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「アマチュアオーケストラ演奏頻度」ページに2024年分を追加し、更新・公開しました。(2024.12.30)

2025年1月29日水曜日

「投壜通信」としてのマーラーの音楽(2025.1.29 再公開)

アドルノ的な弁証法の枠組みのうちでは、おそらくは特異な楽器法や異化はちょうどラッヘンマンについて語るときそうであるように、マーラーを語るときに欠かせない「キャッチコピー」なのだろう。ところで、異化というのは文脈を必要とする。文脈を共有できるかどうかは実際のところ程度問題であるのだが、例えば一時期「モード」になったとまで言われた、かの「黄昏の地」における「形而上学の歴史の脱構築」とやらにしてもそうであるように、全く無関係であると言い切ることもまた困難であるにしても、ではそれが自分の喫緊の問題であるかといえば、自分が持つ文脈の頼りなさを思うにつけ、決してそうとはいえない、と言わざるを得ないのが正直なところだろう。ましてや対象領域は自分が専門的・職業的に関わっているわけではない音楽である。

特殊奏法というのも、「普通の奏法」というのがあって特殊が定義されるような捉え方をされる場合には、同じことが言えるだろう。例えば自分が演奏者であるならば、自分が習得してきた楽器の演奏法というのもあるし、それを抜きにしたとしても、指定されたやり方と物理的に格闘せざるを得ないわけで、そこに生じる抵抗というのが実現される音楽と不即不離なものであるというのは確かなことであろうが、現実にはここでは私は単なる享受者に過ぎず、せいぜいが実現された音響の新奇さを追っかけるくらいが関の山である。マーラーの音楽だって、ヴェーベルンの音楽だって、かつては随分と新奇な音響に満ちていたに違いないし、自分もまた、その新奇さに一度は魅了されたに違いないが、そうした新奇さは、異化がそうであるように摩滅してしまう賞味期限つきのものなのだ。

無論、賞味期限つきと割り切った聴き方があっても良いし、とりわけ同時代の音楽であればそれもまた大切なことではあるのだろうが、同時代であれば問題意識が共有できるとは限らない。賞味期限という意味ではとうに切れて、当時の文脈を再現することが覚束ない作品が「古典」として享受されるのは音楽だけに限った話ではない。そして実際のところ、同時代性が担保するかも知れない文脈の共有の頼りなさと比べたとき、そうした「古典」が持つ力の大きさは歴然としているように感じられる。私が同時代のものを積極的に渉猟する気になれないのは、それよりも、たとえ勝手読みでも誤読でも、そこから多くのものを得られる古典が幾らでもあるからだ。個人的な事情になってしまうが、その古典にしても、歴史的なパースペクティブを己のものとするように幅広くとか、あるいは演奏史や享受史を俯瞰できるほど深く、というわけには残念ながらいかない。時間にも能力にも限界がある身であれば、自ずと選択と集中が必要となるのであって、熱心なコンサートゴーアーの方々や膨大なコレクションを作り上げる方々を羨んでみても仕方ないと思うほかない。私にはそれだけのキャパシティがないのである。

もっともマーラーの場合には、特異な楽器法も、異化効果も、それとして意図されたものではない。マーラーは自分が表現したいものを表現する手段を探していて、そうした奏法や発想に辿り着いたのだ。予め弁証法的なシェマがあり、コンセプトがあってそれ自体を目的として異化が、特殊な奏法による伝統の相対化が、騒音と楽音の境界の再設定や、ひいては美と醜の弁証法的な運動が目指されているのではない。そうしたこと自体が目的として意味を持つようになるのは、もっと後のこと、まさにマーラーを歴史的に振り返って、自分達の先行者として位置づけることのできる文脈でのことだ。

だが、それは「私の」文脈ではない。私は音楽家ではないし、そこに微妙ではあっても決して瑣末ではない転倒を感じずにはいられない。誠実さを疑うわけではなくても、そうした転倒は或る種の袋小路に行き着くのでは、それは例えばヴェーベルンの後期の音楽に対してなされた転倒と良く似た構造を持っていないか、という疑念は拭い難い。音楽家であればこの疑念自体を己の課題としてしばらくそこで立ち止まることも意義のあることであったかもしれないが、私には結局、それに時間をかけるだけの意義は見出し難いということなのだと思う。私にとっての問題は、そうした表現媒体における弁証法的な運動そのものにはない。専ら、マーラーが見出した世の成り行きと「私」との関係、世界と私との関係の方なのだ。それとて文脈からは自由ではありえない、というのが冷静な見方なのかもしれないが、寧ろ、音楽を聴くことでそのような関係の様態を同化し、我が物とすることが可能である以上、文脈の相対性を声高に主張する賢しらさは、音楽が時代を超えて持つ力に対してあまりに無頓着に思われる。それですむならマーラーの音楽など聴かなければよい。マーラー自身もきっとそう思ったであろうと、マーラーに関しては少なからぬ「文脈」についての知識を持った上で、ある程度の確信を持って言うことができる。所詮はまだ、100年程度しか経っていないのだし、決してマーラーの生きた環境と、自分の生きる環境が共役不可能なほどに隔たってしまっているとは思えない。

だからマーラーとの関係は、幾重にも屈折したものとなる。文脈を共有できていないという面と、同時代性がとっくに喪われているという点で、マーラーの音楽の弁証法的な機能は私にとって疎遠なものだ。寧ろマーラーは私にとってははじめから或る意味での「古典」なのだ。私にとっては、それはその音楽の側が持っていた様々な文脈を知らずとも、反省的に演奏史や享受史に己を位置づけることをしなくても、そして後になって、最初に抱いていた思い込みや誤解に気づくことがあったとしても、それゆえに自分の奥底まで届くような聴取の質が損なわれることはないような音楽なのだ。そういう意味でマーラーの音楽は、1世紀の時間の隔たりと、地球半周分の空間の隔たりを通り抜けて、或る日、子供であった私の住む岸辺に辿り着いた「投壜通信」であり、偶々それを拾い上げて開封して読んだ私こそが名宛人であるところの「手紙」、異なる時代と場所で、別の仕方で、だが同じように「世の成り行き」に翻弄され、よろめきながら行進を続けている自分の思いや気持ちをぶつけ、自分の問題意識を突き合わせることができる、自分にとって欠かすことのできない存在なのだ。

(2006.10/2007.7, 2025.1.29 改題、加筆の上、再公開)

2025年1月24日金曜日

マーラーの音楽におけるポリフォニーと「対話」について(2025.1.24 再公開)

マーラーの音楽の基本的な発想の一つの側面として、対位法的な発想があることについては概ね異論はなかろう。 いわゆる概説書の類でも、一例を挙げればマイケル・ケネディがそのような指摘をしているし、アドルノもまた、マーラーに 関するモノグラフの中で、かなりの重点を置いて取り上げている。

マーラー自身の証言における「対位法」についての言及についていえば、バウアー・レヒナーの「回想」にある有名な 件をまず挙げるべきなのだろう。ただしこの言及は、マーラーの音楽における(マーラーの生きた時代を考えた場合に) 前衛的な側面、一般にはシュルレアリスムと結び付けられることの多い、コラージュやモンタージュといった技法、 あるいは「サウンドスケープ」のようなコンセプトとの関連で言及されることが多い。この場合の音楽の領域での 参照先は、例えばチャールズ・アイヴズであり、ドナルド・ミッチェルがその浩瀚なマーラーの作品についての著作のうち 「角笛交響曲の時代」を扱った巻において、トピック的にマーラーとアイヴズにフォーカスした節を設けていたり、 日本においても渡辺裕さんのマーラー論をまとめた著作の中に、マーラーが生きた時代のウィーンの「サウンドスケープ」 との関連を論じた論文が含まれているのを読むことができる。

一方で保守的と言われるマーラーの読書傾向の嗜好を辿ると、バフチンが「小説の言葉」のとりわけ第5章「ヨーロッパの 小説における二つの文体の流れ」等で取り立てているポリフォニー性の強い作品の系譜との共通性が見られることに気づかざるを得ない。 叙事詩から小説への決定的な第一歩を踏み出したとされるヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」からはじまって、 スターンの「トリストラム・シャンディ」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、更にはスターンの流れのドイツにおける継承としてのジャン・パウルの作品(「巨人」 「生意気盛り」「ジーベンケース」など)、メタ小説的な趣向に事欠かないホフマン(「牡猫ムルの人生観」を思い浮かべて いただきたい)、マーラーの読書の中核であったらしいゲーテの作品、そして掉尾を飾るのは何といってもバフチンがポリフォニックな 小説の典型と見做し、「ドストエフスキーの詩学の諸問題」で主題的に扱っているドストエフスキー(特に「カラマーゾフの兄弟」)と いった具合に、ポリフォニー性の高い作品が一貫して好まれていることがわかる。

バフチンといえば芸術創造を本質的に対話的なものと考える初期の見解から出発して、様々な様式や言語、文化の 間の対話を実現するものとしての小説のポリフォニー的構造の指摘を行うに至るが、更に小説にカーニバル性を 見出す主張を行っている。そしてポリフォニー性のみならずカーニバル性も含め総じてバフチンが小説というジャンルに見出す 「対話」的な構造は、一見すると様々な文化に属するジャンルが無秩序に混淆しているようにさえ見え、それが批難や嫌悪の 原因ともなるマーラーの音楽との親和性が高いように思われる。もっと直接的に、一時は作曲者自身によって交響詩「牧神」と さえ呼ばれた巨大な第1楽章を持つ第3交響曲や、まさにカーニバル的と呼ぶに相応しい様相を呈するフィナーレを含み、 バロック的なフランス風序曲を下敷きにしながら、四度音程の積み重ねによって新ウィーン楽派にも通じる第1楽章、 谷間を隔てて呼び交わすホルンやカウベルが鳴り響く中、古風な夜の音楽の断片が交錯する第1夜曲、 バルトーク・ピチカートの先駆けさえ厭わないグロテスクで「影のような」中間のスケルツォ、ギターやマンドリンを コンサートホールに持ち込んでの第2夜曲でのセレナーデの追憶からなる遠心的な構成を備えた第7交響曲を 思い浮かべてみることも出来よう。

交響曲と歌曲、カンタータといったジャンルの並列と交差(連作歌曲から交響曲「大地の歌」にいたる流れと、「嘆きの歌」を 起点にし、ファウスト第2部の終幕を取り上げた第8交響曲第2部にいたる流れを見出すことができるだろう)、 民謡(借り物としてのドイツ民謡、基層としてのボヘミヤ的な旋律とユダヤ的な旋律)とコラール、調律されていない 音響と楽音、自然の音(鳥の声、小川のせせらぎ)と人間の音(カウベル、郵便馬車のポストホルン、ホルンの 呼び交わしからファンファーレへ)、更には都市の喧騒の並存は、まさに多言語の混在であり、パロディやイロニーの導入は それが意識の音楽であり、多層的なものであることを告げる。交響曲というジャンル自体の歴史を交響曲自体が振り返り、 その結果として最早即時的にそれ自身ではあり得ず、自身のイメージを演ずることしかできないかのようだ。 マーラーにおいては主観的形式であった筈の歌曲ですら、とりわけ「子供の魔法の角笛」に取材したそれはどこか客観的であり、 民謡そのものではなく、民謡を利用した別の何かになってしまっている。

マーラーが交響曲というジャンルを選択したことは、そうした嗜好と全く無関係であると考える必要もなかろう。 一見して雑種的で複合的な、今日で言えばマルチ・メディア的なジャンルであるオペラの上演に一方では携わりながら、 当時の概念では「総合芸術」であるそれが、本当の意味での多声性を保証するものではないことに気づいてか、 自己の作品創造においては、そうした経験を惜しみなく交響曲というジャンルに注ぎ込み、それをバフチン的な意味で 小説的であり、ポリフォニックなものとしたと見做すことができるのではなかろうか。

だが小説という文学におけるジャンルとマーラーの交響曲との類似の指摘、更には類似のいわば要石たるポリフォニー性の 指摘といえば、まずはアドルノの所論に言及すべきだろう。彼の「マーラー論」の1章はまさに「小説」と題されており、 マーラーの音楽に最も近いジャンルは小説であるという主張をしている。更には第9交響曲について絶対的な小説-交響曲と 規定しているくだりでは、対位法的な声部の間の対話構造に言及していて、ポリフォニーを「対話」の実現であり、 小説というジャンルがそれを可能にすると主張するバフチンの立場との突合せが可能な程度には並行性が見られるように思われる。

ところで、まさにその部分こそ、ツェランの「山中の対話」の贈呈の返礼としてツェランに宛てて書かれた書簡において、 アドルノが自作を引用した箇所に他ならない。話は単に文学作品の音楽性といったレヴェルに留まらないのだ。 勿論のこと、小説と詩というジャンル間の隔たりは小さくない。まさにバフチンが、小説の対話的構造の対立項として 詩のモノローグ的な性格を強調しているのであるから、このアドルノの引用に比較に超えがたい懸隔に架橋を試みる 牽強付会を見出す人がいても不思議はない。だが詩を芸術と対立させつつ、詩を対話的なものとして捉えていたのが 他ならぬツェラン自身であったとすれば、詩における対話の可能性について、寧ろここを出発点として考えていく姿勢こそが ツェランを読むために必要とさせることなのではなかろうか。ツェランの詩はバフチンが多分に戦略的な意図をもって 設定した詩の類型からの例外、逸脱と考えることはできないだろうか。

そうした展望の中で再びマーラーの本棚に目をやると、ツェラン自身も大きな共感を寄せていたらしい、ポリフォニックな 詩作の実践者の姿が目に留まる。ギリシアの讃歌に範をとり、キリストとギリシアの神々が共存する後期の自由律の 巨大な詩篇群に加え、ソフォクレスのドイツ語翻訳を試みた人、最晩年には病の中でスカルダネリという別の名で署名した 短い詩を他者に宛てて送り続けた人。その人の名はフリードリヒ・ヘルダーリン。マーラーが好んだとされる 巨大なライン讃歌とマーラーの巨大な交響曲楽章の間に「近さ」を見出すことがそんなに困難なこととは 私には思われないが、のみならず、荒唐無稽と断定されてしまうこともあるフラバヌス・マウルスの讃歌 (しかもここでは伝統的なグレゴリア聖歌のカントゥス・フィルムスが顧みられることもない)とゲーテのファウストの 第2部(これ自体はそれまでも何度となく作曲家達によって取り上げられてきた題材である)の間の架橋もまた、 ヘルダーリンが別の基盤に立って別の文脈で企図したそれと構造的に同型の、相異なる他者間の「対話」の試みとして 捉えることができるのではないだろうか。

否、翻ってツェランの詩を顧みても、ツェランの詩作がどんな「対話」の文脈を水源として織られて行ったか、 その作品の中に、作者の個人的経験の層、読書その他による「対話」の反響の層がどんなにぎっしりと埋め込まれているかを 思えば、そこに(例えばツェランが自身の対極として想定していたらしいマラルメの「書物」のような)モノローグ的なあり方とは 異なった様相を確認するのは別段困難なことには思えない。その詩は、ある時にはカバラを参照するかと思えば、 植物学、鉱物学、地質学、気象学や解剖学といった莫大な領域を参照し、晩年になるにつれますます顕著になる 改行による単語の綴りの分離、それと相関するかのようにこちらもまた増大し、解釈の困難すらもたらすことがしばしばである ネオロジスムもまた、ツェランの詩が決してモノローグなどではなく、それ自体が自律したポリフォニックな構造を備えていることを 示していはしないだろうか。その詩の言われるところの秘教性なるものは、実はその詩が私的で自閉的で他者を拒んでいるが故ではなく、 寧ろ全く逆にその詩が読み手の視界に収まりきらない程の複雑さと多重度をもって他者に対して開かれた、多声的な構造を 備えていることに由来する解釈の困難さを履き違えたゆえの誤解ではないのか。一体そこでは誰が語っているのか。 作者はもはや語りの主体ではないかのようだ。シェーンベルクがプラハ講演にてマーラーの第9交響曲を評して述べた 言葉、まるで他者が作曲主体をメガホン代わりに使っているかのようだとの言葉は、晩年のツェランの詩篇についても 言えるのではなかろうか。

そうしたことを思い合わせてみるに、一見すると対極にすら見えるかも知れない寡黙で訥弁なツェランの晩年の詩と、 まさに小説-交響曲の体現である巨大で饒舌なマーラーの後期交響曲との間にも、私はそうした表面的な違いを超えた、 ある「近さ」を感じずにはいられない。それはマーラーもツェランも、物言わぬものの代弁をすること、 「幽霊」たちに声を与えることを己の創作の使命とした点と恐らくは関係があり、つまるところ、もう一度、 その作品がその中で生み出され、そして生み出された作品そのものが再帰的に構築していく場の構造としての 「対話」が問題なのではないかという気がしてならない。

(2012.10.30/31, 11.5, 2025.1.24 改題の上、再公開)

2025年1月22日水曜日

マーラーをコンサートホールで聴くことの難しさ(2025.1.22 再公開)

マーラーの音楽がコンサートホールでの演奏・聴取を前提として書かれているのは言うまでもないことのように見える。けれどもその自明さは、 その音楽が作曲されてから100年が経過した極東の地においてもコンサートホールが存在し、オーケストラが存在し、演奏会が催され続けている という社会的、制度的な連続性に拠っているはずである。マーラーよりも100年前の音楽が受容された社会的・制度的な前提が最早存在せず、 だからこそ時代考証を経た「復元」が意味を持つことを考えれば、もう100年経過した未来でも自明であり続けるかどうかは予断を許さないと 考えるべきなのだろう。

一方で、マーラーが生きた時代を知る人は最早おらず、マーラーの音楽がそこから生まれ、そこで鳴り響いた環境からは遠く隔たってしまっている こともまた否定し難いように思える。勿論、地理的な隔絶というのもある。マーラーに関して言えば、アメリカやロシアのようにマーラー自身が訪れて 自作を演奏することはなかったけれど、マーラーその人を知っており、1923年にはベルリンでマーラー・ツィクルスを企画した指揮者クラウス・ プリングスハイムが戦前にマーラーの交響曲の幾つかを日本初演していったという経緯は確かにあるものの、文化的な隔たりを無視することは できないだろう。マーラーのマージナリティ、あるいは些か皮相になるが例えば「大地の歌」が唐詩の翻案に基づいていたりといった側面は確かに マーラーの音楽を日本人が受容することを容易にしているかも知れないが、その代わりにマーラーの音楽が当時、彼の地において持った インパクトを測るのには際立って意識的な作業が必要になる。唐詩の場合は厄介で、日本人にとってそれは伝統的に身近なものであったとはいえ、 結局それは外国の風景だし、やはり翻訳して受容してきたには違いなく、結局は別の位置に立って眺めているに過ぎないのである。ボヘミア生まれの ユダヤ人マーラーと「子供の魔法の角笛」の距離感を実感するのも難しいけれど、彼と「中国の笛」との距離感を測るのはある意味では更に 厄介かも知れないのだ。

勿論そんなことはわかりきったことだし、それを言い出せば同時代の人間だってマーラーの位置に立つことは原理的には不可能だということになる。 今日の日本でゲーテやニーチェを引いてマーラーの世界観なるものを説明しようとするのは、マーラーの立ち位置と今日の間にある隔絶に対して あまりにナイーヴに思えてならないし、一方でマーラー時代のウィーンについての知識があるに越したことはないだろうけれど、その知識が今日、 日本でマーラーを受容することに対しては何の担保ともなりえないことに無頓着な解説は、そうした脈絡もなく、ある日突然、マーラーの音楽を聴いて 魅せられた子供が聴き取った筈のもの、時代の違い、地理的・文化的隔絶を乗り越えて届いた「声」を言い当てることに対しては無力である。 だが個別的なもの、具体的なもの、単に主観的で一回性の経験そのものを問題にしたいわけではない。もしそうなら、ある時空の座標の1点で 起きたイヴェント、例えば頼りない音質のラジカセから響いた音響が、ヒト科の個体の脳内の神経回路網をどう刺激し、変形したかが記述できれば 少なくとも原理的には事足りることになる筈である。

こう書けば極端に響くが、もう一方の普遍性の側の危うさは音楽の場合には明らかで、 幾ら背伸びをしたところでそれは「人間」を超えることはない。シュトックハウゼンはド・ラ・グランジュのマーラー伝の書評で、「もしある別の星に 住む高等生物が地球人の性質をごく短期日のうちに調査しようと思うなら、マーラーの音楽を素通りするわけにはいかないだろう。」(酒田健一訳、 以下同じ)と述べているが、この発言は幾つかの点で示唆的である。一つには生物の「高等」さの尺度が「地球人」におかれていていること。無いものねだりとは 言いながら、例えばスタニスワフ・レムが描き出したようにそもそも地球上の生物とは全く異なる物理化学的・生物学的基盤の上に「知性」(正確には 「知的」に見えるもの)が備わっていることだって大いにありうるわけだ。そうであってみれば、そもそも「音楽」というのが件の高等生物にとっては全く理解しがたい もの、何のために存在するものであるかすら分からない音響だということも考えられるし、人間と同じ周波数帯の聴覚を備えていることを期待すべきでは ないかも知れない。彼が考えていることがあまりに「人間」的なものを自明なものと前提した、随分とムシの良い人間中心主義なのは明らかなのだが、 彼の「音楽」が暗黙の裡に前提としているものはそれだけではない。シュトックハウゼンの発言の意図が別にあることは承知で言えば、もちろん「地球人」を ヨーロッパのある時期の、しかもかなり特殊な音楽、たった一人の人間が書いた音楽で代表させることの無謀さは明らかで、そこに西欧の文化帝国主義の 無邪気は顕れを見出して呆れる人がいても不思議はない。勿論シュトックハウゼンは、一方では「人間」が時代とともに変容するものであることに対する 認識はあって、「その音楽は、人類が人間を個々の部分に分解し、しかもそれらをおそろしく奇怪な変種へと再合成しはじめようとするまえの、 古い、全的な、《一個体》としての人間による最後の音楽である。」と述べてはいるが、寧ろジュリアン・ジェインズが構想したような時間軸での 意識の歴史のようなパースペクティブこそ相応しい文脈にも関わらず、こちらは今度はあまりに狭い文脈の議論に飛躍してしまっている。恐らくこの発言で 想定されているのは、彼の周辺の「現代音楽」から眺めた展望に過ぎない。結局、マーラーの音楽は、歴史的・文化的に極めて限定された「人間」 (その中には勿論、シュトックハウゼンも含まれるわけだ)のためのものに過ぎないということが露呈されているようだ。

かくして異文化理解のようなレベルで議論している分には成立するかに見える普遍性も、一歩外に踏み出せば色褪せてしまう。 別の星に住む高等生物を持ち出すまでもなく、人工知能研究以後におけるロボットを考えてもいいし、その認知能力が明らかになりつつある別の生物、 例えばオウムやインコ、あるいはイルカやクジラを考えても構わない。マーラーの音楽からは随分遠くに来てしまったように見えるかも知れないが、 それは一般にマーラーの音楽を語る文脈の側が自分の都合の良い視界狭窄に陥っているからであって、シュトックハウゼンの発言は勿論、詩的な比喩か修辞のように、 あるいは芸術家の誇大妄想として受け流すのではなく、逆にその不十分さを補って、もっと先に推し進めていくことによって限界を認識することに よってこそマーラーの音楽の今日的な射程は見えてくるのではないか。個別の経験を超えるものとは言っても、天空のどこかにあるイデアを想定する 必要はない(論理的な極限概念としてホワイトヘッド的な「永遠的客体」を考えるのは構わないが)。そもそも一体、マーラーの「音楽」なるものはどこにあるのか。 それはコンサートホールの中に響き渡る音響のうちにしかないのか。CD等の媒体に収めされた音響が「音楽」の痕跡に過ぎないのだとしたら、 あるコンサートホールにある日響いた音響もまた、「音楽」の不完全な写し絵に過ぎないのではないか。あるいはまた、聴く「私」抜きには「音楽」が 成立しえないのであれば、コンサートホールでの演奏は「音楽」そのものではなく、寧ろ、それが聴く私の中に起こす反応の過程を含めた全体を 「音楽」と呼ぶべきなのではないか。だがそうだとしたら、更にホールで聴く「私」の人数だけ起きる異なった反応の過程のすべてを音楽と呼ぶのが より適切なのだろうか。一方で、楽譜を手にして頭の中で鳴らすそれは音楽とはいえないのだろうか。マーラーは「大地の歌」や第9交響曲の 初演を聴かずに没したが、それではマーラーは自分の「音楽」を知っておらず、今日の日本でコンサートホールで演奏されるそれらを聴く人間の 方がマーラーよりも「音楽」により近いというべきなのだろうか。個別の経験のどのような断面に現れる構造を「マーラーの音楽」と呼ぶべきなのだろう。

何を大袈裟な、所詮は趣味や娯楽の話、音楽がある文化の中のものであることはわかりきったことだし、CDを聴いたり、コンサートに通ったり、あるいは 自分で演奏したりするのに、そんな話は関係がない、というのが一般的なマーラー受容における「良識ある」反応ということになるのだろう。 些か異なる文脈だが、フランツ・ヨーゼフ皇帝がマーラーのウィーン宮廷歌劇場での改革について「所詮は娯楽ではないか」といった発言をしている。 この発言で問題になったコンサートホールやオペラハウスでのマナーも流動的なもので、今日ではどちらかと言えば上記の発言にも関わらず 皇帝が支持したマーラーのやり方に近いものがスタンダードとなっているわけだが、いずれにしてもそうした諸々の決まり事の中でマーラーの音楽は、 だが基本的には趣味・娯楽として聴かれているのだろう。もともとがミュンヘンの博覧会の会場で初演された第8交響曲は、だからコンサートホールのこけら 落としや何かを記念したイヴェントにうってつけの曲目で、もともとコンサート・ピースでしかない第2交響曲は宗教音楽ではありえず、 だからそれがユーゲントシュティル的な装飾に過ぎないというハンス・マイヤーの嫌疑は、受け止め方によっては寧ろ相手を過大評価したないものねだりである という廉で不当な批判と見做されても不思議はないのかも知れない。では一体、コンサートホールで演奏される第2交響曲や第8交響曲に対して、 どのように向き合えばいいのだろう。第2交響曲や第8交響曲の扱いに困って、なかったことにする態度というのも、現実にそれをコンサートホールで聴く という状況を考えれば理解できなくはない。だが私見では、それはコンサートホールでの演奏会というフォーマット、今日の日本におけるそれが 第2交響曲や第8交響曲が備えている或る種の志向を容れる媒体としては不適切だということであって、第2交響曲や第8交響曲そのものが 賞味期限切れなのだとは考えたくないのである。それでは他の曲ならコンサートホールに相応しいかといえば、私には到底そうは思えない。私にとっては マーラーの音楽はどの作品も、それが紛れもなくコンサートホールで演奏されるように作曲されているにも関わらず、コンサートホールで聴くことが 非常に困難なものになってしまっているのだ。

一体どこにその困難さがあるのだろうと色々と条件を列挙したり、代替案を考えてみたりしてみれば、おおよそ以下のようになる。今日、マーラーの 音楽を聴くための代替手段としてもっともありふれているのは、(1)CDなどの媒体に録音されたものを聴くことだろう。それ以外にも(2)楽譜を読むこと、 (3)ピアノ連弾などに編曲された形態を演奏することも考えられるし、(4)記憶にたよって頭の中で鳴らすことや、(5)自分が奏者としてあるバートを担当する、 あるいは(6)指揮をするというやり方で、演奏者として聴くというのも可能性としてはあるだろうが。コンサートホールで聴くのも、例えば(7)聴き手が自分一人の 場合も可能性としてなら考えられるだろう。もう一つ、純粋な可能性としてなら考えられるのが、(8)マーラーが今日の日本に生きていて彼と一緒に聞く場合もある。 マーラーは指揮者だったから、(9)自作自演を聴くというのもありえるだろう。ここで重要なのは、自分が100年前のウィーンに住んでいるという可能性の 方は考えないことである。ただし、ヴァリアントとして(10)今日、かつてマーラーが生きていた、例えばウィーンでコンサートを聴くのはどうかというのは含めても 良いかも知れない。100年前に自分を置くのは原理的に不可能だが、空間の移動は可能性としてはありえる。マーラーが今日の日本に生きている というのは原理的に不可能に見えるが、これはマーラーが日本人で同時代の作曲家であるとすればいいのだ。要するに、そのような音楽が今日の日本で 書かれて、同時代の音楽として聴く可能性で、人間の方もマーラーみたいな誰かが、マーラーのような音楽を書いたと思えばよい。

(1)(2)(3)(4)は実際にそうしているか、それに近い受容を実際にしているから問題ないのははっきりしている。(5)(6)は経験がないので何ともいえないが、 恐らくこの場合には全く違った展望になるだろうと思われる。(7)(10)はいずれも恐らくだめだろうと思う。(10)は日本で聴くのとは全く異なる経験であろうとは 思うけれど、所詮は自分の檻からは逃れられない。最後の他者として自分が残ってしまって持て余すことになると思う。(7)の方は、指揮者・演奏者の 他者性・複数性が気になってしまってだめだろうと思う。(8)(9)はもともと突飛な想定なので想像に限度があるが、恐らくは困難だと思う。言い換えれば、 今日の日本でマーラーのような気質と問題意識を持った人間が作品を書けば、全く異なった素材を用いた、全く異なった音楽にならざるを得ないのではないかと 思えるということだ。マーラーの音楽は、結局のところ過去の異郷の音楽でしかない。今、ここでの作品としては最早不可能なものなのだと思う。

どうしてこういうことになるのか。一つ考えられるが、私がマーラーを受容してきたのがそもそもコンサートでの実演の聴取を通してではなく、レコードやCD、 あるいは放送といった媒体を介してであったということがあるだろう。ただしクルト・ブラウコップフのような音楽社会学者の主張とは些か異なって、 そうすることによって、マーラーの音楽が自分の「内側」で響くようになってしまった、というのが大きく寄与していると思う。楽譜を読んだり、キーボードで 弾いたりという享受の仕方は、クルト・ブラウコップフの議論では寧ろ、LPレコード以前のかつての受容の方法として対立するのだが、ここではそうではなくて、 寧ろレコードやCDでの聴取の側に属してコンサートホールでの聴取と対立し、公共性に対して私性を強化する機能をしているのである。私がレコードや CDの蒐集に熱心でなく、聴き比べのようなものに関心がないのも、それが第一義的には「内側」で響く音楽を確認する機能を担っているからなのだろう。 従って、どんな演奏でもいいわけではなく、嗜好のようなものは存在する一方で、音質や臨場感にはあまり頓着しないのだろう。一方でいわゆる決定盤主義に ならないのは、個別の演奏にある様々な制約が、「内側」の響きと一致しないためだろう。もしそうだとすると(5)や(6)、特に(6)については、その能力と機会が あったと仮定すれば恐らく取り組んだであろうが、それでも或る種の究極の演奏といった考え方には馴染めない。結局のところ「内側」の響き自体が動いていく ものだということと、実演では様々な現実的な条件への対応が必要で、だから演奏は毎回異なって当然だし、そうであるべきだと考えているからだ。

「内側」の響きといい、私性といい、取りようによっては非常に傲慢で独善的な聴き方をしているのではないかという批判は当然あるべきで、自分の聴き方の 価値について擁護しようとは思わない。あくまでも事実として、私はマーラーをそのように聴いてきたし、今でもそうだということに過ぎない。マーラーはこのように 聴かなくてはならないなどということはなくて、言いうるのは、マーラーはこのように聴かれる場合があり得るという例示に限られる。寧ろ、様々な制約で、 かくも不幸な聴き方しかできなくなった症例として掲げるべきなのかも知れない。何しろ、マーラーの音楽は、結局のところコンサートホールのための音楽なのだから、 非本来的といえば、非本来的な聴取であることは否定しようがないのだから。

あえて言えば、マーラーの音楽に内在するメタ音楽的な契機、既存の枠組みを 相対化し、いわば「括弧」入れして「上演する」やり方、更にはパロディーやイロニーを可能にする自分自身に対する距離の存在、自己参照性、複数の声の 共存、複数のレベルの併置、要するにマーラーの音楽を「意識の音楽」たらしめている特性を考えれば、今やそれをコンサートで単純に聴くのではなく、 コンサートホールでの演奏の記録を聴くこと、コンサートホールでの演奏という状況の「括弧入れ」を行うための媒体として「録楽」を考えること、いわば メタシアターとして「録楽」による聴取を考えることはマーラーの場合には、その音楽の実質に適っているという主張は可能ではなかろうか。マーラーにあっては 既存の様式は「幽霊」としてしか存在しえない。そこには意図されたアナクロニスムが存在するのだ。であってみれば、マーラーの音楽そのものを今度は 「幽霊」として受容すること、もはや不可能なものとして、過ぎ去ったものとして聴くことはあながち不当なこととは言えまい。

アドルノがカフカの「審判」の末尾を引用して述べるように、マーラーの音楽が誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだとしたら? ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような人間にとってまさに己を代弁するような音楽、「極めて反抗的に」と指示された音楽は真理が 幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。マンデリシュタムが、あるいはマンデリシュタムを引用したツェランが詩について 述べたのと同じように、マーラーの音楽もまた、必ずしも希望に満ちてはいなくても、いつかどこか、心の岸辺に打ち寄せると信じ、流される投壜通信ではなかろうか。 航海者が遭難の危機に臨み壜に封じて海原に投じた、己れ名と運命を記した手紙。誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉は、 だが、彼が去ったのちに、どこかの砂浜に打ち上げられ、砂に埋もれた壜に偶然気づいた人に拾い上げられて読まれることはないのだろうか。 マンデリシュタムはやはり「対話者について」において、そうした手紙を読むことが自分の権利であると言っている。壜を見つけたものこそが手紙の名宛人なのだと。 だとしたら、楽譜がそうであるように、演奏を記録した銀色の円盤もまた、そうした投壜通信たるマーラーの音楽にこそ相応しい媒体ではなかろうか。

結局のところ、100年も前の異国の音楽を、それに相応しく聴くことが私にはとうとうできそうにない。それならいっそのこと聴くのをやめてしまえばよさそうなもので、 実際、一時期そのようにしようと試み、数年間マーラーを聴かないで過したこともあった。だが、今、ここで、限られた能力しかない自分に残された時間で何を するかを考えたとき、今、ここで創造される音楽を除いてしまえば、自分の「内側」で響いているマーラーの音楽以外に聴き続けるものはない。そう、自分の「内側」で 響いているそれは、寧ろ端的に自分の一部というべきで、外から聴こえてくる音楽、外で他者が鳴らす音楽とは異なるものなのである。もっとも、その境界は連続的で あって、もともとは外で響いていた筈だし、今でもそれは、いわば自分の中の他者、異物としての他性を喪ってはいないし、寧ろ、その他性ゆえに、「私」という システムの中で機能しているのだと考えているのだが。それは丁度、今、ここで創造される音楽が、私自身が作曲するのではない以上、問題意識の共有と、 世界の捉え方、感じ方、認識の様態に対する共感はあっても、はっきりとした他性を備えた、他者からの呼び掛けであるのと呼応しているのだろう。

もしそうだとしたら、もう一度私がコンサートホールでマーラーの音楽を聴く契機は、マーラー自身が最早「幽霊」でしかない以上、演奏者に対するコミットメントに しかないのかも知れない。娯楽として、趣味として、お客さんとして音楽を聴くのではなく、仮に自分は演奏しなくても、演奏者の隣で音楽に接することによって、 私の隣に、今、ここにいる他者である演奏者の奏でる響きと私の「内側」の響きとの間に相互作用が生じる以外に「内側」の響きを公共性の場にもたらすことは困難であるように 思われる。そしてそれもまた、今、ここで創造される音楽が、私の隣に、今、ここにいる他者である作曲者と私との間の相互作用(ただし、一般には能力の多寡に 応じて収支はバランスを大きく欠いている。常に与えられるものの方が、返すことができるものよりも遥かに大きいのだが)によって、場を形づくることができるのに 対応しているのだろう。そうでなければ「幽霊」たるマーラーには、解読を強いる謎が鏤められた暗号文字で綴られた投壜通信である「楽譜」や、その場にいない他者の 痕跡である「録楽」こそが相応しいように私には感じられてならない。そしてそこに読み出すのは痕跡そのものではなく、痕跡が指し示す何か、歴史的・地理的・文化的 隔たりを超えて、解読すべき何かなのだ。そしてそれこそがマーラーが作品を書かずにはいられなかった(伝達したかった、ではない)何かであるに違いない。 いつもこうした状況が成立するわけではないけれど、ことマーラーの場合にはそうなのだと思う。それがマーラーの音楽の持つ力の源泉なのだ。

(2010.1.11初稿, 1.14加筆, 2025.1.22 改題の上、再公開)

2025年1月20日月曜日

マーラーの音楽が喚起する「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)(2025.1.20 再公開)

音楽を聴くとき、「想像上の風景」(イマジナリー・ランドスケープ)が頭の中に思い浮かぶことがある。それはその音楽が風景を描写した標題音楽であるか否かとは関係がないし、「想像上の」(イマジナリー)と書いたように、自分の知っている具体的な場所の記憶との連想でもない。もっと言えば、それは具体的な細部を欠いていて、実質を突き詰めていけば、音楽が惹き起こす幾つかのモーダルな質の複合に過ぎないのかも知れない場合もあるし、もう少し具体的な地形、季節、天候、時間帯といったものを備えていることもある。とりわけマーラーの交響曲のように叙事的な広がりを備えた音楽の場合、音楽の経過に応じて風景の上でも時間が流れ、変化が生じることになる。それは静的な絵画ではなく、風景の中を逍遥する経験の記録の如きものなのだ。

歌詞を備えた音楽であれば、その歌詞の内容がそうした風景の中に映り込むことはほとんど避け難く、だけれども歌詞自体が喚起する風景もまた、ほとんどの場合そうであるように、具体的な地名を欠いていれば、「想像上の」(イマジナリー)風景であるには違いない。

一方で音楽外的な知識によって、作品が特定の地名と結びつくようなこともある。私が現実には訪れたことのないザルツカンマーグートの山塊(もっとも今日なら写真や映像で仮想的に見ることは幾らでもできるのだが)は、マーラーが見たことのない極東の風景と鏡像的な関係にあって、だから私はマーラーがワルターに語った言葉を文字通りに受け止め、現実のザルツカンマーグートではなく、第3交響曲の作品が内包している世界のヴァーチャルな山をこそ見るべきだし、「大地の歌」に極東の風景(それが中国なら、訪れたことがないという点では私にとってはマーラーが作曲をした場所と変わるところはないのだが)を見るのではなく、まさに音楽が描き出す、現実の何処でもない仮想の風景を見るべきなのだろう。

とはいうものの、風景が具体的なものである場合、例えば川が流れている場合、自分が現実に見た川そのものではなくても、それが抽象され、変形されたものによって「想像上の」(イマジナリー)風景が形成されることもまた、避け難い。川面に映る月、空を仰ぐと銀色の小舟のように漂う月もまた、所詮は同じ月を見ているのではあっても、ある日ある刻にある場所で見た月の印象の重畳が、音楽と歌詞とか呼び起こす風景の素材となっているはずである。そしてその風景は、変形されてはいても、或る日現実に出会う可能性がないともいえない現実性を帯びたものである場合もあるだろうし、或る種の幻視に近い、現実との接点が希薄な、生々しくはあっても抽象的な心的空間における像であることもあるだろう。

では同じ音楽を繰り返し聴くことによって、いつも同じ風景に辿り着くものだろうか?同じ演奏の録音であれば、恐らくそれはYesだろう。最初は共感覚的な基盤によって生じたそれは、少しずつ連想に近いものになっていき、細部が明確になったり、別の視野がひらけたりはしても、その風景は矛盾なく一貫したものであるだろう。だが同じ作品の異なる演奏の場合はどうだろうか。この場合には、同じ風景の少し異なる時間、異なる年の、異なる日の表情の違いに似た場合もあるだろうし、異なる風景が浮かぶこともあるだろう。

音楽が呼び起こすこうした「想像上の」(イマジナリー)風景が明確であればあるほど、同じ音楽が或る具体的な映像との組合せで提示されるような場合に当惑を惹き起こすことになる。拒絶反応とまではいかなくても、何か居心地の悪い感覚に囚われることは避け難い。

こうした風景は、実演を通して作品に接する頻度が低く、録音媒体による反復聴取が聴体験のほとんどを形成しているが故のものかも知れない。音が産み出される現場に居合わせることなく、まるで異なる時空から届くかのように音を受け止める聴き方が、その音が響いている異なる時空の風景を浮かび上がらせているという側面は否定し難いだろう。コンサートホールで、奏者が音を産み出す現場を目の当たりにしつつ、それとは異なる時空を目前にあるかの如くに思い浮かべるのは決して容易ではない。勿論コンサートホールであっても、眼を閉じてしまえばそれは可能かも知れないし、録音を聴く場合でも(幾つかの記念碑的な実況録音ではしばしば起きることだが)、演奏が行われている場の雰囲気の濃密さに風景の方が後景に退くこともあるだろう。だが、ではそれが録音再生テクノロジーの産物であり、作品自体とは無縁のものであるかと言えば、決してそんなことはない。少なくとも或る種の音楽は、それ自体が確実に、そうした風景を呼び起こす力を、私に対しては備えているということができる。

久しぶりにある作品を聴く行為は、私的で内面的な「想像上の」(イマジナリー)風景の空間における「帰郷」に近いものになる。見慣れた風景、あるべきところあるべきものが存在する或る種の確からしさの感覚。それはだが、懐旧の故郷などではない。その風景は、もともと私がその中に埋め込まれていた風景ではなく、それはもともと私の風景ではなかったところのもの、自らが迎え入れ、そこに自らを埋め込むことを選択した風景、そこに己の希望を托した未来としての風景、北村透谷の意味での「幻境」なのだ。

その風景は儚いものであり、それ自体遺しておかなければ喪われてしまう性格を帯びたもの、しかもそれは音楽が鳴り響く瞬間の、しかも音響が響く空間にではなく、それを聴取する私の裡にしかないものではあるけれど、人が生きるための糧を得る場所、そこに希望を見出しうる場所というのは、常にそういう性質のもの、「想像的」(イマジナリー)でしかありえないものではなかっただろうか?「私」の住処という点において、リアリティとヴァーチャリティの位相は逆転する。もっとも「私」というのがそもそもヴァーチャルな存在であり、それは構造的にはごく当たり前のことなのだろうが。

その風景は向こう岸を垣間見たものであったろうか。確実なことはその風景が、ある署名を備えた音楽作品によって喚び起こされるものであって、決して孤立した主観の中での幻想などではないということだ。勿論、現実の風景であってもそうであるように、各人の展望に応じて、そこに見出すものには差異があるだろう。けれどもそれは一旦作品としていわばデジタル化、量子化され、アーカイブされることによって、一つの世界を閉じ込めたものになる。どこか別の時と場所においても、私のような子供が或る日、流れ着いた壜を拾い、それを開けて、同じ風景に眺め入ることだろう。その時、風景は同時的ではなく、通常の意味合いでのコミュニケーションは成立せず、幽霊的なものでしかなくとも、なお共同主観的なものであり、受け取り手はそのことを(私がそうであるように)知っている。

表面的には絶望と厭世に彩られ、この世からの告別である音楽は、だが、トラウマを抱えているが故に、それ自体を語ることができず、己の苦しみを他の界面に投影することでようやく自己を維持しえている人間、そのようなかたちで語る以外の言葉を奪われ、それでもなお己の住まう岸から、誰かに届くことを願って壜に言葉を詰めて投じる他に、生き延びる術もなき人間にとっては、それ自体が「希望」に他ならない。「私はこの世で幸運に恵まれなかった」という呟きを我がものとする人間は、どこにもない、音楽が鳴り響く瞬間にしか存続しないかも知れない「永遠の大地」(何たる矛盾か!)を己れの「希望」の故郷とするのだ。

それは現実には最早ない「希望」ではあるけれど、丁度、作品の提示する風景の中に自らを置く瞬間だけ、想像の上でであれ、己を其処に託すことができる「希望」なのであり、それは貧しい心の持ち主が、己の一生を全うすべく、己にとっては何らの「希望」なき現実を歩むための糧なのである。聴き始めてから35年以上の歳月を経て、再び聴く「大地の歌」という作品は、少なくとも私にとっては、かつての子供であった私にとってそうであったように、だが、その後の世の成り行きに抗いようもなく翻弄され、今なおしばらくの間はその中で生き続けなくてはならない私にとってはより一層切実に、そうした「希望」に他ならないのだ。その風景の中に立つことが、ささやかなものであっても 或る価値へのコミットメントであり、そうすることを通じて私もまた、世の成り行きの勝者達にとっては存在しない風景の住人、幽霊(レヴェルゲ)達の行進に加わるのである。そして私は小声で証言する。「確かに私はその音楽を聴き、その風景を見た」、と。仮令客観的にはデブリの如きものであったとしても、証言することによって私は辛うじて、私自身をも超えて生き延びる。現実の私は沈黙を保ったとしても、「想像上の」(イマジナリー)風景に住む私が語り、私を離れた言葉が、私をではなく、私が見たもの、体験した出来事を、「想像上の」(イマジナリー)風景の中を通って漂流を続ける。私にはそれを見届けることができないことが、ここでは最大の慰めとなる。

(2014.11.02,  2025.1.20 改題の上、再公開)

2025年1月19日日曜日

20世紀のマーラー、21世紀のマーラー:再び空間性から時間性へ(2025.1.19 再公開)

マーラーの音楽が新ウィーン楽派以降、20世紀の音楽において、どのように受容されてきたかを俯瞰した文章を 改めて読み返し、20世紀の音楽そのものを思い起こし、その上でマーラーの音楽における最も重要と自分が考えてきた 側面を改めて振り返ってみると、何故、マーラーの音楽を過去のものとして用済みにできないのか、それ以前の音楽にも、 その後の音楽にも私が見出せない、そればかりか、音楽以外のものに見出せず、それゆえ繰り返しマーラーの音楽に 立ち戻らずにはいられない理由に思い当たる。そしてマーラーを聴き始めた35年前の中学生になったばかりの自分には ただちに自覚できたわけではないにせよ、程なくして関心の領域として自ら設定した枠組みが、結局のところその理由と 正確に対応することに改めて気付くことになる。約10ヶ月近い中断を経て、改めてマーラーの音楽に立ち戻った途端に、 突然、自分がしてきたことを基底で支えているものが何であるかについて気付かされることになる。あるいはそれは、 かつてはあまりに当然のことであり、そのこと自体を自覚的に確認するまでもなかっただけかも知れないという気はする。 けれども、今までかならずしも明確に意識していなかった自分の行動の理由が突然、自分自身にとって明らかになったには 違いない。あるいはまた、時間が経つにつれ、驚愕の感覚は薄れ、一体全体当たり前のことに何を驚いていたものかと 呆れることになるのかも知れないが、今はその驚きに忠実に、浮かび上がった構図を記録しておくことにしよう。

マーラーの音楽を特徴づけるものは何かについては、勿論のこと、立場によって色々な見方が可能であろう。 しかし、20世紀の音楽は、マーラーの音楽の中に、とりわけても空間的な側面での創意を認めてきたと言えるのでは なかろうか。マーラーの楽譜の指示の中に、空間的なパラメータに関するものが見られることは、しばしば指摘されてきた。 改めて指摘するまでもないだろうが、例えば遠くから聞こえるようにオフ・ステージ(多くの場合舞台裏)で演奏が指示される 第2交響曲の第5楽章におけるバンダ、やはりオーケストラ本体とは離れたオフ・ステージ(こちらは客席の高い位置が 多いようだ)で演奏する指定がある第8交響曲の金管の別働隊、これも舞台裏での演奏指示がある第3交響曲第1楽章の 主題展開部末尾の小太鼓、同じく第3交響曲第3楽章中間部のポストホルン、更には高いところに配置するよう指定される 第3交響曲の独唱、女声合唱、児童合唱と鐘、ステージでの演奏と舞台裏での演奏の使い分けが為される第6交響曲や 第7交響曲のカウベルなどが直ちに思い浮かぶ。当時は対抗配置であった第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのパートの 掛け合いもまたコンサートホールでの空間的な効果を狙ったもので、第1交響曲の突破の直前のクレシェンドにおいて第2ヴァイオリンの パートのみクレシェンドをしない指示をしたり、第6交響曲のアンダンテ楽章でもパート間での強弱のコントラストの効果を狙ったりと、 例示を試みれば枚挙に暇がない。

舞台裏のオーケストラは「嘆きの歌」の初期形態に既に構想されていたし、第1交響曲の 序奏のトランペットのファンファーレも「遠くから」響くように指示される。ミュートを使わないホルンとミュートを使ったホルンの 呼び交わしよって、恰もこだまが返ってくるような効果を意図した第7交響曲の第1夜曲(第2楽章)や第5交響曲第3楽章の 中間部分、ミュートされたトランペットのファンファーレをフルートが引き継ぐことで、恰も霧の彼方に音源が去っていくかの効果を企図した 第5交響曲第1楽章の葬送行進曲の末尾のように、音色の変化による空間的な奥行きの表現を狙った例を 挙げることもできるだろう。あるいは演奏指示として「遠くから」という指定が為される場合もある。何よりも、第1交響曲の 第1楽章の冒頭の序奏は「自然の音のように」という指示がなされ、弦楽器群のフラジオレットのA音が数オクターブに 渡って広げられ、アドルノの言うところの「カーテン」を形成する。ファンファーレはカーテンの向こう側から聞こえてくるという仕掛に なっていて、そのファンファーレは再現部の冒頭の「突破/発現(Druchbruch)」の箇所では、文字通り前面に突破して 発現することになる。

こうした空間性の導入は、例えばリゲティが注目して指摘を行っているが、そのリゲティは自作において、直接的な 影響を示す「ロンターノ」のみならず、空間性についての関心をずっと持ち続けたことは良く知られている。 だが、空間性というのはそうした直接的なケースに留まらない。例えば、これまたマーラーの音楽の特徴とされる 通俗的な素材の引用やコラージュ的な素材の重ね合わせも空間的な多層性を惹き起こすし、マーラーの作曲法の 基本にある対位法的・線的な発想は、やはり多層性や空間的な広がりをもたらすことになる。

舞台裏での演奏指示の例として掲げた第3交響曲第1楽章の展開部末尾の舞台裏の小太鼓は、 舞台の低弦のピチカートとは無関係の、独立のテンポで叩くことが求められており、複数のテンポが並行する部分としても 著名であろう。更に第6交響曲フィナーレのハンマーや低音の鐘、第7交響曲フィナーレの金属の棒、あるいは両者で 用いられるカウベルなど、調律されていない打楽器の利用、非楽音的・雑音的な音響の導入もまた空間的な質の多様性、 重層性をもたらしていると考えることができるだろう。雑音的な音響ということで言えば、コル・レーニョ(例えば第7交響曲の 第2楽章)や絃を指板に当てる、所謂バルトーク・ピチカート(第7交響曲の第3楽章)、ハープにおけるMediatorの指定 (第6交響曲のフィナーレ)といった特殊奏法や、管弦楽法の通則に逆らうような、鳴りにくい音域を敢えて用いる楽器法 (思いつくままに幾つか例を挙げれば、ファゴットの高音域での使用、フルートの低音域での使用、コントラバスのソロが 主旋律を弾く第1交響曲の第3楽章など、これも幾らでも続けることが出来よう)は調律されない楽器の導入とともに、 ラッヘンマンの「楽器によるミュージック・コンクレート」や通常の奏法をパラメータの一部にしてしまうような特殊奏法による 音色のパレットの大幅な拡張に通じていくと同時に、そのような奏法によって、これまた西欧音楽における規範であった ムラのない均質で大きな音に対して、非西欧的な音楽が重視するような、所謂「サワリ」のある音を引き出し、 奏者の息遣いを含めた身体性を浮かび上がらせる方向性に通じていく。

考えようによっては第4交響曲第2楽章の独奏ヴァイオリンのスコルダトゥーラもまた、音色の多様化とともに、 微妙な音律のずれの効果によるヘテロフォニー的な空間的な滲みを狙っていると考えることもできるだろう。 第4交響曲第1楽章のフルート4本によるアドルノ言うところの「夢のオカリナ」もまた、4本のフルートの重ね合わせによる 音色の変化は当然のこととして、同様にヘテロフォニーに通じる着想を見出すことができるのかも知れない。 ヴァイオリンの高音域とコントラバス、コントラファゴットのみによる第9交響曲のフィナーレに見られる対位法、 更には第10交響曲のアダージョ楽章でも聴かれる音が漂う虚空を浮かび上がらせるような対位法もまた、 空間的な処理の一例と考えることができるだろう。

実際、再びリゲティを引き合いに出せば、雑音と楽音のあいだの音の探求は既に初期において 明確だし、異なる音律の並存、異なるテンポの並存といった試みは晩年の作品において顕著であり、 しかもそれらはリゲティ独自の音楽的空間についての考え方の作品上でのリアライズなのである。 「擬似空間」、「時間流の空間化」といった用語から窺えるように、リゲティの作品では音楽作品を「想像上の空間」を 産み出すものと見做す傾向が強く、また「網状組織」や「複数の中心」といった用語から窺えるように、 多層的で複数のパーステクティブを備え、奥行きを持った空間を音響的に実現しようとする志向が見られる。 のみならず、リゲティは作品を静的なオブジェとして見做す傾向が強く、音楽の時間軸上の展開は、プロセスが 非常に緩慢にしか推移しない初期のミクロポリフォニー的な作品だけでなく、後期の作品においても目的をもった 発展というよりは、予め静的に定められた規則を時間軸上に広げて提示するという側面が強いようだ。

だがこうした空間性の重視は、寧ろそうした側面を引き出す20世紀の音楽の側の事情を物語っているとも 考えられる。調性が崩壊した挙句、機能和声を放棄することによって楽曲を構成する原理のうち、時間方向の 展開の最も基本的な手段が喪われることによって、20世紀の音楽は音楽を別の原理で支える必要性に 迫られる。音色の次元の拡張や空間性はそうした要求に応えるものであったと見做すことができるだろう。 だが、音楽が時間的な延長を持たざるを得ない以上、時間的な経過を扱う方法が必要とされることには 変わりがない。合成和音のシステムやスペクトル楽派は時間軸については何の解決も与えないし、クセナキス的な 篩のシステムによる音階の構成の一般化や集合論や群論による構造の規定もまた、いみじくもクセナキスが そう語るように、時間外構造をしか規定しない。12音技法は順序を原理として持つ点でいわゆる時間内構造を 規定しうるが、それは貧弱な順序構造以上の複雑な構造を組み立てることはできないゆえ、巨視的な 形式構造として、バロックや古典の形式を使い続けることによって支えるしかない。12音が一巡り鳴ったら それで終りというミニアチュア形式を導くヴェーベルンの直観の方が寧ろ理に適っているのだ。クセナキスは 確率によって音の継起の頻度や密度を確率的に制御しようとするが、微視的な構造については何も規定しない がゆえに具体的な細部は作曲者の直観によって選択・決定されるしかない。ミニマリスムの反復の手法や フラクタル幾何学の援用、無限列の利用やオートマトンの導入は力学系的な発想であるから時間方向の発展の 原理ではあるけれど、ゆらぎを与えたところで単一の法則での音の制御は単純な時間構造しかもたらさないし、 幾つかの法則を単に重ねたところで、先行する西欧音楽の歴史が築き上げた複雑で豊かな構造に比べたとき、 貧弱な結果しか齎さないように見える。制御するパラメータを演奏や聴取の限界まで、あるいは限界を超えて増やし、 細部をもはや聞き取れないほど複雑にしてみても、生物学的な進化の速度に従うほかない保守的な人間の 知覚様式は、そこに混沌と無秩序をしか見出さないという結果を招きかねない。

一方で工芸的な組立て・構築を放棄し、サウンド・スケープのように伝統的な意味合いでは非音楽的な音環境に おける音響イベントの継起をそのまま受け入れて聞き入ることや、メシアンのように神学的な意図も手伝って それ自体は永遠に反復可能なある持続によって楽曲を形作り、そうしたブロックをパネルを並べるように複数併置することで 楽曲を構成する試みもあるが、それらの聴取の経験はプロセスの動性よりも、寧ろ静的な印象が強い。 フェルドマンのある時期以降の音楽の数時間にわたる長大な持続は、寧ろ時間の観念を変容させ、廃棄に 追い込んで、不動の塊と化した時間のオブジェの出現をもたらすし、ミクロポリフォニーの知覚の限界に挑むようなゆっくりとした 推移もまた、想像上の空間に時間を変換したインスタレーションの趣きがある。クセナキスがある時期から 用いた樹形曲線、リゲティにおけるフラクタル幾何学の時間構造への適用も、その着想は空間的であり、 時間方向の持続は、空間を描くために一巡りするために必要とされる時間に過ぎず、結局のところ、そこでは何も 新奇な出来事は起こらない。神学的な永遠性であれ、ガジェット的なオブジェであれ、静的で閉じた作品であるか、 プロセスを重視するかはあるが、いずれにしても音楽はどこかに向かうことを止めてしまい、聴き手をどこかに誘う 目的論的なベクトル性を喪ってしまっているように見える。音楽社会学のような領域では、そうした傾向を 20世紀の社会が持つ構造が定着されたものであると見做されるのであろうし、そこには目的論的な強制に対する プロテスト、管理された時間を逃れ、アナーキーで自由な時間を取り戻そうとするイデオロギー的な選択が 働いているのかも知れない。

約半世紀程前にマーラーの生誕100年が祝われてからこちら、マーラーの音楽はダールハウスも指摘しているように、 かつての世界観音楽としてではなく、ようやく絶対音楽として聴かれるようになった。そうした文脈においてはヴィスコンティの映画の BGMとして第5交響曲の第4楽章が用いられることは、マーラーの流行にとって少なからぬ効果を持ったとはいえ、 そうした絶対音楽としての受容の流れに対する伝記主義的逆行、「悪しき19世紀の残滓」であると見做されたものだ。 しかしその後、絶対音楽としてのマーラーの受容は、 今度は単なるサウンドの消費、音響体としての音色の多彩さや詳細を極める演奏指示を如何に忠実にリアライズするかといった ディティールのみで評価が決まるような兆候を帯びるようになる。もっともこうした傾向は高橋悠治さんが1970年代前半に 既に指摘しているように、別にマーラーに限ったものではなく、LPやCDのように何度も好きなところで止めて繰り返し 再生できるメディアの発達と、テレビ番組の放映においては時間枠に区切られ、 更にはコマーシャルで断ち切られるといったように細切れに分解されて提示され、最早そうした事態に驚きさえしなくなるといった 状況とがドラマを成立させる時間の構造を解体させていく過程の一サンプルに過ぎないのだろう。

音楽的時間をテンポの変化の大きさという尺度に還元して演奏様式を 比較するといった試みがマーラーの第4交響曲の録音に対して行われたのは、そうした潮流を考えれば自然な成り行き であったと言えるのかも知れない。勿論、そうした切り口での分析自体に価値がないわけではないのだが、それで音楽に おける時間の次元が汲み尽くされたかのような様相を呈するとしたら、それはやはりマーラーの音楽的時間、 アドルノが性格的要素として「発現/突破」「停滞/一時止揚」「充足」、あるいは「崩壊」といったカテゴリーを 用いて言い当てようとした実質は大きく損なわれてしまったという印象は拭い難いし、その隣でマーラーの音楽の サウンドスケープといったテーマが論じられるのだとしたら、そうした光景はマーラーの音楽の空間的な側面の重視が、 時間的な側面の縮退・単純化と引き換えであることを示しており、それは20世紀後半という時代の特質を反映した ものだということなのだろう。

それに対する評価はおくとして、バブルの時代のおぞましいまでのマーラーの流行は、自らを正当化する「マーラーの時代が来た」という 極めて都合の良い御誂え向きのキャッチコピーのもと、録音メディアや放送メディアの媒介などなかったかの如く、バブルの恩恵で 次々と建設されるコンサートホールの杮落としに因んでマーラーの交響曲の連続演奏会が同時にあちらこちらで行われるという異様な熱狂 (もっともこれもまた、マーラーの音楽に限定された現象ではなく、ベートーヴェンの交響曲を順番に全て演奏していく マラソンコンサートなどのような近年の現象と通じているだろう)と、到底きちんとは聴ききれないのではないかと思われるような 膨大なコレクションを個人のものにすることを可能にした際限のない交響曲全集のCDのリリース(こちらも同様に、マーラーだけの 現象でも交響曲というジャンルに固有の現象でもなく、ネットワークからのダウンロード配信への過渡期にあたる今日では、 様々な切り口でのCDのボックスセット化による過去の音源の叩き売りの企画は当たり前の風景になったかのようだ)との氾濫の中、 既に古びたメディアである映画のBGMでは最早不足とばかりにマーラーを切り刻んで数十秒のCMの中に押し込み、 果ては「着メロ」としてパーソナライズするまでに至る時間の平板化と断片化による時間構造の解体のプロセスであったと言えるかも知れない。 少なくとも私個人に限って言えば、そうした傾向に耐え難いものを感じ、一時期マーラーの音楽を聴くことを全く止めることを 余儀なくされたほどであったが、今こうして振り返ってみれば、自分が一体何に耐え難さを感じていて、その時は明確な認識には至らないまでも、 何を予感してそうした行動をとったのか、わかるような気がする。それは単にマーラーの音楽という対象の本質の破壊ではない。 マーラーの音楽によって自己を形成した私にとって、それは自分自身の破壊に繋がる側面を持っていたのだ。

そうしたマーラー後の音楽やらマーラーの音楽の受容やらが地層のように累積した厚みを通してマーラーの音楽を改めて 眺めたときに、それが反動的なものであるかどうかはおくとして、その後喪われてしまい、そして今日の世界では取り戻すことのできない、 かつての時間的な構造への渇きのようなものを癒す対象としてマーラーの音楽に向かっている自分を発見することになる。

上述のようにマーラーの音楽は20世紀の、色々な意味で空間的な音楽に対する前駆、先蹤として様々なヒントを 与えるような側面があったのは確かだが、マーラーの音楽は本来、優れた意味で時間的な側面の強いものであった筈である。 基本的にロマン派の音楽であるマーラーの音楽こそは、優れて意識の音楽であり、意識の時間的な変容のプロセスを 作品として提示するものであるはずだ。巨視的な形式において機械的な反復、再現を嫌うマーラーの音楽の経過は 不可逆的であり、アドルノによって長編小説に譬えられたその構造は、聴き手を全く別の風景へと導く。 主題の再現とて、単なる繰り返しではなく、再現までに経過した時間の厚みを感じさせ、まさにそれが「再現」であって、 元のものとは異なるものであることを告げる。部分的に無調的な旋律が含まれ、伝統的なカデンツからは逸脱しながらも、 全音階的な発想を捨てなかったマーラーは、その代わりにかつての調性格論にも比せられる調性毎の固有で置換不可能な 質を保持し、楽章間の調的な配置の関係によって複数の層の関係を示し、発展的調性によって音楽がどこに向かうのかを 曖昧さなく示すことができる。それは主観的・心理的な時間であるとともに、意識的な活動に限定されず、意識の奥底で 働く無意識の活動の反映でもあるし、ヘーゲル的な「世の成り行き」の容赦なさでもある。調的な音楽の軌道が描く 力学系的な遍歴は、まさに世界と関わる意識の時間性の遍歴に他ならない。そしてこうした事態は、 それ以前のロマン派音楽でも兆候としては見られたものの、マーラーにおけるほどクリティカルな問題として前景に 出ることはなかったし、マーラー以後の音楽がそうした事態に背を向けてしまったことは既に見たとおりである。

万物は流転するという認識を 人間的な尺度の限界の内部での認識であると嘲笑し、今こそ世界の人間的な意味づけからの訣別が必要だと 言い立てることは容易だが、己の認識の檻の外部に端的に出ることが出来るというのは、それ自体が意識の浅薄な 思いなしによる独断論のまどろみの中での寝言に過ぎないかも知れないことに対して、そうした姿勢はあまりに 無頓着ではないか。そうした思いなしがあまりに観念的で抽象的なものであり、現実に対して力を持ちえずに結局 ノスタルジーへの退却し、自閉せざるを得なかった歴史に対し、それはあまりに盲目であるか、さもなくば開き直っているのだと しか思えない。そうした態度は、空を飛ぶことができると頑なに主張し、だが実際にやってみろと促されれば一歩も 踏み出すことのできない観念ばかりが肥大した100年前のアヴァンギャルドと変わるところがない。

よくあることではあるし、とりわけマーラーの周囲でも 頻繁に起きていることではあるけれど、歴史を語り、過去の音楽のおかれた文脈に関する知識を披瀝しつつ、だが そうして語っている自分が拘束されている現実との距離感の感覚は欠如していて、まるで骨董品の来歴を語る 好事家のごとき趣味的な態度は、過去の異郷の音楽を今日引き受けることの必要性と切実さを些かも明らかにしない ばかりか、蒙昧化にしかなっていない。勿論、今日の状況でマーラーのような音楽を書くことは端的に不可能に違いない。 そしてそうした不可能性に直面し、そうした事態から目を逸らすことなく誠実に状況に向き合っている作曲家の例を私は 具体的に身近に知っているし、そうした試みが自分の同時代に、すぐ近くで行われていることに勇気付けられもしている。 そうした活動を目の当たりにして感じることは、おかれている状況に応じ、選択される手段は違い、実現される作品の相貌も 全く異なるが、そうした活動の方が自分の置かれている位置の方は等閑視したままマーラーについて新規さを装った 主張をするような態度やマーラーの音楽を引用する姿勢により己の立場の限界を露呈するような態度よりも、 かつてマーラーが己の状況の中で取り組んだ企図と姿勢をよりよく継承しているということだ。結局のところ、時代を隔てた 作曲家の営みの距離を、表面的な様式上の影響関係やら引用によって単純に測ることはできない。今ここで確認できる そうした関係は結局のところマーラーを利用する側の思惑をしか示さないし、マーラーをどのようなものとして扱いたいかを 語ることによって、そうやって扱う側の志向が炙り出されるばかりであって、マーラーが為そうとしたこと、その志向の方はといえば、 今日では100年間の間に起きた状況の変化に応じ、全く別の仕方で為されていると考えるべきなのだ。

21世紀になって、1000年に一度と言われる未曾有の地震と津波の災害に襲われ、更にはその結果として 原子力発電所の災害が発生し、その影響が人間の尺度で言えば単一の個体の寿命を超えかねないような 事態に遭遇した今、尚マーラーの音楽を聴き続けることの意義、マーラーの楽譜を調べ、その作品の構造を自分の聴経験と突合せる作業を 続けることの意義は、だから私の場合には明らかである。要するに、端的に言ってマーラーの音楽にしか見出せないような 時間的な構造があり、マーラーの音楽にしかないような世界への態度、世界に対する姿勢があるのだ。それは主観性の 擁護の音楽であり、これまた価値判断は様々だろうが、或る種の主体の構造、意識と無意識と身体性との複合的な 様相がそこでは示されていて、しかもそれは他では代替が利かないもののようなのだ。

単にお前はその音楽によって自己の 回路を形成してしまったから、その音楽から逃れられないのだ、それは全く一般性を欠いていて、お前の個別的な問題に 過ぎないのだという批判に対しては私は抗弁すまいと思う。実際それはその通りだからだ。ジュリアン・ジェインズが素描したように、 もともと可塑的な脳の回路の構築の仕方の一つに過ぎない意識のあり方は時代と場所により、そしてそこでの社会的・文化的な 環境によって変化していくものに違いない。

私が生きている間には実現しないかも知れないが、ポスト・ヒューマン思想の 論者が語るように、近い将来に特異点に到達し、意識のあり方のみならず、「精神」「魂」の定義自体が変わってしまい、 例えば「魂の不死性」のような考え方が、空想的な観念の裡の霞のかかった妄想としてではなく、徹底的に唯物論的な 技術的な手段のブレイクスルー(遺伝子工学やナノ・テクノロジー、人工知能的なロボット研究などの今後の進展が それを可能にするのだが)を通じて、全く別の意味合いを帯びて、紛れもない現実になる可能性だってあるかも知れないのだ。 「人間」概念自体が拡張され、現在とは似ても似つかないものに変容しうるのだとしたら、世界の人間的な意味づけの 実質もまた変わるだろう。

だが結局のところどこまでいっても、「人間」という概念をまるごと廃棄するのであればともかく、そうでなければ 「人間的な意味づけ」を逃れることなど出来はすまい。一見、非人間的に感じられ、そう見做されるかもしれない暴力的な 現実もまた、それ自体「人間的な意味づけ」が為されたものでしかないのだ。

例えば一方で三輪眞弘さんの言う「コンピュータ語族」としての、機械とのシステムの中に埋め込まれた人間が居て、 他方では他の生物、とりわけ動物と人間の境界が問題にされ、永らく倫理学における暗黙の前提であった人格概念の 見直しが行われつつある中でマーラーの音楽で語られていることを振り返ってみれば、控えめに言ってもマーラーがナイーブな 人間中心主義、人間を絶対的な基準とおくような発想からは遠かったことは明らかなことに思われる。そして例えば第8交響曲を まるでピタゴラス派の天球の音楽の復興であるかの如く、惑星や恒星の運動に譬えたマーラーの企図を、作品そのものの実質もまた 決して裏切らない。全体が「突破/発現」の瞬間であるかの如きこの作品の持つ独特の時間性は、移ろいゆくものとしての 人間を超出する仮想的な視点からの展望であるかのようではないか。

無論のことマーラーの音楽を聴き続けることが、上述のような未来の展望を無条件に保証するわけではない。更に言えば、 自分が生きている間に実現しそうもない変革など結局のところ切実な問題たりえないし、よしんばそうした側面に対して、 個人的な事情から技術的、哲学的に多少の関心や利害があったところで、実際のところ、卑小なばかりか、消耗しつくして 病んでいる現在の私にとって、上述のような問題意識は手に余る。私は単に「世の成り行き」の中で落伍しそうになっている自分を、 手を広げて迎えてくれる音楽を求めているだけなのだろう。音楽をムーディーに消費するばかりの私のような存在にとって、 20世紀の様々な音楽のほとんどは、とりわけそれが産み出されたプロセスや文脈を離れ、オブジェとして対峙したとき、 それ自体が閉塞の反映であり、己を取り囲む状況の閉塞を確認させられて抱えているストレスを昂進させるばかりだし、 マーラー以前の音楽の方は、現実がこうなる以前の状況を記憶する媒体としてノスタルジーの対象となり、 一時の休息と慰藉を与えてくれるものではあっても、そしてそれは身体的にもメンタルにも危機的な状況にある人間にとって ある時期には必要なものであっても、再び現実に戻り、「世の成り行き」の中に自分を投じる勇気を与えてくれるものではないのだ。

マーラーの音楽はかくして三輪眞弘さんの活動とともに今の私にとってかけがえのないものであるのだが、 その理由を問われれば、マーラーの場合には、その音楽が持つ時間的な構造、そこでの主体の遍歴の不可逆性によるのだと答えることになるだろう。 その音楽は、自由を奪われた幽霊達の隊列に私もまた加わるように誘うのだ。自分が幽霊ではないと感じる人にとってはこの音楽は全く不要なものだろうから、 こうした状況を一般化するつもりは全くない。これが極めて個別的な状況であることを認めた上で、それだけに自分にとっては 切実なものなのであることは繰り返し強調しておきたい。そういう人間にも居場所があってもいいではないか。 そういう人間にも声が与えられもいいではないか。マーラーの音楽はそういう人間の代弁者なのだ。

そしてこうした側面こそ、その音楽が作曲されてこの方、途絶えることなく(私もその一人である)マーラーの音楽を求める者にとってかけがえのない特質であったし、それは21世紀になった現在でも些かも変わらない、否、それどころか人間の解体がますます進むにつれて、その度合いはますます深くなっているのではないかと感じられてならない。

(2012.5.2, 2025.1.19, 改題の上、再公開)

2025年1月16日木曜日

なぜマーラーの音楽を聴くのか?(2025.1.16 再公開)

なぜ私はマーラーの音楽を聴くのか? なぜ(辛うじて生きる時代の一部を共有しはしていても)過去の、しかも文化的な環境も社会体制も全く異なる場所の作曲家の音楽を聴くのか? 何に惹かれ、何をそこから引き出そうとしてその音楽を繰り返し聴くのか? マーラーを聴くのは、知的な関心からではないし、娯楽としてでもない。 CDを買って聴く、(滅多にないことだが)コンサートに行く、というのは経済的な観点からいけば消費には違いない。 だが、それは暇つぶしではない。それを楽しみといってよいかどうかもわからない。

確立された権威、文化財としての音楽?作品が作られた状況や環境とは切り離して 残された作品と向き合う姿勢?だが、必ずしもそうでもない。なぜなら、マーラーの音楽に 関して言えば、その音楽に刻印された状況とそれに対する主体の反応の刻印が、 その音楽に惹きつけられる原因となっているからだ。勿論、こうした見方は、 音楽家なら持ちえたであろう制作の現場の視点を取りえない。だが、マーラーの 音楽を聴くのは、それと結びついた自分の経験を反芻するためではない。 きしみ、奇妙に歪んではいるけれど、時折はくつろいだ表情も見せるその音楽は、 私にとっては他者であり、そこからある種の姿勢であるとか、態度であるとかを 感じ取り、それに自分を同調させたりずらしたりしながら、何かを受け取っているのは 確かなのだ。

幾つかの演奏を聴くというのは大切なことだ。 どんなに優れた演奏であったとしても、ある演奏は切断面の一つに過ぎない。 勿論可能であれば自分で楽譜を読み、演奏するのが望ましいのだろうが、 それをしないまでも、別の演奏を聴くことで作品の持つ別の側面に気付く ことができる。だが、究極の演奏に辿り着くことはまさに同じ理由によって不可能だ。 結局は、あなたが指揮者でなくても、楽譜を読み、音を想像して自分なりの像を掴むしかないのだ。 結局、アドルノのいうところの星座の見え方は、各人固有のものであり、 他の誰も、その人の代わりにそこに立つことはできないのだ。

勿論、作品は作者ではない。作曲家の伝記を紐解いたところで、音楽自体は 変わることがない。だが、その音楽はいわゆる「個性」の刻印を紛れもなく帯びている。 技術的に言い当てることができなくても、その「個性」を認めることは難しくない。 そして、その「個性」に惹かれて、ある作曲家の作品を聴くのであれば、作者なしの 作品自体というものを考えるのは、少なくともマーラーの場合にはナンセンスだ。 作品自体が、作者を指し示している、その限りでの作者はここには確実に存在するのだ。

音楽の表現するものは、言葉の側から見れば本質的に曖昧だ。 一方で、音楽の表現するものを言葉が正確に言い当てることはできない。 音楽は容易にある体験、ある情態、ある雰囲気を探り当てる。 だから、人はしばしば音楽よりも音楽を聴いた時に我が身に起きた事を書いてしまう。 それが本当にその音楽でなくては不可能であったのかどうかを検証することは難しい。

或る種のスタンス、呼吸やリズム、反応様式に同調すること。それを思想と呼ぶのは適切ではない。もっと身体的で具体的なもの。 記号としての感情ではなく、情態や気分の反映を聴き取ること。 あるいは、これもひねくれた快楽なのかも知れない。だが、それは無くてもいいものではない。 社会的な機能という観点ではなく、個人が、ちっぽけな意識が生き延びるために必要な糧。 もしかしたら、そうした切実さが、創作の極においてもあったのではないか、だからこそ、それを欲する聴き手にとって、 他に代え難い価値を持つのではないか?

芸術を求めているのか、モラルを求めているのか? これを二者択一にすることは難しい。 ちなみに芸術の方は、学問なり知識なりに置き換えても良い。 もっともこれは、キリスト教文化圏と仏教的な文化の圏とではことなるだろう。 一方が他方に比べて優位ということはない、というのは多分、半分は間違いだ。 文化も進化論的な視点から見れば生存競争をしている。

だが、個人的には多分、モラルのない芸術や知識は受け入れることができない。 ならば逆は?美的な観点から、あるいは知的な観点からは全く凡庸だが、 モラルの観点から見たら非の打ち所の無いもの。 それを受け入れることはできるだろうが、我が物とすることには多分抵抗がある。 だが、それが実際には両立しえないとしたらどうなのか?

はっきりしていること。
同時代性やリアルタイムな問題意識、環境という点では、やはり日本のものに どうしても関心がいくことになる。勿論音楽家の問題意識は音楽家でない人間にとっては 疎遠には違いない。だから程度の問題なのだが、それでもやはり、環境の違いというのは 存在する。勿論、それを音として聴くのであれば、同じように聴くことができるだろう。 だから近藤譲のようなタイプの音楽であれば、別にそうした地域性のようなものは 問題にならない。だが、音楽をするということはどういうことか、とか媒体との関係などと いった実践の側面が入るとそうはいかなくなる。

一方で、音楽を聴くということについていえば、私の心を打つのはいわゆるクラシック音楽 なのだ。いわゆる現代音楽ではない。例えばマーラーの音楽を聴きたいと思う。 関心という点では、何人かの現代作曲家の動向には注目はしているし、 また能や義太夫節だって心を打つには違いない。だが、自分が親しみを覚え、 心を開くことができる音楽は、結局クラシック、例えば今ならマーラーの音楽なのだ。 これはどうしようもないことだ。それは歌があるかどうかとか、美しいかどうか、といった 問題ではない。一部は「刷り込み」に近い、自己形成の問題だろうし、 (結局同じことだが)自己を表現する、生のあり方、或る種の生きる姿勢や態度を 反映した音楽というものが、自分にとっての基準になっているのは間違いない。 音楽は心の安らぎのためにある。だがそれは娯楽と言い切ることはできない。 もう少し切実なものだ。
そうした聴き方はせいぜいヴェーベルンまでで、クセナキスは例外的にそれに近い感じ方が できる音楽だが、やはり、同じように聴くことはできないし、もともとそういう種類の音楽ではない。 心の「表現」としての音楽、ヴェーベルンで恐らく終わりを告げる主観的な音楽こそ、 私が一番聴きたい音楽なのだ。
結局、他の音楽はなくなっても、そうした主観的な音楽との対話なしで生きていくのは困難だろう。

記憶のし易さ、というのがあるかも知れない。 勿論、記憶のし易さは、作品の価値を測る尺度にはなりえない。 あえて記憶できないように構成された音楽というのも存在するし、それはそれで意義がある。

だが、類別の尺度としては存在するし、文化依存、より個別的にはその個体の学習の蓄積により、 何が記憶しやすいかは異なりうるだろう。記憶のし易さ、どのような作品が記憶しやすいかは、 記憶するシステムの側の特性だろう。
どれも同じに聞こえるというのは、類別のために必要なだけのパラメータの次元数を獲得していないだけ という事に由来する。記憶が可能であるのも、そのパラメータ空間の形成のし易さの程度の問題 だから、記憶が精密になるのは、異なりをより多く検出することのできる空間の豊かさが増している という事に他ならない。

音の構造への抽象的な関心も、それを音の認知の、記憶の、時間意識の問題と考えれば、 大変に興味深い。
だが、方法論的な自覚がなくても、音楽は、そういった知覚の、時間意識の変容をシステムに 引き起こす力がある。少なくともマーラーの場合にはそうした変容それ自体が目的であるわけではない。 そしてどちらがより優れているかはいちがいには言えない。 それ自体が目的でない場合には、そうした変容は文化的な沈殿物を引きずっている、というより そうした文化的な沈殿物(それは「思想」なり「世界観」なりということばで語られるかも知れない)の 姿をして現れる。
そしてその姿自体もまた、決して瑣末な飾りではない。

結局、個人的な問題を言えば、なぜ私は音楽を聴くのか、音楽を聴くことで何を得ているのか、 ということになるだろう。そしてそれが何故音楽でなくてはならないのか。 端的に言えば、私は生きる姿勢のようなものをそこに求めている。 出来上がった作品も、その姿勢の中に含まれるから、作品はどうでもいい、というようには 考えない。作品は抜け殻に過ぎない、という考え方もあるだろうし、作品と演奏の間の問題が 「向こう側の事情として」あるのも理解しているが、私は、作品を作り上げること、をその生き方の 姿勢の不可欠の要素として考えている。
もし、倫理的な振る舞いだけを考えれば、偉大と呼ばれる音楽家ですら、極めて不徹底な 存在になるだろう。欠点のない聖者を求めているのではない。だが、それでも作品だけで 作者はどうでもいい、とは考えない。
作品は作者の主観の表現であるといったたぐいのロマン主義的な発想に作品が基づくか (少なくとも作者の主観的意図として)どうかによらず、やはり作品と作者を切り離して考えたくはない。 それはやはり生き物の行動とその結果に違いなく、そういう視点を放棄することは考えたくない。 行為だけで結果はどうでもいいわけでもなく、結果がよければ意図はどうでもいいわけでもない。

そして最後に、できればその音楽は音楽自体が、私の感じ方や考え方、生きる姿勢にアフェクトを もって欲しいのだ。そういう意味では、ロマン主義的な音楽は、私の場合という個別のケースでは 少なくとも結果的に、優位にある。そのように感受が組織されてしまっているという結果論で あっても、仕方ない。少なくとも、実験的な音楽は、マーラーの音楽が与えてくれるものと 等価なものを与えてくれない(し、それはないものねだりなのである。そのかわり別のものを 与えてくれる。)そして、私にはマーラーの音楽のようなタイプの音楽が必要なのだ。

意識という存在の宿命なのだ。意識とは目覚めであり、見張ることなのだ。 不思議なことに、意識は眠りの安らぎを我が事のように思い、望みもする。 だが、夢ならぬ眠りは意識には属していない。意識は己からはみ出すものを、知っているだけではなく、 それに対する情態をも備えるようになっている。 だが意識は、定義上それ自身は眠らない。夢見る意識に覚醒時の意識との連続性が あるとしたら、眠りの幕を抜けて、こちら側に移動するだけ。意識は夢の中で、 目覚めている。眠っている自分を見ている意識は眠っていない。そして例えばショスタコーヴィチと異なって、マーラーの音楽はしばしば眠りに近づく。それはとことん覚醒の音楽というわけではないのだ。そのことは恐らくマーラー自身が、意識にとっての外側にある、意識にとっては不可視の超越的なものに対する憧れを喪うことがなかったことと関係しているのだろう。

人によってはそこに「弱さ」を見出し、不健康なものとさえ見做して拒絶することもあるだろうが、だがその替りにその音楽は、「世の成り行き」から落伍し、よろめき、立ち尽くし、或いは時として歩みを止めて路傍に蹲ってしまうような弱者に対して手を差し伸べ、勇気づけてくれる。時として、暗く、厭世的と形容されることさえあるその音楽を聴くことは、私のような挫折した者、落伍者にとっては、それでも再び歩みを取り戻し、生き続けていくための糧となる。それゆえその音楽はかけがえのない、決して手放してはならないものなのだ。

(2006.9, 2025.1.16. 改題、補筆の上、再公開)

マーラーの行進曲が喚起するもの(2025.1.16 再公開)

いろいろな音楽の間を彷徨った後、別に意識して避けてきたわけではない筈だが、無意識的にどこかで敢えてそうして いたかも知れないなと思いつつもマーラーの音楽を聴いてみると、ただちに幾つかの顕著な質に気づいて酷く驚くことになる。 例えば行進曲。マーラーが行進曲を偏愛したのは明らかだろう。 マーラーの幼児期の記憶の中にその起源を求める見方は繰り返しなされてきた。 「芸術音楽」の擁護者からはマーラーの音楽の中のいわゆる「バナルな」要素として誹謗される恰好の材料を提供した。 集団操作の道具、ある意味ではオーケストラを統率する楽長の音楽に相応しいと皮肉られるだろうか。 画一的を強制し、意識に自発性を許さずに寧ろ心理的な適応を強いる音楽。 容赦ない「世の成り行き」への屈服、攻撃者への同一化をあらわしているのだという精神分析的な解釈もある。

確かにマーラーの行進曲は、音楽の主体を急きたて、どこかに追いやる働きをする。 停滞を中断し、活動を強制するかのようだ。 マーラーの音楽を聴く私も、行進曲に促され、前に進もうとする。 しかもマーラーの行進曲は、それが主体にとっての強制であるという主体の側の反応そのものを刻印していることもあるから、 疲れていても、動かなくてはならないのだ、という認識に聴いている私を誘う。 その認識には両面があって、強制的に歩かされているという悲壮感と、蹲っているよりは少しでも歩いた方がましだという気持ちが綯交ぜになっている。 実はそうやって急き立てられでもしなければ、怠け者の私は残された時間を浪費して、何事も成し遂げられないかも知れない。 怠惰な人間が何かを為すには、外からの暴力が、強制が必要なのだ、というわけだ。

その外部とは、「世の成り行き」かも知れないが、自分の奥底に穿たれたいわば内部の外部から響く呼びかけかも知れないのだ。 マーラーの音楽が自分の中にすっかり埋め込まれ、意識としての私よりもより下の層を構成しているとしたら、 それはフロイトのモデルのうち、超自我の指令ではなくて、寧ろエスの呼びかけであるということだってありうる。 マーラーの行進曲はそのどちらでもありうるのではないか。

もっと単純に、私の中に埋め込まれたマーラーがゲーテの思想に共感して、「活動を止めてはならない」と呼びかけているとしたら? 人間は密室の中で、外部とのコミュニケーションを絶ったままでは生きていけないのだ。 連帯への誘いであれ、強制であれ、外部からの呼びかけに応えて、外部に出て行く必要があるのだ。 行進に加わっても、あっという間に脱落し、落伍するかも知れないとしても、また立ち上がり、どこかに向かって歩かなくてはならない。 寧ろそれは生物としての、動物としてのヒトの性質に由来するのかも知れない。

不吉な連想。

1.ハールメンの笛吹きに率いられた生物の集団自殺。 閾域下に働きかける信号によって、集団催眠にかけられ、操られた集団の行進はどこに向かうのか。 だがそれも、遺伝子のどこかに仕組まれた、進化の詭計によるものだとしたら?

2.強制収容所でマーラーの姪が演奏した行進曲。 収容所の入り口には、ナチスの欺瞞に満ちたモットーである「労働は自由にする」が掲げられている。 そこでの自由とはなんだったか。生き延びるためには行進から落伍してはならない。 だがそれは強制収容所の中だけのことなのだろうか。

一旦乗りかかった船からは、途中で降りるわけにはいかないのだ。 おまけに乗った船が実は泥舟であった、ということもある。 最初は立派な船であっても、何かのはずみで泥舟に変貌することだってある。 行進に加わったときにそれを見極めることが常にできるというのは後知恵に過ぎないのではないか。 しかも行進に加わらないことはできないのだ。 せいぜいが、運がよければどの隊列に加わるのかについての選択肢があるかも知れないというのが現実ではないのか。

マーラーの音楽が持つ異様な活力は、ぎっしりと詰った情報ともども、聴くものを疲れさせ、消耗させる。 だから疲れて病んでいるときには、しばしばマーラーを聴くのに耐えられなくなるのだろう。 だがじきに、自分の中に埋め込まれたマーラーの音楽が、再び立ち上がって歩き始めるように促し始める。 目を覚ませ、とそれは私に呼びかける。

もしお前が一緒に行進している同伴者が幽霊であったらどうか? それでもお前は一緒に行進するのか? だがしかし、私もまた幽霊の如き存在ではないのか? マーラーの行進曲は、そうした幽霊たちに手を差し伸べ、隊列に加わるように誘う。 かくして「レヴェルゲ」達の隊列が組まれる。

行進がどこに行くのか、誰も知らない。 いや、ある意味では皆が知っていて、知らないふりをしているということもできる。 実はそれがどこにも辿り着かない、目的のない、行進のための行進であることを、マーラーの音楽は誠実にも隠し立てすることがない。 ただ、マーラーは自分がかつて見聞きし、体験したと思った何かに再び出遭えることをどこかで待ち望んでいる。 どこに行けばいいのかもわからないし、それが実現することのないことを予感しているにも関わらず、何か自分に勝りたるものに与ることを夢見ることを断念することはできずに、盲目の意志に導かれて行進は続くのだろう。

私は弱った体の恢復を待ちながら、過去の異郷から響いてくる行進曲の響きに耳を澄ませ、性懲りもなく再び隊列に加わることを夢見て、その意志を壜に封じて情報の海原に投げ込む。 遠い昔、子供の頃にふとしたきっかけで、誰に教えてもらうでもなく、自ら探し当てた壜の中に閉じ込められた音楽の響きに導かれて、このようにして。

(2012.5.1, 2025.1.16 改題の上、再公開)


マーラーの音楽は未来を予言しているのか?(2025.1.16 再公開)

人はとかく音楽を未来を予言する書物に比し、作曲家を未来の預言者に仕立て上げたがるかのようだ。 さながらマーラーの音楽の場合なら、西欧の近代的な文化の没落を予見していた、みたいな ことがまことしやかに主張されることになる。 更には、例えばことばに比べて音というのはそれが何かは定かではないながらもある種の空気を察知する面が あるということを根拠に音楽が他の媒体に比べたとき、優れて予言に適した媒体ではないのかという 問いが為されることがある。

だがいわゆる表現媒体の違い、意味作用や享受者への働きかけ、創作のプロセスの違いによって 「時代を予見する」という点について音楽が特権的な地位を占めているというようには思えない。 個別の作品を創作する行為はあらゆる人間の活動を包含するような 意味合いでの「世界」において時間的・空間的な特定の座標において行われる ものだから、そうした文脈の側からの影響に対して無縁ではありえない。 それは創作者の立場(時代に意識的にコミットしようとするのか、超然とした 或る種の普遍性を希求するのが、そもそもそうした立場の決定自体に無頓着 なのか)とは独立に言えることだろう。文脈というのは、同じジャンルの 先行作、同時代の作品から始まって、社会的・経済的・政治的なものも含まれうる。

ところで「予見性」についての評価は事後的なものにならざるを得ないが、だとしたら幾らでも 後付の理屈がつけられてしまうのは避け難い。 けれども、そもそも時間的にいって後に起きることを字義通りに予見する というのは恐らくどのジャンルでもありえないだろうから、まずは同時代の 空気をどの程度反映しているか、更にはその空気が後続する時代との ある種の連続性を帯びたものであるのか、といった点が議論になるというのが 実態なのではないか。

実際には人間の活動は、どんなものでもある種の目的論的な図式が後から 適用できるような、いわば過去に基づき、未来に向けて現在のあり方を (受動的な場合も含め)選択していくという側面を持つ。 そしてそれは作品としての文化的な「遺産」の蓄積、書籍他の記録媒体、 文字や楽譜のような記録のための手段といったものがいわば「前提」と なって、その上で可能になっていると考えられる。(両者は独立ではない。) 従って、文化的な活動が優れた意味で何らかの「未来」をめがけたもので あるということは、程度の差はあれ(仮に創作者本人はひたすら過去を向き、 時流に反したアナクロニズムを実践していると自己了解している場合も含めて) 言いうるのではと思われるが、その一方で、こうした機制は非常に一般的な ものだと思われるので、個別のジャンルには依らないだろう。

勿論だからといって ジャンルによる違いがないことにはならないが、個別と一般のどこに区切りを入れるのが 適当かについての基準を仮にであれ設定するのは如何にして可能だろうか。 それ自体が歴史的・文化的な事後的な或る種の解釈を前提とした、いわば先行的 解釈を孕んでしまうのは避け難い。そもそも「音楽」にしても決してその内実は一義的ではなく、 マーラーの音楽をもって音楽一般を語ることが出来ないことは当然だが、では「音楽」一般を 語らなければマーラーの場合について語ることができないかといえば、そういうわけでもなかろう。 だからここではジャンルへの依存といった水準の議論はひとまずおいて、マーラーの場合 という個別のケースについて見ていくことにしたい。それによって明らかになるのは、 音楽が未来を予言するといった発想自体がある種の錯視の上に成立している有様ということになるだろう。

ある人が音楽を未来を予言する書物に比し、作曲家を未来の預言者に仕立て上げようと企図するとき、 実はその人は彼自身がその未来に住まっていて、いわば事後的に同時代者を過去に 見つけようとしているに過ぎない。勿論、作曲者自身が預言者を気取り、自己の音楽の進歩性を、前衛性を 自ら唱導することもあろうし、作曲者の同時代人が彼の音楽にいわば「新しい道」を見出し、その先に未来を 思い描くことの方もまた、ありふれた光景には違いない。そして未来に居る人の審判を待つこともなく、確かなものに 思われた多くの道が実は作曲者とともに瞬く間に消滅することもまた、ありふれた事態であり、未来に居る人間は、 そんな道があったことすら忘れてしまって、少なくとも出発点においては、偶々自分の時代にまで延びている 道のみを頼りに過去への遡行を始めることになるのであってみれば、残った音楽の裡に、自分の時代に繋がる 何かを事後的に発見するのは、寧ろ約束されたことなのかも知れない。だが、それが進化を支配する淘汰の原理を 目的論的に解釈してしまう錯誤と異なるものであることの方もまた、ほぼ確実なことだろう。けれども注意しなくては ならないのは、もしかしたら文化的な領域というのは、そもそもがそうした過誤と不可分で、そうした過誤を惹き起こす 構造にいわば基礎付けられているかも知れないという点であろう。それが優れて「人間」の営みである由縁こそ、 そうした「目的論的図式」を支える時間性に存するからである。

それにしてもマーラーの場合は極端であったということはできるのではないか?クルト・ブラウコップフのあまりに 有名なマーラーの評伝は「未来の同時代者」という副題を持っていた。それ以外にもマーラーを未来の預言者に 見立てるキャッチフレーズは枚挙に暇がないだろう。バーンスタインは「彼の時代はやってきた」と題する文章を書き、 その冒頭を「マーラーの時代はやってきたのだろうか?」という問いで始めている。クーベリックはより端的に、 「マーラーの時代は来た。」と冒頭で宣言する。ブーレーズは「マーラーは今日的か?」という問いをタイトルに 掲げる文章を書き、その末尾で「音楽の未来についての今日的な反省にとって欠くことのできない存在」として マーラーを位置づけて文章を結んでいる。いわゆる流行現象を事後的に確認するというよりは、そうした身ぶりを 装って、実は対象としている流行現象の一部を為しているに過ぎない類の広告紛いのコピーや、そうした流行に 対して一見距離を装って、既に四半世紀も前から判りきった認識を今更のように唱導してみせることで、実際には そうした流行の後追いをしているに過ぎないような論説の類はおくとしても、マーラーの音楽が未来を予言する ような類のものであるというのは、広く共有された認識であるかのようだ。

予言という言葉の持つ或る種のいかがわしさには、予言の「内容」というのが、とりわけてもそれが現時点において 未来の事象を扱うものである場合、はなはだ曖昧で、事後的にその内容を評価しようとした時に、どのようにでも とれるようなレトリックが潜ませてあることが多いことに由来する側面があるだろう。だが、事後的な後追いの理屈の 場合ですら、多くの場合には流行現象を説明するべく、或る種の時代の雰囲気の如き、甚だ曖昧なものが 予めその音楽に表現されているといった類のものが多い。より具体的なものでは、恐らくはアルマの第6交響曲に纏わる 回想がいわば連想の起点となって、その音楽が象徴するものというより寧ろ解釈者がその音楽に象徴させたがっている ものをかわるがわるにあてがうことが繰り返し行われている。内容は家族やマーラー自身に起きた不幸といった私的な ものから、広島・長崎への原爆投下に至るまで様々で、不毛な「標題音楽」についての議論はおいて、それ自体は 紛れもないマーラーの音楽の音楽外のものへと関わろうとする志向がそうした解釈を呼び寄せていることは確かなことに見える。

何よりも生誕100年以降今日までのマーラー受容に決定的な役割を果たしたことについては議論の余地のない、 アドルノのマーラー論は音楽社会学的な視点を備えた内容であったし、既に触れたマーラー評伝の著者である クルト・ブラウコプフもまた音楽社会学者であり、下ってマーラー事典を編んだアルフォンス・ジルバーマンもまた然りで、 アドルノの視点が一般的な了解における音楽社会学の枠組みを逸脱するものであるとはいえ、単純な反映理論では ないにせよ、音楽作品が窓のないモナドのように時代を反映させるという発想に基づいてその音楽の観相学を 試みるという志向自体、音楽作品がそれを生み出した時代と無関係でありえないという了解に基づいたもので あるのを考えれば、マーラーの音楽自体にそうした解釈を誘う傾向があるのではと考えるのはごく自然な発想であろう。 勿論、そうした事態は別にマーラーの場合にのみ生じている訳ではなく、それは他の音楽についても言えることである という反論が一方では想定され、他方では、そこで問題になっているのは専ら音楽作品の(アドルノ的な意味での) 「素材」の音楽作品への影響であり、成立した音楽作品の持つ影響であったり社会的な機能ではないという 反論もまた可能だろうが、そうした反論を一旦認めてなお、マーラーの音楽に顕著な何らかの傾向が、 マーラーの音楽を「予言的」たらしめているということは言いうるであろう。

その一方で、狭義での音楽の歴史の展望の下においてもまた、マーラーと新ウィーン楽派とのある種特権的な 関係をもって、マーラーの音楽に次の世代の音楽の予兆を読み取ろうとする傾向が存在する。音楽そのものにとっては外的な 人的な交流の水準のみならず、マーラー自身の音楽の発展史を俯瞰してみれば、その中期以降の作品に新ウィーン楽派を 準備する要素を見出すことはそんなに難しいことではないだろう。そしてその影響の範囲は新ウィーン楽派に留まる わけではなく、新ウィーン楽派に由来するセリエルな発想に対する代替として出てきたコラージュ的な作曲法、 層的な作曲法、空間性の重視、音色の多様性や調律されていない雑音的な音響の組合せなど、マーラーとの影響 関係が議論される手法は少なくない。これまた後付けの理屈ではあるけれど、そうした作曲法のいわば先駆として マーラーを発見することは、そのままマーラーの音楽の「未来性」の証言であるという認識に繋がっていく。

マーラーの音楽そのものの時間性の方はと言えば、それは目的論的な構造を持っているが、外から与えられた(ということは 既に使い古された、ということでもあるが)図式が無批判に利用されることはなく、唯名論的にその都度形式が吟味され、 時には破綻が生じたようにも見え、時にはそれが或る種の別の構造へと作り変えられるといったことが生じる。 だが、目的論的な構図がなければそれらはそもそも機能しない。そして目的論的な構図というのは、少なくともマーラーの時代以降、 21世紀の現在に至るまで、マーラーが聴かれるような文化的・社会的な空間における存在論的な基本構造である。 ジュリアン・ジェインズが構想したような意識の考古学のような射程においては、それは必ずしもある時代の反映ではなく、 もっと長期的な(ただしそれが地球上の人間の在り方として多数派であるというのは、単なる思い込みである可能性が 高いことは念頭においておいた方がいいだろう)存在論的な「時代」を通じて見られる一般的な構造であるだろうが。 だが、ある時期以降、マーラーははっきりとアナクロニスムになった可能性もまた考えてみるべきだろう。確かにある文化に属する あるジャンルの中の展望としては、それはこの半世紀、流行現象と言って良いほどの受容がなされたのは確かだろう。 だが、その外部の広がりの大きさを考え、更にそれがマーラーの時代以降、だんだんと大きくなり、ますます大きくなっていくで あろうことを思えば、マーラーの音楽を聴くこと自体が最早時代にそぐわない、アナクロニックな行為と見做されるのではないか。 確かにいわゆるコンサートのレパートリーとしてはある時期以降、あくまでも相対的に順位を上げ、演奏頻度が上がってきている のは確かだが、それが今日演奏されるの意義が、マーラーの生前、例えば1910年の第8交響曲の初演の持つ意義と 比べて、あるいはまた、第二次世界大戦後のウィーンで再びマーラーの作品が鳴り響いた折の意義と比べて、その頻度と アクセスのし易さに応じて大きくなったとはいえないのではなかろうか。そもそも自分は何故マーラーの音楽を聴くのか? もしかしたらそれは、今や絶滅に危機に瀕しているかも知れない存在の様態を擁護し、その意義を信じて投壜通信を 行うためではないのか?

勿論、マーラーの音楽が聴かれなくなる未来というのを想定することはできるだろう。否、同じ時代に生きていながら、 マーラーの音楽とは無関係に生きている人間の方が圧倒的に多いことを考えれば、マーラーの音楽が聴かれる場というのは、 常に既に極めて限定されたものであったし、今でもそうだし、恐らく将来もそうであるに違いない。ジュリアン・ジェインズの二院制の心に おける意識の考古学が告げるように、マーラーの音楽は、過去のある時期より遡っては存在しえなかっただろうし、未来のある時点、 ポスト・ヒューマンの時代には、マーラーの音楽は既に絶えて久しい、かつて「人間」と自己規定した存在の在り方を証言する 考古学的な遺物となる可能性だってあるだろう。だがその時には、そもそも音楽自体が今のままではありえないのではなかろうか。 例えば三輪眞弘さんが「感情礼賛」で仮構したような事態を思い浮かべてみれば良い。そこでは「音楽を一人きりで聴く」という こと自体が最早不可能であるに違いないのだ。そしてその時は、同時にマーラーの音楽は最早如何なる意味においても 「未来」とは関わりのない、化石のような記録に過ぎないものとなるだろう。だが、その時にはこの私は、マーラーの音楽よりも更に 儚く堆積の下に埋もれ、かつてあった痕跡すら喪われ、端的に無に帰しているに違いない。マーラーの音楽なき未来は、だから 私にとっては端的に存在しない。私よりもマーラーの音楽の方が永続的なのだ。してみれば、マーラーの音楽は、こと私に限って言えば、 常に未来に在るといってもいいのかも知れない。ただしそれは、マーラーの音楽が、かつて未来であった今日を予言していたという意味合いでは 全くない。寧ろマーラーの音楽は、その個別の作品の時間性の裡においてそれ自身の未来を(仮にある時には幻滅の下、断念されたものとして であったとしても)志向するのだ。

(2013.4.23,27, 2025.1.16 改題の再公開)

2025年1月13日月曜日

第8交響曲と「大地の歌」との連続性’(2025.1.13再公開)

ふとしたきっかけで第8交響曲の第2部を聴く。

途中で止めるつもりが、一気に聴きとおしてしまう。否、途中で止めることができなくなってしまい、 あっという間にMater Gloriosaの登場に至ってしまう。この曲もまた、マーラーの他の作品同様、音楽の脈絡が 自分の中にそれなりの正確さで保たれていることに気付く。それゆえ聴取は受動的な経験になりえない。 自分の中で展開される出来事を、聞こえてくる音によって確認していく行為にそれは近くなる。 第2部は1時間近くもあるのに、何と短く感じられることか。

この作品が持つ力はやはり圧倒的だった。 この作品の決定的な瞬間の持つ威力は、例外的なものだと私には感じられる。 その力は多分、最初に聴いた30年前から、衰えていない。練習番号155番の少年合唱(Selige Knaben)の入り。アドルノとは異なって、私が一瞬何が起きたかと思い、ぞっとするのはここだ。 このあたりから音楽は少なくとも私にとって未知の、未聞の領域に入っていくのを感じる。 何度聴いてもそうなのだ。何か、人間が、この儚い、有限の生命しか持たない生物が、 そしてその生物に進化の悪戯によって備わった、さらに取る足らない意識が到達することのできない場所に、 自分がそのままでは見てはいけない何かに近づいている気がする。

そして練習番号165番の第1部の第2主題(Imple superna gratia)の再現。 主題が再現するということの持つ圧倒的な力をここまで徹底的に感じさせる瞬間というのは、 なかなかない。最早これは日常的な時間意識の裡にない、というのは確かなように思える。 (実際には私は、今日は第1部を聴いていないけれど、そして勿論、記憶と知識が それを補っているのだけれど、この部分は、マーラーの決定的な主題再現がいつもそうであるように、 それが「再現」であるという徴を帯びている。或る種の時間的な感覚を呼び起す何かがあるのだ。 「かつてあった」という感覚、そこから遙かに遠くに至ったという感覚。目も眩むような距離感が 再現には含まれている。マーラー自身、ここの箇所にetwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと 記しているのだ。歌詞もまた、Er ahnet kaum das frische Leben,...と、ファウストの再生を歌う。)

練習番号176のマリア博士の歌唱もまた、聴くたびに心を揺さぶられる。「到達した」という 非常に強い感覚。またしてもずっと遠くに来てしまった、そしてもう引き返すことなく、 決して戻れないのだという不可逆性の感覚。ちょっとした戦慄、軽い恐慌状態。

神秘の合唱が始まる瞬間、「時の逆流」という言葉がいつも思い浮かぶ。 もともとそれはホワイトヘッド的なプロセス哲学における時間論のある解釈の文脈で用いられた 術語なのだが、私にはそれが比喩には思えない。かつても思えなかった。勿論、文字通りの意味で もともとの「時の逆流」をこの音楽に対応付けることはできない。 だが、この音楽から受ける印象は、まさに「時の逆流」と呼ぶに相応しい。

別のところで、第8交響曲を全曲がアドルノのいう「突破」(Durchbruch)として形作られたかの ような、という言い方をしたが、「突破」をホワイトヘッドの時間論によって読めば、まさにそれは 「時の逆流」が起きる相だし、しかもマーラーはここで「創造性」を、新しさを問題にしているのだ。

それはお前の思い込みだ、お前という個体の経験、脳に築かれた回路網に固有のものだという 反論があり、その一方でこの作品は所詮は、ある時代のある文化の産物に過ぎないし、 その作品のイディオムもまた、その時代にあってはありふれたものだという反論がある。 人によっては、そもそもこのような詞章に音楽をつけることそのものを暴挙と見做すかも知れない。 それらは正しく、私はその正しさの前に無力だ。だが、それでもなお私にとってそうした反論は虚しい。 私はこの曲を客観的にみて低く評価する意見に反論するつもりはない一方で、 にも関わらずこの音楽が少なくとも自分にとって例外的な意味を持つのも確かなことだ。 作品の出来など私には結局のところわからないし、最後の部分で私にはどうでも良いことなのだ。 マーラーは多分何かを見た。それは彼の天才によってこの音楽にきちんと刻印されている。 そして私はそれを確かに感じることができる。充分に受け止められるとは言えないにせよ。

音楽は人間のものだ。それは人間の限界を超えることはできない。だが、このようなものを (それがマーラーという天才であったとしても)人間が創りだしたということは、 何か奇妙なことにさえ感じられる

私にはマーラーがこれを天体の運行に喩えた気持ちがよく分かる気がする。書きとらされたという 印象を文字通りの非常に正確な言い方として受け止めることができる。

この音楽には、「私」はもういない。創る私も、聴く私も。 だが、誰かが演奏しなければならない。しかも数百人の人間が演奏する必要があるのだ。 もう一度、音楽は人間のものなのだ。だが実演に接したことがあるにも関わらず、 それすらもまた、奇妙なことに思える。寧ろこれはピタゴラス派の天球の音楽にこそ相応しいのでは、 生物学的な制約からは自由であるべきではないのかという、冷静に考えればナンセンスな 考えを振り切ることができない。

突然、第2部をこの前聴いたのが何時なのかが思い出せないことに気づく。 少なくとも数年前、もしかしたら10年以上前?実演は1度きり、もう20年以上前のことだが、 録音ですらこの音楽から何と長く遠ざかっていたことか。

この曲を演奏会場で聴くことはもう無いだろう。恐らく、自分の感情を制御できないだろうから。

しばしばマーラーの音楽の決定的な瞬間に、私は死別した人や動物のことを思い出す。 否、思い出すというより、彼らが今いる場所の近くにいるような印象を覚える。 今日、よりによってこの第8交響曲の第2部を聴いていて、それが起こった。 20日ほど前に「こんな嵐の中で」喪われた生命。

そう、マーラー自身もまた、この音楽の裡に死別した兄弟や友人、親の姿を 見出したのではないか。この音楽には―少なくとも第2部には―実は死の影が覆っている ように感じられる。もう一度、あの練習番号155番の少年合唱(Selige Knaben)に 立ち戻ってみれば良い。彼らはファウストについて語りながら、自分たちについても Wir wurden früh entfernt / Von Lebechörenと述べているのだ。Imple superna gratiaの 主題の再現で、ファウストの再生を歌うのはかのグレートヒェンである。

ここではこの世では起きようのないこと、寧ろ起きては「ならない」と言うべきかも知れないことが 起きているのだ。(例えば、ゲーテのファウスト同様、これまたマーラーの愛読書の一つであった「カラマーゾフの兄弟」 第5編「プロとコントラ」の「4.反逆」の章におけるイヴァン・カラマーゾフの言葉を思い起こせば良い。 私にはゲーテのファウストのこの結末を噴飯物として受け付けない人の気持ちもわかるような気がする。)

30年前にこの曲のこれらの箇所を聴いてぞっとした私は、総譜ももっていなかったし、 歌詞がきちんと頭に入っていたわけではないけれど、マーラーの音楽は、 出来事の異常さをそれ自体ではっきりと告げていたのだろうし、今なお、そうした印象は 揺るがない。「かくあれかし」は、実際には起きてはいないことを起きたと称する詐術ではない。 私には、ここでは音楽による簒奪は起きていないように思える。

その見かけは逆説に、矛盾に見えるけれど、そして五音音階の使用や東方的なものへの眼差しといった様式的な連続性も指摘することはできるだろうが、その内容の面においてもまた、第8交響曲は「大地の歌」に、更には第9交響曲へと どこかで繋がっているのだろう。神秘の合唱は成就を歌うけれど、聴いている私はその劈頭の言葉、移り行くものに留まる。 私は成就した何かに与れない。私は模像に過ぎない。そしてまた、死んでいった彼等も また模像に過ぎないのだろうか?多分そうなのだろう。

私がこの曲を聴かないのは、嫌いだからでも、評価していないからでもない。 聴くのがこわいだけなのだ。聴いてはならないような気がしてならないだけなのだ。

今日の私にはこの曲の終結は「大地の歌」の終結と同様、涙無しで聴けないものであった。 もしかしたら、私が消え去ったのちにどこかで彼等と再び遭うことがあるのだろうか。 私の知らない未来、この曲がそこから到来し、そして同時に指し示す未来、永劫に、決して私には訪れない瞬間に、 (今さっきそうしたように)彼らを追憶し、想起するのではなく、再び彼等とともにあるのだろうか。

この音楽はそれ自体が、人間が人間のままでは起こりえないこと、経験することのない 瞬間から到来したものであるかのようだ。アドルノも似たようなことを述べているが、この曲において何が実際に成就したのかを 見極めることは不可能だ。否、音楽はそもそもそれ自体仮象に過ぎない。 現実には何も成就していないのだ。お前が自宅のPCで夜遅くに音楽を聴く一瞬だけ 起きる何かなど、何だと言うのか。けれども、それは全くの無ではない。突破の契機は 色褪せ、結局のところ無力だけれども、それでも突破が起きなかったとは言えないのだ。 それがある生物の個体のちっぽけな脳内で起きた事象に過ぎなくても。

今や私には、「大地の歌」がこの音楽と矛盾するものなどではなく、当然の帰結であるように感じられる。 更に時代を遡って振り返ってみるならば、第8交響曲の第2部は、「子供の死の歌」の終曲「こんな嵐に」の末尾とほとんど同じ(非)場所(=ユートピア)を指していないだろうか。 多くの人にとってこの音楽の持つ意味とどんなに懸け離れたものであったとしても、 私にはそのようにしか受け止められない。

(2008.4.26/27, 2025.1.13 改題・追記の上再公開)

儚い意識の擁護としてのマーラーの音楽―埋葬の後で―(2025.1.13再公開)

喪の文章。喪についてではなく、喪の行為として文章を書くこと。追悼の文章を書くこと。まずは自分のために。 けれどもあわよくば、喪われた命、恐らくは、このようにして書き留めなければ生成の絶えざる過程の流砂の中に埋没し、忘れ去られてしまう ハエッケイタスの擁護のために。そうした擁護もまた無力で、それ自体が流砂の中に埋没してしまうことはわかっている。客観的には愚行、 無意味な行為であることが明らかであるのに、それを止めることはできない。

死は他者である、ということは、かつてレヴィナスを研究していた時には明らかなことに思えた。ところが死の他者性は、他者性ゆえに 備えることができない剰余を必ず持っている。というよりその剰余こそが他者性なのだ。そうやって、嵐が来てみて、またしてもその嵐の最中で その都度不意に生命が喪われるのに直面する。常にその瞬間は不意打ちだ。そうやって今までそこに在った意識が不意に消滅する。 私を見つめていたまなざしは永遠に喪われる。永遠に、永遠に。残るのは活動を停止した生命維持のメカニズムの残骸。停止した自動機械だ。 意識はその自動機械のユーティリティの如きものに過ぎなかったのだ。

能にはいわゆる霊がごく自然に、当たり前のように出てくる。それは後には「怪談」という枠組みの中で恐怖の、排除の対象となるのだが、 能ではそうではない。彼らは大抵は己が成仏できない理由を述べ、僧形のワキに供養を請い、読経の功徳によって成仏する。彼らは肉体を 喪ってはいるが、別に不気味な存在というわけではない。これをチャーマーズのゾンビと比較するのはお笑い種だろう。ゾンビとは逆に、ここでは 意識のみがあり、身体は存在しない。ゾンビはまるで意識があるかのように身体のみが動くが、霊ではまるで身体があるかのように意識のみが動く。 そして更に考えてみれば、ここでの霊というのは意識の存在の制約条件を見事に裏返したものになっている。それは生物学的な制約を離れて存在したいという 無いものねだりの極限、意識自身の虚像なのだ。瞑想は言ってみれば感覚を遮断して意識のみを切り離す訓練だが、ソマティックな感覚まで 無くすことは困難だ。そこでは身体すら外部なのだ。ゾンビとゴーレムの西欧はいざ知らず、日本には意識なきロボットを擬人化する志向的スタンスがある一方で、 意識をその存在の物理的な制約から分離したものとして見做す志向もまた存在するということなのだろうが、それは多分ごく自然なことなのだろう。 能の多くが夢幻能で、それが繰り返し繰り返し、洗練を重ねつつ演じられ続けてきた理由の一端が実感できるように思える。だが、さしあたっては それは願望に過ぎない。意識は生命維持機構が発達させてきたユーティリティに過ぎず、それはある条件さえ整えば、生命の維持に必須なわけではない。 否、意識を持たない生物はいくらでもいるだろう。だが、私にとってはそのユーティリティがかけがえのないものなのだ。そして私自身もまた、 そうしたユーティリティに過ぎない。そして私は、他の意識の消滅を経験し、それが生じることを認識し、更にはそれがいつか自分に起きることを 色々な知識や経験によって知っている。けれども、知識としては持っているにも関わらず、自分自身の存在を脅かすのと同型の出来事が、自分がともに生きてきた 同型の存在に起きることによって自分の中におきる反応にいつまでたっても慣れることができない。それもまたそのように事前にプログラミングされている のかも知れないが。(もしそうだとしたら、「それは自分にもいつか起きる」という認識を持つことは、私にとってではなく、そのプログラミングを行った主にとって 一体どのような効用があるのであろう。)

そして今度もまた、マーラーがそう感じ、ワルターへの手紙に書いたように、私もまた「一からやり直さなければならない。」 マーラーは何故、そうした時に音楽を書いたのだろう?逃避のため、自己治療のため、などなどといった説明が色々あるのは 知っているし、それはそれぞれ正しいのだろう。それは喪の行為そのものだったに違いない。だが、それが作品として定着され、 ミームとして存続するのはどうだろうか。マーラーは自分の作品を精神的な「子供」と見做していたのだ。そして確かに、生命の連鎖とは 別の仕方で、その「子供」はマーラーの死後も命脈を保っているように見える。マーラーは、作品を創ることを、無意識の裡の反逆として 捉えていたのではないだろうか、と私には思えてならない。「原光」の歌詞が物語るあの葛藤は、素朴な装いではあるけれど、反逆の 一形態に感じられる。愚かなファウストの行いにもそうした「反逆」の影が見える。それは一方で、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』においてイヴァンが大審問官の物語を語る際に述べた「反逆」に通じ、と同時に、どこかでダマシオが『自己が心にやってくる』で語る、延長意識を備え、自伝的自己を持つようになった主体の「反逆」に通じているに違いない。

マーラーの知性は、ファウストの終幕自体が或る種の「比喩」、ある文化の拘束下での表現形態の一つに過ぎないという認識に到達していたようだ。 丁度、ある人が確かに見たという神や天使といった超越的な存在の幻視が、その人の想像力に拘束されて、ひいてはその人が埋め込まれた文化を 色濃く反映しているのと同様に、人間は自分の認識の檻の外には出られないというのを彼ははっきりと認識していた。自分がすべて移りゆくものの、 比喩の側にしかいないという認識が彼にはあった。だからこそ、例えば第2交響曲のフィナーレのプログラムを真に受け取って、質問をしてきた女性の態度に 彼は当惑したのだ。どんな得意の絶頂にあってさえも、彼は自分が創るものがまがいもの、フィクションに過ぎないこと、その仮象性、 虚構性をはっきりと自覚していたに違いない。にも関わらず彼が創作をしたのは、それが結局のところフィクションに過ぎなくても、 そうせずにはいられなかったからなのだろう。 それは不可能事への挑戦、マーラーが親しんでいたカントであれば純粋理性が突き当たるべく宿命付けられているとされるあのアンチノミーに他ならない。 マーラーがカントをどのように読んでいたかは詳らかにしないが、恐らく、そうした自分の能力を超えた問いを立ててしまう人間の性のようなものをカントが 自分なりの仕方で見出した点に共感していたのではないかと想像せずにはいられない。 彼の作曲は、彼なりのそうした不可能事への挑戦、私なりに言い換えれば、ある種の「反逆」の実践ではなかったろうか。

私=この意識は、それによって自分が偶然に生じたに過ぎない進化の盲目の巧緻を賞賛できない。寧ろショーペンハウアー的な盲目の意志にしか 感じられない。私はおまけに過ぎない。そのかわりレヴィナスのいう多産性が用意されていると言うかも知れない。だが、それは私=この意識のためのものではない。 多産性は遺伝子が自分の存続のために仕組んだメカニズムで、個体の生命維持機構の上にほとんど随伴的にしか存在しえない私には 関係がないことだ。勿論ハエッケイタスはクオリア同様虚構で、ついでにお前という意識も虚構だ、と消去主義者は言うだろう。 確かにある視点からはそれは正しい。けれども、私にとって私は存在する。お荷物だろうが、私は無くなるまでは自分に付き合っていかざるを えないし、つい数十時間前まで私を見つめていたまなざし、確かに存在していた他者の意識をなかったことになどしたくないのだ。 私は私なりの仕方で「反逆」を企てたいのだ。勿論、天才ならぬ私には、マーラーのようにはできないのはわかっているけれど、そして、 多くの意識たちが、聖書の鳥のように、播かず、刈らず、倉に納めず、それでいながら、私の記憶の外では喪われてしまう無償の優しさを 与えてくれながら、無から無へとひっそりと還っていくその慎ましさに、自分もまた同じように全てを消去して、姿を消すべきなのではという懐疑に捉われつつも、 一方でそれらの意識たちの存在の慎ましさ、寡黙さゆえに(彼らは黙っていれば自分からは主張したりはしないだろうから)、己の非力を顧みない愚挙であっても、 あるいは彼らにとってはとんだ「おせっかい」かも知れなくても、自分なりの「反逆」を企てたいのだ。

否、私にはできなくても、マーラーの遺した音楽は、そうした私の心のベクトル性を汲み取ってくれるように感じられる。それが勘違いであっても、 私はそれを(主観的な音楽ではなく、)意識の音楽、儚い意識の擁護の、主観性の擁護の音楽として聴き取る。その音楽はあまりに個人的であるという廉で批判され、 蔑まれてきたし、今後も毀誉褒貶が相半ばすることだろうが、それでもミームとしてのその力は明らかなように思われる。そしてその音楽が、喪の行為であること、逆説的にも 肯定的な瞬間においてすらそうであること(第8交響曲)は、私には明らかに感じられる。喪の行為が私=意識にとって必要であり続ける 限りは、マーラーの音楽は私のかけがえのない伴侶、しかも私よりも遙かに長寿の、「神の衣」の一部となることが許された同伴者なのだ。 マーラーの音楽がすっぽり含まれるであろうロマン主義的な音楽観は、音楽史においては、あるいは今日の作曲の現場では もう命脈が尽きたことになっているのかもしれない。だが、それは私にはどうでもいいことだ。私にとって大切なのはロマン主義的な音楽観自体ではなく、 それが産み出した(というのは認めたとして)マーラーの音楽という個別の場合の様相だ。肥大した自我?こんなに醒めて、己(と己の同類)の 有限性に意識的なのに?情緒過多で感傷的?確かにそうかも知れないが、ここに自己陶酔があるとは私には思えない。こんなに外部が、死が、 他者の影が露わな音楽はない。それは時折、自分を飲み込む「世の成り行き」のミメーシスに転化さえするではないか。

ある意識が「存在した、生きた、愛した」という事実性そのものを顕揚し、あたかも擁護しているようにみせかけ、 そこに慰めを見出すように諭す哲学者の姿勢には、好意的に言っても無意識の詐術が潜んでいる。事実性は、 (悪意ある言い方をすれば)最悪の場合でもそうした哲学者の行為によって、ようやくはじめて意味を持つのではないか。 「事実性が滅びることはない」のは、如何にしてなのかといえば、「事実性が滅びることはない」と幾つもの意識が連帯しつつ、反目しつつ、 あるいは互いに無関係に言い続けることによってでしかありえないのではないか。「生きた自然の超自然性」などといったお得意の、 しかし変わり映えのしないレトリックを最後に至っても手放さず、そうしたレトリックによって何かが達成できたかの如く振舞う饒舌なジャンケレヴィッチの姿は 私には欺瞞にさえ見える。もし、自分で気づいていないなら、それはそれで哲学者らしからぬ(でも、現実には哲学者におきがちな、自分だけは 安全なところにいて、超然とした視点を確保できているという勘違い、ないし、そのようなふりをする詐欺と同様の)、度し難いお目出度さだ。 それでもなお、彼(の=という意識)が「死」というタイトルを持つ数百ページにも及ぶ大著を残したことは事実だし、その内容が持つ効果は全くの無ではない。

そうした哲学者の賢しらさに比べれば、マーラーの音楽はずっと素朴に見える。(彼はまた、そのナイーブさによっても蔑まれて きたのだった。)あるいは音楽はそんな目的のためにあるのではなく、もっと高邁な目的のためにあるのだとして、彼の音楽を安っぽく、低俗なものと 見做す立場もあるだろう。一方で、マーラーの音楽を精神安定剤の如く利用するとは何事か、結局マーラーの音楽をムーディに消費している だけではないかという批判もあるかも知れない。そしてこうした聴き方は、本来あるべき姿に違いないコンサートホールでの実演ではなく、 専ら自宅で、生活の糧を得るのに追われる合間に、しばしば断片的に、貧弱な再生装置で録音を貪るような受容のあり方に固有の非本来的なもの、 コンサートホールのマナーには全く相応しからぬ、品のない姿勢として蔑まれるかも知れない。 結構、きっとそうした批判は皆、多分正しいのだろう、どこかに輝いている真理の星の輝きの下においては。 だが生憎、地面に這いつくばって生きているに等しい私には、そんな真理の星は無縁だし、 マーラーをそんな真理に照らして聴き、理解しないといけないのであれば、私には30年前のはじめからマーラーを聴く資格などなかったし、 今でも勿論ないのだろう。

それでも多分、私はマーラーを聴き続けるし、マーラーについて書き続けるだろう。無言のまま永久に閉ざされた瞳の向こうに、 ほんの少し前まで確かに存在した小さくて純真なあの意識をしのび、せめて自分が存続している間には、この出来の悪い 神経回路網に決して忘れないように記憶し続けるために、そしてそういう自分もいつの日か、跡形もなく消えうせるという事実を確認し、 銘記するために。こうした書いた文章とて、永遠とは程遠い。紙に書かれたものは風化し、電子化したものは環境の違いで そもそも無意味な数値の羅列になりうるし、そうでなくてもディスクが壊れて喪われてしまうかも知れない。けれども、私は、自分が 記憶している「良きもの」が、自分の死とともに永久に喪われるのに耐えられない。少しはましで充分。その少しの程度の違いのために、 私はもうしばらくは書き続けるのだと思っている。

(2008.6.4、埋葬の後で, 2025.1.13 改題・追記の上、再公開)

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (1)(2025.1.13更新)

  かつて私は、その年齢相応の仕方ではあったが「老い」について幾つかの対象を媒介にして考えたことがあった。それは生物学的・生理的な老いそのものではなく、アドルノとは別の仕方によって「後期様式」とは別の選択肢に辿り着くというような認識の様態を巡ってであった。

 それらの起点はと言えば、或る日自分に訪れた「折り返し点」の感覚ではなかったか?この折り返し点という感覚は、様々な「老い」についてのドキュメントのアンソロジーでもあるボーヴォワールの『老い』の中でしばしば現れるから、その時にそう思って以下にも書き付けた通り(そしてその時には、ダンテの『神曲』の冒頭が思い浮かんだのだったが)、それは普遍的な感覚なのだろう。そしてその時には気づかなかったけれど、つまるところこれは「老い」についての自己認識だったのだろう。ボーヴォワールの『老い』の第五章は「老いの発見の受容―身体の経験ー」と題されているが、そこには、ルウ・アンドレアス=サロメが病気のあとで髪の毛がたくさん脱けたのをきっかけに、「それまで自分に「年齢がない」と感じていたのだが、そのとき彼女は自分が「梯子の悪い側」(下り坂)に差しかかかったのを認めたと告白している。」(ボーヴォワール『老い』(上), 人文書院, 1972, 下巻, p.338)というくだりがある。ボーヴォワールはこのケースを急激な変化が老いの自覚を促すケースとして挙げているのだが、私の場合には、病などの急激な変化がきっかけという訳ではなく、寧ろ、同じ章の冒頭のボーヴォワール自身の回想である「早くも四〇歳のとき、鏡の前に立ちつくして、「私は四〇歳なのだ」と自分に向かってつぶやいたとき、私はとうてい信じられなかった。」(同書下巻, p.333)というのに寧ろ近いのだろう。だがしかし、そもそも私の老いの自覚は身体の経験に根差したものではなかったのだ。したがってそれよりも寧ろ、同じ『老い』の中にボーヴォワールが参照するダンテの『饗宴』における老いについての考察―「彼(ダンテ:引用者注)は人生の道を、大地から天に昇って頂点に達し、そこからふたたび加下降する弧に比較している。天頂の位置は三十五歳である。それから人間はゆっくりと衰えてゆく。四十五歳から七〇歳までが、老年の時期である。」(同書上巻, p.264)を確認した時(かつての「折り返し点」に事後的に気づいた私は『饗宴』の方は知らなかった訳だが)、それが自分のその時の認識の在り方に即したものであったことに驚き、更にその時の私が他ならぬダンテの『神曲』の冒頭を思い浮かべたことの方にもまた、今頃になって驚いたのであった。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
Mi ritrovai per una selva oscura,
Ché la diritta via era smarrita.

人生の半ば、私は暗い森のただなかにいた。
有徳の正道は、もはや見失われて。(ダンテ『神曲』)

 まさにそのような感覚を持つ。多分それは普遍的な感覚なのだ。生きる力と衰えの均衡点に居ることの齎す停滞感なのではないか。

 人生の半ばを過ぎたことは確かだ。書き留めておくべきであったかも知れないが、今から1,2年程前のある時期に、はっきりとそのような感覚を持った。 そして、自分には何も残すものはなさそうであること、未だ「神の衣」を織ることあたわず、夢のまま終わるのかもしれないという漠とした感覚。 実際には、そうあっさりと思い切れるものでもない。だってまだ半分残っているのだから。 けれども、それが「どこ」にあるのか、わからなくなっている。(「身辺雑記(1)」の冒頭部分)

* * *

 『狭き門』のアリサにおける「老い」。アリサとジェロームの関係における「老い」。相転移の向こう側。不可逆性(「もうページはめくられてしまった」)。不連続性。その移行のプロセスに注目すること。事後的に気づくのか?「老い」はアリサの側にあって、ジェロームにはない。だが、最後の場面における「年を経た=齢をとった」ジェロームにはないか?ジュリエットにはないか?

 アリサはもう、後には引き返さない。迷いはあるし、絶ち難い心の動きはあるけれど、 それらを寧ろ利用して反発力を得るかのように、パスカルを捨て、ピアノの練習を捨て、遂には家を出てしまうに至る。「私は年老いたのだ。」という 第8章のアリサの決定的なことばの重みは、一見するとそのように読めるにも関わらず、そしてその時のジェロームがまさにそう誤解してしまったように、 その場を取り繕ったことばであるわけではない。この言葉は、誰よりもアリサ自身にとって、ありのままの風景、展望であったろう。 彼女は相転移の向こう側の領域にいるのだ。だからジェロームの見ているのは、文字通り「幻」なのである。

 裏返せば、アリサは初めから相転移の「向こう側」に居たわけではない。「私は年老いたのだ。」という言葉を文字通りに受け止めるとどうなるか。 まず年老いる、とは以前のようではない、以前とは変わってしまった、相転移が生じて、 以前とは別の相に既にいるのだ、ということに他ならない。アリサの日記は、その異なる相から響いてくるのだ。アリサはある一線を越えてしまった。ヴァルザーの描く、 ブレンターノが入っていったというあの門が思い浮かぶ。(それはカトリックへの帰依に関するものだったから、寧ろ10年後の「田園交響楽」のジェルトリュードに こそ相応しかったのかも知れないが。)

 勿論、アリサもまた、正統的なキリスト教の教義からすれば、逸脱した恣意的な理解に陥っているのだろう。 ジッドはニーチェをプロテスタンティズムの極限点と見做していたらしいが、ニーチェの歩みをアリサの歩みと類比的に見る見方(山内義雄が紹介している)は 必ずしも的外れではないと感じられる。極限点は、向こう側なのだ。ただしそこでは何も許されない。「狭き門」はそれ自身閉ざされる。二人で通れないのではない。 門は常に、その人のものだ(ここからカフカの「掟の門前」に、そして「審判」に補助線を引くことができるだろう)。門をアリサは自ら閉ざした、という人がいても 不思議はない。

* * *

 ヴァルザーがブレンターノを主人公にして書いた散文にあらわれるあの薄暗い大きな門、その向こう側には沈黙が広がる、相転移の地点のほんの手前についての思考、それは「掟の門前」(カフカ)や「狭き門」(アリサの「老い」)とどう関わるのか?門の通過。クリプトへの下降。ランプ。扉。待機。仮面をつけた一人の男。カトリック…

Ein Jahr oder auch zwei Jahre vergehen. Er mag nicht mehr leben, und so entschließt er sich denn, sich selber gleichsam das Leben, das ihm lästig ist, zu nehmen, und er begibt sich dorthin, wo er weiß, daß sich eine tiefe Höhle befindet. Freilich schaudert er davor zurück, hinunterzugehen, aber er besinnt sich mit einer Art von Entzücken, daß er nichts mehr zu hoffen hat, und daß es für ihn keinen Besitz und keine Sehnsucht, etwas zu besitzen, mehr gibt, und er tritt durch das finstere große Tor und steigt Stufe um Stufe hinunter, immer tiefer, ihm ist nach den ersten Schritten, als wandere er schon tagelang, und kommt endlich unten, ganz zu unterst, in der stillen kühlen tiefverborgenen Gruft an. Eine Lampe brennt hier, und Brentano klopft an eine Türe. Hier muß er lange, lange warten, bis endlich, nach so langer, langer Zeit des Harrens und Bangens, ihm der Bescheid und der grausige Befehl erteilt wird, einzutreten, und er tritt mit einer Schüchternheit, die ihn an seine Kindheit erinnert, ein, und da steht er vor einem Mann, und dieser Mann, dessen Gesicht mit einer Maske verhüllt ist, ersucht ihn schroff, ihm zu folgen. »Du willst ein Diener der katholischen Kirche werden? Hier durch geht es.« So spricht die düstere Gestalt. Und von da an weiß man nichts mehr von Brentano. (Robert Walser, Brentano)

一年また二年が過ぎ去った。彼はもはや生きつづけたいとは思わなくなった。それでこのわずらわしい生命をわれとわが手で断ちたいと思った。こうして彼は、深い洞窟があることを知っている場所にやって来た。もちろん洞窟を下に降りていくことはためらわれた。しかし彼は、一種の喜悦をもって、自分にはもはや望むべき何もないこと、自分にはもはや何の所有物も、何かを所有したいという願望もないことを思った。こうして彼は真暗な、大きな門を通り抜け、一段一段と下に降り始めた。最初の数段を降りるうちに、もう何日間も歩きつづけているような気がした。こうして最後に一番下に、静かでひんやりとした墓所が地下深くひろがる所に来た。ランプが一灯、燃えていた。彼は扉を叩いた。その前で彼は長いこと長いこと待たなければならなかった。ついに、おびえつつ待ちつづけた長い長い時間の後に、入っていいという決定と命令が下された。彼は子ども時代を思わせるおずおずとした態度で入っていった。一人の男が待っていた。マスクで顔を覆ったこの男はブレンターノにぶっきらぼうに、自分の後について来い、と言った。「カトリック教会の僕になると言うのだな?それはここを通って叶えられる」。暗鬱なその影はそう言った。そして、この時以来、ブレンターノの消息は断たれたままである。(飯吉光夫編訳, 『ヴァルザーの詩と小品』, みすず書房, 2003, pp.101-2)

* * *

 老いと断念・断筆。

 デュパルクの断筆。

 デュパルクのことを考えていて、ふとアルヴォ・ペルトが修道僧に会った時のエピソードを想い出した。ペルトは祈りのために音楽を書いていると言ったのに対し、修道僧は、祈りのことばはもう用意されているから新たに何も付け加えることはない、と言ったらしい。だがペルトは作品を書くことを止めなかった。私はその話を読んだときにペルトの態度の方を不可解に感じたのだった。そう、デュパルクの態度の方が遥かに一貫していないだろうか?もっとも、あえてそうしたエピソードを明かしたからにはペルトは多分答えを持っているのだろうが。だが、私思うに件の修道僧はそのペルトの答えを決して認めないだろう。もう一つ。ジッドの「狭き門」で、アリサがパスカルを批判する件がある。数学者をやめたことを惜しむどころか、「パンセ」を遺したことすら問いに付されうる、というわけだ。「私は年をとってしまった」というアリサのジェロームへの言葉の意味は、要するに相転移の臨界のこちら側に来てしまった、という意味なのではないか。「ルサルカ」を破棄したデュパルクと同じ側にいる、ということなのではないか。)

* * *

 後に何も残さないこと。シベリウスの沈黙。密かに為されたアウト・ダ・フェ。

 シベリウスは主観を(もっと言えばそれ自体啓蒙の産物たる「人間」を)超えたところにノモスのあることを確信していたに違いない(もう一度、ヘルシンキでのマーラーとの有名な対話を思い起こせばよい)が、しかしそのノモスを己の音楽の素材とは考えることができなかった。そのノモスに忠実であろうとするあまりに、曲を組み立てる恣意、手癖のように入り込む己の主観の働きに苛立つようになったのではないだろうか?

 シベリウスの沈黙は、ある種の完璧主義、強すぎる自己批判のなせる業だと考えられているようだし、第8交響曲に対するプレッシャーや戦乱、はたまた国家から終身年金が保証されたことによる経済的安定に至るまで、外面的な理由は様々に考えられているようで、それぞれその通りなのかもしれないが、晩年の音楽を聴くと外面的な理由以前に、音楽自体のうちに沈黙に至る方向性があるように感じられてならないのだ。

 それ故、第6交響曲、第7交響曲、そしてタピオラという3作品については、沈黙ではなく、撤回でもなく、作品が公表され、遺されたことを感謝すべきなのであろう。それらはある種の臨界の音楽、一歩間違えれば作品のかわりに沈黙が残されただけかも知れないような相転移の領域の音楽なのだと思う。シベリウスの歩みが止まるのが作品番号にして100を超える作品を産み出した後であって、その途上や、その出発点でなかったことは色々な意味で幸いなことだったのではなかろうか。それがペルトの言う、「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えたという一例なのかどうかはわからない。そもそもシベリウスの音楽は、狭義では宗教的なものではない。典礼的な意味合いでの祈祷の音楽ではない。だが私には、その音楽の辿った沈黙への道筋、森の中へ消えていく足跡の方が、ペルトが選び取った貧しさ(ティンティナブリ)による祈りの形をした音楽の産出(それは本当に無名性を目指しているだろうか?)よりも、ペルトが会ったというあの修道僧の言葉に忠実ではなかったかと思えるのだ。

* * *

 これらはその時期の私なりの「老い」についての思考であった。それは実は最初から「老い」に、アルフレッド・シュッツの指摘をうけてより正確に言うならば、「老い」ていくという事実よりもより多く「老いの意識」に関わっていたし、今よりのち、ますますそうなっていくのだということを自覚せざるを得なくなったのである。(老いの経験と老いの意識の区別については、シュッツ『社会的世界の意味構成』の第2章 自己自身の持続のおける有意味的な体験の構成 を参照のこと。邦訳:佐藤嘉一訳, 木鐸社, 1982, p.63参照。なおシュッツについては後程、更に触れることになるだろう。)

 かつては寧ろ、相転移の向こう側の沈黙の方にフォーカスしていたので、恐らくはその手間に位置づけられる「後期様式」についての思考との両方を「老い」を媒介とした一つのパースペクティブの下で捉えるという発想を持つことはなかったのだが、今やそれにこそ取り組むべきなのだと感じている。そのことはパスカルに関して数学者をやめたことを惜しむのか、「沈黙」の替わりに『パンセ』を遺したことすら問いに付すのかとの間の二者択一を意味しない。寧ろ相転移の向こう側でなお、何が可能なのかが問われているのかも知れない。更に言えば「老い」の意識は暦年に基づく年齢とも生理的な年齢とも関わりなく、寧ろ病とか身体的な衰えや、そうしたことに媒介された死への意識とともに主体に到来するものなのだろうが、さりとて暦年に基づく年齢や生理的な年齢に伴う老化自体を無視することなど出来はすまい。

 マーラーの音楽における「老い」について考えるということは、従って二重の課題を抱え込むことになる。一方では作品そのものの中に「後期様式」なるものの特徴を探り当てなくてはならないだろう。確かに「老い」を感じさせる音楽というのはあり得るだろうし、マーラーの作品の中にそれを見出すことは寧ろ容易なことにさえ感じられる。だが世上、それは「老い」そのものとしてではなく、寧ろ「死」とか「別れ」とかと関連づけられて語られてきたものではなかったか?そもそも一体「老い」を感じさせる「音楽」というのは、それが伝記的事実についての知識の後付けの投影でないとしたら、一体どのような構造を備えたものなのか?他方では、「自伝的」作曲家と言われることがあるマーラーにおいては一見したところ自明なこと、他の作曲家に比べれば遥かに見て取りやすいものと一般には了解されているであろう作品と作者との関わりの問い直しにつながるだろう。その作品における「発展」を認め(これもまた自明のことにさえ思われる)、「後期様式」の存在を認めたとして、それがマーラー自身の「老い」、あるいは「老いの意識」とどのように関わるというのだろうか?そもそも私がかつて拘っていた「相転移の向こう側」は、だが他ならぬマーラーの生涯という個別のケースについては当て嵌まらないのではないか?という問いにまず答える必要があるだろう。その上で、マーラーの「老いの意識」がマーラー固有の「晩年様式」にどのように反映されているか、マーラーの後期作品は「老いの意識の音楽」たりうるのか?それは「老いの時間の感じのシミュレータ」たりうるのかが問われていることになろう。今のところそれは予感めいたものに過ぎないが、こうした一連の問いは、例えば「第8交響曲」と「大地の歌」や第9交響曲の間に広がるかに見える深淵についての問い直しにつながっていくだろうし、更には第9交響曲と未完に終わった第10交響曲との間に指摘されることがある断絶、或いは第10交響曲の位置づけそのものについての問い直しにつながっていくだろう。一体、マーラーの作品においてそもそも「老い」は存在するのか?存在するとしたら「老い」は何時から始まっているのか?マーラーの作品系列における亀裂・断絶に見えるものは、「老い」に纏わるこの節で取り上げたような相転移と同じものなのか、異なるものなのか?具体的などの作品の何処の部分にマーラーの音楽における「老い」を見出すことができるのか?

(2022.12.7-8 公開, 2023.3.15改稿, 2024.12.8 加筆, 2025.1.13 邦訳追加)

2025年1月1日水曜日

ヴェスリング「マーラー 新しい時代の予言者」に関する備忘2つ(フルトヴェングラーとラインスドルフ)(2025.1.1 更新)

 ヴェスリングの『マーラー 新しい時代の予言者』(Berndt W. Wessling, Gustav Mahler . Eine prophetisches Leben, Hoffmann & Campe, 1974, 後に、Gustav Mahler. Prophet der neuen Musik, Heyne Biographien, 1982と改題して再販。ここでは架蔵している後者を参照する)は、日本ではバブル景気の最中に起きたマーラー・ブームの中、1989年1月に国際文化出版社から翻訳が出版されている(訳者は喜多尾道冬・林捷・稲垣孝博)。マーラーに関する他の書籍の多くと同様、その後再版されることもなく、現在では古本で入手するしかないようだが、原著の刊行は1974年まで遡る。ヴェスリングは1935年生まれのジャーナリストとのことで、邦訳された著作に限ると、私は未見だが、この翻訳に先行してフルトヴェングラーに関する著作(こちらは原著が1985年刊だから、翻訳の順序は逆転していることになる)があることが訳者あとがきに記されているほか、別稿で備忘を記す予定でいる、アルマ・マーラーに関する著作があり、こちらは1983年刊行なのだが、翻訳は、マーラーについてのそれとほぼ時期を同じくして(だが、やや遅れて)、1989年11月に異なる出版社から刊行されている(石田一志・松尾直美訳、音楽之友社)。記憶によれば、まるで示し合わせたのように、同じ著者によるグスタフとアルマの伝記の翻訳が出たことにちょっと驚いたのを覚えている。しかも、ヴェスリングは、2冊を読めばわかる通り、アルマに対するかなりの分量のインタビューを行っていて、資料的な価値に関して言えば、まず疑いなく貴重なものであることは確かであり、更に様々な細部において、それまで読んだ文献には出てこなかったようなことが数多く鏤められており、驚きをもって読んだのを覚えている。また、マーラーの伝記の方には巻末の著者あとがきに続いて、この著作に向けて寄せられた、マーラーに関わり深い人たちからの書簡の抜粋が収められているのだが、この顔ぶれが、アドルノ、ブロート、ラインスドルフ、ヘーガー、スワロフスキーといった錚々たるもので、アルマの伝記の方ではアルマにひどく嫌われたと書かれているアドルノが、「大いに問題があるにも関わらず」アルマの証言を取り入れることを強く薦めているのが印象的で、勿論これはヴェスリングの自己宣伝の類であるとわかってはいても、効果はなかなかのものがある。ヴェスリングの著作本体とは別に、この書簡自体に価値があるといった評価だってあって不思議はないのではないか。
 
 様々な著作が出て、新しい情報が得られるのはありがたく、特に当時は現在のようにネットで海外から簡単に原著を取り寄せられるような環境になかったこともあり、邦訳が次々にでるのは、まずもってはありがたかった。
 いや、その事情は今でも特段変わりはないのだが、様々な情報が様々なソースから得られるようになると、その中には明らかに矛盾した情報が出てくるようになるもののようである。勿論、あえて矛盾しているという書き方をするまでもなく、多くは古い情報である一方が、単純に間違っていることが確実に言える場合も少なくなく、例えば、少し前に取り上げた青土社の「音楽の手帖」のマーラー篇にも、今見ればまさかというような間違いが指摘できる。気付いた点については、気の向いた折々にこれまでも指摘・公開してきたのであるが、それほど確実に裏付けが取れない場合も少なくない。その結果として、こちらもすっかり免疫ができて、新しい情報についてもそれを鵜呑みにしないようにする習慣がついてしまったし、訳書であれば翻訳の過程で発生した間違いについても注意深くなってしまった程である。実際、後者がより無害ということはなく、特にそれがアドルノの著作のようなものであると影響もばかにならないのだが、事実関係ということに限定することにした場合、マーラーに関して近年では共通理解となっているのは、一次資料の中でも筆頭に来るのは間違いないアルマの回想というのが、実は必ずしも事実に忠実であるわけではないということ、意図せぬ記憶違いと想像されるものもあり、後年の回想であるが故の無意識的な歪曲もあり、恐らくは意図的であると一般に見做される、自分に都合の悪い事実についての歪曲、隠蔽の類もままあるということだろうか。
 まさにその点を指摘したアドルノの書簡を巻末に収め、だが、アドルノの忠告に従ってアルマへのインタビューを全篇に埋め込んだこのヴェスリングの著作そのもの自体は、そういう点ではどうなのかといえば、私が調べた限りでは、かなり疑わしいと言わざるを得ないようである。

 今回、こうしたことを調べるようになったきっかけは、第5交響曲の実演に接した感想を書くにあたり、第5交響曲の第2楽章について、インバルとフランクフルト放送交響楽団(当時、今は現地での正式名称はhr交響楽団であり、フランクフルト放送交響楽団は海外向けの正式名称とのこと)のCDの解説にフルトヴェングラーの証言があったのを思い出したからだったのだが、何か裏付けがないかと思ってあれこれ調べても、例えばWeb上の情報では、これが第6交響曲に対するそれであるという情報にはぶつかっても、第5交響曲のそれであるというのは全く見当たらない。だが、どこかでもっと具体的な、発言のシチュエーションまで踏み込んだものがあった筈だ、、、と思って調べた挙句、このヴェスリングのマーラー伝がそうだったという次第である。邦訳では「18.反弁証法の泰斗」235ページ末から236ページにかけての部分であるが、ここでは折角なので原著(ただしHeyneの伝記叢書に収められた1982年版であるが)の該当部分を示すことにする。(なお、邦訳のあとがきではHeyneの伝記叢書販の出版を1985年としているが、手元にある原書の奥付は1982年となっているので、そちらを採用する。)

Der zweite Satz in a-Moll(Mahlers tragischer Tonart) ist eingetlich ein zweiter erster Satz. Der »allgemeinen Klage« des einführender Satzgebildes ist eine »persönliche Klage« zugestellt. Stürmisch bewegt, wild, hemmungslos tobt sich dieser »Mensch« aus, der dem Schicksal unterliegen muß.
Furtwängler hat diesen Satz »die erste nihilistische Musik des Abendlandes« genannt. Er war nach einer Probe dieses Symphonieteils mit den Berliner Philharmonikern einmal so mitgenommen, daß er den Taktstock resignierend fallen ließ und sagte : »Diese merkwürdigen Wendungen Mahlers lassen in einem das Bewußtsein aufkommen, daß alles unsonst ist. Ich wüßte keine andere Musik, die mich so pessimistisch stimmen könnte. Sie entwertet, was einen in dieser öden Welt überhaupt noch wertvoll erscheinen könnte!« (Der Anti-Dialektiker p.176)
 イ短調(マーラーの悲劇的調性)の第二楽章は、本来は第一楽章のたんなる繰り返しといえる。第一楽章の「普遍的な嘆き」というイメージに、「個人的な嘆き」がつけ加わる。この「人間」は、嵐のように激しく、無我夢中にたけり狂ったあげく、運命に敗北せざるをえない。
 フルトヴェングラーはこの楽章を、「西欧における最初の虚無的な音楽」と呼んだ。彼はベルリン・フィルとこの楽章を練習していたとき、へとへとに疲れて、あきらめたように指揮棒をおろしてこう言った。「マーラーのこの風変りな表現は、すべては徒労だ、と思わせずにはおかないね。わたしは、こんなにペシミスティックな気分にさせる音楽をほかに知らない。これは、この荒涼とした世界でもまだ価値があると思われているものでも、みな無価値にしてしまう!」(邦訳:18.反弁証法の泰斗, pp.235-6)

 何と第5交響曲のプローベをベルリンフィルとやった折の発言ということになっており、見て来たような状況描写、直接話法での発言の記録と、これはうっかり本物と信じてしまいそうになるところなのだが、既にコンサートの感想にも付記した通り、フルトヴェングラーがマーラーの中でも第5交響曲を取り上げた記録は確認できないようで、断定はできないにせよ、上記も甚だ疑わしいと言わざるを得ないようなのである。しかもヴェスリングのこの著作には、注が全くない。翻訳には訳注がかなりたくさんついているが、往々にしてどうでもいいような情報で、この部分についてはフルトヴェングラーに訳注がつけられているので、何かと思ってみてみると「ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)二十世紀前半のドイツの最大の指揮者のひとり。」とだけあって、あっけにとられてしまう。かと思えば「泰斗」というずいぶん踏み込んだ訳をしている章の冒頭に出てくるアドルノにも注がついているのにも関わらず、恐らく間違いなく存在するに違いない章題との関連については言及はない。
 だが、疑わしいと言えば、例えば同じ章において「マーラーは《第5交響曲》のスコアを書き終えてから、こう書いている。「わたしにとって交響曲とは、存在するあらゆる技法をつくして、わたし自身の世界を構築することだ」」と出てくるのを見れば、眉に唾をつけなくてはならないと身構えてしまうのは避けがたい。些か揚げ足取りめくが、他の曲ならともかく、こと第5交響曲のスコアの作成過程は非常に複雑なものであった筈で、しかもそれについては、彼がインタビューした当のアルマがまず一言ある筈ではなかろうか?と言いたくもなる。要するにここでいう「スコアを書き終えて」とは正確に何を終えたタイミングで、何時の事なのかを確認しようとすると途端に困ったことになるのだ。更に、「こう書いている」というのは、どういう媒体(例えば書簡)に書いているのか、ヴェスリングも注をつけていなければ、訳注もなく、調査のしようがない。実際には、これに類する(あえてそういう言い方をしよう)言葉は、一般には第3交響曲の作曲の折に、ナターリエ・バウアー=レヒナーに対してした発言とされているのである。勿論、同じような発言を、第5交響曲の創作のある段階でマーラーがしているという事実が別にある可能性を、しかもそれが未公刊の、ヴェスリングのみがアクセスできる資料に基いている可能性を完全に否定することは、私のような極東の単なる愛好家にできよう筈はない。だが、そもそもこの章においてこの発言を引用する意味合いを考えれば、その題名から測っても、別にわざわざ第3交響曲に関連して既に一般に知られた類似の表現があるのにも関わらず、その別バージョンを紹介する必要性のあるような文脈ではない筈であり、普通に考えたら、うろ覚えの記憶に基づく書き間違えではないか、と疑ってしまうのは避けがたいように思われる。
 ついでだからもう一言二言付け加えさせて頂けば、Der Anti-Dialektikerとは一体何のことで、誰のことなのか?そんなのアドルノに決まっていると言われそうだが、アドルノは「否定弁証法」(Negative Dialektik)という著作は書いているが、それは「反弁証法」とは異なるというのが一般的な理解である。(もしかしたらアドルノの否定弁証法のことを反弁証法と称する文脈もあるのかも知れないが、寡聞にして知らない。)反弁証法の論客ということで思い浮かべられるのは、アドルノを含むフランクフルト学派との「実証主義論争」における論争相手であるカール・ポパーの方ではないのか?と言いたくなってしまう。訳者はわざわざ「泰斗」という表現を使っているが、まさかこの文脈でポパーのことを思い浮かべているとは思えないので、それがアドルノを指しているのはほぼ間違いないだろうが、こうしたこともそう思ってしまえば、ヴェスリングの著作の信頼性に疑いを持たせる材料に加えたくなってしまう。
 そしてそれよりも問題があると思われるのは、マーラーの言葉の引用が(ナターリエ・バウアー=レヒナーが伝えるそれが正しいとして)不正確であるということ、しかもその不正確さが、マーラーの言葉の意味を理解するにあたって、誤解を生じさせかねないような恣意的な解釈の歪みに基づくものに見える点である。マーラーは決して「わたし自身の世界」とは言っていないし、それは周辺のマーラーの関連した言説とも整合していない。そもそもマーラーは、撤回されることになる各楽章の(些かナイーブな)タイトルにおいてすら、「~が私に語ること」という言い方をしていて、「わたし自身の世界」を「自分が」語るなどとは言っていないのである。これは些細な点などでは絶対になく、しばしば「過度に主観的」とか、「自己耽溺的」とか、「自伝的」とさえ形容されるような理解のあり方が、少なくともマーラー自身の認識からはかけ離れていること、そして実際の聴経験からしても、マーラーの作品における「世界」のあり方は、マーラーの認識に即したものであること、それが主観的な経験であるとして、それはまさにカント以来の相関主義的な認識に関する了解に根ざしており、カントの用法における意味合いで「批判的」、哲学的な姿勢でこそあれ、素朴実在論的な世界についての了解とも、独我論的な観念論におけるそれとも異なることを思えば、了解の鍵鑰を為すといっていい急所なのであって、ことによったら事実判定の問題とは別に、ヴェスリングのマーラーの音楽の理解の方を問題視することに繋がり兼ねない程だと私には思える。

 果たしてそうした疑いは思い過ごしの類なのかと思って、これまたWebを調べてみると、Wikipedia(ドイツ語版しかないが)を見る限り、ヴェスリングの著作にはまさに上で記したような類の問題が指摘されているらしいことが窺える。詳細はわからないので断定は慎むべきだろうが、フルトヴェングラーの発言というのもそうした問題のある部分の一つではなかろうか。

 最後に、上記とは逆に、ヴェスリングの著作に資料的価値を見出しうると私が感じた箇所を引用して終えることにしたい。それはまさにこの文章の冒頭で触れた書簡の一つなのだが。
 最近、マーラーの聴取様式についての文章を書いた折、「音楽の手帖」の柴田南雄さんの文章に触れて、そこでの「マーラー・ルネッサンス」より前の時期の演奏についての評価に関して、その後の自分の聴取の経験に照らして、違和感を感じるようになったことを記したが、まさにそのことを、当事者として私が名前を挙げたうちの一人である、エーリヒ・ラインスドルフが書いているのを確認したのである。勿論彼が自分を「マーラー・ルネサンス」前を支えた功労者の一人に数えるようなことをするはずもないが、私としては、子供の頃以来、ラインスドルフの演奏には馴染んできていて、尚且つ(彼自身が特に好んでいたことが確認できて非常に嬉しく感じているのだが)、とりわけても第5交響曲の演奏についていえば、他の演奏に優る卓越したものであると思い、総じて(つまりそれ以外の第1,3,6番の演奏も含めて)それらが時代を超えた価値を備えた記録であることに疑いを持っていないので、(本当は彼が生きている間にそのように応答できれば良かったのだが)、遅ればせながらここで、ラインスドルフの名前もまた、まさに彼が名前を挙げた功労者のリストに追加することが正当であると私は考えるということを証言しておきたい。『ヴェニスに死す』に対する皮肉を効かしたコメントも彼の第5交響曲への愛を語って余りあるし、演奏の難しさについてのコメントも、厳格なオーケストラビルダーであった彼の言葉として重みを感じずにはいられない。何より録音記録で聴くことのできるラインスドルフの作り出す音楽の響きには、マーラーの演奏にとって決定的なものである「質」が確実に備わっていると私には思えるのである。

Professor Erich Leinsdorf                                         New York 1972
[...] Man spricht heute von einer Mahler-Renaissance, als ob der Komponist  vernachlässigt gewesen wäre. Solch eine Annahme ist vor allen eine ganze große Ungerrechtigkeit gegenüber jenen Musikern, die während ihres Lebens die Musik Mahlers pflegten und aufführen. Bruno Walter, Otto Klemperer, Zemlinsky, Oscar Fried, Hans Rosbaud, Jascha Horenstein ... diese Namen bilden eine unvollständige Liste jener, die seit 1911, den Todesjahr Mahlers, seine Musik dem Publikum brachten und sich mit voller Seele dafür einsetzten [...] Was die gegenwärtige Mahler-Popularitat auszeichnet, sind vor allem die Schallplatten und die damit   verbundene weltweite Verbreitung der Werke. Es wird schließlich alle bedeutende Musik später einmal von den Menschen verstanden [...] und eigentlich ist doch das, was man bei Mahler so besonders modern findet, seine heimwehartige Sucht nach dem einfallen, naive Dasein. Züge, die besonders dem Großstandmenschen immer bekannter werden und die auch das Werk Kafkas auszeichnen. Er scheint mir höchste Zeit für eine volle biographiesche Arbeit über Mahler. Sein Leben und sein Werk sind bischer nur sehr unvollkommen behandelt worden. Die sehr tiefgründigen Ausführungen. Adornos sind leider  in  solch schwieriger Sprache, daß dies nun wieder den Kreis der Leser begrenzen muß [...] Den Preis gäbe ihc heute der Fünften, dir mir als das glücklichste Werk erscheint [...]. Ich liebe das Werk so, daß mir selbst die Fragmentierung und der Mißbrauch des Adagiettos in dem Film »Tod in Venedig« nichts machen [...].
Mahlers Sinfonien bereiten auch heute noch enorme Schwierigkeiten für alle Orchester. Die erstklassigen können sie mit Proben lösen, für die minder begabten bleiben dir Partituren unspielbar. Unter alles Umständen ist Mahlers Werk heute viel moderner und gegenwartsgültiger als so manches, was viel später komponiert wurde. Während Strauss ganz im Wilhelminischen steckenblieb, hat der drei Jahre Ältere mit genialer Propheten-Vorahnung die Weltkrige übersprungen und spricht als Zeitgenosse zur Generation der zweiten Hälfte des 20. Jahrhunderts [...].
(Arbeitsbericht pp.234-5)

エーリヒ・ラインスドルフ教授
                    ニューヨーク、1972年
 …今日マーラー・ルネッサンスがうんぬんされていますが、それはまるで作曲家がこれまでないがしろにされていたかのようです。そのような受けとめ方は、生前マーラーの音楽に取り組み、指揮してきた音楽家たちに対して、とりわけ礼を失することになりましょう。ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ツェムリンスキ―、オスカー・フリート、ハンス・ロスバウト、ヤッシャ・ホーレンシュタイン…。これらの指揮者は、1911年のマーラーの死のこのかた、彼の曲を指揮し、全身全霊でそれに身を捧げてきた音楽家たちの一部でしかありません…。現在のマーラー・ブームを成り立たせているものは、なによりもレコードであり、レコードによる彼の作品の世界的な普及です。つまるところすぐれた音楽は、どれも遅かれ早かれ理解されるときが来るのです…。そしてマーラーにあってとりわけ現代的に感じられるのは、単純な素朴さへの彼の郷愁のごとき熱望にあるのです。こうした傾向は、とくに大都会の住人にますます身近になりつつあり、またカフカの作品をも特徴づけているものです。わたしには、いまこそマーラーに関する完全な伝記が書かれるときのように思えます。彼の生涯と作品は、いままできわめて不完全にしか扱われてきませんでした。アドルノのとても深遠な論考は難解なため、残念ながら読者は限られざるをえません…。目下わたしは、≪第五交響曲≫をいちばん高く評価しています。彼の交響曲のなかでこれがいちばん成功しているように思われます…。わたしはこの作品をとても愛していますので、映画『ヴェニスに死す』のなかで、アダジェットがこまぎれに濫用されているのさえ気にならないほどです…。
 マーラーの交響曲は今日なお、どのオーケストラにとっても、途方もなくむずかしいしろものです。第一級のオーケストラは、リハーサルを重ねながらものにしていきますが、それほど力のないオーケストラにとって、スコアは演奏不可能なままなのです。
 どう見てもマーラーの作品は、彼よりずっとあとから作曲されたさまざまな作品よりも、はるかに現代的であり、現代に通用するものです。シュトラウスが、まったくヴィルヘルム時代にとどまってしまっているのに対して、シュトラウスより三歳年長のマーラーは、天才的な予言者の透視力をもって両大戦をとびこえ、二十世紀後半の世代に、同時代者として語りかけているのです。(邦訳:あとがき, pp.338-9)

(2018.7.28公開, 2025.1.1 若干の補足・編集と邦訳を追加。)