「仮晶」として見たのと構造的に似た仕方で、我々は日本の風景の中に、やはり「仮晶」として見出すことができる、のみならず寧ろ逆説的に、精神的なLandscapeとしては、本物の中国の風景よりもそちらの方が(非在としての)「真実」と名指すにふさわしいように感じられるのである。

そしてその由来を問うならば、マーラー個人の様式を特徴づける、複合的な楽曲構造の重ね合わせや楽章間の非因習的な関連づけこそが、有限で儚く、永遠性に与れない、過ぎ行くものとしての自己の限界の認識によってもたらされる、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する疎外の意識が生み出すErdeの両義性、単純な対立でもなく、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方を導き出すことに気付かされる。

単純な反復を忌避するマーラーの嗜好や、不連続的な相転移も含めて複雑に展開するマーラーの音楽の動的な性格は、単純なシンメトリーや冒頭に回帰する円環的な時間構造と対立し、緊張をもたらす契機であり、東洋的と言われ、内容上、春の訪れの反復による循環のうちに永遠性を見出すかに見える『大地の歌』もまた、地上の悲惨さの認識から自己の有限性への受容へと至る心的過程の音楽的実現こそがその実質であろう。

そのことは例えば、「悲劇」の調であるイ短調で始まる第1楽章において、マーラーがベトゲの詞章を改変し、詩の中で酒杯を干す前に、琴か箜篌か或は琵琶かを弾きつつ歌う歌詞として入れ子状に埋め込んだ、第6楽章末尾の予告であるところの第3連がmemento moriの調であるヘ短調で歌われるのが、一旦、第5楽章末尾で(第6交響曲第1楽章や第10交響曲第1部のように)同主調のイ長調に到達した後、第6交響曲同様ハ短調でフィナーレたる第6楽章が再開し、最後は冒頭の平行調にあたるハ長調に辿り着き、更にそれまでのマーラーのモットーであった長調から短調への推移を宙に吊ってしまうかのように、付加6の和音で作品全体が閉じられるという調的設計自体が物語っているものなのだ。

マーラーがワルターに第3交響曲作曲時に言った「もう作曲してしまったから、現実を見るには及ばない」という、自信過剰な芸術家の大言壮語と見做されかねない言葉を、「作曲とは世界の構築である」という、これまたそれ自体、文学的修辞の類として比喩的に受け止められがちな言葉を文字通りに受け止めることを通じて理解し、必要であれば既存の楽曲分析の枠組みを超え、複製技術を介さない実演という契機を含めた音楽的「出来事」の過程の全体を複雑系としてシステム論的に捉えることによってこそ、マーラーが遺したものを受け止め、未来へと向けて応答することが可能になるのではなかろうか。

今回の実演の企画が、演奏に参加する人のみならず、聴き手も含めて、まさにそうした「今」「此処」における『大地の歌』の生産的な受容にとってのまたとない「出来事」となることを願って止まない。