2023年2月9日木曜日

備忘:mathesis singularisとしての「マーラー学」?―アドルノのモノグラフを手掛かりにして―(2023.2.9更新)

 私がマーラーと出会って間もない子供の頃のとりとめのない、ぼんやりとした夢想の一つに、マーラーに纏わる情報を集約したアーカイブのようなものを作りたいというものがあった。マーラーがまだ今日のようにコンサートのプログラムの主要作品となる以前の、学校の音楽の教科書にも名前の載っていない、未だ評価の定まらない、否、寧ろどちらかといえば批判がついてまわる作曲家であった頃のこと、生誕百年が過ぎて相次いで出版されるようになった文献の邦訳が出始め、ポレミックな存在として取り上げられることも増えてきた折で、地方都市に住む平凡な子供がアクセスできる情報は、書籍にせよ、楽譜にせよ、演奏の記録にせよ限られたものであった一方で、数が限られているだけに徐々に増えていくこともまた感じ取れ、初めて自分が全面的に傾倒できる対象を見出した子供の性急さが、マーラーに関する全てを知りたいという衝動を引き起こしたといったところだろうか。だがそうした夢想というものは多くの場合恐らくそういうものなのだろうが、年を経て曖昧なものとなり、そのうちにそうした夢想を抱いたことがあったことを自分でも忘れてしまうことになる。一時期マーラーから離れた折には一旦手元にある資料を手放すといった紆余曲折を経て後、再び資料の類が手元に集積するようになると、今度はかつて手放した経験があるが故に、他はともかくマーラーだけは手元に残しておこうという意識が働いた結果として、単調にそれは増加を続けることになった。最初はその当時自分が親しんでいた演奏家の録音に限定していたCDについても、自分がマーラーから離れるきっかけとなったバブル期以降のものについてはともかく―それらは熱心なコレクターの方々が、今度は誰、次はまた別の誰というように追いかけていたから、自分のような一旦落伍した者の出る幕ではないように感じられた―、特に自分が(若干の遅れを伴ってであれ)概ね同時代的に接した録音より以前の、マーラーの同時代との繋がりを濃厚に湛えた時代から、所謂「マーラー・ルネサンス」が到来する生誕100年に至る迄の約半世紀の演奏記録については手元に集めておくこと自体に意義があるとの思いが増した結果、あるタイミングで方針変換を行って、とはいえ予算の制約もあって、気づいたものは可能な範囲で耳にしてアーカイブに加えるようになったりもした。それと並行してWeb上にマーラーに纏わる様々な情報を整理して公開できることを知ると、あてもなく折に触れ綴って引き出しの中に溜め込んでいた備忘も一緒に保管すべく、紙に手書きで記していたものをファイルに打ち込み直す作業を少しずつ続けて行くことになる。

 そうした営為がかつての夢想の或る種の実現と看做しうることに気付いたのは、三輪眞弘さんの作品がサントリーホールで演奏されたのに立ち会うべく訪れた折、三輪さんと同じ「方法」の同人でもあり、大学での同僚でもある詩人の松井茂さんが、何の話のついでだったか、上記のような経緯で当時私がWebで公開していた(但し、Googleのbloggerを利用している現在と違って当時は手書きのhtmlで、メールのサービスを利用していたプロバイダのドメインで公開していたと記憶するが)マーラーと三輪さんに関するアーカイブについて言及されたことがきっかけであったように記憶している。尤も記憶する限りでは、ことマーラーのアーカイブについて言えば、松井さんは半ばあきれたような感じでその量の膨大さを指摘されたに過ぎず、あっと言う間に別の話題に話は移ってしまったのであり、そのコメントを受けた後にふと曾ての夢想を思い出したのは、その後も量だけは膨らみ続けるアーカイブをどうしたものかと独り言ちていた時のことに過ぎない。松井さんは大学での研究としては美術・建築等の遺産のアーカイブ化をご専門の一つとされておられるから、アカデミックな研究者としての立場から何か思うところあってのコメントだったかも知れないが、迂闊にもその時にはそうしたことに思いが及ばなかった。その理由は偏に、アーカイブと自称こそしていても私のマーラーに関するそれは学問的な批判的手続きを経た方法論に基づくものではなく、単なる個人的な備忘の集積に過ぎないからであって、それを研究者としての松井先生が取り組まれているものと比較するということなど、そもそも考えもしなかったということに尽きる。そのことに対する開き直りという訳ではないのだが、音楽学者であればマーラーの同時代の音楽や文化的・社会的背景、影響史や受容史といった領域それぞれについて、客観的、体系的に調査を行い、論述を行うであろうところ、客観性が要求され、一般性があることが価値であるべき学問的研究が行われるような場所で、私はといえば、市井の愛好家に過ぎないことをいいことに、他ならぬその対象に自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」を把握したいという気持ちだけに導かれてここまで来たこと、そして「個別的なもの(singuralis)」への強い拘りについて言えば、40年前の子供の頃以来変わることがないようであることに、かくして思い当たったのである。そうした私にとって、この文章でこの後、導きの糸とするアドルノのマーラーに関するモノグラフ(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)の冒頭、「天幕とファンファーレ」と題された章での第一交響曲冒頭のあの一度聴いたら忘れることのできない序奏部分について述べた以下の文章は、私がマーラーの作品に初めて出会ったときの経験―40年前の或る日、当時中学生であった私は、他ならぬこの作品によってマーラーと出会ったのだが―そのものについても、その後今日に至る迄の拘りについても、ともども的確に示してくれているように思われるのである。(厳密を期するならば、私が聴いたのは朝の五時ではなく、暑い夏の日の午後だったし、降ってきたのはFM放送のラジオから聞えてきたマーラーの作品におけるファンファーレだったのであり、尚且つこれらの差異は決して些末なものではなく、一つ一つ掘り下げて検討することで明らかになるであろう重要な論点を含むが、その検討は別の機会に果たすべき宿題としたい。)

「(…)このように、十代半ばの子供は人を圧するように打ち降りてくる音を耳にして朝五時にただき起こされるのかもしれない。その音を夢うつつにほんの一瞬耳にした者は、それがもう一度やってくるのでは、と期待するのを決して忘れはしない。その音の感覚的実体性を前にしては、形而上学的思考も色あせ、無力である。この形象の中であの瞬間は果たして成功したのかそれとも単に意図されただけだったのか、と問いかけるだけの美学もまた同様である。あの瞬間にとって、それ固有の亀裂は本質的であり、それが成功した作品という見かけに反乱を企てるのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.6)

 但しここでいう「個別的なもの(singuralis)」は私の「自己」=「我」ではない。私は、こと個別の私の「我」について言えば、そんなものはどうでもいいと思っている。自己の一貫性とか統合性に拘りがないわけではなく、首尾よくいかないことを認識しつつも、寧ろそれには強い拘りをもっているのだが、それとは別に、それが一貫して統合したものであったとしても、寧ろ「自己」は、自分が遭遇してきた「他者」によって形成された場のようなものであり、私にとって重要なのは対象たる「他者」の側であり、対象が自分にだけでなく他にも開かれたものである限りにおいて、対象に対する了解に唯一の正解があるとは思っていないし、世界に関する眺望のうちの一つの視点に過ぎない「自己」からの「見え方」に特権的な何かがあるとも思っていない。勿論これはあくまで私の「我」についてであり、例外はある。というより、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」である「他者」には、自分が惹き付けられるだけの理由があるわけだから、対象たる「他者」の「我」の方は、こちらはどうでもいいということはありえないだろう。逆にこういう言い方をするわけだから、ここでいう「対象」というのは第一義的には、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」そのものである個別の一つ一つの「作品」というオブジェクトであるけれど、実際にはそうした作品を生み出し、遺した「特定の個人」=「他者」という「個別的なもの(singuralis)」のことを指していることになる。

 もう一点、この前提から導かれることとして述べるならば、ここでいう「個別的なもの(singuralis)」は、一般概念の内包的定義である「何性」(quidditas)では捉えられないウニカート(unicate)な存在を指向するが、さりとてしばしば「何性」(quidditas)と対比される「これ性」(haecceitas)に結びつけられる存在の事実性とは異なった点にその重点があるということである。例えばジャンケレヴィッチはその浩瀚な著書『死』の末尾の章で、「事実性は滅びることはない」と章題の一部で語り、著作全体の最後を「存在した、生きた、愛した」と題した節で閉じるが、存在するものは存在したという事実そのものに価値があるのであって、それぞれの価値の間に差異はないという立場は、個別の存在の特殊性をもって、個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元を縮減させてしまう。ここでの「個別的なもの(singuralis)」はまさにこの個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元に関して言われているのであって、それこそが、それのみに独自の仕方によって、他ならぬ自分を惹き付けるという点で特殊である点に懸かっているのだから、ジャンケレヴィッチのような立場とは相容れないということになる。

 ここでの「個別的なもの(singuralis)」は、ロラン・バルトの用語を借用したものであり、比較と差異化による理論的な「普遍学(mathesis universalis)」との対比という点も含めてバルトの考え方に親近感を覚えることから、リスペクトの意味合いも込めての借用である。なお、上記の叙述から自ずと明らかであると思われるが、従ってここでの「何性」(quidditas)、「これ性」(haecceitas)を中心とする諸概念の定義は、中世スコラ哲学、就中ドンス・スコトゥスの議論よりも寧ろ後世の理解の方に近いが、さりとて具体的に誰かの図式を借りているわけではない。この図式の規定は「個別的なもの(singuralis)」をどう了解するかそのものに他ならず、従って本来は精緻な議論が必要なところだが、ここでは備忘という性質上、その点の示唆に留めて後日を期することにしたい。

 とはいえバルトのmathesis singularisをどのように捉えるかについては、管見でもかなりの幅があるようにも窺える。ここはバルトのmathesis singularisそのものの検討を目的とする場ではないし、バルトのそれに厳密に依拠しているというより、その或る側面のみを切り出して借用しているに過ぎないが、それでも説明のための参照点としている限りで、バルトの概念とここでのmathesis singularisとの間でずれていると思われる点については目配せをしておくべきだろう。

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 バルトがmathesis singularisについて述べるのは、結果的に遺著となった『明るい部屋』においてである。まず第一義的に『明るい部屋』は写真論であること、そして母親との死別という彼の私的な経験を踏まえているが故に、mathesis singularisの探求は、その具体的な実践の相において「写真」というメディアの固有性に無頓着ではいられない(その端的な規定が「それは-かつて-あった」だろう)と同時に、或る種の「喪の作業」としての性格を帯びてしまうことが避け難い。つまりmathesis singularisの実践の唯一の例として示されているのが「喪の作業」における写真を対象としたものであるというのは紛れもない事実であり、その点を最初に押さえておくべきだろうが、その一方で、それが写真の固有性の上に立脚しつつ、かつ「喪の作業」を特権的なものとしてしか成立しえないかどうかはまた別の問題であることにも留意すべきだろう。

 更にmathesis singularisの実践に関連する概念としてstudium/punctumの対立が『明るい部屋』において導入されるが、これもまた写真を対象とした記号論的分析のための概念であり、社会的・文化的背景を持つ一般性・客観性(厳密には相互主観性と呼ぶべきかも知れないが)のある文化的なコードというべきものであるstudiumに対して、写真を眺めている時に写真の側から不意に到来して見る者に「痛み」をもたらすものがpunctumであって、前者がmathesis universalisとしての記号論に関わるのに対して、後者はmathesis singularisに関わりを持つとされる。文脈に忠実たろうとする限りでは、それは見る者の「喪」の経験という個別的なものに由来して、見る者に「痛み」を感じさせる写真に関わるものであって、それ以外の領域への拡張が可能な条件がどのようなものであるか、具体的には「写真」以外の対象に適用できるのか、punctumは「喪」の経験以外に由来しうるものなのかといった点は明らかではないというべきなのだろう。専門の研究者ではないためアクセスできる情報に限りがあるのだが、その範囲に限って言えば、そもそもmathesis singularisについて論じたものは数える程しか確認できておらず、そのほとんどは「写真論」であるか「喪」の経験に関わるものであるかのいずれかか、或いはその両方のようであり、『明るい部屋』における具体的な実践の文脈から離れてmathesis singularisを論じたものはソルボンヌ大学に提出された博士課程論文 Sachi Kobayashi, "Mathesis singularis" : lecture et subjectivité dans l'oeuvre de Roland Barthes, 2007が確認できたのみである。繰り返しになるが、ここではバルトのmathesis singularisそれ自体がどのような射程と広がりを備えたものであるかを検討することを目的としているわけではないから、そうした先行文献の見解を検討することはせず、私のマーラーに関する拘りをまたmathesis singularisと呼ぶとした場合、それがどういった点でバルトのそれと共通性を持ち、どういった点で差異があるのかについての検討を行うことに終始せざるを得ない。

 まず明らかなのは、それが「写真」を対象としている訳でもなく、特定の写真から見る者にpunctumが到来したとして、それを引き起こすものを「喪」の個人的な体験に限定している訳でもないことだろう。「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」は「喪」の個人的な体験によって偶然的にpunctumになるのだが、mathesis singularisはそうしたpunctumの発生過程に纏わる機序を問題にしているのであって、そのここでの中味(ここでは「それは-かつて-あった」と「喪の体験」)は他のものであっても良い筈であるということが前提となっている。ここで問題になっているのはひとまずはマーラーの一連の音楽作品だし、ある作品をある時に聴いた時に、当時の自分の個人的体験故にpunctumの到来を経験したということの有無については、そうした経験は一度ならずあったし、そのうちの一つは「喪」の体験でありさえしたし、それに因んだ文章を示すことさえ可能ではあるのだが(ある日、第8交響曲第2部を聴いて)、そうであるにしても、マーラーの人と作品に対する私の拘りは、『明るい部屋』で提示された具体的なバルトの実践例そのものとは一致しない。私はマーラーの作品が或る種のpunctumを私にとってもらたすと感じているが、それは私固有のものであるにしても、特定の個別の経験を背景にして生じるものではないし、マーラーの作品の中の特定の作品なり部分なりが対象であるわけではない。勿論、マーラーの作品全てが等しくそうであるとは言えず、濃淡は存在するし、マーラー以外の作品がpunctumを持たない訳でもない。

 寧ろ最後の点に関してはこう言うべきだろう。或る時、或る作品から、私個人の個別の体験を背景としてpunctumが到来するという出来事は、マーラーの作品に限らず起きることであるが、それは基本的には一回性の個別的、偶然的な事象であり、対象となった作品から繰り返し、常にpunctumを受け取るわけではない。だが私が、他ならぬマーラーの作品が或る種のpunctumを私にもらたすという事態がマーラーの作品と私との間に生じると言っているのは、それとは異なる水準でのことである。そしてこのことは一見そう見えたとしても、バルトがpunctumを「私を突き刺す偶然」(ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚え書』, 花輪光訳, みすず書房, 1985, p.39)と規定する経験と対立してもいないが、一致しているわけでもない。バルトがここで「偶然」というのは、「私」の体験する出来事の一回性、偶然性を言っているのではなく、対象の側について、何故他ならぬそれ(ここでは彼が探求の出発点とした数枚の写真)でなければならないかに関する偶然性を言っていると思われるからである。それにしてもその偶然性が「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」(こちらはそれ自体は「写真」一般が備えていると考えられる)に、或る種例外的なパトスを付与するについて、彼自身の固有の「喪の作業」に由来するのであってみれば、更にはバルトが「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(roman)を考えていたことを思えば、その限りにおいて個別的、偶然的な体験についての「学」を企図しているのだという言い方はできるだろう。だが『明るい部屋』での実践例に限っても、そこで対象となっている一枚の写真は、偶然の出来事のせいで彼に一時的な情緒的反応、パトスを伴った反応を、だが恐らくは繰り返し引き起こすと言うべきであって、そこで問題にされているのは特殊かつ固有ではあるが、純粋に一回性の経験、つまり世上「奇跡」と呼ばれるようなそれであるとは考えにくいように私には思えるのである。

 まず「喪」の体験というのがその構造上、一時的なものではありえず、しばしば長期に亘るプロセスであることを考えれば、そのプロセスの中において特定の(一枚の、ないし一連の)写真がpuctumをもたらすようになったと考えるべきではないか。(そもそも「奇跡」と呼ばれるような出来事は、それを孤立した点的なものとして捉えられる限りにおいて、自伝的自己を備えた人間の具体的な経験にあっては常に虚偽であり、「瞬間と永遠」の如き抽象を弄び、剰えそれを賞揚するが如き言説は詐術の如きものであって注意すべきであるという点もまたここでの議論と無関係ではないと考えるが、この点はここでは一先ず措くこととしよう。)そこの特定の「写真」という対象に対する或る種のフェティシズムの如きものを見るかどうかは措いて、また、そんなものがそもそも成立し得るのかという問題は措いて、mathesis singularisは、一度切りの個別の体験についての学ではなく、結局のところ、偶然の出来事によって選択「された」(その限りで「私」が選択したのではなく、私はそれに対して受動的であると言うべきである限りで、ここでの「された」は中動態的なニュアンスを持つと考えるべきだろうが)特定の対象についての学であるのではなかろうか。それは特定の対象、つまりそれに繰り返し対峙し、その都度少しずう異なった、だが一貫性を備え、一時的な情緒的反応に留まらない、より構造的でかつ持続的な影響、認識の仕方の変容のようなものにさえ至るようなラディカルな影響を与える存在を対象としているのではなかろうか。もしそうであるとした場合には、私にとってマーラーの作品というのは、まさにそのような対象であるというように言い得るように思えるのである。

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 だが私のマーラーの人と作品に対する拘りを規定するのにmathesis singularisを援用するについては、より根本的な問題があるのではなかろうか?バルトは世上「作者の死」を宣告したことで著名であり、伝記主義や作者の心理の投影をテキストに対して行うような姿勢を批判し、テキストを作者とは独立の存在として扱い、読者のテキストへの関わり方において作者の意図の正確な理解を追及する姿勢を否定したことは良く知られている。作者とは独立したテキストの他のテキストとの相互作用の水準を重視し、読解の創造性を主張した結果、「作者」という概念は問いに付されることになるというのに、ここで私は、よりによってマーラーという「作者」を持つ一連の作品群を一纏まりとして、それらを他の作品群と区別し、それらに対するmathesis singularisを主張しようしていることになるから、そもそもの対象の定義の地点でバルトの考えと背馳していることになるのではないかという問いは当然思い浮かぶであろう。

 それに対する私の主張は、些か迂回的な性質のものとならざるを得ないのだが、まず思い浮ぶのはmathesis universalisにおけるマーラーの作品の扱いと、私がmathesis singularisと呼ぼうとする態度におけるそれとの差異である。通常マーラーの音楽は「音楽学」というmathesis universalisの対象の一つであろう。そこではマーラーは後期ロマン派に属する作曲家であり、影響を受けた存在として、例えばワグナーやベルリオーズなどの名前が真っ先に挙げられ、逆に影響を与えた存在としては何より新ウィーン楽派が挙げられ、マーラーの音楽の特質を取り出すのには同時代の作曲家、例えばライバルと看做されたシュトラウスとの比較が為されることであろう。かつてマーラーが今日のように「大作曲家」の一人に列せられる前でも管弦楽法の大家という評価はあったし、その後、ハプスブルク帝国の宮廷=王室歌劇場監督として君臨し、妻アルマを介したものも含めた様々な領域の文化人と交流をもったことなどから、19世紀末のウィーンの文化を象徴するアイコンに迄なって、音楽学に留まらず、社会学的・歴史学的な研究の対象にもなったし、その結果としてマーラーを論じる時、決まってそうした文化的背景に関する教養・知識を披歴することが或る種の紋切型に迄なった。時として、人によっては興味をそそられるものであるらしい過去の時代の空気を描き出す作業の中で彼は欠かせぬ存在となり、マーラーの音楽そのものはそっちのけで、専ら文化的教養としてそれは消費されることになるから、当然のこととしてそうしたマーラーの人と音楽への関心は、studium/punctumの対立においては前者の側に分類されることは間違いなかろう。一方で私がマーラーの作品を対象としたい理由は、そうした文化的教養とは無関係の地点で成り立っていて、寧ろstudiumをかき乱す側にあることは間違いないのである。

 これはstudium/punctumの対立と直接対応する事柄ではないのだが、現在は汗牛充棟の感あって最早私のような市井の愛好家が追跡することが到底できない程マーラーに関する研究文献はその数を増しているとはいえ、私がマーラーに出会った40年前には、最初にも述べた通り、主だった書籍に範囲を限れば、その数は指折り数えることができる程度のものだった。その中で、アドルノのモノグラフを除けば質・量とも際立っていたのは、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記(但し第1巻が出たばかりだったが)、ドナルド・ミッチェルの作品研究(これも初期作品を中心とした最初の2冊だけ)、コンスタンティン・フローロスの3巻本の研究書(これも最初の2巻だけで第3巻は未刊だったが、現在、邦訳が英訳からの重訳で読めるものとは異なって、計画では「マーラーと文学」に関するものになる筈であったらしい)だった。この最後の研究は、公刊済の第1巻が Die geistige Welt Gustav Mahlers in Systematischer Darstellung(体系的叙述によるマーラーの精神的世界)、第2巻が Mahler und die Symphonik des 19 Jahrhunderts in neuer Deutung(新たな意味づけをしたマーラーと19世紀交響曲) というもので、その「標題性」に拘るアプローチも相俟ってまさに文化教養としてのstudiumの側面を徹底したような内容であるし、ドナルド・ミッチェルの作品研究もまた、特にその第1巻はド・ラ・グランジュの「伝記」の刊行前に企画されたこともあって実質的にマーラーが初期作品に至るまでの生涯についての言及も多いが、第2巻は影響を受けた作曲家との比較対象、スケッチ帳の調査に加え、アイヴズとの比較のような未来への視点も含んでおり、mathesis universalisと呼ぶに相応しい。そしてド・ラ・グランジュの伝記について言えば、「作者の死」を唱えたバルトにとって、作者の伝記的事実というのは、テキストを読むに際して排除されるべきであって、伝記主義はバルトの批判の対象であり続けたことを考慮に入れると、こちらも伝統的なmathesis universalisの側に属するものにひとまずは分類されそうである。 

 そうした中でstudium的なものが主導的なmathesis universalis的なアプローチに対して辛辣なまでに批判的で、かつマーラーの音楽が持っているpunctum的なものについての指摘に満ち溢れたものとしては、冒頭いきなり、絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判から始まるアドルノのモノグラフを何よりもまず挙げるべきだろう。それはいわば従来のmathesis universalisでのアプローチの限界の指摘であるとともに、ロラン・バルトのアプローチとは全く独立に、だが内実において多くの共通点を持った仕方で、マーラーという特定の対象の固有性に迫ろうとするアプローチとしてまさにmathesis singularisの実践例と言えるように私には思われるのである。アドルノのミクロロギー的思考とバルトのmathesis singularisの親和性については、管見でも例えば多賀健太郎『突き刺す喪 : 写真・アウシュヴィッツ・自然史』(年報人間科学 24-1 pp.17-32, 大阪大学, 2003)にて指摘されているが、そこでのバルトのpunctumからアドルノの「句読点」への架橋(これは寧ろ「チェズーア」や「パラタクシス」との布置=星座の中で独立に検討するべき重要な視点ではあるが、さしあたりはそれ)よりもアドルノのmateriale Formenlehreのような「唯名論的」なアプローチの方が個別的なものの固有の論理を浮かび上がらせる方法として、mathesis singularisの方向性に添ったものに私には感じられた。唯名論的な志向はマーラーの音楽自体の持つ特性でもあり、当然アドルノはそのことを

 「音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, p.83)

というように指摘しているが、それを踏まえるならば、アドルノのマーラーへの対峙の仕方の方もまた、対象がどのような音楽であっても採用し得るわけではなく、対象であるマーラーの音楽の特性に寄り添った対マーラー固有の戦略として選択されたものということになろう。更に言えば、そもそも「モノグラフ」という形態そのものが、アドルノのミクロロギ―においては戦略的な意味を担っていると考えることもできるだろう。師匠のベルクについてのものを措けば、アドルノの常で両義的ではあるものの、基本的には寧ろ「敵」であるワグナーの楽劇についての批判的「試論」はあるものの、ベートーヴェンについては遂にモノグラフを上梓することなく断片が遺されたに留まった中で、端的にミクロロギ―の実践形態である「音楽観相学」という副題を備え、対象の固有名を標題として掲げたたモノグラフが他ならぬマーラーについて書かれたことは、アドルノのmathesis singularis的な思考とマーラーの音楽との或る種特権的とも言える親和性を告げているのではなかろうか。(ちなみにロラン・バルトの側でも「ミシュレ」に関するモノグラフがある訳で、ミシュレのエクリチュールに注目して、ミシュレという歴史家が、過去の確定した事実や既に没した人物の心理を記述の対象とするよりは、その時代に戻って死者たちの生を生き直すというアプローチを採ったことが語られることを思えば、バルトにとってのモノグラフも構造的に並行した関係を持っているとは言えないだろうか?)

 一方、そうしたことからマーラーの音楽自体が広義でのmathesis singularisの実践例であると捉え得るならば、更にはマーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータとして捉え、その認識の様態や存在の様態が作品の形式的構造に刻印されているとするならば、私のpunctumへの拘りはそれ自体、そのようにしてマーラーの交響曲の全体から発せられる「事実を越えて燃え出すような火花」(これはpunctumの言い換えでなくて何であろう)を受け取った私が、そのマーラーの音楽の様態、ひいてはそこに刻印されたマーラーその人の在り方の様態を同調的に「感受」(ここでは、これはホワイトヘッドのプロセス哲学的な意味合いを込めて用いる)した結果であって、mathesis singularisへの拘りの方も同様に、実はマーラーの音楽に刻印された存在様態が私に伝播した結果であるという見方が成り立つかも知れない。ここで注意すべきは、マーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータであり、その認識の様態や存在の様態がそこに刻印されているとする立場は、こちらもまた、アドルノの絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判の対象となるものではなく、寧ろアドルノの批判に与するものであるということだ。

 マーラーの音楽については、その自伝的側面が強調されるあまり、彼の生涯の出来事を知ることがその音楽の内実を正確に理解するための条件であるかの如き主張が為されやすいが、マーラーの音楽は主観的な独白で満たされた日記ではないし、自己の経験した出来事についての描写音楽や標題音楽の類でもない。第3交響曲はマーラーのザルツカンマーグート滞在に取材した描写音楽などではなく、マーラー自身が言ったとされる通り、「手持ちのありとあらゆる手段を用いて構築」された一つの別の世界なのであり、そこに刻印されたものがあるとすれば、それはマーラーその人の世界との関り方とそれに応じた体験の内的な時間の流れ方の様態であって、しかもそれは寧ろ音楽の形式をボトムアップにその都度作り上げる働きをしているのである。その音楽は経験したこと「について」の描写などではなく、経験そのものの「音楽によるシミュレーション」なのだ。マーラー自身が後程撤回することになる稚拙ともとれる標題が、それでも「~が私に語ること」であって、語りの主体が「私」ではないことがその辺りの消息を告げている。これが第3交響曲においてのみ起きた偶発事などではないことの傍証は個別の作品に関してそれぞれ挙げることができようが、もう一つだけ、今度はマーラーその人のものではない証言を挙げるならば、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関してどのように述べていたかを思い起こせばいいだろう。そこでシェーンベルクはこのように語っているのではなかったか。

「この作品の中では、作者はもうほとんど個人として語ってはいない。まるで、この作品にはかくれた作者がいて、彼がマーラーを単なる自分の代弁人として使役しているかのように思われかねないのである。この交響曲はもはや個人的な表現の行われたものではないのである。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, 上田昭訳, 三一書房, 1973; ちくま学芸文庫, 2019ではp.160)

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 ところでマーラーの音楽自体の持つ唯名論的な志向によって導かれたのがマーラーの音楽の「小説」のような形式であるというアドルノの指摘は、バルトのmathesis singularisの側の極めて重要な側面に共鳴を引き起こす。バルトの側でも「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(Roman)を考えていたのであり、この点の共鳴もまた、偶然のものではないだろう。

 私のmathesis singularisとしての「マーラー学」は小説という形を取らないけれど(そう、マーラーについての「小説」を書くという可能性を具体的に思い描くことすらできない。マーラーに関する文献の中には、マーラーの生涯の一部を素材とした小説が幾つもあるのを知ってはいるが、寧ろそれ故に、それを私の方法としては採らないけれど)、例えば10年前に考えたことと現時点での認識や見解が同じなら同じで更に深めていくけれども、仮に違いがあったとして、それが事実に関する間違いを含んでいたり、明らかに論理的に誤謬を含んでいて意味をなさないと判断されるのでなければ前の認識や見解を撤回しようとは必ずしも思わない。それには私の見ている「対象」の姿は、そのほんの一面に過ぎなくて、私は、私にどう見えているしか所詮、書けないのだという感覚があるように思う。

 そうだからこそ、私は「小説」を書くことができる人が羨ましく感じられることも多々ある。私の採用するやり方は、せいぜいが「かつて私には対象がこのように見えていた、今はこう見える」という点を確認した上で、その違いの所以を問うことで、「対象」の側の相貌がより色々な角度で明らかに浮かび上がっていくことに寄与しうるに過ぎない。とても平易な言い方になるけれど「私にはこうも見えたし、今はこう見えています。こういう見方もできるのではと思います。」という証言をすることで「対象」についての展望を豊かにすることが出来たらそれでいい、そしてある意味これは果てしない作業なので、残された時間が限られてきたとするならば「対象」を絞り込む(これは老年学で言われるところのSOC(selective optimization with compensation : 補償を伴う選択的最適化)の方略の一つであるらしいが)べきと思っているということである。

 (だが、であるとするならば、「私」の方については虚構が成り立つ余地があるのではなかろうか?別の可能世界にいる「私」がマーラーにどのように対面し得るか、或いはマーラーと同郷人であり、或いはマーラーと同業者であり、或いは…という多岐性は、これもまた「対象」についての展望を豊かにすることに寄与することができはすまいか?それにしても、そもそも「私=自己」は、常に軌道を描いて移動していく重心のようなものであり、それ故「自己=我」についての「本物らしさ」に拘ることは愚かしいが、その都度その都度の対象との関りは全く恣意的なものではありえない。)

 なお、心理学的な意味での「作者」とアナロジーの形式による「本物らしさ」の効果に対する批判から、バルトがブルジョワ演劇の「写実主義」に対して、ブレヒト劇への関わりを根拠に、演者と作品上の役割・観客の同一化としてのカタルシスを重視したことについて言えば、そのアナロジー批判を擁護しつつ、発見や理論構築の過程でのアナロジー(その顕著な例を一つだけ挙げれば、南部陽一郎先生の自発的対称性の破れを提唱した論文、Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. I, II"におけるそれがまず思い浮かぶ)を擁護することを試みるべきであると考える。後者は「本物らしさ」とは関係ない。寧ろ異なった領域に共通する構造的同型性に着目することで新たな理論構築を可能にする広義のアブダクションの一種と捉えることができよう。他方私が「小説」に疑問を感じるのは、それがまさにバルトが批判した筈だった「写実主義」と「本物らしさ」に依拠する側面がないとは言えず、ことマーラーに関して言えば、寧ろその批判される側面ばかりが目立つ印象を覚えるからということもあるだろう。

 作者としてのマーラーに関する「伝記」は、そちらはそちらで「作者の死」の立場から拒絶の身振りを以て遇されそうだが、そうした拒絶を免れそうにないものもあるとは言え、少なくともド・ラ・グランジュの手になるそれ、生涯に亘って何度となく改訂され続け(最初の英語版は第1巻で中断し、替わってフランス語による全体で3000ページ近い分量の3巻本として一旦完結した後、今度は英語版で第1巻の続きにあたる部分の増補が行われてそれだけで仏語版の分量を超える3冊本となり、最後に第1巻の増補改訂作業を行って英語版が4巻本として完成する途上でド・ラ・グランジュが没したため、第1巻は遺著として他人の編集の下で公刊された)、マーラーの交響曲のように巨大なそれ(最後の英語版改訂版4巻本は合計で4600ページにも及ぶ)だけは確実に、その徹底ぶりに或る種のpunctumさえ感じさせるものになっているというのが私の率直な印象である。否、その点ではその分量において相対的には(あくまでも相対的に、であって、それ自体としては量的にも十分なのだが)簡潔にさえ感じられるクルト・ブラウコプフの伝記さえ30年近い歳月の蓄積の中で生み出されたもので、そのための蒐集された資料の膨大さもまた伝記の後に公刊された資料集からも窺えるものであり、やはり一生涯をかけてマーラーと関わった記録であることには間違いない。その最終章はまさに「マーラーの伝記を書くことの冒険」(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)と題されていて、その伝記が完成するまでの労苦と紆余曲折を偲ばせる内容になっていて、それを読んだときの印象をクルト・ブラウコプフのマーラー伝の最終章「マーラーの伝記を書くことの冒険(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)」よりという小文に記したことがあったが、私がそこで受け取ったものもまた、音楽社会学者としての彼のmathesis universalisの成果としてのstudiumとは異なったもの、punctumに他ないものであったと記憶する。恐らくはそうした伝記的な業績に(直接ではなくても、間接に)依拠して成立したであろうマーラーに纏わるフィクションの類は、その貧弱で劣化したコピーに過ぎず、寧ろ「本物らしさ」と見てきたかのような「写実」的な描写に対する安直な寄りかかりの弊を免れないし、アドルノがマーラーの交響曲を「小説」として捉える要件を満たしておらず、少なくとも私にとっては「特殊なものという期待を贈り物として呼び覚ます」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』邦訳, pp.82~83)ものではないのである。それよりは寧ろ「伝記」の方が、マーラーという個別で特殊なもののその特殊性を浮かび上がらせ、マーラーの人と作品に関するパトスを呼び覚ますものたりえているように感じられるのだ。

*  *  * 

 だが私がマーラーの人と作品の個別性、特殊性について考える時に真っ先に思い浮かべるのは、結局のところ、例えば先にも参照したシェーンベルクが「プラハ講演」での語りなのである。そこで彼は人と作品との関りについてどう述べているか?彼は講演をこのように始めているのである。

「多言を費やすことをやめ、マーラーこそはもっとも偉大な人間にしてかつもっとも優れた芸術家の一人であると信じて疑わない、と素直に言ってしまうのが最良の方法ではないかと考える。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

 シェーンベルクには、マーラーのネクタイの結び方に纏わる有名なアネクドットもあるけれど、些か極端に感じられ、今なら「個人崇拝」「聖化」の如きものとして冷静に拒絶されることもあろうその熱狂的な姿勢はだが、彼がマーラーその人と実際に会って少なくない時間を共有したこと、サウロがパウロになったと自ら語ったように、最初は反撥していたマーラーの作品を高く評価し、傾倒するようにさえなったことと無関係ではあるまい。マーラー自身の音楽が「自伝的」であると言われるかどうかとは一先ず関係なく、ここでは人とその作品は分かち難く結びついているが、それはバルトの批判した作者と作品との間にある心理学的な関係とは全く無縁であろう。その関係はそもそも、生産ー演奏ー消費という記号論的三分法が暗黙裡に前提として疑わない、「ものを生産する」こと、それを「使用」したり「交換」したりすることを範例とするパラダイムでは捉えられないものなのであって、mathesis singularisは一見そう見えたとしても、単に生産の側から消費の側に重点を移し、後者により多くの自由度を付与しただけのものではない。「喪の体験」もそうしたパラダイムから逃れでるものの一つであるだろうが、それは「喪の体験」だけで尽くされるものではないだろう。

 そもそも単に使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値ということであれば、商品の物神的性格に関して指摘される物象化に伴って現象するファンタズマゴリーもまたそうではなかったか。そうした状況に対して、バルトの方は記号論的分析によって「神話作用」を告発し、アドルノはまさにモノグラフの一つである「ワグナー試論」において、ワグナーの楽劇がファンタズマゴリーに他ならないことを指摘して見せたのではなかったか。更に技術的特異点(シンギュラリティ)が具体的なものとして議論されるようになった今日の状況を踏まえつつ、ディズニーランドこそがファンタズマゴリーの現代的形態の典型的事例であることを三輪眞弘さんが指摘している。

「確認しよう・・ディズニー映画からディズニーランドが生み出されたように、現代社会は「あの世」から多大な影響を受け、20世紀「この世」は「テーマパーク」のようになった。つまり、不道徳なものは除いた上で、このテーマパークの中では誰もが、もはや人間ではなく、平等で笑顔で楽しく清潔な「お客様」でなくてはならない。それはアニメ映画のような幼児的世界の模倣である。」(三輪眞弘「魔法の鏡 または、三浦基氏に宛てた「光のない」の私的パラフレーズ」より一部を引用, 初出はF/Tジャーナル創刊号)

だがだからといって、使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値が問題であることは確かなのであって、その価値がファンタズマゴリー的なものとは異なるための条件なり、それを見分けるための徴候なりを突き止めることが求められているのではなかったか。そしてpunctumこそがその徴候であり、「喪の体験」こそがそうした実例の一つなのであり、mathesis singularisは使用価値とか交換価値でもなく、さりとてファンタズマゴリー的なものとは異なる価値を擁護するための方法なのではなかろうか。(とはいえその擁護がますます困難になっていることにも留意する必要があるだろう。上に引用した三輪さんの文章での「あの世」という言葉の用法が物語っているように、全てを特徴量に還元し、徹底的に数量化し、特殊性を統計分布上の外れ値として除外する統計処理が支える緻密なマーケティングと、感性的なものを制御し、現実の拡張や仮想的なものとの融合さえ実現しつつあるテクノロジーの圧倒的な力に浸蝕され、パトス的なものすら制御され回収されかねず、punctumが拠り立つべき地盤がどこにあるかすら危うくなってきている中で、ファンタズマゴリーはしっかりと使用価値と交換価値の回路に回収され、管理と支配の道具となっている現実に、更にはシンギュラリティの向こう側では、「あの世」すらかつてのようではなくなり、「喪の体験」すら徹底的な変容を受けたり、ことによったら消滅したりする可能性があるのだ。そうした展望を踏まえるならば、具体的な相に関わる部分については再解釈が必要になってくるだろうが、それは単に自分のアーカイブ化への拘りを振り返るだけに過ぎなかった筈の本稿のもともとの目的を大きく逸脱する作業となるため、後日を期することにしたい。一言だけ付言するならば、使用価値でも交換価値でもない価値というのは、三輪さんの実践する「音楽藝術」と「人文学」とが関わる領域であると同時に芸術の姿を借りた「ファンタズマゴリー」の支配によって浸蝕されつつある領域であり、感情までが支配され、制御され、搾取される危険に対して、尚も「音楽藝術」と「人文学」は批判力を有するものであることを示すことが、mathesis singularisの役割であるというのがラフなスケッチになるだろう。)

 mathesis singularisは「喪の体験」を含めた「対象」なり「出来事」なりとの異なった関り方に依拠し、かつそうした異なった関わり方自体を対象としたものなのである。ここでは示唆に留めるしかないが、元々のバルトの文脈においてもまた、そこには特定の、個別の「他者」との関りが存在していたこと、否、そればかりがその関りにこそ全てが賭けられ、それ故に「写真のノエマ」たる「それは-かつて-あった」が特別なパトスを偶然に帯びることになったという消息が思い起こされる。寧ろここではmathesis singularisによって、(mathesis universalisにおいてのように「他者」を客観的な分析対象とするのではなく、「他者」として迎接し、歓待することが前提となっており、そうした「他者」ーpunctumをもたらす存在ーへの応答こそがmathesis singularisを成立させる必須の契機なのではないかと私には思われてならない。

 ところでシェーンベルクは、また同じ講演で以下のように述べている。

 「或る芸術家の偉大さを相手に理解させるには方法は二つしかない。その一つは―この方法がもちろん最良なのだがーその芸術家の作品を上演することであり、もう一つの方法は―私もこの方法によらざるを得ないのだが―書物を通じて読者にその芸術家の偉大さに関して自己の所信を述べる、という方法である。」(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

シェーンベルクはマーラーその人と異なって職業的な指揮者ではなかったし、当時の文化の中心に君臨するハプスブルク帝国の王室=宮廷歌劇場監督にして時代を代表する天才指揮者としてのマーラーを知っていただけに、寧ろ音楽の専門家であるが故に一層、その作品を自ら指揮する第一の方法を採ろうとは思わなかっただろうが(私の知る限り、シェーンベルクがマーラーの作品を指揮した記録は、1934年4月8日に放送された、ナチスを逃れて亡命したアメリカで、キャディラック交響楽団を指揮した第2交響曲第2楽章の演奏のみのようだ)、実際には一見したところでは誰にでも可能に見える二つ目の方法についても、実はシェーンベルクが自分も作曲家であり、音楽理論の専門家でもあったという前提を見落として、mathesis universalisの専門家でもない市井の愛好家に過ぎない人間が安易に、そちらなら自分でもできるなどと勘違いするのは夜郎自大というものだろう。私個人の身近ですら、一つ目についてはジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの音楽監督である井上喜惟先生のような方が間近に居るし、二つ目についても音楽学者の岡田暁生先生のような方が居られて、結果としてはどちらにしても私の出る幕などないということになるのかも知れない。そして勿論、冒頭にも述べたことだが、私の「アーカイブ」は松井先生(アーカイブ学の専門家としての松井茂さん)を前にして、そう名乗るのも烏滸がましい、取るに足らないものであるけれど、この文章の中で触れた以外にも数多いる巨人たちの、マーラーの人と作品に関わる業績のstuduim的な側面から自分が受けた測り知れない恩恵とともに、そこから蒙ったpunctumなしには成り立っていないことは事実で、せめてその一部でも(例えば、21世紀ならではのGoogle MapsやGoogle Street Viewによるヴァーチャル・ツアーや、日本国内のアマチュア・オーケストラの演奏記録の統計、自筆譜に比べると圧倒的に乏しいように見える出版された楽譜の異同に関して手元にあるものについて調べた結果の報告や、ジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの演奏に関する記録、そしてMIDIデータを用いた分析や作品の構造の可視化の試みなど)studuim的な側面においてもオリジナルな貢献たりえればと思う一方で、マーラーの人と作品という、個別、特殊に関するmathesis singularisとしてもまた、そこから受け取ったpunctumに「応答」できていることを願うばかりである。(2023.2.6公開, 2.8,9更新)

2023年2月3日金曜日

備忘:ジャンケレヴィッチ『死』における「老化」と『大地の歌』への言及について(2023.2.3更新)

 以前の記事に、通常ならそこにマーラーの名前を見出すことを人が期待することがなさそうな2つの重要な著作、即ちジャンケレヴィッチ『死』とドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』の中に、マーラーの名前が見出されることに気付いたこと、更にそのいずれもが『大地の歌』への参照を持つを備忘として書き留めたものがある(「大地の歌」への参照2件(ジャンケレヴィッチ『死』、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』))。

 まずその文体に耐え難さを感じてしまうこともあって、いずれの著作についても、それ自体を主題として論じうるような読解ができず、上述の備忘を記すのが精一杯な状況は基本的にはそのままではあるが、辛うじて読み取れた範囲でもその見解については直ちに幾つもの疑問が浮かんでしまうような対象ではあるとはいえ、マーラーについて流布する言説の多くが前提としている或る点に対する留保を感じているような場合には、その論点について考える上で貴重な参照点となりうるため、上記指摘に留まらず、もう少し詳細な検討をしたいと考えてきた。とは言うものの2つの著作に対する私の個人的なこれまでの向き合い方の来歴が両者を同じように論じることを許さない。ジャンケレヴィッチの『死』の方は、高校生の時から知っていたこともあって以前より手元にはあって通読したこともあり、『大地の歌』への言及があることも当然認識はしていたのだが、その結果は(これも別の雑記めいた文章に書き留めたことがあるけれど)その終わり近くに結論めいた形で語られる事実性に依拠するような発想に対して、最初こそ期待できる拠点として検討をしたものの、検討を経るに従って次第に反撥を覚えるようになったという経緯を持つ。それに対してドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』は、先行してドゥルーズの著作の幾つかに接した時のネガティブな印象、即ち着眼の卓抜さへの感歎にも関わらず、着眼を展開していく際の具体的なやり方には疑問と強い反撥を(もっと言えば読んでいて体調が悪くなるような生理的な拒絶感さえ)覚えて、敬して遠ざけている存在である。いわゆるドゥルージアンには卓抜した結果を出している方が多く、であればそこには私が馴染めないだけで重要なものがあるのだろうとは思うのだが、いざ対面すると、扱っている(より正確には、扱おうとしていると想像される、と言う他ないのだが)問題の興味深さにも関わらず、特にその数理的なセンスの欠如、乃至は筋の悪さ(と私には思える側面)に起因する論の展開について行けなさを感じてしまって断念を繰り返すといったことを繰り返してきた。最後の点に関連しては、ソーカル・ブリクモンの『知の欺瞞』において批判の俎上に上がった時に、それはそれでナイーブであるという批判を免れないであろうソーカル・ブリクモンの立場に全面的に賛同するわけではないが、ことドゥルーズに対する個別の指摘については多々共感するものがあった。『千のプラトー』についても同様に、やはり『知の欺瞞』の嫌疑を受けたその文体に対して、それを読み解くだけの時間的な余裕が単にないという判断で敬遠して読まずにいたので、よもやマーラーへの言及があるとは知らず、偶々それを知ってから慌てて取り寄せて辛うじて「リトルネロ」の章だけは何とか通読したというレベルであるから、到底それについて論じることができるような状態にはなく、こちらは最初に触れた備忘を記すのが精一杯なのである。

 従って後者については将来いずれそれを論じる条件が整うことがあれば論じることとして、ここでは多少なりとも慣れ親しんできた前者について、マーラーからそれを眺めた時に感じることを備忘として書き留めておくことにしたい。勿論その目的はジャンケレヴィッチに対する批判ではなく、ジャンケレヴィッチの『死』における「老化」に関する叙述を細かく検討することを通じて、マーラーの後期作品、アドルノがジンメルを参照しつつ、ゲーテの箴言にある「現象から身を退く」という言葉によって定義づける作品(その中には、『死』で言及される『大地の歌』も含まれるわけだが)について適切な視座を得る手がかりとすることが目的である。

 なおマーラーの後期作品を「老い」という観点から理解するという企図に関しては、マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業の備忘をワーク・イン・プログレスの状態のまま公開しているが、そこでの着眼点は、マーラーの長くはないけれどそれでももう1世紀を超える受容史の中にあって、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいて論じられてきたのに対し、「死」ではなく「老い」との関りにおいて論じるのがより適切であるという仮説に集約される。従って従来のマーラーに関する言説においては周縁的な位置づけを持ち、だが『大地の歌』への言及を含み、かつ「死」について扱った著作であるジャンケレヴィッチの『死』は恰好の出発点といえるのではなかろうか。

 とはいえそれはジャンケレヴィッチの「死」についての思索に基づき、それを踏まえ、継承・展開するかたちでマーラーと「老い」について考えるということにはなり得ず、ジャンケレヴィッチの言明に対する異議申し立てを含まざるを得ないから、寧ろそれを反面教師として、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としたものになる。

 実際後述の通り、ジャンケレヴィッチの『死』の中には「老い」についての章さえ存在するのだが、「別れ」というテーマに関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見え、その限りでは寧ろこれまでの「死」と結び付けて捉える発想の一例として扱うことさえできるかも知れない。「別れ」というテーマに関する部分でのみ『大地の歌』が参照されていることは決して偶然などではなく、「老い」ではなく「死」に関連づけて捉えるという発想との必然的な連関の中で捉えられうるに違いのであれば、マーラーの後期作品が常に「死」との関りにおいてのみ論じられ、「別れ」のモチーフも専ら「死」に関連づけられてきたことに対する批判を、ジャンケレヴィッチの著作の批判的読解を通して試みることが可能であろう。

 そこでここでのアプロ―チとして、一旦『大地の歌』への言及がある箇所から離れ、まず「老い」についてのジャンケレヴィッチの扱い方、特に「老化」をこの著作全体の主題である「死」にどう関係づけるかの具体的様相について、些か些事拘泥的と受け止められるかも知れないような祖述的な(だが同時に批判的な)読解を試みる。そしてそこでの「老い」の扱い方の確認結果を踏まえて、『大地の歌』への言及の部分の理解を試みるというやり方を取ることにする。

*  *  *

「老化の中に死すべき運命の徴候と死そのものの前駆症を読み取ろうという誘惑に人は駆られる。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 仲澤紀夫訳, みすず書房, 1978, p.202)

 とジャンケレヴィッチは「老化」の章を始める。この「老化」の章は彼の「死」についての浩瀚な著作の中で、第1部 死のこちら側の死 の末尾に当たる第4章に位置している。そして直ちに「老化は、一種の稀薄にされた死、引き延され、間隙の次元にまで拡大された瞬間ではなかろうか。」(同)と言い替えて見せる。例によってジャンケレヴィッチのこの問いは多分に修辞的なものであり、従って直ちに矛盾なるものが指摘され、結局は否定されることになるのだが、そこで指摘される矛盾とは、半分はレトリカルで「ためにする」もの、つまり逆説を提示してみせようとする身振りそのものが生み出したものに過ぎないように見える。従って当然、ジャンケレヴィッチ自身はそれを逆説と言い、矛盾と言うのを止めようとはしないのだが、実際にはそれは矛盾などではなく、生の時間の把握におけるミクロとマクロのレベル、より正確には論理のオーダーの差に拠るものと考える方が事象に即した捉え方なのではなかろうかという疑問が直ちに湧いてくる。

「(…)各瞬間ごとにわれわれを実現するものは、各瞬間ごとにわれわれをすこし死に近づける。それは衰頽が人生の第一の段階に続く第二段階として生長に続くからではない。可能性が現存と化することが、すでにそれ自体において、一つの衰頽というべき到来なのだ。」(同)

 従って結論だけとれば、そして更にここでは「老化」でなく「死」こそが主題なのであって、その限りで「老化」の側について過大な要求することが無い物ねだりであるという点を一旦措いてしまえば、「老化」と「死」とが区別され、異なったものとして捉えられるという点自体に問題があるわけではないのだが、とはいえオーダーの問題は取るに足らないというわけではなく、既に述べたとおり、「老化」が(「死」がどうであるかについての吟味は一先ず措いて)セカンドオーダーの、複合的・雑種的な側面をもった事象である点を踏まえるのは重要で、ジャンケレヴィッチの記述を文字通りに受け取るならば、例えばホワイトヘッド的なプロセス時間論の文脈での以下の指摘に対応するような水準での検討が必要となるだろう。

「(…)われわれは実体・対・属性という永遠的客体に関わる論理を事象の論理と混同し、ここにおいて対象の生成を考えてはならない。常識が陥りやすいかかる考想は、確定的な部分事象の連なりの中で生成を考えることになるから、一事象の生成の時間をとらえることはできない。事象連鎖を通じての生成は、いわば事象の生成にもとづく生成であり、これについての問は論理学的に第二次(セカンドオーダー)の問いなのである。」(遠藤弘, 「時の逆流について(『フィロソフィア』72 所収)」,早稲田大学哲学会, 1984 )

 であるとすればジャンケレヴィッチの言う

「衰えの眼には見えない前駆症、ごく遠い先の老衰に前駆する予兆は、原則として、ごく初期の幼年時代においてさえ読み取れるものであろう。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.203)

というコメントは、一旦は区別した筈のオーダーの違いを自ら無視してしまっていることになっていて読み手の困惑を誘う。更にそれは「老化」に関する以下の説明からも読み取れる。

「老化した組織が損失を償うのがしだいしだいに難しくなり、損傷を補うのがますます遅くなるように、同様に、(…)」(同, p.204)

 そもそもここでは転倒が起きていて、にも関わらずその転倒した状態で論理を組み立てようとするからこのようになるのであって、本来ない問題を作って、そこにアポリアがあり、パラドクスがあるかの如き議論をしようとしているように感じられてしまう。実際には「老化」は、例えばシステム論な立場からは、以下に見るように「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」と定義されるのである。

「(…)以上のように、老化という現象には、「階層構造」と「時間」のファクターが組み合わさり、時間軸方向には決定論的にふるまうが、ある時間の断面では確率論的である、という複雑な性質があります。このような複雑な現象を示すシステムとして生物をみた場合に、老化の本質はいったいどのようなものと考えられるのでしょうか。(…)システムの特徴の一つに、「ロバストネス」(頑健性)」という工学用語で表されるものがあります。生物学的な用語でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」となるでしょう。(…)システム全体に負荷がかかった場合でも、それを元の状態に戻そうとする能力、それが「ロバストネス」なのです。(…)こうした議論をとおして北野所長とたどり着いた考えは、「老化」は、ロバストネスが変移して、最終的に崩壊する」過程であるというものでした。つまり老化の定義は、「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」だと。単なる崩壊ではなく、「変移と崩壊」というところに注目してください。歳を取っても人の体はロバストなのです。(…)ロバストであることに変わりはありませんが、定常の位置が推移していきます。だんだんずれていって、最後に全体としてシステムのロバストネスを保つことができなくなるとついにシステムが崩壊する、つまり「死」に至る、ということになります。」(今井眞一郎『開かれれたパンドラの箱 老化・寿命研究の最前線』, 朝日新聞出版, 2021, pp.229-30)

 後に見るように、ラプソディックなジャンケレヴィッチの言明を辿っていくと、実際には彼もこれに近い考え方をしているのではと思わせる箇所にも行き当たるのが、それを踏まえればここで「…のように」の部分で持ち出された事柄の方が定義の本体なのであって、その点の履き違えを元にレトリックを弄しているだけという感覚を否み難く持つことになる。(勿論、ジャンケレヴィッチに与する人は、それは立場の違いに基づくもので、言いがかりの類であるとして退けるのであろうが。)

 だが恐らくはシステム論的な理解とは別の了解に基づいているらしいジャンケレヴィッチはこのようにコメントする。

「生物学上の疲労と生命の躍動の衰頽だけでは、これを説明するのにかならずしも十分ではない。」(ジャンケレヴィッチ, 『死』, 邦訳, p.206)

文字通りにはその通りであり、別に間違っているわけではない。しかしことこの文脈に即した限りでは、それはそもそも倦怠の経験と「老い」をジャンケレヴィッチが不適切な仕方で結びつけたからに過ぎない。更に

「生物学上の若返りの秘密が発見されたとしても、わたしはなお老化することだろう。諸器官の老化が抑制されあるいは遅らされても、年月と記憶の重さはわれわれをいっそう老化することだろう。」(同)

というのはいただけない。ここでは永遠的客体と事象のオーダーの差ではなくても、「疲労」とか「倦怠」の分析が適用可能な時間性のレベルと、「老い」を論じることが適切な時間性のレベルの不当な混同がまずある。確かに、個々の器官の水準と、全体としての個体の水準のレベルの違うというのはあって、疲労が主として前者の水準で論じるのが適切なのはその通りだろう。だがだからといって個体の老化が諸器官の老化と独立のものであろうはずがない。一体ジャンケレヴィッチは「われわれ」がどんな基盤の上に立っていると思っているのかを問いたくなってしまう。レベルが違えばそこには断絶があって無関係であるという論理の独り歩きが自ら問題を正しく捉える途を閉ざしてしまうのだ。(もう一つ言えば、この言及は、主観的で一人称的な体験を含むはずの「疲労」の経験を、客観的、科学的な水準の話にすり替えているのでなければ、いつの間にか横滑りしている点でもいただけない。これがジャンケレヴィッチのオリジナリティであるレトリックに由来するものだと言い募るであれば、そのオリジナリティは議論をまともに行えなくする原因であるとして、価値を全否定せざるを得なくなるのではなかろうか?)

 結局のところジャンケレヴィッチは「死」のみならず「老化」についても形而上学的に取り扱おうとする。それは以下のテーゼにおいて明瞭となる。

「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」(同)

 私は「時」は常に具体的な相を持つものであり、純粋状態というのは抽象だという立場なので、そもそもこのテーゼとは相容れないが、ジャンケレヴィッチがそのような手つきで「老化」に見ようとしているものを可能な限り救い出すように努めてみよう。では「純粋な時」の内実は何か?

「純粋の時、つまり漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化、純潔さの消耗だ。」(同)

ということで、一般的ではあるけれど、寧ろ極めて具体的な意識の状態が列挙されている。そしてそれを是認するように

「なるほど、意識の経験は、一つの恒常的な経験だ。」(同)

だがその続きは「たそがれ」と「秋」とが「憂愁にたえず素材を供給更新する。」となって「恒常性」というのは(意識の存続の期間をその中に含んでしまうような長期に亙る)絶えざる反復であるとされる。そしてその果てには(さっきはそれで尽くされることはないと言ったばかりなのに)再び「疲労」が参照される。

「疲労の曲線には上昇下降の間に最高潮があるが、器官の老衰の図式あるいは縮図もそのようなものではないだろうか。」(同)

 だが(またしても、だが結論だけ見れば正当に思われることに)結局、この繰り返し・反復への依拠もまた放棄される。結局「老年」は一回切りの経験とされるのである。これが「われわれを老化させるのは、純粋状態の”時”だからだ。」というテーゼとどういうふうに接続されるのかが気になるところではあるが、それは一旦措いて更に彼の論理を追ってみよう。

「自然における衰頽は、悲しいかな、まことに真剣で、まったく詩情に欠けている。この衰頽は、ただ単に逆行不可能なだけではなく、その上決定的なものであり、とくに一回限りのものだ。」(同書, p.207)

要するに「疲労からは回復するが、老いからの回復はない」と一言言ってしまえば済む話なのだ。だがここにもスケールの、レベルの混同がある。「漸進的な感覚の荒廃、あらゆる面での新鮮さの枯渇、あらゆる躍動、情熱、確信の鈍化」という意識の経験の水準では、一時的にそれが中断し、或いは恢復することすらあり得るだろう。老いが一回性で、不可逆であるとするならば、そうした認識は別のスケールで行われているというべきなのだ。従ってジャンケレヴィッチの議論は、その指摘のある部分の妥当性にも関わらず、論理的には破綻していると言わざるを得ないだろう。

 繰り返しになるが、ジャンケレヴィッチの「老年」に関する主張そのものは、実際にはシステム論的な定義に対立するものではないし、それは器官レベルとは異なるレベルで把握されるものであるというのも間違いではないし、一回切りというのも間違っているわけではない。だがそれは器官レベルと無関係ではなく、寧ろそれに基づくものでなくてはならないし、また「意識の経験」なるものをそれと独立のものとして特別扱いするのはおかしい。「意識の経験」は実際には、それがダマシオの言う中核意識ー中核自己、現象学的な第二次把持に関わるレベルであれば、器官レベルと同じ水準で捉えられるようなものであり、寧ろ「老化」はそれを超えたダマシオの延長意識ー自伝的自己、現象学的にはスティグレール(およびユク・ホイ)の言う第三次把持が関わるような、技術的・文化的・社会的に規定される水準に関わるのである。そして「一回性」というのは、このレベルで言いうるものであって、そのレベルが、生物学的システム論的には、器官のレベルとは異なるレベルでの「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」に対応する筈なのである。私の立場からは、実際には「生物がもつロバストネスの変移と崩壊」という捉え方の方が、一回性という意識の経験、意識にとっての見えを生じさせる根拠であって、「純粋な時」など不要だし「意識の経験」を根拠におくのは、遠近法的倒錯の産物に過ぎない。

 一方で「老化」の不可逆性について(実は厳密に言えば、その不可逆性は確率的なものであって、一時的な回復だって一定の確率で起こりうる筈なのだが)の具体的な例示については問題はない。だが「疲労」と「老化」の違いを述べながら「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回すのに何の益があるのかは判然としない。「老化は時間性の病」という定義も直ちに「正常であると同時に病的なものだ」というほとんど空虚な言明に引き継がれ、「死が健康な人びとの病気であるのと同じ意味で」という比較もそうした比較に何の意味があるのか杳として知れないまま第1節は閉じられる。

*  *  *

 そして第2節が始まると「老化はわれわれにすこしずつ死をあかすというのだろうか。」と述べられているのを見て、多くの人は絶句するのではなかろうか。一体第1節のゆきつもどりつの議論は何だったのだろう?ただしこの著作は、老化についてではなく、「死」についてのものであることを思えば、老化はそれ自体が議論の対象というよりも、それを「死」に引き寄せて見たり、対比させてみたりといった気儘な操作の対象に過ぎないのかも知れないが。かくしてこの冒頭から窺えるように、第2節はほとんど「老化」に関して言えば無意味な節ということになってしまう。唯一末尾近くの

「時の展開は、存在と事物に毀損作用を働くのだから。時は分解の次元とも言えよう。」(同書, p.212)

という箇所のみが意味ある発言であるように見える。但しこれはエントロピーの増大が時間の向きであるという言明に過ぎないのだが。だがジャンケレヴィッチはこれを彼が「おおざっぱな隠喩」と呼ぶ「骸骨が老人の痩せた肉の下にしだいに見えるようになる」という表象に結びつけてしまう。そんな隠喩に勝手に結びつけるのがいけないのであって、そんな隠喩よりも「時は分解の次元」の方がよほど「老い」に関しては実質的な言明であるのだから、ここでも論理の向きが本来とは逆になっているのだ。

 だがそんなことはお構いなく、ジャンケレヴィッチはくだんの隠喩に拘って、それを延々引き摺り回した挙句、末尾の

「老化がしだいしだいに老衰する組織の中に死をますます明白なものとはしないだろう。」(同)

と、その隠喩の不適切さを論じて節を結ぶ。自分から隠喩を持ち出しておいてそれを不適切だと断じるのであれば、初めからそんな隠喩を引き摺り回す必要などないのだ。老化は、生物という物理システムの定常状態の変移と崩壊を指すのだから、死はその変移の帰着点に過ぎず、単に彼が引き摺り回す言明の言い回しが事象に即した時に不正確なだけであろう。

*  *  *

 ところが、第3節の冒頭でもまた、その不正確な言い回しを引っ張り出して批判をして見せる。そこから彼の言葉によれば「弁証法的」で「非一義的」ということになるらしい、正しい定義にようやく取り掛かる。まずは「老化は死にわれわれを近づける。」これは定常状態の変移の向きが最後に崩壊に至るものであることの言い換えに過ぎない。

「組織と血管の硬化、骨の漸進的脆弱化、心臓の疲労、そして老眼は(…)無気力の侵入の前駆兆候だ。」(同書, p.213)

 違う。それらは前駆兆候ではなくて、無気力をもたらす原因だろう。

「生命の機能が徐行し始める。」(同)

 これは定常状態の変化の向きを述べているのだとすれば彼のお好みであるらしい「隠喩」としては妥当だろう。

「細胞が老化し、動脈が老化して、毒素や毒性が長い間に毎日すこしずつ体液の科学的構成をそこねる。」(同)

一体、ここでいう毒素・毒性というのは具体的には何なのか?実は「老化」の機序は現時点でも明らかになったとは言い難く、解明が困難な問題であり続けている。それを前提にすれば、一見おおまかな把握としては妥当そうに見えるが、この「毒素」の説明が妥当だとするならばフロギストンによる燃焼の説明だって妥当だということになる。否、実際にはそんな毒素などなく、毒素が増えて行った結果死に至るという事実は確認されていないようだし(勿論、間接的に死に至る症状を引き起こす原因となりうる変化はあるし、その変化を引き起こす化学物質は幾つも知られているが、それは死の直接的な原因ではない、一義的に老化を引き起こす遺伝子というのは存在せず、個別には関与する遺伝子が突き止められているものもある様々な促進作用と阻害作用の合力の結果なのだ)、今後そのような毒素が発見される可能性も限りなく低そうだから、寧ろこの説明は端的に出鱈目だと言うべきか、百歩譲っても現時点では不要な程にまで不正確だと言うべきなのだろう。

この辺りのジャンケレヴィッチの言い回しのことごとくが、そうした歪みを持った文学的修辞に過ぎず、要するに、ジャンケレヴィッチの関心事は、老化自体ではなく、老化に纏わるレトリックの方に専ら存するのではないかという疑いが生じてくるのは避け難い。

「あたかも死の向地性とでもいうものがすでに墓へと引き寄せるかのように、あたかも自分自身の重みでもう冥界へ、大地の奥深くへと傾いてゆくように、身体自身が曲がってくる。」(同)

老化で腰が曲がり、背骨が曲がるのは、死の向地性のような文学的表現とは関係がない。それなら直立歩行に至る前のホモ属は、より死に近かったとでも言うのか?このレベルの読んでいて当惑を感じる他ないような記述を延々読まされるのは、こちらは最早理解を絶すると表現する他なく、実際に『知の欺瞞』においては、判読可能な文章は一握りで、あるものは陳腐で、あるものは間違いと断定されてしまっているドゥルーズの無限小解析についての長大な記述(ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞』, 田崎晴明, 大野克嗣, 堀茂樹訳, 岩波書店, 2000, 岩波現代文庫版, 2012, p.239~247参照)に付き合わされるのと同様に時間の無駄でしかないように感じられてしまう。勿論こちらは科学の濫用ではないけれども、その華麗な修辞に埋もれた論理を追うことがしばしば困難である点では共通性があるように感じられる。文学的な比喩表現を不要視する訳でも、否定する訳でもなく、それが適切な場面もあるだろうが、「死」との関りにおいて「老化」を把握するのに文学的な表現を幾ら尽くしても、「老化」が主観的な経験のみで尽くせる訳ではなく、客観的な事実を無視することができないことは勿論、主観的な経験にしても現象学的な水準での記述や分析の対象であって、純粋に論理的な操作や形而上学的な直観のみで扱う対象ではない以上、それによって何かが明らかになることはあるまい。言葉の上でだけ、見せかけの対立を作り出して逆説を弄び、概念を厳密に操作する替わりに横滑りさせることを繰り返したところで、それは「老い」そのものとも、「老いの経験」とも無関係な戯れに過ぎず、そこから何かが得られることはない。「老い」は散文的で現実的に過ぎて、「何だかわからないもの」や「ほとんど無」の、或いは「筆舌に尽くしがたいもの」についての哲学者であるジャンケレヴィッチ好みの高尚な形而上学的な直観の対象にはふさわしくないのかも知れない。

*  *  *

 そして「老化」についてのジャンケレヴィッチの議論の行き着く先は、章題にも関わらず(だが、案の定と言うべきか)「老化」についての分析ではないようだ。最終節である第4節が、「死刑囚」についての議論で開始されることがそれを端的に物語っている。「死刑囚」は勿論「老い」とは何の関係もない。逆に「老い」に纏わる問題の中で、実は「死刑囚」にも当て嵌まるものは「老い」とは関係がないのだから、それを「老い」の章の最中で、しかもその末尾の節の冒頭に据えるのであれば、そもそもジャンケレヴィッチは「老い」についてなど議論する気がないのだろうと考えざるを得ない。但しここで、死刑囚が獲得する「二重の視点」「共観的」「回顧的」「第三人称的」な視点が問題であって、それを可能にする意識の構造が「老い」の認識に関わるということに限れば、これは主張として問題ないが、もしそうであるとしたも「老化」とは無関係な「死刑囚」をわざわざ持ち出す必要などない筈である。だがその点は一先ずおいて先に進もう。

「老化は、限られた可能性の貯えが徐々に消耗していくことに還元されよう。」(同書, p.220)

この観点を取ることを可能にするものをジャンケレヴィッチは「超意識」(同)と呼ぶが、その定義の「生成の全体を俯瞰する」(同)というのも曖昧さに満ちた言い方で、「生成の全体」なるものが何であるかを考えれば不正確でさえあるだろう。ここでも問題はマクロとミクロのレベルの違いなのだが、「継続する出来事の後を追って地上をはい回る」(同)だけであれば、意識の中断を挟んだ過去の想起と未来の予期を可能とする第二次把持のメカニズムすらいらない。そしてここでいう「生成の全体」の生成は、例えばプロセス哲学的にファーストオーダーである無時間的「生成」でなく、事象の論理のレベルであることは、「生涯」といった言葉が論述に紛れ込んでいることからも明らかだろう。そればかりか(システム論的に定義可能な「老いそのもの」ではなく)「老い」の意識は、自伝的自己の持つ延長意識を俟って初めて可能なのだ。だがジャンケレヴィッチは結局、老年というのは生命の「色調」とやらの「質」の違いということにしてしまう。

「老年は生命力の衰頽の一つの形だが、この衰頽した生命力はそれでも一つの生きている生命力だ。そこで、老人の生命力はその量的な濃厚さ、つまり、存在の質と重さでは成人の生命力と変わらない。ただ、質が、生命の色調の特徴が異なるのだ。」(同書, p.224)

これを隠喩であると言わず、かつ「色調」がどのように定義され、計測されるかが示されることなく、「青春と老年とは、生命の色調の変形であり、質を異にする実存の様態」(p.225)と繰り返されても読み手は困惑させられるばかりである。ここで「質」を持ち出すについてはジャンケレヴィッチの独創というわけではなく、彼が依拠するベルクソンのそれに従ったものであるらしいが、結局のところ言われるのは、実際には「老化そのもの」と「老いの意識」の区別に過ぎず、ボーヴォワールなら、外から見た老いと内側から見た老いと区別するところを以下のような言い回しで述べているに過ぎない。

「老年について語るとき、客観的な系列と生きた系列を混同することは避けねばならない。前者は、たとえば癒着の時間あるいは反応の時間の延長、条件反射の緩慢化のように、数あるいは量で表されるいくつかの原因の尺度上の進展によって特徴づけられ、後者は、生きた経験の質の変化に存する。」(同書, p.225)

確かにある測度によって測定される生体の生理的な状態と、意識によって経験されるものは異なるが、だからといって両者は無関係ではないだろう。後者は前者の影響を逃れることができない一方で、確かに後者が(つまり或る種の思い込みが)前者に影響する(体調を悪くする)ということも起きうるであろうが、老化というのは、その両方に亘る事象、複合的な出来事と寧ろ言うべきであって、ジャンケレヴィッチの区別への拘りは単なる不毛にしか通じないように感じられる。

「≪変質≫は、意識が”他者”—であって少なくではないーとなる過程だ。」(同)

というのは、他性についての定義を欠いている以上、それ固有の歪みを持った比喩に過ぎない。更に言えば、まさか老いることが文字通りに「他者になる」ことであろう筈はなく、寧ろ意識の中断を挟んだ自己同一性があること、自伝的自己を備えていることが老いの経験にとっては不可欠なのだから、ジャンケレヴィッチの比喩は寧ろ不適切な歪みを持ち込む弊害の方が大きいのではないか?

 だがそうしたことに目を瞑って、ジャンケレヴィッチの言わんとすることを捉えようとするならば、結局、彼にとって「老いとは老いの経験のことだ」ということに尽きていて、それを言うために延々と繰り言を述べているに過ぎないように見える。

 例えばシェーラーが、「年齢と戸籍とは無関係な一種の≪形而上学的≫老化」(同書, p.226)を信じていたというようなことを傍証として持ち出すが、これは老いの体験というのが、個体により、或いは同一の個体であってもその折々の心的な状態に応じてさまざまであって、前者であれば、これは老年学という社会学の分野においては「老い」の進行は確率的な事象であって、年齢に正確に対応した事象ではなく、その発現と進展には統計的な揺らぎがあるということを酷く曖昧な仕方で述べているに過ぎないと一方では思われるし、更に別の話として、生理的な老いとそれについての意識の経験とは別に、自伝的自己が持つ老いについての認識(だからそれは老いに纏わる様々な身体的・心理的事象の経験とも別のものである)というものがあって、それは年齢を問わないということであるとするならば、こちらはこちらで、これまでジャンケレヴィッチがさんざんそうしてきたように、本来区別されるべき事柄について不当に混同をすることによって可能になったレトリックに過ぎず、言葉の上のことに過ぎない。

 そしてそうした自己の蒙昧さを脇に置いて

「老年はいつも死の逼迫接近によって測られるわけではない。近接と距離とは空間上の映像であり、社会の概念ではないだろうか。」(同)

といって、それを社会に押し付けるのは珍妙な帰結だし、そのことと

「老年は暦の上の一つの日付にも道路の距離にも還元されないのだ。」(同)

と結論づけるも失笑を誘う。勿論、複合的な事象である「老い」には社会的な側面が存在するのは確かなことであり、だからジャンケレヴィッチがそれを「社会的」測定から引き離そうとするのはそもそも無理筋というものだ。確かに「老い」が暦という人間の生理的なリズムとは異なった、天文学的な基準によって定義された測度と無関係なのもそれ自体は正しいし、更に言えば、そうした暦が社会的なものであるということもまた正しく、その限りでは妥当であるが、だからといって、そのことから「老年」が社会的なものでないということは導かれない。ここの言明の間を結びつける論理については、ジャンケレヴィッチのそれは曖昧なレトリックに凭れ掛かった言葉の上だけの遊びであって、事象に即して言えば出鱈目であり、ナンセンスであり、全く間違っているという他ない。恐らくここで言いたいのは、要するに「老いの経験」は主観的な経験なんだから、外からは測定できないのだという、如何にも亜流ベルクソン的な発想に基づく主張なのだろうが、これだけ贅言を尽くしてなお、それで結局「老い」とは何に基づく経験であって、結局のところこの浩瀚な著作の主題である「死」とどのような関係にあるのかについての議論は、さっぱり深まっていないように思われるのは錯覚なのだろうか?

 実際には彼の、およそ適切とは思えない用語法では「超意識」と呼ばれるもの、現象学的には第二次把持のレベルを超えた、自伝的自己による俯瞰を可能にするのは、一方で彼が「共観的」「第三者的」という言い方をしていることから窺えるように、まさにそちらの方が社会的であり、スティグレールやユク・ホイが言う、第三次把持がテクノロジーに基礎づけられているという事実、或いはアンディ・クラークが言うように、今日の人間は生まれながらのサイボーグであって、言語も含めた技術的補綴によって成り立っているという事実に基づいているのだし、そうしたテクノロジーの侵入を措いたとしても、「超意識」はそれ自体の発生において、そもそも社会的に基礎づけられたものなのだから、ジャンケレヴィッチの主張は支離滅裂にしか映らない。それは自分の背中を見ることができず、自己が成立する以前の、自己が如何にして成立したかの機序について「知りえない」とする(スティグレールやユク・ホイ、クラークの名誉のために付け加えれば「かつての」)哲学者の野郎自大が齎した歪みが露呈しているい過ぎないのだ。

 だがなおも「老いの意識的経験」に拘るジャンケレヴィッチは「動物は衰頽するが、自分自身の衰頽には立ち会わない。」(同書, p.229)といった主張をしてみたりもするが、これは事実の問題として、動物学の領域では今や人間の側の傲慢さに基づく先入観に侵された不当な断定として問いに付される主張だろう。動物の方はあくまでも話の枕で、人間が「超意識」を持っていて、その「超意識」が老いにとって重要だというのなら、それは別に構わないのだが、だからと言って、今度はその意識について

「老いるという意識は、したがって、厳密に言えば、直接の経験にも推論にも由来するものではない。」(同書, p.230)

などと主張されると、一見当たり前の事を言っているように見えるこの主張の真意を測りかねるということになる。実際にここで言われているのは、老いの徴候とされる、様々な観察・観測の結果は、それが老いの徴候であるという解釈が先行的にあって、観察結果について判断し解釈する主体(老人自身であれ、医師であれ、或いは介護レベルの認定をおこなう行政の担当者であれ)があってのものであるという、ごく常識的なこと以上のものではなさそうにしか見えない。そして一般的にはそうした水準で、推論に基づいて要介護度の認定が行われ、認知症の診断が行われているのである。私はその場に立ち会った当事者の一人だから、その経験に基づいて言えば、勿論、主体に対するインタビューも欠かさず行われていて、主体の証言も記録はされるが、それを文字通りに受け取ることが、主体の内側で起きていることを正しく判断することに繋がらないこともまた、現場では常識レベルのことであって、結局のところ解釈や推論抜きで「主体」についての真実を見出しうるというのは、本質的に関主観的で対話的な存在である筈の主体自身にとっても幻想に過ぎないというのに、ジャンケレヴィッチが以下のように言うとき

「(…)居眠りが繰り返されることや、固有名詞の忘却、視力の減退、階段を昇るさいの困難の増加などを老化の徴候と解釈する主体を無視した推論については、象徴にもとづいて意味を結論するそのような抽象的推論は、それだけではわれわれを説得にするのには十分ではない。」(同)

彼は「われわれ」の中に自分自身以外の誰を含めて想定しているのだろうか?権利上、それが自分が理性的存在者の代表であり、理性的存在者は皆自分のように考えるという哲学者のお目出たい傲慢さでないとしたら、彼の恣意で決定できるような誰かがいるのだろうか?この言明は、「いや、私にとっては十分に説得的ですよ。」という反論にどう答えようとしているのか?いや、これは哲学であって実証的な科学ではないから、事実水準の話ではなく、権利水準の話をしているというなら、それならそれでつまるところ、この言明によってジャンケレヴィッチは何を表明したいのか?

 だがここでは「老い」を取り上げるのが目的であって、ジャンケレヴィッチの著作を吟味すること自体が目的であるわけではないから、その点について目くじらを立てるのは程々にしよう。

「衰頽は誠実な直接の経験というよりは、むしろ一つの解釈であり、一つの判断なのだ。」(同)

と、この言明自体は全く問題ない。そう、繰り返し述べているように、「老い」というのは複合的で雑種的な事象なので、それを直接測定できる指標が存在するようなものではないから、その限りで解釈や判断の結果であるという主張自体には特に問題はない。そして恐らくその点において「老い」は「死」とはやや性格を異にするのであろう。勿論、生死の判定に纏わる様々な困難は、それらもまた「老い」のように解釈や判断に委ねられる側面を持つことを示唆しているけれども、だからといって「老い」がそうであるのと同様にそうであるとは言い難い。「老い」の厄介さは、そのシステム論的定義を改めて確認し直せばわかることだが、それが非常に複雑なシステムの「定常状態」の変移という非常に巨視的な仕方でしか定義できないという点にあり、なおかつ、その変移について、系自体が崩壊する方向に向けての変化という仕方で定義されるのであって、崩壊そのものの程度(こちらは「老い」でなく「死」への接近の度合いという意味合いを持つだろうが)で測られるものではないことに存する。なおかつその過程は現実の個々の事例について言えば確率的な揺らぎの中にあって、必ずしも単調な変化ではなく、複雑な軌道を持ちつつも、最終的には系自体が崩壊するに至るように方向づけられた過程なのである。

 ジャンケレヴィッチも勿論そうした複合を無視しているわけではないから、「老い」を複合的な原因を持つものとして捉える言明と解釈できそうな言明が登場しはする。

「正常な状態では分離されているこのような経験とこのような観点とが互いに干渉し合う時、老いるという意識が生ずる。」(同)

ここで「このような」とは、「客観的観点は生きるべき期間の有限性を認めることができるが、その有限性をただ他人にとってのみ有効な真実とみなしたがる。生きた経験は、自分にとって有効だが、死を受け入れない。」(同)という観点と経験の謂いである。

 だがこれもまたごく平凡に、既述の老いの定義に纏わる厄介さについての言明の言い換えの類に過ぎない。生とは散逸系であえる生物学的なシステムが存続する「定常状態」のことであり、動的不均衡の中で、準安定的な状態というのが維持されているわけだが、ここでいう客観的観点の側は、その安定状態が、軌道を描いて変化しつつ、最後は崩壊する過程の外部からの観測であり、ここでいう生きた経験の方は、そうした系自体の内部からの観測のことを言っているのだから、結局この言明も構造的には何ら新しいことを言っている訳ではなく、「生理的な老いの過程」と「老いの経験」の複合が「老い」の意識を生み出すと言っているのであって、その限りでは構図は問題ないが、だがジャンケレヴィッチの文脈におけるその実質は、またしても疑わしい。外部からの観測と内部からの観測における差異が問題であるとしてなぜそれが「生の有限性」についてでなくてはならないのか?確かに老いの認識は生の有限性の認識でもあろうが、だとしたら、そこにはここででっち上げられたような観点と経験の干渉などありはしない。寧ろ単純に両者が相俟って「老いの意識」が生じるというだけで十分ではないか。

 実際にはその後しばらくのジャンケレヴィッチの叙述はようやく「まともな」ものになるかに見える。まずはベルクソンを参照し、

「感覚の質の変化が刺激の増大の尺度に度合いも進展度もすこしも反映しない」(同書, p.231)

点を述べる。これは特に問題ないし、

「記憶は大脳におおまかに依存するが、回想は大脳皮のそれぞれの場所に文字どおり位置づけられているということはなく」(同)

というのも、或るタイプの記憶の想起を支える機構の説明として問題ない。(なぜそれが併置されるのかの論理、或る種の記憶と想起のメカニズムの非局在性が、この際どういう関係があって言及されているのかについては目を瞑ってしまえば。それはベルクソンの元々の言明とも関係なければ、老いとも関係ないから、これは奇妙にしか映らないのだが…)そして、

「人の質的老化が毎日詳細にわたって人生途上の進展をそのま訳出しているというのも真実ではない。詳細にわたってというのは真実ではないが、おおまかに、間接的にというのは真実だ。」(同)

というのも問題ないだろう。老いという定常状態の軌道は(数学的な意味で)単調に崩壊に向かうわけではなく、揺らぎをもって、確率的に動いていて、その軌道というのは粗視的に見た時に浮かび上がってくるものなのだから。

 一方で、「老い」の自覚は、そうした連続的な過程の連続的な感受に基づくものであるというのもまた、それ自体は正しいだろう。それゆえ、ボーヴォワールの『老い』においても印象的な仕方で繰り返し語られるように、「老い」とは或る日突然に自覚されるものでありうるわけだ。

「身体の連続的変貌は時を隔てて、つまり、間歇的、不規則に意識に現われる。老化は漸進的なものだが、老化の意識はそうではない。」(同)

その通り。但し、老化自体が確率的な過程であることと、老いの自覚が突然に生じることは、厳密には区別されるべきだろう。前者によれば、若返りの自覚というのも時として可能ということが帰結し、実際にしばしばそのような経験は生じるであろう。寧ろ逆に、揺らぎを孕みつつ、エントロピーの増大という熱力学的過程に従うかのように巨視的には崩壊に向いた過程であるということが、間歇的・不規則な内部観測における老いの自覚に繋がっているのだから、ここにも避けるべきレベルの混同の嫌疑が生じるような書き方に眉を顰めざるを得ない。とはいえ、言明自体はここについては適切である。

 だがもう良いだろう。ジャンケレヴィッチの「老化」の章の結論部分においては、「感得」がキーワードであり、その点について確認することでジャンケレヴィッチの議論の要点を確認することができるだろう。そしてまた、この「感得」こそが、ジャンケレヴィッチにおいて死と老化を関連付けて論じることを可能にするポイントでもあるだろう。

「”真に受けること”にほかならないこの自意識、男も女もはじめて時の消滅に気づく老化の意識をわれわれは≪感得≫と呼んだ。感得は生きた時と鳥瞰した時の最初の出会いだ。」(同書, p.233)

ということは、基本的には内部観測の結果と、外部観測の結果の突合こそが老化だということで、これは数ページ前に述べられていたことの繰り返しに≪感得≫というラベルを付けたということになる。そして≪感得≫についての3つの相というのが再び確認される。ところがここでの言い回しからわかるように≪感得≫はもともと「老化」について導入されたのではなく、まさに本題である「死」について導入されたのだ。それを事も無げに、断りもなく「老化」に適用してしまって構わないのだろうか?

 その是非を措けば、そうした挙措はジャンケレヴィッチが「死」と「老化」の関係をどのように捉えているかを問わず語りに告げているということになるのだろう。そして実際、そこでは「老いてゆく人間」が主語の場合でも、「老い」ではなく「死」との関係が論じられてしまう。曰く、

「老いてゆく人間は、感得することによって、予告と自分自身の死の結びつきを把えないならば…」(同書, p.234)

或いは、 

「年老いてゆくものが、自分自身の死の日(時計上の時・分、暦上の何日)を文字どおり知るのではなく、死の近いことを強烈に経験するのだ。」(同)

従って

「≪感得≫のこれらの三つの相は、老化の経験においては、もちろん互いに切り離すことができない。」(同)

という言明の当否に依らず、ここでは「老い」そのものではなく、「老い」における「死」が問題になっていて、最早「老化」そのものについての議論は終わっているということに読者は気付かされることになるのだ。この言明以降、この節の末尾まで、ということは「老化」と題された章の末尾まで、ということでもあるのだが、とうとう「老い」という言葉は全く出て来なくなり、ひたすら「死」の≪感得≫について語られるばかりである。だが、その末尾までの言明を見て、一体それは「老化」とどう関わるのか、訝しく思う人がいても不思議はない。そこに書かれているのは、この節の冒頭の「死刑囚」の話がそうであったのと同様に、「老いてゆく人間」にのみ専ら関わることでもなく、「老い」と独立に論じることができることなのである。振り返ってみれば、「老い」についての議論の末尾で客観的な知識なり認識なりと、生きられた経験の相互干渉が「老いの意識」を生み出すとされたのであったが、結局のところそうした知識を一人称的に”真に受けること”が「死」についてと同様「老い」についても重要なのだということがジャンケレヴィッチの謂わんとすることなのかも知れない。

 だがもし仮にそうであったとして、「死」とは異なった「老い」の経験自体、「死」に対する「老いてゆく人間」ではなく「老いてゆく人間」が「老い」そのものにどう対するのか、「老い」固有の悲劇性がそこにあるのではないかという疑問についてジャンケレヴィッチが答えてくれることは期待すべきでないだろう。それは自ら引き受けて、自ら答えていくべき問題なのだろう。ボーヴォワールの『老い』は例外的に老いそのものに正面から立ち向かった試みであるが、その中でアンガージュマンの人らしくボーヴォワールが告発するように西洋の文化や社会は「老い」について正面から取り組むことを避けてきたのではないか?「死」についてはあれほど饒舌で、「死」についての著作なら古今を問わず汗牛充棟の状態であるのに対して、「死」そのものでもなく、「死」の前駆でもなく、直面することを強いられる「老い」そのものについて語られることが何と少なく、「老い」の議論がいとも容易に「死」についての議論にすり替えられてしまうことか…そしてそのすり替えの、まさに典型的な例をジャンケレヴィッチのこの著作に見出したような気がする。

*  *  *

 ここからは急ぎ足で、これまでの「老化」についてのジャンケレヴィッチの記述の追跡の結果を踏まえて、改めて『大地の歌』への参照箇所についての検討を行ってみたい。『大地の歌』への参照は、第2部 死の瞬間における死 の第3章 逆行できないもの の掉尾を飾る第9節 訣別。そして短い出会いについて で行われる。ここで直ちに気になる点は、第2部がその看板が示す通り、死の瞬間のみについて語るのだとすれば、逆行できないものというのはそもそもナンセンスということになることである。実際、それは先行する第2章で、ほとんど無 について語る時、既に、厳密な意味合いで瞬間に属さないものが密輸されているところから破綻していて、第3章は更に大胆に、実質的には再び「老い」について語り直しているようなものだ。

 そもそも「老い」について語った時、老いこそが一回性で、不可逆であると言っていたのではなかったか?だとすれば、その構成上の位置づけにも関わらず、『大地の歌』への参照は、実際には「死」そのものよりも寧ろ「老い」について語る文脈において行われているとさえ言い得るのではなかろうか?そして実際、第9節 訣別。そして短い出会いについて は冒頭でいきなり

「だが、この償われない喪失が人を慰められないままに残すとしても、老いてゆく人間がまったく補償に欠けているというのではない。」(同書, p.351)

と、老いにおける「補償」について語りだすのを見ると、それは確信に近いものになる。

「別離という数多くのちいさな死が、死という大きな別離の楕円を形作っているからだ。」(同書, p.352)

というレトリックも既視感のあるものだ。果たして老化について語っていた時には「疲労というちいさな老年」「老年という大きな疲労」というようなレトリックを振り回していたのである。しかもここでの「告別」は、火星探査を引き合いに出して語られるのである。この点は決して取るに足らないことではない。アドルノが宇宙飛行士の見る「地球」についてまさに『大地の歌』に関連して述べていたことを思い起こし、火星への植民をビジネスにしようというイーロン・マスクが使い捨てのロケットではなく、帰還して再利用ができるロケットの開発をしていることを思い起こしてみるがいい。ここでのジャンケレヴィッチの主張のポイントは、「死」は一回性のもの、不可逆なもので、死の瞬間の近傍のトポロジーは、彼自身の著作の構成を裏切っていて、死のこちら側と死の向こう側は対称ではなく、(そういう言い方をするならば)「死出の旅」は片道であることが「告別」の持つ意味合いを、一時的な別れとは全く異なるものにするという点に存する筈である。寧ろ、死のこちら側というのは、死の「手前」というのが適切であって、かつそのトポロジーを決めているのが「老化」である筈なのだ。当然だが、「告別」は死の手前で為される。であるからには、一回性の、一度限りのそれは寧ろ「老い」に固有のもの、寧ろ「老い」に帰属させるのが妥当なものではなかろうか。

 そして悲劇性についても、ここでは「不在に先行した別離は悲劇性そのもの」(同書, p.353)と言われているが、「老化」に関しては、

「≪悲劇的なもの≫とは、人を突然≪老化した≫状態に置く一連の状況の名だ。」(同書, p.217)

と言われていたことを思い起こすべきだろうか。ジャンケレヴィッチお得意のレトリックを剥がしてしまえば、これはボーヴォワールが『老い』の第2部 世界内存在 で扱う、老いの認識に関わるのであり、老化を突然自覚することに関わる筈である。勿論、老いの自覚は「告別」によってもたらされるとは限らない。というより寧ろ、「老い」の自覚に導かれて人は「告別」をするのではなかろうか。「告別」が人を「老化」させるのではないが、「告別」は老化の自覚なしにはありえない。老いの自覚は、「自己」というある種の「定常状態」の行き着く先が「自己」の崩壊であるということの自覚、自分が下り坂、梯子の降りる側にいるということの自覚なのであって、その不可逆な過程の先にあるものこそ「死」なのであり、それゆえに「告別」は悲劇的なものになるのだという常識的な見方の方が、告別の悲劇性の拠って来るところを正しく捉えているのではなかろうか?

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 おまけとして、当該の節のタイトルの末尾に付加された「短い出会い」についてはどうか?『大地の歌』の「告別」について言えば、確かにそこでの告別は、短い出会いにおいて為されているように見える。一緒にいるわけではない友人に別れを告げるために、わざわざ出会いが設定されるという構図は、だから『大地の歌』でも成立していることになる。だが、その内実はここでジャンケレヴィッチの言う通りだろうか?「告別」のテキストが、マーラー自身が2つの詩を継ぎ合わせたものであることにまず注意しよう。ベトゲの元の詩のみならず、さらにベトゲのNachdichtungの典拠である王維と孟浩然の詩もまた、「告別」の設定そのものでなくて、なおかつそちらであればそれぞれにジャンケレヴィッチ風の「短い出会い」が適用できたかも知れない。だが、マーラーの作品のテキスト自体はどうか?ここで思い浮かぶのは、友人に関するドゥルーズ=ガタリの奇妙なコメントだろう。寧ろドゥルーズ=ガタリの方が、マーラーが「告別」の楽章に施した錯綜とした操作の帰結を捉えている可能性すらあるだろう。更に言えば、元々の孟浩然の詩、王維の詩の「別れ」は「死別」なのだろうか?「別れ」のための「短い出会い」については認めたとして、それはジャンケレヴィッチがこの節で述べているような「死」を前にしたものだったのだろうか?そしてそれとは別に、ベトゥゲのNachdichtungを素材に更に編集を施したマーラーの歌詞においてはどうなのか?

 勿論、そこに死の影を見ず、それをマーラーの受けた診断は誤診だったし、マーラー自身も健康そのものであったということを論拠に通説を批難する近年の論調は、ジャンケレヴィッチ風には、マーラー自身の第一人称的な≪感得≫を蔑ろにしていて、それが「客観的」に「事実」に基づいていることを認めたとして、マーラーその人とその作品について語る時にそのことがどこまで意味を持つかについては甚だ疑問だろう。何しろマーラーは『大地の歌』を聴いた人間が自殺をするのでは、とさえ言ったらしいではないか?それともこのアネクドットにしても、弟子が「神話」を創作するために脚色したフィクションであるという証拠でもあるのだろうか?そもそも第一人称的な死を仮に措いたとして、幼少期から兄弟の早逝に繰り返し直面し、その後も兄弟や友人の自殺にも遭遇しているし、余りに有名な長女の死についてのアルマの証言に偽りが含まれているとして、それがマーラー本人にとって耐え難い経験であったことは想像に難くない。所謂「誤診」以前にも、まさにそのキャリアのピークにおいて痔による大量出血が原因で瀕死の状態を経験していて、別にそれを題材とした標題音楽を作曲しなかったからといって、そのことがその後の彼の人と作品に影響していないとか、大した影響はなかったという論拠にはなり得まい。それゆえ私が通説に疑問を感じるのは、異論のための異論の如きものが依拠するものとは全く無関係な理由によるのであって、このような異論ならば、通説との「あれかこれか」で私が迷うことはなく、通説の方が余程「真実」の近くを射貫ていると考える。だがそれもまた程度の問題で、比較をした結果に過ぎず、だからといって通説が的を射ているとは考えていないのである。 

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 ここでこの読解の当初の目的を再確認しよう。この読解は、ジャンケレヴィッチの『死』の「老化」の章と「別れ」の節の読解を通して、必ずしもジャンケレヴィッチの思索を継承・展開するかたちではなく、寧ろ反面教師としてであれ、マーラーと「老い」の関係についての視座を獲得することを目的としていた。そして実際に、大著の別々の箇所(「老化」は「死のこちら側」、「別れ」は「死の瞬間」に位置づけられていた)に存在する両者の読解を通して確認できたこととして、以下の点が挙げられるように思う。

 一見したところ「老化」についての考察は、「別れ」に関する部分での『大地の歌』への参照とは一見して無関係であるように見えるし、「老化」と「死」との区別を指摘していることから、『大地の歌』の参照に関して言えば。従来の「死」と結び付けて捉える通説と共通した発想(アドルノが批判した、第9交響曲の解説における「死が私を語ること」という後付けの標題の類のそれ)の一例として扱うことさえできるかも知れない。一方で、「老化」についての叙述は、一方では「死」についてのものとされる叙述と入り混じってしばしば区別ができず、寧ろそれは端的に「老化」についてのものとして区別するのが妥当に思われる箇所を含み、他方では「老化」が主題である筈の箇所で≪感得≫について語る時、実際には「老化」固有のそれではなく、「死」について語ったことを繰り返すことしかしていないといった箇所もあり、総じて「老化」を「死」から引き離そうとしつつも、その試みは不十分にしか達成されていない一方で、「死」についての叙述の中には、本来「老化」についてのものでしかないものが密輸されているように見える。「死」について斯くも饒舌たろうとし、実際に饒舌である一方で、この著作が『死』についてのものであるという前提を踏まえてなお、西洋の思考は「老化」について、それを正面から取り上げることを避けるというボーヴォワールの批判は当たっていると言わざるを得ないように感じられたというのは偽らざる感想である。

 翻って『大地の歌』の「別れ」について言えば、それが「死」の観点からのみ論じられるのは適切でないとしても、それでは「老い」の観点から論じるのは妥当なのかは独立の問題であろう。「死」でも「老い」でもなく、端的に「別れ」そのものであって何故いけないのか?歌詞は素材に過ぎず、作者の心理の投影を安直に作品に対してするべきでないとしたら、「老い」を持ち込むこともまた、人と作品に関する既成の発想に捉われたものではないのかという問いには、別に答える必要があるだろう。だが、ここでは一旦論証抜きで見通しだけ述べれば、「老い」を持ち込むのは心理学的な作者ー作品観に基づく密輸などではない。歌詞は素材だろうが、作品の一部であるには違いなく、あたかも歌詞など存在しないかの如く『大地の歌』を受容するのは(そうした姿勢を全面的に拒否しないまでも)妥当とは言えないとするならば、そして標題的・描写的な形態ではないにせよ、歌詞内容に触発されて作品が生成したのであれば、そこには「生の有限性」の認識があり、「疲労」の感受があり、「老い」の認識があることは明らかなことではなかろうか。「疲労」は「眠り」を誘うのだが、ここでの「疲労」は、ではそれによって「疲労」からの恢復が達成されるような類のものなのか?若き日の回想を呼び起こすようなその「疲労」は寧ろ、生体のロバストネスの変移としてのホメオスタシスの定常位置の変化としての「老い」の感受そのものなのではないか?ジャンケレヴィッチの「老い」の捉え方も、ダマシオの言う中核意識ー中核自己のレベルではなく、従って現象学的には単なる意識の中断を乗り越えた想起や予期が可能な第二次把持のレベルを前提とはしても、それに留まるレベルではなく、スティグレールやユク・ホイの第三次把持のレベルに対応する延長意識ー自伝的自己のレベルに関わるとする把握に通じており、システム論的な「ロバストネスの変移と崩壊」に通じている側面を見出すことができたし、「老い」を外側から観察できる事象としてのみ捉えるのではなく、主観的な認識を必須とする立場は正当なものであるが、そうした点を踏まえた時、『大地の歌』の「別れ」は「老い」の認識に立ったそれであるという把握には一定の妥当性があると主張しうるという見通しは、ここでの読解・検討を通じて確保できたのではないかと考える。(2023.1.30初稿公開, 2.3更新)