実際にドロミテの地を訪れた林邦之さんのご質問がきっかけで、机上でドロミテのマーラーの足跡を辿った記録を 公開したのは、もう4年も前のことになる。同じ年の数ヵ月後、近年のマーラー受容を支える技術的環境を巡ってのメモを、 マーラーに出会った30年以上前の状況の記録の補遺として記して公開した。この2つが同じ年に書かれたのは決して 偶然ではなく、片や伝記的・地誌的な事柄、片や出版譜や文献へのアクセスと対象こそ異なるものの、いずれも インターネットの普及による変化の影響が、自分がマーラーを受容する上で無視できなくなった認識に基づき 記述したものである。
それから4年後、改めて技術的環境の変化が、マーラーの人と音楽に接するにあたり少なからぬインパクトを持つことを 実感したことから、ここにその経緯を記録しておくことにしたい。更に5年経ち、10年経った時、その都度、 定点観測のように記録を残すことになるかも知れないが、そうなったら受容史のコーパスとしてはそれなりに 意義を持つことになるかも知れない。それらをマーラーが生きていた100年以上前の技術的な環境と対比させることは、 マーラーの音楽が世代を超え、地理的・文化的な隔たりを超えて聴き続ける際の前提となる隔たりを確認する上でも 意味のないことではあるまい。
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4年前にドロミテについて机上で調査をした時にもWebを通じて入手できる情報は大きな助けになったのだが、 その後のオンライン地図の充実は著しく、現時点では自分の居住している地域、国ではなく、空間的に遠隔の地であっても、 かつては入手自体が困難であった現地の小路まで確認できる縮尺の地図が閲覧可能になっているし、加えて 上空からの画像と切り替えながら場所の確認をすることができるようになっている。
更にはストリート・ビューによって、自宅に居ながらにして遠隔の地を訪れ、あたかもその場を移動して いるかのように移りゆく風景を眺めることすら可能になっている地域もある。 以前私は南チロルを紹介したWebサイトから入手した鳥瞰図でデューレン湖(現在はランドロ湖と呼ばれる)と シュルダーバッハ(これも現在はカルボニンと呼ばれる)の位置関係、 ランドロ渓谷からトープラッハ湖(現在はドッビアーコ湖)を経てトープラッハ(同じく現在はドッビアーコ)に 至るルートが視覚的に容易に確認できることを 記したが、今やそのルートをストリートビューでヴァーチャルに踏破することができるようになっているのだ。 あるいはまたマーラーが登山の途中といった様子でフィッシュラインタール(ないしフィッシュラインボーデン)の 坂の途中で一息ついている有名な写真があるが、その写真が撮影された場所の正確な同定はできなくても、 マーラーが宿泊した記録のあるホテル・ドロミテンホーフの今日の姿を確認することができるのである。
ただし、マーラーの場合には 主要な活動地域であったオーストリアとドイツはオプトアウトのためにGoogle MapsやGoogle Earth上での ストリート・ビューの画像は存在しない。結果的に旧オーストリア・ハンガリー帝国領でストリート・ ビューによる「仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼」ができるのは、チェコやイタリアの ドロミテ地方などに限定され、例えばアッター湖畔のシュタインバッハ、ヴェルター湖畔のマイアーニクなどは 上空からの写真のみでの確認に限定される。マーラーが「もう作曲してしまったから、見る必要はない」と 言ったとされるザルツカンマーグートの山塊も、地上からの眺望は、地図にアップロードされた写真によって 確認できるにすぎず、これだとレコードやCDのジャケットの写真を眺めるのと、知覚のモードとしては 大きく変わるところはない。それでも上空からの写真の解像度は極めて高く、アッター湖畔のシュタインバッハの 作曲小屋は湖水の岸辺にあることもあり、写真で小屋の場所が確認できてしまうほどである。宮廷歌劇場監督で あったマーラーがアルマとともに住んでいたウィーンのアウエンブルガー通りのアパートから歌劇場までの ルートを辿るのも容易だし、アルマの実家があったホーエ・ヴァルテにしても一軒一軒の住居を識別することが できてしまいそうだし、グリンツィンク墓地に至ってはマーラーの墓が識別できてしまいかねないほどなのだ。 上空からの映像が既にそうなのだから、プライヴァシーに敏感なドイツ、オーストリアの人々が ストリートビューを排除したくなるのも仕方がないように思われる。
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ストリートビューにフォーカスすると、ヴァーチャルな移動性に重点が置かれ勝ちではあるが、そもそも そのような「仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼」が可能になるためには、幾つかの要件が 存在している。4年前の探索についてもその点については基本的に同じだった筈なのだが、結局のところ マーラーの生きた時代と現代とが歴史的に見ていわば「地続き」である点が大きいように思われる。
マーラーが生まれた150年前から100年前にかけての時代は、写真撮影が一般的になり、ヨーロッパ中を繋ぐ 鉄道網が発達し、船舶による大西洋横断が普通になった時代である。マーラーについて言えば、マーラー 自身の各年代毎の肖像写真は勿論、カリシュトの生家やイグラウの住居についてさえ当時の写真が残っていて、 それを現在の写真と比較することが可能になっている。だが一見すると当たり前に見える状況も、 マーラーが50年前、100年前に生まれていたら同じ程度には成立しえないことは容易に想像できるだろう。 例えばシューマンには辛うじて晩年に撮影された写真が残っているが、古典期の作曲家ではそれは期待できようはずがない。
直接テクノロジーが関与したメディアではなくても、例えば1世紀前のある場所が 今日の地図上で特定できるということすら自明のことではない。地名・住所は恒久的なものではなく、 現在の地名・住所との対応付け、位置の比定のためには、まず過去の側に地名や住居表示のシステムが あることが前提で、かつそれの今日までの変遷が辿れる必要がある。 今日であればGPSを使って 位置を正確にアイデンティファイできるから、仮に開発等で景観が変わったとしても場所の同定は可能だが、 100年前についてはそれはできないから、墓や記念碑、住居や街区の保存やプレートの設置等、 場所を記憶するための努力なしに100年前の個人の足跡を辿ることは不可能に近い試みである。
マーラーの場合には、カリシュトの生家やイグラウの住居から、シュタインバッハやマイアーニク、 トーブラッハの夏の住まいから作曲小屋に至るまで、保存の努力がなされているからこそ、 仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼が可能になっているのだ。私の4年を隔てた 2度のヴァーチャルな机上での巡礼すら、その寄与は限りなくわずかなものであるにせよ、 そうしたマーラーを記念して記録する行為の一端ではあり、 マーラーの誕生日である7月7日に開始して数日後に報告の文章を草するという作業の反復は、 実際には4年前も偶々同じ時期にそれをしていたことを、この文章を書き始めるまで忘れていたにせよ、 過去を再現を企てる儀礼としての側面を、無意識のうちに帯びていたことになるだろう。 所詮は100年後、150年後の風景であり、当時のままである筈は無く、それは当時の写真と比較すれば すぐにわかることでもあるけれど、そうした差異の上で、差異にも関わらず同じ場所を訪れること、 マーラーの足跡を辿ることが「巡礼」として成り立っているのである。
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とはいうものの、Google Maps やGoogle Earthで確認できるアップロードされた写真の位置は必ずしも 信頼できないというのは、かつての書籍での記述の混乱と変わるところはない。今回確認できた例を幾つか 挙げれば、トーブラッハでマーラーが過した家の隣にある「アルト・シュルダーバッハの動物園」 なるものが、トーブラッハの中心からの方角では全く逆の方向のある地点に存在するかのように マーキングされていたし、グリンツィンク墓地におけるマーラーの墓の位置については幾つかの写真が 大きく分けて2つの異なる区画にアップロードされていたりする。また、これはマーラーを記念する 意図に由来する、些かアイロニカルな状況だが、マーラーを記念して通りの名前をマーラー通りに してしまったために、かつての通りの名前が現在の地図では喪われているようなことも起きるのである。
更に、これはストリートビューの撮影の仕方がもたらした一時的な事象である可能性もあろうが、 マーラーの生地カリシュトのストリートビューについては面白いことが起きている。 マーラーの生家はカリシュトの中心の道沿いにあり、道に面した軒側の壁にはめ込んである マーラーのレリーフと、切妻の壁に記されたMAHLERの文字によりすぐにそれとわかるのだが、 マーラーの家の前を通り過ぎるときに緑に囲まれ、青空の広がっている風景が、少し先の交差点で 町の中心にある教会の方に道を折れ曲がると、途端に雪景色の中の村の風景に変貌するのである。 ストリートビューの撮影車によるカリシュトの訪問は季節を変えて少なくとも2度(2011年9月、 2012年2月)行われており、その結果を単一のルートのストリートビューとして並存させている 結果なのだが、360度撮影のストリートビューの特徴を生かして後方を振り返ると、 先ほど緑の中にあったマーラーの家が来た道の奥に、雪の中に佇んでいるのを確認することができる。
かくして150年後のそれであることをおいても、ストリートビューで日本に居ながら 見ることのできるカリシュトの2つの季節の風景は、だがマーラー自身の見たはずのそれと 重ね合わせることが可能なのであろうか?記録によればマーラーは生まれてほどなくして 家族ともどもイグラウに移ってしまっているようだ。とすれば、マーラーがカリシュトの 冬を過したとしてもなお、雪景色のカリシュトの記憶があったかどうかははっきりと しないのではなかろうか?もちろん、イグラウに移ってからもカリシュトを訪れることは 可能だったろうが、それをしたかどうかもまたわからない(成人して後も、イーグラウには しばしば戻ったことは確認できるのだが)としたならば、マーラー自身の見た風景であるか どうかは結局のところ想像の領域の事柄であろう。(一方、後日晩年のマーラーがカリシュトの 生家の写真を友人と眺める機会があったらしいことは記録に残っているようだ。当時ストリート・ ビューがあれば、生家をヴァーチャルに訪れることも可能だったに違いないし、当時最先端の 自動車に乗ったこともあるらしい(アルマの回想録にそういう記述がある)マーラーの ことだから、きっと関心を示したであろうと思うが、いずれにせよ、マーラー自身が写真と いう技術が記憶と知覚に介入する時代に既に生きていたということは間違いないことである。)
更にイグラウ近郊では、今度は春先と夏と秋の晴れた日の交代を確認することができる。 撮影日を確認すると2011年7月,9月 2012年3月,4月が混在しているようで、交差点ではデータの 上書きの仕方による効果であろう、それらの季節が一瞬だけ交替するようなケースも確認できる。 イグラウの近郊は落葉樹が主体の植生のようなので、季節の交替は樹叢の姿によってはっきりと 感じられるし、電線が地下に埋設されず電柱が立っている風景は、どことなく日本の郊外の 風景を見ているような錯覚に囚われることもしばしばである。
恐らくストリートビューの世界というのは時空のあり方が現実のそれとは異なる独立の世界であると考えた 方が良いのだろう。時間は車載カメラが通過した日付で固定され、地域の間にはしばしば不連続面が 生じる。空間的にも、車載カメラが通れる道路および道路からの展望のみが存在し、車載カメラの視界の外は 存在しない。人間はたとえ見えなくても空間と空間の隙間を補完してしまうのに対して、ここでは 空間は網目上の構造をなしていて網目の隙間というのは世界に属していないと考えるべきなのだ。 データは徐々に追加・更新・(オプトアウト等を考えれば)削除がなされていくだろうから、 更新処理によって時空が不連続に別の点に飛び移るような時間の構造を持っていると考えられる。 更新されなければある地点の時間はある日付と時刻に固定され、何度同じところを繰り返し通っても、 現実の世界でそうする場合とは異なって、その間に時間が経過し、景観の変化が起きているということはない。 寧ろ車載カメラの移動方向に沿って時間が流れ、逆行するときには、時間は逆流していると考えるべきだろう。 ここではいわば一筆書きの要領で、空間中のある有向線分に沿って、その近傍だけ時間が 流れていくのである。空間的には網目に見える構造も、時間的には線分が集まるノードである交差点は、 その内の入ってくる一本と出て行く一本の線分は時間的に連続していても、それ以外のものとは 不連続になっていて、未来へか過去へか、飛躍が起きる特異点になっている。
ストリートビューの時空の構造を確認していると、マーラーの交響曲の持っている時間の構造を 思い浮かべずには居られない。勿論それは両者が似ているということではなく、全く異なるのだが、 ストリートビューは一つ一つは基本的に一筆書きのリニアな時間を持った撮影日が異なる画像が 道路のネットワーク構造に沿って重ね書きされることで時間の連続・不連続が偶然的な仕方で確定するという 単純な構造になっているのに対して、マーラーの音楽の時間の構造は(勿論、創作の順序の痕跡で あろうはずはないが、その一方で古典期の工芸品的な構造を持つ作品とは異なって)、 意識の流れのようでもあり、だがあちらこちらに不連続面があり、多層的であったりしているのであり、 そうした構造を現象学的時間論の枠組みに引き寄せて聴取の時間の流れに射影して捉えるのではなく、 それ自体として捉えようとする際のヒントとなるように思われたのである。
それはまたアドルノが一方では擬似心理学的な「突破」「停滞」 「充足」「崩壊」といったカテゴリによって、他方ではヴァリアンテといった技法的な側面から 捉えようとしたマーラーの作品の時間論的構造を、或る種の人工物の存在論として記述していく ための手がかりになるに違いない。ラッヘンマンは楽曲の聴取を「旅」に喩えたが、 ここでの仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼は、ストリートビューの持つ時間構造の 上での旅であった。そこでマーラーの作品の聴取という「旅」の経験の基盤となっている楽曲自体の 持っている時間構造を作品自体に即して捉えるための方法を問題にしているのである。
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ところで4年前ドロミテについて調べた折に、アドルノのマーラーについてのモノグラフにあるドロミテに ついての言及、"die künstlich roten Felsen der Dolomiten"の解釈について記したが、 今回調べてみたところ、それとは別の解釈の可能性があることがわかったので、ここに記しておきたい。
その時には通常の苦灰石(CaMg(CO3)2)の色彩や写真等で確認できるドロミテの山々の眺望を基に、 岩が赤いのは、朝日や夕日に照らされてのこと、現地のドロミテ・ラディン語で"Enrosadira"という 現象ではないかという仮説を提示したのだった。現時点でもこの解釈が妥当であるという考え自体は 変化していないのであるが、調べてみると、ドロマイトに酸化鉄が混ざることがあり、その場合には 岩が赤く見えることがあることがわかったのだ。
もっともそれだけなら、ドロマイトという鉱物の性質についての一般的な議論に過ぎず、ここでの 文脈、つまりドロミテの山々の岩の色の話に即、適用されるわけではない。だが実際には、ドロミテには 「赤い壁」(Croda Rossa / Rotwand)と呼ばれる山が存在しており、写真で確認すると確かに赤い岩肌が 確認できることがわかったのである。しかも、私が確認した限りで、「赤い壁」(Croda Rossa / Rotwand)と いう名前の山は少なくとも2つあるのだ。一つはマーラーが山小屋を訪れたとされるTre Cime / Drei Zinnen と 同じ山塊に属するSextener Rotwandであり、 もう一つはマーラーが「大地の歌」の構想を練ったとされるシュルダーバッハ(現在はカルボニン)から 見ることができる、Croda Rossa d'Ampezzoである。実際にストリートビューでカルボニンから 西の方を眺めると、Croda Rossa d'Ampezzoの赤い壁を見ることができるし、Google Mapのカルボニン近郊に アップロードされた写真でも確認することが可能である。従って、決して人工的(künstlich)ではないし、 実際にそのようにも見えない(他の岩石に酸化鉄が混ざって赤く見える場合のように、それはごく自然な 色彩と私には感じられる)のだが、「ドロミテの赤い岩」は、ドロミテ山塊一般のイメージとは 言えなくても、しばしば見られる景観であるとは言えそうなのである。従って、4年前の解釈について 撤回の必要は感じていないものの、「赤い岩」の理由について別の可能性があることは否定できないため、 ここにその事実を公開しておくことにする。
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マーラーが生きた土地の風景を、作曲をした土地の風景を眺めることの意義は何だろうか? しかもそれを、自分が現地に移動して、その場を動き回るのではなく、自宅のPC上で、 仮想の移動性をもった視線によって行うことはどういう意味があるだろうか? 私のように、諸般の事情から現地を訪れる機会が訪れることのなさそうな人間にとって、それは 貴重な代替手段ではあるけれど、それは所詮、不完全な代替に過ぎないには違いない。 将来、マルチモーダルなヴァーチャル・ツアーが可能になる可能性がないとは言えまいが、 少なくとも現時点では、それは、マーラーが見た通りの風景でないのはもちろん、今・ここで 私が見ている風景ではなく、車載のカメラが撮影した過去のある日付の記録に過ぎない。
だが、マーラーの遺した音楽をまるまる捨象して、マーラーその人の直接的な経験のみを 問題するのではなく、その作品を含めた総体としてとらえた場合、1世紀後の異邦の聴き手で ある人間は、マーラーが「作曲してしまったから見る必要がない」という言葉を残していることを 今一度思い起こすべきなのだろう。勿論、マーラーの作曲が行われた場所を知ることは その作品の理解に対して何某かの意義を持つだろうが、作品に定着されたもの、作曲された時点での 具体的・個別的で一回性の文脈を離れて、時空を隔てた人間が、ある日自分の歩く浜辺に見つけた壜の中の手紙に 読み取るものを問題にしたとき、マーラーの作曲が行われた場所を知ることは端的に言って 不要であるというように寧ろ言うべきではなかろうか。勿論、1世紀後のそれであれ、 仮想の移動による視線を通じてであれ、その風景を知ってしまったものは、その経験自体を 無かったことにすることはできないし、その後のマーラーの音楽の受容に影響するだろうが、 その経験がなければ作品が語ることを正しく受け取れないという主張は、端的に誤りだろう。 マーラーがドロミテを通して東洋を幻視したのと鏡像を為すように、マーラーの作品が 1世紀後の日本のある場所のある風景に結び付けられたとしたら、それこそが作品の普遍性と 持つ力の巨大さの為せる業ではなかろうか。
直接的・身体性を伴う経験の持つベクトル性の深みを軽視すべきではなく、実際に現地を 訪れることは、マーラーの作品の実演をコンサートホールで経験するのと同様に、 ストリートビューやCDやストリーミングによる再生による経験とは異なったものである。 だが、その一方で、人間は現実の世界に生きているのと同じように、様々な仮想的な 空間の重なりの中で生きており、そうした世界の重なりが、眺める風景の眺望を 変えてしまっていることにも留意すべきであろう。同じ場所で、同じ時に同じ風景を 眺めても、過去の記憶や観念の空間をひっくるめたその人の視点はユニークなものであり、 共役不可能なのである。逆にマーラーの音楽を知っていてドロミテの風景を眺めるのと、 そうでない場合との違いを思い浮かべれば、マーラーの愛好家にはその質の決定的な 違いは容易に納得できるものであろう。他方で逆向きの作用、つまり技術的環境のもたらす 展望が楽曲の聴取に与える影響も無視してはならないだろう。Google Earthによって、地球と火星が同等の 扱いを受けるようになっている今日であれば、アドルノが同じ著作で地球を 「青い球形の天体」と観じた延長線上で、"die künstlich roten Felsen der Dolomiten"の 「赤い岩」を、やはり同じように酸化鉄によって、今度こそ地球上では人工的な風景と見えるかも 知れない火星の風景のそれと観ることすら可能だろう。同様にマーラーの「東洋」は、 21世紀の現実の東洋とは異なる時空に存在しているが、それを当時の東洋趣味の 風潮に還元するよりも、今日の日本からそれがどのように見えるかを測り、 今・ここでならではのユニークな展望からその可能性を汲み取ることに意を尽くすべき なのではなかろうか。(2014.7.11公開, 12,14補筆修正)
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