(…)音楽によって世の成り行きを有意味なものとして確証すること―リヒャルト・ワーグナーの悲劇の形而上学も含めて、かつてはこれはいかなる例外もあり得ない公認の習慣だったわけだが、それがもはや不可能であるという形而上学的否定性の経験が、第8交響曲以降のマーラーの意識にのぼってきた。これを説明してくれるのが有名なブルーノ・ワルター宛の手紙である。〔『マーラー書簡集』ヘルタ・ブラウコップフ編、須永恒雄訳、法政大学出版局、2008年、307頁所収の音楽が味わうのは感じ考え呼吸し悩む人間全体である、しかしそれは画家となることによってではなくあくまで音楽家としてであると力説する書簡を指すと思われる。ただしこれはアドルノが言う第8ではなく、第6交響曲の完成後の文章である。〕あらゆる音楽の足元で大地が揺らぎ始めた表現主義的状況についての、これは最も初期の証言である。マーラーを聴いた際に真に秩序好きの耳にはカオスのように響くものは、ここから生じてくる。彼の音楽は何ら保証された意味を持ってはおらず、またベートーヴェンのように上位の動的かつ建築的な論理によって意味を現前するものとして放電しようともしない故に、マーラーは無防備かつ何の覆いもないまま、個々の衝動に身を任せるしかない。低いものが作曲の層の一つとして入ってくるのを許した彼は、下から上へ向けて作曲する。個々の領野を時間軸上に層のように積み上げることによって浮かび上がってくるそれ以外、この交響法はいかなる全体性もものにすることはない。全体性に文句なしの優位が与えられていたウィーン古典主義音楽の理想を、演劇のそれに譬えることが出来たとするならば、マーラーの理想は叙事的であって長編小説に近い。(…)
アドルノ「ウィーンでの記念講演」より(『アドルノ音楽論集 幻想曲風に』, 岡田暁生・藤井俊之訳, 法政大学出版局, 2018 所収)
モノグラフと並んでマーラーに関連する基本文献の一つと言ってよいマーラー生誕100年を記念したウィーン講演とその補足たる「エピレゴメナ」を収めたアドルノの音楽論集『幻想曲風に』(Quasi una fantasia, 1963, 全集第16巻, Musikalische Schriften I-IIIにIIとして所収)全篇の待望の翻訳が出版された。永らくウィーン講演のみ、酒田健一編『マーラー頌』(白水社, 1980)所収の編者自身による翻訳で接することができたが、これでようやく正副2篇を正確な日本語で読むことができるようになった点は勿論のこと、加えて既訳では一切の訳注がなかったものが新訳では豊富な訳注が埋め込まれており、元々が講演であるという事情もあってか原文には注釈がないことを思えば、一介の愛好家にとっては大変に有難く、その価値は計り知れないものがある。
ところが早速一読してその訳注について一点だけ気になった点があったので、備忘のためにここに私見を記しておきたい。それは上に引用したパラグラフに含まれる「ブルーノ・ワルター宛の手紙」に関してである。
注によれば、邦訳のある1996年版書簡集の334番、1904年夏に書かれた第6交響曲の完成を知らせる書簡が該当するとされている。確かにこの書簡は、アルマが編集した1924年の書簡集にも(日付同定の錯誤はあるけれど)収められており、それなりに「有名」かも知れないが、「第8交響曲以降」という言葉を文字通り受け止めた私が反射的に思いついたのは、1908年にトーブラッハから出された、これはマーラーのファンなら知らぬ者はいないであろう手紙(1996年版書簡集の394番および396番)であった。訳注でもわざわざ断わられている通り、「第8交響曲以降のマーラー」の「形而上学的否定性の経験」というアドルノの文章と照らした時、334番の書簡を思いつくのは難しく、正直に言って、ここで参照されているのがそれであるとは素人目にはなかなか得心することが難しく感じられる。
確かにアドルノの文章では、文脈としては「音楽」が主題となっており、私が上で引いた394番、396番の書簡は音楽そのものがテーマにはなっておらず、アドルノの言っていることとの間に乖離がないとは言えないかも知れない。更に言えばアドルノは手紙を単数で書いているから2つというのは不適切で、どちらかを選ばないといけないというのもあるだろう。そうなると一体どちらがより適切かという問題も出てくることになる。1909年7月18日の日付を持つ396番の書簡は、個人的に思い入れが深く、以下のようなコメントを認めたこともあるくらいなので、個人的には396番の方を採りたいと思うけれど、何ら根拠はなく感覚的なものに過ぎないことを認めざるを得ない。
「ブルノ・ヴァルター宛1908年7月18日トーブラッハ発の書簡にあるマーラーの言葉 」
https://gustav-mahler-yojibee.blogspot.com/2014/09/1908718.html
(文章執筆当時は1924年版と1979年の英訳しか手元になく、書簡の番号は両版に従っている。)
とはいうものの、アドルノもあくまで「形而上学的否定性の経験」の証言者として手紙を参照しており、従って、マーラーにとっては、自明であった世界が崩壊し、一からやり直さないとならない経験から間もない、まさに第8交響曲以降、『大地の歌』が産みだされる時期の証言であることをもって、旧訳で永らく親しんできた私はこれまでずっと上記の手紙のいずれかが念頭にあるものとばかり思ってきたので、訳注を目にして大変に驚いた次第である。
ちなみにウィーン講演のまさにこの箇所でも出てくる「形而上学の不可能性」は、モノグラフでは、それが最後の形而上学となると敷衍され、「長いまなざし」の「大地の歌」を論ずる箇所に出てくるものでもあり、まさに第8交響曲以降というここでの文脈にも適合している。
ただし、訳注の指摘には首肯できる部分も多々あることには注意が必要であろう。まずもってこの文脈は、段落の冒頭からそうであるように「音楽」について語っているわけで、従って、あくまでも個人的な生の経験を述べた書簡が文脈からは相応しくないということで排除されたとして、実証は措いて本質の面においてはその選択は納得が行くものであろう。寧ろ、アドルノ本人よりも訳者の方が引用において適切であろうとしているという、実証性の観点からすれば何とも逆説的な事態が生じているのだと感じられなくもない。
形而上的フォーマットの不在、或いはカオスのように響くもの、がいわゆる後期作品にのみ当て嵌まるものなのか、それは第6交響曲を含む中期にも該当する、とりわけても否定性の経験ということでは334番書簡で言及されている第6交響曲こそが相応しいのではという見解は勿論、更に言えば第3交響曲にような角笛交響曲時代にこそ寧ろ相応しいという考え方すら考慮に値するだろう(だから、ヴァルター宛書簡ではなく、バウアー・レヒナーの証言するあの第3交響曲のポリフォニーを思い浮かべたとしても不思議は無かろう)。確かに楽式論上の「破格」に関して言えば、伝統的なものに無意識に依拠していた初期の方こそ見てとり易く、なおかつ、第4交響曲を経て、第6交響曲のような、一見したところ古典的な装いの作品に一旦到達するというプロセスがあって、だがその内実にこそ「カオスのように響くもの」が存在し、「個々の領野を時間軸上に層のように積み上げることによって浮かび上がってくるそれ以外、この交響法はいかなる全体性もものにすることのない」という事態は、兆候としては後期を待たずして既に至るところで生じているという見方には一定の妥当性を認めざるを得ないだろう。
だが個人的には、最早ソナタ形式が別のものにとって代わられていて、従ってラッツを初めとする楽曲分析において分析者の数だけ異説が並ぶという状況を呈する第9交響曲の第1楽章のようなケースこそを、『大地の歌』の歌曲と交響曲の融合のユニークな実験を経て、形而上学の不可能性が最後の形而上学となった事例として考えることはできまいか、そこではまさに「唯名論的」に、形式が下から上へと鍛造されるのが、ここにきてようやく、上まで届くようになった、というような見方ができまいか、というようなことも考えずにはいられない。
一方で、「非人称的」とシェーンベルクが喝破した第9交響曲まで至れば、そしてあの、どこから響いているのか最早わからないような第10交響曲を併せて、最早それは「破格」と呼ぶのが適当な何かではないし、(数理的な定義上のではない、伝統的な意味での)カオスですらなく、別の未聞の秩序が備わっているという点を重視すれば、そこに到達するまでのプロセスの、とりわけても初期から中期の段階にこそ相応しい言い方をアドルノがしているという訳者の考えはもう一度、全く正当なものとも思えるのである。
ただし上記の引用の末尾でも述べられている小説との類比に基づく物語論的分析(それはアドルノの衣鉢を継ぐとしばしば自称するのだが)も含め、その後の研究でその「未聞の秩序」が解明されたというには未だ程遠い状況にあると私は考える。あくまでも言語を媒体とした記号論ベースの文学理論を音楽に適用することの困難と不毛は既に明らかであるし、さりとて間テキスト性やジャンル間の境界すら乗り越えようとする類の「ポスト・モダン的」な分析も、所詮は音楽の構造的の規範からの偏倚、伝統からの差分を文化的・社会的な文脈における「意味」(結局それは言語化された挙句、陳腐な「標題」と変わるところがないものに過ぎない)に関連づけることに依拠しており、アドルノがモノグラフ冒頭で喝破して見せた桎梏から少しも遁れられていない。
寧ろアドルノが言い当てようとしたマーラーの音楽の「唯名論的」実質とそれを支える様々な技法は、従来の作曲上の規範としての音楽理論を一旦括弧入れして、データ自体から浮かび上がる固有の力学を読み取ることによって音楽の形式的な構造を見出すことによってこそ解明しうるのではないか、そのようにしてのみ「キャラクター」や「カテゴリ」のようなアドルノのアイデアを継承、発展させるうるのではないかというのが現時点での私の立場である。アドルノの立場は一見したところパラドクシカルであり、アドルノ自身が用いた「円積問題」の譬えをそのままアドルノ自身の方法に送り返すこともできるだろうが、必要なのはパラドクスを弄んで空疎なレトリックを氾濫させることではなく、パラドックスの由来を解きほぐし、その構造を解明することであるに違いない。比喩を更に推し進めれば「超越数」の発見に相当するものこそが今求められていることなのではなかろうか。
繰り返しになるが、かくしてここではアドルノ自身が言葉の歪みや曖昧さにやや足を取られていて、言葉で語られた次元に忠実たろうとすれば、実は訳者の解釈の方が(もしかしたらアドルノ本人よりも)筋が通っている、というようなことが起きているのかも知れない。
とはいうものの、アドルノ自身が何を想定していたかという(もしかしたら上述のような議論に比べたら些末かも知れない)実証に限定すれば、1996年版書簡集の394番および396番、特に1908年7月18日トーブラッハ発の書簡が適当に思われるというのが私見であることに変わりはない。ウィーン講演と「エピレゴメナ」の2篇を新訳で読まれる方々の参考になればと思い、備忘を兼ねてここに記す次第である。(2019.6.29初稿, 10.20追記の上公開)
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