2009年1月31日土曜日

第4交響曲作曲の経緯:バウアー・レヒナーの1900年夏の回想

第4交響曲作曲の経緯:バウアー・レヒナーの1900年夏の回想(原書1984年版p.157, 邦訳 『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, 1988, pp.345-6)
(...)
Mahler konnte die erste Wochen seines Maiernigger Aufenthaltes nicht gleich zur Arbeit kommen wie sonst (etwa im Steinbacher Häuschen, wo ihn oft schon in den ersten vierundzwantig Stunden seine Produktivität erfaßte). Er war darüber ganz verstimmt, ja verzweifelt, meinte, er werde nie mehr etwas machen, und sah schon seine abergläubische Frucht, daß er nun zwar das Haus zum Komponieren habe, aber nichts mehr werde schreiben können, grausam verwirklicht.
(...)

(…)
マイエルニク滞在の最初の一週間、マーラーはいつものように(たとえば、最初の二十四時間のうちにすでに曲を書きはじめたシュタインバッハの小屋でのように)すぐに仕事に取りかかれなかった。彼はそのことで非常に不機嫌に、その上絶望的にさえなって、自分はもう何もできないのではないかと考えた。そして、作曲のための小屋は手に入っても、もう何も書けないのではないか、という彼の迷信じみた心配が、忌まわしくもすでに現実となったように感じた。
(…)

これは第4交響曲を作曲している途上でマーラーが遭遇した苦しみを当時のマーラーの同伴者であったナターリエ・バウアー=レヒナーが回想した 文章の一部である。良く知られているように第4交響曲は前年の1899年の夏、アウスゼーでの休暇の終わり間近になって書き始められたが、間もなく始まった シーズンにより中断を余儀なくされた。そしてその翌年の夏、今度はヴェルター湖畔のマイエルニクで作曲を再開することになったおりにマーラーが味わった 困難が回想されているのである。
マーラーはそれを望んでか否かはおくとして「夏の作曲家」であった。彼の職業は歌劇場の監督・指揮者であって、作曲はいわば余技に過ぎなかったのである。 勿論マーラー自身にとって作曲活動の持つ価値は疑問の余地のないもので、それゆえ彼の余暇は作曲のために費やされねばならなかったし、実際、 未来から眺める我々には他のすべてに優先して作曲に専念したように見える。マーラーは職業人としてもそうであったように、いわば趣味人としても 際立って勤勉であり、しかもその勤勉さはしばしば常軌を逸して、冷静な観察者や事情を知らぬ人から見れば理解しかねるような事態や滑稽な状況を惹き起こしもした。 今日、大作曲家としての評価が定まった地点から見れば、それは天才にありがちなエピソードとして片付けられてしまうのだろうが、それはいわば結果を先取りしたが 故の錯覚であり、仮に同じことをやったのが後世に価値を認められることのない才能のない人間であると仮定すれば、その行動は周囲の迷惑を顧みない 奇矯な行動にしか見えないだろう。更に加えて作曲だけならともかくオーケストラや歌手を借り切って自作を演奏するのだから、その音楽に価値を認めない人間にとっては はた迷惑な楽長の道楽としか映らなかったに違いない。歌劇場監督の執務室で自作の浄書にいそしむマーラーを撮ったというキャプションのついた写真が残されている(だが実はこれは事実に反するようだ。キャプラン財団の出版したMahler Albumによれば、これは客演先のローマで撮られたもので、かつ演奏する作品のスコアに書き込みをしているところらしい)が、 見る人が見たら、職場で趣味に耽っているなどけしからぬということになるのだろうし、確かにそうした見方は間違いとは言えない、否、寧ろそうした見方の方が 正しいのであって、後世における作品の価値が監督殿の内職を免罪することはないのだろうし、監督としての有能さの方もまた、そうした行動を大目に見る 理由にはなりえないのかも知れない。
だがマーラー自身にとっても作曲は常に疑いなく価値あるものではなかったに違いない。自作の演奏が失敗に終わったときにマーラーが漏らした言葉もまた ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想に残っており、これはまた別に紹介しようと思うが、それとともに、大きな犠牲を払って折角余暇を作曲にあてているのに 思うように作曲が捗らない時の不安と焦燥もまた大きなものであったに違いないのである。単純に時間をかければそれに応じた結果が得られる類の営みと 違って、それは作曲者自身にもコントロールできない厄介な作業なのだ。もう一度、それはマーラーにとって作曲が職業でないから、生活がかかっていないから なのだというコメントは可能だろうし、多分それは一面の真理を捉えているのだろう。だが、仮にそれが「仕事」だとしても、恐らくマーラーの不安や焦燥は 変わらなかったのではないだろうか。これもまたナターリエ・バウアー=レヒナーの回想の別の箇所に記録されている通り、マーラーは霊感が技術の欠如を 救うとは些かも考えていなかったが、その一方で一旦堰き止めることを余儀なくされた創作の泉を、再びその余裕ができたからといって意のままに再び 溢れさせられるとは考えなかったし、実際にそうできたわけではなかったようだ。そしてそうしたマーラーの気持ちは、平凡な私のような人間にも決して わからないわけではない。寧ろ、マーラー程の天才ですら、マーラー程の勤勉さをもってしてもそうした不安と焦りから自由ではなかったことに些か身勝手な 共感を覚えずにはいられないのだ。何も結果を出せないまま時間ばかりが過ぎていくときの焦燥感は私のような凡人にとっても決して無縁なものではない。 そうした強迫感に囚われることなく成果を得ることが出来る人もまたいるに違いなく、どちらかといえばそれは能力の多寡よりはより多く 気質や性格に由来するのだろう。ともあれ私のマーラーに対する態度には、多分にそうしたマーラーの苦しみや怖れに対する共感のようなものが少なからず 与っているのは確かなことのようだ。傍から見ればマーラーは内部に巨大な熱量を抱えた手に負えない猛獣に映っただろうが、マーラー自身も自らの裡に 住む獣を常にうまく馴らすことが出来たわけではないし、そのことでマーラー自身も随分と苦しみもし、さらにまた周囲にかけた迷惑、周囲の人びとが 払った犠牲についてマーラーが無頓着であったとは私には思えない。そしてそうしたマーラーの姿は、比較にならないほどつまらないことにかまけ、 それでいながら何も結果を出せないまま時間ばかりが過ぎていくときの焦燥感だけは人並み以上で、そのことで恐らくは少なからず周囲に迷惑をかけている 自分にしてみれば、決して他人事とは思えないのである。(2009.1.31 執筆・公開, 2024.8.12 邦訳を追加。)

作品覚書(5)第5交響曲

第5交響曲は過渡期の作品である。あるいは第4交響曲による句読点のあとの、再度書き出しの音楽である。 第5交響曲は多産であった1901年の夏にマイアーニッヒで着手され、翌1902年秋には一旦完成しているのだから、 その期間は長いとは言えない。第4交響曲までの各作品の成立史が示す紆余曲折と比較すれば、それは極めて 短期間であると言うこともできるだろう。そして、第5交響曲以降は、こうした短期間での作曲サイクルが確立され、 10年あまりで未完成の第10交響曲も含めれば7曲もの交響曲が産み出されることになる、その先駆となるのが、 この第5交響曲なのである。

別に伝記的事実と作品の内容に対応を見つけ出そうというわけではないのだが、それでも事実として、第5交響曲が 構想されてから完成するまでの間の期間に、マーラーを取り囲む環境に変化があったのは認められるかも知れない。 だが、環境の変化という点で言えば、それはすでに第4交響曲が交響曲として形を成す時期にははじまっていたと 考えるべきだろう。何より、ウィーンに戻ってきたこと、しかも念願の歌劇場監督として凱旋したことは、生涯の大事件で あったろうが、これは第4交響曲の創作時期に重なる。第5交響曲の作曲の途上に起きたことといえば、 何といっても1901年11月に、後に妻となるアルマ・マリア・シントラーと出会うことや、冬の手術とそれに続く静養などが 挙げられるのだろうが、それを第5交響曲と第4交響曲の間に見られる作風の変化と結びつけるのは短絡で、 せいぜいが、もともとが4楽章の構想であったところに、アダージェットが入り込んだことで3部5楽章の構成になったことの原因を、 アルマとの出会いに求めるくらいが良いところであろう。だがその一方で、マーラーが第5交響曲からは「絶対音楽」に 移行した「から」、生涯の出来事と作品との結びつきが弱くなったのだ、というのも同じくらいナンセンスである。 それでは第3、第4交響曲の「内容」を為すと一般には見做されているらしい「世界観」やら「宇宙観」やらが、マーラーの 生涯の何と関係するというのか。

結局、初期の「角笛」交響曲群に対して中期の「絶対」交響曲群といった時代区分の対比がなされ、第4交響曲と 第5交響曲の間に断絶があるかのように言われるのは、他人が後から振り返って眺めたときの展望の一つに過ぎない。 遺された作品に「変化」を認め理由として生涯の出来事を探索するというのは、仕方の無いこととはいえ、何か そうした展望が持つ歪みを逆向きに押し付けている印象を拭い難い。例えば「角笛」歌曲との関係は、別に中期の 交響曲でも無くなったわけではない。「起床合図」や「少年鼓手」を持ち出さずとも、第5交響曲フィナーレにおける 「高い知性への賛美」の引用は明らかだろう。では、変わったのは楽曲の構成原理として「歌曲」を直接埋め込むような 緩やかな楽章構成を止めた点、あるいはもっと単純に人間の声を用いず、器楽のみを用いた点なのだろうか。 答えははい、とも、いいえとも言えそうだ。それでは当初は交響詩であったとはいえ、こちらはアダージェットではなく 「花の章」を持っていた純器楽作品である、後の第1交響曲との違いはどこにあるのだろうか。第4交響曲が擬・古典的な 相貌を備えていることはしばしば言われるが、それと第5交響曲の「古典」に対する姿勢とは、どう違うのか。しばしば 言われる「苦悩から歓喜へ」という内容の純器楽的な実現を主張するなら前者との、くだんの「高い知性への賛美」の 引用を梃子に、それを疑わしいものとみなして「メタ音楽」的な距離感を見出す解釈なら後者との突合せがそれぞれ 要求される筈である。もちろん、第5交響曲が新たな出発を告げる作品であることは明らかなのだが、では、 そこで達成されたものは何なのか、達成されなかったものは何なのか、そしてそれらは今日のコンサート・レパートリー上、 マーラーを代表する作品となったこの第5交響曲の受容において、結局この作品がどのように受け止められているのか、 実際のところはあまり判然とはしない感じが付き纏うのだ。マーラーは第5交響曲第2部のスケルツォを「呪われた音楽」と 呼び、その理解の困難を預言したそうだが、それはどうやらスケルツォだけの問題ではなさそうだ。少なくとも私にとって、 第5交響曲は、少なくとも第4交響曲程度には得体の知れない、捉えどころのない音楽なのである。別段、 初期の「角笛」交響曲群、中期の「絶対」交響曲群という区分に異を唱えるつもりはない(最終的にはその区分は 「説明」のためには妥当なものだろう)が、いっそ第4交響曲と第5交響曲をひとくくりにして、「過渡期の作品」と 名づけてみたらどういう展望になるかしら、といったことを思わないでもないのだ。その両隣には、非の打ち所のない あの第3交響曲と第6交響曲が聳えているではないか、、、

第5交響曲の位置づけを考える上で、一見取るに足らないような些細なことであるけれど、それなりに注目すべきこととして、 この作品の初期の出版譜では、ソナタ形式を採る第2楽章の呈示部にはリピート記号が付けられていることが確認できることが ある。私が参照しているのは1904年のPeters版(9015)だが、p.48から始まる第2楽章冒頭から呈示部終結の練習番号9番 からの5小節の移行句を経たp.65の146小節の前までを反復するように指定がある。1964年に出版された協会全集第5巻では この反復は削除されている。この点以外にも夥しい管弦楽法の変更や演奏指示の差し替えなど、協会全集版で見られる稿態とは 大きな違いがあり、その比較には興味深いものがあって研究もされている。アルマの回想での記述もあって一般には寧ろ管弦楽法の 改変の方が興味の中心にあるようだが、呈示部反復の変更についてもすでに1905年の時点でノットナーゲルが注目していることが フローロスの著作において言及されている。ちなみにフローロスはこの変更自体については自らコメントすることなく、ノットナーゲルの 証言を引用して済ませているが、マーラーの他の作品における呈示部反復の扱いを思い浮かべて、それらと比較してみることによって この作品のおかれた位置というのを窺い知ることができるのではないかと思われる。

良く知られているようにマーラーの交響曲のうち、呈示部反復の指定があるのは第6交響曲第1楽章と第1交響曲第1楽章だが、 後者は第5交響曲の場合とは逆に初期の稿態では呈示部反復がなかったものに後から追加が行われているという点に留意すべきである。 逆に創作の初期の段階では呈示部反復があったのに途中で削除された例としては第9交響曲の第1楽章が知られている。 第9交響曲はマーラーの生前には出版も演奏もされておらず、遺された楽譜の完成度については未完成とは呼べないまでも、 隅々まで推敲されて仕上げられた状態とは言い難く、それゆえ初演時にあたっては困難があったようだが、第5交響曲の場合にも 初演と同時に出版された後も執拗に改訂が為されたことを思えば、第5交響曲の場合と第9交響曲の場合との間の隔たりは 無視することはできないにしても、全く断絶を認めることもまたできない相対的なもので、そこには或る種の連続性が認められていいように 思われる。

フローロスの引用するところによれば、ノットナーゲルは1905年に出版された分析の中で反復記号が取り除かれた事情について "(er) deutlich die psychologische Unwahrheit empfand, die in diesem Stadium der Stimmungsentwicklung in einer Rückkehr zu den bereits 'erledigten', überwundenen Stimmungen gelegen hätte". と述べているようだが、同時代人でありマーラーと書簡のやりとりも あったノットナーゲルのこの発言がマーラーの意図にどの程度添ったものであったかはともかく、フローロスがそれに続けてアドルノやシュミット、 シュポンホイアーの所説を引きながら指摘するソナタ形式からの逸脱の契機と合わせて考えれば、恐らく最初はソナタ形式から出発しながら そこから逸脱していった第9交響曲第1楽章の生成と並行するベクトルがこの楽章にも働いていたことは疑いないだろう。その一方で、 楽章の後半に「突破」が発現する点では共通する第1交響曲第1楽章には「後から」呈示部反復を追加したことを考えれば、 丁度中間におかれた第5交響曲の構想がマーラーの作品に通底する形式と内容の緊張関係に曝されていること、しかも第4交響曲から 始まった古典回帰、伝統的な交響曲形式への回帰が第6交響曲に至る中間点にこの作品が位置することが単なる時系列の問題としてではなく、 実質的なプロセスの中で確認できるのではないか。実際、第5交響曲と第1交響曲との比較はこれ以外にも興味深い論点を提供する。 ある意味ではマーラーは第5交響曲をもって、それまでの経験の蓄積をもって第1交響曲を再検討し、再構築したといっても良いのではと さえ思える。葬送行進曲に「嵐のように激動する」楽章が後続する点もそうだし、こちらは「後から」追加されたらしいアダージェット楽章は 交響詩「巨人」を第1交響曲に改訂する途上で葬ってしまった、あの感傷的な「花の章」の代補であるかのようだ。 (口の悪いクレンペラーがアダージェットを何と言ったかを今一度思い起こしても良かろう。) 実際、ロンド・フィナーレの末尾は第1交響曲であれば寧ろ第1楽章の末尾に対応していると感じられ、 ここでかつては「交響詩」として、些か散漫でぎくしゃくしたかたちでしか提示できなかったものを、熟達した技術をもってより緊密に提示 しようとしているのだが、その代償として劇的な頂点は第1部におかれてしまい、全曲の中間に置かれたスケルツォを軸にまるで第1交響曲を 倒立させたかのような第5交響曲は、まるで喪われてしまってもう取り戻すことのできない第1交響曲が備えていたある種の「質」に対する ノスタルジーであるかのようにさえ見えてくる。

更にそうした第5交響曲と第1交響曲の関係をマーラーの大規模交響曲作品(「嘆きの歌」と「大地の歌」を含めたいので、あえてこのような 言い方をすることにするが)の系列の中で眺めるとき、第5交響曲が第1交響曲の「折り返し」のような作品であることは自然に感じられる。 というのも、次の第6交響曲はある意味では「嘆きの歌」の位置にある再出発の作品であり、それ以降、「嘆きの歌」から第5交響曲までの 道のりをまるで反復するかのように第6交響曲から第10交響曲までの作品が書かれたかに見えるからである。勿論、そうはいっても、 それは単純な繰り返しであるはずはない。繰り返しであると同時に裏返しの関係にあるような対応が見られるように感じられるのである。 ここでは詳述しないが、嘆きの歌-6, 1-7, 2-8, 3-大地の歌, 4-9, 5-10という対応を思い浮かべていただければ、言わんとすることの輪郭は 想像していただけるのではないかと思う。これは単なる不正確な喩えに過ぎないが12音技法の音列のO/I/R/IRという関係との連想でいけば、 第1交響曲がOであるとすれば第5交響曲がR、第7交響曲がI、第10交響曲がIRであるといった具合である。

*   *   *形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)

第1楽章(葬送行進曲〔中間部を含む二重変奏〕)主部A(行進曲)「正確な歩みで、厳格に、葬列のように」134cis
主部B(トリオ)「少しゆっくりと」3560
変奏A1(行進曲)「曲頭と同様に」6188
変奏B1(トリオ)「再び少しゆっくりと」89154-As
中間部C(突発)「急激に速めて、激情的に、荒れ狂って」155232b
変奏A2(行進曲)「気づかぬように最初のテンポへ戻る」233262-cis
変奏B2(トリオ)「重く」263316-Des
経過部317322
中間部C(トリオ)「同じテンポで」323376a
変奏A3(行進曲)「少しゆっくりと」377392
経過部「重く」393400
エピローグ(A)401415cis
第2楽章(ソナタ形式)呈示部主部「嵐のように激動して、きわめて激しく」164a
経過部6573
副次部「著しく遅くして(第1楽章葬送行進曲のテンポで)」74140f
展開部経過部「ただちに最初のテンポで141145a
主部動機展開「厳格な拍子で」146174
経過部175188
モノディ「ゆっくりと」189213es
副次部「中庸のテンポで(呈示部と同様に)」214253
主部動機展開254265
第1楽章変奏B(引用)「ただちに再び著しく遅くして(第1楽章葬送行進曲のテンポで)」266287H
主部動機展開「ただちに速めて、しかしまだ曲頭ほど速くなく」288315As
コラール暗示「ペザンテ(ただちに長く延ばして)」316322A
再現部経過部「ただちに最初のテンポで」323325a
主部326355-e
副次部「少し遅くして(だれることなく)」356427-f
主部・副次部動機展開「重々しく」428463es
コラール「ペザンテ(ただちに少し長く延ばして)」464519D
コーダ経過部「ただちに最初のテンポで、曲頭より少し遅くして」520525d
主部「ペザンテ」526556
結部「中庸に」557576a
第3楽章(展開部を伴うスケルツォ)主部導入「力強く、速すぎずに」13
第1楽段415D
第2楽段1626
第3楽段2739
第4楽段4059h
第5楽段6072B-D
第6楽段7382
第7楽段83107g-fis
第8楽段108120F-D
第9楽段「再びよどみなく」121130
移行部131135
第1トリオ第1楽段「少しゆっくりと」136150B
第2楽段151173
主部導入部174176
第1楽段「最初のテンポで」177188D
第2楽段189200
経過部(フガート)201240-f
第2トリオ第1部分「遅くして ゆっくりと」241269-g
第2部分「少し控え目に」270307
第3部分「中庸に」308336
第4部分「よりよどみなく、しかし中庸に」337388
第5部分「急がずに」389428
展開部第1トリオ・主部動機「中庸のテンポで」429461F-f
第1トリオ・主部動機「だれずに」462489
再現部導入部490492
〔第1楽段〕「最初のテンポで」493504D
〔第2楽段〕505516
〔第3楽段〕517526
〔第4楽段〕527543
〔第5楽段〕544562
第1トリオ563578
第2トリオ579632-a
主部・第1トリオ「力強く(最初のテンポで)」633699G-D
第2トリオ第2部分「遅く」700763
(民謡引用)(720)(733)
コーダ「ただちに最初のテンポで」764798
「さらに速めて」799819
第4楽章主部A「非常に遅く」138F
中間部B「よりよどみなく」3971-Ges-E-D
再現A「最初のテンポで(モルト・アダージョ)」72103F
第5楽章(ソナタ化されたロンド)導入部「アレグロ」→「少し遅くして」123D
呈示部主部1(ロンド主題)「アレグロ・ジョコーソ 新鮮に」2455
フーガ部1/1「同じテンポで」5699
フーガ部1/2「グラツィオーソ」100135
主部「ただちに最初のテンポで」136166
フーガ部2「同じテンポで」167190B-D-Fis
副次部1「グラツィオーソ」191233H
エピローグ「急がずに」233240
展開部導入「よどみなく」241272
フーガ部3/1273306G-D-A
フーガ部3/2「同じテンポで」307336C
フーガ部3/3「急がずに」337372H-Des-D
副次部2「グラツィオーソ」373414
エピローグ「急がずに」415422
フーガ部4/1423440B
フーガ部4/2「同じテンポで」441454D
フーガ部4/3「急がずに」455460C
経過部「次第に切迫して」461496-D
再現部主部3「ただちに再び曲頭のように(最初のテンポで)アレグロ・コモド(ただちに)」497525
フーガ部3526580B-C
主部4581622As-A
フーガ部4623630G
副次部3631686
経過部「次第に切迫して」687710F-C
コラール711748D
コーダ「アレグロ・モルトかつ最後まで切迫して」749791

*   *   *

形式の概略:第3楽章と第5楽章のみ(de La Grange フランス語版伝記第2巻Oeuvres composées entre 1900 et 1906)

3. Scherzo スケルツォスケルツォ139A,A'(ヨーデル)D
4047B(フガート), B', B''
4882/TD>A, A', A''h, B
8392B, B'd
93135A, A'
トリオ1136150トリオ1B, Des, etc.
151173トリオ1、トリオ1', トリオ1''とともに
スケルツォ174200A
201240B(フガート), B', B''D, F, etc.
トリオ2241307トリオ2, B'', A'とともにc, g
308336トリオ2(展開), B''とともに、ピチカートでd
337428トリオ2(展開), B''およびAとともに, トリオ1とトリオ1''f
429461トリオ1(展開), B, トリオ1', トリオ1''とともに
462489ストレット、A,A',B'
スケルツォ490526再現:A, A' (トリオ1, B''とともに)D
527531B, B', B''
532562A, A'
トリオ1および2563578トリオ1(fff)
579632B, B' (トリオ2とともに)'D, f, a
633647スケルツォ, トリオ1, AG
648661ストレット, A, Bg
662699トリオ1(BとA'とともに)'D
コーダ700744トリオ2とBの変形a, F
745763トリオ2, ピチカートでd
764819ストレット, B'', B, ついでA, B'', トリオ1'', トリオ2, A


フィナーレのシェマはBernd Sponheuer, Logik des Zufalls : Untersuchungen zum zum Finalproblem in den Symphonien Gustav Mahlers, Schneider, Tutzing, 1978による

5. Rondo-Finale ロンド-フィナーレ1235つの断片よりなる導入(ファゴット、オーボエ、ファゴット、ホルンとクラリネット)
2455Allegro grazioso:主要主題(A)D
56135Sempre l'istesso tempo, ついでgrazioso:第1フーガ・エピソード(B)
136166A tempo subito :A
167190Sempre l'istesso tempo, ついで「急がずに」:第2フーガ・エピソード(B1)B, D
191252Grazioso:主題C(アダージェットから引用)H, B
253372第2フーガ・エピソード(B1), 307小節で行進曲エピソードを伴う延長G,D,A,C,Aes,gis,D
373422Grazioso:主題C(C1)D
423496第3フーガ・エピソード(B2)B,d,D,C,D
497525「突然冒頭のように」:AD
526580第4フーガ・エピソード(B3)B,c,C
581622「気付かれないように少し抑えて」:Aの変形(A1)Aes, A
623710主題Cの変形(C2)G,Es,d,etc.
711748「切迫して」;「非常に切迫して」;Pesante:コーダ(B4)、コラールD
749791「Allegro moltoで最後まで切迫して」,コラールおよびロンドの他の主題の要素

(2009.1.31, 2009.8.14 この項続く。)