2024年3月10日日曜日

自己組織化システムとしてのマーラーの交響曲についてのメモ (2024.3.10更新)

マーラーの「交響曲」は小説的であり、ポリフォニックである。オペラとの対比では一見して交響曲は主観的な叙述であり、 モノローグ的であるという誤解が生じがちである。だが、オペラは文学的形式としては劇の類比物であり、寧ろモノローグ的 なのだ。そもそも「歌曲」からして、マーラーのそれは主観的な語りではありえない。

例えば以下のような文章で探り当てられようとしているのは、まさに寧ろ交響曲の方が、オペラのような一見 ハイブリッドでマルチメディア的なジャンルよりも多声的であることについてに他ならない。
黒田「(...)面白いオペラをつくる人間というのは単純な人間なんではないかとかねてから思っているんです。 そのなかで錯綜としたものというのはないような気がするんです。ワーグナーでさえ例外ではないでしょう。(...) マーラーのようなかたちで複雑なものが入り混じっている人にとっては、どうもオペラはうまくいかないんじゃないか。」
粟津「(...)ワーグナーの場合は劇に対する統一的な感覚があって、それがあればこそあの人のもってる俗っぽさも 崇高さも単純さも複雑さも、いろいろな役割を当てがわれて、みんな歌いはじめたということです。 ところがマーラーになると、そういう劇感覚がなくなっちゃってるんだな。いろんな要素が勝手気ままに彼の中で生きはじめる。 そして、彼はそれに耐えるしかない。(...)」 (粟津則雄、黒田恭一「対談 マーラーの世界、マーラーの現在」, in 「音楽の手帖 マーラー」青土社, 1980)
音楽史、文化史的な崩壊や解体の過程を想定するかのような視点はおいて、 マーラーの交響曲の(バフチン的な意味での)ポリフォニー的な性格を言い当てようとしていると考えれば、上記の やりとりは納得できる。オペラよりも交響曲の方が複雑でありうるのだ。
 
少し先でシュトラウスの恐らくは「ナクソス島のアリアドネ」を念頭に劇中劇への言及があるが、劇中劇よりも 交響曲の内部の多声性、己の内なる他者の声に耳を澄まし、それが「私に語ること」を音楽として定着させることの方がはるかに錯綜とした構造を必要とする。それは伝統的な形式論をはみ出てしまい、まさにアドルノの言うところの 唯名論的な、その都度の形式の鍛造が必要となるのだ。これもまた上記対談の中の「膨大な私オペラ」という規定や 「劇中劇の登場人物はひたすら自分のヘソを見つめつづけている」という指摘は、 それが複数の登場人物の対話によって繰り広げられる劇ではなく、 個人の自閉したモノローグであるという意味合いであればはっきりと間違いであるが、劇的統一の中に仕組まれた 対話とは別の次元にマーラーの音楽のポリフォニー性があるという事態を示唆しているという点では、全くの的外れという わけでもない。ひたすら自分のヘソを見つめつづけているのは作者自身であって、しかも彼は「物が私に語ること」を 聴き取り、それと対話をしようとしているというふうに考えることもできるだろう。

それというのも、アドルノが言うように、素材(マテリアル)としての他者の声が、「主観の自由な措定ではなく、本来の形ではない形の中で主観の支配要求に対抗して自己主張を行う」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』,  龍村あや子訳, 法政大学出版局, 第5章「ヴァリアンテ―形式」, p.118)からなのだ。ここでのアドルノのヴァリアンテの理論は、 そのままバフチンの小説の理論に移行できるかのようだ。バフチン的な意味でのポリフォニー、対話が実現するジャンルとしての小説を念頭においてマーラーの交響曲に与えたアドルノの規定、小説-交響曲において可能となる時間性の効果が、複雑さをもたらすのだ。 それゆえ、そこには予めあてがわれた形式が保証する図式的な時間の賽の目に区切られた外的な枠組みではない、 力動的な時間の生成があるのだ。二度と同じ流れに乗ることはできないゆえに単純な反復は、それ自体が メタな意味を担う場合(第10交響曲のプルガトリオ楽章がもしかしたらそうであったかも知れないし、伝統的な提示部 反復に従う第6交響曲の第1楽章もそうだろう)を除けば、再現は単なる同じ事の反復ではなく、寧ろ、予告されたものが ようやく本当に実現するといった印象を与える。主題の提示は、とうとう第9交響曲の冒頭では本当にそうなるのだが、 初期の作品においてすら、未来完了的な位置づけを占めている。例えば第1交響曲の序奏から既にそうではないか。

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上に引用した対談でのワーグナーとの対比ということでいけば、興味深いのはアドルノが、一方ではマーラー論でもその前奏曲の 転調のプロセスを引き合いに出し、他方では「パルジファルの総譜によせて」で今度はマーラーの固有名を呼び出しているといった 仕方で関係を示唆している「パルジファル」との相関である。直接にはアドルノが「パルジファル」との関連を示唆するのは 第3交響曲の第5楽章を除けば、もっぱら第9交響曲なのだが、マーラーの交響曲中、一般にオペラ的であるように 見えるのは、一見したところは寧ろ、第8交響曲の第2部だろう。アドルノのマーラー論において第8交響曲を論じた部分で参照されるのは 第1部に因んだ「マイスタージンガー」であるとはいえ(邦訳p.148)、第8交響曲における「ファウスト」劇の導入は舞台こそないが、 演奏会形式のオペラのように歌手や合唱には配役がある。その崇高さへの志向や祝祭的とでもいえるような内容からしても、 寧ろ第8交響曲こそがワーグナーの「舞台神聖祝典劇」のマーラーの交響曲における等価物であるのではないかと思えるのだが、 にも関わらず、舞台で演じられてしまう「パルジファル」には聴き取ることができない音調が第8交響曲の第2部には確かにあって、 もしかしたらそれは、逆説的にも、コンサートホールでよりも自宅のPCで夜遅くに音楽(三輪眞弘さんによれば「録楽」というのが 正確なのだが)を聴くときにこそ接近可能であるようなものなのかも知れないのだ。そしてそれは、夏の作曲家マーラーがある日、 作曲小屋での孤独の中で聴き取った何か、マーラーが作品として定着させようとした何かそのものであるに違いない。

マーラーの音楽で「ファウスト」第2部を聴くとき、寧ろこれが戯曲というジャンルに属していることの方が、あたかも不可能事を 捻じ伏せようとするかのような力業に感じられてならないのである。この劇を舞台で、その内実に相応しく上演することが可能なのかと 問わずにはいられない。少なくともマーラーが見出した時間性は、人間が語り演じる舞台という現実の制約に全く相応しくない もので、それは交響曲という形式によってのみ定着することが可能なものであったに違いない。実際、夙にルドルフ・シュテファンに よって指摘されている(「『ファウスト』最終場面の作曲をめぐって―「詩」対「音楽」」)とおり、 マーラーは科白に音楽をつけるという点では原典に忠実であることはなく、それは一見して予め存在するゲーテのテキストに 「合わせて」付曲されたかに見えるであろうこの第8交響曲第2部ですら例外ではないのだ。そしてそのことは、 その音楽の形式を規定する原理は別にあるということを告げている。

既成のオペラというジャンルではなく「舞台神聖祝典劇」を名乗り、他のオペラ 作品と同じ場での上演を嫌った挙句、バイロイト祝祭劇場での独占上演さえ企図された「パルジファル」が、しかしそれでも 現実の舞台での上演に向け、この上もない円熟した技量によって見事に統一されているのに対し、マーラー版の「ファウスト」は (マーラー自身が拒絶した「千人の交響曲」というキャッチコピーで売り込まれ、かつてマーラーが経験したことのない大成功を 納め、丁度「解禁」後の「パルジファル」がそうであったように、作曲者の没後しばらくは、膨大な準備の手間にも関わらず、 寧ろ他の曲を上回るかの如き頻度で上演されたにも関わらず、)現実に場を持つこと拒絶しているかのようなのである。 かつての「ハルモニア・ムンディ」たる惑星の運行が奏でる音が人間には聴き取れないとされたのに呼応するように、こちらもまた、 人間の持つ生物学的な制約からは自由であるべきではないのかという、冷静に考えればナンセンスな考えさえ振り切ることは困難である。 それはこの音楽はそれ自体が、人間が人間のままでは起こりえないこと、経験することのない瞬間から到来したものであるかの ような音調を備えていることと対応しているのであり、その音楽の持つ時間論的なスキーマ、まさに交響曲というジャンルにおいて しか可能でないようなそれにその原因を求めるべきなのだ。

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オペラとの類比ということでいけば、「大地の歌」は歌曲集といいながら、構造はオペラ的であり、特に第6楽章は レシタティーヴォとアリアが交替する。第2交響曲や第3交響曲は声楽が導入されているということだけでなく、 器楽パートにおいても、レシタティーヴォ的、アリア的な要素をそこかしこに見つけることができるだろう。

だが、ここにもマーラー的な「交響曲」に相応しい分裂があり、天使と格闘する第2交響曲第4楽章のヤコブや 悔恨の涙を流す第3交響曲第5楽章のペテロが女声で歌われるのと対応して、「大地の歌」では男声と女声の交替か 男声の2つの声(テノールとバリトン)という選択肢が一方でありながら、同じ一人のテノールが歌うよう指定されている 筈の第1楽章と第3楽章では、まるで2つの質の異なる声が求められているかのようだ(カラヤンが実際に、2人の歌手に 歌わせたという例があるようだ)し、第6楽章の歌では対話する2人の男の声を、まるで謡曲や義太夫のように、 一人の女声の歌手が歌わなくてはならない。一部は2つの詩をつなぎ合わせたという事情に由来する2人の声の交錯は 微妙であり、角笛歌曲集の幾つかように、明確な歌い分けがあるわけでもないから、声色を使い分けることを忌避するとはいえ、 いわゆる音遣いによって性別や年齢を描き分けることへの関心を捨てきれない義太夫よりも、 そうした写実性を拒絶する能の謡の方が一層近いだろうか。いずれにしても統一原理が働く「単純な」オペラより、 節約された手法の中でポリフォニーを実現する能の方が一層マーラーのポリフォニーに近い。 楽器同士の、あるいは器楽と声楽のヘテロフォニーにしても同様である。初期の作品であるカンタータ「嘆きの歌」もまた、 マーラー自身が扱いかねて、後には上演の便宜もあって切り詰めてしまった語りの層の多層性があり、 一見するとオペラとの類比が最も容易であるかに見えて、その語りの多層性を損なわずに舞台での上演を考えることは 不可能であるという点において、既に小説的、(マーラー的な意味での)交響曲的な作品なのである。

第8交響曲と「大地の歌」ということであれば、ミッチェル(モノグラフの第3巻である"Gustav Mahler, Songs and Symphonies of Life and Death")を 参照すべきかも知れないが、いずれにせよ、 第8交響曲、大地の歌、第9交響曲という後期の3作がすべて「交響曲」であるという点に、 マーラーの「交響曲」のジャンル論的な位置づけを試みるにあたっての鍵が潜んでいる。 初期においては、「嘆きの歌」、二部からなる交響詩(「巨人」)、「さすらう若者の歌」であり、 2,3,4という歌つきの連作、5,6,7という歌なしの連作の間には「子供の死の歌」がある、といった構図を思い描くこともできるだろう。 いずれにしても、カンタータ、多楽章形式の交響詩、連作歌曲であったものが、後期においてはすべて交響曲となるのだ。 その間には最初は声楽付きの、次いで器楽のみよる2つの交響曲ツィクルスの経験が介在しているのだが。

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マーラーの交響曲の多声的構造の中でレヴィストロース的なブリコラージュと他者の声のポリフォニーの関係を論じることも可能だろうし、 バフチン的なインターテクスチュアリティとの関係を問うこともできるだろう。 マーラーの音楽の「ポプリ」的な側面、様々なジャンルが多層的に織り込まれること、マーラーの言う(ゲーテの「ファウスト」第1部 の地霊の台詞に由来する)「神の衣を織る」という言葉や、第3交響曲に因んで述べたとされる「世界を構築すること」とは まさにこうしたポリフォニーを創りあげることであったというように捉えても良いのではなかろうか。そして「世界を構築すること」が、 世界の様々な物が語るのを聴くことであること、つまりモノローグではなく、対話的な仕方で為されていることに留意すべき ではなかろうか。更にそれはシュトックハウゼンがかつて示唆したように、かつての「人間」の解体と期を一にしているのだ、 という社会学的な視点もそれなりの妥当性があるのだろう。だがそれは、マーラーの音楽は境界線の向こう側からの最後の声 であるということではない。寧ろ逆に、アドルノが指摘したマーラーの交響曲における形式の唯名論的な性質は、 生物組織の複雑性をもった自己組織化サイバネティクスにおける絶えざるプログラムの作り直しに比するべきなのではないか。 マーラーの小説的な交響曲の成立を可能ならしめる系の条件は、寧ろ以下のような、アンリ・アトランの述べるそれ、 いかにして物質が自己組織化の場になりうるかについての理解を踏まえて記述可能なようなものではなかろうか。
(...), mais où nous pouvons nous reconnaître parce qu'elles peuvent nous parler. Au lieu d'un homme qui se prend pour l'origine absolue du discours et de l'action sur les choes, mais un réalité coupé d'elles et conduit inévitablement à un univers schizophrénique, ce sont des choses qui parlent et agissent en nous, à travers nous comme à travers d'autres systèmes bien que de façons différente et peut-être plus perfectionnée. Grâce à cela, si nous nous laissons pas étouffer par elles,  c'est-à-dire si notre vouloir - faculté inconsciente d'auto-organisation sous l'effet des choses de l'environnement - arrive à s'inscrire suffisamment en mémoire, de telle sorte que nous en ayons un degré suffisant de conscience, et si celle-ci en retour peut interagir avec les processus auto-organisateurs sans toutefois qu'il y ait conflit entre ces deux formes d'interaction, alors, lorsque nous regardons autor de nous, nous pouvons nous sentir chez nous, parce que les choses nous parlent aussi. Après tout, si l'on peut nous démontrer comme des machines et remplacer des organes comme des pièces, est-ce que cela ne veut pas dire aussi que nous pouvons voir dans les machines, c'est-à-dire dans le monde qui nous entoure, quelque chose où nous pouvons nous retrouver, et avec qui nous pouvons, à la limite, dialoguer? Quand nous découvrons une structure dans les choses, n'est-ce pas retrouver, de façon renouvelée et épurée, un language que les choses peuvent nous parler? 
「(...)しかしそこにおいては、たしかに、物が我々に語るから我々は自分を再確認できる。自分を物に対する 言説や行動の絶対的根源と考え、実際は物から切り離され、分裂症的世界におちいることが避けられない人間のかわりに、 我々のなかで我々をとおして語り(多分もっと完全な異なった方法による他のシステムをとおして語るように)、行動するのは物である。そのおかげで、我々は物によって窒息させられなければ、いいかえれば我々の願望―周囲の物の影響下の無意識的自己組織化能力 ―は十分に記憶にとどめられ、十分に意識され、そして意識が今度は自己組織化プロセスと相互作用し、しかし二つの相互作用形態の あいだで争いを起こさないならば、我々の周囲を見まわすとき、物が我々に語りかけるので、我々は自分の家にいるように感ずる。 それは、結局、もし機械のように分解して器官を交換することができるならば、機械のなかに(いいかえれば我々をとりまく世界のなかに)、 我々と同じものを見出し、究極的にそれと対話できる、ということを意味するのではないだろうか。我々が物のなかにひとつの構造を見出すという ことは、物が我々に語りかける言語を、新しい純粋な方法で我々が見出すことであろう。」 (アンリ・アトラン「自己組織化システムにおける意識と欲望」, in 「結晶と煙のあいだ 生物体の組織化について」(阪上脩訳, 法政大学出版局, 1992), p.161)

ここでアトランが、奇しくもマーラーが思いついた標題を思わせるように、「物が我々に語りかける」、あるいはシェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について述べた表現を思わせるように、「我々の中で我々を通して語る」という言い方をしているのは、単なる修辞上の偶然だろうか?否、決してそうではないだろう。そうではないどころか、上記のアトランの言葉は、マーラーの音楽をロマン主義的な「人間」についての見方の下で理解しようとすることが如何に不適切であるか、寧ろ、シュトックハウゼンの言う「かつての「人間」の解体」以後の新たな枠組み、サイバネティクス以降の認識の下で理解すべきであることを告げているように思われる。(なおここで、ハイデガーが、サイバネティクスが形而上学の終焉である、と述べていたことを、その言葉を軸に議論が展開され、その議論の帰趨を含めて、知る限り、近年の思考の中においてここでの論点と最も密接な関りを持つと思われる『再帰性と偶然性』を著したユク・ホイの名とともに思い起こしておくことは、後日の検討のためのメルクマールとして必須のことに感じられる。)

もう一言付け加えるならば、20世紀後半の半世紀にわたるサイバネティクス登場以降の潮流を踏まえつつも、「機械」と「生物」(「人間」含む)を対立的に位置付け、「機械」をフェルスターの言うノントリヴィアル・マシン迄のレベルに押し込めてしまい、更には昨今の人工知能のブレイクスルーを支える技術的・理論的な背景には統計的・確率的な発想が存在するというのに、人工知能もそちらに分類されるらしい「機械」を決定的な動作をするものと決めつけ、確率的過程を恣意的に「生物」の側のみに認めることまでして機械の複雑さと生物の自律性を根本的に異質なものとして対立させ、(なぜ不可能なのかを語ることなく)その対立が乗り越え不可能なものであるかのように語るような発想は(最近の「情報学」なる学問領域に属する主張に、「ネオ・サイバネティクス」を自称し、「人間非機械論」を唱導する、そうしたものが存在することを教えて頂いたのだが、それらが再帰性、オートポイエーシス、構成主義を重視するという基本的な立場の水準では異論なく賛成できるにしても、その帰結としての上述の枠組みには全く同意できないし)、結局のところアトランが述べる上記のような認識とは相容れないように思われる。

つまり上記のアトランの叙述中の「機械」という言葉は、修辞上の不正確さの結果などではなく、さりとて比喩の如きものでは更になく、正確に、文字通りに受け止めるべきなのであって、寧ろ、機械が生命と同レベルのメカニズムを持ち、従って本当に自律性を獲得するということが現実になりつつある一方で、「生命」なるものも「機械」で補綴することができ、「機械」のように交換できてしまう現実が到来しつつあるという点が今日の問題なのであれば、人間を、或いはまたオートポイエティックなシステムを、本当はそれらは「機械」に過ぎないのに、それらが機械ではないのに機械だとみなす態度が問題であるかのような認識、寧ろ正しくは人間も生命もオートポイエティックなシステムもまた(マトゥラーナ/ヴァレラが自らそのように明言しているように)「機械」(但し、それまでの素朴な了解におけるそれとは異なったメカニズムを備えたそれ)として捉えるべきなのに、それを非機械と規定してしまえば現実が変わるかの如き発想は、現実に起きていることの微妙さを、単なる議論の論理の上でだけ単純化することで取り逃しているようにしか思えない。またマトゥラーナ/ヴァレラのオートポイエーシスに限定して言えば、それまで無視されてきた内部からの見方の必要性という点で重要だけれども、だからといって全てがオートポイエーシスの見方で語りつくせるわけではなく、言ってみれば説明の仕方としては限定的であり、観察者の立場にある科学的な見方と相補的であるべきにも関わらず、そこに恣意的な二分法を持ち込み、両者には解決できない対立・矛盾があって、どちらかを選ばなければならないかの如き論理を展開するのは、却って問題の在り処を見えなくしてしまう懸念がある。

私見では上記のような議論の問題の一つは、それが極めて抽象的で、具体的な「現場」におけるディティールに無頓着に見えることで、具体的な対象を分析し、モデル化を試み、構成主義的な仕方でそれを検証していく中で微妙で繊細な問題に突き当たるという経験(それは例えば情報工学や制御工学等の現場においてはごく日常的で当たり前に起きていることであろう)を欠いていることに存すると思われる。そして本稿で参照したバフチンやアドルノの所説を念頭におきつつマーラーの音楽を具体的に分析していく中で、彼らの議論を単にパラフレーズするのではなく、サイバネティクスや情報論的な語彙で語りなおすことを目指しつつ、マーラーの作品についての認識を構成主義的に練り上げていくというのは、まさにそうした具体的な問題(しかもトリヴィアルではない問題)の一つに対するアプローチたりうるというのが、本論を通じて示唆したいことなのである。(「示唆する」という言い方を敢えてするのは、私の能力ではそれを解明することなど到底覚束なく、初歩的な取り組みをしていく中で予感し、示唆するのが精一杯であるというのが偽らざる現実だからであり、この後、それを解決する資格と能力のある優秀な方々が取り組み、解明することを期待しているからである。)

マーラーの音楽を今日、聴き、演奏することの意義は、それがマーラーの没後、20世紀も後半になって提唱されたサイバネティクスや自己組織化をはじめとする複雑性の理論によってようやく正当に記述し、理解することができるような対象であり、マーラーが彼の生きた時代と文化の制約の中で捉え、交響曲という形式に定着させようとした、世界について認識、主体についての認識は、今なお、適切な語彙による解明を待っている点に存するのだ。寧ろ、まだ我々はマーラーの作品をその複雑さと豊饒さに相応しい仕方で受け止めるための準備ができていないと考えるべきであり、「マーラーの時代が来た」という、最早使い古され、色褪せたコピーとは裏腹に、未だにマーラーの音楽は将来における解明を待つ謎なのである。(2012.11.11公開, 12.9加筆修正, 2024.1.2,7加筆, 2024.3.1加筆, 3.10加筆およびアトランの引用に原文を追加)

シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(2024.3.10更新)

シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.118。 ただしこの邦訳は抄訳であり、全訳はアーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019, p.115以降に「グスタフ・マーラー」というタイトルで所収。)
Statt viele Worte zu machen, täte ich vielleicht am besten, einfach zu sagen: » Ich glaube fest und unerschütterlich daran, daß Gustav Mahler einer der größten Menschen und Künstler war.« Denn es gibt ja doch nur zwei Möglichkeiten, jemanden von einem Künstler zu überzeugen, die erste und bessere: das Werk vorzuführen, die zweite, die zu benutzen ich gezwungen bin: seinen Glauben an dieses Werk auf andere zu übertragen.

 多言を弄するかわりに、ただ一言、「私は、グスタフ・マーラーがもっとも偉大な人間にして芸術家のひとりであったと、かたく、ゆるぎなく信じている」と申しあげるのがいちばんよろしかろうと思います。といいますのは、だれかにある芸術家の価値を認めさせるにはふたとおりの方法しかなく、第一の、そしてよりより方法は、作品そのものを持ち出すこと、第二の、つまり私がここでとらざるをえない方法は、その作品にたいする自分の信念を他の人びとに伝達することだからです。 

すでにこの講演で第9交響曲について述べた有名な言葉については紹介済だが、ここで上に引用したのは講演全体の冒頭部分である。如何にもシェーンベルクの 面目躍如といったスタイルの語り出しだが、最初はマーラーを批判した経緯から、サウロが回心して使徒パウロとなったのを自らのマーラーとの関係に対応付けて マーラーを擁護していくこの講演は、単に内容が示唆に富んで興味深いというに留まらない、感動的なものだと思う。上記のシェーンベルクの言葉に従えば、 私は既に第1の、より良い方法によってマーラーの価値を認めているのではあるけれど、シェーンベルクの採った第2のやり方はこの上もない説得力を持って 成功しているのではなかろうか。

実際、この講演の持つ影響力の大きさは大変なものであったらしく、その後マーラーのイメージを色々な側面で方向付けることになったようだ。とりわけ顕著な 「聖化」の傾向は、フランキスト達のペール・フランクの聖化同様、顕著なもので、アルマが回想録によって作り出したマーラーのイメージともども、マーラーの「実像」を 捉えることの妨げになったのは否定し難いことであろう。だが100年後の異郷の地からの展望はすっかり異なっていて、 まるでこの地では今やマーラーについて「客観的に」語ることが可能になったかのようであり、「マーラーの時代が来た」という言葉自体、 改めて持ち出すまでもない自明の事実となったかのようである。

だが、マーラーを聴き始めてようやく30年になろうかという私個人の展望は全く異なっている。作品とマーラーを直接知る人間による記録や書簡といった資料を通して 感得されるマーラーの姿は、確かに今や適切な距離感をもって過去の異郷に位置づけられ、かつてはあんなに身近だった彼は、今や一個の他者、 直接会ったことのない、そして勿論直接会うことは叶わない他者になった。そのかわり彼の音楽は今や演奏会のレパートリーの中心の一つ、 CDなどの録音メディアの売上げの中核となり、その音楽はすっかり日常的なものになったようだし、程度の差はあれ直接、間接にその恩恵に私自身が 浴しているのは恐らく間違いのないことなのだが、それによって私にとってマーラーが一層わかりやすい存在になったかと言えば、 決してそんなことはないことだけは断言できる。マーラーは未だに私にとって未解決の問題だし、その一方でその音楽が私にもたらす「何か」の重みは、 私の生の行路の展望に応じて少しずつ変わりつつ、寧ろ一層増しているように思われる。その一方で、ますます増え続けるマーラーのコンサートやCDは、 かつての思い出すのも忌まわしい「マーラーブーム」以降、私にとっては100年近く前のシェーンベルクの言葉ほども身近に感じられないというのが 正直な感じ方なのだ。

ここで引用したシェーンベルクの講演は、実は第10交響曲への言及で結ばれている。客観的に見ればそれは当時の第10交響曲を巡る状況の産物であって、 その後第10交響曲が辿った紆余曲折を考慮に入れれば、シェーンベルクの発言は状況に依存したものとして相対化してしまえるのかも知れない。 ところがその状況は既に30年前においてほぼ成り立っていた筈なのである。私はマーラーを聴き始めて比較的すぐに、まず第10交響曲のアダージョを聴き、 それに深く魅了された。当時の私がある機会にマーラーを語る際に、その音楽の中から1曲選んだのは他ならぬ第10交響曲のアダージョだった程なのである。 クック版を知ったのも非常に早い時期で、これは偶然の悪戯なのだが、例えば第5交響曲などよりもずっと早くにクック版の第10交響曲は馴染み深い存在 だったのである。否、そうした風景は30年を経た今でも基本的には変わらないようである。

だが、それでは私にとってシェーンベルクの展望は30年前の時点の私にとってすでに最早受け入れ難いものだったろうか? あるいはまた、今の私に関してはどうだろうか?この問いに対する答えは、かつても否であり、そして今尚、否であり続けているようである。 一見したところでは論理的には矛盾した言い方になってしまうかも知れないが、私見によれば第10交響曲のアダージョの聴取の経験は 寧ろシェーンベルクの言葉の正しさを告げているように感じられるし、クック版は更にそれを補強していると私には感じられるのである。シェーンベルクの顰に倣えば、 私はまだそれを知ってはならないような気持ちに捉われるし、自分がそれを受け止めるところまでに熟していないように思えてならない。 第10交響曲はまだ私に「語られていない」のではないかというのが寧ろ偽らざる心境なのだ。 この信じられないほどの強度を持ったフィナーレを繰り返し繰り返し聴き、それにほとんどいつものように圧倒され、涙しながら、 自分が一体何を受け取っているのかをきちんと語ることが未だにできないでいるのだ。確かにそれは第9交響曲の先にあるようだが、 では一体その音楽が鳴っている場所が「どこ」であるのか、私にはわからない。第10交響曲によって第9交響曲や大地の歌に関する或る種の捉え方が 否定されるのは確かだと思うのだが、だからといって、第10交響曲の響いている場所が、とりわけクック版の鳴り響く場所がどこなのか、私には言えない。 だが、そういう場所があることを指し示す音楽の力はもの凄いものだし、それを産み出すことが出来た人間が確かに居たというのは、本当に感動的な、 それを思うだけでも胸が一杯になるようなことだと思うし、私は音楽が示す風景を所詮は音楽が終われば消え去る仮象として片付けてしまうことが、 この音楽については出来ない。どんなに大袈裟に響こうとも、その音楽を知ってしまえば生き方が変わってしまう類の音楽である、という言い方は マーラーの第10交響曲に関して言えば、私個人に限って言えば比喩でも何でもない、端的な事実なのである。

だから多分、シェーンベルクの言葉に従うなら、私は戦いつづけなければならないのだろうと思うのだ。こうした受け取り方は、 客観的には誤読だということになるのかも知れないが、それでもなお、シェーンベルクその人は、このような受け止め方を許してくれるだろうという、 身勝手な思い込みから私は逃れられないでいるのだ。それゆえもう一度、自分のために彼の講演の末尾の言葉を確認しておこう。
Aber wir, wir müssen doch weiter kämpfen, da uns die Zehnte noch nicht gesagt wurde.

しかしわれわれは、そうです、われわれはやはり戦いつづけなければなりません。第十交響曲はまだわれわれに語られていないからです。 

(2008.5.18 マーラーの命日に第10交響曲のクック版を聴きながら, 2024.3.10邦訳を掲載。)

第9交響曲について:シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(2024.3.10更新)

第9交響曲について:シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124。ただしこの邦訳は抄訳であり、全訳はアーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019, p.115以降に「グスタフ・マーラー」というタイトルで所収。
In ihr(=9. Symphonie) spricht der Autor kaum mehr als Subjekt. Fast sieht es aus, als ob es für dieses Werk noch einen verborgenen Autor gebe, der Mahler bloß als Sprachrohr benützt hat. Dieses Werk ist nicht mehr im Ich-Ton gehalten. Es bringt sozusagen objektive, fast leidenschaftslose Konstatierungen, von einer Schönheit, die nur dem bemerkbar wird, der auf animalische Wärme verzichten kann und sich in geistiger Kühle wohlfühlt. 

 そこ(=第9交響曲)では作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもうひとりの隠れた作曲者がいて、マーラーをたんにメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしかみられない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。

これもまた大変有名な言葉。プラハ講演にはこれ以外にも、第6交響曲アンダンテの主題に関しての分析や第8交響曲、第10交響曲についての言及があり、 興味が尽きない。ただし第10交響曲については、この講演の時点では草稿の存在が知られているだけで、それ以上は推測するより他無かった点に留意する 必要がある。それにしても、この受け止め方自体のインパクトは大きく、知ってしまうとどうしてもこの言葉を通して作品を聴いてしまうほどの力を持っていると 思う。勿論、その後の批評にも影響を与えたであろうし、そうした影響を通して、第9交響曲の受容の仕方を方向付けてしまった発言ではなかろうか。
もっともそれでは、このシェーンベルクの言葉を否定し、かつそれに拮抗しうるような聴き方ができるかどうかと言えば、それはそれで難しそうだ。というのも、 ことは生涯と作品の内容を安直に繋げる安易な伝記主義や、アドルノが揶揄したような「死が私に語ること」式のプログラムの問題ではなく、作品を創作する とともに作品の内側に映り込む主体の様態や作品における「表現」そのものの問題に関わるからだ。そうであれば、どっちみちシェーンベルクの洞察は、 その問題の在り処の指摘については全く正鵠を射ているというほか無いのではなかろうか。(2007.5.12)
だから、このシェーンベルクの発言を、第9交響曲が一面ではきわめて個人的ではあっても、超個人的で普遍的なテーマを持つものとなっていることの指摘と とる考え方があるようだが、そうした意見は控えめに言っても、論理を補完すべき飛躍を含んでいるように思えてならない。少なくともシェーンベルクの言いたいのは、 マーラーが自分自身の死の恐怖を乗り越えて、冷徹に客観的に死をテーマにしている、ということではないのではないか。そしてその結果、作品が超個人的で普遍的な ものになったということではないのではないか。
結局そうした意見に対しては3つの疑問がある。1つは「作品」が超個人的で普遍的であることを保証するのは、「作者」の主題に対する態度なのか、 それは「作品」と「作者」との関係をあまりに単純に捉えていないかという疑問、そしてもう一つは、死の恐怖を乗り越えるという「人生」が、冷徹に客観的に死を テーマとした「芸術」を可能にするというような単純な結びつきが、ここでシェーンベルクの指摘しているような印象の由来なのかという、「人生」と「芸術」との関係に ついての疑問、そして最後に、シェーンベルクの言いたいのは、作品が超個人的で普遍的なテーマを扱っていることなのか、そうではなくて、彼がこだわったのは、 あくまで作品の音調が非人称的なものであるという点に在るのではないか、という疑問である。そうした主張がしばしば、マーラーが個人的な死への怖れを 「主観的な仕方で」作品に刻印したのだという「人生」と「芸術」の関係についての「素朴な」立場に対する異論として提示されるだけに、批判の対象のネガのような、 ある意味では同じくらいの「素朴さ」の論理の展開には些か戸惑いを感ぜずにはいられない。
些事拘泥と思われることだろうが、「超個人的」「普遍的」というのは、ここでシェーンベルクが言いたいこととは少なくとも直接は関係ないし、死の恐怖を克服して、 それを客観視できるようになった「から」、シェーンベルクの証言するような音調が可能になったのではないのではなかろうか。確かにシェーンベルクは第10交響曲について 思い込みをしていたに違いないが、事実誤認のほうはそれとして、その思い込みの先にある考え方―それは上記の引用の少し先で展開されている―の方まで 一緒に捨ててしまったら、シェーンベルクの意図を裏切ることになるように思われる。勿論、シェーンベルクの意図はどうでもよくて、上記の証言をいわば「証拠」として 利用できればいいのだ、という考えであればそれでもよい。だが、私個人はそうは思わない。むしろシェーンベルクが言おうとしたことの方が、第9交響曲の核心に 迫っているように感じられてならないのである。(2007.6.30初稿, 2024.3.10邦訳を掲載。)

2024年3月8日金曜日

「歌う骨」が私に語ること―「嘆きの歌」上演によせて―(2023.12.24 マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会によせて)(2024.3.8更新)

※お詫びと訂正:マーラー祝祭オーケストラ第22回定期演奏会の公演プログラム掲載の文章「「歌う骨」が私に語ること―「嘆きの歌」上演によせて―」の中に誤記がありましたので、お詫びして訂正致します。以下の文章では修正されていますが、「嘆きの歌」と旋律の相互参照がある同時期に書かれた歌曲は、リートと歌第1集に含まれる「春の朝」ではなく、それに先行する最初期の3つの歌曲のうちの一つである「春に」です。関係者およびプログラムをお読み頂いた方には、校正不足のためにご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。(2024.3.8)

 「嘆きの歌」は作曲者本人が自分の「作品1」であると語ったにも関わらず、他の交響曲がすっかりコンサートのレパートリーに定着した今日でも上演の頻度は低く、所謂「稀曲」「秘曲」の類であることは否み難いようだ。実演のみならず、マーラーの交響的作品の中では圧倒的に録音記録の数が少ない作品でもあり、マーラーの交響曲全集を完成させるような、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる人でも、「嘆きの歌」をレパートリーとし、録音記録があるのはごく一部に限られる。その理由として、物語的な性格が強く歌詞の理解が求められること、内容が陰惨で悲劇的であること、遠隔オーケストラを含む大規模な管弦楽に加え、独唱、混成合唱が必要とされ、上演が困難であること、更には複雑な改訂の経緯を持ち、版の選択の問題があるといったことが直ちに思い浮かぶが、そのいずれも単独では他の作品にも当て嵌まることであり、寧ろ「若書き」で「未熟」であるという評価に加え、後にマーラーが到達した交響曲という形式に拠らない異質の作品であるという点に拠る面が大きいのだろうか。

作品の完成を告げる1880年11月1日付の書簡で「次になすべきこと」として語った「考えうるあらゆる手段を用いてこの曲を上演すること」に対するマーラーの拘りは、20年以上後の1901年に王室・宮廷歌劇場監督に昇り詰めたマーラー自身の指揮でようやく初演に漕ぎ着ける迄絶えることなく続いた。この作品を語る時に決まって言及されるベートーヴェン賞への応募と落選の逸話の細部には実はマーラー自身による記憶の錯誤が含まれ、意識的・無意識的に依らず脚色があるようだが、その後1883年に当時全ドイツ音楽協会の会長であったリストに楽譜を送って評価を請うたが色よい返事が得られなかったことや、1893年に初期稿の第1部をカットし、遠隔オーケストラも削除して本体のオーケストラに組み込むといった改訂を行っていることが明らかになっている。結局初演時には遠隔オーケストラは復活したものの第1部はカットされたまま2部構成となり、残された部分も標題を削除され、少なからぬ改訂を経た形態となった。出版もされたこの形態が永らく「嘆きの歌」の確定版とされてきたが、削除された第1部「森のメルヒェン」を含む全3部の初期稿も喪われたわけではなく、ようやく1997年になって初演が実現し、全集の補巻IVとして楽譜の出版が行われたことは今や良く知られていることだろう。

「嘆きの歌」のテキストはルートヴィヒ・ベヒシュタインの採集した民話「嘆きの歌」とグリム童話にある「歌う骨」に基づいてマーラー自身が書いたものだが、そうした編集作業の背後に潜む動機については村井翔さんがジャック・ディーサーの精神分析学的な解釈を紹介しつつ興味深い解説をされている(村井翔『マーラー』, 音楽之友社, 2004, 172頁以降参照)。フロイト的な兄弟殺しの機制がこれほどあからさまな作品をマーラーが書くことはこの後二度となかったが、この作品を「作品1」として「聖別」し、まるで「祭祀」を執り行うこと自体が問題であるかのように20年もの間その上演に拘り続け、剰えコンサートという制度の中に受け容れられ易くする改変を施しさえして上演に漕ぎ着けたことは、ディーサーによれば無意識的な罪の意識からの「行為化」(アクティング・アウト)による解放と解釈されるようだ。更に「嘆きの歌」の物語の登場人物の中でマーラーが自己同一化した対象について、ディーサーの解釈では「王」となった兄であるのに対し, 村井さんは「死者」の恨みを代弁する「辻音楽師」こそがマーラーの代弁者であるとし、作曲家は一種の媒体であって、彼なしでは声を持たぬものがこの媒体を通して語るという音楽観が「嘆きの歌」においても既にはっきりと表明されていることを指摘されておられるが、これもまた至当と思われる。

だがここで指摘しておきたいのは、作品創作や改訂の心理的な要因よりも、マーラーの創作にあって首尾一貫している幾つかの傾向が「嘆きの歌」においても明確に現れている点である。

同時期に書かれた歌曲(ここでは「春に」(※お詫びと訂正参照))との旋律の相互参照と並んで、テキストの選択に関し、他人の手になる素材をそのまま利用せず、編集・改変によりオリジナルな版を構成するのは、第2交響曲でのクロップシュトックの「復活」の讃歌から「大地の歌」の「告別」に至る迄続くマーラーの「方法」の最初期の例と看做すことができるだろう。

それ以上に興味深く思われるのは「歌う骨」という「楽器」の存在である。「辻音楽師」が「死者の無念を晴らす」ための媒体として機能しているのは確かだが、彼自身の声で代弁するのではなく、拾った死者の骨を笛に仕立てることによって死者の声の語りが可能になっているという構造に注意しよう。歌うのは他の誰かであって音楽家自身ではない。更にここでは「歌う骨」とそれを吹く人間の役割は通常と逆転し、骨=笛は人が歌うための楽器=メディアではなく、逆に人間は息を吹き込んで骨=笛が歌うことを可能にしているに過ぎない。「辻音楽師」は第一義的にはこの世にただ一つしか存在しない楽器の製作者であり、息を吹き入れることによって「死者」に声を与え「幽霊」を蘇らせる役割を果たしているに過ぎないのである。

更に付け加えて言えば、楽器の発する(単なる音響ならぬ)「声」は「嘆きの歌」という音楽作品において人間の声によって代弁される。語りも嘆きのルフランも3人の独唱と合唱とが受け渡すようにして繰り広げていくのであり、独唱者が舞台作品におけるような固定的な役割を担うことはない。初期稿では少年の声が充てられていたパートは、改訂によって女声(アルト)に置き替えられるが、これもまた「原光」から「告別」へと至る、マーラー特有の異化の操作の一つと捉えることができる。同様に改訂における標題の削除についても第1交響曲や第3交響曲の例が直ちに思い浮かぶが、一連の改訂が具体性・標題性を剥ぎ取って抽象化していく方向性を一貫して持つのは、時系列的にこれらの作品の創作・改訂時期が重なっており、「嘆きの歌」改訂版の初演はそうした作業の最後を告げ、句読点を打つ出来事であったことを思えば当然であり、そもそもマーラーが「嘆きの歌」を「作品1」であると語ったのもそうした一連の改訂作業を通して獲得した認識に拠るものに他ならないことに留意すべきだろう。

ナターリエ・バウアー=レヒナーが記録している少年期のマーラーのエピソードの一つに、アコーディオンを与えられた少年マーラーが耳にした音楽を片端から記憶してアコーディオンで再現してしまったというものがあるが、ここでもマーラーが自分の声で歌うのではなく、アコーディオンという楽器を媒介として、まるで自らは再生装置のように他人の音楽を再現した点が興味深い。ピアニストとしても相当の腕前であったらしいマーラーは、だが長じては指揮者となり、自分の声で歌うはおろか自分で楽器を演奏することすらなく、他者を通じてその場には不在の他者の声を語らせることを選んだが、思えばこれもまた自己の内面を歌うのではなく誰かの声のメガホン替わりになるという作曲者としての姿勢と一貫していることに気付く。

更にマーラーの作品が常に持っている、そのそれぞれが仮構された一つの世界であり「夢」の如きものであるという構造が、既に出発点である「嘆きの歌」において明確であることにも注目したい。後にそのための媒体としてマーラーは交響曲というジャンルに辿り着くことになるが、そこに至るまでには更なる紆余曲折があり、次には2部5楽章からなる交響詩「巨人」に対して「嘆きの歌」と同様のカットを施して第1交響曲とするといった歩みが繰り返されることを念頭に置くならば、結果的にカンタータというジャンルに属することになった「嘆きの歌」は、マーラーが「交響曲」を再発見する段階に先行する、未成の「交響曲」であると考えることもできるだろう。

かくして「嘆きの歌」は、マーラーが兄として弟に対して負っている心理的な負い目を音楽化するとともに、自らが音楽家になって他者の歌を媒介することを引き受けることでその負い目を償うことを選択したという原点の証言であるとともに、作曲家としてのマーラーの様々な志向が最初に発現した特異点として、まさに「作品1」に相応しい実質を備えていることが浮かび上がってくるのである。

ところで骨で笛を作ることに関しては、考古学的遺物として世界の各地で確認されている様々な「骨笛」が思い浮かぶ。スティーブン・ミズンが『歌うネアンデルタール』で紹介している5万~3万5千年前のものと推定される正円の穴が開いた熊の大腿骨は、肉食獣が犬歯で噛んだ跡が偶々笛の穴に似たということのようだが、中国の河南で7千~8千年前に作られた鶴の骨のそれやタジク族や中南米に見られる鷹の骨のそれは疑いなく「笛」として用いられたようであるし、チベットでは法具として人間の骨でできた笛が用いられると聞く。

道具の制作も高度な共感も、或いは死を悼むことすら人間固有の能力ではなく、他の動物にも共通する生物学的な基盤を持つ可能性があるが、「幽霊」を見ることができるのは人間のみであり、「今ここ」には存在しないものを追憶し、「死者」に語らせるために骨で笛を作るのもまた、「現実」とは別に「虚構」を共有できる人間のみの営みであろう。そしてまた「死者」の追悼は、単なるその場限りの同期、同調、一体感ではなく、場所を変え、時を変えて記憶し、反復し、継承するという側面を必須なものとして含んでいる。更に儀礼によって「物語」が空間的な拡がりをもって共有され、時間的な拡がりをもって伝承されるためには、それが記録され、伝承されることが必要条件であり、予め反復可能でなくてはならないことを思えば、マーラー本人によって初演されてから100年以上の歳月を隔てた地球の反対側で、未だに演奏の伝統が稀薄で演奏に困難が伴う作品、けれどもその後の全ての作品の原点にあたる「作品1」を有志の手によって再演することの持つ測り知れない意義と価値の重みは自ずと了解されるのではなかろうか。それは他のどの作品にも増して長い20年もの間忘れることなく、「儀礼」としての上演を果たしたマーラー自身の行為を、場所を変え、時を変えて記憶し、反復し、継承することによってマーラーその人に応答することに他ならない。(2023.10.5, 2023.12.28本ブログにて公開)