2023年7月31日月曜日

私のマーラー受容:「嘆きの歌」(2023.7.31更新)

 「嘆きの歌」は聴く機会がずっとなかったし、あまり印象にも残っていなかった。 この曲の素晴らしさに気づいたのは最近(ここの部分の執筆当時で、改稿している2023年現在では近年とすべきだろうが)になってからで、恐らくナガノ・ハレ管弦楽団の初期稿全曲の CDを聴いたことが大きい。これは単に初稿の初めての録音だというにとどまらず、際立って優れた演奏だと思う。

 だがしかし、「嘆きの歌」の受容史一般からすれば、私の上記のような受容の経緯は、マーラー演奏の中心から隔たった極東の、更に地方都市に住んで、最新の情報に接することができなかったという情報格差の結果であるというべきなのだろう。今日ではよく知られていることだが、「嘆きの歌」は20歳になるかならないかの若きマーラーの野心作であり、マーラー自ら「作品1」と呼んでその上演に拘りを持ち続けたにも関わらず、その実現は、マーラーが功成り名遂げたウィーン宮廷歌劇場監督の時代になってからようやくであるのみならず、上演にあたっては第1部をカットして、初期稿では第2部、第3部にあたる部分のみとし、更に声楽や管弦楽の配置にも大幅に手を入れ、上演に纏わるさまざまな困難に関して大幅に軽減されるような改訂を加えた上での上演であり、程なくして出版され、永らく流布したのもこの改訂稿であった。それに対しオリジナルの形態は、まずカットされた第1部のみが1934年11月28日にブルノで放送初演(アルフレート・ロゼ指揮、チェコ語歌唱)されたが、その後は専ら改訂版での演奏が行われ、再び初期稿が陽の目を見るのは、生誕100年を経てマーラー・ルネサンスが到来して、主要な交響曲や歌曲が人口に膾炙するようになった後の1970年近くになってからのことであった。恐らくその先駆けとなったのが、イギリスで指揮活動を活発化させていたブーレーズであり、1969年に初稿第1部を、続けて1970年に改訂稿を用いて第2部・第3部を録音したレコードをリリースし、これがその後しばらく続いた、初稿第1部+改訂稿という折衷形態での上演が一般的になる契機となったものと想像される。なお、私がマーラーに出会った時期の私のリファレンスであったマイケル・ケネディの評伝の本文(邦訳p.138)および資料編(邦訳資料編p.6)では、初稿第1部のブルノでの放送初演に引き続き、初稿全曲(本文では「オリジナル版」)の演奏が翌年の1935年4月8日にウィーンで同じ指揮者により、やはり放送初演の形態で行われたとの記載があるが、その後のブーレーズの録音について、やはり「オリジナル版」と記述していることから、初稿第1部+改訂稿での全曲演奏を指して「オリジナル版=初稿全曲」としたもののように思われる。従ってこれは、初稿第1部+改訂稿という折衷形態での上演の嚆矢となるものだった一方で、編成もオーケストレーションも大きく異なる初稿第2部・第3部と併せた文字通りの初稿全曲の初演は、冒頭で言及したナガノとハレ管弦楽団のそれまで待たねばならなかった。ポスト・セリエルの前衛作曲家であったブーレーズが、指揮者としての活動を活発化させると、新ウィーン楽派やストラヴィンスキー、バルトークあるいはドビュッシーやラヴェルといったレパートリーのみならず、セリエリズムの原点であるベルクやシェーンベルクのオペラはともかくも、バイロイトでワグナーの楽劇を指揮するようになるとともに、マーラーについても再評価の文章を執筆したかと思えば、次々と交響曲を演奏していくことになるのだが、そのブーレーズのいわば「名刺代わり」となったのは「嘆きの歌」であったということができるのではなかろうか。

 のみならず日本でも、戦前のプリングスハイム、近衛秀麿、ローゼンシュトックといったパイオニアによるマーラー紹介からの中断を経て、1970年の大阪万博あたりを転機として、遅れてマーラー・ルネサンスが始まったのであるが、「嘆きの歌」はその最中の1970年に、まず改訂稿の日本初演が、その後も日本における「嘆きの歌」の受容を牽引する、秋山和慶指揮東京交響楽団のコンピにより実現しており、私がマーラーを聴くようになった1970年代の後半において未知の作品であったわけではない。山田一雄、渡邉暁雄、若杉弘といった、その後日本国内でのマーラー演奏を牽引する指揮者が次々とマーラーの交響曲をコンサートのプログラムに載せていくのもこの時期のことであり、地方都市に住み、特段音楽的でもなければ、そうした先端の情報に接する環境にあったわけでもない、平凡な子供であった私は、そうしたトレンドの先端を知ることなく、取り残されていたい過ぎないというのが客観的な展望の中での位置づけということになるだろう。

 だが客観的にどうであれ、私のマーラー受容において、最初に作品に接したのがいつで、どの演奏であったのかの記憶が曖昧な点に関して「嘆きの歌」は残念ながら唯一の例外的な作品であることは認めざるを得ない。ドナルド・ミッチェルの『さすらう若者の時代』の邦訳刊行は少し先のことになるから未読であったとはいえ、上掲のマイケル・ケネディの評伝では、作品篇第2章「歌曲と交響曲第一番」で、かなり詳細に「嘆きの歌」を取り上げられており、初期稿・改訂稿の問題から、演奏や出版の経緯といった事実関係もさることながら、作品自体についても要を得た説明がなされていて、最初期の歌曲「春に」との連関にまで言及されており、情報としては申し分ないものが手元にあった筈である。だが、そこでもきちんと触れられているブーレーズの演奏の録音に接したのは、遥かに後年、それがCD化されて以降であるのは確実である一方で、それでは当時、マーラーの音楽に接する最も手近な手段であったFM放送で接したことがあっただろうかと自問してみても、当時の番組表でも見ることができれば、或いはこれに違いないというのを思い出すかも知れないが、そもそも放送で接したという記憶がないのだ。とはいえ初期稿第1部+改訂稿の形態での演奏には確かに接していて、冒頭で触れたナガノ・ハレ管弦楽団による初期稿全曲の演奏が初めてでなかったのは(思い込みでなければ)間違いないと思うのだが…

 とはいうものの、マーラーの交響曲がコンサートのレパートリーとしてすっかり当たり前になった現時点においても、この作品は依然として稀曲の類と言って良く、実演に接する機会が限られているのもまた事実であろう。日本初演こそ1970年に行われたとはいえ(1970年9月16日、秋山和慶指揮・東京交響楽団、大川隆子、石光佐千子、砂川稔、東京アカデミー合唱団、改訂稿)、その後上演は途絶え、ようやく1980年代になって再演の機会に恵まれ、今後は初稿第1部と改訂稿による第2部、第3部という、この作品の上演史において永らく採用されてきた形態による演奏(1982年4月7日、小林研一郎指揮・東京交響楽団)が行われることになる。シノポリが残した「嘆きの歌」の録音は、フィルハーモニア管弦楽団とともに来日してのマーラー・チクルスの一環として取り上げた折のものだが、稀曲の日本初演を数多く手がけている若杉さんが同時期にサントリーホールで行っていたマーラー・ツィクルスでは「嘆きの歌」はついに取り上げられることがなかった。(ツィクルス完結の翌年(1992年11月19日)に落穂拾いのように東京都交響楽団と取り上げているが。)なお初稿版全3部の日本初演は1998年5月の秋山和慶指揮・東京交響楽団による演奏で、秋山さんはその後2013年3月24日にも東京交響楽団と初稿版を取り上げており、「嘆きの歌」のスペシャリストの面目躍如といった感がある。

 近年、交響曲の演奏についてはプロよりも寧ろ頻度が高いかも知れないアマチュアのオーケストラによる演奏も、「嘆きの歌」となるとその上演記録は極めて稀なものになってしまう。本ブログでも利用させて頂いているクラシックの演奏会情報サイト「i-amabile(アマービレ)」の記録によれば、何と2回だけ。改訂稿ですら、長田雅人指揮・東京アカデミッシェカペレの第32回演奏会(2006年11月19日)で取り上げられたのが唯一なのだが、何と初期稿全曲の演奏は既に行われていて、三澤洋史指揮・愛知祝祭管弦楽団 が「嘆きの歌」特別演奏会を2015年7月26日に愛知県芸術劇場コンサートホールで開催している。

 そうした事情もあって、交響曲ですらやっと全曲の演奏に接したというレベルの私のコンサートでの聴取の経験に「嘆きの歌」が含まれていないのは寧ろ当然というべきだろうが、願ってもないことに、マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・指揮:井上喜惟)が来る2023年12月24日の第22回定期演奏会で、ヤナーチェクのシンフォニエッタとともに「嘆きの歌」を取り上げるという情報に接した。初期稿第1部+改訂稿という形態の演奏のようだが、印象深いモラヴィア風の変拍子の旋律を含む「嘆きの歌」とヤナーチェクの組み合わせも興味深く(初稿第1部の初演が、ブルノで、しかもチェコ語で行われたこと、更に翌年のウィーンでの放送のための「全曲演奏」が初期稿第1部+改訂稿という形態で行われ、長らくこの形態で「嘆きの歌」が受容されてきたことを改めて思い起こすべきだろうか?)、是非ともこの貴重な機会に足を運ぼうと思っている次第である。(2023.7.31大幅加筆して再公開)

2023年7月30日日曜日

所蔵録音覚書:「嘆きの歌」(2023.12.28 更新)

  • 嘆きの歌(改訂稿), フェケテ, ウィーン交響楽団 / ウィーン室内合唱団 / シュタイングリューバー(Sp.) / ヴァグナー(MS.) / マイクート(Tn.), 1951, (18:06, 20:05), ウィーン, MONO, Mercury
  • 嘆きの歌(改訂稿), フリッツ・マーラー/ ペトラック(Tn) / ホズウェル(Sp) / チュークシアン(MS) / ハートフォード公共合唱団, ハートフォード交響楽団, 1959, (15:58, 17:43), ハートフォード、ブッシュネル・メモリアル・オーディオリウム, MONO, VANGUARD
  • 嘆きの歌(改訂稿), リヒター, ウィーン放送交響楽団 / オーストリア放送合唱団 /  ヤノヴィッツ(Sp.) / ドランクスラー(MS.) / パツァーク(Tn.), 1960, (16:38, 18:21), ウィーン, MONO, archipel
  • 嘆きの歌(改訂稿), モリス / レイノルズ(Tn) / ツィリス=ガラ(Sp) / カポシ(MS) / アンブロジアン・シンガーズ, ニュー・フィルハーモニア管弦楽団, 1967.4.1-2, (18:40, 20:02), ロンドン、ワトフォード・タウン・ホール, MONO, NIMBUS
  • 嘆きの歌(改訂稿), ブーレーズ, ロンドン交響楽団 / ロンドン交響合唱団 / リアー(Sp.) / バローズ(Tn.) / シュテット(Br), 1969.5.26/27, (19:37, 20:48), ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホール, STEREO, CBS-Sony
  • 嘆きの歌(初稿第1部), ブーレーズ, ロンドン交響楽団 / ロンドン交響合唱団 / ゼーダーシュトレーム(Sp.) / ホフマン(MS.) / ヘフリガー(Tn.) / シュテット(Br), 1970.4.22, (30:08), ロンドン、ワトフォード・タウンホール, STEREO, CBS-Sony
  • 嘆きの歌(改訂稿), ブーレーズ, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 / ウィーン国立歌劇場合唱団 / レッシュマン(Sp.) / ラーション(A.) / ボタ(Tn), 2011.7.31(Live), (5:35/5:40/5:31, 4:01/4:52/2:32/1:08/6:15), ザルツブルク、祝祭大劇場, STEREO, Deutsche Grammophon
  • 嘆きの歌(改訂稿), ヘルベルト・アーレンドルフ / イヴォ・ジーデク(Tn) / マルタ・ボハコヴァー(Sp) / ヴェラ・ソウクポヴァー(MS) / チェコ・フィルハーモニー合唱団、プラハ交響楽団, 1971.12.21-22, (16:55, 19:25), プラハ、ツォリーン・ホール, MONO, Supraphon
  • 嘆きの歌(改訂稿), ハイティンク / ヴェルナー・ホルヴェグ(Tn) / ヘザー・ハーパー(Sp) / ノーマン・プロクター(MS) / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団, 1973.2.17-18, (18:40, 19:30), アムステルダム、コンセルトヘボウ, STEREO, Philips
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿)), ロジェストヴェンスキー, BBC交響楽団 / BBCシンガーズ、BBC交響合唱団 / カヒル(Sp.) / ベイカー(MS.) / ティアー(Tn.) / ハウエル(Bs.),  1981.7.20(Live), (28:15, 15:55, 18:37), ロンドン、アルバートホール(プロムス), STEREO, BBC radio classics
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), ラトル, バーミンガム市交響楽団 / バーミンガム市交響合唱団 / デーゼ(Sp.) / ホジソン(MS.) / ティアー(Tn) / リー(Bs.), 1983.10.12-13/1984.6.24, (28:38, 17:38, 18:57), バーミンガム、タウン・ホール, STEREO, EMI
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), ケーゲル, ライプチヒ放送交響楽団 / ライプチヒ放送合唱団, ハヨーショヴァー(Sp.) / ラング(A.) / コロンディ(Tn.) / クルト(Bs.), 1985.10.7 (Live), (26:56, 17:07, 18:20), ライプチヒ、ゲヴァントハウス, STEREO, querstand
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), シャイー, ベルリン放送交響楽団 / デュッセルドルフ州立楽友協会合唱団 / ダン(Sp.) / ファスベンダー(MS.) / バウアー(Boy Alto) / ホルヴェグ(Tn) / シュミット(Bs.), 1989.3.28-30, (28:08, 17:38, 18:32), ベルリン、イエス・キリスト教会, STEREO, Decca
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), シノーポリ, フィルハーモニア管弦楽団 / ステューダー(Sp.) / マイヤー(A.) / ゴールドベルク(Tn.) / アレン(Bs.) / 晋友会合唱団, 1990.11(Live), (27:38, 17:43, 19:32), 東京、東京藝術劇場大ホール, STEREO, Deutsche Grammophon
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), ヒコックス, ボーンマス交響楽団 / バス祝祭合唱団、ウェインフリート合唱団 / ロジャース(Sp.) / フィンニー(A.) / ブロホヴィッツ(Tn.) / ヘイワード(Bs.), 1993.7.24-25(Live), (30:31, 18:11, 20:04), プール、ウェセックスホール, STEREO, chandos
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), マリーナ・シャグチ(Sp.)/ ミシェル・デ・ヤング(MS.)/ トーマス・モーザー(Tn.), セルゲイ・レイフェルクス(Br.)/ サンフランシスコ交響合唱団 / ティルソン=トーマス, サンフランシスコ交響楽団, 1996.5.29-31&6.2(Live), (30:25, 16:55, 19:39), サンフランシスコ、デイヴィス・シンフォニー・ホール, STEREO, SFSMEDIA
  • 嘆きの歌(初稿全曲), ナガノ, ハレ管弦楽団 / ハレ合唱団ウルバノヴァ(Sp.) / ラッペ(A.) / ブロコヴィッツ(Tn.) / ハーゲゴート(Bs.) / ウェイ(Boy Sp.) / ヤウス(Boy A.), 1997.10.8/12, (27:19, 16:42, 18:25), マンチェスター、ブリッジウォーター・ホール, STEREO, Erato
「嘆きの歌」には少なくとも2つの版が存在する。1880年の3部からなる初稿とその20年後にマーラー自身の指揮で初演され、出版された2部よりなる改訂稿である。改訂稿では初稿の第1部が削除され、各部のタイトルも削除された。しかし、初稿第1部の存在はかなり前から知られており、録音においても実演においても初稿第1部に改訂稿を付け加えた折衷による演奏が永らく一般的だった。全曲通しての1880年版の演奏は、ナガノ指揮ハレ管弦楽団によって1997年に行われ、マーラー協会もラッツ時代の最終稿=決定稿主義から方針を変えて、補巻として1880年稿が出版されることになった。ナガノとハレ管弦楽団の演奏は1880年稿の全曲初演に際して収録されたものである。マーラーの交響的作品の中では圧倒的に録音記録の数が少ない作品であり、編成の大きさも相俟って、他の交響曲がすっかりコンサートのレパートリーに定着した今日でも上演の機会は少ないようで、それには同じ大編成の作品であっても、第2交響曲や第8交響曲のような、或る種の祝祭性のようなものを欠いている一方で、物語的な性格があって歌詞の理解が求められることに加え、内容が悲劇的であることも、そうした演奏頻度の少なさに与っているかも知れない。

 その一方で、マーラーの交響曲全集を完成させるような、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる人でも、「嘆きの歌」をレパートリーとし、録音記録があるのはごく一部に限られるように見える点も留意すべきかも知れない。まずマーラーに直接接したワルター、クレンペラーに「嘆きの歌」の録音記録はないが、その後マーラー・ルネサンスと呼ばれた時期に次々とLPレコードによるマーラー全集を録音していった指揮者の中でも、バーンスタイン、ショルティ、クーベリックは「嘆きの歌」をレパートリーとしていないようで、唯一ハイティンクのみが録音を遺している。後続の世代であるアバド、テンシュテット、インバル、ベルティーニといったマーラー指揮者も「嘆きの歌」は取り上げておらず、ブーレーズが指揮活動に力を入れ始めた頃に、初期稿第1部を録音して(それは1973年の初稿第1部の楽譜の出版にすら先立っている)、初期稿第1部と改訂稿を組合せて演奏する形態の先駆けとなって以来、明らかに重点をおいて取り上げている(後年グラモフォンで「大地の歌」を含む交響曲全集を録音した際には、今度は改訂稿のみを取り上げて録音している)他は、ティルソン=トーマス、シャイー、ラトル、シノポリが「嘆きの歌」をレパートリーとしていることが確認できるくらいだろうか。ちなみにシノポリの演奏は、フィルハーモニア管弦楽団とともに来日してのマーラー・チクルスの一環として取り上げられたものだが、稀曲の日本初演を数多く手がけた若杉は、サントリーホールでのマーラー・ツィクルスでは「嘆きの歌」を取り上げることはなく、ツィクルス完結の翌年に落穂拾いのように東京都交響楽団と取り上げている(1992年11月19日)。

(ギーレンについて、当初私は「嘆きの歌」をレパートリーとしていない、というように書いていたが、その後、1990年6月8日にウィーンのコンツェルトハウスでウィーン放送交響楽団を指揮した公演があることを知った。これもまた、初期稿第1部と改訂稿の組合せの形態での上演であったようだ。私は未入手で、接することができていないが、2020年にはこの公演の演奏記録がCDとして出ているので、その記録に接することもできるようになっているようである。お詫びとともに訂正させていただく。)

 ちなみに「嘆きの歌」の日本初演は1970年9月16日、秋山和慶指揮東京交響楽団、大川隆子、石光佐千子、砂川稔、東京アカデミー合唱団による改訂稿によるものだが、その後上演は途絶え、ようやく1980年代になって再演の機会に恵まれ、今後は初稿第1部と改訂稿による第2部、第3部という、この作品の上演史において永らく採用されてきた形態による演奏(1982年4月7日、小林研一郎指揮東京交響楽団)が行われることになる。初稿版全3部の日本初演は1998年5月の秋山和慶指揮東京交響楽団による演奏で、秋山はその後2013年3月24日にも東京交響楽団と初稿版を取り上げているから、秋山=東京交響楽団のコンビは日本における「嘆きの歌」のスペシャリストと言ってよいように思われる。(2021.5.11追記, 2023.7.30追記, 2023.12.18ギーレンの演奏について訂正の追記)

MIDIファイルを入力とした分析の準備(3):状態遷移の集計手法の検討と集計結果の公開(2023.7.30更新)

1.本稿の背景と目的

 2015年頃にマーラーの作品のMIDIファイルのWeb上での公開状況について調査し、データ収集に着手し、その結果を2016年初頭に記事として公開して以来、これまでMIDIファイルを入力とした分析を、和音の出現頻度にフォーカスして行ってきました。

 データ分析を行う当初の動機は、マーラー作品の調的な遷移のプロセスを可視化することでしたから、最初に行ったのは、各拍あるいは各小節頭拍の和音の重心を五度圏上に定義し、その軌道の遷移の様子を可視化することでしたが、その後は予備作業として和音の自動ラベリングと調的遷移の推定を行った後、一旦は動的な遷移プロセスではなく、和音の出現頻度という特徴量に基づく分析を行ってきました。

 当初よりの課題であった時間方向の動的な遷移のプロセスの分析に向けての準備作業として、まずは長三和音と短三和音のみに注目して、その交替の頻度に対象を限定した集計を行ったりもしましたが、その結果を本格的に分析するには至らず、その後は再び、和声の出現頻度に関して、未分析の和音を解消したり、長三和音と短三和音について転回形を区別したりして、マーラーの作品と他の作曲家の作品との比較、マーラーの作品間(特に交響曲)の比較を行いました。その結果として、粗視的な、テクスチュアレベルに限定されたものではありますが、マーラーの作品の特徴や、マーラーの作品を創作時期に沿って時系列で眺めた時に浮かび上がる変化の傾向を、具体的なデータの裏付けをもった形で示すことができたと考えます。

 更にここまでの集計・分析を通じて得られた知見や、並行して実施してきたGoogle Magentaを用いた機械学習の実験を通して得られた知見に基づき、いよいよ本来の目的であった状態遷移プロセスの分析に着手すべく準備作業を行いましたので、その結果を以下に報告します。

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2.状態遷移の集計手法の検討

 まず具体的な集計・分析に先立って検討すべきは、マーラーの作品のような複雑な音楽作品の状態遷移をどのように捉えるかです。音楽にとって時間の次元が本質的なものであり、脳における音楽の統計学習において「遷移確率」の計算が重要であることは、例えば大黒達也『音楽する脳』(朝日新書, 2022)等を参照頂ければと思いますが(同書であれば、第2章「宇宙の音楽 脳の音楽」の「脳の音楽」の部分(p.76以降)、特にpp.84~88、更にそれに基づいて作曲家の個性について述べた節(pp.125~127)を参照)、同書で例示されているのは単一の旋律であり、マーラーであれば歌曲なら適用可能なものの、伴奏部分の重要性を考えれば声のパートのみを抽出しても、作品全体としての「旋律線」の一部しか捉えられないのではないかという疑問が直ちに浮かびますし、マーラーの作品において対位法的な側面が本質的であること(例えば、マイケル・ケネディの「マーラーの作曲技法の根本原理は二声の対位法である」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』, 中河原理訳, 芸術現代社, 1978, p.129)という指摘を参照のこと)を踏まえると、その疑問は一層強まるように感じられます。

 その一方で、最近の機械学習の領域では、人間が抽象・加工したデータではなく生のデータそのものを用いるアプローチが優勢で、音響データを直接入力とするアプローチも試みられています。しかしながらマーラーの作品は大規模なオーケストラのために書かれており、音楽分析の領域では「セカンダリー・パラメータ」と呼ばれる次元が膨大で、かつ重要な役割を果たしているのに対して、それらを直接扱うのは今なお困難に見えます。例えばGoogle Magentaには、単旋律を扱うmelodyRNNモデルだけではなく、J.S.バッハのコラールの和声付けを範例としたpolyphonyRNNモデルのような多声体を扱う(ということは和音の系列を扱える)モデルも用意されていますが、入力はシングル・トラックのMIDIデータに限定されており、音色の次元は捨象されています。そのような状況を踏まえると、マーラーの作品(特にその交響曲)について、その複雑多様な総体を抽象することなく分析することは(私のようなアマチュアが自分で利用できるリソースの範囲内で試行するという点を勘案すれば一層の事)時期尚早であり、その一部の次元のみを抽象したデータを対象とした分析に限定せざるを得ないと思われ、であるとするならば、従来実施してきた分析の延長線上で何ができるかを考えるのが現実的だということになりそうです。

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 既述の通り、本ブログではこれまで、MIDIファイルを入力とした分析を行ってきましたが、和音の出現頻度の集計・分析をするにあたり、作品の中の全ての音を対象とするのではなく、各拍頭、或いは(拍子の情報が存在していることを前提に)小節頭拍における和音のみを対象に行ってきました。それは調的な遷移のプロセスを粗視的に把握することを目的として採用した手法でした。更にそこでは、各小節頭拍、ないし各拍頭で鳴っている和音(含む単音、2音)について

  1. ひとまず転回を無視して分類(ピッチクラスセットに相当)
  2. 転回を判定するために、最も低い音を抽出
  3. 上記を用いて、長三和音、短三和音については転回を判定する

といった処理を行い、その結果を用いた分析を行ってきました。従って状態遷移の集計・分析を行うにあたっても、これまで行ってきた上記の和音(ピッチクラスセット)の頻度分析と共通の手法を用いて実施することが考えられます。

 その一方で状態遷移の分析では、単独の和音(ピッチクラスセット)の頻度の集計・分析では考慮する必要のなかった、前の和音と後の和音の相対的な関係についての対称性を考慮する必要が生じます。例えば「長三和音→短三和音」の連結を例として取り上げてみると、「イ長調の長三和音→イ短調の短三和音」と「ハ長調の長三和音→イ短調の短三和音」とは区別されるべきですが、「イ長調の長三和音→イ短調の短三和音」と「ハ長調の長三和音→ハ短調の短三和音」は、基音は異なりますが、遷移そのものは同一のものと判定されるべきでしょう。同様に「二長調の長三和音→イ長調の長三和音」の遷移と「ヘ長調の長三和音→ハ長調の長三和音」の遷移とは、相対的な移動(五度圏上で、サブドミナント方向に1つシフトする)という点では同じ移動と判定されるべきです。このためには、転回を判定するためのバスの音の抽出とは別に、和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置を取得して、遷移における移動を、前後の位置の差分として計算する必要があります。

 そこで遷移パターンの集計にあたっては、以下のような符号化を行って、対象となる和音のラベリングを行うこととしました。

(a)和音(ピッチクラスセット)のラベル:12桁の2進数=10進表現で0~4095で表現できるので4桁あれば十分です。和音の五度圏上での出現位置について対称性があるので、便宜的に10進表現した場合の最小値をラベルとします。例えば、単音の場合、12音のうちどの音が鳴るかによって以下の12通りありますが、最小値である1をこのピッチクラスセットのラベルとします。なおここでは、従来の符号化の時の取り決めに準じて、最下位ビットはDesで、左方向にドミナント方向にシフトしていくものとします。(以下の括弧内はピット列を10進表現した値と、その値と五度圏上の音の対応を表します。)Desを起点にとったのには特に理由はなく、単なる取り決めの問題です。

000000000001(1:Des/Cis)
000000000010(2:Aes)
000000000100(4:Es)
000000001000(8:B)
000000010000(16:F)
000000100000(32:C)
000001000000(64:G)
000010000000(128:D)
000100000000(256:A)
001000000000(512:E)
010000000000(1024:H)
100000000000(2048:Ges/Fis)

(b)和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置:その和音のラベルとなったパターンを基準として、左に何ビットずれているかで示します。但しビット列は五度圏上の位置を示しており、最上位桁は最下位桁に繋がって巡回する構造となっているので、基準位置のすぐ右隣りが12となります。例えば長三和音に対応するピッチクラスセットは、以下の12通りですが、ラベルは最小値の19となり、そこから左回りに以下のように位置を定義します。ハ長調の長三和音は608ですが、ラベルは調を問わず長三和音のピッチクラスセット共通で19となり、五度圏上の位置は608に対応した6となります。

2057 3076 1538 769 2432 1216 608 304 152 76 38 19
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 ここで注意が必要なのは、この符号化は、ある和音の五度圏上の位置の区別ができるように、便宜的にある位置を基準にしたものに過ぎず、符号化された数値は、その和音が鳴っている調性領域の「主音」を表したものではないということです。長三和音の場合は偶々、後述する(c)におけるDesを起点にしてドミナント方向に数が増えていくラベルによるバスの位置の符号化と結果が一致していますが、あくまでも起点は、10進表現したときに最小の値をとる位置という定義に基づき、和音毎に決まるため、一般には和音毎に基準位置は異なります。例えば短三和音の場合を示すと以下の通りです。

2060 1030 515 2305 3200 1600 800 400 200 100 50   25
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 最小値は25ですので、そこが基準位置になりますが、6で符号化される800の構成音はC-A-Eであり、これはイ短調の短三和音です。

 ここまでで既にお気づきの方も居られることと思いますが、和音の中には対称性があって、五度圏上での或る角度での回転に対して対称となるものが存在します。ではこうした和音の場合にはどのように基準を決めれば良いでしょうか?ここでは最も単純な例として、増四度音程(triton)を例にとってみます。

2080 1040 520 260 130 65 2080 1040 520 260 130  65
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
6 5 4 3 2 1 12 11 10 9 8 7 (?:代替案)
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 10進表現した時の最小値はDes-Gの組み合わせで、値は65ですが、Desの位置を基準にとった場合とGの位置を基準にとった場合と2通りの基準の取り方が存在しており、どちらを基準にするかは、別にルールを追加してやらないと決まらないことになります。本稿では、後述の(c)におけるDesを基準とした五度圏上の位置のラベルの小さい音を基準とするというルールによって基準位置を決定しています。増四度音程は180度回転に対して対称でしたが、90度回転に対して対称な和音もありますので、こちらについても同じルールによって基準位置を決めています。

 ということで重要なのは、ここでの基準位置の決め方はアドホックなものであって、機能和声理論における主音のような概念とは関係がなく、一致する場合があってもそれは偶然に過ぎないという点です。あくまでも五度圏上の位置の違いを区別をすることが目的なので別のルールでも構いませんが、主音のような機能的な概念がここでの目的には適していないことは、同じ構成音の和音(例えばF-C-A)が文脈によって、へ長調の主和音であったり、ハ長調の下属和音であったりすることを思い浮かべて頂ければ了解頂けるのではないかと思います。

(c)和音の最低音の五度圏上での位置:(b)と同様に1~12の範囲を持ちますが、ここでもDesを起点として以下のように番号付けします。

Ges H E A D G C F B Es Aes Des
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1

なおここでの最低音についても、(b)と同様、五度圏上の位置の区別が目的ですので、あくまでも実際に鳴っている音のMIDIコードナンバーが最も小さい音が上記の番号のどれに当たるかを定義としており、機能和声における根音のような機能的な概念とは無関係なものであることをお断りしておきます。


(d)和音の符号化

上記(a)(b)(c)の定義に基づき、(c)を1~2桁目、(b)を3~4桁目、(a)を5~8桁目をする10進整数で和音を表現することにします。

例えばハ長調の主三和音(C-E-G)の第2転回形(四六の和音)は、

  • ピッチクラスのラベルは19…(a)
  • 和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置では608なので6…(b)
  • 和音の最低音の五度圏上での位置はGなので7…(c)

となりますから、上記の値に基づき、

19×10000+6×100+7=190607

というように符号化されます。この符号化により、ピッチクラスの同一性、五度圏上での位置、転回の区別を表現することが可能です。


(e)遷移パターンの定義

 更に上記の符号化に基づいて、遷移パターンを計算する時、(b))和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置については、前の和音と後の和音の距離を計算します。繰り返しいなりますが、五度圏のビット表現のため、最上位ビットの次は最下位ビットに巡回しますから、差を計算して値が負になった場合には12を加えることで距離の計算が行えることになります。そして遷移パターンとしては、前の和音の3~4桁目は常に0として、後の和音の3~4桁目に前と後の距離を設定します。こうすることにより、同一の和音(ピッチクラスセット)で五度圏上の位置は異なるが、同じ距離の移動を持つ遷移パターン(例えば、「二長調の長三和音→イ長調の長三和音」と「ヘ長調の長三和音→ハ長調の長三和音」)が同じ数値で表現されることになります。これにより、例えば「ドミナント方向への転調」のようなレベルで遷移が抽象されたことになります。但し、あくまでも同一のパターン変化を取り出すことができたに過ぎず、ここでは状態遷移の「意味」は捨象されていることに留意する必要があります。つまり同じ状態遷移が「転調」なのか、同一調領域における主和音から属和音への移行(あるいは下属和音から主和音への移行)なのかという「意味」は考慮されていないということです。

 それではこの遷移パターンの符号化において、転回に関する情報である(c)和音の最低音の五度圏上での位置はどのように扱うべきでしょうか?遷移パターンの符号化にあたり、五度圏上の位置そのものではなく、前の和音の位置を基準とした後の和音の位置との相対距離を用いたので、転回形の判定に用いる最低音の情報も、和音の位置の相対化に対応した相対化の必要があります。特に後の和音の転回形の情報は、それ自体前の和音の位置との距離に基づく相対位置に変換された後の和音の位置を基準とした値に変換される必要があります。

 上で掲げたハ長調の主三和音(C-E-G)の第2転回形(四六の和音)を例にして、仮に前の和音がヘ長調の主三和音(F-A-C)だった場合にどう符号化されるかを示すと

  • ピッチクラスのラベルは不変で19…(a)
  • 和音の位置は前の和音の位置基準の相対位置に変換。五度上だから五度圏上の左隣、距離としては1…(b)
  • 和音の最低音の五度圏上での位置は(b)の値との相対なので2…(c)

となり、上記の値に基づき、

19×10000+1×100+2=190102

というように符号化されます。

 なお、転回形を区別しない場合には、(a)(b)のみで、(c)は無視し(常に0となる)、

19×10000+1×100=190100

と符号化することになります。


(f)遷移パターンの「深さ」

 更に遷移パターンを定義するにあたり、前に何ステップまで遡った系列で次の音が決まるかという状態遷移を決める記憶の幅を決める必要があります。上掲の大黒達也『音楽する脳』ではそれを「深さ」と呼んでいる(同書, p.87の「深い統計学習と浅い統計学習」の節を参照)ので、ここでも「深さ」という呼び方を採用しますが、最も単純なものは、直前の音が次の音を決めるという「前→後」という遷移パターンで、これは深さ=1ということになります。「2つ前→1つ前→後」は深さ=2ということになります。また、この定義によれば、ある時点で鳴っている和音の頻度の集計は、深さ=0のパターンであると見做すことが可能です。(ただし深さ=0の場合には、2つの和音の間の移動の差分の計算というのは成り立たないため、和音そのものの五度圏上の位置、バスの位置を符号化したものの出現頻度の集計となり、深さ=1以上の場合とは集計対象が異なります。勿論、五度圏上の位置を捨象して、ピッチクラスの集合に対応したラベルのみであるとか、転回を区別するかどうかについての選択肢はありますが、いずれにしても差分の計算ではありません。)


(g)遷移パターンの符号化

 上記の遷移パターンの符号化を行った場合、深さによらず、遷移パターンの先頭では、(b)和音の位置は常に0(ここを起点の相対位置に変換するので)、(c)転回判定のバスの位置は(b)の位置からの相対に変換されます。一方、先頭以外については、既述の遷移パターンの定義通り、(b)は前の和音の位置からの相対位置、(c)は自分自身の(b)からの相対位置に(b)として求めた前との相対位置を加えた値(つまり前の和音の位置からの相対位置に等しい)になります。このようにして遷移パターンは、深さが増して系列が長くなっても、常に直前の和音に対する相対位置の系列で表されることになります。直感的には「ヘ長調主和音→ハ長調主和音の場合」も「ハ長調主和音→ト長調主和音」の場合も同様に、前の和音を基準にして、ドミナント方向に五度圏上で1ずれるという「ずれ」が符号化され、転回の情報は相対情報に変換されて保存されることになります。

*     *     *

3.分析の条件

 和音の出現頻度の集計・分析においては、単音・重音を含める/除外する、或いは更に和声の分析で用いられる「名前を持った」主要な和音に限定する、というように分析対象を目的に沿って絞り込んで分析してきましたが、遷移の集計・分析について考えた場合には、以下のような条件で行うのが適当と考えました。

  • 同一和音の連続は集計対象外。
  • 無音の拍(小節)は対象外。
 和音の遷移パターンを調べることを目的とした場合、単音・重音の拍(小節)は対象外とするのが基本と考えますが、比較用に対象としたデータも集計しましたので、以下の2種類のデータを集計しました。
  • 単音・重音の拍(小節)は対象外。(cdnz3)
  • 単音・重音の拍(小節)を含む。(cdnz)

 転回形の区別については、和音の出現頻度分析との整合性に配慮した場合には、長短三和音のみ区別して他は区別しないものを基本とすべきでしょうが、後述の通り、遷移の前の情報の「深さ」(大黒、上掲書, p.86 深い統計学習と浅い統計学習 の節を参照)を増していくにつれて遷移パターンのバラエティが増えて、各遷移パターンの出現頻度が小さくなることもあって、以下の3種類のパターンについてデータを集計しました。

  • 全ての和音について転回形を区別せず。(default)
  • 長短三和音のみ転回形を区別。(tonic)
  • 全ての和音について転回形を区別。(inv)
 これは自明のことですが、転回形を区別する分、対称性が喪われるので、区別されるパターンの数は増えることになります。つまり区別されるパターン数について、

default < tonic < inv  

の関係にあります。defaultの場合には、遷移パターンの符号の下位2桁は必ず0です。tonicの場合には、ピッチクラスの符号が19と25以外については下位2桁は必ず0です。いずれも場合にも転回は区別されず、同一の和音として遷移の頻度の集計が行われます。

 (なお、本記事の公開当初に公開した集計結果では、転回形を区別した場合の符号化の仕方にミスがあり、上記のうち、全ての和音について転回形を区別した場合(inv)と長短三和音のみ転回形を区別した場合(tonic)のデータに誤りがありました。現在公開しているのはミスを除いた2023年7月26日夜公開の修正版の集計結果です。)

 最後に、冒頭で述べたように、全ての和音を対象とするのではなく、各小節頭拍、ないし各拍頭で鳴っている和音を対象とし、以下の2種のデータを集計しました。
  • 各拍頭(A)
  • 各小節頭拍(B)
 結果として、2×3×2=12通りのデータを集計することになります。 

*     *     *

4.分析の対象

 最後に分析の対象および集計単位、および集計対象とした状態遷移の深さにつき述べます。分析の対象は従来、和音の出現頻度分析で用いてきたものと同一の、第1交響曲~第10交響曲と「大地の歌」の全11曲のMIDIファイルとしました。当該MIDIファイルは楽章毎に作成されていますが、状態遷移パターンおよび出現回数の集計は、曲毎に行いました。状態遷移の深さは1~5としました。つまり、深さ1の「前→後」から始まって、深さ5の「5つ前、4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後」までの5種類について、出現頻度の計算を曲単位で行いました。なお、統計学習では、出現頻度ではなく出現確率を用いますが、確率は頻度の出力から計算できますし、出現頻度そのものにも資料的な価値があると考え、出現頻度の集計結果のまま公開することにしました。

*     *     *

5.公開した集計結果の説明

 以下、公開しているアーカイブファイルの内容について説明します。本記事に関連するアーカイブファイルは以下の5種類です。

(1)和音の符号化の定義

アーカイブファイル和音状態遷移パターン定義.zipには以下の1ファイルが含まれます。

  • chord_code.xls:和音の符号化の五度圏上の位置の符号化についての定義ファイル

ファイルのフォーマットは以下の通りです。

  • A~L列:五度圏上の以下の位置の音が鳴っている(1)/鳴っていない(0) Ges H E A D G C F B Es Aes Des
  • M列:1~12列のビットパターンの10進表現(0~4095)
  • N列:同一和音(ピッチクラスセット)の五度圏上の相対位置(最小値=1で右回りに1ずつ増加。最上位ビットから最下位ビットに巡回して、最小値のすぐ右隣りが12)


(2)対象データ

アーカイブファイル和音状態遷移元データ_全交響曲.zipには状態遷移パターンの出現頻度集計の対象データを含む、以下の4ファイルが収められています。

  • sym_A_seq3.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_B_seq3.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_A_seq.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_B_seq.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • 各列:各楽章・部・曲毎の対象データ(以下は歌曲1曲のみの例なので1列のみ。)
  • 1行目:和音数(状態遷移の状態の数)
  • 2~9行目:未使用
  • 10行目以降:各状態における和音を上述の定義に基づき符号化したもの


(3)和声出現頻度集計結果

アーカイブファイル和音出現頻度集計結果_全交響曲.zipには和音の出現頻度を集計した以下の4ファイルが収められています。
  • sym_A_frq3.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_B_frq3.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_A_frq.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_B_frq.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • A,B列:構成音(ピッチクラスの集合)、五度圏上の位置、バスの位置を区別した和音出現頻度。A列1行目はパターン数。
  • C.D列:構成音(ピッチクラスの集合)、バスの位置を区別した和音出現頻度。C列1行目はパターン数(invに対応)。
  • E,F列:構成音(ピッチクラスの集合)を区別し、長短三和音のみバスの位置を区別した和音出現頻度(tonicに対応)。E列1行目はパターン数。
  • G,H列:構成音(ピッチクラスの集合)のみを区別した和音出現頻度(defaultに対応)。G列1行目はパターン数。



(4)状態遷移パターン集計結果

アーカイブファイル和音状態遷移パターン出現頻度_全交響曲.zipには和声の状態遷移パターンの頻度を集計した以下の12のファイルが含まれます。

各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_A_cdnz3.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_A_cdnz3_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_A_cdnz3_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_B_cdnz3.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_B_cdnz3_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_B_cdnz3_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_A_cdnz.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_A_cdnz_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_A_cdnz_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
  • sym_B_cdnz.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_B_cdnz_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_B_cdnz_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • A,B列:未使用
  • C~E列:深さ=1の状態遷移パターン(C~D)と頻度(E)。C列1行目はパターン数。
  • F~I列:深さ=2の状態遷移パターン(F~H)と頻度(I)。F列1行目はパターン数。
  • J~N列:深さ=3の状態遷移パターン(J~M)と頻度(N)。J列1行目はパターン数。
  • O~T列:深さ=4の状態遷移パターン(O~S)と頻度(T)。O列1行目はパターン数。
  • U~AA列:深さ=5の状態遷移パターン(U~Z)と頻度(E)。U列1行目はパターン数。



(5)和音・状態遷移パターン種別

アーカイブファイル和音状態遷移パターン種別_全交響曲.zipには和音毎・状態遷移パターン毎の出現頻度を集計した以下のファイルが収められています。
  • sym_cdnz_summary.xlsx
ファイルは以下の4シートからなり、シート毎に以下の条件で集計した和音・状態遷移パターンの種別の集計結果が含まれます。
  • B_cdnz3:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • B_cdnz:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
  • A_cdnzs3:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • A_cdnz:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
各シートのフォーマットは共通で、以下の通りです。

列方向:
  • A列:集計対象の和音・状態遷移の種別
    • seq:対象拍数(Aなら拍数、Bなら小節数に概ね等しい)
    • cseq:対象状態数(cdnzなら単音・重音を含む、cdnz3なら単音・重音を含まない)
    • cfrq:対象状態種別数(和音の違い、五度圏上の位置の違い、転回形を区別)
    • inv:状態遷移パターン・全ての和音について転回形を区別
    • tonic:状態遷移パターン・長短三和音のみ転回形を区別
    • default:状態遷移パターン・全ての和音について転回形を区別せず
  • B列:深さ(0~5)の区分
    • 0:和音種別
    • 1:状態遷移パターン・前→後
    • 2:状態遷移パターン・2つ前、1つ前→後
    • 3:状態遷移パターン・3つ前、2つ前、1つ前→後
    • 4:状態遷移パターン・4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後
    • 5:状態遷移パターン・5つ前、4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後
  • C~M列:各交響曲の集計結果
    • C列(m1):第1交響曲
    • D列(m2):第2交響曲
    • E列(m3):第3交響曲
    • F列(m4):第4交響曲
    • G列(m5):第5交響曲
    • H列(m6):第6交響曲
    • I列(m7):第7交響曲
    • J列(m8):第8交響曲
    • K列(erde):「大地の歌」
    • L列(m9):第9交響曲
    • M列(m10):第10交響曲
行方向:
  • 1行目:ヘッダー行
  • 2行目~22行目:和音・状態遷移の種別(A列)/深さ(B列)の条件毎・曲毎の集計結果
    • 2行目:seq/0:対象拍数(Aなら拍数、Bなら小節数に概ね等しい)
    • 3行目:scseq/0:対象状態数(cdnzなら単音・重音を含む、cdnz3なら単音・重音を含まない)
    • 4行目:scfrq/0:対象状態種別数(和音の違い、五度圏上の位置の違い、転回形を区別)
    • 5行目:sinv/0:和音種別(深さ0)・全ての和音について転回形を区別
    • 6行目:stonic/0:和音種別(深さ0)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 7行目:sdefault/0:和音種別(深さ0)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 8行目:sinv/1:状態遷移パターン(深さ1)・全ての和音について転回形を区別
    • 9行目:stonic/1:状態遷移パターン(深さ1)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 10行目:sdefault/1:状態遷移パターン(深さ1)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 11行目:sinv/2:状態遷移パターン(深さ2)・全ての和音について転回形を区別
    • 12行目:stonic/2:状態遷移パターン(深さ2)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 13行目:sdefault/3:状態遷移パターン(深さ2)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 14行目:sinv/3:状態遷移パターン(深さ3)・全ての和音について転回形を区別
    • 15行目:stonic/3:状態遷移パターン(深さ3)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 16行目:sdefault/3:状態遷移パターン(深さ3)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 17行目:sinv/4:状態遷移パターン(深さ4)・全ての和音について転回形を区別
    • 18行目:stonic/4:状態遷移パターン(深さ4)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 19行目:sdefault/4:状態遷移パターン(深さ4)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 20行目:sinv/5:状態遷移パターン(深さ5)・全ての和音について転回形を区別
    • 21行目:stonic/5:状態遷移パターン(深さ5)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 22行目:sdefault/5:状態遷移パターン(深さ5)・全ての和音について転回形を区別せず


[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。 

(2023.7.24公開, 7.25集計結果公開を中止、7.26修正版の集計結果を公開, 7.27説明の追加し、アーカイブファイルを4分割して再公開, 7.28補足説明の追加, 7.30和音・状態遷移パターン種別の追加公開・説明の追加)

2023年7月6日木曜日

備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業 (16):ここまでのまとめと補足 (最終更新2023.7.6)

(A)ここまでのまとめ

 マーラーの生涯に関するクロノロジカルな資料の確認と検討。

  • 「一からやり直す」:ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書378番, p.410。1979年版のマルトナーによる英語版では375番, p.324)
  • 老後への準備・死後への準備としての退職一時金・年金:1907年夏のマーラーより宮内卿モンテヌオーヴォ侯への書簡と、それに対する返信である1907年8月10日ゼメリング発の宮内卿モンテヌオーヴォ侯よりマーラーへの書簡
  • 後期ベートーヴェンへの評価:アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話→アドルノ「ベートーヴェンの晩年様式」へ
  • 「老グストル」:アルマの回想の「出会い(1901年)」の章および書簡 

*  *  *

 公開済の自己の過去の記事で関連したものを確認(第9や第10についての過去の記事については再確認必要)。

 だが、それよりもマーラーの(作品ではなく本人の)「晩年」を規定することは、既に以前、マーラーの生涯についての覚書を認めた時に試みていた。以下にその晩年についての記述を、当時の認識を確認するために再掲しておく。

晩年
マーラーの晩年は、歌劇場監督を辞任しウィーンを去る頃より始まると考えて良いだろう。 長女の猩紅熱とジフテリアの合併症による死、自分自身に対する心臓病の診断という、 アルマの回想録で語られて以来、第6交響曲のハンマー打撃とのアナロジーで「3点セット」で 語られてきた出来事は、それを創作された音楽に単純に重ね合わせる類の素朴な 伝記主義からはじまって、これも幾つものバージョンが存在する生涯と作品との関係をひとまずおいて、 専ら生涯の側から眺めれば、確かに人生の転機となる出来事だったと言えるだろう。 これを理解するのには別に特別な能力や技術どいらない。各人が自分の人生行路と重ね合わせ、 自分の場合にそれに対応するような類の出来事が起きたら、自分にとってどういう重みを持つものか、 あるいはマーラーの生涯を眺めて、マーラーの立場に想像上立ってみて、上記の出来事の重みを 想像してみさえすれば良いのだ。それが音楽家でなくても、後世に名を残す人物ではなくてもいいのである。 逆にこうした接点がなければ、私のような凡人がマーラーの人と音楽のどこに接点を見出し、どのように 共感すれば良いのかわからなくなる。

だが、その一方で、マーラーがそれを転機と捉えていたのは確かにせよ、己が「晩年」に 差し掛かったという認識を抱いていたかについては、後から振り返る者は自分の持っている 情報による視点のずれに注意する必要はあるだろう。マーラー自身、自分の将来に控える 地平線をはっきりと認識したのは間違いないが、それがどの程度先の話なのか、それが あんなにもすぐに到来すると考えていたのかについては慎重であるべきで、この最後の 設問に関しては、答は「否」であったかも知れないのである。もしマーラーがその後4年を 経ずして没することがなかったら、という問いをたてても仕方ないのだが、もしそうした 想定を認めてしまえば、今日の認識では「晩年」の始まりであったものが、深刻なものでは あっても、乗り越えられた危機、転機の一つになったかもしれないのである。丁度30歳を 前にしたマーラーが経験したそれのように。だとしたら現実は、そうした転機の危機的状況から 抜け出さんとする途上にマーラーはあったと考えるのが妥当ではないかという気がする。

要するに、ここで「晩年」として扱う時期は、その全体がブダペスト時代や、ウィーンの前期のような移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが 待ち受けていたかも知れないのだ。だが、実際には次のフェーズはマーラーには用意されて おらず、移行の只中で、それを完了することなくマーラーは生涯を終えてしまったように 私には感じられる。第1交響曲(当時は5楽章の交響詩)、第5交響曲がそれぞれ 移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、第10交響曲がその終わりを告げる 作品であったかも知れないが、第10交響曲は遂に完成されることはなかった。

この最後の部分の第10交響曲についての見解は、再検討するに値する。というのも、もし次のフェーズが準備されていたものが、偶発事によって断ち切られてしまったという認識に立つならば、アドルノが述べるところの「後期・晩年様式」やシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲についての了解は、少なくとも作曲者側の「老年・晩年」とは別のものであり、事によったら、そこに「後期・晩年様式」を見いだしたり、乗り越え難い一線を見いだすのは後知恵の産物であるということにもなりかねないからである。(ただし、上でのアドルノの「後期・晩年様式」とシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲や第10交響曲へのコメントの並置はアドルノの側から拒絶されるかも知れない。というのも、マーラー・モノグラフの第2章「音調」におけるシェーンベルクへの言及(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.40~41 参照)を確認する限り、アドルノはシェーンベルクの「プラハ講演」での第9交響曲についてのコメントを、「後期・晩年様式」の作品としての第9交響曲についてのものとは考えていなかったように受け取れるからである。だがそうしたアドルノの姿勢はそれとして、ではシェーンベルクの側はどうであったかを確認すると、こちらはこちらで、文脈からしてもシェーンベルクはそれをマーラーの作品一般に成り立つこととして述べたというよりは第9交響曲の特徴として述べたように見えるし、それがマーラーが晩年に到達した境地であると考えていたと捉えるのが自然であると私には感じられる。この点に限って言えばアドルノのくだんの参照の仕方はやや我田引水の観無きにしもあらずで、従って、アドルノの姿勢を確認した上でなお、敢えて上記の併置を撤回することはしない。尤も、シェーンベルクが第9交響曲について指摘するような事態を可能にするような構造がマーラーの作品一般に備わっているという点についてはアドルノの見解に対して異論があるわけではないことも、併せて記しておくことにする。 

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 以下の、様々な文献の参照のうち、「老い」一般ではなく、マーラーという個別のケースに関わるもののうち、「晩年」という規定が事後的なものに過ぎず、実際には「相転移」の只中にいたという見解と矛盾することなく両立しうるものは、唯一マイケル・ケネディの見解であるということになろうか。

  • ジャンケレヴィッチ『死』における『大地の歌』についての言及、「別れ」について
  • ゲーテ=ジンメルにおける「老年」:ジンメル『ゲーテ』
  • アドルノにおける「後期様式」
  • マイケル・ケネディのマーラーは創造力の絶頂で没したという見方
  • 吉田秀和のマーラーの後期作品、特に「大地の歌」に対するコメント
  • アドルノのカテゴリにおける「崩壊」「解離」からReversの言う「溶解」へ:Revers Gustav Mahler Untersuchungen zu den spaeten Sinfonien はタイトルが示す通り、枠組みとして「後期」にフォーカスしている点で特に注目される。対象は『大地の歌』、第9交響曲、第10交響曲。

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 更に旋法性に関するピッチクラスセットの拍頭における出現頻度の分析。アドルノ、柴田南雄、バーフォードを参照しつつ、付加六から五音音階へ、更に全音音階へ:五音音階性の優位は少なくとも中期から顕著になり、おおまかな傾向としては時期を追う毎に強まる傾向にあって、マーラーの様式の推移を測る手がかりたりえている。更に全音音階性は後期作品に見られる固有の特徴と言って良い。勿論、それが全てではないのは当然のことながら、全音階性から、五音音階へ、更に全音音階へということで、マーラーの様式変遷を跡付けることは可能だろう。

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 結局のところ、残された作品について言えば、「大地の歌」や第9交響曲に間違えようなく存在する、この世からの「別れ」の思い、自己の生命の有限性に対する、可能性としての理性的な認識とは異なる、現実にじきに訪れるものとしての了解を否定することはできまい。その生涯についても、アルマの回想が自己正当化を目的とした歪みに満ちたものであるとして、書簡に残されたマーラーの姿は、医学的水準では「誤診」であったという事実をもってその「診断」がマーラーその人の意識に与えた不可逆でかつ痛ましい影響を無かったことにすることの行き過ぎを咎めているようにしか思えない。我々にとってマーラーの「晩年」が事後的なものに見えたとしても、マーラー本人にとって「晩年」は疑いなく存在していたと言うべきではないのか?

 これはほんの一例だが、マーラー同様、フレンケルが治療に当たったからという訳でもないのだが、例えばシベリウスが第4交響曲を作曲していた時期を比較対象として思い浮かべてみたらどうなるか?だがこの比較は不完全なものにならざるを得ない。シベリウスの第4交響曲は、病から癒えた後に構想され、着手された作品だからだ。それではショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番はどうだろうか?この作品が自らの墓碑銘として書かれたのは事実であり、ことによったら本当にその後自殺をしたかも知れないとしたら?だが、マーラーの場合とは異なってここでは「老い」は問題にならないし、それに応じて「別れ」の持つ意味も違ったものとならざるを得ない。ショスタコーヴィチならば寧ろ(交響曲第14番ではなく)、交響曲第15番、ミケランジェロ組曲、弦楽四重奏曲第15番、或いはヴィオラ・ソナタを思い浮かべるべきだろう。

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 こうして見ると、個人的にはそうした見方には与しないものの、「芸術が人生を先取りする」といった類の言葉がマーラーについて語られるのは、それなりに理由がない訳ではないことの方は認めざるを得ないような気持ちにさえ囚われてしまうことを避け難く感じる。そこに「死」を見い出すことの方は確かに後知恵かも知れなくとも、そこに「老い」と「別れ」を見い出すことは寧ろ避け難いのではないか?そうだとしたら、もう一度、アドルノの「後期様式」の指摘は、第9交響曲に関する「死が私に語ること」に対する拒絶ともども正当であるということになるだろう。

 だが、それでもなお、剰余が存在する。アドルノが拒絶した、5楽章の構成を持つものとしての第10交響曲の問題が残る。あのフィナーレの音調をどう受け止めるべきかの問題が。否、それはアドルノの立場では、端的に「存在しない」のだろう。だが「存在しない」ものについて語っても仕方ないということになるのだろうか?だが、最大限譲歩しても、スケッチは完全な形で遺された。アルマに破棄を命じたかどうかはともかく、シベリウスが第8交響曲に対して行ったアウト・ダ・フェは、マーラーの第10交響曲には生じなかったが故に、我々はそれがどんなものであり得たかについて知ることができる。そしてその限りにおいて、「大地の歌」と第9交響曲に対して、第10交響曲とそれらとの間には断絶が存在したのだろうか?ここで、こちらについては存在「しえたか?」ではなく存在「したか?」であることに注意。だがそれを判断しようとした時、アドルノが拒絶した理由が回帰することを認めざるを得ない。それが水平的にも垂直的にも未確定であるとしたら、その状態での分析の結果には一体どのような意味があるのだろうか?ましてやクックによる補作に基づく分析にどのような意味があるのだろうか?以下の補足では、マーラーが作品を「抜け殻」であると述べたことについて言及するが、それを先取りして、だが第10交響曲に関しては別の問題があることに留意しておくべきだろう。第10交響曲は「抜け殻」なのか?未完成の「抜け殻」とは一体どういうものなのか?

 とはいえ実際には、そうした問いに一旦頬被りを決め込んで、クック版に基づいた分析を私は既に行い、公開さえしている。そしてその結果は、「大地の歌」、第9交響曲との或る種の連続性を示しているように思われる。しかもそれはアドルノの指摘に導かれてデザインされた分析の結果なのだが…その時、マーラーの生涯の動力学的把握において、「晩年」が総体として、移行期、「相転移」の時代であったかもしれず、この時期を過ぎれば新しいフェーズが待ち受けていたかも知れないのに対応して、第10交響曲は、交響詩「巨人」や第5交響曲がそれぞれ移行の、相転移の終わりを告げる作品であったように、「相転移」の終わりを告げる作品であったかも知れないが、遂に完成されることはなかったと認識されたことが思い浮かぶ。それが「晩年様式」であるかどうかは措いて、第10交響曲は、もし次があったとするならば、いわゆる折り返し点、過渡的な作品であったように見えるということだ。15年も前の、データ分析の着手からさえも遥かに先行する時期の直観に過ぎないが、現時点でもその直観は基本的に正しいと私は考えているし、現時点でのデータ分析の結果は、少なくともそれと矛盾はしていないようだ。もしそうであるならば、具体的な生涯における「老い」や「晩年」との関係さえ一旦括弧入れした上で、「大地の歌」と第9、第10交響曲に見られる特徴を抽出する作業を進めるべきなのかも知れない。

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 幾つかの個別作品に関するモノグラフを改めて読み直す必要もあるだろうか。

  • 「大地の歌」
    • Hefling, Stephan E., Mahler : Das Lied von der Erde, Cambridge University Press, 2000
    • Danuser, Hermann,Meisterwerke der Musik : Gustav Mahler, Das Lied von der Erde, Wilhelm Fink, 1986
  • 第9交響曲
    • Holbrook, David, Gustav Mahler and the courage to be, Vision Press, 1975
    • Andraschke, Peter, Gustav Mahlers IX. Symphonie, Kompositionsprozess und Analyse, Franz Steiner, 1976
    • Lewis, Christopher Orlo, Tonal Coherence in Mahler's Ninth Symphony, UMI Research Press, 1983
    • Pensa, Martin, ≫Ich sehe alles in einem so neuen Lichte≪ Gustav Mahlers Neunte Sinfonie, edition text+kritik, 2021
    • Wreford, Kathleen Elizabeth, A critical examination of expressive content in Mahler's ninth symphony, MaxMaster University, 1992:この論文では分析として、Diether, Holbrook, Lewis, Greene, Micznikのものが取り上げられているようだ。
  • 第10交響曲
    • Rothkamm, Jörg, Gustav Mahlers Zehnte Symphonie : Entstehung, Analyse, Rezeption, Peter Lang, 2003
モノグラフではないが、例えば以下の中に含まれる後期作品についての章も確認しておくべきだろうか。
  • Newlin, Dika, Bruckner Mahler Schoenberg, 1947, revised edition, W. W. Norton, 1978:「大地の歌」、第9交響曲。第10はアダージョのみ。
  • Greene, David B., Mahler, Consciousness and Temporality, Gordon and Breach Science Publishers, 1984:第9交響曲
  • Downes, Graeme Alexander , An Axial System of Tonality Applied to Progressive Tonality in the Works of Gustav Mahler and Nineteenth-Century Antecedents , University of Otago, Dunedin, New Zealand, 1994:主として第9交響曲だが、「大地の歌」、第10交響曲も。
  • Micznik, Vera, Music and Narrative Revisited: Degrees of Narrativity in Beethoven and Mahler, in Journal of the Royal Musical Association, 126, 2001 :第9交響曲第1楽章
  • Pinto, Angelo, Mahler's Search for Lost Time : a "Genetic" Perspective on Musical Narrativity, Gli spazi musica, vol.6 n.2, 2017:第10交響曲
  • Pinto, Angelo, On this side of the compositing hut. Narrativity and compositional process in the fifth movement of Mahler’s Tenth Symphony, De Musica, 2019 – XXIII (1):第10交響曲第5楽章

上記に関しては、既に一度(9)にて振り返ってみたがもう一度、2008年より前に遡る、だが日付は最早確定できなくなってしまっている以下の「後期」に関する備忘の元の意図と志向とを確認しなおすべきかも知れない。結局、今、ここで問おうとしていることは、そこでの疑問のヴァリアンテに過ぎない。

後期様式
眼差しのあり様。「現象から身を引き離す」というのがことマーラーの場合に限れば最も適切。しかし、人により「後期」は様々だ(cf.ショスタコーヴィチ)。
ヴェーベルンの晩年とマーラーの晩年のアドルノの評価の違い。いずれも「現象から身をひく」仕方の一つではないのか? こちら(マーラー)では顕揚されるそれと、あちら(ヴェーベルン)の晩年にどういう違いがあるのか?

作曲年代の確認
「大地の歌」1907~?1908~?:実は異説があるようだ。
「大地の歌」第1楽章については、かつては違和があった。今のほうがよくわかる。こうした感情の存在することが。そういう(多分にnegative―そうだろう?)な意味でこれは成年の、否、後期の(晩年、ではないにしても)音楽なのだ。

マーラーに関するシェーンベルクの誤り
いわゆる「第9神話」にとらわれたこと。マイケル・ケネディの方が正しい。第10、第11交響曲を考える方が正しい。
マーラーは本当に発展的な作曲家だった。
だから第9交響曲は行き止まり等ではない。
確かに第10交響曲は「向こう側」の音楽かも知れない(これを第9交響曲より現世的と考える方向には与しない。) けれどもマーラーは途中で倒れたのだ。マーラーの死は突然だったから本当に途中で死んでしまったことになる。

マーラーの第10交響曲こそが最も近しく感じられる。
この不思議なトポス、だけれども、これは存在する、そうした場所はあるのだ。少なくとも残された者の裡においては。それ自体、何れ喪われるものであっても、それは存在する。全くのおしまい、無というわけではない。
それは「喪」そのものかも知れないが、喪のプロセスは残された者の裡には存在する。
マーラーがこの曲を、特に第1楽章以降を書いたのは、不思議だ。彼は確かに危機にはあったし、己の死を意識してはいただろうが、でも死に接していたわけではない。

この曲の、少なくともAdagioに、早くから惹きつけられた。
14歳になるかならぬかの折、最初に私がマーラーについて書いた中で引用したのは、まさにこの曲だった。他ならぬこの曲だった。
それを子供時代に聴くというのはどういう事だったのか?
否、「現象から身を引き離す」ことは、いつだって可能だ。ただし有限性の意識はあっても、クオリアは異なる。かつての宇宙論的な絶望と、今の生物学的な絶望との間には深い淵が存在する。

回想という位相。(かつての)新しさの経験。異化の運命。後期様式による乗り越え。
風景の在り処。現実感は希薄。回想裡にある。かつて現実だった?「だったはずの」?

確かにマーラーは何か違う。
consolationなのか、カタルシスなのか。Courage to Be(ホルブルック)という言い方に相応しい。それを「神を信じている」という一言で済ませるのは何の説明にもなっていない。その「肯定性」―それはショスタコーヴィチとも異なるし、例えばペッティションとも異なる― について明らかにすべきだ。
救済は第8交響曲にのみしかない訳ではないだろう。マーラーは規範や理論に従って「約束で」長調の終結を選んだわけではない。強いられたわけでもない。
とりわけ第10交響曲の終結がそれを強烈に証言する。
一体何故、このような肯定が可能なのか―ハンス・マイヤーの言うとおり、これは「狭義」の信仰の問題ではない筈だ。
懐疑と肯定と。

アドルノのベートーヴェンの後期様式についてのコメントをマーラーの後期様式と対比させること。案に相違してベートーヴェンの閉塞と解体に対して、マーラーは異なった可能性を示したのかも知れない。アドルノのことばは、その消息についてははっきりと語らない。
一見したところ、両者の身振りは極めて近いものがある。だが、並行は最後まで続くのか?
寧ろ一見したところ厭世的に受け取られることの多いマーラーの方が「他者のいない」ベートーヴェンよりも、 異なった可能性に対して開かれていたのでは、という想定は成り立つ。(これは同じくベートーヴェンとマーラーについてのモノグラフを持つGreeneの立場とも対比できるだろう。)

アドルノのles moments musicauxの邦訳のうち、ベートーヴェンの後期様式やミサ・ソレムニスについてマーラーの「大地の歌」, 第9交響曲, 第10交響曲そして第8交響曲と対照させつつ検討する。

ホルブルックのCourage to Be(第9交響曲)と大谷の「喪の仕事」(「大地の歌」に関して)を組み合わせて考える。
「個人的な「大地の歌」―第9交響曲における普遍化」というのは成立するのだろうか?

ところで、ホルブルックの「結論」(p.213)はどうか?
多分正しいのだろうか―これは私の求めている答ではない。 では答はどこにあるのか? そもそもマーラーにあるのか? 勝手読みは(ハンス・マイヤーの心配とは別に)必ず無理が来る 「感じ」が抵抗し、裏切るのだ。 頭で作り上げた「説明」は、どこかで対象からそれてゆく。 一見、ディレッタンティズムに見える―衝動に支えられた―探求の方が、より対象に踏み込めるに違いない。
あるいは、「実感」が追いつかない―忘れてしまった―否、そんなことはない。 まだ「わかっていない」だけかも知れない。 ここに「何かがある」のは確かなことだ。 自分が求めているものとぴったり同じではない可能性も否定できないにせよ自分にとって限りなく 重要な何かあがあるのは確かだ。
 
(B)補足

 既に確認した通り、「晩年様式」についてアドルノは、マーラーに先立ってベートーヴェンのそれを取り上げている。『楽興の時』,所収の「ベートーヴェンの晩年様式」(初出はチェコスロヴァキア共和国のための双紙『アウフタクト』第17巻第5/6号, 1937)

 そこでの指摘は必ずしもマーラーの場合とぴったり重なる訳ではないようで、「老シュティフター」と並んで「老ゲーテ」への言及が含まれているにも関わらず、マーラーの場合に全面に出てくる「現象から身を退く」、更にジンメルのゲーテ論における「老い」の把握との間の懸隔は少なからずあるように見受けられる。その懸隔の由縁が、どこまでベートーヴェンという個別のケースを扱ったことに拠るのかどうか。

「大芸術家の晩年の作品に見られる成熟は、果実のそれには似ていない。それらは一般に円熟しているというより、切り刻まれ、引き裂かれてさえいる。おおむね甘みを欠き、渋く、棘があるために、ただ賞味さえすればよいというわけにはいかない。そこには古典主義の美学がつねづね芸術作品に要求している調和がすべて欠けており、成長のそれより、歴史の痕跡がより多くそこににじみ出ている。世上の見解は、通例この点を説明して、これらの作品がおおっぴらに示現された主観の産物であるためだという。主観というよりはむしろ≪人格≫と呼ぶべきものが、ここで自らを表現するために形式の円満を打ち破り、協和音を苦悩の不協和音に変え、自由放免された精神の専断によって、感覚的な魅力をなおざりにしているのである、と。つまり、晩年の作品は芸術の圏外に押しやられ、記録に類したものと見なされるわけだ。」(アドルノ, 『楽興の時』, 三光長治・川村二郎訳, 白水社, 新装版1994, p.15)

 ところがここで持ち出されるのは「死」であって「晩年」そのものではないらしい。

「まるで、人間の死という厳粛な事実を前にしては、芸術理論も自らの権利を放棄し、現実を前に引きさがるほかはないといったありさまである。」(ibid.)

 だが、かくいうアドルノもまた、結局、「老い」そのものではなく、「死の想念」に言及するには違いない。

「ところで、この形式法則は、まさに死の想念において、明らかとなる。死の現実を前にしては、芸術の権利も影がうすれるとすれば、死が芸術作品の対象としていきなりその中に入り込めぬことも確かである。死は作られたものにではなく、生けるもの「にのみ帰せられているのであって、であればこそあらゆる芸術作品において、屈折した、アレゴリーというかたちで表されてきたのであった。」(同書, p.18)

 そこで批判されるのは心理的な解釈である。

「この肝心な点を心理的な解釈は見のがしている。それは死すべき個人性を晩年作品の実体と見なしてしまえば、あとははてもなく芸術作品のうちに死を見いだすことができると思っているらしい。これが彼らの形而上学の、まやかしの精髄だ。たしかにこうした解釈も、晩年の芸術作品において個人性が帯びる爆発的な力に気づいている。ただそれを、この力そのものが向かっているのと反対の方向に見いだそうとしている。つまる個人性自体の表現のなかに見いだそうとしているわけだ。ところがこの個人性なるものは、死すべきものとして、また死の名において、実際には芸術作品のなかから姿を消しているのである。晩年の芸術作品に見られる個人性の威力は、それが芸術作品をあとに、この世に訣別しようとして見せる身ぶりにほかならない。それが作品を爆破するのは、自己を表現するためでなく、表現をころし、芸術が見かけをかなぐり捨てるためだ。作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」(ibid.)

 なお、ここの部分を読んで思い起こされるのは、マーラー・モノグラフの冒頭、パウル・クレツキのカットを含む第9交響曲の録音につけられた解説に登場する「死が私に語ること」という標題に対してのアドルノの批判であって、まさにここで指摘される「反対の方向」を向いた解釈の批判ということになるのだろう。(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.4 を参照のこと。) 

 もう一つ、こちらは『楽興の時』の掉尾を飾る「異化された大作-『ミサ・ソレムニス』によせて―」の末尾近くにも「晩年様式」への言及が確認できる。

「『ミサ・ソレムニス』の美的に破綻をきたしているところ、一般にいまなお何が可能であるかという、ほとんどカント的にきびしい問いのために、明確な造形を断念しているところなどは、見た目に完結した外容のかげに口をひらいた裂け目と対応しているのであり、そうした裂け目を、後期の四重奏曲の構成はあらわに見せている点だけがちがうのである。しかし、ここではまだ抑制されていると言ってよい擬古ふうへの傾向を、『ミサ』は、バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家の晩年様式と分け合っている。」(p.240)

 こちらは1959年執筆だから、マーラー・モノグラフに寧ろ時期的には近接する。「バッハからシェーンベルクにいたるほとんどあらゆる大作曲家」の中にマーラーは恐らく間違いなく含まれるであろう。

 最後にウィーン講演(『幻想曲風に』所収、邦訳は「『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018)。ここでも晩年様式はベートヴェンのそれを参照しつつ、『大地の歌』に関して述べられている。

「時として≪大地の歌≫では、極端に簡潔なイディオムや定式が充実した内容で満たされてきっているが、それまるで、経験を積んで年を重ねた人物の日常の言葉が、字義通りの意味の向こうに、その人の全生涯を隠しているかのようである。まだ五十に手の届かない人物によって書かれたこの作品は、内的形式という点で断片的であり、(ベートーヴェンの)最後の弦楽四重奏以来の音楽の晩年様式の最も偉大な証言の一つである。ひょっとするとこれをさらに上回っているかもしれないのは、第9交響曲の第1楽章である。」(上掲書, p,123)

 ここでの「極端な簡潔なイディオムや定式」は、ベートーヴェンの晩年様式における「慣用」であり、と同時に、ぴったりと重なることはなくとも、少なくとも一面において柴田南雄が指摘する「歯の浮くようなセンチメンタリズムに堕しかねない」「ユーゲント様式」(柴田南雄『グスタフ・マーラー ー現代音楽への道ー』, 岩波新書, 1984, p.160)を含んでいるのだろう。マーラー・モノグラフにおいてはハンス・ベトゥゲの「工芸品的な詩」への言及はあっても、アドルノが様式化の方向性として指摘するのは「時代のもつ異国趣味」の方なのだが(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.189)。

*  *  *

 ところで「ベートーヴェンの晩年様式」に戻って、上で引用した最後のくだり、「作品については残骸だけをのこし、自らの消息についても、自分が抜け出したあとの抜けがらをいわば符丁として、あとにとどめるだけだ。」という部分について、マーラーに関して思い浮かぶのは、1909年6月27日、トーブラッハ発アルマ宛書簡に出てくる、人生と作品の関わりについてのコメント、更にその中で述べられる、作品は「抜け殻」に過ぎないという認識だろうか。(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, pp.398~399。なお下記引用箇所ではないが、関連した箇所について、過去に以下の記事で取り上げたことがある。妻のアルマ宛1909年6月27日の書簡にある「作品」に関するマーラーの言葉

「――ところできみはすでに私が人間の≪作品≫についてどう考えているか知っていると思う。少なくとも推察はできるだろう。それはかりそめの姿、”滅ぶべき部分”(原文傍点強調、以下同様)にすぎない。しかし人間がみずからをたたきあげて築いたもの、たゆまぬ努力によって”生まれ出た”彼の姿は、不滅のものだ。」

 この書簡のテーマが、芸術創造についてではなく、妻アルマの人間的な「成長」であることには留意し、一応念頭においておいくべきだろうが、「作品」観として読もうとした時に重要なのは、そのことよりも、この作品についての見解に先立って、生命の進化についてマーラーが語っている点であり、当然、生命観と作品観との関わりを考える必要があるだろう。(同じく原文は、過去の記事「妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉」を参照。)

「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。」

 マーラーの場合、第8交響曲第2部の素材になったという以上に、伝記的事実として知られている限りでも彼自身が筋金入りのゲーテの愛読者であり、客観的には些か自己流という評価になるにしても、寧ろそれだけ一層、単なる教養の如きものとしてではなく、自己の生き方を方向づけるものとしてゲーテの思想を我がものとしていたという点が特筆される。そしてこの点を以て、その作品の様式を論じる時、ゲーテの考え方に依拠することは、他の場合とは質的に異なった意味合いを持っていることになる。(更に言えば、上記引用で登場する「エンテレケイア」への言及が、同じ1909年6月に、やはりアルマ宛にトーブラッハで書かれた書簡に含まれる『ファウスト』第2部の「神秘の合唱」をめぐってのマーラーの説明の中に登場していて、当然、両者を関連付け、一貫した展望の下で理解すべきことを追記しておくべきだろう。)

 勿論、作曲者がゲーテを愛読したからといってそのことが直ちに論理的に必然としてその音楽作品のあり方を規定する訳ではないのは当然だが、ことマーラーの場合に限って言えば、その繋がりをあえて無視した議論は重要な何かを見落とすことになるだろう。こうした事情はどの作曲家にも成り立つというものではないが、ことマーラーの場合には、それをどう評価するかどうかは措いて、そうした繋がりがあること自体は確実であると思われる。否、最終審級ではそれがゲーテに由来するかどうかも最早問題でなくて、マーラー自身がそのような考え方を抱いていたことと、生み出された作品との関係が問題であり、ことマーラーの場合に限って言えば、両者は無関係ではありえない、それどころか密接な関係を持つということだ。その際、その関りの具体的な様相は、アドルノが「晩年様式」を論じる時に指摘するように、単純な伝記主義でも、心理的なものでも、標題としての関わりでもない。

*  *  *

 もう一点、備忘を。

 マーラーがベートーヴェンの後期をより高く評価していることは、アルマの回想録の中の「結婚と共同生活 1902年」の章の末尾のベートーヴェンを巡ってのシュトラウスとの対話において確認したが、それを踏まえた上で、アルマが回想の「第八交響曲 1910年9月12日」の章に書き残している以下のマーラーの言葉をどう受け止めたものか?

「そのころ彼はよくこんなことを言った。「テーブルの下につばを吐いてみたって、ベートーヴェンになれるわけのもんじゃないさ!」」(アルマ・マーラー, 『グスタフ・マーラー 回想と手紙』, 酒田健一訳, 白水社, 1973, p.211)

これをアルマは、1910年11月のアメリカ渡航を記す箇所で、航海中にマーラーの最後のものとなった写真を撮ったことに続けて、さりげなく、そういえば、という感じで記している。何の注釈もないこの言葉は、子供の頃に接した私にとっては、ごく当たり前のように、ベートーヴェンになろうと思ってもなれるものではなく、自分は自分でやれることをやるしかない、という創作についてのマーラーの態度表明と受け取ったのであったが、しばしば極めて疑わしいアルマの記憶を信じるならば、これは上で参照した書簡よりも更に1年後のこと、しかも第8交響曲の初演という畢生の大プロジェクトを成功裡に成し遂げた後の発言であることに留意すべきだろうか。子供の私は、シェーンベルクがマーラーのネクタイの結び方の方が音楽理論の学習よりも大切だと言ったというアネクドットを念頭に、もしかしてベートーヴェンに、テーブルの下につばを吐くことに関するアネクドットがあるのかしらと思いつつ、そちらの確認は遂に行わないまま今日に至っているのだが、問題はそのことの事実関係よりも、こう言いながら『第九交響曲』も『ファウスト』さえも、「抜け殻」に過ぎないと断言するような認識に、この発言を結び付けて了解することの方にあるという点についてであるという考えについても、かつての子供の頃から変わらない。要するに、「すべて移ろいゆくものは比喩に過ぎない」からこそ、それは「抜け殻」なのだろう。作品は自分の死後にも残るとはいえ、『ファウスト』第2部終幕のようなパースペクティブの下では、所詮は「移ろいゆくもの」に属するのだ、ということなのだろう。そしてマーラーはこの時期、やっと50歳に達するといった年齢であるにも関わらず、そうした認識を己れのものとしていたということなのだろう。

 そしてこのマーラーの認識から導かれることの一つとして、「抜け殻」に過ぎないからといって、作品を遺すことに意味がないと考えているわけではない、ということがある。そもそもマーラーは、例えば既にブラームスやドヴォルザークがそうであったような、作品を出版することで食べていける職業的な作曲家ではなかった。指揮者としての生業の余暇に書かれたそれは、注文とか委嘱に基づくものではなく、世間的には楽長の道楽に過ぎなかった。最近はセットにして論じることの是非が議論のネタになるということがそもそもなくなってきている感のあるブルックナーとの比較において、実は「交響曲」というフォーマットを敢えて選択して、頼まれてもいないのに次から次へとそれを作り続けたという点だけは共通しているのであって、その営みが世間的な意味合いでは「無為」のものであることへの認識もあったに違いない。そして再びブルックナーがそうであったように、マーラーにとってもまた、作品を書き続けることが問題であったに違いない。作品が「抜け殻」に過ぎないとして、だからといって、作品を作ること自体からさえ離脱することは、そもそも問題にならなかったに違いない。既に書くことそのものへの断念に関して、デュパルクの断筆やシベリウスの晩年の沈黙についてかつて記したことを確認したのだったが、ことマーラーに関して言えば、そうしたことは全く問題にならないだろう。実際にはゲーテの「老い」についての認識と、それについてのジンメルの解釈には「東洋的諦観」が関わっているとはいうものの、同じく東洋的な無為に対する評価の姿勢を明らかに持っている「老年的超越」が「生み出すこと」への固執からの離脱という契機を内包しているのとは異なって、例えば中島敦の「名人伝」に描かれるような東洋的な「無為の境地」はゲーテ=ジンメルにも、ゲーテ=マーラーにも無縁のものであったに違いない。(己が名人であること自体から脱出してしまった「名人伝」の弓使いは、「現象から身を退く」ことを、「抜け殻」さえ残さないという徹底的な仕方で、まさに東洋的に実践したとは言えないだろうか?或いはまた、これこそが、自分はそれを実践できなかったかに見えるペルトの言う「偉大な芸術家にとって、もう芸術を創造しようとしたり、創造したりする必要のないとき」を迎えた一例なのではないだろうか?)

 言ってみれば、それが「抜け殻」であるとの認識の下でさえ、作り続けることに価値や意味が賭けられているという構造は変わらない。そしてその根底には「動作し続ける」ことによって自らを維持するという、今ならオートポイエティックと言われもするだろう「生命」についての認識が存在する、というのが引用した書簡の告げる消息なのであろう。そして(これは個人的なことだが)私自身もそうした点に関してマーラーの姿勢の方により多く共感するということなのだろう。子供の頃の私は、マーラーと自分の間に横たわる能力の差を半ばは意識して、けれども実際にはその程度を正確に測ることなく、「テーブルの下につばを吐いてみたって、マーラーになれるわけのものでもない!」と一人ごちたのだったが、それが子供ならではの傍若無人であることを認識している今の私も、かつての共感そのものを自己に無縁のものとして断ち切れているわけではない。寧ろ同じ中島敦なら「山月記」の李徴に対して年端もゆかぬ子供がそれなりの切実さをもって抱き、数十年の年月を経て今なお抱き続けている同情と共感の方がまだしも身分相応であり、いずれ自分もまた虎となって、「生み出すこと」への固執から、それを超越するのではなく、単に忘却してしまうという望まぬかたちで離脱することになる可能性をさえ認識すべきであるとは思いつつも。

 いずれにしても、マーラーにおける「抜け殻としての作品」という認識は、寧ろその後ボーヴォワールが「老い」についての大著の中で述べた「私は、私が為した(作った)ところのもの、しかもただちに私から逃れ去って私を他者として構成するところのもの、である」(ボーヴォワール『老い』、第六章 時間・活動・歴史, 邦訳下巻, p.441)という作品の定義に通じていて、だが「老い」と「作品」の関わりということであれば、それは(ボーヴォワールがそう捉えたがっているように見える)単なる技術的な円熟、名人が到達する自在の境地への到達という観点ではなく、「作品」がもともと備えているはずの、だが若き日には必ずしも認識されるわけではない、或いは、それが意識されるときには常に克服されるべきものと認識されがちである「他性」の持つ意味合いが、己の「老い」についての認識とともに変容していく、その具体的な様相こそが問題にすべき点に違いない。シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べる「非人称性」、作曲家が、背後の誰かの「メガホン」代わりになっているという指摘は、まさに作品が、まだわからぬ先の何時かに、ではなく、もう間もなく自分がそこから退去することが決定づけられている(それが事後的には誤診であったとしても、診断によってそのような認識をマーラーが抱いたことはどのみち厳然たる事実であって、それを覆そうとする類の後知恵は、こと「作品」について言えば何も語ることはないだろう)という意味合いで既に疎遠なものとなりつつある「世界」との関わりのシミュレーションである限りで、他性を帯びているという消息を告げているのではないだろうか。「老い」によって、作曲する主体の側から見て「作品」がもはや己に属するものであるよりは、己から逃れ去れ、己を他者として構成するような異物として、事後的に「抜け殻」として認識されるといった状況が生じる。マーラーのくだんの発言が、第8交響曲を作曲している最中のものではなく、「大地の歌」の完成を間近に控え、それと並行して第9交響曲の作曲に取り掛かっていた時期のものであることにも留意すべきだろうか。勿論、マーラーが「作品」を「抜け殻」という時、それは別に晩年の作品に限ってそうであると言っている訳ではない。その時点で振り返ってみれば、作品は常に、その都度の自己の行いの「抜け殻」に過ぎないということなのだろうが、そうした認識が作品自体に染み透っているのが後期作品であり、アドルノのいう「晩年様式」なのだろう。要するに今やそれは、私がもうじきそこから居なくなる、別れを告げる相手である限りの世界についてのシミュレーションなのだ。だからもし「老年的超越」を、或る種の悟りの境地の如きもの、解脱として捉えるならばマーラーの晩年の作品は、それには該当しないことになるだろうが、「老年的超越」をまさに「老い」がもたらした世界との関わりの変容(とはいえ、それは何も日常の経験を絶した特殊な経験などでは決してなく、寧ろ日常的なあり方自体がそのように変容するということなのだが)として捉えるならば、マーラーの晩年の作品はまさに「老い」の時間性が刻み込まれたものであり、そこにこそ「老年的超越」を見てとることができると言い得るだろう。(更に、この立場に立つならば、例えばDavid B. Greene, Mahler : Consciousness and Temporalityにおける第9交響曲の時間性に関する分析はどのように評価されることになるか、ここでは詳述できないので、これは別の機会に果たすべき宿題としておきたく思う。まずもって分析対象となった第1楽章、第4楽章それぞれを「通常の意識の時間プロセスの変形」なるものとして把握するという基本的なアウトラインが既にこの分析の限界を示している点については既に別のところで述べているので繰り返さないし、予め分析者が用意した図式をあてがうようにして、これほど複雑なプロセスを持つ音楽に対するには余りに単純で杜撰な、持って回ってはいるがその内実は貧困な言い回しによって各々のブロックの「意味」を説明するだけの偽装された標題音楽的解釈の一種に過ぎない点は一先ず措くとして、それでもなお具体的な楽曲の分析によって取り出されたものの中に、ここで「晩年様式」に固有のものとされる「老い」の時間性の把握として首肯できるものが含まれていることはないかを改めて確認してみたい。)

*  *  *

 上記を踏まえた上で、アドルノ自身「晩年様式」についての言及の中での対象に応じたずれだけではなく、アドルノの「後期様式」と、ゲーテ=ジンメルの「老い」の理解の関連のあり方の方もきちんと確認する必要があるだろう。

 まず「形式を打破し、根源的に形式を生み出していく、まさにカント的な意味における」主観性は、ここではベートーヴェンの中期について言われているように思われる。他方でアドルノは、既に若い頃から現れていたようにも見える、形式をボトムアップに生成させていく唯名論的な傾向を、マーラーの作品全般の特性として捉えている。一方ジンメルの方は、他方外部の形式を借りるのではなく、他に形式を求めずとも、それ自体形式を備えている点を老齢の特徴であると述べており、そのことが「現象から身を退く」ことを可能にすると述べている。

「青年期にあつては主観的無形式は、歴史的乃至理念的に豫存する形式内に収容さるゝ必要がある。主観的無形式は此の形式に依って一客観相たるべく発展されるのである。けれども、老齢に於ては、偉大な創造的人物は―予は茲で勿論純粋の原理、理想に就いて述べるが―自己内に、自己自らに形式を具へてゐる。即ち、今や<絶対に彼自らのものである形式>を所有する。彼の主観は、時間空間に於ける規定が内外共に我々に添加する一切を無視すると共に、謂はゞ彼の主観性を離脱し了つたのである。-即ち、已に述べたゲーテの老齢の定義にいふ「現象からの漸次の退去」である。」(ジムメル『ゲーテ』, 木村謹治訳, 1949, 桜井書店, 第8章 発展 p.383~384)

 ここにはアドルノの「晩年様式」が備えている裂け目とか破綻、形式の破壊といった側面は見られず、寧ろ壮年期の「円熟」に近い印象さえ感じさせる(別途論じるべきだろうが、ここで上記引用のすぐ後の箇所で、ジンメルが「老齢の象徴意義の神秘的性格」について述べるところで、ゲーテ自身が「静寂観」と「神秘」とは老齢の特質であると言ったことを引き、ゲーテの言う「神秘」がジンメルの言う「象徴」に他ならないことを述べた後、「一切の所與世界の象徴的性格を、「一切の無常相は一の比喩に過ぎない」と宣布する「神秘合唱團」」に言及していることに目配せしておこう。言うまでもなく、これは第8交響曲第2部で用いられた『ファウスト』第2部の最後の「神秘の合唱」のことに他ならない。であるとしたならば、そのことはマーラーの「老い」との関係については何を物語ることになるのだろうか?)。それはジンメルがここで或る種の原理的な極限形態である理想を述べているが故に破綻は生じず、だが現実の人間においてはその理想は到達不能であるが故に、円熟に至ったと思った次の瞬間には破綻を避けることができないという力学が存在するということなのだろうか?

 一方で、少なくともアドルノいうところの「方向」に関しては、アドルノとジンメルは同じ方向を向いていると言えるだろう。つまり作品は、主観が退去した後に遺される「痕跡」だという点で両者は見解を同じくしている。そしてそれは恐らくマーラー自身の「抜殻」としての「作品」観とも共通していると言い得るだろう。

 そうだとして、それはシステム論的な老化の定義である「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と同型の構造が異なる階層において生じたものと見做すことができるのだろうか?勿論、そもそも「主観」が成り立つためにシステムが備えていなくてはならない構造的な条件があり、「現象からの退去」はそうした構造的な条件を前提とした「人間」固有のものであり、他の生物では起こらないことだろう。だがマーラー自身の語るところでは、そうした人間固有の「作品」の創造にしても、「進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない」のであれば、マーラーが未だ萌芽的なレベルであったとはいえ、当時最新の生命論・有機体論を参照した顰に倣って、ジンメルやアドルノの述べるところを、今日のシステム論的な枠組みにおいて捉え直すべきなのではなかろうか?

 ところで、マーラーのエンテレケイアについての言及には興味深い特徴がある。エンテレケイアはもともとはアリストテレスの用語だが、マーラーの時代であれば、有機体の哲学、就中ドリーシュの新生気論における「エンテレヒー」を思い起こさせる。だがここでやりたいのは思想史的な跡付けや影響関係の実証ではなく、当時、そのような枠組みと言葉で語られた内容を今日の言葉で言い直すとしたら、どのようになるかの方だ。マーラーの時代にエンテレケイアないしエンテレヒーという言葉で捉えようと試みられた生物個体の秩序形成のための情報は、今日なら(例えばゲアリー・マーカスの言うように)アルゴリズムとしての遺伝子が担っているということになるのだろうか。「新しい肉体の獲得」というのを遺伝子の側から見たとき、生物はそれを運搬する乗り物の如きものであるというドーキンスの「利己的な遺伝子」のような見方に通じはしないだろうか。更に、そうであるとしたら「抜け殻」としての作品は、それを「ミーム」として捉える見方もあるだろうが、それよりも寧ろ、これまたドーキンスの「拡張された表現型」に通じると考えるべきなのだろうか?「抜け殻」としての作品が、退去した主体の符丁=「痕跡」(レヴィナスの「他者の痕跡」を思い浮かべるべきだろうか?)であるとして、ここで「老い」が、「生との別れ」が本質的に関わるのであれば、それに留まらず、作品をスティグレールの言う第三次過去把持を可能にする媒体として、更にはパウル・ツェランがマンデリシュタムに依拠して述べる「投壜通信」と捉える見方へと接続すべきではないだろうか?更にそれはユク・ホイの言う第三次予持とどう関わるのだろうか?彼はそれが一方では(定義上、「老い」を知らない)「組織化する無機的なもの」によって可能になると捉えているようだが、他方では芸術に、より一般的に技芸に可能性を見いだそうとしてもいる点に対して、こちらは「成長」と「老い」とを本質的な契機として持つ「抜け殻」としての「作品」、「投壜通信」としての「作品」がどのように関わりうるのだろうか?(2023.6.9公開、6.10-13,16,23,25, 7.6加筆)

2023年7月2日日曜日

ヴァルターの「マーラー」より:その「作品」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.85, 邦訳pp.149-150):その「作品」についての回想
Es ist also ein Opus von musikalischer Geschlossenheit, das in Mahlers Schaffen vorliegt, und dem prüfenden Blick wird sich keine Lücke in der musikalisch-logischen Kontinuität, im formalen Bau zeigen. Trotzdem kann eine absolut musikalische Wertung seinem Werke nicht gerecht werden, das zugleich die Geschichte seines inneren Lebens ist. Erst wenn wir sein Schaffen als die Äußerung einer großen Seele in Musik betrachten, werden wir den rechten Standpunkt gewonnen haben. Maßstäbe der Menschlichkeit müssen zu denen der Kunst hinzukommen, wollen Bedeutung würdigen. --

 マーラーの作品には、ひとつとして、かれの個性と音楽の緊密していないものは無い。いくら詮索好きな人でも、かれの音楽の論理的連鎖とその外形的構成との間に間隙を発見することはできないであろう。だが、また純粋に音楽的評価だけでは彼の作品を正しく判断することはできないのである。それは、かれの作品が同時にかれの内部生活の歴史だからである。われわれはかれの作品がかれの内面の音楽的表現であるとみなすことによってのみ、正しい観点に立つことができるのである。ゆえにマーラーの創造の重要性を十分に明らかにするためには、種々の人間性、かれの人間的価値と美的価値とを加えなければならないし附与されなければならないのである。 

In welcher Beziehung Erlebnis, Gedanke, poetische Vision, religiöses Gefühl zu seiner Musik stehen, will ich versuchen, in der Besprechung der einzelnen Symphonien anzudeuten, da in jeder von ihnen dir Beziehung eine andere ist. Nur eines sei vorausgeschickt: » Programmusik «, das heißt die musikalische Schilderung eines außermusikalischen Vorgangs hat er nie geschrieben.

ここでのヴァルターの言葉の説得力もまた、その作品は勿論のこと、マーラーその人を非常に良く知っていて、その人と音楽との関係をまさに 目の当りにした経験に根差しているのであろう。音楽一般がどうかとか、当時のヨーロッパの音楽の傾向がどうだとかいうのは、登ったら外す梯子の はずであって、最後はマーラーの個別の場合が問題なのだ。そしてマーラーの音楽に虚心坦懐に体を浸せば、このヴァルターの発言が的確であることは まさに身をもって感じられるのではないかと思う。(少なくとも私はそうだ。)


 ところで、この部分の邦訳は好意的に見てもかなりの意訳になっている。最後の文章に至っては、ちょっと読むと全く違った意味に取りかねないように 思われるので注意が必要であるから、参考まで以下に邦訳を掲げておく。
 私はつぎにかれの交響曲のおのおのを解説することによって、かれの音楽と、かれの経験や思想や詩的幻想やまた宗教的感情との関係を明らかにしたいと思う。実際これらの関係は交響曲の場合に最も顕著に現れているからである。しかし、あらかじめ断っておかねばならないのは、かれは決して「標題楽」を書かなかったこと、つまりある特殊な音楽的問題を音楽によって説明したことは無いことである。(ブルーノ・ワルター, マーラー 人と芸術, 村田武雄訳, 音楽之友社, 1960, p.150)

 おわかりの通り、ワルターが「標題楽」をどう捉えているかについて、これでは全く異なる理解をしてしまうだろう。 素直に訳せば「音楽外のプロセスの音楽的表現」だろうし、これで十分だと思われるのに、どうして上記のような訳となったのか杳として知れない。

 一般にこの邦訳は基本的に戦前から戦争直後のもの(最初は「音楽評論」という雑誌に連載されたらしい)のようであり、 当時のマーラーに関する情報の量を考えれば、具体的な部分について知っていさえすれば間違えないような誤訳があるのは止むを得ないのかも知れないが、 そうしたものとは違って、こうした抽象的な部分での間違いはそれとはすぐにわからないことも多いから厄介である。もっとも最後の文章については、 前後の文脈からして、何かおかしいということはわかるとは思うが。それゆえ1960年の再版にあたっても、そうした誤りについて全くそのままなのは 些か遺憾に思われる。(訳者がこだわっているらしい文体については、私の語学力では判断しようがないが、それとは別のレベルの問題である。)
 
 比較のために、手元にあるJames Galstonの英訳の最後のパラグラフを参照すると、以下の通りである。
I shall endeavor to indicate the relationship of experience, thought, poetic vision, and religious feeling to his music by commenting individually upon his symphonies, his relationship to each one of them being a different one. Let me say this beforehand, however: He has never writtten "program music" -- this is to say, the musiacal description of an extramusical event.(Bruno Walter, Gustav Mahler, translated by James Galston, with a biographical essay by Ernst Krenek, Vienna House, 1973)
こちらは邦訳に比べれば少なくとも意味をとる上では忠実なようだが、それでもやはり 翻訳全体としてみた場合には全く間違いがないわけではないようだ。ともあれ、特に邦訳は非常に貴重なものであり、かつ個人的にはこの部分はこの回想の中でも印象的な部分と感じているので、残念なことである。(2007.6.23初稿, 2023.7.2邦訳、英訳を比較対象のために参照しつつ補記. 2024.7.28 引用前半の邦訳を追加。)