2013年7月14日日曜日

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第10回定期演奏会を聴いて

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第10回定期演奏会
2013年7月13日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マーラー 交響曲第4番ト長調

井上喜惟(指揮)
蔵野蘭子(ソプラノ)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ


ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの定期演奏会は第5回以降ミューザ川崎で開催されてきた。前回の第9回は東日本大震災による被災のため、 1年延期になり、2012年6月24日に文京シビックホール大ホールで行われたが、第10回の今回は修復を終えたミューザ川崎にいわば「戻って」の開催となった。 曲目は第4交響曲の後、休憩を挟んでワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の抜粋。ワーグナー作品について語るのは私には荷が勝ちすぎている故、 前半の第4交響曲の演奏のみについて感想を書き留めて置きたい。
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実は私にとって第4交響曲をその本来あるべき姿で、即ちコンサートホールでの実演で聴くのは今回が初めてである。勿論、第4交響曲にはメンゲルベルクが指揮する コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏記録から始まって、膨大な録音の蓄積がある。人によってはこの曲の最初の録音が1930年に近衛秀麿の指揮する新交響楽団 の演奏のものであり、日本で行われたことを思い浮かべるかも知れない。楽譜を読むことと併せ、そうした録音を聴くことにより作品の構造と細部の音響像を 自分の中に定着させて後、実演に接するのは、この作品にコンサートホールで初めて接するのとは全く異なった経験である。ましてや文化的・社会的文脈において 全く異なるといって良い1世紀後の日本で、この作品がかつて(たとえばマーラーの同時代に)どのように響いたかを想像することは難しい。 仮に楽器や奏法について、いわゆるピリオド的なアプローチをとったところで、演奏者も聴き手も、演奏会が置かれている環境もそっくり異なるのである。 そういう意味では、上述の戦前の日本での録音とて同じことで、同じ日本だからという理由だけで、そこに連続性を見出すことは、少なくとも私個人には不可能である。 だが、その一方で、全く文脈のない聴取というのはありえない。コンサートの一回性による様々な 制約(私にとっての最大の問題は、自分自身の体調や心理状態である)もあるし、人間が演奏して再現することが前提となっている以上、誰がどこで演奏するのか、 ということもある。かくして、それが本来想定された上演の形態であるとは言いながら、幾重にも屈折してその「本来」に辿り着かねばならない人間にとっては、 その理由の如何を問わず、演奏者を聴き手が信頼することは(少なくとも私にとって)、「音楽そのもの」と呼ばれるものに虚心坦懐に接するための 必須の条件なのである。例えば特定の演奏家の録音を繰り返し聴くというのは、そうした信頼関係の退化した形態なのだ。ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの定期演奏会に足を運ぶのは、こと私に関して言えば、そうした「本来」に辿り着くことを可能にしてくれる貴重な場であるからに他ならない。
この演奏会の感想を記すにあたりまず書き留めておきたいのは、そうしたことを踏まえた上で、この演奏会において、隅々まで馴染んでいるとはいえ、初めて実演に接する作品に 対して、安心して、素直に接し、没入することができたという点である。勿論、技術的に不安定な箇所や、はっきりとわかる細部におけるミスも皆無ではなかったし、 リアライズの難しさを感じる部分がなかったわけではない。だが、そうしたことすら、私にとってはこの作品を理解することの妨げになることはなく、全体として、実演に 接しなければわからない多くの経験を得ることができた貴重な機会となった。クルト・ブラウコップフが音楽社会学者的な視点で行った、長時間録音媒体が可能にした マーラーの受容の変化についての指摘の中では、コンサートホールでは聴き取れない音が録音では聴き取れることが挙げられていたが、数多くの録音に接した上でコンサートホールでの 実演に接すると、逆に録音で聴こえない音が如何に多いかに驚かされることになる。今回は大規模な室内管弦楽という形容矛盾こそ寧ろ適切な形容とさえ感じられる、 音色の微妙な変化や対比、対位法的な 線の対話、音楽が静まり、背後にある沈黙が浮かび上がる瞬間、あるいはフレーズの切れ目の音の鳴らない瞬間のホールの残響をも一つの楽器としたかのような第4交響曲が 演奏されたこともあり、楽音が鳴り響く空間の中に自分がいることによって獲られる新しさの経験は圧倒的なものであった。勿論それは、聴き手たる自分が 作品の構造と脈絡を身体化した形で、次に起こる音響的イヴェントを予期していることが前提としてあって、だが、指揮者の形式構造に対する把握の確かさとそれに基づく 適切なテンポの設定があればこそのことである。第7交響曲、第9交響曲でもはっきりとそう認識できたが、この第4交響曲においても、そうした巨視的な構造の把握の確かさを 感じることができればこそ、聴き手は作品に安心して、素直に接し、没入することができるのだ。
その一方で、音楽がその場に全く相応しく自然に流れ出てくるような印象は、細部の積み重ねにも因っているのは間違いない。トロンボーンとチューバを省いた 編成の管弦楽の楽器法は、金管楽器を木管楽器の一種として扱うことを求めている(トランペットすら、音色のパレットの上で、クラリネットの少し先に位置づけられる)が、 特に様々な管を持ち替え、更には頻繁なベルアップ(Schalltrichter auf!の指示)をきちんと実践することで、多様な音色の立体的なコントラストを実現したクラリネット属と、 音域や音価・強弱の大きなコントラストによって、同様に音色の多様性を実現したファゴット属のパートの活躍が印象的であった他、それが導入されることではっきりと音調が変わり、 異なる領域に音楽が入ることを告げる打楽器群、フラジオレット等も用い、他の楽器の音色との混合により、別の楽器を産み出すことが求められることがあるかと思えば、 ある場所でははっきりと音楽の流れを主導する役割を担ったハープ、先行する作品に比べても際立って線的に精密に書かれた音楽にあって重要なコントラバスのパートの 安定感といったところが全体として印象的だった。
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当初第3交響曲第7楽章に予定されていた歌曲がいわば押し出されてしまい、第4交響曲第4楽章に収まることになった成立史は良く知られていることだが、 そうした紆余曲折の中にあって、終曲に管弦楽伴奏歌曲1曲を持ってくるという着想自体の方は結局最後まで残り、のみならず、その前に三幅対(triptyque)の絵のような 3つの楽章が置かれるという第4交響曲の楽章設計のいわば原点になっている点は見逃すべきではなかろう。第2交響曲や第3交響曲における独唱を伴う楽章の 機能は、ここでのそれとは全く別のものなのだ。そして時系列的に独立に先行していたという事実はあり、確かにそこから逆算するように前の楽章が配置されたとはいえ、 前の楽章と終曲の歌曲の間にマーラーが設定した連関は軽視すべきではない。中期交響曲への橋渡しは、単に第5交響曲第1楽章のファンファーレが予示される といった皮相な点にのみあるのではなく、とりわけ第1楽章に著しく、実際アドルノがマーラーに関するモノグラフの中でも例外的に非常に細かく楽譜を追って 例示するほどの(Variante)の技法、恰も小説の登場人物が、小説の時間を生きることで変容していくような主題の操作の仕方や音楽的時間の構築の仕方こそが、 中期交響曲の前哨としての意義の裏づけとなっているのである。この辺りの事情や、更にマーラーが述べたとされる第9交響曲との関連については別のところに 覚えを記しているのでここではその内容を繰り返すことはしないが、私見では、陳腐な標題性の議論に終始することは論外としても、アドルノのコメントすら、 この交響曲については誤解を招来しかねないような側面があり、音楽自体の持つ決して損なってはならない契機を捉え損ねている。この日の演奏において、私は そのことをはっきりと確認したように思う。
そしてそうした巨視的な設計への配慮は、繰り返しになるが、今回も指揮者によって的確に準備され、実現していたと思う。経過の一部を取り出すのは適切ではないかも 知れないが、それでも強いて取り立てたいのは、例のアドルノ言うところの「夢のオカリナ」から始まって、第1楽章の展開部後半、 「わざとらしく子供じみた、騒々しくも楽しげな部分」(absichtsvoll infantiles, lärmend lustiges Feldとアドルノが呼ぶ練習番号16を経て、 中期交響曲とカフカの巣穴の地下道のように結びついているという指摘を俟つまでもなく明らかな第5交響曲第1楽章への暗示へ至る音調の変化 (頂点ではタムタムが強打され、全く違う領域に音楽が転げ落ちてしまったことが明らかにされる)、そして明確に音楽が停止して、何事もなかったかのように突然に フレーズの途中から再現部に入り、だがそうした軌道の力学で堰き止められてしまったものを補償するかのようにもう一度「わざとらしく子供じみた、 騒々しくも楽しげな部分」をブリッジして第1主題部再現を閉じる辺りまでの音楽的時間の流れであり、あるいは第3楽章の終り近く、練習番号12のあの有名な「突破」(Durchbruch) 以降、静まっていき、Gänzlich ersterbendで停止して第4楽章の天国に至る部分である。そして更にそれに続く第4楽章の全体、そこにおいてパート毎のテンポの入れ替わりが 聴くものに圧倒的な印象を与えたのは、この歌曲を中核として設計された交響曲全体の大きな構造の把握に裏づけされたテンポ設計あってのものに違いないのだ。
今回の演奏は、途中のチューニングなしで行われたが、 それが作品の長さが可能にしたものであるとしても、そのことによって獲られる効果が損なわれるわけでもない。三幅対(triptyque)の絵は決して遠心的に置かれているわけではなく、 楽章相互の明暗のコントラストも含め、寧ろ第4楽章の歌曲に寄り添うようにして置かれていることが自然に理解できるのである。とりわけ第3楽章末尾のGänzlich ersterbendに 関して言えば、第2交響曲の後半3楽章とは異なってattaccaの指示こそないが、音楽的時間は楽章間の中断をいわば跨いでしまっているのである。 第3楽章の「突破」の後、音楽が静まってからコーダに至るまでの和声進行のプロセスはまるで一旦、回り道をしてからようやくゆっくり、ゆっくりと状態を元に戻すような感覚がある。 でも実は戻ったと見える場所は出発点ではなく、決して元に戻ることなく、実は既に決定的に異なる相にいるのだが、その挙句に最後は何とニ長調に到達する プロセスが停止し、時間が止まったときには後続する歌曲のト長調が用意されているのである。この日の演奏おいては、 第4楽章の歌曲は序奏が始まってから登場し、歌い始めまでに定位置に移動する歌手によって歌われたが、これもまた楽章の合間も含めた音楽的時間を損なうことが ないような配慮に基づくものと忖度され、適切なものと感じられた。
この作品の第4楽章で初めて人間の声が響く瞬間というのは、それ自体が或る種の出来事であって、その強度は著名な第2交響曲のUrlichtのあの戦慄すべき歌い出しに 決して劣るものではない。そして歌詞がどんな多義性を孕んでいる可能性があったとしても、音楽がそのような場を用意し、自ずから物語る以上、 歌唱はマーラーが指示した通りでなければならない。ある意味では、ここは既に(つまり第4楽章が始まる前に)時間が停止しているわけで、それぞれ固有の テンポと表情を持ったブロックの交替はあっても、音楽の構造は基本的に静的である。それがとりわけはっきりと示されるのは、詩節に添った何回かの反復の後、 第4スタンザ冒頭の練習番号11で第1楽章の序奏が明確に再現され、だが一瞬ののち練習番号12で音楽が第4楽章の冒頭を回顧し、Kein Musik ist ja nicht auf Erden, ... と歌い始める部分だろう。まるでエンブレムのように聖ウルズラの微笑が浮かび上がるが、音楽は再びmorendoで消えてゆくまで、最早動かない。そうした音楽が求める、 その質に見合った歌唱が為されたこともまた、この日のこの曲の演奏の成功に大きく与っていたと思われる。
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私がこの日の演奏を聴いて受けた印象のうち、果たしてどの程度がこの日の演奏を客観的に受け止めたものであるかはわからない。 上でも触れたことだが、私は第4交響曲に関して、以前より、マーラー自身の言葉を受けて、第9交響曲と関連づけて考えてきたが、この日の演奏は、 そうした聴き方に対しても(残念ながら未だ十分に言葉にはできないし、演奏会の感想からは完全に逸脱するので、それは別の機会にまた改めて論じたいが)、 大きな何かを告げるものがあったと感じている。 恐らくそれは、東日本大震災を経て、昨年のあの第9交響曲の演奏を同じ指揮者、同じオーケストラで聴いたこととどこかで繋がっているだろうが、仮に それが2つのコンサートに参加した人間のうちで私だけに生じた、ごく主観的な経験であったとしても構わない。繰り返しになるが、私は最早 客観的な(と呼ばれる)批評が成立するような地点でコンサートを聴いているのではなく、だからそうした立場でのコメントは断念している。是非、他のそれに相応しい方の 評が公開されることを期待したい。だが、そうした前提の上で、この日のコンサートで第4交響曲の実演に初めて接することができ、ここに記したような印象をもてたことを、 私は非常に幸運なことであったと感じている。それゆえ末筆になるが、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの方々、音楽監督・指揮者の井上喜惟さん、 事務局の方に対し、この日の演奏を共有することができたことへの感謝の気持ちとともに、長期に渉り、演奏会を継続して実現させていることに対する敬意を改めて 表することで感想を終えたいと思う。 (2013.7.14公開)

2013年7月7日日曜日

マーラーとドストエフスキー(2):「白痴」について

マーラーとドストエフスキーの関係が論じられるとき、多くの場合はドストエフスキーの側は「カラマーゾフの兄弟」がその中心となる 傾向にある。そもそも管見では、マーラーの生涯に関する一次文献において「白痴」(ИДИОТ)に言及されることはないようだ。 その一方で、マーラーとドストエフスキーの関係を、例えばフローロスが第3交響曲と「カラマーゾフの兄弟」の第2部第6篇3章のゾシマの説教と 関連づけて論じるように、いわゆる思想内容の水準で捉えるのではなく、様式上、ドストエフスキーの小説とマーラーの音楽との間に見られる 類似性について論じようとしたとき、何故か今度は「白痴」が参照される場面にしばしばぶつかることになる。

その嚆矢は何と言っても、マーラーに関するアドルノのモノグラフの第4章だろう。"Romanhaft ist die Kurve, die sie beschreibt, das sich Erheben zu großen Situationen, das Zusammenstürzen in sich. Gesten weden vollführt wie die der Nastassja des Idiioten, welche die Banknoten ins Feuer wirft ;"(Taschenbuch版全集13巻, pp.217-8)のように、「白痴」の第1部の終り近く、ナスターシャの名の祝日の 宴における彼女の行動が持ち出される。勿論、参照されるのは「白痴」だけではなく、上記引用の後ではバルザックもまた参照されるのだが、 既に先行する部分において、マーラーがシェーンベルクの弟子達に向かってドストエフスキーを勧めたところ、ヴェーベルンがストリンドベリを挙げて 応答したという有名なエピソードが参照されていることもあり、「小説」というタイトルを持つこの章における範例としてアドルノがドストエフスキーの 小説を念頭においているのは疑いない。

マーラーの作品に対するドストエフスキーの影響を主題とした論文で最も著名なのは、Inna Barsovaの"Mahler und Dostojewski"だろう。 近年では、Julian Johnsonが2009年のモノグラフ"Mahler's Voice"のとりわけ第6章"Ways of Telling"において、上記の Barsovaの論を受け、内容面よりは寧ろ様式の面でのマーラーとドストエフスキーの共通性を取り上げ、バフチンの「ポリフォニー」を参照しつつ論じているが、 ここでも参照されるのはドストエフスキーの他の小説ではなく「白痴」なのである。もっともここでもアドルノの上記モノグラフは同様に参照されている (まさに上記引用部分を含む一節が英訳で引用されている)わけで、従ってアドルノが「白痴」を参照していることが、ジョンソンがここでの専ら「白痴」に集中して 参照を行っている理由の一つにはなっているのだろう。実際、実に注にして5箇所が様々な特徴づけの範例として参照されているのである。 ((1)第2部の終りでのエパンチン将軍夫人のムイシュキンとのやりとり、(2)第2部5章のムイシュキンの不安に苛まれた内的独語、 (3)第2部9章のブルドフスキーの出生に纏わる事実が明らかになった後のブルドフスキーの取り巻き達のやりとりとそれに続くエパンチン将軍夫人の激しい批難の言葉、 (4)第1部6章、ムイシュキンがスイスで療養していた時期に出逢ったマリーという娘の死に至るまでの物語、(5)第3部7章のムイシュキンのスイスでの療養中の頃の回想)。

ドストエフスキーの小説とマーラーの音楽の様式的な共通性については、まさにバフチンのポリフォニーの概念を中心として、 別のところで既に書いているので繰り返さないが、アドルノやジョンソンの指摘は実際の読書経験・聴体験に照らして、十分な説得力を有するものであると 思われる。とはいうものの、こと「白痴」に関して言えば、私はマーラーの作品や同じドストエフスキーでも「カラマーゾフの兄弟」のような長期に 渉る繰り返しの聴取・読書により、すっかりその内容が自分の中に収まっていると言いうるような経験の蓄積を持っているわけではない。 30年以上前に「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来、「白痴」もまた何度か読もうとしながら、とうとう読むことができずに来て、ようやく つい最近になって、ふとしたきっかけで読むことができたに過ぎないのである。(ちなみにドストエフスキーの作品で私が読んだことのあるのは 「カラマーゾフの兄弟」と「白痴」の2つのみであり、私はドストエフスキーの愛読者というわけではない。)

最近になってようやく「白痴」を読むことができた理由の一つは、近年出版された望月鉄男訳(河出文庫)に因るところが大きい。世間的には 寧ろ「カラマーゾフの兄弟」こそ、亀山訳がベストセラーになってことで大いに話題となり、宝塚歌劇団で取り上げられたり、読み替えをした上で、 テレビドラマ化までされたようだが、別のところで述べた通り、私は亀山訳に関しては、その問題点を指摘する側に明確に与する考えでいる。 だが、思えば私がかつて「カラマーゾフの兄弟」を読みことができたのは、当時文庫版として新刊された原卓也訳に因るところが大きいのだから、 やはり良い訳が手に入ることの意義は決して小さなものではないということが、「白痴」に関しても、改めて確認されたということなのかも知れない。 というのも望月訳で読了した後、従来手に取りながら読めずにいた木村浩訳(新潮文庫)を通読して比較してみて、後者には少なからぬ 問題があり、そのために抵抗感なく読むことができないことがわかったからである。引っかかった箇所に付箋を付けながら読み進めるたのだが、 付箋の数は上下2巻で100を超えた。流れが悪い部分には一ページに何箇所も引っかかる場所が出てくるといった頻度であり、今回も先行して 望月訳を読んだ後でなければ読み通せなかっただろうと思う。ちなみに木村訳に関してもう一つわかったのが、先行する訳のうち、小沼文彦訳 (筑摩書房・個人全集)に非常に似ているということである。もっとも訳文の比較検討を目的で読んでいるわけではないから、翻訳の比較に ついてはこれくらいにしておく。

「白痴」は極めて印象的な鉄道の描写で始まる。のみならず鉄道は、作品中の「批評家」的=道化的機能を担う重要な 脇役の一人であるレーベジェフの「黙示録」解釈によれば「ニガヨモギの星」に他ならず、時代の精神的な風潮を象徴する 存在にすらなっている。その一方、マーラーの伝記においても鉄道は当たり前のように出て来て、ヨーロッパ各地の歌劇場に 勤め、更に頻繁に客演を行った指揮者マーラーの活動は、当時の鉄道網の発達抜きには考えることができない。 「白痴」に関して興味深いことには、マーラーがロシアへの演奏旅行に赴くにあたり、まさに「白痴」冒頭に出てくると思しき、 ワルシャワからペテルブルクに鉄道で移動していることが確認できることである。つまりムイシュキンが故国に戻った径路と交通手段は、 マーラーがロシアを訪問する際のそれでもあった。

一方で、「白痴」には、回想というかたちをとって、ムイシュキンが療養のために 滞在したスイスでの出来事や風景が繰り返し出てくるが、これはスイスでもフランス語圏であるとはいえ、ロシアの地方都市 (スターラヤ・ルッサをモデルとした架空の町という設定)を舞台にした「カラマーゾフの兄弟」と比較して、当時のヨーロッパの 雰囲気を強く感じさせる作品となっている。このことは、そもそも「白痴」はドストエフスキーがロシアを離れてヨーロッパの諸都市を 移動しつつ過した期間に書かれた作品であることを考えれば不思議なことではないし、全編の結末のエパンチン将軍夫人の ラドームスキーに対する言葉に、ロシアを離れて暮らしていたドストエフスキー自身の心境の反映を読み取ることもできるように感じる。

また「白痴」においては、これもドストエフスキー自身が目にしたヨーロッパの美術作品が大きな役割を果たしている (その最たるものが、ホルバインの「イエス・キリストの屍」だろう)のは良く知られていることである。一方、音楽の方はと言えば、 「白痴」の主要な舞台の一つである、ペテルブルク近郊の別荘地パーヴロフスクの駅の大広間において、オーケストラによる コンサートが催されるという記述がある。ここのオーケストラは実は非常にレベルの高いもので、ヨハン・シュトラウスが1856年 以降ロシアを訪問する度に客演し、或いはグリンカ、チャイコフスキー、アントン・ルビンシュタインの新作初演も数多く行っていて、 その時代のロシアの音楽の中心地の一角を占めていたらしい。マーラーがロシアを訪れた際にこのオーケストラに客演したという 記録は残念ながら見出せない(Inna Barsovaの"Mahler and Russia"によれば、マーラーのロシア訪問は3度、1897年にはモスクワ、 1902年と1907年にはペテルブルクを訪問し、1902年には現在のフィルハーモニーの奏楽堂にあたるホールで、 1907年には音楽院の大ホールで、いずれもマリインスキイ劇場のオーケストラを指揮している)が、時代設定上、 マーラーが活躍した時期には若干先行するとはいうものの、マーラーの少年時代よりも遡るわけでもなく、総じて マーラーの生活空間と「白痴」の物語の空間は密接に繋がっていると言えると思う。

上で言及したBarsovaの論文にもあるとおり、1902年3月にマーラーとアルマが結婚した直後の、いわゆる新婚旅行先が ペテルブルクであったことは、その旅の印象がアルマの回想にかなり詳しく出てくるから良く知られていることと思われるが、 そこでのペテルブルクの風景は1902年のそれだから、「白痴」の時代(1860年代末)からは30年近く後のことになる。 更にはドストエフスキーを誰も知らないことへの驚きをもアルマは記しているものの、裏を返せば彼らにとってペテルブルクという街は ドストエフスキーの作品中の印象と分かちがたく結びついていたことを証言していると考えることもできるだろう。

4部からなる「白痴」は、確かにジョンソンやアドルノの指摘の通り、極めてポリフォニックに、しかもマーラー的な意味合いでポリフォニックに 書かれている。しかも第1部の緊密さと、全体がそこに向けて設計されている第4部終結部に比べると、第2部、第3部と 第4部の前半には、いわゆるエピソード的な場面や、一見すると本筋からの逸脱にしか見えない長大な副筋の挿入があり、 譬えて言えば、非常に遠心的な構造を持った、4楽章からなる交響曲を聴いているような感じがする。 エピソード的とはいえ、第3部にある有名なイッポリートの「弁明」は本筋と関連を持つ重要なものだが、例えばイヴォルギン将軍の長大な 法螺話、あるいは第4部のレベージェフの財布に纏わる騒動などは全体の中で必ずしも有機的に機能しているとは言い難いように感じられる。

まるでマーラーの第6交響曲におけるハンマーの打撃のように、ムイシュキンの癲癇の発作の2回の再発が、そこで流れが切り替わる 緊張の頂点におかれるように設計されているが、1回目がロゴージン宅訪問後にムイシュキンがネヴァ河のほとりを彷徨いながら 内的独白を繰り広げ、不安が高まった頂点のところ(第2部5章)で、その不安の潜在的な原因であったロゴージンの殺意が現実の行為となる 瞬間に発生しており圧倒的なのに比べると、2回目を準備する夜会でのムイシュキンの長大なスピーチ(第4部7章)は、設定された性格付けを 逸脱しているわけでもなく、不自然なわけでもなく、そしてそれ自体意図された部分があるにせよ、どこか上滑りした感じがあって、 読んでいて気持ちが良いものではない。同様のことが第3部5章でのイッポリートの「弁明」(МОЕ НЕОБХОДИМОЕ ОБЪЯСНЕНИЕ)に ついても言うことができて、やはりこちらも意図した効果という側面はあるだろうが、全体として筆の凄まじいばかりの勢いを 感じることができる一方、その勢いが余ってしまった感がある部分が無きにしも非ずといった印象が拭い難いのである。

「白痴」が、当初の構想から大きく変わって現在のものになったことは膨大なノート(これは米川正夫訳の全集には一緒に収められている)に よって窺い知ることができるようだし、締め切りに追われて大急ぎで書かれ、それでも最後は間に合わずに、年を越して臨時増刊と いう形で掲載を終えたという事情も良く知られているようだが、上述のような印象には、そうした事情を窺わせる側面がないではない。 ただし特に私の場合、比較の対象が「カラマーゾフの兄弟」になるために分が悪いという面があり、実際、これだけの長さの小説を続けて 2回通読するというのは、これまた「カラマーゾフの兄弟」以来の事であるから、あくまでもこうしたコメントは一定の評価の上でのものでは あるのだが。実際それは、マーラーの交響曲同士を比較した場合に、一部の作品にある或る種の座りの悪さと似た性質のもので、 実のところそうした一見すると欠点にすら見えかねない特徴は、その作品の個性や魅力と不可分のものであることを思えば、こうした批判は ある意味ではないものねだりなのだろう。

だがその一方で、ドストエフスキー自身、この作品に「カラマーゾフの兄弟」と並んで強い愛着を示しつつ、この作品については、 書きたいことを十分に書きおおせていないという感覚は持っていたようだし、私見では、「白痴」において探求され、作中で明確に 目配せさえされたにも関わらず、結局到達できなかった事柄というのが確かにあって、その探求は「カラマーゾフの兄弟」において 再び試みられたと私は考えている。そのことは類似したキャラクターを備えた「白痴」におけるムイシュキンと「カラマーゾフの兄弟」に おけるアリョーシャの違い、特に両者における「決定的な瞬間」の到来の仕方の違いに現れており、「白痴」においては、 ある意味では自然主義的に、例外的な「瞬間」の時間性は決して持続せず、いわば弁証法的にその頂点において反対物に 転化する構造を備えていて、それゆえにムイシュキンはどこにも辿り着くことがないのだが、アリョーシャにおいては、 それはやはり極限的な経験が契機になっているとはいえ、不可逆で永続的なもの、少なくとも有限の生命を持つ人間の 尺度において、その後一生持続するような変化たりえている。ムイシュキンとアリョーシャの対応関係みならず、全般として 「白痴」の登場人物は、「カラマーゾフの兄弟」の登場人物の持つ特徴や性格を別の仕方で分配し直したような雰囲気を 備えているように感じられる。実はこのあたりもまた、マーラーの交響曲間の関係に近いものがあるように思われるが、 いずれの場合においても、その分配の仕方の違いが、そのまま結果の違いに結びついているような感じがある。 (ちなみにここでいう結果の違いは、作品の価値の優劣とは独立の問題であるし、作品の出来ともまた異なる固有の 次元を備えている。)

既に述べたように、イッポリートの「弁明」はメインのプロットに対しては明らかにエピソード的ではあるものの、 メインのプロットを批評する視点を提供している点で、その重要さは明らかである。しかし同じ批評的な視点でも、 特に第4部におけるラドームスキーのそれとは異なって、幾つかの重要な論点が未整理で、いわば開かれたままになっている 印象は拭えない。例えばイッポリートがムイシュキンの言葉だとして引用する「温順こそ恐るべき力だ」(смирение есть страшная сила)という言葉は、 そのように引用されるものの、病のせいか、時間の切迫のせいか、些か脈絡を欠く傾向にあるイッポリートの「弁明」と それの朗読を巡っての言説の中で展開されることはない。ムイシュキンに帰せられる「世界を救うのは美だ」 (что мир спасет красота)という言葉もまた、奇妙に宙に浮いたままである。更に後者に関しては、アグラーヤの次姉で絵描きの素養のあるアデライーダが ナスターシャの写真を見た時に述べた「これほどの美しさは力だわ、、、こんな美しさがあれば世界をひっくり返すことだってできるわ」 (Такая красота - сила ... с этакою красотой можно мир перевернуть!) という言葉(第1部7章)との関係もあり、更に加えてまたしてもイッポリートが ラドームスキー同様にムイシュキンを批判するにあたり持ち出す「キリスト教徒的」な心との関係もあるのだが、 それらが明らかにされることは少なくとも作品中においてはないように見える。

後の「カラマーゾフの兄弟」からの展望において、 「白痴」という作品の風景というのは、どこか歪んだものに映る。だが作品はその歪みに忠実であり、それゆえ結末は 悲劇となる他ない。ムイシュキンがナスターシャの写真に見出した「美」は、この陰惨な作品のそれでもあるかのようだ。 それは「世界を救う」ものではなかったのか。それともまたもやアドルノ風に、それもまた最早仮象として、不可能なものと してしか顕れることのできないものの垣間見せる光芒に過ぎないのか。にも関わらず、小林秀雄のようにムイシュキンに 不気味さを、或る種の魔性を見出すのは、結局のところ見当はずれでしかない。ましてやムイシュキンを悪魔呼ばわりする 解釈は論外である。そうした見解は、自分の見たいものを作品に押し付けているだけなのだ。小林秀雄は、よりによって ロゴージンの書斎の部屋にかかるカーテンの色を見間違え、更にはホルバインの絵のある部屋と混同して憚らない。 しかも一度ならず、四半世紀の時を隔てて二度までも。だが、それは彼の空想の裡の風景であって、それは「白痴」という 作品の持っている歪みとは別のものなのだ。

さりとて一方で、ムイシュキンの内面を描写することを作者の失敗と断罪し、 神秘のヴェールを被せておけば良かったなどという議論も、作者の意図を全く蔑ろにし、その企図の困難を嘲笑する ものでしかない。ムイシュキンの「憐み」をトーツキーの「プチジュー」における彼自身の「遊び心から出たいたずら」と等価な ものと見做し、トーツキーの「プチジュー」がムイシュキンの行動の先取りであるというような解釈(それは、第1部だけで も十分であるといったような判断に繋がっているのだが)もまた、この物語の結末の意味合いを根底から腐食させ、 損ねる類のものである。そうした解釈は当然に、ナスターシャに対する全面的な無理解と表裏一体の関係にある。 「カラマーゾフの兄弟」においても、アリョーシャを真犯人に仕立ててみたり、スメルジャコフの真の父親をグリーゴリイと 断定するような解釈があるらしいが、「白痴」においても解釈の恣意と、作者の意図の蹂躙は留まることを知らないようである。 勿論、時には「生産的」な誤読というのもあるのかも知れないが、ここでの問題は、いずれの解釈にしても解釈者が 自説の奇抜さを誇るくらいが関の山で、些かも生産的ではないことだ。もっとも似たような事情はマーラーの場合でも しばしば見かけることであり、だから別段驚くべきことではないのかも知れないが、さりとて、それを黙過するわけには行くまい。 マーラーについて不徹底ながら同じ理由でやってきたことを、「白痴」という作品についてもやるべきなのかも知れない。

ドストエフスキーは「白痴」を書くにあたって、セルバンテスのドン・キホーテをキリスト教文学にあらわれた美しい人びとの中で、 もっとも完成された人物と見做していたらしい。実際に書かれた「白痴」のテキスト中では、ムイシュキンがアグラーヤに宛てた 手紙をアグラーヤが挟み込む分厚い書物が、意図せずして「ドン・キホーテ」であった(第2部1章)という仕方で言及されるだけで、 直接にはプーシキンの「貧しき騎士」(рыцарь бедный)が作中に埋め込まれて重要な機能を果たすことになる(第2部7章)。それ以外では、 上でどこか上滑りした感じがあって、読んでいて気持ちが良いものではないと書いたムイシュキンの長広舌の一部が 「ドン・キホーテ」のエピソードの一つに基づくものであることが創作ノートによって確認できるようである。マーラーの愛読書でも あった「ドン・キホーテ」の主人公が「美しい人」であるとするならば、それを「美しい人」の屍を描いたホルバインの絵と、 「世界をひっくりかえす力」を備えたナスターシャの写真の「美しさ」と、更には「謎である」とムイシュキン自体が規定した アグラーヤにおける「美」も併せて一貫したパースペクティブに収めなくてはならないだろう。 それは更に、森有正の「ドストエーフスキーが最も深く、人間現実を その非現実性に接する域に突入するまで、掘下げた作品であって、爾余の諸大作群の、いわば、形而上学的基礎工作を なしている、とさえ言うことができると思うのである。「白痴」は、その外面的不統一と静穏さにもかかわらず、最も深い 内面的運動の原理を蔵するものであるということができる」(「ドストエーフスキーにおける「善」について」) という認識の下、「温順こそ恐るべき力だ」(смирение есть страшная сила)という言葉と、 「世界を救うのは美だ」(что мир спасет красота)という言葉を、あの悲劇的な結末の下に おいてみる企てに通じることになるだろう。そしてそれは森有正が主題として扱った「善」と、「美」との関係をも闡明するもので なくてはならないだろう。

これらの事柄は、さしあたり「白痴」という作品固有の問題に見えるが、実はその射程は遠く、マーラーの音楽の観相学にも 及ぶのではなかろうか。アドルノもジョンソンも「白痴」に言及するときには、いわゆる「語り方」の次元に焦点を当てていた。 だが、語り方を離れた内容についての議論同様、「語り方」に終始する分析もまた、マーラーの音楽が語ることを、そしてまた 「白痴」という作品が語ることを、そのベクトル性の深さにおいて闡明することはできない。実のところ、アドルノがまさに ナスターシャが10万ルーブリの札束を火に投じる場面を参照したのは、マーラーの音楽の、一般に「小説的」と呼びうる 特質を例証するためだけに過ぎなかったと考えることはない。そこでマーラーのどの作品のどの部分が鳴り響いているのかを 言い当てることが出来るのでなければ、アドルノのこの観相は空虚であろうし、マーラーの音楽が持っている力、上述の森有正の 「白痴」についての評言にも通じる「最も深く、人間現実をその非現実性に接する域に突入するまで、掘下げた」、 「形而上学的基礎工作をなしている」作品の、「最も深い内面的運動の原理を蔵するもの」のみが備える力を 捉え損なってはならないのであってみれば。(2013.7.7)

マーラーとドストエフスキー(1):「カラマーゾフの兄弟」について

マーラーがドストエフスキーの熱心な読者であることは様々な証言によって伝えられていて、良く知られたことと言って良いだろう。 マーラーの読書の傾向については別のところでも触れたが、哲学や自然科学に関してはプラトンやカントといった古典のみならず、 ショーペンハウアー以降、同時代のフェヒナーやロッツェ、エドゥアルト・フォン・ハルトマンといった最新のトレンドに敏感であったのに対して、 文学においては全般として古典に傾き、エウリピデスから始まってシェイクスピア、セルバンテス、スターン、ドイツ語圏においても 同時代の作家よりはジャン・パウル、ホフマン、ヘルダーリン、そして何よりもゲーテを愛読している中で、主要作の最初のドイツ語訳が 作者が没した直後の1882年から1890年にかけて行われていったドストエフスキーについては概ね同時代の文学作品の中では 例外的ともいえる熱中を示しているように窺える。

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マーラーに最初にドストエフスキーを紹介したのはジークフリート・リーピナーであったようだが、リーピナーの最初の妻(ただし 1891年に離婚)であったニーナ・ホフマン=マチェンコはドストエフスキーの研究者であり、1899年にドイツ語では初の ドストエフスキーの伝記、"Ph. M. Dostojewsky. Eine biographishche Studie"を執筆している。彼女はまた、 マーラーの若き日の友人、フリードリヒ・レーア夫妻とも交流があり、マーラーはレーアを通じて知己をえるようになったことが 書簡等から窺える。ニーナはマーラーのみならず、弟のオットーもまた親交があったのだが、そのオットーが「自分の入場券を返す」と いって1895年2月6日にピストル自殺をしたのはニーナの住まいでのことであったらしい。この「自分の入場券を返す」という表現は、 明らかに「カラマーゾフの兄弟」(БРАТЬЯ КАРАМАЗОВЫ)中のイワンの言葉(第2部第5編「プロとコントラ」(Pro и contra) 4章「反逆」(БУНТ)の「だから俺は自分の入場券は急いで返すことにするよ。正直な人間であるからには、できるだけ 早く切符を返さなけりゃいけないものな。俺はそうしているんだ。俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、 ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」 (訳は新潮文庫版の原卓也訳に従う、以下同じ。) "И если только я честный человек, то обязан возвратить его как можно заранее. Это и делаю. Не бога я не принимаю, Алеша, я только билет ему почтительнейше возвращаю.")を意識したものだろう。 (ちなみにピストル自殺といえば、「白痴」の登場人物で、「わが不可欠なる弁明」を読み上げて後、ピストル自殺未遂を 起こしたイッポリートのことを思い浮かべずにはいられない。)

ブルノ・ワルターもまた、マーラーにとってドストエフスキーが重要な存在であったことの証言者の一人であり、ハンブルク時代にマーラーの 家を訪れたおり、マーラーの妹のエマから、「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」(ВЕЛИКИЙ ИНКВИЗИТОР)の 部分に関して、アリョーシャとイワンのどちらが 正しいのかと聞かれたというエピソードを記録している。のみならず、マーラーについての回想("Gustav Mahler : ein Porträt")の中でも「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャとイワンの 対話への言及がある("In dem Gespräch des Ivan mit Aljoscha aus den Brüdern Karamasoff finden wir im Grunde den vollen Inhalt dessen ausgedrückt, was ich Mahlers Weltleid nannte.", Florian Noetzel Verlagの Taschenbücher zur Musikwissenshaft版ではp.107)。アルマもまた回想において、Mahlers Dostojewsky-Verbundundenheit hieß ihn oft und oft aussprechen : "Wie kann man glücklich sein, wenn ein Geschöpf auf Erden noch leidet!"(1949年版ではp.31)と述べている。ただしアルマの 言及は、こうした言葉が自己中心的であったり利己的であったりする人間により語られるものであり、マーラーもまたこうした考えを 実践しようという決意は持っていたことは認めても、つねに身をもって実践したとはいえない、という痛烈な批判のトーンを帯びた ものであることに留意すべきであろう。これ以外にもアルマは後年、晩年のマーラーとアメリカに滞在した折、ナイヤガラからの帰途に 「カラマーゾフの兄弟」を読んだことが書簡から窺えるが、リーピナーのグループに対する反感もあってか、上述のオットーの自殺に ついて言及する時も含め、マーラーのドストエフスキーに対する関係への言及には屈折した心境が感じられることが多い。 例外は1902年3月にマーラーと結婚した直後に新婚旅行を兼ねた演奏旅行で訪れたペテルブルクの印象を記録した部分で、 そこでは没後20年ほどにしかならないドストエフスキーの名を知る人がほとんどいないことへの驚きが記されている。

一方で、マーラーの作品に対するドストエフスキーの影響についてもまた、様々なことが言われている。最も著名なのは、Inna Barsovaの 論文"Mahler und Dostojewski"だろう。近年では、Julian Johnsonが2009年のモノグラフ"Mahler's Voice"(Oxford University Press)の とりわけ第6章"Ways of Telling"において、Barsovaの主張を受けて、内容面よりも寧ろ様式の面におけるマーラーとドストエフスキーとの 共通性を、バフチンの「ポリフォニー」を参照しつつ論じており、これは非常に興味深い。 一方で内容面・思想面での、しかも「カラマーゾフの兄弟」の影響ということでは、Constantin Florosが第3交響曲の第6楽章の 後に撤回されることになった1895/96年の構想における「永遠の愛」を「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老の説法(第3部第6篇 「ロシアの修道僧」(Русский инок)3章「ゾシマ長老の法話と説教から」(ИЗ БЕСЕД И ПОУЧЕНИЙ СТАРЦА ЗОСИМЫ)と 関連付けているのが良く知られているだろう(Constantin Floros, "Gustav Mahler I : Die geistige Welt Gustav Mahlers in systematischer Darstellung", p.66)。だがこちらは何しろ撤回された標題に纏わる議論でもあり、マーラーの側の裏付けが乏しいこともあって、 その説得力については意見が分かれるだろう。これ以外にも、初期交響曲の理解においてドストエフスキーが重要であるというシュペヒトの意見が あるし、日本では田代櫂さんが近年出版されたマーラー評伝中で「カラマーゾフの兄弟」に一節を割き(「グスタフ・マーラー 開かれた耳、 閉ざされた地平」の第5章「ハンザ都市」中の「カラマーゾフの衝撃」の節, pp.127-131)、その中で「カラマーゾフの兄弟」の 第1部第2編「場違いな会合」(Неуместное собрание)3章「信者の農婦たち」(ВЕРУЮЩИЕ БАБЫ)に現れるテーマと マーラー作品のテーマとが共通していると指摘している。

マーラーとドストエフスキーを巡るエピソードとしては、マーラーがシェーンベルクとその弟子達に対して、ドストエフスキーを読むことを勧めた折、 ヴェーベルンが、自分達にはストリンドベリが居ると返答したという件もまた有名だろう。このエピソードはマーラーと後続の表現主義の世代との ギャップを証言するものとして語られることが多いようだが、それが世代という環境によって規定されたものであるかどうかに関わらず、 なおかつ、時代の違い、文化的背景の違いの中で、マーラーとドストエフスキーが形作る星座のみはその構造を大きくは損なうことなく、 維持され続けているように思われる。もっとも私の場合には、ドストエフスキーの側については、熱心な読者とは言いがたい。なぜなら、 30年以上にわたって、何回となく読み返してきた結果、細かいエピソードやちょっとして描写の類まで頭に入っているという点でマーラーの 音楽と共通している「カラマーゾフの兄弟」を除けば、唯一「白痴」を、しかもごく最近になってようやく読み通すことができただけなのだから。 だがしかし、こと「カラマーゾフの兄弟」に関して言えば、内容面と様式面の両面において、それがマーラーの音楽と際立った親和性を持って いるのは疑いないことのように思われる。マーラー(Mahler)が絵描き(Maler)でカラマーゾフ(Карамазов)が「染物屋」(красильщик) (実際、ミーチャがこう呼ばれる場面が、第3部第8篇「ミーチャ」(МИТЯ)2章「セッター」(ЛЯГАВЫЙ)に出てくる)という類縁性が あるからというわけではなく、その作品の構造と内容の両面において、 私にとっては、マーラーの音楽も「カラマーゾフの兄弟」も同じ精神的な圏に属しており、両者は同じ問題、しかも私にとってのっぴきならない 重要性を帯びている問題を巡っての偉大なる先蹤なのである。

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「カラマーゾフの兄弟」がロシアで発表されたのは、1881年に没したドストエフスキーの晩年の1879年から1880年にかけてのことであるから、 マーラーと、あるいはドストエフスキーと接する時と距離は現在の我々のそれとは全く異なったものであっただろう。そしてそうした事情は勿論のこと、 私がマーラーに出逢った30年以上前においても変わりはなかったのだが、それでもなお、マーラーとの出逢いとほぼ時を同じくして 「カラマーゾフの兄弟」にも出逢ったのはまさに僥倖というべき出来事だったと思う。 今なお版を重ねている新潮文庫の原卓也訳の「カラマーゾフの兄弟」が出版されたのが丁度そのころ(奥付によれば、初版は 昭和53年7月20日)であり、私はその初版を買って以来、マーラーの音楽を聴き続けるとともに、「カラマーゾフの兄弟」を何度となく 読み返してきた。マーラーの場合には一時期一旦、全ての文献を処分してしまったことがあるのに対して、「カラマーゾフの兄弟」の方は そういうことはなかったのだが、さすがに四半世紀の時を経て、紙はすっかり茶色く焼けてしまい、カバーも破けて何時の間にか なくなり、背中が傷んで一部のページが外れてしまったりして読書に耐えなくなったため、つい3年程前に意を決して買い換えをした。 ところが入手できたのは平成16年に改版され字が大きくなったかわりにページ数が増えた版であった。何度も読んだために 何がどのページのどのあたりにあるかまで記憶してしまったこともあり、改版されてページ割が変更されたことに対する違和感が 大きく、結局古書で平成8年辺りの比較的状態の良い版を手に入れることになり、更にまた新潮世界文学の1巻として収められた 2段組の一巻本(1000ページ近い)も手に入れて、現在は3種類を必要に応じて使い分けている。(ただし厳密に言うと、 新潮世界文学に収められた版は文庫版よりも古く、訳文には若干の差異がある。)

「カラマーゾフの兄弟」の翻訳と言えば、数年前に出た新訳が夥しい誤訳を含むものであるのみならず、その翻訳が、放恣な想像力を 行使した奇妙な解釈を背景としたものであることが話題になったことがあった。私がその誤訳の実体を知ったのはごく最近のことなのだが、 実情を知るにつけ、マーラーを取り巻く状況との並行性を感じずにはいられなかった。誤訳を具体的に提示する作業を、莫大な労力を 惜しまずに行い、その結果をWebで公表して世に問うた方々に対して大きな敬意を抱くとともに、共感を抱いている。 私自身はあくまでも自分自身の備忘のために、マーラー文献の誤訳から始まって、伝記的事実や写真等の記録、出版譜に関するものなど、 色々な分野で不正確な情報に出逢うたびに記録してきたに過ぎず、推敲する時間すら取れないうちに次々とそうした発見があって、 結果として何時の間にやら膨大な量になってしまっただけなのだが、そうした不充分なものであっても敢えてwebで公開しているのは、 偏にプロの研究者ではない私と同じような市井の愛好家で、私と同じような関心や疑問を抱く方々にとって、少しでも同じ調査を する手間を省くために公開しているのであり、それ以上のものではない。実際には目に余る酷い翻訳もかなりあるのだが、 個別に指摘するだけの時間的な余裕もないから、個人的な見解として自分が見つけたものを報告しているに過ぎず、 遥かに不徹底な仕方ではある。それでもなお、自分にとって別格の小説であり、マーラーとも因縁浅からぬ「カラマーゾフの兄弟」を 巡ってそうした営みが為されていることを知って、それに対する支持の気持ちを表明する必要を感じ、マーラーの誕生日に因んで このように取り上げた次第である。

マーラーの音楽は必ず演奏行為によってリアライズされなくてはならず、聴き手は演奏者の解釈のフィルターを介して聴かざるをえないのに対し、 ドストエフスキーの小説はロシア語原文を読む限りは、そうした問題はない。だが、日本語に翻訳するとなれば、そこには訳者の基本的な語学力、 原作の置かれた文化的・社会的文脈についての知識、そして訳者自身の読解といった諸条件が介在することになる。一見すると言葉の壁がない分、 閾が低いかに見える音楽についても、時代と場所(文化的・社会的な「場」を含めて)の隔たりは実際には厳然としてあるのであって、 寧ろ一見透明に見える分、音楽の方が厄介かも知れない程である。それゆえ「カラマーゾフの兄弟」の誤訳を巡る論争は、今日の 日本におけるマーラー受容にとって、決して他人事とは言えない。1910年代(だからマーラーの没後間もなくの時期にあたる)の 米川正夫訳以来、数多くの訳者による翻訳の試みの蓄積を経て、利用できる情報において圧倒的に優位にあるはずの 「カラマーゾフの兄弟」の最新の翻訳と、その背景にある解釈が大きな問題を孕んでいるという事態は、メンゲルベルク、フリート、 ワルターやクレンペラーの世代から始まって、LPレコード、CDの発達もあって膨大な演奏の録音の蓄積を経ているはずの 今日のマーラー受容の姿と否応なく重なって見えてくる。それでもCDで安価に交響曲全集が入手できるようになったマーラーの場合と異なって、 「カラマーゾフの兄弟」においては、私が幸運にも最初に読んだ原卓也訳のみならず、江川卓訳(集英社)、小沼文彦訳(筑摩書房)、 池田健太郎訳(中央公論社)といった優れた訳業が存在するのだが、これらの訳を入手すること自体困難なようであり、 その一方で、問題のある新訳がブームと呼べるほどの売れ行きを示す現実にはうんざりさせされる。幸い私は上掲の翻訳については 全て手元にあって参照ができるし、その一方で、ロシア語原文、仏訳、独訳、西訳、英訳は電子テキストの形でインターネットを 介して入手できて手元にあったりする現実があり、こちらはこちらで、著作権の切れた初期の出版譜がWebで無償で入手できるようになり、 インターネットを経由して海外の古書店が在庫している文献を検索して取り寄せることができ、近年では図書館が、やはり 著作権の切れた古い文献から順次、デジタル化を進めているというマーラー周辺の事情と同じく、ネットワーク環境の変化の 恩恵を受けているわけである。

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ドストエフスキー側の研究については大した情報収集もしていないこともあり、直接マーラーに触れたものは確認できていないが、その中では ゴロソフケルが「カラマーゾフの兄弟」の第2部第5編「プロとコントラ」とカントの「純粋理性批判」の4つのアンチノミーを突き合わせる試み (木村豊房さんの訳で「ドストエフスキーとカント」という題名でみすず書房から出版されている)が興味深い。 マーラーが「純粋理性批判」を筆頭としたカントの著作に親しんでいたことや、上述のエマのワルターへの問いに関わる部分がまさに 主題的に扱われていることもあり、この研究は、マーラーの側からも注目に値するように思われる。 ゴロソフケルが「カラマーゾフの兄弟」に見出したカントの「純粋理性批判」のアンチノミーと、 解決できない問題を問わずには居られない理性の宿命、更には実践理性や構想力/想像力の問題は、まさにマーラー自身の 問題意識と重なる部分があるのみならず、ことマーラーの場合に限って言えば(というのも、本人にとっての問題が作品にそのまま 現れるのは必ずしも自明ではないし、寧ろその点でマーラーは例外に属するといっても良いかも知れないからなのだが) その音楽を通して問い続け、聴き手にも問いかけた問題と核心において通じていると思われる。今日においては カントのアンチノミーなど、それ自体がアナクロニズムであるとする向きには、恐らく、マーラーの音楽もまたアナクロニズムに違いない。 そしてアナクロニズムであっても仕方ないと私個人としては思わざるを得ない。なぜなら、その問題は別の時代、別の社会を生きる 私にとっても、未解決の問題であり続けているし、少なくとも私が生きる間には展望が一新されることはないだろうと考えているからである。 そういう意味では、私を含む現世代は未だマーラーやドストエフスキーの「エポック」の末裔なのだという認識を私は持っている。

それゆえ、「カラマーゾフの兄弟」とマーラーについては、いずれ必ず稿を改めて自分の考えを整理し、それをWebで公開すべきであると 考えている。もしかしたら、将来のある時点に、例えばカーツワイルのような論者が語る「技術的特異点」が到来し、意識の在り方が、 人間の定義が、観念と物質の関係が変わってしまうことがあるかも知れない。三輪眞弘さんが「感情礼賛」のカバーストーリーに記したように、現在が 回顧されることがあるのかも知れない。だが、それはもし到来するとしても、もう少し先の事であって、それまでは「カラマーゾフの兄弟」とマーラーが 提起した問いはなくならないし、それを各自が受け止め、自分に出来る仕方で継承していくしかないのだろう。

私がここで問いに対する導きとして考えている「カラマーゾフの兄弟」の箇所というのは、しかし、大審問官でもゾシマの説教でもない。そうではなくて、 「カラマーゾフの兄弟」という作品のまさに折り返し点、構造的な扇の要に位置している第3部第7編「アリョーシャ」(АЛЕША)の4章 「ガリラヤのカナ」(КАНА ГАЛИЛЕЙСКАЯ)の末尾の部分である。それは 《ほかの世界に接触》"соприкасаясь мирам иным"する瞬間、マーラー論の文脈で強いて対応物を求めるとするならば、 辛うじてアドルノがマーラーに関するモノグラフにおいてその一部を、Druchbruch/Suspension/Erfühllungというカテゴリーによって、 いわば間接的に言い当てたに過ぎない、或る種の時間的な構造、或る種の「極限」、更に言えば、特異点には違いないが、 いわば「奇跡」のような例外的な出来事を経ることなくして可能になるような場面である。 (私はここで「白痴」におけるムイシュキンとアリョーシャの、こうした位相における違いを突き止めようとしていると言うこともできるように思う。 それはそうした例外的な「瞬間」の時間性の差異、決定的な差異であり、それはアリョーシャにおいては不可逆で永続的なもの、少なくとも 有限の生命を持つ人間の尺度において、その後一生持続するものなのだ。)

その瞬間に起きたことを神秘として片付けずに受け止めようとするならば、鍵はその瞬間にアリョーシャの魂に響いた声が語る言葉、 《僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる》"за меня и другие просят"にあるだろう。私見では、かくの如き他者との受動的な 関わりについての分析を徹底的に掘り下げていった先蹤としてのレヴィナスの分析の行き着く果てにおいて、この言葉に、そしてこの言葉が 魂に響いた声によって語られたという事態に、「だれかがあのとき、僕の魂を訪れたのです」"Кто-то посетил мою душу в тот час"と後日 アリョーシャが語ることになった、魂を訪れる「他者」によって語られたという事態に行き当たることになる筈なのである。

だが、それはあくまで仮説的なもの、現時点ではきちんとした論証を伴わない、単なる見通しの提示に留まらざるをえない。同様にして、 それはマーラーの音楽のある瞬間の響きに裡に確かに聴き取ることができるものだが、こちらもまた、未だきちんとした説明ができない単なる 指摘に留まらざるをえない。フローロスのような内容的な指摘は勿論、ジョンソンのようなバフチン的なポリフォニーを援用した一般論な 「語り方」の議論でも不充分だし、「小説」とマーラーの交響曲のアナロジーを論じるのもまた、必要ではあっても十分ではなくて、ここで 問題になっている事態を的確に言い当てるためには恐らくは新しい語彙を鍛造するところから始めなくてはならないだろう。

ちなみにゴロソフケルは「ドストエフスキーとカント」の結びにおいて、「ドストエフスキー自身は「知性の地獄」から脱却できなかったが、 彼はそれでもアリョーシャに託して、未来に対する全人類的な期待---より正確にいえば、この期待への親近感を示そうとした。」(木下訳、 p.167)と結論づけ、まさに私が注目しているのと同じ、第7編第4章の別の箇所「本当の、、、本当の道は広く、まっすぐで、明るく、水晶のようにきらめき、 その果てに太陽があるのだ、、、」 "А дорога... дорога-то большая, прямая, светлая, хрустальная и солнце в конце ее... "を引用して、「読者はこの言葉をもって、 せめてもの慰めにするべきである。」と結んでいる。しかし、私見では、実はその結びは、仮にゴロソフケルの意見を認めてカント的な枠組みにあっては 行き止まりとしての結論であることを認めたとしても、そこが分析の終点であるということではないのであり、寧ろ、そこから分析が始まるべきなのだ。 あえて尚、カントに即して言うならば、「純粋理性批判」ではなく、「プロとコントラ」でもなく、「判断力批判」を、「ガリラヤのカナ」における 《ほかの世界に接触》を、「突破」の契機を出発点にとるべきなのではなかろうか。(そして再び、それは実は既に一度「白痴」において探求され、 作中で明確に目配せさえされたにも関わらず、結局到達できなかった事柄を、別の仕方で取り上げることに他ならないだろう。)

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翻って、例えばマーラーの音楽に纏わる様々な見解についてはどうだろうか。第9交響曲の終楽章に関連して、 非常に些細な、一見したところ取るに足らないとも見做されかねない例を幾つか挙げてみよう。例えば アドルノは第8小節の音型が第2交響曲の第4楽章である歌曲「原光」の引用であることを指摘する "Wie über Äonen kehrt das »Im Himmel Sein« aus dem Urlicht der Zweiten Symphonie zu Beginn wieder." (Taschenbuch版全集13巻, p.307)。 しかしその音型は、「原光」自体の再現において»wird leuchten (mir)«という歌詞でも歌われているのだ。 些細なことかもしれないが、もしかしたら、その些細な差異が、この楽章の時間性についての了解に関する 異なった展望を導くことはないだろうか。

更に続けてKindertotenliederの第4曲の引用についても言及するが、その一方で何故か、ずっと先に 出現する第8交響曲第2部の引用への言及はなされない。 Molto adagio subitoの指示から7小節目のヴィオラの下降音型がそれで、これは第8交響曲の第2部の 練習番号170から171にかけて、かつてグレートヒェンと呼ばれた女が歌う部分の結びの音型と同じである。 第8交響曲のこの箇所は、まさにファウストの復活が述べられる決定的な部分であり、更にこの音型には "neue Tag"という言葉があてられていることを思い起こしていただきたい。その上そもそも練習番号165番から 始まるこのグレートヒェンの歌は、楽章をまたがって、第8交響曲第1部の第2主題"Impre sperna gratia"の 「再現」なのであって、それはマーラー自身が etwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと 記していることからも明確なのである。

勿論、(アドルノもそのようなことを述べているが)第9交響曲の引用は、全て引用であって、従って回顧なのだから、 引用されている等のものとは全く異なる意味付けがされているのだということはできるかも知れない。 だがそれならば、こちらは有名で必ず言及されるといっていい、「子供たちのいる天国」を示唆するとされる、 Kindertotenlieder第4曲の末尾"Der Tag ist schön auf jenen Höh'n"の引用が 実は既に第8交響曲にも現れていること(第1部練習番号22 "firmans"のところ、 第2部練習番号79から4小節目のzurückhaltend "Die ew'ge Liebe"のところ)はどうなのか。つまるところ、 子供の死の歌の子供はまた、第8交響曲の第2部でグレートヒェンとともにファウストの復活を歌う子供達 (Selige Knaben)でもある筈なのだが、或る種のレティサンスによって、彼らだけが、ひいては第8交響曲だけが 恰も別の文脈に置かれようとしているように見える。

第8交響曲のここの部分では、この世では起きようのないこと、寧ろ起きては「ならない」と言うべきかも知れないこと、 「カラマーゾフの兄弟」第5編「プロとコントラ」の「4.反逆」(БУНТ)の章において、イワンがまさに先に引用した 言葉によって拒絶した事態が起きているのかも知れない。アリョーシャですら、イワンの「銃殺か」(расстрелять?)という問いに対して 肯定の返事をしているのだし、イワンとともに、ゲーテのファウストのこの結末を噴飯物として受け付けない人の 気持ちもわからなくもない。名作を地に引き摺り下ろすという意図から出たのではなしに、晩年のゲーテの若き日の 過失に対する悔恨をそこに見出す人もいるだろう。

だが、ゲーテのテキストそのものではなく、マーラーの音楽に端的に接したとき、第8交響曲第2部の音調が、 一見したところ対極にあるかに見えて、そのコントラストが人を戸惑わせさえする次の作品、一般には第8交響曲との間には 越えがたい深淵が拡がっていて、両者の間には端的に連続性はないかのような扱いを受けている「大地の歌」の それに通じるものがあることに気づかせる演奏解釈というのがあることを、私はある種の極限的な状況において 身をもって経験したことがあり、別のところに記録を残している。 また、3.11のために1年遅れで実現した、井上喜惟指揮するジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第9交響曲の 演奏は、一見したところ間に「大地の歌」を挟んで対極的な位置にあると見做されがちな第8交響曲と 第9交響曲が共通した世界認識に基づくものであることを示していることを印象付ける、圧倒的な説得力を 備えたものであり、その記録もまた、別のところで文章として残している。

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一方、ここでは詳述はできないし、その意味をきちんと 測ることも叶わないが、「カラマーゾフの兄弟」の作品については、ドストエフスキーの側から直接「ファウスト」第2部の 終幕に対する暗示的な参照が行われている点を、せめて指摘だけはしておきたい。ゾシマに対してPater Seraphicusと 呼びかけがなされる場面があるのだ。しかもそれは、第2部第5編「プロとコントラ」5章「大審問官」(ВЕЛИКИЙ ИНКВИЗИТОР) において、自作の詩「大審問官」の内容をアリョーシャに語り終えたイワンが、臨終の床にある ゾシマの許に急いで戻るように促す部分で、イワンの口から発せられるのである。「さ、それじゃ、お前の天使のような神父 (パーテル・セラフィクス:原訳文ではルビ)のところへ行ってやれ、だって危篤なんだろう。」(Ну иди теперь к твоему Pater Seraphicus, ведь он умирает; )そしてイワンと別れたアリョーシャはゾシマの僧庵に戻る途で、イワンの言葉を 思い浮かべてこのように自問するのだ。『《天使のような神父(パーテル・セラフィクス)》--こんな名前を兄さんはどこから 持ち出してきたのだろう、いったどこから?』アリョーシャはちらと考えた。『イワン、気の毒なイワン、今度はいつ会えるのだろう… あ、僧庵だ、助かった!そう、そうだ、長老のことか。長老さまがセラフィクス神父なのだ。あの方が僕を救ってくださる… 悪魔から永遠に!』("Pater Seraphicus" -- это имя он откуда-то взял -- откуда? промелькнуло у Алеши. Иван, бедный Иван, и когда же я теперь тебя увижу... Вот и скит, господи! Да, да, это он, это Pater Seraphicus, он спасет меня... от него и навеки!" )

イワンが何故、ゾシマのことをそう呼んだのかを 読者は突き止めなくてはならない。イヴァンはその前のアリョーシャとの対話において、あの「すべては許される」 ("всё позволено")という言葉を巡って、ゾシマの僧庵での「場違いな会合」を思い浮かべていた。ゾシマが イワンの苦悩の本質をあの場で完璧に言い当てたことにイワンは理解し、ゾシマの祝福を受け、その手に接吻した こと(第1部第2編「場違いな会合」5章「アーメン、アーメン」(БУДИ, БУДИ!)を思い出そう。そしてPater Seraphicusが、 この世を早く去った童子たち(Selige Knaben)の救い手、導き手であることをも。ここでは大急ぎで、2つの事実を述べて 後日の検討のための備えとしたい。

まずはドストエフスキーの側から。Pater Seraphicusがアッシジのフランチェスコを指していて、ゾシマがアッシジのフランチェスコに 擬されている可能性があるにせよ、ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」の創作にあたって、「ファウスト」第2部を参照した のは間違いのないことのようだ。というのも「カラマーゾフの兄弟」の創作ノートに、「ファウスト」第2部への言及があるからだ。

次いでマーラーの側から。マーラーがドストエフスキーとともにゲーテの愛読者であったことは良く知られているし、 「ファウスト」第2部もまた、「カラマーゾフの兄弟」を経由せずして、直接読んでいたことは間違いないだろう。 では、マーラーは「カラマーゾフの兄弟」における「ファウスト」への参照に気づいただろうか?証拠はないものの、 逆に「ファウスト」に親しんでいればこそ、気づかなかったということは考えにくいように思われる。ところで、ここに 些か奇妙な事実がある。一般に第8交響曲の第2部は、「ファウスト」第2部の終幕の場をそのまま音楽化したものと 考えられているが、厳密にはそうではなく、ここにも歌詞の省略がある。そして、その省略された部分こそ、まさに Pater Seraphicusが語る部分なのである。だから第8交響曲のパートには、Pater Seraphicusという役は登場 しないのである。もっとも、彼に導かれるはずの、この世を早く去った童子たち(Selige Knaben)の方は、全く 登場しないわけではなく、原文では天使達がファウストの霊を運んで空中の高いところをただよいつつ、 "Wer immer strebend sich bemüht, / Den können wir erlösen; "という重要な詩句を含む一節を歌う 部分の前にある"Hände verschlinget euch"以降の歌を、マーラーは順序を入換えて歌わせているのである。 グレートヒェンとともにファウストの復活を歌うのが、この子供達、洗礼を受けることが出来ずに命を奪われ、 カトリックの教義によれば、地獄の第一獄である辺土(リンボ)に行く運命であった筈の子供達であるのは、 上でも言及した通りである。従って、ここでは、マーラーの側のこのレティサンス、省略が何を意味しているのかが 問われるべきところなのだ。そしてそれは、創作プロセスにおける事象という事実性の水準と、作品そのものの 解釈の水準の両方で問うことができるだろう。だが、ここでは恣意的な臆測を逞しくすることは慎み、 上述の事実の指摘に留め、後日の検討を期することにしたい。

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そういうわけで、「カラマーゾフの兄弟」は、単にマーラーの愛読書であったという伝記的事実のみからは、形式的には マーラーの作品の外部に存在するものと見做さざるをえないが、恐らくはある空間においてマーラーの音楽の内部と 繋がっているような、特異な参照点であり、それゆえ一方の理解は他方に通じているように私には思われる。 それゆえ、これまで30年以上そうして来た様に、今後も引き続き、(ヴェーベルンとは異なって、)マーラー自身の勧めに従い、 ドストエフスキーと、なかんずく「カラマーゾフの兄弟」と、マーラーの音楽の両方ともに向かい合って行こうと思っている。 それによってシュペヒトに従い、初期の交響曲を見直す際の視座が得られるのかもしれないが、それだけではなく、 後期の作品もまた、どこかで通底しているのは確かなことであり、マーラーの生涯を貫く核心部分に関する視座を 得ることさえ可能であると私は考えている。そしてまた例えば、マーラーが第9交響曲に関して述べた、 一見すると謎めいた言葉、それが第4交響曲に通じるという発言の背後にある了解に近づくこともまた、 そうすることにより可能になり、ひいては第4交響曲に対して、従来のイロニーに基づく理解とは異なった 接し方をすることが可能になるような気がしてならないのである。(2013.7.7)

2013年5月18日土曜日

マーラーの音楽の「未来完了性」について

文字通りの反復を嫌うマーラーの音楽の時間性においては、再現の意味合いが変わり、再現こそが 予告されたものの実現となる。マーラーの音楽の経過には、そうした実現の瞬間が含まれるのだが、 にも関わらず決してそれが音楽が目指していた目的地という訳ではない。寧ろ、それは事後的に、 回顧的にそれとわかるものなのだ。目的論的な図式が事前にあるわけではなくて、寧ろ外部から 何かが到来することを契機に、システムが新たな準安定状態に遷移するのだ。それは新しさの経験であると 同時に、システムの自己同一性が維持される不可欠の契機でもある。マーラーの音楽の時間性は、 意識を有する高度な有機体のそれであり、マーラーの音楽は意識の背後にあって、意識に先行し、 地平を形成していわば水路づけをする無意識的な部分の活動、更には、システムにとっての外部の痕跡すら 留めている。重層的・多声的な構造を持つそれは、マーラー自身がそのように定義した通り、一つの「世界」なのだ。

マーラーの音楽はアドルノが夙に指摘しているように、常に「未来完了的」であり、開かれている。morendoないしersterbendという総譜への書き込みが マーラーにおいてはしばしば取り沙汰されるが、アレゴリーやメタファー、標題性の次元ではなく、その書き込みが 書かれた箇所で音楽的に何が生じているのかこそが問題であり、それを突き止めることによって、マーラーの音楽の 時間論的な特殊性が闡明される。マーラーの音楽という時間対象の消え去っていく有様は、その時間性の 「未来完了性」を告げている。その音楽は「外部」を指し示し、浮かび上がらせる。 究極の可能性としての「死」、それは他人事ではないが、主体にとって経験不可能な閾の彼方として追い越すことが 原理的に不可能な可能性として、だが寧ろ主体にとっては端的に一つの不可能性として、主体がその中に 予め投げ込まれている(被投性)。主体は自分の終りを自分で画定することはできないが、原理的に到達不可能な 外部として、いわば理念として想像することは可能であり、引き受け不能なその可能性を引き受けることを余儀なくされる。

複製技術が発達し、テレコミュニケーションが可能になり、コンサートホール以外の場所で、それぞれが異なる場所、 異なる時間に、マーラー自身は経験出来なかった仕方での同一のリアリゼーションの反復的聴取が可能になることによって、 同一の経験の文字通りの反復の不可能性をもたらす変様が浮き彫りにされ、自分の経験できなかった過去を 時間対象として享受しつつ、自己と対象たるマーラーの音楽との差異を、遅れを見出しつつ、自己が生成する、 それ自体は唯一の、反復不可能な出来事の過程の個別性が析出する。そのように私は形成され、私は予め 自分に先立つものとして、自分が直接出遭ったことのない他者に取り憑かれていて、自分の経験したことのない 記憶を想起し、他者の導きに従って未来を構想する。

個体としてのマーラーが同じ日付に終焉を迎えてから、既に100年以上の時間が経過した。100年後、地球の反対側に 生きる私は、マーラーその人に会うことなく、その創作の現場に立ち会うことなく、マーラーが遺した楽譜によって、 自分が経験していない生を自己の裡に再構することができる。それ以降、自分の寿命を越える期間に渉り、 地球上の様々な場所で行われたマーラーの作品の数多くの演奏に、その演奏に立ち会うことなく、録音アーカイブを 通じて接することができる。様々な文献により、その作品の受容の目も眩むばかりの多様性に接し、自分自身もまた、 マーラーに関する様々な知識や経験を記録することによって、都度、マーラー受容の文脈を更新し、地平を広げ、 深めることができる。しかもそれは孤立したモナド的主体の営みではなく、いわばシモンドンの言う横断的個体化なのだ。 或いはまた、マーラーを自ら演奏するオーケストラの活動にコミットすることで、より直接的な仕方で共時的な次元を 拡大することもできる。

マーラーが唯物論を支持し、いわゆる「霊魂の不滅」に対して否定的な意見を述べた知己に向かって述べたといわれる 「不滅性」は、マーラー自身がそのように了解していた通り、個体性の限界を超えて、いわば「客体的不滅性」として、 だが超越論的な領野においてではなく、自然主義的に経験化され、事実性の水準において、ただし或る種の極限として、 常に未来にあるものとして、その限りでもう一度理念的なものとして、このようにして実現し、絶えず実現しつつあり、 実現し続けるであろう。

時空を隔て、直接経験できない絶対的な過去、時間を超えてではなく、時間を通って、忘却なしの 直接的経験ではなく、忘却を経て想起される記憶として、否、寧ろ、絶対的な隔たりの彼方に対する追憶として、 何度目かの今日、5月18日という日付の反復により、マーラーという固有名の署名が記入された営み、活動が 未来に向けて継承されていくためには、それ自体はどんなに取るに足らない、些細なことであっても、その効果の持続に ついてどんなに頼りなく、儚げで疑わしいものと感じられたとしても、それが自分が受け取ったものの価値に対する精一杯の、 可能な応答なのであってみれば、「歓待」し、「証言」しなくてはならないのだと思う。

それは常に「未来完了」的であり、未来に向けて開かれたものであり、かつまた、未知の相手に宛てた 投壜通信でもある。投壜通信には、固有の日付が、固有の署名が為されている。自分が生きる土地に漂着した それを受け取った人は、記録された出来事の事実性を、恰も確実で疑い得ないことであるかのように思いなす。 「それはかつてあった」こととして、私の直接経験できない過去を、外部を指し示す「記号」となるのだ。

マーラーの総譜のersterbendという書き込みが告げているのは、美学的な水準での作品の内容であったり 意味であったりするのではない。 それは個体がいわば墓場に持って行ってしまい、忘却されて系統発生的には継承されない記憶、 その個体が蒙った癒しがたい傷を証言する痕跡なのだ。かくしてマーラーの音楽は目覚めて再来するもの =幽霊であり、私はその声に応答し、歓待しなくてはならない。時空を隔てて、共に行進する幽霊たちの連帯として。 それは「私の傷を見てください」と私の代わりに言ってくれる同伴者であり、私自身が蒙った傷の証人でもあるのだから。 (2013.5.18)

2013年4月28日日曜日

マーラーの音楽が私に語ること:「時の逆流」について

マーラーの音楽を聴く時、一体何が起きているのだろうか。マーラーの音楽が私に語ることは何か。

現前している楽音の内に、先行する楽音が留置されることをフッサールは第一次過去把持と呼ぶ。 かくして保持された先行する楽音の直接的記憶は次の楽音への期待を産み出す。 こちらはフッサールの内的時間意識の現象学の枠組みでは未来把持と呼ばれる。 第一次過去把持が知覚の現在の内部構造であるのに対し、想像力に属し、過去を(再)構成 するのが第二次過去把持である。第二次過去把持により所謂「記憶」の「想起」が可能になる。 ブレンターノが第一次過去把持もまた想像力によるものであるとし、第二次過去把持との区別を しなかった点にこうしてフッサールは異議申し立てをするわけだが、では本当に第一次過去把持は 想像力の産物ではないのかといえば、それはそれで単純化のしすぎであろう。実際には第二次 過去把持は第一次過去把持と「ともに」しか成立しえないし、第一次過去把持は第二次 過去把持の影響なしには成立し得ない。

そこでフッサールにおける第一次過去把持と第二次過去把持の関係を考えてみよう。 実際には程度の差はあれ、第二次過去把持は、第一次過去把持の中に常に埋め込まれた 状態でしか成立しないことに注目しよう。すなわち、過去における事象の想起において、 まずはかつて第一次的に把持された意識の現在における想起が含まれており、 把持の想起自体がかつての把持の生々しさを帯びることもありえる。その一方で、第二次 過去把持は知覚に由来するものではなく、想像力に由来するものであるが故に、 知覚に由来する現在における地平の様々な意味付与の動機付けから全く自由というわけには いかない。記憶を第一次的に把持しなおすことは原理的にできないのだ。それゆえ想起には 現在の把持に由来する変様が伴う。 一方で、第二次過去把持なくしては、睡眠や失神による意識の中断を乗り越えた流れの 同一性を確保することができないから、結局「私」を成り立たしめているのは、第二次過去把持の 働きに他ならない。

音楽を聴くというとき、直接的には第一次過去把持のレベルで音楽対象の時間の流れが 形作られる。では第二次過去把持が音楽にどのように影響するだろうか。 音楽作品の巨視的な構造、流れの脈絡の把握やこれから起きる音楽的事象への期待の 地平の構築には第二次過去把持が不可欠である。つまり今聴いている部分の受容に 極限せずに、作品の全体像を把握しながら聴こうと思えば、第二次過去把持は欠かせない。 とりわけマーラーの交響曲のような長大な作品、単一の楽章が長大であるのみならず、 複数の楽章から構成される作品、更には作品間に主題的・動機的連関のネットワークが 張り巡らされているような作品群を対象としたとき、第二次過去把持の蓄積の豊かさが 第一次過去把持における聴取の豊かさを可能にするという傾向は著しいものになる。

録音技術の登場により、全く同じ演奏を繰り返し聴くことが可能となった時、その都度の聴取の方は 同一なものではありえない。この同一物の差異の由来は先行する聴取の経験の記憶への沈殿物 (一般に「知識」と呼ばれるもの)の作用であり、あるいは都度の聴取の際の周辺の文脈の違いである。 ここでいう周辺の文脈には、自己の身体内事象や心理状態から始まって、自己を取り巻く環境の ありとあらゆる側面における差異が含まれる。ところが周囲の文脈もまたそれぞれ、過去の来歴に よって用意されたものである。(ただし、その全てが「私」にとって遡及可能なものであるわけではない。 相対性の原理により、同時に生起した事象の直接的経験が不可能であるのに対応して、 私の経験していない過去が私が属する「世界」には沈殿しており、私は私の知らない過去からの 影響を間接的なかたちであれ受けているのである。) 第二次過去把持は、第一次過去把持を選択するための基準、音楽の場合なら、音楽的対象を 構築していく条件を規定する「期待」の「地平」としての役割を果たす。だがそうした第二次過去把持の 背後にある録音技術による同一演奏の反復の可能性は、まずは事実問題として第二次過去把持の あり方に無視できない影響を及ぼしている。その点に注目したのが、スティグレールの第三次過去把持である。

スティグレールの第三次過去把持は、レコードやCDのような録音・再生技術の発達によって可能になった ものであり、意識とともに無意識をも構成する。そして同一対象の権利上無限の反復の可能性を、 単一の私に対してのみならず、我々に対して可能にする点にポイントがある。 第三次過去把持は、私的なものを超えた、私の遡行できない過去から到来したものであり、同時にそれは 「我々」を規定し、もう一度、今度は未来に向けて私的なものを超えた、私の到達できない未来への 地平を構成する。それが可能になるのは技術を媒介にしてであり、私が自分の個体としての限界を超えて 理念的なものに到達するためには技術の媒介が必要なのだ。マーラーの音楽であれば、まずは「楽譜」が そうした(スティグレールならオルトテティックな記憶技術と呼ぶであろう)媒介であり、録音された演奏の記録も また、それらの集積の結果として理念的対象としてのマーラーの音楽「そのもの」を仮構する契機となる。 更にレコードやCDのような録音・再生技術の発達により、知覚は映画的なものでしかなくなる。 メディアが可能にする時間的対象の同一の反復の経験によって、カント的主体の意識の流れ、 超越論的な枠組みへの踏みとどまりは最早不可能となり、カントにおいては超越論的枠組みで 考えられていた想像力=構想力の働きは外在化され、物象化されたとスティグレールは述べる。 それは意識の個別性を毀損する可能性を秘めている。

そもそも想像力=構想力は、カントの「純粋理性批判」の第1版において純粋悟性概念の超越論的演繹の 部分における3段階の「綜合」をになう能力(生産的構想力)として、超越論的統覚に先行する 「すべての認識、特に経験の可能性の根拠」(A118)として提示されながら、ハイデガーが「カントと形而上学の 問題」で指摘するように第2版における当該箇所の全面的な書換えによりその役割を制限され、「悟性の一つの機能」 として位置づけられることになった。

既にイエナ期の若きヘーゲルがカントの「綜合」における想像力=構想力の役割に注目し、 これを「信仰と知」において直感的知性と同一視することにより、カント自身は人間の認識の限界として、 いわば極限として無限の彼方に設定したものをあっさり踏み越えてしまう。そして このヘーゲルとカントの立ち位置のずれは「判断力批判」における「崇高」の問題でもそのまま 繰り返されることになる。

カントは「崇高」(das Erhabene)について「超感覚的」であると語っている。カントにおいては「美と崇高」が 対比され、美が感覚的なものに、崇高が超感覚的なものに対応づけられる。 カントにおいて超感覚的なものは理性の理念であり、ふさわしい表現はないが、 ふさわしい表現がないことの感覚的な表現は可能なので、心情にはたらきかけることが できると述べる(「判断力批判」第23節)。ヘーゲルは「美学講義」の「崇高の象徴論」において このカントの「崇高」論の批判的展開を試みており、そこでヘーゲルは、「崇高の表現」とは 表現に相応しい対象を見出しえぬまま無限なるものを表現する試みと言っている。 ヘーゲルの批判のポイント自体は、カントが主観の側からしか崇高を見ていないことだが、ここでも カントはもともと主観の限界を見極める「批判」を企図しており、ヘーゲルが前提にしてしまっているものは カントにとっては「人間」には到達できないものなのだ。

想像力=構想力を巡るカントの逡巡に対するハイデガーの「カントと形而上学の問題」に おける批判を、フッサールの時間論のプロセス哲学的な解釈によって引き受けることによって、 一般には「現実」として了解されている、「意味」として「現象」する「世界」の虚構性が明らかにされ、 そこにおいて想像力=構想力の役割は適切な位置づけを見出すことになる。即ちそれが既に述べたような、 「現在」としての把持を背後から規定し、意味づける「想起」を可能にするものとしての想像力= 構想力の役割である。

想像力=構想力による「想起」が「現実」をいわば仮構するものであるとして、更にそれを根拠 づける「外部」、私からは絶対的に到達できない過去があり、私が決して到達することのできない未来が あることもまた、上述の分析は明らかにしている。それはカントがそこで踏みとどまったように権利問題と しては問うことのできない領域であり、地平の更に彼方を、無限を思惟することに他ならない。それは カントが超越論的弁証論において論じた超越論的仮象、「純粋理性批判」第1版序文冒頭で 「人間的理性」の「特異な運命」と述べた問い、「現象」の手前ないし彼方についての問いである。 それはいわば起源への問いが停止した更に手前を問うことなのだが、そうした個体としての「人間」の 在り方を、個体を超えて、いわば背後から規定しているのが、世代を超えて継承される文化的なものであり、 それを支える媒体として生物学的な身体を補綴する「道具」であり、その基盤としての「技術」なのである。 「技術」は個体にとって生成の根拠である一方で、常にその個体の特異性を脅かすといった構造もまた、 「人間的理性」の「特異な運命」なのであり、マーラーの音楽はそうした運命の中で創造され、 演奏され、記録され、聴取されているのである。

マーラーをCDで繰り返し聴くことをもう一度考えてみよう。誰かのいつぞやのマーラー演奏記録 (それは一回性の出来事であるとしよう)を繰り返し聴くことは、 だが、ライブ録音と呼ばれているものも、しばしば同一プログラムの複数回の演奏を編集 することがあるし、セッション録音の場合はそもそも「演奏の一回性」自体が虚構となってしまっている。 だが、ここで問題にしたいのは演奏の地平ではなく、マーラーの作品というもう一つ手前のレベルなのだ。 CDによる記録だけでなく、コンサートホールでの実演の聴取の記憶、或いはピアノでトランスクリプションの 一部や歌曲のピアノ伴奏を弾いてみる経験といったもの、更には様々な楽曲分析や背景についての 研究等も含めたマーラーの作品にまつわる「私」の経験の総体が投影されるスクリーンに映し出される 或る種理念的な対象としてのマーラーの作品のレベルを問題にしたいのである。

マーラーの創作過程を知る者は、記譜法のシステムというのが単に出来上がった作品を記録する といった保存の水準のみならず、創作の方法自体に本質的に組み込まれていることに気づかざるを 得ない。マーラーの作曲の仕方は記譜法のシステムに根本的に依存していて、それはあらゆる 場面で登場する。記録された楽譜もまた決して完全に安定した状態にはならない。作曲家=指揮者 であったマーラーは、自分で演奏をするたびに管弦楽法に手を入れたとは良く知られているし、 後世の指揮者にも改変の権利を与えたという証言が伝わっているが、そうであれば一体どれが 「本物」なのかという問いを立てることにはあまり意味がなくなることになろう。 寧ろ、作品が享受される限りにおいて準安定状態にありつつも絶えず微少な調整を行いながらの 利用は常に行われているばかりか、そうした調整作業の継続こそが作品の受容を促進し、 絶えさせないための条件とすら言いうるのではなかろうか。

そしてそうした準安定状態の中での常に更新される受容が、私を成立させる。それは私の生成 そのものなのだ。 人間の個体的・集団的時間性(シモンドン的な意味合いにおいての)は、人間が後成的系統発生的な 存在であるが故に可能となる「幽霊性=再来性」と反復によって構成される時間性である。 全く孤立した「我」がまず発生し、その後で他者と出会うことで「我々」になるのではない。 フッサールが「デカルト的省察」の第5省察以来、膨大な間主観性についての草稿群で分析したように、 間主観性的な構造の発生の方が個体の 発生を規定するのであって、実際には我と我々は同時に一気に生成すると考えるべきなのだ。

であるとしたならば、デリダのいかんともし難い「運命」としていわば構造的に宿命づけられた「反復可能性」と コミットメントへの倫理的要請としての「反復」への誘いの「差異」を、マーラーを聴くという場面に適用してみたら どういうことになるだろうか?

他者への応答は、応答の内容が如何に否定的なものであったとしても、コミュニケーションが成立する以上、 最初に根源的な他者に対する肯定があって成立する。このいわば先行する肯定もまた、第二の肯定によって 確証され、反復されることなしには成立しえない。第二の肯定による確証の要請は、反復可能性が 構造的なものであるとするならば、それは確証を伴わない機械的な反復の可能性が常に存在するからだ。 寧ろ記号によってそうした機械的な反復が可能になるのであり、それを支えるのが技術である。 想像力に由来する第二次過去把持である想起によって、かつてあった/今は不在の対象が仮構され、 そうした仮構された想像的な媒介物がそれ自体自律した対象として予め存在していたかの如く 措定されたとき、理念的な同一性が確保される。ここまでは第二次過去把持による記憶が抽象化され、 個別性を喪失し、反復可能な「存在」として沈殿することで、ホワイトヘッド的には客体的不滅性を帯びる 過程を記述しているのだが、その沈殿物を生物学的な人間が備えている記憶媒体たる脳の中ではなく、 自分の身体の外側に、いわばそれを補綴するものとして物質的な媒体に記録したとき、第三次過去把持の 領域が開かれる。第三次過去把持によって「私」なしの反復可能性はいわば完成する。

その一方でデリダが要請する「反復」、確証を伴った第二の肯定としてのそれを先の第二次過去把持が 常に第一次過去把持の中に埋め込まれているという事態に照らして考えてみると、こちらもまた、必ずしも 能動的で主体的な選択としてではなく、現在の地平にいわば誘われるようにして変様が起きてしまうという 傾向を認めなくてはならない。反復の方が自動化される一方で、反復を損なう契機が常にあって、 積極的に反復しなければ、自動化された反復はいわば毀損したものとなってしまうということなのであろう。 だが逆に積極的な反復は、新たな地平における都度新たな「歓待」であり、そこに創造の可能性もまた 存しているのだ。理念的なものはアプリオリに与えられるものではない。それは第三次過去把持により、 私に先行して事前に存在しているかの如き現れ方をするが、理念的なものは未来に向けて、常に未完了の 状態で開かれたまま、繰り返し投射されることで準安定的な状態を維持できるのだ。創造は一回性の出来事だが、 再創造が行われなければ創造の結果は維持し得ない。

そしてそうした再創造の可能性はどこにあるのかと言えば、身体的できごとを外部の記号に 変えてしまう意識ではなく、意識下の無意識のレベルでも機能している心的機能の働きに注目すべきであろう。 主体の不在においても反復可能でなければ、それが記号として意味を持つことも、理解することも 使用することもできないという事態は、上述の意識の時間論的構造と関連しており、 意識は身体的なできごとを記号として解釈してしまう。しかし記号は現実を抽象した結果であり、その一部を 為すに過ぎないものであって、無意識のレベルでは意識が捨象してしまう様々な因果的な効果が働いている。 そして意識主体の選択には、そうした背後で働いている効果が影響せざるを得ない。第二次過去把持まで ではなく、更に第三次過去把持を考える必要があるのは、そうした意識の領野外で意識に影響を及ぼしている 対象の機能を解明するためである。それは技術的なものと無関係ではありえないが、技術的なものに 全く従属的というわけでもない。否、技術的なものによって可能になりつつ、技術的なものが含み持つ 共時化による意識の個体性の消滅に抵抗する契機として、ベイトソンが「われわれの無意識の層を伝え合う エクササイズである」という芸術の存在意義がある。芸術が、意識を持ってしまった有機体の、その意識が 己の構造上の制約の中で、それでも精神の全体を垣間見ようとする営みであるという規定を考えたとき、 「世界を構築しなければならない」と作者自らが規定するマーラーの交響曲こそが、この定義に最も相応しい ものの一つであるように私には思われる。

人間の意識の構造は可塑的なものであり、ジュリアン・ジェインズが示したように、数千年という 文明的な時間スケールにおいては、意識の様態は変化しうるし、意識が発生したり、 消滅したりということも起きえる。 理性的存在者の存在と、その同型性、構造的な一意性をア・プリオリに主張することはできない。 一方でフッサールが分析したような内的時間意識の構造もまた、少なくとも現在に至るまでの 「この」場、即ちマーラーの音楽が演奏され、聴かれるような場においては、準安定状態にあると 言って良いだろう。長大な持続を結するだけでなく、多様な時間性を内包するマーラーの音楽は まさにそうした意識構造が可能にするものであり、同時に、そうした意識構造により可能になる 世界に対する態度(認識のみならず、行動の面でも)の様態の或る種の「結晶」の如きものとして 考えられる。「世界を構築すること」というマーラーの自分の創作(直接には第3交響曲)に 対する良く知られたテーゼは、自分が作曲するのではなく、背後に居る何者かに書き取らされて いるような感覚の証言とともに、マーラーの音楽が優れてある時代と場所における意識構造と 不可分の関係にあることを告げている。

そしてそれは同時に、そうした意識固有の想像力の場、ヴァーチャリティの時空間を内包している。 そればかりではなく、第三次過去把持としての記憶技術によって、遺伝子の複製・交差によって 世代交替が起きるせいで、個体の経験が継承されることがないという制限を超えた理念的なもの へと関与することを可能にしている。そうした音楽にとって、ファウスト第2部の終幕の場はまさに 自己言及的な内容であるだろう。そこではファウストの甦生が語られ、比喩的な仕方で語られた 理念的なものの客体的不滅性が意識を超越を経て、新たな甦生に誘うという機制が 表現されている。マーラーの音楽の単なる文字通りの反復を嫌い、だが、 主題を再現させるときに、紛れもなくそれがかつて提示されたものの再現でありながら、 かつてとは最早同じではなく、非可逆的な過程を過ぎ越してしまい、もう元には戻れないと いう印象を強くもたらし、更にそのことによって、再現されることによって初めて主題が確保されたかの ような印象を与えるとともに、未だに生成の途上にあるといった様相を呈するという時間的な 構造はそうした「作り=為す」ことの衝動に見合っている。

創造は一回性の出来事であるが、反復し、常に動き続けることにより安定状態は維持されるので あり、目的論的図式から出発して錯覚されるように安定状態において動きが停止するわけではない。 エントロピーの極大の状態をではなく、エントロピーを減少させることによって準安定状態を維持し続けるためには、 系は閉鎖系ではなく開放系でなくてはならず、常に外部からエネルギーの供給を受ける必要がある。 そして系に新しさをもたらすのは、系を破壊する可能性のある偶然的なもの(ノイズ)であり、ノイズを いわば「消化する」ことによって自己組織化システムは維持されるのである。このときシステムは外部を持ち、 内部には多層的な部分構造を備え、安定化機構としての記憶を保持する必要がある。 そこでは偶然やノイズや死のプロセスが、組織化や学習の中で創造の契機となっているのである。 そしてマーラーの音楽はそうした高度な自己組織化システムである意識の構造を反映した意識の音楽なのだ。

その軌道は複雑で、簡単に記述することを拒むけれど、一例を挙げれば第3交響曲の終楽章の 練習番号26番におけるような、あるいは第8交響曲第2部の練習番号156番におけるような マーラーの音楽のあの強烈な「再現」に匹敵するものを私は他の音楽に見つけることができない。 それは単純な反復ではないのだ。

例えば第8交響曲第2部の練習番号165番の第1部の第2主題(Imple superna gratia)の再現。 主題が再現するということの持つ圧倒的な力をここまで徹底的に感じさせる瞬間というのは、なかなかない。 最早これは日常的な時間意識の裡にない、というのは確かなように思える。仮に第1部を聴かずにいた 場合であっても、私はこの作品を(楽譜によって、あるいはCDのような記録媒体の助けをかりて、何度も 繰り返し聴くことにより)記憶してしまっているので、記憶と知識によって、それを補うことができるのが、 この部分は、マーラーの決定的な主題再現がいつもそうであるように、それが単純な反復ではない 「再現」であるという徴を帯びている。或る種の時間的な感覚を呼び起す何かがあるのだ。 「かつてあった」という感覚、そこから遙かに遠くに至ったという感覚。目も眩むような 距離感が「再現」には含まれている。 マーラー自身、ここの箇所にetwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと記しているのだ。 歌詞もまた、Er ahnet kaum das frische Leben,...と、ファウストの再生を歌う。)

あるいはまたマーラーの音楽においては枚挙に暇がない、「後戻りができないポイント」の存在。またしても第8交響曲 第2部から例示すれば、まずは練習番号155番の少年合唱(Selige Knaben)の入りが挙げられる。 アドルノとは異なって、私が一瞬何が起きたかと思い、ぞっとするのはここだ。このあたりから音楽は少なくとも 私にとって未知の、未聞の領域に入っていくのを感じる。何度聴いてもそうなのだ。何か、人間が、この儚い、 有限の生命しか持たない生物が、そしてその生物に進化の悪戯によって備わった、さらに取る足らない意識が 到達することのできない場所に、自分がそのままでは見てはいけない何かに近づいている気がする。同様に、 練習番号176のマリア博士の歌唱の部分には「到達した」という非常に強い感覚を呼び起すものがある。 またしてもずっと遠くに来てしまった、そしてもう引き返すことなく、決して戻れないのだという感覚。 ちょっとした戦慄、軽い恐慌状態。

更にはアドルノがマーラーの第9交響曲について述べた未来完了的な主題提示の問題、再現と提示の問題を 考えて見ることもできるだろう。第9交響曲に限らず、マーラーが主題の再現を強調する時、実は再現こそが 真の提示であり、最初の提示はその予告に過ぎないという見方はできないだろうか。 再現の聴取において何が生じているのか。それは単なる再認ではなく、その間に横たわる時間の厚みを 通した再認の持つベクトル性の深みを感受しつつ、そこに単なる反復ではなく、冗長性という意味での 秩序に収まらない新しさを経験するという事態が生じているのではないだろうか。この事態こそまさに、 既に述べたあの、フッサールの時間論のプロセス哲学的な解釈によって引き受けることによって、 一般には「現実」として了解されている、「意味」として「現象」する「世界」の虚構性が明らかにされ、 そこにおいて想像力=構想力の役割は適切な位置づけを見出すことになる場面そのもの、 「現在」としての把持を背後から規定し、意味づける「想起」を可能にするものとしての想像力=構想力の 役割が確認できるような場面、高度な有機体における(再)創造の過程を定着させたものではなかろうか。

そしてプロセス哲学における「時の逆流」はそうした高度な有機体における(再)創造の過程の時間性を 捉えたものなのである。 プロセス哲学的な超越は創造性の否定であり、2つの生成の間を越えるだけではなく、可能的世界を事実 性によって限定することを通じて現実性から可能性への永遠的客体へと超えることでもあるとされる。 そして時の逆流とは、 「意識の生成の中で配景を形成している諸事象―当然のことながら、この中にたったいま過ぎ去った 根源的現在が含まれる―の死としての自己疎外を体験しつつ、その意味でそれらの事象の心性の滅した 未来を体験しつつ全体としては永遠の客体との関わりが不確定から確定への進む、心性の甦生への歩みである。」 (遠藤「時の逆流について」pp.39-40)

勿論、上述のプロセス哲学的な「時の逆流」は、事象連鎖を通じての対象の生成のレヴェルではなく、 実体体属性という永遠的対象に関わるレヴェルでの一事象の生成の時間を捉えようとしたものであることに 留意すべきだろう。具体的な聴経験について考えるとき、確定的な部分事象の連鎖の中での事象の生成に 基づく対象の生成を考えるならば、これは「時の逆流」が問題にしているレヴェルから見れば、いわば二次的で 派生的なレヴェルを扱っていることになる。だがその一方で、そのような二次的なレヴェルで時が恰も 逆流しているように感じられるとするならば、それはいわば幻想であって、実際には時の逆流自体を経験している わけではないにせよ、その感じの根拠を問うことはできるだろう。或る種の目的論的な発想は、それ自体が 意識がそれと気づかずに構成してしまうフィクションであるにしても、それを可能にするメカニズムが存在し、 まさにそれが意識を生じさせているのであれば、そうしたメカニズムの働きが「時の逆流」の「感じ」のいわば 原因となっているのだ。いわば自分自身を支える背後の機制を垣間見るようにして、二次的に「感じ」としての 「時の逆流」の経験が生じるのであろう。

あたかも生成する事象が、先行する過去の事象よりも、これから起きるであろう未来の事象によって 決定されるかのように思われるとき、現在の生成の創造性の源泉は過去ではなく未来にあると考えられる。 これはいわゆる目的性に従った行動の連鎖において、あたかも意図に添って事象が生じるかのような 幻想(というのは実際の出来事の系列は因果決定論を覆すものではなく、そうした意図そのものが 過去の出来事の結果に過ぎないからである)が生じるケースとは区別される。勿論、この場合でも そうした幻想が生じるのは何故かをなおも問うことはできるだろう。音楽作品のようないわゆる人工の 産物においても、結末に向かうようにいわば「仕組まれて」いる場合にそのような感覚が生じることが あるだろう。

だがそれとは異なったケースがある、それは予示されていたものが今これから実現する瞬間、 しかもその瞬間になってはじめてそれが予め可能性として示されていたことが、いわば事後的に 判明するような場合、つまるところ「新しい秩序」がもたらされたように感じられるような瞬間、 後成説的に潜在的であったものが成長して発現したかのような、不可逆的な過程が生じた ことがわかり、その時点から過去を回想したときに、その過去は最早遡及不可能なもの、 あたかも前生での出来事であるかに感じられる瞬間において感じられる「時の逆流」もある。

そうした瞬間はどんな音楽にも生じるというわけではない。それは或る種の時間的構造の下で しか生じないし、そうした時間的構造が生じるために作品が備えていなくてはならない構造的な 条件があるだろう。すなわちそれは、秩序に傾斜したあからさまな人工物ではなく、だが 自然現象の中でも物質的、無機的な構造(結晶構造のような秩序を思い浮かべれば良い)に 似たものではなく、さりとて無秩序でもない、エントロピーや情報量という尺度では単純に測れない 秩序と無秩序の中間領域にある「複雑性」の領域にある作品の場合、言い換えれば、 有機的な生命現象の模倣に近い、層的で内部構造を持ち、固有の時間を持つ複数の部分よりなる、 複雑さを備えた後成説的発達が可能な、自己組織化に類比できるような作品において感じられる場合である。

「時の逆流」が感じられるのは、そうした作品の中のある瞬間においてなのだ。それは明確な目的に 向かって進んでいくべく、隅々まで意識的に作曲しつくされた作品ではなく、寧ろ作曲する主体の 背後にあって主体の志向を定めている無意識的なものの声に従い、夢に見られるようなプロセス、 つまるところ内的時間意識を備えた主体のものではあるけれど、寧ろそれを支える背後の 自己組織化の過程によって形式そのものがその都度形作られる作品において感じ取ることができる 「時の逆流」があり、マーラーの音楽におけるそれはこちらの方なのだ。意識が決して見ることのできない 自己の起源を覗き込む瞬間、それは現在の延長としての未来把持ではない、これまた意識がそのまま 自己を滅することなく到達することが不可能かも知れない未来への超越の瞬間である。

そうした瞬間は構造的に定められるものなので、構造的な聴取を行っている限りは、それが起きることを 知っていたとして印象が薄れることはない。逆に「時の逆流」を感じ取るためには、その作品の膨大な 脈絡を記憶し、何が潜在的に用意され、何が実現可能かを(無意識的にであれ)押さえている 必要があるのだ。まさに音楽としての経過を知覚するために最低限必要な第一次過去把持の レヴェルではなく、それを背後から規定する第二次過去把持は勿論、第三次過去把持のレヴェルに 及ぶ広範な綜合作用を行うスティグレール的な意味での想像力、ベンヤミン=アドルノ風には 想起ではなく追憶、即ち想起する主観に先立つ客観についての回想が必要とされるのである。

具体的な経験のレベルに移せば、マーラーのような長大で複雑な作品を想起するための手段として 複製技術による記憶媒体による録音は有効であり、同じ録音を何度も反復する可能性、しかも 「私」だけではなく、誰に対しても同一の音楽を提示することの可能性が獲得されるが、その一方で、 常に聴取はその都度毎に一回性のものであることから逃れることはできないのである。そしてその都度の 聴取の態度は様々でありうる。ベンジャミン・リベットの実験が明らかにしたとおり、受動的な経験であると 意識が思いなす楽曲の聴取のプロセスは、実際には意識の背後における前意識的・無意識的な 活動により編集されたものであり、同一の演奏の繰り返しの聴取は、そうした編集の地平を形成し、 その地形を変化させるだろう。変化に富んだマーラーの音楽の脈絡は、一回性の受動的な聴取においても 聴き手を厭きさせることはないだろうが、その巨視的な設計や、マーラー自身の創作のプロセスにおいて 既に「書き取らされた」ものである精緻を極める動機の相互連関のネットワークや変形の技法を 把握するためには、演奏の次元においても指揮者による緻密な事前の総譜研究が欠かせないように、 聴き手も総譜を参照しつつ、繰り返して聴くことにより、自分自身にとってのマーラーの個別の作品の像を 構築していかなくてはならない。

しばしば議論の的になる、長大な経過における巨視的なシェマの知覚の 問題、例えば発展的調性の知覚の問題も、そうした反復に支えられた聴取の前では、問題設定そのものの 抽象性を露呈することになる。しかるべき事前条件下での心理学実験ならぬ現実の聴取においては、 総譜研究を通した知識すら、楽曲の把握の地平として動員されて当然であるし、絶対音感の有無は おくとしても(調性と色彩の共感覚とともに、あった方がより容易なのは明らかなことと思われし、逆に事実として それがある場合にはその効果は本人にとっては明らかなのだが)、相対的な音高を想起できるほどに 楽曲を自分の中に定着させた聴き手にしてみれば、巨視的なシェマもまた、都度の聴取にとって単なる 知識としての地平であるのみならず、身体的できごとを外部の記号に変えてしまう意識のレベルではなく、 意識下の無意識のレベルでも機能している心的機能の働きに関わるものとなるであろう。かくしてマーラーの 作品が産み出す(比喩的な意味での)「風景」は、聴き手自身の(現象学的存在論的な意味合いでの) 「世界」のそれとなり、聴き手の意識を含めた「心」の構造そのものを構成する素材となるのだ。

それゆえ常に聴き手は新たな聴き方をすることによって、理念的で 無時間的に凝固した作品を都度新たに(再)賦活しつつ、応答しなくてはならないという要請が生じる。 ここで注意すべきは、そうして再創造されるのは作品だけではなく、そのようにして「私」の側もまた 再創造されるのだということである。私が事前に存在して、作品を待ち受けるのではない。作品を 受け取りつつ、同時に私もまた都度生成するのである。そしてそうした記憶媒体の助けをかりることに よって、マーラーの音楽は私固有の身体そのものになる。私の頭の中でそれは物質的な音響を経ずに鳴り響く までに至る。それは私の経験しなかった過去の風景であり、私の中に住まう他者、私をも「作り=為す」 ことにいざなうべく語りかけるのである。(2013.4.28, 29, 5.1,3,12,21)

2013年4月23日火曜日

音楽が未来を予言する?

人はとかく音楽を未来を予言する書物に比し、作曲家を未来の預言者に仕立て上げたがるかのようだ。 さながらマーラーの音楽の場合なら、西欧の近代的な文化の没落を予見していた、みたいな ことがまことしやかに主張されることになる。 更には、例えばことばに比べて音というのはそれが何かは定かではないながらもある種の空気を察知する面が あるということを根拠に音楽が他の媒体に比べたとき、優れて予言に適した媒体ではないのかという 問いが為されることがある。

だがいわゆる表現媒体の違い、意味作用や享受者への働きかけ、創作のプロセスの違いによって 「時代を予見する」という点について音楽が特権的な地位を占めているというようには思えない。 個別の作品を創作する行為はあらゆる人間の活動を包含するような 意味合いでの「世界」において時間的・空間的な特定の座標において行われる ものだから、そうした文脈の側からの影響に対して無縁ではありえない。 それは創作者の立場(時代に意識的にコミットしようとするのか、超然とした 或る種の普遍性を希求するのが、そもそもそうした立場の決定自体に無頓着 なのか)とは独立に言えることだろう。文脈というのは、同じジャンルの 先行作、同時代の作品から始まって、社会的・経済的・政治的なものも含まれうる。

ところで「予見性」についての評価は事後的なものにならざるを得ないが、だとしたら幾らでも 後付の理屈がつけられてしまうのは避け難い。 けれども、そもそも時間的にいって後に起きることを字義通りに予見する というのは恐らくどのジャンルでもありえないだろうから、まずは同時代の 空気をどの程度反映しているか、更にはその空気が後続する時代との ある種の連続性を帯びたものであるのか、といった点が議論になるというのが 実態なのではないか。

実際には人間の活動は、どんなものでもある種の目的論的な図式が後から 適用できるような、いわば過去に基づき、未来に向けて現在のあり方を (受動的な場合も含め)選択していくという側面を持つ。 そしてそれは作品としての文化的な「遺産」の蓄積、書籍他の記録媒体、 文字や楽譜のような記録のための手段といったものがいわば「前提」と なって、その上で可能になっていると考えられる。(両者は独立ではない。) 従って、文化的な活動が優れた意味で何らかの「未来」をめがけたもので あるということは、程度の差はあれ(仮に創作者本人はひたすら過去を向き、 時流に反したアナクロニズムを実践していると自己了解している場合も含めて) 言いうるのではと思われるが、その一方で、こうした機制は非常に一般的な ものだと思われるので、個別のジャンルには依らないだろう。

勿論だからといって ジャンルによる違いがないことにはならないが、個別と一般のどこに区切りを入れるのが 適当かについての基準を仮にであれ設定するのは如何にして可能だろうか。 それ自体が歴史的・文化的な事後的な或る種の解釈を前提とした、いわば先行的 解釈を孕んでしまうのは避け難い。そもそも「音楽」にしても決してその内実は一義的ではなく、 マーラーの音楽をもって音楽一般を語ることが出来ないことは当然だが、では「音楽」一般を 語らなければマーラーの場合について語ることができないかといえば、そういうわけでもなかろう。 だからここではジャンルへの依存といった水準の議論はひとまずおいて、マーラーの場合 という個別のケースについて見ていくことにしたい。それによって明らかになるのは、 音楽が未来を予言するといった発想自体がある種の錯視の上に成立している有様ということになるだろう。

ある人が音楽を未来を予言する書物に比し、作曲家を未来の預言者に仕立て上げようと企図するとき、 実はその人は彼自身がその未来に住まっていて、いわば事後的に同時代者を過去に 見つけようとしているに過ぎない。勿論、作曲者自身が預言者を気取り、自己の音楽の進歩性を、前衛性を 自ら唱導することもあろうし、作曲者の同時代人が彼の音楽にいわば「新しい道」を見出し、その先に未来を 思い描くことの方もまた、ありふれた光景には違いない。そして未来に居る人の審判を待つこともなく、確かなものに 思われた多くの道が実は作曲者とともに瞬く間に消滅することもまた、ありふれた事態であり、未来に居る人間は、 そんな道があったことすら忘れてしまって、少なくとも出発点においては、偶々自分の時代にまで延びている 道のみを頼りに過去への遡行を始めることになるのであってみれば、残った音楽の裡に、自分の時代に繋がる 何かを事後的に発見するのは、寧ろ約束されたことなのかも知れない。だが、それが進化を支配する淘汰の原理を 目的論的に解釈してしまう錯誤と異なるものであることの方もまた、ほぼ確実なことだろう。けれども注意しなくては ならないのは、もしかしたら文化的な領域というのは、そもそもがそうした過誤と不可分で、そうした過誤を惹き起こす 構造にいわば基礎付けられているかも知れないという点であろう。それが優れて「人間」の営みである由縁こそ、 そうした「目的論的図式」を支える時間性に存するからである。

それにしてもマーラーの場合は極端であったということはできるのではないか?クルト・ブラウコップフのあまりに 有名なマーラーの評伝は「未来の同時代者」という副題を持っていた。それ以外にもマーラーを未来の預言者に 見立てるキャッチフレーズは枚挙に暇がないだろう。バーンスタインは「彼の時代はやってきた」と題する文章を書き、 その冒頭を「マーラーの時代はやってきたのだろうか?」という問いで始めている。クーベリックはより端的に、 「マーラーの時代は来た。」と冒頭で宣言する。ブーレーズは「マーラーは今日的か?」という問いをタイトルに 掲げる文章を書き、その末尾で「音楽の未来についての今日的な反省にとって欠くことのできない存在」として マーラーを位置づけて文章を結んでいる。いわゆる流行現象を事後的に確認するというよりは、そうした身ぶりを 装って、実は対象としている流行現象の一部を為しているに過ぎない類の広告紛いのコピーや、そうした流行に 対して一見距離を装って、既に四半世紀も前から判りきった認識を今更のように唱導してみせることで、実際には そうした流行の後追いをしているに過ぎないような論説の類はおくとしても、マーラーの音楽が未来を予言する ような類のものであるというのは、広く共有された認識であるかのようだ。

予言という言葉の持つ或る種のいかがわしさには、予言の「内容」というのが、とりわけてもそれが現時点において 未来の事象を扱うものである場合、はなはだ曖昧で、事後的にその内容を評価しようとした時に、どのようにでも とれるようなレトリックが潜ませてあることが多いことに由来する側面があるだろう。だが、事後的な後追いの理屈の 場合ですら、多くの場合には流行現象を説明するべく、或る種の時代の雰囲気の如き、甚だ曖昧なものが 予めその音楽に表現されているといった類のものが多い。より具体的なものでは、恐らくはアルマの第6交響曲に纏わる 回想がいわば連想の起点となって、その音楽が象徴するものというより寧ろ解釈者がその音楽に象徴させたがっている ものをかわるがわるにあてがうことが繰り返し行われている。内容は家族やマーラー自身に起きた不幸といった私的な ものから、広島・長崎への原爆投下に至るまで様々で、不毛な「標題音楽」についての議論はおいて、それ自体は 紛れもないマーラーの音楽の音楽外のものへと関わろうとする志向がそうした解釈を呼び寄せていることは確かなことに見える。

何よりも生誕100年以降今日までのマーラー受容に決定的な役割を果たしたことについては議論の余地のない、 アドルノのマーラー論は音楽社会学的な視点を備えた内容であったし、既に触れたマーラー評伝の著者である クルト・ブラウコプフもまた音楽社会学者であり、下ってマーラー事典を編んだアルフォンス・ジルバーマンもまた然りで、 アドルノの視点が一般的な了解における音楽社会学の枠組みを逸脱するものであるとはいえ、単純な反映理論では ないにせよ、音楽作品が窓のないモナドのように時代を反映させるという発想に基づいてその音楽の観相学を 試みるという志向自体、音楽作品がそれを生み出した時代と無関係でありえないという了解に基づいたもので あるのを考えれば、マーラーの音楽自体にそうした解釈を誘う傾向があるのではと考えるのはごく自然な発想であろう。 勿論、そうした事態は別にマーラーの場合にのみ生じている訳ではなく、それは他の音楽についても言えることである という反論が一方では想定され、他方では、そこで問題になっているのは専ら音楽作品の(アドルノ的な意味での) 「素材」の音楽作品への影響であり、成立した音楽作品の持つ影響であったり社会的な機能ではないという 反論もまた可能だろうが、そうした反論を一旦認めてなお、マーラーの音楽に顕著な何らかの傾向が、 マーラーの音楽を「予言的」たらしめているということは言いうるであろう。

その一方で、狭義での音楽の歴史の展望の下においてもまた、マーラーと新ウィーン楽派とのある種特権的な 関係をもって、マーラーの音楽に次の世代の音楽の予兆を読み取ろうとする傾向が存在する。音楽そのものにとっては外的な 人的な交流の水準のみならず、マーラー自身の音楽の発展史を俯瞰してみれば、その中期以降の作品に新ウィーン楽派を 準備する要素を見出すことはそんなに難しいことではないだろう。そしてその影響の範囲は新ウィーン楽派に留まる わけではなく、新ウィーン楽派に由来するセリエルな発想に対する代替として出てきたコラージュ的な作曲法、 層的な作曲法、空間性の重視、音色の多様性や調律されていない雑音的な音響の組合せなど、マーラーとの影響 関係が議論される手法は少なくない。これまた後付けの理屈ではあるけれど、そうした作曲法のいわば先駆として マーラーを発見することは、そのままマーラーの音楽の「未来性」の証言であるという認識に繋がっていく。

マーラーの音楽そのものの時間性の方はと言えば、それは目的論的な構造を持っているが、外から与えられた(ということは 既に使い古された、ということでもあるが)図式が無批判に利用されることはなく、唯名論的にその都度形式が吟味され、 時には破綻が生じたようにも見え、時にはそれが或る種の別の構造へと作り変えられるといったことが生じる。 だが、目的論的な構図がなければそれらはそもそも機能しない。そして目的論的な構図というのは、少なくともマーラーの時代以降、 21世紀の現在に至るまで、マーラーが聴かれるような文化的・社会的な空間における存在論的な基本構造である。 ジュリアン・ジェインズが構想したような意識の考古学のような射程においては、それは必ずしもある時代の反映ではなく、 もっと長期的な(ただしそれが地球上の人間の在り方として多数派であるというのは、単なる思い込みである可能性が 高いことは念頭においておいた方がいいだろう)存在論的な「時代」を通じて見られる一般的な構造であるだろうが。 だが、ある時期以降、マーラーははっきりとアナクロニスムになった可能性もまた考えてみるべきだろう。確かにある文化に属する あるジャンルの中の展望としては、それはこの半世紀、流行現象と言って良いほどの受容がなされたのは確かだろう。 だが、その外部の広がりの大きさを考え、更にそれがマーラーの時代以降、だんだんと大きくなり、ますます大きくなっていくで あろうことを思えば、マーラーの音楽を聴くこと自体が最早時代にそぐわない、アナクロニックな行為と見做されるのではないか。 確かにいわゆるコンサートのレパートリーとしてはある時期以降、あくまでも相対的に順位を上げ、演奏頻度が上がってきている のは確かだが、それが今日演奏されるの意義が、マーラーの生前、例えば1910年の第8交響曲の初演の持つ意義と 比べて、あるいはまた、第二次世界大戦後のウィーンで再びマーラーの作品が鳴り響いた折の意義と比べて、その頻度と アクセスのし易さに応じて大きくなったとはいえないのではなかろうか。そもそも自分は何故マーラーの音楽を聴くのか? もしかしたらそれは、今や絶滅に危機に瀕しているかも知れない存在の様態を擁護し、その意義を信じて投壜通信を 行うためではないのか?

勿論、マーラーの音楽が聴かれなくなる未来というのを想定することはできるだろう。否、同じ時代に生きていながら、 マーラーの音楽とは無関係に生きている人間の方が圧倒的に多いことを考えれば、マーラーの音楽が聴かれる場というのは、 常に既に極めて限定されたものであったし、今でもそうだし、恐らく将来もそうであるに違いない。ジュリアン・ジェインズの二院制の心に おける意識の考古学が告げるように、マーラーの音楽は、過去のある時期より遡っては存在しえなかっただろうし、未来のある時点、 ポスト・ヒューマンの時代には、マーラーの音楽は既に絶えて久しい、かつて「人間」と自己規定した存在の在り方を証言する 考古学的な遺物となる可能性だってあるだろう。だがその時には、そもそも音楽自体が今のままではありえないのではなかろうか。 例えば三輪眞弘さんが「感情礼賛」で仮構したような事態を思い浮かべてみれば良い。そこでは「音楽を一人きりで聴く」という こと自体が最早不可能であるに違いないのだ。そしてその時は、同時にマーラーの音楽は最早如何なる意味においても 「未来」とは関わりのない、化石のような記録に過ぎないものとなるだろう。だが、その時にはこの私は、マーラーの音楽よりも更に 儚く堆積の下に埋もれ、かつてあった痕跡すら喪われ、端的に無に帰しているに違いない。マーラーの音楽なき未来は、だから 私にとっては端的に存在しない。私よりもマーラーの音楽の方が永続的なのだ。してみれば、マーラーの音楽は、こと私に限って言えば、 常に未来に在るといってもいいのかも知れない。ただしそれは、マーラーの音楽が、かつて未来であった今日を予言していたという意味合いでは 全くない。寧ろマーラーの音楽は、その個別の作品の時間性の裡においてそれ自身の未来を(仮にある時には幻滅の下、断念されたものとして であったとしても)志向するのだ。(2013.4.23,27)

音の身ぶりの変形とモンタージュ:マーラーから見たシューマンについて

マーラーがシューマンの交響曲のオーケストレーションに手を入れたことは今日では良く知られていて、その楽譜をリアライズした演奏の CDすら存在するのもまた、マーラーに親しんでいる人であれば周知のことであろう。マーラーの研究が進んだ今日では、マーラーの 発想を知るためのよすがとして、自作よりも寧ろ他人の作品の編曲を調べるといったアプローチが取られることもしばしばで、 シューマンの管弦楽法の手直しは、恰好の資料を提供していることになるのだろう。いわばそれはマーラーをより良く知るための或る種の 迂回路の如きものというわけだ。

翻ってシューマンの側から見た時に、マーラーの手直しはシューマンのオリジナリティを損なう余計な作業ということになるのかも知れない。 皮肉なことにこちら側からの風景でも、そこに見出されるのはシューマンよりはマーラー自身の姿のようなのだ。だが、人によってはそこに マーラーがシューマンの交響曲をある意味で(ベートーヴェンと並んで)特別扱いする思い入れのようなものを見出し、マーラー化された シューマンではなく、シューマンをいわば自分の原点の一つとして、いわばシューマン的なものを継承しようとするマーラーを見出すことも 可能ではなかろうか。

更に言えば、シューマンの作品の中での交響曲の位置づけの方も微妙であって、コンサートのレパートリーとして定着し、新しい録音も 絶え間なくリリースされるとはいうものの、やはり本領は初期のピアノ曲にあるという見方は根強いものがある。形式上の独自性という点でも、 初期のピアノ曲の方のそれの無比の独創性をまずは評価すべきなのは論を俟たないだろう。それ比べれば交響曲は或る種の退行である と見做されたり、そうではなくてもこちらは形式的に難ありとして留保がつくこともあれば、自分に向かない方向に向かう自滅的なプロセスを 辿ったサンプルとして否定的な評価をされることもあるようだ。実際にはシューマンの交響曲にも形式上の独創を見出す見解もないではなく、 実は個人的には寧ろそうした見解に共感することが多いのだが、シューマン自身がそこに「新しい道」を見出したブラームスの交響曲の評価と 比べれば、シューマンの交響曲の評価は毀誉褒貶相半ばするといったところだろう。ピアノ作品の独創性が顕揚されるあまり、シューマンは シンフォニックな発想を得意をしなかったかのような評価が為されることもめずらしくない。

ところでその形式についての評価が毀誉褒貶相半ばするという点では、マーラーもある意味では同じという見方も出来るだろう。 特にマーラーの交響曲を成立順に眺めていったときに、特に後期の作品の形式は旧来の図式論ではいわば出発点をしか言い当てる ことができない程、形式原理の換骨奪胎が進んでおり、従来とは異なりつつも、その後の音楽が放棄してしまったかに見える大規模な作品を 構成する原理を見出すことに成功しているように見える。巨視的な形式に関するカテゴリとしては、アドルノはそのマーラー論において示した 3つないし4つのカテゴリーが著名だろう。

一方でいわば微視的な構成の原理としてアドルノが指摘するのが、変奏ならぬ変形(ヴァリアンテ)の技法であるのだが、例えば第4交響曲 第1楽章の分析を追っていると、それが道化師の鈴で始まる作品であることも相俟ってか、どことなく、シューマンの作品における音の身ぶりの 変形とモンタージュという構成原理のことを思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。

勿論、巨視的な構成原理もそうだし、それ以外のトピックでも、リゲティ等が指摘するコラージュ性や複数の時間の流れは一見したところ シューマンの音楽の性格とは異なったものに見えるが、フモールやイロニーの存在や或る種のカーニヴァル性、更には音響的な実現の仕方は異なるとは いいながら、発想としては類縁のものを感じさせる空間性に対する意識というように、直接的な影響ではなくても、その志向においてマーラーが シューマンと共通する部分は少なくないように感じられる。「遠くから」という指示は、マーラーの場合には実際に舞台裏や舞台から離れた高いところで 演奏する指示であり、コンサートホールにおける音響の効果を狙ったものである、というのが一般的な了解だろう。だが、マーラーの場合においても それはリアルな音響空間のそれであると同時に理念的な空間性への意識とも無関係ではありえない。第6交響曲のカウベルや低音の鐘のように、 マーラー自身も警戒して述べているが如く、一見すると標題音楽的な描写的なものと受け取られがちな指示は、寧ろ音楽自体が切り開く ヴァーチャルな空間の質に対する形容なのである。一方のシューマンの場合の「遠くから」は、それがピアノ曲の楽譜に書き込まれているからには、 或る種の発想指示と捉えられるのが普通であり、こちらは実際の奏法上の具体的な対応物を持つわけではなく、けれどもやはり音楽が自ら 産み出し、その中で展開される空間の質に対する指示なのであって、超越性なり彼方への一般的にはロマン主義的という言葉で一くくりに されるであろう共通の志向を見てとることは寧ろ自然なことにすら感じられる。否、冒頭で言及したシューマンの交響曲へのマーラーの改訂作業は、 まずは演奏現場での解釈者としての作業であるという点を忘れるわけにはいかないにせよ、そうした点での共感に基づいたもののように思われる。 (一例だけ挙げれば「ライン」交響曲第1楽章に出現するホルンのシグナルは、明らかに空間的な質を担ったものだが、その質を確保すべく、 マーラーは、自作で行うようなゲシュトップフ奏法を指定している。実現される音響はこれはシューマン的というよりはあからさまにマーラー自身の ものに近づくこの改変は、見方を変えればマーラーがシューマンの音楽に、自分の音楽に通じる質を見出していたが故のものであると私は思われる。)

いや、そもそももっと状況証拠的なところでの接点なら幾らでもあると指摘する人もいるかも知れない。ジャン・パウルやホフマンへの傾倒、 子供の魔法の角笛や、リュッケルトといった詩人への嗜好、ヘルダーリンに対する高い評価、更にはゲーテに対する傾倒(「ファウスト」の 終幕に音楽をつけたという点でも両者は共通点を有する)というように、文学的嗜好の面での共通性は小さくない。更には音楽外的な 伝記的な出来事が音楽を語るときに絶え間なく進入する点でも共通しているといえるかも知れない。

だがここではもう一度、音楽そのものの構成原理に立ち返って、音の身ぶりの変形とモンタージュというシューマンにおける主要原理と マーラーのそれ、そして交響曲の形式原理に関して、シューマンを通してマーラーを眺めることを追求してみたいような気がする。 一般にはマーラーはワグナー派に分類されているし、交響曲においてもブルックナーと対にして語られることが多く、(パウル・ベッカーの 分類によれば)オーストリア的な交響曲の流れとしてシューベルトの系譜に位置づけられることはあっても、シューマンと比較して 論じられることはほとんどないと言って良い。そして勿論、一見して明らかな違いを等閑視しようというわけではないのだが、 にも関わらず、全く恣意的な比較に留まるわけでもないのではないかというように思えてならないのである。(2013.4.23,27)

音楽を一人きりで聴くこと:マーラーの場合

アンソニー・ストー「音楽する精神」(原題:"Music and the Mind", 1992)には、「音楽を一人きりで聴くこと」と 題された章がある。音楽を一人きりで聴くというのは、音楽の聴取の側面における様態を問題にしているのであって、 なかんずく対比されているのは、音楽を誰か「とともに」聴くことであろう。後者の様態の例としてすぐに思い浮かぶのは 例えばコンサートホールにおける聴取だろう。今日の一般的なコンサートのあり方においては、自分の住まいからは 離れた場所にある専用のコンサートホールで、決められた日時に、決められた演奏者が決められた曲目を演奏するのを、 複数の人間がその場を訪れて聴くことになっている。理由はさておき事実として演奏会場では、その演奏会を聴くという 目的を同じくすること以外にはほとんどの場合接点のない、見ず知らずの数多くの人間とともに演奏を聴くことになるわけだ。 予め定められた(プログラムされた)曲目・演奏家の演奏を同時に不特定多数が同じ場所で聴くという点で、複数の 意識の時間的・空間的な同期が生じているわけである。移動するための公共輸送機関の利用といった間接的な側面は 無視できないかも知れないし、演奏会場を支える電気や上下水道といったインフラの存在を閑却することもできないが、 聴取の現場では、アコースティックな楽器の発する音響を直接自分の耳で聴くという昔ながらの状況が辛うじて 保持されているとは言いうるだろう。

一方で、例えばラジオ放送を介して音楽を聴くときはどうだろうか。予め定められた(プログラムされた)曲目・演奏家 の演奏を同時に不特定多数が聴く点までは同じだが、「同じ場所で」という側面が脱落していることがわかる。更に演奏が録音された 記録媒体の再生装置による再生によって音楽を聴く場合は、「同時に」という側面すら脱落してしまう。と同時に、演奏が、 翻って演奏の聴取が備えていたはずの「1回性」という特性すら失われてしまう。勿論聴取そのものは都度異なったもので ありうるだろうが、「再生」される音楽は「同じもの」の「再生」であり、同一のプログラムを何度か演奏するのに立ち会うのとは 根本的に異なった事態が生じていることは否めない。

音楽を一人きりで聴くことの方を考えてみると、厳密には誰かの生演奏の聴き手が私一人であるといったケースを考えれば、 メディアの介在なしには絶対に成立しえない訳ではないように見える。だがしかし、ストーの言う音楽を一人きりで聴くことには、 演奏者が場所と時間を同じくしないという条件が含意されているのである。人は音楽を一人きりで聴くとき、そこには 再生装置こそあれ、他者は不在なのである。更に言えば再生装置というのは、演奏家のような存在とは異なって、いわば その存在の対象的性格が希薄な存在、ハイデガーの道具的存在であり、更には或る種の透明性を帯びているのは メディア(媒体)という規定が端的に示すとおりである。人は自分の目前に演奏者(達)を想像することができるだろうが、 それはメディアが生み出す虚像に過ぎない。そしてその行き着く果ては、演奏者(達)も消えてしまい、端的にそこに音が 鳴り響いている場に一人で立ち会っている、という構図であり、恐らくはストーが言い当てたかった事態もまた、この 最後のケースであろうと思われる。それは従って、メディアによって可能になった聴取であり、メディアなしでは成立しえない タイプの聴取のあり方なのだ。

このとき「音楽を一人きりで聴く」私は、端的に「音楽」に対面することになる、と言えるだろう。勿論人はそれを誰が演奏したかを知っている。同じ演奏を何度も繰り返し聞くことや、いろいろな演奏を何度でも聞き比べることが できることによって、一度きりの演奏に立ち会うことでは困難な演奏解釈についての反省的な把握というのも、 メディアの介在によって可能になった聴取のあり方の一つであろう。他方で人は、誰が演奏したかを知らずにある作品に 端的に接することも可能だし、演奏者を意識することなく作品そのものを聴くといった姿勢をとることが少なくとも 可能にはなっている。あたかも作曲家との「個人的な」対話が成り立っているかの如き感覚に捉われることも不可能では なかろう。音楽がある種の情動を伴いつつ、具体的な風景や光の調子、空気感や色彩感といったものを聴き手に伝達する ものであるとするならば、「音楽を一人きりで聴く」時、聴き手は寧ろ端的にそうした音楽が浮かび上がらせる想像上の 風景の中に居るのであって、決してコンサートホールに居るのではない。逆にコンサートホールでの聴取においても コンサートホールに居ることをしばし忘れて音楽に聴き入り、音楽が描き出す想像上の空間の中に身を置くような 聴き方だって可能であろう。だがその時、演奏者とのコミュニケーションはどうなるのであろうか。そもそも音楽に没入し、 演奏者をいわば「消去」してしまった聴き手は演奏が終わった後、拍手をするだろうか。

コンサートホールに おける際立って感動的な経験は、演奏者と聴き手との間の或る種の交感による一体感がもたらすものだ。 コンサートホールでの聴取は実際には単なる聴覚に限定された経験ではない。演奏を視るという視覚的な 側面も重要だし、演奏者が演奏する楽器から直接伝わる空気の振動を感じ取るといった側面も際立って 強い作用を聴き手にもたらすだろう。 他方において今日のコンサートホールでの演奏においてすら、演奏は超越的な何物かに対する奉納でありえるし、 聴き手も含めての礼拝たりうる。勿論、代替物は他にも幾らでもあるし、そうした集合的な熱狂、共同体的な 一体性の経験が危険と隣り合わせであることもまた確かなのだが。ましてやマーラーの場合には、 そうしたことが作曲者の企図でもあったらしい第8交響曲以外の作品においても、演奏の場は孤独ではありえない。 指揮者の存在はあるが、オーケストラは集団的なものであり、ピアノ・ソロのリサイタルのような個人の 声に満場の聴衆が聞き入るといった事態からも程遠い。

コンサートホールで指揮を「視る」とき、解釈している指揮者が現前していて、 解釈が提示されているのであって、作曲者が現前している のではない。あたかもマーラー自身が語っているかのように、あたかもマーラーの声を聴くかの ように、あたかもそこでマーラー(の幽霊)と対話するかのように音楽を聴こうとするとき、 人は、自ら奏者になるか、あるいは演奏という媒介を括弧入れする操作をしなくてはならない。 前者の場合には、楽譜が作曲者の代補となり、後者の場合には録音技術による演奏を記録 した物理的媒体、即ちレコードやCDといったもの、本来は演奏の代補であるはずのものが、 或る種のショートカットによってあたかも作曲者の代補であるかのような思いなしが可能となる。

いずれにせよ確実なことは、投壜通信の媒体としての楽譜・レコード・CD等を介して、一人で自宅で マーラーの作品を聴くような聴取の在り方は、恐らくはマーラーの同時代には想像もつかない、想定外の ものであっただろうということだ。好きなときに、好きなだけ、何度でも聴くことが可能で、実演の経験では 到底不可能な様々な解釈の比較も可能だ。じきに音楽を楽譜もなしに思い浮かべることも可能になるだろう。 そして不完全で薄れがちな記憶の頼りなさは、何度でも繰り返し再生可能な記録媒体によって都度修復し、 記憶の中に「作品そのもの」を構成することをさえ可能にするかに見える。マーラーの音楽はLPレコードの普及の 恩恵を最も受けた代表的な存在であるという言われ方が何度となくされてきたが、マーラーの音楽のような長大で 複雑な作品の場合、場所を選ばずに何度も聴けること、場合によっては自分が聴きたい部分のみの部分的な 聴取すら可能にすることだけでも、その作品の受容にとっての寄与は大きなものであっただろう。

あたかも 演奏の個別性・恣意性をフィルターして、「作品そのもの」に辿り着けるかの如き錯覚が生じ、ことマーラーの場合なら、 マーラー自身(の幽霊)と直接対話しているかの如き錯覚が生じるのだが、例えばそれはスコア・リーディングによって 音楽を構成していく作業でも生じうるという点で、同じくスティグレールの第三次過去把持の水準にあるもので ありながら、仮構の具体的な在り方は異なって、鳴り響くであろう音を自ら想像するのではなく、 既にその場に響く音を受容するという仕方でまず大きく異なる。そこでは端的に音楽が「彼方」から私を 目がけて到来する。コンサートの経験というイヴェントにおいて演奏という媒介の働きを共時的に体験するのと 異なった、無媒介な音楽自体との遭遇が可能であるかの如き錯覚が成立する。CD等の記憶媒体を介しつつ、 こうして記憶され内面化されるうちに媒体の外部性は忘却され、恰も音楽が自分の内側で鳴り響き、 自分の奥底から響いてくるようになっていく。勿論、マーラーの音楽が鳴り響く仮想の空間の広がりは確保 されるのだが、それは現実の空間ではない、内面に穿たれた想像上の可能世界の中に響きわたることで実際には 仮想的なものであれ、空間そのものを構成するのである。これはマーラー自身の言った「一つの世界を構築すること」の実現ではないのか? 一匹の生物のちっぽけな脳の中での出来事、それ自体は個体の死によって無に帰してしまう、世代を超えて継承されることないエフェメールな出来事に 過ぎず、世代を超えた連続性は、実はそれを事前に可能にしていたCDや楽譜といった媒体によって 保証されているのだが、マーラーの音楽が頭の中に鳴り響く瞬間、そこにはその生物の生涯の持続を超えた 時間的な広がりが可能となり、物理的な制約を超えた空間的な広がりの展望とその中での自由な時空間の (仮想的な想像上の)移動が可能になるのだ。

その一方で、そうした「私的」な聴取とまさに呼応するかのように、「私的」な交響曲という逆説が存在する。 古典派までの交響曲は明らかにそうではなかったし、時代を下って例えばソヴィエトで生きたショスタコーヴィチの 場合もまた、別の意味合いで交響曲には公的な性格がいわば強制されたのだが、マーラーのそれについて言えば、 交響曲という形態が、例えばコンチェルトのような「パフォーマンス性」を持たず、歌劇やバレエのための音楽のように 音楽外的なものと関連するわけでもなく、宗教音楽のような儀礼のための機会音楽でもないというその抽象性によって、 作曲家の最も私的な領域に通じ、いわば個人としての作曲者にとって自由に筆を揮うことのできるキャンバスの ようなものであることが、聴き手の側の聴取の「私性」と呼応しているかのようだ。協奏曲や室内楽が、歌曲や場合によっては 歌劇すらも、特定の奏者が演奏することを想定して作曲されることがしばしばあるのに対し、ロマン派の交響曲の作曲は 無益な営みといった趣があり、それがゆえに生前は第一義的には有名な指揮者、楽長であったマーラーの場合であれば、 歌劇場監督の余技の類、道楽だと揶揄されもすることに繋がる。その一方で、その作品はバロックや古典期の作品が そうであったように、或いは今日なおそうした目的で大量の作品が生産され、消費されているのだが、大量に生産し、 一度だけ消費されれば使い捨て、といった消費のされ方を自ら拒絶する志向を備えているに違いない。勿論、繰り返し 演奏されるか、とりわけても作曲者の没後に繰り返し演奏され、録音され、レパートリーとして、あるいはカタログの上に 定着して残っていくのは莫大な作品の中のほんの一部に過ぎないのだが、マーラーの音楽が、そうなることを期待して 作曲され、そして実際に未来に生き延びたことは確かなことだろう。

そもそもマーラーの交響曲は「私的」な心境の表白ではなく、マーラー自身が言ったように一つの世界を構築することであり、 発想的にもポリフォニックな傾向を本質的に備えているとはいえ、その作品の世界に聴き手があたかも一人で歩み入り、 その世界を自己のものとすること、言い換えればその世界に触発されて一つの主体として生成することを可能にするかのようだ。 「音楽を一人きりで聴く」のはだからマーラーのケースに限って言えば、その作品そのものがそうした聴取を要請するとまでは 言えなくても、少なくとも許容するような契機を孕んでいるからであるといえるかも知れない。それを誇大妄想的な巨大な独白と 見做さずとも、その音楽の持つ時間性は、マーラーの時代の、更にはマーラー以後、21世紀の現在に至るまでの主体の、 意識の在り方のあるタイプのそれそのものと言って良く、まさに楽譜の形で、あるいは録音媒体を通じて記録されたマーラーの 作品を受容することによって、文字通りに人は或る仕方で存在するように自己を形成するのである。従って音楽を聴くことは 主体の行為というよりは、それを通じて主体が形成される過程であり、どのように形成されるかについてプログラムされた回路の 作動であるというべきなのだ。

勿論、マーラーの音楽が聴かれなくなる未来というのを想定することはできるだろう。否、同じ時代に生きていながら、 マーラーの音楽とは無関係に生きている人間の方が圧倒的に多いことを考えれば、マーラーの音楽が聴かれる場というのは、 常に既に極めて限定されたものであったし、今でもそうだし、恐らく将来もそうであるに違いない。ジュリアン・ジェインズの二院制の心に おける意識の考古学が告げるように、マーラーの音楽は、過去のある時期より遡っては存在しえなかっただろうし、未来のある時点、 ポスト・ヒューマンの時代には、マーラーの音楽は既に絶えて久しい、かつて「人間」と自己規定した存在の在り方を証言する 考古学的な遺物となる可能性だってあるだろう。だがその時には、そもそも音楽自体が今のままではありえないのではなかろうか。 例えば三輪眞弘さんが「感情礼賛」で仮構したような事態を思い浮かべてみれば良い。そこでは「音楽を一人きりで聴く」という こと自体が最早不可能であるに違いないのだ。そしてその時は、同時にマーラーの音楽は最早如何なる意味においても 「未来」とは関わりのない、化石のような記録に過ぎないものとなるだろう。 (2013.4.23,27,28)

2013年3月3日日曜日

『狂気の西洋音楽史』におけるマーラーに関する言及について

椎名亮輔さんの『狂気の西洋音楽史』(岩波書店, 2010)の第4章「「シュレーバーの音楽」の 始まりと終り」の中ではマーラーはその「終わり」に位置づけられるものとして取り上げられている。 「ニ-1.伝達不全の狂気-マーラー」と題された節がそれにあたる。

椎名亮輔さんについてはフランスで書かれた博士論文の翻訳であるらしい 『音楽的時間の変容』(現代思潮新社, 2005)を過去に読んだことがあり、 音楽的時間に関する考え方のごく基本的な立場については共感できる ものの、具体的な内容については私にとっては疑問だらけで、特にそこにおけるマーラーのような 音楽の時間と、例えばケージに代表される音楽における時間の性格づけと対比について、 強い違和感を感じたことを思い出す。

『狂気の西洋音楽史』は中沢新一さんの慫慂で書かれたとのことであり、ナイマンの実験音楽に ついての著作の翻訳者でもあり、だとすれば私が持続的な関心を抱いていて、かつその関心の あり方を記録にとどめることにしているほぼ唯一の同時代の試みである三輪眞弘さんの 問題意識と決して無縁なわけでもない。

『狂気の西洋音楽史』という本は2010年11月に出ていたようだが、2012年の7月くらいまで それに気付かなかった。そしてその後未曾有の震災を経験し、それから1年余りが経過した、 すっかり風景が変わった世界の中でそれを紐解いたということが与っている可能性もあるが、 一通り読んで、前回同様の強い違和感を感じずにいられなかったのみならず、震災後の 風景の中でマーラーその人とその音楽が自分の周囲の風景の中に占める位置に照らしたときに、 その違和感の在り処をつきとめ、ささやかな異議申し立てをしたい気持ちを抑えることができなくなっている。 今度はマーラーが主題的に扱われていることもあり、その扱い方もさることながら、 その議論の組み立てについても、違和感の連続だったのである。

残念ながら専門の学者でもない人間が、学術的な研究に対してきちんとした 批判を企てるのは、能力的にも無理だし、また時間の余裕がないまま今日に至っている。 そもそも椎名さんの主張の妥当性や学術的な意義についての判断は私の如き市井の 音楽愛好家の能くするところではないので控えるべきなのであろうが、 それでもなお、ことマーラーに関する限り、私にとってはどうでもいいことではないのは確かなことで、 能力と時間の不足で、きちんとした反論が出来ないことを遺憾とする。そしてその上でなお、 それが異議申し立ての体をなさないとしても、違和感を感じたことをこのように証言せずには いられないのである。

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まず、『音楽的時間の変容』における違和感について触れておきたい。というのも、そこでの 時間論的分析は椎名さん自身も後書きで述べているように、今回の著作におけるマーラーに 対するアプローチと無縁ではなく、前著ではマーラーが名指しされることはないとはいえ、 マーラーを含む音楽、つまり今回の著作では「シュレーバーの音楽」として括られている音楽の 持つ時間性が問題となっているからである。

実はマーラーの音楽の時間性を扱った分析に関する違和感は椎名さんのそれに対してだけではない。 David Greeneというアメリカの音楽学者(彼は宗教哲学の素養があるようだが)が書いたマーラーについてのモノグラフ (こちらは管見では邦訳は存在しないが、そのかわりベートーヴェンについて、同様のアプローチをしたモノグラフの 翻訳があるようだ)についてもそうなのだが、私には、それらがいわば「哲学」の濫用に感じられる。

私は実験音楽のラディカルさに共感する部分も多いし、 そこで得られたものを否定するつもりはないけれど、椎名さんの実験音楽の時間性の把握と それを賞揚する論理は、私には理解できない部分が多々ある。文献の参照も豊富であり、 大筋の論理は寧ろ明快というべきなのだろうが、論理の一貫性の問題というよりは、 具体的な音楽の、ここでは「時間性」を扱う手つきのデリカシーの無さのようなものが気になるの かも知れない。

色々な時間論が参照されるけれど、(一応、哲学の専門教育を受け、特にエマニュエル・レヴィナスを中心とした 現象学、およびホワイトヘッドのプロセス哲学における時間論については自分の研究領域としていた こともある私の認識では)それらについての理解もひどく図式的だし、何より「音楽的時間」を分析することが、 寧ろそれらの時間論の肌理の粗さを示すことにすらなりえる筈なのに、逆にそうした肌理の粗い図式的な理解で 「音楽的時間」を整理するのは対象となる音楽を分析のベッドの長さに合わせて切断する暴力を伴っているように 感じられる。勿論それは理論的分析にはついてまわるものであるから、所詮は程度の問題であり、 私がないものねだりをしているのかも知れないが、私にとっては決定的な何かが、この分析には 欠けているという焦燥感にも似た感覚に囚われるのは避けがたい。

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Greeneの主張とは異なって、マーラーの音楽は、何も未聞の宗教的経験の音楽化などではない。確かに音楽の持つ時間の構造は独特だが、 それはマーラーの場合について言えば、寧ろ現象学的な時間に近い。ただし日常生きられる時間性という意味合いで。 (例えば死の受容といったイベントも、ここではあえて「日常」の側に含める。それだけを特権化する理由がないので。) 音楽の研究者が「日常の時間」というとき、物象化された時間表象にあまりにとらわれすぎていて、現象学が見出した 領域をまるまる無視してしまっている。日常の時間「表象」と日常生きられる時間性との区別は必要で、後者は自明でない。 少なくともGreeneが頻繁に参照するSein und Zeitが持つインパクトはそれを明らかにしたことにあるのだし、その不自明性はいわゆる存在論的な構造に起因するのだから。

椎名さんの分析も同様のものに私には見える。何も現象学的還元を持ち出す必要などなく、音楽的経験の時間は日常的なそれと 異なるには違いない。だが、まずはそれは経験の素材の特殊性によるので、それ以外については、Greeneの transfiguredという性格づけが疑わしく、 その妥当性に対して慎重であるべきであるのと同様に、慎重であるべきだ。

勿論音楽が非日常的な経験への通路たりうることを否定するのではないが、それがどう可能かを説明するのに(椎名さんは真木悠介、 木村敏、九鬼そして道元などを参照している)様々な説をその相互関係に留意せずに並べることが実質的に貢献するとは思えない。 Greeneにせよ、椎名さんにせよ、「日常性」という言葉を自分の立場のオリジナリティを強調するために利用しているのでは、 という疑いを否定することは困難だ。 日常という言葉で一体どういう時間性を含意しているのか、例えばHeideggerが分析した豊かな領域は一体どういった扱いを受けるのか、 日常性の豊かさこそが音楽的経験を可能にする前提のはずなのに、ただちに特異な、特殊な経験を持ち出し、それを可能にすることが あたかも「価値」であるかの様な主張はどこか転倒している。もっとも、こうした「日常的時間」の用法は、それなりに一般的ではある。 そして計測可能な、量化された時間というのがある事自体は否定しがたい。ポイントは、それらがいわゆる本当の意味での日常的な 時間意識とはまた異なった、それなりにelaborateされた表象であることだ。それは文化依存ですらありえて、ジュリアン・ジェインズの 二院制の心の説の背景をなす仮説によれば、意識そのものの構造の可塑性・文化依存性との相関物であるかも知れないのであって、 控えめにいっても、スティグレールのいう第3次過去把持の水準に結び付けられるものなのだ。 だから、日常性を批判するなら相手が違うし、そうした表象の批判は日常性の批判にならない。

もう一つは時間性に「限定」してしまうことで、体験の質を逃してしまう危険である。 これは「時間性」を扱うといったときに用意される道具立ての貧しさに由来する。例えばGreeneの分析をとりあげれば、 一次元しかなく、しかもメトリクスすら定義されない離散的な粗雑な対立、それも2つの極を持つのではなく、ある質の有無でしかないような 装置でマーラーのような複雑な時間性を持つ音楽を分析すれば、分析図式の貧困が対象を破壊するのは避け難い。

一方で椎名さんの方は、―彼が顕揚したい実験音楽の時間性についてはおくとして―これほど複雑な構造を持っているロマン主義の音楽、 例えばマーラーの音楽の複雑さを目的論的という言葉ひとつで片付けてしまうのは、些か不当で粗暴に感じられる。意地悪な見方をすれば、 実験音楽の時間性の方が、(時として、それ自体が作者の問題意識でもあるゆえ) より単純で分析しやすく、 それについて語ることが容易であるに過ぎないのでは、という疑いを払いのけるのは難しい。「実験」は現実の複雑さを捨象した モデルを作り、理論を構築したり、検証したりするために行うのである。一方で、実験室の外の現実の現象(例えば、スーパーコンピュータを 用いても一定の精度の解析・予測しかできない気象を例をして考えてみたらよい)の複雑さは、それを理論的に記述することが遥かに 困難なものなのだ。とりわけて、ベートーヴェンの後期も含め、マーラーのような後期ロマン派の音楽は、単純な目的論的図式に収まらないことこそ、 その音楽の特徴であろうというのに、ロマン主義=目的論的で片付けるのは、まるで天気の予測を下駄投げをもってするが如き、分析する側の 無力の顕れではないのか。

実際のところどうなのかはわからない。 なぜなら椎名さんの議論は両者を具体的に分析してみせた結論ではないから(これも、実験の精神に反する、酷くアンフェアな手続ではないだろうか)。 Greeneの分析の結果の貧しさもまた同様に、マーラーの音楽そのものの時間性の貧しさではない。それらは総じて分析の手段の貧しさに過ぎない。 椎名さんの近代音楽の時間性についての議論の方はそうでないといいのだが、私はあまり納得できていない。音楽記号学が(少なくとも、私が関心を 持っているタイプの音楽に限って言えば)どうやら不毛らしいことについてはあまり異論はないのだが、では音楽的時間論の方はどうなのかといえば、 こちらもまた、私が関心を持っているタイプの音楽についてどうなのだろうか、些か腑に落ちないものがある。

近代音楽の時間性を日常的時間と切り離された閉じたものとして捉え、一方でその裏返しとして日常的時間の 貧困と無意味を指摘し、それらの両方に対峙するものとして実験音楽的な時間性を置くという図式は、今ここでマーラーという 近代音楽の典型のことを思い浮かべている私には、全く現実離れしたものに感じられる。実験音楽が切り開く時間性が、 日常の豊かさを回復させるとは、日常生活の如何なる瞬間においてなのか? 一方で、マーラーの音楽の時間性が、 ある時には「世の成り行き」の時間性であるとしたら、それは控えめに言っても、「日常的時間と切り離された閉じたもの」 ではない。寧ろ、日常の「貧困と無意味」を逃れえるとされる実験音楽の方が日常的な時間性に対して閉じていると 言えないのはどうしてなのか、、、

否、ひとがみなCageのように生きることができるのであれば、話は違うだろう。だが、一瞬だけ実験音楽を聴いて、 その場限り体験できる日常の豊かさとは何なのか?所詮は、コンサートホールで演奏され、CDに収められて 流通している点で何ら変わるところはないというのに。椎名さんご自身はCageのような生き方を実践されているかも知れないが、 残念ながら、日常的時間の貧困と無意味から逃れられない私には椎名さんが実践し、実感されているのかも知れない 実験音楽のありがたみをわかることはなさそうだ。Sein und Zeit風には、頽落したDas Mannであるところの私には無縁の話なのだろうと でも考えるほかない。まあ、今頃マーラーみたいな音楽を聴いている人間のことなど、どうでもいいのかも知れないが、だったら、その音楽論を 述べるにあたり、「実験音楽における」という制限をつけて欲しい気もする。そうすればはじめから期待せずに済むわけなのだから。 少なくとも本当の意味での「変容」の過程自体(それがあることすら自明ではないはずだが)は、例えば何らかの数理的なモデルを 示唆するようなメタファーのレベルですら説明されているようには見えない。「変容」ではない、単なる対比、「実験音楽」を賞揚するための、 反面教師としてロマン派音楽が引き合いに出されているに過ぎないようにしか見えない。

そもそも日常性を本当に問題にして、それに対する音楽の機能を考えるなら、作品の内部構造のみを問題にするのは不十分だろう。 演奏の次元は、作品に最もよりかかった部分であり、それよりはせめて創作の次元や受容の次元の議論をしなければ 片手落ちだと思うし、音楽を聴いている瞬間だけを問題にするのは、この議論の枠組みを考えれば不十分なはずだ。 (風呂敷を広げたのは椎名さんの方であって、読み手の私ではないので、読み手の私はすっかり戸惑うことになる。) 否、そもそも、こうした話をしだしたら、最後までそれは音楽の時間論であり続けることができるだろうか。率直に言って、 こうしたレベルの議論が博士論文で扱われている音楽学という分野のあり方が私には、自分の実感から乖離したものに感じられるのを 禁じることができない。

*       *       *

『狂気の西洋音楽史』についても基本的な歴史的展望は変わっていないようで、ただしここでは 「シュレーバーの音楽」というラベルを貼られ、意味の病を病んでいるというように言い換えが為されているようだ。 (そもそもそれ自体がかなり怪しい)フーコーの「狂気の歴史」の考古学の音楽版といったところが 狙いのようなのだが、ここで一番気になるのは「狂気」という「記号」のいわば「濫用」ではないかと思われる。 しかも、ここで論じられているのはほとんど専ら「音楽」の外側のエピソードばかりで、肝心な「音楽」そのものの 「意味」の分析がされているとは到底思えないことは、「音楽史」の実質を私が勘違いしていなければ致命的なことと思えてならない。

例えばマーラーの場合、椎名さんはマーラーの章のタイトルを「伝達不全の狂気」とし、特に第10交響曲を取り上げる。
「《第十交響曲》が表現しようとしていた「世界」とはどのようなものであったのか、 それに彼が失敗した(最終的にこの作品は未完で残されたのだから)はなぜなのか。 次にそれをマーラーとアルマ、そしてマーラーとフロイトの関係の中に探ってみよう。」(p.203)
という文章で問いがたてられるわけだが、それに対する答えは、好意的に読めば
「(…)もちろんマーラーの交響曲はすべてが彼の全世界を表現していて、 その中に「世界の本質」としての「狂気」も含まれているが、それ以前の作品では それが強固な意思と多大な労力によってようやく「合理化」されるに至っていた。それが 《第十》については、創作の起源にあるアルマとの悲劇があまりに衝撃的であったために、 「狂気」が合理化されずに生き延びてしまった、と。つまり「狂気」が作品創作の原動力でも あり、作品を未完に終わらせた原因でもある。」(p.233)
という部分なのだろうと推測される。しかし、まず末尾の一文は「つまり」で続けられるような論理なつながりが ないように感じられる。更に、作品が未完で終わったことは、単にマーラーが(当時不治の 病であった)連鎖球菌の感染によって死んでしまったからではないかといった別の原因は 予め問いを立てる時点で排除されているらしい。また、未完で終わることが何故「世界」の表現に 「失敗した」ことになるのかも私には理解できない。椎名さんの言う「狂気」(それは「世界の本質」 らしいのだが)が具体的に何なのかもわからないし、そもそも「世界」、「本質」ということで何を 指し示しているのかすら判然としない。でも椎名さんはお構いなしにこう続けるのだ。
「すでに見たように、マーラーはそれをはっきりと言葉で残していた。「狂気が私をつかむ。 呪われたる者!」と。(...)マーラーは、絶対音楽の精髄としての「交響曲」が、 その意味を伝えるぎりぎりのところまで来ており(《第七》の意味はアルマに伝わらなかった)、 これ以上どのような努力をしてもそれを完遂することはできない、あるいはそのような努力は 「狂気」となるしかない、ということに気づいていたのである。」(p.223)
マーラーが《第十交響曲》のスケッチに残されていた言葉が《第十交響曲》の音楽の実質と どう関わるかは自明なのだろうか?椎名さんのいう成功・失敗とそもそも関係があるのだろうか? 《第七》の意味がアルマに伝わらなかったというのもまた、リハーサルでのあるエピソードの 証言が根拠になっているらしいが、(アルマが《第七》を好きでなかったかも知れないという 事実はあるにせよ)それが一般的な議論の水準での彼の「音楽」の「伝達不全」とどう関係するのか? 一方で、そもそもマーラーのスケッチの文章は、椎名さんが敷衍したように解釈できるのだろうか?

勿論、ここでは椎名さんの途中の議論を割愛しているので、その部分の内容によって、 椎名さんの結論が自然に感じられるということもありえるだろうが、私には全くそのようには 感じられない。前著同様の、予め自分が用意した恣意的な図式に対象を押し込んで、 その妥当性は抜きにして、それをもって自分の図式の実証であるとしているようにしか思えないのである。 (もしかしたら、それは自明のことであって、論証するまでもないことなのに、私がそれを理解できていない だけなのかも知れないが。)

椎名さんご自身が立てた「《第十交響曲》が表現しようとしていた「世界」とはどのようなものであったのか」という 問いに対する答えは結局のところどうなるのか?「マーラーの交響曲はすべてが彼の全世界を表現して」いるからには、 《第十交響曲》もまた、「彼の全世界」を表現しているのだろうか?「世界の本質」であるらしい「狂気」をも 表現しているのだろうか?作品創作の原動力と作品が「表現」するものの関係はどうなっているのか? アルマに伝わらなかった《第七》の「意味」はそれでは何なのか?狂気は伝達不全の結果なのか? 原因なのか?作品創作の原動力なのか?作品の成功を妨げるものなのか?作品に表現されているもの、意味なのか?

仮にもし、マーラーの音楽そのものを、ではなく、マーラーが音楽の傍らに書き残した言葉の方を殊更に重視するという 選択をするのであったとしても、それならそれで例えば、
「すでに見たように、マーラーはそれをはっきりと言葉で残していた。「狂気が私をつかむ。 呪われたる者!」と。これは、ド・ラ・グランジュの翻訳によれば、「狂気よ、私をとらえよ、生きていることを 忘れさせるように」となっている。」(p.223)
という文章は一体何が言いたいのか?内容以前の問題として、まず、引用部分の明確な不一致がある。p.197で椎名さん自らその全体を 引用しているうち、少なくとも「私を滅ぼせ、生きていることを忘れさせてくれ!」までを含まなければ、ド・ラ・グランジュの翻訳の範囲と対応しないだろうに。 また、ここであえてド・ラ・グランジュの翻訳を参照する意味も全く不明であるし、この翻訳が忠実なものではなく、 断片的なものであることを考えれば、一体、ド・ラ・グランジュの文献を参照したというアリバイ以外に、この翻訳を 引用することの意味がどこにあるのか、私には全く理解できない。もし、この翻訳が椎名さんの立論にとって殊更に 意味があるなら、それがどこにあるのかを明記すべきだし、「翻訳」という行為自体が、椎名さんの立論にとって 意味があるのなら、それについての理論的な記述があってしかるべきではないか?そんなことも言外に読み取れない 私はもう一度、読者として失格なのだろうか?いや、そうなのかも知れないが、、、

上記のような指摘は些事拘泥であり、ここでは椎名さんの提示するマクロなスキームが問題にすべきで あって、一サンプルに過ぎない個別の例の取り上げ方に噛み付くのは近視眼的だという批判があるかも 知れない。だが、「狂気の西洋音楽史」の妥当性を判断しようとするならば、サンプルの扱いこそが問題だし、 論証の手続こそが問題なのではないか。実際には、椎名さんが言いたいことは漠然とは推量できるけれども、 そしてそれが全面的に間違いだということはないかも知れなくても、「狂気の西洋音楽史」の「論証」には違和感を 感じるばかりで全く納得も共感もできない。もし主張が正しいとしても、ことマーラーの部分に限っていえば、 その「論証」の手続にはミクロのレベルにおいても到底納得がいかないのである。

更に椎名さんは、アドルノのマーラー論を敷衍しつつ、更にそこに渡辺裕さんの「マーラーと世紀末ウィーン」の 文章を織り交ぜつつ(実際、それはそのように注記されることなく為されるので、それのどこが2つの著作の いずれから引用されているのか、読み手には一見したところはわからないようになっている)、以下のように アドルノのカテゴリーを換骨奪胎することを主張する。
「マーラーの音楽とは、古典的な形式言語によって支えられていた純粋に自律的な絶対音楽の理念が もはや機能しなくなった時代に現れた、いわば遅れてきた(本文は傍点)絶対音楽なのであって、 そのような存在が「合理化の精神に支えられた近代の危機と重ね合わせて考えられ」る中から、 その「批判的」なあり方も読み取れられるのであろう。しかし、むしろ我々は、そのようなマーラーの音楽を 合理主義「批判」ではなく、その「危機」的状況、すなわち「世の成り行き」を忠実に写し取っているものと 見たいのだ。つまり、アドルノにとって「批判」的な要素として解釈された「突破」、「一時止揚」、「充足」の ような、古典的形式概念では説明がつかない、いわば「不合理」な要素も実はこの「世の成り行き」の 中に含まれるものであり、言葉を換えて言えば、「この世」はまさにそのままで「不合理」で説明がつかない ものとして表現されているということだ。(p.221)
要するに、今度は「世の成り行き」にマーラーの音楽をそっくり回収し、例えばアドルノが救い出そうとした批判的な契機には 関心がない(いや、より強く、批判的な契機の存在を認めない)かのようだ。しかもその「世の成り行き」の音楽が、「シュレーバーの音楽」であり、意味の病を病んだ挙句に、 「伝達不全」を起こしているということのようなのである。だが、まずマーラーの音楽は、全面的に「世の成り行き」の音楽で あるわけではなく、寧ろ「突破」や「一時止揚」「充足」「崩壊」というのは、そうした「世の成り行き」に対する反応を 表す類概念であった筈ではなかったか。だとしたら、要するにここでは、「世の成り行き」というヘーゲルの精神現象学に由来する、だが アドルノ独自の概念の方こそ換骨奪胎されているのかも知れない。だがこの換骨奪胎は、マーラーに関して言えば、アドルノが このモノグラフのみならず、ウィーン講演においてもあれほど拘った、その音楽の持つ契機を決定的に毀損するものであると 私には思われる。しかもマーラーの音楽の具体的な様相に照らして、アドルノの主張を斯くの如く 換骨奪胎することが如何にして可能なのかの論証は見当たらず、作品そのものではない音楽の傍らに書き残した言葉やら ある作品に対する嗜好の回想などを根拠にして、ただそのように断定されるばかりである。ここには論証は存在していない。 要するに椎名さんのテーゼを述べるための材料として利用されているだけで、それはテーゼを裏づけ、傍証するものとして取り上げられている ようには見えないのである。

私見によれば、椎名さんの主張は、「世界」という言葉の意味、更には「世の成り行き」と「主観」の関係についての把握に関して アドルノに対して不当なまでに単純化している点に問題がある。それは音楽作品を(こちらは直接にはベンヤミンの用法に由来する らしいが)「モナド」として「社会」を無意識的に「表現する」非概念的な言語であるというアドルノの規定のニュアンスを捉え損なって いる点と関連しているように見える。それは「「世の成り行き」を忠実に写し取っている」という言い方が「そのままで「不合理」で 説明がつかないものとして表現されている」という言葉で言い換えられている点に如実に顕れている。音楽には模倣的な契機が あることはアドルノも認めているが、それは単なる「反映理論」ではない。また、アドルノのマーラーに関するモノグラフにおいても、 個別には例えば第8交響曲(そう、第8交響曲であって、第10ではないし、第7でもない。第7については、その第5楽章については確かに第8交響曲とともにあげられているが、そうだとしても、第7交響曲の全体ではないのだが)に関して「攻撃者との同一化」(アドルノ, 『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, VII 崩壊と肯定, p.181)を 示唆しているような場合もあるが、だからといって「世の成り行き」を世界の本質として物象化し、それを強化することにマーラーの音楽が終始しているとは言っていない。 マーラーの音楽は「世の成り行き」を模倣しつつ、それに対して異議申し立てをしているのだという点をアドルノは強調しており、 かつその異議申し立てが失敗に終わる点にこそ批判的な機能を見出しているのだ。マーラーの音楽は勿論、合理主義「批判」ではなく、 寧ろ「不合理」なものと化した「世の成り行き」に対する抵抗の叫びなのであって、椎名さんの批判も批判の前提となる主張も、 全く的外れなものにしか見えない。そしてそれは椎名さんが持ち込みたがっている「狂気」とは差し当たり関係はない水準での 議論の筈である。

ちなみにアルマの名誉のために言っておけば、アルマにとって第10交響曲は、自分自身が惹き起こし、 彼女自身それに対して罪の意識を恐らくは感じていたであろう出来事を思い起こさせるが故に、特別な感情を惹き起こす 作品であったろうが、デリック・クックの演奏会用バージョンの作成作業を最終的に認め、それを支援してさえいる。そのきっかけは クックが試演した演奏会用バージョンの初期の形態の録音を聴いてのことであったらしい。アルマは第10交響曲を「理解」しなかった のだろうか?否、そうは思わない。自身も作曲の心得があり、マーラーの音楽を最初は嫌っていた彼女は、マーラーの伴侶と なった後も、マーラーの音楽を全面的に受け容れることはできなかったかも知れないが、少なくともその作品の価値は、 彼女にとって疑問の余地のないものであったように私には思われる。しかもアルマは自分の音楽観によってマーラーの音楽を 断罪するのを留保し、その音楽そのものを聴くことによって、その音楽にも固有の価値を見出していたのである。そうしたアルマの 姿勢は言及されることなく、第7交響曲のエピソードだけで「伝達不全」を述べ立てるのは、アルマの場合という個別のケースに 関しても、言いがかりの類としか思えない。

ごく単純に、私生活上の出来事と音楽作品を短絡させる ことには慎重であるべきだし、特に初期の作品を中心に今なお懲りずに取り上げる人がいるかの「標題」についての問題が 示しているように、作品の脇に書かれた言葉は、無視されるべきものではなく、作品を理解する文脈を否応なく形成するもので あるにしても、それのみで作品について語りうると考えるのは本末転倒以外の何物でもない。それはマーラー研究の文脈では それこそさんざん議論され尽くしてきたことの筈であるのだが。

いずれにせよ、先に引用したものが現時点での、過去の西欧音楽に起きた現実の出来事についての椎名さんの 認識であるというならそれでもいい(私には、実のところ、そうした総括にはあまり関心がない)。そして、その認識が全く誤っていると いうようには私は考えていない。寧ろ、マーラーの音楽を取り囲む状況に関して、ある部分については認識を共有した上で、 だが、椎名さんのようにマーラーの音楽と捉えるということ自体、或る種の態度決定を、(それが無意識的なものであれ、)選択を含んでいて、 私のような立場で、過去の音楽であるということを意識した上で、それでもなお、今日それを必要不可欠なものとしてマーラーの音楽に接するものに とってはその選択の恣意性は到底無視しがたいことである。

要するに、マーラーの音楽は声なき者の代弁者などではなく、時代の病の症例に過ぎないし、 そうしたマーラーの聴取自体もまたそうなのだということなのだろう。かくして私もまた、21世紀にもなって、まだ「シュレーバーの音楽の終り」と 共にある存在という位置づけを得るのだろうか。ともあれ、私が東日本大震災を経て2012年の5月5日に記した文章に書きとめた、 マーラーに見出したと思った以下のような契機など、椎名さんにとっては(マーラーの音楽が「彼の世界」に過ぎないのだから、 当然といえば当然だが)私の「妄想」に過ぎないということなのだろう。
 だが掟の門前でうろつくばかりしか能のない門外漢にしてみれば、マーラーの音楽にはあれ程豊富に存在した筈の時間方向の構造、聴き手をもどこか別の場所に連れて行かんばかりの、それが作者の意図するところであるならばその限りにおいて「目的論的」という形容すら誤りとは言い難い、巨大な時間的持続を支える時間方向の方法論的図式に代替するものが、20世紀の音楽の中では結局発見されることはなかったのではという感覚は否み難い。否、一例をとればマーラーの作品の長大な時間的経過を支える音楽的構造と、それを利用する具体的な適用の卓越は非専門家の耳にも明らかで、そうであれば尚更、その後の音楽においてかくも生産的な原理が放棄されたのは何故なのか改めて不思議な思いに囚われても不思議はない。確かに、今この音楽をもう一度創ることの不可能性もまた疑いを容れない事実のように思われる。それにしても何故なのだ、という疑問が頭に取り憑いて離れない。それは時代の要請なのか。  逆に言えば100年前の音楽に確実にあって、更には今尚力を喪っていないと感じられる側面が未だにあるというのは、その音楽の指し示す未来を告げてはいないか。時代の制約の中、所与であった語法を換骨奪胎して提示する、今なお異様な力を喪わないその音楽の動性、超越への衝動に支配された外への運動、未知の地点に聴き手を運んでいってしまう、暴力的なまでの力。アドルノは全般としては己が批判的に考えていたマーラーの第8交響曲に対して「救い主の危険」という表現を用いた。私にはこの言い回しはアドルノの逡巡を、聴経験に忠実なアドルノの、論理でもって断定し去ることへの躊躇いを感じずにはいられない。「救い主の危険」。それは今やマーラーの音楽全体について言いうるように私には感じられる。マーラーの音楽の持つ時間性のアナクロニスムは、だが閉塞した現在の凍りついた時間(その認識の何と正しいことか)にあって、単なる夢想に過ぎないとさえ感じられるし、そのように断罪されるケースも、しばしば見受けられる。だが、そこには文字通り、未だ来たらざるものとしての未来への途があるのではないか。それは仮想されたものを恰も現実に実現するかのように見せかける詐術ではない。ポテンシャルとしての未来が、音楽の彼方にあるものとしてヴァーチャリティとして指し示されているのではないか。   だが、ここでこれ以上遠くに行くことはもうできない。私にとって確実なのはマーラーの音楽を手放してはならない、ということだ。異様な力に満ちたその音楽を聴くことが時折困難になるにせよ、自分に向かって手を差し伸べ、自分を幽霊の隊列に加わるよう誘う音楽に耳を閉ざしてはいけない。生き延びてどこか別の場所に辿り着くことを希求し続けるならば。  

あるいはまた、別のときに以下のように書き付けたとおり、マーラーの音楽世界はそれ自体、そうしたいわば「落伍者」の形象に満ちていて、私はそこでしか 安らぎを見出すことができないのだ。そう、私は恐らくは自ら進んで、その「世の成り行き」の「不合理」に、何なら「狂気」に留まることを選ぶほかないのだろう。 自分の同類であるあまたの名もなき「幽霊」たちと共に。

カフカの「審判」は、理由もわからず逮捕され、己の罪名もわからぬまま訴訟を起こされて裁判の被告となり、恥辱だけを残して犬のように「処刑」されていくヨーゼフ・Kの物語だが、アドルノはそれをマーラーの第9交響曲のロンド・ブルレスケのエピソードについて述べるところで引用している。それは丁度、更に後の、このマーラー論全体の末尾近くで、» Straßburg auf der Schanz' «に言及するのと呼応し、最後に「子供の魔法の角笛」に登場するヴァリアント達、見捨てられた歩哨、美しいトランペットの響くところに埋葬された男、哀れな少年鼓手といった面々に繋がっていく。  全てのものが、誰も聞いてくれないのに大声で語られる末期の言葉なのだ。ヨーゼフ・Kはその光景を目にして、友達が、自分を助けてくれる人間が居るのでは、自分を弁護する異議がまだあるのではと自問する。だが彼は、抵抗することが無価値なことを既に覚っているのだし、実際、その通りにしかならない。「極めて反抗的に」と指示された音楽もまた、真理が幻としてしか経験されえないものであることを身をもって示すのだ。この音楽は、ヨーゼフ・Kのような経験を自己のものとするような人間にとってまさに己を代弁するものとなる。
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勿論、違和感の根底には、根本的な 立場の違いがあるのだろうとは思うが、価値観の違いを問題にし、論争を挑もう というのではない。寧ろ違和感の由来するところは、それ以前の問題ではないか、マーラーのみならず、シューマンや シェーンベルクの、更にはシュレーバーに対し、作品を創る「現場」、各人の生の「現場」に 対する「想像力」が欠如している点にあるように感じられてならないのである。要するにマーラーに関する伝記資料や アドルノのモノグラフもそうだが、それ以前にマーラーの音楽を聴いても、スコアを、第10交響曲の スケッチを見ても、そこから椎名さんの主張するような内容がどのようにしたら抽出できるのか私には 率直に言ってわからないのだ。端的にこれは牽強付会のための曲解か、誤解に基づく 牽強付会にしか思えないのである。

自分がコミットしたいと思っている価値を持った対象がこのように(私から見れば)「権威」が 流布する共感なき評価によって惹き起こされる「誤解」に巻き込まれることに私はしばしば 耐えられなくなる。こうしたことを動機に書くことが果たして意味あることなのかは良く わからないが、考えてみれば、マーラーのページは、アドルノのマーラー論の(アドルノ研究者であり、 マーラーの音楽の実演に本場で接していることを後書きに記している人による)翻訳の不正確さ (としか私には思えないもの)から始まって、マーラーを研究し、紹介する「識者」と呼ばれている人達の言っていることに いい加減さ、不正確さに対する苛立ちを、あるいは(例えば椎名さんも言及している渡辺裕 さんの研究のような)よりきちんとした議論に対してなら、その内容に違和感を感じて、 それを最初は自分のために記録しはじめたのがきっかけの一つであったわけで、 今尚、こうして文章を書いている原動力であることは認めざるを得ない。

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だが、椎名さんの主張に関してのみ言えば、そもそもこうした時間を生きている私のような 人間のあり方こそ、椎名さんが問題としている様態そのものなのだろうから、 私のこうした反応は、椎名さんの議論のある水準での正当性を裏付けるものなのかも 知れないとも思う。椎名さんのような立場で音楽に接する人にとっては、 私のように音楽に接するのは、強迫的な消費の恰好のサンプルそのものであり、 そのように仕向けられていることの証拠だということになるのだろう。

恐らくは椎名さんのような方は、 「世の成り行き」の端的な外部に在ることができているに違いない。外から見れば、「世の成り行き」に 巻き込まれ、翻弄された挙句、流砂に呑まれるように跡形もなく消えてゆく声なき人間は 「世の成り行き」の一部にしか見えないに違いない。 結局のところ、構図は「音楽的時間の変容」の 時と変わることはない。そこでは実験音楽は日常の「貧困と無意味」を逃れえるとされていた。

だが、皆がケージのように、あるいはラモンテ・ヤングのように、テリー・ライリーのように生きられる わけではない。それが選択の問題だと言われても、そもそも選択の余地などない人間だって数多く いるのだし、アドルノはマーラーの音楽をそういう声を奪われた人間のために手を差し伸べるものと して規定したはずなのだ。だが、立ち位置が異なれば、展望も自ずと異なってくる。 「世の成り行き」の中にいる人間は、「世の成り行き」に対して客観的たりえないのであれば、 外部からの客観的な視点に対して抗弁することは権利上許されていないのだろう。

しかし、もしそれが客観的に見て妥当であったとしても、それを認めざると得ないとしてもなおかつ、 ここで私が言いたいのは、もしそうであったとしたら、そうした水準は私のような人間には 関係がないので、その正当性は私にとってはどうでもいいことだし、西洋音楽史を椎名さんのように 捉えることの意義もまた、私のように批判される側に居るのであろう人間には杳として 知れないということである。そして、私が聴くマーラーは、私が見出すマーラーは、椎名さんの 「西洋音楽史」に位置づけられるらしいそれとは「別人」の音楽なのだということである。 そしてそのような異議申し立てがあるという事実だけでもせめて記録しておきたいのである。

私は、私のような声なきものの代弁者としてマーラーを見出していたのだが、 実はそれは私の思い込みであったかも知れない。であるとしたも、それを認め、 「私のマーラー」が虚像であったとしても、私は自分でそれを書きとめるしか術はない。 私は私の代弁者であり、私の中の奥の部屋に住んでいて、私の声を通して語ろうとする 存在としてのマーラーを擁護しなくてはならないのだ。それが「彼の世界」といういわば「妄想」の体系を 生涯に渉って築き続けたマーラーその人のありように丁度対応するように、こちらは「私の世界」の 「妄想」であったとしても。

この文章は実質において異議申立のための準備書面のごときものの更に冒頭陳述の部分に 過ぎないだろうが、永遠に本論が書かれることのないであろう準備作業をこのように公開するのは、 こうした企てが行われた事実を証言するためである。 何なら、そのような「狂気」を抱いたマーラーの聴き手が21世紀の日本に一人居たということで あっても構わない。私のような聴き手は、21世紀におけるマーラー受容のパースペクティブを 捉え損なっており、無知と視界狭窄そっちのけに、主観的な根拠なき確信のみに基づく虚像を 押し付けているのであるとするならば、私は沈黙すべきなのだろう。 そもそも未定稿を公開することなど、マーラーの創作姿勢に関する言葉を思い浮かべれば、 それ自体許されることではないではないか、何という不実さよ、というわけだ。 だとしたら、この文章そのものをマーラーに関する「症例」の一つとして、後年の分析の対象に資すべく、 斯くの如く「投壜」し、後はマーラーに関しては沈黙することにしよう。 (2013.3.3, 5.1,9.14, 2023.6.15 アドルノのマーラー・モノグラフにおける「攻撃者への同一化」に関して参照箇所を追記。)

2013年1月27日日曜日

妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉

妻のアルマ宛1909年6月27日(20日?)付書簡にある「エンテレケイア」に関するマーラーの言葉(アルマの「回想と手紙」、1940年版原書p.441, 白水社版酒田健一訳p.398)
(...) Der Mensch - und alle Wesen wahrscheinlich - sind unaufhörlich productive.
Auf allen Stufen geschieht dies unzertrennlich vom Wesen des Lebens : wenn die Productionskraft versiegt, so stirbt die "Entelechie" d. h., sie muß einen Leib erhalten. Auf jener Stufe, auf der sich höhere Menschen befinden, wird die Production ( die in Form von Reproduction den Meisten natürlich ist ) von einem Akt des Selbstbewußtseins begleitet: und dadurch einerseits gesteigert, andererseits als Forderung an das sittliche Wesen aufgestellt. Dies ist dann eben die Quelle aller Beunruhigung solcher Menschen. Abgesehen von den kurzen Momenten im Leben des Genies, wo diese Forderungen sich erfüllen, sind es die langen, unausgefüllten Strecken des Daseins, die dem Bewußtsein solche Prüfungen und unerfüllbare Sehnsuchten auferlegen. Und eben dieses unaufhörliche und wahrhaft schmerzvolle Streben verleiht dem Leben dieser Wenigen das Gepräge. (...)

(…)人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを生み出してゆくものだ。このことは進化のあらゆる段階にわたって生命の本質と切り離しては考えられない。生産力が尽きると、『エンテレケイア』は死滅する。すなわちそれは新しい肉体を獲得しなければならない。高度に進化した人間の位置するあの段階では生産(大部分の人間には再生産のかたちでそなわっているが)には自覚の働きがつきまとっていて、そのため一面において創造力は高められるが、その反面、道徳的秩序にたいする”挑戦”として発現する。これこそ創造的人間のあらゆる”煩悶”の源泉にほかならない。天才の生涯にあっては、こうした挑戦が報いられるわずかな時間をのぞいて、あとは満たされることのない長い生存の空白が、彼の意識に苦しい試練といやされぬ憧憬を負わせる。そしてまさにこの苦悩に満ちた不断の闘争がこれら少数の人間の生涯にそのしるしを打刻するのだ。(…)

マーラーがアリストテレスの「エンテレケイア」に由来する「エンテレキー」について言及していることはブルノ・ヴァルターもマーラーに関する回想録において証言している ところだが、マーラー自身の言葉としても、自分の思いを腹蔵なく述べていると想像されるアルマ宛の書簡の中においてそれを確認することができる。おそらく最も 有名なのは第8交響曲の第2部で用いられたゲーテの「ファウスト」第2部の終幕の場の最後の「神秘の合唱」の解釈を述べた書簡におけるそれだろう。 ただしそこではゲーテの「ファウスト」の解釈において用いられているのに対し、同じ時期に書かれた上掲の書簡においては、より一般的な仕方で自分の考えを 述べる際に用いられており、私見ではこちらの方が一層興味深い。

マーラーは恐らくは愛読していたゲーテの自然科学・自然哲学的な著作におけるそれを念頭に「エンテレキー」という言葉を用いていると思われるが、 それはまさに同時代の最新理論であったに違いない、ドリーシュの「新生気論」におけるそれでもあったのではなかろうか。当時における生気論と機械論の対立は、 フォン・ベルタランフィをはじめとするシステム論的な発想によってその後乗り越えられており、ドリーシュの「エンテレキー」は「フロギストン」や「エーテル」同様、 既に不要となった概念といえるだろうが、それはまさに「エンテレキー」によってしか説明できないと当時考えられていた「目標をめがけている」かのごとき生命現象を 「等結果性」(Äquifinalität)の概念を開放系の理論によって説明することによってであった。フォン・ベルタランフィが解析して示したように、閉鎖系は等結果的に 振舞うことはできない。逆に定常状態に向かう開放系においては等結果性は必然的な帰結なのである。

「エンテレキー」は別の説明原理によって置き換えられたとはいえ、ここでマーラーが述べている言葉が、その志向において、後年、フォン・ベルタランフィが語る 言葉との驚くべき一致を示しているのを確認するのは極めて印象的である。そもそもフォン・ベルタランフィは1901年にウィーンに生まれた人だから、彼の幼年時代には マーラーはまだ生きていたという事実を考えれば自然と納得がいくことではあるが、フォン・ベルタランフィの Das biologishce Weltbild I - Die Stellung des Lebens in Natur und Wissenschaft (1949)(邦訳:「生命-有機体論の考察」みすず書房)では、 各章の冒頭の銘としてゲーテが毎度参照され、全巻の棹尾を飾るのは「ファウスト」の引用であり、半世紀を経て今や半ば常識として受容されている発想が、 マーラーの作品の背景を為す世界観に淵源を共有していることを確認することができる。

Robots, Men and Minds - Psychology in the modern world (1967)(邦訳:「人間とロボット-現代社会での心理学」みすず書房)でも General System Theory - Foundation, Development, Applications (1968)(邦訳:「一般システム理論 - その基礎・発展・応用」みすず書房) でも繰り返しフォン・ベルタランフィが強調していることは、動的に定常状態を維持する開放システムである生物は、閉鎖系におけるような平衡状態へ向かう ホメオスタシス機構では十分に説明が行えないということである。外部条件が一定不変でも、外部刺激がないときでも、生物体は受動的ではなく、 基本的に能動的であることである。動的に定常状態を維持するためには、熱力学的な平衡状態からは離れた状態を維持し続けなくてはならない。 常に外部からエネルギーを獲て、(再)生産を続けなければならないのだ。そして非平衡状態を保持することにより、自発的活動や解発刺激に対する 反応の際に、蓄積したポテンシャルを消費することができるのであるし、更には分化と分節、階層秩序の増加による、無秩序とは異なった、しかし単純な パターンの反復による秩序ともまた異なった複雑性を備えた一層高次の秩序や組織化に向かうことも可能になるのである。 自律的な活動が行動のもっとも基本的な形態であり、まさにマーラーが書いているとおり、「人間は―そしてたぶんどんな生物も―たえずなにかを 生み出してゆくもの」なのだ。

更に、これもまたフォン・ベルタランフィが強調することであるが、シンボルの世界を構築するようになった人間は生物的価値とは異なった価値を持っていて、 それはしばしば生物的価値と対立することもある。自己実現や創造行為は、緊張の緩和とか欲求の満足といった言い方が暗黙裡に前提としている 図式では説明できないのであって、それらを適応とか生存のための効用のみに還元してしまうことは行き過ぎの危険が伴う。既に知覚主体は単なる刺激の 受容者ではなく、その中を行動しつつ能動的に「世界を構築する」存在である。シンボルのレベルにおいても同型性が成り立つとしても不思議はあるまい。 ここでマーラーが第3交響曲の創作の折に述べたと伝えられる言葉を思い浮かべても良いだろう。

ここで私が感じることは、こうしたマーラーの言葉によって証言されるマーラーの考え方が、マーラーの遺した作品の実質に見事に見合っていることである。 一般には必ずしも作者の意図が作品の質を担保することはない。だがマーラーの言葉というのは、今日なお話題になる標題が端的に物語るように、いわば 事後的な反省、自分が生み出してしまったものについてのコメントのようなもので、創造行為に先立つわけでもないし、ましてやそれが創造のプロセスの 一部であるわけではない。意図とその実現としての作品といった単純な図式で捉えられるようなものではないのだ。しばしば或る種の理念なりコンセプトなりを ある素材によって定着するという意図的、意識的な行為をもって創作とする立場があり、多くの場合それは貧困に陥るようだが、意識される部分というのが 人間の営みの全体のほんの一部に過ぎないことを考えれば、そうした遠近法的な錯誤に基づく試みが失敗するのは当然であろう。 マーラーは自分の創作のプロセスに対して随分と自覚的であったようだし、自分が何をしているのかについてもわかっていたようだが、それだけに一層、 自分が産み出したものが簡単に分析したり説明したりできないものであることを、単に感覚的な違和感としてだけではなく把握していたのだと思われる。 マーラーが楽曲分析の類に概ね懐疑的であったとされるのも、そうした事情が与っているに違いない。

それでは今日、マーラーの音楽を語る言葉は用意されているといえるだろうか?フォン・ベルタランフィの一般システム理論の提唱はもう半世紀も前のことであり、 システム理論はその後、色々な分野で様々に分化しつつ進展を見たとはいいながら、それは未だ発展途上にあるというべきであろう。そうした中で、 シンボルの世界に属する音楽作品のような存在、しかもそれ自体が有機的で自己組織的な存在であるかに見えるマーラーの音楽のような作品を 的確に記述するための語彙(それは自然言語であるとは限らず、必要に応じて数式や図式を援用することになるのであろう)、カテゴリは未だ 整備されていないのではなかろうか。これまた半世紀前にほぼ唯一、アドルノがその課題に、それなりの自覚と自負をもって取り組み、 それはマーラーの音楽の理解にとってブレイクスルーをもたらした。だが、アドルノの用いたカテゴリは、マーラーの音楽の特性の一部を闡明するのに 大きな成果があったとはいえ、有機体としてのマーラーの音楽を説明するには不充分ではないだろうか。

そして問題はそこに留まらない。実は上記の引用箇所の直後では、「作品」についての見解が述べられ、それは「かりそめの姿、 滅ぶべき部分にすぎない」のであり、肉体同様、「抜け殻」に過ぎないものだとされる。今日マーラーが残した「作品」を受け取る人間は、この言葉を どう捉えたら良いだろうか。楽曲分析の類、標題解説の類が捉えることができるレベルでの「作品」とすれば不思議はないが、まず間違いなく、ここでは そうしたレベルのことが語られているのはなかろう。恐らくは、マーラーがいわゆる「霊魂」の不滅を信じていたということを背景にしてこの言葉を読むべきで あるということはまず押えておくべきだろうが、更にその上で、一世紀の後、「作品」を通じてマーラーを知る人間は、マーラーが当時の文化的・思想的な 文脈の制約の下で書きとめた言葉を、マーラーの「作品」を通じて自己が受け取ったものを裏切ることなく、今日までに手にしたカテゴリを用いて 語り直すべきなのではなかろうか。それは一見したところマーラーが遺した言葉と矛盾するような言い方になるかも知れないが、それでもなお「作品」において 「かりそめの姿、滅ぶべき部分にすぎない」ものは何であって、それを超えて永続するものは何であるかを突き止めることは、マーラーを聴く者が答えるべく 課された問いであり、応答するのは或る種の義務であるように感じられるのである。たとえその応答自体もまた「かりそめの姿、滅ぶべき部分にすぎない」 としても。(2013.1.27)