お詫びとお断り

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2019年9月24日火曜日

マーラーに関連した2つの展覧会について:マーラー愛好家の専門家への手紙より

(…)今年はオーストリアと日本の外交関係のアニヴァーサリーとのことで、クリムトの名を冠した展覧会が上野と乃木坂で2つ並行して開催されているようです。

まずGWの前半に上野の方に行ったのですが、これは率直に言ってがっかりさせられました。マーラーの関連で良く知っているという意味では(クリムトの周辺とか、社会的文化的背景にあたるものも含めて)良く知っているのがマイナスに作用しているのかも知れませんが、クリムトの作品が出展の半分にも満たないのに「クリムト展」と銘打つのもおかしいし、サブタイトルで日本趣味を持ち出している割には展示はほとんど無関係。GW中であったこともあってか、開場から30分程度なのに入場するのに並ばないとならないので、「興行」としてはうまくいっていたんでしょうが…

ベートーヴェン・フリーズの原寸大複製なるものが展示されたブロックではベートーヴェンの第9交響曲の録音がBGM…。分離派展ではマーラーが合唱をあえてブラスの合奏に編曲して、ウィーンフィルのメンバーを呼んでその場で演奏したとのことですが、そういう経緯を思い浮かべるにつけ、当時持っていた「意味」は勿論、その微かなアウラまでもが既に消し飛び、まるで骨董品をその由来書に従って「演出」して見せるかのような頼りなさ(これくらいのことならバブル期に流行ったCMでも可能だったろうと思えます)に、一体何を意図してこれを100年後の日本に持ってきたのか私には理解できませんでした。単に企画側が見せたいと思い、会場を訪れた夥しい人達が見たいと思ったものに対して私が独り盲目であったに過ぎないのかも知れませんが。

それに対して一昨日の乃木坂の方は、「ウィーン・モダン展」と銘打たれた展覧会の全体がどうというよりも(こちらも目玉の一つらしいクリムトは、油彩の大作はパラス・アテネとエミリエ・フレーゲくらい)単に、マーラーの周辺の(画家としての)シェーンベルク、ゲルストル、ココシュカ、ロダンといった人たちの作品を集めた区画が最後にあったことが私にとってはとても有難かったということかと思います。先生は現物にウィーンで接しておられるでしょうから、改めて足を運ばれる程のものではないかも知れませんが。

シェーンベルクの絵(あの有名なベルクの肖像画とか、私にとっては馴染み深い「マーラーの葬儀の印象」)が来ていて、これも有名なゲルステルのシェーンベルクの肖像画やロダンのマーラーの塑像とかと一緒に、永らく写真でのみ親しんできた作品の現物に接することができたのが良かったです。(ココシュカの連作版画の方は、これはPHILIPSが企画して、中途で頓挫してしまったハイティンク/ベルリン・フィルのマーラー全集――従って、残されたものは選集ということになりますが――で組織的に取り上げたことを、熱心なマーラー・ファンなら思い出したことでしょう。)

シェーンベルクの絵は実物の方が遥かに素晴らしいし、ロダンの塑像は、3次元の現物をじっくり眺めて、その出来のあまりの素晴らしさに驚かされました。写真では感じ取れないマーラーの「精神」とでも言う他ないものが、ロダンの像からは伝わってくるように思えたし、マーラーが歴史上の過去の記号としてではなく、確かにその場に居たという感覚を持ちました。

我が家には、1910年に出版された例のマーラー生誕50周年の記念文集があって、これには図版が2つ、ロダンの塑像とクリムトのベートーヴェンフリースのマーラーがモデルであると伝わる騎士像の写真が収められていて、ロダン作の塑像の写真を保護するパラフィン紙には、ロダンの直筆のサインがあって、自宅にあってマーラーの生前に直接繋がる貴重な接点なのですが、ロダンの塑像も、シェーンベルクの絵などと一緒におかれた現物を見て、その総体を介して、時空を超えて繋がっているという確かな感覚を持ちました。

上野のクリムト展が、徹底的に過去の、外国のものであるという断絶の印象であったのに対して、クリムトはともかく、ココシュカ、ゲルストル、シェーンベルク、ロダンの作品がある乃木坂の展覧会の最後の一室だけは、奇妙な形で自分と繋がっている感じがして、それが錯覚であったとしても、稀有な経験であったと思います。そこにマーラーがいるわけではなくても、確かにマーラーが生きていたアウラが残っていることを感じとることができる空間に足を踏み入れたような気が致しました。

勿論、上に述べたようなことは私の個人的な印象、極めて限定された文脈からの展望に過ぎないですし、それを一般化しようというつもりも毛頭ありません。そもそもがマーラーに引き付ける見方自体、展覧会の見方としては甚だ偏向しており、それをもって客観的な判断とすることができないのは明らかなことです。一方で、にも関わらず、それでもなお私の印象には毫のぶれもないのも動かせない事実です。つまるところそれは、1世紀前のウィーンの文化的・社会的文脈一般に、その中で産み出されながら、その後の時代の変遷に耐えて存続している、否、それどころかますます輝きを増しているかにさえ見える作品の持つ「何か」、つまり(パウル・ツェランの言葉の通り)、時間を超えてではなく、時間を通して送り届けられた投壜通信の価値を還元することの不可能性を告げているように私には感じられます。

無論のこと、時代の中で求められ、時代の中で受け入れられるべくして創作され、受容された作品にもまた固有の価値はあるでしょう。だけれども、時代と場所を隔たりを経て受け取る場合の受け取り方がそれと同じ筈がありません。例えば、その部屋には、その背景を思わせる写真があったわけでもなく、幸いないことに(!)BGMとして彼等の音楽がかかっていたりもしませんでしたが、そういう「演出」を考えてみれば、そうしたことが、ここで経験したことと如何に無関係であるかを感じることができるかも知れません。

上で私は、「マーラーが生きていたアウラが残っている」という言い方をしましたが、それは、見かけ上そのように見えたとしても、自分の経験したことのない過去にマーラーを位置づける操作ではないのです。常には作品を通して、或いは書簡とか証言とかを通して知る他なかったマーラーその人のアウラに別の仕方、或る意味では直接その人物に接するような仕方で、不遜な言い方を御赦し頂きたいのですが、例えばシェーンベルクが接した彼に、その傍らで私もまた接しているかのような印象を抱いたと言えばいいでしょうか?シェーンベルクのかのプラハ講演の言葉が一切の誇張のない、掛け値なしの彼の気持ちであったことをまざまざと感じたように思えるのです。そう、それは或る種の精神的な「圏」の中に足を踏み込んだかのような圧倒的な経験でした。(…)

(2016.5.28執筆、9.24加筆・修正の上公開)

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