お知らせ

GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2025年5月14日水曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (18):ジンメルの「老齢藝術」を巡って

 (承前)

 勿論、こうした問いに対して一度にすべて答えを出すことはまだできないけれども、未だ漠然としたものでありながら、朧気に浮かび上がって来ている構造の輪郭を素描する事はできるだろう。それは3つの水準から構成されるものだろう。即ち、「老い」のシステム論的定義が対象とする生物学的・生理学的な水準、「老い」についての意識を対象とする現象学的な水準、更にその2つ目の構造が産出する「作品」の水準を区別することができるだろう。そしてこれまで本論で取り上げてきた様々な見解は、それぞれどの水準を対象にしているかにより分類することも可能だろう。就中、本稿で取り上げているアドルノやジンメルのそれは、「作品」の水準を対象としたものだが、それは当然作品を生み出す「意識」の在り様と無関係ではありえないから、自ずと両者の関係を問うものになる一方で、「老い」の意識が対象としている「老い」そのものを問い直すという視点は希薄のように思われる。ところがマーラー自身は老いにフォーカスしている訳ではないが、その替わりに、当時の科学的知見を背景にした有機体論的な発想から、3つの水準を横断するような把握をしていて、それ故に、マーラーの作品において「老い」を問うについても3つの水準を横断することを求められているということなのではなかろうか。

 だが、ここではそうした整理を踏まえ、性急にその3つの水準を一度に捉えるのではなく、今一度アドルノやジンメルの視点に立ち戻り、「老い」そのものへの問い直しが始まる地点を見極めておくことにしよう。その手がかりとして、ここではまず、アドルノが依拠しているとされるジンメルの「老齢藝術」(上で引用した木村訳の『ゲエテ』の訳語による)についてもう少し細かく見てみたい。

 ジンメルが「老齢様式」について集約的に述べているのは、『ゲエテ』第八章 発展のp.381の「予は今や、遂に色々の方面から暗示せられた点に到着した。」で始まる段落以降ということになろうが、その前後の記述を確認すれば、実はジンメルにおいても「老齢藝術」に主観と客観の破綻を見ていないわけではないことが確認できる。「形式とは常に客観の原理の謂」という点を踏まえるならば、「強い波動をなして高まる主観と綜合的統体形式の破裂」という表現は、まさに主観の客観の破綻について述べていることになるし、「形式原理の断絶克服」や形式に対する「一種の無頓着、否恐らく拒否と反撥」を指摘してもいる。

 またジンメルがゲーテ以外に「老齢藝術」の例として挙げる中には後期ベートーヴェン、具体的には弦楽四重奏曲とチェロソナタが含まれるが、ゲーテにおける「決定的徴候」として指摘されるのは、「ファウスト第二部に於て殊に現れる用語上の合成の無理」であったり、「これよりも一層決定的なのは、個々の表出が脈絡なく投出された様に見える句」であり、これもまたアドルノの後期ベートーヴェンについての先に引用した記述と共鳴するものであろう。(なおこの指摘はアドルノのヘルダーリン論におけるパラタクシスへ補助線を引くことが考えられるものだと思うが、この点を論じることは別に機会に譲らざるを得ない。)

 そうした分裂を議論の余地がない事実として確認しつつ、ジンメルは、「歴史的に鋳造された形式に対して形式原理の拒否をその主権内に蔵する老齢藝術が、何故に単純なる主観に堕する様に見えるかという理由」を問うているのである。そしてそれを「恰も一の統体を統一構成する力が老人に失われ、主観の域を脱しない個々の契機の頂点を示し得るに過ぎないかの如く考へ、その理由としては、老人は、個々の衝動、思想、見解が中断なく相互に働き合う連続としてのみ現るる独自の形式には到達し得ない」というような、或る種の衰頽によるとする見方を「皮相的」として退け、その上で既に引用した「現象からの漸次の退去」に関連付けた説明を行っているのである。そしてそこでは「絶対的内面化が存在し、それに依つて主観が純粋な客観的精神上の存在となり、従つて彼には外存相が謂はば全く存在せぬ結果になる。」かくして「全対立の克服」が実現されるというのである。(但しジンメルは「恐らく」という留保をつけて、それが完全に実現されているについては留保を行っているが。)

 そして「現象からの退去」は、作品のみならず老齢の人間の生そのものを「象徴的」なものにするという。高齢者の生そのものが物象に対する「記号」であり「代理比喩」であり、「象徴」であるというのである。

「併し、かかる高齢の人間から世界の個々相と外存相とが如何に遠ざかっても、やはり此の世界に生活し、芸術家として此の世界並に世界に存する物象に就いて述べねばならぬから、彼の陳述、否彼の全精神的存在は象徴的となる事、換言すれば彼の物象を最早その直接性、その独自存在のままに掴み述べる事はせずして、唯彼自身とのみ生き、彼自らの世界である内面の脈拍が物象に対する記号であり得る限り、乃至脈拍そのものが物象の代理比喩である限り、物象を掴みこれを表現し得る事は理解が出来る。」(ジムメル『ゲエテ』, 木村訳, p.385。引用に当たっては原訳書の旧字旧かなを適宜改めた。)

 この点についてジンメルは、高齢のゲーテが「凡ての自己の活動、成業を常に象徴的にのみ見ていた」という言葉を引いて傍証とする。そして更にジンメルはゲーテが、自分自身に関係づけて「静寂観」と「神秘」とが老齢の特質であると言ったことに触れ、ここでの「神秘」を上述の「象徴」と見做し、『ファウスト』第2部の末尾の神秘の合唱の「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」に結びつけつつ、「ゲーテは、老齢期の要素が特に彼の早期の存在様式と異れる限りに於て、明確に、かの二性質を以て老齢期を説明した。」とするのである。かくしてジンメルの結論は以下のようなものとなる。

「此の「静寂観」はかの「現象よりの退去」に他ならず、主観が自己と対立する客観を有する場合とは全く異れる意味、即ち相対的の意味を持たない主観の自性的存在に他ならぬ。今やゲーテ自身世界の一切であり、世界に関して知り得る一切である。従って所謂世界に対しては、「象徴」の関係を有するに止まる。それで、此の主観と客観的「形式」との間には全対立が消滅する。蓋し、曾ては或る仕方で先在し、主観自らの所産内であるにしても、主観の彼方に存在した形式を主観に齎し来った客観化は、今や主観の自己開放と自性帰還との結果、主観の直接なる生活と自己表現裡に現るる事になった。」(同書,pp.385~6)

 このジンメルの結論については、幾つもの角度からコメントすることが可能だろうが、何よりもまず、『ファウスト』第2部末尾の「神秘の合唱」を、「老齢期」を特徴づけるものとしている点が挙げられるだろう。勿論、『ファウスト』を「晩年様式」の作品であるとすることに異論はなく、また、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」がゲーテがその晩年にようやく到達した認識であるということであれば、それもまた問題にはならないだろう。だがこの「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」という余りに有名な章句は、通常はどちらかといえば普遍的、一般的な真理を捉えたものと考えられているのに対して、それが「老齢期」の特質であり、「老齢期」固有のものであるとするとなれば、これは些か別の話になる。寧ろ例えばトルンスタムの「老年的超越」のような、「老い」に固有のものとの突き合わせをすることが相応しいものであることになる。

 一方でここでジンメルが語るような事態、「ゲーテ自身世界の一切であり、世界に関して知り得る一切」であるといったことが現実に生じうるものなのかを疑問視する向きもあるだろう。この点について言えば、既に述べたようにジンメルは、「老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。」(p.383)というように或る種の原理的な極限形態である理想であると断っているし、ゲーテにおいてすら「無形式、結合の分裂は、彼の偉大なる生涯の努力、即ち主観の客観化が彼の最高齢に於て、新しい、神秘絶対的完成段階に達したとは云わぬ迄も、その直前に来ていた徴候であると言えよう。」(p.386)というように、完成については留保はつけている。だがそれが現実には完全な形では到達し難い理念的なものであったとしても、そうした傾向を現実に認めることについては可能だろうし、寧ろそうした認識を「悟り」の如き到達点、ゴールとして捉えるのではなく、寧ろ漸近的な絶えざる運動として捉えるという、本稿では特に道元を参照しつつ述べた「老年的超越」の捉え方と親和的なものとして考えることも可能であるから、現実の「老い」の説明として一定の有効性を認めることができるように思われる。

 またここでの主観と客観的「形式」との対立の消滅は、主観が絶対的内面化によって客観化することによって可能となるとされるのであるが、少なくともマーラーにおいてこれを可能にするものとして、アドルノが指摘している「唯名論的」な性格、ボトムアップにその都度素材から形式が作り出されるという点が思い浮かぶ。実際、マーラーの後期作品の形式は極めてユニークであり、伝統的な楽式論を単純に適用してその構造を説明することができないことは、例えばエルヴィン・ラッツが具体的に第9交響曲の第1楽章を取り上げて分析することによって明らかにしている。片や「老齢」によって実現されるものとされ、片やその作品全体を通じての傾向として述べられているという違いはあるけれど、実際にはアドルノの指摘する「唯名論的」性格は、とりわけ後期作品において著しいものであることは、例えばラッツが分析の対象としたもう一つの楽章である第6交響曲の第4楽章との比較において第9交響曲が既存の形式から隔たっている度合いを確認すれば明らかであろう。従ってマーラーの作品の「唯名論的」な性格については、「老年的超越」が必ずしも老年期のみに限定されるものではなく、「基本的に、青年期以降の老年的超越へと向かうプロセスは、一生涯連綿と続いていくものであると仮定することができる(トルンスタム,『老年的超越』,冨澤・タカハシ訳, 晃洋書房, p.41)という点に通じていると考えるべきなのかも知れない。更に言えば、マーラーの作品に「唯名論的」性格が備わっていることが、マーラーを発展的な作曲家たらしめ、ひいては「マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)ことを可能にしているのだという見方もまた、可能ではなかろうか。

 一方でこれを文字通りにとるならば、最早「作品」を創ることもまた相対化されてしまい兼ねず、トルンスタムの「老年的超越」のような「老年期」の生き方そのものとの突き合わせは出来たとしても、こと「芸術作品」の様式の説明として考えた場合には、それを逸脱してしまうことはないのかという疑念が湧いてくる。寧ろここで思い浮かべるのは中島敦の『名人伝』の弓の扱いを忘れた弓の名人であり、或はまた或る種の断筆こそが相応しいのではないか。

 だがここまで辿り着いた時に直ちに思い浮かぶのは、まさにマーラーが「作品」は「抜け殻」に過ぎず、作品を生み出す人間の生以上のものではないと述べていたことである。一見したところ謎めいたマーラーのこの言葉は、寧ろゲーテ=ジンメルの「老齢様式」を念頭におくことで了解可能なものになるではなかろうか。しかもマーラーの発言の文脈を捉えるならば、まさにゲーテの『ファウスト』を、就中その第2部末尾の「神秘の合唱」の「うつろいゆくものは比喩に過ぎない」を恐らくは念頭において語っていることとも対応するようにさえ見える。つまりくだんのマーラーの「作品」(および「作品」を生み出す人間の生)についての認識は、マーラー自身はそれを「老い」や「後期様式」と結びつけているわけではないにせよ、上記のようなジンメル的に解釈されたゲーテの「老齢期」についての考え方、「老齢藝術」の考え方に極めて親和的であり、こちらもまた一般的な「作品」観としてではなく(勿論、『ファウスト』第2部末尾の章句がそうであるように、その次元で論じることも可能なのだが、とりわけここでは)、マーラー自身の「後期作品」についての認識として捉え直すことも可能なのではなかろうか。要するにマーラーの作品観は彼のゲーテ理解と、更にはマーラーがベートーヴェンの作品の中でも後期作品を評価していたという点と緊密に関わり合った、一貫したものであるということが言えるように思われるのである。

 勿論ジンメルのこの著作はあくまでも第一義的にはゲーテ論であり、従ってここでの「老齢様式」もまた、第一義的にはゲーテのそれについてであるし、ジンメルが傍証として持ち出すのもゲーテ自身の「老い」についての認識であり、作品である。ジンメル自身はそれをベートーヴェン、レンブラント、更にはワグナーの「パルジファル」といった対象に拡張しているが、それを安易に一般化して良いかについては少なくとも検証を要する事柄であって、無条件に首肯できるものではないとする向きもあるだろう。またこれをもう一度アドルノの「晩年様式」と突き合わせた時に、やはりそこに依然として存在する懸隔について、その距離を測る作業は別途必要であろう。マーラーに関して言えば、マーラーの作品観については上記のように、ゲーテ=ジンメルのそれと親和的であったとして、その作品そのものにについてどうかは、独立ではないにしても、また別の事柄であろう。

 それにしても、それではジンメルの言うところの「絶対的内面化」による「全対立の克服」はどのような機序により可能になるのだろうか?更に、ここでの問に即して言えば、それが他ならぬ「老齢」において可能になるのは、「老い」のどのような点に基づいているのだろうか?既に述べたように、ここまで具体的に検討はしてこなかったが、ジンメルやアドルノの議論の枠組みにおいては「老い」の意識と「作品」との関わりについては論じられても、「老い」そのものについて主題的に論じられることはない。そのためこちらの問いについては、未だその答えが得られた訳ではなく、依然として問は開かれたままということになる。既に見たように、ジンメルは「破綻」を説明するについて老人の力の衰頽を以てすることを退けたのであったが、「破綻」の理由としてではなく、例えば「現象からの退去」を或る種の力の衰頽によるバランスの変化と捉え、その原因を生物学的・生理学的な「老い」とそれを意識することに求めることは果たして不当なのだろうか?

 そしてマーラーに関してもまたアドルノにより、「すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と言われているのであれば、「非官能的な内面のものが外へと表出され」うるための条件への「老い」の関与は、マーラーの作品における「老い」について考える上で極めて重要な位置を占めているに違いない。

 従って、ゲーテ=ジンメルの「老齢期」観、「老齢藝術」観は、恐らくは暗黙裡に含意されているように、結果としてそれが「老い」によって得られたものであり、かつ「老い」なくして得られないものであるとして、具体的に「老い」がどのように関わっているのかについて考えようとすれば、いよいよ「老い」と「老いの意識」と「後期作品」の3つの水準からなる構造を素描することを試みることになるだろう。即ち、生物学的・生理学的な「老い」のシステム論的定義とこの水準の構造がもたらす時間性、現象学的な「老い」の意識とそれがもたらす時間性、更にその2つが「作品」にどのように影響するのかといった3つのレベルを区別しつつ、そのレベル間の関わり合いを明らかにすることによって、未だ漠然としたものでありながら朧気に浮かび上がって来ている構造の輪郭を辿ることがマーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業としての本論に残された課題となるだろう。そしてその構造は、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関して語った以下の指摘を説明しうるものでなくてはならないであろう。

「そこ(=第9交響曲)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。」(シェーンベルク「プラハ講演」, 酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124)

(2025.5.14)


2025年5月8日木曜日

マーラーについて生成AIに聞いてみた(11):RAG検証用の質問をchatGPT, Gemini, Claudeにしてみた(2025.5.8 更新)

 マーラーについての様々な質問を商用の生成AI(ChatGPT, Gemini, Claude)に対して行い、その結果を受けて試作したRAG(Retrieval-Augumented Generation)の評価用に用意したプロンプトセットを、改めて商用の生成AIに与えて結果を確認する実験については、前回の記事「マーラーについて生成AIに聞いてみた(10):「大地の歌」日本・イギリス初演と第9交響曲の日本初演について」で報告した通りです。また前の記事では、その標題に示した通り、その結果の一部である、「大地の歌」の日本初演・イギリス初演および第9交響曲の日本初演についてのプロンプトへの回答について個別にコメントを加えつつ報告を行いました。それはRAGの構築を思い立った理由である、RAGなしの生成AIにとって苦手であるように思われた地域限定の情報、或いは特定の言語に偏在する可能性が高い情報に関する問い合わせに対して、商用の生成AIがどのように回答するかを改めて確認することを優先したからでした。

 本稿では、前回報告済のプロンプトへの回答に加え、残りのプロンプトへの回答も含め、実験結果の全体を報告します。当初生成AIには与えていなかったけれども、実は生成AIが得意である可能性が高いタイプのプロンプトを含めた、或る程度の多様性を持たせてプロンプトセットを与えることで、現状の生成AIの回答を、ピンポイントにではなく、稍々幅を持たせた仕方で確認することが狙いです。特にRAG構築に用いたLLMが、2023年12月19日公開のllama2 / Swallow であり、既にリリースされてからかなりの時間が経過しているバージョンであることから、近年のLLMの性能の急激な向上を考えると、ベースとなっているLLMの性能にかなりの差があることが予想されるため、その点を確認することを主要な目的としました。実際には用意したプロンプトの数は20程度であり、網羅性のようなものを議論するレベルの量ではありませんが、それでもこれまでの完全にアドホックな質問に対する回答では確認できなかった面が多少なりとも明らかにでき、また現時点での商用の生成AIの性能向上の著しさを確認することもできたと考えます。

 前回の報告と重複しますが、実験対象の生成AIの種類と、与えたプロンプト・セットを再掲します。

対象とした生成AI

  • ChatGPT:4o
  • Gemini:2.0 Flash
  • Claude:3.7 Sonnet

プロンプトセット

  1. 「大地の歌」の日本初演は?
  2. マーラーの「大地の歌」の日本初演は
  3. マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?
  4. マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?
  5. マーラーが死んだのはいつか?
  6. マーラーはいつ、誰と結婚したか?
  7. マーラーがライプチヒの歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  8. マーラーがプラハ歌劇場の指揮者だったのはいつ?
  9. マーラーがハンブルクの歌劇場の楽長になったのはいつ?
  10. マーラーの第9交響曲の日本初演は?
  11. マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?
  12. マーラーの「嘆きの歌」の初演は?
  13. マーラーはどこで生まれたか?
  14. マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください
  15. マーラーの第10交響曲の補作者は?
  16. マーラーの第2交響曲の最初の録音は?
  17. マーラーの「大地の歌」のイギリス初演は?
  18. マーラーの「交響曲第6番」はいつ、どこで初演されたか?
  19. ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?

 実験は2025年4月26日と5月6日に行いました。問い合わせの順番は、1の変形である2とタイプの異なる質問である14を除いて基本的に1から番号順とし、2と14を最後に質問することにしました。ChatGPTの無料版は最初は4oが使えますが、リミットに達すると4o-miniに切り替わります。今回は11まででリミットに達したため、リミットが解除されるのを待って残りを5月6日に問い合わせしました。Claudeについてもリミットがありますが、こちらは13でリミットに達したので、リミットの解除を待って、4月26日当日の解除後に残りを問い合わせています。Geminiについては制限にかからなかったので、全ての問い合わせを一度に行っています。

 全プロンプトに対する回答はかなりの分量になりますので、ここで全てを紹介することは控え、公開済の以下のファイルで確認頂ければと思います。

 各ファイル共通で、各行毎に、プロンプトのID(通番)、プロンプト、回答、実験日、評価を記載しています。「14.マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください」については、回答が長いものになったため、行を2行ないし3行に分割しています。

 評価については、これまでと同様、明確に間違いと言える部分がなく、概ね正解と見做せるものに〇、正しい部分もあるが一部に明確な誤りがある場合には△、全体として誤りのものは×としました。明確な事実関係のプロンプトであれば判断における曖昧さの余地はあまりありませんが、そうした場合でも生成AIが、聞かれたことの直接の回答ではない付加的な情報を追加する場合が多いので、判断はそれらを含めたものとなっています。今回は特に回答が長いケースが多かったため、△と×との区別にはどうしても恣意性が残ります。

 若干の例を挙げれば、「3.マーラーの「大地の歌」はどこで書かれたか?」に対しては、Claudeのみ正解(トーブラッハ)で、chatGPTとGeminiはマイアーニヒとしています。回答にはそれ以外に当時のマーラーのおかれた状況等、創作のきっかけや背景に関する情報も含まれており、そちらは問題ないのですが、この場合、プロンプトへの答としては誤りなので×としました。

 一方、「10.マーラーの第2交響曲の最初の録音は?」の場合には、どの生成AIもオスカー・フリート指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団の1924年の録音に言及していて、その点に限れば正解とすべきかも知れませんが、それ以外の付加的な情報には誤りが含まれている場合や、判断に迷う記述が見受けられます。そこで付加情報に誤りが含まれる場合には△としました。具体的には「最終楽章の一部のみの抜粋」としたClaudeは、この点については事実に反しているので△にする一方で、chatGPTもまた技術的制約によるカットに言及しているのですが、こちらについては具体的な箇所についての言及はありません。「カット」というのをどの範囲・レベルのものと見做すかについて幅があることから、当初は全くの間違いとはいえないとして、一旦〇にしましたが、一般的な意味合いにおけるカット(著名な例として私がすぐに思いつくものとしては、シェルヘンの第5交響曲の録音やクレツキの第1交響曲、第9交響曲の録音におけるような、楽曲の一部の演奏を、理由の如何を問わず、意図的に行わないという意味合いでのそれ)はない全曲の録音というのが通常の了解であり、この回答はミスリーディングだと判断し、△に変更しました。

 このように回答の評価には微妙な部分が見受けられたことから、今回は△と判定した場合を中心として、回答に局所的に明確な誤りが指摘できる場合には、その箇所を赤字にして、判断の根拠がわかるようにしました(但し、誤りがある部分について網羅的にチェックを行った結果ではありませんので、その点はご容赦頂きたく思います)。また、「14.マーラーの第9交響曲第1楽章を分析してください」の回答は、以前の問い合わせに対するchatGPTの回答のように、具体的に挙げられた構造的な区切りの小節数等に明確な誤りがあるといったケースはありませんでしたが、細部については妥当性が疑わしい記述が散見されることもあり、今回は評価の対象外とし評価を行いませんでした。

 全般的な傾向について述べると、前回の記事で報告でも記した通り、マーラーの生涯における事実に関する質問については概ね正しい回答が返ってきており、かつその詳しさは想定を上回るもので驚かされました。(実はこの検証実験を行うまでは、llama2 / Swallow の回答を見て、マーラーの生涯に関する事実を網羅的にRAGに与えることを検討していたくらいなのですが、現状の商用生成AIを前提とするならば、それは不要であるように感じられた程です。)その一方で、作品に関する事実についての質問では虚実が入り混じる、以前の問い合わせ結果と似たものになりました。特に、前回の記事で報告の対象とした、日本初演・イギリス初演のような、マーラーの生涯からは時間的にも隔たり、かつ地理的にも隔たった場所での出来事については、恐らくはそれについての情報がインターネット上では限られるためか、回答の精度ががくんと落ちる傾向にあり、RAGの作成の必要性を感じさせます。各生成AI間の差については以前受けた印象と変わらず、chatGPTがやや暴走気味で誤りが目立つのに対して、GeminiやClaudeは、細かいところでの誤りが散見されるものの、相対的には誤りの程度はましで、かつ慎重な姿勢を示す傾向にある点は一貫しているように感じましたが、拡大したとはいえ、たかだか20程度のプロンプトに対する回答の印象に過ぎないので、過度の一般化は控えるべきでしょう。
 
 今回の回答で特筆すべき点としては、一部は既に触れていますが、最初に生成AIに問い合わせた際と同じ内容を問うプロンプトに対する答が、前回のものとは異なる場合が見受けられ、前回は誤りであったものに対して正解を返すケースさえ見受けられた点です。既に述べたように、以前は全滅だった「大地の歌」の日本初演については、今回はGeminiだけですが正解を返しています。GeminiのLLMのバージョンは以前と同じ筈なので、Gemini特有のRAG的なリアルタイム検索の効果だと思われますが、これが確率的な揺らぎによるものなのか、別の理由があるのかはわかりません。

 また今回追加したプロンプトの中には、マーラーが何と言ったかという、いわゆる語録についての質問が含まれていますが、これに対する回答も興味深く思われました。具体的に見ていくと、まず「4.マーラーは第8交響曲についてメンゲルベルクに何と言いましたか?」については、極めて有名なメンゲルベルク宛書簡のコメントを回答として想定しているのに対し、いずれの生成AIも想定通りの回答を返しています。ちなみにchatGPTは「ドイツ語原文」を示していますが、何故か引用のごく一部の言い回しが書簡集で確認できるものと異なります(私が知っている限りでは、マーラーの書簡のオリジナルの文面では、StellenではなくDenken、anfängtではなくbeginntが用いられています)。とはいえ内容的には間違ってはいないため、—―多分そのようなことはないと思いますが、ヴァリアントの存在の可能性を考慮して――、〇としています。一体、何に基づいてこのような微妙な改変をするのかはわかりません。校正の機能が過剰に働いていたりするのでしょうか?

 「11.マーラーは自分の葬儀についてどのように命じたか?」については、書簡のような記録があるわけではなくマーラーが語ったことが伝聞として記録されているわけですが、ここでも具体的にマーラーが語ったとされる言葉を引いているchatGPTの引用は、しかしながら私の知る限り、それをマーラーがそのまま語ったという記録はないように思います。一方Geminiは慎重に、「マーラーは、自身の葬儀について具体的な指示を公に残した記録は見つかっていません。しかし、彼の死後、妻のアルマ・マーラーや友人・知人たちの証言から、彼の葬儀に対するいくつかの意向が伝えられています。」と断った上で、一般に流布している内容を返して来ています。ClaudeはGeminiのような留保はつけていませんが、内容的には大きな問題はなさそうです。

 最後に「19.ブラームスはブダペストでマーラーについて何と言ったか?」についてですが、回答として期待しているのは、ブダペストのハンガリー王立歌劇場でのマーラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」に接したブラームスが語ったと伝えられる賞賛の言葉でした。chatGPTの回答は、時期的にも内容的にも違ったもので、私の知る限りではフェイクと思われます。一方Claudeは、マーラーがハンガリー王立歌劇場の指揮者として働いていたことに言及しつつ、「この時期にブラームスがブダペストを訪問してマーラーについて何か述べた可能性はありますが、特に広く引用されるような発言は私の知識の限りではありません。」更に、「ブダペストで特にマーラーについてブラームスが何か重要な発言をしたという有名なエピソードは一般的な音楽史では強調されていません。」として、問いへの直接的な回答はしていません。特にこの最後の点については真偽の問題というよりは判断の問題なので誤りとは言えませんが、少なくともマーラーの生涯を語る上では必ずといって良い程言及されるエピソードですし、これはClaudeが回答として想定された発言を見つけられなかったことを弁明したものである可能性も否定できないように思います。Geminiはここでも周到に、「ブラームスがブダペストでマーラーについて具体的にどのような言葉を残したかという直接的な記録は見つかっていません。」と言いながらも、「本物のドン・ジョヴァンニを聴くにはブダペストに行かねばならない」という言葉を引き、「このブラームスの言葉は、マーラーの指揮者としての才能を認めた重要な証言として広く知られています。ブラームスは、その後マーラーをウィーンに推薦するなどの支援も行っています。」というように、的確で行き届いた回答を返しているように見えます。

 全般として、現在利用できる商用の生成AIの能力は、RAGの構築に利用した、ほんの数年前にリリースされたLLMであるllama2 / Swalllowと比べても著しく改善されており、例示した幾つかの回答からも窺えるように、質問そのものの直接的な回答だけではなく、付加的な情報を付加するなど、エージェンとしてのチューニングが施されている他、「幻覚(Hallucination)」対策も(程度の差はあれ、また万全ではないにしても)進められていることが感じられます。また、質問の種類を増やしてみると、マーラーの生涯の事実を問うようなプロンプトに対する回答の精度は想像以上に高く、RAGによって補完すべき領域は色々な意味合いで「ローカル」であったり「パーソナル」であったりする、相対的にはマージナルな事柄に限定されるように感じました。但し情報の精度と回答の仕方の両面での改善が進めば進むほど誤りを見抜くことが困難になっていく一方で、フェイクを皆無にすることには(少なくとも現在の技術を前提とする限りにおいて)原理的に大きな困難が予想されるため、利用に当たって注意する必要性は寧ろ今後増大していくと考えるべきかも知れません。

(2025.5.7 公開, 5.8 フリートの第2交響曲の録音に関するchatGPTの回答の評価を訂正など、幾つかの点について補筆し、文面の調整を行い、タイトルを調整の上更新)

2025年5月6日火曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (17):アドルノの「晩年様式」を巡って

 既に確認した通り、「晩年様式」についてアドルノは、マーラーに先立ってベートーヴェンのそれを取り上げている。『楽興の時』,所収の「ベートーヴェンの晩年様式」(初出はチェコスロヴァキア共和国のための双紙『アウフタクト』第17巻第5/6号, 1937)

 そこでの指摘は必ずしもマーラーの場合とぴったり重なる訳ではないようで、「老シュティフター」と並んで「老ゲーテ」への言及が含まれているにも関わらず、マーラーの場合に全面に出てくる「現象から身を退く」、更に基本的な部分では共通しているものの(ちなみにジンメルもまた、「晩年様式」の例として、まさにベートーヴェンを挙げているのだが)、ジンメルのゲーテ論における「老い」の把握との間の懸隔もまた少なからずあるように見受けられる。その懸隔の由縁が、どこまでベートーヴェンという個別のケースを扱ったことに拠るのかどうか。

「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味さえすればよいというわけにはいかない。そこには古典主義の美学がつねづね芸術作品に要求している調和がすべて欠けており、成長のそれより、歴史の痕跡がより多くそこににじみ出ている。世上の見解は、通例この点を説明して、これらの作品がおおっぴらに示現された主観の産物であるためだという。主観というよりはむしろ≪人格≫と呼ぶべきものが、ここで自らを表現するために形式の円満を打ち破り、協和音を苦悩の不協和音に変え、自由放免された精神の専断によって、感覚的な魅力をなおざりにしているのである、と。つまり、晩年の作品は芸術の圏外に押しやられ、記録に類したものと見なされるわけだ。」(アドルノ, 『楽興の時』, 三光長治・川村二郎訳, 白水社, 新装版1994, p.15)

 ところがここで持ち出されるのは「死」であって「晩年」そのものではないらしい。

「まるで、人間の死という厳粛な事実を前にしては、芸術理論も自らの権利を放棄し、現実を前に引きさがるほかはないといったありさまである。」(ibid.)

 だが、かくいうアドルノもまた、結局、「老い」そのものではなく、「死の想念」に言及するには違いない。

「ところで、この形式法則は、まさに死の想念において、明らかとなる。死の現実を前にしては、芸術の権利も影がうすれるとすれば、死が芸術作品の対象としていきなりその中に入り込めぬことも確かである。死は作られたものにではなく、生けるもの「にのみ帰せられているのであって、であればこそあらゆる芸術作品において、屈折した、アレゴリーというかたちで表されてきたのであった。」(同書, p.18)

 そこで批判されるのは心理的な解釈である。

「この肝心な点を心理的な解釈は見のがしている。それは死すべき個人性を晩年作品の実体と見なしてしまえば、あとははてもなく芸術作品のうちに死を見いだすことができると思っているらしい。これが彼らの形而上学の、まやかしの精髄だ。たしかにこうした解釈も、晩年の芸術作品において個人性が帯びる爆発的な力に気づいている。ただそれを、この力そのものが向かっているのと反対の方向に見いだそうとしている。つまる個人性自体の表現のなかに見いだそうとしているわけだ。ところがこの個人性なるものは、死すべきものとして、また死の名において、実際には芸術作品のなかから姿を消しているのである。晩年の芸術作品に見られる個人性の威力は、それが芸術作品をあとに、この世に訣別しようとして見せる身ぶりにほかならない。それが作品を爆破するのは、自己を表現するためでなく、表現をころし、芸術が見かけをかなぐり捨てるためだ。作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」(ibid.)

 なお、ここの部分を読んで思い起こされるのは、マーラー・モノグラフの冒頭、パウル・クレツキのカットを含む第9交響曲の録音につけられた解説に登場する「死が私に語ること」という標題に対してのアドルノの批判であって、まさにここで指摘される「反対の方向」を向いた解釈の批判ということになるのだろう。(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.4 を参照のこと。) 

 もう一つ、こちらは『楽興の時』の掉尾を飾る「異化された大作-『ミサ・ソレムニス』によせて―」の末尾近くにも「晩年様式」への言及が確認できる。

「『ミサ・ソレムニス』の美的に破綻をきたしているところ、一般にいまなお何が可能であるかという、ほとんどカント的にきびしい問いのために、明確な造形を断念しているところなどは、見た目に完結した外容のかげに口をひらいた裂け目と対応しているのであり、そうした裂け目を、後期の四重奏曲の構成はあらわに見せている点だけがちがうのである。しかし、ここではまだ抑制されていると言ってよい擬古ふうへの傾向を、『ミサ』は、バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家の晩年様式と分け合っている。」(p.240)

 こちらは1959年執筆だから、マーラー・モノグラフに寧ろ時期的には近接する。「バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家」の中にマーラーは恐らく間違いなく含まれるであろう。

 最後にウィーン講演(『幻想曲風に』所収、邦訳は「『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018)。ここでも晩年様式はベートヴェンのそれを参照しつつ、『大地の歌』に関して述べられている。

「時として≪大地の歌≫では、極端に簡潔なイディオムや定式が充実した内容で満たされきっているが、それまるで、経験を積んで年を重ねた人物の日常の言葉が、字義通りの意味の向こうに、その人の全生涯を隠しているかのようである。まだ五十に手の届かない人物によって書かれたこの作品は、内的形式という点で断片的であり、(ベートーヴェンの)最後の弦楽四重奏以来の音楽の晩年様式の最も偉大な証言の一つである。ひょっとするとこれをさらに上回っているかもしれないのは、第9交響曲の第1楽章である。」(上掲書, p,123)

 ここでの「極端な簡潔なイディオムや定式」は、ベートーヴェンの晩年様式における「慣用」であり、と同時に、ぴったりと重なることはなくとも、少なくとも一面において柴田南雄が指摘する「歯の浮くようなセンチメンタリズムに堕しかねない」「ユーゲント様式」(柴田南雄『グスタフ・マーラー ー現代音楽への道ー』, 岩波新書, 1984, p.160)を含んでいるのだろう。マーラー・モノグラフにおいてはハンス・ベトゥゲの「工芸品的な詩」への言及はあっても、アドルノが様式化の方向性として指摘するのは「時代のもつ異国趣味」の方なのだが(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)。

*  *  *

 ところで「ベートーヴェンの晩年様式」に戻って、上で引用した最後のくだり、「作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」という部分について、マーラーに関して思い浮かぶのは、1909年6月27日、トーブラッハ発アルマ宛書簡に出てくる、人生と作品の関わりについてのコメント、更にその中で述べられる、作品は「抜け殻」に過ぎないという認識だろうか。(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, pp.398~399。なお下記引用箇所ではないが、関連した箇所について、過去に以下の記事で取り上げたことがある。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉)

「――ところできみはすでに私が人間の≪作品≫についてどう考えているか知っていると思う。少なくとも推察はできるだろう。それはかりそめの姿、”滅ぶべき部分”(原文傍点強調、以下同様)にすぎない。しかし人間がみずからをたたきあげて築いたもの、たゆまぬ努力によって”生まれ出た”彼の姿は、不滅のものだ。」

 この書簡のテーマが、芸術創造についてではなく、妻アルマの人間的な「成長」であることには留意し、一応念頭においておいくべきだろうが、「作品」観として読もうとした時に重要なのは、そのことよりも、この作品についての見解に先立って、生命の進化についてマーラーが語っている点であり、当然、生命観と作品観との関わりを考える必要があるだろう。(同じく原文は、過去の記事「妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉」を参照。)

「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。」

 マーラーの場合、第8交響曲第2部の素材になったという以上に、伝記的事実として知られている限りでも彼自身が筋金入りのゲーテの愛読者であり、客観的には些か自己流という評価になるにしても、寧ろそれだけ一層、単なる教養の如きものとしてではなく、自己の生き方を方向づけるものとしてゲーテの思想を我がものとしていたという点が特筆される。そしてこの点を以て、その作品の様式を論じる時、ゲーテの考え方に依拠することは、他の場合とは質的に異なった意味合いを持っていることになる。(更に言えば、上記引用で登場する「エンテレケイア」への言及が、同じ1909年6月に、やはりアルマ宛にトーブラッハで書かれた書簡に含まれる『ファウスト』第2部の「神秘の合唱」をめぐってのマーラーの説明の中に登場していて、当然、両者を関連付け、一貫した展望の下で理解すべきことを追記しておくべきだろう。)

 勿論、作曲者がゲーテを愛読したからといってそのことが直ちに論理的に必然としてその音楽作品のあり方を規定する訳ではないのは当然だが、ことマーラーの場合に限って言えば、その繋がりをあえて無視した議論は重要な何かを見落とすことになるだろう。こうした事情はどの作曲家にも成り立つというものではないが、ことマーラーの場合には、それをどう評価するかどうかは措いて、そうした繋がりがあること自体は確実であると思われる。否、最終審級ではそれがゲーテに由来するかどうかも最早問題でなくて、マーラー自身がそのような考え方を抱いていたことと、生み出された作品との関係が問題であり、ことマーラーの場合に限って言えば、両者は無関係ではありえない、それどころか密接な関係を持つということだ。その際、その関りの具体的な様相は、アドルノが「晩年様式」を論じる時に指摘するように、単純な伝記主義でも、心理的なものでも、標題としての関わりでもない。

*  *  *

 もう一点、備忘を。

 マーラーがベートーヴェンの後期をより高く評価していることは、アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において確認したが、それを踏まえた上で、アルマが回想の「第八交響曲 1910年9月12日」の章に書き残している以下のマーラーの言葉をどう受け止めたものか?

「そのころ彼はよくこんなことを言った。「テーブルの下につばを吐いてみたって、ベートーヴェンになれるわけのもんじゃないさ!」」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.211)

これをアルマは、1910年11月のアメリカ渡航を記す箇所で、航海中にマーラーの最後のものとなった写真を撮ったことに続けて、さりげなく、そういえば、という感じで記している。何の注釈もないこの言葉は、子供の頃に接した私にとっては、ごく当たり前のように、ベートーヴェンになろうと思ってもなれるものではなく、自分は自分でやれることをやるしかない、という創作についてのマーラーの態度表明と受け取ったのであったが、しばしば極めて疑わしいアルマの記憶を信じるならば、これは上で参照した書簡よりも更に1年後のこと、しかも第8交響曲の初演という畢生の大プロジェクトを成功裡に成し遂げた後の発言であることに留意すべきだろうか。子供の私は、シェーンベルクがマーラーのネクタイの結び方の方が音楽理論の学習よりも大切だと言ったというアネクドットを念頭に、もしかしてベートーヴェンに、テーブルの下につばを吐くことに関するアネクドットがあるのかしらと思いつつ、そちらの確認は遂に行わないまま今日に至っているのだが、問題はそのことの事実関係よりも、こう言いながら『第九交響曲』も『ファウスト』さえも、「抜け殻」に過ぎないと断言するような認識に、この発言を結び付けて了解することの方にあるという点についてであるという考えについても、かつての子供の頃から変わらない。要するに、「すべて移ろいゆくものは比喩に過ぎない」からこそ、それは「抜け殻」なのだろう。作品は自分の死後にも残るとはいえ、『ファウスト』第2部終幕のようなパースペクティブの下では、所詮は「移ろいゆくもの」に属するのだ、ということなのだろう。そしてマーラーはこの時期、やっと50歳に達するといった年齢であるにも関わらず、そうした認識を己れのものとしていたということなのだろう。

 そしてこのマーラーの認識から導かれることの一つとして、「抜け殻」に過ぎないからといって、作品を遺すことに意味がないと考えているわけではない、ということがある。そもそもマーラーは、例えば既にブラームスやドヴォルザークがそうであったような、作品を出版することで食べていける職業的な作曲家ではなかった。指揮者としての生業の余暇に書かれたそれは、注文とか委嘱に基づくものではなく、世間的には楽長の道楽に過ぎなかった。最近はセットにして論じることの是非が議論のネタになるということがそもそもなくなってきている感のあるブルックナーとの比較において、実は「交響曲」というフォーマットを敢えて選択して、頼まれてもいないのに次から次へとそれを作り続けたという点だけは共通しているのであって、その営みが世間的な意味合いでは「無為」のものであることへの認識もあったに違いない。そして再びブルックナーがそうであったように、マーラーにとってもまた、作品を書き続けることが問題であったに違いない。作品が「抜け殻」に過ぎないとして、だからといって、作品を作ること自体からさえ離脱することは、そもそも問題にならなかったに違いない。既に書くことそのものへの断念に関して、デュパルクの断筆やシベリウスの晩年の沈黙についてかつて記したことを確認したのだったが、ことマーラーに関して言えば、そうしたことは全く問題にならないだろう。実際にはゲーテの「老い」についての認識と、それについてのジンメルの解釈には「東洋的諦観」が関わっているとはいうものの、同じく東洋的な無為に対する評価の姿勢を明らかに持っている「老年的超越」が「生み出すこと」への固執からの離脱という契機を内包しているのとは異なって、例えば中島敦の「名人伝」に描かれるような東洋的な「無為の境地」はゲーテ=ジンメルにも、ゲーテ=マーラーにも無縁のものであったに違いない。(己が名人であること自体から脱出してしまった「名人伝」の弓使いは、「現象から身を退く」ことを、「抜け殻」さえ残さないという徹底的な仕方で、まさに東洋的に実践したとは言えないだろうか?或いはまた、これこそが、自分はそれを実践できなかったかに見えるペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えた一例なのではないだろうか?)

 言ってみれば、それが「抜け殻」であるとの認識の下でさえ、作り続けることに価値や意味が賭けられているという構造は変わらない。そしてその根底には「動作し続ける」ことによって自らを維持するという、今ならオートポイエティックと言われもするだろう「生命」についての認識が存在する、というのが引用した書簡の告げる消息なのであろう。そして(これは個人的なことだが)私自身もそうした点に関してマーラーの姿勢の方により多く共感するということなのだろう。子供の頃の私は、マーラーと自分の間に横たわる能力の差を半ばは意識して、けれども実際にはその程度を正確に測ることなく、「テーブルの下につばを吐いてみたって、マーラーになれるわけのものでもない!」と一人ごちたのだったが、それが子供ならではの傍若無人であることを認識している今の私も、かつての共感そのものを自己に無縁のものとして断ち切れているわけではない。寧ろ同じ中島敦なら「山月記」の李徴に対して年端もゆかぬ子供がそれなりの切実さをもって抱き、数十年の年月を経て今なお抱き続けている同情と共感の方がまだしも身分相応であり、いずれ自分もまた虎となって、「生み出すこと」への固執から、それを超越するのではなく、単に忘却してしまうという望まぬかたちで離脱することになる可能性をさえ認識すべきであるとは思いつつも。

 いずれにしても、マーラーにおける「抜け殻としての作品」という認識は、寧ろその後ボーヴォワールが「老い」についての大著の中で述べた「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である」(ボーヴォワール『老い』、第六章 時間・活動・歴史, 邦訳下巻, p.441)という作品の定義に通じていて、だが「老い」と「作品」の関わりということであれば、それは(ボーヴォワールがそう捉えたがっているように見える)単なる技術的な円熟、名人が到達する自在の境地への到達という観点ではなく、「作品」がもともと備えているはずの、だが若き日には必ずしも認識されるわけではない、或いは、それが意識されるときには常に克服されるべきものと認識されがちである「他性」の持つ意味合いが、己の「老い」についての認識とともに変容していく、その具体的な様相こそが問題にすべき点に違いない。シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べる「非人称性」、作曲家が、背後の誰かの「メガホン」代わりになっているという指摘は、まさに作品が、まだわからぬ先の何時かに、ではなく、もう間もなく自分がそこから退去することが決定づけられている(それが事後的には誤診であったとしても、診断によってそのような認識をマーラーが抱いたことはどのみち厳然たる事実であって、それを覆そうとする類の後知恵は、こと「作品」について言えば何も語ることはないだろう)という意味合いで既に疎遠なものとなりつつある「世界」との関わりのシミュレーションである限りで、他性を帯びているという消息を告げているのではないだろうか。「老い」によって、作曲する主体の側から見て「作品」がもはや己に属するものであるよりは、己から逃れ去れ、己を他者として構成するような異物として、事後的に「抜け殻」として認識されるといった状況が生じる。マーラーのくだんの発言が、第8交響曲を作曲している最中のものではなく、「大地の歌」の完成を間近に控え、それと並行して第9交響曲の作曲に取り掛かっていた時期のものであることにも留意すべきだろうか。勿論、マーラーが「作品」を「抜け殻」という時、それは別に晩年の作品に限ってそうであると言っている訳ではない。その時点で振り返ってみれば、作品は常に、その都度の自己の行いの「抜け殻」に過ぎないということなのだろうが、そうした認識が作品自体に染み透っているのが後期作品であり、アドルノのいう「晩年様式」なのだろう。要するに今やそれは、私がもうじきそこから居なくなる、別れを告げる相手である限りの世界についてのシミュレーションなのだ。だからもし「老年的超越」を、或る種の悟りの境地の如きもの、解脱として捉えるならばマーラーの晩年の作品は、それには該当しないことになるだろうが、「老年的超越」をまさに「老い」がもたらした世界との関わりの変容(とはいえ、それは何も日常の経験を絶した特殊な経験などでは決してなく、寧ろ日常的なあり方自体がそのように変容するということなのだが)として捉えるならば、マーラーの晩年の作品はまさに「老い」の時間性が刻み込まれたものであり、そこにこそ「老年的超越」を見てとることができると言い得るだろう。(更に、この立場に立つならば、例えばDavid B. Greene, Mahler : Consciousness and Temporalityにおける第9交響曲の時間性に関する分析はどのように評価されることになるか、ここでは詳述できないので、これは別の機会に果たすべき宿題としておきたく思う。まずもって分析対象となった第1楽章、第4楽章それぞれを「通常の意識の時間プロセスの変形」なるものとして把握するという基本的なアウトラインが既にこの分析の限界を示している点については既に別のところで述べているので繰り返さないし、予め分析者が用意した図式をあてがうようにして、これほど複雑なプロセスを持つ音楽に対するには余りに単純で杜撰な、持って回ってはいるがその内実は貧困な言い回しによって各々のブロックの「意味」を説明するだけの偽装された標題音楽的解釈の一種に過ぎない点は一先ず措くとして、それでもなお具体的な楽曲の分析によって取り出されたものの中に、ここで「晩年様式」に固有のものとされる「老い」の時間性の把握として首肯できるものが含まれていることはないかを改めて確認してみたい。)

*  *  *

 上記を踏まえた上で、アドルノ自身「晩年様式」についての言及の中での対象に応じたずれだけではなく、アドルノの「後期様式」と、ゲーテ=ジンメルの「老い」の理解の関連のあり方の方もきちんと確認する必要があるだろう。

 まず「形式を打破し、根源的に形式を生み出していく、まさにカント的な意味における」主観性は、ここではベートーヴェンの中期について言われているように思われる。他方でアドルノは、既に若い頃から現れていたようにも見える、形式をボトムアップに生成させていく唯名論的な傾向を、マーラーの作品全般の特性として捉えている。一方ジンメルの方は、他方外部の形式を借りるのではなく、他に形式を求めずとも、それ自体形式を備えている点を老齢の特徴であると述べており、そのことが「現象から身を退く」ことを可能にすると述べている。

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」(ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店, 第8章 発展 p.383~384)

 ここにはアドルノの「晩年様式」が備えている裂け目とか破綻、形式の破壊といった側面は見られず、寧ろ壮年期の「円熟」に近い印象さえ感じさせる(別途論じるべきだろうが、ここで上記引用のすぐ後の箇所で、ジンメルが「老齢の象徴意義の神秘的性格」について述べるところで、ゲーテ自身が「静寂観」と「神秘」とは老齢の特質であると言ったことを引き、ゲーテの言う「神秘」がジンメルの言う「象徴」に他ならないことを述べた後、「一切の所與世界の象徴的性格を、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」と宣布する「神秘合唱團」」に言及していることに目配せしておこう。言うまでもなく、これは第8交響曲第2部で用いられた『ファウスト』第2部の最後の「神秘の合唱」のことに他ならない。であるとしたならば、そのことはマーラーの「老い」との関係については何を物語ることになるのだろうか?)。それはジンメルがここで或る種の原理的な極限形態である理想を述べているが故に破綻は生じず、だが現実の人間においてはその理想は到達不能であるが故に、円熟に至ったと思った次の瞬間には破綻を避けることができないという力学が存在するということなのだろうか?

 一方で、少なくともアドルノいうところの「方向」に関しては、アドルノとジンメルは同じ方向を向いていると言えるだろう。つまり作品は、主観が退去した後に遺される「痕跡」だという点で両者は見解を同じくしている。そしてそれは恐らくマーラー自身の「抜殻」としての「作品」観とも共通していると言い得るだろう。

 そうだとして、それはシステム論的な老化の定義である「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と同型の構造が異なる階層において生じたものと見做すことができるのだろうか?勿論、そもそも「主観」が成り立つためにシステムが備えていなくてはならない構造的な条件があり、「現象からの退去」はそうした構造的な条件を前提とした「人間」固有のものであり、他の生物では起こらないことだろう。だがマーラー自身の語るところでは、そうした人間固有の「作品」の創造にしても、「進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない」のであれば、マーラーが未だ萌芽的なレベルであったとはいえ、当時最新の生命論・有機体論を参照した顰に倣って、ジンメルやアドルノの述べるところを、今日のシステム論的な枠組みにおいて捉え直すべきなのではなかろうか?

 ところで、マーラーのエンテレケイアについての言及には興味深い特徴がある。エンテレケイアはもともとはアリストテレスの用語だが、マーラーの時代であれば、有機体の哲学、就中ドリーシュの新生気論における「エンテレヒー」を思い起こさせる。だがここでやりたいのは思想史的な跡付けや影響関係の実証ではなく、当時、そのような枠組みと言葉で語られた内容を今日の言葉で言い直すとしたら、どのようになるかの方だ。マーラーの時代にエンテレケイアないしエンテレヒーという言葉で捉えようと試みられた生物個体の秩序形成のための情報は、今日なら(例えばゲアリー・マーカスの言うように)アルゴリズムとしての遺伝子が担っているということになるのだろうか。「新しい肉体の獲得」というのを遺伝子の側から見たとき、生物はそれを運搬する乗り物の如きものであるというドーキンスの「利己的な遺伝子」のような見方に通じはしないだろうか。更に、そうであるとしたら「抜け殻」としての作品は、それを「ミーム」として捉える見方もあるだろうが、それよりも寧ろ、これまたドーキンスの「拡張された表現型」に通じると考えるべきなのだろうか?「抜け殻」としての作品が、退去した主体の符丁=「痕跡」(レヴィナスの「他者の痕跡」を思い浮かべるべきだろうか?)であるとして、ここで「老い」が、「生との別れ」が本質的に関わるのであれば、それに留まらず、作品をスティグレールの言う第三次過去把持を可能にする媒体として、更にはパウル・ツェランがマンデリシュタムに依拠して述べる「投壜通信」と捉える見方へと接続すべきではないだろうか?更にそれはユク・ホイの言う第三次予持とどう関わるのだろうか?彼はそれが一方では(定義上、「老い」を知らない)「組織化する無機的なもの」によって可能になると捉えているようだが、他方では芸術に、より一般的に技芸に可能性を見いだそうとしてもいる点に対して、こちらは「成長」と「老い」とを本質的な契機として持つ「抜け殻」としての「作品」、「投壜通信」としての「作品」がどのように関わりうるのだろうか?

(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 旧稿の後半を独立させ、改題して再公開)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (16):ここまでの振り返りと補足 (最終更新2025.5.6)

 まず、マーラーの生涯に関するクロノロジカルな資料の確認と検討。

  • 「一からやり直す」:ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324)
  • 老後への準備・死後への準備としての退職一時金・年金:1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡
  • 後期ベートーヴェンへの評価:アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話→アドルノ「ベートーヴェンの晩年様式」へ
  • 「老グストル」:アルマの回想の「出会い(1901年)」の章および書簡 

 ついで、公開済の自己の過去の記事で関連したものを確認(第9や第10についての過去の記事については再確認必要)。

*  *  *

 幾つかの個別作品に関するモノグラフ。

  • 「大地の歌」
    • Hefling, Stephan E., Mahler : Das Lied von der Erde, Cambridge University Press, 2000
    • Danuser, Hermann,Meisterwerke der Musik : Gustav Mahler, Das Lied von der Erde, Wilhelm Fink, 1986
  • 第9交響曲
    • Holbrook, David, Gustav Mahler and the courage to be, Vision Press, 1975
    • Andraschke, Peter, Gustav Mahlers IX. Symphonie, Kompositionsprozess und Analyse, Franz Steiner, 1976
    • Lewis, Christopher Orlo, Tonal Coherence in Mahler's Ninth Symphony, UMI Research Press, 1983
    • Pensa, Martin, ≫Ich sehe alles in einem so neuen Lichte≪ Gustav Mahlers Neunte Sinfonie, edition text+kritik, 2021
    • Wreford, Kathleen Elizabeth, A critical examination of expressive content in Mahler's ninth symphony, MaxMaster University, 1992:この論文では分析として、Diether, Holbrook, Lewis, Greene, Micznikのものが取り上げられているようだ。
  • 第10交響曲
    • Rothkamm, Jörg, Gustav Mahlers Zehnte Symphonie : Entstehung, Analyse, Rezeption, Peter Lang, 2003
モノグラフではないが、例えば以下の中に含まれる後期作品についての章も確認しておくべきだろうか。
  • Newlin, Dika, Bruckner Mahler Schoenberg, 1947, revised edition, W. W. Norton, 1978:「大地の歌」、第9交響曲。第10はアダージョのみ。
  • Greene, David B., Mahler, Consciousness and Temporality, Gordon and Breach Science Publishers, 1984:第9交響曲
  • Downes, Graeme Alexander , An Axial System of Tonality Applied to Progressive Tonality in the Works of Gustav Mahler and Nineteenth-Century Antecedents , University of Otago, Dunedin, New Zealand, 1994:主として第9交響曲だが、「大地の歌」、第10交響曲も。
  • Micznik, Vera, Music and Narrative Revisited: Degrees of Narrativity in Beethoven and Mahler, in Journal of the Royal Musical Association, 126, 2001 :第9交響曲第1楽章
  • Pinto, Angelo, Mahler's Search for Lost Time : a "Genetic" Perspective on Musical Narrativity, Gli spazi musica, vol.6 n.2, 2017:第10交響曲
  • Pinto, Angelo, On this side of the compositing hut. Narrativity and compositional process in the fifth movement of Mahler’s Tenth Symphony, De Musica, 2019 – XXIII (1):第10交響曲第5楽章

*     *     *

 既に一度振り返ってみたがもう一度、2008年より前に遡る、だが日付は最早確定できなくなってしまっている以下の「後期」に関する備忘の元の意図と志向とを確認しなおすべきかも知れない。結局、今、ここで問おうとしていることは、そこでの疑問のヴァリアンテに過ぎない。

後期様式
眼差しのあり様。「現象から身を引き離す」というのがことマーラーの場合に限れば最も適切。しかし、人により「後期」は様々だ(cf.ショスタコーヴィチ)。
ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違い。いずれも「現象から身をひく」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?

作曲年代の確認
「大地の歌」1907~?1908~?:実は異説があるようだ。
「大地の歌」第1楽章については、かつては違和があった。今のほうがよくわかる。こうした感情の存在することが。そういう(多分にnegative―そうだろう?)な意味でこれは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのだ。

マーラーに関するシェーンベルクの誤り
いわゆる「第9神話」にとらわれたこと。マイケル・ケネディの方が正しい。第10、第11交響曲を考える方が正しい。
マーラーは本当に発展的な作曲家だった。
だから第9交響曲は行き止まり等ではない。
確かに第10交響曲は「向こう側」の音楽かも知れない(これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。) けれどもマーラーは途中で倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。

マーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。
この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。
それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。
マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは、不思議だ。彼は確かに危機にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではない。

この曲の、少なくともAdagioに、早くから惹きつけられた。
14歳になるかならぬかの折、最初に私がマーラーについて書いた中で引用したのは、まさにこの曲だった。他ならぬこの曲だった。
それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?
否、「現象から身を引き離す」ことは、いつだって可能だ。ただし有限性の意識はあっても、クオリアは異なる。かつての宇宙論的な絶望と、今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。
風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」?

確かにマーラーは何か違う。
consolationなのか、カタルシスなのか。Courage to Be(ホルブルック)という言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッティションとも異なる― について明らかにすべきだ。
救済は第8交響曲にのみしかない訳ではないだろう。マーラーは規範や理論に従って「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。
とりわけ第10交響曲の終結がそれを強烈に証言する。
一体何故、このような肯定が可能なのか―ハンス・マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。
懐疑と肯定と。

アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。
一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?
寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ。(これは同じくベートーヴェンとマーラーについてのモノグラフを持つGreeneの立場とも対比できるだろう。)

アドルノのles moments musicauxの邦訳のうち、ベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてマーラーの「大地の歌」, 第9交響曲, 第10交響曲そして第8交響曲と対照させつつ検討する。

ホルブルックのCourage to Be(第9交響曲)と大谷の「喪の仕事」(「大地の歌」に関して)を組み合わせて考える。
「個人的な「大地の歌」―第9交響曲における普遍化」というのは成立するのだろうか?

ところで、ホルブルックの「結論」(p.213)はどうか?
多分正しいのだろうか―これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(ハンス・マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。
あるいは、「実感」が追いつかない―忘れてしまった―否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ自分にとって限りなく 重要な何かあがあるのは確かだ。
*     *     *

 だが、それよりもマーラーの(作品ではなく本人の)「晩年」を規定することは、既に以前、マーラーの生涯についての覚書を認めた時に試みていた。以下にその晩年についての記述を、当時の認識を確認するために再掲しておく。

晩年
マーラーの晩年は、歌劇場監督を辞任しウィーンを去る頃より始まると考えて良いだろう。 長女の猩紅熱とジフテリアの合併症による死、自分自身に対する心臓病の診断という、 アルマの回想録で語られて以来、第6交響曲のハンマー打撃とのアナロジーで「3点セット」で 語られてきた出来事は、それを創作された音楽に単純に重ね合わせる類の素朴な 伝記主義からはじまって、これも幾つものバージョンが存在する生涯と作品との関係をひとまずおいて、 専ら生涯の側から眺めれば、確かに人生の転機となる出来事だったと言えるだろう。 これを理解するのには別に特別な能力や技術どいらない。各人が自分の人生行路と重ね合わせ、 自分の場合にそれに対応するような類の出来事が起きたら、自分にとってどういう重みを持つものか、 あるいはマーラーの生涯を眺めて、マーラーの立場に想像上立ってみて、上記の出来事の重みを 想像してみさえすれば良いのだ。それが音楽家でなくても、後世に名を残す人物ではなくてもいいのである。 逆にこうした接点がなければ、私のような凡人がマーラーの人と音楽のどこに接点を見出し、どのように 共感すれば良いのかわからなくなる。

だが、その一方で、マーラーがそれを転機と捉えていたのは確かにせよ、己が「晩年」に 差し掛かったという認識を抱いていたかについては、後から振り返る者は自分の持っている 情報による視点のずれに注意する必要はあるだろう。マーラー自身、自分の将来に控える 地平線をはっきりと認識したのは間違いないが、それがどの程度先の話なのか、それが あんなにもすぐに到来すると考えていたのかについては慎重であるべきで、この最後の 設問に関しては、答は「否」であったかも知れないのである。もしマーラーがその後4年を 経ずして没することがなかったら、という問いをたてても仕方ないのだが、もしそうした 想定を認めてしまえば、今日の認識では「晩年」の始まりであったものが、深刻なものでは あっても、乗り越えられた危機、転機の一つになったかもしれないのである。丁度30歳を 前にしたマーラーが経験したそれのように。だとしたら現実は、そうした転機の危機的状況から 抜け出さんとする途上にマーラーはあったと考えるのが妥当ではないかという気がする。

要するに、ここで「晩年」として扱う時期は、その全体がブダペスト時代や、ウィーンの前期のような移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが 待ち受けていたかも知れないのだ。だが、実際には次のフェーズはマーラーには用意されて おらず、移行の只中で、それを完了することなくマーラーは生涯を終えてしまったように 私には感じられる。第1交響曲(当時は5楽章の交響詩)、第5交響曲がそれぞれ 移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、第10交響曲がその終わりを告げる 作品であったかも知れないが、第10交響曲は遂に完成されることはなかった。

この最後の部分の第10交響曲についての見解は、再検討するに値する。というのも、もし次のフェーズが準備されていたものが、偶発事によって断ち切られてしまったという認識に立つならば、アドルノが述べるところの「後期・晩年様式」やシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲についての了解は、少なくとも作曲者側の「老年・晩年」とは別のものであり、事によったら、そこに「後期・晩年様式」を見いだしたり、乗り越え難い一線を見いだすのは後知恵の産物であるということにもなりかねないからである。(ただし、上でのアドルノの「後期・晩年様式」とシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲へのコメントの並置はアドルノの側から拒絶されるかも知れない。というのも、マーラー・モノグラフの第2章「音調」におけるシェーンベルクへの言及(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.40~41 参照)を確認する限り、アドルノはシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲についてのコメントを、「後期・晩年様式」の作品としての第9交響曲についてのものとは考えていなかったように受け取れるからである。だがそうしたアドルノの姿勢はそれとして、ではシェーンベルクの側はどうであったかを確認すると、こちらはこちらで、文脈からしてもシェーンベルクはそれをマーラーの作品一般に成り立つこととして述べたというよりは第9交響曲の特徴として述べたように見えるし、それがマーラーが晩年に到達した境地であると考えていたと捉えるのが自然であると私には感じられる。この点に限って言えばアドルノのくだんの参照の仕方はやや我田引水の観無きにしもあらずで、従って、アドルノの姿勢を確認した上でなお、敢えて上記の併置を撤回することはしない。尤も、シェーンベルクが第9交響曲について指摘するような事態を可能にするような構造がマーラーの作品一般に備わっているという点についてはアドルノの見解に対して異論があるわけではないことも、併せて記しておくことにする。 

*  *  *

 以下の、様々な文献の参照のうち、「老い」一般ではなく、マーラーという個別のケースに関わるもののうち、「晩年」という規定が事後的なものに過ぎず、実際には「相転移」の只中にいたという見解と矛盾することなく両立しうるものは、唯一マイケル・ケネディの見解であるということになろうか。

  • ジャンケレヴィッチ『死』における『大地の歌』についての言及、「別れ」について
  • ゲーテ=ジンメルにおける「老年」:ジンメル『ゲーテ』
  • アドルノにおける「後期様式」
  • マイケル・ケネディのマーラーは創造力の絶頂で没したという見方
  • 吉田秀和のマーラーの後期作品、特に「大地の歌」に対するコメント
  • アドルノのカテゴリにおける「崩壊」「解離」からReversの言う「溶解」へ:Revers Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaeten Sinfonien はタイトルが示す通り、枠組みとして「後期」にフォーカスしている点で特に注目される。対象は『大地の歌』、第9交響曲、第10交響曲。
 更に旋法性に関するピッチクラスセットの拍頭における出現頻度の分析。アドルノ、柴田南雄、バーフォードを参照しつつ、付加六から五音音階へ、更に全音音階へ:五音音階性の優位は少なくとも中期から顕著になり、おおまかな傾向としては時期を追う毎に強まる傾向にあって、マーラーの様式の推移を測る手がかりたりえている。更に全音音階性は後期作品に見られる固有の特徴と言って良い。勿論、それが全てではないのは当然のことながら、全音階性から、五音音階へ、更に全音音階へということで、マーラーの様式変遷を跡付けることは可能だろう。

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 結局のところ、残された作品について言えば、「大地の歌」や第9交響曲に間違えようなく存在する、この世からの「別れ」の思い、自己の生命の有限性に対する、可能性としての理性的な認識とは異なる、現実にじきに訪れるものとしての了解を否定することはできまい。その生涯についても、アルマの回想が自己正当化を目的とした歪みに満ちたものであるとして、書簡に残されたマーラーの姿は、医学的水準では「誤診」であったという事実をもってその「診断」がマーラーその人の意識に与えた不可逆でかつ痛ましい影響を無かったことにすることの行き過ぎを咎めているようにしか思えない。我々にとってマーラーの「晩年」が事後的なものに見えたとしても、マーラー本人にとって「晩年」は疑いなく存在していたと言うべきではないのか?

 これはほんの一例だが、マーラー同様、フレンケルが治療に当たったからという訳でもないのだが、例えばシベリウスが第4交響曲を作曲していた時期を比較対象として思い浮かべてみたらどうなるか?だがこの比較は不完全なものにならざるを得ない。シベリウスの第4交響曲は、病から癒えた後に構想され、着手された作品だからだ。それではショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番はどうだろうか?この作品が自らの墓碑銘として書かれたのは事実であり、ことによったら本当にその後自殺をしたかも知れないとしたら?だが、マーラーの場合とは異なってここでは「老い」は問題にならないし、それに応じて「別れ」の持つ意味も違ったものとならざるを得ない。ショスタコーヴィチならば寧ろ(交響曲第14番ではなく)、交響曲第15番、ミケランジェロ組曲、弦楽四重奏曲第15番、或いはヴィオラ・ソナタを思い浮かべるべきだろう。

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 こうして見ると、個人的にはそうした見方には与しないものの、「芸術が人生を先取りする」といった類の言葉がマーラーについて語られるのは、それなりに理由がない訳ではないことの方は認めざるを得ないような気持ちにさえ囚われてしまうことを避け難く感じる。そこに「死」を見い出すことの方は確かに後知恵かも知れなくとも、そこに「老い」と「別れ」を見い出すことは寧ろ避け難いのではないか?そうだとしたら、もう一度、アドルノの「後期様式」の指摘は、第9交響曲に関する「死が私に語ること」に対する拒絶ともども正当であるということになるだろう。

 だが、それでもなお、剰余が存在する。アドルノが拒絶した、5楽章の構成を持つものとしての第10交響曲の問題が残る。あのフィナーレの音調をどう受け止めるべきかの問題が。否、それはアドルノの立場では、端的に「存在しない」のだろう。だが「存在しない」ものについて語っても仕方ないということになるのだろうか?だが、最大限譲歩しても、スケッチは完全な形で遺された。アルマに破棄を命じたかどうかはともかく、シベリウスが第8交響曲に対して行ったアウト・ダ・フェは、マーラーの第10交響曲には生じなかったが故に、我々はそれがどんなものであり得たかについて知ることができる。そしてその限りにおいて、「大地の歌」と第9交響曲に対して、第10交響曲とそれらとの間には断絶が存在したのだろうか?ここで、こちらについては存在「しえたか?」ではなく存在「したか?」であることに注意。だがそれを判断しようとした時、アドルノが拒絶した理由が回帰することを認めざるを得ない。それが水平的にも垂直的にも未確定であるとしたら、その状態での分析の結果には一体どのような意味があるのだろうか?ましてやクックによる補作に基づく分析にどのような意味があるのだろうか?以下の補足では、マーラーが作品を「抜け殻」であると述べたことについて言及するが、それを先取りして、だが第10交響曲に関しては別の問題があることに留意しておくべきだろう。第10交響曲は「抜け殻」なのか?未完成の「抜け殻」とは一体どういうものなのか?

 とはいえ実際には、そうした問いに一旦頬被りを決め込んで、クック版に基づいた分析を私は既に行い、公開さえしている。そしてその結果は、「大地の歌」、第9交響曲との或る種の連続性を示しているように思われる。しかもそれはアドルノの指摘に導かれてデザインされた分析の結果なのだが…その時、マーラーの生涯の動力学的把握において、「晩年」が総体として、移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが待ち受けていたかも知れないのに対応して、第10交響曲は、交響詩「巨人」や第5交響曲がそれぞれ移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、「相転移」の終わりを告げる作品であったかも知れないが、遂に完成されることはなかったと認識されたことが思い浮かぶ。それが「晩年様式」であるかどうかは措いて、第10交響曲は、もし次があったとするならば、いわゆる折り返し点、過渡的な作品であったように見えるということだ。15年も前の、データ分析の着手からさえも遥かに先行する時期の直観に過ぎないが、現時点でもその直観は基本的に正しいと私は考えているし、現時点でのデータ分析の結果は、少なくともそれと矛盾はしていないようだ。もしそうであるならば、具体的な生涯における「老い」や「晩年」との関係さえ一旦括弧入れした上で、「大地の歌」と第9、第10交響曲に見られる特徴を抽出する作業を進めるべきなのかも知れない。
 
(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆, 2025.5.6 前半を分離し、改題の上再公開)

2025年5月4日日曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (7・補遺)

  ジャンケレヴィッチの『死』の中の「老化」についての章(ジャンケレヴィッチ『死』, 仲澤紀雄訳, みすず書房, 1978, 第1部 死のこちら側の死, 第4章 老化)について読解を試みた結果については、既に備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(7)にて報告しています。そこでは章のタイトルにも関わらず、だが死を扱った本の一部であることを考えれば仕方ないことながら、「死」とは異なった「老い」の固有性についてはきちんと扱われていない印象がありました。

 しかしながら、上記はあくまでも「老化」についての章に範囲を限定してのものであって、実際には――ジャンケレヴィッチの叙述スタイルからすればありがちなことですが――「老化」について語られているのは「老化」の章だけではありません。もともとが『死』という著作における「老化」の扱いを検討することを目的としていた訳ではなかったため、他にどれくらい「老化」について語られ、どのように語られているかを逐一検証することはしませんでしたし、ここでそれを行うつもりもありませんが、ふとしたきっかけで「老化」について、その「固有性」を捉えた記述が為されている箇所があることを確認したので、補遺としてその個所を報告するとともに、些かの覚えを記すことにします。

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 まずは端的に、「老化」(vieillissement) についての言及を含む該当の箇所を示します。それは、第3部 死のむこう側の死 , 第3章 虚無化の不条理さ, 2 連続の当然さと停止の非道さ に含まれていました。邦訳では445ページです。該当箇所を含め、少し広い範囲を引用します。

「ところが、死すべき存在の停止が連続の当然さに皮肉なことにも――説明のつかないことだが――挑戦するのは、一つの事実だ。限りなく延ばすことができ、本質的には避けることができる停止の偶発的性格についてわれわれは語った。なぜ他の瞬間ではなくて、ある瞬間におこるというのだろう。状況と偶然がこれを決定する。だが、連続はいわばその体質をなくしている一種の欠陥と呪いとを蒙っていなかったならば、状況のほしいままにはならないことだろう。持続の作用のもとに、連続は質の悪化、老化と呼ばれる衰頽をこうむる。生きた存在にとって、存在するとは、変わらずに時の外で存在し続けることではない。存在するとは変化することだ。その根源的なもろさが連続を傷つけやすく、脆弱なものとし、連続を数多くの危険にさらして、それらの危険がたえず生きた存在を狙い、生きた存在を僥倖に依存せしめる。ある状況のもとでの連続とは、つまり、脅かされている連続だ。連続に課せられ、その未来を危うくする根源的欠陥、先験的ハンディキャップをただ単に有限性と呼ぼう。こうして、あらゆる連続にとって、有限性とは停止の可能性を表象する。存在の連続は当然のことだが、身体の生存は(というのは、実際には測れないことが問題なのだから)射幸的連続だ。」

 文脈としては、節のタイトルに示されている通り、そして前後の部分でも述べられている通り、「連続の当然さ」というのが生きた存在については成り立たない由縁を述べるところで、変化していく生きた存在においては、「老化」によって連続の「当然さ」が成り立たず、傷つきやすく、脆弱なものであって、常に停止の可能性に脅かされていることを述べているのが確認できます。そしてここでの「老化」の定義は、「老化」の章の読解においても参照した、以下のような「老化」のシステム論的定義と極めて親和性が高く、「死」とは(勿論、密接に関わっていはしますが)区別される「老化」の固有性を捉えたものとなっていることに留意しておきたく思います。

「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.230)

 従って「老化」の章に限れば、「死」を論じるにあたっての補助線のようなものとして触れられているに留まっているとはいえ、著作全体を通してみれば「老化」の定義として妥当と思われる記述が含まれていることに触れなければ公平を欠くことになるため、ここで補遺として報告することにした次第です。

 但し注意すべきは、「老化」について述べた後の部分で更にジャンケレヴィッチが「連続に課せられ、その未来を危うくする根源的欠陥、先験的ハンディキャップ」を「有限性」としているのは、これは文字通り「生きた存在」は有限な存在であり、だから常に停止する可能性を孕んだ存在であるということですが、有限性そのものは、それが「死」と密接に結びつくものである一方で、「老い」とは独立に論じうるという点です。それは「停止」たる「死」が、必ずしも「老化」を介さずにも(例えば突発的な事故とか、病気とかによって)起きうることを考えれば明らかでしょう。

 更に一つ手前に戻って、「根源的なもろさが連続を傷つけやすく、脆弱なものとする」点においても、それが存在することが変化することであるということに由来する限りにおいて、その由来を「老い」のみに限定することはできないことにも注意すべきでしょうか。変化もまた、「老化」がそれであるとされる衰頽、質の悪化という方向性のみに限られるわけではありません。勿論「根源的なもろさ」や「傷つきやすさ」という言葉で書き手が想定していたのは、第一義的には「老化」の持つベクトルなのかも知れませんが、ジャンケレヴィッチの思惑はそれとして、ここでもまた何らかの怪我とか病気による変化を思い浮かべれば、「もろさ」「傷つきやすさ」に繋がる変化には、ベクトルの向きは同じ方向を向いているとはいえ、必ずしも「老化」には由来しないものが含まれうることに容易に思い当たるでしょう。逆に「根源的なもろさ」や「傷つきやすさ」をあまりに安易に「老化」に結びつけてしまうと、比喩としては有効であったとしても、「老化」の固有性を見誤るだけではなく、「老化」以外の側面が見えなくなってしまう危険があるのではないでしょうか。

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 実は、上で引用した記述があることに気づいたのは、特に後期レヴィナスにおいて「老い」についての言及が存在することを思い出し、レヴィナスの著作を読み返しながら、レヴィナスの思想における「老い」を扱った研究がないかとWebを検索して行き当った、古怒田望人さんの論文「 老化の時間的構造 : レヴィナスの老いの現象学の解明を通して」を通してでした(当該論文は、浜渦辰二編『傷つきやすさの現象学』に第6章として所収)。この論文はタイトルが示す通り、まさにレヴィナスの思想における「老い」を論じたものですが、その中で、「『死』(1966)においてジャンケレヴィッチは老化を「傷つきやすさ」の経験とみなして」いる」(同書, p.114)として、上に引用した箇所が参照されているのです。そしてこの指摘をいわば補助線として、この論文では、それ以降、思想史的な影響関係を踏まえた上で、レヴィナスの著作における「老化」についての記述をジャンケレヴィッチにおける老化を通じて解明していきます。その道筋を私なりに要約するならば、概ね以下のようになります。

 まず、私もまた『死』の「老化」の章の読解で参照した

「老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』,,仲澤紀雄訳,みすず書房,  p.231)

に言及し、

「通常は潜在的である「時間」が、身体(「人体」)の断続的な変化を通して意識させられる現象が、老化なのである。」(古怒田望人「 老化の時間的構造 : レヴィナスの老いの現象学の解明を通して」,  浜渦辰二編『傷つきやすさの現象学』所収, p.115)

という指摘を行った上で、だがその後は専ら、そうした「老化」の意識ではなく、「老化が関わる「時間」の本質」(同書、同頁)の側が分析されていきます。私が限定的に些事拘泥的に読解を試みた『死』の「老化」の章は勿論のこと、『死』以外のジャンケレヴィッチの様々な著作やジャンケレヴィッチに関する研究文献が縦横無尽に参照され、まず時間の本質として「不可逆性」が取り出され、ついで「過去の実在そのもの、「過去全体」、つまりその「事実=コト(fait)」は時間の不可逆性において反復不可能であるがゆえに、唯一かつ永遠のものとなる」(同書, p.117)という現象を通じて「コト性(quoddité)」が取り出され、「老化の時間性」について以下のように分析されることになります。

「老化の時間性、ひいては時間の本質である不可逆的時間性は、抗いがたく消えゆく存在者の有限性の悲劇であると同時に、その構造において、死によって消し去られない過去の実在そのものの唯一性と消失不可能性を当の存在者に残す時間性なのである。有限的な時間は、老化という不可逆的時間性として現実化することで、その有限性に抗した肯定的な過去の水準を残すものとなるのだ。 」(同書, p.119)

 そして上記のような分析に基づき、「後期レヴィナスはジャンケレヴィッチの老化の解釈を経由することで、老化の不可逆性の過去の意義を見出すことができたのだ。」(同書, pp.119-120)と結論づけられるのです。

 この論文は、――タイトルからは予想しづらいのですが――そもそもの構想として、レヴィナスの著作における「老化」についての記述を、思想史的な影響関係を踏まえた上で、ジャンケレヴィッチにおける老化を通じて解明するという仕立てのものですから、特にレヴィナスに対するジャンケレヴィッチの影響の事実関係について教えられる点は多いですし、ジャンケレヴィッチの時間論については、様々な著作やジャンケレヴィッチに関する研究文献が縦横無尽に参照された周到なもので、勿論その当否について、専門の哲学研究者ならぬ私が判断することなど出来ないですが、そうした私にもわかりやすく説得力のあるものに感じられます。

 しかしその一方で、ジャンケレヴィッチの思想の紹介としては要を得た、申し分ないものであったとしても、それが実際にレヴィナスの思想の組み立ての細部にわたってそのまま適用できるかどうかについては、直ちに幾つかの疑問が思い浮かびますし、レヴィナスがどう言っているのかという点の是非は、これもまた専門の哲学研究者の領分であって、素人が異議を挿し挟むものではなく、素朴な疑問を提示する以上のことは控えるべきとしても、「老化」という事象そのものの分析としてみた場合、自分が実生活で経験し、直面することを余儀なくされた事柄に即した時にも、直ちに幾つかの違和感が湧き上がってくることを禁じ得ません。

 その疑問点、違和感の由来を突きとめることは、マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業という本稿にとって密接な関わりを持つものとは思うものの、哲学の専門的な文献を扱うだけの資格も時間も今の私にはなく、ここでは備忘として、極めてシンプルな仕方で疑問点、違和感を列挙した覚えをしたためるに留める他ありません。そこで以下では、ラフでインフォーマルなかたちではありますが、疑問点・違和感を記しておくことにします。

*     *     *

1.ジャンケレヴィッチの老化の時間論において、「傷つきやすさ」というのは結局どのような位置づけを持つのでしょうか?

 まず最初は、事柄そのものに即したというよりは、議論の組み立てに関わる点なのですが、何よりも一読者として当惑させられるのは、(こちらの読み落としがないとして、)「「傷つきやすさ」から事象の記述を試みた後期レヴィナスと呼応する」(同書, p.114)ものとして、『死』の邦訳p.445(上に引用した、第3部 死のむこう側の死 , 第3章 虚無化の不条理さ, 2 連続の当然さと停止の非道さ の中の記述)を指摘しつつも、その後のジャンケレヴィッチの議論の紹介・分析において、ついに「傷つきやすさ」について言及されることがないという点です。

 上にも述べた通り、「老化」の章の読解を通して、ジャンケレヴィッチが「死」との関わりにおいてしか「老化」を扱っていないと感じた私にとっては、寧ろ、指摘の箇所こそが「老化」の固有性を捉え得たものと感じられたのでしたが、論文ではその後、指摘箇所の記述に触れられることはありません。専門的な見地からは、そもそもが当該箇所の「傷つきやすさ」が、確かに単語としては同じであるとしても、レヴィナスの思想における「可傷性=傷つきやすさ」と単純に同一視できるものなのかと言う点についての議論もあるでしょう(素人目には、ことこの点に限っては、寧ろジャンケレヴィッチの方が「老化」固有の相を捉えており、レヴィナスの「可傷性」は、必ずしも「老化」に限定されない幅広い含意を持つものに思われます)し、それとは別に、事柄に即して考えた場合に、「傷つきやすさ」を専ら「老化」という点から捉えたものと見做すことについては既に留保を記した通りでありますが、「老化」が「傷つきやすさ」と関わるという点については何ら異存はなく、繰り返しになりますが、寧ろジャンケレヴィッチの当該箇所はその点を極めて的確な仕方で指摘したものに思われただけに、はぐらかされた感じが否めないというのが率直な感想です。逆にジャンケレヴィッチの「老化」に関する「傷づきやすさ」への言及が当該箇所に留まり、概念的な広がりを持たないものだとするならば、今度は、それを梃にしてジャンケレヴィッチを通してレヴィナスを読み込むことの妥当性の方が問われるようにも思えます。

 その一方で、レヴィナスの側の文脈からすれば、「老化」の時間論的構造としてまず思い浮かぶのは「隔時性」と呼ばれる構造です。但し、「隔時性」は「老化」固有の構造という訳ではなく、寧ろ「隔時性」の構造を持つ一例として「老化」が例示されています。そこで思い浮かぶのは、隔時性」の特徴である自己に遅れるという時間論的構造が、『実存から実存者』におけるような初期のレヴィナスにおいては専ら「疲労」や「怠惰」といった事象を通じて分析されていたということです。そして「疲労」と言えば、ジャンケレヴィッチも「老化」を論じるにあたり、「疲労」を比較の材料として取り上げていましたし、近年の「老化」研究においては「炎症」を介して「疲労」と「老化」の関係が問われていたりもします。そして「炎症」は、当然「傷つきやすさ」と密接に関わりを持ちます。こうした事情を踏まえるのであれば、(なぜ後期に至って「疲労」や「怠惰」に代わって「老化」が取り上げらるようになったのか、という思想史的な興味は一先ず措くとして、)「隔時性」と「傷つきやすさ」との関係がどうなっているのかについても気になるところではありますが、その点についても論じられることはありません。「隔時性」についても、専ら倫理的次元への通路として言及されるだけで、その時間論的構造の面、特に「老化」固有のものを取り出そうと考えれば当然問題になるであろう、「疲労」「怠惰」等との違いについて論じられることもまたありません。勿論、この点について古怒田さんの論文に答えを求めるのは無いものねだりで筋違いであるとしても、「老化」の時間性の解明という問題一般としては依然として疑問のまま残されているように思います。この点は実は、そもそもレヴィナスが「老化」固有の時間性の分析を行っているのか?という疑問にも繋がっていくのですが、本稿で扱うには大きすぎる問題ですので、ここでは問題の提起に留め、最後の点についての私なりの見通しのみ、後で再度簡単に触れたいと思います。

2.「コト性」「事実性」へ依拠して、「老化」に「人間性を確保する」ような側面を見出そうとするのは「老化」の固有性を損なうことにならないでしょうか(2a)。また「老化」との関わりとは独立に、「コト性」「事実性」へ依拠して「人間性を確保する」ことはレヴィナスの思想の枠組みの中において妥当なのでしょうか(2b)。 更に、レヴィナスがどう言っているかとも独立に、事象そのものの分析としてどうでしょうか(2c)。

 こちらの問いは厳密にはa,b,cの3つの異なった問に分けられ、それぞれを区別して論じるべきでしょうが、ここでは厳密な議論による論証は意図しておらず、単なる疑問の提示に留まることから、3つの問いの絡み合いを示すという意味合いでも、敢えて一体のものとして述べることにします。

 「コト性」「事実性」への依拠というのは、『死』という著作においてもジャンケレヴィッチの「結論」であり、ジャンケレヴィッチの思想の重要なポイントなのだとは思いますが、「何性」と区別される限りでの「コト性」として「事実性」を捉えて、そこに価値を見出すというのは、私には哲学者ならではの極めて抽象的な発想のように感じられ、実際に生きている人間の経験や実感とはずれているように感じられます。仮にその点は譲ったとしても、それは「死」に対する態度の拠り所とはなりえたとして、「老化」に結びつけるのには飛躍があるように感じます。

 この論文は、その結論部分において「老化」というのは否定的なものであるけれど、その構造には「人間性を確保する」ような側面があるのだとして、それを人が生きてきた過去「全体」、生きてきたという事実の「こと性」そのものに基づけようとしています。そして死を目の前にした臨床現場の分析を通した村上靖彦さんの以下のような議論を引用しています。

「死が近づくなかで自己を支えるのが、過去を思い出して肯定することなのである。過去の対人関係が、かすかに残っている現在の自分を支える。目の前の世界が身体の衰弱によって縮小していったとしても、過去の地平は縮小することがないからだろうか。あるいは行為が不可能になったときに、対人関係こそが自己性の核であることが浮かび上がるからであろうか。」(村上靖彦,『摘便とお花見: 看護の語りの現象学』, 医学書院, p.233)

「「死が近づくなかで自己を支えるのが、過去を思い出して肯定すること」「過去の対人関係が、かすかに残っている現在の自分を支える」というのは、分析というよりは臨床的な次元での事実に属することなのだと思いますし、特に「対人関係こそが自己性の核である」という点については全くその通りで、それまで身体の衰えとともに交流範囲が狭まって、孤独感が強まり、更に独力でできていた身の回りのことができなくなっていって、独居が困難となり施設に入居するようになると、その結果として、それでもそれまで維持されていた交流関係さえも断たれてしまうことが避け難く、それまで自明であった自己性の維持が困難となるというのは私の経験に即しても事実だと思います。

 しかしまずそれが「過去全体」の「こと性」への依拠であるという点には疑問を感じます。生きてきたことそのものを肯定する、というのは頭の良い哲学者が思いつく抽象で、多くの人はそんな風には考えないし、寧ろ支えとなるのは豊かな情動に彩られた具体的な対人関係の記憶なのではないでしょうか。だからこそ具体的な個々の対人関係の断絶に苦しむのであって、それはその後、施設の中で構築される対人関係である程度補われるものであるにしても、決して代替が効くものではありません。いや、事実性とはまさにその代替不可能性なのだ、ということなのかも知れませんが、それでも「過去全体」、「事実性」そのものへの依拠ではなく、あくまでも個々の事実が持つ情動的な側面こそが支えになっているのでは、というのが私の素朴な感覚です。勿論これは感じ方の問題かも知れず、であれば論証によりどちらが正しいという次元のものではないので、あくまでも違和感を述べているだけであって、誤りの指摘ではないことは強調しておきたく思います。

(この点に関連してもう一言付け加えるならば、村上さんの引用における「過去の地平は縮小することがない」という言い方を理解するにあたっては、幾つかの留保が必要ではないかと思います。特にここで言う「過去の地平」というのが「過去全体」の「コト性」を指しているのかどうかについては議論があるのではないでしょうか。少なくともここでの「地平」概念は、通常の現象学におけるそれとは異質のものであって、2004年に現象学年報に掲載された村上さんの論文「方法としてのレヴィナス―情動性の現象学における自己の地平構造―」で素描されたそれを踏まえたものでしょうし、この論文でも確かに「事実性」という用語は出て来ますが、寧ろ極限値として、空虚な空想として作動しているものとされる「事実性」が果たしてベルクソン=ジャンケレヴィッチ的な「過去全体」と同じものなのかについては、疑念の余地なしとはしません。しかしながら、村上さんの上記論文の重要性については疑う余地がなく、自分なりに理解できた限りにおいて、その主張に賛同するが故に、その理路を明らかにしたいものと思いつつも、この点を論証するのは(遥か昔にごく短期間、期限付きで哲学研究に携わったことはあっても、事情あってその後継続すること能わず、何十年の歳月の隔たりを経て今や素人に過ぎない)現在の私の手に余ることなので、この点についてもここでは疑問の提示に留めざるを得ません。また同時に、レヴィナスのいう絶対的過去というのが、形而上の抽象ではない事実の次元においては生理学的基盤を持つ記憶に関わらざるを得ない想起可能な過去に対応しうるのかもまた確認が必要なことに思えます。「地平」の定義次第の感じはありますが、寧ろそれは現象学における一般的な「地平」すら形成することのない「地平」の向こう側、だけれどもそれによって主体が形成された根拠(そうした領域があることは何か神秘のようなものでは全くなく、ごく普通に、意識主体が経験できる領域の外側(ここでは手前)で起きた出来事のうち、主体の形成に関与したものということに過ぎません)であると考えるのが普通の受け止め方ではないでしょうか。一方では一般には個人の前史に関わるものと了解されるフロイト的な「エス」「超自我」や、前意識、無意識的な水準との関わり、他方ではフッサールであれば『幾何学の起源』等で問われているような個人を超えた共同体的な地平も含め、一般に潜在性というのをどこまで認めるかについて、村上さんの論文で提起されている情動性の現象学における「地平」や「事実性」は極めて広大な問題領域を覆うものであることが素人目にも容易に想像され、私の手には余るので、これについても指摘に留めざるを得ませんが。)

 しかしここでの議論においてより本質的なのは、「過去全体」の「こと性」というのが、果たして「老い」固有のものなのかという点に対する疑念です。論文の結論では、「老化は、その時間的構造においてはそのような消滅に抗う意味、そして倫理すらも基づける現象なのである。」(同書, p.123)と述べられるのですが、そこには重大な錯誤、でなければすり替えがあるのではないでしょうか。

 レヴィナスが言う「老い」の時間論的構造が、倫理的なものに通じるという点は、実際にレヴィナスがそう言っているので間違いはありませんが、 それは「消滅に抗う意味」ではないと私は考えます。寧ろ意味の手前にあって、主体が能動的に意味付けできないもの、寧ろそれこそが主体を意味づける当のものとしての倫理的なものである筈ではなかったでしょうか。主体は他者との関わりによってしか確立されません。予め返すことのできない負債を負っているようなもので、レヴィナスが言っているのは、そうした主体の生成に纏わる構造のことではないでしょうか。そしてそれが「老化」とか「疲労」とか「怠惰」のような主体にとって受動的、自分自身に対する「遅れ」を伴うような事象を通して垣間見られるということが述べられているに過ぎないのではないでしょうか。

 ここで詳細に述べることはできませんが、私見では時間論的構造としては、「老化」の時間性は、全き受動として、寧ろ意味の「消滅」であると端的に言うべきでしょう。それは構造的に主体が受動的でしかない点において「疲労」とか「怠惰」と類比可能ですが、だからといって「老化」は「疲労」でも「怠惰」でもありません。寧ろ「老化」固有の時間性は、実はレヴィナスの分析によっても汲み尽くせていないと言うべきではないか、具体的に如何なる点で「老化」が他の受動的な事象と区別されるかについては述べられていないのではないかと思います。(それはレヴィナスが「他者」や「倫理」を語るゆきずりに「老化」について語っているのであって、「老化」を主題として語っているのではないことを思えば仕方ないことで、無いものねだりなのだと思いますが。)

 いわば、ここで問題にされている抽象的な構造は、それが「老化」にも当て嵌まるとしても、必要条件であるだけで十分条件ではないのです。「老化」のある面が「疲労」や「怠惰」と同型の時間的構造をもたらしているだけで、「老化」固有の時間性は別の次元にあるのだと思います。村上さんの文章にある「目の前の世界が身体の衰弱によって縮小していったとしても、過去の地平は縮小することがない」というのは、それ自体の適否については措いたとしても、こと「老化」には直接関わらないものではないでしょうか。「死」に向かう際の拠り所となる筈の記憶さえ喪われ、認知的に過去の地平もまた縮小していくのが、「老化」の現実ではないでしょうか?だからその意味では「老化」は「死」に立ち向かうことそのものを困難に、否、もっと言えば無意味なものにしていくという点で、人間性を確保しようとする立場にとって限りなく苛酷なものなのではないでしょうか。「人間的」な「主体」が本質的に社会的な存在で、他者との関わりにおいてしか維持できないものだとしたら、「老化」によって「私ができる」の範囲が縮小していくだけでなく、他者との関わりもまた、身体的にも認知的にも限定されていくことによって、「人間性が確保」できなくなるというのが寧ろ「老化」の実質ではないでしょうか。(記憶が損なわれ、地平が損なわれるのは、病の結果であり「老い」とは区別されるべきだ、という見解もあるかもしれませんが、記憶の障害の原因の判別は現実には困難で、従って認知症は事実上、原因に基づくものではなく、症状に基づくものであることを踏まえれば、様々な認知的な障碍に見舞われて、過去へのアクセスが困難になるというのは「老い」という事象に関わるものと見なすのが妥当だという立場を私は採りたく思います。)仮に、「老化」が過去へのアクセスを困難にすると同時に、にも関わらず、その過去を価値あるものにする当のものなのだというパラドクスが言いたいのだとして、現実に「老化」によって、「老化」が価値を担保している筈の過去へのアクセスが困難になってしまうのだとしたら、そのパラドクスは一体誰にとってどのような意味を持つのでしょうか?理論上はどうであれ、事実としては「老化」は自らが担保している価値すら破壊してしまうような厄介なものであると寧ろ言うべきなのではないでしょうか?

 更に言えば、「老化という不可逆的時間性として現実化すること」により確保され、「死によって消し去られない過去の実在そのものの唯一性と消失不可能性」により担保されるものとされる「その有限性に抗した肯定的な過去の水準」は本当にその有限性を乗り越えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。形而上学的な「過去全体」ならぬ、有限性に限定づけられた生きた存在の「過去の全体」は、本当に「死によって消し去られない」のでしょうか?素朴に考えれば、その個体が死んでしまえば、唯一のものであり取り換えの効かない、その個体の「過去の全体」は、寧ろその唯一性故に消滅するのではないでしょうか?そして普通の人間の感覚では、まさにそのことこそが危惧されているのではないでしょうか?そしてもしそれが個体の有限性を超えて存続しうるとしたら、それはまさにその個体にとっては「他者」である「私」に対してその事実を語り、それを受け止めた「私」がその個体が生きたことを証言することによる他ないのではないでしょうか?「過去全体」の事実性の存続は、それ自体によって可能になるのではなく、寧ろ「証言」こそが存続の、ひいては「人間性の確保」の必須の要件であり、「証言」はその構造上、「他者」を必須のものとして必要としている、従って寧ろ(その場にいるかどうかは措いて、可能性としてであれ)「他者」こそが事実性の条件であるということはないのでしょうか?ツェランが述べたように、時間を乗り越えることなどできない、時間を通って、他者のもとに届くことによって、他者がそれを拾い上げて解読することによってしか可能ではないように私には思えてなりません。更に「老い」の現場に即して言うならば、当の「過去」を生きた本人は、記憶も損なわれ、認知機能が損なわれ、最早「語る」ことができない状況におかれているとしたらどうでしょうか?その「過去」は、「他者」である「私」が証言しないことには永久に、決定的に喪われてしまう。事実性はそれ自体の構造により保証された自足的なものなどではなく、常に「他者」の支えを必要としているのではないでしょうか?逆にだからこそ多くの「私」が「証言」を残す止み難い衝動に駆られて言葉を綴るのではないでしょうか?

 話を「老化」に関わる論点に戻しましょう。まぜっかえすようですが、仮に「過去の全体」の「コト性」に価値があるのなら、哲学的な抽象の水準(そこでは権利上、アプリオリに保障されるので、実際にある個別の人間の「過去の全体」がどうであるかは問題にならない)ではなく、実際の生の経験の場面においては、それが喪われず、もしかしたら更に増大していくことに価値があることになるのであって、その価値の最大化は、寧ろ「不老不死」によって実現することになってしまわないでしょうか?「老人の智慧」が長く生きたことの累積によって生じるものだとすれば、端的に長く生きることに価値の淵源があるのであって、「老化」にあるのではありません。同様に、「事実性」は不可逆性、反復不可能性に基づくものであるという時、実は不可逆性も、反復不可能性も、生きられた時間の様態ではあっても、「老化」そのものとは一先ず別であることに気づきます。勿論、「老化」の過程が持つ「衰頽」のベクトル性が巨視的に見て不可逆なものであることは(少なくとも今生きている人間に関しては)確かですが、不可逆性、反復不可能性自体は「老化」ではなく、例えば「誕生」の、或いは「成長」の相についても同様に当て嵌まる筈ではないでしょうか。従って、生きられた時間一般についての議論としては妥当でも、「老化」という事象の分析としては不適切なのではないか、「老化」固有の時間性を特徴づけるものは、もっと他の側面に存するのではないか、というのが素人なりの素朴な反応ということになるでしょうか。

 最後に今一度「老化」とは離れて、「何性」を持たない純粋な「コト性」を単なる抽象的な思弁の産物としてではなく、具体的な経験として、なおかつレヴィナスの思想の文脈に位置づけてみたらどうなるかについて、素人なりに考えたことを記しておきます。私が思いつくのは寧ろ初期レヴィナスにおいて重要な位置づけを占める「ある(il y a)」です。この点については、例えば斎藤慶典さんの『レヴィナス 無起源からの思考』の第1章 糧と享受の第1節 端的な存在―空 における記述が興味深く、かつ私の捉え方に親和的であるように思われます。更に同書第2節 存在に走る亀裂-ー無 の節においては、「何性」をもたらすものは「空」とは区別される「無」であるとされます(これはレヴィナスの文脈では「位相転換」(hypostase)と呼ばれる相に相当するのではないかと思います)。それを踏まえて言うならば、ジャンケレヴィッチの文脈においてどうかは措いて、レヴィナスの思想の枠組みにおいては、倫理的な次元というのは、斎藤さんの記述における「空」(=レヴィナスにおける「ある(il y a)」)ではなく「無」に、起源の向こう側にある無起源に由来するものではないかと私には思えるのです。(「他者」はその「無」をもたらすもので、時間論的には主体が辿り着くことが原理的に不可能な「絶対的な過去」なのだと思います。そしてそれは「過去全体」とは異なるもの、寧ろ次元を異にするものなのではないかと思います。)斎藤さんは「何かが無い」という可能性の開けが「意識」の成立であると述べています(同書, p.52)が、私もその捉え方には全面的に同意しますし、「意識」の覚醒を錯誤の可能性に見る点も、それを言い替えて「幽霊を見てしまう可能性が「意識」の覚醒なのだ」(同書, p.53)というのも全くその通りだと思います。(「幽霊」と「意識」の関わりについては、『配信芸術論』に寄稿した論考でも触れたことがありますが、そこで述べた事柄とここでの斎藤さんの議論とは共鳴関係にあると感じます。)そして更に言えば、村上さんが「方法としてのレヴィナス」で取り出した地平構造は、寧ろこちらの文脈に置くのが適切と感じられたが故に、上に記したような違和感が生じたのではないかと思うのです。「事実性」が地平を形成するのだとして、それが他ならぬ情動的な意味を持つ根拠を問うならば、それは「こと性」に帰着するのではなく、寧ろ自己の(自己にとっては存在せず、遡行不可能な)手前に「別の仕方で」遡行することになるのではないでしょうか?情動は、「感じ」は、「他者」(ただし私個人としては、これを「人間」に限定したくはなく、この点では恐らくレヴィナスの思想から逸脱していくことになるのですが)の触発によって、そしてそれによってのみ主体に到来するのではないでしょうか?直接的には「老い」についての議論からは外れますし、論証抜きの素人の印象ですが、この点は恐らく議論の要点に繋がるもののように感じられることもあり、追記しておくことにします。

 以上、思いつくままに記しましたが、それでもなお、厳密には区別されるべき3つの問い、即ち、(a)「コト性」「事実性」へ依拠して、「老化」に「人間性を確保する」ような側面を見出そうとするのは「老化」の固有性を損なうことにならないか。(b)「老化」との関わりとは独立に、「コト性」「事実性」へ依拠して「人間性を確保する」ことはレヴィナスの思想の枠組みの中において妥当か。 (c)レヴィナスがどう言っているかとも独立に、事象そのものの分析としてどうか。のそれぞれについて、私が疑問に感じている点を示すことはできたと思います。

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 以上、インフォーマルな仕方ではありますが、率直な仕方で疑問や違和感を書き綴ってみました。これらが哲学的な議論に資することはなくても、本稿で課題としている、マーラーの音楽における「老い」の時間性について考える上では決して回り道ではなかったというのがここ迄辿り着いての感想です。「老い」の時間性とは、時間性一般の持つ特徴の一つではないし、一般的構造から直接導かれるものではなく、より実質的・具体的なベクトル性を備えたものであり、寧ろそれは従来、マーラーの音楽の構造を捉えるべく用意されたカテゴリに近いものであるのではないでしょうか。但し、既に提出された具体的なカテゴリにぴったり該当するものがあるという訳ではなく、寧ろこれからそうしたカテゴリを構成しなくてはならないように思います。例えば「崩壊」(Sponhauer)や「解体」(Revers)といったカテゴリはその候補になりうるように見えるかも知れませんが、実際にはそれは「老い」と接点はあっても、別のもので、単なる物理的な「解体」「崩壊」とは異なる、「老い」固有の性格づけが如何にして可能かを検討すべきなのだと思います。従って取り組むべきは、そうしたカテゴリを分類のための「ラベル」の如きものとして扱うのではなく、そのカテゴリの時間論的構造をより具体的に記述することにあり、それについてのヒントが今回の検討を通じて幾つか得られたように感じます。

 その一方で、ゲーテ=ジンメル=アドルノの「現象からの退去」としての「老い」についても、例えばレヴィナスの「隔時性」を手がかりにして、だが「老い」の固有性を踏まえつつ、(準)現象学的時間論的な記述を試みたらどうかというようにも思います。「後期様式」というのは、そうした時間性が作品に反映されたものとして、カテゴリを取り出すことができるのではないでしょうか?或いはまた、トルンスタムの「老年的超越」の時間性について同様な問いを立てることもできそうです。時間論的な構造を比較することで、「後期様式」を可能にする「現象からの退去」と「老年的超越」との関係についての示唆が得られることも期待できそうです。「現象からの退去」にしても、「老年的超越」にしても、それが単なる時間経過の蓄積としての「加齢」と関わるものではないのは自明なことであり、「老化」の進行が人により異なるのに対し、「現象からの退去」や「老年的超越」は「加齢」に伴って必ず生じるものではないけれど、だが「老化」と完全に独立のものと捉えられているわけでもなく、「老化」の時間性の或る側面がその基盤となっている、「老い」の時間性のうちの或るタイプとして考えるのが自然であるように思われます。そしてそうした時間性の反映を音楽作品の時間論的構造に見出すことができれば、それがすなわち「後期様式」に固有のカテゴリということになるのではないでしょうか?

 ここまでの検討で既に明らかなこととして予想されるのは、そうした時間性は、生理的な「老化」そのものの時間性ではなく、それを意識することを含めた「老い」の意識の時間性であり、複合的なものであるということです。それは「幽霊を見る能力」としての「意識」を必要条件として要求するのみならず、自伝的自己を備えた高度な意識に固有の構造であり、言ってみれば「時間性に関する意識の時間性」とでも言うような複合的で重層的なものということになるように思われます。一体、そのような複合的・重層的な時間論的構造が、音楽作品の持つ時間論的構造に反映しうるものかという疑問が生じる向きもあるでしょうが、私見では、水平的にも垂直的にも極めて複雑で、複合的・重層的な構造を備えたマーラーの音楽には、そうした時間性を容れる余地があるものと私は考えます。例えば第9交響曲の多楽章の複合体全体は勿論、第1楽章の内部構造に限定してさえ、そこには「意識の音楽」と呼ぶに相応しい、極めて複雑で精妙な時間の流れがあることが感じ取れるように私には思えます。そしたその第1楽章と後続の3楽章の関係、一見したところアンバランスに感じられる全体の構成もまた、どこかで「老い」の意識の重層的で複合的な性格と、その構造が変容していくプロセスの反映であったり、或いはまた、(準)現象学的な「地平」構造に基づく、別の角度からの捉え直しであったりを作品として定着させてものであり、マーラーが「交響曲」という多楽章形式を必要とし続けたのも、そうした構造の複雑さとそれがもたらすプロセスの精妙さに応じたものであったのだと考えたいように思うのです。そしてこうしてみた時、「崩壊」なり「解体」なりのカテゴリを単独で取り出して論じることが、「老い」の時間性を捉える上では不十分であることもまた明らかになるのではないかと考えます。それは(レヴェルの違いはありますが)本稿前半の議論において、「老い」の意識を捨象して、意識の対象となる時間論的構造のみを取り上げることの抽象性や、「隔時性」のみをもって「老い」の時間論的構造を捉えようとすることが困難であることに通じるものがあるのではないでしょうか?

 こうしてプログラムの輪郭を書き出しただけで、その解明の困難さは容易に想像でき、それは私の能力では及ばないものにも思えてきますが、どこまで到達できるについて問うことは一旦止めて、とにかくこうしたことが今後の課題であることを確認して、一旦ここで本稿を閉じたいと思います。

(2025.5.2-4)