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GMW(Gustav Mahler Werke, グスタフ・マーラー作品番号:国際グスタフ・マーラー協会による)を公開しました。(2025.4.20)

2023年7月31日月曜日

私のマーラー受容:「嘆きの歌」(2023.7.31更新)

 「嘆きの歌」は聴く機会がずっとなかったし、あまり印象にも残っていなかった。 この曲の素晴らしさに気づいたのは最近(ここの部分の執筆当時で、改稿している2023年現在では近年とすべきだろうが)になってからで、恐らくナガノ・ハレ管弦楽団の初期稿全曲の CDを聴いたことが大きい。これは単に初稿の初めての録音だというにとどまらず、際立って優れた演奏だと思う。

 だがしかし、「嘆きの歌」の受容史一般からすれば、私の上記のような受容の経緯は、マーラー演奏の中心から隔たった極東の、更に地方都市に住んで、最新の情報に接することができなかったという情報格差の結果であるというべきなのだろう。今日ではよく知られていることだが、「嘆きの歌」は20歳になるかならないかの若きマーラーの野心作であり、マーラー自ら「作品1」と呼んでその上演に拘りを持ち続けたにも関わらず、その実現は、マーラーが功成り名遂げたウィーン宮廷歌劇場監督の時代になってからようやくであるのみならず、上演にあたっては第1部をカットして、初期稿では第2部、第3部にあたる部分のみとし、更に声楽や管弦楽の配置にも大幅に手を入れ、上演に纏わるさまざまな困難に関して大幅に軽減されるような改訂を加えた上での上演であり、程なくして出版され、永らく流布したのもこの改訂稿であった。それに対しオリジナルの形態は、まずカットされた第1部のみが1934年11月28日にブルノで放送初演(アルフレート・ロゼ指揮、チェコ語歌唱)されたが、その後は専ら改訂版での演奏が行われ、再び初期稿が陽の目を見るのは、生誕100年を経てマーラー・ルネサンスが到来して、主要な交響曲や歌曲が人口に膾炙するようになった後の1970年近くになってからのことであった。恐らくその先駆けとなったのが、イギリスで指揮活動を活発化させていたブーレーズであり、1969年に初稿第1部を、続けて1970年に改訂稿を用いて第2部・第3部を録音したレコードをリリースし、これがその後しばらく続いた、初稿第1部+改訂稿という折衷形態での上演が一般的になる契機となったものと想像される。なお、私がマーラーに出会った時期の私のリファレンスであったマイケル・ケネディの評伝の本文(邦訳p.138)および資料編(邦訳資料編p.6)では、初稿第1部のブルノでの放送初演に引き続き、初稿全曲(本文では「オリジナル版」)の演奏が翌年の1935年4月8日にウィーンで同じ指揮者により、やはり放送初演の形態で行われたとの記載があるが、その後のブーレーズの録音について、やはり「オリジナル版」と記述していることから、初稿第1部+改訂稿での全曲演奏を指して「オリジナル版=初稿全曲」としたもののように思われる。従ってこれは、初稿第1部+改訂稿という折衷形態での上演の嚆矢となるものだった一方で、編成もオーケストレーションも大きく異なる初稿第2部・第3部と併せた文字通りの初稿全曲の初演は、冒頭で言及したナガノとハレ管弦楽団のそれまで待たねばならなかった。ポスト・セリエルの前衛作曲家であったブーレーズが、指揮者としての活動を活発化させると、新ウィーン楽派やストラヴィンスキー、バルトークあるいはドビュッシーやラヴェルといったレパートリーのみならず、セリエリズムの原点であるベルクやシェーンベルクのオペラはともかくも、バイロイトでワグナーの楽劇を指揮するようになるとともに、マーラーについても再評価の文章を執筆したかと思えば、次々と交響曲を演奏していくことになるのだが、そのブーレーズのいわば「名刺代わり」となったのは「嘆きの歌」であったということができるのではなかろうか。

 のみならず日本でも、戦前のプリングスハイム、近衛秀麿、ローゼンシュトックといったパイオニアによるマーラー紹介からの中断を経て、1970年の大阪万博あたりを転機として、遅れてマーラー・ルネサンスが始まったのであるが、「嘆きの歌」はその最中の1970年に、まず改訂稿の日本初演が、その後も日本における「嘆きの歌」の受容を牽引する、秋山和慶指揮東京交響楽団のコンピにより実現しており、私がマーラーを聴くようになった1970年代の後半において未知の作品であったわけではない。山田一雄、渡邉暁雄、若杉弘といった、その後日本国内でのマーラー演奏を牽引する指揮者が次々とマーラーの交響曲をコンサートのプログラムに載せていくのもこの時期のことであり、地方都市に住み、特段音楽的でもなければ、そうした先端の情報に接する環境にあったわけでもない、平凡な子供であった私は、そうしたトレンドの先端を知ることなく、取り残されていたい過ぎないというのが客観的な展望の中での位置づけということになるだろう。

 だが客観的にどうであれ、私のマーラー受容において、最初に作品に接したのがいつで、どの演奏であったのかの記憶が曖昧な点に関して「嘆きの歌」は残念ながら唯一の例外的な作品であることは認めざるを得ない。ドナルド・ミッチェルの『さすらう若者の時代』の邦訳刊行は少し先のことになるから未読であったとはいえ、上掲のマイケル・ケネディの評伝では、作品篇第2章「歌曲と交響曲第一番」で、かなり詳細に「嘆きの歌」を取り上げられており、初期稿・改訂稿の問題から、演奏や出版の経緯といった事実関係もさることながら、作品自体についても要を得た説明がなされていて、最初期の歌曲「春に」との連関にまで言及されており、情報としては申し分ないものが手元にあった筈である。だが、そこでもきちんと触れられているブーレーズの演奏の録音に接したのは、遥かに後年、それがCD化されて以降であるのは確実である一方で、それでは当時、マーラーの音楽に接する最も手近な手段であったFM放送で接したことがあっただろうかと自問してみても、当時の番組表でも見ることができれば、或いはこれに違いないというのを思い出すかも知れないが、そもそも放送で接したという記憶がないのだ。とはいえ初期稿第1部+改訂稿の形態での演奏には確かに接していて、冒頭で触れたナガノ・ハレ管弦楽団による初期稿全曲の演奏が初めてでなかったのは(思い込みでなければ)間違いないと思うのだが…

 とはいうものの、マーラーの交響曲がコンサートのレパートリーとしてすっかり当たり前になった現時点においても、この作品は依然として稀曲の類と言って良く、実演に接する機会が限られているのもまた事実であろう。日本初演こそ1970年に行われたとはいえ(1970年9月16日、秋山和慶指揮・東京交響楽団、大川隆子、石光佐千子、砂川稔、東京アカデミー合唱団、改訂稿)、その後上演は途絶え、ようやく1980年代になって再演の機会に恵まれ、今後は初稿第1部と改訂稿による第2部、第3部という、この作品の上演史において永らく採用されてきた形態による演奏(1982年4月7日、小林研一郎指揮・東京交響楽団)が行われることになる。シノポリが残した「嘆きの歌」の録音は、フィルハーモニア管弦楽団とともに来日してのマーラー・チクルスの一環として取り上げた折のものだが、稀曲の日本初演を数多く手がけている若杉さんが同時期にサントリーホールで行っていたマーラー・ツィクルスでは「嘆きの歌」はついに取り上げられることがなかった。(ツィクルス完結の翌年(1992年11月19日)に落穂拾いのように東京都交響楽団と取り上げているが。)なお初稿版全3部の日本初演は1998年5月の秋山和慶指揮・東京交響楽団による演奏で、秋山さんはその後2013年3月24日にも東京交響楽団と初稿版を取り上げており、「嘆きの歌」のスペシャリストの面目躍如といった感がある。

 近年、交響曲の演奏についてはプロよりも寧ろ頻度が高いかも知れないアマチュアのオーケストラによる演奏も、「嘆きの歌」となるとその上演記録は極めて稀なものになってしまう。本ブログでも利用させて頂いているクラシックの演奏会情報サイト「i-amabile(アマービレ)」の記録によれば、何と2回だけ。改訂稿ですら、長田雅人指揮・東京アカデミッシェカペレの第32回演奏会(2006年11月19日)で取り上げられたのが唯一なのだが、何と初期稿全曲の演奏は既に行われていて、三澤洋史指揮・愛知祝祭管弦楽団 が「嘆きの歌」特別演奏会を2015年7月26日に愛知県芸術劇場コンサートホールで開催している。

 そうした事情もあって、交響曲ですらやっと全曲の演奏に接したというレベルの私のコンサートでの聴取の経験に「嘆きの歌」が含まれていないのは寧ろ当然というべきだろうが、願ってもないことに、マーラー祝祭オーケストラ(音楽監督・指揮:井上喜惟)が来る2023年12月24日の第22回定期演奏会で、ヤナーチェクのシンフォニエッタとともに「嘆きの歌」を取り上げるという情報に接した。初期稿第1部+改訂稿という形態の演奏のようだが、印象深いモラヴィア風の変拍子の旋律を含む「嘆きの歌」とヤナーチェクの組み合わせも興味深く(初稿第1部の初演が、ブルノで、しかもチェコ語で行われたこと、更に翌年のウィーンでの放送のための「全曲演奏」が初期稿第1部+改訂稿という形態で行われ、長らくこの形態で「嘆きの歌」が受容されてきたことを改めて思い起こすべきだろうか?)、是非ともこの貴重な機会に足を運ぼうと思っている次第である。(2023.7.31大幅加筆して再公開)

2023年7月30日日曜日

所蔵録音覚書:「嘆きの歌」(2023.12.28 更新)

  • 嘆きの歌(改訂稿), フェケテ, ウィーン交響楽団 / ウィーン室内合唱団 / シュタイングリューバー(Sp.) / ヴァグナー(MS.) / マイクート(Tn.), 1951, (18:06, 20:05), ウィーン, MONO, Mercury
  • 嘆きの歌(改訂稿), フリッツ・マーラー/ ペトラック(Tn) / ホズウェル(Sp) / チュークシアン(MS) / ハートフォード公共合唱団, ハートフォード交響楽団, 1959, (15:58, 17:43), ハートフォード、ブッシュネル・メモリアル・オーディオリウム, MONO, VANGUARD
  • 嘆きの歌(改訂稿), リヒター, ウィーン放送交響楽団 / オーストリア放送合唱団 /  ヤノヴィッツ(Sp.) / ドランクスラー(MS.) / パツァーク(Tn.), 1960, (16:38, 18:21), ウィーン, MONO, archipel
  • 嘆きの歌(改訂稿), モリス / レイノルズ(Tn) / ツィリス=ガラ(Sp) / カポシ(MS) / アンブロジアン・シンガーズ, ニュー・フィルハーモニア管弦楽団, 1967.4.1-2, (18:40, 20:02), ロンドン、ワトフォード・タウン・ホール, MONO, NIMBUS
  • 嘆きの歌(改訂稿), ブーレーズ, ロンドン交響楽団 / ロンドン交響合唱団 / リアー(Sp.) / バローズ(Tn.) / シュテット(Br), 1969.5.26/27, (19:37, 20:48), ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホール, STEREO, CBS-Sony
  • 嘆きの歌(初稿第1部), ブーレーズ, ロンドン交響楽団 / ロンドン交響合唱団 / ゼーダーシュトレーム(Sp.) / ホフマン(MS.) / ヘフリガー(Tn.) / シュテット(Br), 1970.4.22, (30:08), ロンドン、ワトフォード・タウンホール, STEREO, CBS-Sony
  • 嘆きの歌(改訂稿), ブーレーズ, ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 / ウィーン国立歌劇場合唱団 / レッシュマン(Sp.) / ラーション(A.) / ボタ(Tn), 2011.7.31(Live), (5:35/5:40/5:31, 4:01/4:52/2:32/1:08/6:15), ザルツブルク、祝祭大劇場, STEREO, Deutsche Grammophon
  • 嘆きの歌(改訂稿), ヘルベルト・アーレンドルフ / イヴォ・ジーデク(Tn) / マルタ・ボハコヴァー(Sp) / ヴェラ・ソウクポヴァー(MS) / チェコ・フィルハーモニー合唱団、プラハ交響楽団, 1971.12.21-22, (16:55, 19:25), プラハ、ツォリーン・ホール, MONO, Supraphon
  • 嘆きの歌(改訂稿), ハイティンク / ヴェルナー・ホルヴェグ(Tn) / ヘザー・ハーパー(Sp) / ノーマン・プロクター(MS) / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団, 1973.2.17-18, (18:40, 19:30), アムステルダム、コンセルトヘボウ, STEREO, Philips
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿)), ロジェストヴェンスキー, BBC交響楽団 / BBCシンガーズ、BBC交響合唱団 / カヒル(Sp.) / ベイカー(MS.) / ティアー(Tn.) / ハウエル(Bs.),  1981.7.20(Live), (28:15, 15:55, 18:37), ロンドン、アルバートホール(プロムス), STEREO, BBC radio classics
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), ラトル, バーミンガム市交響楽団 / バーミンガム市交響合唱団 / デーゼ(Sp.) / ホジソン(MS.) / ティアー(Tn) / リー(Bs.), 1983.10.12-13/1984.6.24, (28:38, 17:38, 18:57), バーミンガム、タウン・ホール, STEREO, EMI
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), ケーゲル, ライプチヒ放送交響楽団 / ライプチヒ放送合唱団, ハヨーショヴァー(Sp.) / ラング(A.) / コロンディ(Tn.) / クルト(Bs.), 1985.10.7 (Live), (26:56, 17:07, 18:20), ライプチヒ、ゲヴァントハウス, STEREO, querstand
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), シャイー, ベルリン放送交響楽団 / デュッセルドルフ州立楽友協会合唱団 / ダン(Sp.) / ファスベンダー(MS.) / バウアー(Boy Alto) / ホルヴェグ(Tn) / シュミット(Bs.), 1989.3.28-30, (28:08, 17:38, 18:32), ベルリン、イエス・キリスト教会, STEREO, Decca
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), シノーポリ, フィルハーモニア管弦楽団 / ステューダー(Sp.) / マイヤー(A.) / ゴールドベルク(Tn.) / アレン(Bs.) / 晋友会合唱団, 1990.11(Live), (27:38, 17:43, 19:32), 東京、東京藝術劇場大ホール, STEREO, Deutsche Grammophon
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), ヒコックス, ボーンマス交響楽団 / バス祝祭合唱団、ウェインフリート合唱団 / ロジャース(Sp.) / フィンニー(A.) / ブロホヴィッツ(Tn.) / ヘイワード(Bs.), 1993.7.24-25(Live), (30:31, 18:11, 20:04), プール、ウェセックスホール, STEREO, chandos
  • 嘆きの歌(初稿第1部+改訂稿), マリーナ・シャグチ(Sp.)/ ミシェル・デ・ヤング(MS.)/ トーマス・モーザー(Tn.), セルゲイ・レイフェルクス(Br.)/ サンフランシスコ交響合唱団 / ティルソン=トーマス, サンフランシスコ交響楽団, 1996.5.29-31&6.2(Live), (30:25, 16:55, 19:39), サンフランシスコ、デイヴィス・シンフォニー・ホール, STEREO, SFSMEDIA
  • 嘆きの歌(初稿全曲), ナガノ, ハレ管弦楽団 / ハレ合唱団ウルバノヴァ(Sp.) / ラッペ(A.) / ブロコヴィッツ(Tn.) / ハーゲゴート(Bs.) / ウェイ(Boy Sp.) / ヤウス(Boy A.), 1997.10.8/12, (27:19, 16:42, 18:25), マンチェスター、ブリッジウォーター・ホール, STEREO, Erato
「嘆きの歌」には少なくとも2つの版が存在する。1880年の3部からなる初稿とその20年後にマーラー自身の指揮で初演され、出版された2部よりなる改訂稿である。改訂稿では初稿の第1部が削除され、各部のタイトルも削除された。しかし、初稿第1部の存在はかなり前から知られており、録音においても実演においても初稿第1部に改訂稿を付け加えた折衷による演奏が永らく一般的だった。全曲通しての1880年版の演奏は、ナガノ指揮ハレ管弦楽団によって1997年に行われ、マーラー協会もラッツ時代の最終稿=決定稿主義から方針を変えて、補巻として1880年稿が出版されることになった。ナガノとハレ管弦楽団の演奏は1880年稿の全曲初演に際して収録されたものである。マーラーの交響的作品の中では圧倒的に録音記録の数が少ない作品であり、編成の大きさも相俟って、他の交響曲がすっかりコンサートのレパートリーに定着した今日でも上演の機会は少ないようで、それには同じ大編成の作品であっても、第2交響曲や第8交響曲のような、或る種の祝祭性のようなものを欠いている一方で、物語的な性格があって歌詞の理解が求められることに加え、内容が悲劇的であることも、そうした演奏頻度の少なさに与っているかも知れない。

 その一方で、マーラーの交響曲全集を完成させるような、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる人でも、「嘆きの歌」をレパートリーとし、録音記録があるのはごく一部に限られるように見える点も留意すべきかも知れない。まずマーラーに直接接したワルター、クレンペラーに「嘆きの歌」の録音記録はないが、その後マーラー・ルネサンスと呼ばれた時期に次々とLPレコードによるマーラー全集を録音していった指揮者の中でも、バーンスタイン、ショルティ、クーベリックは「嘆きの歌」をレパートリーとしていないようで、唯一ハイティンクのみが録音を遺している。後続の世代であるアバド、テンシュテット、インバル、ベルティーニといったマーラー指揮者も「嘆きの歌」は取り上げておらず、ブーレーズが指揮活動に力を入れ始めた頃に、初期稿第1部を録音して(それは1973年の初稿第1部の楽譜の出版にすら先立っている)、初期稿第1部と改訂稿を組合せて演奏する形態の先駆けとなって以来、明らかに重点をおいて取り上げている(後年グラモフォンで「大地の歌」を含む交響曲全集を録音した際には、今度は改訂稿のみを取り上げて録音している)他は、ティルソン=トーマス、シャイー、ラトル、シノポリが「嘆きの歌」をレパートリーとしていることが確認できるくらいだろうか。ちなみにシノポリの演奏は、フィルハーモニア管弦楽団とともに来日してのマーラー・チクルスの一環として取り上げられたものだが、稀曲の日本初演を数多く手がけた若杉は、サントリーホールでのマーラー・ツィクルスでは「嘆きの歌」を取り上げることはなく、ツィクルス完結の翌年に落穂拾いのように東京都交響楽団と取り上げている(1992年11月19日)。

(ギーレンについて、当初私は「嘆きの歌」をレパートリーとしていない、というように書いていたが、その後、1990年6月8日にウィーンのコンツェルトハウスでウィーン放送交響楽団を指揮した公演があることを知った。これもまた、初期稿第1部と改訂稿の組合せの形態での上演であったようだ。私は未入手で、接することができていないが、2020年にはこの公演の演奏記録がCDとして出ているので、その記録に接することもできるようになっているようである。お詫びとともに訂正させていただく。)

 ちなみに「嘆きの歌」の日本初演は1970年9月16日、秋山和慶指揮東京交響楽団、大川隆子、石光佐千子、砂川稔、東京アカデミー合唱団による改訂稿によるものだが、その後上演は途絶え、ようやく1980年代になって再演の機会に恵まれ、今後は初稿第1部と改訂稿による第2部、第3部という、この作品の上演史において永らく採用されてきた形態による演奏(1982年4月7日、小林研一郎指揮東京交響楽団)が行われることになる。初稿版全3部の日本初演は1998年5月の秋山和慶指揮東京交響楽団による演奏で、秋山はその後2013年3月24日にも東京交響楽団と初稿版を取り上げているから、秋山=東京交響楽団のコンビは日本における「嘆きの歌」のスペシャリストと言ってよいように思われる。(2021.5.11追記, 2023.7.30追記, 2023.12.18ギーレンの演奏について訂正の追記)

MIDIファイルを入力とした分析の準備(3):状態遷移の集計手法の検討と集計結果の公開(2023.7.30更新)

1.本稿の背景と目的

 2015年頃にマーラーの作品のMIDIファイルのWeb上での公開状況について調査し、データ収集に着手し、その結果を2016年初頭に記事として公開して以来、これまでMIDIファイルを入力とした分析を、和音の出現頻度にフォーカスして行ってきました。

 データ分析を行う当初の動機は、マーラー作品の調的な遷移のプロセスを可視化することでしたから、最初に行ったのは、各拍あるいは各小節頭拍の和音の重心を五度圏上に定義し、その軌道の遷移の様子を可視化することでしたが、その後は予備作業として和音の自動ラベリングと調的遷移の推定を行った後、一旦は動的な遷移プロセスではなく、和音の出現頻度という特徴量に基づく分析を行ってきました。

 当初よりの課題であった時間方向の動的な遷移のプロセスの分析に向けての準備作業として、まずは長三和音と短三和音のみに注目して、その交替の頻度に対象を限定した集計を行ったりもしましたが、その結果を本格的に分析するには至らず、その後は再び、和声の出現頻度に関して、未分析の和音を解消したり、長三和音と短三和音について転回形を区別したりして、マーラーの作品と他の作曲家の作品との比較、マーラーの作品間(特に交響曲)の比較を行いました。その結果として、粗視的な、テクスチュアレベルに限定されたものではありますが、マーラーの作品の特徴や、マーラーの作品を創作時期に沿って時系列で眺めた時に浮かび上がる変化の傾向を、具体的なデータの裏付けをもった形で示すことができたと考えます。

 更にここまでの集計・分析を通じて得られた知見や、並行して実施してきたGoogle Magentaを用いた機械学習の実験を通して得られた知見に基づき、いよいよ本来の目的であった状態遷移プロセスの分析に着手すべく準備作業を行いましたので、その結果を以下に報告します。

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2.状態遷移の集計手法の検討

 まず具体的な集計・分析に先立って検討すべきは、マーラーの作品のような複雑な音楽作品の状態遷移をどのように捉えるかです。音楽にとって時間の次元が本質的なものであり、脳における音楽の統計学習において「遷移確率」の計算が重要であることは、例えば大黒達也『音楽する脳』(朝日新書, 2022)等を参照頂ければと思いますが(同書であれば、第2章「宇宙の音楽 脳の音楽」の「脳の音楽」の部分(p.76以降)、特にpp.84~88、更にそれに基づいて作曲家の個性について述べた節(pp.125~127)を参照)、同書で例示されているのは単一の旋律であり、マーラーであれば歌曲なら適用可能なものの、伴奏部分の重要性を考えれば声のパートのみを抽出しても、作品全体としての「旋律線」の一部しか捉えられないのではないかという疑問が直ちに浮かびますし、マーラーの作品において対位法的な側面が本質的であること(例えば、マイケル・ケネディの「マーラーの作曲技法の根本原理は二声の対位法である」(マイケル・ケネディ『グスタフ・マーラー』, 中河原理訳, 芸術現代社, 1978, p.129)という指摘を参照のこと)を踏まえると、その疑問は一層強まるように感じられます。

 その一方で、最近の機械学習の領域では、人間が抽象・加工したデータではなく生のデータそのものを用いるアプローチが優勢で、音響データを直接入力とするアプローチも試みられています。しかしながらマーラーの作品は大規模なオーケストラのために書かれており、音楽分析の領域では「セカンダリー・パラメータ」と呼ばれる次元が膨大で、かつ重要な役割を果たしているのに対して、それらを直接扱うのは今なお困難に見えます。例えばGoogle Magentaには、単旋律を扱うmelodyRNNモデルだけではなく、J.S.バッハのコラールの和声付けを範例としたpolyphonyRNNモデルのような多声体を扱う(ということは和音の系列を扱える)モデルも用意されていますが、入力はシングル・トラックのMIDIデータに限定されており、音色の次元は捨象されています。そのような状況を踏まえると、マーラーの作品(特にその交響曲)について、その複雑多様な総体を抽象することなく分析することは(私のようなアマチュアが自分で利用できるリソースの範囲内で試行するという点を勘案すれば一層の事)時期尚早であり、その一部の次元のみを抽象したデータを対象とした分析に限定せざるを得ないと思われ、であるとするならば、従来実施してきた分析の延長線上で何ができるかを考えるのが現実的だということになりそうです。

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 既述の通り、本ブログではこれまで、MIDIファイルを入力とした分析を行ってきましたが、和音の出現頻度の集計・分析をするにあたり、作品の中の全ての音を対象とするのではなく、各拍頭、或いは(拍子の情報が存在していることを前提に)小節頭拍における和音のみを対象に行ってきました。それは調的な遷移のプロセスを粗視的に把握することを目的として採用した手法でした。更にそこでは、各小節頭拍、ないし各拍頭で鳴っている和音(含む単音、2音)について

  1. ひとまず転回を無視して分類(ピッチクラスセットに相当)
  2. 転回を判定するために、最も低い音を抽出
  3. 上記を用いて、長三和音、短三和音については転回を判定する

といった処理を行い、その結果を用いた分析を行ってきました。従って状態遷移の集計・分析を行うにあたっても、これまで行ってきた上記の和音(ピッチクラスセット)の頻度分析と共通の手法を用いて実施することが考えられます。

 その一方で状態遷移の分析では、単独の和音(ピッチクラスセット)の頻度の集計・分析では考慮する必要のなかった、前の和音と後の和音の相対的な関係についての対称性を考慮する必要が生じます。例えば「長三和音→短三和音」の連結を例として取り上げてみると、「イ長調の長三和音→イ短調の短三和音」と「ハ長調の長三和音→イ短調の短三和音」とは区別されるべきですが、「イ長調の長三和音→イ短調の短三和音」と「ハ長調の長三和音→ハ短調の短三和音」は、基音は異なりますが、遷移そのものは同一のものと判定されるべきでしょう。同様に「二長調の長三和音→イ長調の長三和音」の遷移と「ヘ長調の長三和音→ハ長調の長三和音」の遷移とは、相対的な移動(五度圏上で、サブドミナント方向に1つシフトする)という点では同じ移動と判定されるべきです。このためには、転回を判定するためのバスの音の抽出とは別に、和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置を取得して、遷移における移動を、前後の位置の差分として計算する必要があります。

 そこで遷移パターンの集計にあたっては、以下のような符号化を行って、対象となる和音のラベリングを行うこととしました。

(a)和音(ピッチクラスセット)のラベル:12桁の2進数=10進表現で0~4095で表現できるので4桁あれば十分です。和音の五度圏上での出現位置について対称性があるので、便宜的に10進表現した場合の最小値をラベルとします。例えば、単音の場合、12音のうちどの音が鳴るかによって以下の12通りありますが、最小値である1をこのピッチクラスセットのラベルとします。なおここでは、従来の符号化の時の取り決めに準じて、最下位ビットはDesで、左方向にドミナント方向にシフトしていくものとします。(以下の括弧内はピット列を10進表現した値と、その値と五度圏上の音の対応を表します。)Desを起点にとったのには特に理由はなく、単なる取り決めの問題です。

000000000001(1:Des/Cis)
000000000010(2:Aes)
000000000100(4:Es)
000000001000(8:B)
000000010000(16:F)
000000100000(32:C)
000001000000(64:G)
000010000000(128:D)
000100000000(256:A)
001000000000(512:E)
010000000000(1024:H)
100000000000(2048:Ges/Fis)

(b)和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置:その和音のラベルとなったパターンを基準として、左に何ビットずれているかで示します。但しビット列は五度圏上の位置を示しており、最上位桁は最下位桁に繋がって巡回する構造となっているので、基準位置のすぐ右隣りが12となります。例えば長三和音に対応するピッチクラスセットは、以下の12通りですが、ラベルは最小値の19となり、そこから左回りに以下のように位置を定義します。ハ長調の長三和音は608ですが、ラベルは調を問わず長三和音のピッチクラスセット共通で19となり、五度圏上の位置は608に対応した6となります。

2057 3076 1538 769 2432 1216 608 304 152 76 38 19
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 ここで注意が必要なのは、この符号化は、ある和音の五度圏上の位置の区別ができるように、便宜的にある位置を基準にしたものに過ぎず、符号化された数値は、その和音が鳴っている調性領域の「主音」を表したものではないということです。長三和音の場合は偶々、後述する(c)におけるDesを起点にしてドミナント方向に数が増えていくラベルによるバスの位置の符号化と結果が一致していますが、あくまでも起点は、10進表現したときに最小の値をとる位置という定義に基づき、和音毎に決まるため、一般には和音毎に基準位置は異なります。例えば短三和音の場合を示すと以下の通りです。

2060 1030 515 2305 3200 1600 800 400 200 100 50   25
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 最小値は25ですので、そこが基準位置になりますが、6で符号化される800の構成音はC-A-Eであり、これはイ短調の短三和音です。

 ここまでで既にお気づきの方も居られることと思いますが、和音の中には対称性があって、五度圏上での或る角度での回転に対して対称となるものが存在します。ではこうした和音の場合にはどのように基準を決めれば良いでしょうか?ここでは最も単純な例として、増四度音程(triton)を例にとってみます。

2080 1040 520 260 130 65 2080 1040 520 260 130  65
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
6 5 4 3 2 1 12 11 10 9 8 7 (?:代替案)
Ges H E A D G C F B Es Aes Des

 10進表現した時の最小値はDes-Gの組み合わせで、値は65ですが、Desの位置を基準にとった場合とGの位置を基準にとった場合と2通りの基準の取り方が存在しており、どちらを基準にするかは、別にルールを追加してやらないと決まらないことになります。本稿では、後述の(c)におけるDesを基準とした五度圏上の位置のラベルの小さい音を基準とするというルールによって基準位置を決定しています。増四度音程は180度回転に対して対称でしたが、90度回転に対して対称な和音もありますので、こちらについても同じルールによって基準位置を決めています。

 ということで重要なのは、ここでの基準位置の決め方はアドホックなものであって、機能和声理論における主音のような概念とは関係がなく、一致する場合があってもそれは偶然に過ぎないという点です。あくまでも五度圏上の位置の違いを区別をすることが目的なので別のルールでも構いませんが、主音のような機能的な概念がここでの目的には適していないことは、同じ構成音の和音(例えばF-C-A)が文脈によって、へ長調の主和音であったり、ハ長調の下属和音であったりすることを思い浮かべて頂ければ了解頂けるのではないかと思います。

(c)和音の最低音の五度圏上での位置:(b)と同様に1~12の範囲を持ちますが、ここでもDesを起点として以下のように番号付けします。

Ges H E A D G C F B Es Aes Des
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1

なおここでの最低音についても、(b)と同様、五度圏上の位置の区別が目的ですので、あくまでも実際に鳴っている音のMIDIコードナンバーが最も小さい音が上記の番号のどれに当たるかを定義としており、機能和声における根音のような機能的な概念とは無関係なものであることをお断りしておきます。


(d)和音の符号化

上記(a)(b)(c)の定義に基づき、(c)を1~2桁目、(b)を3~4桁目、(a)を5~8桁目をする10進整数で和音を表現することにします。

例えばハ長調の主三和音(C-E-G)の第2転回形(四六の和音)は、

  • ピッチクラスのラベルは19…(a)
  • 和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置では608なので6…(b)
  • 和音の最低音の五度圏上での位置はGなので7…(c)

となりますから、上記の値に基づき、

19×10000+6×100+7=190607

というように符号化されます。この符号化により、ピッチクラスの同一性、五度圏上での位置、転回の区別を表現することが可能です。


(e)遷移パターンの定義

 更に上記の符号化に基づいて、遷移パターンを計算する時、(b))和音(ピッチクラスセット)の五度圏上での位置については、前の和音と後の和音の距離を計算します。繰り返しいなりますが、五度圏のビット表現のため、最上位ビットの次は最下位ビットに巡回しますから、差を計算して値が負になった場合には12を加えることで距離の計算が行えることになります。そして遷移パターンとしては、前の和音の3~4桁目は常に0として、後の和音の3~4桁目に前と後の距離を設定します。こうすることにより、同一の和音(ピッチクラスセット)で五度圏上の位置は異なるが、同じ距離の移動を持つ遷移パターン(例えば、「二長調の長三和音→イ長調の長三和音」と「ヘ長調の長三和音→ハ長調の長三和音」)が同じ数値で表現されることになります。これにより、例えば「ドミナント方向への転調」のようなレベルで遷移が抽象されたことになります。但し、あくまでも同一のパターン変化を取り出すことができたに過ぎず、ここでは状態遷移の「意味」は捨象されていることに留意する必要があります。つまり同じ状態遷移が「転調」なのか、同一調領域における主和音から属和音への移行(あるいは下属和音から主和音への移行)なのかという「意味」は考慮されていないということです。

 それではこの遷移パターンの符号化において、転回に関する情報である(c)和音の最低音の五度圏上での位置はどのように扱うべきでしょうか?遷移パターンの符号化にあたり、五度圏上の位置そのものではなく、前の和音の位置を基準とした後の和音の位置との相対距離を用いたので、転回形の判定に用いる最低音の情報も、和音の位置の相対化に対応した相対化の必要があります。特に後の和音の転回形の情報は、それ自体前の和音の位置との距離に基づく相対位置に変換された後の和音の位置を基準とした値に変換される必要があります。

 上で掲げたハ長調の主三和音(C-E-G)の第2転回形(四六の和音)を例にして、仮に前の和音がヘ長調の主三和音(F-A-C)だった場合にどう符号化されるかを示すと

  • ピッチクラスのラベルは不変で19…(a)
  • 和音の位置は前の和音の位置基準の相対位置に変換。五度上だから五度圏上の左隣、距離としては1…(b)
  • 和音の最低音の五度圏上での位置は(b)の値との相対なので2…(c)

となり、上記の値に基づき、

19×10000+1×100+2=190102

というように符号化されます。

 なお、転回形を区別しない場合には、(a)(b)のみで、(c)は無視し(常に0となる)、

19×10000+1×100=190100

と符号化することになります。


(f)遷移パターンの「深さ」

 更に遷移パターンを定義するにあたり、前に何ステップまで遡った系列で次の音が決まるかという状態遷移を決める記憶の幅を決める必要があります。上掲の大黒達也『音楽する脳』ではそれを「深さ」と呼んでいる(同書, p.87の「深い統計学習と浅い統計学習」の節を参照)ので、ここでも「深さ」という呼び方を採用しますが、最も単純なものは、直前の音が次の音を決めるという「前→後」という遷移パターンで、これは深さ=1ということになります。「2つ前→1つ前→後」は深さ=2ということになります。また、この定義によれば、ある時点で鳴っている和音の頻度の集計は、深さ=0のパターンであると見做すことが可能です。(ただし深さ=0の場合には、2つの和音の間の移動の差分の計算というのは成り立たないため、和音そのものの五度圏上の位置、バスの位置を符号化したものの出現頻度の集計となり、深さ=1以上の場合とは集計対象が異なります。勿論、五度圏上の位置を捨象して、ピッチクラスの集合に対応したラベルのみであるとか、転回を区別するかどうかについての選択肢はありますが、いずれにしても差分の計算ではありません。)


(g)遷移パターンの符号化

 上記の遷移パターンの符号化を行った場合、深さによらず、遷移パターンの先頭では、(b)和音の位置は常に0(ここを起点の相対位置に変換するので)、(c)転回判定のバスの位置は(b)の位置からの相対に変換されます。一方、先頭以外については、既述の遷移パターンの定義通り、(b)は前の和音の位置からの相対位置、(c)は自分自身の(b)からの相対位置に(b)として求めた前との相対位置を加えた値(つまり前の和音の位置からの相対位置に等しい)になります。このようにして遷移パターンは、深さが増して系列が長くなっても、常に直前の和音に対する相対位置の系列で表されることになります。直感的には「ヘ長調主和音→ハ長調主和音の場合」も「ハ長調主和音→ト長調主和音」の場合も同様に、前の和音を基準にして、ドミナント方向に五度圏上で1ずれるという「ずれ」が符号化され、転回の情報は相対情報に変換されて保存されることになります。

*     *     *

3.分析の条件

 和音の出現頻度の集計・分析においては、単音・重音を含める/除外する、或いは更に和声の分析で用いられる「名前を持った」主要な和音に限定する、というように分析対象を目的に沿って絞り込んで分析してきましたが、遷移の集計・分析について考えた場合には、以下のような条件で行うのが適当と考えました。

  • 同一和音の連続は集計対象外。
  • 無音の拍(小節)は対象外。
 和音の遷移パターンを調べることを目的とした場合、単音・重音の拍(小節)は対象外とするのが基本と考えますが、比較用に対象としたデータも集計しましたので、以下の2種類のデータを集計しました。
  • 単音・重音の拍(小節)は対象外。(cdnz3)
  • 単音・重音の拍(小節)を含む。(cdnz)

 転回形の区別については、和音の出現頻度分析との整合性に配慮した場合には、長短三和音のみ区別して他は区別しないものを基本とすべきでしょうが、後述の通り、遷移の前の情報の「深さ」(大黒、上掲書, p.86 深い統計学習と浅い統計学習 の節を参照)を増していくにつれて遷移パターンのバラエティが増えて、各遷移パターンの出現頻度が小さくなることもあって、以下の3種類のパターンについてデータを集計しました。

  • 全ての和音について転回形を区別せず。(default)
  • 長短三和音のみ転回形を区別。(tonic)
  • 全ての和音について転回形を区別。(inv)
 これは自明のことですが、転回形を区別する分、対称性が喪われるので、区別されるパターンの数は増えることになります。つまり区別されるパターン数について、

default < tonic < inv  

の関係にあります。defaultの場合には、遷移パターンの符号の下位2桁は必ず0です。tonicの場合には、ピッチクラスの符号が19と25以外については下位2桁は必ず0です。いずれも場合にも転回は区別されず、同一の和音として遷移の頻度の集計が行われます。

 (なお、本記事の公開当初に公開した集計結果では、転回形を区別した場合の符号化の仕方にミスがあり、上記のうち、全ての和音について転回形を区別した場合(inv)と長短三和音のみ転回形を区別した場合(tonic)のデータに誤りがありました。現在公開しているのはミスを除いた2023年7月26日夜公開の修正版の集計結果です。)

 最後に、冒頭で述べたように、全ての和音を対象とするのではなく、各小節頭拍、ないし各拍頭で鳴っている和音を対象とし、以下の2種のデータを集計しました。
  • 各拍頭(A)
  • 各小節頭拍(B)
 結果として、2×3×2=12通りのデータを集計することになります。 

*     *     *

4.分析の対象

 最後に分析の対象および集計単位、および集計対象とした状態遷移の深さにつき述べます。分析の対象は従来、和音の出現頻度分析で用いてきたものと同一の、第1交響曲~第10交響曲と「大地の歌」の全11曲のMIDIファイルとしました。当該MIDIファイルは楽章毎に作成されていますが、状態遷移パターンおよび出現回数の集計は、曲毎に行いました。状態遷移の深さは1~5としました。つまり、深さ1の「前→後」から始まって、深さ5の「5つ前、4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後」までの5種類について、出現頻度の計算を曲単位で行いました。なお、統計学習では、出現頻度ではなく出現確率を用いますが、確率は頻度の出力から計算できますし、出現頻度そのものにも資料的な価値があると考え、出現頻度の集計結果のまま公開することにしました。

*     *     *

5.公開した集計結果の説明

 以下、公開しているアーカイブファイルの内容について説明します。本記事に関連するアーカイブファイルは以下の5種類です。

(1)和音の符号化の定義

アーカイブファイル和音状態遷移パターン定義.zipには以下の1ファイルが含まれます。

  • chord_code.xls:和音の符号化の五度圏上の位置の符号化についての定義ファイル

ファイルのフォーマットは以下の通りです。

  • A~L列:五度圏上の以下の位置の音が鳴っている(1)/鳴っていない(0) Ges H E A D G C F B Es Aes Des
  • M列:1~12列のビットパターンの10進表現(0~4095)
  • N列:同一和音(ピッチクラスセット)の五度圏上の相対位置(最小値=1で右回りに1ずつ増加。最上位ビットから最下位ビットに巡回して、最小値のすぐ右隣りが12)


(2)対象データ

アーカイブファイル和音状態遷移元データ_全交響曲.zipには状態遷移パターンの出現頻度集計の対象データを含む、以下の4ファイルが収められています。

  • sym_A_seq3.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_B_seq3.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_A_seq.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_B_seq.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • 各列:各楽章・部・曲毎の対象データ(以下は歌曲1曲のみの例なので1列のみ。)
  • 1行目:和音数(状態遷移の状態の数)
  • 2~9行目:未使用
  • 10行目以降:各状態における和音を上述の定義に基づき符号化したもの


(3)和声出現頻度集計結果

アーカイブファイル和音出現頻度集計結果_全交響曲.zipには和音の出現頻度を集計した以下の4ファイルが収められています。
  • sym_A_frq3.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_B_frq3.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_A_frq.xlsx:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_B_frq.xlsx:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • A,B列:構成音(ピッチクラスの集合)、五度圏上の位置、バスの位置を区別した和音出現頻度。A列1行目はパターン数。
  • C.D列:構成音(ピッチクラスの集合)、バスの位置を区別した和音出現頻度。C列1行目はパターン数(invに対応)。
  • E,F列:構成音(ピッチクラスの集合)を区別し、長短三和音のみバスの位置を区別した和音出現頻度(tonicに対応)。E列1行目はパターン数。
  • G,H列:構成音(ピッチクラスの集合)のみを区別した和音出現頻度(defaultに対応)。G列1行目はパターン数。



(4)状態遷移パターン集計結果

アーカイブファイル和音状態遷移パターン出現頻度_全交響曲.zipには和声の状態遷移パターンの頻度を集計した以下の12のファイルが含まれます。

各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • sym_A_cdnz3.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_A_cdnz3_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_A_cdnz3_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • sym_B_cdnz3.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_B_cdnz3_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_B_cdnz3_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
  • sym_A_cdnz.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_A_cdnz_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_A_cdnz_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
  • sym_B_cdnz.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別せず)
  • sym_B_cdnz_tonic.xlsx:集計結果(長短三和音のみ転回形を区別)
  • sym_B_cdnz_inv.xlsx:集計結果(全ての和音について転回形を区別)
各ファイル共通で以下の12シートからなり、シート毎に各交響曲のデータが含まれます。
  • m1:第1交響曲
  • m2:第2交響曲
  • m3:第3交響曲
  • m4:第4交響曲
  • m5:第5交響曲
  • m6:第6交響曲
  • m7:第7交響曲
  • m8:第8交響曲
  • erde:「大地の歌」
  • m9:第9交響曲
  • m10:第10交響曲
各シートのフォーマットも共通で、以下の通りです。
  • A,B列:未使用
  • C~E列:深さ=1の状態遷移パターン(C~D)と頻度(E)。C列1行目はパターン数。
  • F~I列:深さ=2の状態遷移パターン(F~H)と頻度(I)。F列1行目はパターン数。
  • J~N列:深さ=3の状態遷移パターン(J~M)と頻度(N)。J列1行目はパターン数。
  • O~T列:深さ=4の状態遷移パターン(O~S)と頻度(T)。O列1行目はパターン数。
  • U~AA列:深さ=5の状態遷移パターン(U~Z)と頻度(E)。U列1行目はパターン数。



(5)和音・状態遷移パターン種別

アーカイブファイル和音状態遷移パターン種別_全交響曲.zipには和音毎・状態遷移パターン毎の出現頻度を集計した以下のファイルが収められています。
  • sym_cdnz_summary.xlsx
ファイルは以下の4シートからなり、シート毎に以下の条件で集計した和音・状態遷移パターンの種別の集計結果が含まれます。
  • B_cdnz3:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節は対象外
  • B_cdnz:各小節頭拍(B)/頭拍が単音・重音の小節を含む
  • A_cdnzs3:各拍頭(A)/単音・重音の拍は対象外
  • A_cdnz:各拍頭(A)/単音・重音の拍を含む
各シートのフォーマットは共通で、以下の通りです。

列方向:
  • A列:集計対象の和音・状態遷移の種別
    • seq:対象拍数(Aなら拍数、Bなら小節数に概ね等しい)
    • cseq:対象状態数(cdnzなら単音・重音を含む、cdnz3なら単音・重音を含まない)
    • cfrq:対象状態種別数(和音の違い、五度圏上の位置の違い、転回形を区別)
    • inv:状態遷移パターン・全ての和音について転回形を区別
    • tonic:状態遷移パターン・長短三和音のみ転回形を区別
    • default:状態遷移パターン・全ての和音について転回形を区別せず
  • B列:深さ(0~5)の区分
    • 0:和音種別
    • 1:状態遷移パターン・前→後
    • 2:状態遷移パターン・2つ前、1つ前→後
    • 3:状態遷移パターン・3つ前、2つ前、1つ前→後
    • 4:状態遷移パターン・4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後
    • 5:状態遷移パターン・5つ前、4つ前、3つ前、2つ前、1つ前→後
  • C~M列:各交響曲の集計結果
    • C列(m1):第1交響曲
    • D列(m2):第2交響曲
    • E列(m3):第3交響曲
    • F列(m4):第4交響曲
    • G列(m5):第5交響曲
    • H列(m6):第6交響曲
    • I列(m7):第7交響曲
    • J列(m8):第8交響曲
    • K列(erde):「大地の歌」
    • L列(m9):第9交響曲
    • M列(m10):第10交響曲
行方向:
  • 1行目:ヘッダー行
  • 2行目~22行目:和音・状態遷移の種別(A列)/深さ(B列)の条件毎・曲毎の集計結果
    • 2行目:seq/0:対象拍数(Aなら拍数、Bなら小節数に概ね等しい)
    • 3行目:scseq/0:対象状態数(cdnzなら単音・重音を含む、cdnz3なら単音・重音を含まない)
    • 4行目:scfrq/0:対象状態種別数(和音の違い、五度圏上の位置の違い、転回形を区別)
    • 5行目:sinv/0:和音種別(深さ0)・全ての和音について転回形を区別
    • 6行目:stonic/0:和音種別(深さ0)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 7行目:sdefault/0:和音種別(深さ0)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 8行目:sinv/1:状態遷移パターン(深さ1)・全ての和音について転回形を区別
    • 9行目:stonic/1:状態遷移パターン(深さ1)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 10行目:sdefault/1:状態遷移パターン(深さ1)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 11行目:sinv/2:状態遷移パターン(深さ2)・全ての和音について転回形を区別
    • 12行目:stonic/2:状態遷移パターン(深さ2)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 13行目:sdefault/3:状態遷移パターン(深さ2)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 14行目:sinv/3:状態遷移パターン(深さ3)・全ての和音について転回形を区別
    • 15行目:stonic/3:状態遷移パターン(深さ3)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 16行目:sdefault/3:状態遷移パターン(深さ3)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 17行目:sinv/4:状態遷移パターン(深さ4)・全ての和音について転回形を区別
    • 18行目:stonic/4:状態遷移パターン(深さ4)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 19行目:sdefault/4:状態遷移パターン(深さ4)・全ての和音について転回形を区別せず
    • 20行目:sinv/5:状態遷移パターン(深さ5)・全ての和音について転回形を区別
    • 21行目:stonic/5:状態遷移パターン(深さ5)・長短三和音のみ転回形を区別
    • 22行目:sdefault/5:状態遷移パターン(深さ5)・全ての和音について転回形を区別せず


[ご利用にあたっての注意] 公開するデータは自由に利用頂いて構いません。あくまでも実験的な試みを公開するものであり、作成者は結果の正しさは保証しません。このデータを用いることによって発生する如何なるトラブルに対しても、作成者は責任を負いません。入力として利用させて頂いたMIDIファイルに起因する間違い、分析プログラムの不具合に起因する間違いなど、各種の間違いが含まれる可能性があることをご了承の上、ご利用ください。 

(2023.7.24公開, 7.25集計結果公開を中止、7.26修正版の集計結果を公開, 7.27説明の追加し、アーカイブファイルを4分割して再公開, 7.28補足説明の追加, 7.30和音・状態遷移パターン種別の追加公開・説明の追加)

2023年7月2日日曜日

ヴァルターの「マーラー」より:その「作品」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.85, 邦訳pp.149-150):その「作品」についての回想
Es ist also ein Opus von musikalischer Geschlossenheit, das in Mahlers Schaffen vorliegt, und dem prüfenden Blick wird sich keine Lücke in der musikalisch-logischen Kontinuität, im formalen Bau zeigen. Trotzdem kann eine absolut musikalische Wertung seinem Werke nicht gerecht werden, das zugleich die Geschichte seines inneren Lebens ist. Erst wenn wir sein Schaffen als die Äußerung einer großen Seele in Musik betrachten, werden wir den rechten Standpunkt gewonnen haben. Maßstäbe der Menschlichkeit müssen zu denen der Kunst hinzukommen, wollen Bedeutung würdigen. --

 マーラーの作品には、ひとつとして、かれの個性と音楽の緊密していないものは無い。いくら詮索好きな人でも、かれの音楽の論理的連鎖とその外形的構成との間に間隙を発見することはできないであろう。だが、また純粋に音楽的評価だけでは彼の作品を正しく判断することはできないのである。それは、かれの作品が同時にかれの内部生活の歴史だからである。われわれはかれの作品がかれの内面の音楽的表現であるとみなすことによってのみ、正しい観点に立つことができるのである。ゆえにマーラーの創造の重要性を十分に明らかにするためには、種々の人間性、かれの人間的価値と美的価値とを加えなければならないし附与されなければならないのである。 

In welcher Beziehung Erlebnis, Gedanke, poetische Vision, religiöses Gefühl zu seiner Musik stehen, will ich versuchen, in der Besprechung der einzelnen Symphonien anzudeuten, da in jeder von ihnen dir Beziehung eine andere ist. Nur eines sei vorausgeschickt: » Programmusik «, das heißt die musikalische Schilderung eines außermusikalischen Vorgangs hat er nie geschrieben.

ここでのヴァルターの言葉の説得力もまた、その作品は勿論のこと、マーラーその人を非常に良く知っていて、その人と音楽との関係をまさに 目の当りにした経験に根差しているのであろう。音楽一般がどうかとか、当時のヨーロッパの音楽の傾向がどうだとかいうのは、登ったら外す梯子の はずであって、最後はマーラーの個別の場合が問題なのだ。そしてマーラーの音楽に虚心坦懐に体を浸せば、このヴァルターの発言が的確であることは まさに身をもって感じられるのではないかと思う。(少なくとも私はそうだ。)


 ところで、この部分の邦訳は好意的に見てもかなりの意訳になっている。最後の文章に至っては、ちょっと読むと全く違った意味に取りかねないように 思われるので注意が必要であるから、参考まで以下に邦訳を掲げておく。
 私はつぎにかれの交響曲のおのおのを解説することによって、かれの音楽と、かれの経験や思想や詩的幻想やまた宗教的感情との関係を明らかにしたいと思う。実際これらの関係は交響曲の場合に最も顕著に現れているからである。しかし、あらかじめ断っておかねばならないのは、かれは決して「標題楽」を書かなかったこと、つまりある特殊な音楽的問題を音楽によって説明したことは無いことである。(ブルーノ・ワルター, マーラー 人と芸術, 村田武雄訳, 音楽之友社, 1960, p.150)

 おわかりの通り、ワルターが「標題楽」をどう捉えているかについて、これでは全く異なる理解をしてしまうだろう。 素直に訳せば「音楽外のプロセスの音楽的表現」だろうし、これで十分だと思われるのに、どうして上記のような訳となったのか杳として知れない。

 一般にこの邦訳は基本的に戦前から戦争直後のもの(最初は「音楽評論」という雑誌に連載されたらしい)のようであり、 当時のマーラーに関する情報の量を考えれば、具体的な部分について知っていさえすれば間違えないような誤訳があるのは止むを得ないのかも知れないが、 そうしたものとは違って、こうした抽象的な部分での間違いはそれとはすぐにわからないことも多いから厄介である。もっとも最後の文章については、 前後の文脈からして、何かおかしいということはわかるとは思うが。それゆえ1960年の再版にあたっても、そうした誤りについて全くそのままなのは 些か遺憾に思われる。(訳者がこだわっているらしい文体については、私の語学力では判断しようがないが、それとは別のレベルの問題である。)
 
 比較のために、手元にあるJames Galstonの英訳の最後のパラグラフを参照すると、以下の通りである。
I shall endeavor to indicate the relationship of experience, thought, poetic vision, and religious feeling to his music by commenting individually upon his symphonies, his relationship to each one of them being a different one. Let me say this beforehand, however: He has never writtten "program music" -- this is to say, the musiacal description of an extramusical event.(Bruno Walter, Gustav Mahler, translated by James Galston, with a biographical essay by Ernst Krenek, Vienna House, 1973)
こちらは邦訳に比べれば少なくとも意味をとる上では忠実なようだが、それでもやはり 翻訳全体としてみた場合には全く間違いがないわけではないようだ。ともあれ、特に邦訳は非常に貴重なものであり、かつ個人的にはこの部分はこの回想の中でも印象的な部分と感じているので、残念なことである。(2007.6.23初稿, 2023.7.2邦訳、英訳を比較対象のために参照しつつ補記. 2024.7.28 引用前半の邦訳を追加。)