2015年8月29日土曜日

Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(7):オルミュッツ劇場時代にマーラーが住んだ家(チェコ共和国オロモウツ)

マーラーは1882年にオルミュッツ(現・チェコ共和国オロモウツ)の歌劇場の指揮者を勤めていた時期に、劇場近くのホルニー広場にある黄金のカワカマスの家(現在はカフェー・デスティニー) に住んでいた。 現在でもカフェ・デスィニーの入り口の右斜め上方の建物の壁に、黄金のカワカマスが嵌め込まれているの確認できる。

2015年8月23日日曜日

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会を聴いて(2015年8月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール)

マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会
2015年8月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール

ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲変ニ長調
井上喜惟(指揮)
カレン・ハコビヤン(ピアノ)
マーラー祝祭オーケストラ

(アンコール)ハコビヤン バッソ・オスティナート
カレン・ハコビヤン(ピアノ)

マーラー 交響曲「大地の歌」
井上喜惟(指揮)
今尾滋(テノール)
蔵野蘭子(アルト)
マーラー祝祭オーケストラ


マーラー祝祭オーケストラ(旧・ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ)の特別演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れた。曲目はハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調と「大地の歌」であったが、 ピアノ協奏曲の演奏後、休憩を挟んでプログラム後半の「大地の歌」が演奏される前には、 ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調でソロを弾いたカレン・ハコビヤンさんがアンコール曲として、 自作のバッソ・オスティナートを披露した。 プログラムの構成の意図に関しては、音楽監督の井上喜惟さんがプログラムノートに書かれているが、 とりわけ「20世紀に入り、オスマン帝国領内におけるジェノサイド、ナチスドイツのホロコーストによる民族離散」 という共通性に関しては、ハコビヤンさんが自ら、アルメニア人ジェノサイドの追憶のために書いたと日本語で 紹介して演奏した「バッソ・オスティナート」が加わることで、その意図が一層明確になり、「大地の歌」を 受容する際の文脈が与えられたことを明記しておく必要があると考え、そのことを最初に記載しておきたい。

アルメニアの歴史についての私の知識はささやかなものではあるけれど、 ノアの方舟の辿り着いた土地に住む人々が、とりわけてもオスマン・トルコとの 関係で恐るべき苦難を味わったこと、しかもジェノサイドの計画性・組織性については未だに トルコは認めようとしていないことは以前に調べたことがあり、それらを思い起こさずにはいられない。 マーラーに関連した文脈に限っても、例えば妻アルマの後の伴侶であるフランツ・ヴェルフェル(ちなみに 彼もまたユダヤ人であり、そのせいもあってアルマはナチスに追われ、ヴェルフェルとともにアメリカに 脱出することを強いられる)の代表作が1915年のアルメニア人ジェノサイドに取材した、 「モーセ山の四十日」(Die vierzig Tage des Musa Dagh)という1933年に書かれた小説であることが想起されよう。 ヴェルフェルの作品の主題は、まさにハコビヤンさんの追憶の対象のそれであり、今年がまさにその出来事から 100年の節目の年であることを、私はここで記録しておかずにはいられない。

そうしてまた更に不可避的に、マーラーの没後にユダヤ人が経験することになり、一例を挙げれば、 パウル・ツェランの詩作によって、その言語を絶する傷が証言されているホロコーストについては勿論のこと、 日本人もまた、太平洋戦争末期の無差別都市爆撃、広島と長崎の原爆を経験する一方で、 南京事件(規模はともかく、それが事実であることを否定することはできないだろう)をはじめとする 侵略行為については加害者の立場にあることを意識せざるを得ない。中国の詩を素材とした 「大地の歌」を、日本において受容するにあたり、仮にそうしたことを抜きにしたいと考える人がいたとして、 寧ろ目をそむけるべきではないのではないかと思われるし、更には今日の中国と日本の関係をも加えた文脈の中で、1世紀前に異郷のユダヤ人が書いた音楽を、今、此処で演奏し、聴取するのだという ことに対しては意識的であるべきだと考える。

勿論そうしたことは、音楽を享受することについて必ずしも直接的な理由や動機となるべきでは ないかも知れないし、かつまた、そうした文脈に限定して音楽を聴くというのは極論でもあり、実際には抽象に過ぎないが、 逆に、無菌室よろしく、あらゆる文脈を剥ぎ取った防音設備の中で純粋に音響として音楽作品を享受する というのもまた、抽象に過ぎない。実際には演奏者も聴き手も、それぞれの多層的な文脈の中で音楽を 経験するわけだし、(拒絶も含めて)聴き手は与えられた文脈を、自分の展望の中で受けとめた上で 音楽に接すれば良いのだと思うが、私個人について言えば、 自分にとって初めての「大地の歌」の実演に接するにあたり、 このような文脈の下で「大地の歌」を聴くことは、非常に貴重な経験であったと思う。

私自身もまた、戦前及び戦後すぐの「大地の歌」の受容に纏わるエピソードについて、 自分の知る若干の事柄をまとめた文章を公開しているが、それらを踏まえた上で、折りしも戦後70年、 アルメニア人ジェノサイドから100年の節目に、かくの如き文脈を与えられた今回のコンサートは、 「大地の歌」の受容において、重要な意義を持つものであると考える。 今回のコンサートを、とりわけても「大地の歌」を、現在の日本で演奏し、それを聴くことに対して、 このような文脈づけをした音楽監督の井上喜惟さんの企画に対して、まずは敬意を表したい。

以下、コンサートの感想としては、いつもの通り、マーラーの作品のみに限り、かつ、 「大地の歌」の実演に接するに際しての考えについては、今回はプログラムノートに記載させていただく 機会を得たので、実演に接して受けとめたものに限って記録しておくことにする。「大地の歌」の 実演に何度も接している方にしてみれば、何とも拙いものと映るであろうが、それは仕方があるまいし、 いわゆる(客観性を旨とする)演奏会批評が目的ではなく、自分がコミットメントしている対象についての ドキュメントに過ぎないことは、これまでの感想と同様である。

それでも敢て、マーラー以外に関して感じたことを一言 書き加えておくならば、これまでの他の交響曲の演奏でも感じていた井上さんの、特にスケルツォ楽章や 変拍子の箇所におけるテンポやフレージングの把握の的確さには、地理的に重なり合い、影響しあう 部分があったであろう、東欧系の音楽に関する経験があるのではということに、ハチャトゥリアンの演奏を 聴いていて思い当たった。そしてこのことは、井上さんの企画が、単なる理念のレベルのみならず、 音楽的な経験の水準での蓄積に裏打ちされたものであることを雄弁に物語っているように思われた。

*   *   *

既述の通り、聴き始めて35年近くを経ているにも関わらず、私が「大地の歌」に接するのは今回が 初めてであったのだが、その上でまず何よりも強く感じたのは、 実演に接しなければ決してわからないことがたくさんあることは事前に想像していたものの、 ここまでとは思わなかったということである。この作品の演奏頻度は、マーラーの交響曲が頻繁に 演奏されるようになった今日においては、今や相対的には低いものになっているように思われるが、 ビジネスとしての収支計算はおくとしても、この曲の実演にあたっての 歌手も含めた各奏者の技術的な困難は推し量れるし、そうした困難の中で演奏解釈を一つのビジョンにまとめあげる 指揮者の困難も大変なものと思われ、この作品をルーチンのコンサートで、2,3度のプローベで 取り上げるのでは、仮に技術的に破綻のないレベルの演奏は可能としても、作品の実質に釣り合った 十分な演奏をすることは至難の業であるろうことが、はっきりと認識できたように思える。

勿論、演奏における細部の精度については、今回の演奏においても 演奏者の理想とするところからの乖離が無かった訳ではなかろうし、 特に、特別な編成で、一部についてはマーラー自身が意図したよりも更に規模が大きい (しかもオペラの場合と異なって、ピットに入っているわけではなく、 背後から覆いかぶさるように鳴る)オーケストラを バックに歌う歌手の負担の大きさ、それを配慮して演奏を設計する指揮者のコントロールの 困難の大きさを感じる瞬間もあった。同じメンバーで再演する機会があれば、更に精度の高い、 完成された演奏になることは間違いないことであろう。

だが私が強く感じたのは、「大地の歌」には、本当にこの作品にしか存在せず、この作品を 通してしか垣間見ることができないかけがえのない瞬間がいたるところにあり、 そうした瞬間の備えているある種の経験の質とても言うべきものを実現することは、単なる 演奏精度の尺度で測ることができないものだということである。そしてそうした質の把握において、 この演奏は卓越したものがあって、圧倒されることが何度となくあったのである。そうした質の把握が あればこそ、人によっては、より緻密なアンサンブルの精度を期待したくなるような箇所でも、 音楽の質が損なわれることはない。特にこの作品は、西欧音楽の枠組みの範囲内ではあるけれど、 単純な比例関係にない拍節の交替や重ね合わせによって、西欧音楽の均等なリズム感から 逸脱する傾向や、ヘテロフォニー的な側面をはっきりと備えていることもあって、寧ろ音響的な滲みや 暈のようなものを感じられることさえあり、気にならないどころか、寧ろ「あるべき響き」をそこに聴き取る ことができて感動する瞬間に事欠かなかったのである。

*   *   *

オーケストラの演奏に関して感じたのと同じことは歌唱のアプローチにも感じられ、とりわけアルトの歌唱は、 きれいに破綻無く歌うことよりも、寧ろ、歌詞に寄り添って、語りであれば文字通り囁きから叫びに至る、 表現のパレットを歌唱としてのぎりぎりの限界まで使い切ろうとするかのような歌い方で、 聴いていて肺腑がえぐられるように感じる瞬間が、これまた何度となくあった。 その感触は私の個人的な経験の範囲では、西欧音楽よりも、 寧ろ能楽における謡が高潮したときに受ける印象に近く、これもまた「大地の歌」という作品に 相応しく感じられた。(勿論これは、実際の歌唱の方法が非西欧的であったのでは全くない。 西欧の伝統的に依拠する申し分ない歌唱から、「大地の歌」という作品を介して、私が受け取ったものが、 単に表現豊かであったり、あるいはジャンルが違えば「ソウルフル」とでも形容されたかも知れない ものあるに留まらず、そうしたものにまで及んだいうことに過ぎず、こうした聴き方が私の全く個人的な ものであることを否定するつもりもないし、その当否を議論するつもりもない。他方で仮に私のような聴き方が 間違っていたとしても、私が歌唱から受け取った感動は些かも変わることはない。)

備忘のために、歌唱において特に印象的だった箇所を列挙しておけば、テノールでは、 第1楽章の第3部分の埋め込まれた「酒宴の歌」の部分、第5楽章の中間の色合いがくすんでテンポが緩み、 響きに温かみが差す部分などが印象に残った。アルトの歌唱は既述のように素晴らしく、枚挙に暇がないが、 第2楽章では、第3節、Ohne Ausdruckという指示のある"Mein Herz ist müde"という呟きから始まる部分 (突飛な連想だが、パルジファル第1幕のクンドリの歌唱パートが思い浮んだ)、第4楽章の音響上の ピークが過ぎて音楽が静まった後の部分、特に最後の詩節において 語り手の心情が映りこむことによって差し込む影と悲しみを語る部分。 第6楽章は、どこか一つというのは困難だが、強いて挙げれば、歌ではなく、語りが求められ、 またしてもOhne Ausdruck / Ohne Expressivoの指示があるレシタティーヴォ、特に中間の 器楽の葬送行進曲の後のレシタティーヴォの原調での再現以降、 とりわけてもEr sprach以降の歌詞上、「くぐもった(umflort)声」で語られたとされる部分。 ここもまた、マーラーの再現の常で、 特異点を通り過ぎ、不可逆な相転移が生じ、最早元には戻れないという徴を帯びている決定な箇所だが、 そうした時間性がもたらす音調を過たず捉えていたように感じられた。 繰り返しになるが、ここではいわゆる正確で美しい、高精度な歌唱とは些か異なる質が、音楽と歌詞によって 求められているのだと思うが、それに十全に応える素晴らしい歌唱であったと思う。

また、アルトの語りに伴うフルートもまた、西欧音楽のフルートであるよりは、葦笛や能管を思わせるような 音色と間合いを感じさせ、「大地の歌」の風景を、マーラーの音楽を生み出した側からではなく、 まさに日本の側から浮かび上がらせていて、それゆえこの作品を西欧の演奏家の演奏で聴くときに感じる 違和感のようなものを感じることなく、作品の生み出す風景の中に入り込むことができたように感じられた。 勿論、それは西欧の演奏が間違っているということではなく、とりわけ「大地の歌」のような作品にあっては、 それが生み出された伝統とは異なったパースペクティブから作品を捉える余地があり、この日を演奏は その可能性を汲みつくしているように思われたということである。

*   *   *

再び歌唱から管弦楽に戻って、「あるべき響き」をそこに聴き取れたと感じた瞬間を備忘のために書き留めておくならば、 第1楽章ではまず冒頭の響きが素晴らしく、あっという間に「大地の歌」の舞台である仮想的な空間に聴き手を引き込んでいく。 恥ずかしながら、開曲から1分と経たないというのに、もう感極まってしまって、不覚にも涙が出てしまった程、 その響きは壷に嵌ったものだった。 そして第3節のへ短調による紋中紋(mise en abyme)のように埋め込まれた「酒宴歌」の部分の空気感。 これまでの他の交響曲の演奏でも 感じたことだが、手にとれば重みを感じ取れそうな響きの充実があり、そのせいで、 調性が切り替わることに遷移していく色彩(私個人について言えば、共感覚により具体的に色彩が 感じられるのだが)の鮮やかさが一層鮮明なものになる。

第2楽章も冒頭の鈍く冷えた金色がかった風景が、途中で暗い寒色の空間に移り(そこにランプが灯るのである)、 それが再び暖色の風景に戻って、太陽を歌う部分では陽光の温もりさえ感じられるが、それが冒頭の 霧の中に再び沈んでいく過程の鮮明さ。そうした色彩の変化、温度や光の加減の変化は、中間の 第3,4,5楽章では一層鮮明になるが、特に圧倒されたのは第4楽章で、ト長調の青みがかった透明な風景が、 転調を繰り返す毎に光の調子と色合いを変えていく過程は、音楽を聴くことを通してその風景を見る 人間の心を掻き毟るような効果を持っている。 その過程の頂点でハ長調のまばゆい白色の光に到達するのだが、印象的なのはその後、 音楽が静まったところで、一旦、変ロ長調の暖色系の光の中で最初の雰囲気の再現が始まる(この変ロ長調が、 第6楽章ではまさに「美」に酔いしれた世界を歌うブロックに対応していることにも留意すべきだろうか)のが、 冒頭の調性に戻っていき、再びまた光の調子と色合いを変えかかって、だが今度は主調に落ち着くプロセスがまた、 あまりに鮮烈で、思わず涙なくして聴けないものであった。

第6楽章については、アルトの歌唱とフルートについては既に記したが、それ以外のところについて 書き留めておこうと思ったところで、個別にどこをどうと言っても仕方ないように感じられる。 自分が受けとめた印象の深さに比べて、感想を書きつける言葉が、 あまりに色褪せたものでしかないことを確認することにしかならないのは明らかだからだ。 恐らくは疑いなく、奏者も同じ思いであったと確信しているが、聴き手たる私もまた、 このような音楽を遺してくれたマーラーの天才に脱帽し、感謝する以外にないように思えるのである。

*   *   *

もう一点、特筆しておきたいのが、マーラーの作品の先駆性、その後の音楽がそこから影響を受けた 側面は、やはり実演によってしか十全に把握することができないということである。 この作品が要求する室内楽的な繊細なバランスは、工芸品のような完成度を追求すれば、 録音技術が可能にする調整を介した方がよりよく実現できるという側面もあろうが、 その一方で、特にこの作品で追求されている、単純な比例関係にない異なる音価の重ね合わせがもたらすゆらぎや、 ミュートの使用やベルアップ、あるいは複数のパートへの振り分けや重ね合わせによって もたらされる空間的な厚みや距離感の効果、より「絵画的」な効果としては、例えば第二楽章において両翼配置の ヴァイオリンが描き出す霧の渦が重なり合っては消えてゆく様、更には第6楽章において、非常に 低い音域を用いることによって、日本の伝統音楽で言うところの音の「さわり」が引き出される点などは、 その場で奏者が楽器を鳴らし、音響がホールの空間を介して直接聴き手に届く環境でないと、 十分に感じ取ることができないように思われるし、実際に実演に接してみれば、例えばリゲティやラッヘンマンが マーラーに見出したものが何であるかがごく感覚的に直接に把握できるように思われるのである。 勿論この演奏において、作曲者の意図に忠実な徹底したリアリゼーションが為されたことが、そうした 印象を可能にしているのは言うまでもないことであろう。

そこで音が鳴っているのを直接経験しつつ、だが、それとは異なる仮想的な空間で音が響いている、 その仮想的な空間こそが、「大地の歌」においては歌詞によって語られる場であり、その場もまた 単一ではなく、重層的・複合的なものであるということを、再生装置を介した聴取でそれを予感しつつ 聴くのとは全く異なって、直接的に「体験」するのは、この上なく魅惑的な経験であり、 恐らく聴き手自身が作曲家であれば、この作品は、そこから自分が取り込むことのできる アイデアが溢れんばかりの存在なのではないかだろうかというようなことを思わずにはいられなかった程だったのである。

*   *   *

勿論、これまで30年以上にわたって録音媒体を介して、或は楽譜を読む事を通して、 この作品の凄さは十二分に知っているつもりでいたけれど、実演に接してみれば、 そうした理解が、この音楽のもつ力の本当の凄みを全く捉えられていなかったことを 感じずにはいられない。マーラー自身はこの作品をあまりに絶望的で、聴いた人が 自殺するのではないかと語ったとワルターが伝えているが、 その音楽が聴き手に働きかける力の大きさについては、掛け値なしに、比喩でなく、 そうしたものであったと感じる一方で、その方向性については、マーラーの言葉には反して、 この音楽は、(後に録音媒体でそのような聴取が可能になったように)それを一人で、 しかもどこでもない場所、どこでもない時から響いてくる、幽霊的なものとして聴くのではなく、 実演によって接してみれば、或る意味では逆説的に、この音楽の持つ徹底的に個人的な性格と、 そこに篭められた悲しみと絶望の深さ故に、有限の生命に限界付けられ、容赦ない環境の猛威の中で立ち尽くし、 あるいは蹲って耐える他ない、寄る辺なき弱者が生きていくための希望を与えてくれるものであることを はっきりと感じることができたように思える。アドルノがマーラーの音楽を、虐げられた者に対して手を 差し伸べるのだと言っているが、そうした側面は実演を通してこそ、実感できるもののように思われる。

この音楽は、このように時間と場所の隔たりを超えて、 繰り返し実演されることによって、世代を超え、狭い意味での文化的伝統の差異さえ超えて、 継承されなくてはならないし、この作品が他ならぬ自分に対して手を差し伸べているのを感じ、 この音楽から力を受けとった者は、そうした継承に寄与すべきなのだというように感じられ、 それ故に、聴き手として実演に関わることで、自分もまた、ごく僅かであっても、 そうした継承に寄与できたことを嬉しく感じたのである。そして勿論、そうした機会を提供し、 そうした経験を聴き手に贈与してくれた、井上さんをはじめとする奏者の方々、のみならず、 この演奏会の企画、運営に携わった方々への感謝の思いを強くしたのであった。

*   *   *

このような演奏を実現するには、本番の集中も勿論だが、徹底した研究の上に、 幾度もの徹底したプローベが必要であったこと、更には、そもそもこのような演奏会を 企画し実現するためには私などには及びもつかないような、大変なパワーが必要と されることを痛感し、音楽監督の井上喜惟さんをはじめとする 奏者の方々には只々敬服するばかりである。 このような貴重な経験をさせていただいたことに対して、 改めて感謝の意を表するとともに、いよいよ最後となる次回の第8交響曲の演奏の 成功を祈念しつつ、この感想を終えたい。(2015.8.23初稿公開, 24修正)

2015年8月22日土曜日

『大地の歌』の「今」と「此処」 (2015.8.22 マーラー祝祭オーケストラ特別演奏会によせて)

『大地の歌』が喚起する、眼前に確かに広がると感じられる風景は、一体何処のものなのか? 1世紀以上の時間的な隔たりと地球を1/3周分の空間的な隔たりを介して21世紀の日本でこの作品に接する者にとって、マーラーの作品のみならず、西洋のクラシック音楽の中でも特異な相貌を示すこの作品は、良かれ悪しかれテクノロジーの影響下にある長い受容の歴史を経て尚、未だ謎めいた存在であることを止めないかに見える。

クルト・ブラウコップフ等が指摘するように、マーラーの作品の普及にはLPレコードを代表とする録音技術の発達が大きく寄与してきたが、『大地の歌』に関しては1936年のSPレコードへの収録以来、LPレコードからCDを経て今日に至る迄に膨大なディスコグラフィーが築かれ、過去の歴史的名演の数々を何度も繰り返し聴くことができる替りに、その特異な編成ゆえか、マーラーの演奏が当たり前になった今日となっては、演奏頻度が飛躍的に向上した他の作品に比べ、実演に接する機会は寧ろ相対的に減っているかのようだ。のみならず、ラジオやテレビによる実況放送に加え、Live Streamingのような技術によって「生演奏」自体がますます仮想化しつつあるかに見える。

他方、作曲の当時マーラーが見ていた風景はと言えば、既にマーラーの時代に存在していた写真に加え、現在では例えばGoogle Street Viewを用いれば、(これはマーラーの時代にようやく発明されたばかりで実用化前であった)飛行機に乗り、鉄道や車により現地を訪れることなく、自宅でドロミテの風景の中を仮想的に移動することができる。今や、トーブラッハを訪れたデチャイが書き留めた、マーラーが毎日午後に逍遥したとされる道を逍遥することすらできるのだ。だがだからといって、マーラーがドロミテの風景を通して、アドルノのいう「仮晶(Pseudomorphose)」として構築した風景が其処にあるということはできない。それは端的に、作品の裡に仮想的なかたちでしか存在しえないのだ。

『大地の歌』の歌詞の素材である、漢詩に基づくハンス・ベトゲの追創作(Nachdichtung)を巡っては、オリジナルの漢詩の推定は勿論、エルヴェ・サン・ドニやユディット・ゴーチェの仏訳やハイルマンの独訳を経由したベトゲの追創作の過程が追跡され、誤訳の実証的な指摘さえされてきた。だが既に半世紀近く前に吉川幸次郎が指摘している通り、漢詩はあくまで素材に過ぎず、ベトゲのみならず、マーラー自身による自由な変形を受けている点を見落としてはならず、仮想のものでしかない中国の風景もまた、そうであることにより、吉川の指摘の通りに、中国的であると同時に普遍的なものたり得ているのである。

更に言えば、歌詞に対するハンス・マイヤーの辛辣な評に対しアドルノが述べた通り、素材に過ぎない詩のみを音楽と独立に論ずるのは、文化的な潮流、時代の嗜好としてのオリエンタリズムやら当時流行の世紀末的な「死のイメージ」やらに還元することと同様、マーラーの疎外の意識が「仮晶」としてこの作品に定着したものを損ない、この作品において達成されたものを却って見えなくさせてしまう危険があるだろう。

『大地の歌』が交響曲か否かという問題もまた、「第9の迷信」に関連づけ、単純な二者択一を論じるのは皮相である。コンサートやCD販売といった興行や流通の制度からは厄介者扱いされるであろう、大管弦楽と2名の歌手を必要とする交響曲にして連作歌曲というユニークな形態の作品が、創作の到達点の一つとして産み出されたことこそが、マーラーの創作の特異性を示しているのである。歌詞と音楽との関係は勿論、変形の技法とともに、独自の「調性格論」(Tonartencharakteristik)をベースにした発展的調性によるシンフォニックな作品の設計が実現する6つの楽章間の多層的な構造を、ある時にはその中を逍遥し、ある時には俯瞰しつつ具体的に眺めていくことこそ重要であり、そうしてこそこの作品の無尽蔵の豊饒さに触れ、この形態でのみ実現可能な実質を捉えうるのでないか?

『大地の歌』という作品の実質を把握するにあたり、例えば、題名にも含まれるErdeという単語の孕む、有限で悲惨な「地上」と永遠に輝く「大地」との両義性を、どう訳し分けるかといった翻訳の問題から辿るのは一見したところ本末転倒に見えるかも知れない。

だが上述のような、素材のレヴェルでの、狭義の翻訳には収まらない変形・変換の介在を思えば、ことこの作品に限っては翻訳の問題は決して副次的ではないし、もっと言えば、別にマーラーでなくても、歌詞つきの音楽でなくても、異国の音楽を受容するに際しては、無意識的であれ、何らかの「翻訳」が為されているに違いない。日本人にとっては外国語であるドイツ語の歌詞を十分に身体化できないことの逃げ口上ではなしに、歌詞の注釈として音楽を解釈するような姿勢はこの作品には相応しくないし、楽曲においてもそうであるように、歌詞の水準においても、単なるポプリ、アンソロジーではない、絶えざる変形と複数の層の重ね合わせにより構築される仮想的な世界に端的に向かい合うべきなのだ。

日本から見れば所詮は外国であるけれど、非常に長期に渉って徹底した影響を受け、独特の受容をしてきた経緯から、西洋のオリエンタリズムに対して、謂わば「対偶」の位置から中国に向き合うのであれば、日本において問題となるのは、単純な洋の東西の差異ではありえない。万延元年に生まれ、明治44年に没したマーラーの同時代の、未だ漢詩を自ら作る伝統を受け継いでいた日本人であればともかくも、1世紀後の日本に生きる人間にとって、『大地の歌』の「原風景」にしても、どこか既視感のあるものであり乍ら、最早過去のものであり、かつての日本人に比べてずっと意識的に向き合うものでしかないだろう。

だが逆にそれだけに一層、非本来的なものを擁護する戦略としてマーラーがとった、漢詩を素材とした擬態が孕む屈折により浮かび上がる風景の見え方の面において、不思議な近さ、もっといえば構造的な同型性の如きものを感じずにはいられない。この音楽が指し示す仮想的な場所を、マーラーがドロミテの風景に「仮晶」として見たのと構造的に似た仕方で、我々は日本の風景の中に、やはり「仮晶」として見出すことができる、のみならず寧ろ逆説的に、精神的なLandscapeとしては、本物の中国の風景よりもそちらの方が(非在としての)「真実」と名指すにふさわしいように感じられるのである。

そしてその由来を問うならば、マーラー個人の様式を特徴づける、複合的な楽曲構造の重ね合わせや楽章間の非因習的な関連づけこそが、有限で儚く、永遠性に与れない、過ぎ行くものとしての自己の限界の認識によってもたらされる、かつては憧れの対象であった「愛する大地」の永遠性に対する疎外の意識が生み出すErdeの両義性、単純な対立でもなく、対立の止揚、解消でもないようなErdeに対する見方を導き出すことに気付かされる。

単純な反復を忌避するマーラーの嗜好や、不連続的な相転移も含めて複雑に展開するマーラーの音楽の動的な性格は、単純なシンメトリーや冒頭に回帰する円環的な時間構造と対立し、緊張をもたらす契機であり、東洋的と言われ、内容上、春の訪れの反復による循環のうちに永遠性を見出すかに見える『大地の歌』もまた、地上の悲惨さの認識から自己の有限性への受容へと至る心的過程の音楽的実現こそがその実質であろう。

そのことは例えば、「悲劇」の調であるイ短調で始まる第1楽章において、マーラーがベトゲの詞章を改変し、詩の中で酒杯を干す前に、琴か箜篌か或は琵琶かを弾きつつ歌う歌詞として入れ子状に埋め込んだ、第6楽章末尾の予告であるところの第3連がmemento moriの調であるヘ短調で歌われるのが、一旦、第5楽章末尾で(第6交響曲第1楽章や第10交響曲第1部のように)同主調のイ長調に到達した後、第6交響曲同様ハ短調でフィナーレたる第6楽章が再開し、最後は冒頭の平行調にあたるハ長調に辿り着き、更にそれまでのマーラーのモットーであった長調から短調への推移を宙に吊ってしまうかのように、付加6の和音で作品全体が閉じられるという調的設計自体が物語っているものなのだ。

マーラーがワルターに第3交響曲作曲時に言った「もう作曲してしまったから、現実を見るには及ばない」という、自信過剰な芸術家の大言壮語と見做されかねない言葉を、「作曲とは世界の構築である」という、これまたそれ自体、文学的修辞の類として比喩的に受け止められがちな言葉を文字通りに受け止めることを通じて理解し、必要であれば既存の楽曲分析の枠組みを超え、複製技術を介さない実演という契機を含めた音楽的「出来事」の過程の全体を複雑系としてシステム論的に捉えることによってこそ、マーラーが遺したものを受け止め、未来へと向けて応答することが可能になるのではなかろうか。

今回の実演の企画が、演奏に参加する人のみならず、聴き手も含めて、まさにそうした「今」「此処」における『大地の歌』の生産的な受容にとってのまたとない「出来事」となることを願って止まない。

2015年8月9日日曜日

マーラーの音楽における時間性のアナクロニスム

もはやマーラーの音楽におけるような時間性は不可能なのだろうか。 それ以前の音楽は最早、絶滅した時間を今に伝える化石の如きものとしか感じられない。 それ以降の音楽は、作品として際立ったものであれば一層、時間性を放棄して別の次元を探求しているかのように見える。 調性を放棄することは垂直方向の和声における響きの放棄である以上に、カデンツがもたらす緊張と解決の原理の放棄であり、 主調領域の確保、属調領域への推移、主調から遠く離れて転調を繰り返し緊張感を高める展開、その末に主調に回帰する再現と いったソナタ形式やエピソードを挟んだ主要主題への繰り返しの回帰が主調への回帰でもあるロンド形式とそれらの複合としての ロンド=ソナタに示されるような調的遷移の遍歴の過程の放棄であった。12音が一度づつ鳴ったら終りになるという ヴェーベルンの耳が感じとった直観はその極限として正しかったが、それは音楽にとって本質的な次元の縮退をしかもたらさない。 圧縮が限界に達したとき、複雑さを目指そうとしても、音の継起する順序という規則のみからは巨視的な構造は産まれてこない。 結果として得られる筈の複雑さは豊かさからは隔たって、単なる混沌と区別がつかなくなってしまう。 その代わりに巨視的な音群の分布を確率的に決定したところで、設計は音の具体的な細部には及ばない。選択される分布や 作曲者の直観的な恣意に任せられる細部に対する嗜好(それこそが創造性・独創性だというわけだ)の結果として得られる音響は、 多くの場合、音楽というよりは自然音のシミュレーションに似ている。
 
その後の音楽のあるものは、幾つかのパラメータを捨て、自分の自由になる次元を限定し、自ら課した制限の下での可能性を探求する禁欲的な 姿勢を貫いて、結果として豊かな成果に辿り着いたが、それらは皆、どちらかといえば抽象美術に似ている。 音楽である限り時間の次元はなくせないが、そこでの時間の流れは作品の中に閉じていてそれは時間を封じ込めたオブジェのようだ。 例えばリゲティの言う「凍った時間」、「空間化された時間」というのは自己規定としては際立って正確で、リゲティのそれを含めた圧倒的な説得力を 持つ作品は、鋭利な批判的な知性に裏付けられた創られたことを証言する。 そしてその中で共感覚に裏打ちされた色彩や肌理の連続的な変化が追求され、内側に向かっては大変に豊かな次元を獲得することにも成功する。
 
その結果として、まるで自由は作品の裡にしか残されていないかのように、時間は作品という閉じた空間の中に封じ込められる。 作品の内部は有機的で豊饒だが、たとえそこに動的な軌道が存在し、周到にもゆらぎさえ与えられ、カオティックな挙動が生じるように 構築されていたとしても、それはあくまでも作品の内部でのことでしかない。 その音楽は寧ろ聴き手を細部の微細な変化に集中するようにいざなう。 非常に長い周期で一致するようなリズムの重ね合わせ、単純な比で表せない複数のテンポ、複数の音律の重ね合わせ、 フラクタル的な自己相同性の導入は複雑で有機的な細部をもたらすが、巨視的にみた時間構造は静的なままだ。 そこには生成があり発展があり、階層分化さえあるかも知れないし、人間が演奏することによるゆらぎの発生は許容されても、 隅々まで決定され、作品として紛うことなく設計され、構築されたものなのだ。 そこでは時間は様々な出来事を内包しつつ、強い志向性を持つことなく、まるで自然を映し出したように緩慢で多元的だ。 複数の中心を持ち、更にそれが時間の経過に連れて変化していき、ある領域が広がったかと思えば別の領域が圧縮され、 ある道は延び、ある道は消滅して2つの領域が接合する、といったように可動的で時々刻々と姿を変えるネットワーク構造。 だがそれは巨視的な推移の構造を、目的論的な到達点を持たない。
 
(例外と呼べるようなケースが皆無というわけではないことも忘れずに記しておくことにしよう。音楽の経験を「旅」と見做し、 聴く前とは別の場所に連れて行かれるような音楽、それを自覚的に企図し、しかも常にではなく、稀にではあってもそれに成功する ケースがないわけではない。そして恐らくそこでの「旅」とは人生の行路そのものでもあるに違いないことも想像できる。 だがそうして稀有な例外であるラッヘンマンの場合でも、それが騒音的な音素材による音響作法に基づく異化効果という、 いわば「表の顔」とどう結びつくのかの方は、私には良くわからない。あるいは「旅」としての側面は単純に音の時間方向の 組織において彼が反動的であるに過ぎないとして切り捨てる立場もあるであろうこともまた、予想できなくもない。異なる 素材の下、昔ながらに構築的であろうとする姿勢。特殊奏法による挑発は目晦ましに過ぎないのか。だが彼が調的組織 抜きでそうした構築に勤しんでいることもまた間違いないことだ。それ自体が稀有なことではないのか。 それが反動だろうが何だろうが、彼が、もしかしたら例外的に、少なくとも私の知る限り彼のみがそれを達成しているのは確かなことなのだから。 だから私はここで結論を出すことを控えざるを得ない。 だが何故ラッヘンマンの音楽に自分が惹かれ続けてきたのかは、こうして考えれば明らかなように感じられる。)
 
勿論、伝統を拒絶し、素材を縮減し、単純なパターンの反復、それとすぐにわかる複数のパターンの重ね合わせなどに よって推移を設計することはある意味で容易い。だがそれは作品ですらなく、単なる音の知覚の実験に近づく。 複雑さに飽きた耳にとって、聴き取りやすく理解しやすい単純な音のパターンの変化は一時は新鮮で快いものであっただろう。 だが単純さはここでは可能性の貧しさに直結し、複雑さを求めても硬直した方法論は同一の次元をうろうろするばかりで、 どれも似たような変化になるという結果の貧困をどうすることもできない。
 
管理された時間を嫌ったところで、偶然の出来事の到来に身をゆだねるのは音楽的時間の放棄だ。 何も時間性を探求するのに音楽が唯一の手段なわけではないから、作品として時間を構築することを拒絶するのは自由だ。 そこでは新たな作品概念が生まれ、新たな実践が生じることだろう。だがそれならばコンサートホールなどに留まるのは場違いだし、 一旦そうした音楽的時間の変容(その結果は最早音楽的という形容すら妥当でないほどに徹底したものであった筈だが)を語りながら、 旧態依然の如く過去の音楽にしがみつく人たちの姿はできれば見たくないものだ。 最早20世紀も過去となったが、更に退行して19世紀末の、しかもマージナルで少なくとも意識の水準では、実験的な姿勢とは縁遠い音楽への郷愁を何故か隠せないように見えるその様は不可解で、 それでいて流行の最先端を標榜し、一方では今やモダンの、前衛の時代は終わった、人間性の地平は乗り越えられるべきだと言いながら、 今こそ癒しを、ノスタルジーを、スローライフを、といった宣伝文句が語られるのはマーケティングの必要性ゆえのことであろうと考えるほかない。
 
かくして協和音が復活し、旋律が復活する。だが反動を恐れてか時間的構造は打ち捨てられたままだから、単調な反復繰り返しは相変わらずだし、 機能和声の支えを持たない旋律は、微分音的なゆらぎを導入し、ヘテロフォニーによって強度や色彩の変化を求めるが、 こちらもまたどこにも辿り着かずに宙を漂うばかりだ。いずれにしても音楽は、聴き手を どこかに連れ去る力を喪ってしまったように感じられる。そう言うと決まって繰り返されるのは、目的論的な時間の流れの放棄と引き換えに、 永遠の瞬間を手にするといった言い回しだが、所詮は日常的な生活の時間の流れの中に点在して消費される存在でしかない多くの場合、 一時のヒーリング、気分転換に利用されるのが関の山に過ぎない。そうした態度を「頽落」として蔑むのは簡単だが、生活自体を 修行の場よろしく音に没入する(あるいは没入できるとの思いなし、ないし勘違いの)特権は、一部の音楽家にのみ許されているに過ぎない。いわゆる「現代音楽」のスノビズムを指弾するその姿勢は、 こちらはこちらで狂信的な環境保護運動などと共通した特権意識が見え隠れする独善性を感じさせられて辟易させられる。(彼らから見れば疑いなく) 「頽落」した聴き手である私には、それもまた自閉の一つの形でしかないようにしか思えない。
 
一方で多くの場合には、学問の装いの下、1世紀の歳月とその間に獲得された認識などないかのように、今更100年前の出来事の周囲をうろうろし、既に自明のことで あるはずの観点を恰も独自の新発見であるかの如くに述べ立てる姿勢もまた、そうした行為がそれを巡って為された対象が抱いていた筈の 志向に対する裏切りにしか見えない。100年が経過し、しかも異郷のこの地であれば、いまや舶来の骨董品としての価値も出てきたとばかりに アニヴァーサリーなどにかこつけて、こちらはもう一桁上の1000年の一度のスケールの未曾有の災害に逢ったにも関わらず、そんなことはまるで なかったかのようにおかまいもなしに、私のような門外漢からすれば、身内意識丸出しに、同業者間の棲み分けと共存共栄への配慮ばかりが目立つ状況に吐き気を催すことも一再ならずであった。
 
だが掟の門前でうろつくばかりしか能のない門外漢にしてみれば、マーラーの音楽にはあれ程豊富に存在した筈の時間方向の構造、 聴き手をもどこか別の場所に連れて行かんばかりの、それが作者の意図するところであるならばその限りにおいて「目的論的」という 形容すら誤りとは言い難い、巨大な時間的持続を支える時間方向の方法論的図式に代替するものが、20世紀の音楽の中では 結局発見されることはなかったのではという感覚は否み難い。否、一例をとればマーラーの作品の長大な時間的経過を支える 音楽的構造と、それを利用する具体的な適用の卓越は非専門家の耳にも明らかで、そうであれば尚更、その後の音楽において かくも生産的な原理が放棄されたのは何故なのか改めて不思議な思いに囚われても不思議はない。 確かに、今この音楽をもう一度創ることの不可能性もまた疑いを容れない事実のように思われる。しかし、過去の遺物を骨董品よろしく品定めして愛でることにあれほど熱心な音楽学や音楽史の研究者も、今ここにスコアとして残されたマーラー作品の構造の分析については、旧態依然の道具立てを用いて、それによっては測りえない逸脱を指摘するのが関の山で、マーラーの音楽の持つ構造の特異性を言い当てる道具を作り上げる努力は、少なくともこの極東の島国からの展望においては一向に行われているようには見えない。 せいぜいが前世紀後半に発達した記号論やナラトロジーのような各種の文学理論の枠組みを借りてきて、音楽にも適用しようという試みが海の向こうで行われていることが窺い知れるくらいなもので、寧ろ音楽を出発点とした新たな構造記述の方法が出てきてもよさそうなものだが、具体的な音楽を前にしたら、あまりに素朴で表層的であると哲学者自らが撤回しかねない哲学的な時間論の分析を持ってきて、目の前の具体的で個別的な音楽作品の豊かさをプロクルステスのベッドのようにそぎ落としてしまうような分析しかできていないように見える。それにしても何故なのだ、という疑問が頭に取り憑いて離れない。それは時代の要請なのか。
 
逆に言えば100年前の音楽に確実にあって、更には今尚力を喪っていないと感じられる側面が未だにあるというのは、 その音楽の指し示す未来を告げてはいないか。時代の制約の中、所与であった語法を換骨奪胎して提示する、今なお異様な力を 喪わないその音楽の動性、超越への衝動に支配された外への運動、未知の地点に聴き手を運んでいってしまう、暴力的なまでの力。 アドルノは全般としては己が批判的に考えていたマーラーの第8交響曲に対して「救い主の危険」という表現を用いた。 私にはこの言い回しはアドルノの逡巡を、聴経験に忠実なアドルノの論理でもって断定し去ることへの躊躇いを感じずにはいられない。 「救い主の危険」。それは今やマーラーの音楽全体について言いうるように私には感じられる。マーラーの音楽の持つ時間性の アナクロニスムは、だが閉塞した現在の凍りついた時間(その認識の何と正しいことか)にあって、単なる夢想に過ぎないとさえ感じられるし、 そのように断罪されるケースも、しばしば見受けられる。だが、そこには文字通り、未だ来たらざるものとしての未来への途があるのではないか。 それは仮想されたものを恰も現実に実現するかのように見せかける詐術ではない。ポテンシャルとしての未来が、音楽の彼方にあるものとして ヴァーチャリティとして指し示されているのではないか。
 
だが、今ここにおける私は、これ以上遠くに行くことはもうできない。私にとって確実なのはマーラーの音楽を手放してはならない、ということだ。 異様な力に満ちたその音楽を聴くことが時折困難になるにせよ、自分に向かって手を差し伸べ、自分を幽霊の隊列に加わるよう 誘う音楽に耳を閉ざしてはいけない。生き延びてどこか別の場所に辿り着くことを希求し続けるならば。(2012.5.5, 2015.8.10補筆改訂)